続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2007年9月  止まらない9月
寺田的陸上競技WEBトップ

最新の日記へはここをクリック

◆2007年8月23日(木)
 8:00頃にホテルを出て、8:50には新神戸に。日本選手団の結団式と、それに続く有力選手、男子マラソン選手の会見取材のためです。結団式では一致団結、世界選手権の歴史といった要素が、強調されていたと感じました。高野進監督や朝原宣治主将の決意表明などから感じたことを、TBSのコラム新バージョンに書きました。
 元々、寺田は世界選手権が日本の陸上界(特に一般種目)に与えた影響は大きかったと考えていました。欧米やアフリカの選手たちは元から、ヨーロッパを中心に行われているGPに出場して経験を積んでいたわけですが、日本選手で遠征ができるレベルの選手は限られていました。
 それが世界選手権が1983年から行われるようになり、そこまでのレベルでない選手たちも世界選手権に参加するようになり、いくつかの種目のレベルが上がったと思います。4年に一度のオリンピックだけでは、刺激を受ける機会が少なかったのだと思います。特に91年以降は世界選手権が隔年開催となり、そういった機会が増えました。そこから日本の一般種目のレベルがグッと上がってきたと思います。

●一般種目7選手。会見後のフォトセッション
●男子マラソン5選手
●中国新聞・山本記者


 山本記者は昨日、甲子園で広陵対佐賀北戦を取材し、そのまま世界選手権の取材に突入しました。昨日の甲子園は、佐賀北高への応援が地鳴りとなって響いていたといいます。「あの声援が世界選手権でもあれば、日本選手は佐賀北になれます」と断言していました。示唆に富むコメントです。問題は入場料金の……。

 神戸での取材後は梅田に出て、ヨドバシカメラで買い物。1つは、ホテルの部屋のテレビチューナーから出ているビデオケーブルと、パソコンに接続するビデオケーブルを中継するコネクタ。もう1つはビジネス・キャリーバッグです。

●2台のパソコン。左が富士通、右がEPSONの白いモバイルパソコン
●左が今日、購入したキャリーバッグ
●大きめの段ボール箱にいっぱいの選手資料など


 今回の出張には、アナログ放送のテレビ録画ができる富士通のノートPCも持ち込んでいます。世界選手権の放映を録画して、原稿を書く資料にしたいわけです。短距離種目のレース展開って、なかなか正確にメモがとれません。場内にもリプライが出るのですが、選手の表情を追っていることも多いのです。
 問題はハードディスクの容量で、毎日DVDにデータを移さないといけないこと。深夜の3時とかにホテルに戻って、ダビング作業をする時間があるのかどうか。そもそも、録画を見直している時間があるのか。このあたりは、何日間かやってみないことには、仕事のリズムがつかめません。

 キャリーバッグ(車輪&取っ手付きのバッグ)は、新神戸に行く途中で購入を決断しました。今回は地元ということで、なんでも何とかなるだろうと考えてしまいます。上述のパソコン録画もそうでしょう。本当に活用できるのかわからないのに、とりあえずできそうだからやってしまう。資料もそう。海外だったら持ち歩かないようなものまで、国内だったらと持ち歩いてしまいます。
 ニースでひどい目に遭ったので(7月27日の日記参照)、無理はしまい、と判断。同じ大きさのバッグで、キャリータイプのものを購入しました。写真でわかるように、ちょっと厚さがあるのですが、取っ手で場所をとるので、ほぼ同じくらいの容量です。
 購入してその場で荷物を入れ替え、なんばのホテルまで移動したら、ものすごく楽でした。1万5000円近くしましたけど、買って正解でした。

 しかし、長居近くの某所に行く予定でしたが、疲労が大きかったのでホテルで休養。今回も、仕事を持ち込んでいるのです。夜は、TBSサイトコラム新シリーズ?の原稿書き。


◆2007年8月24日(金)
 世界選手権開幕前日。今日は内輪写真で1日を紹介させていただきます。

 今日だけは8:30とゆっくり起床。朝食はなかなかグッドなバイキング。和食も朝食も選べます。寺田は和洋折衷、近藤記者は和食派でした。
 午前中はホテルで原稿書き。
 14時頃にホテルを出発。1階に朝日新聞事業部の大串氏とばったり。手の内は明かしてくれませんが、福岡国際マラソンに向けて秘策を練っているようです。昨年のゲブルセラシエ選手に続き、サプライズがあるのでしょうか?

 長居競技場に着くとさっそくプレスルームに。日経新聞の陸上競技前担当の山口記者が声を掛けてくれました。前々担当の串田記者、そして現担当の市原記者と3人が揃っていたので、この機を逃すなとばかりに日経陸上競技記者トリオの写真を撮らせていただきました。この3人が揃って取材をするというのは、ものすごいことなのです。日本経済界における世界選手権の重要性がわかるというものです。
 TBSコンパウンドに行くと、解説陣の吉田孝久コーチと千葉真子さんの姿が。吉田コーチとは同学年で、同じ横浜市出身、世界選手権東京大会にも一緒に出場したのが苅部俊二監督です。前回まで世界選手権キャスターとして活躍していましたが、今回は日本選手団のコーチのためいません。
 ということを考えていたら、千葉さんと苅部監督がともに、“パリの銅メダリスト”だということに気づきました。苅部監督は1997年の世界室内選手権パリ大会400 mで3位。為末選手が4×400 mRでロシア選手に接触されて転倒した大会です。千葉さんはまだ記憶に新しいところで、2003年世界選手権パリ大会女子マラソンの銅メダリスト。
 代表選手では室伏広治選手と末續慎吾選手も、パリの銅メダリストです。だから何だという話ではないのですが。4人の共通点は、あれですね。

 夕方から明日の開会式のリハーサルをやっていました。
 写真を撮っていると、三重の二枚目助教授こと杉田先生の姿が。陸連科学委員会の仕事です。
 夜はTBSコラムの原稿書き。ちょっと難しいテーマに挑んでみました。


◆2007年8月25日(土)
 世界選手権開幕。7:00から男子マラソン取材です。
 前回のヘルシンキは杉田先生のホテルがコース沿いにあったこともあり、沿道取材とホテルでのテレビ取材を交互に行いましたが、ちょっときぜわしない取材となり、いまひとつ集中できませんでした。沿道の人垣がすごくて、レースを見るポイントに移動するのが大変だったからですが、やっぱり、レース展開を見続けた方がいいですね。沿道の雰囲気を感じることよりも、その方が取材にはプラスになります。
 ということで、今回はスタジアムから動かずにテレビ取材。プレス席には5km毎の全選手通過タイムが、リアルタイムに近いタイミングで表示される端末があります。映像と合わせて見れば、各選手の展開がかなり正確に把握できます。
 レース後の取材も、陸連広報の方たちがタイミング良く選手を誘導してくれて、日本の上位3選手をしっかりと話が聞けました。日本選手に関しては、ミックスゾーンでの取材にもマイクが用意されています。
 ミックスゾーンの取材光景として、選手に遠い位置の記者があとから、近くで聞き取れた記者からコメントをもらうシーンが展開されます。全ての記者が完全に聞き取れるようになったわけではありませんが、これまでとは全然違います。

 デイセッションでは七種競技の中田有紀選手が好調そう。女子3000mSCの2人はともに転倒してしまい、特に早狩実紀選手は担架で運ばれるほどで、ちょっと心配です。
 小林史和選手は予選突破。頑張ってきた甲斐がありました。朝原宣治選手も10秒14のシーズンベストで余裕のトップ通過。かなり、期待が持てます。
 と、種目毎の戦評を書いていると大変なので、やっぱり内輪ネタ中心で行きましょう。

 開会式までの空き時間が4時間近くありました。早大競走部OBの金哲彦さんが、後輩の朝日新聞・増田記者(スズキ・馬塚広報と同期)から取材を受けていました。2人の大先輩の中日新聞・桑原記者にTBSコラムの話(nearly a medalistの価値観創出)をすると、「“近”メダリストでいいじゃないですか」と、目から鱗のアイデアを出してくれました。面白いのですが、同じ発音はややこしくなるのでダメでしょう。
 イヴニングセッションが始まるので、プレスセンターからスタジアムに。移動中にがいました。昨日の夜にも見た猫です。もう一匹、黒猫も昨晩、うろちょろしていました。長居公園と隣接するお寺には、猫が何匹か住み着いていると見ました。それが何だというわけではありませんが、猫好きの室伏由佳選手への報告でしょうか。

 この写真はミックスドゾーンで撮った貴重な一枚。信濃毎日・中村恵一郎記者と読売新聞・近藤記者。早大競走部で同期だった2人です。近藤記者が「メディアレース(8月30日)に出るよな」と誘っていました。種目は800 m。中村記者がインターハイに優勝した種目です。1500mも勝っていますけど。
 こちらは20数年前に長野県のハードルを熱くした2人。松田克彦混成部長(十種競技元日本記録保持者)とTBS山上プロデューサー。「塚原直樹の前の長野県のエースですね」と寺田がいうと、「塚原が怒るよ」と山上プロデューサー。そういえば、間に中村記者がいました。

 今日一番のニュースは、為末大選手の予選落ち。これはもう、なんと表現していいか、わかりません。為末選手は世界選手権観戦を、ことある毎に呼びかけていました。選手は頑張りますから、と。でも、スポーツというのは残酷で、コンサートや演劇とはわけが違います。主役になると思われた選手が、主役になれないこともままあります。
 TBSのコンパウンドに戻ると解説の谷川聡選手と、ウルウル目の山縣苑子さんが、為末選手落選のことを話し合っていたようで、寺田に為末選手の様子を聞いてきました。ミックスドゾーンで話したことは、TBSのコラム(「ポリシーを貫け、為末大」)でかなり盛り込みました。それにしても、やるせない、というのが正直な感想です。


◆2007年9月3日(水)
 世界選手権開幕の次の日記が、閉幕した翌日になってしまいました。ごめんなさい。大会期間中に書けなかった理由は……まあ、いろいろありますが、その間のネタも折を見て紹介していきたいと思います。
 今日は朝の8:30からミズノ本店で土佐礼子選手の一夜明け会見を取材。土佐選手の取材の常で、これをやったからこの結果が出ました、という内容にはなりません(その点は鈴木監督が補足してくれます)。でも、彼女の場合はそれが特徴でしょう。あれこれ考えてやるというよりも、自然体で競技に取り組んでいるから、無理が生じない。練習での追い込み方がすごいと聞きますが、本人にしたらそれも当たり前、という気持ちで臨んでいるのではないでしょうか。その辺が、鈴木監督の言う“人間力”なのかもしれません。
 そういえば、昨日、インタビューをした尾方剛選手にも、似た部分を感じました。キャラクターはまったく違うのですが、「強くなりたいのだから、そのくらいやって当たり前」という言葉が印象に残っています。以前はストレスを強く感じて、全身脱毛症になったこともある尾方選手ですが、「気持ちが変わればできるんです」と言います。詳しくは陸マガ次号……に書く予定ですが、レースの話題が中心なので、もしかすると別の機会になるかもしれません。

 会見終了後、滞在ホテルのある難波にもどり、スタバで原稿書き。TBSの最後のコラムになってもいいように、日本選手団の敗因に触れつつ、最終日のネタ(米国の長距離白人選手の活躍)について書きました。
 いったんホテルに戻ってネットにつなぎ、サイトのメンテナンス。
 15時くらいに長居競技場に。メインプレスセンターで資料を収集し、最後の原稿書き。これが予想以上に手間取って、19時くらいまでかかってしまいました。
 20時でメインプレスセンターはクローズ。その直前に引き揚げましたが、デイリープログラム最終版(全部のリザルツが掲載)が余っているようだったので、11冊ほどもらいました。「売ってもいいですよ」という冗談付きで。大阪人は最後まで、ユーモアたっぷりです。
 競技運営のミスなども多く指摘された大会ですが、ボランティアの人たちの明るさ、元気の良さは救いとなった大会です。

 22時に道頓堀のグリコに。今回、最初で最後の外食になりました。


◆2007年9月4日(火)
 朝から重要な電話をして、その返事待ちの状態で11時にチェックアウト。新大阪駅に着いても、その重要な電話がいつ来るかわからないので、新幹線には乗らずに待合室で仕事。
 幸いなことにもう1件別の重要な連絡があり、その場で電話取材をすることに。15分の取材時間をもらえたのですが、10分くらいで寺田の携帯がバッテリー切れ。すぐに、近くの公衆電話に走ってことなきを得たのですが、新大阪駅でなかったらすぐに見つかったかどうか。バッテリーの消耗には気をつけていたのですが、大会前に購入できなかったのです。わずか1年前発売の機種なのですが、メーカー側は“古い機種”という扱いしかしていませんでした。

 幸い、新大阪の改札内の待合室には、モバイルコーナーがあってコンセントと、幅は狭いのですが仕事ができるテーブルがあります。そこで携帯電話の充電と原稿書きができました。しかし、肝心の連絡は、こちらからも電話を入れますが、なかなか連絡がつきません。やっと電話が来たのが18時20分頃。電話取材自体は明日ということになりました。
 この間、約4時間。パソコンは使えましたし、有料ですけど無線LANでネットに接続もできました。時間が無駄になったわけではありません。追加になっていたTBSの最後のコラムもほぼ、書き終えました。が、大会全体を振り返るのはプレッシャーがかかります。見落としている部分がないか、気を遣わないといけないのです。

