寺田的陸上日記      
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ…        
昔の日記はこちらから
2001年4月。エイプリル自体は馬鹿じゃない。たぶん

●4月30日(月)
 すでに大学の対校戦の取材はすでにしていましたが、昨日は今季初の、トラック&フィールドの大きな大会の取材でした。いろんな人に会うことができました。2月24日に公開を始めた本サイトですが、何人かの方が「見てるよー」と、声をかけてくれます。嬉しいものです。福島大の川本和久助教授もそんな方の1人で、「つまらないギャグを俺のホームページで検証しようか」などと、おっしゃってくれました。
 寺田のリンク集にも掲載させていただいていますが、川本先生のページは本当にすごいです。科学的な研究を現場に生かしてらっしゃる様子がよくわかりますし、そのアプローチ法が、我々凡俗にも理解しやすいように工夫されています。そして、硬軟織り交ぜた企画の数々。いやいや、寺田のブータンの首都(*)的な表現では、とても正確に言い得ることなどできません。とにかく素晴らしいです。そんなページで取り上げられるとしたら、こんな名誉なことはありません。
 しかし、川本先生はそこで、寺田のギャグが“おやじ的”なことを、検証されたいらしいのです。こーれは、ちょっと見過ごせません。以前に“おやじギャグ”と指摘されたことがあるのは事実です。でも、それは2万何千のアクセスがあって、たった2〜3人です。実際、このサイトのギャグは、陸上通ならではのもの、あるいは伏線がしっかりあるもの、インテリジェンスなもの、しかないのです(きっぱり)。
 それを、川本先生が“おやじ的”とか“低レベル”とかと検証されるのなら、堂々と受けて立ちます。なんでそこまで意地を張るのか? それは川本先生が筑波大出身だからです。そのあたりの経緯は2月1日、6日の日記をお読みください。そういった張り合いが、人生には必要でしょう。
 That's the life.
 こちとら、イギリス帰りだぜ。
 *ブータンの首都:チンプー→陳腐


●4月29日(日)
 今日は、マジで早起きをしました。
 4:20起床、5:09出発、6:16新横浜発の新幹線のぞみに乗るはずが、間に合わず7:09発ののぞみに。6:16発に乗ることができれば、広島駅から知人のタクシーに同乗できたのですが、間に合わなかったため、広島駅からタクシーでアストラムラインの県庁前駅に行き、そこからアストラムラインで35分で広域公園前に。
 不思議なのは、なんでアストラムラインが広島駅に接続していないかということです。この件は94年のアジア大会の際にも問題とされたかもしれませんが。とにかく不便この上ないのです。たぶん、従来からある路面電車の存在意義をなくさないためとか、政治的な判断が働いているのでしょう。あるいは、タクシー会社組合からの圧力があるのか。
 交通の不便さは人為的な理由と言っていいのか、成り行き上の理由と言っていいのかわかりませんが、陸上競技の観戦の不便さは……これも、どちらと言っていいのかわかりません。寺田はもう10何年も取材をしていますが、未だに全種目を完璧に見落としなく観戦することなど、正直言ってできません。
 大牟田高コンビが好走した5000mのラップも、女子ハンマー投の投てきと重なって、何回かストップウォッチを押せませんでした。どちらかといえばトラックを優先することが多いのですが、今日は女子ハンマー投を優先しました。
 選手のコメントを聞く取材と、競技を見る取材との兼ね合いも難しい部分です。今日なんか、室伏広治(ミズノ)選手のインタビューが始まるのと同時に、女子400 m、男子400 mと続く予定だったのです。どうするか迷いましたが、女子400 mは柿沼和恵(ミズノ)選手がいつ日本新を出してもおかしくない状態なので、そちらを優先しました。したがって、室伏選手の会見の冒頭部分は聞いていないのですが、この2人はともにミズノですし、同じ宮崎インターハイ組ですし、許してもらえると(って何を?)と判断しました。
 という経緯で、男子400 mは見ていません。そんなんでよく記事が書けるな、と思われるでしょうが、陸上競技が今の運営を続ける限り、これはどうしようもありません。願わくば、陸連の偉いさんの会見を、競技がやっている間に行わないでほしいということです。これは、人為的な問題だと思います。


●4月28日(土)
 今日は珍しく早起きだった。午前10時に起床したのだから、イギリス時間なら午前2時。これを早起きと言わずしてなんと言おう。もちろん、朝寝坊といえるのであるが。
 明日の広島行きの段取りが最優先の仕事だったが、飛行機を利用した格安ツアーはもう、申し込みを受け付けてくれなかった。だったら、新幹線の格安チケットしかないと新宿に買いに出た。
 金券ショップのちょっとふっくらしたお姉さんが「いつ、使われるのですか」と聞いてくるので、「明日なんですよ。早朝の新幹線に乗りますから、たぶん席は大丈夫ですよ」と、好青年を装って快活に答えた。ここで、約2.3秒の間があった。「ゴールデンウイーク中はビジネス切符等は使用できませんよ」
 そういえば、そうだった。こんな重要なことを忘れているとは!! 落胆する寺田を、同情の眼差しで見つめるお姉さんは、大分のおばちゃん(2月5日の日記参照)より、はるかに親切そうに見えた。
 以前にも書いたような記憶があるが、ゴールデンウイークとか、年末年始、お盆休みは、陸上専門誌関係者にとって“百害あって一利なし”の行事なのである。世間が休んでいるのに取材が入って休めない、などという貧しい発想ではない(多少、あるかもしれない。今度、E本君に聞いてみよう)。印刷所が休むために締め切りが早くなり、地獄の苦しみを味わうことになるのだ。おまけに、その期間の交通移動は、今日の寺田の例を出すまでもなく、かなり困難になる。
 でも、考えてみれば、ゴールデンウイークだから春季サーキットなどにお客さんが集まるわけだし、お正月だから駅伝の視聴率が上がるというのも現実である。そのおかげで陸上関係者は、巡り巡って、陸上に関係していられる。愚痴を言ったら罰が当たるので、明日からの取材は、頑張ります。記事も、Webサイトに全力投球(か?)。


●4月27日(金)
 起きたのは午後です。寺田の前世はヨーロッパ人だったのかと思えるほど、生活がヨーロッパ時間にフィットしています。単に、宵っ張りの朝寝坊なのかもしれませんが、客観的に事実を見るよりも、こうだと主観的に思い込んだ方が幸せなことがあります。今が、その時でしょう。寺田の場合、いつもかもしれませんが。
 選手も同じです。やれ「故障で練習でやり残したことがある」とか「今回はこのくらいの記録しか出せそうにない」と思うよりも、「あの故障はいい休養になった」とか「調整はばっちりだ」と思い込んだ方が、試合で前向きになれます。まあ、選手のタイプにもよると思いますが、とにかく寺田の朝寝坊の理由は、ヨーロピアンだからと思って下さい。
 ロンドン・マラソンで取材したネタが、かなり余ってしまったので、テルガト選手の記事を昨日、今日と、WEBサイト用に書きました。今日は、犬伏選手のスクープ記事も、勢いに乗って書き上げました。明日、公開します。
 日本選手に関するネタは、次に犬伏選手、弘山選手の記事を書くときまでキープさせてもらいます。なんでもかんでも、全部吐き出したら、練習でオールアウトまで追い込むのと同じになってしまいます。そろそろ、春季サーキットにモードを切り換えないといけませんし。
 それにしても、今回のロンドン出張は、経験や人とのつながりなど、色々な意味で“貯める”ことができたいい旅でした。勝手にそう感じているだけかもしれませんが。編集者の身分ではできないことですから、フリーになっていいこともあるかな、と実感しました。
 でも、だが、しかし、です。出費は安いものではありませんでした。それを考えると、貧乏ライターの現実に引き戻されます。明日は、いかに広島まで安く往復するか、旅の手配をしなければいけません。ここの頑張り次第で、3000円、4000円と違ってくるのです。トホホ…。唐の詩人は――杜甫(とほ)。


