続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年3月  臙脂のバラ

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◆2008年2月13日(水)
 13:30から陸連のU23男子長距離研修会の取材。昨日の横浜国際女子駅伝記者発表会に続いて、ビジネスにはなりませんが、インプットができる格好の場です。勇んで駆けつけました。場所は、選手たちがブログなどで昨今話題にしているナショナル・トレーニングセンター。もちろん、寺田も初めて行きました。それで入り口がわからず、結局JISSと同じ入り口から敷地に入りました。それが5分ほど遅刻した理由ですが、新幹線が遅れたため選手たちの到着が遅れ、開始が30分ほどずれ込んだため事なきを得ました(「そんなことでいいいのか」by 堀川記者)。

 会議室でのオリエンテーションに続いて行われたのは、原田康弘ジュニア部長によるクリニック。内容はクレーマージャパンの陸上競技教室などでお馴染みのものですが、長距離選手たちには新鮮だったのかもしれません。河野匡部長によれば、長距離選手のなかでは巧みにこなせた選手が多かったと言います。
 場所は寒さを考慮して、屋外のトラックから急きょ、JISSの室内トラックに変更になりました。記者たちは取材IDを変更。陸連広報のH田さんも大変そう。ナショナル・トレセンとJISSは同じ敷地にあり、てっきり同じだと思っていたのですが、H記者によれば経営母体が違うということでした。違いの具体的な内容は書きませんが。
 それよりも、H田広報はかなり忙しいのでは? とH記者と寺田が話していました。千葉国際クロスカントリーに始まって昨日の横浜国際女子駅伝記者発表、今日のU23公開練習、そして明後日の東京マラソン記者会見と今週は陸連関係のイベントが続きます。その都度、資料も用意しないといけませんし、関係者との調整事項も山のようにあるはず。精神的にタフでないと務まらないポジションでしょう。

 退任が決まった田幸寛史監督の姿も。原田さんのクリニックに興味があると言っていました。
 その田幸監督に対して、“人気の箱根、実力の全日本”というコピーはどうか、と話しかけた記者がいました。ずいぶん以前ですが、プロ野球では“人気のセ、実力のパ”と言われていましたから、それを文字ったものでしょう。中大が全日本大学駅伝3位だったことから、その記者なりに慰めの意味を込めた言葉だと思われます。
 いわんとするところはわかります。箱根駅伝が痙攣やブレーキなどのアクシデント的な現象や、競技以外の部分(風邪や人気過剰によるプレッシャー)に左右される割合が大きいのは確か。距離が4区を除いて全区間20km以上というのも、学生には大変なのでしょう。その点、全日本大学駅伝は距離も学生向きで、風邪も心配のない季節ですし、プレッシャーも箱根ほどではありません。
 ただ、現場は箱根駅伝を最大目標にして取り組んでいます。その試合で力を発揮できなかったらやはり、実力と言われても仕方がない。風邪やプレッシャーで力を出し切れないのも、実力と言えなくもない。“人気の箱根、実力の全日本”というコピーに田幸監督も同意できる道理はありません。
 寺田は“箱根は箱根、全日本は全日本”という考えです。


◆2008年3月7日(金)
 やっと日記を書くことができました。
 陸マガ発売で書きたいネタがあって(表紙のこととか)、東京マラソンで書きたいネタがあって(諏訪利成選手のこととか)、横浜国際女子駅伝のネタも面白くて(2週連続でマランツ記者のこととか)、もちろんびわ湖畔もネタの宝庫で……。どれも手をつけることができないうちに、時間だけがどんどん過ぎてしまったわけです。どこかのタイミングであきらめるのが得策とわかってはいても、面白いネタばかりなのであきらめきれなくて。
 でも、この辺がリミットでしょう。

 各大会のネタは機会があったら思い出して書くとして、とにかく今日の出来事から。
 朝9:26ののぞみに乗って大阪に。大崎悟史選手の取材です。これは専門誌とか一般誌ではなく、ちょっと特殊なメディア用です。そのメディア用の質問もありましたが、話の中心はやっぱり……これは企業秘密としておきます。でも、本当に面白い話を聞けました。マラソン・トレーニングにはこういうパターンもあるのだとわかって、自分の引き出しが増えた感じです。
 取材をしたのは長居競技場というか、長居駅の近くの喫茶店(ちょっと昭和の雰囲気)。寺田はそのまま居残って某雑誌用の野口みずき選手の原稿書き。この雑誌の仕事が全部で22ページあって(野口選手&佐藤敦之選手の人物ものと、コニカミノルタ&中国電力のトレーニングもの)、先月からかなりのエネルギーを注いで頑張っています。
 今日はその最後の原稿の締切。といっても後送の、そのまた後送の後送という、ギリギリのラインです。担当編集者には迷惑をかけてしまいました。以前の知り合いなのですが、初めて一緒に仕事をした人間。まずかったと、深く反省しています。

 原稿は大崎選手の取材終了後、15時くらいまでに終わらせる予定で、一応最後まで書き上げたのですが、行数がオーバー。削除する作業を新大阪に移動する地下鉄車中でやったら、今度は削りすぎてしまい、新幹線の車中でちょっとずつ増やしていったらまたオーバーしてしまい、結局、名古屋に着くまで行数調整にかかってしまいました。先割にして締め切りを先延ばしにしてもらったので、指定された行数ピッタリに書かないといけないのです。
 名古屋駅で送信し、なにはともあれ、大きな仕事が手を離れて、ちょっとホッとしました。

 いったんホテルにチェックインし、すぐに名古屋国際女子マラソン大会本部ホテルの名古屋観光ホテルに。18:30から某社の方たちと打ち合わせ。30分で2人の方と話をして、面白い話を聞くことができました。取材で話を聞いたときと同じような表現をしていますが、取材ではなく、打ち合わせです。
 19:00に終了後は、ホテルのロビーでネタの収集をしている記者の皆さんと合流。その一団に加わり、練習から戻ってきた高橋尚子選手のコメント……をとるわけはありません。ホテル取材は禁止です。記者団と高橋選手の雑談を一緒に聞いていただけです。
 その後もホテルのロビーで原稿書き。中日スポーツ・寺西記者(連載の「号砲・北京」が好評)が姿を現しました。カブスの福留選手(シャミ選手と若干顔が似ているという評判)がホームランを打ったのに、元気がいまいちありません。きっと多忙なのでしょう。黒系統のスーツしか着ないことで有名なですが、明日の記者会見には赤のスーツで登場するという情報もあります。
 さらに、トヨタ車体・高橋監督も姿を見せて、中日新聞・桑原記者、田中記者も加わってしばし談笑。大南姉妹の見分け方を色々と教えてもらいましたが、一番わかりやすそうだと感じたのは腕振りの違いです。30歳台の選手たちが多数頑張っていて、その下の年齢層が薄い理由についての同監督の見解には、なるほどと思いました。


◆2008年3月8日(土)
 名古屋国際女子マラソン前日取材。といっても、ホテルでの選手への取材は禁止なので、15時からの記者会見(こちらに記事)と指導者から簡単なコメント取りくらいしか、やることはありません。
 ただ、選手への取材は禁止でも、遠くから表情をチェックすることくらいはできます。これが重要です。特に寺田のように、表情で記事を書くタイプの記者にとっては生命線。レースが終わって、優勝した選手は“前日から表情がリラックスしていた”とか、“肌の張りが良かった”とか書くわけです。反対に失速した選手は“前日の表情が硬かった”とか。
 ということで、11:30に大会本部ホテルに(新聞記者の方たちは朝の6時から朝練習の選手表情を取材に行っているようですが、寺田はそこまではできません)。各選手が練習に行く前後の表情をチェック。坂本直子選手は以前よりも目が大きくなったように感じました。マスクをしていたからかもしれません(花粉症だそうです)。

 しまむらの吉田監督には、大島めぐみ選手の練習がどうだったかを取材。いいときの「8割」というお話ですが、「タイム的には良い」とのこと。ポイント練習の間を以前よりも開ける必要が生じているようです。ただ、長いスパンで見たとき、故障の多い同選手が、継続してトレーニングを続けられているとのこと。来るかもしれないな、と感じました。川越監督もブログで自チームの3人以外では、大島選手と堀江知佳選手の名前を挙げています。
 ロビーで吉田監督と話をしていると大島選手も降りてきました。もちろん話はせずに、表情を見ただけ。相変わらず顔が白いなあ(美白ってやつですか)、と思いました。1つだけ、同選手のブログへのリンクの了解をもらいました。これは、雑談の範囲でしょう。

 川越監督とは、市民ランナーの雄・翔ひろ子さん(佐倉市陸協)について話をしていました。こちらのデータで40回のフルマラソン出場が確認できていたのです。東京女子・大阪女子・名古屋女子の3大マラソンは言うに及ばず、東京女子の翌週のつくばとか、名古屋女子翌週の荒川市民とか、2月の勝田とか、短いインターバルで出場されています。記録も2時間40分台でだいたいまとめていて、実業団ランナーにとっては嫌な存在の市民ランナーでしょう。
 吉田香織選手が佐倉にいたころ(積水化学時代)に面識があったようで、翔さんが近くを通りかかった際に話しかけていたので、便乗してちょっと挨拶をさせてもらいました。もちろん、取材はNGなので、挨拶ついでのマラソン回数確認だけ。「60回か、70回か、80回くらい」ということです。世の中、すごい人がいるものです。「123」のナンバーの選手に注目してみると面白いかも。

 昼食は中国新聞・山本記者と一緒に、外に食べに出ました。昼食から戻ってくるセカンドウィンドAC勢とすれ違ったので、何を食べたか堂々と取材。「麺が硬い」と嶋原清子選手か加納由理選手か吉田香織選手が教えてくれましたが、山本記者がどうしてもと言うので、同じ店で味噌煮込みうどんを食べることに。
 店には十八銀行・林選手と高木監督もいらっしゃいました。林選手のマラソン回数を確認。寺田のようにデータで記事を書くタイプの記者には、これが重要なこと。マラソン前に大会ホテルに来る目的の一番は、マラソン出場回数などデータ部分を確認することです(さっきと違うことを書いている気もしますが、細かいことは気にしないように)。夜、九電工・浦川監督とすれ違った際には、西尾選手のマラソン回数を確認。こうした地道な作業の積み重ねで、陸マガやWEB上にマラソン回数一覧を出せるのです。

 我々と入れ違いに第一生命・尾崎好美選手と山下佐知子監督が入ってきました。山下監督には結婚のお祝いを申し上げました。本当は結婚までの経緯を色々とお聞きしたかったのですが、尾崎選手の前なので控えることに。お相手の吉原氏(第一生命元マネ)とも面識があります。携帯電話の番号が変わっていないようなので、折を見て電話を入れます。
 吉原氏は山梨学大出身で大崎悟史選手の1学年下。日清食品・岡村マネは坂下奈穂美選手と結婚しましたし、大塚製薬・尾池政利選手は田村育子選手と。小崎まり選手のお相手も山梨学大OB。どうして山梨学大OBがもてるのか、という話を昨日、大崎選手としたばかりでした。
 尾崎選手はご存じのようにセカンドウィンドACの尾崎朱美選手の妹。明日出場の選手では、トヨタ車体・大南敬美選手、資生堂・平田選手と“妹”選手が多いのも特徴です。

 15時からは記者会見(写真)。ここでもコメントはどうでもよくて、表情を見ることに重点を置きます。これは日本のマラソン取材の常識……かどうか、金重デスク(朝日新聞)に今度聞いておきます。
 注目の高橋尚子選手(写真)ですが、マラソン・トレーニングのなんたるかを端的に語ってくれました。練習が正しかったかどうかは「結果が出るまでわからない」。予想をよく聞かれますが、勝つか負けるか2つに1つ。勝つ可能性は50%、と答えることにしています。事前にどうこういうよりも、本人が言うように見る方もワクワクドキドキして見守りましょう。ただ、期待があるかどうかといえば、期待はあります。今の力はわかりませんが、何年前でも、誰も成し遂げられなかったことをやってのけた選手ですから。
 表情が良かったのは坂本選手(写真)。会見場は言ってみれば表舞台ですが、裏舞台で坂本選手を見た某関係者も、非常にリラックスした雰囲気だったと言います。
 表情といえば、会見には呼ばれませんでしたが、嶋原選手と吉田選手のセカンドウィンドAC勢も、本当にいい笑顔でした。ただ、それっていつものことなのです。表情で調子の良し悪しって、本当にわかるのでしょうか。
 そういえば吉田選手は、ミズノの鈴木さんと明日のフィニッシュ後のことを打ち合わせていました。北海道マラソンで優勝したとき、川越監督よりも先に鈴木さんが握手をしたことが話題になりました。明日はどうするのか知りませんが、そのシーンがあれば写真に撮りたいと思います。