 新幹線で東京に移動。さすがに緊張が途切れてしまい半分は眠っていました。最後の1時間でやっと、陸マガの原稿にかかりました。


◆2007年9月5日(水)
 16時にTBSに。中野浩一さんのラジオ番組「中野浩一のフリートーク」の収録です。以前、澤野大地選手や川崎真裕美選手も出演されていました。選手でなく、寺田のような立場の人間が呼ばれるということは、世界選手権の結果を客観的に話してほしい、という番組サイドの意向は明らかです。
 自分のような話し下手が出演していいものか迷いましたが、世間話をするくらいの軽い気持ちで良いから、と言ってもらえたので出演させていただきました。それと、世界選手権の日本選手があの成績でしたから、ここは他人に任せるのでなく、自分が話をしようと思ったわけです。

 しかし、惨憺たる結果に終わりました。“話す仕事”ではいつものことですが。事前に、何かを「1つ挙げてほしい」という質問はやめてください、とディレクターの方にはお願いをしておきました。陸上競技は複数の面白さがあるのが特徴だから、と。それが裏目に出たというわけではありませんが、3つ理由を挙げたいと思っていても、上手くまとめられなくて2つになってしまったり。そのパターンの失敗が多かったです。本当に、短時間に話すことって難しいです。

 1つだけ上手くいった点は、中野さんに話を1つ振れたことです。中野さんは八女工高でインターハイの4×100 mR(3走)に優勝したスプリンター(宮崎久選手のことを気にかけていらっしゃいました)。これも事前に「中野さんに振っていいのですか」と、ディレクターに確認しておきました。リレーの話題になったので、“リレーと腕振り”に関して話を振ったところ、“さすが”と思える話が返ってきました。個人的には、ここが一番面白い個所だと思っています。
 放映は9月15日(土)の17:15からとのこと。


◆2007年9月9日(日)
 やっと今日、陸マガの世界選手権の原稿が終わった。久しぶりにたくさん書かせてもらったという印象。全部で1300〜1500行くらいのはず。それでも、他のライターの方たちよりも少ないのだが。
 質的にはいまいち、と感じている原稿もあれば、まずまずかな、と思える原稿もある。次に書くときはパターンを変えよう、と考えているのはマラソンの原稿。少ない行数でレース展開を書きつつ、日本の上位選手何人かに触れるというのはかなり無理があった。レース展開と関係のない選手は、カコミにしてコメントだけ紹介するパターンが良いだろう。ライターの一存で決められないところでもあるが。

 結果を出せなかった跳躍3選手の原稿は、パーソナルコーチにも取材をした。競技直後の選手のコメントだけでは、何かが足りないこともある。正直な心情なのだろうが、何を話したのか覚えていない、とあとで振り返る選手も多い。分析的な視点が欠けることが多い。
 我ながら好判断だったのは福士選手の原稿。現地(ミックスドゾーン)の福士選手の受け答えは明るいものだったが、微妙な違和感を感じてワコール永山忠幸監督に電話を入れたのだ。これが大正解。自分でもニュータイプになったかと思ったくらい。珍しく高橋編集長にもほめられたし。
 高橋編集長にほめられると、その恩師である筑波大・村木先生にほめられたような気分になるが、明らかに錯覚である。

 今日の日記がいつもの“ですます”文体でないのかというと、単に気分の問題だろう。何かをやり終えた、という気分のなせる業なのか、とも考えたくなるが、たぶん違うだろう。世界選手権の原稿はまだ残っているし、“やり遂げた”という感覚はまったくない。体力も残している。すぐに秋のシーズンに入るし、秋になれば駅伝関係の取材もある。
 大会前は、地元世界選手権の取材が何かとても大きなものに感じ、自分の記者生活の1つの区切りになるように感じていた。錯覚とは少し違うが、終わってみて明らかに、そういった感覚はない。取材生活のなかの“中くらいの山”、くらいの感覚だ。
 しかし、その一方でなぜか、自分の取材生活も確実に終わるという確信も得た。1年後なのか、数年後なのかわからないが、間違いなく終わる。そんなことは当たり前なのだが、なぜか、妙に実感しているのである。


◆2007年9月14日(金)
 14時からのスーパー陸上記者発表会に出席。
 一番のサプライズは、アサファ・パウエル選手の出場(200 m)が決まったことです。100 mのゲイ選手の出場は公表されていましたが、パウエル選手は誰も知らなかったはず。おそらく直前に決まったのでしょう。ただ、ゲイ選手との直接対決はしませんよ、という条件が先方から出されたのだと想像できます。
 “得意種目”を生かすのなら、100 mがパウエル選手で200 mがゲイ選手なのでしょうが、これも出場が決まったタイミングで振り分けが決まったものと思われます。あくまで勝手な想像ですし、誰でも思いつくことですけど。

 日本選手では為末選手と末續選手が出場しないと発表されました。日本陸上界を挙げてのビッグイベントに出ないとなると、理由をきちんと説明しなくてはいけません。こちらに記事にしましたが、この理由を見ると、世界選手権のときにすでに体調に問題があったことがわかります。

 会見には朝原宣治、内藤真人、澤野大地、丹野麻美、池田久美子の5選手が来てくれました。世界選手権の反省をどう踏まえていくか、という部分への回答は5人それぞれ。朝原選手と丹野選手は、世界選手権で力を出し切れたからでしょうが、これまで通りのスタンスです。
 内藤選手は「日本記録と言い続けて出せていないので、今回は自分らしい走りをするということで」という言い回し。でも、「自分らしい走りをすれば記録もついてくる」とも言っています。やることはそれほど変わらないけど、意識の仕方を少し変えようということでしょう。
 澤野選手は以前は「日本記録は最低目標」というコメントが多かったのですが、今回は「自分の跳躍」という表現に。これは世界選手権直前くらいから、そのように変わってきています。
 一番変わったのが池田選手。「7m」という言葉は使わずに、「原点に帰り、楽しんで跳びたい」と話しました。

 目標設定の仕方、目標へのアプローチ法は人それぞれ。どれが良いとか悪いとか、断定できるものではありません。ただ、今回の世界選手権に関しては、陸マガ10月号にも書きましたが、そこで力みが見られる選手が多かった。その力みを取り除くのに、意識の仕方を変えた選手もいるということです。澤野選手が日本記録を目指していない、池田選手が7mを目指していない、ということではなくて、力が入りすぎない方法を考えているわけです。
 当たり前すぎて、わざわざ書くほどのことでもない?


◆2007年9月15日(土)
 竹澤健介選手の取材のため、早大の所沢グラウンドに。
 真っ先に信岡沙希重コーチのところに挨拶に行こうとしました。そうしないと二度と早稲田に行けなくなる、という噂があるわけではなくて、寺田が勝手にそう思ったからです。というのもちょっと脚色した言い方で、頻繁に取材させてもらっているベテラン選手ですから、それが当然だという判断です。
 ところが、グラウンドに同コーチの姿がありません。竹澤選手の練習(2万m走)終了後にやっとウエイト場に姿を見つけたのいですが、ちょうど渡辺康幸監督に取材をするところ。最後にやっと挨拶に行きました。世界選手権のことで質問したいこともあったので。

 竹澤選手への取材は、練習後に合宿所の近くのうどん屋さんに場所を移してインタビュー。竹澤選手にまとまった時間をもらって取材をするのは初めてです。でも、ちょこちょこと話を聞く機会もありましたし、過去の記事を読んで考え方をだいたい把握していたので、突っ込みどころは明確にできていました。
 それでも、実際に取材をすると、ここまで考えているのか、というくらいに徹底していますね。考え方というか、競技へのスタンスが。
 そのへんの特徴が記事に出せるといいな、と思っています。陸マガ増刊の「大学駅伝2007」に載せます。10月2日発売です……ってことは、締め切りはすぐ?


◆2007年9月16日(日)
 17時からトワイライト・ゲームスが行われていましたが、明日の菅平取材に備えて移動しないといけなかったため、泣く泣く新幹線に。
 しかし、20時を少し過ぎたあたりで携帯が鳴りました。高崎駅付近だったと思います。液晶表示には信濃毎日新聞・中村恵一郎記者の名前が。同記者は再三紹介しているように早大OB。昨日の竹澤健介選手に続いて早大づいています。
 ただ、今日は早大ではなく長野というところがポイントです。電話に出る前にピンと来ました。長野県出身の塚原直貴選手が記録を出したのだと。確かトワイライト・ゲームスは男子100 mが最終種目で、20時ちょっと前スタートだったと記憶していました。
 案の定塚原選手が10秒15を“出したらしい”というもの。中村記者も完全な情報ではないようです。さっそく、東海大OBのミズノ・田川茂氏に電話を入れると、間違いなく10秒15だと判明。続いて、関東学連H氏からも電話が入りました。中村記者に念のため電話を入れると、すでに裏もとり、塚原選手にも電話取材をした後でした。さすがに素早い。というか、急がないと締め切りに間に合わない。新聞記者は時間との戦いも大変です。
 それよりもすごいのは塚原選手。世界選手権の2週間後というタイミングで、あの織田フィールドで自己記録を更新するとは。さすが、中村記者の後を継いだ長野のスーパースターです(2人ともインターハイ2冠)。

 21時台に上田駅に。23時頃前述のH氏からメールがあり、関東学連のサイトに成績がアップされていると教えてもらいました。もう1人の長野県選手、上野裕一郎選手も1500mで圧勝。練習の流れを把握しているわけではありませんが、以前の取材で「スピードはすぐに戻すことができる」と話していました。そのあたりの能力が発揮されたのではないかと想像できます。違っているかもしれませんが。
 夜はテレビ朝日「Get Sports」の為末大選手の特集を見ようと思っていましたが、長野朝日放送は「Get Sports」を放映していませんでした。
 だったらと、明日の取材の資料に目を通しました。明日も長野県の佐久長聖高出身の佐藤悠基選手の取材です。


◆2007年9月17日(月・祝)
 上田駅からバスで菅平高原に。10時少し前に菅平国際ホテル・ベルニナに着きました。昨年も同じホテルで、同じ陸マガ増刊用に佐藤悠基選手を取材させてもらっています。
 今日も面白い話を聞くことができました。シーズン前半が今ひとつの結果に終わった選手への取材です。多少は気を遣いましたが、話し始めてみて、その原因を聞いても大丈夫だと感じました。
 元々、選手は周囲が思うほど、悪かった結果を引きずりません。反省をして、それを心に刻むことはあっても、日常生活や対人関係において落ち込み続けたりしません。そんなことをしていたら、社会生活に差し障りが出るでしょう。

 佐藤選手が不調だった原因は、好不調のサイクルという視点で説明もできますが、やっていることとのレベルが高くなったから、という側面もあります。後者は大崎栄コーチが話してくれたことですが、説明するのが少々難しくなります。それを文字にするのが我々の仕事なのですが……頑張ります。
 佐藤選手も感覚的な話になることがあります。陸マガ5月号で紹介した1000m×10本と1万mのタイムの話もそうでした。気をつけて文字にしないと説明しきれません。でも、そういう話ほど面白いのです。一昨日の竹澤選手の話もそうでした。駅伝をどう走るか、という話よりもはるかに面白い……と言い切ってしまうこともできません。駅伝の話も面白かったです
 ただ、少ない文字数で説明するのは絶対に無理。今回はそれなりの量があるので、頑張らないといけないでしょう。

 昨年に引き続き、同じホテルにコニカミノルタが泊まっていました。佐藤選手と大崎コーチに取材が終わった後、ロビーで取材ノートを見直していると、迎忠一選手が練習から戻ってきました。
「菅平にスタバを出店させないと」と同選手。詳しい展開は忘れましたが、寺田が菅平で原稿を書くためにはスタバが必要だ、という話になりました。おそらく、福島にはスタバがない、というネタを何度か書いていることを覚えてくれていたのでしょう。さすが福島県出身。

 という話を、迎選手に続いて戻ってきた酒井勝充監督にもしたら、「難しいのではないか」という同監督の意見でした。シーズン中以外はまったく流行らないだろうということ、地元が受け容れない可能性があること、などが理由です。
 引き続き、株価の話に。カフェ関係の某銘柄が上がるかもしれない、とか、日経平均は回復するだろう、とか。今に始まったことではありませんが、酒井監督の知識の広さ・深さには驚かされます。
 もちろん、指導者の方たちとこういった話ばかりをしているわけではありません。普段は陸上競技を真剣に語り合っています。それは寺田の書いた過去の記事を読んでいただければわかるので、ここでは違うネタを話題にしているのです。


◆2007年9月18日(火)
 昨日、写真を1点、紹介するのを忘れていました。菅平国際ホテル・ベルニナのロビーに信濃毎日新聞が置いてあったので、さっそく一昨日の塚原直貴選手の10秒15の記事をチェック。見出しは当然、「県新の10秒15」です。
 しかし、単に記録的な評価だけでなく、世界選手権で動きのヒントを得た、という部分まで踏み込んでいます。さすが中村恵一郎記者。インターハイ2冠記者が、インターハイ2冠選手を取材するとこうなるのか、と思いました。

