続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2005年7月  悪魔に魂を
寺田的陸上競技WEBトップ

最新の日記へはここをクリック

◆6月21日(火)
 昨日、インターハイ四国大会の結果が愛媛陸協のサイトに掲載されたと教えていただいたので、早速、拝見させていただきました。他の地区と同様に「○○選手が□秒□(▽m△)!」とトップページで生まれた好記録と一緒に、愛媛陸協サイトに結果が出ていることを紹介しようとしたのですが、残念ながら、これという好記録が出ていません。それで、「頑張れ、四国の選手&指導者!」と書かせていただいたわけです。
 このことで思い出したのが、近畿地区出身のある選手が「地区大会のレベルに格差がありすぎる。近畿の選手に公平にチャンスが与えられていない」と言っていたことです。確かに、以前からそれは問題視されていました。全国インターハイに出場しても、レベルの低い地区の選手は予選で落ちることが多い。予選落ちした選手が翌年活躍したり、その学校の後輩に全国大会の経験が受け継がれ、レベルアップすることもあるでしょう。しかし、全体として見た場合、地区のレベルはなかなか上がりません。
 深く考えてのことではありませんが、以前に寺田が考えたことの1つに、兵庫を四国に組み入れて、近畿を1県減らす案がありました。四国のレベルが一気に上がりますし、全国に出られなかった近畿の長距離選手も、兵庫勢がいなくなればチャンスが生まれます。四国と兵庫は淡路島をはさんで陸路が通じていますから、地理的にも最適かなと。

 この話を書くと兵庫の関係者が怒るかもしれない、と心配していました。「近畿にいてこそやり甲斐があるし、高いレベルも維持できる」とか、言う人たちもいるのではないかと思ったのです。何より、教育上よくないとか言われたら、議論になりません。
 それで今日、某誌編集部に電話をしたときに、兵庫出身のO川編集者(二枚目ハードラーの異名。一部に反対意見あり)に質問しました。そうしたら、まったく問題ないんじゃないか、との回答。兵庫関係者の多くが、地区インターハイの現状を改善するべきだと言っているそうです。その中の意見の1つ(あるいは大方の意見?)に、次のようなものがあるそうです。
 福井県と三重県を近畿地区に組み入れて、近畿地区を関東のように南北2地区に分けるという案。北近畿が福井・滋賀・京都・兵庫の4県、南近畿が三重・和歌山・奈良・大阪の4県。聞いて、なるほどと思いました。なかなかいいバランスになります。
 三重が抜けると東海地区のレベルが少し低下しますが、元々、レベルの高い地区ですし人口もそれなりに多い(愛知・岐阜・静岡で1200万人くらい)のでよしとしましょう。北信越も福井1県で支えているわけではないので、問題ないのでは? 南関東から山梨を北信越に組み込む方法もあります。

 この案だと四国のレベルが上がりませんが、四国は四方を海に囲まれた1つの島ですから、心情的にも“四国で1つ”という枠組みを維持した方がいいかもしれません。北海道のようにいつか、強い選手を次々に生み出すようになるかもしれませんし。
 ていうか、四国も昔は強かったですよね。三豊・観音寺地区の棒高跳、渡辺高博選手から短距離の伝統を引き継ぐ新居浜地区(向井裕紀弘選手とか)、投てきの今治明徳(村上幸史選手とか)、高木千晶選手や桝見咲智子選手の明善、三段跳で兵頭重徳選手&小松隆志選手を生んだ高知、そして大森輝和&三津谷祐&宮井仁美選手の長距離香川の伝統。弘山晴美選手&犬伏孝行選手&岩佐敏弘選手&市橋有里選手を生んだ徳島駅伝と、土佐礼子選手を生んだ愛媛マラソンも忘れてはいけません。
 強い四国の復活を期待します。


◆6月22日(水)
 いやぁ、昨日の日記は反響が大きかったですね。インターハイ地区大会のレベル格差について言及した内容でしたが、メールが何通も来ました。やはり、皆さん気になっていた部分なのでしょう。なおかつ、結論が「これだ」と明確にできない。だから、寺田の書いたこと自体に目新しさがあるわけでもないのに、これだけの反響があったのだと思います。
 嬉しかったのは、メールをくださった皆さんが全員、自己紹介をキチッと書いてくれていたこと。この件については特に、その人の置かれている立場や住んでいる地区などが、考え方に影響が出る要素ですからね。女子マラソンの選考のときにメールを寄こした人たちとはそこが決定的に違いました。まあ、いい加減なファンが多いというのも、メジャーであることを証明しているのですが。

 いただいたメールの中から、いくつかの考え方を紹介しましょう。

@高校生段階では都心部のレベルが高くなるが、ナショナルチームのレベルで考えたときに高校生の時ほど差が出るものなのか? 高校のとき無理をしないで全国区に行けたことで伸びた選手も、逆に無理をして高校のときは強かったのに、消えた選手もいる。何がいいかはわかりませんが。

 もっともな意見です。四国出身のナショナルチーム経験者からのメールということもあり、説得力があります。確かに、オリンピックや世界選手権代表選手の出身高校を見ると、インターハイの地区バランスと同じではない。一時期、そうですね、10年くらい前には、明らかに名門高校出身の日本代表は少なかったと思います。400 mHの苅部俊二・斎藤嘉彦・山崎一彦のトリオが活躍していた時期とかですね。
 レベルが高くなればなるほど、精神的な部分も含めて個人の能力の占める割合が高くなりますから、頑張っているチームの中に身を置くだけで強くなれるわけではありません。このメールで指摘されていることは、確かな傾向だと思います。
 しかし、その後、ここ10年くらいは名門高校出身選手の代表に占める割合が増えています。これは、名門高校OB選手の意識が上がったからではないかと、推測しています。高校で終わってしまってどうするんだ、という意欲ですね。取材をしていても、それを感じることが多くなりました。高野進&山崎一彦選手の決勝進出以降、「やればできる」「世界で戦ってこそ」という感覚を、一般種目の選手たちが持つようになったことも影響しているかもしれません。

A高校生のレベルの割には、世界選手権やオリンピックに出てる選手が多い。高校時代はのびのび育っているのかもしれない。向井選手や石川選手、渡邉容史選手らと近い世代だが、ホントに楽しくやっていた。また、強い選手が少ないから、注目されれば、サポートしてくれる人の数も多い。

 これも四国(愛媛)の方からで、@と同じ指摘。上に述べた理由で、四国に限ったことではなく、他の地区にも当てはまることだと思います。
 ここで1つ指摘させていただきます。レベルの高い地区で、高校時代に全国大会に出られなかった選手で、その後、頑張っている選手もいる、ということです(細川道隆選手とか)。素材的にはいいものを持っているのに、名門校ほどの練習を高校時代にできず、地区のレベルも高くて全国大会に出られない。それで、進学先の選択肢が狭くなり、いい指導者との出会いもなく、消えていってしまう例です。細川選手のように頑張れる選手の方が少数派でしょう。
 マスコミ的には、弱い地区から代表選手が生まれると注目しがちです。これは結果が出ているから取り上げやすいのですが、レベルの高い地区で埋もれてしまった選手が、細川選手のような例を見れば見るほど、確実にいるのだろうと感じます。メールは来ませんでしたがきっと、近畿地区の関係者はそう思っていると思うのです。どちらの人数が多い少ないというところまでは、こうだと断定できる判断材料はありません。@のメールの方が最後に書いている「何がいいのかわかりませんが」というのも、そういった特定できない要素がスポーツには多いことを言っているのでしょう。

B機会均等ということなら、無理に地区をいじらなくても、5年に一回くらい高校上位100傑から各地区選手の割合を算出して、それに応じて枠を配分すればいいでしょう。この場合、考え方としては選挙の区割りと同じですから。「比例代表」、これが一番平等なやり方だともいます。地区をいじっちゃうと、その後の人口、レベル変動によってまた変えなくてはならない日がやってきますからね。

C私の案は『全日本中学みたいに標準記録を設け、突破した選手は無条件に出られる』というものです。標準記録は例えば、前年度のインターハイで6位相当の記録など・・・。


 昨日、地区の県構成を変える話を書いておいてなんですが、ご指摘通り、地区構成は安易にいじらない方がいいと思います。その方が、アイデンティティーが生じるというか、関係者が“この地区を強くするんだ”という気持ちが強くなります。ちょっとレベルの不均衡が生じたからとその都度変更していたら、地区としての誇りを持てなくなります。不均衡の是正は、システムの変更よりも、各地区の努力によってなされるのが理想でしょう。
 標準記録制の話とも関わる部分ですが、インターハイは1種目66人の参加人数で、標準記録制の日本選手権や日本インカレよりも大人数が参加する大会(標準記録制の全日中は多いですけど)。最低でも1地区6人は必ず出られますから、全国トップクラスの力があれば地区で落ちるわけではない。だったら、地区による“多少のアンバランスが生じてもいいじゃないか”、というスタンスなのです。
 レベルの高い地域の関係者からは不満が出る部分ですが、メリットもあります。前述の地区としての意識を強く持てることや、昨日も書いたように、全国大会の経験を持ち帰れること、そして@Aのご意見の部分。社会的にも、全国大会出場選手がその地区に必ず一定人数いるということは、陸上競技の普及を考えたときにはプラスでしょう。でも、これだけの理由では、レベルの高い地区の関係者は納得できないかもしれませんね。それで昨日、あのように書いたのですが。

D私は競歩を専門にしていたのですが、競歩は県・地域の格差が特に大きいと感じました。ある県では入賞できなくても他の県では優勝、ということが珍しくありません。このようなことが起こるのはやはり、競歩が全国に浸透しきっていない証拠といえるでしょう。
 トップ選手のレベルを上げるだけであれば、局地的に有力選手が集まり、普段から切磋琢磨するほうが効果的かもしれません。しかし、競歩の長期的・広範的な発展という視野からは、全国で競歩が行われるほうが良いと思います。
 埼玉では一昨年秋から昨年夏にかけて、熊谷女子高の日下部先生(立命館大の三村選手を指導された方です)の下で、月2回、県内の有志が集まっての練習会が行われていました。これにより、埼玉の競歩のレベルは飛躍的に向上したと思います。
(県総体までに、前年の新人戦の優勝タイムを10人ほどが上回りました)


 前向きなご意見、ありがとうございました。システムがこうだから、と論じることも大事ですが、論じている間に現場レベルでできることはやっていく。競技に関わっていく者として“だったらどうするか”という姿勢が大事だと教えらたメールです。最後は、きれいに締めましたね。


◆6月24日(金)
 弱音は吐きたくないのですが、無理なときもあります。今日、先日取材させてもらった重川材木店の原稿を書き上げましたが、これも予定より数日遅れています(日曜日か月曜日に本サイトに掲載予定)。現在の状況を鑑みて、断腸の思いで某社宣伝部と某誌編集部に電話をしました。
「日曜日の締め切り、もうちょっと先に延ばしてもらえないでしょうか?」
 そんなに、いつもあることじゃないんですよ。ときどき、です。本当に、ときどき。
 夜になって、今日が締め切りの予定でいた、某出版社が請け負っている某社パンフレットの原稿も、7月の頭が真の締め切りと判明。ちょっと気が楽になりました。でも、ちょっと待ってください。来週は火曜日が朝から夕方まで用事が入っていて、水・木が北海道出張(どないしようか悩んでいたホクレンDistance Challenge 2005深川大会取材に行きます)。そこで、5ページものの人物取材。金曜日からは日本インカレ。締め切りを先に延ばしても、苦しくなるだけかも?

