続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年1月  謹賀新
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◆2007年12月28日(金)
 久しぶりの日記です。さぼっていたわけではないのですが、「そんなことでいいのか」という声もちらほら届くようになったので、年を越えないうちに再開することに。
 ということで、今日のキーワードは“そんなことでいいのか”。朝日新聞・堀川記者の口調をイメージしてもらえると味が出るのですが、同記者の記事を読んだことはあっても声までは聞いたことはない、という読者がほとんなので、意味のないお願いです。“そんなことでいいのか”。

 今日は電話取材とそれに準ずる(?)電話を6〜7本しました。大半が陸マガ用の全日本実業団対抗女子駅伝の追っかけ取材です。同駅伝が行われたのは12月16日。11日も間を空けてしまったことになります。“そんなことでいいのか”。
 言い訳をさせてもらうと、16日の取材後にページが多くなって、特集が1つ増えたのです。17日以降はもう、別の取材と締め切りが立て込んでいて、どうにも動きがとれませんでした。正確に言えば“動き”だけならとれたと思います。気持ちの切り換えができなかったという方が正しいでしょう。“そんなことでいいのか”。

 17日以降が立て込んだ理由の1つに、箱根駅伝関連の共同取材と記事執筆が挙げられます。12日に東海大、14日に中大、17日が日体大。一応、この3つは駅前原稿に近い形で記事は書きました。サイトにアップしたのは数日後ということが多かったですけど。
 初めての体験をしたのが中大取材に行くとき。新宿から乗った京王線が、どこぞの駅近くの人身事故のためストップ。車内に45分ほど閉じこめられました。取材には25分ほど遅刻することになりましたが、K藤ライターからコメントをもらって事なきを得ました。
 途切れていたこの日記ですが、実は12日の分は書きかけていました。箱根駅伝前になると出場区間を予想する記事が出ます。当然、記者たちがあの手この手で聞き出すわけです。以前は「この選手は、この区間で間違いないだろう」というケースだけは、現場サイドも情報を出していました。あとは性格的に「そんなの隠したってしょうがない」「優勝争いでもしない限りは関係ない」と考える指導者たちくらいでした。
 その辺が最近は、より大らかになってきた感じがします。「正式決定をするのはレース直前。事前取材で何を言おうがかまわない」という雰囲気が、指導者・選手の間にも浸透してきている感じを受けました。ということを、個々の例を出して検証しようとして、手間暇をかけているうちに書けなくなってしまったのです。まあ、よくあるパターンですね。
 先週の中盤は某メディアのニューイヤー駅伝記事の締め切りがあり、19日の駒大共同取材はもう、どうにもなりませんでした。大本命チームの取材に行けなかったわけです。“そんなことでいいのか”。

 先週末の土曜日は京都で全国高校駅伝の前日取材。しかし、翌日曜日は日体大長距離競技会を取材しています。大会の“格”としては全国高校駅伝の方がはるかに上です。その現場にいったん行きながら、翌朝には引き返したわけです。“そんなことでいいのか”。
 実は、京都行きは全国高校駅伝のレース取材のためではありません。その目的をひと言でいえば“目指せ関西人”。東京国際女子マラソンの追いかけ取材で野口みずき選手と広瀬永和コーチの取材をさせてもらって、同コーチの“こてこて関西人ぶり”に大きな感銘を受けました。単なる関西人(これも定義が難しいのですが)ではなく、陸上競技人としての関西人(さらに定義が難しい)。
 これを説明すると長くなるのですが、野口選手がただひたすら、2大会連続金メダルを取ることだけに凝り固まってトレーニングに明け暮れていたら、さすがの野口選手でもしんどいと思うのです。そこを上手く緩和(コントロール?)しているのが広瀬コーチの“関西人”ぶりではないでしょうか。練習現場の2人の雰囲気が緊張感に満ちていることは、昨年のサンモリッツ合宿の記事(陸マガ9月号)に書いています。あとは、1月号の2人のインタビューの最後を読んでいただければ、寺田のいわんとするところは理解できると思います。

 京都には早狩実紀選手もいますし(アメリカ合宿中?)、関西に行けば何かしらプラスがあるだろう、という判断での自費出張でした。実際、収穫はありました。レース前とはいえ、3人の渡辺先生(仙台育英、豊川工、西脇工)と2人の角先生……ではなくて両角先生のお話を聞けました。
 京都の地下鉄で“スルッと関西”(関東でいうパスネット)が使えることも判明。移動が楽になりました。京都の四条通りを“よんじょう”ではなく“しじょう”と読むことも、京都の大学出身の朝日新聞・小田記者から教えてもらいました……これは去年だったかも。記事を書くときに私情をはさむなとか、重箱をつつくデータで“史上何回目”などと書くなとか、記者としては当然の心得ですが。

 日曜日に日体大に行ったのは、福士加代子選手が1万mで自己記録を狙うと聞いたからですが、当日の朝に欠場する情報を入手。その時点ですぐに西京極に向かえば、高校駅伝の男子レースには間に合います。名古屋駅の新幹線ホームでしばし考えましたが、日体大では赤羽有紀子選手もA標準を狙うと聞いていました。他にも何か起こりそうな予感がしたので東海道を東上することを決心。名古屋←→京都間の電車代を節約しただけではないかという憶測もありますが、真実は伊勢湾の海底深く沈んだままです。
 その日は、朝までの雨が嘘のような晴天でした。新幹線車内から珍しく、富士山をくっきりと見ることができたのです。神戸新聞・大原記者から「開会式に姿を見せたという情報があったのですが…」という携帯メールに対し、「福士さんも福士選手(西脇工高)も見られませんが、富士山が綺麗に見えました」と返しました。このあたりは、静岡男児の心意気とでも申しておきましょう。

 週明けは箱根駅伝速報号(ベースボール・マガジン社)の出身県企画の原稿書きというか、データ分析にかなりの時間を費やしました。その締め切り日というのに、26日には陸連のアスレティック・アワード2007の表彰式取材のため、渋谷のホテルに。今年から創設された賞なのですが、明らかに陸マガの「アスリート・オブ・ザ・イヤー・JAPAN」のパクリ。“そんなことでいいのか”という声も少々ありましたが、受賞メンバーを見て両者の意図がかなり違うことが判明しました。
アスリート・オブ・ザ・イヤー:土佐礼子
優秀選手賞(男女各1):男子4×100 mR世界選手権代表、福士加代子
特別賞(複数):為末大、野口みずき

 明らかに“選ぶ”という人選になっています。その点、陸マガの方は投票ですから“選ぶ”という感じではなく、平均的な意見が集約された形になります。本来は陸連のように“選ぶ”という形の方が特徴が出て面白くなりますが、自分たちがランク付けをするのはちょっとはばかられる。それで陸マガは投票という形式にしているのでしょう。
 アスレティック・アワード2007の表彰式現地で配られた資料の【開催目的】には、「(前略)日本陸上界最高峰の大会である日本選手権優勝者を招いてその栄誉を称えるとともに、本年活躍が顕著であった競技者や陸上競技を通じて社会に貢献した競技者を表彰し、さらに日本陸上界関係者並びにご支援いただいた方々をお招きして、その交流の輪を広げ今後の日本陸上競技界の発展を期することを目的として開催するものです」とあります。
 陸上競技を世間にアピールする必要があるし、陸上界の体面もある。ホテルを借りて、何人もの選手やVIPを招待してと、お金もかかっています。対して陸マガは、純粋に誌面をつくるためので、お金も僅かしかかけていません。
 どちらが良いとか悪いとかではなく、両者は明確に違うものだと明記しておきたいのです。

 コンパクトな日記を心掛けているのですが、ちょっと長くなりすぎました。“そんなことでいいのか”。


◆2007年12月29日(土)
 本日は箱根駅伝ファンが待ちに待った区間エントリーの日。以前は毎年記者クラブにエントリー表を取りに行っていましたが、最近はネットに出るようになったので行かなくなりました。その分、原稿を頑張らねば、と思ってはいるのですが、今日も予定したラインまで進みませんでした。これは昨日同様、“そんなことでいいのか”ですね。
 昨日の日記を読んだ朝日新聞・堀川記者から、「“そんなことでいいのか”って言っていますかね?」という問い合わせのメール。間違いなく言っていますよ、とリプライしました。堀川記者とは関係ありませんが、最近のニュースで“そんなことでいいのか”と思ったのが、東京国際女子マラソンが来年限りで終了になることです。

 東京マラソン開催により“マラソンが文化として認められることになる”と幾度となく聞かされました。東京国際女子マラソン中止の理由は年に2回も、交通など首都の機能を麻痺させられない、というもの。マラソンが文化として認められるのなら、1年に2回くらい許容されていいのではないでしょうか。世界初の女子単独レースとして誕生した東京国際女子マラソンは、陸上界を挙げて存続させるべき大会だと認識していました。マラソンが文化なら、そういった貴重な大会を中止にするわけがありません。

 東京ではこれまでも年に2回マラソンが開催されてきたわけですし、以前行われていた東京シティハーフを含めれば3回でした。女子のエリートレースと男子のエリートレース、それと市民ランナー中心のハーフマラソン。それを1本にしてしまおうという意図なわけですが、これではマラソンが文化として認められなくて開催回数を制限された、ということになるのではないでしょうか。
 えっ? 東京マラソン開催は“今後”マラソンが文化として認められるため?
 ということは、30年後には東京国際女子マラソンが復活しますね。

 という話題は書いていて面白くありません。気楽に書ける駅伝の話題にしましょう。
 箱根駅伝の区間エントリーですが、優勝候補筆頭の駒大は豊後、深津、高林と13分台3選手を補欠にしてきました。1・2・5・9区は今日発表の選手で決まりでしょうが、13分台トリオをどこに投入するかで様子が変わってきます。と言いたいところですが、あまり変わらないかもしれません。それほど、今季の駒大は選手層が厚い。
 対抗の一番手と目されている東海大は伊達秀晃選手を2区に置き、1・2・3区は1万m28分台の選手を並べてきました。5区は大物1年生の河野選手。補欠に27分ランナーの佐藤悠基選手とキャプテンの前川選手、28分ランナーの荒川選手、実績のある皆倉選手と残しました。駒大よりも“手の内を見せていない”オーダーです。
 普通なら5区は1年生を登らせると考えますが、大崎コーチは佐藤選手の起用もほのめかしています。前川選手が9区という可能性も高いですから、佐藤選手5区も十分あり得ます。裏をかいて4区という手もあります。前回の1区ほど大差をつけるのは難しいと思いますが、佐藤選手のスピードなら2分は計算できます。河野選手を楽に登らせることもできる。4区もあり得なくはないでしょう。

 ただ、この手の予想は各選手の“良いときの状態”を前提に考えがち。あるいは誰が何区を試走したとか、どの監督が学内壮行会でこういう発言をしていたとか、その手の情報に基づく予想です。実際の現場というのはもっとシビアで、この選手がケガをしている、あの選手の体調が悪い、という事態とのせめぎ合いで区間決定がされていきます。そういったシビアな情報は、各大学とも絶対に伏せますから、予想が当たったからと威張れるものでもないのです。
 もしかしたら駒大の1・2・5・9区の誰かが故障している可能性もあります。東海大も補欠の誰かが故障をしているかもしれない。あるいは前回同様佐藤・伊達と並べて飛び出しを図るかもしれません。本当に、どうなるかはわかりません。
 レース3日前に区間エントリーをするのは箱根駅伝くらい。世間の関心を引く“お祭り的な部分”ですから、とやかく言わずに、“ああでもない”“こうでもない”と予想をしているのがまっとうな箱根駅伝ファンなのかもしれません。実は寺田も、そうして楽しんでいます。報知新聞・E本記者も同類かも?


