続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年9月 あっと言う間(って0.23秒くらい?)の9月
寺田的陸上競技WEBトップ

■10月1日(水)
 午前10時から都内某所で取材。取材はいい感じで終了し、ちょっとした経緯があって自分の腰痛のことを話したら、ストレッチ○○○(商品名)を勧められました。その場で、某選手の指導のもと試しに行なってみると、これが相当に効果があります。やったのは背中だけなのですが(といっても、背中のいくつかの部分を伸ばしたものと思われます)、試した後に普通に仰向けに寝ると、腰の辺りの感触がまったく違います。さっそく購入させていただきました。取材先で商品を購入したのは、もしかしたら初めてかも。
 取材後都内の知り合いの事務所に移動して、このサイトのメンテナンス。昨日アップする予定だった全日本実業団女子1万mの記事(というほどのものでもありませんが)を、遅ればせながらアップ。ただいま14時になろうかというところ。結局、昨日はほとんど原稿が進まなかったので、今からが勝負です。ちょっとの気持ちの緩みも許されません。


■9月30日(火)
 8時前には起床して仕事。このサイトのメンテナンスや雑用を片づけて、朝食前に原稿を書き始めようかと思ったのですが、M先生がつかまるかな、と思って9時過ぎにS高校に電話。幸いすぐに繋がって「15分くらいの電話取材を今日か明日に」とお願いをしたら、「今でも大丈夫」ということで、その場で電話取材ができました。ここまでスムーズに行く確率は30%くらいでしょうか。幸先のいい1日だな、と思ったら……。
 10時から電話がかかってきたり、メールが来たり、用事を思い出したり、また電話をしたりといきなり立て込み始め、原稿が書けなくなってしまいました。こうなると、かなり焦ってきます。しかし、先週の取材でゆとりが重要であることを再確認したばかり。“思い通りに練習が進むはずがない”という覚悟があると、慌てずに対処できるのだそうです。そうか、寺田に足りなかったのは、そういった部分だったのか。
 途中、気分転換に読書をして、なんとか気持ちを立て直しました。現在19時で、このあとやっと原稿に取りかかれます。おっと、その前に校正がありました。まあ、なんとかなるでしょう。余裕、余裕。昨晩は、S記者と悪だくらみの話もしましたしね。
 ということで余裕を見せて、ちょっとパリの想い出にでも浸りましょう。というのは、岡山(全日本実業団取材)で、パリで知り合ったテレビ関係の方と再会しました。K賀さんという方ですが、パリの日記で8月22日の「カフェの店員にI cannot shake a sleeveless.と言ったら、なんと反応するだろうかと。直訳すると、無い袖は振れない」のオチが面白かったというのです。世界選手権前後の日記で一番反響が大きかったのは、帰国時にスーツケースのオーバーウェイトチャージを取られた話でしたし、スーパー陸上でも岡山でも、その話題が出ました。そういえば、M新聞の島谷ひとみことK記者は、背壁の陣の話題が面白かったと言います。
 うーむ。何が受けるかは、書いてみないとわかりませんし、読み手によっても違いますね(当たり前か)。寺田自身は、8月19日のカフェの話(オチ)が気に入っていたのですが、こうして読み直してみると、K賀さんの言ってくれた“無い袖”の話もいいですね(と自画自賛)。しかし、8月19日の日記でアクレディテーションセンターのおじさんに寺田が話した「金は1個だと思う。女子マラソンも可能性がある。どちらかで1つは取ってほしい。メダルは全部で3つ。フランスよりも1〜2個少ないでしょう」という予想は、日本の方も外しましたし、フランスのメダルに至っては8個ですから、大きく外してしまいました。日本人記者の評判を落としてしまったと反省しましたが、オチはなし。


■9月29日(月)
 昨日の取材は一昨日ほどハードではなかったので、夜も頑張って仕事ができると思っていたのですが、寝ころんでテレビを見ていたらそのまま眠りに落ちてしまいました。20:30頃だったと思います。ということで、今朝は2時半には起きて仕事開始。でも、5時からまた2時間くらい眠ってしまって……以前にも紹介した「クンミン(昆明)、暁を覚えず」は、昨日もお会いしたF田監督の名言ですが。
 10:30まで仕事をして、11時にチェックアウト。駅の公衆電話から仕事の電話をして、ベンチでパソコンのキーボードを叩いて、12:28の新幹線で東京に。新型車両で、車両の一番前と後ろにはコンセントがあるタイプ。岡山始発のひかりを調べておいて、早めにホームに行って、目的の座席をゲット。心おきなく仕事ができました。
 しかし、仕事があっても故郷である袋井の風景だけはいつも、車窓から見るようにしています。今日は窓からの日光を避けて、通路の左側に座りましたが、国体会場であるエコパは右側。ほとんどの窓にブラインドが降りていて、愛野駅を過ぎた辺りでチラッと見えたような、見えないような。
 それからしばらくすると、左側の窓から日が射し込んできました。東海道新幹線は東西に走っている印象があると思いますが、掛川を過ぎて静岡に向かうあたりでは駿河湾沿いを北上するのです(北東向きですか)。それで、15時頃だったと思いますが、左側の窓から日が射し込むわけですね。ブラインドを降ろそうと何気なく外を見ると、大井川を渡るところでした。
 そこでふと思い出したのが、「箱根七里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という諺……じゃなくて、なんと言ったらいいのでしょうか。まあ、そういう言葉が江戸時代にあったのです。そこでピンと来ました。つまり、箱根よりも大井川の方が難所だったのです。これは使えますよね。何にって、もちろん駅伝に。箱根駅伝に対抗して大井川駅伝。どうでしょう、東海学連の皆さん、検討されてみては。
 東京駅着が16:30頃。電話を4本してから陸マガ編集部に。編集部から電話取材を1本。取材中の相手のある言葉から話を展開させて、そこそこ重大な情報を聞くことができました。近日中に明らかになるでしょう。
 出張精算と、デジカメの写真をコピーした後で打ち合わせ。行数が決まりました。トータルで920行!! 1行1文字とかいうオチでもあればいいのですが、もちろん1行は17文字。陸マガ以外の仕事もありますし、水曜日には取材、木曜日にはあるパーティーもあります。今週もどうやら、原稿に追われる日が続きそうですね(ありがたい話です)。それに、追われるのが嫌だったら、追いかければいい……かな。


■9月28日(日)
 昨日の忙しさは尋常ではなく、しかも21時まで競技をやっていましたから、ホテルに帰ってコンビニで買った食事をしたらバタンキュー(23時頃)。早朝、4時に起きて仕事をしました。今日は10時から競技開始でしたが、ギリギリまでホテルで仕事をして、本当に1分1秒が惜しいので、タクシーで移動。実は10時からある選手への取材予定もあって、車内でどうインタビューを進めるか、色々と考えたいという理由もありました。
 ところが、そういうときに限って運転手が饒舌だったりします。こちらの仕事を質問し、いきなり何を言い出すかと思えば……。
運転手 東京オリンピックに出た選手が2人自殺しましたね。
寺田 しましたね。依田選手と円谷選手。

 なにか、こちらの知識を試しているような感じでしたし、これ以上しゃべったら取材の予習ができないので、かなりそっけなく話しました。ところが、なぜか運転手はアクセルを踏み込みます。
運転手 陸上選手だけなんですよ、自殺したのは。それだけ、陸上競技は色々と負担が大きいんじゃないですか。
寺田 2人だけでは、サンプルとして少なすぎるでしょう(と、冷静に)。
運転手 (ひるまず)岡山ではマラソンのあの選手が最近あれですが、以前にも岡山にはメダル取った選手がいたんですよ。
寺田 いましたっけ?(マラソン選手を考えていました)
運転手 いましたよ。
寺田 ああ、人見絹枝さんですか。
運転手 そのくらいの選手は知ってるわけですか。
寺田 まあ、オリンピックのメダリストの名前くらいは。
運転手 私は山の旦那の一個学年下なんですわ。
寺田 山……美代子選手でしたっけ。
運転手 三保子です。モスクワ・オリンピックの代表だったですよ。
寺田 モスクワってことはあり得ないでしょう。八木たまみさんが代表でしたから。モントリオールが曽根幹子さんでしたから、ミュンヘンでしょう。
運転手 あの旦那も国体選手でしたが……(かなりプライベートな内容なので割愛)。

 こちらばかり試されているのもシャクだったので、若干、攻勢に出ました。
寺田 岡山と言えば山本寿徳選手でしょう。
運転手 ああ。あいつは隣の町ですわ。
寺田 美作の隣なんですか。
運転手 あいつは、○○なんです。
寺田 やり投の松井江美選手も高校時代から強かったですよね。
運転手 その選手は知りません。
寺田 えっ? 美作で山本選手の同級生で、オリンピック代表にもなった選手ですよ。

 ということで、三宅貴子選手や中距離の選手の名前も何人か用意していたのですが、そこまで必要なかったわけです。
 でも、タクシーの運転手でビックリするくらい知識の豊富な人に、ときどき遭遇します。あまりローカルレベルの選手だと話はできませんが、今日くらいのレベルの選手なら、いつでも話し相手になれますので。その代わり、料金割り引いてください。


■9月27日(土)その2
 ついに来ました桃太郎スタジアム。どうやら、全日本実業団がこけら落としのようです(と、選手たちが言っていました。未確認ですが)。朝はバスで行きましたが、本数がとても多かったので(1時間に5〜6本)助かりました。ただ、今日は21時近くまで競技があり、帰りは22時頃になったためタクシー。でも、場所が駅から近く、かなり楽です。
 肝心の競技ですが、派手な新記録はなかったですけど、かなり面白かったです。その場のあれを伝える意味で、時間順に紹介しましょう(多少の入れ違いはあるかもしれません)。
 まず、男子円盤投で畑山茂雄(ゼンリン)選手が57m32の日本歴代3位。山崎先生が58m08の歴代2位を投げた1986年以降では最高の記録です。適度な向かい風で記録の出やすいコンディションですが、やっとやってくれました。2位の村上幸史選手(スズキ)も自身2度目の50mオーバー。
 男子1万mWでは柳沢哲選手(綜合警備保障)が久しぶりの優勝。世界選手権出場の藤野原稔人選手(三水テクノ)は終盤で失格、吉沢永一選手(長谷川体育施設)は序盤でその2人から遅れ、途中棄権と明暗を分けました。
 女子走幅跳は花岡麻帆選手(Office24)と池田久美子選手(スズキ)が、またも大接戦(今回は2cm差)。この2人、本当に片方が跳べば、もう一方も跳ぶという関係。1人がA標準を跳べば、もう1人も跳びそうです。
 男子3000mSCは内冨恭則選手(中国電力)が7回目の優勝。
 女子1500mは川島亜希子選手(UFJ銀行)が4分15秒46と好タイムで優勝。2・3位の橋本歩、大平美樹の三井住友海上コンビが自己新。三井住友海上は岩元千明選手もジュニア女子3000mを9分08秒50と高校時代の自己記録を僅かですが更新。実業団の記録と高校時代の記録では、あれが違います。三井住友海上は主力2人が現時点ではなんとも言えませんが、駅伝は今年、強そうです。鈴木監督も「駅伝は○○○」と言っていましたし。
 涼しくなってから行われた男女1万mでも好記録が出ました。女子1万mはワゴイ選手(スズキ)が快勝。福士加代子選手(ワコール)が31分11秒61の国内日本人最高記録で2位。3位・大越一恵選手(ダイハツ)、4位・山中美和子選手(ダイハツ)、5位・弘山晴美選手(資生堂)までが五輪A標準を突破。斉藤由貴選手(第一生命)、阿蘇品照美選手(京セラ)も31分49秒台。
 男子ではケニア勢に1人食い下がった大島健太選手(くろしお通信)が、27分54秒88と27分台をものにしました。入社一年目のカリウキ選手(九電工)の3位・27分46秒53も、学生時代から大幅に記録を伸ばしてきました。
 その前の男子200 mでは優勝した土江寛裕選手(富士通)を筆頭に、早大OBが1〜4位を独占。
 200 m2位が久しぶりに好走したアトランタ五輪代表だった馬塚貴弘選手(スズキ)でしたが、今日の終盤は、スズキ勢が席巻しました。男子400 mHの河村英昭、やり投の村上幸史、女子砲丸投の森千夏、200 mの鈴木亜弓、そして1万mのワゴイ選手と、5種目に優勝(森選手の17m67も国内日本人最高です)。男女総合得点では70点と、2位の富士通の22点に圧倒的な大差を付けています。
 個々の記事は追々、時間があったら書いていきますが、今日のところは写真だけです。


■9月27日(土)
 昨日は岡山駅到着後、観光案内所で地図を入手して、スタジアムまでの交通手段も確認。三井住友銀行を探して(約15分)お金をおろしました。岡山の街はいい雰囲気です。地下街も新しく、お洒落でしたし。カフェで2時間くらい、原稿書きと読書。
 19:30にホテルにチェックイン。部屋はほどよい広さで、値段以上に快適そう。ただ、椅子に背もたれがないのが難点。椅子の高さがベッドと同じで、後ろにそのまま寝転んでしまうことができるのです。そのせいで……というのは言い訳で、遅寝早起きの影響が出て、20時前後から2時まで眠ってしまいました(その間、携帯電話も鳴っていたようです)。眠りが浅かったようで、6時間睡眠でもちょっと足りない感じ。本当は、2時まで原稿を書いて、6時間たっぷり寝たかったのに。
 2時に起きて洗濯をして、食事に。岡山の致命的な欠陥が露呈されました。フロントで聞いたら、駅の近辺にはファミレスがまったくないのだそうです。ということで、吉野屋に行って牛丼とけんちん汁を食べ、コンビニで朝食を仕入れて戻ってきました。吉野屋では全日本実業団のタイムテーブルをチェック。1日目がめちゃくちゃに忙しいことが判明しました。気合いを入れないと。
 で、現在、午前4時。どうしよう。原稿を書いて眠らずに取材に行くか、2時間くらい眠っておくか。


■9月26日(金)
 遅寝早起きは十六文の得とばかりに、5時に起床。8時までに原稿を1本書き上げました。構想は昨晩中にしておいたので、短時間で書けたのです。しかし、昨日と同様、送信がなかなかできません。あきらめてチェックアウトの準備をして、9時過ぎに送信。
 10:20から○○○○の本社ビルで某監督の取材。イメージがかなり具体化しました。その後、選手にも補足取材させてもらって、かなりいい感触。うん、大丈夫です。問題は、指定の行数に収まるように書けるかどうか。それも仕事です。
 昼食後、岡山に向けて移動。現在、電車の中です。待ってろ、桃太郎スタジアム! 桃太郎という名前の知り合いがいる人は、手を挙げて……なんて、茶化したくなる名称ですが、ここまで強烈な名称の競技場は初めて。地名の付いた競技場は一般的です。ビッグアーチやユニバーシアード記念もまあ、考えられる範囲。それが桃太郎ですから、驚天動地のネーミング、日本人離れした発想です。
 それだけでも、関係者のセンスと意気込みを感じます。選手もぜひ、そのあたりを汲み取って、好記録続出としてほしいものです。競技場名負けしないように、頑張りましょう。


