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◆2007年2月21日(水)
 一昨日の日記に「あの膨大な量の紙吹雪もきっちり清掃されていたのでしょうか。」と書いたところ、東京マラソン2007運営に関わった方からメールをいただきました。
あれは「紙」ではなく、「でんぷん」を固めたものに着色したものでした。
ピンク色は都知事の色ということで・・・。
「でんぷん」だったので、掃除したのではなく、雨ですぐ溶けたんだと思います。

 ということは運営する側の手間を、雨が少なくしてくれたことになるわけです。しかし、物事はままなりません。スタート後にコース上に残された「傘の山」を片づけるのが、ものすごく大変だったようです。いったい、何千本あったのでしょうか。

 ところで、東京マラソンのような大都市マラソンのメリットですが、昨日の日記の最後に、直接ではないのですが強化に結びつく要素を2つ紹介しました。強化資金が多くなることと、駅伝と同じくらいに個人のマラソン出場を会社経営者たちが持つようになること。社会的な現象ですから、もっと多方面でプラスの影響は出るでしょう。
 例えばクラブチーム経営です。大都市マラソンに出たいと考える人間が多くなれば、月に数千円を払ってでもプロの指導を受けたいと考える人も増えるでしょう。そうすると、その方向を目指す資生堂・川越監督にも追い風になるのでは?

 この冬の大イベントが東京マラソンなら、この夏の大大大イベント世界選手権大阪大会。ですが、話が進んでいた大きな仕事がキャンセルされてしまいました、個人的な話になってしまいますけれど。正式にスタートしたわけではなく、この方向で進めていきましょう、という段階だったので、契約違反というわけではありません。地元世界選手権という機会に実現したかった仕事なので、とっても残念ではあります。
 ただ、こういう話って結構あるのです。昨年のこの時期にも、実業団チームを持つある会社のWEBサイトを運営する会社から、それなりに大きな話が来ましたが、実現しませんでした。7年前に独立したときには、はっきりと約束したにもかかわらず、反故にされた仕事がありました。
 本当にままならない2月ですが、年度の変わり目はそういうことが多いのかも。

 記録集計号の進行も「???」ですけど、ここは関係者が頑張ってなんとかするでしょう。そういえば寺田も、関係者の1人です。


◆2007年2月22日(木)
 今日はそこそこ仕事が進みました。記録集計号も自分の担当ページは先が見えましたし、先週の金曜日に取材した人物ものの原稿も書き終えました(推敲が必要な段階ですが)。といっても、週末にそこそこ大きな原稿の締切があります。記録集計号もミスが許されない作業だけに気が抜けません。
 あれ……? ミスをしていけないのは他の仕事も同じです。実際、どんな原稿でも記録や戦績、事実関係はミスのないよう心がけています。どうして記録集計号に限って、こんな書き方をしてしまったのでしょう? という理由を考えていたら、最近、似たような話があったような気がしてきました。

 思い出しました。陸マガ3月号の高野徹カメラマンのコメントです。陸マガ・フォトグラファーが選んだBEST SHOTという特集があって、2006年の取材の中からカメラマン自身がこれはというショットを選んでいます。思い浮かんだのはその絵柄ではなく、プロフィールにある高野カメラマンのコメント。
「印象深い取材は、全部。世界大会も子供の大会も、僕にとっては変わりない」
 オリンピック、陸上世界選手権、サッカーW杯と“世界三大スポーツ”といわれているイベントを全て取材している同カメラマン。そういった大会も、全国小学生大会も、○○大対▽▽大の対抗戦も同じスタンスで取材していると言っているのです。「カッコつけすぎだろう」と思われる読者もいるでしょうが、これは本心だと思います。以前から何回か聞いたことがあります。彼なりのポリシーというか美学というか。

 しかし、寺田なりの解釈の仕方をしています。どの取材も現場に行ったら同じ気持ちで撮影をするのは事実でも、準備にかける時間が違うと思うのです。世界選手権だったら半年前には取材申請をします。つまり半年間、「8月には世界選手権を取材をする」という気持ちで過ごすことになる。当然、小さな大会でも世界選手権に絡んでくる選手は注目します。本番と同じ会場で試合があれば、下見的な感覚で取材もするでしょう。要するに、大きな大会になればなるほど、覚悟をする時間が長くなるのです。
 これは我々ペン記者も一緒。どんな小さな取材でも全力は尽くしますが、準備段階で違いがある。リラックス度も違ってきますね、一生懸命さは同じでも。寺田とE本記者のジョークの応酬も、町田とドーハでは違っていた……と思います。
 集計号の仕事も一緒。1年に一度ですけど、その間ずっと、「集計号の仕事があるぞ。陸上ファンと関係者が1年間使う資料だ」と思っているのです。その辺の違いであって、どの仕事もミスをなくそうとする姿勢は一緒です。

 選手も試合に出たら、どんな大会でも全力で行きますよね。でも、大きな大会となると気持ちの持って行き方が違ってきます。もちろん、身体面や動きの面のピーキングもしますが、これはできる選手とできない選手がいるようです。あと、心身とも大きなスパンでのピーキングは簡単です。寺田でもできるわけです。それが、数日単位のピーキングとなると難しいようです。


◆2007年2月23日(金)
 横浜国際女子駅伝の記者会見がありましたが、仕事が立て込んでいて行くことができませんでした。明日、取材が入ったこともあり、日曜日締め切りの原稿がかなりタイトになってきましたし、集計号の版下出力は、プリンタの側を離れられませんし。しかし、今日、60ページを出力して(印画紙が足りなくなって焦りました)、集計号の担当ページは目次を残して完了。
 版下発送のためコンビニに宅急便を出しに行ったのが夜の2時。その後、録画してあった「We Love アスリート」を見ました。為末大選手の2週目。先週の放映分は知っているネタがほとんどで(野球部の橋本君ネタは初めて知りました)、ヨーロッパの経由都市はロンドンじゃなかったっけ? とか、突っ込みまで入れていました。今日の分はプライベートネタも多く、初出といえる話も多かったのでは? それにしても、よく考えている選手です。自分のことを現役時代に、ここまで分析できる選手というのも珍しいでしょう。
 と思って為末選手のサイトを見たら、「知己1」というタイトルのコラムが出ていました。

 同番組にはこれまで、末續慎吾選手、沢野大地選手、田中宏昌選手、奥谷亘選手、室伏由佳選手がゲストとして出演してきました。来週は池田久美子選手みたいです。陸上選手がたまにバラエティーに出演することはあっても、毎週登場する番組は過去になかったと思います。地元で世界選手権が開催されるから、なんですが、これが定着したら……というのは、さすがに厳しいでしょうか。たとえ、大阪世界選手権が盛り上がっても。
 まあ、いきなり陸上ブームが来るところまで期待するのはムシが良すぎます。熱しやすく冷めやすい、となるよりも、陸上人気がじっくりと定着していく方がいい。そのためにも、大阪の盛り上がりを北京五輪につなげることが重要です。さらに言えば、北京の盛り上がりをベルリン世界選手権に結びつける。東京の世界選手権のときは翌年のバルセロナ五輪までは良かったのですが、その後が続きませんでしたから。


◆2007年2月24日(土)
 今日は都内である選手の取材。コーチも同席してくれました。
 一昨日の日記で高野カメラマンの「世界大会も子供の大会も、僕にとっては変わりない」というコメントを紹介しましたが、その選手も全ての試合にまったく同じ気持ちで臨んでいる、と言います。日本代表の国際大会も県の記録会も一緒だと。もしかして高野カメラマン的な考え方かな、と思って「準備や覚悟をする時間が違うのでは?」と突っ込ませてもらいました。
 ところが、それも違うと言います。意識しているのは次のレースだけ。つまり、冬期練習中にイメージするレースは、シーズン第一戦の○○県記録会だけだと言います。覚悟をする期間の長さだったら、その試合が一番長くなる。
 ピーキングもまったくしない、と言います。どの試合も100%の力を出せるようにする。夏のレースのことを考えて、春先の試合はこう位置づける、という考え方は一切しないのだそうです。疲れがある中で試合に出るのは練習の組み方が悪い等々。
 詳しくは陸マガ次号で。


◆2007年2月25日(日)
 横浜国際女子駅伝の取材。
 10:50頃に発着点の赤レンガ倉庫に。取材受け付けで隣を見ると、某専門誌のHカメラマンの姿があります。「もしかして25回連続取材ですか?」と聞くと、「あー、そうかもしれない」という答え。そうです。横浜国際女子駅伝は25回目の節目の大会。以前は外国チームにまったく歯がたたなかった日本が、徐々に勝負ができるようになり、今では最多優勝回数を誇るまでになりました。
 増田明美、佐々木七恵という女子長距離のパイオニア的な選手から、新谷仁美、小林祐梨子という今後を担う“今の若手”まで、女子長距離の歴史を担った選手たちはほとんど走っている大会です。寺田も思い出は色々とあります。陸マガのアルバイトだった頃にカメラマンをして緊張しまくったこと。その直後に喉を痛めて入院したこと…。

 プレスルームは7割方埋まっていました。普段は控えめに後ろに座るのですが、今日は空いていた最前列に。後ろの席は同世代の朝日新聞・堀川記者。レース中テレビで、歌手の鈴木亜美さん(中学・高校と神奈川県で陸上部)が「宮内さん姉妹は同じ神奈川で有名でした」と言うと、「俺の場合は磯崎さんだった」と昔を懐かしんでいました。何度も紹介していますが、堀川記者は神奈川県の某高校の陸上部出身。高校生ながらアジア大会短距離4冠の磯崎公美さんが、同学年で活躍していて憧れの存在だったそうです。
 前の席の男が森麻季アナ(日本テレビ。箱根駅伝前の“渡辺康幸監督を男にする会”でも司会)が中継所の実況をしているときに、「我々の世代のヒロインは森雪だよなあ」と言うと、「宇宙戦艦ヤマト?」と堀川記者も嬉しそうな顔をします。今度は同記者が、プリンタのCMにピンクレディーのMIEが出演していると「長沢まさみと一緒だと苦しいなあ」言えば、「森雪のイメージは我々の中では変わらないよな」と寺田。こういったところにも、25回目の重みが感じられました。

 肝心のレースの方は、ロシアが1区から一度もトップを譲らず快勝。優勝回数は9回目で日本が並ばれました。でも、この大会が始まった当初は、ロシアではなくソ連でした。ご存じの通り、東欧の共産圏は崩壊し、ソ連はいくつもの国に分裂しています。そのうちの最大の国家がロシアではありますが、ウクライナやバルト3国、ベラルーシに選手が分散する格好になりました。中央アジア地域のカザフスタンやウズベキスタンにも、僅かですが強い選手がいました。
 ということは、横浜国際女子駅伝を走った選手の中には、ロシア以外の地域出身選手もいた可能性が大きいわけです。そういったケースで、ソ連とロシアを同じ国として扱って、優勝回数をカウントしていいのでしょうか? という疑問を感じたのも、横浜国際女子駅伝の歴史の重みゆえでしょうか。
 このスポーツで国が変わった場合のカウントの仕方については、すぐにでも解説したいと思いますので、メールを送るのは待ってください。


◆2007年2月26日(月)
 昨日の続きです。横浜国際女子駅伝で9回目の優勝と報じられたロシアが、80年代はソ連として参加していました。優勝回数や参加回数を合わせてカウントしていいのかどうか、という話ですね。寺田はいけないのではないか? と感じました。以前のソ連チームにはウクライナやカザフスタン出身の選手がいた可能性もあります。
 しかし、100%の自信は持てなかったので大会本部に聞きに行きました。が、誰も知った顔の人間がいません。細かいことを気にするやつが来たな、と思われるのもなんでしたから、共同通信・宮田記者に質問しました。共同通信ですから、この手のことを知っていないわけはない。他の競技ではどう扱っているのか、質問しました。

 8割方自分の見解が正しいだろうと思っていたら、これが聞いてびっくり。寺田が間違っていました。チーム競技のこういったケースでは、前身の国家を継いだと考えられる国に、優勝回数や参加回数が追加されてカウントされるのだそうです。ソ連の優勝回数はロシアに、ユーゴスラビアの優勝回数はセルビアに引き継がれます。
 確かに、選手個々の出身地域まで考慮していたら、ややこしくなることこの上ありません。チームを1つの個とみなせば、後身の国がスポーツの功績を引き継いでおかしくはないわけです。

 仮に卑弥呼の時代(3世紀?)に邪馬台国が、魏と綱引き大会をしていたとします(邪馬台国の記述が出てくるのが魏志倭人伝。三国志に出てくる3つの国の1つ、だと思います。もう1度、魏という国が中国史に登場しますけど)。その対抗戦が8回行われて4勝4敗だったとします。魏は中国にいくつも国があったうちの1つですし、邪馬台国だって日本に割拠していた有力国家群の1つだと思われます。
 しかし、もしも今後日本と中国の綱引き大会が復活し、主催者が3世紀の大会を復活させたと主張したら、最初の勝利国は“5回目の優勝”となるのです。
 例えの話の方がややこしくなってしまったような気もしますが、そういうことでした。


