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◆2007年4月20日(金)
 大阪・天王寺のホテルです。明日の2007日本選抜陸上和歌山大会取材のため、今日のうちに大阪まで移動しました。今、TBS「We Love アスリート」世陸ブーム大阪上陸特別編を見終わったところです。番組内で紹介されていた沢野大地選手の街頭(TBS社屋前)棒高跳。実はあの日(3月31日)、寺田もTBSにいました……という話はまた今度にして、今日は御茶ノ水駅では気をつけよう、という話を紹介したいと思います。

 昨日は朝まで仕事パターン。起床したのは昼近く。その後の行動はまさに分刻み、と言ったら言い過ぎで、20分刻みくらい。14時まで自宅で仕事をしてから都心に移動。京王線車内ではテレビ番組雑誌の記事を20行ほど書きましたが、構想を練るにとどまった感じ。
 新宿のヨドバシカメラでキーボードカバーを買ってから青山一丁目のEPSON直営店にというかショールーム(?)に。キーボードカバーをしてキータッチの感触を確認してから、購入しました。あとでメールを見たら1.5GBのメモリーは要らない、1GBで十分というアドバイスがありましたが、キャンペーン期間中で1.5GBが1GBと同じくらいに安くなっていたのです。来週の火曜日に“白いモバイル・パソコン”が到着します。
 駅近くの吉野屋で、吉野達郎選手(ミズノ)の今季はどうだろう、と考えながら食事をしました。独身の曽輪ライターに電話をしましたが(紀三井寺への行き方を教えてもらうため)つながらないので、後でメールをする方針に変更。
 新宿の作業部屋に立ち寄り、某大学小冊子関係広告関連の仕事を整理。留守中期に来た宅急便を受け取りたかったのですが、クロネコ大和はドライバーに直接電話ができ、1時間もしないうちに持ってきてくれましたが、もう1つの宅急便屋がそこまで対応できません。印刷所からの校正が受け取れませんでした。
 兵庫の出口先生をはじめ数人に電話をし、メールも5つくらい返信。
 なんとか18:50に作業部屋を出て、新宿を19:13の中央線快速に乗ることができました。

 中央線快速電車は新宿、四谷、御茶ノ水、神田、東京の順に停まります(朝日新聞大阪の小田記者など、関東以外に住んでいる方はイメージできないかも)。御茶ノ水でドアが開く直前に、「そういえば一昨日ホームでミズノの鈴木さんに会ったけど、まさか今日までミズノ関係者に会うことはないだろう」と思った次の瞬間、田川茂さん(8mジャンパーです)が目の前に現れました。信じられなかったですね。
 聞けば田川さんも和歌山に行くとのこと。寺田は切符を安くするために1週間前に新幹線の予約をしましたが、田川さんは新幹線も宿も予約していないと言います。そんなものしなくてもなんとかなる、と考えてのこと。なかなか旅慣れていますね。個人的な意見ですが、フィールド選手はそのくらい肝が据わっていないとダメでしょう。もちろん、やるべきことは準備して。
 それにしても、3日で2回もミズノ社員に出会うとは。皆さんも、御茶ノ水駅では注意しましょう。

 19:36のひかりで新大阪に。名古屋までにテレビ番組雑誌の原稿を書き上げ、名古屋で停車中に無線LANに接続しようとしたら、ホームまでは電波が届いていませんでした。名古屋の待合室ではよく接続するのですが。次の岐阜羽島駅に停車中にPHSで送信。その後はさすがに疲れが出て、新大阪までは休息モードに。
 明日は初めての和歌山投てきカーニバル、じゃなくて日本選抜陸上和歌山大会の取材。和歌山県に行くこと自体、生まれて初めてです。昨日、ある用事で某専門誌に電話をすると、和歌山出身のE本編集者が出たのでそのことを伝えました。すると、「入県を拒否しますから」という厳しい言葉が。どうやら、道路や駅を封鎖できるコネがあるらしいですね。果たして寺田は、無事に和歌山に入れるのでしょうか? 明日の日記を待て!


◆2007年4月21日(土)
 昨晩、大阪の天王寺まで移動し、いよいよ今日は、“初の和歌山県入り”に挑戦。結果から言えば、成功しました。ただ、正面から行ったのでは阻止される可能性がありました(昨日の日記の最後の部分を参照)。そこで思い切って、海沿いからの潜入を試みた次第です。普通にJRの和歌山駅や紀三井寺駅から行ったら海を見ることはありませんが、今回は特別ルートを取ったため、和歌山の綺麗な海を見ることができました。詳細は書けませんが、007になった気分だった、と言っておきます。
 ということで、日本選抜和歌山大会の取材です。
 初めての紀三井寺競技場の印象は、ちょっとレトロで、南国情緒を感じられるものでした。色づかいとか、周囲の風景とかで、そう感じたのだと思います。それなりに大きいのですが、近年の4〜5万人規模のスタンドとは違って、人間らしさがあります。富士通パソコンの写真加工ソフトを使いこなせないので、写真を掲載できません。それがちょっと残念。

 十種競技は100 mでは田中宏昌選手、走幅跳では大島雄治選手の動きの良さが目立ちましたが、1日目終了時点ではこの記事のような結果に。松田克彦陸連混成部長や桜井智野風先生ら、混成ブロックの方たちにデータを教えていただきました。
 初日4000点オーバーの該当者4人のうち、和歌山の会場には松田部長とミズノの金子さんの姿がありました。松田部長は自身の1日目の得点はもちろん、他の選手の得点もだいたい覚えていたのに対し、金子さんは自分の1日目の得点を覚えていませんでした。これは、本人のキャラなのかもしれませんし、タイプの違いによるものなのかもしれません。
 タイプというのは、松田部長が1日目で稼ぐスプリント&ジャンプ型だったのに対し、金子さんが2日目の円盤投、棒高跳、やり投で稼ぐパワー型だったこと。この辺も、書き出したら面白いできるネタがいっぱいあるのですが、時間がないのでその辺はまた、機会を見ながら紹介していくということで。

 七種競技では新社会人の横田美帆選手が健闘し、3種目終了時点で中田有紀選手を200点以上も抑えてトップ。初日をそのまま折り返すか、と200 mに注目しましたが、横田選手はジャンパータイプのスプリント(といっていいのか?)で、終盤でペースダウン。中田選手が抑えの効いた走りで25秒14(−0.2)で逆転しました。
 通告の方がものすごく混成競技に明るい方で、200 mレース前に1秒差をつけたら逆転と紹介してくれていました。それで、別の組で走った2人ですが、観戦のポイントがわかりやすくなりました。
 ところで、中田選手のコーチである中京大・本多陽先生は、浜松北高出身なので静岡というイメージもありますが、中学は和歌山県。佐藤悠基選手が佐久長聖高出身で長野というイメージがあるけど、実は静岡県というのと同じケースです。ISHIRO記者が、競技場の玄関を入ったところに、各年代の和歌山県記録の一覧があり、本多先生の名前もまだ残っていることを教えてくれました。
 さっそく行ってみると、1974年に出した400 mの50秒4がまだ残っています。聞けば、他の種目もいくつか持っていたとのこと。他の種目の名前を見ていても、なかなかすごいというか、まったく飽きない顔ぶれです。

 さて、男子やり投では村上幸史選手が79m51の自己4番目、シーズン初戦としては自己最高記録で優勝。B標準も3回目の突破を果たしました。日本歴代1・2位の溝口和洋、吉田雅美の2選手を輩出したのが和歌山県。そのメイン競技場のスタジアム記録を塗り替えたらすごいこと、と思って調べたら、溝口選手が82m08を1989年に投げていました。
 その記録は溝口選手にとって13番目の記録。3月25日の日記に同じことを書きましたが、当時は溝口選手が82〜83mを投げても当たり前、という雰囲気がありました。今から考えると、すごいレベルだったのですが、それをきちんと認識できていませんでした。
 しかし、今日の村上選手の投てきは、今後に向けて期待の持てる内容でした。詳しくは記事にする予定ですが、これは時間次第。本人も話していましたが、この冬期でこつをつかんだところもあるようで、今年、来年ときちんと足下が固まれば、北京五輪後に見えてくるものがあるかもしれません。


◆2007年4月22日(日)
 兵庫リレーカーニバルの取材。
 地下鉄では順大・仲村明監督と一緒になり、今年のインカレが厳しい状況にあることや、高野連の特待生制度廃止は無理があるのではないか、という話をしました。高野連の決定はプロ野球との裏金問題が騒がれている時期なので、最初にバーンと“やり過ぎだろう”という姿勢を見せておいて、徐々に緩和していくのではないかな、と個人的には推測しましたけど、高野連の考えを忖度(そんたく)するのも無理がある。というか判断材料不足。単なる当てずっぽうですね。
 総合運動公園駅では国士大・青山監督と一緒になりました。スタジアムまでの道すがら、海老原有希選手の欠場理由や、小林志郎選手の調子を聞きました。昨年取材させてもらった小林選手ですが、今は調子を崩しているとのこと。残念ながら結果は、その通りになりました。

 さて、会場に着いて記者たちの話題になっていたのは、昨年とインタビュールームの場所が変わっていたこと。昨年はトラックに面した部屋でしたが、今年は廊下を隔てて外側の部屋に。記者たちの作業部屋に隣接はしていますが、見られない種目は多くなります。複数の記者が来て、担当種目を分担できる社は対応できるのですが、実際問題として1人しか派遣できない社も多いわけです。
「競技を見ず、記録も知らずにインタビューをするしかない」という声も聞きました。ある意味、それが陸上競技記者らしいといえば“らしい”のですが、いいのかな、という疑問も感じます。柔道なども複数の試合が同時進行しますけど、競技を見る難しさという点では陸上競技がナンバーワンとの評価。
 せめて部屋の位置はなんとかならないか、と思いますけど、競技会運営全体を見ての判断だと言われればそれまで。これは文句を言うよりも、自身の能力で対応するしかないわけですが(パソコンのキーボードとは違って)、今日の寺田はまずまずの動きができたと思います。男子800mや女子1500mなど、強い選手が出る2組目に絶妙のタイミングでインタビュールームから外に出て行きました。

 しかし、男女の1万mが続けて行われたときは完全に無理。女子であれだけの好記録が出たのです。女子のレース後に、まずはワゴイ選手と絹川愛選手の取材を優先。男子のレースは見られません。しかし、最後だけは見ておきたい。絹川選手の会見中でしたが、男子がスタートして24分後(スタートのピストル音に気をつけて、ストップウォッチは押しました)にはトラックに。残り2周は見ることができました。
 男子のレース後の動きですが、男子の取材は後回し、最悪なしでもいいと判断して、仙台育英高の渡辺高夫先生や、脇田茜選手の取材を優先しようと思いました。このあたり、その記者の持っているネタや、どのメディアに何を書くかという部分に左右されるので、一概にどの動きが正解だと決めることはできませんけど。実際には確か、九電工・綾部監督と話ができ、引き揚げてくる前田和浩選手にも歩きながら30秒取材をしたと思います。その後、渡辺先生のコメントも十分に聞くことができましたし、運良く脇田選手のカコミ取材にも顔を出せました。この辺は運もありましたね。
 それにしても、絹川選手はユニークなキャラの持ち主。ユニークですけど、高校生とは思えないほど芯がしっかりしています。特に渡辺先生との関係で、そう感じました。高校生段階では指導者に走らせてもらうことが多いのが現実ですが、絹川選手は自分が走るために、渡辺先生の能力を借りている。そういう印象を受けましたし、渡辺先生も「意思をしっかり持っている子。自分の世界をきっちり持っていないと、長距離では成功しないよ、という話しもしています。そこは高校生を超えています」と言います。本当にすごいですよ。
 もちろん、走りもすごい。動きは小林祐梨子選手とも共通する部分があり、練習メニューはポイント練習の日数をかなり絞っているようです。この辺もいつか、取材できたらいいですね。