■9月25日(木)
 朝の6時には起きて仕事。昨晩、書き上げた原稿を送ろうとしましたが、どうも朝の6時半くらいから9時過ぎまで、メールがうまく送受信できません。自宅で作業しているときもこの傾向はありますが、PHSモバイル用のアクセスポイント経由だと、なお顕著。サーバーがうんたらくんたらでもう60秒待ちますか、というエラーです。この時間帯はアクセスが多いのでしょう。
 実はこのパソコン(B5ノート)、何分かネットに接続していると必ずエラーが出ます。再インストールしないとダメかなあ。誰かやってくれないかなあ。
 8時過ぎにホテルを出て、ミスドで朝食。出張先がどこなのかは明かせませんが、途中、天満屋UFJ銀行が通りを挟んで向かい合っていました。午後には、Office24スズキの販売店も見かけました。そしてもちろん、取材にお邪魔した○○○○の本社ビルも。
 9時ちょっと前に、なんとか原稿の送信に成功。ホテルに戻ってまた原稿書き。今晩が締めきりです。コンビニで買っておいた昼食を食べ、14時から○○○○の本社ビルで取材。ちょっと難しいテーマの取材で、まとめるのにやや苦労しそうです。明日、指導者の方の話も聞いて、どうイメージが具体化するかが勝負でしょう。
 練習の撮影もしたので、取材は18時前までかかりました。練習の前にちょっと時間が空いたので、○○○○の本社ビル近くのスタバで原稿書きと電話連絡。
 練習の取材後、ホテルに戻って電話取材。
 夕食は寿司屋。久しぶりに本格的な寿司を食べました。
 ちょっとアルコールも入ったので、先に寝てから仕事をしようと思いましたが、なんとか持ちそうだったので、1時間くらいで先日からかかっていた世界選手権関係の原稿を、23:30頃に終わらせました。
 ここで寝ようと思いましたが、ちょうど某カメラマンから電話が入り、これから写真を送信してくれるとのこと。ちょっと時間がかかって、着信できたのが午前1時。1時半就寝。ここまで色々とできた1日というのも珍しいです。


■9月24日(水)
 早起きは三文の得、という諺がありますが、これは厳密には早寝早起きという意味でしょう。だったら、遅寝早起きは十六文の得かもしれません。ということで、たまにそれを実践しています。今日がそうでした。
 5時に寝て9時起床(早起きじゃない?)。事務的な仕事(請求書起こしなど)を片づけ、国際電話で段取りなんかもしちゃって、原稿を書ける準備をして、おまけで朝食と昼食もしっかり食べて、16時30分に自宅を出発。今日から国内某所へ出張なのです。後半は岡山で全日本実業団を取材。新幹線の中では原稿を1本仕上げました。
 でも、他にも締め切りを抱えて来ていまして、ちょっとネコの手モード。いえ、ちょっとじゃなくてカナリア諸島で冬期練習。


■9月23日(火・祝)
 午前中は横浜(保土ヶ谷区)のスポーツ店・安藤スポーツで開催された末續選手のイベント(ファン100人との質問会、握手会、じゃんけん大会などで相当に盛り上がっていました)を取材。このお店、なかなか大きなフロア面積で吹き抜けスペースまであります。店内に100人が入ってしまうのですから。当然、品揃えも豊富。陸上競技のグッズもあれだけ揃っていたら、たいていの物はこの店に来店すれば購入できそう。まあ、そんなことは、地元ではみんな知っていることなのでしょう。記者の何人かは陸上競技経験者で、シンダー用のスパイク・ピンなどを久しぶりに手にして、思い出話に花が咲きました。
 昼食は、記者仲間3人で横浜駅の焼き鳥の店で。これはもちろん、末續選手の好物が鶏肉だから。全員パリ帰りだからといって、フレンチなんか食べません。
 午後はスーパー陸上の取材。パリから帰って初めての競技会取材のせいでしょう。スタンドがもう、静かで静かで。静御前ならぬ静か午後。確かに、フランス人みたいになんでもかんでも騒げばいいってものでもないのでしょうが、本当に静かでした。スター選手の何人かが出られなかったこと、記録が低調だったこと、世界選手権金メダリストが次々に負けたこと(勝ったのは8人中2人)など、思い当たる理由もあります。単に、国民気質の違い、なのかもしれませんし。
 でも、もうちょっとアナウンスの工夫などで、スタンドの興味をかき立てることはできたように思います。これは、今日に限ったことではありませんが。
 人々がスポーツを見て感動するのは、目の前で展開されている競技の価値、選手の価値を知っていればこそ。陸上競技に関する知識の全くない人が、例えば金メダリストと知らずにその走りを見て、何かを感じることはあり得ません。スタジアムの大小も関係しているかもしれませんが、高木直正先生が通告をされている水戸国際の方が盛り上がっているように思います。地域の違いもあるかもしれませんが、長距離種目など兵庫リレーカーニバルの方が盛り上がっているのではないでしょうか(今日の男子5000mなんか、レースやってるの? というくらいに静かでした)。でも、日本選手権は同じ横浜国際競技場でしたが、今日よりは盛り上がっていたように思います。やっぱり、記録かなあ。それとも、パリ帰り直後の錯覚か?
 記録の出なかったことについて一言(と言っておいて、たぶん五言くらい)。今日はもう、記録の出ない日でした。同じ横浜国際競技場で行われた、6月の日本選手権とはえらい違いです。アジア選手権と有力選手が分散したことや、時期的な問題もあったでしょう。前述のように、世界選手権金メダリストでさえ、8人中6人が勝てなかった、そういう時期なのです。が、一番の理由は、この時期にして気温20℃だったということ。何週間か20℃前後だったら問題のない気温ですが、冷え込んだのはここ2〜3日です。影響はありありでしょう。今日くらいきれいに、記録が全種目で低下していたら、記録は出ようがない日なのです。陸上競技を長く見ている人には、それがすぐに見て取れます。
 しかし、問題はテレビ視聴者や、ある種の大会関係者(大会主催会社や放映テレビ局の一部の人たち)は、そういった部分を肌で理解できません。記録が出ない低調な大会だった、と断じてしまうわけです。その辺が、記録競技の難しい部分でしょう。
 それを補えるのが、一流外国選手と好勝負を展開すること。今日で言うなら、外国選手相手に勝った室伏広治選手であり、池田久美子選手。男子走高跳の真鍋周平選手も、金メダルのフライタークと、今季世界最高のウォラリゼックを相手に2m25の同記録ながら競り勝っての2位。この3人が、低調な記録に終始した大会を、盛り上げた功労者といえるかもしれません。その他にも、個々に見れば頑張ったと言える選手や、面白かった種目もありますが(時間があったら、全種目のちょっとした戦評を記事にします)。
 しかし、いい意味で我々の予想を一番裏切ってレースを盛り上げたのが、女子5000mのルーシー・ワゴイ選手。世界選手権トラック長距離種目を席巻したエチオピア勢相手に、ラスト勝負で競り勝ったのです。高校時代から強さは群を抜いていましたし、A標準未突破のため代表にはなれませんでしたが、ケニアの世界選手権選考会でも上位に入っています。それでも、ラストに強いエチオピア勢、それも5000m金メダリストと1万m銀メダリストを、まとめて破ってしまうとは。ワゴイ、スゴイ!(このネタ、E本君から昨年のインターハイでいただきました)


■9月22日(月)
 16時から新横浜プリンスホテルで(もちろん長浦のプリンスもいました)スーパー陸上の記者会見。会見が始まる前に中村記者(中日スポーツ)の隣の席に。
 実は、メディアレースの記事を掲載したら、さっそく、同学年の佐々木記者からメールが来ていました。
「思えば私がリベンジを誓ったエドモントンから2年。
パリでは必ず成長した姿を見せるつもりだったのですが・・・。
まさか、参加すらできないとは・・・。
さらに、宿敵・中村彰宏に抜かれるとは何たる屈辱!
できることなら、直接パリの舞台で決着をつけたかった!
いくらタイムで上回れたからと言って、即決着が付いたという
のはあまりに乱暴でしょう。
近藤さんが35歳にしてタイムを上回れたように、私だって
その可能性は十分にあったわけですから!」

 とまるで、直接対決していたら中村記者に勝てた、とでも言いたげな文面。それを中村記者に伝えると、「スタートラインに立てなかった人間が大きなことを言うな。そこまで言うのだったら、2年後に出てこい」と、受けて経つ構えです。なんか火種をつくってしまったような気もしますが、気にするのはやめましょう。
 会見後はしばらくおいて、18時からウェルカムパーティー。そこで、通常の取材はできませんが、選手の了解が取れれば、会場外で取材もできます(誰を取材したかは内緒)。その他、パーティーではいくつか面白いネタも。
 明日のレースで個人的に注目しているのは男子5000m。5000mで世界選手権B標準に迫った徳本一善選手と、世界選手権の3000mSCで日本新をマークした岩水嘉孝選手の対決が、かなり白熱するのではないかと思っています。中村&佐々木記者同様、同学年の対決ですし、ともに4年時の箱根駅伝でアクシデントがあったことも共通点です(岩水選手は肺気胸で出場できなかったわけですが)。3000mSC前日本記録保持者の新宅選手は、5000mのベストが13分24秒69。徳本選手が今年5月に大阪GPで出した記録は13分26秒19。かーなり面白くなると思っているのですが……と書くと、日本選手権のように岩佐敏弘選手が頑張るかもしれません。
 そこに今日、新たな情報を仕入れました。あの、上野裕一郎選手も明日、そのレースに出場しますが、絶好調で高校記録(13分44秒91)を狙える状態だというのです。5月のゴールデンゲームズでは岩水選手に勝っています(あまり、参考にならないかもしれませんが)。先頭はケニア選手たちでしょうから付くのは難しいと思いますが、日本選手には付いていくかもしれません。ペース次第でしょうが、3700〜3800mくらいまで付いて、死ななければ(付いているときの余裕度次第ですが)、高校記録、行くんじゃないでしょうか
 参考までに高校記録の400 m毎と上野選手ゴールデンゲームズ400 m毎


■9月21日(日)
 まあまあ、仕事が進みました。最悪の事態にはならないでしょう。でも、今週はしんどいです。いや、緊張感を持てて、やり甲斐があるといったところでしょうか。ちょっとの油断、失敗で奈落の底に落ちてしまうのは間違いなさそうですけど。
 ところで、17日(水)の日記のことだと思うのですが、知り合いの方から「あんまり怒らないでください」というメールをいただきました。変なメールが来たら、さらりと流してくださいと。いやあ、そんなに怒っているつもりはなかったのですが、そう言われると、怒っていたかもしれません。知り合いの方というのは女性でして、だからってわけじゃないですけど素直に反省
 そういえば、パリでこんなことがありました。ある女性から(美人です。と、はっきり書くからにはテレビ関係者か?)「よく、あれだけ毎日書けますね」と、このサイトのことを誉められました。アルコールは入っていなかったと思いますが、「いやあ、ネタに困るなんてことはありませんよ。現場に来れば絶対にネタはあります」とかなんとか、調子に乗って答えてしまいました。
 正確には、“このサイトの記事だったらネタにできる”という意味でして、そのネタが新聞や一般誌のネタになるかどうかは、また別ですけど。どのメディアの仕事かによります。が、少なくとも、このサイトのネタがないと困ることはありません。10年以上編集部に在籍した専門誌用の記事も……と言いたいところですが、さすがに、そこまでは言い切れません。編集部の方針が第一ですし、それに耐える原稿を書くために取材するのは、やっぱりかなりの労力が必要です。
 それにしても、「ネタに困ることはない」と言い切ってしまったあたり、自分でもちょっとビックリ。やっぱり相手が女性だったからでしょうか。それとも、パリの雰囲気が言わせたのか? そういえば、誰ぞに言われましたね。「パリではカトリーヌやらステファニーやら、女性との関わりが多かったですね。旅先で色々とやっているのではないですか」と。
 とんでもない。世界選手権の取材は、いえ、陸上競技の取材はそれほど生やさしいものじゃないです。それに、これでも妻のアルミン・ハリーですから(これも要解説?)。


■9月20日(土)
 今日はずっと原稿が書けるはず、と思っていましたが、さように上手くことが運ぶはずもなく、とてもドムドムっとは書き進んでいません。一応、午前中から仕事を始めましたが、16時から腰痛(臀部)治療の予約が入っていました。これが17時過ぎまで。治療後、30分間は仕事をしてはいけないという指示なので、本屋に久しぶりに行ったら、これが失敗で1時間半くらい立ち読み三昧。雑誌を1冊と文庫本を2冊購入。雑誌の記事を10ページくらいと、文庫本を50ページくらい、カフェ(ヴィド フランス)で読んだら、20:30。買い物をして帰宅して、食事をしながら世界不思議発見のトルコ特集(アイハン残念)を見てしまい……てな体たらくで、結局、徹夜に近い状態に。気持ち的にもちょっと落ち込み気味。明日は、まずはメンタル面から立て直して、ララァっと仕事をしたいと思っています。
 ところで、ここ数日ガンダム・ネタを出しているのには、もちろんワケがあります。何の理由もなく書いていたら、単なるガンダムおたくのライターですからね。ちゃんと、陸上競技とのかかわりがあるのです。
 世界選手権の男子1万mの記事で紹介したように、過去、26分台が出たレースは世界で3つの大会しかありません(今年の世界選手権が4つめ)。ヘンゲロ(オランダ)、ブリュッセル(ベルギー)、オスロ(ノルウェー)の3都市のレースのみ。今年も6月1日のヘンゲロと、9月5日のブリュッセルで26分台が出ました。ヘンゲロではベケレ(エチオピア)がゲブルセラシエ(同)を破り、世界選手権を予感させる結果でした。3位も世界選手権銅メダルのシヒネ(同)でしたし。
 そして、先日のブリュッセルではゲブルセラシエが26分29秒22と、自己の持つ26分22秒75の世界記録に次いで自己2番目、パフォーマンスでも世界歴代3位の記録で優勝しました。26分台のパフォーマンスは昨年まで19個、今年9個の計28個が出ていますが、そのうち18個、実に64.3%がブリュッセルで出ているのです。
 そのブリュッセルの大会の名称が、何を隠そうヴァン・ダム記念。で、ガンダム・ファンなら誰でも知っていることですが、ガンダムのパイロットはアムロ・レイという名前です。世界選手権マラソン銀メダル、フリオ・レイ(スペイン)も実は1万mの自己ベスト27分47秒33(98年)をヴァン・ダム記念で出しているのかなあ、と思って調べたら違いました。


■9月19日(金)
 午前中に、来週以降の具体的な仕事がゲルググっと決まりました。締め切りが25日までに3本(そこそこ大きい記事)あって、24日の夕方から出張。取材も月・火と行きます。出張先からそのまま全日本実業団の取材に入ります。明日、明後日でどれだけ原稿が書けるかで、月曜日以降の余裕度が違ってくるわけです。日曜日が締め切りではありませんが、油断をすると一大事になりそうな予感がします(ニュータイプの勘とでも言いましょうか)。
 14時前に出かけて、都心で3つほど用事をこなし、23時半頃帰宅。
 M田さんという方からメールをいただきました。昨日、「ドムドムっの次は何でしょう?」と書いたことに反応してくれたのです。
「『ギャンギャン』走る選手をスーパー陸上で観る」
(参考http://www9.wind.ne.jp/yasyas/gd/zukan/l/ms15.htm)
なんか好記録がでそうですね。
でも、オヤジギャグ好き(失礼)な寺田さんのことだから
「『ジムジム』」事務手続きをする。」
(参考http://www9.wind.ne.jp/yasyas/gd/zukan/l/rgm79.htm)

 さすが、機動戦士ガンダムのファンは多いようですね。それで、ドムドムの次は、今日の日記は冒頭で書いたようにゲルググ(http://www.gundam.channel.or.jp/goods/toy/item/product/4543112120434.html)でした。えっ? 法則にのっとっていないじゃないかって。実は、ジオン公国のモビルスーツ名を使おうという意図はありましたが、2文字の名前を繰り返して使おうという予定はなかったのです。
 なあんて、本当はあまり考えていなかったのに、シャアシャアと言い訳。


■9月18日(木)
“やることは決まっているけど、具体的な文字数や締め切りが決まっていない”という仕事がいくつかありまして、ちょっと先の予定ですら、なかなか決まらない状態です。それで昨日の日記は不機嫌モードなのかも?
 しかし、今日は催促をして、ある仕事のおおまかなスケジュールが立てられました。その仕事、細かいことまでは言えませんが、世界選手権関連の仕事なんです。このタイミングでもまだ仕事が生じるとは、さすが、陸上界最大のイベント。
 ということで、今日は段取りやら、諸々の手配やら(同じか)、電話やらをサクサクっとやりました。明日は久しぶりに都心に行きます。用件を3つ、なんとか同じ日にできるように固めました。もしかすると、電話取材も1つ入るかも。いずれにせよ、ザクザクっと片づけたいものです。そして明後日は、ドムドムっと原稿を書いて、スーパー陸上、全日本実業団と続く来週に備えないと。
 さて、ドムドムっの次は何でしょう?


