続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年5月  Good-bye in rainy May

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◆2008年4月20日(日)
 昨年に続き、2度目の和歌山取材です。紀三井寺の競技場はちょっと古いですけど、独特の南国っぽい雰囲気があって好きですね。某専門誌のE本編集者の大らかな人柄は、こういった土地柄に育まれたのだと実感できます(普段の記事では、環境がキャラに影響を与えるとは絶対に書かないのですけど)。

 和歌山は日本GPの第1戦ですが、GP種目の数や選手の顔ぶれからすると、兵庫・織田・静岡に比べ、やや劣ります。選手たちも、春先の記録会・対校戦と春季サーキットの中間的な位置づけで臨んでいるような印象です。とはいっても、フィールド種目は技術チェックが上手くできた選手も多かったようですし、長距離種目には男女の日本記録保持者が出場しました。
 GP種目の数が少ないおかげで、取材はしやすかったですね。一番の違いは競技をじっくりと見られたこと。他の大会では見られない種目も多いのですが、今日はフィールド種目も含め、ほとんどの種目を見られたと思います(全試技ではありませんけど)。強いていうなら、松宮隆行選手の会見と走高跳・土屋光選手の2m27挑戦が重なってしまったことくらい。2m21まではしっかりと見られたのでよかったのですが。
 一番盛り上がったのは十種競技の最終種目の1500m。新鋭の右代啓祐選手が世界選手権代表の田中宏昌選手に迫っていて、アナウンスを担当した陸連・関さんが、「この得点差なら、何秒差で逆転」とわかりやすく紹介してくれて、2人のタイム差を計測しながら1500mを見ることができました。その辺を理解しながら見られると、かなり面白いですね。アナウンスの声も、大きなスタジアムでは反響で聞き取りにくいのですが、紀三井寺はどの場所でも聞き取りやすかったですし。

 技術的な話をしてくれた選手でパッと思い浮かぶのは、ハンマー投の土井宏昭選手。記事にさせてもらいました。走高跳の土屋光選手の2m21は、シーズン初戦の自己最高だそうです。記事にはしませんでしたが、本人も話してくれたように“はまっている”跳躍でした。細かい反省はあると思われますが、助走が明らかにスピードに乗っていないとか、踏み切り位置が明らかに狂っているという部分はなかったわけです。
「技術がおかしいのにここまで記録が出たから、技術を修正すればもっと行ける」というコメントをよく聞きます。その反対が「技術がまとまっているので、シーズンが進めばもっと行ける」というコメント。今日の土屋選手は後者だったわけですが、取材現場では前者の方が多く聞くコメントです。ただ、実際は後者の方が記録が伸びるケースは多いと感じています。その意味で、今年の土屋選手には期待ができるのでは?

 ただ、オリンピック代表となると、醍醐直幸選手がいますから実際問題厳しくなります。2m27のB標準を跳んでおいて日本選手権で勝つか、A標準の2m30を跳ぶか。繰り返し書いていますが、A標準を跳んでも日本選手権で負けたら、どうなるかわかりません。
 筑波大の跳躍関係では走高跳の土屋選手、三段跳の杉林孝法選手と石川和義選手あたりに五輪代表のチャンスがあります。村木征人先生の退官前最後の年ですから、門下から代表を送り出したいところです。でも、それができなかったからといって、あまたの日本記録保持者や日本代表を育てた村木先生の功績が低くなるわけではありません。選手たちも「必ず北京に」と力む必要はないということです。

 力みがなくなったのが小林祐梨子選手。昨年は何が何でも世界選手権に、という気持ちが前面に出ていましたが、今年はちょっと違う感じです。記録も昨年後半は、「ジュニア記録を狙って焦っていて、気持ちに余裕がなかった」と言います。大学生活など日常生活の環境が変わったことへも、対処しているようで仕切れていなかったとのこと。今年は5000mでA標準を早々に切っているので、その辺がプラスに表れているのかもしれません。
 今日は風があったこともあり、1000m3分ペースから上げられませんでした。ロードの延長で、そのペースにはまってしまっている部分もあると小林選手は分析。「今年は寒くてスピード練習ができていない」ということもあるようです。「兵庫リレーカーニバル(1500m)の目標は、まだ決めていません。(レースが近づいて)気持ちが盛り上がってきてから決めたい」。この辺も、何が何でも記録を、と力まないようにしているだと感じられました。
 ただ、天候の部分に関しては確認しないといけないと思って、寺田が「今年の神戸は異常気象なのですか?」と質問すると、「全国的にそうなのでは?」と小林選手。世間知らずというか、陸上競技のこと以外は知らないと言われている記者の面目をほどこしてしまったシーンです。
 兵庫リレーカーニバル本番は、一気に熱くなってくれるはずです。


◆2008年4月22日(火)
 日曜日に和歌山の取材から東京に戻ると、新婚の土江寛裕監督からメールが届いていました。
 新生活の喜びや苦悩が綴られているのかと思いましたが、出雲陸上に関してでした。島根県は同監督の出身地。土江監督も運営に関わっている大会で、選手集めなど、かなり尽力しているようです。招待競技は短距離に絞った大会で、300 mやウォーミングアップレースなど、斬新な企画もあります。

「出雲は興味あるけど,兵庫や和歌山と重なるし,なかなかいけないよねぇ」と毎年おっしゃる寺田さんのために,今年は地元ケーブルテレビ局を巻き込んで,中継録画し(当然解説は土江),地元に放送するだけでなく,招待レースはインターネットで配信することになりました.

 それがこの出雲ケーブルテレビのサイトです。こうしてレースの映像をネットで見られるのは、いいですね。当然ですが、大会主催者やスポンサーなど、各方面に配慮することが必要で、スタンドの観客が無制限にこれをやってしまうとまた、問題があるのですが。
 色んな大会の映像をネットで配信できるようにする構想を、土江監督は持っているようです。ディレクター的な部分だけでなく、プロデューサーの資質もあると見ました。まあ、陸上競技の監督とは元々、現場指導に加えマネージャー的な手腕も求められるポジションです。

 土江監督といえば、96年のアトランタ五輪は大学4年生であれよあれよという間に代表入り。00年のシドニー五輪代表争いではあと一歩のところで涙を飲み(南部記念で負けたのだったと記憶しています)、それでもシドニー留学していることもあって現地で運転手などサポーター役を買って出ました。そして04年のアテネ五輪では代表に復帰し、見事に4×100 mRで4位入賞を果たしています。五輪には3大会で、その都度その都度、役割を変えて携わってきました(同じ選手という立場でも、アトランタとアテネではずいぶん違いました)。
 今年はリレーのコーチ(アドバイザー?)的な関わり方をしていくのかもしれません。3月の沖縄合宿では4×100 mRの“土江理論”が、選手のやる気を刺激していたと聞いています。


◆2008年4月26日(土)
 兵庫リレーカーニバルの1日目ですが、東京で終日仕事。昨晩、K新聞・O原記者からメールがあり、土曜日なら三ノ宮界隈の店ならどこでも、K新聞のツケで飲食ができるようにしておくという誘いもあったのですが、どうしようもありませんでした。
 今日はGP種目はありませんが、アシックス・チャレンジの男子1万mと女子5000mが行われました。明日の本チャンに出られない選手のためのレースですが、これが選手層の厚い日本の長距離を象徴していて、例年そこそこのレベルになるのです。
 ところが、兵庫陸協サイトを見ると今年はいまひとつの記録。どうしたんだろうと思いながら気象状況を見ると、風速が5mなんて時刻もあります。気温は18℃はあったので寒かったわけではありません。風が記録を阻んだようです。
 神戸はまだ、燃えていないようです。


◆2008年4月27日(日)
 兵庫リレーカーニバルの取材。寺田の中では思い入れの大きい大会です。
 珍しく締め切り原稿を抱えていない状態で新幹線に。陸マガ発売と日本選抜和歌山大会の日記を書いて、京都駅で止まっている間にPHSを使ってアップしました。「最近、時間差が大きい」と指摘される日記も、無理矢理リアルタイムに持ってきたわけです。

 新神戸で地下鉄に乗り換えると、兵庫県出身の某監督と一緒になりました。話題になったのがタイムテーブル。今年は看板種目の男女1万m開始時間が14:40と15:30で、ずいぶんと早くなりました。以前は最後の方にほとんどナイターに近い状態で行われていました。高岡寿成&早田俊幸のカネボウ勢ワンツーとか、真木和選手の日本新とかの頃の写真をよく覚えています。
 会場に着いてからも何人かの兵庫県関係者に話を聞きましたが、誰も明確な理由は知りません。テレビ放映の都合じゃないか? とか、最後の方に行うとスタンドが寂しくなるからでは? というご意見をお聞きしました。メンバーも、カージナル招待や静岡国際に振り分けられ(特に男子)、例年よりも寂しいメンバーです。
 先頭の外国選手が速すぎて、27分台やA標準を狙う日本選手にはメリットが少ない、という指摘も昨年聞きました。これは、かつてのカネボウ・コンビのように選手側の姿勢で解決できる部分なので、一概に決めつけられないとは思いますけど。
 ただ、伝統の兵庫1万mが以前ほど燃えにくくなっているな、という部分は感じられました。

 しかし、今日のレースでは女子が盛り上がりました。記録のレベルも高かったですね。渋井陽子選手が外国人任せにしないで中盤から自分でペースを作り、最後の直線もフィレス選手にかわされたかな、と思ったら盛り返して、最後はほとんど同時にフィニッシュ。直後にはフィレス選手と抱き合って、充実感がこちらにも伝わってきました。
 31分19秒73は自身の日本記録に30秒届きませんでしたが、自己2番目の記録。この種目では福士加代子(ワコール)選手が31分前後で何度も走っているため今ひとつインパクトがありませんが、実はすごい記録なのです。これまでのセカンド記録日本2位は川上優子選手の31分20秒19でしたが、今日の渋井選手はそれを上回りました。昨年の日本最高である赤羽有紀子選手の31分23秒27も上回っています。
 “同タイム着差あり”の結末は、本人は口惜しいでしょうけど、客観的な評価にはそれほど影響しないのでは?

 日本人2位の中村友梨香選手は31分31秒95の自己最高&天満屋最高&兵庫県出身者最高記録でした。女子マラソン五輪選手の1万mとしては真木和選手を抜き、歴代2番目のタイムですね。歴代トップはもちろん野口みずき選手(31分21秒03)。藤田門下の2人の間に、中村選手が割って入った形です。
 日本人3位だった赤羽選手は今ひとつの印象ですが、それはこのところ、日本選手間で負け無しが続いていたためでしょう。31分36秒54は渋井選手同様自己2番目の記録ですし、準備不足の状態で挑戦してのタイムは、今後に大きなプラスとなると思われます。

 男子走幅跳も女子1万mと同様に、好記録が続出。優勝した荒川大輔選手が8m09、2位の志鎌秀昭選手が7m90、3位の新村守選手(東海大)は7m89、4位の菅井洋平選手(チームミズノアスレティック)も7m83と4選手が自己新。
 荒川選手は自己記録が6年前の2002年に静岡国際で跳んだ8m06で、歴代順位が8位のまま。本人にすると“あれ?”というところでしょうが、中身はまったく違います。その辺はコメントを記事にしたので、参照してください。
 志鎌選手は筑波大OB記録(7m95)更新の候補に躍り出ました。が、日本歴代リストを見ても、ここから上が難しいのがわかります。筑波大関係選手も7m85以上は志鎌選手で6人目ですが、8mジャンパーがいません。勝負はここからでしょう。
 できれば志鎌選手の話を聞きたかったところですが、和歌山と違って兵庫からはタイムテーブルがきつくなります。今大会はGP種目を短時間に固めて行っていますが、どうなんでしょう? 一般選手の種目とうまく交互に行った方が、場内の盛り上がりも上手く継続するのではないでしょうか。レベルの高い種目を矢継ぎ早に見せるのがいいのかどうか。感動にはしばらく浸っていた方が、記憶に残るという説もありますが。

 補助員がしっかりしていることも兵庫の特徴です。30日に中京大で室伏広治選手の会見があるのですが、寺田の横にいた日本を代表する某新聞の関西地区陸上競技担当記者が、水泳のY選手の会見と重なり、どちらに行くか迷っていました。記録を配りに来た女子の補助員に「どちらに行くべきだと思う?」と質問すると、間髪入れずに「室伏選手だと思います」と答えてくれました。さすが関西。
 聞けば、神戸甲北高の陸上部だそうです。日本で最初に“地元の1万m(02年の兵庫リレーカーニバル)で27分台を出した”ことで有名な坪田智夫選手の母校ですが、その補助員は坪田選手のことは知りませんでした。坪田選手に代わって寺田が、落ち込んでおきました。これは、O原記者にも責任があるような気がします。

 男子1万mでは報徳高出身の木原真佐人選手が日本人トップ。兵庫県の中・高生にとって兵庫リレーカーニバルは「憧れの大会」(木原選手)です。そこでトップを取ることが、どんな素晴らしいことか。女子1万mでは中村友梨香選手のほか、須磨学園高出身の堀江知佳選手も7位と好走。地元実業団チームの小崎まり選手も5位。女子やり投の宮本美穂選手は連続優勝こそなりませんでしたが、3位は額面割れはしていません。
 木原選手は3000mまでは果敢に、ケニア勢に着いていきました。昨年の八木勇樹選手(西脇工高→早大)は、国体で外国勢に勝ちました。竹澤健介選手(報徳高→早大)もいます。留学生選手に対し否定的な先生の多い兵庫県ですが、立ち向かう気持ちはしっかりと持っているのが兵庫の選手です。
 神戸は燃えている、と思います。


