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◆2006年7月28日(金)
 18時半頃に成田に着きました。やっぱり日本はホッとしますね……と思う、この感覚がくせものなのです。

 ヘルシンキの最後の13時間に起きたヨーロッパ取材最大のピンチというのは、寺田の体調不良です。ヨーロッパ最後の夜だからと、調子に乗ったつもりはまったくありませんが、結果から言うとイタリアンを食べ過ぎたせいでしょう。昨日は朝の4:40に起きたので3時間睡眠。疲れと重なったのがまずかったですね。夜中になって猛烈に胃がむかむかしてきました。一度眠ったのですが、2時半頃に目が覚めて、間もなく嘔吐。その後も約1時間苦しみました。
 異国での体調不良はものすごい不安に襲われます。翌日の飛行機移動は無理だろう、と感じていました。便が固定されているチケットですから、変更したら何十万円かかることか、わかったものじゃありません。でも、とても10時間以上のフライトに耐えられるとは思えません。新井智之選手(クレーマージャパン)の東日本実業団ではありませんが、「終わった」と思いました(何のことか、もうすぐ本サイト上でわかります)。

 しかし、シャワーで体を温めたのが良かったようで、徐々に痛みが治まり、たぶん4時くらいには寝付けたと思います。元から、冷房の強すぎるホテルなのです。朝の9時に起きたときには痛みはまったくなくなっていましたが、食事はとれそうにありません。トイレにも3回くらい行かないといけない症状でした。体力がまったくなくなっている感覚で、荷物を持って歩くのはきつそうです。
 日記を書いてホテルからアップしようと思っていましたが、ベッドに寝て体力回復に務めました。11時には頑張って帰国することを決断。その時点で陸マガ児玉編集長に電話を入れて原稿の打ち合わせ。12時にチェックアウトしましたが、さらにそれから1時間、ロビーに座って体力回復を待ちました。その間にTBS山端ディレクター(3000mSCで日本インカレ入賞。箱根は6区の秘密兵器候補。候補のまま卒業)にも取材報告の電話。久々にISHIRO記者も愛用しているユンケルも飲みました。

 駅まで5分ちょっとの距離ですけど、少しでも体力を温存したかったので、ホテルから空港までタクシーを使うことに。バスは5.20ユーロ、タクシーは結局30.30ユーロでしたから、その差は馬鹿になりませんが、この辺はいた仕方ありません。おかげで、空港での待ち時間中にかなり体力が戻り、昨日の日記を書き始めることができました。
 そして、ドゴール空港に着いたときには軽く食事もできるようになり、トマトジュースも飲んで、粒状ユンケルももう1袋服用して、かなり元気になりました。幸いなことに、ホテルを出てからはトイレに行かなくて良くなっていて、自信を持って成田行きに乗り込むことができました。

 乗り換えで4時間の時間があったシャルルドゴール空港では、有料の無線LAN接続にちょっと手間取ってしまいました。英語の画面なのでだいたいはわかるのですが、肝心のところで勘違いをしてしまっていました。1時間10ユーロのコースを選択したかったのですが……というか、実際に選択したのに、ログインの仕方に失敗してもう1回30分のコースを選び直してしまったのです。10ユーロだっただけ良しとしましょうか。3年前のスーツケース重量オーバー追徴金は770ユーロでしたから。
 パリを23:35発。ヨーロッパを深夜に出発する便に乗るのは初めて。この時間だとさすがに、機内ではうつらうつらしました。ヨーロッパ時間の5:30頃までは寝たり起きたりの繰り返し。その後は書きかけの原稿を1本完成させた他は写真の整理。陸マガに提出する写真を選びました。今回のヨーロッパ取材を振り返ることにもなり、色々な思い出が甦ってきます。この頃には体調も良く、“まだ帰りたくない”症候群に襲われていました。ヨーロッパという非日常から、日本での日常生活にもどるときが刻一刻と近づいているのです。この感覚って、おわかりいただけますよね。

 成田に降り立つと、やはりホッとします。特に、体調を崩した直後ですから、なおさらです。移動も食事も手慣れたもの。ネット接続で苦労をすることもないでしょう。生活もいつもの日常に戻るわけで、緊張の連続だったヨーロッパ取材と比べると、ちょっと気合が入りません。いざとなったら、何とかなるだろう、という気の緩みみたいなものでしょうか。
 でも、本当は日本での日常こそ、緊張感を持たないといけないのです。ヨーロッパ取材なんてのは、一過的なお祭りみたいなもの。自分の生活基盤は日本であり、そこで何をするか、何ができるのかが重要になってきます。日常でのちょっとの頑張りの積み重ねが、大きな差となる。ヨーロッパ取材に行けるのも、日本での頑張りがあればこそ、なのです。
 そういってところを再認識させてくれたのが、サンモリッツで取材した野口みずき選手でした。


◆2006年7月29日(土)
 今日は、さすがに仕事をバリバリやることができず(昨日の日記と若干、話が違うような気がしないでもないけど)、休養中心の1日でした。眠くなったら寝てしまっていましたし。しかし、仕事の打ち合わせはしっかりやりました。といっても2つだけです。考えてみたら土曜日ですしね。海外に行くとなぜか、曜日感覚が全くなくなるのです。
 ということで、陸マガに書くヨーロッパ取材の記事も決まりました。思ったよりたくさんの選手に触れることができそうです。よかったです。今回、事前に決まっていたのは野口みずき選手のインタビューだけで、それ以外は“終わってから決めましょう”という雰囲気で出発したのでした。
 いくつか、取り引きのあるところには声を掛けて行きますが、元々、寺田が勝手に行くと宣言して出かけた取材です。経費も基本的には自己負担。その分、have toの仕事が少ないので気持ち的には楽で、そういうときの方がいい取材ができたりするのです。

 ところが、世界選手権となると事情が違ってきます。フリーになってからエドモントン、パリ、ヘルシンキと3大会に行きましたが、経費は基本的には自己負担。でも、毎回3〜4社の仕事を引き受けて現地に行っているので、結局やることは多くなります。その分、今回のように圧倒的に持ち出しが多くなることはありません。仕事の気楽さ(ストレス)と収入は反比例するのがフリーランスですね。これがある程度、名前が売れると違ってくるのかもしれませんけど。

 そういった状況の取材でしたから、野口みずき選手のインタビュー内容以外、今回はどの試合の記事もこのサイトに書ける状況でした。ただ、日程的な問題で、大会の記事を書いたはローマだけ。まずは日記を優先しました。記事だったら状況描写や記録の紹介で、後で読んでも読み手側もイメージを再現しやすいはず。その点、日記はリアルタイムで行動を報告することで、読者もヨーロッパ縦断取材をしている寺田と近い感覚になれる(かもしれません)。日本選手のヨーロッパでの活動を理解しやすくなるという判断から、日記を優先したわけです。
 と理屈を付けて説明することもできますが、単に日記形式の方が手早く書けるから、というのが本当のところです。でも、取材する側の事情もわかるし、記事っぽい部分もあるし、ヨーロッパの都市の様子も分かるし、悪くありませんよね。

 仕事の電話のもう1つはTBS山端ディレクターから。8月1日放映のゴールデンリーグ番組の編集も、佳境に入っているようで、さすがに「dianaのメンバー全員の名前を言ってみろ」とは言えませんでした。dianaってご存じですよね。TBSが親会社である横浜ベイスターズ専属ダンスチームで、世界陸上大阪大会への道(TBS)のカウントダウンコラムにもメンバーが投稿してくれています。TBSとしても売り出したい存在のはず(詳しくはこちらを)。スポーツ局の社員が、メンバー全員を言えないわけがないはずです。
 明日は池田選手の原稿を書いて、野口みずき選手のインタビューにも取りかからないといけない7月最後の日曜日。


◆2006年8月3日(木)
 朝の3時にヨーロッパ取材4本目の原稿を書き上げたことで、インターハイに行くことを決断しました。女子100 mのある2日目は、生で見ておきたい欲求が強かったので。7時50分に起きて出張の支度。10:30開始の予選はさすがにパス。13:50の準決勝に間に合うように、10:13東京発の新幹線に飛び乗りました。
 地下鉄の長居駅に着いたのが13:20頃。改札の前で「寺田さん」と呼びかけられたので声の主を見ると、山梨学大時代からやり手と評判の日清食品・岡村マネ。彼こそが、寺田の髭面を目にした最初の人間となったのでした。
 ヨーロッパ取材の後半、電気シェーバーが故障をしたため、その後髭を剃りませんでした。ストックホルムとヘルシンキでもいつもよりは伸びていましたが、髭面というまでにはなっていなかったというか、中途半端な状態でしたね。帰国後に6日間の調整期間を設け、万全の状態で(明らかに髭面とわかる状態にして)インターハイに臨んだわけです。本当のところをいうと、似合っているかまったく自信はなくて何度も剃ろうと思ったのですが、知り合いの方たちの意見を聞いてからにしようということで。

 13:40にはスタンドの記者席に。近くに池田久美子選手と川本和久先生の姿があったので、ストックホルムでお世話になったお礼の挨拶。続いて女子、男子の順で100 mの準決勝。1組では3連勝のかかる高橋萌木子選手と、200 mで23秒台を東海大会で出した中村宝子選手が対戦。中村選手が序盤からスムーズな加速でリードし(高橋選手の序盤が遅いからそう見えただけかも?)、終盤も高橋選手の追い込みを許さずにフィニッシュ。11秒81(±0)は自己新。静岡県高校記録です。静岡新聞・M記者と中日新聞東海(浜松)のI記者が喜んでいたはず。
 高橋選手は得意の後半でも追い込めず11秒94。決勝後に、そのときの感覚を話してくれましたが、力を抜いたと言います。そこまで流している感じには見えなかったので、ちょっとビックリしました。2組の福島千里選手は抜群のダッシュで11秒77(+2.0)。3組1位の岡部奈緒選手は11秒88(±0)。甲乙付けがたい評価ですが、強いて言えば中村選手と福島選手がちょっとが優位に立った、という感じでしょうか。しかし、これも後で判明しましたが、高橋選手にそういう感覚はなかったようです。準決勝で優位に立つとか、立たないとかいう考え方はしていないように受け取れました。

 テレビ中継時間への配慮もあるのか、16時台に決勝種目が集中。そうなると取材は大変です。トラックでは16:10の女子100 mを皮切りに、男子100 m、女子1500m、男子1500m。小林祐梨子選手も登場します。その直前に男子棒高跳でも、5mにバーが上がりました。気が気でないのは静岡の記者2人。笹瀬選手のインタビューが始まると、女子100 mの決勝が見られなくなるのです。
 棒高跳では笹瀬選手と同じ2年生、観音寺中央の有明選手も5m00を2回目にクリア。静岡の記者お2人は、棒高跳が長引いた方が取材の流れがスムーズになると判断。笹瀬選手の優勝を念じながらも、有明選手の頑張りにも拍手を送っていました。無事に女子100 m、男子棒高跳の順でインタビューが進む感じになっていきましたが、肝心の中村選手が決勝では不発。11秒95で4位と敗れてしまいました。
 一緒に見ていた浜松西高・筒井先生によると、いつもよりも硬さが見られたといいます。左隣のレーンの福島選手にスタートでリードされたことと、後半では高橋選手の爆発的な追い上げを受けたことが原因かもしれません。違う理由かもしれませんが。しかし、その後の女子4×100 mRでは46秒67の静岡県高校新。話題をふんだんに提供してくれます。

 高橋選手の他にコメントまで取材をしたのは、もちろん女子1500mの小林祐梨子選手、八種競技の塩塚選手、女子走高跳の内多選手。小林選手は日本記録時を上回るハイペースで飛ばしましたが、その理由を聞くことができました。これは記事にする予定(と書いておきながら、記事にできなかったケースは数知れず)。
 塩塚選手の話を聞いていたときは、自分の原点に戻った気分に浸ることができました。優勝者名鑑用に話を聞くのが、専門誌の新人編集者の仕事でしたし、それを続けるうちに自分の基礎みたいな部分が固まってきたと思います。インタビューの仕方、選手の考え方(これが千差万別なのですが)などを勉強させてもらいました。実際の競技を見ていなくてもインタビューをしないといけないケースも多々あるわけで、その辺のコツなんかも、優勝者名鑑用の取材で身につけていったと思います。
 今季のインターハイ取材は、自分の原点を思い出すことも狙いの1つ。ちょっと前にも書きましたが、ヨーロッパ取材はお祭りみたいなもので、原点とか基礎的な部分ではありません。インターハイ取材こそ、基礎であり原点です。
 内多選手には近畿インターハイでも話を聞かせてもらいましたが、そのときに続いて今回も感銘を受けました。とにかく、周囲への感謝を持ち続けている選手。自分がこうした、という部分はまったく話さないのです。技術的にどこが良かったとか、こういう工夫したとか。ある意味、記事には書きにくい話なのですが、メンタル面重視の徹底ぶりはすごいのひと言です。
 確かに、周囲への感謝の気持ちを口にする高校生選手も多いのですが、“指導者に言わされている”のかな、と感じられる選手も散見されます。その点、内多選手の場合は心の底から思っているのが、話しぶりから伝わってきます。周囲への感謝の気持ちが競技力に本当に結びついている選手なのだと感じました。