 ということで、6月は頑張ろうと思っていた日記も途切れがち。ときどき日記と銘打ってはいますが、きちんと毎日書かれているのが、川本和久先生の「オヤジのときどき日記/アジアグランプリ編」。今回は吉田真希子、久保倉里美、丹野麻美の3選手のアジア・グランプリ遠征に帯同されているわけですが、各選手のキャラクターを実に上手く書き分けています。というより、川本先生が色を付けて面白くしているのかも。さすがに丹野選手までお笑いキャラにはできないようですが、行動の描写や写真の絵柄で、ある要素を一貫して出しているような気がします。川本先生は否定されるでしょうけど。
 川本先生のパソコンからのネット接続が不調のため、今回の日記は吉田選手がアップしているとのこと。その吉田選手の行動がまた、そこはかとなく面白い。お笑い芸人が笑いを取る面白さでなく、一生懸命なところに吉田選手らしさが滲み出ているというか、なんといったらいいのか難しいのですが…。ネットの接続をホテルに交渉したり、スーツケースが重量オーバーしたりと、そのシーンが想像できてしまうのです。
 しかし、吉田選手からの最初のメールには、「今回はお笑いネタでなく、競技でネタを提供したい」と、書いてありました。第2戦では56秒67の今季日本最高をマークし、前述の言葉を実現しそうな予感がしていました。そして、期待された第3戦後に来たメールには、「詳細は川本先生が解説してくださると思いますが、アクシデントに巻き込まれてしまいました・・。久保倉は自己新56秒58で惜しくも標準突破ならず、丹野はセカンドの52秒16といい出来でした。要するに、そのベストコンディションを逃してしまったのが残念です」との記述が。
 ということで、詳しくは明日あたりにアップされる「オヤジのときどき日記/アジアグランプリ編」で。でも、日記はあくまでボランティア。絶対に載ると期待して待つのはよくありません。

 ICHIROの不調と呼応するかのように、ISHIRO!のサイトも更新がありません(ここもボランティア)。どうやら忙しいようです。でも、為末大の「ハードラー進化論」の宣伝は、毎日新聞新聞記者としての義務のようです。インターハイ地区大会のレベル格差についても、関係者をウーンと唸らせる案を話してくれました。具体的には長いので明日。


◆6月28日(火)
 今日は午前中に取材、3時間ほど空き時間があって、また取材。空き時間は昼食を除くと約2時間。1時間食べているのでなく、どこの店で食べるのか、初めての場所だと探すのに時間がかかるのです。原稿を書く店を探すのにも手間取ったりすると、どんどん時間が少なくなっていきます。それでも、昨晩から取りかかっていたある原稿の手直し作業を終わらせました。
 17時前には新宿の作業部屋に戻りました。明日はホクレンDistance Challenge 2005の深川大会の取材に行くので、まずはその準備……に、結構、時間を費やしてしまいました。厳密には大会の取材じゃないのですけど、レースも楽しみです。杉森美保・宗由香利・早狩実紀選手の出る女子1500m、佐藤敦之・瀬戸智弘・大野龍二・三津谷祐・中村悠希選手たちの男子1万mなど、かなり面白くなりそう。
 ちょっと以前ですが、クリール8月号が届きました。「私はこうして速くなった」という企画があって、8月号は日本選手権で主に取材した選手が登場しています。こういった大上段に構えたテーマだとなかなか答えにくいものですが、そこはインタビュアーの腕でしょう。1人200字ほどの分量ですから、多くを語ってもらうことはできません。でも、逆に少ないから、核心に迫った部分を、選手も知らずに話してしまっているかも。
 宗選手、早狩選手、加納由理選手、中村選手、尾田賢典選手と明日、ホクレン深川大会にエントリーしている選手も多いので、コピーして持参することに。

 マガジンハウスから出版された「100m末續慎吾」も、運よく入手することができました。末續選手の写真集が出たことは知っていたのですが、配本冊数がそれほど多くないのか、書店をいくつか回ったのですが…。確かに、写真中心のつくりなのですが、文章もそれなりに掲載されていて、末續選手の足跡を思い出して頭の中を整理するのに役立ちました。「高野進責任編集」と強調していますから、これは、下手な書き手が勘違いして書いていたり、推測で書かれた類の情報じゃないってことです。
 タイトルに「100m」と着けられているところにも、師弟のこだわりが見て取れます。銅メダルを取った200 mではなく100 m。アテネ五輪の2次予選で落ちても100 m。昨年来、繰り返し紹介されているように、純粋に速く走ることに憧れた末續選手の原点へのこだわりなのでしょうが、こうして出版物のタイトルにまで強調してつけるのは、あくまで挑戦する姿勢を崩さないぞ、という意思表示のようにも思います。これは、寺田の推測ですけど。

 クリール8月号に話を戻します。寺田が大好きなのが水城昭彦氏の「LEGEND 伝説のランナーたち」のコーナー。今月は宗猛選手(現旭化成監督)の3回目ですが、その中でロス五輪(1984年)の4位の賞状を、押し入れの奥に無造作にしまい込んだ話が紹介されています。「ずっとメダルを目標にしていたから、嬉しくも何ともなかった」と。
 しかし、その賞状を押し入れから引っ張り出したのが、4年後のソウル五輪で中山竹通選手(現愛知製鋼監督)が4位になったときだったそうです。中山選手のすごさを一緒に走って思い知らされていた宗猛選手は、「あの中山と同じ4位か」と、自身の成績を見直した。ソウル五輪の選考会を境に、宗兄弟は指導者の仕事が中心になっていましたから、そういう心境になれたのかもしれません。

 トップ選手というのはそういうものなのだと思います。現役でいるうちには、上の目標に向かって行きたい、新しいことにチャレンジしたいと考える。自身が達成したことに「すごかったなあ」と、満足したりしない。満足したら、前に進むモチベーションが低くなってしまいます。末續選手も100 mでメダルを取れる保証なんてこれっぽっちもないのに、挑戦しないでは自身が納得できない。
 2000年前後の室伏広治選手は「80mを投げるのって、本当に大変なことなんです。色んな条件が噛み合って初めて投げられる。奇跡のようなものですよ」と、口にしていたことがあります。これは客観的に、そういう見方をして欲しいと記者たちに話したのでしょう。その室伏選手が金メダルを取った今、その価値の高さや、どんな苦労が必要なのか、という部分はまったく口にしません。客観的な評価は他人や世間に任せて、本人は“次のこと”だけを見ている。自身の技術であったり、世界記録だったり。
 野口みずき選手も高橋尚子選手も、そうでしょう。為末大選手も。メダリストが自身のメダルの価値を正当に評価しないのは、“正当な”という言葉自体、客観視している第三者の価値観を表現しているから。メダリストが自身のメダルを周囲よりも高く評価しないのは、主観的に“正当な”判断をしているからです。
 6月10日の日記で、高橋尚子選手に対して“いい走りができなかったら引退か”という見方が、世間にあることを書きました。これも、世間の金メダルに対する勝手な思い込み。それを第三者は、自分は客観的だから正しい価値観だと思い込んでしまう(ときどき、世間のこういう価値観に流されてしまう選手もいます)。きっと、高橋尚子選手の金メダルに対して世間が感じている価値と、高橋尚子選手自身が金メダルに感じている価値は違うのだと思います…………こんなこと誰でもわかってる、かな?。


◆6月29日(水)
「いいもん見せてもらったわ」「記者になってよかった」
 岡山のSP記者こと、朝日新聞西部のO田記者が、旭川への帰りの車中で何度も繰り返しました。深川で行われたホクレンDistance Challenge 2005第4戦の取材を振り返っての感想です。福岡にいる記者だけに、トヨタ自動車九州を取材する機会も多く、感動が大きかったのだと思われます。
 感動という点なら、寺田も人後に落ちないつもりです。レースはフィニッシュ地点でラップを計測しながら見ていました。気温は12〜13℃とめちゃくちゃ寒かったのですが、6000m付近から寒さを忘れました。すぐ側では、トヨタ自動車九州の森下広一監督が檄を飛ばしています。
 普通だったら記者として、そのチームの関係者が近くにいたら、「行ける」とか「1秒落ちた」とか「残り○○mを○分○秒」というコメントは最小限に抑えます。しかし、6000m、7000mと進むと、こちらも興奮してきて我を忘れてきます。8000mあたりで「よし、出せる。絶対だ」とか叫んでいました。
 競り合っている日本選手がいれば、また別の状況だったのでしょうが、4800m手前からワンジル選手とのマッチレースとなり、焦点は選考問題渦中の三津谷祐選手のA標準突破に絞られました。三津谷選手がA標準を突破すれば、大森輝和選手と2人とも世界選手権代表になれる。心情的に応援して当然だったと思います。

 森下監督が「サムエル抑えろ。68(秒)でもいい」と指示を出します。純粋にイーヴンペース的に計算したら、遅くなったらまずいペースでしたが、ラストで切り換えができるのが三津谷選手。仮に、ラスト1周が60秒で走れるとしたら、7000〜8000mで1周1〜1.5秒遅くしても、そこで“タメ”を作った方がいい。
 それは、ちょっと長距離を知っている人なら誰でもわかることなのに、隣のO田記者に向かって叫ぶように説明してしまいました。タメを作った三津谷選手は、8000mを過ぎてペースを戻します。このあたりから脚勢も感じられて、もう絶対に大丈夫だと思いました。400 m毎のラップも紹介したいですね。
 フィニッシュ地点には大森選手も待ちかまえていました。当初の情報では、大森選手は宿舎に戻り、松浦監督だけが観戦すると聞いていたのです。だから、「何1000mでグラウンドに来たの? 何mで監督から電話をもらった?」と、質問して大森選手を戸惑わせてしまいました。実際は、大森選手もレース中ずっと観戦&応援していたのです。
 フィニッシュ後の2選手の感動の仕方が、ちょっと質が違っていました。それは、記事にも書いたように、実際に走った選手と、応援していた選手の違いだったと思います。昨日の日記に書いたこととも似ていますが、走った三津谷選手は絶対にA標準を切るつもりでいました。応援に回った大森選手は、A標準は正直厳しいのではないかと考えていました。その差が、ウルウル系の感動(大森選手)と、さわやか&やったぞ系の感動(三津谷選手)の違いになったと思います。

 初めてのホクレンDistance Challengeの取材、感動的なレース、最後にはNISHIの方を通じて余ったお弁当までいただき、「寒かったけど、いい一日だったな」という余韻に浸りながら旭川のホテルに戻りました。しかし、部屋でメールをチェックすると、またぞろ選考に関するメールが数通。地区インターハイに関するメールは、送信者の皆さんがそれなりにしっかりした考えを持っていると感じましたが、選考問題の送信者の方たちはどうも…。知識の浅さから生じるものは仕方ないとして、よくない勘違いもあったりしたので、時間ができたら取り上げさせていただきます。
 おっと、ISHIRO記者の地区インターハイに関する考えも、掲載しなくては。
 しかし、日記まで書いてしまいましたね。今日の記事は、大森選手のコメントを紹介するだけでいいかな、と思っていたのですが。今日の日記は比較的速く書けた方なのですが、それでも、抱えている原稿の多さを考えると…。昨日、旭川の生んだスーパー編集者こと陸マガ秋山君が「大丈夫ですか?」と心配してくれました。陸マガだけで、膨大な原稿を抱えています。冷静に判断して、日記なんかを書いている場合じゃないのですが、今日の内容だったら、仕事原稿にも勢いがつくと判断しました。それに、いざとなったら寺田には奥の手があるのです。
 文字にすると、ちょっと刺激が強すぎるというか、誤解を招くかもしれないので、例によって「18禁」と断りを書いてから紹介することにします。


◆6月30日(木)
 本日は北海道某所で取材。昨日はO田記者への対抗意識もあって三津谷祐選手と大森輝和選手のダブル代表決定に感動してしましたが、今回の出張は今日の某女子選手への取材がメインでした(某女子選手といっても棒高跳の選手ではありません。昨日は、旭川から棒女子選手へ電話しましたが)。昨日、あれだけのレースを見せられると今日の取材がどうかな、と若干の懸念もありましたが、どうしてどうして、今日もまた、すごい話を聞くことができました。それなりに予習もできていて、期待はしていましたが、期待以上の面白さでした。昨日はレース&代表選考、今日は人物ものということで、性質は違って比べられませんが、甲乙付けがたいくらいにすごかった。
 O田記者ではありませんが「記者をやっていたよかった」と思いました。ただ、ここまですごいと思える話だと書くのも大変です。それが仕事? それは、そうなのですが……選手だってすごい記録を出すときは大変ですよね。ちょっと都合のいい理屈です。良い子は真似しないように。
 撮影担当はお馴染みの高野徹カメラマン。陸上取材の“TT最強コンビ”です。“最強TTコンビ”と書くと、「オマエらそんなにすごいのか」と言われてしまうので、TTコンビの中では最強、という表現にとどめました。陸マガ次号の某選手5ページ企画は、写真も期待してください。

 帰りがけ、某チームの選手たちの前で急きょ、ひとこと挨拶する展開に。緊張しました。失言もしてしまって……冷静さを欠いていたというか、頭が回らなかったというか。次の機会に挽回しないと。
 帰りは空港まで、高野カメラマンの運転するレンタカーで移動。高野カメラマンと児玉編集長がしきりに、古いカーナビと実際の道順の検証で苦労しているのをしり目に、後部座席で熟睡。実は寝不足……じゃなくて、感動疲れですね。空港では原稿を20行1本と40行1本、書きました。機中では、今日の取材ノートを読み返して、考えを整理。東京に着くと、湿気に圧倒されました。今日の取材でお邪魔した旅館が、長距離チームの予約でいっぱいなのも肯けます。

 選考問題に関するメールと、ISHIRO記者の地区インターハイに関する考えと、「18禁」ネタは明日以降に。明日からの日本インカレは、全日程行くのは厳しそう。


◆7月1日(金)
 今日は朝の9時に都内で仕事。その後、日本インカレ取材のため国立競技場に行きたかったのですが、どうしても今日提出しないといけない原稿があって、泣く泣くあきらめました。何日も前から締め切りはわかっていたことで、昨日までに書けなかった自分が悪いのですが。スタンドのプレス席から競技を見ながら原稿を書く、ということも時々やりますが、今日の締め切りは、そんな半端な書き方ではとても間に合いそうにありませんでした(編集者時代はよく、優勝者名鑑のコメントとかスタンドで書いていましたね)。
 なんとか書き終えたのが18時。男子1万mに間に合う時間でしたが、寝不足気味ということと、明日以降も締め切りが続くことを考えて、取材に行くのは控えた次第です。でも、1万m見たかったですね。佐藤悠基選手の走り。東海大がワンツーですか。どうしようもなかったですけど、残念でした。

 昨日取材した原稿を少しでも書き始めたいのですが、男子1万mの選考問題についていただいたメールに関して言及したいと思います。基本的に冷血漢(レイケツカン)ですから、少しの誤解なら放っておくのですが、ちょっと書いた方がいいと感じた点があります。

メール@ 大森選手と三津谷選手のことに感動したとのことですが、陸連の措置が結果的に良かったと肯定しているのですか?