●4月26日(木)
 今日は、陸マガの原稿の締切です……が、テレビのニュースもちょっと見ました。
 すごい発見をしました。ニュースはもちろん、組閣のことをずっと報じていました。大臣の年齢って、若いんですね、思ったよりも。なんでそう思ったかというと、ちょっと前にJOCの役員の一覧が記事になったことがあって、その年齢が60歳代後半から、70歳代前半が多かったからです。
 先日、記者クラブにお邪魔していたら、ある競技団体がやはり、新役員の名簿を配ってくれて、その場で記者会見になったことがあります。「僕は陸上専門なんで」と言って、その場を離れることなど小心者の寺田ができようはずもなく、真剣な表情で聞いていましたが、その競技団体もJOCと同じように高齢の方が多かったような気がします。陸連はどうなのか、寺田はまったく知りませんので、なんとも言えません(これ、本当です。陸連の偉い方の年齢を気にしたことは、一度もありません)。
 それに比べて、政治家のトップが60歳前後が多かったので、「えっ」と感じたのでした。考えてみれば、先の短い人間より、先の長い人間の方が、国の将来を真剣に考えてくれるでしょう。かといって、30歳代では経験不足でしょうし…。この手のことの適齢って、あるんでしょうか。


●4月25日(水)
 さすがに疲れがあったのか、今日はほとんど1日、寝ていました。
 しかし、そんな状況でも締め切りは待ってくれません。「スポーツ・ヤァ!」用に国際グランプリ大阪大会の展望記事を書きました。といっても、昼間寝ていて、夜中に書いたのですが。こういう生活を送っていると、なかなか日本時間に戻れないのです。
 犬伏、弘山両選手も、そしてロッテルダム・マラソンに出場した積水化学関係者も、成田に帰国したようです。ロンドン最終日に、日本の新聞の多くが、ロンドンよりロッテルダムの方に大きく紙面を割いて報道していることが、話題となりました。
 男子優勝者のキプロノ(ケニア)は、世界で初めて2度の2時間7分突破を達成したわけですし、小出正子選手は、小出監督の二女という話題性があります。しかし、ロンドンは、明らかに出場メンバーの豪華さではロッテルダムより上です。小出選手は、日本歴代50傑に入らない選手ですが、犬伏&弘山両選手は、日本歴代2位と3位の選手で五輪後初のビッグレースです。まったく置かれているポジションが違います。小出選手を評価するとしたら、自己記録をきっちり出し、きっちり2番に入ったことでしょうか(昨年、山内選手もロッテルダムで2位でしたが)。
 結局、多くの新聞はこの、きっちり結果を残す小出監督の手腕を、話題性もあるので大きく報じたわけです。ロンドンにいた関係者の多くは、それは専門誌などがやればいいことで、新聞が大きく扱うべきなのは、ロンドンの方だろうという意見だったように思います。どちらがいい悪いではなく、その新聞がどちらの立場を採用するかです。


●4月24日(火)
 昨日は記者会見後、プレス・オフィスでゆっくり昼食。バイキング形式ですが、ホテルのかなりリッチな食事がタダで食べられます。ここに来た初日(19日)は、新聞の締め切りに追われ、目の前に食事がありながら食べられませんでした。短い行数で最低限必要な情報を盛り込む文章の書き方に、慣れていなかったため、気持ちばかり焦っていました。一緒に仕事をしていたスポーツ新聞記者(N社のS木さん)は、手慣れた感じで仕事をこなしていました。食事もしていたようです。
 2時過ぎに河野監督、犬伏選手に、挨拶がてら話を聞き、スクープのネタを完璧にしました。ハロッズ(ロンドン最大の百貨店……ですよね)に行く予定もあったのですが、そんなことはどうでもよくなるほど、興奮できるネタです。それに、ハロッズはヒースロー空港の免税店街にも店を出していた記憶がありますし。
 ホテルに夕方5時半に荷物を取りに行く予定でしたが、時間が押してしまい、ちょっとピンチに。タクシーに同乗させてくれた親切な方がいたので、なんとか間に合いました。ところで、泊まっていたホテルのフロントのお姉さん(ロバに似ている。驢馬ではなくて、エチオピアのロバ)とは、最初の日に一悶着あったのですが、最後は笑顔で「good by」だったか「see you」。
 徳島新聞・水野記者とタクシーで空港に。外国で取材をしたときっていつも感じるのですが、どんなに忙しくてしんどい日々を送っても、最後に、その土地を離れる際はもの寂しく感じます。なぜでしょうか?
 ヒースローのハロッズで無事に買い物を済ませ、ソウル行きの大韓航空に。機中では腰の痛みもあり、なかなか寝付けませんでした。でも、ときどきはうとうとします。たぶん、10〜20分ずつくらい。「The family man」というニコラス・ケージ主演の映画を見ていましたが、4回くらい見て、やっと全編見落としのない状態になりました。いい映画だったので、繰り返して見ても飽きませんでした。そうこうしているうちにソウル、成田とアジアな土地に戻り、日付もいつの間にか24日になっていたのでした。


●4月23日(月)
 昨晩の人生最大のピンチをなんとかしのいだ後、ロンドン最後の夜は熟睡し、他には何も起こりませんでした。
 11時にはプレス・オフィスに着き、新しい情報が出ていないかチェック。ありました、ありました。ラドクリフがうんたらくんたらと、英語の(当たり前か)プレスリリースが置いてあります。詳しくは記事にしましたので、こちらで。優勝者2人の記者会見後、ラドクリフの記者会見までありました。レース翌日からすでに、来年に向けての話題づくりをしているのだからすごいです。
 一緒に壇上に登場させられたイングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)の英語は、今回の取材で、一番聞き取りやすかったです。ヒアリングの苦手な寺田でも、いくつか単語が聞き取れるくらいです。さすがイングリッシュです。いや、イングリッドでした。
 歴代優勝者の会見があった金曜日のことですが、クリスチャンセンがやはり壇上で聞き取りやすいイングリッドで、いや、イングリッシュ(くどい!!)でオリンピックのことを話していました。彼女は、5000m、1万m、マラソンで世界記録を連発し、それも歴代2位との差がかなり大きい圧倒的な力を持っていたのですが、ソウル・オリンピックは故障の影響もあり、1個も金メダルを取っていません。
「That's the life. That's the sports.」
 イングリッドは、こう言っていました。
 個人的な話で恐縮ですが、寺田は昔、日本のある選手がオリンピックで金メダルを取ると信じて疑いませんでした。陸上専門誌を読むようになったのも、その選手がきっかけです。その選手はロンドン・マラソンに優勝していて、今回、招待されていました。歴代優勝者の会見場にもいたわけです。その元選手の顔を見て、思わず涙が出そうになりました。
 ということで、感傷的になってしまったので、今日の続きは明日に。


