続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2005年8月 バルト海の乙女、東洋の真珠
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◆7月17日(日)
昨日、KLMオランダ航空の入金期限となってしまいました。スイス航空とフィンランド航空のキャンセル待ちは結局ダメ。泣く泣く○○万円をHISに支払いに行きました。KLMって、エールフランスと合併しましたよね。心配だなあ、オーバー重量チャージが。また、7万円とか8万円とか、取られたらどうしよう。どうしようもないのですが。オフシーズンだったら大韓航空でロンドンまで往復できる値段です。行きは成田空港だから大丈夫として、問題は帰りですね。
帰国予定は8月16日現地発、17日の成田着。日記の文字がにじんでいたなら、わかってください……って、わかりますよね、何の曲か。因幡晃です。
今日は、昨日提出した原稿の修正作業もしましたが、あとはひたすら、資料づくりの一日。本当は今日中に終わらせないといけなかったのですが、少しこぼれてしまいました。
◆7月18日(月)
今日は33行原稿を1本。テレビ雑誌向けの世界選手権マラソン展望原稿です。コンパクトにまとめるのも、けっこう大変です。でも、14時頃には書き上げ、あとはひたすら資料づくり。やっていて、色々な発見もあり、面白い仕事です。でも、きついですよ。集中できると思ったより捗りますが、集中できないとペースがガタガタになる。なんとか昨日締め切り分を、夜中に送信。
最近また、色々とメールをいただくのですが、対応がなかなかできません。依頼のあったサイトへのリンク作業も、手つかず状態です。
◆7月19日(火)
資料づくりの作業が一段落しましたが、締め切りはまだまだ続きます。ですけど、半日はリラックス状態に。ちょっと持たない感じがしたので。
今日明日で、やはりテレビ雑誌向けに、世界選手権の展望原稿を仕上げないといけません。91行で第1回大会からを振り返る原稿が1本。それと今年の見どころを7本、少ない文字数ですけど紹介するコラムです。
しかし、第1回大会からの歴史を91行で振り返るというのは、かなり難しい作業です。ただ単に、主だった記録や話題を羅列するだけでは読み物として面白くありません。それなりに、テーマを持たせたい。そこで寺田が考えたのが、オリンピックとの連続性を考慮すること。つまり、第1回大会で3冠だったカール・ルイスが、翌年のロス五輪では4冠を取った、という類の話です。
ルイスでいえば、83〜88年あたりまでは、走幅跳は6回跳ばなかった。でも、パウエルが台頭した91年東京世界選手権あたりから、6回全部跳ぶようになったとか長期的な視野での変化も面白いですよね。話題をぽつんぽつん、とピックアップするより、連続性をもって概観する。そういう見方をしてもらえたら、陸上競技ファンが増えるかな、と思ったのですが、残念ながらルイスの走幅跳ネタは文字数の関係で、書き切れませんでした。
社会的な背景にも言及すべきだと思いました。80年のモスクワ五輪は西側が、84年ロス五輪は共産圏がボイコットしました。政治に左右されない世界一決定戦という性格も、それが開催理由であったかどうかは別として、世界選手権には期待されていたことだと思います。そういった東西冷戦まっただ中に始まった世界選手権ですが、90年にベルリンの壁が崩壊し、91年の東京大会では統一ドイツとして参加。クラッベの女子短距離2冠が象徴的でした。薄暮のなかに立つクラッベの写真は綺麗でしたね。よく覚えています。
一応、そういった社会的な背景は書き込みましたが、約130行と大幅に文字数オーバーとなりました。それでも、自分では頑張って削った結果です。いつもなら、削除する作業も自分で責任を持ってやりますが、今回だけは、どうしようもできません。自分ではもう、削れなくなってしまいました。仕方がないので、編集者に任せました。どうなって誌面に出るのかは、わかりません。
◆7月20日(水)
陸連短距離合宿の公開練習を取材。場所は、例年と同じ富士北麓公園陸上競技です。久しぶりの3時間睡眠で早朝起床。7:30新宿発のあずさで富士吉田に向かいました。自由席は満席でしたが、立川でなんとか座ることができ、大月からの富士急車内も合わせて、テレビ雑誌の世界選手権展望原稿も少し進みました。
練習中は話を聞くことができませんから、今日は一眼レフ・デジカメを持参してカメラマンに。別に意図して撮ったわけではありませんが、選手同士や選手と指導者の組み合わせが、共通点があったりして面白いと思ったので、このページ(陸連短距離合宿の“コンビ”6場面)をつくりました。末續&内藤のミズノ・コンビの写真を掲載しない理由は、まあ、寺田なりに気を遣ってのこと。なんでも載せればいい、というものではありません。何度でも書きますけど、節度というのも大事です。
代わりに内藤真人選手のネタを1つ紹介しましょう。
愛知県選手権は予選の13秒5台が最高だったと聞きました。今季はずっと、13秒5台が続いています。表面的なタイムは同じようなレベルでも、レース毎に気象条件など外的コンディションも違えば、選手内部のコンディションも違います。それでも記録が安定している。そういう状態のとき、きっかけさえあれば記録はポンと出ることもあります。内藤選手はそれを世界選手権でやるべく、走りとハードリングを、より研ぎ澄ます作業に入っているわけです。
そこで、練習中に内藤選手とすれ違ったとき寺田が、頭を細くするポーズをしました。それこそ知る人ぞ知る“タイ米”ポーズ。内藤選手の顔をテレビで見た為末大選手が、「タイ米に似ている」と言ったことを、内藤選手が教えてくれたことに由来するネタです。八王子のファミレスで取材をしている最中、ずっとそのネタで盛り上がったことがありました。
こちらの意図を察した内藤選手は「世界選手権ではもっと細くしますよ」と応じてくれました。ヘルシンキでは内藤選手の、研ぎ澄まされた顔の輪郭とハードリングに注目しましょう。
練習後に何人かは話を聞くことができたので、そちらも記事にしたいのですが、時間がありません。週末に書けるかどうか。
◆7月21日(木)
富士北麓のコンビ特集を見てくれたのか、F社のAマネからメールが。5月に娘さんが生まれたとのこと。さらに、以下のように続けています。
05年はお子さんラッシュです!
個人情報なのであまり大きい声では言えませんが、1月には中部の実業団の監督さん、うちのN選手、6月にはライバルでもあるN食品のマネ、K社のコーチ、7月はN自動車マネ。まもなくS食品のK選手、C電力のA選手も…とか?
プライベート情報ですけど、おめでたいことですから、公表しても問題ないでしょう。皆さん、結婚もされていますよね。Aマネのところはなんでも、ご自身と同じ誕生日とか。365分の1の確率ですが、その確率を大きくする方法もあります。特に陸上チーム関係者は、合宿とか多いですし……って、何のことかわかりますよね。
マスターズ関係の方からは、次のようなメールが。
24日から31日までカナダのエドモントンでワールドマスターズゲームズが開催されます。日本人もたくさん参加しますし、メダルもたくさんとれると思います。寺田さんのHPは、若い人だけでなく中高年の方々も多くご覧になっていますので、よろしければご紹介いただければと思います。また若い人たちも生涯スポーツとして陸上競技を続けるきっかけになればと願っています。
そういえば、先日紹介した小南佐知子さんのブログにも、エドモントン遠征の話題が出ていました。こちらが大会オフィシャルサイト、アルバータ陸協にも成績が掲載されるとのことです。
明日は沢野大地選手の共同会見と、公開練習があります。下調べをしていたら、面白いことに気づきました。なんとか記事にまとめて紹介したいのですが、本当は今日もデータ調べ第?弾の締め切りが……。やばい、朝の5時です。
◆7月22日(金)
朝の10:30から沢野大地選手の共同会見取材。場所は東京体育館第三会議室です。きっと、沢野選手の職場であるATHLETES' WAVEから近かったからなのでしょうが、なんで第一会議室にしなかったのか、という疑問がありました。午後の公開練習の際に、その点を広報の岩本節子さんに確認したら、第一会議室は大きさが広すぎるのだそうです。結果的に、第三会議室では手狭になるくらいの報道陣が詰めかけました。少し広めの第二会議室にしておけばよかった、と岩本さんは話していましたが、いずれは第一会議室でしょう。3年後、6mを跳んだときには(会見模様の記事参照)。
会見は最初に、早野部長、増谷監督、沢野選手、米倉照恭コーチからコメントがあり、その後に質疑応答。代表質問がないときはだいたい、K通信M記者やM新聞I記者が口火を切るのですが、今日は司会の方が質問を促したあと、少しの間がありました。そこで、珍しいケースですが、寺田が最初に手を挙げました。会見場が大きいとビビって質問などできないのですが、今日は部屋の大きさが幸いしましたね。昨日の日記に書いたように、今日の会見用に下調べをしていて、ちょっと面白いことに気づいていたのです。名付けて“沢野大地の好きなものシリーズ”。以下が、寺田の質問と沢野選手の回答です。
Q.好きな動物は?
沢野 鶴です。
Q.子供の頃好きだった夏休み中の行事は?
沢野 ラジオ体操第一でした。
Q.好きなハンバーガー屋は?
沢野 マックです。
Q.好きな方角は?
沢野 西です。
なんていうことが実際にあるはずがありませんが、野口順子さんが喜ぶかな、と思って書いてみました。本当のところは、会見模様の記事にしたとおり。最初の2つが、寺田が質問した内容です。この部分を元に、寺田が調べた資料と、公開練習後に取材できた内容も加え、「メダル? 入賞? 予選止まり? 沢野の可能性を検証」(仮タイトル)の記事を書く予定。そのとき、昨日の下調べで気づいたことも披露できるはず。問題は、書いている時間があるかどうか。
12時には新宿の作業部屋に戻り、本サイト用に会見記事の前半部分を書いて、食事もしっかりして、15時頃には日大グラウンドに。一昨日の富士北麓短距離合宿と同様、練習中はカメラマンに徹しました。かなりいい写真も撮れたので(例えばこの2点。跳躍&表情)、紹介したいのですが…。
◆7月23日(土)
昼食で外出した以外は、ひたすら仕事をしていました。主に資料調べ。地震があったのは外出中でした(何時に昼食?)。地震で1つ思い浮かんだことがあります。投てき種目で、選手が投げている最中や直後に地震が来て、そのせいでバランスを崩してファウルをしたらどうなるのか、ということ。跳躍種目も同じですね。ルールブックに出ていますか?
