続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年3月 名監督の名鑑って…
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◆4月3日(土)
 今日は試合ではありませんが、千葉県の白井(しろい)で取材。朝の10時に自宅を出発。朝まで仕事のパターンが続いていましたが、まあ、このくらいの時差調整ができないようでは、この仕事は務まりません。白井は以前、東日本実業団だったか何かが開催された場所ですが、寺田は初めて。ブルートラックで有名な競技場です。ちなみに、フィールドもブルーです。ミスターブルーの異名をとる身としては(確定申告)、親近感がわきました。競技場周辺の桜の色は薄いピンク。ちょっと赤みがかったものもありましたが、あれも桜だったのかなあ。
 1つ面白いことに気づきました。白井なのにトラックは青い、なんてことではありません。競技場のゲートにはこの写真のように「SHIROI」の文字が。そうです、かの有名な陸上記者・ISHIROとまったく同じアルファベットを組み合わせた競技場なのです。考えてみたら、「しろい」と「いしろー」ですからね。
 帰路、陸マガ編集部に寄って、今日撮影した写真をCD−Rに保存して提出。精算なんかも一緒にやりました。
 昨日の日記で、ある女性記者が退職されたことに触れましたが、実は陸マガでも人事異動がありました。編集長だったH田氏が別の部署に移り、次長だったK玉氏が新編集長に。今日、編集部に着くと前編集長のH田氏が荷物整理をしている最中でした。H田氏は寺田が本当に陸マガでアルバイトを始めた最初の日、それもいの一番に会った人です。最初の出張も一緒でした。15年以上の付き合いになるわけで、そういった人物が取材現場を離れるとなると、やはり感慨深いものがあります。今年の桜は、妙に心に染みます。
 新編集長のK玉氏は愛媛県出身で、陸上競技マガジン創刊以来初めての女性編集長。新体制になった陸マガにも期待大です。その陸マガに書いた2004年シーズン展望では、為末大選手に期待大と書きました。その根拠は……次号をご覧ください。

◆4月2日(金)
 昨晩は久しぶりにファミレス勝負をしました。150行原稿を3時くらいから書き始め、8時にはほぼ書き終えました。自宅に戻って8:30に送信。セーフでした。
 8:30に寝て12:30に起床。すぐにあっちこっちに電話連絡。昨晩書いた原稿の確認をしたい部分もありましたし、明日の取材の段取りも。その他もろもろありました。
 昨日から予想されたことですが、急な仕事が入って16時から新宿に。20時に戻ると、今朝送信した原稿が早くもレイアウトされ、ネーム校がFAXされてきました。実はこれ、一昨日に取材した記事なんです。すごいですね、この展開の速さは。かなり異例なことですけど。
 その一昨日の仕事は、古巣のベースボール・マガジン社の仕事。一緒に取材に行った担当者はかつての同僚です。
「寺田さん、やめて何年になりますか?」
「2000年の3月31日付けで退職したから…おおっ、今日でちょうど4年だ!」

 だからなんだ、というわけではありませんが、まあ、1オリンピック・サイクルが経ったわけです。以前に書いたかもしれませんが、寺田は自分の仕事や人生…を4年を区切りに考えることがよくあります。バルセロナ五輪まではこんな仕事ぶりだった、アトランタ五輪まではどうだった、シドニー五輪まではあんなだった、と。この4年間は……などと振り返る前に、目の前の仕事を片づけなくっちゃ。
 自分のことよりも、島谷ひとみのことを思い出しました。びわ湖マラソン前日(3月6日)の日記に書いたように、彼女の歌い方には品があって、ある女性記者のイメージとダブルのです。その女性記者の方が、3月いっぱいをもって退職されました。そんなに長い付き合いというわけではなかったですけど、なぜか、寂寞とした気持ちに襲われました。
 寺田は4年前、自分の環境を変えない道を選択しました。サラリーマンからフリーランスへ、一見、一大方向転換をしたように見えますが、実は違います。確かに、収入や社会的なポジションは180度変わりましたが、陸上競技の取材現場と携わっていくという一番基本的な部分を変えないための選択でした。
 でも、自分がその選択をしたからといって、他の記者が同じ選択ができるわけではありません。まして、陸上競技の取材現場にこだわる寺田と、スポーツ全般の記者を目指す人とは、価値観も異なります。現場を卒業して、デスクや次のステップに進むのも普通のこと。佐々木一郎記者がサッカー担当に変わったときにも感じたことですが、人にはその人なりの人生があるわけです(なんか陳腐な表現)。その女性記者の場合も同じです。それを、他人である寺田がとやかく言えるものではありません。そういう、やりきれない気持ちを幾重にも経験することで、人は成長していくのでしょうか。
 でも、島谷ひとみを聴くと思い出すのかなあ。


◆4月1日(木)
 朝の7時に寝て11時には起きるつもりでしたが、気づいたら13時。不本意ですが睡眠時間を確保しました。いい加減だなあ、自営業者って。まあ、そういうこともあります。
 ちゃんと食事もして、電話での問い合わせや補足取材、打ち合わせをいくつかこなし、400行の大作原稿に取りかかったのが15時半。途中、2回ほど食事や休憩を入れて、何とか書き上げました。えっ、4月1日だからウソだろうって? いえいえ、本当の話。寺田もやるときはやります(やらないときは……いつもか)。集中してやれたのが勝因かも。予定以上の睡眠時間を取りましたが、名鑑が終わったからと集中力を途切らせなかったのが良かったのでしょう。でも、行数オーバーです。削るのは……後回しにしましょう。
 実は、これで今日の締め切りが終わったわけじゃないんです。なんともう1本、150行原稿があります。これもウソじゃないかって? もう4月2日ですよ。でも、せっかくですからエイプリルフールにちなんだ話題を1つ。
 棒高跳の日本記録は昨年6月の日本選手権で沢野大地選手が出した5m75ですが、4月に出た最高記録は横山学選手の5m70です(4年前の織田幹雄記念国際で跳んだ当時の日本新)。これがエイプリルポール……ちょっとヒンシュクか。


◆3月31日(水)その2
 昨晩はかなりしんどかったです。名鑑の作業が終わらず、心身ともに追い込まれていました。取材があるので無理矢理に7時に寝ました。11時に起きて1時間作業の続きをやって、12:30に自宅を出発。今日の取材は選手でなく、選手をサポートする立場の人。指導者とはまたちょっと、違う立場の方です。今回もいい話が聞けたと思います。
 取材終了後にもう1件、仕事をしてから帰宅。名鑑の残りをひたすら作業して、朝の3:30頃にやっと終了しました。再開して4人くらいを進めたところで猛烈な睡魔に襲われ、椅子に腰掛けた状態で30分以上眠ってしまったようです。その前後もほとんど作業ができなかったので、1時間以上は完全にロス。今回の作業中は、「やらないと」という気持ちが強く、ダウンしなかったので逆に、椅子で眠ってしまうケースが多かったように思います。
 データ調べの作業の時ほどではありませんが、プロフィールを書いているときにも面白いことに気づきます。ここで紹介できるネタも1つ2つあったのですが、すいません、思い出せません。あっ、思い出しました。1つは東海大の400 mブロックネタです。
 昨年の東海大は大会ごとにチームの1位選手が変わっています。日大・東海大対校から春季サーキットまでは冨樫英雄選手、関東インカレは中沢裕二選手、日本選手権は山口有希選手、日本インカレは北岡慶昭選手。普通だったら、45秒台を出した選手が同じチーム内の選手(それも大学生)に負けませんよ。これは、4月号付録の記録集計号+1を読めばわかることなんですが。
 今日で3月もおしまい。今月後半は名鑑のネタを書き続けてきましたが、この作業をやっていていつも思うことが、指導者の名鑑を作る時代になればいいな、ということ。それこそ、名監督の名鑑……というダジャレを言いたいわけではありません(believe me.) そうではなくて、指導者の名鑑が必要になる時代になってほしいということ。
 陸上競技が今よりはるかに盛んになって、企業やクラブがこぞって陸上競技チームを持つ時代になれば、指導者の需要も増えるわけです。指導者は1つのチームにずっといるのでなく、その能力を高く買ってくれたチームにどんどん移籍する。
 チームの経営者は陸上競技の専門家ではありませんから、指導者をスカウトする際になんらかの知識が必要となります。そのときに、単に大学が自分と同じとか、知り合いの紹介だとか、そういったコネで人選が進むのでなく、指導者の名鑑を見て「このコーチはオリンピック選手を何人育てたのか」とか「跳躍種目はどの種目も強くしているな」とか「記録は出すけど、勝負に弱い選手が多いな」とか、諸々の判断材料にする。
 どうですか。そういう時代になったら素晴らしいと思いませんか。徹夜でも何でもして作りますよ、名監督の名鑑を。


◆3月31日(水)
 朝の5時半ですが、名鑑の原稿がまだ完成しません。あと15人くらい。数日前の日記で泥臭い仕事ができると自慢しましたが、ここまで切迫すると、さすがにしんどい。やってもやっても、終わりが見えて来ないんですよ。
 さて、今日で3月も終わり。名監督の名鑑の話を最後に書こうと思ったのですが。


◆3月30日(火)
 朝の7時41分。徹夜で25人分、名鑑のプロフィールを書きました。少し寝ます……校正が出てるんだった。抱えている原稿(これが大作原稿だったりします)も数本、取材の予定も2〜3あります。4月前半まで、肩凝りが治りそうにありません。読みかけの推理小説が、2カ月くらい鞄に入ったままです。


◆3月29日(月)
 メドがついたと思ったので朝の7時に就寝。11時に起きて、11:30から名鑑の作業再開。すいません、締め切りを2時間遅らせてもらいました。申し訳ありません。結果が全てなのであんまり言い訳は書きたくないのですが、ついつい調べちゃうんですよね。青山幸選手が、太田&今井の2強に揃って勝った大会は…とか。すぐに調べられる人って、いらっしゃいます?
 データ部分はすでに調べ終わっているわけですけど、プロフィール部分の作業でも、いろいろと発見があります。この選手はいつも、あと一歩のところで勝利や代表を逃しているな、とか。この選手は、この大会がきっかけになっているな、とか。
 後者の例を出しましょう。
 女子競歩の川崎真裕美選手は4年前の全日本競歩輪島大会で日本人トップ(2位)になっていますが、その後、主要大会で勝っていません。アジア大会以上の代表もない。ところが、昨年の輪島で優勝した後は高畠、神戸(日本選手権)と連勝しています。彼女にとっては輪島が思い出深いレースになっていると思われます。が、川崎選手が実際にどう思っているかは、本人に取材してみないとわからないこと。実は何の思い入れもない、とも限りません。でも、こちらからしてみると取材の取っかかりにはなります。
 女子の作業終了後にも少しダウンしたため、今は元気いっぱい。さあ、今晩も頑張ります。BGMは、びわ湖マラソンはもう終わって時間が経っていますが島谷ひとみにします。


◆3月28日(日)
 朝6時まで仕事をして、10時に起きるつもりが11時半までダウン。不本意ですが睡眠時間を確保することに。名鑑作業に追われていますが、戦略的な仕事があって代々木に。昨日の仕事もそうでしたが、戦略的ということは眼前のひっ迫した作業ではありませんが、長い目で見たらとっても重要ということです(わざわざ解説しなくてもいいかも)。
 自宅を出て戻ってくるまで3時間で済ませるつもりが、なんと7時間もかかってしまいました。途中で道に迷ったりもして、若干の焦りも。名鑑の女子のプロフィールは明日の15時締め切り。なんとかメドをつけるために、徹夜で頑張っていたらTBSで世界室内選手権を放映しているではありませんか。録画のセットは1週間くらい前にしたので、「あっ、今日だったのか」と気づきました。知っていたら、トップページで読者の方の注意も喚起したのに。さすがに腰を落ち着けて見るわけにはいきませんが、どうやら日本選手ネタ(内藤真人、沢野大地、池田久美子の同学年3選手のみの出場)は固めて編集してあるような感じだったので、そこだけ見させていただきました。
 3選手と苅部俊二コーチともう1人女性の方(すいません、お名前を存じ上げません。というか、女性アナは豊田綾乃さんくらいしか知らない)の対談が面白かったです。内藤選手がいい味を出していましたね。それと、沢野選手が「6m」という数字を口にしていました。寺田が知る限りでは、沢野選手が目標とする記録を話したのは初めてじゃないでしょうか。室内の連戦で何か、手応えに変化があったのかも。


