続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2012年3月  前半と後半で違う顔の3月

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◆2012年2月24日(金)
 12時から新宿のホテルでニューヨーク・ロード・ランナーズ・クラブの昼食会に出させていただきました。メディア戦略部門のディレクターであるリチャード・フィン氏と昼食をとりながら、各記者たちが自由に質問をしていく形式です。もう3年目くらいになりますかね。

 時間がないので(寺田の時間です)、話題に上った事項で1つだけ紹介させていただきます。WMM(ワールドマラソンメイジャーズ)は現在ニューヨークシティ、ロンドン、ボストン、ベルリン、シカゴの5大会ですが、「ワールドと名乗っている以上、アジアなど欧米以外の大会を外し続けるのはおかしいのではないか」という議論はWMMの内部でもされているのだそうです。6大会となる可能性もあるということです。
 では、東京マラソンがその候補なのか、という話になると思うのですが、その部分はコメントできないそうです。

 やっぱりもう1つ紹介しましょう。
 2010年のニューヨークシティ・マラソンでゲブルセラシエ選手が途中棄権して、レース後の会見で引退すると明言しました。数日後に撤回したのですが、その会見にフィン氏も同席していて、そのときの状況を「シュールレアルだった」と振り返ってくれました。
「誰もが途中棄権の理由を話すと予想していたのに、何の前触れもなく『やめる』と話し始めた。記者たちは皆、口をあんぐりと開けていた。すごい光景だった。ハイレはニューヨークシティ・マラソンに対して思い入れがあったんだ。それなのに走りをまっとうすることができず、ショックを受けてあのリアクションになったのだと思う」

 やっぱりもう1つ。
 3月18日のニューヨークシティ・ハーフマラソンに東洋大の設楽悠太選手(2年)と大津顕杜選手が招待されたことも、ひとしきり話題になりました。
 箱根駅伝優勝チームとNYRRの組み合わせが斬新です。箱根駅伝だけにとどまらず、世界に目を向けようという取り組みが世間からも注目を集めました。同時期に日本学生ハーフも開催されますが、今年はユニバーシアードがないシーズンなので、タイミング的にもよかったのだと思います。
 ニューヨークシティ・マラソンも、他のWMMに比べてアフリカ勢一色にならず、全世界的に選手を集めようという姿勢を持っている大会。関係者の思惑が上手く合致してニューヨークシティへの遠征が決まったのでしょう。
 今回のことは民間レベルの活動ですが、関東学連が、箱根駅伝でレベルの高い走りをした選手を海外のハーフマラソンに派遣するのも良いのではないでしょうか。箱根が最終的に完結する大会でなく、さらに広がりを持つ大会と位置づけられます。
 ただ、国内にも大会は多くありますし、選手がリフレッシュする期間も必要です。その辺を考慮しながら、ということになりますけど。そこが難しい?

 ニューヨークシティ・ハーフマラソンは、11月のフルマラソンのコースとは違って、マンハッタン島の中だけとのことです。島といっても、ニューヨークシティの中心ですね。フィン氏の話を聞いていつも思うのは、NYRRが周囲の協力を得るための努力を積み重ねてきたことです。
 NYRRは1958年の創設。最初は地域のランニングクラブだったそうです。それが半世紀を経て、行政の協力などを取り付けて、多彩な活動を行っています(米国内の長距離チームのスポンサーにもなっています)。海外の大都市マラソンはこのパターンが多いようですが、その中でもNYRRは先駆け的な存在だそうです。
 何度も書きますけど、行政主導で開始されるのがほとんどの日本とは歴史が違います。だから海外が良いというのではなく、日本独自のやり方でやっていくしかない、ということですね。
 そういう意味でも名古屋ウィメンズマラソンは注目の大会です。

 NYRRの昼食会の話が長くなったので、東京マラソン会見の話題は明日にでも。書けない可能性もあります。五輪イヤーは普通ヒマなのですが、なぜか忙しいのです。


◆2012年2月25日(土)
 昨日はNYRR主催昼食会の後、新宿のホテルで東京マラソン記者会見を取材しました。
 会場では日刊スポーツ・佐藤隆志記者に22日の同紙に載った川内優輝選手記事(裏面全面)の取材裏話を聞きました。川内優輝選手本人ではなく、母親の美加さんが川内選手や家族のことを語った記事ですが、なかなかインパクトのある内容でした。24日も裏面全面で同選手の特集で、今度は科学的なアプローチでした。
 聞いた話では日刊スポーツのみならず、今週の各紙は「川内ウィークだった」とO記者が教えてくれました。ネットには載っていませんが、読売新聞も連載をしたそうです。

 昨日の会見も、外国人の主役はゲブルセラシエ選手、日本人の主役は川内選手と決まっていたようなものです……が、藤原新選手が存在感を示しました。スポーツ紙記事に出ているように、川内選手と藤原新選手が舌戦を展開しましたが、寺田的には藤原選手の判定勝ちだったかな、と思いました。
 まずは川内選手が仕掛けました。本人に仕掛けたという意識はなかったかもしれませんが、「新(あらた)さんは昨年2時間7分台が目標と言っていたのに、今年は明言しなかった。なので僕が2時間7分台と明言したい」とコメントしました。
 これに対し藤原新選手は「僕がタイムを明言しなかったというのは、あのー、ちょっと気を使って。(川内が話すことが予想された)7分台が持ち上がるように。なので…、そういう意味なんで、川内君」と、やんわりとやり返しました。主役は君だよ、という余裕を見せたようにも感じました。
 それに対して川内選手が「いやぁー、完全に藤原新さんは日本記録(2時間6分16秒)狙いということが分かりました。これで僕のモチベーションも上がると思います」と、強引な解釈をして再び突っかかりました。
 それに対して藤原新選手は素晴らしい切り返しを見せたのです。「25km以降は引っ張り合っていこう。後ろにピタってつくのはダメだよ。(前に出るのは)交代しながらだからね」
 ここでゲブルセラシエ選手が「喧嘩はやめようよ」と笑顔で間に入って、両者は矛を収めた形となりました。

 各紙の記事はどちらかというと、川内選手をメインにした書き方でした。これは知名度からいって仕方のないことです。ただ、実際は上記の感じで、藤原新選手の方に余裕がありました。藤原選手も名門の諫早高、拓大、実業団、プロランナーと場数を踏んでいますから、あの対応ができたのでしょう。昨年はスポンサーの契約金不払い事件まで経験しました。
 一番のポイントは舌戦の中で、レース中の走りに注文を付けたことです。「後ろにピタッと付けたらだめだよ」と。これは川内選手が過去のレースで、自分とリズムの合う選手を探して勝負所まではその選手の後ろにピタッと付いて走ったことを意識しての発言だったと思われます。それを藤原選手が、公の場で牽制したわけです。
 こう言われてしまったら川内選手も、レースでその走りをしづらくなるのは確かです。それでもなお、川内選手が後ろにつく走りをするかもしれません。そのくらい根性の座った選手だと思います。

 東京マラソンの会見の特徴は、英語と日本語は同時通訳システムで行っていることです。これは東京マラソン以外では見たことがありません。会場の記者たちも選手たちも、ワイヤレスの受信機を耳に装着して、同時通訳の方の言葉を聞くことができるのです。
 ゲブルセラシエ選手が2人の舌戦に割って入ることができたのも、このシステムで会見をしていたからです。話し終わった後に通訳の方が訳すと2倍の時間がかかることになるので、かなりの時間節約になり、時間を最大限効果的に使うことができます。さすが東京都という感じです。
 が、訳が100%正確かというと、そうでもないようです。なにせ同時なのです。一言一句漏らさずに翻訳することは無理っぽいですね。何人かの記者たちからそういう話を聞きました。

 藤原新選手が存在感を示したと書きましたが、川内選手も負けていませんでした。特に最後に「どんな姿を多くの人に見てもらいたいですか?」と質問されたときです。川内選手はこう答えました。
「1日2時間の練習でも2時間7分台で走れることを示したいです。陸上界にはオーバートレーニングに泣き、ケガに泣き、本当に苦しい思いをしても、努力が報われなかった人がたくさんいます。そういう人たちが短時間のトレーニングでも報われると思うようになれば、きっとケガも減ると思いますし、ケガが減れば多くの才能ある若い選手が活躍してくれると思います。だから1日2時間の練習で2時間7分台を出せることを証明したいと思います」
 記者会見でここまで迫力あるコメントを聞いたのは、いつ以来でしょうか。明日の川内選手、期待できると思いました。

 しかし、です。会見後に藤原新選手のカコミ取材ができましたが、落ち着いた話しぶりのなかにも自信を見せていました。会見で「今までの僕は当たりはずれがあって、開けてみないとわからない選手でしたが、今回は大丈夫です。そういう練習ができました」と話していたので、カコミで練習がどう良くなったのか? と質問しました。「質の高い練習ができました」と答えた後に「質も量もできました」と言い直しました。
「ベルリンの世界選手権のときに瀬古さんに、『マラソンはスタミナですか、スピードですか?』と質問をしたら、『どっちもだよ』と言われました。その、どっちもの練習をやることができました」
「去年は200〜300kmの練習で25kmまで3分ペースで行けました。今回はしっかり練習ができているので、普通に考えてイケルかなと思います。そのなかで、調子が悪くても別にいいや、という余裕があります。ぶっ飛んだ記録を狙うならともかく、2時間8分前後なら普通にイケル。自然体でイケルと感じています」

 すごい手応えなのだと思います。自信を口にする選手は大勢いますが、ここまで充実感を漂わせる選手も珍しいという印象でした。
 明日のレース、わかりません。


◆2012年2月26日(日)
 東京マラソンの取材でした。
 スタート20分前にフィニッシュ地点の東京ビックサイトのプレスルームに。スタートとフィニッシュ地点が違う大会なので、他のマラソンでは当たり前のスタート前取材はありません。代わりに東京中日スポーツの川村庸介記者を取材しました。1週間後の男子マラソン五輪最終選考会のびわ湖マラソンに出場します。今日の練習は早朝の10kmジョッグでした。いったい、何時に起きているんでしょうか?

 レースはいつものように、プレスルームのモニターで見ていました(スタートを見たのは第1回大会だけ。それで十分です)。プロジェクターで映し出される大画面ですが、今年は画質が良くなっていました。以前の映像は、かなり薄い印象でしたが、今年は鮮明で見やすかったです。画面の大きさは国内マラソンでは1番。さすが東京マラソンです。
 問題はレースを3つ見ないといけないことでした。男子の第2集団と、男子のトップ、そして女子のトップ。男子の五輪代表争い(これは第2集団)がメインですが、女子のトップはセカンドウィンドAC大久保絵里選手でしたから気になります。もちろんゲブルセラシエ選手も見たい。
 男女同時開催の大規模マラソンの中継の宿命でしょうか。何度も書きますが、高橋尚子さんが世界記録を出した2001ベルリン・マラソンを取材したある記者が、男女を切り換えたり、市民ランナーたちを延々と映し出す画面を現地で見て、「面白くない」と言っていたのを思い出します。
 しかし、これはもう、文句を言ってもどうにもならないとわかってきました。外国の真似をするスタイルですから(その点、名古屋ウィメンズマラソンは期待しています)。フィールド種目の取材と比べたら集中しやすいですしね(フィールド種目の見せ方は、何か工夫しないといけないでしょう)。

 レース後の取材を書くのは省略しますが、九州陸上記者たちが熱くなっていたことは記しておきます。日本人1位の藤原新選手が長崎、同2位の前田和浩選手が佐賀出身。同4位は熊本剛選手ですし。

 取材終了後にある場所で偶然、セカンドウィンドACの大久保選手、川越学監督、平田真理コーチとお会いしました。ちょっと気になっていたのが女子のペースメーカーです。大久保選手が序盤から独走していました、それもかなりのハイペースで。それが、川越門下としては珍しいのではないかと思いました。大久保選手の5km毎は以下の通りです。

5km      16分50秒
10km     33分40秒(16分46秒)
15km     50分40秒(17分00秒)
20km  1時間07分50秒(17分10秒)
中間点 1時間11分40秒
25km  1時間25分19秒(17分29秒)
30km  1時間42分48秒(17分29秒)
35km  2時間00分19秒(17分31秒)
40km  2時間18分10秒(17分51秒)
フィニッシュ 2時間26分08秒(7分58秒)


 川越監督に確認したところ、ペースメーカーは5km毎が16分50秒(マラソン2時間22分03秒)と17分15秒(2時間25分34秒)の2つが用意されていたそうです。大久保選手は17分05秒(2時間24分10秒)で行きたかったそうですが、外国人選手たちの希望でこうなったとのこと。
 しかし、外国人選手は誰も16分50秒ペースに付かず、大久保選手だけが付きました。しかし、ペースメーカーとは10kmあたりではぐれてしまったそうです。結果として終盤ペースダウンし、残り3kmで3人に抜かれてしまうことに。目標の2時間25分切りも達成できませんでした。恨み言の1つも言いたくなることですが、大久保選手からはそういった言葉はひと言もありませんでした。
 マラソンにこの手のことは付き物です。それを終わった後でぐたぐた言ってもプラスになることはありません。それに、ハイペースを経験したことは絶対に役立ちます。
 ちなみに、中間点通過は大久保選手のセカンド記録に相当するそうです。ひょっとして、セカンドウィンドAC選手のハーフ通過の最高記録かと思って聞いたところ、2008年東京国際女子の加納由理選手(現資生堂)と、2009年北海道の嶋原清子選手が、今日の大久保選手よりも速かったかもしれないといいます。
 調べてみたら加納選手は1時間10分43秒で1分も速かったですね。フィニッシュは2時間24分27秒(2位)。嶋原選手は2時間25分10秒の大会新でしたが、中間点はちょっと調べ切れませんでした。日本代表レベルはやはり強かったということです。
 大久保選手はまだこれからです。それでも、川越監督は「大久保ならこれくらいのペースで行ける」と話していました。大久保選手にも、「セカンドウィンドACのエースとは?」という質問を、取材の時にしました。大久保選手の取材時コメントは記事にする予定です。


◆2012年2月27日(月)
 9時から新宿の大会本部ホテルで藤原新選手の一夜明け取材でした。テレビカメラの数が多かったですね。たぶん、大阪国際女子マラソンの重友梨佐選手の一夜明けよりも多かったような気がします。五輪代表有力候補ということに、東京マラソンのヒーローということが加わったからでしょう。
 最初にテレビ用で、その後でペン記者用。時間をたっぷりととってくれました。

 藤原選手の取材対応は素晴らしいと思います。おそらく、記者たちと話をすることが苦にならないタイプということと、プロランナーとして取材対応はしっかりとやるべきだという意識があるのでしょう。
 レース2日前の記者会見での川内優輝選手との舌戦もお見事でしたが、会見が始まる前にはこんな写真も撮らせてくれました。選手たちが壇上に上がる前に、記者たちの右横のスペースで一列に座って待機していたので、寺田が選手たちの顔が並ぶ絵柄の写真を撮ろうと思ってカメラを向けたら、隣のロスリン選手を誘ってこちらに視線をくれたのです。

