続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2011年3月  名古屋で終わり

最新の日記へはここをクリック

◆2011年2月25日(金)
 本日は東京マラソンの記者会見がありましたが、それに先だってニューヨークシティ・マラソン主催者であるNEW YORK ROAD RUNNERS主催の昼食会に、昨年に続いて出席しました。NEW YORK ROAD RUNNERSからはメディア部門のディレクターであるRichard Finn氏が昨年に続いて来日。我々の質問に丁寧に答えてくれました。
 今年Finn氏に聞いてみたかったのは、エリート選手が出場しないマラソン・レースについて。大阪をはじめ、日本ではそういうパターンが増えそうです(既存のエリートレースが多いからでもありますが)。Finn氏は「エリートが出場するからスポーツで、出なかったらスポーツじゃない。パレードだ」と言います。
 日本の場合は自治体側が“エリート抜き”でもかまわない、あるいは、そちらに積極的だという話も漏れ聞いていました。その点も突っ込むと「ニューヨークシティ市長も積極的に協力してくれている。特別なイベントと理解してもらっている」ということです。
 ただ、エリートランナーが走るレース至上主義、という価値観でもありません。NEW YORK ROAD RUNNERSが主催するレースは年間50前後あって、そのうちエリートが走るのは4〜5レースだけ。残りは市民ランナーだけの大会で「大切にしている」そうです。
「全てのレースに場所(プレイス)があって、大会毎の目標がある。違いがあって当然」というスタンスです。そのなかで最上位にランク付けしているニューヨークシティ・マラソンは、エリートが必要不可欠だと考えているということです。

 WMM(World Marathon Majors)の今後についても話をしてくれました。彼らの理想はテニスのグランドスラム&世界ランキングのようなシステムですが、マラソンはそれほど多くの試合に出場することはできません。そこで考えているのが、マラソンだけでなくハーフマラソンや10kmのロードレースなども、WMMのシステムに組み込むことだそうです。
 WMMの総意なのかFinn氏個人の考えなのかわかりませんが、現実的にはそうしないとツアーの形にはできないでしょう。短い距離のロードレースにも賞金が出るアメリカらしい考えでもあると思いました。

 14時から新宿のホテルで東京マラソンの記者会見
 受付でもらった欠場者リストに有力選手の名前がずらりと並んでいました。特に藤原正和選手と佐藤智之選手は、昨年の東京マラソン1位とびわ湖マラソン2位(日本人トップ)。昨日にはゲブルセラシエ選手(エチオピア)の欠場が発表されていますから、内外の目玉選手が走らない事態になってしまいました。

 会見は車いす、女子外国・国内招待選手、男子外国・国内招待選手の順で行われました。女子の日本2選手のコメントは要約してこちらに記事にしました。コメントからもわかるように、また、選考会でない東京マラソンに出場することからも想像できるように、2人ともいつものマラソンと同じように仕上げてきたわけではありません。
 渋井陽子選手(三井住友海上)は楽しく取り組んでみてどんな結果が出るか、試そうとしているのでしょう。良い結果が出る可能性もないわけではありません。
 嶋原清子選手(SWAC)は「世界選手権を目標にしていなかったということで、この大会を走ろうと決めました」と話しています。つものようにアルバカーキ合宿も行っていませんし、スピード練習もやっていないと言います。ぶっつけ本番でどこまで走れるか、を試そうということでしょう。
 男子の会見は、藤原正和選手の欠場連絡が直前(今日の12時ちょっと前だったそうです)だったため、日本選手は藤原新選手1人だけ。「日本人が1人だけだと、40km走を何本やったとか、胸の張り合いをしなくていいので楽ですね」と話していました。しかし、藤原正和選手と一緒に走っているシーンをイメージして練習してきたとも言います。「残念です」と繰り返していました。

 会見後には藤原正和選手欠場の経緯が明らかに。2日前に発熱し、喉が赤く腫れている状態で、今日も調整練習を試みたそうですが動かず、途中で歩き出してしまったそうです。これでは出場は無理です。
 会見後には高見澤勝選手にも接触することに成功(ホテル外で)。今回の東京が最後のマラソンになるそうです。3月1日から両角速監督の後任として、佐久長聖高監督に就任するからです。
 今大会に向けても多忙な日々が続いたため、練習は十分に積めていないというか、ポイント練習はまったくしていないとのこと。目標は「なるべく長く先頭集団にいて、粘ってゴールすること」だそうです。
 ただ、これまでのマラソンも決して、万全の準備で臨んでいたわけではありません。それでも結果を残して、教え子の高校生に刺激を与え続けてきました。今回はかなり苦しい走りになりそうですが、高見澤選手の最後にふさわしい何かを見せてくれるかもしれません。


◆2011年2月26日(土)
 本日は東京マラソン前日取材……というわけではなく、関係者がいそうな場所になんとなく行ってみました。11時に行った寺田が一番乗りでしたが(ちょうど平田裕美選手が練習に行くところでした)、その後数人の熱心な記者も加わってきました。
 まずは練習から帰ってきた入船敏選手に会いました。入船選手は昨年12月の福岡国際マラソンに続いての参戦です。インターバルが短いので「(マラソン用の)追い込む練習はしていない」ということです。しかし、「体が元気で疲労感がない。意外とこういうときに行けるかもしれない」と言います。これは、期待していいかもしれません。
 ちなみに、入船選手は16回目のマラソンだそうです。こちらのデータとも合致したので一安心。

 続いて高見澤勝選手・嶋原清子選手夫妻が練習から帰ってきたところにばったりお会いしました(写真)。昨日の日記でも書きましたが、3月1日から佐久長聖高監督に就任する高見澤選手は今回が最後のマラソン(ちなみに10回目。これもこちらのデータと合致)。2人が同じマラソンを走るのは3回目ですが、結婚してからは初めてで、そして最後です。
「彼と一緒に走ることができる最後のマラソン。それも、東京出場を決めた理由の1つ」だと嶋原選手。
 2人とも記録的にはそれほど望めない状態ですが、2人にとって良いレースになることを陰ながら祈念しています。

 もう何人か接触できそうな予感もあったのですが、14時に新宿駅近くのホテルで人と会う約束があったために移動しました。先日の打ち合わせに続いて今回もトラックシーズンの仕事ですが、まだ本決まりではありません。今日お会いした相手がプレゼンに成功して初めて、仕事になります。実現したら、これまでなかった種類の仕事になります。

 16時少し前に東京マラソンのEXPO会場に。各メーカーの展示・イベントを2時間半ほど見て回りました。各メーカーのブースを写真で紹介していきましょう。全部は無理なので主だったところ、陸上と関係の深いところだけですが。
 まずはasicsです。入口の一番近くに、一番大きなスペースを占めていました。
 次に東京メトロ。ビデオで小出監督の道場を放映していました。
 これは久光製薬
 これはSEIKO。本番で使用するのと同じ(デザインの?)タイマーで写真を撮るサービスをしていました。
 これは大塚製薬のアミノバリュー。試飲できるようになっていて、かなりの人数が並んでいました。
 これはadidas。シューズを試履して、走ることもできるスペースがありました。
 これはcw−x。イチロー選手の写真がでかでかと掲げられていました。
 これはゴールドウイン
 これはYONEX。例の、卵を落下させても割れないことを実演していました。
 これは明治乳業のVAAM。Yさんと話をした後、有森裕子さんのトークショー(講演?)を少し拝聴しました。
 これは山本光学のSWANS。Hさんが忙しそうだったので話せませんでした。
 これは藤原新選手と契約しているレモシステム。藤原選手の写真が大きく掲示されていました。今や俳優として活躍している西田隆維さんが説明役をされていました。
 これはYAMAHAのボディービート。以前、本サイトに広告を出してくれていました。
 お馴染みのランニング雑誌クリール。昨年と比べて人気がアップしているようでした。
 クリールの隣がナチュリルでしたが、話をする方に気を取られて写真を撮るのを忘れてしまいました。K本さんとも話をしました。
 17:30からは小出義雄代表のトークショーがあると聞いていたので、再びasicsのスペースに。明日の東京マラソン用にアレンジした話が面白かったので20分くらい聞き入ってしまいました。著書の「君ならできる」に書いたことが実現していったという話になって、MCの女性の方が「読まれたことのある方」と聴衆に問いかけたので手を挙げました。寺田だけだったかもしれません。
 最後にミズノ。昨年もそうでしたがスタッフが精力的に働いていました。


◆2011年2月27日(日)
 今日は東京マラソンを取材。日本人トップの3位に川内優輝選手(埼玉陸協)が2時間08分37秒で入りました。川内選手は実業団所属でなく、定時制高校の事務職員としてフルタイムで働く“市民ランナー”。今日は寺田の行動でなく、“市民ランナー”の定義について書いてみたいと思います(その日の行動を書かないケースが多いので、わざわざ断らなくてもいいのですけど)。それは、川内選手を果たして市民ランナーと呼べるのかどうか、という意見もあるからです。

 1年前であれば寺田は間違いなく、川内選手は市民ランナーだと書いたでしょう。なぜかというと、一昨年12月の福岡国際マラソンで同選手が13位(日本人3位)に入った際に話を聞いていて、そのときに「市民ランナーと言っていいですか?」というこちらの質問に、「市民ランナーです」と川内選手が答えているからです。それだけの理由です。
 今回も川内選手自身が「市民ランナー」という言葉を使っていますから(会見記事参照)市民ランナーでいいのですが、全てのマスメディアが“市民ランナー”という報じ方をしていると、うーんと考えてしまうのです。
 福岡国際マラソンのときは単独取材でしたから、選手が言った通りに受け取るのですが、今回のように世の中が“市民ランナー”一色になってしまうと、なぜか疑問を呈したくなります。あれだけ強い選手を“市民ランナー”と言っていいのか。醍醐直幸選手がアルバイト生活を送っていた頃に“市民ジャンパー”と言ったのか、と。

 要は“市民ランナー”の定義の基準が2つあるのです。
 1つは会社から走ることに対する報酬をもらっていないことです。これには実業団長距離チームの環境でない、ことも含みます。実業団の環境とは、合宿や遠征を仕事として行い、寮(食事)やトレーニング施設が整備され、シューズやウェアを提供してもらっている等々です。こちらは社会的定義と言うこともできるでしょう。
 もう1つは強さによる定義です。マラソンで2時間20分を切る記録を持っていたら、あるいは1万mで30分を切る記録を持っていたら、それはもう“市民ランナー”ではなくエリートランナーだという考え方。実際にそういうランナーは、エリートの部と市民マラソンの部の両部門がある大会だったら、エリートの部に出場するわけです。こちらは競技的定義と言うこともできるでしょう。

 これは後者の定義に含まれると思うのですが、学生時代に箱根駅伝に出たり1万mで30分を切ったことのある選手は“市民ランナー”に含まれない、という定義の仕方もできます。それなら強くて当然じゃないか、という考え方です。醍醐選手は高校時代に2m19を跳び、学生時代に2m21を跳んでいますから“市民ジャンパー”とは言われなかったのです。
 これも後者の定義に含まれますが、メンタル的にエリート選手同様に、あるいはそれ以上に自身を追い込める選手は“市民ランナー”とは言えないという考え方。川内選手のある記事には
最後の2・195キロは優勝者を上回る6分52秒で走った。マラソンで医務室に運ばれたのは、5度目という。「いつも死ぬ気で走るから」。
 とありました。

 それでも、一般的には強さや過去の実績でなく、その時点の環境で“市民ランナー”かどうかを判断します。つまり、社会的な定義です。寺田も実は、そちらの定義の仕方でいいのではないか、という気がしています。ですから、各メディアの“市民ランナー”という報じ方に異議を唱える気はさらさらないのですが、なぜかひと言書いておきたい気持ちになってしまったのでした。単なるへそ曲がり?


◆2011年2月28日(月)
 昨日の川内優輝選手の快走は反響が大きかったようです。今日はいつものペン記者用の一夜明け会見がホテルであっただけでなく、勤務先の春日部高で記者会見も行われたようです。テレビ各局も取り上げていました。それもスポーツ枠ではなく、社会枠(?)で。出勤時や仕事中の映像が流されて、一躍時の人になった観があります。
 さらには夜の7時頃にFMラジオに電話出演していましたね。そのインタビューを聞いていて、新しいネタが1つありました。実業団に入らなかったのは、勧誘された時期にはすでに公務員試験の勉強を始めていたから、だと理解していました。もちろん、それが一番の理由だと思いますが、学習院大という箱根駅伝に出られないチームで強くなったのだから、卒業後も同じように“自由な環境”で競技を続けたかったようです。

 ところで、昨日の日記で市民ランナーの定義について書きました。市民ランナーの対極という意味で実業団を引き合いに出しています。一口に実業団といっても、中身は各チームによって違いがあります。勤務時間がフルタイムに近いケースから、会社には週に1回くらいしか行かないケースまで。活動費全部が出るところもあれば、「年間でいくら出すからそのなかでやりくりしてくれ」、と言われているチームもあるようです(一般種目には)。
 ただ、今回は市民ランナーとの比較のためですから、実業団のチームによる違いについては特に取り上げなかったのです。話が複雑になってしまいますから。

 そして、これは偶然なのですが、クリールの樋口編集長も昨日のブログで、市民ランナーの定義について疑問を呈していました(本当に偶然です)。疑問を呈するというか、市民ランナーの定義が曖昧になっているので、クリールでは使わないようにしているのだそうです。
「ランナー」でよい場合には「ランナー」で、エリートランナーと区別する必要がある場合は、「一般ランナー」という言葉を使うようにしています。本誌の基準でいえば、川内選手はエリートランナーであり、一般ランナーではありません。
 同じように市民マラソンという言葉も使わないようにしているのだそうです。
単に「マラソン大会」でいいのではないかと思うのです。エリートも大勢走っているのに、「市民マラソン」はないのでしょう。エリートの立場はどうなってしまうのでしょうか。本誌ではエリートマラソンと区別する必要がある場合には「大衆マラソン」という言葉を使うこともあります。
 なるほどと思いました。筋の通った考え方だと思います。


◆2011年3月2日(水)
 世間では(ネットの陸上界でも)川内優輝選手の話題がまだ続いているようです。それだけインパクトのある走りであり、実業団以外の社会人選手が世界選手権代表になったことが珍しいということでしょう。
 寺田の日記では市民ランナーの定義について書きました。社会的な定義であれば川内選手は市民ランナーですが、競技的な定義でいえば市民ランナーではない、という見方を紹介したわけです。
 それに関連して、「社会的には市民ランナーで、競技力の高い選手を指す言葉があればいいのではないか」というご意見をいただきました。まさにその通りです。適当な言葉が何かあればいいのですが。高校生で傑出した力を持つ選手は“超高校級ランナー”ですから、それに倣うなら“超市民ランナー級ランナー”とか。

 市民ランナーの定義については語っていますが、「実業団しっかりしろ」とか、「トップ選手に実業団も市民ランナーも関係ない」とか、「駅伝がよくない」とか、そういった話はしていません。どの説ももっともだと思う一方、違う面から見ることもできます。
 例えば「トップ選手に実業団も市民ランナーも関係ない」という意見は説得力がありますが、実業団チームを持つ会社の経営者は、年間何千万円もかけている自社の選手が市民ランナーに負けたら怒るでしょう。駅伝をやっているから悪いという意見に対しては、過密スケジュールがいけないのであって、駅伝自体が悪いわけではないという意見もあります。
 よくやり玉に挙げられる箱根駅伝もそうでしょう。箱根駅伝自体が悪いわけではありません。箱根駅伝に対して関係者や世間が過熱してしまっていることで弊害が出ている、というのが実状です。1つの問題が1つの側面だけ持っているのなら解決は難しくありません。複数の側面を持っているから大変なのです。

 ややこしい話はこのくらいにして、単純明快な話を紹介したいと思います。
 東京マラソンでは中日スポーツ川村庸介記者が2時間27分52秒で52位と、自己記録を大幅に更新する快走を見せました……というネタを書くつもりでしたが、中日スポーツに大々的に記事が出ていましたので、そちらをご参照願います。


◆2011年3月3日(木)
 早くも3月も3日。時間が過ぎるのは早いですね。気がつけばびわ湖マラソンの3日前です。ネット陸上界では、横浜国際女子マラソンや東京マラソンに比べ、盛り上がりがいまひとつ。展望記事や出場選手の人物もの記事が少ないので、そういう印象なのでしょう。
 それでも、主催の毎日新聞は「鉈になれ:第66回びわ湖毎日マラソンに向けて」という連載をしていました。選手ではなく“鉈”というテーマで指導者を紹介しています。
 1回目が黒木純監督(三菱重工長崎)で2回目が逵中正美監督(NTN)、3回目が佐藤敏信監督(トヨタ自動車)。佐藤監督はニューイヤー駅伝優勝と、尾田賢典選手の初マラソン歴代3位で注目されていますけど、ここまで渋い記事も珍しいのでは? さすが毎日新聞という感じです。

 確かに、日本人出場選手(こちらに招待選手)が地味なのは否めません。外国人選手との差が大きいんじゃないか、という危惧はあります。
 それでも一般参加で、陸上ファンがよく見れば、面白そうな選手はたくさんいます。
 今井正人選手(トヨタ自動車九州)がその筆頭でしょう。福岡では最後まで外国人選手について終盤で失速。2時間13分23秒の5位(日本人3位)で世界選手権切符を逃しました。びわ湖では強豪外国人選手がスパートしたときどう反応するか。
 2009年の別大マラソンで日本人トップになった小林誠治選手(三菱重工長崎)、宗猛監督がマラソンへの適性を指摘する佐々木悟選手(旭化成)、初マラソンの2008年東京で2時間11分台をマークした堀端宏行選手(旭化成)、福嶋正監督がやはりマラソンの適性を認める堺晃一選手(富士通)。
 さらには36歳の浜野健選手を筆頭に、34歳の瀬戸智弘選手、33歳の渡邉浩二選手(大阪ガス)、32歳の菅谷宗弘選手、30歳の原和司選手(三菱重工長崎)らのベテラン勢がどんな走りを見せてくれるか。

 びわ湖は開催時期がニューイヤー駅伝から最も遠く、多くの中堅選手が出場します。20kmくらいまでは集団の人数が世界一多いマラソンだと思います。そのなかから誰が生き残るか。東京マラソンの川内優輝選手(埼玉陸協)まで3年間サブナインが出ていませんでしたが、2時間7分台、8分台を びわ湖で出した日本選手は数知れず(本当は数えられますが言葉のあやです)。好レース、好記録を期待したいと思います。


◆2011年3月4日(金)
 今日は仕事を頑張って(いつもは頑張っていないのか?)、ここ数日の懸案だったある大学OBたちへのアンケートを発送しました。その作業終了後は外出。郵便を出して、銀行に行って、文房具屋に行って、本屋で文庫本を買って、散髪をしました。と、たまには日記みたいなことを書いてみました。

 明日から世界四大湖畔大会の1つ、びわ湖マラソンの取材に出かけます。夜はその予習。主要選手のマラソン歴をリストアップ。この段階では不確定版なので、それを叩き台に明日、明後日の取材中に確認して完全版を作成します。
 その作業中、今回のびわ湖出場選手中サブテンの記録を持つのは浜野健選手(トヨタ自動車)1人だけ、ということに気づきました。ちょっと寂しいといえば寂しいですね。外国勢の記録が良いだけに。それと、36歳の浜野選手がサブテンを達成すれば、サブテンの最年長記録になります。現在の最年長記録は高岡寿成選手の35歳です。
 そういえば先日の東京マラソンで、初マラソンの尾田賢典選手(トヨタ自動車)が2時間09分03秒を30歳で記録しました。初サブテンの最年長記録かと思ったら、こちらも高岡選手で31歳で初マラソン・サブテンをやってのけていました。
 もう1つ気づいたのが昨年の別大マラソンで上位に入った選手が多いということ。6位(日本人2位)の林昌史選手(ヤクルト)、8位(同3位)の中本健太郎選手、12位(同6位)の涌井圭介選手(ヤクルト)。別大からびわ湖へ。別府湾とびわ湖、どちらも青い水面が印象的です。両大会とも毎日新聞が主催ですが…。

 持ち記録でやや顔ぶれが寂しい日本勢ですが、昨日も書いたようにサブエイトも多数出ているびわ湖です。今井正人選手(トヨタ自動車九州)、堺晃一選手(富士通)、佐々木悟選手(旭化成)、堀端宏行選手(旭化成)と若手に期待の選手も揃いました。
 過去、びわ湖で出たサブナインの一覧を掲載しておきます。

びわ湖マラソンで出た日本選手のサブナイン全パフォーマンス
記録 選手 所属 大会 順位 年月日
2.08.43. 小島 宗幸 旭化成 びわ湖 1 1998/3/1
2.07.52. 油谷 繁 中国電力 びわ湖 3 2001/3/4
2.07.59. 森下 由輝 旭化成 びわ湖 4 2001/3/4
2.08.52. 帯刀 秀幸 富士通 びわ湖 5 2001/3/4
2.08.35. 武井 隆次 エスビー食品 びわ湖 1 2002/3/3
2.08.12. 藤原 正和 中大 びわ湖 3 2003/3/2
2.08.28. 清水 康次 NTT西日本 びわ湖 4 2003/3/2
2.08.50. 佐藤 敦之 中国電力 びわ湖 5 2003/3/2
2.08.18. 小島 忠幸 旭化成 びわ湖 2 2004/3/7
2.08.36. 佐藤 敦之 中国電力 びわ湖 4 2004/3/7
2.08.56. 高塚 和利 小森コーポレーション びわ湖 5 2004/3/7
2.08.36. 大崎 悟史 NTT西日本 びわ湖 3 2008/3/2
2.08.54. 大西 雄三 日清食品 びわ湖 4 2008/3/2


◆2011年3月5日(土)
 16時からびわ湖マラソンの記者会見。でしたが、珍しく早めに現地入り。招待選手以外の情報をいくつか仕入れることができました。旭化成の佐々木悟選手と堀端宏行選手、三菱重工長崎・小林誠治選手らのマラソン回数です(取材まではできません)。佐々木選手が3回目、堀端選手が4回目、小林選手が16回目です。日本人招待選手のマラソン回数も、高橋謙介選手以外はプログラムのプロフィール欄で確認できました。残念なのは堺晃一選手の欠場がわかったこと。

 16時から記者会見。まず外国人招待選手6人の会見が行われました。キプサング選手(ケニア)が「コースレコード、可能なら2時間5分台」メルガ選手(エチオピア)が「2時間6分を切るタイムで優勝を目指す」カンゴゴ選手(ケニア)が「コースレコードを目指している」と積極的な発言。カンゴゴ選手は高岡寿成コーチも応援しているかもしれません(していないかもしれません)。コースレコードは2001年にペーニャ選手(スペイン)が出した2時間07分34秒です。
 外国人招待選手と入れ替わりに日本人招待選手4人の会見。その様子はこちらに記事にしました。各選手の考えの微妙な違いがわかると思います。共同会見終了後には10分ほどですがカコミ取材の時間も設けられていました。びわ湖、福岡、別大はこれがあるので助かります。寺田は中本健太郎選手の話を聞き、最後に高橋謙介選手にマラソン回数を確認しました。今回で10回目です。

 共同会見終了後に、一般参加選手の今井正人選手のカコミ取材がセッティングされていました。どうして招待選手でないのかという疑問があったので関係者に確認すると、持ち記録が2時間13分台だからだそうです。確かに、招待選手の自己ベストは2時間11分台と12分台でした。
 今井選手への取材テーマは、ハイレベルの外国人選手がペースアップしたときにどう対応するか。福岡ではそこを見誤って終盤で失速しました。それに対する答えは、こちらの記事をご覧ください。今井選手のあとには森下広一監督のカコミ取材もできたので、より明確に記事を書くことができました。
 いくら福岡で失敗したからといって、消極的になっては今井選手らしさが失われます。といっても、レース前から絶対にこうする、と決められるものでもありません。つく、つかないは、走り出してから判断していく部分でしょう。これが明日の見どころの1つだと思っています。


◆2011年3月6日(日)
 今日はびわ湖マラソンの取材。早めに会場に着くことができ、テレビを見るのに良い席が確保できましたし、昨日の日記を書くこともできました。日記にはジョークで高岡寿成コーチの名前を出しました。まさかレース後の取材で頻繁に高岡コーチの名前が出てくるとは、そのときは知る由もありませんでしたが…。

 レースはキプサング選手(ケニア)が強さを見せつけました。25kmまでの5km15分ペースに余裕があったのでしょう。メルガ選手(エチオピア)の再三の仕掛けに対応し、38kmでスパート。2時間06分13秒と、10年ぶりに大会記録を更新しました。ケベデ選手(エチオピア)の2009年と2008年の福岡の記録(2時間05分18秒と2時間06分10秒)に次いで、国内歴代3位のタイム。ラスト2.195kmが6分21秒というのもすごい。これは国内最速かと思って調べたら、ケベデ選手の2009年福岡が6分17秒でした。
 日本選手も30kmまでは15分ペースに挑みました。レース前には日本選手には速すぎるのではないか、という意見もありました(寺田もそう思っていました)。確かに30km以降のペースダウンはありましたが、選手たちがなんとか踏みとどまったことで自己新が続出。日本人上位5人までが自己新で、6番目の林昌史選手(ヤクルト)が2秒だけ自己記録にショート。7番目の五ヶ谷宏司選手(JR東日本)が初マラソンで2時間12分07秒、8番目の新井広憲選手(中国電力)も自己新でした。

 レース後はまず今井正人選手(トヨタ自動車九州)の話を聞くことができました。質問したいことは明確だったので短い時間で終了。続いて森下広一監督の話も聞くことができました。なんとか記事にできたらと思っています。
 続いて日本人4番目の吉井賢選手(SUMCO)のカコミ取材に。日本人トップの堀端宏行選手(旭化成)、2位の中本健太郎選手(安川電機)、3位の今井選手、そして吉井選手と上位4人を九州の実業団選手が占めました。その点について特別に意識はしていなかったようですが、レース前に「佐々木(悟・旭化成)と今井が良いと聞いていたので、ついて行こうと思っていた」そうです。
 これらの取材をしている間に、中本選手のカコミ取材も行われていて、そこまで手が回りませんでした。ちょっと失敗しましたが、安川電機の山頭直樹監督のカコミ取材には後半で加わることができました。今回のマラソン練習はこれまでで一番、質を高められたということです。

 表彰式をはさんで記者会見が始まりました。最初に陸連、次に優勝したキプサング選手、そして日本人トップの堀端選手の順。堀端選手が最後だったのは好都合。会見時間はちょっと短めでしたが、会場から出た後もぶら下がり取材をすることができました。
 10分くらいでドーピング検査に入ってしまいましたが、びわ湖はドーピング検査が終わって出てくるところでも少し話が聞けるパターンです。記者室に戻って記録を整理して、今日書く記事の方向性を考えてから、ドーピング検査からの出待ちに加わりました。
 スポーツ紙を中心に5人の記者が出待ちをしていました。スポーツH新聞のE藤記者の姿も。東京マラソンのときは川内優輝選手の日本人トップもあると踏んで、前日に事前取材もしていた同記者ですが、今回の堀端選手はノーマーク。スポーツ紙の人物記事には必ず家族構成やスポーツ歴、趣味、好物などのプロフィールをつけますが、その辺の取材ができていないといいます。
 出待ち取材にもなんとか成功。会見、ぶら下がり、出待ちと3つの取材で聞いたコメントを整理したのがこちらの記事です。堀端選手が189cmの長身という点も、各記者の突っ込みどころ。ぶら下がりと出待ち取材時に何回か、同じ長身選手だった高岡コーチの名前が出てきました。アメリカへコーチ留学中の同コーチですが、存在感の大きさを感じたびわ湖マラソン取材の一日でした。


◆2011年3月7日(月)
 今日は堀端宏行選手(旭化成)の一夜明け会見が伊丹空港で行われましたが、昨晩のうちに東京に戻らなければいけなかったので、取材に行くことはできませんでした(予算がないというのが実状です)。いくつか記事も出ていました。こういうところでネタを仕込んでおくと、あとあと役に立つのですが…と愚痴を言っても始まりません。頭を切り換えましょう。

 昨日の日記でびわ湖マラソンでの取材の様子を紹介しました。日本人2位の中本健太郎選手のカコミ取材に加われなかったことが失敗だったのですが、寺田と違って大手メディアは抜かりありません。日本人上位の堀端選手、中本選手、今井正人選手(トヨタ自動車九州)と記事にしていました。毎日新聞にいたっては8位(日本人5位)の糟谷悟選手(トヨタ紡織)まで取り上げていますし、キプサング選手の記事にはオランダ人の代理人のコメントまで載っています。本当に、いつの間に取材したんだろう? 1人で取材している寺田と、数人で取材している大手メディアの違いです。同じ土俵で勝とうとしても無理ですね。違う方法を考えないと。

 さらに、間違いをしていたことに気づきました。4日(金)の日記で今回のびわ湖マラソンに出場する選手の中でサブテンの記録を持つのは浜野健選手(トヨタ自動車)だけと書きましたが、高塚和利選手を見落としていました。2時間08分56秒を2004年のびわ湖で出しています。申し訳ありませんでした。

 江里口匡史選手(早大)の記事が早稲田スポーツのサイトに出ていました。この時期、新聞の記事は長距離一色なので、トラック&フィールドのファンにとってはありがたいですね。大学4年間を振り返る視点も好きです。長いスパンの中で、個々の試合や出来事を位置づけて話してもらえますから、より深くその選手を理解できます。高橋萌木子選手の4年間も、どこかで記事にならないでしょうか。
 江里口選手の記事は卒業後のことにも触れてくれています。大阪ガスに入社することはずいぶん前から報じられていましたが、練習拠点を早大にするのか、大阪に移すのか、どちらにするんだろう? と思っていました。
 早稲田スポーツの記事によれば9時から12時までは通常勤務をするようです。ということは、大阪で練習することになる。朝原宣治コーチとは、どういう距離感になるのでしょう。次は、そこを知りたいですね。


◆2011年3月8日(火)
 びわ湖マラソンでの世界選手権代表決定(内定?)から2日。堀端宏行選手(旭化成)の特徴を1つ、ハタと思いつきました。ちなみに堀端選手はホリハタではなく、ホリバタと読みます。
 それで堀端選手の特徴ですが、それは旭化成というチームのすごさでもあると思います。どういうことかというと、堀端選手は旭化成ではエースではないのです。厳密に言うと駅伝のエースではない。同選手はニューイヤー駅伝には3年前の2008年大会に一度出場しているだけ。それも、3区でしたから当時のエース区間ではありません。同じ長身選手ということで高岡寿成コーチと比べられていた堀端選手ですが、その点では高岡コーチとは大きく違います。
 旭化成では前回の世界選手権ベルリン大会11位の清水将也選手も、ニューイヤー駅伝は一度も走っていない選手でした。
 他チームで世界選手権代表になる選手は、ほとんどがチームのエースですから、駅伝メンバーに入れない選手がマラソン代表になる旭化成というチームの特徴がわかります。つまり、部員すべてが高い志を持って競技に取り組んでいるし、駅伝を走るスピードはなくてもマラソンで代表になれるノウハウがある。
 かといって、エースが代表になれないわけではありません。旭化成でもかつての森下広一選手(現トヨタ自動車九州監督)や川嶋伸次選手は、駅伝でもエースでした。近年では佐藤智之選手もそうですし、佐々木悟選手も今回のびわ湖で2時間12分台の自己新をマークしました。旭化成の懐の深さがわかると思います。

