続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2002年6月 やっぱ6月でしょ、日本選手権は。
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■7月3日(水)
ユーロ日記2002・7日目 ローザンヌ4日目 その1
 午前中は日本と電話での打ち合わせが2つ。食事前にスポニチ用の記事を書き、9時半頃に朝食。昼過ぎまでWEBサイトの更新と、洗濯、パリ取材の下準備など。ヘッドラインやサイト更新情報など、M岡さんがマメに知らせてくれるので、海外にいても短い時間で作業ができます。ホント、助かっています。
 今日は終日、ローザンヌ滞在。これから出かけて、大会本部ホテルで何か新しい情報があったら仕入れ、どこかレマン湖畔で食事でもして、ゆっくりパソコンに向かいます。


■7月2日(火)
ユーロ日記2002・6日目 ローザンヌ3日目 その2
HSIとハードルな一日
 17時30分のシャトルバスでスタジアムに。満室だったり値段が高かったりして大会ホテルに泊まるのは困難だが、そこから近い宿が取れると、このてのことができるので助かる。車中、隣に座ったのはブルガリアのジヴコ・フィデノフ(Zhivko VIDENOV)選手。110 mHで13秒33が自己ベストで、今季は13秒41がベストだとのこと。英語があまりできないようで(寺田もだが)、あまり突っ込んだことは聞けなかったが、ヨーロッパ選手権には出場できそうだと言っていた。「僕の先祖はオスマントルコと戦いつづけた家柄だから、ワールドカップのトルコ対日本戦では日本を熱烈に応援したんだ」とは、言っていなかった。でも、ちょっとでも会話を交わすと、レースを注目して見たくなる。
 2列前の席には、中国人らしき選手とコーチの2人連れ。スタートリストを見る限り、中国人選手は1人しかいない。110 mHの劉翔に違いない。まさかその後、あんな事態が展開しようとは…。
 スタジアムに向かう渋滞に巻き込まれ、昨日は10分で着いたのに今日は35分も要した。来年、ローザンヌに来る選手はこの点をちょっと気をつけた方がいい。たぶん、そんなに余裕のない行動をとる選手はいないだろうが。
 プレスルームとプレス席などの場所や使い勝手は、昨年のことを思い出せたので問題なくいけた。競技前にちょっといいことがあった。もしかしたら、今回の取材旅行で一番の想い出となるかもしれない。それが何かは……ちょっと内緒。
 寺田は今回も航空券をHISで購入したことは「ビスレットゲームズ観戦&ちょっと取材記」に書いた。男子400 mH五輪銀メダリストのソマイリーが、1台目から脚が合わずに失敗したのを見て「HSIのスミス・コーチからは何を教わっているんだ、と言いたくなった」と、書いた。そのスミス・コーチとばったりはち合わせしたのが、男子100 mB組のレースをビデオに撮影しようと、記者席の高い位置に陣取り直したときだった。
 面識はないので「あんたの斜め前でビデオを撮るけど、座るからいいだろ」と、身振りと目で説明。「いいよっ」と応えるスミス・コーチ。あとで朝原選手から聞いたところによると、B組のコンライト(Kaaron Conwright・10秒37でB組5位)がHISの選手で、サブトラックでのアップ中から、スミス・コーチが付きっきりだったそうだ。朝原選手が外国選手をぶっち切ったレース後、スミス・コーチが寺田の肩をポンと叩いてくれた。正直、ちょっと嬉しかった。「オスロのソマイリーの件は許してやるよ」と内心思ったが、口にはしなかった。
 今大会、HISのエース、100 m世界記録保持者のモー(グリーンの愛称)は体調不良で欠場。しかし、ずっと記者席の一画に陣取っていた。HSIは代理人のハドソン氏、スミス・コーチ、モーが3巨頭。モーとハドソン氏(この2人とは秋葉原に一緒に行きました)、モーとスミス・コーチが一緒にいる場面は何回も目撃しているが、3人一緒だったのは初めて見たので、写真を撮りました。プレスルームからスタンドのプレス席に移動中、モーとばったり会ったとき、向こうから握手の手を差し出してくれたのもちょっとウレピー(佐々木記者のメール用語)。
 その後、朝原選手のコメント取り。一緒にビデオを見直したり、ザカリとのツーショット写真を撮っていたので、そこそこ時間がかかった。バスで隣席だったフィデノフ選手の男子110 mHC組と、同種目のB組は見られなかった。まあ、仕方ないし、そんなすごい記録が出るとも思えなかったので、気にもとめなかった。ところが……。
 男子110 mHB組で“すごい記録”が出ていた。バスで2列前の席にいた劉翔(中国)が13秒12のアジア新を記録していたのだ。これまでのアジア記録はリィ(李)・トン(漢字出ない)の13秒25。めちゃくちゃ大幅な記録更新だ。それに気づいたのが配られてきたリザルツをチェックしてからだったので、かなり後だった。昨年のユニバーシアード優勝者とは知っていたが、今年で19歳とジュニア資格があることは知らなかった。つまり、ジュニア世界新だったのだ。
 取材できなかったことを悔やみながら最終のバスでホテルに着くと、なんと劉がホテルまで2人の白人選手と話をしているところ。渡りに舟、とばかりにそこに加わり、ちょっと取材らしきことをしてしまった。詳しくは(って、それほど詳しくはできないが)記事にする予定。白人選手の1人は400 mHのモナコの選手(ベスト記録は49秒65のMehdi選手だそうな)で、さかんに劉をモナコのグランプリに出ないかと誘っていた。朝原選手もモナコのグランプリに出たことがあると、話題にしていた。そのあたりで劉の口から「イーットン」という言葉が出た。劉選手はあまり英語を話せない。モナコ選手も寺田も、前のアジア記録保持者であるリィ・トンのことだと思って聞き返したら、「リィ・トンじゃなくてイーットン。イーットンだよ」と言う。「100 mのアジア記録保持者だよ」と言う。伊東浩司選手のことだったのだ。なるほど、「伊東」は中国語的な発音だと「イーットン」だったのか。
 その後、深夜1時前後だったと思うが、朝原選手のパリのゴールデンリーグ(7月5日)出場が決まった、という情報を得て、安心して一日を終えられた。充実した一日だった。


■7月2日(火)
ユーロ日記2002・6日目 ローザンヌ3日目 その1
日本のトラック3選手はB組
 13時まで原稿書き。やっと日本から持ってきてしまった仕事をやり終えました。ホッとしました。14時に買い物を兼ねて大会本部ホテルへ。最新のスタートリストを入手(欲しい人が、欲しい種目だけパソコンからプリントアウトするシステム)。朝原・為末・千葉の3選手にそこでバッタリ。朝原選手の体調は、一気によくなったようです。
 しかし、3人とも残念ながらBレース。銅メダリストの為末選手のBというのは合点がいきません。しかし、朝原・為末選手ともトップでフィニッシュする可能性が出てきたわけです。昨日、朝原選手も、「B組で9秒台を出せばトップでフィニッシュできそう」だと話していました。ということは、ゴール脇の速報タイマーが9秒台で止まり“その瞬間”がすぐにわかるということです。ビスレットのC組でトップになったザカリ(エドモントンでも因縁がある)に勝てれば………。
 では、取材に出かけます。天候はいいです。風も弱いし。


■7月1日(月)
ユーロ日記2002・5日目 ローザンヌ2日目 その2
 昼まで原稿を書き、14時頃大会本部ホテルに。寺田の泊まっているホテルは、本部ホテルから徒歩5分の近さです。午前中に朝原選手に電話をしましたが、あまり早過ぎても迷惑かな(「あさっぱらから何ですか」なんて言われたりして)と思って、10時に電話しました。部屋には不在でメッセージを残しました。
 ホテルに着いて2階のプレスオフィスで受付を済ませ、1階のロビーに降りてくると、ちょうど朝原、今井美希、為末大選手が食事から戻ってきたところでした。ビスレットの100 mのビデオを見せたり、日本から持ってきた携行栄養補助食品(ビスケットではない)を差し入れたりして、1時間ほど話していました。その後、選手たちがスタジアムに練習に行き、ちょっと遅れて寺田もスタジアムに。その間に、K通信・K記者がいらして、一緒に練習の取材に。スタジアムには千葉佳裕選手もいて、明日、試合に出る日本選手が勢揃いしていました。
 選手たちは皆、特に不安材料もない様子。千葉選手だけが、すでに3試合をこなしていますが全て50秒台、「調子が悪くて…」と漏らしていました。朝原選手は体調に若干の不安もあるようですが、動き自体は「普通」とのこと。今井美希選手は「1m95の世界選手権A標準が目標」で、為末大選手は「48秒5くらい」との自己予測。
 7時過ぎにいったんホテルに戻り、荷物を置いてローザンヌ駅に。4日朝のパリ行きTGVの席を予約しました。K記者と食事をしてホテルに戻り、また原稿書き。


■7月1日(月)
ユーロ日記2002・5日目 ローザンヌ2日目
 朝、起きたらこんな光景が窓から飛び込んできました。なんか、幸せを感じてしまいました(単純なやつ)。朝食でコーヒーを頼んだら、濃いめのコーヒーがカップ2〜3杯分入るポットで、温めたミルクがその3分の2サイズのポットで出てきました。そうです、カフェオレなのです。ローザンヌはフランス文化圏なのです、たぶん。