 最後に、ドーピング検査を待っているマサシ選手にも話を聞くことができ、ゲディオン選手との対決についてもコメントをとることができました。スズキの岩本照暢コーチから1000m毎のスプリットも入手。
 できる限りの取材はできたかな、という一日でした。ただ、男子砲丸投の会見最中に大きなミス。昨年の某専門誌O川編集者と同じような勘違いをやらかしてしまいました。これは、大いに反省しています。大橋選手、ごめんなさい。でも、昨日のT部長の話はなんだったのだろう?
 記者の作業部屋は19:56(競技終了2時間後)に閉まるので、かなり集中して原稿書き。定刻を10分オーバーしましたが、なんとか3つの原稿を仕上げ(1つは本サイト記事)、デスクと椅子を片づけて退出。
 三ノ宮でちょっと食事。


◆2007年4月23日(月)
 10時までホテルで仕事。お昼締め切りの原稿が終わらず、近くのカフェに。ここは昨年の国体取材の際に見つけておいたカフェ。ランチタイムになれば混み合うので、その前にとやってしまおうと頑張り、11:30に仕上げて送信。
 新幹線車内では、先月30日に取材をしたリチャーズ選手のインタビュー記事に着手。さすがに車内の3時間(ランチやメールタイムもあったので、実質2時間)では終わりませんでしたが、高橋編集長からのプレゼントもありましたし、インタビュー時の構成を大きく変えることがなかったので、新宿の作業部屋に着いてから比較的早めに終了……しましたが、ライバル誌が今月号で記事を出している選手です。なんとか違いを出さねばと、頭をひねりました。が、これはもうインタビューした時点で工夫をしていないとどうしようもない部分。それでも、2〜3時間寝かしてから送信。しばらく時間をおいてから読み直すと、違った点に気づくのです。

 作業部屋に戻ると、クリール6月号が届いていました。陸上競技ファンにとって一番の目玉は川越学監督の記事で、タイトルは“川越学の「継続で強くなる」”。高地トレーニング、無理をさせないトレーニング(でも、マラソンに必要な範囲でスピードは追求する)、筋力トレーニング、フォーム(動き)づくりなどの個々のトレーニングは全て、“故障をしない”というコンセプトに集約されています。マラソン練習で「40km走は当たり前」と思っている読者には、“40km走は行わない。距離走はやっても30km止まり”という考えは新鮮でしょう。距離にこだわらなくても実際のマラソンで、川越門下の選手たちは後半に強さを見せています。
 ただ、皆さんお気づきかと思いますが近年のマラソン・トレーニングは、「何が何でも40km走を何本。タイムは2時間*分で」という考え方ではなくなっています。犬伏孝行選手が道路日本記録を出した際に練習メニューを陸マガで掲載させてもらいましたが、40km走のタイムは遅めに設定して、翌日のスピード練習とのセットで効果を狙っていました。企業秘密でもあるメニューを公開したことについて、河野匡監督は「それを長い期間続けられるのが犬伏の特徴だから」と話していたと記憶しています。
 1月の大阪国際女子マラソンのときに三井住友海上・鈴木監督から聞いた話では、渋井陽子選手も以前ほど距離を追わなくなったといいます。苦しいところでの対処法がわかっている選手には、練習でそこまで追い込まなくてもいい。ただ、その辺の経験のない若い選手には、距離走で追い込むことも必要ではないか、と話していました。藤田敦史選手が別大に向けて練習を変えたのも、同じ考え方だと思います。奥谷亘選手は膨大な距離を走ります。詳しくは陸マガ5月号を見てほしいのですが、その狙いはケガをしないこと、なのです。ジョグで膨大に走っても、俗に言う距離走は少ないわけです。
 高橋尚子選手が走り込むことで見過ごされがちですが、小出監督門下生も全員が同じパターンの練習ではありません。赤木純子選手が2時間28分13秒(当時、積水化学歴代2位だったと思います)を出したときに、40km走まではできないと話していて、それを記事にしたら、川越監督からメールをもらったと記憶しています。
 それでも、徹底ぶりでいえば川越監督が一番かもしれません。今後、“走り込める”選手が入ったときに、アレンジを加えていくのかどうかを、注目していきたいと思います。


◆2007年4月24日(火)
 13時から某大学で取材。陸マガ6月号のインカレ展望企画で、明日取材予定の選手とセットで掲載します。約1時間でインタビュー、写真撮影と終了。その選手のインタビューへの答えはまさに“正統派”。明日の選手次第ではありますが、2人の対照的な部分が出せるような気がします。
 インタビュー終了後に、学食でハワイアンな定食(名前を失念しました)を食べながら、Y口編集者と打ち合わせ。

 16:30には新宿の作業部屋に着。18時頃に白いモバイル・パソコンが宅急便で届きました。これが、その写真。右がこの日記を書き、ホームページビルダーで作業もしている富士通パソコンです。写真加工ソフトの使い方も、やっとわかってきました。まだ、一覧表示の仕方がわからないんですよね。
 急ぎの仕事(某サイト用にデータ作成)もあったので、新パソコンへのソフト・インストールや、メールやなんやらの設定作業は、最初のインターネット接続に失敗して挫折。日曜日の兵庫リレーカーニバルの際にA新聞のH記者に聞いた話では、社内にパソコンの設定相談窓口があるのだとか。うらやましい。でも、家族T氏が勤めた会社は、最初の50人規模の会社にもそういった部署があるのだとか。
 うーむ。明日も請求書を書く予定ですが、やっぱり個人事業主はつらいですね。奥村トレーナーに今度、その辺のことを聞いておきましょう。

 PCの設定前に作業部屋の作業スペースを綺麗にしないと、どうしても気分が悪かったので、資料の山に埋もれかけてきた丸テーブル上を整理をしました。その作業に約1時間半。気がついたら21:40。焦ってヨドバシ・カメラにセキュリティソフトを購入に行きました。この辺で疲労感が大きくなり、背中から腰、脚の裏側にどよーんとした重さを感じるようになりました。実際にはないのですが、微熱が出ているような感覚もあります。


◆2007年4月25日(水)
 起床すると体調はまずまず。
 気になっていた白いモバイルパソコンのインターネット接続に成功。失敗したきっかけはEPSONが出荷時にハードディスクの分割がしていないこと。分割サービスを申し込むと5000円もとられる。だったら「自分でやります」と断ったのです。それで、Windowsを再インストールしてパーティション分割もしたのですが、Windowsをインストールした段階でネット接続を試みたのが失敗の原因でした。Windowsを入れた後にドライバー類をまとめてインストールする作業が指示されていて、それをしないとネット接続はできなかったのです。

 しかし、なんとかネット接続のメドがたち、15時に自宅を出発。
 新宿駅で急いで食事をして、15:29の急行に飛び乗りました。一番前の車両に移動をすると空席があり、座って原稿を書く作業ができました。テレビ雑誌の50行原稿。男子マラソンの現状を分析してほしいという依頼です。得意分野(?)ですが、そのために過去20年間分の福岡・別大・東京・びわ湖の戦績と、オリンピック&世界選手権の戦績を持ち歩きました。けっこう重いですね。その分、思いを込めた記事になればいいのですが。

 原稿を書き出すというよりも構想をまとめた段階で目的地の駅に。そこでIカメラマンと合流して大学に移動。初めて行く大学でしたが、ここまで近代的でお洒落なキャンパスとは思っていませんでした。選手との連絡に手間取りましたが、事なきを得て取材を開始。雨が再び降り始める前に撮影を済ませて、その後にキャンパス内のイタリアン・レストランでインタビュー(頼んだのは選手とカメラマンがアイスティーで寺田がエスプレッソコーヒー)。
 インタビューは今日も面白い話を聞くことができました。昨日の選手とは対照的なところもあり、なかなか良い記事になりそうな感触があります。同じ種目の2人ですが、考え方とかキャラとかは確かに違います。「○○さん(昨日取材した選手)と違って、軽いと見られているんです」と言いますが、競技に対しては強いモチベーションを持って取り組んでいます。
 今も十分にライバルとして認知されていますが、陸上界の枠から出て、世間一般でもライバル同士として有名になったら、面白い存在になると感じました。1500mのオベットとコー(1970年代末から80年代前半に活躍。1500mや1マイルで世界記録更新の応酬を演じました。ともに英国選手でしたが、キャラが違うことでも有名)を彷彿させるライバル関係になれるかも。そのためには、在学中に世界選手権に出る可能性もありますが、卒業後も頑張る必要があるのですが、そこがどうなるか…。

 取材終了後、キャンパス内で約1時間、テレビ雑誌の記事を仕上げました。昨年、出張の合間の一日で名古屋大学に行って、ぶらぶら散策しながら原稿を書きましたけど、大学ならそういった場所が多いんですね。
 話はちょっとずれますが、その大学では講義をノートにとるのでなく、パソコンに入力しながら聞く学生も多いのだとか。机の下に電源コンセントもあるのだそうです。もちろん、無線LANも完備されている。寺田が今日、使ったわけではありませんけど。
 1時間で原稿を書き終えて送信したのはいいのですが、その頃、雨も降り始めていましたし、気温も急激に低くなっていました。一気に疲労感が出てきて、昨晩に続いて背中から腰、脚の裏側が重くなる症状に。熱がないのに熱っぽい。
 もう1つ締め切りがあったのですが、早めに自宅に戻って休みました。


◆2007年4月26日(木)
 7時前に起床して、9時までに締め切りの仕事を片づけましたが、体調がいまひとつだと感じてもう一度休みました。3時間ほど眠って体調は回復。町田に出て(色々な意味で陸上競技ゆかりの街です)、某大学冊子の校正を受け取りました。
 打ち合わせもする必要があり、たまにはお洒落なカフェにでも行こうかと思いましたが、急いで探すとなるとなかなか見つかりません。東急ハンズ1Fのイタリアントマトは、平日の午後3時だというのに満席。頼みのルミネも案内板を見る限り、お茶だけで入れそうな店がないので、ヨドバシカメラ前のデニーズに。ファミレスは雰囲気はイマイチですけど、テーブルが広いので校正を見ながら打ち合わせをするにはうってつけ。2人で600円台というのもありがたいですし。

 新宿に出る車中で、背中と腰と脚の裏側の張りが再発。熱っぽい感じもあります。困りました。体調がよくなったと思ったので、明日までに送ると約束してしまった仕事が2つあります。新宿の作業部屋に着いてから休憩して、1つは片づけて宅急便で発送。原稿の締切もありましたが、早起きしてやることにしました。
 週末は織田記念、静岡国際と2日連続の梯子取材。明後日の土曜日も、できれば筑波大競技会に行きたかったのですが、難しい状況に。成迫健児選手の実業団初400 mHなのですが…。