やり投や円盤投など、投てき物が滞空時に地震が来たら、記録が1cmくらい違ってこないでしょうか。それで勝敗が違ってくる可能性も、ゼロとは言い切れません。地震のため記録が伸びて、そのおかげで優勝することができ、それをきっかけにその選手が強くなったとしたら、地震で自信を得たことに……なんてことを考えているほど、閑ではありません。
深夜、TBSでゴールデンリーグの放映をしていました。ついつい見入ってしまって、仕事の進行が遅くなったような気がします。実況と解説はこの2人。中学時代に800 mをやっていたコンビです。たぶん、強かったのは佐藤アナの方。何度も書きますが、全日中800 m優勝者。箱根駅伝に色気を見せていなければ、中距離で大成した可能性もゼロではありません。が、種目選択は本人の意思が最優先されます。外野が何と言おうと、自分の走る種目は自分で決められる。どちらかというと、苅部俊二監督の方が、箱根駅伝を走っていれば大成していたかも……なんてことを考えているほど、閑ではありません。
佐藤アナが全日中800 m優勝者なら、昨日の沢野大地選手の会見に同席されたニシの早野忠昭氏は、インターハイの800 m優勝者。長崎の口加高出身。100%正確ではありませんが、筑波大を出た後、ボルダーでアシックスの仕事をされていました。帰国後にニシに入社され、この春からは常務取締役(マーケティング統括部長)。
沢野選手の会見に先立ち、ニシの競技者支援の方法と、商品戦略を説明されました。詳しく書いて間違えると問題になるので、その辺はヘルシンキできっちり話を聞いてからにしたいと思います。商品戦略に関しては、WEBサイトにも出ていますね。「ONとOFF」というコピーを使っています。OFFの時間も重要で、そのオフにも着られる商品だということをアピールしているのでしょう。沢野選手もウエアなどのモデルをしています。セカンドラインTシャツとハーフパンツの組み合わせは、気に入ったので今度、買おうかなと思っています。
◆7月24日(日)
今日は13:30から東大陸上競技研究会に顔を出させてもらいました。正式の学会ではなくて、研究者だったら研究途中のものでも発表できたり、選手だったら自身の感じていることをちょっと科学的に味付けして発表できる。フランクな研究発表の場です。
その研究会の理事長が他ならぬ三重の二枚目助教授、三重大の杉田先生です。月1回くらいのペースで開催されているのですが、いつも土日は取材と重なりますし、最近は地方での開催も多くて足を運べませんでした。今回は東京ですし、取材予定の試合もありません。締め切りが気になっている原稿はありましたが、今日行かなかったら不義理の誹りを免れません。棒高跳の研究発表もありました。沢野大地選手を取材する機会も多い昨今、興味を持って拝聴させていただきました。
新宿の作業部屋に戻って資料作製作業をやろうとしたら、ナイトオブアスレチックのニュースが、ネット上に出ていました。早狩実紀選手は3000mSC出場予定と聞いていたのですが、なぜか5000m。変更した事情は現地に行ってみたら種目がなくなっていた、という日本では信じられないような話です。にもかかわらず、5000mで15分11秒42の日本歴代4位&30歳代日本最高という好タイム。弘山晴美選手が98年に出した15分03秒67は、ぎりぎり29歳でした。
陸マガ8月号で早狩選手の記事を450行書かせていただきました。91年の東京世界選手権に3000mで出場した早狩選手ですが、選手権種目に3000mがなくなったとき、1500mと800
mの中距離を走るようになりました。駅伝では6kmとかの区間も走っていました。距離を伸ばす選択もあったと思うのですが、そうはしなかったのです。
ちょっと面白い経緯もあるのですが、最終的には「5000mは長くてイヤ」というのが、その決断をした理由。しかし、早狩選手自身、5000mが絶対に走れないと感じていたわけではないようで、もしも、5000mが好きになれる経緯があったら、違った選択をした可能性もあると話していました。
これまでの早狩選手の5000mベストは2001年の15分33秒66。こちらが「15分20秒前後も出せるのでは?」と水を向けると、明確な答えをしてくれません。でも、今回の記録を見て、答えを無理やり聞いておかなくてよかった、と思いました。きっと、他の選手たちへの遠慮もあったのでしょう。こういった奥ゆかしさが、日本の女子選手のいいところ。ライバルに対して敵意丸出しのコメントをしたり、神様のことしか話さない外国選手よりも好感を持てますね。
◆7月25日(月)
昼間に多摩市の自宅に戻り、13時頃からNTTの配線工事。自宅もADSLにするのですが、ちょっと複雑な事情があって、NTTの局内工事だけではダメなのです。イーアクセス(ADSL業者)からは明日の0:00開通と言われていましたが、工事のお兄さんがADSLモデムを回線に接続したら、もう開通していました。
明日、@niftyのキャンペーンで無料サービスが受けられるので、ソフト設定業者が来るのですが、新宿の作業部屋で使用しているノートパソコンは、問題なく有線・無線ともLAN接続に成功。問題はWindows2000の旧型パソコン。こちらの設定は、プロに任せます。
NTTで思い出しましたが、大崎悟史選手の次のマラソンはベルリンでしょうか? 一度走って、きっかけをつかんでいますけど。シカゴも面白いかもしれません。佐藤敦之選手も出るみたいですし。でも、NTTですから、BerlinもChicagoもないかもしれません。ADSLならぬADどちらか。Aはもちろん朝日国際マラソンとも言われた福岡国際マラソン、Dは…ドコモ出ない。
◆7月26日(火)
旧型パソコンでもADSL接続に成功しました。昨晩のうちに、旧型のB5ノートPCをフォーマット&ソフトを再インストール。USB接続で有線LANのコネクタと、無線LANの端末を取り付けました。朝の9時に来てくれた無料設定のお兄さんは、さすがにプロフェッショナル。イーアクセスから届いたADSLモデムの暗号桁数と、無線LAN端末の暗号桁数の違いも、難なくクリアして接続に成功しました。
今回、ADSLを自宅にも導入したのは、家族T氏の常時接続&ブロード環境にしたいという希望もありましたが、寺田自身、古いノートPCをLAN接続できる状態にして、ヘルシンキにサブPCとして持っていくのが狙い。自宅で成功したからと、現地でも必ず成功するとは限りませんが、微妙に異なるハードとソフトのPCが2台あれば、たぶん上手く行くでしょう。どうやら、IBCでは有線LANもできるようですから。
グランプリ取材や海外都市マラソンの取材ではそこまでしませんが、世界選手権取材となると、もしものことを考えて2台体制で取材に臨みます。前回まではダイアルアップ接続でやっていたのですから、LAN接続でなくとも何とかなるはずなのですが、一度、その快適さを覚えてしまうと、なかなか後戻りができない。
陸上競技に例えると、ハンマー投の80mや棒高跳の5m80が、実はすごいことなに、いったん、それに慣れてしまった陸上ファンは、それより低いレベルに満足できない。それと同じことだと思います。A標準突破者が1人だけで、B標準が1人もいないという種目は、今後の頑張りが重要です。
◆7月27日(水)
16時ころまで自宅で仕事。夕方から新宿の作業部屋に。
電話取材を3本。
ヘルシンキに持っていく携帯電話を申し込みました。
◆7月28日(木)
ヘルシンキの仕事の段取りをいくつか。
フィンランド(というか、北欧)のガイドブックをやっと購入。今回はムーミン以外、なかなか気持ちを入れ込む方法がありません。前回のパリや、99年のセビリアなどは、その都市を舞台にした小説や戯曲がありましたし、その地にちなんだ音楽もあったりしたのですが。そうか、シベリウスのフィンランディアがありますね。CDを借りて録音しよう。
ガイドブック購入後、新宿西口のヨドバシカメラに行くと、フォート・キシモトの三船カメラマンとばったり。エドモントンでは謎のメキシコ人だったカメラマンです。やはりこの時期、出張準備のために購入するものがあるんですね。大きな取材を機会に、我々取材陣の装備も大きく変わることが多々あります。
たぶん、広島県関係者の方だと思うのですが、広島県中学の男子100 mで、為末大選手の県中学記録が破られたという情報をメールで送ってくれました。ご存じのように為末選手は、100 mと200 mの全日中チャンピオン。三種競技でも中学新をマークしました。しかし、為末選手の100 mの記録は、中学歴代50傑からいつの間にか押し出されてしまっています。記録集計号を4〜5年さかのぼって、間違いなく広島県中学記録だったことを確認しました。
その作業の過程で、中学歴代50傑中、風速の記載のない記録が3つあるのに気づきました。不破弘樹選手の10秒75と名倉雅弥選手の10秒78、そして田中伸一選手の10秒88……そう、知る人ぞ知る、あの田中さんです。昨年まで、名古屋国際女子マラソンの事実上の最高事務責任者だった人物。記録は10秒88で、為末選手よりも上だったんですね。そこまでとは存じませんでした。
◆7月29日(金)
すでにヘルシンキ入りしている(自称)陸上記者最速(100 m10秒5台)のTBS坂井ディレクターと電話で話しました。現地はかなりヒンヤリした気候のようです。まあ、実際に自分が行ったら暑くなっていた、なんてこともあるかもしれませんが、この手の情報は、とってもありがたいですね。トラム(路面電車)も、世界選手権のIDで乗ることができると教えてもらいました。
ヘルシンキ用に申し込んだ携帯電話をキャンセルして、現在使用しているvodafoneを第三世代に変更。申し込んだやつも、ネット上で料金を比較したらけっこう安かったのですが、基本料金だけでなく、何とか料金がいくつかあって、通話料以外でも16日間で7000円近くかかることが判明しました。だったら、日本の携帯で第三世代にしてしまった方が安いだろうという判断です。
しかし、これも一種の賭けです。特に、着信にも料金がかかります。先方が、寺田が日本にいると思って気軽にかけてくると、ちょっとまずいのです。レンタルなら、番号を教える相手が特定されますから、その心配が減ります。
陸マガ8月号の世界選手権展望記事を書くに当たって、小坂忠広コーチに電話で取材をさせてもらいました。そのときに話に出たのが、現在活躍している谷井孝行選手や山崎勇喜選手らは、世界ユースから出場して、段階をきっちり経て強くなっている。日本の強化システムに則って強くなってきた選手、という印象なのです。
それに対して小坂コーチや園原健弘選手、今村文男選手、柳沢哲選手らの世代は、どちらかというと、単身でメキシコやスペインに行って練習するなど、システムというよりも、個人の頑張りが特徴として前面に出ていました。もちろん、鈴木競歩部長や斉藤和夫コーチ、白井一夫コーチらのバックアップや指導もあってこそ、のこと。ただ、今の選手の方が、前述のようにシステムの中で育ったという印象が強いのです。
それを小坂コーチに話すと、その通りだと同意してくれました。仮に、斉藤コーチたちが第一世代で、小坂コーチ・今村選手たちが第二世代とすれば、谷井・山崎選手たちは第三世代でしょうか?
アテネ五輪の両選手の順位は、日本選手過去最高でした。しかし、世界選手権となると20kmWは柳沢選手の7位、50kmWは今村選手の6位があります。『競歩第三世代、そろって過去最高順位』という見出しになったら、競歩界全体の頑張りの結果だと思います。
◆7月30日(土)
14時からTBSの世界陸上特番に末續慎吾選手と沢野大地選手が出演。ヘルシンキでの目標は「飛ぶ」だと色紙に書いて披露してくれました。跳ぶ、ではなくて飛ぶ。“大地、オーロラに飛ぶ”という見出しが浮かびました(野口順子さんからのメールを参考に考えました)。
ところで、先日の沢野選手の会見の際、ニシ・スポーツ取締役の早野忠昭氏のことを紹介しました。1976年長野インターハイ800 mチャンピオン。当時高校3年生ということは、今年で47歳という若さ。ヤングエグゼクティヴ早野についてもっと教えて欲しい、というメールは来ませんでしたが、沢野選手とも関連づけられるインターハイなので、少し紹介しましょう。
(以下後送、の予定)
◆7月31日(日)
夜、近くのTSUTAYAに行って、シベリウスの「フィンランディア」のCDを借りようとしたら、残念ながらありませんでした。クラシック・コーナー自体がかなり狭いんですね。超有名な楽曲は単独でありますが、クラシックコーナーにあるほとんどが、曲のさわりを20曲前後集めた名曲集や、テーマを決めたアンソロジーなのです。いずれは、そうなるのではないかと予想していましたが、すでに現実となっているとは知らず、ちょっとした驚きでした。
名曲集もかなり多くの種類が出ていて、その中にフィンランディアが含まれていないか、1枚1枚チェックしていきました。こういった作業は、記録を扱う仕事柄、得意のはず。なかなか見つかりませんでしたが、1つの名曲集に含まれていたのを見逃さず、借りてパソコンに録音しました。
CDを借りた帰りにコンビニに寄ったら、雑誌ナンバーに丹野麻美選手が出ていました。天才少女伝説という特集。文章は少しだけで、写真がメインの特集です。同学年の北風沙織選手も同じコーナーで取り上げられていました。
文章はちょっとなのですが、丹野選手は休みには1人でカフェでボーっとするのが好きで、「福島にスターバックスがないので、できて欲しい」と話しています。ちなみに、川本先生の研究室のコーヒー豆は、ドトールです。1月に取材でお邪魔した際に、今は京女となっている坂水千恵選手が教えてくれました。
ここまで全国規模の雑誌で言ったからにはもう、丹野選手が福島にスタバを誘致する会会長に就任したと決めつけて問題ないでしょう。その前に、フィンランドでスタバを探さないと…と思ったのですが、「海外用のコーヒーメーカーを持っていく」と陸上競技マガジン8月号にコメントが出ていますね。
◆8月1日(月)
今日は千葉インターハイの開会式。取材に行ったわけではありませんが、インターハイ開会式が初めて屋内で行われたということで、テレビのニュースでも取り上げられていました。寺田は明日からヘルシンキですが、中国新聞の山本記者はインターハイ取材後にヘルシンキに移動するのだそうです。400 mH決勝に為末選手が残っていることを信じている、とメールに書いていました。
山本記者のメールで思い出しました。アシックスのY田さんから聞いた話では、世界選手権代表入りに失敗した小島茂之選手は、千葉インターハイの仕事を担当することになったようです。Y田さんは笑いながら「罰として担当させた」と言いましたが、千葉は小島選手の地元でもあります(市船橋高出身)。地元人脈も仕事に役立つと期待されての人選のようです。
この話を聞いて思いだしたのが、7月29日の日記で名前を挙げさせてもらった競歩の園原健弘選手のこと。園原選手もアシックスの社員で、1988年のソウル五輪代表を逃したときに、代表選手たちのウェア採寸の仕事を担当しました。専門誌に大きく掲載されたのを覚えています。園原選手は92年のバルセロナ五輪で、見事に代表入り。小島選手も次回世界選手権では、やってくれるのではないでしょうか。開催地は第二の故郷である兵庫の隣ですし。
ただいま23:46。久しぶりにファミレスで日記を書いています。これから荷造り。一応、詰めるものはほぼ用意できているつもり。2時間で片づけて、3時間は寝たいですね。
ヘルシンキ日記1日目
◆8月2日(火)
ヘルシンキのホテルに夜中の0:30に着きました。ただ今、午前2:15。日本では3日朝8:15ですね。眠いです。
成田空港では、2年前のシャルル・ドゴール空港の悪夢が甦りました。オランダ航空カウンターで、重量超過チャージ3万4000円を徴収されてしまったのです。スーツケースの重量は33s。13sのオーバーで250ユーロということです。ほんの少しだけ、抵抗しました。「えーっ、今まで(成田で)取られたことなんか、一度もありませんよ」とか「いきなり3万円も払うことになる身になってみてください」とか、「オランダに情けはないのですか」(話している相手は日本人ですけど)とか。
2年前に追加料金を取られたのは帰りのドゴール空港だけ(42s)。往きの成田でも重さは37sあったのに、取られませんでした。今回は、パリの時よりスペースに少し余裕があるな、と感じていました。一応、こちらも学習していましたから。
でも、そんなに長時間の抗議はせず、早々に退散しました。夏休みということで空港がものすごく混雑していて、あまり粘って出国手続きで慌てふためくのもなんですし。一度、やばかったことがあるのです。時間が迫ってきて航空会社の人間が出国審査場に呼びに来たのですが、自分で並んでいる人たちの最前列に行って、事情を話して割り込ませてもらったことが。
しかし、吉田真希子選手だったら、何と言って交渉しただろう?
席は良かったですね。HISの格安チケットの場合、往きの航空券はもう、事前に席が決まっているのですが、真ん中の列の右端。しかも、壁が目の前にある席で、壁までの距離が割と空いていたのです。腰痛にそれほど悩まされずにアムステルダムに着きました。日頃の行いの成果でしょう。昨日は結局1時間しか眠れなかったのですが、幸いにも、機内で2度くらい眠れました。たぶん、20分ずつくらいですけど。
成田から西に向かう飛行機の中で、沢野大地選手の本サイト用の記事を書きました。成田から北上中ではなく、シベリアに出て西に向かっている最中です。そこは、こだわりました。スクリーンに地図が映し出されて、現在位置を示しますが、それをしっかり見て、書き始めました。
機内で聞いていたのは「さらばシベリア鉄道」。一昨日、フィンランディアと一緒に、大滝詠一のCD(ロング・バケーション)も借りて、パソコンに録音していたのです。でも、ときどきスチュワーデスが色々と聞いてくるので、その都度、イヤホンは外す羽目になります。そのスッチーの英語がちょっと、聞き取りにくくて困りました。こちらのヒアリング能力の問題かもしれませんが、声がかなりハスキーなんですよ。
最初はイヤだなあ、他のスッチーがこっちの方も担当してくれないかなあ、などと思っていました。それでも、シベリア横断中にずっと笑顔を見せられていると、ついつい、こちらも笑顔を返してしまいますし、ハスキー英語もちょっとずつ聞き取れるようになってきました。
アムステルダムに着くまでには、愛惜の念も持つようになっていたのでした。飛行機を降りるとき、心の中でつぶやきました。
「さらばシベリアン・ハスキー」
ヘルシンキ日記2日目
◆8月3日(水)
9:30に坂井ディレクターと一緒にホテルを出発。1日の行動を写真で紹介しましょう。
ph:トラムで競技場まで移動
ph:競技場の入り口にあるフィンランド長距離の英雄、ヌルミ像
到着するとすぐにするのがアクレディテーション。パスポートを見せ、顔写真を取って、取材IDをその場で作製します。昨日、アムステルダム空港で合ったデイリーヨミウリのケネス・マランツ記者とISHIRO記者がいました。
その後、競技場の下見に。
ph:競技場はこんな感じの外観
ph:競技場の中を広角で撮影(超広角レンズではありません)
ph:フィニッシュ地点外側には高さ約70mの塔が
ph:何度もテレビに映し出されると予想される棒高跳のピット
競技場を一通り見て歩いた後、TBSコンパウンドとMMC(メイン・メディア・センター)に。スタンドのプレス席とこの2箇所が、この後12日間、主に仕事をする場所です。使い勝手を確認しました。最重要事項はいつもネット接続ですが、これは無線LANでの接続に成功。MMCでは主に資料の収集です。今日はまだ、それほど出ていませんでしたが、最新のタイムテーブルをチェックすると、時間変更がかなりありました。男子4×100 mRは準決勝がなくなっていましたし。夕方にはエントリー・リストも出ました。
夕方、サブトラックに。
ph:サブトラックに隣接するカフェ
オスロのビスレー競技場内のカフェも、アンティークな感じで雰囲気がありましたが、このカフェもいい感じ。イベントがあれば営業するのかな?
