続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2009年6月  やっと年明け。梅雨も明けたらいいのに

最新の日記へはここをクリック

◆2009年5月25日(月)
 横浜国際女子マラソンの正式名称とコースが発表された(記者発表には行けなかったが)。
 名称をどうするかで、どうして今まで悩んでいたのかはわからない。地名+国際マラソンという従来の命名法ではなく、何か斬新な名称をつけられないか、検討していたのだろうか。例えば、地名を大会名称に入れなければ、今回のように開催地が変わったときに名前を変えなくてすむ。日本選手権のような大会名ならば、どこで開催しても日本選手権で通すことができる。
 個人的には地名でなく、“ファースト国際女子マラソン”とか“元祖国際女子マラソン”という名称でもよかったと思っている。そうすれば、今回のように東京国際女子マラソンの後継であると謳いながらも、データ(大会回数や歴代優勝者)は引き継がないというマラソンファンの期待を裏切る決定をしなくても済むのだが(※大会回数は明確に記さない方針とのこと。東京国際女子マラソンからの継続性を強調したい関係者と、新しい大会であることを強調したい関係者の折衷案となったようだ。聞くところによると)。

 コースについては賛否両論あるようだ。クリール樋口編集長がブログに書いているように、市民ランナーを何万人と受け容れる方針ではないようだ。周回コースが記録にどう影響するかは、現時点であれこれ想像しても仕方ないだろう。こればかりはやってみないとわからない。それも、何年間か。
 東京マラソンのコースも当初は、記録は望めないという意見が支配的だったが、2回目で藤原新選手が2時間8分台を出し、そうでもないぞ、という評価になっている。

 個人的には硬い話よりも、コース図の描く形を見て、あれ? と思った。どこかで見た図形のような……と考えていたら、福岡国際マラソンのコースと似ていることに気がついた。
 横浜国際女子マラソンのコース図は、陸連サイトに、福岡国際マラソンのコース図は大会主催者サイトに出ている。発着点が同じで、スタートして左の方に進み、左回りに回って別の道を元の方向に戻り、スタート地点を通り越して右の方に進む。発着点の右側で周回の横浜と、折り返しの福岡という違いはあるが、かなり近いと言っていいと思う。
 それを言ったら、大阪国際女子マラソンと名古屋国際女子マラソンのコースも似ているうちに入るかもしれない。競技場をスタートして北上し、西側に曲がって戻って来るという。
 だからなんだ、という話ではないのだが…。


◆2009年5月26日(火)
 スポンサーの計測工房にご挨拶に伺いました(藤井社長のブログでもご紹介いただいています)。特に何かについて話し合うと決まっているわけではなく、こちらの感謝の気持ちを伝えるのが目的の訪問です。それでも何か役に立てることがないか、寺田なりに考えていきましたが、他社と違い個人消費者が対象のビジネスではないこともあり、これという妙案にまでは至りませんでした。
 改めて書くまでもなく、計測工房のビジネスはタイム計測です。市民マラソンがブームということもあり、業績は順調とのこと。藤井社長が集計されたデータでは、1万人以上が参加するロードレースは30大会。1年前よりも10大会ほど増えているといいます。

 “景気が良いのは箱根駅伝と東京マラソン”。陸上関係者の話によく出てくる言葉です。その2つは厳密に言えば陸上業界とはいえないかもしれませんが、近くに位置する業界であるのは間違いありません。隣の芝生は青く見えるのが世の常ですが、間違いなく“青い芝生”の業界です。
 と、指をくわえて見ているだけでは進歩はありません。
 箱根駅伝ファンや市民ランナーは、陸上競技ファンになる可能性のある人たちです。どうしたら取り込めるかを考えなければいけません(一番可能性があるのは、今は陸上競技からは離れている競技経験者で、寺田のサイトはそういう方たちに見てもらいたいと思っています)。寺田のサイトも、市民ランナーの方たちが多く見てくれているようですが、その数をさらに増やすにはどうしたらいいかを模索中です。

 同じ意味で最近、可能性があると思っているのが“検索する人たち”です。
 例えば、女子200 mで日本新が出た静岡国際の日の夜に、スポーツニュースを見て“福島千里”とか“高橋萌木子”とパソコンで検索する人が多いと思っています。テレビをただ見ているだけでなく、その後に少しでも行動をする人たちですね。陸上競技ファン予備軍だと、寺田は思っています。
 そこで問題となるのが寺田のサイトの構造です。フレーム機能を使っているため、せっかく福島選手や高橋選手のことを取り上げても、検索エンジンに引っ掛かりにくいのです。フレームにすると記事画面をスクロールしても、上側と左側のフレーム内は固定されたまま。つまり、広告をずっと表示することができます。それを新聞サイトとの違いとして売りにしているのですが…。
 今日の藤井社長との話の中でも、こちらの抱える問題点をいくつか話題にさせていただきました。実は先日重川材木店を取材した際(記事はこちら)、重川隆廣社長から「寺田さんが50年かかって思いつかないことを、瞬時に思いつく人がいると思いますよ」というお言葉をいただきました。だからというわけではありませんが、純粋な陸上業界ではない立場の方と話ができるチャンスには、そういった経営的な話もさせてもらったりしています。

 という話もさることながら、藤井社長が熱く語ったのは母校・慶大のことでした。関東インカレでは無事に一部残留。国立競技場には来られなかったそうですが、4×400 mRのメンバーを見てレース展開まで想像されていました。1走が廣瀬英行選手ということから推測したそうです。すかさず、同選手は1走しかできないと本人が静岡国際で話していたことを伝えました(大阪GPでは3走で45秒台半ば=寺田の手動計時=でしたが)。
 慶大には“お家芸種目”がないという話も、言われて初めて気づきました。これは、種目を特定して勧誘しているのでなく、“来たい選手”が入学しているからなのだそうです。
 言われてみれば、ショートスプリントの鹿又選手、400 mの鈴木岳生選手、800 mの横田真人選手、110 mHの渡部充選手、競歩の小池昭彦選手、やり投の土屋忠之選手と、強い選手が出た種目は分散していますし、その種目が伝統的に強いというわけでもありません。

 藤井社長が市民マラソンの参加人数とともに差し出してくれた書類がありました。北信越インカレの男子砲丸投のリザルトです。慶大OBでもある對木隆介選手(新潟大)が15m42で2位に入っていました。
 對木選手は慶大時代に一度、陸マガで2ページくらいで取り上げたことがありました。数年前の新潟県実業団(当時は日立所属)で少し、話もさせてもらいました(寺田と同じ静岡県出身)。
 藤井社長にとっては慶大の1学年後輩。今回の15m42は自己5番目の記録だそうです。慶大時代の1998年に出した15m80の自己記録を破ったら、素晴らしいですね。6月の日本学生個人選手権には出場するのでしょうか?


◆2009年5月27日(水)
 6月第1週に鳥取で行われる2009スプリント挑戦記録会IN TOTTORIの取材に行くことを決めました。鳥取陸協が丁寧なインフォメーションをしてくれましたし、陸マガ高橋編集長からも電話がありましたし(内容はつまびらかにできませんが)。何より、種目は男女の100 mと直線ハードルの4種目だけですが、今年好調の選手が揃うことが大きいです。

 男子100 mは塚原直貴選手が「日本選手権に向けて重要な大会」だと、別件ですが先週の取材の時に話していました。大阪GPの10秒13を筆頭に、織田記念から東日本実業団まで3試合連続で10秒1台を記録しています。上記コメントは、10秒1台は安定して出せるようになったので、さらにレベルアップをしていきたいという意図が表れていると見ていいと思います。
 高平慎士選手も100 mが速くなったことで、200 mの前半にゆとりを持てるようになっています。布勢競技場は日本選手権で初優勝した2004年大会の開催場所です。
 忘れていけないのが小島茂之選手。織田記念で10秒41を出していますが、早大の後輩の後塵を拝しました。今回、学生勢との直接対決はありませんが、日本選手権前に巻き返しておきたいところでしょう。

 110 mHは現時点でA標準突破者がいません。B標準が田野中輔選手と内藤真人選手。田野中選手は今季は負け知らずだと思いますが、記録的には13秒6〜7台が続いています。東日本実業団は「新しいパターン」で勝ったということですが(富士通サイト参照)、直前の体調不良で前半からガツンと行けなかっただけのこと(実際はもう少し奥深い話です)。日本選手権は得意のパターンに戻すはずなので、その試金石が鳥取です。
 そして田野中選手と鳥取といえば、谷川聡&内藤のミズノ・コンビを抑えて優勝したアテネ五輪選考の日本選手権開催場所。A標準を破れず代表入りできなかったのは痛恨だったと思いますが、布勢競技場が思い出の場所であることに違いはありません。
 アキレス腱の故障で戦列を離れていた内藤選手も、今大会が復帰戦。日本選手権に向けて、どの程度まで復調しているのか。
 同じ法大OBでは入江幸人選手が今季、13秒79の自己新と好調です。
 110 mHも見どころがいっぱいなのです。

 女子100 mは改めて書くまでもないでしょう。福島千里選手と高橋萌木子選手が織田記念で11秒2台をマークしました。追い風参考でしたが、+2.2mは公認許容範囲に近い追い風です。織田記念3位の渡辺真弓選手、4位の北風沙織選手も参戦。大阪GPの4×100 mRで日本新を出したメンバーでもありますが、忘れていけないのが石田智子選手。
 男子の小島選手とは違って、若手と直接対決できるチャンスです。

 そして女子100 mH。現役最高記録保持者の井村久美子選手こそ参加しませんが、東日本実業団で13秒29のジュニア日本新を出した寺田明日香選手と、アジアGP昆山大会で13秒35(風不詳)で走った石野真美選手に、13秒11のB標準が期待されます。
 故障で出遅れていた熊谷史子選手も、冬期にボブスレーに取り組んだ成果がそろそろ現れそうな雰囲気があります。

 日記なのになぜか、大会の見どころになってしまいました。もしかして初めて?


◆2009年5月28日(木)
 日記を再開しました。
 月曜日の横浜国際女子マラソンのコース発表の話題から書き始めましたが、本当は織田記念以降、書きたいことがたくさんありました。特に大会取材の日はネタがこれでもかというくらいにあり、1日分を30分くらいでパパッと書くことは難しいのです。先延ばしにしているうちに1カ月経ってしまって…というのは、いつものことですね。織田記念の日の日記が途中で終わっています。「つづくかどうか未定」と書いているのは自覚がある証拠ですが、こんなことだから陸連の某大物氏から「進歩がない」と言われるのでしょう。
 4月末の春季GPからから5月の地区実業団&地区インカレの時期は、記事を優先したいシーズンであることも、日記が書けなかった一因です。取材でインプットすることが多いので、とにかく早めにアウトプットしておきたい。日本選手権の展望特集をやる前に、できるだけ多くの種目の記事を載せておきたいのです。と、O内さんの奥さんへの言い訳を書かせていただきます。

 当初は東日本実業団が終わったら日記を再開できるはずでしたが、天童に電話があり、急ぎの取材が入りました。陸上競技クリニックの創刊第2号(6月13日発売)の特集で、「走りとリズム」「動きとリズム」についてかなりのページを割きます。その特集の1つに「トップアスリートに聞く“私のリズム”」というコーナーがあり、7人の選手にインタビューすることになりました。
・塚原直貴選手
・成迫健児選手
・竹澤健介選手
・大橋祐二選手
・醍醐直幸選手
・花岡麻帆選手
・室伏由佳選手