 今日のカコミ取材でも色々と面白いネタを提供してくれました。それらは記事にもなっているので、寺田的ではやはり、九州ネタを紹介したいと思います。
 西日本新聞の向吉三郎記者(“郎”のつく九州出身記者)が九州一周駅伝のことを話題にしました。大学2年のときに九電工の強い選手と一緒に走ったことがあり、「競り合うことができて、僕の中ではものすごく嬉しいことでした。そのときに初めて、記者の方に取材をしてもらえました」。藤原選手の取材対応の原点は、九州一周駅伝だったのです。
 朝日新聞の小田記者(岡山のSP記者)は初任地が長崎だったと、藤原選手に話していました。諫早高にも取材に行ったそうです。しかし、取材目的は藤原選手ではなく藤永佳子選手(資生堂)。1999年のセビリア世界陸上に高校生代表となり話題となりました。
 諫早高といえば競歩の森岡紘一朗選手(“朗”のつく九州出身選手)がすでに代表内定しています。森岡選手と藤原選手はフェイスブックでやりとりをしていましたね。「森岡は中2か中3から諫早高で練習をしていたので、昔からよく知っていました。彼に先に決められたので、負けていられなかった。藤永もそういう気持ちだと思いますよ。(拓大の後輩の中本健太郎選手・安川電機とは)まだ連絡は取っていませんが、当然火がついているでしょう」
 記者たちが話を向けた部分もありますが、地元や九州のことをしっかりとメディアにアピールする。それでこそ九州男児です。

 他にも書きたいネタはあるのですが、日記を書いている時間がないのでこの辺で。
 藤原選手取材後、ほとんどの記者は春日部東高で行われる川内優輝選手の取材に流れていきましたが、寺田は新宿にとどまって別の取材をしました。ある長身コーチ絡みの取材でした。
 忘れてはいけないのが、びわ湖マラソンに出る中日スポーツ・川村庸介記者のトレーニングの紹介です。今日は20kmジョッグでした。


◆2012年2月28日(火)
 今日はひたすら原稿書き。
 世間の川内優輝選手への騒ぎ方はすごいものがありますね。
 ひと言いいたい気持ちもありますが、今はそんなことをしているヒマはありません。
 でも、今日の川村記者の練習は報告しないと。5kmジョッグでした。びわ湖マラソンまであと5日。


◆2012年2月29日(水)
 今日もひたすら原稿書き。
 雪も積もっていたので外出しませんでした。
 川村記者の練習は5000m。17分ペースで行いました。びわ湖マラソンまであと4日。


◆2012年3月1日(木)
 今日も事務所(自宅)に閉じこもって原稿書き。この1週間、すごい量を書いていると思いますよ。寺田にしては。

 川内優輝選手の東京マラソン・レース後会見の一問一答を掲載しました。ツイッターでもつぶやきましたが、ここまで潔く言い切るのはすごいと思います。
 オリンピックには戦える選手が出場するべき。戦える選手は2時間7分台の選手。福岡では2時間9分台だったから、2時間7分台を出すために東京マラソンに出る。その東京で2時間7分台を出せなかった。だから自分はオリンピックに出るべきではない。
 これこそ有言実行だと思います。
 川内選手がここまで言い切っているのですから、外野がグダグダ言うのはやめましょう、ということです。
 でも、そういう人たちがいるということは、メジャーな証拠なんですね。メジャーになったら避けられないことです。

 運命のびわ湖マラソンまであと3日。中日スポーツ・川村庸介記者の練習は5kmジョッグでした。


◆2012年3月2日(金)
 福本幸選手に電話取材をしました。一昨年にお子さんを出産されて、昨年は1m87まで記録を戻してきました。1m92の自己タイを跳べばロンドン五輪B標準です。B標準では代表入りできるかわかりませんが、フィールド種目は標準記録の設定が高めなので、派遣すべきだと思います。何度も書きますけど、ベルリン世界陸上のときに村上幸史選手は、B標準の資格で参加してメダルを取ったのですから。
 選考の部分はともかくとして、福本選手は本気でオリンピックを狙っています。今季の注目選手の1人だと思います。

 福本選手と取材中に同学年選手の話題になりました。吉田真希子選手、室伏由佳選手、中田有紀選手が現役で頑張っているそうです。このところ話題にしている35歳学年ですね(今年度で36歳です)。
 吉田選手経由で福島県の藤田敦史選手、酒井俊幸監督、迎忠一コーチ、佐藤修一先生らともつながります。
 そうなると藤田選手経由で長距離の油谷繁コーチ、諏訪利成選手、大崎悟史選手、三代直樹・富士通広報らともつながります。
 これだけ人材が活躍している学年も少ないでしょう。どのグループを取り上げても面白い記事が書けそうです。

 運命のびわ湖マラソンまであと2日。東京中日スポーツ・川村庸介記者の練習は2000m1本の刺激でした。タイムは6分30秒(3分20秒−3分10秒)。川村記者も本気です。本気を出さないと五輪選考会の雰囲気は味わえません。


◆2012年3月3日(土)
 びわ湖マラソンの前日会見を取材。それぞれの個性というか、考え方が出ていた会見だった思います。北岡幸浩選手の考え方も個性的でしたね。会見の様子は記事にしました。
 会見後にカコミ取材が行われます。これを公式にやってくれるのは九州の福岡国際と別大、それとびわ湖です。女子は行われません。
 ただ、全員のカコミに行くのは不可能です。せいぜい1人か2人。寺田と同じ一匹狼の某記者(1人しか来られない社の記者、という意味です)と協力して、手分けをしました。某記者に堀端宏行選手をお願いして、寺田は今井正人選手と中本健太郎選手に。今井選手のカコミに行く前に、佐藤智之選手のところにボイスレコーダーを置けたのがよかったです。おかげで、旭化成新旧エースの記事が書けました。

 会見後には明日を運命のマラソンと位置づけて出場する東京中日スポーツ・川村庸介記者が、記者仲間たちからの要望でカコミ取材を受けてくれました。
「目標は2時間27分切り。自己新を出した東京のときと比べると(練習は)どうかな、というのはありますが、やれることはやってきました。17分20秒ペースで行けるところまでは行きます」
 言うまでもなく、記者の業務は定時に出勤して定時に帰ることなどできるわけがありません。休みもあるかないか。そのなかで早朝などに時間をつくって走り込む姿には頭が下がります(見たことはありませんが)。
 そんな市民ランナースタイルでも、“競技的指向”、ホンモノ指向の強いのが同記者の特徴です。だからこそ、東京マラソンでも福岡国際でもなく、びわ湖を選びました。
「びわ湖はオリンピックを狙う選手たちとスタート地点も一緒ですし、控え室も一緒。本当の五輪選考会の雰囲気を経験できます」
 東京マラソンはご存じの通り。福岡国際マラソンもBグループはスタート地点が違います。ホンモノを経験するために、川村記者はびわ湖に出るのです。市民ランナーでも志が違います。

 ガンバレ川村庸介! 君こそホンモノの市民ランナー陸上記者だ!
 川村記者の今日の練習は30分ジョッグでした。


◆2012年3月4日(日)
 びわ湖マラソンの取材でした。
 朝は6時くらいには起きて、まずは旭化成新旧エースの記事を書きました。結果は2人とも期待に応えられなかった形となりましたが、この記事を書けたのは良かったと思っています。旭化成が日本のマラソン界の屋台骨であり続けたのは確かですし、佐藤智之選手も継続的に取材してきましたから、この記事を書いたことに悔いはありません。
 というか、結果が出てからでは書けなかった記事ですので、レース前に形にできて良かったです。

 会場の皇子山陸上競技場には10時くらいに到着。まあまあ早かったので、記者席の最前列を確保できました。まずは昨日の日記を書きました。今日、レースに出場する東京中日スポーツの川村庸介記者のネタが中心です。五輪選考会の雰囲気を一番近くで感じられるのが、このびわ湖なのです。昨日川村記者に取材をしていて、キーワードは“ホンモノ”だと思っていました。

 11時を過ぎてレース前取材に。選手には話を聞かないのが不文律ですが、瀬戸智弘選手とばったり会ったときは声を掛けずにいられませんでした。一部人気選手など例外はありますが、30歳以上の選手は声を掛けてもいいのです。それで競技に影響が出ませんから。
 瀬戸選手のツイッターとFBを見ていたので、これがカネボウ陸上部でのラストランとなることは想像していました。確認すると、やはりそういうことでした。
 瀬戸選手に初めて会ったのは、寺田の記憶では98年に高岡寿成コーチを取材したときでした。場所はカネボウの当時の本拠地の防府です。カネボウの他の選手たちは合宿でいなかったのですが、高岡コーチは防府に残っていて、ただ1人一緒にいたのが瀬戸選手でした。
 それまで瀬戸選手のことは知らなかったのですが、高岡コーチのパートナーにただ1人選ばれていたということは、たぶんトラックで有望な選手なのだろうな、と推測しました。その後の瀬戸選手の活躍は予想通りでした。さすがに日本記録レベルまでは行きませんでしたが、日本選手権の5000mなどで徳本一善選手(日清食品グループ)と優勝を争うところまで成長しました。
 何年だったか忘れましたが、熊日30kmと何かの大会に優勝して(駅伝の区間賞だったかも)、そのシーズンの“ロード大賞”に勝手に選ばせてもらいました。この調子でマラソンでも成功するかな、と思ったのですが、ベルリンの9位と長野の2位がありますが、残念ながらマラソンでは高岡コーチレベルまで行きませんでした。
 同じタイプだからといっても、同じチームにいるからといっても、同じノウハウで練習したからといっても、誰もが同じように成功するわけではありません。その難しさを一度、話を聞いてみたいですね。もちろん、高岡コーチと同じだったからここまで来られたという部分もあると思いますし。

 どうも最近の寺田は、成功しなかった選手の人生に興味をひかれる傾向があります。オリンピック・イヤーだからかもしれません。オリンピック・イヤーということは、オリンピックがだめだった、という選手が現れるということでもあるのです。
つづく、予定

 レース前取材では何人かの監督にも話を聞きました。ツイッターでつぶやいたネタもありますが、詳細は省略します。

 レース後はまず、出岐雄大選手の取材に。上位選手(今回は優勝者と日本人上位2人)は会見に来るので、それ以外の選手ということになると、やはり出岐選手でしょう。2時間10分02秒の学生歴代3位という快走でした。面白いことに、初マラソン学生歴代3位でもあります。上の2人は藤原正和選手と佐藤敦之選手で、藤原選手が2003年びわ湖の2時間08分12秒、佐藤選手が2000年びわ湖の2時間09分50秒です。佐藤選手の大学3年生最高記録に惜しくも届きませんでした(最高記録という表記の場合は、公認される記録ではないという意味です)。
 ちなみに学生選手の2時間11分未満は上記3人の他に藤田敦史選手、瀬古利彦選手、中村祐二選手と計6人が走っていますが、そのうち5人がびわ湖での記録。これはびわ湖が箱根駅伝を走った後に出やすいということで、ある意味当然です。それを考えると在学中に12月の福岡と4月のボストンで計3回の2時間10分台を出している瀬古さんは本当にすごかったわけです。タイムよりも出した時期から、その偉大さがわかります。
 出岐選手ですが、レースが佳境になったときに「出岐の出来」とつぶやく元陸上記者がいたり、「箱根の勢い」と書かれた記事もあったりしますが、寺田は「マラソンの適性」が一番の快走の理由だと思っています。その線で取材を進めて、裏がとれたら記事(陸マガか寺田的)もその方向で書きます。

 会見前には本当にちょっとずつですが、北岡幸浩選手、中本健太郎選手のコメントを聞くことができました。指導者では旭化成の宗猛監督とヤクルトの奥山光広監督に。林昌史選手の2時間09分55秒は、ヤクルト日本選手最高記録でした。
 佐川急便関係者では塩見コーチと清水智也選手の話を聞きました。
 会見は陸連、優勝したドゥング選手&児玉泰介監督、山本亮選手、中本健太郎選手の順に行われました。山本選手の一問一答は、こちらに記事にしました。中本選手の会見はNライターに任せて、寺田は山本選手のぶら下がり取材に。ネタの蓄積がない選手ですから、今日が頑張りどころ。拠点が関西の選手ですから、次にいつ取材ができるかわかりません。
 ドーピング検査後にカコミ取材となったのですが、記者が殺到してすごい数でのカコミに。この辺は世界選手権選考会より大変ですね。ポジショニングが悪く山本選手の声が聞こえませんでしたが、ボイスレコーダーを伸ばして録音できました。面白い話がいくつかあったので、これも整理して紹介できたら、と思っています(時間があれば)。
 中野剛監督のお話もしっかりと聞くことができ、40km走のやりかたなど詳しく教えてもらいました。これは大収穫。

 残念だったのは九州勢。中本選手は2位に入りましたが、堀端選手と佐藤智之選手の旭化成勢、今井正人選手は期待を下回りました。西日本新聞・向吉記者が隣席でレースを見ていましたが、かなり残念そうなリアクションでした。でも、冷静に対処していました。
 山本選手の出身地は神戸市。神戸新聞の橋本薫記者(かなり強かった選手です。男性)は山本選手の活躍を「まったく予想できていませんでした」と、素直に認めていました。記事を書き終わった後に同記者のコメントをとり始めたのですが、デスクから電話がかかってきて取材は中断。地元選手の活躍は嬉しいことですが、仕事は大変になります。もちろん、それを嫌がる記者はいません。

 山本選手の会見記事を書いてからホテルに移動。残念だったのは東京中日スポーツ・川村庸介記者の取材ができなかったことです。2時間33分20秒で177位。近くで見かけたのですが、中野監督のカコミ取材中でさすがに声はかけられませんでした。
 ということでホテルに戻ってから電話で取材。2時間27分切りの目標を達成できなかったのは、最初の6kmでスペシャルが取れなかったことと、26kmの給水で転倒したことが大きかったようです。5km毎のタイムにもそれが現れました。
5km    17分13秒
10km    34分27秒(17分14秒)
15km    51分45秒(17分18秒)
20km 1時間09分20秒(17分35秒)
中間点 1時間13分09秒
25km 1時間26分51秒(17分31秒)
30km 1時間45分07秒(18分16秒)
35km 2時間04分16秒(19分09秒)
40km 2時間24分13秒(19分57秒)
フィニッシュ 2時間33分20秒(9分07秒)

 以前の別大だったか東京マラソンは、きっちりとイーブンで押し切っていましたから。あと、終盤の湖畔風はやっぱりきついようですね。今日のような雨天時はなおさらです。
「それでも、終盤も持ちこたえている市民ランナーはいます。まだまだです」
 川村記者は自身の力不足を強調していました。

 目的の1つだった「五輪選考レースの雰囲気を感じ取ること」はできたのでしょうか。
「アップ中に偶然、堀端選手を間近に見ることができました。1mより近い距離です。ものすごく真剣な表情で、それが全てを物語っていました。記者として見ていた雰囲気とは違いましたね。保科光作選手や岩水嘉孝選手とも控え室で一緒になりました。言葉にするのは難しいのですが、これが五輪選考会の醸し出す雰囲気なんだと実感しました」
 きっと、今後の記事に今回の経験が生かされるのではないでしょうか。短い記事には無理でも、「記者ときどきランナー」のような企画もので、おおっという記事をやってくるのでは?
 その前に、中日新聞社主催の名古屋ウィメンズマラソンがありますけどね。