◆3月27日(土)
 今日はちょっと毛色の変わった仕事をしました。詳しくは書けませんが、かなり戦略的な布石と言えるでしょう。しかし、感触的には厳しいですね。成功確率……は書きません。とどのつまり、成功するか失敗するか、2つに1つ。五分五分と考えましょう。もしも上手く展開したら、20年後くらいに紹介します(実は秘密主義の寺田でした)。
 この仕事が終わって帰宅したのが22時。別件でFAXが届いていて、色々と考えないといけませんでした。夕食をはさんで1時間ほど休憩しましたが、朝の3時くらいまであれやこれやと、考え続けました。おかげで、ある冊子の原稿になかなかとりかかれません。明日からは名鑑のプロフィールにかからないといけませんし、1つ外出する用事も入りそう。昨日も朝まで仕事でしたが、今日ももう5時20分。ここ2日間で3人の方に、ちゃんと睡眠時間をとるように言われました。
 話はまた名鑑ネタですが、高塚和利選手についてびわ湖マラソンの際、過去の戦績分析からスタミナが特徴と書きました(記事)。しかし、日本インカレは1年生の時に1500mで11位。スピードを若年時からしっかり付けていたのです。昨日書いた高平慎士選手の110 mMHネタは本人からでしたが、高塚選手に関しては実は、NEC時代のコーチである中野さんから、メールでご指摘を受けていました。「練習でも同僚の山口、中馬並みの切れがあった」とのことです。
 しかし、翌大学2年時には、今度はハーフマラソンで日本インカレ18位。インカレの種目選択は、チーム内の事情も関係してきますが、当時から、スピードもあるし長い距離にも対応できた選手だった、ということでしょうか。
 このところ、日記は書いていますがサイト用に原稿が書けていません。以前にも紹介したように、びわ湖の2時間12分未満選手の人数に関するネタとか、名古屋の“マラソン選考”よりも面白い視点とか。本当に時間が…。


◆3月26日(金)
 昨日の日記の補足です。
 S井ライターとは昨年の全日本大学駅伝レース後に、陸上界の007ことO村ライターと3人で赤福餅を食べに行った間柄。その際に“赤福たらふく”と言ったら具体的に何個なのか、店のおばさんに質問しようと思ったのですが、シャイな寺田はどうしてもできませんでした。そのとき代わりに質問してくれたのがS井ライターでした。
 実は3月3〜4日に奄美大島で野口みずき選手を取材した際、同じ質問をしました。野口選手は伊勢のお膝元、宇治山田商高出身ですから。「20個くらい」が彼女の“赤福たらふく”のイメージだそうです。今度は“まぐろの寿司たらふく”が何個か、聞いておきましょう。そして、“赤福たらふく”が野口みずき選手なら、“大福たらふく”が何個のイメージなのか、こちらは……誰に聞けばいいのでしょうか。
 これも昨日の日記の補足ですが、名鑑の作業をしていて面白く感じたことに「昔はこの種目に出ていたんだあ」と気づく部分があります。
 100 mから400 mまで走れることで有名な高平慎士選手ですが、中学時代は110 mMHでも全日中4位に入賞しています。これは、2月の陸連合宿中に本人から教えてもらったことなのですが。中3時には100 mは欠場。高校2年のインターハイでは逆に、110 mHを欠場して100 mが3位。その後の活躍はご存じの通りで、今回の122人の中では最年少指定選手となりました。ちなみに2番目は山口有希選手、3番目が山崎一彦選手……山崎勇喜選手でした。
 山崎一彦コーチが指導する吉形政衡選手が、全国高校八種競技のチャンピオンだったことは、ちょっと以前に話題になったので知っていました。
 不勉強だったなあ、と感じさせられたのが、菅野優太選手が大学2・3年と日本選手権は200 mにだけに出場していること。4位と7位でした。大4の一昨年、社会人1年目の昨年は100 mだけの出場で、3位と4位です。その2年間のイメージが強いので、“当初は200 mが得意”だったとは気が付いていませんでした。日本インカレも1年時に200 m4位なんですね、100 mは8位で。
 200 mも走れる=100 mの終盤が強い、とは100%言い切れませんが、その傾向があるのは確か。今年は菅野選手の“終盤”に注目します。


◆3月25日(木)
 11:40から電話取材。15分間で終わらせるつもりが、45分間になってしまいました(相手の迷惑も考えよう)。でも、かなりいい話が聞けました。いつも言っていますが、本当にそうだったんですよ。感動的なエピソードをいくつか、取材の後半で聞き出すことができました(と、予定オーバーが無駄でなかったことを示唆。須藤理彩は93年の宇都宮インターハイ200 mに出場)。
 その後、一心不乱に名鑑の作業。19時頃になんとかデータ部分の作業が終了しました。寺田が担当しているのは、強化指定選手の国際大会・日本選手権・年代別選手権(全日中・インターハイ・日本インカレ・全日本実業団)の戦績です。タイムレースで行われている全日本実業団の長距離種目の順位とか、マラソンの日本選手だけの順位とか、けっこう手間暇がかかります(マラソンは3大会の持ち回り併催で、どの試合が日本選手権か、普通の人は知りませんよね)。
 予定では、一昨日(昨日朝まで)に終わっているはずの仕事でした。自分が「これくらいの時間(期間)でできるだろう」と予想する範囲でできない。だいたい、「その仕事ならできる、こっちもできる」と思って抱え込んでしまう。編集者時代からの(悪い?)傾向なんですが、何年経っても変わりません。進歩がないということです。どこかで変えないといけません。自分を変えるための戦略も、計画中です。
 しかし、この作業をしていると、“面白いこと”も多々わかるので、それが励みになります。以下が“面白いこと”の代表的な例です。
1)意外な記録
 今回、伊藤辰哉選手(富士通)が初めて強化指定選手になり、日本選手権の成績を調べていたら、大学2年時の97年から昨年まで、7年連続で5位以内に入っています。もちろん200 mの話です。選手層の薄い種目ならよくあることでしょうけど、選手層の厚い男子短距離種目で続けていることに価値があります。残念ながら優勝はありませんが、2位2回、3位2回、4位1回、5位2回という内訳。
 しかし、これだけ上位に食い込んでいながら、リレーの国際大会代表は02年のアジア選手権くらい。つまり、オリンピック・世界選手権・アジア大会のA代表(という言い方でいいんでしたっけ?)がない。安易なマスメディアなら“悲運のスプリンター”とでも見出しを付けそうですが、要は爆発力不足ということでしょう。
 大学4年の日本インカレに優勝したときは、追い風参考でしたが20秒55(+2.6)の好記録。楽しみな選手が出てきたな、と感じたことを覚えています。ちょうど伊東浩司選手が100 m・200 mでアジア記録を連発した年で、翌年には伊東選手のいる富士通に入社。日本チームに入って“イトウ・コンビ”で売り出したら人気が出ると思っていたのですが…。この冬、富士通は伊東選手に臨時コーチになってもらい、アドバイスを受けたようです。爆発するきっかけは、できているかもしれません。
 今年は是非、注目したい選手です。
2)昔の接点
 東京国際マラソンで1・2位だったジェンガ選手と大崎悟史選手が、94年の富山インターハイ1500mで対戦していたことが話題となりました。これと同じようなケースが、インターハイの予選とかで結構あるんですね。「この選手とあの選手が、無名時代に接点があったんだ」と思うことが。
 例えば、96年の日本インカレ女子1万mでは、先日の名古屋国際女子マラソンを走った土佐礼子選手と橋本康子選手が出場しています。2人とも学生時代までは実績のない選手で、土佐選手は途中打ち切り(先頭から周回遅れになったり、決められたタイム差以上の差が付くと、規定でレースを中止させられる)になっていて、橋本選手は辛うじてそれは免れたものの完走選手中最下位の15位。ちなみに、5000mでは土佐選手は27位のブービーですが完走しています。橋本選手は翌年の1万mで途中打ち切りです。
3)個人的な知り合い
 同じ96年の日本インカレ男子ハーフマラソンでは、某誌S井M人ライターがハーフマラソンで途中打ち切りの憂き目にあっています。箱根駅伝を走ったことは知っていましたが、学生最高峰の大会である日本インカレにも出ていたとは、知りませんでした。土佐・橋本両選手もそうですが、こうした苦労を経て今日があるということですね。

 今日紹介したのはほんの一例。記録集計号もそうですが、選手名鑑も単なるデータの羅列でなく、読み込めば面白いことが山ほどあります。次号陸マガの別冊付録は必見ですね。おっと、その前に誰かが名鑑のプロフィール部分を書かないことには、発行できません。締め切りは…来週の月曜日と火曜日? 強化指定選手の人数は…122人?


◆3月24日(水)
 4時間半の睡眠ですが、今日は朝から快調。でも、名鑑の仕事が終わらないうちに、次の取材です。某有名女子選手にインタビュー。以前の取材ノートや記事を読み返して、そこそこ予習もして行きました。夜の取材だったので助かりましたね。
 取材に入る前の雑談中だったか入った直後に、寺田が「メイビー」という言葉を使ったところ、誰の決め台詞かわかってくれました。思わず、合宿が多いのにドラマを見られるのか、突っ込んでしまいましたね。中盤の回は見ていなかったようですが、最初の頃と最終回は見られていたとのこと。ちなみに、寺田は最終回を録画はしましたが、まだ、見る時間がありません。そういえば、自称陸上界のキムタクこと陸マガY口編集者からのメールには、結末を予想させるような一文が。まあ、楽しみが半減するような書き方ではなかったので、よしとしましょう。こちらがまだ見ていないと知らないわけですし、見逃した回のストーリーも教えてくれた恩人ですし。
 帰宅後はまた、ひたすら名鑑用のデータ調べ。今日は集中力が途切れず、朝の5時過ぎに“区切り”まで進行しました。
 ロンドン・マラソン通訳の方(くどいようですけど、女性です)がメールを送ってくれました。日曜日の日記で言及した“半分の自信”はハーフ・コンフィデンスでいいかどうか、ですが、案の定、違いました。
I am more or less confident.

I am less confident than to declare.
が適当な言い方のようです。
 皆さんお気づきのように、ハーフマラソンに引っかけてハーフを使いたかっただけなのですが、どうやら英語の勉強もしたい年頃のようです。今日の取材中にも、「哲学は英語でいうとphilosophyですけど」などと、意味もなく言い出す始末。オリンピック開催地のアテネと言えば、ギリシャ哲学を連想したのが理由なんですけど。
 いつも書くようですが、今日もとてもいい話が聞けたと思います。記事は陸マガ次号で。


◆3月23日(火)
 少し、ボーーっとしています。4時間睡眠で通常なら、十分とは言えないまでも、それほど影響の出ない睡眠時間なのですが、どうも変な眠り方だったようです。すっきりしません。でも、集中して名鑑用のデータ調べ。集中力というか、ミスなく手際よくやることが重要。一応、この手の泥臭い仕事をやらせたら日本屈指の能力がある、くらいの自負はもってやっています。
 このサイトをオープンさせてから、陸上競技のライター志願の人が何人かメールをくれました。弟子入り志願というやつです。今回は明かしませんが2つの理由で採用はできません。その2つに比べるとランクは落ちますが、3つめの理由が“ライター志願”という部分への不安です。
 ライターというと一見、華やかそうなイメージがあると思います。確かに、トップ選手に取材をして雑誌などに記事を書く、という部分だけならそうかもしれませんが、陸上競技ではそれでは食べていけません。それほど需要がないということです(寺田に才能がないだけかもしれませんが)。実際、寺田のビジネスは今回のように、ひたすら資料を調べる仕事がかなりの割合を占めています。ライターというよりも、専門誌の編集者が形を変えた(自営業者になった)と言った方が適当かもしれません。編集者とは段取りと雑用係、というのが寺田の信条でした。
 ライター志願の人間が全員、華やかさだけを想定しているとは言いませんが、仮にそれを期待していたら絶対に務まらない。もしかしたら、自分はそういった泥臭い仕事もできる、と言う人もいるかもしれません。でも、記録を探し出して正確に入力できるかどうかは、やってみないとわからない。陸マガ時代の先輩某氏に言わせると、かなりの個人差がある部分のようです。
 朝食後は昼食を含めて1時間半、夕食を込みで2時間の休憩をしましたが、あとはぶっ通し。16時間くらいはやったと思います……が、終わりません。終わらないのにダウン。偉そうなことを言っておいて、情けないですね。
 朝から(昼からのことも)寝るまで仕事をするのは珍しいことではなく、むしろ日常的です。今日みたいな日はすごい集中をしますが、いつもはダラダラやっていると言われても仕方のない状況。打開策も考え済みで、実行に移そうと計画中です。そのきっかけが、プリンス近藤記者(元気かな?)と、ある女子選手の取材中の会話でした。具体的には、計画が実行できたときに説明します。


