続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年2月 サラリーマンのコストパフォーマンス
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◆3月7日(日)
 朝の7:30に起床すると窓の外は雪。やばいなあ(=記録が出ない)と思いましたが、しばらく仕事をしていたら、気がつかないうちにやんでいました。競技場に9:45着。10:30から女子5000mWの取材です。
 びわ湖マラソンとびわ湖全日本女子競歩は、れっきとした別の大会。報道受け付けでも、競歩のプログラムは申し出ないと渡してくれません。取材する側は、同じ競技場に行くと1つの大会の中の別の種目、という感覚になるんですね。
 1月末の神戸と4月中旬の輪島の間で、時期的に難しいとは思いますがメディアも集まっているのですから、競歩をアピールするにはいい機会だと思います。我々も、神戸は例年、大阪国際女子マラソンと重なりますし、高畠は全日本大学駅伝や淡路島女子駅伝で“西”に行く時期と重なります。輪島は兵庫リレーカーニバルと重なることが多い。競歩選手の話が聞ける数少ないチャンスなのです。
 レース後、びわ湖マラソンのセッティングを借りて優勝者の会見などもあるのですが、いかんせん、取材する側へのデータ提供が少なすぎます。せめて、プログラムに招待選手の簡単な略歴とか、この1年間の競歩主要大会の上位選手一覧とか、歴代と2003年の競歩各種目の上位10傑とか、掲載すれば記事にしやすいと思いました。プログラムに印刷すると費用がかかりますから、パソコンからプリントアウトして何十部かコピーするだけでもいいのです。
 それらのデータは、観戦者の役にも立つ。「どうせ競歩は関係者しか見ないから、記録や戦績はみんなわかっている」と、お考えなら仕方ありませんが、選手の父兄たちだって、そんなに競歩の知識はないんじゃないでしょうか。
 びわ湖マラソンのいいところはスタート時間が12:30と、他の大会よりも30分近く遅いこと。単に、こちらの感覚の問題だと思われますが、この30分が結構ありがたかったりします。11:30から最終的なペースメイクの打ち合わせがあり、5km15分05秒前後、30km1時間31分以内という設定の変更はなし、と決定したようです。
 しかし、競歩が終わると天候がにわかに変わり、表彰では曇り空に。ペースメイクをどうするか、関係者は判断が難しかったのではないでしょうか。当方も、その時間である監督の顔写真を撮らせてもらおうとしたら、また雪が降ってきました。選手の最終コールも雪の中。選手たちは毛糸の帽子やアームウォーマーを身につけてスタートしました。ペース設定は変更しなかったようです。
 この決断は正解でした。スタート後すぐに、天候が回復したのです。日本選手のサブテン5人は近年、それほど騒ぐ人数ではなくなりましたが、2時間13分未満の日本選手が16人も出たのです。もちろん、選手が力を付けているのが前提ですし、ニューイヤー駅伝との兼ね合いでこの大会に中堅選手が集中することも一因と思われます。でも、大集団で推移すれば、「ハイペースで行っている」というストレスがなくなります。その辺は結構、記録を左右すると思うんですよ。集団で見た場合。この人数は多分、1レースで出た数としては過去最多でしょう。調べられると思いますので、近日中に発表します。乞うご期待は、末續選手の口癖ですが、寺田が書いても、その信用はすでにびわ湖に沈んでいます。


◆3月6日(土)
 新幹線の車内で書いています。車両のなかで一番前の席をキープしました。のぞみなら電源のコンセントが付いていることが多いですから。と思いきや、隣の席のおじさんも、おもむろにパソコンを取り出します。DELLのばかでかいノートPC。DELLは会社単位で採用している会社が多いですからね。サラリーマンの象徴、というイメージです。でも、これってVAIO(ソニー製品)を使っている寺田を巨人ファンと勘ぐる土江選手と同じですね。偏見です。それに、デスクトップの壁紙はお子さんのドアップ写真。個人所有のPCかもしれません。
 でも、電源を独占されたら困ります。出張時は蛸足延長コードを持ち歩いていますから、恐る恐る電源シェアを持ちかけたところ、快く応じてくれました。低姿勢の対応ぶりで好感が持てる人。よかった、よかった。
 昨日、ATFS(世界陸上競技統計者協会)の方たちの話題を紹介しましたが、同じくATFSのS原さんからもメール。「島谷ひとみ???」という質問です。たぶん、寺田が何を言っているのかわからない、という意味ではなく、島谷ひとみをご存じない、ということだと思われます。
 あらためて書くのもなんですが、島谷ひとみはシンガーです。「パピヨン」で売れ出して、「シャンティ」がドラマのエンディングテーマに採用されて、「亜麻色の髪の乙女」のカバーでブレイクした(これであっていますか、J子さん?)。今は、パソコンに録音してある「市場に行こう」を聞いています。一番のお気に入りです。寺田は最近のアルバムよりも、初期の1〜2枚目のアルバムが好きですね。シングル以外でもいい曲が多いと思います。
 その島谷ひとみがなんでびわ湖マラソンと関係あるのか。
 これは寺田の勝手なイメージですが、彼女の歌い方はどこか、品があるように感じるのです。実際の彼女に品があるかどうかは知りません。しかし、少なくとも歌声と、歌っているときの姿には感じられる。それが、びわ湖マラソンに深く関わっている女性記者の方のイメージと相当にダブるので、寺田の頭の中では「島谷ひとみ→びわ湖マラソン」なのです(その記者の方の名前や社名はイニシャルでも出しませんよ)。


◆3月5日(金)
 自分ではそれほど面白くないと思った3月3日の未踏破県特集ですが、陸上関係者には多少なりとも身近に感じられたのかもしれません。特に、“記録好き”の人間には気になるところなのでしょうか。ATFS(世界陸上競技統計者協会)のN口さんが、ご自身の未踏破県をメールしてくれました。N口さんの未踏破県は「青森・(佐賀)・長崎・(大分)」だそうです。( )内は実際には行ったことがあっても、陸上がらみではない県です。ちなみに、やはりATFSのT辺先生は、青森県と佐賀県のインターハイ予選をその目的で見に行き、全県制覇を達成したようです(たぶん)。
 しかし、寺田の場合、地理的なハンディもあって(要するに交通費がかかる)、東北と九州に未踏破県が多い。やっぱり、青東駅伝と九州一周駅伝を1回くらい取材しないとダメですね。
 えっ? 青東は昨年の大会を最後に中止になった? スポンサー頼みの大会だったんでしょうか。手作り・手弁当の大会ではなくて。小出義雄監督の著書によく、ご自身の選手時代を振り返る部分に青東駅伝が出てきます。数年先の若い読者が読んだとき、「この大会って何?」って思ってしまうわけです。
 誤解しないでほしいのは、何もスポンサー頼みの大会が悪くて、手作り・手弁当の大会の方が良いと言っているわけではあません。ちょっと前にも書きましたが、テレビドラマじゃないんですから、善玉悪玉をはっきりさせる必要はない。スポンサー頼みということは、陸上競技がビジネスになっていること。もちろん、審判や運営に携わる方たちの、手弁当の部分があって成立している陸上競技です。でも、ビジネスとして成立するのなら、その方がベターのように思っています。
 ただ、スポンサーが降りたら「じゃあやめよう」というのでは、ちょっと芸がない。何らかの形で継続できればまた、再び日の目を見るケースもあるはずです。その部分の努力をするか、しないか、が左右するんじゃないでしょうか。
 小出監督の著書には、箱根駅伝を走ったことも書かれています。今は陸上界の枠を越え、国民的な人気を誇っていますが、大会の草創期は寂しい駅伝だったとよく聞きます。その時代に、手作り・手弁当で関係者が頑張ってきたことが、今日の隆盛につながっている。近年、沿道の応援は大手町・芦ノ湖往復の200km以上に渡って、ほとんど途切れることがありません。こんなに多く沿道から応援されるロードレースは、世界でも他にないのではないかと思われます。今の選手たちはそれが当たり前という感覚かもしませんが、先人の努力あって今日があることを、ゆめゆめ忘れないでください(ゆめゆめは、夢夢じゃないですよ)。
 ちょっと説教じみたことを書きましたが、たまには真面目なことを書かないと、ね。


◆3月4日(木)
 現在、某空港です。出発まで3時間あるので、これから原稿を書きます。明日の昼が締め切りの150行原稿。仕上げるのは難しいですけど、半分の80行くらいまでは書き進みたいところ。そのくらい進めば、全体のプロット(構成)もできあがってきます。
 昨晩は22時か22時30分には寝て、今朝は4時起き。2時間仕事をして6時から朝練習の取材。朝食後に選手の撮影をさせていただき、11時の本練習も取材。今日はカメラマンでした。選手、スタッフの方たちにご協力いただき、本当にいい取材でした。
 昨日のインタビューでもいい話が聞けたと思います。最近よく、いい話が聞けたと日記に書いていますが、それはあくまで、寺田の感想です。実際のいい悪いは記事を読んだ読者が決めること。いくら寺田が良い良いと言っても、結果が悪かったら意味がない。
 とまあ、スポーツであれば結果の良し悪しがはっきり出るので、こういう考え方はしやすいのですが、記事の場合良し悪しの基準が人それぞれ。だからといって、低レベルの記事を「これが面白いんだ」と開き直るつもりはありません。スポーツと同じくらい、結果が重要という心づもりで、取材に臨んでいるということです。
 若干、カッコつけた言い方なのは、取材したのが女子選手だったからか、それとも、びわ湖マラソン取材に向けて島谷ひとみを聴いているからか。