 レース前日は必ず、予想を聞かれます。高橋選手はもっちろん別格の実績で、他に今日名前が出たのは坂本選手と大島選手、堀江知佳選手(小出監督の話を聞き損なったのが失敗でした)、会見で良い練習ができたと話したのは弘山選手と大南選手。大南選手は、本人も言っているように、転倒しなければ可能性は50%。ただ、会見のコメントはレース予想にはそれほど当てになりません(会見は予想の材料としてではなく、レース前に選手が話すことに意味があるのです)。
 個人的には、弘山選手がトラックから駅伝、そして丸亀ハーフマラソンと良い感じで状態を上げてきているような気がします。会見のコメントは予想材料にならないと書いたばかりであれですが、練習を今回はそれほど変更しなかった、とも話しています。それに、“オリンピックを目指さないといけない”という日本選手にありがちな義務感でなく、自然な流れで、気持ちがオリンピックを目指そうとなった選手。
 弘山選手が代表になったら女子マラソン代表全員が30歳台だよ、と問題視する記者もいますが、寺田は気になりません。それとこれとは別問題でしょう。

 記事を書いてホテルを出ると、某監督とお会いしました。昆明に行っていた指導者たちの話を総合すると「ベテランと若手」がいいそうです。ベテランは弘山選手、若手は天満屋・中村友梨香選手のことのようです。今回は初マラソン選手も忘れてはいけません。


◆2008年3月9日(日)
 朝から波乱含みの一日でした。
 栄駅から地下鉄の名城線に乗って1本で新瑞橋(または瑞穂運動場東)まで行くはずでした。ところが、車内で資料に目を通すことに夢中になっていると、「名古屋港、終点です」のアナウンス。びっくりして飛び降りましたが、状況が把握できません。ホームにある路線図を見てやっと理解できました。名城線というのは東京の山手線や大阪の環状線と同じように、グルッと回っている路線だとばかり思ったら、電車によっては金山駅から名港線に入るんですね。こちらの路線図を見ていただけるとわかると思いますが、これって間違いやすいと思いません?
 中日スポーツ・寺西記者も「瑞穂に来るときは地下鉄の乗り換えに気をつけてください」と教えてくれませんでしたし。とまったく根拠のない責任転嫁をするのは、寺西記者の名前を出すと愛知県陸上関係者に受けるらしいので。そういえば、昨日の記者会見も、今日のレース取材も赤いスーツを着ていませんでした。レース後のくそ忙しいタイミングで「話が違うじゃないか」と詰め寄ると、「○○○は赤ですよ」と強弁。○○○はちょっと書けないので、知りたい方は同記者に直接おたずねください。

 しかし、転んでもタダでは起きません。名港線を金山まで戻って乗り換える際、某実業団のコーチ2人と偶然合ったチャンスを逃さず、きっちりとネタを仕入れました。この辺は信岡沙希重選手なみに“日頃の行い”が良いからでしょう。
 なんとかスタート30分以上前には着き、加藤ライターが席を確保していてくれたこともあり、ことなきを得ました。
 名古屋のレース取材は4年ぶり(例年は前日の会見を取材して、その日のうちに山口に移動して日曜日は全日本実業団ハーフを取材。帰りに名古屋に立ち寄って女子マラソンのパーティーに顔を出すパターン)ですが、今回はカメラマンをやる必要もあって、同様にカメラもこなさないといけない中国新聞・山本記者と一緒に、3〜4kmの間にある新瑞橋の交差点に移動。
 1人で何役もこなさないといけないのは、以前にも書きましたが、地方紙記者と共通しています。その地点で撮影するカメラマンが2人だけだったので、道路整備をしている愛知陸協役員の方にお願いして、役員の方の近くの後方で撮影ができることに(人数が少なければ、だいたいのロードレースはこの方法が認められます)。

 撮影していてもスローペースとわかるくらいの、横に広がった大集団。2回撮影をして競技場に戻り、用事を足してプレステントに戻ると「大変なことが起こっています」というTVアナウンサーの実況が耳に。高橋尚子選手(関連書籍)が遅れています。「優勝を狙う」と話した選手が10km手前で遅れるというのは、アクシデントしか考えられませんが、どこかが痛いという感じには見えません。どちらかというと、スタミナ切れ系の遅れ方のように見えました。
 レース後の会見では昨年8月1日にヒザを手術したことを明かしました。手術という言葉はインパクトがあります。誰しも「そうだったのか」と納得します。会見では当然、手術に関する部分に質問が集中します。寺田も優勝者(日本人1位)と高橋選手が陸マガの担当なので、一言一句聞き逃すまいと集中していました。

 しかし、会見が終わってホテルのパーティー取材のために移動している間に、どこか腑に落ちない感じがして、ホテルでなんとか接触できないかな、と考えていました。高橋選手は主催テレビの取材やファイテン報告会への出席などで、パーティーには出なかったようです。ようです、と書いたのは例年と違い、パーティーの取材が頭の数分間に制限されたためです。これもQちゃん効果。
 僅かなパーティー取材で、弘山晴美選手と吉田香織選手はマメができたことが判明しました。もう少し、中村友梨香選手や武冨監督と接触できたらよかったのですが。なんと言っても、天満屋のすごさは何なのだろうとというところを解き明かしたいのですが、これはパーティー会場でちょっと話を聞いたくらいではわからなかったでしょう。
 確かに、日々の積み重ねで、天満屋がやっていることはいくつか記事になっています。でも、調整の上手さという点もすごいのではないか、と最近思っています。その辺を機会があれば、と思っているのですが。
 嶋原清子選手とは、オリンピック偏重の日本のマラソン界というか、マラソンを取り巻く価値観はいかがなものか、という話をしました。高橋選手も、その辺で違った選択もできたのではないか、という気持ちが個人的にはあります。

 その間に、途中でトイレに駆け込んだ、という情報がもたらされました。それを聞いた瞬間、直接的な原因はそっちだったのではないか、と感じました。この辺は根拠があっての判断というよりも、勘に近かったと思います。夜のテレビには映像も流れたとか。陸マガ編集部に電話を入れて、テレビでひざの手術以外の原因と報じていないか確認。そこまで詳細な情報はありませんでした。
 ここは、きっちりと本人に確認しないと記事が書けません……今回は一問一答形式という依頼なので、書けないことはないのですが、取材をしていて気持ちが悪いので、できれば確認したかったのです。

 夜はずっと、ロビーで接触できる機会を待ちました。まあ、原稿を書きながらなので、自分のホテルに戻って書くか、本部ホテルのロビーで書くかの違い。ちょっと(かなり?)パフォーマンスは落ちますが粘りました。その間、小出義雄監督やファイテンの平田社長のお話しを聞くことができましたが、こちらの疑問は解決しません。
 23時まで粘って引き揚げました(K通信T村記者が寺田より後まで残っていました)。自分のホテルに帰ると主催テレビ局のニュースで、トイレに駆け込んだ映像が流れていますが、それが失速の原因だったという報じ方はしていません。テレビ局も裏がとれていないので、安易に決めつけられないのでしょう。「まあ、言いたくない類のことだから」と思って、中村選手の原稿に集中しました。明日の朝9:00が締め切り。


◆2008年3月10日(月)
「女を見せろ!」
 と言ったかどうか正確には覚えていませんが、「男を見せろ!」という言葉と同じニュアンスで、某選手に声をかけました。男女差別的な言葉かもしれませんが、いわんとするところはご理解いただけることと思います(“それはやばいでしょうメール”が来たら削除します)。

 今日は朝の7:00から中村友梨香選手の一夜明けカコミ取材。
 その後は、選手や指導者たちが出発するのを見送り取材。それほど話ができるわけではありませんが、こういった機会のちょっとした情報の蓄積が、今後に生きてきます。
 といって張り切りすぎると、際限がなくなってしまいます。どの部分に時間を割くか、バランスが大事ですね。でも、わき目もふらずに突き進む情熱も、どこかの時期には必要だとは思います。ずっとバランス良く生きている人もいるのかもしれませんが、そういう人はちょっとね、と思います。
 選手も同じでは? どこまでやったらケガをするか、やってみないとわからない部分もあります。競技生活でずっと故障をしないトップ選手って、見たことがありません。
 今日も、どのタイミングで引き揚げて原稿を書くか、が問題でした。

 その間に、昨日は外国勢がまったく上位に入っていないことに気づきました。最高順位がなんと、ワシレフスカヤ選手の47位!! 例年、外国選手の顔ぶれが落ちる傾向はありますが(4月の賞金マラソンと時期的に近いためと推測されます。びわ湖は良い選手が出たじゃないか、という指摘もありますが、そこは男女の選手層の違いかも。この件、確かなことは言えません)。それでも、10位以内に外国選手が入らなかったのは、2001年以来のこと。その2001年も、11位には入っているのです。
 名古屋が42.195kmになった5回大会(1984年。それ以前は20km)以降の記録は持っていたので調べたら、01年の11位が最低順位。今回の47位はもしかすると、東京・大阪を含めた女子の3大マラソンで最低順位かもしれません。わざわざ調べませんけど(日本選手の最高順位が最低記録だったら、問題なので調べますが)。

 その辺で何か情報がないかと思って、通訳のT中さんに話を聞くと、外国勢にもマメをつくった選手が何人かいたとか。日本選手に多かったことは、昨日のパーティーで聞いたばかり。スローペースで接地が微妙に狂うのでしょうか。練習ではゆっくり走っているはず、と考えがちですが、どうも、試合のスローペースは違うようです。気温もマメの原因になりやすい要素。それほど気にならなかった、と話した選手もいましたが、どうだったのでしょうか。
 あと、名古屋の路面は小さなデコボコがかなり多いのだそうです。そこでズルッとやってしまう。ただ、それは全員が同じ条件。外国勢がここまで悪かったのは……よくわかりませんが、力的に今回のメンバーは厳しかったのでしょう。持ちタイムなどから判断しても。

 さて、冒頭で言及したエピソードです。9時頃だったでしょうか。天満屋勢がロビーに降りてきて、ホテルをチェックアウトしたときのことです。坂本直子選手に、後輩の中村友梨香選手とツーショット写真を撮らせてほしいとお願いをしました。坂本選手は昨日10位。30km手前では勝負を懸けたスパートもしましたが、力及ばず五輪2大会連続代表は実現しませんでした。レース後は涙も見せたと聞いています。
 その一方で、高校(県西宮高)の後輩でもある中村選手が、代表入りの可能性が高い状況でした。その気持ちを考えると躊躇もしますが、なんていうのでしょうか、仕事としてですが、こちらも普通に接する方が良いと思いました。腫れ物に触るような態度は良くないと、なぜか思っているのです。
 ということで、次のようなやりとりに。
寺田「中村さんと一緒の写真をお願いししたいんだけど。ダメ?」
坂本選手「イヤですよぉ」
寺田「心の広いところを見せて、なんとか」
坂本選手「私、広くなんかないですから」
寺田「同じ高校から2人のオリンピック選手を出すのは、女子マラソンでは史上初めてなんですから」

 たぶん「女を見せろ」とは、言っていないですね。でも、言いたかったのは、そういうことです。

 会話を文字にしただけでは上手く伝わらないと思いますが、坂本選手もピリピリしていたわけではありません。たぶんに冗談モードだったと思います。その証拠に、この表情で写真に収まってくれました。今日の代表発表後、天満屋の会見に坂本選手は同席しなかったので、発表数時間前とはいえ、これは歴史的な写真です。他のカメラマンは撮っていなかったような気がします。陸マガに売り込みましたが、誌面のレイアウト上の理由か何かで掲載できませんでした。神戸新聞に売り込めばよかったと、ちょっと後悔しています。

 その後、チームQのマネージメント担当の安野仁さんがロビーに降りて来て、「昨日のレースの失速の原因は、報道されているようなヒザの手術が原因ではなく……」と話し始めました。やはり、直接的には体調不良が原因なのだそうです。
 昨日のアップ中にふくらはぎに違和感があり、集団から遅れたところは体がなぜか動かなくなった。考えられるのはヒザの手術の影響よりも、昆明で下痢をして、カリウムなどのミネラルが失われていたこと。そうなると、体は動かなくなる。その体調不良の流れで、レース終盤にトイレに駆け込むことになったのではないか、という話でした。
 ヒザの故障に関しては、しっかりと克服してきたと言いたかったのだと思います。

