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◆2006年8月24日(木)
 今日一番の出来事といえば、ハンカチ王子が横浜にも現れたことです。が、その前に朝の出来事から。

 珍しく7:20に起床。朝食を身ながらテレビをつけていました。「どこかで見た人が出ているなあ」と思ったら、TBSの世界陸上レポーター・山縣苑子さんでした。何かと思えばフジテレビ系「めざましどようび」(土曜、前6・00)のお天気キャスターに決定したというニュース(デイリースポーツ記事:小林麻央 お天気キャスター卒業)。ちょっとビックリしました。山縣さんはTBSとの契約はありますが、基本的にはフリーの立場。世界陸上の仕事をやる間に、将来につながる道を見つけないといけなかったわけです。お天気キャスターというのはちょっと予想外でしたが、考えられない方向でもない。
 局が違うので世界陸上の宣伝をするのは難しいと思いますが、“世界陸上のレポーター”のイメージはついて回るはず。山縣さんがメジャーになるのは、それだけで陸上界にとってプラスだと思います。彼女のブログは昨日だけで、9万以上のアクセスがありました。すごい数です。ほとんどが芸能関係のアクセスで、陸上競技を積極的に見ようという人は少ないと思いますが、陸上競技を気に留めるきっかけにはなると思います。
 以前にも書いたと思いますが、陸上競技に関心のない人たちに対し、そういうことができる人間は限られているわけです。頑張ってほしいと思います。寺田は一応、彼女に初めてインタビューをして、記事(陸マガ2005年8月号)を書いた人間です。倉地記者(スポニチ)のためでしたが、サインをもらった初めての人間らしいです。

 多摩市の自宅から小田急、JR、横浜市営地下鉄と乗りついで9:20に三ツ沢上町に。横浜国大まで徒歩15分の距離ですが、キャンパスが広大で会場までさらに8分。さすが国立大学ですが、同じようなことを民間レベルでやってしまう私立大学は、もっとすごいのかも? 補助金とかあるのでしょうが。
 日本スプリント学会2日目。一般発表が5つ。発表時間は質疑応答を含めて1人あたり10分強。実験や測定の結果がこうでした、というだけの発表はその時間内でも十分ですが、こちらが積極的な関心を持つことができるテーマは、「もうちょっと聞かせてよ」と感じました。早大・礒先生の「短距離走のモデリングとトレーニング視点に関する一考察」もそうでしたし、君津青葉高・民内先生の「陸上競技指導法に関する研究 ―高校生ハードラーに関する実践報告―」などで、特に感じました。
 礒先生の指導する大前祐介選手は現在、1年ちょっと前に取材したときにやろうとしていた動き(ガトリン的な走法)から、目指す動きが変わっています。同選手からはその話を少し聞いていましたが、指導者の立場からも話を聞けて、取材にも役に立ちそうです。民内先生は、我々が普段接するトップ選手たちでなく、陸上競技経験の少ない選手、県大会レベルの選手の育成に関する話を聞くことができました。

 静岡大の院生の方は、サイドハンドパスの有効性を提唱。4×400 mRのときに時おり見られる、上半身を横に向けて手の甲を体側に向けて受け取る姿勢に近いです。言葉での説明は難しいですね。陸マガのバックナンバーを1冊1冊調べれば、この写真(4×400 mR)と指摘できるのですが。
 オーバーハンドの利点は、手を大きく伸ばす動作ができ、利得距離が大きいこと。反対にアンダーハンドは利得距離は短いものの、疾走動作に近い動きでパスができる。日本男子チームがアンダーハンドを採用している理由は、国際大会では失敗が許されないというか、気持ち安全策を採る必要があるためだと取材で聞いたことがあります。将来的にはオーバーハンドに戻すことも選択肢の1つだということです。
 サイドハンドパスは利得距離はオーバーハンドに近いものが得られ、オーバーハンドほどよりは疾走動作に近い。問題は、従来の2つのパスが前後(上下)の動きだったのに対し、サイドハンドは横に動かします。その動きがどうか。S大女子チームは明らかに成果が出ているといいます。

 一般発表後は陸上競技場に場所を移してワークショップ。昨日のシンポジウムに続き、ここでも跳躍とスプリントがテーマになっていました。吉田孝久氏は地元の高校生を指導しながら越川先生は花岡麻帆選手をモデルに、いくつかのドリルを紹介。やっぱりドリルというのは、外側だけを見てもダメですね。留意点、意識の置き方などを理解していないと。
 ハンカチ王子が現れたのは、そのワークショップ中のことでした。直射日光のなかグラウンドに立ち続けていましたから、参加者は汗だくです。ふと隣を見るとハンカチ王子の姿が。これがその写真……すいません、ハンカチおやじこと福島大・川本和久先生でした。
 大会最後の締めの挨拶は同先生。上手いな、と唸らされました。


◆2006年8月25日(金)
 大反響を期待した昨日のハンカチおやじについては、1通も反応なし。個人的には傑作だと思っていたのですが…。それに対して22日の日記で触れた全日中女子800 mの鈴木亜由子選手の転倒については、その後も目撃情報メールをいただきました。ありがとうございます。
 米岡カメラマンも撮影した写真をわざわざ見直してくれた上に、送ってくれました。これは転倒の直前のようです。その写真を掲載しますが、見たい方は必ずこちら(フォートキシモトのサイト)を先にクリックしてください。全日中女子800 mの写真。
「接触があった」「なかった」と、はっきり書いて送ってくださる方もいますが、この場でそれをはっきりさせるつもりはありません。というか、どちらが正しいと判断できる材料がない。撮影したビデオを見直したから間違いない、と言う方もいると思います。でも、よっぽどアップにしない限りは、ビデオでは判断しにくいのです。
 審判が困るケースにフライングの判定を受けた選手の親が、ビデオを証拠材料として抗議に来ることがあるのだそうです。用意の姿勢でピクっと動いた場合、近くで見ている審判にはわかっても、ビデオではよっぽどアップにしないとわかりません。2〜3人を同じフレームに入れて撮っていたら、まず無理でしょうね。それで、ビデオは証拠として認められていないのです。

 21日の日記で書いた全日中入賞者を大阪世界選手権に招待するという話でも、メールが1通。いくら費用がかかると思っているのか、という半ば非難めいたメールです。そのくらいは、考えていました。21種目×8人で168人。交通費とホテル代が1人平均4万円かかったら、672万円です。確かに莫大な金額ですが、その中から将来のメダリストが育てば安いもの、だという感覚です。ヨーロッパに選手を1人派遣したらいくらかかるのか、ちょっと計算したらわかりますよね。
 それよりも、世界を見せるタイミングとして、中学生という年代が最適かどうか。寺田の中で、この点について疑問がないわけではないのです。つまり、中学生ではレベルの差が大きすぎるし、陸上競技に懸ける気持ちも未成熟な選手がほとんどです。それに対しての考え方は2つに分かれるでしょう。
 だからこそ、きっかけとするのに世界選手権観戦はいい、という考え方。もう1つは、他人事にしか見えない(テーマパークに行った感覚にしかならない)から意味がない、という考え方。個人差もあることなので、なおさら難しい部分です。


◆2006年8月26日(土)
 千葉真子選手が昨日、北海道マラソンの記者会見席上で引退を表明しました。
 トップページで“引退”という表記をしたら、千葉選手自身は引退という言葉を使わず「頑張るマラソンに一区切り」という話し方をしている、という指摘のメールをいただきました。確かにプロ野球やJリーグのように選手登録の枠が決まっているわけではないので、今後もレースに出場することは可能です。しかし、頑張るマラソンが最後ということであれば、世間一般の感覚では引退ということになります。「一線から退く」という表現にすれば無難かもしれませんが、今回の場合どの言葉を使うか、というのはどうでもいいことでしょう。そこに神経を使うほどのことではない気がします。
 千葉選手の引退理由は何か、という問い合わせが某メディアからありました。レース後に本人が理由を話すと言っているようですから、それを待つのが筋です。でも、メディアの場合、色々と準備をすることがある。ページをとったり、上司を説得したり、という作業です。そういった事情がわからないでもないので、千葉選手の独特の考え方をもとに、2つ3つ、考えられることを話しました。
 これは、相手が仕事として判断材料を必要としているのでやむなく話したのであって、サイト上で書けることではありません。

 千葉選手が独特の価値観を持っていたのは確かです。昨年も北海道マラソン直前に、ヘルシンキの世界選手権にテレビの仕事で行ったり、1カ月ちょっとのインターバルでシカゴ・マラソンに出場したり。アメリカでロードレースを短期間に転戦した時期もあったと記憶しています。シカゴ・マラソンの際に、その辺も少し取材をすることができたのですが、オリンピックや駅伝を至上価値とする考え方ではない、のだと感じました。俗にいう実業団チームに所属しないからできたのかもしれませんし、誤解されやすい考え方かもしれません。事実、本気でないのでは、というニュアンスのことを口にした指導者や記者もいました。
 オリンピックや世界選手権を目指さない、というのではなく、色々な競技人生がある、色々な方法を試してみよう、という考え方だったと解釈しています。一般種目だったら受け入れられないでしょうが、長距離を取り巻く環境を考えたら、千葉選手のような価値観の選手がいてもいいと、個人的には思っていました。結果がいい方向に出る可能性もあるわけで、結果的に日本記録を出したり、オリンピックでメダルを取る可能性だってあったと思います。

 引退理由をあれこれ推測しても仕方がないこと。今いえることは、オリンピックや選考会が終わって引退、としなかったところが千葉選手らしい、ということくらいでしょうか。札幌に行っていればよかった、という気持ちは正直あります。

 深夜はTBS「世界陸上2007大阪上陸世界ジュニア&ヨーロッパ選手権&世陸1年前」を見ました。この感想はまた機会を見て。


◆2006年8月27日(日)
 八王子ロングディスタンスと日体大長距離競技会、全日本実業団ハーフマラソンと名古屋国際女子マラソン(のさよならパーティー)等々、梯子取材の経験はいくつかありますが、今日は北海道マラソンと江東区ナイターという組み合わせで梯子取材をしました。
 江東ナイターには為末大選手が100 mと200 mに出場。場所は夢の島陸上競技場で新木場駅から徒歩5分の距離。先に行われる100 mが16:10からです。北海道マラソン放映終了後すぐに出発し、作業部屋の最寄り駅である西新宿五丁目を15:06発の大江戸線に乗れば、月島で有楽町線に乗り換えて15:47には新木場に着きます。
 ヨーロッパ取材中、その日のうちにニュールンベルクからハイデルベルクへ移動して、沢野大地選手を取材したことに比べると“小振り”なことは否めませんが、間に合うことを確認したのが11:45頃。その4時間ちょっと後には夢の島陸上競技場にいたのですから、夢のよう……ではなくて、まあ、そんな感じです(どんな感じ?)。

 その前に北海道マラソンをテレビ取材。岩佐敏弘選手(大塚製薬)が独走しているときは、今年の静岡国際のときに取材したノートを見直そうかと考えていました。1万mの走り方というか、位置づけをマラソン向きに変更したという話を聞いていたのです。現地での取材ができなくても、以前の取材の中で今回の走りにつながる部分があれば紹介する価値はある。でも、結果は皆さんご存じの通りに。
 女子は吉田香織選手(資生堂)が初マラソンで優勝。冬場のマラソンに換算するとどのくらいのタイムに相当するのかわかりませんが、かなり強いという印象。レース後に川越学監督と喜び合うシーンを予想していたら、最初に握手をしたのは柔道の野村選手……に似たメーカー某社のS氏。その後に川越監督、大内さん(元大広)という順番で、吉田選手と握手をするシーンがテレビに映し出されます。テレビ的には、川越監督の方が先で、時間的にももう少し長い師弟ショットが欲しかったところ。
 気が利かないS氏だな、と思いましたが、普段のS氏はとても気さくで、親切で、優しくて、爽やかで、陸上競技のことを愛していて、仕事熱心でと、思いつく褒め言葉を全部用意しても言い尽くせないほどの好人物。きっと、前述の3人が一緒にいるところにいきなり吉田選手が現れたので、一番近くにいたS氏が思わず握手をしてしまったのでしょう。世の中、テレビの思い通りにはならないという好例です。

 それにしても、海外の記録収集家はビックリしているかも。10年前に100 mでナショナルレコードを出した選手が、マラソンにまで距離を延ばしたのかと。坂上香織選手が旧姓の吉田姓だった96年に、11秒56の日本新を出したことは、熱心なスタティスティシャンなら思い出すでしょうから。でも、同姓同名はたまにあることですから、“あれ?”と思ったときにはまず、生年をチェックするのが普通です。そこも一緒だったら、野口純正氏や千田辰己氏ら日本のスタティスティシャンに問い合わせのメールが来ることになります。
 資生堂の選手が結果を出したら、川越監督のブログを紹介する約束になっていました。その作業をしていて大江戸線が1本遅れになりましたが、16:02には夢の島競技場に着。先ほど為末選手は100 mを走って10秒73(+1.1)でした。もうすぐ200 mです。


◆2006年8月28日(月)
 昨日の江東区ナイターは名称からもわかるように、区レベルの大会です。参加選手はレベルにも年齢にも差があります。身障者の方も世界大会が今日から行われるようで、ウォームアップミートとして出ていました。地域のクラブ単位で行動しているグループも目立ちました。スタンドのシートもこの写真のように、クラブ単位でしたし。参加人数は思ったより多くて、ざっと見た感じですが、父兄など関係者を含めて会場には3000人以上はいた(?)ように思います。この写真は為末大選手の出場する高校・一般100 mのスタート前。ここまでの人数になれば、観客といっていいかもしれません。簡単なポスターなどで、同選手の出場もインフォームされていたようです。

 会場の夢の島陸上競技場のデザイン(機能面のデザイン)も良いですね。ちょっとした競技会をやるには最適でしょう。スタンドは大きすぎない規模で、スタンド裏の階段が多いので昇降がかなり便利。動線が多く確保されているのが特徴です。1コーナーにはトラックに降りられる階段もある。トイレも100 mスタート地点近くと、フィニッシュ先の2カ所にあり、スタンドの裏側とトラック側の両側に出入り口があるのです。有料の試合のときに逆に不便になりますが、その辺はイベント業者がいくらでも工夫できるでしょう。
 ホームストレートの外側に砂場があるので、スタンドとトラックの距離がちょっとありますが、競技会の種類やタイムテーブル次第では、助走路まで観客を入れるという方法もあります。アクセスも新木場駅から徒歩5分。織田フィールドも都心で近いですけど、スタンドがないに等しい状態ですし、フィニッシュ地点近くからホームストレートの前半部分が見えないので、見る側にはありがたくないデザインなのです。

 取材は陸上競技担当記者が北海道に大挙行っているため、ほぼ独占取材状態。昨日のテーマは為末選手が最近意識している、遠心力を考慮した動きについて(詳しくは同選手のサイト参照)。昨日、その動きができたかどうかということよりも、サイトに同選手が書いてくれていることを、こちらが質問を挟みながら説明してもらい、理解を深めようということです。どこまで理解できたのか測ることなどできませんが、取材前よりもイメージができつつあります。
 今日になって昨日の取材を振り返ってみたのですが、選手・指導者とそれ以外の人間では、動きのイメージの仕方が違うのではないかと感じました。選手と指導者でも微妙に違うのかもしれません。間違いなく言えるのは我々は、正面からとか、横からとか、上からとか、選手の動きをイメージするときにアングルがある。その点、感覚的にすぐれた選手はアングルがないのではないでしょうか? あったとしても、体の内側からのアングルだったりして、第三者とは決定的に違うような気がします。
 第三者のイメージは、客観的、論理的に自然となります。しかし、選手のイメージは論理よりも感覚的、主観的になる。それを極力、言葉という客観性の伴う記号に置き換えようと努力をしているのが為末選手です。その努力をしない選手も多いですから、本当に頭が下がります。