◆2007年12月30日(日)
 今日は自宅でオフモードながらも原稿書き。全日本実業団対抗女子駅伝で90行原稿を1本を書きました。120行原稿も書きたかったのですが、夜中に世界陸上の特番「灼熱の記憶 世界陸上2007大阪」を見てしまって、残りは明日に持ち越し。“そんなことでいいのか”……を3日連続で使わせていただきます。
「年は越しませんよね」と、高橋編集長から念押しをされています。でも、明日になったら明日で、前橋で取材と原稿書きが待っています。高野徹カメラマンの昇進祝い兼カウントダウン飲み会もあります。その合間に書けるかどうか。

 夕方にNTT西日本・清水康次監督に電話取材も。目的は別にあったのですが、思わぬスクープ情報も入手しました。清水監督が、いや、清水康次選手が、来年2月の東京マラソンに出場するというのです。監督就任など慌ただしかったため、選手として区切りのレース(ラストラン)を走っていませんでした。
 東京の優勝と福岡の日本人トップの経験があり、びわ湖では自己記録を出している選手です。どこをラストランとして走っても話題に事欠きません。ただ1つ、前回の東京は有森さんの陰に隠れてしまうのでやめた方が良い、と思っていました。
 国内のレースでは門下選手の指導が当然あるので、なかなか出られませんでした。世界選手権で入賞したセビリアのマラソンがいいのではないか、と提案したこともありましたっけ。セビリアでマラソンが行われているかどうかも知らないのですが。“そんなことでいいのか”。
「目標としては2時間30分を考えていたんですが、選手たちから低すぎるという声が挙がって、2時間20分に変更しました。練習も始めましたが、すぐに筋肉痛が出てしまいます」
 ちょっと不安を感じさせるコメントですが、なんだかんだでまとめてしまうのが清水選手のすごいところ……でした。その辺は最後も期待して良いでしょう。

 深夜放映された「灼熱の記憶 世界陸上2007大阪」は、改めてこうして見ると、感動しますね。現地で取材をしている間は、競技を見ることよりも、仕事をする感覚の方が勝ります。記者というのは、じっくりと競技を見られないものなのです。
 それに加えて、取材する自分にも力みがあったからだと思います。それで感動を味わえない心境だった。期間中は毎日、TBSサイトにコラム「寺田的世陸別視点」を書かせてもらいました。他の仕事もあるにはあったのですが、まずはこのコラムに全力投球。
 ところが、競技終了が22時、取材終了が23時ということがザラだったこともあり、睡魔と戦って書いていた印象が強いのです。パパッと書き上げれば問題ないのですが、力が入ってしまって3時間とか4時間とか要していました。2年前のヘルシンキも毎日コラムを書きましたが、もう少し肩の力を抜いて、短時間で書いていたように思います。変に思い入れが強くなっていたのでしょう。

 今日の番組を見て感動したのは外国選手が中心でしたが、土佐礼子選手の女子マラソンと男子4×100 mRの日本チームは、何度見てもジーンと来ます。ただ、4×100 mRのスピード感は現場にいた方が実感できますね。あれは、陸上競技のスピードを実感してもらうのに、最も適した種目です。トップスピードの持続は100 mでは5〜6秒ですが、4×100 mRは30秒以上続きます。この違いは明らかで、4×100 mRの方が見ていてスピードに圧倒されます。
 と同時に、陸上競技は知識があって初めて楽しめるものだということを、改めて痛感しました。単純に速さを感じるのなら、100 m以外のトラック種目は意味がないのです。100 mと単純に高く跳んだり遠くに跳ぶ種目、遠くに投げる種目しか一般人には受け容れられない。陸上競技を面白いと感じてもらうためには、400 mなら400 mの、中距離なら中距離の面白さを見る側が、何かしら理解する必要がある。単純な競技と思われがちですが、単純な見せ方ではなかなか面白さは浸透しないのかもしれません。

 と同時に、リレー種目の感動は、チームプレーという要素が加わっていると思いました(当たり前?)。特に今回は、朝原選手への思い入れを、多くの人が持っていたと思われます。通常の陸上競技の評価、個人種目の評価とはまた、違う次元の評価ということになるのかもしれません。
 明日は月曜日。また、新たな1週間が始まります。


◆2007年12月31日(月)
 2007年最後の1日ですけど、今週でいえば2日目。残り5日間、頑張って行きましょう、と書くとふざけているように思われるかもしれませんが、それは違います。何を言いたいのかというと、とか書いて時間を稼いで考えているのですが、視点を変えればまったく別の見方ができる、ということです。
 という前振りをしておいて2007年の思い出なんかを書いたら、朝日新聞・堀川記者から“そんなことでいいのか”と怒られそうです。そういえば、「飲酒をしながら原稿を書いている記者がいる。そんなことでいいのか」というメールが来ました。俗にいう内部告発メールというやつです。堀川記者とはまったく関係ありませんが。

 で、今年の取材で何が印象深かったかといえば、やっぱり世界選手権です。と言ったらありきたりなので、ここはヨーロッパ取材を挙げたいと思います。そもそも、取材に行けるのかどうか、本当に微妙なところでした。脚色なしで言いますけど、本当に1回は断念したのです。出発3〜4日前に。まじでピンチでした。
 ピンチといえば、ニース(フランス)で脇腹が痛くなったときも、本当にやばい状況でした。日記にも書きましたけど、現地での入院や取材中止も検討したほど。そういった経緯もあり、ニースの次に向かったナイトオブアスレティック(ベルギー)で日本記録(松宮隆行選手の5000mと早狩実紀選手の3000mSC)を見られたときは、本当に嬉しかったですね。大事に至らなくて良かったと、心底思いました。
 同じナイトオブアスレティックに遠征してきていた竹澤健介選手、上野裕一郎選手、高橋優太選手の3人が、箱根駅伝で同じ3区にエントリーされたのは、偶然にしてはできすぎ……というほどでもないか。ヨーロッパ遠征できるのはスピードランナーに限ります。3区に集中するのはそれほど不思議ではないかも。

 と書いておいて覆すのはなんですが、心にジーンと来たのはやっぱり世界選手権大阪大会でした。昨日の日記に書いたように、仕事優先の思考をしていると感動しにくい状態になります。それでも、地元開催の世界選手権ということで、思い入れが大きかったのです。
 これもどこかで書いた記憶がありますが、閉会式後に日本選手団が、観客がまばらになったスタンドに挨拶しながらトラックを歩いていたときは、思わずスタンド最前列まで行き、何の目的があったわけではないのに、じっと見つめ続けていました。
 成績はほめられたものではありませんでしたが、地元開催の世界大会を戦い抜いたということは、それだけでなんというか、1つのことを成し遂げたように感じました。成迫健児選手が名前を呼んで手を振ってくれたときは、なぜか胸が締め付けられました。

 と書いておいてこんなことを言うのは何ですが、地元の世界選手権だからと変に意気込んでいたのは失敗でした。地元世界選手権があれば、自身の仕事環境も何かが変わるだろう、だから頑張らないといけないんだ、という気持ちがどこかにあった。それで、昨日の日記に書いたように、個々の仕事に必要以上に入れ込んでしまい、時間がかかってしまうなど弊害も出たように感じています。
 実際、この1年を終えてみて、売り上げは例年よりもほんの少しだけ多かったのですけど、寺田の仕事環境が大きく変わるということはなさそうです。もう少し先に変化が現れる可能性もありますが、劇的に何かが変わることはないでしょう。
 つまり、地元世界選手権に頼って変化を期待してはいけないということです。地元開催の一大イベントで一発を期待するのでなく、日頃の地道な積み重ねで変えていくしかない。元々、陸上競技はそういうもので、陸上競技を取り巻く環境も、そうして変えていかないといけないのだと感じさせられた1年でした。


◆2008年1月1日(火・祝)
 例年同様、ニューイヤー駅伝の取材で1年がスタートしました。
 昨晩の年越しは高野徹カメラマンの昇進祝いを兼ねて、大晦日行きつけの店で。
 その店のオーナー夫妻の子供(女の子)がもう高校2年生。実は群馬県屈指のスプリンターで、昨晩はその子の進路を巡って「あそこがいい」「いや、こっちがいい」という話が始まり、「でもそこは入れないだろう」「○○を考えるとやっぱりあそこだ」と、激論が展開しました。O山ライターが一番熱心だったような気がします。「大学はどこでもいいから、パーソナルコーチを付ける方が良い」、という意見も出ましたね。

 当事者の彼女も顔を出してくれました。
 以前から気になっていたことの1つに、高野カメラマンと寺田のどちらが若く見られているのか、ということが挙げられます。もしかすると2人が揃って行くのは最後になるかもしれません。思い切って聞いてみたところ、遠慮がちに高野カメラマンだと言います。
 小さからぬショックを受けました。でも、あとでよくよく考えてみれば、同カメラマンに花を持たせた、ととれなくもない。最近の高校生は世慣れてきましたからね。そういえば秋山編集者が、「大阪インターハイでN選手に手玉に取られた」と言っていました。
 新年早々、なんて話題なのだとヒンシュクを買っているのが目に見えますが、このあとは超真面目な話題ですのでお許し願います。

 ニューイヤー駅伝は本命のコニカミノルタが優勝。2位の中国電力とは3分17秒差。当日の朝に7区が松宮祐行選手から磯松大輔コーチ兼選手に変更になりました。ちょっとしたほころびでガタガタっと崩れるのが駅伝ですが、今回のコニカミノルタはまったく崩れませんでした。中国電力・坂口監督は「日本選手でも負けていた」と完敗を認めていました。
 区間順位は1区から順に3位・1位・7位・2位・2位・1位・2位。区間3位以内に入れなかったのはアレックス選手だけ。
 1区の太田選手は2年前と同様、外国選手の集団について有力選手を引き離す方法。大野龍二選手(旭化成)が食い下がりましたが、結果的に旭化成は2区で大きく後退。1区でもう、かなり優位に立ちました。太田選手は区間3位ですが、区間1・2位は外国人選手で飛び出しただけで、優勝争いに絡むチームではありません。実質的な区間賞と言って良いわけです。
 そして2区の松宮隆行選手が、これぞ駅伝の2区という走り。後方で有力チームの集団が牽制している間に、きっちりと差を開けてしまう。三津谷祐選手(トヨタ自動車九州)だけが後方から松宮選手を上回るペースで突っ込みましたが、終盤で失速したので区間賞も松宮選手。トラック&駅伝で2年3カ月も負け知らず。
 こうなると、独走となった3区以降の選手は、自分の力を出し切ることに集中できます。ニューイヤー駅伝初出場の4区・山田紘之選手と6区・池永和樹選手が区間2位と1位。まったくスキがありませんでした。試しに、全部の区間の区間順位を足した数字を、現行コースとなった01年以降を年ごとに出してみました。

大会 順位 チーム 1区 2区 3区 4区 5区 6区 7区 区間順位合計
2001 優勝 コニカ 3 2 2 8 2 1 1 19
2位 富士通 13 1 10 3 1 7 2 37
2002 優勝 コニカ 9 1 9 10 1 1 3 34
2位 中国電力 4 2 4 1 5 2 2 20
2003 優勝 コニカ 3 2 1 6 1 3 3 19
2位 日清食品 14 6 2 1 12 1 5 41
2004 優勝 中国電力 8 3 8 2 1 1 6 29
2位 コニカミノルタ 5 1 6 1 8 15 1 37
2005 優勝 コニカミノルタ 6 2 10 1 2 2 2 25
2位 中国電力 21 4 12 6 1 1 10 55
2006 優勝 コニカミノルタ 3 1 14 3 2 4 1 28
2位 中国電力 22 4 11 2 1 5 2 47
2007 優勝 中国電力 11 4 13 11 1 1 4 45
2位 旭化成 12 2 5 3 5 4 2 33
4位 コニカミノルタ 4 13 27 2 2 8 4 60
2008 優勝 コニカミノルタ 3 1 7 2 2 1 2 18
2位 中国電力 11 4 12 1 1 15 6 50

 “区間順位の合計=強さ”ではないので記事の体裁にはしませんが、傾向は表れています。コース変更後では01年と03年のコニカミノルタが最小で「19」でしたが、今回はそれを上回る「18」です。

 コニカミノルタの強さを示す表ですが、中国電力の02年の「20」もすごいでしょう。2位以下のチームの合計としては断トツのトップ。3区の区間4位というのがすごい。日本選手だけのチームですから。誰だったんだろうと思って調べると、内冨恭則選手でした。うんうん、なるほどね、という感じ。今よりも外国人選手が少なかったとはいえ、日本人2位はあの高岡寿成選手で、17秒も差をつけています。
 これは、ニューイヤー駅伝を彩った名選手特集をやったら、必ず取り上げられますね。そのくらいにすごい。県民栄誉賞くらいもらっていいかも(もらっています?)。と、引退した選手は、遠慮なく(?)誉めることができます。元気でやっているでしょうか。


◆2008年1月2日(水)
 箱根駅伝往路を自宅でテレビ取材。
 フリーになった2000年から3年くらいは往路の芦ノ湖取材にも行っていましたが、さすがに3日連続早朝からの取材となると、体力的に厳しくなってきました。それと、以前は陸マガの箱根駅伝記事は書いていませんでしたから、仕事的にも少し余裕がありました。ここ4〜5年は箱根駅伝ページが多くなり、徐々に陸マガにも書くようになって、4日以降の仕事が立て込むようになったのが理由です。
 現地に行かなくても、テレビ取材と記録を見て書けることもあります。気がつくこと、と言った方がいいかもしれません。それがこちらに記事にした2区と5区の、以前と近年の違いです(区間1位と10位のタイム差)。関係者や駅伝ファンの多くが、なんとなくは感づいていたことだと思いますが、こうして丁寧に調べるところまでやるのは、それなりに骨も折れること。そこを勢いでできるのは、レースを見た感動が残っているうちですね。時間が経つと難しくなります。

 今回はそれだけ、早大5区の駒野亮太選手のインパクトが強かったということです。
 山の選手起用には2つのパターンがあって、以前の小林雅幸選手(早大)や北村聡選手(日体大)のようにトラックでも記録を持っていて、“平地でも強い選手”が務めるケース。その逆が、“平地では弱くても登りには強い選手”を育成して起用するケース。後者はスペシャリストと呼ばれ、山が他校と同じタイムで行ければ、強い選手が平地区間でリードを奪えるというメリットがあります。
 しかし、山の選手に前年までに実績があれば堅い方法ですが、実績がない場合は“賭け”の要素も出てくるわけですね。練習の中で登りへの適性を見極められればいいのですが、うーん、どうなのでしょう。これだけ差がつくということは、なかなか難しい作業のように感じられます。それとも、差が大きくつくのは避けられない?

