寺田的陸上日記      
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ…        
昔の日記はこちらから
2001年2月。21世紀も残すところ1199カ月

●2月28日(水)
 箱根駅伝ファンに言いたい。今週末が箱根駅伝ファンとしての根性を見せるときだと。
 箱根駅伝ファンにはミーハー・ファンが多い。選手をスター扱いして、箱根駅伝の時期の前後だけ騒ぐだけ。選手がインカレなどのトラックでどんな走りをしているかも知らない。1万m28分台と言っても、どのくらいのレベルなのかわからない。スター扱いするから選手がそこで満足してしまって、その後が伸びない。陸上関係者の多くがこう言っているんだぞ。知ってるのか、箱根駅伝ファンの諸君。
 今週末の日本学生選手権マラソンの出場選手が発表された(記事はこちら)。1万m28分台が10人と、なかなかすごいメンバーだ。箱根駅伝の1つの区間よりも、よっぽど充実しているし、面白くなること確実だ。まあ、駅伝の場合は、駅伝独特の競技性があるから比較することなどできないのだが…。
 言いたいのは、箱根駅伝以外にも、学生選手は出場しているわけで(もちろん練習もしているわけで)、そういった大会を見よう、そうすれば箱根駅伝も今より10倍も面白く見ることができるということ。そうすることでまた、箱根駅伝以外のレースも見たくなるはずなのだ。インカレを見れば、他の種目も箱根駅伝と同様に、選手が情熱を持って頑張っていることがわかるはずだ。
 だから、東京近辺の人は、もちろん遠くの人も、神宮外苑に押し掛けよう。押し掛けて、「ここではレースはできない」と運営するサイドに思わせよう。「すごい人気があるじゃないか」と、スポンサーやテレビ局に思わせよう。そうすれば、この大会を賞金レースにして銀座でやる運びになるかもしれない。そうすれば、箱根駅伝の事故が減るかもしれないのだ(こちらに箱根駅伝の事故を減らすための一考察)。
 ここが、箱根ファンとして、良識と情熱の見せどきと心得ろ!!

 報道&展望記事に「日本学生マラソン選手権出場選手判明 男子は28分ランナー10人と盛況 女子の注目は藤永のレースぶり」「世界室内に朝原、川畑、小坂田、金沢の4選手」をアップ


●2月27日(火)
 昨日書いた神戸インターハイの想い出をもう1つ紹介させてください。
 今でも鮮明に記憶があるのは、100 mで圧勝(10秒37とタイムまで記憶している)した杉本選手の、200 m優勝後のコメントです。「200 mは陸マガの予想記事に“奥山(善行・日大山形)で決まり”と書かれていたので、なにくそと思った」。インターハイ前の成績では誰がどう見ても、4回も高校新を出していた奥山選手有利でしたから、的外れの予想ではなかったのですが…。
 選手のメンタリティーとして、客観的に見たら不利でも、戦う自分までそうと決めつけたら、やっていられないという部分があります。主観と客観という立場の違いで、考えはガラッと変わってくるのは当然です。それがあるから予想記事を書くときも、よっぽど力の差が感じられない限り「この選手が強いが、こっちの選手にも可能性はある」という表現が多くなってしまうわけです。
 ただ、杉本選手が陸マガを憎んでいないのは、口調や態度から明らかでした。だからその後、彼が学生2年目にドイツ留学した際「杉本龍勇のドイツ通信」などの企画が陸マガに登場したわけです。
 ところで、寺田の名前は辰朗と書いて「たつろう」ではなく「たつお」と読みます。杉本選手の龍勇も実は「たつお」。それを知ったとき、杉本選手もきっと毎年、年度初めは先生が名前を読み間違えて「たつおです」と、その都度言い返さないといけなかったのだろうなあ、と確信しました。間違いなく同じ経験をしているはずだと、と妙な親近感を持ちました。しかも、同じ静岡県出身。でも、キャラはまったく違います。

 報道記事に「昨日の記事の補足――独走を許した選手同士だが優勝者とのタイム差に大きな差」、オピニオンに「国際陸連の処分に疑問 バウマンと同じレースに出場した選手全員が失格」をアップ


●2月26日(月)
 初めてのインターハイ取材は、88年の神戸インターハイでした。寺田にとってはものすごくインパクトがあった大会です。
 初日に400 mの渡辺高博選手(新居浜東)と1500mの浜矢将直(西脇工)選手が高校新で優勝。スッゲーと思いました。2人のガッツポーズは、まぶしすぎました。その浜矢選手を5000mで破った熊谷勝仁(専大北上)選手(1月27日の日記参照。苅部俊二選手と同系統の顔)、そして100 m&200 m2冠の杉本龍勇(浜松北高)選手。陸マガ88年9月号のカラー頁は、ガッツポーズでゴールする写真ばかりです。
 そしてどうしても忘れられないのが、志水見千子(網野→リクルート)選手の涙です。前年の札幌インターハイ3000mで2年生Vをしていましたから、注目していたのですが、10位と敗れてしまいました。優勝は同じ京都の桂知江(宇治高)選手でしたから、なおさら複雑な心境だろう、と思い、新人編集者・寺田は「これはコメントを聞くしかない」と、レース後の志水選手を追ってスタンド裏に。月陸記者の姿はないし、これは独占取材だ、と心躍らせていました。しかし――
 そこで見たものは、泣きじゃくる志水選手と、それをなだめる女性監督の市村季里先生の姿です――寺田はどうしても声がかけられませんでした。今、この2人の間に第三者が割って入って話しかけることは、絶対にしてはいけない。瞬時にそう感じました。幸いなことに上司から命じられた仕事ではなかったので、20〜50秒間立ちつくしたあと、その場を去りました。2〜5回、振り返りましたが、2人の様子に変化はありませんでした。
 この経験は、秋の京都国体で志水選手が1500mに優勝し、笑顔の涙となってひとまず完結します。国体の号のモノクロ・グラビアには、彼女の表情のアップが1ページ全面で載っているはずです。
 どうして、神戸インターハイのことを思い出したのか。今回の名古屋国際女子マラソンの参加選手の中に、寺澤佳恵(滋賀陸協)選手の名前を見つけたからです。88年神戸インターハイ3000m2位。そして阪大出身。参加資格記録の欄には1°17′52″(20Km)とあります。あのユニバー記念競技場での夏の一日以降、どんな12年間を送ってきたのだろう。
 今日の格言――「想い出は美しすぎて」

 報道記事に「名古屋国際女子マラソン(3/11)招待選手発表 甲斐は女性版“谷口浩美”になれるか!?」 「ロンドンに犬伏と弘山、パリに小幡 稀代の高レベル安定ランナー、三木の韓国・東亜挑戦にも注目」をアップ。リンク集に「報徳学園」など数項目を追加