■9月17日(水)
 14日の日記に書いたナイチンエルスナーが何のことかわからんぞ、というメールをいただきました。この手のことはあまり解説はしたくないのですが、仕方ありません。1977年に女子100 mで10秒88(当時世界記録&女子選手初の10秒台、現ジュニア世界記録)を出したのがM・エルスナー(東独)で、83年に10秒81(当時世界記録)を出したのがM・ゲール。エルスナーが結婚してゲールになったのです。
 世界選手権で世界新は出なかったけど、ジュニア世界新は出たという話題から入るべきだったかなと反省。
 もう1つ、メールをいただきました。
「弱い選手・やる気のない選手の雰囲気が、全体の士気に影響する」なんて話を聞くと、馬鹿じゃないかと思います。その程度のことが選手のパフォーマンスに影響するのなら、それは元から国際大会で戦う力がないということ。
 と、これもちょっと前の日記で書いたことですが、「だったらなんでオリンピックなどでマラソン選手だけ選手村でなく、別の宿舎を特別に取るのか?」という質問メールです。答は簡単、「陸連に聞いてください」です。上記の意見はあくまで寺田という個人の意見であり、マラソン選手の宿舎は陸連が決定している(許可している)事実です。それを、こちらに質問するのは筋違いでしょう。
「どう思うのか」という問い合わせなら、「どうも思いません」と答えます。判断するには材料が少なすぎます(質問の意図も、陸連の意図も)。
 こちらの件に関しては反省しません。
 “聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥”という諺があります。世間には、諺は永遠普遍の真理だと誤解している人が多いようですが、諺が成立した時代背景を考慮しないといけません(すごい話になってきたな)。つまり、この諺は一対一で会話をしている場合を想定しています(または、それに近い状況)。寺田も上記の質問を一対一の会話中に聞かれたのなら、質問の意図を確認しながら、何かしら答えるでしょう。でも、ネット上ではそれができません。
 今日のインターネットのように不特定多数の人間から質問できるような状況であれば、質問する側はその内容をよく吟味する必要があります(質問するな、とは言っていません。面白い質問もありますから)。ときどき、有名選手の掲示板に「こういった故障をしましたが、どうしたらいいですか」とか「こういった局面で強くなるには、どういった練習をしたら強くなりますか」と、回答者泣かせの質問が書かれています。面と向かって話している状況あれば、その場で相手の状況を詳しく聞くこともできますが、ネット上ではそうもいきません。そういった意思の疎通をはかろうとしたら、膨大なエネルギーが必要なのです。
 “聞くは一瞬の、聞かぬは一生の”という諺は、少なくともネット上では真理でも何でもありません。ソマイリーもそう言っていました。


■9月16日(火)
 昔、フライング・トースターっていうスクリーンセーバーが一世を風靡しました。パンを焼くトースターに羽根が付いていて、パタパタパタっと飛んでいくあれ、可愛かったですよね。これを知っている人は、なかなかのパソコンキャリアでしょう。
 昨日書いた、フライングが和製英語じゃないかという件で、アメリカ在住のATFS(世界陸上競技統計者協会)会員、ケン中村氏からメールをいただきました。どうやら寺田の仮説は正しかったようで、英語ではフライングのことをflyingとは言わないのだそうです。False Start(不正スタート)という表現が正しい言い方です。日本陸連の「陸上競技ルールブック」も、“不正なスタート”という表記で統一されています。
 このような和製英語のことを、英語ではJanGlishと言うのだそうです。どうして、このような現象が頻繁に起きるのか。推測でしかありませんが、その言葉が日本に最初に紹介されたとき、または日本に広まったときに、間違いが間違いと認識されずに普及してしまったということでしょう。
 オスロ・ゴールデンリーグ開催場所のスタジアム(競技会名でもあります)が“ビスレット”なのか“ビスレー”なのかを、昨年、現地の人間に発音を確認しました。“ビスレット”が正しかったのですが、英語などでは単語の最後の“t”は本当に軽くしか発音しませんから(アクセントの位置にもよりますが)、それが“ビスレー”と日本人には聞こえ、ヨーロッパに遠征した日本関係者が最初にビスレー競技会と紹介すれば、その名称が日本ではその後も用いられることになります。
 その最たる例が英語のJapanでしょう。日本では誰も、ジャパンなどと言っていないのに、日本がヨーロッパに紹介された際に、ジパングとなり、英語圏ではジャパンとなったわけです。その逆バージョンがイギリスです。イギリスでは、誰もイギリスなんて言っていないのに、日本ではイングリッシュがエゲレスになり、イギリスとなって今日に至っています。
 言葉とは元々、そういったもの。ですから、日本でフライングという使い方が広まっても、一概にそれを責めることはできないでしょう。でも、昨日も書いたように、flyingは“空飛ぶ”という意味で使った方がお洒落だと思います。ところで、スターターは台の上に立っていますが、あの台からジャンプしながらピストルを撃ったら、フライング・スターターですね。


■9月15日(月)
 ドラモンド事件の影響でしょうか、フライングという言葉について調べました。実は前から気になっていたのですが、フライングというのは和製英語、日本の陸上界でしか通用しない英語じゃないかな、という気がしていたのです。野球にも、その手の言葉があると聞いたことがありましたし。
 陸上競技ではハードルの“ディップ”(上半身を深く前方に倒す動作)がそうじゃないかな、と思っています。97年(もしかすると98年)にアレン・ジョンソン選手にインタビューした際、ディップという言葉を理解してもらえませんでした。「dip」という単語は動詞にも名詞にも使えて、以下のような意味(名詞部分)がありますから、日本の陸上界で使っているディップという表現が、一概に間違っているとも断定できないと思うのですが。
1 ちょっとつける[つかる,浸す]こと;《話》一泳ぎ: I am going for a dip in the sea. 海で一泳ぎしてきます.
4 瞬間的降下,(鳥・飛行機などの)急降下;(価格の)一時的下落[低下]《in...》:a dip in fruit prices 果物価格の一時的な下落.
5 下降,下り坂;傾斜(度);くぼみ: the dip of the sun 日没 / There are many dips in the path. その道にはくぼみがたくさんある.
6 俯(ふ)角;伏角(magnetic dip).
Progressive English-Japanese Dictionary, Second edition ゥ Shogakukan 1987.プログレッシブ英和中辞典 第2版 ゥ小学館 1987.

 フライングも、この手の使われ方をしている可能性があるかな、という気がしていました(仮説を立てたわけですね)。というのも、映画「炎のランナー」の中で、エリック・リデル(パリ五輪男子400 m金メダル)が“Flying Scott”(空飛ぶスコットランド人)と新聞の見出しになっていたからです。さらに、あの長距離王ヌルミ(フィンランド)のあだ名も“Flying Finn”(空飛ぶフィンランド人)でした。きっと、戦前のヨーロッパのマスコミがFlyingなんとか、って命名するのが好きだったんだろうな、と想像したわけです。
 で、そういった命名をする場合、Flyingに今の日本で言うところの意味があったら、選手にマイナスイメージが付いてしまいますし、かなりややこしくなりますから、Flyingなんとかという命名はしないだろう、と推理したのです。それに、陸上競技の英文記事を読んでいると、だいたいはfales start(正しくないスタート)という表現ですし(ちょっと自信なし)。
 でも、英和辞典を見ると、Flying startにも
2 (競争相手の機先を制するような有利な)す早いスタート
Progressive English-Japanese Dictionary, Second edition ゥ Shogakukan 1987.プログレッシブ英和中辞典 第2版 ゥ小学館 1987.

 という意味があって、それが転用された可能性はありそうです。寺田の仮説は証明されませんでした。
 でも、「炎のランナー」の影響が強いせいか、Flyingという言葉は「空飛ぶ」という意味で使った方がお洒落じゃないかと思っています。シドニー五輪代表の川畑伸吾選手は鹿児島出身ですから、“フライング薩摩隼人”とか……語呂はいい(?)のですが、川畑選手はフライングばかりしているのかと受け取られそうで、現実的には使えません。
 やっぱり、跳躍選手ですね。日本の陸上界で言うなら、ハニカット陽子選手が以前、“空飛ぶバンビ”と言われていましたからFlying Bambi。一番ピッタリだと思えるのは、棒高跳日本記録保持者の沢野大地選手の、フライング大地でしょうか。バネの利いた走法の野口みずき選手はフライング伊勢っ子とか(伊勢っ子なんて言葉があるのか?)。
 ところで、フライング大地(空飛ぶ大地)と聞くと、天空の城ラピュタ(宮崎アニメ。知らない人はネットで検索してください)を思い出してしまいます。宮崎アニメのよさは……今回は省略しますが、お気に入りナンバーワンは何度か紹介したように未来少年コナンです。未来少年コナンと言えば弘山晴美選手。弘山選手といえば、阪神タイガース・ファン。弘山選手、阪神優勝おめでとう! 明日のスポーツ新聞にコメントが載ったりしないかな。高岡寿成選手も(もう、阪神ファンって公表してるよね)。


■9月14日(日)
 謎の一日。
 なんて思わせぶりに書いて、ただ単にネタがないだけかも。
 そんなことはナイチンエルスナー(おっ、ハイレベル)。


■9月13日(土)
 陸マガ発売日。編集部に取りに行く時間がなかったため、寺田もできあがった雑誌を今日手にしました。こうして雑誌という形になると、あのパリの2週間が過去の出来事になったのだと実感します。平凡な感想ですけど。平凡じゃない感想を1つ。「へえ、本じゃなくて雑誌だ」……パリは寒かったですね。
 たぶん、独自性のある感想だと思いますが、末續慎吾選手が今年4回目の表紙です。年度末のアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンも有力ですね。でも、12月の福岡国際マラソンで2時間5分台が出たらどうなるか? その前に11月の東京国際女子マラソンで2時間15分台が出たらどうなるか? 30km世界最高の松宮隆行選手もいます。とはいえ、今回に限れば個人的にはあれですけど(あれ?)、これは投票で決めることですから。
 話を陸マガ今月号に戻しましょう。今月号は、そんなに多く記事を書いているわけではありません。巻頭の末續選手の記事と、カラー頁の男子両リレー、それとP96-97の「データでみる2003パリ世界選手権・日本選手編」です。どの記事も同じように気合いを入れましたが、改めて読み返してみると、書いた時点と印象がちょっと変わります。今日“思ったよりいいじゃん”と感じたのが「データでみる2003パリ世界選手権・日本選手編」ですね。
 過去の戦績や記録を見れば気づいて当たり前のことばかりですが、ちょこ、ちょこっと寺田らしい視点というか、ネタが付け加えられていました。朝原宣治選手が3回目の準決勝で「サンドニの正直ならず」と言っていますが、これはミックスドゾーンで「準決勝3度目だよね」と話を振ったらコメントしてくれたもの。隣にいたY記者によると……おっと、これはやめておきましょう。
 その他では、岩水嘉孝選手のところで、学生時代の恩師である仲村明監督も2度、世界選手権に3000mSCで出場していることに触れていますし、室伏広治選手も単に日本人初の連続メダル獲得という部分にとどまらず、世界的にも現在のハンマー投で連続メダル獲得が難しい点を指摘しました。
 単にデータの紹介にとどまらず、ちょっとずつ味付けをすることに成功できたかな、と自分では思っていますが、世間の評価はいかに?
 ところで、国際大会取材時に多いのですが、雑誌の写真を見て、あるいは帰国して録画ビデオを見て、「あのとき、こんなシーンもあったんだ。こんな表情もしていたんだ」と、感じることがままあります。国内の試合でもありますけど、なぜか国際大会の方がそう感じることが多いような気がします。
 気のせい、かもしれませんが、せっかく海外まで行ったのに見逃していたのか、という悔恨の念がそう印象づけるのかもしれません。あるいは、レース終了後すぐにミックスドゾーンンに移動しなければならず、レース後の表情をじっくり観察できないせいかもしれません。国内の大会だとグラウンドを見て、「おっ、○○カメラマン、撮ってるな」と思ったシーンがやっぱり、誌面に載りますから(編集者時代はカメラマンの撮影した写真を全部見ていましたし)。
 ということで、今月号の世界選手権の写真は新鮮でした。でも、寺田もライターという立場ですが、誌面に出ていないような写真を撮れています。まあ、そんなに意味のある写真というわけでもなければ、クオリティも低いのですが。しかし、見られて邪魔になるものでもないでしょうから、日付毎に数点をピックアップして掲載していくことにしました。期間中、日記を書けずお蔵入りしてしまいそうなネタも出せますしね。長浦のプリンスのレースとか、偶然会った某大物選手とか。


■9月12日(金)
 帰国してもう1週間経ったわけです。アッという間でした(本当に、“アッ”と発音する間に1週間が経ったとしたら怖い)。なんか、仕事の進み具合が遅いですね。どうしちゃったんだろうと言うくらいに。イライラ。
 昨日開幕した柔道の世界選手権は、昨日が金メダル3個と銀メダル1個、今日が金メダル1個。陸上競技のメダルと同じような記事の量を求められるなら、記者の人たちは信じられないくらいに忙しいでしょう。でも、きっと、いえ、間違いなく、同じメダルの色でも選手によって記事の量に差が生じているはず。同じ日のメダルなら、なおさらでしょうか。ところで柔道って、1日4階級が行われていますが、これって1人の記者で取材がカバーしきれるのでしょうか。
 1つの階級の1回戦から決勝まで行なって優勝者が決まって、次に別の階級の1回戦が始まると、取材する方は比較的に楽です。有力選手の1回戦を見逃す可能性はありますけど。厳しいのは4階級の決勝が最後に、連続して行われる場合。試合のインターバルでコメントを取って、次の決勝に間に合うのかどうか。あるいは、全競技終了後に、メダリストの会見があるのか。
 今度、誰かに聞いてみましょう。柔道だったら、聞ける相手はたくさんいます。