 普段の取材では話題になりにくいテーマですし、感覚的なところの話なので言葉にするのが難しい部分です(実際、ほとんどの選手がそう話していました)。
 いきなり忙しくなりましたしプレッシャーも大きかったのですが、皆さん協力的で、1週間のうちに取材をすることができました。1人あたり500文字とコンパクトな文字数ですが、それぞれの選手の特徴が出て、なかなか面白い取材でした。
 市民ランナーたちの間では、音楽をトレーニングに利用することも広まっています。単に気持ちを高揚させるだけでなく、実際のピッチと同じBPM(1分間のビート数)の音楽を利用する方法です。金哲彦さんにインタビューして、こちらも面白い話を聞くことができました。
 この企画で取材したネタで面白かったのは……日記で紹介するよりも、まずは雑誌を読んでいただくのが良さそうです。6月13日発売です。

 ここで書くのが適したネタといえば、陸マガに書いた高岡寿成選手の引退記事ついてでしょう。
 この記事も頑張りました。東京で1時間くらい取材をさせてもらいましたが、これでは書ききれないと思い、兵庫リレーカーニバルの翌朝に神戸で追加取材をさせてもらいました。さらに原稿にも目を通してもらい、電話で補足取材までしました。不世出のランナーの引退記事ですし、現役選手では一番長い期間取材してきた選手ですから、適当に終わらせたくはなかったのです。
 業界的なプレッシャーもありました。ライバル誌が中学・高校時代から振り返る連載を始めていましたし、市民ランナー向けとはいえ同じBBM社のクリールが、高岡選手の手記を連載していました。その点、陸マガは5ページ読み切り。分量の少なさから、競技人生全般を追うことはできません。少ない文字数で他誌にはないインパクトを出すことが求められるわけです。そこで考えたのが、テーマを決め、そのテーマを掘り下げることで、ある程度競技人生をなぞることができるようにすることです。
 “スピードをどうマラソンに生かしたのか”というテーマ自体は誰でも思いつくことですが、“どうすれば生かせるのか”という部分は簡単そうで、実は簡単なことではありません。そこで、高岡選手の話の中に何度か出てきた“感覚”ということばをキーワードにすることにしました。
 その結果があの記事です。トラックのスピードを追求したことで、いつでも(マラソン練習中でも)5000mを13分40秒の感覚を身につけることができ、それが2時間5分を目指すマラソンに結びついたという話になったのですが、書けなかった“スピード”ネタがあるのです。こればかりは普通のメディアには書けない内容なので、ここで書くしかありません。
 日を改めて紹介したいと思います。


◆2009年5月29日(金)
 ATHLETICS2009が到着。深夜までかかって発送作業をしました。
 内容はまだ、じっくりと目を通すことができていません。といっても、例年していないのですけど。何かを調べるついでがあったときに、他のページにも目を通して、ちょっとずつ読み進む(?)のが普通です。

 でも、気になるのは日本選手のこと。BIOGRAPHIESで取り上げられている日本選手を、まずチェックしました。
 男子は室伏広治、成迫健児、山崎勇喜の3選手。ついに、マラソン・長距離選手がいなくなってしまったかな、と思って調べたら、2008年版もいませんでした。2007年版の高岡寿成選手が最後。2006年版は油谷繁選手、尾方剛選手と入っていたのですが。尾方選手は大阪世界選手権でも入賞していますが、復活していません。油谷選手の世界大会入賞は2004年(2005年版)が最後ですが、その後もしばらく掲載が続きました。掲載基準がよくわかりません。
 女子は対照的に、全員が長距離・マラソン選手。福士加代子、原裕美子、野口みずき、小崎まり、尾崎好美、渋井陽子、土佐礼子の7人です。2008年版までは池田久美子選手が入っていたのですが。今年の7人を見ても、掲載基準がよくわからないですね。原選手が載るなら尾方選手も載ってしかるべきだと思うのですが。たぶん、しっかりした基準があるはずです。

 ATHLETICSの特徴は数え上げたらきりがないのですが、種目別の年度ランキングを選んでいることもその1つでしょう。この手のランキングはだいたい、オリンピックや世界選手権などその年一番の大会の成績が反映されますが、ATHLETICSではゴールデンリーグなどの成績や記録も加味したものになります。
 案の定、女子走高跳は五輪金メダリストのエルボー(ベルギー)ではなく、ヴラシッチ(クロアチア)でした。男子マラソンはゲブルセラシエ(エチオピア)が1位で、ワンジル(ケニア)が2位。女子マラソンはミキテンコが1位でディータは3位。ATHLETICSの評価が絶対とはいいませんが、そういう見方もあるのだと思って読めば、この手のランキングは面白いです。
 この手のことで何が面白くないといったら、“他人に押しつけること”です。「おれはこんな面白い考え方をしたんだ。発表するから読んでね」というのはOKです。不特定多数の人間に向かって言うのは問題ありません。
「おれはこんな面白い考え方をしたんだ。オマエも同じだよな」と、特定の人間に強要するのはNGです。これは、メールで言うのか、ホームページで言うのか、の違いにも似ています。

 話を戻します。
 ハンマー投の室伏広治選手は……北京五輪の順位と同じ3位でした。
 しかし、男子50kmWでは北京五輪7位の山崎勇喜選手が、4位にランクされています。北京五輪はメダリスト3人は4位と差がありましたが、4位以降はそれほど大差がありませんでした。五輪の4〜6位の選手に安定性がなかったのかもしれません。あるいは、シーズンベストが悪かったのか。この辺はよく調べる時間がないので、今度、法元さんに会ったら聞いておきます。
 理由はどうでも、山崎選手の4位は嬉しいですね。


◆2009年5月30日(土)
 本日はゴールデンゲームズinのべおかが開催。取材には行くことができませんでしたが、ネットで速報をずっと見ていました。
 今季は男子1500mに注目しています。B標準突破選手が3人もいるのは寺田の記憶では初めて。村上康則選手が好調なことも加わって、盛り上がりを見せそうな予感がしています。若手期待の渡辺和也選手は兵庫リレーカーニバル5000m(GPではなく一般種目)で優勝した日に、打撲をして1500mに出ていませんが、その実力は周知のところ。“疲労性でないケガ”なので、そこまで心配しなくていいでしょう。田子康宏選手も頑張っていますし。
 その1500mはダニエル選手が3分37秒96の学生新で優勝。同選手はペースメーカーを務めると聞いていましたが、そのままフィニッシュしていい約束だったと思われます。ケニア選手権に向けて、良い練習になった(?)かもしれません。
 日本人トップは日本記録保持者の小林史和選手で3分38秒80。トップページでは“サード記録日本最高”と紹介しましたが、同選手は昨年もゴールデンゲームズで3分38秒53のセカンド記録で走り、その結果2004年に出した3分38秒90がサード記録の日本最高になっていました。
 それをもって小林選手が、前日本記録保持者の石井隆士選手よりすごい、とか言うつもりはありません。時代が30年も違いますから。

 それよりも、3分30秒台を出した年月が長期間にわたっていることがすごいと、個人的には思っています。これまでの中距離選手は800m選手も1500m選手も、トップパフォーマンスを出しているのは2シーズンくらいに限定されていました。石井選手もそうでした。
 800m日本記録保持者の小野友誠選手も歴代2位の近野義人選手も、1分46秒台は1994年だけ。1分47秒台前半まで広げても、1993年からの2シーズンだけです。
 それだけ中距離というのは負担が大きいのかな、という解釈をしていました。
 その点、惜しまれつつ一線を退いた笹野浩志選手や小林選手は、数年に渡って自己ベストに近い記録を出しています。
 小林選手は初めて3分40秒を切った2002年以降の8シーズン中6シーズンで、3分30秒台を出したことになります。今日の記録は31歳日本最高記録。26歳以降の年齢別日本記録はすべて塗り替えてきている。サード記録という部分とも無関係ではありませんが、こちらの方がすごいことだと思います。

 男子1500mの話が長くなってしまいましたが、女子800mも陣内綾子選手のシーズン第1戦ということで注目していました。結果は、その陣内選手が2分05秒77で優勝。東日本実業団優勝の岸川朱里選手、織田記念優勝の久保瑠里子選手も2分5秒台という激戦。レース展開がわかりませんが、昨年までのパターンと同じように陣内選手が引っ張ったのであれば、評価は記録以上に高くなります。
 故障からの回復がどの段階で出たかにもよりますが、昨年出した2分3秒台の自己記録更新の可能性も感じさせる成績です。
 故障上がりといえば、男子1500mの渡辺和也選手もそうでした。関西実業団の5000mで足馴らしをして、今大会の1500mがシーズン初戦。3分49秒85で7位でした。永里監督によれば、ついて行かない予定だった先頭集団に、ついていったしまったとのこと(選手にはよくあることです)。
 この結果をもって日本選手権の優勝候補から外すわけにはいきません。

 男子5000mでは上野裕一郎選手が13分26秒31で日本人トップ。B標準初突破に成功しました。アメリカ遠征で標準記録を切れなかったときは、佐久長聖高の後輩の佐藤悠基選手が1万mで日本歴代3位と快走しただけに、どうかなと思わせましたが、国内できっちりと切ってくるあたりはさすがです。
 聞いた話では、その佐藤悠基選手に少し離されていたようですが、残り1周手前で追いつき、最後の400 mで一気に差をつけたとのこと。“ラストのペースアップを計算できる”自身の特性を生かしての標準突破。日本選手権の優勝候補筆頭に躍り出る快走でした。

 ゴールデンゲームズが終わってしばらく後に、T記者から「マイル、ダメでしたね」という電話が入りました。香港のアジアGPで3分5秒台だったといいます。標準記録は3分03秒00。惜しくもなんともありません。ここまで悪いと、気象なのか競技環境なのか、生活環境なのか、なにかしらが劣悪だったとしか考えられません。
 かえってあきらめがつく結果です。
 が、最後にユニバーシアードで標準記録を切る手が残されています。ただ、国際的な手順としては問題のないことですが、国内的な手順の問題があるようです。理事会の承認とか、ユニバーシアードのメンバーと日本選手権の上位が一致するとは限らないとか、その辺の話です。
 世界選手権の第1回大会から連続出場が続いている数少ない種目なので(男女のマラソンと男子1万mの4種目だけ)、手順はともかく標準記録を切れたら出場してほしいと個人的には思うのですが…。


◆2009年5月31日(日)
 新潟で1万mの記録会。夕方、新潟アルビレックスRCの大野氏から電話があり、尾田賢典選手と岡本直己選手の標準記録突破を知りました。尾田選手は2月の熊日30kmで話を聞きました。マラソン転向のための30kmという位置づけではなく、今後も1万mで代表を目指すという話でした。岡本選手も昨シーズンから充実が目立っていて、中国電力の“ポスト3本柱”として期待されているだけに、結果が出て良かったと思います。
 ただ、某記者も指摘していましたが、標準記録のレベルとして他の種目よりも低いのです。世界リストで見ると。アフリカの一部の国に有力選手が固まっていることを考慮しての措置でしょうか。

 ATHLETICS2009の発送作業が昨日終了しました。ご注文いただいた皆さん、お待たせしました。
 発送は郵便事業株式会社にお願いしました。ゆうパックで発送する宛先があるので、ゆうメール便の数が多いのですが、作業部屋まで取りに来てくれます。民間の宅急便業者ではできないですよね……と書いていて、もしかしたらできるのかもしれないと、不安になってきました。今は宅急便会社も、クロネコメール便とかありますからね……と思って調べたら、クロネコメール便は厚さが2cmまで。ATHLETICSは3cmあるのでダメでした。

 先日の日記にも書いたようにじっくりと読む時間はありませんが、ATHLETICS2009で1つ面白いな、と気づいた表がありました。100傑内選手を地域別に人数をカウントし、1988年と2008年を比較したものです。20年間の変化が一目瞭然です。
 これがその表です。
 これも自然にアジアに目が行ってしまいますが、8つの地域のなかでアフリカと共に最も変化が大きい地域でしょう。
 気が付いた種目をざっくばらんに挙げていきます。