 陸連の選考やその後の処置が良かったとは、ひと言も書いていないのですが…。余分なプレッシャーを受ける状況の中で、それをはねのけて素晴らしい走りをした三津谷選手に感動したのです。今回の結果で、明文化した選考基準を覆した陸連の非が、結果オーライの雰囲気になったらよくない、というのは誰でも思うことでしょう。現地でも、そういう声は何回も耳にしました。わざわざ、断りを書くようなことでもないと思ったのですが…。
 陸上の人気を高める必要があると書いたときにも、ちょと誤解をされている方がいました。寺田のこのサイトは、陸上競技経験者をもう一度、競技会のスタンドに戻すためにやっている、と書いたら「寺田さんはOBを重視しているようですが、私はもっと一般の人に……」というメールをいただきました。
 理想は一般の人たちにも陸上競技の面白さを理解してもらうことですが、自分が今、何ができるかを考えたとき、OBを対象に頑張る方が効率がいいということです。このサイトが、一般の人の目に触れることはないですよね。一般の人が見るテレビや新聞など一般メディアにも、協力していますよ。できることはやっているつもりです……が、努力が足りないことは認めます。
 万人の理解を得られる書き方って、難しいですね。誤解されるのも自分の能力不足ゆえ。と、己の無力さに身がつまされる寺田です。

メールA 陸連は爆発的な能力を秘める若さと、将来性とで、1度は三津谷くんに決めたのではないでしょうか? 私は陸連に一票です。

 どちらが強いか、という問題ではありません。と、選考問題が顕在化したとき一番最初に書きましたよね。あくまでも、陸連が選考システムを無視したことに対する非難です。今後、三津谷選手がどんなに活躍しても、一度決めたシステムをレース後に覆して、代表を目指す選手たちの努力をないがしろにした陸連の姿勢は、許されるものではありません。それとこれとは別、っていうやつですね。
 アテネ五輪の女子マラソン選考の際にも感じたことですが、選考問題を口にする人の何割かは“どちらが強いか”を論じたいだけのような気がします。寺田が選考方針の問題だったと書いても、「高橋選手の方が強い」というメールが相次ぎました。万人の理解を得られる書き方って…(同上)。

メールB 規定通りに陸連が大森選手を選んでいたら、マスコミは「日本選手権の優勝者が代表にならないのはおかしい」と書くのではないですか。日本選手権の重みを強調する寺田さんも、そうするのではないですか。

 そう書いたらいけないのですか、と逆に質問したくなります。ある決定がされて、その決定システムがおかしいと感じたら、次からこう変えましょう、改善しましょうと議論をすることのどこがいけないのでしょうか。“どちらが強いか”論には食傷気味ですが、マスコミや世論が選考システムに関して論じること自体は、前向きなことです。
 マスコミが代表決定システムを批判をすることと、決定権を持つ組織が選考システムを間違って適用することを混同した意見です。なんでも、どこかのサイト(掲示板?)で陸上知識が豊富な方も、同じ意見を書いているとか。マスコミと陸連の立場の違いが、わかっていないんじゃないでしょうか。なんでもかんでも、陸上界で1つの意見に統一しなければいけない、という意識が強いのでしょう。気持ちはわかりますけど。

 弁解じみたことを書くのって、疲れます。“日本選手権の重み”に関しても、寺田が感じている日本選手権の重みと、世間や陸連の方が口にする日本選手権の重みは、違いがあるように感じています。これを書くとまた長くなるので、気が向いたらということで。


◆7月2日(土)
 日本インカレを取材。月曜日締め切りの行数(700行くらい?)を考えると寝付きならぬ取材付きが悪いのですが、まあ、奥の手がありますから。
 東京陸協の報道受付は箱根駅伝解説でお馴染みの碓井哲雄さん。取材に来る記者の少なさを指摘されていました。例年のことですが、札幌ハーフに大物選手が出ると、どうしても同じ日程の大会には、記者が来られません。明日の札幌には、五輪メダリストや、8月の世界選手権代表がかなり出ますからね。
 碓井さんがもう1つ、嘆いていたことがあります。それは、母校・中大の低迷ぶり。確かに、男子は2日目終了時点でたったの3点。全盛時に在籍したOBとしては、信じられない思いだったに違いありません。

 日本インカレは、どこかに記事を書く仕事はありませんが、明日はインカレ会場で重要な取材があります。TBSと陸マガのタイアップ記事で、某監督と現地レポーターをつとめる山縣苑子さんの取材。その段取りをしました。
 それとは別に、三重の二枚目助教授こと三重大の杉田監督にも、連絡することがありました。ウォーミングアップ場でキョロキョロしていたら、運よく向こうから声をかけてくれました。一番の用事はすぐに済んだのですが、寺田から1つ提案をさせてもらいました。それは、先日北海道で取材させてもらった選手が、故障らしい故障は1回だけという、信じられない少なさだったので、陸連科学委員会で分析したらどうかという内容の提案です。
 その話をきっかけに、トレーニング方法について突っ込んだ話し合いが展開しました。具体的に書いてもいいのですが……そうですね、現状は2つの方向のトレーニングばかりが重視されていますが、第3の方向をもっと重視しないと行き詰まる、という感じです。
 しかし、その理論に説得力を持たせるには、何よりも結果が大事。世の中、顔が良いだけでは通用しません。写真を撮らせてもらったら、偶然にも福島大・川本和久監督が後方に写っていました。地方の大学でゼロからスタートして、今日のような隆盛を築いた川本・福島大が目標です。二枚目助教授はイバラの道を進む覚悟をしています。

 最近、奥村愛子のCDをパソコンに録音して、よく聞いています。記者室で記録を集めている某専門誌のO村ライターに「奥村愛子との関係は?」と質問すると、「誰ですか? 奥村チヨなら知っていますが」というリアクションに困る返事。しかし、地区インターハイのレベル格差に関する、O村ライターの解決策は素晴らしかったです。これは、マジで一考に値すると思いました(「一考する」の主語は???)。そのうち紹介しましょう。

 日本インカレの記事を書く予定はありませんが、世界選手権の展望記事を陸マガに書きますから、世界選手権代表選手や、追加代表になりそうな選手は取材します。取材したら記事も書かないと、ということで男子100 m110 mHの記事を書きました。野口純正氏からさっそく、「向かい風1.3mの10秒33は、B標準どころかA標準の10秒21に相当する」というメールが来ました。佐分選手の身長と体重から投影面積という部分も考慮しての計算法だそうです。だったらなおのこと、ケガのことが気になります。
 すみません。一番肝心の女子4×100 mR学生新6連覇の写真を紹介するのを忘れていました。「学生新とすぐに気づきましたけど、福島大新とは気づきませんでした」と川本先生に言ったら、「わざとらしくボケなくていいよ」、と言われました。

 色々な人と話ができて、充実した一日でした。その分、原稿が……。


◆7月3日(日)
 国立競技場で日本インカレの取材。というよりも、インカレ会場で陸マガ次号のTBSタイアップ記事用の取材です。
 まずは、新人リポーターの山縣苑子さんの写真を撮影しようと、代表の成迫健児選手の400 mHレース終了後に、ミックスドゾーンで2人が接触するシーンを抑えました。成迫選手のコメントは聞けませんでしたが、タッチダウンタイムはしっかり計測したので、その分析をして記事にできそう。ただ、ミックスゾーンが暗かったので、誌面への掲載は、閉会式終了後に高平慎士選手と撮ったツーショットになりそうです。成迫選手、ゴメンなさい。
 続いて、法大・苅部俊二監督の写真を第4コーナー最上段のスタンドで撮影。国立競技場は苅部監督が世界選手権に初出場した東京大会の会場でもあります。14年前の思い出も少し話してくれましたが、「そうだったんだ?」というネタも出てきます。苅部監督に限らず、時間が経ってから当事者にその時を思い出してもらうと、結構面白い話が出てきそうですね。
 再度、山縣さんのもとに移動して、表情のアップを数点撮影(掲載できるかな?)。笑顔が印象的で、本人も表情豊かなところを自身のチャームポイントに挙げています。でも、真剣な表情も、矢田亜希子ばりでなかなかいけると思います。あの鈴木専哉選手や山下徹也選手を生んだ磐田南高の陸上部出身。インタビュー取材も、かなり面白い話が聞くことができました。
 テレビのリポーターになるには、昨日の三重の二枚目助教授ではありませんが、容姿だけでなく努力も必要ですし、そういったポジションに飛び込む勇気も必要。陸上競技経験者が、そういう立場になったのは嬉しく思います。ちょっと前の日記でも触れた話題ですが、世間一般に陸上競技の面白さを広めることができるかもしれないのが山縣さんのポジション。こちらができることがあれば、積極的に協力したいと思っています。
 ところで、出身地は寺田が袋井で山縣さんが磐田。取材をアテンドしてくれたTBSの萩野瞳さんが浜松の出身(浜松市立高で砲丸投選手。東海大会出場)。今まで仕事をして、浜松出身の方には何度もお会いしましたが、袋井・磐田・浜松と隣り合う3市の出身者が揃うことはありませんでした。とっても珍しいケース。今後も、まずないのではないでしょうか。

 女子200 mでは丹野麻美選手が23秒73の学生新。昨日の4×100 mRの学生新もそうでしたが、今回は原稿を書かないということもあって、ほとんど取材をしませんでした。これはいけないと思い、4×400 mR終了後には話を聞かせてもらった次第です。世界選手権展望関係で、絶対に触れないといけない選手ですから。
 今季の丹野選手は、特に日本選手権からですが、前半からスピードを上げることに成功しています。昨年までは、1人だとそれができませんでした。吉田真希子選手や外国選手たちに引っ張ってもらえたときにしかできなかった。それで、川本和久先生が命名したのが小判鮫走法。小判鮫は鮫ではなくて魚ですが、この“鮫”という文字が、丹野選手のイメージに合わないと個人的には思っていました。しかしもう、現状は走り自体が“小判鮫”ではなくなっています。そこで昨日、川本先生に「新しい走法の名前を考えておいてください」と依頼しました。
 他人任せもどうかと思い、寺田も一応考えました。“ひとりで前半から行くのもタンノしい走法”です。それを丹野選手に打診。「ダメです」と言わないところが、さすが大和撫子。念のために「他の選手たちからヒンシュク買うかな?」と確認すると、「そうかもしれません」。やんわりと否定されてしまったわけです。
 川本先生が披露してくれた新ネーミングは“和ちゃんスペシャル2”。うーん。これはこれで、歴史的な背景も踏まえていて、とっても奥も深いのですが、なんのことか理解するには長い説明が必要です。どなたか、いいネーミングの浮かんだ方は、メールをください。


◆7月4日(月)
 山縣さんと苅部監督の原稿は昨晩中に書き上げ、今日は、30日に北海道で取材した女子選手の原稿をひたすら書きました。予定では450行。久々の人物もの大作で気合いが入っています。気合いで済んでいるうちはいいのですが…。
 というのも、今週の寺田はものすごい量の原稿を抱えています。陸マガだけで上述の450行が1本、明日取材の人物ものが200行、そしてもう1本450行があるのでトータル1100行!! その他に、テレビ雑誌で1本、タイアップ記事は…昨日書いたか。先週、心配した陸マガのA山編集者が、思わず「大丈夫ですか?」と聞いてきたので、寺田は次のように答えました。
「いざとなったら、奥の手がある。悪魔に魂を売るんだよ」