◆3月3日(水)
 今日も早起きして、9時の飛行機で出張。国内某所で取材です。実はこの県には初めて来ました。陸上選手や関係者で47都道府県全てを踏破している人は珍しくないと思われますが、取材する我々は意外と、行っていない県には行っていません。寺田の場合、北からいうと青森・山形・(新潟)・福井・(奈良)・和歌山・(島根)・佐賀・長崎です。( )は実際には行ったことがあっても、陸上関係では行っていない県。
 あれ、山形、行ったかなあ。以前、インターハイの東北予選を2〜3回取材したことがあります。秋田は覚えているのですが、山形、どうだったかなあ。酒田にある池田久美子選手の実家のお蕎麦屋さんに行ったら、陸上関係で行ったこととしてカウントできますね。
 佐賀も一度は行かないと、話のネタになりません。福島大・川本先生も佐賀県出身ですし、天満屋・武冨監督も。名指導者を生み出す土地柄……とか、安易に決めつけはしませんけど、唐津10マイルとか、祐徳ロードとか、フラッと取材してみるのも味わい深いような気がしています。


◆3月2日(火)
 2月27日の日記で新井初佳選手の陸マガ持ち物検査の記事を書いたと申し上げましたが、あのコーナーを毎月担当しているわけではありません。むしろ、書いているケースは少ないので、誤解されないようお願いします。
 今日は午前中に中部某所で仕事。午後は東京に移動後、代々木近辺を少し歩いていました。何をしていたかはいずれ、明かすことができると思います。プリンス近藤記者が、きっかけを作ってくれたことです。
 現実がドラマチックな一日だった昨晩は月9ドラマを見ませんでしたが、ちゃっかりビデオに録ってあって、本日見ました。以前にも紹介したように、アイスホッケーの実業団チームを舞台に人間ドラマ(恋愛ドラマ)が展開しています。それなりにしっかり、スポーツ界の事情も考証されていますが、ちょっと気になっているのは主人公たちが“日本代表”になっているのかどうか、という点。主人公の力量は日本のトップレベルに設定されていますから、当然、国際試合では代表入りしているはず。その話題がまったく出てきません。あまり、多くの要素を盛り込むと、わけがわからなくなるので、“実業団”という部分にとどめて話を展開させているのだと思われますが。
 アイスホッケーと言えば、今日はNHKの衛星放送で「ある愛の詩」を放映していました。原題は「love story」だったと思います。1970年頃のアメリカ映画で、主人公はハーバード大のアイスホッケー部員。試合でライバルチームの選手と乱闘をするシーンなんかもありますから、アイスホッケーを舞台にした場合の定番なのでしょう。主人公の男性は金持ちの家柄で、女性は庶民階級という設定。最後はもう、涙なくして見られませんが、映画のストーリーより、今では音楽の方が有名かも。もの悲しくも、壮大さを感じさせる曲で、誰でも聞いたことのあるメロディです。小田和正の「ラブストーリーは突然に」とは関係ありませんけど、作曲者はあのフリオ・レイです。じゃなくて、フランシス・レイでした。
 そんなことより、びわ湖に向けて島谷ひとみでしょう。


◆3月1日(月)その2
 高岡選手のびわ湖マラソン欠場に関する共同会見後、袋井(昨秋の国体のあった場所ですよ)の実家に移動。明日は、中部日本某所に行きますので、実家に泊まると都合がいいのです。
 会見の模様はこちらに記事にしました。
 今日、ポイントの1つとして考えていたのが、高岡選手の表情です。だから、後で会見の記事を読んだり人づてに話を聞くのでなく、自分の目で確認したかった。寺田は通常、記事の中で表情がどうと描写するよりも、選手のコメントを多用する傾向があると思います。もちろん、表情の描写も重要ですが、“表情を読みとる”という作業は“言葉を読みとる”という作業よりも不確定さが伴います。同じ感情でも、人によって表情の出し方は違いますし、それを見て判断する側の主観も文字にするときには入ってきます。言葉も不正確に使われたり、うそだったりすることもありますが、表情を読みとることと比べたら、なんていうか、比較的確かな情報伝達手段だと思うのです。
 でも、今回は表情を重視しました。それは、高岡選手だから。92年に5000mの日本記録を出す前から取材している選手です。キャラも少しは理解できていると思っています。何度かインタビューもさせてもらい、全体として笑顔が印象的なのはもちろんですが、真剣に語るときの表情、考え込んだときの表情、意気込んで語るときの表情、こちらの馬鹿話を懐深く受け入れてくれるときの表情と、なんとなく脳裏に印象が残っている選手なのです。
 と、カッコつけたことを言ってみたものの、記事の後半は平凡です。ネタ自体の面白さはともかくとして、結論として「本心はレースに出たかった」では、誰でも思い当たることでしょう。実は最初、もうちょっと踏み込んで書くつもりでした……という話は置いておいて、とにかく今日はドラマチックな一日でした。
 高岡選手の会見もそうですし、実家で聞かされた話や、夜かかってきた電話もそう。特に夜の電話は、自分の歩んできた道をちょっとですけど思い返すというか、人生の選択について考えさせられた話でした。感慨深い一日だったので、本当のドラマ(月9)は見る気になりませんでした。


◆3月1日(月)
 ただ今、新幹線で西に向かっています。先週後半は締め切りが立て込んで日記が書けませんでしたが、新幹線の車中で3日分書きました。
 朝まで仕事して寝る生活が数日続いていたので、朝の5時起きはきつかったですけど、あの高岡選手がびわ湖欠場に関して会見をするというのですから、行かないわけにはいかないでしょう。火曜水曜と早朝から出かける予定があり、どこかで早起きパターンに修正する必要があったので、好都合でした。自腹取材ですが火曜日に中部日本某所に行く予定があったので、それに上乗せして防府まで足を伸ばそうという魂胆です。
 どんな話が聞けるでしょうか。


◆2月29日(日)
 今日は昼過ぎに電話取材を1本。面白い話が聞けました。それにしてもこの1週間、電話取材が多かったですね。取材ノートの表紙に、何の取材をしたか日付と一緒に見出しにして書いているんですが、水曜日から日曜日の5日間で選手2人と指導者3人。その間の締め切りを考えると、よくやったな、と思います。電話取材は、どれだけスムーズに相手がつかまるかにも左右されますし。
 電話と言えば、UAEでサッカー取材中の佐々木一郎記者(日刊スポーツ前陸上競技担当)から国際電話がありました。年末に会った際には、この日記に登場する回数がプリンス近藤に抜かれそうだと気にしていました。国際電話で再度、そのことを言ってきたわけではありませんが、たぶんそういう意図だったのだろうと勝手に解釈しました。実際の用事はロンドン・マラソン関係の新年会と歓迎会の打ち合わせ。自腹電話みたいだったので、手短かに済ませましたが、その中にもジョークを入れるのが佐々木記者。彼から学ぶ点も多かったなと思います。
 一昨日、全国を駆けめぐった新井初佳選手と小島茂之選手の結婚のニュースですが、ちょっと面白いことに気づきました。この2人って、伊東浩司選手と鈴木博美選手の結婚と逆バージョンですね。新井選手が兵庫、小島選手が千葉出身ですが、伊東夫妻は伊東選手が兵庫で博美夫人が千葉出身。それだけにとどまりません。博美夫人と小島選手は市船橋高の先輩と後輩で、伊東選手と小島選手は富士通の先輩と後輩。さらに、新井選手の母校の甲南大のコーチになったのが伊東選手。ちょっとどころか、めちゃくちゃに面白いつながりがあります。
 甲南大と言えば某誌編集部のO川編集者も甲南大OB。かつての400 mハードラーです。以前にも紹介したように、日本テレビスポーツうるぐすの鈴木アナ似の二枚目編集者。そういえば、今日紹介した甲南大関係者3人は美男美女揃いですね。24日の日記で言及したように、外見を話題にするのは実際の能力が優秀だという評判が定着しているから。ということは、O川編集者も優秀だということ? それを、寺田がどうこう言っちゃいけませんね。撤回します。


