続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2005年9月  つくばエクスプレスは誰?
寺田的陸上競技WEBトップ

最新の日記へはここをクリック

◆8月27日(土)
 17時から北海道マラソンの開会式がありました。16時には大会本部ホテル着。受付で金哲彦さんとお会いしたので、しばらくヘルシンキのことやら、ネットの有効な利用法やら、その他いろいろと話をさせていただきました。
 開会式前に小森コーポレーションの若倉監督と、北海道文化放送の近田誉アナが一緒に会場にやってきました。若倉監督が法大、近田アナが明大競走部の出身。聞けば、近田アナが大学3年、若倉監督が4年の時の東京六大学1500mで対決したとのこと。若倉監督が3位、近田アナが6位だったそうです。
 大塚製薬・河野監督、くろしお通信・松浦監督とも話をしました。共同通信・宮田記者、中日スポーツ・井上記者も一緒です。宮田記者のギャグは、封印しましょう。河野監督には一昨日に電話でヘルシンキのことを取材したばかり。松浦監督には、ヘルシンキの大森輝和選手の失速の原因を聞きました。
 予想通り、先頭を独走したときのペースが速かったのではなく、引っ張っているときの走りに力みがあったのだろうということです。そして、集団に追いつかれたときにも、一気に硬さが出てしまった。集団が5000mを13分50秒くらいで通過するペースが、大森選手と松浦監督が考えていた最適ペースだったようです。仮に、スローペースの集団についていたら、28分台前半では走れたと思われますが、中盤以降のどこかで一気に離される“いつも”の展開になっていただけだったでしょう。
 その他には、1万mの27分台選手を持つチームの監督2人ですから、そのあたりの話も少々。

 明日の一番のみどころは、千葉真子選手と嶋原清子選手の再戦だと思って、この記事を書きました。現時点の材料(過去の経緯など)で、そう思われるということで、実際に何が面白くなるかは、蓋を開けてみないとわかりません。展望記事とは、“その時点で面白いこと”を書くしかないのです。
 その他、メンバーを見ていくつか、面白い組み合わせや共通点もあります。
 市橋有里選手と佐藤信之選手は、99年のセビリア世界選手権のメダリスト同士。男女のマラソンが同時に行われるのは、国内では北海道くらい。恐らく、セビリア以後、2人が同じマラソンを走るのは、初めてじゃないでしょうか。トラックでもあったかどうか。
 佐藤選手はこの3月までは旭化成の選手でしたが、現在はトヨタ紡織のコーチ。千葉真子選手もご存じのように元旭化成。“元”と“現”の旭化成選手が多いのも、今大会の特徴でしょう。“現”では佐藤智之選手、小島宗幸選手、渡辺共則選手、“元”では前述2選手に藤川亜希選手がそうです。佐々勤選手も現在は、競技部とは別に活動しています。千葉選手は“元”小出義雄監督門下でもあり、堀江知佳選手や疋田美佳選手と一緒にやっていた選手が多いと、雑談中に話していました。

 山梨学院大を卒業したばかりのモカンバ選手は、ヘルシンキで先輩の尾方剛選手が銅メダルをとって、刺激となっているでしょう。ジェームズ・ワイナイナ選手は、仙台育英高の後輩のサムエル・ワンジル選手が1万mで26分41秒75のジュニア世界新を出し、こちらも刺激となっているはず。ただし、若倉監督によれば、5月にヒザの脂肪を取り除く手術をしたのだそうです。それでも、その後の練習は順調。明日は前半から飛ばすかもしれません。
 故障明けと言えば、パリ世界選手権以来となる松岡理恵選手も、どんな走りをするのか楽しみです。


◆9月10日(土)
 ただいま長野新幹線の車中です。昨日、今日と菅平重川材木店の夏合宿の取材でした。菅平は初めて。泊まったのはロッジすずもと野口みずき選手もよく使用しているようで、廊下にはこんな色紙が飾ってありました。よく見ると、広瀬コーチが野口選手のイラストを、野口選手が広瀬コーチのイラストを描いています。
 8月の北海道、9月の菅平は実業団長距離チームの合宿メッカ。同じロッジにホンダ、SUBARU、アコムが泊まっていましたし、練習ではスズキ、愛三工業、愛知製鋼、中央発條、ヤマダ電機、スターツらの実業団勢のほか、日体大、専大、東海大といった関東の学生選手たちを見かけました。日体大・別府監督も元気そうです。
 駒大も今日から菅平入りするとか。昨年もそうでしたが、今年もシーズン前半のトラックではパッとしなかった駒大。ユニバーシアードに3人の代表を送った東海大とは対照的でした。ですが、風の噂では駒大陣営に焦りは見られないとか。このあたり、今季の焦点の1つだと思っています。
 今日の昼間は日射しも強くて気温もそこそこ上がったと思いますが、1300mの高原はやっぱり涼しい。夏の北海道でもいつも感じることですが、季節限定で仕事場を丸ごと移せたらいいのに、と。まあ、言ってもせんないことですが。