■6月30日(日)
ユーロ日記2002・4日目 フランクフルト2日目→ローザンヌ
内冨選手たちとワールドカップ観戦
 10:30に、昨晩とは別のもう1つのアパートに。こちらの方が大きくて、滞在人数もちょっと多くなります。取材をして、その後食事までいただいてしまいました。ここでもカレーライス。今度は内冨恭則&山口洋司両シェフによるものです。辛さに違いはありましたが、昨晩同様おいしかったです。
 食事のあと、13時からはサッカーのワールドカップ決勝をテレビ観戦。決勝の当事国である国(ドイツ)で観戦する機会など、めったにあるものではありません。が、それでもやっぱり、日本戦を観戦するのと比べると、まったくと言っていいほど気持ちが乗りません。ハーフタイム以降は、原稿を書こうとしたくらいですから。結局、テレビを見てしまいましたが。陸上競技も多少はそういった部分もあるのでしょうが、サッカーは応援するチームや選手が出ていないと、観戦のときのテンションが下がります。ドイツで実感しました。
 元サッカー少年だったという内冨選手が、いろいろと感想・解説を話し、ときどき山口選手が突っ込みを入れるという観戦風景でした。松宮隆行選手と市之瀬進選手は、やや大人しめの観戦。単に年齢的な問題かもしれませんが。土田豊和選手だけは、途中でいなくなっていました。ドイツが2点差をつけられた時点ですかさず、内冨選手に質問。
寺田「サッカーで後半の2点差って、3000mSCだったら何秒差くらいだと思う?」
内冨「10秒くらいですかね。絶望的な差でしょう」
 サッカー観戦後はローザンヌ移動のため、すぐに駅に向かい16:05の電車に乗る予定でした。バーゼルまで3時間弱、そこで乗り換えてベルンまで1時間強、ベルンからローザンヌが1時間30分弱の所要時間でローザンヌ着が21:30頃。バーゼル、ベルンとも乗り換え時間が約10分です。フランクフルトを18:05発のでもローザンヌに23:34に着けるのですが、バーゼル・ベルンとも乗り換え時間が10分。ヨーロッパの駅は、何番線から発車するのか行ってみないとわかりませんし、すぐに見つけられるかわかりません。到着が遅れたら、乗り換え時間が3〜4分になる可能性もあるわけです。荷物をめちゃくちゃ抱えていますから、一度ホームを間違えたら、ちょっとやばいのです。
 ということで、16:05で移動するつもりでしたが、練習は暑さを避けるため16:30から。ここまで来たら、ちょっとでも練習風景を見ていきたい……。かなり悩みましたが、「ローザンヌまでたどり着けなかったら、ベルンに泊まれるだろう」、と腹をくくり、練習にも顔を出しました。
 練習場所のフランクフルト大学に向かう途中、案の定、何台もの車がクラクションを鳴らし、ドイツ国旗を掲げ、窓から顔を出して奇声をあげながら走っていきます。2〜3分に1台は必ず通ります。ドイツが勝ったら電車の中でビールがタダになるかなと予想していましたが、負けたらたぶん、腹いせにこんな反応をして気を紛らすだろうと思っていましたが、ここまで予想通りの反応をしてくれると面白くもなんともありません。
 練習には三洋信販の土谷監督と、石塚英樹選手も来ていました。写真を撮らせてもらい、17時頃に後ろ髪を引かれる思いでフランクフルト大学をあとに。
 移動の車中でも原稿書き(ビスレット・ゲームズ観戦&ちょっと取材記)。ちょっと揺れているので目に悪そう。不安が現実となったのは、ベルンでした。到着が10分遅れ、ローザンヌ行きの発車時間を1〜2分過ぎてしまいました。たぶん、待っていてくれるとは思いましたが、JR中央線が遅れても京王線の新宿発最終電車は待ってくれなかったという経験を、陸マガ時代に2〜3回経験しています。車掌に、ローザンヌ行きのホームを聞いておき、念のため荷物を引っ張って小走りをしていると、見知らぬお兄ちゃん(当たり前)が階段のところで「急げ」と合図。でも、全然余裕でした。
 でも、あまりお勧めはできない旅の仕方です。真似をするのは腹をくくれる方だけにしましょう。ということで、無事にローザンヌに到着。昨年も来ていますが、一番に好きになった街です。ちょっと感慨にひたりつつ、ホテルにチェックイン。


■6月29日(土)
ユーロ日記2002・3日目 オスロ滞在3日目&フランクフルト1日目 その2
ヨーロッパでも“ミステリアス48”を体験
 12時にオスロのホテルをチェックアウト。フライトが18:35発だったので、街のカフェで原稿を書くことも考えたのですが、空港に行けば電源も見つけられるかもしれないし、手頃なカフェを見つけるのに手間取ったら、それだけで30分、1時間と時間を無駄にしてしまう可能性もあったので、バスで空港に。
 空港のスカンジナビア航空のカウンターで、チェックイン。離陸5時間前のチェックインができるのか心配でしたが、あっさりOK。でも、座席は記入されても、ゲートが記入されていません。「ゲートは?」と聞くと、「あとで決まるから、インフォメーションボードを見ろ」とのこと。そんなことになるだろうと、ちょっとだけ予想していました。
 手荷物検査を受けて発着ウイングに。隅から隅まで歩くと、ありました電源が。ベンチの数もたくさんあって、座る場所はいくらでもあります。モスクワとは大違い。考えてみたら、オスロはモスクワより緯度的には北にあるので、寺田が行った場所の最北端記録になります。ミドルディスタンス・チャレンジの最多取材記録が佐々木記者に並ばれたので、1つくらいはこの取材で記録を更新できてよかったです。
 18時前まで原稿を書いたあと、「さてゲートは何番だろ」と探すと48番でした。はて、どこかで聞いたような、見たような数字です……なんと、こんなところにも「48」が登場してきました。まさに、偶然では片づけられない現れ方といえるでしょう。詳しくは「ミステリアス“48”の衝撃」で。
 20:30頃フランクフルト着。パスポートコントロールがなくなっています。そういえば、ノルウェーを出国するときもありませんでした。ノルウェー入国のときがどうだったのか思い出せませんが、EC(ヨーロッパ共同体)内の国同士の行き来なら、パスポートコントロールはなくなっているということでしょうか。確認したわけではありませんが。
 ホテルにチェックイン後、日本選手が合宿しているアパートにお邪魔して、坪田智夫尾池政利両シェフのつくった食事(カレーライス)をいただきました。辛かったですけど、おいしかったです。


■6月29日(土)
ユーロ日記2002・3日目 オスロ滞在3日目&フランクフルト1日目
 8時前には起床。何度も書きますが、ヨーロッパでは早寝早起きなのです。日本と連絡をとり、短い原稿を1本書いて送信。朝食が10時まで、チェックアウトが12時と日本の一般的なホテルより遅めなので助かります。
 朝食は豪華バイキング形式。ノルウェーらしく魚が中心のメニューが選べる一画があるかと思えば、ドイツ風のハムがたくさん選べる一画、イギリス風の卵・ベーコン・ビーンズ・マッシュルームの一画、そして日本風のご飯・みそ汁・鮭のなんとか焼きの一画。
 昨日はノルウェー風とドイツ風から選びました。スモークサーモンがおいしかったです。ノルウェー名産らしい酢漬けっぽくなっている小さめの魚が、3種類くらいの違うソースで出されていて、違う料理だと思って全種類とったら同じ魚でした(すいません。魚の名前がわかりません。日本でもそうなんですが)。ということで、その魚には飽きたので、今日はご飯と鮭のなんとか焼き、あとはイギリス風で決めました(とくにカッコつけたわけではありません)。
 海外出張では、ホテルの朝食をしっかり食べることが鉄則です。昼食か夕食はサンドイッチかハンバーガー、一食は抜かざるを得ない、ということがよくあるから。食欲がなくても、詰め込みます。
 フランクフルトへのフライトが18時30分なので、チェックアウト後は場所を見つけて原稿書き。次の更新は、フランクフルトか、もしかしたらローザンヌ。