●2月25日(日)
「僕の横浜国際女子駅伝取材日記」
 横浜スタジアムには11時10分に到着。毎年1回、ここに来る。昨日の横浜アリーナもそうです。JR関内駅の目の前にあるのでアクセスは便利だ。駅前の交差点で東京ランナーズ倶楽部の浜田安則コーチと市橋有里(住友VISA・AC)選手に会う。1つ、重要な情報を聞くことができましたが、明日まで公表できません。どういうことか、察しのいい方はおわかりかと思います。
 報道受付に行くと、三井海上の鈴木秀夫監督が3人の記者の方と話をされていたので、寺田も仲間に入れてもらいました。大阪国際女子マラソンをカラー2頁で紹介しているオリンピアン3月号を手渡す。
「おっ、この写真いいねえ
 当然ですが、まず目に入るのは写真です。ライターの仕事の善し悪しがわかるのは、文章を読み終えてから。繰り返しますが、これは当たり前。
「おかげさまで、三井海上の原稿で、いくつか仕事をさせてもらってます」
 ……このあとの会話は、ちょっと出せません。
 話は飛んでレース後。ゴール近くで上野理恵(積水化学)選手と土佐礼子(三井海上)選手が話をしていました。
寺田「あっ、写真、撮らせてよ。誕生日の同じ2人のツーショット」(参考記事
2人「はーい」
 デジカメを構えたところでテレビ関係の人が、選手はこっちで固まっていてください、と2人を連れていってしまいました。
 なんの、このくらい。よくあること。
 次は福士加代子(ワコール)選手に話を聞いていました。テレビの拘束は解けていたようです。5分くらい高校時代の練習を質問していたら、今度は大会役員の方が「表彰ですから」と、彼女を連れていきました。
 なんの、まだまだ。これくらい、よくあることです。
 渋井陽子選手と鈴木監督がテレビインタビューから解放されました。寺田と目が合いました。
渋井「あーっ、表紙の写真よかったですよ、月陸の…」
寺田「陸マガ」
渋井「そうそう陸マガ。ポイント高いですよ」
寺田「でも、写真を選んだのは僕ではなくて、編集部なんだよ」とは言いそびれて、
寺田「モノクロページの扉の写真(寺田撮影)はどうだった……」
 と質問したあたりで、渋井選手と鈴木監督のツーショットを撮ろうとするカメラマンの集団に、取り囲まれてしまいました。
 寺田は陸マガ編集者時代、カメラマンがいかにスムーズに仕事ができるかを考える立場にあったので、こういう状況になると、カメラマンを優先してさっと身を引いてしまうのです。今日は、どくことすらできない勢いで囲まれてしまったので、中腰になって撮影の邪魔にならないようにしていました。それでも、頭や肩を、ぐいぐい押されます。
 結局、話の続きはできずじまいでした。
 今日の格言――「ペンはカメラより弱し」

 報道記事と横浜国際女子駅伝に「横浜国際女子駅伝 ロシア、2位・日本に3分23秒差の圧勝!!」を、報道記事に「延岡西日本マラソン、松宮兄弟は終盤失速」をアップ


●2月24日(土)
 今日はもちろん、横浜アリーナで行われた日中対抗室内を取材。「スカーーっ」という記録は出ませんでしたが、スカーという選手はモロッコ人です(バルセロナ五輪1万m金メダル)。室内とは元々、そういう記録を期待する場ではありません。そんななかでも、何人か目に付いた選手がいました。詳しくはこちらで。成績一覧はここ
 室内の特徴として、選手を近くで見られる点がよく言われます。小学生のリレーではバトンパスの際に、走り終わった選手に後ろのチームの次走者がぶつかるシーンを何度も、目の前で見せられました。それでバトンを落とすシーンも…。その点、インカレの4×400 mRの選手はやっぱりうまいですね。
 ですが、精神的なダメージは小学生で“バトンを落とす”と、ものすごく大きい気がします。日本人って、チーム競技になると変な責任感が出てくるように思うのです。そういう教育、指導がされているような気がします。下手をすると、落とした選手がそれで、陸上競技が嫌いになる可能性すらあるでしょう。
 今日はバトンを落としたあとの選手やチームの表情までは観察しませんでしたが、周囲が(特に指導者が)明るく接することが重要ではないでしょうか。誰だって好きで落とすわけではないのです。落胆したり、ボーゼンとした表情は厳禁します。
 寺田は昨年のいつだったか、とある編集部でパソコンの電源コードを誤って抜いてしまったことがあります。編集長が2時間作業をしたデータをパアです。その時の編集長の、明るく爽やかな応対で救われた気持ちを、どう表現していいかわかりません。
 バトンを落としたあとは明るく!!――陸上界の鉄則です。
 そういう意味で、今月の月陸の大阪ガス3選手の鼎談で、小坂田淳選手がシドニー五輪の悪夢を明るく振り返っているのには、なんというか、安堵したような気持ちになりました。先輩の朝原宣治選手に、あれだけ突っ込めるようなキャラだったからこそ、でしょうか。
 今日の格言――キャラは人を助く。

 報道記事に「日中対抗室内横浜大会 森が室内日本新!! 対抗戦は僅差で日本」をアップ。ジュニア室内横浜大会のリザルツもアップ


●2月23日(金)
 横浜国際女子駅伝の出場区間が決定した。それはさておき、今回のメンバーは面白いですね……というネタは2月14日の報道記事に書いていますが、名前もまた面白いのです。
 改めて自分のことを言うのも恥ずかしいのですが、昨年3月まで寺田はベースボール・マガジン社の社員でした。入社1年目に週刊ベースボール配属になったこともあり、野球の年輩記者の方とも面識があります。その方たちと女子長距離の話をしていて「千葉と川上が強い」というようなことを、寺田が言いました。たぶんアトランタ五輪後の時期だったのでしょう。
「千葉と川上ねえ」。ある記者の方がつぶやきました。川上哲治と千葉**(すいません。忘れました)、この2人の名前は、プロ野球のオールドファンには堪えられないもののようです。ちなみに、川上哲治は川上選手と同じ、熊本出身です。川上選手の名前は優子ですが…(意味なし)。
 しかし、吉田香織選手は、名前も短距離の吉田香織選手(100 m日本記録保持者)と一緒です。同姓同名。一時はややっこしかったのですが、短距離の吉田選手が結婚して坂上香織選手になりました。コンピュータで記録処理をしている関係者にとっては、名前が変わるのは大変だそうです。別人になってしまうわけで、順位付けが大変になるのです。旧姓のままで出てくれた方が、わかりやすいのですが、今回のようなケースには役立ちます。
 三井海上の2人も面白い名前です。渋井陽子は渋くないのに渋井ですし、土佐礼子は高知出身じゃないのに土佐です。
 上野理恵も、台東区出身ではありませんし、福士加代子も福島出身ではありません。

 報道記事と横浜国際女子駅伝特集に「横浜国際女子駅伝出場区間決定!」をアップ


●2月22日(木)
 今日は猫の日でした。“2”が3個並んで“にゃにゃにゃ”だからだそうです。テレビで爆笑問題がそう説明していました。ギャグではなく事実のようです。
 話は突然変わって、寺田のパソコン歴を紹介したいと思います。92年の秋にNECのモノクロ液晶のノートパソコンを買ったのが最初です。OSはMS−DOSでした。もちろん98(きゅーはち、と発音してください)用です。翌年マックを買うのですがそれを説明するとややこしいので省き、インターネットを初めてやったのがWindows3.1時代で、トランペットウインソックとかいうソフトで接続するのにえっっっっっらく苦労した記憶があります。
 ブラウザはなんだったんだろう。モザイク(ネットスケープの前身)だったのかな。2代目のカラー液晶ノートパソコンです。そのパソコンにWindows95を入れてインターネットが本格化したのが95年〜96年の冬です。Niftyには93年から入っていました。というわけで、インターネット歴は、本格化してすでに丸5年。これに勝てる人は、日本広しといえども500万人はいないはず…。パソコンは当時、会社が買ってくれるはずもなく、もちろん自前でした。もちろん、ポケコンから自作派に成長した苅部俊二(富士通)選手には勝てませんが…。
 で、なにが言いたいのかというと、検索エンジンで各種WEBサイトを検索するなんて朝飯前なのです。で、全国の猫関係の協会、愛護団体のサイトを検索しました。数は2000以上ありましたね。その中でついに見つけました。
女子マラソンで2時間22分22秒を出した選手には、にゃにゃにゃにゃにゃーんと、高級外国猫を贈呈」
 Qちゃんがあれだけ、いろんな物を贈呈されている女子マラソン・ブームです。こんなことくらいあっても、不思議じゃありませんよね。
What's new
 報道記事と横浜女子駅伝特集に「横浜国際女子展望記事第3弾 シドニー五輪代表の川上&高橋 同学年コンビの決定的違いとは?」を、報道記事に「日中対抗室内北京大会」をアップ。誌面掲載記事に2つの記事を(部分的に)アップ。各目次ページのデザインを表組み形式に変更