◆2006年8月29日(火)
 今日は取材の段取りに失敗。一昨日の日記に「テレビの思い通りにはならない」と書きましたが、同じような目に遭ってしまいました。気を取り直して(?)、請求書を書きました。月末ですからね。個人事業主にとって、この請求書を書くときが幸せなのでは? と聞かれますけど、寺田にその感覚はありません。なんでだろう? 今度、同業者にも聞いておきます。夜に入って某大会のプログラム原稿の仕事に。締め切りは9月中旬ですが、来月前半は取材&締め切りが続きそうなので、少しでも進めておこうという珍しく殊勝な考えです。

 全日中の女子800 mの接触の有無をメールしてくれた方がいます。接触のこと以外も説明をしてくれていて、少しでも現場の様子を知らせようという親切な文面です。ただ、接触については目撃情報をもとに判断をくだせることでもありませんので、これ以上は不要です。専門誌の記事を待ちたいと思います。
 この件はネットに載る記録だけではわからないことも多い、ということが最初に取り上げた理由でした。鈴木選手が予想以下の成績(5位)だった理由が何かあるのではないか、と感じたので文字にしたのですが、転倒したという事実がわかれば十分です。たまたま、最初の2人のメールで接触の有無という部分で違いがあった……と書いてしまったこちらの配慮が足りなかったと反省しています。

 やはり記録だけでわからない部分が多かったのが世界ジュニア。土曜日の深夜に放映されたTBSの世界陸上1年前特番では、世界ジュニアの映像も紹介されていました。それを見ていくつかわかったことも。女子1500m銅メダルの小林祐梨子選手のラストは、最後の直線が1位選手だけの絵柄でしたが、小林選手は4位のエチオピア選手に、少し追い込まれたけど抜かせなかった展開だった、と想像できます。男子4×400 mRが3分16秒61もかかったのは、2走の石塚祐輔選手が接触でバトンを落としたからだと判明しました。
 これはテレビでは放映されませんでしたが、女子4×100 mRの失格は、3→4走のパスでバトンを落としたのが原因だそうです。4走の中村宝子選手が、3走の福島千里選手の声を聞き取れなかったっため。残念なことですが、確かな筋からの情報です。
 以下に紹介する金丸選手を含め、悔しい思いをしたジュニア選手が多かった大会ですが、「シニアの世界大会で借りを返そう」という思いを強くした選手が多ければ、参加した意義は大きくなります。

 金丸祐三選手の400 m(7位・46秒70)ですが、新聞記事ではレース展開がよくわかりませんでした。それも、映像を見てはっきりしました。金丸選手が3レーンで、優勝したレニー選手(トリニダードトバゴ)が4レーン。100 mで早くも、金丸選手がレニー選手の前に出ていたのです。そこで、金丸選手は飛ばしすぎたと勘違いしたのでしょう。200 mでもレニー選手よりは前にいましたが、スピードは落としていたと思われます。テレビ解説の河野匡監督も言っていたように、4レーン以外の選手と比べると同じくらいか、少し遅れているのです。
 レニー選手は200 m手前からスピードアップしていて、3〜4コーナーで上位に進出していくのですが、リズムを落としていた金丸選手は上げられない。そのまま下位を進む流れになってしまいました。ただ、最後の直線でいつものように気持ちをしっかり持っていれば、5位には上がれたかな、というのが正直な印象です。それが難しいのが大舞台なのでしょうけど。
 新聞記事の文章をそのまま読めば、上記のことが書いてありました。つまり、こちら側に問題があったということ。優勝したレニー選手があまりにも意外なレース展開で、記事をそのまま読めなかったのです。読み手の先入観が正しい情報のインプットを妨げた好例です。


◆2006年8月30日(水)
 2016年夏季五輪の開催を目指す日本の立候補都市が東京都に決まりました。IOCの決定は2009年10月だそうです。苦戦を予想する声を多く聞きますが、もしも東京五輪開催となったら陸上界にとっても素晴らしいこと。1991年の東京世界選手権、2007年の大阪世界選手権に続く世界一決定戦が日本で行われることになるわけです。主力となるのは今年のインターハイや全日中に出場した選手たちでしょう。今年の両大会掲載の専門誌を保存しておけば、10年後の東京五輪の際に興味深く見直すことができると思います。

 そもそも、雑誌に対しては“読み捨てる”という感覚があると思われます。ある程度時間が経ったら、何冊かまとめてヒモでしばって資源ゴミとして出す。反対に、お気に入りの小説なんかを書棚に並べておく。しかし、ちょっと待ってください。小説、特に名作の類は、絶版にはなりにくいし、いつでも入手が可能です。図書館で借りることができるかもしれないし、今後は有料のオンデマンドでデジタル配信が実現していくでしょう。
 その点、雑誌のバックナンバーというのは入手が困難です。俗にいう週刊誌や漫画雑誌はともかく、陸上競技専門誌のように資料性の高い雑誌は、保存しておくほど価値が出る。と、個人的には信じています。
 問題は保存スペースとの兼ね合い。場所がなかったら、どうしようもありません。これが難問です。雑誌がデジタル化され、20%プラスの料金を払うとデータが提供されるシステムとか、実現しないでしょうかね。

 話を五輪立候補都市争いに戻しましょう。
 敗れた福岡にはぜひ、世界ジュニア選手権誘致を目指して欲しいと思います。今年4月に同市が世界クロカンをアジアで初開催したのは記憶に新しいところですが、95年にはユニバーシアードを、97年にはグランプリファイナル(現ワールド・アスレティック・ファイナル)を開催しています。ファイナル開催もアジアでは、福岡だけだったと思います。やっぱり福岡国際マラソンが定着していることが、地元政界や財界に陸上競技への理解を深めているのでしょうか。
 そこに世界ジュニアが加われば、形容しがたいくらいにすごい。海外の陸上競技関係者は、福岡とはいったいどんな都市なんだ、と興味を持つのは間違いありません。日本の陸上関係者が、ヨーロッパ選手権でスタジアムが満席になるイエテボリとは、どんな街なんだ? と思うみたいに。東京や大阪はビッグシティだから五輪、世界選手権を開催して当たり前。福岡こそ、日本を象徴する陸上競技シティとなれる存在ではないでしょうか。


◆2006年8月31日(木)
 本当に色々とあった1日でした。
 午前中は自宅で仕事。昨日からの懸案事項を電話で相談したり、メールでの問い合わせに対して、関係方面にメールで打診したり。このサイトのメンテナンスでは、スーパー陸上のサイトを紹介しました。パウエル選手や沢野大地選手のショート・インタビューや、各選手のメッセージ(主に陸上競技を始めたきっかけなど)が掲載されていたのです。沢野選手のブログ(沢野大地「6m00への道」)には、ロベレート(イタリア)の試合で優勝したことが記載されていたので、これも紹介させていただきました。
 書き方のトーンから、やっと結果が上向きになってホッとしているのがわかります。6月の遠征ではプラハで優勝し(5m70)、ゲーツヘッドでは5m75の国外日本人最高も跳びましたが、7月の遠征では4試合をして5m63が最高でした。2回目の遠征では現地で取材もさせてもらっているので、こちらとしても胸をなで下ろしたような心境ですが、こういうとき実際に、胸に手を当ててなで下ろしたことはありません。
 独身ライターの曽輪氏に電話。留守番電話に用件を残しましたが、その後、電話を入れるのを忘れてしまいました。

 新宿の作業部屋に移動して、13時頃に近くの定食屋で昼食。向井裕紀弘選手も大好きなタリーズ(同選手サイトの日記には、かなり頻繁に登場します)に場所を移して、15:45からの電話取材に備えて資料をチェックしたり、以前の取材ノートを読み返したり。その間に、某スポーツ紙のS記者から電話があって、ちょっとマラソン絡みの話。作業部屋に戻ると陸マガ山口編集者から電話。10月2日発売の「大学駅伝2006」の取材が来週、再来週といくつか続きそうです。
 15:45から16:30まで電話取材。予想外の話もありましたが、こちらが聞きたかった部分は期待通りの面白い話でした。vodafoneのアクオス携帯のCMに出てくるのは予想ガイですが、200 mで19秒7台を2回も出したのはタイソン・ゲイ選手(米)です。それもちょっと予想外、という話なんですが。

 電話取材後には電話連絡をして、メールも数本書いているうちに、ある筋からオツオリさんがケニア帰国中に亡くなったという情報が入ってきました。かなり確かな情報らしいのですが、事が事だけに重川社長に電話を入れました。ゲタンダ選手がオツオリさんの家族に電話を入れて確認したので、間違いないということに。1週間ほど前には、元気でやっているとFAXが入ったばかりだそうです。
 寺田はこのサイトに、重川材木店の記事を書かせてもらっていますが、入社して間もないオツオリさんを取材をさせてもらったのは、1年半前のこと。記事でも触れていますが、オツオリさんの一生懸命さは話しているとすぐに伝わってきました。未経験の大工仕事に対してはひたむきに取り組んでいましたし、自身の経験を生かせるコーチ業に対しては情熱的に語ってくれました。
 その取材のしばらく後、寺田の携帯(ちなみにvodafone)に、メモリーに登録していない番号から電話が入りました。誰だろうと思って出るとオツオリさんです。取材のお礼と(こちらがお礼をするのが筋ですが)、写真を送ってほしいという依頼でした。滞日年数が長い選手ですが、面と向かっている相手よりも意思疎通が難しくなるのは確か。同僚の選手に頼んでしまうのが普通ですが、オツオリさんは当たり前のように電話をしてきました。
 最近は各種大会にゲスト・ランナーとして招かれることも多かったようですから、かなりたくさんの人が、その人柄に触れていることでしょう。箱根駅伝に最初に登場したケニア人選手ということが競技的にはクローズアップされますが、個人的には、あの人柄こそが特徴だったと思います。

 そうこうしているうちに18時半を過ぎてしまいました。急いでOAランドというオフィス用品の店に。コピー機のトナーを入手するためです。業務用コピー機のものはヨドバシカメラなど、家電量販店では扱っていないので、入手に苦労をしました。普通、会社で契約していれば電話1本で届けてくれることですが、個人事業主はこの辺も大変です。トナーを切らしたら仕事になりませんから、面倒くさくても、忙しくてもやらないといけない雑務です。1本1万5000円もしますしね。
 トナーのことを片づけた後、vodafoneショップにも行かないといけませんでした。今まで内緒にしていましたが、8月10日頃に携帯電話(vodafone)の機種変更をしました。705SHというシャープ製の端末ですが、金額の上限設定の解除法と、電話帳のパソコンへのバックアップ法がわからなかったのです。

 作業部屋に戻ると、竹澤健介選手と佐藤悠基選手が、沢野選手と同じロベレートの試合で13分20秒台を出したという情報が。大会サイトを探すのに手間取りましたし、見つけたと思ったらまだリザルトがアップされていません。裏をとるのは無理かと思っていたら、国際陸連サイトにありました。この件、もう少し書きたいこともありますが、時間がなくなりました。
 色々とあって、肝心の原稿が進まなかった。というのが結論(?)です。


◆2006年9月1日(金)
 今日も寺田にしては早起き。10時までに昨日の日記を書いたり、メールを書いたり。いくつかのサイトの更新状況もチェックします。全部を見て回るのは無理ですから、最近活躍した選手やチームのサイトを、あたりをつけてチェックします。更新が頻繁に行われる為末選手のサイトや、遠征中の沢野大地選手のサイトは必ず見ます。そういえば、為末選手は「侍投資道」なる連載まで持っていることを、昨晩発見しました。そういえば、昨日の日記でも触れた沢野選手ブログのロベレート優勝報告に「やっと跳べた☆やっと飛べました♪」という書き方をしていることを、これも昨晩気づきました。「跳」と「飛」を使い分けているのです。
 11:30に千歳烏山に。日本陸上競技学会の前に、某スポーツ紙S記者と打ち合わせ。内容は公開したら面白いのですが、やっぱり企業秘密にしないといけない部分でしょう。打ち合わせ中に日本テレビのディレクターの方から電話が入りました。オツオリ選手の写真をニュース番組の中で使いたいという申し込みでした。NEWS5リアルタイムという番組です。いつの放映かは聞いていません。

 12:45には日本陸上競技学会第5回大会出席のため日女体大に。3月に石野真美選手の取材で来ているので、今回が2回目です。参加者たちを、グラウンド脇の人見絹枝選手の像が出迎えてくれました。
 基調講演は井村雅代氏(井村シンクロクラブ代表)で、テーマは世界に【通用する女性アスリート育成の秘訣】。続いて藤田信之監督(シスメックス)による記念講演で、テーマは【世界で戦うために−野口みずきの場合−】。そして【女性アスリートおよび女性コーチの現状と課題】というテーマでシンポジウムというプログラム。
 シンポジウムのパネリストと司会者は、以下の方たち。
井村 雅代 (井村シンクロクラブ代表)
藤田 信之 (シスメックス陸上競技部監督)
浅見 美弥子(東京女子体育大学陸上競技部監督)
廣 紀江  (学習院大学バレーボール部部長)
川本 和久 (福島大学陸上競技部監督)
司 会    石井 朗生 (毎日新聞社)

 改めて書くまでもなく井村氏がシンクロ、廣氏がバレーボールと、他競技の指導者です。内容について触れるのは厳しいのですが、陸上競技との違いもあれば、共通点もある。その辺を検証すると、陸上競技の特徴がわかってきます。コーチングの違いについては、競技的特性だけでなく、環境的な違いにも起因しているように感じました。

 福島大・川本和久先生の話も面白かったです。以前にも書きましたが、系統だてて話してもらうことで、こちらが知っていた部分の意味などがよりクリアに理解できます。あのときの話も、この考え方がベースになっていたのだな、と。講演という部分も意識されているのか、相当にデフォルメした話し方をする部分もあって、楽しんで聞き入ってしまいました。
 最後に、丹野麻美選手の今後の方向について明言されました。
「『次は50秒ですね』と言ってもらいますが、そのためには200 mで22秒8くらいが必要で、200 mでその記録を出すには100 mで11秒2くらいが必要です。なので『無理です』と申し上げます。そこまでの筋力はないし、そこまで行くテクニックも思い浮かびません。100 mで(日本のトップ選手たちが)11秒1にパッと入れば丹野たちも11秒2を出せるかもしれませんが、ちょっと難しい。距離を延ばして800 m、1500mで頑張りたいと思っています」

 藤田監督も同様で、取材中に聞く個々の話が、今日の話のこの部分に関連してくるとわかって、面白く聞くことができました。1つ、そうだったんだ、と感じたのは1万mで出場した2001年のエドモントン世界選手権の話です。
 野口みずき選手は日本選手権で3位となって代表に選ばれましたが、藤田監督は出場に対して乗り気でなかったといいます。元日本記録保持者の真木和選手でさえ、91年世界選手権、92年バルセロナ五輪と1万mでは世界と戦えなかった。野口選手ではもっと戦えない、と考えたそうです。8月25日の日記で、中学生の世界選手権を観戦について、2つの考え方を紹介しました。差が大きいと逆効果になることもある、と藤田監督は考えたようです。
 しかし、本人の強い希望で出場することになり、13位と真木選手に近い成績を挙げることもできました。メンタル的にも“こういうところにまた出てみたい”、という思いを強くしたそうです。7月のサンモリッツ取材で感じた精神的な強さが、すでに発揮されていたのだと改めて感じました。野口選手はこういった部分が、そこかしこに感じられる選手です。