◆3月22日(月)
 月9ドラマ「プライド」が最終回でした。先々週、見逃した回のストーリーはR誌編集部のY口君(自称陸上界のキムタクと言っていましたが先週、陸上界の坂口憲二に変更したようです)に聞き、先週分もちゃんと理解して見ることができました。でも、今日は見ていません。なぜかっていえば、単純に見る時間がないから。
 午前中に締め切りの原稿を1つ片づけ、12時から電話取材が2本。2人ともある大学のOBで、1人は選手で1人は指導者。いずれも、いい話を聞くことができました。
 14時台に電話があって、来年度の見積もりのやり直し。寺田の中では相当に大きい部類に入る仕事なので、慎重にやらないといけません。でも、今年はエクセルのファイルで見積書の自動計算システムを完成させました。変数部分の金額さえ入力すれば、項目毎の小計、全ての合計(総計)など自動的に変わるようにしてあります。思ったより時間はかかりませんでした。
 続けて電話があって、請求書の打ち合わせ。なんだそれ、と思われるのでしょうが、まあ、色々とあります(不正は断じてありません)。年度末ですし。
 その後、このサイトのメンテナンス。ネットに接続したら、世界クロカンの成績をプリントアウトしておいた方がいいと思えてきました。パソコン上の作業はどんどん進めますが、実際のプリントアウトにはそこそこ時間がかかります。で、これがなかなか終了しない。最終的にA4サイズの紙で39枚も要してしまいました。
 おまけに、紙のタテヨコの設定でミスをやらかしてしまう始末。個人成績はタテでよかったのですが、団体成績はヨコで印刷しないと入りきりません。先に団体成績を6部門印刷し、次に個人成績をシニア男子8kmから印刷したら、紙の設定をタテに戻すのを忘れてしまい、2部門ほどヨコのまま印刷。かなりの枚数を損してしまいました。けちくさいとお思いでしょうが、確定申告が終わったばかりのミスター・ブルーですので。
 20時過ぎに見積書をポストに投函しに行った帰りに本屋によると、マラソン五輪代表選考記事(すべて女子)が載った週刊誌がウゴタケ(雨後の竹の子)。思わず3冊ほど立ち読みしてしまいました。その手の週刊誌は店の外に置いてあるので、とっても寒かったです。
 そんなこんなで、原稿に取りかかったのが22時。久しぶりのファミレスです。100行の原稿で、朝の2時半に完成。帰宅して、推敲&写真を5点添付して送信。その後、インターネットで調べものをしていたら、もう朝の5時。明日、陸マガ名鑑のデータ部分が締め切りです……ホントに間に合うのか。本当に、緊急事態宣言をしないと。入ってくる情報を制限しないとダメかな(これだと意味不明ですか?)。
 ということで、月9ドラマは見られません。という愚痴日記。Yグチに坂グチですから。


◆3月21日(日)
 名古屋国際女子マラソンからちょうど1週間。マラソン代表選考ネタに追いまくられてしまい、寺田の日記らしいネタを紹介できませんでした。先週は一見、世間の関心が名古屋に集中したように見えましたが、同じ日に各地でロードレースがあったことも特徴です
 淡路島在住の出口先生は、京都ハーフに行ってから名古屋国際女子マラソンの取材に来られました。その京都ハーフにはフリーライターの野口順子さんが出場。有名選手にコーチをしてもらったそうですが、結果は未入手です。出口先生も確認できなかったとのこと。
 仙台ハーフにはロルーペ選手が来ていたんですね。知らなかった。高橋尚子選手に世界最高記録を破られてから、正直言って影が薄いですよね。そのことが直接の引き金と断定できませんが、1つのレースを境に浮上できなくなるケースもたまに見られます。人間がやっていることですから、そういうこともあります。仙台ハーフには弘山晴美選手も出場していました。彼女の場合は、マラソンは1月の大阪が最後となるかもしれませんが、駅伝やトラックに向けて、頑張ってくれると思います。
 山口では全日本実業団ハーフマラソン。録画してあったTBSのテレビ放送を、やっと木曜日に見ました。瀬戸智弘選手がいいですね。熊日30kmに続いての優勝。ともに2位との差は大きくありませんが、彼のようにラストで勝負するタイプの選手は、それでいいと思います。確実に勝てるようになった、イコール、タイム以上の差があったと判断していいのでは。この冬期の“ロード大賞”は瀬戸選手でしょう。結果を隅から隅までチェックしているわけではないので100%とまではいきませんが、半分くらいの自信はあります。英語で言うとハーフ・コンフィデンス? 違うような気がするので、今度ロンドンマラソン通訳の方に確認しておきます。
 福岡国際クロカンで三津谷祐選手に負けたのがあれですが、クロカンはロードではないということで。三津谷選手のラストもすごいですからね。マラソン代表選考に比べたら、クレームも来ない……でしょう。


◆3月20日(土)
 なんとか集中力が持ちました。一時は危なかったです。
 3月後半は多忙を極めています。陸マガ5月号付録の選手名鑑に、某チームのパンフレット(冊子?)が重なって、そこにいくつか取材も加わっています。昨日スケジュール調整をして、原稿の締め切りを1本、変更してもらいました。それですら異例のことですが、昨晩、ついに1つ仕事を断ってしまう有り様。珍しい雑誌からの依頼で、興味ある人物の取材でしたが、どうしようもありません。
 今日は名鑑の国際大会成績をなんとか調べきりたかったのですが、世界ジュニアとアジア・ジュニアの成績のコピーが見当たりません。主要大会は全てコピーしてファイリングしているのですが、その他の国際大会は全てあるのに、この2大会がゴソッと抜けていたのです。かなり焦りました。1年前に同じ作業をしていますから、間違いなくあったわけです。この1年間でジュニア関連の取材か、原稿を書いた記憶は……。たぶん、世界選手権の際に使用して、しっかり元にしまわなかったのでしょう。
 探すこと1時間半。このあたりで、気持ちが切れそうになりました。結局あきらめて、陸マガのバックナンバーをコピーしました。世界ジュニアは2年毎と決まっているので探しやすいのですが、アジア・ジュニアは偶数年だったり奇数年だったり、しょっちゅう開催間隔が変更されています。それで難航しましたが、なんとか1時間でコピーをし終えました。最初から新たにコピーした方が速かったわけですが、探せば出てくると期待してしまいますからね、どうしても。
 マラソン選考に関するメールがまだ来ます。もうネタにはしない、って再三言っているのに。マラソン選考なんかより、世界クロカンでしょう。ジュニア男子は6人の代表選手のうち5000m13分台が4人。これは過去最多じゃないでしょうか。未来の代表候補がどんな走りをするのか、そっちの方に注目しましょう。
 マラソン選考に関するネタの締めとして、一昨日の日記で紹介した高橋尚子選手ファンの女子選手からのメールの一部を抜粋して紹介します(本人の了解を得られました)。何十通と来たマラソン選考に関するメールの中で、一番感動しました。
私は、今回のQちゃん落選会見でQちゃんからすごいパワーをもらいました。
Qちゃん、相当ショックうけてただろうに、あの笑顔…。
あの笑顔に、私は涙が止まりませんでした。
心配をかけないように、たくさんの人に感謝をしてるんだという強い思いが伝わってきました。
私は、Qちゃんみたいな人間になりたいとずっと思ってきました。
それは金メダルをとりたい、とか、トップランナーになりたい、ということではなく、Qちゃんみたいにたくさんの人に愛されたい…ということかもしれません。
Qちゃんはいつも感謝の気持ちを大切にしてるんだな、と思います。
走ってるのは自分だけど、それを支えてくれる人たち、
小出監督や会社の方々、仲間達の理解。
ファンの人達、取材陣の方々…などに対していつも感謝の気持ちを述べていますね。
それがQちゃんのがんばれる一番の支えじゃないかなと思います。
Qちゃんの素直な気持ち、感謝の気持ち、決して人前では見せない暗い顔。
走るのが本当に好きなんだな、小出監督を信頼してるんだなと伝わってきます。
そんなQちゃんを見ていて、ほんとにすごいと思います。
Qちゃんがたくさんの人を愛してるからこそ、愛されるんだな、と思いました。
そして、その愛をとても大事にしていて、夢を与えていっている。
そんなQちゃんを私はすごく尊敬してます。
Qちゃんみたいな「人間」になりたいです。
今回は、とても残念だったけど、絶対にQちゃんは前に進んでくれると思います。
絶対にまた私たちに愛を、勇気を、希望を、夢を与えてくれると思います。
そんなQちゃんを私はずっと応援していきたいです。



◆3月19日(金)
 身から出た錆でしょうか。好き放題を書きすぎたのかもしれません。マラソン選考に関するメールが後を絶えません。特に今回、嘆かわしいのは、自分の報道姿勢にまで言及しないといけないことです。そんな堅いことは言いたくなかった。
 確かにこのサイトでは、他の出版物に書く記事よりも、自分の意見をはっきりさせることができます。でも、それは、いい加減なことを書ける、という意味では断じてありません。一部選手に、ジョーク記事などで協力してもらっていますが、それは当人の了解を得てやっていること。たとえ個人的な日記でも、単なる推測や憶測を、事実のように書くなんてことは絶対にない。寺田は陸上競技愛好家でもありますが、基本的な立場はビジネスとして陸上競技の報道に携わっている身です。
 その辺をわかってくれない読者が増えているようです。以前にも書きましたが、このサイトを立ち上げた当初にメールをくれた方たちは、その辺の考え方がわかってくれていたと思います。ところが、マラソン選考に関してメールを送ってくれる方たちの一部は、その辺がわかっていない。寺田に何かを書かせたくてしょうがないらしい。何度も書きますが、選考システムが選手の力が接近している現状に即していない、とは言っていますが、今回の選考で誰が代表入りすべきで誰が外れるべき、という意見はありません。
 メールの送信者の何人かは、一部マスコミの推測報道に踊らされています。陸連内部でこんな経緯で選考が変わったとか、誰と誰の仲が悪いとか、そんな推測・噂に基づいた報道です。しっかりしたメディアは、絶対にそんな報道の仕方はしません。寺田もそうです。まして、他人(組織も含む)を非難する場合に、推測を根拠にしてものを言ったりしたら絶対にいけないこと。
 昨日の日記で秘密情報部員かもしれない、と書いたのを真に受けた人(それこそ、このサイトの趣旨がわかっていない)もいるんでしょうか。寺田にスパイをやらせたいのか、と思える内容のメールもありました(個々のメールへの返信はしていません。できなくなりました)。
 インターネットだ、メールだ、と手軽に自分の意見が言える時代です。でも、自分の言っていることの根拠が推測の域を出ないのか、事実なのか、その判断ができない人は格好が悪いったらありゃしない。環境に振り回されている人でしょう。ものを書くことと、居酒屋で馬鹿話をすることは、まったく違うことなんです。


◆3月18日(木)
 600行原稿はなんとか昨日14時に終了。早寝早起きパターンで頑張りました。まあ、4時間は寝ているでしょう。今日は午前中に2人の選手の写真をCD−Rに保存。2月に撮影させてもらった写真に加え、過去の写真も引っ張り出してきて整理したため、そこそこ時間がかかりました。一緒に、野口みずき選手の写真も整理。これは、陸マガ4月号の取材で撮影させてもらった分に、過去の写真を付け加えました。用途は……企業秘密です。ガラス張りの仕事をしろって? 寺田は公的な性格を持たない立場。秘密ばかりです。もしかすると、秘密情報部員かも。あっ、それはO村ライターか、007ですから。
 やっぱり、五輪選考がどうこう書くより、この手のお気楽ネタが合ってますね、この日記には。あっ、別にO村ライターがお気楽だと言っているわけではありません。と、書いておかないと、O村ファンから抗議メールが来ないとも限りません。
 午後から3日ぶりに外出。14:30に都心の某事務所にCD−Rを届けて、追加原稿の打ち合わせ。これはすぐに終了して、都心を移動して某誌編集部に。ここで約1時間半の作業。その後、知り合いの事務所に移動して仕事をしています。電話もかけたり、かかってきたりで5本くらい。晩ご飯はまだ食べていません。
 そういえば、びわ湖マラソンの2時間13分未満選手の数が過去最多かどうか調べて、掲載する約束でした。名古屋国際女子マラソンの「五輪代表選考よりも面白い視点の記事」もまだ書いていません。うーん、月曜日締切のそこそこ大作原稿が1本と、日曜日夜締切の短いけど追加原稿も1本。火曜日には名鑑データの締め切り……私はミスター・ブルー。
 マラソン選考ネタは昨日で終わりにする予定でしたが、今日来たメールで2つ面白いものがあったので、ちょっと触れさせていただきます。1つは面識のない男性からで、1つは知り合いの女子選手から。
 マラソン選考に関するメールは、自分の意見を強く主張するものが多く、ともすると押しつけがましい書き方になりがち。そういう人間に限って、自分がどんな立場(職業や陸上界における役職など)なのか明かしていません。以前にも書きましたが、名前を書くだけではどういう人なのかわかりません。その点、今日来たメールの面識のない男性は、まずはその部分からしっかり書いている。正直、タイトルが「マラソン選考に関して」だったので、「またか」と思いましたが、丁寧な書き出しでしたし、全体的に腰の低い物の言い方をされているので、ストレスなく、というより好感を持って読み進めることができました。
 今回選考に関わったある選手の高校時代の同級生だそうですが、見解がその選手を一方的に擁護するものになっていないので、その部分だけで信頼できる人だと思いました。内容も斬新でした。陸連がプロフェッショナルなら、レース内容をプロフェッショナルに分析すべきという意見。一番着眼すべきは“勝負勘”が選考レースにどう現れていたか、だと主張されています。これに対して、それでは主観的になるだけという反論もできますが、メールで言及している具体的な部分に説得力があります。正直言って、今回いくつかいただいたマラソン選考に関するメールにあった意見は、どこかで読んだり、寺田がとっくに考えて卒業した意見ばかり(偉そうですいません)。斬新というか、やっと説得力のある意見に触れることができました。
 もう1人の女子選手は高橋尚子選手のファンで、アテネで走れなくなって残念という気持ちを持っているものの、今回の選考の結果をまず冷静に受け止めています。その上で、記者会見の応対ぶりを見て、さらに大きな感銘を受けたという内容です。その一部を抜粋して紹介したいくらいです。本人の了解が取れたら、そうしましょう。
 昨日で終わりにするはずだったマラソン選考ネタですが、いいメールが2通も来たので思わず延長してしまいました。でも、本当にあまり選考ネタを引きずるのもどうかと思うので、この辺で終わりにしたいと思います。そういえば、こんな質問メールがありました。どうやら、陸上競技に興味を持って間もない中学生のようです。
Q:外国では4月の賞金マラソンなんかも選考レースになっているようですが、日本はなぜ3月上旬の名古屋が最後の選考レースなのですか。
A:尾張だからです。