 2週間、日記を書けませんでした。1日平均、300行の原稿を書かないといけない期間があって、でも結局そのペースは守れず遅れ遅れになって、また次の締め切りが来て、ということが繰り返されて、なかなか大変でした。8日に陸マガ10月号の最後の原稿を書いて、昨日から菅平取材という流れです。その間、北海道マラソンで日記用のネタがあったと思うのですが、残念ながらよく覚えていません。本サイト用に記事は書きましたが、もう1本ネタがあります。夏期休暇(!!??)前に書けたら掲載します。
 先週は筑波大で日本陸上競技学会。2日間開催の学会ですが、時間がなくて2日目だけの取材に。受付担当は女子短距離の植竹万里絵選手や、やり投の中野美沙選手ら豪華な顔触れ。報道受付はさらに超デラックスな人選で、マリナーズのイチロー選手。かと思ったらISHIRO!記者でした。筑波大OBで今学会の広報担当者。広報は報道の立場を理解していないと難しいところもありますので、記者が務めることもよくあります。
 室伏広治選手の講演と、谷川聡選手の発表を見学しました。室伏選手は予想以上に細かいデータを提示してくれましたし、ハンマー投の動きと共通点の多いという投網を、実際に壇上で投げてみせるなど、普段は見られない“研究者”としての一面を見せてくれました。質疑応答にも、興味深い話をたくさんしてくれました。
 谷川聡選手は筑波大の学生選手の動きを、実例として見せての研究発表。成迫健児選手、大橋祐二選手、長谷川充選手ら学生トップ選手の走りやハードルジャンプ、データ測定をその場で見せながらの説明は、説得力がありました。内容も、我々素人でも鋭いな、と思える点が多々あって、面白く拝聴させていただきました。
 2選手の発表内容を、簡単に紹介できたらいいのですが、これも時間的に厳しそうです。

 両選手の発表は午前と午後。昼食は、筑波大OBの陸マガ高橋次長と、静岡のラジオ局の秋山アナ(女性)と3人で、近くのファミレスに行きました。何を隠そう、これこそがつくばに行った最大の目的でした。
 つくばのファミレスは、つくばという土地の置かれた状況から、東京では考えられないような目的に使用されている、と以前、ISHIRO記者から聞かされました。部内では怖がられている先輩が、ファミレスでは女性とデートをしてデレデレしている、というような例を挙げていたのだったと記憶しています。それで、ファミレスをデートに使うべきかどうかで、3年ほど前だったでしょうか、ファミレス論争が勃発したのだったと思います。今日のネタとその論争とは直接関係がありませんが。
 ご存じのように8月24日につくばエクスプレスが開通しました。秋葉原からの所要時間が約45分。実際に乗ってみて「筑波がこんなに近くなったのか」と感動しました。これは、つくばと東京が近くなって、つくばにおけるファミレスの果たす役割が変わるのではないか、という仮説を立てました。それを検証するために、昼食をファミレスでとることにしたわけです。
 トラックから5〜7分の距離にあるデニーズに行きました。アコムの平野コーチがいました。「つくばオリジナルメニューはありますか」という寺田の問いかけに、ウエイトレスのお姉さんが笑って「ないんですよ」と答えてくれたのは、嬉しかったですね。ちなみに、全国同じメニューのようです。以前、姫路であるファミレスに行ったら、東京とメニューが違ったことがあったのですが。たまたまメニューを刷新した直後に行ったのかもしれませんけど。
 肝心の「つくばエクスプレス開通で、つくばのファミレスの果たす役割が変わったのではないか」という崇高な仮説は、検証できませんでした。当たり前ですよね。1回行っただけで、わかるはずもありません。選手の気持ちを理解するために、その競技をやってみる、という企画のお粗末さと似ています。自分の人生を懸けて全力で取り組んでいる選手と、素人が試しに、ちょっとだけかじってみるのでは、立場がまったく違う。その競技における体力も技術もまったく違います。選手の気持ちになれるわけがありません。でも、やらないよりは、やってみた方がいい?


◆9月11日(日)
 昨日、今日と日本学生チャンピオンシップが平塚で開催されていましたが、昨日は菅平で取材、今日は締め切りがあって取材に行くことができませんでした。せっかく近場で開催されているのに残念です。日本学連のサイトで成績をチェックすると、メンバーもいまひとつですし、コレという記録は出ていません。その中で目を引いた種目が男子三段跳でした。鹿屋体大の藤林献明選手が、関東・日本両インカレ覇者の梶川洋平選手(法大)や、トワイライトゲームスで15m96の自己新を出したばかりの竹内選手(早大)を破って優勝。手元で確認できる資料では、16m13(+1.1)は自身初の16m台です。今季学生最高? ですよね。九州学生歴代2位でもあります。
 もう1人は、トワイライトゲームスの300mの記事@男女300mで学生最高!! で言及し、谷川聡選手の日本陸上競技学会の発表でも活躍した長谷川充選手(筑波大)。200 mに20秒89(+2.1)の好タイムで優勝しています。

 筑波大といえば、「筑波大400 mブロックは、黄金時代を超えたか?」をエッセイとして書かせていただきました(まだ途中ですけど、エッセイと言っていいのかどうか?)。なんで筑波大を取り上げたかといえば、日本陸上学会の取材の際に開通したばかりのつくばエクスプレスに乗ったからですが、世界選手権からずっと、筑波大の400 m&400 mHを取り上げたいと考えていたのです。
 というのは、ヘルシンキでは成迫健児選手が4×400 mRで失格していました。陸マガ次号の「データで見るヘルシンキ世界選手権・日本編」(タイトルは変更されている可能性あり)で、日本リレーチームの世界選手権での失格が*******だと書いていますが、その際、過去のデータを見ていてOBを含む筑波大選手が4×400 mRを走ったのは、1983年の第1回ヘルシンキ大会以来だと気づいたのです。しかも、4人のメンバーのうち3人が筑波大。それで、このネタをいつか書こう、と思いつきました。
 実は石原未来 日本生還記念として書くことも考えていました。インターハイ走高跳優勝者で筑波大OBの石原さんが、昨年TBSに入社して、ヘルシンキでものすごいハードワークをこなしていたからですが、世間的な話題としてはつくばエクスプレスの方が上かなと思って。でも、どちらにするか、相当に悩みました。

