続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2011年9月  9月は18年ぶりの鳴門

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◆2011年8月24日(水) テグ日記日目
 テグ入りしました。
 近くの駅を朝7:30発のバスで成田空港に向かい、11:10発の釜山行きJAL便に。本日テグ入りする選手たちと同じ飛行機でした。ツイッターでもつぶやきましたが右代啓祐選手、女子マラソンの東日本3選手、女子1万mの3人、早狩実紀選手ら大会序盤に出場する選手、関係者たちと一緒でした。
 通常、移動中の取材はNGですので、基本的には話しかけたりはしませんが、特にストレスを感じなさそうな選手とは雑談をすることもあります。今回でいえば早狩選手。ちょうど寺田的の更新をして、早狩選手のブログを見たばかりだったのです。昨日分のタイトルが「わたしのスパイク」でしたが、文章ではまったくそのことに触れていませんでした。聞けば、掲載した写真の犬が、スパイクという名前なのだそうです。お知り合いのお犬とか。
 右代選手とは自宅が近いので、同じバスで来たかと思って確認しましたが、合宿先(NTC?)から直接空港入りされたということでした。昨日、TBSコラム用に右代選手の原稿を書き上げたところだったので、念のため確認させてもらった事項も1つ。取材ではなくあくまで雑談の範囲です。

 韓国は2002年の釜山アジア大会以来9年ぶり。
 アクレディテーション(IDの交付)をしてまずは、懸案のスタティスティクス・ハンドブックの入手に取りかかりました。世界選手権の各種データが満載されている700ページの書籍です。ペンメディアは全員がもらえますが、放送メディアは通常、会社単位で何冊か提供される形です。毎回これを入手するためにあの手この手を尽くすのですが、今回は一発で成功。ヘルプデスクで自分はテレビのIDだけどライターだと言ったら、すぐに渡してくれました。韓国人の好感度がいきなりアップ。
 あちこち見て回ろうと思いましたが小雨が降っていたので、IBC内で仕事をしました。

 18時のシャトルバスで宿舎のメディア村に。分譲前のマンションです。選手村と隣接していて、窓からは練習場トラックも見えます。
 間取りは3LDKで、今回は面識のある方と2人で使用します。3LDKといっても日本の通常のマンションと違ってものすごく余裕があります。リビングダイニングは20畳くらいありますし、廊下も広いです。100平米くらいはありそうですね。各部屋にインターネットのできるLAN端子も付いています。冷蔵庫と電子レンジも使えます(ガスはダメです)。極めつけはシャワールームとバスルームが別々になっていること。トイレも2つということです。これを2人で使うのならかなりプライベートも保たれますね。
 部屋の使い勝手をいろいろとチェックした後は近所の散策に。近くのスーパーでシリアルと総菜を3種類買って夕食としました。
 夕食後は右代選手の原稿に手を入れて送信。ちょっと時間がかかりました。シャワーをあびて洗濯をして就寝。
 トラブルのほとんどない海外取材初日でした。かなり珍しいかも。


◆2011年8月25日(木) テグ日記日目
 テグ2日目。忙しい1日でした。
 朝食はメディア村202号棟1階のレストラン。といっても通常の3LDKの部屋です。西洋式のバイキングでしたが、キムチや海苔など韓国料理も少しだけ提供されていました。
 午前中は寺田的の更新や色々な確認事項の確認。
 12:00から室伏広治選手がIAAFのコングレスに出席し、その後、会見が行われるということで、11:15にメディア村を出発。会場のEXCO(大規模展示場でしょうか?)までのシャトルバスは朝の8時台に1本あるだけ。仕方がないのでタクシーを使いました。タクシーはメディア村の各棟に常駐している組織委員会のスタッフにお願いして呼んでもらうのですが、日本語の話せるスタッフが親切に対応してくれました。これまた韓国人の好感度がアップ。
 乗車した分数と距離がレシートに表示されていましたが、21分と11.4kmでした。それでも代金は9700ウォン(約730円)と格安。そういえば釜山アジア大会のときもタクシー代が安かったです。

 12時半ちょっと前から室伏広治選手の会見。直前の調整方法を以前と変更したのか、という質問に対しては「体調に応じて変えている」という答え方でしたが、メダルの可能性は何パーセントかという質問に対しては次のように話していました。
「パーセントというか、ベストを尽くして狙うものは狙わないと、来た意味がありません。1番になれるかわかりませんが、狙うものは狙って結果を出したい」
 室伏選手の隣ではやり投のトルキルドセン選手、その隣ではフェリックス選手が会見(カコミ形式)をしていました。フェリックス選手は初めて200mと400mに出場しますが、「挑戦的なスケジュールですが興奮しています。今は先に行われる400mに集中しています。涼しいのにはビックリ。私はカリフォルニア・ガールなので寒いのには慣れていないのよ」というようなことを話していました。

 室伏選手の取材が終わったのが12:45くらい。13:30からシティセンターで女子マラソン陣の会見です。EXCO隣接のホテルにタクシーがなかなか来ないため、流しのタクシーをつかまえるのに手間取りました。それでも、なんとか10〜15分くらい前に到着。海外取材でこういうケースは1人だと不安になりますが、他の記者たちも一緒でしたし、なんとか切り抜けました。

 女子マラソン陣の会見こちらに記事にしました。見出しにもしましたが、5人の個性がよく表れた会見だったと思います。尾崎好美選手は高い目標を明るくあっけらかんと話し、赤羽有紀子選手はしっかりと話すなかにもドライな雰囲気を漂わせていました。対照的に野尻あずさ選手がウェットな雰囲気でした。伊藤舞選手はトレーニングなど堅い内容でも、どこかほんわかした話し方で、中里麗美選手は表情も話しぶりもすべてが天真爛漫という感じでした。
 会見中涙を見せたのが野尻選手。どの質問にも一生懸命に話をしようとしているのが伝わってきました。最後に「自分がマラソンだったら向いている、世界で戦える可能性がある、と感じた試合や練習、エピソードがあれば」という質問が出たときに、スキーから転向したときの色々なことを思い出してしまったのでしょう。晴れの舞台本番を前にして、感情が一気にこみ上げてきたのだと思います。
 質問をしたのは実は寺田なのですが、まさか涙ぐむとは思っていなかったのでビックリしました。公式会見ですので「もう話さなくていいから」とも言えません。結果的に、涙ぐんだあともしっかりと話してくれたのでホッとしました。

 女子マラソン陣の会見が終了したのが14:30過ぎ。会場のシティセンターはテグ一番の繁華街らしく、前の通りで簡単にタクシーをつかまえることができました。すぐ近くだと思っていたジャマイカチームの会見場は意外と遠く、17分、6.3kmの距離でした。タクシー代は6500ウォン。
 プーマ主催の会見ということで、本来は劇場か映画館でしょうか? かなり大きな建物を貸し切っての華やかなイベントでした。
 ジャマイカチームのユニフォームを提供しているのがプーマですが、配られたパンフレットを見ると選手の写真は必ずしもナショナルチームのものではありません。他メーカーのウェアを着ている選手もそのまま掲載しています。この辺はボルト選手という超大物と契約しているプーマの余裕みたいなものを感じました。
 会見は最初にジャマイカチーム・スタッフの3人、続いて女子400 mHのスペンサー選手とウォーカー選手の2人、フレイザー選手とキャンベル選手の2人、そしてボルト選手は1人で、という順で行われました。
 ボルト選手は帽子をかぶって登場。もちろん、時間も一番長くとっていました。正直言ってボルト選手の英語は寺田レベルでは満足に聞き取れないのですが、質問やMCの話す部分を頑張って聞いて、何を言っているのか推測していました。それでも1、2割しかわかりませんでしたが。帰国してゆとりができたらまた英語の勉強をしないといけません。と、外国取材のときはいつも思うのですが…。

 ジャマイカチームの会見取材が終了したのが17時過ぎだったでしょうか。スタジアム行きのバスがあったので(これもプーマが用意したのだと思います)ラッキーでした。昨日行けなかったMPC(メインプレスセンター)を見学し、昼食が食べる時間がなかったので食事をして、TBSのコンパウンドで原稿を書きました。為末大選手の番組打ち合わせにも成り行きで同席してちょっとだけ発言。
 23時のシャトルバスまでメディア村に戻り、女子マラソンの会見記事を書きました。


◆2011年8月26日(金) テグ日記日目
 本日は会見などの取材には出ず、午前中はメディア村の部屋で仕事。午後からスタジアムに行き、MPC(メインプレスセンター)やスタンドの記者席やミックスゾーンなど、仕事の動線を確認しました。第1コーナーの記者席から、真下にあるミックスゾーンに行くのに、いったん第4コーナー外のMPCを通らないといけないことが判明しました。コメントを取りに行く毎に200mの移動が必要になります。
 その後はトラックに出て、明日からの9日間の戦いの舞台を見て歩きました。それは写真で紹介しましょう。
@フィニッシュラインの後方から見たホームストレート。9レーンです
A1万mのスタートラインですが、サーフェスをアップで見るとこんな感じです。ノンチップタイプの(過去のテグ国際などの記録を見るとたぶん)ファストトラックです
B3000mSCの水濠です。トラックの外側にあるタイプです
C棒高跳の支柱とバー止め
D砂場と走幅跳の踏切板
E砂場の砂のアップ
Fハンマー投のサークル
Gフィールドの芝生
Hフィニッシュした選手が通るミックスドゾーン。これはテレビのインタビュー・ゾーン。この先のスタンド下がペン記者用
Iメダリストの公式会見ルーム。何人の日本選手がここに座ることになるのでしょうか


◆2011年8月27日(土) テグ日記日目
 大会1日目。メディア村6:30発のシャトルバスでマラソン・スタート地点のクッチェボサ記念公園に。女子マラソンは9時スタートですが、周囲の交通規制が始まる前に行かないといけないらしく、7時にはスタート地点に。プレスルームに一番乗りかと思ったら、すでに毎日新聞の田原記者と“真実”井沢記者がいらして3番目でした。

 1時間くらいプレスルームで仕事をした後、ミックスゾーンへの動線などを確認に。ミックスゾーンに行くとその横がウォームアップエリアで、8時になると尾崎好美選手と野尻あずさ選手の第一生命コンビがアップを始めました。日本選手は各自ばらばらにアップをしますが、ケニアとエチオピアは集団でまとまってジョッグをしています。ジョッグのペースはエチオピアの方が速く、途中でケニアを追い抜いていくシーンもありました。
 前仙台育英高監督の渡辺高夫コーチもアップをご覧になっていて、寺田を含めた記者3人が話をしていると「ワタナベセンセイデスカ。コンニチワ」と挨拶してきたケニア選手が。ケニアのキャロライン・ロティッチ選手でした。寺田の記憶にはもうありませんでしたが、7〜8年前に仙台育英高に留学していた選手だそうです。

 スタート後はプレスルームでテレビ取材。国際映像は日本のテレビと違って距離表示が出てくれません。タイムとコース図をにらめっこして、現在地はどこかを特定しないといけないので大変です。
 結果については色々が報道がなされていると思いますし、寺田もTBSサイトにコラムを書きましたので、そちらをご一読ください。

 女子マラソンの取材終了後はシャトルバスでスタジアムに移動。昼の空き時間に昼食を食べ、昨日の日記を書きました。続いてTBSコラムも書き始めました。今日は夜の競技が23時近くまであるので、始まる前に半分は書いておきたかったのです。
 今回は番組のテーマである“ヒトのチカラ無限大”に関連した話題にしていく予定です。女子マラソンにも“アフリカの時代”が到来しましたが、日本がメダルを取る可能性もまだありますよ、というテーマで書くことを決定。50行ほど書き進めました。

 20時からいよいよスタジアムでの取材を開始。20:30には男子ハンマー投予選に室伏広治選手が登場。1回で予選通過記録を投げてA組トップ通過しました。ミックスドゾーンに降りてコメントを取材。引き揚げた後にトレーニングも行うと聞いてちょっとびっくり。決勝まで中1日空くので今日やっておくのだといいます。
 21時から女子1万m。ケニアの1〜4位独占にも驚かされましたが、エチオピアも弱くなっているということですよね。
 日本勢は、5000m通過が15分47秒と速いペースではなかったのに、序盤で集団から離れてしまいました。日本人トップの吉本ひかり選手のコメントを取材。こういうケースでは世界との力の差や、反省の弁ばかりになってしまいます。そういうコメントばかりでは記事も書きにくいだろうと思い、「意地を見せられた部分はありましたか」と質問。「途中で自分で引っ張るところもありましたし、疲れたところでも自分のペースで行けました」と話してくれました。期待の選手ですから、今後につなげてほしいと思います。
 残念だったのは絹川愛選手。好調だと思っていたのですが、ふたを開けたら悪いときの絹川選手でした。2周遅れになって34分台。フィニッシュして倒れ込み、役員にだき抱えられて行きました。記者団の取材に応じたチームドクターの桜庭氏によれば「疲労と軽い脱水症状。点滴を受けているが意識はしっかりしている。血圧などバイタルサインは落ち着いていないが、病院に行くことはないでしょう。(5000mに出場するかどうかは)明日判断します」とのこと。
 逸材だけに早く立ち直ってもらいたい選手です。

 トラックのタイムスケジュールがずれ込んでいて、最後の十種競技400 mが終わったのは23時頃。右代啓祐選手のコメントを取材し終わったのは23:15頃でした。リザルトなど資料を整理して、夕食を済ませ、0:15のシャトルバスでメディア村に戻りました。洗濯をして原稿の続きを書きました。


◆2011年8月28日(日)テグ日記日目
 大会2日目の取材です。午前中はロード(男子20kmW)よりもトラック種目を優先……したら、鈴木雄介選手が素晴らしい歩きをしました。15km付近までトップを歩き、終盤で後退しましたが8位を確保。この種目01年以来の入賞を達成すると同時に、ロンドン五輪代表を決めました。
 午前中は金丸祐三選手の44秒台や福島千里選手の準決勝進出&日本新などを備えたのですが、ヨミが甘かったです。でも、くよくよしても仕方ありません。金丸選手の自身初の予選突破と、福島選手の準決勝進出の取材をしました。結果的に福島選手のミックスゾーン取材が、その後の苦境を救ってくれました。

 イブニングセッションは男子800m準決勝は男子100m準決勝などをスタンドからじっくりと見ました。これがスタンド記者席からの写真★です。
 男子1万mは先頭争いをチェックしつつ、佐藤悠基選手の走りに注目していました。ペースは相変わらず上下動は相変わらず。67秒、74秒、72秒、63秒、63秒という出だしでした。佐藤選手はペース変化にも対応しましたが、4500mで集団から遅れ始めました。
 トップ争いでは日本の実業団在籍のマーチン・マサシ選手とイブラヒム・ジェイラン選手が加わっていましたが、優勝までは考えませんでした。今季の実績からイギリスのファラー選手が絶対的に本命だと思っていました。ラストの強さがすごいと聞いていましたし。
 ファラー選手がラスト1周でスパートしたときは決まったと思いました。若干力んでいるかな、早いかなと思いましたが、一気に5m以上の差をつけたので押し切るかな、と。あれだけ差をつけられても逆転したジェイラン選手が上手でしたね。
 佐藤選手は29分04秒15で15位。後半が15分かかってしまいました。
 佐藤選手のコメントを取材するためにミックスゾーンに行く途中、福島大の川本和久監督とお会いしました。400 mHの久保倉里美選手、好調のようです。
 佐藤選手はジュニアやユニバーシアードの選手権試合も含め、海外遠征の経験は豊富にある選手です。しかし、世界選手権のようなフル代表は初めて。そこで力の差を見せつけられ、国際大会で戦うことにより気持ちを強くしたようです。「世界で戦う明確な目標をもってトレーニングをしていかないといけない」という言葉が印象に残りました。

 続いて十種競技の男子1500mが終わって、右代啓祐選手は7639点の20位でした。国際大会で力を発揮するのが難しい種目ですが、それを差し引いても力を出し切れませんでした。本人が悔やんでいる昨年のアジア大会よりも低い得点ですから、かなり残念だったのではないかと思います。
 1500mの2組目が終わったときは男子100mの決勝始まる10分前くらい。右代選手のコメントよりも、100 mをスタンドから見ることを優先しました。
 右代選手の表情はあとから取材した記者に聞きましたが、前向きだったそうです。あまりくよくよせず、今回の経験を今後に生かして行くということを清々しく話したそうです。

 100 mはご存じの通りの結末でした。全世界の注目を集めていたボルト選手がフライングで失格。声が出ませんでしたし、何がどうなったのか理解をするまでに少し時間がかかりました。まさか決勝でフライングとは…。あとで調べたら世界選手権男子100 m決勝でのフライング失格は過去に一度もありませんでした。
 フライング直後のショックが落ち着くと、次に不安に襲われたのがTBSサイトのコラムをどうするかということ。もう完全にボルト選手で行くと決めていましたから。相当に迷いました。ボルト選手のネタを、英語を聞き取れないにもかかわらず会見に出たりして、必死で集めてきました。しかし、テーマは“無限大”や“可能性”です。失格した選手のことを書くわけにはいかないと結論を出しました。
 そうなるともう、書くのは福島千里選手をおいて他にいません。日本人初の準決勝進出もありましたし、彼女の技術的な進歩についても書けるかな、と思い当たる部分がありました。それが2次加速の話題です。解説者の朝原宣治さんにもコメントをお願いして、面白い話を書くことができました。TBSサイトのコラムです。


◆2011年8月29日(月)テグ日記日目
 大会3日目の取材でした。
 3日目の競技に触れる前に、昨日の十種競技について前日本記録保持者の金子宗弘さん(TBS解説者。ミズノ)が話していたことを紹介したいと思います。金子さんは「シェブルレ(チェコ)にデカスリートのロマンを感じた」と言います。シェブルレ選手はご存じのように世界でただ1人9000点を突破している選手です。
 しかし、9026点の世界記録を出したのは10年前のこと。今年の11月で37歳。昨日は必死に戦いましたが8069点で14位。世界記録のときと今回の各種目を比較すると以下のようになります。
  世界記録 世界選手権2011
100 m 10秒64(±0) 11秒25(±0)
走幅跳 8m11(+1.9) 7m30(+0.4)
砲丸投 15m33 15m20
走高跳 2m12 2m05
400 m 47秒79 51秒18
110 mH 13秒92(−0.2) 14秒75(−0.1)
円盤投 47m92 46m93
棒高跳 4m80 4m80
やり投 70m16 67m28
1500m 4分21秒98 4分56秒50
 投てきと棒高跳、走高跳は落ち幅を小さくとどめていますが、走る種目と走幅跳は大きく記録が下がっています。年齢的に落ちる部分で、金子さん自身も覚えがあったことなのでしょう。そういった部分と戦いながら10種目の長丁場を戦ったシェブルレ選手に、“ロマン”を感じたのもわかります。シェブルレ選手のファーストネームのRomanに引っかけたダジャレではないはずです。