 さて、伸ばし伸ばしになっていましたけど、ドラモンド事件に関する寺田の日記(9月8日)に対していただいたメールから、お二方の意見を紹介しておきます。
 まずは、ドラモンドがゴネたことと、ルール改正をリンクさせて論じることはおかしい、というご意見。ドラモンド自身、ルールに不満はあったかもしれませんが、ゴネたのはあくまで、フライングの判定が不服だったから。ルール改正が不服で抗議するなら、1次予選で寝転んでいたはずです。つまり、純粋に判定に抗議するやり方として見た場合、あの方法はいただけないという意見です。
(前略)
 あの醜態を契機に、フライングの規則を再検討しようなどと言うのは全くのお門違いです。つまり、今回の騒動を惹き起こした元凶は、一にも二にもドラモンドであり、アメリカの選手であることから、アメリカの男子短距離が骸となって横たわっていることと二重写しになって来ます。勿論のこと、これからも、アメリカから世界記録を出す選手が出るでしょうし、オリンピック/世界選手権で優勝する選手も出て来ることでしょう。しかし、その輝かしい伝統は、このバカ騒ぎで、最早、屍骸となってしまったと思われてなりません。
 もう1つは、スタブロのフライング判定装置とその考え方は、鐸木能光さん(asahi.comのコラム)が指摘しているほど、いい加減なものではない、というご指摘です。いただいたメールから抜粋します。
 テレビでの報道でも「20kgの負荷」というただ一つの指標のみが注目されています。しかし現在のシステムは、ただ単に20kgの負荷がかかった時点を作動するわけでなく、瞬時に任意の負荷(20kgと設定されれば、その負荷)がかかった時点をもって、作動する仕組みになっています。
 ですので、まさしくスタート時のように瞬発的にブロックを蹴るといった動作でないと作動はし難く、体重の軽重の影響はほとんど受けないと思われます。
詳しくは、SEIKOにお問い合わせ頂くか、
http://www.sice.or.jp/kaishi/ronbun/ron2000old/ron200002.html
の中の「陸上競技用スタート動作の検出方式」に、概略が紹介されています。
また、鐸木能光さんの仰る0.1秒の点についてですが、生理学的に、音を聞いて反応をする(筋収縮が開始する)のに要する時間は0.1秒より確実に遅いです(0.2秒よりは速かったと思いますが...)。
またこれは、競技者でも一般人でも変わりはありません。
国際的に0.1秒と定められた確かな根拠を私は知りませんが、ヒトの構造上まずあり得ない基準ですし、またキリの良い数字だというところもあったんじゃないでしょうか。(後者はあくまで推測ですので真偽については...)
いずれにせよ、0.1秒という基準線は、乱暴かつギリギリに定められた線ではなく、どうひいき目に考えてもあり得ない線だと言えるのではないでしょうか。私には、「スポーツ選手を侮辱」したものとは到底思えません。
(中略)
私は、今回の問題の原因が、多くの方が論じているようなスタートの定義や不正の判定法にあるとは思えません。そうであれば、陸上競技界の中だけであったとしてもより以前から盛んに論じられているはずだと思うからです。
むしろ問題は、苅部さんも仰っているように、競技運営サイドが、フライングが極力発生しないような、スターターとしての技術を確固たるものにしておく必要があったということでしょう。
また、万一今回のような事態が起こったならば、審判は自信を持ってジャッジするべきで、同時にその根拠をはっきり選手に示し、毅然とした態度で臨むべきだったのでしょう。それでもなお、状況が改善しないようであれば、その時には改めて、新ルールそのものを見直す必要が出てくるのではないでしょうか。

 こういうご意見を紹介するときは、必ず、その人の立場を明確にする必要があります。学術論文でもなんでも、意見を言うときはそれが最低の条件。どんな立場の人の意見か、という部分がわからないことには、何も始まらないのです。最初のご意見は陸上競技報道の世界に身を置く方、後者は陸上競技の運営面に身を置く方です。
 最後に申し上げますが、9月8日の日記でドラモンド事件を取り上げたのは、寺田が現地でいかに余裕がなかったか、ということを言うためです。ドラモンド事件を取り上げるのが目的ではありませんでした。今後、この件に関するメールをいただいても、今回のように紹介することはありません。よっぽど、面白かったら別ですが。


■9月11日(木)
 昨日の補足です。ワイナイナ選手との会話は当たり前ですが、あの部分だけをしたわけではありません。最初は交通事故で療養中のガソ選手のことを話していました。で、ワイナイナ選手がガソ選手の代わりに駅伝を頑張ると言い出したのです。
ワイナイナ ストライドを広げて走るよ。
寺田 この辺が故障するんじゃない?(と、ふくらはぎを指さす)
ワイナイナ うーうん。絶対に大丈夫。
寺田 スピードも出せるところをアピールしたい?

 このあたりの会話は、ワイナイナ選手がマラソン向きのピッチ走法で、ガソ選手がストライド走法(かつ、ものすごいバネがある)であることを前提としています。まあ、それは誰でもわかることだと思いますが、このときにワイナイナ選手がストライド走法というか、スピードを出せる動きを意識していたことが伏線となって、それで昨日の日記の走幅跳云々という話につながっているのです(少なくとも寺田の頭の中では)。
 そうそう、写真も補足しておきましょう。左が17歳の新人ムツリ選手。「色々とアドバイスしてもらっている」と、ワイナイナ選手のことを頼りにしている風でした。
 ところで、寺田のコメントの「スピードも出せるところをアピールしたい?」という部分は、実はこれ以前の会話を受けています。それは、アテネ五輪でケニア代表になるにはどうすればいいか、という一連の会話を受けているのです。どんな内容だったかは、さすがに公表できません。「スピードも出せるところをアピールしたい?」というコメントから推測してみてください……って、ちょっとこれだけのヒントで推測するのは無理ですね(これもヒントかも)。もしも正確に言い当てられる人がいたら、尊敬します。陸上競技の知識というだけでなく、寺田の会話パターンまで読まないといけないことですから(要するに冗談?)。絶対推測不可能ですけど、ひまな人は考えてみてください。ただし、たとえメールでも、文字にはできないことです(と、シリアスな内容をにおわせて、実は冗談かも。大島コーチには今度、ちゃんと説明します)。
 文字にできないといえば、昨日の12:30からの電話取材中の会話も、絶対に会話だけで終わらせるネタだと思っていました。ところが、文字になっていましたねえ、川本先生の日記で。
 お昼に、寺田ライターから電話取材を受けました。「公務とアキレス腱で思うように動きがとれませんでした」と答えると「えっ!?公務がアキレス腱?」などとうまい突っ込み。さすが寺田さん。な〜んておだてに簡単に乗るんですよ。その辺が、互いにかわいいところ。
 確かに言いましたけど、この手のことはこちらが文字にすることはできません。冗談ではありますが「公務がアキレス腱」というのは、自分のことではなくて相手のこと(今回だったら川本先生)。こちらは冗談のつもりでも、冗談をわかってくれない人がどこにいるか、わからないわけです。そういう人が相手の周りにいたとしたら、迷惑をかけてしまうことになりますから。そのへんの、どこまで書いていいのか、という部分には気を遣っています。
 しかし、それを文字にされたということは、川本先生は周囲の理解を得られているということでしょう。あるいは、公務に関して、そのくらいしっかりやっている、という自負があるということか。どちらにしても、誰にでもできるこっちゃありません。その辺まで読み取りたいものです(そこまで意味はなかったりして)。


■9月10日(水)
 これまで時差調整はしたことはあっても、時差ぼけはあまり経験したことがない寺田でしたが、今日は“これが時差ぼけ”という体感を初めてしました。実は帰国直後にネッパツして眠ってばかりいたこともあって、このところずっとヨーロッパ時間の生活が続いていました。それが昨晩は2〜3時頃に眠ることができ、なぜか6時には起床できて仕事を開始。一段落ついたところで寝てしまうと再度、ヨーロッパ時間に戻ってしまいますが、今日は電話を何本かして、10:30にはクリーニング屋に出かけて、ファミレスでブランチ。自宅兼事務所に戻って12:30から電話取材をして、本サイトに世界選手権男子1万mの記事をアップした後、取材のため外出。これで、時差調整はできたかな、と思っていたのですが、電車の中はかなりボーっとしていました。「これが時差ぼけか」と、初めて実感した次第ですが、単に眠かっただけ? いつもの眠気とは若干、違っていたので時差ぼけだと思うのですが。

 今日の取材は、大手町の経団連会館でコニカミノルタの発足会見です。第一弾の記事を掲載しました。第二弾も予定していますが、数日後(数週間?)になります。世界選手権関連の記事を先に書く予定なので(これも若干、怪しいですけど。そういえば今日、会見場に“謎の女”がいました。彼女の場合は怪しいという意味はまったくないのですが、どうしても“謎の女”と書くと“怪しい”というイメージが出てしまいますので、名前や社名は公表しません)。
 今日はあるテーマを持って臨みました。などと書くとカッコをつけているみたいですが、単に寺田が知りたいと思っていた点を、はっきりさせたかっただけ。要するに、この冬の駅伝シーズンをどう戦うか、です。単純な疑問ですが、例年は駅伝で成績を残すことに集中していても、五輪前だけは事情が違ってくる、という話を何人かの指導者の方から聞いたことがあったからです。つまり、マラソンの選考会との兼ね合いですね。
 その点をまず、酒井勝充監督に会見で質問。坪田智夫選手にはパリで少し話を聞きましたし、今日の会見でもアテネ五輪は「1万mで入賞を狙う」と言ってくれたので、懇親会では松宮隆行選手に話を聞きました。懇親会は食事をしながらのパーティー。まじめな話(取材的な話)をしていいケースと、してはいけないケースがありますが、今日は諸般の状況を見て、していいケースでした。
 取材した内容は記事にしますのでここでは書きませんが、最後は逆に、世界選手権の長距離レースに関することを逆取材されてしまいました。男子1万mは前回のエドモントン大会との比較で見て面白かったこと、女子1万mはあのレベルの記録が初めて競り合いで出たこと(女子マラソンと1万mは独走で記録が出ている)、男子5000mはエルゲルージ選手のスパートの特徴などを話す羽目に。内容的にも、文章だったらそこまで書かない(言い切れない)だろうな、という部分まで話しました。その辺は文字と会話の違いですね。ただ、世界最高記録保持者に対して、若干偉そうな話し方だったかなと反省しています。
 松宮隆行選手の前には、S本さん(TBS)と一緒に(割り込んで?)、NECから移籍した太田崇選手の話を聞きました。NEC選手が移籍したチームが駅伝で優勝争いをしそうですから、面白くなりそうです。第2弾記事に書き込めたらいいのですが、別記事(カコミ)になるかも。全日本実業団のときに記事にする手もありますね。いやあ、イメージがどんどん膨らみました、今日は。
 高橋正仁選手の話も面白かったです。これは第2弾記事に書き込むるはず(ただ、メモ取ってなかったのが失敗)。
 最後に、エリック・ワイナイナ選手とも歓談。アテネ五輪で金メダルが目標だというので、当然(?)話題は“その後、どうするか”ということに。人生はドラマじゃないんですから、アテネ五輪でおしまい、とはならないのです。
ワイナイナ もちろん、北京を目指すよ。やっている限りは、挑戦を続けるよ。
寺田 種目はもしかして走幅跳? マラソンで3回メダルを取って、その後、フィールド種目でオリンピックに出たら、スポーツ史に残る快挙になると思うけど。
ワイナイナ もちろん、そのつもりだよ。走幅跳でオリンピックのケニア代表になる。
寺田 今のベスト記録は?
ワイナイナ 走幅跳はやったことないけど、6m50は今でも跳べる。
寺田 標準記録は8m以上だよ。
ワイナイナ それまでには、8mは跳べるようになる。頑張れば絶対にできる。
寺田 そんなこと言って、監督に怒られない?
ワイナイナ 全然、大丈夫。

 念のために書きますが、「北京でも挑戦を続ける」という部分までは、完全に本気モードです。寺田がちょっとジョークモードに切り換えると、すかさずそれに合わせてくれるのがワイナイナ選手。その辺の懐の深さが五輪連続メダルの秘訣でしょうか(違うかもしれませんが、あながち否定もできないような…)。
 あっ、ジョーク記事にすればよかったかな。あっ、ワイナイナ選手に関する部分は英語に直さないといけない? 大島コーチ、よろしくお願いします。写真は明日載せます、とも伝えてください。


■9月9日(火)
 うーん。仕事の進捗状況がよくないですね。やっぱり、多少ホッとしているところが出てしまっているんでしょうか。気合いを入れなければ。
 えーと、昨日の日記でドラモンド事件を扱った2つのサイト(鐸木能光さんのasahi.comのコラムと土江寛裕選手の日記)について書いたところ、反響がありあり。その内容に触れる前に(触れるのにエネルギーが要るし)、そのときのビデオを見ました。コメンテーターの方たちは「フライングしているようには見えない」と繰り返していましたし、確かに、引き気味の映像ではまったくドラモンドに不正スタートがあったようには見えません。しかし、アップの映像をよーく見てみると、ドラモンドは確かに“ぴくっ”というか“グラっ”という感じで脚全体の震えが見て取れますね。ビデオを録っている方は、アップの映像をよく見直してみてください(コメンテーターを非難しているわけではありません。あの状況ではよっぽど注意してみないとわからないことですから)。
 それが不正スタートと判断される範囲なのか、違うのかは、寺田が口を差し挟むことではないので(ということで終わらせようとしている)。とはいっても、いただいたメールの中で、紹介しておいた方がいいかな、という意見が2つありました。が、これは後日。ドラモンド事件を触れるよりも、千葉真子選手の記事を書く方が先だろう、という意見もあることですし。でも、坪田智夫選手の記事を優先しました(おいおい)。
 というのは、明日、コニカミノルタ陸上競技部発足記者会見に行くからです。いつも言っていることですが、寺田のような一介のフリーランスにまで案内をいただくというのはありがたいこと。よっぽどのことがない限り、そういった案内をいただいたら出席します。それに、このところずっと世界選手権モードだったので、久しぶりの長距離関連取材が楽しみでもあるんです。コニカミノルタは駅伝シーズン&アテネ五輪に向けて、興味深いチームですし。
 実はパリのミックスドゾーンでも坪田選手に、駅伝に向けた取材をしています。というかちょっとした質問なんですが(このサイトの記事には反映されていませんが、いずれ記事に役立てられると信じています)。数年前の寺田だったら、しなかった取材の仕方でしょう。インカレの長距離をなんでもかんでも箱根駅伝に結びつけて取材するなよ、なんて思っていましたから。インカレのレース自体に価値があるだろうって(今も、そう思うことはありますけど)。ですが、ここ数年の取材活動の中で、選手の中では駅伝もトラックも世界選手権もオリンピックも、有機的につながっていることを感じるようになりました。考えてみたら当たり前。同じ人間がそれらを全て、こなしているんですから。
 ということで、明日は楽しみです。場所は駅伝祝勝会のように八王子のホテル……かなと思ったら、大手町の経団連ビル。さすが、一流企業同士の経営統合ですが、こちらにとっては若干のプレッシャー。くだらないギャグとか言ったら、いけなさそうで。


■9月8日(月)
 きつかったあ。ついにパソコン(2台のうち今年購入した方)がウィルス(これは自称ブルース・ウィルス)にやられてしまい、駆除するのに約2時間。睡眠時間があ……体調不良もあって、かなり仕事の進捗が遅れているのです。そういえば3日くらい前に、異常に多くウィルスメールが来たのでした。どれも開いていないはずですし、すぐにメールソフトからブラウザに切り換えて、受信する前にサーバーから削除したはずでしたが。幸い、悪性のウィルスでもなく、実害はなかったので一安心。
 パソコンで思い出しましたが、今回の世界選手権取材で失敗したことの1つに、寺田がLANに未対応だったことが挙げられます。海外の安ホテルではLANなんてまだまだでしょうけど、世界選手権クラスの大会のプレスセンターは、今後LAN接続ができるようになるでしょう。昨年のアジア大会もできました。電話回線接続もできますが、逆にトラブルが生じやすくなっているのが現状。
 実は6月頃、LANコネクタがない古い方のB5パソコン用に、USB接続のLAN端子を購入しました。新しい方は無線LANの機能もあります。でも、出発までに設定の勉強ができなかったのです。普段の余裕がいかに大事かってことですよね。今回の大きな反省材料の1つでした。