 びわ湖マラソンの余韻も残る火曜日ですが、ネット陸上界では今週末の名古屋国際女子マラソンに向けた記事も目に付くようになりました。主催者サイトでは中日新聞の人物もの連載記事が読めるようになっています。加納由理選手(SWAC)、中村友梨香選手(天満屋)、藤永佳子選手(資生堂)という過去3年間の優勝者に加え、野尻あずさ選手(第一生命)と那須川瑞穂選手(ユニバーサルエンターテインメント)。どの選手も状態が良かったり、気持ちが充実しているようです(展望記事の取材では不安要素を選手側が出さないことが多いので、そういった書き方になる傾向が強いのですが)。
 寺田が注目したいのは静岡新聞に記事が出ていた初マラソンの松岡範子選手(スズキ浜松AC)です。寺田も何度か取材させていただいたことがあって、交通事故の後数年はなかなか元のレベルに戻れず苦しんでいましたが、数年でまた駅伝のエース区間を走れるまでに復調。それでも、記事中にもあるように故障が多く、まとまった期間練習を継続できない選手でした。
 しかし、俗にいう“戻し”の早い選手で、短期間の練習で駅伝やトラックにはきっちり合わせられる選手です。2008年の日本選手権では1万mで4位と、北京五輪代表トリオ(渋井陽子選手、赤羽有紀子選手、福士加代子選手)に食らいつきました。ちなみに、そのときの5位が尾崎好美選手(第一生命)でした。
 正直、マラソンまで進出できるタイプではないと思っていましたが、記事を見ると昨夏から故障がなく練習が継続できているようです。センスのある選手が泥臭い練習を継続できたということでしょう。同じ静岡県人として、注目させていただきたいと思います。


◆2011年3月9日(水)
 5日(土)の日記に書いた
カンゴゴ選手は高岡寿成コーチも応援しているかもしれません(していないかもしれません)。
 というジョークの意味がわからない、というメールがありました。これはですね、わかるような文章にしてしまうと面白くないんですよ。わかる人だけにわかればいい、という類のジョークなんです。でも、それでは身も蓋もないので、TBSの世界陸上ヘルシンキ大会のプロフィールにリンクしておきます。

 7日の日記には大手メディアが幅広く取材をしているという話を書きました。そこで書き忘れてしまったことですが、多くの新聞で競技の記事だけでなく、“代表選考の行方”を解説する記事も出ていました。
 アジア大会銀メダルの北岡幸浩選手(NTN)、東京マラソンで内定条件(日本人トップで2時間09分29秒以内の記録)をクリアした川内優輝選手(埼玉陸協)、びわ湖で内定条件をクリアした堀端宏行選手(旭化成)の3人が代表に決まり、残るは2枠。東京マラソンで日本人2位、2時間09分03秒の尾田賢典選手(トヨタ自動車)も確定的で、残るは1枠。それを福岡国際マラソンで日本人トップ(2時間10分54秒)の松宮隆行選手(コニカミノルタ)とびわ湖で日本人2位(2時間09分31秒)の中本健太郎選手(安川電機)が争う、という論調が大勢を占めていたと思います。
 中には、9分台というタイムを評価して、中本選手が優位に立っているのでは、と書いていた新聞もありました。

 レース展開を見ると東京とびわ湖が似ています。ともに5km15分ペースで30kmまで押していき、その後も粘って2時間9分台を出した選手が3人。それに対し福岡の松宮選手は25kmまでと30kmまでの5km毎で16分台と中だるみをしていますが、35kmまでを15分37秒、40kmまでを15分18秒とペースアップしています。同じレース展開だった選手を選ぶか、違う展開をした選手を選ぶか。
 もう1つポイントがあるとすれば代表に決まった川内選手と堀端選手が、“夏は苦手”と明言していること。夏の世界大会で実績のある選手がいればいいのですが、残念ながらそういう選手はいません。だったらどういう判断をするか……は関係なく、選考レースの内容だけで選ぶのかもしれません。
 忘れてはいけないのが別大マラソン日本人トップの前田和浩選手。大手メディアは名前を挙げていませんでしたが、寺田は可能性はあると思っています。

 1つだけはっきりさせておきたいのは、自動内定基準をクリアできなかった時点で、その選手は陸連の選考に身を委ねざるを得ない状況になったということ。何度も書きますが、複数レースで選考する以上、見方が1つになることなど不可能です。ですから、どんな結論が出ても、受け容れるしか道はありません。
 これも何度も書きますが、世界選手権の代表は5枠もありますから、多くの選手にチャンスを与えるという意味で、複数レースでの選考は良いことだと思います。前回のベルリン大会のときのように、海外レースも選考対象にしてもいいと思っています。
 それがオリンピックになると、枠が3つとなって少ないですから、単独レースによる選考(上位2人が自動内定。1枠が陸連推薦)の方が、日本の競技的な現状ではベターだと思っています。でも、社会的な現状から、それができないようです。


◆2011年3月10日(木)
 昨日急ぎの原稿依頼があり、今日はその原稿を頑張りました。今日が締め切りというわけではありませんが、明日の午後から名古屋出張なのです。名古屋国際女子マラソンの会見は土曜日なのですが、明日のトヨタ自動車のニューイヤー駅伝優勝祝賀会に出席するためです。
 それとは別に昨日から、びわ湖マラソンの今井正人選手記事も書き進めています。明日にはこのサイトに掲載できるでしょうか。
 今日のニュースでオッと思ったのがこちら。テグ世界選手権の組織委員会が来日し、日本の陸上ファンに観戦を呼びかけたという記事です。なかでも目を引いたのが入場料を「前回ベルリン大会の5分の1程度に抑えた」というところ。ベルリン大会の入場料金の資料がないので具体的な金額がわかりませんが、かなり安い金額に抑えているのは確かでしょう。

 ちなみに、2007年大阪大会夜の部の前売り価格は以下の金額でした。
S席:14000円
A席:10000円
B席: 7500円
C席: 4000円(子供2000円)
 これは高すぎるだろうと怒って、「中学生・高校生が見に行ける値段だろうか。あるいは陸上競技経験のある父親や母親が、子供を連れて見に行けるだろうか」と、陸マガにも書きました。当事者にはそれなりの事情があったのかもしれませんが、その結果が91年東京大会に比べ、空席が目立つ大会となってしまったわけです。
 ちなみに、東京大会夜の部は以下の金額でした。
A席: 3600円
B席: 1800円

「韓国での陸上人気掘り起こしを狙って」と記事にはあります。日韓を比較した場合、レベル的にも一部種目を除けば日本の方が上ですし、韓国の陸上競技人口は少ないと聞いています。だから、韓国陸上関係者が世界選手権の機会を逃さず、普及につとめているのでしょう。
 しかし、日本の陸上競技もそれほど人気があるわけではありません。駅伝やマラソンの視聴率は10%を超えますが、トラック&フィールドの試合の視聴率は5%以下です。日本も“陸上人気掘り起こし”をしないとどうしようもないレベルです。
 ただ、人気が出て選手層が厚くなっても、箱根駅伝と同じで、多くの選手がインカレで満足してしまっていたら何にもならないのですけど。


◆2011年3月11日(金)
 なんとか名古屋にたどり着きました。日付が変わっていましたが。

 地震があったとき寺田は新幹線の車内にいました。といっても東京駅で出発直前。14:50発でしたからあと5分地震発生が遅れていたら、駅と駅の間に止まった新幹線に閉じこめられていたかもしれません。幸運でした。
 しかし、その後は東京駅にずっと足止め。最初のアナウンスは「停電で2時間は動かない」というものでしたから、その時点で18時開始のトヨタ自動車優勝祝賀会への出席は苦しくなりました。でも、遅刻していけるかもしれません。その辺を電話で知らせようとしましたが、電話が通じません。地震が原因で行けなくなったと、事情はわかってくれると思いますが。
 何もできないうちに時間は過ぎていき、そのうち、東北・長野・上越新幹線は、今日は動かないというアナウンスがありました。東海道新幹線については特に情報なし。でも、今日の名古屋行きは無理だろうと感じ始めました。明日、出直すしかないだろうと。
 しかし、JR各線も地下鉄も私鉄も全部ストップしていて、自宅に帰ろうにも帰れません。というか、東京駅からまったく動けない。それでも、電車はそのうち動くだろうと思い、それまでの待ち時間を無駄にしてはいけないと、駅構内の階段に新聞紙を広げて腰掛け、パソコンを取り出して仕事を始めました。東京駅構内の店舗はすべて閉められてしまい、カフェでの作業ができません。どこのベンチも、とっくに全部の席が埋まっています。
 急ぎの原稿は終わらせてきたので、15日が締め切りの確定申告の作業。今回の出張にはクレジットカードの明細と、銀行口座出入金明細(WEB口座なので通帳はなし)を持って来ていたのです。

 作業に一区切りついたのが17時。再度、トヨタ自動車関係者に電話を入れましたがつながりません。電車も全線ストップのまま。正直、階段で仕事をするのは体勢的に楽ではありません。どうせ、すぐに電車が動くことはないと判断して、駅の外に仕事のできるカフェを探しに行きました。幸い、東京駅は八重洲地下街に直結しています。
 ところが、地下街マップに3つあるカフェはどこも満席です。予想はしていたことですけど。でも、もう1回りすれば、その間に席が空くカフェがあるかもしれません。と考えて2周しましたがダメです。その間に、長期戦になることも覚悟してコンビニで食料や飲料を調達。コンビニの棚はもうガラガラでした。寺田が店を出るときには、「閉店です」と、もう入店を断っていました。ここでも危機一髪。
 これは早めに食事をしておいた方が良いと判断。すでに、ほとんどの飲食店で行列ができています。でも、地下街を3周したおかげで、駅から最も離れた区域にあるラーメン屋の行列が短いことを把握していました。その店に行って10分くらいで席に着くことができ、塩野菜ラーメンを食べられたのもラッキーでした。

 食事が終わったのが19時半くらい。再度、カフェ探しに出ましたが、最初に行ったスタバは早じまいの作業に入っていました。しかし、今度も寺田は幸運でした。2軒目のカフェ・ド・クリエに行くと、ちょうど人が出ていって空席ができるところでした。
 食事中に聞いた八重洲地下街防災センターの19時のアナウンスでは、まだ全線ストップという情報でしたが、とにかく情報が必要でしたからネットに接続しないといけません。無線LANは「Fon」の電波だけでしたが、これの接続設定がなかなか成功しない。クレジットカードの情報を入れて確認ボタンを押すのですが、何回やってもはじかれてしまうのです。
 30分くらいトライしましたが、あきらめてドコモのデータ通信で接続。この方法だと料金が高くつくのですが非常時ですから仕方ありません。その結果、JR、地下鉄、私鉄と全て止まっていることがわかりました。

 仕方がないので確定申告の作業の続きをしましたが、21時になって再び八重洲地下街防災センターのアナウンス。地下鉄の一部が運行を再開したというのです。これは、もう少したてば地下鉄の多くが開通するかもしれない。あとは京王線か小田急線が動けば自宅まで帰れるのですが、ネットで見るとその2つの路線は再開していません。
 そうこうしているうちに21:30。22時にはカフェも閉店してしまうといいます。地下街には“帰宅難民”の人たちが座り込んでいます。夜を明かす覚悟なのでしょう。
 ここで、ダメもとでJR東海のホームページを見たのがよかった。どうやら新幹線が動いているようなのです。というか、それまでまったくJR東海のページを見ていなかったのが失敗でした。新幹線は無理、と決めつけていたのです。
 東京駅に行くと東海道新幹線は動いているといいます。新大阪まで行く電車があと4、5本ありました。次は、座れるかどうかが心配でした。ホームに行くと案の定、長い列ができています。しかし、1号車まで行くと列が短く、なんとか座れそうでした。新幹線が到着するまで10分か15分待ちましたが、そのくらいの時間はなんともありませんでしたね。帰宅難民になるところだったのが、予定通りに名古屋入りできそうなのです。トヨタ自動車の優勝祝賀会に行けなかったのは残念ですけれど。

 新幹線はそれほど徐行することなく、午前0時少し過ぎに名古屋着。ホテルに着いて電気、水道、テレビ、ネットなどインフラが使えるありがたさを実感しながら日記を書きました。
 ネットのニュースによると、名古屋国際女子マラソンの開催をどうするか、陸連は慎重に判断するとのこと。名古屋の街自体はそれほど地震の影響はなさそうです。国民感情をどう判断するか、ですね。ニュージーランド合宿組への配慮も必要かもしれません。


◆2011年3月12日(土)
 昨晩からテレビを見ていると、地震の被害が思っていていたよりも甚大であることがわかってきました。これは、名古屋国際女子マラソンの開催は厳しいのではないか。そう感じ始めました。できれば開催してほしい、というのが個人的な気持ちです。寺田のような自営業者の場合、大会がなくなれば仕事もなくなります。ただ、そんなことは言っていられない現実が同じ日本で起こっている。国民感情への配慮とかより、もっと大きな理由で開催できないのではないか、と。

 一夜明けて、午前中は確定申告の作業をしていましたが、11:48にO内さんから電話があり、11:40に開催中止のリリースが主催者から配られたといいます。詳しくは15:30から会見するということです。
 14時くらいから大会本部ホテルに行き、選手たちのコメントを取材しました。どの選手にも表情に明るさはありません。「仕方ない」「走る気持ちにはなれない」という声がほとんどでした。

 15:30から会見。主催者である中日新聞からの説明では、事態の大きさ、余震が頻繁に起こっていること、被害がさらに拡大する恐れなどと一緒に、愛知県警に被災地への救援要請がきていることが理由として述べられました。
 日本陸連も「大変残念だが未曾有の災害を目の前にすると、中止という結論はやむを得ない」といいます。
 主催者は大会に向けてさまざまな準備をしてきています。各担当者は大会の成功を願って全力を尽くしています。お金も相当額を使っているでしょう。そういう立場の人たちが中止はやむを得ないというのですから、開催が難しいことをさらに実感できました。

 しかし、陸上界では世界選手権の選考をしなければなりません。名古屋の結果を受けて、女子で未定の残り4枠を15日の陸連理事会で決める手はずでした。陸連の判断は、4月までのレースの1つを選考レースに指定するという方法。日本人トップで2時間25分59秒以内は自動内定という基準は変更しないといいます。
 新選考レースは内外を問わず検討するということですが、陸連主催であり、テレビ中継もある大会となると、4月17日の長野が直近の大会ということになります。人脈を使って調べたところ、14日の月曜日に長野マラソン側と陸連側が話し合うことも決まっているとのこと。現時点では長野が選考レースになる可能性が高いようです。

 会見後も何人かの選手のコメントを取材。
 こちらの記事を書き上げた後、中日スポーツの川村庸介記者に食事をしながら取材をしました。もちろん、東京マラソンでの2時間27分52秒(52位)の大幅自己新について。記者ランナー(市民ランナーの1つのカテゴリー)の星がいかに快挙を実現したか、が取材のテーマです。
 川村記者が予想していたのは2時間28〜29分台。「その練習はやってきましたが、27分台はコンディションが良かったから」だといいます。5km毎を17分30秒で押していく練習はできていましたが、30kmを過ぎて18分、35kmからは18分半かかることも覚悟していたようです。それが、雷門付近から35kmくらいまでが追い風となり、17分30秒台、17分50秒台でリズム良く行けたことで2時間27分台が実現しました。
 30km手前で女子トップの樋口紀子選手、32km過ぎで勝又美咲選手を抜きましたが、普段は1人で走っている市民ランナーにとって、そういった目標が「ポーンポーン」(川村記者)と存在すると、走りやすくなるようです。39km前後では藤原新選手と渋井陽子選手も抜き去りました。
 中日スポーツの記事によると、来年のびわ湖マラソンの出場資格を得たことを喜んでいる様子。オリンピック選考会の雰囲気を肌で感じて、その後の記事に生かそうということですが、理由はそれだけでもなかったのです。
「自分は小1のマラソン大会で100人中85位で、高校ではやっと県大会(千葉県)に出られるレベルで、大学(一橋大)では関東インカレ2部の標準記録を切れなかった。そんな自分がオリンピック選考会に出られる。柔道や水泳では一般人がオリンピック選考会に出られるなんてことはありませんが、(びわ湖マラソンに出場すれば)オリンピックまであと何分、あと何人だったと具体的にわかるんです」
 川村記者の話を聞きながら、プチ感動しながら味噌煮込みうどんを食べていました。どんな練習をしたのかも聞きましたが、詳しくはWEBで(どこの?)。


◆2011年3月13日(日)
 10時にチェックアウトして新幹線で帰京。車内で昨日の日記を書きました。後半に川村記者のことを書いたのは、暗い話題に終始しないためです。残念ながら今日の日記に、明るい話題はありません(たぶん、そんなに長く書けないし)。

 寺田が多摩市の自宅に戻ったのが15時頃。仕事部屋はこんな状態になっていました。大きな本棚の1つが倒れてしまったのです。天井との間に、地震対策用の突っ張り棒をかましてあったのですが、それが役に立たなかったくらいの揺れだったんですね。同タイプの本棚がもう1つあって、そちらは無事だったので、突っ張り棒が役に立たないわけではないと思うのですが。
 本棚の転倒でテレビ台の底板前部分がばきっと割れていました。本棚の方は傷ついていなかったので元に戻せたのですが、テレビ台は修理不可能です。テレビ自体は無事だったのでよかったのですが。
 片づけに4〜5時間かかりました。
 ということで、確定申告の作業が今日はできませんでした。明日は東京電力の計画停電で多摩市は9:20〜13:00と、18:20〜22:00の2回、合計7時間20分も電気が止まります。作業が進むか心配です。

 陸上界では為末大選手が中心となって、募金を呼びかけています。それにしても、同選手の行動は早かったですね。詳しくは同選手のサイトをご覧ください。早狩実紀選手と横田真人選手も賛同しています。
 秋本真吾選手も実家のある福島県大熊町が事故のあった原発の町ということで、寄付金を呼びかけています。


◆2011年3月14日(月)
 午前中に予定されていた計画停電が中止になり、ここぞとばかりに確定申告の作業をしました。帳簿はすでに整理してあったので、あとは申告用紙に記入していく段階でした。ネットにつなぎながら入力していかないといけないので、停電中はできないのです。意外と早く進み、昼食をはさんで午後一には終了しました。ポストへの投函は夜になりましたが、締め切りである明日の消印で税務署に届くはずです。

 個人的にはひと山こえた感じですが、震災の影響はこれからが本格化しそうな感じです。明日の陸連理事会とマラソン世界選手権代表発表は延期に。今週末の全日本実業団ハーフマラソンも、女子の日本学生ハーフマラソンも中止が決定しました。
 計画停電も首都圏に住んでいる人間にとっては痛手です。東京23区は対象になっていませんが、その周辺地区は輪番制で3時間単位の停電が繰り返される予定です。寺田の住んでいる地区も電車の運行が不安定になっています。明日のマラソン世界選手権代表発表イベントや、明後日の知人の送別会が延期になりましたが、実施されていても行けたかどうか。

 テレビでは津波の映像や被災者のインタビュー、内閣官房長官や東京電力の会見、原子炉事故の図解説明などが繰り返されています。自分にできることは何かを考えましたが、為末大選手の言うように、被災地に義援金を送ることしかできません。早狩実紀選手のブログを読んだあとに、早狩実紀のチャレンジページ「Run for Charity 東北地方太平洋沖地震の救済支援」から寄付をさせていただきました。

 今日、これはと思ったコメントをツイッターで見つけました。元トップスプリンターの高島三幸さんがリツイートされていて、寺田もツイッターでリツイートさせていただきました。
被災地から救出された80歳過ぎであろう男性。笑顔で「大丈夫!大丈夫!チリ津波も体験してるし、再建しましょう!」と。悲しみの声を聞き出そうと食い下がる記者に「そんなこと言っても仕方ないでしょ」と笑顔。隣にいたご婦人も「みっともない格好撮らないで」と。日本を築いてきた方達は凛々しい。
 自分たちが元気を送らないといけないのに、逆に元気をもらいました。


◆2011年3月15日(火)
 今日は、中止になった名古屋国際女子マラソンに代わる世界選手権選考レースが、どの大会になるか発表される日なのですが、どこにもそのニュースが出ていません。決まれば絶対にニュースになるはずですから。陸連理事会が延期になったからでしょうか。よくわかりませんが。

 トップページで今回の震災に対する義援金を、ネット上で送ることのできるサイトを6つ紹介しました。どれもクレジットカードの番号を入力すれば送金できる仕組みです。寺田も昨晩、早狩実紀選手のページから送金しました。
 紹介させていただいたのはネット送金ができるところですが、他にも義援金活動をしている陸上関係者はたくさんいます。新潟アルビレックスRCは新潟駅周辺で募金活動をしたそうです。朝原宣治さんのアスリートネットワークもNHKに義援金を持参するそうです。
 関西学連は3月18、19日の関西学連競技会の際に義援金の受付をするとのこと。大会中止のケースが続出していますが、大会を開催して被災地を支援する方法もあるのです。
 我々にできることは、自分の日常活動をしっかりとすること。それが日本の経済を支え、被災地を支援することになるのです(と、どこかで読んだことの受け売りですが)。陸上選手であれば練習を積み、試合でしっかりと結果を出すことです。

 それを考えると計画停電による鉄道各社の運行の乱れは痛いですね。通常の仕事ができなくなる人が大勢出ています。なんとかならないものでしょうか。
 それと金融界。株価が今日、日経平均で1000円以上ドーンと下がりました。株価は災害や戦争に対しては弱いですね。“そういうもの”なのでしょうけど、これもなんとかできないのかな。首都圏の買い占め騒ぎも同じような心理状態から生じていると思います。


◆2011年3月16日(水)
 今日は夕方、新宿に出て打ち合わせをしました。
 京王線は平常通りの運行になっていたので時間を決めて新宿まで出られた次第です。駅照明の一部消灯や車内空調の使用中止、一部のエスカレーターの停止、広告看板の消灯などの節電に務めるという条件で、東京電力から電気を供給してもらったとのこと。昨日の日記でも触れましたが、社会インフラである鉄道はこうでなくてはいけないと思います。
 新宿の街(西口方面)の様子はといいますと、ヨドバシカメラが営業はしていましたが、看板の電気を点灯していなかったので、いつもとは違った雰囲気でしたね。京王線同様店内の暖房をしていませんでした。

 新宿といえば都庁。都庁といえば東京マラソンのスタート地点です。東京マラソンといえば、記者ランナーの中日スポーツ・川村庸介記者。この時期、明るい話題といえば川村記者を置いて他にはありません。
 12日の日記では大幅に自己記録を更新したレースを中心に振り返りましたが、今日は、福岡国際マラソンから東京マラソンまでの練習のについて紹介したいと思います。
 川内優輝選手は600kmの月間走行距離という記事がありましたが、川村記者も月間走行距離は500kmも行ったことがないといいます。それでも福岡の後50km走を1回、40km走を1回行なっています。50km走は12月23日で多摩川の上流からのワンウエイコースで。4分15秒から30秒のペースで40kmまでは楽に走れたそうです。40km走は2月上旬の平日(記者の休日)に皇居で行ったそうです。
「50kmは1回だけでしたが、それをやったことでレースの残り10km、15kmが楽でした。40km走はレース本番(42.195km)のタイムでやるのがいいようです」と、川村記者。
 30km走も3回実施し、最後の30km走はマラソン本番のレースペースで行ったそうです。これも平日の皇居で行いましたが、市民ランナーであふれる皇居周回コースも午前中であればそれほど混んでいないそうです。ちなみにスタート地点は半蔵門。そうすると最初に下って最後に上ることになり、良い負荷がかけられるようです。

 1月末には大阪国際女子マラソンを取材。優勝した赤羽有紀子選手の記事を担当しましたが、その取材中に赤羽選手が40km走の翌日にLSDをやったと聞き、自身のトレーニングに取り入れました。40km走の翌日と、最後の30km走の翌日に、早朝の120分LSDを行ったそうです。朝食前に行うことで、より効果が上がったといいます。その辺は中日スポーツの記事にもあるように、小出義雄代表の教えを実践しています。
「やることをやって、やるべきでないことをやらなければ、2時間20分台は出せます」と川村記者。どうやら、トレーニングと生活のコツをつかんだようです。この辺は、ハイレベルな市民ランナーに共通する部分かもしれません。
 そして川内優輝選手との共通点が、レースで出し切れる選手であること。川内選手のように医務室には行っていませんが、4回のフルマラソン全てで自己記録を更新しています。レース翌日は「抜け殻のような状態」になりますが、そこは記者が本業。東京マラソン翌日は「相撲部屋の前で5時間立っていた」と言います。東京マラソン翌日に願書受付業務を朝の8時半から夜の9時までこなした川内選手に、優るとも劣らない仕事ぶりです。


◆2011年3月17日(木)
 ここ数日、どうも仕事に集中し切れません。テレビがついているとついつい震災関連のニュースに見入ってしまいますし、ネットの新聞サイトやポータルサイトで気になる見出しがあると、次また次とクリックしてしまいます。一昨日の日記に
我々にできることは、自分の日常活動をしっかりとすること。それが日本の経済を支え、被災地を支援することになるのです。
 などと偉そうなことを書いておきながら、自分の足が地に着いていません。テレビに気が散ってしまうのなら、得意のカフェ仕事に持ち込めばいいのですが、計画停電の影響でこういうときに閉店してしまっています。

 そんな自分が恥ずかしくなったのが、川本和久監督のサイトを読んだときでした(陸上競技関連のページを読むのはOKでしょう)。
 川本監督の今日の日記には福島大が被災者を受け容れる様子が描かれています。昨日はガソリン入手が困難な様子が。その前の日記からは地震の直後、合宿先の千葉から福島に戻るのがいかに大変だったかがわかります。
 川本監督が本職(大学教授や陸上競技の監督業)に専念できているわけではありません。その逆で、震災の対応に追われている。しかし、そんな状況でもOBの教え子たちの安否を確認し、OL選手たちの練習環境を整備されています。
 浮き足立っている自分が恥ずかしくなりました。

 話は変わりますが、火曜日に発表予定だった名古屋国際女子マラソンに代わる世界選手権選考レースが、発表されませんでした。その理由は、代替レースとして打診していた4月17日の長野マラソンが、開催するか中止するかを検討中だからのようです。今日入手した情報では、中止の方向に傾いているようです。長野がダメだったら、この時期、選考レースができそうな国内マラソンはありません。
 今からマラソンを新たに開催するとなると、準備が間に合うかどうか。
 数年前に台風の影響で淡路島女子駅伝が開催できなかったとき、急きょ加古川(だったと思います)の河川敷で4地区合同予選会を行いました。河川敷とか、神宮外苑周回コースとかであれば、公道を何時間も使うわけではないので、開催は可能かもしれません。ただ、マラソン大会としての華やかさがなくなります。
 海外の選考レースというのも不可能ではないのでしょうが、いまいちピンときません。
 陸連も対応に苦慮しているのではないでしょうか。


◆2011年3月18日(金)
 熊田君のツイッターにはいつも感心させられます。毎回、よくここまで好記録をチェックしているな、と。国内は○○県記録会レベルはもとより、○○県○○地区中学まで。海外はヨーロッパ室内選手権レベルはもとより、東欧の小都市の競歩大会まで。どうやったら調べられるのか不思議です。
 ブログのgooooooood!!recordの方は、ツイッターでは紹介しきれないような、まとまったデータを掲載しています。昨日は「日本人男子マラソン“サブ10”アラカルト」。東京マラソン、びわ湖マラソンとサブテン選手が久しぶりに続出したので、タイムリーな企画です。パパッと出せるところがスゴイですね。
 ネット陸上界も震災の話題一色に染まりがちのなか、そういった陸上ファンが喜べる情報を出してくれるのが素晴らしいと思います。“日常活動”“自分のできること”をきっちりとやっている感じです(震災のチャリティーにも協力しています)。

 寺田も負けずに陸上競技ネタ、明るい話題を提供しようと思っているのですが、これがなかなかありません。川村記者(中日スポーツ)にまたマラソンを走ってもらって、自己記録を更新してもらいましょうか。そうすれば明るいネタが…って、もちろん冗談ですよ、冗談。


◆2011年3月19日(土)
 震災から1週間と1日。
 コンビニのお弁当やおにぎりの棚は以前と違って商品が揃っています。流通が少しずつ回復しているのでしょうか。しかし、お総菜や生鮮食料品(飲料品)の棚は空っぽでした。スーパーの日用品フロアも、トイレットペーパーや電池、懐中電灯の棚は空っぽです。
 お気に入りのカフェ(無線LAN接続ができるタリーズ)でも、牛乳が仕入れられないということで、カフェラテなど“ラテ系”メニューは出せないとのこと。豆乳だったらあるということで、寺田はロイヤルミルクティーならぬロイヤル豆乳ティーを頼んでこの日記を書いています。

 今日も震災がらみのニュースが多くあった一方で、震災とは関係のない明るいニュースもありました。
 震災がらみでは長野マラソンを開催すべきか中止すべきかを検討中、というニュースが出ていました。これも意見の分かれる問題です。長野マラソンサイトのランナーコミュニティーでは開催派と中止派の意見がぶつかっていました(ちょっと前までは。最近は2チャンネルのようになってしまっています)。
 出雲陸上の招待種目が中止になったという報道も。市民マラソンが中止を検討している理由はわかります。大量の食料や飲料、衣料などを被災地に回すべきだという理由です。この辺はクリールの樋口編集長ブログに考察が書かれています。
 しかし、トラック&フィールドの試合を中止にする理由は何なのかわかりません。行政が関わっていますから、何かしら政治的な理由でしょうか。それとも、選手たちからレースに集中できないような声が出たのでしょうか。
 長野マラソンも出雲陸上も4月17日。どちらかに取材に行くはずでしたし、行けばどちらでも初取材となるのですが。

 震災以外では、中田恵莉子選手が女子円盤投で高校新をマークしたというニュースが飛び込んできました。高校生初の50m突破です。香川投てき記録会での快挙。試技表を見ると1回目が50m61の高校新で2回目はパスしたようです。いきなり新記録が出て、2回目は興奮が収まらなかったのでしょうか。3回目がファウル、4回目が41m52、5回目がファウルと集中し切れていない様子ですが、6回目は46m48と立て直しています。
 なにはともあれ、陸上界では久々に明るいニュースでした。
 昨日の日記で紹介した熊田君のブログgooooooood!!recordでは、今日も面白いデータが紹介されていました。IAAFの得点表(ハンガリアンテーブル)で、1200点以上の日本選手パフォーマンスを上位から紹介しているデータが1つ。もう1つは全種目の日本記録の得点を出し、それを上位からリストにして紹介しています。
 陸上競技ファンには楽しめるデータです。繰り返しますが、震災で世の中が暗くなりがちなときに、こういった日常的な陸上競技の話題を出してくれると明るい気持ちになれます。


◆2011年3月20日(日)
 震災後中断されていたNHK朝の連ドラ「てっぱん」の放映が、昨日の土曜日朝から再開されました。今日は震災前の月曜日から金曜日までの5話プラス昨日の1週間分がまとめて再放送され、家事をやりながら見るとはなしに見ていました。昨日放送分は見ていなかったので、しっかりと見させてもらいましたけど。
 ツイッターでもつぶやきましたが、駅伝君がマラソン大会で優勝して、昨日放送分でヒロインのあかりに告白。ストーリーが佳境に入ってきました。が、話がよくわからないという人も多々いらっしゃると思うので、ここでは陸上競技的側面から見た「てっぱん」を紹介したいと思います。

 主人公のあかりと偶然同じ日に、あかりの祖母が大家をしている田中荘(大阪市内某所)に入居した実業団選手の駅伝君(本名は竹澤…じゃなくて滝沢というのですが、最初の頃に呼ばれていた駅伝君というあだ名で通すことにします)。なぜか、あかりにはぶっきらぼうに接します。
 田中荘に引っ越してきたのは、所属する実業団チームの練習に不満があり、自分1人で練習をしたいために寮を飛び出してきたのです。しかし駅伝君を追いかけてくるコーチがいて、そのコーチの言うことには半分くらい従っています。ちなみに田中荘は、大家であるあかりの祖母が朝食と夕食を用意してくれる今どき珍しいアパートです(トイレと洗面所が共用で風呂は銭湯に行かないといけません)。駅伝君は食事にひじきを出してほしい、という要望まで出していました。
 あるとき、あかりのもとにやってきた長兄(あかりは養女なので血はつながっていない)が駅伝君の過去の実績を知っていて、箱根駅伝のスター選手だったことが判明します。あかりには冷たい態度の駅伝君ですが、この長兄にはなぜか敬意をもって接して、長兄に誘われて夏合宿を尾道(広島県)のあかりの実家に泊まり込んで行ったりします。その頃はまだ、あかりとの仲はあまり進んでいません。
 ヒロインのあかりですが、夏合宿の頃はまだ鰹節会社に勤めていましたが、その後、田中荘の1階部分でお好み焼き屋を経営するようになりました。20年ほど前まで、祖母がやっていた店を復活させた形です。