 しかし、その野口選手がケガをしてしまったことを、講演の最中に藤田監督が明かしました。シンポジウム後に7〜8人の記者たちと囲み取材。内容は各紙の記事(Today's Headline)にあるとおりです。藤田監督は五輪選考レースを、本番まで時間のとれる11月の東京女子にしたいと明言。それまで間隔を空けるのはよくないという理由で、ケガの様子を見ながらスライド出場することも考えているようです。ベルリンもまだ欠場と決まったわけではありませんが、仮に10月以降のマラソンに出場するとしたらどんな大会があるのか、作業部屋に戻ってATHLETICS 2006を見てみました。
 昨年の(おそらくAIMS加入の)各大会の日付と成績がリストになっていました。著名マラソンより格が落ちる大会は、コース条件よりも参加選手の顔触れでタイムが左右されると思われますが、2時間20分台が出ているのは10月のシカゴ、北京、Columbus、ヴェネツィア、フランクフルト、11月ではニューヨークシティ、東京、12月のミラノですね。もっとも、男子のガードランナーたちと一緒に走れる大会であれば、過去の記録はどうでもいい要素です。


◆2006年9月2日(土)
 夕方からトワイライトゲームスを取材。トラックは17時からですが、フィールド種目は16時前後から始まっていました。トラックに合わせて来場された方は、杉林孝法選手の16m43を見られなかったかも。杉林選手にとっても2年ぶりの好記録ですし、女子300 mの日本最高を除けば、今大会で出た唯一の今季日本最高記録です。スーパー陸上が楽しみになりました。
 上記2種目以外で記録的に目立ったのは、女子100 mHの石野真美選手。13秒30(−0.2)は、7月の海外遠征で出した13秒26の自己記録に迫るタイム。13秒2台は今季に入って3回も出しています。南部記念では日本選手権を欠場した池田久美子選手との対決。スタートでは池田選手がリードすると思われますが、引っ張られることで一気に記録短縮も期待できそうです。と、本人も話していました。
 あと好調そうだったのは、棒高跳の安田覚選手。シーズン前半にケガをしましたが、5m30(今季自己最高)まで戻してきました。女子砲丸投の吉田いづみ選手も、14m54と今季自己最高で優勝。埼玉栄高・清田先生も喜んでいることでしょう。100 mの栗本佳世子選手、走幅跳の中原ゆかり選手と、同高OBが3人も優勝しました。

 楽しめたのは朝原宣治選手と為末大選手の初対決。100 m3組で実現しました。しかも、この写真のように隣り合ったレーン。イキな演出です。結果は10秒60(−0.1)と10秒75で朝原選手に軍配。レース後に2人揃って場内インタビューを受けました。リラックスムードの大会ということも手伝って、朝原選手の舌が軽やかでした。
朝原選手「合宿とかで一緒にスタートダッシュをすることはよくありますが、試合での真剣勝負は初めて。(為末選手の印象は? の問いに)スタートで出たところから見えなかったので、印象はありません」
 ちょっと勝ち誇ったような話しぶり。このあたり、観客を楽しませることを意識していたと思われます。それに対して為末選手は、次のように返しました。
為末選手「これはまあ、100 mということで。人生で大事なことは、他にもたくさんあります」
 わざとらしい負け惜しみを言った後は、きちっと敬意を表しました。
為末選手「みんな“速い、速い”と言うので、どんなものかと思っていましたが、確かに速いです。特に中盤へのつなぎが上手い。感服しました」

 しかし、朝原選手の“口撃”はそれだけでは終わりませんでした。
 最終種目の300 mでは場内アナウンス席にゲストとして呼ばれました。レース展開の予想を聞かれて、次のように話したのです。
朝原選手「為末君は前半は速いです。でも、最後までスピードが持たないかもしれません」
 メモを取っていなかったので不確かですが、こんなニュアンスだったと記憶しています。優勝候補としては、金丸祐三選手のほかにも、会社の後輩である山口有希選手の名前もしっかり挙げていました。
 その山口選手ですが、日本選手権の走りから寺田も注目していました。しかし、そのときよりも前半にキレがありません。優勝した金丸選手に0.11秒届かず2位。あとで取材をすると、8月にちょっとした故障があったので、今回は抑えめに行ったとのだとわかりました。ただ、金丸選手に内側から抜かれた150m付近で、予定よりも早くスピードを切り換えてしまった。それで最後までもたなかったようです。

 記録的には全般にいまひとつの大会でしたが、大会の趣旨は記録よりも陸上競技を楽しんでもらうこと(と、こちらが勝手に思っているだけですが)。朝原・為末コンビの出場と絶妙の掛け合いもありましたし、丹野選手の日本最高や、五輪選手5人(山口・為末・向井裕紀弘・伊藤友広・山村貴彦)vs.金丸選手の男子300 mもありました。選手の走りも間近で楽しめますし、元某専門誌編集者の日隈広至氏による場内インタビューもありました。
 短時間に多くの種目を行い、見る側に飽きさせないことを意図したタイムテーブルです。ただ、フィールド種目まで全部じっくり見たいというファンには、慌ただしかったという意見も聞きました。試技も6回ではなく4回。気がついたら終わっていた、ということもあったでしょう。トラックを中心に、フィールド種目は興味のあるものを見る、というスタンスならちょうど良い大会です。全てのファンを満足させるのは難しいので、この大会は、このスタイルでいいのでは、と思いました。


◆2006年9月4日(月)
 一昨日の日記の補足ですが、杉林孝法選手の三段跳16m43は、30歳日本最高記録であることも判明しました。“30歳台”日本最高ではなく“30歳”限定です。つまり、もっと上の年齢で16m43よりいい記録を出している選手がいるということ。さて、その選手は誰で、記録はいくつでしょう?
 それから、インタビュアー日隈氏の写真を掲載し忘れたので、ここに載せておきましょう。これは丹野麻美選手にインタビューしているところ。

 ところで、一昨日一番のサプライズは、プリンス近藤こと読売新聞・近藤記者が姿を見せたことです。9月1日付で千葉支局から本社運動部に戻ったといいます。1年11カ月ぶりの復帰。本サイトの読者(ファン?)向けに、次のようなコメントをしてくれました。
「ずっと市政などを担当してきましたから、最初はリハビリを兼ねながら取材をして、雰囲気に早く溶け込めるように努力していきたい。また紙面を通じて、陸上競技の素晴らしさをお伝えできればいいかな、と思っています。今日は久しぶりの陸上競技取材で、カクテル光線に照らされた選手たちが美しく感じられました。特に丹野さんの笑顔は輝いていましたね」
 プリンスのイメージにそぐわないコメントは、当方でカットいたしました。

 昨日、今日とひたすら原稿書き。久しぶりに大きな原稿の締切です。
 しかし昨日、電話取材の申し込みが。週刊新潮からで、亡くなったオツオリ選手について話してほしいということでした。重川社長や山梨学大関係者にも取材をして、寺田には取材した印象や、陸上界に果たした役割のような話をしてほしいということでした。
 確かに重川材木店の特集の時に取材をさせてもらいましたが、それほど取材機会が多かった選手ではありません。学生時代のオツオリ選手にそれほど取材をしたことはありませんでしたから、お断りをしました。それでも、是非にということでしたし、知り合いからの推薦もあったということでしたし、今晩が締め切りということだったので、電話取材を受けることに。
 オツオリ選手はご存じの通り、学生時代は圧倒的な力を示しましたが、トヨタ自動車入社後は、学生時代の活躍に比べてパッとしませんでした。新聞記事の多くは「山梨学大卒業後はトヨタ自動車で活躍」という表現にしていましたが、そこは違うとはっきり言いました。というのも、そこにオツオリ選手の特徴があるからです。練習がどうこうという話ではなく、そこで失敗したから、指導者として頑張ろうと思ったのではないでしょうか。
 真面目な性格が災いして、故障気味の時にも走ってしまうパターンだったようです。山梨学大の後輩の尾方剛選手のように、そこは強い意思と忍耐力を発揮して克服してほしかった、とも言いました。でも、考えてみたら、尾方選手のような例の方が少数の成功例なのです。少ないからこそ、世界選手権のメダルが取れるわけですね。マスコミというのはどうしても、成功例を引き合いに出しがち。悪い習慣です。
 でも、先ほど言ったように、なんでも美化してしまうよりはいいでしょう。特にオツオリ選手の場合は、実業団での失敗がその後の人生の糧となっていたのですから。
 重川材木店のサイトに、生前の最後の写真が掲載されています。これは、テレビ朝日ですね。放映は……もう終わってしまったようです。残念。


◆2006年9月5日(火)
 昨日、思わず出題してしまった三段跳クイズですが、解答メールを送ってくれた方もいらして、ちょっと嬉しかったです。正解は小松隆志選手で、35歳のときに16m65を跳んでいます。でも、これでは100%の正解ではありません。小松選手は最近のことなので、多くの方が思い浮かべたはずですが、該当する選手がもう1人いることです(1人を答えろ、とは書いていません)。それが、この問題の引っかけているところ(意地悪なところ?)。
 もう1人とは日本記録保持者でもある山下訓史選手で、32歳のときに16m79を跳んでいます。山下選手は1962年生まれで92年のバルセロナ五輪代表でしたから、30歳を過ぎてもかなり跳んでいるだろう、とすぐに想像できました。
 でも、この手の出題の仕方は、知識のある人はわかるけど、知らない人はわかりっこない。本サイトなら、「そうかぁ」と反応してくれる読者も多いと思われますが、一般人を対象にしたサイトでこの形では、「あ、そうなの」で終わってしまう可能性が高そう。知識がない人間でも、考えたり予想できたりする形式で出題する方がいいと思います。アンケートをとってその人数を予想させるとか、テレビのクイズ番組では色々なやり方がありますから、その辺を参考にできると思います(自分に言い聞かせているにしては口調が変かも?)。

 今日は10月発売の増刊「大学駅伝2006」用の取材で、16:30に順大に。最初に名鑑用の写真撮影で、これはカメラマン氏と仲田マネジャーに任せて、その間に寺田は仲村明監督の話を聞かせてもらいました。仲村監督は67年生まれ。市船橋高初のインターハイ優勝者も、来年で40歳ですか。速いですね……順大の選手は。山下訓史選手も仲村監督も、91年の東京世界選手権代表選手。その辺の年代になると、寺田も取材として接しています。
 自身の専門種目だった3000mSCでは関東インカレで1〜3位独占、日本ジュニアと日本インカレを菊池敦郎選手が制しました。次は駅伝でしょう。箱根駅伝では5位以内をキープしていますが、その順位では“結果を出している”うちには入らないようです……順大では。
 17:30から1000m×10のインターバル。指導光景などで気づいたこともありましたが、これは書くのは控えます。1つだけ書かせてもらうと、仲村監督はストップウォッチを持ちません。タイム計測も数人のマネジャーの仕事です。可能であるなら、指導者はストップウォッチを持たない方が良い。できれば試合でも。その理由はまた、機会を見て書きたいと思います。

 練習終了後、仲村監督の話に出てきた選手たちのうち数人のコメントを聞きました。これは短めに。その後、選手2人にまとまった時間をもらってインタビュー取材。これが、めちゃくちゃに面白かったです。2人とも、本当によく考えている。こちらの聞きたいポイントもしっかり理解してくれますし、説明の仕方も上手い。お互いに突っ込みを入れてくれるところもグッドです。久しぶりの学生選手の取材で上手く話が展開するか不安もありましたが、本当に良い話を聞くことができました。

 今日のグラウンドには、他種目の大物選手の姿は見当たりませんでした。花岡麻帆選手や田野中輔選手、現役学生では高平慎士選手に小池崇之選手。取材時間が遅かったからでしょう。それにしても、今日は昼間は暑かったのに、夕方は涼しかったです。順大グラウンドは特に、夕方になると気温がグンと下がるようです。そういえば1990年だったでしょうか。金子宗弘選手(十種競技日本記録保持者)か岩崎利彦選手(110 mH元日本記録保持者)を取材に行ったときは秋口で、とっても冷え込んだ記憶があります。岩崎選手も67年、金子選手は68年生まれ。その頃の順大も、すごかったわけです。
 鯉川 なつえ監督は……かなり下の世代ですね。


◆2006年9月6日(水)
 今日も三段跳クイズの話から。30歳代で16m後半を跳んだのが山下訓史選手と小松隆志選手の2人ということはわかっても、記録まではわからない、というメールをいただきました。確かに、長く頑張っていた選手の特徴を把握していれば、選手が誰なのかは予測ができますが、記録まで覚えているのは不可能に近いかも。
 これにも実はカラクリがありまして、陸マガの毎年6月号に全種目の年齢別記録が掲載されているのです。それを知っていれば、簡単に調べることができる、という仕組みですね。それでクイズなんかいっっ!? と怒られそうですが、要は、専門誌のパターンを知っているかどうか、を試すクイズだったというわけです。いずれにしろ、素人に楽しいクイズではありません。
 しかし、どこを調べれば解答にたどり着けるか、その道筋をたくさん知っていることは、我々(って誰?)の職業では重要なんです。「なんでそんなに早く、そこまで調べられるの?」と思わせることが、商品価値を生むということだと思います。「なんでボールペンが、1本130円で生産できるの?」と思わせることと同じです。陸上競技選手が、「なんでそんなに速く走れるの?」と思わせることで、商品価値を高めているように。

 今日も「大学駅伝2006」用の取材。昨日の順大に続いて、今日は日大に行きました。15時から八幡山の寮で土橋啓太キャプテンの取材。これまでは、昨年の箱根駅伝前の公開取材時のイメージが強かったのですが、今日の取材ではそれとは違った選手像というか、キャプテン像が伝わってきました。その点が、記事の何割かを占めるかも。
 16時にグラウンドに移動。雨だったこともあり、グラウンドには著名選手の姿はありませんが、ウエイト場には渡辺大輔選手と山村貴彦選手の姿が。昨日の日記で書き忘れましたが、順大グラウンドでも北村和也選手がトレーニングをしていました。今年から、順大大学院に進学していたのを忘れていました。
 山村選手は腹筋のトレーニングをしていましたが、初めて見る珍しいやり方。結果が出たときに、どんな効果があるのか突っ込んでみましょう。それほど重要ではないかもしれませんけど。そういえば富士通時代の同僚、笹野浩志選手も山村選手から補強メニューのやり方を教わった、と話していたことがありましたね。

 グラウンド脇の総務部屋に場所を移して、小川聡監督の話を聞かせていただきました。17:15からは3000mのタイムトライアル。留学生のダニエル選手が「みんなと一緒に練習がしたい」と言い出して、三島から駆けつけて同じメニューをこなしていました。メインメニューが始まる頃にちょうど雨も上がって、気温も下がっていいコンディション。合宿直後にしては、良いタイムが出ていたようです。練習後に4人の選手を取材。今年の日大チームの全体像というか、特徴や課題がつかめたと思います。
 ところで、日大の野中章弘主務は2年生。3年生から2年間任されるケースはときどきありますが、2年生からというのはかなり珍しいでしょう。昨年、前任者が家庭の事情でマネジャーを続けられなくなり、1年生ながら急きょ大任を務めることになったといいます。選手は1年生でも強くなれますが、マネジャーというのはいきなりできるものではありません。絶対に見習い期間が必要な役職です。それに、上級生部員に指示を出すケースも出てくるので、ストレスもあるでしょう(一般的に)。
 野中主務も、わからないことだらけで、周囲に迷惑ばかりかけたと言います。しかし、責任のある立場を3年間も続けたら、普通のマネジャーよりも何倍も経験を積めることになります。2年後にはカリスマ主務となっているかも?