サブトラックでは宮井仁美選手が、小出監督、阿部コーチとともに練習をしていました。練習メニューは書かないことにしておきます。今回は選手村内にトラックがあるためか、競技場に来て練習する選手は少ないようです。この時は、宮井選手しかいませんでした。
久しぶりに小出監督と、じっくり話ができました。
ところで、競技場からサブトラックまで、数百mの道のりですが、近道のできる地下通路があります。
ph:地下通路の宮井選手と小出監督
通路というより、防空壕のような壕。ここを通る選手たちを、何度もテレビが映し出すはずです。中には、4レーンくらいの100m走路がオールウエザー舗装であり、ちょっとしたウエイトトレーニング施設までありました。200mくらいで外に出ると、そこはサッカー場の前で、陸上競技場まではまた200mくらいの距離。
サブトラックから戻る際に、塔の高さの由来を調べました。塔の1階に受付のおじさんのようなお兄さんのような人がいて、閑そうにしていたので取材してみました(英語がかなり通じます)。その内容が、なかなか面白かったですね。何らかの形で公表できると思います。
コンパウンドで作業をして、20:30頃にメディアセンターに行こうと歩いていると、前方からどこかのお姫様と護衛の騎士が来るではありませんか。近づいてみたら、陸マガの児玉編集長と高野徹カメラマンでした。
夜は、23時まで仕事をして最終のトラムで帰ろうと思ったら、乗り場をちょっと間違えて、乗り遅れてしまいました。ホテルまで行くのは8番ラインですが、6番ラインに乗って中央駅まで移動。そこから約15分、歩いて戻りました。ヘルシンキの街の雰囲気を知るいい機会でした。
ヘルシンキ日記3日目
◆8月4日(木)
昨晩はホテルに戻ってすぐにダウン(寝てしまった、という意味です)。朝、7時には起床して仕事をして、洗濯をしました。長期出張はやはり、日常生活の部分も重要になってきます。出張だからと、食事や洗濯など生活の基本的な部分ができないと、そのうち破綻をきたします。
9:45にホテルを出て、トラムでスタジアムに。増田明美さんたちと一緒になり、女子1万mについて色々と話しました。その際、エチオピアの選手は走力があり、なおかつラストスパートも強いのはなぜか、という疑問が出ました。「それはエチオピア帰りのキムレ・テツヒカッセに聞いた方がいいですよ」と寺田が言ってスタジアムに着くと、入り口に当の金哲彦氏が。すぐさま、疑問をぶつけると、金氏はすかさず、説得力のある答えを返してくれました。さすが、キムレ。
今日もサブトラックに行ってみました。練習している日本選手はいませんでした。11:30から大南博美選手が来るという情報も聞いたのですが、別の仕事があったので引き揚げました。昨日、すでに気づいていたのですが、サブトラックと本競技場ではオールウェザーが違います。本競技場がこれで、サブトラックがこれ。本競技場がノンチップのファストトラック。サブはチップの多い、ちょっと以前のタイプ。
素人的に考えると、同じ材質の方がいいように思うのですが、どうなのでしょうか。サブトラックから本番会場に行くと、速く進む感覚が生じて、選手は走りやすくなるのでしょうか。
今日も帰りは、トンネル通路を使用して引き揚げました。途中には簡単なウエイトトレーニング設備まであります。
14時から日本選手団の会見。内容は記事にしたとおり。3人称で書いた方がわかりやすくなる選手もいたのですが、時間がないのでコメントのみでご容赦を。
今日は解説の小山裕三先生に「やり投王国フィンランド」というビデオを見せてもらいました。小山先生で思い出しましたが、今朝、競技場に向かう途中、増田さんの携帯に電話がありました。増田さんが「ゆうちゃん?」と言ったので、最初は小山先生からの電話かと思いました。小山先生の方が年長ですが、成田高校の先輩後輩の間柄です。
しかし、なんとなく雰囲気が違います。そうです。新婚の増田さんの、日本にいる旦那さんからの電話でした。旦那さんの名前は木脇祐二さんです。あとで確認したら、「ゆうちゃん?」ではなく、「祐二さん?」と言ったとのこと。
フィンランドのビデオを見た後、小山先生に少し質問をしていると、話が高じて即席の砲丸投講習会に。途中で平成国大・松田克彦監督も熱心に聞き入って、メモまで取り出す始末。松田監督は元十種競技の日本記録保持者。その場で自ら動きを試みて、納得している様子でした。
その松田監督ですが、今回は自身が出場した93年シュツットガルト大会以来の世界選手権だそうです。順大の後輩でもある金子宗弘選手と2人で出場した大会。途中で骨折をしながらも、競技を最後までやり遂げたことを思い出しました。
ところで今回、TBSの現場最高責任者的な立場にあるのが山上昌広氏です。早大競走部OBですが、高校時代は長野県でナンバーワンハードラーでした。その山上氏と松田監督が同学年で、しかも同じ長野県。110 mHで熾烈な争いを繰り広げていたようですが、松田監督によれば、「1・2年時は山上の方が強かったけど、3年の時はオレの方が強かった」とのこと。
元々、走高跳が強かった松田監督ですが(順大入学時は走高跳をやるつもりだった)、ハードルが強くなったのは山上氏のおかげ、ということでしょう。つまり、恩人に頼まれての(解説者での)世界選手権復帰。きっと、素晴らしい解説をしてくれることでしょう。テレビ観戦のポイントの1つです。
夜になってヘルシンキは雨に。
ヘルシンキ日記5日目
◆8月6日(土)
競技開始1日目。
プレス席は寺田だけ、他の記者の方たちとは離れた場所。午前中はまともに日射しにさらされます。「インターハイ取材を思い出したら大したことはないでしょう」と、某専門誌関係者から言われましたが、長期取材ですから体力を温存できるところは温存したいところ。ときどき、日陰のプレス席に避難しつつも、ポジション的には最高の席なので、スタンドの隣接ブロックのM社の宣伝広報関係者の皆さんと観戦していました。
大会1・2日目は午後の部と夜の部に分かれています。本日午後の部には中田有紀、朝原宣治、早狩実紀、杉森美保、為末大、成迫健児と日本選手が続々と登場。杉森選手以外は第1ラウンドを突破。
早狩選手は自身の日本記録を更新しましたが、3000mSC自体まだ3レース目。レース中によろけるシーンもあり、まだまだ記録短縮は可能だと思わせました。為末選手も余裕があり、レース後の感触も「アテネ五輪よりも疲労が残らなさそう」ということで、準決勝も期待できます。
しかし、若手期待の成迫健児選手は5台目から14歩になってしまいました。
「ビビって緊張してしまったせいか、両脚のふくらはぎがレース前にケイレンしてしまいました」
世界の壁を感じてしまったわけです。できれば、いきなり48秒台を出してほしかった。そうすれば、次の国際舞台で“壁を越えること”が課題とならずに済みます。でも、最後できっちりと追い上げ、準決勝に進出できたのは底力があるからこそ。準決勝で一気に、というか、簡単に壁を越えてしまってほしいです。決勝に進むというよりも、準決勝で力を出し切ることが、壁を越えることでしょう。
夜の部では小林史和選手が果敢に先頭を引っ張りました。57秒・58秒・59秒で押していくと、レース前から決めていたとのこと。ラスト勝負(残り400 m以下)ではとても太刀打ちできないと判断しての戦略です。負けはしましたが、単に後ろからついていって、お決まりのラスト勝負で置いていかれるだけ、というレースにしなかったのは、評価できると思います。
午前中の杉森選手は、逆に、先頭を走るスタイルだとアテネ五輪のように力みが出ると、ヘルシンキ入りしてからの練習で判断したそうです。ついていっての終盤勝負は、今年取り組んできた持久力養成とも合致する作戦。予定通りのレースをしたのですが、小林選手同様通用しませんでした。男女中距離で日本を代表する2選手が、戦略通りのレースを展開しながら敗れたのは、うーん厳しいなあ、という感じを受けました。
女子1万mは福士加代子選手が先頭集団につける好走。5000m通過は15分17秒。好走というより快走に近い走りで、最後はペースダウンして31分を切れませんでしたが、日本記録更新はチャンスに恵まれれば、いつでも出せそうな感じを受けました。宮井仁美選手は3レース目の1万m。ベテランの早狩選手が3000mSC3レース目で、若手の宮井選手も1万m3レース目。ちょっと面白い取り合わせでした。大南博美選手はスタート直後に転倒す不運。パリ大会のマラソンでも転倒しています。本当に運がないとしか言いようがありませんが、この後も頑張り続ければ、幸運が巡ってくるのではないでしょうか。
夜の開会式は取材しないで原稿書き。途中、雨が降ってきました。ヘルシンキ入りして2度目の雨。気温も低いです。
ヘルシンキ日記4日目
◆8月5日(金)
今日もトラムでスタジアムに出勤。日本選手関係で、特に動きはありませんでした。会見とかがなければ、なかなか選手と接することもできませんし。では、何をしていたかというと、それは企業秘密ということにしておきましょう。他社の記者たちも同じのようで、メイン・メディア・センターにいる時間は、どの記者も少なかったように思います。それぞれ、独自の取材活動をしているのでしょう。
寺田はラッセ・ビレン(ミュンヘン&モントリオール両五輪で5000m&1万mの連続2冠)の像を独自に撮影しました。
しかし、メイン・メディア・センターでは、この2人が話しているのを見かけました。向かって左側がATFSの野口純正氏で、右側がAgence SHOTの伊藤隆司氏。2人とも陸マガの先輩です。今から考えると、当時は濃いキャラに囲まれていたんですね。
日本から、千葉インターハイに行っていた関係者も何人か、ヘルシンキ入りしました。聞いたところでは、千葉の記者席はひどかったようです。開会式を幕張メッセで行なったので競技場のスタンドに記者席を設置しなくていいと考えていたようです。それではいけないとある関係者がアドバイスをして、40席ほどができたようですが、電源もなくて仕事にならなかったようです。
ATFSアメリカ会員で、国際陸連のサイトに日本選手の記事を書いているケン中村氏も姿を見せました。細かく紹介することはできませんが、世界標準の考え方をする中村氏と、日本の実業団の事情もやむなしと考える寺田とでは、意見が違う点もあります。2人の置かれている環境の違いから生じることで、どちらが正しいとかいうことではないのですが。陸上ファンが聞いたら、面白い会話だったと思います。
大会期間中、TBSサイトに毎日、原稿を書くことになっています。開幕前のネタで1本、原稿を書いて提出。もう1本、原稿を書いて、あとは、世界選手権を10倍面白く見るページを作成。今日1日でやった作業ではなく、ここ数日、ちょっとずつ進めていました。優勝者予想はかなりオーソドックスに行きました。いつもより“勝負に出た”種目は少ないと思います。
最終のトラム(23時ちょっと)でホテルに戻りました。TBSの土井アナと佐藤アナと一緒になりました。本当にギリギリまで、アナウンサー自ら資料づくりをしているのです。佐藤アナとは同じ静岡県出身。寺田のことを「先輩」と呼ぶので、「先輩と呼ぶのならシコ先輩と言ってよ」と寺田。佐藤アナは早大競走部出身。大先輩に瀬古監督がいますし、TBSでは佐古アナが先輩にいます。そして陸上競技の取材では、寺田が先輩というわけです。
それにしても、夜は肌寒いくらいの気候コンディション。今、CNNの天気予報をテレビでやっていますが、ヨーロッパは南部を除き、どこも低温のようです。長距離以外は記録がちょっと心配です。
明日は8月6日で広島が被爆した記念日です。開会式で鳩を飛ばして、世界平和を祈念するようです。
ヘルシンキ日記6日目
◆8月7日(日)
午後の部には丹野麻美選手、岩水嘉孝選手、近藤高代選手と予選に挑みましたが、全員通過はなりませんでした。力を出し切れなかったかどうかというと、微妙なところです。丹野選手が52秒80、岩水選手が8分28秒73、近藤選手が4m15。力を出し切れたとは言えません。しかし、出し切れなかったとも決めつけられない。
日本選手初の女子400 m代表となった丹野選手は51秒台&予選通過を目標にしていましたが、52秒80は昨年までの日本記録を上回っています。確かに今季のパワーアップを考えると、いまひとつなのかもしれません。直近の流れで見ると不満は残りますが、大きなスパンで見れば健闘したといえます。
3000mSCの岩水選手は日本記録も出せる状態でスタートラインにつけた、と言います。レース後のコメントから構成したのが、この記事です。
午後の部の後、沢野大地選手の会見に。時間があったら、コメントを紹介したいのですが、ちょっと厳しいか。
夜の部では為末大選手が準決勝を「プラス2」の2番目で通過。準決勝における48秒46の記録的な価値は、TBSの記事に書いたとおりです。予選で力を出せなかった成迫健児選手が、2組3位で49秒00。48秒台が出せなかったのはちょっと残念ですけど、力は出し切りました。
「満足はしてます。でも、だからこそ悔しい。自分のレースができたことに悔いはありませんが、力が足りなかった。世界の壁を感じました。あと2年で越えないといけません」
寺田は昨日の日記で、国際舞台で力を出し切れない状況が、“世界の壁”だというニュアンスで書きました。だが、成迫選手は力を出し切ってなお、通用しない部分が“世界の壁”だと言っているのです。注目点の違いではありますが、成迫選手の方が高いレベルで“世界の壁”という言葉を使っています。
七種競技は終了後、選手全員が場内を一周。パリでも見た光景ですが、今回はそこに中田有紀選手が加わっていました(アテネ五輪は取材に行っていません)。
ヘルシンキ日記7日目
◆8月8日(月)
今日の競技は夜の部だけ。それまで、原稿を書く時間をとれるので助かります。
16時からはスタジアムに隣接するアスリート・ビレッジ内、ミズノのホスピタリティーセンターで、マラソンシューズと公式ウエアに関する記者会見が行われました。会見ではウェア開発担当の中島さんと、シューズ開発担当の河野さんが質問に応じてくれました。中島さんは日体大出身で有森裕子選手や川嶋伸次監督と同期。河野さんは筑波大出身で、ISHIRO記者の1学年後輩だそうです。専門は三段跳で、高校時代には南九州大会7位で全国インターハイに出場できなかったとか。競技実績がいまひとつだったからこそ、その後の陸上競技に対する情熱が大きく持ち続けられる人も、多くいるように思います。
夜の競技では5種目の決勝。男子1万mでマーティン・マサシ選手が5位に入賞。終盤でトップに立つシーンもありましたが、できれば、もう少し早くエチオピア勢に勝負を挑んで欲しかった。というのも、マサシ選手はラストスパートがきかない選手で、国内のケニア選手同士の争いでもラストでは勝てません。ところが、今日はラストも58秒とまずまずのスピードを見せて見事に入賞しました。日本在住ケニア選手がマラソンで活躍することはありますが、トラックの入賞はもしかすると、初めてではないでしょうか。