 ドーピングに相当することをやるのか、と思った方もいるかもしれません。さにあらず。これはもちろん、ゲーテの「ファウスト」のことを言っているのです。そこをすぐ理解して「ファウスト博士とメフィストフェレスのことですね」と言ってくるあたり、A山編集者はすごい。さすが、心理学科出身。こちらの考えていることを、すぐさま見通してくれました。
 ファウスト博士は悪魔に魂を売るのと引き換えに、若さを手に入れます。そして、現在はできないはずのことを行なって――というのが粗筋です。それと寺田の置かれている状況と、どんな関係があるのか。要するに、自分の中で特殊な心理状況をつくって、ひたすら原稿に集中してパフォーマンスを高めるための方法として、「悪魔に魂を売れば何行でも書ける」と、思い込むのです。そうやって今週を乗りきろうというか、そういった感じですね。ファウスト博士も悪い人じゃなくて、まあ、彼をどう解釈するかは、読み手側の考え方によって変わってくると思うのですが。

 今日は原稿を書くのと並行して、明日の取材準備もしました。愛用の0.5ミリ芯ボールペンのインクが昨日の苅部監督取材中に切れたので、忘れないうちに2本購入。出張費も手持ちが少なかったので、銀行で51000円、おろしました。明日取材する選手にも色々と思いを巡らし、どんな角度から取材をしようか、記事を書こうかと思案しました。


◆7月5日(火)
 今日も“生きていてよかった”と思った日でした。この台詞を何度か日記に書いているような気もしますが、今日は掛け値なし、心の底からそう思いました。

 今日は日帰りで某女子選手の取材。締め切りが明日ですし、200行もあるし、相当に緊張していました。それを救ってくれたのが、取材対象の選手でした。撮影の合間に次のように言ってくれたのです。
「寺田さんのサイトのジョークって面白いですよね。レベルが高くて」
 聞いたか、O原篤也!! もう、オヤジギャグとは言わせません。一緒にいたK本カメラマンが証人です。
 なんでも、お父さんも読んでいてくださるようです。嬉しいですね。ホント、生きていると色々なことがありますが、今日の展開は予想もしていませんでした。望外の喜びですね。
 これで、一気に緊張感が解けて、いい取材ができたのではないかと思います。昨日締め切りの450行原稿と合わせて、次の陸マガはいいよっ!(かなりハイです)

 陸マガ編集部への報告の際にも、取材現場で選手から言われたことですから、言っておいた方がいいかなと思って、担当のA山編集者に伝えました。
「えぇーーっ。それは○○選手に今度、真意を確認しないといけませんね」
 わかってないですね、心理学科のくせに。肝心なのは、その台詞を、その選手が口にしたということ。外交辞令だったのかもしれないし、監督からそう言うように指示があったのかもしれません。でも、そんなことはどうだっていい。
 舞台を見たり、テレビでドラマを見て、我々は感動しますよね。それと一緒です。真実とか真理とか、この際、どうでもいい……と、ここまで書いてきて、まずいかな、という弱気な寺田が顔を出しました。取材でここまで有頂天になっているわけは、ありません。そこまで脳天気じゃない。7割くらい脚色していますよ。誰も信じていませんよね、寺田が日記に書いていることが事実なんて。


◆7月6日(水)
 昨日取材した女子選手の原稿締め切りのはずでしたが…。グレートA山編集者の尽力で、事なきを得ました。「悪魔に魂を売る」モードまで行かずに済んでいます。


◆7月7日(木)
 明日締め切りの500行原稿のために、電話取材を3本。選手が2人と、指導者が1人。三者三様の立場ですが、それぞれの立場に相応しい話を聞くことができました。面白かったです。次の陸マガはいいよっ!!(中国電力・坂口泰監督口調で)
 しかし、500行原稿とはいえ、ものすごくたくさんのネタを盛り込まないといけない記事。今日聞いた話を十二分に活用できるかというと…。


◆7月8日(金)
 20時に500行原稿を書き上げました。出来は……うーん、女子選手2人の原稿と比べるとどうでしょうか。やはり、個々のネタに費やす文字数が限られてしまって、書き手側としては完全燃焼できませんでした。しかし、読み手側の感じ方はまた、別です。書き手側が完全燃焼する量を書いた場合、読み手側は長いと受け取る可能性もある。その辺のバランスが難しいところです。
 結局、「悪魔に魂を売る」モードに入らずに、この1週間を乗りきりました。寺田もやればできるじゃん…と言いたいところですが、さにあらず。グレートA山編集者や、謎の女H川編集者のフォローというか、カバーのおかげです。この場を借りて(ないけど)感謝申し上げます。
 原稿を書き上げた後は、食事とコーヒーブレイク。今日は、メールも見ていなかったので、メールのチェック。シンガポールでIOC総会を取材中のISHIRO!記者からも来ていました。ICHIROも調子良いですよね、さっきテレビで、7月に入って打率5割と言っていました。
 それで思い出しました。ISHIRO記者のインターハイ地区大会のレベル格差に関する意見を紹介します。

「前年の入賞者を出した地区に、その人数分だけ増枠する」という方法。
1)前年の全国の8位以内の入賞者の数だけ、その地区は増枠。
 (競歩と混成は4位以内の人数)
2)ただし増枠は1地区あたり最大2人。入賞者が3人以上出ても増枠は2人まで。
 (そうでないと地区大会で9位や10位を決める必要が出てしまうので)

例えば。
04年の全国高校総体の男子800mの8位以内入賞者は、
南関東=3人、東北・近畿=2人、北海道=1人。
なので、05年の男子800mの全国出場枠は
南関東・東北・近畿=各8人(6人+増枠2人)、北海道=7人(6人+増枠1人)、
その他の地区=6人。合計で73人が全国に出場できる。
※つまり8人枠の地区は、地区大会で決勝に残れば全国出場OK。

もしこうすると、1種目の出場者が最大で74人になるので、8レーンしかない競技場だと、スプリント系の予選が10組に増えてしまう。日程等の関係で、それが難しいようだったら、上の1)項を「6位以内の入賞者の数だけ」にする。(そうすると最大72人=9組)

 前年のレベルと次年のレベルは必ずしもイコールとは限らないし、問題は全国入賞するレベルではなく、地区6位入賞ラインの格差とは思うが、どの地区にもがんばった選手を出せばチャンスが生じるという上で公平になる。特定種目に熱心な地区が報われる、というメリットもある。

この方法に基づいて、実際に昨年の結果をもとに種目ごと・地区ごとの増枠数を調べてみると、面白い傾向も出るかもしれない。

地区間格差は、表面的には「強い選手が全国出られない」ということが問題だが、日記にあった、「レベルが低い地区でものびのび育って将来伸びる」の逆で、「強い地区で勝たせようと思ったら、練習の強度を上げざるを得ない」という、指導者が本意でないことをせざるを得ない点が、非常に問題なのだと感じる。もちろん、レベルの高い地区でいかに勝負するか考え、努力することも重要だが。

陸上はまだ、球技のように特定の強豪校が県代表の座を独占してしまい、他の学校は多少力があっても全国に出るチャンスがない、ということがなく、本当に強い選手であれば、弱い学校からでもチャンスがあるだけマシかもしれない。



◆7月9日(土)
 明日の南部記念取材のため札幌入り。かなり涼しいです。夜になったら、肌寒いくらい。たぶんですけど、16〜18℃くらいじゃないでしょうか。
 新千歳空港には13:20、JRから地下鉄への乗換駅で食事を済ませて、札幌に着いたのは15時ちょっと。16:30から大会本部ホテルで記者会見ですが、今日は行きませんでした。会見に出られる状況にいながら出なかったのは、初めてです。というのは、出席者が以下のような顔触れだったから。
・朝原宣治
・高平慎士
・小島初佳
・丹野麻美
・池田久美子
 小島選手を除いて全員が日本選手権で代表に決定した選手たち。日本選手権後の試合で活躍した高平&丹野選手は、日本インカレで取材ができています。ローマ・ゴールデンリーグで活躍した福士加代子・為末大・岩水嘉孝・沢野大地選手が帰国しているようだったら、これも出席しましたが、今回は残念ながらそういうケースに相当する選手がいませんでした。
 今大会は世界選手権の最終選考会という性格もあります。南部記念に優勝するのも素晴らしいことですが、今回に限れば、選考会という点が気になりました。このサイトの読者の興味もそういう部分だろうと想像して、この記事を書くために会見場には行かず情報収集をしました。
 どこで情報収集を行なったかは企業秘密。札幌入りする前に、南部記念への抱負を聞いてあった選手もいますし、電話をしたケースもあるかもしれません(札幌にいなくても書けた?) 偶然、大会本部ホテル近辺で出くわして、「調子どう?」と話した選手や指導者もいましたね。大会本部ホテルでの取材は禁止です。末續慎吾選手や地元期待の高平選手のように、取材が殺到するような選手は控えますけど、寺田の他に記者もいない状況でしたし、顔なじみの選手に会って、何も聞かないのも不自然です。近くで目が合えば「どう?」と聞いてしまいます。

 最近、誤解に基づくメールが多いので念のために書きます。決して、会見出席選手たちの話が聞きたくないわけではありません。明日、朝原選手が9秒台を出すかもしれないし、池田選手が日本新を跳ぶかもしれません。会見15分前まで、どうしようか迷っていました。本当に苦渋の選択でした。一般メディアにとっては、末續選手以外の追加代表は、記事にしにくい部分もある。会見を優先して当然だと思います。寺田が特殊な立場にあるということでしょう。

 その間に、ナイキジャパンの磯崎公美(ひろみ)さんとお話しすることができました。日本で初めて400 mで53秒台を出した方。1982年に出した53秒73は、柿沼和恵選手が1992年に53秒45を出すまで10年間破られませんでした。その女子400 mは2001年に柿沼選手が52秒台の扉を開け、今年、丹野麻美選手によって51秒台に入りました。
 磯崎選手の時代からかなり進歩したわけですが、なんとなく、前半の200 mはどのくらいで通過していたのだろう? と疑問に思いました。丹野選手が51秒93を出した日本選手権は、25秒0でしたが……磯崎さんからの答えはなんと24秒8!! 確かに、アジア大会4冠(200 m・400 m・4×100 mR・4×400 mR)ですし、100 m11秒78、200 m24秒00のスピードの持ち主。それに今のファストトラックとは違いますよ、当時は。それにしても、そこまでの速さだったとは…。速くて25秒台前半かと予想していたのです。
 近くにいらした福島大・川本和久先生に、寺田が「今なら52秒台を出せたでしょう」と言うと、「51秒5は出るよ」と川本先生。恐るべし4冠・磯崎。

 情報収集後、大会本部ホテルへ。会見場で末續選手のコメントがミズノから配られたと聞いたので、そのペーパーを入手しました。広報の木水さんがまだ、本部ホテルにいらしたので助かりました。木水さんと話をしていると、TBSの坂井ディレクターもやってきました。全米選手権の放映が17日(日)→18日(月)に訂正に決定したという情報をゲット。時間は14〜16時のうちの約1時間らしいです。
 その後、本部ホテルの1階カフェラウンジで原稿書き。19時過ぎには、末續選手も元気にチェックインしました。もちろん、取材はしていませんよ。元気そうな顔を見れば、それでいいのです。
 20時頃、記事をサイトにアップ。自分の宿泊ホテルに戻る際、食事から戻ってきた小島初佳・茂之夫妻に会いました。小島茂之選手も南部記念でシドニー五輪代表を決めたことを思いだし、ホテルに着いてすぐに記事に加筆して再アップ。
 21時半頃、ラーメンを食べていたら中国新聞・山本記者から電話が。昨日は中標津で高岡寿成&入船敏選手の取材をしていたはずですが(世界一へ総仕上げ 高岡ら北海道合宿=中国新聞)、今日はもう、広島だそうです。電話の本題ではないのですが、展望記事に松田亮選手の名前がないことを指摘されました。これも、ホテルに戻って急いで加筆してアップ。こういった訂正ができるのが、インターネットの利点です。

 ところで、南部記念のタイムテーブルを見て、種目数が減ったな、と感じました。数えてみたら昨年の13種目から9種目に。特にフィールド種目は6種目から3種目に。男女のリレー種目や男子110 mHなど、複数の追加候補が出そうな種目はここで決着をつけよう、その他の追加候補種目は、どこでもいいから記録を出せばOK、というスタンスのようです。


