続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年4月  神戸は燃えているか?

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◆2008年3月21日(金)
 夕方、打ち合わせのため渋谷に。具体的には明かせませんが、いつもの取材などとはちょっと毛色の違った話し合いをしました。
 接点というのに近い部分は、その相手が“ランナー”であること。先週も荒川市民マラソンに出場されたとか。クリールの樋口編集長(ブログも頑張っています)から紹介してもらった人物なので、偶然というわけではないのですが。
 陸上競技経験はないそうですが、フルマラソンの自己ベストは3時間40分台。「楽しいですね」と、ランニングの話になると顔をほころばせます。市民ランナーたちが楽しいと言うのは当たり前かもしれません。でも、仕事の打ち合わせ中(正確には直後)にさりげなくというか、ごく自然に「楽しいですね」と言われると、なぜかものすごい説得力を感じたのです。ランニングには、それだけのパワー(魅力)があるということでしょう。つまり、メジャーになる要素があるということです。

 じゃあ、自分が市民マラソン方面の仕事を積極的にやるかといえば、それはないと思います。絶対とは言えませんが、現実的にそこまで手を広げる余裕がありませんし、自分の生き方としてマイナー指向というか、少数派の生き方を選んできました。つまり、競技としてのランニングであり、トラック&フィールドです。
 ずいぶん前の話ですが、寺田が週刊プロレスにいたときの編集長が、プロレスの関係者やファンに対して“マイナーパワー”という表現を使っていました。“アングラ”のイメージの有無は決定的に違いますが、陸上競技はもっとマイナーです。オリンピックで注目される競技の代表格ですが、言葉を換えれば4年に1回のオリンピックでしか注目されない。
 時事通信のサイトを見ると、野球・サッカー・ゴルフ・テニス・相撲・その他という分類。野球・サッカー・大相撲はいうに及ばず、テニスの最高峰はグランドスラムでオリンピックではありません。

 市民マラソンはオリンピックとは関係なく、ここまでメジャーになりました。その点、陸上競技は……と、そこを嘆いても始まりません。陸上競技に携わっていくと決めた以上、少数派のカテゴリーに所属しながらも、そこにプライドを持ち、目指すのはあくまでもメジャーになること。そういった気持ちを強くした、今日の仕事中の「楽しいですね」のひと言でした。

 新宿の作業部屋に戻ると、クリール5月号が届いていました。ロサンゼルス・マラソンのページに、今日会った人物が、読者モニターとして参加している写真が載っていました。


◆2008年3月24日(月)
 13時からのVAAMイベントで、高橋尚子選手が今後のことを話すのではないか、という情報を土曜日に入手しました。名古屋国際女子マラソン終了後に話した「まだやりたいこと」を明かすのではないか、ということです。スポンサーのイベントでそこまで目立つことはしないのでは、という記者もいましたが、15時から天満屋・武冨豊監督の取材が入っていたので、どちらにしても行くことはできませんでした。
 武冨監督の取材は順調。「何もないですよ」は同監督の口癖みたいなものですが、2003年に陸マガに載った記事(水城さん執筆)をもとに、中村友梨香選手や森本友選手を例に、より具体的に話してもらうことができたと思います。成果は陸マガ5月号に書きます。

 高橋選手ですが、計画というのは“3大会出場”だと、土曜日に某記者からメールがありました。なるほど。2009年のベルリン世界選手権に出て、オリンピック・アジア大会と合わせて3大会金メダルを狙うのか、と解釈しました。以前からセビリアの世界選手権欠場が、一番悔しかった思い出だと話していましたし、ベルリンは2時間20分を切った思い出の地でもありますしね。
 しかし、1〜2日前のサンスポの記事を思い出し、国内3大会の可能性も高いと思い直しました。東京・大阪・名古屋の3大会に同一シーズンで連続出場を計画しているという記事です。もしかしたら、そっちかな、と。
 実際、正しかったのは国内3大会でした。これも、“史上初”というところに価値を見いだす高橋選手らしい挑戦です。過去に安部友恵選手(93年世界選手権銅メダル)が2001−02年の3大会に連続出場して、東京12位(2時間34分17秒)、大阪5位(2時間29分16秒)、名古屋6位(2時間31分11秒)の成績を残しています(せれんさんから教えてもらいました)。寺田の記憶では以前に、浅井えり子選手(88年ソウル五輪代表)もやっていると思います。
 ただ、金メダリストがそれをやる、ということはもちろん初めてです。

 3大会とも世界選手権の選考会で、高橋選手自身はベルリン世界選手権出場の可能性も、否定してはいませんが、普通に考えれば、代表云々よりも“3つ走ってファンに感謝する”のが狙い。実は名古屋の直後に、「国内3大会プラス北海道、ベルリン&シカゴなどメイジャーズを含めて、毎月1本走るのではないか」と寺田は親しい記者に予測を話していました。
 レース翌朝の安野さんのカコミ取材時に今後のプランについて「出場レースを多くするということですか?」と質問をしました。「必ずしもそういうわけではない」という安野さんの答えでしたが、こういうことだったのですね。
「ファンランにはならない」という安野さんの宣言もありましたし、高橋選手も全力で行くと言っています。といっても、3レース全てを2時間23分以内で行くというのも厳しいでしょう。東京で2時間27分以内、大阪で2時間25分以内、名古屋で2時間30分以内だったら大成功。
 臨機応変に対応するのもありではないでしょうか。大阪で優勝すれば、野口みずき選手に続いて国内3大会優勝者になりますし、そうなったら名古屋出場はやめて、世界選手権出場と、アジア大会・オリンピックに続く3大会メダルに目標を切り換える手もあります。

 しかし、この高橋選手の挑戦に対し、否定的な意見が続出しているようです。特に、関係者やマラソン・ファンから。寺田も実は、世界選手権ではなく国内3大会と聞いて、どこかしら違和感を感じていました。確かに3レースとも上位に入れば誰もやっていないことですが、これまでの“誰もやっていないこと”を目指した高橋選手とは、どこか違うのではないか、という感覚が拭えなかったのです。
つづく


◆2008年3月30日(日)
 24日の日記の続きです(6日後の日記に続きというのも変ですが、細かいことは気にしないように)。高橋尚子選手の3大会出場表明を聞いて感じたことを、いろんな人の意見をネットで見ながら、頭の中で整理してみました。
 最初に書いておきますが、批判的なことを言う気は毛頭ありません(と書いておかないと誤解されるかもしれないので)。彼女には常に敬意を持ってしかるべきです。そのくらい、陸上競技戦後初、女子初の五輪金メダルは、陸上界にとって快挙でした。以前にも書いたことですが、1980年代には日本が金メダルを取るなんて、考えららなかったですから。
 ここで書きたいのは、高橋選手がどうすれば世間の非難を浴びずにすむか、という提案です。

 マラソンファンや関係者に歓迎されなかったのは、次の理由だと思います。これまで高橋選手が成し遂げてきたことは、“誰でもやっていることで、誰もできないこと”でした。金メダルや記録への挑戦であれば、膨大な数の先駆者がいて、その誰もができなかったことをやったわけです。
 それに対して3大会出場は、少ない前例はあるものの、単に“誰もやっていないこと”をするだけです。何がすごいのか、比較対象がはっきりしません。24日の日記では東京で2時間27分、大阪で2時間25分、名古屋で2時間30分を切ったら云々と書きましたが、どのくらいの記録を出し続ければすごいのか、本当のところはわかりません。
 これは業界内部では評価がしにくいケースです。末續慎吾選手が、スプリントトライアスロン(100 m・200 m・400 m)に挑戦する感じでしょうか。スプリントトライアスロンも陸上競技には違いありませんが、練習ならともかく、試合としてそこにに力を入れるのは、価値観が少し外れてきます。高橋選手について陸連関係者の「どうぞご自由に」というコメントがありました。違った価値観のところへ行こうとしている選手には、他に言いようがないということだと思います。

 つまり、高橋選手がこれまでとは路線を変えたということ。わざわざ分析して書くまでもないですね。明白でしょう。これは人間誰しも、避けては通れないことなのかもしれません。それが良いとか悪いとか、他人が言うべきではない。陸連もダメとは言えない部分です。
 高橋選手自身もわかっていることでしょう。そこをあえて、「以前からの夢」だったと言って、“やりたいこと”として熱望している。金メダリストがどう変わっていくかを見守るのが筋だと思います。
 東大の主席卒業生が、これから東大受験をしようとしている受験生の中に混じるようなもの、というクリール・樋口編集長の意見にも頷けますが、高橋選手は「合格点を取る準備はしません」と言っているようなものです。「ベルリン世界選手権を本気で目指します」と言ったら、他の選手たちはもっと嫌でしょう。確かに違和感は感じた部分ですけど。

 マラソン関係者やファンからは冷ややかに見られてしまいましたが、世間一般や、それ向きのメディアには、3大会出場の話は受け容れられやすいと思われます。高橋選手は近年、「あきらめなかったら夢は叶う、ということを多くの人に伝えたい」と言い続けています。3大会連続出場も、かねてからの夢だったそうです。世間一般に向けては、効果があるアピールの仕方だと確信しているのでしょう。
 しかし、関係者やマラソンファンの不興を買ったのが、まさにそこだと思います。ある意味、高橋選手が自分たちとは違ったところに行こうとしているわけで、そこに力を入れてもらっても面白くない。
 スポーツ関係者からすれば「あきらめなければ夢は叶う」は、勝ってから言うべき言葉だという思いも強いはず。それが負けてしまったにもかかわらず、一般メディアへの取り上げられ方が多くなっている(大きくはなっていないかも)。寺田のところにすら、問い合わせがあるくらいです。違うんじゃない? という疑問は、関係者なら誰しも思うはずです。

 では、どうすればいいのか。やっと結論です。テレビで有名人と対談なんかするヒマがあったら、専門誌で陸上競技の専門的な話をするべきだと思います。
 今、高橋選手がすべきことは、どうして彼女が支持されることになったかを、もう一度考え直すこと。これも結論は明らかで、競技が強くて支持されることになったのです。
 その競技ではもう、強さを見せられない。だからこそ、です。
 バリバリの現役でなくなった今だから、他の選手と真剣に競わなくなった今だからこそ、自身が強くなった過程を、トレーニング内容を、競技とどう向き合ったかを、もっともっと話すべきでしょう。テレビで数分話すだけでは、それはできません(30分とかしっかり時間をとって、そこだけを目的とした番組のつくり方なら可能でしょうけど)。

 最近、陸マガに高橋選手のインタビュー記事が載ったのは、3年前の東京で勝った直後。どうしてもレース前のケガや、立ち上げたばかりのチームQについて字数が割かれ、トレーニングについて良い話が出たな、と思ったら、それ以上突っ込んだ展開にはなりませんでした。これは、レースの直後の取材ですから、当然です。
 過去の記事でシドニー五輪前に超高地トレーニングをしたとか(誰もできない練習です)、小出監督が著書で00年名古屋前に40km走を公開でやったことで走り切れたとか、エピソードは断片的に出ていますが、体系的なトレーニング論は出ていません。

 高橋選手のコメントで一番印象に残っているのは、「どうして5000mで誰も15分を切れないのか」です。人づてに聞いたもので、話の流れなど100%理解できていませんが、世界新を出したベルリン・マラソン後に、親しい記者たちに漏らしたそうです。
 これは小出監督の考え方だと理解していますが、マラソンの元は5000mのタイム。1万mではなく、5000mのスピード。高橋選手がもしも余裕があったら、14分台に挑戦していたはずです(97年世界選手権5000m13位!!です)。“誰もできないことをやる”彼女の真髄は、そこにあります。“考え方”“発想”が硬直化するのを戒めているのです。
 5000mの14分台は翌年、福士加代子選手が出しましたが、日本のトラックの現状としては、高橋選手がコメントした当時からそれほど変わっていません。もう一度、高橋選手の口から、問題提起してほしいところです。