 肝心の寺田の髭面ですが、賛否両論。勧誘に来ていた谷川聡選手に聞くと、明快な回答はなし。
 髭面なんてとっくに卒業した大東大・只隈監督の反応は……忘れました。何かギャグを言って、自分で「オレもオヤジになったなぁ」と話していたような。ニシの西田広報が大東大OBということが判明しました。
 某誌E本編集者や、石井あり嬢には好評。お世辞(褒めごろし)かもしれませんので、注意をしないといけません。
 同じように“ちょい髭面”のISHIRO記者には、手入れの仕方を教授してもらいました。なんでも、髭手入れ用のバリカンがあるのだとか。さすが、外見が特徴(だけど本当は中身もすごい)ISHIRO記者と思いました。
 今回の出張はホテルがまったく予約無しで来ました。大阪圏は本当に空室がない状況。インターハイと甲子園だけでは、ここまで埋まらないでしょう。色々とイベントが重なっているのかも。正直、ちょっと焦りましたが、ここでもISHIRO記者に助けられました。堺東駅の東横インをなんとかキープ。
 6000円でLAN接続が無料でできるホテルに泊まれるなんて、日本ほど宿泊事情が整備されている国はないのでは? と、ヨーロッパの馬鹿高いホテルに泊まらざるを得なかった直後の寺田は思います。


◆2006年8月4日(金)
 昨晩は福士加代子選手の特集を深夜に見てしまいました。ヘルシンキGPでの1万m日本記録への挑戦をメインにした構成。関西地区だけの放映ですし、つい1週間前にヘルシンキで取材したばかり。これは見逃せません。というか、関西に来ていて超ラッキーでした。実は昨日の新幹線車中で福士選手のヨーロッパ遠征を原稿に書いたばかり。テレビを見て、直すところとかは特にありませんでしたけど。
 ということで、昨晩はヨーロッパ取材の原稿を1本しか書けず、今朝起きてからもう1本。インターハイ取材は午後からになってしまいましたが、これは仕方ありません。実は陸マガ時代から、インターハイ取材はそうでした。締め切り間際の時期なのにページ数は膨大にある大会。午前中の予選はパスをして、原稿書きや編集作業をせざるをえなかったと記憶しています。

 今日は昨日に比べ、俗に言う“期待の種目”が少ない日でした。インターハイは高校生の思いのぶつかり合い、記録のレベルは関係ないよ、と言いつつも、やっぱり記録レベルの高い種目を注目してしまいがち。これも仕方のないことかもしれません。それでも丁寧に取材をしていると、どの種目にもドラマがあります。今日、特に面白かったのは男子400 mHでした。
 神奈川県勢3人が決勝に残り、4・5・6レーン。同県出身の朝日新聞・堀川記者ともども、固唾を飲んで見守りました。先行した染岡洋平選手(相洋)に庭山嵩弘選手(川崎北)が10台目で並び、フィニッシュまでに逆転。3位争いも井上大夢選手(相模原)が制したかに見えましたが、為本康平選手(玉野光南)が0.01秒競り勝って、上位独占を許しませんでした。
 優勝記録は52秒01とそれほどよくはありませんでしたが、神奈川勢という視点で面白い話が聞けるかな、と思ってインタビュールームに。優勝した庭山選手の話を聞いていたら、隣でインタビューに答えている染岡選手の声が偶然、耳に入ってきました。
「先生同士が兄弟なんです」
 なにっっっっーーーー? 寺田の触覚がぴくりと震えました。兄弟が揃って指導者をして、揃って全国大会優勝選手を育てているケースは、ほとんど聞いたことがありません。ちょっと特殊なケースですけど旭化成の宗兄弟がまず思い浮かびました。それと二階堂先生兄弟です。仙台育英が留学生選手を受け容れ始めた頃の男女の監督。女子をお兄さん、男子を弟さんが受け持っていました。

 兄弟となればまずはお兄さんから取材をするのが礼儀だろうと思い、庭山選手について行って、まずは川崎北の銭谷亨先生に挨拶&取材。弟さんの銭谷満先生にも連絡を取ってもらいましたが、相洋は選手が出場している種目が多かったため、ちょっと時間をおいてから選手2人と監督兄弟2人に集合してもらいました。4人の写真を撮って、満先生にもお話を聞くことができました。
 2人のアウトライン的な関係は、最初に亨先生の話を聞いてがわかりました。亨先生の方が聾学校の教員が長く、通常高校の陸上競技指導の経験は浅いのだそうです。今年でまだ6年目。すでに満先生はインターハイの優勝者を育て、最近ではチームを神奈川県で総合優勝するまでに強くしていました。
 しかし、満先生の話を聞いて、さらに面白さを感じられました。亨先生は東京の名門・保善高の出身ですが、満先生は神奈川県の荏田高出身。ちょうど、小峰先生が若い頃で、熱血的なコーチングで同高を強くしていた頃に指導を受けました。そして相洋の監督になってから、小峰先生の新栄での頑張りを、今度は指導者として見ることができたのです。このあたり、神奈川の陸上競技に詳しい方が聞いたら、かなり面白く感じられると思いました。
 言ってみれば、弟さんの方がはるかに先行しているケース。しかし今インターハイでは、お兄さんの指導する選手が優勝しました。選手2人の試合実績やタイプの違い、インターバルの歩数の違いなどでも面白いですし、普通に記事を書くのならそこだけでもいいのですけど。本当に色々なドラマがあるもので、話を聞いてみないとわからないことも多々あります。

 その点、男子走幅跳は東海大望洋がワンツー。この種目ではインターハイ史上初の快挙を達成しました。これは話を聞く前から、ドラマがあるとわかるケースですが、話を聞いてみてわかったのは2人のキャラクターの面白さ。実は南関東インターハイのときにも、陸マガ高橋次長が取材しているのを側で聞いていて予想はしていましたが、まさかここまで息が合うというか、掛け合いが面白い2人だとは気づきませんでした。画期的なことですし、2人のキャラにも好感が持てたので記事にしました。
 これもちょっと予想はしていましたが、男子4×100 mRの白河旭の話が面白かったです。予想できた部分というのは、全日中で2連勝した白河二中のメンバーのうち3人が、白河旭のメンバーに入っていたから。1年生3人と2年生1人というメンバー構成で同高は臨んでいました。そして、単なる話題にとどまらず、3位と予想以上の成績を収めました。話を聞くと、これもかなり面白いです。
 男子走幅跳では白樺学園高の1年生2選手も、東海大望洋コンビほどではありませんが、注目された存在。予想外だったのは、7m40の記録を持つ皆川選手が予選落ちし、記録では負けている小西選手が6位と健闘したこと。我々はどうしても記録でどちらが上と判断してしまいがちですが、話を聞くと小西選手は直接対決で何度も勝っています。話も面白かったし、2人の競技的な特徴の違いもわかりました。2年後には(もしかしたら来年にでも)、今度は白樺学園によるワンツーが見られるかもしれません。

 というように、記録的な期待が低い種目が多くても、取材をしていると面白いことはいくつもある。それがインターハイです……が、インカレもたぶん、同じようにドラマはたくさんあります。実業団の試合となると、人生の機微に触れられる話がもっと出てきます。陸上競技はどんな大会でも、知ろうとする姿勢をもって取材をすれば、どんどん面白くなるのです。
 昨日は堺東のホテルでしたが、今日は心斎橋のホテル。本当に大阪のホテルはどこもいっぱいで、連泊ができません。


◆2006年8月5日(土)
 インターハイ4日目(取材は3日目です)。一番悩んだのは、女子200 mをどのポジションで取材をするか、でした。レース展開を見るのならスタンドの記者席ですが、フィニッシュ後に選手の表情を撮るのならグラウンドレベルの撮影ゾーン。迷いに迷った末に、グラウンドレベルでのカメラ取材をメインにすることにしました。100 mで高校記録に0.01秒と迫った高橋萌木子選手(埼玉栄)が、この種目では高校新を出すのではないかという予感があったのです。
 幸いなことに、今大会はリアルタイムの映像が大型スクリーンに映し出されます。フィニッシュ地点正面の撮影ゾーンでも、スクリーンを見ていればレース経過は把握できるのです。NHKの放映は2日目までですが、場内の映像サービスはずっと続いていました(NHKとは関係ないのかも?)。

 レースは中村宝子選手(浜松西)が前半でリードを奪い、高橋選手の追い込みを許さずにフィニッシュ。中村選手は100 mの準決勝まではいい走りをしていたのに、決勝(4位)から調子を崩していました。4×100 mRもそれほど良い走りではなかったと聞いていました。中村選手が短時間で立て直して高橋選手を破ったことだけでも、ニュース性があるというか、両選手の表情を追う価値はあります。記録のことなど、フィニッシュの瞬間は気になりませんでした。
 が、一応タイマーに目をやると23秒4*で止まっています。最後のヒト桁までは覚えていませんが、一気にテンションが上がりました。鈴木智実選手の高校記録は23秒76ですから、0.3秒近くも更新したことになります。昔のことはよく知りませんが、現ナイキジャパンの磯崎公美さんが24秒00を出した後、柿沼和恵選手が23秒82、鈴木選手が23秒76。ここまで大幅な記録更新はありませんでした。
 後で某専門誌Oカメラマンが言うには、寺田は「すごい記録だっ!」と叫びながらタイマー撮影に突き進んでいったようです。まあ、本職カメラマンたちよりも記録のすごさを実感できる立場にありますから。以前だったら遠慮もあって、そこまでできなかったと思いますが、最近は同じ長居競技場で池田久美子選手の6m86のタイマー撮影にも関わりましたし、キャノンの白レンズ(レベルの高いレンズということです)も購入しましたし、ベルギーではナイトオブアスレチックのインフィールド取材もしましたし。

 池田選手といえば、国体では中村選手と同じ静岡県チーム。中村選手が尊敬する選手の筆頭だそうです。このことは、東海インターハイのときに取材をしてありました。今日の共同取材の最後の方で尊敬する選手を質問されたときも、池田選手の名前を答えていた中村選手。「インターハイで勝ったら、一緒に写真を撮ろうと約束しているんです」と言います。隣にいた共同通信・宮田記者がなぜか、寺田の方を向いて意味ありげな表情をしました。“それを撮るのはあなたの仕事でしょう”と宮田記者は言いたいのです。
 こうなったら、乗りかけた船というか、長居競技場の運命というか、仕方がありません。寺田も静岡県出身ですし。中村選手と一緒に浜松西のテントじゃなくて陣地……(何か良い言葉はないでしょうか)に行って、池田選手を待ちました。念のため池田選手に電話を入れると、そこに向かってくれている最中でした。間もなく池田選手が現れ、抱き合う2人池田選手筒井先生奥村トレーナーと、次々に高校新記録記念撮影をさせてもらいました。
 ちょっと意外な感じもしますが、静岡県女子のインターハイ優勝は1991年に地元で行われた静岡大会やり投の青島友美選手(西園女)以来15年ぶりだそうです。静岡の記者の皆さんが言っていました。浜松西高OBでもある筒井先生に「高校記録は石川準司先生に続いて2人目ですか?」聞くと、それ以前に男子4×400 mRでもインターハイ優勝時に高校記録を出したことがあるのだそうです。つまり、同高にとっては3回目の高校新記録です。
 ところで石川先生は、静岡県西部の陸上競技関係者にとっては伝説の存在。手動計時の時代ですが、高校生で100 mの日本記録を出し、東京オリンピック代表にまでなった方です。浜松西高といえば、寺田のちょっと上の学年に棒高跳の神谷選手がいましたし、近年では400 m(46秒35)の藤森亮選手、三段跳(15m77)の小栗忠選手(現中大監督)が有名ですが、中村選手は石川先生に次ぐポジションに躍り出たといえます。
 肝心の取材はどうだったのか。一番のポイントは100 m決勝からどうやって立て直したか、です。この点については記事にする予定です。


◆2006年8月5日(土) その2
 静岡県にとって15年ぶりのインターハイ女子優勝、という吉報があった大会4日目ですが、兵庫県にとっては無念の1日となりました。兵庫の悲劇といったらちょっと大げさですが。
 というのは、兵庫勢は3日目まで、毎日優勝者を出していました。初日が女子やり投の宮本美穂選手(神戸科技)、2日目が八種競技の塩塚敬太選手(高砂南)と女子1500mの小林祐梨子選手(須磨学園)、3日目が女子円盤投の菊地育美選手(園田)。明日の最終日(5日目)は優勝が確実視されている小林選手の3000mがあるので、4日目の今日、優勝者を出せるかどうかが全日優勝を左右すると思われました。
 どうして気がついたのかといえば、神戸新聞・藤村記者(関大陸上競技部OB)が昨日、菊地選手にインタビューをしているのを見て、ピンと来たのです。正確にデータを調べたわけではありませんが、インターハイが4日間開催の頃は、いくつかの県が全日優勝はやっていると思います。前述の静岡女子最後の優勝となった91年の静岡インターハイでは、地元・静岡がそれをやりました。800 m・小野友誠選手、3000mSC・山本豪選手、棒高跳・中森徹選手、女子やり投・青島選手の4人(まさか思い出せるとは!)。