◆2007年4月27日(金)
 朝の6時に起きるつもりが8時に。体調はまずまず。11:30にインタビュー原稿80行を仕上げて送信。その後、15時まで寝て、体調は万全になったと思います。
 少しずつ進めていた白いモバイルパソコンへのソフトのインストール&各種設定も、夜にはほぼ終わりました。写真加工ソフトが入っていないパソコンは初めてで、これだけはダメかと思いましたが、やっぱりあるんですね、フリーソフトが。こういうときに頼りになるのが窓の杜。自分で一から探すとなると、仮に見つけても本当に信用できるのか不安になります。こうして、フリーソフトを扱った“大手サイト”があるのは助かります。確か、岩崎利彦氏(日本人初の13秒台ハードラー)を、広報として取材させてもらったときに教えてもらったサイトです。

 夜はTBSの「We Love アスリート」で早狩実紀選手の“女っぷり”(この言葉って失礼じゃないですよね)を見させていただきました。昨年、マインツでデートした相手です。そこは上げてもらいたい部分。吹きガラスの作品群はインパクトがありましたね。包丁人ハードラー成迫選手も真っ青?
 そういえば、陸マガ5月号の2007シーズン展望(春季シーズン中心)記事で、同選手に触れていませんでした。これは反省材料です。その記事の締めの一文は、「花も実もある女子選手たちの活躍が、07年の陸上界を盛り上げそうだ」でした。この450行の記事は、この一文を書くためだけに残りの448行を費やしたと言っても過言ではありません(とか書くときは、だいたいが言い過ぎです)。
 記事の最後のチャプターで女子円盤投で8年ぶりに日本記録を更新した室伏由佳選手の学年(昨年で30歳。吉田真希子選手・花岡麻帆選手・中田有紀選手と女子の日本記録保持者が多い)と、今年大台に乗る信岡沙希重選手に触れたのですが、そこに早狩選手も含めるべきでした。

 明日からはもう、2回目の春季サーキット取材遠征。地元世界選手権イヤーもいよいよ待ったなしという段階ですけど、選考の本番は日本選手権という考え方もあると思いますが、やることはもう今の段階でやっていないと遅いという見方もできたりしますが、まあ、気の持ち方は人ぞれぞれということで。


◆2007年4月28日(土)
 夕方まで新宿で原稿書き。
 18:50ののぞみで広島に移動。ホテルまで駅から近いと思って歩きましたが、思ったよりも遠かったです。
 車内では資料へ目を通す作業と原稿書き。24・25日と取材した学生選手の記事で、1人は昨日から書き始めていて、なんとか指定の文字数通りに収めましたが、再度の推敲を車内で。もう1人の選手を新幹線の中で書いたのですが、完全に文字数オーバー。
 こういうときは、その場でウンウン唸って修正するよりも、時間を置いてから読み直した方がいい案が浮かびます。書き上げた直後はまだ、書き手もちょっとした“入れ込んだ状態”にあるので、あそこが要らない、ここは要らないと判断がしにくいのです。
 しばらく経ってから読み直すと、印象が違ってくるので、少しは冷静な取捨選択ができるようになります。これを業界用語で「寝かせる」「寝かせておく」と言います。

 体調はいまひとつ。2:00には寝ました。


◆2007年4月29日(日)
 織田記念取材。たぶん8年連続です。体調はいまひとつ。体の節々が痛くて、熱はないのに熱っぽい感じがあります。疲労感が大きい。のどは痛くないし、食欲もあります。通常の風邪の症状とは違います。フリーランスになって8年目。まとまった休みはとっていません。勤め人をやめたのに勤続疲労でしょうか。

 織田記念は午前中に男女のハードルや男女の100mの予選が行われます。最低限、そこまではスタンドで見る習慣になっていたのに、今回は省エネモードでグラウンドレベルで見ていたのです。それで、女子100 mH予選2組に出場した池田久美子選手が、スタート直後によろけたのを見逃してしまいました。
 走りだけを見て、キレがないと思ってしまったんですね。タイムを見る前にそう感じました。おそらく、昨年の池田選手との比較ではなく、1組目のポーランド選手(13秒09・−0.2)と比較していたのだと思います。
 しかし、実際はスタートでつまずいていて、そこから修正したため立ち上がるような動きになってしまい、ハードルも浮く感じのハードリングになってしまったのです。

 その他のトラック種目は、だいたい見ることができました。織田記念もインタビュールームからグラウンドが見えないので、グラウンドとインタビュールームを行き来するタイミングが難しい。スターターのピストル音も聞こえません。これはもう、どの大会が良い悪い、というのではなく、陸上競技取材の宿命と思っています。見なかった種目や、コメントを取材できなかった種目も書かないといけないこともあるわけで、その辺も記者能力に含まれます。
 今日で言えば、女子3000mSCを最初の1000mだけ見て、インタビュールームに移動しました。早狩実紀選手に食い下がっていた辰巳悦加選手(和光アスリートクラブ)が遅れ始め、早狩選手の独走になると確信したからです。インタビュールームでは、男子100 m優勝の朝原宣治選手の取材が始まろうとしていたのだと思います。同大の同学年コンビでしたが、復活した朝原選手を優先しました。
 ところが、あとで記録を見ると森春菜選手が0.28秒差の2位でフィニッシュしています。えっ? と思いましたが後の祭り。どうしようもありません。僅差だったことに気づいたときは表彰ももう終わっていて、選手をつかまえるのは難しい状況になっています。早狩選手からレース展開を聞くくらいしか、レースの様子を確認することはできませんでした。まあ、今回は陸マガには書かないので、それほどヤバイ状況ではないのですけど。
 逆に、レースは見たけれど、コメント取材をあきらめようと思ったのが男子400 m……でしたが、為末選手がレース後に気持ちが悪くなって、インタビュー開始が遅れたので運良く為末選手も取材ができました。

 織田記念のいいところは、タイムテーブルに地元の学校のリレーを固めて入れてあることです。その時間帯にこちらは、フィールド種目やコメント取材に集中できます。今日もその時間で、女子棒高跳の近藤高代選手や、男子三段跳の杉林孝法選手の話を聞くことができました。今年(今年度)で32歳になる同学年の2人ですが、話を聞くと再上昇の雰囲気があります。近藤選手については西田・高橋記念の陸マガ記事で紹介しましたが、杉林選手も地元の石川で大学の先生になり、色々と気づくこともあったようです。テーピングなしでピットに立ったのは久しぶりだといいます。
 優勝記録の16m36(+1.7)は年齢別日本最高記録。ただ、さらに高年齢で山下訓史選手や小松隆志選手が、もっと上の記録を出しているので、それほど価値があるわけではありませんけど。それでも、本人は手応え十分。「石川に帰って、打倒・石川(和義)だ」とは言いませんでしたけど。

 夕方になって気温が低くなると、体調が悪化。声の調子もおかしくなってきました。風邪だったら選手にうつしてはいけないので自粛しますが、そうではないので取材を続行。トラック&フィールド・シーズンに入ると長距離種目はどうしても後回しにしがちですが、織田記念は最後に長距離種目だけが行われている状況になります。しっかりと取材。
 19:30頃まで記者室で原稿書き。織田記念で即日移動は最初の取材の00年だけで、01年以降は泊まるようになりました。しかし、今年は翌日に静岡国際があるため、名古屋まで移動します。当初は新大阪泊まりの予定で“3週連続関西滞在”になるはずでしたが、広島を21時ちょっとののぞみに乗れば、名古屋まで移動できることが判明して切り替えました。
 試合翌朝に広島駅のホームで中国新聞を読むのが日課ならぬ年課になっていましたが、今年はできません。中国新聞・山本記者に明日の朝刊購入を申し出て、ビッグアーチを後にしました。


◆2007年4月30日(月)
 名古屋を8時ちょっと発のひかりに乗って静岡まで移動。昨晩、体調は少し回復しましたが、今日はまた悪化。静岡駅からは陸マガ・高野徹タクシーに同乗することができたので助かりました。試合取材でここまで体調がすぐれないのは釜山アジア大会(2002年)以来かな、などと考えていましたが、早い時間帯に奥村トレーナーからニンニク入り栄養補助食品をもらって服用し、かなり回復。本当に助かりました。

 今日一番のニュースは久保倉里美選手の女子400 mH日本新です。久保倉選手のコメントは記事でも紹介しましたが、“日本新”よりも“55秒台”という点を強調した内容でした。取材をしながら久保倉選手が以前、「誰に勝つとかは興味がなくて、自分の力を出し切って世界に挑戦することが目標」という話をしてくれたことを思い出しました。福島大グループは同じ種目に有力選手が複数いることもあって、そう考える選手が多いですね。
 このほかインパクトが強かったのは沢野大地選手、室伏由佳選手、高橋萌木子選手たちですが、筑波大関係選手も多くの種目で活躍していました。
 その象徴が男子200 m予選。1組は斎藤仁志選手、2組は石塚祐輔選手、3組はOBの長谷川充選手がトップ通過。藤光謙司選手、高平慎士選手、吉野達郎選手をそれぞれの組で抑えたのです。決勝では斎藤選手こそケイレンで最下位に終わりましたが、石塚選手が優勝し長谷川選手が2位。ここ数年、末續選手以外には負けていなかった高平選手に土を付けたのです。
 就任2年目。谷川聡コーチ(写真)の指導が早くも、成果を出しつつあるようです。その谷川コーチが、200 mでは今回敗れた斎藤選手を高く評価していますから、石塚選手とも甲乙付けがたい力があると見ていいでしょう。この2人に品田直宏選手を加えた4×100 mRも、38秒台も狙えるような気がします。インカレの注目ポイントですね。
 筑波大関係選手では土屋光選手が走高跳で優勝、院生の秋本啓太選手が円盤投で2位、女子ではOBの藤沢潔香選手が走高跳2位、砲丸投の美濃部貴衣選手が日本人トップの3位、OBの小島裕子選手がやり投優勝と活躍。

 筑波大といえば、OBの毎日新聞・ISHIRO記者も相変わらず元気いっぱいで、寺田が「今日は日陰だと肌寒いなあ」と着込んでいるのに対し、今日もポロシャツ姿で取材に駆け回っていました。そのISHIRO記者に対抗意識をむき出しにしているのが、朝日新聞・堀川記者。会社同士がライバルという立場に加え、元松井秀喜番の堀川記者としては、イチロー似のISHIRO記者に負けるわけにはいかないわけです。織田記念取材のために広島入りする時間も、どちらが早くか競っていたようです。
 この日は堀川記者もポロシャツ姿で取材(2人のポロシャツ記者)。世界選手権イヤーは取材現場も熱くなっています。


◆2007年5月1日(火)
 電話での依頼事や打ち合わせが多かったのですが、“やることリスト”を作成したら、30分刻みで項目が列記できた一日でした。達成感もありましたが、疲労も大きくなってしまった気がします。


◆2007年5月2日(水)
 体調がいまひとつ。休養を優先しながら、仕事を少しずつ入れる珍しい一日。某WEBサイトのデータ関係の仕事をなんとか終わらせました。
 ところで、昨日今日とゴールデンウィークの谷間ですが、世間ではこの2日間も休みを取って海外に行ったりする人も多いとか聞きます。しかし、寺田の周りは思いの外、皆さん働いているようです。電話をかけた全員(3〜4人ですが)が仕事モードでした。
 ゴールデンリーグやゴールデンゲームズはあっても、ゴールデンウィークは存在しない陸上界です。