◆2008年4月28日(月)
 10:40まで三ノ宮のホテルで仕事をしてから広島に向かって移動を開始。11:00の地下鉄に乗る予定でしたが、三ノ宮の駅でホームを間違えて乗り損ない、11:13新神戸発のひかりに間に合いませんでした。貧乏人・寺田の場合、新幹線の移動は基本的に自由席。のぞみは満席かな、と思っていたのですが、11:22ののぞみ自由席に座れました。ゴールデンウィーク中の自由席は、前半だけかもしれませんが、指定席は満席でも自由席は意外と空いていたりします。
 新神戸駅のホームでは神戸新聞を購入。一面の写真(サイトのこの記事の写真)はフィレス選手と渋井陽子選手のデッドヒートでした。やはり、1万mが看板種目ですから。売店のおばちゃんに「今日の神戸新聞は売れているんじゃないですか?」と聞くと、間髪を入れずに「いつもの3倍くらいやね」という答え。ちょっと大げさというか、冗談を言っている雰囲気がなきにしもあらずですが、兵庫リレーカーニバル翌日の神戸新聞は関係者が買っているということでしょう。
 広島駅からはJRの可部線で大町へ。そこでアストラムラインに乗り換え。初めて使った経路ですが、ビッグアーチに直接行く場合は乗り継ぎのロスも少なくて、けっこう使えることがわかりました。

 織田記念前日のビッグアーチ取材はたぶん2度目。全員というわけではありませんが、有力選手も練習をしています。じっくりと話を聞くことはできませんが(「為末選手は例外」と地元記者)、表情も見られますし、行って損はしません。朝原宣治選手は引き揚げた後でしたが、田野中輔キャプテンを筆頭とする富士通勢、小島茂之選手ら早大短距離グループ、ヨーロピアンな雰囲気の早狩実紀選手、池田久美子選手を除く川本門下選手たち、北海道の中村宏之先生グループ、そして高橋萌木子選手が練習をしていました。動きを見てどうだ、とはさすがに言えませんが、関係者の話を聞く限り、高平慎士選手はかなり良い状態のようです。

 注目したいのは全種目ですが、陸上競技の五輪代表枠が36人と暫定的に決まったことで、女子短距離への注目度が高まりました。他の種目は全体枠があるため、A標準選手でもその種目で2〜3番目の選手やB標準の選手は、どうなるかわかりません。その点、女子短距離は今後リレーの出場資格を得られれば、全体枠と関係なく出場が確約されたのです。元々、2大会平均で世界16位以内という基準をクリアしない限り、出場できないという厳しさは変わりません。変に一喜一憂することなく進めるようになったということです。
 出場を懸けた正念場は大阪GPやプレ五輪なのですが、4×100 mRだったら明日の織田記念の結果が大阪GPのメンバーを決めます。特に選考会と決められてはいませんが、常識的に考えて、明日の成績が良かった選手がAチームのメンバー入りすることになるでしょう。4月13日の日記でも触れたように、ABCチームまで構成できる人数で、冬の間も合宿を重ねてきた女子短距離。直前の試合の結果次第で、Aチームのメンバーを変えられる態勢のはずです。

 長話は控えないといけませんが、短時間なら問題ないと判断。選手に気を遣うのも大事ですが、子供ではありませんから。期待の和田麻希選手に関西学生記録を聞いて、藤井由香選手(当時龍谷大。三英社で11秒59)の11秒60と判明。大学の後輩でもある和田選手は昨年、11秒63に迫っています。「(明日も関西学生記録が)目標ですけど、いきなりは難しいかもしれません」ということでした。
 北風沙織選手は「自己ベスト(11秒52)くらいは」と言います。中村先生はもう少し、上の記録を予想していましたが。好調の渡辺真弓選手も、自己記録が11秒74とそれほど高くないこともあり、そこは最低でも更新したいようです。
 高橋萌木子選手は手or脚の着き位置を微妙に変えて、スタート練習を何度も繰り返していました。
 元短距離選手の佐藤美保選手とは広島ということで、夫の佐藤敦之選手の話題に……はなりませんでした。毎回その話では、記者としても芸がない。安芸(※)でも飽きられてしまうかもしれません。ブログで30歳になったと明記していたので、800 mの30歳台記録の話題に。同僚の吉田真希子選手が2006年に出した2分06秒24がそうなのですが、これも13日の上尾の走りを見ると、ちょうど良い目標になるのでは?
※安芸(あき)。広島県の旧国名。

 前日の競技場使用時間は17時まで。他の記者たちとタクシーに相乗りして大会本部ホテルに移動し、近くの自分の宿泊ホテルにチェックイン後、前日の歓迎レセプションに顔を出しました。NTNの逵中新監督には、ブログをリンクさせてほしいと申し出ましたが、しばらく考えさせてほしいとのこと。ちなみに、女子日本記録保持者のS選手とK選手も、お願いはしていますが許可がもらえていません。メールで存在を教えてくれる方もときどきいらっしゃるのですが、そういった事情でリンクができていないのです。
 ミズノの田川茂さんとは当然ですが、走幅跳の東海大記録の話題に。昨日の兵庫リレーカーニバルでの新村守選手の7m89は、前田裕扶選手の東海大記録とタイ。意外なことに、田川さんの学生時代は7m85。ただ、昨日の筑波大記録の話題でも書きましたが、このレベルはたくさんの選手が出しています。田川さんのように8mを超えられるかどうかが、大事なのです。
 パーティー会場の取材はNGですが、中国新聞・山本記者が錦織育子選手の話を聞くというので、2人で会場の外で同選手にパパッと取材。先週のマウントサックでは記録なしでしたが、4m15から日本記録のときと同じポールを使ったのだそうです。見ているのはA標準です。

 パーティー後は、某社の方たちと食事。あるオファーがありました。実現するかどうかはわかりませんが、声をかけていただけたのは名誉なことだと思います。


◆2008年4月29日(火)
 織田記念取材。後世の陸上競技愛好家・研究家から“ビックリデイ”と呼ばれる可能性のある一日になりました。
 まずはGP種目開始前に某組織から、ある依頼がありました。半年先のことですが、まったくもって想像の範囲を超えるオファー。昨晩の某社からのオファーもそうでしたが、ビックリの2連発。これは個人的なことですが。

 競技での最初のビックリは女子100 mH予選。
 11時半頃に始まる男女の100 mとハードル種目は、弁当を食べながらスタンドから見るのが恒例になっています。コメント取材は決勝が終わってからなので、よっぽどの記録が出ない限り下に行くことはありません。今日は某専門誌のMライターと見ていたのですが、2組目の池田久美子選手が8台目でハードルを引っ掛けて転倒。
 池田選手の転倒は初めて見ました。取るものもとらずに、食べるものも食べずに、フィニッシュ地点脇に向かいました。着くと、すでに記者たちの多くが集まっています。池田選手がハードルの設置場所が違っていたのではないか、とアピールしていますが、どの役員に言ったらいいのかわからないようでした。
 池田選手が「おかしかったと思う人」と選手たちに声を掛けると、半数くらいの選手が手を挙げました。ただ、ハードルはすでに、次の110 mHのために動かしてしまっています。そうこうしているうちに、女子100 mH選手とその指導者はロビーに集まってほしいというアナウンス。

 報道陣も見守る中で、広島陸協から選手・指導者に説明がありました。7台目のハードルが30cm、フィニッシュ寄りに間違って設置してしまったとのこと(翌日の新聞各紙は48cmと報道しているので、その後修正があったのかもしれません)。逆走用の目印と間違えたのが原因だそうです。これはあとでわかったことですが、補助員任せではなく、しっかりと確認作業も行ったのですが、その確認作業でもミスをしてしまったようです。
 標準記録突破のチャンスをつぶした可能性もありますし、大きなケガにつながった可能性もある重大なミスです。最悪、オリンピックに出られなくなることも。しかし、起きてしまったものは取り返しがつきません。広島陸協は平身低頭、謝罪していました。
 それを、オープンに行なったところに、広島陸協の賢明さが表れていました。どこかの部屋に選手を集めて、非公開で行うこともできたのに、報道陣の目の前で行いました。密室の説明はあとから根ほり葉ほり質問され、何回も同じことを話さないといけなくなりますし、どこかで情報が間違って伝達する可能性もあります。公開で行った方が絶対に良いのです。その辺をわかっていない県も多いと感じています。恥をさらさない、という考え方なのでしょうが、逆効果だと断言します。

 池田選手の転倒&ハードル設置ミス取材のため、次の種目の女子100 m予選はまったく見られませんでした。1組目で北風沙織選手が11秒51、福島千里選手が11秒53と、北海道ハイテクAC勢がともに自己新の快走をしていました。福島選手が0.07秒と大幅な更新ですが、2週間前に上尾の4×100 mRでの好走を見ていますから、驚きませんでした。この時点ではまだ“ビックリ”ではありません。
 “ビックリ”は決勝。中盤までリードした北風選手を、後半にスルスルっと福島選手が抜いて行き、タイマーが11秒3*で止まったとき。通常、止まった数字をメモするのですが、あまりの驚きにメモをし忘れました。そのくらいの衝撃でした。正式計時は11秒36の日本タイ。予選で出した自己記録を0.17秒、大会前の自己記録を0.24秒も更新したのです。7年前の二瓶秀子選手も11秒4台を飛ばしての11秒3台でした。ハードル種目の大幅な自己記録更新は珍しくないのですが、100 mという種目でそんなことが2度も起こるとは。本当にビックリ。

 福島選手自身も会見で「ビックリです」を連発。他に言いようがなかったのでしょう。こちらに記事にしましたが、実際にはもっと多く口にしたと思います。寺田も意気込んで質問しましたが、2度「ビックリです」と面と向かって言われました。本当はもう少し詳しい言葉を期待していましたが、あの場で、あの雰囲気で「ビックリです」と言われると、それ以上は突っ込めません。これは、その場にいた人でないとわかりにくいと思うのですが。
 K通信・T村記者は「7〜8回だった」と言います。こうなったらもう、福島選手にはどんどん活躍してもらって、インタビューでも「ビックリです」と連呼してもらいたいと思います。そして、今年の流行語大賞を取る。
 と陸マガの英語講座でお馴染みのケネス・マランツ記者に話すと、流行語大賞が通じませんでした。「prize of popular words かな」と寺田。
 流行語大賞はともかく、本当に彼女に面と向かって「ビックリです」と言われるとものすごく印象的なのです。どうしてなのか、今度、朝日新聞・堀川記者に聞いておきます。

 その他にも取材をしたい選手・種目が目白押し。
 朝原宣治選手は予選1組ですが10秒17(+0.6)で、2位に0.31秒差。決勝を走らないということで、急きょ会見が行われて途中から出席。女子800 mの佐藤美保選手は30歳台日本最高に僅かに届きませんでした。佐藤敦之選手も姿を見せていましたが、コメント取材は次回にして他の種目の取材に(上尾で話を聞いていますし)。会見場にモニターがないのが、織田記念取材の最大の難点です。小林史和選手も会見は冒頭だけで、トラックに。女子100 mの取材と重なって、男子100 mは見られませんでしたが、高平慎士選手の会見はきっちり取材しました。
 フィールド種目は畑瀬聡選手、室伏由佳選手とそれなりにコメントも取材(広島陸協にならって正直に言うと、競技はあまり見られませんでした)。女子三段跳は大会の最後の方で、他と重ならないのでいつも、じっくりと話を聞けます。たぶん、吉田文代選手と一番長く話ができる試合です。
 ところで、吉田選手の今年の所属は“中大レディース”。アクセントを間違えて発音すると、違う意味になってしまうので注意をしましょう。決して、そういう集団ではありません。そこを取材はしていないのですが、自信を持って言えます。

 織田記念の良いところは、ほとんどの種目が終わってから男女の5000mが行われるところ。兵庫リレーカーニバルもそうしてほしいです。その方が注目されると思いますし、取材も集中できます。場合によっては、他の種目のコメント取材にも充てられますし。
 今日は男子5000mの後半はしっかり見ましたし、女子5000mは赤羽有紀子選手のラップを計測することもできました。しかし、レース後の取材は日本人2位の馬目選手を優先。このところ、好調ぶりが目立っていたので一度、どういう選手か話を聞いておきたかったのです。赤羽選手はこのところ、何度か話を聞く機会がありましたし。
 馬目選手の取材後に会見場に行くと、ちょうど赤羽選手の会見が終わるところ。終了後に夫の周平コーチから、ブログに載せていた兵庫リレーカーニバルの写真でわかる欠点を、教えてもらいました。

 見られなかった種目も多々ありましたが(それでもなんとかするのが陸上競技記者)、年に一度の広島トラック&フィールド取材は無事に終了しました。繰り返しますが、ビックリの連続で、慌ただしくも充実した取材でした。
 最後にこれも、広島陸協にならって正直に平身低頭お詫びをしたいと思います。食べかけの弁当を記者席にそのまま放置してしまったのは、寺田です。この日記を書いていて思い出しました。申し訳ありませんでした。


◆2008年4月30日(水)
 昨日の織田記念の写真を出しておきましょう。時系列順が良いですかね。
 これはお馴染みの佐藤美保・敦之夫妻。普段は福島と広島で別々に選手生活を送っていますが、織田記念の行われる4月末に年に一度だけ、七夕の織り姫と彦星のように会うことができる……のならこの写真の価値が上がるのですが。実際はもう少し一緒にいる時間が長く、それが2人のパワーの源にもなっていることは周知の通りです。
 これが女子100 mで日本タイ記録樹立直後の福島千里選手。前後のカットを見ると、ずっとはにかんでいました。今後の活躍次第では“はにかみ王女”と言われるようになるかもしれません(ハニカット王女は元気でしょうか?)。
 これは福島選手の会見後。女子100 mの次が男子100 mの会見で、待機していた高平慎士選手が敬意を表しています。このシーンだけを見たら朝原選手、末續選手に匹敵する存在ですね、福島選手は。同じ北海道出身という点を差し引いたとしても。
 これは競技終了後の吉田文代選手が、スタンドに挨拶をしているところ。あっちのレディースではなく、陸上競技のレディースだと、この写真が証明しています。