 ただ、これは記者たちにも言い分があるところ。陸マガに会見時の一問一答を出しましたが、
――スローペースだったのに対応できなかったのは、ハプニングがあったと言われていたことと関係があったと推測できますが、思い当たるところは?
高橋 思い当たるところとしては、実は昨年の8月(1日)に、右ヒザの半月板の手術をしました。今流行のと言ったらおかしいですが、金本(知憲)選手や松井(秀樹)選手の手術と同じようです。名古屋まで7カ月という時点でメスを入れることに躊躇はありました。名古屋で100%出せるのかな、無理かなと不安もありましたが、ここに挑戦するためにも、手術をすることを決めました。ベッドの上、そして松葉杖、そして歩くことからスタートして、1日70kmのマラソン練習ができ始めたのは、今年に入ってから。長い距離はできますが、どうしてもスピードは行けなかったり。1週間できても、次の1週間はできなかったり。それでもあきらめずにこの試合に臨みたかったのは……

 というやりとりがありました。
 昨日の日記にも書いたように、“手術”という言葉にはインパクトがありすぎます。報道の仕方もそこが中心になってしまい、見出しも“手術”という文字が大きくなります。
 ただ、主催の中日新聞などいくつかの新聞は、映像でトイレに立ち寄った情報をつかみ、ヒザの手術と体調不良の2つが原因、という論調で書いていました。
 昨晩の寺田がそうだったように、直接チームQ関係者に接触することはできませんでしたから、映像の情報をつかめなかった社は、体調不良を失速の原因とは書けなかったと思います。誰が悪いということではなくて。

 高橋選手本人のコメントも欲しいところですが、もう限界だったので、9:20頃に自分のホテルに戻って原稿書きに。14:00に高橋選手(200行)の締め切り(高橋選手がロビーに降りて来たのは14時頃だったとのこと)。元々、一問一答形式の予定でしたし、三人称で全体を構成して書いている時間はないので、昨日の会見をメインに、安野さんの今朝のコメントを付け加えて、経緯がわかるようにしました。昨晩取材したファイテンの平田社長のコメントも、当事者の状況が伝わると思ったので、そのまま出すことに。ホテルの延長使用が13時までで、12:30には書き上げて送信(昨晩のうちに少し書き進んでいました)。

 残りは優勝者中心のレース経過で90行。15時からの、陸連の代表発表(国立競技場)に行くのはあきらめました。新幹線(こだま)のなかで仕上げたかったのですが、さすがに疲れと睡魔で集中し切れませんでした。3日間くらい寝不足だったので。
 新宿の作業部屋に着いたのが17:20くらい。18:00の締め切りに15分ほど遅れましたが、なんとかしてくれたようです。いつものことですが、編集部に感謝。
 記事は陸上競技マガジン4月号で。



◆2008年3月11日(火)
 昨日のマラソン五輪代表発表で一区切りという気持ちが若干働いてしまい、今日はエンジンの掛かりが悪かったですね。フリーになってからは、陸マガ時代と違って区切りは存在しません。陸上界だって区切りなんて存在しない……のですが、個々の立場になってみれば、区切りを設定して気持ちや体をリフレッシュさせることは必要かもしれません。

 区切りといえば、今日は吉原智司さん(元第一生命マネ)と山下佐知子監督の結婚式。8日の日記に「折を見て吉原さんに電話を入れます」と書きましたが、式前は忙しいだろうから無理かな、と思っていたのにもかかわらず、昨日、電話を入れてしまいました。自分でも信じられない大胆な行動ですが、そこまでしたのには理由があります。
 吉原さんは山梨学大OB。OB2人がマラソン代表に同時に選出されたことについて、山梨学大・上田誠仁監督に取材をお願いしたところ、2人の結婚式の前に会場の近くで受けてもらえることになったのです。それで、会場の場所を吉原さんに教えてもらうために電話を入れた次第です。さすがに前日の晩に長話はできないので、用件だけでささっと電話を切り上げました。詳細はいずれ、聞かせてもらうチャンスもあるでしょう。

 上田監督との約束は16時でしたが、適当な取材場所を見つけるため15時過ぎには表参道に。とりあえず、会場のイタリアン・レストランまで行ってみました。かなりお洒落なというか、瀟洒なといいますか、この2つの意味の違いもよく知らないのですけど、とにかく良い雰囲気のお店でした。外からしか見ていませんが。
 入り口には「WELCOME TO OUR WEDDING PARTY Satoshi & Sachiko」の文字が。本当にお洒落な感じのデコレーションで、日本の女子長距離界の一翼を担う指導者と、それを支えていたスタッフの結婚式というよりも、ドラマに出てきそうなカップルの結婚式という雰囲気です。会場に陸上競技らしさが出る結婚式というのも、イメージできませんが。

 周囲で取材ができそうなカフェを探しました。隣のカフェをのぞいてみるとちょっと手狭そう。おばさんが「何人ですか?」と聞いてくるので、「45分後に待ち合わせなんですが」と言うと「45分はだめですね」と拒絶されてしまいました。青山のカフェでは待ち時間を言わない方が良い、ということを学びました。神戸とか舞子ではどうなんでしょう?(唐突に舞子という地名を出す理由は……いずれわかるでしょう)
 しかし、駅から来る道すがら、もう1つ、目をつけていたカフェがありました。もどって2階にある店内をのぞかせてもらうと、これがグッドな店です。白の色調で統一され、キッチンがオープン形式で小洒落ています。壁はヨーロッパの街並みをパステル調のモノトーンで描いた絵です。フロアが広めで、隣のテーブルとの距離もそこそこあって、話がしやすそう。
 テラスもあって、待つ間はそこで原稿書き。こういうときに白いモバイルパソコンが似合います。陸上関係者が通ったらわかるかな、などと思っていましたが、原稿を書いていたせいか気がつきませんでした。30分以上いるとさすがにちょっと肌寒く感じてきたので、上田監督がいらしてからは、席を室内に移動させてもらって取材を開始。尾方&大崎両選手について、面白い見方を聞くことができました。

 上田監督の取材終了後は、後楽園ホテルに移動してコニカミノルタのニューイヤー駅伝優勝報告会に出席しました。1月15日にも優勝報告会が同じホテルで開催されましたが、そちらはビジネス上の取引先を招待してのパーティー。今回はおもに、陸上競技関係者を招いてのもの。陸連や実業団幹部をはじめ、メーカー、大学の指導者、メディアの人間など、知った顔ばかり。選手たちもビールを持って各テーブル(立食ですが)を回っていました。
 これだけ関係者が集まると色々な話ができましたが、一番のニュースは坪田智夫選手の結婚でした。2月8日に入籍したそうです(挙式はもう少し先になるようですが)。特に伏せていたわけではなく、ニューイヤー駅伝の際も結婚について聞かれれば答えていたと言います。
 マスメディアも毎回毎回、プライベートネタを質問するわけではないということですね。おかげで、この記述が本邦初公開。俗にいうスクープというやつ。陸上競技担当に復帰して早々に、小幡佳代子選手と山下監督の結婚ネタを“抜いた”日刊スポーツ・佐々木一郎記者が、口元を微妙にゆがめて悔しがっている姿が目に浮かびます。

 お相手は樋口真弓さん。十日町高(新潟)→東農短大→パナソニックモバイル(現パナソニック)で長距離をやっていた方で、学年でいうと坪田選手の2つ下だそうです。十日町高ということで「小林雅幸さんの後輩です」と坪田選手が言えば、一緒にいたミズノの鈴木さんが「うちの田川(茂・走幅跳8mジャンパー)の後輩じゃないですか」という反応。さすが、トラック&フィールドのミズノです。
 十日町高ということで「プロポーズしてから10日待ちましたよ」と、坪田選手が言ったら面白かったのですが、残念ながらそういう事実はありませんでした。


◆2008年3月12日(水)
 朝の9時前に成田空港に。世界室内遠征メンバーの帰国取材です。
 メンバーを種目順に名前を挙げると大橋祐二、内藤真人、醍醐直幸、澤野大地、池田久美子の5選手。大橋選手をのぞく4人は同学年です。誰から順番に取材をするか迷いましたが、時間がどのくらいとれるかわからないので、まずは室内日本新を出した内藤選手から。
 今年初のトラック&フィールド選手の取材(丸亀ハーフマラソンで中野真実選手に会いましたけど)でもあるので、「あけましておめでとう」と言いたかったのですが、さすがに我慢して「室内日本新おめでとう」で取材を始めました。
 けど、「おめでとうでいいんだよね」という確認も。ときどき、この程度の記録は出てもうれしくない、という反応の選手もいますし、内藤選手の場合は“決勝に進めなかった”という側面もあるので、その辺に気づかいをしながら取材を進めようとしたわけです。
 内藤選手の取材はたぶん10分くらい。他の記者たちとの共同取材なので、長時間はできません。「次はファミレスで1時間くらい取材するから」と言い残したのはもちろん、冗談ですが半分は本気です。13秒3台を出したあかつきには、実現させたいと思います。

 内藤選手に続いて澤野大地選手。記録も5m65とまずまずでしたし、手応えが良かったことは本人のブログなどで確認できています。続いて池田久美子選手、醍醐直幸選手。醍醐選手の順番になったのはたぶん、空港の外に出て30分以上経ってから。その間、テレビ朝日の取材を受けていたのですが、待っている時間も長かったと思います。ありがとうございました。
 同学年カルテットもパフォーマンスの良かった選手と悪かった選手に分かれました。技術的な課題の進行具合も違えば、シーズン用の状態への仕上げ方も異なるので、差が生じるのは当然です。これが北京五輪までにどうなっているか。
 1つ言えるのは、1年前のシーズン直前のように“絶対にこうしていく”というmustな考え方は聞かれなかったように思いました。1年前は取材している側も、それがmustな考え方という受け取り方はできませんでした。自分にも余裕がなかったのでしょう。

 醍醐選手と言えば、富士通は陸上競技部担当広報の伊藤さん(女性)に加えて、三代直樹選手の姿も成田空港にありました(写真)。そうです。選手ではなく広報デビュー(これもスクープ?)。110 mH日本人初の13秒台ハードラーの岩崎利彦さんも、広報初仕事が成田空港でした(98年アジア大会100 mで10秒00の日本記録を出した伊東浩司選手の帰国時)。
「長距離選手はスタッフに恵まれていたからあれだけど(あれって何だ)、広報だと大変だよ」と、社会人の先輩風を吹かせて偉そうに言ったのは寺田ですが、次から言わないように気をつけます。
 三代選手も座骨神経痛ではかなり苦労をしました。2〜3年前のマラソン研修会で、治療やリハビリ・トレーニングの様子を詳細に発表しているのを聞いて、この苦労が報われるといいな、と感じました。選手としては箱根駅伝2区区間賞、1万m27分台&01年世界選手権代表のあとは花を咲かせられませんでしたが、選手時代の苦労は他の分野にも絶対に役に立つはず。活躍をお祈りします。


◆2008年3月13日(木)
 昨日は成田空港取材の後、京成と都営地下鉄浅草線を乗り継いで大門に。M&K幹渉社長を訪問しました。幹社長は陸上界でも知る人ぞ知る存在。ナチュリルの取締役時代に陸上競技部を創設し、新会社のM&Kはサプリメントの開発・製造・販売とともに、陸上選手の受け皿役も果たそうとしています。
 受け皿といっても、これまでの実業団とはシステムが違います。実業団も会社によって陸上競技部を持つ理由は様々ですが、選手やスポーツ活動を支援するのが基本構造です。それに対してM&Kは、選手や競技をビジネスの一環に組み込むシステムを構築しようとしています。だから、小規模な会社でも選手を採用できることになる。もちろんビジネスですから、100%上手くいくとは限りませんが、これが成功したら素晴らしいことです。
 寺田は実業団システムは外国にはない、日本の素晴らしい制度だという認識です。是非とも維持したいシステムだと確信しています。特に長距離には有効で、有森裕子さんも高橋尚子選手も、そして野口みずき選手も、実業団制度がなかったら埋もれていた選手たちです。
 しかし、トラック&フィールド種目の選手は、実業団に採用されるのは年に数人(10数人?)というのが現状です。新しいシステムが模索されているところで、地域密着型の総合スポーツクラブなどがありました。現状の問題解決をビジネスとの融合という形で実現させようというのが幹社長です。