 今日は昼過ぎまで自宅で仕事。朝、澤野大地選手のサイトを見ると、ワールド・アスレティック・ファイナルには出られない、と記してあります。本サイトのトップページで昨日、「WATランキング。池田1位、澤野と室伏が8位」と紹介しました。ファイナル出場決定と書かなかったのは、出場権は7位までで、残りの1枠は国際陸連推薦枠だからです。こちらにその辺のルールが書かれています。
 WATランキングで同じ8位の室伏広治選手は出場できます。こちらのIAAFサイトのプレビュー記事に名前が出ていて、確認できました。同じ成田高OBですが、国際舞台の実績では室伏選手が上ということです。
 澤野選手が悔しくなかったわけはないと思いますが、「スーパー陸上に集中できます」と気持ちを切り換えているようです。

 このところ日記を毎日書けていますが、だからといって閑なわけではありません。竹澤&佐藤選手の「大学駅伝2007」原稿と、某大会プログラムの原稿の締切が迫っています。岐阜の全日本実業団取材に行く前に片づけないといけません。ちょっとやばい状況ですが、精神的にはなぜか落ち着けています。


◆2007年9月19日(水)
 ヤクルトの古田敦也監督の退団会見を見ていたら、朝原宣治選手の世界選手権準決勝後のインタビューを思い出しました。
 質問に対し2人とも涙が出るほど感極まってしまい、言葉が出てきません。そのとき、インタビュアーは重ねて質問したりせず、相手が話し出すのをじっと待っている。例えば若い選手で、何を答えていいのかわからなくなっている状態なら、重ねて質問する方法がいいかもしれません。しかし、ベテラン選手であれば、その選手が言葉を探し出すのを待った方が効果があります。特に映像メディアのインタビューではそうです。
 古田監督の会見が朝原選手のインタビューとダブったのは、2人の言葉のイントネーションが似ていたから、ということもあります。同じ兵庫県出身。
 古田監督と同じアツヤの神戸新聞・大原記者は、2人の涙に何を考えたのでしょうか。


◆2007年9月20日(木)
 高橋昌彦監督のブログを見ると、ボルダーの朝はもう10℃くらいに冷え込んでいるといいます。それに反して日本は猛暑がぶり返し。暑さの影響が、寺田にもあったのかもしれません。

 ここ数日、かなり無理をしていて、昨晩も朝まで仕事。貫徹だけはしないようにしているので、朝の9時くらいに布団に入ったのですが、起きられなくなってしまいました。何度か目は覚めましたし、少しは動き回るのですが、疲れがひどく、ちょっとするとすぐにまたダウンしてしまいます。
 それを繰り返している間にも、原稿を書かないといけないという気持ちばかりが大きくなっていきます。今日が竹澤健介選手と佐藤悠基選手の280行の締め切りです。明日の昼には岐阜(全日本実業団)に向けて出発しないといけません。
 その焦りがまた体を硬直させます。焦ったときの症状である左半身の痺れというか、首筋や背中の張りがひどくなります。その状態が気になり出すと、ますます焦っていく。まさか30℃を超えているとは思わないので、エアコンもつけずに、暑さとも格闘していました。

 なんとか体調が戻ったのが夜の10時過ぎ。メールの返信をして、書きかけの原稿を送り、いくつかのサイトをチェック。世界選手権後の動きも一段落したのか、あまりニュースがありません。
 しかし、しばらく見ていなかったサイトを見ると、面白い話題がいくつかありました。野村智宏選手が大阪でトマス選手と接触していたり、尾田賢典選手がアメリカのハーフで好走していたり。秋田真之介選手は32歳で10秒50ですか。朝原選手ほどではないにしても、すごい。柴田純一選手は引退してコーヒー販売業に転身していたのですね。知らなかった。


◆2007年9月21日(金)
 昨晩は久しぶりにファミレスで、夜を徹しての原稿書き。朝の6時に一通り書き終えましたが、行数はオーバーしているし、細部を整えないととても世間には出せない状態です。しかし、これ以上は体力的に無理と判断して、9時まで睡眠。そこから再度手直し作業。10時が締め切りでしたが、未完成版として送信。こう見えても元編集者ですから、未完成版でも送っておけば、ある程度の編集作業は進められるとわかります。
 結局、最終版を送信したのは12:30頃。
 昨日の日記で紹介した柴田純一選手からメールが来ていました。やはり、現役を引退した元重川材木店の萩野智久選手も、本人も意外な展開で新しいチームの監督になったと、最近メールをもらいました。この2人は自分の考えをしっかり持って第二の人生を歩み始めたわけですが、選手の引退後の生き方という点では、2人とも問題意識を持っています。近いうちに言及したいですね。

 メールチェック後に全日本実業団取材の出張準備をして、14時頃に作業部屋を出発。新幹線の中では某大会プログラムの原稿書き。こちらも今日中には送らないといけません。長良川競技場に到着したのは、最初のレースが始まる17時直前でした。
 報道受付に行くと、毎日新聞事業部の橋本さんの姿が。待ってました、とばかりに実業団駅伝公式ガイドの打ち合わせ日程を相談されました。毎年、全日本実業団の長距離種目取材時にはもう、かなり駅伝を意識して見ています。全日本実業団の記事に駅伝色を出すことはあまりありませんけど。インカレの記事が箱根駅伝の視点になっていたら、ちょっとイヤだな、と感じられるのと一緒で、そこは控えたいのです。
 今年はオリンピック前年で、マラソン代表選考との兼ね合いもあって難しいのですが、駅伝というのは幅広い選手層が参加するのが特徴です。ネタに困ることはないでしょう。

 本部席脇に行くと、かなり多くの記者たちがシスメックス藤田信之監督を囲んでいました。昨日、野口みずき選手がサンモリッツ合宿から帰国したばかり。野口選手やマラソン界のことを話題にしていたのだと推測できます。途中から話に割って入るのはやめて、中日新聞・桑原記者に「駅伝の話になりましたか?」と藤田監督にも聞こえるように質問。まあ、そんな話をし始めるのは朝日新聞・杉山さんか寺田くらい。
 仮に藤田シスメックスが駅伝に初参加すれば、大ニュースです。しかし、残念ながら今年も出場は見送るとのこと。新人選手たちの練習ぶりを厳しく話しますが、言葉の端々に無念さが漂っています。というのは寺田の主観ですが。明日の陸上記事の見出しは「藤田監督、出場断念」で決まりだと、個人的には思いました。

 今日の種目は男女の1万mだけ。男子が3組で女子が2組のタイムレース。男子では2組目に油谷繁選手と佐藤智之選手が出場。記録はいまひとつでしたが、佐藤選手は世界選手権マラソン代表選手のなかで、一番早くレースに復帰しました。その辺の理由を取材させてもらいました。それと、この時期に記事に取り上げられるのは、有力選手がどのマラソンで五輪代表切符を取りに行くか、ということ。佐藤選手は「東京」だと明言しています。変に東京かびわ湖か、と迷わない方がいいでしょう。今年成功しているレースですし。
 油谷選手には聞き難い部分ですが、「代表1枠を尾方選手に持って行かれたと感じているか」と質問。「選手が判断することではない」という同選手の見解ですが、内心は覚悟しているのが、これも言葉の端々から伝わってきます。これは選手としては当たり前。尾方剛選手がどうであろうと、3番目の椅子に滑り込もう、と考える選手はいません。

 朝日新聞事業部の大串さんは、こちらの顔を見ると8月24日の日記のことを話題に出してきました。福岡国際マラソンについて秘策がある、と大串さんが言っているような書き方を寺田がしています。「そんなこと言いましたっけ?」と、とぼけていますが、実際、昨年のゲブルセラシエ選手に匹敵する大物を招待する方向で準備を進めているようです(これもマラソン主催者としては当たり前)。その選手だったら、T選手との対談が面白いのでは? と提案しておきましたが…。

 男子1万mの3組目では佐藤敦之選手が快走。1人だけ、ケニア選手たちの集団に食い下がり、暑さの残るコンディションの中、28分13秒12でフィニッシュ。本当に強かったですね。坂口泰監督に「27分50秒は切れる」と言わせました。もちろん、その記録を狙うのは、福岡国際マラソン前ということはありません。可能性があるとしたら、来春の海外ではないかと同監督。早大の後輩である竹澤健介選手あたりと、カージナル招待で日本記録を狙うかもしれません。
 それにしても佐藤敦之選手は先週、杉森美保選手と披露宴をしたばかり。準備などで忙しかったはずなのに、この好走です。快走ですね。ここ数年、9月のこの大会は走れています。夏合宿後でも、すぐにスピードを上げられるタイプのようです。という話を、早大競走部OBの山端ディレクター、佐藤文康アナとしました。TBSが中継(9月29日26:55〜28:45)するから先輩たちに気を遣っている、という類のことで快走できるわけではありませんし。
 それにしても杉森美保選手のことを取材中に、照れもしないであれだけ誉めてしまうのには、ちょっと驚かされました。あれだけ、がどのくらいかイメージしにくいと思いますが、かなりです。フィニッシュ後にスタンドの杉森選手に向かって手を振る仕草も、本当にさまになっていました。すぐにカメラを取り出すことができず、シャッターチャンスを逃しました。もう1回やってくれ、とお願いするのも無粋ですし。

 しかし、意外な場面でチャンスが再到来しました。
 最終21時のシャトルバスになんとか間に合って乗ると、2人が後ろの方のシートに並んで座っています。許可をもらって写真を撮らせてもらいました。その後、3つほど前のシートに座ってISHIRO記者と話しながら岐阜駅まで移動したのですが、ときおり2人の声が聞こえてきました。会話の内容までは聞き取れませんが、2人とも我々の取材に答えてくれているときとは少し違って、ほのぼのした雰囲気が感じられます(これも当たり前といえば当たり前ですが)。こちらまで幸せが伝染してきたような気分になりました。
 と、書いておけば、油谷選手から何かコメントがあるでしょう。


◆2007年9月22日(土)
 全日本実業団2日目の取材。
 男女の5000mは午前中に予選、夜に決勝というスケジュール。昨年までのタイムレース方式から、ラウンド方式に変更になりました。タフな選手を育成しようという主催者の意図は明白です。記録を狙うレースは10〜11月にも頻繁に行われていますし。1万mが1日目の夜ですから、両種目に出場すると24時間で1万m1本と5000m2本を走るスケジュールです。
 それに加えて今日も朝から暑かったです。5000m予選はまったくペースが上がりません。夏合宿は涼しい北海道か高原で行うのが普通ですし、ちょうど涼しくなりかけたところで暑さがぶり返しましたから、かなりきついと思います。それにしても……主催者がタフな選手を、と意図するのも頷けます。

 暑さといえば、女子棒高跳で近藤高代選手が日本新の4m40に挑戦した際、少しでも近くで見ようとバックスタンド側に行きました。長良川競技場のバックスタンドは、日陰がまったくありません。グラウンドレベルもそう。それほど長時間いたわけではありませんが、かなりこたえました。軽い熱中症になってしまった感じもします。
 そういえば、女子200 mの信岡沙希重選手が、熱中症気味で決勝を棄権しました。ガチガチの本命がいなくなった女子200 mと女子走幅跳では、選手たちの気持ちにその辺が少し影響したかもしれません。選手たちの話を聞いて、そんな印象を受けました。

 今日は優勝者だけでなく、2位以下の選手の話も、それなりの数を聞きました。世界選手権やその他のカラミで、順当な優勝でも面白い話が聞ける場合も多いので、1位選手のコメントもおろそかにしたわけではありませんが、日本選手権・世界選手権の後の試合になると、優勝者以外の取材が若干多くなる傾向はあります。
 今日でいったら男子200 m3位の堀籠佳宏選手や800 m3位の田口裕之選手、400 mH2位の小池崇之選手、走高跳2位の真鍋周平選手、円盤投2位の小林志郎選手。女子では棒高跳2位の中野真実選手といった選手たちの話を聞きました。この辺の判断は、レースや試技を見ていると自然にできますし、話を聞くと予想通りの答えが出てきます。何人かは陸マガで記事にできると思います。
 今回は陸マガの他にも、このサイトにも記事を書くので、多少のダブりは仕方ないにしても、書き分けをしなくてはいけません。その辺は編集部サイドにも許可を取っています。そこで、どんな形式がいいか迷った末、優勝者(日本人1位選手)のコメント集という形にすることにしました。