 その駒野選手ですが、5区を1年時と3年時に走っていて、区間12位と区間8位。下級生時に成功すると連続して成功できると言われていますが、成功したと判断していいか難しい区間順位です。また、トラックでも3000mSCでインカレ入賞、世界ユースにも出場の実績がある選手。平地でも通用すると言って良いのかどうかも、微妙な存在。そういった選手が今井正人選手(順大→トヨタ自動車九州)の区間記録に7秒と迫ったわけです。
 とにかく、本当にここまでやるとは、誰も思わなかったのではないかと思います。渡辺康幸監督が予想していたとしたら、今後の早大は強いでしょう。


◆2008年1月13日(日)
 全国都道府県対抗女子駅伝をテレビ観戦。1区で松岡範子選手(スズキ)が快走し、故郷・静岡は2位と好発進。と、思っていたらK新聞O原記者から携帯メールが届きました。

★宿命の対決
2003年都大路に記念大会枠で出た県西宮1区の中村が、同大会で初優勝した須磨学園1区の勝又に勝ちましたね。二人とも兵庫代表でないのが複雑なところですが…。阪神・淡路大震災から丸13年関連の仕事があり、結局きょうは自宅で資料作成&テレビ観戦にしました。残念。
〓Atsuya〓


 さすがに目のつけどころが地方紙元陸上記者。取材に行けなかったのは残念だったことと思いますが、幸せでしょうね。こうして、自県出身選手が活躍し、それを文字にして知り合いに送れるというのは。
 2区では兵庫の小林祐梨子選手が区間1位の快走で3位に進出。残念ながら静岡は抜かれてしまいました。
 しかし、中学生区間の3区では静岡の湯田佐枝子選手が区間1位。兵庫を抜き返して2位に進出しました。よしよし。
 ところが4区では、静岡は兵庫と岡山に追い上げられます。
 O原記者からメールが来ました。

がんばれ、坂井田&森本の兵庫コンビ!静岡なんかに負けるな!
〓Atsuya〓


 岡山の森本友選手は兵庫の中学出身です。しかし、それを言ったら1区の勝又美咲選手も、中学は静岡出身なんですが。今回は兵庫県チームではありませんけど。
 しかし、静岡の抵抗もここまで。3.4km過ぎで3チームが一団となり、5区への中継で静岡は4位に。以後は徐々に後退していきました。それでも、9区では野口みずき選手(三重)の追い上げをかわし、入賞ラインの8位をキープ。平田裕美選手(資生堂)の32分40秒は初マラソンへ向けて、良い感じではないでしょうか。静岡県人とすれば嬉しい結果です。
 一方の兵庫。O原記者がレース後に次のような分析を送ってくれました。

★坂井田と堺
女子駅伝で順当に2位を確保した兵庫ですが、中学生区間を除けば須磨学園の現役&OGがずらり。そんな中、チーム最年長で4区区間2位の坂井田歩は加古川西高の出身です。神屋伸行らを排出した加古川・浜の宮中で堺晃一と同級生。加古川西高では我が小野高が誇る伝説の名ランナー榎本隆夫先生の指導を受けました。若手主体で2位に入った兵庫。小崎まり(京都)に次ぐ区間2位は、ひときわ渋い活躍だったと思います。
〓Atsuya〓



◆2008年1月14日(月・祝)
 今日は朝日駅伝の結果を気にしながら、自宅で原稿書き(北九州市陸協に成績)。中国駅伝が全国都道府県対抗男子駅伝に発展解消した後は、混成チームも出られるなど、日本で数少ない“自由の利く駅伝”です。今回、箱根駅伝優勝の駒大が出場しましたが、実業団と大学が単独チーム同士で対決することもできます。
 旭化成の優勝(2連勝)の結果を見て、ちょっとホッとしました。岩井勇輝選手など期待の選手がケガで出られず、ニューイヤー駅伝は崖っぷちに立たされた状況でした。本番では佐藤智之選手がウィルス性の腸炎にやられて大ブレーキ、チーム最低順位を記録してしまいました。今回もHondaや安川電機の方が下馬評は高かったはず。そこを、すかさず立て直してくるあたり、さすがと言うしかないでしょう。
 特に、2区でトップに立った大野龍二選手。これまで駅伝では、1区を務めることが多かったのですが、すごい快走はなかったと思います。五輪選手ですが故障が多く、少ない練習で無理矢理合わせることが多いのが、その原因だったと聞いています。その大野選手がここまで快走するのは、旭化成の“意気込み”を象徴していたような気がしてなりません。取材したわけではないので推測の域を出ませんけど。

 昨年も朝日駅伝は、ニューイヤー駅伝2位だった旭化成が優勝しました。アンカーの岩井選手がユニフォームの胸の文字をつまみ上げながらフィニッシュ。その後も佐藤智之選手の東京、久保田満選手のびわ湖とマラソンでの日本人1位が続いたことで、朝日駅伝が旭化成復活を高らかにアピールしていたような印象がありました。
 宇賀地強選手が区間賞を取りましたが、今回の駒大の参戦も、実業団勢との力の差を見るなど、意図があってのことと思われます。
 大会出場が選手の負担にならないようなスケジュールと、練習の流れを組める指導者であれば、朝日駅伝のような大会は利用価値が大きいと思われます。


◆2008年1月15日(火)
 11:20からコニカミノルタニューイヤー駅伝優勝報告会前の共同取材、12:00からの優勝報告会にも参加させていただきました。場所は東京ドームホテル。箱根駅伝の閉会式会場と一緒というのが…なんでしょう。単なる偶然だと思いますが。
 寺田にとっては古巣のBBM社の近く。懐かしさもあって、水道橋近辺を散歩して、スタバにも行って、と思っていましたが、原稿が書き終わらなくて実現しませんでした。

 共同取材ではなぜか、1区の太田崇選手が「来年はアンカーを走りたい」とコメント。他の選手たちも「来年は太田さんがアンカーなので」と、ネタに使っていました。この意味するところは何か。後で裏をとろうと思っていて忘れてしまいましたが、おそらく、1・2・5区の主要区間に成長した若手を抜擢したい、というチームの強化方針のようなものが、共通認識としてあるのだと思われます。
 磯松大輔選手兼コーチの出場は来年こそはない、というのも共通認識……のようですが、そこはどうなるかわかりません。同選手に駅伝メンバー入りのために頑張ろう、という意識がないのは自他共に認めるところでしょう。ただ、1万mの27分台を出さずして引退できるのかといったら、それは意地でも達成したいところ。駅伝や東日本実業団(トラックです)であれだけの走りをしていて、それを記録という勲章に残さないでどうする、と言いたいわけです。
 と書くと、27分台はそんなに簡単に出せるものじゃない、というお叱りのメールが来るかもしれないので、こうして先手を打って書いているわけです。

 共同会見の場に迎忠一選手の姿が見られなくなったのも、一部記者たちに寂しいことと受け取られています。あの味のある受け答えは、なかなか若手選手には真似できません。今日は、優勝報告会の方で、壇上に登場するときの歩き方に絵心がありました。役者魂と言った方がいいかもしれません。迎選手も駅伝ではもう、出番はないかもしれませんが、マラソンだったらまだまだやれるでしょう。東京マラソンの注目選手として挙げておきたいと思います。
 磯松選手もびわ湖マラソンがあります。川嶋伸次選手(現東洋大監督)のように、最後と思って走ったら好タイムが出る例が、ないわけではありません。普通は、最後と思ったらモチベーションが低くなるのですが。

 今日のイベントでコニカミノルタの強さがわかりました。と言ったらもちろん言い過ぎで、チームの強さとはそんな簡単に理解できるものではありません。ただ、1つ言えるのは、あれだけのイベント(招待客はほとんどが取引先など関係者)を会社サイドが開催すれば、現場のモチベーションがいやでも上がるということ。自分たちの活動が、会社があって初めて可能になっているということを、十二分に理解できると思います。自分たちにそれだけの価値がある、と考えても良いのですが、お互いが価値を認め合っているという関係を理解できるのでは?
 でも、1つだけコニカミノルタの強さが垣間見られたシーンが。司会の方が4区の山田紘之選手に「酒井監督から、かなりきついことを言われたんですよね?」と振ると、山田選手が「そうなんですよ。ああ見えて監督は、とても厳しいんです」と答えていました。寺田も、あれだけジェントルに見える酒井監督が本当に厳しいの? と思ったのが、陸マガ2006年11月号の記事を書くきっかけになりました。

 優勝報告会の最後は、いつものように選手・スタッフが見送ってくれます。「これからスタバで原稿ですか」と佐藤ヘッドコーチ(やっぱり厳しいコーチ)が声を掛けてくれました。実は、夕方までに150行を書かないといけなかったので、スタバに行きました。迎選手も福島県のスタバ・ネタを提供してくれましたが、情報が古かったので却下。東京マラソンで純粋な競技ネタを提供してほしい、という希望の裏返しでもあります。自分で言うのも何ですが、厳しい記者……かも。


◆2008年1月16日(水)
 打ち合わせが2つ。
 14:30からテレビ雑誌の編集者が2人、新宿の作業部屋近くの喫茶店まで来てくれました。担当が変わる挨拶ということでしたが、今年は五輪イヤー。オリンピックに向けても、色々と話をさせていただきました。
 五輪イヤーですから全体のページ数に占めるスポーツの割合は大きくなりますが、陸上競技に振り分けられるページ数は世界選手権よりも少なくなります。他の競技にも有力選手が増えていますから。その状況で、いや陸上競技は面白いですよ、とどれだけアピールできるか。

 昨日原稿を提出した大阪国際女子マラソンも話題になりました。
 誌面ではどうしても少ない文字数になります。専門誌ではありませんから、陸上競技にそれほど理解のない人たちに、まずは目を通してもらうことが必要で、デザインを優先せざるを得ません。そこは寺田も、理解はあります。文章もかなり、断定調になります。
 でも、今日のように直接会って話ができると、文章の裏にある状況を話すことができ、編集者の理解度を高められるのでいいですね。そういう形で陸上競技の面白さをわかってもらえる人間が1人でも増えていけば、状況はちょっとずつ変わっていく…かもしれません。やらないよりはまし。
 しかし、最近は専門誌も、一般誌のような傾向が出てきています。立ち読みでもいいからまず、読者の目を引く、という作り方なのだそうです。1つの記事の文字数は、確実に減ってきています。世間(陸上界)の風潮なので仕方ないのですが、そこを嘆いていても事態は変わりませんので、何か考えます。

 16:00からは某スポーツ系出版社の編集者と、新宿の上島珈琲店で打ち合わせ。以前、陸マガでアルバイトをした人間ですが、すでに社内でもそれなりのポジションになって、こうしてビジネスを持ちかけてくれる立場になっていました。
 寺田の書くことが一般誌で通用するのか、という不安もあるのですが。昔の知り合いだけあって、先方もその辺は理解して、話を持ってきてくれています。ありがたいことです。
 問題は時期的なところ。ちょっと大きな仕事が2つ、重なっています。上手く調整していかないと。
 この時期は試合の原稿よりも、少し先の仕事の企画を考える仕事が多いですね。某大学パンフレットの見積もりもしないといけないし、今日打ち合わせた取材の企画書もまとめないと。1〜3月はそういう時期です。夜には陸マガ高橋編集長から電話で、名鑑の人選作業の催促。


◆2008年1月17日(木)
 陸マガ名鑑の人選作業が朝までかかりました。急ぎの仕事だったのです。
 基準を設けて丁寧にやると、思ったよりも時間が掛かる作業でした。昨年までは陸連の強化指定選手をそのまま載せていましたが、それだと、読者の興味とは違ってくる部分があります。読者は知りたいと思っても、漏れてしまう選手も多いのです。アスリート・オブ・ザ・イヤーが陸連と陸マガで意図するところが違うように、この件でもまったくのイコールということはありません。
 具体的には“読者の知りたいと思う基準”を設定するのですが(日本選手権優勝者とか世界選手権代表とか)、最終的な基準は“読者が知りたいと思う選手”。主要駅伝で快走した選手、今は試合に出ていないけど実績のある選手など、なかなか基準を設けて入れることができません。最終的にどうしたかは、現時点ではまだ秘密です。もしかしたら、公表しないかも。

 東京マラソンと別大マラソンの出場選手が発表されました。
別大毎日マラソン:野田、大島、太田ら招待選手に(毎日新聞)
クリール樋口編集長ブログに東京マラソン招待選手

 五輪代表枠は残り「1」と言われています。そんななか、日清食品の諏訪利成選手と徳本一善選手は2人とも東京に出場。東京とびわ湖に分かれるのでは、という観測が多かったのですが、箱根駅伝の閉会式会場で諏訪選手から、徳本選手が一緒のレースを希望していると聞きました。同じチームの選手同士の場合、“選考”でどちらかが落ちる事態になるよりも、直接対決の方がスッキリします。徳本選手にマラソンの実績がありませんから、なおのこと直接対決を望んだのかもしれません。
 結果として、びわ湖で一発選考という雰囲気はなくなりました。それぞれのレースで“強さ”を見せるしかありません。
 見る側としては、あまり五輪選考だけに気を取られないようにしたいと思いますが、五輪選考レースの年くらい、イベントよりも選手の走りに注目してほしいと思います。