◆3月17日(水)
 昨日の日記で“まさか”という見出しを付けるのは事実と違う、と書きましたが、訂正させていただきます。従来と同じ選考方針(実績重視)をすると予想していたら、今回の高橋選手の落選は予想外ということになりますから、“まさか”でもいいわけです。お詫び申し上げます。
 こちらは“まさか”かどうか微妙なところですが、来ました、抗議メール。高橋選手の熱烈な支持者からですが、寺田の昨日の日記を「今回の選考が正しい」と書いていると勘違いしています。どこにもそんなこと、書いていませんよね。それどころか、電話の会話として「正しい、正しくないではなく、陸連が選考会重視の考え方をしたということです。」と、丁寧に書いています。どうしたら、そんな勘違いをするのでしょうか。
 勘違いされないためにもう一度、はっきり書いておきましょう。現行の選考システムでは、選手の力が接近している現状で、力の比較はできません。これが寺田の考えです。
 その点、某同業者のメールには、寺田の言っていることに頷ける、と書かれていました。よかったです、わかってくれる方がいて。そのメールには、一般種目への関心の低さが指摘されていました。その通りです。
 この際ですから、寺田のスタンスを明らかにしておきます(その方が、変なメールが来ない)。マラソンに関してはケニア陸連への提案のところで書いた方法(1選考レースで2枠、推薦1枠)がいいと思いますが、一般種目は若干、事情が異なります。マラソンとの違いは、選手層が薄いことが1つ。もう1つは、マラソンが1回1回のレースで出来不出来の差が大きいのに対し、一般種目はマラソンほど大きくはないこと。この2点を考えると、一発選考よりも、「日本選手権最重要だが、その他の選考会も考慮する」という現行のシステムがいいと思っています。
 しかし、種目によってはマラソン並に選手層が厚く、1つの大会(日本選手権)の順位で決めるしかない種目もあります。要は、種目によって状況が異なるわけで、一律の選考基準がいいとは思いません。マラソンの選考も、選手間の力の差が大きくなったら、複数レースによる選考にするのも方法だと思います。
 ここ数日、マラソンの選考に関して意見を小出しにしてきましたが、これが寺田なりの現在の結論です。
 そういえば、K記者からのメールに一連のマラソン選考取材で「とにかく疲れました」とありました。寺田と違ってその日のうちに記事を出さなければいけない新聞やテレビの記者は、本当に大変だったと思います。寺田のように会見に行かない、というわけにはいきませんから。代表に選ばれる可能性のある選手は全員のデータを用意しておかないといけないし、代表に決まれば地元で会見もありますし。
 寺田もそれなりにマラソン選考の余波を受けましたが(取材電話や抗議メールが来て)、他のメディアの記者の皆さんほどではありません。3月後半は陸マガの選手名鑑の作業があります。もちろん、その他の取材・原稿もいくつか。マラソン選考でエネルギーを使い果たすわけにはいきません。というか、これからが正念場。


◆3月16日(火)
 昨日は結局、マラソンの五輪代表発表にも、代表選手&落選選手の記者会見にも行きませんでした。今日中に600行締切がありますから。テレビ各局が中継するのを新聞で知って、だったら行かなくていいかな、と。これだけ世間が騒ぐと、気持ちもちょっと引いてしまいます。会見に行ってどこかに記事を書く予定もありませんでしたし、ちょっと前に書いたように選考の新しい視点が出るとも思えませんでしたので。
 昨日の日記にも書いたように、今回の選考の焦点は“どちらの視点を重視するか”でした。過去の実績も考慮したとのことですが、結果的に選考会重視。それが、過去の五輪選考と若干違っていたと言えるのですが、陸連がそちらの考え方をすれば、高橋尚子選手が外れることは予想できたことです。
 いくつかのメディアが“まさか”という見出しを使いましたが、それは見出しを付ける立場の人間がその辺の事情をよく理解していない証拠です。現場の記者には“まさか”ではなく、予想できる範囲でした。この“まさか”という見出しが、抗議電話殺到など、いらぬ混乱を招いたのでは?
 あり得る選択の1つだった、というニュアンスの報道が、事実の報道の仕方だったと思います。前回金メダリストの落選は重大ニュースですから、新聞が一面で扱うことは当然です。国民的な人気選手ですから、彼女の心情を中心に大きく報道するのも当然です。でも、選考結果を“まさか”で報道するのは違和感あり、ですね。
 昨日もそうでしたが、今日も寺田の所にまで電話が殺到……といっても、数本ですが。高橋選手落選についてのコメントを求められます。
電話「高橋尚子選手を落としたのは正しい判断ですか」
寺田「正しい、正しくないではなく、陸連が選考会重視の考え方をしたということです。実績をどこまで考慮するかが、事前に公表されていなかったので、予想ができなかっただけです」
電話「でも、高橋尚子選手の方が本番で期待できるのでは」
寺田「今回の選考方針は、選考会で結果を出した選手が、本番でも期待できるという考え方を取ったのです」
電話「高橋選手が出た方が、外国選手にプレッシャーをかけられるのではないですか」
寺田「そうかもしれません。でも、そこまで細かい部分まで考えたら本筋の判断でなくなります。逆に、無名選手の方が、オリンピックでは逃げ切りやすい。そういう例も多いですよ。選考方針を覆すほどの要素ではないと、判断したのでしょう」
電話「……。寺田さんが選考委員だったら、誰を選びますか」
寺田「(そら来た。)選考システムに反対します。今の選考方法では、選手の力が接近していたら判断できません」
電話「……」

 考え方の切り換えができない人は、たぶん理解できない。
 こんな質問もありました
電話「選考委員の○○さんの電話番号を教えてください」
寺田「陸連に聞くべきことでしょう」

 昨日は、会見に行かなかったのにテレビ各局を梯子して見たので、原稿が思ったより進みません。今日も原稿への集中が今ひとつ。まだ、半分の300行しか書けていません。頭に来る電話が多かったので……って、言ったら締切を伸ばしてもらえるでしょうか。寺田はマラソン選考騒動の犠牲者です。本を正せば、あいまいな選考基準が生じさせた混乱なんですけど。


◆3月15日(月)その2
 マラソン・ファン、陸上競技ファンの皆さんにお願いします。マラソンの五輪選考で目をつり上げるのはやめましょう。
 五輪代表に誰がなるのか、そこに関心があるのは当然のことだと思います。数少ないメダル有望種目なのですから。だから、陸連は真剣に選考します。マスコミの人間は、それを真剣に報道します。国民の関心のあることですから、当然です。でも、それをファンまでが、こっちの選手がいい、あっちの選手はよくない、と論じるのは寺田には違和感があります。
 昨年の世界選手権では野口みずき選手が銀メダルを取り、寺田はパリのスタンドでフィニッシュを見ました。デレバ選手にこそ敗れましたが、「でかした」と思いました。銅メダルの千葉真子選手と、4位の坂本直子選手にも拍手喝采です。
 東京では高橋尚子選手が終盤失速しました。暑さとか色々事情はあったのでしょうが、正直、がっかりしました。それだけ、彼女には期待していました。
 大阪では前半のスローペースに「なにこれ」と思い、終盤の坂本直子選手の強さにあ然としました。
 そして名古屋では、土佐礼子選手の予想以上の快走に驚かされました。「よくぞここまで」と、涙も出そうになった。
 しかし、レースを見てどんなに感銘を受けても、この選手がオリンピック代表にふさわしいとか、この選手はあっちの選手より弱いとか、そういった思考にはつながりません。仕事として、後から考えることはありますよ。もちろん。選手もオリンピックを目指して走ります。それは大前提でしょう。上のレベルにチャレンジする姿勢がなくなったら、スポーツは面白くも何ともない。でも、それとはまた別の、純粋に速く走るんだという部分も確かに存在します。
 だから見る側も、その場では、目の前で展開されたレースに感動する。オリンピックに懸ける選手の思いに感動することもあるでしょう。でも、仮にそれがあっても、無意識のうちに、選手の走りそのものに引き込まれていく。快走すれば、純粋に「すごい」と思う。それがマラソン観戦の全てとは言いません。評論家になっても、陸連になったつもりになってもいい。それは見る側の自由です。
 でも、寺田の思考というよりも感情は、目の前のレースを素直に感じるようになっています。昨日、土佐選手がレース後に言った「五輪選考よりも、今は初めてマラソンに勝てたことが嬉しい」というコメントが、わかる気がしました(と言ったら生意気ですが)。
 10年以上も仕事としてマラソンを見てきている人間が言っていいことか、わかりません。正直、言いたくなかったことです。でも、異常なマラソン選考への反応を見ると、書かざるを得ませんでした。


◆3月15日(月)
 朝の3:20。細々とした仕事が山積みで、なかなか終わりません。今日は体協で15時からマラソンの五輪代表発表です。実は火曜日に600行原稿の締切があって、正直、気になるのはそちらの方。マラソン代表発表の取材に行って、その後都内のホテルで予定されている高橋尚子選手の会見(落選しても行うとのこと)に行ったら、原稿を書く時間がどんどんなくなっています。
 マラソン代表選考は誰でも思いつく視点しか出てこないでしょう。“どちらの視点を重視するか”だと思います。もちろん、それが今回の焦点というか、陸上界にとってはとっても重要な点なのですが。五輪代表も気になりますが、これは寺田が取材に行かなくても大々的に報道されること。テレビも速報するでしょう。日本中が大騒ぎする一日となりそうです。
 でも、やっぱり行かないといけないでしょう。マラソンの五輪代表発表はそのくらい、日本の陸上界にとって重要なのです。矛盾したことを書いている気がしますが、まあ、五輪イヤーの今後の仕事を考えると、ですね。
 実はマラソン選考よりも面白い視点の記事を思いつきました。今日の名古屋国際女子マラソンで感じたことですが、陸マガとかに書ける内容ではありません。本サイトでしか書けない内容。でも、絶対に誰も同じことは考えないような視点(というかネタ)。寺田オリジナルです。
 ああ、でも火曜日の600行締切が。
 この日記用のネタが名古屋で2つほどありました。紹介したいのですが、時間がありません。細かいけどやらないといけない仕事がありますし、睡魔も…。この狂気の2日間を乗り切れるのか。


◆3月14日(日)
 名古屋からの帰りの新幹線車中です。気分はかなり高揚しています。土佐礼子選手にすごいレースを見せてもらいましたから。でも、個人的には後悔の念もあるんです。というのは、ロンドン・マラソンの記念腕時計を土佐選手に見せるのを忘れてしまったから。
 ご存じのように土佐選手は今日が、2002年4月のロンドン以来、約2年ぶりのマラソン出場でした。寺田は01年・02年と2年連続でロンドン・マラソンを取材。そのときにもらった腕時計を今回の取材に当たって身につけていたのです。パーティーの間にちょっとだけですが、チャンスはありました。それが、パーティーが終わって記者仲間(T新聞Y岡記者とC新聞・N沢記者)とロンドン・マラソンのことを話していて、やっと思い出したのです。しかも、その時計は今日が3月15日と1日進んだ日付になっている。それを見せたかったんですよ。閏年の調整機能がないおよよな時計なのです、オカヨ選手じゃなくて…。
 でも、レースは本当にすごいと思いました。土佐選手は練習が不十分でも力を出せるタイプだと想像はしていましたが、まさかこれほどとは。改めて脱帽します。
 と書くとまた、質問メールが来そうなので、先に書いておきましょう。実は今日、某テレビ局からも電話があり、誰が選ばれるのが妥当か、見解を求められました。色んな人に聞いて紹介するようです。
 以前の日記で書いたように「現行の選考システムでは、選手の力が接近していたら選考は不可能。比較はできない」と答えました。実際、そうだと思っています。高橋尚子選手、坂本直子選手、土佐礼子選手。誰を落とすかなんて、寺田には決められません。陸連がどういう判断をするか、という点も興味はなし。選ぶにあたって斬新かつ、すごいと思える視点が出てくるとも思えませんので。


