続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年12月 信州、九州、上州
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◆1月1日
 ニューイヤー駅伝取材。このニューイヤー駅伝というのはもちろん呼称です。正式には全日本実業団対抗駅伝。確かに、全日本実業団対抗駅伝では、一般の人には、どれがどの駅伝なのか区別しにくいでしょう。ただ、第何回と頭に回数を付ける場合は、ニューイヤー駅伝ではダメ。ご存じの方も多いと思いますが、以前は12月に行われていた大会ですから。正式名称からわかるように、女子の全日本実業団対抗女子駅伝と同じ格というか、実業団連合が同じように位置づけている大会です。
 スポンサーも同じ企業が付いてくれているらしく、スタートして間もないタイミングで先月14日の全日本実業団対抗女子駅伝のときと同じように、イチロー選手のユンケルのCMが流れました。ラッキーなことに、ISHIRO記者がいいアングルの場所に座っています。今回こそはこの、世にも珍しいツーショットの写真を撮ろうと、CMの際には場所を移動してカメラを構えていました。
 しかし、3回くらいそれを繰り返しましたが、お目当てのCMは流れてくれません。そうこうしているうちに“ここからのスポンサーは……”という表示。スズキなど主要スポンサーは全体を通してCMが流れていましたが、そうでないスポンサーもあったようです。
 こういうことを書くと、寺田はさぞかし楽な仕事をしているのだろう、と思われそうですが、実際はそうでもありません。女子駅伝ではレース後に取材したのは選手13人と指導者4人でした。今回は選手13人と指導者4人……まったく同じ人数ですね。偶然です。テレビを見ている最中も、レース状況を細大漏らさずメモしています。CMの間が唯一、息が抜ける時間なのです。
 カメラを構えていると、謎の女が「ISHIROさんを撮ろうとしているのですか」と、目で質問してきたので、「それが楽しく仕事をするコツ」みたいな答え方をしてしまいました。本当は忙しいときほど余裕を持つことが大切だし、仕事のテンションが上がってきているときほどその手のことを思いつく、と言いたかったのですが、なぜか緊張して上手く説明できなかったのです。
 ISHIRO&イチロー写真が撮れず、終わってみたら今日は写真を1枚も撮らない珍しい取材となりました。ということは、女子駅伝よりも忙しかったということでしょう。女子駅伝はフィニッシュ地点が競技場ですし、閉会式の会場が広いことが理由と思われますが、男子の方が選手・指導者をつかまえにくい気がします。女子駅伝のときはレース後に必要な取材は全て終わらせられましたが、今日は2人の指導者のコメントを取れませんでした(といっても、女子駅伝もかなり危なかったのですが)。幸い2人とも携帯電話の番号を知っているので、大丈夫だと思います。
 取材終了後、急ぎの原稿を前橋駅前のミスドで書いていると、偶然にもA社のS選手に会って「忙しそうですね」と言われました。よっぽど、目がつり上がっていたのか、元々そういう顔だからなのか。「フリーになってからは、複数の社の仕事を掛け持ちしてるから」と説明。そういえば昨日は夕方、ファミレスで原稿を書いていたら30分ほど眠り込んでしまいました。向かいの椅子の下の方に上手く足を乗せることができて、腰をちょっと前に出すと頭が背もたれのちょうどいい位置にフィットしてしまい、睡魔にあらがえなかったのです。そこを、知り合いのS社Aマネに見つけられてしまい、「夕方の5〜6時台に体温が下がるバイオリズムなんだ」と言い訳。これは事実なんですけど。今日も新宿から乗った小田急の急行で珍しく座れて、元旦だから簡単に座れるのか、などと考えていたら、2分ほど眠ってしまったスキに乗り過ごしてしまい、町田まで行ってしまいました。
 戻る電車の中で、チマという名前のエチオピア選手がいて(カタカナ2文字で表記できる選手がエチオピアには多いですから)、町田という人と結婚したら町田チマ、下から読んでも……などと、どうでもいいことを考えていました。我ながら、今年も先が思いやられる1年です。


■12月31日(水)
 年内最後の日記です。
 13時の監督会議に間に合うように前橋入り。明日のニューイヤー駅伝のメンバーを見て、寺田的に気づいたことは以下のような感じ。
●1区に元NECの3選手が出場
●5区に同学年対決が2つ(徳本一善・岩水嘉孝&藤原正和・松下龍治)
●兄弟揃っての出場は松宮兄弟(コニカミノルタ)&小島兄弟(旭化成)
●兄弟の片方が出られなかったのは入船兄弟(カネボウ)&中野兄弟(佐川急便)&大津兄弟(トヨタ自動車九州)
 やっぱり、兄弟揃って出場できたチームの陣容が厚くなっている気がします。
 大会本部ホテルでの取材後、区間エントリー表をこのサイトにアップ。17時からまた取材。その後、空き時間にファミレスで原稿を書いていたら、眠り込んでしまいました。そのファミレスで、某チームコーチに取材(ただ話し込んだだけ、とも言えますが)。
 そうそう。昨日の日記で書いたベストテン選手の顔ぶれですが、為末大選手だけリストアップ理由が競技とは直接関係のない部分で、ちょっと別枠にしたいと思います。別枠にするのなら、2つほど付け加えます。

 為末 大
 中之条・里見裕先生
 静岡国体の報道対応

 里見先生は説明の必要がないかもしれませんが、この10年間で全国中学駅伝4回の優勝という手腕に対して。静岡国体は、選手のインタビュー時間を多くとってくれたことを評価しました。昨日の山口有希選手の勝手に新人賞記事は、共同取材中のコメントで書きました。12月の追加取材はごくわずか。これまでの国体では考えられないような時間を取ってくれたのです。というか、工夫をすれば運営に差し障りのない範囲で、インタビュー時間をとれるということ。これが、陸上競技の普及にどれだけ役立つか。
 ホテルに22時頃戻って、前日記事をアップ。この日記を書いていたら、やっと紅白で末續慎吾選手が映りました。さて、これから某所に出向いてカウントダウンです。


■12月30日(火)
 年の瀬ということもあって、新年を迎える準備なんかもあって、手一杯。髪の毛を切りに行ったり、銀行と郵便局に行ったり、買い物をしたり。でも、色んな待ち時間や食事のときに、お気に入り作家の中編集を読んだりして、ちょっとだけ余裕も。しかし、記事はなかなか書く時間がとれなくて、夜、やっと山口有希選手の勝手に新人賞記事を書きました。できれば、末續慎吾選手の勝手に年間最優秀選手インタビューも掲載したいのですが、これは明日の夜に時間があったら。ということで、年内の年賀状書きはやっぱりダメでした。
 陸上競技の年内の試合も終わりました。陸マガのアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンと年間ベストテンの投票はまだ先ですが、寺田はすでに投票する選手を決めてあります。一足早く、ここで紹介してしまいましょう。

1位 末續慎吾(ミズノ)
2位 室伏広治(ミズノ)
3位 野口みずき(グローバリー)

 沢野大地(ニシスポーツ)
 岩水嘉孝(トヨタ自動車)
 油谷 繁(中国電力)
 杉森美保(京セラ)
 千葉真子(豊田自動織機)
 森 千夏(スズキ)

 谷井孝行(日大)
 吉田真希子(FSGカレッジリーグ)
 内藤真人(ミズノ)
 中田有紀(栄クリニック)
 山口有希(東海大)
 為末 大(大阪ガス)

 池田久美子(スズキ)
 畑山茂雄(ゼンリン)
 坂本直子(天満屋)
 新井初佳(ピップフジモト)
 川崎真裕美(海老沢製作所)

 西村美樹(東学大)
 川崎真裕美(海老沢製作所)
 小野真澄(札幌陸協)
 藤原正和(中大)

 1位・2位・3位は現時点で確定しています。末續選手の短距離種目での世界3位は、新聞社系の各種スポーツ賞も取っているように、一般社会でも高く評価されていますから異論のないところでしょう。仮に、陸マガのアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンも末續選手になったら初めて、その年の世界選手権やオリンピックの順位が最上位でない選手が選ばれることになります。
 室伏選手と野口みずき選手は、世界選手権の順位で最上位の野口選手を上にする意見もあると思いますが、過去の日本選手の活躍度からすると、やっぱりハンマー投の連続メダル獲得を評価しました。
 それを言い出すと、過去に金銀メダリストを多数出している女子マラソンよりも、沢野・岩水・杉森・森選手たちの評価を上にしないといけなくなりますが、そこはやっぱり、純粋な(世界選手権での)順位という部分も考慮します。
 4位グループは6人。日本人初という部分で沢野・岩水・杉森・森の各選手、世界選手権での順位で油・千葉の2選手をリストアップしました。順位は、投票のときには付けないといけないのですが、本来、種目の異なる選手に評価の差をつけることほど難しいことはありません(それが好きな人たちもいますけど)。寺田は、根拠のない結論付けをするのはやめます。本当は1・2・3位の差も付けたくはないのです。
 10位グループは、日本記録(日本最高も含む)の4選手、プラス、ジュニア日本新&世界選手権4×400 mR1走を評価して山口選手。為末選手は世界選手権の準決勝進出よりも、プロ選手として独立したことを評価しました。実際の投票ではこのうち5人を落とさないといけません。断腸の思いでやらないといけない作業です。
 16位グループのうち池田選手は日本選手権走幅跳の感動的な幕切れ、畑山選手は過去17年間での日本最高、新井選手は日本選手権2種目6連覇が印象的でした。
 誰か、忘れていないといいのですが。明日あたり、訂正するかも。