 男子400 mの1988年は2人ですが、1人は高野進選手です。2008年は1人ですが、これは金丸祐三選手。うーん、金丸選手が44秒台を出す予兆かもしれません。でも、インドとかアラブ勢が1人も100傑に入っていなかったのでしょうか? ちょっと解せません。
 男子1万mは6人から11人に増えています。ちょっと意外ですが、100位は28分04秒。日本選手の数も増えたかもしれませんが、アラブへの帰化選手も影響しているかもしれません。
 男子マラソンが21人から8人に減っているのはもう、アフリカ勢の進出以外に理由はありません。100傑中86人がアフリカ選手なのですから。

 頑張っているのが男子の110 mHと400 mH。110 mHは1人から12人に、400 mHは2人から15人に増えています。
 正確に数えてはいませんが、110 mHは劉翔を筆頭とする中国選手の数が増えたのだと思いますが…100位が13秒67ですから、日本選手も例の3人(名前は挙げなくてもわかりますよね)が入っています。そう考えると日本の110 mHも、この20年間で頑張ったわけです。最大の功労者は岩崎利彦選手でしょうか。日本人初の13秒台ハードラーで、13秒5台まで行きましたから。
 400 mHの人数増は間違いなく、日本の選手の数でしょう。1980年代も長尾隆史選手、大森重宜選手、吉田良一選手と国際舞台で活躍した選手がいましたが、それに続く層が薄かったのでしょう。これも、初めて48秒台を出した斎藤嘉彦選手&苅部俊二選手、世界選手権ファイナリストとなった山崎一彦選手の3人の功績が大きいと思います。

 特筆すべきは競歩! 男子20kmWは1人から36人に、50kmWは3人から23人に増えています。これも正確に数えていませんが、日中両国が共に頑張った成果でしょう。先行したのは中国ですが、近年は日本も追い上げています。功績はこれも、日本で最初に4時間を切った今村文男選手たちの世代(小坂忠広選手、園原健弘選手、20kmWの酒井浩文選手)が、経済的には恵まれない環境でも頑張って、国際レベルへと近づいていったからです。
 寺田が陸マガで働き始めたのが実質的には1988年です。この20年間でレベルが上がった種目も、それ以前の選手の頑張りがあったからではありますが、実際にレベルが上がった時期に関われたのは嬉しいですね。法元康二さんも同じ気持ちではないでしょうか。


◆2009年6月1日(月)
 陸マガ次号の日本選手権プレビュー特集の1つとして、“世界選手権選考の行方”というテーマで記事を書きます。関東インカレのリレーの記事(やばいですね。B以降が書いていませんでした)の最後に書いたように、全ては日本選手権が終わってからの判断になるのですが、それを待ってから記事を書いても面白くもなんともない。
 というか、誰が選ばれますよ、という予想記事ではなく、選考はこういう道筋でされて行きますよ、という選考の流れを紹介しておく記事です。選考規定を読めばわかるのですが、それをもう少し、具体例に即してこうなります、と解説する感じですね。
 ただ、一昨日の日記に書いたように、男子の4×400 mRがどうなるかわからない状況になってしまいました。ユニバーシアードで標準記録を切った場合ですね。金丸祐三選手、石塚祐輔選手、廣瀬英行選手の3人が走るのは確実。4人目は400 mH選手になるのか、200 mの安孫子充裕選手になるのかわかりませんが、安孫子選手が走ればかなり強力なチームになります。
 その取材で電話をしているなかで、今日の強化委員会でそのことが話し合われると知りました。理事会などの承認を得られないので、公表はできないと思われますが、強化委員会としての方針は決まります。

 水曜日に締め切りの日本選手権全種目の展望記事も抱えていて、それほど時間があるわけではないのでかなり迷いました。大きなスペースは割けないにしても、新聞にも記事は載るでしょう。絶対に直接取材が必要かといえば、そうではありません。しかし、第1回大会からの連続出場がかかっている種目ということもあって、個人的にも知りたい欲求が大きく、取材に行くことにしました。
 ただ、この手の出待ち取材は何時間待たされるかわかりません。19時くらいかな、とあたりをつけて行ったのですが、結果的に20時過ぎになりました。そして強化としての結論はというと、予想通り「ここで決めることはできないので、今後、こういう方向で持っていこう、という話し合いをした」(高野進強化委員長)ということでした。

 ただ、そういうときでも考え方の一端は明かしてもらえます。
「いくつかの選択肢がありますが、ロンドン五輪に向けたなかでの2009年度の強化戦略の位置づけを考えた上で、出す意味があれば出しますが、日本選手権前に出場を決められなかった現実も受け止めないといけない。行きたい、行かせたくないという感情論にはならないで、強化としてどうかということを考えます」(高野委員長)
 話を聞いていてハッとさせられました。強化委員会である以上、強化という視点で考えるのは当然でした。そこを予想できなかったのは、こちらが至らなかったわけですが、人間なかなか、自身の立場を超えた考え方はできませんね。寺田の中では“連続出場を途切れさせない”という命題が全てだったというか、それ以外の考え方は存在しませんでしたから。
 もちろん、日本の陸上界イコール強化委員会でもないし、陸連でもありません。日本イコール日本国政府ではないのと同じです。本当に色々な立場の人間が、関わって成り立っている世界なのだと、改めて気づかされました。当然、意見の種類も多くなる。それをまとめないといけない陸連の人たちは大変です。

 大変といえば、寺田も大変なことになりました。
 陸連のある岸記念体育館に行く電車の中でも、寸暇を惜しんで仕事をしていました。このところ、ノートPC(白いモバイルパソコン)の調子が良くなかったのですが、電車を乗り換えるときに蓋を閉めたらスタンバイ状態にならずにフリーズ状態に。どんなに待っても回復しないのでバッテリーを取り外して強制終了させました。そして電源を入れたら、ウィンドウズが立ち上がりません。
 変わりに、「CONFIG.SYSが見つかりません」の表示。NECの98PC時代によく見たMS−DOSの用語です。何度かやり直してあきらめました。
 表示から判断する限り、CONFIG.SYSファイルを元のウィンドウズCDからコピーすればいいようですが、それを行うMS−DOSの知識はありません(10年前ならできたかも)。深夜までかかってウィンドウズをインストールし直したところ、どうやら復旧しました。アプリケーションソフトは入れ直さずにすんだのですが、原稿は進みませんでした。
 おそらく5〜6時間のロス。突然の取材が入った分を足すと10時間以上、時間を費やしました。一気にピンチに陥りました。日本選手権展望記事は次号に載るのか?


◆2009年6月5日(金)
 今日は寺田の狭い作業部屋に、2人も来訪者がありました。
 1人は元大広(広告代理店)の大内さん。寺田の部屋に来ていただいた後は、近くにある評判の洋食屋さんで昼食を食べました。
 大内さんは何回か紹介しているように、陸上競技会のスポンサーをいくつも獲得してくれた方。ヨーロッパの競技会にも自主的に見学に行かれて運営などを勉強し、日本の伝統的な運営が支配的だった時代に、参考になる意見をいくつも提案されてきた方です。
 今日も面白い話をいくつも聞かせていただきました。明るい話ばかりではありませんが。例えば広告業界が厳しいことはわかっていましたが、陸上界も例に漏れずスポンサー獲得に苦労しているようです。
 明るい話といえば、大広の現陸上競技メイン担当の佐治由佳さん(賢明女学院→早大)の話題がありました。現役時代は走幅跳で全国トップレベルでしたから、ご記憶の方も多いと思います。
 その佐治さんが高校時代、兵庫県インターハイで3種目……という話は次の機会に譲って、今日聞いたのは佐治さんは高校名だけでなく、本当に賢い女性だということです……と読んで「また楽屋落ちかよ」と思った貴方(あなた)。こう言ってはなんですが、兵庫県の話題ですよ、兵庫県の。兵庫県でウケれば、それは意味のあることなのです。あなたの県は、兵庫県よりも強いですか?
 すみません、ムキになってしまいました。不景気のこのご時世で、気持ちが“ほっこり”とする明るい話題だったと本気で思いました。

 もう1人は来訪者とはいえないかもしれません。毎週金曜日にバイトに来てもらっているA君です。母校が関東インカレで1部に昇格できず、ちょっと元気がなかったようですが、こちらの気のせいかもしれません。
 A君には資料をスキャニングする仕事を主にやってもらっているのですが、今日は男女100 mのデータを入力してもらいました。週末に鳥取で行われるスプリント挑戦記録会の取材で役立ちそうなデータです。
 具体的にいうと男子の10秒20未満の全パフォーマンスをデータベース化したいと考えました。東日本実業団で塚原直貴選手が10秒15で走ったとき、記者たちの間で3試合連続10秒1台が過去にあったかどうか、という話題が出ました。おそらく、朝原宣治選手はドイツ留学時代に1997年にやっているし、末續慎吾選手も2002〜03年あたりにやっています。水戸国際、大阪GP、日本選手権とかで。でも、それを自信を持って(記事にしても大丈夫と保証して)言うことができませんでした。

 女子は11秒60未満にするか、11秒50未満にするかで悩みましたが、結局11秒60未満の全パフォーマンスにしました。A君には記録集計号最新号の歴代リストにパフォーマンスで載っている部分を入力してもらい、そこに載っていない記録は、寺田が過去の集計号を全部ひっくり返して入力することに。朝原選手の10秒19が1993年、北田敏恵選手の11秒5台が1994年。最新の集計号にパフォーマンスで載っているのは10秒13と11秒48まで。そこに入っていない記録は、大した量はないだろうと踏んだのです。
 が、これが大間違いでした。かなり大量にありました。
 やはり、朝原選手はすごい数(29回)で10秒1台で走っています。主に海外ですけど。対する末續選手は国内で、外さずに走っています。このデータを見たら塚原直貴選手もまだまだ、足元に及ばない感じ。
 それよりも多かったのが、女子の11秒5台。坂上香織選手と新井初佳選手の同学年コンビがとにかくすごい。石田智子選手もそこそこ走っています。1シーズンで出した数では昨年の福島選手が一番多いかもしれませんが、坂上・新井コンビも負けていません。それを、何シーズンにもわたって走っているのです。
 夜中の2時までかかってしまいました。でも、このデータベースは今後、色んなシーンで活用できそうです。


◆2009年6月6日(土)
 昼過ぎまで作業部屋で原稿を書いて、夕方に東京を出発。新幹線で姫路まで移動して、姫路から特急電車で鳥取入り。6時間ほどかかりますが、飛行機よりも安いし便数が多いので陸路を選びました。移動しながら原稿も書けますし(それで日記が追いつきました)。
 もう真っ暗で外は見えませんでしたが、宮本武蔵という駅もあって、剣豪にちなんだ建造物も見えるそうです。その次の駅は大原。神戸新聞・大原記者の出身地でしょうか。兵庫県ではないかもしれませんけど。
 で、その辺は智頭急行区間。鳥取県の智頭がその北端です。智頭といえばロス五輪代表だった森 美乃里選手が当時、智頭中の教員でした。
 などと思いを巡らしていると、アッと言う間に鳥取着。姫路から1時間35分ですから近いものです。由良育英高など鳥取の高校に、兵庫県の中学出身者が進学するのもうなずけます。
 鳥取駅に着いたら明日の帰りの切符を、差額を払って自由席から指定席に変更。自由席でも大丈夫のようですが、陸マガの原稿の締切が夜の23:30に設定されたので、車内で作業をしないといけなくなったのです。
 ホテルに着いたのは23時頃。テレビをつけると短い枠でしたが、明日のスプリントチャレンジ IN TOTTORIの宣伝をしていました。4年前の日本選手権のときも感じましたが、鳥取陸協の熱心さが伝わってきます。