 ところで、男子800 mの北京オリンピックの標準記録が変更になりました。以前のB標準は1分47秒60に設定されていましたが、国際陸連のサイトを見ると1分47秒00になっています。前年シーズン終了後に見直しが行われるのはよくあることですが、まさか、シーズン途中のこの時期に変更されるとは思っていませんでした。7月のナイトオブアスレティックで突破した笹野浩志選手も、世界選手権で破った横田真人選手も突破していないことになります。
 中距離関係者から教えてもらったのですが、選手たちへの影響を考えて、選手に知らせるのはレース後にするとのことでした。標準記録は参加選手数の調整をするためにありますが、そこを目標に頑張っている選手にとっては酷な話です。特に、笹野選手や上野裕一郎選手が標準記録を突破したナイトオブアスレティックは現地で取材して、選手たちの喜び方も目の当たりにしています。
 ということで、800 mに優勝した後に笹野選手とその話をすると、変更の件は知らなかったと言いますが「ショックはない」と言います。ナイトオブで出した1分47秒5台では代表は難しいという認識を持っていたからです。表情に出る選手ですから、口だけでなく、本当にそう考えていたのは間違いないでしょう。横田選手も陸マガの世界選手権記事に書いたように、物事全般に対して泰然としたスタンスのとれる選手。おそらく、このくらいのことは乗り越えてくれるでしょう。
 他の種目も変更されている、あるいは今後変更される可能性があるので、注意を払う必要があります。

 最終種目は男子5000m。昨日の1万mにも出て5000mにも出た選手は、日本人では佐藤秀和選手がそうでした。1万mは一番弱い組のトップでしたが、今日は決勝に進出し、日本人トップ。順位だけでなく、前半はケニア選手の集団に日本人でただ1人だけついて、後半も粘るという評価の高い内容。
 1万mの佐藤敦之選手も1人だけケニア選手の2位集団につきました。昨日は2組目の佐藤智之選手、3組目の佐藤敦之選手の話を聞いたので、1組目の佐藤秀和選手にも聞けば良かったと後悔していたところ。今日はもちろん、話を聞きました。春先の1カ月のケニア合宿で「リフレッシュできたことが大きい」と話していましたが、ストレスがなかったわけはありません。そこをリフレッシュとさらりと言えるようになっている。
 5000mの高校記録保持者。同学年の竹澤健介、佐藤悠基選手を追い上げる体勢が整ったと見て良さそうです。

 今日も帰りは最終のシャトルバスに。20:40ですから、その時間となると人数も少なくなります。昨日の佐藤・杉森夫妻に続いて、今日は坂水千恵・栗本佳世子のナチュリル2選手と一緒になりました。
 栗本選手は200 mで3位でしたが、同種目は優勝した成瀬美紀選手から4位の長島夏子選手まで、4人が0.03秒の間にフィニッシュする大混戦。200 mでこの人数が、ここまでの接戦を繰り広げたのは、ちょっと記憶にありません。もしかしたら、末續選手がボーンと出て、3〜7位が大接戦だったというレースがあったかもしれませんが、ここまで接戦だったかどうか。栗本選手も記憶がないと言います。
 ナチュリルには女子だけでなく、男女総合優勝の可能性も出てきたとのこと。総合優勝を続けているスズキも今大会は欠場者が多く、万全の体勢ではありません。ナチュリルも男女までは考えていなかったようですが、広報兼務の坂水選手は実現したときの対応も考えておかないといけないようです。


◆2007年9月23日(日)
 全日本実業団3日目(最終日)の取材。
 午前中はトラック種目は予選が続くので、女子円盤投と男子砲丸投が行われる第1コーナー付近のスタンドで観戦取材。今日は曇っていたので、昨日よりも楽でした。
 女子円盤投終了後に、中日新聞・桑原記者と一緒に室伏重信先生に取材。中部実業団ではお馴染みの取材風景です。桑原記者はしばらくして室伏由佳選手の話を聞きに行きましたが、寺田はそのまま居残り。この大会とは関係ないのですが、世界選手権の一般種目の不振について、室伏先生がどう考えているかを聞いてみたたかったのです。
 室伏先生のことですから、技術面のことを要因に挙げると思っていましたが、真っ先に話してくれたのが目標設定の仕方の部分であり、自分の状態を正確に把握しないといけない、という話でした。

「初めからベスト記録を出せると決めつけて考えていたらいけない。そこに基準を設けると、選手自身が大きなショックを受ける。崩れ方が大きくなってしまう。技術、コンディション、精神面など、すべてをマネージメントできないといけない。練習でテストして、テストしたものを試合でやり、それを絶えず繰り返していく。そのなかで良いとき、悪いとき、まあまあのときと、自分の状態を把握できるようになる。いつでもこのくらいの力は出せる、という基準を持って初めて、今の自分はこのくらいと予想がつく」

 今回不振だった選手たちも、何人かの選手は自身の状態が良くないとわかっていましたから、直前になって落ち着いた目標設定にしていました。調子がいいと思っていた選手たちに、ちょっとしたアクシデントが重なったのも不運といえば不運。それも自身の状態を正確に把握していなかったから起こった、とも言えるかもしれませんが。

 室伏先生との話は多方面に渡りました。そのときの話を全部書けたら、かなり面白いのですが、意外だったのは日本ケミコンの泉田監督とのつながり。投てきと長距離の組み合わせにあれ?っと思いましたが、室伏先生が所属していた大昭和は、長距離も一般種目も選手を擁していました。後輩だった泉田監督に、重心移動の仕方を教えたら記録が大幅に伸びたといいます。
 泉田監督といえばダ洒落の上手さでも定評があるので、それも室伏先生仕込みなのかと質問すると、「それは教えていない」という答えでした。

 今回の全日本実業団は、例年以上に欠場者が目立ちました。世界選手権直後という時期的な要因だと思われます。個人的には仕方がないと思っていましたが、何人かの記者から、こんなことでいいの? という質問を受けました。陸上競技以外の競技を担当している記者には、かなり違和感のある現象だったようです。
 全日本実業団は選手権試合で、招待試合ではないため、出る出ないの選択権は選手にある、という話はしました。春季サーキットやスーパー陸上などは、入場料もとっていますし、招待選手は遠征費用を陸連や主催者が負担するのでよっぽどの理由がないと欠場できませんが、選手権は自分が出場料を払っている分、逆に欠場しやすいのかもしれません。
 全日本実業団は入場料はとっていませんが、逆に集客用の宣伝をして入場料を取った方が、選手は欠場しなくなるかもしれません。そうした場合、ポスター掲載など宣伝に協力してもらった選手には、何らかの謝礼を払うことは考えるべきだと思いますが。

 競技特性も他のスポーツとは違います。野球やサッカー、格闘技はごまかしがきくと言いきって良いのかわかりませんが、陸上競技は少しのコンディション不良が成績にはっきり出てしまいます。記録が伴うだけに、その選手の好調時との違いも一目瞭然です。そういった競技特性が、欠場者が多く出ることにつながるのかもしれません。
 欠場者が多ければ、興行としては成立しにくくなります。「この選手が出場するから見に来てください」とは言いにくいわけです。集客を目的とする試合と、集客をしない試合を分けてしまう、という方法はあるわけで、現にその方向になっています。

 しかし、3日目のスタンドは一番、観客の数が多かったですね。関係者でなく、一般の入場者もそれなりにいました。はっきり書けないのですが、数百人はいたと思います。子供たちも多かった。朝原宣治選手が風邪の影響で決勝を棄権しましたが、主催者の配慮でサイン会を行っていました。
 世界選手権銅メダルのマサシ選手にサインを求める列も、過去、最長だったのではないでしょうか。有名人にミーハー的に集まるのでなく、本当の陸上競技人気につながっていけばいいのですが。


◆2007年9月24日(月・振替休日)
 休日モードですが、自宅でかなり仕事。某サイトのデータ更新作業を頑張りました。
 和光アスリートクラブの上野監督から、辰巳選手と同監督のノーリツ入社の挨拶メールが来ていました。西澤選手の今後のことなど、いくつか気になった点があったので電話を入れました。そのとき話してもらったことはほとんど、和光アスリートクラブのサイトに出ています。
 印象に残ったのは上野監督が、選手のセカンド・キャリアのことを真剣に考えられていること。これまでは、選手個々の頑張りや考え方、あるいはコネクションによって決まっていた部分です。そこをシステムとしてなんとかできないか、と考えているようです。
 陸上選手のセカンドキャリアといえば、指導者やメーカーの社員などが自身の経験を直接的に生かせる職業ですが、その職業に就ける人は多くありません。絶対数では一番多い中学・高校の教員も、なかなか正式採用されないのが現実です。最近は市民マラソン関係(ゲストランナーやマラソン教室の講師)で需要が出てきましたが、これも、パーセンテージにしたらごく一部の選手にしか回ってきません。

 思い出したのが、柴田純一選手のコーヒー販売業への転進のこと。同選手からもらったメールによれば「現役時代からコーヒーが好きで、引退したら自家焙煎のコーヒー屋を開こうと考えていました」とのこと。柴田選手の場合、自分の好きなことを職業にしよう、という強い意思があったわけです。
 実行に移す際、ある程度の先が読めないと一歩を踏み出せないのですが、その判断は個人の置かれた状況と、状況判断能力に左右されます。サイトを拝見すると同選手には商才がかなりあったのだと思われます。転進して半年で、早くも軌道に乗っているように見えます(外部の人間が軽々しく断定できるものではありませんが)。

 小坂田淳選手のことも思い出されます。ちょうど1年前の全日本実業団で引退をしましたが、そのときに「サラリーマンをやります」と、胸を張ってセカンドキャリアに挑戦しようとしていました。大阪ガスと言えば関西では超人気企業。周りは偏差値の高い学校を出たエリートばかりのようです。そのときの小坂田選手は不安を感じている様子はまったくなく、やってやる、という気概があふれていました。
 スポーツも突き詰めて考えれば、大学の勉強や仕事に劣らないくらい考察すべきこと、工夫すべきことがあります。我々の取材対象は一部トップ選手に限られますが、そのへんの公務員や営業社員よりも、はるかに深く考えていると思います。スポーツで結果を出した人間が仕事の世界で頑張ることは、それほど難しいことではないはずです。

 柴田選手の例と小坂田選手の例は対照的ではありますが、どちらも前向きに取り組んでいることが共通点。要は、いかに自分自身と向き合えるか……と、言葉にするのは簡単ですが、それが難しいわけです。実際、不安を抱えている選手も多いのが現実でしょう。そういった選手たちの参考になれば、という思いもあって、柴田選手は引退後の自身の生活ぶりをブログで公開しているといいます。真似をするということではなく、自身の生き方を見つめる上で、参考になるのではないでしょうか。


◆2007年9月25日(火)
 4日ぶりに新宿の作業部屋に来ると、クリール(ベースボール・マガジン社の市民ランナー向け雑誌)が届いていました。面白かったのは谷口浩美監督が書かれた「走り込みの核心」です。巻頭特集全体のテーマが“走り込み”で、そのうちの1つなのですが、ここだけ独立して読んでも、十分に面白く読めると思います。
 感心させられたのは、“走り込み”は距離を走ること自体が目的ではなく、自分の変化を感じられるようにするのが目的だということ。旭化成の走行距離についても、世間と同じように誤解していました。「月間走行距離が1000kmを超えたのは1度か2度しかない」と言います。“分散型”で走り込むという部分は、最近の谷口さんのある話から想像できた部分ですが。
 これまでもマラソン取材の際、40km走の本数だけが重要ではない、ということは理解はしているつもりでも、実際の記事にする際にはついつい、そこを出してしまいがちになっていました。月間走行距離もそうですが、読者にイメージを伝えやすい部分ではあります。しかし、そこだけにとどまってはいけないな、ということを谷口監督の記事で思いました。

 ナチュリルサイトの日記を見ると、坂水千恵選手が岐阜インターハイ(2000年)の思い出を書いていました。彼女たちの学年にとって全日本実業団は、高校3年以来のメモリアルセンター(長良川競技場)となったようです(中部実業団に出ている選手は別ですが)。なるほど。400 mで2位の木田真有選手と3位の坂水選手は、お互いのことをそう感じていたのですね。そういえば、走幅跳優勝の岡山沙英子選手も、インターハイで優勝したゲンの良い競技場だから、という話をしていました。お母さん(香丸恵美子選手)も勝ったことがあるそうです。お姉さん(岡山奈津子選手)はどうだったのか質問したところ、お姉さんは特になかったようです。
 岡山選手の他には三段跳の石川和義選手、砲丸投の畑瀬聡選手が今大会で優勝しています。真鍋周平選手と小林志郎選手は2位、藤沢潔香選手は3位。逆に下位入賞(5位)だった石野真美選手が今回優勝しています。
 ドラマがあったのは3年生だけではありません。栗本佳世子選手は当時、埼玉栄高1年生でしたが、同高の全国大会での得点が途切れた年だったそうです。ものすごく悔しい思いをしたことを、昨日のように覚えていると言います。その思いが翌年の熊本インターハイでの5年ぶりの総合優勝、大森国男先生(現京セラ監督)から清田先生にバトンタッチされて初めての総合優勝に結びついたのでしょう。