■12月29日(月)
 箱根駅伝の区間エントリーがありました。記者クラブで全校のオーダーをアップした後、吉野屋で昼食。知り合いの事務所に移動して、夕方まで仕事。夜は新宿で忘年会に(2日連続です)。学生時代の友人たちと久しぶりに杯を交わしました。大した勉強はしていませんでしたが、寺田はこう見えても(どう見えているのだろう?)西洋史専攻でした。今日の忘年会には、友人の知り合いでポーランド出身の女性の人も参加してくれました。ポーランドの大学(日本の短大に相当するようです)を出た後、ドイツの大学を卒業し、現在はドイツと日本を行き来して、日本の焼き物のヨーロッパへの影響を勉強されています。滞日期間も長く、日本語もかなり堪能な方です。その忘年会で1つ、寺田の持論の検証が少し前進したので報告しましょう。
 日本では(居酒屋などで)お酒を飲んだとき、最後にお茶漬けやおにぎりを食べたり、場所を変えてラーメンなんかを食べます。炭水化物というか、主食で締める習慣がありますよね。ところが、乏しいですけどこれまでの海外出張などの経験から、欧米では最後、パンを食べる習慣なんてないような気がしていました。パンは酒の肴と必ず一緒に食べるのではないかと。その仮説を、その女性の方に確認したところ、間違いないことが判明しました。インドのナンも、必ず日本で言うおかずと一緒に食べるそうです。ということは多分、アラブ・イスラム圏も同様ではないかな、と思われます。
 残る文化圏はそう、アフリカです。例えばケニアの主食であるウガリ(とうもろこしから精製した主食)を、お酒を飲むときに、どのタイミングで食べるのか。それが最後でないとわかれば、最後を炭水化物で締めるのは、日本(東アジア)固有の食文化と言えるわけです。
 よっしゃ。現在滞日ケニア選手最強とも言われているマサシ選手(スズキ)に、ニューイヤー駅伝で聞いてみましょう。お酒を飲んだ後にウガリで締めるのかどうか。「まさしく、その通り」という答えが返ってくるかも。えっ、マサシ選手はまだ18歳?


■12月28日(日)
 元神戸新聞陸上競技担当の大原さんが、全国高校駅伝翌日の朝刊を送ってくれました。もしかしたら昨年か一昨年にも書いたかもしれませんが、神戸新聞の駅伝記事はすごいの一言。兵庫県の学校が男女とも強いから、ということになりますが、地元以外の人間が読むに耐える内容というか、全国の読者が読んでも面白い。
 女子は須磨学園の優勝記事(1区・勝又選手、5区・脇田選手・長谷川監督のコメントも紹介されている)、区間賞の2区・藤本選手の記事、3区・岸本選手&4区・西山選手の記事(2人で1本)と、厚みのある展開。そして県西宮の3位入賞記事と、同校4区・田中選手の記事と、地元勢に関しては万全。もちろん、須磨学園、県西宮とも全員の顔写真とコメントも掲載しています(男子の西脇工も)。
 地元勢以外の筑紫女(1区の野原選手に焦点)や諫早(牧島選手コメントも)、さらには1区で区間賞の1年生・新谷選手(興譲館)の記事。男子では西脇工以外に、佐久長聖の記事もあります。男女合わせて2ページ弱。そして何と、同日開催の全国中学駅伝の記事も4分の1ページほどのスペースを割いています。さすがに、地元勢以外には触れられていませんが。それにしても、スポーツ面2ページをほぼ駅伝で占めている観のあるレイアウト。本当に駅伝ファンなら泣いて喜びそうな内容なのです。こういった素晴らしい地元紙の存在も、長距離どころ兵庫を支えているのではないでしょうか。
 そういえば、神戸出身の伊東浩司選手が96年の日本選手権(アトランタ五輪最終選考会)の200 mに優勝した際、「短距離2種目は神戸出身選手が優勝しろ、と神戸新聞に書いてあったので、まずは200 mに勝ちました」というニュアンスのコメントをしたそうです。後から行われた100 mは、同じく神戸出身の朝原宣治選手が優勝しました。直前の展望記事も少しは影響すると思いますが、こういった新聞を目にした若年層への影響を考えると、マスメディアの役割は大きいと思います……結論はちょっと平凡ですが。
 寺田の話をしておきます。昨日から都心の知り合いの事務所に泊まり込み。大作原稿を抱えていたのですが、今日の夕方までかかってしまいました。夜は渋谷で某忘年会。会の後、酔い冷ましに1人で、マークシティのカフェ「LE CAFE BLEU」でカフェオレを飲みました。同じマークシティにあるスターバックスとエクセルシオールカフェが満席だったので、ちょっと高そうでしたが、初めてその店に入って読書をした次第です。
 カウンターを中心に、両サイドにスペースが分かれるようなレイアウトの店でしたが、禁煙席側(もしかしたら喫茶席側)の壁には大きな写真が4点。1点は凱旋門を望むシャンゼリゼ通りのカフェ、1点は紅葉の鮮やかな街角の風景、残り2つは女性の表情のアップで、すべてパリの雰囲気を伝える絵柄です。注文したのはホットのカフェオレ(700円!)。それを飲んでいると何故か、「本当に自分はパリ(世界選手権)に行ったのかな」という疑問が脳裏に、もやもやっと生じました。
 短距離種目で銅メダルを日本選手が取るという、これまでの常識では考えられないような光景が目の前で展開されました。3000mSCの決勝でも、似たような感慨を覚えました。女子砲丸投のサークルにも、日本選手の姿がありました。あれは、真実だったのだろうか、と。いや、間違いなく真実でした。パリでは仕事に追われていたためか、にわかには信じられない快挙を、十分に満喫できなかったのかもしれません。
 年末の忘年会後に1人で入ったカフェ。貴重なひとときを過ごすことができました。


■12月27日(土)
 初めて全国中学駅伝を取材して気づいたことを書いてきました。最初に全国高校駅伝と日程が重なっていること、2番目に選手のスカウトが限られたなかで結果を出している中学駅伝の指導者が優秀だということ、3番目が中学駅伝には“駅伝のセオリー”と異なる走り方が見られること、を指摘してきたのです。しかし、3つとも改めて書くほど目新しいことではない、というか、平凡な意見だとの感想も聞かれたわけです。だったらということで、寺田しか気づかないことを最後に(4番目に)紹介しましょう。今年も残すところあと4日ですしね。
 実は全国中学駅伝取材からの帰路、何か引っかかるものを感じていました。何か大事なことを取材し忘れているのかな、とも思いましたが、その不安ともちょっと違います。何か新しいことを発見しているはずなのに、それが何なのかはっきり認識できない。そんな引っかかりですね。
 それが何か気づいたのは、24日に甲府で原稿を書いているときでした。「これだったのか」と、小躍りして喜んだとまでは言いませんが、胸のつかえがとれた感じ。それは何かというと、選手の生年月日です。専門誌では駅伝の区間賞選手や優勝メンバー全員に生年月日を確認します(それ以外にも身長・体重・ベスト記録・血液型など)。表記はもう10年以上も前から西暦。年号(昭和や平成)は年齢などを計算しにくいので、基本的には使いません。選手も徐々にそれに慣れてきているのか、まだ少数派ですが西暦で生年を言う選手も増えています。
 ということで、優勝した住吉中の選手にも生年月日を聞いていました。1区の山川選手は2年生。「平成1年11月8日」と言われ、こちらは内心「おー、ついに平成生まれの選手を取材するようになったか」と思ったのですが、それはいずれ来るとわかっていた(覚悟していた)こと。2区の山崎選手も2年生ですが「1989年5月1日」と西暦で言います。西暦と平成の換算は“88”を引いたり足したりすればいいこと。昭和だったら“25”、平成なら“88”という数字さえ覚えておけば、簡単な作業です。
 3区の平野選手は「昭和64年1月5日」、5区の成田選手は「平成1年1月28日」。2年生は1・2区の“山山コンビ”だけですから、トップを奪った5区の成田選手が早生まれの3年生だとわかります……が、問題はここでした。この2人を平野選手・成田選手の順番にコメントを聞いたのですが、駅伝の取材はどれも時間との勝負。落ち着いてじっくり話を聞く、なんて機会は駅伝ではめったにありません。それで、現場では気づかなかったのですが、平野選手と成田選手は同じ3年生の早生まれなのに、平野選手は「昭和」と言い、成田選手は「平成」と言ったのです。
 そう。この2人の生年月日の間に昭和と平成の境(1989年1月8日から平成)があったのです。平野選手は昭和の本当に最後の数日の間に生まれ、成田選手は平成になってすぐ生まれた選手。そんな2人が優勝メンバーに入っていて、連続でコメントを聞くなんてことは、めったにないでしょう……とも限らないか。今後、高校駅伝や大学駅伝でも、同じようなケースは出てきますね。でも、この点に気づいたのは日本広しと言えども、そんなにいないのでは。今回のケースは、選手と直接話ができる人間でないとわかりにくいことですから。


■12月26日(金)
 昨日は早朝に原稿を1本書き上げ、その後はかなりのペースダウン。期せずして休養主体の一日になってしまいました。ということは、仕事がたまってしまったということです。年内にまだ大作原稿の締め切りが1本ありますし、このサイト用にも山口有希新人賞記念インタビュー(厳密には記念インタビューじゃないけど)、末續慎吾MVP記念インタビュー(同)、短距離合宿記事、箱根駅伝関連取材記事を書きたいと思っているのですが。
 やっかいなのは、ハードディスクレコーダーに録画した番組の整理。世界選手権を編集しながらDVD−Rに焼いて保存したいのですが、とてもそんなことをやっている時間がありません。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の録画、どないしよう。結局、VHSの3倍モードになってしまうのかなあ。
 年末ですから、仕事以外にもやることは山積み状態。年賀状も書かないといけないし、大掃除もしたいですよね。これもたぶん、小掃除に変更を余儀なくされそう。忘年会も3つ入っています。もしかすると4つに増えるかも。年賀状の年内作業は、かなり厳しそうですが、30日に少しだけ可能性が。