◆2007年5月3日(木)
 某WEBサイトの原稿を仕上げ、夕方から陸マガの静岡国際原稿をやっと書き始めました。


◆2007年5月4日(金)
 静岡国際男子200 mのページが独立してとってあるのですが、そこの原稿を一通り書き上げ、19時ちょっとに東京発の新幹線で大阪入り。車内では明日の取材の予習。コピーして持参している資料に目を通しました。
 今回の宿は、地下鉄長居駅の1つ手前、西田辺駅近くのホテルに。長居競技場まで徒歩圏内です。今年は日本選手権や世界選手権で長居での取材が10日以上もあります。世界選手権期間中の宿は梅田近くを抑えてはありますが(3カ月以上前に予約できるホテルだったので)、西田辺のそのホテルが良ければ変更することも考えていました。
 ところが、部屋がかなり狭くて、ベッド以外のスペースは猫の額ほどの広さ。3日間の日本選手権ならなんとかしのぐことができますが、世界選手権で10日間以上も滞在するのは無理だと感じました。
 夜は静岡国際男子200 mの原稿を仕上げ、これも別ページの女子400 mH日本新の原稿に取りかかりましたが、半分ほどでダウン。明日の朝、頑張ることに。


◆2007年5月5日(土)
 早起きをして静岡国際女子400 mHの原稿書きを頑張りましたが、10:00のチェックアウト時には8割の完成度。10:30には長居競技場のプレスルームに到着し、続きを頑張ろう……と思ったのですが、席が埋まってしまっています。陸マガ・グループに混ぜてもらうことができことなきを得たのですが、約20分のロス。担当の秋山編集者まで現れ大ピンチ……と思いきや、なんとかなりました。詳しくは書けませんけど。

 取材は最初のトラック種目の女子4×400 mRでいきなりヒートアップ。日本女子チームが米国に食い下がりました。どの選手も後半もしっかりと走りきっている。記録が出るときとはそういうもの。前半をある程度のハイペースで入っても、後半も持ちこたえる。結果的にイーヴンペースに近い形になると、いい記録が出ています(厳密なイーヴンペースではないですよ)。今日の女子4×400 mRがそのパターンにはまりました。
 アジア大会の女子4×400 mRで選手たちにラップを聞かれたとき、他の取材と重なってしまい、計測できませんでした。福島大はデジタルビデオから正確に計測しているのですが、選手たちは少しでも早く知りたいもの。ある程度正確に測っている人間がいれば、そこで予備知識を仕入れて、正式計時ならぬ正確計時への心の準備ができるのでしょう。

 今回、選手たちに話す機会はありませんでしたが、寺田の計時は1走から次の通り。
53.46−50.96−52.09−54.01
 JAAF Statistics Informationsによる非公式計時は
53.4−50.9−52.0−54.2
 福島大のデジタルビデオでの計時は
53.64−50.83−52.03−54.03
 ちなみに寺田の計測による後半200 mのタイムは2走の丹野麻美選手が26秒60、3走の久保倉選手が27秒71、4走の吉田真希子選手が29秒27。後半に走れている選手が、好タイムを出しています。ただ、後半を走りきるには序盤でスピードを上げ、力を使わずにハイペースに持ち込む必要がある。特に50mまでのクレアチンリン酸の使い方が重要になるとのこと。

 女子4×400 mRのコメント取材を優先したため(更新幅の大きい日本新でしたから)、男子の4×400 mRは見られませんでした。テレビ中継もあるし、JAAF Statistics Informationsからのデータ提供も期待できると思ったので。ただ、フィニッシュ直後の取材には間に合いません。今回、標準記録突破の3分02秒44だったのですが、3走の太田和憲選手が45秒2と好ラップを刻んでいました。
 46.3−45.6−45.2−45.3
 国際経験という点では、4人の中で最も少ないのが太田選手。ラップを知っていればすぐに取材をしたのですが。やっぱり、実際にレースを見ないとだめですね。

 この大会はたぶん、最も取材が忙しい大会です。春季サーキットから続く春のシーズンのピークをつくる選手が多いですし、記録の出やすい長居ということもあります。14:45からトラック種目が10分間隔で行われていくともう、スタンドの記者席に戻る余裕はなくなります(それでも何種目かはスタンドから見ますけど)。
 選手全員が通るミックスドゾーンと、3位までの会見が行われるインタビュールームと、どういうバランスで行くかで取材の出来が左右されます。両方に上手く足を運べればいいのですが、それが難しいところ。どちらかに重心を置くことになります。3位以内の選手だけでよければインタビュールームに腰を据えるのが効率的。テレビも設置されているので、競技も見ることができます。
 下位の選手に話を聞きたいときはミックスドゾーン。優勝選手のコメントも聞けますけど、注目選手には記者たちが殺到し、よほど良いポジションを確保しないと声が聞こえません。昨年の日本選手権はミックスドゾーンにもマイクが設置されて聞き取りやすかったのですが。
 忙しさでは春季サーキット各大会以上ですが、テレビ放映があるので、ぎりぎりでなんとか頑張れているのが大阪GPの取材です。


◆2007年5月6日(日)
 どうも、セントレア(中部国際空港)には突然行く運命にあるようです。昨年12月のドーハ・アジア大会の帰路、ドバイでの乗り換えが関西空港行きの便に間に合わず、セントレア行きの便に振り替えられ、まったく予定になかった同空港に帰国したことがありました(昨年12月14日の日記参照)。そして今日、昨日までまったく考えていなかったセントレアに、夜の21時に行きました。

 話はさかのぼって今朝のこと。西田辺のホテルから、大阪GP本部ホテルに行って某選手&チーム広報と打ち合わせ。その際に、池田久美子選手が今晩、セントレアからドーハに向かう情報を入手しました。今日の寺田は日本選手権男子20kmWを取材したら、東京に帰るだけの予定でした。ただ、ゴールデンウィーク最終日で、新幹線は混むだろうから、こだまの自由席で帰るしかないかな、とか考えていました。昨年か一昨年は、疲労も大きくてプラス1泊しましたしね。
 打ち合わせ終了後、長居競技場に引き返して(西田辺から大会本部ホテルに行って、元の場所に戻る感覚でした)、日本選手権男子20kmWの取材。山崎勇喜選手、吉原政人選手、森岡紘一朗選手の順で、共同取材でしたが最低でも各選手2〜3回は質問。最近の寺田では珍しいこと。久しぶりの競歩取材だったので、ここぞとばかりに頑張りました。
 当初2位と発表され、代表入り有力候補になった吉原選手が失格となったのは、ちょっと気の毒でした。吉原選手は三重県出身で愛知陸協登録。地元の中日新聞&中日スポーツもここぞと取材をしていましたが……。

 その中日スポーツ・寺西記者もセントレアに行くと言います。池田選手の始球式で賞品を出すことを画策した2人の記者(3月29日の日記参照)のセントレア合同取材が、ほぼ決まりました。でも、最終決定は新大阪駅でした。そこで馬塚広報、松下トレーナーと3人の出発シーンを撮る方法もありましたが、新大阪駅をロケハンした結果、まったくと言っていいくらいに雰囲気がありません。新幹線も満席状態で、こだまの自由席も座れるかどうか。だったら、名古屋まで立って行き、セントレア取材をして名古屋に泊まろうと、新大阪駅で最終決断をしました。その場で馬塚広報に取材依頼。
 実は新大阪駅に行く前にもう一度、大会本部ホテルに取材に行っています。沢野大地選手を取材するために、南ドイツを横断した昨年のヨーロッパ取材ほどではないにしろ、なかなかダイナミックな行動をした一日でした。

 名古屋駅まで立って移動し、名鉄の急行でセントレアに。21:15くらいに到着しました。すぐに馬塚広報に電話をして合流。10分後には寺西記者も到着しました。チーム・イケクミがチェックインするのを待って取材開始。セントレア発は残り3便だけ。出国手続きに時間がかかることはないと思いますが、1時間前には取材を終わらせたいところ。エミレーツ便は22:45発です。
 ということで、地元の寺西記者の案内で食堂街に移動して取材開始。昨日聞けなかった新スパイクの感触や、一日たっての技術的な自己分析などを聞きました。それによると、踏み切り4歩前マークをドーハでは変える可能性があるとのこと。昨年までは8m40でしたが、昨日の大阪GPは8m60。それを……。
 これは現地入りして、前日と当日の練習を見ながら判断していくことなので、それと決まったわけではありません。でも、もしもその距離にマークを置くことになったら、秒速8m★で踏み切ることになります。技術(最後の4歩のさばき)が追いつかずに踏み切れない可能性もありますが、ハマったら出ますね、7m。
 ドーハが楽しみになりました。


◆2007年5月11日(金)
 池田久美子選手のドーハSGP女子走幅跳が深夜1:30開始。国際陸連のサイトには結構早く結果が掲載されます。リアルタイムで結果をチェックしようかと考えもしましたが、明日の朝は早くから岐阜(中部実業団)に出張なので、先に寝て早起きをすることに。体調を崩して、その回復直後ということもあり、睡眠5時間が目標です。出張前日としては多い方。
 ところが、いつもの宵っ張りが災いしてか、それとも世界選手権に向けたコラムの連載が決まった緊張感からか、なかなか寝付けません。そうこうするうちに、暗闇にハードディスクレコーダの電源が入りました。TBS「We Love アスリート」の録画が始まったわけです。どうせ30分は眠れないだろうと、テレビをつけました。今週は出演選手が発表されていないので、なんだろう? と思っていたら、池田久美子選手のここ1年間くらいをVTRで紹介する特集と、大阪GPの男子400 mHを中心に編集した内容でした。

 助かったのは、大阪GPの成迫健児選手のレース後の表情を紹介してくれたこと。7台目を引っかけて、為末選手に勝つべき試合で負けてしまった。5日の日記にも書いたように同大会は、取材する側は大忙しなのです。選手全員の表情を追うことなど、とてもできません。
 そうか、あそこまで悔しそうにしていたのなら、1つコラムが書けますね。成迫選手の認識とこちらの認識が一致していますから。大阪GPのダイジェストを見ていたら、醍醐直幸選手ネタも思いつきました。

 しかし、成迫選手の表情がわかると、もう1つ気になっていたことを知りたくなりました。それは、大阪GP男子4×400 mRのレース内容。女子4×400 mRで日本記録が出た直後で、女子選手のコメント取材を優先した結果、レースを見ることができました。男子4選手のラップはJAAF Statistics Informations(非公式計時)が以下のように出してくれました。
1走 山口有希(大阪ガス)  46.3
2走 堀籠佳宏(富士通)  45.6 【10.3-21.3-32.8】
3走 太田和憲(サンメッセ) 45.2 【10.7-21.5-32.9】
4走 金丸祐三(法政大)   45.3 【10.1-21.0-32.8】

 しかし、アメリカとの位置関係なんかがわかりません。実は明日の中部実業団で、太田和憲選手をじっくり取材しようというプランなのです。
 ところが、録画した大阪GPのテレビ放映を早送りで見ましたが、男子4×400 mRはオンエアされていませんでした。残念。