◆2012年3月5日(月)
 朝の8時20分から大津市内某所である選手の一夜明け取材。寺田の単独取材でした。

 次は10時から大会本部ホテルで山本亮選手(佐川急便)の一夜明け会見。ちなみに先週の藤原新選手(東京陸協)は、翌朝に行われたカコミ取材です。色々事情があって“会見”とは言えなかったようです。読者には関係のないことですが。
 1時間ほど早めに行って、チェックアウトする指導者、選手の話も少し聞くことができました。取材ではなくて雑談です。これも読者の方たちにはどっちでもいいことですが、業界的には意味のあることでして…。
 ツイッターでも書きましたが松宮祐行選手(コニカミノルタ)は「(松宮兄弟は)これからも頑張ります」と話してくれましたし、初マラソンだった3000mSC日本記録保持者の岩水嘉孝選手(富士通)も、「これからです」というニュアンスでした。
 Hondaの明本樹昌監督とも立ち話。堀口貴史選手の2時間09分16秒はHonda新記録だそうです。これまでは野田道胤選手の2時間09分58秒でした。実は明本監督には昨日のレース前にも話をうかがっていて、昨日出場したHonda4選手の中で練習では堀口選手が一番良くなかったと言います。でも、「試合になったらわかりません」と話していましたが、その通りになりました。
 昨日は佐川急便、安川電機、Honda、ヤクルト、青学大がチーム(日本人)最高記録でした。それに対して名門チームは、一連の選考会で最高記録を出せませんでした。チーム記録のレベルが高くなっていますから仕方のない面はあります。そのなかではカネボウの森田知行選手の2時間09分12秒が、チーム歴代3位でした。

 山本亮選手の会見は昨日のカコミ取材のコメントと併せて、整理して記事にしたいと思っています。時間があれば、ですけど。
 そこでは触れられないと思いますが、重要なことに気づきました。最近の一夜明け取材では前の晩の行動や食事内容とともに、メールがどのくらい来たか、誰から来たか、ということが話題になります。テグ(世界選手権)でも室伏広治選手が一夜明け会見で、世界記録保持者のセディフ氏から祝福のメールをもらったことを明かして記事になりました(寺田が突っ込みました。メールのことではなくてセディフ氏についてですけど)。
 山本選手も何10通というメールが来たそうです。「中学、高校、大学の指導者、それぞれのチームメイト、友人、幼なじみから来ています」。中大時代の恩師である田幸寛史現エスビー食品監督や、同じ兵庫県出身の竹澤健介選手(エスビー食品)からメールが来たと話していたので、井上洋佑選手からは? と突っ込みました。井上選手は長田高の1学年先輩で、2005年のヘルシンキ世界選手権の4×400mR代表だった選手です。
「来ています。でも、まだ返信ができていないんです」
 重要なこと、というのはここです。メールは何10通と来ます。フェイスブックなどをやっている選手は軽く100通を超えるみたいです(藤原新選手とかそうみたいですね。200通以上?)。山本選手は正式に決まったわけではありませんが、オリンピック代表が決まればこういう事態は避けられなくなっている。

 つまりですね、ゆっくり考えて返信していたら時間がかかってしまうわけです。寺田は返信メールを書くのがとても遅いのですが、仮に1通に5分かけたら100通で500分。8時間以上です。1通に2分でも、300通メールが来たら600分(10時間)です。馬鹿にできない時間です。これは現在の指導者たちが現役時代にはなかった現象ですから、選手に対応策を伝授できない部分かもしれません。
 そこで対策ですが、1つは、一部の重要な相手を除いて返信しない方法があります。選手はグラウンドで結果を出すのが最優先。人付き合いなんてどうでもいい。オリンピックで結果を出せば、怖いものなしです。将来、何も困らないでしょう。
 でも、個人的にはお薦めできません。まず、人としてどうかと思います。それに、応援してくれる人は大事にした方がいいに決まっています。理由はわざわざ書きませんが。
 現実的な対策としては、文面を3〜4パターンを用意して、そのうちの1つを相手に合わせてペーストして、どんどん返信していく方法が良くないでしょうか。選手のメディア対応方法などを毎日新聞・井沢記者とよく話題にしているので、井沢記者にも聞いておきましょう。
 今シーズン、「オリンピック決まったな」という成績を残したら、まずはお礼メールの文面を考える。これからのトップ選手に求められることだと思います。


◆2012年3月6日(火)
 昨日の山本亮選手の一夜明け会見ですが、取材終了後の記者たちの雰囲気がいつもと違うことに気づきました。「これでひと息つけるな」という雰囲気が漂うのが普通ですが、昨日は「来週があるぞ」という雰囲気だったのです。
 というのも、来週の名古屋ウィメンズマラソンに有力選手が多数出場します。先日も書きましたが、オリンピックと世界陸上の元日本代表の肩書きを持つ選手だけで9人。びわ湖の山本選手のようにノーマークの選手が優勝すると記者たちは大変ですが(毎日新聞T記者が相当に反省していました)、有力選手が多いのもまた大変なのです。展望記事で多くの選手を触れなければいけませんし、レース後にも、負けた選手もそれなりに取材をしないといけませんから。
 週末はその名古屋の取材だけでも大変なのですが、翌日には五輪代表が発表されます。寺田などのんきに構えていられるのですが、テレビや新聞はその日のうちに代表全員のコメントをとらなければいけません。今のうちから可能性のある選手の会社やチームに打診して、代表に決まったら何時からどこで会見をして、と交渉しています。
 本当に大変そうです。

 そういうこともあって、記者たちにとっては誰が代表になるかというのは最重要事項です。記事としても、現状で誰が有力候補で誰がボーダーライン上かを書かないと、読者がマラソン選考をイメージできません。陸上ファン、マラソンファンにとってはわかりきったことでも、一般の読者には絶対に必要な部分です。ですから寺田のように「選考会が全部終わるまでどうこう言っても意味がないし、決めるのは陸連だし」と悠長なことは言っていられないのです。
 寺田も他の記者たちから「誰が選ばれそうか?」とよく聞かれます。いちいち聞き返したりしませんが、寺田の個人的な意見ではなく「陸連が誰を選びそうか」という予想を聞かれているわけです。そのときは具体的に選手名を出していますが、新聞記事と変わりはありません。
 でも、自分で言っていて、どこか堅苦しいなぁ、という感じがしていました。現実的すぎるといいますか、もっと違った発想があってもいいかな、と。例えば、負けた選手の中に、次のレースで化ける選手はいないのか。ということで、新聞記事とは少し違ったことを書きます。それができるのが個人サイトの良いところです。

 1つ言いたいのは選考規定をよく読みましょう、ということです。「参加標準記録Aを突破し、各選考競技会の日本選手上位者の中から本大会で活躍が期待される競技者を代表選手とする」となっています。“上位”と書かれていますが、何位までが上位とはまったく触れていません。唯一、明文化している基準は“期待”できるかどうか、だけです(基準といえるのか、という意見もあると思いますが、それはまた機会を改めます)。
 世界選手権7位の堀端宏行選手が期待できないわけがありません。タイムが選考会全体で2番目の前田和浩選手は、福岡日本人3位ですし、東京でも日本人2位と安定しています。東京こそ負けましたが、福岡の日本人トップだった川内優輝選手も間違いなく力のある選手です。ハイペースに最後までついていくレースはできていませんが、「その時点の力でまとめる力は日本一かもしれない」と、福岡後に陸連強化関係者に言わせました。
 どの選手も、オリンピックで入賞は期待できると言っていいでしょう。
 特に堀端選手です。練習も旭化成歴代選手のなかで1、2を争う内容(タイム設定や余裕度)ができているそうです。びわ湖の敗因は「力みすぎ」(宗猛監督)でした。もちろん、試合で力を出せなければ意味はありませんが、次に力を出せる可能性はあります。“上位入賞”が期待できる選手だと思います。

 選考会を実施する以上、その順位を重視しないといけないのは当然ですが、そうでなかったことも過去にありました。96年のアトランタ五輪代表の3人目は選考会上位選手ではなく、選考会の成績で劣る谷口浩美選手を過去の実績で選びました。その方がオリンピック本番で期待できるという判断です。
 今回の一連の選考会は陸連が「このくらいのタイムで走ってほしい。そうしないと本番で戦えない」という考えで、5km15分00秒のペースメーカーをつけて25kmまで引っ張りました。ですが、その期待にしっかり応えられたのは東京マラソンの藤原新選手1人だけ。福岡とびわ湖は、“相対的に一度休んだ”選手が上位に来ました。
 早めに離れた選手が悪いとは言いません。それで世界選手権のメダルを獲得できた例だってありますから。その時点の自分の力と、フィニッシュまでの距離を見極めて走ることのできる能力の高い選手です。でも今回は、陸連はそれを期待していなかったのです。
 という選考会の内容もあるので、新聞記事とは違った選考方法もあるのではないかと思った次第です。

 今日、出岐雄大選手(青学大3年)の記事を書きました。出岐選手は今回、マラソン練習らしい練習をしていません。30km走を4回、1km3分30秒ペースで行ったくらい。それでも2時間10分02秒で走りました。マラソンに対する適性が半端じゃなく高いと言えます。2度目のマラソンで一気に飛躍する可能性は大きいと思います。


◆2012年3月7日(水)
 月曜の日記でびわ湖マラソンで出たチーム最高記録に触れましたが、初マラソンでも好記録が出ました。
 まずは森田知行選手(カネボウ)が2時間09分12秒の初マラソン日本歴代4位。なんと、初マラソンのカネボウ最高記録、高岡寿成コーチの2時間09分41秒を抜きました。楽しみな選手が現れました。
 出岐雄大選手(青学大)は2時間10分02秒の初マラソン日本歴代10位。学生歴代3位でかつ、初マラソン学生歴代3位でかつ、初マラソン関東学生歴代3位。というのは多くの人が気付いたと思います。
 しかし、2時間11分13秒の石川末広選手が、初マラソン“サブ12”の最高齢記録ということは、あまり気付いた人がいないかもしれません。石川選手は32歳で、従来の記録は高岡コーチの31歳でした。
 高岡コーチの記録が次々に破られています。1万mの日本記録も今年破られそうな情勢です。でも、破られないかもしれません。狙って破るのが大変みたいです。

 もう1つ破られた高岡コーチの記録が、関西学連出身者初マラソン最高記録。これも森田選手が破りました。
 ところで、関西学連OBのサブテン・ランナーは何人いるのでしょうか? 帰りの新幹線車内で某関西学連OBとメール交換をして情報を整理しました。高岡コーチ、渡辺真一選手、細川道隆選手、そして森田選手の4人みたいです。この人数を多いととるか、少ないととるか。
 出身大学は高岡コーチが龍谷大、渡辺選手が立命大、細川選手が京産大。今回の森田選手で立命大が一歩リードしました。杉本昇三コーチも喜んでいるでしょう。
 全員が京都の大学で「さすが京都」といったところですが、大阪と兵庫の大学にも頑張ってほしいところです。特に兵庫ですね。藤原正和選手、小島宗幸・忠幸兄弟、奥谷亘監督、清水智也選手と、兵庫出身のサブテンランナーかなりの数になると思います。
 西脇工高、報徳学園高、須磨学園高の強豪に加え、山本亮選手や坪田智夫コーチ、高瀬無量選手、中川剛選手と、強豪校以外からも強い選手が次々に現れる素晴らしい県です。なんでこれまで、兵庫県の強い高校生の受け皿となり、世界を目指す選手を育成しようとする兵庫県の大学がなかったのでしょうか。

 大学駅伝決算号の取材時に、箱根駅伝だとやっぱり20kmの強化になってしまうと大後栄治関東学連駅伝対策委員長が話してくれました。全日本大学駅伝の距離なら、トレーニングがまったく違ってくると(伝統的に早大や順大のエース級や、最近の駒大はスピード強化が中心だと思いますが)。
 だから関西学連には頑張ってほしいです。20km中心の練習になるとどうかな、という選手は関西の大学に行く。もちろん、直接実業団に行く選択肢もありますが、親御さんの気持ちを考えると大学という選択肢も必要でしょう。
 大学在学中は短い距離中心でも、卒業後にマラソンで大成する。そういった強化ルートを確立するためにも、関西学連が頑張ることの意味は大きいと思います。
 日本のマラソンが、アフリカ勢に挑戦するのは至難の状況になっています。それでもあきらめたら終わりだと、多くの選手や指導者が自身を奮い立たせています。それと同じで関西の大学が、関東には勝てないとあきらめてしまったら終わりだと思います。
 頑張れ関西学連!


◆2012年3月9日(金)
 名古屋ウィメンズマラソン取材のため名古屋入り。先ほど記者会見が終わりました。

 今朝アップした一昨日の日記の補足したいと思います。大後栄治関東学連駅伝対策委員長の「箱根駅伝だとやっぱり20kmの強化になってしまう」というコメントが、箱根駅伝の強化を否定していると誤解をされてしまうかもしれません。そうではなくて、大後委員長は強化方法が1つになってしまうことを危惧されていて、その話の流れで全日本大学駅伝の距離までの練習と、箱根駅伝の距離の練習では大きく違ってくる、ということを話してくれました。
 箱根駅伝のためのトレーニングも、東洋大が今回すごい記録を出したからといって、1つのやり方になったらいけないと強調されていました。東洋大のやり方、早大のやり方、駒大のやり方、明大のやり方と違いがあってしかるべきだと。
 その話を先に聞いて、東洋大・酒井俊幸監督に話を振ったところ、大学駅伝決算号記事になったのです。

 肝心の会見ですが、野口みずき選手は「大阪の前に40km走は結構やっていて、2月の昆明では30km走を2回、あとは名古屋に合わせてスピード練習をやってきた」と話していました。
 尾崎好美選手は「今までのマラソン練習のなかで一番良い練習」と、手応えを感じている様子。オリンピックも一度はあきらめた経緯もあり、横浜のときよりもプレッシャーを感じていないと言います。
 赤羽有紀子選手が足首の「けがで1週間練習を中断した」ことを明かしました。これが、どう影響するか。
 渋井陽子選手は思ったより絞ってきた印象です。1週間前に富津で10kmのレースに出場して、「32分48秒から49秒」だったそうです。
 会見の一問一答は、他のサイトに出なければ記事にしたいと思います。

 会見後に選手のカコミ取材はできないのですが、指導者たちへのぶら下がりに近いカコミ取材ができます。今週は一匹狼記者3人で手分けをして、寺田は山下佐知子監督の話を聞きに行きました。

 会見後にはボルダー在住のエージェント、ブレンダン・ライリー氏と立ち話。シモン選手が5回目のオリンピック出場に挑戦することはメールで教えてもらっていましたが、今日はペースメーカーのカルマー選手の話を聞きました。
 ノーリツの森岡芳彦監督からは、初マラソンの堀江美里選手のことを。かなり良い練習ができているようです。5000mや1万mの実績はありませんが、「本気でオリンピックに挑む」と話していました。
 最後は、元富士通マネジャーの青柳剛さんとお会いしました。主任として仕事をバリバリやっているようです。表情が生き生きしていました。