 さて、大会3日目の競技です。
 午前中は男女の400 mHの予選が行われて岸本鷹幸選手(法大)と久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が準決勝に駒を進めました。久保倉選手の準決勝は期待していましたが、男子400 mHはなんとなく1人かな、と感じていました。91年の東京世界選手権がそうでした。苅部俊二選手(法大)、斎藤嘉彦選手(法大)、山崎一彦選手(順大)と出場して、当時大学4年の苅部選手だけが自己新で準決勝に進みました。岸本選手は自己新ではありませんでしたし学年も大学3年生ですが、なんとなく東京大会とダブりました。
 夜の部では男子110 mHでハプニング。ロブレス選手(キューバ)が1着でフィニッシュしましたが、リプレイを見るとロブレス選手と劉翔選手(中国)の腕が接触していました。しばらくしてコンピュータ上のリザルツが消えたのでひょっとして、と思いましたが、ロブレス選手の失格となりました。
 劉翔選手は繰り上がって2位となりましたが、接触がなかったらロブレス選手を逆転したか、最低でも2番目にフィニッシュしていて1位に繰り上がったと思われます。陸上競技はこういうアクシデントのときに再レースとならないので、“運”が左右します。中・長距離種目でも、転倒に巻き込まれたらどうしようもありません。4×100 mRでも、2001年のエドモントン世界選手権の藤本俊之選手(東海大)のように、隣のレーンの選手と腕が接触してバランスを崩すこともあります。

 さて、日本の関係者にとってこの日のメインベントは男子ハンマー投。室伏広治選手(ミズノ)が世界選手権でもついに金メダルをゲットしました。金メダリストということで、ミックスドゾーンの日本人ペン記者たちがいるところまで来るのに時間がかかりました。表彰式が始まるということで、短い時間しか取材ができませんでした。
 しかし、表彰式、メダリスト会見の後に再度、ミックスドゾーンで日本人記者たちによるカコミ取材に応じてくれました。寺田も1つ質問させていただきました。「アテネ五輪後の7年間、何を求めて競技をしてきたのか」と。室伏選手の答えは以下のようなものでした。
「何を求めてきたんでしょうね。スポーツが好きで、ハンマー投が好きで。でも、いつも体の状態が良いわけではなく、テクニックも安定しているわけではありません。自分の可能性がどこまであるのかというところに着眼点を置いていたことで、長くできたのだと思います。勝ったり負けたりもありますが、スポーツ人生はいいな、と思います」
 明日の新聞記事にこのコメントが載っていたら嬉しいですね。


◆2011年8月30日(火)テグ日記日目
 大会4日目の取材。
 朝の9時から室伏広治選手の記者会見があって出席しました。昨晩の室伏選手はTBSテレビに生出演していましたし、その後もスウェーデンのテレビにスタジオ出演(TBSの隣)したりと、かなり忙しかったようです。今朝もTBSテレビに生出演した後でした。
「2、3時間しか寝ていませんが、嬉しいあれですから。ちゃんと目も覚めました」と、寝不足もなんのその、という雰囲気でした。
 優勝者の一夜明け会見の主なポイントは、
一夜明けての気持ち
昨晩何をしたか。どんなお祝いをしてもらったか
現在の体調
改めて前日の勝因を振り返ってもらうこと

 などです。こういった質問は必ず出ますし、ペン記者用の会見では技術的なことも必ず突っ込みがあります。何を聞こうかと思案しましたが、91年東京大会で今回の室伏選手と同じ36歳で金メダリストとなったセディフ選手とのエピソードについて突っ込みました。東京大会当時高校2年生だった室伏選手は、開会式で旗を持つ役目を他の高校生選手たちと一緒に務めましたし、セディフ選手の投てきもスタンドから見ていたことは、以前から知っていました。
 1991年に東京大会を高校生として見学し、2001年にはエドモントン大会で銀メダルを獲得。オリンピックを含めても日本選手投てき初のメダル獲得でした。そして2011年には金メダルです。室伏選手は全種目開催となった1983年以降の世界選手権では、男子最年長金メダリストですから、セディフ選手とのネタも面白いと思ったのです。
「東京大会は高校生のときに見に行っていました。ちょうどソビエトが崩壊した月だったと記憶しています。2人の新しい有望選手が出てきていて、セディフはかなわないだろうと思っていました。(そんな状況を覆して)優勝した瞬間を見て、素晴らしいな、と思いましたよ。映像も何回も繰り返して見ました。自分がまさか同じ36歳で金メダルを取るとはまったく想像できませんでしたね。セディフからは祝福のメールをもらいましたよ。エドモントンから10年経ったとは、信じられませんね」
 後で他の記者たちの反応を聞くと、世界記録保持者のセディフからお祝いのメールが来たという部分は、かなりの確率で記事になりそうでした。“マニアックな質問”と室伏選手からは言われましたが、世間の(?)役には立てたようです。

 午前中の競技で日本選手が出場したのは女子5000m予選だけ。初日の1万mレース後に医務室行きとなってしまった絹川愛選手(ミズノ)の状態が心配されましたが、出場できるところまで回復していました。絹川選手は気持ちに身体が左右されるタイプ。きっかけさえあれば、5000mに出てくることは予想していましたが、その辺の経緯はどうだったのでしょうか。
「1万mの嫌な思い出が浮かんできて、夜中に何度も起きて、心が折れそうになりました。昨日の朝、(渡辺高夫)監督がやめる決断をしていて、それを聞いたら自分の気持ちがまとまりました。昨日の午後、出場を決めました」
 さて、注目されるのは絹川選手の今後です。常識的にいえばロンドン五輪もトラックで狙うのでしょうが、そこは良い意味で“普通の選手とは違う”選手です。
「ロンドン五輪の何かの種目で、世界の借りは世界で返したい」という絹川選手に、「マラソンの可能性も?」という質問をしました(誰が?)。すると、「はい。やってみたい気持ちもあります」という答え。これも、明日の新聞記事になるかもしれません。

 昼の空き時間は選手村近くにあるミズノのサービスブースに行きました。室伏広治選手の祝勝会が開催され、報道陣も招かれていました。そこでは取材という感じではありませんでしたが、ケン・マランツ記者(デイリーヨミウリ)から託された質問を1つだけさせていただきました。あとは室伏重信先生のカコミ取材をするチャンスがありました。

 夜の競技は日本人選手の出場はなし。TBSコラムの取材に集中しました。負けましたけど女子棒高跳のイシンバエワ選手(ロシア)と、男子800mに優勝したルディシャ選手(ケニア)の2人をセットで扱うことに決定。ボルト選手(ジャマイカ)よりも聞き取りやすい英語ですが、それでもイシンバエワ選手のポールを換えた部分などは難しかったです。あの手この手を駆使して記事にできるだけのコメントを集めました。


◆2011年8月31日(水)テグ日記日目
 大会5日目の取材。
 今日は女子20kmWだけの日ですが、朝の9時にスタート。メディア村からのバスは6:30発が最終便です。体力というか睡眠時間を考慮して、8時にタクシーで行くことにしました(それでも睡眠は3時間)。マラソンと違って競歩は2kmのコースを往復するだけなので、交通規制も少ないと判断したのです。それと、選手村のサービスデスクでタクシーを呼んでもらえる情報を昨日のうちに得ていたことと、タクシー代が安いからというのも理由です。
 しかし、これが大失敗。市の中心部に行くと道が大渋滞していて、うんともすんとも動きません。なんとかスタート地点まで200mくらいのところに行くことはできたのですが、スタート時間には5分ほど間に合いませんでした。

 人ごみを縫ってロード競技用のプレスルーム(大学の講義室みたいです)に到着。幸い、レースはまだ集団でした。しかし、6km付近で川崎真裕美選手(富士通)が後れました。今村文男コーチによると「痛みや違和感が出て、この2〜3カ月を通して練習を積み上げることができなかった。体調管理の面で準備ができなかった」といいます。
 大利久美選手(富士通)も8km付近で後れました。「暑さへの準備が先行してしまって、暑い中でも4分30秒〜40秒で歩くことへの準備ができていなかった。レース強度への対応準備や練習の全体量が今ひとつだった」と今村コーチ。大利選手自身も「最低でも前回(12位)の順位を上回りたかったし、自分でもその力は付いたと確信していたのに、世界の壁が厚くなってしまった」と肩を落としていました。
 前回ベルリン大会7位入賞の渕瀬真寿美選手(大塚製薬)が最後まで粘りましたが、12km過ぎに集団から後れ始め、終盤は蛇行するほどの疲労困憊状態に。18.7km付近で倒れてしまって途中棄権。担架で救護室に運ばれてしまいました。「渕瀬は秘めたものが感じられた」と今村コーチ。前回を上回ろうと積極的に歩いた結果ですが、今日のレースを見る限り、今回はそこまでの力はなかったということでしょう。
 レース後しばらくしてカコミ取材に応じてくれた河野匡ヘッドコーチ(大塚製薬監督)によると、「救急病院に運ばれたが異状はなく、CTスキャンを撮るまではしなかった」ということで記者たちもホッとしていました。

 女子20kmWを取材後はプレスルームで昨日取材したTBSコラムを仕上げました。
 その後はバスでメイン会場に移動。TBSのコンパウンドで、日本で放映されている前半戦ハイライトなどを見ました。


◆2011年9月1日(木)テグ日記日目
 大会6日目の取材。今日から後半戦です。午前中は日本勢が多く登場しました。
 まずは男子5000m予選。ラストも強い渡辺和也選手(四国電力)に期待をしていましたが、2200m過ぎにちょっと目を離してしまい、2400mのタイムを測ろうとしたら、先頭集団にその姿がなくなっていました。50m後方を走っていました。明らかにアクシデントです。
 レース後に話を聞くと「前の選手がコケたので避けようとしたのですが、避けきれなかった」ということでした。2000m通過は5分33秒25(寺田の手動計時)。「まだいっぱいではなく、行ける感覚がありました」というだけに残念でした。一昨日の日記にも書きましたが、トラック種目はアクシデントに巻き込まれたらどうしようもありません。長距離種目で再レースなど不可能です。長距離種目でなくても、再レースはなかなか認められません。“この1回しかないレース”なのです。
 それでも渡辺選手は悪びれたところがなく「コケましたがまだまだ世界では通用しません。日本一になるための練習ではなく、世界を目指した練習をしないといけない」と決意を語ってくれました。1万mの佐藤悠基選手(日清食品グループ)の競技後のコメントもまったく同じでした。入賞を目指すのは無理でも、こういった思いを選手が強く持つのならば、出場する意味は大きかったと思います。

 続いて女子やり投と女子200mの予選が行われました。海老原有希選手(スズキ浜松AC)と福島千里選手(北海道ハイテクAC)はともに、「Q」(ラージキュー)での通過ができませんでした。予選A組の海老原選手は59m88と予選通過記録の61m00を投げられず、B組の結果を待たないと決勝進出の12人に入れるかわからない状況。予選1組の福島選手も5位と着順で通過できず(4着+4)、全組が終わるまでプラスに引っかかるかわからない状況でした。
 B組の結果がわかる前にミックスドゾーンに来た海老原選手はさかんに、目標だった60mを投げられなかったことを悔やんでいました。「1投目(57m36)に2投目(59m66)の投てきができなかったことが残念です。それができればもう少し変わっていました。最後のやりの向きと力を伝える方向を一方向にできれば記録は伸びたと思います」
 やはり最終組が終わる前に現れた福島選手は「今、微妙な位置なのでドキドキしています」と心情を吐露。「スタートに失敗して前半50mくらいが乗り切れませんでした。100回に1回あるかないかの失敗。次を走れたらもう一度集中して、完成度を高めたいです」

 そうして取材をしているうちに女子やり投のB組が終了。海老原選手の決勝進出が決定しました。10番目での通過。59m15では拾われませんでしたから、わずか73cmが明暗をわけたことになります。そのときも海老原選手はミックスドゾーンにいてくれました。
 勝因としてはケガの影響のあった日本選手権に比べれば、「助走が気持ちよく走れて、自分のタイミングで投げられたこと」ですが、長い目で見た場合は国際大会でも力を発揮できるようになったことでしょう。「前回のベルリンでは持っている力の50%くらいしか発揮できませんでした。自分で何をしているかわかりませんでしたから。今回は70〜80%は発揮できたと思います」
 そうして取材をしているうちに女子200m予選も終了し、福島選手の予選通過も決まりました。福島選手もミックスドゾーンで結果が出るのを待っていました。日本人初の200m準決勝ですが「私自身にとってはもう、初めてのことではありません」と福島選手。「100mに出たから200mでもこういう結果になったのかもしれません。初めてじゃないつもりで準決勝に臨みたいです」

 午前中は男子4×400mR予選も行われました。1組の日本は2走の金丸祐三選手(大塚製薬)から3走の石塚祐輔選手(ミズノ)へのバトンパスでアクシデントがあってタイムを大きくロス。7位となり、その時点で決勝進出はなくなりました。しかしタイムは3分02秒64で、バトン・アクシデントがあったことを考えると悪くないタイムでした。
 寺田の手動の計測では以下のラップでした。
1走・45秒96 高瀬慧選手(富士通)
2走・44秒68 金丸選手
3走・47秒03 石塚選手
4走・44秒97 廣瀬英行選手(慶大)

 石塚選手のところだけで47秒かかっていましたから、バトン・アクシデントがなければ3分1秒前後が出ていたことになります。
 北京の世界ジュニアでもバトンでアクシデントがあり、泣きじゃくる石塚選手を金丸選手が慰めていたシーンをテレビで見た記憶があります。今回も同じようなシーンがあったのかと思って金丸選手に聞くと、それはなかったといいます。
 金丸選手はバトンパスを「最後だったので記憶があまりないんですが、詰まってしまっていた」と振り返りました。石塚選手は「しっかりと金丸の声も聞こえて振り向いたときにもバトンは見えていましたが、つかみ損ねてしまいました。そこでバトンを見失ってしまって、ちょっと走り出したところで後ろを見たら遠くなっていたので、止まってもらう感じになってしまいました。金丸の後半が強いので、そこは考慮してスタートを切りましたが、思った以上に近かった(のでつかみ損ねた)」とバトンパスの状況を振り返ってくれました。
 あとで谷川聡コーチから、直線で金丸選手がドイツを抜いたのに、ドイツの3走が石塚選手より先にスタートしたことで交錯する感じになったことを教えてもらいました。石塚選手が思い切り出られず、金丸選手と詰まる感じになってしまったのでしょう。本当にトラックレースは、運、不運に左右される部分がありからやりきれません。でも、やるしかないですね。

 さて、夜の部です。女子200m準決勝の福島選手は残念ながら1組8位でした。タイムは23秒52(−0.7)。今の力を考えるともう少し行けたと思います。福島選手自身は「初めての準決勝ではないつもり」で臨んだのですが、結果は“初めての準決勝”に跳ね返されてしまいました。次の機会に期待したいと思います。
 日本にとってメインイベントは男子やり投予選の村上幸史選手でした。今季の村上選手はアベレージが82m以上でしたし、直前の愛媛県国体予選で83m53の自己新も出しています。予選通過記録の82m50は楽なレベルではありませんが、ベルリン以降の国際大会での安定度からして、まさか予選で落ちることはないと安心してみていました。しかし、そのまさかが起こってしまいました。
 1投目は80m19。好調の時は1投目で82mを超えるので、どこかおかしいようにも思えましたが、そこから立て直せば問題はなかったはずです。しかし、今日の村上選手はそれができませんでした。2投目に78m04と記録が落ちると、3投目は74m93とまったく伸びません。
 予選通過12人目の記録が81m03でしたから、本当に悔しい結果です。
「1回目はいつも通り楽に入りました。2回目はそこに付け加えるものがあるんですが、それがまったく別の動きになってしまいました。3回目は最後に右、左としっかり着いていくリズムづくりを意識しましたが…。(敗因は)流れを失ったことです。絶対に失ってはいけないものを失って、迷ってしまった。(結果的に)手の振り自体が小さくなってしまいました」
 小山裕三日大監督はテレビ解説で、「手だけで投げている」と強調したそうです。その小山監督に後で話を聞くと、ここまで順調だった今季の流れが、実は順調ではなかったと言います。具体的には村上選手にも取材ができたときに記事にしたいと思います。


◆2011年9月2日(金)テグ日記10日目
 大会7日目の取材。
 午前中は男子200m予選があって、高平慎士選手(富士通)と齋藤仁志選手(サンメッセ)が準決勝進出を決めました。高平選手の準決勝進出は6回目のオリンピック&世界選手権で初めて。特に前回のベルリン世界選手権は準決勝へ行く可能性が高いと思われていたので、「念願の準決勝進出を決めた気持ちは?」という質問の仕方をしました。
「念願というわけじゃないですけどね」と明るく答える高平選手。「あくまでファイナルを目指しているので、ここから先をどういうレースができるかが重要です」。同選手のスタンスがよくわかるコメントでした。
 齋藤選手は2年前のベルリンでは21秒3台で1次予選落ち。7月に筑波で取材をしたときには「為末さんの中学記録(当時)よりも悪い」と自嘲気味にネタにしていました。今回の予選突破は「ベルリンのリベンジってわけではありませんが、ここに懸けてきました。走りはよくありませんでしたが、最低限のことはしたと思う」というのが第一声でした。

 女子ハンマー投の予選も行われましたが、綾真澄選手(丸善工業)は64m09で予選落ちでした。「ターンの入りのタイミングがずれて、方向性もずれてしまいました」と、悔しそうな表情で話しました。
 綾選手自身としては4回目の世界選手権。01年のエドモントンが58m84、03年のパリが60m78、07年大阪が62m68でしたから、2mずつ記録を上げてきています。「残念ですが世界大会の自分の記録を抜いたので、そこだけ良かったです」
 それでも予選全体で下から4番目の記録でした。歴史の新しい種目ということで、世界のレベルアップの方が上回っているのでしょうか。でも、予選通過12人目の記録は68m92です。あきらめるほどの記録ではありません。「今日記録を出せなかったのは残念ですが、秋に日本記録を出します」

 今日は夜の競技との間に、アシックスのサービスセンターで男子マラソン陣の会見がありました。会見の模様はスポーツナビのサイトに出ています。

 夜の競技はまずは女子やり投の決勝。海老原有希選手(スズキ浜松AC)が頑張りましたが59m08で9位。あと1人というところで入賞を逃しました。1投目が終わって8位でしたが、その後抜かれることはなく3投目の途中まで8位だったので、ひょっとするとと期待したのですが。
「やっぱり59mじゃダメですね」と海老原選手も悔しそうに言います。「61m52の日本記録くらいを投げないと無理だと思っていました。(59m08は)世界で8番目と言える記録ではないと思っていました」