 女子100 mH予選で起きたハードルの設置ミスにも再度言及したいと思います。同じことは過去にも何度かありました(よくあることだから許される、というものでは決してありません)。記事になったのは国体やインターハイなどだったと記憶しています。ヨーロッパの試合で走っていったら、10台目がなかったという苅部俊二選手(現法大監督)の例もあります。
 ニュースにならなくても実際は違っていた、というケースもあったと思われます。今回も池田選手が転倒しなかったら、発覚しなかったような気がします。
 そこで書いておきたいのが、選手が役員に話しかけやすくするべきだということ。いざというときに、話しかけていいのかどうか、躊躇ってしまうのが日本の国民性です。「おかしかったと思うんですが」「調べてくれませんか」と、話す相手が決まっていれば、選手がアピールしやすくなります。
 ちょっと違った方面の話になりますが、昨今、女子選手にカメラを向ける不埒な輩も多くなっている現実があります。そういうとき、気づいた選手が役員にアピールできれば、選手のストレスが違ってくると思うのです。こちらの記事を参照してみてください。

 ところで、今年の織田記念は、注目の選手採用・育成システムをスタートさせたM&Kのデビュー戦でした。男子三段跳の梶川洋平選手と女子100 mHの熊谷史子選手。以前の記事で@2007年日本リスト順位が5位、A日本歴代順位が15位、B2007年全日本実業団成績が3位と同じことを指摘しました。という文章の流れから、織田記念の成績も同じだったと予想した読者の方は素直ですね。寺田がそんなことを書く…こともあります。
 梶川選手が15m77(+1.0)で4位、熊谷選手が13秒87(−0.1)で4位。順位はともかく、記録的にはもう少し、という感想を持ちました。
 そのM&Kですが、4月7日の日記で

 寺田は梶川選手と熊谷選手の競技的な特徴と、将来性という部分を先に記事にしました。実は今日の会見後、幹渉社長とお話しをしていて、実業団で続けられないレベルの選手の受け皿と表現するのは、ちょっと違うことに気づかされたのです。
 確かに実業団に入れなかった選手たちですが、決して将来性がないわけではない。むしろ、将来性のある選手しか採用しない。スポンサー獲得がシステムに組み込まれているのですから、選手が強くなってくれないことには破綻してしまうのです。


 と書きました。幹渉社長も同意してくれました。しかし、別の面もあると言います。
「底辺の拡大が果たせれば、採用することもあります。ある意味、市民ランナーでも目的が一致すればよいと思っています。これらを総合的にやりたいというのが方向性です。前半部分だけだと、寺田さんの言われる通りで、この部分ではある種のセレクトはやむを得ないと思います。一方、私は後半部分も重要だと思っていますし、その延長として高校・大学生に対する奨学金のようなものも考えています」
 これは、寺田の考え・取材が足りなかったと反省しています。それにしても壮大な構想です。


◆2008年5月3日(土)
 静岡国際取材。兵庫リレーカーニバルは思い入れのある大会だと、数日前の日記に書きました。織田記念も毎年、充実した取材ができて好きな大会です。そして静岡国際は、自身の出身県で行われている大会。しかも今回は、初めてエコパで開催されます。何度も書きますが、エコパのある袋井市は寺田のホームタウンです。まさかパリ(2003世界選手権)で一緒に地下鉄に乗ったマランツ先生(陸マガ英語講座担当)と、愛野駅(エコパの最寄り駅)で一緒になるとは想像もしませんでしたが。

 今年エコパ開催に変わった理由は、周回種目の記録が出やすからでしょう。男女の400 mは昨年まで織田記念で行われていましたが、今年は静岡国際に移りましたから。静岡国際は例年、男女の200 mと400 mHが行われています。大阪GPは別として、通常の春季サーキットで、そこに400 mを加えることはありません。400 mと400 mH、あるいは400 mと200 mを兼ねる選手への配慮からです。
 そこをあえて、静岡国際で400 mを実施する。4×400 mRと併せ、北京五輪に派遣したい種目だという意思の表れです。誰の意思かといえばもちろん、陸連のです。静岡陸協にその辺を確認したところ、昨年の静岡国際終了後に陸連から、今年は男女の400 mを加えたいこととと、エコパ開催を打診されたそうです。

 陸連の狙いは見事に的中しました。女子400 mで丹野麻美選手が日本新記事)を出し、男子400 mでは金丸祐三選手がA標準を突破記事)。女子では木田選手が53秒05の日本歴代3位、堀江選手も53秒10の日本歴代5位を記録し、大阪GPの4×400 mRに弾みがつきました(男子の苅部俊二短距離部長は、2番手が金丸選手に大差をつけられたことを気にしていましたが)。
 エコパの周回種目で記録が出やすいのは、長居や横浜と同様に、追い風となる部分が多いからです。丹野麻美選手のコメントにあるように、男女の400 mの行われた時間帯はそうだったようです。ところが、男女の400 mHの時間帯にはバックストレートが向かい風になってしまいました。成迫健児選手の記事でも触れましたが、それが400 mHで記録が出なかった理由です。選手側のコンディションもあったかもしれませんが。

 ところで、エコパ開催について、使用料が高いので大変なのではないか、という意見を神戸か広島で聞きました。確かにサッカー・ワールドカップの行われた近代的なスタジアムで、そういうイメージがあるのかもしれません。しかし、寺田は以前から、エコパの使用料は安いと聞いていました。
 愛野駅が近くにあり、駐車場も十分に確保されていますが、袋井は決して都会ではありません。周辺人口は静岡や浜松に比べて少なくなります。そういう場所に建てたスタジアムを宝の持ち腐れにしないために、陸上競技の使用料は低めに設定することで、当初から話が決められていたと。
 偶然ですが、静岡陸協の永田先生から、それを裏付ける資料(エコパの利点)をいただくことができました。
 スタジアムの使用料は5万9000円(高校生以下の大会は2万9500円)で、審判員が設備になれているため、近代スタジアムの施設を十二分に活用できるのだそうです。


◆2008年5月10日(土)
 国際グランプリ大阪は生憎の雨。気温も12〜13℃と、この時期にしては低すぎます。これでは記録は望めません。昨年のスーパー陸上もそうでした。日産スタジアム、長居と記録の出やすい競技場で行われる両大会ですが、これではせっかくのハードも生かしようがない。わざわざ極東の国にまで遠征してくれた外国選手には、なんとも気の毒としか言いようのない状況になってしまいましたが、こればかりはどうしようもありません。ヨーロッパのGPだって低温で記録が悪いことはしょっちゅうあります(追い風なのに記録が悪い大会は、だいたいが低温です。ナイターも多いですし)。

 到着して最初に取材したのが女子4×400 mRの時間が17:30に変更された理由です。直前の5月7日になって、当初の12:05から変わりました。国際陸連指定大会で、北京五輪の参加資格を得るための数少ない大会が大阪GP。先にリレーを行って記録を狙う、というのが陸上界の共通認識になっていたと感じていたのですが。新タイムテーブルでは、個人種目との間が3時間から2時間と、短くなっています。
 信頼できる筋に確認したところ「外国人選手たちからの要望」というのが変更理由でした。彼ら(アメリカ)の立場になって考えてみたら、大阪GPで記録を狙わないといけない理由はまったくありません。逆に、個人種目で記録を狙ったり、記録は厳しくても技術的なことやレース展開的なことで試したいことがあるかもしれない。大会主催者も受け容れざるを得なかったと思われます。

 タイムテーブルがきついのが大阪GPの特徴。他の春季サーキットも同様ですが、注目種目の数が圧倒的に多いので、取材をする側は大変です。本当に立て込んでくるのは14時以降で、その前に何種目か行われるので少しは助かっているのですが。
 助かっているといえば大阪GPの報道対応。記者室、ミックスドゾーン、会見場にはテレビモニターがあります。会見場がグラウンドに面していることも素晴らしいです。極端に言えば400 m以上の種目なら、スタートのピストルを聞いてから飛び出してもなんとかなる。これは何度も書いていることですが、何十回でも書きます。
 有力選手はミックスドゾーンと記者会見の2回、接する機会があります。会見は3位まで全員なので、ミックスゾーンの方が集中して話を聞けるのですが、種目が重なって聞き逃すこともあります。会見場なら順番に行われるので、その危険は低くなる。以前は両方を行ったり来たりしていましたが、今日は会見場をメインにしました。外国選手の話も聞けましたしね(詳しくは後述)。

 取材が立て込むということは、スタンドまで行きにくいわけです。スタンドに行けないと、ラップやタッチダウンが取りにくくなる。一番迷ったのが男子400 mHでした。開始前に男子400 mの会見が行われていて、途中で抜け出そうかとも思ったのですが、優勝した中国人選手(劉孝生)に興味がありました。今回の悪コンディションのなかで45秒90という記録。黒人選手たちに勝ったのは印象的でした。

Q.今日の記録は自己何番目か?
劉 自己3番目です。
Q.中国で45秒台を持つ選手は何人いるのか?
劉 2、3人です。
(この辺でちょっとアバウトな選手だな、という感じを受けました。)
Q.44秒台の黒人選手に勝ったことの自己評価は?
劉 強い選手と一緒に走るのは刺激になります。優秀な選手と走れて良かった。
Q.100 mと200 mの自己記録は?
劉 100 mと200 mは走ったことがありません。
Q.練習中でもいいのだが。
劉 練習でも100 m・200 mは走ることはないのです。


 練習でも短い距離を走らないなんてことは日本の常識では考えられません。中国の広さを感じました。本当かな?という疑問はありますが、劉選手の話を聞く判断は間違っていなかった、と思っていました。
 その代わり、スタンド行き(=男子400 mHのタッチダウンタイム計測)はあきらめざるを得ませんでした。雨で記録は出ないだろうし、中国選手の面白い話が聞けたからいいか、と自身を無理矢理納得させていました。ところが、会見場のモニター(必需品です)でレースを見て大後悔。成迫健児選手がすごいレースをしたのです。
 前半から飛ばして300 mでは2位に10m前後の大差。ヘルシンキ世界選手権の為末選手ではありませんが、雨の中をあれだけ飛ばせたのはすごいことだと思います。2位のグリフィス選手に1秒32差と圧倒的な強さ。初めて48秒台を出した2004年の国体も衝撃的でしたが、今回はなんと言いますか、同選手の“大きさ”を改めて認識させられた感じです。
 静岡国際の記事では成迫選手が“前半型”に変わりつつあることを書いたばかり。なのに、直後にすごい内容だったレースのデータがない。かなりの自己嫌悪に陥りました。
 しかし、ここでも大阪GPの報道対応に救われることに。陸連がJAAF Statistics Informationsを実施していて、野口純正氏計測による各種データが記者たちに提供されていたのです。5台目の通過は21秒10(手動計時)。静岡国際や過去のレースと比較ができました。春季サーキットでも実施してくれるとありがたいのですが…。

 それにしても、今大会の中国勢は強かった。劉翔選手の1台目のスピードは群を抜いていましたし、13秒19(−0.1)もあのコンディションを考えたらビックリです(福島千里選手の口調で)。女子の投てき3種目も中国選手。特にハンマー投がすごかったです。74m86のアジア記録保持者の張文秀選手の優勝は当然としても、あの雨の中で73m52も投げるのですからこれもビックリ。
 だめ押しが男子100 m。胡凱選手が末續選手、パトリック・ジョンソン選手という格上の選手を抑えて優勝したのです。日中対抗室内などでも“男子短距離だけは日本が上”、という認識でしたから、これにもビックリ。共同会見では珍しく積極的に質問しました。

Q.プログラムにデータ記載がないが、自己記録と国際大会の実績は?
胡 プログラムに名前がないのは、リレーだけの参加予定だったからです。たまたまレーンが空いたため、参加できました。100 mの自己ベストは10秒27。これまで国際大会では、2005年のユニバーシアードと東アジア大会に優勝しています。200 mは20秒57がベストです。
Q.100 mと400 mは中国よりも日本の方が強いと思っていたが、今回、ここまで中国選手が躍進できたのはどうしてか、自己分析をしてほしい。
胡 確かに日本とは差がありました。でも、追いつけない差だとは思っていませんでした。中国国内の大会でも、短距離の記録は上昇しています。****は持っていると思っている。勝負は、窓の紙の1枚のようなもの。今日は破ることができたが、明日はどうなるかわかりません。実力が日本に近づいてきているのは間違いありません。北京五輪では短距離種目も飛躍した成績を残したいと思っています


 眼鏡をかけた、俗に言う優等生タイプの風貌。聞けば、MBAを取得した文武両道の選手として、中国国内でも有名なのだそうです。“窓の紙”の例えがちょっと難しかったですが、突っ込む時間がありませんでした。
 とにもかくにも、中国のための大会やな(朝日新聞・金重デスクの関西弁で)、という印象を受けた大阪GPでした。


