続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2005年1月 2005年の注目はセンゴとシンゴ
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◆12月22日(水)
陸マガの来月号に書く原稿の件で、陸連に電話で問い合わせ。事務局若手(?)のI上さんが、丁寧に対応してくれました。最終結論は、24日になりますが。24日にはそれとは別に電話取材のスケジュールも2つほど入りました。明日も電話取材が1つ。陸上界はクリスマスイヴだからと、浮かれているわけではありません。
そういえば、メリーコリルキマスで福岡国際マラソンに来たコリル選手は、来年も来日してくれるのでしょうか。同マラソンのスポンサーは年末ジャンボ宝くじですから、年末ジャンボ宝くじを100枚プレゼントされて、それが1000万円くらい当たって味をしめるなんてことは、ないか。インターハイ3冠の磯崎さんは、ナイキ。
陸マガ編集部からアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンの投票依頼がありました。WSTF(新宿の作業部屋)から帰る際に郵便に気づいたので、今日中の提出ができませんでした(メール、郵送とも可)。この企画は「国内外45人の陸上専門家・ジャーナリストの投票で決定」(陸上競技マガジン2004年・4月号から抜粋)しているのですが、その年の陸上界で活躍が顕著だったと思う選手を10人投票するのです。例年、投票一番乗りをしようと頑張っています。「それに何か意味があるのか」と思った貴方、寺田の日記を読むことに何か意味がありますか? まあ、意味のないことに一生懸命になるのは、その人間のゆとりの度合いを示すバロメータでもあるわけで、人生に潤いを与えることにもつながります、なんて適当なことを書いていいのだろうか。誰も信じないから、いいでしょう。
それにしても、今年も活躍した選手を10人に絞ることは、これほど困難な作業はないと思います。室伏広治・野口みずき・油谷繁・沢野大地・谷川聡選手の5人は、アテネ五輪の活躍から文句なしで決まり。残りは5枠ですが、そこに入れていい選手は十指に余ります。
純粋な五輪の順位で言えば土佐礼子・諏訪利成・坂本直子・為末大・田中めぐみ・谷井孝行選手らが候補ですが、日本記録を更新して五輪に出場したケースも杉森美保・森千夏・中田有紀・近藤高代・室伏由佳選手とあって、杉森・森・中田選手はその種目で40年ぶりの五輪代表。近藤と室伏由選手は、その種目初の五輪代表です。ここまででもう、残りの5枠に11人です。
他にも日本記録を更新したのが小林史和・信岡沙希重・丹野麻美・渋井陽子・川崎真裕美選手といます。小林選手は最古の日本記録を27年ぶりに更新したわけですし、渋井選手の記録は世界歴代でも上位に入ります。丹野選手はジュニア日本新でもあるわけですが、ジュニアでは大野龍二選手の1万m27分台もあるし、高校生の金丸選手や両佐藤選手も超ハイレベル。学生では三段跳の石川和義選手に400 mHの成迫健児選手。国際レベルで言えば、末續選手のGP2位というのも評価できます。
これだけ活躍した選手がいたら、10人に絞ることなんてできっこない、でしょ?
だいたい、10という数字で区切る意味はありません。単にキリのいい数字だからです。話がいきなり銀河系レベルに飛躍しますが、指が30本ある知的生物がいる惑星ではトップ30を選んでいることでしょう(きっと10進法ではなく30進法のはず)。その星に生まれていれば悩まなくていいだろうなあ、と現実逃避の思考に陥りがち。
10人に絞らないといけない地球では、個人で10人を選ぶことはできませんから、投票で決めるしかない。投票というのは一種の責任回避の方法なのです。すいません、年末で頭がおかしくなっています。福岡で購入した年末ジャンボ宝くじをなくしてしまったから、なのかもしれません。
◆12月23日(木・祝)
今日はファミレスでビックリすることがありました。詳しい場所は明かせませんが、WSTF(新宿の作業部屋)から歩いて15分の距離にあるファミレスで昼食を食べていたときのこと(実は出勤途中)。ちょうど食事を食べ終わるタイミングで、見覚えのある茶髪の男性がこちらに向かって歩いてきました。なんと、イチロー選手です。寺田のほぼ正面のカウンター席に座り、おもむろに上着を脱ぐと、寒くなってきたにもかかわらず半袖姿。さすが、スポーツ選手です。
としらじらしく書くのにも疲れたので話を進めると、要するにISHIRO記者でした。後ろ姿がこれ。携帯電話のメールでこの写真を送信して、真後ろにいることを知らせたら、かなりビックリしていました。一応、こちらも気を遣ったのです。しばらくして女性が来たら、そっと立ち去ろうとか考えていたのでした。カウンター席に座ったのでそれはないかな、と思ったのですが、一応、独身最後の大物陸上記者ですから。
偶然に合ったのなんて、プラハの空港以来ですが、あのときはヨーロッパで主に日本選手を追っての取材行動中なので、偶然とは言えないかも。場所的には彼の自宅の隣の駅ですが、時々、作業ファミレスとして使用しているとのこと。そういえば、そうでした。この日記(続寺田的陸上日記)の出発点が、ファミレス・ネタでしたから。寺田とは顔もキャラも違うISHIRO記者ですが、ファミレスで仕事をすると能率が上がる点は共通していたのでした。なんでも今日は、ジムで汗を流した後とのこと。寺田も、運動不足を解消しないといけないと思いつつ、何もできていません。やっぱり、時間の使い方と集中力ですよね。
2時間くらい実業団駅伝の話題などで盛り上がた後に別れて、WSTFに着いてまず、全日本実業団対抗女子駅伝の姉妹ネタの記事を書きました。その後、ヨドバシカメラに。WSTFで使うガスファンヒーターなどを購入しました。部屋にはエアコンも付いているのですが、暖房費用のことを考えたらガスがいいかな、と。電気は契約アンペア(?)が小さいので、エアコンを使用していると電子レンジとか使えないのです。部屋のガス・コンセントと、ガスホースの接続口形状が何種類かあると思ったので、レンズ一体型デジカメで撮影して店員に説明しました。こういう使い方もあるのかと、ちょっと嬉しくなった次第。
さっそく持ち帰って(配送でなく持ち帰りだと10%オフ)使ってみると、これがなかなか快適です。ガスストーブより安全面がしっかりしていますし、温度調節機能やタイマーも付いています。「やっぱりガスだね」と田村正和ばりに独り言を言いながら、新潟の田村和宏選手は元気かな、などと考えていました。
◆12月24日(金)
9:30から駒大の共同取材。寮の食堂に選手が8人着席し、話を聞きたい選手に記者たちが集まる形式。チームエントリー段階では16人なので、30分ずつ2グループになります。最初のグループでは糟谷選手と井手選手、2回目のグループでは豊後選手(といっても熊本出身)と佐藤慎吾選手の話を聞きました。最初のグループでキャプテンの田中選手の話も最後の方で少しだけ聞くことができましたが、ほんの1〜2分だけ。東海大に始まって山梨学大、中大、そして駒大と共同取材に加わりましたが、話を聞けた選手はだいたい、4人くらいでしたね。
練習前の集合があって、選手は各自ジョッグに行き、その間、大八木監督の囲み取材もありました。区間配置など、実際に何区は誰とは言えませんから(中大の6区や下位校などは別として)、質問する側も“考え方”や“戦略”を聞くことになります。大八木監督は形の上では新監督ですが、実質的な現場の責任者となってもう10年くらいでしょうか。記者との受け答えにも味が出てきています。例えば、以下のような感じです。
「今回は山でどんでん返しがあるかもしれない。東海大や日体大が登りにスーパールーキーを起用してきたら、やられる可能性が大きい。その方が、テレビとかマスコミの話題になるけどね」
何度かスーパールーキーという言葉が大八木監督の口から発せられました。来年はダブル佐藤も関東の大学に来ますが、駒大の新入生は5000mで14分10秒前後の選手のようです。「ウチにはスーパー高校生は来てくれない」と、これも大八木監督からよく聞きますが、それでも箱根ならやって行ける、という自信が見え隠れします。
選手配置についても少しだけ、言及してくれました。
「太田は夏場は動きませんでしたが、今はすごくいいですよ。15℃以下になれば、ですけどね」と、太田選手が暑さに弱いことはもう周知のことと、隠そうとしません。「芦ノ湖だったら寒いですからね」と、6区の可能性すら示唆しました。その6区について、1万mが30分台の選手が1人(豊後選手)メンバーにいますね、と水を向けると、「山下りのスペシャリストにする予定でしたが、14人のエントリーに入れるかどうか」と、言います。「野村に1分差、59分前後では行ける。下りも平地も走れる選手を(14人に)入れておく」とも。
レース戦略も、どこまでが本音かよくわかりません。
「1区はポイントですが、(強い選手を)後ろに残しておきたい気持ちも強い。2日がかりのレースですから、2日目が大事です。仮に1区で(日大のサイモンに)2分やられても、どこかでひっくり返せる選手を置いておけばいい。1区間で無理なら、2区間で2分をひっくり返すという考え方ですね。それは復路でもいいわけです。前回は9・10区で大きく引き離しました(約2分30秒)。焦らないで8・9・10区でひっくり返せばいいかな。復路の順天堂ですよ!」
と、最後は冗談っぽく話をされてしまうと、そのまま信用していいのかどうか。確かに、前を走られても焦りさえなければ、総合力で勝るチームが勝つわけです。要は、どこで前に出るのがいいか、ですけど、それは、その時々のチーム状況によります。今の駒大は、中盤までライバル校に前を走られても、気持ちにゆとりが持てるということでしょうか。
◆12月25日(土)
昼間1本、夜1本、電話取材。その間、明日締め切り(月曜朝まで)の原稿を進められるだけ進めようとしたのですが、イマイチ効率が上がりません。600行の大仕事なので、今日の進行具合が重要なのです。明日は、全国高校駅伝のテレビ観戦。
◆12月26日(日)
高校駅伝をテレビ観戦。日記にも書きましたが、箱根駅伝のトークバトルを見ていて、一生懸命な指導者ほど演技力がついてくる、と感じました。決して、悪い意味で言っているのでなく、そういう部分が指導や渉外には必要だということ。演技力=情熱、愛情だと思います。それは、高校駅伝でも同じ。仙台育英高の渡辺監督を見ていて(以前に取材をしたこともあります)、そう思いました。
レースの感想などはおいおい、書いていこうかと思っています。あてにならない約束ですが。この1年、いくつ空手形を出したのでしょう。
600行原稿、朝の5時まで頑張りましたが、約3分の2くらいまでしか進みませんでした。
◆12月27日(月)
600行原稿、夕方までに書き終えました。
◆12月28日(火)
午前中に1人、夕方から夜にかけて2人、電話取材をさせていただきました。3人とも女子選手。それがなんだ、と言いたいわけではありませんが。あっ、しかも全員が同学年ですね。なんという偶然。
電話が多かったですね。かけたのも、かかってきたのも。印象としては30本くらいですが、実際はその半分前後でしょう。携帯で話していて作業部屋の電話が鳴る、あるいはその逆のケースということも3〜4回あります。先に話している相手が、そこそこ親しければ「電話だ。ちょっと待って」と言うこともできるのですが、そうも言えないことの方が多いです。今日が仕事納め、という人が多いのでしょう。
◆12月29日(水)
朝から雪が降り始め、午前中には本格的な降雪模様に。多摩市は一面の銀世界でした。久しぶりの雪に心奪われている時間はありません。9時過ぎには、大阪国際女子マラソンに出場する斉藤由貴選手に関する電話取材(本人にではありませんが)。
13時から箱根駅伝区間エントリー資料が、記者クラブで配られます。都心は大丈夫だろうと思って移動したのですが、渋谷も雪が積もっていました。
老婆心ではありますが、こういった日に無理やり、予定通りの練習をやろうとすると、ケガにつながるような気がします。アップを念入りにやれば大丈夫、と言う選手も多いですけど、選手を個人でなく集団として見た場合、間違いなく故障を起こす確率は高くなります。特に、真面目なタイプの選手が、要注意でしょう。今日は、絶対この設定タイムでこなさないといけない、とか考える選手。特に、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝直前で、最終のポイント練習、というケースも予想されます。
箱根駅伝区間エントリー。駒大はキャプテンの田中宏樹選手を補欠に入れてあります。サイモンが何区に来るのかを見るためではないか、というのが記者たちの意見。その他、この選手とこの選手は、故障で走らない可能性があるという説も、区間配置を見て出ていましたが、具体的には書かないのが常識。
以前にも書いたように、区間配置予想は当たるわけはないので、予想が当たった、外れたに一喜一憂はしません。気が付いた点は記事区間エントリー速報にしましたが、中大・山本選手の欠場はかなり残念です。ニューイヤー駅伝も含めてですが、今年は東海大・中井祥太選手、コニカミノルタ・坪田智夫選手と有力チームの欠場選手が目立ちます。駅伝では必ず故障者が付いて回ります。駅伝でなくても、オリンピックでも日本チームとして見たら、1人や2人は必ず故障者が出てしまいます。
もちろん、ゼロにするよう最大の努力はするのですが、スポーツという存在の性格上、集団として考えたら、故障の確率がゼロになることはあり得ない。しかし、逆に、集団だからカバーする方法もある。個人だったら、故障したらもう可能性はゼロになりますが、集団だったらゼロにはならない。そこが、工夫ができる部分です。
400行原稿が締め切りだったのですが、250行までしか進まず、編集者の方に迷惑をかけてしまいました。それとも、予想されていたこと?