 5日間開催となってからは、どうなのでしょうか。これもデータを調べないとわかりませんが、初日の決勝種目が4種目と少なくなったので、全日優勝は以前よりも難しくなっています。
 その偉業に挑んだ兵庫ですが、女子走幅跳の中野瞳選手(長田)が2位、女子800 mの広田愛子選手(須磨学園)も2位、男子走高跳の松下翔一選手(星陵)が3位、男子800 mの西本翼選手(北須磨)が4位、男子5000mの八木勇樹選手は5位。男女の800 mは優勝者とは明確な差がありましたが、女子走幅跳は1cm差の2位、男子走高跳は優勝者と同記録の3位と本当に惜しいところで優勝を逃しました。そして男子5000mは留学生選手を除けば1位だったのです。
 全日優勝はもしかしたら埼玉、千葉あたりがやっているかもしれませんが、今年の兵庫のすごいところは、全日別の学校から優勝者が出る可能性があったことです。これは以前、元K新聞陸上担当のO原記者が以前指摘したように、兵庫が以下の特徴を備えた県だからかもしれません。
@全域で中学生の指導者が熱心で、レベルが高い。
A五国間の競争があり、安易に1校に人材が偏らない。
Bしかも、優れた高校の指導者もたくさんいる。
C人材が分散しているからこそ、高校間の競争が激化する。

 全日優勝はできませんでしたが、それを残念だったと言うのはあくまで、インターハイを客観視できる立場の人間の感想です。専門誌や地元のメディアとか、陸上競技愛好会の皆さんとか、地元関係者とか。選手個々に、そういう意識があるわけではありません。女子走幅跳・2位の中野選手が会見場で涙を流していたので、悔し涙ですか?と質問すると「嬉し涙です」と言います。詳しい事情は専門誌の記事になると思うので割愛しますが、選手にとってはそれぞれの目標や、そのとき抱えている事情(故障や不調など)があります。自分の所属する県の全日優勝なんてことは、まったく考えていないことなのです。もしも考えていたとしたら、関係者の誰かが吹き込んだ結果でしょう。
 選手とは、そういう精神構造をしています。メディアというフィルターを通じて陸上競技に接している人間とは、そこが決定的に違いますね。ですから我々記者も、メディア的な先入観を持って話を聞くと、選手の“何それ”という反応に出くわしかねません。注意すべき点だと思っていますが、これがなかなか難しいのです。

 結果的に兵庫にとって残念な1日となったのは事実ですし、藤村記者の表情もいまひとつ。対照的に喜々としていたのが、中国新聞・山本記者。広島勢が2種目で優勝したのです。女子800 mでは久保瑠里子選手(広島井口)が圧勝し、同走幅跳では木村文子選手(祇園北)が接戦を制しました。インタビュールームでは、山本記者のつんつん頭が風を切っていました。この写真(右端が山本記者)でわかるように、両サイドの頭髪が断崖絶壁のようそそり立っています。どうやったらこの髪型が可能になるのか、選手たちが不思議に思って逆取材することはないのでしょうか? と疑問に思ったので同記者に聞いてみましたが、今のところないそうです。中国地区の選手の皆さん(特に女子)、取材を受ける機会があったら質問してやってください。


◆2006年8月12日(土)
 10時から青山葬儀所で森千夏さんの告別式がありました。
 9:50に着いたとき、会場の後列2〜3列はまだ、埋まっていません。これは焼香の際にわかったことですが、(おそらく)国士大や東京高の部員、OBたちは建物に入らず、外で参列していました。参列者は700人前後だったといいます。
 今日は仕事というわけではなく、完全に寺田個人としての参列です。席が空いていれば着席することもできましたが、着席しないで取材をすることにしました。陸マガ・高野カメラマンと一緒に写真を撮ったり、記者の方たちと一緒に会場最後部のスペースでメモを取ったり。これまでずっと、森さんには取材者として接してきましたから、最後も同じようにしたかったのです。

 会場の雰囲気を写真で紹介しておきましょう。受け付けから会場に入ろうとすると、写真コーナーがありました。中学・高校時代から始まって(写真1)、日本記録を更新していった過程や表情のアップ、池田久美子選手や村上幸史選手とのツーショットなど(写真2)、そして最後は18m22の現日本記録とアテネ五輪まで(写真3)。寺田の撮影したものも1枚(もしかすると2枚)あって、ちょっと嬉しかったです。
 祭壇がこれ。五輪マークやアテネ五輪のブレザーなどが飾られています。K記者が言うには、現役五輪選手の逝去は、ほとんど例がないのではないかということです。プロ野球や高校野球、カーレーサーなどはあるようですけど。もしかすると、戦前の人見絹枝さん以来ではないか、という意見も出ていました。

 陸上界からは選手仲間、出身校である国士大や東京高出身の選手、そして陸連幹部たちと、たくさんの関係者が参列していました。最初に弔辞を読んだのが東京高の小林隆雄先生です。森さんが体調を崩してからの同先生の奔走ぶりは、すごかったと聞いています。4月以降は「森千夏さんを応援する会」の代表を務め、支援金の募集にも多大な尽力をされました。もちろん、その間に東京高の選手たちもきっちり指導し、インターハイで入賞者を多く出しています。記者たちの間でも「忙しいのに、ものすごく丁寧に対応してくれる」という評判でした。これは寺田も感じていたことで、本当に頭が下がります。
 記事では触れていませんが、小林先生の弔辞のなかで「(森さんは)夢を一度もあきらめなかったことがすごい」と話しています。これは推測ですが、必ずしも恵まれた競技環境になかった森さんが、そういった気持ちを持ち続けられたのは、小林先生のサポートが大きかったのではないかと思います。小林先生もすごかった、と寺田は思います。

 700人の焼香が終わったのは12時頃。出棺を見送る参列者の写真がこれです。告別式の最中もすすり泣きがあちこちで聞こえましたが(特に4人の弔辞の最中に)、出棺のときにも、涙顔が多く見られました。これが、参列者たちにとっては森さんとのお別れの時なのです。
 寺田はというと、涙はありませんでした。この写真を撮った後で合掌した際に、少し潤んだくらいです。それまでは取材をする状況に自身を置いていたので、仕事モードでいられたのでしょう。散会後は朝日新聞・堀川記者とファミレスで昼食。1人になると泣きそうだから誰かを誘って、と考えたわけではありませんが。
 新宿の作業部屋にもどって池田選手の弔辞を文章に起こしていると、自然と涙が頬を伝います。取材中は下の方から聞こえてくる森選手の甲高い気合の声が、空の上から聞こえてきました。


◆2006年8月18日(金)
 世界選手権もオリンピックも行われない8月は、インターハイに取材に行きましたし、その記事を今も書き続けていたりしています。インターハイの写真集ページも作りたい気持ちもあるのです。日記で可能な限り写真も紹介してきましたが、最終日に撮った東海大望洋コンビの写真とか、他にも色々とあるわけです。どないしよう。
 高校生のひたむきさに感動したのか、最近は甲子園のテレビ中継まで見てしまったりしていますし(もしかしてヒマ?)、陸マガ・高野徹カメラマンから電話がかかってくると「甲子園から?」と確認もしています。残念ながら違いましたけど。なんで甲子園の話題に触れたのかというと、斎藤佑樹投手(早実)と佐藤悠基選手が1文字違いだ、というオチを考えているわけではなくて、単に自分の行動を書いているだけです。ここは日記ですから。見ている理由を強いて挙げれば、甲子園のテレビ中継は試合の最初から最後まで見られるので、流れがわかりやすいというか、要するに面白さを感じやすいのです。一応、中学では野球部でしたし。

 23時台に放映しているテレビ朝日(正確には大阪のABCテレビ)の「熱闘甲子園」なんかも見ちゃったりしますね。同番組はきっと熱湯のように熱い取材をしていて、系列のA新聞の記者たちに「ぬるま湯のような取材をするなよ」と言いたいのかもしれません。そういえば、A新聞のH川記者は、インターハイの翌日も大阪に残り、甲子園の取材に行くと言っていました。特に記事を書くわけでなく、自社ものでもあるし、どんな感じなのか現場を見ておこうという意図だったようです。言ってみれば、それほどプレッシャーのかからない取材だったようです……それって、ぬるま湯的な取材?
 しかし、考えてみれば寺田のインターハイ取材も、どこかに記事を書くアテはなかったわけで、一応、このサイトに書くのは仕事と位置づけてはいますが、他のメディアに書くよりもプレッシャーは小さいわけです。隣で必死になっている専門誌の取材スタッフが熱湯のような取材をしていたとすれば、寺田はぬるま湯のような取材だったかもしれません。

 でも、ぬるま湯的というと言葉は悪いのですが、ゆとりのある状況のときに何をするか、こそが大事だと思います。仕事を山のように抱えているときに得られるものも大きいのですが(特に若い頃は)、今回のインターハイ取材の状況のようなときにこそ、周りを見やすいというか、色々な人と話もできて、取材者としての幅を広げられる好機なのです。例えば新記録の出た種目は、普段はできないような丁寧な取材をしました。自分で独自のテーマを設定した取材もできます。今回でいえば高橋萌木子選手がなぜ、ここ一番というときに力を発揮できるかを取材しようと思っていました。この件については踏み込みが一歩足りなかった気がしますので、記事にするのは控えます。男子走幅跳の小西選手とか、男子4×100 mRの白河旭高など、地方紙が対象とするような選手も取材をしました(もちろん、地方紙の視点とは違ってきますけど)。サブトラックやスタンドも何度か回りましたし、そうすると自然に、多くの関係者と話をすることになります。
 そういった話の中で、今回は都市型インターハイだという話も出ていました。競技場へはバスでなく地下鉄で通い、スタンドが大きいだけにシート(各学校の拠点)もスタンド下にキープできます。スタンド下のスペースが広いということは日陰も多いわけです。長居公園ですから、木陰もきっちりあります。そういえば、サブトラックのトレーナー・ルームに冷房があったのは今回が初めてだと聞きました。
 それでも、大阪の夏はムチャクチャに暑かった。オールウェザーが熱くなって、スタートのときに指や膝をつくのが大変だった時間帯もあったようです。小林祐梨子選手が3000mでマメをつくったのも、おそらく地面の熱も一因となったのでは?

 大阪名物のたこ焼きを食べておかないといけない、と考えて、売店に並んで購入。最初に行ったときが品切れ状態だったので、2度も並びました。前述のH川記者に「大阪のインターハイに来たからには、たこ焼きを食べないと」と話すと、同記者が記者室担当の補助員の女子高生に、“ほんまもんの大阪のたこ焼き”かどうかを確認してくれました。その女子高生によると残念ながら、ほんまもんのたこ焼きではなかったようですが。
 こういったことができたのも、余裕があったればこそ。ぬるま湯的な取材が悪いとは、言い切れません。むしろ、将来を考えたら必要というか、勉強する絶好の機会なのです。きっとH川記者も同じ気持ちで取材をしたのではなかと思います。たこ焼きについて女子高生に取材をしたことではなくて、甲子園取材のことですけど。


◆2006年8月19日(土)
 昨日、早実の斎藤佑樹投手について触れましたが、考えてみたら世界ジュニア代表の熊本貴史選手とは同級生なのですね。でも、同じクラスかどうかは未確認なので、こういう場合はどう表記したらいいのでしょうか。同窓&同学年、ですか。 ということは、白樺学園の小西選手と皆川選手の記事も、厳密には同級生と使ったらいけなかったのかもしれませんが、同じ学校の同学年を指すときは使っていいのかな、という気がしています。そういうことで、昨日に続いて甲子園ネタです。

 寺田なりの高校野球観戦の楽しみ方の1つに、昼間、ライブでNHKの放映を見て、夜にまた「熱闘甲子園」を見ることがあります。同番組は23時台放映の約30分枠の番組ですが、得点シーンなど試合のハイライトだけでなく、プラスαの部分があります。きっと試合のダイジェストだけでは、他局のスポーツニュースとの違いを明確にできないのでしょう。そこをどう味付けしているか、に注目しています。
 最も多いパターンが、1人の選手(または関係者)にスポットを当てる方法です。あるいは、1つのテーマで括れる少数選手。例えばエースピッチャーだったり、中心打者、あるいは身体的なハンデがある選手。家族ネタもテレビ局は好きですね(=日本人全般が好きということでしょう)。師弟の絆や選手同士の友情、ライバルとの交流なんかもよくあるパターンです。