 チームから離れて1人練習する駅伝君ですが、11月の関西実業団駅伝に出場して区間賞の快走を見せます。しかし、チームはニューイヤー駅伝に出られず、廃部になってしまいます。翌年1月の全国都道府県対抗男子駅伝の大阪府代表に選ばれ、移籍のアピールをするためにもそこで快走したい。コーチとそんな戦略を練っていましたが、ヒザの故障で大阪府代表を辞退。その故障のせいで、移籍が難航します(実際にある大会名をドラマ中で使用していましたし、実業団チームの廃部や移籍の話も非常にリアリティがありました)。
 そうこうしているうちに会社の陸上部は廃部となり、フルタイムで仕事をしながら練習を続けることになります(詳しく描かれていませんでしたが、そうなっていたはずです)。
 あかりのことをいつ頃から駅伝君が憎からず思い始めたのかははっきりしません。駅伝君はあかりのことを何度も「お節介焼き」と言っていますが、この頃からあかりのお節介を好意的に受け取り始めたような気がします。違っていたらすみません。

 このあたりであかりの実の父親が現れたりして、時間がどのくらいたったのかわからなくなりましたが、コーチの尽力で駅伝君は福岡の実業団チームに移籍することになりました。表面的には憎まれ口を叩き合っている2人ですが、コインランドリーで駅伝君が「一緒に福岡へ来ないか」と告白。しかし、次の瞬間には「言ってみただけや」と紛らします。心乱れるあかりですが、駅伝君が引っ越した後の部屋に立ちつくすと、涙が止まらなくなってしまいました。
 それから4カ月。駅伝君はケガからの復帰レースに大阪で行われるマラソンを選びます。高槻マラソンという名称ですが、日本のトップ選手が勢揃いする雰囲気ではないので、泉州国際マラソンあたりをイメージした設定だと思われます。4カ月間、あかりにまったく連絡しなかった駅伝君ですが、レース1週間前に電話をして「優勝したらオマエに伝えたいことがあるんや」と期するものがあることを明かします。
 そして駅伝君は、そのマラソンに優勝。ラスト何km地点で10数秒後れていましたが、トラックに入るまでに数秒差まで詰め、ラストの直線で逆転しました。現実にはあまり見かけないレース展開ですが、その辺はよしとしましょう。具体的な優勝タイムは出てきませんでしたが「この記録ではオリンピックなんて言えませんよ」と駅伝君が言っていることから、2時間12分以上はかかっていたと思われます。日本のトップ選手が揃う雰囲気でない点とも一致する台詞です。
 その晩、あかりに「側におってくれへんか」と告白(プロポーズ?)したのが昨日放送分のラストシーンでした。果たしてあかりは店をやめて駅伝君と福岡に行くのか――と、ストーリーが佳境に入ってきたのです。

 以上、「てっぱん」を陸上競技的側面から見てきましたが、いかがでしょうか。ちょっとヒマになったから朝の連ドラでも見てみようか、という陸上ファンの参考になれば幸いです。


◆2011年3月21日(月・祝)
 昨日は世界クロカンがスペインで開催されました。海外ではありますが、陸上界では震災後初めてのビッグイベントと言えるでしょうか。
 チーム対抗でジュニア女子が銅メダル、ジュニア男子とシニア女子が7位、シニア男子は14位。日本人トップはシニア男子が田村優宝選手で46位、シニア女子が新谷仁美選手で26位、ジュニア男子は久保田和真選手で33位、ジュニア女子は菅華都紀選手で12位でした。
 新谷選手が興譲館高OBで菅選手が同高2年生。千葉と福岡の両クロカン大会でも2人が揃って優勝していますが、世界クロカンでの同一高校選手の日本人トップは過去にあったでしょうか。筑紫女高や立命館宇治高、市船橋高がやっているかもしれないと思って1990年までさかのぼって調べてみましたが、ありませんでした。それ以前にあった可能性はありますが。

 ジュニア女子で日本は4位のエリトリアに14ポイント差、アフリカ勢の一角を崩しての銅メダルでした。ジュニア女子のメダル獲得は、国別対抗戦が始まった1989年以降の23回の大会で18回目です。久しぶりに明るい話題が陸上界にもたらされましたが、ネット上で見る限り、スペインまで記者を派遣している新聞や通信社はなかったようで、記事は成績を簡単に紹介しているものしかありませんでした。
 しかし、今日になって国際陸連のサイトに日本のジュニア女子の記事が掲載されました。書き手はLen Johnsonと署名がありますから外国人です。

 ただ、ざっと目を通してみると、震災に絡めた記事でしたね。吉田夏実選手(仙台育英高)が震災に遭った地域の選手でも敢然と世界クロカンに遠征したこと、送り出してくれた家族や友人への思いなどをコメントとして紹介しています。
“All my friends, relatives and family told me to go to Spain, because I had worked so hard to get there,” Yoshida said.
“They told me just to go and do my very best. So I’m very happy and honoured to bring back a medal for them. One of the reasons I can be here now is the support from my coach and family, so the fact I can bring them back a medal is a big honour.”

 あとは日本がマラソン・長距離を愛する国民で、今回のメダルは人々に良いメッセージになったというような内容です。

 海外でも日本の震災は関心を集めていると聞いていましたが、世界クロカンを取材する陸上記者もその視点で日本ジュニア女子の銅メダルを記事にしたわけです。世界的にもそうなのですから、寺田の日記に震災の影響が現れるのは仕方ないですね。明るい話題、日常的な陸上競技のネタを提供したいという気持ちはあるのですけど。


◆2011年3月22日(火)
 本日、この記事を偶然見つけました。トップページでも紹介しましたが、ちょっと面白い見方をしています。
 男子マラソンの世界選手権代表に内定した3人のうち、北岡幸浩選手(NTN)と川内優輝選手(埼玉陸協)は箱根駅伝を走っていますが、箱根では目立った存在ではなかった。逆に箱根駅伝で活躍したランナーが、マラソンではまだ活躍していない、とまず指摘しています。そして、その理由として以下のような状況を挙げています。
 ほとんどの長距離選手はマラソンへの挑戦意欲を持っている。だが、その希望をコーチに伝えても「マラソンは30歳近くになってからでいい」と言われることが多いらしい。また、マラソンに挑戦することになったとしても、「今のマラソンはスピードレースになっているから、10000メートルを27分台で走る実力が必要」と言われ、それを目標に練習を積む。が、なかなか目標をクリアできず挑戦のチャンスを逸することもあるそうだ。

 なるほど、そういうこともあるかもしれない、と思いました。
 しかし、反対の例を指導者から聞いたことがあります。つまり、今の選手たちはなかなかマラソンに挑戦したがらない。駅伝で手一杯になってしまったり、マラソン練習を怖がってしまうことが、マラソンを敬遠する理由だといいます。
 おそらく、両方のケースがあるのだと思います。マラソンに積極的な指導者のチームでは、選手が消極的に見えてしまう。マラソンに消極的な指導者のチームでは、選手の方が消極的に見えてしまう。マラソンに消極的な指導者というのは、駅伝で結果を出さないと解任されてしまう状況なのかもしれません。

 上記の部分では反対例も挙げることもできたわけですが、記事中にあった下記のコメント(知り合いのライターのコメントということです)には賛同できました。
「レースを見ているとマラソンには適性があるとつくづく感じます。20キロまでは抜群のスピードを持っているのにそれ以上になると失速する選手もいる。30キロまでという選手もいる。逆に20キロのタイムは目立たなくても、42キロをペースを落とさずに走り切ってしまう選手もいます。
 川内選手は10000メートルのベストが29分2秒。29分を切れない彼が2時間8分台で42キロを走ったんです。実業団にはそれぞれ独自の理論を持った指導者がいて、それに従って練習をするわけですが、理論にこだわり過ぎる傾向がある。距離適性は筋肉の質も関係するだろうし、代謝などの体質の違いもあるでしょう。でも、それは実際にマラソンを走ってみなければわからない。レース経験を積むことで、見えてくるものだと思います」

 これは寺田も感じている部分です。「この練習ができなければマラソンには出さない」と指導者が条件を出すケースもあるように聞きます。しかし、“この練習”というのは、その指導者の理論に適った練習です。上記コメントにもあるように、選手によっては違う練習でも結果を出せるかもしれないのです。
 自身の理論とは違う練習でも、選手をマラソンに出場させる勇気が指導者に求められるようになったのです。川内優輝選手の快走で。


◆2011年3月23日(水)
 平日ですが今日も陸上界には大きなニュースが2つありました。
 1つは名古屋国際女子マラソンに代わる世界選手権代表選考レースが決まったこと。下記の海外3レースに候補選手たちを出場させます。

●テグ国際マラソン(4月10日)
町田祐子(日本ケミコン)
岩村聖華(ダイハツ)
樋口智美(ダイハツ)
池田恵美(積水化学)
梅田樹里(九電工)
●ロンドン・マラソン(4月17日)
加納由理(セカンドウインドAC)
那須川瑞穂(ユニバーサルエンターテインメント)
中村友梨香(天満屋)
扇まどか(十八銀行)
藤永佳子(資生堂)
佐伯由香里(ユニバーサルエンターテインメント)
野尻あずさ(第一生命)
松岡範子(スズキ浜松AC)
重友梨佐(天満屋)
●ボストン・マラソン(4月18日)
大南博美(ユティック)

 代替候補だった長野マラソンの中止が決まったのが昨日ですから、陸連の動きは早かったですね。
 実は昨日、以下のような日記を書きかけていました。
 本日、長野マラソンの中止が決定しました。女子マラソン最後の世界選手権選考会は、海外のレースということになりそうです。
 4月の海外というとパリ(10日)、ロッテルダム(同)、ロンドン(17日)、ボストン(18日)が有名です。ちまたではロンドンが取り沙汰されていますが、普通でいったらロンドンはそう簡単に出場できる大会ではありません。ロンドンの主催者によっぽど上手く根回しをしないとダメでしょう。ボストンは片道の下り坂コースですから、他の選考会との比較が難しくなる。上記4大会のなかではパリかロッテルダムの方が、“日本の選考レース”向きかな、という気がします。
 しかし、4月には上記4大会だけでなく、海外マラソンは多数あります。AIMSサイトのカレンダーページを見ると、3日にはマドリッド、10日にはミラノやテグ、17日にはウィーンやチューリッヒでもマラソンが開催されます。この中で注目すべきはテグでしょう。世界選手権本番と同じ都市で、日本からの距離も近い(コースが世界選手権と同じかどうかわかりませんが)。


 テグは予想が的中しましたが、ロンドンとボストンというのは予想外でした。聞けば、ロンドンの主催者が日本選手が選考レースを行うために大挙出場することを受け容れてくれたそうです。普通の状況ならあり得ないことですから、ロンドン主催者が震災という特殊事情を考慮してくれたのでしょう。大南博美選手だけですが、ボストンというのも意外でした。何か事情があるのかもしれません。
 いずれにしても異例の状況になりました。ロンドンでは日本選手の集団ができてそこでの勝負になるのか、トップ集団につく日本人と、つかない日本選手と分かれてレースを展開することになるのか。ロンドンのテレビ中継はあるのでしょうか。

 もう1つの大きなニュースは須磨学園高・長谷川重夫先生が、4月から豊田自動織機の監督に就任し、練習拠点を愛知県刈谷に一本化するというニュース。この話題は明日にでもまた、触れたいと思います。


◆2011年3月24日(木)
 昨日、須磨学園高の長谷川重夫先生の、豊田自動織機監督への転身が発表されました。その日の朝刊に記事を出した神戸新聞は、地元紙の面目躍如といったところです。
 豊田自動織機はこれまで、練習拠点が2つありました。佐倉アスリート倶楽部には新谷仁美選手や脇田茜選手ら。須磨学園高には小林祐梨子選手や小島一恵選手ら。その2つを統合し、本社のある愛知県刈谷市に練習拠点を一本化するということです。
 最初に記事を読んだときには佐倉の選手全員が刈谷に移転するのかと思いましたが、同社のリリースを見ると「なお、これまで選手の指導を委託してきた佐倉アスリート倶楽部からも、引き続き支援を受け、チームを強化してまいります。」の一文が入っていました。ということは、一部の選手が佐倉に残るという意味です。そして、今日になって毎日新聞の記事を見ると、「完全移転はせず佐倉倶も一部支援を続け、07年東京マラソン優勝の新谷仁美ら5人は佐倉で練習する。」とありました。

 寺田が興味があったのは移転の問題ではなく、長谷川監督の指導方針が須磨学園高時代と同じになるのか、実業団選手に合わせて変わっていくのか、という点です。
 これまでの指導方針は、1年前に1500m選手だけで全国高校駅伝に2位になったときの記事を読んでいただければわかると思います。ほとんどの選手がスピード重視のトレーニングを行ってきました。それを実業団ではどうするのか。全日本実業団対抗女子駅伝には10km以上の区間が2つありますし(コースの仙台移転で多少の変更はあるかもしれません)、トラックの1万mやマラソンで世界を目指す選手も現れてくるでしょう。
 1年前の記事を読み返すと、“将来のために高校時代は1500m中心”という考え方のように受け取ることができます。それに、小林選手入学以前には、スピードよりも走り込みを重視していた時代もありました。
 まあ、机上(ネット上)であれこれ推測しても始まりません。4月以降、徐々にわかってくることだと思いますし、それを楽しみにもしたいと思います。

 昨日は海外での選考レース実施と長谷川先生の転身と、大きなニュースが2つありました。今日も為末大選手の新クラブ設立(=所属先)や、右代啓祐選手らスズキ浜松AC新加入選手の会見、ホクレンの新年度に向けた会見と、シーズンイン間近を思わせるニュースがいくつかありました(Today's Headline参照)。
 抱えている原稿を早く書かないと3月が終わってしまいますね。


◆2011年3月25日(金)
 本日は10:00から某大学で取材。余裕を持って家を出たのですが、計画停電の影響の電車の間引き運行が予想以上だったため、あとちょっとで遅刻するところでした。正確には30秒くらい遅刻してしまいましたが…。
 それでも、動いているだけ感謝しないといけないかも。電車が動いていなかったら何もできません。
 電車を動かさないと人が動けない。人が動けなければ経済も回らなくなってしまう。経済の元気がなくなったら被災地の復興支援もままなりません。と以前から書いてきましたが、経済を回しているのは他にもいっぱいある、というご指摘を受けました。その通りで、電気を必要としているところは他にもたくさんあります。電車だけが重要だという書き方はよくありませんでした。反省します。

 本日は4月16日に松本で予約してあったホテルをキャンセルしました。出雲陸上とどちらに行くかわかりませんでしたが、名古屋国際女子マラソンが中止になった後に、長野マラソン取材用のホテルを予約だけはしたのです。長野市内のホテルに空きがなく、松本になってしまっていたわけですが。
 おそらく、何千というホテルの部屋が、長野マラソンの中止でキャンセルになったと思われます。長野マラソンくらいの規模になると中止もやむを得ないのですが、地域経済への影響も大きいですね。

 長野の経済にはマイナスとなることをしてしまいましたが、熊谷(埼玉県)の経済にはプラスになる行動ができます。熊谷開催の日本選手権まで3カ月を切ったので、ホテルを予約しようと思って楽天トラベルで6月9日チェックイン、同12日チェックアウトで空き部屋を検索しました。ところが、条件に該当するホテルは1つもありません。寺田の予約が遅かったのか、地元のホテルを主催者が全部抑えているか。
 迷った末に本庄で1部屋、大宮で1部屋、どちらも駅から近いホテルを予約しておきました。選手や大会関係者は主催者経由で部屋が確保できると思いますが、一般客や取材の方は早めに手を打った方がいいかもしれません。まあ、大宮のホテルが埋まってしまうことはないと思いますが。
 ちなみに東日本実業団(5月21、22日)も熊谷開催。こちらのホテルは熊谷で押さえることができました。


◆2011年3月26日(土)
 午前中は本サイトのメンテナンスの他に原稿催促の電話など。某大学陸上部広報誌の編集の仕事もしているので。
 午後はカフェを2軒梯子して原稿を80行ほど書きました。別に梯子したくはなかったのですが、1軒目のカフェで隣に煙草を吸うおばさんが来たので退避しました。通常は禁煙席のあるカフェに行くのですが、今日の午後はどこも満席だったのです。
 でも2時間半で構成を練り、100行原稿中80行まで進んだのはまあまあ。昨日インタビューさせてもらった話をもとに書く原稿です。本当はもっと盛り込みたいネタがあったのですが、他にもネタを使う原稿があるのでヨシとしました。

 ネット上には福島県人(賢人)の話題が2つ
 1つは佐藤敦之選手(会津高出身)が所属先とともに50万円を、福島県人会を通じて福島県に寄付をしたという記事。佐藤選手の郷土への思いはかなり強いと聞いたことがあります。奥さんの美保さん(800 m日本記録保持者)も一時期、福島大を拠点に練習していました。夫婦揃って福島駅で撮った写真を送ってくれたことがありましたね。
 もう1つは福島大・川本和久監督(佐賀県出身ですが福島在住27年)が「負けんな、福島!立ち上がれ、福島!!復興支援陸上教室」をご自身のサイトで提案されました。
川本が日本中どこにでも行って、陸上教室を行います。
春休みを利用していかがですか?
当然、講師料:無料。交通費など一切、こちらで負担します。

27年間、お世話になった福島県に自分がやれる陸上競技で、恩返しがしたい一心です。
 川本監督の熱い思いが伝わってきます。協力できる立場の方は是非、ご協力を!

 ツイッターでこれはと思ったのが、高島三幸さん(100m11秒91&200 m24秒40)がリツイートされていたデーブ・スペクター氏のつぶやき。
この時期の僕のTwitterでプッと噴き出してくれると嬉しいし、イライラしたらアンフォローしても構いません。近々昔みたいに100%クールギャグに戻すつもり。不謹慎なつもりは一切ありません。ちなみに記念すべき一発目(去年12月):歌舞伎座で注文出来ない料理→海老いため
 震災で沈みがちな時期だからこそ、という意味だと思います。

 ちょっと触発されました。元々、クールギャグが嫌いではありませんし、よく見れば今月の日記のアイキャッチャーは“名古屋で終わり”という鋭い(?)ギャグになっていました。わざわざ解説するのもどうかと思うのですが、名古屋国際女子マラソンが最後の世界選手権選考レースということと、名古屋が旧国名の尾張(おわり)にあることを引っかけたギャグです。
 ところが、名古屋国際女子マラソンが中止になり、海外3レースが選考会に追加されました。先日紹介したようにテグ(4月10日)、ロンドン(同17日)、ボストン(同18日)の3つ。名古屋が終わりではなく“ボストンで終わり”になりました。ボストンはマサチューセッツ州ですから、残念ですがギャグにはなりません。
 しかし、ボストンに出場する大南博美選手を指導するのは、高橋まさっちゅーコーチです(高橋昌彦コーチ、ごめんなさい)。


◆2011年3月27日(日)
 ギャグのレベルが相変わらずいまひとつ、という指摘を知り合いから受けました。昨日の日記で“名古屋で終わり(尾張)”が“ボストンで終わり”になり、マサチューセッツ州でオチをつけたギャグです。高橋昌彦コーチには申し訳なかったのですが、自分ではまあまあかなと思っていたのでちょっと心外な指摘でした。
 だったら“ボストンは金メダリスト”にすれば、レベルは高かったでしょう。これをわかる人はかなりの“通”です。ここでいうボストンはRalph BOSTONというアメリカ人の走幅跳選手。1960年のローマ五輪で金メダルを取り、64年の東京五輪では銀メダル。そして、あのビーモン(アメリカ)が8m90の歴史的な記録をマークした68年メキシコ五輪でも銅メダル。五輪3大会でそれぞれ違う色のメダルを獲得した伝説のジャンパーです。
 えっ? それは陸上競技の知識のレベルであって、ギャグのレベルじゃないって? すみません。レベルのことを指摘されてつい、見境がなくなってしまいました。

 ところで、明日からNHK朝の連ドラ「てっぱん」がいよいよ最終週。20日(日)の日記で駅伝君の初マラソンの記録が“2時間12分以上はかかっていたと思われます”と推測しましたが、先週の月曜日の回で駅伝君の優勝を報じる新聞記事が映し出されて、2時間13分台の優勝記録だったことが判明しました。
 小道具としての新聞は、普通だったら写真と見出しだけでごまかすところだと思うのですが、上位記録の一覧表(たぶん5km毎の通過&スプリットタイム入り)まで載せていたのです。寺田の推測が当たった自慢もちょっとありますが、言いたいのは、このドラマの時代考証ならぬ陸上競技考証のレベルが相当に高いということです。
 そういった陸上競技的な見方もできる「てっぱん」ですが、コメディーとして見ると楽しめる、という指摘を兵庫県のO原記者がメールでしてくれました。なるほど、と思いました。交際もしていないのにプロポーズしてしまうパターンが3回くらい続くのは、これでもか、という感じですね。
 駅伝君を演じている俳優(長田成哉)が兵庫県出身という情報も寄せてくれました。同じ兵庫県出身の上野樹里(今年の大河ドラマのヒロイン役)のように陸上競技経験があるかどうかまではわからなかったようですが。

 そのO原記者が須磨学園高・長谷川重夫先生の豊田自動織機監督への転身記事が出た際、播州人(小林祐梨子選手も)が尾張に行ってしまう、というニュアンスのメールをくれました。でもそれは間違い。豊田自動織機のある愛知県刈谷市は、旧国名でいえば尾張ではなく三河なのです。地理考証のレベルも寺田的は高い、ということを言いたい?


◆2011年3月28日(月)
 昨日に続いてレベルの高いネタを書きたいとは思っていたのですが、正直言って今日はネタがありません。陸上競技のニュースもないようですし。
 こういうときは日記を書くしかないでしょう。

 今日は某テレビ局で打ち合わせをするために久しぶりに都心に出ました。小田急線も計画節電の影響で本数を減らしての運行。往路はそれほど混んでいませんでしたが、車内は空調が入っていませんでしたし、電灯も点いていませんでした。
 いつもは地下鉄千代田線直通の電車に乗るのですが、本数削減のため直通電車はありません。代々木上原で千代田線に乗り換えるのに15分くらい待たされました。それでも、今日はかなりの余裕を持って家を出たので、約束の時間の15分前にテレビ局に着きました。
 約束の時間まで玄関ロビーから電話をかけようと思っていたのですが、節電のため玄関が夜間出入り口(?)に変更されていて、電話で話せるほどのスペースがありません。計算外でしたが、電話は打ち合わせ後にできないことではないので問題ありませんでした。

 打ち合わせは45分ほどで終了(と、あっさり書きましたけど、とても重要な打ち合わせでした)。
 テレビ局を出てどこか、電話取材ができる場所を探しました。具体的には電話をしながらメモがとれる場所です。ここはあれこれ悩むよりも、行きつけのカフェに行くことに。運良く隣の席と離れている席が空いていました。ちょうど、近くに携帯電話で話しているお兄さんがいて、大声で話さなければ周囲の迷惑にはなっていないことも確認。
 そこで電話取材を2本。どちらも指導者への電話でしたが、取材中にひょんな弾みで400 mHの成迫健児選手が修士論文を提出したという情報をゲットしました。最近の話ではなく1月のことのようですが。
 いずれにしても悪い話ではありませんし、どちらかというとおめでたい話です。成迫選手が修士。ということは、今シーズンは1台目から終始リードした走り&ハードリングを見せてくれることでしょう…。

 クールギャグにしては若干レベルが低いことは否定できませんが、その分、成迫選手が高いレベルの走りをしてくれると思いますので。Soon, April。シーズンはすぐそこに迫っています。


◆2011年3月29日(火)
 年度末です。年度末は忙しいというのが世間では常識です。ある件で電話連絡をした宇宙戦艦ことトヨタ自動車の辻大和マネジャーも、相当に忙しそうでした。
 かくいう寺田も久しぶりに原稿を抱えていて、かなり追い込まれています。日記なんかを書いている場合ではないのですが、気分転換になるので書いています。でも、今日の日記は短いはずです。

 今日は6人の指導者の方に電話取材をしました。取材中、ひょんなことから十種競技の池田大介選手と右代啓祐選手が修士論文を提出したという情報をゲット。そういえばこの2人、同学年のライバルでした。そして、同時期に修士論文を書いたわけです。
 十種競技の選手だけに、終始グラウンドに出ている2人ですが、この冬は研究室で過ごす時間も長かったかもしれません。

 クールギャグにしては若干レベルが低いことは否定できませんが、その分、右代選手と池田選手が高いレベルの走・跳・投をしてくれると思いますので…。
 年度末です。シーズンはすぐそこに迫っています。


◆2011年3月30日(水)
 今日は電話取材は1本だけでしたが、原稿をめちゃくちゃたくさん書きました。うん、頑張りました。それでも、締め切りはピンチです。
 電話取材で新たにわかった事実が2つ。竹澤健介選手がカージナルの1万mでA標準を狙うということ。上野裕一郎選手は兵庫リレーカーニバルの1500mに出て、5000mのA標準をゴールデンゲームズinのべおかで狙うということ。
 オチは特にありません。大学院生の竹澤選手が修士論文を提出したかどうかは、聞くのを忘れました。

 明日は3本の電話取材を予定しています。
 イベントとしては明日、男子マラソンと女子マラソンの一部(というか1人)の世界選手権代表発表があります。
 朝の連ドラ「てっぱん」は、駅伝君がヒロインのあかりを迎えに来ました。明日はあかりが結論を出す?


◆2011年3月31日(木)
 先ほど120行原稿を書き上げたところですが、本日は年度末らしく、忙しく、慌ただしい日でした。

 午前、午後と電話取材を2本。あの2人(どの2人でしょう?)は4×400 mRにも出る可能性があることが判明しました。
 遅めの昼食を外でとった後、カフェで原稿書き。いまひとつ筆のノリが悪かったです。年度末だからなのか、集中し切れていませんでした。

 18時頃帰宅してネットをチェックして、ナチュリルの廃部を知りました。先に選手たちのメッセージを読んだので、選手たちはどうなってしまうんだろうと心配していました。その後で告知文を読み、全員が東邦銀行に移籍することを知って一安心しました。
 ただ、ナチュリルと川本和久先生の研究室は合同で研究もしていたはずです。心残りがないと言えば嘘になるのでは?

 今日の電話取材では地震の被災地にいる指導者にかけたものが1本ありました。予想はしていたことですが、地震の直後は選手たちも食料の調達に苦労をしたようですし、精神的にもダメージがあったようです。
 選手たちは地震の6日後に被災地を離れて練習に専念できる場所に行ったのですが、被災地が少しずつ立ち直る過程を見ていないので、かえって被災直後の様子が心の中に渦巻いてしまったのだそうです。
「この20日間は何もできていないのと同じ」だと、その指導者の方は言います。

 スポーツは生活の一部です。生活がしっかりできていない選手は競技力も伸びないとよく言われますが、地震で被災した選手の生活が日常と違ってしまうのは仕方のないことです。かといって、被災した選手たちを考慮して試合の時期をずらすこともできません。そこは勝負の世界です。どうしようもないというか、そういう厳しい世界なのです。
 などということも考えていた年度末の一日でした。


◆2011年4月1日(金)
 今日から新年度ですが、年度最後の日である3月31日には例年、奈良県で記録会が行われています。その学年の最後の日に記録を残しておこう、という意図でしょう。
 ネット上では結果を見つけることができませんでしたが、寺田の入手した確かな情報では、中学女子100mで天城帆乃香選手が12秒01(+1.3)の中1最高記録を、重さ6kgの中学男子砲丸投では赤間祐一選手が14m62の中学最高記録をマークしたとのこと。
 3月19日に女子円盤投で高校記録(50m61)をマークした中田恵莉子選手に続いて、明るい話題を提供してくれました。
 天城選手と赤間選手は静岡県、中田選手は徳島県の選手です。震災で練習もままならない地域の陸上選手・関係者に、東海地区と四国地区の選手が頑張っていることをアピールしてくれました。

 新年度の今日はエイプリルフールでもあります。
 計測工房の藤井社長ブログにアジアオフィスとヨーロッパオフィスを設置したという話題がありましたが、これは怪しいとすぐに気づきました。昨年の今日、藤井社長の著書『マラソンブームに乗っかるな!』が発売、という話を完全に信用して、トップページで紹介してしまった経験をしています。2年連続では引っかかりません。
 でも、こういった遊びに手間ひまをかける人は好きですね。震災で暗い話題が多い時期だからこそ、こういったユーモア精神をどんどん発揮してもらいたいと思います。

 明日は東京六大学に行きます。トラック&フィールド取材の一発目です。


◆2011年4月2日(土)
 東京六大学の取材。ちょっと早起きして、9時30分には国立競技場に到着。コンディション的にはまずまずでした。日陰はまだ少し風が冷たく感じますが、日向に出るとちょうど良い気温です。

 今日はトラックシーズン最初の取材でしたが、それよりもまず報告したいのは、山縣亮太選手(慶大)と九鬼巧選手(早大)の対談取材が面白かったということ。これは陸マガ用の対談でした(選手の実名を出すのは、その取材をしたことがライバル誌にばれているからです)。
 対談取材の時に気をつけないといけないのは、メディア側の人間が質問をしすぎないこと。あくまでも選手同士が話をしないことには、対談形式になりません。これが実は難しくて、選手同士の面識があまりなかったりすると対談にはならず、記者が順番に2人の選手と話をして、それを誌面に交互に出すような体裁になります。
 しかし、今日の山縣選手と九鬼選手は普段から仲がいいようで、お互いにどんどん突っ込んでくれたので、本当の対談形式の記事にできそうです。

 特に面白かったネタとしては、予選と決勝で走りが変わるのか、同じなのかという話題。これは2人のインターハイや国体を思い出していただけるとわかると思います。九鬼選手が2連勝したインターハイは準決勝までどうだったか。山縣選手が優勝した国体は、どのラウンドで好記録が出ているか。その辺を思い出してから対談を読むと、いっそう面白く感じられるはずです。
 もう1つは早慶の違いが、2人の違いにフィットしていること。山縣選手は慶大に進むべくして入学し、九鬼選手は早大に進むべくして入学したという印象を持ちました。
 とにかく2人の話の流れ、盛り上がり方が良かったのです。これまでの対談取材の中でもベスト5には絶対に入る内容でした。それを18歳の2人が実現してくれたことに、驚いてもいますし、感謝もしています。

 その他の取材ですが、110 mHで自身初の13秒台で優勝した日野勇輝選手(早大)、1年生優勝の1500m・八木沢元樹選手(明大)と棒高跳・川島優選手(慶大)、5000m優勝の矢沢曜選手、円盤投&やり投2冠のディーン元気選手(早大)らの話を聞きました。トラック最優秀選手が日野選手で、フィールド最優秀選手がディーン選手です。
 OBでは砲丸投にオープン参加した山田壮太郎選手(富士通)の話をパパッと聞きました。この日はオープン種目ということで3回の試技。調子がつかめないまま17m00に終わりましたが、19mへの手応えはつかんでいるそうです。


◆2011年4月3日(日)
 昨日の東京六大学で書き忘れたことが1つありました。注目のスプリンター2人が対校戦に出ていなかったこと。100 mの小林雄一選手(法大4年)と400 mの廣瀬英行選手(慶大4年)です。
 しかし、小林選手は4×100 mRの1走に出場。見た感じですが断トツのトップだったように思います。法大は1走の小林雄一選手と2走の小林靖典選手で大きくリード。その貯金で逃げ切りました。優勝タイムは40秒40。インカレで順大や中大にどこまで対抗できるでしょうか。
 小林選手は本職の200 mでは、高平慎士選手&藤光謙司選手の2強にどこまで迫るか注目されています。インカレでの飯塚翔太選手(中大2年)との争いも楽しみです。

 廣瀬選手も4×400 mRの4走で出場。廣瀬選手が前を負う展開だったら面白かったのですが、慶大が3走まででトップに立ってバトンを持ってきました(2走の1年生、茅田選手がトップに立ち、3走で一度早大に前に出られましたが古賀選手が抜き返しました)。
 そうなったらもう、廣瀬選手の独走です。第1コーナーのスタンドから測ったので正確でないかもしれませんが、廣瀬選手は45秒5のラップで走って3分10秒31でフィニッシュしました。
 2走は早大の浦野晃弘選手で測っていたので茅田選手のタイムはわかりませんが、47秒ちょっとだったと思われます。
 ちなみに茅田選手は山縣亮太選手と修道高で同級生。その山縣選手と寮で同室になっているのが廣瀬選手だそうです。