 ということで、消灯は2:30頃に。もしかしたら、池田選手の試合が終わっていたかもしれませんが、結果を見ると寝られなくなるのでやめました。


◆2007年5月12日(土)
 早起きして一番に国際陸連サイトでドーハSGPの結果を確認。池田選手、7mは行きませんでしたが、なんと、あのメンバーで優勝していました。我々も、順位よりも記録に意識が行っていたのですが、よくて2〜3番というイメージでしたから、これにはビックリ。さっそく、ヘルシンキ世界選手権の金銀メダリストに勝ったと、トップページに記載しました。
 そこで、もしや、と思って川本和久監督のブログを見ると、すでにドーハの試合の様子がアップされているではないですか。さすがです。やっぱり、ことをなす人間は時間の使い方が上手いというか、何事も作業が早い。見習いたいところです。明日のTBS情熱大陸でも、学ぶべき点がいっぱい紹介されるでしょう。

 岐阜には12:01に到着。向井裕紀弘選手の勤務場所でもある長良川陸上競技場には12:40頃に着きました。報道受付を済ませたあと、陸マガ時代からお世話になっている安福先生(県岐阜商高)や、中部実業団連盟の渡辺辰彦事務局長に挨拶。安福先生からは、太田和憲選手の就職先であるサンメッセが、陸上界ではなじみのない企業だったので、どんな会社なのかを教えてもらいました。渡辺事務局長は100 m&200 mの中大記録保持者です。
 この大会も短い時間に多くの種目が行われるので、春季サーキットなみの過密タイムテーブルです。ただ、ジュニアの部や地元高校生の種目もはさんで行われるので、取材する側にとっては助かります。取材に来ている社も少なく、規制があまりないところもグッド。表彰控え所でコメントを聞いていても、怒られたりしません。もちろん、表彰時間が来たら、すぐに取材はやめます。このくらいは、春季サーキットでもできると思うんですけどね。
 選手の話を聞いている最中に別の種目が始まったら、「これ、見ないといけないから」と言って、選手がどこにいるかを確認して(だいたい表彰控え所につながっている室内走路でダウンをしています)、競技を見ることを優先できます。大阪GPとは大違いです。

 競技の方は、特にこれという記録が出ませんでしたが、オッと思った選手や種目は多かったですね。
 まずは男子200 m。好調の太田選手か向井選手が勝つと思っていたら、優勝したのは松岡篤哉選手。恥ずかしながら、どんな選手なのか知りませんでした。記録集計号のindexで調べると、走幅跳の記録しか載っていません。表彰後にさっそく取材。
 聞けば大垣商高出身で、あの日下部光先生(筑波大OB)の教え子だそうです。インターハイは走幅跳と三段跳でともに5位。大学は東海大で、ここでも短距離ではなく跳躍ブロック。インカレの入賞はなく、学生時代は7m50と15m89がベスト。卒業後半年間は大学を練習場所に競技に専念しましたが、それも日本選手権まで。卒業1年目の後半から2年目の前半は陸上競技とは関係のない仕事に就いていたそうです。
 卒業2年目の昨年後半、競技に本格復帰。秋の国体で早くも7m65の自己新で4位に入賞しました。短距離は助走に生きるからという理由で力を入れたら、今季21秒47まで記録が伸びたそうです。今日は向かい風1.7mで21秒53ですから、実質的には自己新記録。スプリントの今年の目標記録は早くもクリア。走りの技術改善が成功したようです。次は、走幅跳の8mが目標です。上がった助走スピードのなかで、踏み切れるかどうかが課題だと話してくれました。見る側としては、短距離種目でも頑張ってほしい選手です。

 先輩の松岡選手に敗れて2位でしたが、今大会取材の目的の1つである太田和憲選手にも話を聞きました。1週間前の大阪GPのことや、昨年のシーズンベストが春先の四大学の46秒56にとどまった理由なのですが、一番聞きたかったのは腕振りについて。末續選手や山口有希選手、冨樫英雄選手といった東海大の選手たちとはちょっと違う印象があったので。しかし、太田選手も、大阪GPではその腕振りに近い動きができていたと言います。
 腕に乳酸がたまるタイプだとも聞いていましたが、それも大阪GPでは違っていたとか。この辺の話は、パズルのピースがぴたっとはまるように合わさって、なかなか面白かったです。どこかで記事にしたい話ですね。

 あれ? っと思ったのが男子走高跳。眼鏡をかけた長身選手が、2m10に挑戦していました。どこかで見た選手だな、と思って確認したら真鍋周平選手。阪大3年時の2003年に2m25を跳び、注目を集めた選手です。大学院を出て今年、トヨタ自動車に入社していたのです。さっそく取材。これも面白い話が聞けました。大学院時代の研究テーマを聞いたのですが、これを理解するのに時間がかかってしまいました。完全に理解できたわけではないのですが、自動車メーカーに就職したのも頷ける研究テーマでした。
 トヨタ自動車の一般種目選手は、フルタイム勤務です。真鍋選手はまだ配属先が決まっていませんが、おそらく研究職かそれに近い部署になるだろうとのこと。それでも、競技への情熱もしっかりと持っています。これも、記事にしたら面白そう。

 ところで、中部実業団の会場でも池田選手のドーハSGP優勝が話題になっていました。昨年、ストックホルムのSGP(DNガラン)で池田選手を取材したことを思い出していたら、ストックホルムで一緒に取材をした読売新聞・霜田記者が大阪から来濃(と言うのでしょうか?)。ドーハの試技表が、カタール陸連のサイトの中にドーハSGPのページがあり、そこに載っていることを教えてもらいました。競技&取材終了後に、さっそく確認。
 取材終了後には中日スポーツ・寺西記者から電話で問い合わせ。その後すぐに、ある選手に電話取材。
 ホテルに戻って原稿書き。21時過ぎに場所をカフェに移そうと思って近くを散策しましたが、開いているカフェは発見できませんでした。ホテルに戻ってNHK・BS1スポーツ大陸(為末選手の特集)を見ようとしたのですが、BSが見ることのできないホテルでした。代わりに日記を書いています。


◆2007年5月13日(日)
 中部実業団最終日の取材。5月は陸上競技(の取材)には一番良い季節です。夕方に気温が下がれば、長距離にも悪いコンディションではありません。今日はちょっと風が強かったのですが、風がプラスになる種目もあります。

 昨日は松岡篤哉選手、真鍋周平選手と初めて話をする選手の取材が多かった印象がありますが(といっても、その2人だけかも)、今日は面識のある選手の話を聞くことが多かったと思います。
 まずは昼前に女子ハンマー投。同時進行の種目が少ない時間帯で、投てきサークルの近くで見ることができました。室伏由佳選手が優勝しましたが記録は60m66と低調。ハンマー投終了後は、風が向かい風で良い状態だったので、すぐにでも円盤投を始めたいと話していました。
 取材をした順番までは正確に思い出せませんが、400 mH優勝の千葉佳裕選手にも取材。為末選手、成迫選手と前半を13歩で行く選手の活躍が目立っている昨今ですが、14歩選手の意地を聞かせてもらいました。いい話でした。河北尚広選手は13歩ですが、吉形政衡選手と3番目の代表を争うことになったら“14歩選手同士”の対決になります。
 男子100 mの安井章泰選手も2位に0.15秒差をつける快勝。スタートで失敗したそうですが、中盤以降の強さが戻ってきました。01年エドモントン大会以来、6年ぶりの世界選手権代表入りに意欲満々です。

 小林史和選手には800 mのレース後、昨日の1500m分も併せて取材。大阪GPの1500mはノングランプリ種目で、世界選手権の選考対象にならないため、この時期は練習を優先し、今大会も2種目で予選・決勝と4本を走って練習に近い位置づけ。マサシ選手が引っ張ったことで展開にも恵まれましたが、その状態で3分42秒48はすごい。ちなみに、今年から中部地区は1500mと長距離のタイムレースをやめ、予選・決勝と実施しています。
 取材中に話題が大阪GP優勝の渡辺和也選手になったとき、小林選手が「名門の報徳高出身ですから」と警戒していました。卒業3年目の学年に竹澤健介選手(早大)と木原真佐人選手(中央学大)がいて、その1つ下に渡辺選手と、報徳学園OBには勢いがあります。
 ただ、“名門度”でいうなら、小林選手の出身校である「中京商(今の中京高)も負けていないだろう」と寺田が指摘。全国高校駅伝は中京商の2連勝(1979・80年)の後が、報徳学園の初優勝でしたから(81年)。オリンピック代表を送り出したのも中京商の方が先。寺田の記憶では報徳学園OB1号が92年バルセロナ五輪の伊東浩司選手で、中京商は米重修一選手が88年ソウル五輪代表。もしかしたら中京商は、それ以前にもいるかもしれません。
 2人が競り合ったら、新旧対決(今年30歳と20歳)とともに、名門校OB対決としても面白くなります。中京商vs.報徳学園。20年来の陸上ファンにはたまらないはず。日本選手権の見どころの1つになりましたね。

 中部実業団は昨日も書いたように、表彰控え所で取材ができます。女子円盤投はその位置から見ていましたが、最初の2投目くらいまでは取材を優先。その後はしっかり見ていましたが、5投目のあと中田有紀選手が控え所にいることに気づいて、話を聞き始めました。しかし、室伏由佳選手の6投目は「ちょっと見させて」と言って取材を中断。日本記録前後まで飛んだのがわかりましたから、真横にあたる位置まで移動。日本記録を越えていることを確認したのと同時に、一気にテンションが上がりました。中田選手に何か合図をして、投てきサークル方向に走り出しました。スピードは情けないほど出ませんでしたが、幸いなことに、トラックを横切るのも、フィールドに入るのも自由(報道用ビブを着けています)。記録掲示板撮影には余裕で間に合いました。
 しかし、話の途中でしたから、撮影取材が一段落したら中田選手のところに戻りました。表彰は終わっていましたが、勝手知ったる長良川競技場ですから、なんとなく選手のいる場所はわかります。無事に話を聞くことができました。混成の日本選手権は本大会1週間前に伊勢で開催。うーん、行きたいですね。

 その後は室伏由佳選手の取材。日本記録ですから記者たちも殺到します。表彰控え所での取材は無理で、プレス室が急きょ会見場に。これは状況を考えたらあり得ることで、それに気づくのに遅れたのはこちらのミス。まあ、なんとか挽回しました。その方法は企業秘密ですけど。
 最後に選手が居そうなところを一回りしていると、昨日取材した松岡選手と太田選手、向井裕紀弘選手が一緒にいたので、まずは松岡選手に優勝した走幅跳の、踏み切りの感触を確認しました。そして最後は、岐阜といえば向井、とまで言われるようになった向井選手に取材。タイムはバックストレートの向かい風で悪かったのですが、織田記念、大阪GP、そして今回と感触は良くなってきているそうです。