◆2007年3月3日(土)
 今日はポール一色に染まることができました。そうです、西田修平 高橋公一記念国際室内棒高跳の取材。ちなみに明日はびわ湖マラソンという梯子取材。
 西田記念は初めての取材かな、と思って中京大体育館に足を入れると、デジャヴ(既視感)を覚えました。おそらく、一度来ていると思います。びわ湖マラソンとのセット取材は間違いなく初めてなので、びわ湖と離れた時期に開催されていた頃でしょう。ただ、それがいつだったのか、までは思い出せません。

 常にテーマをもって取材に臨んでいる寺田ですが、この大会ではまず、高橋公一氏とは誰か、をはっきりさせたいと思っていました。以前は「西田修平杯」でしたが、昨年だったか2年前から、「西田修平 高橋公一記念」と変更されています。関係者の方はお怒りになるかもしれませんが、恥をさらけ出すことを覚悟で書けば、どういった方か知りませんでした。
 会場に着くと高橋卓巳さん(元日本記録保持者で中京大OB)、桑原記者(主催の中日新聞で早大競走部OB)に話を聞き不勉強だった寺田も、西田・大江時代(36年ベルリン五輪銀&銅メダリスト)の少し後の時代に活躍された方と知りました。早大出身で、愛知陸協の元会長。棒高跳を強くする会発足時のメンバーで、今大会をスタートさせるときにも大きな尽力をし、亡くなられた後にその功績をたたえる意味で、大会名に冠したのだそうです。

 棒高跳関係者多数集まっていて、色々な情報が収集できました。ニシスポーツの増谷さんからは、高根沢威夫選手(元日本記録保持者、76年モントリオール五輪8位)の現役時代のフォームや、現在高根沢さんが経営されているラーメン屋が繁盛している話。神谷晃尚先生と某専門誌(棒ではない)Hカメラマンとは、神谷先生の現役時代の話。棒高跳でインターハイに優勝し、三段跳でも2位になれる選手はその後いません。神谷先生の、人材確保についての意見には説得力がありました。
 そうこうしていると開会式。神谷先生と木越清信選手が紹介されていました(写真も撮ってあるのですが、富士通PCの写真加工ソフトの使い方がわかりません)。筑波大記録保持者の木越選手と歴代3位の神谷先生。村木征人先生の偉大さがわかる一シーンでした。

 競技が始まると、これがいい感じ。2つのピットで男女が同時に進行しますが、並んだピットなので一緒に助走をすることはありません。1つの種目だけの競技会は集中して見ることができます。近くで見られますから、選手の足音や突っ込みの時の音など、屋外の試合よりリアルに聞こえます。近藤高代選手が跳躍後に、首を左右にプルプル振る仕草も手に取るようにわかるのです。単独種目というとマラソンや駅伝など、お金の集まる種目だけというイメージですが(競歩や混成もそうですけど)、こうして見ると本当に面白く感じられます。
 競技の方は男女とも外国勢が優勝。女子は近藤選手が昨年の不調から脱して室内日本歴代3位の4m12。先に女子が終わって選手に取材を、と思ったらこの種目にはポールの片づけがありました。でも、その間に錦織育子選手のコーチの広田哲夫さんに、同選手の不調(2週連続記録なし)の理由を聞くことができました。
 続いて近藤選手。昨年は不調ではなく、意図的に休養年としたのだそうです。その間、男子が佳境に入っていましたが、ラナーロ選手が跳躍するときはそちらを見ることもできます。取材もしやすい大会だったということ。
 ちなみに、ペン記者は中日新聞・桑原記者(早大競走部で瀬古さんと同学年)、中日スポーツ・寺西記者(室伏広治選手と同学年。内心、顔では自分が勝っていると思っているらしい)、それに寺田の3人だけ。いつか、昆明取材も一緒にさせてもらいたいなあ、と思った次第。2人は名古屋国際女子マラソン用の取材で、昆明に行って来たばかりなのです。

 男子優勝者のラナーロ選手にも、中京大・松下裕輝コーチに通訳してもらって取材。寺田はケニア選手と片言の英語で話すのが精一杯。仕事では通用しません。松下コーチは東京理科大から競技を始め、テネシー大で修士号をとり、同大のアシスタントコーチを務めた経歴の持ち主。陸上界には色々な人材がいるのだと、改めて感じました。
 ラナーロ選手のあとは、見学に来ていた沢野大地選手に。ラナーロ選手はアメリカでの練習仲間です。数分で、後方で競技会以外の取材を受けていた錦織選手のインタビューが終わったので、同選手の話を聞く展開に。記録なしに終わり悔しくないはずはないのに、きっちりとした受け答えをしてくれました。この辺は元苦労人だけあります。就職浪人の期間が長かったですからね。鍛えられています。
 その後は陸マガの単独取材。終了後、男子で2位の柏木選手の話も聞きたいと思い、試合後の練習を見ている日体大・小林史明コーチのところに。帰りかけていた柏木選手をつかまえることができましたし、小林コーチからは同選手が硬いポールを使えるタイプであることを教えてもらいました。
 1種目だけですが、充実した取材のできた1日でした。

 大津着は20時過ぎ。今回のホテルはちょっと遠いけど安いホテル。フロントでチェックインしようとすると、デイリーヨミウリのケネス・マランツ記者の姿を見つけてビックリ。読売新聞の記者がこんな安いホテルに泊まってはダメですね。しかし、パリの地下鉄(03年世界選手権)やら、アムステルダム空港(05年世界選手権)やら、本当に色々なところで合います。
 ネット接続の設定ができないとフロントと話していたようです。ホテルの人が寺田に「見てあげてもらえますか」と依頼してきます。西田・高橋記念の締め切り(今日です)を気にしつつも、お世話になっているケネス記者の部屋に行きました。接続は何の問題もなく成功。たぶん、ケネス記者がやったときは回線が混み合っていたのでしょう。ホテルではよくあること。
 それよりも、ネットに宇多田ヒカルさん離婚の記事があってビックリ。彼女の電撃結婚が報じられた日に「宇多田ヒカル、結婚しましたね」と末續慎吾選手が話していたのが、ちょっと前のような気がするのですが。


◆2007年3月4日(日)
 びわ湖マラソンの取材。
 レース前の雰囲気と会場レイアウトがよく、取材がしやすい大会です。さすがに選手に話かけることはありませんが、指導者や関係者に接触しやすい。千里阪急ホテル(大阪国際女子マラソンの昨年までの本部ホテル)もそうでしたが、そういった会場が取材への集中力を高めてくれます。会場によって取材のテンションが左右されてプロといえるのか? 弘法筆を選ばず、ということわざもありましたが、時代背景が違います。と勝手な理屈をこねてしまいました。

 レース前にビックリが2つ。1つは1万m27分台の山口洋司選手がエントリーしていたこと。先ほど選手には話しかけないと書きましたが、ベテラン選手や親しい選手など、例外もあります。聞けば今回が初マラソンで、ホンダ陸上部でのラストランということです。
 もう1つはTBSドラマの「華麗なる一族」に出てくる神戸の製鋼所のモデルが、我らの(?)山陽特殊製鋼だと判明。小林正明コーチが教えてくれました。しかも(?)、撮影はJFEとこちらも陸上競技関係。そうならそうと言ってくれれば、寺田もドラマを見ていたものを…。恨み言の1つも言おうとTBSの“華麗なるディレクター”ことYディレクター(早大競走部出身)にそのことを言うと、Yディレクターは「そうなんですか?」というリアクション。そんなことでいいのか、TBS社員が。と思った読者も多いと思われますが、あなたは自分の会社のことを何でも知っていますか?(特に大きな会社の方)。公務員の方は自分の自治体や大学の活動を細部まで知っていますか?

 ところで、
昨日西田杯にいたのは  小林史明コーチ(日体大・棒高跳)
今日会ったのは       小林正明コーチ(山陽特殊製鋼)
今日着ているTシャツは  小林史和選手(NTN)の1500m日本新記念Tシャツ
Yディレクターの後輩は   小林正幹選手(元SUBARU・現関東学園大監督)
 と、混乱していたらテレビ取材がスタート。

 今日の取材の最大の目的は、NTT西日本の清水康次新監督から名刺をもらうことではなく、引退レースがどこになるのかを聞き出すこと。言うつもりはないのにポロッと言ってくれるかなと計算して、清水監督の神経がレースに集中している間に話しかけましたが、「決まっていないんです。どうしましょう」という慎重な回答。実際、やることが多くて自身のことまで手が回らないようです。どこにするか考えるのも大変そう。
 だったら他人が決めてあげるのも1つの方法です。優勝経験があるのは東京、自己記録はびわ湖、初マラソンの高岡寿成選手に勝ったのは福岡。どの大会でも印象に残る走りをしています。だったら、寺田のサイトで読者にアンケートをして、「清水監督引退レースはどこがいい?」企画をやって決める方法を思いつきました。これは妙案です。
 ですが、現実的には選手が出るレースに自分も走るというのは苦しい。となると、セビリア・マラソンあたりに休暇を利用して出るしかありません。セビリアは世界選手権で入賞した街ですから。でも、セビリアでマラソンって行われているのでしょうか。

 肝心のレースですが、気温が暑く、レース前にペースメーカーの設定が遅くなりました。完全にイーヴンで押し切れればそれでも、2時間10分は切れるのですが、スタート前に監督たちの話を聞いていると「日本人トップは2時間11〜12分」と予想する声が多かったです。
 その条件でも東アフリカの3選手が、最後にすさまじいデッドヒートを演じました。ところが、そのあたりではページ展開の変更をあれこれ考えて、なかなか集中できません。新聞もそうだったと思いますが、世界選手権代表内定者が出ることを想定した取材体勢をとっていたはず。それがレース終盤で無理となり、5位までは外国勢が独占する情勢になってきました。
 目の前ですごいレースが行われていたのに残念ですが、それが仕事ですから仕方ありません。トラック&フィールドの競技会もそうですが、じっくりと試合を見ようと思ったら、職業にはしない方がいいと思います。

 日本人トップは久保田満選手(旭化成)。恩師の東洋大・川嶋伸次監督と似ている点など、少し感じるところがあったので、その辺は日を改めて書きたいと思います。


◆2007年3月5日(月)
 今朝は陸マガ用に久保田満選手(旭化成)にインタビュー。朝早くに時間を割いてもらい、感謝しています。独占取材については日記に書かないのが普通ですが、この文章を公開するのは9日なので大丈夫、ということで。場所は……伏せておいた方が良いですね。
 内容的にはレース後の共同会見の話をベースに、さらに突っ込んだ話を聞くことができました。昨日から頭の回転も速いし、面白い考え方をする選手だと思っていました。面白いというか、今では珍しい感性の選手ではないかと。それが、恩師である東洋大・川嶋伸次監督の現役時代に似ている感じも少ししたのです。
 そういえば、びわ湖マラソンの取材に初めて行ったのが2000年のシドニー五輪選考レース。川嶋監督が日本人トップとなって五輪代表を決めたレースです。前年の福岡で2時間9分台をマークし、代表を争ったのが同じ旭化成の小島宗幸選手でした。昨日は残念な結果に終わりましたが、復活しようと頑張っている。その一方で、川嶋監督は大学の指導者となり、教え子を古巣の旭化成に送り込み、その教え子が結果を出し始めている。感慨深いものがあります。

 久保田選手のどこが珍しい感性だと思ったのかというと、“意気に感じる部分”共同会見の「やはり、名門・旭化成、世界の宗さんの下で競技をしているからには、もっと上の走りをしないと。」という部分に代表されているでしょう。久保田選手の年齢を考えると、川嶋監督が宗兄弟のすごさを説いたのだと思われますが、それを素直に受け容れる精神的な下地があったのでしょう。周囲の人に対しての感謝などの強い気持ちも、ストレートに表現できる。そこを恥ずかしがらない。
 後輩への感謝の気持ちを持つことや、駅伝メンバー漏れや佐藤智之選手の快走で奮起したことなども、昭和世代の熱血選手というイメージです。延岡から応援がたくさん来てくれて、その応援があるたびに笑顔で応えていたといいますし。共同会見で発言した「自分を代表に選ぶことが日本陸上界にプラスになる」というコメントも、まったく嫌みを感じさせません。

 指導者や周囲の気持ちに熱く応えるタイプですが、自分はこれで行く、という芯の強さも持っているように感じました。指導者の言うことを盲目的に聞くわけではないようです。指導者に盲目的に従うと、結果が出なかったときに責任転嫁をすることにもなりかねません(と、久保田選手が言ったのではなく、これは寺田の考え)。記事にはしませんでしたが、その辺のエピソードも話してくれました。
 自分の考えを指導者にぶつけ、結果に対しては自分の責任とする。それができないと20歳代後半に伸びなくなるのではないでしょうか。かなりプロセスを省いて書いてしまいましたけど、たぶん間違いないです。

 インタビュー後にはホテルに戻って、13時まで延長使用して原稿書き。陸連短距離合宿の記事を短くして、久保田選手のインタビュー記事も8割書き上げました。
 大津から京都に出て、新幹線で関西を後にしました。今回のびわ湖取材は1月の大阪国際女子マラソンに続き、今年2度目の関西です。この後は4月の兵庫リレーカーニバル、5月の国際グランプリ大阪、6・7月の日本選手権、8月の世界選手権と、半年間毎月関西に来るはず。ずうっと関西、です(スルッと関西のパロディのつもり)。


◆2007年3月6日(火)
 今日は14時から対談の取材。某大学の先輩と後輩です。技術的なテーマだったので、久しぶりに録音もさせてもらいました。先輩選手がその方面で語れることはわかっていたのですが(自身の技術をわかりやすく話すことでは日本一との定評)、後輩選手もかなりの見識で、盛り上がった対談になりました。1時間では足りませんね。