◆3月13日(土)
 久しぶりに名古屋の夜を過ごしました。過去2年間は、女子マラソンの会見を取材したあと、山口県に移動して翌日の全日本実業団ハーフに備えていましたから。名古屋の夜はなかなか充実していました。なんてことを書くと誤解されるかもしれないなあ。ちょっと食事をしただけです。
 誤解といえば昨日の日記です。ケニアのマラソン選考システムに異を唱えたのですが、反響のメールが多かったです。すいませんが、個々への返信はできません。皆さん、本当に色々な意見をお持ちのようで、それぞれに対するこちらの意見・感想を書いていたら夜が明けてしまいそう。
 その中で何人かの方が誤解されています。寺田が言いたいのはジェンガ選手を代表に選ぶべきだ、ということではありません。よっぽど書き方が悪かったのでしょうか。確かに終電間際に急いで書いたため、文章は雑かも。ジェンガ選手の東京国際マラソンの成績は大して評価できない、というご意見も。いちいち反論するのも面倒くさいのですが、ケニア選手が何人もジェンガ選手の東京を上回る記録を出しているのは、もちろん知っています。寺田が指摘したのはジェンガ選手の成績云々ではありません。気持ちの部分です。
 ジェンガ選手が代表になるために、ワイナイナ選手に直接勝つ、という方法を選んだのは、ケニア陸連の不明瞭な選考システムを考えたら仕方のないこと。記録は02年のシカゴで出しているわけですし。今回、複数レースの選考会の中で、記録の上位2人を選ぶとわかっていれば、別の判断ができたはずです。その辺がクリアになっていない状況で、最善の選択をして結果を残した。でも、蓋を開けてみたら、上位2人は記録で選ばれていたわけです。選手の気持ちとしては、やりきれないのでは、と。
 そういった徒労感や、どの部分が比較されているかわからない、という気持ちを生じさせるシステムを採用すべきでない、と言いたいのです。特に選手の力が接近している状況では。ケニア選手が世界各国に散らばっているから1本化できないとか、細かい部分にこだわって大枠を見失っている意見も(だからワイルドカード1枠なんですよ)。
 でも、「ケニア陸連推薦1枠・2枠は記録で自動的に選ぶ」という意見以外はどれも、選考方法の過程に選ぶ側の価値観が入る方法を考えてらっしゃる。どうしても、自分が選ぶという意識を捨てきれていません。日本人の多くはケニア陸連と五十歩百歩の考え方のようです。


◆3月12日(金)
 昨日、コニカミノルタのワイナイナ選手がケニアのマラソン代表に選ばれたニュースが日本にもたらされました。あとの2人はテルガト選手とコリール選手。寺田がすぐに思ったのは、選ばれなかったジェンガ選手のことです。
 テルガト選手とコリール選手は昨年の世界リスト1・2位(ベルリンの1・2位)で、世界に2人しかいない2時間4分台選手。そしてワイナイナ選手は五輪連続メダリストの実績を買われた形です。女子もデレバ選手、オカヨ選手と記録の上位2人を選び、3人目のチェラガト選手(昨年2時間31分25秒。でも、ナイロビ・マラソンで優勝)は実績か将来性か、とにかくワイルドカード的に選んだようです。
 寺田が気がかりなのは2月の東京国際マラソンに優勝(2時間08分43秒)したジェンガ選手の気持ちです。ケニア代表になるには、五輪で抜群の実績を誇るワイナイナ選手を直接対決で破るしかないと、東京に参戦し、見事に目的を達しました。ワイナイナ選手は故障上がりということもあって8位(2時間11分03秒)。
 言いたいのは、選考レースの順位を無視して選考するな、とか、実績をどこまで考慮するかとか、日本の選考でもよく問題とされる部分ではありません。どちらの選手が強いとか、本番で結果を出せるとか、わかりっこありません(個人的には2人ともとても寺田にフランクに接してくれるので、2人とも代表となってほしい)。そうではなくて、今回のジェンガ選手の気持ちを考えた場合、じゃあ、彼には他に何ができたか、という点。実際、東京でワイナイナ選手に勝つこと以外、何もできなかったと思うのです。何が悪いかといえば、ケニアの選考システム。これが諸悪の根源でしょう。
 ケニアの選考システムはあってないようなもので、今回は記録の上位2選手を自動的に選んだ形ですが、それも選考が終わって初めて明確になったこと。結果的にそうなった、というだけです。選考基準は事前には、何も明確になっていません。これまでだと、4月の各賞金レースが終わって選出されていましたし、前回にいたっては、いったん選出した代表3人を総入れ替えしたほど(それでワイナイナ選手にチャンスが回ってきた)。
 ケニアのように上位選手の力が接近していた場合、複数の選考レースを比較するのは無理がある。やはり最低2人は1つの選考レースで自動的に決めるべきでしょう。そうでないと、選手は何を目標に走ったらいいのかわかりません。今回のジェンガ選手のケースが繰り返されます。選手層の薄い国はどんな選考法でも選ばれる選手は決まっていますが、選手層の厚い国で複数レースを見比べて決めようとしても、意見の統一なんかできっこありません。常識で考えたら自明のことでしょう。
 選ぶ側のこだわり(=ワイルドカード)を反映させていいのは1人だけ、というのがバランスのいいところだと思います。例えば、2年くらい前(今回だったら2002年の4月の賞金マラソン終了後)に「世界歴代3位以内の記録を出すか、03年の世界選手権でメダルを取ったら五輪代表に決める」と発表する。その条件を満たした選手が出たら、残りの2人を1つの選考レースで選ぶ。世界選手権との間隔を考えると1〜2月の大会が適当でしょうか。
 もしも、ワイルドカードの条件を満たす選手が出なかったら、選考レース前に「世界選手権5位の○○」を選ぶと公表する。あるいは、選考レースで上位3人を選ぶ、と変更してもいい。最後の1人は4月の賞金マラソンまで待つ方法もあるし、トラックで実績を残した選手を選んでもいい。とにかく、1つの選考レースで2人は自動的に選び、残りの1人はケニア陸連が自由に選ぶ。代表になりたければ選考レースで2位に入ればいい、という条件が明確になっているわけですから、現場から不満も出ないはずです。
 実績十二分の選手が選考レースに照準を合わせていて、直前の故障で欠場しても、枠が残っていればケニア陸連が選べる。もしも枠が残っていなかったら、そのときはあきらめるしかないでしょう。賞金マラソンで記録を狙う機会、世界選手権でメダルを狙う機会、選考レースで上位2人に入る機会と、これだけある機会を逃したら、いくら実績があっても選べません。
 とまあ、今回のジェンガ選手の落選を知って思った次第です。ケニア陸連に提案する価値のある意見でしょうか?


◆3月11日(木)
 今日は自分でもよくここまで、と思えるくらいに仕事を進めました。
 朝は7時前に起床。何を一番にやったかというと、確定申告の作業です。昨夏の世界選手権以降さぼっていた光熱費や通信費、クレジットカードの明細をエクセルで入力。これに約3時間。それにしても、昨年の収支を見ていて返す返すも悔しいのは、世界選手権の帰路、ドゴール空港で徴収されたスーツケースのオーバーウェイトチャージ。すでに日本円に換算してありますが、9万8000円ですよ。9万8000円いきなり取られる気持ち、想像してみてください。屈辱ですよ、これは。
 話を戻しましょう。10:30から電話取材を約30分間。その後に取材のアポ取り。取材申請書も書いて12:30頃。昼食前に申告用のエクセルの帳簿を整理。青色申告の項目毎に分類し、金額を計算させて、たたき台のデータを完全にしたのが14:30頃。昼食をはさんで、確定申告の用紙に記入。たたき台のデータ作成時にある程度はわかりますが、申告用紙に実際に記入し、控除や経費を引いた所得の欄に来て正確な年収がわかります。
 毎年のことですが、1年で最も青ざめる瞬間ですね。「これしか稼いでないんかあ」と。ちょっと古いですけど、八神純子の「ミスター・ブルー」を聴いています。
生きるのがつらいとき、あなたの大きさが恋しくて
 寺田はドゴール空港を思い出すと、生きるのがつらくなります。30歳以上の方はご存じですよね。ちょうど昨日、レンタルCD屋さんで見つけて懐かしく思い、借りてパソコンのハードディスクに録音しました(SONYの場合はコピーが3回まで制限されていて、著作権も問題なし)。
 そういえば佐々木イチロー記者が陸上担当だったころ、寺田のことを「ミスター」と呼んでいました。ミスターブルーのことだったのかと、今頃になって気づいた次第です。
 そうそう。今日発売のスポーツ・ヤァ!で名古屋国際女子マラソンの展望記事を書いています。土佐選手の写真も、2002年のロンドン・マラソンで寺田が撮影したやつ。海外メディアのリクエストに応え、ロンドンブリッジをバックにジョッグしている絵柄です。向かって右側(土佐選手の左側)に、ヒジの部分だけ見えているのが実は、佐々木記者です。
 確定申告の作業が終わったのが22時ころ。23時までに昼とは別の取材申請書を1通。これは陸上競技に詳しくない役所の人間に対して出すものだったので、かなり丁寧に書く必要があって23時くらいまでかかったと思います。レンタルCD屋さんが24時閉店なので、その前にCDを返しに行き、その店の近くのファミレスで久しぶりに食事&原稿書き。これが大作原稿で、3時までに半分を書き終え、残りの半分は自宅に戻って7時頃に書き上げました。久しぶりの朝まで仕事です。
 よく集中力がもったな、という1日でした。
 マラソンの選考システムへの提言は明日、でしょうか。


◆3月10日(水)
 今日は陸マガ記録集計号発売日です。実は、版下製作を担当したこともありますし、一応関係者なのでデータは手元にもらっています。でもやっぱり、パソコンのデータよりも、紙に印刷された本という形になった方が、「できたかあ」という達成感を感じます。それに、紙という形にして流通させないと、ビジネスになりません。将来はネット配信という形になるかもしれませんが(雑誌・書籍全般に言えることです)、現時点では本の形で流通させてナンボの世界です。
 かなり強引ですが、マラソンと似ていなくもない。よく言いますよね。スタートラインに立った時点で、結果はほとんど決まっている、って。よく言うというか、小出義雄監督がよく話していることです。要するに、マラソンの練習が集計号のデータ集計に相当します。この練習に相当する部分ができていれば、結果は見えてきます。野口純正氏を筆頭とするATFSの方たちが頑張っている部分です。寺田はそこは担当していませんが、本当に大変な作業です。
 マラソンは3カ月前とか6カ月前にレースに直結する練習を開始しますが、集計号のデータ集計は1年前から始まります。マラソンでは直結する練習以外に、その選手が蓄積した力がベースにある。集計号でも過去に蓄積したデータがあって初めて、歴代記録や選手INDEXなどの集計ができます。かなり似ていませんか。
 マラソンでは練習で蓄積したものをレースという形にしないと意味がない。集計号も前述したように、データを本という形にしないと意味がありません。それが印刷や製本、そして流通といった部分です。ね、似てるでしょ。
 もちろん、その過程に編集者も台割りを決めたり校正をしたり、デザインを考えたりと必要不可欠な存在。マラソンのレースに相当する部分で事故が起こらないようにするためです。Macで版下製作を担当した寺田も、練習はしていなくてもレースの一部を担ったわけです。レースに相当する部分で事故が起こったら本はできません。
 マラソンでもレースの途中でアクシデントがあったり、“走り方”でミスをしたら結果は出せません。あれ? 小出監督の持論である“レース前に結果は決まっている”というのと、ちょっと違いますね。それに関しては後日。


◆3月9日(火)
 えーと、何通か「男子マラソンの五輪代表に誰を選びますか」という質問メールをいただきました。すいませんが、明確な回答はできません。「選手の力が接近している現状を考えたとき、現行の選考システムで代表を選ぶのは難しい」という回答をさせていただいています(陸連幹部もびわ湖終了後に「個人的には難航すると思う」とコメントしています)。メールの質問に“今の選考システムで”という前提がついていることはわかるのですが、正直、誰と特定することなんかできません。違うレースで比較するのは寺田には無理です。その作業に敢然と挑む陸連は、ある意味すごい勇気があると思います。別に皮肉っているのでなく、心底そう思います。寺田には絶対できない。
 ところで、夫婦・兄弟姉妹・親子ランキングを作成されている江本義信さんからメールをいただきました。データの他に、一昨日のびわ湖マラソンで兄弟選手が活躍したことを指摘していただきました。そう言われれば、2位&8位の小島忠幸・宗幸兄弟選手を筆頭に、松宮祐行選手(兄・隆行)、渡邉真一選手(弟・浩二)、武井隆次選手(弟・康真)と、兄弟も活躍している(活躍していた)選手が上位に多く入ってきました。これも、珍しいことじゃないでしょうか。
 もしも、兄弟オリンピック(兄弟選手しか出られない)があったら、文句なく小島兄弟は代表でしょう。本番で活躍が見込める、という基準で松宮兄弟も当確。女子では大南姉妹が代表確実。兄弟姉妹選手と限定すれば、候補は少ないから寺田でも代表を選べます。選手層が薄ければ、現行のシステムでもスムーズな選考ができるのです。