■12月25日(木)
 23日の日記で予告した中学駅伝ネタです。高校駅伝との同日開催が問題であることや、中学駅伝の指導者が優秀だという2つの指摘はあまりにも平凡なので、斬新なネタを紹介します。それは、中学駅伝には俗に言う“駅伝らしさ”がないという意見です。実証するには労力がかなり要ることなので、記事には書けません(というか、実証できない)。“日記”でしか書けないことなんですが。
 例えば、駅伝は先手必勝、できるだけ早い段階、前の区間で上位に付けて、その流れに乗ってレースを進めるというのが有利と言われています。高校以上の年代の各駅伝ではほぼ、そのセオリーが当てはまるのですが、中学駅伝だけは別のような気がします。過去、1区で出遅れて追い上げるケースも、多く見られました。
 選手個々に見ても、駆け引きとか、あまりしていないように思います。1区で優勝候補のチームの選手が前半から全力でぶっとばして、後半ちょっと失速していました。これも高校生以上の駅伝では見られない現象でしょう。
 また、中学生はレース中に前の集団に追いついても、その集団と一緒に走ってしばらく力を貯めるなんてことはしないで、一気に抜き去る。区間賞も、中位、下位のチームの選手が取ることも多いようです。そういった選手は、俗に言う“中位の流れ・下位の流れ”にはまっていないわけですよね。
 全体的に“駅伝のセオリー”とは異なる事象が、中学駅伝では多く起きます。
 それは、距離が短いからという理由で、説明が付くことかもしれません。ブレーキをしても、距離が短いから大きな傷口とならない(中学生はレースを捨てませんしね)。途中で駆け引きをしていたら、中継所に着いてしまって力を出し切れない。
 でも、本当にそれだけでしょうか。高校生以上の駅伝は知らず知らず、駅伝とはこういうもの、と決めつけて走っているのではないでしょうか。駅伝に限らず競走という行為は、要はスタートからフィニッシュまで、駅伝だったら中継点から中継点まで一番速く走ればいいのです。確かに、リスクを犯したらいけない、というケースが駅伝ではままあります。確かに、その辺を知らない外国チームは、駅伝で失敗をやらかします。それでも、区間中位でブアーッとごぼう抜きをしていく中学生を見ると、大人の駅伝が変に常識にとらわれているような気もしないではありません。
 しかし、それもこれも、選手個々のレベル差が大きいのが中学駅伝だ、という理由で説明がついてしまうことなんです。高校駅伝、大学駅伝、実業団駅伝と年代が進むにつれ、選手間の実力差は小さくなり、中学駅伝のような走りができなくなるのは自明のことです。安易に前に出たら、背後に付かれてペースメーカーになってしまいますからね。
 自分で問題を提起しておきながら、自分で論破できてしまうことなので、変なことを言っているのはわかります。でも、やっぱり、中学駅伝は大人の駅伝に存在する常識に、とらわれていないからあの走りができるような気がしてなりません。ホント、論理的じゃないので、主張する気はまったくないのですが。
 でも、この意見って、一応新鮮じゃないですか? えっ、このくらいテレビを見ていれば、何となく気づくことですか……ネタは、まだあります。


■12月24日(水)
 山梨学大の公開練習&共同取材日でした。詳しくは記事にしたので……記事というよりもコメントの紹介をしたので、そちらをご覧ください。取材は順調。12:30頃に終わって、打ち合わせも1つ済ませ、甲府駅に。そこから、ちょっと苦労しました。書きかけの原稿をカフェで仕上げようとしたのですが、かなりの苦戦。原稿に集中していたら、バッテリーの残り容量が切れかかっているアラームが。バッテリーは1年半前に買ったばかり(?)の大容量タイプ、確か3万円前後したはずです。それなのにもう、3時間も持たなくなってしまったとは……使い過ぎかな、当初は5時間以上持ったはずです。
 原稿は一応、文字数的には所定の分量を書き終えていたので、慌てて、未完成原稿ですが送信。19時頃に帰宅して、実はまた、そこから大幅に最後の部分を書き直してから提出しました。
 しかし、この大容量バッテリーが使えないとなると、このB5バイオも考えものですね。夏頃から、ネットに接続していると数分でエラーが出て、ブラウザの新しいウインドウが開かなくなりますし、エラーが出ても出なくても、データをダウンロードするスピードが著しく遅くなります。データ送信時も同じです。
 ソフトをOSから全て、再インストールするしか解決方法はなさそう。そんな時間は、どこをどう探しても見つかりそうもないですから、大容量バッテリーが役に立たないのなら、買い換えも検討していいかな、と。今年はA4バイオ(といっても重さ2kg弱)も買っていますから、さらにもう1台というのは金銭的に負担が大きいです。でも、パソコンは我々にとって武器に当たります。ランナーにとってシューズのようなもの。破損したり、より性能のいいものが出たら、買い換えざるを得ません。うーん、どないしよう。
 帰宅するとクリール2月号が届いていました。ラドクリフ選手のインタビューが、陸上競技ファンにとっても嬉しい記事。日本ランナーズの金哲彦氏による、高橋尚子選手のフォーム分析も掲載されています。金氏の一番の肩書きはニッポンランナーズの理事長ですが、最近は本当に多くの場で活躍されています。この金氏と大東大の只隈監督は、実は福岡・九国大付高の同級生。同じ大学なら珍しくありませんが、同じ高校の同学年選手が、その後もずっと陸上界で頑張っているケースは珍しいのでは? 他には兵庫県小野高OBの大山圭悟氏(筑波大教)と大原篤也氏(神戸新聞元陸上競技担当)が思いつきますが…。
 そうそう、クリールにはスタッフの方から「プリンスを捜してください」とのコメントが添えられていました。プリンス近藤記者がつくばマラソンに出たと聞いていたので、さっそく大会レポートのページを最初に探しました。大集団の写真に小さく映っているのかな、と思ったのですが、細かく見てもそれらしき姿は見当たりません。それで、何気なくページをめくっていると、ドッドーンとありました。「マイ・ランニング・スタイル」という見開き2ページで、市民ランナーたちの練習やレースの選択、走り方などの“スタイル”を紹介するコーナーがあるのですが、その「No.001」が近藤記者。写真も一番、大きく映っています。さすが長浦のプリンス!(大きく取り上げられている理由というか、経緯を明かしていいんだろうか?)


■12月23日(火・祝)
 一昨日の全国中学駅伝の日記は反響が多い方でした。特に、全国高校駅伝と日程が重なったことに関しては、多くの人が不満を持っていたようです。しかし、いただいたある記者からのメールによると、関係者も日程の重複は避けようと努力したとのこと。
 全国高校駅伝は通常、12月の第4日曜日ですが、今年は第4日曜日が28日と年末になりすぎて、それを避けたため、同じ日になってしまったようです。中学駅伝を23日の祝日にという話も出たそうですが、23日はクリスマス直前で、千葉近辺はディズニーランド目当ての客が多く宿泊が確保できるメドが立たないため断念し、今年限りの条件つきでやむを得ず同日開催になったとのこと。
 結果的に重複したことは責められるべきことですが、寺田は結果が悪い選手でも一刀両断にできない記者。“あの選手はダメ”と安易に決めつけられない。それを考えると2日前の日記はちょっと、表現が過剰すぎたと反省しています。関係者も頑張っているのです。
 だいたい、言ってることが平凡すぎますよね。日程が重なるのがよくないなんて、どう見ても明らか。改めて声高に指摘しなくても、誰でもわかっていることです(そう思いたい)。もっと“寺田的”なことを書けばよかったですね。例えば……指導者のことです。指導者の評価って、選手以上に難しいものがありますが、最終的な評価はやはり指導した選手・チームの実績でするしかないと思います(それ以外の尺度として、卒業生の活躍度合いというのもありますが)。
 中学駅伝が高校駅伝・大学駅伝・実業団駅伝と最も違うのは、選手をスカウトできる対象範囲が狭いことでしょう。通学範囲が限られていますから。男子優勝の住吉中は埼玉県という人口の多い立地条件ですが、生徒の出身小学校は3つに限られるそうです。長距離が盛んな土地柄で、小学生段階である程度強い選手がはっきりしている地域もあるのでしょうが、それでも、駅伝の全国大会常連高校が中学生をスカウトするのと比べたら、優秀な選手の集まり度は低いはず。そういった中で優劣を競うのですから、指導者の力が占める割合は、高校生以上の駅伝よりも大きいのではないでしょうか。
 実際、女子優勝の中之条の里見裕先生は、学校が変わっても10年連続で全国大会に出場されています。そのうち優勝が4回ですから、明らかに指導のコツをつかんでいるはずです。校内マラソンを夏前に開催し、全校生徒の中からこれはと思える選手を駅伝部にスカウトする。そういった校内の体制を可能とするのも、手腕の一部分でしょう。
 言うまでもありませんが、中学生を伸ばすのと、高校生を伸ばすのでは、指導法にある種の違いはあると思います。日本のトップレベルに育てたり、世界レベルを狙うとなるとまた、別の要素が必要となってくるのかもしれません。だから、比較しているわけではありません。ですが、上のレベルで指導をされても、結果を出せる指導者の方も中にはいると思います。中学生の指導から出発した大森国男京セラ監督がそうだったように。
 選手のスカウトも重要ですが、指導者のスカウトを考えてもいいのではないか、と思った中学駅伝取材でした。えっ、これも平凡な意見?……ネタはまだ、あります。