 びわ湖の陸マガ原稿がまだ途中。東京マラソンとびわ湖を合わせて、総括的な記事を書くことになっています。締め切りは今日で、雑誌発売は14日でマラソン代表の発表後。ちょっと想像していただければわかると思いますが、これは難しい作業です。選考云々という部分を中心に書くのはノーグッドということになります。
「こんな見方もあったのか」という視点を出してほしい、という高橋新編集長(筑波大跳躍ブロックOB)からのリクエスト。実は書き始めるまでに5時間くらい思案して、かなり面白い内容にできる手応えがありました。というか、昨晩中に120行のうち60行は進んでいました。
 しかし、作業部屋に戻る途中にカフェで原稿を書こうと思ったのですが、集中力がいまひとつ。作業部屋に戻ってもいまひとつ。週末に睡眠時間がかなり減っていた影響で、早めにダウンしてしまいました。夜中に復活しましたが、編集部に迷惑をかけてしまい反省しています。
 内容も、イメージしていたことの6割くらいしか盛り込めず、自分としては不満足。6割というのはひどいですね。自分のことだからそう言っているのであって、実際は8割くらいなんでしょうけど。

 一昨日の日記でTBSドラマ「華麗なる一族」に出てくる阪神特殊製鋼のモデルが、我らの(陸上界の、という意味です)山陽特殊製鋼だと紹介しましたが、視聴率で東京マラソンが0.1%勝ったというデータが、寺田が陸上競技記事を書いている某週刊テレビ番組雑誌に出ていました。東京マラソンの週の上位は以下の通り。
23.6% 東京マラソン
23.5% 華麗なる一族
21.9% 風林火山
21.4% サザエさん
21.0% 花より男子

 個人的な意見ですけど、最初ということで話題性、もの珍しさも手伝っての高視聴率だったのではないかと思います。裏番組との兼ね合いもあります。初の市民マラソンとの合同レースで良かったからといって、次回から市民マラソン中継になったら率は落ちるのでは?


◆2007年3月10日(土)
 名古屋国際女子マラソンの会見は15時から。11時に作業部屋を出れば余裕で間に合うので、午前中に昨晩深夜放映のTBS「We Love アスリート」を見ました。池田久美子選手の2週目ですが、先週分のビデオを見たのが実は昨晩。2日連続で見たのですが、かなり楽しめました。初めて池田選手のことを見る視聴者にも好印象を与えられたのではないでしょうか。メイド・ネタも出てきましたし。それにしても、スタジオの笑い声がバカ大きかったですね。山上プロデューサー(長野のハードラー。松田克彦選手のライバル)の声と聞きましたが、違うでしょうか。
 ただ、1つTBSに言いたいことがあります。あまりにも“美人選手”と強調しすぎ。そこをアピールしたいのはわかりますが、“陸上界きっての”というニュアンスはどうでしょうか。ほかにも美人選手はたくさんいます。と、誰かにフォローさせたいから、あそこまで強調したのでしょう。

 会見場の名古屋観光ホテルには14:30頃着。えっ? と思ったのはロビーに柔道の野村忠宏選手がいたことです。と思ったら、よく見るとミズノの鈴木さん。この機を逃してなるものか、とばかりに昨日各紙が記事にした池田久美子選手の新スパイクについて質問。記事だけではよくわからなかった部分が、明確になりました。さすが、農大二高OB。
 会見場に行くと華麗なるディレクターことTBS・Y端ディレクターと、朝日新聞・堀川記者の間の席が空いています。この日記に登場する記者ランクで上位を占める2人です。Y端ディレクターには山陽特殊製鋼の件で「フォローしておいたでしょ」と恩着せがましく言い、「寺田さんの近くにいるとネタにされちゃからな。特にオヤジネタは」と堀川記者から言われると、「まあ、害になることは書かないからいいじゃないですか」と、なだめて離婚した宇多田ヒカルとの関係を突っ込ませてもらいました。堀川記者はヤンキース・松井秀喜番としてニューヨークで生活していたので、接点があっても不思議ではないのです。果たして2人の関係は…………次回を待て!

 会見は中日新聞・桑原記者の代表質問で火蓋が切って落とされました。これまでの代表質問とは違ったスタイルが新鮮でした。今の調子は? 練習場所と内容は? レースの目標は? と全員に聞くのが定番ですが、桑原記者は個々の選手の背景を踏まえた質問の仕方をしたのです。このスタイルは記者の能力に左右される質問の仕方。早大競走部で瀬古利彦さんと同期だった桑原記者だからできるやり方かもしれません。
 会見後にも大会本部の部屋の外で桑原記者と、昔話に花を咲かせました。名古屋国際女子マラソンは4回までは20kmロードなのですが、それを同一大会としています。増田明美、佐々木七恵という日本女子マラソンのパイオニアが出場していますからね。ただ、主催の中日新聞社内にも賛否両論があるとのこと。確かに、マラソンではありませんからね。
 以前は男子30kmロードも併催されていました。富士通長野所属だった中山竹通選手が快走し、故・佐藤進監督がダイエーにスカウトしたきっかけとなったレースです。その翌年も出場したと桑原記者。寺田は陸マガの表紙にした記憶があって、もう1回走っているはず、などと話していました。

 桑原記者と入れ替わりで沖電気・谷口浩美監督がいらして、以前の旭化成について面白い話を聞かせてもらいました。東京マラソンの佐藤智之選手の強さに通じる部分もあったので、記事に生かせるかもしれません。
 そのちょっと後にはTBSの椎野アナ(プロ野球オープン戦の取材<実況?>から駆け付けたそうです)と、明日のテレビ解説の宮原美佐子さんがいらっしゃいました。宮原さんと椎野アナの組み合わせですから当然、ニューイヤー駅伝の旭化成2位が話題に。そこから以前の旭化成と最近の違いなどにも話は展開。面白い話を聞かせてもらうことができました。
 最近の旭化成の頑張りは“旭化成ルネッサンス”ではないかと感じています。これも、上手くすると記事にできるかもしれません。

 19:34名古屋発ののぞみで新山口に移動。途中、中日スポーツの切れ者、寺西記者から電話が入り、競歩の話題に。どうして競歩かというと……これは企業秘密ですね。明日の気象コンディションの話にもなって、かなりの強風が吹くと気象庁への問い合わせで判明したそうです。こうなったら、3人のペースメーカーには風除けにもなってもらいたい、という話に。最近、ペースメーカーが最前列にズラリと並んでレースが進むと、視聴率が落ちると指摘されていますが、明日に関しては、それもやむを得ないのではないか、と。視聴率よりも記録優先です。
 視聴率といえば、駅伝放送でも外国人選手の区間になると……という話があって、それもこの記事の件と無関係ではないようです。実業団連合の理事会が山口で開かれていたのですね。それで毎日新聞ISHIRO記者や、共同通信・宮田記者が名古屋の会見に姿を見せなかったのだとわかりました。それで今日の会見がちょっと寂しかったのだと。

 新山口のホテルには22:40に着。本サイトのメンテナンスをした後、テレビをつけるとTBSはスーパーサッカーの時間でした。明日の全日本実業団ハーフ実況の佐藤文康アナ(全日中優勝)の担当番組ですが、さすがに土井アナが代役を務めていました。いつも日曜日は早朝に東京を出発して取材に駆け付ける佐藤アナ(先週のびわ湖マラソンもそうでした)ですが、さすがに実況担当ではそうもいかないのでしょう。
 明日の取材のネタが1つ増えましたね。佐藤アナに仕事のない土曜日の夜をどう過ごしたのか、聞いておきましょう。


◆2007年3月11日(日)
 維新百年記念陸上競技場には9時前に着。全日本実業団ハーフは長距離関係者の集まる数では名古屋国際女子マラソン以上。情報収集の好機です。
 いくつか仕事の段取りをした後、まずは四国電力・松浦監督をつかまえました。大森輝和選手のハーフマラソン出場(丸亀に続いて2回目。正確には一度、別大ハーフの部に出場して途中棄権があるので3回目)の理由などをお聞きしました。
 松浦監督が大東大で実井謙二郎選手と同期だったことは何度か触れましたが、清水康次NTT西日本新監督とも1つ違いの先輩後輩。これも意外でした。指導者歴が長いと年輩に感じてしまい、長く選手をしていると実年齢よりも“若い”というイメージで見てしまいます。外見上の理由もあったかもしれませんが、この半年間で10kg体重を落とした成果で、松浦監督もかなり若返った印象です。
 その清水監督の引退レースについては進展なし。というか、聞くのを忘れていました。

 忘れなかったのが、TBS佐藤文康アナに「仕事のなかった土曜の夜に何をしていたのか」を聞くこと。ですが、期待した答えではありませんでした。夜の山口で思いっきり羽根を伸ばしたということはなく、20時には食事を終えてホテルの部屋に戻り、あとは資料づくりなど今日の仕事の準備をしたとのこと。土井アナが代役を務めたスーパーサッカーも見たそうです。
 TBSネタをもう1つ。「We Love アスリート」の池田久美子選手の放映で、大きかった笑い声の主が山上プロデューサー(長野のハードラー。松田克彦選手のライバル)ではなかったか、と書きましたが、本人は違うと言っていました。

 レースはスタートと沿道1カ所、フィニッシュでカメラ取材。レースが大集団で進むので、特定の選手(チーム)を撮るのが難しい大会です。
10km付近の男子先頭集団
独走するフィレス選手
前田和浩選手のフィニッシュ

 その後はいつものペン取材ですが、共同会見と個別取材の進行を同時にこなしたり、リザルツの配布にも神経を使ったりで、かなり慌ただしい取材です。選手たちの引き揚げるのも早いですし、寺田も名古屋に移動しないといけません。ただ、九州の記者たちとの連携もスムーズになってきて、おかげでなんとかこなせています。

 13:26新山口発ののぞみに乗ることに成功。車内でも1つ取材をこなし、16時半頃に名古屋駅着。今日は関西を素通り。女子マラソンの結果はまったく知らなかったのですが、駅のホームで大塚製薬・河野匡監督からタイムとレース展開を聞くことができました。大南敬美選手がまた転倒したことも(パリの世界選手権でも転倒。姉の博美選手も鳥取の日本選手権など最低でも2回は転倒しています)。

 大会本部ホテルに移動すると、ホテルの玄関で引き揚げてきたトヨタ車体グループと一緒になりました。昨日の会見後に「僕が転ぶなよ、と言ったレースでは転ばないんです」と話していた高橋昌彦監督に、「言わなかったのですか?」と質問。前日には転ばないように言ったのに、レース直前には言わなかったのだそうです。悪いのは監督、と言いたいようですが、実際は選手のタイプでしょう。周囲と接触しやすい走りの選手は、たまにいます。以前では、伊藤国光選手(現カネボウ監督)がそうでした。市川良子選手なんかも2〜3回、あるのでは?

 しかし、大南敬美選手に落ち込んでいる様子はなく、むしろ前向きになっている感じ。姉妹揃って関係者に「頑張ります」と、ポーズをとっていました。
 この写真は小出義雄監督と高橋監督。師弟関係ではありませんが、小出監督の下で高橋監督がコーチを務めていたことがあります。
 優勝した橋本康子選手はチャイナドレスで登場。“優勝したとき”だけ着るために用意していたそうです。さすがにパーティーで優勝選手と話をする時間はとれませんが、森岡監督の話を聞いていると、“師弟の執念”が実った勝利だったと感じました。もう少し取材をして記事にできるといいのですが。


◆2007年3月12日(月)
 16時から渋谷のホテルで世界選手権マラソン代表記者発表。陸連の評議委員会が長引いたため、16:30からの開始。TBSが生中継していたようで、「大丈夫か?」という声が寺田の隣のT記者から挙がっていました。あとでテレビ番組表を確認すると1時間枠でした。逆にワクワクして良かった? 関係者の寿命は縮んだかもしれませんが。
 メンバーはこちらで紹介したとおり。人選について、2年前の男子1万mのときのように“選考基準と違うじゃん”ということはありませんでした。もう1回やったら大変です。
 個人的な感想は毎回のことながら、「よく選べるなあ」ということ。どうしたら、あれだけ条件の違うレースで選手の力量が比較できるのでしょう? 実際、今回の選考会終了後、「これでは、基準がいくつも考えられる」「選考レースを絞るきっかけになれば」という声が陸連内部でも挙がっていました。

 寺田もびわ湖以後、折に触れて考え続けていました。アテネ五輪選考のときに何度か書いたように、「1つの選考レースで2枠。ワイルドカード1枠」というのが個人的にベストだと思っている選考方法です。
 ただ、この方法は世界選手権には適用しない方がいいと感じ始めました。世界選手権までこの方法を採ったら、選手たちは4年間に3回は、選考レース中心のマラソン出場をしないといけなくなります。アジア大会に積極的に出場する選手はいなくなるでしょうし、選考レース以外の大会は一気に寂しい顔ぶれとなる。普及という点ではマイナスですし、夏のマラソンや海外マラソンに積極的に出られなくなります。
 現行システムの利点は、選手を多くの大会に分散出場させることができる点。世界選手権選考は曖昧なところが出ても、現行システムがいいかもしれません。ボーダーラインの当事者は怒るかもしれませんが、枠が5つあって、自力で代表になるチャンスのあるシステムにはなっているわけです。できるだけ多くの大会を盛り上げ、世間の関心を引き続けるには最適です。