◆2月28日(土)
 早いもので日中対抗室内横浜大会から早1週間。今日やっと、その原稿を書き終えました。そうか。このサイトにも、さわりを紹介する記事を書くと言ったんです。信用されてないから、いいですけど。
 日中対抗室内は久しぶりのトラック&フィールドということもあり、日記用のネタがたくさんありました(別に意識して拾っているわけではありません)。
 読売新聞のカメラマンの方から「近藤記者の27km走ネタの続きはないのですか」と聞かれました。これは嬉しかったですね。大手新聞社のカメラマンの方までこの日記を読んでくれている。しかも、プリンスネタをもっと書いて欲しいというのですから。
 そのとき、近藤記者にも言ったことですが、次のプリンスネタは、近藤記者とある女子選手の取材の様子を見ていた寺田が、とある決心をしたというネタです。ロードマップっていうんでしたっけ? インテルとかが今後のCPUの進歩予測を示す図を公開しますよね。それと同じことを、寺田もしているわけです(たまに)。日記ですから、別のネタが先に来るかもしれませんけど。
 ところで、早大競走部で近藤記者と同期だった方が陸上界で頑張っています。プリンス近藤に対して、スプリンター○○と紹介しようかと思ったのですが、黒子に徹したいということなのか、固辞されています。朝日新聞・金重記者も同様に、ニックネームを寺田が提案したのですが固辞。読売新聞・近藤、毎日新聞・ISHIRO両記者にニックネームがあって、朝日新聞・金重記者にないのはおかしいじゃないか、という指摘もいただいていたのです。候補となったニックネームには、次のような経緯がありました。
 大阪国際女子マラソンの前々日の共同会見の際、司会を増田明美さんが務めていました。金重記者が質問しようと挙手をすると、増田さんが「はい。朝日新聞の金重さんです。いつもジャーナリトらしい質問をする方ですね」と紹介しながら指名したのです。これが、記者仲間で大ウケ。もちろん、金重記者がジャーナリストとして一流である評価は定着しています。でも、ことさらに公の場で指摘されると、なぜかウケてしまうのです。
 ということで、金重記者のニックネームは「ジャーナリスティック金重」にしようかと思ったのですが、本人が固辞されるので、別のを考えます。「悲しげじゃないので金重(かねしげ)」とか、インターハイの大阪府大会で入賞しているので「浪速のど根性記者」とかが候補。公募しようかな。
 某専門誌のE本&O川編集者にも、日記に登場予定はないか聞かれましたが、その2人に関してはなし。E本編集者のムーミン2号ネタも詳細は出しにくい部分もあるし、野○○○○ネタは「ノーノー」でしょう。究極の楽屋落ちです。


◆2月27日(金)
 今日は色々なニュースが飛び込んできました。
 まずはおめでたいニュース。新井初佳選手と小島茂之選手が結婚しました。日本選手権2種目6連勝選手&200 m日本記録保持者と、シドニー五輪4×100 mR&世界ジュニアのファイナリスとのビッグカップルです。2人の馴れ初めは……知りませんが、一昨年の夏に陸マガの持ち物検査で新井選手を取材させてもらったことがあります。富士北麓合宿中で、高級リゾートホテルのプールサイドでした。
 そのとき新井選手が持っていた携帯電話が富士通製。「彼氏の影響です」だったか、「彼氏の命令です」と話してくれました(もちろん誌面には出していません)。その頃、すでに2人が付き合っていることは業界内部では知られている話で、こちらがそれを知っていると思ってのコメントだと思われます。もしかすると寺田が、知っていることをにおわせたのかもしれません。
 1つ断っておきます。選手の誰と誰が付き合っているという話は、たまに耳に入ってきますが、陸上競技担当記者がそれを公にすることは、当人の了解が取れるなどしない限り、あり得ません。改めて指摘するまでもないことですが、陸上競技の記事を書くこととは関係のない部分です。だから、噂を聞いてもそれほど気にすることはありません。よっぽど親しい選手でもない限り、「あの選手とどうなった?」とか質問することもない。知らないうちに関係が終わっていることもありますし。
 とういいうこどで今回の新井選手と小島選手のニュースを聞いたときも、「そういえば、その可能性のある2人だったな」と、“思い出した”感じですね。
 残念なニュースは高岡寿成選手のびわ湖マラソン欠場。月曜日に記者会見をする予定なので、詳しいことはそのときに明かされると思いますが、個人的には相当に残念です。伊藤国光監督から今回のマラソンは、福岡のときのように完全に合わせて出るのでなく、アテネ五輪に向けた練習の流れの過程で出ることを、東京国際マラソンの際にお聞きしました。ピークを合わせなくとも、高岡選手持ち前のここ一番の強さで勝つことができれば、という考えだったと思われます。脚の不安もあるようですし、練習でいい動きができていないようなのですが、練習がまったくできていないわけでもないそうです。できれば勝負して欲しいというのが一陸上ファンとしての思いですが、この道の“プロ”が判断したことですから。それに、それぞれの立場というものもあります。外野がとやかく言うことではないでしょう。
 悪いニュースは西濃運輸の休部(廃部?)。勝木監督とは現役時代からよく話をしましたし、向井裕紀弘選手とは陸マガのリレー特集で日大マイル・チームを取材して以来の仲。数少ない一般種目の実業団チームだっただけに、本当に残念です。スタッフ・選手の今後が、いい方向に行くといいのですが。
 寺田にも悪いニュースが。原稿がなかなか進んでいないのです。それは、自営業者の自業自得か。もうすぐ確定申告。


◆2月26日(木)
 昨晩はテンションを上げすぎたせいか、今朝は徹夜明けにもかかわらず眠れませんでした。7時半には布団に入ったのに、眠れたのは9時頃、メイビー。起床は12時でしたから3時間睡眠。まあ、気持ちが持てば楽勝です。
 昨晩中に請求書を2通書いていましたし(以前も書きましたが、必要不可欠の作業とはいえ、これが面倒くさい)、アポ取りと電話取材がトントンと進んで、若干安心してしまったのが失敗。わかっているんですよ、気持ちを切らすとダメだって。いくつか段取りがあったのは事実ですが、原稿に取りかかるのが後れてしまいました。
 ということで、今晩もテンションを上げないといけません。これからが勝負。日記は後回し……にしようと思いましたが、ええい、書いてしまえ。
 22日の日記で紹介した等々力競技場のネタは反響大。陸マガの企画発案者であるN口さんから、「その年は国立競技場が翌年の世界選手権に向けて改装工事中だった」というメールをいただきました。そもそも、N口さんと家族T氏が知り合いだったのが、その企画の発端でした。元からそういったつながりがあったわけで、通常の取材とはちょっと違ったのです。重要な部分ですね。これを書いておかないと、誤解を受けそうですから。
 家族T氏の陸マガ記事を覚えていた方もいます。神奈川県で競技をやっていて、家族T氏の“トラディッショナルな大学”とも関わりがあったということですが、この方の記憶力もすごいと思いました。
 そして、福島大・川本和久先生も、おやじの時々日記でこの話題を取り上げてくださっています。
 取材のときに話を聞かせていただきましたが、等々力競技場は福島大にとっても記念となる競技場だったわけです(おやじの時々日記に福島大が強くなった経緯の一部が紹介されています)。大学チームが一朝一夕に強くなるなんてことは、ないんですね。そのときどき、そのレベルで精一杯の努力をして、それが次の段階につながっていく。でも、箱根駅伝の新興の大学って、そういうケースじゃないですよね。同じ陸上競技でも、社会のどの部分に位置しているか、が違う。ちょっと考えさせられる相違点です。
 福島大のようなケースを便宜的に“手作りのチーム”と呼びます。一方、箱根駅伝で最近強化をする大学は、箱根駅伝で活躍するチームを作りたい、という意思をもつ組織がバックにあって強化が進行する。決して現場レベルの努力・取り組みを否定するものではありませんが、“組織のチーム”とここでは呼びます。
 手作りチームは情熱があり、手腕もある指導者が中心になり、その人物の周りに選手が徐々に集まり、応援する人も集まってくる。推薦枠や卒業後の受け皿も、指導者の個人的な努力で実現している部分が大きい。
 一方、組織のチームは、組織が指導者を連れてくる。選手を勧誘するのはその指導者ですが、推薦枠は組織が確保します。
 効率的なのは、組織のチームでしょう。指導者も、結果を出せなければすげ替えられる。一方、手作りチームの指導者は、すげ替えのできない教員であることが多いはずです。でも、すげ替えできない指導者が優秀だったとき、そのチームは本当にすごい力を付けることができる。逆に指導者が力不足だったら、そのチームはずっと浮上できない。
 どちらがいい、どちらが悪いを論じたいのではありません。社会的な背景で違いが生じることを指摘したいだけ。繰り返しますが、組織のチームの現場は現場で、ものすごく頑張っています。もちろん、組織も頑張って強化をしている。ドラマのように、善悪をつけるべきことではありません。