男子1万mでは三津谷祐選手が27分57秒67で走りましたが19位。実は今日、会場に到着した際、スタジアムの入り口で森下広一監督に会っていました。女子100 mのアーロン選手の勝負弱さ(準決勝までを見たら、どう考えても優勝はアーロンと思うでしょう)と、森下監督の現役時代の勝負強さを思い出して、TBSサイトの「勝てる選手と、勝てない選手」を書きました。
早狩実紀選手が女子3000mSC参加選手中の最年長というネタは、一応、本人の了解を取りました。事実ですから、そこまでしなくてもいいのですが。まあ、そこは、あれですね。
取材が終了するのは、競技を22時近くまでやっているので、23時とか23時半頃。それから記事を書くので、どうしても朝の3時、4時までかかります。まだ3日目ですが、取材する側にも疲労の色が見え始める頃。大会開始前から、準備などで忙しかった人間も多いですからね。そういうとき、テンションを高くして疲労を忘れる手もあります。深夜のTBSのコンパウンド内では自称陸上記者最速、坂井ディレクターが部屋も自身もブルーに身を包んで、集中して仕事をしていました。メインメディアセンターでは、2人のカメラマンが異常にテンションを上げていました。
ヘルシンキ日記8日目
◆8月9日(火)
為末選手が銅メダル!! すごいというか、なんというか、形容する言葉が見つかりません。決勝進出は十分に可能性があると思っていましたが、メダルに届くとはちょっと予想できませんでした。朝、同じホテルに泊まっている為末選手のマネージャー、サニーサイドアップの井口さんにお会いしました。取材の機会をお願いします、とは言いましたが、メダルまでは…。
しかし、今から思えばですが、エドモントンの再現を予感させる出来事がありました。それは、スタジアムの入り口でノーリツの岡本治子選手に会ったことです。ジョギング中でしたが思わず呼び止めて、写真まで撮らせてもらいました(ヌルミ像の前と、スタジアムをバックに)。今回は同僚の小崎まり選手の応援(小崎まり応援blog)ですが、エドモントンには小崎選手とともにトラックで出場。1万mでは9位に入っています。
岡本選手に会ったときには為末選手のことではなく、女子走幅跳の池田久美子選手がエドモントン同様、予選を突破するんじゃないか、と考えていました。実際、1回目の池田選手の助走を見たときは、スピードが出ているな、と感じました。しかし、2cm差で決勝進出には失敗。風向きがくるくる変わったため、追い風1m台で6m50台の選手もいました。反対に池田選手は向かい風1.0mで6m50台。そして3回目の着地は、この砂場の写真のように6m60と70の間。僅かのファウルでした。
本当に風に苦しめられた日でした。男子棒高跳予選では沢野大地選手が5m60に失敗。5m45で予選通過はあり得ないと思われましたが、どの選手も5m60が跳べません。ポールを持って走る特性上、風に大きく影響される種目。向かい風でなく、追い風でも踏み切り位置が狂いやすくなります。横風だと、バランスをとるのが難しくなる。沢野選手は「応援してくれた人が後押しをしてくれたとしか、考えられません」と話していましたが、今回は全員の記録が下がったなかで通過したのですから、ラッキーというより実力での通過です。
午後の部に登場した日本選手を見ていたら、その全員に“つながり”がありました。沢野選手と200 m予選の末續選手と池田選手は同学年。末續選手と高平慎士選手は、大学2年でオリンピックの200 mに出場した経歴が同じ。池田選手と村上選手はチームが同じ(スズキ)、池田選手と400 m予選の佐藤光浩選手は、川本和久先生(オヤジのときどき日記・世界選手権)に師事しています。それがなんだ、と言われると、特になんでもないのですが。
夜の部の最初のトラック種目、18:40からの女子100 mHの2組目から豪雨、雷雨となり競技が中断。20:45に再開されましたが、決勝種目を行うことを優先し(有料入場者への配慮です)、男子200 m2次予選など予選は延期された種目もありました。しかし、その雨が為末選手の銅メダルに結びつくとは。日本選手権と同じだな、とは思いましたけど。詳しくはTBSサイトの「タッチダウンタイムの比較でわかる 為末のヘルシンキ戦略」に書きました。戦略というより、戦術でしたね。戦略はもっと長期的な場合に使う言葉でしょう。メダリスト公式会見に日本選手が出席するのは、何度立ち会っても気持ちがいいものです。
ヘルシンキ日記9日目
◆8月10日(水)
気温は14〜15℃と、寒さがピークに。雨もザアザア降って、女子棒高跳は延期されて12日の18:10開始になりました。第1回のヘルシンキ大会でも男子棒高跳予選が強い風雨で続行できなくなり、予選がなくなって一発決勝になりました。寺田もヨーロッパでこれだけ雨に見まわれ続けた経験はありません(150日くらいは滞欧経験があります)。昨日の風といい、ヘルシンキはどうやら、ヨーロッパの中でも気候的にはよくない都市であることは間違いなさそうです。
日本は酷暑のようですね。高知では39℃を記録したとか。39℃よりは14℃の方がいいですけど、楽ではありません。寺田の記者席は、先日も紹介したように特等席ではありますが、雨が降り込んでくる場所。ゲリラ的にあちこち移動して取材をしていました。
19:45からは男子400 mHのメダルセレモニーが。この写真でわかるように、金メダルのジャクソン選手がさかんに為末選手に話しかけていました。小柄な選手同士ということで、親近感があるのでしょうか。昨日のメダリスト公式会見でも、カーター選手は前を見ているのに、ジャクソン選手は為末選手の発言中はそちらを見ていました。
これが為末選手と銅メダル。テレビ出演後に撮らせていただきました。
最後の種目の男子1500mはバーレーンのラムジ選手が初優勝。エル・ゲルージ選手が欠場して混戦模様となった種目ですが、寺田の世界選手権を10倍楽しむページの優勝予想はラムジにしています。去年のローマ・ゴールデンリーグで優勝したときのラストスパートが、強く印象に残っていたのです。このラムジ選手が実は、モロッコから帰化した選手。そして、2位のカウチ選手(モロッコ)は以前、世界選手権でもエル・ゲルージ選手のペースメーカーをやっていました。
女子5000mでハイソックスを履いていたイギリスのペービー選手。さらには、為末選手の末續選手に関するコメント。それらを考えていたら、TBSサイトの「伝統の力と新しい力」の記事ができました。
取材する側にも疲れがたまってきたのか、S紙のK記者が財布を落としました。多少、慣れてくる時期で油断が生じたのか、疲れから集中力が鈍っていたのか。いつもは夜も元気なK記者ですが、さすがに世界選手権期間中はその元気がないということですから、きっと疲れていたのでしょう。親切な方が拾得し、国際プレスカードが入っていたためか、TBSに届けてくれました。「陸上競技関係者は皆、親切だということがわかりました」と、感激の面持ちのK記者でした。
ヘルシンキ日記10日目
◆8月11日(木)
14時から男子マラソン陣の共同会見を取材。
夜の部まで時間があったので、原稿(報告?)を1本書き、日記を更新しました。その後、メインプレスセンターで、記者やカメラマンの方たちから、まだ大会途中ではありますが、今大会の特徴をどう感じているか取材して回りました。
夜の部はまたも雨。寺田のプレス席は雨が降り込んでくるので、上方の放送席に移動。邪魔にならないように棒高跳を中心に見ていました。
沢野大地選手の8位入賞については、各メディアの記事をご覧ください。ミックスドゾーンで沢野選手のコメントを聞いていると、110 mH準決勝を終えた内藤真人選手が追いついてきました。日本人選手に別の日本選手が追いつくのは、今大会では初めてのこと。これまでも、あまり記憶がありません。いつも人柄の良さが表れる内藤選手の話が聞けなかったのは残念です。
取材終了後に電話を3人の方にしたのですが、2人に全然つながりません。1時間くらい断続的にかけつづけたのですが、1つはつながらずに切れてしまいますし、もう1つはずっと留守番電話。外国だとこの辺がどうにもならないところです。
それと明日、TBSサイトの山縣苑子さんのインターネット・ライブのコーナーに出演することが決まり、その打ち合わせも。その打ち合わせ中に、スウェーデン選手に対する応援が大きいという話題になり、日本で行われる国際大会で、韓国選手にあそこまでの声援は送られないだろうな、という話が出ました。たぶん、西日本が日本から独立して、日本で行われる大会に参加したら、フィンランド人がスウェーデン選手にするような応援の仕方をするのだろうな、と感じました。
原稿を書き始めたのは0:50くらいから。途中、かなり眠くなりましたが、3:50には完成させました。3000mSC陸上記者最速の山端ディレクターたちと、シャトルバスでホテルに。
ヘルシンキ日記11日目
◆8月12日(金)
昨晩は、4時のシャトルバスでホテルに戻りました(4日連続)。TBSサイトの原稿は現地で書き終えましたが、送信ができなかったのでホテルから送信。この2日間は疲れも大きく、洗濯は、洗面所に水を張って洗剤を入れてつけておくだけ。しぼって干すのは翌朝です。
5時30分に就寝して、9時に起床。急いで洗濯物を干して、手持ちのチョコバー(?)とプロテインを口に入れ、シャワーを浴びて9:45に出発。取材用資料を忘れないように気をつけました。タクシーを飛ばして10時ちょうどに女子マラソンの会見場(研修施設風のホテル)に着きました。会見の模様は、紹介できるかどうか。
会見は11:30頃に終了。スタジアムに移動しようとしたところで、IDカードを持っていないことに気づきました。取材資料には気を付けたのですが、最も重要なものを忘れる大失態です。IDがなければ、スタンドにはチケットを買って行けますが、取材ゾーンには行けません。J通信のS記者のタクシーに同乗させてもらったのですが、寺田のホテルに寄ってもらってスタジアムに急行しました。反省しています。
今日はTBSサイトのインターネットLIVE用に、山縣苑子さんのインタビューを受ける予定が入っていました。12:00からの予定を12:15に変更。反省しています。
収録は、やっぱり難しいですね。カメラの前で、短い時間で言いたいことをまとめるのは。文字のメディアと映像メディアの違いを改めて、思い知らされました。最初のひとことはどうしても緊張してしまいますし。棒高跳が風の影響を受けるという話も、全種目の中で一,二を争うほど受ける、と言いましたが、後で考えたら「風速が表示されないなかでは、円盤投ややり投と並んで」と言えばよかったかな、と細かい部分の反省も出てきました。
山縣さんと古賀ディレクターが話の方向付けをしてくれたから、なんとか形になったというところでしょうか。山縣さんが磐田出身で寺田が袋井ですから、太田川を挟んでの会話でした(超ローカルネタ)。
TBSのLIVEコーナーは見ないでください。
収録後、かねてから“苑子ファン”と喧伝していたスポニチ・倉地(くらち)記者のために、サインをもらいました。TBSサイトの山縣さんのページの好きなタイプに“オープンマインドな人”とあるのを見つけ「おれもオープンマインドなんだよ」と言い張り、得意なものが“クラウチングスタート”とあれば、「おれもクラッチングスタートなんだよ」とわけのわからないギャグを平気で言います(そういうのって、嫌いじゃありませんけど)。
スタンドの記者席にいた倉地記者にサインを持っていき、日記に顔出し&実名で紹介することを条件に渡しました。もちろん、即OK。これが山縣さんの初サインだそうです。倉地記者の喜び方は筆舌に尽くしがたいものがありました。これがそのときの写真1と写真2。どちらがいいか判断しかねたので2枚掲載しましたが、ちょっとくどいですね。
午後の部では山崎勇喜選手が50kmWで8位入賞。アテネ五輪が16位で今回が8位。大阪世界選手権は4位が目標かな、と単純に考えてしまいましたが、「今村(文男)さんの6位が目標です」とのこと。きっと競歩でも、上位の3〜4人というのは、そう簡単に達成できるレベルではないのでしょう。
午後の部のあとTBSのコンパウンドに行くと、昨晩は少しですけど声がかすれてしまっていた佐藤文康アナの声が、元に戻っていました。昨日は沢野大地選手が入賞した男子棒高跳で、外国人選手がバーを落とす毎に声を張り上げていましたから。それを一晩で戻してくる辺りは、さすがにプロ。今日は女子棒高跳で絶叫していたことでしょう(今日は席が遠かったので実際には聞いていません)。
佐藤アナが引き揚げる際に、「“ワールドレコードアナウンサー”と呼んでもいい?」と大井川を挟んで質問すると、「(女子20kmWと)2つとも担当しましたよ」と言ってにやりと笑いました。文字では伝わりにくいかもしれませんが、この辺にもプロ意識が感じられました。
ヘルシンキ日記12日目
◆8月13日(土)
男子マラソンの取材をどうするか、迷いました。今朝になって急に、沿道で取材をしたくなったのです。もしかしたら世界一になる選手が現れるかもしれません。せっかくだから、それを生で見ておきたい、と。でも、沿道に出ると、細かいレース展開が確認できません。プレスセンターかスタジアムのプレス席で、テレビを見ていた方がいい。どうするか原稿を書きながら、ホテルの部屋で悩んでいました。
ハタと思い当たることがありました。
12時過ぎに三重の二枚目助教授こと、三重大・杉田先生に電話をしました。彼もヘルシンキに来ているはず。マラソンをどうするかを聞くと、スタートを見た後はマラソンコース近くにあるホテルの自室で観戦し、選手が来たら沿道に出て応援するといいます。一緒に行動させてもらうことにしました。
12:45にホテルを出発。スタート地点までは2km強の道のりですから、歩いていくことにしました。トラムを乗り継いで行くこともできるのですが、ヘルシンキに来てから、ホテルとスタジアムを往復するだけで、街中を歩くことがまったくなかったので、街の風景を見ながら行くのも悪くないかな、と。
これが、寺田の泊まっているホテル近くの給水所。準備中でした。ヘルシンキは港湾都市でもあります。街並みはこんな感じ。猥雑とした通りが少ないというか、ほとんどないのがヘルシンキの特徴です。中央駅の近くはこんな雰囲気になります。正確にはスタート地点の裏側のヘルシンキ大聖堂。
スタート地点の選手控え所の建物の脇には、伊藤国光監督と代理人のブレンダン・ライリー氏が。これが、そこに来たスタート1時間前の高岡寿成選手。臨戦モードで、いつもとは違う顔つき。スタート地点の脇はマーケット。屋台の店が所狭しと並んでいます。食料の店もあれば衣類の店もある。その一角で、三重の二枚目助教授を見つけました。競歩の明石顕選手と一緒でした。