■12月22日(月)
 昨日から都内の知り合い事務所に泊まり込み。某WEB用の大作原稿をなんとか、書き終えました。その間に電話取材も1本。帰りがけにビールでも飲もうかと思いましたが、そこで気持ちを解放してしまうと帰宅後に仕事が続けられません。お気に入り作家の読書にとどめておきました。


■12月21日(日)
 早朝起床を敢行して千葉へ。全国中学駅伝の取材です。中学生の取材は久しぶりなので、かなり緊張していました。出がけにサングラスを忘れて、自宅に取りに戻る失敗をしでかしましたが、珍しく余裕を持って家を出ていたので問題なし。自分がサングラスが似合わないのは百も承知。格好良くないと誰が言ってくるのかも予想できましたが、現場は風も強く、砂埃も多かったので、カッコがどうのこうのと言っている場合ではありません。サングラスを取りに帰ったのは大成功でした。
 昭和の森は2年ぶりだと思います。岩元千明選手が高2、橋本歩選手が高3だったときの千葉国際クロスカントリー以来。最寄りのJR土気駅からシャトルバス(片道100円)が出ていましたが、その人の多さで昭和の森開催の陸上競技イベントとしては、過去最高の盛況となることを確信しました。会場に着くと、運営の先生のきびきびされた態度が、明らかに国際千葉駅伝や千葉国際クロスカントリーとは違います。千葉開催初年度だからか、成功させようという地元関係者の意気込みが、ひしひしと感じられた次第です。
 例年がどうだったのかわかりませんが、プログラムは厚手の質のいい紙を使用し(写真が綺麗に掲載できる)、広告も多く入っています。広告の多さは、関係者が頑張ったことの証明でもあるのです。ただ、観戦用にはいいのですが、他の資料もありますから、取材で持ち歩くには若干重量オーバー。陸マガ編集部が送ってくれた仮プロ(プログラムの原稿段階)のコピーでチェック&寺田なりの分析記入をした紙を、有力校分だけ持ち歩いていました。
 それにしても、観客の多さは寺田の知る限り、昭和の森最高記録だったと思います。以前、都道府県チーム対抗でジュニアクロカン駅伝が昭和の森で開催されていましたが、参加選手数は今回と同じくらいのはずですが、人出はそのときよりも明らかに上。ソウル五輪金メダルのB・ブータイブ(モロッコ)や、1万m世界記録保持者のA・バリオス(メキシコ)なんかが出ていた千葉国際クロスカントリーのときよりも圧倒的に多かったでしょう。それだけ、関係者だけでなく家族や友人など、応援するギャラリーが多かったのでしょう。雰囲気は良かったです。
 盛り上がってはいましたが、高校駅伝や箱根駅伝ほどの、ピリピリしたムードは感じられません。その辺の理由を正確に分析することなど不可能ですが、高校駅伝や箱根駅伝の方が社会的な注目度が高く、選手や指導者側もやっている価値を高く考えているのでしょう。価値が高いというよりも、価値を見出している。
 その点、中学駅伝は純粋というかシンプル。もちろん、やっている側の取り組み方の問題で、高校駅伝や箱根駅伝でも、純粋に走っている選手もいると思いますが、年齢が進むにつれ“走ることの意味や価値”を考えます。「走るのが楽しいから走る」と言う実業団選手も中にはいますが、なんのために走るか、を考えた時点でもう、小中学生の“ただ走る”という気持ちとは違ってきているように思います。まあ、なんのためにと考える方が人間的、であるとは思いますが。
 記事は陸マガ2月号に書きますので、ここでは詳しく触れません。が、寺田的に言うならば、双子選手が目立ちました。女子優勝の中之条の高橋姉妹。男子7位の大村の延壽寺兄弟。その他にも双子と思われる名前も散見されました。区間数の少ない駅伝ほど、双子によるチーム力アップ効率は上昇します。
 中之条に関しては3区の1年生、矢部瞳選手もかなり印象的な選手でした。4人抜きでトップに出ただけでなく、コースが同じ2・3・4区の3区間の中で最もいいタイムで走り抜きました(3区区間賞)。メンタル面になると思うのですが、全国大会という大舞台で、まったく物怖じしていないのです。最優秀選手賞を獲得して表彰を受けたのですが、表彰を受けに出ていくときの立ち居振る舞い、閉会式前に行われたテレビインタビュー、さらには閉会式後の我々の取材に対する受け答えと、どれをとっても「本当に中学1年生?」と思えるものでした。
 記録はチップを使って計測していて、比較的早めに出力もされて、中継後遅くとも10分以内には報道に配られていました。その点はよかったのですが、記者席のテントが手狭だったことと、報道用にモニターがなかったことに、記者から不満が出ていました。以前の開催地では、NHKの映像がモニターで見られたといいますから、それは是非とも、踏襲してもらいたかったです。来年からは全国高校駅伝と別の日の開催になりますから、取材人数も確実に増えますしね。
 それに関して今さら言うのものなんですが、高校駅伝との同日開催は絶対にやめて欲しい点です。新聞など報道されるスペースが確実に小さくなりますから。そういった状況が陸上競技の普及にとってプラスなのか、マイナスなのか、ちょっと考えたらわかること。きっと、関係者の方たちも避けるべく努力をされたのでしょうが、結果として、選手の努力が広く知れ渡らないということになっています。
 陸上界が1つの会社であれば、この日程を組んだ人間は明らかに、会社に損失を与えています。経営者がそれにOKを出したのであれば、完全に経営者失格です。今年重なってしまったのは何か事情があってのこととは思いますが、その損失を考えると、なんとか努力すべき点だったと思います。


■12月20日(土)
 2日連続で東海大に。今日は日本陸連短距離合宿の公開練習&取材日です。
 練習内容については触れません。1日の練習を見ただけで、それがどうだと書けないというのが寺田の持論。でも、いくつかの証言を総合すると、今年の為末大選手は、昨年の同時期とはかなり違うみたいです。体型も違いましたし。それは宮崎久選手も同様でした。その宮崎選手をはじめ、何人かコメントを聞けました。かなり面白かったです。書く時間ができたら紹介したいと思います。
 1つ“これは”と思えたシーンがこの写真。高野進コーチが座っている場所の隣に、末續慎吾選手がしぜーんに座りました。これまでもいくつかの記事で触れられていることですが、高野進コーチは末續選手を弟子ではなく、相棒と位置づけています。末續選手の方も理屈でなく、うまく説明できないのですが、「この人と」と思っているようです。
 土江寛裕選手も、フォーム改善(動きの変更)に取り組んでいるとのこと。早大競走部の先輩であるプリンス近藤記者との会話ネタもあるのですが、これはお蔵入り。近藤記者といえば、東海大・近藤保選手や、ミズノ・長谷川順子マネとのネタもあるのですが、この2つもボツ。
 18時過ぎに帰宅。昨日、集中力がなくなって原稿が進まなかったので(睡眠時間は5時間と十分)、なんとかしたかったのですが、明日の全国中学駅伝取材の予習を優先。資料整理と予習で4時間はやったでしょうか。今晩は3時間睡眠で昭和の森に乗り込まざるを得ません。


■12月19日(金)
 一昨日の日記で紹介した兄弟選手ネタ、反響が大きかったです。S本さんからご指摘を受けましたが、中野兄弟だけでなく小島兄弟、大津兄弟を普通の兄弟としてまず紹介しておくべきでした。付け加えておきましょう。こうして見ると普通の兄弟選手も頑張っています。ですけど、双子では真鍋姉妹も控えていました(これもS本さんの指摘)。
 兵庫県の中学生の方からは、全国高校駅伝初出場の県西宮高に2組の姉妹選手がいるとのご指摘(■[全国高校駅伝]女子 県西宮チーム紹介 初出場に気負いなし /兵庫・毎日新聞)。ありがとうございました。
 あと、それほど強くない選手のご指摘や、その他のメールもいただきましたが、日記の趣旨を理解していないものは無視(繰り返しますが寺田は冷血人間。血液温度は33℃)。具体的には書きませんが今回のネタは、ちょっと前の日記と呼応しているんです。1日だけで完結しているわけじゃないんですね。
 今日は東海大で箱根駅伝に向けての共同取材。大崎コーチの話の中で、なるほどと思わせてくれるものが多くありました。特に、ある点については、寺田もこれまで感じていたことを、明確にしてくれたもので、今後の原稿にも使えると思いました。朝の9時からと早い時間だったので、帰ってきてからも原稿を1本。腰の治療を挟んでさらに仕事を……と思ったのですが、昨晩が1時間半睡眠だったので、効率が落ちてしまった次第。
 明日は再度東海大。短距離合宿の取材です。


■12月18日(木)
 折山さんの書かれた「末續慎吾×高野進 栄光への助走」(折山淑美著・集英社be文庫)を昨晩、読み終えました。読書やビデオを見ている時間は最近ほとんどないのですが、この手の本は別です。感想を一言でいうなら「よくぞここまで書いてくれた」ですね。本格陸上競技ファンは泣いて喜べる内容。もちろん、陸上競技ファン以外にも短距離の面白さを理解してもらおうと、わかりやすく紹介してくれています。
 でも、この本は、陸上競技業界内部にいると言っていい折山さんだから書けたのだと思います。高野進コーチ、伊東浩司コーチ、そして末續慎吾選手と、継続的に取材を続けてきたから、銅メダル獲得から僅か4カ月弱で出版できたのでしょう。それに、外部のライターにありがちな“結論への強引な導き方”や、“カッコをつけた例え”、“雰囲気を必要以上に盛り上げすぎる描写”などがありません。そういった部分は、書き手の自己満足なんですね。
 そんなことよりも、読者の知りたい部分にズバッと斬り込んでいます。ここでいう読者というのが、本格陸上競技ファンです。どこまでを本格陸上競技ファンというか、定義が難しいのですが、それはまた機会を改めて。
 末續選手本人も言っているようなので書きますが、末續選手はかなり感覚的な言葉の表現を使います。それをポン、ポンと発言しますから、彼の頭の中ではしっかりつながっていることでも、話を聞いた側はついて行きにくい部分もある。選手にはよくあることで、それを上手く伝えるために記者がいるわけです。そのあたりも折山さんがじっくり、解き明かしてくれています。これも、ずっと取材しているからできたことでしょう。これまで疑問に思っていた部分が氷解し、「こういうことだったのか」と、ポンと手を叩く読者も多いと思います。580円は絶対にお買い得です。