◆2008年5月11日(日)
 昨日は新大阪駅近くのホテル泊まり。陸マガの即日入稿用の記事を23:10まで書きました(10分締め切りに遅刻)。別の仕事もこなしながらですが、昨日、今日と集中力が持続しています。原稿はマラソンを除く45種目の春季シーズン総括(競歩は春季といよりも2008年)。1種目ずつで見たら短くて読者を唸らせる内容ではないのですが、それが45種目揃うとなるとなかなかのもの。高橋編集長得意のパターンです。春季サーキット全部を取材している寺田の特徴を生かした企画でしょう。
 当初の編集部からの依頼では、静岡国際終了時点で書くというものでした。しかし、それではせっかくの企画が画竜点睛を欠くものになるのでは、と大阪GPまで入れることを提案しました。このあたり、わざと不完全な企画を立てることでライターから改善案を言い出させて、厳しいスケジュールでも頑張らせようという意図があるのかもしれません。それに乗せられるのもちょっと悔しいのですが、良い企画、頑張るべき企画と認識できる内容なら、協力は惜しみません。
 3月号の表紙について反対意見を書くなど、高橋編集長とは考え方が一部違います。だからといって仲が悪いわけではありません。本当に仲が悪かったら、日記に書くことはないですから。むしろ逆で、信頼関係が築けていると思えばこそ、批判めいたことも書けるのです。たぶん。

 今朝は7時の新幹線で名古屋→岐阜と移動。時間がないのでタクシーで長良川競技場へ。中部実業団対抗の取材です。大阪GPから転戦した代表クラス選手は室伏由佳選手と池田久美子選手で、それぞれ2種目に出場。男子110 mHの岩船陽一選手と女子ハンマー投の武川美香選手のフレッシュマン・コンビも含めて4人が連戦しました。
 先に挙げた2人がフレッシュではない、と言っているわけでは決してありません。フレッシュマンというのは英語で新入生のことです。アメリカでは大学1年生のことを指すのだったと思います。マランツ先生(陸マガ英語講座担当記者)に聞いておけばよかった。昨日も、地下鉄の長居駅で鉢合わせしましたっけ。
 今日は9:40頃に競技場に到着すると室伏由佳選手と鉢合わせ。「ジャージに猫の毛がついているんですよ」と強調していました。2日連続の2種目出場と猫の毛が、どう関係しているのか。この難問に今日いっぱい悩まされました。読者の皆さんも考えてみてください。

 10時からは女子走幅跳ですが、開始前に池田選手と目があったので、「6本跳べそう?」と質問しました。ちょっと無理そうな雰囲気だったので、1本目で終わる可能性もあるとカメラマンたちに伝えました。陸上競技では他種目と進行が重なった場合、ベスト8に入ってから撮るのも当たり前なのです。
 池田選手の1本目は5m76。この記録では絶対に逃げ切れるかわかりません。5mという数字を残すのも嫌かもしれないので続けるかな、とも思ったのですがここで終了。「頑張りすぎると疲労とかケガにつながる感じがあった」ということです。
 あとで話を聞くと、5m台は「大学1年時以来ではないか」ということです。「中学1年の全日中の優勝記録が5m78なんです。中1に負けちゃいました」と明るく言います。「27歳のベテランになりましたから」というコメントもありました。この辺が、今年の池田選手の成長というか、変化ですね。
 昨年など年齢の話題になって「もう27歳だし」と言うと、「まだ26歳です」という答えが帰ってきました。早生まれだからそれも事実なのですが、まあ、なんというか、今から考えると「まだ若いんだ」と言い聞かせようとしていたのかもしれません。かなりの私見ですけど。
「若手に自分の苦しんだ経験を、冷静に話せるようになりました」
「自分さえ跳べればいい、という気持ちがあった」
「みんなが私をこう見ているんじゃ、と思っていました」
「イケダクミコっていうプライドを1回崩したいと思って」
 これらのコメントを聞けただけでも、岐阜に来た価値はあったと思います。

 女子走幅跳のあとはおもにフィールドを歩き回っての取材。この大会はそれが可能な大会です。女子走高跳の開始前に中田有紀選手と目があったので、目礼で挨拶。冬にケガのあった中田選手は、今大会がシーズンインです。ハードルと2種目に出ていましたが、話を聞くことができませんでした。日本選手権前に全種目の記事を1本は書くのが、シーズン序盤の寺田の密やかな目標です。マラソンや横浜国際女子駅伝のように、日本選手権前の会見が行われることに期待しましょう。
 走高跳の審判員は北京代表(90年アジア大会)だった海鋒佳輝先生。旗を揚げるリズムに独特の“間”と鋭さがあります。岐阜の選手は今度、注意してみてみてください。その海鋒先生が昨日の男子走高跳に優勝したことは、渡辺辰彦事務局長がメールで知らせてくれました。突然の現役復帰。
「村木先生(筑波大跳躍コーチ)が退官前の最後の年ですから。もう一度北京代表をということではなく、走高跳を楽しんでいる姿勢を見せたい」とは、寺田が無理矢理言わせたようなコメントです。本当は生徒に自分が走高跳選手だったことを見せるためだと言います。そして、小学校2年になるお子さんにも。人生の機微を感じる、ちょっと良い話でした。実業団の試合は、こうでなくっちゃ。

 走高跳は100 mのスタートライン側。反対のフィニッシュライン側のフィールドでは、男女のハンマー投が行われていました。ルール改正で今年から、男女同時実施が認められるようになりました。参加選手の少ない競技会では、運営がスムーズになります。中部実業団対抗の場合女子が、3〜4人で行われることが多かったのです(ベスト8が9人以上になる可能性もあり、そこのリズムが狂うという弊害もありますが)。
 その結果、すごいシーンが実現しました。日本のハンマー投、いや、陸上競技史上に残るシーンと言っていいでしょう。ほとんどの陸上競技担当記者は仙台ハーフマラソンに行きましたが、地団駄踏んで悔しがっていることでしょう。具体的には……記事にします。


◆2008年5月12日(月)
 今日は終日、自宅で仕事。ナショナル・トレセンでは北京五輪の公式服装発表会が行われていました。昨日の中部実業団で、室伏由佳選手が日帰りすると話していましたっけ。ミズノ社員からも何人かがモデルになるということで、同選手の他に信岡沙希重選手、内藤真人選手、成迫健児選手、大橋祐二選手が参加。信岡選手ブログの写真を見ると、やっぱりハードラー3人は大きいし、スラッとしている。モデルとして最適な種目です。

 昨日の日記で
「ジャージに猫の毛がついているんですよ」と強調していました。2日連続の2種目出場と猫の毛が、どう関係しているのか。この難問に今日いっぱい悩まされました。
 と書きました。室伏選手がわざわざ、ブログでも触れてくれましたが、これは悩んだわけではなくて、なんでもかんでも陸上競技と結びつけて考えがちになる、寺田自身も含めた陸上記者への自戒を込めた記述でした。けじめも大切ですが、全部が全部、競技を介しての関係というのも堅苦しいですから。
 競技を介してだけの関係だと、選手がストレスを感じる一因にもなります。“あの記者はいつも記録を期待してくれている、だったら頑張らないと”となってしまうことが、ないとも限りません。記者は“選手=競技成績”という見方をしているわけでは決してありません。結果が悪く“不甲斐ない”というニュアンスの記事を書くことはあっても、人間そのものを否定するなんてことは絶対にありません。
 その選手の人格あっての競技ですから、人格の部分で接したい気持ちも強いのです。ただ、そういったところを公にすると眉をひそめる読者もいます。“選手=競技成績”という接し方をする記者もいます。難しい部分でもあるのですが、その辺を書くための導入として、昨日の猫のエピを紹介しました。
(※主に室伏由佳選手へ)お騒がせしました。

 その中部実業団で、できれば話を聞きたかったのが中田有紀選手ですが、もう1人、走幅跳の水野和実選手(スズキ)にもちょっと話を聞きたかったですね。
 寺田の記憶が正しければ、昨日紹介した海鋒佳輝先生が走高跳で優勝した89年の高知インターハイ入賞選手。総合優勝した浜松商高のポイントゲッターの1人でした。その前年は杉本龍勇選手(浜松北高)がインターハイ100 m・200 mの2冠になるなどして、取材が浜松づいている時期でした。7月の静岡県選手権にも行っていたんじゃないでしょうか。駆け出し編集者の頃で、さぞかし変な取材だったと思いますが。
 ただ、肝心の高知インターハイに寺田は、体調を崩して行くことができませんでした。主将の加藤晴康選手などとはその後も何度か接する機会がありましたが、水野選手とはどうだったか、記憶がありません。
 中部実業団の水野選手は白いものが多く混じった頭髪でしたが、助走をする姿はまぎれもなくハマショウの水野選手でした。スズキの三潟卓郎男子長距離監督によれば、千葉の方で営業を頑張っていた時期もあったようです。
 本人は「7mを跳ぶ」と言っていたようですが、まさかベスト8に残るとは思っていませんでした。それが6m45で8位。帰って陸マガのバックナンバーを見ると、高知インターハイも8位で貴重な1点を取っています。今回もスズキの男女総合10連勝に貢献しました。

 中部実業団で自分の不見識を恥ずかしく思ったのが、すべての種目が終了した後で日下部光先生と話をさせてもらったとき。長らく走幅跳の高1記録を持っていた選手で、筑波大時代に志田哲也先生と一緒に取材をさせてもらったことがあり(ファミレス取材だったかも?)、現在は4年後の国体開催を控える岐阜県の強化委員長。今春から多くの名選手を輩出した県岐阜商高に着任されています。
 11月12日の日記に書いたように、この春から品田直宏選手が岐阜県登録の選手に。その品田選手は走幅跳、100 mとも欠場でしたが、男子110 mHでは東海大から岐阜のサンメッセに入った岩船陽一選手が13秒94(−0.1)で優勝。去年の日記では品田選手の走幅跳岐阜県記録更新への期待を書きましたが、一足早く、岩船選手が今季すでに110 mHの岐阜県記録を更新したそうです。記録を持っていたのは松久孝弘選手。往年の名ハードラー。岐阜県では絶対的な存在だったようで、「すごいインパクトがあった」と言います。
 女子100 mHでも武井怜子選手が13秒91の自己新で、池田久美子選手をひやりとさせました。武井選手は品田・岩船の2選手とは違って地元・岐阜県出身。この春に岐阜に戻ってきました。岐阜の100 mHといえば平出奈津子選手。2006年まで13秒台を出すなど、長らく岐阜県の100 mHを引っ張ってきましたが、現在はハードル部長だそうです。

 これらの事実を教えてもらった後で、昨年から気にかかっていた疑問を聞いてみました。品田選手、岩船選手の採用がちょっと早いのではないか、と。国体は4年後。もう2年くらい待ってから、確実に1〜3位に入れそうな大学4年生を採用する方法もあったはずです。それに対する日下部先生の答えが以下のような内容でした。
「早めに採用したのは、岐阜県陸上界の起爆剤になってもらいたいからです。国体で得点を取ってもらって、“はい、ご苦労様”というパターンにはしたくありません。練習会などにも参加してもらって、高校生や中学生の刺激になってほしい。岐阜県の競技力全体を向上させるために採用したんです」
 さすが、岐阜のブルース・ウィリスと言われているだけはあります。やることが違います。寺田の考えが浅かっただけ?


◆2008年5月13日(火)
 AJPS(日本スポーツプレス協会)の総会と懇親会。陸上競技を取材する記者はそれほどいないのですが、それなりに関係者も出席していて、面白い話をすることができました。時期的に近い大会ということで、大阪GPの話題が出るのは当然です。「観客が多かったのでは?」という感想が出ていました。入場者は1万4500人。ここ数年の動向がわからないので断定はできませんが、あれだけの悪天候だったことを考えると、よく入った方ではないかと思います。
 昨年の世界選手権効果では? と、誰もが思ったことでしょう。よく言えば、陸上競技(観戦)への興味が高まった。悪く言えば、世界選手権の入場料金があまりにも高かったため、大阪GPの料金に“お得感”が出たのではないでしょうか。料金は以下の通り。
2007世界選手権(前売り) 2008大阪GP(前売り)
S席 \14,000 \2,500
A席 \10,000 \1,500
B席 \7,500 \1,000
C席 \4,000  
子供 \2,000(C席) \600(B席)

 後者の意見は大阪GP当日のプレスルーム(インタビュールーム)でも話したのですが、隣で聞いていた大阪陸協の方もさかんに頷いていました。何度でも書きますが、寺田の知る限り、あの入場料金は誰も喜んでいません(一部関係企業を除く)。男子4×100 mRの決勝を見に長居競技場まで来た4人連れの家族が、当日券(上の表よりも高い)の金額を見て、泣く泣く帰っていったというエピソードも聞きました。
 陸連に力がなかったからだと責任を押しつけることは簡単ですが、世界選手権の組織構造を考えると、どうしようもなかったでしょう。次の日本開催のときは頑張ってくれると思います。

 大阪GPといえば男子4×400 mRで2走選手の立ち位置の違いがありました。昨年の世界選手権50kmWの誘導ミスや、4月の織田記念100 mHのハードル設置位置のミスなどが記憶に新しく、運営側を批判する記事・意見も多く出ています。どうしてそこをもっと書かないのか、という意見もいただきました。時間的な制約もあること。何を書くかはこちらの勝手でしょう、とか書くとまたお叱りのメールが来るので、知っている経緯を書いておきます。
 4×400 mRはコメント取材が立て込まない時間帯でしたから、しっかりとスタンドから見ていました。もちろん、ラップ計測もする態勢で。2走の選手の立ち位置がおかしいのはすぐに気づきました。800 mスタートラインはラップの計測場所です。自分が間違えたのかと思ったのですが、ラップを計測したら、選手たちが間違ったことは確か。レース後、苅部俊二短距離部長と土江寛裕監督が近くにいらしたので、すぐに言いに行きました。
 ミックスドゾーンに取材に行くと、スタンド下で見ていた記者たちから、高野進強化委員長が「間違えているんじゃないの?!」と声を掛けたと聞きました。金丸祐三選手は「自分のミス」と、さかんに反省しています。
 経緯だけははっきりさせておきたかったので、共同会見時に「役員からその場所を指示されたのではないか」と質問しました。金丸選手は「自分が間違えました。他の選手も自分を見て、間違った位置に着いたのだと思う」と答えていました。