 続いて男子200mの準決勝。齋藤選手は2組6位(21秒17・−1.0)で、高平選手は3組6位(20秒90・−0.7)で通過できませんでした。齋藤選手はベルリン大会の1次予選に続いて、同学年(?)のボルト選手と同走でしたが0.86秒差をつけられました。「話になりませんでした。スピードが違った」というのが第一声でした。大会前にはボルト選手との再戦を希望しているコメントもあったと思うのですが「(ボルト選手と同じ組というのは)ついていないでしょう。ベルリンと連続でボルトくじを引いたのは、ある意味強運ですが…。誕生日が1カ月しか違わないんですが、1年間修行してまたこの場に戻ってきたい」と、ロンドン五輪に向けて気持ちを強くしたようでした。
 高平選手の準決勝後のコメントは、すごくインパクトがありました。ということで、TBSのコラムに書かせてもらいました。

 女子5000m決勝は新谷仁美選手(佐倉アスリート倶楽部)が15分41秒67で13位でした。予選後に話していたように、決勝も予選と同様にスタートから飛び出しました。スローペースの集団につき合っていても良いことはないという判断です。追いつかれることを計算しての飛び出しだったからでしょう。2000mで吸収されても、そのままズルズルと後退することなく、ペースアップがあった2800mまで集団で粘りました。
「メダルや入賞の可能性があるわけではありませんから、ちょっとでも日の丸を見せられればと思って飛び出しました。終わってみれば、(外国勢の)記録もそんなに速いわけではありません。もっと粘れたらよかったですね。でも、結果はともあれ、自分のペースで引っ張っていく形をとれたことは満足しています」

 新谷選手の話を聞き終えると急いでスタンドに。女子200m決勝を見るためです。フェリックス選手(アメリカ)は3位でしたが、レース後は同選手のコメントを一生懸命に集めました。フェリックス選手は今回、400mとの2種目に挑戦しました。ロンドン五輪はどうするかわからないということですし、200mの金メダルを最優先に考えるようです。しかし、何かに挑戦し続けるのが自分のスタイルということを話していたので、ファイナルに挑戦し続ける高平選手とセットにしてTBSのコラムに書くことにしました。

 その後はMPC(メインプレスセンター)で原稿書き。寺田の右隣にギリシャ人記者が2人いて、そのうちの1人(ギリシャ人記者A)がノートパソコンの画面をのぞき込みながら話しかけてきました。何度かヨーロッパ取材に行って気づいたのですが、欧米の人間は、パソコンに日本語が表示されているのが珍しく感じるらしいのです。
 今回もそれかな、と思いながらギリシャ人記者Aの顔を見ると「バッドキャラクター」とパソコン画面を指さしながら言います。何を言いたいのかわからなかったので、怪訝そうな顔をしながら「バッド?」と聞き返しました。いきなり人のパソコンを指さしてバッドはないだろう、という意味を込めたつもりです。
 ギリシャ人記者Aは「バッドキャラクター」と繰り返し、自分のパソコンを指さして「グッドキャラクター」と言います。ギリシャ文字も通常のアルファベットと比べたら、わけがわからないと思うのですが…。

 その後は「どこの国の記者だ」「日本の記者だ」「ムロフシはまた金メダルを取ったな」「ケデリスは元気かい?」というお決まりのやりとりをしました……最後のケデリスの質問はしませんでしたけど。ドーピング問題を話題に挙げて、相手に不快な思いをさせる必要もないというか、難しい話を英語でする自信がなかったというか。
 寺田の前にはJ通信のT記者(女性。20歳台)が座っていました。もう1人のギリシャ人記者Bが「東京からか?」と質問してきて「そうです」と彼女が答えると、Woman From Tokyoというソングを知っているか?」と聞いてきました。シャレのつもりでしょう。T記者が「知らない」と答え、寺田の方にも顔を向けるので「知らないよ」と。
「ギリシャで有名なソングなのか」と寺田が聞くと、ディープパープルじゃないか」とギリシャ人記者B。「本当に知らないのか。YouTube(これがなかなか聞き取れませんでした)で検索したら聴くことができるぞ」

 何度も「本当に知らないのか」と繰り返すので、ちょっとむかついてきました。人のパソコンをバッドキャラクターと決めつけるし。
「“ザイセイアカジ”なら知っているぞ」と、曲名のふりをして話しました。「Don't you know “zaiseiakaji”?」と大声で問い返してやりました。「zai…sei…akaji? I don't know.」と真面目に答えるギリシャ人記者B。日本の財政赤字も深刻ですが、ギリシャはより深刻です。
「グーグルで検索したらわかるよ」と言って会話をうち切りました。原稿書きで忙しいのでギリシャ人記者の相手をしている時間はありません。
 そんな感じでメインプレスセンターの夜は更けていったのでした。


◆2011年9月23日(金・祝)
「おかえり、トシナリー」
 全日本実業団の会場の鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムで、こんな声がカネボウ高岡寿成コーチにかけられていました。

 今日から全日本実業団の取材です。15:35発のANA便(マイル特典予約)で徳島入り。選手では信岡沙希重選手らミズノ勢が、指導者では坂口泰中国電力監督と山崎一彦福岡大監督が同じ便でした。記者では午前中に箱根駅伝予選会コース試走会を取材したという読売新聞のジェントル田上記者や、朝日新聞事業部の堀川元デスクらが一緒でした。ANA便の出発が遅れたこともあり、ポカリスエットスタジアムに着いたのは17:45くらいでした。鳴門の競技場は1993年の東四国国体以来なんと18年ぶりです。
 競技場の玄関に行くと、夕闇迫る中を見慣れた長身の姿が歩いてきます。そうです。1万m&マラソン日本記録保持者の高岡コーチがアメリカでの1年間のコーチ留学から帰国し、日本の陸上界に復帰したのです。「おかえり、トシナリー」と、知り合いの人物から声を掛けられていました。“タカオカトシナリ”と韻を踏んでいます。なかなか良いコピーだと思いました。

 寺田ももちろん挨拶をさせていただきました。それに対して高岡コーチは「あちこち取材に行かれているのに色が白いですね」という第一声。1年数カ月ぶりに会ったのにそれかよ、と思いましたが口には出さず「帰国会見を開いてもらうから」と返しておきました。結局、帰国会見は明日以降に持ち越したのですが。

 肝心の取材ですが、今日の種目は男女の1万mのみ。男子は3組タイムレース、女子は2組タイムレースです。女子では1組目のトップだった小島一恵選手(豊田自動織機)が32分34秒45の自己新でフィニッシュ。2組目の1位タイムを上回る可能性もあると思って、小島選手の話を聞かせてもらいました。
 しかし、結局2組目でトップだった西原加純選手(ヤマダ電機)が32分17秒59で、全体でもトップでした。西原選手も自己新。小島選手もそうでしたが、学生長距離界で活躍した2人が学生時代の自己記録を更新しました。今後が楽しみになりましたね。

 男子はポール・タヌイ選手(九電工)が世界選手権9位の実力を見せて27分37秒67で2連勝。日本人トップは28分01秒31とロンドン五輪B標準を破った深津卓也選手(旭化成)でした。
 高林祐介選手(トヨタ自動車)は欠場しましたが、深津選手と宇賀地強選手(コニカミノルタ)の駒大同学年コンビが7000mまで外国勢に食らいつき、そして最後まで競り合いました。宇賀地選手が今年、ロンドン五輪A標準の27分45秒00を破っていますが、ラスト勝負となると深津選手の方が強いようです。
 日本人3位に北島寿典選手(安川電機)が28分08秒53の自己新で入りました。今年のニューイヤー駅伝3区で、高林選手に次いで区間2位だった選手です。マラソンで世界選手権に出場した中本健太郎選手に加えて北島選手。ニューイヤー駅伝で4位だった安川電機は、今年も面白い存在になりそうです。
 日本人4位にはトヨタ自動車の宮脇千博選手28分26秒85で入りました。マラソン世界選手権代表だった尾田賢典選手と高林選手もいます。ニューイヤー駅伝優勝チームのトヨタ自動車は、今年も本命でしょうか?

 取材が終わったのが夜の9時頃。ホテルは徳島駅前ですが、鳴門から徳島への最終電車はすでになくなっています。朝日新聞・小田記者(岡山のSP記者)と一緒にタクシーで徳島に。ホテルまで少し歩いたのですが、岩佐敏弘さんと久しぶりに会いました。何年ぶりでしょうか。全日本実業団では何回か日本人トップをとっている元トップランナーですが、今は大塚製薬でばりばり働いているとのこと。「引退レースもしないで」と責めておきました。
 ホテルに着いて原稿書き。


◆2011年9月24日(土)
 全日本実業団2日目の取材でしたが、実業団試合らしいネタが満載で充実した取材ができた1日でした。
 まずは男女の5000m予選が行われている間にスタンドを1周。選手が出場していない指導者の方たちから情報を入手しました。中国電力・坂口泰監督からは石川卓哉選手の欠場理由と、福岡国際マラソン出場を表明している岡本直己選手の状態をお聞きしました。石川選手はヒザの故障中で、岡本選手は2時間8分台も期待したいとのこと。
 続いて安川電機の山頭直樹監督に、昨日の1万mで日本人3位の28分08秒53と好走した北島寿典選手について。ケガの多い同選手ですが、この夏は良い練習ができたようです。カネボウ高岡寿成コーチともすれ違いざまに何か話したのですが、何を話したか忘れてしまいました。
 スタンドからサブトラック前に場所を移して引き続き長距離の指導者たちに取材をしました。大塚製薬・犬伏孝行コーチと雑談。昨年は関西実業団駅伝でまさかの予選落ちを喫した大塚製薬ですが、今季は油断はないようです。
 そしてHondaの明本樹昌監督に世界選手権1万m金メダリストのジェイラン選手について、どんな特徴がある選手なのかを取材しました。これは今日一番のネタだったかもしれません。特徴の1つに意思の強い選手だということが挙げられるそうです。それと練習の特徴ですが、テグではラスト1周を52秒8で走ったということで、さぞやすごいスピード練習をしていると思ったのですが、そうでもないといいます。400 mのインターバルは速くて58秒設定で、特にラストスパートの練習はしていないとのこと。あのラストスパートは気持ちの強さが表れたのかもしれません。ただ、試合でスピードを出すためには、練習でスピードを出すだけが方法ではないのかもしれません。これが今日の一連の取材の中に出てきたキーワードになりました。
 明本監督には駅伝に向けての話も聞かせてもらいました。

 続いてダイハツ林清司監督に。木崎良子選手が今大会に出ていなかったのでどうしているのか質問すると、明日の日体大長距離競技会5000mに出場するのだそうです。横浜国際女子マラソンで五輪切符を狙っているということですが、昨日の1万m出場選手たちと一緒にアメリカで良い練習ができたので、急きょトラックレースに出ることにしたそうです。もちろん中里麗美選手のマラソン出場についても聞きましたが、これはまだ伏せておいた方がいいでしょう。それと駅伝についても聞かせていただきました。女子の全国大会の新コース(仙台)は1区が7kmと、昨年までの岐阜のコースよりも1km長くなります。この点についてダイハツは心配していないそうです。坂井田歩選手と出田千鶴選手が昨日の1万mで32分台で走っていますから。
 賢明な読者はおわかりかと思いますが、この辺の取材は実業団駅伝に向けてのネタ仕込みも兼ねています。頭の固い方は、トラック&フィールドの実業団日本一を決める大会で駅伝の取材をするとは何事か、と怒られるかもしれません。しかし、トラックは駅伝につながっていますし、駅伝もトラックにつながっています。走る選手は同じです。
 あとは、実業団駅伝公式ガイド(毎日新聞社刊)の仕事を今年もやらせていただくことになったからですね。毎日新聞の“真実”井沢記者が駅伝の取材もするようにプレッシャーをかけてくるわけではないのですが、これは仕事をやらせてもらう寺田が自発的に気を遣っているという感じです。我々フリーランスにとって仕事の依頼主は、ある意味スポンサーですから、配慮をするのは当然なのです。

 11時からフィールドで決勝種目も始まりました。
 男子走幅跳は菅井洋平選手(ミズノ)が8m09で3連勝。追い風2.6で惜しくも参考記録になりましたが「公認だったら、それはそれで悔しかったと思う」と言います。ロンドン五輪B標準の8m10に1cm届かなかったからです。しかし、8m20のA標準も「そのあたりは見えています。コンディションを上げるだけで行くと思う」と手応えも感じているようです。
 女子棒高跳は我孫子智美選手が4m20で優勝しましたが、4m00で2位だった近藤高代選手(長谷川体育施設)が、今大会を最後に現役引退することを表明しました。日本選手権で3m90に終わったとき、自身の感覚とズレが大きかったそうで、そのへんが引き金となったそうです。
 今年の11月で36歳。日本人で初めて4mを跳んだ小野真澄選手とは同学年で、その小野選手の記録とタイの4m20をマークしたのが2002年。小野選手が4m21と記録を伸ばして、それを更新したのが今日も一緒に競技をしていた中野真実選手で、中野選手の記録を更新したのが2004年に4m35を跳んだ近藤選手でした(それを4m36と更新したのが錦織育子選手)。
 引退のことはごく少数の関係者にしか伝えていなかったようです。年齢の近い室伏由佳選手や、中田有紀選手ら。そういえば午前中にスタンドを回っている際、女子走高跳日本記録保持者の今井美希さんにお会いしましたが、近藤選手のこともあって来場されたようです。近藤選手の引退は今日一番のネタでしょう。
 女子棒高跳では我孫子選手が4m31を失敗しましたが、そのとき14.7フィート&145ポンドの、自身のマックスポールを使いました。これもネタですね。

 トラック最初の決勝種目は男子200mでした。ツイッターにも書きましたが、予選が5組1着+3だったので、有力選手の予選落ちもあり得ると思っていましたが、いざ予選が終わってみたら
1組1位・高瀬慧選手(富士通)
2組1位・高平慎士選手(富士通)
3組1位・安孫子充裕選手(チームミズノアスレティック)
4組1位・石塚祐輔選手(ミズノ)
   2位・塚原直貴選手(富士通)
   3位・藤光謙司選手(セーレン)
5組1位・江里口匡史選手(大阪ガス)
   2位・齋藤仁志選手(サンメッセ)

 と、08年以降のオリンピックと世界選手権の代表経験選手が決勝進出の8人を占めました。種目もテグ世界選手権4×400mRの高瀬選手(インカレは400 mで優勝)、200m毎回出場の高平選手、北京五輪4×400mRの安孫子選手(関東インカレは100mで優勝)、テグ4×400mRの石塚選手(インターハイは100mと200mで優勝)、北京五輪&ベルリン世界選手権100mの塚原選手、ベルリン200mの藤光選手、ベルリン100mの江里口選手、テグ200mの齋藤選手とバリエーションに富んでいました。特に4組では400 mの石塚選手が最後に塚原選手をかわしましたし、5組では100mの江里口選手が世界選手権セミファイナリストの齋藤選手を抑えました。こんなに興味深い200m決勝は初めてです。
 実際の決勝は江里口選手が欠場。高瀬選手が前半からリードを奪い、後半で追い上げた高平選手を寄せ付けずに完勝しました。もう少し激戦になるかと思ったのですが、世界選手権組はその疲れがあったでしょうし、塚原選手と藤光選手は故障上がりです。このメンバーが決勝に揃ったことで、今日一番のネタだったかもしれません。
 実はこれだけのメンバーが揃ったらどんな雰囲気なのかと、スタート前に招集場所をのぞきに行きました。そこでの様子は……ちょっと書けません。その代わりというわけではありませんが、高平選手にコメントをもらいました。
「実業団の試合で全員が代表経験選手というのは初めてです。楽しいですね。ほぼ日本選手権みたいで。1着プラス3でも残ったメンバーです。今気持ちが抜けていないと言ったらウソになりますが、世界選手権後の試合で、ピリッとしないと勝てないのは良いことでしょう。決勝モードに入ったときにしっかりと行かないといけない。そういう部分を楽しみながら走りました」
 あとはインカレとの比較や、実業団選手が頑張ることの意義なども話してくれました。

 続く女子200mは高橋萌木子選手(富士通)が23秒81(−0.1)で優勝。復調に向けて手応えを感じつつあるようです。
 女子400 mHでは久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が55秒90の大会新で優勝。今季の55秒台は日本選手権(55秒81)、大阪選手権特別レース(55秒34の日本新)に続いて3試合目。世界選手権後にしては快記録と言っていいと思います。
 それよりもニュースなのは、1台目から2台目を15歩で行ったことです。「2年前の日本選手権でいきなり行ってしまったこと」はあるそうですが、久保倉選手がやろうと思って行ったのは初めてのこと(15歩で行く日本選手がいないわけではありませんが)。世界選手権の準決勝で力を出し切れなかったことが、変更を決断する要因になりました。「記録を出すだけなら前半16歩の精度を上げていけばできる」と感じていましたが、それでは「世界で戦えない」と感じての決断です。これも今日一番のネタだと思いました。

 久保倉選手に続いて話を聞いたのは久保瑠里子選手(エディオン)でした。女子800mですごいことをやってのけました。予選を2分05秒67で走り、決勝でも2分05秒07で優勝しました。2日に渡って行われたのではなく、2本とも今日のレースです。確かなデータはありませんが、予選のタイムは予選で出た日本最高記録かもしれません。
 予選を通過するにはここまでのタイムは必要ありません。力を残した方が、決勝のタイムは良くなったかもしれない。どうして2本、2分5秒台で走るという不可解かつすごいことをやったのでしょうか。
 系統立てて説明すると記事になってしまうので、久保選手のコメントを単発的に紹介しておきます。
「調子が良かったので躊躇した走りをするともったいない」
「普通に考えたら2分を切れる練習ができました。600 mを1分27秒切りができています」
「日本で2分を切れなくても、外国人と走ったときに良い結果につながる」
「後ろにつくレースをして、海外(2分01秒90の日本歴代2位など)で得たものをなくしたくない」

 等々。久保選手の2分突破が現実的になってきたと感じました。これは今日一番のネタでしょう。

 写真を紹介するのを忘れていました。花束を受け取った近藤高代選手と女子棒高跳の上位3選手。近藤選手の目にはうっすらと涙が。
 今大会では世界選手権入賞者の表彰も行われました。左から男子50kmW6位の森岡紘一朗選手(富士通)、男子マラソン7位の堀端宏行選手(旭化成)、男子20kmW8位の鈴木雄介選手(富士通)です。
 これは競技場のロビーにある徳島県記録とその保持者一覧。昨晩お会いした岩佐敏弘さんは3000m、5000m、20km、ハーフマラソンの4種目の徳島県記録保持者でした。