 NHKNHK朝の連ドラ「てっぱん」も昨日の話題を書かないといけませんでした。最終回でしたから。
 駅伝君は結局、ヒロインのあかりに振られました。「俺と一緒に福岡に来てくれ」と誘ったのですが、あかりは大阪を離れられませんでした。お好み焼き屋を続けたい気持ちと、祖母の初音の側にいたい気持ちが、駅伝君への思いを上回りました。
 最終回に駅伝君は登場しませんでしたが、他の登場人物たちの口から「陸連合宿で海外に行っている」と近況が視聴者に告げられました。相変わらず陸上競技考証もしっかりしています。間違いなく、陸上競技に詳しい人間がアドバイスをしていたのだと思われます。
 そんな「てっぱん」が終わってしまったのは、シーズンが始まったこととは対照的に寂しさを感じます。


◆2011年4月4日(月)
 昼過ぎから神田で1時間ちょっとの打ち合わせ。これもあっさりと書いていますが、とても重要な打ち合わせです。
 打ち合わせ後は川崎まで原稿取りに。手書きのイラスト(正確には手書きのイラストをパソコン上で取り込んで加工したものですが)の受け取りです。メールでなんでもやりとりできてしまう御時世ですから、原稿取りなんていつ以来かわからないくらいに久しぶりでした。

 夜は山縣亮太選手と九鬼巧選手の対談原稿を仕上げました。テープ起こし(正確にはメモリー起こし)をしたときは250行は必要だと思っていましたが、なんとか所定の130行に短縮できました。当初は200行あった方が、2人の細かいやりとりの機微がわかって面白いと感じていましたが、130行バージョンでもそれなりに出すことができました。テンポも良いですし130行バージョンの方がお薦めですね。って、誌面にはそちらしか載せることができないのですが。
 とにかく、陸マガ次号を読んでみてください。


◆2011年4月5日(火)
 本日は都心の印刷所へ。入稿と打ち合わせをしました。
 原稿は東京六大学の記事を書きました。“東京六大学らしさ”を出せたかな、と思ってます。通常の学生選手の記事、インカレの記事とは少し違った面ですね。全部が全部、そうなっているわけではありませんが、半分くらいはそのテイストが出せたと思っています。
 これも陸マガ次号で。


◆2011年4月8日(金)
 今日一番のニュースは千葉麻美選手の妊娠と今季休養の話題でしょう。現役の日本代表級選手が出産で休養に入る例は、赤羽有紀子選手を除けばここ10数年はなかったと思います。引退してから出産準備に入る例はあったと思うのですが。
 千葉選手は今秋の出産後、ロンドン五輪を目指すといいます。出産後もトップレベルで競技を続けた一般種目の選手としては、女子ハンマー投の大橋千里選手が挙げられます。ただ、オリンピック代表レベルとなると、昔のことははっきりわかりませんが、過去に例がないのではないでしょうか。

 結婚後も競技を一線で続けた女子選手の多くは、旦那さんが同じチームにいたり、陸上競技関係者だったりするケースがほとんどです。赤羽選手と弘山晴美選手の旦那さんは同じチームのスタッフです。若松育美選手もそうですね。土佐礼子選手の旦那さんは松山大のコーチ、石田智子選手の旦那さんは埼玉大のコーチです。尾崎朱美選手の旦那さんはヤクルトの選手ですし、坂下奈穂美選手の旦那さんは日清食品グループのコーチでした。
 これは自然の成り行きですし、そういう立場の旦那さんの方が続けやすいのは確かでしょう。しかし、旦那さんが一般の方でも続けられる例も多くならないと、女子選手の競技継続が「あそこは旦那さんが関係者だからできるんだよ」で片づけられてしまいます。
 千葉選手の旦那さんがどういう立場なのかはわかりませんが、一般の方とお聞きしています。旦那さんが陸上関係者でなくても出産後も競技を続けられることができれば、女子400 mで日本人初の快挙をいくつも達成してきた千葉選手が、この分野でもパイオニアとなるわけです。陰ながら応援したいと思います。


◆2011年4月9日(土)
 昨晩から実家に戻り、今日は法事に出席していました。14時半くらいにはお寺から実家に戻ってくることができ、早速、金栗記念選抜中長距離熊本大会の結果を確認するために熊本陸協サイトをチェック……したところ、まだトップ選手が出る組は始まっていませんでした。
 抱えている原稿をちょっと進めてから散歩をして、本屋をぶらぶらして、17時半くらいにもう一度熊本陸協サイトをチェックするともう、結果が全て載っていました。今さらですけど本当に便利な時代になりました。熊本で行われている試合が、数時間のタイムラグで正式記録を入手できるのです。

 先週の東京六大学など大学の対校戦や記録会が一般種目のトラックシーズンインを告げる試合なら、金栗記念は長距離のトラックシーズンインを告げる大会です。エントリーしていた有力選手の途中棄権や欠場が多かったのは残念ですが、この大会は春季GPとは違って足試し的な意味合いのレースですから仕方ありません。
 結果はトップページで紹介した通り。一番に目についたのが男女の1500mで、800 mランナーが好走したこと。
 男子では横田真人選手が3分45秒74の自己新。横田選手のこれまでの自己記録は3分47秒48で、2009年9月26日の早慶戦でマークしたもの。その翌週にテグで1分47秒04、その2週間後に筑波大で1分47秒50で走り、その翌週に日体大で1分46秒16の日本新をマークしました。
 これは800 mの日本記録更新に向けて吉兆でしょう。と、簡単に決めつけたらダメですね。2〜3月のサンディエゴ合宿の前半が、シンスプリントで練習が積めていません。今日の1500m自己新は、クルス・コーチの提案で行なったスピード持久(世界大会で予選・準決勝・決勝と走るスタミナ養成)に主眼を置いた練習の成果ととらえるべきかもしれません。

 女子1500mでは陣内綾子選手が4分19秒07で優勝。自己記録の4分18秒22(昨年の千葉国体2位)にはわずかに届きませんでしたが、故障で出遅れていた昨年と比べたら雲泥の差です。
 それにしても、陣内選手の自己記録を調べるために九電工サイトを見たのですが、長距離以外の選手が4人いるのですね。桝見咲智子選手と陣内選手が在籍していたところに、今春、田中千智選手と荒尾将吾選手が加わりました。男女の長距離をやっているチームで一般種目の選手も採用しているのはスズキ(スズキ浜松AC)だけという印象でしたが、そこに九電工も加わってきました。あと、女子の長距離はやっていませんが、富士通も長距離と一般種目選手(競歩を含む)を多数抱えています。
 福岡大や佐賀大の先生方のご苦労もあったと思いますが、こういう実業団チームが増えるのは良い傾向です。

 男子5000mでは石川卓哉選手(中国電力)が13分35秒38で日本人1位。同学年の宇賀地強選手に8秒近い差をつけたのは強いですね。女子では絹川愛選手(ミズノ)が久しぶりに好走。15分51秒33とタイムは良くありませんが、外国勢とタイム差が大きかったことから、日本人1位を取りに行ってしっかりと取ったことがわかります。2人とも次戦が楽しみになりました。


◆2011年4月10日(日)
 今日は実家から帰ってきて都知事選挙に行きました。日大対東海大が相模原で、日体大対中大が日体大健志台グラウンドで行われていましたが、時間的に難しくて断念しました。昨日は金栗記念選抜中長距離熊本大会をネット上で結果を入手できましたが、さすがに大学の対校戦までは難しいかなと思っていたら、日体大陸上競技会に日体大対中大の成績が出ていました。便利になりました。

 日体大対中大での注目はなんといっても飯塚翔太選手(中大)。個人種目には出ず4×100 mRの4走だけ。中大(女部田・川面・河合・飯塚)は39秒67で、昨年同大が出した38秒54の学生記録には1秒以上差がありましたが、2位の日体大に1秒81の大差をつけています。ひょっとすると日体大にバトンミスがあったのかもしれませんが、中大勢の仕上がりは悪くないと見ていいのでは?
 100mの結果を見ると優勝した女部田亮選手と2位の川面聡大選手が10秒64。向かい風1.3mと気象条件に恵まれなかったようです。
 好記録としては男子やり投にオープン参加した中大OBの山本一喜選手(東京陸協)が74m46をマークしました。昨年のベストは4月の和歌山で投げた75m55。5月に話を聞いたとき、「早く冬期練習に入りたい」というコメントが印象に残っています。そのくらい、課題がはっきりしていたということです。実際の冬期練習を経て、何が変わったのでしょうか。
 村上幸史選手がすでにA標準を突破済み。ディーン元気選手、佐藤寛大選手、荒井謙選手がB標準をめぐって争うというのが今季の展望ですが、そこに山本選手も加わってきそうです。

 これも中大OBですが、女子400 mHの田子雅選手(J.VIC)が58秒09と第一戦としてはまずまずの記録。田子選手に上手く引っ張られたのか、中大の学生選手も2人も58秒台でフィニッシュしています。中大は4×400 mRでも、大会新こそ逃しましたが3分42秒73とまずまずの記録を出しました。
 大会新は男子800 mの松本圭介選手(日体大)の1分51秒90。口野武史選手の記録を破ったのだから価値はあります。女子棒高跳では日体大2選手が3m80と大会新をマークしました。女子円盤投では竹山知佳選手(中大)が42m81、やり投では宮本紀澄選手(日体大)が52m07の大会新。

 女子400 mにオープン参加した岸川朱里選手54秒72の自己新。岸川選手結果は同選手のブログと上野敬裕監督のブログに、すでに報告が載っています。これも素早い対応で助かります。
 オープンでは浅津このみ選手も100 mHと走幅跳に出場。今季はボブスレーだけでなく、七種競技にも取り組んでくれると聞いています。


◆2011年4月11日(月)
 昨日の日記では2つの大学による対校戦(日体大対中大)の結果も、ネットで見られるということを紹介しました。日体大が頑張って掲載してくれました。
 一昨日紹介した金栗記念選抜中長距離熊本大会は種目が限定されるとはいえ、全国規模の大会ですからネット上に速報が出てしかるべきではありますが、熊本陸協が頑張っているから我々が結果を知ることができたわけです。
 日体大サイト熊本陸協サイト。どちらも組織には違いありません。昨日はさらに、個人の頑張りによって、我々が気になっていたレースの結果をネットを通じて知ることができました。それも海外のレースですから本当に助かりました。他ならぬ為末大選手の復帰レースのことです。

 まずはツイッターで為末選手自身が結果を速報し(タイムと順位だけ)、さらには井口マネジャーがメディア向けに正式結果(大会名や日付なども正確に)と為末選手の短いコメントをメールでリリースしました。その4時間半後には、為末選手のメールマガジン号外が届きました。メルマガには為末選手の偽らざる心境が綴られています。海外の小さなレースで(意味合いは大きなレースですが)、ここまで詳しく情報が入手できるのはすごいことです。
 メルマガに書かれていた内容にも触れておきたいと思います。北京五輪以来2年8カ月ぶりのレースですから、北京五輪後のケガの状態や治療の経緯などが詳しく書かれています。そして、ケガから回復してからの練習内容も。
 ただ、そこまでを読んでいて、約2年間も追い込んだ練習ができていないことがわかりました。「ちゃんとした練習が再開できたのは昨年9月から」とのこと。復帰レースのタイムも48秒74と期待を下回るものでした。いくら為末選手でも、全盛時の走りとハードリングを取り戻すのは難しいのではないか。そんな思いを持ちながら読み進んだのですが、最後に次のような記述がありました。

タイムは48秒74と良くはないのですが、全力で走れたらこっちのもの。調子を上げていくことはお手のものです。

 この記述を読んで思い出しました。為末選手が周囲の予想を良い方に裏切る結果を出してきたことを。直前まで50秒がやっと切れる状態で臨んだ05年ヘルシンキ世界選手権で銅メダルを取ったこと。故障明けでやっと決勝に進んだ08年日本選手権で優勝したこと。
 最近はアスリートソサイエティや震災義援金の活動など、競技以外の部分の印象が強かった為末選手ですが、競技者としてのすごさを思い出させてくれました。
 日体大対中大や金栗記念とは情報の質が違うので比較することはできませんが、同じシーズンイン直後の試合として、2大会の結果掲載に優るとも劣らない情報を我々に与えてくれた個人の情報発信だったと思います。


◆2011年4月12日(火)
 昨日はとっても多忙な一日でした。
 9:30には自宅を出て千代田区内某所に。11:00から某指導者に1時間ほどインタビュー取材。これはライターとしての仕事です。
 それが終わると食事をして、東京ドームホテルに移動。箱根駅伝の閉会式取材以外で同ホテルに行ったのは初めてかもしれません。ロビーではドコモの無線LANが使えるので、メールで原稿を受信して、編集して印刷所に送信。これは編集者としての仕事です。
 14:00から同ホテル2階のレストランで某新聞事業部の方たち3人と打ち合わせ。これはライターとしての仕事です。
 それが終わると飯田橋のスタバに移動して原稿をメールで受信。その原稿を依頼していた某大学OBの方と電話で打ち合わせ。某社写真部長にも電話をして打ち合わせ。これらは編集者としての仕事です。
 16:30には飯田橋の印刷所に。色校正の受け取りと、イラストレーターの方への発送。これも編集者としての仕事です。
 それが終わると飯田橋のモスバーガーで本サイトの更新作業。東海学生春季で市川華菜選手の11秒58をはじめ、そこそこ注目すべき記録が出ていました。これはライターとしての仕事と言っていいのかどうか。寺田としての仕事といえば間違いありません。

 帰路、電車内では東野圭吾の「名探偵の掟」を読みました。3月からずっと忙しい状態が続いているので、読書ができるのは電車での移動中か、外食したときの食事前くらい。それはいいのですが、読み進んでいると遅筆の作者が…」という一節が目に留まりました。東野圭吾は多作の作家ですから、謙遜しているのかもしれませんが。
 改めて書くまでもないことでしょうけど、“遅筆”というのは原稿を書くスピードが遅いという意味です。寺田自身も遅筆なので、他人事とは思えない言葉です。反対語は“速筆”でしょう。“足が遅い”の反対が“足が速い”と一緒です……ということを考えていたら、閃光が頭の中を走りました。
 ちょっと前の時期であれば桜の開花が話題になります。今年は“桜の開花が早い”とか“開花が遅い”とか。時期的に早いときは“早”の字を使い、時期的に遅いときは“遅”の字を使います。先ほどの“速筆”“遅筆”はスピードの速い遅いを意味していて、そういうケースでは“速”と“遅”です。
 つまり“はやい”という言葉は、スピードの場合は“速”で時期的な場合は“早”と文字を使い分けるのに対し、“おそい”という言葉は、スピードの場合も時期的な場合もどちらも“遅”という文字なのです。これって面白くないですか。

 気づくのが遅い? すでに気づいていた人から見れば、何を今さらという感じかもしれません。でも、気づいたのは速かったですよ。「遅筆」という文字を見てから3.7秒で、上記のことを考えましたから。


◆2011年4月13日(水)
 書き出しから注釈です。
 ※今日の日記の後半では“ネタバレ”をやってしまっているので、東野圭吾の「名探偵の掟」をこれから読もうという方は、後半を読まないようにしてください。
 実は今日も忙しい一日でした。
 午前中は本サイトの更新と、メールと電話で原稿の催促。あまりやりたくはない仕事ですが、編集の仕事を引き受けた以上、来ない原稿は催促するしかありません。
 12時に出かけて、途中で食事をすませ、14時に千代田区内某所の出版社に。写真を多数借りてきました。
 15時から17時まで、市ヶ谷のモスバーガーで原稿書き。一昨日の指導者のインタビューを50行原稿にまとめました。
 モスバーガーもドコモの無線LANができる店なのですが、電波状態がよくないため近くのタリーズに移動。ここではメールの受信送信で約1時間半を費やしてしまいました。

 帰路の車内では今日も、東野圭吾の「名探偵の掟」の続きを読んでいました。一昨日に続き目に留まった一節がありました。
「こういう安直な方法で意外性を出そうとした作家は、遅かれ早かれいきづまるものなのだ」
 安直な方法とは、物語の“書き手”が実は犯人だったというパターンのこと。それもシリーズキャラクターでやってしまったことを指しています。

 ちょっとだけギクリとしました。
 正規の原稿は安直な書き方をしたことはないつもりです。幸い、作家と陸上競技ライターは違います。自分の頭の中で世界を構築しないといけない作家に対し、陸上競技ライターは選手を取材することができます。選手が活躍したり、新たな選手が台頭してきたりすれば、いきづまったりはしません。

 問題はこの日記です。安直なギャグで紙面ならぬWEB面を埋めたことがないかといえば、あったような気もします。3月28日の日記では成迫健児選手が修士論文を提出したということに言及し、「今シーズンは1台目から終始リードした走り&ハードリングを見せてくれることでしょう…」などと書いています。安直のそしりは免れないかもしれません。こういうことばかり書いていると確かに、いきづまるかも。
 ならば、レベルを上げていかないと。例えば……
カレーの早食い競争に強い女子長距離選手は、ハヤカリー実紀選手。
 というのは安直な見本ですね。デーブ・スペクターのツイッターでよく見るパターンですが。だったら次のようなネタはどうでしょう。
 油谷繁選手がフランスの作家、アレクサンドル・デュマの「三銃士」を愛読している、というのはデマですが、油谷選手が今年で34というのは事実です。
 こんな感じで二段構えのオチにすれば、安直ではありません…よね。


◆2011年4月14日(木)
 今日は陸マガ5月号の発売日です。寺田もいくつか記事を書きましたが、一番手間をかけたのが全45種目別代表争い展望です。1種目にしたら300文字ですが、手抜きは一切なし。かなりの取材もしてから書きました。ですから、新しい情報も結構盛り込んでいますし、故障などマイナス要素も判明したものは極力紹介しています。
 例えば、竹澤健介選手のカージナル招待遠征や、山崎勇喜選手の日本選手権50km競歩欠場など、ニュース的な情報も入っています。女子4×400 mRの候補として、市川華菜選手と今井沙緒里選手の大学3年コンビが挙げられていることもニュース的情報でしょうか。

 今季新たな注目選手としては、男子1500mの大西毅彦選手や、女子100 mの岡部奈緒選手の名前を出しています。取材の過程でコーチ陣から名前が挙がったからです。
 新しくはありませんが、男子走高跳の醍醐直幸選手や女子走幅跳の井村久美子選手ら、コーチ陣の目から見て復調の兆候がある選手も、そういう視点で紹介しています。
 反対に、女子のフィールド種目など、なかなか新勢力が台頭してこない種目もあります。それはそれで、しっかりと問題点を指摘したつもりです。

 その一方で、4月の試合の結果を見て、名前を挙げておけば良かったという例も出てきました。男子やり投の山本一喜選手が良い例です。男子やり投は村上幸史選手がA標準を破っていて、ディーン元気選手と佐藤寛大選手、荒井謙選手の3人によるB標準突破争いと書きました。山本選手は日体大・中大対抗のオープンで74m台を投げていますから、そこに名前を加えておけばよかったと反省しています。

 4月第1週の好記録も、女子走幅跳の高武華子選手の6m41など紹介できていますし、同日の東京六大学砲丸投オープンで17m00を投げた山田壮太郎選手のコメントなども書き加えることができました。


◆2011年4月15日(金)
 来年のロンドン五輪の標準記録が発表されました。テグの世界選手権とそれほど変わってはいませんが、種目によってはちょっと上がったり、ちょっと下がったりがありました。その辺をわかりやすくするため、こちらのページに整理してみた次第です。
 選手の意識としてはそれほど違いは生じないかもしれません。5月1日からは両方の標準記録適用期間になりますが、「テグのA標準もロンドンのA標準も、同時に破ればいいだろう」みたいな感じでしょうか。
 しかし、です。報道する立場からすると、ロンドン五輪標準記録の小さな変更で、見出しが違ってくるのです。

 ロンドンの標準録が上がったケースはまだ、問題ないでしょう。
 仮に静岡国際(5月3日)男子200 mで20秒57で走ったS選手がいたとします。テグのA標準(20秒60)は破っていますがロンドンのA標準(20秒55)は破っていないのですが、見出しは「S、テグのA標準突破」でOKです。
 ややこしいのが、ロンドンの標準記録が下がった種目です。
 仮に静岡国際男子400 mHで49秒44をマークしたK選手がいたとします。テグのA標準(49秒40)は破っていませんが、ロンドンのA標準(49秒50)は破っています。見出しは「K、ロンドンのA標準突破も、テグのA標準は破れず」となります。ロンドン五輪の方が世間的な関心は高いのかもしれませんが、今年行われるビッグイベントはテグ世界選手権ですから、今年の報道ではテグの標準記録突破かどうかが重要になります。

 これは標準記録の二重構造ということで、ひょっとすると選手を悩ませるかもしれません。テグとロンドンの高い方の標準記録を破れば問題ないわけですが。

 今日は高岡寿成コーチの陸マガ連載が始まったことをネタにしようかとも思っていましたが、ロンドン五輪の標準記録が発表されたので、そちらのネタになってしまいました。
 明日は日体大長距離競技会800 mに横田真人選手と口野武史選手が、1万mには川内優輝選手が出場します。八王子では岩壁杯が開催されます。どちらに行くかものすごく悩みましたが、岩壁杯の取材に行くことにしました。ただし、飯塚翔太選手は静岡県中部選手権の方に出場するとのこと。
 明後日の日曜日は輪島で日本選手権50kmWが行われ、同じ石川県の競技会に為末大選手が出場します。ロンドン・マラソンにも日本選手が大挙出場します。日体大長距離競技会は5000m。抱えている原稿もあるので、日曜日は取材ではなく原稿書きになりそうです。


◆2011年4月16日(土)
 今日は岩壁杯の取材に行きました。場所は八王子ロングディスタンスでお馴染みの上柚木陸上競技場です。最寄り駅は京王線の南大沢駅。京王線が人身事故で遅れたので危なかったですけど、ぎりぎり9:35に現地に到着。9:40の試合開始に間に合いました。
 今日は12時の気温が25℃と暖かかったのですが、風が強かったですね。しかも風向きが一定せず、ホームストレートは追ったり向かったり。いきなり突風が吹くこともあって、選手には気の毒なコンディションでした。

 最初に取材したのがオープン110 mHのモーゼス夢選手。オープン種目は対校戦の予選後に行われ、決勝はありませんからすぐに取材ができます。そして岩壁杯のいいところはタイムテーブルです。種目間で十分な時間がとってあるので、そこで取材が可能になります。
 モーゼス夢選手の組は追い風4.3m。風が取材のキーワードになりました。詳しくは記事にする予定ですので今しばらくお待ちください。
 取材中にモーゼス選手から公式ブログを始めたことを教えてもらいました。さっそくリンクさせてもらった次第です。
 次に取材したのはオープン400 mで1位になった金丸祐三選手。スタート直後と第3コーナーで突風にあおられ、記録を狙うのは無理と判断。本人のツイッターにもあるように、後半はテンポ走のような走りで47秒47にとどまりました。A標準を狙うのは静岡国際(5月3日)とテグ国際(5月15日)になります。
 冬期は中距離的な練習も取り入れましたが、その反動でスピードが出ていないといいます。しかし、「ベルリン以来故障を全くしていない」ということで、練習は継続してできています。以前のショートスプリント的なアプローチでなく、より400 mランナーらしいアプローチが功を奏すかどうか。

 男子100mに10秒37(+2.0)で優勝した川面聡大選手(中大4年)と、男子200 mに20秒65(+2.7)で優勝した小林雄一選手にも取材をしました。2人ともリレーがあったので、話を聞かせてもらったのは閉会式の前後です。
 2人に共通しているのは学年(4年生)と、前半が速くなったこと。そして東京出身であること。最後に川面選手の話を聞いているときに、小林選手が声をかけてきたので、そのチャンスを逃さず東京出身4年生コンビのツーショットを撮らせてもらいました。
 2人の記事はほぼ書き終わっているので、推敲とデータの確認をして明日アップしたいと思います。


◆2011年4月17日(日)
 今日は(今日も)忙しい一日でした。どこにも取材には行きませんでしたが、日本のみならず世界各地で色々な大会が開催され、注目選手が多数出場していたからです。
 まずは日本選手権50kmW。11:30頃に信頼できるある筋から電話連絡が入りました。3選手が3時間40分台でフィニッシュしたという情報です。日本歴代記録がパフォーマンス・リストになっている昨年の記録集計号で確認してみると、同一レースで3時間40分台3人は日本の競歩史上初めてと判明。さっそく、トップページで紹介させていただきました。
 続いてマウントサックリレーの日本人選手成績を同大会WEBサイトでチェック。猿山力也選手(モンテローザ)が8m05と自身初の8m越えを達成していました。日本歴代では10位です。と思ったら、岡山沙英子選手の6m51の方が、日本歴代順位は6位と上でした。品田直宏選手(濃飛倉庫運輸)も7m86とまずまずの記録。澤野大地選手の5m62も世界選手権標準記録適用期間に入ってからは最高記録です。

 日本選手権50kmWは富士通のブログでも途中経過を速報してくれていましたし、レース後にはかなり早いタイミングで優勝した森岡紘一朗選手と今村文男コーチのコメントがアップされていました。いつもながらの迅速な広報に脱帽するばかりです。
 日本選手権50kmWと同じ石川県で、為末大選手が08年北京五輪以来となる400 mHレース、同年日本選手権以来となる国内レースに出場しました。結果はまず、為末選手のツイッターで51秒3と知りました。間もなく共同通信の記事で51秒26と確認。周囲が期待したタイムではありませんが、かなりの強風で、通常は13歩で行く5台目までのハードル間の歩数が14歩になってしまったとのこと。記事のコメントを読む限り、本人の感触は悪くないようです。

 日本時間の17時にはロンドン・マラソンがスタート。朝日新聞がツイッターでレース展開を実況ツイートをしてくれました。トップ争いだけでなく、日本選手たちがどの集団につけているか、そして、日本選手間の順位も細かくツイートしてくれたので、文字情報ではありますが臨場感がありました。富士通の日本選手権50kmWもそうでしたが、現地から正確な情報を発信してくれるのはありがたいですね。
 夜には日体大長距離競技会のサイトをチェック。今日は5000mだけでしたが、最終組で渡辺和也選手(四国電力)が13分39秒31で走っていました。今季は1500mでなく5000mで勝負するのかもしれません。同レースには、昨日の1万mには出なかった川内優輝選手も出場していました。惜しくも13分台は逃しましたが、川内選手のようなタイプのランナーにとっては、十分なタイムだった気がします。
 さらには飯塚翔太選手(中大)が出場していた静岡県中部選手権の成績も確認することができました。飯塚選手も周囲が期待するほどの記録ではありませんが、100mの10秒35(+3.2)はこの時期としては十分でしょう。昨日取材した岩壁杯の川面聡大選手(中大)と小林雄一選手(法大)の記事をアップしましたが、静岡県中部選手権を取材していたら、その記事と同様に今季の飯塚選手は期待できる、というニュアンスの記事を書いたかもしれません。

 各地の情報をチェックするだけでも忙しかったのですが、今日は原稿も頑張りました。というか、そろそろ進めないとやばい状況なのです。


◆2011年4月18日(月)
 今日も忙しい一日でした。
 書いた原稿は文字数にすると2000文字くらいで大した量ではないのですが、密度の濃い原稿を6本ということで結構時間をとられました。それに加えて編集の仕事で5ページ分を入稿。それらの作業の間にインターネットで調べ物をして、電話も数本。ちょっと遅めの朝から深夜まで、息つく間もなく仕事をしていました。
 右代啓祐選手のブログに和歌山まで「1週間を切った」とありましたが、寺田も和歌山に取材に行きます。それまでに抱えている原稿を終わらせられるかどうか。
 明日はスーパー陸上の記者発表、明後日は陸連強化委員会との懇談会、明々後日は世界選手権マラソン代表発表と続き、その翌日には和歌山入りするスケジュールです。3日連続の取材をどこか1日、パスしないと苦しいか。それでもなお、原稿を和歌山まで持ち込むことになりそうな予感もします。

 深夜になってボストンから驚くべきニュースが飛び込んできました。
男子でジョフリー・ムタイ(ケニア)が速報タイム2時間3分2秒の驚異的なタイムで優勝した。ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が2008年のベルリンで樹立した2時間3分59秒の世界記録を一気に57秒も上回ったが、国際陸連公認コースではないため、世界新記録としては認められない。2位の選手も2時間3分6秒でゴールした。(時事通信)
 とのこと。ボストンはワンウエイのダウンヒルコースですから、出ても不思議ではないといえるかもしれません。でも、ボストンはこれまで、それほど良いタイムは出ていない大会です。大会記録は昨年2時間05分52秒が出ていますが、それ以前は2時間7分台でした。今回は追い風が強かったのかもしれません。だからワンウエイのコースの記録は公認されないのでしょう。
 それでもビックリ仰天のタイムであることに変わりはありません。そして、アフリカ勢のスピードはもう、なんと表現していいのかわかりません。日本では2時間8分台が出て喜んでいるのに、昨日のロンドンでもそうでしたが、彼らは2時間4分台とか5分台とか当たり前のように出していて、名前を覚えることすらできません。

 ただ、マラソン界の問題は、あっちこっちですごい記録が出ても、本当に世界で一番強い選手が誰なのかわからないことです。


◆2011年4月19日(火)
 本日はゴールデングランプリ川崎の記者発表会(於TBS)の取材に行きました。
 陸連幹部から大会の概要や見どころの説明があるのはいつものパターンです。目玉選手が2〜4人の会見も行われるのが普通ですが、今日はなんと9人の選手と朝原宣治さんが会見に臨みました。
(着席順に)
朝原宣治さん
高平慎士選手(富士通)
藤光謙司選手(セーレン)
村上幸史選手(スズキ浜松AC)
高橋萌木子選手(富士通)
成迫健児選手(ミズノ)
横田真人選手(富士通)
菅井洋平選手(ミズノ)
田野中輔選手(富士通)
口野武史選手(富士通)

 ここまで大勢の選手を動員したのは、陸上界が一丸となって震災へのチャリティー活動、復興支援に取り組んでいることをアピールするためだったようです。引退した朝原さんにも会見に出席してもらったのも、陸上界一丸というところを強調したかったからだと聞きました。ゴールデングランプリ川崎の入場料収益は全て復興支援金として寄付するとのことですし、大会当日には選手たちによる募金活動や、チャリティーとして選手サイングッズを販売します。

 選手への質疑応答の内容は、スポーツナビに記事が出ていました。面白かったのは、代表質問(日刊スポーツS記者)で「今シーズンへの意気込みを漢字1文字で言い表すと?」という問いかけがなされたこと。すぐに答えられる質問ではありませんが、スポーツナビの記事にあるように全員がしっかりと答えています。これは高平慎士選手の功績といえるかもしれません。
 代表質問への応答は着席順に答えていく慣習になっていますから、この質問にも高平選手から答えるように司会者(TBS初田アナ)が振ったわけです。それに対して高平選手が落ち着いた時間稼ぎをしたのです。
 最初は「反対の順番にお願いしていいですか?」と、即答するのに困っていたようではありましたが、すぐに「難しいですけど僕は今年に限らず、“楽”しいと感じてやらなくてはと思っています。間違うとラクになってしまうんですが……」と、ユーモアを交えながら質問に答えていました。
 最初の応答者がきっちりと答え、なおかつ時間も稼いでくれると、後の応答者は自分の考えを整理することもでき、話しやすくなります。そういう意味でも、高平選手が最初に答える位置に着席していたのは正解だったと思います。

 会見後のカコミ取材も高平選手のところに行き、19秒台への考えを聞かせてもらいました。記事にしたいところですが、残念ながら時間がありません。雑談では、高瀬慧選手(順大→富士通)が200 mで20秒72を出した競技会が、順大競技会だったことを教えてもらいました。ツイッターで向かい風2.1mでその記録を出したこと、400 mを46秒81で走った後に出したことは知っていたのですが、大会がわからなかったのです。
 帰宅して順大のサイトを見ると、順大競技会の成績が載っていました。
 他にも、スズキ浜松ACの一般種目監督に渡辺辰彦さんが就任したネタなどもあるのですが、夜も更けたのでこの辺で。