●2月21日(水)
 スクープです。と言っても、寺田がスクープしたわけではありません。
 寺田は読売と日刊スポーツを宅配してもらっているのですが、昨日の日刊スポーツ朝刊一面に、「高橋尚子(積水化学)選手のプロ活動に積水化学側が了解を出した」との記事が大きく出ました。その後、他の報道機関もそれを追うように報じたので、これはスクープかと思い日刊スポーツ佐々木記者に本日電話をしたところ、報知・日比野記者と佐々木記者のスクープだったことが判明しました。報知も一面で展開したそうです。
 選手のプロ化の件については、近いうちにコラムを書きます。
 ところで、優雅なフリーライター生活(=ヒマということ)は、昼間っからテレビを見ることもできます。13時からの「ごきげんよう」(フジテレビ。小堺一機?が司会でゲストが3組。毎日1人ずつ交替していくヤツ)に谷川聡選手の従姉妹の谷川真理さんが出ていました。彼女は美人ですし、頭の回転も良いので、芸能界でもやっていけるだろうなあと、かねがね思っていました。
 ただ、鈴木博美じゃなくて鈴木蘭蘭(“すずき”で入力して変換すると“鈴木博美”、“鈴木文”、“鈴木智実”が出てくるのが寺田のパソコンです)の隣に並ぶと、若くないのがわかってしまいます。スポーツ選手と宝塚のトップスターは、引退してから芸能界デビューをすると、どうしても30歳台ということになってしまいます。松野明美さんもあのキャラで売っていますが、もう30を超えています。
 しかし、そんな常識的なことにとらわれていては、何もできません。マラソンで名をなした選手にとって、年齢的なことはハンディでもなんでもないのでしょう。高橋尚子選手は“常識破り”で有名ですから、70歳代で芸能界デビューをして活躍してもいいと思います。これは大まじめで言っています。これを読んで「ふざけてる」と思う人こそ、芸能界の人たちの真剣さを馬鹿にしています。

 報道記事と横浜国際女子駅伝特集に「成長過程の異なる上野と土佐 その2人の接点と共通点とは?」 「京都シティハーフマラソンにハヌーシ、永田宏一郎ら大物が参戦」をアップ。競技場でよく見る顔の「記者の皆さん」「メーカーの皆さん」に1人ずつ追加


●2月20日(火)
 昨日の日記が1行しかなかったことで、体調を崩したのではないかという心温まるメールをいただきました。ありがとうございます。単なる受け狙いというか、いつもたくさん書いていて、たまに1行にしたらインパクトがあるかと思った次第です。
 一昨日の日記で、北京国際女子駅伝を下に見るような書き方をしたので反省しています。外国のメンバーを詳しく分析しないとなんともいえませんが、日本の女子長距離選手が、外国でも自信をもって走れるようなメンタリティーになってきたのかもしれません。全日本実業団駅伝を欠場した山本波瑠子(三井海上)の復調も、明るいニュースです。
 横浜国際女子駅伝、国際千葉駅伝と、当初は女子長距離の普及という目的がありましたが、全日本実業団女子駅伝、全日本大学女子駅伝、全国高校女子駅伝がこれだけ盛んになってくると、混成チームによる駅伝の目的が希薄になってきます。
 でも、いいじゃないですか。こうして日本の若い選手が経験を積むことができるのです。復調の場となるのです。テレビを見た小学生が、自分もああなりたいと夢を持てるのです。でも、本当のトップクラスの選手が無理をして出場してケガをしたら、逆効果です。要は、バランスのいい判断力が働けば、問題ないわけです。
 では、誰がバランスのいい判断力を備えればいいのでしょう?

 報道記事に「福岡国際クロカン(3/4)のメンバー発表」 「北京国際女子駅伝」 「サボーが3000mで室内世界新」 「ドラギラが4m70の室内世界新」をアップ


●2月19日(月)
 記録集計号の版下作成が終わり、陸マガ編集部に届ける。

 報道記事に「びわ湖マラソン招待選手一覧」をアップ


●2月18日(日)
 ドキュメント、2月18日。史上稀に見るレース重複日。
 東京マラソン取材のため国立競技場へ。S形さんから「記録集計号が発売できるか心配しています」とのお言葉をいただいた。ありがたい話です。こんな日記を読んでいてくれて。だが、洒落にならない状況でした。昨晩、ソフト的なエラーで出力ができなくなってしまったのです。正確に言うと、今朝の午前2時頃。結局朝の5時まで頑張ったが、復旧させられず。めちゃくちゃ焦りました。何せ、7年前のシステムと特殊なフォントを使用しているので、別のマックでの出力はまず、不可能なのです。
 でも、取材があるので5時には就寝。3時間睡眠で国立競技場に行きました。国立競技場から、マックに精通するO誌T編集長に電話。問題解決せず。
 しかし、現場に来たからには“どないしようモード”から“取材モード”への切り換えはできます。
 伊藤国光カネボウ監督から、高岡寿成選手が熊日30kmで1時間29分20秒台を出したことを聞き、拍手。熊日は10時スタートだったのです。坪田智夫選手も29分台。2人とも今後が楽しみです。
 11時50分には報道バスに乗車。高橋健一選手のスプリットをできる限り1km毎に計測しました。レースの最初から、高橋選手で計測しました。何カ所か、選手と離れすぎて表示が見えなかったり、車内のテレビで後続集団をチェックしたりしていて、押し損ないましたが、42カ所の内30〜35カ所は押しています。
 レース後の取材は順調……でもなくて、家谷、南2選手のコメントは国立競技場で取材できず、京王プラザホテルで行われる表彰式後に回す事態に。陸マガHさんから高橋尚子選手の30km日本最高のニュースを聞き、記者室で原稿を1本書いた後に京王プラザホテルに移動。閉会式ではカメラマンに専念。
 コニカ・酒井監督から青梅の男子の結果を聞く。陸連S氏から千葉国際クロスカントリーの結果を聞く。岡本由美子選手の復調は、ほんものですね。
 寺田は試合が重なったことをぼやいていましたが、各実業団のコーチ陣も同様に、いや、それ以上に口惜しかったでしょう。カネボウは熊日に高岡寿成選手、千葉に入船敏選手が出ていますし、東京にも市之瀬選手が出場予定(欠場)でした。コニカは東京にワイナイナ選手、熊日に坪田智夫選手、そして青梅に酒井俊幸選手と宮本善史選手。中国電力は東京に尾方選手、青梅に梅木選手。スタッフも他会場のレースが気になったことと思います。
 その後、家谷、南2選手に会場の外で10〜15分ずつ取材しました。そしてパーティー終了後に高橋健一選手にも15分ほど取材。いい話を聞くことができました。
 帰宅後、マックの復旧に成功。これが一発でうまくいって、かなり安心しました。だが、締め切りは明日、月曜日です。世界歴代と目次が残っています。火曜日、水曜日とスポーツ・ヤァ!の締め切りです。北京国際女子駅伝の結果はテレビで初めて知りました。東京マラソン会場ではまったく話題になっていませんでした。現場での関心度は一番低い大会だったようです。東京は男子長距離の関係者が多かったのだから、当然か。

 報道記事に「東京国際マラソン」 「千葉国際クロスカントリー・リザルツ」をアップ


●2月17日(土)
 報告するのを忘れていました。明日は東京マラソンに行きます。以前書いたように熊日30kmにも本当に行きたいのですが、仕事の絡みもあり、世界選手権選考レースに行きます。
 ところで、報道記事にも紹介しましたが、東京のレースはハイペースが予想されます。といっても、近年のマラソンは5km15分が常識で、好タイムを出せるかどうかの分かれ目は、30km以降もそのペースを維持できるかどうか、です。前半はそれほど動きはないはずですが、問題はペースメーカーが下手だったときでしょう。予定より大きく遅かったら、“自分のペースを好む”高橋健一(富士通)選手あたりが自ら引っ張る可能性もあります。
 そうしたら、当たり前ですが、ペースメーカーは何のためにいるのかわからなくなります。それなりの報酬を受け取っているのです。高橋選手はこう言っても許されます。
“Give me your guarantee.”
 別大マラソンではペースメーカーのタイス選手が、西田隆維選手に「ペースはこれでいいのか」と英語で確認してきました。これからのマラソン・ランナーは、英語力がないよりあった方がいいでしょう。もちろん、英語力より走力の方が一億倍くらい重要です。