◆2月25日(水)
 現在、時刻は午前5:41(26日です)。さっそく2・26事件について語りましょう、というのは冗談です。専門は西洋史ですので。
 久しぶりにライターズハイ状態。パソコンで小田和正を聴き続けているせいかもしれませんが、徹夜で集中したのが原因でしょう。原稿集中閉鎖モードのはずですが、書けそうなので今日の出来事を書いてしまいます。
 午前中に未完成の原稿を100行ほど書いて仕上げ、銀行&昼食後にテレビ雑誌の記事をタリーズコーヒーで書きました。これは資料なしでも書ける種類の原稿ですが(取材もしてあったし、ほとんどが頭の中に入っているネタで行ける原稿)、その後に書き始めた、とある大きな作業は資料が必要なので、自宅内の事務所でひたすら集中しました。約40分の夕食休憩を挟みましたが、午前5時までテンションを上げ続けた次第です。
 電話取材のアポ取りをいくつか進めているのですが、こちらはちょっと苦戦中。
 今さら言うのもなんですが、その作業をしていて、本当に色んな陸上競技人生があるのだと認識を新たにしました。色んな選手がいて、それぞれのスタンス、情熱をもって競技に取り組んでいる。手に取るように、とは言いませんが、大まかな経歴から、ある程度はわかります。そこに小田和正のBGMが加わると、かなり感傷的な気分になりますね。
 ここまで集中して、選手のプロフィールなどを調べられる陸上報道人は他にいないだろう、みたいな都合のいい自負心なんかも沸いてきます。これも小田効果でしょうか。
 大きな作業が1つ片づき、明日からは日中対抗室内と某企画の原稿にかかります。電話取材もしないとね。原稿集中閉鎖モードはしばらく続きます。日記が書けるかどうかは、テンション次第。小田和正モードも、もうしばらく続きそうですが、びわ湖マラソンに向けて島谷ひとみモードに切り換えないと。


◆2月24日(火)
 昨日は皇太子の誕生日で、44歳になられたそうです。ちなみに、一昨日の22日はウチの兄の誕生日。末續慎吾選手のお兄さんのように、弟を厳しくしつけてくれました(銅メダリストの家族と一緒にしていいのか)。
 兄の話はさておき、ここで指摘したいのは皇太子がもう44歳という点です。皇太子、英語にすれば紛れもなくプリンス。そう、世の女性たちは“プリンス”と聞くとなぜか、20歳代の眉目秀麗の青年を想像します。しかも、白馬に乗っていたりする。しかし、現実的に考えれば王制は世襲制なわけで、プリンスは父親が亡くならない限りキングになれない。キングが70歳台まで生きたなら、プリンスが50歳代というのも考えられます。というか、そういうケースの方が多いでしょう。平均寿命が50歳の時代なら、プリンス=20歳代だったのでしょうけど。
 長い前ふりになりましたが本題は、プリンス近藤(読売新聞・近藤記者)も確か35歳と、言葉のイメージ以上の年齢ということです。しかも外見は20歳代ですから、実年齢を聞かされた末續選手がのけぞっていました。確か、昨年7〜8月頃の富士北麓での合宿取材のときだったと記憶しています。土曜日の日中対抗室内では、こんなことがありました。寺田が取材した某女子選手(棒女子選手ではない)が「近藤さんって(早大の)先輩なんですけど、どの方かわからないんです」と言うので、「記者のなかで一番カッコイイ人だよ」と教えておきましたが、20歳代に見えるという肝心な部分を伝えるのを忘れてしまいました。大きな大会で日本記録(または五輪標準記録)を出したら一緒に取材すると思うので、紹介しましょう。
 ISHIRO!記者もマリナーズ・イチローに似ている顔が売りなのですが、寺田がこの2人のように外見を話題にする場合、中味がすごいと認めている前提があります。認めているというか、その能力にこちらが圧倒されている。記者として高い評価が定着しているので、だったらプラスアルファの特徴をあれこれ書いて、みんなで楽しもうというスタンスがとれるのです。苅部俊二コーチの貴公子・元講師ネタも同様ですね(昨年7月28日の日記参照)。
 ISHIRO記者に関しては、日中対抗室内の際にこんなエピソードもありました。寺田が福島大・川本先生に、翌日(日曜日)の練習開始時間を確かめたとき「等々力競技場は14年ぶりなんで楽しみです」と言うと、一緒にいたISHIRO記者が「そうそう。奥さんを取材した関東インカレでしたよね。僕ら(筑波大選手のことか?)もバックスタンドで○○大の選手なんて珍しい、って話していましたから」と、川本先生にバラしたのです(陸マガH編集長もそれに加わってだめ押ししたので、ごまかしようがなかった)。14年も前のそんな些細な会話を、どうして覚えていられるのでしょう。顔だけでなく記憶力もすごいということ、でしょっ(ユンケルCM風に)。


◆2月23日(月)
 朝の7時台の電車に乗って出発する日帰り取材。コーチ1人と学生選手3人に話を聞きました。コーチからは“動き”に関して、なるほどという話が聞けたと思いますし、学生選手たちも面白い話をしてくれたので、充実した取材でした。怒濤の5日連続取材も今日が最終日。しかし、それだけ取材したということは、原稿もたくさん抱えているということ。しばらく原稿閉じこもりモードに入ります。ドトールには行くかも、ですけど。
 昨日の日記で引用した小田和正の曲について、問い合わせメールがありました。「ラブストーリーは突然に」です。この曲が流行ったのも、もう何年か前でしょう。小田和正は2年前にこの日記を再開するにきっかけ(2002年3月。ファミレス論争って覚えていますか?)となったドラマで、「キラキラ」という曲が使われていました。「恋ノチカラ」は主人公の広告クリエイターが大手広告代理店をやめて、独立して頑張っていく話。その頃、現実のある広告代理店勤務の女性の方(陸上関係者でもあります)と、そのドラマの話をよくしました。寺田の携帯電話には“美人プランナー”とメモリーに登録してある人です。
 その方と、仕事が煮詰まったり、せっぱ詰まった状態のときにドラマのことを思い浮かべると(あるいはドラマで使われていた小田和正の曲を聴くと)、やる気が出て頑張れたりする、という話をしたことがありました。その人にとっては同じ広告業界の話であり、寺田にとっては独立して頑張っている(四苦八苦している)という点が共感できたのです。
 そういった経緯で小田和正の「自己ベスト」という、オフコース時代の曲を含めたベストアルバムを購入。最近はパソコンのハードディスクに録音して聞いています。「ラブストーリーは突然に」も、そのなかに収録されているのですが、偶然にも昨日、等々力競技場で流れていました。最近多いですよね、音楽を流している競技場やスポーツクラブって。ウソだと思われる方は、福島大・川本先生に聞いてみてください。ウソだとわかりますから……寺田の頭の中に流れていたのは事実です。


◆2月22日(日)
 9:30に川崎市の等々力競技場へ。福島大・川本和久監督門下の選手たちが、試合翌日にもかかわらず午前・午後と2部練習を行なっていて(それが川本流)、そのうちのある選手の取材。話はすでに聞いてあって、今日は練習中の写真撮影が目的でした。
 等々力競技場は1990年に関東インカレが開催された場所。当時は横浜国際競技場はなくて、国立競技場が関東インカレの例年の会場。その年は何かの理由で国立競技場が使えなかったのでしょう。等々力だけでなく、江戸川競技場でも第1週の種目が行われて、金子宗弘選手の十種競技の日本新を取材した記憶もあります。そのとき以来、14年ぶりに等々力競技場に足を踏み入れました。バックストレート側は立派なスタンド席の“今風”のスタジアム。帰りのタクシーで運転手に取材しましたが、やはりサッカーのJリーグ(ヴェルディやフロンターレ<富士通のチームです>)を開催するようになってから増設されたようです。
 実は等々力競技場は、個人的にも思い出深い場所。初めて家族T氏と出会ったのが、その関東インカレでした。当時の陸マガは地区インカレを通常の競技的な報道以外にも、地区大会らしかったり大学生らしい話題を、カコミ的に取り上げていました。その年の関東では、とってもトラディッショナルなある大学から初めてインカレに出場した選手(その大学に陸上競技部を創設した選手)という視点で、ある選手を取り上げました。その選手が家族T氏だったのです。
 スタンドや競技場周囲の公園の様子などはまったく記憶に残っていませんでしたが、家族T氏に初めて(取材として)声をかけたスタンド下の廊下はなぜか、自分の記憶の中にイメージ化されていたので、行ってみてすぐに「ここだった」とわかりました。
 等々力競技場が出会いの場所であることは川本先生もご存じのこと(昨日の日中対抗室内の際にISHIRO!記者がバラしたため)。自然と「ここで最初に会ったんですよ」と話しました。BGMには小田和正の曲が流れています。
 あの日 あのとき あの場所で 君に会えなかったら
 僕らは いつまでも 見知らぬ2人のまま