 それにしても、どうして幹社長個人にそこまでのシステム構築ができるのでしょうか。
 経営者としてのセンスはもちろんのこと、農学博士としての能力も大きく関わっていると思います(博士号は修士と違い、簡単に取れるものではありません。室伏広治選手も博士になりましたが)。幹社長はその分野でも、日本のトップレベルの存在。大学の客員教授や各企業の相談役も務めています。日本のサプリメント業界を、上手く陸上競技とつながりを持たせようとしています。
 寺田も実は数年前に、コネのあったさる超有名大企業のスポーツ関連部署部長に、「陸上部を持ちましょう。トラック&フィールドならすぐにオリンピック選手を出せますよ」と提案したことがありました。残念ながら相手にされませんでしたが、幹社長のやり方を聞いて、そういう方法もあるのか、と目から鱗が落ちました。
 教育界とのつながりを活用するプランもあるようです。統廃合が進むであろう大学のシステムの中で、将来的に陸上競技を生き残らせる(発展させる)案も用意されています。
 もちろん、ナチュリル創部前から築いてきた陸上界への人脈もあります。そういった自身のネットワークと経営センス、そして陸上競技の情熱が幹社長のなかで1つの有機体となって、M&Kのシステムになったのだと感じました。
 M&Kが成功すれば、日本の陸上競技に新たな道が開けることになります。


◆2008年3月14日(金)
 陸マガ4月号と記録集計号が同日発売。寺田が関係するようになってからは初めてのこと。どうしてそうしたのかは聞いていませんが、高橋編集長のやることで、理由がないことはありません。何らかの狙いがあるはずです。例えば、amazonで2冊一緒に買えば合計金額が1500円を軽くオーバーするので送料がタダになり、売れ行きが伸びる…かと考えたのですが、amazonでは集計号が買えないようです。書店で入手しにくい本の方がネットで売れるのに。
 その辺の話は脇に置きまして、4月号は名古屋国際女子マラソン優勝の中村友梨香選手が表紙です。会見後の写真になったのはおそらく、中村選手本人も一夜明け会見で気にしていたように、フィニッシュシーンの写真の迫力が今ひとつだったからでしょう。あるいは、ライバル誌と同じになるのを避けたかったのか。
 大阪国際女子マラソンを表紙にした3月号が福士加代子選手だったので、「今回は高橋尚子選手か?」という意見も聞きましたが、2回続けてそれはできないでしょう。大阪と名古屋では“違い”もあります。今回は、発売時には代表が決まっています。それが理由なのかどうか、確認したわけではありませんが。

 集計号は今回から大幅にリニューアル。従来の集計号のコンテンツに、5月号の付録だった選手名鑑が合体して、1冊でより“調べられる”“楽しめる”内容になりました。
 選手名鑑自体も大幅に変更されました。
 まずは人選です。従来は陸連の強化指定選手を載せていました。それだと100人前後の人数ですが、実際に取材などで使用していて「あの選手は載ってないの?」というケースも多々ありました。そこで、独自の選定基準を設定して、人数を158人と大幅に増やしました。
 以前にも書きましたが選定基準は以下の11項目です。
1)北京五輪A標準突破
2)北京五輪B標準突破
3)現役世界大会入賞者
4)現役日本記録保持者
5)07年世界大会メダル獲得
6)07年世界選手権代表
7)07年日本選手権優勝
8)07年日本リスト1位
9)07年に新記録樹立
10)07年にマラソンで活躍
11)07年にその他で活躍

 最初にリストアップしたときの基準に加える形にしたのは、3)4)10)11)です。主にこの1年間の試合出場が少なかった選手や、故障で低迷した選手が、他の基準では選べないのです。3)がないと高橋尚子選手や高岡寿成選手が漏れてしまいます。4)がないと谷川聡選手や花岡麻帆選手が入りません。10)はマラソンはやっぱり関心が高いので。
 そして最後の11)がミソで、この基準だと誰でも選べるのですが、主に駅伝で活躍した選手を選ぶための基準です。しかし駅伝の場合、ニューイヤー駅伝の主要区間だったら区間3位までとか、ニューイヤーのその他の区間だったら区間賞だけとか、箱根駅伝の2区は区間5位までとか、箱根のその他の区間は区間賞だけとか、明確に基準は設定できません。見ている側の受ける印象で決めるしかない。それで、“その他で活躍”という、極めて曖昧な基準になりました。
 だからといって、なんでもかんでも選べるものではありません。ページ数に限りがあったり、その他にも現実的な問題がありますから。いずれにしても、取材をしていて「こういう選手も載っていて欲しいな」という選手を選ぶための基準になりました。それが、陸上ファンの知りたい選手でもあると思ったので(これは寺田が)。

 高橋編集長のお手柄は、顔写真の横に上記の選定基準11項目を全てリストとして掲載し、その選手の該当項目を黒ベタ白抜きできっちりと示したこと。これは、見れば見るほど面白い。レベルの高い選手ほど黒ベタが多くなります。
 6項目に印が付いているのは
末續慎吾
松宮隆行
山崎勇喜
室伏広治
澤野大地
丹野麻美
久保倉里美
早狩実紀
川崎真裕美

 の9選手。わかりますよね。その種目で突出した存在という選手が多くなります。しかも、北京五輪の標準記録を破っていることも必要で、レベルも高い選手。選手層の薄い種目が多いのですが、そのなかで男子短距離の末續選手、長距離の松宮隆行選手が6個の項目を持つのは高く評価されます。
 山崎選手は誌面では5項目になっていますが、現役世界大会入賞者(05年世界選手権)の項目がチェック漏れ。川崎選手も5項目ですが、07年の日本選手権優勝者です。男女の20kmWは08年1月開催の日本選手権が、07年大会なのでミスをしやすいところです。

 5項目の選手は以下の7選手。
為末 大
岩水嘉孝
醍醐直幸
福士加代子
池田久美子
室伏由佳
中田有紀

 これも妥当な線ですが、為末選手は日本リスト1位を成迫健児選手に譲ったため、6項目になりませんでした。また、マラソンに関しては北京五輪標準記録があってないようなものなので、誌面ではチェックしていません。そこを厳密にチェックすれば、野口みずき選手も5項目になります。

 その他、気が付いたチェック漏れ項目は以下の通り。
高岡寿成:現役世界大会入賞者
渋井陽子:現役世界大会入賞者
土佐礼子:07年世界大会メダル獲得

 他にもあるかもしれないので、気がついた方はメールをくださいって、本来は編集部に送るものですけど、乗りかけた船ということで。ただ、メールをされる場合はよくよく調べてからにしてください。

 それと、長距離選手でマラソンを走ったことがある選手は、マラソン全成績が載せられています。▼主要大会成績の中の1項目になってしまっていますが、マラソンだけは全成績です。


◆2008年3月15日(土)
 フルマラソンチャレンジbook2(スキージャーナル)(表紙はセカンドウィンドAC吉田香織選手)の発売。自分が関係した雑誌が2日間で3冊、一気に出たのは珍しいことかも。
 掲載記事のページ(3年半ぶりに更新。もう少し紹介していかないと)で記事の前半部分を紹介しているように、野口みずき選手と佐藤敦之選手の記事を書きました。それぞれの五輪選考レースの結果を受けて、選手のここまでの足跡・成長を振り返るパターンです。ただ紹介しただけでは面白くないので、テーマを何か設定しようと考えました(当たり前?)。

 佐藤選手に対してこちらが考えたテーマは、「走るべきか、走らざるべきか」でした。「to be, or not to be」というハムレットの台詞のあれですね。ものすごく高いレベルの練習をする反面、蓄積疲労で走れなくなることもある。その課題に悩まされ続けてきたので、“悩める王子”ハムレットとイメージが重なるところがありました(王子のイメージがあると言っているわけではありません)。
 そのテーマを取材前に話したところ、佐藤選手が提案してくれたのが「スピードか、スタミナか」でした。これは福岡国際マラソン前後にも記事になったテーマです。まったく同じ内容だったら意味がありませんが、佐藤選手が言い出すからにはさらに、思うところがあるはずです。
 もちろん、こちらが持ち出したテーマに固執などありません。この点に気をつけないと、報道ではなく書き手が作るストーリーに近くなってしまいます。それで面白くなることもあって、勘違いするライターも多いのです。
 そのテーマでインタビューをして、完成した記事の前半部分がこちらです。福岡の前後で話してくれた「案外スピード派かもしれない」というコメントから発展して、成長過程の場面場面でスピード重視だったのか、スタミナ重視だったのかを紹介しています。結論としては……これはやっぱり、本を買ってもらわないと。

 野口みずき選手は日程が合わず(昆明&沖縄合宿)、取材をすることができなかったので、これまで取材させてもらったネタで書く了解をもらいました。野口選手の今を整理したい時期でもあり、持ちネタで上手く書けたかな、と思っています(こちらに記事の前半部分)。
 テーマは“連続金メダルを目指す野口”では、ありません。それも野口選手ですけど、寺田の中では本当の野口選手ではないからです。それを、東京国際女子マラソン優勝が、「金メダルや日本記録よりも嬉しいかも」と言った背景を紹介することで、説き(解き?)明かしました。
 掲載記事で紹介できなかった部分の見出しは以下の通り。
●“スタミナ切れ”の経験なし
●緊迫感に満ちた筋トレ風景
●野口を取り巻く人々
●メダルのためでなく、過程が楽しいから

 最初の2つはサンモリッツや東京国際女子マラソン後のインタビューで取材できている事実です。●野口を取り巻く人々 もしっかり取材をした部分ですが、藤田監督の“執念”とか、廣瀬コーチの“ツッコミ”とか、野口選手の“イジラレ役”などは、寺田が観察して持った印象です。金メダリストを“イジラレ役”と書くことに躊躇はしましたが(内藤真人選手のように自称ではありませんし)、いじっているのは世界で藤田監督と廣瀬コーチの2人だけですし、その部分も、野口選手の成長・強さを支えてきた重要な要素になっていると判断できたので、書かせていただきました。
 自分の印象や判断に基づいて記事を書く場合、観察者の知識・能力・センスが問われます。こうして記事に書いたからには、今回は自信があるということです。この記事では、一番のオリジナリティが出た部分ではないかと思っています。
 最後の●メダルのためでなく、過程が楽しいから は、冒頭で呈した疑問の回答編です。断片的な報道ではわからない部分なので、ここはキチッと書きたいと思っていたところです。

 この2つの記事はある意味、一般的な視点でもあります。油谷繁選手と坂口泰監督に取材をして書いた
中国電力のマラソン・トレーニング
油谷が語る“メニューのこなし方”と
坂口監督が語る“トレーニング観”

 と、コニカミノルタの坪田智夫選手と佐藤敏信ヘッドコーチに取材をして書いた
走るだけじゃない!
21世紀の駅伝王者
コニカミノルタのストレッチと
バランス&筋力トレーニング

 の2つの記事はトレーニングものですから、より専門性の高い内容です。ですけど、読む人によっては、油谷選手と坪田選手の人物ものとしても楽しめる内容です。
 ムック全体としてはサブ4を目指す市民ランナー向けの内容ですが、陸上競技ファンにとっても読み応えのある構成になっています。


◆2008年3月16日(日)
 全日本実業団ハーフマラソンの取材。開催が今年から名古屋国際女子マラソンと1週間ずれてくれたおかげで、例年のように掛け持ち取材をする必要がなくなりました。共同通信・宮田記者や読売新聞・大野記者が東京から来ていましたが、この大会の取材に来たのは初めてではないでしょうか。未確認ですけど。
 天満屋の武冨豊監督の姿も。先週も中村友梨香選手が優勝していますが、天満屋の選手は例年名古屋で快走しています。同監督が実業団ハーフに来られるのは近年では珍しいのではないかと思いましたが、昨年が珍しく名古屋に誰も出ていなかったそうです。ということで、2年連続。
 陸上競技マガジン4月号で中村選手とのツーショットが表紙になった武冨監督ですが、専門誌の表紙登場も2度目ではないかな、と直感したので確認したところ、これは寺田の記憶が正確でした。最初は79年の別大で喜多秀喜選手と同タイムのフィニッシュシーン。同じ神戸製鋼の選手同士がデッドヒートを演じ、2時間13分29秒1と2時間13分29秒4という僅差。当時はマラソンの記録が、10分の1秒単位まで発表されていました。
 選手と指導者では全然立場が違いますが、どちらもご自身が優勝されていなかったケースというのが、武冨監督らしいといえばらしいかもしれません(悪い意味でなく)。