■6月28日(金)
ユーロ日記2002・2日目 オスロ滞在2日目 その3
ビスレットにかんぱい
 ホテルを出かける間際に強いにわか雨。向こうの方の空は晴れていたのですぐやむとは思いましたが、ちょっと心配になりました。ホテルから競技場までは歩いて10分と聞いていたので、地図をもって出発。1回間違えただけで無事に到着しました。
 聞きしにまさる古さと小ささ。普通の道を歩いていると、競技場の正面玄関がいきなり現れて、「えっ?」というくらい……“つくり”が小さいと言ったらいいのでしょうか。昨日書いたように、確かに6レーンしかなくて国際大会をやるのにはどうかとも思えます。サブトラの有無を確認し忘れましたが、長距離選手はスタンド裏のテレビ局車両が駐車している猫の額ほどの場所で、ウォーミングアップをしています。
 そういえば、為末大選手がちょっと前に「日本は入れ物ばかり立派ですが、世界にはいろんな競技場があって、サブトラがないのは当たり前。そんなところでも、選手は平気で競技をする。外的な環境よりも中身が問題」と話していたことを思い出しました。
 そういった部分もありますが、とにかく雰囲気がいいのです。選手とスタンド(観客)との距離が近いということはかねてから聞いていましたが、距離だけでなく、全体として選手と観客が一体となれる“場”なのです。演出の部分も含めて。伝統とはよく使われる言葉です。確かに古さを感じるスタジアムなのですが、その古さが選手と観客に馴染み、伝統となっている……というか、言葉にするのが難しいですね。うーん、何を言いたいのかよくわからない文章になってしまっています。
 ビスレット・スタジアムについて書き始めると、かなりの分量になってしまいそうです。紹介したい写真もいっぱいありますし。ということで、独立した記事にする予定です。あと、ビスレット・ゲームズ観戦記も書く予定(その前に、日本から持ってきた最後の原稿を書かないといけません。いつになるんだろう)。
 受付では、昨日大会本部ホテルのプレスオフィスにいた女性の役員が、「100 mに日本選手は出ているの?」と聞いてきました。「スタートリストを見ろよ。決めてるのはそっちだろ」と言いたいのを抑えて(このくらいの英語は話せそう)、「ダメでした。ここに出たら10秒を切れたかもしれないのに」と、かなり怪しい仮定法で答えました。でも、通じたと思います。2人の女性役員に聞かれましたから、まあ、ちょっとは大会役員の間で話題になったでしょうか。日本人プレスが来ていることが、ミートディレクターまで伝わるといいんですが。
 プレス席に行くと、外国人のカメラマンが話しかけてきました(日本人は寺田の他にはいませんから、周囲は全員が外国人なので、話しかけてくるのはすべて外国人なんですが)。
外人カメラマン「日本人は出ないじゃないか。100 mに出るって聞いていたけど」
寺田「イエス、ノー・ジャパニーズ。ビスレットゲームズに嫌われちゃったみたいですよ。力はあるんですけどね」
外人カメラマン「俺は日本の雑誌に写真を送っているんだけど。コウジは知っているか?」
 ここで気づかなかったのは、やっぱり緊張していたからでしょう。寺田の頭の中には「イトウ・コウジ」「ムロフシ・コウジ」しかが浮かんできません。
寺田「どのコウジ?」
外人カメラマン「名字は思い出せないんだが。コウジが連絡をくれるんだ」
 とまあ、文章にしてみると短いのですけど、実際は寺田の英会話力不足もあって、ここで紹介したよりもうちょっと時間がかかっています。で、結局どのコウジだったかというと、某専門誌のコウジ氏のことでした。でも、某専門誌にコウジは2人いるんです。そのことをカメラマン氏に持ち出すと、なおややこしくなると思ったので話しませんでした。今、考えてみると、そんなにややこしい話じゃないですね。
 なんのことかよくわからいですか? まあ、内輪ネタの部類です。
 記者席を見渡すと、昨年のローマGL(ゴールデンガラ)でちょっとお世話になり、エドモントンでも接触してきたイタリア人記者を発見。10年くらい前によく来日していたプロレスラーのクラッシャー・バン・バン・ビガロを一回り小さくしたような体型と顔なので、すぐに見分けがつきます。
寺田「ハロー・ミスター・ビガロ」と言いたかったけど、実際に言ったのは「ミスター・ローマ」
ビガロ「ハーイ」
寺田「今年もローマに行くよ」
ビガロ「日本人も出るんだって。コージとタメスエ」
寺田「そういや、去年コージにインタビューしてたよね。100 mのアサハラも出られるらしい。フクシって知ってる? 女子の長距離選手」
 思い出すようなふりをするビガロ。
寺田「5000mで14分台で走るかもしれない、日本人で初めて」
ビガロ「そいつは楽しみだな」
寺田「これはもう入手済みかい(と、英文表記のアスレチックアニュアル、早い話が記録集計号を見せる)」
ビガロ「いや、まだだ」
寺田「プレゼントするから、日本の選手のこともイタリアで紹介してよ」
 などと書くと、さも英語での会話ができそうに見えるが、実はとってもシンプルな単語と構文しか話していません。世の中、なんとかなるもんです。
 18時30分から競技が始まり、終わったのが22時ころ。タイムテーブル通りに進行しませんでした。原稿は男子100 mを競技場で書き終え、帰るとき、女性役員が「来年も来てね」と言うので(外交辞令か?)、「来年はスタジアムの建て直しで、ゴールデンリーグじゃなくなるんじゃ? APの記事で読んだんだけど」と聞くと、「ぺらぺらぺらぺら」とたくさん話してくれました。とても全部は聞き取れませんでしたが、要は、まだ本決まりじゃない、ということみたいです。
「去年行ったローマのオリンピック・スタジアムは一日で嫌いになったけど、ビスレット・スタジアムは一日で好きになった」と、感謝の気持ちを込めて言いました。6レーンということでやや予断を持って来てしまったビスレットですが、古き良き時代を感じさせるその存在の前に、圧倒されまくり。完敗です。
 そして、もしかしたら最初で最後となるビスレット・スタジアムに、乾杯
 ホテルに戻ったのが24時近く。さすがに眠く、100 mの記事をこのサイトにアップするので精一杯でした。
 ビスケットは買っていきましたが、食べているヒマはなかったです。


■6月28日(金)
ユーロ日記2002・2日目 オスロ滞在2日目 その2
 昨日の日記でビスレット・スタジアムには6レーンしかないことを、日本選手が出られないことと絡めて批判的に書きましたた(つもりはなかったが、それっぽい雰囲気が出てしまった)が、APの記事Bislett closing would leave Marion Jones with broken heartがそのことに触れていました(ここから文体変更)。それによると、レーン数と収容人員がゴールデンリーグ開催には少なくて、今年の大会を最後に建て直されるようです。完成は2005年とかで、それまでゴールデンリーグは開催できません。そのあたりをマリオンがコメントしています。
 この記事はストロベリーパーティーの際に取材されたもののようですが、昨日、飛行機で隣の席だったノルウェー人も、寺田の持っていた日程表を見て「ストロベリーパーティーに出られないね」なんて、言っていました。有名なパーティーのようです。

 昨日の日記の反響が、早くも届きました。ありがとうございます。
 やっぱ便利になりましたね。6月18日の日記で紹介した「ヨーロッパ遠征中の伊東浩司から“Eメール”」企画(陸マガ98年8月号)の際、サブタイトルに「時代はデジタル&ボーダーレス」とつけた記憶があります(微妙に違っているかも。さすがにオスロではバックナンバーが見られない)。“ボーダー”とは境界とか国境という意味です。
 ただ今、ノルウェー時間の15時30分。ビスレット・ゲームズ開始まであと3時間。ホテルの前の広場に「セブンイレブン」があるので、ビスケットを買いに行ってきます。
 天気、晴れてきました。


■6月28日(金)
ユーロ日記2002・2日目 オスロ滞在2日目 その1
オスロの雨に驚いたのは……
 オスロの朝は雨だった。といっても、ぽつぽつと降り始めたばかり。さすがに傘なしでは歩けないが、やみそうな雨でもある。問題は気温だ。寒い。かなり寒い。昨晩、散歩がてら町中を散策したが、あるビルに気温13℃と電光表示が出ていた。それよりも確実に低いだろう。長距離以外は厳しそうである。
「オスロにも雨が降るとはね」という、馬鹿な感想をひとりでつぶやいてしまう。雨が降らないわけはないのだが、人間、どうしても理想とするイメージが頭にインプットされてしまうようだ。写真で見たことのあるビスレット・ゲームズは、きれいな紫色の薄暮のなかで行われていたからだ。12時間以上のフライトとウン十万円の予算をかけて、はるばるヨーロッパまで来ると、“これがヨーロッパのグランプリだ”“これこそビスレー・ゲームズだ”という、理想を知らず知らずのうちに求めてしまっていた。
 そういえば、かつてビスレー・ゲームズに来たケニアの選手も寺田と同じように「オスロがこんな寒いとはね」とおどろいていた。オソロ・オンドロ、初マラソン前世界最高記録保持者である――これがホントのcool gag……はさておき、自分のイメージと違っただけで取材のモチベーションが下がっているようでは、プロ失格である。「理想とするパフォーマンスはできるわけがない」という前提で練習に打ち込んでいる選手もいる。見習わないといけない。

 朝、最終のスタートリストが出ているはずなので、大会本部ホテルに行く予定だったが、歩くと30分弱かかるという。昨日、街を歩いた感じと地図を照らし合わせると、20分で歩けそうな気もするが、外国で初めて歩く場合は思わぬところで手間取ったりする。まして、この雨と寒さだ。タクシーは昨日、750クローネかかった。とても使えない。
 意を決して、電話することにした。かなりのプレッシャーだったが、なんとか、最新のスタートリストが国際陸連のWEBサイトに掲載されているかどうか、聞き出すことができた。ちょっと怪しい答え方だったが(単にこちらの英会話能力が低いだけかもしれない)、掲載されているということなのでそれを信じることにして、ネットで確認。ASAHARAとTAMESUEの名前はない。この寒さである、出場しても記録は望めなかっただろう。と、自分の気持ちを納得させるのには都合のいい雨と寒さである。


■6月27日(木)
ユーロ日記2002・1日目 日本→オスロ着
長年の疑問だった「ビスレットかビスレーか」が解明
朝原&為末選手の名前がスタートリストにない!