 昨日、男女100 mの歴代のパフォーマンスリスト上位(男子は10秒30未満、女子は11秒60未満)を入力しました。競技場でソートをかけると、どこで好記録が出ているかが一目瞭然になります。鳥取の布勢陸上競技場は2004年の日本選手権開催時だけですが、好記録が続出しました。
 布勢で出た男子の10秒30未満は3回。末續選手が2回、朝原選手が1回。スタジアムレコードは朝原選手の10秒09です。ただ、回数的にはビッグゲームを何度も開催している競技場には及びません。
 国立競技場と長居の6回が最多で、水戸と広島広域の5回が続き、その次が布勢と横浜と熊本の3回です。横浜は3大会で3回ですが、熊本は布勢と同様に98年の日本選手権じだけで3回(伊東浩司選手が2回、窪田慎選手が1回)。海外ではローザンヌで4回(朝原選手2回、伊東選手2回)というのが飛び抜けています。
 女子は入力したパフォーマンス数が男子よりもかなり多くなったのですが、布勢の11回というのはすごい数です。スタジアムレコードは11秒39で新井初佳選手と坂上香織選手。2004年日本選手権で感動を呼んだ同着優勝のときの記録です。
 ちなみに、3回以上は以下の競技場。
・広島広域16回(7大会)
・布勢11回(1大会)
・長居9回(6大会)
・水戸7回(5大会)
・草薙6回(3大会)
・円山4回(2大会)
・等々力3回(1大会)
・函館3回(1大会)
・横浜3回(2大会)

 広島広域は織田記念で毎年好記録が生まれていますし、当初はアジア大会と国体でも1回ずつ出ています。長居は96年と2007年の日本選手権と大阪GP、水戸は水戸国際、草薙は1999年の日本選手権と静岡国際、円山は南部記念。
 等々力が布勢と同じで2008年の日本選手権だけで出たパフォーマンスですが、福島選手の予選・準決勝・決勝の3回。これをみても、布勢で日本選手権が行われた2004年が、女子短距離が充実していたことがわかります。と同時に、布勢が記録の出やすい競技場であることを物語っている数字だと思います。

 明日のスプリントチャレンジIN TOTTORIが楽しみですが、天気は快晴とはならないようです。


◆2009年6月7日(日)
 スプリント挑戦記録会 in TOTTORIの取材。
 最初の女子100 mH第1レースが始まる1時間前には布勢陸上競技場(現在はコカ・コーラ ウエストスポーツパーク陸上競技場。ちょっと長いのです)に到着。
 スタンドに行くとこの防風壁が、ドーンと目に入ってきます。5年前の日本選手権開催を機に造られました。ホームストレートの風の強弱を調整できる優れものです。当時、オリンピック選考会を鳥取で開催することに否定的な意見も多かったのですが、いざ蓋を開けてみたら観客も多く入りましたし、好記録も続出して鳥取開催の評価が一気に上がりました。その一翼を担ったのが防風壁でした。
 フィニッシュ地点近くのスタンドには木製の階段があり、グラウンドから手軽に行き来することができます。これも、布勢陸上競技場の便利なところ。スタンドではアナウンスの声もよく聞こえます。声が響いて聞き取れないことが多い巨大スタジアムにはない良さです。
 一通りの取材場所のレイアウト、動線などを確認後、今回の取材準備段階でお世話になった国森先生と、大会ディレクター(? 的な役割)を務めている冨田学先生に挨拶。富田先生は改めて書くまでもなく、110 mH13秒89の山陰記録保持者。その記録を96年に出した当時は学生記録でした。大学は筑波大。筑波大歴代リストを見ると現在も6位。このリストを見るだけで、人脈もあるんだろうな、と想像できます。
 おそらく取材をさせてもらったことがあるはずですが、同時期に活躍していた市川隆史選手(法大)と混同している可能性もあって記憶が……ちょっと恥ずかしい話です。

 続いて陸連関係者室の近くに行くと(春季GPクラスの大きな試合では近づけないのですが)、原田康弘ジュニア部長と小島初佳さんの元師弟コンビや、土江寛裕監督がいらっしゃいました。小島初佳さんといえば吉田香織さんとともに、女子100 mの布勢競技場記録、11秒39を持っています。2004年の日本選手権で同着優勝。2人が同学年ということもあって、あのときは盛り上がりましたね。
 このときふと、今日も同学年の2選手が同タイムで走るんじゃないか、という予感がしました。福島千里選手と高橋萌木子選手が今季、3試合連続で0.01秒差の接戦を演じています。この予感は間違いなく当たるだろう、と確信を持ちました。見事に外れましたけど。
 原田部長たちと風の話題になったときに、今日のコンディションは記録を出すにはちょと寒いかな、と寺田が言いました。すると「(今日くらいの)寒さはそれほど影響しないですよ」と土江監督。「雪国(島根県)育ちだからそう言えるんだよ」と言い返してしまいましたが(マジにではありません)、これも見事に寺田の予想が外れました。元トップスプリンターに対して失礼なことを言ってしまったと、深く反省しています。

 トップ選手が参加するスプリント挑戦記録会 in TOTTORIとしての開催種目は、男女の100 mと直線ハードルの4種目だけ(各2レースが行われます)。選手の絶対数が少ないので取材に行くかどうか悩んだわけですが、来てみれば取材に集中できる種目数です。春季GPなどでは絶対に無理ですが、今日は全ての種目をスタンドから見ることができました。
 女子100 mHの寺田明日香選手もジュニア新は出せず、第1レース後の取材は必要ないかなと思っていたら、女子100 mで福島選手が11秒28です。A標準も突破しました。すぐにトラックまで駆け下り(今日はカメラマン用のビブを着用していました)、タイマー撮影に間に合いました。前述の木製階段のおかげです。
 第2レースの前ということで、ペン取材はテレビ&スタジアム用の共同インタビューのみ。その後は北海道ハイテクACの中村宏之監督、高野進強化委員長、麻場一徳女子短距離部長のコメントを取材。
 女子100 mのA標準突破が史上初めてかどうか、実は織田記念の頃から記者たちの間で話題になっていました。あまり記憶はなかったのですが、二瓶秀子選手が11秒36を出したとき、すでに選考期間が終わっていたので代表入りはできませんでしたが(確か大前祐介選手も)、A標準だったような記憶があります。2001年頃の専門誌を調べてくればよかったのですが忘れていました。
 しかし、ふとスタンド下を覗くと小島初佳さんの姿が。すぐに質問させていただいたところ、ちょうどA標準ぴったりだったと教えてもらいました。
 この手の関係者取材は通常、他種目の状況を気にしながら行うケースですが、今日はコメント取材に集中できました。トラック&フィールドの競技会取材でここまで落ち着いてできるのは、本当に珍しいケースです。福島選手のコメント……はまだ紹介していませんが、「気持ちよく走れたこと」が今季の0.01秒差レースとの違いだと話していました。寺田も今日は、気持ちよく取材ができました。

 第2レースは10分くらいしか次のレースまで間隔がありませんが、春季GPなどと違ってレース後すぐにコメント取材を開始できます。女子100 mHは、13秒29とジュニア日本タイの寺田明日香選手を取材。続く110 mHもスタンドで観戦。110 mHの後はまた、30分くらい時間が取れます。今季初レースだった内藤真人選手、2位と敗れた田野中輔選手、そして優勝したモーゼス夢選手と3人の話を聞くことができました。
 内藤真人選手は14秒06で5位。「北京五輪後初めてハードルを跳んだのが1週間前だった」と言います。そこまで長引いていたとは知らなかったのでビックリ。冬期の間は地味なトレーニングを続けていたと思われますが、その間、どんな気持ちで取り組んでいたのでしょうか。質問しようと思いましたが、話が長くなる可能性があったのでこれは後日とすることに。
 田野中選手の敗因は2、3台目とハードルを倒したこと。田野中選手は珍しいのでは? と思って本人に確認すると、高校・学生時代はともかく、「踵をまともにぶつけるのは、富士通入社後は記憶がない」と言います。日本選手権前にA標準を、という気持ちが強すぎたのでしょうか。「今日は一日中力んでいた」と言います。
 田野中選手にとって布勢は、日本選手権で初優勝した思い出の競技場。のはずですが、五輪代表を逃した南部記念とセットの思い出になっていて、悔しさの方が先に立つのだそうです(これは予想が当たりました)。1995年の鳥取インターハイも準決勝で落ちているそうです。「でも競技場自体は走りやすくて好きなんです。ちゃんと走りたかったんですが、自分で壊してしまいました」。
 モーゼス夢選手は関東インカレ優勝者ですが、話を聞くのは初めて。俗に言うところの“一から取材”になりました。モデルもやっていることは関東インカレの記事で読んで知っていました。現在4年生。モデルになるか競技を続けるか、進路選択で迷っている話が印象に残っています。
「せっかくハーフに生まれてきたのですから、どちらの道に進んでも、目立たなければ嫌です」
 どこまで行けるかわからないけど、とりあえず競技で就職できるから続けようか、という適当な気持ちではないわけです。陸上競技を選んだとしたら、その時点で覚悟ができている。13秒台はまだ3試合目だそうですが、面白い選手が台頭してきました。
つづく、予定

 そして女子100 m第2レースです。福島選手が日本記録を11秒24まで更新。2位の高橋萌木子選手も11秒32と従来の日本記録(11秒36)を上回りました。二瓶選手が2001年当時福島大の大学院に在籍していて11秒36は学生記録でもあったわけですが、それを更新しました。
 第2レース後もスタンドからフィールドにまっしぐら。タイマー写真撮影に加わりましたが、良い写真が撮れていません。そのときの写真を見るとポジショニングからして気合いが入っていませんね。
 はっきりした記憶がないのですが、高橋選手とのツーショットを撮りたいと考えて、高橋選手の姿を目で探していたのだと思います。見つけられなくて、この写真を代わりに撮ったのでしょう。
 あるいは、ペン取材の段取りを考えていたか。日本新が出たときは、陸マガにそれなりの文字数の記事を書く予定になっていました。北海道ハイテクAC勢はその日の飛行機で東京経由で帰ると聞いていたので、第2レース後はそれほど時間がとれません。

 10分後には男子100 mの第2レースがあるので、インタビュールーム(トラックに面しています)でテレビ用のインタビュー、そしてペン記者用のインタビュー。男子のレース直前に打ち切られたので、男子100 mはこの日唯一スタンドからではありませんでしたが、見ることができました。
 塚原選手が第2レースは欠場し、高平選手が10秒32で優勝……しましたが、寺田選手、福島選手とすでに北海道勢が2人勝っていますから、3人目の取材はいいかなという判断です。と書くと富士通の伊藤&三代両広報に怒られそうなので、誌面的に女子100 mの方を優先せざるを得なかった、と事実を書いておきます。
 高橋選手を探して話を聞き、続いて中村監督にも。福島選手のネタが少ないかな、もう少し話を聞かないと苦しいかな、という状況でしたが、時間的に無理なのは明白です。ここは限られた時間内の取材でより良いもの書くのが記者の力……なのですが、もう少しあがいてみようと思い、空港まで追いかけることにしました。タクシーで15分と遠くない距離なので。
 しかし、荷物をまとめるのに10分はかかります。競技場のすぐ近くに大きな道路(後でわかったのですが鳥取駅から空港に向かう道路です)があり、流しのタクシーをつかまえられるかとも思ったのですが、これがまったく通りません。仕方がないのでタクシー会社に電話(電話番号は事前に調べてありました)。ここで15分程度のロスをしたのが、結果的に致命傷になりました。

 しかし、タクシーを待っている間に清田監督の話を聞くことができたのに救われました。それまでは、どの話を中心に記事を書いたらいいのか五里霧中の状態でした。正直、かなり焦っていたと思います。陸マガに記事を書くということは、もう20年やっていますけど、そのくらいにプレッシャーがかかることなのです。
 清田監督とはこのところ、高橋選手の新スタートの出来不出来について話すことが多いのですが、その最中で「福島さんはあのスタート(福島選手のスタートという意味です)が完全に身についている。高橋はまだ、意識しないとできない」という話をしてくれました。そのときに、これかなと閃くものがありました。寺田も第1レースの福島選手のスタートを見て、そこを書けないかな、という気持ちを持っていましたし、高野委員長や麻場部長の話のなかにも必ず、スタートの話が出てきていました。
 ただ、そのときはまだ、漠然としたものでした。