◆3月8日(月)
 昨晩から締め切りに追われ(このサイトにもびわ湖マラソン当日中に最低1本を自身に課しました)……ましたが、ここ数日は早寝早起きなので、昨晩は2時頃就寝。今朝は6時半には起きて仕事を開始しました。10時のチェックアウト時には終わらず、12時まで延長。1泊の10分の1の料金は、良心的なほう。電源を使えないコーヒー屋さんに行って仕事をするよりよっぽど効率的です。
 16時締め切りでしたが、なんとか12時までには終わらせました。最近けっこう、締め切りを守っていることが多いかも。えっ? それが当たり前……ですよね。
 帰りの新幹線は“ひかり”でしたが、車両の一番前と後ろのシートでは電源の使える車両でラッキーでした。しかし、これが裏目に出るとは、この時点では思いもよりませんでした。
 以上のような経緯で、新幹線を降りたときもパソコンのバッテリーはフル充電状態。まっすぐに帰れば19時〜20時頃には自宅に着く時刻でしたが、「せっかくバッテリーがフル充電状態なのだから」と、乗換駅のカフェで仕事をパソコンに向かってしまったのです。それ自体は悪いことでもなんでもないのですが、23時近くに帰宅して月9ドラマ「プライド」を見ようとしたら、1時間前の番組が録画されていたのです。まっすぐに帰っていれば、リアルタイムで見るか、録画状態を確認できたかもしれません。
 先週の月曜日は実生活でドラマチックなことがあってテレビは見ようとも思いませんでしたが(締め切りを抱えていただけかも)、今日は見るつもりでしたから、かなり気落ちしました。こういうミスって、やっぱり油断でしょうか。取材時間を1時間間違えることなんて絶対にないんですけど。ということは、つまり取材と同じくらいの緊張感を持って留守録をセットすれば、今後同じミスはしないということになります。
 本当にこの手のミスは自分の馬鹿さ加減に腹が立ちますけど、憤りの持って行き場に困ります。でも、近年はちょっと、気持ちの整理の付け方がうまくなったかも。それが不破弘樹選手じゃなくて……。
 まあ、陸上界の自称キムタクこと陸マガ・Y口君に今度、ストーリーを聞いておきましょう。何回でも言いますが、客観的にはまったく似ていません(と、キッパリ)。


◆3月7日(日)
 朝の7:30に起床すると窓の外は雪。やばいなあ(=記録が出ない)と思いましたが、しばらく仕事をしていたら、気がつかないうちにやんでいました。競技場に9:45着。10:30から女子5000mWの取材です。
 びわ湖マラソンとびわ湖全日本女子競歩は、れっきとした別の大会。報道受け付けでも、競歩のプログラムは申し出ないと渡してくれません。取材する側は、同じ競技場に行くと1つの大会の中の別の種目、という感覚になるんですね。
 1月末の神戸と4月中旬の輪島の間で、時期的に難しいとは思いますがメディアも集まっているのですから、競歩をアピールするにはいい機会だと思います。我々も、神戸は例年、大阪国際女子マラソンと重なりますし、高畠は全日本大学駅伝や淡路島女子駅伝で“西”に行く時期と重なります。輪島は兵庫リレーカーニバルと重なることが多い。競歩選手の話が聞ける数少ないチャンスなのです。
 レース後、びわ湖マラソンのセッティングを借りて優勝者の会見などもあるのですが、いかんせん、取材する側へのデータ提供が少なすぎます。せめて、プログラムに招待選手の簡単な略歴とか、この1年間の競歩主要大会の上位選手一覧とか、歴代と2003年の競歩各種目の上位10傑とか、掲載すれば記事にしやすいと思いました。プログラムに印刷すると費用がかかりますから、パソコンからプリントアウトして何十部かコピーするだけでもいいのです。
 それらのデータは、観戦者の役にも立つ。「どうせ競歩は関係者しか見ないから、記録や戦績はみんなわかっている」と、お考えなら仕方ありませんが、選手の父兄たちだって、そんなに競歩の知識はないんじゃないでしょうか。
 びわ湖マラソンのいいところはスタート時間が12:30と、他の大会よりも30分近く遅いこと。単に、こちらの感覚の問題だと思われますが、この30分が結構ありがたかったりします。11:30から最終的なペースメイクの打ち合わせがあり、5km15分05秒前後、30km1時間31分以内という設定の変更はなし、と決定したようです。
 しかし、競歩が終わると天候がにわかに変わり、表彰では曇り空に。ペースメイクをどうするか、関係者は判断が難しかったのではないでしょうか。当方も、その時間である監督の顔写真を撮らせてもらおうとしたら、また雪が降ってきました。選手の最終コールも雪の中。選手たちは毛糸の帽子やアームウォーマーを身につけてスタートしました。ペース設定は変更しなかったようです。
 この決断は正解でした。スタート後すぐに、天候が回復したのです。日本選手のサブテン5人は近年、それほど騒ぐ人数ではなくなりましたが、2時間13分未満の日本選手が16人も出たのです。もちろん、選手が力を付けているのが前提ですし、ニューイヤー駅伝との兼ね合いでこの大会に中堅選手が集中することも一因と思われます。でも、大集団で推移すれば、「ハイペースで行っている」というストレスがなくなります。その辺は結構、記録を左右すると思うんですよ。集団で見た場合。この人数は多分、1レースで出た数としては過去最多でしょう。調べられると思いますので、近日中に発表します。乞うご期待は、末續選手の口癖ですが、寺田が書いても、その信用はすでにびわ湖に沈んでいます。


◆3月6日(土)
 新幹線の車内で書いています。車両のなかで一番前の席をキープしました。のぞみなら電源のコンセントが付いていることが多いですから。と思いきや、隣の席のおじさんも、おもむろにパソコンを取り出します。DELLのばかでかいノートPC。DELLは会社単位で採用している会社が多いですからね。サラリーマンの象徴、というイメージです。でも、これってVAIO(ソニー製品)を使っている寺田を巨人ファンと勘ぐる土江選手と同じですね。偏見です。それに、デスクトップの壁紙はお子さんのドアップ写真。個人所有のPCかもしれません。
 でも、電源を独占されたら困ります。出張時は蛸足延長コードを持ち歩いていますから、恐る恐る電源シェアを持ちかけたところ、快く応じてくれました。低姿勢の対応ぶりで好感が持てる人。よかった、よかった。
 昨日、ATFS(世界陸上競技統計者協会)の方たちの話題を紹介しましたが、同じくATFSのS原さんからもメール。「島谷ひとみ???」という質問です。たぶん、寺田が何を言っているのかわからない、という意味ではなく、島谷ひとみをご存じない、ということだと思われます。
 あらためて書くのもなんですが、島谷ひとみはシンガーです。「パピヨン」で売れ出して、「シャンティ」がドラマのエンディングテーマに採用されて、「亜麻色の髪の乙女」のカバーでブレイクした(これであっていますか、J子さん?)。今は、パソコンに録音してある「市場に行こう」を聞いています。一番のお気に入りです。寺田は最近のアルバムよりも、初期の1〜2枚目のアルバムが好きですね。シングル以外でもいい曲が多いと思います。
 その島谷ひとみがなんでびわ湖マラソンと関係あるのか。
 これは寺田の勝手なイメージですが、彼女の歌い方はどこか、品があるように感じるのです。実際の彼女に品があるかどうかは知りません。しかし、少なくとも歌声と、歌っているときの姿には感じられる。それが、びわ湖マラソンに深く関わっている女性記者の方のイメージと相当にダブるので、寺田の頭の中では「島谷ひとみ→びわ湖マラソン」なのです(その記者の方の名前や社名はイニシャルでも出しませんよ)。


◆3月5日(金)
 自分ではそれほど面白くないと思った3月3日の未踏破県特集ですが、陸上関係者には多少なりとも身近に感じられたのかもしれません。特に、“記録好き”の人間には気になるところなのでしょうか。ATFS(世界陸上競技統計者協会)のN口さんが、ご自身の未踏破県をメールしてくれました。N口さんの未踏破県は「青森・(佐賀)・長崎・(大分)」だそうです。( )内は実際には行ったことがあっても、陸上がらみではない県です。ちなみに、やはりATFSのT辺先生は、青森県と佐賀県のインターハイ予選をその目的で見に行き、全県制覇を達成したようです(たぶん)。
 しかし、寺田の場合、地理的なハンディもあって(要するに交通費がかかる)、東北と九州に未踏破県が多い。やっぱり、青東駅伝と九州一周駅伝を1回くらい取材しないとダメですね。
 えっ? 青東は昨年の大会を最後に中止になった? スポンサー頼みの大会だったんでしょうか。手作り・手弁当の大会ではなくて。小出義雄監督の著書によく、ご自身の選手時代を振り返る部分に青東駅伝が出てきます。数年先の若い読者が読んだとき、「この大会って何?」って思ってしまうわけです。
 誤解しないでほしいのは、何もスポンサー頼みの大会が悪くて、手作り・手弁当の大会の方が良いと言っているわけではあません。ちょっと前にも書きましたが、テレビドラマじゃないんですから、善玉悪玉をはっきりさせる必要はない。スポンサー頼みということは、陸上競技がビジネスになっていること。もちろん、審判や運営に携わる方たちの、手弁当の部分があって成立している陸上競技です。でも、ビジネスとして成立するのなら、その方がベターのように思っています。
 ただ、スポンサーが降りたら「じゃあやめよう」というのでは、ちょっと芸がない。何らかの形で継続できればまた、再び日の目を見るケースもあるはずです。その部分の努力をするか、しないか、が左右するんじゃないでしょうか。
 小出監督の著書には、箱根駅伝を走ったことも書かれています。今は陸上界の枠を越え、国民的な人気を誇っていますが、大会の草創期は寂しい駅伝だったとよく聞きます。その時代に、手作り・手弁当で関係者が頑張ってきたことが、今日の隆盛につながっている。近年、沿道の応援は大手町・芦ノ湖往復の200km以上に渡って、ほとんど途切れることがありません。こんなに多く沿道から応援されるロードレースは、世界でも他にないのではないかと思われます。今の選手たちはそれが当たり前という感覚かもしませんが、先人の努力あって今日があることを、ゆめゆめ忘れないでください(ゆめゆめは、夢夢じゃないですよ)。
 ちょっと説教じみたことを書きましたが、たまには真面目なことを書かないと、ね。


◆3月4日(木)
 現在、某空港です。出発まで3時間あるので、これから原稿を書きます。明日の昼が締め切りの150行原稿。仕上げるのは難しいですけど、半分の80行くらいまでは書き進みたいところ。そのくらい進めば、全体のプロット(構成)もできあがってきます。
 昨晩は22時か22時30分には寝て、今朝は4時起き。2時間仕事をして6時から朝練習の取材。朝食後に選手の撮影をさせていただき、11時の本練習も取材。今日はカメラマンでした。選手、スタッフの方たちにご協力いただき、本当にいい取材でした。
 昨日のインタビューでもいい話が聞けたと思います。最近よく、いい話が聞けたと日記に書いていますが、それはあくまで、寺田の感想です。実際のいい悪いは記事を読んだ読者が決めること。いくら寺田が良い良いと言っても、結果が悪かったら意味がない。
 とまあ、スポーツであれば結果の良し悪しがはっきり出るので、こういう考え方はしやすいのですが、記事の場合良し悪しの基準が人それぞれ。だからといって、低レベルの記事を「これが面白いんだ」と開き直るつもりはありません。スポーツと同じくらい、結果が重要という心づもりで、取材に臨んでいるということです。
 若干、カッコつけた言い方なのは、取材したのが女子選手だったからか、それとも、びわ湖マラソン取材に向けて島谷ひとみを聴いているからか。


◆3月3日(水)
 今日も早起きして、9時の飛行機で出張。国内某所で取材です。実はこの県には初めて来ました。陸上選手や関係者で47都道府県全てを踏破している人は珍しくないと思われますが、取材する我々は意外と、行っていない県には行っていません。寺田の場合、北からいうと青森・山形・(新潟)・福井・(奈良)・和歌山・(島根)・佐賀・長崎です。( )は実際には行ったことがあっても、陸上関係では行っていない県。
 あれ、山形、行ったかなあ。以前、インターハイの東北予選を2〜3回取材したことがあります。秋田は覚えているのですが、山形、どうだったかなあ。酒田にある池田久美子選手の実家のお蕎麦屋さんに行ったら、陸上関係で行ったこととしてカウントできますね。
 佐賀も一度は行かないと、話のネタになりません。福島大・川本先生も佐賀県出身ですし、天満屋・武冨監督も。名指導者を生み出す土地柄……とか、安易に決めつけはしませんけど、唐津10マイルとか、祐徳ロードとか、フラッと取材してみるのも味わい深いような気がしています。


◆3月2日(火)
 2月27日の日記で新井初佳選手の陸マガ持ち物検査の記事を書いたと申し上げましたが、あのコーナーを毎月担当しているわけではありません。むしろ、書いているケースは少ないので、誤解されないようお願いします。
 今日は午前中に中部某所で仕事。午後は東京に移動後、代々木近辺を少し歩いていました。何をしていたかはいずれ、明かすことができると思います。プリンス近藤記者が、きっかけを作ってくれたことです。
 現実がドラマチックな一日だった昨晩は月9ドラマを見ませんでしたが、ちゃっかりビデオに録ってあって、本日見ました。以前にも紹介したように、アイスホッケーの実業団チームを舞台に人間ドラマ(恋愛ドラマ)が展開しています。それなりにしっかり、スポーツ界の事情も考証されていますが、ちょっと気になっているのは主人公たちが“日本代表”になっているのかどうか、という点。主人公の力量は日本のトップレベルに設定されていますから、当然、国際試合では代表入りしているはず。その話題がまったく出てきません。あまり、多くの要素を盛り込むと、わけがわからなくなるので、“実業団”という部分にとどめて話を展開させているのだと思われますが。
 アイスホッケーと言えば、今日はNHKの衛星放送で「ある愛の詩」を放映していました。原題は「love story」だったと思います。1970年頃のアメリカ映画で、主人公はハーバード大のアイスホッケー部員。試合でライバルチームの選手と乱闘をするシーンなんかもありますから、アイスホッケーを舞台にした場合の定番なのでしょう。主人公の男性は金持ちの家柄で、女性は庶民階級という設定。最後はもう、涙なくして見られませんが、映画のストーリーより、今では音楽の方が有名かも。もの悲しくも、壮大さを感じさせる曲で、誰でも聞いたことのあるメロディです。小田和正の「ラブストーリーは突然に」とは関係ありませんけど、作曲者はあのフリオ・レイです。じゃなくて、フランシス・レイでした。
 そんなことより、びわ湖に向けて島谷ひとみでしょう。