 この件は、福島ともつながりがあるのです。挙式したのは5年後の1995年10月。福島国体直後のことで、その国体は「独身最後の取材だ」と思って気合いを入れた記憶があります。そして今日取材した選手も、福島国体優勝者なのです。上野裕一郎選手が日体大で1万mの高校新を出したときに、前記録保持者の渡辺康幸氏が記録を出した八王子と日体大が不思議な縁で結ばれたように(昨年11月29日の日記参照)、等々力競技場と福島も摩訶不思議な線でつながりました。


◆2月21日(土)
 1年に1度、横浜アリーナに通う日がやってきました。日中対抗室内横浜大会取材。トラック&フィールドの競技会取材は、昨年10月の国体以来ですから4カ月ぶりです。久しぶりに会う選手・指導者も多いのですが、宮崎久選手とは短距離合宿取材が年末・2月11日と2度あったので、久しぶりという感じはありません。しかし、ISHIRO!記者がFrom ISHIROで紹介した髪のちょっと長くなった宮崎選手の姿は未公開だったと思うので、ここで公開させていただきます(本人の了承済み)。元400 mH日本記録保持者の斎藤嘉彦選手に、雰囲気が似てきたように思います。体重も少し減っているようですし(年末の短距離合宿の記事陸連短距離合宿公開練習&合同取材参照)。
 4カ月ぶりのトラック&フィールドということで、心配なのは、寺田の電気計時と同じ精度の手動計時の腕がさび付いていないかどうか、という点。昨年まで愛用していたカシオのウォッチが壊れたため、今はロンドン・マラソンでもらったウォッチを使っています。若干、感触が違うので、その辺もどうかな、と思っていました。選手たちが冬期トレーニングの最中に室内競技会で動きをチェックするように、寺田も室内でそういった部分をチェックしているのです。
 女子200 mで丹野麻美選手を計測したら24秒41。実際は24秒44で0.03秒の誤差。横浜アリーナの場合フィニッシュラインの真横に行くのが難しく、斜め前の位置で押していることを考えると、悪い数字ではありませんが、できれば±0.02秒にとどめたいところ。ライバルである陸上記者の007こと(誤差0.07秒の腕という意味)、O村ライターは24秒47でやはり0.03秒差。ちょっと悔しかったですけど、次の男子200 mでは塚原直樹選手の記録を21秒39で止めました。実際は21秒38で0.01秒差。腕の鈍っていないことが確認でき、一安心です。
 記事は陸マガにドカンと書きますが、このサイトでも各種目にちょこっとずつ触れていくパターンか、色んな選手のコメントをちょっとずつ紹介するか、雑誌発売が待ち遠しくなるような記事を書く予定。問題は、その時間があるかどうか。実は、終わったと思っていた記録集計号の作業が再度発生。ただいま、朝の3:10。大作原稿が、進んでいません。明日は横浜国際女子駅伝の前に9:30から取材予定が入っていますです。


◆2月20日(金)
 今日も精力的に“動き”ました。
 11:00から関東某所で取材。実は昨日の午後の選手と、同じテーマ・媒体の取材です。今日も面白い話が聞けたと思います。2人の共通点もありましたし、相違点ももちろんありました。2人をつなぐ面白いネタもあったんですよ。何年かしたら公にできるでしょう。
 写真撮影(N野カメラマンにお世話になりました)も含めて12:10頃には終了しましたが、午後には16:15から横浜国際女子駅伝の記者会見があります。食事と移動時間を除いても、間の空き時間が2時間以上取れそうです。何をしたいかと言えばもちろん、原稿書き。大作原稿をできれば今日中に仕上げようと意気込んでいました。
 会見場のある赤レンガ倉庫は明後日の発着点で、当日のプレスルームも設置される場所。会見場に行けば、もうプレスルームも使用できるかな、と予測しましたが、念のため読売新聞・近藤記者に電話で確認。作業用のテーブルなどのセッティングはできているだろう、とのことだったので、さっそく移動。しかし、横浜駅で新しくできたばかりの、みなとみらい線に乗り換える際に、15時まで使用できないとの情報を近藤記者が知らせてくれました。
 赤レンガ倉庫にも原稿の書けそうな店はあるとのことでしたが、最寄りの馬車道駅の改札のすぐ外に、ヴィドフランス(ベーカリー兼カフェ)があったので、原稿はそこで書くことに。カフェラテ1杯280円で陣取り、さっそく作業開始。昨日同様、パソコンに録音してある小田和正を聞きながらの原稿執筆。新しい店だからなのか、寺田の住んでいる永山店や、これまで見てきたヴィドフランスのどの店よりもお洒落です。テーブルは3種類くらいありましたが、そのうちの1つは本場のパリでよく見かけた(昨年の世界選手権のときですよ)テーブルと同じやつ。馬車道というお洒落な土地柄に合わせたのかもしれません。しかし、こちらは馬車馬のように仕事をしたわけです。中道のように走ったわけではありません。
 それはともかく、この馬車道駅は本当に洒落ています。ホームは地下にあるのですが、改札を出た駅の構内がこんな感じ。こっちの写真はもう少しアップのやつで、右奥の青い看板がヴィドフランスです。室内なのに、壁をイギリス風(?)の建物の外壁に模していて、あたかも屋外を歩いているように錯覚させてくれます。作り手側としては、本当に錯覚することを期待するのでなく、“あれっ”と思わせて、普段と違う新鮮な感覚を持たせるのが狙いでしょうか。馬車道駅が最初の試みではないでしょうけど、それを駅でやってしまったのは珍しいのでは?
 明日は日中対抗室内横浜大会。室内競技会を、あたかも屋外でやっているように、選手たち、あるいは観客に錯覚させる方法って、あるのでしょうか?


◆2月19日(木)
 今日から5日間連続取材という怒濤のスケジュール。もちろん、その間に締め切りもあります。ドトールで原稿を書くことになりそうです。集計号の版下製作は終わりましたが、ちょっと踏ん張りどころ。
 まずは午前10時に電話取材を1本。電話ですから短い時間でしたが、いい話が聞けました。聞き手の能力というよりも、選手が日頃からよく考えていたから聞けた話だと思います。
 その後、都心に出て12:45から打ち合わせ(?)兼食事。次の取材まで間があったので、ドトールに陣取り、パソコンに録音してある小田和正を聞きながら昨日提出した原稿の手直し作業。
 16:00から取材。これもすごくいい話が聞けました。この取材は、ちょっと変わったパターンの手順(?)が2点ありまして、日記ネタに属するようなことなんですが、わけありで紹介するのは後日。まあ、オリンピック後あたりに、覚えていたらということで。一言でいえば、楽しい取材でした。
 17:20に陸マガ編集部に。Y口君の顔を見るなり思わず、こちらが“しまった”という表情(16日の日記参照)。しかし、あの程度に書かれたくらいで、つべこべ言う玉ではありません(事実ですし)。その辺は業界人です。陸マガに行ったのは記録集計号の版下の納入と、日中対抗室内用の資料入手が主な目的。
 今日は顔を合わせませんでしたが、編集長も無事に退院。話を聞く限り元気いっぱいのようで、一安心しました。「遙か大陸に旅に出ていた」(陸マガ3月号編集後記から抜粋)H川嬢も無事に帰国。と思いきや「3回くらい死ぬ思いをした」とのこと。詳細は4月号編集後記、かな。
 隣のクリール編集部で土曜日発売の4月号をゲット。カバーガール(要するに表紙)はタレントの本仮屋ユイカ。市橋有里選手にちょっと似た感じの美人(美少女)。新宿ハーフマラソンの写真&コメント集には、お馴染みの瀬古監督も登場。「引退後、こんなに……」(詳細は誌面で)。隣には森村哲選手の写真&コメントも。
 インターネットを媒介として栄養指導を受けられる「ビクトリション365」(旭化成)の記事が4ページ載っています。佐々勤(マラソンの夏男。98年アジア大会代表。現旭化成ネットビジネス推進部)さんが担当している事業です。記事中にも協力者として名前が載っていますね。食事をデジカメで撮影して送り、翌日には分析結果がフィードバックされ、個別指導も受けられるシステムです。興味のある方は、http://shoku365.com/vic/にアクセスしてみてください。
 瀬古監督と佐々選手に共通点があります。それは京都。キーワードと言った方がいいでしょうか。
 陸マガのあとは知り合いの事務所に。メールを見ると、16日の日記に書いたカネボウの化粧品部門売却の話が、結局、流れたという情報をいただきました。興味のある方は記事がこちら(http://www.asahi.com/business/update/0216/077.html)にあります。充実した一日でした、が、肝心の原稿が進んでいません。過程がよくても、結果が出なかったら意味はありません。きちんと記事になってナンボの世界です。終電まで頑張りました。
 忘れるところでした。昨日のクイズの答えを発表しないと。2003年の世界10位台に入った選手で名前を紹介していないのは、50kmWの谷井孝行選手で16位。ちょっと簡単すぎました? 20kmWの藤野原稔人選手も21位と頑張っています。競歩とマラソンの社会的に置かれている状況の違いに関していろいろと考えました。具体的な内容は、あまり面白くないので書くのは控えます。明日からは3日連続横浜で取材。