 さて取材の方ですが、男子4×100 mRは優勝候補大本命の富士通(堀籠佳宏・塚原直貴・高平慎士・高瀬慧)が2→3走のパスでバトンを落として途中棄権。高平選手にバトンは渡ったのですが、太腿にバトンをぶつけてしまって落としたようです。
 塚原選手は静岡国際以来の試合だったので、その点を取材しないわけにはいきません(順大記録会には出ていたそうですが)。バトンミスの直後なので躊躇いましたが、冷静そうだったので話を聞かせてもらいました。明日の100mが終わってみないと自己評価は難しいということでしたが、「思いのほか動いている」ということでしたし、「ここまでの経過としては80点をやってもいい」と明るい表情で話していました。

 続いて始まったのは1万mW。男女が同時にスタートするのでレース展開を把握するのが大変です。しかし、同時スタートなので競歩選手のオールスター的な顔触れになりました。世界選手権男子20kmW8位の鈴木選手に同50kmW代表の森岡選手と荒井広宙選手(北陸亀の井ホテル)と谷井孝行選手(佐川急便)、女子10kmW代表の大利久美選手(富士通)と渕瀬真寿美選手(大塚製薬)。川崎真裕美選手が出場していれば世界選手権競歩代表全員が同時に歩くことになったのですが、川崎選手は世界選手権後にヒザの内視鏡手術をしたということで仕方ありません。それでも、世界選手権代表6人が顔を揃えたのですから、これは今日一番の話題でしょう。
 男子は序盤で鈴木選手が森岡選手らを引き離し、その背後に藤澤勇選手(ALSOK)がぴったりつける展開。女子は大利選手が引っ張り、渕瀬選手がつける展開でした。第2コーナーで競歩を見ながら男子円盤投を見ていました。こちらは畑山茂雄選手が12連勝。これもすごい記録です。
 畑山選手のコメントを表彰控え所で取材したため、競歩の終盤はレースを見ることはできませんでしたが、男子は藤澤選手が同学年の鈴木選手を振りきって優勝。種目は違いますが世界選手権入賞者2人が国内で負けるのですから、日本の競歩のレベルの高さがわかります。
 藤澤選手と渕瀬選手の話を聞かせてもらいました。藤澤選手はこの夏、「練習法を変えて、スピードよりも練習量を増やすことを考えてきた」と言います。それでも先週はスペインで10kmWの日本記録を出しましたし、今回も世界選手権代表全員を抑えました。練習でそこまでスピードを追わなくてもレースに対応できるという部分が、冒頭で紹介したジェイラン選手と共通しています。

 最後は男女の5000mです。女子はカプチッチ・セリー選手(九電工)が独走しましたが、日本人集団の勝負も面白くなりました。吉川美香選手(パナソニック)と小林祐梨子選手(豊田自動織機)。1500mで火花を散らした2人が、5000mに種目をうつして激突しました。5000mでの初対決というわけではありませんが、接戦を展開したのは初めてかもしれません。
 最後は吉川選手がラスト400 mを63秒38(寺田の手動計時)でカバーして小林選手を1秒58引き離しました。このタイムは1500mのラスト1周で最も良かったときと同じくらいだそうです。小林選手は「この1カ月くらい自己新を出したときと同じくらいの練習ができていた」と調子は良かったのですが、「中間走の練習」が中心で、ラストの切り換えができなかったようです。
 2人とも好調で、セリー選手が抜け出したときに「追えばよかった」と後悔していました。セリー選手は1周74秒で想定したペースでしたが、出だしが遅すぎたため、75〜76秒を「74秒と体感してしまって、自分がいるのはここかな」(吉川選手)と勘違いしてしまったのが原因です。
 しかし、2人とも良い状態にあるのは間違いありません。吉川選手と小林選手が今後も5000mでライバルとなることを予想させたこのレースも、今日一番のネタと思えるインパクトがありました。

 そして最終種目は男子5000m。外国勢に地元・大塚製薬の松岡佑起選手とエスビー食品の長谷川裕介選手がついて、どちらがラストが強いんだろう、とわくわくさせられました。結果は長谷川選手が13分34秒70で日本人トップの4位。優勝したダニエル選手(富士通)とも2秒45しか違いませんでした。
「5000mと1万mではタイトルがまったくなく、いつも日本人に負けていたので、勝つことを考えていました。集中してしっかり走れば結果が出せるとわかったのでよかったです。10月に1万mでA標準を狙っていきます」
 その長谷川選手も、「9月に入っても距離走をやっていました。トラック選手のやらないことをやろうと考えました」と言います。同選手も距離を重視しても、レースになればスピードを出せるタイプのようです。
 長谷川選手には箱根駅伝で結果を出せなかった理由なども聞かせてもらいました。

 それほどすごい記録は出ませんでしたが、実業団らしいネタがたくさんあった1日でした。今日一番と思えるネタが次々に飛び込んできましたからね。
 忘れていました。今日はカネボウ高岡コーチの誕生日でした。これも今日一番のネタではないかと思います。


◆2011年9月25日(日)
 全日本実業団3日目(最終日)の取材でした。
 今日最初にびっくりしたのは、トヨタ紡織総監督と思っていた亀鷹律良氏がNTNのウエアを着ていたことです。聞けば、今年の春からNTNの総監督になられたとのこと。NTNのスタッフは生え抜きという印象でしたが、外部のノウハウも取り入れていこうということのようです。
 NTNで1つ気づいたことがありました。今もジュニア日本記録を持つ愛敬重之選手ら3000mSCの好選手を何人も輩出してきたチームですが、現役ナンバーワンの梅枝裕吉選手(日本選手権2位)が今大会は初日の1万mと2日目の5000mに出場していたのです。1万mが16位で28分53秒13、5000mが12位で13分48秒25。1万mが初日の夜で、5000mの予選が2日目の朝で決勝が2日目の夜というスケジュールでした。
 そこを亀鷹総監督に質すと、マラソンの北岡幸浩選手のほかにも、駅伝のエース区間を走れる選手を養成しようという狙いでした。中部実業団駅伝は何度も取材に行っていますが、岐阜県下呂市のコースで行われるのは今年で最後です(来年からは愛知県田原での開催)。ニューイヤー駅伝優勝のトヨタ自動車も中部ですし、取材に行きたくなってきました。

 トラックでは男子100 mの予選が始まっていました。公認範囲内の良い追い風が吹いています。予選では2組1位の塚原直貴選手(富士通)、3組1位の齋藤仁志選手(サンメッセ)、5組1位の木村慎太郎選手(アシックス)が10秒5台。3組あった準決勝もこの3人が各組の1位で木村選手が10秒45、齋藤選手が10秒39、塚原選手が10秒42。塚原選手の復調が間違いなさそうです。
 記者たちの注目も塚原選手の走りに集まっていましたが、昨年優勝の木村選手も大型スクリーンに映し出されるたびに小さなどよめきが起きていました。以前にも指摘したように広島カープのマエケンこと前田健太投手にそっくりなのです。運動部記者たちが反応してしまうのは仕方ありません。
 復調が注目される塚原選手、前回優勝の木村選手、テグ世界選手権200mセミファイナリストの齋藤選手と、決勝が盛り上がりそうな雰囲気でした。

 最初にコメントを聞いたのは、男子砲丸投に17m87で2連勝した山田壮太郎選手でした。突っ込んだのはもちろん、19mが出なかった理由です。3回目までは17m06−ファウル−17m05で、後半に17m78−17m87−17m78と記録を伸ばしたのですが、前半が悪かったところに今日の失敗が表れていました。
「体は間違いなく動けていましたから、19mが出てもおかしくなかったと思います。でもスピードが速い分、パワーポジションのときに体が浮いてしまいました。蹴る瞬間が早かったですね。前半は抑えよう、抑えようとしていました。でも記録が伸びないので、4本目は何も力を入れずにただ押すだけにしたら記録が伸びたんです。今日は“こっちだな”と思いました。今年の中では悪くない投げだったので、記録を出しておきたかったのですが…。やはり、動きを意識しなくてもできるようにならないとダメですね。練習で動きができていないから意識するしか方法がないのですが、無意識でできないと」
 体の状態は良いようなので、期待したいと思います。国体には出場しないということなので、次はどこでしょうか。

 今日は今季日本最高記録が3種目で出ました。1つめは女子3000mSCの早狩実紀選手(光華学園AC)の9分51秒88。「世界選手権後の最初のレースで、今シーズン最後のレース。気持ちの良いレースで終わりたかったのですが、それができて良かったです」
 世界選手権後ということで新しいことにもチャレンジしました。それは逆脚(左脚)踏み切り「いつもちょこちょこ合わせていましたが、今回の世界選手権を走って、ハードル技術も走力と同じくらいやっていかないと思いました。今日は失敗しもいいからと、反対脚をやってみました。スピードは落ちましたが怖がらずにできました」
 今日のレースはかなり余裕があり、1人で走っても5〜10秒は記録短縮ができそうだといいます。ペースの速い海外レースで走れば、さらなる短縮も可能かもしれません。

 2つめの今季日本最高は女子100 mHの木村文子選手(エディオン)の13秒25(+1.7)でした。正確には今季日本最高タイで、同選手の日本選手権の優勝タイムと同じです。木村選手は来月の国体にピークを持っていく調整をしているため、ここまでの記録が出るとは思っていなかったといいます。予想以上の記録が出た要因を「夏の間の練習で走力が明らかにアップしました。それをハードルにつなげられたのだと思います」と分析。調整しないで出場した中国選手権100 mで12秒07の自己新が出たそうです。練習中の加速走でも…と書きたいところですが、木村選手と久保瑠里子選手のエディオン同学年コンビは記事にするかもしれないので、この辺にしておきます。世界選手権を現地で見て「アンバランスな状態」をつくって加速していくことも思いついたそうです。

 3つめの今季日本最高は男子三段跳の十亀慎也選手(中萩農園)で、5回目に16m59(+0.5)をマークして日本選手権で跳んだ16m51を上回りました。自己新記録です。「力でねじ伏せる跳躍でしたが、それができたのは少しは効率的な動きができていたから。助走の1歩1歩、ジャンプの1つ1つで重さがドーンとかかるのを、そのまま跳ね返せて、推進力や高さに変えられています。理想は重さをなくすことですが、その前段階まで来ている。そこを突き詰めて上手くできるようになれば、17mも見えてきます」
 跳躍関係者の評価も高い選手なので、なんとかロンドン五輪に間に合ってほしいと思います。
 2位は16m36(+1.1)の石川和義選手です。16m90台を2回、80台も2回出し、現役で最も17mに近い選手ですが、故障の多さでトレーニングが中断してしまうのが悩みの種です。「(17mの手応えは)あるとは言えません」という状態。11月で29歳。この冬が勝負でしょう。

 男女の100 mは塚原選手と高橋萌木子選手の富士通コンビが優勝しました。高橋選手は前日の200mと合わせて2冠です。この2人についてはコメントを記事として紹介したいですね。問題は時間があるかどうか…。実業団1年目の高橋選手はインターハイ3連勝、日本インカレ4連勝に続く優勝。年代カテゴリーの選手権で8連勝ということになります。
 同じことが男子3000mSC優勝の菊池敦郎選手(NTN)にもいえます。原町高3年時にインターハイで優勝して、順大で日本インカレ4連勝。そして今回の優勝で…と思ったら、菊池選手は実業団2年目でした。昨年は4位(日本人3位)です。
 男子やり投の荒井謙選手(七十七銀行)にも五輪標準記録を期待していたので、厳しい突っ込みを入れました。「中助走のトライアルで77〜78m行って、過去最高タイくらいだったのですが、全助走につなげられませんでした。(優勝記録の76m41は5投目だったが)1投目に75mを超えないと80mは狙えません」
 故障と紙一重のところで投げているやり投選手の宿命で、なかなか思い切り行けないところがあるようです。荒井選手も過去に大きなケガをしています。「つらいところだね」と言葉を向けると、「それがある意味、楽しいところでもあるんです。自分はまだまだ6〜7割しか出していないと思っています。国体は皆さんの力も借りて、モチベーションを高めて投げますよ」といつもの笑顔で答えてくれました。
 荒井選手には村上幸史選手(スズキ浜松AC)のテグ世界選手権の感想も聞きました。投てき界きっての理論派と言われている同選手のコメントは、いつも参考になります。次に村上選手に取材する際の参考になります。

 さて、全日本実業団取材の“とり”は、女子総合優勝を果たした東邦銀行の吉田真希子選手に話を聞きました。ナチュリル最後の年だった昨年も優勝し、東邦銀行1年目の今年も勝ったのは、何かすごいことだと思ったのですが、選手たちは普通に「総合優勝しよう」と話していたようです(これは佐藤真有選手から聞きました)。
 吉田選手は移籍に伴い人数が少なくなり、千葉麻美選手も戦列を離れている状態で勝てたことがよかったと話してくれました。個人的な感想としては、女子短距離を支えるチームが会社が変わりながらも継続していることを象徴していて、すごく喜ばしいことだと思っています。
 ということで、男女総合と男子優勝の富士通の集合写真と、東邦銀行の集合写真を掲載します。

 全日本実業団の充実した3日間の取材も終了しましたが、陸上界の動きは止まりません。日本時間の16時にはベルリン・マラソンがスタート。タクシーの中で読売新聞の田上記者と一緒に、ベルリン・マラソンの速報(ツイッターかな)を見ながらホテルに帰りました。タクシーに乗ったのが17:50頃。ちょうど男子レースが終盤で、マカウ選手が世界記録ペースで独走していました。そして世界記録でフィニッシュ。
 新聞記者の方たちは息つくヒマもありません。


◆2011年9月26日(月)
 徳島のホテルを10時にチェックアウトして、10:30発の高速バスで神戸三宮に。さすがに陸上関係者は乗っていませんでした。でも、関西圏の選手、関係者はバスを使っていた方がも多いはず。昨晩のうちに帰られたのでしょうか。
 車内でうとうとしているうちに三宮に12:10くらいに到着。まっすぐ帰っても面白くないので、神戸の海を見て帰ることに。三宮から歩いて海に向かっていたら、こんなものがありました。“日本マラソン発祥の地”の碑です。ネットを検索してみたら産経新聞のこの記事が引っかかりました。できたばかりなのですね。
 海の近くまで出たのですがちょっと殺風景な港の風景でした。神戸税関の建物などはありましたが、いかにも港の倉庫街という感じで。後で知ったのですが、ポートタワーとかハーバーランドとか、いわゆる観光客が見に行く海は神戸駅から歩くのが近かったのですね。まあ、日頃の運動不足を解消するために歩くのは望むところなのですが。

 メリケンパークを歩いていたときでした。携帯電話が鳴ったので誰かと思ったらSWACの大角重人コーチからでした。今は大阪セカンドウィンドの責任者です。寺田がすぐ隣の神戸にいるとは思いもしなかったでしょう。よっぽど、「今からそっちに行くよ」と言いそうになりましたが、向こうもいきなり来られたら迷惑でしょうから思いとどまりました。
 まずは大久保絵里選手のベルリン・マラソンでの大幅自己新のお祝いを申し上げました。2時間35分34秒から2時間28分49秒に。セカンドウィンドAC待望の若手有望選手の誕生です。用件は次の会報誌原稿のことですが、当然、大久保選手の取材も入ってきます。これは楽しみな取材になりそうです。

 シーサイドの散歩ですが、ポートタワーは何年か前に上ったことがあったので今回はパスして、中央突堤(埠頭?)を歩いた後はモザイク(複合商業施設ですかね)に。和食のおいしそうな店で昼食を食べました。その後は海の見えるカフェで仕事でもしようと思ったのですが、パソコンを広げられる雰囲気のカフェがないというか、どの店も食事をしないといけないのかな、という雰囲気があります。
 仕方ないので海の見えないロッテリアで昨日の日記を書きました。

 そういえば昨日の日記で書き忘れたことが。鳴門といえば1993年の東四国国体の会場ですが、昨日までの全日本実業団に出場した選手で18年前の国体にも出場した選手はさすがに多くないと思われました。しかし、この人は間違いなく出ているはず。朝原宣治さんの著書の「肉体マネジメント」に、東四国国体で10秒19の日本新を出したときに、この人とサブトラックで話したという話題が載っていましたから。
 ということで、3000mSC優勝の早狩実紀選手(光華学園AC)に確認すると「3000mで優勝したと思いますよ」と、やや曖昧な回答でした。1998年の全日本実業団も鳴門開催でしたが、そこはもうはっきりした記憶がないと言います。関西実業団も何回か鳴門で開催されていますし、丸亀(香川県)での試合もあって、記憶がごっちゃになっているとのこと。
 ということで寺田のパソコンにデータがないか調べたところ、国体の成績はわかりませんでしたが、1998年の全日本実業団は800mで6位、1500mで3位でした。ちなみに今も競技を続けている選手では12位に小崎まり選手(ノーリツ)が、16位に那須川瑞穂選手(積水化学、現ユニバーサルエンターテインメント)が入っています。ベテラン選手万歳!