◆2007年9月26日(水)
 17時から竹橋の毎日新聞社で実業団駅伝公式ガイドの打ち合わせ。ISHIRO記者、事業部H氏、編集部K氏、おまけの寺田というメンバー。
 この時期に毎日新聞に行くのは年中行事の1つになりつつありますが、今年は初めてガラス張りの会議室で打ち合わせをしました。テレビドラマでしか見たことのないものでしたから、ちょっとした感動でしたね。当然、良いアイデアも出てきます。良いアイデアが出るから、そういった構造の部屋に大手企業は設備投資をするのです。
 ガラス張りということで企画内容も紹介すると……というわけにはいきません。1つ言えるのは、例年同様顔写真付き選手名鑑は今年も掲載します。これを楽しみにしている方も多いと思います。作る方はかなり大変なページなのですが。
 そういえば引退された○○○○さんも、どの男子選手が格好良いか、品定めをするのに使っていた、と言っていましたね。まあ、誰でもやっていることでしょう。それも雨の夜にやっている人は、かなり風流です。古典派といった方がいいかも(“雨夜の品定め”についてはこちらを参照)。

 発売日は女子が12月上旬で、男子が中旬です。


◆2007年9月28日(金)
 NSAA(日産スタジアムアスレティクスアカデミー)をリンクさせていただきました。高野進氏と日産スタジアムが一緒になってジュニア選手を育成し、各種のイベントを通じて普及活動も行っていく。リンク集には■アカデミー(育成、普及、イベント)■というカテゴリーを新設しました。高野氏はアスレティクス・ジャパンという会社を立ち上げ、トップ選手の育成と、やはり普及・イベントの活動に力を入れています。
 同じカテゴリーに、藤田信之監督のF・R・A(藤田ランニングアカデミー)と、阿見アスリートクラブも入れさせていただきました。藤田監督は全国各地で講習会を開き、これという素材と出会えば、エリート選手として育成していくと聞いています。阿見アスリートクラブはNPO法人。トップチームも抱えていて、筑波大OBの植竹万里絵選手が職員兼コーチ兼選手という形でフルタイム勤務しています。
 そういえば金哲彦さんのニッポンランナーズも同じですね。女子400 mの堀江真由選手が働いています。
 あらためて言うまでもなく、こういった活動が陸上競技の普及には重要になります。

 今年の世界選手権は地元開催ということで、「陸上競技がメジャーになる最後のチャンス」と選手たちはコメントしていました。“メジャー”という部分は色々な解釈があるので置いておきまして、今回が“最後のチャンス”かといったら、決してそうではありません(“最大のチャンス”だったかもしれませんが)。選手たちは、そのくらいの気概で世界選手権に臨んだということです。
 北京五輪やその次の世界選手権で活躍する、あるいは100 mの9秒台など社会的に注目される記録を出す。マスメディアがこれだけ発達した時代です。活躍すれば紹介されるチャンスは絶対にあります。上述のように積極的な活動をしている組織もあります。大阪大会の不振で、陸上競技の人気が上がるチャンスが消えてしまったわけではありません。

 何より重要なのは中学・高校の先生方の頑張りです。各地域の名門校の先生たちの情熱、スカウト活動の熱心さには頭が下がります。同様に重要となるのが、小学生を陸上競技に導く大人の存在です。強くしなくてもいいのです。子供たちに興味付けをできる人材こそ、本当に必要ではないでしょうか。
 国体などで世界大会入賞者や日本記録更新選手の指導者が表彰されますが、その選手を中学・高校時代に育てた指導者、さらには、陸上競技の道に導いた人物を表彰してもいいのではないかと、以前から感じています(中学・高校の指導者は表彰されていましたっけ?)。


◆2007年9月29日(土)
 スーパー陸上前日会見を新横浜プリンスホテルで取材。
 びっくりしたのは大会プログラムに選手全員の顔写真が載っていること。外国選手は全員が全員、世界のトップ選手というわけではありません。下位入賞や準決勝レベルの選手もいます。名前だけでは白人か黒人かわかりませんからね。毎回やってくれると、資料的な価値が高まります。問題は、プログラムを毎年保存する場所ですが…。
 日刊スポーツと陸マガが探したようですが、頭が下がりますね。それともデジタル化された最近は、ファイル名に選手名を入れておけば、検索が簡単にできるのでしょうか? アナログ時代の編集者にはちょっと想像しにくいのですが。

 会見は最初にパウエル選手が単独で行われ、次にチホン選手、リチャーズ選手、醍醐直幸選手、成迫健児選手の4人、最後にゲイ選手と塚原直貴選手という組み合わせで行われました。朝原選手や池田選手、澤野選手が呼ばれなかったのは、14日の会見と重複するのを避けるためのようです。塚原選手が自身でも、充実ぶりを感じ取れているのが伝わってきました(会見記事参照)。
 室伏広治選手は発熱のため欠席。主催者側からは明日は出場の見込み、と発表されました。室伏選手の発熱は過去にもあったことですし、高校時代は冬の半分は熱を出していた、という話も投てき関係者から聞いたことがあります(若干、誇張されていたと思いますが)。

 昨日の上海スーパーGPから転戦してきた選手も多いようです。大会サイトが見つからなくて苦労しましたが、同大会の国際陸連サイトの記事をプリントアウトして持参。リチャーズ選手が10秒台を出していましたから、予備知識があるのとないのでは大違いです。
 スーパー陸上の数日後にはテグ(韓国)でも国際競技会があります。ワールド・アスレティック・ファイナル後はアジア諸国をトップ選手が転戦する、というパターンができつつあるようです。日本選手で上海やテグに遠征する選手も、数人います。ヨーロッパに遠征するレベルではないけど、アジアだったら出場できる。アジア選手にとっては利用できる大会が増えたわけです。自己記録を出せなくても、“経験”が目的でいいと思うのですが、“経験”とするにはただ出場するだけではダメかもしれません。


◆2007年9月30日(日)
 スーパー陸上取材。めっちゃ寒かったです。雨もかなり強かった。記録は望めません。
 神様とか宗教の話題はまず書かないのですが、今回ばかりは神様が陸上競技関係者を試しているのでは? と思いました。選手には「コンディションが悪くても観客の前だからできるだけのことをやりなさい」、観客には「記録が悪いときの陸上競技の楽しみ方を覚えなさい」、記者たちには「記録が悪くても評価すべき部分は評価しなさい」と、厳しく言っているような気がしました。元々、ゴッドは優しくはなく厳しいのだと、キリスト教概論で教わった記憶があります。

 男女の棒高跳で記録を残した選手は女子優勝のパーノフ選手(豪州)だけ。スポーツナビの記事にあるように、澤野大地選手は務めて、コンディションのことを口にすまい、としていた節が感じられました。記録なしの理由を突っ込んでも仕方ないので、今日のようなコンディションはいつ以来かを質問。「今年のシェフィールド以来です」と澤野選手。あとで、シェフィールド取材の朝日新聞・小田記者にも確認すると、シェフィールドは同じくらいか、もっとひどかったかもしれない、と言います。
 シェフィールドで澤野選手が記録を残している(5m55)のはおそらく、数日単位で見たときの気温差が少なかったからでしょう。一昨日は30℃前後あって、昨日から涼しくなり、今日ドーンと下がりました。マラソンでも、春や秋のマラソンなら20℃でも記録が出ますが、冬のマラソンでいきなり気温が20℃に上がったら、記録はまず出ません。

 そういうとき、結果を評価する基準の1つが順位であり、優勝者との記録の差です。外国選手の方がモチベーションは低いから基準になりにくい、という指摘もありますが、これは何とも言えません。プロ意識の高い選手は、しっかり走ってくると思います。確かに、額面割れが大きいな、というメダリストもいましたが。池田久美子選手や醍醐直幸選手が金メダリストと戦った……と書いて、間違いではありません。
 そういう意味では、今大会の日本選手たちは善戦しました……けど、やっぱり、喜ぶほどの善戦ではない、としておきましょうか。優勝者も何年ぶりかで出ませんでしたし。
 日本選手のMVPを選ぶとすれば成迫健児選手(ミズノ)で決まり。女子ではやはり、池田選手が4回目までレベデワをリードしていましたし、銅メダルのコトワには勝ちましたから、一番評価が高いと思います。

 コメントを聞いた中で印象的だったのは、女子棒高跳で最初の高さを4m40の日本新にした近藤高代選手。11月で32歳ですが、いよいよキャラが立ってきたな、という印象です。選手としての特徴がはっきりしてきた、という意味です。そうなると選手は強いですよ。
 先週の全日本実業団(4m30で優勝)の取材と合わせると面白い記事が書けそうです。中日新聞・桑原記者(正確には編集委員=瀬古さんと早大競走部で同期)は全日本実業団のときに近藤選手が話してくれた「(1cm刻みの記録更新は)男らしくない」という言葉をキーワードにして、同選手のコラムを書かれて、今日、紙面を持ってきてくれました。
 寺田は全日本実業団とスーパー陸上の取材を合わせて、陸マガに原稿を書く予定です。自民党総裁選で話題になった「キャラが立つ」という言葉を軸に書こうと思っていますが、もしかしたら同じ意味で別の言葉にするかもしれません。

 それにしても、6種目行われた女子では4種目で川本門下選手が日本人トップ。棒高跳は日本選手全員が記録なしなので除外すると、5種目中4種目。秋の試合にもしっかり走ってくる、というのがチーム川本の特徴でしょう。
 男子では内藤真人、成迫健児両ハードラーが秋にも強いですね。どの季節に強いのが良い、という話ではなく、タイプのことを言っているだけです(と、わざわざ書いておかないとダメなのでしょうか)。
 100 mの塚原直貴選手、成迫選手と22〜23歳の2選手が好成績を挙げたのが収穫だったと思います。


◆2007年10月1日(月)
 昨日のスーパー陸上で「これはどうなんだろう?」と思ったのが、この写真に映っているステージ(と言って良いのでしょうか)。各種目の始まる20分前に、その種目に参加する選手全員が登場して客席に紹介されます。それ自体は良いことだと思うのですが、トラック種目を見るときに邪魔なのですね。完全にふさいでいるわけではないので、なんとか見られると言えば見られるのですが、正直、気になって仕方がありません。
 ヨーロッパの大会では見たことがない趣向です(少なくともトラックを見るのに邪魔になる設置の仕方は見たことがありません)。おそらく、他の競技を参考にしたのだと思いますが、どうなのでしょうか。多少気になっても選手を間近で見られれば良い、という考えもありますが。でも、近くで見られるのはホームストレート側の一部観客だけ。バックストレートやカーブ部分の観客には、フィールドの中でやってくれた方が近いわけです。
 寺田の周りでは本末転倒、という声が多かったのですが。これは記者よりも、ファンの声が大事でしょう。

 さらに1つ言わせてもらえば、女子400 mの選手たちがスタート位置に立ってから、このゲートの方で選手紹介を数分間やっていました。その間、女子400 mの選手は競技用のウエアで雨に打たれていました。これは、連携が悪かったと言われても仕方ないでしょう。
 海外の試合でもありそうなこと? そのシミュレーションにはなったかもしれません。日本は選手に厳しい運営をする国です。


◆2007年10月2日(火)
 大学駅伝2007の発売日。
 以前にも書いたと思いますが、今回は竹澤健介選手と佐藤悠基選手のインタビュー記事を担当(その1本だけです)。書いた本人ですから記事の内容はわかっているのですが、写真や見出しと組み合わせられ、デザインされた形になるとまた印象が違ってくるから不思議です。当然、文字だけを見せられるよりも良くなります。
 今回で言えば、P4−5の写真がグッド。正面から撮った顔のアップを、モノクロにして2点並べています。雰囲気が出ていますね。ここまで個人の写真をアップにしたら、記事も当然、チームの話よりも個人の話が中心になっているわけです。選手個々の魅力を伝えるのが目的ですから、必ずしも駅伝の話だけになるとは限りません。その選手の特徴、考え方を伝えることで、結果的に駅伝を面白く見られる。そうなればいいな、というスタンスです。
 駅伝は個々の思いが集まって成り立っているわけです。同じチームでも、選手のポジションによって思いは違ってきます。選手と指導者とでも違ってくるのは当たり前。以前、神奈川大の大後監督が言われたと思うのですが、絶対的なエースがいない代わりに穴もないチームという意味で、「金太郎飴のようなチーム」という表現を使いました。これは競技力の面から見て言えることで、選手個々の頭の中を見ても金太郎飴だった、というのでは面白くもなんともありません。

 自分の担当部分だけでは宣伝にならないので、他にもいくつか紹介しておきます。
 人物ものとしては4年生の4人。松岡佑起選手(順大)、伊達秀晃選手(東海大)、北村聡選手(日体大)、そして上野裕一郎選手(中大)。高校2年時から注目され始めた4人ですが、本当に誰1人として潰れていません。代わる代わる、いい走りをしています。10年後の4人がどうなっているか。それを知りたい読者は、陸上ファンを続けないといけません。駅伝ファンでは、彼らの一面だけしか見ていないことになる。それでは面白くないでしょう。
 その他では2年生の高橋優太選手(城西大)、前年度オール2位の日大・阿久津尚二キャプテン。
 チームものとしては順大、駒大、東海大。現時点で3強と考えられている大学を紹介しています。個人的には駒大が強そうだな、と感じています。
 強さだけではなく、それぞれの視点で取り上げているのが拓大、関大、長崎国際大、麗澤大、松蔭大。以前に取り上げたことのある花田勝彦監督の上武大、神屋伸行監督の武蔵野学院大など、近年、箱根駅伝出場を目指す新興大学は増えています。
 選手が毎年入ってくる環境を一から作り上げていかないといけない学校は、本当に大変だと思います。逆に言えば、そういった環境を受け継いだり、最初から整えられていた指導者は、そこの苦労は少なくてすむわけです。指導者希望の選手は、どちらを狙うか、考えておいても損はないでしょう。