 もう1つの反省材料は、現地での余裕のなさです(つまり、いつでも余裕がないってこと?)。8月24日の日記にドラモンドのふて寝事件のことを「ごねたドラモンド(米)に関しては、なにをあそこまで怒っていたのかよくわかりませんでした。審判に対してなのか、ルール自体に対してなのか、その運用の仕方に対してなのか。1次予選で失格者が出たときから、かなりエキサイトしていたという情報もありますから、何か伏線があったのでしょうけど。まあ、他にも記事が出ていると思うので、そちらをご覧ください。」と書きました。
 要するに、こちらは朝原宣治選手のことで頭がいっぱいで、外国選手の“競技以外”の部分にまで神経が回らない状況(でも、坪田智夫選手にはちゃんと、待たされた時間のことを質問しましたけど)。まあ、実際、スタンドからだと、テレビ画面よりわからないことも多いのです(4×400 mRや長距離のLAP、400 mHのタッチダウンなんかはテレビでは測れませんけどね)。今回は記者席にモニターがありましたが、ドラモンド事件はミックスドゾーン上方から、某社カメラマンと一緒に見ていましたし。
 それが今日、鐸木能光さんのasahi.comのコラムを読んで、目から鱗の思いでした。土江寛裕選手も日記に鋭いことを書いています。さすが頭脳派スプリンター(と勝手に言っていいのか?)。フライング判定装置にはこんな大問題が内包されていたんですね。自分の見識のなさに恥じ入るばかりです。
 この鐸木能光さんという方、実は3月19日の日記でも取り上げさせていただきました。“天才の定義の仕方”について話題としたときで、寺田には真似できない“多芸多才”タイプの人だと紹介させていただきました。
 しかし、このコラムを読むと、多芸多才どころか、一芸(陸上競技)にも相当に通じてらっしゃいます。スタートの定義を腕が離れた瞬間とするのはおかしい(やっぱりスタート動作は脚から起こしますしね)とか、スタートを自動車レースみたいにするのも現実的には違和感ありとか、反論も多く出るでしょうけど、とにかく発想が斬新です。陸連(あるいは競技会主催者)はこの人をアドバイザーにしたらいいんじゃないでしょうか。陸上競技にどっぷりつかってはいるけれど、知らないうちに「井の中の蛙」になっている人間が多いようですから(寺田も含め)。うん、本当にすごい人です。
 文章も好感が持てますね。専門誌以外の一部ライターの人に見られるような、格好をつけた、それでいて具体的には何を言いたいのかよくわからない文章ではありません。活字でなくWEBサイトだからできることですが、短い文章で上手くまとめようという意図もありません。短く上手くまとめようとすると、結局、“何か”を削らないといけなくなって、意を尽くせなくなる部分が出てきます。たまに年輩の記者で「限られた文字数のなかで、言いたいことを言うのがプロだ」とおっしゃる人も見受けられますが、それって、メディアの都合を優先させているだけで、ことの本質を本当に伝えているのかと、寺田は疑問に思います。「マスコミはいつもワンセンテンスですから」と、愚痴を言う首相の気持ちもわからないではありません。
 若干、話がそれました。鐸木能光さんのこのコラムからは、意を尽くそうという姿勢が伝わってきます。しかし、1ついけない点があります。それは苅部俊二コーチのコメントの引用元を紹介していないことです。鐸木能光さんのコラムから引用すると
「これからは、2度とこのようなことがないように運営サイド、選手、そしてコーチ陣がしっかりとルールを把握し、それを遵守することです」(苅部俊二・元陸上400m選手で今大会TBSのコメンテイター)なんていう優等生的なコメントばかりでは、ドラモンド選手があまりにも可哀想だ。
 という引用の仕方です。この書き方では、テレビでコメントしたかのように取れますが、実際はTBSホームページのムッシュ苅部の“世陸日記”からの引用です。引用元をはっきり示せば、苅部コーチがその前後で何を書いて、何を言いたいのか、そしてどんな流れでこのコメントが出てきたかわかるのですが、鐸木能光さんの引用の仕方では、その辺がわかりません。
 これは我々記者も気をつけないといけないところで、自分に対する戒めでもありますが、研究者(鐸木能光さんは大学の非常勤講師)も論文を書くときに注意しないといけないのでは? なんて思ったりしています。と、たまには天才相手にクレームをつけようと奮い立った凡才・寺田です(パリ祭は7月14日……じゃなくて反論されたら、どうしよう)。


■9月7日(日)
 なんとか体調も回復し、夕方、1つ取材(これがまた失敗をやらかしましたが、詳細は非公表)をこなした後、陸マガ編集部に。パリから持ち運んだブツを3点持っていきました。といっても、重さは合わせても50gあるかないか。スーツケースの重量オーバーの原因ではありませんので、念のため。
 編集部のあるベースボール・マガジン社近くで、5人の中年男性に道を聞かれました。「メトロポリタン・ホテルへはどう行けばいいのですか?」と。13年以上も勤務した土地ですから、そこそこのホテルなら知っていますが、メトロポリタンなどというホテルは聞いたことがありませんでした。「いえ、聞いたことのないホテルですけど」と言いながら、おじさん1号の持っているクーポン券らしきものを見せてもらうと“メトロポリタンホテル・エドモント”の文字が。「エドモントだったらその橋を渡って50mくらいそのまま行って、右手を見たらレンガ色の大きな建物が見えますから」と、親切に説明。おじさん1号から5号まで、口々にお礼を言って去っていきました。特に、嬉しくなかったですけど。
 エドモントというのは、飯田橋駅近くにあるものすごく大きいホテル。当初は、JRが経営していたはずです。今はどうなんでしょうか。前回の世界選手権開催地のカナダ・エドモントンと何か関係があるのかどうかは不明。実は東京の世界選手権の際には、そのホテルに泊まり込んで仕事をしました。なんでそのとき聞いておかないんだと叱られそうですが、91年にはまだ、01年大会がエドモントン開催とは決まっていなかったから、やむを得ません。
 5人の中年男性(特に1号)が寺田に道を聞いてきたのは、たまたま、道を聞こうとしたときに目の前にいたからかもしれませんが、ずいぶん以前に書いたように、どうやら寺田は人からものを尋ねられやすい顔のようです。今日も近くには、見るからに地元の中小企業の作業員といった風体のお兄さんもいましたから。まったく自慢じゃないですけど、昨年はロンドン・マラソン本部ホテル近くで外人から道を聞かれたくらいですし、今回の世界選手権取材ではアメリカ・ギャルのステファニーに、エッフェル塔の前で写真を撮ってくれないかと頼まれました。ステファニーとの話も面白いのですが、今日の本旨からはそれるので、いずれまた機会があったら、ということで。

 話を戻します。中年男性1号が寺田に話しかけてきたのは、直接寺田の顔を見て、道を聞きやすい男だと判断したからでしょう。一応、それなりの理由があったわけです。しかし、ここ数日、寺田と面識がないのに質問をメールしてくる人が多いのです。どういうことでしょう。このサイト上には寺田の顔(写真)はいっさい出していません。何を根拠に、この寺田という男が質問に答えてくれる、と判断したのでしょう。謎です。
 文章から人が良さそうだとわかる、なんてことはないはずです。つい最近も日記で、長文メールはよくないとか、最近メールをくれる人間の大半は礼儀を知らないとか、書いています。どう見ても嫌な奴ですよね。それに、出張中はアサヒネットのメールは読めるけれどリプライができない、とも出張直前に書いているわけです。それでも、世界選手権期間中に質問が来る。まあ、世界選手権をテレビで見て、触発されたんでしょうね。何にせよ、陸上競技に興味を持ってくれるということは、いいことです。
 それに、たぶん、この日記までは読んでいないのでしょう。それって、もしかするとメジャーになった証拠? サイトを始めた初期の頃の読者の方って、必ず日記まで読んでくれていましたもんね。このサイトのことは知っていても、日記までは読まない読者が増えた、イコール、メジャーになったということでいいですよね。まあ、元の絶対数が少ないですから、メジャーといっても他の分野と比較できるほどではないとしても。
 日記まで読んでいないのなら書いちゃいますけど、「フィニッシュ・タイムは、選手の体のどこを、センサーが感知するのですか」という質問が、パリにまで来ました(先方はパリに出したつもりはないか)。陸上競技ファンということですが、どうやらまだ日が浅いようで、きっと判定写真を見たことがないのでしょう(専門誌にはけっこう頻繁に掲載されるんですけど)。判定写真を見たことがない人に、説明するのってかなり難しいですよね。まして、判定写真の仕組み自体、ややこしい。未だに、あれをフィニッシュライン前後数mを撮影していると思っている人だっているくらいですから(フィニッシュ・ライン上だけを撮影しています。つまり、2次元じゃなくて1次元ってことですね)。
 まして、トルソー(胴体)がここからここまで、って文字でどうやって説明したらいいんでしょう。でも、今回TBSの男子200 mの放送の際、「末續のトルソーは……」って、アナウンサーの方が言っていましたよね(林さんでしょうか、あの声は)。ということは、トルソーはもう一般的と考えていいのかな。
 とまあ、こんな具合に、この手の質問が来るとリプライに窮してしまいます。質問された皆さん、返信が遅かったら、寺田が悩んでいると思ってください。何日しても来なかったら、窮しているうちに忘れてしまったんだろうと解釈してください(そんなんでいいのか?)。


■9月6日(土)
 今日の日記は真面目な話です。いつもの調子を期待している人は、読まない方がいいかも。
 一昨日の日記で今取材最大の失敗(超過重量チャージを701ユーロ取られたこと)を長々と紹介しましたが、何人かの方からメールをいただきました。内容は、50kgはある芝刈り機を預けたことがある、エールフランスはひどいという同情の意見や、郵送する(場合によっては船便で送る)などの対応策です。本当に、ありがとうございます。近年まれにみる反響の大きさでしたが、実は、あれは前ふりなのです。言いたいのは、以下に書くことです。
 世界選手権取材は今回で5回目ですが、毎回、そこそこ大きな失敗をやらかします(フリーランスになってからはまだ2回目ということもありますが)。国内の取材ではたまーに、自分でも上手くできたなと感じる大会もありますが、世界選手権に限れば、そういった経験は今のところ皆無です。
 今回で言えば、原稿を書いておきながら、ネットに接続できるまで時間が空いたこともあり、送信するのを忘れたことが1〜2回。ファイルの添付し忘れも2回くらい。さらに、これがやっかいなのですが、世界選手権となるとどの関係者も必死になっていることから、いくつかの摩擦も生じます。寺田はその手のことは上手く避けている方だと思いますが、それでも、いい気分でいられなくなることも2〜3回はありました。全部終わってみて一番の失敗はスーツケースの超過重量チャージですが、帰国後に体調を崩したことも、原稿の締切次第では致命傷となるところでした(実は昨日、疲れから発熱し、全身鉛のようになって、まったく動きませんでした)。
 しかし、これらの経験をしたおかげで、自分の仕事ぶりを見直せるわけです。次からはこうしてやろうと、その反省を次に生かせる。それが経験から学習するということです。
 何が言いたいのかといえば、寺田のような一介の記者でさえ、世界選手権を経験して反省することがいくらでもあるのです。それが選手となれば、それも結果を残せなかった選手ともなれば、反省材料はいくらでもあるはず。反省材料のない選手は、引退しましょう(珍しく過激だ)。
 もしも、次の世界選手権を取材したなら、今回よりもずっと上手くやれる自信が寺田にはあります(仕事が今回と同じとは限りませんが)。失敗した選手も同じ思いでしょう、いや、確信の度合いは寺田以上でしょう。そういった選手の思い、経験を生かさないのはもったいないですよね。
 今回の日本選手団は、一部選手の活躍で好成績というイメージが強いと思います。ところが、力を出し切れなかった選手の方がはるかに多いのです。というか、力を出す出さないというレベルでなく、あまりに不甲斐ないという選手のなんと多かったことか。
 問題は今後、「あの選手はもう代表に選ぶな」「戦えるメンバーを選べ」というお決まりの意見が出てくることです。経験を生かすということを考えたら、そう簡単に決めつけていいものかどうか。世界選手権やオリンピックで力を出し切れる選手は、選手団全体の10〜20%でしょう。失敗した選手が、次の大会、またはその次の大会で結果を出してきたのです。今回だって、代表に選ばれたときは、B標準しか突破していない岩水嘉孝選手のような例もあるのですから。
 だからといって、失敗した選手を甘やかしていいと言っているわけでもありません。逆に、一部マスコミが組織を責める傾向がありますが、そうではなく選手とコーチが責められるべきだと思います。自己の力を出し切ったかどうかという部分は、個々の選手(とそのコーチ)の努力によるところが大きいのであって、組織の力が関与できる部分は少ないのです(組織のできることは全体のレベルアップでしょう)。
 その代わりに、だから代表枠を減らすという考え方はしないこと。繰り返しますが、失敗が次に生きるのですから。まして、「弱い選手・やる気のない選手の雰囲気が、全体の士気に影響する」なんて話を聞くと、馬鹿じゃないかと思います。その程度のことが選手のパフォーマンスに影響するのなら、それは元から国際大会で戦う力がないということ。
 疲れました。この手の話は2度と書きません。割に合わないですからね。


■9月5日(金)
 昨日は、ド・ゴール空港の悲劇をしつこく書いてしまいましたが、何はともあれ、無事に帰国はできたわけです。パリ滞在中にお世話になったみなさま(パリでお世話になった方だけでなく、日本から支えてくださったみなさま)に、この場でお礼を申し上げます。こんな日記まで読んでいる人は少ないと思いますが。
 帰国してすぐに、200 m決勝のあった8月29日分のビデオを見ました。末續選手のミックスドゾーンのインタビューをまず、見たかったのです。銅メダル獲得後の第一声です。水戸国際や日本選手権のときのようなノリで答えるのかな、と思っていたら、あれですからね。豊田アナのインタビューへの受け答えの、放心ぶりというか、なんて言うんでしょう。心が夜空をさまよっているかのような感じでした。それを見て、思わず涙腺が……。
 いやぁ、やっぱりすごい。なんてったって、短距離のメダルですよ。短距離ですよ、短距離。そんな風に考えているから、これまでダメだったのかもしれませんが(寺田個人の話ではなくて、陸上界全体の話です)。
 パリで何度もカフェに行ったことは紹介しましたが、今日は久しぶりの日本ということで、日本のカフェはどないやろうと、ドトール・コーヒーショップに行きました。そこでなんと、派手にカップを倒して熱いコーヒーを膝の上にこぼしてしまったんです。これぞ“ドトールの悲劇”とか書いたら、受けますか?


■9月4日(木) パリ日記?日目
 701ユーロ。何のことかわかりますか。七百一ユーロですよ、ななひゃくいち。1ユーロ127円で計算すると8万9027円。大金です。実はこれ、昨日、シャルル・ド・ゴール空港で徴収された、スーツケースの超過重量チャージです。もう少し詳しく経緯を説明しましょう。

 ド・ゴール空港には17時前に着。ソウル行きの大韓航空は21:50発ですから余裕ですね。携帯電話を返却。借りたオフィスがどこだったかわからなくて困りましたが、ユーロカー(レンタカー会社です)のオフィスにとにかく行こうと、手近のユーロカー事務所に。借りるときに、「返す前に電話してくれ」と言われた番号に電話をして、事務所では「電話したか?」と聞かれて「したよ」と答えると、
事務所の黒人お姉さん「じゃあ、電源を切ってそのバッグに入れてね」
寺田「はーい…………これだけ?」

お姉さん「ザッツ・オール。この申込書は for us? for you?」
 それって、あんたが決めることでしょう、と思いつつも
寺田「for me」
 先方の返却受取証も、いくら使ったかの明細もなし。昨年の釜山の空港で借りたときとはえらい違いです。申込書にはクレジットカードの番号とこちらのサインがしてありますから、法外な値段を引き落とされてもどうしようもないかも。なんか心配。まあ、大きそうな会社ですから、変なこと(詐欺まがいのこと)はしないと思いますが。

 偶然にも知り合いにばったり会って(JTBの人)、空港のカフェで世間話(寺田は遅めの昼食)。その人が仕事に戻った後、19:50まで原稿書き。20時にはチェックインしようと、大韓航空のカウンターに。といっても、ド・ゴール空港では業務委託されたエール・フランスが業務を代行します。おやじの時々日記に吉田真希子選手の重量オーバーチャージの話題があったので、そのJTBの人間にあらかじめ確認。すると、寺田の航空券には「23kg」と重量が記されています。しかし、成田出発の際、寺田のスーツケースは37.1kgでしたが何の追加料金も取られませんでした。それに、これまでの海外出張でも、そんなことはなかったように思います。もしかすると、陸マガ社員時代にあったかもしれませんが、記憶にないくらいですから、そんなに大金ではなかったのでしょう(自腹じゃありませんしね)。
 ところが、JTBの方の話では、「エール・フランスは取りますよ」とのこと。その辺は、お国柄なのでしょうか。それとも……。ということで、一応、覚悟はしていきました。財布の中味の100ユーロ札を5枚から3枚に減らし(別の場所に移し)、もしもの時に備えます。
 カウンターのお兄ちゃんは、なかなか愛想がよくて、快活な金髪青年。フランス人というよりイギリス人の雰囲気。英語もクリアな発音。「通路側の席を」とお願いすると、快くキープしてくれます。が、スーツケースの重量を見ると、両方の眉毛が中央に寄りました。
お兄さん「42kgだから19kgのオーバーだよ」
寺田「1kg当たりいくらの追加料金ですか」
お兄さん「55ユーロだから、19kgで1035ユーロになるね」