■12月17日(水)
 全日本実業団対抗女子駅伝の総評記事を書いていて、“これは”という点に気づきました。それは、年齢の違う普通の姉妹選手が活躍したこと。1区で第一生命・尾崎好美選手が区間3位、2区では姉の資生堂・尾崎朱美選手が区間1位と、姉妹揃って快走を見せてくれたのです。
 双子の兄弟・姉妹選手の選手の活躍はよくあること。今年の2月16日の熊日30kmで松宮隆行選手が世界最高、清水将也選手が学生最高を出した際に、寺田も以下のように日記に書いています。
 3位の清水将也選手が1時間30分00秒の学生最高を出したことがまた、戦慄に輪をかけたいうか、凄味を増すことになりました。なぜなら、松宮・清水両選手とも双子の兄弟選手。日本の長距離界には宗兄弟以来の伝統があるとはいえ、「双子選手でないと30kmの記録は出せないのか」というショックが、関係者の間に広まったのです。
 でも、よくよく考えたら、過去に双子以外の選手も30kmで活躍しています。“双子でない”大多数の選手・関係者もその点に気づき、胸をなで下ろしていました。
 それにしても、異なる双子選手が同一大会で日本最高と学生最高を出す確率って、どのくらいなんでしょう?

 全日本実業団対抗女子駅伝の総評記事にも書きましたが、UFJ銀行は2組の双子姉妹が強くなったことで、選手層が一気に厚くなりました。松宮兄弟、清水兄弟、大南姉妹、川島姉妹、最近では沖電気の宮内姉妹も強くなってきています。その点、年齢の違う普通の兄弟姉妹では、以前は岡本久美子・由美子姉妹も頑張っていましたが、現在はこの尾崎姉妹くらい。男子では旭化成の小島宗幸・忠幸兄弟、トヨタ自動車九州の大津誠・睦兄弟、佐川急便の中野幹生・剛兄弟くらいでしょうか……誰か、忘れているような気もしますが。
 細かく調べれば、“普通の兄弟姉妹選手”はもっといると思いますが、間違いなく双子の兄弟姉妹選手の方が実績を残しています。双子の方が目立ちますから、そういう印象があるのかもしれません。が、絶対数として双子の方が圧倒的に少ないのですから、“目立つ”という部分を差し引いても、双子選手の方が頑張っているのは紛れもない事実でしょう。ちなみに、「双生児の出産頻度は、日本では低く160出産に1回」と、日本双生児研究学会ホームページに出ていました。
 双子選手ってやっぱり、一緒に成長できる要素が大きいのでしょうか。これだけ明確にデータとして表れると、そう判断するしかないと思うのですが。よく言われるのは「あいつに走れるのなら、自分にもできる」、と考える心理的な相乗効果です。その点、年齢が違う兄弟姉妹の場合、「同じ道に進んで比較されたくない」という気持ちが働くのかもしれません。個人的には双子と同じように「自分だってできる」と考えればいいと思うのですが。兄弟姉妹なんですから。
 全日本実業団対抗女子駅伝でのUFJ銀行の10年連続ヒト桁順位と、尾崎姉妹の快走が新鮮に感じられたことは、日本長距離界における兄弟姉妹選手の現状を的確に表していたような気がします。ということで、ニューイヤー駅伝では双子の松宮兄弟が注目ですね。普通の入船兄弟も頑張れ!! ということで。


■12月16日(火)
 朝の6時前から仕事。サイトのメンテをして、原稿もそこそこ書いてから、午前中のうちに都心に移動。13時から市ヶ谷で人に会って、そのあと知り合いの事務所に移動して原稿書きと、取材もどきの電話を1時間。18時に都内某社で、あるブツの受け取り。その後また、知り合いの事務所に移動して、終電まで原稿書き。その間に電話もいくつか。今日みたいな日がありますから、やっぱり都心に事務所が欲しいですね。生活にメリハリをつけるというか、今みたいに自宅兼事務所でダラダラ仕事をしてしまうということも、なくなると思いますし。「一緒に借りましょうよ」と、声をかけている人もいるのですが…。
 12月は、11月に比べると締め切りが少なく、比較的余裕のある月のはずです。実際、月末にはすでに2つも忘年会の予定を入れてしまいました。先日もある取材から帰る際に「余裕のある時期にビジネスの、長期的方針を定めないといけないので、そういう時期こそ重要なんです」と、カッコをつけて言ったばかりです。実際、締め切りが立て込んでいる時期は、「この原稿を書き上げれば」という状態の連続ですが、1つ1つの仕事が終わると、その合間にパッパスと別のことや、極端に言えば人と会うことも可能です。それが、気分を切り換えることにもなるんですよ。余裕のある時期もそれはできますが、本当に大事なことを考えたり、準備するのは、そういう時期なんです。
 ところが、なぜか急に仕事が立て込んできて、来週の火曜日までに6本の締め切り。中には、300行の大作や、細かい記事ですが多くの本数がセットになった原稿もあります。楽ではありません。取材も4日、入っています……かなりやばくなってきました。が、折山さんが手配して送ってくれた「末續慎吾×高野進 栄光への助走」(折山淑美著・集英社be文庫)が届き、都心から帰ってくる電車の中で、半分くらい読みました。すごいです、面白いです。


■12月15日(月)
 午前中に電話取材を1本。
 昨日の全日本実業団対抗女子駅伝で感じたことを日記に書いていたら、総評みたいな感じになってきてしまいました。ちょっと長めの総評にするつもりでしたが、書き始めたら異常に長くなってしまって、総評というよりも各チーム評という感じに。まあ、タイトルは何でもいいんです。というわけで、記事として独立させましたです。
 パッパスと書き上げるつもりでしたが、寺田は十種競技をやったことがないので、ついつい時間がかかってしまいました。資料を色々と調べたり、取材ノートを見直したり。その代わりと言ったらナンですが、2〜3、面白い点にも気づきましたです。
 夜、某誌編集部O川くんに、東京国際女子マラソンのときの写真を、やっと送信。彼が似ていると言われている、日本テレビ鈴木アナ(スポーツうるぐす)とのツーショット。


■12月14日(日)
 たっぷり5時間睡眠で取材に出発……と思ったら、鼻血が出ました。昨日も書きましたが、かなり乾燥した部屋なので、起きてすぐに“これは出るかな”と思ったくらい。追い打ちをかけるように、パソコントラブル。PCカード型のハードディスク(2GB)にほとんどのデータを保存しているのですが、ファイルを保存しようとしてもできないのです。エクセルだとダメ。一太郎はOKなので、復旧作業は後回しにして出発しました。
 会場でO内さんから「近藤さんも、目の下にクマを作っていた」と、聞かされました(12日の日記参照)。プリンス近藤記者は箱根駅伝主催の読売新聞記者ですから、この時期、展望記事の取材やなんやかやで、かなりハードらしいとのこと。その話を聞いた直後に近藤記者の顔を見たのですが、それほどクマができている風でもないのです。そこが、安ホテルでリンスinシャンプーを使っている寺田と、本家プリンスの違いでしょうか。
 先週の福岡国際マラソンは報道車に乗ってレースを見ましたが、この大会は仕事の都合もあって、毎年、プレスルームでテレビ観戦です。寺田が座った左斜め前方に主催の毎日新聞の記者の方たち数人が陣取っていました。ユンケルのCMでイチローが画面に映ったとき、寺田の視界にはちょうど、イチローとISHIRO記者が並んで映るかっこうに。これは、なかなかお目にかかれない光景です。オーロラを目撃するようなものですから、ちょっと得をした気分になりました。
 嫌な予感で始まった一日でしたが、取材はなんとか無事に終了。レース後、選手13人と指導者4人のコメントを取りました。合計17人……我ながらよく聞けたなあ、と思います。かなり、運もよかったですね。資生堂と京セラが近くに陣取っていましたし、田中めぐみ選手も運よく通りかかってくれました。競技場から閉会式会場の長良川国際会議場に移動している間にも、3人と話ができました。しかし、もう1回やれと言われてできるかどうか…。
 この大会の取材に慣れてきたかな、と思ったのは、閉会式終了後。会議場から、道を隔てた駐車場に移動しながらコメントを取るのですが、選手の話をメモしながらも、段差やら車が来ていないかなど、気を配りながらできるようになっている自分がいました。昨日のイカ納豆に続いて、経験がプラスになっていることを実感した次第です。