●4月22日(日)
 朝9時の競技開始なので、6時50分に宿泊しているホテルを出発(ヨーロッパに来ると、早起きが得意になります。そのわけは19日の日記をご覧ください)。プレス・ルームはゴール近くのギャラリー兼映画館の施設です。7時30分に一番乗りした記者は徳島新聞・水野さん、寺田が約3.7秒遅れて2番乗りでした。続いて、日本の報道関係者が次々に到着します。やっぱり、遠来の記者の方が気合いが違うということでしょう。寺田も腕時計のストップウォッチ2個を左手にはめて、男女のタイムを計測できる体勢です。外国人記者の間では“The man with the two wrist watchs”と言われて、話題になり……ませんでした。早めに行くのはまあ、インターネットへの接続ができるかどうか、テストを行う必要がありますし、テレビ画面のよく見える席をキープする必要もあるのです。
 テーブルの大きさも日本より大きいですし、何より、各列に1台、自由に使える電話回線が敷かれていたのには感激しました。飲食関係は文化の違いでしょうか。バー(写真)やカフェでコーヒー・紅茶・オレンジジュース、食べる方ではパン、パスタ、ピザ、チキン、サラダ等を用意してくれます、無料で。日本でも無料でお弁当が出ます。日本人からすると、ロンドン形式が新鮮ですが、逆に外国人記者にとっては、日本のマラソン取材でお弁当が出ると、新鮮に感じるのでしょう。どちらがいいとか悪いとかではありません。取材に来るプレス(記者&カメラマン)の数は、たぶん日本のレースの方が多いでしょう。
 ロンドンも最近では5km毎のタイムを計時していますが、ボストンとロンドンはかつては、頑としてマイル表示に固執していたと聞きます。プレス・ルームの前方壇上に大きなホワイトボードがあり、そこに1マイル(1.6095km)毎と5km毎の通過タイムが記入されます。紙にも印刷されて配られますが、これはどうもアンオフィシャルのようです。最後に出た10km毎の通過&スプリット・タイム一覧表のタイムとは違っているのです。そうではありますが、日本では1km毎の通過タイムを公表するなんてことは絶対にありません。少しでも詳しいペース変化を知りたい人間にとってはありがたいことです。
 しかし、決定的に落胆したのが、5km毎の通過&スプリット・タイム一覧表が出ないことです。レース後、数時間して男女70位までのものが出ましたが、10km毎でした。陸マガ的には5km毎が必要ですから、「5km毎の一覧表は出ないのか」と質問したところ、「ノー」とのこと。「日本ではどんなマラソンでも参加全選手の5km毎が出るぞ」と言ってやったら、「1マイル毎を出してるじゃないか」との答えだったので、「それではダメなんだよ。まいるなあ」と言い捨ててきました。日本語で。
 夜は新聞関係記者の懇親会に出席(仕事も1つそこでこなす必要がありました)。最悪の事態はその帰りです。お店から出たら小雨が降っていました。「これが有名なロンドンの霧雨か。駅まで濡れていこう」とカッコをつけていったのが失敗でした。地下鉄の車中で、急に腹が冷えてきて、「人生最大のピンチだ」と思いました。駅のトイレに行けばいいじゃないかと思ったあなた、甘いです。ロンドンの地下鉄には、トイレがないことが多いのです。かの有名な「地球の歩き方」に書いてあります。しかも、ホテルの最寄り駅の1つ手前で、なぜか電車が停まってしまいます。
 結論を言うとことなきを得たのですが、こうしてロンドン最後の夜は更けていったのでした。


●4月21日(土)
 朝、地図を片手に歩いて大会本部ホテルに。約20分かかりましたが、道を覚えた帰りは15分でした。前のホテルのような閑静な住宅街ではなく、なんとなく下町の雰囲気もある、ちょっときたないストリートが多かったです。
 ホテルに着いてしばらくたつと、ラビットの中間点通過タイムがプレス向けに公表されました。レース当日のスポニチに掲載予定の原稿はすでに昨日中に提出してありましたが、このラビットのタイムを基にした展望記事も急いで書き、送信しました。実際、紙面に載るかどうかは、なんともいえません。
 昼頃、犬伏選手と鍼灸師の富永修司さんに取材。富永さんは、報徳学園高出身で、同校が強くなる直前に、その基礎固めをされた世代の方です。犬伏、弘山両選手の他にも、中山竹通選手や山本佳子選手というダイエー関係選手、最近では新井初佳選手、家谷和男選手らも治療されています。
 そのちょっと前だったでしょうか。N紙のS木記者が「今回まだ、シモン(ルーマニア)を見てないんですよ」と言ったので、寺田はじっと指先を見つめてしまいました。指紋を見たわけですが……。実は、そのちょっと前にシモン選手を見かけた寺田は、ちょっと取材していたのです。ほんのひと言ですが、それを悟られまいと、冗談でかわしたつもりです。普段は、雑誌と新聞でメディアが違うこともあり、協力し合っているのですが、今回は寺田がスポニチの仕事をしているため、ライバル同士なのです。
 ところで、昨日の日記に選手やコーチが、あちこちで再会の挨拶をしていると書きましたが、彼らと同様、あるいはそれ以上にロビー活動(本来の政治的な使用法ではありません)をしているのが、AR、代理人の人たちです。日本ではJAAFが代理人名簿に載っています。彼らが部屋に閉じこもっていることは、ないんじゃないでしょうか。彼らに負けず劣らず、精力的な活動をされていたのが、日本の各マラソン大会関係者です。仕事のじゃまをしてはいけないと思いつつ、色々と話を聞かせてもらいました。
 ところで、ロンドンといえばニューヨーク(ブロードウェイ)と並び、ミュージカルの本場です。地下鉄のながーいエスカレーターを上がっていると、側面の壁が全部演劇の広告という駅も2つか3つ、すでに経験しました。そこで、ロンドンにちなんで、ARとミュージカル「マイフェアレディ」に関連した文章を書きました。
 夕方、5時からテクニカル・ミーティングがあり、女子の中間点通過タイムが変更されました。詳細は、記事に書くと思います。スポニチか陸マガか、本Webサイトで。
 スタートは明日の朝9時。あと9時間です。BBCの天気予報によると明日8時の気温は5℃、曇り、微風とのこと。


●4月20日(金)
 昨日に比べると、地下鉄の乗り継ぎなど、移動はストレスなくできていますが、朝の地下鉄が通勤ラッシュで大変でした。今日から大会本部&プレスオフィスのあるホテルから、歩ける距離のホテルに移りますので、荷物を持っていたのです。どこからどう見ても、旅行者だとまるわかりですが、Tower Hillという駅から大会ホテルに向かう途中で、そのホテルへの道を尋ねられました。確かに、日本では道を尋ねられることが多いな、とは感じていましたが、まさかロンドンまで来てねえ。
 それはどうでもいいのですが、12時から過去の優勝者の記者会見がありました。今年で21回目の大会ですから、全員が来英できたわけではないと思うのですが、かなりの大人数です。日本のマラソンはレース前日か前々日に記者会見が行われますが、会見選手全員を壇上に並べ、一気にやろうとします。主催新聞の記者が選手全員に一通りの質問をしたあと、フリー質問になります。そうすると、質問が出ない選手もいますし、かといって、あまり多くの選手に質問が飛ぶと、なんとなく会見全体の焦点がなくなってしまう感じにもなりかねません。
 今回のロンドンのように、カテゴリーをうまく分けて、少人数ずつ壇上に上がってもらう方法の方が、寺田は好きです。まあ、大人数だと、1人ずつ順番に目標を言ってもらい、牽制しあったりする展開になって盛り上がることもありますが、うまくグループ分けができれば、そういった盛り上がりも、期待できると思います。ロンドンのように複数の日に分けると、取材する記者の負担が大きくなりますし、貧乏ライターには長期滞在は不可能ですから、やってほしくありません。同じ日で、時間をちょっとずつすらしてやるのがいいでしょう。ただし、待っている選手も同じ室内に待機してもらい、場合によってはいきなり質問を振るのもあり、みたいな形ならいいと思うのですが。
 話を元に戻すと、日本関係ではエスビー食品瀬古監督(86年優勝)、旭化成の谷口ヘッドコーチ(87年優勝)、元エスビー食品のダグラス・ワキウリ氏(89年優勝)の姿がありました。ホテルはロンドン塔、タワーブリッジのすぐ脇ですから、ちょっと外に出ればロンドンらしい光景をバックに写真が撮れます。このあたりの配慮も、心憎いものがあります。3人に移動してもらって写真を撮りました。
 それにしても、ロビーやエレベーター前のソファーで仕事をしていると、過去の名選手、現在の強豪選手がひっきりなしに行き来しています。そういった選手・コーチたちが、そこかしこで、再会を喜んで抱擁しあったり、握手をしていたり。谷口コーチも、いろんな外国人関係者と談笑しています。
 明日の昼、締め切りの原稿を書き上げ(もちろん、締め切りまでに新しい情報が入れば追加、訂正をします)、夜は何人かの記者の方と、中華街に繰り出しました。
 新しいホテルは3つ★ですが、週末料金(金土日が20ポンド安い)で、大会本部ホテルから徒歩圏内だったので、ちょっと高めですが3泊することにしました。受付でちょっと、いえ、かなりのトラブルがありましたが解決し、インターネットもつなげました。なにより、部屋がスイートに近くて、16畳はあろうかというリビングに応接セットがあり、6畳のキッチン、12畳の寝室にはダブルベッドとシングルベッドが1つずつ。階段は吹き抜けになっていて、雰囲気は映画のようです。信じられないくらい豪華です。Hotels LondonというWebサイトで予約したのですが、そのサイトを紹介してくれたケン中村氏(ATFSアメリカ)に、この場を借りて、感謝申し上げたいと思います。