◆2012年3月10日(土)
 名古屋ウィメンズマラソンの前日取材でした。マラソン前日の早朝取材はパスすることが多いのですが、今日は久しぶりに朝の6時から行きました。気合いを入れました。

 行くとノーリツ勢が朝練習に行ったところ。森岡芳彦監督と少しお話ができました。昨日も書きましたが堀江美里選手が初マラソンに挑戦します。同選手は昨年の3000mSC日本選手権2位。森岡監督は元NTNで愛敬重之選手や逵中正美選手(現NTN監督)らを育てましたから、3000mSCの指導はお手の物です。
 しかし、今回はマラソンでオリンピックを狙っています。本気です。
 愛敬選手は世界選手権にはヘルシンキ、ローマと連続出場しましたが、オリンピック代表にはなれませんでした。挑戦した最後が92年のバルセロナ五輪。4月の兵庫リレーカーニバルでは優勝しましたが、日本選手権では仲村明選手(富士通。現順大長距離監督)に破れて夢を断たれました。
「兵庫ではラスト3周でスパートして成功しました。それをするための練習もしっかりとできた。しかし日本選手権では仲村君にひっくり返されてしまったんです。国立競技場の通路を泣きっぱなしで引き揚げる愛敬の姿は忘れることができません。今は市会議員をやっていますが、オリンピックに行けたら違った人生だったかもしれません」

 3000mSCでは奈良修選手(NTN)もアトランタ五輪を狙っていましたが、近年ではやはり、女子マラソンの橋本康子選手でしょう。藤田敦史選手の高校の先輩で、日本生命、サミーと森岡監督とともに世界を目指して戦いました。
 03年のベルリン・マラソンで優勝しましたが、04年の名古屋12位で、アテネ五輪代表は逃しました。07年の名古屋に優勝して大阪世界選手権に出場しましたが(23位)、北京五輪代表は逃しました。08年の名古屋にエントリーしていましたが、ケガで出場を断念せざるを得なかったのです。
「愛敬も奈良も橋本も、みんな涙を流してきたのを見てきています。そういう思いをさせないために、選手にどう接するのがいいか、考えさせられ続けてきました」

 橋本選手は2003年から5年連続で名古屋に出場して、07年大会で優勝したのですが、森岡監督の名古屋参戦はその07年以来。5年ぶりになります。その間、色々なことがありました。
 北京五輪選考会を断念した後、08年3月いっぱいでセガサミーが廃部。32歳だった橋本選手は引退し、森岡監督は1年間の浪人生活を余儀なくされます。
「サミーの頃は資金力もありましたから、どこかで慢心があったのかもしれせん。(浪人生活)1年の間は、色んなチームを客観的に観察しました。遠くから指導者のあり方や、選手の取り組み方などを学ばせてもらいました。豊川高の森監督とは現役時代からの知り合いで、お手伝いもさせていただきましたが(豊川高はその年に全国高校駅伝優勝)、森監督の姿勢を見て、指導者としてもう1回考え直さないといけないと思いましたね」

 09年4月にノーリツ監督に着任しましたが、自宅は千葉県にあったため、お子さんの学校のことも考慮して神戸に単身赴任しました。
 ノーリツでは小崎まり選手を五輪代表までサポートできると思ったのですが、出産ということになりました。これは仕方ありません。そして今、真剣にオリンピックを狙えるところに育ってきたのが堀江選手なのです。
 前述のように3000mSCで日本のトップレベルにいる選手ですが、5000mは15分58秒62、1万mは32分44秒00がベストでは、マラソンを走ると言っても注目されません。しかし、森岡監督が情熱と、これまでの経験を注ぎ込んで育てた選手です。マラソン練習期間に40km走10本、30km走31本とこなすタフさがあります(ペースは4分〜4分30秒です)。丸亀ハーフでは1時間10分37秒で4位。永尾薫選手にこそ5秒負けましたが、伊藤舞選手、宮内宏子選手、藤永佳子選手らに先着しました。

「2時間26分くらいは出せると期待しています。練習は本当にしっかりやってきました。橋本や小崎と比べても、大きな抜けがなく継続できたと思います。それが通用するかどうかは明日にならないとわかりません。しかし、オリンピック選考の雰囲気の中で走って初めて力になる」
 2007年の橋本の優勝も3月11日でした。
「5年ぶりに3月11日の名古屋に立てることはすごく嬉しいですね。これだけのメンバーですし。万感の5年間でしたが、すごく良い5年間でしたから」
 森岡芳彦監督と堀江美里。五輪選考会ならではの注目の師弟です。

 朝は森岡芳彦監督の他には小出義雄佐倉アスリート倶楽部代表のお話を聞きました。テーマは“どうして日本の女子マラソンは2時間20分前後を出せなくなったのか?”。先日読んだ渡辺康幸監督の著書に書かれてあったこととも少し符合して面白かったです。2人は市船橋高つながりです。
 積水化学・野口英盛監督とも少し立ち話。明日は代表狙いというよりも、「マラソンに取り組むこと」自体が目的のようです。「チームの雰囲気が変わってきます」
 エディオン・川越学監督とも立ち話。渡邊裕子選手が初マラソンですが、さすがに先頭集団にはついて行かないとのこと。「17分10〜20秒ペース」で行くみたいです。
 主要選手たちは記者たちの問いかけに答えませんでしたが、渋井陽子選手は記者たちと話す余裕がありました。「まだ重いですけど、明日の30km地点でベスト体重になります。でも、体重だけの女と思われたくない」

 ダイハツ・林清司監督とも立ち話ができました。これは、それなりの内容で、中里麗美選手の記事を書くことになったら生かせると思います。2時間20分前後を出すための内容も聞けました。ちなみに木崎良子選手は明日、お休みだそうです。名古屋に来るかどうかは未定とのこと。
 豊田自動織機・長谷川重夫監督とも立ち話。須磨学園高から実業団監督に転身して1年目。マラソンでも初陣です。脇田茜選手の他にも須磨学園高の教え子で、加納由理選手(資生堂)、勝又美咲選手(第一生命)、大山美樹選手が出場します。ラジオ解説には松尾和美さん「名古屋の大会本部ホテルに来たのも、松尾が優勝した2001年以来」とのこと。
 長谷川監督も西脇工高OB。兵庫県の高校生長距離選手の受け皿となる兵庫県の大学ができることに賛同していただきました。ちなみに、山本亮選手を中学時代に指導したのは、現須磨学園高男子監督の山口先生だそうです。
 京セラの新原保徳監督とも立ち話をしました。3回目のマラソンの宮内洋子選手、かなり好調そうです。山陽女子ロードで1時間09分23秒の自己新。「年明けの徳之島合宿では40km走を2本行いましたが、いつもは25km、30kmから中だるみをしましたが、それがなくて尻上がりにペースを上げられました。京セラ記録(2時間23分48秒)くらいは行かないと、トップに行けません」。かなりの手応えがあるようでした。

 土佐礼子選手の旦那さんの村井啓一さんとは座ってお話。明日が三井住友海上陸上部としてはラストランになります。
「実質初マラソンが名古屋(2000年)でしたし、アテネ五輪を決めたのも名古屋。思い入れが強かったのだと思います」
 そこに土佐選手もやって来てくれました。昨年の北海道の前にケガをして、その後もあちこち痛めて1カ月半治らなかったことで、気持ちが続かなくなったみたいです。以前から故障の多い選手でしたが、すさまじいリハビリ・トレーニングをして復活してきた選手です。
「あそこまで集中できなくなりました。丸くなったのかな」
 土佐選手が丸くなった。うーん。これは寺田にとって、とてつもなく感慨深い言葉です。涙が出そう。


◆2012年3月11日(日)
 今日は名古屋ウィメンズマラソン2012の取材でナゴヤドームに行きました。途中、激込みの地下鉄でしたが中日スポーツ・川村記者と一緒になりました。1週間前は“運命のびわ湖マラソン”を走った同記者は完全にランナーモードでしたが、今日はもちろん記者モード。昨日は名古屋の新コースを走って記事を書いたと言っていました。疲れも抜け切れていないと思うのですが、主催紙若手記者のつらいところです。
 スタートは9時10分でしたが、朝の8時前に到着。ツイッターでもつぶやきましたが、ライバルのOライターは愛知県出身。ナゴヤドームで取材することが夢だったのかと質問したところ、まったくそんなことはありませんでした。
 初めての取材場所ということで記者室とミックスゾーン、会見場の動線などを確認。その後、昨日の日記の後半を書いて、スタート直前にアップしました。

 今日のレースは本当に多くの見どころがありました。主役級が多すぎて、次から次へと“入れ込んで見る”シーンが続きました。選手の思いを正面から受け止めるような形になって、こちらの精神状態もいつもとは違ってきました。
 その中でも、いったん後れた野口みずき選手が追いついたシーンでは背中がぞくぞくっとしました。野口選手はロンドン五輪を目指していますが、4年4カ月ぶりのマラソンを走れる保証はどこにもありません。寺田も“野口復活へ”という記事を書きましたけど、“復活するんだ”という彼女の気持ちを伝えたかったのであって、絶対に復活できるから乞うご期待、というつもりはまったくありませんでした。「復活できる可能性は何パーセントか」とか聞かれると、そんな問題じゃないんだよ、と内心怒りを覚えていました。

 同じ33歳の渋井陽子選手の頑張りも、H川元記者のように“渋い”とは思いませんでしたが、目を引きました。全盛期の練習ができていないことは明白です。ですから、どこかで後れるだろうと予想されました。動きも以前とは違って上半身の揺れが大きい。それでも、なかなか後れません。今日一番、予想を上回った選手だったと何人かの記者が言っていました。
 尾崎好美選手、中里麗美選手、伊藤舞選手はずっと先頭集団で走りました、3人ともこのレースに懸ける思いは事前に取材してあります。伊藤選手は河野匡監督サイドの取材でしたが、良い師弟関係が築けていると聞いていました。河野監督にとってはシドニー五輪の犬伏孝行選手以来の五輪代表選手となるかもしれません。
 中里選手は昨年2月の横浜国際女子マラソン、夏のテグ世界選手権と日本人2位でした。レース前もいつもと同じ笑顔で話をしていましたが、「今回こそは」の思いは強いはずです。笑顔だからなおさら、その裏に感じられるものがあります。ラストのスピードでは分が悪いのはわかっていますから、積極的に前に出ていました。
 尾崎選手は説明不用でしょう。3回目の五輪選考レースへの挑戦です。それでも、本人が2日前の会見で話していたように落ち着きがありました。

 前半は初マラソンの堀江美里選手も集団で頑張っていました。森岡芳彦監督の考えをしっかりと理解している選手。思いを受け止められる選手と言った方がいいっかもしれません。長身が集団の後方で走っているのを、しっかりと見させてもらいました。
 勝又美咲選手も途中まで期待を持てる走りで、“美しく咲く”のではないかと思いました。宮内洋子選手も良い練習が積めてきたと聞いています。年齢的にもそろそろ、マラソンで結果を残さないといけない。集団の後方ですが、しっかりと食い下がっていました。
 そして赤羽有紀子選手。前半から苦しそうな表情をしていて、2月のケガと1週間の練習中断の影響があったのは明白でした。これではもたないと、誰もが思ったはずです。それでも粘り抜きました。野口選手ほどではなかったのですが、いったん後れてから集団に戻るなどロンドン五輪へ懸ける思いの強さを見せてくれました。

 フィニッシュも感動的でした。中里選手に競り勝った尾崎選手が、歓喜の表情でフィニッシュしました。本当に執念が実を結びました。山下佐知子監督と2人で喜び合う姿から、五輪への思いの強さが伝わってきました。あとは3レースをやりきった、最後で結果を残した充足感もあったのではないでしょうか。
 4位の渋井選手は五輪代表に届かないのに両手でVサインを掲げてのフィニッシュでした。渋井選手なりの思いがそうさせたのです。
 6位の野口選手はサングラスを外してフィニッシュ。明らかに目が潤んでいます。でも、悔し涙とは違うとはっきりとわかりました。ここで泣いてしまった記者が何人かいました。
 8位の赤羽選手はフィニッシュ後、痙攣を起こしているようでした。練習不足なのにリミッターを切った走りをしたのだと思います。なんという意思の強さでしょうか。

 選手たちのオリンピックへの思いが強かった。これは大前提です。しかし、それだけでもなかったような気がします。このレースで何かを変えたい、障害を乗り越えたい、自身を高めたい、再びスタートしたい。オリンピックという目標を掲げながらも、違う何かをそれぞれの選手が背負って走っていた気がします。
 レース中の寺田のツイッターが感情的だったと指摘されましたが、そういった選手たちの思いに影響されたからだと思います。オリンピックだけならよくある話ですから。

 レース後の取材は初めての会場ということもあって、ミックスゾーンでは上手く立ち回れませんでした。やはりこの辺は、新聞記者の皆さんが一枚上手です。複数の記者が分担しているので、ミックスゾーンでも選手を特定して取材を進められます。寺田は多くの選手を取材しようとしてポジショニングが中途半端になって大失敗でした。
 しかし、当初は1〜3位選手の予定だった会見に、たくさんの選手を呼んでくれたのでなんとかなりました。優勝したマヨロワ選手、赤羽有紀子選手&赤羽周平コーチ、陸連強化の幹部2人と尾縣貢専務理事、野口みずき選手&廣瀬永和監督、尾崎好美選手、中里麗美選手&林清司監督と会見をしてくれました。ここまで対応してくれた主催者には、本当に感謝したいと思います。

 今日の取材の1つの軸は、五輪選考でした。尾崎選手や赤羽選手の取材はその流れで進んだと思います。この2人はそこに思いの強さがありました。もう1つの取材の軸は野口選手。オリンピックはダメでも、その復活は感動的でした。そして今日ほど記者たちがウエットになった取材も初めてでした。
 レースを見ているときや、コメントを聞いているときは取材モードになれるのですが、合い間にふと緊張感が解ける瞬間があります。そういうときにジワッと込み上げてくるものがあるのです。
 岡山のSP記者は涙を流しながら取材をしていました。人情家なので、もしかしたら泣くかなと思っていましたが、やっぱり泣きました。3回泣いたみたいです。浪速の硬派記者は硬派だけあって絶対に涙を見せないタイプですが、それでも目の周りがいつもと違っていました。本人も認めていました。
 寺田はというと……これはいいでしょう、どうでも。
 記者たちがここまでなるのはやはり、野口選手の人柄だと思います。あれだけの選手が本当に親身になって、という言葉が適当かどうかわかりませんが、本当に一生懸命に我々の問いかけに答えてくれるのです。飾らない言葉、上辺でない言葉を探してくれます。
 時には、走っているときとはまったく別の一面を見せてくれます。言葉を選ばないといけないのはわかっていますが……フ○○○○○しています。これはテレビカメラの前では絶対に見せないでしょう。隣に廣瀬永和監督がいるときだけかもしれません。
 そうなってくるともう、金メダリストだからとか関係なくなってくるのです。取材なので選手の競技実績が前提となる関係ですが、本当に、そんなことはどうでもいいと感じてしまう。今、彼女が何を感じて、どんな思いがあって、何をやろうとしているか。とにかくそれを伝えたい。

