2012/3/30 柏原富士通入社会見
新年度特別記事
柏原竜二と富士通

Aマラソンで富士通記録を

@“弱い富士通”に入社からのつづき
 柏原自身も世界を目指す意欲が十分。学生時代は箱根駅伝に傾注したためマラソンでロンドン五輪を目指すことはできなかったと認めていた。だが、実業団での最終目標はニューイヤー駅伝ではない。世界である。
「これから競技生活を続けて、できて32、33歳ぐらいまでだと思いますが、その中でオリンピックのチャンスは今年を含めて3回。そのなかで絶対に一度はオリンピックに出たい。色々なメディアで(僕の)オリンピックは難しいと言われていますが、それを全部覆したいという思いがあります」
 知名度では“普通のオリンピック選手”をはるかにしのぐ柏原だが、実力的にはまだ、日本代表が狙えると言いきれるレベルではない。そこを本人もしっかりと自覚している。謙遜と自負の両方を、柏原らしく表現したコメントだった。

 詳しくは後述する予定だが、今年のロンドン五輪は1万mで狙うが、最終的な目標は1万mではなくマラソンである。福嶋監督が柏原の走りのタイプを次のように説明してくれた。
「脚筋力が強い選手。トラック向きの切れ味のある走りというより、ロード向きの走りをする。メンタルも非常に強い。苦しくなってから自分を追い込めるのが長所で、マラソンでも35km以降で彼の精神的強さが生きてくると思う」
 1万mで28分前後の記録を出すことができれば、マラソンも押し切れると本人も周囲も感じている。
 押していく走りでどこまで行けるか。柏原は目標タイムを次のように話した。
「世界は2時間3分台の時代。2時間4〜6分台(の力)でないとメダルは取れません。最低でも2時間6分台では走りたい。そこに向かって今から10数年間でどれだけ近づけるか、超えられるのか。やっていきたい」

 高岡寿成(カネボウ。現コーチ)の日本記録が2時間06分16秒、藤田の歴代2位が2時間06分51秒だ。柏原の言う6分台は最低でも藤田の富士通記録は破りたい、という意思表示だろう。
 藤田は福島県の大先輩である。今年で36歳。実は柏原の恩師2人が、福島県出身で藤田とは同学年だった。いわき総合高の佐藤修一先生(4月から田村高に異動)、東洋大の酒井俊幸監督、そして富士通の藤田敦史。
 佐藤修一先生は福島県期待の中距離ランナーだった。大学4年時の日本インカ800 mでは2位になっているが、日本代表レベルまでは到達できなかった。福島県で教員となり、柏原のほかにも撹上宏光(駒大。1万mで五輪B標準突破)ら有望選手を何人も育てている。
 酒井監督はコニカミノルタでニューイヤー駅伝に何度も優勝。その後地元に帰って学法石川高の先生となり、そこで高校生の柏原と同じレースを走った。柏原が酒井監督の母校の東洋大に進学したのは、酒井監督の大学時代の恩師である佐藤尚コーチ(スカウト担当)の勧誘があったからだ。柏原が1年時に部員の不祥事があって川嶋伸次前監督が引責辞任。後任に酒井監督が就任したのは運命的だった。

 そして今年、柏原は富士通に入社した。一番ではなかったかもしれないが、藤田の存在も富士通入社を決めた理由の1つだったのではないか。
「もちろん僕自身がオリンピックに行きたい気持ちがありますが、高校の佐藤修一先生、酒井俊幸監督、藤田敦史さん、このお3方は福島県で同期として競技をしていらっしゃっ方たちで、その方たちから学んだ自分がオリンピックに行きたい気持ちがあります。3人は誰もオリンピックに行くことができませんでしたから、自分がオリンピックに行きたい。高校の佐藤先生も、オリンピックでメダルを取る選手を送り出したいと言われているので、僕が一番先になりたいと思っています」
 藤田は最低でもあと1年は現役を続けると、3月に福嶋監督から聞いた。びわ湖マラソンに出場できず、ロンドン五輪は断念した。引退してもおかしくないタイミングだ。柏原のために続けるわけではないのだろうが、そこにも巡り合わせの妙がある。
 柏原は「藤田さんはマラソンの良いことも悪いことも、色んな経験をされている方。その経験を1つでも多く拾わせていただき、自分のものにしていきたい。藤田さんの1つ1つの行動とか、考えとかを吸収したい」と話す。

 柏原が藤田の記録を更新する。柏原が富士通に入社した時点で、それは宿命づけられた。


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