 実は陸マガの高橋次長も筑波大OB。跳躍ブロックで、あの村木征人先生の教え子です。これはずいぶん以前に書きましたが、彼は入社してしばらくは、コーチングクリニックの編集部員で、当時陸マガ編集部にいた寺田とは、なぜか席が隣合わせでした。インカレで筑波大の成績がよかったり、OBを含む筑波大選手が活躍したら、寺田が缶コーヒーをおごっていました。逆に、成績が悪かった場合は、おごってもらっていました。おごる、おごらないの判断は寺田がしていましたが、彼がおごった回数の方が多かったような気がします。
 そのくらい、母校の伝統づくりに関わってきた自負が、高橋次長にはあったのです。決して強い選手ではありませんでしたが、キーボードのタイピングの速さは筑波OBで一番でしょう。日本陸上競技学会のときも、メモをノートに取るのでなく、愛機の白いパワーブックに目にも留まらぬ速さで入力していました。それで、つくばエクスプレスと呼ばれて……ではなく、高橋次長と成迫選手と石原さんと、いろいろ重なってエッセイを書くモチベーションになった次第です。


◆9月12日(月)
 明日から4日間ほど休む予定なので、今日締め切りの原稿を2本書き上げ、段取りも精力的にこなし、夜には陸マガ編集部に行って10月号を入手しました。よく働いたと思うのですが、書いている途中の大作原稿が書き上がらず、明日の移動中に150行書かないといけません。

 陸マガ10月号は盛りだくさんの内容。前号で大会3日目まで掲載した世界選手権は、この号で詳報していますし、国際大会としてはユニバーシアードアジア選手権もあるし、全国大会の全日中もあります。もうちょっと分散して開催されて欲しかった、というのが、作り手側の視点に立った感想です。表4(裏表紙)を含めて全部で288ページというのは、(バブルが弾けたあとの)近年では最多ではないでしょうか。別冊付録がつく号もあるので、単純な比較はできませんけど。

 人物ものやインタビュー記事も多数、掲載されています。世界選手権で活躍した為末大選手、尾方剛選手、沢野大地選手はもちろん、ユニバーシアード金メダルの成迫健児選手も。試合報道や人物もの以外では、中国電力室伏広治選手の企画が面白そう。「中国電力の強さの秘密」と題された4回連載の企画は、寺田が担当しました。1・2回目は坂口泰監督が広島陸協発行の「広島陸上競技研究」に寄稿した論文「油谷繁、アテネ五輪5位入賞までの軌跡」の要約ですが、今回の尾方選手の銅メダル獲得を踏まえ、捕捉取材をさせてもらった内容を、サブの記事として付けてあります。
 室伏広治選手の企画は、企画というよりも日本陸上競技学会で発表した模様の紹介です。昨日の日記で紹介したように、高橋次長が目にも留まらぬ速さのタイピングで、会場でメモを取っていました。図表までメモをしていたとは驚きです。

 陸連時報には、世界選手権での日本選手の戦いぶりを、強化委員会として振り返っています。当然、陸連としての評価も織り込まれているはず。いつもは必要な情報を得るために読むことが多いページですが、今月号のように読み物として面白いときもあります。
 箱根駅伝ファンには、駒大・日体大・順大・東海大の夏合宿の記事が面白いはず。箱根駅伝ファン以外も読んで欲しい。これも最近の日記で書いたと思うのですが、シーズン前半のトラック振るわなかった4連勝中の駒大と、ユニバーシアードに3選手を送り込んだ東海大。対照的な両校の指揮官のコメントなど、要チェックでしょう。

 明日は5時起床。7時半のスカイライナーで成田に行き、東南アジア某所に。移動の間に150行ですけど、書く内容はイメージできているので、なんとかなるはず。休暇期間中にも450行原稿を2本書かないと、帰国後がやばくなります。休むのも大変です。


◆9月13日(火)
 ベトナムのホーチミンのホテルです。3泊4日の夏休みでT氏と久しぶりの家族旅行。台北で中華航空を乗り継いで、16時前にホーチミンに到着。夕方にはホテルから数百mの距離にあるサイゴン川沿いのトンドゥックタン通りで、この写真を撮りました。陸上競技マガジン10月号が、ホーチミンにあったという証拠写真です。表紙の金丸祐三選手は、先のアジア選手権400 mに優勝したばかり。昨年までは“浪速の金丸”でしたが、今年は6月の日本選手権に優勝して“日本の金丸”に。そしてアジア選手権も制して“アジアの金丸”に。ちょうどいいタイミングかな、と考えた次第です。
 ところで、陸マガがベトナムの地に持ち込まれたことが、過去にあったのだろうか? などと思いを巡らしていたのですが、夕食に行ったホテル近くのレストランは日本人だらけ。同じフロアに22人の客がいましたが、そのうちの19人が日本人でした。これだけ日本人が来ているのなら、陸マガもすでにベトナム上陸を果たしている可能性はあります。でも、発売日前に持ち込まれたことは…。