◆3月1日(月)その2
 高岡選手のびわ湖マラソン欠場に関する共同会見後、袋井(昨秋の国体のあった場所ですよ)の実家に移動。明日は、中部日本某所に行きますので、実家に泊まると都合がいいのです。
 会見の模様はこちらに記事にしました。
 今日、ポイントの1つとして考えていたのが、高岡選手の表情です。だから、後で会見の記事を読んだり人づてに話を聞くのでなく、自分の目で確認したかった。寺田は通常、記事の中で表情がどうと描写するよりも、選手のコメントを多用する傾向があると思います。もちろん、表情の描写も重要ですが、“表情を読みとる”という作業は“言葉を読みとる”という作業よりも不確定さが伴います。同じ感情でも、人によって表情の出し方は違いますし、それを見て判断する側の主観も文字にするときには入ってきます。言葉も不正確に使われたり、うそだったりすることもありますが、表情を読みとることと比べたら、なんていうか、比較的確かな情報伝達手段だと思うのです。
 でも、今回は表情を重視しました。それは、高岡選手だから。92年に5000mの日本記録を出す前から取材している選手です。キャラも少しは理解できていると思っています。何度かインタビューもさせてもらい、全体として笑顔が印象的なのはもちろんですが、真剣に語るときの表情、考え込んだときの表情、意気込んで語るときの表情、こちらの馬鹿話を懐深く受け入れてくれるときの表情と、なんとなく脳裏に印象が残っている選手なのです。
 と、カッコつけたことを言ってみたものの、記事の後半は平凡です。ネタ自体の面白さはともかくとして、結論として「本心はレースに出たかった」では、誰でも思い当たることでしょう。実は最初、もうちょっと踏み込んで書くつもりでした……という話は置いておいて、とにかく今日はドラマチックな一日でした。
 高岡選手の会見もそうですし、実家で聞かされた話や、夜かかってきた電話もそう。特に夜の電話は、自分の歩んできた道をちょっとですけど思い返すというか、人生の選択について考えさせられた話でした。感慨深い一日だったので、本当のドラマ(月9)は見る気になりませんでした。


◆3月1日(月)
 ただ今、新幹線で西に向かっています。先週後半は締め切りが立て込んで日記が書けませんでしたが、新幹線の車中で3日分書きました。
 朝まで仕事して寝る生活が数日続いていたので、朝の5時起きはきつかったですけど、あの高岡選手がびわ湖欠場に関して会見をするというのですから、行かないわけにはいかないでしょう。火曜水曜と早朝から出かける予定があり、どこかで早起きパターンに修正する必要があったので、好都合でした。自腹取材ですが火曜日に中部日本某所に行く予定があったので、それに上乗せして防府まで足を伸ばそうという魂胆です。
 どんな話が聞けるでしょうか。


◆2月29日(日)
 今日は昼過ぎに電話取材を1本。面白い話が聞けました。それにしてもこの1週間、電話取材が多かったですね。取材ノートの表紙に、何の取材をしたか日付と一緒に見出しにして書いているんですが、水曜日から日曜日の5日間で選手2人と指導者3人。その間の締め切りを考えると、よくやったな、と思います。電話取材は、どれだけスムーズに相手がつかまるかにも左右されますし。
 電話と言えば、UAEでサッカー取材中の佐々木一郎記者(日刊スポーツ前陸上競技担当)から国際電話がありました。年末に会った際には、この日記に登場する回数がプリンス近藤に抜かれそうだと気にしていました。国際電話で再度、そのことを言ってきたわけではありませんが、たぶんそういう意図だったのだろうと勝手に解釈しました。実際の用事はロンドン・マラソン関係の新年会と歓迎会の打ち合わせ。自腹電話みたいだったので、手短かに済ませましたが、その中にもジョークを入れるのが佐々木記者。彼から学ぶ点も多かったなと思います。
 一昨日、全国を駆けめぐった新井初佳選手と小島茂之選手の結婚のニュースですが、ちょっと面白いことに気づきました。この2人って、伊東浩司選手と鈴木博美選手の結婚と逆バージョンですね。新井選手が兵庫、小島選手が千葉出身ですが、伊東夫妻は伊東選手が兵庫で博美夫人が千葉出身。それだけにとどまりません。博美夫人と小島選手は市船橋高の先輩と後輩で、伊東選手と小島選手は富士通の先輩と後輩。さらに、新井選手の母校の甲南大のコーチになったのが伊東選手。ちょっとどころか、めちゃくちゃに面白いつながりがあります。
 甲南大と言えば某誌編集部のO川編集者も甲南大OB。かつての400 mハードラーです。以前にも紹介したように、日本テレビスポーツうるぐすの鈴木アナ似の二枚目編集者。そういえば、今日紹介した甲南大関係者3人は美男美女揃いですね。24日の日記で言及したように、外見を話題にするのは実際の能力が優秀だという評判が定着しているから。ということは、O川編集者も優秀だということ? それを、寺田がどうこう言っちゃいけませんね。撤回します。


◆2月28日(土)
 早いもので日中対抗室内横浜大会から早1週間。今日やっと、その原稿を書き終えました。そうか。このサイトにも、さわりを紹介する記事を書くと言ったんです。信用されてないから、いいですけど。
 日中対抗室内は久しぶりのトラック&フィールドということもあり、日記用のネタがたくさんありました(別に意識して拾っているわけではありません)。
 読売新聞のカメラマンの方から「近藤記者の27km走ネタの続きはないのですか」と聞かれました。これは嬉しかったですね。大手新聞社のカメラマンの方までこの日記を読んでくれている。しかも、プリンスネタをもっと書いて欲しいというのですから。
 そのとき、近藤記者にも言ったことですが、次のプリンスネタは、近藤記者とある女子選手の取材の様子を見ていた寺田が、とある決心をしたというネタです。ロードマップっていうんでしたっけ? インテルとかが今後のCPUの進歩予測を示す図を公開しますよね。それと同じことを、寺田もしているわけです(たまに)。日記ですから、別のネタが先に来るかもしれませんけど。
 ところで、早大競走部で近藤記者と同期だった方が陸上界で頑張っています。プリンス近藤に対して、スプリンター○○と紹介しようかと思ったのですが、黒子に徹したいということなのか、固辞されています。朝日新聞・金重記者も同様に、ニックネームを寺田が提案したのですが固辞。読売新聞・近藤、毎日新聞・ISHIRO両記者にニックネームがあって、朝日新聞・金重記者にないのはおかしいじゃないか、という指摘もいただいていたのです。候補となったニックネームには、次のような経緯がありました。
 大阪国際女子マラソンの前々日の共同会見の際、司会を増田明美さんが務めていました。金重記者が質問しようと挙手をすると、増田さんが「はい。朝日新聞の金重さんです。いつもジャーナリトらしい質問をする方ですね」と紹介しながら指名したのです。これが、記者仲間で大ウケ。もちろん、金重記者がジャーナリストとして一流である評価は定着しています。でも、ことさらに公の場で指摘されると、なぜかウケてしまうのです。
 ということで、金重記者のニックネームは「ジャーナリスティック金重」にしようかと思ったのですが、本人が固辞されるので、別のを考えます。「悲しげじゃないので金重(かねしげ)」とか、インターハイの大阪府大会で入賞しているので「浪速のど根性記者」とかが候補。公募しようかな。
 某専門誌のE本&O川編集者にも、日記に登場予定はないか聞かれましたが、その2人に関してはなし。E本編集者のムーミン2号ネタも詳細は出しにくい部分もあるし、野○○○○ネタは「ノーノー」でしょう。究極の楽屋落ちです。


◆2月27日(金)
 今日は色々なニュースが飛び込んできました。
 まずはおめでたいニュース。新井初佳選手と小島茂之選手が結婚しました。日本選手権2種目6連勝選手&200 m日本記録保持者と、シドニー五輪4×100 mR&世界ジュニアのファイナリスとのビッグカップルです。2人の馴れ初めは……知りませんが、一昨年の夏に陸マガの持ち物検査で新井選手を取材させてもらったことがあります。富士北麓合宿中で、高級リゾートホテルのプールサイドでした。
 そのとき新井選手が持っていた携帯電話が富士通製。「彼氏の影響です」だったか、「彼氏の命令です」と話してくれました(もちろん誌面には出していません)。その頃、すでに2人が付き合っていることは業界内部では知られている話で、こちらがそれを知っていると思ってのコメントだと思われます。もしかすると寺田が、知っていることをにおわせたのかもしれません。
 1つ断っておきます。選手の誰と誰が付き合っているという話は、たまに耳に入ってきますが、陸上競技担当記者がそれを公にすることは、当人の了解が取れるなどしない限り、あり得ません。改めて指摘するまでもないことですが、陸上競技の記事を書くこととは関係のない部分です。だから、噂を聞いてもそれほど気にすることはありません。よっぽど親しい選手でもない限り、「あの選手とどうなった?」とか質問することもない。知らないうちに関係が終わっていることもありますし。
 とういいうこどで今回の新井選手と小島選手のニュースを聞いたときも、「そういえば、その可能性のある2人だったな」と、“思い出した”感じですね。
 残念なニュースは高岡寿成選手のびわ湖マラソン欠場。月曜日に記者会見をする予定なので、詳しいことはそのときに明かされると思いますが、個人的には相当に残念です。伊藤国光監督から今回のマラソンは、福岡のときのように完全に合わせて出るのでなく、アテネ五輪に向けた練習の流れの過程で出ることを、東京国際マラソンの際にお聞きしました。ピークを合わせなくとも、高岡選手持ち前のここ一番の強さで勝つことができれば、という考えだったと思われます。脚の不安もあるようですし、練習でいい動きができていないようなのですが、練習がまったくできていないわけでもないそうです。できれば勝負して欲しいというのが一陸上ファンとしての思いですが、この道の“プロ”が判断したことですから。それに、それぞれの立場というものもあります。外野がとやかく言うことではないでしょう。
 悪いニュースは西濃運輸の休部(廃部?)。勝木監督とは現役時代からよく話をしましたし、向井裕紀弘選手とは陸マガのリレー特集で日大マイル・チームを取材して以来の仲。数少ない一般種目の実業団チームだっただけに、本当に残念です。スタッフ・選手の今後が、いい方向に行くといいのですが。
 寺田にも悪いニュースが。原稿がなかなか進んでいないのです。それは、自営業者の自業自得か。もうすぐ確定申告。


◆2月26日(木)
 昨晩はテンションを上げすぎたせいか、今朝は徹夜明けにもかかわらず眠れませんでした。7時半には布団に入ったのに、眠れたのは9時頃、メイビー。起床は12時でしたから3時間睡眠。まあ、気持ちが持てば楽勝です。
 昨晩中に請求書を2通書いていましたし(以前も書きましたが、必要不可欠の作業とはいえ、これが面倒くさい)、アポ取りと電話取材がトントンと進んで、若干安心してしまったのが失敗。わかっているんですよ、気持ちを切らすとダメだって。いくつか段取りがあったのは事実ですが、原稿に取りかかるのが後れてしまいました。
 ということで、今晩もテンションを上げないといけません。これからが勝負。日記は後回し……にしようと思いましたが、ええい、書いてしまえ。
 22日の日記で紹介した等々力競技場のネタは反響大。陸マガの企画発案者であるN口さんから、「その年は国立競技場が翌年の世界選手権に向けて改装工事中だった」というメールをいただきました。そもそも、N口さんと家族T氏が知り合いだったのが、その企画の発端でした。元からそういったつながりがあったわけで、通常の取材とはちょっと違ったのです。重要な部分ですね。これを書いておかないと、誤解を受けそうですから。
 家族T氏の陸マガ記事を覚えていた方もいます。神奈川県で競技をやっていて、家族T氏の“トラディッショナルな大学”とも関わりがあったということですが、この方の記憶力もすごいと思いました。
 そして、福島大・川本和久先生も、おやじの時々日記でこの話題を取り上げてくださっています。
 取材のときに話を聞かせていただきましたが、等々力競技場は福島大にとっても記念となる競技場だったわけです(おやじの時々日記に福島大が強くなった経緯の一部が紹介されています)。大学チームが一朝一夕に強くなるなんてことは、ないんですね。そのときどき、そのレベルで精一杯の努力をして、それが次の段階につながっていく。でも、箱根駅伝の新興の大学って、そういうケースじゃないですよね。同じ陸上競技でも、社会のどの部分に位置しているか、が違う。ちょっと考えさせられる相違点です。
 福島大のようなケースを便宜的に“手作りのチーム”と呼びます。一方、箱根駅伝で最近強化をする大学は、箱根駅伝で活躍するチームを作りたい、という意思をもつ組織がバックにあって強化が進行する。決して現場レベルの努力・取り組みを否定するものではありませんが、“組織のチーム”とここでは呼びます。
 手作りチームは情熱があり、手腕もある指導者が中心になり、その人物の周りに選手が徐々に集まり、応援する人も集まってくる。推薦枠や卒業後の受け皿も、指導者の個人的な努力で実現している部分が大きい。
 一方、組織のチームは、組織が指導者を連れてくる。選手を勧誘するのはその指導者ですが、推薦枠は組織が確保します。
 効率的なのは、組織のチームでしょう。指導者も、結果を出せなければすげ替えられる。一方、手作りチームの指導者は、すげ替えのできない教員であることが多いはずです。でも、すげ替えできない指導者が優秀だったとき、そのチームは本当にすごい力を付けることができる。逆に指導者が力不足だったら、そのチームはずっと浮上できない。
 どちらがいい、どちらが悪いを論じたいのではありません。社会的な背景で違いが生じることを指摘したいだけ。繰り返しますが、組織のチームの現場は現場で、ものすごく頑張っています。もちろん、組織も頑張って強化をしている。ドラマのように、善悪をつけるべきことではありません。