◆2008年1月18日(金)
 午前中に某大学パンフレット製作の見積もり。高くしたら仕事が受注できませんし、安くし過ぎたらしんどくなります。どんな仕事にもいえることですが、バランスが難しいですね。最近は、自分の“やる気”を基準にしています。今回の仕事は前年度の実績がありますから、ゼロからやるよりも楽ではありますが。
 午後は取材依頼…というより取材の打診でしょうか。編集者と連絡を取りつつ、電話を10本前後しました。企画書も書いて送信。この手の仕事は相手のあることですから、昼間にしかできません。昨日、ある仕事を優先したため、予定よりも1日遅れています。陸マガ高橋編集長の用件は、夜に変更してもらいましました。

 あちこち電話をしているなかで、2人の方から「週末は広島ですか」と聞かれました。ここ2〜3年、全国都道府県対抗男子駅伝を取材しているのです。が、今年は残念ながら行けません。寺田は好きなときに好きな試合に行けている、と思われているのかもしれませんが、決してそんなことはないのです。経費全部をどこかが丸抱えで負担してくれる、なんていう取材は年に数本だけ。
 ではありますが、来年あたり全国都道府県対抗女子駅伝には行ってみたいと、Hコーチとの電話中に話題にさせていただきました。というのも、同大会がかつての選手権駅伝から変貌し、現在の長距離界の状況にアジャストした役割を果たしていると感じているからです。ここ数年、感じていることをざっと書き出してみました。

 全国都道府県対抗女子駅伝は懸念材料が2つありました。
 1つは1人の選手が違う県から出場すること。テレビの視聴者からすると、去年は自分の県から出場していた選手が、今年は別の県から出場している。場合によっては、自分の県を抜いていくこともあるわけです。
 もう1つは、競技的な価値が小さくなっていくこと。女子駅伝最初の全国大会として始まりましたが、実業団駅伝、高校駅伝、大学駅伝、中学駅伝と盛んになるにしたがって、選手権的な焦点が薄れてきました。
 女子長距離の実業団強化が進むに従って、実業団チームを擁する県だけが強くなる、という弊害が生じるようになり、それを解決する過程で上記の2つの問題が出てきたわけです。

 これらはもう、ずいぶん以前から指摘されてきたことですが、先日のレースを見る限り、どちらも上手く行っている印象を受けました。
 同じ選手が2つの県から出場する不自然さは、ふるさと制度が駅伝ファンにも浸透して、“今年はこのチームなんだ”という認知がされてきているような気がします。
 そして、選手権としての価値が低くなっている分、限られた戦力の中で精一杯戦う、というスタンスになっている。ここ数年現場を取材していないのですが、そんな感じを受けています。

 その結果として実業団選手は、マラソンやクロスカントリー、そのための強化練習など、日程的な都合がつかなければ出場をしないようになりました。この駅伝に“出なければいけない”という雰囲気が陸上界にあると、選手は過密日程を強いられますが、それがなくなっているわけです。
 そうなるとチームを強化には、これまでは弱かった学生の強化が有効になります(高校生の強化は基本です)。それに最も成功しているのが、優勝した京都ということではないでしょうか。1区の木崎選手(佛教大)が6kmの距離で、実業団選手にあそこまで食い下がるのは予想以上でした。9区の小島選手(立命大)の区間3位も、あのメンバーを考えたら大健闘でしょう。

 問題は実業団選手よりも、高校生や学生が過密スケジュールとなる傾向があることでしょうか。選手権の駅伝、都道府県駅伝、クロスカントリーとトップ選手は冬の間中ずっと出場を強いられる雰囲気がまだあります。
 だからといって、あの大会はダメと一方的に切り捨てるような意見はどうでしょうか。それぞれの大会を個々に見れば、強化面でも普及面でも、プラス要素も多いのです。大会関係者の努力を否定したら、陸上界に入ってくるエネルギーを制限することになります。全国都道府県対抗女子駅伝がここまで良い形になったのは、制限を加える状況になっても、大会関係者が努力をしたからではないでしょうか。
 要は、大会自体の善悪ではなく、それを利用する人間の考え方の問題。最近、駅伝の問題が1つ2つ騒がれていますが、一歩引いて大きな目で見ると、方向が見えてくることもあるのではないでしょうか。陸上界の叡知が問われる部分かと思います。

 なにはともあれ、長距離界の問題解決に進むなかでの京都の大会新は、本当に価値があると思います。
 昨年も似たようなことを書きましたっけ?


◆2008年1月19日(土)
 陸マガの選手名鑑作業。
 掲載選手が固まって、なんと153人。前回より60人近く増えることになります。高橋編集長が掲載基準を練り込みました。
2007日本選手権優勝
2007リスト1位
2007世界選手権代表
北京五輪標準記録AB突破者
主要マラソン優勝者(日本人1位)
2007ユニバー3位以内
2007世界ユース3位以内
2007新記録樹立選手etc.

 これらで注目選手のほとんどは入ってくるのですが、それでも何人か、有力選手がこぼれてしまいます。昨年、あまり活躍しなかった選手、試合に出なかった選手たち。高岡寿成選手や谷川聡選手、高橋尚子選手や花岡麻帆選手たちを掲載するために考えた基準が、
現役日本記録保持者
現役オリンピック&世界選手権入賞者
 でした。これで、だいたいは網羅できたと思ったのですが、それでも何人か漏れてしまいます。最後はもう、
陸マガ推薦枠
 を作ったみたいです。と、ちょっと他人事のような書き方をするのは、最終決定はあくまでも陸マガ編集部だから。寺田はいわゆる、外部の人間です。責任逃れの典型的な言い方ですね。
 最後の推薦枠は10人ちょっと。今井正人選手や大崎千聖選手らが入ってきました。箱根駅伝区間賞まで枠を広げるわけにはいきませんが、今井選手の注目度を考えたら絶対に載せたいわけです。大崎選手の場合は世界ロードランニング選手権で入賞していますから、それで引っかかる基準を設ければ良かったかもしれません。

 問題は、このあとの作業です。以前の記録と首っ引きになる地道な作業が、ドドーンと待っています。その間に、大阪国際女子マラソンもありますし、S選手やT選手の家族へのインタビューなど、通常の取材&記事執筆も少し入っています。丹野麻美選手のインタビュー記事も来週頭が締め切りですし、某サイト・データ更新の仕事もそろそろやらないと。
 編集長が締め切りを心配するのも、わからないではありません。最近、締め切り破りの常習犯に成り下がっているのも事実です。ただ、世界選手権名鑑の作業を7月に、デンハーグ(オランダ)、ニース(フランス)、ハッセルト(ベルギー)、アントワープ(ベルギー)と欧州各国を股に掛けて作業をして、最後はアムステルダムのスキポール空港からデータを送信して締め切りに間に合わせた事実も忘れてもらっては困ります。
 と書いておけば、今回も頑張れるでしょう。


◆2008年1月20日(日)
 全国都道府県対抗男子駅伝をテレビ観戦。
 駅伝ファンにとって嬉しかったのは間違いなく、3区のダブル佐藤の競り合いでしょう。5000mと1万mの高校記録保持者同士。3年前の日体大長距離競技会(佐藤悠基選手が1万m高校最高、佐藤秀和選手が歴代2位)を思い出しました。結果は悠基選手がリードを奪いましたが、今の状態というか、この3年間の走りを考えたら妥当なところ。でも、秀和選手がここまで戻ってきたのは明るい話題です。
 優勝は悠基選手でトップに立った長野。4・5区の高校生区間で連続区間賞で一気に引き離しました。特に5区の村澤選手は区間2位と31秒差の快走。ここまで差が開くとは、長距離関係者も予想できなかったのでは?

 選手権駅伝(中学駅伝、高校駅伝、大学駅伝+箱根駅伝、実業団駅伝)の調子を維持している選手、落としてしまっている選手、逆に上げてきている選手と、色々です。2年生の村澤選手は高校駅伝の1区日本人区間2位よりも、さらに上げてきた印象です。有力選手が集まった7区で区間2位を15秒引き離した北村聡選手(兵庫・日体大)も、箱根駅伝よりも断然良かった。
 7区区間2位の河添選手(熊本・旭化成)や、3区区間2位の岡本直己選手(広島・中国電力)、同4位の山田選手(東京・コニカミノルタ)は、強いと認識してはいましたが、ここまで強かったのか、という印象を与えてくれました。7区区間4位の保科光作選手(宮城・日清食品)も安定しています。
 学生では7区で区間5位の宇賀地選手(栃木・駒大)、3区区間7位の大西智也選手(岐阜・東洋大)が、あのメンバーの中での順位ですから大健闘では?
 選手権駅伝の全国大会に出られなかった有力選手も、毎年注目を集めます。1区の柏原竜二選手(福島・いわき総合高)が活躍した代表です。反対に、選手権駅伝の全国大会に出られなかった悔しさをぶつけると思われたのに、いまひとつだった選手もいます。

 成績一覧を見ていて気づいたのが、名前の付け方の傾向です。優勝した長野は1区が千葉健太選手で4区が佐々木健太選手。「○○タ」という名前がいつ頃からか、流行っているのだそうです。油谷繁選手も長男を命名する際、奥さんからそう言われたと聞きました。メジャーなのは宮崎の7区で出場した土橋啓太選手。今回の出場者から拾うと全部で26人。2チームに1人は「○○タ」という名前の選手が走ったことになります。
 もう1つ多いな、と思ったのが「○○キ」という名前。これも長野3区の佐藤悠基選手(東海大)をはじめ、地元・広島は2区の松村元輝選手、3区の岡本直己選手らがすぐにピックアップできます。こちらも数えてみると全部で27人。「○○タ」とほぼ同数。これには驚きました。

 違いは漢字でしょうか。「○○タ」の「タ」は全員が「太」ですが、「○○キ」の「キ」は色々な漢字が充てられています。「ユウキ」という名前が目立ちますが、佐藤悠基選手、八木勇樹選手(兵庫1区)、田中雄規選手(長崎3区)、前田悠貴選手(宮崎1区)、木村勇貴選手(山口2区)、三潟雄基選手(静岡6区)、森脇佑紀選手(島根7区)、西山祐生選手(奈良5区)選手と千差万別。同じ漢字の選手が2人といません。
 「ユウ」も「キ」も色々な漢字が名前に適していて、組み合わせが幾通りも考えられるからでしょう。今大会には出ていない「ユウキ」を検証してみましょう。中村悠希、岩井勇輝、松岡佑起、山口有希、山崎勇喜…いや、ホントに同じ「ユウキ」がいません。
 などと数えているのも、名鑑の仕事を抱えているこの時期、勇気の要ることなのです。とか書かなきゃいいのに、と自分でも思いますが、神戸あたりで受けているので。


◆2008年1月21日(月)
 午前中から昼過ぎまではアポ取りと打ち合わせなどで、電話を6〜7本。1つ、大きな取材日程が決まりませんが(これ次第で2月第1週に行く大会が決まります)、2月中旬までのスケジュールが少し見えてきました。あとは、大阪国際女子マラソンの結果次第ですね。

 夕方からは丹野麻美選手のインタビュー記事に取りかかりました。取材をしたのは11月末でしたが、“4年間を振り返る”というコンセプトなので時期的には問題ありません。11月には渡辺なつみ選手、吉田真希子選手と、同じ日に福島大で3人を取材をさせてもらったのでした。頭の切り換えが大変でしたが、ちょっとした○秘テクニックを使って乗り切りました、と書いておきましょう。

 記事を書きながら同選手の4年間が、歴史的な偉業だったという認識を新たにしました。ただ、選手自身はそこまで感じていないはず。当事者がそう考えてしまったら、満足してしまうことにつながりかねません。
 あとは、見ているところの違いでしょうか。選手や指導者は、自分たちのやろうとしていることを見ていますが、他との比較という面も含め、第三者はもう少し全体的に見ています。業績的な部分は、そのはずです。
 ときどき、第三者が気がつかなくて指導者が、場合によっては選手自身が「こういう部分があるんです」と言うこともないわけではありません。よほどマニアックなネタか、競技自体がマイナーで業績的な評価を第三者ができないときです。

 陸マガ2月号のアスリート・オブ・ザ・イヤーの投票結果を見ると、丹野選手は6位です。念のため10位までを書き出しておきましょう。
1位 土佐礼子(三井住友海上)
2位 尾方 剛(中国電力)
3位 朝原宣治(大阪ガス)
4位 野口みずき(シスメックス)
5位 室伏広治(ミズノ)
6位 丹野麻美(福島大)
7位 佐藤敦之(中国電力)
8位 松宮隆行(コニカミノルタ)
9位 大崎悟史(NTT西日本)
10位 絹川 愛(仙台育英高)

 今回は陸マガ編集部員の投票結果を掲載しています。集計結果では“平均”が示されるだけで面白くない、とかねがね編集部に言っていたからでしょうか。経緯の詳細は不明ですが。
 丹野選手は高橋編集長が3位、秋山次長が4位にリストアップ。寺田も3位で投票しました。投票結果分析の表を見ると2位にも1票入っています。こうした部分まで評価できるのが、専門誌ならでは。陸連のアスレチック・アワードとの違いは、そういう部分です。


◆2008年1月22日(火)
 今日は充実していました。
 朝はS選手からの電話で始まりました。同選手の2年2カ月前の写真を朝食後に送信。

 10:40には小川町のエスポートミズノに。絹川愛選手の入社会見を取材するためです。高橋広報(アテネ五輪の際にスタンドでガッツポーズをする映像が、全世界に配信された人物)に「高卒選手のMTC加入は初めてですか」と質問すると、初めてだと言います。もちろん、長距離種目の選手も初めて。長距離は他の実業団チームに任せて、トラック&フィールドの選手をサポートしてきたのがミズノです。
 高卒といってもすでに世界選手権で14位なのですから、実績の点では申し分ありません。
 ただ、どうして長距離の選手を? という疑問はありました。