■12月13日(土)
 2時間半睡眠で岐阜へ出張。全日本実業団対抗女子駅伝前日の取材のためです。名古屋駅で東海道線に乗り換えるホームで、力うどんとイカ納豆の昼食を15分で済ますあたり、この大会への出張も慣れてきたかな、と感じさせるところです。特に、イカ納豆まで食べてしまうところでしょうか。うどんだけだったら、誰でも食べられるのでしょうけど。
 取材はまずまずの成果。3人の指導者のコメントが、明日のレース観戦を面白くすると思ったので記事にしました。駅伝のことだけでなく、マラソンに向けた取材も同時にしているのですが、今回はマラソン関連ネタは省略します。
 選手では、共同会見に出たエスタ・ワンジロ、大南敬美、渋井陽子、坂本直子の4選手以外に、2月に引退することを表明している三井住友海上・坂下奈穂美選手の話を聞くことができました。表情はとても穏やかで、終始、笑みをたたえながら質問に答えてくれました。土佐選手の代役のような感じで5区を走った昨年も、開会式直後にすれ違いざま取材をしましたが、今日とは対照的だったような気がします。同じく5区で区間賞を取った一昨年との比較ができればよかったのでしょうが、残念ながら思い出せません。
 だからといって、坂下選手が明日、いい走りをすると断言してしまわないのが、寺田の慎重派たるゆえん。もしかすると、結果的に5区がポイントとなるような予感はしましたけど。まあ、科学的な根拠は何もありません。
 11月の国際千葉駅伝と八王子ロングディスタンス、先週の福岡国際マラソンに引き続き、TBS佐藤文康アナの姿が認められました。今晩の番組に出演するためいったん東京に戻り、明日の朝に再度、岐阜入りするそうです。聞けば、福岡国際マラソンも同じように福岡・東京間を往復されたとか。なんともすさまじいスケジュールです。
 その頑張りに胸を打たれたので、居合わせたプリンス近藤記者(早大競走部で佐藤アナの先輩に当たります)と“佐藤アナの人気を上げる会”を結成。陸上競技出身アナとして、どんどんメジャーになって欲しいという願いからです。パリでちょっとご一緒させていただいた豊田綾乃アナもいらしてましたが、挨拶できなかったのがちょっと残念。
 取材終了後にホテルにチェックイン。18時から取材が入っていたのですが、2時間ちょっと時間が空いたので、区間エントリー表を入力してアップ。その作業終了後、椅子に腰掛けたまま居眠りをしてしまいました。起きたら、右脚ふくらはぎがつりそうになって、歩けないかと思いました。暖房をオンにするとものすごく乾燥した空気になります。そのせいで水分不足になったのでしょうか? 単なる睡眠不足と、座りながら眠ったときの姿勢の問題でしょうけど。
 上野裕一郎選手の記事に関して、メールを2通いただきました。


■12月12日(金)
 昨晩から仕事のピッチを速め、3時間睡眠のつもりが4時間半になってしまったので、今日の午前中にもタタッと仕事をして、12:20頃に大東大に向かって出発。東武東上線の急行で高坂駅に14:35着。マネジャー(と思われる)女子学生の方が記者たち(6〜7人)を寮まで、車で運んでくれました。
 取材は相当に充実していたと思います。只隈監督の人柄によるものなのか、雰囲気も明るくてよかったですし。こちらも、箱根駅伝といえども手抜きはなし(あんまり意味はない記述ですので突っ込まないでください)。しっかり予習をやって取材に臨みました。4年間分の陸マガ箱根駅伝展望増刊の大東大ページと、箱根駅伝本番の記事をいくつかコピーして目を通しました。過去4年間の選手写真名鑑を見て、今年だけ違う点(法則と異なる点)を見つけ、取材中もちょっと話題になりました。具体的に何かは、ここで説明するのはやめておきましょう。
 大東大関連のネタの仕入れは、十分にできたと思います。このサイト用のネタは……どうでしょうか。
 18時に取材は終了し、都内の知り合いの事務所に移動。電話がたくさんかかってきました。気のせいか、携帯電話バッテリーの持ち時間が短くなっている気がします。購入してまだ、1年3カ月しか経っていないのですが。事務所では今晩締め切りの作業をこなして送信。上野裕一郎選手の1万m高校最高の記事にも、やっと取りかかりました。400 m毎の通過&スプリットは陸マガに載っていたので割愛。
 最終電車で自宅に戻り、上野選手の記事を完成させてサイトにアップ。明日からの全日本実業団対抗女子駅伝取材の準備をして、なんとか2時間半の睡眠時間を確保。緊張感があれば、このくらいの時間で十分なのですが、福岡で会ったO内さんから「目の下にクマができてるよ」と言われてしまいました。NZからも同様のメールをもらいましたし。しかし、そこまでしている割に仕事が進みません。ただ、クマを作っているだけでは意味がないのですが。


■12月11日(木)
 15:00からミズノ東京本社で末續慎吾選手との懇談会形式の取材。相変わらず、どーんと構えている末續選手です。どうやったら、あれだけ余裕のある受け答えができるんでしょう。今日はスポーツ新聞各紙と熊本日日新聞、そして専門誌(と専門誌系ライター)用にミズノが開いてくれたもので、一般紙と通信社用には先月末に行われたそうです。何回も書きますが、寺田のような一介のフリーランスにまで案内をもらえるというのは、本当に嬉しいことです。帰り際にもお礼を申し上げましたが、この場でも再度、感謝の意を表したいと思います。
 今日の懇談の模様は今年の締めとして、このサイトで記事にします。2003年MVPみたいな感じで。そうそう、末續選手は大晦日の紅白に出演するそうです。「歌手で?」という東スポ・S記者の突っ込みに「歌ってもいいんですけどね」と答えていましたが、たぶん、審査員だと思われます。
 今年の陸上界MVPが末續選手なら、新人賞は山口有希選手でしょうか。あっ、もちろん、色んな意見があると思いますし、他の意見がよくないなんて言いません。ちなみに、福岡国際マラソンが終了した時点で、寺田のアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンで投票するメンバーは決定しました。それで山口選手も、国体の際の一問一答を、年末までに掲載したいですね。そのくらい頑張れる勇気を……って、何回書いているんだろう。ホント、進歩がない。
 17:30頃に毎日新聞社に。今日、配本(発売は13日)のニューイヤー駅伝公式ガイドを受け取りました。寺田は巻頭の「ニューイヤーとアテネを目指す選手たち」と「上州路に羽ばたく」の何人かを担当。ISHIRO記者が大会展望4ページを書いていますが、やっぱり上手いですね。視点も鋭く文章は簡潔。見習わねば。女子の公式ガイド発売のときにも書きましたが、今回も全チームの写真名鑑が付いて定価500円はお買い得。藤原定家は鎌倉時代の歌人ですが、藤原正和選手は平成の長距離ランナーです。
 18:30に陸マガ編集部に。これも明後日(13日)発売の1月号を受け取りました。別冊付録が2冊(「全国高校駅伝徹底ガイド都大路2003」「箱根駅伝パーフェクト・ガイド」)が付いて特別定価980円はお買い得です。11月の日本スプリント学会での高野進コーチ、広川龍太郎氏、末續選手による「世界陸上報告〜銅メダル獲得までの道のり〜」(前編)は必読でしょう。
 寺田は福岡国際マラソンで2ページと、全日本実業団対抗駅伝の展望記事を書いています。この展望記事が、12月2日3日の日記に書いている400行原稿です。量だけはものすごい取材をして書いていまして、それを詰め込んだせいか、かなり濃いと思います。専門誌だったら、この手のねちっこい書き方もいいのかなあ。どう思われますか……って、皆さんが読めるのは2日後ですけど。
 それにしても、今日が陸マガ箱根駅伝増刊の発売で、明後日がニューイヤー駅伝公式ガイドと陸マガ1月号。ここまで集中するのですから、いかに11月が立て込んだか。12月は締め切りの本数としては、11月ほどではないのですが、実は福岡から帰ってきた月曜日の夕方から火曜日と、予定になかった休養日になってしまって、昨日からかなり慌てています。細かい仕事が貯まってしまっています。明日から箱根駅伝有力校の公開練習が続きますが、さすがに全部は行けなさそう。


■12月3日(水)
 夕方、やっと400行原稿が完成。直後にISHIRO!記者から電話があり、若干の情報交換。アテネ五輪の標準記録がいくつかの種目で引き下げられたことも、教えてもらいました。ISHIROファンのために情報を少し。ISHIRO記者もかなり立て込んでいると聞いていたので、山は越えたのかと尋ねました。話しぶりから察するに、一番のピークは越えたようですが、まだまだ忙しそう。明日も、30分間話(講演?)をしないといけないのだそうです。そういえば寺田も、急遽また、ラジオ番組に出演することに。いつものように電話ですけど、明日収録です。その依頼が来たのが今朝の11:30頃。その件に関して、某社監督に電話取材をして、ネタを仕入れました。
 ISHIRO記者情報を書いているとまた「他にネタがないのですか」、と言われそうですが、そのせりふ(セディフではない)を先月、カネボウ音喜多コーチからも言われました。高岡寿成選手の取材で防府にお邪魔したときのこと。「今度、3000mSCのカネボウ記録保持者として紹介させていただきます」と寺田が言うと、音喜多コーチが「他にネタがないのですか」と、おっしゃったのです。
 ちなみに、カネボウ記録は
3000m7分41秒87(高岡寿成)=日本記録
5000m13分13秒40(高岡寿成)=日本記録
1万m27分35秒09(高岡寿成)=日本記録
30km1時間29分12秒(伊藤国光)
マラソン2時間07分57秒(伊藤国光)