民芸品のお店で、3人で木製のカップを購入。明石選手が値切り交渉をしてくれましたが、ダメでした。代金は杉田先生がまとめてクレジットカードで支払いました。詳しくは覚えていないのですが、店員さんとの交渉中に何かきっかけがあったと思うのです。寺田が「He's a famous professor in Japan」と口を挟んだのですが、お姉さんとおばさんの中間くらいの店員はまったくの無反応。見事に滑ってしまいました。男子マラソンのレースに影を落としてしまうことに。
スタート20分前に再度、選手控え所の建物の脇に移動。どこかの国の選手が、慌てた様子で出てきて、スタッフから何かのスプレーを背中にかけてもらっていました。
スタート地点はものすごい人だかりで、選手は人垣越しにしか見えません。でも、長身の高岡選手は確認。スタート後は杉田先生のホテルに移動してテレビ観戦。13km地点の中央駅近くで生観戦しようと行くと、そこも人でいっぱい。箱根駅伝以上の沿道の観衆密度でした。ここでも、長身の高岡選手は確認。奥谷亘選手と細川道隆選手はすでに、集団から遅れていました。また杉田先生のホテルに戻り、食事(といってもパンとバナナ)をしながらテレビ観戦。LAN接続のできるホテルなので、国際陸連サイトから情報も入手できます。
次の23kmでの生観戦は、さっきのポイントから200mほど先に移動。そこでは人垣がかなり薄くなっていました。4重5重だったものが、ほぼ一列状態に。杉田先生は選手に声もかけていましたが、この声が実によく通る。さすが、現場指導者だけのことはあります。生観戦後、中央駅でタクシーをつかまえ、スタジアムに。交通規制が厳しくてなかなか到着できず、実際に着いたのは35km過ぎだったように思います。杉田先生が日本に電話をして、レース展開はおおよそ把握していたのですが。
その後はいつもの取材に。ミックスドゾーンでは高岡寿成選手が、4位という結果に「このままではやめられない」と、再度の世界一への挑戦を表明しました。その後、ちょっとしたやりとりをしましたが、その辺はいずれ記事にできるときに。それにしても、今回ほど3位と4位の違いを感じさせられたことはありません。過去にも4位の選手はいましたが、同じレースで明暗が分かれると残酷です。それが勝負の世界なんですけど。
記者会見の写真(1 2)と、団体の表彰式の写真。
そうこうしているうちに、夜の部が始まりました。4×400 mRは失格。2日本が状況を確認したら、2走の成迫健児選手がテイクオーバーゾーンの手前から走りだした、という理由が判明しました。4×100
mRだったらOKなのですが、4×400 mRはダメだったのです。寺田も知りませんでした。失格前のタイムは3分02秒44。各選手のスプリット(手動計時)は
金丸祐三 45秒83
成迫健児 45秒63
堀籠佳宏 45秒80
佐藤光浩 45秒29
でした。
尾方選手のTBSサイトの記事を書くために、バルディーニ選手についてのコメントを取りたかったので、4×400 mRのミックスゾーン取材はあきらめ、テレビ出演が終わるのを待っていました。時間がなかったので手短に追加取材。尾方剛選手の写真を、メダルと一緒に撮らせてもらいました。
ヘルシンキ日記13日目
◆8月14日(日)
10時から尾方剛選手の宿泊先のホテルで、専門誌&中国新聞用の取材。しっかり朝早くから取材をした証拠に、尾方選手と中国新聞・山本記者とのツーショットを掲載しましょう。
11時30分に終わって、いったんホテルに戻り、超特急でスタジアムに。12:15から女子選手2人の取材。雨が降っていて、当初考えていた場所での撮影が難しくなったのですが、たまたま通りかかった高野徹カメラマンのアドバイスで、雰囲気のある場所での撮影ができました。
続いて女子マラソンの取材。今日は男子とは取材方法を変え、テレビでレース展開をチェックしました。TBSのコンパウンド内で、日本で放映している映像が見られます。20km付近まではラドクリフがどういう状態で引っ張っているのかわかりませんでしたし、デレバもいつものように追走しています。予断は許されない状況でしたが、25km付近ではもう、ラドクリフが序盤を抑えていたと判断できました。あのコンディションで、ラドクリフにきっちり走られては、他の選手に勝ち目はありませんでした。
コンパウンドからスタジアムのミックスドゾーンに向かう途中、京セラの大森監督と、埼玉栄高の清田先生が一緒にいるところに出くわしました。この2人の説明は必要ありませんよね。埼玉栄高の前監督と現監督。2人でインターハイんじょ総合優勝を何回飾っているでしょう? 埼玉栄高女子のサイトに出ていると思います。ビッグな2人がヘルシンキで一緒にいるところを撮れるなんて、まさに千載一遇のチャンスだったと思います。
女子マラソンの日本選手は4大会続いていたメダルを逃しましたが、新鋭の原裕美子選手が6位に入賞。ベテランの弘山晴美選手は8位で個人3種目入賞という快挙を達成しました。2人については、TBSのサイトに記事を書きました。
ラドクリフの会見後は、一般種目の最終日。日本人選手の出場する種目はありませんでしたが、女子やり投でメネンデス選手が世界新記録。2位のドイツ選手も70mを越えるハイレベルの試合でした。21:30と昨日までより早めに競技は終了。これは、白夜(といっていいのかな)のなかで閉会式が始まろうとしているところの写真です。
閉会式では日本選手が次回大阪開催を、この写真のように横断幕を持ってアピール。旗手が朝原宣治選手で、谷川聡、為末大、日高一慶、吉野達郎、高平慎士、金丸祐三の短距離&ハードル選手たちが笑顔で会場を一周。ヘルシンキ市から大阪市へバトンタッチするセレモニーもありました。
今日は最終日ですし、比較的暖かかったこともあり(それでも15℃前後)、閉会式終了後もスタンドで原稿を書いていました。9日間、競技を見守った場所で、最後を締めようという意図です。これまでも最終日に、同じことをしているのですが、びっくりさせられたことが1つありました。閉会式終了後、関係者がトラックを走ったり、タイマーや表彰台で記念撮影をするのはよく見かける光景ですが、フィンランドではなんと、やりを投げている人たちがいたのです。これは、やり投が国技になっているフィンランドならでは。小学生から授業でやりを投げている、という話を村上幸史選手がしてくれたことがありました。ここまで社会に浸透していたら、継続的に選手が育つでしょう。
原稿を書き上げて、1時ちょっと前にはTBSのコンパウンドに。簡単な打ち上げをやっている最中だったので、寺田も一杯だけ焼酎の水割りをいただきました。2時にはメインメディアセンターに移動。新聞記者の方たちがまだ、仕事をしています。モニターには、最終種目の男子4×400
mRの映し出されていました。アメリカが思ったより苦戦したレースですが、最後は4走のウォリナーがバハマを引き離して優勝。それを見ていたT新聞・Y記者が「速くてワリーナー、って感じだな」と言ったのを聞いて、ヘルシンキ世界選手権9日間の取材が幕を閉じました。
ヘルシンキ日記14日目
◆8月15日(月)
昨晩は4時と早めに就寝。9時に起きようと思っていましたが、寝坊して10時に。朝食時間を過ぎてしまって、3日連続でホテルでの朝食をとり損なってしまいました。宿泊料に含まれているのに、もったいない。でも、そういうことを気にしているようではストレスがたまるばかりで、体に良くありません。まあ、こういうこともあろうかと、昨日のうちにバナナ2本をゲットしてありましたし、ザバスのプロテインも持参しています。
13時にスタジアムに。TBSのコンパウンドに行って、ちょっと仕事をして、挨拶を済ませた後に、メインメディアセンターに。デイリープログラムの最終版とフラッシュ・インタビューの全種目版を入手しました。その他の主催者がリリースしたNEWSは、メールでも配信されています(アクレディテーション時に申請して)。紙で持って帰る情報が格段に減りました。99年のセビリア大会の頃と比べたら雲泥の差です。
MMCが閉まる16時まで原稿書き。LAN接続は今回、TBSで使わせてもらっていたので、今日はできません。それほど高額にならないだろうと、日本の携帯電話(vodafone)でネットに接続。接続自体には成功しているのですが、写真データがなかなか送れません。20分間接続してもちょっとしか送信できないので、途中であきらめました。が、これが上手くいかないと、今後がちょっと心配です。
その後は場所をカフェに移して原稿の続きを書こうと思っていましたが、少しは街中を歩こうと、街の中心部に向かって徒歩で移動。中央駅まで15分か20分で着く距離でした。実際は、あちこち見て回ったので、30〜40分はかかりましたけど。途中でちょっと左手に道をとれば海です。この写真を見ると湖のように感じますが、つまり、海が陸地に細く入り込んでいる地形なわけです。海沿いから数十m離れるとメインストリートに出て、こんな建物も目の前に現れました。
しかし、中心部のカフェはどこも一杯です。そもそも、カフェの数がフランスやイタリアの都市に比べて少ないですね。予想はしていましたけど。マラソンのスタート地点方向にも行きましたが、結局、泊まっているホテルのある通り沿いのカフェに。一応、海の見える場所です。しばらく、ビールを飲みながらボーっと考え事をしていました。田舎では4月に亡くした父の初盆の法事をやっている頃。どうしても、父のことを考えてしまいます。自分は今、陸上競技と仕事を一生懸命にやっていますが、父親が自分と同じような年齢の頃、何を考えて、何に一生懸命だったのだろう、とか。
そんな考え事をしているうちに、買い物帰りの山縣苑子さんが通りかかりました。出身地が太田川を挟んでいる2人が、北欧の海沿いの通りで会話をしているなんて、不思議な感じがしました。スポニチ・倉地記者がうらやましがると思って書いてみました。
異変が起こったのは、山縣さんがホテルに戻ったあとです。寺田がパソコンを取りだして原稿を書いていると(写真の左手前に映し込んだのが寺田のパソコン)、2人連れの女性がカフェに入ってきました(といっても、屋外の席に座っているのですが)。30歳代後半か40歳代前半。1人が話しかけてきます。最初は、「このモバイル・パソコンは私の頭の中に入っている」と言っていると思ったのですが、よくよく聞いてみると、「パソコンのシステムは私が考えて、それを今、あなたが使っている」と言っているのだとわかりました。そういえば、UNIXだったか、何とかというOSがフィンランド人が開発したのだったかな、と思いついたので、「グレート!」とか「天才プログラマーなんですね」とか言って相手をしていました。
しかし、その女性が飲み物を注文しに行っている間に、もう1人の女性が「彼女は嘘つきだから気をつけなきゃダメよ」みたいなことを言って立ち去ったのです。戻ってきた女性は、さかんに話しかけてきます。何をしにヘルシンキに来たのか、とか、フィンランドと日本の比較を話せ、とか、マイクロソフトをどう思うか、とか。
仕事がまったく進みません。こちらは、遊びでパソコンを広げているわけじゃないんだぞ、と言いたかったのですが、その辺の意思表示ができないのが日本人らしいところ。同じ“たつお”でも、杉本龍勇選手ならはっきりと言えるのでしょうが。
挙げ句には「モバイルフォンを貸してくれないか」と言ってきます。テーブルの上に置いていたので、持っていないとは言えません。「日本にしかつながらないからダメだ」と言って断りました。ちょうど、6:55だったので、「7時にホテルに集合だから」と言ってカフェを出ました。
外国のカフェで原稿を書く、という寺田の楽しみを台無しにしてくれたフィンランド女でした。
ホテルで20:50まで原稿書き。それから、1回くらいはフィンランドのレストランで食事をしよう、と外出しました。近くに手頃な店がなかったら、サンドイッチでも買って戻ればいいと、気楽な気持ちで出かけました。意気込んでいるときより、こういった心境のときの方が見つかるものです。10分も歩かないうちに、高からず安からず、といった雰囲気の店を見つけました。23時まで営業しています(曜日によっては24時)。表に出ているメニューで、英語表記もされていることを確認して入りました。
15ユーロのフライド・ホワイトフィッシュを注文。料理が出てくるまで、ちょっと時間がかかりました。けっこう空腹だったので、パンだけでも先に出してくれよと言いたくなりましたが、その辺を口に出せないのが日本人らしいところ。杉本龍勇選手なら…以下、同文。まあ、昼間ゲットしたデイリー・プログラム最終版で今回の成績をながめていたら、時間なんてすぐに過ぎていきます。
料理が出てきた第一印象は、でかい!! 大戸屋のさんまの塩焼き定食とは、ケタが違います。食べきれないんじゃないか、と最初は思いましたが、これが食べてみるとメチャ旨い。魚が具体的に何だったのかは、もちろんわかりません(寺田ですから←知る人ぞ知る)。パンが出なかったのは、じゃがいもが3個も付いているからでした。そういえば、TBSで働いていたフィンランド語の通訳の方が、じゃがいも料理は代表的なフィンランド料理だと話していました。ISHIRO!記者のように写真を撮っておけばよかったと、後悔しましたが、そんなことを気にしていたらストレスになるので気にしません。
アルコールは飲みませんが、食後にコーヒーを飲もうと思って、メニューをもう一度見ました。そういえば、中国新聞・山本記者に南部記念で同社の仕事を手伝った際、ヘルシンキでフィニッシュ・コーヒー(フィンランド風コーヒー)をおごってもらう約束をしました。フィニッシュ・コーヒーなんて、聞いたことがないのですが、まあ、フィンランドで普通のコーヒーを飲んだらフィニッシュ・コーヒーだろうと。
しかし、そのレストランのメニューには、エスプレッソやカプチーノ、アイリッシュと並んでFinnish coffeeの表記が。フィンランド最後の夜はフィニッシュ・コーヒーでフィニッシュさせようと、さっそく注文……でも、普通のコーヒーだったように思います。ちょっと薄めの。値段もこれだけ2ユーロを切っていましたし。おかわりして2杯も飲みましたけど。スタバを福島に招致する会会長の丹野麻美選手は、フィニッシュ・コーヒーは飲んだのでしょうか。
ヘルシンキ日記15日目
◆8月16日(火)
アムステルダム空港で書いています。もしもサイトに掲載できていたら、vodafoneでのネット接続に成功したということです。
3時に起床して、4時にホテルを出発。4:20に着いて、4:45にはチェックイン。アムステルダム−成田間の座席は通路側を確保できました。早起きは三文どころの得ではありませんね。懸案のスーツケース重量超過もなし。どういう方法を使ったかは、企業秘密ということにしておきましょう。
寺田の乗るKLMオランダ航空と、ノースウエスト航空が提携しているのか、同じカウンターでした。チェックインしてゲートに向かおうとする頃に、アメリカ選手団がどやどやっとやって来ました。白人の棒高跳選手は、ポール・ケースを中央部分を支点に軽々と肩に担ぎ、反対の手で大きなバッグを、こちらも楽々と持っています。棒高跳選手ならみんなやっていることなんでしょうか。今度、近藤高代選手にでも聞いておきます。