◆12月30日(木)
400行を夕方に仕上げました。これで、年内の“外の仕事”はおしまい。その後、マッサージに行って一年分の疲れを取って、と思ったのですが、なかなか、そこまでは。明日からの出張の準備をして、夕食後は共同取材時のネタで、東海大の記事を書きました。これは、箱根駅伝往路前日の1月1日に掲載する予定。
◆1月1日(土)
「あけおめ」と言うらしいです。
「ことよろ」とも。
ただいま、朝の6時。前橋のホテルです。外を見るとまだ、雪が残っていますし、路面もまだ凍結している可能性もあります。ニューイヤー駅伝は開催できるのだろうか。
8時前にはスタート地点の群馬県庁に。県庁にはフォート・キシモトのカメラマンとご一緒さていただきました。そのときのネタは、ちょっと書けません。道路の脇は雪がかなり積もっているのですが、道路の雪はきれいになくなっています。関係者の方たちが頑張られたのでしょう。
スタートまでの間に、色んな方たちに挨拶。直前だからできる取材もします。昨日の取材では中国電力・坂口泰監督、コニカミノルタ・酒井勝充監督ともに強気な発言が目立ちました。前日まではマスメディアを通じての影響も考慮して発言することもあるのですが、スタート直前になると本音が聞けることも、時々あります。酒井監督に「昨日は、つとめて強気なことを話したのですか」と質問すると、本心からチームはいい状態だと思っている、と言います。やはりその辺は、スタッフも本気にならないと、選手も本気にならないのでしょう。他にも、客観的にはちょっと厳しいと思われたのですが、「本当に入賞しようと思っています」と話してくれた監督のチームが入賞しました。
9:05のスタートですが、10分くらい前になると選手たちが控え室のある建物からスタート地点に移動します。建物から出てくる付き添い(指導者だったり、控え選手だったり)と一緒に出てくる選手たちの表情を見ていると、笑顔が多いのに気づきます。全体にリラックスした表情で、高校駅伝や箱根駅伝のスタート直前の表情とは、かなり違うのです。隣にいた某専門誌のE本編集者も同意してくれましたから、間違いないでしょう。
しかし、実業団の選手の本気度が低いのかといえば、そうではないと思います。レース後の選手や指導陣の話を聞いていると、この駅伝に対する本気度が伝わってきます。確かに、この駅伝以外にも目標とする大会が多くある選手も相当数いますが、大半は、この大会に自分の進退をかけている。ストレートに言えば、ここで結果を出せなかったら首を切られることもあるわけです。
それでも、スタート前の表情に余裕があるのは、1つのことを一生懸命にやっているから生じるゆとりでしょう。12月10日の日記に、箱根駅伝のトークバトルを見ていて
監督たちを見ていて出した結論。1つのことを一生懸命にやっていると“ゆとり”が生じ、それがユーモアにつながっていく、のだと。
と書きましたが、それと同じような感じでしょうか。
レースは群馬県庁内のプレスルームで見ました。隣の席にはO内さん、その隣にはE本編集者。E本編集者の今年の目標は「結婚すること」とのこと。日程的に余裕があるのは7月末かな、とかこちらが考えていたら、「やっぱり、陸上界最大のイベントである世界選手権に変更してください」とのこと。E本くんの愛称は、自称“ムーミン2号”。フィンランドは母国でもあるわけです。でも、インターハイと日程が重なるのだよ。って、誰に言っているのでしょう。
閉会式では10年連続出場選手の表彰がありました。そのなかの1人が富士通の高橋健一選手。01年のエドモントン世界選手権後は故障が長引いている印象があるので、ちょっと意外でした。少しくらい痛みがあっても、なんとかこの駅伝だけは出るんだ、という思いが強かったのかもしれません。機会があったら確認しておきます。それにしても高橋選手のすごい点は、2区の区間記録のレベルです。今回区間賞の高岡選手のタイムは1時間02分33秒で、現行コースとなった01年以降では歴代3位なのですが、高橋選手が01年にマークした区間記録は1時間01分36秒。コンディションの違いもあるのですが、それにしてもすごい。高橋選手への賛辞が会場のあちこちでささやかれていた、かどうかは定かではありませんが、少なくとも寺田とU原氏は賛辞を送っていました。昨晩は紅白歌合戦で初めて松健サンバを聞きましたが、今日はそれに続いて高健賛辞を聞いたわけですね。
◆1月2日(日)
昨晩は疲れが出てダウン。今朝、5時に起床して、7時までに原稿を1本、仕上げました。
ニューイヤー駅伝は複数のクライアントの仕事でして、今年もかなりの数の選手、指導者に話を聞きました。数えてみたら選手が11人と指導者が3人(雑談を除く)。
昨日の閉会式の最中、寺田が「姉御」と呼ばせてもらっているK記者と話をしていると、「中国電力の敗因は何だと思いますか」と、面識のない人から質問を受けました。陸上競技担当記者ではありません(知らない顔でしたから)。普段は取材に来ないテレビかラジオのディレクターかな、どこかの地方紙の記者なのかな、あるいは中国電力の広報の方かな、とちょっと警戒しました。こちらはプレスのIDをつけていますが、その人物はなんとも立場がはっきりしない。そういうのって、答えづらいんですよね。
寺田は1・2位チームの担当ではなかったので「今回、別のチームの担当で中国電力関係者の話は聞いていません」と答えました。「個人的な意見でいいので」ということだったので、「1区の出遅れと、あとはコニカミノルタが強かった、ということだと思います」と答えました。「精神的な部分じゃないのですか」という突っ込みに対しては、「そこまでは、わかりません」と。
“精神的な部分が敗因”とは、第三者が簡単に判断できる部分ではありません。軽々しく使っているライターも、一般誌などでは散見されますが、寺田は指導者の見解や、相当に深く取材して確証が得られない限りは、精神面が敗因とは書きません。昨日のレースでいえば、中国電力は1区と7区がちょっと悪かったかな、とも思いますが、それはあくまで相対的な印象です(特に7区)。区間順位というのは、僅差でも大きく変わることもあれば、大差でもそれほど変わらないこともあります。日本選手権や国際大会の実績から、明らかに格下の数選手に大差をつけられたりすれば、額面より悪かったと指摘できますが、尾崎選手や森政選手の昨日の結果だと、絶対に悪いとも言い切れません。1区には強いメンバーが集まっていましたし、7区はコニカミノルタの前田選手も強いですから。それだから、精神面云々という質問になったのかもしれませんが。
今回のように表面的な成績から敗因がわかりにくい場合は、その選手の絶対的な力を把握している指導者の意見を聞かない限りは、記事にしないと思います。陸連関係者のコメントなんかも、選手の力や全体的なレベルを最も把握しているという前提があるので、記事にしたときに読者を説得させられるわけです。
今回の結果を見て特徴的だったのは、優勝したコニカミノルタ、3位の日清食品、4位のカネボウと主力選手が欠場したチームが、力を出し切ったことかな、と思います。反対に中国電力、ホンダ、旭化成と、区間エントリーを見る限りは“上手く選手が揃った”と思えるチームが、力を出し切れなかった。3位と4位の記事を陸マガに書きますので、その辺の話を書けるでしょう。
実は今日、昨日、現地でつかまえるのに失敗した監督1人と、選手1人に電話取材をさせてもらいました。なかなか、面白い話が聞けました。
今日の箱根駅伝往路はテレビ取材。実は昨日、2区区間賞の高岡寿成選手が、「明日、明後日で東京国際マラソンのコースを下見する」と話していました。2月の同大会に出場予定なのです。2日間のマラソン・コース試走でよくあるパターンが、前半と後半を、1日ずつ下見する方法。もしも今日、高岡選手が7:30くらいに国立競技場近辺から走り出せば、日比谷通りのどこかで箱根駅伝1区の選手と一緒になるのでは、と期待していました。「今年は高岡のトシナリー」とか記入したフリップを持ってテレビに映ったら受けるのに、と思っていたのですが、高岡選手は良識をわきまえた人物だったようです。同じイニシャルTTのライターとは違って。
◆1月3日(月)
箱根駅伝の取材。7:45には大手町の読売新聞に。同社9階のプレスルームは、時間が経つにつれて、沿道取材に行っていた記者の人たちも集まってきて、部屋の座席は80%以上の使用率に。人数を細かく数えたわけではありませんが、ざっと60人くらいでしょうか。
6区は中大・野村俊輔選手に注目が集まりましたが、残念ながら区間新はならず。3年連続区間賞は獲得しましたが、4年連続60分切りにも失敗。野村選手自身はテレビでは何も話していませんでしたが、12月に入って故障もあったし、10日ほど前に発熱していたとのことです。中大は他にも……続きは、陸マガに記事を書くので、そちらをご覧願います。
6区のレースを見ていて、あることに気づきました。上位チームに順位変動がまったくないのです。芦ノ湖のスタート順と小田原への中継順は、1位から7位まで、まったくそのままです。と思いながら配布された記録を見ると、区間1位から11位までが、1分以内のタイム差にひしめいています。
確かに、6区は山登りの5区ほど差が開かない区間です。それでも、6区で10選手がここまで僅差で走ったのは記憶にありませんし、7番までの順位変動がないのも珍しいのではないかと直感しました。もちろん、過去の記録を調べました。7位までの順位変動がないのは実に、○年ぶりのこと。区間1位から1分以内の間に10チームが走ったのは……という話を、6区を走ったことのある信濃毎日新聞・中村恵一郎記者としました。
陸マガに記事を書くのは中大、山梨学大、城西大の3校ですが、優勝した駒大も、今後の営業戦略の関係で、絶対に取材をしておかないといけないチーム。レース直後の共同取材だけですが、大八木監督と選手全員の会見を取材しました。引き続いて行われた金栗賞の順大・今井選手の会見も。いくつか質問したいこともあったのですが、昨日の往路フィニッシュ後の取材をしていないので、昨日今井選手がどんなことを話したのか把握していません。同じことを聞いてしまうとまずいと思ったので、今回は控えました。日本人らしい奥ゆかしさを持っていますね、寺田も。
駒大と今井選手の共同会見は、例年通り読売新聞社内で行われましたが、その他のチームは、今年から閉会式が行われる東京ドームホテルで取材しないといけません。記者を多く動員できる社は、駒大の共同会見中に、フィニッシュ地点の読売新聞社周辺で取材することも可能ですが、だいたいどのチームも、応援団や関係者に挨拶していますし、すごい人混みで記者たちは移動もままなりません。
例年だったら、挨拶後はどのチームも、閉会式会場のある読売新聞社9階にやってきます。時間が少しあるから、同じフロアのレストランで食事をするチームも多く、そこでかなりの取材がこなせるのです。しかし、今年は前述のように閉会式は東京ドームホテルで、車か電車を使わないと移動できません。3時に選手輸送バスが読売新聞社前を出発するというので待っていたら、中大の田幸寛史監督だけ、バスの前で取材することができました。
残りの取材は閉会式前が勝負。もしも寺田が駆け出しの頃だったら、ものすごいプレッシャーを感じていたでしょう。移動後はまず、上位校が行数も多いですから、中大の選手たちの取材を優先。野村選手はテレビが撮影をしている部屋の前で、他の選手は閉会式会場で座っているところで取材ができました。でも、記者が集中する選手は、閉会式会場での取材は苦しいと思いました。
城西大の田上選手も閉会式前に取材。しかし、そこで会が始まり、城西大・平塚監督と山梨学大・上田誠仁監督は閉会式後になんとか、話を聞くことができました。やはり、移動をすることで、取材は著しく効率が悪くなります。
個人的な取材活動でなく、箱根駅伝全として見た場合でも、問題があります。それは、東京ドームに来た記者の数に表れていました。東京ドームホテルのプレスルームには、記者が12人しかいませんでした。来ていたのは多めに見ても、20人に満たなかったでしょう。つまり、3分の2は読売新聞社から移動しなかったわけです。早い版の締め切りも迫っていますから、移動してさらに詳しい取材を、とはいかない社も多いのでしょう。ほとんどの新聞は、従来より短い取材時間で、記事を書いたわけです。必然的に、記事の質が落ちます。あるいは、デスクから「あの選手の取材はしていないのか」と聞かれても、「つかまえられませんでした」と答えざるを得なくなり、その結果、箱根駅伝の記事のスペースが小さくなる。この時期、他のスポーツもたくさん行われますから、デスクは箱根駅伝の記事が少なくても困らないでしょう。
ほとんど、ではなく、全ての記者が閉会式場の変更に反対していたと思います。選手や指導者たちからも不満の声を聞きました。関東学連は読売新聞社の会場が狭く公開できないので、閉会式を公開にするための変更だ、と言っています。しかし、閉会式・表彰式を公開して数百人に見てもらうことよりも(表彰される選手の家族に見せたいという点はもっともですが)、箱根駅伝のレース自体を、少しでも詳しく全国のファンに知ってもらうことの方が重要ではないのでしょうか。全国高校駅伝や全国都道府県対抗男子駅伝の閉会式会場が、読売新聞9階よりも大きいから、というのも変更理由のようですが、それらはフィニッシュ地点のすぐ近くにある会場なのです。
愚痴のように日記に書いているだけではあれですが、関係者で知っている人たちもいますので、この考えはすでに伝えてあります。指導者たちからも不満が出ているので、次回は再検討されると思いますが。
文句を付けるだけでは能がないので、たまには建設的な提案もしましょう。東京ドームホテルや、移動用のバスをチャーターするお金があるのなら、関東インカレに観客を動員するためにお金を使った方が、よっぽどいい。例えば、テレビで再三注意を促していた沿道の観衆が持っている小旗です。あれを読売新聞が作製するのでなく、主催者で用意する。旗でなくてもいいと思います。とにかく、箱根駅伝に出場した選手が、関東インカレという大会にも出ていること、そこでも素晴らしいレースが行われていることを宣伝するのです。間違いなく、沿道のファンの7割は関東インカレという大会の存在すら知らないでしょうから。
◆1月4日(火)
今日は昨年の小さな試合2つと、ニューイヤー駅伝の原稿の締め切り。
そういえば、昨日の箱根駅伝の閉会式の最中に富士通・福嶋監督と連絡が取れ、閉会式後に、高橋健一選手を電話で取材することができました。高橋選手は秋田県出身ですが、奥様は千葉県佐倉の出身。ご存じですよね、誰なのか。お正月ということですが、小出監督のご自宅だったのかどうかは、聞きませんでしたけど(仮に聞いていても、プライベートなことですから“聞いていない”と書きますけど)。1月1日の日記に10年連続ニューイヤー駅伝出場に関して書いた推測はほぼ、当たっていました。
いきなりですが、東京メトロ(以前の営団地下鉄)が積極的に変わっていますね。駅内にいろいろなお店を入れて、より便利になるようにしています。
でも、昨日は大手町駅内のコンビニが営業していませんでした。別に、昼食を買うのに苦労したから言うわけではありませんが、正月だからって休んでいるようでは、まだまだですね。箱根駅伝の行われる日の大手町駅っていったら、それはもう、すごい人出なんですから。トイレは長蛇の列。コンビニを開店しておけば、間違いなく儲かったのに。プロ意識が低いというか、経営者が馬鹿というか。労働組合との力関係なのかもしれませんけど。