 オスロ(こんな街並み)に着きました。ここまでの道中、特に、アクシデントなどはなかったです。
 スカンジナビア航空は初めてでしたが、なかなかグッド。北欧の人の体型を考慮しているのでしょうか、ほんのちょっとですが座席間に余裕があるように感じました。そのせいか腰痛も、なんとかしのげる程度でしたし。コペンハーゲンの乗り換え(1時間)が心配でしたが、到着が遅れることもなく、ロストバゲージもありませんでした。が、正直、オスロで荷物が出てきたときはホッとしました。
 コペンハーゲンまで、隣の席は日本人のおじいさん。席を立つとき以外は何も話しませんでした。コペンハーゲンからオスロまでの隣席はノルウェー人のおじさん。対照的に、この人がよくしゃべる人です。こちらの英会話力にちょっとは合わせてくれ、おかげで、そこそこ情報を入手することができました。とにかくオスロの街に関する予習はまったくなしで来ましたから、空港から市の中心部に行く交通手段、やホテルの場所など。特に、ラディッソンSASプラザホテルとラディッソンSASスカンディナビアホテルと2つあり、前者が大会本部ホテル、後者が本部に泊まれない人の宿泊用ですが、「ラディッソンとかSASと言ってもだめだ。プラザホテルと言うんだ」と、親切この上なし。
 ちょうどよかった。かねてから、ノルウェー人に聞いてみたいことが2つあったのです。1つめは、ノルウェー人とスウェーデン人は、お互いに自国語を話して会話ができると、何かで読んだことがあったので、それを確認したいと思っていました。説明するのに苦労するかな、と思いましたが、親切そうな人だったのでトライ。あっさり理解してくれて、「ノルウェー人とスウェーデン人と、それにデンマーク人は自国語同士で会話ができる。ほとんど同じ言葉なんだ」と。関西弁と東京弁みたいなものですね、と話そうとしましたが、“方言”に相当する英語がどうしても出て来ないので断念。その代わりというわけではありませんが、「日本と韓国と中国がそんな風にお互いの自国語で会話ができたら素晴らしいのに」と、自分の希望も込めてコメントしました。
 もう1つは、オスロGL(ゴールデンリーグ)であるBISLETT GAMESは、日本では「ビスレット・ゲーム」と表記されることと「ビスレー・ゲーム」と表記されることがありました。歴史ある大会で、もちろん国際陸連のグランプリが始まる前からあります。日本選手も昔から長距離などで頑張っている大会ですし、昨年は朝原宣治選手が10秒02を出しています。たぶん、英語発音が「ビスレット」で、現地では「ビスレー」なのだろうと想像していたのですが…。
 隣のおじさんもこの大会のことを「ノルウェーでは非常にポピュラーな大会だ」と話していたので、地元では上記のどちらの発音なのか質問しました。「ビスレット。ビスレーじゃないよ」との答えで、寺田の予想はあっけなく否定されてしまいました。「ビスレット」か「ビスレットゥ」か微妙なところですが、それは気にしないでおきましょう。ということは、「ビスレー」ってのは何だったのでしょう。フランス語では単語の最後の「t」は発音されないことがあるようなので、フランス語を話す陸上関係者と話をした日本のコーチたちが、「ビスレー」と言ったのかな、などと今は想像しています。
 空港から本部ホテルまでは昨年のローマでの経験から、大会役員が空港に迎えに来てくれていて、車で行けるのでは、と考えていました。何人かの大会関係者や選手と一緒に…というのは甘かったです。大会ロゴのボードを頭上に掲げている役員(といっても女の子)がいたのでさっそくコンタクトすると「電車で行ってください」とあっさり。どうやら、プレスはだめのようです。大会デスクもあって、先ほどの女の子がいないのを確かめてから再度交渉。親切に、電車の乗り場を教えてくれました。
 ロンドンの地下鉄に比べると、乗り方はイージーでしたが、オスロ中央駅まで専用の特急で1400ノルウェー・クローネ。2倍弱ですから2500円ってところ。成田空港に行くのに近い値段です。オスロ中央駅から大会本部ホテルまでは徒歩1分。ほんとに目の前でした。
 さっそくプレスオフィスに行って取材受付を済ませましたが、気になっていたのは、日本選手が出場できるかどうか。さっそく朝原、為末両選手の名前をスタートリストで探しましたが……ありません。リストの出力が午前11時台の時刻だったので「変更された可能性はないのか」と、質問すると「変更はあったよ」と、当然のように言います。「だったらそれを見せてくれよ」とお願いすると、何か手間取っています。「男子100 mと400 mHだけでいいから」と、さらに一押し。親切な女性の方が、「隣のオフィスでわかると思うから」と出ていきました。待つこと5分くらい、親切にプリントアウトして持て来てくれました。
 お礼もそこそこ(今、考えると、ちょっと失礼な態度だったような気がしています。反省)にリストを見ると、2人の名前はありません。実は成田を出発する直前に、大阪ガスに電話をしてどんな状況か教えてもらいました。50%くらいと聞いていたので、もしかしたらダメかな、という覚悟はしてきましたが、さすがにリストに名前がないのを目の当たりにすると、ガックリします。他の種目をチェックするふりをしながら、10分以上その場でリストを見ていましたが、何度見てもないものはないのです。
 今回、大阪ガス勢はオランダにアパートを借りてそこをベースに遠征するようなので、現地入りはしていないと考えられますが、それにしても、記者である自分でもこれだけガッカリするのですから、ウェイティングをしていて結局、参加できない選手の落胆は相当に大きいのではないでしょうか。
 リストには、南アフリカのナーゲルや、オーストラリアのシャービントンという、「黒人以外で初の9秒台」を朝原選手と先陣争いをしている選手の名前もあります。モーエン(ノルウェー)はいつだったかのヨーロッパ選手権の優勝者ですが、最近の力からすると明らかに“地元枠”。大阪グランプリは地元枠ばかりですから、こればかりは文句が言えません。
 400 mHはソマイリー(サウジアラビア)、ヘルベルト(南アフリカ)、ヤヌツェブスキー(ポーランド)、プラウゴ(同)、サンチェス(ドミニカ)、ウッディ(米)の6人。ビスレット競技場は6レーンしかないのです。そうなると短距離種目がきついですね。長距離だけならともかく、6レーンのスタジアムでトラック&フィールドのグランプリをやってしまう、それもゴールデンリーグの第1戦をやってしまうというのは……すごいとしか言いようがありません。さすが、伝統の大会です。今日、受け取った資料を見ると、このスタジアムでは1924年に最初の世界記録が出ています。
 ただ、これが最終確定ではなく、「明日の朝に最終スタートリストが出る」というのです。競技開始が18:30だからできることなのでしょうが、それもすごい。去年のローザンヌもそんな感じでしたが。そのときは、今井美希選手が結局出られないという憂き目にあいました。
 誤解のないように記しますが、今回オスロに来たのはもちろん、朝原&為末選手の取材が一番の目的ですが、彼らが出られると確かな情報があったわけではありません。出場を申し込んでいるが出られるかどうかは微妙と、ずっと聞いていました。「出られなかったら、その時はその時」と、その辺は覚悟して寺田が勝手に押し掛けてきたのです。明日になって、最終的に出られないと決定したら……スタンドでビスケットでも食べながら取材します。


■6月26日(水)
 2本目の原稿に苦戦しました。書き終えたのが夜の12時。
 メールで送信したら、パリのGL事務局から取材申請のコンファメーション(確認書)が来ていました。この手のものはだいたい「ワード」(マイクロソフト)のファイルできます。世界標準という認識なのでしょう。こういう事態を想定してワードはインストールしてありますが、寺田が愛用しているのはこの10年近く「一太郎」(ジャストシステム)。1行何文字、と決めて原稿を書くときには、一太郎の方が便利のような気がします。単に、慣れの問題でしょうか。
 パリのホテルからはまだコンファメーションがありません。まあ、なんとかなるでしょう。ローマの方は取材申請、ホテルの方とも何の音沙汰もなし。まあ、取材申請書は送ってくれたわけで(これもワードファイル)、申請書の控えは手元にありますから、これもなんとかなるでしょう。まさか、極東からはるばる出かけていった記者を追い返したりはしないのでは……と、ここまで書いてきて、不安が頭をよぎりました。そうです、サッカーのワールドカップ。日韓は恨まれているかな。
 と思ったのには、わけがあります。競歩のH元選手からメールが来て、彼も同時期にヨーロッパに行くというのです。学会と、イギリス選手との合宿だそうです。そのメールは、「それではお気をつけていってらっしゃいませ.わたくしもスペインではアジア系としてワールドカップのワの字も出さないように言動には気をつけて行動する予定です.モンゴロイドは襲われるかもしれないと半分本気で心配してます.」という文章で結ばれています。
 ローマの取材、やばいかな。ちょっと心配です。長距離選手の能力で重要なのは……心肺機能。
 H元選手のメールには、「日程がほぼ重なりましたので,ネット環境がよければ欧州でCOOL GAGの応酬を展開できるかもしれませんね」とあります。まだ日本ですが、先手を打たせていただきました。先に仕掛けてH元選手の焦りを誘い、○○を……おっと、これを書いたら洒落ではすまないかもしれません。
 あと5時間後には自宅を出ます。これからパッキング。


■6月25日(火)
 今日は原稿を書くのと並行して、海外アクセスポイントへの接続テストをやりました。@nifty接続アシスタントという接続ソフトをダウンロードしたところ、アクセスポイントが国内のみならず海外のものまでデータベース的になっていて、重宝しそうです。5つまで登録できるんですが、登録作業は簡単なので、その5つ以外をその都度登録したとしても大した手間ひまはかかりません。
 まずはオスロ……全然かかりません。最終的にはダイヤルして「ビジー(話し中)」状態になってしまいますが、ダイアルの仕方自体がおかしいですね。次はフランクフルト……やっぱりダメです。最初からつまづいてしまいました。ダイヤルの仕方がおかしい、ということは、もしかして……やっぱりです。多摩市から発信する場合の設定がパルス回線になっていました。そこをトーンに変更すると、オスロもフランクフルトも成功。
 次はスイス(all countryで1つの番号)、これも一発かと思いきや、何か音声が聞こえます。男性の声で何かをアナウンスしています。たぶん、番号が変更になってどうのこうの、という通告でしょう。それではと、昨年の設定がパソコンに残っていたので、そこにかけたところ、去年の接続ポイントは生きていました。でも、通信速度がえらく遅いです。まあ、我慢するしかありません。でも、電話代が……。
 次はローマ。これは一発成功。しかし、次のパリがビジーで、その後フランスの都市の接続ポイントのいくつかでトライしましたが、全てビジー。たぶん、フランスにかける国際電話回線がいっぱい状態なのでしょう。そう思って、それ以上の努力はしませんでした。原稿も書かないといけないですし。まあ、なんとかなるでしょう。
 実は、日本からの接続テストに成功しても、現地でうまくいくとは限りません。ホテルでの接続は、仮にモデムプラグが室内にあっても(もちろん、ないケースもある)、そのホテルの交換機との相性でどうにもならないこともあります。勝負は、現地に着いてからなのです。
 原稿は夜の8時ころに1本書き上げました。
 その原稿をメール送信した後、WEBサイトに「ミステリアス“48”の衝撃」をアップ。原稿自体は、今日書いたのではありません。日本選手権前にすでに書き上げていました、ファミレスで。すぐにアップしなかったのは、その頃は日本選手権が陸上界の興味の焦点で、それとあまりにもかけ離れた話題を載せるのはどうかと思ったからです。今日みたいに忙しくて記事を書けない日に備えていたわけでは……。
 日本出発まであと32時間。