6:20発なので、電源コンセントが近くにあるベンチを探し当て、昨日の日記を書き始めました。5:50に出発ゲートまで移動。産経新聞の金子&大谷記者、共同通信・宮田記者、報知新聞・日比野記者がいます。直行便の記者が多いので、アムステルダム経由なの? とちょっと嬉しくなって聞くと、チューリッヒ行きの便でした。寺田が諸般の事情で断念した、サンモリッツ合宿中の野口みずき選手を取材に行くわけです。失敗したなあ、と思いましたが、とやかく言っても仕方のないこと。このくらいでくよくよしてストレスを感じていたら、体に良くありません。
フィンランドでトナカイのハムか燻製を買ってくるように、知り合いの女性から頼まれていたのですが、空港で売っているのはストックマン(大手デパート)だけと判明。開店が6:15でアムステルダム行きが6:20発。これも、仕方ありません。
◆8月17日(水)
成田空港に9時前に着。午後の3時30分から尾方剛選手の帰国会見が成田であるので、それを待っているところです。
アムステルダム空港では、往きと同様にデイリー・ヨミウリのケネス・マランツ記者と会いました。もっとも、ケネス記者はヘルシンキ早朝発を避け、昨日の昼の便でアムステルダム入りして1泊していました。聞けば、棒高跳優勝のブロム選手も同じ便だったとか。意外な感じもしますが、オランダ初の世界選手権金メダリストです。機内では、ブロム選手が乗っていることがアナウンスされ、拍手が起こったそうです。
アムステルダム空港では、消防車が来て放水のアーチで出迎えたそうです。ちょっと変わった祝福の仕方ですが、オランダではよくあることなのかも。
成田行きの機中では、ヨーロッパ観光帰りらしいOL2人が右側に座っていました。機内で日本経済新聞を読んでいます。世界選手権の記事を見つけて、「為末が銅メダルだって。ギリギリで通過したのに」とか「男子マラソンがメダルを取って、女子はなしなんだって」と、話題にしています。きっと、大会2日目の400 mH準決勝の頃まで日本にいて、それからヨーロッパに遊びに行ったのでしょう。
新聞にこの2つの話題が載っているということは、大会終了後の総括記事でしょうか。日経・市原朋大記者が頑張っていましたから。事情はどうあれ、こうした一般の方たちの話題に上るのは嬉しいことです。
機中では珍しく、仕事は少ししかしませんでした。腰の鈍痛がちょっと大きいのと、疲れと寝不足から集中力が今ひとつ。腰痛対策で、早起きして通路側の席を確保したのですが、今日は調子が悪かったですね。頻繁に立ち上がったり、席の中で姿勢を変えたり。原稿は書けませんが、映画は見ることができます。2本も見てしまいました。「トロイ」と「オーシャンズ11」。トロイはいまひとつ。オーシャンズ11も、オリジナル版の「オーシャンと11人の仲間たち」の方が面白かったような気がします。
寺田は初めてでしたが、映画や音楽がオンデマンド方式。従来だったら放映時間が決まっていて、見る側がそれに合わせないといけませんでした。オンデマンドだと、見る側が好きな時に見始めることができるし、途中で観賞を中断しても、また、そこから見始めることができます。音楽も同様。気づくのが遅かったのですが、自分の好きな曲を集めてプレイリストを作ることもできます。ジャズのカテゴリーで大好きな「マック・ザ・ナイフ」を見つけて、腰痛もすこし治まって、フライトの最後は気分が良かったですね。
しかし、眠れたのは最後の方で30分か1時間。フィンランド最後の夜が2〜3時間睡眠で、その後は眠っていません。成田空港ではベンチで2〜3時間眠ってしまい、ここでも原稿が書けず。
飛行機の遅れと尾方選手の荷物の搬出の遅れで、16:30からホテル日航ウインズ成田で尾方剛選手の帰国会見。ヘルシンキ取材記者で来ていたのは寺田だけでした。坂口泰監督は別の便で帰国。同時刻に成田にはいたのですが、会見には出席しませんでした。その辺が、中国電力の師弟関係らしいところ。会見終了後、東京まではアンビバレンス事務局長の森さんと、駅で一緒になったISHIRO!記者と、3人でスカイライナーで帰ってきました。ちなみに、森さんとISHIRO記者は高校の先輩と後輩。キャラはもちろん違いますが、頭の回転の速さは共通しています。
◆8月18日(木)
午前中に、昨日、成田空港から送ったスーツケースが着。特に必要な資料が入っているわけではなく、衣類や出張先で使った日用品、家族へのお土産など。荷解きをしながら、これからの仕事のスケジューリング。そのために、何本か電話をしました。
夕方に強い疲労感と鈍い腰痛に襲われ、数時間ダウン(眠ったということです)。そのため、電話連絡が1本と、19時締め切りの原稿が1本、後れてしまいました。反省しています。
原稿を送るためにメールを送受信したら、関東学連の幹事の方からメールが来ていました。トワイライトゲームスの出場予定選手を知らせてくれたのです。アジア選手権と重なりますが、見方によっては、楽しみな選手も多くいます。以前にも書きましたが陸上競技観戦は、見る側の視点、知識によって面白さが左右される。その辺が、野球・サッカー・格闘技など、ゲーム性のある競技との大きな違いです。言い換えれば、人気の出にくい理由でもあるわけです。
その後、家族T氏と一緒に食事をしながら、彼女が毎週見ている連ドラの「電車男」を見ました。家族T氏はトークで色々と説明するのが得意なタイプで、登場人物の説明を的確にしてくれます。柔道日本チームのサポートなど、管理栄養士の仕事をしていた頃は、あちこちで講演もこなしています。TBSサイトの山縣苑子さんのインタビューで、しどろもどろになっている寺田とは大違い。
「電車男」は俗に言うオタク男の恋愛を描いたドラマです。今日はドラマの中で、電車男が彼女に嫌われないように、オタクを卒業しようとザクのフィギュアを捨てるシーンが出てきます。ザクとは、アニメの機動戦士ガンダムに出てくるモビルスーツ。その他にも、ガンダム登場人物のマチルダやアムロ・レイや、アニメ中の台詞まで出てくる。寺田がそれを見て笑っていると、家族T氏が「オタクだ」と茶化してきます。
世界選手権期間中、TBSサイトに記事を書きました。寺田的オタクZONEと命名されたコーナーです。このタイトル案を提示されたとき、最初は難色を示しました。“一般の人が読んでも楽しめる”というニュアンスを出したかったのです。でも、TBSの世界陸上サイト全体のバランスを考えたとき、下手に説明っぽいコピーを入れるよりもいいのではないかと、自分でも納得してタイトルに同意しました。テレビを見てTBSサイトをチェックした一般視聴者が、オタク的な見方も面白いな、と思ってくれれば、陸上競技ファンが増えるのではないかと思ったのです。
要するに、陸上競技ファンは世間一般の感覚からしたらオタクなのです。タイトルに難色を示したのは、電車男のようなオタクとは違うと思いたいからですが、世間的に見たら陸上競技ファンも同じなのでしょう。オタクという言葉には、マイナーな世界に没頭している、というニュアンスがあります。同じように入れ込んでいても、野球やサッカーのファンは決してオタクとは言われません。陸上競技がマイナーだから、世間一般の人にはオタクと映るわけです。
トワイライトゲームスですが、日本選手権やスーパー陸上とは違い、日本のトップレベル選手が大挙して出場するわけではありません。そういった大会でも観客が集まるようになれば、自分から陸上競技の面白さを見つけられるファンが増えたということ。寺田は能動的なファン、という言葉を使っていますが、先ほど説明したように世間から見たら陸上競技オタクです。
でも、そういったオタクには、ある種のパワーがあります。只のほほんと、無為に時間の流れに身を任せている人間とは違うオーラとでも言いますか。積極的な人間は誰もが持っているものです。自分の身近に野球の阪神ファンがいて、知らないうちに自分も同じチームを応援している、というケースは少なくないはず。オタク1人が何人の陸上競技ファンを増やせるのかわかりません。効率がいいのかどうかも、わかりません。ですが、確実に陸上競技ファンの数を増やしていきます。だから、オタクと呼ばれようがなんだろうが、能動的なファンを増やすことが重要だと思っています。
いつの日にか、そういった人たちがオタクと言われない日が来るのが理想です。
◆8月19日(金)
TBSサイトの最後の記事で大きな間違いをしてしまいました。原裕美子選手が名古屋国際女子マラソンの記録を更新した自己新と書きましたが、正しくは1秒、自己記録に届きませんでした。しっかり確認しなかった私の責任です。反省しています。最終回以外にもちょこちょこと間違いがあったので、訂正してもらうことになりました。もうすぐ修正されると思います。
さて、この時期になると毎回聞こえてくるのが、「テレビ放映が気に入らない、よくない」という陸上愛好家の方たちの意見です。寺田は世界選手権の放送自体はセビリア大会以降、現地で取材をしていますので見ていません。それを理由に、極力、そういった意見は受け流します。なるほど、と感じるものはあります。意見を言うこと自体はいいことですから、どんどん言って次に生かせてもらえればばいい。
愛好家の人たちの意見の何がよくないかと言ったら、大局的な部分を見ていないことです。昨日も書いたように、陸上競技ファンはオタクと見なされます。要するに絶対数が少ない。しかし、テレビが視聴率をとるには、何百万という視聴者にチャンネルを合わせてもらう必要があります。
「陸上競技は面白いから、競技をしている映像を流していればそれで十分だ」と言う人たちは、他人事で、気楽な立場だから言えることでしょう。それで視聴率がとれるなら、陸上競技はとっくにメジャースポーツの仲間入りをして、日本選手権の観客動員の少なさが問題となるようなことはありません。視聴率をとらないといけない立場の人間が、その意見を受け入れることはまずないと思います。
専門誌で例えるなら、「箱根駅伝よりも全日本実業団対抗駅伝の扱いが小さいのはおかしい」と言われるときも、同じように感じます。そういう人ほど、陸上競技の人気の有無が、自分の生活に跳ね返ってくることはない立場にいます。その2つの駅伝だったらもちろん、レベルが高い全日本実業団対抗駅伝を大きくしたいに決まっている。でも、そう踏み切れない現実があるのです。テレビも雑誌も、そういう状況で陸上競技の報道に関わっています。
世界選手権のテレビ放映では人気のあるタレントが陸上競技に興味のない人に、「陸上競技はすごいよ、面白いよ。この選手は、こんな奴だよ」と紹介して興味を持たせてくれる。多少、ピントはずれのことも言うかもしれません。オタクから見たら“なんだよ”というようなことでも、素人代表の立場で疑問を口にする。ですが、それをフォローして、競技の専門的な面白さを紹介する解説者やキャスターの方たちがいるわけです。タレントが優勝候補と紹介した選手がなぜ、負けたのか。どうして、テレビ局が事前に製作したVTRと違った展開になったのか。
最初に書いたように、意見を言うのはいいことです。しかし、「タレントがよくない」とか、「キャッチコピーがよくない」とか、細かいことをいちいち言うのでなく、「陸上競技のこういった部分の面白さが今の放映では伝え切れていないから、こうしたらもっと視聴者が陸上競技を楽しめる」と、前向きな意見を言うべきでしょう。繰り返しますがテレビは、陸上競技をほとんど知らない人を相手にしています。その視点がなかったら、ただのオタクの居酒屋話です。寺田に言っても始まらないのですが、もしも“これは”と思える意見が来たら、TBSサイドに伝えます。長文はよくないでしょうね。
また、くそまじめな話を書いてしまいました。“堅いことは書くなメール”が来るかな。
◆8月20日(土)
12:05に羽田空港に。陸マガの仕事で、某指導者への取材です。かなり大きな企画で、今日だけで全部を取材することはできませんが、連載の1・2回目のネタをなんとか仕込んでおこうという目的です。
しかし、土曜日のお昼ということで、空港内の飲食店はどこも満席状態。やっと空席のある寿司屋を見つけてにぎり盛り合わせをパパッと食べ、話のできるカフェに移動して取材。空いているカフェを見つけるのにも、ちょっと手間取りました。1時間ほど駆け足で多くの要素を聞きましたが、面白い話を聞くことができました。連載2回目分の話まで全部を取材することはできませんでしたが、日程的には大丈夫ですし、楽しみが先に1つできたという感じです。
ユニバーシアードは最終日。日本選手が大活躍しました。
男子400 mHでは成迫健児選手が48秒96で2位に大差をつけて優勝。共同通信の記事によれば、最初から飛ばして力の差を見せつける走り方をしたとのこと。国内でレベルの高い記録を出せても、その直後の海外で力を出せないと、それを壁と感じてしまうことになりかねません。世界選手権とユニバーシアードの連戦で、成迫選手はそこをクリアしたと言っていいでしょう。今後が楽しみです。
頑張ったのが2位の小池崇之選手。自己新ではありませんが49秒7*で、2位から★位までが0.★秒差という2位争いを制しました。日本選手って、こういう混戦に弱いのですが、そこで競り勝ったのにはオッと思いました。これまでも注目選手の陰で、経験を積んで、地道に力を蓄えて、後に花開いた例もあります。順大の先輩の山崎一彦選手(現、福岡大コーチ)がそうでした。
4×100 mRは優勝したイタリアに0.04秒差。見たかったですね。4走の高平慎士選手が差を詰めたのかどうか。ヘルシンキでは「海外では21秒が切れない」と嘆いていた同選手が、イズミールの200 mでは準決勝で20秒77(−0.7)を出して、決勝では銀メダル。今季、国内で試合を重ねるなかで、つかんだものがあると話していました。ヘルシンキではアテネ五輪に続いて力を発揮できなかったので、ちょっとまずい状況かな、と感じたのですが、成迫選手同様クリアしてくれたようです。
寺田も世界選手権からユニバーシアードに足を伸ばす希望はありました。トルコは行ってみたい国のリスト上位にランクしている国ですし。体力的に絶対に持たない、と思ったので断念したのですが、今回の日本選手の活躍を知ると、行っていればよかったな、と感じます。が、明日から来週の金曜日まで、1日平均300行の原稿を書かなければなりません。やっぱり、無理でしたね。
でも、9月中旬にはアジアのどこかに行くプランも浮上しています。そして10月には、再度ミシガン湖畔に。現時点では国近友昭選手と佐藤敦之選手の参加が濃厚。ヘルシンキで代理人のブレンダン・ライリー氏とシカゴの話をしたら「男女でもう1人ずつ、日本選手の参加があるかもしれない」と言っていました。
でも、シカゴのホテルが取れないんですよ、ダウンタウンでは。1泊3万円とか4万円ならあるのですが、さすがに出せません。また、空港から通うことになるのかな。岡山のSP記者はどうするのだろう?