だいたいですね、人間には休息は必要ですが、何も日曜日やお盆、年末年始に休まないといけない、と決めつける必要はないんです。みんなと同じ行動をしていた方が安心感があるのでしょうけど。以前にも書きましたよね。銀行と大きな病院は、なんで日曜日に休むんだろうって。選手もそれと同じで、安心感を求めていたらダメでしょう。
昨日の箱根駅伝のシード権争いでは、今日の新聞各紙を見る限り、11位と敗れた早大の方が大きく報道されました。個人的には、9月に大後栄治監督の取材をさせてもらったせいか、過去2年間10区でブレーキを起こしている神奈川大の方に興味がありました。今回は万全を期して、10区にキャプテンの内野選手を起用してきていましたし。早大も高岡選手と強い選手を起用していたので、その対決は純粋に面白かったのですが、報道のスペースは早大が圧倒的。早大が10位で神奈川大が11位になっても、今度はシード権を獲得した早大の記事が多かったはず。
渡辺新監督の就任1年目という話題はありますが、今の早大に渡辺監督の現役時代のように強く、スター性のある選手はいません。空山選手の活躍はもう、3年も前のことですし。しかし、それでもやっぱり、早大なのです。結果の良し悪しに関係なく、注目される存在ということ。早大という大学全体が、長い年月をかけて育んできた大学のイメージが世間に定着しているのです(俗に言うブランド大学)。
メディアも話題性のある早大を取り上げた方が安心感がある、ということでしょう。世間一般を相手にする新聞などのメディアは、それでいいのでしょうが、特異性を出すことで初めて存在価値の出せる寺田のようなフリーランスが、ここで同じことを書いてもダメなわけです。今回はシード権争いの記事は書きませんが、そうですね、仮に書くとしたらボーダーラインの記録が過去最高だということを書くと思います。
現行コースとなった99年大会以降の10位記録は以下の通りです。
99年:11時間29分47秒(シード校は9位まで)
00年:11時間23分27秒
01年:11時間29分48秒
02年:11時間22分40秒
03年:11時間17分33秒(この年から10位までがシード校)
04年:11時間21分48秒
05年:11時間14分49秒
増減を繰り返しながらも、傾向としては明らかに右肩上がり。中大の田幸寛史駅伝監督が9月の取材の際にチラッと話していた、箱根を目指す大学全般における以前との強化方法の違いが背景にあるのでしょうか。
えっ? 200km以上の超長距離の大会だから、気象コンディションの影響が、5分10分の差となって表れる? 比較するのはナンセンス? そう思う人は優勝記録の推移を調べてみてください。
◆1月5日(水)
今日は陸マガの箱根駅伝記事の締め切りです。城西大と山梨学大はスムーズに書けましたが、中大は苦労しました。書きたいネタが多すぎるのです。具体的にどうしたとは、ここでは書けません。発売後には少し、執筆事情を明かせるかも。でも、その頃にはきっと、忘れているでしょう。
箱根駅伝が骨髄バンクのPRにも一役買っていることを、12月11日の日記で紹介しました。3年前に骨髄バンク「全国協議会」理事、「公的骨髄バンクを支援する東京の会」の大橋一三氏(「箱根駅伝における骨髄バンク普及啓蒙活動実行委員長」)が、国士大時代に同級生だった久保田譲氏(元エスビー食品マネジャー)を通じて関東学連に働きかけたのがきっかけです。詳細は下記のWEBサイトをご覧ください。
特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会 http://www.marrow.or.jp
一昨日の日記に書いた箱根駅伝閉会式の会場変更への反対意見に関しては、同業者、関係者の方から賛同のメールをいくつかいただきましたが、別の見方もできるのでは、というご意見もありました。
関東学連としては、優勝チームとMVPの金栗杯選手以外を大きく取り上げて欲しくないのでは? という推測ができるというのです。確かに、現場指導者たちの間からも、「箱根は大してレベルが高くないのに、メディアに注目されすぎている。選手によくないことだ」という意見も聞きます。関東インカレだったら、2位以下の選手を取材することは、まずないでしょう。オリンピックに出場しているような種目や長距離種目を除けば、ですけど。
参加チーム数を15校から19校+1選抜チームに増やしたのも、同じ考え方と推測できる、とも指摘されています。この拡大措置により、力のある大学は、予選会にピークを合わせなくても通過できるようになりました。つまり、予選会通過や、本戦でシード権を取る取らないで、各大学が目くじらをたてなくても済む。その結果、予選会やシード権争いというレベルの低い部分を、記事にする必要もなくなる、ということです。今回は明治大学が予選会3位になったり、早大が本戦で11位と“特殊な大学”(昨日の日記参照)が該当したため、注目が大きくなりましたけど。
実際に昨年10月の予選会だったら、大東大は出雲・予選会・全日本ときっちり3大会をこなすなかで出場しましたし、山梨学大も全日本に向けて調整試合と位置づけたように見えます。中央学大・川崎監督ははっきりと、「予選会突破ではなく、本番を想定した走りをした」と話していました。参加枠の拡大は、いい方向に働いていると思います。
とはいっても、地方紙などのメディアにとっては、2位以下の大学の自県出身選手も取材しないといけません。閉会式場が遠いのは、迷惑この上ない。専門誌も同様です。まあ、関東学連が公式に言っていることではありません。単なる推測なので、あれこれ論評するのも意味はないのですが、もしもこの推測が当たっているのなら、他の方法を考えてほしいと思います。良識ある関係者の気持ちも、わからないではありませんが。
◆1月6日(木)
1月3日の日記に「残りの取材は閉会式前が勝負。もしも寺田が駆け出しの頃だったら、ものすごいプレッシャーを感じていたでしょう」と書いたところ、寺田は箱根駅伝の取材くらいだったらプレッシャーを感じていないと、とられてしまったようです。それは違います。3日の記述も、“駆け出し”の頃だったら、プレッシャーに押し潰されていた、と言いたかったのであって、今回の取材にプレッシャーを感じていなかったわけではありません。実際、中大・田幸寛史監督から次のように言われました。
「嬉しそうですね」
なんで嬉しそうなのが、プレッシャーを感じていることになるのか。それは、こういうことです。
たしか、14:40頃だったと思います。読売新聞から東京ドームホテルへの移動バスの前で、乗り込もうとやって来られた田幸監督をつかまえました。バスは中大と神奈川大の2チームが一緒で(前回の7・8位)、神奈川大の選手・スタッフは皆、もう乗り込んでいます。田幸監督が到着して全員が揃ったら、すぐに出発してしまう可能性もありましたし、田幸監督も自分が取材を受けて待たせてしまうことを気にされていました。
しかし、バス担当の関東学連の役員の方が、「出発は15時だから、それまでは大丈夫」と言ってくれたのです。「ここで取材ができないとヤバイ」と思っていた寺田が、「よかったあ」と思ったのは想像できると思います。その表情が田幸監督には「嬉しそう」と見えるほどだった、というわけです。閉会式会場が変更になった今回は、それだけ取材する側もプレッシャーが大きかった。ホントですよ。ビビリまくっていました。
たまに、取材現場でも冗談を言っている寺田ですが、それは余裕があるから言っているのではありません。逆に余裕がない状態なので、余裕を持とうとして言っていることなのです。その辺が、指導者たちの余裕から生じるギャグ、とは根本的に違うところでしょう。
決して謙遜ではありません。寺田は間違いなく、ノミの心臓です。いくら経験を重ねても克服できない。例えば、11月13日に下呂駅のホームで(翌日が中部実業団対抗駅伝取材)陸マガ編集部のY口君から原稿依頼の電話があったときです。箱根駅伝展望増刊の箱根駅伝2005で、駒大の原稿を担当して欲しいという依頼でした。事前に取材が可能な、空いている日を提出してあったのですが、駒大側の都合のいい日が、その中に含まれていたのです。しかし、4連覇のかかった駒大で、巻頭の5ページ記事。これは、ものすごくプレッシャーのかかる仕事です。電話口でかなり、グチグチ言って結論を出すのを引き延ばしたと記憶しています。
では、どうして引き受けたのか? プレッシャーを克服できそうな何かが、寺田の中にあったのか? それは……企業秘密です(単に、お金のため、という理由だとカッコ悪いですからね。何かがある、と思わせておくわけです)。
◆1月7日(金)
コンビニの雑誌コーナーを何気なく見ていたら、この表紙が目に飛び込んできました。秒速12m弱のスピードで。いつも載っているものとは全く違う雰囲気の雑誌ですから、思わず「シンゴ、なんばしちょっと?」と、声に出してしまいました。もちろん、買いましたよ。4ページのインタビュー中心の記事も掲載されていましたから。間違いなく、生まれて初めてだと思います、MEN’S CLUBを買ったのは。陸マガより安いんですね。それが可能となるのは、広告の量の違いです。記事も半分以上はタイアップでできてしまう性格の雑誌ですから。そういったメジャーな雑誌の表紙を陸上選手が飾ったのですから、喜ばしいことです。
今月の日記のアイキャッチは「2005年の注目はセンゴとシンゴ」にしました。アテネ五輪で結果を出せなかった末續慎吾選手ですが、だからこそ、その後に注目したい選手、という意味です。この冬から本格的に、肉体改造に取り組んでいるとのこと。これまで控えめだったウエイトトレーニングも、相当にやり始めたようです。だから、今年は「結果が簡単に現れるとは思っていない」シーズンになります。もちろん結果が出るに越したことはありませんが。
ところで、シンゴは何も末續慎吾選手だけではありません。川畑伸吾選手にも今年は注目しましょう。03年後半から調子を上げてきたので、シドニーに続いてアテネ五輪代表にもなるのかな、と思っていたら、昨年は故障でダメでした。どう立て直してくるかが注目されるシンゴです。
さらにもう1人、注目のシンゴといえば箱根駅伝優勝の駒大で、エース区間の2区を走った佐藤慎吾選手(3年)。日本インカレのハーフマラソン優勝者で、駒大でもエース格の選手ですが、箱根の結果はご存じの通り、区間9位でチームの順位も1つ落としてしまいました。駒大は2区にエース格の選手を起用してきますが、2区を“つなぎ”と位置づけ3・4区で攻めることも多い。今回、佐藤選手が絶好調なら“攻める”区間にもなったのでしょうが、絶好調とは言えない状態で、いかに粘り強く走るかが役目だったように思います。
しかし、それで納得する佐藤選手ではないでしょう。出雲のアンカーでも抜かれてしまいましたが、それは相手がサイモン(日大)選手だったから。前回の箱根3区でも、全日本大学駅伝1区でも、トップを奪う走りを見せています。大八木弘明監督からも「外さない選手」という評価を受けていますが、今回は1時間09分33秒……評価が微妙なところでしょう。1万mのベストは29分台ですが、同じ駒大3年の齋藤弘幸選手と同じくらいの力はあると言われていますから、トラックでも奮起すれば28分30秒前後は出せるはず。ルーキーのダブル佐藤に、学生長距離が甘くないことを見せつけるくらいの気概でやってもらいたい選手です。
◆1月8日(土)
昨日の日記でアイキャッチの「2005年の注目はセンゴとシンゴ」の、“シンゴ”の意味を説明しました。“センゴ”は何かと言えば、2005年は戦後60年ということではなく、1500mが注目される年だということです。
まずは男子1500m。小林史和選手(NTN)が昨年3分37秒42と五輪種目では最古の日本記録を更新しました。同時に、B標準も突破したのですが、今回の世界選手権から日本陸連の選考方針が大きく変更され、日本選手権で優勝しても、前年の標準突破では(AでもBでも)、即時内定はしないシステムになりました。理事会で選考される可能性もありますが、その辺を踏まえて小林陣営がどう戦略を立てるか。
短距離・跳躍・投てき種目は国内でも記録を出せる環境なのですが、中・長距離種目はペース設定や選手の力量の部分で、正直言って難しい状況です。海外に出て記録を狙うレースをするか、国内で圧倒的な力を見せるか。国内だと辻隼選手(ヤクルト)もいますから、そう簡単にはいかないかもしれません。ただ、国内でも記録を狙うためのレースが組まれるようにはなってきていますし、3分30秒台も出るようにはなっています。
ちょっと難しい判断になりますが、これは練習の進み具合を見て、小林選手陣営が判断するしかなさそうです。昨年のうちに海外在住の代理人と契約をしたのは、素早く動けるという点でプラスになる戦略だったと思います。
1500mで忘れてはいけないのがジュニア記録保持者の佐藤清治選手。昨秋、トヨタ紡織に入社しました。すぐに復活をと周囲がプレッシャーをかけてもいけませんから、長い目で見て、復活を待ちたいと思います。
女子1500mでは田村育子選手(グローバリー)の復調に期待したいと思います。中距離選手のなかでも評価が高いのは、やっぱり彼女の動きの良さから。藤田監督にはマラソンだけでなく、中距離選手の育成でも頑張ってもらいたい、という意見もよく……ではなく、頻繁に耳にします。
田村選手の他にも、昨年の日本選手権に勝った渡辺いくみ選手(UFJ銀行)、アコムの宮崎千聖選手、アコムに入社する桑城奈苗選手(筑波大)、そして800 mの杉森美保選手(京セラ)と、期待の選手が目白押し。めちゃくちゃ期待される種目ですよ、2005年の女子1500mは。
順大の鯉川監督が自身のサイトで、箱根駅伝のフィニッシュ地点に移動中の順大選手が、渋滞の首都高を歩いてしまった(順大箱根選手が首都高歩く=報知新聞)ことの反省を書かれています。それと一緒に嘆かれているのが、学生選手の常識のなさ。詳しくは、鯉川監督のサイトをご覧願うとして、ちょっと耳が痛いのが「めんどくさがって、嫌われるのを恐れて?”お小言”を言わなくなった親や教師の責任は否めないだろう」という部分。確かに、そういった風潮は社会全体にあるように感じますし、そういう立場にはないですけど(親でも教師でもない)、自分自身にも該当しそうなことです。
見かけは今でも学生選手と区別のつかない鯉川監督だが、「口うるさいおばちゃん」になる覚悟だという。寺田には何ができるだろうか。ここを「説教日記」と改めて寺田が……説教を書いても面白くないから、1週間に1回くらいの割合で鯉川監督を取材して、そのコメントを紹介するとか。
◆1月9日(日)
昨日、小林史和選手のことを話題にしました。小林選手は岐阜県出身ですが、現在はNTN所属で三重県登録。棒高跳前日本記録保持者の小林史明選手は、現在の登録はどこなのか知りませんが、三重県出身です。昨年の浜松中日カーニバルで惜しまれながら引退しましたが、小林史明選手が母校の宇治山田商高で教育実習をしたとき、野口みずき選手が生徒にいた、という話をSPOTで見ました。