 18時からパーティー取材でした。廣瀬永和監督、渡辺重治監督、赤羽周平コーチ、山下佐知子監督らと雑談をしました。渋井陽子選手には「今後は“行き当たりばったり”と書いて良いですか?」と確認したところ、「はい。流されるままに」と許可をもらうことができました。渋井選手はレース前の会見でも「流されるままに走ります」と話していました。今の彼女の競技観なのだと思います。そこも突っ込んで話を聞いたら面白そうです。
 野口選手と渋井選手。マラソンと1万mの日本記録保持者で同学年。野口選手が初マラソンの2002年名古屋を走る前に、渋井選手の初マラソン日本最高が目標だと明言していました。初マラソン記録は破れませんでしたが、2005年には渋井選手の持っていた日本記録を更新しました。
 両監督に確認しましたが、2人は今後、これまでの競技姿勢とはちょっと違うスタンスになりそうです。一生懸命に走るのですが、これを説明すると大変なので、もう少し取材ができたときにしましょう。
 性格はまったく異なる2人ですが、その再スタート地点が今回の名古屋ウィメンズマラソンになったことに、不思議な縁を感じました。

 パーティー終了後に土佐礼子選手夫妻にばったりお会いしました。
「ものすごく苦しいレースでした」とラストランの土佐選手は話してくれました。「北京五輪の次にですけど」と笑って付け加えましたが。
 昨日の日記で土佐選手が「丸くなった」という言葉が胸にずしりと響いたと書いたと思います。その理由は土佐選手の性格は、どこからどうみても「丸い」からです。ここまで温厚な人柄の選手は珍しいと言っていいと思います。選手に限らなくても珍しいでしょう。
 しかし、競技に対する姿勢は丸くありませんでした。練習中の表情を間近で見たことはありませんが、レース終盤で見せる必死の形相で練習に取り組んでいたと思います。これは間違いないです。ケガが多い選手でしたが、野口選手同様に地道なトレーニング、心が折れそうになるトレーニングを強い意思でやりきって、その都度復活しました。
 こんなに心優しい女性が、どうしてそこまで自分を追い込めるのか。いつもそれが不思議でした。人柄は丸くても、やっていることは妥協を許さない、ある種の鋭さがあったのです。そのギャップが魅力でした。
 そんな土佐選手が「丸くなった」と言ったのです。レース後には「これでピリピリしなくてよくなる」とも話していたみたいです。
 ゆっくり思い出話をしていたらまずいと感じました。幸い、土佐選手夫妻は三井住友海上の社員たちに挨拶をし終えて、渋井選手と合流するところでした。顔を隠して、逃げるように土佐礼子“選手”と別れました。


◆2012年3月12日(月)
 マラソン五輪代表発表が東京のホテルで行われました。
 代表に選ばれたメンバーは男子が藤原新選手、山本亮選手、中本健太郎選手で、補欠が堀端宏行選手。“九州選手”が多かったのが特徴です。
 女子は重友梨佐選手、木崎良子選手、尾崎好美選手で、補欠が赤羽有紀子選手でした。
 世界選手権で入賞した選手がその後の国内選考会に出た場合、国内選考会の成績が優先されました。今後世界選手権で日本人1位となった選手は国内選考会への出場や、そこでのレース展開で、リスクを犯さなくなるでしょう。

 実際、世界選手権の位置づけに関しての質問が多く出ました。現場サイドからすると国内選考会に出場すべきか、出場しないで待つべきか、本当に迷うところです。結果的に今回、出なかった方がよかったという選考になりました。陸連として現場サイドに何か指標を示せないのか? という質問に次のように答えていました。
「(全部の選考会の)結果が出るまで我々からは何も言えない。現場がどういうルートマップでロンドン五輪に行こうとするか、を受け止めた」(河野匡強化委員会副委員長)
 つまり、国内選考会に出るかどうかは現場の自己責任で判断してください、ということ。国内選考会に出場したら、「世界選手権よりも国内を重視してください」という意思表示と受け取ります、ということです。
 これは川内優輝選手など2度目の国内選考会に出た選手にも当てはまることで、2度出場したら、それが選手の描いたルートマップとなり、陸連はそれを受け止める。

 ここで問題となるのが「あまり2度目の選考会に出てほしくない」と陸連幹部が繰り返し話していたことです。2回出てもあまり評価しませんよ、と。“追試”という表現もしていました。これは新聞がつけた言葉ではなく、陸連幹部が実際に言った言葉です。追試の場合、そのままの成績には評価しませんと(ここでややこしいのは、世界選手権出場選手の国内選考会出場は、追試に当たらないという考えもあることです)。
 そこをどう判断したのか? という質問には「選考基準にのっとって、世界で戦うということで評価をした」(河野副委員長)と答えるにとどまりました。
 それで陸連内部にも複数の考え方があって、なんとか1つにまとめたのが今回の選考になったのだと感じました。堀端選手を選ばなかったことも、陸連が速いペース設定にこだわったことを考えると、ちょっと腑に落ちない部分でしたから。

 世界選手権の位置づけに関しては、陸連も悩んでいることは間違いありません。
「世界選手権はIF主催大会で最高位に位置づけています。その結果も当然重視して、そこでのメダル獲得は即(五輪代表)内定としていました。しかし世界選手権は昨年夏の大会で、最後の選考会は昨日(名古屋ウィメンズマラソン)でした。世界選手権で走れても何らかの体調不良やケガもあることなので、近々の結果も見たい。4大会の1つとして位置づけていますが、それ以外にも出場してきた場合は重視します。世界選手権と国内と、両方重視しているということです。理事会でも世界選手権のトップはそのまま決めるべきという意見が出ました。しかし、今言った経緯で、両方重視することになりました」(尾縣貢専務理事)
 また、次のような回答もありました。
「今回は最高の選考基準だったという認識ですが、ロンドン五輪の結果を見て、日本のマラソンのレベルを見て、今後世界選手権の取り扱いに何らかの変更があるかもしれません」(尾縣専務理事)
 寺田の個人的な予測ですが、次回の選考基準では世界選手権の5位、あるいは6位までをオリンピック代表にするのではないでしょうか。8位までは下げない気がします。ロンドン五輪の結果次第でしょうが。その代わり、その順位に入れなかった選手は選考会扱いにしない。
 今回の教訓を生かすと、そうなります。

 会見では、川内優輝選手のこともいくつか質問が出ました。ちょっとでもこの世界に身を置いた人間なら、今回の一連の選考会の結果で川内選手を選ぶのは難しいとわかります。しかし、それが理解できない人が世間にはたくさんいますし、そういった人たちの意向を汲むメディアも現れます。
 まず次のような質問が出ました。
「補欠の候補に複数の選手の名前が挙がったが、3番手の選手を選ぶときに複数の選手の名前が挙がらなかったのか。川内選手が注目されているが、どこが他の選手と比べて足りなかったのか?」
 福岡国際マラソン日本人1位ですから、これは普通の質問でした。それに対して陸連は、以下のように答えました。
「3、4、5番手という中で、選考における順位づけが議論されました。その中で3番目の評価だった中本選手が代表になり、4番手の堀端選手が補欠になりました」(河野強化委員会副委員長)

 次にテレビ局が質問しました。テレビでも報道やスポーツの番組ではなく、ワイドショーの人間でしょうか。よくわかりませんが。
「川内選手の市民ランナーとしての取り組み、練習の仕方やレースの出方が注目されましたが、その点選考においてどんな評価だったか?」
 思った通りの回答が陸連からされました。
「川内選手は世界選手権の代表でしたし、陸連の強化指定競技者Bの選手です。れっきとした日本代表と評価していますので、市民ランナーというカテゴリーでは見ていません。川内選手本人とも、その中でどうやって世界と戦うか、つねづねコミュニケーションをとっています。我々の重要な競技者として成績を残してほしいと考えています。これは川内選手だけでなく、選ばれた選手、選ばれなかった選手、戦っている選手すべて同じ目線で見ています。これが強化としての立場です」(同)
 質問者が明らかに、市民ランナーと陸連を対峙させて見ていたので、こういう答え方になったのだと思います。
 寺田はかねがね川内選手ファンがかわいそうだな、と思ってきました。マラソンや選考事情をよく知らないばかりに、陸連と川内選手が敵対していると勘違いしています。そうじゃないんだよと、丁寧に説明してあげればいいのにと思うのですが、そこを説明したら逆に注目されなくなってしまう?

 次にスポーツ紙の記者が質問しましたが、先のテレビ局の人間よりも心得た質問の仕方でした。
「川内選手を推す声は挙がらなかったか? 今日の議論の中で」
 これには陸連も“考え方”ではなく、実際のやりとりを答えないといけません。
「もちろん、ございました。(名前の挙がった)それぞれの候補に、それぞれの応援がありました。川内選手が市民ランナーだから、という推し方はありませんでしたが、福岡で日本人最上位に入った成績で評価すべきという応援がありました」(尾縣専務理事)
 川内選手に関するやりとりは、そんなところだったと思います。
 川内選手のオリンピック出場はかないませんでした。川内選手の人気を陸上界の発展につなげよう、という判断を陸連がする可能性もあると思っていました。複数選考会システムを維持する考え方と似ているので、ひょっとするとひょっとするかもしれないと。でも冒頭に書いたように、普通に考えたら無理なことでした。

 それでも、川内選手がマラソン界に投じた一石は、非常に大きな一石でした。藤原新選手が自身のトレーニングに「川内メソッドを取り入れた」と明言しています。雑談中に教えてもらったことなので名前は出せませんが、今回代表に選ばれた中にもう1人、川内選手のトレーニングを参考にした選手がいます。6人の代表中2人が、川内選手のやり方を参考にしたのです。マラソン人気を牽引しただけでなく、強化面でも川内選手の功績は大きかったと断言できます。
 機会があったら、心からのねぎらいの言葉をかけたいと思います。
 しかし、川内選手にはまだまだやってほしいことがあります。川内選手の活躍を快く思わない人たちは「まだ8分台だろ」「世界大会でメダルを取っていないだろう」と言うでしょう。山の登り方は1つしかないという意見の人たちです。そういった人たちに認めさせるには2時間7分台、世界大会の入賞をやってのける必要があります。メダルをと言う人は、10年前で時間がストップしている人なので気にしなくていいでしょう。


◆2012年3月13日(火)
 昨日のマラソン五輪代表会見で一番の衝撃は、複数選考会システムを堅持する方針を陸連が明言したことでした。
「一発選考レースは見た目は良いのですが、今回に関しましても、最も強いランナーを選べることを考えると、複数あることもプラスだと思います。一発は一発で良いことがありますが、3、4回レースを重ねることも良いわけですから、そのあたりご理解を願いたい。もう1つは当然ながら、これだけマラソンが認知されていることは、陸上の、マラソンの普及、強化にとっても複数のマラソンを行うことはプラスです。長期戦略上必要です」(尾縣専務理事)
 “最も強い選手を選ぶ”ことに関しては複数レースと1発選考でどちらにも利点があると認めていますが、複数レースが長期戦略上プラスという部分は断言しています。つまり、マラソン人気の維持が絶対に不可欠だという強い意思表示をしたのです。

 名古屋ウィメンズマラソンの日の夜に書いた記事だけでなく、寺田は以前から選考レースの1本化と特別枠1という方法を言い続けてきました。上記の見解にも言いたいことはありますが、陸連がここまで言いきった以上、4年後の選考方法も複数システムで変わりません。陸連の見解を聞いて意見が変わるわけではありませんが、どうしようもないということです。陸連も強い意思と責任を持って複数選考でやるのですから、一介のフリーライターに過ぎませんが、陸上関係者としてはその路線の中でできることをやるしかないでしょう。
 気持ち的には楽になりました。というのも、これまで通りで良いのですから。
 朝日新聞にも、毎日新聞にも、関西テレビにも知り合いはいます。現場記者なら読売新聞も産経新聞も中日新聞も仲良しです。一本化されたら取材が手薄になる大会が増えますが、複数選考システムなら、どの大会にもこれまで同様全力で臨むことができます。どの大会の記事も頑張って書く。寺田にとって幸せなことです。
 よし、もう決まり! あれこれ考えず、複数選考システムで頑張りま兵庫(※)。
※S選手のギャグをパクリました。数年前の兵庫リレーカーニバルに先輩のA選手と一緒に出場して、レース中に「一緒に行きま兵庫」と思ってペースアップしたそうです。なんで今回兵庫になるのか? 神戸マラソンも選考会にしたらもっと陸上人気が上がるからです。高校生の強い兵庫で選考会をしたら、今以上に兵庫の選手が強くなると思います。

 選考発表会見が終わって数十分後に藤原新選手の会見&カコミ取材が行われました。これは陸連管轄ではありませんでしたが、ホテルの同じスペースだったので助かりました。
 東京マラソン翌日取材時にも書きましたが、藤原選手の取材対応は素晴らしいです。選考について取材するのは嫌でしたが(誰かが落ちる話を聞かないといけないから)、藤原選手の取材があって良かったです。
 藤原新選手の取材対応の良さとは、見出しとなる言葉を的確に言えること、フォトセッションでのサービス精神が旺盛なこと、地元や選手仲間への配慮ができること、そしてトレーニングとレースビジョンをわかりやすく説明できること。その他にもあると思いますが、ざっというとこんな感じです。マラソン版の為末大選手です。
 藤原新選手の話の中身でおっ? と思った点が2つありました。1つは五輪本番の目標を順位でなく、タイムで挙げたこと。オリンピックでは極めて珍しい例です。多くの選手は「オリンピックは記録よりも順位」と言いますが、藤原選手は「順位となると読めない。計算可能なタイムを目標にして、それを出したら順位はついてくる」と言ったのです。
 もう1つはオリンピックをステップと位置づけていることです。もうちょっと別の言葉で同じことを話した選手はいたかもしれませんが、ステップと言い切ったのは、藤原選手が初めてかもしれません。
 個人的には、「集大成」と言って臨んで結果が良いケースは少ないという印象です。「集大成だから結果をどうしても出さないといけない」と自身にプレッシャーをかけてしまっている気がします。力が落ちていて「これが最後になるだろうな」という潜在意識が「集大成」と言わせるのかもしれません。記事でもその選手の年齢から判断して“今度の大会が集大成となる”とか書きがちです。やめようと思います。

 藤原選手に話を戻しますが、年上の奥さんとのやりとりを聞かれて九州男児ですから**しませんが…」というコメントがありました。なるほど。九州男児とはそういうものか、と理解しましたが、ちょっと書けません。女子の読者もいるでしょうし。ちなみに西日本新聞・向吉三郎記者(鹿児島県出身)は、「僕はとてもできません」と話していました。