 知っている経緯は以上です。選手は選手の立場として、自分がミスをしたと考えるのは当然ですが、運営側にミスがあったのも明らかです。役員がラインを示して選手を位置に着かせる光景は、何度も見ています。「審判ハンドブック」にも出発係の任務Bとして「競技者が最良のコンディションでスタートできるように、競技者を定められた時間に、定められたレーンあるいはスタートラインに誘導し、定時にスタートできるように導く。」と記されています。
 他の記者たちは大阪陸協や苅部部長に取材をしていたようですが、寺田は会見まで。記事にするつもりはありませんでしたし、仮にするとしても、そこまでの情報で十分です。他の種目の取材に力を割こうと考えました。今回のようなことは新聞などのメディアが必ず取り上げます。寺田は、寺田にしか書けない類のことを書いた方がいいでしょう。

 2005年のヘルシンキ世界選手権男子1万mの選考ミスについてはかなり書きましたが、あれは“別格”。完全に選手との約束を違えたものでしたから。陸マガ3月号の表紙問題(大阪国際女子マラソンで失速した福士加代子選手を表紙にしたこと)などは、編集部OBの寺田が書くべき立場。現場の反感が大きかったですから、寺田が書くことで“ガス抜き”の効果もあると考えました。表紙のことを書くヒマがあったら運営ミスを書け、という意見には同意できません。


◆2008年5月14日(水)
 陸上競技マガジン6月号発売日。内容は5月号ほど斬新というわけではなく、伝統的な専門誌の内容です。そもそも、陸上競技専門誌の場合、それほどたくさん“見せ方”があるわけではないのです。日本には2誌ありますが、せいぜい二大政党制くらいの違いでしょう。それが大きいのかもしれませんが。
 伝統的ではありますが、大阪GP終了時点の“全種目最新情報”は初めての試み。インターハイの先取り情報などはこれまでも全種目でやっていますから、そのシニア・バージョンで高橋編集長得意のパターン。

 新企画ではありませんが、高平慎士選手が自身の技術をここまで体系的に明かしたのは初めてではないでしょうか。一読の価値あり。記者たちはコピーして持ち歩くのでは?
 そういえば今月号は北海道づいています。5月号のカラーが朝原宣治選手、竹澤健介選手、小林祐梨子選手と兵庫選手ばかりでしたが、6月号は高平選手、堤雄司選手、そして日本タイの福島千里選手と北海道選手が続々と登場しています。木田真有選手も6年ぶりに自己新を出しましたしね。北海道新聞に広告を出せばいいのに、というメールは来ませんでしたが。

 意外と面白いのがローラ・チャンのインタビュー。今回で2回目ですが、陸上競技の勉強もしているようで、意外と物知りです。それでいて、外国人ならではの“外し方”や天然系のキャラも出ていて楽しめます。外国人では、マランツ記者の英語講座もあります(6回目くらい)。こちらは“リレーカーニバル”の起源を紹介してくれていて、「そうだったのか」とヒザを叩きました。
 同じ外国人ものでありながら、片や可憐なアイドル、片やおやじ記者。この好対照が良いのでしょう。編集部も良いところに目をつけました。
 トレーニングワイド(今は名称が変わった?)や、リスト(学生歴代やジュニア歴代、年齢別記録など)を見ての感想はまた機会があれば。


◆2008年5月15日(木)
 本サイトの明日のリニューアルに向けてラストスパート。デザインは完成していましたし、最終的な作業もここをやるだけ、と詰めてはいたのですが、最後の最後でトラブル。ホームページビルダーの最新バージョンでの作業が上手く行きません。お試し版をダウンロードして使っていたのですが、本番ということである作業を初めて行いました。そうしたら、ずっと砂時計状態。何度やってもダメです。
 スポンサーには16日からリニューアルと伝えてあります。広告を載せるということは、そういうプレッシャーも背負い込むわけです。かなり焦りました。
 新デザインは最新バージョンで行っていた部分もあり、7年前に買った旧バージョンでは上手くできません。結局、左側のフレームを一から旧バージョンで作成し直し、夜中の2時半頃にアップしました。本当は0時と同時に新デザインに変更したかったのですが。


◆2008年5月16日(金)
 なんとかこぎつけた本サイトのリニューアル。夜中のうちに才本ディレクターから「ビックリです」(福島千里選手の口調のつもり、かも)メールが来ていました。2〜3日前から「寺田サイト○○まであと★日」と、カウントダウン形式で予告はしていたつもりなのですが。○○は「摘発」ではないかという神戸新聞・大原記者からのメールには、「18禁ネタが多いですから」と返しておきました。
 何度も書きますが、このサイトで書かれていることは、18歳未満では理解度が浅くなる内容だと思っています。10代から読み始めていた読者の方は、是非、その頃に読んだ部分を読み直してみてください。きっと、印象が違うと思います。
 これは寺田のサイトに限らず、文学作品でも何にでも言えることなのですけど。読み手側(情報の受け手側)の成長によって、理解度が違ってくることは多いはずです。

 それに加えて、送り手側も成長しているのです(と思いたい)。陸上関係者は4年単位で成長すること(ステップアップ)を考えます。この4月で、陸マガから独立して丸8年が経ちました。光陰矢のごとし……を英語で何というか、今度マランツ先生に聞いておきましょう。陸マガの連載が面白いよ、とかお世辞でも言って。ちなみにお世辞は“ブルシット”(牛の糞)。品がない言葉ですいません(俗語だそうです)。
 話を戻しましょう。フリーランス9年目、第3ステージがこのWEBサイト・リニューアルです。第1・第2ステージが何だったかと言われると困るのですが、第1ステージは独立したことと、このサイトを始めたこと。第2ステージは新宿に作業部屋を借りて業務拡張路線に乗り出したこと(これは失敗したと思っています。かなりの挫折)。

 4年単位の成長と書きましたが、やっていることが大きく変わったわけではありません。能力的に、それほど成長したとは思えないのです(自覚しにくいところ)。4年前も今と同じレベルの取材はできたと思いますし、記事の量だったら以前の方が多かったかも。何が変わったかといえば、継続し続けることで、周囲への認知度が徐々に上がってきたことかもしれません。
 7年前にこのサイトを始めて、愚直に継続してきた結果としての変化です。2年前にはクレーマージャパンがスポンサーについてくれました。失敗だったと書いた第2ステージですが、1社でもスポンサーに付いてくれたおかげで、あきらめずに続けられたのです。本当に感謝しています。

 これまでもちょこちょこと書いてきましたが、陸上競技のライターは、普通にやっていたらとても食べていける職業ではありません。陸上競技がマイナーな存在だということの裏返しです。現在やっておられれる方たちは、専門誌専属に近いごく一握りの方を除いては、他の分野の仕事と両立させることで続けられているのです。不器用な寺田など、とても真似ができるものではありません。本当に頭が下がります。
 専門誌出身ではありますが、寺田のような立場の人間が陸上競技だけで仕事を続けるのは、到底不可能なことだと思われました。それが、細々とですが生き延びているのは、このサイトの読者とスポンサーのおかげだと思います(古巣の陸上競技マガジンには育てていただきましたし、継続的に仕事をさせてもらっている各媒体あってのこと)。ビジネスとしてはまだまだ不十分ではありますが、今後は本サイトの充実をはかれるはず。というか、充実させていかないといけません。

 なんだか決意表明みたいになってしまいました。今後の具体的な方針については、おいおい触れていくことにしますが、“陸上競技はコメディ”というのが基本線です。これも何度か書いていますが、一発ギャグではなくて三谷幸喜ばりのシチュエーション・コメディ。涙も感動もあるのがコメディです。一生懸命にやった人間だけが味わえる笑いです。遊戯性、ゲーム性のない陸上競技を報道する立場の人間ができることは、そこかな、と感じています。
 当面は、佐藤敦之選手に対抗して、佐藤美保選手(ナチュリル)を笑わせることを目標にしたいと思います。


◆2008年5月17日(土)
 東日本実業団1日目の取材。久しぶりに朝早く現地に着くと、これも久しぶりに陸マガ・高野徹カメラマンの姿が。(BBM社の)写真部次長になってからというもの、ほとんど現場取材に出られないと聞いています。地元ということもあってか、久しぶりに現場復帰ができたようです。
 知る人ぞ知る話ですが、高野カメラマンはBBM社の前は埼玉新聞社員。同新聞の陸上競技新担当のM記者が挨拶をしていました。聞けば転職して20年近くが経った今でも、高野カメラマンのことは社内で話題になるとか。奥さんが今も同新聞社に勤務されているからだと思いますが、それにしても、存在感のある社員だったということでしょう。
 高野カメラマンとは、大晦日に前橋で“どちらが若く見えるか”を女子高校生に聞いた際に、寺田が見事に敗れ去りました。リベンジの好機とばかり、M記者(女性)にどちらが若く見えるかを質問。「同じくらいに見えますけど」という答えをいただきました(実際は寺田が1学年上)。やはり、大人の女性は見る目が違います。M記者は伊奈学園高で、信岡・石田両選手の2学年先輩にあたるそうです。

 取材はスムーズでした。地区実業団は特に取材規制がなく、取材する側と運営側の相互信頼のバランスの上に上手く成立している大会です。取材する側も選手が迷惑なタイミングで話しかけたりしませんし、表彰待機所でも「表彰始めます」と声が掛かればすぐに選手を解放します。取材陣が多く集まった選手数人は、運営側も表彰を遅らせるなど配慮してくれたようです。最も取材のしやすいトラック&フィールドの大会と言っていいでしょう。
 まずは競歩から。男女とも五輪代表濃厚といえる選手が出ていました。今年から男女混合レースで競技後のコメント取材がしづらいかな、と思っていましたが、フィニッシュ地点で森岡紘一朗選手を、表彰待機所で川崎真裕美選手を取材。陸上競技の五輪枠の話はあまり愉快ではありませんが、そこはどうしても避けて通れない部分。男子競歩では日本選手権20kmW&50kmW優勝の山崎勇喜選手の他に、男子20kmWで1人、50kmWで1人の枠は大丈夫、というのが共通認識のようです。
 女子1500mは優勝した吉川美香選手に、今大会が今季初戦となってしまった理由などを聞きました。男子1500mは村上康則選手の話を聞こうとしましたが、表彰になってしまって中途半端に。富士通の選手は三代直樹広報が丁寧にコメントを取っていたので、そちらが期待できるでしょう。
 女子200 mは優勝した福島千里選手の話を勇んで聞きに行きました。今日は「ビックリです」ではなく「ビックリしちゃって」でした(厳密には「予選を走ってあまりにバテたので“ビックリしちゃって”」です)。福島選手の“ビックリ”を取り上げるのは、キャラクターを紹介する意味もありますが、彼女の置かれた状況を説明するのにキーワードとなっているからです。

 男子100 mは菅原新選手が2連勝。万全ではなかったと思われますが、塚原直貴選手に勝ちましたし、向かい風2.0mで10秒59は強いでしょう。
 強いといえば渋井陽子選手。31分21秒92で、兵庫リレーカーニバルで出した自身のセカンド記録に迫りました。条件もそんなによくなかった中でも1人で行きますからね。いつからこんなに強くなったんだ? と言いたくなるくらいに今の渋井選手は強いです。このところ、笑顔を見る機会が多い気がします。
 一般メディア的には、今日一番のニュースは渋井選手で決まりでしょう。寺田が新聞記者の立場だったらもちろん、渋井選手にします。しかし、自分で勝手に選べるのであれば、男子やり投ですね。荒井謙選手の話が面白かったですし、2位の山本一喜選手はモンテローザに転職したばかりですし、3位の種本祐太朗選手は秋田国体翌年という立場。村上幸史選手に迫ることも多くなっている3人ですから、日本選手権に向けて良い話が聞けたと思っています。

 フィールド種目では男子やり投のほか、男子三段跳の梶川洋平選手、男子円盤投の畑山茂雄選手、女子やり投の小島裕子選手を取材。梶川選手も法大の先輩である為末大選手と同じでヨガを取り入れていますが、経緯はまったく違います。畑山茂雄選手には59m台(パフォーマンス日本歴代3位)の投てきがどうだったのかを聞きました。
 そして小島選手。今回で13連勝となり、白梅学園高教員となってからは7連勝。過半数を占めることになったので、「SHIRAUME」の文字を入れて写真を撮らせていただきました。

 今大会の補助員は、近隣の高校が中間試験の期間中ということで高校生が動員できないらしく、中学生がおもに務めていました。踏み切り板の粘土を用意していたのは3人組の女子中学生。粘土でこんなものを作っていました。お団子かアイスクリームかな、と思っていましたが、完成型はこれ。何なのか聞いてみたかったのですが、さすがに女子中学生に声を掛けるのは躊躇われます。そこで、E本編集者を誘って2人で質問しに行きました(大の大人が…)。
 その結果、「魔法使い雪だるまと帽子」だということが判明しました。暑さで有名な熊谷ですが、この雪だるまなら、インターハイの8月でも溶けないでしょう。


◆2008年5月25日(日)
 関東インカレ最終日を取材。先週は東日本実業団で、昨日も仕事が立て込んでいて行けませんでした。決して雨が降ったからではありませんが、それにしても今月は雨に見舞われる試合が多いですね。大阪GPはひどかったし、東日本実業団も1日目の中盤が雨でした。今月のキャッチをGood-bye in rainy Mayとしたのに効果がありませんでした(逆効果なのか?)。
 しかし、関東インカレの最終日だけは外せません。注目種目・選手も多い一日ですしね。総合優勝も決まりますが、それほど興味があったわけではありません。しかし結果的に、一番インパクトがあったのは対校戦でした。