 ベトナムまでの空の旅は順調でした。スーツケース(キャスター&取っ手付きのキャリーバッグ)も信じられない軽さ。成田空港で中華航空のカウンターでチェックインしたときは、余裕のヨッちゃん。10.4kgで軽くパスしました。いつも重量超過に悩む吉田真希子選手に、そのときの様子を見せたかったですね。
 タンソンニャット国際空港を出ると、HIS現地オフィスの仕事を委託されているベトナム人が出迎えてくれました。たぶん、こんな経験は初めて。人数は僅か4人ですが、市内まで車で送ってくれました。その分、足代が節約できたのですが、迎えは要らないから安くしてくれよ、というのが本音。市内までの足代は、それほど高くないんです。
 ただ、そのベトナム人、ペラペラらではないですけど、日本語が話せて、松健サンバまで歌えます。思わず「高健(高橋健一)も知っているのか?」と突っ込みそうになりました。

 順調でなかったのは原稿です。昨晩、40行原稿を仕上げたのですが、1時間睡眠(5時起床)で成田に向かい、成田空港では書きかけの大作原稿に集中していました。携帯がvodafoneの第三世代だから、外国でも送信できると安心していたこともあります。台北の乗り換え時間の1時間弱で送信しようとしたら、ネットに接続はできているのに、メールが送信できません。時間ギリギリで、原因ははっきりしませんが成功して事なきを得ました。
 台北からホーチミンの機中で大作原稿をやっと仕上げ、ホーチミンのホテルに落ち着いたら送信……しようとしたら、ここでもネット接続に一苦労。vodafoneは音声通話はできるのですが、データ通信ができない国でした。そうなったらniftyの国際ローミングがあるさ、と油断していたのが間違い。アクセスポイントがベトナムにはありません。もちろん、LAN接続は無線も有線もありません。
 さあ、大ピンチ。せっかく書いた原稿が送れないのです。最悪、隣のタイか香港の接続ポイントに国際電話をかける方法があります。以前一度、東ヨーロッパのザグレブでやったことがありますが、さすがに何千円と電話代を払った記憶がありますね。
 ここで慌てず、吉田真希子選手ならどうするだろう、と落ち着いて考えたことが成功しました(オヤジのときどき日記/アジアグランプリ編参照)。一応、中級ホテルということで、1階にはビジネスセンターがあります。そこに行って相談すると、ホテルがネット接続ポイントを持っていて、そこに部屋からダイヤルすれば、接続料金は各部屋に課金される仕組みになっていました。ベトナムもやります。ビジネスセンターのお姉さんも親切(で、ちょっと美人)。
 しかし、接続ポイントのはずの番号にパソコンからアクセスすると、なぜか女性が電話に出てしまいます。「ダメだったら内線で電話して」と言われていたので、ビジネスセンターにさっそく電話。すると、「しばらくしたら部屋に行くから」との回答。しかし、1時間くらい待ってもお姉さんは来ません。まあ、その間に原稿の手直し作業ができたのですけど。
 仕方がないのでもう一度、こちらからビジネスセンターに出向きました。お姉さんは“あっ、そうだった”という表情をして平謝り。まあ、忙しくて忘れることもありますし、腹を立てることでもありません。その場で、教えてもらった番号で試すと今度はビジー状態(話し中)。別の番号に電話をしたら、簡単につながりました。吉田選手のおかげで、無事にネット接続ができているホーチミンの夜です。


◆9月14日(水)
 昨年のアテネ五輪後のことです。陸上競技担当記者たちは、示し合わせたように休暇を取りました。オリンピックまで馬車馬のように働いたのですから、当然といえば当然。朝日新聞・金重記者は、五輪前に野口みずき選手を取材したサンモリッツに、奥さんと一緒に行きました。毎日新聞・ISHIRO記者はギリシャの島と、帰路の飛行機乗り継ぎ都市であるバンコクに。そういったなかで寺田が「やるな」と思ったのが、東京スポーツ・坂庭記者の日露戦争古戦場巡りでした。昨年は日露戦争からちょうど100年というタイミングだったのです。昔の漫画の主人公のような顔をしていますが、実は知性派なんですね。
 寺田が休暇の旅行先にベトナムを選んだのは、ベトナム戦争終戦(1975年)からちょうど30年というタイミングだったから。ライバルの坂庭記者に対抗するには、ここしかないでしょう。今回、どこを観光しないといけない、というこだわりはなかったのですが、ここだけは外せないという場所が戦争証跡博物館外観写真)でした。

 外には戦車、戦闘機、大砲などの兵器が置かれています(写真)。たぶん、当時使われていた本物でしょう。間近で見ると、テレビなどを通してみるよりも迫力があります。しかし、本当に見るべきは、当時の写真の数々でした。爆撃で廃墟と化した街は、よく見る絵柄ですが、老若男女の別なく累々と横たわる死体の数々、捕虜や民間人に銃口を押しつけている兵士、枯れ葉剤など化学兵器の影響で奇形となった人々。目をそむけたくなる写真ばかりでしたが、ベトナムに来た以上は、見ておくべきだと思って最後まで見続けました。日本人観光客ばかりが目に付くホーチミンですが、ここではアメリカ人と思われる観光客が多かったですね(写真)。なかには、目を真っ赤にした女性もいました。
 陸上競技だけとはいえ、報道に携わる身です。写真の重要性は理解していたつもりですが、その思いを今日は新たにさせられました。入館料は1万ドン、つまり70円ですが、この値段でこれだけのものが見られるとは、なんと言っていいのかわかりません。