 ときどき「あれ?」と思うのは、プラスαの部分を強調するあまり、実際の試合の内容を伝える部分とマッチしなくなっているケースです。勝敗を左右した選手やポイントが別にあるのに、プラスαの話題を優先してしまう。たぶん、事前に(お金と時間をかけて)取材をしてVTRを作製してあったり、試合中も狙った選手の表情を追いかけていたりするからだと思います。テレビカメラのズームの威力でしょう。表情を追っているだけで、それなりの絵になるんですね、これが。
 でも、昼間のライブ中継を見ていると、面白いところは別にあったんじゃないかと感じるのです。プラスαの部分と試合を左右したポイントがマッチすると、ものすごく面白くなるのですが、どうしても、外れるケースも出てきてしまう。そうすると、こうした報道の仕方でいいのかな、事前のVTRをお蔵入りさせても、試合のダイジェストを中心に行くべきじゃないのかな、と思ったりします。
 しかし、前述したように、試合のハイライトシーンだけでは、視聴率が稼げないのかもしれません。これが、民間放送局のつらいところです。お金をかけて取材をすると、お蔵入りさせられない、という事情もあるのかもしれません。

 陸上競技のテレビ放映も同じかな、と感じています。事前にVTRを作製したり、ライバル関係を強調したり。幸運なことに陸上競技は、野球と比べれば事前の予想が外れるケースが少ない、と思います。予想外の選手が優勝したりするケースは、解説者がフォローできるはずですし。そのフォローがオンエアできるとは限らないのが、苦しいところなのですが。
 野球と比べて大変な点もあります。野球はNHKの甲子園中継がそうであるように、特に脚色しなくても、試合をストレートに放映していれば視聴率が稼げます。これは、世間一般に野球が広く深く浸透しているので、見る側が主体的に興味を持ちながら中継を見ることができるから。昨日の日記に書いたように、寺田もその1人だと思っています。高校野球自体、ドラマ性も大きいですし。
 その点、陸上競技はNHKパターンでは厳しい。視聴率を稼ぐにはどうしても、「熱闘甲子園」パターンにせざるを得ない。
 幸いなことに、テレビは近い将来、多チャンネル時代になります。NHKパターンのチャンネルと、「熱闘甲子園」パターンのチャンネルが共存する可能性があります。そうなれば、NHKパターンを望む主体的なファンも満足できるようになる。ただ、NHKでない限りは、最低限の視聴者がいないと放映は打ち切られてしまいます。何%が採算ラインになるのか、陸上競技に理解のあるスポンサーを見つけることができるか。楽観はできません。


◆2006年8月20日(日)
 今日も自宅で高校野球のテレビ観戦。閑なわけじゃないんですけど、面白く見られるので、ついつい見入ってしまいます。でも、自宅のハードディスクレコーダーに録画してある2003年の世界選手権(パリ大会です。今頃ですけど)をDVDに整理しながらの観戦。一応、仕事らしき作業もやっていました。
 それにしても、いい試合でした。最近の傾向かもしれませんが、今年は打撃戦とエラーの目立った大会でしたが、今日は投手戦になりましたし、エラーが試合を左右するようなシーンもなかった……かどうか、微妙なところですね。早実の得点は駒大苫小牧の中継プレーミスが絡んでいました。延長に入ってからの早実・斎藤投手の走塁ミスも、あれがなければ勝っていたかもしれません。
 打者が打てなかったのは、決勝戦のプレッシャーもあったのかな、と感じています。サッカーやバスケットのように、選手が動き続けている競技ではなく、野球は順番に出番が来る。「今からあなたの番だよ」というシーンがはっきりしていて、プレッシャーを受けやすい。陸上競技に近い感じもします。試合の終盤になってチームが負けていたりするときのプレッシャーのかかり方も、フィールド種目の終盤の試技と状況的に似ているかも。
 その対策を高校野球の指導者がどう指導しているのか、ちょっと興味があります。
 しかし、これまでの試合に比べて締まっていた印象があったのは確かです。ただ、明日の再試合は今日よりも打撃戦になると思います。

 ところで、高校野球では一塁にヘッドスライディングをするシーンが、よく見られます。上手い選手と下手な選手がいて、下手な選手は明らかに減速している。陸上競技に例えるなら、早すぎるフィニッシュをする選手みたいな感じです。あるいは、パリ世界選手権800 mのボルザコフスキー選手というか。今日、ダビングしていて気づいたのですが、最後の15mくらいがオーバーストライドで空回りしていて、そこでラムジ選手に抜かれていました。
 入場者数も気になりました。5万人で満員とか。どうしても、来年の世界選手権の観客数のことを考えてしまいます。
 寺田はこれまで、「世界選手権は観客が入って当たり前。問題は、その後だ」と言ってきました。世界選手権で陸上競技に興味を持ってくれた新規ファンを、その後の競技会にも来てもらえるようにすることができるかどうか。陸上界にとっては、そちらの方が重要ではないかと。
 それが7月下旬にチケットの金額が公表されてから、何人かの関係者や記者の方たちから、「世界選手権もやばいのでは?」と指摘を受けているのです。

 世界選手権入場券の金額はこちらに出ています。個人的なことを言えば、この金額で観戦できるのなら絶対に買います。世界のトップ選手たちのパフォーマンスを見られて、日本選手たちも一般種目は過去最高の陣容で臨みます。それを自分の目で見られるのなら、安いものです。往復20万円の飛行機代がかかるわけでもありません。
 でも、それは陸上競技を好きな人間の感覚です。「日本でやるのだから、せっかくだから行こうかな。でも、テレビでもやるわけだし」と思っている人間の財布を開けさせるのに、この金額がどうなのか。ちなみに、甲子園球場の高校野球の入場料は、こんなに安いのですね。競技レベルが違うって? 確かにそうですけど、人気レベルなら遙かに上の競技がこの値段ですよ。


◆2006年8月21日(月)
 今日の決勝で早実の9番を打っていた1年生が……と書くと、今日も甲子園ネタか思われるかもしれませんが、100%高校野球の話ではありません。早実の佐々木孝樹選手は昨年の走幅跳中学リスト1位(6m96)の選手だったという話。ノグジュンこと野口順子さんがメールで教えてくれました。全日中は2位。
 ここまでの選手が他競技に行ってしまうのはもったいない、と陸上競技関係者は思われるはず。きっと周囲の陸上競技関係者も誘ったと思うのですが、こればっかりは、どうしようもありません。逆に、他競技の有望選手が陸上競技に流れてくるケースもあると思われますし。
 しかし、手をこまねいて見ているだけでは能がない。手だては講じておくべきです。その1つの方法が、来年の世界選手権に全日中の入賞者を招待する方法。別の方が送ってくれたメールで提案していたのですが、これは良い方法だと思いました。東京の世界選手権のときは、高校のトップ選手たちを数人招いていましたが、中学生の方がベターかもしれません。入賞者以外の選手に将来の大物が潜んでいる可能性が大きいのですが、どこかで線を引くとなると入賞者ということにならざるを得ない。例年、東京で開催している全国小学生を大阪で行って(万博競技場とか)、全員が観戦できればもっといいかも。

 全日中ですが今日で終了しました。男子400 mでは柳澤純希選手が48秒25の中学新。これはすごい記録です。中学生の48秒台自体、ずいぶん久しぶりなのです。中学歴代リストの上位は全員が3年生ですから特定できますね。92年の岩崎万知選手が最後の48秒台ですから14年ぶり。特筆ものの記録です。柳澤選手は昨年、2年生で2位に入っていた選手(中学2年生初の49秒台の49秒83)。順調に記録を伸ばしていますが、肝心なのはこれから。
 中学生の48秒台選手はその後、高校までは頑張っていますが、高校卒業後に伸びていません。これは、いやでも本人の耳に入ってくる話でしょう。でも、49秒07だった為末大選手は世界のメダリストになっている。やり方次第、気持ち次第でなんとでもなる部分だと思います。

 柳澤選手とは対照的だったのが、女子800 mの鈴木亜由子選手。昨年、やはり中2最高(2分10秒41)を記録し、全日中では800 m・1500mの2冠を達成しましたが、日の800 mで5位と敗れました。しかも、勝ったのは今年も2年生の谷本有紀菜選手で、2分09秒67の大会新。中2で活躍できた選手は、翌年も頑張るケースが多いので、ちょっと珍しいケース。
 しかし、今日の1500mで鈴木選手は見事に2連勝。800 mで不調だった理由や、1500mまでに立て直した経緯など早く知りたいところです。全体としても、中学新が全部で4種目で出ましたし、なかなか盛り上がったようです。陸マガ次号の発売を楽しみに待ちましょう。


◆2006年8月22日(火)
 昨日のメールで全日中の800 mで5位となった前年優勝者、鈴木亜由子選手の「不調だった理由を早く知りたい」と書いたところ、現地に行かれた2人の方からメールをいただきました。ありがとうございます。
 1人は取材をしていたフォートキシモトの米岡カメラマン(ヘルシンキ世界選手権で大森&清田の新旧埼玉栄高監督=2人でインターハイ総合優勝18回=のツーショット写真に後方で映っていたカメラマン)。もう1人は選手の父兄の方です。鈴木選手はトップを走っていましたが、フィニッシュ直前で転倒してしまったのだそうです。これは今日、全日中3日目のビデオを見て、解説の伊東浩司監督も同じように話していたので、100%間違いないことでしょう。
 しかし、メールをくれた2人の目撃証言には、若干の違いがありました。1人は「鈴木選手が勝手に自爆して転倒した。転倒がなければそのまま逃げ切っていた」と書いてきましたが、もう1人は「転倒は接触があったためかもしれない。鈴木選手が連覇した可能性もあるが、追い上げて来た谷本有紀菜選手に勢いがあったのも確か」というニュアンスで書いてくれています。
 事実と決めていいのは、鈴木選手が転倒したというところまで。それ以上のことについては、当事者の話をきっちり取材した記事を待たないとわかりません。これは、来月発売の陸マガが待ち遠しいですね。

 先週の週末は珍しく自宅にこもりきり。全日中もそうですし、世界ジュニア、ヨーロッパの試合と、ネット上で結果を知りました。中国五県対抗など、地方の試合も陸協サイトでわかります。ただ、レース展開などまでは、成績表だけでわかりません。鈴木選手の転倒など、その最たる例ですね。
 同じように“この結果は、どういう展開の結果なんだろう”と思うケースがあります。世界ジュニア女子1500mで小林祐梨子選手が銅メダルを取りました。400m、800 m、1200mとも優勝したケニア選手が先頭を切っているので、小林選手が引っ張ったわけではない。でも、その直後につけたのか、ちょっと間を空けてついていったのか、などはわかりません。2位の選手を最後に追い込んだのか、それとも引き離されたのか、などもわからないわけです。
 同じく世界ジュニアの男子4×400 mRでは、8位入賞を果たしましたが、タイムは3分16秒61とダントツに悪いのです。4人のうちの誰かに、アクシデントがあったのでなければ、ここまで悪い記録にはなりません。それが具体的にはわからないのです。
 もう1つ、男子400 m決勝の金丸祐三選手も、読売新聞の記事によれば、優勝した選手の前半の走りに、結果的に惑わされてしまったようです。これも、具体的にどんな展開だったのかは、インターネットの記録だけではわかりません。
 ネットでなんでもわかるようになった、という言い方もできますが、まだまだ取材をした記者が書く記事は必要だということです。

 早狩実紀選手や沢野大地選手のように、自身のサイトで報告してくれる選手もいます。そういった情報源があれば、かなり現場の状況がわかります。沢野選手の痙攣とか。それでも、記者が要らなくなるかというと、そうはならないと思います。第三者の見た客観性、という部分で選手本人には書けないこと、冷静な判断ができないことがあるからです。その辺の具体例はいずれまた、わかりやすい例があったときにでも紹介します。


◆2006年8月23日(水)
 橋本晴子選手(ってご存じですよね)の母校、横浜国大に初めて行きました。日本スプリント学会に出席するためです。例年は確か、11月の週末に行われていて、マラソンや駅伝の取材と重なって行けませんでした。今年は世界選手権もオリンピックも行われない8月、それも平日開催ということで行くことができたのです。学校関係者にとっても、夏休みということで出席しやすいわけです。県岐阜商高の安福先生も遠路、来場されていました。
 といっても、世界ジュニアに行った関係者にとっては、北京から帰国してすぐのスケジュール。シンポジウムの演者のうち、越川一紀先生(順大)清水禎宏先生(松江北高)は世界ジュニアのスタッフでした。清水先生はインターハイから続く過密スケジュールで、8月は1日しか家に帰っていない、と話していらっしゃいました。

 シンポジウムのテーマは「跳躍の視点から見たスプリント」。近年の傾向として、朝原宣治選手や末續慎吾選手に代表されるように、バネのある選手が短距離種目でも活躍しています。為末大選手が三段跳も得意としていることも有名です。昨年のシンポジウムは「スピード持続トレーニングの方法と実践」でした。例年、テーマが鋭いというか、「それ、知りたい」と思う内容です。
 シンポジウムの演者は前述のお2人に伊藤信之先生(横浜国大)高野進先生(東海大)を加えた4人。伊藤先生は筑波大の学生(院生?)だった84年に、走幅跳でロス五輪標準記録を突破したこともあり、現在は陸連跳躍副部長。越川先生は76年のモントリオール五輪走高跳代表で、現在は順大跳躍コーチ。少し前までは成田高監督して、同高を何度もインターハイ総合優勝に導いています。
 清水先生は100 m元日本記録保持者として知られていますが、ケガをする大学2年時までは走幅跳の選手でした(朝原宣治選手と似たパターン)。平田高を率いてインターハイ男子4×100 mRで優勝しています。が、指導のモデルは100 mH元学生記録保持者の松浦真枝選手だそうです。そして高野コーチは400 m日本記録保持者で、末續選手の指導者です。今回のテーマにぴったりの4人です。