 時間順に紹介していきましょう。
 最初に話を聞いたのは男子800 mの口野武史選手(日体大4年)と横田真人選手(慶大3年)。今回は関東インカレ自体の記事を書く予定はなくて、主に日本選手権展望記事用にネタを拾うのが目的です。インカレに関する質問が出尽くしたタイミングを見て、聞くようにはしています。たまにインカレで、いきなり箱根駅伝の質問をする記者がいますが(テレビ局に多い)、そういう配慮のない取材はしないように自身を戒めています。
 口野選手はどちらかといえば長めのスパートを得意とするので、日本選手権ではどう戦うかをちょっと突っ込ませていただきました。もちろん、そこで答えた通りの展開をしないといけない理由はなくて、むしろ、直前の状態に左右されることが多いでしょうね。得意パターンは同じ種目の選手なら、誰でも知っていることですし。

 横田選手には1対1になったところで(途中で別の記者が1人加わりましたが)、ピーター・スネル氏との対談の“後日談”について質問。後日談というのは変かもしれませんが、中距離にも走り込み主体のリディアード式が当てはまる、というのがスネル氏の持論で、横田選手は走り込みよりもスピード的な練習が良いと考えている。
 端的に言えば対談後に持久的なトレーニングを増やしているかどうかですが、結論から言えば、増やしていないと言います。逆に減らしている、とも。
「人それぞれだと思うんです。スネルさんの言っていることが95%に当てはまるのかもしれませんが、残り5%の正しさというのもあると思います。(スピードを高めて)短い距離でやるとケガをするという意見も聞きました。でも、長い距離をやってケガをする人もいる。トレーニングに絶対はないと思いますし、どれが自分にとって正しいかを見極めることが大切なのでは。それ(短い距離の練習)で成功すれば、それはそれで、僕のアイデンティティになります。ケガをしてからでは遅いのかもしれませんが、限界が来たら長い距離も1つのツールとして考えます」
 仮に将来リディアード式を取り入れるにしても、今やっているスピード主体の方法を、とことんまでやってみないと“次”に行く気持ちにならないのででしょう。今の横田選手はまだ、“やり尽くした感”がないということです。

 そういえば、東日本実業団で13秒44wを出した大橋祐二選手も、アレン・ジョンソンに教わったトレーニングをそのままやって、昨年はいまひとつだったと話していました。横田選手と同じというわけではありませんが、“他流トレーニング”を行うときに自分に合うのか合わないのか、吸収できることなのかできないことなのか、を見極めることが重要なのでしょう。
 吸収する能力が最も高いのが、おそらく室伏広治選手でしょう。あれだけ多くの外国選手やコーチと一緒に練習しても、崩れていくことはありません。為末大選手はどちらかというと、“これは自分に合わない”と切り捨てるタイプでしょうか。と書いておいてなんですが、おそらく2人とも吸収する部分と切り捨てる部分と、両方があるのだと思います。それをどれだけ表に出すかで、我々がタイプを決めてしまっているのかもしれません。

 話を関東インカレに戻しましょう。藤光謙司選手(日大4年)が4×400 mRを走る可能性があったので、同選手の取材は後回しになりましたが、女子の中村宝子選手(慶大1年)と男女の200 m優勝者の話を聞きました。話の流れでいえば2人とも、3月にヒューストンに短期留学しています。トム・テレツ・コーチの指導をどう今季に生かしているのか、を聞いている時間はありませんでした。インカレではインカレの話が優先です。中村選手には技術的な話になったときに、ちょっとだけ聞きましたけど。
 藤光選手の話が面白かったですし、今日は“日大”でしたから、記事にさせていただきました。総合優勝まで達成して、同選手にとってはまさにいいことずくめ。こういう一日って、競技生活でそんなに多くはないでしょう。

 その頃、男子の棒高跳は笹瀬弘樹選手(早大1年)と鈴木崇文選手(東海大3年)の争いになっていて、女子200 mに続いて静岡勢の優勝が確定していました。男子5000mも佐藤悠基選手が勝てば…と思っていたら、序盤こそ積極性を見せたものの、後半は大きく後退。そういえば、カージナル招待の1万mも途中棄権でした。
 取材は難しいかな、と思いつつもミックスドゾーンに行くと、すでに3人の記者が話を聞いていました。聞けば、カージナルは右のふくらはぎに痛みが出ての途中棄権、今日は右脚の付け根に痛みがある状態だったと言います。その遠因として、世界クロカン前後から練習が上手く積めていないことがあるのだそうです。細菌による体調不良もあったとか。
 思ったよりもさばさばした口調で、日本選手権もおそらく出ないことになりそうだと言います。練習ができていないのだからどうしようもない、という感じで潔かったです。

 その後、男子棒高跳の笹瀬選手の話を聞き、少しでしたが鈴木選手も話を聞くことができました。日本選手権の優勝争いにからみそうな選手の話はだいたい聞くことができましたが、斉藤仁志選手(筑波大3年)が200 m準決勝を欠場しました。石塚祐輔選手(筑波大3年)と2人の状態を確認するため、閉会式前に筑波大の陣取る第4コーナーのスタンドに。主要大学のポジションは、例年一緒です。決まりがあるのかもしれません。
 谷川聡コーチの話を聞いた後は、金丸祐三選手を探しました。200 m決勝の150m手前くらいでリタイアしていたのです。なかなか見つかりませんし、病院に行ったという情報もあったので、早めにあきらめました。その間に閉会式が始まり、法大の吉田孝久コーチがスタンドに1人でいらしたので、隣に座らせてもらって色々と話を聞かせてもらいました。
 今年度で退官される筑波大・村木征人跳躍コーチの話から、法大の十亀慎也選手のこと、最近の学生気質(選手というよりも一般学生)の話など。オリンピックの代表選考方法についても、興味深い方法を聞かせてもらいました。
 閉会式後は日大の近くにいました。藤光選手の短距離個人種目の優勝も久しぶり(2002年の400 m・向井裕紀弘選手以来)でしたが、総合は2000年以来8年ぶり。かつては、圧倒的な強さを誇った大学ですが、21世紀に入ってからは初の優勝です。日大については日を改めて書いた方が良いでしょう。

 国立競技場から寺田の作業部屋までは、都営大江戸線で4駅の近さ。国立競技場の門を出て地下鉄の入り口に歩いていくと、金丸祐三選手が同僚部員の肩を借りて歩いていきます。取材として足を止めるのはどうかな、という状況だったので、エレベーターとホームで少しだけ話を聞かせてもらいました。
 痛めた場所は右脚のハムストリングスで、ヒザの少し上のあたり。昨年の大阪世界選手権とは反対側の脚です。兆しはこの1週間の練習でも、レース前のアップでも、何も感じなかったそうです。病院に行ったという情報もありましたが、本人は「明日、JISSに行きます」と話していました。程度としては「昨年の世界選手権よりは全然軽い。一昨年の国体よりも軽い」と言います。日本選手権に関しては「間に合うかどうか。出場はできると思いますが、練習ができなさそうなので、どうなるか」とコメントしていました。

 今季は主要選手に故障が多いですね。だからといって、取材する側まで浮き足だつ必要はありません。取材する側の緊張が選手に伝わることはないと思いますが、とにかく我々は報道することが第一。陸上関係者として気になるのは当然ですが、現状に対する不安だとか、希望だとかは別物と考えるようにしています。


◆2008年5月26日(月)
 今日は終日、作業部屋で仕事。ATHLETICS2008の発送準備作業が佳境に入ってきました。ご購入いただいた皆さま、あと少しお待ち願います。アポ取り、取材申請も3つ4つこなして、明日、明後日の予定が埋まっていきます。夕方以降は電話、メールが断続的に続きます。そういう時期なのでしょう、月曜日は。

 ネットを見ると、日大OBたちが関東インカレの総合優勝について言及しています。野村智宏選手、澤野大地選手、向井裕紀弘選手といった面々。卒業後、オリンピック代表になろうが、世界を股にかけて活躍しようが、インカレの思い出というのは忘れがたいものなのでしょう。
 昨日も関東学連の役員H氏と、「対校戦はなんでここまで盛り上がるんだろう」という話をしました。レベルが高いというわけではないのです。でも、盛り上がる。対校戦だから、としか言いようがないでしょうか。
 その一方、実業団の対抗戦は盛り上がらないのです。世界を目指すべきレベルの選手がチームとして戦っても盛り上がらないけど、ちょっと下のレベルの選手がチームとして戦うと盛り上がる。そういう側面があるような気もします。
 こう言うと一般種目の関係者が怒りそうなのですが、箱根駅伝とインカレは、盛り上がる理由に共通点があると思っています。箱根駅伝のつなぎ区間とインカレの入賞とどっちがレベルが高い、という議論ではなくて、あくまで盛り上がる理由に関しての話です(と書いておかないと抗議メールが来そうなので)。

 話を昨日の日大総合優勝に戻すと、見ている側にも選手・関係者の感激している様子が伝わってきました(写真)。それを表していた一番のエピソードが、小山裕三監督の涙写真)でしょう。閉会式後に選手、指導陣、そしてOBたちの集合が、どの大学でも必ず見られる光景です。それぞれの代表が挨拶をしていくのですが、小山監督がOBたちに挨拶しているときに涙を流しました。
 小山監督とは指導現場以外でお会いする機会が多く(世界選手権の“控え室”が一緒でした)、明るいキャラクターで接していただくことがほとんどです。投てき技術を快活に話されたり、冗談を飛ばしている印象が強いのです。まさか、涙を見ることになるとは予想していませんでした。それだけ、優勝から遠ざかっていた間に、ご苦労があったのだと思います。
 優勝されたので書いていいと思いますが、2年前に陸連投てき部長を辞されたときの理由の1つに、インカレで優勝したい、という思いがあったとお聞きしています(投てき部長には今年、“縁起物ですから”という理由で復帰されましたが=4月11日の日記参照)。

 勉強不足で正確には把握していませんが、日大や報道関係者の話を聞くと、黄金期(1990年代)と違って、高校のチャンピオンや上位選手が以前ほど、日大に集まらなくなっているようです。一度そういう流れになると、なかなか以前のようには戻りません。インカレの対校戦を見ている側にとっては群雄割拠で面白くなるのですが、当事者としては大変になっているわけです。
 そういう状況になったらもう、以前よりも下のレベルの選手を強くするしか勝つ方法はありません。そのあたりの具体的な対策をどうされたか。周辺取材はできたのですが、肝心の小山監督のコメントが取れませんでした。機会はあると思うので、取材ができたら紹介したいと思います。

 OBたちでは前述の澤野選手、短距離の山村貴彦選手、走幅跳の森長正樹選手、砲丸投の畑瀬聡選手、十種競技の田中宏昌選手らも顔を見せていました。今も日大で練習する選手がほとんどで、アシスタント・コーチの肩書きを持つ選手もいるようです。そういった立場での役割は色々とあると思います。選手から相談されたり、気がついたことがあったらアドバイスをする、というのが基本的なパターンでしょうか。あとは、自分が頑張ることで、選手の刺激剤となる。
 ただ、これが案外難しい部分ではないかと思っています。OBがすごい成績を出すと“別格”として見られてしまうことが多いのです、「あの人だからできること」と。力の差を身近に感じすぎてしまい、後輩が伸びないというケースですね。「自分たちだってやればできるぞ」、あるいは「やらなきゃできないぞ」と思わせることが重要です。畑瀬コーチはかなり厳しく接しているようです。


◆2008年5月27日(火)
 浜松のスズキ・グランドで池田久美子選手の公開練習を取材。
 オールウェザーが3レーンあって、14時くらいに行くと安井章泰選手が練習をしていました。グランドには寮(北側)と体育館(南側)も隣接しています。隣接しているといえば、東側に佐鳴湖が望むことができ、これがまた綺麗なんです。湖好きの寺田にはたまりません。思わず写真を撮ってしまいました。
 砂場&踏切板もあって、14:40くらいに池田選手が登場。静岡県、福島県のメディアを中心に、いつもの東京陸上記者たちが加わって総勢30〜50人くらいの取材陣(人数の幅が広すぎますね。正確に知りたい方は走幅跳インターハイ優勝の馬塚貴弘広報まで問い合わせてください……と書いてあるからと、本当に問い合わせないように)。桜井里佳マネ(400 mH57秒42)もいらっしゃいました。

 練習は短助走から軽く踏み切るメニューを7本だけでしたが、会見と囲み取材は“ガッツリ”(陸上選手たちの間で流行っている形容詞。形容動詞か?)時間をとってくれました。そのなかで今日、一番印象に残ったコメントは「年齢的に無理です」です。
 この日の練習は金色のスパイク(写真)で行ったこともあり、オリンピックに出られたら金色のスパイクを使うのか、という質問が出ました。
「色が変わりますが、何色かはお楽しみということで」と、ちょっともったいぶった答えでした。「ピンクですか」と突っ込む記者(イニシャルT)に対し「ピンクは年齢的に無理です」と池田選手が答えたのでした。

 ウケ狙いで書いているわけではありません(寺田はいつも真剣です)。現在の状態を冷静に把握した上で、年齢のことを言っているのです(5月11日の日記参照)。6m86の頃の体調と比べてどうなのか、そのときのビデオを見ないのか、という質問に対して次のように答えました。
「今は27歳で、日本記録を出したのは25歳のとき。生身の人間ですから、同じ状態ということはありません。だから、昔と比べようとしても、比較にならないと思っています。今の身体の状態で、劣っている部分を埋めながら、自分の感覚を引き出していくことが大切です。(6m86の)ビデオや連続写真を見ることはあります。感覚的にも、あのときは良かったと思いますし、取り戻したい気持ちもあります。でも、その頃と同じ練習をしても、同じ状態にはなりません。6m86のときの感覚を求めることはありますが、求める方法が違います。今の身体に合ったやり方を見つけていきたい」