◆2月18日(水)
 記録集計号の版下製作(マックによるDTPもどき)が峠を越えました。先ほど(AM3:19)プリントアウトが終わり、寺田担当分は残すところ目次のみ。当然、担当したページのデータは手元にあるわけで、2003年の世界50傑とか見ることができます……が、版下作成作業中は目がつり上がっていて(元からという意見あり)、誰が何番とか気にしていられません。今日やっと、少しだけ目を通しました。
 日本選手では男子ハンマー投の室伏広治選手が1位で(歴代3位ですから)、男子200 mの末續慎吾選手が3位。女子マラソンの野口みずき選手が5位ですね(6位・千葉真子選手、7位・坂本直子選手)。10位台では末續選手が100 mで13位、女子1万mの福士加代子選手も13位(大越一恵選手が17位)。棒高跳の北野……じゃなくて沢野大地選手が17位で、マラソンの国近友昭選手が18位。
 実はもう1人、10位台の選手がいます。意外ですが3000mSCの岩水嘉孝選手は29位。ケニア選手が多いですからね。為末大選手も27位です。三段跳の杉林孝法選手は24位。あっ、諏訪利成選手がジャスト20位です。女子800 mの杉森美保選手や女子砲丸投の森千夏選手が50傑入りしましたが、さすがに10位台までは行きません。女子マラソンとリレーは除きます。
 さて、もう1人の10位台の選手とは誰でしょう? 正解は明日の日記で。


◆2月17日(火)
 このところ、CDをパソコンのハードディスクに録音しまくっています。寺田の使っているVAIOはSONY製ですからその辺の機能が充実していて、操作は簡単(あまりSONYの商品を使っているとまた、“巨人ファンではないか”というあらぬ誤解を土江選手あたりから受けそうですが、それは誤解する方の見識がおかしいということで)。SonicStageというソフトを起動してCDを入れると、パソコンにプリインストールされているCDデータベースか、インターネットのデータベースでそのCDの曲名を全部取得できてしまいます。
 あとは、データをコピーするだけ。CD1枚に10分くらい。ATRAC3Plusという最新の圧縮方式だと、CD1枚が30MB以下になります。つまり、CD200枚でも6GBで済むわけです。SONYの方式だと、NET MDなどに3回まで書き出せる仕組み。
 陸上選手はよく、高地トレーニングに行って1つの場所で1カ月とか2カ月、練習に励むわけですが、日常生活の場所と隔離されるということもあり、練習以外はそれほどやることがないそうです(それも狙い?)。最近の選手はパソコンを持参して、インターネットをやっていることも多いとか。
 そこで提案。ネットを見るよりもCD200枚分の音楽を持っていった方がいいんじゃないでしょうか。最近では重さが50g以下の携帯音楽プレーヤーもありますから、練習の目的によっては音楽を聴きながらジョッグもできます。選手たちはもう、やっているんでしょうか。
 少なくとも、レース前に記者から「高地練習で時間があるときは何をしていたか」と質問されて、「インターネットでホームページを見ていました。“寺田的”とか」と答えるよりも、「クイーン小田和正(または織田裕二)を聞いて気持ちを高めていました」と言う方がカッコイイでしょう。もしもやっていないようならオリンピック前は是非、やってみずき?


◆2月16日(月)
 皆さんはご存じでしょうか、旭化成が分社化されたのを。陸上部のユニフォームも「旭化成」から「Asahi KASEI」にロゴが変更されています。そういえば、しばらく前に「鐘紡」も「カネボウ」に変更されました。陸上名門チームのこういった変更を目の当たりにすると、なんとなく社会全体の傾向ががわかります……わかったような気がしているだけなんでしょうけど。
 それにしても、陸上競技に携わっていると、カネボウの化粧品部門の花王への売却とか(用語が適当でないかも)、トヨタ自動車の過去最高収益(売り上げだったかな)とか、富士通も景気がよくなったとか、経済情勢が知らずに知識として入ってきます。その点、大学のことはよくわかりません。どこの大学が景気がよくて陸上部推薦枠が増えているとか、あの先生の研究費が多いとか、あっちの大学は倒産しそうで陸上のグラウンドが抵当に入っているとか、さっぱり情報がありません。たまに表面化するのは、早実高のあんなことだったりするわけです。どうも、学舎はそういった部分が不透明ですね。存在意義が違うと言われたら、それまでですけど。
 ところで、なんでまた旭化成の分社化のことを知ったかというと、フジテレビの月9ドラマ「プライド」を見ているから。何度か紹介しているように、月9枠は旭化成がスポンサーの番組で、だから見ているのですけど。ドラマの舞台装置は、アイスホッケーの実業団チーム。それなりに背景考証はしっかりしていて、大学を出た選手の受け皿が少ないことや、スポーツ選手の直面する問題なんかを、登場人物がしっかり話しています。
 先日、陸マガ編集部に行くと、Y口君がしきりと「メイビー」と言うので何かと思ったら、彼は元アイスホッケー選手だったそうです。なんでも、後輩がドラマに選手のエキストラっぽい役割で出演しているとか。調子に乗って自分のことを「陸上界のキムタクと言われていますから」とまで、のたまいます。確か去年は「陸上界のタッキー&翼」と編集後記に書いていたような…。専門誌編集者の地位向上委員会でも作ろうかな、と2月9日に書きましたが、やっぱりやめようかな。


◆2月15日(日)
 浜名湖一周駅伝取材。青い湖面はきれいでしたが、風が強かったです。遠州地方では珍しいことではありませんが、優勝記録を見ると例年より強かったのがわかります。区間新記録は男子4区のマサシ選手のみ。ワゴイ選手が出ればもう1個生まれたのでしょうが、世界クロスカントリー選手権の選考会に出場するためにケニアに帰国中とのこと。
 レース後の閉会式会場では、今日行われた各地のレースの情報が交換されていました。昨年は熊日30kmで松宮隆行選手が世界最高をマークし、清水将也選手も学生最高を出したことから「双子選手でないと30kmの記録は出せないのでは?」という説がささやかれ、双子選手でない普通の選手は戦々恐々としたのを覚えています。
 千葉国際クロスカントリーの結果は、順大時代から敏腕マネジャーとして名を馳せているスズキ・青島マネが教えてくれました。岩水嘉孝選手が日本人トップとなりましたから、浜名湖にも多数いた順大OBも喜んだのではないでしょうか。
 青梅では野口みずき選手が30kmの日本最高。世界記録は2001年のベルリン・マラソン途中計時で高橋尚子選手が出したものですが、日本最高記録は途中計時を認めないらしく、それが公認されていません。高橋選手は世界記録保持者なのに、日本最高記録保持者ではない、という少々ややこしい事態に。まあ、この手のことは陸上界ではたまにあること。女子ハンマー投の鈴木文選手も長らく、アジア記録保持者と日本記録保持者でしたが、さかのぼって公認するかどうかで日本記録の方が低かったことがありました。
 今回、さらにややこしかったのは、ラドクリフ選手が02年シカゴと03年ロンドンの途中計時で出した記録が、世界記録として公認されていないこと。ロンドンは30km地点がスタート地点よりも30m以上低いのだそうです。シカゴは30km地点が、スタート地点から直線で15km以上離れているらしい(テムズ川は決して青い水面ではありません。ミシガン湖はどうなんでしょう?)。そのあたりを確認するための電話が、青梅からかかってきました。
 熊日30kmでは瀬戸智弘選手が1時間29分50秒で優勝(熊本日日新聞に成績。熊日30kmは有名な湖か川の近くで行われているのでしょうか? 一度は行ってみたい大会なんですけど)。瀬戸選手の快走はカネボウ・伊藤監督が東京国際マラソンの際に自信を見せていたので、予想できたことですが、タイプ的には明らかにトラック選手ですから「さすが」と思いました。驚かされたのは2位以下も僅差で続いていて、4人が1時間29分台で走ったこと。昨年に続いて、浜名湖畔にちょとした衝撃が走りました。6位が学生の塩川雄也選手で1時間30分10秒ですから、記録が出やすい条件だったのは確かでしょう。けれども、その状況でも瀬戸選手は持ち味を発揮して、きっちり最後の競り合いを制している。この辺が評価できる点であり、今後の可能性を感じさせる部分です。