■6月24日(月)
 ヨーロッパ出発まであと3日。木曜日11:55発のスカンジナビア便。今日、同じ便で太田陽子選手がヨーロッパへ旅立ちました。参加試合は最終的にはまだ確定していないものもあるようです。
 それまでに原稿の締切が4本。正確に言うと締め切りではなく、日本にいるうちに書いておきたい原稿、というニュアンスです。1本は向こうから送ることになってしまうかもしれません。日記を書いている場合じゃないんです(と言いつつも、こうして書いていますが)。
 4月のロンドン・マラソン前もかなり慌てふためいていましたが、日記は長々と書いていたような。ということは、日記が書けるか否かは、忙しさよりもテンションの問題のような気がしてきました。ロンドン前はホテルも決まらず焦っていましたが、書きたいネタが多くあったんでしょう。土佐礼子選手のこととか。それが今回は……。
 ヨーロッパ遠征する日本選手のことも書きたいんですが、正式発表がまだだったりするんですよね。それが理由ではありませんが、ちょっと今、日記テンションが低くなっています。取材予定の試合はオスロ(6月28日)、ローザンヌ(7月2日)、パリ(同5日)、ローマ(同12日)です。
 パリとローマの間が6日間ありますね。
何をするかって? 放浪します。
どこを? たぶん、南仏。
目的は? 人間と権力の愚かさを再確認するために。


■6月23日(日)
 小田原で実業団・学生対抗&acom Middle Distance Challenge第3戦を取材。田村育子選手が女子1500mで日本新を出してくれました。このacom Middle Distance Challenge、寺田が3戦連続で取材している日本でただ1人の記者なのですが、それも残念ですが今日まで。木曜日にヨーロッパに出発しますので、第4戦と第5戦は取材できません。記念すべき第1回サーキットで、関西(尼崎)で行われた第1戦を幸運にも取材でき、残りは関東での開催で行きやすかったのですが…。
 いきなりですが、ファミレス論争の仇敵・佐々木記者が結婚します。本人に公表していいか確認したところ、「いいですよ」と快諾をいただきました。「今日が独身最後の取材?」と質問すると「何言ってんですか。来週も再来週も、acom Middle Distance Challengeを取材しますよ。寺田さんが3戦しか取材できないから、僕が4戦取材して最多取材記者になるんです」と、ふてぶてしい回答。
 ヨーロッパに行くの、やめようかな。


■6月22日(土)
 小田原で日本学生種目別選手権取材。何人かの記者の方は、昆明に出発する渋井陽子選手を成田空港で取材した後、小田原に駆けつけたようです。時々、競技が開始してから何時間も経ってから行くと「なんだこんな時間に来やがって」というニュアンスのことを言われる関係者がいますが、こういった事情もあるのです。
 試合後に、とある選手の取材。その帰り、とある会話から「ベッカム人気」を痛感。その経緯を詳しく書く時間が…。


■6月21日(金)
 日本学生種目別選手権と実業団・学生対抗の主な出場選手をアップしようと思ったのですが、できませんでした。できると思ったんですが……。


■6月20日(木)
 ある取材。帰りに記者クラブで週末の日本学生種目別選手権と実業団・学生対抗のプロを入手。


■6月19日(水)
 13時30分からなんとなんと、寺田がいつも使っている(何に? いわずもがなの原稿書き)ファミレスで仕事の打ち合わせ。相手の方も東京の西の方に住んでいる方だったので、車で来てくださったわけです。くだらないと言われようとも、アホじゃないかと罵られようとも、挙げ句は全国ファミレス協会から金をもらってるんじゃないかと疑われようとも、ファミレスネタを書き続けてきた甲斐がありました(本当にファミレス協会から謝礼が出たらいいのに)。
 これまでも、「寺田と会うのならファミレスで」と言ってくださり、実際にファミレスでお会いした方も数人(2人かな?)いらっしゃいますが、純粋な仕事の話をファミレスでしたのは初めてです。かねてからの夢でしたので、嬉しかったです。サラリーマンをやっていたら、なかなかできないことでしょう(でもないか)。ともかく、これまでファミレスネタに協力してくださった皆さん、口火を切ってくれた石井記者、ファミレス・メールをくれたH元選手、O本さん、N口さん、ありがとうございました。そして仇敵・佐々木記者にも、今日のところはお礼を言っておきます。
 ただ単にファミレスで打ち合わせをしたという形上のことにとどまらず、有意義な話し合いがもてたと自負しています。今日、話したことがいずれ日の目を見たら、そのときは「2002年6月19日にファミレスで話し合ったこと」だと紹介しようと思います。そんな日が来ることを祈りつつ……佐々木記者とのファミレス論争にも終止符を打とうかな。今日こうして、一つの夢がかなったわけですし…。彼にはおめでたいこともあるようだし、休戦するにはちょうどいいかと。。
 16時30分に自宅に戻り、支度をして日体大健志台グラウンドへ。ミドルディスタンスチャレンジ第2戦の取材記事)のためです。1・2戦と続けて取材した記者は、たぶん寺田だけでしょう(それがなんだ)。日体大へは東急田園都市線の青葉台駅からバスで行くのが定番ですが、寺田は小田急沿線の住人なので、小田急柿生駅からバスで行きました。去年の日体大・中大戦のときは次のバスまで20分以上あって、泣く泣くタクシーで行きましたが、今日はばっちり。自宅から約50分で着きました。
 杉森美保(京セラ)選手が女子1000mでアジア新を出しました。杉森選手は本当に“気立てのいいお嬢さん”というキャラクター。“おっとりした優しさ”を感じさせる受け答えをしてくれます――と書かれているのを読んで鵜呑みにするあなた、よくありませんね。マスメディアに書かれていることは、あくまでも記者の目にそう映った、ということに過ぎません。
 ところが、今日の取材中に以下のようなコメントを、杉森選手自身の口から聞くことができました。
「800 mは大学1年の室内から経験はしていますが、今でも身体がぶつかり合うことに違和感があるんです。押されたりして転びそうになることもあります。実際に1回、室内で転倒したこともあります。“やられたらやり返す”っていうわけじゃないんでしょうけど、強気でいく選手も多いんですけど、私はいつも引いてしまうんですね。周りからは“選手がそんなんじゃダメだ”って言われているんですが」
 このコメントから杉森選手が“優しい選手”であることはほぼ、間違いないでしょう。うーん、愛すべきキャラだと思うんですが、こういう性格はやっぱり競技にはマイナスなのでしょうか。そういう選手が1人くらいいてもいいとは思うんですが、生活を賭けている選手やコーチにとっては、それでは済まされないのかも。一番の解決策は、スタートのピストルが鳴ったら性格を一変させることでしょうか。そういう選手もいると、聞いたことがあります。
 サッカーの川口能活選手がテレビで、自分のプレーをビデオで見てどう思うか、と質問され、「怒鳴りまくっている姿が、我ながら怖いですね」と話していたことがあります。目指せ陸上界の川口!(杉森選手は埼玉県の星野女高出身。川口市出身だったらオチに使えたんですが、データがない。星野女高は川越市)。


■6月18日(火)
 ワールドカップといえば(今日はサッカーのワールドカップのこと)、日本の初出場は4年前のフランス大会。その1998年6月20日の対クロアチア戦を、陸上競技の競技会当日のスタジアムでテレビ観戦した日本人選手が2人いる。他ならぬ伊東浩司選手と朝原宣治選手で、スイス・ジュネーブの試合前に、2人でスタジアム内のバーで観戦しているのだ。伊東選手にいたっては前半をホテルで見て、ハーフタイム中にスタジアムに移動し、後半の最初の見られなかった時間の試合展開を、朝原選手に説明してもらったという。
 このエピソードは、2つのことを物語っている。ワールドカップが4年前も、それだけ日本人の関心を集めていたということと、世界を転戦するにはレース前にそのくらいの余裕がないとできない、ということだ(ちょっと勝手な分析)。
 これは○秘エピソードでも何でもなく、陸上競技マガジンの同年8月号に掲載されている伊東選手の手記にある話だ。ちょっとだけ個人的なことを言わせてもらうと、伊東選手がそれ以前もパソコンを遠征先に持参してメールのやりとりをしていることを知り、「遠征先からメール送って。接続に失敗したら他の企画でページ埋めるから」と、当時陸マガにいた寺田がお願いしたのである。「ヨーロッパ遠征中の伊東浩司から“Eメール”」というタイトルをつけ、カラー4ページくらいの企画にした。
 それにしても、よく引き受けてくれたものである。現在と違って、ウィンドウズ95か98の時代。接続の設定はかなり複雑だったはず。まして、海外のホテルではモジュラーが接続できても、ホテル全体の電話交換機の関係で、接続できないことがままある。昨年、ローマGL取材時はプレス用のちょっと高いホテルに泊まったので大丈夫だったが、ローザンヌでは取材当日に駅前のホテル案内所で紹介してもらった安いホテルだったため、結局接続できなかった。
 実際、4年前の伊東選手も、全部のホテルで成功したわけではなかったと思うし、メールを送信はできても、受信はできなかったと帰国後に言っていた記憶がある。寺田の場合も、海外ではニフティの海外アクセスポイントで接続するので、アサヒネットのメールを受信はできるが、返信ができないのだ。設定を上手くやればできるのかもしれないが…。
 話を4年前に戻すと、朝原選手は当時、100 m10秒08のアジア記録保持者。だが、その4カ月後、98年10月には伊東選手が10秒08と並び、その2カ月後には10秒00のアジア新をマークした。ちなみに、朝原選手の10秒08はその前年の97年にローザンヌで出したもので、同じローザンヌでは翌99年に伊東選手が10秒06を出している。
 前回ワールドカップから4年。周知の通り、朝原選手が9秒台突入を狙える力をつけている。冒頭のエピソードはジュネーブのものだが、ジュネーブとローザンヌは同じレマン湖畔で電車で約1時間の距離(街の雰囲気はまったく違うが)。朝原選手のローザンヌGP(7月2日)への出場はまだ決まっていないが、今年はレマン湖畔で彼を待ちたいと思う。去年とは違い、ネットに接続できるホテルを予約してある。


■6月17日(月)