◆2006年9月7日(木)
 昨日の日大取材時に、このグラウンドに何回取材に来たのかを、4年生のマネジャーに聞かれて思い出そうとしましたが、ちょっと数えられませんでした。10回は越えているのは確かです。20回がどうか、というところでしょう。パッと思い出せるだけでも思い出してみると……短距離では中道貴之選手、宮田英明選手、山村貴彦選手、箱根駅伝チーム(の公開練習)、沢野大地選手(の公開練習)、渡辺大輔選手、寺野伸一選手、野口安忠選手、村上幸史選手……小山監督に五輪展望雑誌のコメントをもらいに行ったこともありましたね。思い出しただけで10回です。忘れている取材もあると思いますし、撮影取材だけで行ったこともありますから、恐らく20回前後。渡辺選手はミズノ東京本社だったかも。
 そういえば、4×400 mRチームで取材した際に、まだ48秒台だった向井裕紀弘選手の話を聞いたこともあります。確か、大学2年の冬のこと。同学年、同郷の石川慎二選手がジュニアで45秒台を出して脚光を浴びた時期。向井選手は4×400 mRのラップでは46秒台で走っていたんだと思います。それで、面白そうな選手ということで、話を聞きました。そのときから、その後の成長を予想していた……などと書いたらいけませんね。結果が出てから「そう思っていた」と言うのは、格好が悪いったらないですから。

 その向井選手は日大卒業後は西濃運輸に入り、同社の陸上競技部廃部(休部?)後も、岐阜ES事業団で競技を続けていて、しっかりと岐阜に根を下ろしている感じ。本人サイトの日記を見ると、近くのタリーズ(カフェ)に足繁く通っているご様子。岐阜ではなくて大垣でしょうか。トワイライト・ゲームスで会った際、どのくらいタリーズに行っているのかを質問しました。以前から気になっていたのです。
 聞けば、最近はちょっと減ったそうですが、多いときは週に8回、最長で10日連続行ったこともあるとか。これはスタバにもタリーズにも行けないカフェ大好き女子大生の丹野麻美選手へのあてつけでしょうか。典型的な爽やか青年が、そこまでやるとは思えませんが、人は見かけで判断するなという先人の教えもあります。

 寺田の新宿作業部屋近くにもタリーズはあります。今日もその店で原稿を書きました。隣に座っていた男女のうち、女性の方が明後日結婚式に出ると話していて思い出したのが、日大(三島)の小泉コーチも9月9日に結婚されるとか。どうやら日大の長距離部員たちのビデオメッセージが上映されるようで、昨日の練習後にもダニエル選手の撮影が行われていました。もしかして大安? と思ってカレンダーを見ると、やっぱり大安でした。
 実はもう1人、同じ日に結婚する陸上界の重要人物がいます。世界選手権大阪大会の国際映像製作のチーフディレクターを務める坂井厚弘氏も、9月9日が結婚式。先日の陸上競技学会の際に、シスメックス藤田信之監督が教えてくれました。最近はお父さん(東京五輪の最終聖火ランナー)が目立っていますが、1年後の地元世界選手権は坂井氏が目立つ番です。どうやったらディレクターが目立てるのか、わかりませんけど。
 ところで、最近のスポーツ・ニュースは連日、高校野球の斎藤佑樹投手と、サッカーのオシム監督の報道ばかり。1年後は世界選手権直後ということで、陸上選手がこの2人のように、テレビに出まくっていることでしょう。


◆2006年9月8日(金)
 こちらのサイトから話題のコエンザイム10とアミノ酸を配合した「SAQ10」を、標準価格より2割引で購入できます。SAQ10は「疲労前に体内を疲れにくい状態にする」というコンセプトで開発された栄養補助食品。しかも、10箱セットで購入すると1箱プラスされて、送料も無料になります。この機会に皆さん、試してみてください。
 クレーマージャパンさんと寺田サイトのコラボレーションという形をとっています。正直、プレッシャーもありますが、それだけ評価していただいているということ。嬉しいことですし、頑張ってくぞ、という気持ちにもなります。

 今日は日曜日締め切りと、月曜日締め切りの原稿をとにかく進めないとヤバイ状況でしたが、明日のジュニア指導者クリニックと、明後日の南部記念の取材準備を優先。いつものように、ちょっと時間をかけ過ぎました。が、両取材に対しての不安は払拭。南部の見どころも明確になりました。2週間後のスーパー陸上ほどの派手さはありませんが、陸上通には面白くなりそうな大会です。


◆2006年9月9日(土)
 ジュニア指導者クリニック(主催:日本SAQ協会、共催:クレーマージャパン)を取材するため10時に日産スタジアムに。会場はスタジアム内にある横浜市医科学センターの小ホール。唯一、クレーマージャパンの商品が店頭に並んでいるCramer shopが隣接した区域にあります(日産スタジアムは広い)。小ホールと書かれた方向に進んでいると、三段跳の神奈川県記録更新を目指す梶川洋平選手がいました。知った選手がいるとついつい、「調子はどう?」と聞いてしまいがちですが、梶川選手はイベントのスタッフです。世間話は控えて受付に。
 受付には檜山かおるトレーナーがいらっしゃいました。Stories of CramerJapan第2回「トレスシステムによる新井智之 復帰プロジェクト」で紹介したように、檜山さんは新井選手のメイントレーナーです。しかし、明日の南部記念には他の仕事が入っていて行けないとのこと。新井選手はトワイライト・ゲームスにも出場していましたが、結果はいまひとつ。筋肉の状態などは10秒3台を出した織田記念の頃か、それ以上の状態に戻っているそうです。この辺はすごいのですが、まだ“試合慣れ”していないという周囲の見解。この“試合慣れ”とはどういうことを指すのか、というハイクオリティの会話をしました。それは休憩時間ですけど。

 受付には日本SAQ協会の森口陽登美氏もいらしたので挨拶。寺田の担当窓口(?)の青葉貴幸部長(元帝京大の敏腕マネ)が来られないので、森口さんが担当してくれることになっていたのでした。周囲からは“敏腕”、あるいは“やり手”と評される方。これも休憩時間に、上司でもある平岩時雄氏(110 mH13秒6の手動計時日本最高記録保持者)らと雑談しているときに判明したこと。平岩さんがそう話したのではありません。
 小ホールといってもそれなりの広さ。160人が受講したそうです。会場には遠路、高知から駆けつけた鈴木秀司氏の姿も。浜松工高時代に5m★を跳び、日大では4年時にキャプテン。日本選手権も制しているボウルター。最近は体育の家庭教師を事業展開。これまでにない分野に積極的に斬り込んでいる人を見ると、応援したくなる性分です。同じ自営業者同士ですから、「儲かってる?」が挨拶代わり。サイトを拝見する限り、順調そうにも見えますが……それほど突っ込んだ話をする時間はありませんでしたけど。

 クリニックのプログラムはこちらを参照してください。佐藤正宏トレーナー(バスケットのインターハイ優勝チームの一員)と外薗社長(説明不要ですね)はパワーポイントを駆使しながらの講演。フェルプス氏(元アメリカの白人最速スプリンター)と原田副社長(説明不要)、吉田謙介トレーナーは実技が中心でした。
 おっと、忘れてはいけません。司会は横浜日産スタジアムブランチの田野淳氏。インターハイでは勝てても、司会ぶりはまだたどたどしくて、佐藤トレーナーが「次に話す人が楽になるように、たくさん噛んでくれた」とフォローしていました。これはカラオケでも同じです。最初に歌う人が上手かったら、続く人にプレッシャーがかかって歌えません。

 クリニックは17時過ぎに終了。別室に移動してフェルプス氏にインタビューしました。通訳をしてくれたのが林隆道トレーナー。驚くなかれ、林トレーナーは元重川材木店のランナーで、同社が本格的に部員を募集したときに米国から帰国して、「実業団で走りたい」と入社した異色ランナー。2004年版の「重川材木店追跡ルポ」の第3回 アメリカ帰りの異色ランナーで取り上げさせてもらいました。北陸実業団対抗駅伝も走っていますが、同社のニューイヤー駅伝出場のときはもう、トレーナーに転進していました。
 確か、重川材木店に入社のキッカケは、寺田のサイトで同社の部員募集を知ったこと。人の縁とは不思議なものです。
 最後は吉田謙介トレーナーにインタビュー取材。アジリティー・トレーニングの有効性をどう説明しているのか、少し突っ込ませてもらいました。この話は、池田久美子選手が日本新を出したときの話と共通点があったので、理解しやすかったと思っています。吉田トレーナーも国際武道大の陸上部出身とか。故郷は熊本県。
 熊本で思い出しましたが、今年のテーマは九州です。1月の北九州女子駅伝に始まって2月の熊日30km、3・4月の世界クロカン(福岡)、そして9月末には全日本実業団の取材で大分にも行く予定。今月のキャッチコピーを9月の九州と決定した9月9日でした。

 19時に日産スタジアムを後にして、20:20には羽田空港に。21:00の最終便で札幌入りしました。22:30に新千歳空港着。最終の札幌行きJR電車が22:50発でしたから、飛行機が遅れたら危なかったのです。明日は南部記念ですが、誰も知った顔に出くわしません。そういえば、某記者から言われました。「札幌に行くのに最終なんて、意味がないじゃないですか」。記者の皆さんは前日会見池田、日本記録更新に意欲=室伏由、為末らが出場−南部記念陸上(時事通信)に出ないといけない、という意味でしょう。


◆2006年9月17日(日)
 1週間も書くのをサボってしまったので、いい加減に書かないとまずいでしょう。このサイトを本当に仕事と位置づけているのか、と思われそうなので、今日から心を入れ替えて(と何回思ったことか)、忙しくても毎日「今日は群馬リレーカーニバルの取材に行きました」だけでも書いて行きたいと思います。
 中断した理由は例のごとし。原稿が重なってしまったのと、書きたいことがたくさんあったから。あれを書いておきたい、これも書いておきたい、と真面目に考えてしまうと、まとまった時間がないと書けないのですね。日記は毎日15分!(と思っても実際は30分か) それ以上は書きたくても書かない、と思うことにしましょう。

 今日も取材に行って(もちろん群馬リレーカーニバル)、ネタがたくさんありすぎです。でも、群馬ネタは後日。なぜならば、アテネがすごかったから。そういえば前橋に行く途中、高崎駅から読売新聞・大野記者と朝日新聞・堀川記者(神奈川県で陸上をやっていて磯崎公美さんと同学年)と同じ電車になり、「アテネ行きの電車ですね」なんてジョークを飛ばしましたが、各社とも取材に行けばよかったと思っているでしょう。読売新聞は行っているようですが。
 トップページでも紹介しましたが、室伏広治選手が優勝して、沢野大地選手が2位。末續慎吾選手と福士加代子選手が3位。男子の4×100 mRも日本単独チームで3位でした。ワールドカップでここまで日本選手が活躍したことは一度もありません。

 アテネといえば、早狩実紀選手のブログにアテネの女子3選手がスタバに行ったところの写真が掲載されています。年齢差を考えると(本当に年齢をチェックしないように)、カフェ大好き女子大生の丹野選手が行きたい、と言い出したわけではないと思いますが。キャラがまったく違う3人の組み合わせです……とよく書きますけど、取材をする機会が多ければ多いほど、違いは明確になります。トップ選手は個性が強いのは当たり前で、キャラがかぶる選手って、すぐには思いつきません。同じ日大の400 m五輪選手でも、山村貴彦選手と向井裕紀弘選手は違いますし、同じ神戸市出身の大阪ガス選手でも朝原宣治選手と小坂田淳選手は違います。先週、中1日で取材をしましたが、同じ佐久長聖高OBでも上野裕一郎選手と佐藤悠基選手もまったく違います。
 強いて言えば、佐藤光浩選手と内藤真人選手のキャラがかぶることが、ストックホルムのカフェで池田久美子選手の話から判明しました。その辺は陸マガ10月号の池田選手・末續慎吾選手・内藤選手の鼎談からもうかがえます。内藤選手の弁護をしたい部分もありますが、それはまた機会を改めて。
 話がそれましたが、早狩・福士・丹野の3選手が何を話したのか、ちょっと想像できないのは確か。何について話したのか、ではなく、誰が誰にどんな突っ込みを入れたのか。興味津々です。

 この1週間、めちゃくちゃ追い込まれていたのは事実。今日も、M選手から指摘されてしまいました。時間の使い方とか工夫しないといけないのですが、職業柄、締め切りが集中するとどうしようもない。仕事は何時までで切り上げて、しっかり休養して気分も切り換えて、明日の朝からまた集中して……なんていうのは机上の空論。目の前に締め切りがあって、それを片づけないことにはどうしようもない、という状況が続くのです。
 でも、徹夜はしないし、仕事ですから日記も書きます。
 大学駅伝2006の編集後記は、前橋から帰りの車中でもずっと考えているのですが、ネタが浮かびません。日記のネタにはできても、雑誌の後記というのはどうも、イメージしにくいのです。それも仕事なので、なんとかします。


◆2006年9月18日(月・祝)
 あれこれ考えず、今日の日記を書きましょう。制限時間15分。
 午前中に急ぎの仕事を片づけて、昼頃に「大学駅伝2006」の編集後記を250字書きました。ハンカチ王子ネタにしようか、○○コンビネタにしようか、昨日の夕方から迷いに迷った挙げ句、長野ネタで行くことに。昨日の群馬リレーカーニバルで富士通・福嶋監督と話をしたことが決断の決め手になりました。1文字あたりにかけた時間は最も長かった原稿かもしれません。一文字遅人……とか書いても、理解度7%でしょうか。どうしても意味を知りたい人はこちらをクリック。
 マスターズ取材中の朝日新聞・金谷記者から電話が入って、新記録のカウントの仕方を色々と説明。女性記者だから丁寧に答えているわけではありません。この手のことは、相手の人柄で決まりますね。何、その質問? と思えるようなことを聞いてくる相手には、こちらも超クールに対応します。例えば、こんな感じです。
某女性誌女性編集者:「日本のハンマー投で室伏選手の右に出る者はいないと皆さん言いますが、それは短距離の末續選手にも言えることですか?」
寺田:「ええ。末續選手はいつも8レーンを走っていますから」

 えっ、寒くなんかない?