◆2011年9月28日(水)
 福本幸選手の記事が毎日新聞に出ていました。井沢真記者の記事です。出産を経た女子跳躍選手が頑張っている、という視点ですが、取材をしたのは全日本実業団のようです(それ以前に取材したネタも盛り込んでいるような気がしますが)。
 全日本実業団で福本選手(1m81)の話を聞いたのは寺田だけだと思っていたのですが、どの記者も見えないところでしっかりと仕事をしているということです。
 そういえば、福本選手のコメントを紹介していませんでした。
「調子はすごく良くて1m90を狙っていました。先週、雨の中で1m85を跳びましたし、1m90にバーをかけて、やりたいこともそこそこできました。今日は絶対に跳んでやろうとスピードを上げたら上手くできず、1m70から跳び始めて修正をしながらバーを上げていきました。(本数が多くなって)疲れて跳べなかったというところもあったと思います。1m92を跳んだ年と同じ3歩助走の1m75が跳べているので、調子としては一番良い状態でした。この試合に懸けていたのに戦いきれなかった自分が残念です」
 悔しさの伝わってきたコメントですが、その背景には調子の良さを実感していたことがあります。ロンドン五輪の標準記録はぜひとも跳んでほしい選手です。10月10日に神戸、22日に奈良で試合に出るというので、関西からのニュースに気をつけたいと思います。

 本日の朝日新聞には“負けに学ぶRoad to LONDON”というシリーズの2回目として、男子4×100 mRのことが取り上げられていました。東大で走高跳選手だった酒瀬川亮介記者の記事です。その記事にはテグ世界陸上の3→4走でバトンパスを失敗しているという情報が、苅部俊二男子短距離部長のコメントで載っています。これも新しい情報。テグで取材している中では出てこなかったはずです。
 陸連科学委員会にも取材をしていますし、その一方で科学的なデータだけがパフォーマンスの決定要素でないことにもしっかりと触れています。テグの高平慎士選手のコメントも載っていますし、しっかりと取材したことを記者の高い見識で文章にしているという印象を持ちました。

 さて、こちらは長崎県のハウステンボスで国際マラソンが11月19日に行われるという時事通信の記事です。これを読んだときは、「来たかっ」と思いました。寺田が2年前にハウステンボスを拠点としたマラソン開催が良いのではないか、と書いたことがありました。2010年2月7日の日記から引用します。
 景観の良い長崎でのロードレース開催が望まれるところですが(これは寺田の個人的な意見で、黒木監督や十八銀行・高木監督のご意見ではありません)、大きな道路がないのが難点です。長崎とハウステンボスを結ぶコースとか、とれないのでしょうか? と思ってマピオンで距離を検索したら64kmもありました。
 仮に大規模なロードレースを開催するとなるとベッド数も重要になりますが、長崎&ハウステンボスなら宿泊施設は多いと思うのですが。
 今思いついたのですが、ハウステンボス・マラソンとか、東京ディズニーランド・マラソンとか、いけるかもしれませんね。
 ハウステンボスの地図を今見たのですが、道幅とかどうなのでしょう。大衆マラソンを行えるほど広くないのでしょうか。ハウステンボス内の周回だけではもちろん無理で、スタート地点とフィニッシュ地点、あるいは中間点も加えて3回くらいハウステンボスを走るようにコースを設定すれば面白いと思うのですが。
 赤字で苦しんでいるという報道がちょっと前にありました。大衆マラソンを開催して、その参加者はホテルに1泊1万円くらいで泊まれるようにしたらどうでしょう(通常は安くても1泊3万円とかです)。リピーターも増えると思いますし、良い宣伝になると思うのですが。

 時事通信の記事では選手数の規模がわかりませんが、寺田も先見の明があったということです。


◆2011年9月29日(木)
 昨晩はTBSの世界陸上打ち上げが都内のホテルで開催され、出席させていただきました。コラム原稿の受けをやってくださった千壽さんや、英語のインタビューを翻訳してくれた三輪さんら、お世話になった方たちにお礼を言うのが主な目的です。
 それ以外にも本当に多くの関係者が出席されていて、色々な方とお話しすることができました。思い出す順にざっと挙げていきます。

 司会は全日本実業団でインタビュアーをしたばかりの辻&竹内コンビが務めていました。竹内さんは早大競走部OBで、田島記念でセカンド記録を出している元トリプルジャンパーです(自己記録は16m08)。前回は初田啓祐アナが司会をしていたのですが、今回は若い2人のディレクター(AD?)でした。そうなった理由は本人たちも知らされていませんでした。確かに、よく声の通る2人ではありました。
 2人にあれこれ指示を出していたのが、陸上メディア最速の坂井厚弘ディレクターでした(東洋大OB。100m10秒5台)。総合演出を任されるなどかなり偉くなっているのですが、まだまだ若いので色々と仕事をやらされているようです。
 赤羽有紀子選手らを担当してこられた水野ディレクターが、現場から離れるかもしれないという話を聞きました。TBSでは世界陸上が区切りとなるのはよくあることですが、現場で一緒になることが多かったので寂しいですね。最終決定ではないということなので、また一緒に取材ができることを期待しています。
 技術責任者の大谷さん(慶大競走部OB)には、今回の新兵器は何だったのかをお聞きしました。音声の責任者だった2007年の大阪大会のときにがっつりと取材をさせてもらった方です。この答えはひょっとすると企業秘密かな、という内容だったので、ここでは伏せておきます。

 寺田は最初、ミズノの皆さんのテーブルで食事をしながら(マッコリも少し飲みました)、テグのこととか徳島(全日本実業団)のこととか、色々と情報を聞かせていただいていました。
 そこに千葉真子さんもいらっしゃったので(壇上の挨拶でも会場を盛り上げていました)、自然と末續慎吾選手(ミズノ)のことが話題に。2003年のパリ世界陸上では、千葉さんが女子マラソンで銅メダル、末續選手が男子200mで銅メダルです。こういう場で感じるのが末續選手の存在感ですね。パリの感動は忘れようと思っても忘れられません。短距離個人種目の銅メダルというのは、それだけすごいことなのです。
 2009年以降は無期限休養に入っている同選手ですが、今季中に復帰するという情報も今年前半からありました。個人的には全日本実業団のリレーで復帰するのが、何秒いくつと個人記録も出ませんから、ストレスも少なくていいのではないかと思っていたのですが。まあ、ロンドン五輪に間に合わせないといけない、というマストな考え方はしなくてもいいと個人的には思うので、末續選手の自由にしたらいいのではないかと思います。

 N社(紙媒体系メディア)の方たちともお話をしました。Sさんとは陸上報道の今後のことなど、前向きな話ができました。実現するかどうかわかりませんが、新しい展開ができるかもしれません。
 もう1つ、N社(何系メディアと言っていいのか。富士通サイトの仕事とかされています)のお2人とも話ができて良かったです。某大学陸上部OBの2人です。TBSにも多いのですが、陸上部出身者が活躍しているのはいいことですね。

 TBSのアナウンサーの方々や、山端ディレクター(早大競走部OB)たちのいるテーブルにも挨拶に行きました。テグでもずっと同じ部屋で仕事をさせていただいた方たちです。佐藤文康アナ(早大競走部OB)とは女子サッカーの話題をひとしきり。全日中優勝者の佐藤アナですが、元々は超有望なサッカー少年でした。
 「世界ふしぎ発見!」出水麻衣アナには、CDデビューのお祝いを申し上げました。世界陸上ということで“ひとし&まい”ネタ(誰と誰のことかわかりますよね)の話もしたかったのですが、それはテグで話したので控えました。
 テグで世界陸上の仕事をされて、会期の終盤に帰国されたと思ったらすぐにこの記事が出ましたからビックリしました。10月に入ったらネット上でも聴けるようになるようなので、同アナファンは楽しみにしていてください。

 高橋尚子さんとは、早狩実紀選手のことを少し話をさせていただきました。2人は同学年で、同じ関西の大学で競い合っていた間柄です。全日本実業団が行われた鳴門で1993年に開催された東四国国体は、2人が大学3年生のとき。3000mでは早狩選手が優勝して、高橋さんも9分10秒ちょっとで入賞されています。ちなみに早狩選手は800mにも勝って2冠を達成していました。これも、なかなか考えられない偉業です。
 早狩選手は週末に、北海道の高橋さんの農園に行かれるということです。
 瀬古利彦理事ともお話をしました。会場のスクリーンに川内優輝選手のVTRが映し出されて、そのなかのネタについて瀬古さんが話をされていたので、寺田なりに突っ込ませていただきました。多少、お酒の勢いもあったかもしれません。具体的な内容は、川内選手が福岡国際マラソンで活躍するときまでとっておきます。

 ここに紹介できたのはたぶん、全体の半分くらい。そのくらい多くの方たちとお話ができました。有意義な夜でした。


◆2011年9月30日(金)
 先週の全日本実業団(鳴門)以来、早狩実紀選手の東四国国体(1993年)成績を話題にしてきましたが、ここで正確に紹介しておきます。成年共通3000mに9分05秒65で優勝、成年共通800mにも2分10秒60で優勝しています。3000mは学生新記録でした。自己ベストではなかったのですが(高校3年時に9分03秒76の当時の高校新)。
 高橋尚子さんが3000mで9分14秒77で7位。自己新でした。5位には早狩選手の高校時代からのライバルだった鯉川なつえ順大監督の名前もありますし、1995年の世界陸上マラソン代表の盛山玲世選手が13位になっています。

 その他の種目にも、現在も指導者になるなどして陸上界で活躍されている方の名前が散見されます。
 大阪ガスの朝原宣治コーチが成年A男子100mで優勝、小野原英樹先生が同2位。準決勝で10秒19の日本新を出しています。等々力信弘陸連投てき部長は成年A男子ハンマー投で7位。翌年のアジア大会は代表になっているので、ケガか何かがあったのでしょう。城西大の土江寛裕監督が成年B男子200mで3位。早大の渡辺康幸駅伝監督が成年B5000mで優勝、高尾憲司さんが同2位。同種目では今も現役で頑張っている浜野健選手(トヨタ自動車)が10位に入っています。
 苅部俊二法大監督は成年共通400mで2位、ゴールドウインの稲垣誠司さんが同4位。近野義人順大コーチが成年共通800mで優勝。山崎一彦福岡大監督が成年共通400mHに優勝。資生堂の安養寺俊隆コーチが成年共通3000mSCで9位、NTNの逵中正美監督が同10位。山梨学大の柳沢哲コーチが成年共通1万mWで3位、富士通の今村文男コーチが同6位。日体大の小林史明コーチが成年共通棒高跳10位。日大の岡野雄司コーチが成年共通砲丸投で優勝していました。
 スズキ浜松ACの渡辺辰彦一般種目監督は少年A100m2位、高橋和裕先生は同5位。陸連事務局の平野了さんが少年A800m7位。石本文人さんが少年A5000m5位で、富士通の三代直樹広報が同17位。中京大の吉岡康典コーチが少年A110mH2位。カネボウでバリバリ現役の入船敏選手が少年A3000mSC4位。金沢星稜大の杉林孝法コーチが少年A走幅跳2位、ミズノの田川茂さんが同4位。現役の畑山茂雄選手(ゼンリン)が少年A円盤投9位、藤原潤選手(八千代工業)は記録なしです。
 やはり現役の為末大選手が少年B200m2位。佐藤敦之選手(中国電力)が少年B3000m7位、渋谷明憲選手が同8位。佐々木大志先生が少年B砲丸投9位。安田覚先生が少年共通棒高跳優勝です。

 長くなってしまいましたが、ここまで来たら女子も行きましょう。女子の方が少ないはずです。室伏由佳選手(ミズノ)が少年A円盤投2位、信岡沙希重選手(ミズノ)が少年B200m2位、棒高跳の中野真実選手(今治造船)が少年B100mH優勝、豊永陽子選手が少年B砲丸投優勝。ダイハツの山中美和子コーチが少年共通3000m3位、大島めぐみ選手が同6位。福本幸選手が少年共通走高跳2位。昨秋の国体で引退した花岡麻帆先生が少年共通走幅跳4位でした。

 今日はこんな記事も目につきました。男女混合レースの女子の記録の公認についてですが、こういう議論になることは目に見えていましたから、最初から混合レースを認めなければよかったのです。
 といっても、もう実施されてしまったものはどうしようもありません。過去にさかのぼって非公認となったら、別リストで残すべきだと思います。将来的に女子だけのレースの歴代リストと比べて、混合レースのトップ記録が歴代50傑に入らなくなったら、混合レースのリストも用なしになる。という時代が簡単に来るとは思えませんが。

 9月末日だからというわけでもないのですが、10月の取材スケジュールを色々と考えました。富士通の佐久間コーチに電話をして、塚原直貴選手や横田真人選手の出場試合を確認しました。明日の埼玉県実業団長距離記録会には柏原竜二選手ら東洋大勢と、藤原正和選手(Honda)が出場するという情報が入りました。世界陸上1万m金メダリストのジェイラン選手(同)もペースメーカーで出るそうです。
 現時点での予定ですが
1日(土)埼玉県実業団長距離記録会
2日(日)かわさき陸上競技フェスティバル
7日(金)〜11日(火)国体
15日(土)箱根駅伝予選会
16日(日)実業団女子駅伝中日本大会 ※検討中
23日(日)実業団女子駅伝西日本大会
28日(金)日本選手権リレー
29日(土)かわさき陸上競技フェスティバル
30日(日)日本選手権リレー

 を考えています。トラック&フィールドとロード関係が重なるのが10月です。忙しくなりますね。


◆2011年10月1日(土)
 東洋大川越キャンパスで開催された埼玉県実業団記録会の取材に行ってきました。東洋大、東海大勢が出るということで、最近の両校の記事や今年のインカレ、昨年度の各駅伝の成績に目を通しながら移動したので、寄り駅の東武鶴ヶ島まではあっという間でした。
 例年は鴻巣で行われている大会ですが、今年は市民イベントか何かと重なって鴻巣の競技場が押さえられなかったとのこと。一度、東洋大でやってみようということになり、電気計時の設備、電源の場所と数、アナウンスの設備など難問は多かったようですが、関係者の頑張りで開催にこぎつけました。
 昨日のうちに東海大の村澤明伸選手と早川翼選手は欠場という情報もありましたが、東洋大はトップクラスがほぼ出場するということでしたし、世界陸上金メダリストのジェイラン選手(Honda)がペースメーカーをすると聞いていたので取材に行くことに。東洋大・酒井俊幸監督や東海大・両角速監督の話が聞ければ、ロード用取材第一弾としては十分かなと思いました。

 東洋大に着いたのは16:50くらい。メインの5000mまで1時間くらい時間があったので、まずはトラックの外周を1回りして関係者に挨拶をして歩きました。両角監督には村澤&早川両選手が今日はパスして、15日(土)の静岡県長距離競技会に出場することを教えてもらいました。
 トヨタ自動車は佐藤敏信監督、安永淳一コーチ、辻大和マネージャーと3人で来ていらっしゃいました。安永コーチは元トヨタ自動車の岩水嘉孝選手(富士通)の結婚式から直行して来られたとのこと。
 小森コーポレーションの若倉和也監督には、ラストにあれだけ強かったダビリ選手が全日本実業団で勝てなかった理由を質問しました。「昨年から走りが変わってきています。ポンポンポンポーン(語尾を上げたイントネーション)という感じがなくなってしまった」と言います。これは、マラソンに取り組み始めたことも関係しているかもしれません。12月の福岡国際マラソンに出場するとのことです。日本選手では濱崎達規選手の調子が良いことも教えていただきました。

 旭化成東京の山本佑樹コーチには、1万mの27分台ランナーの数を確認しました。全日本実業団で日本人トップ(そのときは28分ヒト桁台で五輪B標準突破)となった深津卓也選手の印象が強かったので。
 現在、旭化成東京に在籍するのは(年齢順に)
・岩井勇輝選手(27分58秒03)
・大西智也選手(27分50秒72)
・深津卓也選手(27分56秒29)
・出口和也選手(28分20秒66)
の4人。以前東京にいた幸田選手は、マラソンをメインにするために延岡に移ったそうです。それにしても4人中3人が27分台というのはすごい確率です。そのメンバーに来季は、今年7月に27分44秒30を出した鎧坂哲哉選手(明大)が加わります。なんともすさまじいメンバーです。
つづく、予定

 メインの5000mはこちらに記事にしました。レース後に柏原選手の記者会見を設定してくれていたのは助かりました。出席したのはスポーツ報知のT記者(元箱根ランナー)とE記者、月刊陸上競技のY編集者と東洋大の学内新聞らしき記者、それと寺田でした。貴重な機会でしたから寺田も少し質問させていただきましたが、大変な失態をやらかしてしまいました。「3大駅伝で3位以内を目指しているそうですが…」という振りをしてしまったのです。これは東洋大ではなく東海大の方でした。東洋大は3冠を目指しています。電車の中で記事をしっかりと読んだつもりでしたが、付け焼き刃的な予習になってしまったようです。反省しています。

 続いて1万mが3組行われ、3組目には藤原正和選手が出場しました。世界陸上金メダリストのジェイラン選手という超豪華なペースメーカーがつきました。トップ集団は2000mから4人に。2人のほかには福山良祐選手(Honda)と小森コーポレーションの濱崎選手が残り、5600m付近までその4人の集団は崩れません。若倉監督の言われたとおり、濱崎選手の健闘が目立ちました。ちなみに、5000m通過は14分16秒(寺田の計測)。
 5600m付近でその濱崎選手と藤原選手が後れ始めました。一時は40mくらいは離れたと思いますが、7000m手前で追いつき再度4人に。そして7600m付近から藤原選手とジェイラン選手が他の2人を引き離し始めました。残り1周でジェイラン選手がリタイアし、藤原選手が1位でフィニッシュ(28分54秒くらい)。タイム自体は良くありませんが、藤原選手の“粘り”は見ることができました。
 レース後に「よく粘ったのでは?」と声を掛けると「全然です。28分30秒くらいは出したかったです。風が強かったですけど、もう少し頑張らないと」と藤原選手。この冬はマラソンの五輪選考レースが最大目標です(本人に確認したわけではありませんが)。東京マラソンかびわ湖マラソンを考えているそうです。びわ湖は2003年(当時中大4年)に2時間08分12秒の初マラソン日本最高記録で日本人トップになっていますし、東京は昨年優勝しています。「どちらも相性はいいので、気負いなく臨めると思います」
 オリンピックは04年アテネ、08年北京とチャンスがあったので、今回が3大会越しの挑戦ということになります。
「そうなりますが、自分としてはこれが最初で最後というつもりでいます。日本人トップとかではなく、しっかりと勝つことが目標。自分の力を出し切ればタイムもついてくると思っています。自己記録(初マラソンの2時間08分12秒)は出せます。今年の東京も最後に発熱しなければ出せたはずです」
 この冬は末續世代のマラソン選手である藤原選手の挑戦も、注目ポイントの1つです。

 藤原選手のあとは東洋大・酒井監督と東海大・両角監督のコメントも取材できました。酒井監督からは東洋大の現状だけでなく、柏原選手のある取り組みについて聞くことができました。これは、どこかで記事にしたいネタです。両角監督からも現状分析だけでなく、高校の指導との違いや、○○のときに何を見ているかなど、記者が少ないから聞けるようなことを取材できました。これも、いつか記事にできたらいいなと思います。
 この時期にここまで取材ができたのは大収穫です。有意義な一日になりました。


◆2011年10月2日(日)
 かわさき陸上競技フェスティバル2011の取材でした。一番の目的は招待男子800mですが、会場に着くと横田真人選手(富士通)は今日はペースメーカーで、10月10日の新潟で記録を狙うということでした。そうなるかもしれないという話は富士通から聞いていたので、慌てることはありませんでしたけど。
 メディアらしき人間は寺田だけ(あとで東京新聞も来ていたと判明)。インフィールドからの取材もできたので、カメラマンをやりながらラップも測ることができました。横田選手は200mを25秒12(寺田による手動計時)、400mを52秒26、600mを1分19秒91ときっちりと役割を果たしてリタイア。最後の直線で牧野康博選手(ユティック)が抜け出して1分49秒15で優勝しました。
 レース後の横田選手はウィグライプロを飲んでいました(その写真)。