◆8月21日(日)
昨晩、久しぶりに自宅に戻り、今日はずっと自宅で原稿書き。自宅だと資料が少なくて書きづらいのですが、先月、自宅もADSLの常時接続にしたおかげで、ネットで調べものができるようになったのが役立っています。
陸マガ9月号も届いていました。成田で尾方剛選手の帰国会見時に、陸連の方が持っていたのでパラパラと見ましたが、じっくりと読んだのは昨日が初めて。発売日から10日近く経ってから手にするのは珍しいケースです。
インターハイはかなり盛り上がったように感じました。毎年盛り上がる大会ですけど。男子短距離2冠の石塚祐輔選手(土浦三高)は200 mで金丸祐三選手(大阪高)を退けていますし、タイムも20秒79(高校歴代3位)ですから、かなり強いですね。山内健次選手の日本記録も20秒7台でしたから。時代が違いますけどね。時代というか、トラックが。それはともかく、石塚選手は茨城県の選手。インターハイ2年連続100 m&200 m2冠(78年&79年)の都筑政則選手の再来ですね。古いか? そういえば以前、古井辰郎という全日中に優勝した選手がいたような…。
女子100 m・200 mの2冠となったのは、埼玉栄高の高橋萌木子(ももこ)選手。同高としては柿沼和恵選手以来の短距離個人種目2冠です(91年に100 m&200 m、92年は400 mを加えた個人3冠)。女子100 mでは中村宝子選手(浜松西高)、200 mでは長倉由佳選手(静岡市立高)が2位に。静岡は寺田の出身県です。前評判はそれほど高くなかっただけに、“やるじゃん”と感じました。
静岡勢では男子棒高跳で川口直哉選手(磐田南高)が5m15の自己新で優勝、笹瀬弘樹選手が5m10の高1最高タイで2位。笹瀬選手の父親の正樹さんは、浜松工高でしたが前述の都筑選手と同学年。ヘルシンキに来ていらした指導陣のなかでは、高野進コーチ(静岡・吉原商高)、中国電力・坂口泰監督(広島・世羅高)も同学年ですね。
考えてみたら、千葉インターハイは世界選手権より先に行われた大会でした。ヘルシンキで会った人たちのうち、埼玉栄高女子の清田先生は、千葉で総合5連勝をやってのけてから視察に来られたわけです。中国新聞・山本記者も、千葉で取材をしてからの来ヘル。中国地区では女子400 mの久保瑠里子選手(井口高)と3000mの新谷仁美選手(興譲館高)、走幅跳の白神有美選手(下関商高)が優勝、男子400 mや女子走高跳でも広島県の選手が2位に入っています。きっと、忙しかったでしょう。
そしてヘルシンキでは為末大選手と尾方剛選手と、広島県出身選手が銅メダルを獲得。寝る間もないくらいに忙しく働いていました。フィニッシュ・コーヒーを寺田におごる時間がなかったのもうなづけます。
◆8月22日(月)
19日の日記に書いたテレビ放映に関する記述は平凡すぎたかな、誰でも思いつくことだから反響は少ないかな、と思っていたら、数通のメールが来ました。絶対数が多くないので、どの意見が多かったとはいえないのですが、寺田に対する批判もいただきました。
19日と同じことを書きますが、悪いところを改めてもらおうと意見を言うこと自体は、良いことだと思います。愛好家の方たちの意見にも、これはと思うものはあります(と書きましたよね)。実際のテレビ放映を見ていないわけですし、批判の内容から判断して、現行の放映が全て良いとは言いません。特に、陸上競技オタクから見たら、“なんだよ”と感じる部分もあるのでしょう(18日の日記に書いたように、自分もオタクに入るという認識です)。
ただ、テレビ局にも置かれている立場があります。陸上競技の中継を見てくれる人間を何百万人単位で増やす、というスタンスでやらざるを得ない。陸上競技への興味も知識もあまりない人間が、たまたま世界選手権を放映しているチャンネルを見たときに、そのまま見続けてもらう必要がある。そこを理解しないで、陸上競技オタクの立場だけでものを言ったら、どこまでいっても平行線です。
陸上競技に詳しい人間にとって「最低限」と思う部分と、一般の視聴者やテレビ局にとっての「最低限」は違うということです。その部分を悪だと決めつけたら、それはオタクの物言いになってしまいます。そこへの拘泥よりも、これもすでに書いたように、“こうすれば陸上競技の面白さを伝えられる”という意見が、両者にとって大事だと思います。
現行の放映では陸上競技の面白さが伝えられていない、という指摘はありました。でも、陸上競技をほとんど見たことがない人が、何分間かは陸上競技を見てくれる。それだけでも、違うと思うのですが。
冒頭にも書いたように反響のメールの内容はバラバラ。従来通りの陸上競技オタクとしての意見を強い調子で繰り返すだけのものもありましたし、「タレントのファンから陸上競技ファンになった」というものもありました。
面白かったのは、テレビ放映とは直接関係ありませんが、オタクの語源を書いてくださった方のメールです。その説明によると、オタクというレッテルを他人に貼るのは、本来、とても失礼なことだそうです。寺田もなんとなく、そういった認識というか、感覚がありました。陸上競技がマイナーと思われる現状でも、一生懸命に応援してくれるファンを、本当はオタクとは言いたくありません。以前から書いているように、能動的なファンという言葉を使いたい。
しかし、テレビ局の方の説明ではオタクという言葉はいまや、一種の流行語なのだそうです。元々の意味とは違ったニュアンスになってきていますし、世間はその感覚で陸上競技ファンをオタクと見るのでしょう。言葉とは、そういうもの。普及すればするほど、違った使い方が広まる可能性もあります。
メールをくれた方によれば、ネクラも当初とは違うニュアンスになってきているのだそうです。元々は、表面的に明るく振る舞っても根は暗い人、という使われ方をされていたのですが、今では単に、性格の暗い人を指す言葉になっている。これも、広く流行したことで、徐々に使われ方が変わっていったのでしょう。
陸上競技も普及すればするほど、色んな人間が関わるようになります。現に、寺田のように陸上愛好家から非難される人間が、陸上競技専門のライターなんかをやっている。悪者になるのを覚悟の上で、陸上界内部とは違った価値観で陸上競技に関係してくる人間がいることを、知ってもらいたかった……などと書いたら、格好つけすぎばやしですね。杉林孝法選手が格好を付けていると言っているわけではありませんけど。って、2年くらい前にも書いたような気が…。
◆8月23日(火)
なかなか原稿が進まず、1日300行ペースからかなり遅れています。ということで、深夜の0時を過ぎてから、150行原稿を2本書き上げました。ちょっとだけ挽回したのですが、大勢はまだ、予定のペースよりも遅れています。頑張らないと。
原稿を書く合間に、陸マガ9月号をちょこちょこ読んでいます。それで気づいたのがインターハイの女子800 mと1500mで小林祐梨子選手(須磨学園高)が2冠を達成したこと。女子1500mが始まったのが2001年からと歴史が浅いこともありますが、この2種目の同時優勝は小林選手が初めてです。
ヘルシンキ世界選手権ではラムジ選手(バーレーン)が、東京五輪のスネル選手(ニュージーランド)以来の男子中距離2冠を達成して話題になりました。なんでもかんでもヘルシンキと結びつけるのはどうかとも思いますが、帰ってきたばかりなので、許していただきましょう。
これはまだ仮説の段階ですが、女子よりも男子の中距離2冠選手の方が少ないんじゃないでしょうか。世界選手権とオリンピックでの中距離2冠は、男子は前述のように1964年以来のことでした。一方の女子は2004年アテネ五輪のホームズ選手(英)、1996年アトランタ五輪のマステルコワ選手(ロシア)、76年モントリオール五輪のカザンキナ選手(ソ連)と、多いとは言えませんが、男子よりは多い。実はオリンピックでも、女子1500mは72年のミュンヘン大会が最初なのです。
日本選手権でも男子では石井隆士選手の1977年が最後なのに対し、女子では早狩実紀選手が96年に達成しています。でも、その前となると1979年の三田孝子選手ですし、対する男子の方は、石井選手の少し前に、水野一良選手や、太田徹選手も2冠をやってのけています。
インターハイの男子では、あの佐藤清治選手が99年に2冠を達成しています。その前となると、あの中村恵一郎選手(現、信濃毎日新聞記者)です。86年ですね。その前となると、74年の瀬古利彦選手!!