 昼食を食べに外出。今日書かないといけない原稿のうち1本は、取材ノートと記録集計号と、パソコンに入っているデータがあれば書けそうだったので、ふらっとバスに乗りました。東京のバスは遠距離まで行きませんから、ほとんどが一律料金です。200円か210円。外を眺めていて、気に入った場所があったら降りて、最終的にはカフェで原稿を書くつもりでした。初めて行く街、初めて見る街並み。それほどロマンチックな風景があるとは思いませんが、ちょっとワクワクしながら、アジア大会のは残りいくつなんだろう、などと考えてはいませんでした。
 15〜20分ほど乗って、方南町というところで降りました。近頃の駅前にだいたいあるような店が一通り揃っていて、それでいて古い商店街もある。見ると、ブックオフまであります。松屋で500円以内の昼食をすませたあと、モスバーガーで3時間半をかけて150行原稿を1本、書き上げました。
 20分の読書で息抜き。モスバーガーを19:50に出て、ブックオフを25分間物色して、古本を3冊購入。そのうち1冊は織田幹雄著「陸上競技」(旺文社)で、250ページのソフトカバー。1968年発行です。これは、中国新聞Wデスクをはじめとする広島県関係者や、Y端ディレクターをはじめとする早大関係者から「5万円で売ってくれないか」というオファーが来そうですね。
 21時頃に作業部屋に戻り。カフェで書いた原稿を推敲して送信。


◆2006年9月19日(火)
 今日は終日、原稿書き。でしたが、最も筆が進まなかった一日です。文字の画数にもよりますが、1文字に約3cm筆を進ませるとしたら、42mしか進まなかった計算になります。内容を「これで行こう」と決められません。ちょっと書いては「やっぱりダメだ」と書き直すことの繰り返し。ここ数年ではなかったことですね。
 夜の11時を過ぎてやっと、「これかな」という方向が見えてきましたが、あそこの取材をしておけばよかったかな、という不足部分も見えてきてしまいました。でも、あっちをメインにすればなんとかなるかも。

 トップページで紹介したように、スーパー陸上でAthlete-FMが開設されます。皆さん、日産スタジアムにはラジオを持って行きましょう。解説陣は原田康弘氏、尾縣貢氏、野口純正氏、そして米倉照恭氏。4人ともそこそこ面識のある方です。携帯電話の番号も全員メモリーに入っていますね……と思ったら、陸マガ編集者時代に上司だった野口氏の番号が入っていません。どうしたことでしょう? そうか、野口氏は携帯を持っていないのでした……と、何度も同じネタを使うのは、携帯を持っていないことを尊敬しているからです。そこまで、自分のスタイルを貫けるのはすごい。真似ができるものならやってみろ(と寺田が威張ってどうする)。
 4人とも面識があるということは、一昨日の日記ではありませんが、キャラの違いもわかっているということです。まったくかぶっていませんね。原田氏は元200 m・300 m・400 m日本記録保持者ですが、とってもフレンドリーな方です。尾縣氏はトンボのマークの名門・小野高OBで、陸上界きっての有識者でありジェントルマン。米倉氏はご存じのように日本人で初めて5m60をクリアした元ボウルターですが、愛弟子の沢野大地選手が自信家のためか、控えめな印象を受けます。
 一番ユーモアがあるのは原田氏ですが、野口氏も実はなかなかのセンスの持ち主。陸マガ時代に聞いたジョークを2〜3覚えていますが、ちょっと文字にはできません。俗にいうブラック・ユーモア系。日本一の陸上スタティスティシャン(統計学者)が携帯電話を持っていなくて、実はブラック・ユーモアを口にする。面白いと思いませんか? 聞きたい人は、ラジオを忘れないようにしましょう。日本一のスタティスティシャンの分析・知識・観戦視点を聞きたい人は、という意味です。

 ちなみに寺田も、スーパー陸上ではちょっと仕事をさせてもらっています。実は……と、書きたいところですが、やめておきましょう。何をやったのか、大会当日になれば、わかる人にはわかります。トーク系の仕事はやらない主義と、言っておきましょう。
 そうそう。静岡の美人キャスター・A山さんからスーパー陸上の仕事依頼がありました。彼女とは昨年、筑波のファミレスで食事をした仲です(と自慢してどうする。食事代を払ったのはT橋次長でしたし)。その仕事はトーク系……ですけど、寺田が話すわけではありません。


◆2006年9月20日(水)
 トラック・シーズン後半の華、スーパー陸上まで残すところあと4日。さっそく今朝も同大会のサイトをチェックしたところ、ぬ、ぬ、ぬぁにー、引退試合のはずだったゼレズニー選手が欠場ぉぉぉおおーーーー、と荒井謙選手は大声で嘆いたことでしょう。
 まあ、世界的なスター選手の場合、引退試合がいくつもあって、日本の試合が実際に最後とは限らないとは思っていましたけど。しかし、本当に日本に馴染みのある選手。一般的日本人に「やり投で知っている選手は誰?」と質問したら、ゼレズニー選手の名前が一番多くあがると思います。間違いないでしょう。
 個人的にも1990年頃に一度、単独インタビューをしたこともある選手なのです。本当に、楽しみにしていたのに。日本で出た90m台全パフォーマンスなんかも調べて、取材する気満々だったんですよ。
 心配なのは荒井謙選手。ゼレズニー選手に憧れていて、同選手の動きを手本に独自の投法を考案して(携帯電話の待ち受け画面の写真も同選手らしい)、あの小さい身体ながら75m台をマークするまでになったのです。もしも荒井選手の記録が悪かったら、ゼレズニー欠場ショックでしょう。2人のツーショットも撮れたらいいなあ、と考えていたのですが。

 本番のネタが1つ少なくなったわけですが、タダでは起きないのが寺田です。同サイトで面白いものを見つけました。室伏広治選手に“孤高の修道者”というコピーが付けられています。この“孤高”という言葉は「ひとり他にぬきんでて高いこと。孤立しつつ、自らの志を守ること。また、そのさま。」<国語大辞典(新装版)小学館 1988.>というのが単純な意味ですが、もっと奥の深いところを指しているのでしょう。
 少なくとも、孤立した選手ではありません。5月に中京大であった公開取材の際、新コーチのグスタフソン氏との出会いの経緯を質問しました。そのとき、詳しくは語らず「僕は知り合いが多いんですよ」と、半分ジョークで返してくれました。おそらく、トップ選手のなかでも最もネットワークの広い選手でしょう。
 でも、孤高という言葉が当てはまる部分も確かにあります。その辺を説明すると長くなるので、別の機会(メディア?)に。

 室伏選手が“孤高の修道者”なら、陸マガ高橋次長は“孤高のマック・ユーザー”。Windows全盛の今日、編集部で唯一、マックを通常マシンとして使っています。それが噂の白いモバイル・パソコンです。白いモビルスーツに対抗したあれですね。彼も単に1人だけ、という意味でなく、深い信念を持ってマックを使っています。ちなみに“走高のマック・ユーザー”はハニカット陽子選手。先日の群馬リレーカーニバルでは1m83の今季自己最高をクリアしました。青山幸選手と優勝決定試技にもつれ込む死闘を演じました。2位でしたが、まだまだやれそうです。
 昨年、同選手が1m86を跳んでいるので30歳台最高記録にはなりませんが、31歳最高記録かな? と思って調べたら…微妙ですね。1m83を貞広千波選手が室内で跳んでいます。屋外では間違いなく、31歳最高記録でした。
 ハニカット陽子選手と室伏広治選手は同学年。室伏選手は誕生日が10月で、2年前のスーパー陸上が最後の20歳台の試合。つまり、復帰後の最高記録であれば、自動的に30歳台最高記録になります。ということで、ワールドカップで投げた82m01が該当記録です。


◆2006年9月21日(木)
 18日の日記で一文字隼人の名前を出したところ、「薩摩隼人に結びつけようとしているのではないか」というメールが来ました。実はその通りです。当時、テレビを見ていた方は記憶にあると思いますが、オープニング・ソングの後に毎回、“仮面ライダー・一文字隼人は改造人間である。”で始まるナレーションが入るのです。これが格好良かったですね。子供心に(だからこそ?)しびれました。
 実業団女子駅伝テレビ中継のときにアナウンサーが“資生堂監督・川越学は薩摩隼人である”と言わないかな、と密かに思っているのです。早大競走部の後輩であるTBS佐藤文康アナに、密かに期待しましょう。

 最近の日記を読んだ知り合いから、「キレが戻った」という指摘をもらいました。何のキレなのか、までは書いてなかったのでわかりませんが、これは群馬リレーカーニバルの取材に行ったからだと思います。男子800 mで富士通・笹野浩志選手のキレ味鋭いスパートを目の当たりにした影響かと。えっ? 優勝したのは下平芳弘(早大)選手で笹野選手は2位? それは、下平選手の方が強かったということで、笹野選手のキレがなかったことにはなりません。勝敗というのは相対的な力関係の結果にすぎません。
 走りのキレとは別にもう1つ、笹野選手の行動が“キレの復活”を助けてくれました。実は寺田自身、最近日記に“単純ギャグ”が少ないな、と思っていました。それで笹野選手に「藤田敦史と藤巻理奈でフジツーとか、どう?」と言ってみたのですが、言葉にした直後に悔恨の念に襲われました。ところが笹野選手が笑ってくれたのですね、これが。気持ちのコブがとれたように楽になりました。二枚目はやることが違うな、と思いました。
 以前、丹野麻美選手に「レベルが高いですね」と言われたときのように、ほめられると調子が出るタイプ、と自己分析。あのときの丹野選手も、天女のように見えたことをはっきりと覚えています。実物の天女を見たことはありませんけど 。

 スーパー陸上まであと3日。女子400 mは丹野選手とともに、キタキツネ走り復活が期待される木田真有選手も楽しみです。


◆2006年9月22日(金)
 13時から都内某所で取材。今日も面白い話を聞くことができました。良い記事が書けると思いますし、世間のイメージを覆すこともできるかな、とワクワクしています。
 新宿の作業部屋への帰路、Edy(プリペイド式の電子マネー)の使える書店に寄ったところ、投資関連本コーナーで為末大「インベストメント・ハードラー」を発見。購入しました。もう第3刷なのですね。すごい。実はもう136ページまで読み進みました。陸上競技の本は読むスピードが速いのです。技術ものは無理ですけど、小出監督や高橋尚子選手、末續慎吾選手の本などストーリーものは1分で2ページは読みます。
 感想などは後日。
 明日はスーパー陸上の前日共同会見。個人的な会見も予定しています。


◆2006年9月23日(土)
 昨晩は2:30頃に「インベストメント・ハードラー」を読了。感想を書くと長くなるので後日。それでなくても今日の日記はネタが豊富なので。

 今日は12:30に新横浜に。駅が大規模改修工事中で、いつもと勝手が違ったのでちょっと戸惑いました。記者会見は16:00からですが、人と会うために早めに現地入りしました。お会いしたのは USA Track & Field 勤務のS氏。まだ30歳そこそこですが、すごい行動力でアメリカ陸上界の中枢で仕事をしている方。海外の生活に飛び込むというのは、自分にはできないことでもあり、そういった人から聞く話は貴重です。いつか、そんな人たちを紹介できるコーナーを作りたいですね。日頃はスポットが当たりませんけど、情熱を持って陸上競技に携わっている人。情熱だけだと、俺の方があるあるぞ、という意見も出てくるかもしれません。
 そこは、寺田の感性で判断していくしかないでしょう。朝日新聞・堀川記者にも、ニューヨークで松井秀喜番をしていたときの生活なんかを聞いてみたいし。松井番も高校時代は陸上競技に明け暮れていたのですが、その頃、憧れていた女子選手は誰だったのか、とか。けっこう面白そうな話が聞けそうです。

 14時には大会本部ホテルに行って、日刊スポーツ事業部に挨拶。先日も書いたように、今回、少し仕事(プログラムの見どころ等)をやらせてもらったためです。
 16時の会見までに、南部記念の池田久美子選手のコメント記事を、完成させました。札幌からの帰りの飛行機で書きかけていたのですが、その後、めちゃくちゃ忙しくなって、そのままになっていました。
 その間に山縣苑子さんが来たので、『めざましどようび』のお天気キャスター採用のお祝いを言いました。気がつくと、いつの間にかスポニチ・倉地記者が山縣さんの隣に。ヘルシンキ世界選手権のとき山縣さんの熱狂的な信者だという倉地記者のために、寺田がサインをもらいました。それがなんと、山縣さんの初サイン。
 しかし、倉地記者は帰国後、スポニチの先輩記者から「サインをもらって浮かれてたんだって?」と詰問されると、「あれは寺田さんに無理やり…」と言う根性なし。人間、社内ではそんなものだとはわかっていますが、それが初サインだったと考えると、失敗したな、と思います。
 続いてTBSの佐藤文康アナ。21日の日記は見てくれたそうですが、“仮面ライダー・一文字隼人は改造人間である。”のナレーションを聞いたことがないのだそうです。うーむ。元を聞いていないと真似もやりにくいし、だいいち面白くありません。そうかあ、30歳前後の世代はわからないのか。
 でも、9月9日のジュニア指導者クリニック(主催:日本SAQ協会、共催:クレーマージャパン)では、原田康弘さんがクリニック中に「スコット(アメリカ人講師)にライダーキックだ」って言ってらしたのですよ。30歳になったばかりの森口陽登美氏(日本SAQ協会)は「知っています」と言っていたのに。まあ、いいです。

 選手では小林史和選手がまず、通りかかりました。その後、NTNの越井監督ともお会いしましたが、明日は3分39秒00のB標準は最低でも破りたいと考えているようです。そのためのペースメイクも、主催者側と話し合ってできているとのこと。ナイトオブアスレティックでは3分38秒台でフィニッシュしたと思ったら、3分39秒08で悔しい思いをしました。期待しましょう。
 同じくナイトオブで取材をした森川裕之選手(大阪府警)にも2カ月ぶりの再会。ここ1〜2年、大阪府警の大坪隆誠選手が“日本一速いお巡りさん”ということでテレビでは紹介されています。しかし、大坪選手は1万m・ハーフマラソンの選手。実際に泥棒を追いかけるなら、中距離選手の方が適している可能性もある。“日本一速いお巡りさん”のキャッチコピーは、森川選手の方が相応しいかも?
 向井裕紀弘選手は、明日の結果次第でアジア大会代表の可能性もあります。南部はだめでしたが、日本選手権では代表選手以外で最上位の4位。南部で代表&為末大選手以外最上位の佐藤光浩選手との比較になる可能性が大。調子は、本人のサイトの日記を参照。
 やり投の荒井謙選手は、20日の日記で紹介したように、ゼレズニー選手欠場にショックを受けていました。ビデオや写真では恋人のように見ているようですが、実際に会うのは初めてになる予定でした。残念無念荒井謙。でも、頑張ると言っていました。

 会見ではパウエル選手と末續慎吾選手に、目標記録を色紙に書かせる演出が良かったです。末續選手の色紙は「9.92」ではなくて「9.9?」です。

 あとは、為末大選手が1996年、高校3年時に出した45秒94の10年ぶり更新を目標として口にしました。昨晩、インベストメント・ハードラーを読んだばかりですから、この10年間の変わりぶりに思いが行きます。10年前の45秒94を見ている数少ない記者の1人だと思いますので、明日はしっかり見たいと思います。優勝者はランニングタイマーが止まってすぐに記録がわかります。手元のストップウォッチは通常なら日本人トップで止めますが、明日は為末選手ですね。
 しかし、成迫健児選手も400 mHではなく、400 mに出場します。為末選手よりも前でフィニッシュしたら、成迫選手で止めるかもしれません。在学中に45秒台が出たら、“つくばエクスプレス”と堂々と名乗れることになります。
 ですけど、3週間の教育実習を昨日までやっていたとのこと。それで完全に練習不足。いきなりハードルを跳ぶとケガの恐れもあるということで、400 mにしたのだそうです。目標記録は46秒台前半とか。