■6月16日(日)
 6月13日の日記で軽率な文章があり、一部読者の方を不快にさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。もとより、石井記者がキセルをしたというつもりはまったくなく、取材現場の裏側のほのぼのとしたエピソードをお伝えしたかっただけなのですが、表現の仕方が不適切でした(石井記者からのクレームではありません)。遅まきながら文章を一部訂正いたしました。
 石井記者には機会を改めて直接お詫びいたしますが、まずはこの場で謝罪させていただきます。


■6月15日(土)
 acom Middle Distance Challenge第一戦を取材。関西実業団記録会兼兵庫実業団記録会との併催で、場所は尼崎市記念公園陸上競技場。新大阪から神戸線で10分か15分。尼崎から徒歩10分(駅の周辺地図に競技場が載っているので迷いません)。新幹線を利用した場合、兵庫県ですけど、長居に行くよりはるかに近いです。
 午後の6時20分と30分に男女の1マイルが行われました(記事はこちら。選手コメントが“今後のミドルディスタンス展望に関するコメント”となっている理由は、お察しがつくものと思います)。スタート時の気温は男子が29℃、女子が28℃でしたが、この日はそれほど問題なかったようです。ペースメーカーをつけるのはもちろん、1500mのタイムが公認となるようにしたり、アジア記録が出たときのためにドーピング検査の準備をしたり。選手のモチベーションとなる措置がいくつもとられています。主催者・関係者の努力がいくつも垣間見られました。
 リザルツには気象状況の他、400 m毎の通過タイムも記載されています。写真をトラックに近づいて撮影していても注意されませんし、田村選手のアジア記録をタイマーに表示してもらったときは、まだ長距離種目のレースが続いている最中でしたが「5分間なら」ということで撮影が許されました。“堅い”ことを言う役員がいなかったので、取材していて気持ちよかったですね。
 関係者も話していましたが今後の課題は、いかに多くの観客に見てもらえるか、でしょう。延岡のゴールデンゲームズに比べるとスタンドが寂しかったです。オリンピックや世界選手権で活躍できる選手を育てるのが近道ですが、運営面での努力も並行してやっていく必要があるでしょう、などと寺田が偉そうに言うことではないんですけど。
 本格復調が待たれる五輪選手も、関西実業団記録会の5000mで頑張っていました。昨年4月のロンドンこそ合格点に近い走りでしたが、10月のシカゴを途中棄権、今年2月の別大を直前に出場取りやめ。雌伏1年余の犬伏選手です。


■6月14日(金)その2
 本日付けで、ミキハウス・マネジャーの荻野あゆみさんが退職されました。お疲れさまでした。お世話になりました。彼女のすごさを書き始めるとまた長くなってしまうので、とりあえず、最後の試合となった日本選手権での仕事ぶり(写真1写真2)を紹介します。一緒に写っているのは杉林孝法選手のご両親で、ちかくには太田陽子選手のご両親もいらっしゃいました。


■6月14日(金)
 サッカー・ワールドカップ予選リーグを日本が通過しました。
 ワールドカップといえば、陸上競技でも今年は9月にスペイン・マドリッドで行われます。陸上競技のワールドカップは言ってみればチーム対抗戦。ヨーロッパカップの上位2カ国とアメリカが単独チームで参加(もしかしたらアメリカも、ヨーロッパカップに相当する予選を勝ち抜いていたのかも)。あとはヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの各大陸選抜が参加。1チーム1種目1選手の代表で、一発決勝で行い、対抗得点を争う形式です。
 陸上競技には世界選手権がない、という理由で1977年に始まりました。第1回のデュッセルドルフ大会は注目度も高く、日本でもテレビ放映されたような記憶があります(間違っていたらご免なさい)。男子1500mで石井隆士先生が今も残る日本新を出しています。
 第2回大会が79年のモントリオール(だったかな)。第3回が1981年のローマ。国際陸連の故ネビオロ会長がお膝元での開催ということで、8チームの対抗戦に“地元枠”を加えて9選手による一発決勝とし、競技場(スタジオ・オリンピコ)を9レーンに改修してしまった、という俗説まであります。当時、高校生だった増田明美さんも出場されています。ワールドカップ出場を希望して予選のアジア選手権に出場を決めた室伏広治選手は、成田高の後輩にあたります。
 その後の大会で地元枠があったのかどうか、ちょっとわかりません。
 第4回だったのか5回だったのか覚えていませんが、1985年がキャンベラ大会。女子400 mでコッホ(東ドイツ)が今も残る世界記録47秒60を出して世界をアッと言わせました。あとは、ベン・ジョンソン(カナダ)の台頭がありましたね。その後は、1983年から世界選手権が始まったこともあり、やや存在意義が薄れつつあります。1989年はバルセロナ開催だったと思います。その後の開催地はよく覚えていませんが、たぶん、キューバで93年か94年に行われていて、山崎一彦選手が出場しました。
 そして1998年が南アフリカの……プレトリアだったかヨハネスブルク。ヨハネスブルクかな。確か高地でした。新幹線の中で書いているので、正確な資料を閲覧できません。この大会には、ある想い出があります(現地に行ったわけではありませんが)。詳しくは機会を改めて紹介したいと思います。
 明日は、第一回のワールドカップで出た男子1500mの日本記録更新も、その開催目的としているacom Middle Distance Challengeの第一戦。取材に行くことが、急きょ決まりました。


■6月13日(木)
 そんなわけ(昨日の日記参照)で一足早く陸マガを入手したので、内容をちょっと紹介しちゃいます。表紙は日本選手権男子100 mの朝原宣治選手。
 巻頭カラーはもちろん日本選手権で、それに続いてなんと、末續慎吾選手の手記がカラーで5ページ。その後ろには渋井陽子選手のインタビューがカラーで4ページ。うーん、小田急沿線コンビで決めてきました(東海大、三井住友海上ともに小田急線沿線に本拠地がある)。
 ちなみに、5月17日の日記の「下北沢」という一見意味なしギャグは、毎日新聞・石井朗生記者が小田急線・下北沢駅で自動改札に引っかかり、そこを治療(マッサージ?)帰りの末續選手に目撃されたというもの。それを会見後に末續選手に公衆の面前で公表され、普段は冷静な石井記者が珍しく、慌てふためいていたのです。彼が自分のサイトで詳述するはずだったのですが、病気療養中ですので代わって公表しました。もちろん、キセルを意図的にやろうとしたのでないことは明白です。“陸上界の良心”と言われる記者ですから。
 話がそれました。末續選手は「9秒台」と「19秒台」への思いを綴っていますが、“への思い”というよりも“へのスタンス”という感じでしょうか。大台突破は時間の問題、と言われる選手がここまで自分の考えを書いてくれると、“その時”がきて記事を書く場合にも参考になります。それにしても、末續選手もなかなかの達筆。さすが“為末續”パーティーを主催するだけのことはあります。
 一方の渋井選手は「初マラソン世界最高の時より今回の方が嬉しい」と話しています。そう感じた理由は……。
 巻頭カラーの次のモノクロページは、日本選手権のデイリー・リポート。ここには、寺田も記事を何本か書いています。続いて、京セラの特集記事。お馴染みの「マラソンJ」と続き、その後ろには池田久美子選手のアジアGP転戦の手記。そしてそして、為末大選手の「チャレンジ・ザ・GPF」と題したこれまた手記が2ページ。不定期連載だそうです。こちらも、相変わらずの達筆ぶり。さすが大先生(最近では“Bメダリスト”との呼称もあり)。
 このペースで紹介していたら、日記だけで300行にになってしまうので、あとは主だった企画を。
 まずはインターハイの都道府県予選関連の特集。桝見咲智子選手の女子走幅跳ジュニア日本タイを筆頭に、今年も各地で好記録が出ていますので、必ずチェックしましょう。このあたりの情報収集は専門誌でしかできません。
 もちろん地区インカレも。東海地区ではなんと、女子総合で中京大が中京女大に敗れています。関東インカレも話題が抱負。
 そして女子ハンマー投日本新連発の綾真澄選手独占インタビュー。これは寺田が担当しました。写真も頑張って撮りました。必読です。
 菅原勲さんのワールドニュース、各先生方によるトレーニングワイドも陸マガには欠かせません(欠いていいページなど1ページたりともありません)。
 ちょっと変わった趣向で楽しめるのが野口純正氏(ATFS JAPAN)の「STATS ON T&F」。今回は「親子・兄弟・夫婦の歴代リスト」。種目間のレベルを勘案した採点表で、例えば親の記録と子の記録を合計した点数で、どの親子が一番かを調べたものです。親子はもちろん室伏父子が一番。兄弟では小島兄弟、松宮兄弟、宗兄弟と候補が目白押しですが、さて、ナンバーワン兄弟は……。
 陸マガ7月号は明日発売。920円はお買い得だと思います。


■6月12日(水)
 今日は所要もあり古巣のベースボール・マガジン社へ。陸マガの7月号も配本されていました。こうして雑誌の体裁になっていると、一昨日の夕方はまだ、必死で記事を書いていたのが不思議に感じられます。
(これで終わり?)