 今日は朝食後、本サイトのメンテをして、それからホテル近くの……表現が難しいのですが、観光客向けショップとでも言いましょうか、そこに行きました。アオザイのオーダーメイドをする家族T氏のお供です。T氏のお姉さんの分もして、ちょっと時間がかかりました。明日の夕方にはできるそうです。
 それから、前述の戦争証跡博物館に歩いて向かいました。2kmもない距離です。シクロ(三輪の自転車で前部分が椅子になって客が座る乗り物)を利用するのも味わいがありますが、料金トラブルが日常茶飯事ということなのでパス。通常のタクシーや、バイクタクシーも、信用できる筋で頼まないと、ほぼ間違いなく正規料金よりふっかけられます。街で声を掛けてくるケースは、絶対に乗らない方がいいようです。
 ホーチミンの道路は、バイクが圧倒的に多くて(写真)、その中を自動車と自転車がちょっとだけ走って行きます。排気ガスがきついので、マスクをしている女性の姿が目立ちますね。ヘルメットなし、2人乗り・3人乗りは当たり前。信号も、大きな通り同士の交差点以外はなく、よく事故が起こらないな、と思っていたら1件、自動車とバイクの接触事故を目撃していまいました。
 昨日の夕方、サイゴン川沿いのトンドゥックタン通りに行ったときは、どうやって道を渡るの? という状況でしたが、今日は少しだけ馴れてきました。バイクの運転手たちが歩行者を避けるやり方などがつかめてきて、コツがわかってきました。
 歩道にはどこも、バイクが駐車してあって、とても歩きにくいです。排気ガスも多いですし、ホーチミンは市民ランナーには厳しい環境だと感じました。元々、暑すぎる場所ですし、長距離の強化には不向きでしょう。

 インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)は19世紀からフランスの植民地支配が続いた地域。戦争証跡博物館に歩いていく際にも、市民劇場(かつての国会議事堂)や聖マリア教会こんな建物と、その名残が街中のあちこちに感じられます。戦争証跡博物館の帰りには統一会堂(南ベトナム時代の大統領官邸)にも寄りましたが、こちらは特に、これと感じたものはありませんでした。地下の構造が、戦時下の為政者の苦労を偲ばせたくらいでしょうか。
 一度ホテルに戻って、フットマッサージに行きました。1時間で12米ドル。探せばもっと安いところもありそうですが、日本の相場を考えたら格安料金。夕食はベトナム名物のフォーを食べに行きました。小麦粉ではなく、米から作った麺がおいしかったです。2万4000ドンですから、約170円。夕食後はカフェに場所を移して原稿書き(写真。外に写っているのは市民劇場)。ベトナムコーヒー1杯が2万ドンだったと思います。
 昨日、キャリーバッグの重さが超過追徴料金の心配がない重さだと書きましたが、それでも10.4kgあったのは、原稿を書くための資料をそこそこ持っていたからです。300行が1本と、450行を1本。書けたらいいなあ、と思っているのですが、ちょっと観光に時間をかけすぎて、このペースでは無理ですね。
 観光は戦争証跡博物館だけにして、あとはカフェにこもるのが当初の予定でしたが、いざ、その地に来ると、だめですね。大作原稿2本のほか、ミステリーを1冊、陸上競技専門誌を1冊、カフェで読もうと思っていたのですが。
 明日の観光はホーチミンの博物館と市場に行くのにとどめて、あとはカフェにこもりましょう。カフェでの原稿書きはもはや、外国での定番行動です。フランスらしい雰囲気の店を見つけられるといいのですが。

 カフェでは円盤投合同練習会の記事を書き上げました。
 ホーチミンの飲食店は、深夜まで営業している店も多く、この辺もフランス文化の影響でしょうか。それとも、アジアは元々、そういう傾向があるのか。02年アジア大会の取材で行った釜山もそうでしたね。それでも、今日行ったカフェは22:30閉店。その後、近くのシェラトン・ホテルに。1泊3万円くらいの超高級ホテルです。ロビーに隣接したバーの生演奏を聴きながら、今日の日本経済新聞を読みました。フロントの人間もまさか、目の前で堂々と新聞を読んでいる日本人観光客が実は、はす向かいの中級ホテル(それでも1泊7000円くらい。昔は高級ホテルだったと思われます)に泊まっているとは思わないでしょう。
 23時にはホテルに戻って3時まで原稿書き。


◆9月15日(木)
 ホーチミンであれ? っと思ったことの1つに、“スタッフの多さ”が挙げられます。どの場所でも必ず、必要以上の人数がいるように感じました。
 寺田が泊まっているホテルは80室くらいの中規模ホテルですが、ホテルのドアマン兼ポーターが常時4〜5人はいます。当然、仕事はそれほどありません。毎回、そんなことしなくてもいいのに、と思うのですが、丁寧にドアを開けてくれます。今日の午後に行ったカフェは、室内10卓、屋外8卓くらいでしたが、ウエイター&ウエイトレスが5〜6人。実は今晩は奮発してフランス料理のレストランに行きましたが、20卓くらいのフロアに8人のウエイター&ウエイトレスでした。
 昨日行ったフットマッサージも、今晩行った宿泊ホテルのボディーマッサージも、従業員がわんさかいます。HISの現地契約旅行会社も、スタッフがあり余っている感じでした。家族T氏が行った民芸品店でも、スタッフ1人がずっと付いて来て離れない親切さだったとか。余剰人員がいるのに、リストラがないわけです。これはやっぱり、社会主義国だからだろう、と考えるしか答えは見つかりません。
 今日は市場を歩き回った後、ホーおじさん記念館(ホーチミン博物館といった感じ)に行きました。切符切りのスタッフが閑そうだったので、家族T氏とのツーショット写真の撮影をお願いしてしまいました。

 強引ですけど陸上競技に当てはめると、選手1人に対してスタッフが大勢付くことができることになります。コーチにトレーナーにマネジャー。ドクターや心理学者なんかもサポートとして動員されたりする。そこまでしたら、強くなります。実際、1990年以前の共産圏では、強い選手にそこまで国家が補助をしたのでしょうか?