●4月19日(木)
 昨晩、「Modem pointsなんて知らないわよ」とつれなかった宿のおばさんですが、朝は「モーニング・ノックをしてあげる」とのこと。朝寝坊の寺田には、このうえなく嬉しい申し出でした。7時半にお願いしていたのですが、目が覚めたのは5時半。昨晩は12時にはベッドに入っていましが、日本時間でいえば朝の8時に寝て午後の1時半に起きたことになります。普段の朝寝坊がヨーロッパ時間にフィットしているということでしょうか。朝食はパンとコーヒーの他に卵料理とベーコン・ソーセージなどが付くイングリッシュ・ブレックファスト。宿の値段を考えると、これは助かります。
 10時に大会本部ホテルで弘山コーチに会う約束だったので、9時前にはホテルを出ました。昨晩は暗くてよくわからなかったのですが、こんなホテルの外観で、周囲はこんな雰囲気のある閑静な住宅街でした。気温は10℃前後でしょうか。風もなくて、今日がレースだったら、いいマラソン日和です。でも、午後には雨になってしまいました。
 ロンドンの地下鉄は、1つのホームに複数のラインの車両が入ってきますので、何線なのか、そして行き先もいろいろある(これは日本も同じか)ので、気をつけてチェックしないといけません。地下鉄(Tufnell Park駅構内の写真)の乗り継ぎをなんとかこなし、10時10分前にホテルの中にあるプレス・オフィスに到着。11時過ぎに取材を終え、今回主に原稿を書くスポニチと連絡。日本との時差の関係で、すぐに1本、記事を書きました。12時からピント、アントン、テルガトの記者会見がありましたが、メールの送信で手間取っていたため、写真だけ撮って、あとはまた、パソコンと格闘です。水野記者の助力のおかげで、なんとか成功しました。でも、時間がなかったため、日本にクレジットカードを使って接続しています。そう頻繁にできないということです。
 それにしても、プレス関係の部屋を見ても、日本の大会とはやっぱり雰囲気が違います。どちらがいい悪いではなく、これまでは日本のマラソンしか見ていないので、その違いが新鮮だったということです。記者会見場は日本に比べたら狭いです。以前紹介したように、
 13時半から河野監督の取材。犬伏孝行(大塚製薬)選手には昨日すでに、電話でちょっと話を聞かせてもらっていたのですが、今日も顔を出してくれました。そのあと、何人かの方と情報交換をして、それが一段落してWebサイトにとりかかっています。実は昨日の日記も、後半は今日書いたのです。ちょっとしんどくて、すぐに寝てしまったので。
 そうこうしているうちに、プレス・オフィスが何かのパーティー会場に模様替えを始めてしまい、部屋の外、エレベーター前のテーブルに移動して作業をしていたら、エスビー食品・瀬古監督と、旭化成・谷口浩美コーチがいらっしゃいました。この2人は86年と87年にロンドン・マラソンに優勝されていて、今回は21回記念(21世紀だからでしょうか?)で過去の優勝者が招待されているのです。
 ということで、今日はここまでとさせてください、泊まっているホテルでの接続はできませんので。しかし、明日の夜からは、大会本部ホテルに近いホテルに移ります。値段的には2倍以上なのですが、週末料金で金土日曜日が、20ポンド(3800円)安くなっているのです。でも、接続ができるかどうか、ちょっと不安です。
 スポニチに記事を書いていますので、このWebサイトには記事ものを書けませんが、紙面に出せなかったネタは、いずれ掲載したいと考えています。明日は、ロンドンから兵庫リレーカーニバル1万mの展望記事をお送りできるかもしれません。100%確約はできませんが。


●4月18日(水)
「イギリスへのコーリアンな旅」
 朝の5時に自宅を出発。成田空港には7:30に、JRの成田EXPRESSで着いた。フライトは9:30発だから、寺田にしては余裕を持った行動である。それにはもちろん、わけあがある。座骨神経痛気味のため、何時間も同じ姿勢で座っていると腰(というより臀部に近い)に痛みが出るのだ。早めに行って通路側の座席を確保するのが狙いだった。
 JR、京成とも7:30前後に着く特急のあとは両社とも8:00前後着なので、7:30に着けば、絶対に通路側を確保できるはず。自信満々でカウンターに行ったら、すでに席が指定されていたチケットが渡された。経路は大韓航空でソウル乗り継ぎ。ソウルまでは通路側だが、ロンドンまでの12時間が窓側だった。「運がよければ、ソウルで変更ができますよ」。お姉さんが笑顔で言ってくれた。4時間後のソウル・インチョン空港。お兄さんは元気がよかったし、英語も聞き取りやすかった。
「Change to aisle seat? Ok.(と、キーボードを手馴れた手つきでたたく)Oh,sorry. All seats are reserved.」
 ということで、3人がけのシートの一番奥に泣く泣く座ることに。腰が痛くなったら何度か席を立つ必要がある。そうすると、同じ列にどんな人が座るかが、重要になってくるのだ。
 通路側は日本人の女性バックパッカー。真ん中の席、寺田の右となりの席は韓国人のビジネスマンらしきお兄さん。30歳前後で、鞄を頭上のボックスにしまうときの行動ぶりや、スチュワーデスに話をする感じから、旅慣れているのがわかる。態度も全体的に自信満々で、シャツは明るく淡いオレンジ、眼鏡のレンズには薄くピンク色が入っている。「こいつは、お友達になれないかな」と直感した。
 寺田はずっと資料に目を通していたが、食事が出ると作業は中断せざるを得ない。まさかと思ったが、隣のお兄さんが話しかけてきた。
韓国兄ちゃん「ロンドンにはよく行くのですか?」
寺田「日本語ができるのですか?」
韓国兄ちゃん「いいえ。Do you speak English?」
 ということで、そのあと、英語で話をしました(なぜか文体変更)。寺田の英語はものすごくたどたどしいのですが、時間をかければ、なんとか言いたいことは伝えられます。韓国兄ちゃんにも、ゆっくり話してもらいました。
 自分は陸上競技のライターで、ロンドン・マラソンの取材に行くこと。ボストンでイ・ボンジュ選手が優勝したけど、昨年の福岡にイ選手が来日したときは20人近い韓国の記者が一緒に来たことetc. イ・ボンジュ選手は韓国でも認知度は高いようです。そのお兄さんもよく知っていました。乗り込む際に韓国の新聞が4紙くらい置いてあったのですが、すべて一面でした(一紙もらって写真に撮りました)。
 という経緯で、一見とっつきにくそうだったお兄ちゃんとも仲良くなり、気兼ねなく席を立つことができました。でも、結果的に席を立ったのは2回だけ。ということで、無事、ロンドンに着きました。
 ヒースロー空港のの入国審査をパスしましたが、公衆電話がうまくかからずに苦労しました。クレジットカードを使用してかけようとしたのですが、なかなかうまくいきません。ガイドブックを見てやり直しました。クレジットカードを電話機に通してから、カードのチェックが終わるまで数十秒かかることを知らず、ダイヤルしていたのが原因でした(最初から見ればよかった…)。
 徳島新聞・水野記者をホテルでつかまえ、大塚製薬・河野監督も携帯を持ってらしたのですぐに連絡がつきました。資生堂・弘山コーチは河野監督と一緒に夕食をされるとのことで、30分後に再度、河野監督の携帯に電話をすることに。日刊スポーツ・佐々木記者の携帯が、どうしてもつながりません。あきらめて地下鉄(英語ではTUBE)に乗り込んだのですが、乗換駅まで40分くらいかかってしまいました。
 乗換駅の地下鉄フォームにあった公衆電話がまた使えなくて、なかなかカードを認識してくれません。10分くらい繰り返して、やっと成功しました。ホテルのあるTufnell Park駅に着いたときには9時を過ぎていました。
 ホテルを探し当てるのに約20分。実際の距離は10分弱ですが、外国ではやっぱり時間がかかります。Hotels Londonというインターネットのサイトで予約したホテルです。検索条件にModem pointsという条件付けができたので、「しめた」と思って見つけたホテルです。もちろん、貧乏ライターなので、その中でも一番安いホテルです。
 ところが行ってみると、ホテルとは名ばかりで、実際はB&B(ベッド・アンド・ブレックファススト。イギリスに多くある、民宿タイプの宿)で、一応室内を改造してシャワーが取り付けてありましたが、肝心のModem pointsは「そんなの知らないわよ。パソコンなんか、ここでは使ったことないし」と、おばちゃんのつれない返事。
 ということで、Webサイトへの掲載は明日以降に持ち越しです。
(う〜ん、長い日記だ。別大から帰ってきた2月5日と、どっちが長いだろう)