 4人が話した内容を、ここが面白かった、と紹介することはできますが、それを書くにはちょっと(かなり?)エネルギーが要るので省略させていただきます。学会ですから研究者や指導者向けの内容で、かなり濃密な話が続きます。最近の発表はどの演者もパソコン(パワーポイント)を使用しますが、「その画面、もうちょっとそのまま」と思うことが、何回もありました。メモも追いつきません。
 昨年の日本陸上競技学会で、室伏広治選手の講演をその場でパソコンに入力していた陸マガ・高橋次長のすごさを、改めて認識しました。今日、寺田の隣に座っていらしたのは福間博樹先生(県横須賀高)ですが、要所でイラストをヒョイヒョイとメモされています。さすが筑波大跳躍ブロックOBです(高橋次長も)。
 要するに、寺田ごときが出席しても、あまりにもレベルが違いすぎて、それほど実にならない。何のために顔を出したのか、と問われると困るのですが……そこが面白い、と感じられる部分も少しはあるのです。すぐに取材や記事に生かせるか、と聞かれるとこれも困るのですけど。
 それでも、あれはこのことだったんだ、とか、あるテーマの全体像が見えたりすることもあるのです。今日、越川先生の話を聞いて、6月に花岡麻帆選手の取材で聞いた内容が、寺田の中でさらに整理できました。明日は一般発表とワークショップ。面白そうな内容ですので、また出席させていただくつもりです。

 全日中女子800 mの鈴木亜由子選手の転倒について、今日もメールをいただきました。ありがとうございます。それと、全日中入賞者を大阪世界選手権に招待するという話でも、ちょっと反響が。これがなぜか、今日の寺田とも関係する要素があったりするので、機会を見て書きたいと思います。


◆2006年8月24日(木)
 今日一番の出来事といえば、ハンカチ王子が横浜にも現れたことです。が、その前に朝の出来事から。

 珍しく7:20に起床。朝食を身ながらテレビをつけていました。「どこかで見た人が出ているなあ」と思ったら、TBSの世界陸上レポーター・山縣苑子さんでした。何かと思えばフジテレビ系「めざましどようび」(土曜、前6・00)のお天気キャスターに決定したというニュース(デイリースポーツ記事:小林麻央 お天気キャスター卒業)。ちょっとビックリしました。山縣さんはTBSとの契約はありますが、基本的にはフリーの立場。世界陸上の仕事をやる間に、将来につながる道を見つけないといけなかったわけです。お天気キャスターというのはちょっと予想外でしたが、考えられない方向でもない。
 局が違うので世界陸上の宣伝をするのは難しいと思いますが、“世界陸上のレポーター”のイメージはついて回るはず。山縣さんがメジャーになるのは、それだけで陸上界にとってプラスだと思います。彼女のブログは昨日だけで、9万以上のアクセスがありました。すごい数です。ほとんどが芸能関係のアクセスで、陸上競技を積極的に見ようという人は少ないと思いますが、陸上競技を気に留めるきっかけにはなると思います。
 以前にも書いたと思いますが、陸上競技に関心のない人たちに対し、そういうことができる人間は限られているわけです。頑張ってほしいと思います。寺田は一応、彼女に初めてインタビューをして、記事(陸マガ2005年8月号)を書いた人間です。倉地記者(スポニチ)のためでしたが、サインをもらった初めての人間らしいです。

 多摩市の自宅から小田急、JR、横浜市営地下鉄と乗りついで9:20に三ツ沢上町に。横浜国大まで徒歩15分の距離ですが、キャンパスが広大で会場までさらに8分。さすが国立大学ですが、同じようなことを民間レベルでやってしまう私立大学は、もっとすごいのかも? 補助金とかあるのでしょうが。
 日本スプリント学会2日目。一般発表が5つ。発表時間は質疑応答を含めて1人あたり10分強。実験や測定の結果がこうでした、というだけの発表はその時間内でも十分ですが、こちらが積極的な関心を持つことができるテーマは、「もうちょっと聞かせてよ」と感じました。早大・礒先生の「短距離走のモデリングとトレーニング視点に関する一考察」もそうでしたし、君津青葉高・民内先生の「陸上競技指導法に関する研究 ―高校生ハードラーに関する実践報告―」などで、特に感じました。
 礒先生の指導する大前祐介選手は現在、1年ちょっと前に取材したときにやろうとしていた動き(ガトリン的な走法)から、目指す動きが変わっています。同選手からはその話を少し聞いていましたが、指導者の立場からも話を聞けて、取材にも役に立ちそうです。民内先生は、我々が普段接するトップ選手たちでなく、陸上競技経験の少ない選手、県大会レベルの選手の育成に関する話を聞くことができました。

 静岡大の院生の方は、サイドハンドパスの有効性を提唱。4×400 mRのときに時おり見られる、上半身を横に向けて手の甲を体側に向けて受け取る姿勢に近いです。言葉での説明は難しいですね。陸マガのバックナンバーを1冊1冊調べれば、この写真(4×400 mR)と指摘できるのですが。
 オーバーハンドの利点は、手を大きく伸ばす動作ができ、利得距離が大きいこと。反対にアンダーハンドは利得距離は短いものの、疾走動作に近い動きでパスができる。日本男子チームがアンダーハンドを採用している理由は、国際大会では失敗が許されないというか、気持ち安全策を採る必要があるためだと取材で聞いたことがあります。将来的にはオーバーハンドに戻すことも選択肢の1つだということです。
 サイドハンドパスは利得距離はオーバーハンドに近いものが得られ、オーバーハンドほどよりは疾走動作に近い。問題は、従来の2つのパスが前後(上下)の動きだったのに対し、サイドハンドは横に動かします。その動きがどうか。S大女子チームは明らかに成果が出ているといいます。

 一般発表後は陸上競技場に場所を移してワークショップ。昨日のシンポジウムに続き、ここでも跳躍とスプリントがテーマになっていました。吉田孝久氏は地元の高校生を指導しながら越川先生は花岡麻帆選手をモデルに、いくつかのドリルを紹介。やっぱりドリルというのは、外側だけを見てもダメですね。留意点、意識の置き方などを理解していないと。
 ハンカチ王子が現れたのは、そのワークショップ中のことでした。直射日光のなかグラウンドに立ち続けていましたから、参加者は汗だくです。ふと隣を見るとハンカチ王子の姿が。これがその写真……すいません、ハンカチおやじこと福島大・川本和久先生でした。
 大会最後の締めの挨拶は同先生。上手いな、と唸らされました。


◆2006年8月25日(金)
 大反響を期待した昨日のハンカチおやじについては、1通も反応なし。個人的には傑作だと思っていたのですが…。それに対して22日の日記で触れた全日中女子800 mの鈴木亜由子選手の転倒については、その後も目撃情報メールをいただきました。ありがとうございます。
 米岡カメラマンも撮影した写真をわざわざ見直してくれた上に、送ってくれました。これは転倒の直前のようです。その写真を掲載しますが、見たい方は必ずこちら(フォートキシモトのサイト)を先にクリックしてください。全日中女子800 mの写真。
「接触があった」「なかった」と、はっきり書いて送ってくださる方もいますが、この場でそれをはっきりさせるつもりはありません。というか、どちらが正しいと判断できる材料がない。撮影したビデオを見直したから間違いない、と言う方もいると思います。でも、よっぽどアップにしない限りは、ビデオでは判断しにくいのです。
 審判が困るケースにフライングの判定を受けた選手の親が、ビデオを証拠材料として抗議に来ることがあるのだそうです。用意の姿勢でピクっと動いた場合、近くで見ている審判にはわかっても、ビデオではよっぽどアップにしないとわかりません。2〜3人を同じフレームに入れて撮っていたら、まず無理でしょうね。それで、ビデオは証拠として認められていないのです。

 21日の日記で書いた全日中入賞者を大阪世界選手権に招待するという話でも、メールが1通。いくら費用がかかると思っているのか、という半ば非難めいたメールです。そのくらいは、考えていました。21種目×8人で168人。交通費とホテル代が1人平均4万円かかったら、672万円です。確かに莫大な金額ですが、その中から将来のメダリストが育てば安いもの、だという感覚です。ヨーロッパに選手を1人派遣したらいくらかかるのか、ちょっと計算したらわかりますよね。
 それよりも、世界を見せるタイミングとして、中学生という年代が最適かどうか。寺田の中で、この点について疑問がないわけではないのです。つまり、中学生ではレベルの差が大きすぎるし、陸上競技に懸ける気持ちも未成熟な選手がほとんどです。それに対しての考え方は2つに分かれるでしょう。
 だからこそ、きっかけとするのに世界選手権観戦はいい、という考え方。もう1つは、他人事にしか見えない(テーマパークに行った感覚にしかならない)から意味がない、という考え方。個人差もあることなので、なおさら難しい部分です。


◆2006年8月26日(土)
 千葉真子選手が昨日、北海道マラソンの記者会見席上で引退を表明しました。
 トップページで“引退”という表記をしたら、千葉選手自身は引退という言葉を使わず「頑張るマラソンに一区切り」という話し方をしている、という指摘のメールをいただきました。確かにプロ野球やJリーグのように選手登録の枠が決まっているわけではないので、今後もレースに出場することは可能です。しかし、頑張るマラソンが最後ということであれば、世間一般の感覚では引退ということになります。「一線から退く」という表現にすれば無難かもしれませんが、今回の場合どの言葉を使うか、というのはどうでもいいことでしょう。そこに神経を使うほどのことではない気がします。
 千葉選手の引退理由は何か、という問い合わせが某メディアからありました。レース後に本人が理由を話すと言っているようですから、それを待つのが筋です。でも、メディアの場合、色々と準備をすることがある。ページをとったり、上司を説得したり、という作業です。そういった事情がわからないでもないので、千葉選手の独特の考え方をもとに、2つ3つ、考えられることを話しました。
 これは、相手が仕事として判断材料を必要としているのでやむなく話したのであって、サイト上で書けることではありません。

 千葉選手が独特の価値観を持っていたのは確かです。昨年も北海道マラソン直前に、ヘルシンキの世界選手権にテレビの仕事で行ったり、1カ月ちょっとのインターバルでシカゴ・マラソンに出場したり。アメリカでロードレースを短期間に転戦した時期もあったと記憶しています。シカゴ・マラソンの際に、その辺も少し取材をすることができたのですが、オリンピックや駅伝を至上価値とする考え方ではない、のだと感じました。俗にいう実業団チームに所属しないからできたのかもしれませんし、誤解されやすい考え方かもしれません。事実、本気でないのでは、というニュアンスのことを口にした指導者や記者もいました。
 オリンピックや世界選手権を目指さない、というのではなく、色々な競技人生がある、色々な方法を試してみよう、という考え方だったと解釈しています。一般種目だったら受け入れられないでしょうが、長距離を取り巻く環境を考えたら、千葉選手のような価値観の選手がいてもいいと、個人的には思っていました。結果がいい方向に出る可能性もあるわけで、結果的に日本記録を出したり、オリンピックでメダルを取る可能性だってあったと思います。

 引退理由をあれこれ推測しても仕方がないこと。今いえることは、オリンピックや選考会が終わって引退、としなかったところが千葉選手らしい、ということくらいでしょうか。札幌に行っていればよかった、という気持ちは正直あります。

 深夜はTBS「世界陸上2007大阪上陸世界ジュニア&ヨーロッパ選手権&世陸1年前」を見ました。この感想はまた機会を見て。


◆2006年8月27日(日)
 八王子ロングディスタンスと日体大長距離競技会、全日本実業団ハーフマラソンと名古屋国際女子マラソン(のさよならパーティー)等々、梯子取材の経験はいくつかありますが、今日は北海道マラソンと江東区ナイターという組み合わせで梯子取材をしました。
 江東ナイターには為末大選手が100 mと200 mに出場。場所は夢の島陸上競技場で新木場駅から徒歩5分の距離。先に行われる100 mが16:10からです。北海道マラソン放映終了後すぐに出発し、作業部屋の最寄り駅である西新宿五丁目を15:06発の大江戸線に乗れば、月島で有楽町線に乗り換えて15:47には新木場に着きます。
 ヨーロッパ取材中、その日のうちにニュールンベルクからハイデルベルクへ移動して、沢野大地選手を取材したことに比べると“小振り”なことは否めませんが、間に合うことを確認したのが11:45頃。その4時間ちょっと後には夢の島陸上競技場にいたのですから、夢のよう……ではなくて、まあ、そんな感じです(どんな感じ?)。