 決してウケ狙いでなく、今の池田選手を象徴していると言葉として印象に残った理由がわかっていただけたと思います。それにしても、なかなか聞けるコメントではないでしょう。浜松まで行った甲斐がありました。浜松は遠江ですけど(これはウケ狙いですが、完全に外しています。そのくらいは自覚できます)。


◆2008年5月28日(水)
 午前中は取材申請やら、印刷所との連絡など。メール処理も多数。
 午後は東西線の西葛西に。90年の関東インカレが江戸川の陸上競技場で行われて、たぶん西葛西の駅から取材に行ったのだと思います。金子宗弘選手が十種競技で驚異的な日本新を出した大会です。同競技場は、陸マガでリレーチームを組んで走ったこともあったような(10数年前?)。最近では、一昨年の11月に佐藤由美選手と弘山勉監督を駅近くのファミレスで取材しました。
 昔、リクルートの寮があったの……は西船橋でした。吉田直美選手が3000mで日本新を出したときですね。西船橋に行ったのは。「将来マラソン走っからよぉ、見ててよ」と、小出監督が話してくれたことは、今も鮮明に覚えています。西船橋の思い出を書く必然性はないのですが、西新宿五丁目が寺田の作業部屋の最寄り駅なものですから。

 西葛西に行ったのは計測工房という、マラソンや駅伝のタイム計測を請け負う会社にお邪魔するためです。寺田のサイトへ広告出稿の話をいただいたので、その打ち合わせ。大筋はもう合意できていて、挨拶をするために足を運んだというのが正確なところでしょうか。
 藤井拓也社長とはメールで何度も連絡を取り合っていましたし、お互いのビジネスの情報はネット上で確認しています。パートナーになれるとお互いに考えていたわけですが、最終的には顔を合わせて、直接話をする方が信頼感が生まれます。顔を見ていない相手と付き合うのと、実際に面識をもって付き合うのでは、まったく違いますから。
 計測工房は藤井社長がランニング関連の大手企業から独立して、昨年設立したばかりの会社。その分野のビジネスが存在することは知っていましたが、それほど詳しいわけではなかったので、色々と質問させていただきました。チップには2種類あること、どの企業がロイヤリティを持っていて、どういったグループ化がされていて、どの方向にビジネス拡大のチャンスがあるのか等々。
 こちらからは、少しは営業的なことも話しましたが、基本的には「これからも頑張ります」という意思を伝えました。このサイトを定期的に見てくれているのなら、どう利用するかは先方が考えればいいこと。「このくらい御社の利益になります」と、下手な分析をするよりも、このサイトを続ける自分の立場や考えを話して、今後も寺田は頑張るだろう、と思っていただける方がいいと判断したわけです。

 藤井社長は慶大競走部OB。学年的には競歩の小池昭彦選手ややり投の土屋忠之選手らと近いそうです。陸マガの中尾義理ライターとは同期。関東インカレ100 mで同着Vの鹿又理選手はちょっと上。砲丸投の對木隆介選手は後輩だそうです。
 對木選手とは以前、新潟の試合に行ったときに少し話をさせてもらいました。寺田と同じ静岡県出身ということで、話が弾んだ記憶があります。当時は日立の社員でしたが、今は新潟大に入学し直してもう3年生。北信越インカレにも出場しています。自己ベストは98年の15m80ですが、今年はそれの更新も夢ではないところまで来ているようです。
 そういえば新潟の試合に行ったのは、重川材木店の重川隆廣社長のお誘いもあり、同チームを取材してこのサイトに掲載するのが目的でした。広いようで狭いというべきか、狭いようで広いというべきか、どちらなのかよくわからない陸上界ですが、少しは寺田のサイトが仲立ちになっているでしょうか。

 6月1日から、計測工房様の広告を掲載させていただきます。


◆2008年5月29日(木)
 今日は電話取材を3本。
 午前中に北海道ハイテクACの中村宏之監督に電話を入れると、高校生の試合の最中ということで、夕方にさせていただく約束をとりつけました。

 15時からは陸マガ7月号のナチュリル記事のために、木田真有選手と丹野麻美選手に電話取材。プレ五輪までの競技的なところを振り返ってもらうことと、あるテーマに沿ってコメントしてもらうことが取材の目的でした。
 ただ、それだけに終始すると堅苦しい取材になっています。寺田の場合、WEB上のキャラと違って実際はマジメ一本やり(と、とられがち)。そこで木田選手には、「おいしいものがいっぱいある北海道出身の選手は、本州や沖縄の食事はおいしくないのですか?」と質問。その答えは次号陸マガに、載せられるかどうかわからないので書いてしまいます。「そんなことはないのですが、鮭とイクラは昔から好きです」とのことでした。
 丹野選手には「ストライドが広くなっているかビデオで計測しましたか?」と質問。これのどこが面白いのかわからないと思いますが、ウエイトトレーニングの成果で走りの力強さが増したのが今季の丹野選手。本人も何度かそうコメントするので、レース後の取材中に「ビデオで――」と2度くらい質問していたのです(受けたのか、しつこいと思われたのか微妙な反応でした)。この答えは記事にするかもしれないので、ここでは書かないでおきます。

 17:30には中村先生を電話取材。福島選手のことというよりも、伊藤佳奈恵選手について主に取材をさせていただきました。93年に100 mで日本新を出した選手で、やはり中村先生の教え子です。これ以上詳しいことは書けませんが、面白いお話しを色々と聞かせてもらいました。企画を立てたのは編集部(高橋編集長?)ですけど、その企画を聞いて「だったら中村先生に取材をしよう」と言い出したのは寺田です。明日はMTC・岩本トレーナーに電話取材をします。
 この情報だけで、陸マガ次号が楽しみになった方も多いのでは? 寺田がしっかりまとめられるかどうかが問題です。

 18:20には郵便局の方が集荷に来ました。
 昨晩、5時間くらいぶっ続けで頑張ってATHLETICS2008の発送準備を完了させていたのです。住所録は受注時に作成していますが、ラベル印刷にもっていって、封筒に差出人を印刷していたら何度も紙詰まりになって、領収証を書いて封筒(角型3号?)に入れて、ATHLETICS2008と一緒にB5サイズの封筒に入れてと、詳しく書いていたらもう紙数が足りません。ガムテープで封をする作業は、後半になってやっとコツをつかみました。前半に作業をした東日本の皆さん、汚い封の仕方でご免なさい。
 1冊での発送はゆうメール(昨年までの冊子小包)。通常は集荷不可なのですが、ゆうパックが3つありまして(K社とA社とW姉御)、ゆうパックと一緒だと集荷してくれるのです。
 ご購入いただいた皆さん、お待たせしました。明日か明後日には到着すると思います。未入金の方(2社)には送っていませんので、悪しからず。もう1人未入金の方がいるのですが、取材でいつも会っている方なので送っています。


◆2008年5月30日(金)
 10時からMTC岩本トレーナーに電話取材。奥様の岩本(旧姓北田)敏恵さんは高校時代の1986年に100 m日本タイを出し、その後はいったん低迷しますが、90年代になって再度日本記録を出した選手です。その側に長くいた人物兼トレーナーという視点で、意見を聞かせてもらいました。06年のドーハ・アジア大会に行く際に関空でちょっとお聞きしていた内容も、より詳しく理解できました。面白いお話しでした。

 その後は、本日15時からの打ち合わせの資料づくり。昨日からかかっていたのですが、12時半頃にはなんとか仕上げて送信。
 続いて陸マガ編集部と打ち合わせ。6月1日の取材を新潟選抜から野口みずき選手の公開練習&会見に変更しました。新潟には地元のライターの方もいるということでしたので。寺田はどうやら“気持ちで取材するタイプ”。新潟モードに入っていたので気持ちの切り換えに一日ほどかかりましたが、今はもう野口モードに入っています。

 15時からは都内某所で打ち合わせ。その会社内にあるカフェで、版元の編集者もまじえて3人で話し合いました。カフェですから飲み物を頼むのは当然ですが、メニューの一番上に「季節のコーヒー」があったので注文しました。記憶が定かではないのですが、確かフレンチロースト(深煎りってことですか?)だったと思います。
 それで、出てきたのはよく紅茶などで見る縦長のティーサーバー(中はコーヒーですよ)。「1分待ってください」とウエイトレスのお姉さんが言うので、すかさず腕時計を見せてストップウォッチを押しました。一応、ウケてくれていましたね。向かいの席の編集者(昔からの知り合い)が“また馬鹿なことを”というリアクションだったので、「これ、高かったんだから」と言い訳。SEIKOのスーパーアスリート。1万2600円ですからね。昨年の世界選手権取材に備えて購入しましたが、取材以外に活用してもバチは当たらないでしょう。
 などと考えながら打ち合わせをしていたら、気がついたら2分30秒もたっていました。活用したことになりませんね。

 打ち合わせは16:10頃に終了。寺田は場所を、近くのタリーズに移して書きかけの原稿に取りかかりました。できれば、今日中に送っておきたかった原稿です。送る相手が雑誌などの編集部であれば、今日中というのは翌朝までですが、通常は勤務時間内に送ります。ということで、17時を目標に頑張りました。
 タリーズ全店ではないと思いますが、その店にはコンセント付きの席が2つだけあって、運良くその1つに座ることができました。結局、送信したのは17:30頃。3〜4時間の作業であればバッテリーで十分持つので、コンセント付きの席を活用できたわけではないのですけど。
 活用する、活用し、活用すれば、活用しろ……サ行変格活用


◆2008年6月1日(日)
「野口(みずき)がサンバを踊りたいと言うので」
 シスメックス・廣瀬永和コーチの言葉が取材陣に“衝撃”を与えました。
 この言葉が何を意味するのかを説明する前に、今日の行動を順を追って説明しましょう。

 今日は菅平で野口みずき選手が一部メディア(テレビなどは別日程)に対して練習を公開。寺田も長野新幹線と上田電鉄バスを乗り継いで駆けつけました。バスの時間の都合で取材開始1時間前に着いたのですが、そのタイミングで「ボルト9秒72の世界新」の報が携帯メールに届きました。
 菅平取材の回数が多いK崎カメラマンの知り合いのホテル・ロビーで、時間まで休憩させていただいていたのですが、ネット接続ができる環境だったのですかさずリーボックGP(ニューヨークGP)のサイトをチェック。ボルトが9秒72でゲイが9秒85。気温はわかりませんが+1.7mということで風には恵まれていたわけです。
 が、それを差し引いても衝撃的な記録。9秒74では「9秒6台はまだまだかな」という感じですが、9秒72なら「ひょっとすると、そのうちに出るのでは」と思わせる数字です。まあ、そんな簡単なものではないと思いますけど。
 それにしてもまさか、という感じ。5月3日に9秒76を出していたとはいえ、ジャマイカ国内の大会ですし、追い風1.8mでしたし。なにより200 mの選手という印象だったので。これだけでも衝撃的な出来事でしたが、これが“予震”でしかないとは、そのときは気づきませんでした。

 公開練習は30km走。1周6.74kmの周回コースを使って行われましたが、何カ所も移動して撮影ができるレイアウトではありません。多数の報道陣が見学できる場所は、コース起点の自然館前くらい(コース図。今日の実際のスタート地点は違いましたが)。その近辺で待っていてカメラマンは写真を撮り、ペン記者は走りを見ます。
 陸マガからK崎カメラマンも派遣されていますが、今日は寺田も写真撮影を優先。1周6.74kmですから約25分かかると予想。見通しが良い地形ではないので、しっかりと時間を把握していないといきなり選手が現れて慌てることにもなりかねません。最初に野口選手が通り過ぎたときに、SEIKOのスーパーアスリートのスタートボタンをしっかりと押しました(先日から2度もリンクしていますが、広告料をもらっているわけではありません。生産終了みたいだし)。
 撮影できるチャンスはフィニッシュも入れて5回。構図・アングルなどの絵柄に加え、露出などもちょっとずつ変えて撮っていきました。
 これが1周目の写真で、2周目3周目4周目フィニッシュです。

 フィニッシュタイムは1時間49分08秒。その後に野口選手の囲み取材が20分くらい。本震はその後でした。藤田信之監督と廣瀬コーチにも話を聞いているときのことです。10月の世界ハーフに野口選手が出場するという記事が5月の下旬になって活字になりました。どうして今のタイミングでその決定がなされたのだろう、という疑問がありました。北京五輪から2カ月弱というタイミング。身体の状態がどうなっているのかもわかりません。
 ただ、それを承知で出場を決めたということは、何かワケがあるはず。野口選手とそのコーチ陣のことですから、すでに“北京の次”を見据えてのことではないかと想像しました。仮にオリンピックで良い成績を残したとして、(休養はしっかりとるにしても)それで立ち止まることがないのが野口選手です。
 藤田監督の答えは以下のような感じでした。
「仙台ハーフの後、30分で決断しろといわれたら、“出る”としか言えへんわな」
 ボルトの9秒72ではありませんが、これもまさかという回答。予想を完全に裏切られましたが確かに、あり得る状況です。そういうものです。
 不勉強の寺田が、世界ハーフの場所はメキシコでしたっけ? と確認するとブラジル(リオデジャネイロ)とのこと。そこで廣瀬コーチの「野口がサンバを踊りたいと言うので」という言葉が飛び出したのです。これが、今日の“本震”です。
 寺田にとっては激震。明日の見出しは「野口、五輪後にサンバに挑戦」で決まりだと思ってメモをし続けてしまいました。他の記者たちはとっさにメモをしなかったようですが、寺田は真剣モードから切り換えができなかったのです。「3番狙いですか?」くらい、切り返せればよかったのですが……。修行不足を痛感した寺田に、菅平高原の風が冷たかったことは書くまでもありません。