 昼前後に2時間近く歩き回った市場で、足が棒のようになってしまいました。食事も脂っこく感じるようになり、市場の屋台での昼食、夜のフランス料理のときも食欲が今ひとつ。ちょっと、疲れが出てしまいました。ホーおじさん記念館でも、20分くらいベンチに座り込むありさま。取材でスタジアムを歩き回っているつもりでも、大した運動量じゃないのだと実感しました。
 ホーおじさん記念館までは家族T氏と一緒でしたが、夕方からは別行動。寺田は前述のパリ風カフェで読書。ここでも、外のバイクの流れをバックに陸マガを撮影しました。あまりにも疲れたので、夕食後にホテルのマッサージ・ルームに。


◆9月16日(金)
 朝8時にホテルを出発し、10:50にホーチミン空港発、台北を経由して夜の21時半頃に成田着。無事に帰国しました、と書きたいところですが、ホーチミン空港で体調がおかしくなりました。フライトが約3時間&3時間なので、乗りきることができましたけど。
 体調を崩した原因は、疲れ+食事だったように感じています。頑張るつもりのなかった観光を、現地に行ったら“せっかく来たのだから”と張り切ってしまい、夜も仕事をして寝不足で、そこに安くて美味しいからと食べ過ぎた結果だと思います。


◆9月17日(土)
 夜、腹痛がひどくなり病院に。点滴を打って、少し快方に向かいました。
 ですが、昨日、今日と仕事ができる状態ではなく、進行が予定より4日ほど遅れています。
 でも、ベトナムで読み始めた500ページの文庫本を、体調がよくなると少しずつ読み進み、読み終えることができました。久しぶりの読書でした。


◆9月18日(日)
 六大学かスーパー陸上の前日会見に行く予定が、体調を考慮して休養に。スーパー陸上が終わったら、4日後にはもう全日本実業団ですし。


◆9月25日(日)
 今日まで全日本実業団の取材でした。ホーチミンで書いて以来、久しぶりの日記ですけど、書けなくなるほど忙しくなった経緯は18日までの日記に記しました。

 全日本実業団は今井美希選手の引退試合でした。試合が終了すると青山幸選手ら、一緒に競技をした選手たちが次々に挨拶に。同じミズノの信岡沙希重選手も、自身の競技前にもかかわらず、ピットに飛んできました(写真1)。
 セレモニーが行われ、高校時代も含めると15年間コーチをしてきた阪本孝男氏から花束が贈呈されました(写真2)。続いて、ミズノ総監督の中村哲郎氏からは、1m96の日本記録を跳んだ01年スーパー陸上のときの記念写真パネルが手渡されました(写真3)。
 その後フォトセッション。花束とパネルを手に持ってもらったところをカメラマンたちが撮影します(写真4)。続いて、記録表示板に移動してもらって、「1m96」の数字と一緒に写真を撮らせてもらいました。
 通常のスポーツ報道なら、最初のフォトセッションのときに、いい表情の写真が撮れればOKとなります。引退選手の写真ですから、感情がよく出ている表情で花束を持っていれば、それで十分。しかし、そこは陸上競技。やっぱり、記録(数字)を写真に映し込みたかったので、隣にいた陸マガ高野カメラマンに「記録表示板と一緒に撮る?」と耳打ち。「そうしましょうか」と高野カメラマンも同意してくれたので、今井選手にお願いしました。このあたり、寺田は本職のカメラマンではないので、独断では行動する勇気がありません(そんなことでいいのか)。
 今井選手はちょっとためらっていました。今日、跳んだ記録ではありませんし、本人にしかわからない気持ちの部分もあるのでしょう。ただ、報道する側としては、今井選手を象徴する数字ですから、是非とも撮りたい。再度お願いして、了承してもらいました。
 今井選手のそれまでの表情は、引退する選手の気持ちをよく表していたと思います。感極まったもの、ウルウル系が多かったので、最後に1つくらい和み系があってもいいかなと思って、ハニカット陽子選手のことを聞いたら、表情が和んでくれました。それが、この写真です(写真5)。

写真1
写真2
写真3
写真4
写真5

 女子走高跳表彰式の後に引退会見。その間に、阪本コーチの会見も行われていました。この2つの会見は、記事にしたいと思っています。全日本実業団ネタの日記も、もうちょっと書きたいところです。