◆7月10日(日)
 南部記念取材。11:15に会場に着くと、プレスルームには「オフィスT&F」の記録配布用BOXも用意してくれてあります。寺田のような者にまで他社と同じように用意してくれるとは嬉しい限り。茨城県の大会もそうですが、取材申請をした全社分、記録配布用の箱なりカゴがあるのはいいですね。ただし、1社で2人以上記者を派遣している場合は、1社1枚では足りません。その点、今回は記者室にコピー機が置いてあり、必要枚数コピーができるようになっていました。この辺の配慮は素晴らしいです。
 スタンドで男女100 mのスタートリストを落としたとき、親切な女子高生がすぐに拾って声を掛けてくれました。北海道の印象はいいですね。

 スタンドにいたのは、短距離のレースの都度、駆け上がって見に行っていたのです。円山には大型スクリーンがないので、レース展開を直後にリプレイが映し出されることはありません。見る側も本番一発勝負。見逃したら、レース展開は自分の目では見られないのです。レース展開を把握するには、グラウンドよりもスタンドが絶対にいい。でも、何種目かは行けませんでしたけど。
 ちょっとだけですけど大変だったのは、記者や選手の動線に、観客が大勢押し掛けていたこと。特に雨が降り始めてからは、身動きがとれないくいらいの状態で、移動が大変でした。4629人の有料入場者は、東京だったら2〜3万人の観客動員に相当します。それだけのお客さんが来てくれたこと自体は、ありがたいことなんですが。

 取材は、おおよそ予定したものがこなせたと思います。末續慎吾選手のコメントもいいポジションで聞けましたし、追加代表候補の堀籠佳宏選手、鈴木亜弓選手の取材もできました。唯一、聞き漏らしたのが吉野達郎選手。ちょっと残念です。
 残念といえば朝原宣治選手にレース後、話を聞けなかったこと。予選と決勝の間に偶然会ったとき「僕の新スタート見ました?」とこちらが質問されました。かなりはっきりとわかる変え方をしているようなのですが、スタンドからの肉眼ではわかりませんでしたし、決勝でもわからなかったのです。「足を左右、逆にしたとか?」と問い返すと、そうではないようです。
 日本選手権で佐分慎弥選手に、今大会は末續選手だけでなく吉野達郎選手にも後れをとりました。しかし、33歳でなお、技術的に変えようとしている点は、すごいですね。もしかして大阪の世界選手権までの現役続行を、潜在意識的には決めているのかもしれません。おっと、希望的な観測ですけど、いい加減なことは言ってはダメですね。


◆7月11日(月)
 今日は終日、原稿書き。某テレビ雑誌の世界選手権展望記事外国選手編と、某社のパンフレットの原稿です。外出は昼間少し、食事に行って銀行に寄ったくらい。某専門誌のO村ライターからメールが来ました。
 奥村愛子を検索しました。試聴サイトで聴きました。私は80年代ポップス世代でして70年代?60年代?っぽさは馴染みませんが,若いのにおもしろい音楽を作るんですね。奥村チヨよりは新しい!?
 という内容。試聴サイトはこれかな。今はこうして、楽曲のさわりを聞いて、ファイルをダウンロードできる時代になっているんですね(有料)。陸上記者奥村愛子ファンクラブ結成も近い……なんてことをやっているほど、陸上ライターは閑ではありません。地区インターハイのレベル格差に関する意見を送ってくれたのです。ただ、これが超長文なので、掲載は明日以降に。ということで、今日のことではなく、昨日のネタを書きましょう。

 昨晩は南部記念取材後、最終のJALで東京に戻りました。深夜の0時30分頃に新宿の作業部屋に戻ってメールをチェックすると、TBSの坂井ディレクターからメールが来ていました。末續選手のことでも朝原選手のことでもなく(札幌でちょっとしたエピソードあり)、全米選手権の放映日のことでした。17日(日)ではなく18日(月)だそうです。海の日で休日だったんですね、この日は。

 昨日といえば、丹野麻美選手の共同取材中「尊敬する選手は?」という質問が出て、丹野選手は遠慮しがちに久保倉里美選手を挟んで反対側にいる吉田真希子選手の名前を挙げました。ずいぶん以前から福島県の合宿などで一緒になり、吉田選手が世界に挑戦する過程を身近に見てきたのです。「ペレクやコッホなどの外国人選手ではなくて?」という突っ込みには、吉田選手が「丹野はあまり、そういう選手たちを知らないんです」と代わって答えてくれました。
 この際、外人選手はどうでもよくて、丹野選手の今日があるのは吉田選手がいたからこそ。そういえば、久保倉選手も国際グランプリ大阪大会で、外国勢を相手に奮闘した吉田選手を見て、自分も世界を目指そうと思ったと、以前の取材で話してくれたことがあります。余談ですが三つ星アスリートと言われている久保倉選手の三つ星が、ユニフォームのどこにあるのかわからなかったのですが、背中の一番上の部分(首の下あたり)だと判明しました。
 福島大の基礎というか、今日への流れの一番の源は、雉子波秀子選手の活躍です。川本先生が無名の雉子波選手を200 mで日本新を出すまでに育て、走りの理論も確立されてきて、その後のチーム運営・強化体制がいい方向に回転し出しました。その流れの中で、吉田選手も強くなったのですが、その後のロングスプリントで好選手が続出したのは、雉子波選手同様、一般入試で入った吉田選手が頑張った功績が大きいのです。
 最近、吉田選手ネタが多いですね。できれば、競技面のネタで…。


◆7月12日(火)
 今日は15時から岸記念体育会館で世界選手権追加代表選手の発表。末續選手、沢野選手が追加代表に入ることが確実だったせいか、予想以上に多数のメディアが集まりました。最初に陸連側から説明があり、その後に質疑応答。佐分慎弥選手と金丸祐三選手の出場に関しての質問が出ました。それと、今後の標準記録突破者の扱いについて。そのあたりは記事に盛り込みました。
 その後、前述の2選手に石田智子選手と金丸祐三選手を加えた4選手の会見となり、本番への抱負を4人が述べたあと、記者たちからの質問を受けました。会見は短時間。その後の記者たちは、沢野選手を追ったグループと、金丸選手を追ったグループに分かれました。ローマ・ゴールデンリーグで2位の成績を残した沢野選手を記事にするか、高校生選手の世界選手権個人種目出場の可能性に関して記事にするか、記者たちの見方次第。どちらが絶対的に重要ということはないと思います。
 寺田は、金丸選手の出場に関しては陸連の見解が聞けたので、沢野選手を追いました。やはり、ヨーロッパの戦いぶりを知りたかったですし、懸案(?)となっている脚がつる症状が出たのかどうかも、知りたかったので。時間ができたら、沢野選手のコメントは紹介したいと思います。
 しばらくして、運よく末續選手の囲み取材もありました。会見後の囲み取材は、あらかじめ予定されていたものではありません。選手のスケジュールと、そのときの状況に応じて、できたりできなかったり。その辺の流れを見極めるのも、記者の才能です。今日はラッキーでしたけど、逃してしまうことも多い寺田です。その辺は、敏腕記者と呼ばれるM記者たちにはかないません。

 小南佐知子さんというマスターズで頑張ってらっしゃる方のブログをリンクさせていただきました。マスターズといっても、市民ランナー的な感覚で出ている人もいると思いますが、小南さんはバリバリの本格陸上競技派(実業団選手ほどではないと思いますが)。ブログに練習メニューを掲載する姿勢が、それを物語っています。
 寺田のサイトもリンク集に載せてくれています。各サイトの簡単な説明が付記されていますが、寺田のサイトは「陸上全般の情報 トップ選手の声 陸上に対するあたたかい視線 読み応えあり」と、記してくださっています。最近、寺田のことを“厳しい見方”と形容しているメールがありました。ちょっと以前のことですが“厳しいから信用できる”みたいなことを言っている人もいました。
 自分としては、温かい見方かな、と思っています。意識してそうしているのではありませんが、自然とそうなってしまう。専門誌関係者って、そうなる傾向が出てきますよね。例えば、一般メディアは高校新記録でなければ評価しなくても、専門誌だったら高2歴代3位とか、見出しにします。まあ、“厳しい”と言っている方たちは、もっと別の面を見ているのかもしれませんが。

 と書いていて、以前書いたことと矛盾しているかもしれない、と感じています。以前、市民ランナーに冷たい、というメールをもらったときは、冷血漢だと自分で自分のことを言っていました。このレイケツカンという響きが気に入っていたというのもありますが、人間、色んな面を併せ持っている、ということです。ある方向から見たら冷血漢ですけど、別の方向から見たら温かみがある。
 寺田が日記に書いているユーモアも、ある人から見たらおやじギャグですが、ある人から見たらレベルが高い。5日の日記で「レベルが高い」と言ってくれた選手は、競技との引っかけ方が特に、そう感じているようでした。こちらの勝手な思い込みかもしれませんけど。
 選手のコメントも表面的には、矛盾しています。数の多い少ないに差はありますが、どの選手にも言えること。これも、選手のなかでは1つとしてとらえている事柄でも、別の方向から見ると違う言葉になるということでしょう。だから、表面的な言葉尻で判断してはいけません。話の流れのなかで判断したり、その選手の背景を理解しないと判断できないこともある。その辺が、取材する側の能力の問われるところです。

 今日の会見でも、寺田が勘違いして受け取っていた某氏の言葉を、ISHIRO!記者が訂正してくれました。そうそう、ISHIRO記者からもう1つ、間違いの指摘を受けていましたね。日本インカレの成迫健児選手の記事で「山口有希(東海大)の追撃を許さずに」と書いたのですが、追撃という言葉の使用法が違うのだそうです。
“追撃”は、劣勢の側が追いかける攻撃ではなく、優勢の側がさらに追加して仕掛ける攻撃のことをいうのだそうです。このケースでいえば、先頭に立っている筑波大の選手が、さらに差を広げたときに使う言葉。ただ、そうすると、追うというイメージに合わない。つまり、“追撃”は実際の戦闘では使いやすいけど、陸上競技、特にトラック種目では使いにくい言葉、ということになります。


◆7月13日(水)
 昨日の追加代表発表を受け、寺田のサイトでも追加代表選手の記事を書いていこうかな、と思っています。時間があれば、ですけど。正直、今週もまた、金曜日にドカンと締め切りがあって、土曜日にもかなり気を遣う原稿の締め切り、日曜日にもまたドカンと締め切りがあって、日記を書いている場合ではありません。でもこのサイトも仕事ということで、ホクレン深川大会の記事を書きました。
 予告していた三津谷祐選手の400 m毎の通過&スプリットタイム表も掲載しました。6800mだけ、朝日新聞西部本社・小田記者の計測となっているのは、6400mでストップウォッチを間違って止めてしまったのです。興奮していたのでしょう。もう少し詳しく説明すると、ストップウォッチを押した後、タイムや後続集団の顔触れ、距離差などをメモします。そのとき、ストップウォッチは首に提げている状態。そうこうしているうちにまた、トップの選手がやってくる。そこで慌ててストップウォッチを握り直してスプリット計測用ボタンを押す。そのとき裏向きに持ってしまい、左右逆のボタンを押してしまったんですね。それで小田記者のタイムを教えてもらったのですが、その後は自分で計測しました。1周毎を計測して通過タイムはあとから計算しました。
 同じケースが日本選手権でもありました。昨年まで、ストップウォッチ付き腕時計で計測していたときは、そのようなミスはありませんでした。円形のストップウォッチも、左右を非対称の形状にしたら、間違えなくても済むのではないでしょうか。

 今日は、困ったメールが2通来ました。1つはちょっとややこしいので、上手く説明できると感じたときに紹介します。もう1通は、寺田のリンク集から、このサイトを削除してほしいという依頼。掲示板が荒らされ放題で、H系サイトへの案内ばかりになっている、というのがその理由です。
 見たところ、確かにそうなっていますが、サイトのコンセプト自体は決してふざけたものではありません。高校駅伝ファンにとっては面白いサイトでしょう。管理人の方が、一時的に病気になっていたり、仕事が忙しくて手入れができなくなっている可能性もあります。それに、他人のサイトの内容までこちらで気にしていたら、キリがない。何より、報道に携わる業界人としては、“なにかに蓋をする”行為には踏み切りにくいものです。でも、現実は目を覆うくらいにひどい。
 判断が難しいところです。これは以前、朝日駅伝に関して寺田が行き過ぎた意見を書いたときに、諫めのメールをくれた西の御意見番こと小田記者(岡山のSP記者とも言われています)の判断を仰ぎましょう。