◆2011年4月20日(水)
 陸連強化委員会の記者会見&懇談会に出席。有益な情報がいくつかありました。全部を紹介するのは難しいので、数を絞って紹介したいと思います。
 まずは新聞記事にもなっていますが、5月の海外遠征の情報を。
 5月1日のカージナル招待に以下の選手たちが出場します。
▼男子10000m
竹澤健介選手
高林祐介選手
尾田賢典選手
浜野健選手
高橋優太選手
▼女子10000m
福士加代子選手
杉原加代選手
清水裕子選手
▼女子5000m
吉川美香選手

 5月12日のテグ国際(ワールドチャレンジ)には以下の7選手です。
金丸祐三選手・400 m
モーゼス夢選手・110 mH
成迫健児選手・400 mH
松本葵選手・3000mSC
村上幸史選手・やり投
福島千里選手・200 m
井村久美子選手・走幅跳

 個々の情報では、横田真人選手が静岡国際、ゴールデングランプリ川崎で1分45秒台の日本新を狙っていると、中距離の平田和光部長の話の中にありました。そういえば昨日のゴールデングランプリ川崎の会見で、横田選手自身もそう話していました。陸マガ5月号の記事用に同部長に取材をした際には、記録を狙うのはゴールデンゲームズinのべおかあたりになると話していたのですが、横田選手の調子が思ったよりも早く上がってきたのだといいます。これは期待したいところ。

 男子長距離の永里初部長の話では、冬にケニア、エチオピアで合宿を行う予定があるとのこと。男子マラソンの坂口泰部長は「世界は2時間3分、4分になっているが、我々はできることをしっかりやって行く。マラソンの日本新のアナウンスが聞かれるのもそう遠いことではない」と見通しを話していました。
 女子マラソンの武冨豊部長からは、新聞記事にもなっていましたが、福士加代子選手がマラソンの五輪選考会に出場する可能性があることが明かされました。まだ可能性の段階で決定ではないのですが、「我々も(福士選手に)そこに行ってほしいという願望がある」ということです。

 そして今回の組織改編でジュニア育成部に新しくU21(エリート教育)部門が新設され、山崎一彦福岡大監督が部長に就任。「ジュニアで活躍した選手をシニアに上げて代表になるまでの教育係」という役割を果たしていくとのこと。大学2年生、3年生で中だるみして、そのまま消えてしまった選手が過去に何人もいました。そういうことがないように、「少数精鋭で濃密にやる」ということです。


◆2011年4月21日(木)
 今日は世界選手権のマラソン代表発表と選手たちの会見がありましたが、締め切りと重なってどうしても行くことができませんでした。
 しかし、TBSがネット配信をしてくれたので、共同会見の模様はパソコンで見ることができました。本当に便利な世の中になったものです。
 だからといって、現地に行くのは意味がなくなったかといえば、そんなことはまったくありません。共同会見のコメントはネット配信で聞くことができても、その後に行われたカコミ取材で選手が話したことは、現地に行かない限り聞くことはできません。当たり前ですが、写真撮影も現地に行かなければできません。それと、こちらの顔を選手に覚えてもらうことも、現地に取材に行くことの大きなメリットなのです。
 ただ、今日行けなかったのは本当に仕方のないというか、抱えている仕事のスケジュールを考えたらどうしようもないことです。3日連続で取材には行けません。


◆2011年4月22日(金)
 今日は4月22日。何の日かというと、男子円盤投の日本記録が出た日です。川崎清貴選手が60m22。1979年に草薙で行われた静岡リレーカーニバル(今の静岡国際)でのことです。若き日の寺田は目の前で見ていました。現在オリンピック種目では最も古い日本記録になっています。
 ですが60m10の日本歴代2位記録を筆頭に、畑山茂雄選手がパフォーマンスリストの2位から8位(58m44)までを独占しています。日本記録が塗り替えられるのも、遠い日ではないと思います。向かい風が強い日ならいつでも出るでしょう。

 そんなタイミングで神戸新聞の大原記者からメールが来ました。神戸にあのディスコボロス(円盤投げ)が来ているというのです。ディスコボロスは室伏広治選手が絶賛していたことがありましたし、陸上競技マガジンの版元であるベースボール・マガジン社も、会社のロゴマークに使用していました。
 どうして神戸に来ているのかといえば、ディスコボロスを所蔵する大英博物館展が3月12日から6月12日まで神戸市立博物館で開催されているのです。大原記者のメールによれば男子円盤投の日本記録を受付嬢に言えば無料で入館できるとのこと。さらに、「今年で○年間更新されていません」と付け加えれば図録ももらえるようです。
 これが本当かどうかは行ってみなければわかりませんが、ちょうど兵庫リレーカーニバルが行われますから、タイミングとしては絶妙です。寺田も本日、新大阪に向けて新幹線に乗り込みました。

 しかし、新大阪で降りた後は特急スーパーくろしおで和歌山入り。昨年に続いて明日からの日本選抜和歌山大会を取材するためです。


◆2011年4月23日(土)
 日本選抜和歌山大会の取材。朝、ホテルから紀三井寺競技場に移動中は小雨でしたが、会場につくと本降りに。おまけに風が強いし、方向も一定しません。最初の種目の七種競技100 mHでは1組目が−4.7mで2組目が−2.8m。
 しかし、次の十種競技100 mでは1組目が−1.6mで2組目が−1.7m。風速が弱まったことが右代啓祐選手にはラッキーでした。と、そのときは思ったのですが、後でそう考えた自分を恥じました。
 というのは、寺田は「この雨と風だったら記録は無理だろうな」と決めつけていましたが、トップアスリートはもっと前向きな考え方をしていました。特に、今日活躍したスズキ浜松ACの2人はそうでした。

 今日のGP種目は男女の混成競技前半と、女子走高跳と女子やり投の4種目でした。女子やり投では昨秋のアジア大会金メダリストの海老原有希選手が2投目の57m68で優勝。さすがに60mスローとはいきませんでしたが、雨の中での自己最高記録です。
 昨年までとメンタル面で変化があったか、という問いに次のように答えていました。
「自信のような、開き直りというか、投げれば飛ぶだろうという気持ちになれるようになりました。自分が万全で、しっかりと調整して試合で投げれば飛ぶだろう、と。去年までは不安を持って試合に臨むこともあったんです。(実際雨だった今日は?)不安はなかったです。天候が雨なのは仕方のないこと。雨の中でどれだけできるか挑戦しようと思いました」

 右代選手も雨にひるむことはありませんでした。
 各種目の記録を7930点の日本歴代2位を出した昨年と比べると次のようになります。
100 m:11秒27→11秒37(−1.6)
走幅跳:6m84→7m03(+1.8)
砲丸投:13m41→13m68
走高跳:2m05→1m99
400 m:50秒61→50秒80

 走幅跳と砲丸投では昨年を上回り、1日目の得点では3906点が3882点に。悪天候の中でマイナス24点にとどめ、明日の8000点突破に期待をつないだのです。
 右代選手は去年もそうでしたが、各種目のアップ中というか、走る前や試技前に「はっっっぁぁぁ」と大きな声で気合いを入れていました。試合を楽しみたいのだから、天気が悪いからなんて言っていられないという姿勢に見えました。
 雨でテンションが低くなることはなかったか? という質問に次のように答えました。
「まったくありませんでした。初戦ですから冬期にやってきたことをここで証明したかったし、どんな天候でも試合は行われるのですから、勝負を気にしながらも1本1本大切に行く気持ちでいました。天気なんか関係ありません」
「十種競技は試合数が少ないのですが、少ないからこそ天気が悪くても1日1日、1種目1種目全力でやっていかないといけません。強い人は雨だろうがなんだろうが記録を出します。1試合1試合、ベストで臨むことが大事です」


 雨で取材のテンションが下がった自分を恥じた紀州路の寺田でした。


◆2011年4月24日(日)
 日本選抜和歌山大会2日目の取材。昨日とはうって変わって、好天に恵まれました。
 11:30からの男子やり投がGP種目としては一番最初に終了し、80m38で優勝した村上幸史選手(スズキ浜松AC)の取材。昨日コメントを聞いた海老原有希選手、右代啓祐選手とスズキ浜松ACの選手が続きます。彼らの傍らにはつねに渡辺辰彦スズキ浜松AC一般種目監督の姿がありました。今大会で最も忙しかったスタッフではないでしょうか。

 村上選手は昨年中から「シーズン第1戦から85mを狙ってく」と公言しました。今大会に関してはそれが力みとなり、十分にやりを引いても早く前に出てしまい、体の前の方だけで腕を振ってしまったといいます。本当に僅かのタイミングのズレですが、それが力を加える時間の違いとなり、飛距離が数mは違ってくるのです。
 1投目、2投目とも失敗投てきの感触で「75mくらい」と感じたのですが、距離は80m28と80m38が出ていました。どこを修正すればいいかわかっていますから、村上選手はそこで「嬉しくなってしまった」と言います。記録を出せそうだと。
 その色気が3投目のバランスをさらに崩してしまいました。左脚を接地させたときにおかしな衝撃が胃に響いたそうです。3投目はファウルにして、4・5投目をパス。6投目に懸けましたが修正しきれず77m09でした。

 浜元一馬先生が記者たちに「村上もまだ若いな」と話したことを聞いた31歳の村上選手は、「頑張りすぎるっていうことは若いってことだと思います」と言い、「大人になり切れていません」と、最後には笑いを取っていました。本音だとは思いますが。
 それでも、次のゴールデングランプリ川崎(5月8日)ではしっかりと修正してくるのではないでしょうか。「川崎は条件が整ってくる。内的要因としては僕自身の問題点がはっきりとわかりました。外的要因としては外国人選手が来ます。両面揃って当日を迎えられるのはわくわくします。昨年の大阪GPで勝てなかったファルカー(ニュージーランド)にしっかり勝ちたい」
 今日の1、2投目終了時点で「頭に浮かんだ距離は間違いなく85mを超えた距離」だったといいます。ゴールデングランプリ川崎では期待したいと思います。

 村上選手の川崎の次の試合は、5月12日のテグ・ワールドチャレンジ・ミーティングスです。この大会は世界選手権のための下見という意味合いもあります。競技会場の下見もそうですし、日本食を食べられる店を探す目的もあります。日本食が大好きな村上選手は海外でも、できれば日本食を食べたいと考えています。そのために渡辺監督も同行して、日本食の店探しをするようです。

 日本選抜和歌山大会取材ネタ、もう少し続く予定です。


◆2011年4月25日(月)
 昨日の日記の続きです。村上選手は共同会見がセッティングされましたが、他の選手は個別につかまえる必要があります。2位に入った佐藤寛大選手を探して取材をさせてもらいました。和歌山は取材規制エリアが設定されてないので、選手を探し出すことが比較的簡単なのです。スタンドもそれほど大きくありませんし。
 佐藤選手は77m68のセカンド記録を5投目に投げました。世界選手権B標準のことや、今年の目標などを聞かせてもらいました。宮城県の選手ですから震災のことも。

 続いて行われたのは女子3000mSC。この種目初挑戦の桑城奈苗選手が前半から飛び出しました。障害に一度足を乗せないで飛び越えていく様子にこの種目への適性を感じました。しかし、1000m通過が3分06秒というのはオーバーペースだったようです。2000mを6分40秒の通過とペースダウンすると、2100mで優勝した斉藤梓選手にかわされました。レース後にはパパッと話を聞かせてもらいました。
 桑城選手の後には優勝した斉藤選手にも取材。時間は斉藤選手の方をたっぷりと取って話を聞かせてもらいました。

 次の取材は男子走高跳陣。スタンド下に戻ってきた順に、2位の高張広海選手、3位の戸邊直人選手、優勝した久保田聡選手の話を聞きました。その後、醍醐直幸選手も探して話を聞けました。
 どうして1種目でここまでたくさんの選手をつかまえられるかというと、先ほども書いたように競技場が中規模サイズなことと、タイムテーブルに余裕があることが要因です。GP種目は2日間で7種目ですから取材する方はやりくりがしやすいですね。
 話を走高跳に戻しましょう。久保田選手からは5月1日に熊本県の八代選手権のなかで走高跳のイベントが行われることを教えてもらいました。久保田選手の出身地なのですが、同選手と醍醐選手、土屋光選手、戸邊選手の4人が走高跳の試合をし、チャリティー活動も行うのだそうです。
 走高跳選手たちが冬期にスウェーデン合宿を行いましたが、そのメンバーで震災に対して何ができるかを話し合い、久保田選手の高校時代の恩師に相談をして実現することになったといいます。走高跳はゴールデングランプリ川崎で行われませんから、日程的にも和歌山の後にもう1試合入れても大丈夫だと思われます。

 そして七種競技と十種競技の最終種目も相次いで終了。七種競技優勝の桐山智衣選手と十種競技優勝の右代啓祐選手の話を聞かせてもらいました。右代選手は記事にする予定です。
 桐山選手のコーチでもある本田陽混成部長と、七種競技2位の本多綾選手にも話を聞いて取材を終了しました。

 昨日は和歌山泊まり。和歌山の結果を受けて、その日の内に書かないといけない原稿があったのです。それと、抱えていた原稿の締切も昨日だったので。
 しかし、抱えていた原稿は一通り書き終えたものの、推敲まですることができませんでした。今日の和歌山から新大阪までの特急の車内で見直し作業をして、新幹線の車内から送信。
 続いて本日締め切りの原稿にかかりましたが、昼間は眠くて作業効率が上がりません。夜になってかなり頑張りましたが、3分の2までしか進みませんでした。


◆2011年4月26日(火)
 昨日締め切りの原稿を、早起きしてなんとか10時30分頃に終わらせました。たぶん、担当者の出勤前に送れたはずです。


◆2011年4月27日(水)
 今日は編集の仕事を頑張りました。かなり印刷所に入稿しました。
 明日は何とか、広島に出発できそうです。


◆2011年4月29日(金・祝)
 1年ぶりに織田幹雄記念国際の取材でした。1年ぶりというのは当たり前ですが、わざわざ書いたのは織田記念からシーズンが本格化するイメージがあるのです。なんで先週の和歌山からではないのか自分でも不思議に感じるのですが、1つにはこの時期から温かくなることがあると思います。
 ところが、昨日東京を出発したときは5月の緑が萌えるような温かさでしたが、夜に広島に着くとけっこう寒い。今日も日陰に入ると肌寒いくらいでした。それが理由なのかどうかはわかりませんが、有力選手に変調が続きました。

 まずは女子100 mH。寺田明日香選手が予選3着で“プラス2”の2番目での通過。決勝でも6位と振るいませんでした。あとで聞けば宮古島の合宿で右足首を捻挫していたとのこと。
 続いて男子110 mH。田野中輔選手も予選3着で“プラス2”の2番目での通過でした。決勝で立て直して優勝するあたりはさすがベテランといったところですが。
 女子100 mでは福島千里選手が決勝のアップ中に脚が痙攣して欠場しました。
 男子100 mでは塚原直貴選手が欠場。江里口匡史選手と高平慎士選手が予選で10秒34と、“プラス2”の2番目で並びました。判定写真は1000分の1秒だったか1000分の2秒まで拡大して測定できますから、高平選手の決勝進出が決まり、江里口選手はB決勝に回るまさかの事態に。高平選手が決勝で4位、江里口選手がB決勝で10秒22wのトップとなったのは、田野中選手同様さすがというべきかもしれませんが…。
 木村慎太郎選手も決勝を前に脚が痙攣し、スタートはしたものの27秒44をかけてフィニッシュ。何秒かかっても1点を取るインカレのようでした。

 男子フィールド種目では棒高跳が澤野大地選手、三段跳が梶川洋平選手、円盤投が畑山茂雄選手と優勝候補が勝ちましたが、三段跳では石川和義選手が欠場しています。女子フィールド種目では我孫子智美選手が勝ちましたが、中野真実選手と近藤高代選手が欠場。円盤投でも室伏由佳選手が欠場、三段跳では吉田文代選手が1回目だけを跳んでどこかを痛めたらしく、トレーナールームで治療をしていましたが残りの試技を欠場せざるを得ませんでした。

 そうなると取材する側も大変です。優勝者以外の選手の話は基本的に聞かなくてもいいわけですが、次号の陸マガではもう日本選手権展望記事を書かないといけませんから、有力選手の動向は極力、把握しておきたいのです。寺田選手、高平選手、江里口選手、田野中選手、木村選手、澤野選手、我孫子選手らは話を聞くことができましたが、ただでさえ取材が大変な春季GPです。何人かは接触することができませんでした。
 しかし、有力選手が敗れたということは、新たな優勝者が生まれたということでもあります。男子100 m優勝の小谷優介選手や女子100 m日本人トップの市川華菜選手、女子100 mH優勝の木村文子選手らの話を聞くことができたのは収穫でした。

 最後に行われるのが男女の5000m。男子は誰の話を聞こうか迷いましたが、ユニバーシアード選考レースということで学生トップの油布郁人選手に行きました。女子は今大会唯一の世界選手権標準記録突破者となった新谷仁美選手に。新谷選手は豊田自動織機を退社して千葉陸協の所属になっていました。「“千葉ラブ”なんで気に入っています」とも話していましたし、「(岡山出身で)広島は半分地元みたいなもので背中を押してもらった」とも話していました。色々な地域を愛し、色々な地域の人たちから愛される。陸上選手はかくありたいものです。
 そういえば広島出身の為末大選手はもう何年も織田記念には出場していませんが、今回は広島でのストリート陸上開催(5月4日)の記者発表のために来場していました。東京丸の内で最初に行ったときも、広島開催を検討していたそうで、数年がかりの夢を実現することになります。


◆2011年5月3日(火・祝)
 本日は静岡国際の取材でした。
 話題性で今日一番はやはり、為末大選手の復活劇でしょう。49秒89で3組タイムレース5位。一番タイムの悪い1組に入れられてトップでフィニッシュしました。
 北京五輪以来の400 mHレースとなった4月17日の金沢のレースでは51秒26でした。強風で前半を14歩にせざるを得なかったと記事で読みましたが、そのへんを差し引いても完全復活への道のりは険しいと思えました、客観的には。
 しかし、為末選手自身は手応えをつかんだようで、「ここまで来られればしめたもの」というニュアンスのコメントをしていたと思います。
 そして今日は「50秒0くらいと思っていた」という予測とほぼ同じタイムで走りました。来月の日本選手権では「48秒7〜8を狙えるといいな」というタイムになるようです。
 さらに、為末選手は今日が33歳の誕生日とのこと。年齢別日本最高かもしれないと思って調べると、やっぱりそうでした。33歳日本最高を持つ選手で、中学新記録を出したことがある選手が他にいるのかと思って年齢別最高記録を見ると、どうやらいませんね。そういうところにも為末選手の偉大さが表れています。

 記録的に良かったのは……どの種目でしょうか。世界選手権のA標準とかB標準というのは参加人数を絞るためのものですから、あまり振り回されたくはないのです。その国の伝統にも左右されますから。例えば男子400 mHは日本の伝統種目になっていますから、それほどすごい記録ではなくても標準記録を突破しています。逆に男子の砲丸投や円盤投、女子の円盤投やハンマー投などはB標準が日本記録よりも高かったりします。
 それでも目安にはなります。
 ということでA標準突破は男子200 mの齋藤仁志選手と400 mHの岸本鷹幸選手の2人。B標準突破が200 mの飯塚翔太選手と400 mHの今関雄太選手、そして女子200 mの福島千里選手の3人です。
 男子800 mの横田真人選手も自身の日本記録に0.69秒と迫りましたから好記録です。ただ、1分46秒台は7回目ということで、本人にとっては好記録という認識はないようです。女子ハンマー投の綾真澄選手の63m84も、ここ数年のシーズンベストが64m前後ですから、上々の滑り出しといえると思います。

 残念だったのは織田記念に続き、有力選手の欠場や予想外の低迷などの“変調”が多かったことです。
 男子では200 mの高平慎士選手が5位、江里口匡史選手が予選3組を1位通過したのですが決勝を欠場。藤光謙司選手と塚原直貴選手は予選落ち。400 mHでは成迫健児選手が腰痛のため欠場。
 女子では400 mの田中千智選手が55秒55で4位、佐藤真有選手が56秒37で6位。走幅跳の桝見咲智子選手が欠場し、井村久美子選手も砂場に姿を現したのですが結局、欠場しました。ハンマー投の室伏由佳選手も織田記念の円盤投に続いて欠場です。
 例年よりも多いような気がします。

 これも織田記念同様、その代わりに若手が台頭したり復活した選手も出てきてくれました。男子200 m優勝の齋藤仁志選手は、昨年21秒が切れませんでしたから大復活です。女子400 m優勝の新宮美歩選手も復活と言っていいでしょうか。男子5000m日本人トップは深津卓也選手です…。400 m5位の高瀬慧選手の前半の飛ばし方も印象的でした。女子200 m2位の市川華菜選手も、織田記念に続く快走です。
 とにもかくにも、今大会で春季グランプリは終了。各種目が1回ずつ行われ、各選手の動向が判明しました。全体的な傾向としては前述したように、実績ある選手たちの変調が目立ちました。彼らが日本選手権までに巻き返すのか、好調の若手がこのまま押し切るのか。そこが今後の焦点になります。


◆2011年5月7日(土)
 本日はゴールデングランプリ川崎の前日記者会見に行って来ました。場所はホテルの大部屋を貸し切って行うのが通常のやり方ですが、今日はなんと屋外でした。川崎駅近くの“川崎ルフロン”というヨドバシカメラなどが入っている大規模複合ビルの広場です。今日は雨模様でしたが屋根があるので大丈夫でした。
 そこに大階段があって、その上の方から選手たちが1人ずつ入場して来るという演出でした。司会はTBSの佐藤文康アナ(全日中1500m優勝)で、いつにも増して声が通っていたような気がします。
 記者会見に呼ばれていたのは村上幸史選手、ロー選手(豪州・09世界選手権4×400 mR銅メダル)、フビエワ選手(ウズベキスタン・10アジア大会女子100 m銀メダル)、福島千里選手、室伏広治選手、ナザロフ選手(タジキスタン・10アジア大会金メダル)、為末大選手の7人です。

 屋外で記者会見を行う意図は大会のプロモーションに他ありません。道行く人々に明日、ゴールデングランプリ川崎が行われますよ、とアピールすることです。ただ、問題が1つ生じるような気がしていました。言ってみれば観客がいるなかでの会見ですから、質問をする記者がいるのかどうか。代表質問で必要最低限のことは聞きますし、今日はカコミ取材の時間も設けられていましたから、わざわざ公衆の面前で質問しなくても…、という心理状態になりがちです。
 案の定、一般質問のセッションに入ったとき、誰も手を挙げません。朝日新聞・酒瀬川記者の代表質問がしっかりしていましたし。そこでまったく質問が出ないと雰囲気が白けてしまいます。佐藤アナがこちらを見ていましたし…寺田が手を挙げました。

 以前から、投てきの現役メダリスト2人が揃うことが、すごいことだと思っていました。20世紀には考えられなかったことです。でも、それを「なぜ2人も同時期に揃ったのですか」と、当事者に質問しても答えられるわけがありません。
 だったら、2人に共通していることはないかと考えました。年齢が30歳を超えていることが気になっていた2人です。室伏選手が今年で37歳、村上選手が今年で32歳です。世界で戦う場合、多くの選手が年下になります。体力的には不利なのに対等に戦っている。そこを聞いてみたいと思いました。
 でも、実際に質問するとなると、手短に話すのが難しい内容です。2人が最年長かといえば、2人ともゴールデングランプリ川崎においても上から2番目ですし、投てき種目に30歳以上の選手は結構います。その辺をきっちり説明しながら質問をしようとして……見事に撃沈しました。やっぱり、人前で話すのはダメですね。
 でも、こちらのつたない質問にも2人はしっかりと答えてくれて、会見の体裁は整ったような気がします。ケネス・マランツ記者も寺田に続いて質問してくれましたし。まあ、明日の取材を頑張ります。

 ところで、静岡国際の後は陸マガ6月号の日本選手権展望記事を書いていました。明日のゴールデングランプリ川崎で行われる種目以外は、なんとか書き終えることができましたね。昨日、今日と電話取材も何本かさせてもらって必要な情報を得ることができましたし。
 明日行われる種目でも男子ハンマー投は、明日出場の日本選手が室伏広治選手だけなので、9割書くことができました。日本選手権の焦点は室伏選手の17連勝よりも別のところがポイントなのです。


◆2011年5月8日(日)
 ゴールデングランプリ川崎の取材でした。
 昨年までの国際グランプリ大阪とスーパー陸上が統合された大会と聞いていましたが、プログラムはスーパー陸上と同じ体裁でした。全選手の顔写真が掲載されているところが最大の特徴です。内外を問わず、他の大会では見たことがありません。
 世界記録、日本記録、ジュニア日本記録の他に国内最高記録(ALL COMERS RECORD)、競技場記録(STADIUM RECORD)、今季世界最高記録(WORLD LEAD)と種目毎に記載されているのもいいですね。世界記録、日本記録をレベルの目安として把握しておくことは必要だと思いますが、実際に出る可能性は極めて低いわけです。更新できる可能性の大きい記録を記載しておけば、見る方の楽しみも増えると思われます。
 実際に誕生した記録は以下の通りです。
<男子>
200 m:20秒65=競技場記録(サウード・エジプト)
800 m:1分46秒87=競技場記録(横田真人以下4人)
<女子>
400 m:52秒68=競技場記録タイ(ウッズ・アメリカ)
4×100 mR:43秒39=日本記録(日本A)

 惜しかったのは男子やり投で村上幸史選手の82m90は、昨年のスーパー陸上でピトカマキ選手が投げた83m12に22cmと迫る記録でした。数としてはもう少したくさん出てほしかったですけど、今回の外国人選手の顔ぶれからするとこんなところでしょうか。

 等々力競技場はスタンドの記者席からスタンド下のミックスゾーンまでの距離が近く、取材がしやすいレイアウトです。モニターも置かれているので、取材が立て込んできたらミックスゾーンに居続けることもできます。テレビ中継もある大会ですから、あとで録画した映像を見ることもできますから、春季グランプリなどよりもコメント取材を優先してもいい大会ではあります。
 それでも、競技を見ないでコメントを取材しようとすると、どうしても突っ込みが甘くなります。特にトラック種目はレース展開を把握していないと質問ができませんから、極力スタンドまで戻って競技を見るようにしていました。男子400 mHもスタンドから為末大選手のタッチダウンタイムを計測しましたし。静岡国際でも同選手のタッチダウンは測っています。為末選手のコメントと照らし合わせると、復帰後の同選手が目指しているレースパターンが見えてきます。時間があったら記事にしたいと思っています。

 しかし、ミックスゾーンとスタンドを往復しながら見られたのはそこまでで、残りの半分はミックスゾーンでのモニター観戦になってしまいました。トラック種目の取材だけなら順番に選手が戻ってきますが、そこにフィールド選手が不定期に加わると超忙しくなります。正直にいうと1種目、まったく見ることができなかったトラック種目もありました。
 コメントも全種目聞けたかというと、4種目聞けませんでした。この時期の寺田は日本選手権の展望記事を書くために、春季グランプリから1種目最低1回は取材するというのが目標になっているのですが、どうしようもないケースもあります。
 それでも、例年の国際グランプリ大阪やスーパー陸上に比べると、聞くことができた確率は少し高かったように思います。

 取材終了後は記者室で某社の速報ページの作業。続いて陸マガの日本選手権展望記事にとりかかりました。春季グランプリ4試合で全種目が1回ずつ実施されているのですが、やっぱり今日の結果を見ると書く内容が大きく違ってきます。春季グランプリとは順番が入れ替わった種目も多くありましたし。しかし、1種目300字とはいえ、16種目書くのは大変です。頑張るしかありません。


◆2011年5月9日(月)
 本日、なんとか陸マガの日本選手権展望記事を全種目書き上げました。頑張りました。
 と言っても、取材は昨日中にできていたので、あとは書くだけ、という段階でした。昨晩から今日で16種目ですから分量は大変でしたが、書きながら電話取材をしたりあれやこれやを調べたりという、集中しにくい大変さ、はありませんでした。
 それでも、書き終えた後は虚脱状態でしたけど。

 難しかった種目はやはり、有力選手で欠場者や故障者がいる種目です。塚原直貴選手が欠場している男子100 mとか、今後の塚原選手の復調ぶりでずいぶん展望も変わってきます。藤光謙司選手が故障明けで走れていない200 mも同様です。
 しかし、同じように豊永陽子選手が出場していない女子砲丸投は、展望がしやすい種目でした。この種目は選手層が薄いこともあって、複雑な見方はできないのだと思います。男子の100 mや200 mは、逆にいくつもの見方ができますから、書き手の腕の見せ所なのかもしれません。

 もう1つ悩むパターンで多いのは、取材した内容をメインにするのか、データ的なところをメインにするのか、という判断です。データ的なところというのは例えば、男子400 mの金丸祐三選手の連勝です。今年勝てば7連勝で歴代最多新記録になりますし、優勝回数でも歴代最多タイになります。取材した内容なら、金丸選手がこの冬は長めの距離のメニューを多めにしていたという話題だったりします。記者である自分の特徴を生かすとすれば取材した内容で書いた方がいいと思うのですが、データ的なところが金丸選手のようにすごい場合はデータ的な方を優先します。
 金丸選手の連勝に対する意気込みは取材していないのか、という疑問もおありかと思います。実は取材してあるのですが、文字にすると長くなりそうな答えでした。「7連勝したいです」という、単純な思いや意気込みではなかったのです。それと400 mでは静岡国際の前半を飛ばした高瀬慧選手についても、触れるべきだと考えました。高瀬選手について書いていると、金丸選手の連勝に対する思いを書く余裕がなくなってしまったのです。
 300文字なら少なくてすぐ書けるだろうと思われるかもしれませんが、ネタが多い種目ほどまとめるのが大変なのです。正直、取材しすぎたな、と思う種目もありますね。

 日本選手権展望記事のネタ、また思いつくことがあったら書きたいと思います。今日(いつ?)はこれから地デジ化対策にとりかからないと。


◆2011年5月14日(土)
 関東インカレ初日の取材。例年は東日本実業団が重なるので来られないのですが、今年は東日本実業団が来週のスケジュールになったので、久しぶりに関東インカレの1週目の取材をすることができました。昨年までは100mの優勝者は、翌週の200 mや4×100 mRの後に話を聞くというパターンでしたが、今年は生で見られます。
 本日の100mは予選だけでしたが、じっくりと見ることができて楽しめました。1組はゴールデングランプリ川崎で日本人トップの1年生、山縣亮太選手(慶大)が向かい風1.2mで10秒45。3組は向かい風0.5mで川面聡大選手(中大)が10秒47、羽根聖也選手(日体大)が10秒48。5組では向かい風0.6mで小林雄一選手(法大)が10秒48。優勝候補と見られた選手たちが揃って、向かい風で10秒4台を出してきました。昨年のインターハイ優勝者の九鬼巧選手(早大)は4組で10秒55(+0.3)でしたが、決勝になると走りが変わる選手なので期待できます。

 今日一番の注目は男子1部やり投のディーン元気選手(早大)でした。先日のゴールデングランプリ川崎で78m90と、世界選手権のB標準に60pと迫っています。しかし、4投目までは72m90が最高で、トップでしたが記録までは狙っていないようにも感じられました。それとも、どこかに不安があるのか。
 ところが、5投目で同じ早大の神崎真悟選手に73m05で逆転されると、すぐに73m84で再逆転し、6回目には80mラインに迫る大アーチを架けました。いったか、と思われましたが79m10で、自己新ですがB標準はまたもお預けとなりました。
 競技後に話を聞くと「背中がヤバイ」状態でブロックができなかったそうです。ただ、それほど深刻なものではなく、ゴールデングランプリ川崎の疲れが残っているなかでウエイトを頑張ってやってしまって、張りが出ている状態だったそうです。
 6投目は優勝が決まっていましたが、他の選手たちも70m台や自己新をバンバン投げてきて、その雰囲気に乗って背中を気にせずに投げてしまったとのこと。
「今回、疲労がある状態でここまで投げられました。自分の気持ちが盛り上がってしっかりすれば、日本選手権は必ず盛り上がりますし、絶対に投げられます。(標準記録は)切ります!」
 期待したいと思います。