 ミズノ側の考えは上治専務の説明でわかりましたが、理解が本当にできたのは、会見後に渡辺高夫先生に話を聞いてからでした。これは、日記という形で紹介するのが良いか、記事の形にするのが良いのか、迷うところです。「たぶん、企業の駅伝チームに入ったら3日しかもたない」という渡辺先生のコメントに代表されるのですが、これはキャラクターの面だけでなく、トレーニング内容の個性が強いことも含んでいると思われます。
 詳しくは後日、余裕があれば紹介したいと思います。

 コンビニで昼食を買って作業部屋に。
 まずは某同業者に電話をしましたが、つながりません。間もなく携帯メールが届き、電車で移動中と判明。用件はメールのやりとり2往復くらいで済みましたが、こういう時に携帯メールは便利です。
 ATSUYAなメールも最近は携帯ですが、PCメールでじっくりと書いてもらいたいネタもあります。これは、先方の事情もあることなので、贅沢は言えませんが。

 昨日書き始めた丹野選手の記事は80行しか進まなかったので、これが優先事項ですが、同選手の手書きアンケートをそのまま掲載すると良い誌面になると思い、福島大TCの坂水広報に連絡。本人の許可をいただきました。編集部が送ってきた丹野選手の4年間の戦績を、掲載項目や大会を整理して一覧表を作製する作業も突発的に入りましたが、短時間で処理。
 その間にH記者のおやじ電話(?)にも対応。これも福島大絡み。
 肝心の丹野選手原稿の本文がなかなか進みませんが、今日はアルバイトの家族T氏に作業をしてもらわないといけません。ほとんどがコピー&ペーストですが、名鑑の入力作業を説明。単純作業でも、いい加減な人間には任せられません。その点、T氏は丁寧なところが取り柄で信頼に足る人材です。S選手夫妻にも劣らない信頼関係だと書いておきましょう。

 19時過ぎには丹野選手記事の本文が完成。
 続いて、川本監督コメントも。取材の時は分量的にちょっと少ないかな、と感じていました。「以前の取材でお聞きしたコメントを付け足したら、メールで送るのでチェックしてください」と断っておきましたが、文章に起こすと軽く30行は行きました。内容的にも、選手の主観を補足する面白いコメントで、以前のものを加える必要はありませんでした。
 寺田の場合、100行分の取材をしようと思うと150〜200行分の取材をしてしまいます(要するに小心者ということです)。例外もありますが、いつまでたっても直らない欠点で、そこをなんとかしないと効率の悪い仕事をし続けることになるでしょう。ただ、プラス面も時々はあって、このサイトにもネタを残せるわけですが。

 続いて陸マガ名鑑の作業に。これも頑張りました。進行は珍しく予定通り……に近いかも。


◆2008年1月25日(金)
 今日から大阪国際女子マラソン取材のため大阪入り。震災で中止になった95年を除き、92年から皆勤取材です。
 大会本部ホテルのニューオータニで14時から共同会見。最初に海外招待3選手が会見し、次に国内招待4選手(原裕美子選手は体調不良で欠席)、最後に初マラソンが注目されている福士加代子選手の順。
 なんといっても注目は福士選手で、大会前の取材はいっさい受けていないので、関西テレビを除きどのメディアも情報不足の状態。招待選手を断って一般参加選手扱いとなったのも、記者会見など公式行事参加の制約を受けないことが目的の1つだと言われていましたから、嬉しい驚きをもって迎えられたと思います。
 数少ないチャンスですから、質問も多かったですね。他社に手の内を見せたくない、という記者もいますから、囲み取材などと比べ、質問の数も少なくなる傾向がありますが、今日は例外でした。

 皆さんご存じのように、福士選手の回答は他の選手とはちょっと違います(こちらの記事参照)。福士選手自身は真剣に答えているのですが、周囲からはかわしているようにも見えます。ただ、「なに、その質問は?」という態度ではないので、記者たちもかわされると知りつつも質問をしているようです。
 寺田も2つ質問させてもらいました。1つは純粋に競技的な質問で、専門誌以外ではなかなか使えないようなネタ(実際、主催者サイトの会見記事では掲載されていません)。福士選手には予想通りかわされました。周囲からは無駄な質問ととられそうだったので、どのメディアでも使えそうな質問も併せてしました。この辺は、朝日新聞・小田記者の手法を見習いました。

 会見後はロビーで原稿を書きながら、知り合いの指導者や関係者から情報を入手。代理人のブレンダン氏からは、展望記事に使えそうなトメスク選手やシモン選手のネタを入手。ペース配分もだいたい、読めてきました。当日の選手と気象コンディションで変わってくることですが。
 初マラソンの注目選手が、福士選手以外にも多いのが今大会の特徴。昨晩、初マラソンの歴代リストを整理してきました。それは、多くの記者がやっていることで、珍しいことではありません。それに某マラソン関係者のO氏から、「初マラソンで騒ぐのはよくない」という意見が出ました。初マラソンで結果を期待しすぎることで、選手にプレッシャーを与えている。その結果、マラソンへの敷居を高くしていると。一理も二理もある意見で、初マラソン・リストを掲載するのをやめました。

 元々、寺田が気にしたのは初マラソン歴代記録よりも、福士選手のこともあり、初マラソン時にトラックの日本記録を持っていた選手は誰か、という点でした。
 鈴木博美選手がそうだと思われがちですが、実は違います。初マラソンが96年1月の大阪で、1万mの日本新は同年6月の日本選手権。渋井陽子選手も、初マラソン翌年が1万mの日本記録です。千葉真子さんが会見場にいらしたので、初マラソンは98年シドニーなのか(五輪ではない)、99年東京なのかを質問。シドニーはレースが目的ではなく、初マラソンは東京としていることを確認。千葉さんの場合はどちらにしても、1万m日本新が96年で、同じ年に鈴木さんに破られているので、該当しません。真木和選手も、1万mの日本記録を破られた翌年が初マラソン。
 片岡純子選手の初マラソンのデータが正確にわからないので断定できませんが、もしかすると、松野明美選手が1万m日本記録保持者で初マラソンを走った最後の選手かもしれません。もしかすると、増田明美さんを含めて2人かも? 以前の記事を読めば片岡選手の初マラソンがわかるのですが、そこまでの資料はさすがに持っていません。

 おっと。福士選手は1万mではなく5000mの日本記録保持者。その初マラソンは過去にあったのか? 弘山晴美選手、五十嵐美紀選手、荒木久美選手が歴代の5000m日本記録保持者のなかでマラソンを走っていますが、弘山選手、荒木選手は初マラソン後の日本新だと確認できました。五十嵐選手も判明しているマラソンが95年名古屋なので、破られた後だと思うのですが、100%正確とはいえません。もしも五十嵐選手が違ったら、これも増田明美さんまでさかのぼるかも?


◆2008年1月26日(土)
 新聞記者の方たちは福士加代子選手の朝練習を取材するために早朝から大会本部ホテル(ニューオータニ)に行ったようですが(といっても、ホテルの出入りを見守るだけですが)、寺田はそこまで仕事熱心ではなくて、心斎橋のホテルで昼まで選手名鑑の作業。これも仕事ですが。
 名鑑作業は楽な作業ではありませんが、ときどき、おっという発見があるので楽しいですね。2〜3年前のシカゴ・マラソンで知り合った山陽特殊製鋼の小林正明コーチの名前が、日本選手権の1万mにあったりします。予選でブービーだった年もあれば、決勝でブービーだった年もありました。
 今や有望選手が増えて、勢いのあるチームの代表格となっている山陽特殊製鋼ですが、10年前はまだ、新興チームの域を出ていません。きっと小林コーチがエースで、日本選手権で走ることでチームの歴史を切り開いていったのでしょう。そういえば、この年(96年)の日本選手権は長居だったよな、同じ兵庫県の伊東浩司選手が200 mで日本新を出した大会に、そういう(どういう?)ドラマがあったのですね。人それぞれ、与えられた人生を精一杯生きているのだと、認識を新たにしました。

 大会本部ホテルには12:40くらいに到着。福士選手は明日のスタート時間に合わせ、12時からも走りに行ったようです。一応、寺田もそれは計算していて、帰ってくるところを見ようかな、と考えていました。これは全員の選手に当てはまることですが。残念ながら福士選手の姿は見られませんでした。出入り口が多いホテルでは、その辺を完全に抑えるのは無理です。寺田は福士選手を大会前に取材をする必要はないので、他の記者たちより気が楽なのですが。
 あとでわかったことですが、小崎まり選手と一緒にジョグをしたとか。新聞に写真が載りましたが、その辺の新聞社の頑張りはすごいです。
 ところで、以前の大会本部ホテルの千里阪急の方が取材はしやすかったと、確か昨年の日記で書いていると思いますが、選手たちには今のニューオータニの方が好評と聞きました。大きな公園がホテルに隣接していて、練習がしやすいからです。

 高橋昌彦監督に名古屋国際女子マラソンに向けての話を聞かせていただきました。他の監督にそれを聞いたらちょっと失礼にあたりますが、大南選手姉妹は明日はハーフマラソンへの出場。大丈夫かな、と判断しました。今日は、この話が聞けただけでも、十分にお釣りがきます。
 あとは、第一生命・山下監督と、十八銀行・高木監督に立ち話取材。ホテル内での選手への接触は禁止ですが、指導者は規制がありません。第一生命・安藤選手、十八銀行・扇まどか選手とも、先頭集団のペースが遅くならない限り、ついていかないようです。

 19:30までロビーで原稿書き。その後、JRと御堂筋線でN駅まで移動して、高校時代の友人と食事。


◆2008年1月27日(日)
 大阪国際女子マラソン取材。朝は6時台には起きて仕事をして、10時には長居陸上競技場に。世界選手権以来5カ月ぶり。懐かしいという感じは……あまりしません。長居に行くのはもう、日常のこと。地元世界選手権はあくまで、お祭り的なイベント。日常の頑張りこそが重要で、感傷にひたっているヒマはありません。その辺が、2006年のヨーロッパ取材でヘルシンキ(05年世界選手権開催地)に行ったときとは違います。当たり前か。

 レースの1時間10分前からスタンド下に。主催者の意向なのか、競技場レイアウトの都合なのか、スタート前に指導者たちに接触ができる大会と、できない大会があります。大阪国際女子マラソンはできる方。びわ湖もOK。関西だから…が理由ではないと思いますが。4年前の五輪選考レースの時はA新聞K記者(現デスク)が「坂本の一点買いや!」と、興奮気味に話していました。
 今年はというと、A新聞H記者が4年後(1年後?)は確実にデスクになっている立場。前任者のKデスクにならって「森本の一点買いでしょう!」と話していたのかもしれませんが、寺田は聞いていません。

 今日は、ワコール永山忠幸監督と少し話ができました。どんなペース設定で走るのかは、直前に指示をすると言います。もちろん、事前にいくつかのパターンを話し合っているのでしょうが、最終的には「ランシャツになってから」とのこと。
 福士選手の失速は本当に残念でした。今回のアプローチ法で成功すれば、それはそれで、1つのスタイルとなるからです。日本が培ってきたマラソン練習のスタイルがありますが、1人くらいはアフリカ選手的な方法で成功する選手がいてもいい。来年か再来年にマラソンに進出する絹川愛選手も、そのスタイルでアプローチする予定だといいますし。

 アフリカ選手の先行&失速は、よく見られる現象です。日本人のスピードランナーにも時折り見られます。ですから、福士選手も同じ状況になって不思議はないのです。元が日本人ですから、うまく融合させてくれるのではないか、という期待もありましたが、大騒ぎをすることではありません。申し訳ないのですが。
 失速度合いも40kmまでの5kmが24分48秒で、これも、スタミナ切れを起こしたらあり得ない範囲ではありません。東京の渋井陽子選手も23分22秒です。最後の2.195kmが15分37秒というのは異常ですが、これは、通常なら棄権するところを走りきったから。
 福士選手が走りきったのは、福士選手だから。今後への影響を考えたらやめるべきだった、という意見が多いようです。競技的にはそれが正しいと思いますが、1人の人間として考えたとき、それは正解ではなかったのです。走り続けると危険が伴うこともあるので、両論があるところでしょうが。

 レース後の取材はまあまあ、上手くこなせました。共同会見場で優勝のヤマウチ選手と2位の森本選手の話を聞き、陸連の会見にはボイスレコーダーを残して、“その他取材”に移りました。セカンドウィンドACの川越監督、十八銀行の高木監督、小幡佳代子選手の話を聞くことができました。
 その後は福士選手をマーク。予想されたことですが、コメントは永山監督だけで、福士選手は治療とダウンの後は、取材に応じないで引き揚げました(女子マラソンでは普通です)。ただ、落ち込んだ風はなく、スポーツニュースなどで流れたように、簡単にコメントを残しました。寺田の声も、某局のニュースで流れてしまって…。相変わらず、変な声でした。