 空港に着いたのは17:10頃だったと思います。北海道ハイテクAC勢はちょうど、手荷物検査を受けるところで取材は無理でした。しかし、渡辺真弓選手の話を聞くことができたのが収穫です。
 気持ちを切り換えて鳥取駅に……行こうとしましたが、タクシー乗り場にタクシーがいません。到着便の数が少ないので、それに合わせているのでしょう。乗り場にタクシー会社の電話番号一覧表があったので、来たときとは別の会社に電話をしました。ロビーで待っていてください、ということで待つこと15分。来たのは微妙に若そうで、長身ですけど物腰の低い運転手でした。
 鳥取駅に向かう途中、布勢の競技場脇を通ります。
「今日、日本記録が出たのをご存じですか」と運転手。
「さっきまで取材をしていましたよ」と寺田。
 聞けば鳥取商高で走高跳の選手だったとか。話が一気に弾み出しました。
寺田「陸マガとか読んでいましたか」
運転手「ええ。一度だけですが、名前が載ったことがあります」

 要約すると、高校1年生の時に鳥取県大会で6位に入賞しているけど、アキレス腱の故障で2年生のときに引退したとのこと。ベスト記録は1m80だったそうです。
寺田:「森下広一選手とか、もう卒業していましたか」
運転手:「もういなかったですね。同学年では冨田っていうハードルの強い奴がいました」
寺田:「冨田先生ならこの大会の責任者ですよ。今日、お会いしました」

 地方に行くとこういうことがあるから面白いですね

 鳥取駅に着く直前に、辛口記事が好評のスポニチ大阪・S記者から電話が入りました。世界選手権女子100 mの過去の戦績を知りたかったようですが、駅の2階の喫茶店にいるというので合流しました。日刊スポーツ大阪のO記者も一緒でした。
 30分ほど原稿を書いて18:40の特急に。姫路に行く間に陸マガ高橋編集長と記事の内容を打ち合わせ。この時点ではまだ、「取材が不十分で厳しいよ」というニュアンスで話していました。自分の能力を誇示する必要はない相手なので、格好をつけたりしません。高橋編集長からすればグチに聞こえたかもしれませんが、そういうライターをなだめ、すかして(脅して?)記事を書かせるのも編集者の仕事です。
 女子100 mHのジュニア日本記録や、他の種目の扱いをどうするかを相談するのを忘れていたことに気づき、姫路駅で新幹線に乗り換える前に再度打ち合わせ。
 帰りの車内ではまず、日本選手権展望記事を仕上げないといけません(鳥取の記事は明日の13時締め切り)。姫路までの1時間半で、男子100 mしか書けませんでしたが、その後は筆が進んで新幹線が名古屋を出たあたりで110 mH、3000mSC、女子の100 m、100 mHと、週末にトップ選手が集まるレースが行われた5種目を書き上げて送信しました。
 N700系車両はネットも接続できます。移動中に仕事をすることを考えたら、飛行機よりも断然、新幹線です。ECOですしね。

 静岡あたりから鳥取の取材ノートを読み返し始めました。清田監督の言葉がヒントになるという感触がありましたが、福島選手自身は意識しなくても今のスタートができる、ということを話していません。それを記事にすることができるのか。
 選手のコメント、関係者のコメントを二度三度と読み直します。そうしているうちに福島選手のコメントが、なるほどね、と思えてきました。天啓といったら大袈裟ですし、理解度が深くなるといったらトップ選手に対して不敬になりますが、なんと言うんでしょうか。記事にできるな、これは行けるな、という感触です。なんか平凡な表現ですけど。


◆2009年6月8日(月)
 昨日中に福島千里選手のPEOPLE(1ページ)と、一問一答を書き上げ、スプリント挑戦記録会 in TOTTORIの本文(2ページ)の構成を練り上げておきました。頭のなかにあることをアウトプットするだけの状態にしておきましたから、13時締め切りですが、それほど焦りはありませんでした。
 ただ、このアウトプット作業(書く作業)もなんだかんだで、つっかかるものです。ちょっとした整合性のほころびも許されないのが文章です(トークなら言い直せますが)。3時間で書き上げるにはかなりの集中力が要りました。本文2ページは13時に間に合いましたが、コメント記事(福島選手の一問一答に加え、中村宏之監督、高橋萌木子選手、清田監督、高野進強化委員長)は1時間ほど後れてしまいました。先割ができるように文字数だけは朝の段階で決めてあったのですが。
 14時には作業終了。集中が途切れてなかなか次の仕事にかかれませんでした。やる気のわく作業は……やっぱり、寺田サイトの更新でしょう。そのため、いくつかのサイトを見ていましたが、布勢競技場のことを“布施”と間違えているのを(複数)見つけてしまいました。確かに“ふせ”で入力して変換して最初に出てくる文字なのでしょうけど。

 ということで、布勢競技場を陸上界に定着させるデータを出しておきます。
 昨日の結果で11秒60未満のパフォーマンスが5つ増え(福島選手と高橋選手が2回、渡辺真弓選手が1回)、広島ビッグアーチと並んで16個になりました。それを11秒50未満のパフォーマンスで数えると、布勢が8回でビッグアーチが4回。布勢がダブルスコアで日本最多回数になるのです(次に多いのが水戸の3回)。
 女子100 mの記録が日本で最も出ている“布勢”の文字を、今後間違えないようにしたいのですが、布勢の語源って何なのでしょう? そこを知っておけば、もっと間違えにくくなるかも。

布勢で出た11秒50未満全パフォーマンス
11.45 1.9 鈴木 亜弓 スズキ 2004/6/4 1h2 日本選手権
11.39 1.1 小島 初佳 P.フジモト 2004/6/5 1 日本選手権
11.39 1.1 坂上 香織 ミキハウス 2004/6/5 1 日本選手権
11.45 1.1 石田 智子 長谷川体育施設 2004/6/5 3 日本選手権
11.28 0.8 福島 千里 北海道ハイテクAC 2009/6/7 1r1 スプリント挑戦記録会 in TOTTORI
11.24 1.9 福島 千里 北海道ハイテクAC 2009/6/7 1r2 スプリント挑戦記録会 in TOTTORI
11.44 0.8 高橋萌木子 平成国際大 2009/6/7 2r1 スプリント挑戦記録会 in TOTTORI
11.32 1.9 高橋萌木子 平成国際大 2009/6/7 2r2 スプリント挑戦記録会 in TOTTORI


◆2009年6月9日(火)
 今日はテレビ雑誌の日本選手権展望記事の締め切りでした。
 といっても、文字数的には本文が250文字、写真を掲載する塚原直貴選手のキャプション(写真説明)が80文字と、かなり少ない原稿です。本当に絞りに絞って紹介しないといけない。これが難しいのです。
 結局、本文で書けたのは世界選手権の選考会であることと、有望選手の紹介くらい。名前を出せたのは塚原選手、高平慎士選手、金丸祐三選手、そして室伏広治選手だけ。文字数オーバーで醍醐直幸選手、澤野大地選手、井村久美子選手の名前を挙げておきましたが、誌面に出すかどうかは編集の判断に委ねました。
 女子短距離も盛り上がっていますが、編集サイドから“世界陸上で活躍できる選手を”という発注のされ方だったので、仕方ありません。それが世間一般の陸上競技の見方なのです。
 陸上界にどっぷりつかっていると、「この選手を出せたらもっと面白いのに」とか、「こっちの話題が受け容れられるようになれば、陸上人気が浸透したことになるのに」と思うことが多々あります。最終的にはそういう方向に持っていくのが理想ですが、現実にどう対処していくかも重要です。


◆2009年6月11日(木)
 今月は大きな買い物をいくつかしないといけません。それも、日本選手権前に。
 最優先は最近調子の悪いノートパソコン……なのですが、今日は村内ファニチャーで作業部屋用の椅子を購入しました。単なる事務用椅子なのですが、我々のように長時間パソコンに向かって作業をする人間にとって、これほど重要なアイテムはないと言っていいでしょう。合った椅子に座るかどうかで、作業効率や身体への負担がかなり違ってきます。
 実は5〜6年前から椅子を買い換えたいと思っていました。腰や背中がやたらに張ってくるので、これは姿勢が問題なのだと。確かハニカット陽子さんからアーロンチェアを薦められたことがありました。
 それで大宮や新宿の東急ハンズなどで、アーロンチェアも含めていくつか座って試したのですが、どの椅子も100点満点だと感じませんでした。寺田の姿勢が著しく悪いせいかもしれません。単に優柔不断な性格のせいかもしれません。その場ではそれなりの座り心地でも、30分、1時間と座り続けたときにどうなのかが、不安になってしまって。

 実は新宿に作業部屋を借りた2004年に、3万円くらいで姿勢矯正椅子っぽいものを買いました。背もたれがなく、膝当て部分にヒザを当て、骨盤を直立させる角度の座面に腰掛けると確かに背筋が伸びますが、20分も経つと疲れてしまって姿勢を維持できませんでした。背筋が衰えている可能性も大いにありますけど。
 今日購入したのはHARAチェアという韓国メーカーの椅子。背面と座面の両方が割れている椅子です。理論的にはこうなっています。背面だけ割れているデュオレスト椅子などもよかったのですが、実際に座ってみてHARAチェアに決めました。
 最初はHARAチェアのニーチェというタイプがいいかな、と思っていましたが、今日実際に座ってゼノンという1万円ほど安いタイプにしました。どこが違うんだろうと思ってよく見ると、座面の前後の長さが短いことに気づきました。もしかして、背面割れや座面割れとは関係なく、そこがポイントだったかも……と思ったのですが、とにかく4〜5年かけて一番良いと思った椅子ですので、理屈よりも感覚を優先して購入しました。
 来週の金曜日に届くとのこと。

 パソコンは先週、2度もウィンドウズが立ち上がらなくなりました。最初は月曜日に陸連強化委員会取材をした日で、日記にも書きました。2度目は土曜日で、鳥取に向かう新幹線の車内で。新大阪止まりの新幹線に乗ったので、新大阪に着く前に電源を落とし、乗り換えた直後に電源をオンにしたのですが「オペレーティングシステムが見つかりません」という類の表示。2度、3度と続けてもダメです。
 パソコンは寺田にとって最も重要なツールです。このサイトが更新できなくなってしまいますから。2〜3年前の大阪国際女子マラソン取材の際、金曜日の会見後にホテルでノートPCが壊れ(ウィンドウズ2000の頃に買った古い10.4インチ画面のPC)、その夜東京に取りに戻ったことがありました。
 今回はそんな余裕はありませんでしたし、翌日の23:30には陸マガの日本選手権展望記事の締め切りがありました。神戸あたりを真っ青になって通っていたわけです。
 幸い、姫路で特急に乗り換えた後に再トライしたら上手く行きました。かなり熱くなっていたのでオーバーヒートだったのかな、と思っています。
 それでも、1週間に2度もウィンドウズが立ち上がらなくなるのは、どこかにガタが来ているからだと思います。もう1台、モバイルPCを買って、数日にわたる出張には持ち歩かないといけないでしょう。

 もう1つはハードディスク&DVDレコーダー。自宅で使っている古い方(確か、2001年のスーパー陸上前日に横浜のビックカメラで購入)と、作業部屋で使っている2004年購入のものと2つあるのですが、これがほぼ同時期に、DVD−Rに保存できなくなりました。自宅の方はDVD−RAMにコピーできますが、作業部屋の方はRAMを認識しません。日本選手権前になんとかしないと。


◆2009年6月12日(金)
 日本学生個人選手権の1日目ですが、仕事がたまっていて行くことができませんでした。高橋萌木子選手の結果(再レースで11秒62)や、取材の様子はある筋から聞くことができました。


◆2009年6月13日(土)
 日本学生個人選手権の2日目を取材。予算がないので遠回りをしてでも安い経路を選択。なんとか女子200 m予選に間に合いました。
 今大会は風向きを考慮して、第3コーナーをフィニッシュ地点に設定して行った種目も多く、男女200 mもそうでした。静岡国際でもよく見かけた光景ですが、正規のフィニッシュ地点付近で見馴れている人間には、バックストレート側に移動しない限り違和感のある光景になります(文句をつけているのではありません。記録が優先です)。
 今回はカメラマンゼッケンでインフィールドに入って見ることにしました。距離的にはそれほど遠くなく、むしろいつもより近い位置で見ることができたのですが、トラックの外側からのレースを見馴れている人間には、内側から見たトラックレースはやはり違和感があって、レース展開を集中して見にくいですね。カメラマンをやっているときは撮影が加わりますから、レース展開を脳に印象づけることが難しいのです(プロカメラマンになると違うかもしれませんが)。
 この辺は脳に柔軟性があると、いつもと違うアングルでもしっかりと理解できるのでしょうか? 