◆2月14日(土)
 昼に電話取材を2本。某選手と、そのコーチへの取材でした。昼食を挟んで夕方までに書きかけの原稿を仕上げ、それから出張準備にかかって、20:30に自宅を出発。明日は浜名湖一周駅伝取材なので、今晩は袋井の実家に来ています。
 実家に着いたのは深夜の0時。多摩の自宅を出たときは雨が上がった直後で、風もなく温かかったのですが、こっちは風が強いですね。冬季の空っ風で知られる遠州だけあります。風のせいでかなり肌寒く感じましたが、母に言わせると「今日は温かかった」とのこと。どうやら、不肖の息子は長年の都会暮らしで、生ぬるさが身に染みついてしまったようです。
 実家に着いて中日新聞を見ると浜名湖一周駅伝の連載記事が載っています。タイトルは「湖畔を駆ける」。そうです、この大会は世界三大湖畔大会の第1弾。何度も書いて申し訳ありませんが、第2弾がびわ湖マラソンで、第3弾がレマン湖畔のローザンヌSGP。よく、なんでこの3つの大会なのか、と聞かれます。ミシガン湖畔のシカゴ・マラソンなど、他にも湖畔の試合は探せばありますから。それは、ローカル駅伝を走った選手が次のステップとしてメジャーなマラソンを走り、やがては国際GPまで、という願いを込めた命名なのです。
 今、気づきました。この3大会では長距離選手しか出られませんね。一般種目選手用の三大湖畔大会を考えねば。
 今回、スズキのルーシー・ワゴイ選手は世界クロスカントリー選手権の選考会に出るためケニアに帰国中で出られませんが、ニューイヤー駅伝1区区間賞のマサシ選手は出場します。グランプリを走る可能性も十分にある選手です。
 それにしても、窓を叩く風の音が大きいいですね。昔は、それが当たり前だったはずなのに、今は気になってしまう。日本の行き届いた環境で練習や競技をやっていると、外国の劣悪な環境で力を発揮できません。そういう選手は思い出してみてください。自分も中学生・高校生の頃は、今のような恵まれた環境で競技をしていたわけではないことを。


◆2月13日(金)
 明日発売の陸マガ3月号が届きました。表紙は大阪国際女子マラソンの坂本直子選手。寺田が担当したのは、大阪の坂本選手&武冨監督のインタビューと弘山晴美選手以下数人の記事、岩水嘉孝&内藤真人2選手の「アテネへの戦略」、東京国際マラソンの大崎悟選手のコメントなど。
 取材中のエピソードで面白いのは、岩水選手が法多山の“鼻くそ団子”を愛食しているのが判明したこと。昨年10月の国体の時期にこの日記にも書きましたが、この鼻くそ団子こそ、寺田の出身地である袋井が誇る名菓……かと思っていたら実は、厄よけ団子だったのです。パッケージにそう明記してあるのは知っていましたが、その名声が愛知県まで鳴り響いているとは知りませんでした。岩水選手は24歳と厄年だった昨年、鼻くそ団子を食べて調子が上がったようですし、今年24歳になるトヨタ自動車のある選手も、最近、わざわざ買いに行ったとのことです。
 内藤選手とはイタリアン・ファミレスで話を聞かせてもらいました。しかし、話はもっぱら“タイ米”に終始した…なんてことはなく、アテネに向けたトレーニング戦略、試合戦略をみっちり聞くことができました。
 話を陸マガに戻しましょう。
 マラソン選考に関するある記事では、世間一般(新聞など)とはちょっと違う見方をしていて新鮮です。大阪の記事で出口先生が表にまとめているデータも面白いです。「主要選手の前後半・最高記録との比較」「日本歴代10傑の前後半差」「日本女子マラソントップ3の15傑」などで、この面白さを理解するには立ち読み・回し読みでは不可能。必ず購入しましょう。トヨタ自動車に入る内田直将選手のコメントも、ちょっと胸を打つものがありました。普段は明るいキャラの選手ですから、なおさら、ですね。


◆2月12日(木)
 アポ取りをいくつかしながら、終日原稿書きとマックで記録集計号の版下製作作業。
 昨日、近藤記者に取材をしているとき、別の記者の方から「寺田さんは、色々考えるのが楽しいでしょう」という指摘がありました。まさにその通りです。その辺は、ターザン山本から受け継いでいるのかもしれません。
 ターザン山本と言っても、陸上界では知らない人も多いと思いますが、寺田がベースボール・マガジン社で週刊プロレス編集部にいたときの名物編集長。プロレスに関して考えているときが至福のとき、とか、そういったニュアンスのことを言っていました。
 当たり前ですが、興業スポーツのプロレスと、チャンピオンスポーツの陸上競技では大きく違います。それでも、いろいろと陸上競技について考えるのは楽しい面もある。あまり他人を、こういう人物だと決めつけるのはどうかと思いますが、ターザン山本はとにかく個性的な人でした。でも、その個性は広範な知識と深い見識に支えられて初めて、生じるのだと感じたものです。薄っぺらなバックグラウンドでは、個性は出ません。
 果たして寺田が、広範な知識と深い見識に支えられているのか?
 問題がもう1つ。直接面識のある方は、日記ではくだらないことばかり書いていますが、寺田が実は慎み深い性格であることは知っています。でも、このサイトの、しかも一部だけを読んでいる人は、「寺田ってふざけた奴だな」と思ってしまうかもしれません。このサイトもネット上で公開している以上、面識のない人が見ている可能性も捨て切れません。できれば、一部だけを読んで判断するのはやめてほしいし、○○も○○と思います。
 昨日の練習は市民にも公開で行われていたのですが(いい試みだと思います)、グラウンドで冗談を言って笑っている記者を見た観客には「不謹慎な奴」と映ったかもしれないのです。スタンドから見ている人間には、陸上競技を愛して精一杯頑張っている記者と、そうでない記者の見分けはつきません。それを判別して然るべき人間も実は、判別できなかったりする。もうちょっと身を慎まないといけないかな、と感じることもある今日この頃です。


◆2月11日(水)
 急きょ、陸連の短距離合宿公開練習の取材に行くことに。実はこのところ、かなりテンパっていまして、睡眠時間が確保できていません。今日も朝、目覚ましが鳴ったときに「これは無理をしたらまずい」と感じて、もう1時間半寝かせてもらいました。練習を最初から見ることができなかったのは残念ですが、練習を一日見ただけで、この選手のトレーニングはこう、と断じるように書くことはできないでしょう。たまーに一般誌などで、さも全体の練習までわかったように書いている記事を目にしますが、そういったいい加減なことは書けません。練習の描写をして、その選手のこの部分がわかる、特徴がこういう形で現れている、という書き方だったらいいと思うのですが。
 取材の合間に近藤記者に“大阪の27km走の疑問”(なぜ30kmというキリのいい距離ではなく27kmだったのか=昨日の日記参照)を確認。1)の「実は距離走ではなく時間走だった」というのが正解でした。2時間走った結果が27kmだったということです。一応、長島茂雄さんのファンかどうかも確認したら、ファンだそうです。


◆2月10日(火)
 日記を再開したのはいいのですが、1月24日の日記で中途半端に言及した近藤記者の27km走についてずっと紹介していなかったので、お叱りのメールをいただきました。大阪出張中にもかかわらず、どうして、自分の走った距離を27kmと正確に言うことができたのか? という疑問を提示したままだったのです。
1)公園や河川敷などにある、距離が表示されているジョギングコースを走った
2)大阪出張時の常宿の周囲に練習コースを設定し、距離を計測した
3)同僚の霜田記者が車で伴走した
4)近藤記者のペース感覚は精密機械のように正確で、走った時間とコースの状態(起伏や風の強弱)で距離を100m単位で計算できる

 と、選択肢を列挙しましたが、正解は
5)大阪国際女子マラソンのコースの一部を走ったから
 でした。
 しかし、もう1つ疑問が残ります。どうして近藤記者は30kmでなく27kmと、中途半端な距離を走ったのか。考えられるのは次のケースです。
1)実は距離走でなく時間走だった。後で距離を地図上で測ると27kmだった
2)ホテルから適当に目標を決めて走り、後で計測したら27kmだった
3)千葉県出身(長浦のプリンスです)の近藤記者は大の長島茂雄ファンで、数字の3が大好き(「27」は3の3乗)
4)27km地点で脚が痛くなった
 正解は後日。
 それにしても、大阪出張中に27km走のトレーニングをしてしまう近藤記者と、フルタイム勤務後の練習で月間「500〜600km」を走る大阪在住の大崎悟選手。今年こそスローペースでしたが、大阪国際女子マラソンではいつも好タイムが出ています。大阪には人を走らせる不思議な力があるのかもしれません。そういえば、「27」は国体や男女の都道府県対抗駅伝で、大阪府の選手が付けるナンバーです。