 読み物だけでなくデータも充実しています。<全国主要29大学・選手名鑑>では、関東以外で掲載する大学の数が増えたのだったと思います。もちろん、各大学20〜30選手の顔写真も掲載。何日か前に実業団駅伝公式ガイドの名鑑について書きましたが、この雑誌もここが重要。
 佐藤悠基選手は巻頭記事とは違って、眼鏡をかけて映っています。眼鏡をかけた同選手を初めて見たのは、1月の全国都道府県対抗男子駅伝か、3月の東海大でのインタビューのとき。
「伊達眼鏡?」と聞くと「違いますよ」と答えてくれました。


◆2007年10月3日(水)
 やっと、全日本実業団の陸マガ記事を書き終えました。
 久しぶりに、より専門誌らしい視点で書けたかな、という気がします。
 世界選手権代表がすんなり勝ったり、翌週のスーパー陸上で活躍しそうな選手は取り上げず、ちょっと違った角度で見て面白い選手・種目を優先しました。世界選手権代表にはなれなかったけど頑張っている選手や、復活してきた選手、2位でもちょっとした特徴のある選手等々。
 1m80の大台を突破した米津毎選手の記事も。同学年の藤沢潔香選手とのツーショット写真は掲載できなかったので、ここで紹介させていただきます。
 内輪ネタに近い感じで取り上げた選手もいます。陸マガの取引先の会社の選手が3位に入賞したのです。すぐには想像がつかないと思いますが、これは読んでみてのお楽しみということで。

 新婚の佐藤敦之選手ネタを書いたかどうかは、詳しいところは忘れました。佐藤選手のことは書きましたが、結婚ネタはたぶん書かなかったような気がします。
 今週末には、早大競走部の先輩である佐藤文康アナも挙式します。1年と4年で、同室だったこともあると聞いています。土曜日のスーパーサッカーで、その話題が出るかもしれません。


◆2007年10月4日(木)
 午前中は自宅で仕事。近藤高代選手の記事を13時頃に書き上げました。「キャラが立つ」という言葉は使わず、より具体性を持った言葉をキーワードにしました。
 14時頃に自宅を出て、新宿の作業部屋で出張準備。陸マガ編集部とも打ち合わせ。朝日新聞・小田記者に電話(これは午前中に)。神戸新聞・藤村記者にも電話。河野匡マラソン部長にも電話。国体後の出張が決まりました。どこに出張することになったのか、わかる人はニュータイプかも。

 17:56東京発の新幹線こまちで秋田に。移動中に神戸新聞・大原記者から携帯メールが入りました。
「大学駅伝2007」に、ようやく目を通しました。巻頭の竹沢のインタビュー記事だけでお釣りがきました。
 やはり兵庫県の選手の記事を最初に読むようです。嬉しいことを書いてくれますが、あれは竹澤選手が考えていることを文字にしただけ。竹澤選手がすごいのです。

 編集後記でも竹澤選手と渡辺康幸監督の“良い関係”について書きました。竹澤選手が報徳学園高OBで、渡辺監督が市船橋高OB。両校のOB同士が結婚しているというネタです。誰と誰が結婚したのか名前は出しませんでしたが、これはもちろん、伊東浩司・甲南大監督(報徳学園高)と鈴木博美さん(市船橋高)のこと。それについても、大原記者が書いてきました。
 元女子マラソン世界女王にして男子100m日本記録保持者の奥様、五輪&世界選手権の代表にして元スプリンターの女王の旦那さん、そしてノーリツの新監督と、見えない力に引き寄せられるようにイチフナの卒業生が神戸にやってこられます。不思議なものですね。
 鈴木博美さんと小島茂之選手、そして上野敬裕監督のことです。確かに、市船橋高OBと兵庫県とのつながりは深いですね。
 そのメールを見て寺田が思いだしたのは、小出義雄監督が市船橋高監督として同高を全国高校駅伝初優勝に導いた前の晩、当時の報徳高の監督だった鶴谷先生と飲み比べをした話です。「駅伝で勝つには、ここで負けるわけにはいかなかった」と、よくわからない理屈をご自身の著書に書かれていました。


◆2007年10月5日(金)
 秋田わか杉国体取材1日目。
 秋田は2回目。前回は陸マガ編集者だった頃に、インターハイ東北地区大会の取材で来ました。何年だったのかすぐには思い出せませんが、女子100 mHの茂木智子選手が2年生で、藤田あゆみ選手が3年生だった年です。ただ、そのときはたぶん、市内の八橋競技場だったと思います。今回は郊外の県立中央公園です。
 会場に着いて最初にお会いしたのが埼玉栄高&平成国際大監督の清田浩伸先生。ブログの更新も止まっていましたが、世界選手権で世界の壁の厚さを思い知らされて、かなり認識を改められたようです。でも、話をさせていただいた感じでは、いつものテンションに戻っていましたから、もう大丈夫だと思います。また、バリバリやってくれるはず。
 続いて合ったのが谷川聡選手と茂木選手。やっぱり、秋田といえば茂木選手でしょう。

 気象状況ですが、風が強かったですね。女子400 mはバックストレートが強い向かい風で、記録は望める状況ではありませんでした。少年の男子棒高跳も、高校新(5m41)をインターハイで跳んだ笹瀬弘樹選手の優勝記録は5m20。追い風のように見えましたが、実際は横風が強かったとのこと。100 mの準決勝などでも、追い風と向かい風の組がありました。気温は日中22〜23℃はあるのですが、この風が吹き続けるようだとやっかいですね。
 湿気がないので楽なのですが、日差しに直接当たっていると結構な暑さを感じます。寺田は秋用のジャケットを着込んでいましたが、読売新聞・大野記者はポロシャツ1枚。ポロシャツ記者として有名な毎日新聞・ISHIRO記者、朝日新聞・堀川記者への対抗意識があるのかもしれません。

 O村ライターに「寺田(明日香)さんを、寺田さんが取材するのは初めてですか?」と質問されましたが、昨年のインターハイでも取材をしています。レース後の共同取材なので、“寺田対寺田”ではありませんでしたが。
 ところが、今日は男子ハンマー投の高校新の取材と重なって、寺田明日香選手のコメントは聞けませんでした。ちょっと残念です。その代わりというわけではありませんが、弓田倫也選手の重心の低いターンについて、室伏重信先生のコメントを聞くことができました。
 笹瀬選手の取材も、念入りにできたと思います。ボックスから離れた位置から踏み切るのが同選手の特徴ですが、この点についてお父さんの笹瀬正樹先生から話を聞けましたし、澤野大地選手の踏み切り位置についても米倉照恭コーチから正確なデータを教えてもらいました。
 女子5000mの赤羽有紀子選手の話も興味深かったです。
 同種目では3位の那須川瑞穂選手にも話を聞きました。これは、那須川選手個人のことというより、アルゼについて。先々週の全日本実業団の女子長距離種目を見ていて、今年のアルゼはかなりやりそうだと感じていました。それで、チーム状況を聞かせてもらったのです。一昨年、昨年と本当に惜しいところで全日本実業団対抗女子駅伝出場を逃していますが、今年の充実ぶりからすると、全国大会初出場の可能性はかなり高そうです。

 印象的だったのは、女子砲丸投で2位となった美濃部貴衣選手(静岡・筑波大)の涙。卒業後は食品会社に就職することが決まっていて、全国大会は今国体が最後。筑波大競技会に出場する可能性はありますが、実質的には引退試合です。静岡県の先生方への感謝の気持ちを口にしている最中に、涙がこぼれました。これも、国体ならでは光景です。
 同選手の涙を見るのは今年3回目。最初は6月の日本インカレで、筑波大の女子総合の連勝が途切れたとき。キャプテンの美濃部選手は涙に暮れながらも、主将として部員たちに言葉を掛けていた姿が脳裏に焼き付いています。2度目はその数週間後の日本選手権。初めて15mの大台に乗せました(15m06)。
 そして、最後の全国大会の今回、2度目の15m台(15m02)を最終6回目の試技でマークしました。最後まできっちり練習していたのだと思います。彼女の3回の涙を見られたのは、同じ静岡県人として忘れられない思い出になりそうです。


◆2007年10月6日(土)
 秋田わか杉国体取材2日目。
 10時から行われた少年A男子やり投は東京の山崎信選手(東大和高)が70m11を6回目に投げて逆転優勝。70mの大台だったので、コメントを聞きにインタビュー・ルームに。東京は地方紙がないので、取材しているのは専門2誌だけ。邪魔をしないようにコメントを聞いていました。
 同選手のこれまでのベストはインターハイ南関東大会で出した67m16。インターハイ本番は直前の合宿で発熱が数日間続いた影響で、まったく良いところなし。南関東IH、国体と寺田が取材に行った大会で好記録が出ているわけです(6月17日の日記で触れています)。が、寺田がいたから記録が出たわけではありません。
 隣でインタビューを受けている2位の加藤拓也選手(福岡・自由ヶ丘高)の話も耳に入ってきました。ヒジの故障で1カ月間、投てき練習ができなかったと話していました。昨年のインターハイを2年生で制した逸材ですが、昨年の国体、今年のインターハイ、そして今大会と2位・4位・2位。最後の全国大会だけになんとか勝ちたかったはずでは……と思いを巡らしていましたが、今年は10月第3週に日本ジュニア選手権が残っています。

 今日の大きな話題の1つに、少年B男子200 mの同着優勝がありました。静岡の飯塚翔太選手(藤枝明誠高)と愛知の三輪将之選手(中京大中京高)が21秒71(−1.7)で着差なし。2人優勝となりました。ミックスドゾーンで仲良く記念撮影
 何度も書いていますが寺田は静岡県出身です。隣にいた中日スポーツ・寺西記者に「そういえば静岡と愛知は隣県じゃないか」と言うと、手を差し出してきます。「しょうがないなあ」と言ってこちらも手を差し出しました。それを見た報知新聞大阪の福谷記者(オリエンタルラジオの眼鏡の方に似ています)が「僕も愛知出身です」と言うので、同記者とも握手。スポーツは報道陣にも束の間の平和をもたらしました。
 しかし、直後に成年男女の100 mが続いたので、コメント取材はできませんでした。

 100 mを見るためにスタンドに行くと、筑波大・尾縣貢先生がISHIRO記者の隣にいらっしゃいました。「同着優勝といえば小野高校じゃないですか」と寺田。スーパー陸上でアスリートFMを聞かれた方は尾縣先生が兵庫県出身ということがわかったと思いますが、トンボのマークの名門・小野高校出身です。小野高校といえば、1977年のインターハイ男子800 mで、同高の榎本隆夫選手と金井豊選手(ロス五輪1万m7位)が同着優勝をしています。
 小野高校といえば、筑波大の大山先生も同高の出身。ちょっとすれ違った際に、美濃部貴衣選手の話をしました。具体的な内容は企業秘密。というか学内秘密。

 その後は男女100 m、特別賞授与式、そして少年A男子5000mと続きます。男子100 mは10秒23(+0.4)で優勝した塚原直貴選手を、女子100 mは高橋萌木子選手と北風沙織選手に割って入った和田麻希選手を、そして5000mはケニア勢にラスト勝負で勝った八木勇樹選手(表彰写真)を取材。直貴、麻希、勇樹と「○○キ」3選手を連続で取材しました。
 3人とも面白い話を聞くことができたので、記事にしたいとは思っています。実現するかどうかは微妙です。

 今日、忙しかったのが前述の中日スポーツ・寺西記者。三輪選手の次には少年B女子800 mで鈴木亜由子選手が2位、少年A男子800 mでは粟津良介選手が優勝。石川県もカバー地域なので、少年A女子400 mH優勝の西村藍選手も入念に取材していました。先週まではレスリングの世界選手権でアゼルバイジャンにいたのに、翌週はもう、この忙しさです。デスクに「それ見たことか」と言ういとまもなかったようです(これだけ読んで、なんのことか推測できる人はニュータイプでしょう)。


◆2007年10月7日(日)
 秋田わか杉国体取材3日目。
 今日は秋田と、棒高跳と、“引退”で盛り上がりました。カテゴリー別に書いた方が理解はしやすいのかもしれませんが、臨場感を出すため時系列順に、あるものは写真も一緒に紹介したいと思います。
 今日のタイムテーブルはちょっとだけ余裕があって、スタンドをあちこち移動しながら競技を見ていました。成年男子棒高跳は10時から始まっていて、笹瀬弘樹選手の特徴のことや、静岡県の棒高跳選手について関係者の話を、スタンドで聞きながら観戦(話を聞く相手の迷惑にならない範囲で)。前日本記録保持者の小林史明コーチから、今日が安田覚選手の引退試合だと聞きました。2人は同じ三重県出身で日体大の先輩後輩。花束贈呈シーンもあるとか。さっそく、情報を高野徹カメラマンに伝えに行きました。
 高野カメラマンと寺田はイニシャルがTTで同じですが、外見が実年齢よりもかなり若く見えるのも共通点。プレスルームの無線LANの電波が「wakasugi2」だとわかったとき、「若過ぎツー?」と指さし合いました。と書くと、陸マガ・スタッフは馬鹿ではないかと思われそうですが、馬鹿ではありません。たぶん。