 高橋萌木子選手は24秒01(+1.0)。1週間前に100 mの学生新を2本走っています。記録は追わないと思われました。でも、「湘南の風が味方すればもしかすると」という話(メール)を湘南高OBのA新聞Hデスクとしていましたが、この大会の位置づけを推測すると、そこまではしなかったようです。その辺の事情は記事にする予定です。
 準決勝以後は欠場すると聞いていたので、予選のレース後にK通信I記者と一緒に取材をさせてもらいました。今日のレースや課題の新スタートのこと以外にも、福島千里選手とのエピソードなども話を聞くことができたので、将来的に記事に反映させられることができると思います。

 女子200 mの後は走高跳優勝の高張広海選手を取材。この写真はもしかしたら200 mの前だったかもしれませんが、静岡国際の記事で紹介した高張選手の“バーに背中を見せた集中法”です。
 女子走高跳は三村有希選手が1m81の自己新で優勝。このところレベルが上がってこない種目で、学生の1m80台はいつ以来だろうと思って調べたら、2006年日本インカレの松本明日美選手以来でした。松本選手はそのとき4年生。安定して1m80以上を跳ぶ学生(高校生)選手は岩切麻衣湖選手が最後だったような気がします。
 そういう意味でも三村選手には期待がかかるわけです。取材では元走高跳選手の朝日新聞・酒瀬川記者が一緒だったこともあり、助走の課題について突っ込んで聞くことができました(こちらに記事表彰の写真も華やかです)。

 男子走幅跳には注目していました。関東インカレの上位選手は出ませんが、4月に7m70台を跳んでいる福岡大勢(下野伸一郎選手と古瀬智也選手)が出ていましたし、タレントが揃った今年の1年生から4〜5人エントリーしていましたから。
 優勝は古瀬選手。優勝記録こそ7m43と今ひとつでしたが、昨年まで7m52がベストで、日本インカレに出場したことのない選手ですから(全日中では3位)、今回のタイトルは評価すべきです。
 古瀬選手は今季の躍進の理由として「最終学年で今まで以上に冬期をしっかりやってきたこと」を挙げていました。実は高張選手の話の中にも、「最上級生として後輩たちを引っ張る気持ちが強くなることで、良い練習がつめたから」というコメントがありました。我々はともすると、新しい動きができるようになった、ということなどにスポットを当ててしまいがちになりますが、練習に対する姿勢が変われば結果は出るということでしょう(その結果で動きが変わることも多いと思いますが)。
 走幅跳では2位の石見源太郎選手(明学大4年)にも取材。関東インカレ2部の優勝者で、今大会は地方勢や関東の2部勢が上位に来る傾向が見られたので、話を聞いておきたいと思いました。記事にはならないと思うけど、と前置きをしてから話を聞かせてもらいました。
 聞けば名門の都立駒場出身で、高校時代に7m32を跳んでいる選手。体育の専攻できる大学に受からずに一浪して明学大に入り、ベスト記録は昨年の7m51。100 mは11秒00でそこまでスピードのあるタイプではありませんが、踏み切り前の減速が少なく、速い跳びだしができる選手のようです。見た目にも、低い弾道で跳びだしていきますが、「今のスピードを落とさず、跳び出しの高さを上げていければ」という方向で頑張っているとのこと。
 今年は間に合いませんでしが、「標準記録を跳んで来年の日本選手権に出たい。卒業後も競技を続けたい」と話していました。

 古瀬選手の話の中で、4位だった下野選手が1年生と聞いてちょっとビックリ。4月の福岡大競技会で7m76を跳んだことは知っていましたが、ゴールデンエイジの一員とは知りませんでした。昨年のインターハイも国体も入賞していない選手。昨年の記録は7m23で高校リストの21位。
 こちらの下調べが甘かったのも事実ですが、プログラムに学年が記載されていれば、田中裕丸選手(日大)や小西康道選手(東海大)、日浦誠治選手(東海大)との対決という視点で観戦することもできました。
 関東インカレは学年が記載されていますが、日本インカレは記載されていません。専門誌の成績も、それに影響されて日本インカレには学年が入りません。日本学連主催試合は、関東インカレや箱根駅伝と違って何回でも出られるから学年は気にしないのかもしれませんが、観戦を面白くするには学年を入れた方が良いに決まっています。スタンドはこんな感じ(記者席からの写真でスタンドそのものではありませんが)で、観客のことを考えなくてもいいと言われればそれまでですが。

 帰りは中野カメラマンの車で平塚まで送ってもらい(感謝!)、小田急に乗り換える藤沢駅で原稿を書きました。


◆2009年6月14日(日)
 日本学生個人選手権の3日目に。
 会場に着くとすぐに平成国際大・清田監督と立命大・杉本コーチと雑談取材。目当ての種目よりも少し早く到着していたので、“人と話すチャンス”を優先しました。こういうときの話の中から、将来、突っ込むことのできるネタを仕入れることも多々あります。
 今日でいうなら……男子800 mの関西学生記録を笹野浩志選手、1500mを田子康宏選手(中国電力)が持っているという話でしょうか。長期政権(長く記録が残ること)になりそうな雰囲気もありますが、「それではいけないのです」と杉本コーチ。
800m 1'49"39 笹野 浩志 立命館大 2001
1500m 3'41"39 田子 康宏 立命館大 2005

 1500mはちょっと大変そうですが、800mの1分49秒台中盤はそこまで難しくありません。というか、“関西はスピードを追求できる”のが特徴……って、それは長距離か。それはともかく、今日の800m決勝にも関西の選手が3人残っていましたから。

 男子砲丸投は織田記念で日本人5人目の18mプッターとなった山田壮太郎選手が17m52で、2位に1m71差の圧勝。表彰式の際に話を聞くことができました。「グライドで蹴らない」というところを突っ込ませてもらいました。こちらに記事にしました。
 男子棒高跳はユニバー代表の荻田大樹選手が欠場し、もう1人のユニバー代表の鈴木崇文選手が5m20で優勝。今日の話よりも、先月の関東インカレのときの話で、こちらの理解が追いつかなかった部分を突っ込ませてもらいました。山田選手もそうでしたが、記者の数が少ない大会はそういった話がしやすくなります。
 女子走幅跳は佐藤芳美選手が優勝。佐藤選手の跳躍を見ていて、踏み切り前の“さばき”の歩数が多いことに気づきました。ちょうど陸マガ7月号用の取材で先輩の桝見咲智子選手(九電工)から、さばきが6歩だと聞いていたので、佐藤選手に確認すると「7歩」だと言います。以前は6歩だったものを、今季から7歩に変えているということでした。
 ユニバー代表で出場したのは昨日の走高跳・高張選手と鈴木選手の東海大勢と、女子走幅跳の佐藤選手の跳躍3人と、女子短距離の高橋萌木子選手の4人。跳躍3選手がきっちりと勝つあたりはさすがです。

 男子800mは実績から判断して服部直選手(東海大)の優勝を予想していましたが、途中(400 mよりも前だったような)で先頭に立った法大の選手が最後まで逃げ切りました。誰かと思えば勝俣章博選手でした。3年前のインターハイ400 mチャンピオン。話を聞きに行きたかったのですが、何かと重なって行けませんでした。
 調べると関東インカレも400 mと800mに出ています(ともに予選落ち)。今後の動向が注目されますね。

 女子100 mHは城下麗奈選手が13秒42で優勝。茂木智子選手と池田久美子選手(ともに福島大)が持つ13秒38の学生記録には0.04秒差。歴代3位は川上小百合選手が2002年に出した13秒41ですが、川上選手は当時筑波大の大学院生。関東学連は院生の記録を別立てにしているので、これまでの記録は藤田あゆみ選手(日体大)と石野真美選手(日女体大)が持つ13秒44。“5年目”の選手ですが城下選手の13秒42が関東学生記録となりました。
 この辺はしっかりと学連の先生方にも確認してから、取材をしました。記事はこちらに。
 今大会を取材していて思ったのは、各地区の学生記録一覧表をプログラムに載せて欲しいということ。こちらの記事にも書いたように、これだけ地方勢の活躍が多ければ、地区の学生記録も出ている可能性があります。昨日は男子ハンマー投の田中透選手(鹿屋体大)の64m06が九州学生記録かな、と思って調べたら29cm足りなかったのですが、記録を見て思いつくケースは少数です。知らないうちに出ていた地区学生記録もあったのではないでしょうか。
 リザルツに記載するのは色々な事情があって難しいようですが、できれば障害を乗り越えて実施してほしいところ。その方が大会が盛り上がります。

 競技終了後は各大学の指導者たちと話をする好機です(雑誌記者の特権?)。福岡大・片峯隆先生には走幅跳で躍進している理由を取材しましたが、閉会式の時間になってしまいちょっと時間不足。でも、下野選手のネタは入手できたので、機会があれば記事に生かすこともできるでしょう。
 某大学の投てき指導者とは、山田選手の“蹴らないグライド”について話をすることができ、貴重な意見をもらいました。
 筑波大・尾縣貢先生には学連強化委員長の立場で、地方勢の活躍についてコメントしていただきました。当然、関東のトップ選手不参加という背景もあります。答えにくい話題だったと思いますが、変に組織の体裁に拘泥されず、問題点と良かった点の双方を話してくれました。
 ユニバーシアードの代表選考のときも、枠や選考時期の問題など、答えづらいだろうな、と思われる質問にも丁寧に答えていただいています。組織のトップが丁寧だと、記者の側も組織側の考えや立場をトレースしやすくなります。横柄な態度の組織幹部もたまに見かけますが、そういう人物はスポークスマンの役割を果たせていません。


◆2009年6月19日(金)
 先週購入した椅子が到着。これがそのHARAチェア・ヘレン。背面と座面がともに2つに割れているのが特徴です。
 が、座った途端にちょっとした違和感。先週、村内ファニチャーで座ったときの感触とは違います。窮屈すぎるのです。座面の前後の長さが短いような気がします。そこが合うと思って購入したのですが。
 でも、この違和感は高さや、背もたれの位置と角度を調整することで、なんとか解消しました。
 問題は、長時間(20〜30)座っていると、腰と臀部にかなり来ることです。背筋の伸びた姿勢は保てるようですし、そのためには自身の筋力(?)が必要ということなのだと思います。
 何年もかけて検討して購入したのに、結局そこか。
 陸上競技も同じで、良い姿勢とか、良い動きをするには筋力や体力が必要ですよね。

 結局、これまで使用していた椅子と併用することに。
 スペース的にデスクの前に椅子を2つ並べて置くことはできないので、ソファの前に置いていたテーブル(調整機能がついていて高さを上下させることができます)をデスクと平行に置き、そこに以前の椅子を置きました(この写真の手前がメインデスクで前方が以前の椅子)。サブPC(富士通製)をそこに置き、疲れたらデスクトップPCからメモリーカードを抜いて以前の椅子に移動する、という方法をとろうかと思っています。
 非効率的なことをやるようですが、気分転換になっていいかもしれない、と思うようにしています。