 と、錚々たる記録が並びます。これらと並んで音喜多コーチの記録(8分37秒94)があるのです。日本歴代順位は20位。確かに、他のカネボウ記録と比べると、歴代順位は低いのですが、こういった先達(音喜多コーチの記録は1988年のもの)の頑張りがあってこそ、岩水嘉孝選手の日本記録があるのです。同じ時代に3000mSCで頑張っていたのが、三井住友海上RC・新宅監督や大塚製薬・河野監督、山陽特殊製鋼・永里監督、NTN・愛敬監督、日大・小川監督たち。順大・仲村監督も含まれるでしょうか。指導者となって、日本の陸上競技発展に尽くしている人材ばかりです。3000mSCでは内冨恭則選手の今年の記録も、アテネ五輪B標準突破になりました。めでたしめでたし。
 おっと、間違いが1つ。マラソンのカネボウ記録は伊藤監督の上記タイムではなく、高岡選手の2時間06分16秒でした。高岡選手がマラソンの日本最高記録を持っている認識はあるのですが、なぜか、カネボウ記録保持者という印象がありません。なぜかと考えてみると、答は簡単。マラソンといえば福岡国際マラソンですが、“福岡といえば宗兄弟に伊藤国光、そして瀬古利彦”というのが我々世代の印象です。つまり、カネボウのマラソンといえば伊藤国光、というイメージの人も多いのではないかと。
 要するに高岡選手も、今週末の福岡で印象に残る走りをしないと、まだまだ伊藤監督を超えられないぞ……なんて言っていいのかな。まあ、高岡選手に限って、この程度でショックを受けて走れない、なんてことはあり得ないでしょうから。


■12月2日(火)
 いつの間にか12月になっていました。今日は3通、喪中の葉書が届きました。“新年の挨拶を控えさせていただきます”っていうアレです。かねがね思っていたのですが、喪中の人で“おめでとうございます”と年賀状をもらい、本当に怒る人っているのでしょうか? 両親兄弟とも元気な寺田が言うのもアレですが、まずいないでしょう。それが社会的な礼儀といえばそれまでですが、年賀状って普段は疎遠になっていても、年に一度の近況報告みたいになっていることもあるわけで、それが届かないのは寂しい気もいたします。寺田の年賀状はここ数年、1年間の出来事を書くようにしています。喪中の方にも、年賀状と同じ内容を、寒中見舞いとして出すようにしていますね。たまに、手一杯で出せないこともありますが。
 昨日の締め切りは、今日の15時頃にやり終えました。それから400行原稿にかかって、午前0時15分の現時点で150行まで進みました。どうも、行数オーバーの気配がプンプンします。今の時点から、短くまとめることを心掛けねば。でも、取材したネタがいっぱいあるのです。800行でも書けるくらい。嘘八百……ではありません。でも、指定の行数にまとめるのがプロ。まとめられないのは、プロウブレム。競技会のスタートリストなどが載っているのはプログラム。判定に抗議するのはプロテストかな。清水康次選手が麓みどり選手に(多分)したのはプロポーズ。


■12月1日(月)
 システム(生活&仕事)が崩壊寸前。昨日、今日と食事は1食。適当に口に物は入れていますけど。睡眠は、2〜3時間で昼夜の別を問わずに3回(けっこう、寝てるな)。精神的にもやばいので、グチを書いて発散させましょう。
 とにかく、本来の原稿執筆作業の他にも細かい仕事が盛りだくさん。まずは請求書を3通。以前にも書きましたが、請求書を書くのが楽しいフリーライターはいないでしょう。先月中に送れば年内振り込みだったのでしょうが、「もういいやっ、来年になっても!」という感じで、明日の発送にします。
 写真をメールで送る作業が2つ。この他にも、もう1つ、O川君にも送信しないといけないのですが、これは後回し。専門誌編集部も今は死にそうなくらい忙しいはず。本誌1月号の他に箱根駅伝の増刊と別冊付録、高校駅伝の別冊付録が同時進行していますから。現役の専門誌編集者は言えないことでしょうから、OBの寺田が代わりに書きます。「助けて、こびとたち!」「貸してくれ、猫の手!」。ということで、O川君へのメールも下版明けにした方がいいでしょう。
 メールでの問い合わせには、電話で回答。2つ重要な相手からのメールがあったのです。夕方、T選手に電話をしていたら、その電話の最中にS原さんからも電話がかかってきました。その前後にも3つ電話をしていて、一気に話しました。
 ネーム校正もFAXで来ていますね。うーん、いつやったらいいんだ。もちろん、答えは決まっています。今晩、頑張らないといけません。朝までにこのネーム校と、A4資料作成を2つ、短めですが原稿を1本……終わるのかな。
 明日は、400行の原稿の締切。取材は十二分にできていますし、構成も頭の中ではできています。007ことO村ライターへのリベンジ企画も思いつきました。この手のことを思いつくのは、ハイになっている証拠です。
 しかし、明日400行は……頑張るしかありません。400ですから、勇気を持って…。


■11月30日(日)
 昨晩はレースが遅かったため、帰宅が23時近くとなってしまいました。信毎・中村記者は時間がなくて大変だったでしょう。ファミレスで朝まで仕事。箱根駅伝関係の原稿を1本と、日記を書き上げました。ホント、すごい経験をしたと思っているので、テンションが高まって朝まで体が持ったという感じ。30分くらい寝ていましたけど。
 今日は外出せずに一心不乱に仕事。食事も摂らないほど。マラソンで、前の晩に眠れなかったけど、結果が出てって話もよく聞きますが、それと一緒(にするなよ)。91年東京世界選手権の谷口浩美選手とか、02年シカゴ・マラソンの高岡寿成選手とか、前の晩はまどろんだだけだったようです。
 色々とメールもいただいていますが、急ぎの仕事以外の返信は明日、場合によっては明後日以降になってしまいます。申し訳ありません。電話のできる相手には電話します。


■11月29日(土)
 八王子ロングディスタンスと日体大長距離競技会を初めて梯子取材。例年、八王子は平日に行われていますし、日体大は12月第一日曜日開催で福岡国際マラソンと重なっています。来年以降のことはわかりませんが、たぶん今年が最初で最後のチャンスと思って、敢然と挑戦しました。
 八王子ロングディスタンスの行われる上柚木競技場最寄り駅の南大沢は、寺田の住んでいる永山から京王線で3つめ。近くて助かります。しかし、今日の八王子は雨。仕方なく、駅からタクシーを使いました。気温も12℃。雨と低温のダブルパンチ……って言葉は、あまり使わないでしょうか。
 競技場の受付は、例年のようにコニカミノルタの選手たちが務めています。そこで某社マネジャーの方にお会いして、「八王子の雨はロマンチックですよね」と挨拶をすると、「寒いだけですよ」とリアルな言葉が返ってきました。当然ですが、選手たちにとってはいいコンディションであるはずがありません。記録を出すのが目的の大会で、それが難しそうな状況なのですから、とても寺田の軽口につきあっている場合ではないでしょう。
 最初の種目は女子5000m。1位の上野理恵選手は積水化学をやめて、1年以上のブランクの後に今春、積水化学に戻ってきた選手。先週の国際千葉駅伝が復帰第1戦で、今回がトラック復帰第1戦。といっても、自己記録にはまだまだ届きません。その点、3位の高橋紀衣選手は純粋に自己新。母校の中大が同じ八王子ということで頑張ったのかもしれませんが、純粋に力が伸びている可能性の方が大きいと考えるのが普通です。
 男子の最終組では大島健太選手が優勝し、2位の坪田智夫選手まで五輪B標準を上回りましたが、2人ともB標準ならすでに突破済み。目的のA標準(27分49秒00)突破はならず。コンディションさえよかったら、と見ている方は思いましたが、選手たちの口からそういった、恨みがましいコメントは聞かれませんでした。
 16:30頃に取材も終了し、日体大に移動。小田急線の鶴川駅からタクシーに乗ったのですが、駅の周辺が結構渋滞していて、30分近くかかってしまいました。以前、隣の駅の柿生から乗ったときは15分前後で着いたのです。今後、気を付けることにしましょう。
 日体大には17:45着。着いてみると雨はほとんど止んでいて、ときおり小雨がぽつぽつと落ちてきますが、気温も八王子よりちょっと高かった気がしますし、風もなくて絶好のコンディション。八王子の最終組の選手がこっちでレースをしていたらと、ついつい思ってしまいますが、これはどうしようもないこと。逆に雨が強くなるケースもあるわけですから。
 日体大長距離競技会(なんと第155回)の取材は2回目でしょうか。もしかすると3回目かも。でも、箱根駅伝の選手が多数出場するこの時期の大会は、前述したように例年は福岡国際マラソンと重なっているので今日が初めて。八王子の女子5000m1位の上野理恵選手がトラックの復帰第一戦なら、上野裕一郎選手はトラックの高校最終戦。1万mで高校最高を狙うと聞いていましたが、上野理恵選手が復帰戦を飾っただけに、いい予感がありました。
 しかし、日体大に到着してグラウンドに入る際、凶兆とも思えることが。佐久長聖高の両角先生にお会いして挨拶をしようとしたら、ぬかるみに足を踏み入れてバシャッ。転倒するようなことはありませんでしたが、上野選手の記録更新に不安が感じられました。しかし、どうしてどうして、実は吉兆でした。
 最終組は20:20スタート。中距離の元トップランナー、信濃毎日新聞の中村恵一郎記者も駆けつけました。ちなみに、八王子と両方に現れた長距離関係者は何人かいましたが、報道関係では寺田だけだったと思います。中村記者とラップを取りながら、「前半がちょっと突っ込み過ぎかな」などと話していましたが(寺田が一方的に言っていたことです)、ケニア2選手と離れて独走となってから、ペースを維持したのには驚かされました。
 前高校最高記録保持者の渡辺康幸氏も、早大コーチとして現場に居合わせる幸運(取材する立場からいうと)。渡辺コーチと12年前の高校最高について話をしていて、突然、当時の記憶が甦りました。「あのとき引っ張ったのって、只隈さんじゃなかったっけ?」と寺田。場所は中大でしたが、ちょうど同じ時期。取材に行ったわけではありませんが、陸マガに掲載した写真が脳裏に浮かぶあたり、寺田もただ者ではありません(自分で言うなって)。
「只隈さんと平塚さんですよ」と渡辺コーチ。ヤクルトの只隈選手は現在、ご存じのように大東大監督で、エスビー食品の平塚選手は現在、これもご存じのように城西大の監督。この2人も今日、日体大に来ていました。只隈監督は長靴を履いて雨のフィールドをダッシュし、選手に檄を飛ばしていたようです。
 渡辺コーチの高校最高は1991年の12月1日。場所は前述のように中大で、これも前述のように中大があるのは八王子。八王子から日体大に強行軍の移動をしたその日に男子1万mの高校最高が出て、八王子と日体大が12年の時と10数kmの距離を飛び越えて、一体となったかのように思えたのでした。