◆7月14日(木)
 朝の8:30から成田空港で、野口みずき選手のサンモリッツ合宿出発前の共同会見がありました。アテネ五輪後、イベントに出席した際に少しは話を聞く機会もありましたが、寺田の場合、全日本実業団や国体など、取材に行けるイベントが限られます。何かの表彰式やテレビ出演、市民マラソンへのゲスト出場などを取材する機会は、仕事柄あまりないのです。
 だったら公式レースで取材ができたかというと、5月の関西実業団は金曜日夜のレースで、翌日からの東日本実業団に行けなくなってしまうので断念。先日の札幌ハーフも日本インカレと重なって行けませんでした。
 実は、8月の世界選手権の取材のあと、ヘルシンキからスイスに飛んで、合宿を取材するプランもあるのですが、現時点ではフィンランド航空、スイス航空ともキャンセル待ちの状態。この2社だけが、ワンフライト付きでヘルシンキとチューリッヒに行ける便があります。明後日には、オランダ航空のアムステルダム経由ヘルシンキ往復の入金をしないといけない期限なので、サンモリッツ取材も難しい状況なのです。出場レースも恐らくベルリンだろうと推測できました。シカゴだったら日程的に行くこともできるのですが、ベルリンは全日本実業団と重なって行けません。
 ということで、今日が久しぶりでもあり、ベルリン・マラソン前に取材できる最後のチャンス。早起きして行ってきました。会見の様子は記事にした通り。1年前、あるいは2年前のパリ世界選手権の頃と比べると、野口選手の受け答えぶりに余裕が出てきたと思います。

 取材は9:20頃には終了。原稿を書ける場所に移動しようとしたら、青山学院大の安井年文監督が旅支度をして来ているではありませんか。隣にいらっしゃるのが最初、誰だかわかりませんでしたが、800 m日本歴代2位の近野義人氏でした。ベスト記録を出したのが94年で、引退して10年近く経つとのこと。
 聞けば、関東学連と日本陸連U23合同のヨーロッパ遠征に行くところだそうです。メンバーは以下の通り。

<関東学派遣>
相川誠也(早大)
下平芳弘(早大)
大橋祐二(筑波大)
入江幸人(法大)
志鎌秀昭(筑波大)
今井雄紀(日大)
藤巻理奈(日体大)
一木あずさ(日女体大)
中原ゆかり(日女体大)
城下麗奈(青山学院大)
<日本陸連派遣>
品田直宏(筑波大)
藤光謙司(日大)

 世界選手権などの遠征と違って、パーソナル・コーチもトレーナーも帯同しない遠征。出発に際して取材などもないでしょう(=世間的な注目度も低い)。しかし、そういった遠征でも自身を変えるチャンスにはなるはず。昨年は成迫健児選手や大前祐介選手が参加していました。自己新を出すに越したことはありませんが、仮に出せなくても、何かのきっかけをつかめる遠征だと思います。

 11時半まで空港のカフェみたいなレストランみたいなところで原稿を書き。野口選手の会見記事だけでなく、他の記事も集中して進めました。帰路、何本か電話連絡を取りながら帰ったので、新宿の作業部屋に着いたのが15時頃。ひたすら、資料を調べる作業に突入しました。日曜日まで、相当の作業をこなさないといけません。その間に150行原稿も2本、締め切りがあります。奥の手を使わざるを得ないか。


◆7月15日(金)
 昨日は陸上競技マガジン8月号の発売日でした。寺田が担当したのはGo for HELSINKI THE FIRST STEP企画の丹野麻美選手とGo for HELSINKI人間アプローチの早狩実紀選手、世界選手権の日本人選手展望の3つ。
 早狩選手の記事は500行と超大作。ベテラン選手で、特徴がたくさんある選手ですから、記事に書くネタもいっぱいあります。ホクレン深川大会翌日に取材をさせてもらったのですが、事前に主な大会の結果や、年次別ベストを調べておきました。誌面にも大きな表が掲載されています。
 早狩選手は3000mで東京世界選手権に出場し、14年経った今年、3000mSCでヘルシンキ大会に出場します。世界的にも珍しいケースと思われますが、では、どうしてそれが可能となったか、を明らかにしたいと思いました。戦績を見ただけで選手寿命の長さ、3000mが選手権種目からなくなったときに距離を伸ばさず1500m中心にしたこと、そして、毎年同じような記録が続く期間があるけどポンと記録が伸びている時期があること、などが特徴だとわかります。
 こういった特徴を中心に話を聞きたいと思って取材に臨みました。あとは高橋尚子選手と関西インカレで何度も対戦していたり、朝原宣治選手と一緒に練習をしていたりしたことも、中心的な話題にはならないにせよ、面白い話が出てくるかもしれないと感じていました。取材の成果は陸マガの記事で、ご覧ください。

 本誌で掲載できなかったネタがこぼれ話なら、丹野選手の取材では、“こぼれ写真”が2点あります。本人の希望(?)でもあるので、四つ葉のクローバーと丹野選手の写真を、掲載させていただきます。インタビュー&撮影取材は授業の空き時間にさせてもらったのですが(週に1コマしかない貴重な時間です)、練習前に研究棟の脇で2〜3捕捉取材として話を聞かせてもらったとき、丹野選手が見つけました。
 もう1点、丹野選手と青木沙弥佳選手のツーショットも。日本インカレ女子400 mのワンツー選手……ですが、掲載理由はこの2人がかなり似ているということで、福島大内部では話題になっているから。県岐阜商高の安福先生にも見ていただければと思います。でも、どちらが先輩(丹野選手)で、どちらが新人の後輩(青木選手)かは、表情を見れば一目瞭然ですね。
 記事は大学生らしさを、雰囲気として出しました。金丸祐三選手とセットで掲載されると聞いたので。川本和久先生もオヤジのときどき日記/アジアグランプリ編女子大生アスリートという肩書きを盛んに使われていました。もっとも、これは木田・坂水・久保倉の同学年トリオが卒業したから、というのが理由らしいのですが。


◆7月16日(土)
 昨日、今日とひたすら資料づくりの作業。その間にも、昨日は150行原稿を50行ほど書き進めましたし、今日は140行原稿を1本書き上げました。今日からは愛知県選手権(取材は残念ながらできませんが)。内藤真人選手が出場すると、本人から聞きました。2年前に当時の日本記録を出した大会。いきなり13秒39の日本記録はハードルが高いと思いますが、末續選手的な言い方をするなら、ひょっとするとひょっとするかも。
 愛知県といえば、某専門誌のO村ライターの出身地。遅くなりましたが、O村ライターの地区インターハイのレベル格差解消法を紹介しましょう。これは、すごいですよ。陸上競技に携わっている人なら、思わずヒザを叩くこと請け合いです。レベル格差解消法というより、適正な全国大会出場者決定方法ですね。さすが、ジュニア選手権(当初は全日本ジュニア選抜)発祥の地、愛知出身だけはあります。関係ないか。

●全国インターハイ出場選手決定方法
@ 指定大会(※)において出された記録の良い順に,上位11人(11チーム)に全国大会出場権を与える。ただし,1地区あたり,上限を3人(3チーム)とする。
A 11地区大会の各種目5位まで(競歩と混成は上位2位まで)に全国大会出場権を与える。
B @にあたる選手(チーム)が,地区大会順位による出場権も重ねて得た場合。1名が該当する場合は6位(競歩と混成は3位)まで,2名が該当する場合は7位(競歩と混成は4位)まで,3名が該当する場合は8位(競歩と混成は5位まで)に,全国大会出場権を与える。

※指定大会
・インターハイ(都府県,地区大会,全国大会。県予選以前の支部大会は行わない県もあるため含まない)
・高校新人(都府県,地区大会)
・国体
・日本選手権,日本グランプリ(オープン種目は含まない)
・陸連が代表を派遣する国際試合
・有効期間は前年度と当該年6月末日まで(ただし7月初頭に開催された場合の日本ジュニア選手権は認める)

●コンセプトと説明
 地区のレベル格差を解消することと同時に,「ジュニア選手の『育成』こそ大切な視点。『育成』には,『レベルの高い競技者に,レベルの高い試合の機会を与える』ことが大切」と考えております。選手は,レベルの高い環境に触れて成長します。現行の勝ち上がり方式は,トーナメント戦に近いやり方ですね。「負けたら(=7位以下になったら)終わり」,それ以降の試合機会を失うトーナメント方式は「育成」にはそぐわないと思います。「トップ選手に負担が集中する」という問題もあります(トーナメントにも良い面はあるのですが)。
 今年,大阪府予選で金丸祐三選手が400m決勝で突然失速しました。なんとか5位に入り「セーフ」でしたが,実際に「アウト」となった有力選手,有力チームをこれまでにたくさん見てきました。競歩やリレーの失格,フィールドの記録なし……。ミスも実力のうち,と言われます。しかし私は,10代の未熟な選手にミスは付きものだし,それによって以降の試合機会を奪ってしまうシステムは厳しすぎると考えます。
 システムが複雑すぎるのも良くありませんから,試案では,できるだけシンプルなシステムになるよう留意しました。これに,「前年のインターハイ,今後開催予定の全国新人大会の上位入賞者にシード権を付与する」という方式を加えても良いかもしれませんが。
 これは県予選から地区大会への進出ルールにも活用できる方式です。全国で一律採用できたら,かなり上手くいくのでは?
 記録を認定する指定大会については,議論の余地があるかもしれません。始動が遅い雪国の不利を考慮し前年度の記録も有効としましたが,やはり当該年度のみにすべきか? あるいはとくに大会を指定せず,フリーとしてしまうか? 逆に都府県予選,地区大会の2大会のみに限定したほうがよいか? 考えるほど難しいです。



◆7月17日(日)
 昨日、KLMオランダ航空の入金期限となってしまいました。スイス航空とフィンランド航空のキャンセル待ちは結局ダメ。泣く泣く○○万円をHISに支払いに行きました。KLMって、エールフランスと合併しましたよね。心配だなあ、オーバー重量チャージが。また、7万円とか8万円とか、取られたらどうしよう。どうしようもないのですが。オフシーズンだったら大韓航空でロンドンまで往復できる値段です。行きは成田空港だから大丈夫として、問題は帰りですね。
 帰国予定は8月16日現地発、17日の成田着。日記の文字がにじんでいたなら、わかってください……って、わかりますよね、何の曲か。因幡晃です。
 今日は、昨日提出した原稿の修正作業もしましたが、あとはひたすら、資料づくりの一日。本当は今日中に終わらせないといけなかったのですが、少しこぼれてしまいました。


◆7月18日(月)
 今日は33行原稿を1本。テレビ雑誌向けの世界選手権マラソン展望原稿です。コンパクトにまとめるのも、けっこう大変です。でも、14時頃には書き上げ、あとはひたすら資料づくり。やっていて、色々な発見もあり、面白い仕事です。でも、きついですよ。集中できると思ったより捗りますが、集中できないとペースがガタガタになる。なんとか昨日締め切り分を、夜中に送信。
 最近また、色々とメールをいただくのですが、対応がなかなかできません。依頼のあったサイトへのリンク作業も、手つかず状態です。


◆7月19日(火)
 資料づくりの作業が一段落しましたが、締め切りはまだまだ続きます。ですけど、半日はリラックス状態に。ちょっと持たない感じがしたので。
 今日明日で、やはりテレビ雑誌向けに、世界選手権の展望原稿を仕上げないといけません。91行で第1回大会からを振り返る原稿が1本。それと今年の見どころを7本、少ない文字数ですけど紹介するコラムです。
 しかし、第1回大会からの歴史を91行で振り返るというのは、かなり難しい作業です。ただ単に、主だった記録や話題を羅列するだけでは読み物として面白くありません。それなりに、テーマを持たせたい。そこで寺田が考えたのが、オリンピックとの連続性を考慮すること。つまり、第1回大会で3冠だったカール・ルイスが、翌年のロス五輪では4冠を取った、という類の話です。
 ルイスでいえば、83〜88年あたりまでは、走幅跳は6回跳ばなかった。でも、パウエルが台頭した91年東京世界選手権あたりから、6回全部跳ぶようになったとか長期的な視野での変化も面白いですよね。話題をぽつんぽつん、とピックアップするより、連続性をもって概観する。そういう見方をしてもらえたら、陸上競技ファンが増えるかな、と思ったのですが、残念ながらルイスの走幅跳ネタは文字数の関係で、書き切れませんでした。
 社会的な背景にも言及すべきだと思いました。80年のモスクワ五輪は西側が、84年ロス五輪は共産圏がボイコットしました。政治に左右されない世界一決定戦という性格も、それが開催理由であったかどうかは別として、世界選手権には期待されていたことだと思います。そういった東西冷戦まっただ中に始まった世界選手権ですが、90年にベルリンの壁が崩壊し、91年の東京大会では統一ドイツとして参加。クラッベの女子短距離2冠が象徴的でした。薄暮のなかに立つクラッベの写真は綺麗でしたね。よく覚えています。
 一応、そういった社会的な背景は書き込みましたが、約130行と大幅に文字数オーバーとなりました。それでも、自分では頑張って削った結果です。いつもなら、削除する作業も自分で責任を持ってやりますが、今回だけは、どうしようもできません。自分ではもう、削れなくなってしまいました。仕方がないので、編集者に任せました。どうなって誌面に出るのかは、わかりません。