 報道記事に「東京国際マラソン観戦用スプリットタイム表 青梅で高橋尚子が会見他」をアップ。掲載記事の目次デザインを変更


●2月16日(金)
 報告するのを忘れていました。昨日は、スポーツヤァ!012号(角川書店)の発売日でした。寺田はinfo-VIEWSという2週間分のテレビで見られるスポーツ観戦ガイドのページで、東京マラソンについて1ページ書いています。マラソンにおけるオーバーペースとはどんなものか、を論じながら、高橋健一(富士通)選手を中心にした展望記事になっています。オーバーペースについては、もう一歩突っ込んで論じたい部分もあったのですが、それは行数に余裕のあるときに。
 その高橋健一選手も出席した東京マラソンの記者会見が行われました(詳しくはこちら)。共同記者会見後、高橋健一選手に「昨日出たスポーツヤァ読んだ?」と聞いたら「読んでいません」とのこと。記事の結論は“今回は期待できるぞ”というものですが、導入部分として「オーバーペースの代名詞」と高橋選手のことを紹介しているのです。彼がどんな反応をするか楽しみにしていたのですが、本人が不快に感じているのではという不安もありました。まあ、的はずれの指摘ではないし(記事にするのだから当然ですが)、本人の考え方なども取材しての記事です。
 記者会見で印象的だったのは、外国勢の目標タイムの高さです。なかなか具体的な数字を口にしてくれなかったのですが、最後に出てきたのがワイナイナ選手の「2時間5分台」、続いてエチオピア2選手の「4分台」とのコメントが発せられました。会場からは拍手が起こりました。寺田もしました。
 しかし、これは当然といえば当然かもしれません。ワイナイナ選手は自己記録が10分台と、タイムを出すレースに恵まれていませんが、エチオピア2選手の記録は2時間6分台なのです。エチオピア2選手の2時間4分台は、日本選手が2時間8分台を口にするのと同じ感覚なのではないでしょうか。それだけ、海外の賞金マラソンは高速化していますし、ペースメーカーのつく近年の国内のマラソンでも、海外と同レベルの記録は十分に狙えるはずなのです。
 しかし、4分台だったら世界最高ですし、5分台も過去ハヌーシ(モロッコ)が1回出しているだけです。記者の方たちの拍手は的はずれではありません。
 記者会見後は、陸上競技マガジン編集部に記録集計号版下(半分は終わりました。あとは“世界”分と目次など)を持ち込み、今後の打ち合わせ。さらにスポーツヤァ編集部に“はしご”しました。この2つの雑誌の編集部は、水道橋と飯田橋にあり、楽に歩いていける距離にあります。

 報道記事に「東京国際マラソン記者会見」「日中対抗室内(2/24)メンバー発表」を、タイムテーブルに2001年度年間スケジュール、名簿に東アジア大会1次代表をアップ


●2月15日(木)
 報告するのを忘れていました。昨日、陸上競技マガジン3月号が発売されました。寺田は大阪国際女子マラソン渋井陽子(三井海上)関連の企画を担当しています。モノクロ・グラビア扉(P28)にドーンと1ページ全面で使っている渋井選手の写真も、実は寺田撮影です。特別サービスで、公開します。画像はかなり小さくしています。大きく見たい人は、陸マガを買ってください。別大の開会式の写真(P38)も寺田撮影です。
 ところで、陸連時報に1月19日の日記に書いた件は、まったく触れられていませんでした。日程変更があり、全日本実業団と日本インカレが重なってしまい、両方とも見たかったファンに精神的な痛手を与えました。その理由を陸連時報で説明してくれると思っていたのですが…。21世紀の陸上競技は“見られる”競技という部分が重要になってくると考えているので、この点の説明がなかったのは、ちょっと残念です。
 記録集計号の版下作成もいよいよ追い込みです……いえいえ、この1週間、ずっと追い込んでます。その証拠に、陸マガと月陸もちょっとしか目を通していません、一度もファミレスに長居していません、「HERO」も「女子アナ」も見ていません。
 もう朝の4時です。今日(2/16)は東京マラソンの記者会見に行かなくては。

 報道記事の目次デザインを変更。「千葉国際クロカン主要出場選手一覧」 「青梅マラソン主要出場選手一覧」を追加。特集に遅ればせながら「別大マラソン」「東京国際マラソン」を追加


●2月14日(水)
 今日はバレンタインデーでしたが、夜は男3人でスペイン料理の「ナバーラ」(西新宿)という店に行きました。O誌編集長との打ち合わせが一番の目的です。
 そこで思い出しました。2月8日の日記を見てメールをくれたT子さん、「ドンホセ」と「ドンキホーテ」はまったく違います。ドンキホーテは直情型性格の典型で、無鉄砲の代名詞的存在です。ドンホセにも確かに情熱的ですが、カルメンを愛するがゆえに、人を何人も殺して悩むのです。そのドンホセの生まれ故郷が、ナバーラ地方(フランス国境ピレネー山脈の近く)でした。バスク人が多く住む地域です。原作では確か、ドンホセはバスク人で、ジプシーのカルメンはなぜかバスク語も英語もできるという設定で、ドンホセとカルメンがバスク語でやりとりをする場面がありました。
 この話がこのあと陸上競技と結びつくのかと、いぶかってらっしゃる方も多いでしょう。そこは“こじつけ名人”と言われた寺田です。ちゃんと結びつきます。
 寺田の持論の1つに、“ケルト人は陸上が強い説”があります。ケルト人はローマ人(ラテン語族)、ゲルマン語族が西ヨーロッパに展開する以前に、先住していた民族(人種)です。現在では、アイルランド人とスコットランドとウェールズの一部、そしてフランス南西部の大西洋岸からスペイン北東部にかけて住むバスク人が、ケルト人の末裔だと言われています。
 アイルランドは伝統的に中・長距離が強く、84年ロス五輪マラソン銀メダルのトレーシー、女子長距離のソニア・オサリバン、男子中距離室内でかつて無敵を誇ったイーモン・コグランらがいます。そしてスペインの誇るマラソン・ランナーのマルティン・フィスもバスク人です。自転車界のスーパースター、インデュランもフィスと同じ町の出身とのこと。
 昔、何かのテレビ・コマーシャルで、大男が大きな重錘のようなものを回すシーンがあったのを覚えていないでしょうか。あれがバスクです。
 ドンホセはかなり格闘技に優れていたことになっています。何かの間違いで友人を傷つけ、スペイン南部、アンダルシア地方の中心都市であるセビリアの軍隊に志願したのだったと思います。この辺の記憶は、原作だったかオペラだったか、かなり曖昧なので100 %正確ではありません。とにかく、そのセビリアでカルメンと出会ったわけです。で、2月8日の日記にも書いたように、99年のセビリア世界選手権で寺田は、ドンホセになった気分で仕事をした(?)わけです。
 陸上競技とバスク人とカルメンを結びつけて文章にするライターなんて、他にいるでしょうか。「それがどうした」と抗議のメールが来そうなので、先手を打って書かせていただきます。
「どうもしません。ごめんなさい」