●4月17日(火)
 一昨日も書きましたが、“貧乏ひまなし”を地で行っているのが寺田です。明日の早朝にはロンドンへ出発するスケジュールで、仕度もまだ終わっていませんが、今日は春季サーキットや5月の取材の準備をしていました。帰国後だと、安いフライトやホテルが取れないかもしれません。下手をすると1万円以上、金額に違いが生じることもあります。貧乏ひまなし、となる理由がこのあたりにもありますね。
 明日のフライトは午前9時半発です。自宅は午前5時に出発します。昼寝をして、クリーニング屋に行き(もちろんパソコン持参)、なぜか掃除もして、徹夜からそのまま出かける態勢にはしましたが、これから荷造りです。資料も整理しないといけません。ちょっとやばいですね、現在午前1時半です。忙しいんだから、週刊ポストは変な記事、載せるんじゃないよ(週刊ポストと違う価値観の提案)。
 ところで、ロンドン出張は、薦めてくれた方もいますし、「マイフェアレディ」(ミュージカル)モードで行くことにしました。今日、映画版のサウンドトラックCDを買って、MDへもダビングしたところです。決して遊び半分で行くわけではなく、その方が仕事のノリがよくなるのです、すでに1つ、原稿のネタも思いつきました。そのことについては、ロンドンから内容の一端を、本WEBサイト公開したいと思います(100%お約束できませんが)。
 記事はスポニチに書きます。ただ、どれだけロンドン・マラソン関係の記事が出るかは、他の競技との兼ね合いもあるので、なんともいえません。何日の紙面から必ず載りますとも、断言できません。日曜日と月曜日には、確実に載りますが。次のWEBサイト更新は、ロンドンからになるはずです。
 では、行ってきます。


●4月16日(月)
 今日になって気づきました。昨日の日大・東海大対校戦の奥迫政之選手の記事を書いていたときです。そこに書いたように、奥迫選手は96年にシドニーで行われた世界ジュニア選手権に出場しました。昨日、奥迫選手を取材したのは寺田の他、陸マガH田氏と月陸E本氏で、この3名も全員がシドニー世界ジュニア取材経験者。つまり、奥迫選手、H田氏、E本氏、寺田が顔を揃えて話をしたのも、5年前のシドニー以来ということになるでしょう。
 全員が選手と陸上専門誌編集者・記者ですから、十分あり得ることなのですが、懐かしいような、5年間の時間の流れを感じるような、ちょっと不思議な感覚になりました。H田、E本両氏も同じように感じたはずです、などと、書き手が勝手に他人の心情を憶測し、さも事実のように書いた文章が世に氾濫しています。スポーツライティングも同様です。寺田はそうは書きません。これまでも、そんな書き方はしていない…はずです。両氏ががどう感じたかは、特に話をしなかったのでわかりません。
 話を元に戻します。やはり、海外の取材だと、通常の取材とは違った印象が残りますし、記事にも書いたように奥迫選手はその後これという活躍をしていませんので、頻繁に取材する機会があったわけではありません。5年ぶりに話をした可能性が高い気がします。H田、E本両氏はどうかわかりませんが。
 同じような経験は、1993年のシュツットガルト世界選手権でもありました。110 mHの柘植雄介選手が代表になりましたが、彼はインターハイ東海大会で取材したことがあったのです。もちろん、柘植選手はその年絶好調でしたから、何度か国内で取材はしていたのですが。
 さて、明後日からのロンドン・マラソン取材は、どんなことを思い出させてくれるでしょうか。あるいは、将来、何かの思い出を感じることになり、その起点となるのでしょうか。


●4月15日(日)
 今日は日大・東海大の取材でしたが、“貧乏ひまなし”のライターは、朝、出かける直前まで、別の仕事をしていました。徹夜ではありませんでしたが。ということで、移動の電車の中では資料に目を通していました。両校選手の昨年の主要大会成績は、陸マガ4月号の付録でチェックできます。2000年日本学生50傑も、先週入手しました。短距離関係は、一昨日発売の陸マガ5月号の3大学リレー関係記事で情報入手。早大新人トリオの「レ・イ・ク」の人文字が笑えました。頭の堅いOBが多いと思われがちな早大ですが、実際はそんなことはないということでしょう。
 話がそれました。町田の野津田競技場の最寄り駅は、本当なら小田急線の鶴川なのですが、なぜか1つ手前の柿生だと勘違いしていました。考えてみたら先週、日体大の健志台グラウンドに行く際に降りたのが柿生です。信じられないような単細胞ミスでした。ゾウリムシか、お前は? とツッコミのメールが来ても、反論できません。
 取材に出かけるときに一番間違えてはいけないのが、言うまでもなく時間と場所です。予習が前日できずに電車の中で慌ててやったのが間違えた原因だと言ったら、言い訳になりますが、日大出身の野口選手は自身のWEBサイトを言い訳に使っていますので(ユーモアの意味も込めて)、まあ、寺田がこの場を言い訳に使ってもいいだろうと…。
 野津田車庫行きバスの発着場を探し続けたのですが、見つからないのでノートをチェックしたら鶴川とちゃんとメモしてありました。10時の試合開始まで時間がなくなっていたので、仕方なくタクシーを使った次第です。2020円の出費は貧乏ライターにはかなり痛かったです。
 今日の格言――「貧乏は貧乏を招く」……と責任転嫁。


●4月14日(土)
 9日の日記でマイホームタウンの静岡県袋井市のことについて触れたら、2通メールをいただきました。1つは知り合いからで、「袋井市の人口は3月1日現在で60829名」というもの。もう1通は、東京出身で袋井在住の方からでした。
 その方がメールで触れてくれていたのですが、来年のサッカー・ワールドカップ、再来年の国体会場となるエコパ(小笠山総合運動公園)は袋井と掛川にまたがって建設されています、確か。よろしくお願いします……と言いたいところですが、あんな何もない不便なところで大きな試合をやっていいのかな、というのが正直な感想です。東海道線に新しい駅ができると聞きましたが、交通の便は悪いし、食事するところや、宿泊施設も近くにないし…。大丈夫なのかな?
 昨年、日本選手権が行われた宮城県の利府も、かなり不便でした。これは陸連の方にも正直に言いましたが、とにかく交通の便が悪いのです。仙台から自動車・タクシー(5000〜6000円だったと思います)で行けるお偉方は問題ないのですが、鉄道とバスを乗り継いで行くのはつらかったです。仙台駅から利府駅に行くのは、地元の人はともかく、旅行者には乗り換えがちょっとややこしいですし、本数もかなり少なかったです。競技場と利府駅の距離もかなりあって徒歩では移動できません。シャトルバスがあったのですが、仕事が終わったらもうバスがなかった、という状況です。
 いつでも車が用意されている立場の人にとってはどうでもいいことなんでしょうが、選手・補助員・普通の審判員、そして貧乏記者には最悪の場所だと思います。競技場の玄関にいつも黒塗りの車で乗り付けている皆さん、たまには車に乗らずに競技場に行ってみたらどうですか?
 スタンドなど設備面は豪華なんですけどね。今後、こんなタイプの競技場が増えていくんでしょうか。最近行ったなかでは、平和台とか、皇子山とか、交通の便がよくてこぢんまりした競技場って好きですね。バスしか交通手段がないのも、初めてや、たまにしか行かない人にとってはきついです。やっぱり、駅から歩ける競技場が理想です。