◆2012年3月14日(水)
 今日はロンドン五輪マラソン代表選手のカコミ取材ができるというので、NTCに行ってきました。フォトセッションのあとに補欠も含めて8人全員が、8カ所にわかれて座り、記者たちが行きたい選手を囲んで話を聞く方式です(ペン記者用)。多くの選手の話は聞けませんが、個々の選手に深く突っ込むことができる方式ですね。
 寺田がまず行ったのは中本健太郎選手(安川電機)。他の7人は各選考会で優勝か日本人1位だったので、それなりに話を聞けています。中本選手だけ持ちネタが少なかったのです。
 実はもう1つ理由がありました。NTCに行く途中の電車の中で、今回の代表には高校時代のトップ選手がいないことに気づきました。でも調べてみたら過去の代表も同じような感じで、マラソンでは珍しいことではありません。しかし、そのなかでも中本選手は高校、大学とまったくといっていいほど全国レベルの実績がないのです。
 そこも話を聞いてみたいと思っていました。
 インターハイは山口県大会止まりで5000mのベストは14分54秒。それでも拓大にはなんとか推薦で入学し、入れてもらえる実業団を探した結果、安川電機にもなんとか入社できました。

 ところで、川内優輝選手が自身のことを「エリート強化システムからの落ちこぼれ」と話し、エリート強化システムで故障者が多く出る問題点も指摘しています。中本選手は“エリート強化システム”内にぎりぎりのところで踏みとどまり続けたなかで、自身の特徴を生かせるマラソンに出会ったといえます。中本選手が五輪マラソン代表までの軌跡に“エリート強化システムから落ちこぼれない”ヒントがあるかもしれません。
 と、安易に考えてしまいがちですが、これをはっきりさせるのはものすごく難しいことです。選手個々の色々な事情が重なった結果で今があるのですから、1人の選手の軌跡を分析して“こうすれば落ちこぼれない”と結論づけられることかどうか。
 でも、中本選手のことを記事にして、それを読んだ選手が何かしら参考にしたり、啓発されたりすれば、それは意味のあることだと思います。「オマエが書けよ」と言われそうですが、寺田が書きたいと思っただけでは書くことはできません。専門誌や西日本新聞に期待しましょう。
 でも、チャンスがあれば本当に記事を書きたい選手です。拓大で1学年先輩の藤原新選手とは正反対ですが、独特の雰囲気を持っています。

 中本選手がテレビ取材に呼ばれたあとは、山本亮選手のところに行きました。本番でアフリカ勢が急激にペースアップしたとき、どう対処するか。その辺の話を聞けたのが収穫です。
 好きなアイドルやミュージシャンの話題にもなりました。これはまあ、読者に親近感を持ってもらうために、一般メディアにとっては重要なネタです。
 ちなみに一番のお気に入りはベリーズ工房だそうです。ライブDVDはかなりの数(全部と言ったかもしれません)を持っているそうです。しかし「決して反AKBではありません」と強調していました。AKB48ファンを敵に回すと、やばいことになるみたいです。選手の皆さん、公の場での発言には気をつけましょう。ブログやツイッターでも。

 最後に藤原新選手のコーチの小林渉さんに誕生日を聞きました。「8月20日ですか?」と。
 小林さんは今回はコーチの肩書きで来られていましたが、本来は藤原選手のマネジメントを行っている人物。ニューイヤー駅伝にも出場している元実業団ランナーです。長距離選手ですが長身で、しかもイケメン。
 今は株式会社クロスブレイスの代表取締役です。詳しくは同社のホームページをご覧ください。小林さんのプロフィールも載っています。専大松戸高、中大、ホンダと進んだのは記憶がありましたが、最後は日産自動車だったとは存じ上げませんでした。
 どうして誕生日をお聞きしたのか。第一生命・山下佐知子監督が「私と同じじゃないかな」と取材開始前に話していたからです。小林さんが現役時代に、どこかの合宿で一緒になったことがあって、そう聞いた記憶があるとのこと。
 それで確認したところ、8月20日でした。ちなみに、赤羽有紀子選手のお子さんも8月20日生まれ。つまり今日集まったマラソン代表選手の関係者で3人が、同じ誕生日だったのです。なんという偶然!


◆2012年3月16日(金)
 Qちゃん(高橋尚子さん)が元チームQトレーナーで、現在はQちゃんのマネジャーの西村孔さんとの交際を公表しました。昨日の共同通信記事が、今日発売のフライデーに記事が載ると報じていましたので、何年ぶりかにこの雑誌を買いました。
 昨日はQちゃんと柏原竜二選手の対談記事が載っているNumber Doを買ったばかりなので、ちょっと不思議な感じがしました。単なる偶然なのでしょうけど。
 夜のワイドショー的な報道番組では、Qちゃんの夕方の会見が大々的に放映されていました。五輪金メダリスト、国民栄誉賞というのもあるのでしょうが、これだけ大々的に報じられるのはやはりQちゃんの人柄だと思います。

 しかし寺田的に見たときに一番嬉しかったのは、柏原竜二選手との対談で、箱根駅伝以外の部分を引き出していたことです。
 例えば柏原選手がハーフマラソンを61分ちょっとで走れる感触があるという話。昨年の全日本大学駅伝の8区(19.7km)を57分48秒で走って、その手応えを得たようです。だったら30kmまでなら(今でも?)1km3分ペースで押していけるし、将来的には3分を切るペースでマラソンに挑めそうだと話がつながっていきました。
 柏原選手の記事はどうしても箱根駅伝が中心になってしまいますから、この手の話はあまりなかったと思います。

 Qちゃんがマラソンに向けてすごい練習をした話を、実業団入りするタイミングで柏原選手が聞けたこともよかったのではないでしょうか。Qちゃんがマラソンに向けて40km走を15本、30km走を35本やったという話など、解説をしているときにはあまり話題になりません。今の選手との差が大きすぎるので出しにくい話題なのかもしれません。
 Qちゃんがその頃のマラソン練習を鮮明に思い出せるという話も、印象的です。
「今は1週間前のことなんかすぐに忘れちゃうけど、練習日誌を見ると当時のことを一瞬で思い出せるよ。タイム、会話、風景。すべてが鮮明な記憶。食べて、寝て、走るだけの生活だったけど、『生きてる』って実感する日々だったなあ」
 練習のときの様子を鮮明に思い出せるという話は、寺田もベルリン世界陸上のときにお聞きしてTBSのコラムに書きましたが、何度聞いても衝撃的です。


◆2012年3月18日(日)
 試合の取材がない週末でしたが、今日は陸上競技関係の番組が3つもありました。昼過ぎに全日本実業団ハーフマラソン、深夜に女子マラソンの特集をした「グラジオラスの轍」、その後にまつえレディースハーフマラソン。インターネットの動画中継でニューヨークシティ・ハーフマラソンもありました。こうして列挙してみると、ハーフマラソンが多いのがわかります。今後、中継されることが多くなるコンテンツなのかもしれません……全日本実業団とまつえはもう何年も放映されていますね。

 さすがに全部の番組(映像)を見ることはできませんでしたが、一番気になったのは全日本実業団ハーフマラソン。男子は宮脇千博選手(トヨタ自動車)、女子は田中智美選手(第一生命)が優勝しました。
 まずは宮脇選手。近い将来のマラソン進出も視野に入れてのハーフ初挑戦と聞いていました。優勝の可能性はあると思っていましたが、まさか1時間1分を切って来る(1時間00分53秒)とは思いませんでしたね。日本記録保持者の佐藤敦之選手(中国電力)、高橋健一選手(現富士通コーチ)に次いで日本歴代3位。“1万mの選手としては日本最高”ということになります……と書いたら、微妙ですね。佐藤選手はアジア大会1万m代表でしたし、高橋健一選手も1万mで五輪A標準を本気で狙っていましたし。

 そうそう。全日本実業団ハーフの大会記録は高岡寿成コーチが持っていた1時間01分07秒です。高岡コーチの持っていた記録がまた1つ破られたわけです(3月7日の日記参照)。陸マガにも書きましたが、これはもう1万mの日本記録も破らないとおかしいでしょう。宮脇選手が、ということではなく、今の選手たちが、という意味ですが。
 ただ、高岡コーチは記録を出すときに自身の経験を、もちろん練習してきたことを、ぎゅっと凝縮して表現することができた選手です。あとは、“記録を出す”と意識することで壁ができるのですが、それを打ち破る何かを持っていました(何度も失敗をしているそうですが)。今の選手たちにそれができるかどうか。
 でも、やっぱり出さないといけないでしょうね。

 宮脇選手の記録もそうでしたが、もっと驚かされたのが田中智美選手の優勝です。記録も1時間10分を切りました。
 尾崎好美選手のパートナーとしてマラソン練習をしていた、という話は聞いていました。昨年の全日本実業団でも5000mで上位に入っていたと記憶しています。もちろん、全日本実業団女子駅伝のアンカーで区間賞を取ったことも知っています。
 それでも、チーム内でいったらマラソン日本代表の尾崎選手と野尻あずさ選手がいて、駅伝では勝又美咲選手がエースです。最近は故障がちですが5000mの記録なら垣見優佳選手がかなり上です。チーム内4〜5番手の選手が、全日本大会で勝つのは想像できませんでした。
 第一生命がそういうチームに成長してきたのだと思います。陸マガ記事にも書きましたが、駅伝に狙いを絞ってやっているチームではありません。個々の選手たちがそれぞれの目標に向かって頑張って成績を残し、結果的にチーム力が上がって駅伝でも優勝してしまう。でも、駅伝も重視している。
 そういえば山下佐知子監督は、マラソン五輪選考レースの“皆勤賞”でした。対象を優勝争いをするレベルの選手に限れば、山下監督1人だけです。


◆2012年3月20日(火)
 一昨日の深夜に放映された「グラジオラスの轍」(フジテレビ)の女子マラソン特集を録画していて、今日見ることができました。面白かったですし、名古屋ウィメンズマラソンの感動がよみがえってきて、ちょっとウルっときたところもありました。

 まずビックリしたのが木崎良子選手を丁寧に追跡取材をしていたこと。11月の横浜国際女子マラソン後から“待たされた時間”を表現できていましたね。初詣に行っておみくじを引いて、小吉だったか中吉だったか忘れましたが、それを見た木崎選手が自分に都合の良いように解釈したところがよかったです。空白だった練習ノートのロンドン五輪レースの日を最初に見せて置いて、代表発表後にそこを埋めるシーンも上手かったなと思います。
 寮の部屋に置いてある家族の写真を見せるのはよくある手法ですが、一般の視聴者には有効でしょう。お父さんは箱根駅伝経験者ということで、マラソン選考に関しては当を得たコメントをされていました。

 尾崎好美選手は横浜国際女子マラソンで木崎選手に敗れて、でもオリンピックをあきらめきれなくて、もう一度選考レースに出場するというところの気持ちをどう見せるか。そこがポイントだったと思います。ただ、横浜後の映像はあまりなかったようですね。取材を申し込まなかったのか、第一生命側が断ったのか。
 しかし、そこをなんとかインタビュー映像で出していました。尾崎選手は全日本実業団対抗女子駅伝の閉会式後に名古屋ウィメンズマラソン出場を表明しました。実際の決断はその少し前だったと聞いていますが。仙台でのインタビューの画質はよくありませんでしたが、ドキュメンタリーっぽい雰囲気で良かったと思います。
 個人的には背後に変な男が映っていたのが気になりました。山下佐知子監督に話を聞いている記者なんですが、それを見たらどん引きでした。せっかく尾崎選手が心情を切々と話しているのに台無しでしたね。99.9999999%の視聴者はまったく気にしなかったと思いますけど。

 赤羽有紀子選手もそれほど映像がないようでしたが、名古屋ウィメンズマラソン出場を決めた気持ちは、しっかりとインタビューで見せていました(当たり前?)。名古屋のレース直前に周平コーチが「最後まで笑顔で。カメラを見たら笑うくらいで」と赤羽選手に話しているシーンは、結果を知っているだけに見ていてつらかったですね。

 野口みずき選手に関しては、故障に苦しんだ北京五輪後の3年間をどう映像で表現するかが大変だったと思います。復帰した昨年10月の実業団女子駅伝西日本大会、大阪国際女子マラソン出場会見、山陽女子ロード、ボルダー公開練習の映像は持っているのでしょうが、取材ができていないと思われる3年間が問題です。
 どのメディアもそうだと思いますが、“時間の長さ”をどう表すかは本当に難しいところです。テレビ・ラジオなら長い尺、文字メディアなら膨大な紙数があれば、少しは表現しやすくなります。しかしほとんどの番組や記事は、数分の尺や数分で読める範囲で“時間の長さ”を伝えないといけません。
 番組では野口選手のインタビュー、廣瀬永和監督のインタビュー、筋力トレーニングの映像、リハビリメニュー表の紙、田村育子さん(1500m元日本記録保持者)のインタビューなどでそれを現そうとしていました。
 野口選手のインタビュー中に「いつもは前向きの私もさすがに…」というコメントがありました。2010年の全日本実業団対抗女子駅伝でケガをしたあとのことを振り返ってのコメントですが、その言葉はインパクトがあったと思います。廣瀬監督のインタビューでは、野口選手が感情的になって「やめる」と言い出したときの師弟のやりとりを聞き出していました(この辺は普通にやることですが)。
 リハビリメニューの表は寺田が12月の取材のときにコピーさせてもらったものと同じです。陸マガではそれを入力し直して表組で出しましたが、テレビでは野口選手が自筆でメニューの回数を増やしているところを強調していました。見せることに関してはテレビが上ですね。
 そして極めつけは田村さんのインタビューです。子育ての真っ最中の元ランナー。野口選手とは同期でハローワーク時代も一緒に過ごした間柄です。寺田も、グローバリーが全日本実業団対抗女子駅伝初出場を決めたときの淡路島女子駅伝を取材して、2人で喜ぶ姿を見ています。
 その田村さんが野口選手の苦しかった時期を思いやって涙を浮かべます。あのシーンでは、こちらももらい泣きしそうでした。田村さんのことを知らない視聴者がどう受け取ったかは、寺田にはよくわかりません。でも、野口選手が苦しい思いをしたことが少しでも、田村さんが登場したことで視聴者に伝わったらいいな、と思いました。

 この番組を見て思ったのは、やはり映像にはかなわないな、ということです。
 その瞬間の表情を伝えられるのは映像だけです。何千文字と費やして書いても、そこだけはどうしようもありません。フィニッシュ後の選手の表情はもちろんのこと、今回でいえば名古屋の沿道で野口選手に声をかけ、その後ろ姿を見送る廣瀬監督の表情なども、番組のテーマをよく表していたと思います。
 あと、BGMもよかったですね。野口選手が大阪出場を表明した会見のとき、名古屋のレース中に集団から後れたとき、そして集団に追いついたとき。音楽が本当に効果的に使われていました。これも紙メディアにはできないことです。
 初めて認識したわけではないのですが、やっぱりテレビが本気を出したらすごいものを伝えられるな、と思い知りました。

 でも、それをうらやましがってばかりいても始まりません。ネットも含めた文字メディアは、文字メディアの特徴を生かして頑張るしかありません。
 例えば映像にできなくて文字メディアにできることは、視点を自由に変えられることでしょうか。映像メディアでもできることですが、映像メディアは映像がないとそれができません。視点を変えるためにものすごいお金と労力がかかるということです。文字メディアはそういった素材がなくても、自由に(安価に)読者を意図したところに誘導できます。人の気持ち内面を描くことなどですね。
 とにかく資金がないのはどうしようもないことです。近い将来、陸上競技にお金が流れてくることもないでしょう。限られた環境で何ができるかを考えて、やっていくしかありません。