 その彼女の発想の仕方を、自身のやってきたトレーニングとともに専門誌に語る。当然、2000年前後と近年では違うでしょう。そういった変化も含め、絶対にすごいものがあるはずです。それを読んだらもう、3大会出場がどうとか、誰も言わなくなります。彼女の強さ、大きさがより鮮明に、関係者やマラソンファンに伝わることになりますから。
 “世間に○○をアピールしたい”と口にするやり方は、スポーツ以外の分野の人間(政治家とか評論家とか、記者とか)がやることです。スポーツ選手は、スポーツそのものを語った方が説得力がある。
 金メダリストだって、日本には何人もいます。そのなかで彼女が支持されたのは、繰り返しますが、陸上競技で強くなったからです。専門誌出身者のグチかもしれませんが、もう一度、本来の陸上競技者に戻ることが、続出する批判を抑える方法だと思います。


◆2008年3月31日(月)
 日本の場合、3月31日こそ本当の“最後の日”。陸上界も今日をもって、何らかの別れを告げる人が多いでしょう。今から8年前の2000年3月31日は、あのスピードが解散しました。同じ日、寺田もベースボール・マガジン社を退職しましたっけ。だからなんだ、というわけではないのですが、4年サイクルで物事を考えるのが陸上関係者の習性です。独立して2サイクルが経ったわけで、何か新しい段階に進めたらいいなあ…とは思っていますが、力まないようにしないと。
 今年は人事異動の当たり年? と思えるくらいに多いような気がします。箱根駅伝出場校だけでも中大、亜大、日大、東海大と指導者が交替しました。全日本大学駅伝や出雲駅伝の成績を見たら結果を出しているチームばかり。陸上競技担当記者も、良い記事を書いたから異動がないというわけではありません。それぞれの組織内で、事情は色々とあるのでしょう。

 実際の区切りは今日ですが、取材では3月16日の全日本実業団ハーフマラソンに“別れ”の雰囲気が漂っていました。実業団関係の異動で一番の話題は、トヨタ自動車新監督に佐藤敏信コニカミノルタ・ヘッドコーチが就任すること。レースでは佐藤ヘッドへの感謝の印とばかり、コニカミノルタの前田和之選手が7位、下重正樹選手が12位と好走しました。
 同ヘッドと酒井勝充監督とは秋田・増田高の先輩後輩の間柄。高校、実業団と同じチームで選手生活を送り、指導者となってからもずっとタッグを組んできました。その成果は今さら書くまでもないでしょう。中堅以下だったコニカミノルタを、駅伝の常勝チームに育て上げました。おそらく、同じチームのスタッフとして、一緒の大会に行くのはこれが最後。閉会式終了後にお願いしてツーショットを撮らせていただきました。
 何回か書きましたが、06年にコニカミノルタの記事を陸マガに短期集中連載しました(11月号と12月号)。そのきっかけは、我々には丁寧な物腰で接する酒井監督が、実はかなり厳格な指導者だと聞いたからです。ちょうど、中国電力の坂口泰監督の指導者としての背景を、早大・エスビー食品時代に求めた記事を書いた直後でした。酒井監督にも絶対に、何か原体験といえるものがあると予測しました。
 そのあたりの事前取材したのが佐藤ヘッドから。酒井監督の高校時代のエピソードや選手時代の特徴など、色々とネタを仕入れさせてもらいました。あの一連の取材も充実していましたね。

 この写真は酒井監督とNTNの越井武吉監督。NTNも4月から、逵中新監督に代わります。越井監督も1500mの小林史和選手に日本記録を出させて、駅伝もこの1年など結果を出しています。社内的ポジションは上がるようですから、これも社内事情のケースでしょう。越井監督への手向けとばかり、北岡選手が4位(日本人2位)と快走しました。
 そして、この写真は今大会団体2位の九電工女子チーム。浦川哲夫監督も3月いっぱいで、岡田監督と交代します。昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝では過去最高の8位と躍進したばかり。これも、現場の実績とは別の事情での交替です。

 この写真は3位(日本選手トップ)と快走したYKKの西村哲生選手。YKKの新原保徳監督も3月いっぱいで退任し、故郷・鹿児島に近い宮崎のOKIの監督になります。偶然かもしれませんが、監督が交替するチームの選手が頑張った大会です。
 OKIの谷口浩美監督は、長距離強化に力を入れ始めた東京電力の監督に。新原監督はかつて、三田工業で全日本実業団対抗女子駅伝を制していますし、谷口監督は旭化成で男子も指導経験があります。お互いに“男女”をひっくり返した形です。

 酒井監督と佐藤ヘッドの写真を撮った直後に、JALグランドサービスの佐藤信春監督と目が合いました。「別れの季節ですね」と声を掛けると、「ホームページのこと?」という反応でした。なんのことかわからなかったのですが、同監督が最近始めたブログで、その話題を書いていたのだそうです(「卒業シーズンに思う」2008.03.10)。早速読んでみると、実に奥ゆかしいというか、含蓄のある文章を綴られています。同監督も、NEC→富士通→JALグランドサービスと“別れ”を何度も経験しています。色々と考えることがあったのでしょう。


◆2008年4月1日(火)
 13時に海浜幕張の富士通へ。入社式を終えた塚原直貴選手が、高平慎士選手と2人で共同取材に応じてくれました。その取材をもとに書いた記事がこれですが、タイトルに“短距離の名門”としたのは理由があります。
 富士通といえばニューイヤー駅伝にも優勝していますし、長距離とトラック&フィールドの双方に力を入れている、実業団の範たるチーム。ことさら短距離と強調するのもどうかと思ったのですが、現在の陸連短距離部長の苅部俊二法大監督も富士通出身ですし、3月の陸連合宿でリレーを指導した土江寛裕城西大監督も富士通出身。取材の終盤でその2人の話が出て、短距離の名門だよな、と感じていました。
 記事中でも触れていますが、取材はほとんど技術やトレーニングやリレーの話題で進みました。高平選手の400 mバウンディングなど、ハッとさせられる話もありました(400 mH進出、ということではありません)。「目標記録は?」とか「オリンピックの決勝は?」というベタな質問は、どの記者もしないということです。時間がなければ聞くかもしれませんが、今日のようにじっくりと話が聞けるチャンスには、そういうときにしか聞けない話を聞きたい、と全員が思っていたのでしょう。取材現場も“生き物”なのです。

 塚原選手が今日のうちに沖縄に戻るということで、取材時間は13:45までと決まっていました。最後に、やっぱり記録的なことを聞いておくのは“決まり事”かなと思って、今季の目標記録を申し訳なさそうに質問しました。その答えを聞いていて、ハタと思いつきました。この2人なら、富士通記録に挑めるのではないか、と。あの伊東浩司選手(現甲南大==監督)の10秒00と20秒16。
「今年ということでなく、将来的には富士通記録更新が目標ですか?」と、広報の伊藤さん(女性。三代直樹広報の上司)の方を見ながら質問しました。意味はありませんけど。
 その答えというか、反応の仕方が印象に残りました。こちらとしては、「将来的にはそうですね」という答えを予想していたのですが、良い意味で裏切られました。それで、ちょっと思いを巡らしてみたわけです。
 すぐに思いついたのが、昨年のスーパー陸上のレース後に塚原選手が話した「世界に向けてコツコツと、思い切りジャンプすることなく、普通に駆け上がっていきたい」というコメント。高平選手も日頃から、「末續さんに次ぐポジションを確実にしたい」と話していました。富士通記録に対する2人の答えから色々な要素が1つにつながって、あの記事になったわけです。本当に良い取材でした。

 13:45から14:00までがフォトセッション。この写真は別に取材陣が注文を出したわけではなく、塚原選手が考えてとってくれたポーズ。一流スポーツ選手は絵も上手いことが多いと聞いています。末續慎吾選手や苅部俊二選手は、専門誌の自身の連載に、自ら絵筆をとっていました。全体の構図と細部を、バランス良く思い描けるからかな、と寺田なりに解釈しています。
 塚原選手もそんな1人なのでしょう。どんな写真の絵柄になるか、パッとイメージしてポーズをとったのだと思います。日本チームで高平選手からバトンをもらいたい(4走を狙っている)という意味ではなかったと思います。

※甲南大のユニフォームは臙脂<えんじ>色。阪急電車から見える校舎も臙脂です。3月のキャッチである“臙脂のバラ”に引っ掛けたネタがやっと出せました。当初の予定では、エジンバラで行われている世界クロカンの話題を書くはずだったのですが…。


◆2008年4月2日(水)
 昨日の富士通に続いて、今日は14時からナチュリル入社式の取材。
 明治記念館という結婚式場で、大々的に行われました。集まったメディアの数も相当数にのぼったと思います。受付で配られた書類には、分刻みで式次第が書かれていました。誰と誰が壇上に上がって、ポジションはこうなってと、撮影する側に細かく情報を提供してくれています。それらしい人物もいましたから、イベント会社か広告代理店が演出をしたのでしょう。MCはもちろんプロ。メディアの前で社長が新人2人に辞令を手渡すなど、上手い演出です(写真)。陸上競技を盛り上げようとする意図が感じられました。
 個人的にはイベント的な上手さよりも、内容が陸上競技的だったのが嬉しかったです。新人2人の抱負、陸上競技部員全員の川本和久監督からの紹介、全員の抱負(集合写真)、そして公式会見。指導者による紹介が良いですね。本人だけだとどうしても、謙遜した抱負になりがちです。100%ではないにしろ、第三者の視点で紹介してもらえると、その選手の特徴や現在の課題などが見えてきます。寺田のような個人メディアは、なかなか個別取材の機会がありませんから、共同の場で時間をとってくれると本当にありがたいのです。昨日の富士通もそうでした。

 最後には囲み取材の時間もとってくれてありました。丹野麻美選手に行く記者と、マラソン代表決定後という時節柄、佐藤美保選手(佐藤敦之選手夫人)に行く記者に別れました。寺田は丹野選手。佐藤選手は12月に電話取材をして、その辺(どの辺?)の話も聞いています。10月の入社発表時の会見では、松田薫選手で記事を書きましたから、今日は丹野選手と決めていた部分がありました。
 それも、擬態語をキーワードにしたいと。それがこの記事です。昨日の富士通記事は、最後の数分の取材で記事のテーマが決まりましたが、今日は最初から決めていました。というのも、川本監督の著書「2時間で足が速くなる!―日本記録を量産する新走法 ポン・ピュン・ランの秘密」に、擬態語について触れている部分があったのです。
 それを読んで思い出したのが、11月の陸マガ用の取材時のこと。高校時代の川本監督との出会いが、擬態語を介したもの(介すると言うのもちょっと変ですが)だったから。その点についても、記事中で紹介しています。

 カコミ取材の残りの時間は、川本監督、渡辺真弓選手、木田真有選手と話を聞かせていただきました。渡辺選手の状態がかなり上がってきているようです。調子が上がるというよりも、力が上がっているという印象。メニューによっては、100 m日本記録保持者の二瓶秀子さんの練習中のタイムに迫っているとのこと。こういったことも、本人は比較できませんし、なかなか言い出しにくい部分。指導者の視点を取材できたから書けるところです。
 吉田真希子選手からは、サプリメントの研究の話も(写真)。


◆2008年4月3日(木)
 昨晩、尾田賢典選手のサイトを見ていたら、トヨタ自動車の人事がさりげなく書かれていました。この時期、入る者もいれば去る者もいる。それが世の常です。ただ、え? というケースもあります。岩水嘉孝選手の名前が退部者のなかにあったことも、そんなケースの1つでした。
 いくらトヨタ自動車関係者のサイトとはいえ、この手の人事ネタは、裏をとらないで載せるわけにはいきません。そこで、深夜でしたが中日スポーツ・寺西記者に電話を……しようと思いましたが、さすがに午前1時を過ぎていたので控えました。その代わりにメールを送信。愛知県関係の陸上ネタで、同記者が知らないことはないと言われています。
 トヨタ自動車はスタッフが変わりましたから、その辺が理由かなと推測しました。これは、指導者の良し悪しとはまったく関係なく、“よくあること”です。

 しかし、今日の寺西記者からの返信で、理由が違うところにあることがわかりました。というか、ちょうど今日の中日スポーツ紙面に、岩水選手の退職記事が載ったところでした。それによると、会社の“まずは駅伝で頑張りたい”という方針に対し、岩水選手の3000mSCを最優先したい、という気持ちが相容れなかったようです。
 これまで取材をした岩水選手の言動を考えれば、十二分にあり得ることです。そのくらい、3000mSCや国際舞台への思いが強い選手です(いずれはマラソンを、という気持ちもありましたが、今もそうなのかどうか、まではわかりません)。おそらく、北京五輪までも海外で揉まれる方法を選択するのでしょう。
 スタッフの人事が理由ではないかと考えたことが、恥ずかしくなりました。