 そういえば会場で中国新聞・山本記者から、「どうして中国地区からマラソン代表が3人も生まれたのですか」と質問されました。確かに多いです。補欠を含めると4人。いずれにしても、マラソン代表選手の50%です。
「中国電力が広島にあって、天満屋が岡山にあるからだよ」と答えましたが、同記者が聞きたかったのはハード的というか、環境的な要因でしょう。それに対し寺田はソフト的な部分で答えたわけです。要するに、はぐらかしたわけですが、このパターンをあまり多用すると嫌われるので、気をつけないといけません。
 後で武冨監督の話を聞いてわかったことですが、1県に1チームという場合、地域を挙げてのサポートが受けやすくなります。
 これもあとで気づいたことですが、指導者が自分の出身チームから外に出て新しくチームをスタートさせたことも、中国電力と天満屋の共通点(武冨監督の指摘ではなく、寺田が勝手に気づいたことです)。
 言うまでもなく、名門チームを受け継ぐメリットは大きいです。新興チームには名門チームにない苦労があります。しかし、一からつくったチームという点を、プラス要素に変えた部分がこの2チームにはあります(天満屋は佐々木精一郎さんが初代監督ですが)。
 これもソフト的な部分なので、山本記者の質問の答えにはならないかもしれませんが、新興チームが中国地区にあるという部分で、少しはネタになる部分でしょうか。
 具体的には、中国電力に関しては何度か記事にしているので紹介してもいいのですが、天満屋のその部分はこれから記事にするので、いずれまた折を見て紹介することにします。


◆2008年3月17日(月)
 今日は確定申告の締め切り日。帳簿は毎日つけているので、それほど慌てずにすみます。昨年、3カ月分くらいのデータを壊してしまったので、その後はバックアップ体制も整備してありますし。銀行通帳とか、クレジットカードの明細を見て、記入漏れを入力する程度。といっても数時間はかかるのですが。
 最終的な用紙記入は、ここ数年は国税庁のサイトで行っています。電子申告まではしていませんが、サイト上で記入すると自動的に計算などをしてくれるので、以前の紙に記入していた時代よりずいぶん楽になりました。それでも、2個所ほどわからない部分があって苦戦しましたが。
 2007年は地元世界選手権もあり、フリーになって最高売り上げかな、と思っていたら2005年に少し届きませんでした。まあ、売り上げよりも大事なのは所得。簡単に言うと売り上げマイナス経費ですが、これはまったくよくありません。具体的な金額を書くと社会的な信用がなくなるので、伏せておきます。
 新宿郵便局に持ち込んだのは深夜。レシートの時刻は23:56でした。

 神戸新聞が届きました。名古屋前後もかなりのスペースをマラソン報道に割いていますが、びっくりしたのは代表発表翌日の紙面。1面のトップニュースが代表決定で、女子3選手の顔写真も載っています。そのうちで一番大きいのが地元出身の中村友梨香選手。3面の「人」が武冨豊監督(神戸製鋼出身です)で、運動面の21面がほぼ1ページをまるまる、代表決定記事で埋まっています。
 運動面の天満屋の写真(兵庫県出身の山口衛里コーチが中村、森本2選手と武冨監督に花束渡しているシーン)は控えめですが、土佐・野口2選手の写真と記事がドーンと載って、男子の3選手記事も顔写真付きでそれなりの大きさ。
 社会面である29面も半分がマラソンネタ。補欠の森本友選手も兵庫県出身ということもあり、武冨監督と天満屋2選手の写真がカラーで掲載され、中村選手の記事が中心(運動面はその分、他の5選手に割いています)。同選手のご家族の写真付き記事、森本選手の記事などで構成されています。代表決定日朝の県西コンビの写真を売り込むべきはやはり、神戸新聞でしたね。
 ただ、1面・3面・29面は、地方紙らしいといえばらしい作り方。「ええっっ?」と思ったのはむしろ運動面の21面に、代表6選手全員のマラソン全成績が掲載されていた寺田も載せました)ことです。地元選手の全成績なら予想できる範囲ですが、代表全員というのは完全に予想の範囲を超えています。文字の大きさも、この手の資料は文字が小さくなりがちですが、そこそこの大きさで掲載。結果として、かなりのスペースになっています。感動を覚えましたし、神戸新聞の気高さが感じられました。


◆2008年3月18日(火)
 昨日届いた神戸新聞に代表6選手のマラソン全成績が載っていて、思い出したのが陸マガ記録集計号の名鑑。長距離選手のマラソン成績は、主要成績でなく全成績だと14日の日記に書きましたが、どこまでを“全成績”に入れるのか。これが実はややこしいところです。
 どういうことかというと、小さな大会に練習代わりで出場したときや、コースの下見の意味で出場した場合、断り切れずに出場したイベントなどで、マラソンを走るケースがあるからです。例えば千葉真子さんはシドニー・マラソンを2時間40分くらい(??)で走っていますが、これは本人はマラソン歴にカウントしていません。
 古くは1978年のヨーロッパ遠征中に瀬古利彦選手や宗兄弟がマラソンに出ていますが、これは完全にトレーニングで、瀬古選手は回数に入れませんでした。油谷繁選手のエドモントン・マラソンも世界選手権のコースの下見。

 これまでは選手の意向を尊重して、成績は載せても“回数”を空欄にして、マラソン歴に本人はカウントしていませんよ、とわかるようにしていました。油谷選手ならこんな感じです。
1 2000 3.05 びわ湖 7 2.10.48.
2 2001 3.04 びわ湖 3 2.07.52.
  2001 5.20 エドモントン 4 2.26.02.
3 2001 8.03 世界選手権 5 2.14.07.
4 2003 2.09 東京国際 2 2.09.30.
5 2003 8.30 世界選手権 5 2.09.26.
6 2004 8.29 アテネ五輪 5 2.13.11.
7 2006 4.23 ロンドン 13 2.14.49.
8 2007 2.18 東京 dnf dnf
9 2007 12.02 福岡 5 2.10.30.

 ただ、どうしたらいいのかわからなくケースも生じそうです。今回のメンバーなら、だいたいは取材などで確認できているのですが、客観的な判断基準ではありません。
 それを今回の名鑑では、とにかく全部を載せようという編集長判断で、油谷選手のエドモントン(下見レース)や、奥谷亘選手のつくばなどが掲載されています。その代わり、回数欄を設けないようにしました。注釈で経緯を載せた方がいいかもしれません。

 それとは別にDNS(ディドゥ・ノット・スタート)だった高橋尚子選手の99年世界選手権(セビリア)と、藤原正和選手の03年世界選手権パリ大会を載せています。これまでの慣例では高橋選手のセビリアなど、マラソン回数に含めていません。しかし、日本代表となった選手が棄権したケースは、東京・大阪・名古屋・北海道など、国内マラソンを欠場したのとは違うだろう、という考え方。
 しっかりと記載しておかないと、その選手が“代表になった”こと自体がわからなくなってしまいます。リレーで補欠だった選手も、“出走せず”と表記していますし。これは、何人かの指導者、記者にも聞きましたが、特に異論は出ませんでした。


◆2008年3月19日(水)
「それ、どくぷれお願いできないですか」
 陸マガ・高橋編集長(筑波大OB)の言葉に「?」が頭の中を駆けめぐりました。
 今年もATFSの記録&選手名鑑「Athletics2008」(表紙はタイソン!)の輸入&販売代理業をすることになり(といっても、とっても小規模です)、これまた今年も、陸マガの情報コーナーにインフォメーションの掲載を依頼したら、上記の言葉を編集長から聞かされたのでした。
「どくぷれ? 独特のプレッシャー?
 と聞き返すと、読者プレゼントをしないか、ということでした。13年間陸マガ編集部にいましたが、以前はそんな言葉、間違いなく使っていませんでした。もしかして、筑波地方の方言でしょうか? 「インカレはどくぷれがあるよ」とか、学生たちが話しているかもしれません。
 昨今、なんでも言葉を略すのが流行っていますからね。KYといえば“空気を読めない”。そのくらいなら、寺田も知っています。KY記者と言えば朝日新聞の小田記者。空気が読めない……こともありますが、今回のKYは“謙遜(K)よくする(Y)記者”の略です。命名の経緯を説明するとなかなか良い話なのですが、ちょっと長くなるので今回は省略。

 話を「Athletics2008」に戻すと、読者プレゼント用に1冊余分に提供し、カラーページに掲載する。その分、注文が多く来るはず、という理屈です。
 ただ、昨年までこの発注&発送作業を担当していた家族T氏の手を、今年は借りられません。寺田1人でやるとなるとちょっと大変なので、あまり注文が殺到しても困るのです(アルバイトを雇うかもしれません)。それと、1冊余分に仕入れる余裕があるかどうか。例年、注文冊数ぎりぎりしか仕入れないので、事故が起こるとやばいなあ、という不安にもつきまとわれています。
 明るい材料は、為替レートですね。対米国ドルだけでなく、対英国ポンドにも円がちょっと強くなっています。昨年は、6000円にだけはすまいと5900円に設定させていただきましたが、今年は上手くすると5800円にできるかもしれません。できなかったらご免なさい。
 どうしましょう、どくぷれ。どく・ぷれ(どくぷれのプレッシャー)を感じているようでは、やっぱり小物ですね。


◆2008年3月21日(金)
 夕方、打ち合わせのため渋谷に。具体的には明かせませんが、いつもの取材などとはちょっと毛色の違った話し合いをしました。
 接点というのに近い部分は、その相手が“ランナー”であること。先週も荒川市民マラソンに出場されたとか。クリールの樋口編集長(ブログも頑張っています)から紹介してもらった人物なので、偶然というわけではないのですが。
 陸上競技経験はないそうですが、フルマラソンの自己ベストは3時間40分台。「楽しいですね」と、ランニングの話になると顔をほころばせます。市民ランナーたちが楽しいと言うのは当たり前かもしれません。でも、仕事の打ち合わせ中(正確には直後)にさりげなくというか、ごく自然に「楽しいですね」と言われると、なぜかものすごい説得力を感じたのです。ランニングには、それだけのパワー(魅力)があるということでしょう。つまり、メジャーになる要素があるということです。

 じゃあ、自分が市民マラソン方面の仕事を積極的にやるかといえば、それはないと思います。絶対とは言えませんが、現実的にそこまで手を広げる余裕がありませんし、自分の生き方としてマイナー指向というか、少数派の生き方を選んできました。つまり、競技としてのランニングであり、トラック&フィールドです。
 ずいぶん前の話ですが、寺田が週刊プロレスにいたときの編集長が、プロレスの関係者やファンに対して“マイナーパワー”という表現を使っていました。“アングラ”のイメージの有無は決定的に違いますが、陸上競技はもっとマイナーです。オリンピックで注目される競技の代表格ですが、言葉を換えれば4年に1回のオリンピックでしか注目されない。
 時事通信のサイトを見ると、野球・サッカー・ゴルフ・テニス・相撲・その他という分類。野球・サッカー・大相撲はいうに及ばず、テニスの最高峰はグランドスラムでオリンピックではありません。

 市民マラソンはオリンピックとは関係なく、ここまでメジャーになりました。その点、陸上競技は……と、そこを嘆いても始まりません。陸上競技に携わっていくと決めた以上、少数派のカテゴリーに所属しながらも、そこにプライドを持ち、目指すのはあくまでもメジャーになること。そういった気持ちを強くした、今日の仕事中の「楽しいですね」のひと言でした。

 新宿の作業部屋に戻ると、クリール5月号が届いていました。ロサンゼルス・マラソンのページに、今日会った人物が、読者モニターとして参加している写真が載っていました。


◆2008年3月24日(月)
 13時からのVAAMイベントで、高橋尚子選手が今後のことを話すのではないか、という情報を土曜日に入手しました。名古屋国際女子マラソン終了後に話した「まだやりたいこと」を明かすのではないか、ということです。スポンサーのイベントでそこまで目立つことはしないのでは、という記者もいましたが、15時から天満屋・武冨豊監督の取材が入っていたので、どちらにしても行くことはできませんでした。
 武冨監督の取材は順調。「何もないですよ」は同監督の口癖みたいなものですが、2003年に陸マガに載った記事(水城さん執筆)をもとに、中村友梨香選手や森本友選手を例に、より具体的に話してもらうことができたと思います。成果は陸マガ5月号に書きます。