 充実した2日間の取材を終えて東京に戻りました。名古屋からは新幹線。座ってしばらくすると、野口みずき選手の仙台ハーフマラソン優勝の記事が、車両前部のドアの上にテロップで流れているのに気づきました。寺田の2つくらい後ろの席の女性がそれを見て、野口選手の初マラソン(2002年名古屋)のことを話題にし始めました。おそらく、名古屋在住の方でしょう。
 沿道に野口選手の応援団の人がいて、一緒に応援してくださいと頼まれたのだそうです。当時、野口選手は名古屋に本社のあるグローバリー所属でしたから、その関係者でしょうか。あるいは、地元の三重県から応援団が来ていたのかもしれません。その女性の方は野口選手が目の前を走る姿を見て「小さくてビックリした」と言います。その選手がオリンピックで金メダルを取ったのですから、その方の印象はさらに強くなったことでしょう。
 陸上競技場と関係のない場所で、こうした話題を耳にすると嬉しくなります。競技場の外で行う種目には、こうしたメリットがあるわけです。取材には行けませんが為末選手が発案した「東京ストリート陸上」(5月27日)、成功してほしいですね。為末選手は野口選手と同学年ですし。有木選手も、今日(中部実業団)は記録なしでしたが、頑張ってほしいと思います。


◆2007年5月19日(土)
 東日本実業団1日目の取材。熊谷の陸上競技場は2004年の国体以来……ではなくて、昨秋SAQトレーニングのDVD撮影に立ち会って以来でした。おかげをもちまして、売れ行きは好調とのこと。ちょっとですけど頑張った甲斐がありました。
 でも、競技会の取材は国体以来。成迫健児選手(当時筑波大)が48秒54を出して、関係者とファンを仰天させたことを、昨日のことのようにと言ったら言い過ぎですが、よく覚えているのは本当のことです。新社会人・成迫選手は2日目の登場。楽しみです。ちなみに3年前の熊谷でのタッチダウンタイム(寺田の手動計時)は以下の通り。
5.87 5.87
9.62 3.75
13.34 3.72
17.13 3.79
21.07 3.94
25.18 4.11
29.44 4.26
33.82 4.38
38.41 4.59
43.12 4.71
48.54 5.42


 さて、今日の取材ですが、最初の種目の男子5000mWでワンツーを取った杉本明洋選手、明石顕選手のALSOKコンビにまずは突撃。杉本選手が20kmW、明石選手が50kmWのヘルシンキ世界選手権代表コンビ。4〜5月の日本選手権ではともに2位。今年の大阪でも代表有力コンビです。杉本選手が京大(愛知県出身)で明石選手が東大(東京都出身)と、東西の国立最高峰大学出身。ですけど、専攻が物理と経営だったことに象徴されるように、タイプとしては対照的なところもあります。
 競技でもタイプが違っているので、種目が違うわけですが、共通しているのは高校時代は無名選手だったところ。近年の競歩は世界ユースや世界ジュニアで活躍した選手が、そのまま強くなってきているケースが多くなっています。それはそれで良いことなのですが、大学以降に這い上がってくる選手がいないと面白くない。ということを明石選手が話していました。
 杉本選手は大学院も出ている選手なので、研究テーマも質問。先週の阪大OB真鍋周平選手(トヨタ自動車)と同様、理解するのに時間がかかりました。理系だからなのか、杉本選手は競技に対しても、こうだからこうなる、となんでも「理屈をつけて考えられる選手」(明石選手)なのだそうです。対する明石選手は、スポーツと人間の関わりを哲学的に考えるところもあるようです。合宿中もスペイン語の勉強に余念がないとか。
 この2人、世界選手権代表となることが前提ですが、一緒に取り上げたら面白い企画ができそうです。

 午前中の決勝種目は他に、男子円盤投と女子三段跳。畑山茂雄選手が自己2番目の57m73をマーク。60m台に届かなかったのは残念ですが(練習では越えているそうです)、自己記録の58m00も東日本実業団。例年、この時期は調子が良いようです。同じ頃、中京大土曜競技会では室伏由佳選手が57m68。この2人は同学年で、4月1日に室伏選手が58m00の日本新を投げたときは、自己記録もまったく同じになりました。先週、室伏選手が58m62と更新して差が生じましたが、今日は異なる場所で5cm差の投てき。
 お互いにライバル視しているようで、畑山選手も「そこを一番気にしている」と話していました。先週の中部実業団取材の際、藤原潤選手から畑山選手のブログがあることを教えてもらいました。今朝、検索したら見つけることができ、競技終了後にリンクの了解をもらいました。
 もう1つの午前中決勝種目は女子三段跳。織田記念で13m50の日本歴代2位タイ(自己タイ)を跳んだ吉田文代選手に注目しましたが、今日は脚に痛みがあって12m87。それでも、織田記念のときに取材した話をさらに突っ込んで、14mへの感触があることを聞き出すことができました。走幅跳でも自己新(高3以来)が出ているそうです。

 午後は雷雨があって競技が一時中断したりもしましたが、内藤真人選手と信岡沙希重選手のミズノ勢がハイレベルのパフォーマンス。内藤選手はが13秒43の日本歴代2位、信岡沙希重選手は終盤で足が止まっても23秒35(+2.7)でしたから、前半が相当に速かったということです。もちろん話もしっかりと聞きました。
 残念だったのは、男子100 m2位の永山博章選手と、400 m2位の山村貴彦選手の日大OBコンビが復調ぶりを示したのに、取材ができなかったこと。明日の200 mは……2人とも出ないのか。残念。100 mでは宮崎久選手もいい走りに戻ってきました。こちらは明日の200 mにも出場します。
 復調といえば、渋井陽子選手もそう言っていいでしょうか。兵庫リレーカーニバル1万mでも頑張っていましたし、今日の1500mでは自己新記録。練習では5年ぶりに1000mで2分49秒で走っているといいます。5年ぶりということは、1万mの日本記録を出したシーズンです。しっかり取材をしたら、面白い話が聞けそうです。

 この日、活躍が目立ったのがクレーマージャパン勢。男子100 mで菅原新選手が、三段跳では梶川洋平選手が優勝。菅原選手は学生時代の自己記録にちょっと届きませんでしたが、学生時代の記録とは中身が違うと話していました。そして4×100 mRも、普段は通常勤務の田野淳選手が頑張って優勝(写真)。出場した4種目中3種目に優勝と、驚異的な勝率を達成しました。
 昨秋のSAQトレーニングはベースボール・マガジン社の仕事ですが、日本SAQ協会(クレーマージャパン内にあります)の仕事でもあったのです。巡り合わせの妙を感じた1日でした。

 今日は陸マガ高橋編集長も取材に来ました。ということで、白いモバイルパソコンの揃い踏み。写真の向かって右側が高橋編集長の白いアイマック。左が寺田が購入したばかりのEPSON製の白いモバイルパソコン。それがどうした、と思ったあなた。できるものならやってみろ、と言わせてもらいましょう。


◆2007年5月20日(日)
 東日本実業団2日目の取材(2日間日熊谷まで帰り取材)。2日間で行う地区実業団は、タイトと言えばタイトといえるタイムテーブルですが、今日はまあまあ効率的な動きができたと思います。
 午前中の男子200 m予選を見た後、少し離れたところにある投てき競技場に男子ハンマー投を見に行きました。ベスト8の投てきに間に合いました。しかし、ペグを見ると今季好調の土井宏昭選手が70mに届いていません。1回目に68m74で2〜4回目は連続ファウル。4投目終了後に「今日はダメですよ」と言ってくるほど。
 ところが5投目に72m41と記録を伸ばすと、6投目には73m48。自己記録を15cm更新しました。ダメと言った直後に記録が伸びる。この辺は技術種目たる所以でしょう。集合写真を撮らせてもらったときには、“半分ガッツポーズ”をしてもらいました。自己新は出したけどB標準には52cm届かなかったからです。
 ただ、本人の感触はかなり良かったようで、「今日この記録ならB標準はそのうち投げられそうです」と、明るい表情で話していました。ドーハのカリファ・スタジアムのスタンド下で話したときとは、かなり違った顔つきでした。あのときは暗かったですからね。照明が。

 ISHIRO記者以外は投てき競技場まで来ている記者がいなかったので、その場での土井選手への取材は控え、2位で自己新を出した野口裕史選手に取材。こういった気づかいはしているのです。
 静岡国際の取材でもそう。ある種目の取材(インタビュー場所)で、優勝者が来る前に2位の選手に話を聞こうとしました。そうすれば1・2位選手とも話が聞けます。しかし「優勝者が来て、記者の皆さんも揃ってから一緒にやってください」と止められてしまいました。メディアを仕切る立場の方は、どの選手に記者が集まるかを理解してから仕切ってほしいといつも思うのですが、無理なのかもしれません。強い選手も弱い選手も、日本代表選手も県大会レベルの選手も、まったく同じに扱うのが日本の競技会運営の基本なのです。
 アナウンスの仕方なども含めた競技運営は、優勝者を決めればいい大会と、観客に見せる大会(=メディアの集まる大会)では違って当然。そこを同じようにやろうとするところに無理があります。解決方法は……ここには書きません。

 ところで、今日の記録の悪さはひとえに強風のせいです。ここまで強かったらどうしようもありません。女子100 m予選では追い風7.8mなんて組もありました。400 mと400 mHはバックストレートが向かい風だったら記録は出ません。と話す選手が多いので、元200 m・400 m日本記録保持者の原田康弘さんに、昔もそうだったのか質問しましたが、やっぱりバックが向かい風だと厳しいそうです。
 今大会の注目は醍醐直幸選手と成迫健児選手。2人とも3年前に熊谷の競技場で行われた埼玉国体で、自己新をマークして国際レベルへの足がかりとしました。言うなれば、熊谷は“出世スタジアム”。そこで再び何かをつかめば記事のネタになるのですが、今日の風では無理。成迫選手は13歩で3台までしか行けませんでしたし(寺田の記憶では初めて)、醍醐選手は助走が「(狙った踏み切り場所に)届かなかった」と言います。普通のコンディションではないのですから、普通のコンディションを前提とした技術を試すことなどできません。悪コンディションを経験する、という点で収穫があったかどうか。

 有力選手が出ていない種目、記録が低調な種目もあってパスできるのですが、日本選手権の展望記事用の取材をする絶好の機会です。醍醐選手、成迫選手、畑瀬聡選手、長谷川充選手ら、東日本実業団としては記事にできるかわかりませんが、しっかりと取材をしました。女子100 mで優勝した福島千里選手、5000m優勝の渋井陽子選手、女子4×100 mR優勝のナチュリルはおそらく記事になるでしょう。
 ナチュリル4×100 mRメンバー4人の写真撮影の間に、渋井選手のカコミ取材が終わってしまったかな、と不安になりましたが、ここもセーフ。その後再び、ナチュリルの取材に戻り、女子800 mの杉森美保選手の話も聞くことができました。ラッキーな部分もありましたが、聞きたい選手の話はほとんど聞けたように思います。成迫選手と長谷川選手の、筑波大同学年コンビのツーショットも、運良く撮らせてもらうことができましたし。
 そうなると、昨日の日大コンビ(100 m2位の永山博章選手と400 m2位の山村貴彦選手)を逃したことが悔やまれます。永山選手の情報は、埼玉新聞宗像記者から教えてもらうことはできましたが。

 実業団の登録問題についても、関係者の話をいくつか聞くことができました。新しい何かがあったというより、寺田の考えていた通りだったというか、裏付けみたいなものがとれました。一連の報道で伝わっていない部分があるのです。
 と書くと、何かすごいことがあると誤解されてしまいますね。そうではなくて、規則とか理念とかでは語れないけれども、曖昧でこれまでやってきた部分があった。それがいけないことかといったら、そうでもないと思っています。
 この件、文字にする作業はかなり大変ですし、誤解されないとも限らない。書くとしても、少し時間をおいてからでしょうか。