 そして今日の夜、再度、寺西記者からメールが来ました。トヨタ車体に大物選手が加入したというのです。具体的な名前は書かれていなくて、高橋昌彦監督のブログを見ろという指示です。同じ愛知県に拠点を置くチーム。
「岩水選手の移籍先はトヨタ車体!!」
 男子チームはありませんが、元々駅伝に出場していないチーム。個人で契約しても、何の不思議もないからな、と疑いませんでした。
 しかし、これも大間違い。高橋監督のブログを見ると、加入するのは阿蘇品照美選手でした。京セラをやめた後、1年ほど実家に帰っていたとのこと。座骨系の故障が原因でしたから、そこが癒えるメドが立ったということでしょう。高橋監督のコメントを読むと、いきなり、かつての走りを期待するのは難しいようですが。

 退職理由の勘違いに続いて、これも岩水選手と決めつけた自分が恥ずかしくなりました。タイミングも、あまりにも良すぎました。からおそらく、寺田が勘違いすることを寺西記者は計算していたのでしょう。メールに選手の名前を書かなかったのは、それを狙ってのことと思われます。まんまと引っかかりました。今度、何かで仕返しをしないといけませんね……そうか、名古屋国際女子マラソン前に「誤報・北京」ネタで、同記者をおどかしましたからね。そういうことか。


◆2008年4月4日(金)
 ここ数日間、陸上競技マガジン5月号「日本の大会百撰」(仮題)の原稿を書いてきました。別冊付録巻頭の企画。昨年までは5月号に選手名鑑が付録でしたが、名鑑が記録集計号と合体したため、今年は競技会日程(47都道府県、実業団連合、地区学連などカテゴリー別)が付録になりました。関係者には嬉しい付録でしょう。その巻頭に、国内の試合から100大会を選んで紹介しようという企画です。
 当然、ボーダーラインの試合もあるわけで、小心者の寺田にとっては酷な選択作業があったわけですが、数カ月前に高橋編集長に「こういう企画は面白いかも」と話した手前、引き受けざるを得ませんでした。この大会はここが面白いよ、こんな大会もあるよ、という感じの紹介はしたかったのですが、“選択”をするところはやりたくなかったのです。百撰という性格上、選択しないといけないのは当たり前なのですが。
 純粋に陸上競技ファンになって、「えいやっ」で選びました。

 特に、地区大会、県大会レベルは全部紹介できませんから、1つを選んで代表させています。例えば、インターハイ県大会だったら埼玉県大会を選びました。これは、埼玉栄高があるからです(昨年からいまひとつですが)。高校駅伝県大会はもちろん兵庫。県選手権は静岡県。地区実業団はレベルの一番高い東日本実業団と、対抗戦を唯一続けている中部。
 ロードレースも取捨選択が難しかったですね。世界記録が出ている熊日30kmなどは異論のないところでしょうが、犬山ハーフなどはその時期に多く行われているハーフマラソンの1つにすぎません。失業中の野口みずき選手を招待し、出世レースになったというだけの理由で選びました。
 各ページに1つ、大きく扱った大会があります。箱根駅伝を入れたのはもちろん、個人的な思いというよりも、社会的な注目度の大きさから。東京マラソンも同様で、同大会のエネルギーは無視できません。

 各大会に短いコメントを付記しているのですが、正直、文字数が少なくて特徴を書き切れませんでした。まあ、この手の企画では仕方ありません。100個の大会全部を、こちらの思い入れを全部文字にしていたら、読む方は間違いなく飽きてしまうでしょう。
 コメントの内容は普段、寺田がこのサイトで書いていることが多いと思います。例えば、日本選手権だったら“国際大会選考会”だけじゃないよ、とか。福岡国際マラソンは、マラソンの中でも“別格”だよ、とか。

 話はちょっと変わりますが、記録集計号名鑑に今年から、マラソンの日本選手権成績は掲載するのをやめました。ご存じのようにマラソン日本選手権は、男女とも3大会(男子は福岡・東京・びわ湖、女子は東京・大阪・名古屋)の中から、持ち回りというか、交替で日本選手権に指定されます。有力選手がすべて揃うわけではなく、他の種目の日本選手権とは明らかに違います。これは長距離関係者だけでなく、陸連内部にも同様の指摘があります。
 有名無実の日本選手権は載せるのはやめる。高橋編集長の英断でしょう。

 その高橋編集長から要請のあった「ATHLETICS2008」“どくぷれ”はやめることにしました。通常の書籍なら、応募した読者が当選しなかった場合、お金を払えば買うことができます。しかし、ATHLETICS2008は4月30日が申し込みの締め切りなので、後から買うことができません。不可能ではないのですが、個人で購入するとなると出費もかさむし、手間も大変になります。
 内容的にも、買いたいと思うくらい意識が高い人が手にして初めて、価値が出る本です。“どくぷれ”で入手しようという人間には、面白くないでしょう。“どくぷれ”をするくらいなら、購入する人たちの負担を少しでも減らしたい。ということで、昨年よりも100円、値下げすることを決定しました(詳しくはこちらに)。


◆2008年4月5日(土)
 東京六大学対校が国立競技場と、作業部屋から30分の場所で開催されていましたが、ちょっと忙しくて行けませんでした。が、競技終了後のタイミングで、同大会オープン男子100 mに出場した小島茂之選手(アシックス)に電話取材。夫人の小島初佳選手の復帰についても聞くことができました。


◆2008年4月7日(月)
 M&Kの陸上競技部創立記者発表が15時から。それまでに陸マガの春季サーキット展望記事を仕上げないといけません。今年の同企画は見開き2ページの縮小バージョン。例年ほど丁寧に追っていません。テーマを決めて、それに該当する選手や種目を紹介するパターンです。
 昨日からそこそこ取りかかっていたので、昼過ぎには一通り書き終えることができました。推敲がやや不十分でしたが、いったん編集部に送信。担当の高橋編集長もM&Kの会見に出るというので急ぎました。
 送信後すぐに港区芝のホテルに移動。
 日本経済新聞の串田記者はかつて陸上競技担当でしたが、食品業界紙など、陸上競技とは違う分野の記者の方も来ていました。肝心の陸上競技担当記者たちは、専門誌はきっちりと来ていましたが、新聞はテニスの伊達公子の現役復帰会見に行った記者が多かったようです。

 さて、M&Kは社員4人の会社で、そのうち選手が2人。従来の実業団では考えられなかった採用システムです。入社するのは梶川洋平選手と熊谷史子選手の2人で、スター選手というわけではありません。“誰が入るか”よりも“どういうシステムなのか”が、一番の注目点と思われました。
 でも、そこが特徴ということは、陸上関係者なら誰でも気づきます。
 寺田は梶川選手と熊谷選手の競技的な特徴と、将来性という部分を先に記事にしました。実は今日の会見後、幹渉社長とお話しをしていて、実業団で続けられないレベルの選手の受け皿と表現するのは、ちょっと違うことに気づかされたのです。
 確かに実業団に入れなかった選手たちですが、決して将来性がないわけではない。むしろ、将来性のある選手しか採用しない。スポンサー獲得がシステムに組み込まれているのですから、選手が強くなってくれないことには破綻してしまうのです。
 という経緯もあって、先に2選手の競技的な記事で、将来性のある2人だよと強調してから、システムについての記事を書いたわけです。
 えっ? 大きな特徴を先に紹介すべきですか?


◆2008年4月8日(火)
 赤坂で打ち合わせ。話題の赤坂サカスにも足を踏み入れましたが、地下鉄に乗る前に急ぎの電話連絡をするためでした。雨が降っていましたし。


◆2008年4月9日(水)
 夜、某記者と、とある関係者(女性、30歳台)と3人で食事。楽しかったですし、日頃聞けなかったことも、こうしたプライベートな席では聞くことができます。収穫大あり。


◆2008年4月11日(金)
 強化委員会記者懇談会。この時期お決まりの関心事ですが、オリンピック代表枠については、明言できない状態のようです。我々の感覚ではA標準なら3人までいいじゃないか、と思うのですが、それすら明言できません。フィールド種目のB標準は、トラックと比較してレベルが高いから日本選手権に勝ちさえすれば大丈夫、とも言い切れない(A標準の日本選手権優勝者は間違いないところでしょう)。
 それもこれも、JOCが決める陸上競技全体枠があるからです。陸上側が明言すると逆効果、ということかもしれません。選手からすれば迷惑な話ですが、どうしようもないのが現状です。長距離・永里部長や投てき・小山部長のコメントからその辺の事情が感じられたので、あの記事になったわけです。

 ところで皆さんは日本選手権競歩の報道で、昨年と今年の違いに気づいているでしょうか?
 世界選手権代表なら、A標準を突破している選手が1月の日本選手権20kmW(神戸)や、今月の日本選手権50kmW(輪島)に優勝すれば“内定”です。しかし、オリンピック・イヤーの今年は“確定的”としか書けません。陸連の規定では代表でほぼ間違いないわけですが、正式に決めるのがJOCなので“内定”とは書けないわけです。
 6月のトラック&フィールドの日本選手権でも同様ですが、そのときまでに陸上競技の枠が何十人と決まっていれば、A標準の日本選手権優勝者は“内定”と書けるのかもしれません。この辺は新聞業界の用語であり、JOCとの間で慣例的になっている部分もあるのかもしれません。これも、報道される選手にとっては迷惑な部分かも。

 各部長の挨拶のなかで面白かったのは、小山投てき部長の就任要請を受けた「縁起物ですから」という理由。室伏広治選手が金メダル(トラック&フィールドでは68年ぶり)を取った4年前のアテネ五輪時の、投てき部長が自分だったから、という説明です。室伏選手の強化に関する部分は全て、室伏選手自身に任されています。その辺の状況を踏まえて、ユーモアを交えてコメントされたわけです。

 今日は陸上競技マガジン5月号配本日。帰宅途中に新宿駅で、高橋編集長から受け取りました。表紙は朝原宣治選手。巻頭で、同選手の企画をしています。
 そういえば、3月号の表紙について書くのを忘れていました。敗れた福士加代子選手を表紙にしたことで、非難の声が挙がりました(もちろん編集部の判断。寺田は福士選手の記事は書きましたが、写真や見出しの決定など編集面はノータッチ)。昨年も日本選手権のときに女子1万m2位の絹川愛選手を表紙にして、同じように問題視されました。
 そういった声が挙がるのは編集部サイドも十分わかっていて、その上で決定しているのだそうです。寺田も昔は編集部の一員でしたし、そういった考えがわからないわけではありません。
 ただ、この件に関しては寺田も反対です。現場の純粋な気持ちというのは大事にしないといけません。売り上げと直結しない部分かもしれませんが、大事なこともあると思うのです……と書くと、これも高橋編集長の思うつぼ、かな?