 高橋選手ですが、計画というのは“3大会出場”だと、土曜日に某記者からメールがありました。なるほど。2009年のベルリン世界選手権に出て、オリンピック・アジア大会と合わせて3大会金メダルを狙うのか、と解釈しました。以前からセビリアの世界選手権欠場が、一番悔しかった思い出だと話していましたし、ベルリンは2時間20分を切った思い出の地でもありますしね。
 しかし、1〜2日前のサンスポの記事を思い出し、国内3大会の可能性も高いと思い直しました。東京・大阪・名古屋の3大会に同一シーズンで連続出場を計画しているという記事です。もしかしたら、そっちかな、と。
 実際、正しかったのは国内3大会でした。これも、“史上初”というところに価値を見いだす高橋選手らしい挑戦です。過去に安部友恵選手(93年世界選手権銅メダル)が2001−02年の3大会に連続出場して、東京12位(2時間34分17秒)、大阪5位(2時間29分16秒)、名古屋6位(2時間31分11秒)の成績を残しています(せれんさんから教えてもらいました)。寺田の記憶では以前に、浅井えり子選手(88年ソウル五輪代表)もやっていると思います。
 ただ、金メダリストがそれをやる、ということはもちろん初めてです。

 3大会とも世界選手権の選考会で、高橋選手自身はベルリン世界選手権出場の可能性も、否定してはいませんが、普通に考えれば、代表云々よりも“3つ走ってファンに感謝する”のが狙い。実は名古屋の直後に、「国内3大会プラス北海道、ベルリン&シカゴなどメイジャーズを含めて、毎月1本走るのではないか」と寺田は親しい記者に予測を話していました。
 レース翌朝の安野さんのカコミ取材時に今後のプランについて「出場レースを多くするということですか?」と質問をしました。「必ずしもそういうわけではない」という安野さんの答えでしたが、こういうことだったのですね。
「ファンランにはならない」という安野さんの宣言もありましたし、高橋選手も全力で行くと言っています。といっても、3レース全てを2時間23分以内で行くというのも厳しいでしょう。東京で2時間27分以内、大阪で2時間25分以内、名古屋で2時間30分以内だったら大成功。
 臨機応変に対応するのもありではないでしょうか。大阪で優勝すれば、野口みずき選手に続いて国内3大会優勝者になりますし、そうなったら名古屋出場はやめて、世界選手権出場と、アジア大会・オリンピックに続く3大会メダルに目標を切り換える手もあります。

 しかし、この高橋選手の挑戦に対し、否定的な意見が続出しているようです。特に、関係者やマラソン・ファンから。寺田も実は、世界選手権ではなく国内3大会と聞いて、どこかしら違和感を感じていました。確かに3レースとも上位に入れば誰もやっていないことですが、これまでの“誰もやっていないこと”を目指した高橋選手とは、どこか違うのではないか、という感覚が拭えなかったのです。
つづく


◆2008年3月30日(日)
 24日の日記の続きです(6日後の日記に続きというのも変ですが、細かいことは気にしないように)。高橋尚子選手の3大会出場表明を聞いて感じたことを、いろんな人の意見をネットで見ながら、頭の中で整理してみました。
 最初に書いておきますが、批判的なことを言う気は毛頭ありません(と書いておかないと誤解されるかもしれないので)。彼女には常に敬意を持ってしかるべきです。そのくらい、陸上競技戦後初、女子初の五輪金メダルは、陸上界にとって快挙でした。以前にも書いたことですが、1980年代には日本が金メダルを取るなんて、考えららなかったですから。
 ここで書きたいのは、高橋選手がどうすれば世間の非難を浴びずにすむか、という提案です。

 マラソンファンや関係者に歓迎されなかったのは、次の理由だと思います。これまで高橋選手が成し遂げてきたことは、“誰でもやっていることで、誰もできないこと”でした。金メダルや記録への挑戦であれば、膨大な数の先駆者がいて、その誰もができなかったことをやったわけです。
 それに対して3大会出場は、少ない前例はあるものの、単に“誰もやっていないこと”をするだけです。何がすごいのか、比較対象がはっきりしません。24日の日記では東京で2時間27分、大阪で2時間25分、名古屋で2時間30分を切ったら云々と書きましたが、どのくらいの記録を出し続ければすごいのか、本当のところはわかりません。
 これは業界内部では評価がしにくいケースです。末續慎吾選手が、スプリントトライアスロン(100 m・200 m・400 m)に挑戦する感じでしょうか。スプリントトライアスロンも陸上競技には違いありませんが、練習ならともかく、試合としてそこにに力を入れるのは、価値観が少し外れてきます。高橋選手について陸連関係者の「どうぞご自由に」というコメントがありました。違った価値観のところへ行こうとしている選手には、他に言いようがないということだと思います。

 つまり、高橋選手がこれまでとは路線を変えたということ。わざわざ分析して書くまでもないですね。明白でしょう。これは人間誰しも、避けては通れないことなのかもしれません。それが良いとか悪いとか、他人が言うべきではない。陸連もダメとは言えない部分です。
 高橋選手自身もわかっていることでしょう。そこをあえて、「以前からの夢」だったと言って、“やりたいこと”として熱望している。金メダリストがどう変わっていくかを見守るのが筋だと思います。
 東大の主席卒業生が、これから東大受験をしようとしている受験生の中に混じるようなもの、というクリール・樋口編集長の意見にも頷けますが、高橋選手は「合格点を取る準備はしません」と言っているようなものです。「ベルリン世界選手権を本気で目指します」と言ったら、他の選手たちはもっと嫌でしょう。確かに違和感は感じた部分ですけど。

 マラソン関係者やファンからは冷ややかに見られてしまいましたが、世間一般や、それ向きのメディアには、3大会出場の話は受け容れられやすいと思われます。高橋選手は近年、「あきらめなかったら夢は叶う、ということを多くの人に伝えたい」と言い続けています。3大会連続出場も、かねてからの夢だったそうです。世間一般に向けては、効果があるアピールの仕方だと確信しているのでしょう。
 しかし、関係者やマラソンファンの不興を買ったのが、まさにそこだと思います。ある意味、高橋選手が自分たちとは違ったところに行こうとしているわけで、そこに力を入れてもらっても面白くない。
 スポーツ関係者からすれば「あきらめなければ夢は叶う」は、勝ってから言うべき言葉だという思いも強いはず。それが負けてしまったにもかかわらず、一般メディアへの取り上げられ方が多くなっている(大きくはなっていないかも)。寺田のところにすら、問い合わせがあるくらいです。違うんじゃない? という疑問は、関係者なら誰しも思うはずです。

 では、どうすればいいのか。やっと結論です。テレビで有名人と対談なんかするヒマがあったら、専門誌で陸上競技の専門的な話をするべきだと思います。
 今、高橋選手がすべきことは、どうして彼女が支持されることになったかを、もう一度考え直すこと。これも結論は明らかで、競技が強くて支持されることになったのです。
 その競技ではもう、強さを見せられない。だからこそ、です。
 バリバリの現役でなくなった今だから、他の選手と真剣に競わなくなった今だからこそ、自身が強くなった過程を、トレーニング内容を、競技とどう向き合ったかを、もっともっと話すべきでしょう。テレビで数分話すだけでは、それはできません(30分とかしっかり時間をとって、そこだけを目的とした番組のつくり方なら可能でしょうけど)。

 最近、陸マガに高橋選手のインタビュー記事が載ったのは、3年前の東京で勝った直後。どうしてもレース前のケガや、立ち上げたばかりのチームQについて字数が割かれ、トレーニングについて良い話が出たな、と思ったら、それ以上突っ込んだ展開にはなりませんでした。これは、レースの直後の取材ですから、当然です。
 過去の記事でシドニー五輪前に超高地トレーニングをしたとか(誰もできない練習です)、小出監督が著書で00年名古屋前に40km走を公開でやったことで走り切れたとか、エピソードは断片的に出ていますが、体系的なトレーニング論は出ていません。

 高橋選手のコメントで一番印象に残っているのは、「どうして5000mで誰も15分を切れないのか」です。人づてに聞いたもので、話の流れなど100%理解できていませんが、世界新を出したベルリン・マラソン後に、親しい記者たちに漏らしたそうです。
 これは小出監督の考え方だと理解していますが、マラソンの元は5000mのタイム。1万mではなく、5000mのスピード。高橋選手がもしも余裕があったら、14分台に挑戦していたはずです(97年世界選手権5000m13位!!です)。“誰もできないことをやる”彼女の真髄は、そこにあります。“考え方”“発想”が硬直化するのを戒めているのです。
 5000mの14分台は翌年、福士加代子選手が出しましたが、日本のトラックの現状としては、高橋選手がコメントした当時からそれほど変わっていません。もう一度、高橋選手の口から、問題提起してほしいところです。

 その彼女の発想の仕方を、自身のやってきたトレーニングとともに専門誌に語る。当然、2000年前後と近年では違うでしょう。そういった変化も含め、絶対にすごいものがあるはずです。それを読んだらもう、3大会出場がどうとか、誰も言わなくなります。彼女の強さ、大きさがより鮮明に、関係者やマラソンファンに伝わることになりますから。
 “世間に○○をアピールしたい”と口にするやり方は、スポーツ以外の分野の人間(政治家とか評論家とか、記者とか)がやることです。スポーツ選手は、スポーツそのものを語った方が説得力がある。
 金メダリストだって、日本には何人もいます。そのなかで彼女が支持されたのは、繰り返しますが、陸上競技で強くなったからです。専門誌出身者のグチかもしれませんが、もう一度、本来の陸上競技者に戻ることが、続出する批判を抑える方法だと思います。


◆2008年3月31日(月)
 日本の場合、3月31日こそ本当の“最後の日”。陸上界も今日をもって、何らかの別れを告げる人が多いでしょう。今から8年前の2000年3月31日は、あのスピードが解散しました。同じ日、寺田もベースボール・マガジン社を退職しましたっけ。だからなんだ、というわけではないのですが、4年サイクルで物事を考えるのが陸上関係者の習性です。独立して2サイクルが経ったわけで、何か新しい段階に進めたらいいなあ…とは思っていますが、力まないようにしないと。
 今年は人事異動の当たり年? と思えるくらいに多いような気がします。箱根駅伝出場校だけでも中大、亜大、日大、東海大と指導者が交替しました。全日本大学駅伝や出雲駅伝の成績を見たら結果を出しているチームばかり。陸上競技担当記者も、良い記事を書いたから異動がないというわけではありません。それぞれの組織内で、事情は色々とあるのでしょう。

 実際の区切りは今日ですが、取材では3月16日の全日本実業団ハーフマラソンに“別れ”の雰囲気が漂っていました。実業団関係の異動で一番の話題は、トヨタ自動車新監督に佐藤敏信コニカミノルタ・ヘッドコーチが就任すること。レースでは佐藤ヘッドへの感謝の印とばかり、コニカミノルタの前田和之選手が7位、下重正樹選手が12位と好走しました。
 同ヘッドと酒井勝充監督とは秋田・増田高の先輩後輩の間柄。高校、実業団と同じチームで選手生活を送り、指導者となってからもずっとタッグを組んできました。その成果は今さら書くまでもないでしょう。中堅以下だったコニカミノルタを、駅伝の常勝チームに育て上げました。おそらく、同じチームのスタッフとして、一緒の大会に行くのはこれが最後。閉会式終了後にお願いしてツーショットを撮らせていただきました。
 何回か書きましたが、06年にコニカミノルタの記事を陸マガに短期集中連載しました(11月号と12月号)。そのきっかけは、我々には丁寧な物腰で接する酒井監督が、実はかなり厳格な指導者だと聞いたからです。ちょうど、中国電力の坂口泰監督の指導者としての背景を、早大・エスビー食品時代に求めた記事を書いた直後でした。酒井監督にも絶対に、何か原体験といえるものがあると予測しました。
 そのあたりの事前取材したのが佐藤ヘッドから。酒井監督の高校時代のエピソードや選手時代の特徴など、色々とネタを仕入れさせてもらいました。あの一連の取材も充実していましたね。

 この写真は酒井監督とNTNの越井武吉監督。NTNも4月から、逵中新監督に代わります。越井監督も1500mの小林史和選手に日本記録を出させて、駅伝もこの1年など結果を出しています。社内的ポジションは上がるようですから、これも社内事情のケースでしょう。越井監督への手向けとばかり、北岡選手が4位(日本人2位)と快走しました。
 そして、この写真は今大会団体2位の九電工女子チーム。浦川哲夫監督も3月いっぱいで、岡田監督と交代します。昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝では過去最高の8位と躍進したばかり。これも、現場の実績とは別の事情での交替です。