■6月11日(火)
 日本選手権期間中、というよりもそれ以前の数日からの寝不足のせいか、昨晩はすぐに眠ってしまいました。自宅には郵送で手紙がいくつか届いていましたし、E−mailもかなりたまっています。おっと、その中で急ぎ対処しなくてはいけない重要なメールが……今日の12:00までに要リプライとのこと。ヤバっ……でも、ヨーロッパ時間の12時だから、こちらの夜7時か8時。なんとかなりました。よかったけど、危なかった。
 ヨーロッパといえば、昨日はアテネでGPがありました。記録はこちらですが、この大会までを待って、オスロGL(今月28日)の出場メンバーが決まるらしいのです。100 mではモーリス・グリーン(米)とアリウ(ナイジェリア)が朝原宣治選手の今季ベスト10秒05を上回りました。グリーンは元々ゴールデンリーグ全戦出場の契約をしていますからどうでもいいのですが、アリウが今季ベストなら、オスロのレーンが1つ埋まってしまうことになります。
 400 mHは優勝したウッディ(米)だけが48秒61と、為末大選手の日本選手権の記録を上回りました。うーん、両種目とも上回ったのは1人だけですから、たぶん出られるような気がするのですが、どうなりますやら…。気になります。


■6月10日(月)
 今日は午後3時からアジア大会代表等の記者発表が、金沢のホテルでありました。
 午前中に時間があったので、アジア大会&アジア選手権代表メンバーを予想して入力。時間があったからというよりも、事前に入力しておかないと、夕方締め切り(印刷所に入稿)に間に合いません。予想したメンバーを基に簡単な記事も書きました。新聞で言う予定稿というやつです(違いましたっけ?)。
 これが自分でも驚くくらい早く書き上げられたので、さらに時間が。ということで、日本選手権3日目のアウトライン(概略)を書くことに。アウトラインを書いていたら、ふとあることに気づいてしまいました。あることとは、福島大・川本和久先生の門下生が、女子短距離・ハードル全種目で入賞していることです。
 これは、入賞者全員を紹介してもいいかとリストアップしていたら、アウトラインのつもりが細かい記事になってしまいました。自己新記録を出したのは誰か、まではとても調べきれないので、川本先生に電話をして聞こうと思いましたが、授業中なのか携帯には出られないようです。どうしようかと思って福島大のWEBサイトを見たら、すでに日本選手権の結果速報が出ていて、自己新の選手はちゃんと紹介されているではないですか。インターネットの特性を生かした、素晴らしい対応です。その直後に、川本先生からも電話をいただきました。
 そのページにつけた見出しが
「吉田と池田だけじゃない 川本門下生が女子短距離・ハードル全種目入賞の快挙」
 このページをアップして記者会見に出かけましたが、記者会見の最中にふと、「待てよ」と、ある考えが頭をよぎりました。もちろん、「待てよ」と思っても、誰も待ってはくれないのですが…。
「初の快挙」とは書きませんでしたが、この見出しの付け方からは「初の」というニュアンスが伝わってきます。頭をよぎったのは「女子短距離・ハードル全種目入賞」はすでに、達成しているのじゃないか、という思いです。二瓶(雉子波)秀子選手が100 m&200 mで入賞したことは何度かあるでしょう。400 m&400 mHの吉田真希子選手、そして100 mHの茂木智子選手と池田久美子選手。ここ2〜3年で達成していても不思議ではない顔ぶれです。直接、川本先生に聞けば良かったのですが、記事を書いている前後は「全種目か、すごいなあ」という思いが先走って、それが初めてなのかどうかに意識がいきませんでした(記者失格)。
 記者会見は16時頃までかかり、その後、速攻で記事を書き上げました。新聞記者の方たちより早く書いたのって、初めてかも。
 そうして東京への道中、あせって過去の日本選手権の記録をひっくり返したところ……………初めてでした。昨年、一昨年(2001年と2000年)は二瓶選手が200 mに出ていなくて(なんでだろ?)、それ以前は吉田選手も800 mに出ていたり、400 mHに出ていたりで、400 mに人材がいませんでした。二瓶選手が100 m・200 mで入賞していた頃は、現メンバーが今ほど力をつける前でした。
 ということで、その件はことなきを得て、東京にも無事着いたのですが、自宅に帰ったらバタンキュー。男子200 m優勝者は宮崎キュウ(最近、一部関係者の間では“キュウちゃん”といえば、宮崎選手のことらしい)。


■6月9日(日)その2
 日本選手権取材最終日。
 今日は何人かの選手から「日本選手権の優勝者予想」と「展望記事」のことについて、言葉をいただきました。高岡寿成選手からは「予想通りの選手が勝ちましたよ」と声をかけられましたし、陸上界きってのIT選手といわれている岩佐敏弘選手(イニシャルが……)からも、「レース展望で書かれてましたね」と言われました。
 今大会唯一の日本新を出した吉田真希子選手からは、日本新の確率が「S森さんが54%で私が51%なのはなぜか」というご質問をいただきました。不満を表明したのではなく、3%という細かい数値の違いがどこから出てくるのか、というニュアンスです。それには、次のように答えました。
「あの数値は優勝予想をした選手個人の確率ではなく、その種目の確率なんです。女子800 mはN村さんが必ずハイペースで飛ばすだろうし、S森さん以外にも記録を出す可能性のある選手が複数いる。その点、女子400 mHは可能性のある選手が吉田さん1人しかいないじゃないですか」
 吉田選手のコーチである川本和久先生にも話しをお聞きしたかったのですが、飛行機の時間の関係で、すでに帰られたあとでした。明日からは授業だそうです。先生は大変です。でも、ワールドカップ日本対ロシアのキックオフに間に合ったとか。
 寺田はワールドカップは見ずに(テレビはつけていましたが、ボリュームゼロ)、ひたすら仕事をしました。この時期の試合だと、専門誌も毎日入稿していかないといけません。昨日、今日と本サイトの日本選手権記事(アウトライン)が書けていないのは、そのためです。


■6月9日(日)
 日本対ロシア。8対38。
 勝った種目は男子100 m・200 m・1万m・マラソン・400 mH・4×100 mR、女子は1万mとマラソン。


■6月8日(土)
 日本選手権取材2日目。
 何人かの記者の方が、日本選手権の優勝者予想1日目全勝のことを話題にしてくれました。話題になるだけで、この「日本選手権を10倍楽しむページ」の目的は半分は達成されています。話題になる=“楽しんだ”とは100%言えないまでも、多少はそれに近づいたかな、と。昨日の競技が始まる前の段階ですでに、寺田は記者仲間に“打倒・イチロー”を宣言しています。ファミレス論争の仇敵・日刊スポーツ佐々木記者をぶちのめそう、と挑戦状を叩きつけたわけではなく、大リーグ・アリーグので首位打者をひた走るイチローの打率を上回ることを宣言したわけです。
「なーんだ、そんなの簡単じゃないか」と思われる読者の方も多いでしょうけど、オリンピックや世界選手権の優勝者予想をすると、的中率はだいたい4割前後(大会によって大きく変わりますが)。優勝者予想で“打倒イチロー”は必ずしも容易な目標ではありません。実際、今日は17種目で優勝者が決まりましたが8勝9敗と負け越しています。昨日が珍しい例であって、今日が普通の出来と言っていいでしょう。
 でも、番狂わせ的な種目がいくつかありました。
 男子1500mの小林史和、女子400 mの吉田真希子、男子3000mSCの岩水嘉孝、男子200 mの宮崎久、男子400 mHの為末大、女子砲丸投の豊永陽子の優勝は、予想できた範囲です。というか、「日本選手権を10倍楽しく見るページ」の一覧表でも優勝候補に挙げています。しかし、女子100 mの新井初佳選手は5連勝とはいえ、ここまで復調できているとは思えませんでしたし(本人もそうコメントしていました)、十種競技の石沢雅俊選手には失礼ですけど、平田卓朗選手以外の優勝は思ってもいませんでした。男子三段跳の大ベテラン小松隆志も同様です。
 予想が外れるのは、正直、悔しくありません。オリンピックや世界選手権だと、正直いって悔しいですけど、日本選手の予想を今回本気でやってみて初めて気づきました。優勝した選手とは顔見知りというケースも多いですし、新井選手や為末選手の優勝など「もう、ここまで記録を戻してきたか」と、新鮮な驚きがあります。石沢選手の場合も「この選手がこんなにいい記録を出したのか」と、どんな選手にも可能性があるという陸上競技の奥深さ・面白さを改めて、強く感じさせてくれます。
 さて、明日はどんな新鮮な驚きが、待ちかまえているのでしょうか。


■6月7日(金)
 日本選手権取材1日目。
 昨日エドモントン世界選手権銀メダリストに会ったのに続き、今朝のシャトルバスでは銅メダリストにばったり出くわしました。ヨーロッパのGPの話をしました。ある大会のディレクターが昨年の実績ではなく、今季の記録で出場選手を決めようとしているらしく、「明日(決勝)、記録を狙わないと」と言っていました。予選のタイムは50秒12。しかし、3台目の通過は13秒3で、エドモントンの決勝が13秒1でしたから、遜色ありません。そのことを本人に質問すると「明日は8台目でタンクが切れるかも」とのこと。でも、エドモントンではその状態でも走りきったわけです。舞台が違うといえば違うのですが。
 取材終了後、すぐにプレスルームで原稿書き。今回は複数の仕事をその日のうちに片づけなければいけないハードスケジュール。途中でホテルに場所を移し、最後に、本WEBサイトの原稿を書きましたが、なんだかんだでたくさんになってしまって、今の時間は午前4時半。決勝種目が多くなる明日からは、とてもこのペースでは書けないでしょう。
 それにしても、朝まで仕事で3〜4時間の睡眠というパターンが、もう4〜5日続いています。なんとか変えないと。