 ペースメーカーを引き受けた理由を横田選手は「みんなで強くなっていくことが重要です。僕1人だけが(オリンピック、世界陸上などに)出るよりも、何人かが標準記録を切るようになった方がいい。いつもは自分がやってもらっていますし、今回僕がやることが、回り回って自分のためになる」と話してくれました。
 ペースメーカーをするのは初めてかと思って確認すると、今回で4回目でした。
「ホクレンDistance Challengeの800mと1500mで1回ずつやって、どちらも上手くできませんでした。遅くなってしまって。あとは昨年のサボーゲーム(フィンランド)の1500mでやったんですが、後ろがついてきてくれなくてペースを落としました」
 今回は設定通りのペースで引っ張り、優勝タイムこそ1分48秒台になりませんでしたが、慶大の後輩2人が自己記録を更新しました。こちらの記事で紹介しています。

 横田選手については今後の展望を取材をしようと思っていました。世界陸上の予選落ちを受けて、これからどんなトレーニングを積んでいくか。先週の全日本実業団で話を聞くことができなかったので、この大会がチャンスだと思っていました。
 世界陸上は「調整の失敗」と結論づけていました。準高地でのトレーニングで追い込んだこともあって、「体調管理に変に集中しすぎてしまった」と言います。陸上競技以外のこともマルチに活動するのが横田選手の特徴ですが、合宿で追い込んだら余計なことはしない方が良いと判断して、部屋に閉じこもっていたことがストレスになったようです。「気持ちが入りすぎました。競技と適度な距離感を置くのが僕の良さだと思っているんですが…。英会話に行ったりジムに行ったりして、ナチュラルな調整をした方がよかったかもしれません」
 もう1つ考えられる原因を話してくれましたが、これはもう少し後のタイミングで書くべきでしょうか。
 長期ビジョンについても話をしてもらいました。狙いとするのはトップスピードというよりもスピード持久能力の向上です。「未開発のそっちの方が伸びしろが大きいと思います。1500mでも3分40秒くらいで日本選手権に勝てるくらいの力をつける必要がある」
 細かい部分の話は何かの記事にするときに書きたいと思いますが、今日、その話を聞くことができたのは大きな収穫でした。

 招待男子800m以外にトップ選手の出る種目はありません。こちらに記事にしたように、この大会はジュニア層への普及を目的としたイベントです。しかし、よく知った顔も多数いらっしゃいました。
 講習会の講師を務めていたのは、記事でも紹介したように小島茂之さん、藤川健司さん、渡辺高博さん、田代章さん。皆さん存じ上げている方たちです。
 元選手では堀越勇介さんがスターターをされていました。48秒52の元中学記録保持者です。メディア関係では毎日新聞のISHIRO記者。走幅跳のピットで審判をしていました。
 メーカー関係ではミズノの中村薫さん、研究者では森丘さん。お2人はお子さんが競技に参加されていて、今日は父親の顔でした。
 驚いたのが日刊スポーツの岩屋さんがいらしたこと。岩屋さんが静岡支局時代によく、取材でご一緒しました。今は事業部だったでしょうか。「なんでここにー?」という感じで数年ぶりにお会いしました。
 お子さんは何度もこの大会に参加されていて、大会記録も複数個持っています。聞けば、岩屋さんの奥様はバスケットボールの五輪選手。静岡支局時代に取材を通じてお知り合いになったそうです。お子さんが陸上競技をやるかどうかはわかりませんが、もしも将来強くなったらと思うと、楽しみですね。
 招待種目以外でも色々な方とお話ができて充実した一日でした。

 取材終了後は武蔵中原駅まで歩いて行きました。以前はバスで武蔵小杉か溝の口に出ていましたが、日本選手権混成のときに武蔵中原まで歩いていけることを発見したのです。
 駅の近くのドトールでまずはメールの返信。メールといっても、色々と考えたり、計画を立てて返事をしないといけない案件もあり、30分以上かかったように思います。一段落したら睡魔に勝てず、20分くらい寝てしまいました。
 起きてツイッターで今日の結果をつぶやこうと思ったら、すでに横田選手、中距離の近野義人コーチ(1分46秒22の日本歴代3位記録保持者)、ISHIRO記者がつぶやいていました。きっと皆さん、スマートフォンを持っていて、競技場でつぶやいたのでしょう。寺田も携帯からつぶやくことはできるのですが、あんまり携帯でネットを見ると費用がかかってしまいます。かといってスマホを持つほどスマートな人間でもありませんし…。


◆2011年10月4日(火)
 ビッグニュースが飛び込んできました。末續慎吾選手(ミズノ)がレースに復帰していたことが判明したのです。
 午前中にツイッターを読んでいたら齋藤仁志選手が「末續さんが!!気合いが入るぜ!!」とつぶやいていたので、“これは”と思って調べたら、熊本市陸協のサイトに熊本市記録会という大会がありました。10月1日の開催。先月29日の日記で、“全日本実業団のリレーで復帰するのがいいのではないかと思っていた”と書きましたが、そうでなければローカルな記録会だと思っていましたから、“これだ”と思ってクリック。
 成績一覧表の100mの欄に末續選手の名前を見つけたときは、“来たか!”と声に出しそうになりました。懐かしさも少しありましたが、それを上回る衝撃のようなものもありましたね。10秒87で1位。風の表記はなし。
 さっそく寺田的のトップページで紹介しました。

 ツイッターに戻ると齋藤選手のつぶやきに同学年の藤光謙司選手が「マジか!ついに始動か!」塚原直貴選手は「やっと走ったんか!」と反応。為末大選手もアメリカから「ああ涙が出そうだ」とつぶやきました。ここまでは末續選手復帰に対する、各選手の率直なリアクションです。トップ選手たちがこうした反応をするのですから、衝撃の大きさがわかると思います。
 しばらくすると齋藤選手が「ありがとう、末續慎吾さん。僕はやりますよ」、藤光選手が「復帰を聞いて嬉しいと同時になんだか緊張してきた。」、そして塚原選手が「負けねーぞ」とつぶやきました。末續選手復帰を受けて自身がどうするか。その手の反応が選手たちの間から出てきたわけです。

 大手メディアは情報をつかむのが遅れた格好ですが、これだけのニュースを無視するわけにはいきません。
 夕方には共同通信と時事通信が末續選手が“1日に復帰していたことが判明した”と報じました。共同通信は高野進強化委員長のコメントや末續選手自身のコメントを、毎日新聞は今季はもうレースに出場する予定がないことなど、取材した情報も載せていました。この辺は大手メディアのしっかりとしたところです。

 記録の評価は何とも言えません。風など気象条件がわかりませんし、何より、丸3年間試合に出ていなかったスプリンターが復帰したときの目安とするタイムがないのです。かなり以前に女子100 m元日本記録(11秒73)保持者の阿万亜里沙選手が、何年かぶりに現役復帰したことがありましたが、復帰戦のタイムはちょっと調べ切れません。
 今季のレースに出ないということは、末續選手は1レースを走ったことで、やることが見えてきたということでしょう。来春の本格復帰が楽しみです。冬期に海外の室内レースに出るという、意表をつく手もありますね。
 先ほど紹介したように短距離のトップ選手にも火をつけました。末續選手の復帰は間違いなく、日本短距離界にプラスに働きそうです。


◆2011年10月5日(水)
「どちらが年上に見えたんですか?」
 あるベテラン女子選手から、同学年の男子選手と比較してどうなのか、と質問されました。皆さんならどう答えますか?

 今日はセカンドウィンド会報誌の取材でした。嶋原清子選手と、ベルリン・マラソンで自己記録を大幅に更新する2時間28分49秒で走った大久保絵里選手へのインタビュー。14時にセカンドウィンドビルに行くと、平田真理コーチがブーツを履いていて季節を感じました(雨だから?)。
 嶋原選手は昨年のアジア大会後、引退しようかどうしようかと迷っていた時期があったそうです。東京マラソンではそれが結果に表れてしまいました。今はその心理状態から脱して、競技でしっかりと結果を出そうとしています。その辺のことを中心に話を聞かせてもらいました。
 取材が終わったあとに1日(土)の国体開会式で炬火ランナーを務めたことを雑談で話していました(テレビで拝見しました)。嶋原選手が山口県出身(周防大島)で、07年世界陸上大阪大会6位など、世界で実績を残してきた選手ということで白羽の矢が立てられたのでしょう。同じく炬火ランナーを務めた油谷繁選手も山口県出身で、01年世界陸上エドモントン大会、03年世界陸上パリ大会、04年アテネ五輪と3大会連続5位の実績の持ち主です。
 その2人の接点は何かないかを質問したら、油谷選手の中国電力がよく周防大島で合宿をしているので、自分よりも周防大島に行く機会が多いのだと教えてくれました。その話の流れで2人が同学年だと嶋原選手から聞かされたときに、そのイメージがなかった寺田がビックリしてしまったのでした。
 それで冒頭の質問を受けることになったのです。「どちらが年上に見えたんですか?」と。それはもう、「油谷選手ですよ」と答えるしかないじゃないですか。

 本当は少し迷いました。油谷選手もちょっと童顔なので。ただ、寺田の中のイメージでは油谷選手の方が先に活躍した選手でした。実際、3大会連続5位は2001〜04年です。嶋原選手が2時間26分台を出したのは2004年11月の東京国際女子マラソンですし、世界陸上入賞は前述のように2007年でした。その辺を瞬時に頭の中で確認して、「油谷選手の方が早くに活躍したこともあって、年上だと思っていたんです」と口にしました。
 早く活躍した選手の方が年上に見える――この説を裏付ける事実がもう1つ、嶋原選手の話の中に出てきたのはラッキー(?)でした。やはり山口県出身の市川良子さんも同学年だというのです。市川選手は96年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪の5000m代表。3人の中では一番年上というイメージでした。ただ、市川選手も若く見えるので、外見だけでイメージするとあれなのですが。
 ということで他の山口県出身選手たちの学年も確認しました。アテネ五輪マラソン代表の国近友昭選手が3つ上で、櫛部静二城西大監督は5つ上。200m前日本記録保持者の信岡沙希重選手が1つ下だということです。

 山口ネタの紹介が長くなってしまいましたが、取材した時間は大久保選手の方が長くなりました。1年ちょっと前に取材をさせてもらったことはあったのですが、そのときはSkype(映像付きのインターネット電話)取材でした。ということで一から取材をし直す…のはどうかと思いまして、かなり予習をして取材に臨みました。
 マラソン出場は今回のベルリンで16回目です。先月26日の日記で“セカンドウィンドAC待望の若手有望選手の誕生です”と書きましたが、大久保選手の年齢は28歳。普通の尺度でいったら若手ではありませんが、嶋原選手を筆頭に尾崎朱美選手や加納由理選手(資生堂に移籍)など、ベテラン選手の活躍が当たり前のセカンドウィンドACでは若手といってもいいのかな、と思っていたのです(本人はあまり若手という意識はないようでしたが)。
 大久保選手もこれまで、小出義雄門下だったことなどで注目されてことはありましたが(スポーツ報知記事)、活躍があったわけではありません。“早く活躍した選手の方が年上に見える”説の一例かもしれません。


◆2011年10月6日(木)
 今日は12:30から都心である会議に出席。一昨日は夜に渋谷で食事会があり、昨日はセカンドウィンドビルで嶋原清子選手と大久保絵里選手を取材しました。そして今日と、3日連続で都心に出たのは久しぶりです。
 16:00に会議は終了し、近くのタリーズで昼食をとり、本サイトの更新を行っていたら17時近くに。山口(国体取材)に行く新幹線と在来線の時刻を調べたら、18:10東京発が最終とわかり、慌てて東京駅に向かいました。新山口停車ののぞみが1時間に1本しかないので、その前は17:10発なのです。

 車内ではまず、大会5日目の行動をあれこれと検討しました。場合によっては5日目の取材をとりやめて、別の取材に変更する可能性があります。山口のホテルからどう移動したら間に合うかを調べました。
 新横浜を過ぎたあたりで睡魔に襲われて、眠ったり目が覚めたりの繰り返し。無線LANのつながり方が弱くて、ホームページがなかなか表示されないので、ついつい眠くなってしまったのです。名古屋まではあまり仕事ができませんでした。
 名古屋に着く少し前から頭を切り換えて日記を書き始めました。末續慎吾選手復帰が話題となった4日のものも、インターネットで調べながら書こうと思ったのですがなかなか進められません。新大阪で無線LAN接続はできなくなるので、不明な部分はそのままにして書き進めました。
 新神戸を過ぎたくらいから昨日の山口ネタ日記を書き始めました。在来線で山口に着くまでに一通りは書き終えました。
 山口駅に着いたのが23:10。ホテルまではかなりの距離があって、もちろんバスの便もすでになく、タクシーで移動せざるを得ませんでした。2000円近くかかったのはちょっと痛かったです。ホテルの代金も国体料金ということで通常よりも1泊1500円高くなっています。ホテル側としては国体に協力すると、一般客を泊められなくなりますからね。
 カードで精算できないと言われてちょっと慌てました。最近は現金をあまり持ち歩かなくなっています。


◆2011年10月7日(金)
 国体1日目の取材です。競技場に行ったらビックリ。維新百年記念公園陸上競技場のスタンドが改装されていました。山口県でトラック&フィールドを取材するのは初めてですが、全日本実業団ハーフマラソンの取材で5、6回は来たことがあります。皇子山や平和台のような小ぶりのスタジアムでしたが、ホームストレート側のスタンドがかなり大きくなっていました。
 プレスルームに行ってまたビックリ。スタンド外側の外周部分にパーティションで区切られて設定されていました。真上はスタンドがあるのですが、斜め外側は空です。陽射しはきついし(午前中だけかもしれません)、雨が降ったら間違いなく部屋(?)中びしょびしょになりそうです。聞けば競技場から離れた場所にプレハブが建てられることになっていたのですが、遠すぎるという要望が出てスタンド裏になったとか。雨さえ降らなければなんとかなりそうなのですが。

 10:00にフィールド2種目の決勝が競技開始。少年Bの女子走幅跳と少年共通女子円盤投。今日は午後に成年男子走幅跳もありましたが、参加人数は26人と29人。以前は予選を行っていましたが、今回は予選がなく、AB2ピットで3回目までを行い、ベストエイトに入ってから同じピットで行う形式でした。
 昨年は国体取材に行っていないので、ひょっとしたら昨年からその形式だったのかもしれません。このやり方の方が運営は効率的になります。
 10:30からは少年A女子100 m、少年A男子100 mと続きました。インターハイを見ていないので、木村茜選手や梨本真輝選手、大瀬戸一馬選手の走りを生でしっかりと見させていただきました。中学生から実業団選手まで、各カテゴリーの選手を一度に見られるのが国体の特徴です。

 少年Aの男女100 m予選後は、会場内をあちこち歩き回りました。選手たちの動線を確認したり、国体の雰囲気を味わうためです。サブトラックは今回も入ることができませんでしたが、各県のテントはサブトラックの外に設置されていたので、コーチ陣との接触はできそうです。メディアへの配慮なのか、たまたまそういうレイアウトしかできなかったのか。
 サブトラックの入口で東海大の植田コーチと少しお話をすることができました。今日走幅跳に出場する小西康道選手のことも聞かせていただいたのですが…。
 地元の物産を展示販売するブースや、各メーカーのブース、食事&休憩所などは例年と同じ雰囲気ですが、地元のお店の呼び込みに活気がありました。
つづく、かな

 最初にコメントを聞いたのは成年男子砲丸投。地元の大橋忠司選手(チームミズノアスレティック)が3位に入りました。今年はなかなか調子が上がらず山口関係者もかなりやきもきしたと思われますが、本番で17m65(6投目)のシーズンベストをマーク。畑瀬聡選手と村川洋平選手の18mコンビに次ぐポジションを確保しました。
「山口にお世話になって4年間、最後の投てきで良い投てきができてよかった」と、ホッとした表情を見せていました。
 17m82(5回目)で2位の村川選手「あの雰囲気だったら投げないといけない」と、6投目に記録を伸ばせなかったことを悔やんでいました。畑瀬選手と大橋選手は6投目にシーズンベストをマークしたのに、村川選手だけが記録を伸ばせませんでした。フィールド種目には好記録が続く回があります。条件が良くなるなど外的要因もあるのですが、選手同士が刺激し合ってモチベーションが上がることも、好記録誕生につながるようです。特に投てき種目は、ケガと隣り合わせということもあり、そういったモチベーションがリミッターを外す引き金にもなるようです(投てき種目の中でもやり投が顕著です)。
 畑瀬選手は3月に左脚の腓骨骨折をして、今季の試合は今大会が3試合目。5月の東日本実業団の16m台がシーズンベストでしたが、6回目に18m15と大きく更新しました。東日本実業団には出ましたが本格的に練習が再開できたのは7月だったそうです。
「4カ月練習ができなくても18mを超えられました。日本記録は行きますね。でも、日本記録を狙うというよりケガをしないことです」

 少年A男子5000mは横手健選手(作新学院高)が14分04秒49で優勝。ラスト1周が57秒97(寺田の手動計時。58秒0ですかね)と高校生としてはかなりのスピードです。が、ラスト勝負に頼った走り方ではなく、中盤では積極的に前に出てペースを上げていました。日本人トップだったインターハイでも、留学生選手について行き、後半で引き離されても粘る展開だったそうです。
 インターハイ1500m優勝者の戸田雅稀選手(東農大二高)にも注目していましたが、23位に終わりました。

 続く成年女子5000mは新谷仁美選手(佐倉アスリート倶楽部)が引っ張る展開。新谷選手のこのスタイルはすっかり定着した感じです。ただ、今日はリードを奪えず西原加純選手(ヤマダ電機)、正井裕子選手(日本ケミコン)、吉本ひかり選手(佛教大)らが追走して7〜8人の集団で進みました。
 残り800mで西原選手が前に出て新谷選手が後れ、残り300 mでスパートして逃げ切りました。ラスト1周は66秒61(寺田の手動計時)。15分23秒80とロンドン五輪B標準を突破しました。2位の正井選手が31歳で自己新です。これもすごい。吉本選手が3位。
 西原選手と吉本選手は佛教大で1学年違いですが、5000mと1万mへの意識は対照的だったようです。西原選手は「5000mは1人でもペースメイクできますが、1万mは全部1人で行くのはきつい」と話しています。それに対して1万m学生記録保持者の吉本選手「去年から5000mは記録も出ていないし、あまり頭にありませんでした。全カレも1万mに出たいと言わせてもらいましたし」ということでした。しかし吉本選手は、「今日走ったことで5000mへの意欲が大きくなりました」と言います。