◆2008年4月13日(日)
 埼玉県春季記録会兼国体選考会埼玉陸協に成績)を取材。上尾はずいぶん久しぶりです。このところ埼玉県の大きな大会は熊谷開催が多くなっています。2年前に関東インカレが上尾で行われたときもありましたが、東日本実業団と重なって行けませんでした。東日本実業団女子駅伝を4〜5年前に取材して以来だと思います。
 今年初のトラック&フィールド競技会の取材です。日本陸連選抜選手たちが女子4×100 mRと100 mを行うので駆けつけました。それほど立て込んだ取材にはなりませんでしたが、そこは埼玉県。何人かの有力選手・指導者が集まって、それなりに忙しかったですね。

 まずは、女子800 mに佐藤美保選手が出場。こちらに記事にしました。記事にしなかったネタは夫の佐藤敦之選手も応援に駆けつけていたこと。現在、陸上界一のおしどり夫婦ではないか、と言われています。
 ではないか、書いたのは正確にわかることではないからです。メディアに載ればイメージは定着しますが、実際は小島初佳・茂之夫妻の方が上かもしれません。大島めぐみ・健太夫妻だって負けていないでしょう。根拠があるわけではないですけど。とにかく、この手のことで軽々しく、“陸上界一の”と形容してはいけないということです。
 ただ、愛情をストレートに出すことに関しては、福岡国際マラソン後の記事にその手の話が大きく出たように、佐藤敦之選手が一番かもしれないと受け取られがちですが、あくまでも競技へのプラス面を分析して話した結果、そういう部分が出るだけです。結局、どうだ、という結論はないのですが。

 続く男子800 mではDNPの田口裕之選手が1位。DNPは大日本印刷。あの陸上競技マガジンを印刷・製本している陸上関連度ナンバーワンの印刷所です。ということもあって、田口選手については昨年の全日本実業団で取材をさせてもらい、陸マガに記事を書きました。確か秋山次長に「大日本の選手がいるんだよ」と話したら、2つ返事でOKが出たと記憶しています。入稿日を守っていない負い目があるのでしょうか? もしもそうだとしたら、締め切りを守らない某ライターにも責任があるのかもしれません。
 肝心の田口選手の走りですが、“フロントランナー”タイプと昨年の記事に書きましたが、この日は後方待機策。400 m通過が58秒後半で、フィニッシュが1分54秒54。佐藤選手同様、ネガティヴスプリットでした。
 やはり昨年の記事にも書いたように、日本のトップ企業でフルタイム勤務の環境では、そうそう追い込んだ練習はできません(それができたら、陸上界の様相が違っています)。朝と昼のジョッッグくらいで、ポイント練習は土日に集中して行なっているとのこと。あとは水曜日だけは絶対に、仕事を早めに切り上げているとのこと。確か、ミズノもそういう曜日を設けているはず。寺田も真似をしようかと思っています。水曜日は締め切りがあっても早めに仕事を切り上げたら……編集部と印刷所が怒るかな。
 話を田口選手に戻すと、学生時代まで400 mブロックだったので、スピードが戻りやすいタイプのようです。だから、普段の練習は長めのジョッグでも、シーズンに入れば中距離が走れる。陸マガ5月号にリディアード式トレーニングに関するスネル氏(東京五輪800 m&1500m金メダル)と横田真人選手の対談が載っていました。そのなかでスネル氏が「スピードはすぐに戻ってくるものなんだ」と横田選手に言っています。田口選手も同タイプなのかも。「兵庫リレーカーニバルでは先頭を引っ張りたい」と話していました。

 メインの女子4×100 mRは直前まで雨が降っていましたし、気温も低めで記録は望めないコンディションでしたが、Bチームが頑張り見応えがありました。ABCの3チームが走ってメンバーは以下の通り。
A:石田−北風−信岡−高橋
B:渡辺−栗本−福島−寺田
C:長島−中村−長倉−和田

 Bチーム1走の渡辺真弓選手が、評判に違わず良かったです。厳密にはわかりませんが、石田選手と差はなかったように見えました。3走の福島千里選手も好走。これも厳密にはわかりませんが、信岡選手を詰めたかもしれません。3・4走のパスもBチームがよくて、寺田明日香選手が走り出したときには追いつくのではないかと思えたほど。さすがに、加速してからの高橋萌木子選手は強く、寺田選手を引き離しましたが、Bチームの健闘が印象に残りました。
 今日聞いた話で「そうだったんだ!」と思わず口に出たネタがあります。リレー種目は国際陸連指定大会での、2レースの平均タイムの上位16カ国がオリンピックに出場できます。日本は昨年の大阪世界選手権が失格だったので、アジア選手権(45秒06)と今度の大阪GPの平均タイムになるとばかり思っていました。
 ところが、大阪GPに2チーム以上が出場して、その2番目のチームのタイムがアジア選手権よりも良かった場合、そちらがカウントされるのだそうです。これは朗報です。
 アベレージを43秒7くらいにしないと上位16カ国入りは難しいということなので、簡単にできることではないのですが、今日のBチームの快走を見ると、僅かながらも希望の灯がともったと感じました。


◆2008年4月14日(月)
 陸マガ5月号の発売日。今月書かせてもらったのは、本誌では武冨監督の記事「天満屋、強さの秘密とは…」。あとは付録の「日本の大会百撰」ですね。
 武冨監督の記事は上手くまとめられたかな、という印象です。監督がいつも、「うちのチームは特別なことはやっていません」と言われるので、こちらも準備をしていきました。取材のベースとさせてもらったのは、水城さんが2003年に書かれた天満屋の記事です。それと、ちょっと古いですけど99年に山口衛里選手(現コーチ)が東京国際女子マラソンに優勝したときの取材ノート。
 朝練習のくだりは水城さんの記事、“ドカンと走り込む期間を設けない”というくだりは山口選手の取材ノートをもとに、話を突っ込んでいったというか、積み上げていきました。それらの話に、名古屋に向けた中村友梨香選手のトレーニングや、五輪代表3選手の違いなどを絡め、最後に北京五輪に向けた話題を付け加えたシンプルな構成。それで、寺田にしてはわかりやすい記事になったのでしょう。
 ただ、読む人が読めば、けっこう深みのある部分もあったのではないかと思っています。

 実は5月号を面白く読むキーワードは“リディアード”(ニュージーランドのコーチ)です。武冨監督の記事と、ピーター・スネル氏(リディアードが育てた東京五輪中距離2冠の選手)と横田真人選手の対談が、同じ号に載っています。編集部の意図というよりも神の見えざる手の成せる業ですが、タイミングが良すぎますね。「フルマラソンチャレンジbook2」に寺田が書いた佐藤敦之選手の記事「スピードかスタミナか? 福岡国際マラソンで到達した結論は?」を併せて読んでいただければ、もっと面白くなります。
 詳しい説明は省きますが、スネル氏はもちろん“リディアード式”トレーニングの信奉者。中距離にも“走り込み”でスタミナをつける練習が有効だと、力説しています。それに対して横田選手は、ゆっくり走るトレーニングはいっさいしないタイプ。スネル氏に食い下がるくだりは、迫力があります。

 武冨監督の記事中には、日本の一般的なマラソン練習を“ドカンと走り込む”という表現で出しています。天満屋ではそれをしません。チームの成立過程の事情もあり、その方向に進んできました。マラソンを走る選手は年間を通じて30km走などの距離走を行っている代わりに、“ドカンと走り込む”期間を設けないわけです。その分、駅伝やトラックに出ながら、マラソンに合わせられる。その結果、スピードも維持できるわけです。
 山口選手は東京の1カ月ちょっと前に日本選手権(99年は10月頭に草薙で行われたと記憶しています。花岡麻帆選手が日本新を出した大会)の1万mを走り、11月には淡路島女子駅伝を走っています。坂本直子選手も、全日本実業団対抗女子駅伝から1カ月半で大阪国際女子マラソンを走り、五輪切符をゲットしています。当時、坂本選手は03年のパリ世界選手権で銅メダルを獲得後、五輪選考レースをどこにするのか注目されていましたが、武冨監督は「駅伝の走りを見て決める」と言い続けました。

 ただ、天満屋の練習が“リディアード”じゃないかといえば、大きく見ればリディアードと言えなくもない(日本選手とは違う感じで仕上げてくる外国選手とは違う感じがします)。短期間に距離走を何本も行う方式ではありませんが、月に走る距離は900km、1000kmになります。距離走ではなく朝練習や、寮までの往復のジョッグとか、夕食後の散歩とか、ほんとうにちょっとしたところで補う習慣をもっているのです。
 リディアード式の全部を理解しているわけではないのですが、日本では“ドカンと走り込む”という部分を重視して、今の実業団で主流となっているトレーニング法が確立されてきたのだと思います。天満屋はそれとは少し違う発展のさせ方をしたと言えるのではないでしょうか(もちろん私見です)。記事中でも触れていますが、現役時代に瀬古さんや宗さん兄弟ほどの“走り込み”ができなかった武冨監督だから、そうした方向で考えられたのかもしれません。
 佐藤敦之選手も同様で、基本的にはリディアードなのですが、自分に適したスピードの要素を上手く組み合わせて、福岡国際マラソンの成功につながったのではないかと思います。この辺は機会があったら、佐藤選手にも聞いておきましょう。高校時代にリディアードの書籍を読みあさったのが同選手ですから。それと、横田選手にも。
 まあ、急いて結論を出したり、記事にすることでもないのですが。


◆2008年4月16日(水)
 朝、神戸新聞・大原記者からメールが来ていました。
「今月の陸マガは表紙と巻頭が朝原宣治選手で、カラーに武冨監督(神戸製鋼出身)と中村友梨香選手、さらに小林祐梨子、中山卓也、八木勇樹、竹澤健介と兵庫県関係者ばかり。神戸新聞に広告を出せば良かったのに」
 言われるまで気づきませんでしたが、カラーページの同一県関係者の占有率では過去最高かも。陸マガ誌上では、兵庫が燃えています
 月末の兵庫リレーカーニバルでも燃え上がることでしょう。

 夜は広島関係者と食事。織田記念も負けていられません。


◆2008年4月17日(木)
 夜は“大物”関係者と食事。めちゃくちゃ面白い話を聞くことができました。有意義ですね、こういう機会は。具体的に書けないのが残念です。大物といっても、陸上関係組織の幹部という意味ではありませんので。念のため。


◆2008年4月20日(日)
 昨年に続き、2度目の和歌山取材です。紀三井寺の競技場はちょっと古いですけど、独特の南国っぽい雰囲気があって好きですね。某専門誌のE本編集者の大らかな人柄は、こういった土地柄に育まれたのだと実感できます(普段の記事では、環境がキャラに影響を与えるとは絶対に書かないのですけど)。

 和歌山は日本GPの第1戦ですが、GP種目の数や選手の顔ぶれからすると、兵庫・織田・静岡に比べ、やや劣ります。選手たちも、春先の記録会・対校戦と春季サーキットの中間的な位置づけで臨んでいるような印象です。とはいっても、フィールド種目は技術チェックが上手くできた選手も多かったようですし、長距離種目には男女の日本記録保持者が出場しました。
 GP種目の数が少ないおかげで、取材はしやすかったですね。一番の違いは競技をじっくりと見られたこと。他の大会では見られない種目も多いのですが、今日はフィールド種目も含め、ほとんどの種目を見られたと思います(全試技ではありませんけど)。強いていうなら、松宮隆行選手の会見と走高跳・土屋光選手の2m27挑戦が重なってしまったことくらい。2m21まではしっかりと見られたのでよかったのですが。
 一番盛り上がったのは十種競技の最終種目の1500m。新鋭の右代啓祐選手が世界選手権代表の田中宏昌選手に迫っていて、アナウンスを担当した陸連・関さんが、「この得点差なら、何秒差で逆転」とわかりやすく紹介してくれて、2人のタイム差を計測しながら1500mを見ることができました。その辺を理解しながら見られると、かなり面白いですね。アナウンスの声も、大きなスタジアムでは反響で聞き取りにくいのですが、紀三井寺はどの場所でも聞き取りやすかったですし。

 技術的な話をしてくれた選手でパッと思い浮かぶのは、ハンマー投の土井宏昭選手。記事にさせてもらいました。走高跳の土屋光選手の2m21は、シーズン初戦の自己最高だそうです。記事にはしませんでしたが、本人も話してくれたように“はまっている”跳躍でした。細かい反省はあると思われますが、助走が明らかにスピードに乗っていないとか、踏み切り位置が明らかに狂っているという部分はなかったわけです。
「技術がおかしいのにここまで記録が出たから、技術を修正すればもっと行ける」というコメントをよく聞きます。その反対が「技術がまとまっているので、シーズンが進めばもっと行ける」というコメント。今日の土屋選手は後者だったわけですが、取材現場では前者の方が多く聞くコメントです。ただ、実際は後者の方が記録が伸びるケースは多いと感じています。その意味で、今年の土屋選手には期待ができるのでは?