 競技場での取材後は、陸マガ曽輪ライターと一緒に大会本部ホテルのパーティー取材に。同ライターはクリール(BBM社の市民ランナー雑誌)の取材と、初マラソンで好走した扇まどか選手、日本人2位の大平美樹選手の三井住友海上・鈴木秀夫監督の取材が目的。扇選手と鈴木監督の取材には、寺田も立ち会わせてもらいました。規則に則って、パーティー会場の外での取材。鈴木監督には名古屋国際女子マラソンの展望も取材したかったので。扇選手には“扇の要”は何かを聞くためです。意図するところは、わかりますよね? 扇の要は、“長崎”でした。
 他には、天満屋や武冨監督や資生堂・藤川亜希選手、代理人のライリー氏と談笑し、今大会の記録が全体的に1〜2分悪かった理由を特定しました。レース直後は、今大会の選手は結局、力がなかったと考えていました。そう言う指導者も多いのですが、記録が出にくい要素もありました。これは、記事にするかもしれません。時間があれば、ですが。

 今日の取材で最大の失敗は、ボイスレコーダーを記者会見場に忘れてしまったこと。ホテルへ移動中にO記者に電話をして見てもらったのですが、会場はすでに撤収作業のあと。S新聞・H記者に頼んで、大会本部に遺失物届けを出しました。大事な陸連会見の模様が収録されているのに…。
 今日の番外ニュースとして2つの結婚が判明しました。1人は某選手で相手は以前の同僚とのことですが、名前を明かしてくれません。もう1人は……イニシャルはS。相手は一般人なので、素性を明かすことはできません。


◆2008年1月28日(月)
 朝の9時から森本友選手の一夜明け会見。天満屋は99年東京の山口衛里選手、2004年大阪の坂本直子選手(ホテル前の雪だるまの前で、写真を撮ったことを思い出しました)、そして今回の森本選手と、五輪選考レースで優勝か日本人1位を占めています。その強さはどこにあるのか? と聞いても、選手の立場では分析が難しいかな、と思っていました。でも、某記者がそれを聞くと森本選手は、説得力のあるコメントを返してくれたのです。
 その他の質問に対しても、とてもしっかりした受け答え。レース2日前の共同会見では、「人前で話すのは苦手で―」と言っていましたがどうしてどうして。頭の良い選手だな、という印象を持ちました。こちらの質問の方が、要領を得なくて恥ずかしかったです。

 9時30分からはマーラ・ヤマウチ選手。一通りの質問が出終わったところで、イギリスの大学陸上事情を聞かせてもらいました。ヤマウチ選手はあの、オックスフォード大学出身なのです。オックスフォードとケンブリッジは日本でいうなら早慶といったところらしいのですが、オックスフォードは、かのロジャー・バニスター(世界で初めて1マイル4分突破)も卒業生だそうです。昨年の世界選手権男子1500m9位のアンドリュー・バドリーはケンブリッジ。
 三段跳のエドワーズもニューキャッスルあたりの大学出身のインテリです。イギリスの陸上選手はそういう傾向があるのは確か。ラドクリフも何カ国語を話します。そのラドクリフとセバスチャン・コー(元800 m世界記録保持者。1500m五輪2連覇)の母校のラフバラ大は体育コースがあり、筑波大のような存在みたいです。

 昨日はイギリスの陸上競技専門誌やいくつかのメディアに対し、手記(報告記事?)を書いていたと言います。海外遠征に行った選手がそこまでやってくれると、メディアはありがたいですね。ヤマウチ選手だからできることなのでしょうけど。そういえば、陸マガもときどき、書いてもらうことはありますね。何度も言いますが、伊東浩司選手にヨーロッパから遠征記を書いてもらったことは、強く印象に残っています……10年前ですか。
 専門誌という言葉が話に出てきたので、会見後に挨拶をして、日本の専門誌についてもちょっと質問させてもらいました(夫の山内氏に同選手ブログへのリンクの許可をもらいました)。世界広しといえども、日本のように陸上競技専門誌のページ数が多いのは見あたりません。中学生・高校生の大会や記録を、詳細に載せているのが厚くなっている理由です。
 ヤマウチ選手はその点を、好意的に見てくれていました。選手層の厚さに貢献しているかもしれないのです。ヨーロッパは国単位で見たら、選手層って薄いですからね。例外種目もありますけど。でも、数少ない選手を、きっちりと育てている。当然、選手の年齢は高くなる傾向が生じます。

 最近、女子マラソンの代表はみんな30歳以上とか、アテネ五輪と顔ぶれが変わらない、という意見を多くの方(3〜4人)から聞きました。全部が現状を憂うトーンです。でも、2007年の世界20傑に日本選手は5人入っています。それだけ入っていたら、年齢なんてどうでもいいじゃん、とか書いたらやっぱり怒られるでしょうか。
 つねに新陳代謝が進んでいなければいけない。つねに右肩上がりの状態でないと不安になる。これって、高度経済成長信奉の名残のような気がします。成熟した社会は、そうはなりません。横這い状態のときだってあるし、落ちる時期だってある。アメリカだってドイツだってイタリアだってスペインだって、そうなのでは?
 右肩上がりしか経験のない日本の女子マラソンですが、低迷期を怖がるのでなく、そこに入ったときに慌てないよう、再上昇できるノウハウをどれだけ蓄積できるかが重要なのでは?
 そのためにはやっぱり、今を憂うことが大切……ですよね。失礼しました。

 一夜明け会見取材後は、中国電力・宮下広報(女性)と打ち合わせ。坂口泰監督と選手2人へ取材を申し込んでいたのですが、全員が揃う機会は3月までありません。一度の広島(または合宿地)行きで済まそうと思っていたのですが、不可能なことがわかりました。
 だったら、自分が大阪にいるのを利用して、今日明日で1人でも取材をさせてもらうことに。東京に戻る予定を変更して急きょ広島に。中国新聞・山本記者に場所を確認して、2年半ぶりに中国電力の寮にお邪魔しました。
 15時から油谷繁選手にインタビュー取材。これはいつもとはちょっと毛色の違うメディアの取材でしたが、同選手がこちらの要望に完璧に対応してくれて、上手くできたと思います。気持ちの良い取材でした。


◆2008年1月29日(火)
 伊東浩司監督誕生日。
 と知ったのは、K新聞のO原篤也記者から、以下のようなメールが来たからです。26日(土)の日記で山陽特殊製鋼の小林コーチに言及したことで、O原記者を刺激したようです。

日記でわが同期で、「高岡世代」の一員、小林正明コーチを取り上げていただきありがとうございます。日本選手権での山陽特殊製鋼といえば、私が自費で東京出張を敢行した95年の男子5000mで大川久之が優勝しましたことを思い出します。いつかは五輪へ、との期待はかないませんでしたが、ニューイヤー1区区間賞など意表を突く活躍をしてくれるので応援していました。前畑耕三前コーチを加えた三人が、さんとくの初期を支えました。よく裏切られましたが。ちなみに、本日は伊東浩司さんの38歳の誕生日です。生まれ年では、私も「伊東世代」です。
〓Atsuya〓


 大川選手を忘れてはいけませんね。派手な活躍をした印象はありませんが、時おり存在感をアピールする走りをしていました(引退時の神戸新聞記事)。前畑選手は3000mSCの印象がありますが、高校はやはりというべきか、飾磨工高だったのですね(神戸新聞記事)。ちょっと古いですけど永里監督や三枝選手(インターハイ1500mSC優勝者)も同高出身。最近では篠藤選手(中央学大)もそうです。

 そういえば、1月20日の日記で全国都道府県対抗男子駅伝出場選手に「○○タ」や「○○キ」という名前が多いことを書きました。実は「○○ヤ」が多かったのです。特に兵庫県は。アツヤ記者から次のメールが来ていました。

渡辺和也、中山卓也…也、哉、矢、弥と「○○ヤ」はなんと31人! がんばれ、「○○ヤ」!「○○キ」や「○○タ」なんかに負けるな!
〓篤也〓


 本日も名鑑作業。面白いことに気づいたのは尾崎好美選手(第一生命)。名古屋で初マラソンに出場しますが、データだけで記事が書けるかも。


◆2008年1月30日(水)
 11時から新宿の京王プラザホテルで中国電力・坂口泰監督の取材。
 一連の中国電力取材の1つで、一昨日の油谷選手、今日の坂口監督、来週月曜日の佐藤敦之選手と続きます。別々の日の取材となったのは、こちらの打診した期間に3人が揃う機会がなかったからですが、油谷選手は大阪国際女子マラソンの取材とセット(出張)にできましたし、来週の佐藤選手は丸亀ハーフとセットにできます。M広報のおかげで、上手く乗りきることができそうです。
 油谷選手と坂口監督からはトレーニングについての取材。坂口監督にはトレーニングの考え方などアウトラインを、油谷選手にはメニューのこなし方の部分の話を聞くことができ、2つの取材の内容を併せて1本のトレーニングものの記事にします。佐藤選手は福岡国際マラソンと関連したテーマで話を聞いて(具体的にはこれから考えます)、こちらはインタビュー記事にする予定。尾方剛選手にはまた、別の機会で取材できると思っているので、アイデアを温めています。

 取材後は編集者と打ち合わせ。3月中旬発行予定のその雑誌(ムック?)では、寺田は3つほど企画を担当します。中国電力とコニカミノルタと、あと1つが女子マラソン選手で、人物記事かインタビュー記事。2月のスケジュールがかなり見えてきました。久しぶりに、専門誌以外の雑誌でじっくりと記事が書けるので、頑張りたい仕事です。
 それで、世間に何かをアピールしようとか、そういう大きなことは考えていませんけど。できることをやるだけ。

 作業部屋に戻ると「陸上競技 強豪校の(秘)練習法、教えます!」(ベースボール・マガジン社刊)が届いていました。陸マガ前編集長の児玉女史の労作で、書き手は水城さんがメイン。関西方面2校は独身ライターの曽輪っち。ウルトラマンはシュワッチ(コピーライト:野口順子さん)。
 巻頭は末續世代5選手(末續慎吾、池田久美子、内藤真人、醍醐直幸、澤野大地)の高校時代のトレーニングと、現在のトレーニングに対する考え方を、2ページずつで紹介しています。テーマがきちんとしていて、比較できるのも面白いです。
 写真も良いですね。このムックのように練習中やインタビュー中の自然の表情の方が好きです。最近のNumber的な写真(私服でカメラ目線)の方が同世代の読者に売れると編集者たちは言いますが……。Number的なやらせ写真を撮るのであれば誰でも知っている一流選手か、それなりの効果を狙うときにしたいな、というのが個人的な考えです。

 話をムックの内容に戻して、本当にすごいのが強豪高校7校の練習紹介。1校にたっぷり10ページをかけています。監督の先生の総論的なトレーニングに対する考え方があって、あとは個々のドリルやトレーニングメニューを、写真と解説文付きで紹介していくパターンですが、数カ月にも及ぶメニューの一覧表や、工夫を凝らした練習コースの図面、サーキットトレーニング配置図等々、微に入り細に入り見せてくれています。
 これは、本当に感服しました。陸マガでも単発的に特集記事を載せることはありましたが、ここまでまとまった形ではたぶん初めて。どうして今までなかったんだろう、と思ったムックです。読者は“いいとこ取り”で個々のメニューを取り入れることもできるし、“これだ”と思ったら、その学校の練習を大々的に取り入れることも可能です。

 間違っても写真だけ眺めて「杉井先生(浜松市立)の表情は以前より優しくなったんじゃないか」とか、「清田先生(埼玉栄)は相変わらず若いけど目尻の皺がちょっと気になるわ」とか、「両角先生(佐久長聖)の表情は高校駅伝優勝に自信があるんだろうな」という見方をしてはいけません(教え子の選手は許されるでしょうけど)。大事なのは、トレーニングの裏にある、各先生の情熱です。


◆2008年2月1日(金)
 昨日と今日で、土佐礼子選手のアスリート・オブ・ザ・イヤー原稿(陸マガ3月号)を書き上げました。記事の体裁は例年のようなインタビューでなく、通常の三人称の記事。これは書き手の視点が問われる形です。土佐選手の記事は多数出ていることもあり、ちょっとプレッシャーがありました。
 さんざん悩みましたが、結局、1年に1本しかレースを走らなかったという話を導入にして、“故障からしっかり戻る”というテーマを軸にしました。よくある“戻りが早い”、ではなくて“戻りがしっかりしている”。
 そのテーマが、スッと1本の筋になって、その周りにいくつかの要素が絡み合う展開のストーリーにしたかったのですが…。筋になるはずのテーマが、他の要素と同じくらいの受け取られ方をされてしまうかもしれません。つまり、単にいくつかの要素が絡み合って話が進む印象になっているかも。ただ、一般メディアではなく専門誌の読者なら、意図したところは理解できるのでは……という読者頼みの記事でいいのか、と堀川記者から叱られそうです。

 その記事と一緒に、土佐選手のお母さんへのインタビュー記事も書きました。最初に高橋編集長からその話があったときは、30行くらいの囲み記事をイメージしていたのですが、これが100行!というリクエスト。選手のメイン記事のそばにあって、“家族の話も載せていますよ”という形でお茶を濁すのでなく、マジでやろうという気概を感じました。土佐選手の強さの秘密の一端でもいいから、少女時代から探ろうという意図。
 面識のない人への電話取材で100行。寺田が編集者だったら、とても依頼できない内容です。ダメモトで頼んでみよう、という高橋編集長のスタンスの成せる業で、これがときどき成功してしまうから怖いというか何というか…良い企画になるわけで、今回もそのケース。お母さんのひな子さんも元陸上競技の選手で、非常に面白い内容のインタビュー記事になりました。これを読むだけでも、1000円くらい出す価値はあります。