この話は、何へぇ〜(トリビアの泉)でしょうか。11月4日の日記に、資生堂の川越学監督が鹿児島南高で、東京ランナーズ倶楽部の浜田さんの教え子だったと紹介したら、ホンダの矢野コーチが面白かったと言ってくれました。矢野コーチと川越監督は確か、同学年だったと思います。日記では5へぇ〜としましたが、7へぇ〜にしてもいいネタだったようです。浜田さんと川越監督では、イメージが重ならないということでしょう。
その点、小林史明選手と野口みずき選手は、種目もキャラも違いますが、宇治山田商高出身の有名選手同士ということですし、学年も4つ違いとすぐに思い出せます。浜田・川越コンビと比べれば、ありそうな話ではあります。4へぇ〜くらいでしょうか。
教育実習中の選手と、その教え子というパターンでは、確か弘山晴美選手と市橋有里選手も、そうだったと思います。徳島県で中学が一緒なんですね。
同じケースで意外というか、普通だったらちょっと関連づけられないのが、大塚製薬の河野匡監督とISHIRO記者。ISHIRO記者の中学だったか高校に、筑波大の体育学部の学生が教育実習に行くのが慣例となっていたみたいです。それとも、筑波大の附属中学だったのかな? だいたい、2人の年齢差がよくわからないので、中学か高校か特定できないのです。内輪ネタではありますが、3へぇ〜くらいのネタでしょうか。
最後にもう1つ、“これは”というトリビアネタがあるんです。女子100 mの日本記録保持者が、福島大の大学院生だって知ってました? えっ、知っている? 2へぇ〜くらいのネタには……ならないか。
◆1月10日(月・祝)
成人の日だそうです。いつの間にか1月15日じゃなくなっていたんですね(気づくのが遅すぎる?)。陸上界で新成人といえば、大野龍二選手と高平慎士選手が双璧。オリンピックでこそ力を出せませんでしたが、それはまあ、今後の課題ということで。何度も言いますが、最初から五輪・世界選手権で力を出し切れる選手は少数派。経験が次に生きます。室伏広治選手でさえ、95年と99年の世界選手権は力を出し切れませんでしたた。99年はケガもあったと、最近の記事で読みましたが。
話を大野選手と高平選手に戻しますと、2人とも昨年のうちに日本選手権優勝者&五輪代表にまでなるとは、まったく予想していませんでした。大野選手は九州実業団で優勝したときも確か自己新で、それ以上の走りが日本選手権でできるとは思いませんでした。日本選手権でも驚かされましたが、その後のホクレンで高岡寿成選手に競り勝ったときに、この選手は本当に強いんだ、と思いました。
高平選手に関していえば、1年の秋から好調でしたが、アテネ五輪はよくてリレーメンバーかな、と思っていました。取材でも「4×100 mRか4×400 mRか?」と、何度か質問していたのが寺田です。その都度、高平選手は「個人で、200 mで行きます」と答えていました。日本選手権の200 m決勝の翌朝、高平選手が数人の記者と話をしていたのですが、そのときに寺田がまず話しかけたのが「リレーの話ばかりしてゴメン」でした。
ところで、高平選手と楽天に入った岩隈投手って、ちょっと似ていますよね(岩隈投手のサイトはこちら)。最近、気づいたことなので確認できていませんが、これは本人やその周囲では話題になっているでしょう。
アテネ五輪関係(?)でいえば、柔道五輪3連覇の野村選手とミズノの鈴木さんも似ています(写真が見つからない!)。
あと、昨年中に確認が取れたところでは、山口有希選手と綾真澄選手。綾選手に質問したところ、似ていると言われたことがあるそうです。もう1組は野口みずき選手と中井祥太選手。これは、12月の東海大長距離ブロックの共同取材の際に、一井裕介選手に質問したら、東海大の選手たちの間でも話題になったことがあるそうです。
川畑伸吾選手と、ドジャーズの石井投手も似ています。かなり以前に本人にその話をすると、「球筋が似ているって、よく言われます」と、まんざらでもない様子でした。
テレビのニュースを見ていると、成人式の会場で、新成人たちに何を誓ったのかを質問しています。「自立できる人間になりたい」とか「社会に貢献できる人間になりたい」とか、とっても立派な言葉が飛び出してくる。それが悪いというわけではないのですが、ちょっと薄っぺらい印象がありますね。しょせん、20年の人生経験から発せられた言葉です。
人生の成熟が100 mの10秒00とすれば、20歳は10秒70くらいでしょうか。その段階でもそこそこ強いけど、実はその先が面白いんだ、という段階。いえ、やっぱり11秒30前後かもしれません。10秒台に向けてやっと方向性が見えてきた、くらいの段階ということで。
いずれにしても、スポーツと違って人生の20歳は、それほど大した段階じゃないのです。そこで思いついたのですが、40歳とか50歳でも第二成人式、第三成人式をやるのはどうでしょうか。その年代の方が社会的な影響もあるし、40年、50年と人生経験を積んだ人間が新たに何かを誓った方が、よっぽど重みもある。それをした方がいい人間も、多いような気が…。
◆1月11日(火)
サンスポ・サイトに高橋尚子選手のインタビュー記事が掲載されました。こういう独占取材の記事は紙面だけの掲載ということが多いですから、WEBサイトにまで載せてくれるのは大変にありがたいことだと思います。毎日新聞も通常の報道記事をかなり丹念にWEBに出してくれる。報知新聞もほぼ、紙面と同じ記事だったように思います。1月に男女の全国都道府県対抗駅伝を主催する京都新聞(全国都道府県対抗女子駅伝)と中国新聞(全国都道府県対抗男子駅伝)も、特集を丁寧に載せてくれますね。寺田のように資金力のない個人事業主には、本当にありがたいです。
唯一の不満は、Qちゃんの写真が面白そうな絵柄なのに、小さいことです。クリックしたら拡大表示できるようにしてくれればいいのに。と、思って帰りの電車に乗ると(実は、今年初の帰宅)、斜め前に立ったお兄さんが広げていたサンスポには、その写真が1ページ左右全面を使って、デカデカと載っていました。やっぱり、迫力があります。まあ、そうですよね。WEBサイトの読者は、タダで見ているんですから。文句は言えません。
朝日駅伝のWEBサイトは、今日になってやっと区間成績が掲載されました。インターネットの特性を考えたら、昨日のうちに掲載して欲しかった、と思っているファンも多いのじゃないでしょうか。同じ九州の駅伝でも、九州一周駅伝2004に比べるとちょっとあれですね。その辺は、テレビ局と新聞社の違いでしょうか。これは、何もこの2つの駅伝に限らず、駅伝サイト全般に言えることかもしれません。電波メディアと活字メディアの違いで、仕方のないことなのでしょう。新聞社が運営する駅伝サイトは、紙面で提供している記事を出せますが、放送局のサイトではそれができない。
そうか。1つ思いつきました。そういった電波メディアが運営するサイトに記事を売り込む、という手がありますね。狙い目かもしれません。でも、現時点ではWEBサイトって、メディアとしての価値が低く見られているんですよね。新聞社もあくまで、紙面の記事を転用できるから、あそこまでできるわけで。まあ、5年後には少しは変わっているでしょうか。
その朝日駅伝は日清食品が優勝。ニューイヤー駅伝の1・2位が出場していなかったとはいえ、徳本一善&小川博之の両選手を欠いての優勝。やっぱり、選手層は厚いですね。この辺は、陸マガ2月号の記事でも触れていますので、ご覧いただければと思います。それにしても、新聞記事は「6区の諏訪が2位に浮上して……」というものばかり。ちょっと違うんじゃない、と言いたいですね。確かに、オリンピック入賞者の存在は大きいですよ。でも、今回の成績を見たら、諏訪選手じゃないでしょ。日本のメディアの五輪偏重主義は、ここまで来ると悲しいものがあります。
この駅伝は、今後注目すべき選手がはっきりする大会。2区の瀬戸智弘選手は実績からして当然ですが、ニューイヤー駅伝の欠場から短期間で立て直してきました。マラソン挑戦も予定されているだけに、ちょっと注目です。1区の前田和浩選手(九電工)、3区の藤井周一選手(日清食品)、7区の安藤真人選手(山陽特殊製鋼。区間2位に46秒差!)ら区間賞を取った選手もそうですが、2区で瀬戸選手に迫った飛松選手(安川電機)、ニューイヤー駅伝2区区間3位の家谷和男選手(山陽特殊製鋼)に勝った加藤俊英選手(ホンダ)らの今後が楽しみです。中村悠希選手(カネボウ)も1区区間3位と安定してきました。
朝日駅伝や、全国都道府県対抗男子駅伝の前に中国新聞が主催していた中国駅伝の面白いところは、実業団チームに混じって大学チームが走ること。以前にも書きましたが、20〜30年前には順大や日体大が出場していました。箱根駅伝でめちゃくちゃ強かった日体大とかが、中国駅伝では4位とかで、どうなっているのか理解ができなかった頃もありました。寺田も若かった、ということでしょう。
今回は大東大と東洋大が連合チームを作って参加しました。箱根駅伝の直後でコンディションは万全ではないでしょうし、もとより、実業団チームには勝てっこない。それでも、若い選手には貴重な経験となったはず。本当に、経験するだけでプラスとなるのですから、全国都道府県対抗男子駅伝の方に選手が多く出る大学は別として、箱根の大学(箱根町にある大学、という意味じゃありませんよ)も、もっと積極的に出ればいいのに。金銭的な問題もあるかもしれませんが。
それにしても、どうして大東大と東洋大の組み合わせなんでしょうか。「大東洋大学だからですよ」と、只隈監督(大東大)は言っていましたが、只隈監督は福岡県出身、東洋大の川嶋伸次監督は旭化成出身。ともに、朝日駅伝に理解があったのでしょう。
◆1月12日(水)
今日は自宅で仕事をして、遅めの午後から都心に。
某社に18:30〜19:00に着く予定が19:15になりそうだったので、18時に電話をすると会議中で担当者が不在。電車の乗り換えの時なんかに、もう2回ほど電話をしても会議中。19時過ぎに電話をしても隣の部署の人間が出ます。その担当者の携帯に電話をしようかとも思ったのですが、会議の邪魔をするのもなんです。遅刻がバレなかったので、メデタシ、メデタシです。
結局、会議が終わって寺田の携帯に電話が来たのが20:30頃。1時間以上、予定外の空き時間ができました。以前にも書いたように思いますが、こういう不可抗力の流れで時間ができると、とっても嬉しいのです。今日は、その時間を書店での立ち読みに充てました。久しぶりに週刊プロレスを立ち読みして、「知ってるやつがいなくなっちゃったなあ」とかつぶやいていました。その一方、元編集長のターザン山本氏は同じコーナーに置いてある別の雑誌で、相変わらず好き放題話しまくっているなあ、とか。谷川貞治氏も別の雑誌にインタビューが載っていて、彼もベースボール・マガジン社OBなのですが、ターザン山本氏とは対照的な路線だなあ、とか。元から、キャラが対照的です。ちょっとした感慨にひたっていました(80年代末に7カ月ほど週刊プロレス編集部に在籍していたのです)。
陸上競技マガジンOBも野口純正氏はATFS日本の中心的存在で(在職中からそうですが)、伊藤隆司氏はアジャンシーショットの代表で(やめたのは寺田の入社前ですけど、っていつだよ)、寺田は行く先の見えない陸上競技報道人……とか考えていると、どうしても昨年亡くなった八田さん(陸上競技マガジン前編集長)のことを思い出してしまいます。10数年の時間を共有した相手がいなくなったわけで、「なんで自分は生きていて、こうしていられるのだろう」とか思ってしまうのです。この気持ちは、上手く説明できないのですが。
そういえば箱根駅伝の取材時にも、同じような気持ちになりました。読売新聞のM田カメラマンが画像復旧のフリーソフトをMOで渡してくれたのですが、彼とはサグレブで一緒に昼食を食べた仲。そのときは前陸上競技担当の近藤記者(プリンス近藤)も一緒でした。箱根駅伝といえば近藤記者ですが、今は千葉支社勤務で箱根駅伝の会場に姿はありませんでした。オリンピックを境に異動があるのがアマチュアスポーツ担当記者の常。陸上競技担当記者の顔触れも変わってきています。
中日新聞と中日スポーツの陸上競技担当だった記者が2人とも、プロ野球のドラゴンズ担当に異動になりました。冷静に見たら、能力を評価されての栄転です。でも、中部地方の陸上競技選手は今、すごく充実していますよね。室伏広治選手と野口みずき選手を筆頭に、日本記録保持者も岩水嘉孝選手、小林史和選手、今井美希選手、内藤真人選手、室伏由佳選手と揃っていて、陸上競技担当もドラ番並みに重要だと思うのですが。高橋尚子選手もいますしね。内藤選手は前日本記録保持者ですけど。
その点、寺田は組織内部の異動とは無縁の世界にいるわけで、常に去っていく人たちを見ているだけ。寂しさを伴った複雑な気分です。メランコリック・ライターですね。支離滅裂ライターともいいます。でも、別れがあれば出会いもある。言い古されたことですけど、気持ちを切り換えて頑張りましょう。最後は陳腐な締めですね。
◆1月13日(木)
昨日は大阪国際女子マラソンの展望記事の締め切りで、今日は年賀状の締め切り。
年賀状は締め切りというよりも、いい加減に書かないとまずい、という状況だったわけです。実質的には締め切りみたいな感覚でした。どうでもいいことですが、寺田の年賀状作製作業を紹介しましょう。
年賀状には昨年1年間の出来事を裏面(宛名の反対側の面のこと、裏面と言っていいのでしょうか)にビッチリと書いていますが、ネタはだいたいこの日記の中から拾えます。この執筆作業は時間的には2〜3時間。これを枚数分印刷するのに、2時間くらいはかかります。インクジェットプリンタにセットできる枚数は一度に20枚くらいですし、一番綺麗なモードで印刷すると1枚に1分くらいはかかるんですよ。5年前発売の機種ですし。データベースの宛名の変更と新規入力に1時間、年賀状ソフトの宛名印刷フォーマットに変換して、体裁を整えるのに1時間。こっちの印刷は約30分くらいです。
ここまでで約8時間。印刷後は、1枚1枚に短めのコメントを手書きで書いていきます。全部で13時間くらいの作業でしょうか。1年の674分の1の時間を費やしているわけです。そう考えるとかなりのエネルギーを注ぎ込んでいますね。でも、それだけの価値があると思っています。年賀状の半分は仕事関係ですから、年始の挨拶と、ちょっとした営業の意味合いもあります。個人的な知り合いには、年に一度の近況報告ですね。
それにしても、年内に書けないのは何故でしょう。昨日の大阪国際女子マラソンの展望記事も、取材は12月29日に終わっていました。もっと早く書けてもよかったわけです。確かにニューイヤー駅伝、箱根駅伝と年末から準備がありますし、レースが終われば怒濤の締め切りも続いたわけですが、問題はむしろ、締め切りが近くならないと書かないというか、書けない寺田の側にあるのでしょう。
しかし、各方面に話を聞くと、これは寺田だけの習性ではないようです。大多数の書き手に共通することみたいですね。別に、今になって気づいたわけではなくて、もう何年も感じていたことですが。こう書くと、言い訳をしているな、と思うでしょう。しかし、最近になってあることにはたと気づきました。ある意味、物理的といってもいいような法則です。
つまりこの現象は、書き手側の習性というよりも、“締め切り”という存在に一種の重力(引力)があるのです。近くなるとその重力に引かれて原稿が書きやすくなる、のではないか、という仮説です。レポートに追われている学生諸君、論文に追われている助教授の皆さん、そう思いませんか?