 報道記事に「横浜国際女子駅伝のメンバー決定 学年構成と実績に注目!!」をアップ


●2月13日(火)
 一昨日、「今、寺田が交通事故にでも遭ったら、陸マガ記録集計号は発売予定日に書店に並ばない」と書きましたが、その後、これは間違いであることに気づきました。このことを説明するために、組織とか社会の超現実的な部分に言及しますので、夢見る少年少女は、ここからあとを読まないことをお薦めします。
 仮に寺田が交通事故などで仕事ができなくなったとすると、組織の中で“危機管理モード”が作動します。つまり、普段は取材も原稿書きもしなければ、入稿も校正もしない偉い管理職の方が陣頭に立ち、「寺田の変わりに仕事ができるヤツはいないか」と探すわけです。
 今回に関して言えば、まずはマッキントッシュで集計号の版下を作れる人間を探し出す必要が生じます。記録集計号の場合、通常の出版物と違ってあれだけの情報量を収録するわけで、DTP(デスクトップパブリッッシング)ができるからといって、そうおいそれと誰にでもできるわけではありません。
 しかし、ファイルさえ寺田のマックからコピーすれば、編集プロダクションで対応できる所があるかもしれません。金に糸目は付けず、「何日以内に仕上げろ」と依頼します。
 あとは、陸上の知識のある人間がチェックをする必要があるわけで、それは陸マガ編集部の誰かがやることになるでしょう。編集部の負担はかなり増えます。
 それでもやはり、慣れている人間(寺田のことです)よりは作業時間がかかります。そこで前述の管理職は、印刷所、製本所に「なんとか入稿期日を先に延ばしてくれないか」と頼み込むわけです。そのために特急料金を払うかもしれません。普段は休日の作業などしない大手印刷会社も、出版物の売れ行きが落ちたら自分たちの利益も少なくなるわけで、協力するかもしれません。
 というわけで、寺田が倒れても、出版社が大金をかけて危機を乗り切るはずです。皆さん、ご安心ください。
 では、組織に大金を使わせた寺田への処分はどうなるかというと、これはケースバイケースです。それまでの貢献度やその人の能力によって違ってくるでしょうし、何よりも組織側の“感情”によっても左右されます。明らかに、組織にも感情はあります。組織も人の集まりですから。そう思いたくない少年少女は、ずっと山奥で自給自足の生活を送ることをお薦めします。
 ところで、組織の危機管理モードですが、陣頭に立つ管理職の地位が高ければ高いほど、他の組織に依頼するときにスムーズになります。印刷所の態度が、頼み事をするのが一編集部員と編集長では違ってきます。これは編集長と部長、部長と局長でも違ってきます。県知事よりも、総理大臣から話すことで、アメリカの対応が違ってくるのと一緒ですね。だから、森首相は批判されるのです。


●2月12日(月)
 抗議のメールをいただきました。昨日の日記に「記録集計号の作業(版下製作)ができるので、東京国際マラソンが延期になってラッキー」と書いたのですが、2月7日に「東京マラソンが2月18日に延期になり、熊日30kmと重なって困る」と書いている部分と矛盾するという指摘です。
 ついに、寺田のいい加減さがバレてしまいました。ハナからバレていたかもしれませんが…。しかし、人間のこういう複雑な心理状態ってよくあるというか、取材中にもよく出くわします。
 日本インカレに優勝したA選手に、記者が集まって話を聞いていると思ってください。ある記者とA選手が関東インカレのときと比べていろいろ話をしていて、A選手は「今日は調子が悪かったんです。ボロボロでした」と言います。優勝したものの、関東インカレより記録が著しく悪く、記者たちもなるほどと納得します。ところがA選手は、インタビューが終わって廊下に出て、顔見知りの他校のBコーチに会うなり「絶好調ですよ」と言います。
 これって、今回の寺田と同じだと思いません?
 実はBコーチは、日本インカレ直前の合宿で、どん底の調子だったA選手の練習を見ていたのです。Bコーチの顔を見るなりA選手は合宿のことを思い出し、そのときよりは調子が上がっていて優勝できたわけですから、「絶好調でした」と言ってしまったわけです。つまりA選手は、記者との話の最中は頭の中で関東インカレと比較し、Bコーチと会った途端に思考が切り替わり、直前の合宿と比較したわけです。
 寺田も、2月18日にどちらの取材に行くかを迷っているときは東京マラソン延期を呪い、目下の作業が楽になることで延期を喜んだ――こうして書いてみると、長々と例を出すまでもなく、この3行で十分だったような気が、ちょっとします。
 寺田も昔、「あの選手、オレに話したことと違うことをあっちで言っている」と、たまに思ったものですが、その前後でどんな話をしているかで、選手のコメントが正反対になることもあるのです。そして、記事に出るコメントの多くが話の流れ全部ではなく、一部を切り取ったものです。我々メディアの人間は、選手のコメントをどう切り取って紹介するかを、十分に注意しなくてはと常に自戒しています。
 えっ、記録集計号の仕事は進んだのかって? Don't ask me.

 報道記事の「千葉国際クロカン出場主要選手」(2/7)に3選手を追加。エッセイに「高橋尚子と戦前のメダリストの違い」をアップ。これは高橋尚子選手の「風になった日」の感想です。新刊コーナーに載せるつもりで2月9日に書いたのですが、そのコーナーを諸般の事情でなくしたので、どうしようか迷っていたので


●2月11日(日)
 東京マラソンが来週に延期になり、陸上競技のテレビ中継がない日曜日でした……と振り返るはずでしたが、なんと13時からNHK衛星で旭化成の特集を放映していたことに、夕方、新聞のテレビ番組欄を見ていて気づきました。2時間近い番組でしたから、内容もそれなりに期待できたのではないでしょうか。かなりショックです。再放送、早くやってほしいっす。
 テレビ中継はなくとも、唐津10マイルや姫路城ロードなど、各地でロードレースは行われています。数は少ないですけど、室内陸上も。
 この時期のロードレースは、点で見たらダメですね。ダメと言うよりも、今後にどうつながっていくかを見続ける方が面白いと思います。つながり方にも短期的なつながり方と、長期的なつながり方があります。詳しくはいずれ記事にまとめたいと思います。1〜2時間もあれば書けると思うのですが、現在、記録集計号の版下作成作業が佳境なので…。締め切りは今週の木曜日ですが、ものすごい量の作業ですから、今から頑張らないと終わらないのです。
 今、寺田が交通事故にでも遭ったら、陸マガ記録集計号は発売予定日に書店に並ばないでしょう。そうかぁ、たくさんの人が待っている記録集計号が、オレの気まぐれで出なくなるのかぁ……ふふふっ、と不敵な笑みを浮かべつつ、内心焦りまくっている寺田です。締め切りに遅れたら、陸マガに出入り禁止か!? 東京マラソンが来週にずれてくれたのは、寺田にとってはラッキーでした。

 報道記事に「10マイル2レースは松宮弟&西川 犬伏&藤田も出場」「井村が5m20 日本ジュニア室内大阪大会優勝者一覧」をアップ。リンク集に2001世界選手権エドモントン大会、2001東アジア大会、東京マラソン、九州一周駅伝などを追加


●2月10日(土)
 海外から、ドラギラ選手の女子棒高跳室内世界新のニュースが入ってきました。このあたりで4m60以上の全パフォーマンスを整理しておきましょう。
 ところで、昨日の青梅マラソンに関する考察の続きです。
 青梅の場合、すでに出場できるランナーは抽選で決まっているのです。高橋尚子選手が参加すると知って、それなら自分も走ろうというミーハーなランナーは、出られないわけです。そして、青梅のスタートで最前列に並ぶ選手はそれなりの記録を持った人たちですから、自分の記録こそ気にするかもしれませんが、高橋選手に寄っていくなんてことはないでしょう。
 つまり、昨日危険かもしれないと指摘した理由は、かなり的外れだったのです。今朝、目が覚めたときにハッと気づきました、なぜか。高橋陣営はそのあたりも読んでいたのでしょうか。唯一心配なのは、折り返して後続ランナーたちとすれ違うところです。
 しかし、殺到する報道陣は、テレビ中継がないからレース展開がわからなくて、ちょっと困惑しそうです。それは丸亀ハーフで経験済みなんでしょうが…。青梅にも一応、報道用のバスが出ますが、もちろん男子のトップのそれも50mとか100m前を行きます。去年までの箱根駅伝のような感じと思っていただいていいと思います。それも中間点までで、そこからはゴール地点に先回りします。
 寺田も2〜3回乗ったことがあるのですが、当時はそうでした。まあ、今の高橋選手の取材に、レース展開はそんなに重要でないのかもしれません。
 高橋選手の走りは見られませんが、報道バスから見る奥多摩の渓谷はかなりの絶景です。それを見るだけでも、十分にバスに乗る価値はあります。もちろん、走る価値も。寺田はプライベートでも遊びに行ったくらいですから。誰と行ったかはナイショ。