 ただ、それを3枠のオリンピックでもやったら収拾がつかなくなりますし、選手たちから不満が出るのは間違いありません。オリンピックの選考レースは1本化して、世界選手権と国内選考レースだけとする。世界選手権で代表が生まれなければ、前述のように“選考レース2枠、ワイルドカード1枠”とする。ワイルドカード枠は結果的に世界選手権入賞者になるかもしれませんし、選考時期を遅らせれば3〜4月の選考会以外で快走した選手にすることもできます。
 選考レースを多くすることで世界選手権に出るチャンスは広くし、世界選手権からオリンピックという道も残しつつ、オリンピック選考レースは一発勝負で(2枠は)自動的に代表が決まる。名案だとは思うのですが。


◆2007年3月13日(火)
 昨晩のうちに移動して、今日は朝10時からある仕事の来年度の打ち合わせ。寺田のビジネス“4本柱”のうちの1つで、念入りに見積もりをして提出し、今日はデザイン部分(担当は某印刷所)も含めての打ち合わせ。地元世界選手権、北京五輪と続くシーズンということもあり、クライアントも気合が入っています。
 今週はけっこう、この手の打ち合わせや確定申告など、自営業者らしい仕事が続きますね。取材と原稿書きが多いので新鮮です。
 が、雰囲気に酔っているわけにはいきません。好印象を与えたり、相手をその気にさせることができれば、仕事の発注量が違ってきます。取材や原稿書きと同様、真剣勝負の場なのです。といっても、こちらがガチガチになっていては当意即妙の受け答えができませんし、自信がないのかと思われてしまうので、ゆとりを見せることも必要です。これも取材と一緒ですけど。

 ということで、男子長距離・マラソン研修会が東京で行われていたのに、取材に行くことができませんでした。いくつかの記事を見る限り、瀬古さんらかつての名選手たちから厳しい意見が出たみたいです。


◆2007年3月14日(水)
 陸マガ4月号発売日。寺田が担当した試合記事はびわ湖マラソン、西田・高橋杯室内棒高跳。人物ものは錦織育子選手、石野真美選手、内藤真人選手。東京マラソンが寺田の名前になっていますが、これは完全な編集部のミス。東京マラソンと佐藤智之選手インタビューは折山さんが書かれた記事です。
 2月24日の日記で“ピーキングをしない選手”“国際大会と県記録会はまったく同じ意識で臨む”と紹介したのは石野真美選手のこと。あまり調子の波をつくりたくない、という話をする選手は時おりいますが、ここまで徹底している選手は初めてでした。取材中は記事にまとめられるかな、という不安もありましたが、スタンスが中途半端ではないのでまとめやすかったです。
 錦織育子選手も2週連続記録無しという状況での取材となったので、記事にできる話が聞けないのでは? と心配しましたが、現在の課題をきっちりと話してくれました。
 内藤真人選手には“トップ選手が自身の練習スタイルを変えるときとは?”というテーマで取材ができました。一度、取材してみたかったテーマですし、記事中でも触れましたが、室伏広治選手が以前話してくれた言葉が伏線になっていました。
 ここでとやかく書いてあるものを読むよりも、雑誌を手にとっていただければ早いですね。

 4月号は新体制陸マガ(高橋克実編集長=筑波大OB)の意欲号と見ました。巻頭カラーで「PEOPLE」というコーナーが新設されていました。1ページずつ3人の選手の近況を簡単に紹介。一般誌によく見られるパターンです。ベテラン選手や若手指導者(かつての有名選手)による「教えて」シリーズも(たぶん)好調。醍醐直幸選手の2m33のフォーム分析は研究者の分析が中心ですが、醍醐選手と福間コーチにもきっちりと取材をしています。
「部員増加計画・中学編」は山口編集者の意欲作。中尾義理ライターが陸上界の現状に鋭く斬り込む「ブカツの未来」シリーズは和歌山県の紀の国アスリートクラブ、小林祐梨子選手の3年間を振り返った記事の後編も同ライターの入魂作。若手の高野編集者の「HOT athlete」は脇田茜選手。長谷川重夫先生門下生が多く登場していますね。
 4月号といえば陸マガ伝統の「Athlete of the Year Japan」投票結果の発表がある号です。2006年の受賞は池田久美子選手。ベスト10の顔触れを見た感想を書くとまた長くなるので、これは機会を改めて。
 とにかく、見どころ満載の一冊です。950円は安いでしょう。昨年の国体取材中の日記にも書きましたが、強くなろうと思ったら陸マガの立ち読み、回し読みはやめましょう。買って読んでこそ強くなります。陸上競技に懸ける思いが強いということですから。

 夜、新宿の小田急ホテルセンチュリーサザンタワーで某社関係者2名と会食。世界選手権に向けての話ですが、昨日のように純粋なビジネスの打ち合わせとは少し違います。もう少しざっくばらんな話し合いという感じです。その後は作業部屋に戻って確定申告と格闘。昨日の打ち合わせを受けて、見積もり修正案も提出。
 そういえば、家族T氏から「今日発売のan・anに今井正人選手が載っている」と連絡があったので、帰りのコンビニで立ち読み(女性誌はOK…とか書いていいのか)。カラー1ページの「PEOPLE」というコーナーで紹介されていました(同誌の目次)。陸マガと同じタイトルなのは偶然? に決まっています。


◆2007年3月15日(木)
 確定申告の締め切り日です。一昨年、昨年と2〜3日前には郵送していましたが、今年は苦戦。その原因は、帳簿を付けていたエクセルのファイルを2月中旬に壊してしまったから。寺田はほとんどのファイルをPCカードHD(2GB)に保存しているのですが、2つのパソコンをスタンバイ状態の最中に抜き差ししてしまい、それでファイルがおかしくなりました。
 たまに内蔵HDにバックアップをとっていましたが、バックアップファイルの日付を見ると10月14日。そういえば10月から3カ月間、死にそうに忙しかったな、と変に納得してしまいました。1万7000円でファイル復旧ソフトを購入しましたがダメ。専門業者は個人を相手にするところは少ないですし、頼みのsofmapにも「最低でも5〜6万円はかかる」と言われて断念。
 2006年分だけでも約80日分のデータがぶっ飛びました。帳簿を付ける時間が1日約10分としても800分。日々の積み重ねは馬鹿にならない、という教訓ですね。領収証が残っている分は家族T氏に入力してもらいましたが、その他の支出(主に交通費)を思い出し、金額を調べながら入力していく作業は結構、時間を要します。
 昨日から巻きを入れたのですが、入力作業が終わったのが遅い昼食前。昼食後にチェックと間違いの修正、それから青色申告の分類項目毎にソートして金額をまとめて、といった作業に。国税庁のホームページで申請書類用の入力を19時くらいから始めました。これがちょっとわかりにくくて手間取りましたが、2時間くらいいじっていると仕組みがわかってきて作業が加速。22時過ぎに仕上げ、23時前には郵便局の窓口に持ち込み、無事、3月15日の消印を押してもらうことができました。
 確定申告をしないと源泉徴収された金額(の何割か)が戻ってきませんから、必死でした。

 それにしても、2006年の収支はフリーになって過去2番目くらいの悪さ。10月以降はかなり頑張ったのに…。04年から新宿に作業部屋を構え、それなりに投資もして、とにかく多く仕事を取ろうという業務拡張路線をとってきました。場合によっては人を増やすことも考えていたくらい(雇うのではなくバイトや、フリーランス同士の提携など)。この拡張路線は厳しいのかもしれません。今年は地元で世界選手権がありますから継続しますが、来年は方針転換を考えないといけないかも。海外や九州・北海道への取材は控えないとダメですかね。
 それまでに事態が好転する材料があるといいのですが……って、少しはあるのです。スポーツ・ヤァ! は廃刊(休刊?)になりましたが、それと同じくらいの金額が4月から、某サイトの仕事で入ります。本サイトにも昨年からクレーマージャパンが広告を出してくれていますし、明日も某社とその方面の話し合いです。


◆2007年3月16日(金)
 朝の10:30にある人物と新宿の京王プラザホテルで打ち合わせ。元有名選手(アジア大会代表)で、奥さんも元有名選手。年齢的には30歳代ですけど、文字通りの“大物”です。朝の11:30には話し合いを終えて、東京マラソンを乗り切った新宿中央公園の猫を見ながら作業部屋に戻りました。午前中に一仕事を終えるのは気持ちいいですね。

 その後は電話連絡の多い一日でした。大学監督、ある組織の広報、大手新聞記者、フリーライター、実業団コーチ、そして陸マガ編集部員。原稿もそこそこ抱えています。この日記の遅れを取り戻すことと、先週の全日本実業団ハーフマラソンを書きたいのですが。6日に行った対談も、日曜日中には一通り書き終えないと。
 でも、今日の電話は有意義なものが多かったですね。某大学陸上部の小冊子の仕事がかなり進行しました。来週月曜日の仕事も入りましたし。そして某フリーライターは今日、確定申告をしに税務署に行ったとか。「昨日がデッドラインじゃなかったの?」と寺田がビックリすると、還付金の振り込みが遅れるけど受け付けてくれるのだそうです。知らなかった。というか、昨日の死に物狂いの作業は何だったのだろう?

 夜もかなり遅めの時間に某地方紙記者から電話が入り、ある大物選手の動向が明日、はっきりするとわかりました。こちらも文字通り“大物”です。


◆2007年3月17日(土)
 今日は終日、自宅のある永山で過ごしました。かなり久しぶりのこと。
 午前中に信濃毎日新聞のサイトを見ると、高岡寿成選手の長野マラソン出場の記事が出ていました。そうです。昨日の日記で紹介した、今日判明する大物選手の動向というのは、高岡選手のことでした。おそらく実際の紙面はもう少し詳しい内容になっていると思いますが、WEBの記事では高岡選手が長野マラソンをどう位置づけているかわかりません。目標記録のコメントは本人にこれで行くよ、とメールで了解をもらって掲載しました。出場するという情報だけでは、記録も期待されてしまいますし、他のメディアもその辺を取材しようと無用の努力をしてしまう可能性もあります。
 しっかり準備をして出るマラソンではありませんが、高岡選手からのメールには「やっと前進できそうです」というコメントもありました。記録を期待できないのは同選手の持ち味とはちょっと違いますけど、その状況でどういった味を出すのか、楽しみにしたいと思います。本当に“2時間20分ジョッグをする”だけではないと思いますので。

 昨晩は長野から電話をもらったのですが、今日、久しぶりに野口順子さん(フリーライター。最近はクリール編集者)に電話をすると長野に滞在中でした。偶然ですね。電話をしたのは仕事ではなく、完全なプライベートな用事なのでここでは明かせませんが……そういえば、彼女のことを“サンドラなっち”と呼んでいた時期がありました。“サンドラ”はハヌーシ選手夫人でコーチ兼マネジャーを務めるやり手の女性。寺田もロンドン・マラソンのときに少しだけ接触したことがあります。“なっち”は安倍なつみ。ある高校生選手の取材の際に、「似ている」と言われたことがあるのだそうです。
 阪急沿線から南海沿線に引っ越した中尾義理ライターにも電話をしようと思いました。こちらは陸マガ4月号の小林祐梨子選手の記事に感動したので。3月号の前編はいまひとつでしたが、後編で盛り上げるための序章だったのでしょうか。数ある小林祐梨子選手の記事でナンバーワンでしょう。必読です。でも、電話をするのも不自然かと思って控えました。

 夕方から外出。といっても、カフェで原稿を書くのが主な目的ですが、永山駅の啓文堂書店にも寄って陸マガの売れ行きをチェック。残り部数が2冊と、いつもの月より少なかったですね。表紙(池田久美子選手)、裏表紙(ミズノ広告の信岡沙希重選手)と美人で固めたからかな? 