 ここで、ちょっと間を置いて計算するふり、というか実際に計算していました。
寺田「ちょっとそれは高すぎる。なんとかならない?」
 実はこの時点でもまだ、なんとかなると思っていました。しかし、お兄さんは頑として譲ってくれません。
寺田「その額だったら、チケット代と同じだよ。人間1人往復するのと、40kgの荷物片道と同じなの?」(ここはさすがに、英語で説明しづらかったのでit is the same price, my ticket, tokyo-paris two way とか、言ったように思います)
 お兄さんは近くの上司らしき人と相談。結論が出たようです。
お兄さん「12kgオーバーにするから、659ユーロね」
寺田「(財布の中を見せながら)なんとか300ユーロにならない?」
(かなり落ち込んだ演技をしていたので、これで300ユーロにしてくれるだろうと、まだ自信を持っていました。いくらなんでも、600ユーロは取らないだろうと)
お兄さん「ソーリー。ソウルまでじゃなくて成田までだから、701ユーロだった。クレジットカードは持ってるだろ?」
 ……10秒くらい笑顔をつくり、ちょっと横に傾げながらお兄さんの目を見ていましたが、ダメ。これ以上の交渉は無駄だと悟りました。この間の交渉で、お兄さんが書いたメモがこれ。欧米人の数字とアルファベットは読みにくいですけど以下の通り。
「1KG→55E」
「19KG→1035E」
「12KG→659E」
 で、659を横線で消して「701」です。
 悪あがきはやめましたが、こちらのテンションは一気に上がりました。テンションが上がったというより、開き直りかな。その後の捨て台詞を原文のまま書きます。
寺田「You, remember the name Tatuso」
お兄さん「(何か勘違いして上機嫌そうに)Yes, your name」
寺田「means poor man in Japan」
お兄さん「pure man?」

 アホっ!
寺田「poor man」
お兄さん「poor man. あっはっは」

 ま、受けたからいいか、と気を取り直しましたが、こちらのテンションは上がったまま。
 機内に乗り込むときもエール・フランスのお姉さんたちが「ボンソワール」と挨拶してくれますが、その都度全部「ボンソワール、ななひゃくいちユーロ」「ボンソワール、ななひゃくいち」と、全部笑顔で答えました(フィクションじゃないよ、ムッシュ中出)。
 詳しくは知りませんが、ビジネスクラス並の料金を支払ったわけですから、最低でも隣の席も使って(資料なんかを置いて)仕事をしてやろうと、固く誓って機内に。行きと違って3人がけの通路側の席で、隣は仲の良さそうな30歳前後の男女がいて、空席ではありません。しかし、後方を見るといくつか空席もあったので、離陸してシートベルト着用サインが消えると同時に、最後部の2つ並んだ空席に末續選手並のダッシュ、じゃなくて今村選手の5分の一くらいのウォーク。
 スッチーに「Can I move to here ななひゃくいちユーロ追加払ったんだけど?」と声をかけました、ポケットの701ユーロの領収証をすぐに取り出せる準備をしながら(これも実話。語尾は東北弁)。一瞬の間があって「Yes」の答え。おかげで、機内だけはなんとか、行きと同様に快適に過ごせました。腰もそれほど痛くならなかったし、原稿もそこそこ書けましたし、2席でしたが膝を折って(骨折じゃないよ)寝ころんで、2時間くらいは眠ることもできました。
 しかし、あとから考えると、スッチーは韓国人がほとんどでしたが、韓国人スッチーって、かなり日本語を話す人も多いんですよね。ちょっと冷や汗(日本人だなあ)。

 それにしてもなあ。出発のときは37kgで「重量オーバーです」の一言もなく(もちろん日本人か日本語のできるカウンターの人でした)、帰りにだけオーバーチャージを9万円近く取るって、ありですかねえ。お国柄と言ってしまえばそれまでですが、なんか、航空業界の策略って気もします。行きに重量オーバーと言うと、「だったら減らすよ」と、自分の国にいるのですから荷物を減らす人も多く出るでしょう。その点、帰国時なら、荷物を減らすことなんて、現実的にはできっこないですから。確実に追加料金を取る方法ですね。しかも、日本人が韓国人(または日本人)から言われるとゴネるでしょうが、フランス人から言われたら、ゴネようがないですからね(誰かさんは例外か)。
 実はこれこそが、航空業界の“とおりゃんせ商法”(行きは良い良い、帰りは怖い)と、後日わかったのでした(って、今日の日記だろ)。


■9月3日(水) パリ日記?日目
 ただいまフランス時間の3日14:07。15:30のリムジンバスに乗ります。16日間滞在したパリともお別れです。海外出張では毎回感じますし、毎回書いているようであれですが、やっぱり名残惜しい。もう数日ここに滞在できたらな、という気持ちです。一応、昨日は仕事をしつつもパリを歩き回って満喫したつもりだったのですが…。
 昨晩の行動の続きを書いておきましょう。結局、セーヌ河畔のカフェでビールを飲みながら昨日の日記を書いた後(飲んでたの?)、食事までしてしまい、22:45までいました。フランスで初めてオムレツを注文。味は、そんなにおいしくありません。寺田に料理の味がわかるのか、という意見も多々あるとは思いますが。
 セーヌ川とシテ島を渡って、地下鉄でホテル最寄り駅に。最初の晩に行った駅前のカフェに行きました。ノンアルコールっぽいカクテル(?)を注文し、おもむろにパソコンを取り出しました。そうです。ついに、深夜のパリのカフェでパソコン仕事にトライしました。世界選手権の熱闘を目の当たりにした9日間。選手が限界に挑戦している姿を見て、自分も何かに挑戦なくてはいけないと、いてもたってもいられない気持ちになったのでしょう。
 そこで午前1時近くまで仕事。書きかけだった原稿を仕上げて、ホテルに戻りました。午前2時の締め切りには余裕でセーフ。これで、パリで書かなければいけない原稿は全部終了しましたが、帰国翌日の締め切りの原稿も多々ありまして、そのうちの1本に取りかかりました。データ中心の原稿なので、色々と資料をひっくり返して、書き始める段階まで行きませんでした。4時頃に寝て、9時半までぐっすり。昨日のうちに15時チェックアウトでもOKの交渉をしていたので、その後も仕事。11時から書く作業に入り、12:30くらいまで。4分の一進んだかどうか。
 原稿はひとまずストップし、シャワーを浴びて、パッキング作業に。滞在中に資料やら荷物が増えているので、帰りの方が重量は重くなります。1時間ちょっとでなんとかスーツケースに詰め込みました。実はまだ、スーツケースはベッドの上。重さがどうなのか、まだ知りません。ちょっとドキドキじゃなくて、ビクビクしています。一足先に帰国された川本先生の日記を読むと、通常の預かり荷物の重さは20kgまでとか。航空会社にもよるのでしょうし、団体だと40kgまでOKとか。寺田は来るときに成田で37kgでした。もしかすると、40kgを超えているかも。
 ここまで書いてきて14:30。パリへの心残りは、焼きたてパン屋さんのクロワッサンを食べられなかったことです。昨日、昼食で入ったパン屋さんで食べたかったのですが、注文の仕方がよくわからなくて、何回も追加注文をしてしまったので、さらに追加するのに気が引けたのでした(日本人だなあ)。ホテルの近くにも1つパン屋さんがあったので、今日、時間があれば行ってみたかったのですが…。次にパリに来られる保証もありませんし。
 でも、1つくらいやりたいことを残した方が、次へのモチベーションになっていいんです。高野進選手は大学2年で47秒0台を出し、翌年46秒51の日本新を出しましたし、86年アジア大会で45秒00を出した2年後のオリンピックで、44秒90を出しました。高岡寿成選手は92年に5000mで日本新(標準記録突破)を出しましたが、最終選考会後だったため代表に入れず、4年後のアトランタ五輪は出場したものの予選敗退と、五輪イヤーには毎回、課題を残して4年後を目指したのです。
 寺田のクロワッサンへの思いと、高野・高岡両選手を比べるなんて、とんでもないとお思いかもしれませんが、まあ、凡人にはそのくらいしか比べるものがないもので。
 次に更新するのは日本です。


■9月2日(火) パリ日記?日目
 ただいまフランス時間の9月2日20:46。セーヌ河畔のカフェです。パソコンに入力していても、全然OKです。
 さて、久しぶりの日記再開。何日ぶりでしょう。9日ぶりですね。その間に阪神が最下位になっていたりして……なんてことはないのでしょうが、日本のその手の情報はまったく知りません。インターネットにつなげば知ることはできるのでしょうが、そこまでの余裕がなかったですね、この9日間は。昨晩、日本人記者の打ち上げの席上、(弘山)晴美さんは元気なのかな」と言うI記者に対し、「阪神が優勝しそうだから元気でしょう」と答えていますから、たぶん、阪神はマジックナンバーを減らしていると想像しているわけです。
 一昨日で世界選手権は終了。世界選手権で一番最後まで競技をしていた選手は、最終種目の4×400 mR最下位チームの4走選手になるわけですが、他ならぬ日本の佐藤光浩選手でした。つまり、パリを締めた男ということになります。思えば、5月に東北インカレに行ったのは、佐藤選手を取材するためでした(そうだっけ?)。ローカル大会から世界大会まで。これが寺田の取材方針なのです(いつからだよ?)。
 昨日は後半にメダルを獲得した3選手の記者会見があり、昼間はある人物と会い、夜は前述のように日本人記者の打ち上げ。フランス出発は明日ですので、今日はベースボール・マガジン社(寺田が3年前まで勤務していた出版社です)ヨーロッパ総局の中村氏に挨拶に行って、あわよくばそこで仕事しようかな、などと考えていましたが、中村氏の都合が悪く行くことができませんでした。昨日電話をしたのですが、もう少し早めに連絡しないといけなかったかなと反省。
 ということで昼過ぎまでホテルで仕事。15時から外出。目的は3つ。1つは昼食、2つめは家族T氏への土産購入。3つめはパリの街の散歩。まずは、雰囲気のよさそうなカフェがあったら昼食をしようと歩いていると、女性用のネックレスやピアス、イヤリングなどを売っているこぎれいなお店を発見。店のマダムが英語ができる人だったので、ネックレスだけ自分で決めて、イヤリングはマダムにお薦めのを出してもらいました。しめて○○○ユーロ。キャッシュでは今回の出張で、最も大きな出費でしょう。
 その店からちょっと歩いたところに、パン屋さんを発見。店内でも食べることのできるヴィド・フランスのようなお店。ちょっと覗くとおかずもヴァイキング形式で選べるみたいです。ということで、フルーツサラダとおかず一品(なんと言ったらいいのか難しい)、サーモンのパイとカフェオレの昼食。カフェとはちょっと違って、木目調の壁に…と説明するより、写真を見せた方が早いですね。
 昼食後はどこかカフェで仕事をしようと思っていました。どこのカフェに行くか。地下鉄には世界選手権関係者は乗り放題ななので、モンマルトルあたりまで足を伸ばそうかな、とも考え、地下鉄に乗りました。ところが、トイレに行きたくなってしまいました(品が…元からないか)。長距離列車の発着駅でもあるサンラザールで下車して、有料トイレ(0.40ユーロ)をなんとか見つけました。
 ここで、急に気持ちが変わって、パレ・ロワイヤル(この写真は中庭)に行くことにしました。フランス革命ゆかりの場所で、行っていない場所の1つだったのです。幸い、サンラザール駅からは楽勝で歩いて行けそうな距離。まあ、ちょっと逆の方向に行って時間がかかってしまいましたが、途中でミキハウスのパリ店舗なんかも見つけつつ、19:25にパレロワイヤルに。またしても蘊蓄(うんちく)で恐縮ですが、パレロワイヤルは革命時の王だったルイ16世の弟だったか従兄弟のオルレアン公の居館でしたが、オルレアン公が実は革命派で、その拠点となっていた場所です。自由市場として市民に開放し、色んな商店やアパート、果ては娼館としても利用されていたようです。現在は、市民のジョギングのメッカ…かどうかは知りませんが、ジョッグしている人が何人かいました。
 そこを20時まで見学。その後、ルーヴル美術館の東側を通ってセーヌ川に出て、夕暮れのパリの写真なんぞも撮りながら散策し、このカフェに来ました。昨年のゴールデンリーグ取材翌々日に来たカフェと同じかなあ。末續選手じゃないですけど、よく覚えていないんですよ、どのカフェだったか。寺田はカフェが好きですけど、カフェって店による違いがそんなに感じられないのです。多少、内装で店の雰囲気は変わってきますが、メニューも含めて、だいたいのパターンは同じ。店の立地によって、席から見える光景は違ってきますけど…。
 さて、これから今日締め切りの原稿を書いて、あとは明日の出発までに陸マガの原稿を、進められるところまで進めます。書いていない日のパリ滞在中の日記を、どこかで書けるといいのですが(実現確率20%。男子マラソンの視聴率以下)。明日の飛行機は21:50発。15:30の空港行きのバスのチケットを買いました(荷物が重いのでホテルからのバス)。もう1回、パリから何か書けるでしょうか。


■8月24日(日) パリ日記7日目
 競技2日目。今日もすごかったのは七種競技です。
 昨日の4種目全てで自己新と快進撃を見せたフリュスト(スウェーデン)が、2日目最初の種目である走幅跳で2回連続ファウル。このあたりの経過を、記者席デスクのモニターでリアルタイムで確認できるのは、世界選手権クラスの試合のいいところ。小さな大会でそれをやれというのは無理でしょうが、特にフィールド種目の経過を見る側に知らせる工夫というのは、フィールド種目が生き残る上で、重要なことだと思います。思わない人は勝手に、内輪だけで競技をやっていてください。
 話がそれました。フリュストは3回目の試技前に、今井美希選手のように手をクルクルクルっと回してイメージをつくり、両手を2回ほど合わせ(東洋的な合掌とはちがいます)、客席に拍手を求めてスタート。6m68(+1.0)の記録が出ると、フィールドに俯せで倒れ込んでしまいました。日本人カメラマンにも表情が豊かな選手として、早くも好感度がアップしていますが、彼女を見ていると、生の躍動を感じます(なんか、抽象的な表現だなあ)。
 次の6種目目のやり投を終わった時点で6067点。2位のバーバー(フランス)は5844点なので、次の800 mのベスト記録から見て、逆転はほぼ不可能。フリュストが800 mで933点以上を取り、92年のバルセロナ五輪(もちろんJ・J・カーシー=米)以来の7000点突破がなるかどうかが焦点となりました。混成競技得点表を見ると2分12秒21以内の記録が必要で、フリュストのベストは2分13秒03。うーん、どうだろう、というところ。確かに、勢いには乗っていますが、中距離は苦手というか、嫌いだと本人が言っているのを記事で見た記憶もあったので。
 ということで、フリュストのラップを200 m毎に計測しました。七種競技の800 mを200 m毎にとるのって、もしかして初めてかもしれませんが……いや、あったかな。ないことはないか。無意識的に200 mで押してるってこと、ありそうですし。まあ、とにかくフリュストの200 m毎は手元の手動計時で
200 m   29秒9
400 m 1分02秒2(32秒3)
600 m 1分37秒2(35秒0)
800 m 2分12秒12(34秒9)
 コーチではないのでなんともいえませんが、理想的なペース配分で走ったのではないでしょうか。前を走ったバーバーが、結果的にペースメイクをしてあげたような形でした。まあ、バーバーがいなくても、このペースで走ったのかもしれませんが。でも、700mでバーバーを抜いてペースアップしましたから。やっぱり、多少のアシスト効果はあったのでは。結果はご存じの通り、7001点。昨日の女子1万mに続き、これも世界歴代3位でした。
 競技終了後は、全員がこんな感じでスタジアム内を一周(フリュストだけ単独で)。たぶん、七種競技に対しての観客の応援が、他の大会より大きかったのだと思います。7000点が出たこともありますが、これはやはりバーバー効果でしょう。ドラモンドがごねたおかげで、競技時間は1時間近く遅れていたはず。坪田智夫選手がそのくらい待たされたと言っていました。だからといって、選手に「競技進行が遅れているからやめなさい」なんて言う無粋な審判はいません。それが世界標準の考え方。もちろん、日本の大会に世界標準の考え方を当てはめないといけない、という理由はありません。待たされる選手には迷惑でしょうから。でも、先ほども言ったように、観客にまた競技場に来てもらうことが重要と考えたら……答えはどうなんでしょう?
 ごねたドラモンド(米)に関しては、なにをあそこまで怒っていたのかよくわかりませんでした。審判に対してなのか、ルール自体に対してなのか、その運用の仕方に対してなのか。1次予選で失格者が出たときから、かなりエキサイトしていたという情報もありますから、何か伏線があったのでしょうけど。まあ、他にも記事が出ていると思うので、そちらをご覧ください。観衆の反応と、選手の対応について感じたことがありましたが、これは某所でちょっと書く予定。
 日本選手は朝原宣治選手が1次予選4位、2次予選も4位。しかも、メンバーの4人が同じ顔触れという珍しいケース。記事でコメントを紹介しましたが、2次予選の方が調子は上がっています。ただ、本人によれば通常は2本目(世界選手権なら2次予選)で動きがよくなるのに、今日はいまひとつだったとのこと。「3度目(準決勝)がよくなると思います」とコメントしてくれました。「サンドニですから」とは言いませんでしたが。