 話を戻して安田選手引退の情報を伝えに行く途中、ミックスドゾーンの脇を通りかかると、成年女子100 mHの予選が終わって、一昨日の日記でも触れた茂木智子選手(秋田ゼロックス)が地元報道陣に囲まれていました。確かに地元の注目選手ではありますが、話がちょっと熱を帯びすぎている感じがします。もしやと思って近くにいた熊谷史子選手に確認したら、茂木選手も今大会がラスト・ハードルになるとのことでした。秋は、そういう時期なのです。

 トラック最初の決勝種目は少年共通男子5000mW。秋田の長岩大樹選手(秋田工高)が落ち着いたというか、クレバーなレース展開で優勝。地元優勝第一号ということで、スタンドも報道陣も沸き立ちました。しかし、当の長岩選手は今風の若者らしくないというか、まったくスタンドにアピールしません。競技役員にうながされてスタンドに手を振りましたが、表情はこの写真の通り。かなり、はにかんでいました。
 ミックスドゾーンのテレビインタビュー中も、あまりにも地元優勝者らしくないため、インタビュアーから「もっと喜んでいいんだよ」と言われるありさま。個人的には控えめな喜び方の選手は、その通りに報道して良いと思うのですが。

 棒高跳では静岡の鈴木崇文選手(東海大2年)が5m50をクリア。澤野大地選手以外のボウルターが5m50を跳んだのは、2003年の安田覚選手以来。その場では気づきませんでしたが、澤野選手がインタビュー中に何年かぶりだという点を指摘してくれました。有木選手がそのうち跳ぶだろうと思われていた高さですが、学生選手が先を越しました。
 澤野選手の学生記録へもあと2cm。来年からは笹瀬弘樹選手も学生になります。両インカレを制した川口直哉選手(筑波大2年)もいますから、誰が学生記録更新に一番乗り(という表現も変ですが)するのか、興味が持たれます。3人とも静岡県ですから、竹井秀行選手の静岡県記録(5m57)更新も、いずれは誰かがするでしょう。
 失敗したのは、鈴木選手が5m40を跳んだときに、スタンドの中段にいたこと。最前列近くには少年Aで優勝した笹瀬弘樹選手がいて、鈴木選手を祝福するシーンがあったのです。中段からズームで撮ろうとしたのですが、角度的に苦しくて失敗。笹瀬選手は4×100 mR予選に出場するため、そこでスタンドを立ち去ってしまいました。
 そのあとで最前列に移動。5m50を跳んだ後に、中年の男性とも握手するシーンがありました。お父さんの秀明さん(4m92の記録を持つ元ボウルター)と気づいたのですが、カメラの準備が間に合いませんでした。シャッターチャンスを逃し続け、ちょっと悔いが残る日です。

 棒高跳が終了する前に女子100 mH決勝が行われ、予想通りに石野真美選手が快勝。茂木選手は13秒92で4位。花束贈呈シーンにちょっと遅れましたが、何人もの関係者が渡していて、なんとか抑えることができました(写真)。
 間もなく棒高跳も終了。安田選手にも相当数の花束が渡されました(写真)。寺田の顔のすぐ側にあった花束のカードには、「美女軍団とこばやんより」と記されていて、最後にハートマーク。どうして美女軍団に小林史明コーチ1人が加わるのか理解できませんでしたが、この際、気にしないことにしましょう。
 ミックスドゾーンに移動してまずは安田選手に取材。7年前の日本選手権での負傷(競技中にポールがお尻に刺さってしまったケガ)の話題になったとき、安田選手が「まだ(手術したときの)糸が1本残っているんです」と話してくれました。わざと残してあるのかを確認しようと思って「どういう意図で?」と質問したところ、珍しく周囲の記者たちから非難の声が上がりませんでした。その場で、ライバルのO村ライターから、お褒めの言葉が出たのも嬉しかったですね。安田選手の陽気なキャラにも助けられていたような気がします。
 ただ1人、H川記者だけが引いていたようです。ふだんは、寺田のサイトですら紹介できないギャグを言っている人物なのですが。
 ちなみに、糸が残っているのに特に理由はないのだそうです。

 今日の棒高跳は安田選手、鈴木選手、澤野選手とコメントを聞きたい選手が3人もいました。聞けて2人までかな、と思いましたが、澤野選手のインタビュールーム入りが遅れたため、鈴木選手の話をある程度聞いてから、澤野選手の話も聞くことができました。運も良かったのですが、今大会のミックスドゾーン、インタビュールームの取材の仕切りは、かなり取材しやすいと思います。これまでの国体では一番という印象があります。
 さて、引退ネタは茂木選手と安田選手だけではありません。少年A男子ハンマー投に優勝した弓田倫也選手の技術について、投てき関係者に聞いてみようと思って成年男子ハンマー投が行われている第3コーナーのスタンドに行ったときのことです。静岡県チームのスタッフとして来ている砲丸投・榊原英裕選手の姿が目に入りました。今回は静岡県チーム・スタッフでもある奥村トレーナーから、同選手が11月の浜松中日カーニバルで引退すると聞いていたことを思い出しました。
 しばらくすると、筑波大の大山圭悟コーチもやってきて、榊原選手に話しかけています。昨年の日本選手権のときに本サイトでも紹介したように、2人は88年神戸インターハイにゆかりの深い選手。1年生優勝者と、3年生押し掛け補助員という立場でした(詳しくは2006年7月7日の日記参照)。
 このときばかりはシャッターチャンスを逃しませんでした(写真)。ちょっとはにかんだ(にやけた?)2人の表情からわかるように、ちゃんと断ってから撮影しています。

 少年A女子三段跳では奈良の前田和香選手(添上高)が大会新で優勝。初日の少年共通砲丸投の大谷優貴乃選手、2日目の同やり投の吉川麻里選手に続き、3日連続で添上高は優勝者を出しています。これはすごい!


◆2007年10月8日(月)
 秋田わか杉国体取材4日目。
 スーパー陸上に続いて雨となりました。雨男は誰とか、雨女は誰とかいう詮索はさておき、これでは記録は望めません。と決め込んでいたら大間違い。10時からの少年A110 mH予選で京都の中村仁選手(洛南高)が14秒27(+1.2)。スタンドに屋根がないので記者席のモニターで見ていたのですが(写真。後ろ姿はH川記者)、ビックリしました。準決勝は14秒28(−0.1)。ともに、コンディションが良ければ、14秒0台は出ていた走りです。
「雨でも晴れでも出せるものは出しとこう、という考えでした。準決勝も状況によっては記録を出そうと考えていました」
 そして決勝が14秒06(±0)の大会新。インターハイ(14秒02)に続き、13秒台には届きませんでしたが、2位に0.45秒差をつける圧勝。この頃はまだ雨が降ってはいましたが、スタンドで傘を差しながら見ていました。同選手を生で見たのは初めてですが(昨年の国体は途中で帰ったので)、1人だけ次元が違うという印象です。
 恨み言の1つも言いたくなるところですが、そういった後ろ向きな発言はいっさい、ありませんでした。
「13秒台にいつも、あと少しのところで届きません。晴れていたら出ていたとは思いません。小さなミスが多いからだと思います」
 プラス思考タイプの選手だと感じました。

 ところで、朝のシャトルバスは昨日と同じ時間に乗ったのですが、席の埋まり具合が半分以下。スタンドはガラガラかな、と思ったのですが、この写真の通り。これは昼頃で、もう少し時間がたつとさらに人で埋まって通路を傘を差して歩くのも難しい状況に。インターハイやインカレは関係者だけでスタンドが埋まるのですが(それで陸上界が盛り上がっていると勘違いしがち)、今回ははイケクミ人気なのか、一般観客の数が多かった気がします。
 記者たちも成年の女子走幅跳や男子やり投が始まると、記者室のモニターでの戦況確認は難しいと判断して、スタンドの記者席に。ここまで雨に打たれながら取材をしたのは初めてかも。

 本日最後までかかったのは成年男子走幅跳。品田直宏選手が7m82(+0.3)で優勝し、6月の日本インカレ(2位)に続き7m80台をマークしました。まだ最終戦(浜松中日カーニバル)を残していますが、高校時代のベスト記録である7m87(高校歴代2位)を更新できていません。しかし、8m台を出せる手応えも得ています。日本インカレ前に空中フォームをシザースに変え、日本選手権の失敗を分析した結果、補助助走をつけるようにしました。
 今季はスプリンターからジャンパーに意識を変え、前述の変更もジャンパーとしての技術変更です。自己新は出していませんが、飛躍が近いことを感じさせる今シーズンであり、国体だったと思います。高校3年時の国体は少年A100 mで優勝(北風沙織選手とアベック優勝でツーショット写真を撮らせてもらいました)。大学4年時は成年走幅跳で優勝。品田選手の変貌を示す2度目の国体優勝だったと思います。


◆2007年10月9日(火)
 秋田わか杉国体最終日取材。
 国体最終日は朝のトラック4種目のみ。これは例年のことです。

 成年男子3000mSCは岩水嘉孝選手が不出場で、栃木の菊池昌寿選手(亜大)が2000mからスパートして優勝しました。写真はスタート直後でナンバーHが菊池選手。その右側が2位の静岡・中川智博選手(スズキ)。菊池昌寿選手は昨日の出雲駅伝出場後に秋田入りしての出場だったと言います(堀川記者に教えてもらったのですが)。
 福島の菊池敦郎選手(順大)は6位で白河の関をはさんだ隣県コンビによるワンツーはなりませんでしたが、入賞者8人中6人を学生選手が占めました。3000mSCでこのパーセンテージは、かなり珍しいと思います。
 続く成年男子1500mは香川の佐藤健太選手(東京電力)が優勝。スローペースだったためタイムは3分54秒18でしたが、第一人者の小林史和選手に競り勝ちました。小林選手はややお疲れモードでしょうか。伏兵ともいえる選手の頑張りに力んだのかもしれません。中部実業団対抗駅伝あたりで話が聞けるでしょう。
 佐藤選手のベスト記録は3分48秒84。東日本実業団に3分49秒42で優勝しましたから、スローペースでの競り合いには強いタイプと想像されます。日本選手権、全日本実業団と優勝争いではなかったのですが、最後の直線で後退したといいます。“全日本”クラスの選手たちに圧倒されたのかもしれませんが、今回はそういった経験が生きて、本来の力を出せるようになった。というのは全部想像ですけど。

 成年少年共通女子4×100 mRは北海道が優勝。地元メディアと全国メディアが多数、コメントを聞いていました。インターハイや国体ではいつものことですが、北海道、福島、静岡の選手には地元メディアが多数、取材にかけつけます。反対に少ないのが、東京、千葉あたり。数は1社だけですけど強力なのが埼玉、長野、京都、兵庫、広島あたり。寺田が知っている範囲のことなので、正確なデータではありませんけど。
 寺田は引退する秋田の茂木智子選手を、地元メディアが取材している横で話を聞いていました。茂木選手は高校生が強くなっていることを強調。「私としては、本当に最後のレース。後輩たちに何かを残せたら、と思ってバトンをつなぎました」。観客が多数つめかけてくれたことに対しても「この競技場が、こんなに埋まることはありません。私のところ(2走)は向かい風でしたが、追い風で走れました」と感謝の意を表していました。
 最後に目が合ったので、「高校2年のインターハイ東北大会で取材したのを覚えていますか?」と聞こうかと迷いましたが、ちょっと野暮ったい質問です。「福島にいた頃も化粧をして走っていましたっけ?」と、自分でも予想外の言葉が口に出てしまいました。引退する選手というので、そういった“大人の部分”にこちらの意識が行ってしまったのかもしれません。
 茂木選手によれば秋田に戻って営業の仕事が中心になってから、会社から化粧をするように指示があったのだそうです。恩師の川本和久先生とも同じような会話をされたというので、あながち的はずれの質問でもなかったようです。そういえば茂木選手が福島大で練習をしていた当時、「200 mでも日本新を出せる」と川本先生が話していました。信岡沙希重選手が日本記録を出すちょっと前の頃だったと思います。

 男子4×100 mRは東京が優勝。成年の新井智之選手と少年の小林雄一選手が全国タイトル獲得選手ですし、他の2人も弱かったら国体のリレーを勝つことはできません。表彰で写真を念入りに撮りました。新井選手は昨年、取材に協力してもらった選手ですし。
 競技終了後はサブトラックの各県テント巡り。これも国体取材の慣習になっています。一番の楽しみかもしれません。そのなかですごいスクープがありました。最近、陸上界で密かなブームとなっている内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来を、知ることができたのです。そんなことだったとは!と絶句するような経緯でした。これは、寺田のサイトで紹介するのはもったいない。陸マガに載せてもらえるよう、高橋編集長に掛け合ってみます。
 そのほかのサブトラ取材の様子を含めて、明日にでも紹介したいと思います。