昨年のシーズンが始まる前、末續慎吾選手がスタートを改善していました。「地球の重力と喧嘩をしないように、体重を前にかけて“おっとっと”っとつんのめるような形で、力を使わずにスタートするんです」と説明してくれました。そのとき、締め切りに引かれて作業をするライターと一緒だな、と思ったのは寺田だけでしょうか。何人かの記者も、そう思ったはずです。
◆1月14日(金)
一昨日の嬉しい“予定外の空き時間”には、本も1冊購入し、電話が来るまでに30ページほどカフェで読みました。こういうのが、優雅な時間だと自分では感じています。読みやすい作品で、昨日中には90ページ、そして今日、290ページと全て読み終わりました。もしかして、閑なんじゃないかって? いえいえ、ちょっとだけ、読書モードに入れただけのこと。間違いなく、陸マガを1冊読む時間よりも少なかったはずです。
そう。本日は陸マガ2月号の発売日です。寺田は大会の記事では全日本実業団対抗女子駅伝の資生堂と小ネタ、ニューイヤー駅伝の3・4位と小ネタ、箱根駅伝の中大・山梨学大・城西大を書かせてもらいました。企画ものでは2005日本陸上界展望と、ポスト・アテネ企画の女子短距離です。そのなかで、「なにこれ?」と思ったことが1つありました。
12月に世界選手権の標準記録が発表されましたが、その注釈文を読んでいたら、競歩の標準記録が認められる条件が、国際陸連か地域陸連主催大会だけとなっていました。それ以外の大会は、コースの公認条件や国際審判資格を持っている審判の人数、そして、国際陸連への申請などが必要というのです。そのまま解釈すると、日本の選考レースである1月の日本選手権競歩や、4月の輪島のレース(50kmWは日本選手権)で標準記録を破っても認められないのです。
しかも、昨年の記録も上記のような所定の条件を満たしていないとダメ。つまり、競歩で標準記録を突破した日本選手は「ゼロ」になってしまっていたのです。これは、一大事です。歩型に厳しく臨む国際陸連の姿勢の表れですが、それを、このタイミングで決定するのが信じられない。昨年のうちからわかっていれば、選手たちもレース選択など、対応できたと思うのですが。これを受けて日本陸連がどのような対応をしているか……は、陸マガを読んでください。
女子短距離の原稿を書いていて、「これは!」と気づいたことがあります。
坂上香織選手が引退し、現時点での4×100 mRメンバー候補は小島初佳選手、鈴木亜弓選手、石田智子選手、信岡沙希重選手、瀬戸口渚選手の5人。
◆1月15日(土)
昨日の日記の続きです。
陸マガ2月号で記事を書いた女子短距離の現時点での4×100 mRメンバー候補は、小島初佳選手、鈴木亜弓選手、石田智子選手、信岡沙希重選手、瀬戸口渚選手の5人。学生時代から活躍していた選手たちで、全員が日本インカレの優勝経験があるはず……と思って確認したら、やっぱり5人とも勝っていました。寺田のメモリーは健在のようです。12月に写真データが壊れたフラッシュメモリーとは違って。話を元に戻して、そのインカレ優勝経験さえある5人のうち、ストレートに今の会社に入っているのは小島選手と鈴木選手の2人だけ。他の3人は別の登録で試合に出ていた年があります。
このことは、女子の短距離が置かれている位置を示しているのかな、と感じました。男子のように日本のトップ=五輪代表になれる、というわけではない。でも、その可能性があるから、大学卒業後も頑張って力を伸ばしている選手は、存在価値が認められて競技優先の環境を獲得できる。受け入れる側の採用事情もあるので、簡単に言い切れない部分もあるかもしれませんが、大筋では間違った見方じゃないと思います。
アテネ五輪代表では、男子走幅跳の寺野伸一選手と七種競技の中田有紀選手も、同じような感じでしょうか。それ以外は、だいたいストレートに実業団チーム入りができています(そうか、向井裕紀弘選手があれですね)。微妙なポジションの選手に、こういったケースが多いということです。女子競歩の川崎真裕美選手は就職に際し、地元の先生の尽力が大きかったと聞いています。後述する瀬戸口選手と似たケースでしょうか。
考えてみたら、女子短距離は100 m日本記録保持者の二瓶秀子選手も、実業団選手ではありませんでした。大学卒業後は通常の教員として働きながら力をアップし、大学院に入り直して日本記録を出すに至りました。すいません、教員時代にも200 mで日本記録を出しています。川本和久先生と抱き合って喜んでいる写真を、福島の新聞社から提供してもらって陸マガに掲載した記憶があります……と思って確認したら、肩に手をやっているだけでした。その前後で抱き合ったかもしれませんが(冗談で書いているのでなく、それだけ、魂の通った師弟関係だったということです)。
すいません、ちょっと長くなりそうですし、ネタ自体、日記でない方がいいように思います。エッセイか何かで、独立させようと思います。
杉田かおるネタも、後日。
◆1月16日(日)
朝の7時から日記を書いています。今日は全国都道府県対抗女子駅伝のテレビ取材。WSTF(新宿の作業部屋)に来客もあります。
昨日は家族T氏がWSTFに来て、15:40頃に新宿駅で食事。その後、彼女は目黒に、寺田は新宿で買い物をしました。相当に、用事(買う物?)がたまっていました。
まずは、カメラ屋に行って、12月の取材中に壊れたフラッシュメモリーの代替品を受け取りました。幸い、中のデータ(写真)は全て、復旧してCDに保存されて戻ってきました。メデタシメデタシ。でも、代替品でもらったそのメーカーのフラッシュメモリーは、絶対に使いません。中古ショップに売却予定。256MBですから、2000〜3000円で売れるでしょうか。
ソフマップで海外製の安いDVDメディアを購入。フラッシュメモリーで懲りているはずなのに、なんでまた格安品? と思われるでしょうが、取材で撮影する写真と、映像の録画では重要度が違うので。単に、貧乏だから、なのかもしれません。
次に、散髪。その後、東急ハンズで薬缶と鍋、それにコーヒーを淹れるための用具を一式、揃えました。豆も自分で挽こうと思って、アンティークなこんなミルを購入。フィルターは紙製ではなく、セラミックのフィルターのもの。味がまろやかになるそうです。コーヒーに限らず、お酒とかも。本当でしょうか? というか、微妙な味の違いが寺田にわかるのか?
なんでまた、コーヒーに凝るのか。モンカフェでもいいのに、と自分でもちょっとだけ思います。狙いは、雰囲気に浸ること。豆を挽くところからやれば、相当に気分転換になりますから。結局は、仕事のため? と、馬鹿にする人には、仕事も人生の一部です、と申し上げましょう。仕事の気分転換、イコール人生の潤いです。と、威張って言っている割には、まだ、1杯も淹れていませんけど。
実は今日、野口純正氏から記録集計号のデータが届くのです。そうです。今年も記録集計号の版下作製作業の時期がやってきました。早くも、2005年の山場です。
午後、WSTFに藤原正和君の来訪を受けました。まさか、って? これが証拠です。そう、ホンダの藤原正和選手とは同姓同名。学生時代に陸マガでバイトをしてくれたことがある人物で、5年前の水戸国際で再会しました。といっても、そのときでもずいぶん久しぶりのことで、お互いに顔は忘れていました。移動のバスの中で寺田と田辺清一先生(記録集計号の日本100傑などを集計されています)の会話の内容から、彼が気づいてくれたのです。
今回は、寺田のサイトを見た藤原君(といってももう、30歳代後半なのですが)がメールをくれて、会うことになりました。千葉県在住。仕事は陸上競技とは関係ありませんが、今でも水戸国際に足を運ぶくらいなので、陸上競技の話がストレスなく進みます。藤原君はH大大学院を出て、アメリカの超名門大学にも留学経験のある秀才。寺田のビジネスに関しても、陸上界についても鋭い指摘をしてくれました。時間を忘れ、ついつい話し込んでしまいましたね。
中でも彼の高校時代の話はめちゃくちゃ面白かったです。藤原君は東葛高で長距離が専門でしたが(留学中にボストン・マラソン、最近はベルリン・マラソンを走っているとか)、あの清水進先生の教え子。順大つながりで小出義雄監督の指導する佐倉高と合同練習をしたり、新居利広先生の指導する八千代松陰高や故・滝田先生の指導する成田高、鈴木秀夫監督の銚子西高などと一緒の場所で練習をしたのだそうです。こう見ると、その頃の千葉県の高校の指導者は、その後、ものすごい実績を残された方たちばかり。タイムマシンで行ってみたい時代ですね。
必然的に、当時は高校生だった積水化学・深山監督や東海大・大崎栄コーチ、豊田自動織機・滝田コーチといった名前もどんどん出てくる。最近の小出監督に対する、寺田の要望なんかも話の中に出てきて、これも我ながら斬新なネタだと思いました。陸上ファンに聞かせてたい話ばかりでしたね。寺田のビジネス方針などは、聞かれたらまずい部分ですけど。
本当に有意義な再会。WEBサイトを運営する思わぬ効果と言えるでしょうか。
夜は記録集計号の仕事にとりかかりました。深夜、さりげなくテレビを見ていて、ものすごい発見をしました。これについてはまた、後日。これは必ず書きます。と言っていて、書かないこともあったので、今回は「このネタは書きません。僕は嘘つきですから、書きません」と言っておきます(上野裕一郎選手のパクリです)。
電撃結婚した杉田かおるネタは、いつ書きましょうか。陸上界と、こんなつながりがあったとは、本当に意外です。実は三重大の杉田正明助教授のお姉さんで、一緒に頑張って借金を返した、という話はまったくありません。
◆1月17日(月)
阪神淡路大震災から10年。あの日は、朝起きてすぐに自宅から神戸に住む選手に連絡をしようとして、何度も電話をかけたのですがつながりませんでした。その年のニューイヤー駅伝7区で区間賞を取った若倉和也選手(当時ダイエー、現小森コーポレーション・コーチ)。当時は携帯電話は普及していませんでしたから、会社も自宅も通じないとなると、どうしようもありません(今のように普及していていても、災害時はどのくらい通じるかわかりませんが)。しばらくしてテレビを付けてやっと、事態を把握しました。
大震災が兵庫県の選手に与えた影響などについては、K新聞元陸上競技担当のO原記者が寄稿してくれた「まもなく震災から丸10年」が言及しています。
今日は12:00から、水道橋の東京ドームホテルでコニカミノルタのニューイヤー駅伝優勝報告会。過去の優勝報告会は八王子のホテルで、陸上競技関係者中心のものですが、それ以外にも、取引先を中心とした関係者への報告会も、都心のホテルで催していたのだそうです。今回はその2つをまとめて、規模を大きくして行ったとのことでした。約600人の来場者でした。
ですから、演出も八王子のときと比べると派手めに(最初は、ミノルタと合併してイベントを仕切る広告代理店が代わったのかな、とか思っていました)。写真を取り損ねてしまいましたが、最初の選手紹介のときの選手たちの腕を上げるポーズが格好良かったです。その中でも一番、さまになっていたのがアンカーの前田和之選手。S本ディレクターに「一番いいところを撮らないなんて」と、指摘されてしまいました。
壇上に選手が並ぶときは、区間順というのが常識です。この写真は乾杯のときのものですが(乾杯の発声は澤木啓祐陸連強化委員長)。当然、選手の中では向かって左から2番目が松宮隆行選手、5番目が松宮祐行選手。兄の隆幸選手が眼鏡をかけて、弟の祐行選手が眼鏡なしで区別がつきます。たまには茶目っ気を出して、2人が入れ替わってインタビューも受けていたら、面白いのではないでしょうか。わざと何かを言い間違えてボロを出し、わかる人には入れ替わっているのがわかるようにすれば、盛り上がると思うのですが。駅伝で、調子の良し悪しで走る区間を入れ替えたら大ヒンシュクですけど。あっ、そんなことしてもフォームが違うからバレバレですね。
肩書きがちょっと複雑でしたが、社長さん(に相当する方)の挨拶も面白かったです。司会はレース実況も担当したTBSの土井アナ。たぶん、早朝の番組をこなしてから、こちらに駆けつけたのでしょう。それでも、社長さんの競技との接点を示すエピソードを交えるなど、予習もしっかりやられていたようです。最近は早朝の番組で見ることが多いものですから、土井アナの普通の話し方に慣れていましたが、今日は久しぶりに豊かな声量を聞くことができました。TBSからは椎野アナや佐藤文康アナも来てらっしゃいましたが、残念ながら豊田綾乃アナの姿は見られず。仕方がないので佐藤アナと、早大競走部の先輩である渡辺康幸駅伝監督のツーショットを撮らせていただきました。
先に書いたような事情もあって規模が大きくなり、八王子の頃と比べると選手たちと話す機会は減りました(仕方のないことです)。パーティー中は唯一、大島唯司コーチと少し話ができました。大島コーチの名前は唯司と書いて、“ただとも”と読みます。99年の入社なので、今回で6回のニューイヤー駅伝を経験して、そのうち4回優勝というすごい勝率。“ただ者”ではありません。ちょっとレベルが低いですけど、本人が書いていいと言ってくれたので…。
ワイナイナ選手に続くオリンピック代表を出すことも、コニカミノルタの課題です。その件についても大島コーチと話しました。隣にいた中大の田幸寛史監督のある言葉がきっかけでしたけど。寺田のコメント掲載は自粛しますが、大島コーチのコメントも今回は控えましょう。基本的にパーティーは、そういった会話が多いのです。
大学を中心に、指導者たちも大勢来場していました。土曜日に「もう1つの箱根駅伝」という番組を見たばかりだったので、日体大・別府監督の姿を見つけると、さっそくその話題に。痙攣を起こした5区の北村選手を運営管理車から降りて追いかける際に、ダッシュ力が今ひとつだったように感じたのです。聞けば、北村選手の状態がちょっと良くなり、スピードが一時的に上がったところだったとのこと。
でも、考えたら無理もありません。我々はどうしても、指導者たちも元は一流選手だからと見てしまいがちですが、引退して10年も経ったら、選手とは見るからに体型も違います。まして、運営管理車に5時間近く座っている状態なのです。アクシデントは突然起こるわけで、ウォーミングアップもなし。いかに元実業団選手といえども、走れなくて当然ですね。
しかし、今回のようなことはいつ起こるかわかりません。監督たちは、運営管理車の中でストレッチくらいはやっておくべきでしょう。しかし、「もう1つの箱根駅伝」用に日本テレビの小型カメラが、監察車には付いているみたいです。監督がもぞもぞストレッチをしているシーンが放映されたら、ちょっとまずいかも。格好悪いし、選手のアクシデントを予測しているみたいだし。それはないか。いずれにせよ、編集でそんなシーンはカットされるでしょうけど。
日体大といえば、陸マガ2月号の12ページに、10区で区間新をマークして2位に進出した山田選手の写真が掲載されています。コニカミノルタに入社する予定の選手。その背後にISHIRO記者の顔が、けっこう大きく映っています。「マネジャーを通してもらわないと」と、編集部のH川嬢(新ニックネームは……ちょっと控えます)にクレームをつけていました(冗談モード)。ちょっと注目してほしいのは、ISHIRO記者の眉毛。同じページの選手たちとは、太さがえらく違います。
だいたい、こういった席ではあまり堅い話はしないのですが、中大の田幸寛史監督とは真面目モードの話も。寺田がニューイヤー駅伝の区間編成について新しいアイデアを出し、田幸監督は学校スポーツのあり方について持論を展開。具体的には書きませんが、馬鹿話ばかりしているわけではない、ということで。1つ言えるのは、長距離の指導者で田幸監督ほど、一般種目の学生の進路を心配している指導者はいません(たまたま、そういう話を何度かしただけなのかもしれませんが)。
法大は苅部俊二コーチが来ていました。ちょと痩せたような気がします。髭を伸ばし始めたからかもしれません。選手会の要望で来年から日本選手権が7月開催になります。そのことで、数年前まで世界を股にかける活躍をしていた苅部コーチの意見を聞きました。世界選手権・オリンピックに近づけるのなら、もう少し近づけた方がいいのかとも感じていたのですが、近すぎてもよくないようです。1カ月や1カ月半のインターバルなら、ピークを維持したり、上向きにすることは「やり方次第で可能」と話してくれました。