◆2月9日(月)
 2月5日の朝日新聞に金重記者(関学大OB)による末續慎吾選手と高野進コーチの記事が出て、一緒に掲載された2人の写真が寺田撮影のものでした。年末に東海大で行われた陸連合宿のときのヒトコマです。それにしても、さすが朝日新聞です。陸上競技とは関係のない知り合い2人からメールが来ました。先週の金曜日から始まった一連の東京国際マラソン取材でも、何人かの方から「見ましたよ」と、声をかけられました。
 このWEBサイトはともかく、陸マガでもだいたい毎月1〜2点は寺田撮影の写真が載っています。でも、メールが来たり声をかけられることはありません。関係者にとって、寺田の写真が陸マガに載るのは珍しくないのでしょうし、関係者以外は専門誌は読みませんから、当然と言えば当然のこと。しかし、こうして反響があると、新聞やテレビなど一般メディアの、一般世間への影響力はすごいと思います。
 昨日はレース後、国立競技場のプレスルームで少し記事を書いた後、新橋の大会本部ホテルのパーティーに行きました。初対面の指導者や選手の方たちと話をする機会もありましたが、多くの方がこのサイトのことを知ってくれています。業界内部へのアピールには有効のようです(松宮選手ではない)。
 ある指導者の方は「今日は、うちの○○の走りより、寺田さんに会えたことが嬉しかった」とまで言ってくれました。○○とは、一般メディアも取り上げた、素晴らしい成績だった選手です。お世辞半分と思われますが、それでも嬉しいもの。このサイトも捨てたものではありません。
 しかし、その指導者の方にも申し上げたことですが、専門誌の編集者やライターなら、誰でもこのくらいのサイトを作る能力はあります。それができる環境に身を置けるかどうかの問題でしょう。ときどきお褒めの言葉をいただくことがありますが、もしもそれが“能力”の部分で褒めているのなら、専門誌編集者が実際より低い評価をされている、ということだと思います。
 繰り返しますが、一般メディアの影響力は本当にすごいです。でも、専門誌関係者だって頑張っています。専門誌編集者の地位向上委員会でも作ろうかな。


◆2月8日(日)
 東京国際マラソン取材&12日ぶりの日記再開です。
 今日のキーワードは高校駅伝でしょうか。きっかけは、TBS佐藤文康アナ。早大競走部の先輩が東京に出ているとか、同姓の後輩がびわ湖で快走しそうだとかいう、ありがちの話題ではありません。実はプレスルームでレースをテレビ取材していると、佐藤アナが富山インターハイ1500mで、今日優勝したジェンガ選手、2位の大崎悟選手と一緒に走ったと教えてくれたのです。優勝がジェンガ選手で大崎選手が5位、佐藤アナは13位。今日、マラソンを走った選手では、帯刀秀幸選手も6位に入っています。
 表彰式前に佐藤アナが大崎選手に、そのときのことを覚えているか質問。「抜かれたときにインターハイを思い出した」そうです。
 自宅に帰ると出口庸介先生からメールが来ていて、ジェンガ選手と大崎選手はインターハイ1500mの他に、全国高校駅伝の1区で2・3年時に対決していると教えていただきました。ワイナイナ選手との直前特別企画でも紹介しましたが、ジェンガ選手は全国高校駅伝初の3年連続区間賞を達成した選手。そして、もう1人の3年連続区間賞、スズキのジェームズ・ワイナイナ選手がスタート直後、ジェンガ選手と並走していました。
 ワイナイナ選手は2時間11分00秒の7位と、残念ながら狙っていたサブテンは達成できませんでしたが、走りのタイプや競技歴などから、マラソンに取り組み始めた頃のジェンガ選手と似ているような気もします。今後が楽しみな存在です。
 そして極めつけは、NTT西日本大阪の大崎選手のコーチが渡瀬智康氏だったこと。そうです。報徳学園高の初優勝時(1981年)の4区を務めた選手。そのときは区間2位でしたが、その前年にはやはり4区で区間賞を獲得しています。トラックでインターハイに入賞しているわけではありませんが、駅伝では不気味なほど強かったという印象です。そういえば、小出義雄監督率いる市船橋高初優勝時(1986年)の1区だった大胡満慎選手も今日、走っていました。
 ちなみに、報徳初優勝時の81年に渡瀬氏の2年連続区間賞を阻んだのが、他ならぬ大崎悟選手……ではなく、大崎栄選手(八千代松陰高、現東海大コーチ)でした。


◆1月27日(火)
 午前10:30から某実業団チーム監督に電話取材。
寺田「ライターの寺田です。お世話になっています」
某監督「ライターって、火をつけるやつ?」
寺田「ええ……。実は趣味なんです、火をつけるのが」
 ちょっと危ない切り返しですが、初っ端からこのような展開は、数多くこなしてきた電話取材の中でも初めてでした。
 ライターで思い出したのが今回の大阪出張での煙草の臭い。大阪って喫煙者の数が東京よりも多いと思うのですが、いかがでしょうか。江坂のホテルに泊まって、近くのステーキ屋さんでランチを1回、中華料理屋さんで夕食を1回食べたのですが、周囲で煙草を吸っている人の数が、やけに多く感じました。だいたい、喫煙席と禁煙席を分けていない店が多いのではないかという説を、かねてから温めていたのですが。
 取材中、長居陸上競技場でもそう感じました。国際グランプリのときはスタンドやミックスドゾーンにいるのでわかりませんが、女子マラソンとなるとどうも、喫煙場所からの煙の臭いが鼻につきます。古い競技場は風通しがよく、長居のように新しいスタジアムは気密性が高いからでしょうか。
 早い話、単位人口当たりの煙草販売量を調べ、大阪と他の地域を比べてみればわかることです。寺田の勘ですが、スタバ(店内禁煙のシアトル発祥のカフェ)の店舗数も、大阪は少ないのでは?(いくらでも反論されそうな内容だ)


◆1月26日(月)
 昨日の大阪国際女子マラソンには、久々に神戸新聞元陸上担当の大原篤也記者も来場。現陸上担当の金海記者とともに精力的に取材をされていました。大原記者からは神戸新聞のコピーを2枚いただきました。「随想」というタイトルのコラム2回分で、筆者はあの伊東浩司……監督でいいのかな、もう。
 第1回目のテーマが「新聞に載るということ」。伊東監督の“神戸新聞好き”は関係者の間では有名で、アトランタ五輪選考会だった96年の日本選手権200 mに優勝した際も、記者会見で「神戸出身選手(朝原・伊東・小坂田)で短距離3種目に勝て、と神戸新聞に書いてあったので200 mに勝ちました」というニュアンスの発言をしています。今回のコラムの最後の方にも「神戸新聞は兵庫県のアマチュアスポーツ選手の頑張る源です!!」との一文が見られます。この日記でも何回か取り上げているように、確かに神戸新聞の陸上競技記事の分量は、群を抜いて充実しているように思われます。
 伊東監督の文中で1箇所、“なるほどね”と思った部分があるので抜粋します。
 最初は伊東の「東」が「藤」でも、とにかく新聞に載りたかった。
 端的な表現をするなら、神戸新聞は伊東浩司を伊藤浩司と間違えて掲載したのです。ですけど、伊東監督はそれに対してまったく怒っていません。怒っていないどころか、間違えられてもいいとまで言っているのです。これこそ、大物選手になる条件の1つではないかと愚考する次第です……その理由をつらつら書き綴ってみましたが、“ひとさまの名前を間違えるなどとんんでもない”という良識ある方たちの誤解を招きそうなので省略。報道に携わる側の人間が“人の名前を間違えてもいい”とは、やはり書けません。まして、プログラムや正式記録が間違っていたら仕方ない、などという言い訳は、間違えられた側(特に選手の父兄)の怒りを煽るだけですから。


◆1月25日(日)
 大阪国際女子マラソン取材。ホテルを出るちょっと前から雪がちらつき始め、地下鉄の長居駅を出るとかなり強く降っていました。風がないのが救いかな、などと思っていたら、スタート前には雪は止んだものの、逆に風が吹き始める始末。
 結果は各メディアで報道されているとおりです。
 有力ランナーは五輪選考レースということで意気込みが大きく、その分、結果に対してショックが大きかった選手も多かったと思われます。しかし、オリンピックを逃したという点は同じでも、上位選手と下位選手では、反応に多少の違いがありました。つまり、代表を逃した、という部分だけでなく“せっかくのチャンスに力を発揮できなかった”という思いが、レース後のショック度を左右しているように思えました。“あれだけ頑張って練習したのに”、という思いが働くのかもしれません。
 あとは、その選手の置かれている立場や、今回のマラソンの位置づけ方で違ってきます。ともに初マラソンで期待の大きかった小鳥田貴子選手と大越一恵選手では、レース後のショック度は大越選手の方がはるかに大きかったのです。
 これがベテラン選手になると、積み重ねてきた年月への思いが加わってきます。35歳の弘山選手のさばさばとした話しぶりは、逆にこちらの心を揺さぶります。20回目のマラソンとなった小幡佳代子選手は、目が合うと必ず落ち着いた笑顔を見せてくれる選手だけに、レース後に見せた涙は胸に迫って来るものがありました。
 長居競技場での取材終了後には、大会本部ホテルの千里阪急ホテルに。競技場では主に4位以下の選手とその指導者を取材。ホテルのパーティー取材は1社1名の規制がありできませんでしたが、会場外で行われた共同取材で優勝した坂本直子選手と武冨監督のコメントを聞くことができました。



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