 報道記事に「ドラギラが4m66!! 屋外の世界記録を上回る、今季2度目の室内世界新 女子棒高跳4m60以上全パフォーマンス」をアップ


●2月9日(金)
 青梅マラソンの出場選手が正式に発表されました。
 高橋尚子(積水化学)選手が30kmの部に出場予定です。はっきり言って、意外です。本当に出るとは思いませんでしたから。出ないと考えた理由は2つです。
 1つは青梅が男女同時スタートの市民マラソンという点です。もしもファンが高橋選手に殺到したら、かなり危険です。これはスタート時だけでなく、途中でも言えることです。いくら金メダリストとはいえ、男性市民ランナーより速く走れるわけではありません。
 2つめは、今の状態では、純粋に30kmを走れないのではないかという疑問です。走れないと「どうした金メダリスト」とか「高橋、いぜん体重オーバー」などと書かれてしまいます。かつてのエリート軍団であるエスビー食品は「走れる状態にないなら試合に出ない」と公言していました。“負け癖をつけない”というのが、その狙いだったと思います。
 と、ここまで書いてきましたが、実は本心ではありません。寺田は出ると思います。というのは、小出・高橋師弟は、ここまで書いたような常識的な考えをしないからです。
「ファンが殺到する? いいことじゃないか。これまで応援してきてくれた人たちにお礼ができる。それを怖がる理由はない」
「走れない? だからといってレースに出なければ、いつまでたっても練習に身が入らない。金メダリストだからといって、いつも万全の状態でレースに出なきゃいけない決まりはない」
 とまあ、こんな考え方をするのではないでしょうか。あくまでこれは寺田の推測ですが…。
 男子では昨年2位の酒井俊幸(コニカ)選手のほか、梅木蔵雄(中国電力)選手らが出場します。梅木選手にも頑張ってほしいですね。3年前は、藤田敦史選手や三代直樹選手(ともに富士通)に箱根駅伝の2区で勝った選手ですから。

 掲載記事に「並走14.8kmの結末」(スポーツ・ヤァ!010号)をアップ


2月8日(木)
 千葉国際クロカンの主要出場選手こちらに掲載。タイムテーブルはこちら)が発表されました。弘山晴美選手、高橋千恵美選手、藤永佳子選手と女子の大物選手が登場します。この3人の共通点って、みごとに何もないような気がします。出身地は四国、東北、九州。名前の最後の文字は美、美、子。既婚、未婚、未婚。30代、20代、10代。大学卒で実業団、高校卒で実業団、現役学生。そうか、去年の日本選手権で藤永選手が勝ったか。だったら全員日本選手権者だ……と思って確認したら、高橋選手が日本選手権未勝利でした。
 だが、こんなことであきらめる寺田ではありません。意地でも共通点を見つけてやる。もしも何もなかったら、過去の世界クロカン日本代表を調べよう。一緒に遠征しているかもしれない。でも、それって調べるの大変……などと考えていたら、なーんだ、簡単でした。99年のセビリア世界選手権に3人とも行っていました。寺田は現地で、弘山&高橋対談の取材をしているのです。その記事(陸上競技マガジン1999年10月号)は、セビリアの街角のカフェで書きました。セビリアは暑かったけど、めちゃくちゃ忙しかったけど、スーツケースが届かなくて焦ったけど、その中にパソコンの電源コードとデータを入れていて編集長に怒られたけど、すごくいい思い出です。気分はドンホセでした。さすがにエスカミーリョ(ともに「カルメン」の登場人物)とは言いません。
 藤永選手は高校生代表として、話題になりました。
 そういえば、去年の水戸国際の時だったか、その後の岸記念体育館での記者会見の時だったか、弘山勉(弘山晴美選手の配偶者兼コーチ)さんと次のような会話をしました。
「セビリア、大阪、水戸と僕が取材に行くと、晴美さんの調子がいいんですよ」(大阪国際女子マラソンの結果をいいというかどうかは、意見が分かれるかもしれませんが)
「じゃあ、シドニーも来てください」
 誰が取材に行ったかでレースの結果に影響が出ることなんて、あり得ません。だからこそ、現場では罪のない軽口として、言い合えるものなのです。陸マガ時代、「あの人と試合前に話すと、その選手は勝てない」などと言われた気の毒な編集者がいました。寺田のことでは断じてありません、念のため。
 ちなみに、寺田はシドニー五輪には取材に行っていません。こうなったら、弘山選手が次に出るロンドン・マラソンに行って、いっちょ頑張るか(何を?)。

 報道記事に「千葉国際クロカン出場主要選手」をアップ


●2月7日(水)
 寺田はハムレットになりました。2月18日に熊日30kmの取材に行くべきか、東京マラソンの取材に行くべきか――。
 仕事になる可能性が高いのは、東京でしょう。メンバーが寂しいとはいえ、世界選手権の選考レースなのですから。でも、熊日のメンバーも、高岡寿成(鐘紡)選手を筆頭に、今後を考えると楽しみです。学生選手にも興味があります。展望企画のページを作っていて、どうしても行きたくなりました。
 高岡選手とは、龍谷大時代、それも5000mで日本新を出す前からの知り合いです。静岡国際で13分40秒ちょっとの記録を出し、関東以外の大学、それも当時は陸上界ではそれほど知られていなかった龍谷大ということで興味が沸き、京都まで取材に行きました。その後の高岡選手の活躍ぶりは、紹介するまでもないでしょう。その彼が、マラソン進出を睨んで、初の30kmに挑戦するのです。気になって仕方ありません。
 しかし……。この日記でも何回か紹介したと思うのですが、高橋健一(富士通)選手も、気になる存在なのです、とっても。2月15日発売の「スポーツ・ヤァ!」には、2年前の東京マラソンの大独走のことに触れ「オーバーペースの代名詞」などと書いていますが、今度の東京はやってくれそうな気配がプンプンしています。10月に河口湖(西湖かもしれません)の合宿にお邪魔して(自費取材)、藤田敦史選手と2人、色々と話を聞かせてもらいました。その中で、おっと思える部分があったのです。結果が出たときに紹介する約束をしました。
 東京では、元旦の全日本実業団駅伝で取材した尾方剛(中国電力)選手も、やりそうな気がします。あとはもちろん、ジョーク記事を書かせてもらったワイナイナ選手も。
 どちらのレースも気になります。メディアからの仕事のオファー次第でしょうが、熊日だったら陸マガにちょこっとか――。なんで同じ日にやるんだろう? 主催者が違うから、などと現実的なメールを送ってこないように!!
 ニュースが1つ。外電が伝えるところによると、十種競技の前世界記録保持者でアトランタ五輪金メダリストのダン・オブライエン(アメリカ)が、現役続行の意思表示をしたとのこと。楽しみです。彼は黒人と白人の混血で、寺田の“混血人種は強い”説(詳しくはこちら)に該当する選手です。

 報道記事に「熊日30kmで高岡寿成が30km初挑戦 招待選手一覧」「歴代優勝者とその後の成績一覧」をアップ。※熊本日日新聞以外では最大級の展望企画(たぶん、間違いないでしょう)


●2月6日(火)
 昨日の日記を読んで寺田のことを心配してくれたシアトルのI.S.氏が、電話をくれました。携帯電話だったので、シアトルからかけてくれたのかどうかは、わかりません。
 確かに昨日、羽田空港を歩いていたときはめちゃくちゃ落ち込んでいましたが、田端選手らに会ったことで気持ちが落ち着きましたし、コニカのパーティーでいろんな人と話ができ、その時点で大分での出来事は“過去のこと”になっていました。意識はもう、リクルート休部のことに向いていました。
 ところで1つ、懺悔をしなければなりません。シアトルのI.S.氏は2月1日の日記の「陸マガ勤務時代、筑波大陸上部OBと机が隣り合わせで、何かにつけ張り合っていた意地があります」という部分を読んで、「自分にも思い当たることがある」とメールをくれました。「何かにつけ張り合っていた」という部分から、サラリーマン金太郎に出てくる高橋克○と保阪尚輝のような、ドラマでよくあるライバル関係を想像されたのでしょう。
 ところが、実際に寺田と筑波大OBが張り合っていたのは、4人でやる中国語のゲームの点数くらいです。シアトルのI.S.さん、ごめんなさい。小幡&長沼師弟の筑波大という部分を強調しようと、多少脚色しました。すいません、かなりの脚色、ですね。しかも彼は、机は隣り合わせでしたが、陸マガではなく隣の雑誌の編集部員だったのです。
 でも、1つ面白いエピソードがあります。彼はインカレに出るほどの力はありませんでしたが、あの筑波大陸上部の伝統を支えてきた一員であることは事実です。インカレはもちろん、その他の試合で筑波大とそのOBの選手が大活躍したときは、彼が支えた伝統が結果となって現れたということで、寺田が缶コーヒーをおごっていました。逆に、あまりにもふがいないときは、おごらせていました。それだけ、我々は伝統の果たす役割を重視していたのです。缶コーヒーを賭けて「張り合っていた」とも言えるわけ……がないだろっ!! と怒るシアトルのI.S.さんの声が聞こえてきます。再度、お詫び申し上げます。
 渋井陽子選手の大阪での快走も、最近の三井海上の勢いというか、部としての良い回転があったからこそだと思います。詳しくは陸上競技マガジン3月号(2月14日発売)とオリンピアン3月号(2月20日頃配布・非売品)とランナーズ4月号(2月21日発売)の寺田執筆記事をご覧ください。