 その前に北海道マラソンをテレビ取材。岩佐敏弘選手(大塚製薬)が独走しているときは、今年の静岡国際のときに取材したノートを見直そうかと考えていました。1万mの走り方というか、位置づけをマラソン向きに変更したという話を聞いていたのです。現地での取材ができなくても、以前の取材の中で今回の走りにつながる部分があれば紹介する価値はある。でも、結果は皆さんご存じの通りに。
 女子は吉田香織選手(資生堂)が初マラソンで優勝。冬場のマラソンに換算するとどのくらいのタイムに相当するのかわかりませんが、かなり強いという印象。レース後に川越学監督と喜び合うシーンを予想していたら、最初に握手をしたのは柔道の野村選手……に似たメーカー某社のS氏。その後に川越監督、大内さん(元大広)という順番で、吉田選手と握手をするシーンがテレビに映し出されます。テレビ的には、川越監督の方が先で、時間的にももう少し長い師弟ショットが欲しかったところ。
 気が利かないS氏だな、と思いましたが、普段のS氏はとても気さくで、親切で、優しくて、爽やかで、陸上競技のことを愛していて、仕事熱心でと、思いつく褒め言葉を全部用意しても言い尽くせないほどの好人物。きっと、前述の3人が一緒にいるところにいきなり吉田選手が現れたので、一番近くにいたS氏が思わず握手をしてしまったのでしょう。世の中、テレビの思い通りにはならないという好例です。

 それにしても、海外の記録収集家はビックリしているかも。10年前に100 mでナショナルレコードを出した選手が、マラソンにまで距離を延ばしたのかと。坂上香織選手が旧姓の吉田姓だった96年に、11秒56の日本新を出したことは、熱心なスタティスティシャンなら思い出すでしょうから。でも、同姓同名はたまにあることですから、“あれ?”と思ったときにはまず、生年をチェックするのが普通です。そこも一緒だったら、野口純正氏や千田辰己氏ら日本のスタティスティシャンに問い合わせのメールが来ることになります。
 資生堂の選手が結果を出したら、川越監督のブログを紹介する約束になっていました。その作業をしていて大江戸線が1本遅れになりましたが、16:02には夢の島競技場に着。先ほど為末選手は100 mを走って10秒73(+1.1)でした。もうすぐ200 mです。


◆2006年8月28日(月)
 昨日の江東区ナイターは名称からもわかるように、区レベルの大会です。参加選手はレベルにも年齢にも差があります。身障者の方も世界大会が今日から行われるようで、ウォームアップミートとして出ていました。地域のクラブ単位で行動しているグループも目立ちました。スタンドのシートもこの写真のように、クラブ単位でしたし。参加人数は思ったより多くて、ざっと見た感じですが、父兄など関係者を含めて会場には3000人以上はいた(?)ように思います。この写真は為末大選手の出場する高校・一般100 mのスタート前。ここまでの人数になれば、観客といっていいかもしれません。簡単なポスターなどで、同選手の出場もインフォームされていたようです。

 会場の夢の島陸上競技場のデザイン(機能面のデザイン)も良いですね。ちょっとした競技会をやるには最適でしょう。スタンドは大きすぎない規模で、スタンド裏の階段が多いので昇降がかなり便利。動線が多く確保されているのが特徴です。1コーナーにはトラックに降りられる階段もある。トイレも100 mスタート地点近くと、フィニッシュ先の2カ所にあり、スタンドの裏側とトラック側の両側に出入り口があるのです。有料の試合のときに逆に不便になりますが、その辺はイベント業者がいくらでも工夫できるでしょう。
 ホームストレートの外側に砂場があるので、スタンドとトラックの距離がちょっとありますが、競技会の種類やタイムテーブル次第では、助走路まで観客を入れるという方法もあります。アクセスも新木場駅から徒歩5分。織田フィールドも都心で近いですけど、スタンドがないに等しい状態ですし、フィニッシュ地点近くからホームストレートの前半部分が見えないので、見る側にはありがたくないデザインなのです。

 取材は陸上競技担当記者が北海道に大挙行っているため、ほぼ独占取材状態。昨日のテーマは為末選手が最近意識している、遠心力を考慮した動きについて(詳しくは同選手のサイト参照)。昨日、その動きができたかどうかということよりも、サイトに同選手が書いてくれていることを、こちらが質問を挟みながら説明してもらい、理解を深めようということです。どこまで理解できたのか測ることなどできませんが、取材前よりもイメージができつつあります。
 今日になって昨日の取材を振り返ってみたのですが、選手・指導者とそれ以外の人間では、動きのイメージの仕方が違うのではないかと感じました。選手と指導者でも微妙に違うのかもしれません。間違いなく言えるのは我々は、正面からとか、横からとか、上からとか、選手の動きをイメージするときにアングルがある。その点、感覚的にすぐれた選手はアングルがないのではないでしょうか? あったとしても、体の内側からのアングルだったりして、第三者とは決定的に違うような気がします。
 第三者のイメージは、客観的、論理的に自然となります。しかし、選手のイメージは論理よりも感覚的、主観的になる。それを極力、言葉という客観性の伴う記号に置き換えようと努力をしているのが為末選手です。その努力をしない選手も多いですから、本当に頭が下がります。


◆2006年8月29日(火)
 今日は取材の段取りに失敗。一昨日の日記に「テレビの思い通りにはならない」と書きましたが、同じような目に遭ってしまいました。気を取り直して(?)、請求書を書きました。月末ですからね。個人事業主にとって、この請求書を書くときが幸せなのでは? と聞かれますけど、寺田にその感覚はありません。なんでだろう? 今度、同業者にも聞いておきます。夜に入って某大会のプログラム原稿の仕事に。締め切りは9月中旬ですが、来月前半は取材&締め切りが続きそうなので、少しでも進めておこうという珍しく殊勝な考えです。

 全日中の女子800 mの接触の有無をメールしてくれた方がいます。接触のこと以外も説明をしてくれていて、少しでも現場の様子を知らせようという親切な文面です。ただ、接触については目撃情報をもとに判断をくだせることでもありませんので、これ以上は不要です。専門誌の記事を待ちたいと思います。
 この件はネットに載る記録だけではわからないことも多い、ということが最初に取り上げた理由でした。鈴木選手が予想以下の成績(5位)だった理由が何かあるのではないか、と感じたので文字にしたのですが、転倒したという事実がわかれば十分です。たまたま、最初の2人のメールで接触の有無という部分で違いがあった……と書いてしまったこちらの配慮が足りなかったと反省しています。

 やはり記録だけでわからない部分が多かったのが世界ジュニア。土曜日の深夜に放映されたTBSの世界陸上1年前特番では、世界ジュニアの映像も紹介されていました。それを見ていくつかわかったことも。女子1500m銅メダルの小林祐梨子選手のラストは、最後の直線が1位選手だけの絵柄でしたが、小林選手は4位のエチオピア選手に、少し追い込まれたけど抜かせなかった展開だった、と想像できます。男子4×400 mRが3分16秒61もかかったのは、2走の石塚祐輔選手が接触でバトンを落としたからだと判明しました。
 これはテレビでは放映されませんでしたが、女子4×100 mRの失格は、3→4走のパスでバトンを落としたのが原因だそうです。4走の中村宝子選手が、3走の福島千里選手の声を聞き取れなかったっため。残念なことですが、確かな筋からの情報です。
 以下に紹介する金丸選手を含め、悔しい思いをしたジュニア選手が多かった大会ですが、「シニアの世界大会で借りを返そう」という思いを強くした選手が多ければ、参加した意義は大きくなります。

 金丸祐三選手の400 m(7位・46秒70)ですが、新聞記事ではレース展開がよくわかりませんでした。それも、映像を見てはっきりしました。金丸選手が3レーンで、優勝したレニー選手(トリニダードトバゴ)が4レーン。100 mで早くも、金丸選手がレニー選手の前に出ていたのです。そこで、金丸選手は飛ばしすぎたと勘違いしたのでしょう。200 mでもレニー選手よりは前にいましたが、スピードは落としていたと思われます。テレビ解説の河野匡監督も言っていたように、4レーン以外の選手と比べると同じくらいか、少し遅れているのです。
 レニー選手は200 m手前からスピードアップしていて、3〜4コーナーで上位に進出していくのですが、リズムを落としていた金丸選手は上げられない。そのまま下位を進む流れになってしまいました。ただ、最後の直線でいつものように気持ちをしっかり持っていれば、5位には上がれたかな、というのが正直な印象です。それが難しいのが大舞台なのでしょうけど。
 新聞記事の文章をそのまま読めば、上記のことが書いてありました。つまり、こちら側に問題があったということ。優勝したレニー選手があまりにも意外なレース展開で、記事をそのまま読めなかったのです。読み手の先入観が正しい情報のインプットを妨げた好例です。


◆2006年8月30日(水)
 2016年夏季五輪の開催を目指す日本の立候補都市が東京都に決まりました。IOCの決定は2009年10月だそうです。苦戦を予想する声を多く聞きますが、もしも東京五輪開催となったら陸上界にとっても素晴らしいこと。1991年の東京世界選手権、2007年の大阪世界選手権に続く世界一決定戦が日本で行われることになるわけです。主力となるのは今年のインターハイや全日中に出場した選手たちでしょう。今年の両大会掲載の専門誌を保存しておけば、10年後の東京五輪の際に興味深く見直すことができると思います。

 そもそも、雑誌に対しては“読み捨てる”という感覚があると思われます。ある程度時間が経ったら、何冊かまとめてヒモでしばって資源ゴミとして出す。反対に、お気に入りの小説なんかを書棚に並べておく。しかし、ちょっと待ってください。小説、特に名作の類は、絶版にはなりにくいし、いつでも入手が可能です。図書館で借りることができるかもしれないし、今後は有料のオンデマンドでデジタル配信が実現していくでしょう。
 その点、雑誌のバックナンバーというのは入手が困難です。俗にいう週刊誌や漫画雑誌はともかく、陸上競技専門誌のように資料性の高い雑誌は、保存しておくほど価値が出る。と、個人的には信じています。
 問題は保存スペースとの兼ね合い。場所がなかったら、どうしようもありません。これが難問です。雑誌がデジタル化され、20%プラスの料金を払うとデータが提供されるシステムとか、実現しないでしょうかね。

 話を五輪立候補都市争いに戻しましょう。
 敗れた福岡にはぜひ、世界ジュニア選手権誘致を目指して欲しいと思います。今年4月に同市が世界クロカンをアジアで初開催したのは記憶に新しいところですが、95年にはユニバーシアードを、97年にはグランプリファイナル(現ワールド・アスレティック・ファイナル)を開催しています。ファイナル開催もアジアでは、福岡だけだったと思います。やっぱり福岡国際マラソンが定着していることが、地元政界や財界に陸上競技への理解を深めているのでしょうか。
 そこに世界ジュニアが加われば、形容しがたいくらいにすごい。海外の陸上競技関係者は、福岡とはいったいどんな都市なんだ、と興味を持つのは間違いありません。日本の陸上関係者が、ヨーロッパ選手権でスタジアムが満席になるイエテボリとは、どんな街なんだ? と思うみたいに。東京や大阪はビッグシティだから五輪、世界選手権を開催して当たり前。福岡こそ、日本を象徴する陸上競技シティとなれる存在ではないでしょうか。


◆2006年8月31日(木)
 本当に色々とあった1日でした。
 午前中は自宅で仕事。昨日からの懸案事項を電話で相談したり、メールでの問い合わせに対して、関係方面にメールで打診したり。このサイトのメンテナンスでは、スーパー陸上のサイトを紹介しました。パウエル選手や沢野大地選手のショート・インタビューや、各選手のメッセージ(主に陸上競技を始めたきっかけなど)が掲載されていたのです。沢野選手のブログ(沢野大地「6m00への道」)には、ロベレート(イタリア)の試合で優勝したことが記載されていたので、これも紹介させていただきました。
 書き方のトーンから、やっと結果が上向きになってホッとしているのがわかります。6月の遠征ではプラハで優勝し(5m70)、ゲーツヘッドでは5m75の国外日本人最高も跳びましたが、7月の遠征では4試合をして5m63が最高でした。2回目の遠征では現地で取材もさせてもらっているので、こちらとしても胸をなで下ろしたような心境ですが、こういうとき実際に、胸に手を当ててなで下ろしたことはありません。
 独身ライターの曽輪氏に電話。留守番電話に用件を残しましたが、その後、電話を入れるのを忘れてしまいました。

 新宿の作業部屋に移動して、13時頃に近くの定食屋で昼食。向井裕紀弘選手も大好きなタリーズ(同選手サイトの日記には、かなり頻繁に登場します)に場所を移して、15:45からの電話取材に備えて資料をチェックしたり、以前の取材ノートを読み返したり。その間に、某スポーツ紙のS記者から電話があって、ちょっとマラソン絡みの話。作業部屋に戻ると陸マガ山口編集者から電話。10月2日発売の「大学駅伝2006」の取材が来週、再来週といくつか続きそうです。
 15:45から16:30まで電話取材。予想外の話もありましたが、こちらが聞きたかった部分は期待通りの面白い話でした。vodafoneのアクオス携帯のCMに出てくるのは予想ガイですが、200 mで19秒7台を2回も出したのはタイソン・ゲイ選手(米)です。それもちょっと予想外、という話なんですが。