明大の西駅伝監督は、相変わらず穏やかで明るかったです。一緒に話をさせてもらった文化放送の山田ディレクターが浜松西高出身と判明。棒高跳でインターハイ優勝、三段跳2位の神谷晃尚選手の2学年後輩だったそうです。西監督も浜松のスズキで選手、指導者をされていたことがあります。
ゲストが帰る際に選手・スタッフ全員が見送ってくれます。やっと酒井勝充監督と佐藤敏信コーチに挨拶しましたが、遅すぎますね。普段からお世話になっていますから、会の途中で探し出してでも挨拶すべきでした。反省しています。
選手たちともちょっとずつ会話ができました。松宮隆行選手にパーティーなどで立つ場所を弟と入れ替わったことがないのか質問すると「そんな、ないっすよ」と言われてしまいました。磯松選手は「北京まで頑張る」、小澤選手は「磯松さんがやめるまではやめない」と、言ってくれました。高橋正仁選手には駒大の4連勝のお祝いとともに、高橋選手も頑張って欲しいと言いました。故障でニューイヤー駅伝を欠場した坪田智夫選手は、壇上でも表情が冴えなかったので(これも当然)、復活を期待していると言いました。
ワイナイナ選手には「昔、一緒に行ったよな」という意味でロンドン・マラソンの腕時計を見せました。次にシカゴ・マラソンの携帯ストラップを見せると「ください」と屈託のない笑顔で言われてしまいました。シカゴには出場したことがないのです。もちろん、プレゼント……しませんでした。この辺のやりとりは冗談モードです。その後に一転、真剣モードで「北京がターゲット」と話してくれました。
水道橋の駅まではニッポンランナーズ理事長の金哲彦さんとご一緒しました。昨日は全国都道府県対抗女子駅伝のテレビ解説、今日はコニカミノルタの優勝報告会。本当に忙しそうです。箱根駅伝の5区の企画(@今井の区間新により登りは区間1・2位が3分38秒差 あの大久保初男以来、28年ぶりの大差)を寺田のWEBに掲載したら、「(当時木下姓だった)金選手が走った年が違う、瀬古利彦監督と近い世代だ」と指摘のメールをもらったことを告げると、「外見でそう見られるのでしょう」とのこと。そうでしょうか。それほどでもない、と思うのですが(これはお世辞モード)。理事長という肩書きで、年輩に思われるのかも。チェアマンとかチーフなんとかとか、横文字にしたら実年齢に近く見られるかもしれません。わざと年上に見せる事業戦略もありますけど。
パーティーのことを書いていただけなのに、ものすごく長い日記になってしまいました。仕事をしたのかって? 記事にする仕事はしませんが、こうして関係者と話をするのも仕事のうちです。と、言っておきましょう。
◆1月18日(火)
一昨日から記録集計号の巻頭部分(40ページくらい)の作業に入っています。データ自体は野口純正氏が作成しますが、データベースソフトで1行の文字数を整え、テキストデータに変換する作業は寺田の担当で、今朝までにその作業は完了。今日は夕方まで自宅でテレビ番組雑誌の大阪国際女子マラソン展望記事などを書いて、それから新宿の作業部屋に移動。Macで版下作製作業に入りました。Macを使うのは1年に1回だけですが、10年前にこの作業をやり始めた頃に比べると、少しは進歩しています。
パソコン本体は当初のクアドラ650(マック・ファンには懐かしいはず)からパワーブックG3(今はG5の時代?)になり、レイアウトソフトのバージョンが上がり、昨年からフォントも変更しました。OSも漢字トーク7(これも懐かしい)から、デザイン関係者に評判の高いOS8.6に。それなりに投資もしていますから、作業効率もそれなりにアップしています。自身のスキルアップも、少しは効率化に貢献しているでしょうか。
しかし、小さなものですけど、トラブルもそれなりに発生します。昨日までのテキストデータ作成過程で、NECの98パソコン(これも懐かしい)のACアダプタが1〜2時間使用していると、過熱のためか働かなくなるのです。98ノートのバッテリーはお粗末なことで有名で、古いこともあって15分ももたない。作業の中断を強いられ、かなり困惑しました。MacではMOドライブとの相性が悪いのか、つないだ状態でリセットしないと認識しません。このMOドライブを筆頭にUSBへの接続は、全般にちょっと不安定ですね。漢字トーク7の頃と違って、フリーズしなくなったのが救いですが。
こうしたPCトラブルに合うと国際救助隊に助けて欲しくなります。
サンタクロースがいると信じている子供がいるように、寺田は小さい頃からサンダーバードの存在を信じています。ご存じですよね、サンダーバード。他ならぬ国際救助隊のことです。月光仮面じゃありませんが、誰でも知っているけど、彼らが何者なのか誰も知らない、という存在。実は、英国の大金持ちのファミリーが宇宙ロケットや大型潜水艇、ドリルが付いていて地下にもぐれる、なんていうんだろう…とにかく超近代的な救助活動装備を持っていて、ボランティアで困っている人を救うストーリー。科学者も雇っていて、オーナー、運営、そして実務までその一家で全てこなしてしまうという、M伏家も真っ青のスーパーファミリーです。困っているといっても、救う対象は国家規模、地球規模で困っている人や状況がほとんどですが。
当時高校2年生の伊達秀晃選手がたまたまテレビを付けて中井祥太選手の箱根駅伝を見たように、16日の日曜日の深夜に、寺田がたまたまNHK教育チャンネルを見たら、サンダーバードを再放映していたのです。最初に見たのは小学生の頃でしょうか。クアドラや98以上に懐かしいのですが、先ほども書いたように寺田は実際に存在すると信じているというか、いてくれたらいいなあ、と希望的な観測を持っているというか…。締め切りに間に合いそうになくなったり、今回のようにパソコンでトラブった時とか、どこからともなく現れてくれないかな、と。
そうなったら最高なのですが、国際救助隊が駅伝に出て盛り上げてくれるのもいいかな、とテレビを見ていて思いました。大金持ちのファミリーはトレーシーという名字の一家。次男の名前はなんと、ジョン・トレーシー。そう、ロス五輪マラソンで銀メダルを取った選手です。別に自衛隊に対抗意識があるとは思えませんが、ロスで4位だった旭化成の宗猛監督への対抗意識は十分あると見ました。近々、実際に駅伝に参戦してくるという噂もあります。噂の根拠はこれ。ジョン・トレーシーの写真です。そうです、国際救助隊は全員がタスキをかけているのです。
◆1月19日(水)
昨晩は12時間ぶっ通しで記録集計号の作業。気合いが入りまくっています。というのも、金曜日に西日本某所での取材が入り、そのまま東京に戻らずに広島入りし、全国都道府県対抗男子駅伝を取材することになったから。出発前までに、巻頭部分のページ数のメドを立てないといけません。
実は1つ、大きめの仕事が保留状態になっているのです。当初の予定では11〜13日くらいに1回目の取材が入る日程でしたが、ちょっと企画内容自体を見直すことになってしまいました。おかげで、集計号の作業に集中しやすいし、全国都道府県対抗男子駅伝にも行けるわけですが。男子駅伝は今年で10回目ですが、現地に足を運ぶのは初めて。ちょっと楽しみです。直前に決めた場合、取材申請などが受理されない場合も多いのですが、中国新聞の方に確認したところ、この大会は記者証などがあれば大丈夫のようです。
12時間ぶっ通しで作業をしたと書きましたが、正確には1時間ちょっと休憩しました。食事をしながら、録画したドラマ「救命病棟24時」を見た次第です。シリーズ化されている人気ドラマで、江口洋介主演。ずいぶん前ですが、今井美希選手も“江口ファン”で見ていると、陸マガの記事で読んだ記憶があります。寺田は江口ファンでも松嶋菜々子ファンでもないのですが、病院ものはときどき見てしまうのです。去年リメイク版が評判になった「白い巨塔」は見ませんでしたけど。箱根駅伝関係のある雑誌に“三巨頭対談”という見出しが用いられていましたが、「白い巨塔」をパロったのでしょうか(まさか、ね)。
頑張った甲斐があって作業はそこそこ進行しましたが、マック用のマウスをWSTF(新宿の作業部屋)に持ってくるのを、忘れていました。いつも使っているWindowsパソコンはタッチパッドで十分ですが、DTP作業では線を描く動きが多く、タッチパッドでは負担が大きすぎます。左の首筋、左の背筋の下の方、左の臀部と、普段から凝りの出やすい場所がパンパンになって、仕方なしに今日、新宿駅で出張の切符を買った帰りにマッサージに行くはめに。仕方ないですね。これも投資と考えましょう。
その帰り道、K通信M記者から電話。なんと金曜日の夜に……泣く泣く、あきらめました。
国際救助隊について書いた昨日の日記に、反響が少しありました。ロス五輪マラソン銀メダルのジョン・トレーシーはアイルランド人だから、国際救助隊にいるジョン・トレーシーとは同姓同名の別人だというご指摘が複数。もっともです。が、推理小説的に考えれば、国籍変更をした可能性もあるわけで、絶対に別人とは言い切れません。実際、びわ湖マラソンに何回か来たアイルランドの選手(名前を失念しました)が、英国に変更したことがありましたよね。
とか、書いておいてなんですが、本当は別人です。何を隠そう、アルファベットの綴りが違うのですね。ロス五輪銀メダリストはTREACY、国際救助隊はTRACY 。ちなみにモーリス・グリーンもGREEN(緑色)ではなくGREENE。つまり、強い陸上選手はEが1文字多くつくのです……なんてウソを書いてはいけません。正確に発音すれば、TREACYはトレーシーではなく“トリーシー”。一部専門誌はそう表記していた記憶があります。今井美希選手の“江口洋介ファン”発言記事よりも不確かですが、自信はあります。
別人だったのなら、昨日書いたことはなんだったのだ、と怒られそうです。言いたかったのは、外国人選手の日本での一般的な表記が、必ずしも選手の母国で発音されているものと同じではない、ということです。その代表が女子マラソン前世界記録保持者のデレバ選手(ケニア)でしょう。NDEREBAの最初のNは無音文字です。陸マガの表記はデレバですが、新聞など一般メディアはヌデレバ。日本にいる(いた)ジェンガ選手、ガソ選手、ジュイ選手、ダビリ選手、ドゥング選手とみんなNがつきますが発音はしません。たぶん、日本に多く来ているキクユ族に多いパターンと思われます(確認とっていないので要注意)。デレバ選手も、88ソウル五輪5000m金メダルのグギ(NGUGI)選手も、キクユ族だそうです(世界的に活躍しているケニア選手の大半はカレンジン族とのこと)。
という、真面目な話をするために、綴りが違うのは気づいていても、国際救助隊のジョン・トレーシーの話を持ち出したわけです。これこそ、佐藤光浩選手(富士通)が座右の銘としている“無知の知”の好例でしょう。えっ、まったく違う? 詳細を知りたい人は陸マガ2月号を買いましょう。
◆1月20日(木)
寺田にしてはちょっと早起きしてWSTF(新宿の作業部屋)へ。浴室のちょっとした工事が午前中にあるのが理由でしたが、そういうときに限って先方の都合で時間が変更に。たまに、自分もやっていることですから文句は言えません。ただ、15時には外出しないといけなかったので、それまでにはなんとかとお願いしたところ、13:30くらいには来てくれて、14:10には作業も完了。事なきを得ました。
昼食をとって15時に出発。16時から赤坂プリンスホテルで朝日スポーツ賞の表彰式です。
会場にはJOCや各競技団体関係者と思われる人たち(顔がわからない)、マスコミ各社、メーカー関係者たちが参集。主催の朝日新聞は事業部から各地区(名古屋、関西や九州)の運動記者まで、馳せ参じていました。関西のデスクになった金重記者……じゃなくてデスクは、野口みずき選手のアテンド役。髪型が変わっていたので(ヨン様の影響との意見あり)、東京の陸上競技担当記者たちに受けていました。
1月11日の日記の朝日駅伝に関する記述で、朝日新聞九州の小田記者と話しました。日清食品が優勝しましたが、諏訪選手中心の記事は、日本のメディアの五輪偏重の表れと書きましたが、ちょっと極端すぎたと反省しています。レース展開的には6区の諏訪選手で2位に浮上し、トップとの差をつめたことが最終7区での逆転劇につながったことは確かです。サッカーでいえばアシストをしたのが五輪入賞者だったわけですから、記事になるのは当然ですね。
寺田が行きすぎた書き方をしたのは以下のような理由からだと、自己分析しています。
@徳本一善&小川博之を欠いても勝った日清食品の選手層の厚さが印象的だったので、アンカーの板山選手や、前半でトップに立って流れを作った選手たちの頑張りが重要だと思った。
A朝日駅伝の特徴を勝敗よりも、選手個々の走りと断定してしまった。
B陸上競技に限らず、オリンピック選手ばかり大きく扱う報道傾向がイヤだった。
Cアテネ五輪に取材に行けなかった悔しさが潜在意識にあった。
小田記者も「五輪偏重の傾向はある」と認めていましたから@とBの理由はともかく、AとCが冷静な判断を鈍らせた原因だと思います。Aに関しては、見る側が決めていいこととはいえ、やはり重要なのはレースの勝敗。諏訪選手が勝敗に大きく関与したのは間違いなく、それを記事にすることをとやかく言うべきではなかったと、大いに反省しています。
肝心の朝日スポーツ賞ですが、アテネ五輪金メダリストたちが中心に選ばれました。五輪金メダリスト以外では、フィギュアスケートの世界選手権で満点演技を披露した荒川静香選手や、パラリンピックの水陸の金メダル選手も1人ずつ。そして、100歳の現役スキーヤーである三浦敬一さん。陸上界からはこの2人。女子マラソンの野口みずき、男子ハンマー投の室伏広治の、金メダリスト2選手です。
今日、感じたのは室伏広治選手が、日本のスポーツ界を代表する存在になっているということ。どの金メダルが価値があるとかいう話は、評価する側の価値観に左右されるので、そういった話ではもちろんありません。今日の表彰式と、その後のパーティーで、場の空気が室伏選手中心に動いているのです。日本選手団全体の主将(旗手でしたっけ?)を務めたり、30歳と選手間でも年齢が上の方ということもあるかもしれません。
具体的に説明するのは難しいのですが、まずは受賞者全員が壇上でひとこと挨拶するときのこと。室伏選手の挨拶は、“いかにも挨拶です”という感じのものではなく、しっかりと自分の言葉になっている。授賞式前に三浦さんと話をしたエピソードを紹介したり、さりげなく自身のスポーツ観を盛り込んだり。パーティーでも関係者に一通り挨拶をして回るのですが、その接し方に余裕があります。
2人とも、少しですが囲み取材の時間がありました。特に目新しい話は、なかったと思います。野口選手はトラックレースを予定していますが、1万mで世界選手権代表も狙う? との質問には、さすがに「はい」とは言えなかったようです。「五輪2連覇を実現して、1000円札の肖像画を狙います。野口英世の次は野口みずきです」とか、リップサービスがあるかと思ったのですが、もちろん、そんなことを話すはずもありません。
しかし、久しぶりに2人の話を少しでも聞けたことで、次に個別取材の機会があるとすれば、その取っかかりにはなったと思います。
◆1月21日(金)
西日本某所に向かう新幹線の車中です。
今朝が7:50発と早い時間のため、昨晩はWSTF泊まり。取材から戻るとすぐにダウンしてしまい、3時間後に夕食。その後、朝の2:30まで睡眠。起床後はもう、朝まで仕事です。記録集計号の巻頭部分の作業を完了し、校正用のプリントアウトまで進みました。Mac用のマウスを自宅から持ってきて作業効率も上がりましたが、我ながら集中できたかな、と思います。
その後、出張用の資料準備。7:05にWSTFを出発。新幹線で昨日の日記を書きました。この後は、陸マガ2月号の女子短距離企画を取材して、気づいたこと(エッセイ?)を書く予定です。1月15日の日記で書きかけた話ですね。あっ、杉田かおるネタも書かないと。