 ただ、オリンピック代表となると、醍醐直幸選手がいますから実際問題厳しくなります。2m27のB標準を跳んでおいて日本選手権で勝つか、A標準の2m30を跳ぶか。繰り返し書いていますが、A標準を跳んでも日本選手権で負けたら、どうなるかわかりません。
 筑波大の跳躍関係では走高跳の土屋選手、三段跳の杉林孝法選手と石川和義選手あたりに五輪代表のチャンスがあります。村木征人先生の退官前最後の年ですから、門下から代表を送り出したいところです。でも、それができなかったからといって、あまたの日本記録保持者や日本代表を育てた村木先生の功績が低くなるわけではありません。選手たちも「必ず北京に」と力む必要はないということです。

 力みがなくなったのが小林祐梨子選手。昨年は何が何でも世界選手権に、という気持ちが前面に出ていましたが、今年はちょっと違う感じです。記録も昨年後半は、「ジュニア記録を狙って焦っていて、気持ちに余裕がなかった」と言います。大学生活など日常生活の環境が変わったことへも、対処しているようで仕切れていなかったとのこと。今年は5000mでA標準を早々に切っているので、その辺がプラスに表れているのかもしれません。
 今日は風があったこともあり、1000m3分ペースから上げられませんでした。ロードの延長で、そのペースにはまってしまっている部分もあると小林選手は分析。「今年は寒くてスピード練習ができていない」ということもあるようです。「兵庫リレーカーニバル(1500m)の目標は、まだ決めていません。(レースが近づいて)気持ちが盛り上がってきてから決めたい」。この辺も、何が何でも記録を、と力まないようにしているだと感じられました。
 ただ、天候の部分に関しては確認しないといけないと思って、寺田が「今年の神戸は異常気象なのですか?」と質問すると、「全国的にそうなのでは?」と小林選手。世間知らずというか、陸上競技のこと以外は知らないと言われている記者の面目をほどこしてしまったシーンです。
 兵庫リレーカーニバル本番は、一気に熱くなってくれるはずです。


◆2008年4月22日(火)
 日曜日に和歌山の取材から東京に戻ると、新婚の土江寛裕監督からメールが届いていました。
 新生活の喜びや苦悩が綴られているのかと思いましたが、出雲陸上に関してでした。島根県は同監督の出身地。土江監督も運営に関わっている大会で、選手集めなど、かなり尽力しているようです。招待競技は短距離に絞った大会で、300 mやウォーミングアップレースなど、斬新な企画もあります。

「出雲は興味あるけど,兵庫や和歌山と重なるし,なかなかいけないよねぇ」と毎年おっしゃる寺田さんのために,今年は地元ケーブルテレビ局を巻き込んで,中継録画し(当然解説は土江),地元に放送するだけでなく,招待レースはインターネットで配信することになりました.

 それがこの出雲ケーブルテレビのサイトです。こうしてレースの映像をネットで見られるのは、いいですね。当然ですが、大会主催者やスポンサーなど、各方面に配慮することが必要で、スタンドの観客が無制限にこれをやってしまうとまた、問題があるのですが。
 色んな大会の映像をネットで配信できるようにする構想を、土江監督は持っているようです。ディレクター的な部分だけでなく、プロデューサーの資質もあると見ました。まあ、陸上競技の監督とは元々、現場指導に加えマネージャー的な手腕も求められるポジションです。

 土江監督といえば、96年のアトランタ五輪は大学4年生であれよあれよという間に代表入り。00年のシドニー五輪代表争いではあと一歩のところで涙を飲み(南部記念で負けたのだったと記憶しています)、それでもシドニー留学していることもあって現地で運転手などサポーター役を買って出ました。そして04年のアテネ五輪では代表に復帰し、見事に4×100 mRで4位入賞を果たしています。五輪には3大会で、その都度その都度、役割を変えて携わってきました(同じ選手という立場でも、アトランタとアテネではずいぶん違いました)。
 今年はリレーのコーチ(アドバイザー?)的な関わり方をしていくのかもしれません。3月の沖縄合宿では4×100 mRの“土江理論”が、選手のやる気を刺激していたと聞いています。


◆2008年4月26日(土)
 兵庫リレーカーニバルの1日目ですが、東京で終日仕事。昨晩、K新聞・O原記者からメールがあり、土曜日なら三ノ宮界隈の店ならどこでも、K新聞のツケで飲食ができるようにしておくという誘いもあったのですが、どうしようもありませんでした。
 今日はGP種目はありませんが、アシックス・チャレンジの男子1万mと女子5000mが行われました。明日の本チャンに出られない選手のためのレースですが、これが選手層の厚い日本の長距離を象徴していて、例年そこそこのレベルになるのです。
 ところが、兵庫陸協サイトを見ると今年はいまひとつの記録。どうしたんだろうと思いながら気象状況を見ると、風速が5mなんて時刻もあります。気温は18℃はあったので寒かったわけではありません。風が記録を阻んだようです。
 神戸はまだ、燃えていないようです。


◆2008年4月27日(日)
 兵庫リレーカーニバルの取材。寺田の中では思い入れの大きい大会です。
 珍しく締め切り原稿を抱えていない状態で新幹線に。陸マガ発売と日本選抜和歌山大会の日記を書いて、京都駅で止まっている間にPHSを使ってアップしました。「最近、時間差が大きい」と指摘される日記も、無理矢理リアルタイムに持ってきたわけです。

 新神戸で地下鉄に乗り換えると、兵庫県出身の某監督と一緒になりました。話題になったのがタイムテーブル。今年は看板種目の男女1万m開始時間が14:40と15:30で、ずいぶんと早くなりました。以前は最後の方にほとんどナイターに近い状態で行われていました。高岡寿成&早田俊幸のカネボウ勢ワンツーとか、真木和選手の日本新とかの頃の写真をよく覚えています。
 会場に着いてからも何人かの兵庫県関係者に話を聞きましたが、誰も明確な理由は知りません。テレビ放映の都合じゃないか? とか、最後の方に行うとスタンドが寂しくなるからでは? というご意見をお聞きしました。メンバーも、カージナル招待や静岡国際に振り分けられ(特に男子)、例年よりも寂しいメンバーです。
 先頭の外国選手が速すぎて、27分台やA標準を狙う日本選手にはメリットが少ない、という指摘も昨年聞きました。これは、かつてのカネボウ・コンビのように選手側の姿勢で解決できる部分なので、一概に決めつけられないとは思いますけど。
 ただ、伝統の兵庫1万mが以前ほど燃えにくくなっているな、という部分は感じられました。

 しかし、今日のレースでは女子が盛り上がりました。記録のレベルも高かったですね。渋井陽子選手が外国人任せにしないで中盤から自分でペースを作り、最後の直線もフィレス選手にかわされたかな、と思ったら盛り返して、最後はほとんど同時にフィニッシュ。直後にはフィレス選手と抱き合って、充実感がこちらにも伝わってきました。
 31分19秒73は自身の日本記録に30秒届きませんでしたが、自己2番目の記録。この種目では福士加代子(ワコール)選手が31分前後で何度も走っているため今ひとつインパクトがありませんが、実はすごい記録なのです。これまでのセカンド記録日本2位は川上優子選手の31分20秒19でしたが、今日の渋井選手はそれを上回りました。昨年の日本最高である赤羽有紀子選手の31分23秒27も上回っています。
 “同タイム着差あり”の結末は、本人は口惜しいでしょうけど、客観的な評価にはそれほど影響しないのでは?

 日本人2位の中村友梨香選手は31分31秒95の自己最高&天満屋最高&兵庫県出身者最高記録でした。女子マラソン五輪選手の1万mとしては真木和選手を抜き、歴代2番目のタイムですね。歴代トップはもちろん野口みずき選手(31分21秒03)。藤田門下の2人の間に、中村選手が割って入った形です。
 日本人3位だった赤羽選手は今ひとつの印象ですが、それはこのところ、日本選手間で負け無しが続いていたためでしょう。31分36秒54は渋井選手同様自己2番目の記録ですし、準備不足の状態で挑戦してのタイムは、今後に大きなプラスとなると思われます。

 男子走幅跳も女子1万mと同様に、好記録が続出。優勝した荒川大輔選手が8m09、2位の志鎌秀昭選手が7m90、3位の新村守選手(東海大)は7m89、4位の菅井洋平選手(チームミズノアスレティック)も7m83と4選手が自己新。
 荒川選手は自己記録が6年前の2002年に静岡国際で跳んだ8m06で、歴代順位が8位のまま。本人にすると“あれ?”というところでしょうが、中身はまったく違います。その辺はコメントを記事にしたので、参照してください。
 志鎌選手は筑波大OB記録(7m95)更新の候補に躍り出ました。が、日本歴代リストを見ても、ここから上が難しいのがわかります。筑波大関係選手も7m85以上は志鎌選手で6人目ですが、8mジャンパーがいません。勝負はここからでしょう。
 できれば志鎌選手の話を聞きたかったところですが、和歌山と違って兵庫からはタイムテーブルがきつくなります。今大会はGP種目を短時間に固めて行っていますが、どうなんでしょう? 一般選手の種目とうまく交互に行った方が、場内の盛り上がりも上手く継続するのではないでしょうか。レベルの高い種目を矢継ぎ早に見せるのがいいのかどうか。感動にはしばらく浸っていた方が、記憶に残るという説もありますが。

 補助員がしっかりしていることも兵庫の特徴です。30日に中京大で室伏広治選手の会見があるのですが、寺田の横にいた日本を代表する某新聞の関西地区陸上競技担当記者が、水泳のY選手の会見と重なり、どちらに行くか迷っていました。記録を配りに来た女子の補助員に「どちらに行くべきだと思う?」と質問すると、間髪入れずに「室伏選手だと思います」と答えてくれました。さすが関西。
 聞けば、神戸甲北高の陸上部だそうです。日本で最初に“地元の1万m(02年の兵庫リレーカーニバル)で27分台を出した”ことで有名な坪田智夫選手の母校ですが、その補助員は坪田選手のことは知りませんでした。坪田選手に代わって寺田が、落ち込んでおきました。これは、O原記者にも責任があるような気がします。

 男子1万mでは報徳高出身の木原真佐人選手が日本人トップ。兵庫県の中・高生にとって兵庫リレーカーニバルは「憧れの大会」(木原選手)です。そこでトップを取ることが、どんな素晴らしいことか。女子1万mでは中村友梨香選手のほか、須磨学園高出身の堀江知佳選手も7位と好走。地元実業団チームの小崎まり選手も5位。女子やり投の宮本美穂選手は連続優勝こそなりませんでしたが、3位は額面割れはしていません。
 木原選手は3000mまでは果敢に、ケニア勢に着いていきました。昨年の八木勇樹選手(西脇工高→早大)は、国体で外国勢に勝ちました。竹澤健介選手(報徳高→早大)もいます。留学生選手に対し否定的な先生の多い兵庫県ですが、立ち向かう気持ちはしっかりと持っているのが兵庫の選手です。
 神戸は燃えている、と思います。


◆2008年4月28日(月)
 10:40まで三ノ宮のホテルで仕事をしてから広島に向かって移動を開始。11:00の地下鉄に乗る予定でしたが、三ノ宮の駅でホームを間違えて乗り損ない、11:13新神戸発のひかりに間に合いませんでした。貧乏人・寺田の場合、新幹線の移動は基本的に自由席。のぞみは満席かな、と思っていたのですが、11:22ののぞみ自由席に座れました。ゴールデンウィーク中の自由席は、前半だけかもしれませんが、指定席は満席でも自由席は意外と空いていたりします。
 新神戸駅のホームでは神戸新聞を購入。一面の写真(サイトのこの記事の写真)はフィレス選手と渋井陽子選手のデッドヒートでした。やはり、1万mが看板種目ですから。売店のおばちゃんに「今日の神戸新聞は売れているんじゃないですか?」と聞くと、間髪を入れずに「いつもの3倍くらいやね」という答え。ちょっと大げさというか、冗談を言っている雰囲気がなきにしもあらずですが、兵庫リレーカーニバル翌日の神戸新聞は関係者が買っているということでしょう。
 広島駅からはJRの可部線で大町へ。そこでアストラムラインに乗り換え。初めて使った経路ですが、ビッグアーチに直接行く場合は乗り継ぎのロスも少なくて、けっこう使えることがわかりました。

 織田記念前日のビッグアーチ取材はたぶん2度目。全員というわけではありませんが、有力選手も練習をしています。じっくりと話を聞くことはできませんが(「為末選手は例外」と地元記者)、表情も見られますし、行って損はしません。朝原宣治選手は引き揚げた後でしたが、田野中輔キャプテンを筆頭とする富士通勢、小島茂之選手ら早大短距離グループ、ヨーロピアンな雰囲気の早狩実紀選手、池田久美子選手を除く川本門下選手たち、北海道の中村宏之先生グループ、そして高橋萌木子選手が練習をしていました。動きを見てどうだ、とはさすがに言えませんが、関係者の話を聞く限り、高平慎士選手はかなり良い状態のようです。