◆2007年5月21日(月)
 昨日の日記でも触れましたが、東日本実業団は本当に風が強かったのです。400 mと400 mHはバックストレートが向かい風だったら、円盤投は追い風だったら記録は出ません。100 mや走幅跳・三段跳の向かい風といえる状況が、明らかにあるのです。逆に、昨年の大阪GP時の長居競技場のように、風が回ってバックもホームも追い風という状況がたまにあります。円盤投も向かい風で円盤に浮力がつき、距離が伸びることがよくあります。
 実質的な追い風参考記録もあると言えるのですが、100 mや走幅跳のように風との因果関係がはっきりしないので、参考記録にはなりません。
 と、あらためて書くほどの発見でもないのですが、人間とは不思議なもの。100 mや走幅跳のように参考記録として別リストになっていると、「この記録は同列に扱えない」と意識するのに、400 mや円盤投は「これは別記録」とは考えずに、「良い記録」だと認識します。おそらく、記録を収集したり、リストを見て楽しんでいる人間の多くは、“良い記録”として認識したいのです。
 そういう意味では、陸上好き、記録好きの人間は、心優しい人なのかもしれません。論拠としてはかなり弱いのですが、陸上ファンのプラス思考ということで。


◆2007年5月22日(火)
 13時から都内某所で取材。選手や指導者ではなく、メディア関係者にインタビューをしました。世界選手権に長年関わってきた方で、面白い話がどんどん出てきます。所要時間は1時間ほどに。ここまで話が充実していると、所定の文字数に納めるのは無理。誌面は100行で行くとして、某WEBサイトでロングバージョンを掲載しよう、と担当者には提案しておきました。
 某サイトの中部実業団記事を22時に仕上げて帰宅。


◆2007年5月23日(水)
 午前中は某サイト用に自宅で資料調べ。3人を終えたところで新宿作業部屋に移動。
 その後は某大学パンフレットの色校正。広告スポンサーで色校正の戻しを送ってくれていない4〜5社に電話をして確認する作業をしました。
 なんとか今日中にTBSサイトの連載コラム1回目を書きたかったのですが、不測のトラブルも生じて書けず。しかし、トラブルのおかげで思わず、読書をする時間ができ、お気に入りの作家の対談を読んで気分が落ち着きました。ここ数日(先週くらいから)、本当に気持ちに余裕のない状態でした。日記もあまり書けていません。というか、試合の日だけしか書いていないではないか、との指摘メールもいただきました。知人からですけど。ユーモアも少なくなっていて面白くない、と。

 ということで、いきなり連載企画です。日記に書くネタが連載企画といえるかどうかはさておき、「陸上関係者はモテるのか?」というテーマの企画……というか、単なる考察になると思いますが。
 今年は地元開催の世界選手権イヤー。陸上競技人気のてこ入れの必要性があちこちで叫ばれていますが、そんなことよりもまず、“陸上競技をやっている人間はモテる”、あるいは“陸上ファンはモテる”のであれば、自然と陸上界に人材は集まります。
 その辺を色々と考察・検証していこうという企画ですが、そもそも思いついたのは、為末大選手がTBSの「We Love アスリート」に出演した際、「中学では野球部の橋本君の方がモテた」と言っていたことがきっかけです。全日中100 m・200 m2冠で、200 mと三種競技の中学記録を持っていた選手でさえ、野球部のキャプテンにかなわなかった。これはいったい、どういうことなのか? やはり、陸上に未来はないのではないか?


◆2007年5月26日(土)
 朝10時のスカイネットアジア航空で宮崎に。言わずと知れたゴールデンゲームズinのべおかGGN速報室に全成績)の取材です。2003年以来なので4年ぶり3回目の同大会取材になります。
 11:40頃に宮崎空港着。11:55発の特急にぎりぎりの時間。あわてて切符を買ったため、ウエストバッグを窓口に忘れてしまいました。出発間際に呼び出されて取りに行きましたが、大きな駅や、長い電車だったら無理でしたね。ウエストバッグを取りに行くところを玉川大・山下監督に見られたのがに失敗でした。
 しかし、機内と特急電車車内で、100行原稿にめどが立つところまで進められたのは良かったです。延岡駅前で昼食後、ホテルに14時頃にチェックイン。15時頃までに一通り書き上げました。

 15:15には西階陸上競技場に着き、知己の九州陸上記者の方たちに挨拶。すでに競技は始まっていましたが、頃合いを見て旭化成関係者にも挨拶。
 間もなく福島大・川本和久監督も姿を見せました。バリバリの短距離指導者、という印象なので違和感はありましたが、門下には杉森美保選手をはじめ中距離の有力選手も多数抱えています。400 mが専門の木田真有選手が今大会のラビットを務めましたが、これがなかなか上手くて最初の200 mを29秒、次の400 mを62秒で引っ張りました。「うちの選手たちは何秒といったら、きっちりそのペースで行けます」と川本監督。織田記念では低迷した久保瑠里子選手も2分5秒台。中距離も強いチームだということを再認識しました。
 ちなみに女子800 mは優勝の杉森選手から2位・岸川選手、3位・久保選手、4位山下選手までが2分5秒台。種目としての充実ぶりがわかります。

 有力選手は最後の方に登場するのが普通ですが、この大会は旭化成の有力選手が、ときどき前の方の組に出ていることもあるので要チェック。今年も小島宗幸選手や土橋啓太選手がそうでした。6組で1位だった土橋選手に後で話を聞くと、勝てる可能性の高い組に出場したとのこと。そうではあっても、最後にきっちりトップを取るのはさすが。6月のホクレンでは5000m・1万mの自己記録(ともに高校時代のもの)更新に、大きな意欲を見せていました。
 次の5組には世界選手権マラソン代表の久保田満選手が出場。タイプ的にトラックでは苦しいのでしょうが、集団の中の位置取りなどを見る限り、久保田選手なりに積極的な走り。世界選手権代表ですから当然、レース後は各社と一緒に共同のカコミ取材です。

 次の女子5000m2組が終わると、中距離種目が続きます。まずは男子1500m。小林史和選手が良い状態だと聞いていたので楽しみにしていた種目です。1周目をペースメーカーの後藤選手が56秒8で引っ張ります。これはちょっと速すぎて、小林選手はもう1人のペースメーカーであるケニア選手と57秒7の通過。後藤選手は800 mも1分54秒8で通過しましたが、小林選手とケニア選手は1分57秒8。この1周に60秒1は明らかにかかりすぎ。見た目にも、小林選手の脚が詰まっているのがわかりました。3周目は61秒5を要して記録は絶望的に。残り250mで小林選手がスパートしましたが、記録は3分43秒11にとどまりました。残念。
 その次が先ほど紹介した女子800 m。レース後に前日本記録保持者の西村美樹選手に取材。4月から所属が自体学に変わっていたのです。伝統の自体学ですが、女子選手は珍しかったので。続いて杉森選手にも取材。
 その次が男子800 m。笹野浩志選手が久々に豪快なラストスパートを決め、1分47秒95で優勝。今季無敗の口野武史選手に土をつけました。しかし、2位の口野選手は1分48秒11の日体大新記録。石井隆士監督が1975年に出した記録を、実に32年ぶりに更新しました。
 ゴールデンゲームズはレース直後が表彰ですが、まずは石井監督に声を掛け、口野選手が引き揚げてくるのを待ってツーショットの記念写真撮影。これは寺田の独占取材。掲載も本サイトだけという貴重な写真です。
 男子5000m4組(D組)がスタートしましたが、ストップウォッチは押しておいて、口野選手のインタビューを優先。それだけ、32年ぶりの日体大記録には重みを感じたのです。幸い、インタビュー場所はトラックの脇で、5000mのレースもちょこちょこ見ながらインタビューすることができました。

 しかし、その5000mがすごいことになっていました。詳しくはこちらの記事を見ていただければと思いますが、三津谷祐選手が日本歴代2位、国内初の13分10秒台、世界選手権A標準突破、そして九州最高記録という快走。口野選手のインタビューは3000m付近で終了し、すぐに5000mに集中。三津谷選手がリズムに乗った走りをしていました。今季好調の前田和浩選手も食い下がっていましたが、間もなく遅れます。
 4000mからは200 m毎に通過タイムをチェック。残り800 mでA標準は行くと確信。残り200 mで13分10秒台も予想できました。予想はできても、そのタイムに向かって突き進む三津谷選手を見て興奮は頂点に。13分18秒22で止まった手元のストップウォッチを見て(正式計時は13分18秒32)、朝日新聞・原田記者に向かって何かわめいていたと思います。
 それにしても、2年前のホクレン深川大会1万mのA標準(日本歴代3位&国内日本人最高)といい今回といい、三津谷選手はすごい走りを見せてくれます。というか、北海道と九州の南北で、素晴らしい走りを見ることができたのは本当に幸運です。

 しばらくは三津谷選手の取材に専念。ただ、取材の途中なのに記者の数が1人、2人と減っていきます。20時を過ぎ、締め切りが近くなったためです。この辺は新聞記者のつらいところ。寺田は最後までコメントを聞き、森下広一監督とのツーショットも撮り、女子5000mに合わせてトラックに戻りました。スタートするまでちょっとの間に、男子800 m1位の笹野選手を見つけて取材。日本選手権に向けて糸口をつかんだようです。
 女子5000mは杉原加代選手の好調が伝えられていたので、1500mの小林選手と並んで期待していた種目です。しかし、自己新は出したもののA標準には届きませんでした。こちらも残念。
 最終レースは男子5000m1組(A組)で、入船敏選手が1位。このレースもD組に劣らずいいリズムで進んでいると思ったのですが、1位タイムは13分30秒台。入船選手は5000mでは久しぶりの13分30秒台。その理由を取材しました。
 最終種目終了後に、明日の久保田選手取材についての段取り。
 23:30頃にホテルに戻りました。長く、充実した1日でしたね。


◆2007年5月27日(日)
 11:30から久保田満選手の取材。実はある人物との対談でしたが、かなり面白い話を聞くことができました。撮影用に愛宕山にも行きました。旭化成の練習コースの1つという知識はありましたが、あそこまで急勾配とは知りませんでした。平均勾配率というのかどうかわかりませんが、箱根駅伝5区より大きいのでは? やはり、百聞は一見に如かず。充実した取材でした。
 17時台のスカイネットアジア航空で帰京。全日空のシステムがダウンしてダイヤが乱れた日ですが、スカイネットはほとんど影響がありませんでした。

 今日は為末選手がプロモートした東京ストリート陸上。NHKがスポーツニュース内で5分以上の枠で放映しているのを見ました。行けなかった記者としては助かりましたし、世間の注目度の大きさも物語っています。映像を見る限り、かなりの盛況ぶりだったようです。
 それにしても、これだけのイベントを実現までもってくるのは、かなりの手間が必要だったはず。それを、トレーニングや各種の仕事と並行して進めていたのですから、為末選手もかなりのマルチタスク。やっぱり、できる人間というのはそうなんですよね。