 この写真は3位(日本選手トップ)と快走したYKKの西村哲生選手。YKKの新原保徳監督も3月いっぱいで退任し、故郷・鹿児島に近い宮崎のOKIの監督になります。偶然かもしれませんが、監督が交替するチームの選手が頑張った大会です。
 OKIの谷口浩美監督は、長距離強化に力を入れ始めた東京電力の監督に。新原監督はかつて、三田工業で全日本実業団対抗女子駅伝を制していますし、谷口監督は旭化成で男子も指導経験があります。お互いに“男女”をひっくり返した形です。

 酒井監督と佐藤ヘッドの写真を撮った直後に、JALグランドサービスの佐藤信春監督と目が合いました。「別れの季節ですね」と声を掛けると、「ホームページのこと?」という反応でした。なんのことかわからなかったのですが、同監督が最近始めたブログで、その話題を書いていたのだそうです(「卒業シーズンに思う」2008.03.10)。早速読んでみると、実に奥ゆかしいというか、含蓄のある文章を綴られています。同監督も、NEC→富士通→JALグランドサービスと“別れ”を何度も経験しています。色々と考えることがあったのでしょう。


◆2008年4月1日(火)
 13時に海浜幕張の富士通へ。入社式を終えた塚原直貴選手が、高平慎士選手と2人で共同取材に応じてくれました。その取材をもとに書いた記事がこれですが、タイトルに“短距離の名門”としたのは理由があります。
 富士通といえばニューイヤー駅伝にも優勝していますし、長距離とトラック&フィールドの双方に力を入れている、実業団の範たるチーム。ことさら短距離と強調するのもどうかと思ったのですが、現在の陸連短距離部長の苅部俊二法大監督も富士通出身ですし、3月の陸連合宿でリレーを指導した土江寛裕城西大監督も富士通出身。取材の終盤でその2人の話が出て、短距離の名門だよな、と感じていました。
 記事中でも触れていますが、取材はほとんど技術やトレーニングやリレーの話題で進みました。高平選手の400 mバウンディングなど、ハッとさせられる話もありました(400 mH進出、ということではありません)。「目標記録は?」とか「オリンピックの決勝は?」というベタな質問は、どの記者もしないということです。時間がなければ聞くかもしれませんが、今日のようにじっくりと話が聞けるチャンスには、そういうときにしか聞けない話を聞きたい、と全員が思っていたのでしょう。取材現場も“生き物”なのです。

 塚原選手が今日のうちに沖縄に戻るということで、取材時間は13:45までと決まっていました。最後に、やっぱり記録的なことを聞いておくのは“決まり事”かなと思って、今季の目標記録を申し訳なさそうに質問しました。その答えを聞いていて、ハタと思いつきました。この2人なら、富士通記録に挑めるのではないか、と。あの伊東浩司選手(現甲南大==監督)の10秒00と20秒16。
「今年ということでなく、将来的には富士通記録更新が目標ですか?」と、広報の伊藤さん(女性。三代直樹広報の上司)の方を見ながら質問しました。意味はありませんけど。
 その答えというか、反応の仕方が印象に残りました。こちらとしては、「将来的にはそうですね」という答えを予想していたのですが、良い意味で裏切られました。それで、ちょっと思いを巡らしてみたわけです。
 すぐに思いついたのが、昨年のスーパー陸上のレース後に塚原選手が話した「世界に向けてコツコツと、思い切りジャンプすることなく、普通に駆け上がっていきたい」というコメント。高平選手も日頃から、「末續さんに次ぐポジションを確実にしたい」と話していました。富士通記録に対する2人の答えから色々な要素が1つにつながって、あの記事になったわけです。本当に良い取材でした。

 13:45から14:00までがフォトセッション。この写真は別に取材陣が注文を出したわけではなく、塚原選手が考えてとってくれたポーズ。一流スポーツ選手は絵も上手いことが多いと聞いています。末續慎吾選手や苅部俊二選手は、専門誌の自身の連載に、自ら絵筆をとっていました。全体の構図と細部を、バランス良く思い描けるからかな、と寺田なりに解釈しています。
 塚原選手もそんな1人なのでしょう。どんな写真の絵柄になるか、パッとイメージしてポーズをとったのだと思います。日本チームで高平選手からバトンをもらいたい(4走を狙っている)という意味ではなかったと思います。

※甲南大のユニフォームは臙脂<えんじ>色。阪急電車から見える校舎も臙脂です。3月のキャッチである“臙脂のバラ”に引っ掛けたネタがやっと出せました。当初の予定では、エジンバラで行われている世界クロカンの話題を書くはずだったのですが…。


◆2008年4月2日(水)
 昨日の富士通に続いて、今日は14時からナチュリル入社式の取材。
 明治記念館という結婚式場で、大々的に行われました。集まったメディアの数も相当数にのぼったと思います。受付で配られた書類には、分刻みで式次第が書かれていました。誰と誰が壇上に上がって、ポジションはこうなってと、撮影する側に細かく情報を提供してくれています。それらしい人物もいましたから、イベント会社か広告代理店が演出をしたのでしょう。MCはもちろんプロ。メディアの前で社長が新人2人に辞令を手渡すなど、上手い演出です(写真)。陸上競技を盛り上げようとする意図が感じられました。
 個人的にはイベント的な上手さよりも、内容が陸上競技的だったのが嬉しかったです。新人2人の抱負、陸上競技部員全員の川本和久監督からの紹介、全員の抱負(集合写真)、そして公式会見。指導者による紹介が良いですね。本人だけだとどうしても、謙遜した抱負になりがちです。100%ではないにしろ、第三者の視点で紹介してもらえると、その選手の特徴や現在の課題などが見えてきます。寺田のような個人メディアは、なかなか個別取材の機会がありませんから、共同の場で時間をとってくれると本当にありがたいのです。昨日の富士通もそうでした。

 最後には囲み取材の時間もとってくれてありました。丹野麻美選手に行く記者と、マラソン代表決定後という時節柄、佐藤美保選手(佐藤敦之選手夫人)に行く記者に別れました。寺田は丹野選手。佐藤選手は12月に電話取材をして、その辺(どの辺?)の話も聞いています。10月の入社発表時の会見では、松田薫選手で記事を書きましたから、今日は丹野選手と決めていた部分がありました。
 それも、擬態語をキーワードにしたいと。それがこの記事です。昨日の富士通記事は、最後の数分の取材で記事のテーマが決まりましたが、今日は最初から決めていました。というのも、川本監督の著書「2時間で足が速くなる!―日本記録を量産する新走法 ポン・ピュン・ランの秘密」に、擬態語について触れている部分があったのです。
 それを読んで思い出したのが、11月の陸マガ用の取材時のこと。高校時代の川本監督との出会いが、擬態語を介したもの(介すると言うのもちょっと変ですが)だったから。その点についても、記事中で紹介しています。

 カコミ取材の残りの時間は、川本監督、渡辺真弓選手、木田真有選手と話を聞かせていただきました。渡辺選手の状態がかなり上がってきているようです。調子が上がるというよりも、力が上がっているという印象。メニューによっては、100 m日本記録保持者の二瓶秀子さんの練習中のタイムに迫っているとのこと。こういったことも、本人は比較できませんし、なかなか言い出しにくい部分。指導者の視点を取材できたから書けるところです。
 吉田真希子選手からは、サプリメントの研究の話も(写真)。


◆2008年4月3日(木)
 昨晩、尾田賢典選手のサイトを見ていたら、トヨタ自動車の人事がさりげなく書かれていました。この時期、入る者もいれば去る者もいる。それが世の常です。ただ、え? というケースもあります。岩水嘉孝選手の名前が退部者のなかにあったことも、そんなケースの1つでした。
 いくらトヨタ自動車関係者のサイトとはいえ、この手の人事ネタは、裏をとらないで載せるわけにはいきません。そこで、深夜でしたが中日スポーツ・寺西記者に電話を……しようと思いましたが、さすがに午前1時を過ぎていたので控えました。その代わりにメールを送信。愛知県関係の陸上ネタで、同記者が知らないことはないと言われています。
 トヨタ自動車はスタッフが変わりましたから、その辺が理由かなと推測しました。これは、指導者の良し悪しとはまったく関係なく、“よくあること”です。

 しかし、今日の寺西記者からの返信で、理由が違うところにあることがわかりました。というか、ちょうど今日の中日スポーツ紙面に、岩水選手の退職記事が載ったところでした。それによると、会社の“まずは駅伝で頑張りたい”という方針に対し、岩水選手の3000mSCを最優先したい、という気持ちが相容れなかったようです。
 これまで取材をした岩水選手の言動を考えれば、十二分にあり得ることです。そのくらい、3000mSCや国際舞台への思いが強い選手です(いずれはマラソンを、という気持ちもありましたが、今もそうなのかどうか、まではわかりません)。おそらく、北京五輪までも海外で揉まれる方法を選択するのでしょう。
 スタッフの人事が理由ではないかと考えたことが、恥ずかしくなりました。

 そして今日の夜、再度、寺西記者からメールが来ました。トヨタ車体に大物選手が加入したというのです。具体的な名前は書かれていなくて、高橋昌彦監督のブログを見ろという指示です。同じ愛知県に拠点を置くチーム。
「岩水選手の移籍先はトヨタ車体!!」
 男子チームはありませんが、元々駅伝に出場していないチーム。個人で契約しても、何の不思議もないからな、と疑いませんでした。
 しかし、これも大間違い。高橋監督のブログを見ると、加入するのは阿蘇品照美選手でした。京セラをやめた後、1年ほど実家に帰っていたとのこと。座骨系の故障が原因でしたから、そこが癒えるメドが立ったということでしょう。高橋監督のコメントを読むと、いきなり、かつての走りを期待するのは難しいようですが。

 退職理由の勘違いに続いて、これも岩水選手と決めつけた自分が恥ずかしくなりました。タイミングも、あまりにも良すぎました。からおそらく、寺田が勘違いすることを寺西記者は計算していたのでしょう。メールに選手の名前を書かなかったのは、それを狙ってのことと思われます。まんまと引っかかりました。今度、何かで仕返しをしないといけませんね……そうか、名古屋国際女子マラソン前に「誤報・北京」ネタで、同記者をおどかしましたからね。そういうことか。


◆2008年4月4日(金)
 ここ数日間、陸上競技マガジン5月号「日本の大会百撰」(仮題)の原稿を書いてきました。別冊付録巻頭の企画。昨年までは5月号に選手名鑑が付録でしたが、名鑑が記録集計号と合体したため、今年は競技会日程(47都道府県、実業団連合、地区学連などカテゴリー別)が付録になりました。関係者には嬉しい付録でしょう。その巻頭に、国内の試合から100大会を選んで紹介しようという企画です。
 当然、ボーダーラインの試合もあるわけで、小心者の寺田にとっては酷な選択作業があったわけですが、数カ月前に高橋編集長に「こういう企画は面白いかも」と話した手前、引き受けざるを得ませんでした。この大会はここが面白いよ、こんな大会もあるよ、という感じの紹介はしたかったのですが、“選択”をするところはやりたくなかったのです。百撰という性格上、選択しないといけないのは当たり前なのですが。
 純粋に陸上競技ファンになって、「えいやっ」で選びました。

 特に、地区大会、県大会レベルは全部紹介できませんから、1つを選んで代表させています。例えば、インターハイ県大会だったら埼玉県大会を選びました。これは、埼玉栄高があるからです(昨年からいまひとつですが)。高校駅伝県大会はもちろん兵庫。県選手権は静岡県。地区実業団はレベルの一番高い東日本実業団と、対抗戦を唯一続けている中部。
 ロードレースも取捨選択が難しかったですね。世界記録が出ている熊日30kmなどは異論のないところでしょうが、犬山ハーフなどはその時期に多く行われているハーフマラソンの1つにすぎません。失業中の野口みずき選手を招待し、出世レースになったというだけの理由で選びました。
 各ページに1つ、大きく扱った大会があります。箱根駅伝を入れたのはもちろん、個人的な思いというよりも、社会的な注目度の大きさから。東京マラソンも同様で、同大会のエネルギーは無視できません。