関ヶ原付近に来ましたが、一面の銀世界。到着も遅れるようで、ちょっと心配です。
新幹線が20分遅れましたが、なんとか遅刻せずに到着。同じ新幹線に、京都からワコール・チーム一行が乗車してきました。明後日の北九州女子駅伝に遠征するところだそうです。そういえば、弘山晴美選手(資生堂)も出場すると、記事(【マラソン】弘山晴美が帰国)が出ていました。全国都道府県対抗男子駅伝ではなく、北九州に行く手もあるな、と一瞬思いましたが、あまり予定を変えるとロクなことがありません。ここは、予定通りに広島にしましょう。
取材したのはあるベテラン選手。精神的に余裕を持つこと(持てること)が競技へプラスに働くのは、よく指摘されることです。その辺を具体的に話してもらいました。それに反して自分は、何年取材をしていても余裕が持てません。今日も出発ギリギリまで資料をコピーしていましたし、新幹線の中でも資料とにらめっこ状態。と愚痴をこぼすと、10年前にも寺田の取材を受けているその選手は「余裕、出てきているじゃないですか。冗談も話せるし」と、言います。うーん、冗談は出ますが、何回も書いているように余裕を持とうとしているだけで、実際に余裕があるかどうかは疑問符が付きます。10年前とまったく同じということはありませんが、今日も超緊張していましたし。
しかし、今日の取材はれほど行数の多い記事ではありません(明日からの全国都道府県対抗男子駅伝とセットにできなければ電話取材の予定でした)。原稿を書くには十分のネタが仕入れられましたし、その選手が次のレースで快走すれば、200行くらいの原稿は書けると思います。
本来の目的とは別に、そのチームの監督と話をしていて、別の取材のヒントとなることがありました。実は昨日から、来週予定されているある取材の視点を考え続けていたのです。考え続けたというより、ちょっと頭の隅に気に留めていた程度ですけど。昨日の朝日スポーツ賞、今日の新幹線の車中で考えたこと、そして今日の取材中の話から、1つの視点が固まってきました。
19時半には広島入り。京橋川河畔のセントラルホテルにチェックイン。浴衣のデザインにホテルのロゴも記されていますが、ホテル名はなぜか「広島セントラルホテル世羅別館」。世羅に別館があるのか、世羅に別館があったのか。
その後、ある陸上競技関係者と飲みに行きました。
◆1月22日(土)
8:30には起床。細かい作業をいくつかすませ、10:45にホテルを出発。バスで広島スタジアム(ビッグアーチではない方の競技場)に。中国新聞・下手記者から、各チームがそこで練習をしているという情報を仕入れていたのです。当初は歩いて行こうかと思ったのですが、ことのほか遠く、交通手段を利用して正解でした。
会場に着くとミズノの鈴木さんを発見。柔道の野村選手に似ているので先日来、顔写真を探していた方です(以前に一度、撮らせてもらったはずなのですが)。ここで会ったが百年目とばかりに、さっそく写真を撮らせていただきました。こちらが、一昨日の朝日スポーツ賞のときの野村選手の写真。これが今日の鈴木さん。表情がいいのはこっちですが。かなり似ているでしょう。電車のなかで、女子高生たちに「あれ、野村選手じゃない?」とささやかれることが何度もあるそうです。
広島スタジアムでは兵庫県の永里監督に話を聞きました。話の内容が、すごくいい雰囲気でした。その背景は、こちらの記事(前日の各県情報)で。長野県チームが引き揚げる際に、佐久長聖高・両角先生と、上野裕一郎選手に少しコメントを聞きました。それも記事にしましたが、上野選手は箱根駅伝のこともあり、多くを話せないのは仕方ないかな、と思います。
寺田も一緒です。多くを書きませんが、駅伝の予想はもうしません。これまでも、予想ではなく、見どころを書いていたつもりです。開会式後に優勝候補の愛知・亀鷹律良監督のお話を聞きました。しかし、これもメディアでの前評判が高いから取材したのであって、寺田の個人的な予想ではありませんので、念のため。
ただでさえ予想の難しい駅伝なのに、今大会は混成チームであり、しかも、個々のチームが全力投球する全国高校駅伝、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝の後に行われます。予想が難しいのは、選手たちが駅伝本番に力を発揮できないケースが多いからですが、その傾向がさらに大きくなるのがこの駅伝なのです。ハナから予想をしようなんて考えていません。陸上競技のトレーニング(本番に合わせる調整法)は、その程度のもの。ある程度、そこを会得している指導者もいますが、駅伝となると選手数が多くなるので、確率的には低くなっているのが現状。今後、まだまだ工夫する余地が、指導者・選手にはあると思います。
昼食は都心部に戻って、ある指導者の方とお好み焼き。14時から監督会議、15時から開会式が発着点に隣接する国際会議場で行われますので、昼食後はそちらに移動。歩いて向かっていると途中、ふるさと広場や過去9回のパネル展示などもしていて、力が入っているのがわかります。国際会議場に着くと、隣接して白亜の瀟洒な建物が目に飛び込んできました。見れば、中国新聞ではないですか。中国新聞の歴代の陸上競技担当記者の姿を思い出しました。渡辺さん、小笠さん、黒神さん、下手さん。みんな白亜の建物に相応しい雰囲気の方たち……。
会場ではそのうちの1人、渡辺さんとお会いしました。お忙しくされている最中でしたが、すれ違いざまに「最近、日記が長いぞ」とのアドバイス。確かに、そうですよね。気を付けます。この日記を読みたいけど、なかなか時間がない、という方も全国を探せばいるでしょうから。
初めての会場でちょっと苦労しました。開会式前に選手が集合している場所がわからなかったのです。下手記者に聞いて駆けつけると、大野龍二選手と浜野健選手が記者たちに囲まれていました。どちらにしようか迷ったのですが、浜野選手とはそこそこ面識もありますし、愛知県は亀鷹監督とも見知った仲なので後でもなんとかなる可能性があるとお思い、大野選手を優先しました。取材した内容は、これも記事にしました。
開会式中は、仙台育英高の渡辺監督と何人かの記者の方たちと雑談。初めての大会ですから開会式も見たかったのですが、この時期ですから優勝監督の話を聞くことを優先しました。雑談モードですから、話の内容をここに書くことはしませんが、面白い話がいくつかありました。
閉会式後には亀鷹監督と大森輝和選手、神奈川の下里兄弟を取材。東洋大の川嶋伸次監督、日体大の別府監督からは、ある日体大ネタの取材をしました(別府監督には広島スタジアムで)。
プレスルームで18時頃まで原稿を書きましたが、地下に部屋があって、PHSでネットに接続することができません。ホテルに19時前に戻って、兵庫と長野の記事をサイトにアップ。ネットで神戸新聞の家谷和男選手のこの記事を発見。「陸上競技と恋は過去を振り返らないのが鉄則。常に前向きに」というコメントは秀逸というか、含蓄があるというか、人生の機微が感じられるというか。万人の胸を打つコメントだと思いました。今年の流行語大賞を狙えるかもしれません。家谷選手が競技で世界的に活躍すれば、ですけど。
他も7割方書けていたのですが、気が緩んだらダウンしてしまい、起きたら23:50。残りの記事を仕上げてサイトに載せ、コンビニへ行って夕食を購入。食後は3時間ほど読書。
◆1月23日(日)
朝の8時。広島は小雨が降っています。
10時にチェックアウトすると雨は上がっていて一安心。バスで全国都道府県対抗男子駅伝発着場所の平和記念公園に(プレスルームは公園内の国際会議場)。初めて気づいたのですが、平和記念公園は祈念ではなくて記念だったのですね。
何度か書いているように、この駅伝の取材に来るのは初めて。といっても、顔を合わせる実業団・大学の指導者、メーカー関係の方たちは、いつもの顔が来たな、という反応。中大・田幸寛史監督はいつものように最初はこちらを避けつつも、これもいつものように鋭い見解を話してくれます。福岡国際マラソンと同様に、ミズノの二枚目KKコンビにもお会いしました。特にKさんからは(どちらもKですが)、今週予定しているある取材に役立ちそうな話を聞くことができ大収穫。アシックスの吉田さんには、陸マガの進学就職情報で見つけたある新入社員について質問。予想が的中しました。
唯一「なんで来てるんですか」と、どんぐりのような目を見開いてみせたのが、某専門誌のE本編集者。この辺は、同業者ならではのリアクションです。公園名について話すと「知らなかったんですか」と、自分はとっくに知っていたという感じで自慢げに言います。プレスルーム内の席取りがいい場所だとうらやましがると「僕は8年連続で、揖斐(岐阜・エスビー食品)選手と争っていますから」と、胸を反らせます。彼の場合、冗談モードだとはっきりわかるので、嫌みには聞こえませんが。
レースは長野・上野裕一郎選手(中大)と兵庫・北村聡選手(日体大)のアンカー決戦で盛り上がりました。区間順位も、区間賞の浜野健選手に次いで区間2位と3位。実業団優勢の一般選手区間でこれは立派。箱根駅伝で若干色褪せたルーキー対決が、一気に輝きを取り戻しました。記事にしたダブル佐藤の高校生コンビも同様に、全国高校駅伝よりもいい動きだったようです。
ただ、以前も書きましたが、本来ピークを合わせたかったのは、箱根駅伝であり全国高校駅伝だったはず。この大会は“底力”の部分で勝負する大会でしょう。これだけ長距離に関わる専門家がいても、調整の失敗は昔も今も続いています。もしかしたら永遠の課題なのかもしれませんが、指導者・選手ともにまだまだ頑張る余地がある部分では?
まあ、全ての選手が調整に成功したら、レースが白熱化しずぎて、今度は試合で故障を起こす選手が増えてしまうかもしれません。報道的にも、失敗した選手が成功すると記事にしやすい、という側面もあります。個人的には、パリ世界選手権後に陸マガで書いた油谷繁選手の原稿のように、成功続きの背景を探る記事が多いといいのですが。
3区・大森輝和選手の区間新も印象的でした。昨日、「香川の三津谷と同じくらいでタスキをもらうので」と話していたら、本当にその通りになりました。テレビを見ていてビックリというか、ちょっと感動すらしました。この2人、出身はともに香川なんですね。高校時代は1500mが得意だった共通点もあります。だからなんだ、という結論はなし。
閉会式後は各チームとも所定のバスでホテルに移動。最後に、兵庫県チームだけが残っていたので家谷和男選手に、昨日の日記で触れた神戸新聞のコメント「陸上競技と恋は過去を振り返らないのが鉄則。常に前向きに」について質問。スランプが長かっただけに、復調できたときの思いがこのコメントになったと話してくれましたが、それで引き下がる寺田ではありません。「スランプの原因を振り返るのも重要では?」と逆襲。さすがに、ここまでの突っ込みは予想していなかったのでしょう。その記事に関しても、神戸新聞・金海記者の突っ込みに、勢いで答えてしまった、というのが本当のところのようです。
家谷選手からは、朝日駅伝について書いた1月11日の日記に関して「家谷に勝った加藤(俊英・ホンダ)さんとか、書かないでくださいよ。元から、加藤さんは強いんですから」とクレーム(これも冗談モード)。確かにそうですけど、家谷選手がニューイヤー駅伝の2区で区間3位になった直後だったので、比較の対象とさせてもらったわけです。油谷・諏訪の両五輪代表に勝ったわけですから。
肝心の次のマラソン出場予定を、聞き出すことはできませんでした。この冬は、ないような雰囲気です。
いつもは、新聞記者の方たちと一緒に残って原稿を書いているのですが(それが一番効率的)、今日は一番早くにプレスルームを出ました。それほど粘って取材ができる状況でもありませんでしたし、17:40の広島始発ののぞみに乗りたかったので、早めに引き揚げました。結局、自由席が満席で、1本あとの新大阪行きひかりに。岡山で東京行きのひかりに乗り換えました。ダブル佐藤の記事を書き、名古屋駅に停車中にサイトにアップ。
◆1月24日(月)
昨日の国際会議場でのこと。大東大・只隈監督と日体大・別府監督の3人で雑談をしていました。全国都道府県対抗男子駅伝には箱根駅伝の指導者の多く(ほとんど?)が顔を揃えます。珍しくスタート2時間前に到着した寺田も、関係各方面の方たちと話をしていました。ほとんどが雑談ですが、その中から取材のヒントとなることを見つけることも、たまにはあります。雑談とはいえ、仕事にもつながる貴重な一時なのです。
両監督との会話中に話題になったのは、日体大の「えっさっさ」。陸上競技ファン、箱根駅伝ファンはご存じですよね。戦前からの歴史を誇る日体大独特の応援スタイルで、同大学の卒業生が全国各地で広め、全国民の何割かが運動会などで経験したり、見たりしています。実は今回の出張の目的の1つに「えっさっさ」が今年の箱根駅伝で行われたのかどうかを、日体大関係者に聞いて調べることがありました。寺田は箱根駅伝取材に際して、プレスルームのテレビで優勝した駒大のインタビューをチェックしようと、フィニッシュ地点には行かなかったのですが、なんといっても、16年ぶりの2位でしたから、大手町で日体大応援団の「えっさっさ」があったのではないかと。
ところが、今回もなかったのだそうです。別府監督によれば、「えっさっさ」は勝ち名乗りや、勝ったときのお祝いとして行われるものとのこと。別府監督自身も、全日本大学駅伝に勝ったときのOB会と、卒業式のときにしか経験がないと言います。前日の土曜日でしたが、やはり日体大OBである東洋大の川嶋伸次監督からは、「えっさっさ」がカリキュラムに組み込まれていて、日体大生なら誰でもできるのだと教えてもらいました(日体大サイトでも「えっさっさ」が大きく説明されています。ということは、有森裕子さんも「えっさっさ」ができる?)。日体大の最後の箱根駅伝優勝は22年前。川嶋監督も別府監督も「えっさっさ」を箱根で経験したことはないそうです。
今回2位の顔触れを見ると、日体大は1・2年生の主力が多く残ります。来年の箱根駅伝では、23年ぶりの「えっさっさ」が見られるかもしれません。しかし、川嶋監督たち日体大OBの他大学監督は、母校の「えっさっさ」を阻止しようと頑張るわけです。母校の優勝を阻止するというより、自分たちが優勝しようと頑張るのですが。「東農大・前田、関東学院大・中田、神奈川大・大後、城西大・平塚と日体大OBがいますからね。彼らにも負けたくないですよ」とも、川嶋監督は話していました。
ところで、平塚監督の城西大には、旭化成で実業団選手経験のある中安秀人選手(西脇工高では全国高校駅伝優勝も経験)がいます。立ち上げたばかりの伝統のないチームでは、こうした経験豊富な選手の存在が役に立つことが多いようです。ただ、今回の箱根では4区で区間16位と低調で、「中安は説教だな」と平塚監督はご立腹でしたが。
実は中安選手と同じように実業団を経験した大物新人選手が、本家の日体大にも4月に入るという噂が関係者の間で飛び交っていました。伝統は十分のチームですが、“もう一押し”をするために、新たな刺激をチームに入れようということでしょう。
その選手とは、やはり旭化成OBで98年アジア大会代表だった佐々勤選手。数年前に一線での競技から退いて東京勤務となり、市民ランナー的に走り続けています。関西の大学(京大)を卒業して旭化成に入った選手ですが、箱根駅伝は予選会と本戦を4回まで走っていなければ出られます。佐々選手も問題ありません。元々スピードがあるというよりも、マラソンなどの長い距離と、暑さに強いのが特徴の選手。10区で区間新をマークした山田紘之選手ら、復路を走った4年生たちの穴を埋めるのが期待されて、白羽の矢が立ったのでしょう。来季の箱根駅伝優勝、大手町での「えっさっさ」実現に向け、日体大が勢いづくのは間違いありません。
この噂は以前から関係者間で聞かれていましたが、選手名が判明したのが全国都道府県対抗男子駅伝でのこと。自身も旭化成でシドニー五輪代表にまでなった川嶋監督は「えっ、佐々?」と驚きを隠せませんでした……というオチを考えていると、別府・只隈両監督と話をしていたのでした。もちろん、佐々(さっさ)選手が日体大に入るという話も、日体大に実業団経験選手が入るという噂もありません。念のため。