◆2009年6月20日(土)
 今週末は試合の取材は行かず(インターハイ南北関東予選とか全日本大学駅伝関東選考会とか考えましたが)、ネットで各地区インターハイの結果をチェックしています。日本選手権特設サイトも頑張らないといけませんし。

 昼過ぎには隣駅の多摩センターのHISに。世界選手権までもう2カ月を切りましたし、ベルリンまでの航空券を購入するためです。
 事前にネットで現在の相場をチェック。4年前のヘルシンキの頃と比べると、7〜8万円くらい安くなっていますね。こちらの台所事情を考えたら、そのくらい安くなっていてもらわないと困るのですが。
 HISに足を運ぶのは、やっぱり、人間が直接紹介してくれる情報を大事にしたいからです。実際のシステムは同じなのかもしれませんが。
 しかし、一番安いSAS(スカンジナビア航空。コペンハーゲン経由)で7000〜8000円くらい高かったので、ネットの方で購入することに。

 昨日、届いた椅子はネット(楽天)で調べた価格と、村内ファニチャーの価格が同じ4万9800円でした。楽天ポイントがつくことを考えたらネットで買う方が得です。でも、ムラウチで購入しました。実際に座って、座り心地をチェックできるかどうかが重要ですから、それを可能にしてくれた実世界の家具屋さんに感謝の気持ちを表したつもりです。
 自分の身につけるもの、自分の体に直接触れるものは、実際に見たり触ったりして選びます。航空券は、まあ、違いますよね。

 作業部屋に戻って地区インターハイの記録をチェック。女子円盤投の高校歴代3位や、男子棒高跳の5m10、男子400 mHの50秒83と好記録が出ています。1990年代に比べてレベルが下がっているのは確かですが、なんだかんだで盛り上がるのがインターハイです。


◆2009年6月23日(火)
 昼過ぎに富士通の寮で森岡紘一朗選手の取材。
 最寄りのS駅に着いてトイレに行くと、村上康則選手とばったり出くわしました。日本選手権特設サイトの優勝者予想を、誰にするかさんざん迷った種目です。迷った理由は渡辺和也選手がケガをしたことと、村上選手が脚に不安が生じてゴールデンゲームズinのべおかを欠場していたこと。
 渡辺選手は疲労性のケガではなく、不注意によるケガだと聞いていましたから、回復は早いはず。村上選手の欠場も、“出られなかった”というよりも“大事をとった”のだと聞いていました。ただ、この手の話の“実際のところ”は、外部の人間は正確にわからないものです。
 いきなりだったので得意の“すれ違い取材”もできませんでしたが、聞けば治療(マッサージ?)に行くところでした。ケガは大丈夫? と聞くと「大丈夫です」という力強い口調で答えてくれました。

 富士通の寮は通常のマンション。周囲は完全な住宅街ですので、いつも道に迷います。2月の藤田敦史選手取材の時もそうでした。今日も迷ってしまって今村文男コーチに“助けてコール”をしました。地図とかプリントアウトして行けばいいのですが、国内だからなんとかなる、という油断があるのかもしれません(神奈川大の寮に行くときも必ず迷います)。

 藤田選手の時と同じ応接室(会議室)での取材。
 入ってカメラの準備などをしていると、廊下から川崎真裕美選手が声を掛けてくれました。森岡選手も川崎選手も、スペイン遠征から帰国した翌日。川崎選手のブログで「ラコルーニャ日記」を読んだのが数時間前という印象(実際はもう少し前でしょうけど)だったので、ちょっとビックリ。
 ラコルーニャ日記にトップレスビーチの写真が載っていました。人物は相当に小さくて(1〜3ミリくらい)トップレスということまでわかりませんが、拡大表示されるかなと期待してクリックしました。別ウインドウ表示にはなりましたが、ほんの少ししか拡大されません。きっと、同じことをした男性読者は多かったはずです。
 という話をしようと思いましたが、口に出そうになったところでグッと我慢。若い女子選手に対してその手の話は控えないといけません。ちょっと、変な間が生じてしまいました。

 森岡紘一朗選手への取材は上手くできたと思います。
 競歩界ではフォームが綺麗な選手、という評価を得ている選手です。その部分を縦軸に話を進めていきましたが、森岡選手の場合、地元インターハイでの失格はあるものの、元からフォームの欠点は少なかった選手です。そこを矯正するためにこういう段階を追ってきた、という流れにするよりも、ストレートに成長過程を紹介する方が面白いかな、という印象です。
 もちろん、フォームは競歩にとって重要な要素ですので、そこを話の中心にすることもできます。陸マガで短めの記事(インタビュー形式かも)、寺田のサイトでちょっと長めの記事にする予定です。
 記事とは関係ない話ですが、マニアックなネタを1つ。
 森岡選手が長距離から競歩に転向したのは諫早高2年のとき。という話は有名ですが、てっきり、同高の松元先生から転向を薦められたのだと思っていました。故障のリハビリ・トレーニングとして競歩をしていたら、良い動きをしていたとか、インターハイの対校得点を考えて競歩選手を育成したかったとか、そういった理由で顧問の先生が競歩転向を指示することが多いからです。
 ところが、今日、話を聞いていたら、森岡選手自身から転向を申し出たと言います。
 1学年上の男子の先輩と、2学年上の女子の先輩が競歩をやっていて、インターハイと国体でともに入賞しています。それを見ていたのが直接のきっかけとのこと。その2人の先輩は、小坂忠広競歩部長が、長崎県で講習をしたときに受講していたそうです。長崎県に競歩の拠点校や指導者が不在で、地元インターハイに向けて強化をするために、小坂部長に依頼をしたようです。
 松元先生も小阪部長も順大OB。そういったつながりで森岡選手が競歩を始め、順大に進学します。そして森岡選手が順大1年時の2004年に、今村コーチが現役を退き、富士通と順大で競歩の指導を本格的に始めました。今村コーチも順大の大学院で学んでいます。
 競歩界が力を合わせていることの一例かもしれませんが、ここまでつながっているのは“人の縁”が力となっていることを感じます。

 インタビュー後は今村コーチと大利久美選手が練習に行くところだったので、外の駐車場まで出てもらって少し写真を撮影。同期の大利選手が話していたことは、ここでは書けません。


◆2009年6月24日(水)
 日本選手権前日。今日中に広島に移動します。気分がちょっとハイになってきています。
 が、昨日取材した森岡紘一朗選手の原稿を書き上げないといけません。日記を書いていたらもう12時。記事のプロットは昨日、かなりの時間をかけて考えてありますので、夕方までに森岡選手の記事を書けるかな、と思っています。
 広島に移動する新幹線で、日本選手権1日目の展望記事を書く予定ですが、森岡選手の記事を書くのがずれ込んだら苦しくなります。


◆2009年7月3日(金)
 日本選手権が終わってもう、週末になってしまいました。日記も日本選手権が始まった先週の木曜日から中断してしまっています。できれば、日本選手権初日のネタから振り返りたいところです。日本選手権の4日間と、翌日(月曜日)の代表発表の取材。そして、広島から松山に行ったこと等々。しかし、それらを丁寧に書こうとすると、いつものように身構えてしまって、なかなか取りかかれません。やはり日記は、その日のうちに(遅くとも翌日には)、パパッと書くのがスムーズです。
 ということで、日本選手権と初の愛媛上陸ネタは追々、思い出すきっかけがあったら(ネタに困ったら?)触れていこうと思います。吉田文代選手の写真も載せないと。

 ということで、今日のネタです。13:30に品川のホテルのラウンジで、朝原宣治さんの取材でした。媒体はコーチングクリニックで、テーマは「集中力を高める」。これは、雑誌の巻頭特集で、朝原さん以外にも何人かを同じテーマで取材して紹介していくようです(寺田が担当するのは朝原さんだけ)。
 実は「肉体マネジメント」(幻冬舎)でも、集中力について集中的に書いています(第6章)。100 mのスタートとスナッチが“集中の仕方”が似ていること、じーっと自分の中に入り込んでいく集中が苦手なこと(動きを伴いながらの方が集中しやすい)、レース当日の自身の行動や会場の雰囲気をシミュレーションしておくと集中しやすい等々。
 肉体マネジメントの話ともある程度は重複しましたが、今日はもう少し突っ込んだ話を……と書くと、肉体マネジメントの方が“深くない”という印象を与えてしまうので、よくないですね。確かに、一般の人たちにわかりやすいように心掛けて書いたので、そうとも言えるのかもしれませんが。
 良い言葉を思いつきました。肉体マネジメントの方が抽象的なのです。朝原さんの“集中することについての考え方”と言っていいかもしれません。一般の人には抽象的な方がわかりやすい。
 その点、今度のメディアは現場の指導者向け。題材は同じでも、より具体的なところの話を聞きました。どのレースでどう成功して、どのレースでどう失敗したか。具体的に、練習中にどんなことをやっているのか。また、集中力の高め方を指導することが可能なのか。それなりに突っ込めたと思います。

 取材とは関係のない話題では、日曜日の深夜に放映されたゴールデンリーグ・ベルリン大会の解説について、少し話を聞きました。安藤あや菜レポーターの“ムチャ振り”に味のある対応をしていた朝原さんですが、事前に「振りますから」とは聞かされていたそうですが、「このことを振るから」と具体的には教えてもらっていなくて、その場のアドリブだったそうです。あの手のことができるのはやはり、気持ちの余裕でしょうか。
 その他には、エージェントの話をしました。


◆2009年7月4日(土)
 11時のANA便で札幌入り。
 ホテルは大会本部ホテルのすぐ近く。ちょっと早くに着いて、サイトを更新しようと思っていたのですが、ネットへの接続ができませんでした。
 原因がわかって、こんなことで30分も時間を無駄にしたのかと思うと、ホテルに対する怒りが爆発しそうになりました。が、ここは抑えないと。
 これから札幌国際ハーフマラソンの前日会見です。予習もばっちり。

◆2009年7月4日(土)−2
 16時から札幌国際ハーフマラソンの前日会見。出席者は男子が世界選手権マラソン代表の2人と、3連勝がかかるモグス選手。会見の様子はこちらに記事にしました。
 佐藤敦之選手の「63分で押す」という部分は、本人も話しているように前半の下りはもう少し速くなるという意味ですが、それ以上のペースになったらついていかないかもしれません。スピードがバリバリだった2年前とは違うのはわかりますが、5月に話を聞いたときの練習内容では、スピード系もやっているはずなので、練習の進み具合に狂いが生じているのかもしれません。
 藤原選手の「ライバルは左側にいる方です」発言には「藤原君には負けたくない」と応じました。もしかすると“藤原”という名前の選手に対抗意識が強いのかもしれません。
 女子の会見の様子はこちらに記事にしました。渋井陽子選手のケガの状況をもう少しはっきりさせたいと感じたので、会見後に渡辺重治監督をつかまえようと思って急いで会場の外に出ると、渋井選手のカコミ取材が始まっていました。「明日のペースは走り出してみないとわからない」とのこと。ケガの状況は「普通に走れていますが、突っ張ったり、引っ掛かったりが、体の中である」ということです。これは、自身の体に細かく神経を行き届けている渋井選手だから言えることなのかもしれません。
 会見中に「土佐礼子選手に謝りたい」というコメントがありました。
「あの人は故障するまでやっちゃうほど壮絶ですが、私には無理です。(謝りたいと言ったのは)、私もたまには故障したいな、みたいな発言をしていました。さすがに、先輩が故障中にそれを言うことはありませんでしたが、申し訳なかったな、と思いました」