◆2012年3月22日(木)
 トヨタ自動車の退部者公式ブログに掲載されました。浜野健選手、菅谷宗弘選手、高橋謙介選手、内田直将選手、吉村尚悟選手の5人です。
 今年のニューイヤー駅伝(4位)のメンバーには入れなかった5人ですが、1年前の初優勝時には菅谷選手が5区でしたし、当初はその区間を浜野選手が走る予定でした。2年前の2010年(5位)は吉村選手1区、浜野選手3区、高橋選手5区、菅谷選手7区でした。2009年(5位)は吉村選手1区、浜野選手4区、高橋選手5区、菅谷選手7区。安定して主要区間を走っていました。
 しかし、ここ1〜2年で若手がどんどん伸びてきているチーム。駅伝メンバーに入れなくなってきました。マラソンでも結果が出せない。年齢的にもそろそろ、ということでしょうか。そろそろ、というのは競技的な意味もありますが、セカンドキャリア的な意味もあるのでしょう。部の予算的なものも当然あるので、それらを総合的に判断して、ということだと思います。
 トヨタ自動車陸上競技部の後援会会報には、「ひとつの時代が終わる… レジェンドオブTOYOTA」というタイトルで1ページを、5人の退部記事に割いています。5人の写真にはそれぞれ、特徴を表したキャッチコピーがつけられていて面白いです。浜野選手が「Mr.トヨタ自動車」、菅谷選手が「駅伝35大会出場」、高橋選手が「感動のマラソンランナー」、内田選手が「愛されたスピードランナー」、吉村選手が「安定感ある信頼の走り」。

 浜野選手が「Mr.トヨタ自動車」とつけられているのは納得です。入社して丸15年。ずっと駅伝ではチームのエースでした。中部実業団対抗駅伝の区間記録をいくつも持っていることは、昨年、宮脇選手が7区の区間記録を破ったときの記事で紹介しました。
 トラックでは五輪、世界選手権にこそ手が届きませんでしたが、特に中部地区では圧倒的な存在感を示しました。選手の誰かが言っていたのを聞いたことがあるんですよ。「浜野さんが前に出たら、他の選手は出られない」と。
 マラソンは、手元のデータでは15レース走っています。2時間9分台が2回あり、「順大OB最高記録だよね」という話をした記憶があります。しかし、途中棄権も4回と多く、マラソンでは出来不出来の波が大きく大成できませんでした。でも次はやってくれるのでは、という期待を見ている側に持たせる選手でしたね。

 会報では各選手が「RACE OF MEMORY」をコメントしています。浜野選手が挙げたのは2009年のニューイヤー駅伝。「佐藤敏信監督就任1年目。2年間低迷していて復活をかけた大会でエース区間の4区を任され、なんとか役目を果たす走りができた。チーム復活の5位を勝ち取ったことで肩の荷が降りたとともに、皆で喜びを分かち合えたレースだった」と振り返っています。
 コニカミノルタから佐藤監督が2008年にやってきてチームを改革し、ニューイヤー駅伝優勝、尾田賢典選手の世界選手権マラソン代表、宮脇千博選手の1万m五輪A標準突破と好成績が続いています。当時の中心選手だった浜野選手、高橋選手、尾田選手らが新監督の方針でもしっかりと結果を出したことが、今のトヨタ自動車の隆盛につながっているのは間違いありません。


◆2012年3月30日(金)
 今日は柏原竜二選手の富士通入社会見取材でした。
 柏原選手に限りませんが、こういった取材が予定に入ると、それまでに色々と考えます。それで取材前に思いついたことは、1万mの富士通記録保持者は三代直樹広報なの? ということです。27分59秒39ですね。これに気づいたときはちょっとビックリしました。もう少し良い記録があると思っていました。
 改めて書くまでもなく、マラソンとハーフマラソンの富士通記録は、ともに日本歴代2位です。藤田選手の2時間06分51秒高橋健一コーチの1時間00分30秒。前日本記録でもありますし、日本のロードレース史上に輝く記録と言ってしかるべきです。それに比べて1万mは日本歴代46位。“富士通七不思議”の1つと言われています……というのはウソですが、いずれそう言われる日が来るかもしれません。

 それともう1つ気づいたのは、長距離の超大物選手の入社は藤田敦史&三代直樹の同学年コンビ以来ではないか、ということです。一般種目の超大物が毎年入社しているので長距離もと思いがちですが、思い出そうとしてもパッと名前が出てきません。確かに堺晃一選手は箱根駅伝で区間賞を取ったと思いますし、福井誠選手もスピードがあって日本代表も期待できます。しかし、四天王(松岡佑起選手、伊達秀晃選手、北村聡選手、上野裕一郎選手)や佐藤悠基選手&竹澤健介選手クラスは入っていません。
 ニューイヤー駅伝は09年1位、10年3位、11年2位。つねに上位に来ているので箱根駅伝のスター選手が入っているという先入観がありましたね。
 この2点を意識して取材に臨みました。

 会見は11:00から汐留の富士通本社と聞いていましたが、寺田には珍しく10:30と早めに到着。記者が殺到して座れなくなるのではないかと予想したからですが、それほど多くありませんでした。人数を数えるのを忘れてしまいましたが、たぶん30人から40人だったと思います。富士通サイドが人数を調整したのか、自然とこの人数に落ち着いたのか。
 寺田としては沢野大地選手や廣瀬英行選手といった、他の新入社員選手も一緒に会見をしてくれたらありがたかったのですが、富士通サイドには考えがあるようでした。
 しかし結果として、柏原選手1人に絞ってよかったかな、という印象です。かなり深いところまで話を聞くことができました。これは柏原選手本人、が物事を深く考えているからということもあったと思います。

 会見でもしっかり考えているな、と思えるコメントばかりでした。俗っぽい表現をするなら頭が良い。頭の回転はめちゃくちゃ速いですね。
 近いうちに本サイトに書くか、将来的に別メディアに書くか。それはわかりませんが、いつか記事に使えそうなネタばかりです。1つ、2つ紹介したいのですが…。
 すでに通信社記事に出ていますが、将来的な目標はマラソンで2時間6分台を出すことです。正確に紹介すると「最低でも2時間6分台では走りたい。そこに向かってどれだけできるか。今から10数年の間にどれだけ近づけるか、超えられるか。それをやっていきたいです」でした。これは普通のコメントですが、選考レースを見たか、という質問に対する
「見させていただきました。色んなタイプの選手がいると思いましたが、自分のレースプランを上手くできた選手が勝てるのかな、と一番思いました。駆け引きとかもあると思いますが、いかに42.195kmを自分のところに持ってくるか、だと思いました」
 競技的な質問だけでなく、やわらかい話題の質問にもツボを抑えた答え方でした。初任給を何に使うか、と問われて次のように話しました。
「親にも何かしたいのですが、高校、大学とお世話になってきた人たちに何かプレゼントをしたい。初めて自分で稼ぐお金ですから、貯金をしたいという気持ちもありますけど」
 自分の気持ちをきっちり話しながら、笑いを取るところは取っていた感じですね。

 あとは社会人になるという部分ですね。契約社員で競技だけをする選択肢もありましたが、仕事もするそうです。その辺の考え方や、社会人としてのマナーをしっかり身につけたい、というところは強調していました。

 寺田が取材前に意識していた2つのポイントは、本当にうまくネタを仕入れられました。自分で質問したのは1つだけですが、会見全体が良い流れで進みましたね。これは助かりました。会見後の福嶋監督へのカコミでも、良い話が出てくれました。監督と近い認識を自分が持っていたのは嬉しかったですね。
 意識した2つのポイントが記事になると、どう発展して形になるか。うーん。他のメディアに書けばお金になりますが、そうすると文字数の制限とかありますからね。なんとか自分の思うように書いてみたい記事です。
 その記事に書くことですが、今日の取材の中でもちろん、福島関係のネタがふんだんに出てきました。藤田敦史選手が福島県出身ですし、柏原選手の富士通入社には福島がついて回ります。監督の名前もそうですし…。

 取材後は新橋のカフェで仕事をしました。そこでは電話も7〜8本。長距離の指導者の方たちに情報を聞いて回りました。そのうちの1人がエスビー食品の田幸寛史監督。東海大の両角速監督にも電話をしました。福嶋監督も含めて3人の長野県出身監督に話を聞いた1日でした。


◆2012年3月31日(土)
 日本スプリント学会に顔を出させせていただきました。一応、会費を払って当日会員になるので“参加”と書いてもいいのですが、それは一生懸命に活動されている正規の会員の方に申し訳ないので。
 京王線が強風で遅れましたが、予定の新幹線になんとか間に合いました。大宮から郡山までは1時間もかかりません。がっつり原稿を書くことはできませんが、少し進められたのでまあ、よかったです。郡山からの在来線も強風で遅れ、12:32に金谷川駅に着く予定が12:45くらいに。金谷川の駅から福島大はすぐなので、これもなんとか間に合いました。

 受付では千葉麻美選手(東邦銀行)と久しぶりにお会いしました。一昨年の10月(日本選手権リレー)以来でしょうか。陸連アワードだったら12月ですね。出産後は初めてです。そんなにふっくらしている感じはなくて、練習はかなりできていると感じました。アメリカに遠征する話も確かな筋から聞いていましたし。
 千葉選手で注目されているのはロンドン五輪を狙う種目。これまでと同じ400 mになるのか、800 mになるのか。800 mはすでに何度かテストして、適性があることは確認済みです。2009年の国体では2分02秒64の日本歴代4位で優勝しました。2月末に川本和久監督に電話取材をした際にはまだ決まっていませんでした。
 挨拶もそこそこに「アメリカで出場するのは400 mですか、800 mですか?」と質問させていただいたところ、「400 mです」という答えでした。あとで確認したところアメリカではUCLAとマウントサックの2試合に出場予定で、最初のUCLAは200 mだそうです。それが復帰戦になります。
 目標記録とかは特に考えていないそうです。陸マガ記事にも川本監督のコメントを書いたと思いますが、本当に初めてのことで予想がつかないようです。千葉選手レベルのスプリンターが出産して復帰した例はないので注目はしないといけませんが、過剰に騒がずに見守るべきでしょう。
 春季グランプリも静岡国際の400 mを予定しています。ただ、申し込み締め切りまではまだ時間があるので変更が絶対にないとは言い切れません。

 最初に高野進会長の挨拶と、川本和久大会委員長の挨拶があり、この学会が震災の影響で開催が難しくなったなか、関係者の尽力で実現したことを知りました。
 13:10からは2時間のシンポジウム。タイトルは「今だから話せる俺/私のスタート」です。今回はタイトルにちょっと茶目っ気があります。明日は「北国の春」東北地方の春先のトレーニングという演題で東北で頑張っていらっしゃる3人の先生が講演をします。この茶目っ気は間違いなく川本監督のセンスでしょう。
「今だから話せる俺/私のスタート」は、伊東浩司甲南大監督(100 m日本記録保持者ですが、競技実績は書き切れません)、杉本龍勇法大教授(バルセロナ五輪100 m代表)、土江寛裕城西大監督(アトランタ&アテネ五輪代表)、二瓶秀子さん(100 m前日本記録保持者)の4人がシンポジスト。
 最初に4人がそれぞれ、自身のスタートに対する考え方や、どんなスタート練習をしていたか、という話を10分くらいしました。次に4人が揃って、川本監督からの質問を受けるトークショーの形で話が進み、最後にフロアからの質問にも答えてくれました。4人の違いがよく現れて面白かったです。

 どう違うかを説明するのは難しいです。相当量の情報を川本監督が引き出していますし、技術的な話にプラスして感覚的なところの話になっていました。下手に説明したら間違って伝えてしまいます。
 1つ勉強になったのは2つのタイプのスタートがあること。「ボルトみたいに腰をねじって出る選手と、ねじらずに前へ出す選手がいる」(川本監督)のだそうです。伊東監督が「1歩目は右に出て内側に入っていく」と話したときにその話題になりました。杉本教授も「腰をねじって出したかった」と言います。
 懇親会の時にもう少し上の世代の何人かの名スプリンターの方たちが話していましたが、当時は(30年くらい前)は、ねじるスタートはしなかったそうです。
 もう1つ書いて問題なさそうなのは「ピストルの音を耳で聞いていなかった。皮膚で聞いていました」という話です。男子の3人はその点で一致していました。二瓶さんは「耳で聞いていました」と話し、川本監督も「男子は違う」と感心されていました。

 全体を通じて感じたのは先ほども書いたように、4人それぞれやり方があったんだな、ということです。ヨーイのときに重心をかけるポイントなど共通点もあり、根底では同じなのかもしれませんが、アプローチ法は4者4様でした。

 つづいて一般発表が9つありました。我々記者にとって一番ありがたかったのは、「女子400mハードル曲走路におけるハードリングの検討 ―久保倉里美、青木沙弥佳が世界で活躍するために―」というタイトルの発表です。久保倉里美選手自身がステージに立って話してくれました。
 課題をかなり具体的な数字で挙げて説明してくれていたので、今季のレースではそこがどうだったか、という視点で取材ができそうです。ただ、かなりの機器を使って測定してわかるデータなので、レース直後に選手が振り返ることは難しいかもしれません。突っ込みどころの1つ、くらいのつもりでいれば問題ないでしょう。
 一般発表の中に小学生を扱ったものが3つもありました。これもいい加減なことは書けませんが、個人的な印象では以前よりもその分野の研究が増えているような気がします。

 懇親会にも出席さていただきました。面白い話をたくさん聞くことができて、面白かったです。
 まずは現役選手の情報です。中大の豊田コーチから飯塚翔太選手が今年は、100 mにも積極的に出場することを教えていただきました。去年はシーズン終盤に1試合出ただけ。今年は4月8日の中大・日体大戦で100 mに出ます。春季グランプリは静岡国際の200 m。そこでA標準を狙います。
 中大からミズノに進んだ川面聡大選手は織田記念の100 mと静岡国際の200 m。昨年は関東インカレ2冠や世界選手権代表入り。ブレイクしたシーズンでしたが、世界選手権の補欠以外にもつらい経験をしたようです。その辺は今季、川面選手が活躍したときに紹介したいと思います。

 青学大・安井監督からはOBの城下麗奈選手が頑張っていることをお聞きしました。昨年はケガをしてシーズンを棒に振りましたが、この冬は少しずつ練習ができてきたそうです。
 青学大OBではありませんが安井監督が指導している藤光謙司選手は、新しい所属が決まったとのこと。来週のどこかで発表される予定です。110 mHの昨年の日本リスト1位、佐藤大志選手はもちろんA標準狙いでシーズンインします。