●4月13日(金)
 ロンドン出発まであと5日。気持ち的にはもう、ロンドン・モードに入っていて当然なのですが、どうもいまひとつです。確かに、ケン中村氏(ATFSアメリカ)のご協力でホテルも確保でき、いろんな方と打ち合わせもし、スポーツ・ヤァ!には展望記事も書きました。どうやら、ちょっとずつ準備を進めた結果、段取りが順調にでき過ぎたせいでしょう。一気に「ロンドンだあ」と、盛り上がってきません。
 もう1つの理由は、セビリア世界選手権のときのように、カルメンだ、ドンホセだと、感情移入するものを見つけられないせいかもしれません(2月14日の日記参照)。寺田は未だ“夢見る”年頃なのです。まあ、セビリアと聞いて、他に思い出せるものがなかったのも事実ですが。
 すでにロンドンには行ったことがあるので、いまひとつなのかもしれません。
 推理小説好きの寺田のことです。高校時代にホームズやクリスティーを読み漁りました。クリスティーでロンドンを舞台にしたものはいくつかあったはずなのですが、なぜかそれほど記憶にありません。どちらかというと、ホームズでしょうか。でも、いまひとつピンと来ません。ピントは去年のロンドン・マラソン優勝者ですが(これ、前にも使ったな Don't mail me, Mr.Ohara……スカーレット・オハラはイギリスではなくてアイルランド系)。
 どなたか、これぞロンドン、という小説(特に推理小説)、映画、あるいはミュージカルなどご存じないでしょうか。お薦めのものがある方は、メールください。ただし、ディケンズの「二都物語」はパス。


●4月12日(木)
 春季サーキット関連情報として、出場予定選手&タイムテーブルを掲載しました。
 作業を始める前、タイムテーブルと出場予定選手、読者の皆さんはどちらを先に知りたいか考えました。「やっぱり出場選手がわからないと、観戦(または仕事)に行くかどうか決められないよな」と思ったので、先に出場選手の入力を始めました。
 でも、よく考えてみると、各大会の種目はすでに公表されていて、種目がわかればある程度は出場選手も予想できます。それに、「出場選手がわからなくても、観戦(または仕事)に行くことを決めている人はいるかな」と思い直し、先にタイムテーブルをアップさせました。
 でも、実際どうなんでしょうか。どっちを優先した方が、よかったでしょうか。ご意見のある方は、メールください。
 といっても、タイムテーブルを掲載したあと、それほどタイムラグもなく、出場予定選手をアップできました。当初、出場選手を発表された全員を入力する作業はやっかいかな、とも思いましたが、それほど時間のかかることでもなかったのです。浜崎あゆみのCDを聞きながら作業をしたら効率が上がりました。皆さんも、試してみてください。効率が上がらなかった場合のクレームは、後輩のN村にしてください。とにかく、このサイトに情報が掲載できたのは、CDを貸してくれたN村のおかげです。東京六大学と中大・日体大対抗のリザルツを3位まで入力できたのも、同様にあゆとN村のおかげです。
 その作業の過程で、何人か所属が変わっている選手に気づきましたので、明日にでも記事としてまとめようかな、と考えています。
 忘れていました。9日の日記に書いたブータンの首都はチンプーです。要するに、当たり前の陳腐な意見だと言いたかったわけです。確かに、日本から独立するという考え方は現実的ではありませんが、そういう枠にとらわれない発想の仕方から、いいアイデアも浮かんで来るんですよ。あまりにも突拍子もないときは、N村が指摘してくれることになっています。


●4月11日(水)
 それはまさに“青天の霹靂”でした。
「寺田さん、三森由佳の引退記事を載せたの気づきました? 伊東浩司の甲南大講師就任の記事と同じ日だったんですけど、一応、スクープだったんですよ」
 びわ湖マラソンの日でしたから3月4日のことです。マラソンのレース前はたいてい、記者とコーチ陣がガヤガヤ情報のやりとりをしているのですが、日刊スポーツの佐々木記者がこう話しかけてきたのです。
 かなりのショックでした。小出監督&高橋尚子選手や伊東浩司選手のネタならともかく、競歩選手のネタでスポーツ新聞の記者の方に後れをとったことが、専門誌出身記者としては“やられた”という感じでした。思わず、近くにいた折山敏美氏(競歩ライターの異名をとる人)に「三森姉が引退したの知ってました?」と尋ねてしまいました。折山氏と宗茂監督が一緒にいらしたのに、挨拶もそこそこ、森下由輝選手の調子を質問することもなく、です。もちろん、折山氏は知っていました。
 そのことがあって以来、なんとか日刊・佐々木記者を出し抜いて、スクープをものにしてやろうと思っていました。その結果が、「関東インカレ1・2部入れ替え2校」ネタです。明日の日刊スポーツに載っていたら、ちょっとショックですが。
 ということで、“ブータンの首都の名前”の件(9日の日記参照)は、明日にさせてください。


●4月10日(火)
 昨日の日記で触れようかどうしようか迷っていましたが、やっぱり言及しておこうと思います。昨日の日記のブータンの首都の解説は、また明日にでも。
 昨日発売の週刊ポストで、バルセロナ五輪女子マラソン代表の小鴨由水さんが、当時の所属チーム監督との軋轢を公表しました。来週発売の号にも続きが載るとのことです。この手の人間関係のこじれは、どこにでもあることで、陸上界とて例外ではありません。
 じゃあ、当事者・関係者で話し合いをして、問題が生じないようにすればいい、などと言い古されたことを言うつもりはありません。人類は、有史以来4000年以上経つのに、この手の問題は後を絶たないのです。“当事者・関係者の話し合い”程度で解決できることなら、とっくにこの手の問題はなくなっています。
 では、どうすればいいのか。実は1つ、いい方法があるのです。それについては、機会を改めて、独立した記事にしたいと思います。どこかのメディアからの依頼がないかな…。けっこう、いい話になりそうなんですけど。この手の話に蓋をしたらダメですよね。問題は問題として、みんなで論じないと。
 ところで、山本佑樹選手(旭化成)のWebサイトこちら)を見ていたら日記のコーナーがあり、その4月1日欄に日大・西弘美コーチを慕う思いが綴られていました(西コーチは男性です。念のため)。師弟間の軋轢もあれば、それとは逆に強い心の結びつきもあります。


●4月9日(月)
 格安チケットで有名な、アメリカのトップ陸上クラブと名前が似ていることで有名な旅行代理店に行って、エドモントンへの往復(世界選手権取材)航空券を予約しました。シアトル経由のノース・ウエスト航空です。やっぱりシーズンだけあって、今回のロンドン往復に比べると、かなり高くつきました。同じシアトル経由でも、カナディアン航空だとアメリカへの入国税(4000円だったか6000円)を払わずに済むのですが、カナディアン航空では3万円以上ノースウエストより高くなるので、仕方ありません。
 でも、トランジットのパッセンジャーからも徴収するとは、アメリカもえげつないですね。日本はどうなんでしょう。
 ところで、寺田は静岡県の袋井市という、人口5万人(6万人に増えているかも。違っていたら誰かメールをくれるでしょう)くらいの市の出身です。サッカーのジュビロで有名な磐田と、新幹線停車駅のある掛川にはさまれた小さな市ですが、鉄道は東海道新幹線と東海道線、道路は東名高速に国道1号と、日本の大動脈が通っています。
 今日、旅行代理店でアメリカへの入国税の話を聞いて、袋井が日本から独立して、この4つを通る自動車や乗客に課税したら、それだけでやっていけるんじゃないかと思ってしまいました。はいはい、わかってます。そんな簡単でおいしいことだったら、どの市もどの県も独立しているってことは。
 でも考えてみてください。袋井が独立してIOCに加盟して、陸上選手がそこに移住したら、オリンピック代表になれる確率は上がりますよ。この発想は建設的でないとお考えのあなた、ブータンの首都の名前を言えますか?