 その後は男子2部1500m優勝の油布郁人選手(駒大)、1部1500m優勝の八木勇樹選手(早大)、女子1部1500m優勝の森智香子選手(大東大)、そして女子1万m優勝の篠塚麻衣選手(中大)と話を聞きました。
 森選手は大東大女子初の関東インカレ制覇。1年生ですがしっかりした受け答えが印象に残りました。篠塚選手も1年生。女子の中・長距離2種目をルーキーが制したことになりますが、優勝記録のレベルがそんなに高かったわけではありません。上級生の頑張りも求められるところでしょう。

 さて、関東インカレは春季グランプリ各大会やゴールデングランプリ川崎のように、日本のトップクラスが次々に登場する大会ではありません。予選や準決勝、2部や3部も行われているので比較的、取材にゆとりが持てました。
 しかし、現場で某サイトの速報記事を書くところまではいつもと一緒でしたが、帰宅してからが超多忙な日でした。まずは関西インカレや関西実業団の記録をチェック。中四国インカレでは女子3000mSCで学生新&ジュニア日本新が出たという情報も入ってきました。東海インカレでは十種競技の中村明彦選手(中京大)が初日日本最高の4090点で折り返したといいます。夜遅くになって、朝日新聞陸上担当ツイッターが九州実業団のつぶやきを始めました。
 日本のトップ選手が揃う大会は行われていませんが、各地でトップ選手が出場している大会が行われたため、今日のような状況になったのでしょう。


◆2011年5月15日(日)
 関東インカレ2日目の取材。
 トラック最初の決勝種目は男子1部1万mW。山梨学大がワンツースリー・フィニッシュで大量21点を獲得。1部残留をほぼ決定づけました。山梨学大は1996年の1部昇格以来、一度も2部に落ちていません。留学生、中距離、3000mSC、競歩と年毎にポイントゲッターが現れてきたということだと思います。箱根駅伝だけじゃないぞ、という姿勢が表れています。
 その後も決勝種目が続きましたが、話を聞いた種目&選手は男子1部400 m優勝の廣瀬英行選手(慶大)、男子2部110 mH&100 m2冠の佐藤大志選手(青学大)、男子1部100 m優勝の川面聡大選手(中大)と2位の山縣亮太選手(慶大)、女子1部100 m優勝の佐野布由実選手(筑波大)、男子1部1万m優勝の早川翼選手(東海大)と3位の柏原竜二選手(東洋大)、男子1部三段跳優勝の長谷川大悟選手ら。

 400 mの廣瀬選手は自己新は出ていませんが、明らかに前半が速くなっていますから、その辺を突っ込ませていただきました。スピードがついているということでしたが、それができている要因も聞きました。
 注目の100 mは川面選手が優勝しました。かなりたくさん話を聞きました。豊田コーチから、昨年からスタートを変えていることを聞いていましたが、川面選手によれば、体全体を使ってストライドを大きくしているといいます。まだ高く出てしまうことがあるようですが、決勝では低く出られたとのこと。
 後半の走りでは、土江寛裕陸連短距離副部長のアドバイスで、アゴを上げないようにしているそうです。力が逃げないように、向かい風でも腰を入れられるようにしていることで、向かい風の強かった(2.6m)決勝を10秒50で制しました。追い風ならB標準の10秒25は切れる手応えをつかんだといいます。
 川面選手とは反対に、落ち込み気味だったのが2位の山縣選手でした。得意のスタートで失敗し、全体的にも「進む感じが違った」と言い、その原因がわからないと首を傾げていました。悔しさという点ではインターハイ以来のような気がしましたが、「インターハイは何がいけないかわかっていましたが、(今回の原因は)今は思いつかない」と意気消沈した様子。最後には「あと1週間で取り戻したい」と前向きになっていましたが。

 2部ですが佐藤選手の2冠は珍しい組み合わせ。女子では寺田明日香選手がインターハイで100 mと100 mHの2冠をやっていますが、男子で100 mと110 mHの2冠はどの年代の大会でもちょっと記憶がありません。世界ではジャマイカのあの選手(名前忘れました)がいますし、110 mHの元世界記録保持者のニアマイア選手が200 mも強かったと思いますが。
 思い切りストライドを伸ばすことのできる100 mと、刻まないといけない110 mH。その辺をどう切り換えているのか佐藤選手に質問してみましたが、特別に意識して変えているわけではないと言います。元からピッチ走法なのか、自然と切り換えができてしまう天才肌なのか。

 三段跳の長谷川選手は昨年の日本インカレでも取材していましたが、“特徴がない”のが特徴の選手。特徴というか、この部分が秀でている、というところがないと言うべきでしょうか。ただ、それは体力的な要素の話で、「走るのも弱いしバネもない、ウエイトも弱い」と長谷川選手。逆に言えば技術やセンスがあるから跳べるのだと思います。
 早川選手と柏原選手は今年の箱根駅伝で同じ5区を走りました。柏原選手が区間賞で早川選手は2分半の差をつけられて区間5位。3位でタスキを受けた柏原選手が、37秒先に中継所を出た早川選手を抜き去っています。「山ではすごく悔しかった。平地やロードで争えるようになったので、山でもいずれ勝ちたい」と早川選手。早川選手は3年生ですが柏原選手は4年生。チャンスはあと1回しかありません。

 昨日は対校得点の途中経過が出ず、全国のOBたちから非難の声が挙がったかもしれませんが、今日はしっかりと出ました。男子1部は早大が64点でリード。1500mの19点、やり投の15点などワンツーを決めた種目が効いています。東海大が54点、筑波大が49点、日大が42点、順大が39点で追っています。残り種目の有力選手など詳細はチェックしていませんが、予断を許さない状況でしょうか。
 男子2部は東学大が46点でリードしていますが上武大が3点差の43点で追っています。上位2校が昇格しますから、35点で3位の青学大も圏内。来週のハーフマラソンや5000mで上位独占があれば、19点の駒大も可能性がなくはありません。
 女子1部は筑波大が72.5点でリードし、中大が55点で追っています。3位の日体大が28点ですから筑波大と中大の争いに絞られたと言っていいでしょう。これも細かくはチェックしていませんが、筑波大圧倒的に優位と言われています。


◆2011年5月16日(月)
 昨日の日記でも触れましたが、関東インカレの男子1部20kmWで優勝したのは山梨学大の笹川友輝選手。“ゆうき”が活躍しているのはプロ野球(斎藤佑樹)だけではありません。笹川選手が“ともき”ではなく“ゆうき”と読むのは確認済みです。本人に聞いたわけではなく、リザルトにルビがふってあったからわかったのですが。
 プロ野球選手に何人“ゆうき”がいるのかは未確認ですが、公務員ランナーとして名を馳せた川内優輝選手をはじめ、陸上界にはたくさんの“ゆうき”がいます。昨日は八木勇樹選手も1500mで優勝しました。110 mHの日野勇輝選手は4位でしたが。
 関東インカレだけで3人の“ゆうき”がいました。ここまで来たら全部を数えないと陸上ファンは納得しないでしょう。

 まず長距離に多いですね。前述の川内優輝選手と八木勇樹選手に加えて佐藤悠基選手、松岡佑起選手、岩井勇輝選手、中村悠希選手と6人。
 短距離が400 mの山口有希選手。ハードルが前述の日野勇輝選手。そして競歩が笹川友輝選手と50kmW日本記録保持者の山崎勇喜選手。
 これでちょうど10人です。種目は異なりますけど、10人全員が1人の指導者の指導を受けたりしたら面白いですね。指導者の名前が真田監督だったら“真田十ゆうき”になりますし…。

 これだけ“ゆうき”がたくさんいながら、同じ漢字なのは岩井勇輝選手と日野勇輝選手の1組だけ。つまり9通りの“ゆうき”がいるのです。同じ読みでこれだけ違う漢字の名前があるのは珍しいのでは?
 ただ、フィールド種目に1人も“ゆうき”がいないのが気になります。


◆2011年5月20日(金)
 編集業務にスポンサー挨拶に、地デジ化対策にと大忙しの1週間でした。
 地デジ化対策は5月10日くらいからテレビとブルーレイ&ハードディスク(BR&HD)・レコーダーの主要メーカー・カタログを集めて研究し、並行してネットで情報を収集していました。月曜日にはレコーダーの実物をビックカメラで見て、火曜日にはネットの格安家電店で注文。水曜日には到着しました。
 その水曜日には某大学冊子の色校正を受け取りに飯田橋の印刷所に。印刷所の応接スペースをお借りして梱包作業を2時間ほどやらせていただきました。帰りに新宿の郵便局で20個近い郵パックを発送。10個以上になると割引になることを初めて知りました。ヨドバシカメラでは地デジ・テレビの実物をチェック。

 木曜日にはスポンサー計測工房様に新年度の挨拶に。藤井社長(慶大競走部OB)と陸上競技が盛り上がる(競技人口が増える)ためにはどうすればいいか等、陸上競技や市民マラソンを社会的な側面から見た話を多くしたと思います。慶大の話でもひとしきり盛り上がりました。関東インカレでは100 m、200 m、400 mと両リレーのスプリント5種目で慶大が表彰台に上がる可能性があるようです。インカレの上位を争う大学ならともかく、慶大のような大学がそれを達成するとなると意味が大きいです。小一時間ほどお時間をいただくつもりが、気がついたら1時間半も話し込んでいました。
 帰る途中にネットでテレビの値段をインターネットでチェック。新商品のテレビはネットの格安店の方が安いのですが、型落ちのテレビはポイント分を引けば家電量販店の方が安いくらい。ということで、昨年12月発売の機種を新宿のビックカメラで購入しました。来週の火曜日に配達されます。

 そして今日(金曜日)も印刷所に。色校の追加を受け取って発送&配達作業も。明日は熊谷で東日本実業団の取材です。

 ところで、今週の出来事ではありませんが、1週間前の金曜日に大英博物館 古代ギリシャ展(神戸展)ツイッターが、寺田のツイッターをフォローしてくれました。以前(4月22日の日記)、日本初公開の「円盤投げ(ディスコボロス)」(傑作だそうです)のことを、最古の日本記録の男子円盤投の話題と絡めて紹介しました。その日記を読んでくれたからでしょうか? 受付嬢に日本記録を言ったら無料で入館できるとか、冗談も書いているのでちょっとまずいかも。
 しかし、その大英博物館ツイッターは寺田だけでなく、日清食品グループ陸上競技部、朝原宣治さん、athletekumaさん、同志社大学体育会陸上競技部、朝日新聞スポーツG陸上競技担当、荒川大輔選手もフォローしていました。ツイッター担当者が陸上競技に興味があるのは明確です。
 さらに絞り込めば、朝原さん、同志社大学体育会陸上競技部、荒川選手の共通点は同志社大学ですから、大英博物館ツイッター担当者は同大陸上競技部のOBではないかと推測できます。OBではないかもしれませんが、同大に何らかの関係があるのではないでしょうか。
 ということで関西方面の方はぜひ、大英博物館 古代ギリシャ展(神戸展)を見に行ってください。6月12日までです。その後は東京で展示されるようです。関東方面の方はもう少しお待ちください。円盤投の日本記録を受付で言う必要があるので、畑山茂雄選手の動向にも注意をしておきましょう。


◆2011年5月21日(土)
 今日は熊谷で東日本実業団1日目の取材
 最初は男女の5000mWでした。この種目が行われるのが地区実業団のいいところです。日本選手権競歩は20kmW(1月か2月・神戸)も50kmW(4月・輪島)も、日程や予算の関係で取材に行くことができません(輪島は2回行ったことがありますが)。そこで活躍した選手たちに東日本実業団で取材をすることができるのです(個人的な事情で申し訳ありません)。
 今日も女子20kmW日本選手権優勝(=代表内定)の大利久美選手が優勝し、男子20kmW日本選手権優勝の鈴木雄介選手が2位、男子50kmW日本選手権優勝の森岡紘一朗選手が3位。競歩の後に時間的な余裕もあったので、3人とも話を聞くことができました。改めて書くまでもありませんが、3人とも富士通です。

 大利選手は昨秋から、それまでほとんど勝てなかった先輩の川崎真裕美選手に対して、勝つことができるようになりました。その理由を自分ではどう分析しているのかを聞くことができたのが収穫でした。世界選手権も「8位以内に入賞すること」と目標設定が高くなっています。
 森岡選手はこのところ20kmWのエースとして国際大会に出場してきましたが、前回の世界選手権から50kmWにも出場しています。そして、日本チャンピオンとなり記録的にも3時間44分45秒まで来た今回は「50kmWに絞ろうと思う」と話しています。昨秋のアジア大会で考え方が変わり始めたそうです。「淡々とペースを刻むのでなく、3位でしたがしっかり順位を意識して、駆け引きをしながら、後半も中国選手と戦うことができました」
 その後はトレーニングも「20kmWのための50kmWでなく、50kmWのための練習になり、そこを意識して継続したことが輪島での自己新につながった」と言います。テグ世界選手権ではやはり「入賞を目標に頑張っていきたい」そうです。富士通の同学年コンビがダブル入賞ともなれば、富士通の今村文男コーチも喜ぶと思います(当たり前か)。
 鈴木選手は主要選手のなかでは数少ない自己新(19分36秒50)。「トレーニングを積んでいない時期にしては良いタイムが出た」と言います。その背景には大利選手同様、先輩の森岡選手に日本選手権で勝ったことがあるようです。「アジア大会から日本選手権まで、今までで一番良い練習ができた」とのこと。「日本選手権は1時間20分を切るつもりでいたので結果を出せなかった大会ですが、そこまでの練習は無駄ではなかった。そこのタメがある状態である程度継続して練習ができているので、4月以降の輪島(10kmW・1位40分35秒)、セストサン・ジョバンニ(イタリア・5位1時間22分53秒)、今日とそれなりの結果を出せています」
 鈴木選手といえば競歩どころ石川の出身で、世界ユース(2005年)でも世界ジュニア(2006年)でも銅メダルを取っているエリート選手。しかし、シニアになって出場した前回の世界選手権は、「入賞レベルに達していなくて、目標がなかった」という理由で42位と振るいませんでした。シニアでもいずれはメダルを、と考えているようですが、それが実現できたら富士通の今村文男コーチも喜ぶと思います。

 おっと、話を聞いたのは富士通勢ばかりではありません。男子5000mWに優勝した藤澤勇選手(ALSOK)の話を先に聞きました。優勝タイムの19分22秒93は自己2番目のようです。断定できないのは、大利選手も「自己2番目か3番目」と話していましたから同じですが、競歩選手は5000mWではあまり、記録にこだわっていないからなのかもしれません。
 3000mで一気にスパートして、1周で森岡選手に30mくらいの差をつけたので、会心のスパートだったのではないかと思って質問しましたが、そうでもないようです。藤澤選手は昨秋のアジア大会と5月のセストサン・ジョバンニ(2位・1時間22分11秒)で同学年の鈴木選手に勝っています。世界選手権代表入りの可能性もあるのでは? と振られると、次のように話していました。
「イタリアでA標準をようやく破って、だいぶ自信を回復することができましたが、日本選手権で途中棄権しています。そんな選手が代表になっていいものか…。甘い考えは持たず、貪欲だった大学時代に戻って、ハングリー精神で取り組んでいきたい」
 日本選手権で途中棄権に終わったことが、かなりの痛手になっているようでした。1週間前までメキシコで合宿したのですが、そこで体調を崩してしまったといいます。海外での生活に対応できないようではヒヨッコだという話をしていました。

 という感じで競歩の取材がたっぷりできました。それだけで今大会に来た意味はあったと思います。ということで、東日本実業団のネタは競歩だけで終わりにします(長くなりましたし)。

 というのも申し訳ないので、他の話題も書きたいと思います。
 競歩男子選手の取材の前には、東日本実業団連盟の新理事長に決まったコニカミノルタの酒井勝充監督のお話を伺いました。長距離選手を抱えているチームに、トラック&フィールドの選手を採用するようにお願いしていくという話が印象に残りました。長距離チームに1人ずつでも一般種目の選手が入れば、トータルで50人以上になります。「最終的な行き先があれば、高校生や大学生の頑張りが違ってくる」と新理事長。あとは震災支援活動も積極的に行うとのこと。

 続いて話を聞いたのが円盤投11連勝を達成した畑山茂雄選手(ゼンリン)でした。左背筋に痛みがあって万全の状態ではありませんでしたが(優勝記録は54m57)、この大会は会社の応援もあり、外せない大会という位置づけで出場しました。練習では日本歴代2位(60m10)を投げた2007年以来の60mが出て、安定して59m前後を投げているとのこと。
 できれば畑山選手には、この大会で日本記録を出してほしかった、という話を本人にもしました。男子円盤投の日本記録(60m22)はオリンピック種目では最も古い1979年に出された記録です。しかし日本選手権で日本記録を出しても、世界選手権に絡まない種目だとどうしても新聞紙面などの扱いが小さくなってしまうからです。
 それに現在、古代ギリシャ展“円盤投げ(ディスコボロス)”が公開されているので、円盤投が注目される好機でもあるのです。6月12日までは神戸で、7月5日からは東京で公開されます。畑山選手も東京に来たら見に行くと話していました。
 ところでその古代ギリシャ展が、朝日新聞の主催だということが本日判明しました。朝日新聞事業部で福岡国際マラソン&横浜国際女子マラソン担当のグッシーが教えてくれたのです。

 その次は男子棒高跳優勝の川口直哉選手(モンテローザ)の話を聞きました。5m40の自己タイです。ここ数年棒高跳の取材というと第一人者の澤野大地選手(千葉陸協)、前回の世界選手権に出場した鈴木崇文選手(ミズノ)、5m56をクリアしている荻田大樹選手(チームミズノアスレティック)、学生の試合での笹瀬弘樹選手(早大)という選手たちでした。川口選手はインターハイ優勝者ですが、しっかり話を聞いたのは初めてだと思います。
 自己タイということでどこが良くなった質問が出ましたが、明らかに良くなっているという部分があるのではなく、試合中に修正していくことができたことが、5m40のクリアにつながったようです。

 女子400 mHでは大会新で優勝した青木沙弥佳選手(東邦銀行)の話を聞きました。今日はバックストレートが強い追い風だったので(ホームストレートは向かい風)、もしかしたら15歩で行ったのではないかと思って確認したところいつもと同じで5台目まで16歩で残りが17歩でした。しかし、「15歩でも行けないことはないので、いずれは15歩にチャレンジしたい」と話していました。
 3位の吉田真希子選手も4月から東邦銀行社員になりましたが、所属先は今回で6個目だそうです。ベテラン選手らしいともいえますが、女子短距離・ハードル選手が必ずしも安定した状況に置かれていないことがわかります。女子200 mの前日本記録(23秒33)保持者の信岡沙希重選手(ミズノ)も、早大を卒業して1年間は実業団チームに入れませんでした。

 その信岡選手が女子200 mに24秒68(−2.8)で優勝し、久しぶりに話を聞きました。ここ数年若い選手たちが台頭していることもありますが、信岡選手自身も良い記録で走っていません。聞けば右ヒザの故障で、手術をすることさえ検討したといいます。手術をしても回復までに時間がかかるということで、踏み切らなかったそうです。
「去年は自分の走りの“型”にまで戻りませんでした。まだ6〜7割ですが、今は信岡沙希重の“型”に戻っています。一歩ずつやっていくしかありませんが、秋の山口国体では最善を尽くしたい」
 どうしても福島千里選手たちと比較するような質問が出ます。信岡選手としては良い気持ちがしなかったかもしれませんが、嫌な顔をしないで答えていました。
「今はあまりに土俵が違うのでどうコメントしていいのか…。福島さんが22秒台を出しましたが、私なりの22秒台の目指し方というのもありました。こんな感じで、というものがあったんです。そうした自分に戻って勝負したい気持ちもあります。女子短距離が盛り上がっているのは良いことですから、自分もそこにつられて走りたいですね」
 信岡選手、まだまだ燃えるものがあるという印象を受けました。


 女子200 mでは2位の佐藤真有選手(東邦銀行)にも話を聞きましたが、震災のことにはいっさい触れませんでした。他の記者たちからその点は何度も聞かれていると思ったので。それよりも日本選手権をどう走るかを聞きました。静岡国際ではいいところがなく56秒かかっていましたが、ゴールデングランプリ川崎では350mまで日本人トップ(?)を走り、最後で失速しましたがなんとか踏みとどまって54秒93でした。日本人4位でしたがトップの田中千智選手とは0.17秒差。
 どうするか迷っているようでしたが、200 mのスピードがどのくらい戻るかで前半の飛ばし方を変えるようです。「スピードが上がっていない状態で(400 mの前半で)無理に上げると失速してしまいます」。今日の200 mの結果ではまだ、ゴーサインは出せないようでした。今後の練習のなかで、前半を飛ばすことができるかどうかを判断していくことになります。

 男子400 m3位(47秒67の自己新)の横田真人選手(富士通)にも日本選手権をどう走るかを聞きました。標準記録を破っているから勝負に徹するのか、それとも日本選手権であっても記録を狙うのか。
「(勝負を優先して)ちゃんと勝ちたい気持ちもありますが、ベルリンのとき(2009年)に1人で行ったことが殻を破るききかけにもなりました。思い切ったことをやりたい気持ちもあります」
 2年前のインタビューでは次のように話していました。
横田 今年の日本選手権で殻を破れたことが大きいと思っています。グラフの黄色(最適パターン)よりも速いペースで突っ込みました。日本選手権ではどうしても、勝負の意識を捨てられません。僕にも“自分が(肩書き的にも)日本一でないと”という気持ちはどこかしらにある。
 でも、本当に世界選手権を目指す上で、勝負への意識は必要なことなのか? だが、日本選手権という舞台でそれを本当にやれるのか? 8番になるリスクを負ってできるのか?
 そんな不安もある中で思い切ったレースができたことで、違う自分が1つ見えた気がします。結果的に実力不足を感じさせられましたが、こういうレースをするには、気持ちをこう持っていけばいい、というところはつかめました。何も考えず、真っ白な気持ちでスタートラインに立つ精神状態を、アップの中で作ることができたんです。
 そういう精神状態を作れたことが、今後に必ずつながっていく。これからは国内でも、そういう状態を作らないといけない場面が増えると思うんです。

 これは難しいところでしょう。2年前は標準記録を破っていませんでしたから、思い切り行くしかないという部分もあったと思うのです。前述のように今回は標準記録を破っていますからね。横田選手の決断に注目したいと思います。

 男子110 mHでは本命の田野中輔選手(富士通)がフライングで失格。埼玉県出身の大橋祐二選手(ミズノ)が14秒04(−1.6)で優勝しました。日本選手権で故郷に錦を飾れるかどうか。「あまり意気込みすぎると良いことがありませんが、日本選手権が地元で開催されるのは現役中にはもうないと思います。結果を残したい」と話していました。
 大橋選手の筑波大&ミズノの後輩にあたる石塚祐輔選手(400 mに46秒88で優勝)には、やっぱり日本選手権の“打倒・金丸”の策を聞きました。「気持ちです。結局いつも、あいつに勝てないという部分が出てしまいます。チームでもあるのでみんなで一緒に行きたいというのもありますが、勝負ができない相手ではありません。『日本でトップなだけでは意味がない』なんて言わせないように、潰しにかかりますよ」と話していました。


 そうこうしているうちに男子やり投が佳境に入っていました。震災に遭いながらも、5月8日の富山カップで77m49のセカンド記録を投げている荒井謙選手(七十七銀行)が注目の的です。2投目までは70m78でしたが3投目は大きく伸びて78m86と、2年前の和歌山で出した78m55の自己記録を更新しました。20年ぶりの大会新でもありました。
 競技終了後にまず話を聞いたのは、本部席前で見守っていた七十七銀行の名取英二監督。専門は短距離の名取監督ですが、「和歌山の時は“これは投げたな”という投てきで体が震えるくらいでしたが、今日の3投目は自然に投げている。記録を見てびっくりしました」と解説してくれました。
 その後に聞いた荒井選手の「78m55のときの方が自分の中では噛み合った投てきで、80m行ったかなと思いました。今日の3投目は75〜76mくらいかなと思ったら78mが出ていた」というコメントとも一致していました。400 m前日本記録保持者の名取監督(※)ですが、やり投を見る目も確かなのだと、改めて関心させられた次第です。
※名取監督の“前日本記録保持者”というところで、ものすごく面白いことに気づきました。機会があったら紹介したいと思います。

 荒井選手の記事は陸マガに書く予定なのでそちらをご覧いただくとして、そのやり投でもう1つドラマが生まれていました。山本一喜選手(モンテローザ)が6投目に荒井選手に匹敵する大アーチを架けたのです。「1〜2p」(山本選手)ラインを踏み越えていましたが、審判の方から「78m40くらいだった」と言われたそうです。
 今日の山本選手は3投目までは69〜70m台と良くありませんでしたが、4投目に71m59、5投目に73m16と伸ばし、6回目にファウルながら前述の大投てきでした。
「和歌山(4位・74m12)のあとヒジが痛くて投げるのをやめて、先週投げようと思ったら雨で投げられませんでした。それで今日は力を入れる感じがつかめなかったんです。試合を進めているうちにタイミングが戻ってきました」
 好調の理由を質問すると、次のように話してくれました。
「今年はただ腕を振るのでなく、やりに力を伝えられるようになりました。突っ込まずに上体を立てて、やりについていく感じの動きができています」
 しかし、山本選手は本当に悔しそうでした。「7年ぶりの自己ベストを逃しました」と2、3回は繰り返したと思います。7年前に77m47を投げたのも、同じ熊谷の競技場だったのです(埼玉国体)。そして来月の日本選手権も同じ熊谷の競技場。
「記録としては残りませんが、その距離を投げたのは事実です。B標準(79m50)争いに加わりたいと思います」
 村上幸史選手(スズキ浜松AC)がA標準を投げているので、B標準を投げれば世界選手権代表の可能性があります。ディーン元気選手(早大)が関東インカレで79m10、荒井選手が今日78m86、佐藤寛大選手(仙台大)が和歌山で77m68、そして今日の山本選手です。日本選手権の2位争いがますます白熱しそうです。


◆2011年6月13日(月)
 しばらく日記が書けないうちに日本選手権が終わってしまいました。日本選手権前から書きたいネタは山ほどあったのですが、それを書こうとするとまた、最新のネタを書くのが滞ってしまいそうです。ということで、日本選手権の懺悔を書くことから始めたいと思います。懺悔というのはあれですね。つまり、日本選手権を10倍楽しむページでの予想が外れたお詫びと多少の言い訳をするという企画です。
 日本選手権1日目に行われた決勝種目は以下の7種目でした。カッコ内は優勝者予想と優勝者です。
●男子10000m(清水大輔→佐藤悠基)
●男子三段跳(梶川洋平→十亀慎也)
●男子円盤投(畑山茂雄→小林志郎)
●女子10000m(杉原加代)
●女子走高跳(福本幸)
●女子棒高跳(我孫子智美)
●女子ハンマー投(綾真澄)

 優勝者予想は、男子は全て外し、女子は全て的中しました。男子1万mで“優勝者予想”にした清水選手は、竹澤健介選手の欠場が発表されたときは「間違いなく来るな」と思ったのですが…。次はやってくれると思います。
 ただ、予想を全て外した男子も、その清水選手こそ下位に沈みましたが、梶川選手と畑山選手は2位ですし、優勝した3人も“ほとんど優勝候補”に名前を入れていました。寺田の予想はともかくとして、有力選手が順当な結果を残した日だったと言えると思います。
 予想以上だったのが綾真澄選手の記録です。66m32の大会新。65m以上を投げたのは、自己記録の67m26を出した2006年以来5年ぶりのこと。「日本記録をまた目指すところに来たかな」と好感触を得ていました。
 男子円盤投の小林志郎選手の優勝は予想の範囲内でしたが、ミックスドゾーンで涙を流したことは予想外でした。昨年の日本選手権でベスト8漏れしたことが相当にこたえていたようです。「記録とかもありますが、この試合だけは勝ちたかったんです」
 我々の予想などはるかに超える“思い”を持って、選手たちは日本選手権に臨んでいます。


◆2011年6月14日(火)
 昨日は日本選手権2日目の、今日は3日目のビデオを見ました。日本選手権はこうして後で映像を見られることもあり、現地ではミックスドゾーンで選手のコメントを取るのがメインになります(春季グランプリも同じですけど)。
 その合間にスタンドに駆け上がって競技を見るのですが、立て込んでくるとミックスドゾーンに設置されているモニターで見ることになります。その日の終盤に行われる種目は、そうならざるを得ません。最悪、競技を見ずに選手の話を聞くこともありますね。フィールド種目に多いのですが。
 こうして改めてテレビ映像を見ると、現地では気づかなかった部分、見落としていた部分があったことがわかります。映像に加えて選手のテレビインタビューを聞くこと、ミックスドゾーンで聞いた選手のコメントの意味がよくわかったりします。
 できれば、現地でそのくらい見落とさないようにしたいものですが、この仕事は何年やっても完璧になることはないですね。

 さて、昨日の日記で書いた懺悔の続きです。
 日本選手権2日目に行われた決勝種目は以下の15種目でした。カッコ内は優勝者予想と優勝者です。
●男子200 m(高平慎士)
●男子1500m(田子康宏→井野洋)
●男子110 mH(田野中輔→矢沢航)
●男子400 mH(為末大→岸本鷹幸)
●男子3000mSC(松本葵→武田毅)
●男子棒高跳(澤野大地)
●男子走幅跳(菅井洋平)
●男子ハンマー投(室伏広治)
●女子100 m(福島千里)
●女子400 m(田中千智→新宮美歩)
●女子1500m(宗由香利→小林美香)
●女子3000mSC(早狩実紀)
●女子砲丸投(豊永陽子→大谷優貴乃)
●女子三段跳(吉田文代→竹田小百合)
●女子やり投(海老原有希→宮下梨沙)

 男子200 mは読みが的中しました。今季の男子ショートスプリントは2種目とも実績組が出遅れていましたが、日本選手権には調子を上げてくると判断して高平慎士選手を予想しました。
 1500mは前日の予選を見た感じでは田子康宏選手にして正解だったと思ったのですが…。井野洋選手は“ほとんど優勝候補”ではなく、“有力候補”にしてありました。“ほとんど優勝候補”にしていた渡辺和也選手が欠場し、村上康則選手が体調を崩していたとはいえ大健闘と言って良いのでは?