◆7月20日(水)
 陸連短距離合宿の公開練習を取材。場所は、例年と同じ富士北麓公園陸上競技です。久しぶりの3時間睡眠で早朝起床。7:30新宿発のあずさで富士吉田に向かいました。自由席は満席でしたが、立川でなんとか座ることができ、大月からの富士急車内も合わせて、テレビ雑誌の世界選手権展望原稿も少し進みました。
 練習中は話を聞くことができませんから、今日は一眼レフ・デジカメを持参してカメラマンに。別に意図して撮ったわけではありませんが、選手同士や選手と指導者の組み合わせが、共通点があったりして面白いと思ったので、このページ(陸連短距離合宿の“コンビ”6場面)をつくりました。末續&内藤のミズノ・コンビの写真を掲載しない理由は、まあ、寺田なりに気を遣ってのこと。なんでも載せればいい、というものではありません。何度でも書きますけど、節度というのも大事です。
 代わりに内藤真人選手のネタを1つ紹介しましょう。
 愛知県選手権は予選の13秒5台が最高だったと聞きました。今季はずっと、13秒5台が続いています。表面的なタイムは同じようなレベルでも、レース毎に気象条件など外的コンディションも違えば、選手内部のコンディションも違います。それでも記録が安定している。そういう状態のとき、きっかけさえあれば記録はポンと出ることもあります。内藤選手はそれを世界選手権でやるべく、走りとハードリングを、より研ぎ澄ます作業に入っているわけです。
 そこで、練習中に内藤選手とすれ違ったとき寺田が、頭を細くするポーズをしました。それこそ知る人ぞ知る“タイ米”ポーズ。内藤選手の顔をテレビで見た為末大選手が、「タイ米に似ている」と言ったことを、内藤選手が教えてくれたことに由来するネタです。八王子のファミレスで取材をしている最中、ずっとそのネタで盛り上がったことがありました。
 こちらの意図を察した内藤選手は「世界選手権ではもっと細くしますよ」と応じてくれました。ヘルシンキでは内藤選手の、研ぎ澄まされた顔の輪郭とハードリングに注目しましょう。
 練習後に何人かは話を聞くことができたので、そちらも記事にしたいのですが、時間がありません。週末に書けるかどうか。


◆7月21日(木)
 富士北麓のコンビ特集を見てくれたのか、F社のAマネからメールが。5月に娘さんが生まれたとのこと。さらに、以下のように続けています。

05年はお子さんラッシュです!
個人情報なのであまり大きい声では言えませんが、1月には中部の実業団の監督さん、うちのN選手、6月にはライバルでもあるN食品のマネ、K社のコーチ、7月はN自動車マネ。まもなくS食品のK選手、C電力のA選手も…とか?

 プライベート情報ですけど、おめでたいことですから、公表しても問題ないでしょう。皆さん、結婚もされていますよね。Aマネのところはなんでも、ご自身と同じ誕生日とか。365分の1の確率ですが、その確率を大きくする方法もあります。特に陸上チーム関係者は、合宿とか多いですし……って、何のことかわかりますよね。

 マスターズ関係の方からは、次のようなメールが。

 24日から31日までカナダのエドモントンでワールドマスターズゲームズが開催されます。日本人もたくさん参加しますし、メダルもたくさんとれると思います。寺田さんのHPは、若い人だけでなく中高年の方々も多くご覧になっていますので、よろしければご紹介いただければと思います。また若い人たちも生涯スポーツとして陸上競技を続けるきっかけになればと願っています。

 そういえば、先日紹介した小南佐知子さんのブログにも、エドモントン遠征の話題が出ていました。こちらが大会オフィシャルサイトアルバータ陸協にも成績が掲載されるとのことです。
 明日は沢野大地選手の共同会見と、公開練習があります。下調べをしていたら、面白いことに気づきました。なんとか記事にまとめて紹介したいのですが、本当は今日もデータ調べ第?弾の締め切りが……。やばい、朝の5時です。


◆7月22日(金)
 朝の10:30から沢野大地選手の共同会見取材。場所は東京体育館第三会議室です。きっと、沢野選手の職場であるATHLETES' WAVEから近かったからなのでしょうが、なんで第一会議室にしなかったのか、という疑問がありました。午後の公開練習の際に、その点を広報の岩本節子さんに確認したら、第一会議室は大きさが広すぎるのだそうです。結果的に、第三会議室では手狭になるくらいの報道陣が詰めかけました。少し広めの第二会議室にしておけばよかった、と岩本さんは話していましたが、いずれは第一会議室でしょう。3年後、6mを跳んだときには(会見模様の記事参照)。

 会見は最初に、早野部長、増谷監督、沢野選手、米倉照恭コーチからコメントがあり、その後に質疑応答。代表質問がないときはだいたい、K通信M記者やM新聞I記者が口火を切るのですが、今日は司会の方が質問を促したあと、少しの間がありました。そこで、珍しいケースですが、寺田が最初に手を挙げました。会見場が大きいとビビって質問などできないのですが、今日は部屋の大きさが幸いしましたね。昨日の日記に書いたように、今日の会見用に下調べをしていて、ちょっと面白いことに気づいていたのです。名付けて“沢野大地の好きなものシリーズ”。以下が、寺田の質問と沢野選手の回答です。
Q.好きな動物は?
沢野 鶴です。
Q.子供の頃好きだった夏休み中の行事は?
沢野 ラジオ体操第一でした。
Q.好きなハンバーガー屋は?
沢野 マックです。
Q.好きな方角は?
沢野 西です。

 なんていうことが実際にあるはずがありませんが、野口順子さんが喜ぶかな、と思って書いてみました。本当のところは、会見模様の記事にしたとおり。最初の2つが、寺田が質問した内容です。この部分を元に、寺田が調べた資料と、公開練習後に取材できた内容も加え、「メダル? 入賞? 予選止まり? 沢野の可能性を検証」(仮タイトル)の記事を書く予定。そのとき、昨日の下調べで気づいたことも披露できるはず。問題は、書いている時間があるかどうか。

 12時には新宿の作業部屋に戻り、本サイト用に会見記事の前半部分を書いて、食事もしっかりして、15時頃には日大グラウンドに。一昨日の富士北麓短距離合宿と同様、練習中はカメラマンに徹しました。かなりいい写真も撮れたので(例えばこの2点。跳躍表情)、紹介したいのですが…。


◆7月23日(土)
 昼食で外出した以外は、ひたすら仕事をしていました。主に資料調べ。地震があったのは外出中でした(何時に昼食?)。地震で1つ思い浮かんだことがあります。投てき種目で、選手が投げている最中や直後に地震が来て、そのせいでバランスを崩してファウルをしたらどうなるのか、ということ。跳躍種目も同じですね。ルールブックに出ていますか?
 やり投や円盤投など、投てき物が滞空時に地震が来たら、記録が1cmくらい違ってこないでしょうか。それで勝敗が違ってくる可能性も、ゼロとは言い切れません。地震のため記録が伸びて、そのおかげで優勝することができ、それをきっかけにその選手が強くなったとしたら、地震で自信を得たことに……なんてことを考えているほど、閑ではありません。

 深夜、TBSでゴールデンリーグの放映をしていました。ついつい見入ってしまって、仕事の進行が遅くなったような気がします。実況と解説はこの2人。中学時代に800 mをやっていたコンビです。たぶん、強かったのは佐藤アナの方。何度も書きますが、全日中800 m優勝者。箱根駅伝に色気を見せていなければ、中距離で大成した可能性もゼロではありません。が、種目選択は本人の意思が最優先されます。外野が何と言おうと、自分の走る種目は自分で決められる。どちらかというと、苅部俊二監督の方が、箱根駅伝を走っていれば大成していたかも……なんてことを考えているほど、閑ではありません。

 佐藤アナが全日中800 m優勝者なら、昨日の沢野大地選手の会見に同席されたニシの早野忠昭氏は、インターハイの800 m優勝者。長崎の口加高出身。100%正確ではありませんが、筑波大を出た後、ボルダーでアシックスの仕事をされていました。帰国後にニシに入社され、この春からは常務取締役(マーケティング統括部長)。
 沢野選手の会見に先立ち、ニシの競技者支援の方法と、商品戦略を説明されました。詳しく書いて間違えると問題になるので、その辺はヘルシンキできっちり話を聞いてからにしたいと思います。商品戦略に関しては、WEBサイトにも出ていますね。「ONとOFF」というコピーを使っています。OFFの時間も重要で、そのオフにも着られる商品だということをアピールしているのでしょう。沢野選手もウエアなどのモデルをしています。セカンドラインTシャツとハーフパンツの組み合わせは、気に入ったので今度、買おうかなと思っています。


◆7月24日(日)
 今日は13:30から東大陸上競技研究会に顔を出させてもらいました。正式の学会ではなくて、研究者だったら研究途中のものでも発表できたり、選手だったら自身の感じていることをちょっと科学的に味付けして発表できる。フランクな研究発表の場です。
 その研究会の理事長が他ならぬ三重の二枚目助教授、三重大の杉田先生です。月1回くらいのペースで開催されているのですが、いつも土日は取材と重なりますし、最近は地方での開催も多くて足を運べませんでした。今回は東京ですし、取材予定の試合もありません。締め切りが気になっている原稿はありましたが、今日行かなかったら不義理の誹りを免れません。棒高跳の研究発表もありました。沢野大地選手を取材する機会も多い昨今、興味を持って拝聴させていただきました。

 新宿の作業部屋に戻って資料作製作業をやろうとしたら、ナイトオブアスレチックのニュースが、ネット上に出ていました。早狩実紀選手は3000mSC出場予定と聞いていたのですが、なぜか5000m。変更した事情は現地に行ってみたら種目がなくなっていた、という日本では信じられないような話です。にもかかわらず、5000mで15分11秒42の日本歴代4位&30歳代日本最高という好タイム。弘山晴美選手が98年に出した15分03秒67は、ぎりぎり29歳でした。
 陸マガ8月号で早狩選手の記事を450行書かせていただきました。91年の東京世界選手権に3000mで出場した早狩選手ですが、選手権種目に3000mがなくなったとき、1500mと800 mの中距離を走るようになりました。駅伝では6kmとかの区間も走っていました。距離を伸ばす選択もあったと思うのですが、そうはしなかったのです。
 ちょっと面白い経緯もあるのですが、最終的には「5000mは長くてイヤ」というのが、その決断をした理由。しかし、早狩選手自身、5000mが絶対に走れないと感じていたわけではないようで、もしも、5000mが好きになれる経緯があったら、違った選択をした可能性もあると話していました。
 これまでの早狩選手の5000mベストは2001年の15分33秒66。こちらが「15分20秒前後も出せるのでは?」と水を向けると、明確な答えをしてくれません。でも、今回の記録を見て、答えを無理やり聞いておかなくてよかった、と思いました。きっと、他の選手たちへの遠慮もあったのでしょう。こういった奥ゆかしさが、日本の女子選手のいいところ。ライバルに対して敵意丸出しのコメントをしたり、神様のことしか話さない外国選手よりも好感を持てますね。


◆7月25日(月)
 昼間に多摩市の自宅に戻り、13時頃からNTTの配線工事。自宅もADSLにするのですが、ちょっと複雑な事情があって、NTTの局内工事だけではダメなのです。イーアクセス(ADSL業者)からは明日の0:00開通と言われていましたが、工事のお兄さんがADSLモデムを回線に接続したら、もう開通していました。
 明日、@niftyのキャンペーンで無料サービスが受けられるので、ソフト設定業者が来るのですが、新宿の作業部屋で使用しているノートパソコンは、問題なく有線・無線ともLAN接続に成功。問題はWindows2000の旧型パソコン。こちらの設定は、プロに任せます。

 NTTで思い出しましたが、大崎悟史選手の次のマラソンはベルリンでしょうか? 一度走って、きっかけをつかんでいますけど。シカゴも面白いかもしれません。佐藤敦之選手も出るみたいですし。でも、NTTですから、erlinもhicagoもないかもしれません。ADSLならぬADどちらかはもちろん朝日国際マラソンとも言われた福岡国際マラソン、は…ドコモ出ない。