◆2008年6月2日(月)
 予震・本震と衝撃的なことがあった昨日ですが、実は“余震”もありました。100 m世界新(9秒72=ボルト選手)が予震、廣瀬永和コーチの「野口(みずき)がサンバを踊りたいと言うので」発言が本震とするなら、新潟選抜の結果が余震です。松岡範子選手(スズキ)のA標準突破(31分31秒45)はちょっとした驚きでした。
 野口みずき選手の取材が終わった頃に、“福士選手がA標準を切れなかった”“松岡選手が1位だった”という情報は流れていました。正確な結果を知ることができたのはその数十分後。菅平高原の“へそ”であるリゾートセンターの“小屋”で原稿を書いている最中に、新潟アルビレックスRCのO野氏から連絡が入ったときです。
 松岡選手は兵庫リレーカーニバルで32分28秒93(9位)でしたし、中部実業団が32分43秒39(優勝)でしたから、A標準(31分45秒00)まではちょっと厳しいかな、と感じていました。ただ、中部実業団が大阪GPのあった日で、雨の中だったコンディションを考えると、状態は兵庫よりも上向きだったのでしょう。2位に1分半の大差もつけていました。

 確かに予想以上の結果でしたが、衝撃というよりも“ちょっといいニュース”の類に入るかもしれません。松岡選手は99年と00年の全日本実業団対抗女子駅伝で快走し(3区で区間2位と4位)、スズキの3位・2位に貢献。1万mは00年に31分50秒53を記録し、01年には東アジア大会代表にもなっています。
 しかし、その直後に交通事故に遭ったのが原因で低迷。02年は駅伝メンバーにも入れず、スズキの順位も20位と急降下しました。駅伝には03年に2区で復帰、04年は1区で区間3位にまで復調し、1万mは06年に31分49秒89と6年ぶりに自己記録を更新しました(スズキ・ホームページ記事)。マラソンやサブ種目なら6年ぶりの記録更新は珍しくないかもしれませんが、1万mではあまり聞いたことがありません。ケガでどん底を見た選手が地道に努力を重ねて這い上がってきました。

 体力的に勢いがあったのが20歳の頃。ケガをした後は走りのバランスや身体の使い方のところで工夫をして、以前のレベルまで戻ってきました。それでも、“追い込んだ練習を続けられない”という欠点もありました。俗に言うケガも多いけど、短い練習期間で状態を上げられるタイプ。しかし、それではなかなか、日本代表レベルまでは上がって行けません。
 今季は例年よりもレースを絞っている感じも受けていましたし、兵庫、中部、新潟と着実に調子を上げてきているところを見ると、“トレーニングの積み重ね”という部分で、何か新しいものをつかんだのかもしれません。それに成功しているようだと、代表争いに顔を出す可能性もあります。
 松岡選手は何度か話を聞かせてもらっている選手です。取材には行けませんでしたが、この場でオメデトウと言わせていただきます。

 新潟の男子1万mでは大野龍二選手が日本人トップで27分53秒19。A標準(27分50秒00)には惜しくも届きませんでしたが、4年ぶりの自己新だった九州実業団に続く自己記録更新。4年前に急成長して27分台を連発し、アテネ五輪に出場した選手です。しかし、大野選手も自身を追い込む能力が高く、すぐに脚に異常が出てしまう。
 しかし、駅伝シーズンから安定した強さを見せています(全日本実業団ハーフはダメでしたが)。宗猛監督にときどき話を聞く機会がありましたが、ポイント練習を数回と続けられなかった同選手が、この冬は続けられるようになっているといいます。どういう工夫をして続けられるようになったのか、一度本人に聞いてみたかったですね。


◆2008年6月3日(火)
 昨日書かせてもらった松岡範子選手(スズキ)のように、復活してきた選手の話を聞くのは陸上競技取材の醍醐味といえるでしょう。これはスポーツ全般に言えることかもしれませんが、記録が付随する競技の方が、取材される側も明確に話すことができると思われます。復活する過程に「なるほど」と思わせてくれる話があるのです。
 先月27日の日記に池田久美子選手の話を書きました。「6m86を出したときと同じ感覚は求めても、同じ練習ではできない。アプローチ法を変えている」という内容です。今後、6m86の日本記録を更新したり、それに準ずる成績を出したときには“具体的な方法”を聞けるでしょう。そういうときに「いい話だな」「奥が深いな」と思えるはずです。

 奥が深い話といえば、先日の野口みずき選手公開取材の際にもありましたね。1日の日記にも書いたように周回コースの“起点”で記者たちは待ちかまえていました。6.74kmのコースでの30km走ですから、野口選手が1回通過したら次に現れるまで、25分前後はかかると計算しました。最初に通過した際、写真を撮り終えた直後にすかさず、ストップウォッチ(SEIKOのスーパーアスリート)を押しました。
 1周目は24分36秒(コースの10km地点から走り出していますので、実際にスタートしてからの距離ではありません)で、2周目は24分44秒。その間、記者たちは特にすることがないのでダベっている…わけではなく、見えない間も野口選手がどんな走りをしているのか必死でイメージしているのです。

 20分ほど経過すると寺田が撮影のためにスタンバイを始めます。そうすると他の記者たちもカメラを準備し始める。カメラをEOS−D40(ウン十万円)に買い換えた朝日新聞・堀川記者も、今回はカメラマン兼務。その堀川記者と、ファインダー越しではいまいち走りを見ることに集中できない、という話をしていました。すると陸マガK崎カメラマンが「野口さんは全然汗をかいていないですよ」と言います。やはり、プロのカメラマンは同じファインダー越しでも、見えているものが違うようです。陸上競技取材の奥が深いところです。

 ちなみに、待ち時間の間に菅平合宿中の選手を数人、見かけました。最初は富士通帯刀秀幸選手。数少ない2時間8分ランナーですが、サングラスをしていたため遠くからはわからず、近くに来て「帯刀選手だ!」と気づきました。同じ富士通ではルーキーの堺晃一選手も。太腿の太さで遠めにもわかりました。このあたりも、陸上競技取材の奥が深いところ。札幌ハーフ出場のための最終合宿のようです。
 いくら有名選手とはいえ、いきなり写真を撮るのはNG。赤羽有紀子選手だけは、とっさに声を掛けて撮らせていただきました(写真)。陸上競技取材の奥が深いところ……とは、関係ないかもしれません。

 一昨日の日記で10月の世界ハーフ出場の理由を、「野口がサンバを踊りたいと言うので」と説明した廣瀬永和コーチのコメントを紹介しました。ブラジル開催ということで得意の関西系ジョークで記者たちを笑わせたのですが、実は腰の故障予防の補強とも関わってくることを示唆していました。陸上競技トレーニングの奥が深いところです。


◆2008年6月4日(水)
 成田空港で土佐礼子選手の帰国取材。久しぶりの成田だったような気がします。そもそも、空港取材は新聞社・通信社が多用する取材法。その日その日でニュースを発信するメディア向けです。寺田も今ではこのサイトでニュースを毎日発信する身ですから、同様に活用させていただいているのですが、他社と違うのは資金力。成田空港まで往復するのに5000円前後はかかります。抱えている原稿もあるので、時間的に動けないことも多々あります。
 なので、出発のときよりも、遠征や合宿の成果を聞くことができる“帰国”が中心になりますね。そういう意味でも、今日の土佐選手帰国は外せませんでした。野口みずき選手は先日菅平の公開練習に行くことができました。男子マラソン3選手は選考レース後に一度は独占取材をしていますし(尾方剛選手は電話でしたが)、来週の札幌ハーフ時にも少しは接触できるはず。土佐選手と中村友梨香選手が公の場に現れる機会を逃す手はありません。

 空港では共同取材になりますが、寺田は全然かまいません。やっぱり、新聞とはメディアが違うので、普通にやっていれば出し方(見せ方)も自ずと違ってきます。新聞記者に批判的なフリーの雑誌記者も多いと某記者が話していましたが、寺田はまったくそんなことはありません。棲み分けが上手くできるから、お互いにない部分を補って協力しあえる。取材現場で何かを聞かれたら(データ的なことが多いのですが)、なんでも答えるようにしています。
 今日の土佐選手の取材は、時間的にも15時頃と締め切りに余裕があって、実際の記事を見ると各社とも共同取材分だけでなく、味付けがされています。寺田は共同取材終了後はすぐに、空港内のスタバ(電源付きテーブルあり)で今日締め切りの別の記事に取りかかったのですが、他の記者たちはそれぞれの人脈で取材をしていたわけです。読み比べると面白いかもしれません。

 しかし、以前にも紹介しましたが昨年10月の世界ハーフ帰国は、他に誰も来なかったので単独で取材しました。佐藤敦之選手と大崎千聖選手(写真)。これは、ちょっとだけ自慢かも。“成田取材の鬼”の異名をとる日刊スポーツ・佐々木一郎記者が復帰前だったからかもしれません。
 同記者は昨日(6月3日)も女子4×100 mRチームの出発を単独で取材。大阪GP、北京プレ五輪と取材をした流れで、今回の緊急ヨーロッパ遠征も積極的に取材をしているようです。ちょっと頭が下がる部分です。この記事にはユーモアもいっぱい(一般紙ではできないかも)。数年前にファミレス論争をしたときのような“らしさ”が出ています。こういう記事が、陸上競技に興味を持つきっかけになるのではないでしょうか。

 その佐々木記者が「ペティグリューのドーピングはショックだったんじゃないですか」と言ってきました。シドニー五輪の4×400 mRメンバーで、M・ジョンソン選手がメダル返上云々という記事ばかりが多いのですが、1991年の東京世界選手権の400 m優勝者です。2001〜02年頃のヨーロッパ取材で、アスリスター(東京大会マスコット)のトレーナー・シャツを持参して、同選手に持ってもらって写真を撮ったことがありました。記事も書いていました。それを佐々木記者も覚えていてくれたのでしょう。
 実際、ショックでしたね。特に基準があるわけではないのですが、ベン・ジョンソン、ガトリン、モンゴメリー、ジョーンズといった選手とはちょっと違う存在でした。スター選手的な華やかさはありませんでしたが、玄人ウケするタイプ。体格に恵まれているとか、200 mのスピードがあるとかではなく、400 mの走り方を極めて後半に強さを発揮する印象がありました。
 ドーピングは97年からということで、それ以前の成績は問題ないわけですが、東京大会から10年以上も頑張っていた最後の部分が、汚れていたわけです。なぜそう感じるのかは自分でもわかりませんが、世界新を出した選手のドーピング以上に残念に感じました。単にこちらの思い入れ、接点の有無の違いなのでしょうけど。


ここが最新です
◆2008年6月5日(木)
 陸マガ7月号の日本選手権展望記事を書き始めました。全部で38種目。1種目何分(何時間)かかるから……と計算すると気が滅入るので、今日は最低でも男子トラックだけは進める、という考え方をするようにします。でも、本当は1種目何分で、と区切った方がいいんでしょうかね。そうしないと、面白い種目は何時間でも時間をかけてしまいそうで。
 基本的なデータは決まってはいるんです。今季の主要大会の結果と、主な選手の実績、過去何年間かの日本選手権の成績(レベルとか、主要選手の勝ち負け等)等々。それらをどう分析するか。

 さっそく面白いことに気づきました。ゴールデンゲームズinのべおかの1500mで渡辺和也選手と小林史和選手の2人が五輪B標準を突破しました(リザルト)。渡辺選手が勝ったことと、標準記録を突破したことの2点に目が行っていて、国内日本人最高記録であることに気づきませんでした。従来の記録は99年に佐藤清治選手が出した3分38秒49。やはりゴールデンゲームズでした。簡単にわかることなのに。
 ちなみに、男子の800 m以上の種目の日本記録はすべて海外で出た記録です。その点、女子は800 mと1500mが国内で生まれています。この違いの意味するところは……断定することなどできないのですが、女子800 mは杉森美保選手が1人でも記録を出せるタイプだったということでしょう。1500mは日本新を出すのにちょうど良いペースメイクをする外国人選手が来日してくれた。2つしか例がないのですから、その2つで記録が出た理由を説明して終わりです。中距離界云々と、全体の傾向として分析するのはどうでしょう。しかるべきポジションの人間に取材ができたら書きたいと思います。

 ちょっと国内日本人最高ネタが長くなりすぎました。それよりも、史上初めて3分38秒台を2選手が同一レースで走ったことの方が、マニアックで面白いネタかもしれません。2選手の3分40秒突破ということなら、過去に2つの例がありました。前述の佐藤清治選手と同じ99年ゴールデンゲームズで柴田清成選手が3分39秒45で走っています。もう1回は2003年のナイトオブアスレティックで、小林選手と辻隼選手が3分39秒台を出したことがありました。
 ここまでは、集計号を見れば誰でもわかることですけど、そこから何に気づくかで、より面白いネタになります。
 2選手が3分40秒を切った3例は、5人の選手の6パフォーマンスによって構成されます。そのなかで、小林選手だけが2回出しているのです。それと、他の4人はそれが自己記録であるのに対し、小林選手は2つとも自己記録ではありません。これが意味するところは書くまでもないでしょう。3分40秒突破回数を見てもわかることですけど。

 ということを1つの種目で考えたり、データをひっくり返して調べていたら、時間はどんどん過ぎていきます。陸マガ7月号の日本選手権展望記事は本当に掲載できるのか?

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