 18:00からはウェルカム・パーティー。取材は禁止なので、雑談の場です。
 ミズノの金子宗弘氏がいたので、お父さん(東京五輪代表)のお悔やみを申し上げました。次に木水広報にも挨拶。これも、大事なことです。ミズノ関係では、柔道の野村選手似の鈴木学さんが、何か言い訳があるとか。スタジアムに仕事に行くところだったので、釈明は後日聞くことに。
 続いて、埼玉栄高・清田浩伸先生を探して、高橋萌木子選手の進路について質問。平成国際大が女子の強化に乗り出し、系列校でもある埼玉栄高から数人が進学予定なのだそうです。清田先生も大学に移りますが、埼玉栄高の指導も今のまま続けるといいます。「埼玉新聞の一面に出てしまったから」ということで、書いていいネタになったわけです。ただ、清田先生自身が書くのははばかられるということで、ご自身のサイトには書いていません。この手の人事情報は、ほぼ決まっていることでも、公にする際には慎重に扱います。というか、公式発表があるまで伏せておくのが普通です。もう1つ2つ、伏せているネタがあるのですが、この公表はもう少し先になりそうです。それも、パーティー中に確認。
 それにしても、相変わらず清田先生は熱く語ります。
 最後は富士通・青柳マネと、福島大・川本和久監督と、来年福島で開催プランの上がっている新競技会について話し合いました。そして、話はなぜか佐藤光浩選手に移ります。佐藤選手が“追い込み白虎隊”なら、金丸選手もラストが強いから“追い込み雑賀鉄砲隊”とかつけてもいいのでは、と寺田が言いだしました。すると2人は“追い込み”は佐藤選手以外は使ってはいけない、と言い張ります。佐藤選手の特徴だからと。
 だったら、川本先生の提唱する池田選手のキャッチ“東洋の真珠”は、競技的な特徴がないのでは? と追及。川本先生いわく、外見がそうならいい、絶対に外国人には受ける、と。真珠は丸いからピョンと転がるイメージもあると。ちょっと納得できないところもありますが、英語にすると“オリエンタル・パール”とゴロがいいので、寺田も認めることにしました。

 パーティー会場から出ると、為末選手、錦織育子選手、岡山沙英子選手の中国トリオが懇談中でした。そこに偶然にも、中国新聞・山本記者から電話が。すごい勘ですが、用件はスーパー陸上ではなく中国地区実業団記録会で出したギタウ選手(世羅高)の記録についての問い合わせでした。
 そういえば訂正が1つ。18日の日記で紹介した中国新聞・W氏はすでにデスクを卒業して、部長になったとのこと。お詫びをして訂正します。でも、デスクの方が格好良いのに、とも思うのですが。
 パーティー会場外にテーブルがいくつか置かれているスペースがあって、パソコンを立ち上げて山本記者の問い合わせに答えた後、沢野選手の原稿(沢野、遠征後半でケイレン克服の気配 「いい方向に進みつつあるのは確か」)を書きました。近くでは、為末選手たち中国地区トリオに沢野選手、池田選手も加わって、なにやら話し合っています。もれ聞こえてきた話からわかったのは、日本の“ある種目の未来”は明るいということです。


◆2006年9月24日(日)
 スーパー陸上の取材。12:00の棒高跳エキシビジョン・マッチから始まりました。
 エキシビジョンといえば1976年に、当時の第一人者だった高根沢選手が海外で5m52と、当時の日本記録を11cmも上回る高さを跳んだことがあります。どういったルールで行ったのか、詳細はわかりませんが、公認されませんでした。今回の沢野大地選手とウォーカー選手のマッチ試合は、日本記録は公認されます。その辺の下準備をしっかり行なっているのは、我々の感覚では当たり前とはいえ、イベント担当者はなおざりにしてしまいがちなところ。細かいところですが、しっかりやってくれているな、という印象です。
 観客をグラウンドに入れて、間近で見させることで、棒高跳の迫力もわかってもらえたでしょう。花束プレゼンターには“北の大地”こと、全日中棒高跳優勝者の黒木大地選手も登場。188cmが目立っていましたが、周囲の記者たちには誰なのか伝わっていませんでした。せっかくの演出なのに。もしかしたら1回くらいアナウンスしたのかもしれませんが、大会序盤のアナウンスは聞きづらかったのです。ボリュームを上げすぎていましたね(後半は少し下げていたような気がします)。何人かの記者たちも「話ができない」と不満を漏らしていました。

 ヨーロッパの大会の悪いところを真似したのかな、と感じました。寺田の記憶にあるのはパリとローマのゴールデンリーグ。この2会場のボリュームは、はっきり言ってでかすぎます。いつだったかパリ(もしかするとローマ)で、ワコールの永山忠幸監督と携帯同士で話していても、お互いにまったく聞き取れていない状況になったことがあります。何分たっても静かにならないので、用件を伝えるのを泣く泣くあきらめたことがありました。そのときは、永山監督か福士加代子選手がミックスドゾーンに来てくれたので、事なきを得たのですが。
 観客はどう感じたのでしょうか。と思っていたら、ハニカット陽子選手がブログに、「愉快な仲間たちと会話ができない」と書いています。トップ選手の意見なので一般観客と同じかどうかわかりませんが、陸上観戦に1人で来て、大音響の通告と一緒にノリノリで観戦するファンよりも、仲間と一緒に観戦に来て、あの選手はどこがすごい、この選手は格好いいと、おしゃべりをしながら観戦するファンの方が多いのではないでしょうか。少なくとも日本では。ヨーロッパでも全部が全部、ここまで大音響じゃないですよ。半分以下だと思いますが。

 取材ではいつものことですが、全部の好記録をフォローできずにフラストレーションがたまりました。まずは土屋光選手が2m24と自己新。全部の選手がミックスドゾーンを通るのが原則ですが、しっかりと誘導されなかったといいます。せっかく取材時間が十分にとれる時間帯だったのに、ちょっと残念。村木征人先生にお願いして、ミックスドゾーンに来てもらうことができ、粘った陸マガ・高橋次長1人だけが取材をしました。
 内藤真人選手も取材できず。スーパー陸上110 mH初の日本人優勝者ですし、−1.3mで13秒61は、向かい風1m以上では日本最高記録じゃないでしょうか(要確認)。小林祐梨子選手の日本新の会見が始まって、レースすら見られませんでした。会見場にモニターがないのも不親切。国際グランプリ大阪はあるのですが。
 男子400 mも10年ぶりの45秒台を逃した為末大選手の取材を優先したため、自己新の堀籠佳宏選手はほんのひと言しか聞けませんでした。4年前の自己記録に迫った木田真有選手の新キタキツネ走法とかも、取材したかったのですが。大会の規模が大きくなればなるほど、会場が大きくなればなるほど、ミックスドゾーンを逃すと選手がつかまえにくくなります。
 話を聞きたい選手全員を取材する、なんてことはあきらめるしかないですね。それが陸上競技取材の宿命です。

 今日感じたのはスポーツをイベントして扱うことの難しさです。目玉選手として呼んだパウエルのフライング失格までは、予測できなかったと思います。棒高跳でもウォーカー選手が記録無しに終わりました。沢野選手が日本記録に挑戦したし、末續選手がいい走りをしたので救われましたけど。
 不測の事態が起こるのがスポーツです。駅伝のアクシデントは逆に視聴率が稼げたりしますが、通常のアクシデントはイベント的にはマイナス要素。そういったリスクは当然、主催者側も考えないといけない部分です。主催者側が“こうなるだろう”という前提で演出をし過ぎると、しっぺ返しがあるということです。
 大会主催者だけでなく、大会展望記事を書く我々にとっても、他人事ではありません。陸マガで展望記事などを書くとき、どの選手も額面通りに力を出すという前提で書きます。まれに、勝負弱い選手で、その部分を指摘することはありますが、普通はこの選手は80%の力しか出せない、という予測の仕方はできませんよね。失礼になるし。
 これからマラソン・駅伝シーズン。ちょっと考えないといけないかもしれません。


◆2006年9月25日(月)
 3日連続で新横浜に。新横浜プリンスホテルで行われた日本陸連理事会後にアジア大会追加代表が発表されました。袖ヶ浦のプリンスこと、読売新聞・近藤記者も来ていました。そういえば近藤記者と寺田が一緒に、テレビ画面に映ったといいます。スーパー陸上のクレメント選手のインタビュー後だったとか。そのときは、クレメント選手を間近で見ながら、その体格について話していました。「高平選手のように長い筋肉は力を出せる」とか、どこかから仕入れた説を受け売りで話していたと思います。
 話をアジア大会代表発表に戻しましょう。一番のニュースは女子4×400 mRが福島大関係選手で占められたことでしょうか。日本選手権後の1次発表で久保倉里美選手、木田真有選手、吉田真希子選手が選ばれていて、今回丹野麻美選手と竹内昌子選手が加わりました。全員が福島大・川本和久監督の指導を受けています。この種目のエドモントン世界選手権代表だった信岡沙希重選手や杉森美保選手も選ばれているので、走らないとも言い切れませんが、本番のメンバーが川本門下生で占められるのは間違いないでしょう。
 今季の女子400 m・400 mHの状況から予想されたことで、発表の場では気づきませんでしたが、帰りの東横線の車中で気づきました。こういうケースは過去にあったのでしょうか。1980年以降であれば、メンバーを見ればだいたい所属がわかりますが、それ以前はちょっとわからないですね。リッカーや東急、日大や中大の全盛時になかったとも言い切れません。いずれにせよ、ここ四半世紀ではなかったこと。快挙と言っていいと思います。
 それをどう受け取るかは読者次第というか、指導者次第というか。福島大独走をこのまま許すのか、対策を立てるのか、努力をするのか。


◆2006年9月26日(火)
 一昨日の日記で高根沢選手のエキシビジョン非公認記録について触れたら、野口純正氏(日本を代表するスタティスティシャン)が早速、詳細を教えてくれました。
「東洋大学・マウントサンアントニオ大学対抗」という通常の競技会にオープン参加し、5m34を3回失敗。審判がまだ3回跳んでいないと勘違いしたらしく、「もう1回跳べ」と言われて、跳んだら成功。その後、5m49(18フィート)に上げて(というよりも、審判が勝手に上げたらしい)跳んだらこれもクリア。再計測してみたら、5m49ではなく「5m52」だったという記録です。
 ということです。今まできちんと調べなかった自分が恥ずかしくなりました。
 さて、このエピソードから学べることがあります。走高跳と棒高跳で選手の調子が良かったら、審判が確信犯的に間違えて、もう1回跳ばせるという手があるということ。もちろん、後で4回目だったと気づいて記録は非公認となりますが、選手に自信をつけさせることはできるわけです。インカレでは無理でも、個々の大学主催の競技会だったら、やってやれないこともない。賛否両論かと思いますが。
 そうか。別に、審判がわざと間違えなくてもいいわけですね。コーチが、「おまえ調子が良いからこのまま、5m30を跳んでみろ」と言えばいいだけのこと。試合は終わりにして、そのまま練習にすればいいわけです。えっ、そんなことはもうやってる?

 スーパー陸上を現地観戦した方からもメールをいただきました。たくさんの感想を書いてくださったのですが、いくつか紹介させてもらいます。
 まず、場内アナウンスの大音響については、寺田と同様に大きすぎたという意見です。
 次に走高跳選手の助走開始時に、大型スクリーンに手拍子を求めるアニメが出ることについて。「迷惑そうにしている走高跳選手もいた」という指摘です。確かに、選手も十人十色。好みのリズムもあるでしょう。押しつけるのはどうかと思います。その方は、スタンドに何十人かの手拍子要員を配置するのがいいと言っています。寺田も感じたことがあるのですが、あまり遠くの人まで拍手をすると、聞こえる拍手に時差が生じます。その辺を選手たちはどう感じているか、一度聞いてみたいと思っていました。でも、これは大した問題にはならないでしょう。選手側と主催者が話し合えば解決することです。
 プログラムに記録を記載する欄がないというご指摘も。原稿を書いて製作に携わった身としては、痛いところを突かれたな、と思います。以前はデイリープロ形式のものと2つに分かれていたのですが、おそらく予算の都合で1本化したのでしょう。ページ数を増やすのはたぶん無理。レイアウトで解決できるようであれば、改善するように進言しておきます。来年もプログラムの仕事をすれば、ですけど。
 400 mに観客が集中しているときに女子走幅跳で審判が白旗を出した、という指摘も。この辺はどうなのでしょうか。走幅跳がテレビ中継に収まらなかった、という不満も聞きました。進行を早めろという指示が上からあったかもしれないので、一概になんとも言えません。おそらくルールブックにもなんらかの記載があるでしょう。

 競技会運営について、改善しようという意見がよく聞かれるようになりました(寺田も以前から、表彰はレース直後に、とかいくつか言い続けています=ゴールデンゲームズin延岡方式)。しかし、現場の審判員だけで判断ができることと、上の指示を仰がないとできないことがあるようです。観客を盛り上げるには、何がいいのかの判断。選手の要望にどこまで応えたらいいのか、という判断。全ての都道府県陸協の全審判員まで、意思統一を図るのは不可能です。
 さしあたって来年の世界選手権だけ乗り切るのであれば、陸連から何人かの権限のある審判に周知徹底を図れば可能だと思います。肝心なのは世界選手権後に、運営のノウハウを全国に浸透させること。見せる大会(春季サーキットなど)と、効率よく勝敗を決める大会(県選手権や中・高校生の試合)では違いがあって当然です。陸連主導でモデル運営をいくつかのパターンで試み、それを各県に視察してもらう、というのはどうかと思っています。
 きっとO村ライターが、この案を捕捉してくれるでしょう。


◆2006年9月27日(水)
 鈴木亜由子選手の中学歴代2位、9分10秒71をトップページで触れたところ、当方の情報が少ないことを予想された方が、新聞記事をスキャニングして送信してくれました。ありがとうございます。名城大の選手3人が9分10秒台で続いたようですが、同大の米田監督も完全に脱帽している様子。本人コメントにはなっていませんが、国体の800 mで中学新を狙う、とも書いてあります。愛知県記者団と一緒に、取材させてもらう可能性大です。
 それにしても、山中美和子選手の記録に迫る中学生が現れるとは、思ってもみませんでした。“これはちょっと破れないだろう記録”の1つだと思っていましたから。佐藤恵選手の1m87とかもそうですね。1981年の記録ですが(25年前!)、中学歴代2位を10cm引き離しています。境田裕之選手の2m10は、歴代記録でいうと5cm以内に9選手がいますが、今世紀に入ってからは2m01が最高なので、これも“破れないだろう記録”になりつつあります。

 為末大選手の200 m21秒36もレベルが高かったんですね。13年間中学記録の座を守っています。もしも100年後も中学記録として残っていたら、評価はどうなるのでしょう。仮に400 mHで成迫健児選手以下続々と世界選手権・オリンピックのメダルを獲得したら(100年間で20人とか)、22世紀の為末選手は400 mHのメダリストとしてではなく、200 mの中学記録保持者として有名になっている可能性が大。
 という予想には1つ見落としがあります。エドモントン世界選手権の銅メダルが、五輪を通じても男子トラック種目初のメダルだという点です。戦後では男女を通じて初。短距離・ハードル種目では史上初。最初の1人という点は、誰が何をやってのけても越えられないわけです。
 池田久美子選手の100 mH(シニア用のほう)の13秒78も、かなり残りそうな気配。これも100年後を考えると……日本人初の7mジャンパーとして語り継がれている可能性が大ですね、と期待を込めて。