 その後はロビーとかその近辺で場所を見つけて原稿書き。
 渡辺監督の姿を見つけたので、江藤佑香子選手の状態をお聞きしました。東日本実業団の5000m&1万m2種目の日本選手トップ。2度目のハーフマラソンですが、ひょっとすると大化けする可能性もあります。3日間ほど練習が中断したようですが、とにかくトップについて行くと言います。
 大平美樹選手や小崎まり選手も、取材をしたわけではありませんが、すれ違いざまに1時間10分を切りたいと話してくれました(小崎選手は1時間10分くらいのペースならついて行く、というニュアンス)。

 今大会には藤原選手と藤永佳子選手という、諫早高の同級生コンビが出場します。ツーショット写真を撮りたいな、と思い、朝日新聞九州の増田記者とも話していたのですが、会見のフォトセッションは男子の3人、男女の6人、女子の3人という感じでキッチリ進んだため、2人だけちょっとこちらでお願いします、と誘導することができませんでした。
 ラッキーなことに、歓迎パーティーのような集いがあり、報道陣は入れないのですが、会場から出てきたところで2人が一緒にいたので、明日撮らせてほしいと依頼できました。といっても、チャンスがあれば、ということになりますが。

 会場では、先週の日本選手権の余韻も感じられました。特に世界選手権の選考で、代表の追加があるかないか、ということが話題に。特に日本選手権1位選手や代表に次いで2位の選手が、A標準を切ったら追加されるのでは? という話が、指導者からも聞かれました。日本選手権でそう話していた選手もいます。
 しかし、今日陸連幹部に確認したところ、「それはない」と明言していました。明文化されてはいませんが、何度もそう発表しているとのこと。日本新や国際的にハイレベルの記録を出したら、と記者たちはついつい考えてしまいますが、そんな夢のような話をしても仕方がない、というのが陸連の考え方です。
 確かに、日本選手権で負けた選手、日本選手権までにA標準を切れなかった選手に、そこまで期待はできないというのが実際のところでしょう。


◆2009年7月5日(日)
 札幌国際ハーフマラソンの取材でした。
 地下鉄の円山公園駅まで地下鉄で行き、駅からはバス。歩いても15〜20分で着くのですが、体力を温存するために初めてバスを使いました。
 スタートの1時間ちょっと前に到着。積水化学前監督の深山さんの姿を久しぶりにお見かけしました。佐倉アスリート倶楽部のスタッフになり、再び恩師の小出氏の元で活動されるとのこと。
 スタート前は各指導者に話を聞いて回るのが慣例になっていますが、今日は雨が降り出したこともあって、若干、足が止まっていました。N紙S記者や、T紙I記者は精力的に動き回っていましたが、寺田はO氏(A新聞事業部)のスーツの仕立ての良さがわかったことが、最大の収穫でした。O氏は今大会に、海外からの外国人選手が来なくなっていることを指摘し、「(フル)マラソンも将来、そうなるかもしれない」と懸念をしていました。自身も頑張らないといけない、という意思表示だったかも。

 レースはフィニッシュ地点脇のプレスルームでテレビ取材。札幌国際ハーフマラソンのコースは最初の下りと、最後の上りが特徴です。高低図で数字だけはわかるのですが(4kmで30m下る)、一度、実物を見ておきたいコースですね。
 レースは1時間ちょっとで終わるので、いつものマラソン取材とはまったく違う感覚です。それに加えて男女同時スタートで、画面も男女が切り替わりますから、集中もしにくい。男女混合テレビ中継で、それぞれのレースにいかに集中して観戦するか。今後の陸上界の課題でしょう。一番の解決法は、以前の国際千葉駅伝がやっていた時差スタート、別時間枠での放映なのですが。

 レース後はコメント取り取材。男女の優勝者と世界選手権マラソン代表5人は、公式会見が設定されています。それ以外の選手はレース直後につかまえないといけません。
 男子はまず、注目している三津谷祐選手に話を聞きました。来冬のマラソン出場を見据え、今季前半は練習代わりに小さな大会に出ることはあっても、大きなトラックレース出場は控えてきました。
 ただ、「夏のハーフマラソンは走りたい」と話していました。その割には中途半端な結果です。本人の中でもうまく整理できていないのか、こうだからこうなった、という話はありませんでした。
 続いて三井住友海上の渡辺重治監督に、渋井選手について話を聞きました(こちらの記事中で紹介しました)。続いて、これも注目させてもらっていた江藤佑香子選手のコメントも取材。しかし、ちょっと話したところで公式会見が始まりそうだったので、中断せざるを得ませんでした。
 できれば、女子の日本人2位の佐伯由香里選手、男子の日本人2位の高橋謙介選手にも話を聞きたかったところですが、仕方ありません。

 公式会見は佐藤敦之選手、藤原新選手、渋井陽子選手、中村友梨香選手、ゲディオン選手、加納由理選手、藤永佳子選手の順で行われました。この大会は会見に呼んでくれる人数が多いので助かっています。さらに、記者たちはフィニッシュ直後から雪崩を打って取材に入っていますし、男女選手が入り乱れて(比喩です)フィニッシュしてくるので、記録を確認することができません。記録を知りたいと要望を出したら、すぐに対応してくれたのはありがたかったです(会見場にもリザルツが置いてあるといいのですが)。
 渋井選手は記録を聞いてのけぞり、絶句してしまいましたが、表情はずっと笑顔のまま。記事にも書きましたが、はたから見ると世界選手権本番に間に合うのか懸念される結果ですが、なんとかできる感触もあるのでしょう。渡辺重治監督のコメントにある「練習をやっているなかでの今の状態だから」という部分に、光明を見出せるような気もします。
 藤原選手も記録から見ると最悪の結果ですが、本人は大丈夫だと感じているようです(選手心理として今の時期に、ダメだと考えることなどできないのですが)。会見でも、理論派の藤原選手らしいコメントが出ていました。理論派というよりも、マラソンを技術種目ととらえる部分でしょうか。フルマラソン・チャレンジbook 2009で記事にした内容とも関連しているような気がします。時間があったら紹介します。
 ゲディオン選手はケニアの1万m選考会から短いインターバルで出場しました。「ふくらはぎに痛みがありキャンセルすることも考えたが、ヘッドコーチ(工藤一良コーチ?)から最善を尽くそうと言われて、参加する決心ができた」と話していました。
 寺田が気になっていたのは、マサイ族がゲディオン選手に触発され、長距離を始める傾向が生じているかどうかという点(活躍しているケニア選手のほとんどが、カレンジン族とキクユ族)。
「マサイ族も走ることは速いし、何人かは競技をしていますが、マサイ族はトレーニングをすることを怖がっているのです」
 言葉の問題で正確なコミュニケーションができないのですが、おそらく、次のような意味ではないでしょうか。マサイ族も素質はあるが、トレーニングをする伝統や環境が整っていないと。朝日新聞発刊の「ケニア」を読むと、カレンジン族でも“伝統”が走ることの大きなモチベーションになっていますし、欧米メーカーや代理人経営のキャンプが、大きな存在になっています。

 会見終了後に競技場の外側を見ると、第一生命の選手がいます。今大会には野尻あずさ選手しか出場していないはず。距離スキー出身の異色選手であることを、スタート前にO氏から聞いていたので、このチャンスを逃してなるものかとばかりに取材をさせてもらいました。
 聞けば中学時代にはスキーをやりながらも、陸上競技でも全日中とジュニアオリンピックの1500mで5位に入っているのだそうです。スキーでもインカレ優勝やワールドカップ代表の肩書きを持つトップ選手。色々な縁があって昨年8月に第一生命に入社しました。市民ランナー的に走ってもいたと言いますが、いきなり駅伝メンバーに入ってきたのですから、元々スピードのある選手なのだと思います。
 スタート前にO氏と話をしてなければ取材はしなかったわけですから、寺田の方でも人の縁を感じた取材でしたし、ラッキーでした。

 さらに幸運が重なりました。プレスルームで原稿を書いていると、佐伯選手がトラックをゆっくりとジョッグしています。プレスルームがトラックに面しているのが幸いしました。ドーピング検査の対象に指名されたのに、なかなか出ない状況だったみたいです。居残っていた数人の記者たちとともにカコミ取材になりました。
 北海道陸協のドーピング担当の方も、ダメとは言わずに見守っていてくれました。これも幸運でした。融通のきかない陸協だと、取材はダメと言うところもあります。役員さえ側についていれば、問題ないと思うのですが。
 世界選手権代表を決めた日本選手権のとき、佐伯選手は取材することができませんでした。寺田の今回の札幌取材は、どこかのメディアに記事を書くためのものではなく、世界選手権に向けたネタ収集が一番の目的です。ここを逃すとマラソン勢の話を聞くチャンスは、本番直前の公式会見までありません。
 最後に野尻選手、佐伯選手と取材ができたのは、本当に幸運に恵まれました。札幌まで来た甲斐がありましたね。


ここが最新です
◆2009年7月6日(月)
 昨日からの幸運が今日も続いてくれました。
 ある人と打ち合わせをするため、朝の9:30に大会本部ホテルのロビーに。ラッキーなことに打ち合わせが終わったタイミングで、高橋謙介選手が佐藤敏信監督たちとロビーに降りてきました。昨日、話が聞きたかったけど聞けなかった選手です。ホテルの外に出てもらって、中日新聞・桑原記者と一緒に5分間ほど取材をさせていただきました。
 高橋選手は世界選手権マラソンの補欠ですが、今年は「6人で戦う」(陸連幹部)という扱いで、補欠選手もベルリンに同行します。それでも、気持ちやピークの持って行き方など、難しいのは確かです。
「9月20日のベルリン・マラソンに向けて体をしっかりと作っています。世界選手権に出ることになっても、2週間あれば大丈夫です。出られたら、入賞ラインを目指してやります。日本人トップも上手くいけば可能だと思っています」
 2週間もかかるのなら、直前の選手変更には対応できないじゃないか、と言われそうですが、少しでも不安のある選手は最終決断でなくても、2週間前には何かしらの意思表示をしないといけない、という申し合わせをしているのかもしれません。

 13:30のANA便で東京に。羽田空港のタリーズで2時間ほど仕事。
 羽田からは京急の特急で川崎に出て南武線に乗り換え、稲田堤で京王相模原線に。川崎ではソフマップでノートPCを見て回りました。日本選手権前に買うことはできず、広島には重さ2kgちょっとPCを予備として持っていきましたが、さすがに重かったですね。世界選手権前には購入予定です。

 いったん自宅に戻って荷物を置いてから作業部屋に。
 某広告代理店の美人プランナーからメールが来ていました。国際千葉駅伝などでお世話になった方です。メールを見てびっくりしたのですが、先日亡くなられた永田七恵さんが高校時代の恩師だということです。永田さんがエスビー食品に入る前に、岩手県で教師をやられていた頃のことですね。

佐々木七恵さんの訃報、残念でした。
実は私の高校の先生だったのです。
もちろん体育の先生で、授業が終わると、
「じゃ、私はちょっと走ってくるから」と
20km走りに行ったりされていました。
明るくて、とても親しみやすい先生で、
個人的な悩み事の相談にものってもらったりしました。
いい先生でした。
まだ若いのに、本当に残念に思います。
ご冥福をお祈りしたいです。


 同じように感じている方は多いようで、知っている方に話を聞くと気さくな方だったと異口同音に言われます。
 寺田は取材させてもらったことはないのですが、永田さんと増田明美さんをセットで本を書きたいと、陸マガから独立した頃から考えていました。出版社が見つからなくて断念しましたが、増田さんにはその旨のお願いしたこともありました。女子マラソン隆盛の今だからこそ(社会的にも)、草創期の大変さをしっかりと世に残しておくことは必要だと思っていましたし、今の視点だから面白いことも多々あるのではないかと。
 それももう、できなくなってしまいました。

 22時から2時間半ほど、明日のセカンドウィンドAC取材の予習。真鍋裕子選手の取材が初めてなので、念入りに調べました。


寺田的陸上競技WEBトップ


ベビーマッサージならPRECIOUS(東京都府中市)
楽天の陸上競技関連商品


昔の日記
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月