◆1月25日(火)
ある冊子の台割りを作成して、そのうちの1つの取材と、他の2つの取材の段取り。4つのチームに連絡して、そのうち2つは広報にも申請。久しぶりに段取り係でした。その結果、急きょ明日、日帰りで出張も決定。予習をやる時間がありません。木曜日(27日)以後も月曜日まで取材が続き、火曜日は貯まっていると思われる原稿を書く日に充て、水曜日からはまた取材が続いて、6日(日)は別大も丸亀も行かずに7日(月)まで原稿の締め切りと戦うことになりそうです。急に切迫してきました。
紹介するのがのびのびになっていた杉田かおるさんネタですが、200 mの95年インターハイ優勝者の新田幸一氏がキューピッド役なのです。早大を卒業して何年目でしょうか。昨年、グランドワークスという会社を設立して、こんな感じで活動されています。クライアントはスポーツ界にとどまらず、財界、芸能界と幅広く、そのうちの1人が新郎であり、杉田かおるさんは「24時間マラソン」でコーチ役を務めたのだそうです(ニュースソースは秘密ですが、確かな筋です)。
その新田氏が昨年の10月31日に結婚(陸上競技関係者ではないとのこと)。パーティーに杉田さんも来てスピーチをしたようですが、その際、杉田さんと同じテーブルとなったのが、新郎の鮎川氏だったというのが2人の馴れ初めとか。独身の2人を意図的に同じテーブルにしたという情報もありますが、その辺の経緯は定かではありません。
広島の全国都道府県対抗男子駅伝の際にミズノの鈴木さんを、柔道の野村選手と似ているということで写真に撮っていたら、同じミズノの加藤薫さんからも「杉田かおるに似ていると、写真を載せてください」との依頼が。「同じ“かおる”ですから」というオチまで用意してくれていましたが、会社的に大丈夫ですか、と確認をすると、そのキャラ(どのキャラ?)で売っているから大丈夫とのこと。営業って、大変です。
◆1月26日(水)
一昨日にある人物もの取材の依頼があり、昨日アポ取りというか、先方と寺田のスケジュールを調整した結果、急きょ今日、東日本の某大学への出張取材と相成りました。仮に自分が取材を受ける側になることを想像すると、いきなりの来訪を受ける余裕があるかといえば、はっきり言ってありません。空き時間を作ってくれた2選手とK監督に、御礼申し上げます。あと、コーヒーを淹れてくれただけでなく、お弁当まで作ってくれた(?)S選手にも。就職も決まったとのことですが、実業団でも頑張ってください。
記事掲載の雑誌発売後に、もうちょっと詳しいエピを紹介できるでしょう。
現時点で書けるエピが1つありました。それは、自分がまだまだ若い、と自覚できたことです。
その大学に行ったのは確か3回目くらいですが、最寄り駅から歩いて行ったのは初めてのこと。大学の構内に入っても、目指す研究室のある棟がわかりません。構内地図もなかなか見当たらないし、人通りもまばらです。やっと1人、遠目には可愛く見える女子大生がこちらに歩いてきました。さっそく道を聞こうとしました。ところが……。
「○○学部の棟はどこですか」
たった、これだけの問いかけができません。取材で女子選手に話を聞くことはできても、何の縁もゆかりもない女子大生に道を聞くことはできない寺田です。これって、ものすごくシャイなことの証明になっていないでしょうか。
でも、その結果、遅刻して相手に迷惑をかけたら、シャイなことが仕事の妨げになるわけで、威張って書けることでもないのですが。ちなみに今日は、1分くらい遅刻したかもしれません。
◆1月27日(木)
先週の西日本出張以来、最近は早寝早起きが定着しています。この日記なども早朝に書いて、7時とか8時に前日分をアップするパターンが続いていました。しかし、今日は書けませんでした。というのも、それほど長くありません原稿の締め切りが1本あったのと、14時から超大物選手の取材があったからです。
超大物だからといって、予習の度合いが大きくなるわけではなく、執筆媒体が2つあるために、短時間でどこまで取材ができるか不安があったのです。
しかし、選手も協力してくれたため、必要なことは聞き出せたと思います。
WSTFに戻って原稿を1本書き上げ、今朝提出した原稿の直しも済ませると、気持ちがちょっと途切れたため、ドドッと一気に疲労感に襲われました。なんと、夜の9時過ぎにはダウン。深夜の2時に起きて請求書を2通書いて投函できる状態に。4時からは大阪国際女子マラソンの出張準備。資料を整理しているうちに、2〜3、興味深い点に気づきました。これを知っていると、テレビ観戦が面白くなるな、と思える点です。明日の取材で、その辺を聞き出せるようならやってみます。
◆1月28日(金)
8:40にWSTFを出発。時間的には余裕を持って最寄りの停留所に行ったのですが、結局、タクシーに乗る羽目に。出張中(月曜日)にカメラマンをするため、今回はカメラ機材をフル装備に近い状態で持っているため、キャリーバッグとカメラ収納のアルミケース、そして背中のバッグの3点セット。自分的には大した荷物じゃないのですが、通勤時間帯のバスはとても、乗り込めませんでした。まあ、新宿駅までは初乗り料金で着くので、あれでしょう。
新大阪駅に着くとO内さんがいらして、一緒に昼食。行列のできていたカレー屋さんで、「ナポリのカレー」を食べました。江坂のホテルに荷物を置いて、千里中央の千里阪急ホテルに13:30着。ノーリツの上岡監督の姿を発見し、さっそく取材。しかし、小崎まり選手のマラソン練習は、ちょっとつかみどころがないというか、つかみにくい感じ。これまでの日本選手の練習とは明らかに違うような気がします。
14時から記者会見。代表質問に対する各選手の回答ぶりは、記事にしたとおり。その後、増田明美さんが弘山晴美選手とシモン選手に質問し、その後に寺田が、残りの全選手にあることを質問しました。こういった共同会見で必ず質問していた朝日新聞・金重記者がいないので(大阪のデスクに栄転)、今回は寺田が代わりを務めた次第です。昨年は金重記者が、増田さんから「ジャーナリスティックな質問をする金重さん」と褒められました。寺田もジャーナリスティックに行きたかったのですが、ちょっとマニアックだったかもしれません。最後に絵心(?)のあるところも見せたのですが、「選手たちが引いてしまっていたよ」と、増田さんから言われてしまいました。あれをやるには、演技力が不足していたようです。
会見後の雑踏取材も終わり、T社のSさんと千里中央駅のビルの5階で飲茶をしながら雑談兼、打ち合わせ。主に夏の世界選手権の話題でした。17:30から寺田は場所をカフェに移して会見の模様を記事に。
20時頃にいったん江坂のホテルに。2時間ほど仕事をして、これからちょっと出かけて軽く一杯。一緒に飲む相手は…。
◆1月29日(土)
昨晩の飲みは1時間ちょっとと控えめ(いつもですが)。
今日は早起きして、1つ仕事をしてから千里阪急ホテルに。10時から関西に本拠を置く某社宣伝部の方お2人と打ち合わせです。一連の仕事(5人の選手を取材)を、2月にする方向で引き受けました。
終了後は、ホテルのロビーで行き交う関係者と雑談。記者会見以外はホテル内での取材は禁止ですので、あくまでも雑談です。
17時から歓迎の集いですが、それまでに1本、本サイト用の記事を書き上げるつもりが、仕上げられませんでした。データを調べる必要もあったので、片手間ではできません。17時からの歓迎の集いには出ず、会場の外で某社監督と雑談。その後、途中だった記事を書き上げました。
原稿を書く合間にホテルの外を見ると、有力選手と指導者たちが、チーム単位で出かけていきます。夕食と一緒に、明日のレースの最終打ち合わせをするのが女子マラソン界の慣例なのです。基本戦略は練習にも反映する部分ですから、日頃から徹底されているでしょう。当日の天候や、ライバル選手の調子など、昨日今日で判明したことからの打ち合わせと思われます。あるいは、細部の打ち合わせではなく、単に選手の気持ちを盛り上げるための話をするのかもしれません。
記事を書き上げると、いったん江坂のホテルにもどり、27日の取材のテープ起こし(メモリー起こし)。これが21:30まで。22:00から大阪在住の高校時代の友人と食事。1:30にはホテルに戻って就寝。
◆1月30日(日)
レース2時間前に長居陸上競技場に着。
元100 m日本記録保持者、ソウル&バルセロナ五輪代表の青戸慎司氏が、カメラマンとして来阪していました。本職は中京大の職員ですが教員たちと同様で、本業に支障を来さない限り、外部の仕事もしていいそうです。青戸氏の奥さんはテレビ局の元アナウンサーで、現在はディレクター。早大の陸上愛好会出身のランナーで、今回の大阪国際女子マラソンにも出場されています。
ボブスレーでも長野五輪に出場している同氏。ボブスレーと、出身地和歌山の陸上競技事情などを話してもらいました。ともに、厳しい状況にあるようです。ボブスレーに関しては門外漢ですが、和歌山の陸上界は近年、国体でも下位に低迷していますから、ちょっと気になっていました。インターハイもハイレベルの畿地区に入っているため、全国に出られる選手が少ないというのが現状です。
1週間前の全国都道府県対抗男子駅伝では、寺田の出身地である静岡県の関係者と話をしました。近年、低迷している静岡の長距離ですが、やっと明るい兆しも見え始めているとのこと。和歌山もやればできるはず。かつては、やり投の吉田雅美、溝口和洋、青戸慎司と五輪代表を輩出した県なのです。
レース1時間前になると、指導者たちもスタンド下に姿を現します。ここでも、取材というよりは雑談。もう、事前の記事は書けない段階ですから、本音も聞けたりする時間帯です。天満屋・武冨監督の何げない一言が、小崎まり選手の取材のとっかかりとなりそうです。
12:10にレースがスタート。序盤は集団で推移するのが常ですから、10kmくらいまでが記者たちのお弁当タイムになります。ちゃんと、メモはとっていますよ。
10kmを過ぎて大南博美選手(UFJ銀行)が飛び出しました。集団にもどる気配はまったくありません。中日スポーツ前陸上競技担当の中村記者に、独走になったと携帯でメールを送りました。沖縄で中日ドラゴンズの自主トレを取材中ですが、電気屋のテレビで見たとのこと。しかし、その後は見られなかったようで、2位とのタイム差をメールで質問してきます。
大阪城に入る27〜28kmあたりからアルフィー・タイム。高見澤勝選手(日清食品)は元気だろうか、と思った関係者が何人かいたはずです。
30kmを過ぎると、中村記者からメールが来なくなりました。こちらが忙しくなっていると気を遣ったのか、大南選手の失速を知ったのか。
レース後は取材する側にとっては戦場です。ミックスドゾーンで4位以下の選手のコメントをとり、頃合いを見計らって3位までの選手の会見場に。残念ながら、優勝者の会見には間に合いませんでした。2位の小崎まり、3位の弘山晴美両選手の会見を取材し、その後、ノーリツ・上岡監督の囲み取材。大南博選手を取材しようと、記者たちがドーピング検査から出てくる場所で待っています。寺田もしばらく、そこで待っていましたが、残念ながらタイムリミット。16:30には、表彰式&さよならパーティーの行われる千里阪急ホテルに移動を始めないといけません。
昨年の静岡国際のときのこと。記者たちがある大物選手の取材をしようとしたとき、やはりドーピング検査と重なりました。しかし、選手が「どうせ、すぐには出ない」と言ってくれたこともあり、取材が先に行われたこともありました。臨機応変の対応を、大会運営者の方たちにはお願いしたいと思います。
◆1月31日(月)
9:00から小崎まり選手の一夜明け会見を取材。
その後、午前中にある取材。午後にもまた、別の取材。
過去最多の取材と打ち合わせをこなした大阪出張でした。それだけに、疲労はかなり大きかったようです。帰りの新幹線は車中では、デジカメで撮った写真をパソコンにコピーしている最中に眠り込んでしまったほど。USBが古いタイプなので、40枚くらいの画像をコピーするのに30分くらいかかるのです。
目が覚めて東京に着くまで1時間以上ありましたが、さすがに原稿は書けませんでした。陸マガ編集部に寄って写真を渡し、出張精算を2つ。
ここが最新です
◆2月1日(火)
ラジオの文化放送で箱根駅伝を担当されている、山田英俊さんの話を書き忘れていました。コニカミノルタの祝勝会のことを日記(1月17日)に書いた後、メールをもらっていたのでした。まず、山田さんの肩書きですが、17日の日記ではディレクターと紹介してしまいましたが、正しくは制作スポーツ部次長補佐です。これは、寺田が自発的に(?)気づきました。学年も訂正します。浜松西高で神谷晃尚選手の2学年下ではなく、4学年下だったそうです(これは山田さんが勘違いしていました)。磐田農高(当時、静岡県西部では長距離の強豪)の横道正憲現トヨタ自動車監督と同学年だったそうです。
当時の浜松西高は東京オリンピック代表となった石川準司先生が監督でした。浜松西高で高校生だった63年に10秒5の高校タイを3回出した選手。寺田も静岡県西部(袋井)の出身です。高校時代に四ツ池の陸上競技場で試合に出ると、石川先生はプログラムには必ず名前が載っています。通告では選手名は外国選手も日本記録保持者もみんな「○○君」でしたが、石川先生だけは地元ということで「先生」でした。「100 mの世界記録はハインズ君の9秒95、日本記録は飯島秀雄君の10秒1、高校記録は石川準司先生の10秒5」っていう感じでした。
山田さんからは石川先生の、元トップスプリンターらしいエピソード(?)も教えてもらいましたが、公表はしません。
◆2月2日(水)
15時から取材。場所は流通センターという大規模な展示会場です。あるメーカーのイベントが行われていて、取材予定の選手がそのイベントに参加していたのです。イベント終了後に約1時間のインタビュー。今回も面白い話が聞けました。先週のある取材で、別の選手が話していたことへの理解も深まりましたので一挙両得というか、一石二鳥というか、一粒で二度美味しい(古いか)取材でした。
東京国際マラソンの招待選手が発表されました。主催の産経グループの記者の方には申し上げたことですが、発表のタイミングが遅すぎますよね。レースの11日前。これでは宣伝期間が短すぎます。同じ系列の大阪国際女子マラソンは約1カ月前に発表するのです。色々と大変な裏事情があるのでしょうが、ロンドン・マラソンのように、何段階かに分けて発表する方法は採れないのでしょうか。
招待選手の中には“最もビッグなTT”こと高岡寿成選手の名前も(今回は高岡選手だけ事前に出場表明記事が出ました)。シカゴ・マラソン直後はもう1回、記録に挑戦したい気持ちもあって迷っていたようですが、「世界一になる夢」に挑戦することに決めたとのこと。明日、発売のスポーツ・ヤァ!に1/2ページの展望記事を書きました。
その取材をしたときの本人の話では、東京では「記録は考えていない」、とのこと。結果的に30kmまでペースメーカーがついて、36km以降の坂で本人の言うところの「僕の強さをアピール」できれば、結果的にそこそこのタイムになるわけです。伊藤監督がG・タイス(南アフリカ)選手のコースレコードを参考に2時間6分台も可能と言っているのは、そういうことです。
ところで高岡選手の周囲では、陸マガ2月号88ページの写真がカメラ目線だと話題になっているのだそうです。ニューイヤー駅伝の2区で、トップに立った直後に、確かにカメラのレンズを見ていたそうです。そのカメラマンは陸マガの高野徹氏。“愛妻家カメラマンのTT”と言われていた男です。このあだ名は96年の世界ジュニアでシドニーに取材に行ったとき、高野カメラマンが奥さんへのお土産にものすごくお金をかけているのを見た寺田が、衝撃を受けて命名したものです。
確か昨年の3月だったか4月の初めに、高岡選手、高野カメラマン、寺田の3人のTTで写真を撮りました。場所はJISSだったと思います。2人が“最もビッグなTT”と“愛妻家カメラマンのTT”なら寺田は何か。写真を見たら一目瞭然。“最も足の短いTT”です。
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