 注目したいのは全種目ですが、陸上競技の五輪代表枠が36人と暫定的に決まったことで、女子短距離への注目度が高まりました。他の種目は全体枠があるため、A標準選手でもその種目で2〜3番目の選手やB標準の選手は、どうなるかわかりません。その点、女子短距離は今後リレーの出場資格を得られれば、全体枠と関係なく出場が確約されたのです。元々、2大会平均で世界16位以内という基準をクリアしない限り、出場できないという厳しさは変わりません。変に一喜一憂することなく進めるようになったということです。
 出場を懸けた正念場は大阪GPやプレ五輪なのですが、4×100 mRだったら明日の織田記念の結果が大阪GPのメンバーを決めます。特に選考会と決められてはいませんが、常識的に考えて、明日の成績が良かった選手がAチームのメンバー入りすることになるでしょう。4月13日の日記でも触れたように、ABCチームまで構成できる人数で、冬の間も合宿を重ねてきた女子短距離。直前の試合の結果次第で、Aチームのメンバーを変えられる態勢のはずです。

 長話は控えないといけませんが、短時間なら問題ないと判断。選手に気を遣うのも大事ですが、子供ではありませんから。期待の和田麻希選手に関西学生記録を聞いて、藤井由香選手(当時龍谷大。三英社で11秒59)の11秒60と判明。大学の後輩でもある和田選手は昨年、11秒63に迫っています。「(明日も関西学生記録が)目標ですけど、いきなりは難しいかもしれません」ということでした。
 北風沙織選手は「自己ベスト(11秒52)くらいは」と言います。中村先生はもう少し、上の記録を予想していましたが。好調の渡辺真弓選手も、自己記録が11秒74とそれほど高くないこともあり、そこは最低でも更新したいようです。
 高橋萌木子選手は手or脚の着き位置を微妙に変えて、スタート練習を何度も繰り返していました。
 元短距離選手の佐藤美保選手とは広島ということで、夫の佐藤敦之選手の話題に……はなりませんでした。毎回その話では、記者としても芸がない。安芸(※)でも飽きられてしまうかもしれません。ブログで30歳になったと明記していたので、800 mの30歳台記録の話題に。同僚の吉田真希子選手が2006年に出した2分06秒24がそうなのですが、これも13日の上尾の走りを見ると、ちょうど良い目標になるのでは?
※安芸(あき)。広島県の旧国名。

 前日の競技場使用時間は17時まで。他の記者たちとタクシーに相乗りして大会本部ホテルに移動し、近くの自分の宿泊ホテルにチェックイン後、前日の歓迎レセプションに顔を出しました。NTNの逵中新監督には、ブログをリンクさせてほしいと申し出ましたが、しばらく考えさせてほしいとのこと。ちなみに、女子日本記録保持者のS選手とK選手も、お願いはしていますが許可がもらえていません。メールで存在を教えてくれる方もときどきいらっしゃるのですが、そういった事情でリンクができていないのです。
 ミズノの田川茂さんとは当然ですが、走幅跳の東海大記録の話題に。昨日の兵庫リレーカーニバルでの新村守選手の7m89は、前田裕扶選手の東海大記録とタイ。意外なことに、田川さんの学生時代は7m85。ただ、昨日の筑波大記録の話題でも書きましたが、このレベルはたくさんの選手が出しています。田川さんのように8mを超えられるかどうかが、大事なのです。
 パーティー会場の取材はNGですが、中国新聞・山本記者が錦織育子選手の話を聞くというので、2人で会場の外で同選手にパパッと取材。先週のマウントサックでは記録なしでしたが、4m15から日本記録のときと同じポールを使ったのだそうです。見ているのはA標準です。

 パーティー後は、某社の方たちと食事。あるオファーがありました。実現するかどうかはわかりませんが、声をかけていただけたのは名誉なことだと思います。


◆2008年4月29日(火)
 織田記念取材。後世の陸上競技愛好家・研究家から“ビックリデイ”と呼ばれる可能性のある一日になりました。
 まずはGP種目開始前に某組織から、ある依頼がありました。半年先のことですが、まったくもって想像の範囲を超えるオファー。昨晩の某社からのオファーもそうでしたが、ビックリの2連発。これは個人的なことですが。

 競技での最初のビックリは女子100 mH予選。
 11時半頃に始まる男女の100 mとハードル種目は、弁当を食べながらスタンドから見るのが恒例になっています。コメント取材は決勝が終わってからなので、よっぽどの記録が出ない限り下に行くことはありません。今日は某専門誌のMライターと見ていたのですが、2組目の池田久美子選手が8台目でハードルを引っ掛けて転倒。
 池田選手の転倒は初めて見ました。取るものもとらずに、食べるものも食べずに、フィニッシュ地点脇に向かいました。着くと、すでに記者たちの多くが集まっています。池田選手がハードルの設置場所が違っていたのではないか、とアピールしていますが、どの役員に言ったらいいのかわからないようでした。
 池田選手が「おかしかったと思う人」と選手たちに声を掛けると、半数くらいの選手が手を挙げました。ただ、ハードルはすでに、次の110 mHのために動かしてしまっています。そうこうしているうちに、女子100 mH選手とその指導者はロビーに集まってほしいというアナウンス。

 報道陣も見守る中で、広島陸協から選手・指導者に説明がありました。7台目のハードルが30cm、フィニッシュ寄りに間違って設置してしまったとのこと(翌日の新聞各紙は48cmと報道しているので、その後修正があったのかもしれません)。逆走用の目印と間違えたのが原因だそうです。これはあとでわかったことですが、補助員任せではなく、しっかりと確認作業も行ったのですが、その確認作業でもミスをしてしまったようです。
 標準記録突破のチャンスをつぶした可能性もありますし、大きなケガにつながった可能性もある重大なミスです。最悪、オリンピックに出られなくなることも。しかし、起きてしまったものは取り返しがつきません。広島陸協は平身低頭、謝罪していました。
 それを、オープンに行なったところに、広島陸協の賢明さが表れていました。どこかの部屋に選手を集めて、非公開で行うこともできたのに、報道陣の目の前で行いました。密室の説明はあとから根ほり葉ほり質問され、何回も同じことを話さないといけなくなりますし、どこかで情報が間違って伝達する可能性もあります。公開で行った方が絶対に良いのです。その辺をわかっていない県も多いと感じています。恥をさらさない、という考え方なのでしょうが、逆効果だと断言します。

 池田選手の転倒&ハードル設置ミス取材のため、次の種目の女子100 m予選はまったく見られませんでした。1組目で北風沙織選手が11秒51、福島千里選手が11秒53と、北海道ハイテクAC勢がともに自己新の快走をしていました。福島選手が0.07秒と大幅な更新ですが、2週間前に上尾の4×100 mRでの好走を見ていますから、驚きませんでした。この時点ではまだ“ビックリ”ではありません。
 “ビックリ”は決勝。中盤までリードした北風選手を、後半にスルスルっと福島選手が抜いて行き、タイマーが11秒3*で止まったとき。通常、止まった数字をメモするのですが、あまりの驚きにメモをし忘れました。そのくらいの衝撃でした。正式計時は11秒36の日本タイ。予選で出した自己記録を0.17秒、大会前の自己記録を0.24秒も更新したのです。7年前の二瓶秀子選手も11秒4台を飛ばしての11秒3台でした。ハードル種目の大幅な自己記録更新は珍しくないのですが、100 mという種目でそんなことが2度も起こるとは。本当にビックリ。

 福島選手自身も会見で「ビックリです」を連発。他に言いようがなかったのでしょう。こちらに記事にしましたが、実際にはもっと多く口にしたと思います。寺田も意気込んで質問しましたが、2度「ビックリです」と面と向かって言われました。本当はもう少し詳しい言葉を期待していましたが、あの場で、あの雰囲気で「ビックリです」と言われると、それ以上は突っ込めません。これは、その場にいた人でないとわかりにくいと思うのですが。
 K通信・T村記者は「7〜8回だった」と言います。こうなったらもう、福島選手にはどんどん活躍してもらって、インタビューでも「ビックリです」と連呼してもらいたいと思います。そして、今年の流行語大賞を取る。
 と陸マガの英語講座でお馴染みのケネス・マランツ記者に話すと、流行語大賞が通じませんでした。「prize of popular words かな」と寺田。
 流行語大賞はともかく、本当に彼女に面と向かって「ビックリです」と言われるとものすごく印象的なのです。どうしてなのか、今度、朝日新聞・堀川記者に聞いておきます。

 その他にも取材をしたい選手・種目が目白押し。
 朝原宣治選手は予選1組ですが10秒17(+0.6)で、2位に0.31秒差。決勝を走らないということで、急きょ会見が行われて途中から出席。女子800 mの佐藤美保選手は30歳台日本最高に僅かに届きませんでした。佐藤敦之選手も姿を見せていましたが、コメント取材は次回にして他の種目の取材に(上尾で話を聞いていますし)。会見場にモニターがないのが、織田記念取材の最大の難点です。小林史和選手も会見は冒頭だけで、トラックに。女子100 mの取材と重なって、男子100 mは見られませんでしたが、高平慎士選手の会見はきっちり取材しました。
 フィールド種目は畑瀬聡選手、室伏由佳選手とそれなりにコメントも取材(広島陸協にならって正直に言うと、競技はあまり見られませんでした)。女子三段跳は大会の最後の方で、他と重ならないのでいつも、じっくりと話を聞けます。たぶん、吉田文代選手と一番長く話ができる試合です。
 ところで、吉田選手の今年の所属は“中大レディース”。アクセントを間違えて発音すると、違う意味になってしまうので注意をしましょう。決して、そういう集団ではありません。そこを取材はしていないのですが、自信を持って言えます。

 織田記念の良いところは、ほとんどの種目が終わってから男女の5000mが行われるところ。兵庫リレーカーニバルもそうしてほしいです。その方が注目されると思いますし、取材も集中できます。場合によっては、他の種目のコメント取材にも充てられますし。
 今日は男子5000mの後半はしっかり見ましたし、女子5000mは赤羽有紀子選手のラップを計測することもできました。しかし、レース後の取材は日本人2位の馬目選手を優先。このところ、好調ぶりが目立っていたので一度、どういう選手か話を聞いておきたかったのです。赤羽選手はこのところ、何度か話を聞く機会がありましたし。
 馬目選手の取材後に会見場に行くと、ちょうど赤羽選手の会見が終わるところ。終了後に夫の周平コーチから、ブログに載せていた兵庫リレーカーニバルの写真でわかる欠点を、教えてもらいました。

 見られなかった種目も多々ありましたが(それでもなんとかするのが陸上競技記者)、年に一度の広島トラック&フィールド取材は無事に終了しました。繰り返しますが、ビックリの連続で、慌ただしくも充実した取材でした。
 最後にこれも、広島陸協にならって正直に平身低頭お詫びをしたいと思います。食べかけの弁当を記者席にそのまま放置してしまったのは、寺田です。この日記を書いていて思い出しました。申し訳ありませんでした。


◆2008年4月30日(水)
 昨日の織田記念の写真を出しておきましょう。時系列順が良いですかね。
 これはお馴染みの佐藤美保・敦之夫妻。普段は福島と広島で別々に選手生活を送っていますが、織田記念の行われる4月末に年に一度だけ、七夕の織り姫と彦星のように会うことができる……のならこの写真の価値が上がるのですが。実際はもう少し一緒にいる時間が長く、それが2人のパワーの源にもなっていることは周知の通りです。
 これが女子100 mで日本タイ記録樹立直後の福島千里選手。前後のカットを見ると、ずっとはにかんでいました。今後の活躍次第では“はにかみ王女”と言われるようになるかもしれません(ハニカット王女は元気でしょうか?)。
 これは福島選手の会見後。女子100 mの次が男子100 mの会見で、待機していた高平慎士選手が敬意を表しています。このシーンだけを見たら朝原選手、末續選手に匹敵する存在ですね、福島選手は。同じ北海道出身という点を差し引いたとしても。
 これは競技終了後の吉田文代選手が、スタンドに挨拶をしているところ。あっちのレディースではなく、陸上競技のレディースだと、この写真が証明しています。