 少年B女子100 mは木村茜選手(京都橘高)が11秒87で優勝。予選で11秒76(+0.8)のシーズンベストを出しましたが、自己記録には届きませんでした。木村選手のコメントを少し聞きましたが、すぐに男子のレースが始まってしまいました。
 男子はインターハイ2冠の梨本真輝選手(市船橋高)が前半でリードしましたが、後半で大瀬戸一馬選手(小倉東高)が逆転。記録は10秒52(−0.1)と10秒58でした。男子の方は大瀬戸選手と梨本選手の2人のコメントを聞くことができましたが、大瀬戸選手の方をもう少し聞けたら良かったかな、という反省があります。

 最後の種目は成年男子走幅跳。菅井洋平選手の優勝は予想されたことですが、記録は7m85(−0.1)でした。取材が難しい結果になったな、と思いました。菅井選手の優勝はクローズアップできる部分です。高校3年で初めて全国大会に優勝したのが国体でした。そのときは3人の有力選手が注目されていて、菅井選手が勝つとは誰も思っていなかった大会でした。成年でも3回勝つなど国体に強い選手です。
 その一方で、今の菅井選手がロンドン五輪の標準記録を目標にしていることも、今季の一連の取材で聞いていました。というか、五輪標準記録に達しなかったらがっかりしていることは容易に想像できました。しかし、国体で優勝した場合は、地元地方紙が大きく扱いますから、優勝を評価するような方向で取材が進みます。
 という心配をしていましたが、そこはなんとかするのがこちらの仕事です。幸い、菅井選手が開口一番「こんなにすっきりしない優勝はないです」と話してくれたので、ロンドン五輪標準記録の話をすることができましたし、優勝したことを盛り上げるための質問もしました。一面だけを質問するというのもよくありませんから。

 ということで1日目は終了。夜はスカイプでセカンドウィンドACの川越学監督に電話取材をしました。


◆2011年10月8日(土)
 国体2日目の取材です。おそらく今日が一番忙しくなったと思われます。決勝種目数も多いですし、有望種目も多かったですから。
 最初にコメントを取材したのは少年B男子砲丸投。今年に入って岸本雄介選手と武田歴次選手が、6kgで高1最高を投げ合っています(今大会は5kg)。インターハイで武田選手が15m73を投げると、インターハイに出られなかった岸本選手が9月の近畿高校ユースで15m93。そして10月1日には武田が16m05です。ちなみに2人が中3だった昨年は夏の全日中は岸本選手が2連勝し、秋の国体少年Bとジュニアオリンピックは武田選手がともに中学新で優勝しました。
 今日は岸本選手が優勝。昨年武田選手がマークした大会記録も17m18と更新しました。2人のライバル関係を取材しようと思ってコメントを聞きました。
「18m行くつもりでした。(武田も)いつでも(17m台を)投げてくると思っていましたから。来年は6kgで最低17mを、3年時には高校記録(18m02)を出すのが目標。武田も17mは絶対に来ると思います」
 積極的に武田選手のことを話したというよりも、記者たちの問いかけに答えたことをまとめるとこうなるという感じです。どちらかというと、「来年は絶対に僕がインターハイをとります。全日中2連覇、インターハイ2連覇をしたい」というように、自身の目標を積極的に話してくれました。

 次はお昼の栄章授与式の後に、室伏広治選手のカコミ取材がありました。室伏選手の話の中に出てきた新しいネタは2つ。1つは世界陸上後にヨーロッパを歴遊しましたが、その際に「どうしても診てもらいたい理学療法士の方に会えた」といいます。チェコ人の有名な方で、「長年同じ動きを繰り返すことで正常でない動きになってしまっています。それをどう直すか。脳や脊髄という中枢神経のところからアプローチしようと思っています」。室伏選手はこれまでも、より元の部分の動きが重要というスタンスでやってきましたが、ついにそこまで来たか、という感じです。
 もう1つの新しいこととは「具体的にはまだ表だって言えませんが、道具のことで考えていることがあります」と言います。
 室伏選手の進歩はとどまるところを知りません。

 風向きが一定しない今大会ですが、午後のトラックはホームストレートがだいたい追い風になりました。100 mの記録も少しずつ良くなって来ました。成年男子100 m準決勝3組は1.8mの追い風にも恵まれ江里口匡史選手が10秒16とロンドン五輪A標準を突破。2組の山縣亮太選手と川面聡大選手も10秒35の同タイムと良い感じ。2人とも10秒30が自己記録ですが、その更新があるかもしれないと思わせました。
 3組目が終わった後にミックスドゾーンに。決勝が控えているので話は聞きませんが、江里口選手の表情を見るためです。寺田は間に合いませんでしたが、「よっしゃぁ、朝原さんの記録超えたぁ」と話ながら引き揚げてきたそうです。“朝原さんの記録”とは、コーチの朝原宣治さんが1993年にマークした10秒19の大会記録のことで(当時日本新)、それを超えればA標準(10秒18)も破れると考えていたようです。

 午後最初にコメントを聞いたのが少年A男子400 mHに優勝した松本岳大選手(加古川東高)でした。50秒76は高校2年生歴代2位。高2歴代最高に0.05秒と迫る好タイムでした。「狙っていたのは51秒19。小池さんの持つ兵庫県高校記録です」。小池崇之選手は2002年の国体少年共通400 mHの優勝者で、順大を経て現在はミズノトラッククラブで頑張っています。今回、その小池選手からもアドバイスを受けたそうです。
 7月の世界ユース銅メダリスト、8月のインターハイ2位の同選手ですが、インターハイ後にハードル間の歩数を変更したそうです。インターハイまではオール15歩でしたが、その後は5台目まで14歩に変更。「15歩では詰まってスピードが上がらない」という理由から。偶数にすると逆足踏み切りが入ってきますが、「今日は完璧だった」と言います。ただ、利き脚で跳んだ9台目で着地した際にバランスを崩すシーンも。「9〜10台目で届かなかったことがあったので、ハードルを跳んでインターバルを稼ごうとました。伸びしろとして残しておきます
 高2最高は「次で狙いたい」、来年は「厳しいけど49秒台を」と言います。

 今日2人目の“岸本”選手も取材しました。成年男子400 mHの岸本鷹幸選手。49秒6台のタイムに反省しきりでした。ただ、今季は日本選手権前に左のハムストリングを負傷。そのなかで日本選手権優勝、ユニバーシアードでメダル獲得、世界陸上準決勝進出、そして日本インカレ優勝、国体優勝と安定した成績を残したことは評価できると思います。
 そこからは決勝種目が続いて大変でした。
 少年B女子100 mの土井杏南選手、成年女子100 mの福島千里選手、成年男子100 mの江里口匡史選手と話を聞きましたが、成年男子100 mはスタンドに戻ることができず、ミックスゾーン脇のモニターで見ることに。福島選手が今季最後の個人レースだったので、しっかりと話を聞いておこうと思ってコメント取材を優先していたら、男子で好記録が続出ししました。
 江里口選手がA標準。100 mで世界陸上に出られなかったという経緯もありましたから、取材の重要度はこちらの方が上になります(記録の価値では、日本記録に0.03秒差に迫った福島選手の上かもしれませんが)。江里口選手のコメントもしっかりと取材しました。
 慌ただしかったコメント取材の合間に、ちょっとした間が生じました。ふと見ると安孫子充裕選手が地方紙記者らしき方から取材を受けていたので、そこに加わりました。シーズン前半の不調から抜け出していたので、その経緯を聞いておきたかったのです。
「(不調の原因は)ピッチ寄りの走りに頼りすぎていたこと。それで進めなくなっていました。オーバーストライド気味のマーク走をすることで、1歩1歩確実に進むようになりました」
 4×400mR代表だった北京五輪から早くも3年。来年のロンドン五輪は「200mで行きたい」と言います。4×400mRは「行けと言われたら行きますよ。マイルの準備はしませんが、トレーニングの結果でマイルも走れるようになれば」とのこと。五輪イヤーに向けて注目したい選手です。

 あまりに慌ただしかったので、2位の川面聡大選手が10秒22の自己新だったことに、本人から言われるまで気づきませんでした。五輪B標準も突破です。3位の山縣亮太選手も10秒23でB標準突破。山縣選手は大学1年生なのでジュニア日本記録です。10秒24のジュニア日本記録を更新しました。ジュニア日本記録はあの高橋和裕先生が1994年の富山国体で出したもの。17年ぶりです。両方とも見た記者は…何人かいますね。
 山縣選手は4月に、九鬼巧選手との対談取材をさせてもらいました。これは話を聞いておかないと。表彰の後にきっちりと話を聞かせてもらいましたが、同選手の話はかなり高度ですね。できれば記事にしたいと思っていますが、感覚的なところを書くのが難しいかも。


◆2011年10月9日(日)
 国体3日目の取材でした。
 最初に話を聞いたのはなぜか成年男子400 mの予選後。廣瀬英行選手が予選2組4位で48秒01もかかったので、ビックリしてミックスゾーンに行きました。廣瀬選手は6レーンで、最初は7レーンと8レーンの選手がものすごく飛ばしているなと思ったのですが、実際は廣瀬選手のスピードがまったく上がっていませんでした。聞けば「3週間前にアキレス腱を痛めた」とのこと。走る練習はほんの少しだけで、ウエイト系の練習しかしてこられなかったようです。
 廣瀬選手に話を聞きに行ったのにはもう1つ目的がありました。大学4年生。10月になったのでそろそろ就職先を公表できるかもしれないと思ったのです。決まっていてもまだ発表できないケースも多いのですが、「富士通に決まりました」と廣瀬選手。内定式もすませたということで問題ないと思いましたが、念のため富士通の佐久間コーチに電話をして、書いても大丈夫となりました。
 齋藤仁志選手も予選落ちだったのでコメントを聞きました。400 mは毎年出ていて、その後のトレーニングの指標にしているのだそうです。今回の走り(50秒48)からは「完全に練習不足」ということがわかったそうです。もちろん、それだけではないと思うのですが。
 齋藤選手には、末續慎吾選手復帰の情報をどう知ったのかも聞きました。寺田の知る範囲では齋藤選手が最初にツイッターでつぶやいていたので。その経緯を聞くことにプラスして、ソーシャルネットワークを選手がどう活用しているのか、活用できるのかを質問しました。
 目的の1つは冬期練習などの刺激にすること。トップ選手はそれぞれの拠点でトレーニングをしていますが、各々の練習拠点では自分が一番強いケースがほとんどです。ついついあぐらをかいてしまうこともあるのですが、それを避けるために“こんな練習をした”とつぶやくことで、お互いに刺激を与え合うことができるといいます。実際、齋藤選手はテグ世界陸上前に他のリレーメンバーを鼓舞するようなメッセージをつぶやいたそうです。「陸上界の底上げをしたい」と言っていました。
 他にも、「自分たちの考えを知ってもらいたい」という意図もあると言います。

 次にコメントを聞いたのは少年共通走高跳2位(2m12)の平龍彦選手。場内アナウンスで優勝と聞いて行ったのですが、実際は試技内容差で2位でした。これは、よく確認しなかった寺田が悪いのですが。
 話を聞いたのは平選手が、オートレーサーの平忠彦氏の長男だと記事で読んでいたからです。レーサーとジャンパーで、何か共通するものがあるのかと思い、「アスリート同士の会話のようなものがありますか」と質問をしました。「特にそういうのはないですね」という平選手の答えでした。
 しかし、「競技のアドバイスはありませんが、『適当にやれ』と父からは言われます。“だらしなく”でもなく、“気張る”ことでもなく、という意味です」というエピソードを教えてくれました。これも一種の競技観かもしれません。

 平選手の取材の前に成年男子1万mWが始まっていました。ラップが計測できたのは2400mまでで、その後はミックスゾーン取材と掛け持ちしながら見ることに。
 その間に女子走幅跳が終わって2連勝した岡山沙英子選手のテレビ・ミックスゾーン用のコメントを取材(スピーカーで音声だけ聞き取れます)。広島出身の岡山選手が山口県代表ということで、中国新聞の中橋記者も一緒でしたが、ペン記者用の取材はリレーの後ということに。
 3位の木村文子選手のコメントもパパッと聞くことができました。走幅跳とハードルの2種目が行われると走幅跳の成績が悪くなるケースが多い同選手ですが、今回は走幅跳でもきっちりと結果を出しました。「同じ日でなければ大丈夫です」と木村選手。

 男子1万mWは全日本実業団に続いて藤澤勇選手が優勝。今回も鈴木雄介選手、森岡紘一朗選手という世界陸上入賞(=ロンドン五輪代表)コンビを抑えました。さらに、終盤まで鈴木選手と競り合っていた西塔拓己選手が40分44秒70のジュニア日本新。4人とも話を聞いておきたいところですが、さすがに4人は無理です。と思っていたら聞くことができました。
 まずはミックスゾーンで森岡選手のコメントを取材でき、続いて鈴木選手もパパッと聞くことができました。インタビュールームに移動して藤澤選手のカコミ取材に加わることができした。同選手は全日本実業団でも話を聞いているので、カコミ取材の途中で西塔選手のところに移動して、西塔選手のコメントも聞くことができたのです。
 これはまだ、決勝種目が立て込んでいなかった時間帯だからできたと思うのですが、取材する側としては助かりました。4人聞けることはまずないですからね。日本選手権だと記者の数も多くて身動きがとりづらいこともありますが、1種目1人しか聞けないことがほとんどです。運が良くて2人ですかね。

 少年A男女の400 m準決勝があり、その次の少年B女子100 mHですごい記録が生まれました。福部真子選手(広島)が13秒62(−0.6)。大会新記録と共にユース日本最高記録、2011年世界ユースリストの11位タイの快記録です。
 テレビ用ミックスドゾーンのインタビューだけ行われました。リレーがあるのでペン用はやはり、リレー後の表彰式の後ということに。テレビ用インタビューで「寺田(明日香)さんの大会記録に準決勝で並んで、決勝で更新できたのは嬉しいです。でも13秒3台とかを狙っていたのでちょっと足りなかったです」というコメントがありました。13秒3台と聞いてえっ? と思いました。言い間違いか聞き間違いかもしれません。表彰式後にも取材しないといけないな、と思いました。

 成年女子1500mは予想通りに、陣内綾子選手(佐賀)と久保瑠里子選手(広島)の800m選手同士の争いに。久保瑠選手は全日本実業団の800mで圧勝しています。福部真子選手に続いて広島勢の優勝かと思いましたが、陣内選手が九州女の意地を見せました。ミックスドゾーンに陣内選手の話を聞きに行きました。
「それまでは上位に入れば格好がつくかなと思っていましたが、少年共通男子800mで佐賀が優勝したので、これは優勝以外は負けだな、と思いました。佐賀県が2種目に優勝するなんて初めてなんです
 佐賀の2種目優勝が初めてと聞いて「えっ?」という顔をすると、「そうらしいですよ」と陣内選手。完全に調べないと断定はできませんが、とにかく近年ではなかったということです。“中距離の佐賀”と言われるようになる日も近いかもしれません。
 インタビュールームでは6位の小原怜選手(岡山・天満屋)のところに。これは駅伝用に話を聞かせてもらいました。全日本実業団のときと同じで、実業団駅伝公式ガイドを発行する毎日新聞・井沢記者が圧力をかけてきたわけではなく、寺田の自発的な取材です。小原選手は2日前の5000mにも出場して7位でした。
 天満屋は中村友梨香選手と重友梨佐選手、昨年の駅伝で3区と5区を走った両エースの調子が上がっていません。その状況でも小原選手が今季、安定した走りを見せています。日本選手権では1500m3位、5000m4位。昨年は2区で順位を落としてしまいましたが、今季は有力チームの監督たちも警戒する存在になりました。


 つづいて男子1500mの選手たちがインタビュールームに。村上康則選手の回りに記者たちの輪ができました。福島県選手の優勝ということで、震災にからめた話を記事にしたいと多くの記者が感じたのだと思います。村上選手のコメントは後から入手することにして、寺田は5位(3分44秒07)の小林史和選手のところに。日本記録保持者もすでに33歳。
「年齢的にスタミナが補えなくなっているので、最近はスプリント勝負に持ち込みたいのですが、今日は久しぶりに速いペースでしたね。でも、最後まであきらめず、ちゃんと走り切れました」
 日本選手権の際に今季を最後に引退をするかもしれないと話していたので、それを確認したところ、決定していることだといいます。
「そろそろ指導する側にということで、コーチングの勉強をすることにしました。会社からは日本選手権を最後にするか、というように言われましたが、トラックシーズンの最後までやりたいという希望を通させてもらいました。岐阜から出るのは高3以来ですが、良い雰囲気でテンションが上がりました」
 今季の小林選手は日本選手権4位、全日本実業団4位、国体5位という成績。引退を決めるとモチベーションが落ちて、練習もなかなか追い込めないケースが多いのですが、小林選手はきっちりと結果を残しています。
「それだけ1500mが好きなんです。理想をいえば“勝ち逃げ”したかった。(調整だけでなんとか走るような)やっつけ仕事はいやなんです」
 ラストランは月末のかわさき陸上競技フェスティバル。日本選手権の入賞メンバーに上野裕一郎選手も加わる可能性もあるとか。
「みんな“小林さんをこてんぱんにやっつけてやろう”と思って出てくれる。日本記録ペースで進むようですが、それに挑んで、後半バテても完全燃焼したい」
 秋シーズンになるとこの手の話が出てくるのは仕方ありません。日本の中距離界から好漢が1人いなくなると思うと寂しいのですが、一時代を築いた小林選手の走りを最後まで見届けたいと思います。

 男女の成年1500mが終わるとトラックは男女の成年少年共通4×100 mRがあって、女子が終わると少年B女子100 mHの表彰があり、福部真子選手の話を中国新聞・中橋記者の隣で聞くことができました。
 目標としていたのはやはり、13秒3台だったそうです。ユース用では14秒23がベストでしたが、インターハイで13秒74を出していますから、ユース用でそのくらいを目標にしても不思議ではないですね。
 ある指導者に言わせると、福部選手の抜き脚の動きは絶品なのだそうです。この年代の選手は抜き脚の接地でストライドを稼ごうとするため動きが鈍くなるのに、福部選手はそれがない。福部選手自身も「着地を速くすることを頑張りました。ユース用は着地を速くしないとさばききれません」という話をしていました。福部選手が話したのがリード脚なのか抜き脚なのか確認しなかったのが、こちらの痛恨のミスです。
 来年は「できれば13秒台前半が目標。2年生のうちに高校記録(13秒39)も破りたい」と言います。2年前のジュニアオリンピックで取材をしたときは、しっかりした話し方をする選手だな、という印象が強かった選手ですが、わずか2年でここまでの存在になるとは。若い選手の成長はすごいですね。