 ハードル&障害3種目はすべて外しましたが、110 mHの田野中輔選手と3000mSCの松本葵選手が欠場したのですから大目に見てもらえるのでは? 田野中選手不在に加え、復活した内藤真人選手が途中棄権したとはいえ、110 mH優勝の矢沢航選手は大金星でしょう。大学2年生ですし、関東インカレ2位でしたし。400 mHの岸本鷹幸選手と3000mSCの武田毅選手は“ほとんど優勝候補”でしたから、予想された優勝です。その点、矢沢選手は“有力候補”でした。
 ちなみに関東インカレ優勝者で日本選手権も勝ったのは、男子400 mHの岸本選手と走高跳の戸邊直人選手、女子砲丸投の大谷優貴乃選手の3人でした。この3人に前述の矢沢選手、女子400 mの新宮美歩選手、三段跳の竹田小百合選手を加えた6人が学生の優勝者。そのうち5人が2日目に集中して出ました。

 男子のフィールド3種目は全て予想が的中。ただ、菅井洋平選手が標準記録を破れなかったため、跳躍種目での標準記録突破者が現れる確率が小さくなりました。
 女子100 mは福島千里選手がガチガチの本命でしたが、女子400 mは“優勝予想”した田中千智選手が新宮美歩選手に競り負けました。しかし、新宮選手も“ほとんど優勝候補”でしたから予想の範囲内です。
 その点、女子1500mは“優勝予想”の宗由香利選手が欠場したとはいえ、高校生の小林美香選手はまったくリストアップしていませんでした。あっぱれのひと言です。
 女子3000mSCは内心、早狩実紀選手が負けることもあるのでは? と思っていましたが、これまで同様独走で優勝しました。おみそれいたしました。

 女子フィールド3種目は全て予想が外れました。砲丸投は“優勝予想”した豊永陽子選手が14m86にとどまりました。おそらく、それほど練習ができていなかったのだと思われます。しかし、そうだとしても、自己記録を更新して、さらに「1cm差で負けるのはダサイ」と、白井裕紀子選手を6投目に逆転した大谷優貴乃選手は見事でした。
 三段跳の“優勝予想”の吉田文代選手は、故障からの回復が不十分だったようで12m80(+0.5)にとどまりました。この記録では勝てません。
 大波乱だったのがやり投です。絶対的な本命だった海老原有希選手が59m台をマークし、そのまま逃げ切るかと思われましたが、宮下梨沙選手が最終6回目に60m08の大投てき。自己記録を4m伸ばしての逆転優勝をやってのけました。“ほとんど優勝候補”に挙げていた宮下選手ですが、本当に優勝するとは思っていませんでしたから(13日に海老原選手の特集を放映したNHKもそうでしょう)、大健闘です。こういうことがあるから、優勝予想は外れてもいいのです。


◆2011年6月15日(水)
 本日は7月に神戸で開催されるアジア選手権代表選手が発表されました。
 アジア選手権は隔年開催(2年に1回)。4年に一度のアジア大会がフル代表で戦うのに対し、アジア選手権はその時々の状況や位置づけに合わせたメンバーで戦います。今年は地元開催ということでフル代表に近い布陣で臨む方針ですが、地元枠(通常は1種目1国2名のところを地元は3名出場可能)を若手強化のために使用する方向性も事前に提示されていました。
 ということで、一部のトップ選手が代表入りしませんでした。日本選手権の1〜2位選手では豊里健選手、室伏広治選手、右代啓祐選手、絹川愛選手、杉原加代選手、中里麗美選手、秋塚潔香選手、錦織育子選手、吉田文代選手、白井裕紀子選手、海老原有希選手たち。

 男子砲丸投は日本選手権優勝の村川洋平選手と3位の山田壮太郎選手が代表で、2位の豊里選手が外れた格好です。山田選手が選考競技会の兵庫リレーカーニバルに18m32で優勝していることと、豊里選手の日本選手権の記録が17m28と2人との差が大きかったことが考慮されたのでしょう(書くまでもない?)。
 室伏選手は世界選手権に集中するためという理由がどこかの記事に出ていました。
 右代選手はヨーロッパの試合に出場するのかもしれません。かねがね、混成強化関係者が「ヨーロッパ向きの選手」ということを口にしていましたから。
 女子5000mの絹川選手と1万mの杉原選手のアジア選手権回避は、よくわかりませんが何か理由があるのでしょう(当たり前か)。1万m2位の中里麗美選手はマラソンの世界選手権代表ですからアジア選手権出場は無理です。同3位の吉本ひかり選手はユニバーシアードとの兼ね合いかもしれません。
 女子の走高跳、棒高跳、三段跳、砲丸投の日本選手権2位選手が選ばれなかったのは、レベルが低かったことと、若手ではなかったからでしょうか。棒高跳は錦織選手と同順位の学生の今野美穂選手が選ばれていることから、そう推察されます。ベテラン選手には厳しくなりますが、そういう方針を打ち出していますから仕方ありません。
 女子やり投は3位の的場葉瑠香選手も選ばれていますから、海老原選手の代表漏れは右代選手と同様に辞退したと考えていいでしょう。同時期の別の大会に遠征するのかもしれません。

 アジア選手権の優勝者には世界選手権A標準突破と同じ資格が与えられます(それを決めたのは日本陸連ではなく国際陸連ですが、それを選考基準の1つにしたのは日本陸連)。2番手以下の選手にそのチャンスを与えるために、日本選手権で代表が決まった選手を出さない方法も考えられましたが、代表選手を見るとその辺の配慮は特にしていません。世界選手権代表決定選手で出場しないのは室伏選手と絹川選手、杉原選手の3人だけです。男子の200 m、400 m、400 mH、やり投と女子の100 mは世界選手権代表選手が出場します。
 世界選手権の代表を確実にしたい選手は、(一部種目は代表選手を抑えて)きっちりとアジア選手権に勝つことが求められています。地元開催のアジア選手権を盛り上げたいという陸連の考えが出ている選考だと思います。

 日本選手権3日目の懺悔は明日にでも。


◆2011年6月17日(金)
 早くも日本選手権から1週間が経とうとしています。ブログを持っている有力選手は日本選手権を振り返り、有力チームはホームページに日本選手権の特集を掲載しました。寺田も日本選手権の反省を完結させないといけません。ということで、日本選手権3日目の懺悔を書きたいと思います。
 日本選手権3日目に行われた決勝種目は以下の14種目でした。カッコ内は優勝者予想と優勝者です。

●男子100 m(江里口匡史)
●男子400 m(金丸祐三)
●男子800 m(横田真人)
●男子5000m(渡辺和也)
●男子走高跳(土屋光→戸邊直人)
●男子砲丸投(山田壮太郎→村川洋平)
●男子やり投(村上幸史)
●女子200 m(福島千里)
●女子800 m(陣内綾子→岸川朱里)
●女子5000m(小林祐梨子→絹川愛)
●女子100 mH(寺田明日香→木村文子)
●女子400 mH(久保倉里美)
●女子走幅跳(岡山沙英子→井村久美子)
●女子円盤投(室伏由佳)


 男子100 mは準決勝で小谷優介選手が江里口匡史選手に先着。勢いのある学生選手が勝つかと思われましたが、決勝では江里口選手が力を発揮しました。200 mで優勝した高平慎士選手同様、“実績組”が力を発揮するのではないかという予想が的中しました。
 男子400 mは金丸祐三選手が7連覇。23歳(大学卒業2年目)で早くも日本選手権最多優勝回数に並びました。優勝回数をどこまで伸ばすのか、楽しみというか末恐ろしいというか。ただ、本人が言うようにここまで来たら優勝よりも、日本人2人目の44秒台、さらには日本記録(44秒78)更新がほしいところでしょう。
 男子800 mは横田真人選手が5回目の優勝。金丸選手とは同じ1987年生まれで、“花の87年コンビ”と密かに言われている2人です。この2人が負けることは考えられませんでした。金丸選手が最後に廣瀬英行選手に追い込まれましたけど。
 男子5000mも優勝予想した渡辺和也選手が1位。ゴールデンゲームズinのべおかは取材に行けませんでしたが、レース展開を聞いてスキはないだろうと感じていました。ラストに強い選手が走力をつけると勝率は高くなります。ということで、男子のトラックは全種目的中でした。

 男子走高跳は混戦模様でしたが今季の実績から土屋光選手を予想しました。しかし、筑波大の後輩の戸邊直人選手が優勝。昨年の世界ジュニアで活躍した“プラチナ世代”では昨日、110 mHの矢沢航選手が真っ先に日本選手権優勝を果たしましたが戸邊選手が続きました。来年はさらに増えるでしょうか。
 日本一になる選手は今後、増えていくと思います。重要なのは20歳台後半になってから、さらに上のレベルにアップできるかどうか。そこが世界で活躍できるかどうかの分かれ目になるでしょう…って先の話過ぎます?
 男子砲丸投は3日目最初の男子フィールド種目でした。山田壮太郎選手を優勝予想しましたが17m19と絶不調。砲丸に上手く力が伝わっていないようでした(当たり前か)。しかし、代わりに優勝した村川洋平選手は18m35(自己2番目)を投げましたから、棚ぼたという感じはしませんでした。5月に30歳となっているので、30歳台日本最高記録です。
 試合を欠場することがないので、ケガのない頑丈な選手と思われがちですが、なんだかんだで小さな故障を抱えていました。それもあって、なかなか威勢のいい話をしなかった同選手ですが、この日の競技後は「19mを目指す」というコメントが聞かれました。今回の日本選手権で胸を打たれた瞬間の1つでした。
 村川選手、戸邊選手と筑波大OB&現役選手が寺田の予想を覆してきたので、男子やり投でも筑波大OBの荒井謙選手(大学院。大学は福島大)が勝つ予感がしました。が、この種目はさすがに優勝予想した村上幸史選手が大会新記録で快勝。荒井選手は自己記録を1cm更新したのですが3番にとどまりました。
 村上選手を追うグループも確実に強くなっていますが、村上選手も充実しているので連勝記録が“12”に伸びたというところでしょう。村上選手によると、日本記録保持者である溝口和洋選手の大会記録を更新したのは、大会の大小を問わず初めてだそうです。

 長くなったので今日は男子だけにして、女子はまた後日。

 女子ですが200 mは予想通りに福島千里選手が快勝。2位に市川華菜選手、3位に岡部奈緒選手が続いたところまでは100 mと同じでしたが、同着3位に今井沙緒里選手が入ったところが違います。100 mでは同着4位に高橋萌木子選手と土井杏南選手がなりましたが、100 mと200 mの両種目の上位で同着が出た日本選手権が過去にあったでしょうか。100 mでは新井初佳選手と坂上香織選手の同着優勝がありましたが。
 800 mは織田記念優勝の陣内綾子選手を予想しましたが、岸川朱里選手が前半から独走して2位の久保瑠里子選手に1秒12差で優勝しました。この3人は近年、つねに接戦を繰り広げてきたので、この差がつくと圧勝というイメージです。3人の差が云々ということよりも、記録を狙った岸川選手の走りにまず敬意を表したいと思います。
 世界を目指すなら記録を目標に走るべきだと、見る側は安易に言えます。これは、第三者にとってはどんな結果でも優勝者は誕生するからです。それならば記録が良い方が気持ちが高揚する。勝敗によって自身の今後が左右される選手サイドとは価値観が違うわけです。
 普通に考えても記録を狙うレースはしにくい中距離種目で、力の拮抗する選手が3人いる。その状況で記録を狙うのは本当に勇気の要ることだと思います。岸川選手に完全に脱帽のレースでした。

 女子5000mも予想を覆して絹川愛選手が優勝。新谷仁美選手が飛び出したのも岸川選手同様に評価できますが、それを集団で追うのでなく、1人で追った絹川選手もすごかったと思います。東日本実業団に優勝した際に初めて日本選手権の参加標準記録を破った同選手。戻しが早い選手というのはわかっていましたが、ブランクの期間を考えるとまさかここまで早く、という思いです。絹川選手にも完全に脱帽です。
 100 mHも春先に不調だった寺田明日香選手が日本選手権には間に合わせると思ったのですが、こちらの考える以上に寺田選手の故障によるブランクのマイナスが大きかったようです。寺田選手が間に合わなければ木村文子選手だと思っていたので、同選手の名前をトップページの「日本選手権2011を10倍楽しむページ」紹介欄の右横の選手名欄に入れておいたのです。七種競技の桐山智衣選手も同じ理由です。
 400 mHは久保倉里美選手がしっかりとピークを持ってきました。B標準を切って優勝というのは予想通りでした。しかし、久保倉選手には予想外のことが起こっていました。1台目を予定とは逆脚で跳ぶことになってしまったのです。とっさに16歩で行く台数を、6台から5台に変更したといいます。予想外の事態に対応しながらB標準を切ったのはさすが北京五輪のセミファイナリストですね。

 女子走幅跳は実績の井村久美子選手でなく、好調の岡山沙英子選手を優勝予想しました。今季の戦績を見たら間違いないと思ったのですが、6m29にとどまったのは予想外でした。詳しいことはわかりませんが、100 mに出場してどこかを痛めたのかもしれません。あるいは助走の何かが崩れてしまったのか。
 円盤投は室伏由佳選手が予想通りに10連勝を達成。しかし、51m85の優勝記録は予想以下でした。2位だったハンマー投の64m79が予想以上で、腰を痛めていた影響はないものと思ったのですが。聞けば、ハンマー投後に「あちこちに痛みがあった」ことと、昨年1月に股関節を痛めたことが影響していたとか。円盤投でかつてのタイミングで左脚に加重すると痛みがあるので、タイミングや技術を変えてきたそうです。ただ、「まだタイミングがつかみ切れていない」ということで、記録が大きく落ち込んでしまいました。

 以上、日本選手権の予想の結果を懺悔してきました。懺悔をするというよりも、予想以上に頑張った選手を賞賛してお茶を濁しているような気もします。でも、寺田が謝るよりも、選手をたたえる。そちらが本筋だと思います。


◆2011年6月21日(火)
 先週は急ぎの大きな仕事があったため、週末の日本学生個人選手権の取材は行くことができませんでした。小林雄一選手と矢沢航選手の法大コンビを筆頭に、日本選手権の活躍でアジア選手権代表に選ばれた選手たちを取材するチャンスだったのですが。男子円盤投で学生歴代2位の55m89をマークした堤雄司選手(国士大)にも話を聞きたかったです。日本選手権のときはどうしても日本選手権に限られた話題になりますが、こういうときは別の角度から話を聞くことができますし。残念。
 しかし、取材をあきらめたのでちょっとだけ時間ができて、TBSで深夜に放映されたの「世界陸上への道」を2日間とも見ることができました。録画で、ですが。
 先日NHKで放映された海老原有希選手(スズキ浜松AC)のドキュメント番組(30分)もビデオを見ることができました。日本選手権では59m台で2位と敗れた同選手ですが、1週間ほど前にケガをしていたとのこと。競技後の取材中には、そんなことはいっさい口にしていませんでした。

 週明けの昨日(月曜日)には、エディオン(旧デオデオ)の新体制発足の記者会見が行われました。さすがに広島までは行けません。会見の短い記事では陸上ファンが知りたいことまでは載せられないだろうなとあきらめていましたが、詳しい記事を中国新聞WEBが載せてくれました。
 一番の関心は川越学監督が、セカンドウィンドACとエディオンの指導をどう両立させるのか、という点です。中国新聞記事によれば同監督は次のように話しています。
 アスリートを育てるのはクラブも実業団も一緒。セカンドウィンドとエディオンは5月中旬から米国で1カ月合宿したが、互いに刺激し合っていい練習だった。今後も合同合宿をメーンにやっていく。広島では私の考えた練習メニューをコーチが選手とコミュニケーションをとって実践する。

 川越監督と以前に話したときには自信があるようでした。そうでなければ引き受けないわけですが、監督が四六時中ついていなくても育成できる手段があるようです。上記コメントにもそれらしいことに言及していますね。詳しいことは明日、川越監督にセカンドウィンド会報誌の取材をするので聞いてみます。その内容をそのまま、ここに書くわけにはいかないのですが…。
 記事の内容とは別に、写真を見て気づいたことが1つ。川越監督が鮮やかなライトブルーのネクタイをしていたことです。木村文子選手のユニフォームもブルーでしたし、会見のバックボード(?)も青と白の格子模様でした。エディオンの企業カラーの青を服装のどこかに入れようとしたのは明らかです(ドレスコードの一種)。川越監督が自発的にそうしたのか、会社側から要望があったのか。これも明日、確認したいと思います。


◆2011年6月22日(水)
 本日は12時から都内某所である人物の取材。陸上関係者ですが、ちょっと変わった立場の方で、話を聞いていてもいつもと違った新鮮な感じがしました。
 続いて小川町に移動してセカンドウィンドビル川越学監督の取材。昨日の日記でエディオン新体制発足記者会見時の同監督のネクタイの色が、ドレスコードだったのではないかと書きましたが、そこをまず確認しました。寺田的には自信があったのですが、まったくの偶然だったそうです。やっぱり決めつけてはダメですね。
 ネクタイの件も大事でしたが、陸上ファンが気になっているのはセカンドウィンドACとエディオンの指導をどう両立させるかです。この点は会報誌用に話を聞いたのでここで詳しく書くことはできませんが、川越監督がいないときはコーチがしっかりと役割を果たすという方法です。実際、セカンドウィンドACではすでに平田真理コーチがその役目をこなしています。
 まったく同じではありませんが、数年前に陸マガに記事にしたコニカミノルタの酒井勝充監督のやり方に似ている印象を受けました。選手が監督に依存しない方法ですね。
 それと選手育成にかける期間は、セカンドウィンドAC同様数年単位を考えているそうです。以上の説明だけでは何のことかイメージしにくいかもしれませんが、注目すべきチームが誕生したことは確かです。

 夜になってビッグニュースが北海道から飛び込んできました。絹川愛選手(ミズノ)がホクレンDistance Challenge網走大会の1万mで31分10秒02で走ったというニュースです。日本歴代4位で世界選手権&ロンドン五輪のA標準を突破したことになります。
 最初はメールで情報を受け取ったのですが、2位選手が32分15秒09でした。日本選手権5000mで圧勝した絹川選手ですから間違いないとは思いましたが、ひょっとして32分10秒02なのではないか。その可能性も否定しきれません。もう1つ別の方向からの情報が必要だと思い(裏をとる、というやつです)、ホクレンDistance Challengeのサイトを見たらすでにリザルツがアップされていました。
 2位と1分5秒差ということは、かなり早い段階から独走になったのだと思われます。歴代1〜3位のパフォーマンスのうち、日本記録の渋井陽子選手の30分48秒89は後半まで競り合ったレースでした。歴代2位の福士加代子選手の30分51秒81はアジア大会で2位、歴代3位の川上優子選手の31分09秒46もそのレースで2位でした。今回の絹川選手の記録は独走で出た日本最高記録かもしれません。
 と一瞬思いましたが、福士選手の国内最高の30分57秒90は、2006年に大分で行われた全日本実業団で出された記録ですが、間違いなく独走でした。いま、はっきりと思い出しました。
 とはいえ、今回の絹川選手の記録の価値が下がるものではありません。絹川選手の今後のレースは、日本記録が出るかもしれないと思って見ないといけないでしょう。


◆2011年6月23日(木)
 昨日発売のクリール8月号野尻あずさ選手(第一生命)のインタビュー記事(3ページ)が載っていました。野尻選手がここまでがっつり語っている記事って初めてのような気がします。
 入社前の状況と心境、スキー選手時代の実績、マラソンを走ってみて形成されたマラソン観、震災を経て考えるようになったこと等々。具体的な話も多いのですが、“気持ち”を話す部分が多いのが特徴といえるインタビュー記事だと思います。
 短期集中連載第1回とサブタイトルにあるので、次号でも世界選手権代表選手のインタビューが掲載されるということでしょう。楽しみにしたいと思います。

 クリールを見ていてあれっと思ったのが、北村友美さん(旧姓・湯田)の写真が掲載されていたこと。何かと思ってよく見てみると、ニュートンランニングシューズの特集ページでした。代官山のニュートンランニングショップのスタッフをしているそうです。ブログも頻繁に書かれているようです。
 北村さんが昨年、日清食品グループの北村聡選手と結婚したことまでは知っていたのですが。しかし、こういう形で元選手がキャリアを生かせるというのはいいことだと思います。

 他にも陸上競技関係者が多数登場していました。巻頭の「マラソンの脚をつくる夏のLSD」は、93年世界選手権マラソン代表だった早乙女等さんの監修による特集(6ページ)です。
 「これで完璧! サブ4達成計画」(6ページ)は、元佐倉アスリート倶楽部コーチの阿部康志さん(AASP代表)が執筆されています。それにしてもAASPのサイトを見て初めて知ったのですが、阿部さんがここまで多彩な活動を展開されているのにはビックリしました。ものすごいエネルギーを感じます。
 そしてセカンドウィンドACヘッドコーチの大角重人さんの連載「目指せ!サブ3、サブ3:15」(2ページ)もあります。
 クリール8月号は陸上ファンも楽しめる1冊です。


◆2011年6月28日(火)
 昨日、先週の後半からかかりきりだった日本選手権の原稿が終わりました。その前はアジア選手権がらみの仕事が立て込んでいて、2週続けて土日が取材ではなくデスクワークでした。ホクレンDistance Challenge深川大会、布勢スプリント、大阪選手権と、距離的にも取材に行くのが難しい開催場所だったのですが。
 しかし、3個所とも良い記録が出ました。素晴らしい記録と言っていいでしょう。

 土曜日のホクレンDistance Challenge深川大会1万mでは渡辺和也選手(四国電力)が27分47秒79と、世界選手権のB標準を突破しました。ただ、世界選手権代表ということになると、渡辺選手はこの種目で選考会に出ていませんし、同じB標準突破者で日本選手権に優勝している佐藤悠基選手(日清食品グループ)が優先されます。
 しかし、1500m出身の渡辺選手が1万mでここまでの記録を出すとは予想していませんでした。さすがに今回は、ゴールデンゲームズinのべおかの5000mとは勝手が違ったか、外国人選手たちに勝てませんでしたが。その点を差し引いても1万mでこの走力があれば、5000mのハイペースにもより対応できるのではないでしょうか。
 それと、計測工房の藤井社長がブログで指摘されていましたが、1万m27分台選手で1500mで3分30秒台を出しているのは渡辺選手が最初になります。この点が一番評価できるように思います。
 条件が良かったのだと思われますが、日本人2位以下も好記録が続出。特に駒大勢がすごかったですね。油布郁人選手が28分02秒46、撹上宏光選手が28分03秒27、窪田選手が28分23秒61。B組でも久我和弥選手が28分32秒32でトップで、上野渉選手が28分42秒89で3位。条件が良かったとはいえ、油布選手と撹上選手は実業団選手に勝っていますから、力があるといえます。28分10秒未満が同時に2人いた学生チームは初めてです。

 日曜日は大阪選手権の方が先に、情報が飛び込んできました。
 特別レース女子400 mHで久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が55秒34の日本新。自身の日本記録を3年ぶりに0.12秒更新しました。1台目までの歩数はどうだったのでしょうか。前回の日本記録のときは、「本当は23歩で入りたかったんですが、今日は24歩で行きました。6台目まで16歩で行ってしまうと後半が心配だったので、5台目までしっかりと16歩で行くためです」と話していました。今年の日本選手権(55秒81)も、23歩で行く予定が24歩になってしまいました。ブログあたりに書いてくれるとありがたいのですが。
 2位の青木沙弥佳選手(東邦銀行)も56秒62の好記録。B標準に0.07秒届かなかったのは悔しかったと思います。久保倉選手がA標準を破ったので、B標準でも代表の可能性が出てきたのですが。それでも、自己2番目の記録でしょうか。
 特別レース400 mHは男子でも今関雄太選手(チームアイマ)が49秒27と自身初めてA標準を突破。日本選手権でもきちっと2位に入っていますから、世界選手権代表に大きく前進したといえます。
 驚かされたのが2位の小西勇太選手(立命大)が49秒41と世界選手権のB標準、ロンドン五輪A標準を破ったこと。日本選手権は8位の選手でしたから。関西インカレでは50秒02の大会新を出しています。

 布勢スプリント(第26回布勢リレーカーニバル兼2011スプリント挑戦記録会 in TOTTORI)の情報はツイッターで色々と入ってきていました。正確な情報はネットに載った通信社の記事が一番早かったでしょうか。今回も福島千里選手(北海道ハイテクAC)が快走しました。
 第1レースでは11秒24の自己セカンド記録タイ。これはイコール、パフォーマンス日本歴代2位タイですね。向かい風0.3mでしたから、向かい風の日本最高。09年のアジア選手権で11秒27(−1.0)で走っていますから、どちらが良いパフォーマンスとは言い切れませんが。
 第2レースは追い風3.4mの参考記録ですが11秒16の日本最速タイム。これも風を換算したら、一番良いパフォーマンスとは言い切れませんが。
 男子100 mは2レースとも向かい風。江里口匡史選手(大阪ガス)は2本とも10秒4台でした。「風のアシストを気にしている時点で負けている」というコメントが記事に載っていましたが、追い風だったら10秒25のB標準くらいは行けたかもしれません。残念。
 大阪、鳥取とも110 mH、100 mHも行われました。ハードル間を刻まないといけない種目の特性上、追い風が100 mほど100%のプラスにならない種目ですが、向かい風より追い風の方が好記録が出るのは確かです。大阪、鳥取とも“強すぎない”追い風でしたが標準記録突破者は出ませんでした。好条件でやってダメなら、選手もあきらめるしかないでしょう(たまには厳しいことも書かないと)。

 風のことは人間の力ではどうしようもないことですが、日本選手権の後でこうした記録を狙える機会をセッティングしいてくれる鳥取陸協、大阪陸協の取り組みはありがたいことです。布勢の競技場には選手や関係者も含めて6000人の観客がスタンドに入ったそうです。先日の日本選手権が1万3000人(金曜日)、1万4000人(土曜日)、1万2000人(日曜日)でしたから、いかに布勢の集客率が良かったかがわかります。2年前に取材に行ったときは、前の晩にテレビでCMを流していました。
 好条件ばかりで記録を出しても本当の強さにならないという意見も聞きます。でも、日本のレベルを考えたら、良い記録を出して選手が“いける”という気持ちになることの方が、メリットは大きいと思います。陸上界としても盛り上がりますし。タフさを求める機会は別につくればいいことですから。


◆2011年7月5日(火)
 昨日、先週の後半からかかりきりだった仕事が終わりました。と、1週間前の日記と同じような書き出しですが、週末の取材に行けなかったのも同じ状況です。札幌国際ハーフマラソン、取材に行きたかったですね。
 というのも、札幌ハーフは取材のしやすい大会なのです。最終目標とする大会ではないだけに、選手たちもナーバスになっていないのでしょう。男女同時スタートなのでレース後の取材も立て込んでしまうのですが、その点を差し引いても色々とネタを仕入れやすい大会です。
 でも、行かれなかった以上、各紙の記事から現地でどんなやりとりがあったのかを推測するしかありません。その辺を行間から読みとる術は、もしかすると身につけているかもしれません。

 例えば男子トップの岡本直己選手についてですが、下記のような記事を共同通信が配信しました。
 記者会見がなかった岡本に代わり、坂口監督は「この暑さを考えるとすごい。確実に力をつけている」と高く評価した。ロンドン五輪代表を目指し、12月の福岡国際マラソン出場を視野に入れているという。(共同)
 軽々しく決めつけることはできませんが、主催者と記者たちの間で行き違いがあったのは確かでしょう。

 気になるのは、女子の日本人トップの絹川愛選手がどんなことを話したのかということです。テレビ・インタビューでは「今日は監督から、マラソンの適性検査だと言われていました。マラソン候補生くらいにはなれたかな」と話していました。
 ネット上で各紙の記事を見た感じでは、マラソンの適性があると渡辺高夫コーチは明確に話したものと思われます。おそらく、この冬のマラソン出場に対しても、絹川選手自身は明言しなかったかもしれませんが、渡辺コーチは積極的な姿勢を示したのでしょう。
 世界選手権のトラック代表ですから、各紙とも冬のマラソン出場については踏み込んで書いていませんが、スポニチだけが
渡辺コーチは「完璧。マラソンの能力は十分ある。楽しみ」とマラソン転向に太鼓判。ロンドン五輪代表選考会となる来年の大阪国際か名古屋国際に出場する見通しとなった。
 と、はっきりと書いています。

 今回のハーフマラソン出場もそうだったように、絹川選手は本番の距離をじっくりと走り込まなくても、レースになれば走れるタイプの選手です。むしろ、レースペースよりも遅いスピードで走り込むと、持ち味が失われる可能性があります。「試合をやってつくっていくタイプ」と、以前の取材で渡辺コーチが言っていたことがありました。俗に言う“能力が高い”タイプです。
 4年前に世界選手権1万m代表となったとき、絹川選手は高校3年生でした。高校生ですから1万mを走る機会はそれほどありません。初1万mが兵庫リレーカーニバルで31分35秒27のジュニア新(&高校最高&A標準突破)をマークして、2度目の日本選手権で3位になって日本代表をゲット、3度目が世界選手権本番(14位)でした。

 マラソンでも同じようなことが起こっても不思議ではありません。今回のハーフで適性をチェックして、初マラソンで日本代表を取りに行く。そして、2度目のオリンピックでメダルを……という青写真を渡辺コーチは描いているのではないでしょうか。
 実際のレースでチェックしたのは今回が初めてですが、マラソンの適性があることはすでに、ミズノに入社した頃から渡辺コーチは話していましたから。それと、じっくりと時間をかけて何年か先の目標に向けてやっていくよりも、一気に上げていく方が合っている数少ない選手であることも。だから駅伝をやる通常の実業団チームではなく、世界を目指すことのできるミズノを選んだのだと、入社会見時に話していました。

 今回の札幌国際ハーフマラソンは将来的に、意味の大きい大会だったと位置づけられる可能性があります。取材に行けなかったのがかえすがえすも残念ですが、以前の取材から以上のようなことが想像できました。


◆2011年7月6日(水)
 今日は夕方、東京を出発して神戸入り。明日からのアジア選手権取材のためです。
 新幹線の中でネットを見ていたら、TBSの世界陸上サイトに寺田のコラムが載っていました。アジア選手権でどういう成績を残したら、世界陸上の代表に選ばれる可能性が大きくなるのか。それをわかりやすく説明しようという狙いのコラムです。
 でも、書くのはかなり大変でした。野球やサッカーの日本代表選考は、監督が選んだ選手を発表するだけです。言ってみれば、主観的な選考です。それが陸上競技の選考は、ある意味客観的で公平だから複雑になるのだと思います。その複雑なものを、なんとかわかりやすく見せようと考えたのが、コラムに付けた表です。色々と考えた末に、日本選手権の順位を軸にして見せるのが一番わかりやすいという結論に達しました。

 表をご覧いただければわかると思いますが、日本選手権の優勝者で、A標準突破選手を一番上に固めました。ただ、日本選手権優勝時にA標準を突破している選手は“内定”ですが、久保倉里美選手のように日本選手権優勝後にA標準を突破した選手は、正式発表はアジア選手権後です。代表入りは99.9%間違いありませんが、正式発表されていないということで“確実”にしました。
 上から2番目には日本選手権優勝者でB標準突破者をリストアップして、“有力”のカテゴリーに分類しました。上から3番目は日本選手権2位選手のA標準突破者。ここも“有力”のカテゴリーに分類していいと判断しました。
 上から4番目に日本選手権3位選手。A標準突破の小林雄一選手と吉本ひかり選手、B標準の小林祐梨子選手の3人ですが、“ボーダーライン”というカテゴリーに。A標準の2人は“有力”にしてもいいかな、と思ったのですが、ここは慎重に行きました。
 上から5番目が男子200mの4〜6位の飯塚翔太選手、高瀬慧選手、山縣亮太選手の3人で、“リレーメンバーの可能性”という分類に。そして上から6番目が、標準記録は突破していますが日本選手権の成績が振るわず、代表入りは苦しい選手たち。

 ただ、この表も完璧ではありません。現時点でも100mの日本選手権優勝者の江里口匡史選手は、標準記録未突破ですがリレーメンバーに選ばれる可能性はあります。女子のリレーメンバー候補も、この表ではわかりません。でも、それらを説明するとなると、陸上競技に詳しくない読者には何がなんだかさっぱりわからなくなってしまうでしょう。それで、この表に落ち着いたわけです。
 テレビ視聴者向けに作った表ですが、陸上ファンも楽しめる表になっているはずです。

 やはり新幹線の車中でアジア選手権の陸連特設サイトを見ると、劉翔選手の会見一問一答や、明日のスタートリストが掲載されていました。特に、劉翔選手の会見は、こういう形で出してくれると、会見に行けなかった東京の記者は助かりますし、陸上ファンにとっても面白いと思います。
 そんなこんなでアジア選手権のことを考えていたら、アジア選手権取材は初めてだということに気づきました。国内開催なので、いつもの大会という雰囲気がありました。だったら、過去のアジア選手権について色々とデータを見ておくことも必要かな、と。
 陸連特設サイトにはアジア選手権の歴史が簡単に紹介されていますし、日本人の歴代金メダリストの一覧表も載っています。開催は隔年のはずが4年後になったり、奇数年になったり偶数年になったり。開催地もいきなり変更されたこともあるとのこと。アジア大会に比べると、良く言えば臨機応変に開催されてきたようです。悪く言えば、そこまで重要視されていなかった大会ということです。日本の参加スタンスも、フルメンバーで臨んだり、若手主体で臨んだり、そのときどきで変わっています。

 金メダルの個数は中国や、他のアジア諸国の成長にも左右されています。1981年までは日本が“アジア一”だった時代です。82年のアジア大会(ニューデリー)でも1番でした。83年大会で金メダル数が激減したのは、11月開催でフルメンバーではなかったのでしょう。85年以降はフルメンバーでなかったことと、中国の台頭が著しかったからだと思われます。アジア大会も86年ソウル大会から、中国にアジアの盟主の座を奪われました。
 ということで83年以降の金メダル数は3〜6個の間で推移しています。唯一の例外が2003年のマニラ大会で、三段跳の石川和義選手の1個だけ。はっきりした記憶はありませんが、国内の大会と時期的に重なって、派遣できるメンバーが限られていたような気がします。
 それが前回の広州大会では金メダル12個と一気に増えました。日本がフルメンバーで臨んだからでしょうか。外国勢もベストの顔触れではなかったような気がします。