■8月23日(土) パリ日記6日目
 ついに競技が始まりました。午前中で盛り上がったのは女子七種競技。バーバー(仏)とクリュフト(スウェーデン)の対決が、バーバーの地元ということもあって、いや、地元ということを超越……まではしていないかもしれませんが、とにかく盛り上がりましたね。
 最初の100 mHは2組で2人が直接対決。バーバーが13秒05のトップでフィニッシュし、スタンドを沸かせました。しかし、2位のフリュストも13秒18の自己新と、幸先のいいスタート。
 すごかったのが2種目目の走高跳です。1m93と、単独種目で考えても国際レベルの記録を持つバーバーが、1m91のバーを越えたときには、この大会最大の歓声がスタジアムに響きました(まだ初日の午前中だって)。ところが、フリュストの方も跳躍は得意種目。なんとなんと、自己新の1m94をクリアしました。スタンドの観衆はバーバーの時ほどではありませんが、フリュストの快記録にも大歓声で応えました。1m94は七種競技中で出た記録としては、ポーランドのMalgorzataが1985年神戸ユニバーシアードでクリアした1m95に次いで、歴代2位の記録と思われます(100%確実ではありません)。
 七種競技の話ではありませんが、フリュストの1m94のすぐあとのことでした。男子三段跳予選では、同じスウェーデンのC・オルソンが17m56(−0.2)の大跳躍。このとき、着地の直後に、スタジアムは全体的にワッと沸きました。このあたり、パリの観客は陸上競技をよく知っているな、よく見ているなと感心させられました。もしかしたら、オルソンが注目選手であることを、通告で紹介していたのかもしれませんが。
 フリュストの1m94への歓声も、“あのハーバーに走高跳で勝った”ということへの賛辞だけでなく、純粋にレベルの高い記録を見たことに“すごい”と反応した気持ちが込められていたように思います。
 フリュストは砲丸投も14m19の自己新(今年、インドアで14m48を投げています)、200 mでも22秒98の自己新。コーナーを出たときはバーバーも1〜2m差で食らいついていましたが、終盤は離れる一方。フィニッシュでは0.94秒もの大差でした。フィニッシュタイマーが22秒台で止まったときには、思わずN氏(陸マガ時代の上司)と顔を見合わせて「すごいですね」とアイコンタクト。いやあ、本当に初日からすごいものを見せてもらいました。
 女子1万mもなかなかすごいレース。アデレ(エチオピア)、キダネ(同)、孫(中国)が最後の1周までデッドヒートを展開。アデレの優勝タイムの30分04秒18は世界歴代3位。王軍霞(中国)の世界記録29分31秒78と、ラドクリフ(英国)の歴代2位30分01秒09はともに2位と大差の独走でした。つまり、今回は最後まで競り合ったレースでの世界最高だったわけです。気象コンディションにも恵まれ、10位までの全員が自己新(そのうち1人が地域新、2人がその国の新記録、1人がジュニア世界新)でした。2位から何位かまでが、着順別世界最高記録だったようです。
 日本勢はハンマー投予選を突破した、故障明け(“明け”といっていいのかどうか?)の室伏広治選手と、3000mSC予選突破&23年ぶりの日本新の岩水嘉孝選手が頑張りました。しかし、正直に言って2人以外の選手は力をまったく出し切れませんでした。あえて名前を挙げるのなら、三段跳の杉林孝法選手。今回は、予選突破できると期待していました。一番ショックを受けているのは、選手本人だと思いますが。それと男子20kmWですね。A標準突破者の一番多い種目でしたが、世界に出てみたら全然ダメ。やっぱり、経験不足なのでしょうか。そのあたりは、関係者の反省が、専門誌などしかるべきところに載ると思われます。岩水選手の活躍が日本勢の不振を覆い隠してくれましたが、トータルでは残念な一日だったと思います。
 ところで、選手と接触できる唯一の場といっていいミックスドゾーンですが、昨年のゴールデンリーグではスタンド裏から行かないといけなかったのが、今回は1コーナーのスタンドから降りられるようになっていました。でも、楽な距離ではありません。まあ、国立・長居・横浜と比べたら、同じくらいか、若干、遠いくらいでしょうか。それよりも、狭さが問題。各国のメディアが入り乱れて、足の踏み場はありますけど、選手と接することのできる記者の数は限られます。大阪では、もっと工夫しましょう。
 なんか、観戦記みたいになってしまいましたが、大会期間中は取材と原稿書きしかしていませんので、こんな感じがベースの書き方になるでしょうか。書く時間がアデレですが……。


■8月22日(金) パリ日記5日目
 今日はパリ市街の写真を撮影しながら、マラソン・コースの一部を歩きました。ホテルからエッフェル塔、シャンドマルス公園を抜けてアンヴァリッド、セーヌ川のアレクサンドル3世橋、コンコルド広場、シャンゼリゼ通りを通って凱旋門まで。当初は、凱旋門に行かずにマラソン・スタート場所の市庁舎前まで行く計画もあったのですが、まあ、成り行きで変更されてしかるべき取材だったので。
 さすがに凱旋門まで行ったら脚が棒のよう。10km以上は歩いたかな、と思って地図で確認すると7kmか8kmくらい。体力というか歩力が落ちていることを実感。ただ、靴がね。ちょっと歩くと痛くなる新しめのデッキシューズ。こっちで新しいのを買おうかな。
 そういえば、仏文科出身のコウジからメールが来ました。
「夜の11時過ぎにカフェでパソコンに向かう日本人ライター」の是非についてはわかりません.日本の感覚だと「ファミレスで午後11時過ぎに仕事」は当たり前でしょうが,「居酒屋で11時過ぎに一人で仕事」はぜんぜん当たり前じゃないので,その中間か,あるいはファミレス寄りという感じですか?
 寺田もほぼ同じ見解です。店員も含めて周囲の目を気にしなければファミレス寄りだし、気にするなら居酒屋寄りでしょうか。それはともかく、コウジはこの見解を述べる前節で、「フランス語圏はローザンヌに4時間だけしか行ったことがない」と正直に言っています。実は、仏文科のコウジは競歩選手。そしてパリは、隠れた競歩選手の聖地なのです。
 寺田が昨年歩いた、凱旋門からバスティーユ広場までの4マイルが、世界中の競歩選手が一度は歩いてみたいと言う羨望のコース。トップ選手がどのくらいのタイムで歩いているのか知りませんが、寺田も昨年は途中カフェで休んだので何時間もかかっていますが、少なくともそのコースでの記録はコウジよりも寺田の方がいいということに……なるわけないか。福岡国際マラソンを走った経験のある選手が、走ったことのない選手に「オレの方が福岡の記録は上だ」と言うのはおかしいですもんね。だいたい、凱旋門からバスティーユまでが競歩選手羨望のコースというのは、うそ臭いですね(というか、うそ)。
 それはともかくとして、途中、お昼ご飯を食べるためにカフェに。競技の始まる明日以降は、いつカフェに行けるかわかりません。40〜50分ですが、貴重なコーヒーブレイクだったと思います。リラックスしてカフェに面した道をながめていたら、いいことが2つありました。1つは、仕事に関することで発見があり(具体的には企業秘密)、もう1つは、外国に来た場合に自分のキャラが変わることを自覚できたことです。というか、外人と接する時って、日本人といるときと変わりますよね。もっとも、日本人でも相手が違えば、態度が変わるのは当たり前なんですが。
 何があったかというと、2人乗りしていたバイクが信号待ちか何かで止まった際、後部席の女の子と目が合ったわけです。これまでも何回か書きましたが、欧米で目が合ったらお互いに微笑むの普通なのです(モスクワ空港は違いましたが)。今日は微笑むだけでなく、左手に持っていたフォークまで振ってみたら、思いっきりの笑顔を返してくれました。街角で見知らぬ女の子にフォークを振るなんて、日本では絶対にあり得ませんからね。
 そのとき、ふと思い浮かんだことがあります。カフェの店員にI cannot shake a sleeveless.と言ったら、なんと反応するだろうかと。直訳すると、無い袖は振れないかな。英語は通じないかな?


■8月21日(木) パリ日記4日目
 今日は13時から、グリーン(米)とチェンバース(英)の記者会見を取材。会場のCAP15という国際会議場は、寺田の泊まっているホテルからセーヌ川沿いに歩いて10分強の距離でした。2人の契約しているメーカー主催ということで、演出が洗練されていました。最初はこんな感じで2人の写真などがスクリーンに映し出されていましたが、スクリーンの前方から光を投射するタイプではなく、スクリーンの布自体に写真が印刷されていて、その後方から光を当てるタイプ。パリの街中の広告は、このタイプが多いですね。
 そういった写真がしばらく続いたあと、グリーンとチェンバースのシルエットが映し出されました(こんな感じ。もう少し広角で撮れたらよかったのですが)。最初は写真かイラストかとも思いましたが、すぐに選手当人がスクリーンの後ろにいるのだとわかりました。そこまでわかると、次の展開は読めます。いくつか違うポーズをとったあと、2人がスクリーン(布ではなく紙製だったのです)を破って壇上に登場となりました。
 なかなかお洒落で日本でもやってほしい演出でしたが、ここまでやると日本ではまだ、若干の抵抗があるような気もします。肝心の会見ですが、チェンバースの英語には大苦戦。グリーンの方の理解度は20〜30%ってとこでしょうか(おいおい)。でも、何とかする方法もあります。それはやっパリ企業秘密。

 14時少し前に会見が終わり、選手村近くのミズノのサービスセンターのあるホテルに。選手村からも近く、そのホテルの地下で日本選手の記者会見が行われました(詳しくは記事にしました)。その会見後、Daily YOMIURIのケネス記者(在日20年近く)とプレスセンターに。彼と話をしていて、すごいことを思い出しました。12年前の記憶が鮮やかに甦ったのです。
 12年前とは東京開催の世界選手権のこと。当時、陸マガ編集者だった寺田は、泥まみれになったような仕事をしていました。取材と編集作業(原稿発注、ページの割り振り、写真選び、見出し付け、デザイナーやライターやカメラマンとの打ち合わせなど)で多忙を極めました。あの、日本陸上界にとって画期的だったイベントも、どの種目をどこでどう見たのか、記憶がしっちゃかめっちゃかなのです。
 ケネス記者が走幅跳のマイク・パウェル(米)とカール・ルイス(米)の戦いがすごかった、とってもよく覚えていると言います。パウェルが8m95の世界記録、ルイスが8m87の世界歴代3位。21世紀の記録と言われた8m90(高地のメキシコで行われた68年五輪で出た記録)をはさんで、壮絶な戦いを繰り広げたのです。寺田もその走幅跳を見て、鳥肌が立つほど興奮したので、同じ思いをした記者がいて、今も一緒に取材に来ていると思うと嬉しくなりました。
 ところが寺田は、その世紀の一戦を、競技場で生で見たのか、テレビを通して見たのか、試技表を見ながら、カメラマンの撮影したポジ・フィルムを見たのか、どの方法で映像(画像)が脳裏に刻まれたのか、記憶からは特定できないのです。特に、そのときは陸上競技マガジンのカメラマンだけでなく、雑誌協会共同取材という形での取材だったため、雑協所属カメラマン全員(10人前後でした)の写真を見ていました。朝の4時、5時までその作業にかかる毎日だったくらいです。特に走幅跳は、パウェルが世界記録を出した際、ものすごくいい表情で喜んで、走り回っていましたし、ちょっとのファウルで好記録をフイにしたときも、オーバーアクションでがっかりしていました。それらの写真がたくさんあったので、その写真を見て、現場の模様が映像のように記憶されていたとしても、不思議ではなかったと思います。
 ケネス記者にも、当時を思い出しながらそう話しました。ところが話している最中に、あることが突然、脳裏にひらめきました。走幅跳の記者会見でのある出来事を思い出したのです。
寺田「走幅跳の記者会見で、突然おじさん記者が会見場に入ってきて、ルイスに“スタンドから紙を手渡してもらっていたよな。あれはなんだ”と詰め寄られていたよね。何か、元からルイスと仲が悪かったみたいで」
ケネス記者「そうそう、よく覚えているね。あれはしらけたよ。あの記者、今回も来ているよ」

 ということは、寺田は確実に走幅跳の会見場にいたわけです。ということで、あの世紀の一戦は間違いなく、ライヴで見ていたことが証明されました。ケネス記者のおかげで、自分の取材史の1つを掘り起こすことができました。ケネス記者に感謝……ところが、その恩を仇で返すようなことをしてしまいました。

 サンドニのプレスセンターにはメトロからRERに乗り継いで行くのですが、これがあの、2日前に空港まで行ってしまった電車です。RERへの乗り換えの際、ホームの駅名表示板に、スタジアム最寄り駅と、その次の駅だけランプが点いていませんでした。2日前の電車は、ノール駅から空港駅までノンストップだったので(駅の数にすると10個くらい止まらないことになります)、2つだけ止まらないことはないだろう、たぶんランプが故障しているのだろうと判断。次の電車を待とうと言うケネス記者を説得して、その電車に乗り込みました。ケネス記者があまりに不安がるので、寺田が隣の席のフランス人に路線マップを見せながら確認しました。そのフランス人も止まると請け合ってくれます。
 ところが、ところが、ところが……。またもやサンドニ・スタジアムを窓の外に遠ざかっていくのを見送ってしまうことに。まあ、今回は2駅先で止まったし、逆方向の電車もすぐに来たのですけど。1本待てば、ランプの故障か実際に止まらないのか、わかったのに。馬鹿ですね、本当に馬鹿。こんな馬鹿な書く日記を読んでいるあなた、馬鹿が移りますよ。ケネス記者に平身低頭、謝って、缶コーヒーは売っていなさそうなので、カフェオレをおごることを約束しました。


■8月20日(水) パリ日記3日目
 今日は最高に気持ちが高揚したと思ったら、一気に……という1日でした。
 昨日、プレスセンターのフランス・テレコムでは市内の大きな駅で携帯を借りられると聞いたのですが、もしかしたら空港でも入手できるんじゃないかと、ハタと気づきました。だったらと、午前中はホテルで仕事をして、11時20分に出発して12:30にはシャルル・ド・ゴール空港のフロアを3日連続で踏みしめました。怒濤のド・ゴール空港……って書いていて面白くありません。
 取材予定は4便。13:10、15:10、16:35、18:05着です(詳しくは記事にしました)。最初の福士加代子選手の便の到着が遅れ、福士選手の取材終了は15時近くだったと思います(やや不鮮明な記憶ですが)。そうそう、福士選手を待っているとき、一昨日の到着時に一緒に車待ちをしてくれた黒人のアルバイト兄ちゃんに会いました。がっちり握手。外国に行くとこちらも、多少キャラが変わります。カトリーヌはどこだい? と聞きましたが、通じたのかどうか、両手を広げ、首を傾けられてしまいました。残念。
 福士選手は第1ターミナル着でしたが、残りの3つは第2ターミナル。すぐに移動して短距離陣を待ちました。短距離陣が大挙到着。日本インカレ前にアキレス腱断裂の負傷をされた川本和久先生はまだ少し、脚を引きずっていますが、荷物を載せたカートを押して歩いて行かれました。根性でしょうか?