 栃木の栗原浩司先生ともあれこれ話をさせていただきました。まずは同学年の山内健次先生のこと。栗原先生がソウル五輪の100 mと4×100 mR代表で、山内先生が4×400mR代表でした。現役時代は“悪友”だったみたいです。
 山内先生は元々、200 mで高校記録を作った選手でした。日大でも200 mスプリンターとしてならしました。しかし、神戸ユニバーシアードのあった1985年シーズンに不調に陥り、何かの4×400mRに出たところ45秒台のラップで走って、ユニバーシアードは4×400mRで出場しました。それ以降、リレーは4×400mRがメインになったようです。87年には200 mで20秒74の日本記録を作りましたから、4×400mR狙いへの転向は成功だったといえます。
 ところがソウル五輪本番の4×400mRは決勝に行けませんでした。一方、4×100 mRは予選を突破したものの、39秒70とタイムが伸びません。競技日程的に4×400mRの準決勝翌日が4×100 mRの準決勝でした。そこで日本は、4×400mRに出た高野進選手(現東海大コーチ)を4走に、山内先生を4×100 mR2走に起用。2走・山内、3走・栗原の同学年リレーが実現し、決勝進出こそ惜しくも逃しましたが(準決勝1組5位)38秒90の日本新をマークしたのです。当時の日本記録は39秒31。大幅な記録更新で38秒台に突入という歴史的な走りでした。

 山内先生の話のあとは齋藤仁志選手の話題に。栗原先生の次にオリンピック代表となった栃木県出身のスプリンターが齋藤選手です。ということなら4年前にかなり取材を受けたのではないかと思って質問すると、あまり取材を受けた記憶がないと言います。うーん。栃木県のメディアはなんですかね。渋井陽子選手と赤羽有紀子選手が代表でしたから、そちら関係の取材で手一杯だったのか、他競技に有力選手がいたのか。
 それはよくないだろうと、寺田が一計を案じました。聞けば栗原先生は○○○○○のファンとのこと。それは齋藤選手ともつながります。齋藤選手が連続代表になったら栗原先生が○○○○○ファンだと公表します(どこで?)。そうしたら栃木の生んだスプリンター2人が◇◇◇ファンということでつながるわけですね。栃木のメディアもこぞって取り上げるでしょう。

 栗原先生も齋藤選手も筑波大出身です。筑波大といえば川本監督も埼玉大の有川秀之監督も筑波大OB。有川監督は84年のロス五輪の頃が一番強かったと記憶しています。不破弘樹選手(現上武大)に最後で抜かれていましたが、抜群のスタートダッシュでした。
 同じテーブルに松原薫先生(桐蔭学園高)もいらっしゃいました。87年日本選手権優勝者でソウル五輪代表。松原さんもスタートダッシュの速いスプリンターだったので、そういった話をひとしきりしていました。
 そこに二瓶秀子さんがいらっしゃいました。二瓶さんが高校時代は12秒8の選手だったという話が、昼間のシンポジウムで出ていたので、松原先生も高校時代は野球部だったという話に。
 有川監督に「筑波大で一般入試で強くなったのは誰ですか?」とお聞きしたら、川本監督も有川監督も一般入試だったそうです。これは意外です。最近の筑波大で一般入試は……齋藤選手がそうだったかもしれません。違っていたらご指摘ください。

 懇親会の最後に挨拶をされたのが福島陸協か県高体連の専門委員長をしてらっしゃる先生でした。川本監督が福島大に着任されて初代のキャプテンを務めた方だそうです。昨年の原発事故から福島県のスポーツ界が立ち上がっていく過程をお話ししてくださったのですが、やはり、当事者の話には力があります。
 川本監督も昼間の開会の辞で、土と芝生をはいで新しいものにしたと話していました。トラックは高圧洗浄をかけたのですが、それでも線量を考慮して「下を向いてはあはあするな」と指導せざるを得なかったそうです。そうやって福島のスポーツは頑張ってきました。
 今回のスプリント学会でスタートを取り上げたのは、春先ということで、シーズンのスタートを意識してのことだそうです。直接的な説明はされませんでしたが、震災から復興して、ここからスタートだ、という意味合いもあったのではないでしょうか。
 そういえば、以下のようなことを川本監督が挨拶のなかで話してらっしゃいました。
「(震災に対して)この1年でやれたことは人づくりです。短距離は、位置についてヨーイドンでスタートして、決められたところをまっすぐに走る競技。本当に言い訳のない世界です。勝ちたかったら足を速くするしかありません。そういう人を育てれば、福島を、日本を変えていくことができるんです」
 福島のスポーツ人の心意気をしっかりと感じた一日でした。


◆2012年4月2日(月)
 人事異動の季節です。陸上界でも選手、指導者でいくつも動きがありました。寺田の周りではグッシーがそうでした。某新聞社事業部で長らくマラソン運営に携わってきましたが、4月から異動でちょっと違う部署に。今後も海外選手の招聘などには携わっていくようですが、マラソンの取材現場が少し寂しくなりますね。

 グッシーと最初に会ったのは1999年の東京国際女子マラソンでした。山口衛里選手の取材をホテルでできるかとか、そんな話をしたのが最初だったように記憶しています。
 第一印象は超二枚目。一部ではマラソン界の“イケメン仕掛け人”と言われていました。女子選手間でも人気があったはずです。独身なので周囲が面白がって大物女子選手と噂を立てたりしましたが、実際は浮ついたところはまったくなく、身持ちはしっかりしていたと思います。
 しかし、グッシーの本当の特徴は世界と日本のマラソン界に精通していること。高岡寿成コーチも留学中、「アメリカの関係者(エージェントや大会主催者)の間で一番名前を聞いた日本人」だと言っていました。
 そして最高に頭が良い男です。寺田はよく諭されましたね(説教?)。これが本当に鋭い意見ばかりなので、やり込められることがほとんど。同じ社のH元デスクもそうだったみたいですが「オレはそれが嬉しかったりする」と言っていました。寺田もそんなに嫌ではありませんでしたね。H元デスクほどMではありませんが。

 基本的な人間関係をしっかり築ける人間だからなのでしょう。あとは、相手より鋭い意見を言うときの話し方が上手かったのだと思います。相手が嫌にならないように話す。頭が良い人は魅力がありますが、これができない人間とは話す気になりませんからね。ひと言でいえば人柄ということになりますけど。
 ということで、新たな道でも頑張れグッシー!


◆2012年4月5日(木)
 11時から新宿で取材。このカテゴリーの人物をしっかりと取材をするのは、たぶん初めて。同じ陸上業界なので多少は想像できるところもありますが、やはり新鮮さの方を強く感じました。14時頃に取材が終了。取材をしたお2人と一緒にラーメンを食べて、その後、寺田は新宿のカフェで仕事。

 夜は神田に移動してセカンドウィンドAC主催の「嶋原ラストラン、及び、大久保の東京マラソン日本人トップを祝う会」に出席。出席者は50人くらいだったでしょうか。寺田の知っている人たちは新聞社の事業部、テレビ局、メーカー、そしてスポンサーの方々。嶋原さんと大久保選手をお祝いするのが目的で出席しましたが、色々な方たちとお話しができて非常に有意義でした。
 寺田のサイトのメインスポンサーでもある日清ファルマ田中徹さんも出席していらっしゃいました。ご挨拶をして、次はどんなタイアップ記事をしようかという話に。西脇工高の記事阿見ACの記事と、自分でいうのもなんですが、なかなか印象的な記事が書けたと思います。西脇工高も阿見ACも、田中さんが営業活動をされている中で、寺田的に記事を載せるのはどうかと先方に打診して、実現にこぎつけました。田中さんあっての2つの記事なのです。
 次のタイアップ記事ですが、寺田から「○○○選手はどうですか。日本新も期待できそうですし」と、提案させていただきました。実現したらいいですね。

 山本光学のHさん、関西テレビのMさん、朝日新聞のHさんとOさんらと話をしました。東京マラソン事務局長の早野忠昭さん(インターハイ800 m優勝者。筑波大OB)とも。実は今日の昼間取材をした方が、早野さんがボルダーで仕事をされているとき、その下で働いていた方でした。陸上界はつながっています。
 山本光学のHさんと話をしているところに、大久保選手が来てくれました。山本光学が広告に大久保選手を起用しているそうです。雑誌によく登場していることは知っていましたが、そこまで人気が出ているとは知りませんでした。
 寺田も実は大久保選手のキャッチコピーを考えていたので、それを披露しました。単に語呂が良いというだけではなく、大久保選手の人生観も表しています。どんなコピーかは、タイミングを見計らって出したいと思います。マラソンですごい記録を出したときか、競技を引退したときか、結婚をしたときか。

 しかし一番感動したのは、引退された嶋原清子さんが川越学監督宛の手紙を読み上げたときですが、その前に、前振りがあったことを紹介しておきます。関西テレビが製作したVTRが上映されましたが、ラストランの大阪国際女子マラソンを中心に編集した内容でした。
 師弟の絆の強さを一番強調していたと記憶していますが……ちょっと自信がありません。寺田の日記でも紹介したように、大阪では川越監督が嶋原さんのフィニッシュに間に合いませんでした。沿道に応援に出て、渋滞に巻き込まれてしまったのです。前日は「嶋原がゴールしたら泣いちゃうかもしれない」と言っていた川越監督が、フィニッシュを見られず泣く気分になれなかった。
 それを関西テレビはしっかりと映像に撮っていたのでした。川越監督にカメラ(たぶんハンディ)が密着していたのです。そして嶋原さんもフィニッシュして、辺りを見回して川越監督を探している様子がわかる映像なのです。この辺はテレビのすごさですね。我々ペンメディアには真似できません。
 これが素晴らしい前振りになりました。嶋原さんが手紙を朗読している最中に、川越学監督が涙を流したのですから。手紙の内容も感動的で、Hさんなどは「この2人ほど強い絆の師弟はいるだろうか」と知り合いにメールを送りました。

 とっても参考になる話もありました。実業団の女子選手にとってという意味です。嶋原さんが高見澤勝佐久長聖高監督(当時日清食品グループか、佐久長聖高コーチ)との交際を初めて報告するとき、次のように川越監督と話したそうです。
「アルバカーキでミーティングをしたときでした。いつものように川越さんが『ほかに何かある?』と言われたのに対し『川越さんと同じくらい好きな人ができました。真面目におつき合いしたいと思っています』と切り出しました」
 これって、使えると思いませんか。「監督と同じくらいに好きな人ができました」。殺し文句ですよ、間違いなく。こう言われて反対できる監督はいないでしょう。
 ……と最初は思いましたが、待てよ、と気づきました。監督から「オマエ、俺のことそんなに好きじゃないだろ」と言われたら使えません。つまり、選手が「監督と同じくらいに」と言ったときに疑念が生じるような関係ではダメだということです。選手と監督に強い絆があって初めて使える台詞なんだと思い直しました。
 嶋原さんと川越監督だから成り立った会話といえるでしょう。真似をして大丈夫なのは、同じくらいの師弟関係を築いている自信のある選手だけです。

ここが最新です
「祝う会」のあとは2次会もあったのですが、寺田は遠慮させていただいて、神田のカフェで仕事をしました。いくつか急ぎの案件もあったので。
 そこでは書きかけていた柏原竜二選手の富士通入社記事を仕上げて、サイトにアップしました。この記事を書いてから、先週の日本スプリント学会のときに吉田真希子選手(東邦銀行)が話してくれたエピソードを紹介したかったのです。

 記事のおさらいをしておきましょう。福島県出身の柏原選手が富士通に入社したことで、同県出身の同学年の人物3人が、柏原選手と直接的に関わることになりました。1人目は高校時代(いわき総合高)の佐藤修一先生(4月から田村高)、2人目は東洋大の酒井俊幸監督、そして3人目がマラソン前日本記録保持者の富士通・藤田敦史選手。
 以下は記事からの抜粋です。
 佐藤修一先生は福島県期待の中距離ランナーだった。大学4年時の日本インカ800 mでは2位になっているが、日本代表レベルまでは到達できなかった。福島県で教員となり、柏原のほかにも撹上宏光(駒大。1万mで五輪B標準突破)ら有望選手を何人も育てている。
 酒井監督はコニカミノルタでニューイヤー駅伝に何度も優勝。その後地元に帰って学法石川高の先生となり、そこで高校生の柏原と同じレースを走った。柏原が酒井監督の母校の東洋大に進学したのは、酒井監督の大学時代の恩師である佐藤尚コーチ(スカウト担当)の勧誘があったからだ。柏原が1年時に部員の不祥事があって川嶋伸次前監督が引責辞任。後任に酒井監督が就任したのは運命的だった。


 この3人と同学年だったのが、400mH前日本記録保持者の吉田真希子選手です。
 学年間のヨコのついながりができたのは、中学時代から福島国体(1995年)に向け、月に1回くらいの頻度で合宿が行われていたことが大きかったそうです。藤田選手と酒井監督はどちらかというと長い距離の選手だったのでそれほど参加していなかったようですが、中距離の佐藤先生や、学法石川高(地元では“ガクセキ”と呼ぶようです)で酒井監督と同期の迎忠一現コニカミノルタ・コーチらは、ずっと一緒だったようです。
「同じ釜の飯を食べた仲というか、仲間意識が強かったです」。ちなみに吉田選手もその頃は中距離をメインに走っていたと記憶しています。
 しかし、その学年で実際に福島国体に出られたのは吉田選手1人だけでした。大学1年生のシーズンですから、カテゴリーでいうと成年Bです。今はありませんが、高校卒業後1、2年目の年代です。成年共通種目にも出場できますが、年齢的に厳しいタイミングでした。
 その福島国体400mH予選で吉田選手は転倒し、決勝に進めませんでした。「このままでは終われない」と奮起し、400mHで日本記録を何度も更新し、世界選手権に出場するまでの選手に成長したのでした。この学年の運命的な巡り合わせの1つだったと思います。

 そういったヨコのつながりで佐藤瑞穂さんとも仲が良かったといいます。日女体大時代に日本インカレ5000mWで3、4年と連続入賞。「学生の頃につき合っていると聞いて、『そうなんだ!』と思いました」と吉田選手。佐藤瑞穂さんは現在の酒井監督夫人です。正確には酒井瑞穂さんですね。
 酒井監督が学法石川高の先生だった頃のエピソードも話してくれました。吉田選手は県内の高校の試合を見に行くのが好きで、そこで酒井監督が生徒たちに話をしているところに何度か出くわしたそうです。
「心の機微に沿った指導をしているな、と思いました。一方的で高圧的なところはなく、選手の反応を待って話していました。人柄が出ているな、と感じましたね。子供たちとの信頼関係ができているからできたのでしょう。『良い指導をしているね』と声を掛けると照れていましたけど」

 ここ3年間は正月の箱根駅伝を見ると、「すごく元気をもらって、やる気満々で外に走りに行く」そうです。そんな話を懇親会のときにしてくれました。
 その吉田選手も今年で36歳。なかなかトップレベルに戻れないのが現状ですが、今年もまだまだ、本気で現役選手をまっとうします。学会のパネルディスカッションでは「昨年はアスリートとして何もできなかった1年でした。アスリートは結果を残すのが一番の幸せ。自分が幸せになることで、福島に元気を発信したい。今季はもう一度日本で戦えるようにします」と宣言しました。
 後輩の久保倉里美選手と青木沙弥佳選手が五輪標準記録を破っている女子400mH。田子雅選手、三木汐莉選手、矢野美幸選手と若手にも勢いがあります(野村有香選手は100mH中心と聞いています)。現実的に見てそこに加わるのは、ちょっとやそっとではできないでしょう。しかし、吉田選手がやると言っている以上、注目したいと思います。福島を元気づけてきた学年の最後のオリンピック挑戦ですから。

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