 夜にはマーラ・ヤマウチ選手の夫で、マネジャーの山内成俊さんへも電話でインタビュー取材。陸マガ巻頭カラーのPEOPLE頁にマーラ選手を書くためです。東京に戻ってきてからの原稿依頼で、レース後の会見も、一夜明け会見も出ていたので、ネタ的には書けない状態ではなかったのですが、2つ3つ、どうしても知りたいことがあったので、週末の夜というタイミングも省みず、電話を入れさせていただきました。
 これも、面白い話を聞くことができました。マーラ選手は本来、日本選手とは違うトレーニングの組み立て方なのだそうです。その辺の考え方は、洋の東西の違いなのかもしれませんが、日本のトレーニングが当たり前と思っている我々には目から鱗。ただ、一昨日の取材中に坂口泰監督が話してくれた「マラソンには想像力が必要」という言葉と通じる部分もあり、なるほど、と思いました。この話はPEOPLEの文字数で紹介するのは不可能なので、さわりだけですね、書くのは。


◆2008年2月10日(日)
 千葉国際クロスカントリーを取材。会場の昭和の森の特設プレステントに着くと、最前列の席にスポーツ報知・榎本記者の姿が。ロナウジーニョ(FCバルセロナ)に似た顔立ち。一連の箱根駅伝取材で、学生長距離選手たちの間に人気が定着したとかしないとか、しないとか。いつもより元気がないのはロナウジーニョの不調のせい? かと思いきや、先週の青梅マラソン中止の影響でした。
 青梅マラソンは報知新聞主催です。仮に日本選手権が中止になったら、日本の陸上競技関係者すべてが意気消沈することでしょう(ということからも、日本選手権は主催者だけの大会ではないことがわかります)。個人的には1980年のモズクワ五輪ボイコットを思い出しました。榎本記者の気持ちもわからないではありません。

 最初の世界クロカン選考種目であるジュニア男子は、佐久長聖高勢が大挙して、先頭集団に入っていました。優勝したのは2年生の村澤明伸選手。全国都道府県対抗男子駅伝では長野優勝の立役者になるなど、この駅伝シーズンで力を伸ばした代表的な選手です(女子では立命大・小島一恵選手がそれに当たります)。一番の注目選手でした。
 佐久長聖高といえばクロカン・トレーニングが有名で、記者会見でも村澤選手から「クロカンを中心にトレーニングをしている」というコメントが出ました。なんというタイミングでしょう。先月末に発売された「陸上競技強豪校のマル秘練習法、教えます! (B・B MOOK 533 スポーツシリーズ NO. 407 強くなるド)」(ベースボール・マガジン社のムック)には、同高のトレーニングが紹介されていて、クロカン・コースの詳細図まで載っています。
 もうちょっとで「ムックの記事になったよね」と、村澤選手に話題を振りそうになりましたが、場所と状況をわきまえて控えました。それでも、プレステントに戻ると中日新聞・桑原記者から同高のクロカン・トレーニングについて質問されたので、持ち歩いていた同ムックをお貸ししました。もしも、あの会場で販売されていたら、何10冊か売れたかもしれません。

 中日新聞といえば愛知県。三田裕介選手(豊川工高)は42位と不調でしたが、全国高校駅伝1区では日本人1位で、村澤選手が2秒差の2位。中日スポーツ・寺西記者と村澤選手の話をするときにはつねに、三田選手とのタイム差が基準になりました。全国都道府県対抗男子駅伝5区では三田選手に44秒差をつけたとか、インターハイでは逆に何秒差で負けたとか。全国メディア的には八木勇樹選手(西脇工高)が2007年度の高校長距離界の中心でしたが、中部地区の記者たちの間では、三田選手が中心に回っていたと言っても過言ではありません。
 地方紙記者の話に合わせることができると、専門誌記者として一人前になった証拠。高校生取材が減っている寺田など、この辺が最近の課題です。
 それに陸上競技の強い県の新聞ほど、しっかりした陸上競技記者がいます。110 mHの吉岡選手といつもコミュニケーションをとっている寺西記者の姿を見かけます。室伏広治選手の公開練習の時は、自らバーベルを持ってトレーニングを体験していました。積極的な姿勢も記者の鑑といえるでしょう(と、寺西記者を持ち上げるのは、同社主催の名古屋国際女子マラソンのときはよろしく、という意味が込められています)。

 次のジュニア女子は森彩夏選手(須磨学園高)が優勝。記者会見中に「昭和の森で、平成生まれの森さんが優勝しましたが…」と言いたかったのですが、このときも場所と状況をわきまえました。会見中は村澤選手との共通点が何かないかと考えていました。2年生ということと、昨年の世界ユースに出場していること、などが思い浮かびましたが、どうもピンと来るものがありません。

 帰りは毎日新聞・ISHIRO記者と同じ電車になりました。最寄り駅の土気から東京方面に出るには、千葉か蘇我で乗り換えるのが普通ですが、たまに東京駅に直行する電車があります。2人とも、その電車のグリーン車で原稿を書こうと考えていたのです。休日は特に安くて、乗車前に購入すれば東京まで750円。安くはありませんが…。
 埼玉国体(2004年)のときに熊谷まで4日間ほど往復しましたが、そのときにグリーン車は原稿を書きながら移動するのに使えるな、と思いました。ハニカット陽子選手に「グリーンアテンダントといって、綺麗なお姉さんも乗っているから」と言ったら、マジ顔で軽蔑されてしまいましたが…。

 今日の記事はジュニア2選手で行こうと思ってあれこれ考えていましたが、グリーン車のゆったりした空間のおかげで、高校駅伝に対するスタンスの違いという点を思いつきました(こちらに記事)。ISHIRO記者のグリーン車記事はこちら。佐久長聖高のクロカン練習については以前から興味を持っていたようで、記事中でも触れています。新聞記事でこれだけの文字数が割かれるのは、本当にすごいことなのです。


◆2008年2月11日(月)
 昨日の千葉国際クロスカントリーはさながら長野デイ
 村澤明伸選手が優勝したジュニア男子では、佐久長聖高勢が4人も入賞。中山卓也選手(須磨学園高)も、お父さんの中山竹通監督は長野県出身です。
 村澤選手取材後には、中大・田幸寛史監督の姿をプレステントで見つけました。田幸監督も長野県出身。北信越では名の知られた選手でした。別大前に初マラソン歴代記録を整理していたら、17番目(2.11.35.=94年広島毎日マラソン=この年だけびわ湖マラソンが、アジア大会リハーサルとして広島で行われた)に田幸監督の名前があり、長野県出身選手の初マラソン最高記録でした。佐久長聖高OBが大活躍している近年の長距離界ですが、誰が田幸監督の初マラソン記録を破るか楽しみです。

 箱根指揮官たちの中でも“知将”と言われた指導者。他にも闘将、勇将など“○将”という表現がありますが、一軍の将なら誰でも“知”を駆使しているはずです。内面には“闘”や“勇”を秘めているに決まっています。
 にもかかわらず、“○将”という表現が当たり前のように使われている。これはつまり、その指揮官の表面的なキャラクターを指しているわけです。それで田幸監督は、取材する側からは知将と呼ばれていました。選手からは“闘将”と思われている可能性もありますが、その辺は取材をしていないのでわかりません。

 2年くらい前の何かの機会に、「寺田さんも普通の記事を書いてください」と言われたことがあります。意味深長な言葉で解釈が難しかったのですが、間違いではないけれど、「そこまで書かれると困る」という記事を書いたのかもしれません。単に、公正さを欠いているという指摘だったのかもしれませんが。
 こちらとしては“普通の記事”では自分の存在価値を示せません。他のメディアと同じような内容では、フリーランスに仕事は来ないでしょう。裏を返せば、田幸監督の言葉は褒め言葉でもあったのです(というニュアンスのことを、その場でも言い返したように記憶しています)。ただ、記事には書き手の解釈の部分もあって、そこがあまりにもズレ過ぎていた可能性もあります。その辺は気をつけないといけないな、と自身を戒めることにしました。

 今日の新聞記事によれば、その田幸監督が3月で中大監督を退任するとのこと(後任はHonda元監督の浦田春生さん)。それで、上述の言葉を思い出したのです。知将ぶりを示すエピソードとは言えないかもしれませんが、上記のように言われたことは初めてでしたし、かといって、その後の態度がいきなりつっけんどんになったりすることもなく、なぜか大人で知的な雰囲気を感じたのです。


◆2008年2月12日(火)
 ちょっと遅めの朝、出かける間際に携帯が鳴りました。相手次第では移動してから掛け直そうかと思いましたが、ディスプレイには信濃毎日新聞・中村恵一郎記者の表示。広告代理店の営業なみに、電話を取りました。
「いやー、ちょうどお電話しようと思っていたんですよ」と言って電話に出るのが元広告マンの某新聞記者。「いやー、佐久長聖強かったね」と言って出るのが寺田。それだけ、地方紙記者との付き合いを大事にしているということです(理由は10日の日記に)。
 ところが、話題は佐久長聖ではなく棒高跳。ニュータイプの陸上競技ファンならピンと来ますよね?(最近、Zガンダム劇場版をレンタルDVDで見た影響で、ニュータイプづいています。簡単に言うと、宇宙移民の時代になって人類の眠っていた能力が覚醒し、洞察力に優れた人間が生まれるようになって、それがモビルスーツの戦闘にも生かされて…というような設定です)。
 ジュニア室内大阪で西澤直希選手(長野工高)が5m00を跳んで2位になった話だな、とすぐにわかりました。俺ってニュータイプ? と一瞬思いましたが、大阪陸協から送ってもらっていた成績一覧を見ていただけのこと(H元さんには感謝しています)。中村記者と何を話したかまでは書きませんが、その辺は洞察していただければと思います。

 14時から汐留の日本テレビで横浜国際女子駅伝の記者発表。選手も小島一恵選手(立命大)と小林祐梨子選手(豊田自動織機)の2人が出席するというので、駆けつけました。ところが、会場に着くなりS記者が「寺田さんが来るような大会ですか?」と、言い出しました。そう言いたいのもわからないではありません。専門誌も当初(1980年代)は破格のページ数を割きましたが、今はモノクロ1〜2頁の扱いの大会です。
 自分が編集者の立場なら、同じように扱うでしょう。しかし、個人的には違います。前述のS記者の問いかけには「この大会が普及に果たす役割は大きいよ。テレビで見て、自分もああなりたい、と思う子供も多いかもしれないし」と答えています。
 ところが、配られた大会要項を見ると、大会開催の目的として“強化”を前面に打ち出していました……そういえば寺田も「選手権の意味はなくても、選手個々には経験を積むことでその後に生かせるし、地域選抜の選手には強化になるし…」と、S記者に話していましたっけ。
 強化のための大会でもあるのです。と白々しく書くのもなんですが、要は、大会自体に意味があることもあれば、選手が意味を決めていい大会もあるということ。選手が課題をもって臨めば、意味のないレースはありません。
 一記者としても、“こういう記事を書かないといけない”という縛りがないので、自由な取材をしやすい面があります。そういう大会で何を自分にインプットできるか。その蓄積が大事だと思っているので、ビジネスにならなくても積極的に取材をしている大会です。

 それだけ意気込んで臨んだにもかかわらず、選手2人の会見は短時間(5分くらいか?)で、司会がそそくさと切り上げました。例年、陸上競技記者よりも芸能やテレビ番組雑誌方面の記者が多い記者発表会で、選手の会見だけでなく、元スポーツ選手のリポーターや、人気タレント(今回はAKB48)の紹介なども行われるため、スケジュールが詰まっているのは理解できます。できますが、これでは何のために来たのかわかりません。周囲の陸上記者たちも「ええっっ???」という反応。ニュータイプだから洞察できたわけではなく、空気でわかります。
 会見後に陸上記者たちが囲み取材の要望を出しました(寺田も知り合いのW女史にお願いしました)。最初は「できません」という主催者(陸連&テレビ局)の回答でしたが、ニュータイプのテレビマンがいたようで、急きょ、囲み取材ができる運びとなりました。あれが拒絶されていたら、活字メディアの陸上記者たちはますます“不要論”に傾いたと思います。日本テレビの英断でした。
 寺田の今回のテーマは女子長距離における学生選手のポジション。小島選手に初めて取材をするので(世界クロカンの共同取材が1回ありましたが)、色々と突っ込ませていただきました。ということで、この記事が書けた次第です。


◆2008年2月13日(水)
 13:30から陸連のU23男子長距離研修会の取材。昨日の横浜国際女子駅伝記者発表会に続いて、ビジネスにはなりませんが、インプットができる格好の場です。勇んで駆けつけました。場所は、選手たちがブログなどで昨今話題にしているナショナル・トレーニングセンター。もちろん、寺田も初めて行きました。それで入り口がわからず、結局JISSと同じ入り口から敷地に入りました。それが5分ほど遅刻した理由ですが、新幹線が遅れたため選手たちの到着が遅れ、開始が30分ほどずれ込んだため事なきを得ました(「そんなことでいいいのか」by 堀川記者)。