 宮崎行きの機内と特急電車内とホテル内で書いた100行原稿の手直し。これが意外と手間取ってしまいましたが、なんとか仕上げて送信。


◆2007年5月28日(月)
 朝の10時に電話取材。20分ほどで終了し、すぐに地下鉄に飛び乗りましたが、その間にも電話連絡。向かったのは順大。某選手の取材です。
 その選手とはプール脇の駐車場で待ち合わせでしたが、トラックの脇を通ると「こんにちわ」とジョッグをしている選手から声を掛けられました。サングラスをかけた選手で誰かと思いましたが、よく見ると徳本一善選手でした。順大大学院に通い始めたことや、順大でも練習していることはブログを読んで知ってはいましたが、徳本選手=順大はなかなか実感できませんでしたから、ちょっと驚きました。
 続いて、駐車場の方からシルバーにピンクのアクセントの入ったウェアに身を包んだ、女子選手の一団が歩いてきます。これもとっさにはわかりませんでしたが、どう見ても資生堂の選手たち。佐藤由美選手に、どうして順大にいるのかを質問すると、各種測定を順大で行なっているのだそうです。これも、話を聞けばうなずけることでした。
 次に会ったのがハンマー投の野口裕史選手。土曜日の順大競技会で69m02の自己新(日本歴代7位)をマークしたとのこと。東日本実業団で67m85の自己新を投げたばかり。きっと、何かをつかんだところなのでしょう。70mもすぐに行くのでは? と我々は安易に考えがちですが、選手はまた別の感じ方をしているようです。次のように話していました。
「色んな意味で楽じゃないですね。今までよりハンマーに引っ張られる感じが強くなって、3・4回転が浮く感じが出てきました。今回は調整もなしで出場して、それほど力を入れずに投げたのですが、1本だけ力を入れたのが69mでした。でも、もっと力を入れて記録を狙ったら、もっと浮いてしまったんです」

 肝心の取材も順調。面白い話を聞くことができました。記事にできないネタもありますが、寺田の活動全体で見たら、役に立つ話でした。
 原稿は50行と短いので帰りの電車内と、乗換駅のカフェで一通りは書き終えました。先週の木曜日から8日間で6本、同じような分量の取材があります。取材をしたその日に書いていくパターンで進めないと、後で大変なことになります。すぐに書いた方が効率もいいですしね。


◆2007年5月30日(水)
 朝の11時に某大学の寮で取材。その寮に行くのは2回目でしたが、廊下の途中に設けてある応接兼選手たちのくつろぐスペースでインタビューしました。そこからは中庭(パティオ)も望めて、なかなかいい雰囲気の場所です。
 取材も順調。今日も面白い話を聞くことができました。
 移動の車内と新宿のカフェで一通り書き上げましたが、行数を20行オーバー。単純に削除するだけでなく、全体の流れを見直す必要があるかもしれません。

 急きょ決まった電話取材を16時から。約20分の電話インタビュー。
 それが終わるとすぐに赤坂のTBSに移動。某テレビ番組雑誌の取材で、為末大選手の話を聞けることになったのです。

 テレビ雑誌的な質問の他に、寺田的に技術面の質問もさせてもらいました。
 しかし、今日の取材ではこれまでとは違った切り口で為末選手像に迫ることができたと思います。その成果がこのTBSのコラム。以前から、為末選手の強さは人生を賭けて取り組んでいる点にあると思っていました。どの選手も人生を賭けている部分はあるのですが、為末選手の場合、それが競技戦略に直結している。
 コラムでは「戦略家なのかピュアなのか?」という論じ方をしていますが、取材のときは「ギャンブラーなのか、戦略家なのか、ピュアなのか?」という聞き方をしています。ギャンブラーと書くと、イメージ的に誤解されるおそれもありますし、視点が多くなりすぎてまとまらないので、このコラムのような書き方にしました。
 本音を言えばギャンブラーなのか? という部分が面白い。もしも書くとしたら、ただのギャンブラーだった、という結論でないのは当然ですが、このテーマで為末論を書けるような気がしています。そのとっかかりのコメントを聞くことができました。
 TBSのコラムは、今日の取材の成果と書きましたが、成果の一端ですね。

 以前にも書きましたが、為末選手は理路整然と自分の取り組み、陸上界の問題点などを語ります。それが本当に面白いのです。その結果、記事を書く人間の視点が介在する余地が少なくなり、テーマが同じならどのメディアも似た記事になる。これは現役時代の高野進選手とも共通していること。考えのしっかりしている選手の特徴といえるかもしれません。
 ちょっと毛色の違った記事を書くには、書き手の観察、洞察力が必要で、そのためには為末選手を長く見続けていないとできないと感じています。為末選手の昔の戦績を調べたり、記事を読んだりするだけではダメでしょう。為末選手と同じ時代を生きてきた経験がないと。


◆2007年5月31日(木)
 昨晩、為末選手のコラムを一通り書き上げましたが、昨日の日記にも書いたようにギャンブラーという部分を入れて書いた結果、まとまりがつかなくなってしまいました。今日の午前中に修正して送信。コラム1回目の池田選手分もわかりにくい点があったので、少し手直しをしました。
 昨日の日記で為末選手の記事は似たものになると書きましたが、今日の成田空港出発時のコメントを読むと、エドウィン・モーゼス選手に例えたり、ルイスやイアン・ソープを例に説明をしています。元となる考えは筋が通っている1本だと思いますが、本当に色々な例え方、色々な視点で表現をしています。読書量もすごいと聞きますし、インプットするデータが多いのでしょう。それらを巧みにコーディネイトする。ここまで言葉が豊富になれば、記事も色々な書き方ができます。

 16:30からは埼玉県で某選手の取材。練習も見学することができ、なるほどと勉強することができました。説得力のある練習方法。チームとして、という見方になりますが、これは強くなると感じました。
 指導者の方も交えたインタビューで、今日も面白い話を聞くことができました。
 帰路、高野カメラマンとカレーに舌鼓。華麗なカメラマンではありません。オリンピックも県大会も同じ気持ちで取材をする、実直なカメラマンです。


ここが最新です
◆2007年6月1日(金)
 怒濤の取材ラッシュも昨日で一段落。50行程度の原稿なら、取材をしたその日に書き進めていくやり方で書いてきましたが、中部実業団と東日本実業団で取材したネタと、ゴールデンゲームズ&久保田満選手の対談原稿は手つかず状態。
 月曜日中に350行・180行・100行の原稿を1本ずつ、50行を9本書かないといけません。のびのびになっている某サイトのデータも20人分残っています。明日のエコパの1万m記録会にも行きたいのですが、ちょっと無理です。

 直接会って話を聞く取材はしばらくありませんが、今日は電話取材を2本。1つは選手、1つは指導者の方。どちらも面白い話を聞くことができました。2本とも今日のうちに原稿を仕上げて送信。

 夜はTBS「We Love アスリート」を見ました。東京ストリート陸上の舞台裏リポートですが、取材に行けなかった人間にとってはありがたい特集です。それにしても、何千万円もかけて雨が降ったらどうするつもりだったのでしょう……などと、考えるのは平凡な人間の証拠。たぶん、そういう問題ではないのだと思います。具体的には説明できませんが、そこは着眼点が違うはず。
 ISHIRO記者と陸マガ高橋編集長の筑波大同学年コンビの姿も発見。

 そういえば、筑波大サイトの筑波大歴代10傑が更新されていました。今回の関東インカレでは男子4×100 mRと女子砲丸投の美濃部貴衣選手が筑波大記録だったようです。男子400 mの石塚祐輔選手は筑波大歴代2位。


◆2007年6月2日(土)
 女子走幅跳で中野瞳選手が6m44の高校新、という情報を入手。すぐに知己の記者たちというか、携帯電話のメルアドを知っている記者たちに流しました。
 最初は、高校記録では記事にしにくいかな、と思ったのですが、ジュニア日本新ということを考えると状況が変わってくる。池田久美子選手という、現在、最大の注目を集めている選手の持っている記録を破ったのです。話題性が違ってきます。
 池田選手は早生まれということもあり、ジュニア記録は大学2年生の時。中野選手は高校2年生。これは価値があります。ただ、池田選手は世界ジュニア選手権という大舞台で出していますから、どちらの価値が大きいとは一概に言えませんけど。

 夜はエコパの1万m記録会に注目していました。カージナル招待でこそ失敗しましたが、大森輝和選手がしっかりと練習を積んできた話は松浦監督から聞いていましたし、前田和浩選手の好調ぶりはレースの度にはっきりとわかりました。
 19:50に速報をお願いしていた某社コーチから連絡が入り、B標準を大森選手、前田選手、北村聡選手の3人が突破したことが判明。続いて松浦監督にも電話で確認。


◆2007年6月3日(日)
 今日は久しぶりに自宅で仕事。といっても、50行原稿を1本と、350行原稿1本が今日のノルマ。ちょっと気を緩めたら終わらないでしょう。まずは昼食前に木曜日に取材した選手の原稿を仕上げ……かけたところで携帯が鳴りました。T部長からです。同部長からの電話はだいたいが吉報。日本のどこかで新記録、好記録が出たのでしょう。
「畑山が60m10ですよ。三重県の記録会です」
 川崎清貴選手の日本記録60m22は1979年の静岡リレーカーニバル。60m台は28年ぶりの快挙です。ついにやったか、という思いと同時に、疑問も生じました。畑山選手のブログによれば、三重県の記録会は昨日のはず。結果をアップしてほしいなあ、と午前中にチェックしたときに思ったのです。

 こうなればもう、本人に電話をするしかありません。しかし、30分間隔で2度携帯を鳴らしましたが、出られない状況のようです。先方の事情もあることですから、仕方ありません。なんとか裏をとる方法はないものかと、携帯のメモリを見ながら思案した結果、元中部実業団連盟事務局長の松浦さんに電話を入れました。もしかすると、現場にいるかもしれません。
 松浦さんはその競技場にはいらっしゃいませんでしたが、すぐに三重県の誇るディスカススローワー、藤原潤選手に連絡をとってくれました。松浦さんから同選手の携帯番号を聞いて、間髪入れずに電話を入れました。すぐに出てくれて、状況を知ることができました。昨日今日と、2日連続で三重県の記録会に出場したとのこと。同選手がコーディネイトしたことは、容易に想像がつきます。お手柄だぞ、藤原潤! と文字を大きくして書いておきましょう。
 隣にいた畑山選手とも話ができ、短時間ですがインタビューもできました。
 携帯メールを知っている記者たちには、28年ぶりの快挙を一斉に知らせました。

 28年前に川崎選手の60mを見ている身としては、興奮でなかなか仕事に手が付きませんでしたが、今日、進行がとどこおおるとかなりのピンチになります。気持ちを切り換えてT選手の記事を54行を書き、昼食&雑用仕事の後に近所のケーキ屋さん兼カフェに。最近できた店で、一度行ってみようと家族T氏と話していました。
 店の外はこんな雰囲気でグッドですが、店内には小さいテーブルが3つしかありません。原稿を書くのはちょっと無理。泣く泣く、永山駅近くのタリーズに移動。久保田選手の対談記事を200行まで書いて帰宅。食事の後に350行まで完成させました。朝の3:30になっていましたが、かなり面白い内容です。これは書き手の善し悪しではなく、対談自体の面白さですね。この日記も書いて、歴史的な1日の仕事を終えようとしています。



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