 女子100 mH予選で起きたハードルの設置ミスにも再度言及したいと思います。同じことは過去にも何度かありました(よくあることだから許される、というものでは決してありません)。記事になったのは国体やインターハイなどだったと記憶しています。ヨーロッパの試合で走っていったら、10台目がなかったという苅部俊二選手(現法大監督)の例もあります。
 ニュースにならなくても実際は違っていた、というケースもあったと思われます。今回も池田選手が転倒しなかったら、発覚しなかったような気がします。
 そこで書いておきたいのが、選手が役員に話しかけやすくするべきだということ。いざというときに、話しかけていいのかどうか、躊躇ってしまうのが日本の国民性です。「おかしかったと思うんですが」「調べてくれませんか」と、話す相手が決まっていれば、選手がアピールしやすくなります。
 ちょっと違った方面の話になりますが、昨今、女子選手にカメラを向ける不埒な輩も多くなっている現実があります。そういうとき、気づいた選手が役員にアピールできれば、選手のストレスが違ってくると思うのです。こちらの記事を参照してみてください。

 ところで、今年の織田記念は、注目の選手採用・育成システムをスタートさせたM&Kのデビュー戦でした。男子三段跳の梶川洋平選手と女子100 mHの熊谷史子選手。以前の記事で@2007年日本リスト順位が5位、A日本歴代順位が15位、B2007年全日本実業団成績が3位と同じことを指摘しました。という文章の流れから、織田記念の成績も同じだったと予想した読者の方は素直ですね。寺田がそんなことを書く…こともあります。
 梶川選手が15m77(+1.0)で4位、熊谷選手が13秒87(−0.1)で4位。順位はともかく、記録的にはもう少し、という感想を持ちました。
 そのM&Kですが、4月7日の日記で

 寺田は梶川選手と熊谷選手の競技的な特徴と、将来性という部分を先に記事にしました。実は今日の会見後、幹渉社長とお話しをしていて、実業団で続けられないレベルの選手の受け皿と表現するのは、ちょっと違うことに気づかされたのです。
 確かに実業団に入れなかった選手たちですが、決して将来性がないわけではない。むしろ、将来性のある選手しか採用しない。スポンサー獲得がシステムに組み込まれているのですから、選手が強くなってくれないことには破綻してしまうのです。


 と書きました。幹渉社長も同意してくれました。しかし、別の面もあると言います。
「底辺の拡大が果たせれば、採用することもあります。ある意味、市民ランナーでも目的が一致すればよいと思っています。これらを総合的にやりたいというのが方向性です。前半部分だけだと、寺田さんの言われる通りで、この部分ではある種のセレクトはやむを得ないと思います。一方、私は後半部分も重要だと思っていますし、その延長として高校・大学生に対する奨学金のようなものも考えています」
 これは、寺田の考え・取材が足りなかったと反省しています。それにしても壮大な構想です。


◆2008年5月3日(土)
 静岡国際取材。兵庫リレーカーニバルは思い入れのある大会だと、数日前の日記に書きました。織田記念も毎年、充実した取材ができて好きな大会です。そして静岡国際は、自身の出身県で行われている大会。しかも今回は、初めてエコパで開催されます。何度も書きますが、エコパのある袋井市は寺田のホームタウンです。まさかパリ(2003世界選手権)で一緒に地下鉄に乗ったマランツ先生(陸マガ英語講座担当)と、愛野駅(エコパの最寄り駅)で一緒になるとは想像もしませんでしたが。

 今年エコパ開催に変わった理由は、周回種目の記録が出やすからでしょう。男女の400 mは昨年まで織田記念で行われていましたが、今年は静岡国際に移りましたから。静岡国際は例年、男女の200 mと400 mHが行われています。大阪GPは別として、通常の春季サーキットで、そこに400 mを加えることはありません。400 mと400 mH、あるいは400 mと200 mを兼ねる選手への配慮からです。
 そこをあえて、静岡国際で400 mを実施する。4×400 mRと併せ、北京五輪に派遣したい種目だという意思の表れです。誰の意思かといえばもちろん、陸連のです。静岡陸協にその辺を確認したところ、昨年の静岡国際終了後に陸連から、今年は男女の400 mを加えたいこととと、エコパ開催を打診されたそうです。

 陸連の狙いは見事に的中しました。女子400 mで丹野麻美選手が日本新記事)を出し、男子400 mでは金丸祐三選手がA標準を突破記事)。女子では木田選手が53秒05の日本歴代3位、堀江選手も53秒10の日本歴代5位を記録し、大阪GPの4×400 mRに弾みがつきました(男子の苅部俊二短距離部長は、2番手が金丸選手に大差をつけられたことを気にしていましたが)。
 エコパの周回種目で記録が出やすいのは、長居や横浜と同様に、追い風となる部分が多いからです。丹野麻美選手のコメントにあるように、男女の400 mの行われた時間帯はそうだったようです。ところが、男女の400 mHの時間帯にはバックストレートが向かい風になってしまいました。成迫健児選手の記事でも触れましたが、それが400 mHで記録が出なかった理由です。選手側のコンディションもあったかもしれませんが。

 ところで、エコパ開催について、使用料が高いので大変なのではないか、という意見を神戸か広島で聞きました。確かにサッカー・ワールドカップの行われた近代的なスタジアムで、そういうイメージがあるのかもしれません。しかし、寺田は以前から、エコパの使用料は安いと聞いていました。
 愛野駅が近くにあり、駐車場も十分に確保されていますが、袋井は決して都会ではありません。周辺人口は静岡や浜松に比べて少なくなります。そういう場所に建てたスタジアムを宝の持ち腐れにしないために、陸上競技の使用料は低めに設定することで、当初から話が決められていたと。
 偶然ですが、静岡陸協の永田先生から、それを裏付ける資料(エコパの利点)をいただくことができました。
 スタジアムの使用料は5万9000円(高校生以下の大会は2万9500円)で、審判員が設備になれているため、近代スタジアムの施設を十二分に活用できるのだそうです。


◆2008年5月10日(土)
 国際グランプリ大阪は生憎の雨。気温も12〜13℃と、この時期にしては低すぎます。これでは記録は望めません。昨年のスーパー陸上もそうでした。日産スタジアム、長居と記録の出やすい競技場で行われる両大会ですが、これではせっかくのハードも生かしようがない。わざわざ極東の国にまで遠征してくれた外国選手には、なんとも気の毒としか言いようのない状況になってしまいましたが、こればかりはどうしようもありません。ヨーロッパのGPだって低温で記録が悪いことはしょっちゅうあります(追い風なのに記録が悪い大会は、だいたいが低温です。ナイターも多いですし)。

 到着して最初に取材したのが女子4×400 mRの時間が17:30に変更された理由です。直前の5月7日になって、当初の12:05から変わりました。国際陸連指定大会で、北京五輪の参加資格を得るための数少ない大会が大阪GP。先にリレーを行って記録を狙う、というのが陸上界の共通認識になっていたと感じていたのですが。新タイムテーブルでは、個人種目との間が3時間から2時間と、短くなっています。
 信頼できる筋に確認したところ「外国人選手たちからの要望」というのが変更理由でした。彼ら(アメリカ)の立場になって考えてみたら、大阪GPで記録を狙わないといけない理由はまったくありません。逆に、個人種目で記録を狙ったり、記録は厳しくても技術的なことやレース展開的なことで試したいことがあるかもしれない。大会主催者も受け容れざるを得なかったと思われます。

 タイムテーブルがきついのが大阪GPの特徴。他の春季サーキットも同様ですが、注目種目の数が圧倒的に多いので、取材をする側は大変です。本当に立て込んでくるのは14時以降で、その前に何種目か行われるので少しは助かっているのですが。
 助かっているといえば大阪GPの報道対応。記者室、ミックスドゾーン、会見場にはテレビモニターがあります。会見場がグラウンドに面していることも素晴らしいです。極端に言えば400 m以上の種目なら、スタートのピストルを聞いてから飛び出してもなんとかなる。これは何度も書いていることですが、何十回でも書きます。
 有力選手はミックスドゾーンと記者会見の2回、接する機会があります。会見は3位まで全員なので、ミックスゾーンの方が集中して話を聞けるのですが、種目が重なって聞き逃すこともあります。会見場なら順番に行われるので、その危険は低くなる。以前は両方を行ったり来たりしていましたが、今日は会見場をメインにしました。外国選手の話も聞けましたしね(詳しくは後述)。

 取材が立て込むということは、スタンドまで行きにくいわけです。スタンドに行けないと、ラップやタッチダウンが取りにくくなる。一番迷ったのが男子400 mHでした。開始前に男子400 mの会見が行われていて、途中で抜け出そうかとも思ったのですが、優勝した中国人選手(劉孝生)に興味がありました。今回の悪コンディションのなかで45秒90という記録。黒人選手たちに勝ったのは印象的でした。

Q.今日の記録は自己何番目か?
劉 自己3番目です。
Q.中国で45秒台を持つ選手は何人いるのか?
劉 2、3人です。
(この辺でちょっとアバウトな選手だな、という感じを受けました。)
Q.44秒台の黒人選手に勝ったことの自己評価は?
劉 強い選手と一緒に走るのは刺激になります。優秀な選手と走れて良かった。
Q.100 mと200 mの自己記録は?
劉 100 mと200 mは走ったことがありません。
Q.練習中でもいいのだが。
劉 練習でも100 m・200 mは走ることはないのです。


 練習でも短い距離を走らないなんてことは日本の常識では考えられません。中国の広さを感じました。本当かな?という疑問はありますが、劉選手の話を聞く判断は間違っていなかった、と思っていました。
 その代わり、スタンド行き(=男子400 mHのタッチダウンタイム計測)はあきらめざるを得ませんでした。雨で記録は出ないだろうし、中国選手の面白い話が聞けたからいいか、と自身を無理矢理納得させていました。ところが、会見場のモニター(必需品です)でレースを見て大後悔。成迫健児選手がすごいレースをしたのです。
 前半から飛ばして300 mでは2位に10m前後の大差。ヘルシンキ世界選手権の為末選手ではありませんが、雨の中をあれだけ飛ばせたのはすごいことだと思います。2位のグリフィス選手に1秒32差と圧倒的な強さ。初めて48秒台を出した2004年の国体も衝撃的でしたが、今回はなんと言いますか、同選手の“大きさ”を改めて認識させられた感じです。
 静岡国際の記事では成迫選手が“前半型”に変わりつつあることを書いたばかり。なのに、直後にすごい内容だったレースのデータがない。かなりの自己嫌悪に陥りました。
 しかし、ここでも大阪GPの報道対応に救われることに。陸連がJAAF Statistics Informationsを実施していて、野口純正氏計測による各種データが記者たちに提供されていたのです。5台目の通過は21秒10(手動計時)。静岡国際や過去のレースと比較ができました。春季サーキットでも実施してくれるとありがたいのですが…。

 それにしても、今大会の中国勢は強かった。劉翔選手の1台目のスピードは群を抜いていましたし、13秒19(−0.1)もあのコンディションを考えたらビックリです(福島千里選手の口調で)。女子の投てき3種目も中国選手。特にハンマー投がすごかったです。74m86のアジア記録保持者の張文秀選手の優勝は当然としても、あの雨の中で73m52も投げるのですからこれもビックリ。
 だめ押しが男子100 m。胡凱選手が末續選手、パトリック・ジョンソン選手という格上の選手を抑えて優勝したのです。日中対抗室内などでも“男子短距離だけは日本が上”、という認識でしたから、これにもビックリ。共同会見では珍しく積極的に質問しました。