 帰宅途中、新宿駅で明後日からの出張用の切符を購入。大分の全日本実業団、神戸の国体、多治見の中部実業団選手権と11日間の出張予定です。経費補助のある仕事もあるのですが、国体が完全自腹のため、持ち出しが多くなる出張です。少しでも経費を節約するため、陸路での移動。全日本実業団と国体の間の4日間も、西日本に滞在します。
 100年後には寺田のことは誰も覚えていないと思いますが、どこかのサーバーに日記の文章が残り続けたら、貧乏ライターとして認識される可能性が大です。


◆2006年9月28日(木)
 25日の日記でアジア大会女子4×400 mRが、福島大関係選手で占められそうだと書いたところ、出口庸介先生(陸マガ執筆者の1人)が1956年のメルボルンオリンピック、男子4×100mが中大関係選手で占められていた、と調べてくれました。
 1走・潮 喬平(中大)
 2走・清藤 享(中大→熊本相銀)
 3走・田島政次(中大→富士製鉄)
 4走・赤木完次(中大)
 予選4組B42.2
 準決勝E41.3=落選

 こういったことは、ただ闇雲に調べたら時間がかかるだけ。どこを掘り下げたらわかるか、ある程度の道筋を思い浮かべることができるから、短時間で調べられるのです。陸上競技の人気が上がれば、この手の能力がもっと評価されていくでしょう。ベルリン・マラソンに出場する女子選手のデータも……これは、何でもありません。

 一昨日の最後でO村ライターに話を振りましたが(振られた方はいい迷惑ですね)、尾張の麒麟児と言われた彼でさえ、これという捕捉案はないようです。
結局は,選手,観客が積極的に発言し,運営側に伝えていくしかないんでしょう。
「観客の満足」に問題を限定するなら,通告員(場内アナウンサー)とそのサポート体
制を育てていくほうが早いと思います。多種目が同時進行する陸上では,通告員の役割が,他競技以上に重要な位置を占めるますから。

 とのこと。
 言葉の選び方が慎重ですね。この辺はさすがライターというか、専門誌関係者というか、尾張の麒麟児というか。通告は今でも、日本選手権クラスになればフィールド種目にも気を配れる体制をとっています(よね)。春季サーキットあたりだと、大物選手がピットに立っても教えてくれないことが多くあります。まずは春季サーキット・クラスの大会を盛り上げることが、今後への布石になっていくと思われます。

 昨日、アトランタ五輪代表の野村智宏選手のサイトをリンクさせていただきました(個人サイトは本人の了解をとっています)。それにしても、ホルム選手が世界ジュニアで野村選手と一緒に試合をしたことを覚えているとは。1994年のことですよ。野村選手のどんなところが、ホルム選手の脳細胞に刻印されたのでしょう。助走のラインが印象的だったのかもしれませんし、あるいは顎のラインかもしれません。「リスボンの記憶」なんてタイトルで小説にできそうなくらいのエピですね。野村選手も西濃運輸から所属を転々として、競技を続けています。このあたりの生命力というか、粘りというか、意思の強さは見習いたいもの。話していると肝がすわっているのがわかる選手です。
 今日はやはりアトランタ五輪代表だった土江寛裕選手が引退を表明。サイト(富士通)で発表するあたり、ネット世代のスプリンターらしいというか、サッカーの中田選手みたいというか。それにしても、96年の関東インカレでトップシーンに飛び出してきた体型に恵まれない選手が、その年のアトランタ五輪は勢いがあったにせよ、8年後のアテネ五輪でも代表になって4×100 mR過去最高順位の4位に。シドニー五輪落ちしたときは、ここまでやるとは予想できませんでした。日本選手権でも強かったですね。以前にも書きましたが、信岡沙希重選手もその辺を尊敬しています。
 しかし、スーパー陸上で富士通の青柳マネに聞いたら、全日本実業団で引退という話はないと言っていたのに。嘘つきマネと今度言ってやろう、と思っていたら、今季限りの引退ということで、最後の大会は田島記念と書いてありました。しっかり読みましょう。アトランタ五輪代表では、小坂田淳選手も全日本実業団で引退するそうです。
 それにしても、土江選手のラストランがなんで田島記念なんだろう。田島さんは早大じゃないし、短距離でもありません。山口県だから故郷の島根県関係者がたくさん来られる、ということでしょうか。


◆2006年9月29日(金)
 これから大分に移動します。貧乏ライターは新幹線を1本遅らせてでも、自由席で行くつもり。9月29日だけに苦肉の策…とか書いてあるのは忘れてもいいです。

 13:40に東京駅着。13:13東京発のぞみに乗りたいと考えていて、25分前にホームに行ったところ、1号車(自由席車両)の3人目という位置に並ぶことができました。車両最前列の席で電源も確保。ホームで待っている間に独身の曽輪ライターに電話。クールな口調で「大分に移動中じゃないのですか」と言われました。
 5時間弱で小倉着。9月の九州の臭いがしました……たぶん、豚骨ラーメンの臭いです。特急ソニックへの乗り換え時間が約45分。ここでも電話を2本。ソニックに乗ったのはたぶん初めてですが、ちょっとゴージャスなつくり。かなりゆったりめのシートです。車窓からの眺めはわかりませんが、九州東岸を南下。別府を過ぎたら海岸線だと思うのですが。
 ところで、九州は西海岸と東海岸では、どちらがお洒落ということになっているのでしょうか?

 2時間弱で大分着。7時間の長旅ですが、食事と電話以外はずっと原稿を書いていました。長旅という感覚はまったくなし。ちょっと道に迷って、ホテルに着いたのは20:40。1時間弱メールとネットチェックを中心に仕事。その後、ファミレスに移動して食事と仕事。
 土江選手の話も少し書きたかったのですが、時間がないので今日は、日記風に書いてみました。


◆2006年9月30日(土)
 朝、昨日の日記をパパッと書いてから九州石油ドームに。シャトルバスで大分駅前から約20分でした。大分自体、2001年別大マラソン以来で、九石ドームはもちろん初めて。ブルートラックが鮮やかです。屋根はないのですが、この写真のように梁がアーチのように架かっています。トラックの直線方向に1本、それと十字に交わるものが確か3本。初めて見るデザイン(構造)です。

 適温、微風で好記録も続出。男子200 mでは末續慎吾選手が20秒36。東海大の先輩である伊東浩司選手の大会記録を更新しました。1500mでは小林史和選手が3分38秒95と世界選手権B標準を突破。7月のナイトオブアスレチック(ベルギー)で、3分38秒台と思ったら3分39秒08で糠喜びに終わったばかり。そのシーンを直接見ていましたし、好調で臨んだ先週のスーパー陸上でも失敗したばかり。今日の標準突破は、取材しているこちらの感動も大きかったように思います。
 男子400 mHの河北尚広選手はA標準突破。利き脚と逆脚の違いをそれほど感じないという珍しい選手です。48秒台も間近でしょうか。3000mSCは越川秀宣選手が8分40秒16の自己新で優勝。ベテランの内冨恭則選手に最後まで引っ張ってもらって出た記録です。1万mWの山崎勇喜選手は長谷川体育施設入社後は無敗を続けています。
 男子走高跳は醍醐直幸選手が復帰戦を飾りました。2m21ですが、感触は悪くなさそう。走幅跳は荒川大輔選手が7m74のシーズンベストで優勝。シーズン後半は5試合連続のシーズンベストだそうです。ヨーロッパ遠征で吉田孝久氏に助走改良のヒントを与えてもらい、手応えも得ていると言います。2位に19cm差というのも強さを示しています。
 男子1万mは気温も下がり、無風と絶好のコンディション。ダビリ選手が27分04秒79のオールカマーズレコードを記録しました。

 女子では1500mの杉森美保選手が、ワゴイ選手に敗れたものの、新しいレースパターンに挑戦。1万mは福士加代子選手が独走で日本記録に挑戦。惜しくも更新できませんでしたが、国内日本人初の30分台、パフォーマンス日本歴代3位となる30分57秒90で快勝。5位(日本人2位)の杉原加代選手が、1万mの距離にも完全に対応してきた感じ。8位の松岡範子選手は6年ぶりの自己記録更新で、これはかなり珍しい例。
 400 mHの久保倉里美選手は3週連続B標準の好走。5000mW優勝の坂倉良子選手は、日本歴代4位の21分36秒41。池田久美子選手は珍しく1・2回連続ファウルで見ている側を心配させましたが、3回目の6m44で花岡麻帆選手を5cm逆転して優勝。スーパー陸上同様「足首がつまる感じ」があって、5・6回目をパスしました。

 小坂田淳選手と吉沢賢選手が今大会を最後に引退します。小坂田選手には家族から(写真)、吉沢選手には順大の先輩である山崎一彦福岡大コーチから花束が贈呈されました。小坂田選手は大阪ガスの選手たちによって胴上げもされていましたね。土江選手のラストランは田島記念ですが、全日本実業団は今日が最後(明日の100 m出場は厳しいと言っていました)、ということで最後はRaSportに抜かれてしまいましたが、リレーメンバーと記念写真
 小坂田選手と土江選手に話を聞きましたが、2人とも今年で32歳となるベテラン選手。思い出のレースも多いし、ドラマも多々経験している。生き方、競技姿勢も多方向の見方ができますし、特徴を示すエピソードにも事欠かない。こういった選手だった、と文章にするのが難しい2人だな、と感じました。

 最終種目が19:30の男子1万m。レース後に日本人トップの佐藤敦之選手と、福岡国際マラソンに燃えている藤田敦史選手の“福島あつしコンビ”に取材をしていると、20時を過ぎてしまい、記録を整理していると20:30に。21:00の最終シャトルバスで、中国新聞・山本記者と帰路に着きました。中国新聞的には明日の男子やり投は村上幸史選手vs.広島トリオという点が注目ポイント。池田康雄、室永豊文、山本一喜の3人が広島出身(3人とも中大出身)なのです。これは、日本のやり投の現状でもありますね…と思ったら、荒井謙選手がいますね。
 今日も日記風に書いてみました。


◆2006年10月1日(日)
 10月が九州でスタートしました。
 九州の東海岸と西海岸ではどちらがお洒落か、という質問を3人の九州人にしたところ、2人が「西海岸」、1人が「どちらともいえない」という回答でした。「西海岸」と答えたうちの1人は、東海岸の宮崎県出身で、現在は西海岸の某実業団スタッフです。
 東海岸の大分ですが、記者たちの間では美人が多いと評判。昨晩だったか金曜日の深夜に、「おおいた美人図鑑」とか、そんな名前のローカル番組をやっていて、立命館アジア太平洋大の選手が出演していました。来週の全日本大学女子駅伝を走ると話していましたね。そういえば20年くらい前になると思いますが、インターハイで優勝した短距離選手も美人で、専門誌史上で話題になったことがあったと記憶しています。今は某大学監督夫人です。

 さて、全日本実業団取材の2日目です(こっちがメインの話です)。かなりの雨が降っていたようですが、九石ドームは屋根の開閉ができるスタジアムこの写真は女子400 m予選)。昨日、トラックの直線方向と交わる梁の数を3本と書きましたが、5本でした。訂正します。
 好記録が出たのは男子400 m。堀籠佳宏選手が45秒88の大会新。あの苅部俊二選手の記録を更新しました。昨日の200 mでは末續選手が、あの伊東浩司選手の大会記録を更新しています。日本のスプリント陣が一回り成長した証でしょうか。
 女子5000mの那須川瑞穂選手と中村友梨香選手が、世界選手権B標準(15分24秒00)を突破。1500mで強かった那須川選手が最近はマラソンにも進出していましたが、その中間の距離で標準突破を果たしたわけです。もしかして狙い通り?
 記録はそれほどでもありませんが、男子110 mHの内藤真人選手は日本記録更新に手応えを感じている様子。2位の大橋祐二選手も、今年最も内藤選手との差が小さかったレースだそうです。

 池田久美子選手が100 mHで、久保倉里美選手が400 mで勝って、ともに2冠を達成。川本門下は相変わらずのタフネスぶりを見せてくれます。記録のレベルもまずまず。2位以下でも石野真美選手、木田真有選手、竹内昌子選手と、今季好調の選手がきっちり走っていました。
 女子800 mに勝った杉森美保選手も、前日の1500mが日本人1位でしたから、2冠に近い価値があります。2位の桑城奈苗選手が自己新を出してホッとしました。というのは、前日の1500mで4位となった同選手にフィニッシュ直後、自己新かもしれないと言ったところ、実際は届いていませんでした。トップとの差を見た印象で推測するわけですが、人間の印象というのはアテになりません。というか、軽々しく口にしてはいけないと、反省しています。

 しかし、屋根の恩恵を受けたはずのフィールド種目の記録がいまひとつ。皮肉なことに、大会新記録はスタジアム外で行われた女子ハンマー投でした。女子走高跳の青山幸選手も今季日本最高となる1m87でしたから、悪くはありません。あとは男子三段跳で復帰戦(今季第一戦)の石川和義選手が、優勝して話題となったくらいでしょうか。
 話題といえば小坂田淳選手と吉沢賢選手が引退しましたが、小坂田選手と同じ32歳の森祥紀選手は800 mで3位。今季ベストではないので年齢別日本最高ではありませんが、まだまだ頑張ると言ってくれました。今大会1・2位の鈴木尚人、笹野浩志の両選手が頑張るのは当たり前ですが、森選手がもう一度1分47秒台とかを出して、下平芳弘&横田真人の若手コンビと好勝負を展開すれば、男子中距離も盛り上がると思います。

 競技終了後にドームの屋根が開いていきました(この写真)。日本の陸上界の前途が開けていくようだと感じたと……言ったらこじつけ過ぎですかね。この写真は男子敢闘選手の表彰を受ける堀籠選手の映像をみつめる富士通・青柳マネ。特に意味はないのですが、スズキや富士通のように長距離だけでなく、一般種目にも取り組んでくれる実業団チームが増えるといいな、と思って掲載しました。


◆2006年10月2日(月)
 昨晩も早くにダウン(1:30頃)してしまったので、今朝は6:30には起床して仕事をしました。秋のシーズンもたけなわですから、それなりに忙しくさせていただいます。でも、たけなわっていうことは終わりも近いという意味でしょう。「宴もたけなわではありますが、そろそろ…」ってよく言いますから(きっと違うぞ)。寺田も仕事をそろそろ一区切りつけて、1年間は無理でも1週間の休養(充電期間)でもとって、勤続疲労を取りたいと思っていました。その間に原稿を書く技術も改良して、1週間後に仕事に復帰したら連戦連勝状態になって、外国人のケネス・マランツ記者あたりに「ナニをカエタの? オシエテよ」とか言われたりして。
 ということで、9:30に電話取材(美人ランナーに)をしたあとチェックアウト。大分駅から特急ソニックに乗って別府に向かいました。別府といえば温泉の街。そこで、1週間の休暇をとりたいなあ、と。別府は別大マラソン折り返し地点(昔はスタート&フィニッシュ)でもあります。マラソンコースの別大国道とJRは並行に走る箇所もあって、当然別府湾も眺められたりするわけです。気分はもう、78年大会の宗茂選手(2時間09分05秒6、当時の世界歴代2位)か、91年の森下広一選手(2時間08分53秒、当時初マラソン世界歴代2位)です。
 マラソンでは1時間かかる別府までの行程も、特急ソニックならわずか10分足らず。早すぎます、着くのが。休暇をとりたいと思ってはいたものの、10分足らずでは決断するまでには至らず、というか腹をくくれず、結局別府は素通りして小倉に。小倉で「伝統の味 ウニ飯弁当」を買って新幹線に乗り換えました。