 各大会に短いコメントを付記しているのですが、正直、文字数が少なくて特徴を書き切れませんでした。まあ、この手の企画では仕方ありません。100個の大会全部を、こちらの思い入れを全部文字にしていたら、読む方は間違いなく飽きてしまうでしょう。
 コメントの内容は普段、寺田がこのサイトで書いていることが多いと思います。例えば、日本選手権だったら“国際大会選考会”だけじゃないよ、とか。福岡国際マラソンは、マラソンの中でも“別格”だよ、とか。

 話はちょっと変わりますが、記録集計号名鑑に今年から、マラソンの日本選手権成績は掲載するのをやめました。ご存じのようにマラソン日本選手権は、男女とも3大会(男子は福岡・東京・びわ湖、女子は東京・大阪・名古屋)の中から、持ち回りというか、交替で日本選手権に指定されます。有力選手がすべて揃うわけではなく、他の種目の日本選手権とは明らかに違います。これは長距離関係者だけでなく、陸連内部にも同様の指摘があります。
 有名無実の日本選手権は載せるのはやめる。高橋編集長の英断でしょう。

 その高橋編集長から要請のあった「ATHLETICS2008」“どくぷれ”はやめることにしました。通常の書籍なら、応募した読者が当選しなかった場合、お金を払えば買うことができます。しかし、ATHLETICS2008は4月30日が申し込みの締め切りなので、後から買うことができません。不可能ではないのですが、個人で購入するとなると出費もかさむし、手間も大変になります。
 内容的にも、買いたいと思うくらい意識が高い人が手にして初めて、価値が出る本です。“どくぷれ”で入手しようという人間には、面白くないでしょう。“どくぷれ”をするくらいなら、購入する人たちの負担を少しでも減らしたい。ということで、昨年よりも100円、値下げすることを決定しました(詳しくはこちらに)。


◆2008年4月5日(土)
 東京六大学対校が国立競技場と、作業部屋から30分の場所で開催されていましたが、ちょっと忙しくて行けませんでした。が、競技終了後のタイミングで、同大会オープン男子100 mに出場した小島茂之選手(アシックス)に電話取材。夫人の小島初佳選手の復帰についても聞くことができました。


◆2008年4月7日(月)
 M&Kの陸上競技部創立記者発表が15時から。それまでに陸マガの春季サーキット展望記事を仕上げないといけません。今年の同企画は見開き2ページの縮小バージョン。例年ほど丁寧に追っていません。テーマを決めて、それに該当する選手や種目を紹介するパターンです。
 昨日からそこそこ取りかかっていたので、昼過ぎには一通り書き終えることができました。推敲がやや不十分でしたが、いったん編集部に送信。担当の高橋編集長もM&Kの会見に出るというので急ぎました。
 送信後すぐに港区芝のホテルに移動。
 日本経済新聞の串田記者はかつて陸上競技担当でしたが、食品業界紙など、陸上競技とは違う分野の記者の方も来ていました。肝心の陸上競技担当記者たちは、専門誌はきっちりと来ていましたが、新聞はテニスの伊達公子の現役復帰会見に行った記者が多かったようです。

 さて、M&Kは社員4人の会社で、そのうち選手が2人。従来の実業団では考えられなかった採用システムです。入社するのは梶川洋平選手と熊谷史子選手の2人で、スター選手というわけではありません。“誰が入るか”よりも“どういうシステムなのか”が、一番の注目点と思われました。
 でも、そこが特徴ということは、陸上関係者なら誰でも気づきます。
 寺田は梶川選手と熊谷選手の競技的な特徴と、将来性という部分を先に記事にしました。実は今日の会見後、幹渉社長とお話しをしていて、実業団で続けられないレベルの選手の受け皿と表現するのは、ちょっと違うことに気づかされたのです。
 確かに実業団に入れなかった選手たちですが、決して将来性がないわけではない。むしろ、将来性のある選手しか採用しない。スポンサー獲得がシステムに組み込まれているのですから、選手が強くなってくれないことには破綻してしまうのです。
 という経緯もあって、先に2選手の競技的な記事で、将来性のある2人だよと強調してから、システムについての記事を書いたわけです。
 えっ? 大きな特徴を先に紹介すべきですか?


◆2008年4月8日(火)
 赤坂で打ち合わせ。話題の赤坂サカスにも足を踏み入れましたが、地下鉄に乗る前に急ぎの電話連絡をするためでした。雨が降っていましたし。


◆2008年4月9日(水)
 夜、某記者と、とある関係者(女性、30歳台)と3人で食事。楽しかったですし、日頃聞けなかったことも、こうしたプライベートな席では聞くことができます。収穫大あり。


◆2008年4月11日(金)
 強化委員会記者懇談会。この時期お決まりの関心事ですが、オリンピック代表枠については、明言できない状態のようです。我々の感覚ではA標準なら3人までいいじゃないか、と思うのですが、それすら明言できません。フィールド種目のB標準は、トラックと比較してレベルが高いから日本選手権に勝ちさえすれば大丈夫、とも言い切れない(A標準の日本選手権優勝者は間違いないところでしょう)。
 それもこれも、JOCが決める陸上競技全体枠があるからです。陸上側が明言すると逆効果、ということかもしれません。選手からすれば迷惑な話ですが、どうしようもないのが現状です。長距離・永里部長や投てき・小山部長のコメントからその辺の事情が感じられたので、あの記事になったわけです。

 ところで皆さんは日本選手権競歩の報道で、昨年と今年の違いに気づいているでしょうか?
 世界選手権代表なら、A標準を突破している選手が1月の日本選手権20kmW(神戸)や、今月の日本選手権50kmW(輪島)に優勝すれば“内定”です。しかし、オリンピック・イヤーの今年は“確定的”としか書けません。陸連の規定では代表でほぼ間違いないわけですが、正式に決めるのがJOCなので“内定”とは書けないわけです。
 6月のトラック&フィールドの日本選手権でも同様ですが、そのときまでに陸上競技の枠が何十人と決まっていれば、A標準の日本選手権優勝者は“内定”と書けるのかもしれません。この辺は新聞業界の用語であり、JOCとの間で慣例的になっている部分もあるのかもしれません。これも、報道される選手にとっては迷惑な部分かも。

 各部長の挨拶のなかで面白かったのは、小山投てき部長の就任要請を受けた「縁起物ですから」という理由。室伏広治選手が金メダル(トラック&フィールドでは68年ぶり)を取った4年前のアテネ五輪時の、投てき部長が自分だったから、という説明です。室伏選手の強化に関する部分は全て、室伏選手自身に任されています。その辺の状況を踏まえて、ユーモアを交えてコメントされたわけです。

 今日は陸上競技マガジン5月号配本日。帰宅途中に新宿駅で、高橋編集長から受け取りました。表紙は朝原宣治選手。巻頭で、同選手の企画をしています。
 そういえば、3月号の表紙について書くのを忘れていました。敗れた福士加代子選手を表紙にしたことで、非難の声が挙がりました(もちろん編集部の判断。寺田は福士選手の記事は書きましたが、写真や見出しの決定など編集面はノータッチ)。昨年も日本選手権のときに女子1万m2位の絹川愛選手を表紙にして、同じように問題視されました。
 そういった声が挙がるのは編集部サイドも十分わかっていて、その上で決定しているのだそうです。寺田も昔は編集部の一員でしたし、そういった考えがわからないわけではありません。
 ただ、この件に関しては寺田も反対です。現場の純粋な気持ちというのは大事にしないといけません。売り上げと直結しない部分かもしれませんが、大事なこともあると思うのです……と書くと、これも高橋編集長の思うつぼ、かな?


ここが最新です
◆2008年4月13日(日)
 埼玉県春季記録会兼国体選考会埼玉陸協に成績)を取材。上尾はずいぶん久しぶりです。このところ埼玉県の大きな大会は熊谷開催が多くなっています。2年前に関東インカレが上尾で行われたときもありましたが、東日本実業団と重なって行けませんでした。東日本実業団女子駅伝を4〜5年前に取材して以来だと思います。
 今年初のトラック&フィールド競技会の取材です。日本陸連選抜選手たちが女子4×100 mRと100 mを行うので駆けつけました。それほど立て込んだ取材にはなりませんでしたが、そこは埼玉県。何人かの有力選手・指導者が集まって、それなりに忙しかったですね。

 まずは、女子800 mに佐藤美保選手が出場。こちらに記事にしました。記事にしなかったネタは夫の佐藤敦之選手も応援に駆けつけていたこと。現在、陸上界一のおしどり夫婦ではないか、と言われています。
 ではないか、書いたのは正確にわかることではないからです。メディアに載ればイメージは定着しますが、実際は小島初佳・茂之夫妻の方が上かもしれません。大島めぐみ・健太夫妻だって負けていないでしょう。根拠があるわけではないですけど。とにかく、この手のことで軽々しく、“陸上界一の”と形容してはいけないということです。
 ただ、愛情をストレートに出すことに関しては、福岡国際マラソン後の記事にその手の話が大きく出たように、佐藤敦之選手が一番かもしれないと受け取られがちですが、あくまでも競技へのプラス面を分析して話した結果、そういう部分が出るだけです。結局、どうだ、という結論はないのですが。

 続く男子800 mではDNPの田口裕之選手が1位。DNPは大日本印刷。あの陸上競技マガジンを印刷・製本している陸上関連度ナンバーワンの印刷所です。ということもあって、田口選手については昨年の全日本実業団で取材をさせてもらい、陸マガに記事を書きました。確か秋山次長に「大日本の選手がいるんだよ」と話したら、2つ返事でOKが出たと記憶しています。入稿日を守っていない負い目があるのでしょうか? もしもそうだとしたら、締め切りを守らない某ライターにも責任があるのかもしれません。
 肝心の田口選手の走りですが、“フロントランナー”タイプと昨年の記事に書きましたが、この日は後方待機策。400 m通過が58秒後半で、フィニッシュが1分54秒54。佐藤選手同様、ネガティヴスプリットでした。
 やはり昨年の記事にも書いたように、日本のトップ企業でフルタイム勤務の環境では、そうそう追い込んだ練習はできません(それができたら、陸上界の様相が違っています)。朝と昼のジョッッグくらいで、ポイント練習は土日に集中して行なっているとのこと。あとは水曜日だけは絶対に、仕事を早めに切り上げているとのこと。確か、ミズノもそういう曜日を設けているはず。寺田も真似をしようかと思っています。水曜日は締め切りがあっても早めに仕事を切り上げたら……編集部と印刷所が怒るかな。
 話を田口選手に戻すと、学生時代まで400 mブロックだったので、スピードが戻りやすいタイプのようです。だから、普段の練習は長めのジョッグでも、シーズンに入れば中距離が走れる。陸マガ5月号にリディアード式トレーニングに関するスネル氏(東京五輪800 m&1500m金メダル)と横田真人選手の対談が載っていました。そのなかでスネル氏が「スピードはすぐに戻ってくるものなんだ」と横田選手に言っています。田口選手も同タイプなのかも。「兵庫リレーカーニバルでは先頭を引っ張りたい」と話していました。

 メインの女子4×100 mRは直前まで雨が降っていましたし、気温も低めで記録は望めないコンディションでしたが、Bチームが頑張り見応えがありました。ABCの3チームが走ってメンバーは以下の通り。
A:石田−北風−信岡−高橋
B:渡辺−栗本−福島−寺田
C:長島−中村−長倉−和田

 Bチーム1走の渡辺真弓選手が、評判に違わず良かったです。厳密にはわかりませんが、石田選手と差はなかったように見えました。3走の福島千里選手も好走。これも厳密にはわかりませんが、信岡選手を詰めたかもしれません。3・4走のパスもBチームがよくて、寺田明日香選手が走り出したときには追いつくのではないかと思えたほど。さすがに、加速してからの高橋萌木子選手は強く、寺田選手を引き離しましたが、Bチームの健闘が印象に残りました。
 今日聞いた話で「そうだったんだ!」と思わず口に出たネタがあります。リレー種目は国際陸連指定大会での、2レースの平均タイムの上位16カ国がオリンピックに出場できます。日本は昨年の大阪世界選手権が失格だったので、アジア選手権(45秒06)と今度の大阪GPの平均タイムになるとばかり思っていました。
 ところが、大阪GPに2チーム以上が出場して、その2番目のチームのタイムがアジア選手権よりも良かった場合、そちらがカウントされるのだそうです。これは朗報です。
 アベレージを43秒7くらいにしないと上位16カ国入りは難しいということなので、簡単にできることではないのですが、今日のBチームの快走を見ると、僅かながらも希望の灯がともったと感じました。


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