■11月28日(金)
 原稿を……何本か書きました。ずっと自宅兼事務所にこもって。電話取材も2本。どうしても取材と原稿の締め切りが優先になってしまい、進んでいない仕事もいくつかあります。進んでいないといえば、仕事部屋がかなりごたごたしてきました。パッとデスクの周囲を見回すと、世界選手権から帰ってきて置きっぱなしになっている紙袋が3つ。世界選手権に出発して以降の請求書や明細書の束も、なんとか処理しておかないと。おおっと、その向こうにあるバッグには、去年のヨーロッパ取材から帰ったときのままです。
 デスクの上は、今年の1月に整頓して、同時に確立した整理システムが機能していまして、なんとか有効に使えています。電話取材の時にパソコンを取れば、まずまずの広さがありますからね。でも、実業団駅伝関係と箱根駅伝関係と、もう1つ何か別の仕事を同時に進行すると(厳密に同時ではないですけど)、デスクは一気に資料に埋もれてしまいます。
 そういえば、某誌編集部O川君に写真を送りたいのですが、今月中は無理かも。12月になったらクリスマス・プレゼントと言って送れるから、それがいいでしょう。春になってから送るというのも、1つの手ですね。はーるのO川はさらさら行くよ……でしたっけ? あまり面白くないなあ、自分で書いていても。なんで、こうなんだい?(これも苦しい)


■11月27日(木)
 今日も朝の8時ちょっと前から仕事を始め、9時台には「ニューイヤー駅伝公式ガイド」(サンデー毎日増刊)の最後の原稿を送信。実は昨晩も、都内の知り合いの事務所に泊まり込み。2日に1回は泊まっているペースです。まあ、3〜4時間は眠っていますので、ご心配なく(誰も心配してないか?)。
 と言うのも、今晩した電話取材した選手から「寺田さんは忙しいんじゃないですか」と言われてしまったから。周りの誰かが、この日記を読んでそう言っていたそうですが、「日記に書くことと、試合中の跳躍選手へのコーチのアドバイスが似ている」と例え話をして、実際はそれほど忙しいわけではないことを説明。この例えも実は、含蓄があるのですけど、詳しいことは機会があったらということで。
 それにしても、一昨日はモーニング娘。で、今日は跳躍コーチ。例え話が好きな年頃かもしれないと、やはり一昨日書きましたが、これは歳をとった証拠でしょうか? 世間ではよく、この手のことを結論づけますが、(歳をとった証拠、というくだり)寺田はそういった決めつけはしません。だって、証明しようがないじゃないですか。結論づける人は、自分の経験の中でなんとなく、そう思い込んでいるだけなんですよ。それを真実だと錯覚するんです。
 でも、しかし、その思い込みが実は科学的だったりする人が、何かをやり遂げたり、大物になったりするのかもしれません。その点、報道というか記事を書く作業は、ある意味、100%正しいことしか書けません。“たぶん正しいだろう”では書けない。そういった理由で、安易に“例え話が多くなるのは歳を取った証拠”とは書けないのです。それで、寺田は大物になれないのかも。
 ニューイヤー駅伝公式ガイドの最後の原稿を書き終えましたが、今日は全日本実業団対抗女子駅伝の公式ガイド(これもサンデー毎日増刊)が届きました。寺田は「美濃路攻略のカギを握るランナー」という企画で2本、「アテネにはばたく選手たち」「女子駅伝を彩る指導者群像」を担当しました。出場全チームの選手写真名鑑は、かなり貴重な資料でしょう。定価500円は絶対にお買い得です。明日、28日発売です。ちなみに男子は12月13日。陸マガと一緒の日ですね。
 今日発売のスポーツ・ヤァ!には高岡寿成選手のインタビュー記事が載っています。これも、福岡国際マラソン前に必読でしょう。そうそう。30日のサンデースポーツ(NHK)でも特集されているそうです。
 実業団駅伝関係の記事は終わりましたが、データ整理がまだ途中です(これも仕事)。それに明日は、箱根駅伝関係の締め切りも。でも、今日電話取材をした記事は、これから書いてしまいましょう。そのくらいは頑張る勇気を持ちたいもの。


■11月26日(水)
 7時前には起床をして精力的に仕事(単に追い込まれているだけか?)。書きかけだった原稿を午前中に150行書いて仕上げました。昨日も同様に、午前中に150行書いて、午後に取材というパターン。午後から取材の時はこのパターンがいいかもしれません。朝の7時台に今日取材の大学のマネ君から電話がありましたが、そういうことにも対応できますし。11:20に原稿を送信し、1本電話取材をして、12:18に自宅兼事務所を出発。
 取材は昨日同、様自分ではいい写真が撮れたかな、と思っています。大学の取材は(特にチームとしての取材)、本当にマネ君が頼りです。この場で書いても伝わらないかもしれませんが、本当に感謝しています。
 夜は都内某所に。またもや、偶然にも謎の女に遭遇。「土曜日は八王子ロングディスタンス取材のあと、日にも行きたい」と言ったら、若干、冷たい目で見られました。人づてに聞いた話ですが彼女、この日記に書かれていることに腹を立てることもあるそうです。あまり性格がわかると、謎ではなくなってしまうんですけど…。それでも、名前の由来はそんなことに左右されません。何があっても謎の女なのです。


■11月25日(火)
 今日のキーワードはモーニング娘。でした。
 昨晩は知り合いの事務所に泊まり込み。3時間くらいはダウンしましたが、朝からまた集中して原稿書き。昼過ぎに自宅に戻り、40分で準備をして(資料はだいたい、整えてあったのです)、某大学合宿所へ取材にお邪魔しました。昼食はゼリー飲料と栄養補助食品(でいいのか)。あいにくの雨。マネジャーの方が駅まで迎えに来てくれたので助かりました。今日はカメラマンも務めたので、機材が濡れるのが心配だったのです。
 カメラに関してはプロではありませんが、編集者を10年以上やっていましたから、絵柄というか、構図はそれなりのレベルで考えてできるつもりです。モーニング娘。のユニットの話をマネ君にすると、こちらの意図を理解してくれて、これも助かりました。別に例えなくてもわかってもらえる話でしたが、例え話のしたい年頃なのでしょうね。
 取材は順調。デジカメでの取材ですので、絵柄を選手とチェックしながら、選手の希望も取り入れながら進められます。なかなかよかったな、と思います。ただ、こちらの責任ですが、取材時間が長くなってしまいました。原稿の行数オーバーと、取材の時間オーバーには気を付けないといけないと思っています。相当に反省しています。あと、例を出すなら、モーニング娘。の1人1人の名前くらい、覚えておかないと。これは、ほんのちょっとだけ反省。
 昨日紹介した佐藤アナの件ですが、決して、仕事上のことで「頑張れよ佐藤文康!」と思ったわけではありません。この日記に書くことですからおわかりかと思いますが、他愛もないことです。でも、他社の人間のことを実名で書くときは気を付けないといけませんね。そうそう。ある早大競走部OBの方からのメールをいただきました。佐藤アナは学生時代、今のような話し方ではなかったようです(そのメールでは“声”となっていました)。相当に訓練されたのでしょう、とも書いてくださっています。やっぱりプロなのでしょう。
 明日も別の某大学の取材。天気は晴れそうです。


■11月24日(月)
 国際千葉駅伝取材。今日一番感じたことは、頑張れよ佐藤文康! これに尽きます。
 佐藤文康は誰かって? それはあなた、TBSアナウンサーの佐藤文康さんですよ。しかし、なんでまた、国際千葉駅伝で佐藤アナなのか。それは、まあ、ちょっと明かしにくいことなのですが。元をたどれば、佐藤アナが陸上界を代表するアナウンサーだということです。陸上界期待のアナと言った方がいいかもしれません。
 ご存じの方も多いと思いますが、佐藤アナは元全日中チャンピオン。すいません、すぐに何年とは出てきませんが、市川良子選手と同じ学年です。大学は名門の早大競走部。
 ところが今日、佐藤アナは2つのらしくないシーンを見せてくれました。具体的に何があったのか、本人の許可が取れたらいずれ、書きたいと思います。許可が取れなければお蔵入り。
 今日感じていることがもう1つ。頑張れよ寺田辰朗! これもありました。
 昨日仕上げる予定だった300行原稿が結局、今までかかってしまいました(25日の午前3時)。千葉では、国際千葉駅伝の原稿は何も書かず、昨日締めきりの原稿を必死に書きました。なんで昨日のうちに、このペースでできなかったのか…集中力がまだまだです。このあと、もう1本短めの原稿を書いて、あともう1本、280行の原稿が締切です。明日は16時に東横線沿線で取材。頑張らないと。
 でも、今日も幸せを感じられることがあったので(都心に戻ってから)、なんとか頑張れるでしょう。
 そういえば昨日、幸せポイントをゲットしました。ある選手からメールをもらったのです。内容は秘密ですが、女子選手からとだけ書いておきましょう。いや、ホント、こういうことがあると、この仕事もまんざら捨てたものではありません(やめる気は今のところありませんが)。さっそく返事を書いたのですが、何回送信しても戻ってきてしまいます。○○選手、もしもこの日記を読まれていたら、メールBOXの容量がいっぱいになっていないか、チェックしてくれないでしょうか?



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