◆7月26日(火)
 旧型パソコンでもADSL接続に成功しました。昨晩のうちに、旧型のB5ノートPCをフォーマット&ソフトを再インストール。USB接続で有線LANのコネクタと、無線LANの端末を取り付けました。朝の9時に来てくれた無料設定のお兄さんは、さすがにプロフェッショナル。イーアクセスから届いたADSLモデムの暗号桁数と、無線LAN端末の暗号桁数の違いも、難なくクリアして接続に成功しました。
 今回、ADSLを自宅にも導入したのは、家族T氏の常時接続&ブロード環境にしたいという希望もありましたが、寺田自身、古いノートPCをLAN接続できる状態にして、ヘルシンキにサブPCとして持っていくのが狙い。自宅で成功したからと、現地でも必ず成功するとは限りませんが、微妙に異なるハードとソフトのPCが2台あれば、たぶん上手く行くでしょう。どうやら、IBCでは有線LANもできるようですから。
 グランプリ取材や海外都市マラソンの取材ではそこまでしませんが、世界選手権取材となると、もしものことを考えて2台体制で取材に臨みます。前回まではダイアルアップ接続でやっていたのですから、LAN接続でなくとも何とかなるはずなのですが、一度、その快適さを覚えてしまうと、なかなか後戻りができない。

 陸上競技に例えると、ハンマー投の80mや棒高跳の5m80が、実はすごいことなに、いったん、それに慣れてしまった陸上ファンは、それより低いレベルに満足できない。それと同じことだと思います。A標準突破者が1人だけで、B標準が1人もいないという種目は、今後の頑張りが重要です。


◆7月27日(水)
 16時ころまで自宅で仕事。夕方から新宿の作業部屋に。
 電話取材を3本。
 ヘルシンキに持っていく携帯電話を申し込みました。


◆7月28日(木)
 ヘルシンキの仕事の段取りをいくつか。
 フィンランド(というか、北欧)のガイドブックをやっと購入。今回はムーミン以外、なかなか気持ちを入れ込む方法がありません。前回のパリや、99年のセビリアなどは、その都市を舞台にした小説や戯曲がありましたし、その地にちなんだ音楽もあったりしたのですが。そうか、シベリウスのフィンランディアがありますね。CDを借りて録音しよう。
 ガイドブック購入後、新宿西口のヨドバシカメラに行くと、フォート・キシモトの三船カメラマンとばったり。エドモントンでは謎のメキシコ人だったカメラマンです。やはりこの時期、出張準備のために購入するものがあるんですね。大きな取材を機会に、我々取材陣の装備も大きく変わることが多々あります。

 たぶん、広島県関係者の方だと思うのですが、広島県中学の男子100 mで、為末大選手の県中学記録が破られたという情報をメールで送ってくれました。ご存じのように為末選手は、100 mと200 mの全日中チャンピオン。三種競技でも中学新をマークしました。しかし、為末選手の100 mの記録は、中学歴代50傑からいつの間にか押し出されてしまっています。記録集計号を4〜5年さかのぼって、間違いなく広島県中学記録だったことを確認しました。
 その作業の過程で、中学歴代50傑中、風速の記載のない記録が3つあるのに気づきました。不破弘樹選手の10秒75と名倉雅弥選手の10秒78、そして田中伸一選手の10秒88……そう、知る人ぞ知る、あの田中さんです。昨年まで、名古屋国際女子マラソンの事実上の最高事務責任者だった人物。記録は10秒88で、為末選手よりも上だったんですね。そこまでとは存じませんでした。


◆7月29日(金)
 すでにヘルシンキ入りしている(自称)陸上記者最速(100 m10秒5台)のTBS坂井ディレクターと電話で話しました。現地はかなりヒンヤリした気候のようです。まあ、実際に自分が行ったら暑くなっていた、なんてこともあるかもしれませんが、この手の情報は、とってもありがたいですね。トラム(路面電車)も、世界選手権のIDで乗ることができると教えてもらいました。

 ヘルシンキ用に申し込んだ携帯電話をキャンセルして、現在使用しているvodafoneを第三世代に変更。申し込んだやつも、ネット上で料金を比較したらけっこう安かったのですが、基本料金だけでなく、何とか料金がいくつかあって、通話料以外でも16日間で7000円近くかかることが判明しました。だったら、日本の携帯で第三世代にしてしまった方が安いだろうという判断です。
 しかし、これも一種の賭けです。特に、着信にも料金がかかります。先方が、寺田が日本にいると思って気軽にかけてくると、ちょっとまずいのです。レンタルなら、番号を教える相手が特定されますから、その心配が減ります。

 陸マガ8月号の世界選手権展望記事を書くに当たって、小坂忠広コーチに電話で取材をさせてもらいました。そのときに話に出たのが、現在活躍している谷井孝行選手や山崎勇喜選手らは、世界ユースから出場して、段階をきっちり経て強くなっている。日本の強化システムに則って強くなってきた選手、という印象なのです。
 それに対して小坂コーチや園原健弘選手、今村文男選手、柳沢哲選手らの世代は、どちらかというと、単身でメキシコやスペインに行って練習するなど、システムというよりも、個人の頑張りが特徴として前面に出ていました。もちろん、鈴木競歩部長や斉藤和夫コーチ、白井一夫コーチらのバックアップや指導もあってこそ、のこと。ただ、今の選手の方が、前述のようにシステムの中で育ったという印象が強いのです。
 それを小坂コーチに話すと、その通りだと同意してくれました。仮に、斉藤コーチたちが第一世代で、小坂コーチ・今村選手たちが第二世代とすれば、谷井・山崎選手たちは第三世代でしょうか? 
 アテネ五輪の両選手の順位は、日本選手過去最高でした。しかし、世界選手権となると20kmWは柳沢選手の7位、50kmWは今村選手の6位があります。『競歩第三世代、そろって過去最高順位』という見出しになったら、競歩界全体の頑張りの結果だと思います。


◆7月30日(土)
 14時からTBSの世界陸上特番に末續慎吾選手と沢野大地選手が出演。ヘルシンキでの目標は「飛ぶ」だと色紙に書いて披露してくれました。跳ぶ、ではなくて飛ぶ。“大地、オーロラに飛ぶ”という見出しが浮かびました(野口順子さんからのメールを参考に考えました)。
 ところで、先日の沢野選手の会見の際、ニシ・スポーツ取締役の早野忠昭氏のことを紹介しました。1976年長野インターハイ800 mチャンピオン。当時高校3年生ということは、今年で47歳という若さ。ヤングエグゼクティヴ早野についてもっと教えて欲しい、というメールは来ませんでしたが、沢野選手とも関連づけられるインターハイなので、少し紹介しましょう。
(以下後送、の予定)


◆7月31日(日)
 夜、近くのTSUTAYAに行って、シベリウスの「フィンランディア」のCDを借りようとしたら、残念ながらありませんでした。クラシック・コーナー自体がかなり狭いんですね。超有名な楽曲は単独でありますが、クラシックコーナーにあるほとんどが、曲のさわりを20曲前後集めた名曲集や、テーマを決めたアンソロジーなのです。いずれは、そうなるのではないかと予想していましたが、すでに現実となっているとは知らず、ちょっとした驚きでした。
 名曲集もかなり多くの種類が出ていて、その中にフィンランディアが含まれていないか、1枚1枚チェックしていきました。こういった作業は、記録を扱う仕事柄、得意のはず。なかなか見つかりませんでしたが、1つの名曲集に含まれていたのを見逃さず、借りてパソコンに録音しました。

 CDを借りた帰りにコンビニに寄ったら、雑誌ナンバーに丹野麻美選手が出ていました。天才少女伝説という特集。文章は少しだけで、写真がメインの特集です。同学年の北風沙織選手も同じコーナーで取り上げられていました。
 文章はちょっとなのですが、丹野選手は休みには1人でカフェでボーっとするのが好きで、「福島にスターバックスがないので、できて欲しい」と話しています。ちなみに、川本先生の研究室のコーヒー豆は、ドトールです。1月に取材でお邪魔した際に、今は京女となっている坂水千恵選手が教えてくれました。
 ここまで全国規模の雑誌で言ったからにはもう、丹野選手が福島にスタバを誘致する会会長に就任したと決めつけて問題ないでしょう。その前に、フィンランドでスタバを探さないと…と思ったのですが、「海外用のコーヒーメーカーを持っていく」と陸上競技マガジン8月号にコメントが出ていますね。


◆8月1日(月)
 今日は千葉インターハイの開会式。取材に行ったわけではありませんが、インターハイ開会式が初めて屋内で行われたということで、テレビのニュースでも取り上げられていました。寺田は明日からヘルシンキですが、中国新聞の山本記者はインターハイ取材後にヘルシンキに移動するのだそうです。400 mH決勝に為末選手が残っていることを信じている、とメールに書いていました。
 山本記者のメールで思い出しました。アシックスのY田さんから聞いた話では、世界選手権代表入りに失敗した小島茂之選手は、千葉インターハイの仕事を担当することになったようです。Y田さんは笑いながら「罰として担当させた」と言いましたが、千葉は小島選手の地元でもあります(市船橋高出身)。地元人脈も仕事に役立つと期待されての人選のようです。
 この話を聞いて思いだしたのが、7月29日の日記で名前を挙げさせてもらった競歩の園原健弘選手のこと。園原選手もアシックスの社員で、1988年のソウル五輪代表を逃したときに、代表選手たちのウェア採寸の仕事を担当しました。専門誌に大きく掲載されたのを覚えています。園原選手は92年のバルセロナ五輪で、見事に代表入り。小島選手も次回世界選手権では、やってくれるのではないでしょうか。開催地は第二の故郷である兵庫の隣ですし。

 ただいま23:46。久しぶりにファミレスで日記を書いています。これから荷造り。一応、詰めるものはほぼ用意できているつもり。2時間で片づけて、3時間は寝たいですね。


ここが最新です
ヘルシンキ日記1日目
◆8月2日(火)
 ヘルシンキのホテルに夜中の0:30に着きました。ただ今、午前2:15。日本では3日朝8:15ですね。眠いです。

 成田空港では、2年前のシャルル・ドゴール空港の悪夢が甦りました。オランダ航空カウンターで、重量超過チャージ3万4000円を徴収されてしまったのです。スーツケースの重量は33s。13sのオーバーで250ユーロということです。ほんの少しだけ、抵抗しました。「えーっ、今まで(成田で)取られたことなんか、一度もありませんよ」とか「いきなり3万円も払うことになる身になってみてください」とか、「オランダに情けはないのですか」(話している相手は日本人ですけど)とか。
 2年前に追加料金を取られたのは帰りのドゴール空港だけ(42s)。往きの成田でも重さは37sあったのに、取られませんでした。今回は、パリの時よりスペースに少し余裕があるな、と感じていました。一応、こちらも学習していましたから。
 でも、そんなに長時間の抗議はせず、早々に退散しました。夏休みということで空港がものすごく混雑していて、あまり粘って出国手続きで慌てふためくのもなんですし。一度、やばかったことがあるのです。時間が迫ってきて航空会社の人間が出国審査場に呼びに来たのですが、自分で並んでいる人たちの最前列に行って、事情を話して割り込ませてもらったことが。
 しかし、吉田真希子選手だったら、何と言って交渉しただろう?

 席は良かったですね。HISの格安チケットの場合、往きの航空券はもう、事前に席が決まっているのですが、真ん中の列の右端。しかも、壁が目の前にある席で、壁までの距離が割と空いていたのです。腰痛にそれほど悩まされずにアムステルダムに着きました。日頃の行いの成果でしょう。昨日は結局1時間しか眠れなかったのですが、幸いにも、機内で2度くらい眠れました。たぶん、20分ずつくらいですけど。

 成田から西に向かう飛行機の中で、沢野大地選手の本サイト用の記事を書きました。成田から北上中ではなく、シベリアに出て西に向かっている最中です。そこは、こだわりました。スクリーンに地図が映し出されて、現在位置を示しますが、それをしっかり見て、書き始めました。
 機内で聞いていたのは「さらばシベリア鉄道」。一昨日、フィンランディアと一緒に、大滝詠一のCD(ロング・バケーション)も借りて、パソコンに録音していたのです。でも、ときどきスチュワーデスが色々と聞いてくるので、その都度、イヤホンは外す羽目になります。そのスッチーの英語がちょっと、聞き取りにくくて困りました。こちらのヒアリング能力の問題かもしれませんが、声がかなりハスキーなんですよ。
 最初はイヤだなあ、他のスッチーがこっちの方も担当してくれないかなあ、などと思っていました。それでも、シベリア横断中にずっと笑顔を見せられていると、ついつい、こちらも笑顔を返してしまいますし、ハスキー英語もちょっとずつ聞き取れるようになってきました。
 アムステルダムに着くまでには、愛惜の念も持つようになっていたのでした。飛行機を降りるとき、心の中でつぶやきました。
「さらばシベリアン・ハスキー」


昔の日記
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月