◆2007年10月10日(水)
<秋田国体の思い出・その1>
 昨日の日記の最後に書いた内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来のことですが、陸マガのデッドラインはどんなに頑張っても昨日いっぱい。今日の時点の情報を入れることはできませんでした。ということで、ここで紹介させていただきます。
 ご存じのように、内藤選手は法大出身。2学年上に為末大選手がいました。3年生の後半から復調した為末選手は学生の試合では連戦連勝。フィニッシュ後にスタンドの応援団に向けて、人差し指と中指を立てて(Vサインではなく2本の指をくっつける)手を振っていたようです。ちょっと気取ったポーズですが、確かにやっていたような記憶があります。
 そのポーズを内藤選手はなぜか、親指と人差し指を開いているように勘違いしてしまったのだそうです。真似てやっているつもりが、今のまさちゃんポーズの原形をやっていたわけです。誤解から生じたわけですが、今や、陸上界では知らない人はいない、とさえ言われているメジャーなポーズになりました。その元が為末選手だったというのが面白い点です。

 内藤選手にその話を教えてもらったのはサブトラック脇の愛知県テント前。国体はサブトラックの周囲を各県のテントがぐるりと取り囲んでいるのですが、今大会は脇の道に沿って並んでいました。愛知県のテントからさらに奥に進むと、香川県のテント前で北村智宏先生(英明高・山梨学大時代に800 mで1分48秒11)にお会いしました。チャンスとばかり、成年男子1500mに優勝した佐藤選手について、色々と話をさせてもらいました。
 津田高、神奈川大と長距離をやっていたということで、どちらかといえばハイペースになった方が力を発揮できるタイプだろう、というのが北村先生の見立てですが、昨日のレースからもわかるように最後の切れもあります。香川県は大森輝和選手、三津谷祐選手を生んだ県。“1500mも走れる長距離選手”が多いのかもしれません。
 などと話をしているうちに、寺田がはたと気づきました。香川県といえば跳躍の強豪県。棒高跳については今さら説明を要しませんが、走高跳の真鍋周平選手も同県出身ですし、女子走幅跳の桝見咲智子選手もそう。以前にも高松工芸高からインターハイ優勝者が出ていました。香川県の人はみんなバネがあるのではないか、という仮説が立てられます。心肺機能などが長距離向きの人間にもバネがある。だから、1500mも走れるのではないかと考えました。
 でも、よくよく考えてみたら、小林史和選手も学生時代は箱根駅伝中心でした。バネがどうこうではなく、やれば中距離も強いという選手が多く埋もれてしまっているだけなのかもしれません。

 今日は夕方まで自宅で仕事。明日から4日間(4泊5日)の出張に出ます。あれこれと連絡をとったり、確認しないといけないことが多かったのです。電話取材もどきも1本。


◆2007年10月11日(木)
 初めて関空に行きました。と言うと正確性に欠けますね。昨年12月のアジア大会取材の際、羽田発の関空経由でドバイ(→ドーハ)に行きましたから、トランジットでちょっとだけ居た経験はあります。正面から(?)乗り込んだのが、初めてということですが、空港の場合、飛行機で到着した場合が正面かも。という定義はどうでもよくて、何をしに行ったかというと、こちらに記事にもしたように、昆明合宿に出発する野口みずき選手の出国取材をするためです。

 新幹線から特急はるかに乗り換えて新大阪から約45分。14:32に関西国際空港に到着しました。セントレアと同様、ここも海の上に造られた空港です。空港取材は身軽な状態でないと対応できないことも多いので、コインロッカーに荷物を預けて出発カウンターに行きました。
 すると、もう数人の記者が集まっています。名古屋に本拠のある中日新聞&中日スポーツはともかく、大手新聞社・通信社は大阪の陸上競技担当記者が来るのが普通です。そのなかで、こちらの姿に気づいていち早く反応してくれたのが、中日スポーツ・寺西記者と、スポーツ報知大阪の福谷記者。寺西記者は石川県出身ですが今は愛知県在住。福谷記者は愛知県出身。6日の日記で紹介したように、国体少年B男子200 mで静岡と愛知が同着優勝となり、両記者とは固く握手をして、記者間に束の間の平和が訪れました。
 その余韻がまだ残っているのか、2人とも「わざわざ来たんですね」という歓迎ムードで迎えてくれました。これが「関西まで出しゃばってくるなよ」という対応だったら、束の間の平和が僅か1週間で崩壊するところでした。

 なんだかんだと話をしていましたが、愛知ゆかりの両記者だけに、内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来を早く知りたいようです。名古屋駅で停車中にアップした昨日の日記は、さすがにまだ読んでいなかったわけですね。そこで出た結論は、例え誰かのマネであっても、世間に広めた人間が評価される、ということです(内藤選手の場合、図らずもアレンジしています)。
 アメリカ大陸に最初に上陸したヨーロッパ人はコロンブスではないでしょう。多くの名もない人間が漂着したり、偶然にも上陸しているはずです。しかし、そこが新大陸だと認識し、歴史に名を刻んだのは、功績がヨーロッパ中に認められたコロンブスでした。
 元は為末大選手だったとはいえ、“まさちゃんポーズ”を今日のように広めたのは紛うことなく内藤真人選手の功績です。

 肝心の野口選手の取材ですが、きちんと時間をとってくれて、予想以上の内容を話してもらえました。関空まで来た甲斐がありました。
 しかし、どうしても「大金を使って来ているから頑張らないと」という意識が働いてしまいます。そういうとき、質問に力みが出てしまいがちです。新幹線の中で資料も読み込んで、これは野口選手の特徴だな、と思える点も頭の中に浮かんでいます。ただ、本人に質問するのはちょっと筋違いかな、と思えるものもありました。選手本人よりも指導者に聞いた方がいい類です。
 その質問が思わず口に出てしまいました。為末大選手のように、そういった質問にも面白い回答をしてくれる選手もいます。これは、同選手が自身で自身をコーチしているとという特殊事情が働いているせいかもしれません。そういった答えをあわよくば、と期待してしまっていたわけで、その辺でちょっと失敗がありました。
 ということもあり、記事にしたのは60%です。あとは、次号の陸マガなど、他のメディアで明らかに使えると判断した部分も、出さないでおきました。

 関空取材後は神戸に移動。明後日の土曜日に神戸女子長距離を取材し、日曜日にはエコパ(寺田の故郷の袋井市)で長距離記録会の取材。関西往復の経費で3つの取材を兼ねていたから、出張のゴーサインを出せたのです。どういう経緯で誰が誰に出したのか。その辺は複雑なので説明できませんが、最終的には自分で自分にサインを出しました。何事も自己責任ということです。
 エコパの記録会は松岡佑起選手と小野裕幸選手の順大コンビ、伊達秀晃選手と佐藤悠基選手の東海大コンビ、日体大・北村聡選手ら、学生陣がそうそうたる顔ぶれです。そこに徳本一善選手、岩井勇輝選手、岩水嘉孝選手、尾田賢典選手、そして佐藤秀和選手と実業団勢が加わります(静岡陸協にスタートリスト)。
 エコパにはあまり記者が集まらないのでは、と予測していましたが、関西の記者たちは大挙して行くようです。それもそのはず、小林祐梨子選手も女子5000mにエントリーしています。


◆2007年10月12日(金)
 今日はオフモード。神戸の休日と洒落込みました。本屋であれこれ雑誌や小説を手に取り、阪急電車に乗り、川面を見ながらカフェで本を読んで、猫を写真に撮って、という夢のような一日です。原稿も少し書きましたけど。

 休日モードだと陸上競技ネタがありません。せっかく神戸にいるので、神戸か兵庫で何かネタがないかと思案しましたが、頻繁に話題にさせていただいている地区なので簡単には思いつきません。いざとなったら国体のあのネタかな、などと思って阪急電車に乗っていると、甲南大の臙脂(えんじ)色の校舎が視界に入ってきました。小島初佳選手と某専門誌O川編集者がOBで、現在は伊東浩司氏が女子監督を務めています。
 いきなりアイデアが降ってきました。これぞ天啓。それは、朝原宣治選手が神戸(または兵庫県)の大学の監督になったら面白いのではないか、ということです。
 伊東監督も朝原選手も神戸が生んだスプリンター。ともに日本短距離史上に名を残す存在です。直接対決はほとんどありませんでしたが、両者を比べてどちらが上とは言えません。
 その2人が同じ地区の大学の監督同士となり、選手時代のよしみで対校戦をすることになって、サッカーのように神戸ダービーとか言われるようになる。そして毎年僅差の好勝負を展開する。もしも、朝原選手が監督となった大学が乙○○大という名前だったら、これぞ甲乙つけがたい存在になるのですが……神戸(兵庫県)に「乙」で始まる名前の大学はないのでしょうか?

 ここで注釈。朝原選手が引退を決めたとか、今後指導者になることを考えているとか、そういう情報があるわけではありません。国体の際に大阪ガス関係者に聞いたら、まだ何も決まっていないとのことでした。

 夜は知人と食事。最近の陸上界のことを酒の肴に盛り上がりましたが、ドーピングとか、暗い話題が多かったですね。陸上界に明るい話題って、最近何かありましたっけ? 東京国際女子マラソンについてアイデアも。ジョイス・スミス選手や佐々木七重選手、ワインホルト選手の名前も出ていましたが、どういった内容かは明かせません。


ここが最新です
◆2007年10月13日(土)
 本日13:30から甲南大で伊東浩司監督、末續慎吾選手らも参加した生涯スポーツに関するシンポジウムがあると昨日聞きました。神戸滞在中にこのようなイベントがあるのは天の計らい。頭の部分だけでも聞きに行こうかとも考えましたが、せいぜい30分程度しか会場にいることができない計算です。ここはスパっとあきらめてユニバー記念競技場に。15時過ぎに到着しました。
 ユニバー競技場は例年の兵庫リレーカーニバル、昨年の日本選手権&国体会場ですが、雰囲気はまったく違います。取材規制もインフィールドこそ緑ゼッケン着用ということになっていますが、それ以外はフリー。ユニバー競技場にしては緊張感がないかな、という印象です。
 これはもちろん取材環境の話であって、選手たちは真剣そのもの。インターハイや国体ほどではないにしろ、この大会の成績次第で、駅伝メンバー入りが左右されるポジションの選手もいます。

 地元の強豪・西脇工高も、国体に出場した八木勇樹選手(少年A5000m優勝)と志方文典選手(少年B3000m3位)を除き、主だった顔ぶれは全国高校5000mの部に出場していたようです。西脇工高のメンバーを正確に把握していませんが、そのような話を聞きました。1000m毎の通過は以下の通り。
2分55秒
5分51秒
8分48秒
11分39秒
14分24秒27

 この写真のように西脇工高勢が1〜4位を独占。14分20秒台が2人と14分30秒台が2人。前述のように八木、志方両選手が加わります。トラックのタイムで決まるわけではないとはいえ、駅伝はかなり強そうです。
 話を聞かせてもらったのが優勝した2年生の福士優太朗選手。2年前の全日中優勝者で、3000mは中学歴代2位の記録を持つ選手。中学は静岡県です。同県出身だからといって特別な思いを持って取材をすることはいっさいありませんが、将来的に記事にする可能性も大きいので、この機を逃さずに話を聞かせてもらいました。
 福士選手は西脇工高入学後は大きなケガを4回してしまい、インターハイ路線も高校駅伝も出場していません。しかし、ここにきて各種駅伝やトラックで安定した走りを見せるようになり、八木選手もその潜在力を高く買っていると地元記者から聞きました。

 駅伝への抱負も話してくれましたが、これは専門誌などに載ると思います。ここでは、福士選手の来年のトラックへの意気込みを紹介しましょう。
「中学の時に競っていた選手だけでなく、自分が知らない選手もどんどん上がってきています。来年は負けないようにしたいし、記録的には兵庫県高校記録(13分45秒86=北村聡)を破りたいですね」
 こういった選手を取材することができるのが、こうした大会に足を運ぶメリットです。

 今日の取材で“すごいぞユニバー競技場”と思ったのは、記録の発表がものすごく速いこと。この写真を見てください。1位選手のフィニッシュから1分ちょっとで、もう7位まで表示されています。地元記者の話では、ビッグイベントの続いた昨年から導入したシステムとか。記録がわからずに取材が進められない、ということがなくなります。
 と書いていて思いついたのですが、日本選手権とインターハイと国体の3つを開催している競技場って、他にありましったっけ? と書いていて思いついたのですが、長居もそうですね。

 女子5000mはラップを計測しながら写真も撮りたかったので、第3コーナーで取材。絹川愛選手が突然倒れたのが第1コーナー。ちょっと目を離した瞬間のアクシデントで、何が起きたのかを理解するまで数秒かかりました。すぐに第1コーナーに移動。絹川選手は医務室へ。こういうとき、取材をどう続けるか迷います。渡辺先生があとで取材対応をしてくれると兵庫陸協を通じて明言してくれたので、レース取材を続けました。
 レース後は嶋原清子選手と小崎まり選手のコメント取材。これを第4コーナーで。その後に渡辺先生と絹川選手をと思っていましたが、すでに第1コーナーのスタンド裏で始まっていて、途中から合流しました。


昔の日記
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月