 報道記事に「東京国際マラソン(2/18)招待選手」をアップ


●2月5日(月)
 大分からの帰路、羽田空港で京浜急行に乗り換えようと左脚と右脚を交互に前に出していたら、「こんにちは」と声をかけられた。振り向くと、400 mの田端健児(ミズノ)選手が、2人の若い女性とともに歩いていた。正直、「やばい」と思った。
 寺田の歩速はかなり遅かった、と思う。肩もかなり落としていたはずだ。つまり、「落ち込んで1人、自分の不幸を呪うモード」で歩いていたのだ。しかも向こう(田端選手のこと)は、美形を2人も連れている。こんな精神状態で五輪選手と話ができるのか。気持ちの切り換えができるのか、オレは…?
 時間を少しさかのぼり、話を朝の大分に。今朝の10時50分のJASを予約(変更不可の格安チケット)していた寺田は、8時37分に起きた。ホテルは大分駅前。空港行きのバス発着場は目の前だ。
 しかし、大分空港は別府湾をはさんで対岸にある。かなり遠いのはわかっていたが、来るときは空港から直接別府にバスで入ったので、30分ちょっとだった。だから、40〜50分もあれば着くだろうという感覚に、知らないうちになっていた。初めて大分空港を利用したのは去年の夏、山口衛里(天満屋)選手の取材で長湯温泉に行ったときだったが、その時はカメラマンとともに空港からレンタカーで移動していたのだ。
 それに、とにかく今日は眠かった。フロントにバスの時間を確認したら、9時20分、次は9時50分とのこと。「9時50分に乗れば楽勝だ」と思い込んでしまった。
 余裕のよっちゃん(中学の時に流行った言葉)で9時45分にバス停に行くと、おばちゃんが切符を売っていた。「11時40分の飛行機ね」と言ってくるので、眠かったが思い切り胸を張って「10時50分ですよー」と快活に答えた。おばちゃんがものすごくけげんそうな表情をした。「このおばちゃん、なんぞ知らんが役者やのう」と、寺田は思っていた。なぜか関西弁で。
「空港まで早くても1時間10分はかかるよ」
 おばちゃんは田舎から出てきた純朴で世間知らずの青年に、「私は都会で40年生き抜いてきたんだから、お前さんなんかより100 倍世間のことを知っているよ」とでもいった顔で、冷酷に言い放った。たぶん、その通りだろう。でも、金メダルを取るのはそういった世間知らずのタイプではないだろうか。根拠はないが…。
 寺田はなんとか間に合う方法はないかと聞いたが、「今日は悪天候でホーバーが出ないから無理だね」と冷たく断言された。冷静に判断して、その後のおばちゃんの態度には同情のかけらもなかった。地方の温かみ(これも都会人の勝手な思いこみだろうが)は、まったく感じられなかった。
 もちろん10時50分には間に合わなかった。もちろん、便の変更もできなかった。寺田は3万円も、余計な出費をした。でも、眠かったのだ。バスの中でも、飛行機の中でもかなり眠った。思考回路が鈍り、事態を冷静に分析できていなかったのかもしれない。そして、我に返ったように落ち込み始めたのが、羽田に着いてからだったのだ。
 田端選手と一緒にいた2人の若い女性は、柿沼和恵(ミズノ)選手と信岡沙希重選手だった。田端選手を認識したあと、その2人が誰だかわかるのに、0.7秒を要した。女子選手が私服でいると、誰なのか認識するのに男子選手よりも時間が長くかかる。経験上、これは絶対に真実である。
「落ち込んで1人、自分の不幸を呪うモード」を脱したのは、2秒後だった。3選手の昨シーズンの成績を、脳の記憶ディスクからメモリーにダウンロードする。これに約2.2秒。
「マラソンの取材の帰りですか?」と田端選手。
 3人の出身は長崎、埼玉、埼玉か。別大で活躍した選手に、この2県関係者はいなかったな。待てよ、信岡選手は中学まで山口県にいた……でも、この3人と昨日のマラソンとの接点はない。これらの思考に0.6秒。
「そう。西田君、強かったよ。そっちはミズノの沖縄合宿からの帰り?」
「いえ、これから行くところです」
 元々、若い女性と話をするのが不得手の寺田は、引退した大森盛一選手(アトランタ五輪400 m代表)について、田端選手と話をしながら歩いた。
 彼らは、スターバックスに入っていった。最近、スターバックスはどこも混んでいる。3人は座れたのだろうか? そのスタバの目の前が、京浜急行の改札である。かくて羽田空港のスタバは、男子400 m五輪選手と、女子200 m&400 m元日本記録保持者と、女子200 mと400 mの学生記録保持者の選手が入った、陸上界にとっては由緒ある店となった。地方から東京に出てきた陸上選手は、必ず寄ろう。
 3選手と会って気持ちを持ち直した寺田は、やっとQちゃんの本を読み終えられました。 夜は、京王プラザホテル八王子で行われたコニカの全日本実業団駅伝祝勝会に出席。その模様はこちら
 それにしても、長い日記だ。何人の人が最後まで読んでくれただろうか。それに、どうして日によって文体が変わるのだろうか?

 報道記事に「リクルートが9月で休部 ★リクルートの生んだオリンピック代表★リクルートの日本記録更新者★リクルートの全日本実業団女子駅伝成績★リクルートの功績」などを特集。報道記事と全日本実業団駅伝特集に「コニカ祝勝会」(写真中心)


●2月4日(日)
 別大マラソン取材。記事はこちら
 昨日の日記で、できれば歩いて競技場へと書きましたが、雨のため断念。それにしても、西田選手はやってくれました。「スポーツ・ヤァ!」の展望記事を、西田選手中心に書いたのですが、内心はどうなるかヒヤヒヤでした。あまりにも下位の成績だったら、読者に「なーんだ」と思われてしまいますから。ちなみに「スポーツ・ヤァ!」の展望記事(info-viewsというページです)では過去、土佐礼子選手、藤田敦史選手と取り上げてきて、最新号が西田選手です。全員、代表に内定しましたね。だからといって、取り上げた選手を特に応援しているわけではありません(マスコミの基本です)し、自慢をしているわけでもありません。ホッとしているだけです。念のため。
 競技場での取材終了後、WEB用の記事を3本くらい書き、夕方の5時に選手用ホテルに移動してフェアウェルパーティーに出席。その後、A新聞のOさんと軽く一杯。ホテルに戻って記事の続きを執筆。
 丸亀ハーフマラソンは、シドニー五輪以来の公式レースの高橋尚子(積水化学)選手は1時間12分40秒で8位。優勝は永山育美(デンソー)選手で1時間9分28秒の大会新。 男子は野口英盛(順大)選手が1時間2分28秒で制した。日本最高記録を持つ高橋健一(富士通)は1秒差の2位。男子は順大の現役とOBですね。積水化学の小出監督も順大OBですから、順大色の強い大会です。
 1500m(日本選手権優勝経験あり)からハーフマラソンまでこなす永山選手は3月の名古屋で初マラソンを、高橋健一(富士通)選手は今月18日の東京マラソンを予定しています。どんな練習の流れで出たのかが重要なので、表面的なタイムでは善し悪しは判断できません
 それにしても、現場に来ると色々なネタが転がっています。記事もたくさん書きましたが、エッセイなどのネタも2、3見つけました。明日の機中で1本くらい書けるでしょうか。あっ、先にQちゃんの本を読まないと。