中距離2冠は世界レベルでは男子が少ないと言えるのですが、日本レベルでは何とも言い切れません。インターハイでは、女子の今後に左右されますが、やはり男子の2冠は少ないようです。統計学的にはどうなのでしょう。このくらいのサンプルでは、傾向がどうだとは、言い切れないのでしょうか。
◆8月24日(水)
本日は朝早くに電話取材を1本。夕方、某誌編集部へ。その後、新宿の作業部屋に戻って、この日記を書いています。ちょっと時間をかけすぎかな。
さて、反響の多い世界選手権テレビ放送ネタですが、いただいたメールの数が12通に達しました。2回送ってくれた方も1人いて、延べ13通。思ったより少ないと感じた方もいるかもしれませんが、これまでのなかでは多い方です。たぶん、女子マラソンのアテネ五輪代表選考に次いで、2番目くらいに多い。“くらい”と書いたのは、地区インターハイのレベル較差(格差よりも、較差が適当でした)の件や、男子1万mの世界選手権代表選考ミスの件と同じくらいの反響です。
“これは”という意見もありました。臨場感、ライヴ感をもっと出せないか、という意見です。あまりにもスタジオの映像が長すぎると、今、現地でやっているのでなく、スタジオでリメイクしたような感覚になってしまうという指摘。
これも、スタジアムの雰囲気を知っている人間の感覚かもしれません。その経験がまったくない人たちは、案外、今のやり方に、ライヴ感を感じている可能性もある。ここが判断の難しいところです。
それでも、この意見は一考に値すると思いました。陸上競技の現場を知っているからこそ、それをできるだけリアルに伝えたいという意欲を感じました。なるほど、と思いましたね。
しかし、それ以外では相変わらず、大局的でない細かい部分への拘泥が多いように思いました。インタビュアーやタレント、アナウンサーの言葉を1つ1つ取り上げて、“これはどうなんだ。けしからんだろう!!”と送って来るのです。そこを改善することが、テレビ放送の改善だと言います。アナウンサーの絶叫への批判も多いですけど、たまにチャンネルを合わせる視聴者が多いことを考えたら、やむを得ない面もある。“この絶叫はなんだろう?”と、興味を引くのも、1つの方法です。それがイヤでチャンネルを回す陸上オタクと、どちらが多いかを計算するのではないでしょうか。「このあとすぐ」と言って、実際のスタートまでにVTRを入れるのも同じ視点でしょう。ただ、その度合いがあまりに常識外れで、今回は問題になったようです。
個々のよくない点は、指摘すればいいことです。それが悪いとは言っていません。でも、そのなかには必ず、陸上オタク特有の意見が含まれている。というか、はっきり言って多い。何がオタク的なこだわりに過ぎないのか、見極める目を持って欲しい。そして何を、テレビ局側が意図していることなのか、考えられる心のゆとりを持って欲しいのです。その上で、陸上競技のここを紹介したら、という提案ができたら一番いい形だと思います。
寺田への批判も相変わらず。テレビに抗議をしている人間を馬鹿にしている、と決めつけている方もいました。一応、22日の日記に以下のように書いているのです。
悪いところを改めてもらおうと意見を言うこと自体は、良いことだと思います。愛好家の方たちの意見にも、これはと思うものはあります(と書きましたよね)。実際のテレビ放映を見ていないわけですし、批判の内容から判断して、現行の放映が全て良いとは言いません。特に、陸上競技オタクから見たら、“なんだよ”と感じる部分もあるのでしょう(18日の日記に書いたように、自分もオタクに入るという認識です)。
ただ、テレビ局にも置かれている立場があります。陸上競技の中継を見てくれる人間を何百万人単位で増やす、というスタンスでやらざるを得ない。
このあたり、かなり気を遣って書いているつもりです。AMPMのCMのように「つもりになってんじゃないわよ」と、言われてしまう部分でしょうか。
放送を見てもいないのにテレビ局を擁護するな、とも糾弾されました。これも上記の部分で、放送内容を全面的に肯定しているわけではないことを、書いたつもりです。放送内容がどうだと言っているのでなく(見ていませんから言えませんよね)、オタク的ファンの批判の多くに、大きな枠組みで見た場合、受け入れがたい要素があるという意見なのです。そこばかりを批判しても、ずっと平行線になってしまう。それは、実際の番組を見なくてもわかります。
だったら、こうすれば陸上競技の面白さを伝えられる、という意見を出すことで改善される部分が出てきたら、オタク的ファンとテレビ局側の双方にいいことでは、と考えました。それが結果的に、テレビ局側に立っているような書き方になってしまったのでしょう。一方の意見がよくないと書いたら、もう一方の側に立っていることになる……のかな。
寺田の今の立場なら、オタク的なファンとテレビ局の間に入って何かできるかもしれない、と考えたのですが、その考え自体に過信、驕りがあったのではないかと感じています。どうやら、反感を買うばかりで何もできないみたいです。
◆8月27日(土)
17時から北海道マラソンの開会式がありました。16時には大会本部ホテル着。受付で金哲彦さんとお会いしたので、しばらくヘルシンキのことやら、ネットの有効な利用法やら、その他いろいろと話をさせていただきました。
開会式前に小森コーポレーションの若倉監督と、北海道文化放送の近田誉アナが一緒に会場にやってきました。若倉監督が法大、近田アナが明大競走部の出身。聞けば、近田アナが大学3年、若倉監督が4年の時の東京六大学1500mで対決したとのこと。若倉監督が3位、近田アナが6位だったそうです。
大塚製薬・河野監督、くろしお通信・松浦監督とも話をしました。共同通信・宮田記者、中日スポーツ・井上記者も一緒です。宮田記者のギャグは、封印しましょう。河野監督には一昨日に電話でヘルシンキのことを取材したばかり。松浦監督には、ヘルシンキの大森輝和選手の失速の原因を聞きました。
予想通り、先頭を独走したときのペースが速かったのではなく、引っ張っているときの走りに力みがあったのだろうということです。そして、集団に追いつかれたときにも、一気に硬さが出てしまった。集団が5000mを13分50秒くらいで通過するペースが、大森選手と松浦監督が考えていた最適ペースだったようです。仮に、スローペースの集団についていたら、28分台前半では走れたと思われますが、中盤以降のどこかで一気に離される“いつも”の展開になっていただけだったでしょう。
その他には、1万mの27分台選手を持つチームの監督2人ですから、そのあたりの話も少々。
明日の一番のみどころは、千葉真子選手と嶋原清子選手の再戦だと思って、この記事を書きました。現時点の材料(過去の経緯など)で、そう思われるということで、実際に何が面白くなるかは、蓋を開けてみないとわかりません。展望記事とは、“その時点で面白いこと”を書くしかないのです。
その他、メンバーを見ていくつか、面白い組み合わせや共通点もあります。
市橋有里選手と佐藤信之選手は、99年のセビリア世界選手権のメダリスト同士。男女のマラソンが同時に行われるのは、国内では北海道くらい。恐らく、セビリア以後、2人が同じマラソンを走るのは、初めてじゃないでしょうか。トラックでもあったかどうか。
佐藤選手はこの3月までは旭化成の選手でしたが、現在はトヨタ紡織のコーチ。千葉真子選手もご存じのように元旭化成。“元”と“現”の旭化成選手が多いのも、今大会の特徴でしょう。“現”では佐藤智之選手、小島宗幸選手、渡辺共則選手、“元”では前述2選手に藤川亜希選手がそうです。佐々勤選手も現在は、競技部とは別に活動しています。千葉選手は“元”小出義雄監督門下でもあり、堀江知佳選手や疋田美佳選手と一緒にやっていた選手が多いと、雑談中に話していました。
山梨学院大を卒業したばかりのモカンバ選手は、ヘルシンキで先輩の尾方剛選手が銅メダルをとって、刺激となっているでしょう。ジェームズ・ワイナイナ選手は、仙台育英高の後輩のサムエル・ワンジル選手が1万mで26分41秒75のジュニア世界新を出し、こちらも刺激となっているはず。ただし、若倉監督によれば、5月にヒザの脂肪を取り除く手術をしたのだそうです。それでも、その後の練習は順調。明日は前半から飛ばすかもしれません。
故障明けと言えば、パリ世界選手権以来となる松岡理恵選手も、どんな走りをするのか楽しみです。
ここが最新です
◆9月10日(土)
ただいま長野新幹線の車中です。昨日、今日と菅平で重川材木店の夏合宿の取材でした。菅平は初めて。泊まったのはロッジすずもと。野口みずき選手もよく使用しているようで、廊下にはこんな色紙が飾ってありました。よく見ると、広瀬コーチが野口選手のイラストを、野口選手が広瀬コーチのイラストを描いています。
8月の北海道、9月の菅平は実業団長距離チームの合宿メッカ。同じロッジにホンダ、SUBARU、アコムが泊まっていましたし、練習ではスズキ、愛三工業、愛知製鋼、中央発條、ヤマダ電機、スターツらの実業団勢のほか、日体大、専大、東海大といった関東の学生選手たちを見かけました。日体大・別府監督も元気そうです。
駒大も今日から菅平入りするとか。昨年もそうでしたが、今年もシーズン前半のトラックではパッとしなかった駒大。ユニバーシアードに3人の代表を送った東海大とは対照的でした。ですが、風の噂では駒大陣営に焦りは見られないとか。このあたり、今季の焦点の1つだと思っています。
今日の昼間は日射しも強くて気温もそこそこ上がったと思いますが、1300mの高原はやっぱり涼しい。夏の北海道でもいつも感じることですが、季節限定で仕事場を丸ごと移せたらいいのに、と。まあ、言ってもせんないことですが。
2週間、日記を書けませんでした。1日平均、300行の原稿を書かないといけない期間があって、でも結局そのペースは守れず遅れ遅れになって、また次の締め切りが来て、ということが繰り返されて、なかなか大変でした。8日に陸マガ10月号の最後の原稿を書いて、昨日から菅平取材という流れです。その間、北海道マラソンで日記用のネタがあったと思うのですが、残念ながらよく覚えていません。本サイト用に記事は書きましたが、もう1本ネタがあります。夏期休暇(!!??)前に書けたら掲載します。
先週は筑波大で日本陸上競技学会。2日間開催の学会ですが、時間がなくて2日目だけの取材に。受付担当は女子短距離の植竹万里絵選手や、やり投の中野美沙選手ら豪華な顔触れ。報道受付はさらに超デラックスな人選で、マリナーズのイチロー選手。かと思ったらISHIRO!記者でした。筑波大OBで今学会の広報担当者。広報は報道の立場を理解していないと難しいところもありますので、記者が務めることもよくあります。
室伏広治選手の講演と、谷川聡選手の発表を見学しました。室伏選手は予想以上に細かいデータを提示してくれましたし、ハンマー投の動きと共通点の多いという投網を、実際に壇上で投げてみせるなど、普段は見られない“研究者”としての一面を見せてくれました。質疑応答にも、興味深い話をたくさんしてくれました。
谷川聡選手は筑波大の学生選手の動きを、実例として見せての研究発表。成迫健児選手、大橋祐二選手、長谷川充選手ら学生トップ選手の走りやハードルジャンプ、データ測定をその場で見せながらの説明は、説得力がありました。内容も、我々素人でも鋭いな、と思える点が多々あって、面白く拝聴させていただきました。
2選手の発表内容を、簡単に紹介できたらいいのですが、これも時間的に厳しそうです。
両選手の発表は午前と午後。昼食は、筑波大OBの陸マガ高橋次長と、静岡のラジオ局の秋山アナ(女性)と3人で、近くのファミレスに行きました。何を隠そう、これこそがつくばに行った最大の目的でした。
つくばのファミレスは、つくばという土地の置かれた状況から、東京では考えられないような目的に使用されている、と以前、ISHIRO記者から聞かされました。部内では怖がられている先輩が、ファミレスでは女性とデートをしてデレデレしている、というような例を挙げていたのだったと記憶しています。それで、ファミレスをデートに使うべきかどうかで、3年ほど前だったでしょうか、ファミレス論争が勃発したのだったと思います。今日のネタとその論争とは直接関係がありませんが。
ご存じのように8月24日につくばエクスプレスが開通しました。秋葉原からの所要時間が約45分。実際に乗ってみて「筑波がこんなに近くなったのか」と感動しました。これは、つくばと東京が近くなって、つくばにおけるファミレスの果たす役割が変わるのではないか、という仮説を立てました。それを検証するために、昼食をファミレスでとることにしたわけです。
トラックから5〜7分の距離にあるデニーズに行きました。アコムの平野コーチがいました。「つくばオリジナルメニューはありますか」という寺田の問いかけに、ウエイトレスのお姉さんが笑って「ないんですよ」と答えてくれたのは、嬉しかったですね。ちなみに、全国同じメニューのようです。以前、姫路であるファミレスに行ったら、東京とメニューが違ったことがあったのですが。たまたまメニューを刷新した直後に行ったのかもしれませんけど。
肝心の「つくばエクスプレス開通で、つくばのファミレスの果たす役割が変わったのではないか」という崇高な仮説は、検証できませんでした。当たり前ですよね。1回行っただけで、わかるはずもありません。選手の気持ちを理解するために、その競技をやってみる、という企画のお粗末さと似ています。自分の人生を懸けて全力で取り組んでいる選手と、素人が試しに、ちょっとだけかじってみるのでは、立場がまったく違う。その競技における体力も技術もまったく違います。選手の気持ちになれるわけがありません。でも、やらないよりは、やってみた方がいい?
◆9月11日(日)
昨日、今日と日本学生チャンピオンシップが平塚で開催されていましたが、昨日は菅平で取材、今日は締め切りがあって取材に行くことができませんでした。せっかく近場で開催されているのに残念です。日本学連のサイトで成績をチェックすると、メンバーもいまひとつですし、コレという記録は出ていません。その中で目を引いた種目が男子三段跳でした。鹿屋体大の藤林献明選手が、関東・日本両インカレ覇者の梶川洋平選手(法大)や、トワイライトゲームスで15m96の自己新を出したばかりの竹内選手(早大)を破って優勝。手元で確認できる資料では、16m13(+1.1)は自身初の16m台です。今季学生最高? ですよね。九州学生歴代2位でもあります。
もう1人は、トワイライトゲームスの300mの記事で言及し、谷川聡選手の日本陸上競技学会の発表でも活躍した長谷川充選手(筑波大)。200 mに20秒89(+2.1)の好タイムで優勝しています。
筑波大といえば、「筑波大400 mブロックは、黄金時代を超えたか?」をエッセイとして書かせていただきました(まだ途中ですけど、エッセイと言っていいのかどうか?)。なんで筑波大を取り上げたかといえば、日本陸上学会の取材の際に開通したばかりのつくばエクスプレスに乗ったからですが、世界選手権からずっと、筑波大の400 m&400 mHを取り上げたいと考えていたのです。
というのは、ヘルシンキでは成迫健児選手が4×400 mRで失格していました。陸マガ次号の「データで見るヘルシンキ世界選手権・日本編」(タイトルは変更されている可能性あり)で、日本リレーチームの世界選手権での失格が*******だと書いていますが、その際、過去のデータを見ていてOBを含む筑波大選手が4×400 mRを走ったのは、1983年の第1回ヘルシンキ大会以来だと気づいたのです。しかも、4人のメンバーのうち3人が筑波大。それで、このネタをいつか書こう、と思いつきました。
実は石原未来 日本生還記念として書くことも考えていました。インターハイ走高跳優勝者で筑波大OBの石原さんが、昨年TBSに入社して、ヘルシンキでものすごいハードワークをこなしていたからですが、世間的な話題としてはつくばエクスプレスの方が上かなと思って。でも、どちらにするか、相当に悩みました。
実は陸マガの高橋次長も筑波大OB。跳躍ブロックで、あの村木征人先生の教え子です。これはずいぶん以前に書きましたが、彼は入社してしばらくは、コーチングクリニックの編集部員で、当時陸マガ編集部にいた寺田とは、なぜか席が隣合わせでした。インカレで筑波大の成績がよかったり、OBを含む筑波大選手が活躍したら、寺田が缶コーヒーをおごっていました。逆に、成績が悪かった場合は、おごってもらっていました。おごる、おごらないの判断は寺田がしていましたが、彼がおごった回数の方が多かったような気がします。
そのくらい、母校の伝統づくりに関わってきた自負が、高橋次長にはあったのです。決して強い選手ではありませんでしたが、キーボードのタイピングの速さは筑波OBで一番でしょう。日本陸上競技学会のときも、メモをノートに取るのでなく、愛機の白いパワーブックに目にも留まらぬ速さで入力していました。それで、つくばエクスプレスと呼ばれて……ではなく、高橋次長と成迫選手と石原さんと、いろいろ重なってエッセイを書くモチベーションになった次第です。
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