 電話取材後には電話連絡をして、メールも数本書いているうちに、ある筋からオツオリさんがケニア帰国中に亡くなったという情報が入ってきました。かなり確かな情報らしいのですが、事が事だけに重川社長に電話を入れました。ゲタンダ選手がオツオリさんの家族に電話を入れて確認したので、間違いないということに。1週間ほど前には、元気でやっているとFAXが入ったばかりだそうです。
 寺田はこのサイトに、重川材木店の記事を書かせてもらっていますが、入社して間もないオツオリさんを取材をさせてもらったのは、1年半前のこと。記事でも触れていますが、オツオリさんの一生懸命さは話しているとすぐに伝わってきました。未経験の大工仕事に対してはひたむきに取り組んでいましたし、自身の経験を生かせるコーチ業に対しては情熱的に語ってくれました。
 その取材のしばらく後、寺田の携帯(ちなみにvodafone)に、メモリーに登録していない番号から電話が入りました。誰だろうと思って出るとオツオリさんです。取材のお礼と(こちらがお礼をするのが筋ですが)、写真を送ってほしいという依頼でした。滞日年数が長い選手ですが、面と向かっている相手よりも意思疎通が難しくなるのは確か。同僚の選手に頼んでしまうのが普通ですが、オツオリさんは当たり前のように電話をしてきました。
 最近は各種大会にゲスト・ランナーとして招かれることも多かったようですから、かなりたくさんの人が、その人柄に触れていることでしょう。箱根駅伝に最初に登場したケニア人選手ということが競技的にはクローズアップされますが、個人的には、あの人柄こそが特徴だったと思います。

 そうこうしているうちに18時半を過ぎてしまいました。急いでOAランドというオフィス用品の店に。コピー機のトナーを入手するためです。業務用コピー機のものはヨドバシカメラなど、家電量販店では扱っていないので、入手に苦労をしました。普通、会社で契約していれば電話1本で届けてくれることですが、個人事業主はこの辺も大変です。トナーを切らしたら仕事になりませんから、面倒くさくても、忙しくてもやらないといけない雑務です。1本1万5000円もしますしね。
 トナーのことを片づけた後、vodafoneショップにも行かないといけませんでした。今まで内緒にしていましたが、8月10日頃に携帯電話(vodafone)の機種変更をしました。705SHというシャープ製の端末ですが、金額の上限設定の解除法と、電話帳のパソコンへのバックアップ法がわからなかったのです。

 作業部屋に戻ると、竹澤健介選手と佐藤悠基選手が、沢野選手と同じロベレートの試合で13分20秒台を出したという情報が。大会サイトを探すのに手間取りましたし、見つけたと思ったらまだリザルトがアップされていません。裏をとるのは無理かと思っていたら、国際陸連サイトにありました。この件、もう少し書きたいこともありますが、時間がなくなりました。
 色々とあって、肝心の原稿が進まなかった。というのが結論(?)です。


◆2006年9月1日(金)
 今日も寺田にしては早起き。10時までに昨日の日記を書いたり、メールを書いたり。いくつかのサイトの更新状況もチェックします。全部を見て回るのは無理ですから、最近活躍した選手やチームのサイトを、あたりをつけてチェックします。更新が頻繁に行われる為末選手のサイトや、遠征中の沢野大地選手のサイトは必ず見ます。そういえば、為末選手は「侍投資道」なる連載まで持っていることを、昨晩発見しました。そういえば、昨日の日記でも触れた沢野選手ブログのロベレート優勝報告に「やっと跳べた☆やっと飛べました♪」という書き方をしていることを、これも昨晩気づきました。「跳」と「飛」を使い分けているのです。
 11:30に千歳烏山に。日本陸上競技学会の前に、某スポーツ紙S記者と打ち合わせ。内容は公開したら面白いのですが、やっぱり企業秘密にしないといけない部分でしょう。打ち合わせ中に日本テレビのディレクターの方から電話が入りました。オツオリ選手の写真をニュース番組の中で使いたいという申し込みでした。NEWS5リアルタイムという番組です。いつの放映かは聞いていません。

 12:45には日本陸上競技学会第5回大会出席のため日女体大に。3月に石野真美選手の取材で来ているので、今回が2回目です。参加者たちを、グラウンド脇の人見絹枝選手の像が出迎えてくれました。
 基調講演は井村雅代氏(井村シンクロクラブ代表)で、テーマは世界に【通用する女性アスリート育成の秘訣】。続いて藤田信之監督(シスメックス)による記念講演で、テーマは【世界で戦うために−野口みずきの場合−】。そして【女性アスリートおよび女性コーチの現状と課題】というテーマでシンポジウムというプログラム。
 シンポジウムのパネリストと司会者は、以下の方たち。
井村 雅代 (井村シンクロクラブ代表)
藤田 信之 (シスメックス陸上競技部監督)
浅見 美弥子(東京女子体育大学陸上競技部監督)
廣 紀江  (学習院大学バレーボール部部長)
川本 和久 (福島大学陸上競技部監督)
司 会    石井 朗生 (毎日新聞社)

 改めて書くまでもなく井村氏がシンクロ、廣氏がバレーボールと、他競技の指導者です。内容について触れるのは厳しいのですが、陸上競技との違いもあれば、共通点もある。その辺を検証すると、陸上競技の特徴がわかってきます。コーチングの違いについては、競技的特性だけでなく、環境的な違いにも起因しているように感じました。

 福島大・川本和久先生の話も面白かったです。以前にも書きましたが、系統だてて話してもらうことで、こちらが知っていた部分の意味などがよりクリアに理解できます。あのときの話も、この考え方がベースになっていたのだな、と。講演という部分も意識されているのか、相当にデフォルメした話し方をする部分もあって、楽しんで聞き入ってしまいました。
 最後に、丹野麻美選手の今後の方向について明言されました。
「『次は50秒ですね』と言ってもらいますが、そのためには200 mで22秒8くらいが必要で、200 mでその記録を出すには100 mで11秒2くらいが必要です。なので『無理です』と申し上げます。そこまでの筋力はないし、そこまで行くテクニックも思い浮かびません。100 mで(日本のトップ選手たちが)11秒1にパッと入れば丹野たちも11秒2を出せるかもしれませんが、ちょっと難しい。距離を延ばして800 m、1500mで頑張りたいと思っています」

 藤田監督も同様で、取材中に聞く個々の話が、今日の話のこの部分に関連してくるとわかって、面白く聞くことができました。1つ、そうだったんだ、と感じたのは1万mで出場した2001年のエドモントン世界選手権の話です。
 野口みずき選手は日本選手権で3位となって代表に選ばれましたが、藤田監督は出場に対して乗り気でなかったといいます。元日本記録保持者の真木和選手でさえ、91年世界選手権、92年バルセロナ五輪と1万mでは世界と戦えなかった。野口選手ではもっと戦えない、と考えたそうです。8月25日の日記で、中学生の世界選手権を観戦について、2つの考え方を紹介しました。差が大きいと逆効果になることもある、と藤田監督は考えたようです。
 しかし、本人の強い希望で出場することになり、13位と真木選手に近い成績を挙げることもできました。メンタル的にも“こういうところにまた出てみたい”、という思いを強くしたそうです。7月のサンモリッツ取材で感じた精神的な強さが、すでに発揮されていたのだと改めて感じました。野口選手はこういった部分が、そこかしこに感じられる選手です。

 しかし、その野口選手がケガをしてしまったことを、講演の最中に藤田監督が明かしました。シンポジウム後に7〜8人の記者たちと囲み取材。内容は各紙の記事(Today's Headline)にあるとおりです。藤田監督は五輪選考レースを、本番まで時間のとれる11月の東京女子にしたいと明言。それまで間隔を空けるのはよくないという理由で、ケガの様子を見ながらスライド出場することも考えているようです。ベルリンもまだ欠場と決まったわけではありませんが、仮に10月以降のマラソンに出場するとしたらどんな大会があるのか、作業部屋に戻ってATHLETICS 2006を見てみました。
 昨年の(おそらくAIMS加入の)各大会の日付と成績がリストになっていました。著名マラソンより格が落ちる大会は、コース条件よりも参加選手の顔触れでタイムが左右されると思われますが、2時間20分台が出ているのは10月のシカゴ、北京、Columbus、ヴェネツィア、フランクフルト、11月ではニューヨークシティ、東京、12月のミラノですね。もっとも、男子のガードランナーたちと一緒に走れる大会であれば、過去の記録はどうでもいい要素です。


◆2006年9月2日(土)
 夕方からトワイライトゲームスを取材。トラックは17時からですが、フィールド種目は16時前後から始まっていました。トラックに合わせて来場された方は、杉林孝法選手の16m43を見られなかったかも。杉林選手にとっても2年ぶりの好記録ですし、女子300 mの日本最高を除けば、今大会で出た唯一の今季日本最高記録です。スーパー陸上が楽しみになりました。
 上記2種目以外で記録的に目立ったのは、女子100 mHの石野真美選手。13秒30(−0.2)は、7月の海外遠征で出した13秒26の自己記録に迫るタイム。13秒2台は今季に入って3回も出しています。南部記念では日本選手権を欠場した池田久美子選手との対決。スタートでは池田選手がリードすると思われますが、引っ張られることで一気に記録短縮も期待できそうです。と、本人も話していました。
 あと好調そうだったのは、棒高跳の安田覚選手。シーズン前半にケガをしましたが、5m30(今季自己最高)まで戻してきました。女子砲丸投の吉田いづみ選手も、14m54と今季自己最高で優勝。埼玉栄高・清田先生も喜んでいることでしょう。100 mの栗本佳世子選手、走幅跳の中原ゆかり選手と、同高OBが3人も優勝しました。

 楽しめたのは朝原宣治選手と為末大選手の初対決。100 m3組で実現しました。しかも、この写真のように隣り合ったレーン。イキな演出です。結果は10秒60(−0.1)と10秒75で朝原選手に軍配。レース後に2人揃って場内インタビューを受けました。リラックスムードの大会ということも手伝って、朝原選手の舌が軽やかでした。
朝原選手「合宿とかで一緒にスタートダッシュをすることはよくありますが、試合での真剣勝負は初めて。(為末選手の印象は? の問いに)スタートで出たところから見えなかったので、印象はありません」
 ちょっと勝ち誇ったような話しぶり。このあたり、観客を楽しませることを意識していたと思われます。それに対して為末選手は、次のように返しました。
為末選手「これはまあ、100 mということで。人生で大事なことは、他にもたくさんあります」
 わざとらしい負け惜しみを言った後は、きちっと敬意を表しました。
為末選手「みんな“速い、速い”と言うので、どんなものかと思っていましたが、確かに速いです。特に中盤へのつなぎが上手い。感服しました」

 しかし、朝原選手の“口撃”はそれだけでは終わりませんでした。
 最終種目の300 mでは場内アナウンス席にゲストとして呼ばれました。レース展開の予想を聞かれて、次のように話したのです。
朝原選手「為末君は前半は速いです。でも、最後までスピードが持たないかもしれません」
 メモを取っていなかったので不確かですが、こんなニュアンスだったと記憶しています。優勝候補としては、金丸祐三選手のほかにも、会社の後輩である山口有希選手の名前もしっかり挙げていました。
 その山口選手ですが、日本選手権の走りから寺田も注目していました。しかし、そのときよりも前半にキレがありません。優勝した金丸選手に0.11秒届かず2位。あとで取材をすると、8月にちょっとした故障があったので、今回は抑えめに行ったとのだとわかりました。ただ、金丸選手に内側から抜かれた150m付近で、予定よりも早くスピードを切り換えてしまった。それで最後までもたなかったようです。

 記録的には全般にいまひとつの大会でしたが、大会の趣旨は記録よりも陸上競技を楽しんでもらうこと(と、こちらが勝手に思っているだけですが)。朝原・為末コンビの出場と絶妙の掛け合いもありましたし、丹野選手の日本最高や、五輪選手5人(山口・為末・向井裕紀弘・伊藤友広・山村貴彦)vs.金丸選手の男子300 mもありました。選手の走りも間近で楽しめますし、元某専門誌編集者の日隈広至氏による場内インタビューもありました。
 短時間に多くの種目を行い、見る側に飽きさせないことを意図したタイムテーブルです。ただ、フィールド種目まで全部じっくり見たいというファンには、慌ただしかったという意見も聞きました。試技も6回ではなく4回。気がついたら終わっていた、ということもあったでしょう。トラックを中心に、フィールド種目は興味のあるものを見る、というスタンスならちょうど良い大会です。全てのファンを満足させるのは難しいので、この大会は、このスタイルでいいのでは、と思いました。


◆2006年9月4日(月)
 一昨日の日記の補足ですが、杉林孝法選手の三段跳16m43は、30歳日本最高記録であることも判明しました。“30歳台”日本最高ではなく“30歳”限定です。つまり、もっと上の年齢で16m43よりいい記録を出している選手がいるということ。さて、その選手は誰で、記録はいくつでしょう?
 それから、インタビュアー日隈氏の写真を掲載し忘れたので、ここに載せておきましょう。これは丹野麻美選手にインタビューしているところ。