4月8日(日)
 とんでもなくうかつでした。こんな重要なことに、気づかなかったとは…。
 実は昨日の取材帰り、陸マガ時代の後輩のN村と南武線稲田堤駅前のモスバーガーで待ち合わせて、宇多田ヒカルと浜崎あゆみのリリースされたばかりCDを借りました。4日(水)の日記を読んだN村が、「お貸ししますよ」と、メールをくれたのです。ちなみに東京六大学のリザルツは、そのモスバーガーの待ち時間(2時間弱)で入力しました。それにしても、持つべきものは“優しい編集者”と“頼れる後輩”、人生の真理を感じた一日でもありました。
 2枚のCDでは“ヒッキー”も悪くないのですが、やはり、ベストアルバムということもあって“あゆ”の方がお気に入りです。ということで、今日は中大・日体大対抗の取材に行きましたが、移動の電車では浜崎あゆみのMDを聞いて“あゆモード”でした。そんな寺田の浮わついた気持ちに、ガツーンと鉄槌を打ち下ろしてくれたのが、2人のあゆみでした。
 陸上界であゆみといえば、このところお世話になる機会の多いミキハウス・マネジャーの荻野あゆみさんが、真っ先に思い浮かびます。すごく素敵な女性ですが、今日、日体大・中大で「うかつだった」と寺田に思わせたのは、100 mHで激走した藤田あゆみ選手と、中大OBの佐々木あゆみさんです。藤田選手については記事にしましたのでそちらを参照してほしいのですが、佐々木さんは100 mHの日本記録を13秒55から13秒36まで引き上げた、この種目の一大功労者です。
 これもうかつでしたが、彼女もミキハウスの選手でした。ちょっと立ち話をさせていただきましたが、現在は別の仕事に就かれて、中大のコーチも引き受けられています。以前、陸マガか月陸の記事に、ものすごく早寝早起き(夜は8時か9時に就寝されていたような…。もしかしたら、記憶違いかもしれませんが)の選手として紹介されていました。早起きが苦手な寺田にとって、かなり気になっていたことなので、今も早寝早起きですかとお聞きしたら、遅番の日は、夜の11時頃まで仕事をされているとのことでした。
 それはともかく、陸上界であゆみと聞いて100 mHを思い浮かべなかった寺田の、なんとうかつなことか。うかつを強調するために、迂闊だったと、日常使いっこない漢字まで使っちゃいます。自分の子供に100 mHで13秒5を切らせたかったら、あゆみと名付けましょう。


●4月7日(土)
 歴史を感じた一日でした。
 昨晩遅くまで、中京大に室伏広治(ミズノ)選手の取材に行くか、東京六大学の取材に行くか迷っていましたが、結局東京六大学に。例年同様、東京六大学は駒沢陸上競技場での開催。同競技場は1986年に全日中が行われましたが、近年は全国大会が開催されることはありません。東京や関東に限定された試合の舞台となっています。
 しかし、です。もしも1940年の東京オリンピックが戦争で中止にならず予定通り行われていれば、オリンピックが行われたはずのスタジアムなのです。皆さん、知っていました? 寺田も数年前、陸マガ記録集計号でお馴染みの田辺清一先生からお聞きして、初めて知りました。
 この時期、大学の対校戦がいくつか行われますが、OBがこれだけスタンドに詰めかける対校戦も少ないように思います。駒沢はスタンドもそこそこ大きく(国立競技場や横浜国際、長居ほどではありませんが)、前述のような歴史的なスタジアムでもあり、歴史の古い大学が集うのに、ふさわしい器だと思います。
 ところが、いただけないのは、プログラムを販売していなかったことです。確かに、観客のほとんどはOBや現役の学生で、各大学がプログラムを関係者に配れば事足りるのですが、中には六大学と直接の関わりを持たない、一般の観客も来ているのです。せっかく交通の便がよく、あれだけのスタンドのスタジアムで行われるのです。一般陸上ファンにも見てもらいましょう。この大会のように、オープン種目が多く、そこに大物選手が出る大会なら、なおさらプログラムは必要です。
 でも、寺田が役員の方に知り合いに配りたいと申し出たら、快くプログラムを無料で提供してくれました。ありがとうございました。
 そのプログラムには、大学毎に、各種目の大学最高記録が記載されています。そのうち、慶大の三段跳、立大の800 mは戦前のものが残っています。面白いのは、どの大学も2種目以上の記録保持者(100 mと200 m、砲丸投と円盤投というふうに)が何人かいるのに、早大だけは1人しかいないことです。さて、その1人とは誰で、どの種目とどの種目でしょうか? わかった方はメール、ください。ところで、800 mに大会新で優勝した増原琢磨選手(早大)は、第2回大会優勝者の増原秀夫選手(早大)と、血縁関係があるのでしょうか?


●4月6日(金)
 この日記を読まれている方はすでにご存じのことと思いますが、昨日、トップページのデザインを、目次風に変更しました。こうして見ると、4月3日までは「忙しい、しんどい」などと日記に書きながらも、いくつかの企画をWebサイト用に書いています。「なんだ、口で言うほど忙しくないんだ」と思われた方も多いでしょう。
 ところが、さにあらず。
 どんなに忙しくても、室伏広治選手が日本新を投げれば記事にしますし、リスボン・ハーフについてメールをもらえば、それに触発されて記事を書くことも可能です。世界クロカンのジュニア女子歴代成績は、あの状況で自分でもよく調べたなあと思います……などと言ってしまうと、これからが大変になってしまうので、やっぱり、そんなに忙しくなかったんでしょう。うん、きっとそうだ。寺田がそんなに仕事をしているわけがない。そうに決まっている。確定申告の結果を見れば、一目瞭然です。
 寺田のことは置いておいて、以前にも言及したと思いますが、陸上競技は球技や格闘技と違い、記録いかんでいきなりビッグニュースが生まれることも日常茶飯事です。ですから、陸上競技関連メディアの人間は、忙しくてもそういったニュースが飛び込んでくれば、すぐに対応できないとと務まりません。どんなに、他の仕事を抱えていようとも。
 別に自慢しているわけでも何でもなく、「試合会場でよく見る顔」で紹介している記者の皆さん、そういった頑張りをしているのです。


●4月5日(木)
 今日は、細かい仕事をいくつかしましたが、半日は完全にオフにしました。オフにして何をやったかというと、昨日借りた「金田一少年」映画版第1作のビデオを見たわけです。
 犯人は当てることができました。さすがにトリックまで100%見抜くことはできませんでしたが、寺田は「金田一少年」の長編なら、8割くらい、犯人を当てることができます(……これって自慢になりますか?)。モーリス・グリーンやゲブルセラシエの勝率と同じくらいでしょうか。
 トリックも、以前出てきたものと基本的な考え方(欺き方)は同じで、状況に合わせてアレンジしているな、と気づきます。別に、「金田一」が、ワンパターンだと非難しているわけではありません。かなり神経を研ぎ澄まさないと気が付かないのではないかと思いますし、実は、寺田の仕事も、どこか似ている部分があるのです。
 取材をしていて、ある選手が話したことが、以前の取材中に出てきた話と類似点があったりすると、同じ様な突っ込み方、質問の仕方ができますし、原稿を書いているときも、以前に上手く書けたと印象に残っている原稿を思いだし、「今回も、あのパターンで書くと面白く書けそうだ」と、筆が進むこともあります。実際はキーボードを叩くんですがって、ワンパターンですね。
 推理小説のトリックも、原型は同じだけど以前のトリックを一歩進めて、斬新なトリックにすることができます。陸上の取材も同様で、以前の取材や記事を踏まえて、「あの選手がこうだったら、この選手は違うかもしれない」と、発展させるような形で質問することもできます。
 なんか、まるで自分は原稿が書けるんだと、言っているみたいになってしまいました。そんなつもりは毛頭ありません。この日記の読者なら、おわかりのことと思います。寺田の記事を読んでくれる人数は、「金田一」の1000分の1くらいでしょうか。でも、だからこそ、ありがたいと感じています。