 全日本実業団ネタの続きですが、まずは訂正を1つ。スーパー陸上の記事で井幡磨選手の3分43秒28が自己新と紹介しましたが、3分42秒01を7月のナイトオブアスレチックで出していました。陸マガではこの記録が、お兄さんの井幡政等選手の名前になっていたのです。井幡政等選手も今季好調ですから、間違っていても気づかなかったのでしょう。本来、政等選手は長めの距離、磨選手は中距離が強いのですけど。今大会初日の1万mでは政等選手が好走。一時は日本人トップを走っていました。
 スーパー陸上のあった19日の日記で、あれだけ多く好記録が出ると、その全ての選手のコメントを聞くのは不可能に近いと書きましたが……すみません、19日の日記は書いていませんでした。要は複数種目が同時進行する陸上競技は、取材が難しいということです。
 全日本実業団の男子5000mの終了後にも、以下のようなことがありました。カネボウ外舘トレーナーから「瀬戸のユウキも買ってください」と言われて、何のことかわからなかったのです。中村悠希選手の名前と引っかけているのはわかりましたけど。実は、池田久美子選手の話を聞いていて、レースは最後の1000mくらいしか見ていませんでした。
 記録だけを見たら、ケニア選手が5位までを占めて6位から大野龍二、瀬戸智弘、岩水嘉孝と日本選手が続ています。いつものレースが展開したと思われましたが、瀬戸選手だけが3000m過ぎまで、ケニア人の第2集団についたのだそうです。1万mでは大野選手が同じ走りをしていたのですが、こういった部分はレースを見ていないとわかりません。スーパー陸上では、録画したテレビ画面ではタッチダウンタイムは計測できないからと、金丸祐三選手の高校新コメントより、400 mHのレースを見ることを優先しました。

 トラック&フィールドの試合ではどうしても、長距離種目を見るのは後回しになってしまいます。1万mを30分間見続けるよりも、その間に好成績だった選手のコメントを取った方がいいかな、と。特に、タイムレースで弱い方の組は、見逃してしまいがち。長距離は駅伝やマラソンで取材する機会もありますから。
 でも、こういう試合で長距離種目をじっくり見ておくと、駅伝・マラソンが面白くなります。2001年だったと思いますが、岩本靖代選手が女子1万mの弱い方の組で快走しましたし。今回も、時間が許す限りは見るようにして、指導者の皆さんには駅伝に向けた話をお聞きしました。データも、今季詳細リストを野口純正氏から送ってもらっていますので、今すぐ駅伝の展望記事が書ける状態。特に、指導者のコメントを聞けたいくつかのチームは、面白い視点で書けるはず。
 トラック&フィールドの全国大会の取材で、駅伝ごときを結びつけるとは何事か、という非難もあることと思いますが、寺田のなかではトラック&フィールドも駅伝もマラソンも、1つの世界としてまとまっています。同じ選手が走るのですから、つながっていて当然。もちろん、ビジネスとしてもつながっていく部分。全日本実業団では、駅伝も意識した取材をするのは当たり前という感覚です。


◆9月26日(月)
 丸亀から岡山に出て、新幹線で博多に。18:30から開催されるスポーツ講演会「世界クロカンの魅力を探る」を取材するためです。大会アンバサダーの瀬古利彦・エスビー食品監督、谷口浩美・沖電気監督、森下広一・トヨタ自動車九州監督の3人が、クロスカントリーの魅力を語り合うという企画。場所はエルガーラという博多大丸に併設されているイベントホールです。会場の収容人数は600人とか。正直、ちょっと広すぎるんじゃないか、と思いましたが、500人が詰めかけました。
 考えてみたら、瀬古監督は福岡国際マラソンに4回優勝していますし、森下監督は地元福岡の有望チームを率いる身。谷口監督も人気は全国区。当初は、世界クロカンに出場した経験者がゼロでいいのかな、と感じていましたが、今日のギャラリーの多さを見て納得しました。開催地の福岡という事情を考慮した人選だったのです。

 最初にまず、今年のフランス大会やベケレ選手たちを中心に編集された、世界クロカンの紹介ビデオが映し出されました。これが20分間くらいだったと思います。続いて、地元テレビ局のアナウンサーの桐田穣さんが司会役となり、3人から話を引き出す形で進行していきました。この桐田さんが、本当によく勉強しているな、と感じました。クロカンのことはもとより、長距離界のことも、高地トレーニングなどについても、実によく知っている。ヘルシンキにも行かれたということですし。それぞれの話題の時間配分を上手く行い、各アンバサダーの方にも上手く話を振っていました。このあたり、プロだな、と唸らされましたね。
 アンバサダーの3人もそれぞれ、話術に長けているな、と感じました。指導者という職業は、選手を納得させたり、その気にさせる必要がありますから、話すのが上手くなるのでしょう。講演など、大勢の前で挨拶をする機会も多そうです。
 面白かったのが、3人のキャラの違いというか、話が展開する上で自然と、役割分担もできたようです。まず、瀬古監督が口火を切る。多少、行き過ぎた発言をしたり、ボケたりもする。それに森下監督が鋭い突っ込みを入れる。谷口監督がまとめたり、話題を転換したり。まとめ役は、瀬古監督がすることもありました。とにかく、3人とも笑いをとるツボを押さえていて、会場は終始、笑いに包まれていました。このへんは、会場に足を運んだ人間だけが味わえる特権ですね。

 3人のトークは約1時間でしたが、内容的にも濃かったと思います。現役時代にクロスカントリーを練習で行なっていたか、という話題から始まって、指導者となった現在、どうクロスカントリーを活用しているか、ロードでのトレーニングとクロスカントリー・トレーニングの違いなど、まずはクロスカントリーの話題で始まりました。ここだけでも、かなり充実した話でしたが、続いて、高地トレーニング、ケニア選手の強さ、特にトヨタ自動車九州のサムエル・ワンジル選手の話など、どの話題も面白く展開していきました。陸上ファンにとっては、こたえられない1時間だったと思います。
 陸マガ次号で、その様子を紹介します。さすがに、一言一句漏らさず再現するのは無理なので、要約することになります。3人のボケと突っ込みぶりも含め、会場の雰囲気を味わうにはやはり、直接行くしかありません。
 取材後の博多の夜は……内緒です。