 ところで、一昨日一番のサプライズは、プリンス近藤こと読売新聞・近藤記者が姿を見せたことです。9月1日付で千葉支局から本社運動部に戻ったといいます。1年11カ月ぶりの復帰。本サイトの読者(ファン?)向けに、次のようなコメントをしてくれました。
「ずっと市政などを担当してきましたから、最初はリハビリを兼ねながら取材をして、雰囲気に早く溶け込めるように努力していきたい。また紙面を通じて、陸上競技の素晴らしさをお伝えできればいいかな、と思っています。今日は久しぶりの陸上競技取材で、カクテル光線に照らされた選手たちが美しく感じられました。特に丹野さんの笑顔は輝いていましたね」
 プリンスのイメージにそぐわないコメントは、当方でカットいたしました。

 昨日、今日とひたすら原稿書き。久しぶりに大きな原稿の締切です。
 しかし昨日、電話取材の申し込みが。週刊新潮からで、亡くなったオツオリ選手について話してほしいということでした。重川社長や山梨学大関係者にも取材をして、寺田には取材した印象や、陸上界に果たした役割のような話をしてほしいということでした。
 確かに重川材木店の特集の時に取材をさせてもらいましたが、それほど取材機会が多かった選手ではありません。学生時代のオツオリ選手にそれほど取材をしたことはありませんでしたから、お断りをしました。それでも、是非にということでしたし、知り合いからの推薦もあったということでしたし、今晩が締め切りということだったので、電話取材を受けることに。
 オツオリ選手はご存じの通り、学生時代は圧倒的な力を示しましたが、トヨタ自動車入社後は、学生時代の活躍に比べてパッとしませんでした。新聞記事の多くは「山梨学大卒業後はトヨタ自動車で活躍」という表現にしていましたが、そこは違うとはっきり言いました。というのも、そこにオツオリ選手の特徴があるからです。練習がどうこうという話ではなく、そこで失敗したから、指導者として頑張ろうと思ったのではないでしょうか。
 真面目な性格が災いして、故障気味の時にも走ってしまうパターンだったようです。山梨学大の後輩の尾方剛選手のように、そこは強い意思と忍耐力を発揮して克服してほしかった、とも言いました。でも、考えてみたら、尾方選手のような例の方が少数の成功例なのです。少ないからこそ、世界選手権のメダルが取れるわけですね。マスコミというのはどうしても、成功例を引き合いに出しがち。悪い習慣です。
 でも、先ほど言ったように、なんでも美化してしまうよりはいいでしょう。特にオツオリ選手の場合は、実業団での失敗がその後の人生の糧となっていたのですから。
 重川材木店のサイトに、生前の最後の写真が掲載されています。これは、テレビ朝日ですね。放映は……もう終わってしまったようです。残念。


◆2006年9月5日(火)
 昨日、思わず出題してしまった三段跳クイズですが、解答メールを送ってくれた方もいらして、ちょっと嬉しかったです。正解は小松隆志選手で、35歳のときに16m65を跳んでいます。でも、これでは100%の正解ではありません。小松選手は最近のことなので、多くの方が思い浮かべたはずですが、該当する選手がもう1人いることです(1人を答えろ、とは書いていません)。それが、この問題の引っかけているところ(意地悪なところ?)。
 もう1人とは日本記録保持者でもある山下訓史選手で、32歳のときに16m79を跳んでいます。山下選手は1962年生まれで92年のバルセロナ五輪代表でしたから、30歳を過ぎてもかなり跳んでいるだろう、とすぐに想像できました。
 でも、この手の出題の仕方は、知識のある人はわかるけど、知らない人はわかりっこない。本サイトなら、「そうかぁ」と反応してくれる読者も多いと思われますが、一般人を対象にしたサイトでこの形では、「あ、そうなの」で終わってしまう可能性が高そう。知識がない人間でも、考えたり予想できたりする形式で出題する方がいいと思います。アンケートをとってその人数を予想させるとか、テレビのクイズ番組では色々なやり方がありますから、その辺を参考にできると思います(自分に言い聞かせているにしては口調が変かも?)。

 今日は10月発売の増刊「大学駅伝2006」用の取材で、16:30に順大に。最初に名鑑用の写真撮影で、これはカメラマン氏と仲田マネジャーに任せて、その間に寺田は仲村明監督の話を聞かせてもらいました。仲村監督は67年生まれ。市船橋高初のインターハイ優勝者も、来年で40歳ですか。速いですね……順大の選手は。山下訓史選手も仲村監督も、91年の東京世界選手権代表選手。その辺の年代になると、寺田も取材として接しています。
 自身の専門種目だった3000mSCでは関東インカレで1〜3位独占、日本ジュニアと日本インカレを菊池敦郎選手が制しました。次は駅伝でしょう。箱根駅伝では5位以内をキープしていますが、その順位では“結果を出している”うちには入らないようです……順大では。
 17:30から1000m×10のインターバル。指導光景などで気づいたこともありましたが、これは書くのは控えます。1つだけ書かせてもらうと、仲村監督はストップウォッチを持ちません。タイム計測も数人のマネジャーの仕事です。可能であるなら、指導者はストップウォッチを持たない方が良い。できれば試合でも。その理由はまた、機会を見て書きたいと思います。

 練習終了後、仲村監督の話に出てきた選手たちのうち数人のコメントを聞きました。これは短めに。その後、選手2人にまとまった時間をもらってインタビュー取材。これが、めちゃくちゃに面白かったです。2人とも、本当によく考えている。こちらの聞きたいポイントもしっかり理解してくれますし、説明の仕方も上手い。お互いに突っ込みを入れてくれるところもグッドです。久しぶりの学生選手の取材で上手く話が展開するか不安もありましたが、本当に良い話を聞くことができました。

 今日のグラウンドには、他種目の大物選手の姿は見当たりませんでした。花岡麻帆選手や田野中輔選手、現役学生では高平慎士選手に小池崇之選手。取材時間が遅かったからでしょう。それにしても、今日は昼間は暑かったのに、夕方は涼しかったです。順大グラウンドは特に、夕方になると気温がグンと下がるようです。そういえば1990年だったでしょうか。金子宗弘選手(十種競技日本記録保持者)か岩崎利彦選手(110 mH元日本記録保持者)を取材に行ったときは秋口で、とっても冷え込んだ記憶があります。岩崎選手も67年、金子選手は68年生まれ。その頃の順大も、すごかったわけです。
 鯉川 なつえ監督は……かなり下の世代ですね。


◆2006年9月6日(水)
 今日も三段跳クイズの話から。30歳代で16m後半を跳んだのが山下訓史選手と小松隆志選手の2人ということはわかっても、記録まではわからない、というメールをいただきました。確かに、長く頑張っていた選手の特徴を把握していれば、選手が誰なのかは予測ができますが、記録まで覚えているのは不可能に近いかも。
 これにも実はカラクリがありまして、陸マガの毎年6月号に全種目の年齢別記録が掲載されているのです。それを知っていれば、簡単に調べることができる、という仕組みですね。それでクイズなんかいっっ!? と怒られそうですが、要は、専門誌のパターンを知っているかどうか、を試すクイズだったというわけです。いずれにしろ、素人に楽しいクイズではありません。
 しかし、どこを調べれば解答にたどり着けるか、その道筋をたくさん知っていることは、我々(って誰?)の職業では重要なんです。「なんでそんなに早く、そこまで調べられるの?」と思わせることが、商品価値を生むということだと思います。「なんでボールペンが、1本130円で生産できるの?」と思わせることと同じです。陸上競技選手が、「なんでそんなに速く走れるの?」と思わせることで、商品価値を高めているように。

 今日も「大学駅伝2006」用の取材。昨日の順大に続いて、今日は日大に行きました。15時から八幡山の寮で土橋啓太キャプテンの取材。これまでは、昨年の箱根駅伝前の公開取材時のイメージが強かったのですが、今日の取材ではそれとは違った選手像というか、キャプテン像が伝わってきました。その点が、記事の何割かを占めるかも。
 16時にグラウンドに移動。雨だったこともあり、グラウンドには著名選手の姿はありませんが、ウエイト場には渡辺大輔選手と山村貴彦選手の姿が。昨日の日記で書き忘れましたが、順大グラウンドでも北村和也選手がトレーニングをしていました。今年から、順大大学院に進学していたのを忘れていました。
 山村選手は腹筋のトレーニングをしていましたが、初めて見る珍しいやり方。結果が出たときに、どんな効果があるのか突っ込んでみましょう。それほど重要ではないかもしれませんけど。そういえば富士通時代の同僚、笹野浩志選手も山村選手から補強メニューのやり方を教わった、と話していたことがありましたね。

 グラウンド脇の総務部屋に場所を移して、小川聡監督の話を聞かせていただきました。17:15からは3000mのタイムトライアル。留学生のダニエル選手が「みんなと一緒に練習がしたい」と言い出して、三島から駆けつけて同じメニューをこなしていました。メインメニューが始まる頃にちょうど雨も上がって、気温も下がっていいコンディション。合宿直後にしては、良いタイムが出ていたようです。練習後に4人の選手を取材。今年の日大チームの全体像というか、特徴や課題がつかめたと思います。
 ところで、日大の野中章弘主務は2年生。3年生から2年間任されるケースはときどきありますが、2年生からというのはかなり珍しいでしょう。昨年、前任者が家庭の事情でマネジャーを続けられなくなり、1年生ながら急きょ大任を務めることになったといいます。選手は1年生でも強くなれますが、マネジャーというのはいきなりできるものではありません。絶対に見習い期間が必要な役職です。それに、上級生部員に指示を出すケースも出てくるので、ストレスもあるでしょう(一般的に)。
 野中主務も、わからないことだらけで、周囲に迷惑ばかりかけたと言います。しかし、責任のある立場を3年間も続けたら、普通のマネジャーよりも何倍も経験を積めることになります。2年後にはカリスマ主務となっているかも?


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◆2006年9月7日(木)
 昨日の日大取材時に、このグラウンドに何回取材に来たのかを、4年生のマネジャーに聞かれて思い出そうとしましたが、ちょっと数えられませんでした。10回は越えているのは確かです。20回がどうか、というところでしょう。パッと思い出せるだけでも思い出してみると……短距離では中道貴之選手、宮田英明選手、山村貴彦選手、箱根駅伝チーム(の公開練習)、沢野大地選手(の公開練習)、渡辺大輔選手、寺野伸一選手、野口安忠選手、村上幸史選手……小山監督に五輪展望雑誌のコメントをもらいに行ったこともありましたね。思い出しただけで10回です。忘れている取材もあると思いますし、撮影取材だけで行ったこともありますから、恐らく20回前後。渡辺選手はミズノ東京本社だったかも。
 そういえば、4×400 mRチームで取材した際に、まだ48秒台だった向井裕紀弘選手の話を聞いたこともあります。確か、大学2年の冬のこと。同学年、同郷の石川慎二選手がジュニアで45秒台を出して脚光を浴びた時期。向井選手は4×400 mRのラップでは46秒台で走っていたんだと思います。それで、面白そうな選手ということで、話を聞きました。そのときから、その後の成長を予想していた……などと書いたらいけませんね。結果が出てから「そう思っていた」と言うのは、格好が悪いったらないですから。

 その向井選手は日大卒業後は西濃運輸に入り、同社の陸上競技部廃部(休部?)後も、岐阜ES事業団で競技を続けていて、しっかりと岐阜に根を下ろしている感じ。本人サイトの日記を見ると、近くのタリーズ(カフェ)に足繁く通っているご様子。岐阜ではなくて大垣でしょうか。トワイライト・ゲームスで会った際、どのくらいタリーズに行っているのかを質問しました。以前から気になっていたのです。
 聞けば、最近はちょっと減ったそうですが、多いときは週に8回、最長で10日連続行ったこともあるとか。これはスタバにもタリーズにも行けないカフェ大好き女子大生の丹野麻美選手へのあてつけでしょうか。典型的な爽やか青年が、そこまでやるとは思えませんが、人は見かけで判断するなという先人の教えもあります。

 寺田の新宿作業部屋近くにもタリーズはあります。今日もその店で原稿を書きました。隣に座っていた男女のうち、女性の方が明後日結婚式に出ると話していて思い出したのが、日大(三島)の小泉コーチも9月9日に結婚されるとか。どうやら日大の長距離部員たちのビデオメッセージが上映されるようで、昨日の練習後にもダニエル選手の撮影が行われていました。もしかして大安? と思ってカレンダーを見ると、やっぱり大安でした。
 実はもう1人、同じ日に結婚する陸上界の重要人物がいます。世界選手権大阪大会の国際映像製作のチーフディレクターを務める坂井厚弘氏も、9月9日が結婚式。先日の陸上競技学会の際に、シスメックス藤田信之監督が教えてくれました。最近はお父さん(東京五輪の最終聖火ランナー)が目立っていますが、1年後の地元世界選手権は坂井氏が目立つ番です。どうやったらディレクターが目立てるのか、わかりませんけど。
 ところで、最近のスポーツ・ニュースは連日、高校野球の斎藤佑樹投手と、サッカーのオシム監督の報道ばかり。1年後は世界選手権直後ということで、陸上選手がこの2人のように、テレビに出まくっていることでしょう。



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