◆2007年3月18日(日)
 昨日の日記で、陸マガ4月号が永山駅の書店で売れたのは、表紙写真が美人の池田久美子選手&信岡沙希重選手だったからかもしれない、と書きましたが、この評価はTBS(=世間一般)の評価であって、寺田がそう言っているわけではありません。むしろ逆で、昨年のインターハイのときなど長居陸上競技場で……このエピソードはやめておきましょう。知りたい方は奥村トレーナーに聞いてください。
 それよりも陸マガ4月号で「おおっ」と感じた写真は、P40のナチュリル幹社長と吉田真希子選手のツーショット。独特の雰囲気があります。この写真の奥行きを感じ取った読者が何人いたでしょうか。

 他にも良い写真はないかと思ってページをめくっていると、P158の大山圭悟コーチの顔写真が目に付きました。毎月載っているのですが、相変わらずの柔和な表情。全国“気は優しくて力持ち”協会のポスターに採用されるという噂もあります。どうして目についたのかというと、先週の名古屋国際女子マラソンのパーティーで田中千洋選手とちょっと話をさせてもらったときに、大山コーチの話題が出たのです。
 大山コーチが兵庫県の小野高出身ということは何度も紹介してきました。同高は元800m高校記録保持者の榎本隆夫選手(インターハイ2連勝。2年時は1学年上の金井豊選手=ロス五輪代表=と同着優勝)が有名ですが、筑波大・尾縣貢先生、神戸新聞・大原篤也記者など、陸上界にあまたの人材(逸材)を提供し続けている学窓です。実は田中選手も同高出身。聞けば、大山&大原の同学年コンビの1つ先輩。経産婦ランナーとして日本のパイオニアである田中選手が、産後のトレーニングを行う際、大山コーチがアドバイスをしたのだそうです。すごいぞ大山圭悟!
 と思ったのですが、よく聞いたら大山コーチを通じて、その方面に詳しい人を紹介してもらったということです。それでも、そういったことを相談されるということ自体、大山コーチの日頃の行いの良さ、人格がなせる業でしょう。さすがです。村川洋平選手と美濃部貴衣選手の今季が楽しみになりました。話が飛びましたけど。

 などと思っていたら、神戸新聞・大原記者から「平荘湖駅伝で激走する藤村」というタイトルのメールが来ました。
○…1部昇格を狙った神戸新聞チームは、「花の2区」を担ったエース藤村が足を引っ張った。
 序盤は無難な滑り出し。しかし、中盤から想定外の横風にあおられペースを落とした。徒歩に切り替えた選手を抜きはしたが、あとは順位を下げる一方だった。普段は批評される立場の陸上関係者からは「駅伝をなめてるとしか思えない」と厳しい指摘が相次いだ。
 汚名返上に向け、もう後がない藤村は「来年は必ず18分台で走る」と巻き返しを誓っていた。

 写真も添付されていましたが、さすがに掲載は控えたいと思います。


◆2007年3月19日(月)
 14時から某学生選手の取材。陸マガ・高野徹カメラマンとは最寄り駅のマクドナルドで合流。その大学にはもう、何十回も来ていると言います。寺田も10回以上は来ているでしょう。確かに、インカレも強いし大物卒業生はいるし、箱根駅伝も強い。取材に来る対象がごまんといる大学なのです。
 いつも感心するのは、同カメラマンが取材開始時間よりもかなり早く、現地入りしていること。そして待ち時間で、その日の取材を色々とイメージするのだそうです。池田久美子選手や丹野麻美選手にも共通した部分がありますよね。やるべきことをキチッとやっておくから慌てない、というようなところが……ちょっと褒めすぎではないかと思った方は、鋭いですね。何か理由があるのかもしれません。

 さて、この超強豪といえる大学に来て、あることを考えました。順大や東海大、筑波大に日体大といった陸上競技の強豪大学が地元の運動会に大挙して出たら、その運動会は面白くなくなるだろうな、と。コミュニティという意味合いを強く出すために運動会と言いましたが、その市の陸上選手権でも県選手権でもいい。
 仮に順大のある印旛村陸上選手権に順大勢が出場したとします。印旛村のチャンピオンを決める大会なのに、優勝者は全員が順大選手。地元の選手は順大選手の参加が少ない種目でしか入賞できない。印旛村に住んでいる者なら誰でも出られる規定になっていて、参加を断ることなどできないのです。
 こんな状況になったら、いくら強い選手が出ても歓迎されないのは明らかです。それが逆に、高平慎士選手1人がゲストとして参加したなら、一緒に走る地元選手も観衆も大喜びすることでしょう。

 丹野麻美選手が出身地の矢吹町の選手権に出たら、我らが町のヒロインとしてやはり歓迎されます。昨年、為末選手が江東区ナイターに出場してスタンドの注目を集めましたが、全種目に法大選手が出て優勝をさらっていったら、盛り下がったかもしれません。
 つまり、強い選手が大挙して格下レベルの大会に出たら、まったく歓迎されないし、大会自体が盛り下がるということです。仮に地元の町長や文化人たちが「学生のトップ選手に勝てないようでは、○○村から日本一を狙う選手は出てこない」とか声高に言っても白けるだけでしょうね。


◆2007年3月20日(火)
 土曜日の夜からずっと、ある対談記事の執筆を続けているのですが、これがなかなかはかどりません。かなり面白い内容で、これをまとめられたらすごいぞ、とは思っているのですが…。何で手間取っているかというとまず、指定された行数の3倍くらいの話が聞けています。それに加えて、対談のテーマが走りの技術についてで、微に入(い)り細(さい)を穿(うが)つ話なのです。1人の選手や指導者が語るよりも、対談形式の方が大変になるケースですね。
 取材中の会話を録音させてもらいましたが、後から聞くと「ここがこうなって」という表現が相当に多いのです。その場では身振り手振りもつくのでわかるのですが、後になってノートを見直したり、録音を聞き直しただけでは100%理解できません。あるいは、じっくり考えると逆に、どうしてそれが言えるのかわからなくなってしまう。
 昨晩、久しぶりに入った永山駅近くのヴィドフランスで1つ、「そういうことか」と気づいた部分があって、そこにつながるいくつかの部分も自分なりに答えが出て、原稿を進めることができました。夜、陸マガ高橋編集長から電話があった時点ですでに150行と半分進んでいて、先も見えていたので愚痴を言わずにすみました。
 深夜に一通り書き終えて2カ所にFAX、別の2カ所にメールで送信。

 もう1つ難航しているのが、陸マガ次号(5月号)の選手名鑑の人選です。これは作業の性格上、強化指定選手全員がフィックスされてからでないと進められません。


◆2007年3月21日(水)
 昨日の日記で触れた対談記事は技術ものだけに、選手にも原稿を見せて間違いやニュアンスの違いがないか確認してもらっています。こちらが思ったよりも修正個所が少なかったので、ホッとしました。この仕事は当初、ハードルが高く感じて(108cmくらい)二の足を踏みましたが、陸マガ高橋新編集長の強い希望で引き受けました。今日の選手からの反応を踏まえると、(期待も込めて)そこそこ反響があると思いますが、新編集長の強い意思の賜でしょう。
 ただ、新編集長からの原稿依頼はけっこう難題が多くて大変です。発売中の4月号でいえばP12-13の東京マラソン&びわ湖マラソンRACE SUMMARYですね。両大会を踏まえて、こんな感じでその2レースを見たら面白いんじゃないか、おっと思える視点を出してほしい、という依頼内容だったと思います。

 当初は、よっしゃと引き受けました。その時点では難題とは思わなかったのですが、2レースが終わってみたらあの結果です。世界選手権代表内定選手がその場では生まれず、びわ湖にいたっては5位までを外国人選手に占められてしまいました。当初は、元有名選手に取材して、男子マラソンの現状を憂うトーンの記事を考えました。たぶん、びわ湖の40km前後では、その線で高橋編集長とも電話で話をしていました。優勝したラマダニ選手と、2位の選手のデッドヒートが強烈でした。
 しかし時間がたつと、あのレースは外国勢が強かったということではないのか。そういった見方も可能だと思い至りました。翌日の新聞記事はほとんどが、男子マラソンはふがいないぞ、という論調。だったら、と河野匡男子マラソン部長の「男子マラソンが弱くなったとは思っていない」というコメントなども紹介したわけです。実際、アフリカ勢以外にはそれほど分は悪くありませんし(福岡、びわ湖とヨーロッパ選手2人に負けましたけど)、夏のマラソンでは結果を出し続けています。

 ただ、寺田が言いたかったのは男子マラソンが弱いとか強いとか、そういうことではありません。強い弱い、選考がどうこう、という視点だけでマラソンを見るのも1つの見方ですが、特に今回のような状況の場合、それだけでは面白くない。選手の側から見るとまた、別の面白さが見えてくるのではないか、と思ったのです。
 それで、2度目の選考レースに出場した選手を“追試”という言葉だけで片づけることに異を唱えました。佐藤智之選手も入船敏選手も、自身の課題にチャレンジしていたのでそこを紹介したわけです。外国勢に勝てなかったのは事実でも、久保田満選手が名門・旭化成を活性化させていることはものすごく意味があると感じました。
 そういった意図や記事の流れもあって、「男子マラソンは弱くなったとは思っていない」という河野部長のコメントを紹介させてもらったのです。

 ここで書きたかったのは高橋新編集長からの依頼は難題が多いということで、でも結果としていい記事が書けたということです。それが編集者の役割でしょうか。こちらも、言いたいことは言っていますしね。


◆2007年3月22日(木)
 17時に那覇空港着。前回は3年くらい前だったでしょうか。選手たちが合宿している沖縄市までは40km前後の距離があります。道が混んでいて、70分もかかりました。でも、車窓から見える街並みは、異国情緒とレトロ的な雰囲気(昭和の雰囲気)が漂っていて、日常とは違う世界に引き込んでくれます。沖縄は2回目ですね。

 19時過ぎにサンライズ観光ホテルにチェックイン。選手たちの定宿のデイゴホテルは15分くらい離れていますが、明日の池田選手会見が行われるニューセンチュリー・ホテル、サンライズ観光ホテル、京都観光ホテルは、ここまでくっついているのも珍しいというくらいに3軒並んでいます。
 21時半頃まで仕事をしてから食事に。沖縄料理をということで、ホテルのフロントの勧める店に。カウンターで食事をしていると、3人組の男性が話しかけてきました。聞けば、そのうち2人は兄弟で、1人は地元の食材流通業のトップ、もう1人は建築の現場監督で、4月から会社を興すのだとか。これが沖縄の「いちゃりばちょーでー」(会えば皆兄弟)か、と思いました。

 昨年、山梨学大OBで、現在は宜野湾市議会議員の比嘉正樹氏を取材したことがあって、沖縄の「いちゃりばちょーでー」のことは聞いていたのです。ただ、沖縄県の男性には不健康な習慣(夜更かしや喫煙)もあるとそのときに聞いていて、そのことを話すと店の女将さん(お兄さんの方の奥さん)がさかんにうなづいています。
 弟の現場監督さんからは、建築業界のことを少し聞くことができました。重川材木店のこともテレビで見て知っていると話していましたね。重川材木店が大工を社員として、自前で抱えているのは建築業界でも数少ない例だと重川社長を取材した際に聞かせてもらいましたが、今日会った現場監督も、それは珍しいと話していました。
 食材流通業のお兄さんの方から、先ほど紹介したホテルが3つ並んでいる理由を聞きました。1つわかったことがあるのですが、先方はかなり酔っているので、肝心の部分がわかりませんでしたけど。
 陸上のトップ選手がたくさん合宿しているという話をすると、何人か見かけたと言います。ただ、日本の(内地の?)トップがどれほどのもんじゃい、という気概は持っているみたいでしたね。
 こっちのホテルは革新系で、こちらのホテルは保守系でという話だけならまだしも、もっと大きな政治的な話まで始められてしまいました。
 1時間で帰る予定が2時間に。まあ、仕方ないか。


◆2007年3月23日(金)
 8:30から沖縄市のセンチュリーホテルで池田久美子選手の共同会見。昨年の日本記録更新から増え続けている取材依頼の件数が、アジア大会金メダルでさらに加速。個別取材を受ける数は制限せざるを得ない状況ですが、6月上旬、8月上旬と、何度か会見を開いていくということです。今回がその1回目。目玉は“チーム・イケクミ”の発足を正式にアナウンスされたことでしょうか。
 今日はチームのリーダー的存在の筒井総監督(スズキ顧問。元副社長)、専属マネジャーの馬塚貴弘氏も同席。馬塚氏は司会進行役でしたが、選手時代の実績なども報道陣に配られ、専属マネジャーとして本格お披露目の場という感じでした。現役時代の一番の肩書きは96年アトランタ五輪200 m代表。浜名高時代は走幅跳でインターハイ優勝し、100 mと200 mはともに2位。両種目とも現高校記録保持者の高橋和裕選手(添上高)に敗れましたが、巡り合わせ次第では3冠の快挙を達成したかもしれない人物です(という仮定はあまり意味がないのですけど)。
 しかし、97年以降は“よくなってきたかな”という時期もありましたし、20秒台も何度か出したのですが、自己記録が更新できませんでした。上記の高橋選手も同様ですが、そういったところで苦労をしてきているのです。
 一線を退いて丸2年。会社全体の広報として活躍していましたが、その間にもスズキの選手たちとクリニックの講師を務めるなどしていたこともあり、体型も崩れていません。会見後は陸連合宿会場の沖縄市営陸上競技場にも同行。現役時代ほどのバネはなくなっていましたが、選手たちと一緒にメニューをこなしていました。

 公開練習会場にはサニーサイドアップ坂井敬行氏の姿も。こちらは為末大選手のマネジャーで、このところお世話になる機会も増えています。馬塚氏ほどではありませんが、坂井氏も前橋育英高時代に400 mランナーとして鳴らし、1年生だった森田行雄選手(2年後のインターハイ200 mと国体少年A400 m優勝)を擁し、99年の北関東インターハイの4×400 mRを5位(3分17秒00)で通過。坂井氏は1走。
「400 mのベスト記録は47秒88と書いておこうか」と寺田。為末選手の400 mHより0.01秒速い数字を提案したのですが、坂井氏は「マイルのラップで48秒0にしておいてください」と控えめ。
 坂井氏の場合は現役時代のタイムよりも、その後の苦労の積み重ねがポイントでしょうか。群馬大時代は“別の方面”で苦労をしたようです。卒業後はPR関係の仕事(正社員など恵まれた環境ではなかったようです)をいくつかして、昨年サニーサイドアップに入社しました。為末選手が同社のマネジメント選手だということは「知ってはいた」くらいの認識で入ってきたとのこと。それが今や、法大グラウンドに日参する(ちょっと誇張)ほどの立場に。