◆9月27日(火)
 昨日まで日記で全日本実業団のことを紹介していましたが、ちょっと、記事に近い内容になってしまいました。量的にも、ものすごく多くなってしまって。でも、あくまでも個人的に感じた内容でもあります。そこで、日記とは別の体裁にして、超私的レポートというくくり方にして掲載しました。


◆9月28日(水)
 決断しました。10月9日のシカゴ・マラソンの取材に行きます。中国電力の3本目の矢である佐藤敦之選手も出ますし、千葉真子選手も出る。千葉選手のやろうとしていることが、北海道とシカゴに連続して出るとや、最近の言動でなんとなくわかってきて、ちょっと興味があります。外国勢ではダニエル・ジェンガ選手もいますし、昨年、圧倒的な強さを見せたルット選手も出ます。親日家のハヌーシ選手の欠場は残念ですけど。
 問題はホテルでした。昨年同様、ダウンタウンでとることが、なかなかできませんでした。マラソン開催ということもあって、どこも満室です。たまに空きがあって1泊2〜3万円というものばかり。だいたい、サイトで探すのですが、空きがない代替案として1泊5万円とか9万円のホテルを紹介してくるケースもあります。
 空港近くに1泊8500円の宿を1つキープしていましたが、昨日やっと、ダウンタウンに1泊1万7000円のホテルが見つかりました。どちらにするか、本当に悩みました。昨年は空港からダウンタウンに通いましたが、片道1時間15分の往復2時間半。地下鉄の空港駅からダウンタウンまで、約45分ですが、地下鉄駅からホテルまで、ホテルの送迎バスをつかまえるのに苦労をしました。今年キープできたのは、バスの送迎をやっていないホテル。たぶん、地下鉄の空港駅からタクシーで1往復に2〜3000円前後はかかるでしょう。それでも、空港ホテルの方が5〜6000円は安くつきます。
 もう1つ重要な要素が、LAN接続ができるかどうか。昨年の空港ホテルはできましたが、今年の候補は空港ホテル、ダウンタウン・ホテルとも、LAN接続ができるかどうか明記されていません。
 色々と考えた末に結局、ダウンタウンのホテルにしました。LAN接続ができる可能性が高いのは高いホテルの方ですし(ヘルシンキはできませんでしたが)、節約できる2時間を有効に使えば、5〜6000円は許容範囲でしょう。その時間で、将来につながる活動ができれば……とか理由をつけて、楽をする方に流れて行ってしまうのかな。


ここが最新です
◆9月29日(木)
 TBSの「オオカミ少年」が最終回。司会が世界選手権パリ大会でミックスドゾーンを担当した豊田綾乃アナということで、ちょくちょく見ていた番組です。眼鏡をかけた彼女が、インテリっぽい部分と、深夜番組らしい部分をミックスさせ、新しい魅力を出していました。
 最終回と聞いてかなり残念に感じていたといころ、最後のボーナス設問として、「豊田綾乃アナが寿退社する。ウソかホントか」という出題がありました。思わず「ええーーっ??」と叫んでしまいましたね。残念という気持ちとはちょっと別の思いがあったというか、「まさか*********」という可能性が頭をよぎったからです。同じように叫んでいた陸上競技関係者も何人かいたのではないでしょうか。
 でも、答えはウソ。ちょっとガッカリしたような、ホッとしたような、複雑な気持ちでした。


◆9月30日(金)
 今日で9月も終わり。そういえば、今月のキャッチコピーは「つくばエクスプレスは誰?」でした。日記には、その月のコピーに沿ったネタを書くことを心掛けています。実行できているかどうかは別として。9月上旬には「つくばエクスプレス」開通記念エッセイ 筑波大400 mブロックは、黄金時代を超えたか?というエッセイを書きました(B2005年と黄金時代を比較すると?が掲載できていません。書いてはあるのですが、ちょっと確認したい部分もあって…)。筑波大選手の今季の躍進ぶりを紹介した記事です。
 その後も、スーパー陸上400 mHで庄形和也選手が48秒95の筑波大歴代2位、六大学対校100 mでは品田直宏選手が10秒33の筑波大タイと、同大の短距離・ハードル陣の勢いは止まるところを知らないかのようです。スーパー陸上400 mHで2位(48秒40のセカンド記録)と、世界選手権金メダリストのB・ジャクソン選手に迫った成迫健児選手に、質問しました(世間話として)。「つくばエクスプレスは誰?」と。
「ぼ…く…ですか?」
 遠慮がちにというか、恐る恐るという感じで答える成迫選手。自ら胸を張って宣言するというよりも、変なノリの記者に無理をして合わせてあげている感じの答え方です。
 とはいえ、今季の成迫選手の活躍は、客観的に見てもつくばエクスプレスと冠するに相応しいものでした。400 mで磯部友晴選手の筑波大記録を更新し、400 mHでは48秒35の学生歴代2位(為末大選手の47秒89は大学5年目の記録なので、4年生まででは最高)。世界選手権では準決勝まで進み、ユニバーシアードでは金メダル。
 しかし唯一、難点を挙げるとすれば、400 mのタイムでしょう。46秒16は筑波大記録でも、学生歴代では23位です。当然、日本歴代ではもっと下。磯部選手が1983年に出し46秒32は、エッセイ中でも触れていますが、当時の日本歴代2位なのです。
 実際のつくばエクスプレスは、つくば・秋葉原間を45分で走るとか。成迫選手も、最低でも45秒台で走らないと、つくばエクスプレスの称号は冠せられないでしょう。
 選手に無理やり言わせておいて、この結論はちょっとひどいか?



昔の日記
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月