 報道記事に「別大マラソン詳細速報 西田コメント 川嶋、新練習法に手応えも複雑な心境 近藤が破った自分自身の“殻” 岩佐の初マラソンの評価は微妙 実井、“安全運転”でも失速 倉林のマラソン全成績」をアップ


●2月3日(土)
 ライター生活の赤裸々な告白の続編。
 今朝は5時半に起床。1時間半の睡眠でした。大分への機中で陸マガの2ぺーじものの原稿を半分書く。大分空港からバスで別府市内へ。11時からロイヤルホスト別府北浜店で食事&原稿書き。12時30分には陸マガの原稿を書き上げました。
 その後ビーコンプラザ(中規模の雰囲気のいい劇場?)で別大マラソン開会式&記者会見を取材。その詳細はこちら
 夕方5時にホテルに入る。大分は、東京よりも明らかに日が長いと感じつつ、ベッドで眠ってしまいました。約4時間の睡眠。陸マガの原稿を終わらせて、なんとかなると安心感もありました。昨日、「明日は地獄」と書きましたが、実はそれほど慌てていたわけでもないのです。
 陸マガ時代から経験してきた“やばい度レベル”、ようするに仕事が終わらないんじゃないかと焦る気持ちのレベルを、ABCでランク付けしていました。今日明日という短期的なものと、それ以上の中・長期的なものとあるのですが、昨日と今日の“やばい度レベル”はせいぜいCランクです。独立してから一番は、中期的なもので昨年の7月下旬が間違いなくAでした。オリンピック展望ものの仕事が重なり、パニクってました。「金は要らないから休ませてくれ」と思ったくらいです。
 夜の9時半頃に起きて、ホテルの近くのGUSTOで夕食。寺田はファミレスで仕事や考え事をするのが好きなのです。そこでO誌2ページものを含むいくつかの原稿の構想を考え、ホテルに戻って執筆開始。ほとんど書くネタを決めていたので、2時間前後で書き上げました。
 でも、その時点でもう朝の3時。WEBサイトは日記だけにして寝ようかとも思いましたが、今日、取材した内容がものすごく面白かったので、記事を書きました(こちら)。特に、川嶋伸次選手の発言は新鮮な驚きでした。
 明日は10時に倉林選手と落ち合う約束。大分市営競技場はホテルから2km強の距離。近くに競技場がある場合は、少し早めに出て歩いていきたいのですが、現在4時半。どうなることやら。
 明日(4日)の丸亀ハーフマラソン。高橋尚子選手の復帰レースですが、高橋健一(富士通)選手の方が気になる、という人もいていいと思います。もちろん、寺田もその口です。

 報道記事に「別大マラソン前日コメント 川嶋、岩佐、実井の注目情報」をアップ


●2月2日(金)
 たまには愚痴ろう。
 今日は陸マガの取材で某実業団チーム監督を取材し、午後4時からはオフィス(自宅の一室ですが)で原稿を書いた。原稿1本(小ネタ4本)を書き上げた後、昨日書いた4ページものの原稿を手直し。これが10時くらいまで手間取ってしまった。夕食をはさんで明日締め切りの陸マガ原稿に使うデータ調べ、作表、グラフ作成。30分で終えるつもりが約2時間かかってしまった。エクセルのグラフのY軸を上下反対にするのに手間取ってしまったのだ。1月号の福岡国際マラソンでもやっているのに…。こういうときは、あせればあせるほどうまくいかない。時間はどんどん過ぎる。
 実は、夕方の時点で明日の昼間締め切りのO誌の原稿がヤバイと判断し、締め切り延長懇願の電話。こんな事態は、フリーになってから10カ月で2〜3回しかない優秀なライターだが、こういうときは思いっきり“申し訳ないモード声”を発することができる。O誌の編集長(次長だったかな)が昨日紹介した筑波大陸上部OBなので、多少は気が楽だ。「持つべきものは優しい編集者」、全国のライター全員がそう思っている。統計データでもそれは証明されている。
 だが、これは明日を地獄にしただけにすぎない。明日は別大マラソン前日取材のため、大分&別府入りする予定だ。陸マガの2ページものの締め切りもある。それにO誌の2ページものが加わった。陸マガの方を移動中に、最悪夕食前に片づけ、O誌を寝るまでに片づける。それしか手はなさそうだ。
 グラフ作成を終えたのが3日の午前1時半。それから別大マラソン招待選手の過去のマラソン歴を調査。これをやっておくと、取材に行っていいろと役立つのだ。せっかく選手に取材できる機会なのに、会場の隅っこで原稿を書くのは避けたい。この作業は約1時間で終えて午前2時半。
 やっとこの日記を書いて終わりだと思った矢先、今日、名刺を2枚使って残りが2枚しかないことに気づく。自営業者が名刺2枚で出張に行くわけにはいかない。名刺をプリントアウトして、ミシン目に沿ってカッターを入れ終え、2時55分。現在3時10分。飛行機は8時25分羽田発。自宅を出るのは6時20分。5時30分起床だから2時間睡眠で明日の地獄に突入か。ライター稼業の自営業者の悲哀を感じている真っ最中だ。
 というわけで、昨日の日記を読んでメールをくれたシアトルのI.S.さん(誰でしょう。わかった人はメールください。正解者には缶コーヒーをおごります)、リプライは後日とさせてください。別大関係のページを作成するネタもあるのだが、あきらめるしかない。
 なんでこんなに悲しい(?)日記を綴ったのかというと、NEC女子陸上部の3月いっぱいでの廃部のニュースを聞いたからだ。選手やスタッフは、寺田の今日明日なんぞよりよっぽど大変なのである。書くまでもない。
 だから、頑張ろう。


●2月1日(木)
 21世紀も早、1カ月が過ぎました。22世紀へのカウントダウンは、2000年と同じ速さで進んでいます。
 大阪国際女子マラソン取材中、営団地下鉄の長沼祥吾監督から「小幡(佳代子)はマラソンに出場するときすでに、次にどのマラソンに出るか決めている」と聞かされました。つまり、昨年10月のシカゴに出たときにはすでに、今回の大阪参戦を決めていたし、大阪のレース前には4月の海外賞金マラソン参加を決めていたということです。「さすが筑波大師弟、やることが違う」と思いました。
 しかし、寺田も負けていません。陸マガ勤務時代、筑波大陸上部OBと机が隣り合わせで、何かにつけ張り合っていた意地があります。「筑波に負けるわけにはいかない」。心の奥底で、普段の人格とは別の寺田が叫んでいました。
 筑波大師弟が次のマラソンを決めているなら、寺田だって今月のキャッチコピー「21世紀も残すところ1199カ月」を、かなり前から決めていました……やっぱり、負けています。でも、こういうくだらないところで張り合うのも、人生に張りが出ていいと勝手に思っています。ということで、3月のキャッチコピーは何にしましょうか(相談しているわけではありません)。
 今日、積水化学・小出監督がJOCに選手のCM出演について質問したそうです。JOCと1時間近く話し合いました。この件についてはまた、何かの折りに記事にします。
 報告し忘れていました。高橋尚子選手が2月18日の青梅マラソンに出場するそうです。1月26日の東京中日スポーツで青山記者がスクープし、翌日、主催者でもある報知新聞で報じられました。青梅マラソン、そして青梅と姉妹提携をしている4月のボストン、という流れだそうです。もちろん、この手のことは、選手の体調や練習の進み具合で出場取りやめとなることはよくあること。どうなるか予断を許しません。
 その点、小幡選手の試合選択、練習の進め方は“プロ”ですね。

 試合会場でよく見る顔に「コーディネーター」を追加。書籍・雑誌情報に本日発売の「スポーツ・ヤァ!011号」を追加。寺田も別大マラソン展望記事を書いています。



昔の日記
2001年 1月