 期せずして3月の沖縄で遭遇したメダル候補選手の2人のマネジャー。今後、かなり大変になりそうですが、陸上競技出身者が“ビジネスとして”陸上選手をサポートするということで、頑張ってほしい2人です。

 公開練習では、先月のJISS取材の時にもおや? っと感じた為末選手の腕振りが、今日も際だっていました(この点は陸マガ次号で紹介)。池田選手のスプリントも向上している……なんとなくそんな気もしますが、普段は走幅跳の助走で今日は純粋なスプリントなので、判断の難しいところ。馬塚広報や川本和久先生から言われると、腕振りを下の方で強調し、ビンっと進む感じ(この表現ではわからないかもしれませんが)が強くなっているようにも思いました。
 午前中の練習後に池田選手、為末選手、内藤真人選手、成迫健児選手、丹野麻美選手のカコミ取材。内藤選手は陸マガ4月号でも紹介した新たなコンセプトが「まだ50%しかできない」という状況。為末選手も右のふくらはぎを痛めて(軽傷)芝生の上でのメニューだけ。ただ、為末選手の場合、小さなケガはあっても大きなケガがなくなってきています。その辺がベテランっぽくなってきた印象があります。
 法大OBコンビとは対照的に、福島大コンビは好調で、日本記録更新にも手応えを感じているようです。成迫選手は今晩、TBS「We Love アスリート」の放映があるということで、張り切っていた……ようにも見えましたが、安易に決めつけるのは控えましょう。

 午後の練習は取材陣の数も減りましたが、練習後に高橋萌木子&中村宝子の高校生コンビを朝日新聞・堀川記者、共同通信・宮田記者と3人で取材。ヤンキースの松井秀喜選手とは気軽に話ができる堀川記者ですが、女子高生を1人で取材するのはちょっと、と言うので付き合いました。と書いたら、誇張ですので信じないように。
 夜は今日も飲み。


◆2007年3月24日(土)
 沖縄合宿2日目。昨日はカメラ取材が中心でしたが、今日は選手たちの練習をじっくり見ました。といっても、それほどすごいことがわかるわけではありませんけど。見ないよりはまし、という程度です。
 今回、高橋萌木子選手の動きを何回か見られたのがよかったです。横から見ると“違うな”というか、外国人選手みたいな印象を受けます。接地した脚の前方への倒れ込みが速いように感じました。そして、膝が伸びきらない状態でキックができる。陸マガ10月号のスティックピクチュアの解説では、「接地の瞬間に回復脚の膝が腰よりも前に位置している」と書かれています。その辺ができるから表れる現象ではないかと思われます。
 陸マガでは中村宝子選手も一緒に分析が載っています。昨日の取材の際に、お互いの走りの違いについて話をするのか質問しましたが、やはりというか、特にそういった話はしないのだそうです。だったら、“仲の良い”高校記録保持者コンビがどんな話をしているのか? という変な質問も出ましたが、そう聞かれても即座に答えられるものでもありません。
 朝日新聞・堀川記者と寺田も普段、どんな話をしているかと聞かれたら困ります。強いて言えば“胡蝶蘭の育て方”でしょうか、と書いたら誇張どころかねつ造です。

 ショートスプリントブロックは最初にバトンパスをしながら流し(よりかなり速め)をして、その後に120m(100 m?)を行なっていました。栗本選手らは福島大勢のメニューに合流し、中村選手は故障のため別メニューです。
 120mを石田智子選手、北風沙織選手、高橋選手の3人で1本やっているのをみると、前半型の石田選手が後半も、高橋選手を少しずつ離していきます。好調そうですし、200 mも行けるのでは? と感じました。

 今回はハードルブロックも同じ沖縄市営陸上競技場で練習を行なっています。為末選手は芝生からトラックに出て、昨日も紹介した腕振りの走りを行なっていたので、脚の状態が徐々に良くなっているのでしょう。内藤選手の動きが良くなったのかどうかまではわかりませんが、昨日の取材ではハードルに突っ込んでいく際の腕の動きが、1つの目安になるかもしれないと話していました。
 注目は田野中輔選手。土江寛裕選手が引退した今季は、富士通一般種目の最年長&キャプテンの重責を担います。
 成迫健児選手は昨晩のTBS「We Love アスリート」(まだ見ていませんが、評判はどうだったのでしょう?)放映後の初練習。でしたが、宮下先生によると動きが良くないとのこと。ハードル合宿前に行われた男子短距離合宿で、相当に追い込んだのが原因のようです。
 ハードルブロックは今回、学生など若手選手も多く招集(?)していました。内藤・田野中選手たちと若手との間に、ちょっと開きがあり、大学卒業後に競技を続けられる環境も得にくい状況です。そのあたりを打開するために、こういった陸連合宿に呼んで、意識を高めたり、技術的なヒントを得てもらうのが狙いだと、山崎一彦ハードル部長は話してくれました。

 午前中の練習後には選手の宿舎であるデイゴホテルに移動。サニーサイドの坂井氏と、デイゴホテルの食事をとりました。選手たちが口を揃えて褒める同ホテルの食事ですが、噂に違わず、量も多く、栄養バランスも良いものでした。
 石田選手が通りかかったので、今季は200 mも行けるのでは? と質問すると、それはないと言います。高橋選手を引き離したのは、自分は出しきる走りだったのに対し高橋選手は8割、という走り方だったからだそうです。
 昼食後、ある取材に立ち会い、その後は帰路に。珍しく機内で眠ることができました。


◆2007年3月25日(日)
 川崎真裕美選手が根上で20kmWの日本記録を奪回しました。これって、すごくないですか。1月末の日本選手権競歩で渕瀬真寿美選手が、川崎選手の持っていた日本記録を1分43秒も更新し、同じレースで川崎選手は4位と敗れていました。そのときは故障上がりということもあったのですが、そこから2カ月で立て直して、自己記録を大幅に更新して日本記録を奪回するというのは。
 ただ、女子の20kmWは歴史が浅いこともあって、記録向上の余地が大きかったのかもしれません。歴史のある50kmWでさえ昨年、山崎勇喜選手が4分以上日本記録を更新しましたから。

 新記録の応酬ですぐに思い出すのが、男子中距離のオベットとコーです。ただ、この2人、ともにイギリス人ですけど同じレースはオリンピック以外はほとんど走りませんでした。直接対決で負けたところから盛り返した今回の川崎選手とは、ちょっと違います。
 2004年の女子棒高跳の中野真実選手と近藤高代選手が、今回と近いケースです。5月5日の水戸国際で中野選手が4m31の日本新を跳ぶと、水戸では4m10で敗れた近藤選手が同月29日に4m36と日本記録を更新しました。
 そういえば女子砲丸投の豊永陽子選手と森千夏選手(故人。森千夏追悼ページ)にも、2000年に同様のケースがありました。4月に森選手が16m43と日本新を出すと、10月に豊永選手が16m46と3cm更新。そして、2002年はもっとすごかった。森選手が7月の南部記念で16m87の日本新を出すと、豊永選手が10月の釜山アジア大会4投目に16m90と3cm更新。しかし、森選手は直後のアジア大会6投目に16m93と3cm更新しました。

 当時は“女子砲丸投は新記録が出て当たり前”という雰囲気がありましたが、今から考えると本当にすごい時期だったのです。そう考えると“競歩だから、新種目だから記録が出て当然”と決めつけていると、眼前で展開されている熱い時代の感動を、味わいそこねることになるかもしれません。


◆2007年3月26日(月)
 賭博行為禁止を発表 国際陸連(スポーツナビ)

 という記事がありました。うーん、ちょっと残念です。陸上競技の発展する道が狭められたような感じを受けます。“いかなる行為も”とまで書いてありますが、全てを禁止しなくてもいいじゃん、という感想です。陸上界を盛り上げるためにブックメイクの対象とするのは有効かな、と考えていたので。財源にもなりますし。
 国際陸連の意図するところが、わからないわけではありません。勝敗が賭けの対象となったら不正が起きやすいのではないか、と危惧しているのです。ドーピングが蔓延(はびこ)っている世界です。そう考えるのも自然でしょう。でも、それは勝敗を賭けの対象にするから。“勝敗以外の部分”を対象にすれば問題はないし、むしろ盛り上がるのではないかと思います。
 例えば優勝記録や、大会新の生まれる個数などは不正が介在する余地はありません。世界選手権だったら、決勝に残るアジア選手の人数とかも対象にできます。あるいは100 m決勝進出選手で何人がナイキ製品を使用しているか、とか。左投げのやり投げ選手の数を予想する……のはマニアックすぎる? アレン・ジョンソン選手が何台ハードルを倒すか、では選手が操作できる部分もあるのでダメですけど。400 mH決勝進出者で料理が一番上手いのは誰か……というのも、全員が成迫健児選手に賭けるので賭けとして成立しないかも(まさかテレビで包丁さばきを見せるとは。ビックリしました。国体王子改め、包丁人ハードラーの異名を授けましょう)。
 何を賭けの対象として提案するか。そこはブックメイカーの腕の見せ所。それ次第では、陸上競技が盛り上がると思うんです。そういう仕事って、ちょっと興味があったのですが……。


◆2007年3月27日(火)
 今日は午前中に電話取材を1本。携帯電話の普及で便利になりましたが、電波の届かないこともあります(沖縄のホテルでは寺田のソフトバンク3Gがつながらなくて、迷惑をかけてしまいました)。取材をさせてもらう立場ですから、絶対に電波の届くところにいてください、とお願いすることもできませんし。
 しかし、間もなくつながってタイムロスは数10分。東京都の隣県の某大学で取材がありましたが、12:43に駆けつけられました。12:30に行くとY口編集者には伝えてあったので13分の遅刻。ただ、練習の途中で合流する、という範囲内にはおさめたので、取材に支障は来しませんでしたけど。事前に、“遅れますメール”も送信。こういうとき、携帯のメールは便利です。
 練習が終了するまでに電話でのアポ取りを2件。
 有力選手が多数練習している大学でもあります。春季サーキット展望原稿も書く予定なので、監督に門下選手の情報をまとめて話を聞こうとしたら、「選手に聞いてやってください」という展開に。練習終了後に急きょ4選手にインタビューをしました。その間、取材予定の学生選手は写真撮影。学食で合流するのがちょっと遅れてしまいましたが、効率のいい取材が展開できたと思います。その学生選手からも面白い話を聞くことができましたし。

 某大学を15:20頃に出て、都内の印刷所にある大学の陸上競技部小冊子の原稿を持ち込みました。大手出版社なら印刷所が毎朝原稿を取りに行くのですが、そこは個人事業主。こちらから持ち込まないとダメです。営業担当氏が外出先から戻るのが遅れそうだというので、近くのモスバーガーで30分、沖縄合宿の取材ノートを読み直し、記事の構想を練りました。その印刷所の所在地が実は練馬区だった……ということはありませんし、デリマ選手が極秘で来日していた、という話も聞きません。デリマユcookingはお薦めですけど。

 作業部屋に戻る途中でICレコーダーを購入。明日のインタビュー取材でさっそくデビューさせる予定でしたが、試してみると問題があることに気づきました。その問題の解決法を調べているうちにあっと言う間に3時間。沖縄合宿の原稿が進みません。


◆2007年3月28日(水)
 今日は13時から都内某所である女子選手の取材。新宿の作業部屋から地下鉄で1本で行ける会社なので、40分もかかりません。12時に部屋を出て、12:40には到着し、13時から14時まで取材。昼食込みで15時30分には戻りました。こういった取材が増えるといいですね(と、誰かに言っているわけではないのですが)。
 インタビューの内容もかなり、突っ込めたと思います。あの快走の裏にはこんな努力があったのか、と本当に面白い話を聞くことができました。陸マガ次号に載りますので、乞うご期待。

 部屋に戻った後は、急ぎのメールの処理。昨年に続き、ATFS年鑑の販売代理業を行います。その関係で、イギリスとのメールのやりとりも再開。それほど難しい英語を書くわけではありませんが、日本語メールの何十倍か神経を使います。値段の意味を取り違えたら大変です。
 その内容を受けて、今年はいくらで販売するかを決めないといけないわけです。本自体が値上げされていますし、円安の影響を受けてポンドがかなり高くなっています(昨年両替したユーロは売れば利益が出ますが、投機の対象にしているわけではないので…)。昨年の5500円よりも値上げをせざるを得ない状況になっています。買ってくださるのは陸上を本当に好きな方たちばかり。心苦しいのですが、そういった現状です。

 やっと沖縄取材の原稿が進みました。今後、世界選手権まで何回か連載するパターンを決めるのに、少し手間取ったのです(これは陸マガではありません)。その一方、陸マガ選手名鑑の仕事の進捗状況が、予定より若干遅れています。昨日、それなりに進んだのですけど。これは明日が勝負。
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式まであと2日。


◆2007年3月29日(木)
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式登板が、いよいよ明日に迫りました。沖縄合宿公開練習の際、アップシューズの右足つま先部分がペロンとはがれているのを記者たちに見せ、冬期の投球練習も頑張ったことをアピール。練習後にも川本和久先生とキャッチボールをしていました。
 男女の決定的な違いに、幼少時の野球経験の有無が挙げられます。男子は普通にボールを投げられるのに、女子はまったくダメ。池田選手も山なりの“女の子ボール”かと思いきや、まずまずのスピード。見た感じでは時速60〜80kmくらいは出ていたような気がします。本人は「100kmが目標」と言っていましたが、そこまでは難しいでしょう。「だって、腰が入っていないから」と、中学まで野球少年だったTライターが、池田選手に向かって偉そうに言っていました。