 日本人の歴代金メダリストを見ていても面白いですね。
 まずは師弟で優勝しているケース。第1回大会(73年)女子1500mの井上美加代選手と、第11回大会(95年)女子1500mの岡本久美子選手。井上選手が結婚して今野姓となり、築館女高で育てたのが岡本選手です。
 カネボウ勢も面白いですね。伊藤国光総監督が第4回大会(81年)1万mに優勝し、音喜多正志監督が7回大会(87年)の3000mSCに優勝。そして高岡寿成コーチが12回大会(98年)の5000mに優勝しています。
 後に法大監督になった笠井淳選手が十種競技で、現法大監督の苅部俊二選手も4×400mRで勝っています。400 mHの斎藤嘉彦選手、4×400mRの金丸祐三選手も優勝していますから、法大つながりもありそうです。
 第3回(79年)、第4回(81年)の室伏重信先生と第14回(2002年)の室伏広治選手は、親子でもありますが師弟でもあります。
 親子ネタがもう1つ。貝原澄子選手が第3回大会(79年)の女子200mに優勝しています。今回、小林雄一選手がメダルを取れば、親子メダリストを達成することになります。

 そのアジア選手権ですが、今大会から優勝者は世界選手権のA標準突破と同等の資格を与えられることになりました。開催時期も、いつもは世界選手権後でしたが、今回は世界選手権前。日本も世界選手権選考競技会に指定しています。明日からのアジア選手権、盛り上がりそうな雰囲気がありますね。


◆2011年7月7日(木)
 アジア選手権の1日目です。
 朝は三宮駅から神戸市営地下鉄に乗りますが、楽しみにしていたのがスルっとKANSAI(関西のJR以外で使えるプリペイドカード)を使うこと。関西好きの寺田としては外せないイベント?です。
 さっそく切符自販機で購入しようと思ったら、1000円のカードしかないではないですか。三宮と総合運動公園間は片道330円、往復で660円、4日間で2640円です。1000円カードでは3枚も購入しないといけません。発車時間が迫っていたので仕方なく1000円カードを購入。天気も雨ですし、出鼻をくじかれた感があります。
 ユニバー競技場に到着してまずはアクレディテーション。ここで時間がかかるかなと思っていたのですが、すでに顔写真入りのIDカードが用意されていて、国内大会とさして変わらない時間で終了。国際大会らしく荷物検査場もありましたが、列を作っていることなくすぐに終了。ここはスムーズでした。
 プレスルームはほぼ、日本選手権規模でした。違いは外国人記者たちの姿がちらほらとあること。国内大会とは違う緊張感が生じますね。

 ミックスドゾーンに行くとジャマイカ選手権取材から戻ってきたばかりのA新聞・増田記者の姿が。さっそく、ジャマイカの土産話を聞きました。
 陸上界でこそメジャーな存在のジャマイカですが、一般社会に目を向けると、貧困と犯罪の問題は避けて通れないようです。麻薬をやっているシーンも目撃したといいます(競技場ではなかったそうですが)。
 競技でも短距離とハードル種目は世界のトップですが、それ以外の種目はかなりの低レベルとか。逆に言えば、ジャマイカの短距離が強いのは素質ではなく、強化をしているからだというのがわかったそうです。詳しくは世界選手権前に記事で出すそうです。
 増田記者が滞在したのは首都のキングストンですが、残念ながらチャールストンは踊らなかったそうです。

 肝心の競技ですが、最初の決勝種目は男子円盤投でした。天候はあいにくの雨。諸説あるとは思いますが、雨の影響を一番受ける投てき種目が円盤投だと聞いたことがあります。記録は軒並み低くなりますが、優勝したハダディ(イラン)は62m27とさすがの強さ。それでも、自己記録からマイナス6mです。畑山茂雄選手は54m11で6位。60mスローワーが8人いる(その末席が畑山選手)なかでの6位です。記録だけ見ると低調に見えますが、力は出した部類に入るでしょう。
 男女400 mは、男子の石塚祐輔選手と女子の青木沙弥佳選手がプラスでしたが、日本選手6人全員が決勝に進出。

 100 mは準決勝のある男子が準決勝まで、準決勝のない女子は予選が行われました。
 男子は3人とも準決勝を突破。江里口匡史選手が1組1位、川面聡大選手が同組3位。予選を危うくプラスで通過した川面選手ですが、何か事情があったようなことを話していました(江里口選手のコメントを聞いていたので確認できず)。準決勝2組の小谷優介選手も2位できっちりと通過。「胸を見たらJAPANと書いてあるし」と、初々しいコメントが印象的でした。
 一番の強敵になると見られたアジア記録保持者のフランシス選手が、準決勝1組のスタート直前にケガをして欠場しました。江里口選手が「大丈夫か?」と声を掛けたら、「ノーッッ」と答えたそうです。
 その江里口選手ですが、標準記録をまだ突破できていません。現時点では100 mの標準記録突破者がゼロで、第1回大会(1983年)以来の代表派遣ゼロになってしまいます。
 しかし、江里口選手の状態は上がっている気がします。日本選手権もそうでしたが、ここぞというところでしっかりと調子を上げてくるのが江里口選手です。2組1位通過の蘇選手(中国)も強そうですが、江里口選手が勝つのではないでしょうか。

 3人全員が決勝に進んだ男子とは対照的に、女子では高橋萌木子選手がまさかの予選落ち。タイムでも通過できないと知った瞬間の高橋選手を、たまたま見ていました。本当にがっくりとして、その後の落ち込み方も大きかったですね。ここまで落ち込む高橋選手を見たのは初めてです。ミックスゾーンでの質問に答えられないんじゃないかと思ったほどです。それでも高橋選手はきちんと記者たちの質問に答えていました。

 順位は3、4位でしたが、男子1万mの村澤明伸選手と宇賀地強選手は健闘だったと思います。7000mを過ぎてから、1周72秒から66秒になったり、66秒から73秒になったりする展開に宇賀地選手は9400mまで、村澤選手は9650mまで食い下がりました。2人ともラストで行けるタイプではないので最後で引き離されましたが、こういう頑張りをしていれば今後に結びつくのではないかと思われます。
 レース後に東海大・両角速監督に話を聞かせてもらいましたが、今月の19日から渡欧し、3000mと1万mに出場するとのこと。狙うはロンドン五輪のA標準(27分45秒00)です。「これからの1年はロンドン五輪を中心に考えていく」と話してくれました。

 最後の男女の1万mの頃には雨も上がりました。
 競技終了後は22:30までプレスルームで仕事。それから地下鉄で三宮に戻りましたが、総合運動公園駅で「スルっとKANSAIの3000円カードはないのですか」と駅員の方に質問しました。1000円のカードしかないという回答でした。ちょっとがっかりです。


◆2011年7月8日(金)
 アジア選手権2日目です。
 今日は3つの緊急会見がありました。1つ目は市川華菜選手の100 m決勝の欠場に関する麻場一徳女子短距離コーチの会見。2つめは男子100 m決勝のフライング判定装置誤作動に関する陸連と兵庫陸協の会見。3つめは江里口匡史選手についての高野進監督の会見です。

 市川華菜選手については故障の状態などの報告でした。昨日の予選では「40mくらいで左のハムストリングが攣(つ)る感じがあったそうですが、急激に止まるとよけいに悪くなるということで走りきった。その後も普通に歩けているので、無理をすれば走れないことはない」(麻場コーチ)という状態でした。その時点では今日以降も出場予定でしたが、一夜明けて「ストレッチでは痛みはありませんが、力を入れると多少ある。走れないことはないかもしれないが、大事をとって欠場することにした」ということです。
 勢いのある選手だっただけに残念ですが、故障ばかりはどうしようもありませんし、これは現場の判断を尊重するしかありません。
 ただ、4日目の4×100 mRについては欠場と決めたわけではないとのこと。今日、明日の状態を見て決めるそうです。

 2つめの会見は男子100 m決勝の江里口選手のフライング判定と、判定装置誤作動の判明によるフライング判定の取り消しについてでしたが、記者たちから質問が相次ぎ長引きました。ICレコーダーの録音時間を見ると33分となっています。
 事の次第をあらためて書いておきます。

 18:00スタートの男子100 m決勝で、フライングがありました。見た目ではフライングがあったようには見えませんでしたし、リコールのピストル音がちょっと遅く、フライング判定装置による判定か、電気計時が作動しなかったものと思われました。
 ちょっとの間を置いて6レーンの江里口選手のレーン表示ボックスに赤印が表示されます。俺なのか? という仕草でスタート地点に戻っていく江里口選手。江里口選手はもう1人の優勝候補、7レーンの蘇選手(中国)に肩を叩かれて奥に引き揚げていきます。
 しかし、すぐにレースはスタートせず、しばらくして「リアクションタイムを確認しています」との場内アナウンス。ということは目視によるフライング判定だったのか、と思いました。選手たちは奥に入ったり、選手同士で何か話しています。
 18:12に選手たちがスタートラインに戻ってきました。江里口選手もいます。3レーンの黒人選手が江里口選手に握手を求めました。フライング判定は覆ったようです。そして、「不正スタート発見装置のエラーと判明しました」との場内アナウンスがあり、2度目のスタートに移っていきました。

 文字にすると普通のことのように思えるかもしれませんが、現地にはある種の異様な雰囲気がありました。選手が戻ってくるまで12分。これも文字にすると大した時間ではないように思えますが、実際にはなんとも言えない“間”でした。
 選手の心理を考えると逆に、再度集中するには短か過ぎる時間でした。自分が「やらかしてしまった」と思った選手が、通常の戦闘モードに戻らないといけません。個人差もあることなので何分かかるとは言うことはできませんが、明らかに無理と思える時間でした。12分というのは最初のスタートからの時間であり、江里口選手が「失格は間違いだった」と言われてからの時間ではないのです。
 レース結果は蘇選手が優勝し、江里口選手は追い上げましたが届きませんでした。蘇選手が10秒21(+1.8)で江里口選手が10秒28。B標準に0.03秒及びませんでした。
 その後の種目もあるので現実的には無理なのですが、もう5分、気持ちを集中させる時間が江里口選手にあったら、結果は違っていたかもしれません。

 レース後の江里口選手のコメントを紹介します。
「スタートに集中して、“いったな”と思ったらピストルが鳴りました。誰がフライングしたのかわからず、振り向いたら自分のところに赤旗が揚がっていました。なぜ?と聞きましたが、機械が反応したと言われ、自分はフライングをした経験もないし、抗議をするという考えはまったく浮かびませんでした。自分に機械に反応してしまう動作があったのかもしれません。どうずればいいか、まったくわかりませんでした」
「決勝はベストを尽くすためにすごく興奮していて、自分の感覚としては“なんで?”というのが最初にありましたが、興奮していましたし、立て直すというよりも自分を落ち着かせるしかありません。周りにも申し訳ないことをしたと思って、動揺してしまいました」
「結果は結果なんで、そこ(フライングの誤審)については納得いっていないと言っても、走らせてもらっているわけです。そこをどうこう言っても意味はありません。それよりも走りがブレてしまった。せっかく予選、準決勝と良い状態、流れをつくれたのに、決勝で発揮できず情けないです。すみません」
「フライングが自分に来て、冷静に対処しきれたのかどうかより、レースで負けてしまいました。勝つためにここに来たのに負けてしまったら何の意味もありません。色んな人に応援してもらったのに不甲斐ないです。すみません。(結果として機械の誤動作だったが)怒りというよりも、こうなってしまう自分が不甲斐ないです。怒りがあったとしても、自分にぶつけるしかありません」
「(100mの代表が途切れるというプレッシャーがなかったか、という問いに対し)誰かが行かないといけないではなく、単純に自分が行きたい、世界で勝負したいという思いでした。他人から与えられたプレッシャーではなく、自分で求めたプレッシャーでした」
 最後まで恨みがましいことは言いませんでした。

 フライング判定についてあれ? と思ったのは、小谷優介選手が「2、3、4レーンにもフライングの可能性があると言われました」と話していたことです。小谷選手も動揺して、精神的に立て直せなかったと反省していました。おそらく、江里口選手だけでなく、4人の選手が0.100秒未満の反応時間を示していたのでしょう。
 しかし、そうなるとなぜ、江里口選手にだけフライングの赤印が付けられたのか、という疑問が生じます。通常、複数選手がフライングをした場合、その全員に不正印が付けられます。フライングが2回までOKだった時代からそうでした。

 若干の疑問を残したまま、陸連&兵庫陸協の会見が始まりました。
 何人もの関係者が出席したので、誰がどう説明したのかを詳しく書くことはできませんが、そこで説明されたことは以下のような内容でした。
 スターターもリコールスターターも目視でフライングを確認したわけではなく、不正スタート発見装置が反応したからリコールのピストルを鳴らしたそうです。そのときに一番速い反応時間を示していた6レーンに不正印を付けたとのことです。各レーンの反応時間は次の通りでした。
2レーン:1000分の97秒
3レーン:1000分の98秒
4レーン:1000分の99秒
5レーン:1000分の112秒
6レーン:1000分の94秒
 目視で確認できなかったフライングのリアクションが、4人もの選手に出ていたということで、スターターもリコールスターターもおかしいと感じ、それらの報告を受けたトラック審判長が機械の不具合だったと判定したそうです。それらの判断を10分の間で行ったことは、迅速な判断だったと思われます。
 しかし問題は、江里口選手だけに赤印を付けたことです。本来なら先ほど書いたように、4人同時に不正印を付けるべきなのです。そうしていれば、選手たちも自分のフライングだったのではないかと動揺することなく、「機械がおかしいのでは」とすっきりと納得できたと思うのです。江里口選手が今回ほど動揺することもなかったでしょう。
 その点に関しては「不行き届き。指導が足りず申し訳ありません」と主催者側も陳謝していましたが、後味の悪さを残す結果となりました。


◆2011年7月9日(土)
 アジア選手権3日目です。
 昨日の3つめの緊急会見は高野進監督(陸連強化委員長)でした。100mでフライング誤審を受けた江里口匡史選手の世界選手権選考に際して何らかの配慮をするのか、という点を記者たちが確認したかったので開かれた会見だったようです。
 江里口選手は日本選手権で優勝していますし、過去の実績からも4×100 mRメンバーで代表入りするのは確実です。あとは、国際陸連の認める期限までに標準記録を破れば個人種目でも出られるようになる。この辺はこれまでの慣例で当然のことという受け取り方をしていました。しかし、そのやり方は選考規定で細かく書かれていないので、確認の意味で会見が要請されたようです。
 結論からいえば上記の可能性はあるということでした。ただし、陸連の決めた期日までに標準記録を破れなかったので、選ばれたとしてもあくまでも、リレーで結果を出すことを優先したスケジュールになるとのこと。例えば、標準記録を切るためにリレーの合宿のメニューを変更するとか、日程を途中で切り上げたりとか、そういう個人優先の措置はしないということです。
 個人の走力アップもリレーには必要なことですから、そのための試合出場(南部忠平記念など)が有効という判断がされれば、試合にも出場します。陸上の取材が長い記者たちには、特に目新しい話ではありませんでした。

 本日は男女の400 mHで日本勢が優勝。伝統の力を見せてくれました。
 女子の久保倉里美選手は前半、外側の中国人選手や田子雅選手よりも遅れていたのですが、彼女としては飛ばした展開だったそうです。ホームストレート(9台目過ぎくらい?)でトップに立ちましたが、10台目は17歩で届かず18歩になってしまったとのこと。それでもきっちりと3連勝を果たすあたり、さすが“アジアの久保倉”ですね。
 記録はバックストレートの向かい風が強かったこともあり、伸びませんでした。
 昨日の予選では1組で久保倉選手がトップで、2組では田子選手と三木汐莉選手が1、2位。決勝で上位独占も? と淡い期待を抱きましたが、そこまでは甘くなかったです。
 それよりも男子の方に可能性がありました。予選後に岸本鷹幸選手は、自身は完全な調子ではないので優勝が目標とは言えなかったようですが、「表彰台を独占することが今大会のモチベーション」と話していました。
 しかし、その岸本選手がフライングで失格。昨日の100 mと同様に、目視ではなく判定装置による判定でした。岸本選手のリアクションは0.027秒とリザルツには出ています。ここまで早かったら目視でも確認できたのでは? と逆に思ったりもしますが、昨日の今日ですから、他の選手のリアクションも0.100秒未満だったら装置の誤動作が疑われたはずです。
 しかし、優勝した安部孝駿選手は「そこで気にしたら負け」と、集中して臨んだといいます。昨日のことが教訓として生かされていたということです。そして、これまでよりも速いスピードで前半を突っ込みました。5台目までが13歩で、9台目までを14歩で行く予定でした。前半を相当に突っ込んだことと、後半は必死だったということで、8台目から何歩で跳んだのか覚えていないそうです。
 実際、8台目をリード脚で蹴り倒し、9台目も倒して、10台目はかなり上に跳ぶハードリングでした。それでも踏みとどまって49秒64のシーズンベストでB標準を突破。アジア選手権の優勝はA標準突破資格になりますから、世界選手権代表が有力になりました。今日の安部選手を見ると、世界選手権で走っている姿を見てみたい、と思わせる走りでした。アジア選手権優勝=A標準資格というのは、良いシステムかもしれません。

 金メダル以外では男子5000mで佐藤悠基選手が、ラスト勝負でバーレーン勢の一角を崩して2位。本人は「勝たないといけない世界」と満足していませんでしたが、一度10mくらい引き離されてから追いつきましたし、大健闘だったと思います。
 男子ハンマー投では野口裕史選手が70m89で2位、土井宏昭選手が70m69で3位。2人ともシーズンベストですし、この2人が揃って70mを超えたのは初めてかもしれません。
 男子200m予選2組では、昨年のアジア大会金メダリストと世界ジュニア金メダリストの対決が注目されましたが、オグノデ選手(カタール)が強かったですね。20秒50(+0.9)で全体でもトップ通過。飯塚翔太選手が20秒91で全体でも2位でした。ただし、1組は齋藤仁志選手が1位通過でしたが、向かい風1.3mで21秒04でした。

 今日は外国勢でも素晴らしい記録が誕生しました。
 男子走高跳のバルシム選手(カタール)が2m35の今季世界2位タイ、大会新、カタール新を跳びました。初めて見ましたが、助走スピードが速いですね。「世界新も狙いたい」と話していましたが、ケガさえしなければ、そのレベルに行くかもしれません。
 ところで、今大会の会場であるユニバー記念競技場は、1985年のユニバーシアードに合わせて造られた競技場です。その神戸ユニバーではパクリン選手(ソ連)が2m41の当時の世界新をマークしました。2006年の日本選手権もユニバー記念で開催され、醍醐直幸選手が2m33の日本新です。今日も、2位の選手がシリア新、4位の衛藤昴選手が2m24の自己新。すべてAゾーン(1、2コーナー間)で行われたそうです。走高跳の記録の出るピットと言えるでしょう。
 男子砲丸投でも張銘煌選手(チャイニーズタイペイ)が20m14と、アジア選手権初の20m超え。そういえば砲丸投でも、2006年の日本選手権で畑瀬聡選手が18m56と当時の日本新、村川洋平選手が18m43と当時の日本歴代3位を投げています。記録の出やすいサークルかもしれません。今日の日本2選手が17m前半にとどまったのが気になりますが。

 今日は地元兵庫出身選手も頑張りました。七種競技の竹原史恵選手が自己新で銀メダル、故障に苦しんだ女子5000mの小林祐梨子選手が銅メダル、最後に登場した男子5000mの渡辺和也選手が4位。さすが陸上どころです。


◆2011年7月10日(日)
 アジア選手権最終日の取材。本日の競技は14:05からの開始ですが、13:20に会場入りすると、手荷物検査場には長蛇の列が。入場者数は9200人で、4日間で一番多かったようです。
 今日の観客たちのお目当ては劉翔選手(かな)。予選から格の違いを見せました。矢沢航選手は残念ながら予選落ちでしたが、1台目は劉選手より速かったか同じくらいでした。
 トラック最初の決勝種目は女子200m。今日の観客のお目当ては福島千里選手(かな)。100m優勝のフビエワ選手(ウズベキスタン)も、昨年のアジア大会2位のベトナム選手も出ていません。2位に0.52秒の差をつける圧勝でした。向かい風2.2mで23秒49ですから、風次第では22秒台が出ていましたね。

 男子200mにはオグノデ選手(カタール)が登場。好調の齋藤仁志選手でも歯が立ちませんでした。オグノデ選手が20秒41(−0.4)の大会新で2位の齋藤選手が20秒75。飯塚翔太選手は前半で出遅れて4位まで追い上げるのが精一杯でした。
 昨年のアジア大会では200mと400mに優勝したオグノデ選手ですが、今回のアジア選手権は200mだけにエントリー。「100m、200mの方が好きなので、テグでも100mと200mに出場するつもり」とのこと。ナイジェリア出身で2008年にカタールに帰化。「練習場所はドイツやブルガリアやマレーシアや色々」って、どれだけ強化費があるんだ、って感じです。

 800mは男女とも日本勢の最高は4位とメダルに届かず。昨年のアジア大会と同じ結果でした。特に残念だったのが男子の横田真人選手。予選後の公約通りに100mからトップに立って引っ張りましたが、日本選手権と比べて力みがあったような気がします。ただ、1分47秒05は自分で引っ張ったレースでは最高記録です。力は間違いなくついているので、ヨーロッパ遠征での1分45秒台は可能性があります。
 女子3000mSCは早狩実紀選手のレース展開に注目していました。国内レースと同様にトップを引くか、昨年のアジア大会と同じように集団でレースを進めるか。ベテラン選手がとった作戦は前者でした。「アジア大会はすごく走りにくかったので、今回はどんな選手が周りに来ようが、走りやすいポジションで走ろうと思っていました」
 記録は9分52秒42の大会新&シーズンベスト。アジア大会優勝のインド選手を破りました。B標準は破れませんでしたが、優勝でA標準突破資格となったので、世界選手権代表に選ばれる可能性が出てきました。積極的なレースぶりがどう評価されるか。

 110mHは劉選手が13秒22で圧勝。向かい風0.8mでしたから、風次第では13秒0台が出ていたかもしれません。それでも劉選手は「暑くて頭がぼーっとして、ウォーミングアップもほとんどできていなかった」と言います。
 ほとんどできていなかった、というのは言葉のあやだとは思いますが、それでも、完全なアップができなかったのは確かでしょう。その状態でも史冬鵬選手に0.34秒差をつけたのですから格が違うとしか言いようがありません。

 女子の3000mSCくらいからフィールドでは男子やり投も始まっていて、今日の観客のお目当ての村上幸史選手(かな)が登場。トラック種目も決勝が続いていたので、ミックスゾーンのモニターで見ていましたが、2投目の79m85と4投目の83m27を運良く見ることができました。
 しかし、コメント取材はここからが大変でした。女子4×100 mRが終わって福島選手の取材。200mの話も聞かないといけませんでした。男子4×100 mRが終わって江里口匡史選手がミックスゾーンのマイクエリアに。続いて村上選手がやってきて、齋藤選手の話は聞くことができませんでした。
 女子4×400 mRはモニターも見ることができませんでした。テレビ中継を録画してあるので、コメント取材を優先しました。男子の4×400 mRは見ることができました。
 女子4×400 mRは青木沙弥佳選手の話を聞くことができました。どうやら、3分32秒を出さないと世界選手権代表派遣はしない方針が、選手たちにも内示されていたようです。それでも、3分35秒00は千葉麻美選手抜きのメンバーでは日本最高かもしれません。と思って調べてみたら、そんなことはまったくありませんでした。柿沼和恵選手を中心とした2001年のチームが3分33秒台を2度出していました。
 男子の4×400 mRも優勝しましたが3分4秒台でした。周回種目には不利な風が吹いていたようです。
 男子4×400 mRは最終種目でミックスゾーンにも少しゆとりが出て、金丸祐三選手と高瀬慧選手のコメントを取材することができました。高瀬選手は日本選手権は200m5位でしたから、今大会が世界選手権選考の最後の試験といえます。結果としては45秒8で周り、自己最速ラップを更新しました(これまでは46秒0=昨年の日本インカレ)。ただ、コーチ陣から言われていた前半から突っ込む走りができなかったといいます。その点がどう評価されるか、ですね。

 初めての取材だったアジア選手権の4日間も終了。プレスルームで原稿を書いていると、メダルテーブルが出ました。日本は金メダル数11個で、中国の10個を抑えてトップ。メダル総数でも32個と、中国の27個を上回りました。この2カ国がアジアの陸上大国といって間違いないでしょう。
 金メダル数5個で3位のバーレーンは、長距離に偏ったチームでした。メダル総数は9個で、11個のインドに負けました。クウェートとカタールが金メダル3個で4位にランクされましたが、ともにメダル総数は金メダルの3個だけ。カザフスタン、イランの方が陸上競技全体を強化しているようです。


◆2011年7月11日(月)
 13時から世界選手権の日本代表と、代表ユニフォームの記者発表会がありました。
 代表選手については選考基準が決まっていますから、監督が決める球技の代表選手と違って、ほとんどのメンバーは予想ができます。TBSサイトの表にしたメンバーに、アジア選手権で優勝した安部孝駿選手、早狩実紀選手、綾真澄選手が加わりました。早狩選手と綾選手の2人については、昨日の総括会見で高野進強化委員長が「代表と決まったわけではない」と記者たちに釘をさしていました。厳しいのかな、と思っていましたが、代表入りしました。本番で入賞までは難しいのかもしれませんが、自己新や日本新を出して、日本チームを盛り上げてくれる可能性は十二分にあると思います。
 リレーメンバーでどうなるかと思ったのが4×100 mRの川面聡大選手と小谷優介選手、そして4×400mRの高瀬慧選手。4×100 mRの学生2選手に関しては、高野強化委員長の会見記事にもあるように、直近のアジア選手権の成績と、バトンパスの適性などを見て川面選手となったようです。小谷選手としては悔しいと思いますが、ユニバーシアードなどで頑張ってもらいたいところ。
 高瀬選手は特に質問が出ませんでしたが、昨日のリレーの結果と、やはり200mのスピードが評価されたのではないでしょうか。1996年のアトランタ五輪でも、日本選手権で下の順位だった小坂田淳選手(現大阪ガス・コーチ)が4×400mRメンバーに選ばれ、本番の5位入賞&日本記録更新に貢献しました。小坂田選手も200mのスピードがあった選手です。その後もシドニー五輪、アテネ五輪と代表になり、アテネではチームリーダーをつとめて4位入賞の立て役者になりました。

 ところで、会見記事を読むと、陸上記者はそんなこともわからないのか、と感じられるかもしれません。女子4×400mRが派遣されなかった理由など、“戦える集団”という選考方針を聞けばわかることです。それでも質問するのは、陸連内部でどのような話し合いが行われたかを聞き出すためです。それを記事にすることで、選ばれなかった選手も納得することができるかもしれません。
 絹川愛選手が1万mに出るかどうか、江里口匡史選手が標準記録を突破した場合に100mに出るかどうかも、選手団がエントリー期限まで待って判断することは記者たちもわかっています。でも、質問することで、陸連の言葉でその辺の方針が語られます。知らないから質問するのでなく、当事者の言葉を引き出す。これも記者の役目なのです。


◆2011年7月12日(火)
 昨日発表された世界選手権テグ大会の代表選手を見て、今年11月に39歳になる早狩実紀選手が歴代最年長選手ではないかと思いました。ベルリン大会のデレゲーションブックを持っていて、そのなかに過去の日本選手の全成績が載っています。それを見て、おそらく間違いないだろうと思いました。
 ただ、この手のことを公表するには慎重にならなければなりません。それを今日、調べてみました。といっても、過去に出場した全選手の年齢を調べるのは時間的に不可能です。どうするかというと、“可能性のある選手”をピックアップして調べます。この選手たちを調べれば間違いない、という選手たちをリストアップしました。
 まずは1983年ヘルシンキ大会の室伏重信先生。38歳のシーズンでした。
 次に2003年パリ大会の今村文男コーチ。37歳のシーズンでした。
 その次は2005年ヘルシンキ大会の高岡寿成コーチ。35歳のシーズンでした。
 そして2005年ヘルシンキ大会の弘山晴美さん。37歳のシーズンでした。
 ということで、今回の早狩選手が歴代最年長代表と判明しました。ちなみに、今回選手団の最年少は今年11月に20歳となる安部孝駿選手。早狩選手が出場した世界選手権東京大会のときはまだ、生まれていなかったことになります。


ここが最新です
◆2011年7月13日(水)
 一昨日に世界選手権代表が発表されましたが、昨日の新聞記事を見ると「少数精鋭の戦う集団」という方針のもとに選考した、という陸連の主張には疑問が呈されていました。産経新聞は以下のような記事でした。

レベル低下? 男子100で代表選出できず
 
初出場24人を含む男女50人の日本代表が出そろった。前回大会から7人減の編成について、日本陸連の高野強化委員長は「精鋭メンバー」と表現したが、実態は少し違う。参加標準記録を突破した選手が単に少なく、結果として「少数」になっただけに過ぎない。
 代表を選出できなかった男子100メートルが象徴的だろう。復活プロジェクトを立ち上げた跳躍の代表は、男女を通じて沢野一人だけ。アジア選手権を制し、代表に滑り込んだ女子ハンマー投げの綾と同3000メートル障害の早狩にいたっては、B標準さえ突破していない。
 高野委員長はメダル獲得を期待する種目に、男子ハンマー投げの室伏、同やり投げの村上と女子マラソンを挙げた。しかし当然ながら楽観視はできない。今季世界ランキングに照らせば、室伏は10位、村上も18位に過ぎず、いずれも「ベストパフォーマンスを発揮してくれれば」(高野委員長)というただし書きがつく。
 来年のロンドン五輪に向け、高野委員長が「力を試す」大会と位置づける世界選手権。日本勢にとって厳しい戦いとなるだろうが、はね返さなければロンドンの展望は見えない。(細井伸彦)

 実際、出場資格を得た選手はほとんどが選ばれています。男子3000mSCでB標準突破の松本葵選手は日本選手権欠場でアジア選手権でも9分かかっていますから、選考することはできないでしょう。女子100mHでB標準突破の寺田明日香選手は日本選手権で決勝に進めませんでした。標準記録突破&日本選手権3位以内で選ばれなかったのは小林祐梨子選手1人だけです。
 これでは“精鋭に絞った”とは言えません。特に一般メディアは他の競技と並列に比較しますから、競泳などと比べて精鋭になってないのは事実です。
 少しだけ陸連の肩を持つとすれば、標準記録がベルリン大会よりも上がっている種目があったことを指摘できます。男子100mのB標準が2年前の10秒28から上がっていなければ江里口匡史選手は代表になっていたでしょう(小谷優介選手も突破しています)。男子走幅跳もベルリンは8m05がB標準でしたから、猿山力也選手は2回跳んでいたことになります。大勢はそれほど変わらなかったわけですが。

 寺田の個人的な意見としては、五輪前年でもオリンピック本番でも、出場資格のある選手は全員派遣すべきだというものですので、今回の陸連の選考に異議はありません。強いて言うなら調子が上がっていない小林選手も代表に選んでおき、直前まで調子を見て出場の判断をしてもよかったと思っています。
 仮に戦えなくても、その経験が“次”につながると思うのです。戦えない選手がいると士気が下がるというのなら、選手団を一軍と二軍に分ければいいこと。A標準選手とB標準選手という線の引き方は良くないですけど。フィールド種目のB標準の方がレベルが高いですから(ベルリンの村上幸史選手はB標準で参加しました)。

 ただ、寺田のような考え方だと「選手が甘える」という批判が絶対に出ます。選手、関係者は、上記の記事が世間一般の見方だと肝に銘じる必要があると思います。

寺田的陸上競技WEBトップ

ベビーマッサージならPRECIOUS(東京都府中市)
楽天の陸上競技関連商品


昔の日記
2011年 1月 2月 
2010年 1月 2月 3月 4月 5月
2009年 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月