 誌面掲載記事に「マラソン、若手が育つ環境」(オリンピアン3月号。大阪国際女子マラソンの渋井陽子選手間連記事です)をアップ

●4月4日(水)
 今日は、フリーライターらしい生活を満喫できた、いい一日でした。
 起床は10時。朝食後に新聞に目を通すと、日刊スポーツに「千葉真子、小出監督の門を叩く」の見出しを発見。先にメールをいくつか送ったり、いくつか細かい仕事を片づけ、日刊スポーツ・佐々木記者に電話を入れる。やはり、スクープでした。詳しい内容は、記事にしましたのでこちらをご覧ください。
 そのあと、散歩に。ここ数日、オフィス(兼自宅)に缶詰になっていたので、気持ちがよかったです。思わず、桜並木の写真を撮ってしまいました。
 ファミレスで昼食(といっても夕方)をとり、そのまま原稿にとりかかりました。この原稿を片づければ、5日連続締め切りの怒濤の仕事ラッシュが、一段落するのです。この原稿用の取材は、忙しい中でもしっかりやっていたので、ネタに困る不安はまったくありませんでしたし、出かける前に3分で構想を練り上げたので、珍しくパソコンに向かえば原稿が書ける状態でした(3月24、25日の日記参照)。このくらい、プレッシャーのない状態で原稿が書けると最高です。いい原稿が書ける……はずです。
 ファミレスで原稿をほぼ書き上げ、「今日は好きなことができるぞ」と古本屋に。「金田一少年」の最終巻がそろそろ、流通していると思ったのです。ところが、最終話は上下2巻セットで、そのうちの1冊しかありませんでした。
「だったら、金田一は後日にしてCDでも借りよう」と、ビデオ&CDレンタルショップのTSUTAYAに。陸マガ時代の後輩のN村が、宇多田ヒカルのセカンドアルバムと、浜崎あゆみのベストアルバムを奨めてくれていたのを、思い出したからです。ところが、この2枚はともに4月14日からのレンタル開始でした。N村は2枚とも購入していたわけですから、TSUTAYAのレンタル開始日を知るわけがないわけで、彼に罪はありません。結局、映画版の「金田一少年」第1作のビデオを借りました。実は、無料レンタルチケットが1枚あったのです。
 なんか、だらだら書いてしまって面白くないですね(いつもか)。オフィスに戻って、原稿を送信しようとしたところで、行数を間違えていたことに気づきました。わずか、6行の違いですが、ファミレスの段階でかなり頑張って削ったので、さらに削る作業はちょっとしんどかったです。まあ、自業自得ですが。ということで、金田一のビデオを見るのは明日に持ち越し。仕事優先です…当たり前か…わ。

 報道&展望記事に「千葉真子、小出監督への弟子入りを希望して千葉に転居 思い出のアテネに向けて、再スタート 森下広一との成績比較表」と「武井隆次が急きょ、パリ・マラソンに 好調の証か」をアップ


●4月3日(火)
 ここ数日、国内での大きな大会はなかったのですが、海外で注目すべきレースが行われたり、国内でも高橋尚子選手のプロ認定の話題があったりして、陸上のニュースが絶えることはありません。リスボン・ハーフマラソンのことは記事にしましたが、同じ4月1日に行われたトリノ・マラソンも、一般メディアでの扱いは小さかったですけど、寺田は注目しました
 エチオピアのアレマイユ選手が2時間07分44秒で優勝しましたが、アレマイユはシドニー五輪では、金と銅メダルを獲得したエチオピア勢の中にあって唯一“蚊帳の外”の22位。日本勢トップの川嶋伸次(旭化成)より1つ順位が悪かったのです。
 そんな選手が、いとも簡単に2時間7分台を出してしまう。マラソンとはそういう種目的な特性があります、絶対に。マラソンの場合、1回1回のレースの、出来不出来の幅が大きいわけです。一般種目とマラソンは、まったく特性が違うのだと、改めて思い知らされました。
 シドニー五輪男子マラソンの優勝者予想で人気を集めたのは、前年のセビリア世界選手権で優勝したアントン(スペイン)選手と、2000年春のマラソンで最高タイムを出していたピント(ポルトガル)選手でした。勝負強そうなアントンと、速く走れそうなピント、この2人が支持されたのは、ある意味当然でしょう。ですが、結果はご存じの通りです。一般種目では、こんなことはまずありません。世界選手権の金メダリストはまず、オリンピックでも上位に来ますし、オリンピック前のリスト1位の選手も同様です。つまり、マラソンだけは同じ陸上競技の種目の1つでも、違うのです。
 女子も同様です。シドニー五輪こそ高橋尚子選手とシモン選手、さらにはチェプチュンバ、ワンジロ、アレム選手という下馬評の高かった選手が上位を占めましたが、バルセロナ五輪のエゴロワ選手や、アトランタ五輪のロバ選手の金メダルを予想できた人がいるでしょうか。セビリア世界選手権のチョン・ソンオク選手も同様です。
 そう考えると、高橋尚子選手はやっぱり、すごいですね。
 ここまで書いてきたこととはちょっと違うのですが、1月頃に書いて未発表の男子マラソンに関するエッセイがあったので、掲載させてもらいます。題して「私、男子マラソンの味方です」。このタイトルは、20年くらい前に出た村松友視の「私、プロレスの味方です」のパクりです。

 エッセイに「私、男子マラソンの味方です」をアップ。リンク集に中学陸上 奈良県の小学生陸上 望月次朗STRAIGHT TALK を追加


●4月2日(月)
 ロンドン・マラソンの取材に行く準備をしています。すでにある新聞の仕事をすることが決まっていますが、新聞以外の媒体の仕事も受けたいと思いますので、よろしくお願いします。
 それで本日、プレス・カファレンス(記者会見)のスケジュールが判明したのですが、日本のマラソンとはまったくやり方が違います。22日の日曜日がレースですが、17日の火曜日に早くも海外女子エリート選手(ロルーペ、シモン、ツル、チェプチュンバ)の会見、水曜日が日本&イギリス・エリート選手(ワイナイナ選手も日本選手と一緒)、木曜日が海外男子エリート選手(ピント、アントン、テルガト)、金曜日が21回記念として過去の優勝者、土曜日はありません。
 日本では、レース前日の土曜日か、前々日の金曜日に一斉に行うのが一般的です。一般的というか、そのパターンしかありません。陸マガ時代はもちろん、現在も出張費を極力切りつめないといけない立場にある寺田としては、レース前日にやってくれるのが一番助かるのですが。
 でも、考えてみれば、有力選手をロンドンのようにいくつかのグループに分け、何日も行なった方が、主催者としては話題づくりにはなります。選手1人当たりに取材できる時間も増え、詳しい情報を引き出せるでしょう。そういった利点はありますが、マルビ・ライターにはつらいです。ロンドンのホテルって高いし…。山崎一彦選手に話を聞くと、ラフバラ(ラフボロ?)の方がかなり安いみたいです。
 今回は、水曜日に会見が設定されているとは完全に予想外で、水曜日夕方のロンドン入りの飛行機を予約してしまいました。もう1日遅くてもいいと思っていたくらいです。HISには変更の依頼をしましたが、前日の便はどれも満席でキャンセル待ち状態です。
 どないしよう(大阪在住Hカメラマンの口癖)。

 報道&展望記事に「女子ハーフマラソンで世界最高!! チェプケメイがリスボンで1時間05分44秒!! 千葉真子の記録を大幅に上回る ハーフマラソン世界最高のややこしい事情」と「リスボンでハーフの王者テルガト敗れる!!  賞金マラソンを控えた選手が多数参加 優勝者のラマーラと日本選手との縁(えにし)とは?」をアップ


●4月1日(日)
 世界クロカン特集で、当初、高橋千恵美(日本ケミコン)選手の世界クロカンにおける全成績をそのうち掲載すると予告しながら、9年連続団体メダル獲得記念と称して過去9年間のジュニア女子全員の成績を、掲載しました。「高橋千恵美選手の方はどうなった。話が違う」という叱責メールもいただきました。4月1日に予告を掲載すれば、「エイプリル・フール」だったと言い訳できたのですが。もちろん、ちゃんと掲載しますので、高橋千恵美ファンの皆さん、ご安心ください。
 ところで、室伏広治(ミズノ)選手の日本新は、陸マガ編集部と電話をしている際に聞きました。一瞬、「エイプリル・フールかな?」とも思いましたが、ちょうど陸マガのある原稿を書いている最中で「さっそく、日本新のことを原稿に織り込もう」と言っても否定されなかったので、事実だとわかりました。
 それにしても、本当にすごいですね。20歳代中盤の選手が100 mでこの時期に自己新を出すなど、まず考えられません。彼の場合ピーキングとか、コンディショニングの概念が、普通の人と違うのかもしれない、などとも考えてしまいます。
 ところで、寺田の仕事ですが、ずっと取り組んでいた大きなものが、今日、なんとか終了しました。関係者の皆さん、ありがとうございました。でも、まだ一息つくのは先です。明日、明後日、明々後日と、締め切りが1本ずつ。その間に電話取材も1本。まあ、なんとかなると思います、“俺は天才モード”(3月31日の日記参照)に入らなくても。

 報道&展望記事に「室伏広治が82m23の日本新 日本記録更新歴、室伏親子の国際大会における達成率など各種データ」をアップ



昔の日記
2001年 1月 2月 3月