 しかし、外野の声で意気消沈するようなオリエンタルパール(池田選手のニックネーム)ではありません。乗り越えてきた人生の場数が違います。次のようにも話していました。
「走幅跳ときのように手拍子をお客さんに求めて投げようと思っています」
 えっ? ちょっと待てっ。それって、ドーハの二の舞になるのでは? ドーハ・アジア大会の観客たちは助走に手拍子をする習慣がなく、池田選手が手拍子を求めても無反応でした。
「走幅跳では手拍子をするものだとわかってもらうために、事前にアナウンスをしてもらう予定です」
 なるほど。陸上競技のアピールに一役買おうという狙いもあるようです。

 そうそう。忘れるところでした。明日、池田選手が
(1)時速100km以上の球速を記録したとき
(2)80km以上を記録したとき
(3)ストライクを投げたとき

 には賞品が出るという話です。それを聞いた池田選手もやる気になっています。公式の話ではないので(軟式です?)、誰が、何をプレゼントするのかは現時点では明かせませんが、上記3点に注意して池田選手の投球を見守りましょう。


◆2007年3月30日(金)
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式。TBSが横浜−巨人戦の中継中と、夜のスポーツニュースの中で放映しました。昨日の日記で賞品が出る条件を3つ紹介しましたが、映像を見る範囲では80km以上の球速は出ていませんでしたし、ストライクでもありませんでした。残念。
 賞品を出すと約束したのは、中日スポーツ寺西記者。会社に掛け合って出すつもりだったと思うのですが、ダメだったら個人的に出すということでした。話の行き掛かり上、もしも個人負担となったら寺田も半額援助すると申し出ました。
(1)時速100km以上の球速を記録したとき
(2)80km以上を記録したとき
(3)ストライクを投げたとき

 の順番に賞品のレベルが下がっていたのですが、(1)は無理だろうし(2)も厳しい、可能性があるのは(3)くらいだと、中日スポーツの元ドラ番(寺西記者)と、週刊ベースボールの元ドラゴンズ担当(寺田のことです。僅か8カ月間で異動)は、沖縄で池田選手のキャッチボールを見て思ったわけです。
 可能性は低いだろう、という予測の下に池田選手に話を持ちかけたのですが、心の片隅には条件をクリアしてほしい、自腹を切ってでも賞品を出したい、という気持ちがありました。それが記者心理というものだと思います。

 寺西記者といえば、その沖縄取材の際に「室伏広治選手より二枚目とは思っていません」と言ってきました。以前の日記で寺田が、内心そう思っているらしい、と書いた記述を真っ向否定してきたのです。本人が言うのだから、そういうことにしておきましょう。しかし、阿部寛似の二枚目であるのは衆目の一致するところ。
 ただ、ファッションセンスはいまひとつ、というのがドラゴンズ選手間の評判だったようです。あるとき、福留孝介選手(球界ナンバーワン外野手と球団サイトに出ています)に「何日の何時にここに来い」と言われて行くと、同選手が寺西記者のために高級ブランドショップで服装などをコーディネイトをしてくれたそうです(しめて●十万円分。支払いは寺西記者だった、というオチまである)。
 これは新聞記事で紹介済みの話。内緒の話でもなんでもないのですが、そのエピを話してくれたのにはきっかけがありました。池田選手や沢野大地選手のキャラ(メンタル面)を寺田が話していたら、福留選手に共通点があると寺西記者が気づいたのです。それがなんで、上述の寺西記者へのファッション・コーディネイトの話とつながるのか。省略した部分があるのですけど、それは内緒(口止めされています)。フィールドで結果を出せる選手は似ている、ってことですかね。


◆2007年3月31日(土)
 一昨日、昨日と陸マガ5月号付録の選手名鑑の追い込み作業。寺田の担当は顔写真付き選手(=陸連強化指定選手)の国際大会、日本選手権、年代別選手権(全日中・インターハイ・日本インカレ・全日本実業団)の成績調べです。久しぶりにユンケルを飲みましたね。ユンケルって禁止薬物じゃないですよね。イチロー選手も服用しているみたいだし、真似ているのかISHIRO!記者も。とにかく、体力&集中力勝負の作業でした。どこを調べればいいかは、何年もやっているのでそれほど手こずることはありません。
 データは選手のドラマを雄弁に物語るので、単調な作業でも飽きが来ません。なるほどねぇ、と感心したり、おおっ、と驚いたり。河北尚広選手は200 mで全日中に出たのか、とか。藤光選手は全日中に出てはいるけど、当時はそれほど強くなかったのか、とか。信岡沙希重選手と島崎亜弓選手は、下位入賞で1つ違いの順位だったのか、とか。

 この作業で一番きついのが、リレーの成績を調べること。日本インカレは参加チーム数も少ないし、当該選手がどの大学で出ているのかもわかりますが、インターハイは出場が66チーム。出身校はわかっていても、インカレと比べると10倍は探すのが大変です。決勝に進んでいれば楽なんですけど、予選や準決勝止まりということも多いのです。
 これが全日中となるともう大変。一応、該当選手の年齢から可能性のある年度は特定して調べるのですけど、個人種目は1年生から出場するのは無理でも、リレーだったら1・2年生で出場している可能性も大きいので、目を配る範囲が広くなるのです。
 ややこしいのは、チームは決勝を走っていても、その選手が予選しか走っていないケース。これはインカレに多いですね。

 作業は大変でも、やっぱりドラマが潜んでいるのです。例えば青木沙弥佳選手。早田俊幸氏&河野俊也コーチ&高橋尚子選手を輩出した県岐阜商高の出身。1・2年生時は100 mHでインターハイに出ていますが、予選と準決勝止まり。個人で結果を出したのは3年時の400 mHの3位。しかし、4×100 mRでは逆に、1・2年時に4位・2位と全国で入賞しています。青木選手は2回とも3走。TBSが信岡沙希重選手に“コーナーの魔女”とキャッチをつけていますが、青木選手も高校時代は“コーナーの○○○”と呼ばれて不思議はない存在だったのです。
 そして田野中輔選手。先日の日記で富士通一般種目最年長選手として紹介ましたが、高校時代にリレーでドラマがあったと見ました。同選手が東海大望洋高3年時にアジア・ジュニア選手権の4×400 mRを走っていることは、アジア大会名鑑作成時に気がつきました。今回の作業でインターハイはどうだったのだろう、と思って気をつけてみていると、あれ? っと思いました。
 東海大望洋高は準決勝まで出ているのですが、メンバーに田野中選手の名前はありません。インターハイが4日間開催だった当時は、4×400 mRの準決勝・決勝は110 mHと同じ最終日です。田野中選手は110 mHで優勝していますが、予選・準決勝・決勝と1日で行われますから、負担を考えてのことでしょうか。田野中選手は八種競技の全国高校優勝者でもあります。田野中選手が準決勝を走っていたら、東海大望洋高が決勝に行けたかもしれません。あるいは東海大望洋高のことですから、人材が豊富で田野中選手を必要としなかったのか。
 昨年、インターハイで総合優勝を達成した同高ですが、当時はまだ新興高。田野中選手が同高の名前を全国クラスにしたという印象があります。青春ドラマが展開されていたにおいがぷんぷんしますね。真相は今度、本人に直接確かめたいと思います。


◆2007年4月1日(日)
 昨日は大きなインタビュー取材が2つありました。
 が、ここ数日の名鑑追い込み作業でユンケルを服用している有り様。一昨日の夜も金丸祐三選手がTBS「We Love アスリート」に出演するというので、深夜の2時にテレビの前に行ったところまでは記憶があるのですが、気がついたら朝の7時でした。
 ヤバイ、と思って名鑑の作業を仕上げて(終わりが見えていたので油断したのでしょう)、11時前には送信。

 すぐに仕度をして千葉に向けて出発。取材の1つめは14時から千葉県で。もう1つは19時から都内で。ともに女子選手。
 千葉への移動は総武線。身体の疲労度や車中の予習作業、食事をとることなどを考えてグリーン車を使用。土日は千葉まで事前料金で550円。貧乏ですけど、作業効率を考えたら迷いはありませんでした。
 インタビューはいつもとちょっと違った感じでしたが、かなり面白い話を聞くことができました。以前から何かと声をかけてもらっている指導者の方でしたし、選手もベテランといえる年齢だったのでリラックスムードの取材に。記事に直接反映しない部分で、かなり面白い話を聞くことができました。こういったときに仕入れた知識が、今後の取材で役立っていくのです。
 でも、今度の記事もかなり深い内容だと思います。陸マガ5月号です。

 少し長居をしてしまい、17時頃の電車に乗って都内に。予定より早く現地に着きましたが、準備をする時間が必要な取材だったので、早すぎる到着ということではありません。準備というのは昨年のある大会のビデオから、某若手有望選手の映像を探し出すこと。その映像をインタビューする選手に見てもらい、コメントをもらおうという意図です。出発前に確認する時間がなく、DVDを5〜6枚、持ち歩いていました。
 今回もまた、陸マガ高橋新編集長からの難題リクエスト取材です(3月21日の日記参照)。この手のコメント依頼は上手くいかないことも多々あります。その他にも、いくつか難しいのではないか、と思える点があってプレッシャーの大きい取材でした。もちろん、上手くいかなかったときのことは新編集長も考えてくれているので、失敗したからと、こちらの責任にされることはないのですけど。
 結論からいうと、今回もなんとか課題をクリアできました。映像を見てもらってのコメントは使えないかもしれませんが、全体でいったら合格点の取材内容だったと思います。これも前回の日記で触れたように、新編集長が持ちかけてくる難題取材は、結果的に質の高い記事になっています。大変な部分はあるのですけどね。

 おっと、肝心の今日の話ですけど、室伏由佳選手が円盤投で58m00の日本新をマークしました。この件は明日にでもまた、詳しく触れます。


◆2007年4月2日(月)
 昨日の日曜日、室伏由佳選手が円盤投で日本記録を更新しました。梅村学園記録会ということで、どの新聞社もノーマーク。寺田のサイトで速報ができたのは、ミズノ関係者から情報が入ったからです。その後、ニュースは関係者間を駆けめぐったようですが、信頼できる筋からの情報によれば、お花見の最中だった陸上記者もいたとか。唯一休める日曜日と言ってもいいのが昨日ですから、これも仕方ないところ。でも、だいたいの記者が他競技などの取材で仕事をしていたようです。
 ここ数日、陸上界は試合ネタというより、プロ野球でいうストーブリーグ的なネタが続いていました。池田久美子選手の始球式などはほのぼのとした話題でいいのですが、人事ネタとか、新チーム発足ネタとか、登録がどうこうというネタは、報道として必要ではありますが、必ずしも楽しいものとは限りません。富士通・青柳マネのように、陸上から離れる人もいますからね。もっとも、富士通のスタッフはみんな、一度は一般業務に就くようです。岩崎利彦前コーチや、佐久間現コーチもそのパターン。
 醍醐直幸選手の日本新に涙した青柳マネ(本人は否定)。いつ青柳マネが陸上に戻ってきてもいいように、富士通の選手は日本新を出す準備をしておきましょう。

 そんななかでのトラック&フィールド日本新記録の一発目。いよいよシーズンインだな、というワクワク感をかき立ててくれました。気持ち全体が、浮き立ってくるようなニュースでしたね。
 さて、中日スポーツ寺西記者のように取材をした記者はともかく、寺田のように取材をしていないライターは、例によってデータ面を紹介するしかないようです。室伏由佳選手の日本記録更新は実に8年ぶりのこと。そこで思いついたのが、陸マガ4月号に載っている「日本記録変遷史」のチェック。ここまで間隔を空けて更新した選手が過去にいたのかどうか。
 調べてみると、日本記録を数回更新した選手たちは、やはり数年の間に出しています。5年以上も出している選手は、それほど多くない。最初の日本記録と最後の日本記録の年数差をチェックすると、1957年以降(過去50年間ということで)で5年以上にわたって日本記録をマークした選手は、以下のようになります。
<男子>
400 m:高野進選手=9年
5000m:高岡寿成選手=6年
1万m:瀬古利彦選手=5年
110 mH:谷川聡選手=5年
3000mSC:猿渡武嗣選手=6年
20kmW:柳沢哲選手=6年
50kmW:小坂忠広選手=9年
今村文男選手=7年
走高跳:阪本孝男選手=7年
棒高跳:小林史明選手=5年
円盤投:金子宗平選手=5年
:川崎清貴選手=5年
ハンマー:菅原武男選手=5年
:室伏重信選手=13年
:室伏広治選手=5年
やり投:三木孝志選手=7年
十種競技:鈴木章介選手=5年
<女子>
100 m:北田敏恵選手=10年
400 m:柿沼和恵選手=9年
棒高跳:中野真実=8年
:小野真澄=5年
砲丸投:林香代子=5年
円盤投:吉野トヨ子=6年
:室伏由佳=8年

 たぶん、間違いないと思いますが、万が一、漏れがあったらお知らせください。
 なお、複数種目にわたっての日本新となると、以下の2人がリストアップされます。
5000m→マラソン:高岡寿成選手=10年
20kmW→50kmW:園原健弘選手=9年