 伝統の味というコピーを見て思い出したのが、昨日取材した小島茂之選手の顔。早大の選手って……という話はやめて、昨日書き忘れたネタを1つ。男子やり投は踵を痛めていた村上幸史選手が5投目に集中力を発揮して逆転優勝。中国新聞・山本記者が恐れていたように、広島出身トリオの室永豊文選手、山本一喜選手、池田康雄選手が2〜4位を独占しました(山本記者は誰かが優勝して欲しかった、できれば1〜3位を独占して欲いと考えていました)。
 昨日の日記で触れたように、荒井謙選手が広島トリオに割って入る可能性があったのに、まさかのベストエイト漏れ。今頃になって、ゼレズニー欠場ショックに襲われたのでしょうか。競技終了後にスタンドですれ違いざま取材をしたところ、技術を大幅に変えているから、というのが原因だそうです。来日しなかったゼレズニー選手型の技術をどう発展させようとしているのでしょうか。

 神戸のホテルには15時にチェックイン。15:40に電話取材を1本(これは男子選手)。1時間ほど休んでまた仕事。20:30から3本目の電話取材(美人ジャンパー)。その後外出して、吉野屋で夕食。カフェで23:30まで原稿書き。帰りに三ノ宮駅の山側から、ホテルのある海側を見ると、白亜の高層ビルの最上部に「神戸新聞」の文字が。昼間通ったときは気づきませんでした。そうか、ここが神戸新聞かと、感慨深く夜の神戸を歩きました。


◆2006年10月3日(火)
 昨日、神戸入りしたのはいいのですが、国体の陸上競技が始まるまで3日間、時間があります。これでも静岡県出身ですから、高校野球の静岡商vs.早稲田実業を見に高砂市に……行くほど閑ではありません。今日中に350行原稿の締め切りがあるのです。それにしても、静岡商の「し」の字も言わないニュース番組を2つ見ました(地元では「せいしょう」です)。完全に、報道の主体はハンカチ王子こと斎藤佑樹投手。でも、考えてみれば陸上競技も似たようなもの。例えば末續選手が優勝したニュースで、2位以下の選手名はめったに言いません。
 ハンカチ王子で思い出しました。出張中でまだ目にしていないのですが、昨日は「大学駅伝2006」の発売日。寺田は佐藤悠基選手の記事を書かせてもらいましたが、インタビュー中に斎藤佑樹投手の話を振ると、ハンカチで顔を拭う仕草を真似してくれました。「レース中にできませんよ」と言いながら。東京国際女子マラソンの初期(1回大会かも?)に活躍したジョイス・スミス選手(英)の例もあります。やってやれないことはないと思うのですが……普通はしませんね。そういうところで目立たなくても、走りで目立つことができる選手ですし。
 ところで、佐藤選手が真似をした千載一遇のシャッターチャンスを、○○カメラマンが逃したことは「勘弁してくださいよ」と言われているので、名前は伏せておきます。ちなみに高岡寿成選手のイニシャルはTTです。

 3日間、どこで原稿を書くか、が問題でした。連泊しているのでホテルの部屋に居座ることもできるのですが、14時に外出すれば掃除とベッドメイクをしてもらえます。場所を変えた方が集中力も持続できます。カフェでも探そうかと思って昼食後に三ノ宮駅近くに行くと、知り合いの静岡県の記者の方とばったり。歩いて10分くらいの所にプレスセンターがあると教えてもらいました。
 15:30頃から18:00くらいまで、プレスセンターで原稿書き。LAN接続は備え付けのPCでしかできないところが不便です。ホテルに戻る途中、フォートキシモト安部カメラマンとばったり。最近、父親が出世したと聞いたので「お父さんによろしく」と言うと、「晋三をよろしくお願いします」と返してくれました。安部と安倍で文字は違いますが、実の親子関係を隠すための細工かもしれません。そういえば昨日まで滞在した大分は、安部友恵選手の出身地でした。
 20:00に家族T氏と三ノ宮駅で待ち合わせをして、オムレツ屋で食事。彼女はJADA(日本アンチドーピング機構)の仕事で国体に来ているのでした。なんでも、今日はセイリングの会場で2人の選手にドーピング検査をしたとか。しかし、明日どこに行くのか、どうしても教えてくれません。秘密の多い夫婦です。
 21:30にはホテルに戻り、原稿書き。まだ200行も残っていますが、気持ちはラストスパート。


◆2006年10月4日(水)
 今朝も早起き。11時締め切り(本当は昨日中)の原稿を10:30に仕上げ、その後少しダウン。サイトのメンテナンスをして、14時にホテルから外出して昼食。三ノ宮は食事をできる場所が色々とあって便利です。新宿なんかも探せばあるのでしょうが、狭いエリアに固まっていません。今日行ったのは、夜はめちゃくちゃに高い創作和食の店ですけど、ランチは850円。それでも、まったく手抜きが感じられない豪華な御膳でした。
 カフェで読書をした後、プレスセンターに。静岡新聞のM記者から「陸上、始まってましたっけ?」と聞かれました。狙い通りです。陸上競技の会場でしか合わないから、違和感があるとも。メインプレスセンターは、各競技会場の情報を1箇所で入手できる場所。国体やインターハイで、寺田がメインプレスセンターに行くことはありませんから、M記者は違和感がある、とも。まあ、それも人生です(若干、意味不明)。
 違和感がないのがこの写真。全日本実業団の2日目競技終了後、大分九石ドームで電話をする岡山のSP記者こと朝日新聞・小田記者です。絵になっているというか、様になっているというか。多くの記者が屋根付き400 mトラックに驚いているなか、「僕はサッカーの取材で何度も来ています」と余裕を見せていました。今は大阪の陸上競技担当ですが、一時は福岡の陸上競技担当だったからです。

 大分→神戸で思い出しました。スーパー陸上のテレビ放映について書いておくことがありました。TBSが女子1500mの映像を放映した後(たぶん生中継画像)、日本新だった小林祐梨子選手の正式タイムを1回も報じませんでした。せっかく小林選手がいいキャラをしているのに、インタビューもなし。中距離関係者や、関西(特に兵庫)方面から非難の声が挙がって、寺田の耳にもいくつか入ってきたのです。
 TBS関係者が言い訳はできないと思うので代わりに推測すれば、目まぐるしい中継になっていたのが一番の理由でしょう。女子1500mフィニッシュ後にすぐにCMに入り、CM明けで他の種目(フィールド種目?)に切り換えられ、その後も多くの種目をさばいたりVTRを入れたりと。トラック種目とフィールド種目が同時に進行する陸上競技の中継はただでさえ大変です(ペン記者も好記録すべての取材は絶対にできません)。それに加えて、スーパー陸上は短い時間に多くの種目を行う。現場サイドもそうですが、同時進行で1つの番組にまとめる編集作業も大変なのだと想像できます。
 同局が一般の視聴者にも陸上競技を見てもらおうとしている工夫は、評価できるところです。誰かがやらないといけないし、陸上界だけではできない部分も多い。「熱闘甲子園」のネタの時にも書きましたが、競技映像だけで理解できるファンが多くて視聴率が取れるなら、誰も苦労はしません。しかし、今回のことは陸上競技の面白さを伝え損なった。一般視聴者に対してアピールするチャンスを逃しました。
 そのことを大分でTBSの人間に確認したところ、同社の会議でも一番の反省材料に挙がっていたといいます。今後は、価値のある記録はしっかりと伝えてくれるはず。一度ミスをした方が、その部分には神経を使うようになるのが普通です。

 さて、TBSといえば土江寛裕選手ですが(どういうつながりかを説明するのは困難)、引退に際して何に触れたら土江寛裕という選手の特徴を説明できるのか、わかりません。そのくらいに競技人生も長く、幅も広く、昔は走幅跳選手だったということです。ハードル選手でもあったらしいです。
 小坂田淳選手と吉沢賢選手が全日本実業団を最後に引退しました。書きたいことは山ほどある2人ですが、キーワードを探し出して、1本の記事(=流れ)にまとめました。陸マガ次号に載ります。
 土江選手について1つ確かなのは、他に類を見ないキャラだったこと。泣き虫でいじられキャラ。「僕はどんなにコケにされても平気なんです」と土江選手が話したとき、どうしたらそこまで強靱な精神力を持てるようになるのかと、驚きました。そこまで言える人って、いますか? その覚悟があるから、上の人間にもきっちり意見ができる。自分という人間をしっかりと出せるということです。
 陸マガ10月号の座談会をご覧いただければわかると思いますが、いじられキャラの部分は内藤真人選手に受け継がれて行きそうです。


◆2006年10月5日(木)
 昨晩、三宮駅前にそそり立つ神戸新聞に大原篤也記者がいたら、一緒に夕食でも食べようかと思って携帯に電話をしたところ、「本社にいます」との答え。だったら「三宮の吉野屋で」と誘うと、「本社は三宮ではありません」と言います。なんでも、2駅ほど西の方にあるのだとか。あのビルはいったいなんなのでしょう……と思ったら、記事がありました。複合商業ビルで、神戸新聞会館なのですね。そういえば熊本日日新聞社もそんな感じでした。
 ということで、ホテル近くのロイヤルホストで夕食&原稿書き。「三宮でしたら大原と言えば“付け”がききますよ」というので、レジで恐る恐る聞いてみたところ、「私どもではそのようなシステムはありません」と、丁重に断られてしまいました。

 今日も14時までホテルで仕事をして、プレスセンターに移動する途中にあった天井の高いカフェで昼食。鶏の白ワイン蒸しとなんとか。味はあっさり系でした。39ページほど読書もして、15:10にはプレスセンターに。中国新聞・山本記者も満を持して神戸入りしてきました。広島県の陸上競技は有望選手が目白押し。明日から毎晩、記者室に最後まで居残ることになるでしょう。
 山本記者は朝、高橋萌木子選手を三宮駅で見かけたとか。少年A女子100 mのレースはもう明日です。きっと、明日の時間に合わせて、サブトラにトレーニングをしに行ったのでしょう。下見や移動経路チェックは、とっくに終わらせているでしょうから。清田先生のブログにも、直前の情報が載っています。

 17:56三宮発の地下鉄で大倉山に。某カメラマン氏からCD−Rを受け取るため。今晩の夕食はカメラマングループと一緒でした。20時にプレスセンターに戻って22時まで原稿書き。ホテルに戻って、メールと本サイトのメンテナンス。ニューヨーク市場の高騰を受け、日経平均も上がっているというので株価も1カ月ぶりにチェック。もう2:22。300行原稿の締め切りですが、あと50行残っています。明日の早朝にしましょう。
 明日の注目は少年A女子100 mの他には、少年A男子棒高跳、成年女子5000mなど。予選・準決勝では成年男子400 mHと少年B女子800 mなど。見逃していけないのが少年A女子1500m予選。久保瑠里子選手が出場します。


ここが最新です
◆2006年10月6日(金)
 国体取材1日目。最初の種目の少年A女子400 mHに合わせて会場に着きましたが、色々とやることがあって、競技を見始めたのは成年男子400 mH予選から。今日は予選だけで次のラウンド(決勝)は明日なので、ミックスドゾーンに行って河北尚広選手をつかまえました。全日本実業団の際に、利き脚(踏み切り脚)が左右どちらと決まっていない話を聞きました。その点をもう少し突っ込みたかったのです。
 事情がわかりました。元々、ハードルは左脚、走幅跳は右脚で踏み切っていたのだそうです。そういう選手がいないこともない。かく言う寺田も、走幅跳は左脚、ハードルは右脚踏み切りでした。とっても下手くそでしたけど。
 その取材の際に、同選手のブログをリンクさせてもらう許可をもらいました。数日前に、香川県の女性から応援ページとブログがあることを、教えてもらっていたのです。河北選手もこのサイトのことを知っていたので、話はスムーズでした。
 実は今晩、別の大物選手のブログの存在も知りました。リンクの了解を求めるメールを出したので、先方が承諾してくれれば、明日にでもリンクが載ります。

 続いて少年A女子100 m予選と同男子100 m予選をスタンドで、神戸新聞・大原記者の隣で観戦。その後の800 m3種目は、報道控え室で書きかけの原稿を仕上げながら見ていました。川本和久研究室のOL3人の走りもしっかりチェック。13時前には、全日本実業団の原稿がやっと手を離れました。国体に集中できる態勢に。そうなると、けっこう色々なことができますよ。末續選手流の話し方をすれば、乞うご期待です。

 少年女子1500m予選から再度スタンドに。しかし、少年A男子棒高跳が5m00にバーが上がっていたので、バックスタンドに移動しました。途中で成迫健児選手に出くわしたので、同選手の故郷である大分に行った話をしました。男同士ですから、美人が多いという話もして(同意してはくれませんでしたが)、卒業後は大分に帰りたいんじゃないの? と質問。成迫選手の答えは、筑波大で練習が続けられる環境を、ということでした。就職先の企業はまだ未定です。
 懸案のつくばエクスプレスの襲名(400 mの45秒台←つくば・秋葉原間の所要時間が45分であることから)は、在学中でないといけないことを念押ししておきました。つまり、国体4日目の400 mがラストチャンスです。プレッシャーをかけていることになりますが、そのくらいでどうこうなるようだったら、この先も通用しません。

 少年A男子棒高跳は、笹瀬弘樹選手が5m31の単独高校歴代2位、高2最高記録で優勝。バックスタンドには関係者がたくさんいたので、色々と話を聞くことができました。笹瀬正樹先生、杉井将彦先生(浜松商でインターハイ総合優勝)といった直接指導にタッチしている先生方の他にも、静岡県チーム跳躍コーチの神谷晃尚先生(自己ベスト5m50)や、男女の元日本記録保持者の小林史明選手と小野真澄選手らを指導した島田さん、中学時代に笹瀬を指導した先生等々。ただ、浜松の指導者ばかりに話を聞いても客観性を欠くと思ったので、高橋卓巳先生に技術的な特徴を聞きました。
 笹瀬先生のコメントは表彰後に静岡の記者の方たちが取材をしたいと頼んでいたので、後回しにすることにして、次に神谷先生のコメントをもらいました。笹瀬先生の1つ上の学年で同じ浜松の学校。笹瀬先生の現役時代と、弘樹選手の違いを説明してもらうには、うってつけの先生です。予想通り、面白い話を聞くことができました。そしてもちろん、杉井先生にも。
 高橋先生や沢野選手のコーチである米倉照恭と話をしていて、“抜き”の高さとか、ポールの硬さ、握りの高さなどが話題になったので、笹瀬先生の現役時代を教えてもらいました。
 笹瀬先生も高校3年時に宮崎国体で優勝されているので、親子二代V。笹瀬父子の写真も何点か紹介しましょう。これは試合中のひとコマ。親子というより、意識の高い選手同士という雰囲気もありました(かなり主観的)。これは競技終了後のシーン。顔はカメラで隠れて見えませんが、陸マガ高野カメラマンが良いポジションにいます。競技中に、終わったら握手をお願いするから、と同カメラマンに耳打ちしておきました。それで良いポジションにいる…のではありません。なぜなら、寺田が笹瀬先生にお願いをする前に、自然と2人が握手をしたのです。カメラマンの嗅覚を発揮して獲得したベストポジションでしょう。これは表彰式後。静岡メディアの注文で、4人で一緒にカメラに収まってくれました。左から笹瀬先生、神谷先生、笹瀬選手、杉井先生です。全員が全国チャンピオン。



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