Q.プログラムにデータ記載がないが、自己記録と国際大会の実績は?
胡 プログラムに名前がないのは、リレーだけの参加予定だったからです。たまたまレーンが空いたため、参加できました。100 mの自己ベストは10秒27。これまで国際大会では、2005年のユニバーシアードと東アジア大会に優勝しています。200 mは20秒57がベストです。
Q.100 mと400 mは中国よりも日本の方が強いと思っていたが、今回、ここまで中国選手が躍進できたのはどうしてか、自己分析をしてほしい。
胡 確かに日本とは差がありました。でも、追いつけない差だとは思っていませんでした。中国国内の大会でも、短距離の記録は上昇しています。****は持っていると思っている。勝負は、窓の紙の1枚のようなもの。今日は破ることができたが、明日はどうなるかわかりません。実力が日本に近づいてきているのは間違いありません。北京五輪では短距離種目も飛躍した成績を残したいと思っています


 眼鏡をかけた、俗に言う優等生タイプの風貌。聞けば、MBAを取得した文武両道の選手として、中国国内でも有名なのだそうです。“窓の紙”の例えがちょっと難しかったですが、突っ込む時間がありませんでした。
 とにもかくにも、中国のための大会やな(朝日新聞・金重デスクの関西弁で)、という印象を受けた大阪GPでした。


◆2008年5月11日(日)
 昨日は新大阪駅近くのホテル泊まり。陸マガの即日入稿用の記事を23:10まで書きました(10分締め切りに遅刻)。別の仕事もこなしながらですが、昨日、今日と集中力が持続しています。原稿はマラソンを除く45種目の春季シーズン総括(競歩は春季といよりも2008年)。1種目ずつで見たら短くて読者を唸らせる内容ではないのですが、それが45種目揃うとなるとなかなかのもの。高橋編集長得意のパターンです。春季サーキット全部を取材している寺田の特徴を生かした企画でしょう。
 当初の編集部からの依頼では、静岡国際終了時点で書くというものでした。しかし、それではせっかくの企画が画竜点睛を欠くものになるのでは、と大阪GPまで入れることを提案しました。このあたり、わざと不完全な企画を立てることでライターから改善案を言い出させて、厳しいスケジュールでも頑張らせようという意図があるのかもしれません。それに乗せられるのもちょっと悔しいのですが、良い企画、頑張るべき企画と認識できる内容なら、協力は惜しみません。
 3月号の表紙について反対意見を書くなど、高橋編集長とは考え方が一部違います。だからといって仲が悪いわけではありません。本当に仲が悪かったら、日記に書くことはないですから。むしろ逆で、信頼関係が築けていると思えばこそ、批判めいたことも書けるのです。たぶん。

 今朝は7時の新幹線で名古屋→岐阜と移動。時間がないのでタクシーで長良川競技場へ。中部実業団対抗の取材です。大阪GPから転戦した代表クラス選手は室伏由佳選手と池田久美子選手で、それぞれ2種目に出場。男子110 mHの岩船陽一選手と女子ハンマー投の武川美香選手のフレッシュマン・コンビも含めて4人が連戦しました。
 先に挙げた2人がフレッシュではない、と言っているわけでは決してありません。フレッシュマンというのは英語で新入生のことです。アメリカでは大学1年生のことを指すのだったと思います。マランツ先生(陸マガ英語講座担当記者)に聞いておけばよかった。昨日も、地下鉄の長居駅で鉢合わせしましたっけ。
 今日は9:40頃に競技場に到着すると室伏由佳選手と鉢合わせ。「ジャージに猫の毛がついているんですよ」と強調していました。2日連続の2種目出場と猫の毛が、どう関係しているのか。この難問に今日いっぱい悩まされました。読者の皆さんも考えてみてください。

 10時からは女子走幅跳ですが、開始前に池田選手と目があったので、「6本跳べそう?」と質問しました。ちょっと無理そうな雰囲気だったので、1本目で終わる可能性もあるとカメラマンたちに伝えました。陸上競技では他種目と進行が重なった場合、ベスト8に入ってから撮るのも当たり前なのです。
 池田選手の1本目は5m76。この記録では絶対に逃げ切れるかわかりません。5mという数字を残すのも嫌かもしれないので続けるかな、とも思ったのですがここで終了。「頑張りすぎると疲労とかケガにつながる感じがあった」ということです。
 あとで話を聞くと、5m台は「大学1年時以来ではないか」ということです。「中学1年の全日中の優勝記録が5m78なんです。中1に負けちゃいました」と明るく言います。「27歳のベテランになりましたから」というコメントもありました。この辺が、今年の池田選手の成長というか、変化ですね。
 昨年など年齢の話題になって「もう27歳だし」と言うと、「まだ26歳です」という答えが帰ってきました。早生まれだからそれも事実なのですが、まあ、なんというか、今から考えると「まだ若いんだ」と言い聞かせようとしていたのかもしれません。かなりの私見ですけど。
「若手に自分の苦しんだ経験を、冷静に話せるようになりました」
「自分さえ跳べればいい、という気持ちがあった」
「みんなが私をこう見ているんじゃ、と思っていました」
「イケダクミコっていうプライドを1回崩したいと思って」
 これらのコメントを聞けただけでも、岐阜に来た価値はあったと思います。

 女子走幅跳のあとはおもにフィールドを歩き回っての取材。この大会はそれが可能な大会です。女子走高跳の開始前に中田有紀選手と目があったので、目礼で挨拶。冬にケガのあった中田選手は、今大会がシーズンインです。ハードルと2種目に出ていましたが、話を聞くことができませんでした。日本選手権前に全種目の記事を1本は書くのが、シーズン序盤の寺田の密やかな目標です。マラソンや横浜国際女子駅伝のように、日本選手権前の会見が行われることに期待しましょう。
 走高跳の審判員は北京代表(90年アジア大会)だった海鋒佳輝先生。旗を揚げるリズムに独特の“間”と鋭さがあります。岐阜の選手は今度、注意してみてみてください。その海鋒先生が昨日の男子走高跳に優勝したことは、渡辺辰彦事務局長がメールで知らせてくれました。突然の現役復帰。
「村木先生(筑波大跳躍コーチ)が退官前の最後の年ですから。もう一度北京代表をということではなく、走高跳を楽しんでいる姿勢を見せたい」とは、寺田が無理矢理言わせたようなコメントです。本当は生徒に自分が走高跳選手だったことを見せるためだと言います。そして、小学校2年になるお子さんにも。人生の機微を感じる、ちょっと良い話でした。実業団の試合は、こうでなくっちゃ。

 走高跳は100 mのスタートライン側。反対のフィニッシュライン側のフィールドでは、男女のハンマー投が行われていました。ルール改正で今年から、男女同時実施が認められるようになりました。参加選手の少ない競技会では、運営がスムーズになります。中部実業団対抗の場合女子が、3〜4人で行われることが多かったのです(ベスト8が9人以上になる可能性もあり、そこのリズムが狂うという弊害もありますが)。
 その結果、すごいシーンが実現しました。日本のハンマー投、いや、陸上競技史上に残るシーンと言っていいでしょう。ほとんどの陸上競技担当記者は仙台ハーフマラソンに行きましたが、地団駄踏んで悔しがっていることでしょう。具体的には……記事にします。


ここが最新です
◆2008年5月12日(月)
 今日は終日、自宅で仕事。ナショナル・トレセンでは北京五輪の公式服装発表会が行われていました。昨日の中部実業団で、室伏由佳選手が日帰りすると話していましたっけ。ミズノ社員からも何人かがモデルになるということで、同選手の他に信岡沙希重選手、内藤真人選手、成迫健児選手、大橋祐二選手が参加。信岡選手ブログの写真を見ると、やっぱりハードラー3人は大きいし、スラッとしている。モデルとして最適な種目です。

 昨日の日記で
「ジャージに猫の毛がついているんですよ」と強調していました。2日連続の2種目出場と猫の毛が、どう関係しているのか。この難問に今日いっぱい悩まされました。
 と書きました。室伏選手がわざわざ、ブログでも触れてくれましたが、これは悩んだわけではなくて、なんでもかんでも陸上競技と結びつけて考えがちになる、寺田自身も含めた陸上記者への自戒を込めた記述でした。けじめも大切ですが、全部が全部、競技を介しての関係というのも堅苦しいですから。
 競技を介してだけの関係だと、選手がストレスを感じる一因にもなります。“あの記者はいつも記録を期待してくれている、だったら頑張らないと”となってしまうことが、ないとも限りません。記者は“選手=競技成績”という見方をしているわけでは決してありません。結果が悪く“不甲斐ない”というニュアンスの記事を書くことはあっても、人間そのものを否定するなんてことは絶対にありません。
 その選手の人格あっての競技ですから、人格の部分で接したい気持ちも強いのです。ただ、そういったところを公にすると眉をひそめる読者もいます。“選手=競技成績”という接し方をする記者もいます。難しい部分でもあるのですが、その辺を書くための導入として、昨日の猫のエピを紹介しました。
(※主に室伏由佳選手へ)お騒がせしました。

 その中部実業団で、できれば話を聞きたかったのが中田有紀選手ですが、もう1人、走幅跳の水野和実選手(スズキ)にもちょっと話を聞きたかったですね。
 寺田の記憶が正しければ、昨日紹介した海鋒佳輝先生が走高跳で優勝した89年の高知インターハイ入賞選手。総合優勝した浜松商高のポイントゲッターの1人でした。その前年は杉本龍勇選手(浜松北高)がインターハイ100 m・200 mの2冠になるなどして、取材が浜松づいている時期でした。7月の静岡県選手権にも行っていたんじゃないでしょうか。駆け出し編集者の頃で、さぞかし変な取材だったと思いますが。
 ただ、肝心の高知インターハイに寺田は、体調を崩して行くことができませんでした。主将の加藤晴康選手などとはその後も何度か接する機会がありましたが、水野選手とはどうだったか、記憶がありません。
 中部実業団の水野選手は白いものが多く混じった頭髪でしたが、助走をする姿はまぎれもなくハマショウの水野選手でした。スズキの三潟卓郎男子長距離監督によれば、千葉の方で営業を頑張っていた時期もあったようです。
 本人は「7mを跳ぶ」と言っていたようですが、まさかベスト8に残るとは思っていませんでした。それが6m45で8位。帰って陸マガのバックナンバーを見ると、高知インターハイも8位で貴重な1点を取っています。今回もスズキの男女総合10連勝に貢献しました。

 中部実業団で自分の不見識を恥ずかしく思ったのが、すべての種目が終了した後で日下部光先生と話をさせてもらったとき。長らく走幅跳の高1記録を持っていた選手で、筑波大時代に志田哲也先生と一緒に取材をさせてもらったことがあり(ファミレス取材だったかも?)、現在は4年後の国体開催を控える岐阜県の強化委員長。今春から多くの名選手を輩出した県岐阜商高に着任されています。
 11月12日の日記に書いたように、この春から品田直宏選手が岐阜県登録の選手に。その品田選手は走幅跳、100 mとも欠場でしたが、男子110 mHでは東海大から岐阜のサンメッセに入った岩船陽一選手が13秒94(−0.1)で優勝。去年の日記では品田選手の走幅跳岐阜県記録更新への期待を書きましたが、一足早く、岩船選手が今季すでに110 mHの岐阜県記録を更新したそうです。記録を持っていたのは松久孝弘選手。往年の名ハードラー。岐阜県では絶対的な存在だったようで、「すごいインパクトがあった」と言います。
 女子100 mHでも武井怜子選手が13秒91の自己新で、池田久美子選手をひやりとさせました。武井選手は品田・岩船の2選手とは違って地元・岐阜県出身。この春に岐阜に戻ってきました。岐阜の100 mHといえば平出奈津子選手。2006年まで13秒台を出すなど、長らく岐阜県の100 mHを引っ張ってきましたが、現在はハードル部長だそうです。

 これらの事実を教えてもらった後で、昨年から気にかかっていた疑問を聞いてみました。品田選手、岩船選手の採用がちょっと早いのではないか、と。国体は4年後。もう2年くらい待ってから、確実に1〜3位に入れそうな大学4年生を採用する方法もあったはずです。それに対する日下部先生の答えが以下のような内容でした。
「早めに採用したのは、岐阜県陸上界の起爆剤になってもらいたいからです。国体で得点を取ってもらって、“はい、ご苦労様”というパターンにはしたくありません。練習会などにも参加してもらって、高校生や中学生の刺激になってほしい。岐阜県の競技力全体を向上させるために採用したんです」
 さすが、岐阜のブルース・ウィリスと言われているだけはあります。やることが違います。寺田の考えが浅かっただけ?


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