■6月6日(木)その2
 午後8時に金沢のホテル着。ホテルへの予約の入れ方がちょっと複雑……でもなかったと思うんですが、ホテルにとっては大変だったようです。4連泊できる部屋をホテルの人がやりくりするのに時間がかかるというので、ロビーで原稿を書いていました。と、そのとき、土佐礼子選手が視界をかすめました
 なかなかいいタイミングです。ロンドン・マラソンの写真をCD−Rに焼き込んで(保存して)持ってきていたので、その場で手渡しました。明日のレースの後に渡そうかと思っていたのですが、レース後ってけっこう慌ただしいんでやばいかな、と思っていました。同じホテルだったとは幸運です。先輩の坂下奈穂美選手とコンビニかどこかに行って帰ってきたところだったようです。
「ロンドンでお世話になったから、おなんていらないよ」と、最初に言うつもりでしたが、いきなりのことだったので心の準備ができていなくて、言い忘れました。ちょっと緊張していたのでよく覚えていないのですが、お礼を言われちゃったような気がします。明日の1万mに関しては「シブが出ていたら“フラット3”になったんですが」と、意味不明のコメントを残して立ち去りました。
 8時30分くらいに、やっと部屋に入れて旅装を解きました(そんな大荷物じゃありませんけど)。移動中に書いた日本選手権展望記事をアップ。新宿で購入したノートPC用大容量バッテリーが威力を発揮して(3万9800円だからそのくらい当然か)、購入して装着時に残量50%でしたが、移動中も楽勝で持ちました。女子400 mHまでをアップ。
 その後、食事に行ったりなんだりで筆が進まず、やっとさっき(AM2時)、跳躍4種目をアップしました。残りはどうしようかなあ。明日の朝か、今からもうちょっと頑張るか。あるいは、超短めバージョンか(女子の投てき4種目は優勝候補が突出しているので、簡潔に書けないこともない。でも、砲丸投は豊永陽子選手がいるし、円盤投には成瀬美代子選手がいるので、突出ってほどじゃないか)。
 うーん。やっぱり、土佐選手がからむと日記らしくなりますね。


■6月6日(木)
 日本選手権展望記事。女子800 mまでアップしました。ちょっとあっぷあっぷして書いています。
 これから金沢に移動。途中、新宿でパソコンのバッテリー(標準タイプの2倍。サンキュッパだあ)を購入予定。金沢で何種目書けるか。


■6月5日(水)
 たった今、日本選手権の欠場者情報が入りました。
 男子110 mHの内藤真人(法大)、女子長距離の野口みずき(グローバリー)、藤永佳子(筑波大)がケガで欠場。女子5000m&1万mの2種目にエントリーしていた弘山晴美(資生堂)は5000mに絞るとのことです。


■6月4日(火)
 サンドラなっち


■6月3日(月)
 明日のサッカー・ワールドカップ、日本対ベルギー戦はこの顔に注目してください。
 一見、巨人の高橋由伸のようにも見えますが、陸上競技の大会でもよく見かける顔です(写真はエドモントンの女子マラソン一夜明け取材時になんとか公園で撮影)。実は寺田が以前在籍した陸上競技マガジンのT野徹カメラマン。東海大短距離コーチの高野進氏とは、一字違いです。なんて書くと、頭のいい読者にはフルネームがわかってしまいますね。写真のファイル名を見る、なんて裏技もあります。
 いつだったか苅部俊二選手が「オリンピック、世界選手権に続いてサッカー・ワールドカップのユニフォームにも袖を通した」ということを書いていました。サッカーの日本代表ユニフォームの発表会に、モデルとして出たのだったと思います。この3つが世界三大スポーツ大会と言われているのです。
 で、T野カメラマンは昨年、初めて陸上競技の世界選手権(エドモントン)を取材(それまでは、87年のローマ大会からずっと、H谷部カメラマンが取材していました)。96年のアトランタ五輪、98年のサッカー・ワールドカップ、2000年のシドニー五輪と取材しているので、世界三大スポーツ大会取材完全制覇を成し遂げたのでした。日本では数少ないカメラマンの1人です。先ほど電話をしたところ、新潟(クロアチア対メキシコ)の取材が終わったところで、明日はもちろん地元(埼玉県人)で日本対ベルギーを取材すると言っていました。
 時期が重なるので日本選手権には来られませんが、また、陸上競技の大会にも取材に来てくれるでしょう。ちなみに、愛妻家としても一部関係者の間で有名です(一部です)。シドニー世界ジュニア取材時のエピソードは有名で……プライベートなことなので、このへんでやめておきます。


■6月2日(日)その2
 今日は4つのサイトを新規リンクさせていただきました。
花子のノート」は文章、「ジギョウブクリクジョウカ」は写真が特徴です。どちらも、サイト運営者の熱意が感じられます。などと寺田が偉そうに言うことじゃないんですけど。こういう人たちが、高くない陸上人気を支えているのでしょう。貴重な存在だと思います。って、これも寺田が偉そうに言うことじゃないんですが。でも、陸上界の中枢に自分がいると思っている人たちは、それがわかっているのでしょうか。
 大産大は元マラソン日本最高記録保持者、五輪2大会連続4位の中山竹通氏が監督。のびのびと指導する方針(間違っていたら申し訳ありません)を貫いているのがわかります。異色といえる存在ですが、ぜひ、続けて欲しいと思います。なんて、寺田が偉そうに…(以下同文)。
 ATFS(世界陸上競技統計者協会)のS原さんからメールが来ました。昨日、ロシア記録が調べられないと日記に書いたところ、「エドモントン世界選手権のスタティスティクス・ハンドブックを見ろ」と、ご指摘いただきました。さっそくページをめくったところ、ありました。各種目のナショナル・レコードが記載されているページが(国毎でなくて種目別の記載)。そういえば、エドモントンで見ていますね、このページ。上っ面を見ただけで、頭に入っていなかったわけです。情けない。
 専門誌では辛口な意見で有名なS原さんですが、データに基づいた冷静な意見で「ダメなものはダメ」と言える専門家は貴重な存在です。ときどき、「あれっ」と思えるような温かいご意見も書いてらっしゃいますし。陸上界を支える貴重な人材だと思います。なんて、寺田が偉そうに…(以下同文)。
 100%ではないかもしれませんが、インターハイ都道府県予選の記録を掲載されている都道府県陸協のサイトを紹介させていただきました(M岡さんのおかげです)。陸上競技関係者には、ともすれば「競技会は選手の順位が決まればいい」的な考えがあるように感じます。そういう関係者にとっては、競技会の成績は「関係者と選手本人が知っていればいい」ということになるでしょう。それではねえ……改めて寺田の持論は書きません。それを、ちゃんと広報されている陸協は素晴らしいと思います。なんて、寺田が偉そうに…(以下同文)。
 ということで今日の一言。
「日本選手権はみんなのもの」
 ということで、本サイト初の会員制ページ「日本選手権を10倍楽しむページ」を立ち上げました……このあとが大変そう。


■6月2日(日)
 世にも恐ろしいことに気づいてしまいました。昨日、ファミレスで考え事をしている最中に、ふと気づいてしまったのです。違和感はずっとありました。渋井陽子選手が30分48秒89の女子1万m日本新を出した1カ月前から、どこか“引っかかる”感触がしていたのです。この数字は、どこかで見たことがある――俗に言うデジャヴ(dejavu既視感)というやつです。
 その正体に突如気づいてしまったのです、ファミレスで。夢中で、記録集計号のページをめくりました。寺田の立てた仮説というか、気づいてしまった恐るべき法則に当てはまる例が、次から次へと見つかりました。間違いありません。こんな偶然が重なることはありません。とすると、この超自然的な法則をどう説明したらいいのでしょう。
 あれこれ考えているとさらに、1つの法則に気づきました。“48”という数字の持つ特殊性に気づいたのです。なんという、恐ろしいことでしょう。発表したら、陸上界を恐怖のどん底に突き落としてしまうかもしれません。そのくらい恐ろしい法則なのです。
 でも、発表しないわけにはいきません。これは、寺田1人の胸の内にしまっておけることではないのです……徹夜明けで、ライターズハイ状態なのかも。


■6月1日(土)その2
 自宅兼事務所で原稿を書いています(と日記らしいことを書く寺田であった)。
 今日、締め切りの原稿があって、もうちょっと時間がかかりそう。「日本選手権を10倍楽しむページ」の立ち上げは、その仕事が終わってから。今日中は厳しいかもしれません。大枠はすでにできているのですが…。
 ファミレスに行って、筆を速くしよう。
 と思ったのですが、世間はワールドカップ一色なので、その話題をちょっと。ワールドカップは陸上競技にもあります(9月にスペインであります)が、ここで言っているのはもちろんサッカーのこと。予選リーグで日本はロシア、ベルギー、チュニジアと対戦します。これだけ盛り上がっているのなら、寺田のサイトでもなんかやろうかなと思いました。陸上競技の日本記録とロシア記録を全種目で比較するのはどうか、と考えました。さすがに、ベルギーとチュニジアと比べたら、日本の圧勝は目に見えています。ロシアだったら惨敗が見えているんですけど…。
 ところが、残念ながらロシア記録の一覧が入手できません。去年の世界選手権でロシアのデレゲーションブックは……入手していませんし、インターネットでロシアの陸上競技関連サイトをざっと見てみましたが、それらしいデータはありません。先日届いたATFS(世界陸上競技統計者協会)の年鑑(名鑑)のalltime lists をくまなく調べればなんとかなるかな(旧ソ連の選手も共和国名で出ています)とも思いましたが、男子100 m&200 mのミュンヘン五輪2冠のボルゾフはウクライナの選手だったので、早くも調べられない種目が出てしまいました。
 ワールドカップ企画、残念ですが断念します。

■6月1日(土)
 昨日、元K新聞陸上競技担当、O原記者の「伊東浩司さんとの想い出」を掲載しました。いかがでしたでしょうか。伊東選手の競技への情熱、人柄(選手柄)、キャラなどが瑞々しく描かれています。伊東ファンのみならず、陸上競技ファン必読でしょう。
 伊東選手の引退記事が先月末に出た際に、寺田も伊東選手の想い出を綴ろうかな、などと考えました。トップレベルを長い期間維持した選手だけに、専門誌編集者とトップ選手の接点という形でのエピソードが多かったように思います。
 でも、書かないでよかった。O原記者にここまで書かれると、寺田なんぞのエピソードは、完全にくすんでしまいますから。伊東選手にぶつかっていった“思い”の差が出てしまいます。でも、何かいいきっかけがあれば、ちょっとずつ紹介していけるかもしれません。伊東選手の想い出と関連のあるニュースがあったとき、などがその機会でしょうか。
 ところで、伊東のWEBサイトを見ると、引退したわけではないようです。推測ですが、今年の日本選手権に出ないことを質問され、「トップレベルを維持する練習は大変」というニュアンスのことを話したのではないでしょうか。



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