 つづいて、やはりリレー後に表彰のあった成年女子走幅跳優勝の岡山沙英子選手の話を聞きました。
「(五輪B標準の6m65は)ゴールデングランプリ川崎のときに行けると感じましたが、もうちょっとですね。今日も皆さんの応援の勢いで行けると思ったのですが、力不足でした。(そのためには)踏み切りのタイミングの改善をしたいと思っています。さばきから踏み切った瞬間の脚の出方、手の出方のタイミングが、すごく遅れています」

 最後は成年男子棒高跳でした。5m50から跳び始めた澤野大地選手が記録なしに終わりましたが、ミックスドゾーンでカコミ取材に応じてくれました。長時間待たされたからか? という質問に対しては「ずっとやってきて慣れていることですし、わかっていたことですから」ときっぱりと否定。どこが悪かったのか、という質問にも、言い訳がましくなると感じたのか明確に答えませんでした。
「来月また試合があります。もう1回しっかりと考え直し、こういう試合でも跳べるようにしないといけません」
 11月の試合とは3日の水戸招待。昨年は国体で記録なしに終わった後、水戸で5m60を跳びました。今年は5m60と言わず5m70、80と跳んで、実力のあるところを見せつけてもらいたいと思います。
 優勝は5m50の荻田大樹選手。全国Vは久しぶりのような気がします。2008年に5m56の学生記録を跳んだ後、09年は5m50、10年も5m50、そして今年も5m50が年次ベストです。停滞している理由を質問しました。
「以前は踏み切り足が1足半入って踏み切るスタイルでした。5m56のときも2足くらい入っていたんです。でも、それだと体にかかる負担が大きい。踏み切りを真下にして反発をもらい、硬いポールを使えるようにしようと変更しました。しかしそうすると、フォームの全てを変えないといけません。それを自分のものにしきれなくて記録が出ませんでした。でも、良い兆候がやっと出だしました。やってきたことは間違っていなかったと思います」
 棒高跳は澤野大地選手か、2年前の世界陸上代表の鈴木崇文選手、学生の試合では笹瀬弘樹選手の話を聞くことが多く、荻田選手の話を聞いたのは2回目か3回目です。ポールの長さと硬さもデータとしてしっかりインプットできました。同選手の話を聞くことができたのも今日の収穫でした。


◆2011年10月15日(土)
 今日は10:30から平塚で実業団・学生対抗の取材、18:30からエコパ(袋井市)で静岡県長距離強化競技会の取材をして、23:10に岐阜に入りました。
 まずは実業団・学生対抗です。当初は箱根駅伝予選会に行くつもりでした。予選会自体の仕事はなかったのですが、その後、ある予選校の選手を取材することになりそうだったのです。しかし、3日前に実学取材に変更しました。分量は少しですが陸マガ次号に記事を書くことになったからです。
 ということで10:30に平塚競技場に。着いてビックリしたのは巨大電光掲示板が設置されていたこと。平塚は電光掲示板がなくて観客には不親切な競技場でしたが、聞けば昨年ベルマーレがJ1に昇格した際に設置したとか。ということは2年間くらい平塚に来ていなかったということですね。とにかく、観戦にはプラスになることです。

 最初の種目は男子ハンマー投。今大会は取材規制がまったくないので自由に動けます。ベスト8以降はハンマー投サークルのすぐ後ろに行って見ました。近くで見て思ったのは、ハンマー投選手はそれほど力を入れて投げているように見えないことです。競技後に土井宏昭選手(ITカンファー)と話をしている中でも「ハンマー投は力んだら終わり」というコメントが出てきたので、間違っていないと思います。
 1、2位は土井選手と野口裕史選手(群馬綜合ガードシステム)でいつもの2人でしたが、3位に赤穂弘樹選手(大体大)、4位に田中透選手(チームミズノアスレティック)が続きました。国体で自己新をマークした2人です。田中選手が67m20で2位(優勝の野口選手と4cm差)、赤穂選手が66m48で3位でした。
 競技後に土井選手から田中、赤穂両選手の特徴を聞かせてもらいました。2人とも「腰が落とせて、振り切りまで脚できちんと行けている。基本に忠実な選手」ということです。その点を踏まえて、田中選手と赤穂選手に好調の理由と、70mへの展望を聞きました。
 赤穂選手の話の中にも「ベストが出ているときは、楽に投げているとき」という話が出てきましたね。ちなみに今季は、関西学生新を連発していますが、「7回くらい」だそうです。
 土井、野口両選手に続く選手が育ってきた男子ハンマー投です。今回取材ができて良かったです。

 2番目に話を聞いたのは女子400 mHの久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)です。優勝記録は57秒01と同選手にとっては平凡でした。ただ、内容的には収穫があったそうです。全日本実業団では1台目から2台目を15歩で試しましたが、今日は3台目まで15歩を試したそうです。バックストレートの追い風もあって「良い流れ」で行けたそうです。
 取材前に新潟アルビレックスRCの大野監督から「久保倉に駅伝に出るかどうか聞いてください」と言われていたので、久保倉選手に質問しました。「噂ではメンバー入りしているようですが、長い距離を走る予定はありません」とのこと。大野監督もたぶん、寺田が今日お会いするなり「久保倉選手の新しいネタは何かありませんか」と聞いたから、駅伝ネタを教えてくれたのでしょう。
 女子400 mに優勝した蔭山愛選手も取材したかったのですが(地元選手ですし、インカレは大活躍でしたし)、表彰後に話を聞こうとしたらスウェーデンリレーのメンバー発表のところでした。3走に選ばれていましたので、ここは控えることに。

 続いて男女の100 mが行われ、女子は渡辺真弓選手(東邦銀行)が11秒57で、男子は小谷優介選手(立命大)が10秒29で優勝しました。渡辺選手はここ6年間で4回の優勝。“実学の真弓”のあだ名にふさわしい活躍です。川本門下のショートスプリンターとしては、二瓶秀子さんが2001年に出した「11秒36(当時の日本記録)は抜きたい」と話してくれました。
 小谷選手は織田記念で出した10秒28の自己記録に0.01秒と迫りましたが、朝原宣治さんの持つ関西学生記録の10秒19には届きませんでした。ただ、「国体の疲れが全然抜けていないし、練習もできなかった」という状態からすると、今回の10秒29の方が価値は上だといいます。
 小谷選手も4年生。進路が気になるところですが、関西の実業団チームに入ることが内定したそうです。ただ、公表していいかどうかわからないということで、社名は話してもらうことができませんでした。こちらからいくつか社名を出して、なんとなくはわかったのですが、この手のことは書くつもりはありません。

 続いて話を聞いたのは女子100 mHの野村有香選手(北海道ハイテクAC)です。13秒21と自己記録を0.07秒も更新し、ロンドン五輪B標準の13秒15も手が届くところに来ました。今日は400 mHにも出場し(58秒13で4位)、その1時間20分後に100 mHで快記録をマークしました。野村選手の話を聞いたのは2回目です。国体のミックスゾーンで初めて話を聞いたときの様子を、国体4日目の日記に書きたいのですが、まだ書けていません。
 野村選手の話には面白いと思える点が多くありました。「15台ハードル」とか、今季に入って4回目の自己記録更新であることとか、両ハードルの兼ね合いと展望とか、インターハイの成績とか。インターハイは3年時に2位だったのですが、それが寺田明日香選手の3連覇の最初の年でした。その6年後に寺田選手と戦える力をつけてきました。それも同じ北海道ハイテクACのチームメイトとなって(練習拠点は福井なので違いますが)。人生も競技人生も、どんな巡り合わせになるかわからないですね。

 野村選手の話を聞いている間に女子円盤投の表彰が終わってしまったのですが、高橋亜弓選手が52m87の関東学生新で優勝しました。しかし、野村選手の話を聞いている際に近くを通ったので、ちょっと待ってもらいました。野村選手も筑波大OBで、高橋選手ともお知り合いだったので助かりました。
 高橋選手はちょっと前の筑波大競技会でも関東学生新をマークしていました。好調の理由は「日本インカレが終わってから違う投げに取り組んでいる」ことのようです。まだ「しっかりはまっていない」と言いますが、良い方向に結果が出ています。
 聞けば大山圭悟コーチのアイデアだそうです。大山コーチはあの体型ですし、我々の前ではもっさりとした雰囲気を出しているのですが、本当は切れ者のコーチのようです(当然?)。

 中学生のリレーをはさんでトラックは男女の800mに。女子は新宮美歩選手(東大阪大)がトップを引っ張り400 mは1分00秒2の通過。450mから久保瑠里子選手(エディオン)がトップに立ち、2分04秒51の大会新で優勝しました。夏のヨーロッパ遠征から、この秋の全日本実業団、そして今大会と好調を維持しています(国体の1500mは2位でしたが)。全日本実業団の際にも話を聞かせてもらっていたので、それを補足するというか、さらに突っ込ませて質問をさせてもらいました。
 練習内容の話などは明確にできたのですが、「走りに向かう流れをつかめるようになった」という部分が、感覚的な世界の話で文字にするのは難しい部分でした。これは久保選手もそう言ってくれていて、今後の課題(書き手側の課題)とさせていただきました。
 女子800mの直後には、フィニッシュ地点近くでレースを見守っていた木村文子選手(エディオン)にも話を聞くことができました。100 mHで2位(13秒28・+1.5)でした。日本選手に負けたのは今季初めてかと思って、遠慮しながら確認させてもらったらそうでした。
 聞けば「1台目ともう2台」、ハードルにぶつけたそうです。どの部分をぶつけたのか聞きませんでしたが、国体(13秒19・+0.4の自己新)でも2台ぶつけていてそのときは抜き脚でした。「初めて、ぶつけることを気にしないで行ったレース」と木村選手。それだけ記録を狙いに行ったということです。

 最後のトラック種目は男女のスウェーデンリレーです。実業団・学生対抗の看板種目…というわけではないのかもしれませんが、この大会以外ではあまり行われていない種目です。男女とも大会記録イコール日本記録…かと思ったら、男子の方が違いました。日本記録は2001年のスーパー陸上での日本選抜チーム。川畑伸吾選手、朝原宣治コーチ、田端健児さん、小坂田淳コーチという豪華メンバーで、アンカーの小坂田さんが引退レースのマイケル・ジョンソンを追い込んだレースでした。
 今日は女子で日本記録が出ました。1走から和田麻希選手(チームミズノアスレティック)、渡辺真弓選手(東邦銀行)、久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)、青木沙弥佳選手(東邦銀行)の実業団が2分06秒36。2006年に学生(栗本佳世子選手、成瀬美紀選手、青木沙弥佳選手、丹野麻美選手)が出した2分06秒51を更新したのです。丹野選手抜きで出したというところに価値があると思いました。 
 男子は学生チームが1・2走のパスでバトンを落とし、実業団が独走して1分53秒97で優勝しました。

 スウェーデンリレーと男子走高跳、女子走幅跳、女子やり投のフィールド種目と、どれが最後だったのか忘れてしまいましたが、スウェーデンリレー後に男子400 mH優勝(50秒41)の小西勇太選手(立命大)の話を聞くことができました。ロンドン五輪A標準を2回破っているので、一度話を聞いておかないといけないと思っていた選手です。今季好調の要因や、大きな試合で結果が出せていない理由(A標準を出したのは大阪府選手権特別レースと西日本インカレ)などを聞かせてもらいました。
 具体的なことは陸マガ記事になるかもしれないので、ここでは書かないでおきます。

 スウェーデンリレーの扱いがどのくらいになるかはわかりませんが、日本記録ですから4選手全員のコメントを聞かせてもらいました。渡辺選手は「走る前にみんなで、『日本記録を出したいね』と話していた」ことを明かしてくれました。
 2走の渡辺選手まで話を聞いたところで閉会式に。閉会式中に記録を集めようと思って記者室に戻りましたが、すでに記録は撤収されています。まさかの展開で困りましたが、日本学連サイトに当日中に全記録が掲載されて事なきを得ました。
 閉会式後に久保倉選手と青木選手のコメントを取材。前日本記録のときのメンバーでもある青木選手は「前記録は丹野さんの力が大きかったですけど、今回はみんなで頑張って出せた日本新です」と分析してくれました。

 久保倉選手と青木選手の話を聞く前に、女子やり投優勝の宮下梨沙選手にお願いして少し待っていてもらい、話を聞くことができました。優勝記録は54m19。日本選手権で60m08を投げているので物足りなく感じますが、去年の今頃にこの記録だったら、好記録という評価だったと思います。それだけ、宮下選手への期待も大きくなっているということです。現在の課題などを聞くことができました。宮下選手も陸マガ記事になるかもしれないので、具体的なことは書かないでおきます。

 という感じで実業団・学生対抗の取材が終わりましたが、かなりの選手の話を聞くことができましたね。短い時間に多数の種目を行う大会なので、フィールドで見られなかった種目もありましたが、自由に動くことができる大会なので、競技もしっかりと見ることができた方だと思います。

ここが最新です
 実業団・学生対抗取材終了後にエコパ(袋井市)へ移動。掛川駅ではほんの少ししか降っていなかった雨が、愛野駅に着くと本降りになっていました。すでに夜だったこともあり駅からエコパまでの道は物寂しい感じすらしましたが、エコパの中に入ると雰囲気は一転。ナイター照明のなか5000mの最後から2番目の組が行われていて、トラックの外周は応援の人垣で埋まり熱気にあふれていました。
 記録室の永田先生に挨拶に行くと、「静岡県長距離強化記録会なのに、県外からの選手の方が多いんだよな」とおっしゃいます。まあ、仕方ないですね。この大会と日体大は記録が出やすいですから。昨年も尾田賢典選手と高林祐介選手のトヨタ自動車コンビが27分台を出しています。
 しかし、今日はあまり良い記録が出ていないようでした。ツイッターにも書きましたが、湿気がこもっている感じです。こういうときは長距離に限らず、どの種目でも記録は出にくくなりますね。

 メインの1万m1組が始まる前に、トラック外側を1周しました。指導者の方たちに挨拶をしておくためです。トヨタ自動車の佐藤敏信監督とは、このところよくお会いします。宮脇千博選手がロンドン五輪B標準(28分05秒00)を目標にしていることを教えてもらいました。
 両角速監督と高見澤勝先生が一緒にいるところにお会いして、“ここは佐久か”と一瞬思いました…というのはウソですが、なつかしい雰囲気がしたのは事実です。15年前は佐久長聖高の監督と選手という関係だった2人が、3年半前に同高の監督とコーチという立場になり、今年からは東海大監督と佐久長聖高監督というポジションになりました。そして、それぞれの選手を率いて同じ大会に出ているのです。箱根駅伝と全国高校駅伝という当面の目標に突き進みながらも、“その先”を見据えている2人です。
 さらにトラックの外周を歩いていくと、給水の準備をされているエスビー食品の田幸寛史監督にお会いしました。田幸監督も長野県出身。両角舜選手(佐久長聖高)に檄を飛ばしていました。宮脇選手は高校は岐阜ですが、出身は長野だということも田幸監督から教えていただきました。

 1万mは3組行われますが、タイムの良い選手が集まっているのは1組目でした。どしゃ降りではありませんでしたが、雨が降っています。成績は静岡陸協サイトでご覧いただけます。記録だけではわからないのがレース展開ですが、3000m付近で外国選手オンリーのトップ集団、6人の第2グループ(日本人選手は宮脇千博選手、深津卓也選手=旭化成、大迫傑選手=早大の3人)、第3集団(村澤明伸選手=東海大3年、村山謙太選手=駒大1年、竹澤健介選手=エスビー食品、梅枝裕吉選手=NTNら)と分かれました。
 6000m付近で雨が止んでいるのに気づきました。第2グループからは大迫選手が後れ、第3グループからは梅枝選手、竹澤選手と後れていました。深津選手も6000m過ぎに後れて第2グループの日本選手は宮脇選手1人に。宮脇選手がそのまま日本人トップでフィニッシュし、28分01秒00とロンドン五輪B標準を破りました。
 終盤、深津選手との差を村澤選手と村山選手がつめ、ラストは3人の争いとなり、村山選手がその争いを制しました。日本インカレ5000mに優勝しましたから強い1年生だと思っていましたが、ラストがここまで強いとは思いませんでした。駒大の先輩である深津選手も、全日本実業団1万mで日本人トップの選手です。かなり驚かされました。

 レース後はちょっと用事があってK監督と話をしていたのですが、そこに村山選手が通りかかったのですかさず、同選手の話を聞かせてもらいました。続いて村澤選手が引き揚げていくところに出くわしたので、歩きながら同選手にも話を聞きました。A標準を目指していた村澤選手ですが、出雲全日本大学選抜駅伝前にヒザを痛めていて少し走れない期間があったそうです。学生2選手のコメントは、記事にするかもしれません。
 村澤選手の話を聞き終えてトラックに戻ると、田幸監督、旭化成・山本佑樹コーチ、明大・西弘美監督、早大・渡辺康幸駅伝監督らが集まっていたので、雑談をさせていただきました。山本コーチからは深津選手の練習パターンを聞くことができました。全日本実業団で深津選手自身から試合で作っていくタイプと聞いていたので、その辺を質問させてもらいました。これは大収穫でした。
 村山選手のラストが強かったので、どの選手がラストに強いか、などを雑談として話していました。西監督によると鎧坂哲哉選手(明大4年)はラストも強いそうです。56〜57秒でラスト400 mを上がることはできるとのこと。

 そうこうしていると、競技場玄関ロビーにトヨタ自動車の選手たちが集まってきました。応援団に挨拶をするためです。ツイッターでもつぶやきましたが、50人以上の応援団が駆けつけていました。100人くらいだったかもしれません。記録会でこの人数はすごくないですか? トヨタ自動車がこの大会を重視していたからなのでしょうけど、それにしてもすごいです。選手の所属する部署の上司らしき人たちが、選手たちに声を掛けています。実業団陸上競技らしい光景だと思いました。
 寺田も菅谷宗弘選手に「頑張れベテラン」と声をかけました。若手が伸びてくるのはある意味当然ですが、ベテラン選手が頑張ってくれるとどこか嬉しくなります。記事を書くときにも、視点が増えて面白くなりますし。
 ただ、今日の主役は入社2年目の宮脇選手。応援団への挨拶後に話を聞かせてもらいました。こちらに記事にしてあります。

 エコパを後にして21:12の東海道線に乗り、新幹線、また東海道線と乗り継いで23時過ぎに岐阜に入りました。来年の国体開催地です。

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