 会議室でのオリエンテーションに続いて行われたのは、原田康弘ジュニア部長によるクリニック。内容はクレーマージャパンの陸上競技教室などでお馴染みのものですが、長距離選手たちには新鮮だったのかもしれません。河野匡部長によれば、長距離選手のなかでは巧みにこなせた選手が多かったと言います。
 場所は寒さを考慮して、屋外のトラックから急きょ、JISSの室内トラックに変更になりました。記者たちは取材IDを変更。陸連広報のH田さんも大変そう。ナショナル・トレセンとJISSは同じ敷地にあり、てっきり同じだと思っていたのですが、H記者によれば経営母体が違うということでした。違いの具体的な内容は書きませんが。
 それよりも、H田広報はかなり忙しいのでは? とH記者と寺田が話していました。千葉国際クロスカントリーに始まって昨日の横浜国際女子駅伝記者発表、今日のU23公開練習、そして明後日の東京マラソン記者会見と今週は陸連関係のイベントが続きます。その都度、資料も用意しないといけませんし、関係者との調整事項も山のようにあるはず。精神的にタフでないと務まらないポジションでしょう。

 退任が決まった田幸寛史監督の姿も。原田さんのクリニックに興味があると言っていました。
 その田幸監督に対して、“人気の箱根、実力の全日本”というコピーはどうか、と話しかけた記者がいました。ずいぶん以前ですが、プロ野球では“人気のセ、実力のパ”と言われていましたから、それを文字ったものでしょう。中大が全日本大学駅伝3位だったことから、その記者なりに慰めの意味を込めた言葉だと思われます。
 いわんとするところはわかります。箱根駅伝が痙攣やブレーキなどのアクシデント的な現象や、競技以外の部分(風邪や人気過剰によるプレッシャー)に左右される割合が大きいのは確か。距離が4区を除いて全区間20km以上というのも、学生には大変なのでしょう。その点、全日本大学駅伝は距離も学生向きで、風邪も心配のない季節ですし、プレッシャーも箱根ほどではありません。
 ただ、現場は箱根駅伝を最大目標にして取り組んでいます。その試合で力を発揮できなかったらやはり、実力と言われても仕方がない。風邪やプレッシャーで力を出し切れないのも、実力と言えなくもない。“人気の箱根、実力の全日本”というコピーに田幸監督も同意できる道理はありません。
 寺田は“箱根は箱根、全日本は全日本”という考えです。


◆2008年3月7日(金)
 やっと日記を書くことができました。
 陸マガ発売で書きたいネタがあって(表紙のこととか)、東京マラソンで書きたいネタがあって(諏訪利成選手のこととか)、横浜国際女子駅伝のネタも面白くて(2週連続でマランツ記者のこととか)、もちろんびわ湖畔もネタの宝庫で……。どれも手をつけることができないうちに、時間だけがどんどん過ぎてしまったわけです。どこかのタイミングであきらめるのが得策とわかってはいても、面白いネタばかりなのであきらめきれなくて。
 でも、この辺がリミットでしょう。

 各大会のネタは機会があったら思い出して書くとして、とにかく今日の出来事から。
 朝9:26ののぞみに乗って大阪に。大崎悟史選手の取材です。これは専門誌とか一般誌ではなく、ちょっと特殊なメディア用です。そのメディア用の質問もありましたが、話の中心はやっぱり……これは企業秘密としておきます。でも、本当に面白い話を聞けました。マラソン・トレーニングにはこういうパターンもあるのだとわかって、自分の引き出しが増えた感じです。
 取材をしたのは長居競技場というか、長居駅の近くの喫茶店(ちょっと昭和の雰囲気)。寺田はそのまま居残って某雑誌用の野口みずき選手の原稿書き。この雑誌の仕事が全部で22ページあって(野口選手&佐藤敦之選手の人物ものと、コニカミノルタ&中国電力のトレーニングもの)、先月からかなりのエネルギーを注いで頑張っています。
 今日はその最後の原稿の締切。といっても後送の、そのまた後送の後送という、ギリギリのラインです。担当編集者には迷惑をかけてしまいました。以前の知り合いなのですが、初めて一緒に仕事をした人間。まずかったと、深く反省しています。

 原稿は大崎選手の取材終了後、15時くらいまでに終わらせる予定で、一応最後まで書き上げたのですが、行数がオーバー。削除する作業を新大阪に移動する地下鉄車中でやったら、今度は削りすぎてしまい、新幹線の車中でちょっとずつ増やしていったらまたオーバーしてしまい、結局、名古屋に着くまで行数調整にかかってしまいました。先割にして締め切りを先延ばしにしてもらったので、指定された行数ピッタリに書かないといけないのです。
 名古屋駅で送信し、なにはともあれ、大きな仕事が手を離れて、ちょっとホッとしました。

 いったんホテルにチェックインし、すぐに名古屋国際女子マラソン大会本部ホテルの名古屋観光ホテルに。18:30から某社の方たちと打ち合わせ。30分で2人の方と話をして、面白い話を聞くことができました。取材で話を聞いたときと同じような表現をしていますが、取材ではなく、打ち合わせです。
 19:00に終了後は、ホテルのロビーでネタの収集をしている記者の皆さんと合流。その一団に加わり、練習から戻ってきた高橋尚子選手のコメント……をとるわけはありません。ホテル取材は禁止です。記者団と高橋選手の雑談を一緒に聞いていただけです。
 その後もホテルのロビーで原稿書き。中日スポーツ・寺西記者(連載の「号砲・北京」が好評)が姿を現しました。カブスの福留選手(シャミ選手と若干顔が似ているという評判)がホームランを打ったのに、元気がいまいちありません。きっと多忙なのでしょう。黒系統のスーツしか着ないことで有名なですが、明日の記者会見には赤のスーツで登場するという情報もあります。
 さらに、トヨタ車体・高橋監督も姿を見せて、中日新聞・桑原記者、田中記者も加わってしばし談笑。大南姉妹の見分け方を色々と教えてもらいましたが、一番わかりやすそうだと感じたのは腕振りの違いです。30歳台の選手たちが多数頑張っていて、その下の年齢層が薄い理由についての同監督の見解には、なるほどと思いました。


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◆2008年3月8日(土)
 名古屋国際女子マラソン前日取材。といっても、ホテルでの選手への取材は禁止なので、15時からの記者会見(こちらに記事)と指導者から簡単なコメント取りくらいしか、やることはありません。
 ただ、選手への取材は禁止でも、遠くから表情をチェックすることくらいはできます。これが重要です。特に寺田のように、表情で記事を書くタイプの記者にとっては生命線。レースが終わって、優勝した選手は“前日から表情がリラックスしていた”とか、“肌の張りが良かった”とか書くわけです。反対に失速した選手は“前日の表情が硬かった”とか。
 ということで、11:30に大会本部ホテルに(新聞記者の方たちは朝の6時から朝練習の選手表情を取材に行っているようですが、寺田はそこまではできません)。各選手が練習に行く前後の表情をチェック。坂本直子選手は以前よりも目が大きくなったように感じました。マスクをしていたからかもしれません(花粉症だそうです)。

 しまむらの吉田監督には、大島めぐみ選手の練習がどうだったかを取材。いいときの「8割」というお話ですが、「タイム的には良い」とのこと。ポイント練習の間を以前よりも開ける必要が生じているようです。ただ、長いスパンで見たとき、故障の多い同選手が、継続してトレーニングを続けられているとのこと。来るかもしれないな、と感じました。川越監督もブログで自チームの3人以外では、大島選手と堀江知佳選手の名前を挙げています。
 ロビーで吉田監督と話をしていると大島選手も降りてきました。もちろん話はせずに、表情を見ただけ。相変わらず顔が白いなあ(美白ってやつですか)、と思いました。1つだけ、同選手のブログへのリンクの了解をもらいました。これは、雑談の範囲でしょう。

 川越監督とは、市民ランナーの雄・翔ひろ子さん(佐倉市陸協)について話をしていました。こちらのデータで40回のフルマラソン出場が確認できていたのです。東京女子・大阪女子・名古屋女子の3大マラソンは言うに及ばず、東京女子の翌週のつくばとか、名古屋女子翌週の荒川市民とか、2月の勝田とか、短いインターバルで出場されています。記録も2時間40分台でだいたいまとめていて、実業団ランナーにとっては嫌な存在の市民ランナーでしょう。
 吉田香織選手が佐倉にいたころ(積水化学時代)に面識があったようで、翔さんが近くを通りかかった際に話しかけていたので、便乗してちょっと挨拶をさせてもらいました。もちろん、取材はNGなので、挨拶ついでのマラソン回数確認だけ。「60回か、70回か、80回くらい」ということです。世の中、すごい人がいるものです。「123」のナンバーの選手に注目してみると面白いかも。

 昼食は中国新聞・山本記者と一緒に、外に食べに出ました。昼食から戻ってくるセカンドウィンドAC勢とすれ違ったので、何を食べたか堂々と取材。「麺が硬い」と嶋原清子選手か加納由理選手か吉田香織選手が教えてくれましたが、山本記者がどうしてもと言うので、同じ店で味噌煮込みうどんを食べることに。
 店には十八銀行・林選手と高木監督もいらっしゃいました。林選手のマラソン回数を確認。寺田のようにデータで記事を書くタイプの記者には、これが重要なこと。マラソン前に大会ホテルに来る目的の一番は、マラソン出場回数などデータ部分を確認することです(さっきと違うことを書いている気もしますが、細かいことは気にしないように)。夜、九電工・浦川監督とすれ違った際には、西尾選手のマラソン回数を確認。こうした地道な作業の積み重ねで、陸マガやWEB上にマラソン回数一覧を出せるのです。

 我々と入れ違いに第一生命・尾崎好美選手と山下佐知子監督が入ってきました。山下監督には結婚のお祝いを申し上げました。本当は結婚までの経緯を色々とお聞きしたかったのですが、尾崎選手の前なので控えることに。お相手の吉原氏(第一生命元マネ)とも面識があります。携帯電話の番号が変わっていないようなので、折を見て電話を入れます。
 吉原氏は山梨学大出身で大崎悟史選手の1学年下。日清食品・岡村マネは坂下奈穂美選手と結婚しましたし、大塚製薬・尾池政利選手は田村育子選手と。小崎まり選手のお相手も山梨学大OB。どうして山梨学大OBがもてるのか、という話を昨日、大崎選手としたばかりでした。
 尾崎選手はご存じのようにセカンドウィンドACの尾崎朱美選手の妹。明日出場の選手では、トヨタ車体・大南敬美選手、資生堂・平田選手と“妹”選手が多いのも特徴です。

 15時からは記者会見(写真)。ここでもコメントはどうでもよくて、表情を見ることに重点を置きます。これは日本のマラソン取材の常識……かどうか、金重デスク(朝日新聞)に今度聞いておきます。
 注目の高橋尚子選手(写真)ですが、マラソン・トレーニングのなんたるかを端的に語ってくれました。練習が正しかったかどうかは「結果が出るまでわからない」。予想をよく聞かれますが、勝つか負けるか2つに1つ。勝つ可能性は50%、と答えることにしています。事前にどうこういうよりも、本人が言うように見る方もワクワクドキドキして見守りましょう。ただ、期待があるかどうかといえば、期待はあります。今の力はわかりませんが、何年前でも、誰も成し遂げられなかったことをやってのけた選手ですから。
 表情が良かったのは坂本選手(写真)。会見場は言ってみれば表舞台ですが、裏舞台で坂本選手を見た某関係者も、非常にリラックスした雰囲気だったと言います。
 表情といえば、会見には呼ばれませんでしたが、嶋原選手と吉田選手のセカンドウィンドAC勢も、本当にいい笑顔でした。ただ、それっていつものことなのです。表情で調子の良し悪しって、本当にわかるのでしょうか。
 そういえば吉田選手は、ミズノの鈴木さんと明日のフィニッシュ後のことを打ち合わせていました。北海道マラソンで優勝したとき、川越監督よりも先に鈴木さんが握手をしたことが話題になりました。明日はどうするのか知りませんが、そのシーンがあれば写真に撮りたいと思います。

 レース前日は必ず、予想を聞かれます。高橋選手はもっちろん別格の実績で、他に今日名前が出たのは坂本選手と大島選手、堀江知佳選手(小出監督の話を聞き損なったのが失敗でした)、会見で良い練習ができたと話したのは弘山選手と大南選手。大南選手は、本人も言っているように、転倒しなければ可能性は50%。ただ、会見のコメントはレース予想にはそれほど当てになりません(会見は予想の材料としてではなく、レース前に選手が話すことに意味があるのです)。
 個人的には、弘山選手がトラックから駅伝、そして丸亀ハーフマラソンと良い感じで状態を上げてきているような気がします。会見のコメントは予想材料にならないと書いたばかりであれですが、練習を今回はそれほど変更しなかった、とも話しています。それに、“オリンピックを目指さないといけない”という日本選手にありがちな義務感でなく、自然な流れで、気持ちがオリンピックを目指そうとなった選手。
 弘山選手が代表になったら女子マラソン代表全員が30歳台だよ、と問題視する記者もいますが、寺田は気になりません。それとこれとは別問題でしょう。

 記事を書いてホテルを出ると、某監督とお会いしました。昆明に行っていた指導者たちの話を総合すると「ベテランと若手」がいいそうです。ベテランは弘山選手、若手は天満屋・中村友梨香選手のことのようです。今回は初マラソン選手も忘れてはいけません。



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