◆2月25日(水)
 現在、時刻は午前5:41(26日です)。さっそく2・26事件について語りましょう、というのは冗談です。専門は西洋史ですので。
 久しぶりにライターズハイ状態。パソコンで小田和正を聴き続けているせいかもしれませんが、徹夜で集中したのが原因でしょう。原稿集中閉鎖モードのはずですが、書けそうなので今日の出来事を書いてしまいます。
 午前中に未完成の原稿を100行ほど書いて仕上げ、銀行&昼食後にテレビ雑誌の記事をタリーズコーヒーで書きました。これは資料なしでも書ける種類の原稿ですが(取材もしてあったし、ほとんどが頭の中に入っているネタで行ける原稿)、その後に書き始めた、とある大きな作業は資料が必要なので、自宅内の事務所でひたすら集中しました。約40分の夕食休憩を挟みましたが、午前5時までテンションを上げ続けた次第です。
 電話取材のアポ取りをいくつか進めているのですが、こちらはちょっと苦戦中。
 今さら言うのもなんですが、その作業をしていて、本当に色んな陸上競技人生があるのだと認識を新たにしました。色んな選手がいて、それぞれのスタンス、情熱をもって競技に取り組んでいる。手に取るように、とは言いませんが、大まかな経歴から、ある程度はわかります。そこに小田和正のBGMが加わると、かなり感傷的な気分になりますね。
 ここまで集中して、選手のプロフィールなどを調べられる陸上報道人は他にいないだろう、みたいな都合のいい自負心なんかも沸いてきます。これも小田効果でしょうか。
 大きな作業が1つ片づき、明日からは日中対抗室内と某企画の原稿にかかります。電話取材もしないとね。原稿集中閉鎖モードはしばらく続きます。日記が書けるかどうかは、テンション次第。小田和正モードも、もうしばらく続きそうですが、びわ湖マラソンに向けて島谷ひとみモードに切り換えないと。


◆2月24日(火)
 昨日は皇太子の誕生日で、44歳になられたそうです。ちなみに、一昨日の22日はウチの兄の誕生日。末續慎吾選手のお兄さんのように、弟を厳しくしつけてくれました(銅メダリストの家族と一緒にしていいのか)。
 兄の話はさておき、ここで指摘したいのは皇太子がもう44歳という点です。皇太子、英語にすれば紛れもなくプリンス。そう、世の女性たちは“プリンス”と聞くとなぜか、20歳代の眉目秀麗の青年を想像します。しかも、白馬に乗っていたりする。しかし、現実的に考えれば王制は世襲制なわけで、プリンスは父親が亡くならない限りキングになれない。キングが70歳台まで生きたなら、プリンスが50歳代というのも考えられます。というか、そういうケースの方が多いでしょう。平均寿命が50歳の時代なら、プリンス=20歳代だったのでしょうけど。
 長い前ふりになりましたが本題は、プリンス近藤(読売新聞・近藤記者)も確か35歳と、言葉のイメージ以上の年齢ということです。しかも外見は20歳代ですから、実年齢を聞かされた末續選手がのけぞっていました。確か、昨年7〜8月頃の富士北麓での合宿取材のときだったと記憶しています。土曜日の日中対抗室内では、こんなことがありました。寺田が取材した某女子選手(棒女子選手ではない)が「近藤さんって(早大の)先輩なんですけど、どの方かわからないんです」と言うので、「記者のなかで一番カッコイイ人だよ」と教えておきましたが、20歳代に見えるという肝心な部分を伝えるのを忘れてしまいました。大きな大会で日本記録(または五輪標準記録)を出したら一緒に取材すると思うので、紹介しましょう。
 ISHIRO!記者もマリナーズ・イチローに似ている顔が売りなのですが、寺田がこの2人のように外見を話題にする場合、中味がすごいと認めている前提があります。認めているというか、その能力にこちらが圧倒されている。記者として高い評価が定着しているので、だったらプラスアルファの特徴をあれこれ書いて、みんなで楽しもうというスタンスがとれるのです。苅部俊二コーチの貴公子・元講師ネタも同様ですね(昨年7月28日の日記参照)。
 ISHIRO記者に関しては、日中対抗室内の際にこんなエピソードもありました。寺田が福島大・川本先生に、翌日(日曜日)の練習開始時間を確かめたとき「等々力競技場は14年ぶりなんで楽しみです」と言うと、一緒にいたISHIRO記者が「そうそう。奥さんを取材した関東インカレでしたよね。僕ら(筑波大選手のことか?)もバックスタンドで○○大の選手なんて珍しい、って話していましたから」と、川本先生にバラしたのです(陸マガH編集長もそれに加わってだめ押ししたので、ごまかしようがなかった)。14年も前のそんな些細な会話を、どうして覚えていられるのでしょう。顔だけでなく記憶力もすごいということ、でしょっ(ユンケルCM風に)。


◆2月23日(月)
 朝の7時台の電車に乗って出発する日帰り取材。コーチ1人と学生選手3人に話を聞きました。コーチからは“動き”に関して、なるほどという話が聞けたと思いますし、学生選手たちも面白い話をしてくれたので、充実した取材でした。怒濤の5日連続取材も今日が最終日。しかし、それだけ取材したということは、原稿もたくさん抱えているということ。しばらく原稿閉じこもりモードに入ります。ドトールには行くかも、ですけど。
 昨日の日記で引用した小田和正の曲について、問い合わせメールがありました。「ラブストーリーは突然に」です。この曲が流行ったのも、もう何年か前でしょう。小田和正は2年前にこの日記を再開するにきっかけ(2002年3月。ファミレス論争って覚えていますか?)となったドラマで、「キラキラ」という曲が使われていました。「恋ノチカラ」は主人公の広告クリエイターが大手広告代理店をやめて、独立して頑張っていく話。その頃、現実のある広告代理店勤務の女性の方(陸上関係者でもあります)と、そのドラマの話をよくしました。寺田の携帯電話には“美人プランナー”とメモリーに登録してある人です。
 その方と、仕事が煮詰まったり、せっぱ詰まった状態のときにドラマのことを思い浮かべると(あるいはドラマで使われていた小田和正の曲を聴くと)、やる気が出て頑張れたりする、という話をしたことがありました。その人にとっては同じ広告業界の話であり、寺田にとっては独立して頑張っている(四苦八苦している)という点が共感できたのです。
 そういった経緯で小田和正の「自己ベスト」という、オフコース時代の曲を含めたベストアルバムを購入。最近はパソコンのハードディスクに録音して聞いています。「ラブストーリーは突然に」も、そのなかに収録されているのですが、偶然にも昨日、等々力競技場で流れていました。最近多いですよね、音楽を流している競技場やスポーツクラブって。ウソだと思われる方は、福島大・川本先生に聞いてみてください。ウソだとわかりますから……寺田の頭の中に流れていたのは事実です。


◆2月22日(日)
 9:30に川崎市の等々力競技場へ。福島大・川本和久監督門下の選手たちが、試合翌日にもかかわらず午前・午後と2部練習を行なっていて(それが川本流)、そのうちのある選手の取材。話はすでに聞いてあって、今日は練習中の写真撮影が目的でした。
 等々力競技場は1990年に関東インカレが開催された場所。当時は横浜国際競技場はなくて、国立競技場が関東インカレの例年の会場。その年は何かの理由で国立競技場が使えなかったのでしょう。等々力だけでなく、江戸川競技場でも第1週の種目が行われて、金子宗弘選手の十種競技の日本新を取材した記憶もあります。そのとき以来、14年ぶりに等々力競技場に足を踏み入れました。バックストレート側は立派なスタンド席の“今風”のスタジアム。帰りのタクシーで運転手に取材しましたが、やはりサッカーのJリーグ(ヴェルディやフロンターレ<富士通のチームです>)を開催するようになってから増設されたようです。
 実は等々力競技場は、個人的にも思い出深い場所。初めて家族T氏と出会ったのが、その関東インカレでした。当時の陸マガは地区インカレを通常の競技的な報道以外にも、地区大会らしかったり大学生らしい話題を、カコミ的に取り上げていました。その年の関東では、とってもトラディッショナルなある大学から初めてインカレに出場した選手(その大学に陸上競技部を創設した選手)という視点で、ある選手を取り上げました。その選手が家族T氏だったのです。
 スタンドや競技場周囲の公園の様子などはまったく記憶に残っていませんでしたが、家族T氏に初めて(取材として)声をかけたスタンド下の廊下はなぜか、自分の記憶の中にイメージ化されていたので、行ってみてすぐに「ここだった」とわかりました。
 等々力競技場が出会いの場所であることは川本先生もご存じのこと(昨日の日中対抗室内の際にISHIRO!記者がバラしたため)。自然と「ここで最初に会ったんですよ」と話しました。BGMには小田和正の曲が流れています。
 あの日 あのとき あの場所で 君に会えなかったら
 僕らは いつまでも 見知らぬ2人のまま

 この件は、福島ともつながりがあるのです。挙式したのは5年後の1995年10月。福島国体直後のことで、その国体は「独身最後の取材だ」と思って気合いを入れた記憶があります。そして今日取材した選手も、福島国体優勝者なのです。上野裕一郎選手が日体大で1万mの高校新を出したときに、前記録保持者の渡辺康幸氏が記録を出した八王子と日体大が不思議な縁で結ばれたように(昨年11月29日の日記参照)、等々力競技場と福島も摩訶不思議な線でつながりました。


◆2月21日(土)
 1年に1度、横浜アリーナに通う日がやってきました。日中対抗室内横浜大会取材。トラック&フィールドの競技会取材は、昨年10月の国体以来ですから4カ月ぶりです。久しぶりに会う選手・指導者も多いのですが、宮崎久選手とは短距離合宿取材が年末・2月11日と2度あったので、久しぶりという感じはありません。しかし、ISHIRO!記者がFrom ISHIROで紹介した髪のちょっと長くなった宮崎選手の姿は未公開だったと思うので、ここで公開させていただきます(本人の了承済み)。元400 mH日本記録保持者の斎藤嘉彦選手に、雰囲気が似てきたように思います。体重も少し減っているようですし(年末の短距離合宿の記事陸連短距離合宿公開練習&合同取材参照)。
 4カ月ぶりのトラック&フィールドということで、心配なのは、寺田の電気計時と同じ精度の手動計時の腕がさび付いていないかどうか、という点。昨年まで愛用していたカシオのウォッチが壊れたため、今はロンドン・マラソンでもらったウォッチを使っています。若干、感触が違うので、その辺もどうかな、と思っていました。選手たちが冬期トレーニングの最中に室内競技会で動きをチェックするように、寺田も室内でそういった部分をチェックしているのです。
 女子200 mで丹野麻美選手を計測したら24秒41。実際は24秒44で0.03秒の誤差。横浜アリーナの場合フィニッシュラインの真横に行くのが難しく、斜め前の位置で押していることを考えると、悪い数字ではありませんが、できれば±0.02秒にとどめたいところ。ライバルである陸上記者の007こと(誤差0.07秒の腕という意味)、O村ライターは24秒47でやはり0.03秒差。ちょっと悔しかったですけど、次の男子200 mでは塚原直樹選手の記録を21秒39で止めました。実際は21秒38で0.01秒差。腕の鈍っていないことが確認でき、一安心です。
 記事は陸マガにドカンと書きますが、このサイトでも各種目にちょこっとずつ触れていくパターンか、色んな選手のコメントをちょっとずつ紹介するか、雑誌発売が待ち遠しくなるような記事を書く予定。問題は、その時間があるかどうか。実は、終わったと思っていた記録集計号の作業が再度発生。ただいま、朝の3:10。大作原稿が、進んでいません。明日は横浜国際女子駅伝の前に9:30から取材予定が入っていますです。



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