 上記の選手たちは最初の日本記録と最後の日本記録の差であって、ほとんどの選手はその間に日本記録を何回か更新しています。あるいは、他の選手が更新している場合もあります。8年ぶり以上の自己新というケースは、柿沼選手の9年ぶりと、北田選手の8年ぶり(その2年後に3回目の日本新)くらいでしょうか。しかし、2人とも間に、別の選手が日本新を出しているので、8年ぶりの日本新というわけではありませんでした。
 ということは、室伏由佳選手の8年ぶりは、同一選手による日本記録更新間隔としては過去50年間で最長……かと思いきや、室伏重信選手が1971年の次に、1980年に日本タイ、81年に日本新を出していました。つまり、9年ぶりの日本タイ、10年ぶりの日本新……という表記でいいのですよね。
 それにしても、父親の室伏重信選手は言うに及ばないでしょうが、柿沼和恵選手はミズノの先輩、谷川聡選手は学年は違いますがミズノの同期入社。北田選手の夫君の岩本さんはミズノのトレーナーで、金子宗平選手の息子がミズノの金子宗弘氏(十種競技日本記録保持者)。林選手は中京大の先輩。つながっていますね。


◆2007年4月3日(火)
 13時から岸記念体育会館で打ち合わせ。
 終了後に同じ建物内にある記者クラブに。何人かの記者の方たちと情報交換。その間、テレビでは選抜高校野球の決勝が放映されています。寺田の故郷である静岡県の常葉菊川がベスト4に残っていたことは知っていたのですが、まさか決勝を戦っているとは知りませんでした。下馬評って、それほど高くありませんでしたよね。そうとわかっていれば、もっと注目していたのに。
 しかし、寺田が静岡にいた頃、常葉菊川はそれほどスポーツが強い高校ではありませんでした。いつくらいからでしょうか、スポーツに力を入れ始めたのは。チャンスがあったら、OBの山下拓郎選手(亜大→富士通)に聞いておきます。

 記者クラブにいる間に、陸連から日本選手権50kmW(&全日本競歩輪島大会)の開催地変更のリリースが出ました。皆さんご存じの通り、輪島は3月の地震で大打撃を受けた街です。開催に向けて準備をしていた地元や競歩関係者にとっては残念なことと思いますが、開催地変更はやむを得ません。変更先は神戸。例年、男女の20kmWが行われている場所です。2006年度の男子20kmWのみ、例外で2007年5月に大阪開催ですけど(たぶん、世界選手権のリハーサルを兼ねて)。
 それで思い出したのが1995年のこと。阪神大震災で1月末の大阪国際女子マラソンは開催が中止。日本選手権男女20kmWは急きょ、千葉開催となったことがありました。今回は逆に、神戸が代替開催を受け容れた形です。
 千葉開催の日本選手権20kmWといえば、陸マガの写真に法元康二選手(当時旭化成)が先頭集団で映っていて、眼鏡をかけた表情が印象的でした。当時は面識がなかったのですが(競歩関連記事は折山さんの独壇場)、当時、同選手は記録をぐんぐん伸ばしていました。名門旭化成の京大仏文科出身のエリート(業界の通常とは違う意味で、本来の意味で使っています)という意味でも注目していましたね。名前も変わっていましたし。ほうが、とは最初から読めません。
 しかし、その千葉の日本選手権競歩では、法元選手は失格。ということで、今は青森で研究職に就いている法元氏に、開催地変更大会の思い出を聞いてみました。

 1995年/第78回の日本選手権競歩は、1993年/第77回まで神戸市内のしあわせの村で実施していたものを、六甲アイランドに移して実施する第一回目となるはず大会でした。そして今年は、昨年まで全日本輪島競歩として男女20kmやジュニア種目などとともにセットで開催していた大会から、男女20kmを根上に分離して開催することになる記念すべき第一回となったはずですが、またもや開催地が地震の直撃を受けることになり、神戸での開催となったのはなんという運命でしょうか。

 私個人としては、1994年に5000mから50kmまで自己ベストを更新し続けていたので、チームスタッフともに膨大なエネルギーと時間を費やし、大変充実した状態で準備をしてきていました。しかし、神戸開催の中止で出鼻をくじかれ、千葉では10数キロで失格となり、ここからが歩型違反スパイラルの始まりとなりました。4月のワールドカップ失格を受けて6月に東京転勤となって、鈴木茂雄さん(現陸連競歩部長)にあずけられることになりました。

 結果的には1994年から1995年にかけての競技上の充実度の落差を出発点として、1年半ちょっとの東京本社勤務の後に前職を退職し、大学院に進学して、青森での学位未取得状態期間を含めて10年余の研究修行に入ることになったわけです。今にして思えばここまで長期間にわたって競歩にこだわった研究を行う意志を維持できたのも(ここ数年は業務上の都合や興味からスキーにも進出していますが)、1994年から1995年にかけての落差が大きかったからだと思います。そういう点では私にとっても、大地震が発生した時期だったともいえますが、そのことをきっかけとして、研究の途上で収集したデータの副産物から「歩型違反のこういう症例にはこういう対処がいいですよ」という情報が整理でき、最近になって実践でも何となく有効性が確認でき「つつあるようだ」というところまで来ました。

 阪神大震災をきっかけとした教訓の中に、中越地震、そして今回の能登半島沖地震に活きたものがある、という報道に(「きわめて」僭越ながら)重ねてしまいます。2003年のパリ世界選手権で日本選手が大量に失格となったところを見ると、1994-5年頃どころか、つい最近まで、おそらく日本のどこにも歩型判定への対処法については有効な情報がなかったと考えることができ、1995年の私の個人的な出来事をきっかけとして情報整理・情報分析をして得たものが、日本の競歩選手育成のための共有財産として活かしていただけるのであれば大変ありがたいことです。とはいえ立場上、ありがたいどころか、歩型判定対策は義務というか任務というか、そういう側面もあるのですが、大阪世界陸上に向けて日本選手への警告を一枚でも少なくすることも私の仕事の一つですので、ここはがんばりたいところです。


 少し要約させていただきましたが、ほぼ原文に近い形で紹介させていただきました。さらにかいつまむと、95年の千葉での大会で失格したのを皮切りに、その後も歩型違反に悩むことになり、それが今日の研究につながっていると。ちょっとかいつまみすぎですけど。歩型違反という“世間にわかりにくい”ルールが厳然と存在するのが競歩という種目。法元博士への期待は大きいのです。


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◆2007年4月18日(水)
 やっと日記を書いています。4月3日が最後ですか。翌4日にはメインで使っていたパソコンが壊れました。ハードディスクがウンともスンとも動かない。11日にソフマップに持ち込んで、今日、修理費の見積もりの連絡が来たのですが、なんと12万円。思わず「1万2000円の間違いでは?」と聞き返したくらい。12万円だったら、同じPCが中古で買えます(8万円台)。
 ファイルはPCカード型HDに保存していますし、最近はバックアップも念入り。サブPCで当座はしのいでいるのですが(サブPCも1月に壊れて、2月に購入したばかり)、インストールしていないソフトなどもあって、何かと不便を強いられているのです。それが日記を書けなかった理由というわけでもないのですが…。
 まだ、どたばたしていますけどが(明日中の締め切りが某サイトの選手データ30人分と、某雑誌のインタビュー250行だったかな)、今日はきっかけがあったので、こうして書く勢いがついているわけです。

 そのきっかけというのはお茶の水駅ホームでの出来事。秋葉原にPCを見に(触りに)行くために、18時過ぎに中央線から総武線に乗り換えるところでした(関東以外の人はイメージしにくいかも。朝日新聞・小田記者とか)。左後方から「寺田さん」と声がかかったのです。驚いて振り返ると柔道の野村選手。ではなくて、ミズノの鈴木さん。出かける直前に川本和久先生の日記で、福島大で仕事をした話が出ていたので、あれ? っと思ったわけです。ミズノの東京本社は近くですから不思議はないのですが、タイミングがタイミングだけに、ちょっとビックリ。
 聞けば、水曜日はミズノのノー残業デイ。秋葉原までの短い道連れですが、ご一緒させていただきました。もちろん、話題は池田選手の特製スパイクについて。川本先生の日記にもありましたが、どうやら、現時点でのOKが出たようです。ただし、全助走での跳躍はまだやっていないので、それでどういう結果になるか。メーカーも大変です。

 秋葉原でメイドカフェに一緒に行こう、と鈴木さんを誘ったのですが断られました。“小田記者と一緒に行く日本橋(大阪の秋葉原に相当する街)メイドカフェ・ツアー”も企画倒れ。池田選手が先日のTBS「We Love アスリート」出演の際に、“陸上人気拡大のためにメイドの格好をして跳べと末續選手や沢野選手たちから言われている”と話していたので、一度、行ってみないといけないと思っているのですが。
 肝心の新サブPCは、ほぼ決まりました。12インチで重さ1.1〜1.2kg、光学ドライブ搭載、バッテリーも長時間持つという条件で探していて、SONYパナソニックから出ていますが、キーボードがいまひとつ。おそらく、バッテリーの持ち時間は4〜5時間と落ちますが、EPSON直販のホワイト・バージョンにするでしょう。直販といっても、実際に触らないと判断できないので、LOAXのエプソン売り場に行って、キーボードの感触を確認したわけです。エプソンか、パナソニックの2004年製(中古)か。パナソニックも当時のキーボードは良かったのです。
 キーボードの感触は慣れでなんとかできるかな、と思うこともあります。スポーツで言ったら、用具に自分を合わせる能力があれば。トラックがああだこうだと文句は言わない。でも、シューズなどの用具はスポーツ選手の武器、という考え方もあります。寺田は後者の考え方で、パソコンのキーボードにはこだわっています。単に不器用なだけ?


◆2007年4月19日(木)
 青山一丁目駅近くにあるEPSON直営店にPCを買いに行きました。ネット上で買うよりも2600円安くなるのです。購入しようとしたのはこちらの機種。B5ノート(12.1インチ、重さ1.2kg)の白バージョン。陸マガ高橋編集長が白いiBookを使っていますが、それを見習おうという意図もなきにしもあらずですが、“白いモバイルパソコン”という言葉の響きが“白いモビルスーツ”(機動戦士ガンダム)に似ていて、ずっと憧れていたのです。それに街のカフェで取り出したとき、お洒落じゃないですか。
 ということで、4点ほど確認をした後に購入を申し出ました。ところが、このB5ノートのWhite Edoteion、CPUが一番非力なタイプしか搭載できないのです。今回、CPUは3種類あるうちの真ん中、メモリーは512MB、HDは100GB、光学ドライブはDVDマルチを考えていたのですが。確かに、よくよく見ると、ラインで分けられてCPUはCeleron Mだけという表記。なんのためのBTOなんでしょう?

 若い男性店員が応対してくれましたが、代わりにメモリーを1.5GBにする方法を提案してくれました。キャンペーン期間で、通常価格約3万円を2万円になっているとのこと。CPUのCeleron MとCore soloはそれほどパワーの差はないと言います。1万円も価格差があるので説得力はないのですけど、メモリーを増やすと確かに違うと聞いています。
 値段も同じくらいに高くなりますが、同等のパフォーマンスが期待できると店員君は主張。でも、この手のことって、消費者には比較しようがない。2つPCを買うわけにはいかないし。即決はしませんでした。
 でも、帰りのカフェで検討した結果、その案に乗ろうかな、と思っています。白いモバイルパソコンの響きは捨てがたいですし、ノートに1.5GBのメモリーを乗せている人も少ないはず。見えないところで人と違うことをするってのもいいですよね。トレーニングも同様です。

 話は変わって陸マガ今月号。寺田が担当したページに奥谷亘選手のインタビューと、佐藤悠基選手の世界選手権を狙うぞという記事があります。読んだ方はお気づきかと思いますが、2つの記事にはちょっとした共通点があります。長距離のパフォーマンスを上げる場合、スタミナをつける方法と、スピードを上げる方法がありますが、それを上手くすり合わせて行く必要がある。そのとき、どちらの感覚を優先するか。スタミナからアプローチするのか、スピードからするのか、という話です。
 よく、11〜12月に関東の学生選手が1万mで28分台の好記録を出しますが、これは箱根駅伝に向けて走り込んでいく過程で、スタミナが付いたために1万mのパフォーマンスが上がるケース。しかし、それでは本当のスピードとは言い難い。佐藤悠基選手は27分台を出すためには、スタミナ優先のトレーニングだけでは難しいと言います。箱根駅伝1区の10km通過が28分18秒で走っていても、スピードの感覚が足りないと感じているのです。
 その点、奥谷選手は3カ月ジョッグだけを続けて、1カ月スピード練習を入れたら28分19秒57の自己新が出たとのこと。元々、スピードはそこそこあるタイプ(世界ジュニア5000m14位ですから)ということもありますが、マラソンにはそのスピードでも十分対応できる。実際、奥谷選手は昨年の福岡国際マラソンで14分台の5km区間を3回くらい続けたと記憶しています。
 奥谷選手は1km5分という遅いペースでも、長い時間、何日も走っていると脚の感覚や動き方の変化が感じられるようになると言います。腰も高く維持できる。この取材は本当に面白かったです。

 CPUのパワーでパフォーマンスを上げるか、メモリーの容量で上げるか。PC購入を考えながら、長距離のトレーニング方法を連想していました。



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