 末續選手と為末選手の取材が終了したのが15:50。室伏広治選手着の時間まで45分。実は短距離陣の到着前の僅かの時間で、空港のインフォメーションデスクで、レンタル携帯電話ショップの場所を確認しておきました(おっ、抜かりない)。短距離陣の取材後、すぐにそこに行きましたが、釜山空港で見た携帯電話のレンタル屋と比べ、ものすごく地味な看板。まあ、韓国は日本の携帯が使えませんから、日本人観光客相手のレンタルが商売になりますが、ヨーロッパ諸国からの入国者は、みんな自国の電話がフランスでも使えるのです。それほど需要は多くないのかも。
 カウンターのお姉さんにお願いすると、「ここで待て」という指示。約15分の待ち時間後、人のよさそうな(推測)お兄ちゃんがブツを持って登場。看板にも書いてあったのですが、着信が無料。まあ、その分じゃっかん、基本料が1週間43ユーロと高かったですけど。でも、15日間の基本料は94ユーロ。日本で借りてきた記者の方に聞いたら、かなりこちらの方が安め。しかも、日本からの場合は着信がだいたい1分間300円かかります。これは大きい。粘った甲斐がありました。根性の勝利でしょう。ただ単に、当初の見込みが甘かっただけ、という意見もありますけど、自分では根性だったと思っています。

 さっそく、ミズノ広報の木水さんにお知らせしようとしたら、室伏選手たちの便が到着。ここで、室伏選手のケガのことが明らかにされました(詳しくは記事で)。記事でも触れましたが、室伏選手が落ち着いた話しぶりで抱負などを語ってくれた後だったので、室伏先生の言葉は一瞬、信じられませんでしたし、こちらは一気に血の気が引きました。あとで、テレビ局の方の撮られたハンディの映像を見ると、顔色の変化は特になかったのですが…。歩いている室伏先生の右側で寺田が、左側で読売新聞のプリンス・近藤記者が真剣な表情でメモをしながら話を聞いていました。アップの映像だったら、たぶん顔色の変化はわかったでしょう(これも推測)。

 このあと、別のゲートで野口みずき選手の到着を待ちました。ゲートの目の前がカフェというとっても素晴らしいロケーション。30分ほどで到着。野口選手の笑顔に、こちらの気持ちも和らげられました(ちょっと別の表現の方がいいのですが、適当な表現が見つからない)。室伏、野口両選手とも中部圏のメダル候補選手。中日スポーツ・中村記者は、どんな気持ちで今日の取材を終えたのだろうか。

 その後、競技場に行って仕事をして、22時にホテルに戻りました。1時間ほど仕事の続きをして、食事は済ませてあったので(いつの間に?)23時頃に明日の朝食用の食料を仕入れに外出。ガソリンスタンドのコンビニもどきで、店内には入れなくても、窓口で商品を告げれば購入できるはずでした。しかし、窓口に1人、明らかに変とわかるフランス人がいて、いろいろとわめいています。店員は完全に無視。どいてくれと身振りで言ったら、今度はこちらに何かしゃべり始めます。どいてなどくれません。中の店員になんとかしろと合図するのですが、店員兄ちゃんはそれも無視。まあ、日本から持ってきた栄養補助食品が少しあるので、そこまで頑張らなくてもいいかと、引き上げました。最後は、根性なかったですね。


■8月19日(火) パリ日記2日目 その2
 外出して先ほど、ホテルに戻りました。
 出かける前にメールをチェックすると、スポニチ前陸上担当の中出記者と、同じく日刊スポーツ前陸上担当の佐々木記者からメールが来ていました。送信時刻はわずか15分違い。中出記者は東京から、佐々木記者は休暇中の南仏からの発信でした。苦しくも楽しかったエドモントンを思い出して、思わず目頭が熱くなってしまいました(0.01℃くらい)。中出記者からは最近の日記が面白いと、お褒めの言葉も。しかし、今月15日の日記にあった「ドトールの店員に“フランス風カフェ・オ・レはないのですか”と質問したのは創作ではないか」との疑問も提示されました。ということは、読者の何割かの方も同様の疑問をお持ちということになります。いえいえ、確かに脚色もそれなりにしている日記ですが、あの話は実話です。
 仕事に区切りをつけて22:45に外出。近くのスーパーが開いていたら夕食と明日の朝食を購入しようと思っていたのですが、22時閉店でした。隣のガソリンスタンド内にあるコンビニみたいな店は開いているのですが、この時間は店内に入れず窓口で欲しい物を注文する方式。ちょっと初めて利用するには、ややこしそうだったのでやめました。
 ということで、メトロ駅のある広場まで行って、カフェに入りました。昼、夜と連続してカフェで外食し、しめて28ユーロの食事代。昨日、30ユーロをケチったにしては財布のヒモが緩いんじゃないかとお思いの方も多いでしょう。でも、競技が始まったら夜はろくな食事がとれなくなります。それに今回は、ちょっと経緯がありまして、泊まっているホテルがちょっと高め。朝食は追加料金で20ユーロもするので、朝食もパンと持参した栄養補助食品になってしまいそう。昼、夜とちゃんとした外食ができるのも今のうちだけなんです。
 注文したのはビール(4.60ユーロ)と、トマトとなんかとなんかとなんかのサラダ(9ユーロ)。欧米の料理には、パンを別注文しなくても、必ず一緒に付いてきます。それも絶対に食べきれないくらい。こっそりナプキンに包んで、明日の朝食用に持ち帰りました。
 カフェに約1時間いましたが、寺田はカフェってかなり好きなんです。夜遅くまで開いていて、お酒だけでなく食事もできる。日本の居酒屋は、カウンタがあれば1人でも入れますが、テーブル席ばかりの居酒屋には1人では入りにくいもの。その点、ヨーロッパのカフェは1人で夜遅くに行って、食事メインでも全然OK。別に、カッコをつけて他のお客さんと交流するわけでもありません。ちなみに、左斜め前のテーブルにはインテリっぽい30歳前後の男が3人、ときどき大きな声で笑い声を立てています。その前には女性2人。やはり30歳前後でしょうか。1人はプリワロワ選手に似ていますが、若干、太っています。右奥のカウンター席には男が2人。頬を寄せ合ってキスしています(ちょっと気持ち悪い)。
 ということで、深夜にもかかわらず、食事をしつつ広場の人通りを眺めながら、アルセーヌ・ルパン・シリーズの「八点鐘」(新潮社文庫)を読んでいました。もちろん、フランスパンをかじりながら…。パリに来てまでも、パリを舞台にした小説です。本当になんとかならんのか、このこだわりようは。でも、パソコンを持ち込んで仕事をするよりはいいでしょう。
 実は昨年、ゴールデンリーグ取材でパリに来た際には、昼間ですけどカフェにパソコンを持ち込んで仕事をしていました。もちろん1人で。ベースボール・マガジン社ヨーロッパ総局(パリ)の中村さん(元同僚というか大先輩)に、カフェに1人で入って、パソコンで何時間も仕事をしてヒンシュクを買わないか、質問しました。すると、「カフェではみんな、各自が好きなことをしていいんだよ。全然かまわないんじゃないか」との言葉をいただき、セーヌ河畔のカフェでパソコンを取り出したわけです。
 でもねえ。さすがに夜の11時過ぎの街角のカフェで、パソコンをテーブルの上に出すのは雰囲気的に苦しいものがあります。この点、どう思いますか。金メダル候補のコウジではなくて、編集者のコウジでもなくて、仏文科出身のコウジは? まあ、今日はパソコンも持っていませんでしたが。
 そういえば、昼のカフェでは食後のコーヒーが、カフェ・オ・レではなくてエスプレッソでした。パリに来てまだカフェ・オ・レを飲んでなかったので、最後にウェイターに注文しました。
「オレにカフェ・オ・レ持ってきて」


■8月19日(火) パリ日記2日目
 8時前に起床。久しぶりの6時間睡眠。でも、昨日のヘビースーツケース移動の影響で、ちょっとだけ筋肉痛佐藤敦之選手的に言うなら“筋肉ワン”くらいでしょうか(佐藤選手はレース後のひどい筋肉痛のことを“筋肉スリー”と表現)。
 午前中はずっと、ホテルの部屋で原稿書きとこのサイトの「2003世界選手権を10倍楽しむページを」のアップ作業。といっても、作業のほとんどは、快適だった大韓航空機内でやったんですが。
 13時にホテルを出て、地下鉄の駅に行く途中のカフェで昼食。ベジタブルなんとかというプレートに盛りつけた料理。ナンっぽいパン(というかやわらかめナンそのもの?)がおいしかったです。
 地下鉄に乗ったのが14:10。昨日の日記に書き忘れましたが、空港でメディア用のメトロ&RER&バス(ともう1つ何か)乗り放題チケットをもらっています。ですから、昨日もスーツケースさえあれほど重くなかったら、RERとメトロで無料で移動できたわけです。まあ、仕方ありません。

 サンドニの競技場脇のアクレディテーション(ID発行)センターには15時には着けるかな、と思っていたのですが……。メトロからRERに乗り換えて3駅目がサンドニ・スタジアムの最寄り駅。2駅目のノール駅(かなり大きい駅)を出ると地下から地上の走行となり、間もなく窓から競技場が見えてきました。ところが、電車が止まりません
 あっと思い当たりました。乗り換えの際に十分な時間がなくて確認できなかったのですが、駅の名前が列挙してあるボードがホームの上に吊り下がっていて、駅名前のランプが点いている駅と、点いていない駅があったのです。「競技場の最寄り駅は止まるだろう」と、決めつけていました。昨年も来たばかりのパリということで、ちょっと油断していました。
 仕方がないので次に止まる駅で降りて引き返すしかない、と思っていたら、まったく止まりません。そのまま約20〜30分。シャルル・ド・ゴール空港までノンストップで行ってしまいました。昨日、意地でも乗らなかった路線を、強制的に(?)往復する羽目になりました。まあ、いいか。同じ間違いをした赤いナイキTシャツを着た白人のお兄ちゃんが、帰りの電車も一緒でした。

 その後は、海外では付き物である多少のつまづきはありましたが、なんとか順調にIDを入手。IDカード用の写真をその場で撮影し、コンピュータで顔写真入りのカードを作成します。おじさんと若い女の子の2人がチームを組んで(それが7〜8チーム)、その作業を行なっていました。その間、おじさんが「日本はいくつ金メダルを取れそうだ」と聞いてきますので、「金は1個だと思う」と答えました。「ハンマー・スロー」という言葉がなかなか通じませんでしたが、その場でスウィング動作をしたら理解してくれました(ターンまではさすがに)。
「女子マラソンも可能性がある。どちらかで1つは取ってほしい。メダルは全部で3つ。フランスよりも1〜2個少ないでしょう」
 これは外交辞令ではなくて、かなり本音に近いものだったと思います。
 アクレディテーション終了後、プレスセンターを下見。競技場からかなり離れています。前回のエドモントンではスタジアムのすぐ裏に隣接していて、競技場のプレス席から1分で行ける距離でした。まあ、それが例外的だとはわかっていましたが、やっぱり前回を思い出すと、ちょっとね。シュツットガルトの時よりは、近いかもしれません。続いて、スタンドのプレス席、カメラマン控えルームなどをチェック。

 困ったことに、携帯電話のレンタルがありません。プレスセンター内のフランス・テレコムのブースに行くと、「土曜日(競技開始日)になったらショップが出る。どうしても急ぐのなら、シャトレ・レ・アール駅の中にある店で買うことができる」と教えてくれました。どうしよう。かなりピンチです。取材の申し込みや、その回答をもらうときに、今や携帯電話は不可欠のツールとなっています。だったら、日本で借りて来いよとお思いになるでしょうが、何度も書いているようにエドモントンでバカ高くついて失敗し、釜山で現地レンタルで安くついたものですから…。
 なんか今日は、多少の海外慣れが失敗につながった日でした。現在21時。明日は、携帯電話入手を優先するか、空港取材を優先するか。


■8月18日(月)その3 パリ日記1日目
 パリです。カトリーヌはいい女でした、情があって……などと書くと、E本君あたりが誤解しそうなので、経緯を説明しましょう。
 腰はかつてないほど痛まず、無事にシャルル・ド・ゴール空港に着。といっても、出発が遅れた関係で、定刻よりも遅くフランス時間の19時過ぎに着きました。入国審査と荷物のピックアップが終わったのが19:30過ぎだったと思います。機内でガイドブックを読んで、バスで凱旋門かモンパルナスまで行く方法があることを知りました。その値段が10ユーロ前後。タクシーを使っても市の中心まで40ユーロと、思ったほど高くはなかったのですが、この30ユーロはでかいですから、バスにしようと決心。凱旋門からホテル(エッフェル塔のちょっと南)までは10ユーロもかからないでしょう。
 ところが、空港の出口に世界選手権のカウンターが設けられていて、若いお兄ちゃんが2人います。「もしや」と思ってアタック。
「プレスなんだけど、ホテルまでどうやって行ったらいいの?」(英語です。仏語はできません。豪語もあまりしないタイプです)
 案の定、「ここで待っていてくれ」と1人がどこかへ。間もなく、英語のできる白人のお姉さんが現れました。彼女こそカトリーヌ。かなり太っていますが、顔立ちは整っています。体重さえ落とせば美人なんですけどねえ(これってセクハラ発言ですか?)。
 ホテル名をタグに書かされ、スーツケースに取り付けます。
「2分待っててくださいね」
 5分ほど待つと、案内するから一緒に来いとのこと。どうやら、車で送ってくれるのは間違いなさそう。これまでの経験から、そういったこともあり得ると直感しました。エドモントンでもそうでしたし、グランプリも大会によっては空港からホテルまで送ってくれます。たまに「選手だけ。プレスはあっちから電車に乗って行くんだ」と言われたこともありますが。
 いろんなホテルのバスが発着するターミナルに連れて行かれました。その途中、カトリーヌが色々と質問してきます。「どこから来たの?」「パリは初めて?」という型どおりの質問からでしたが、昨年、パリ・ゴールデンリーグの取材に来たことを話すと、「ここのターミナル(のこの部分は)、できてまだ1年くらいなのよ」と、説明モードに。このあとも含めて言っていることの6割くらいしかわからなかったのですが、なんとか、会話は成立していました(と自分では思っています)。
 カトリーヌが簡単な質問から説明モードになったのに加え、昨年はローザンヌからTGVでパリに入ったことを説明しようとしたら“ガーン”と大きな音。荷物をカートに乗せて押していましたが、ついついカトリーヌとの会話に神経を奪われ、歩く歩道の入り口で手すりにぶつけてしまいました。
 落ちたのは機内持ち込みに使った大きなリュック(明日からは一回り小さいので行動します)。中にはノートPC2台が入っているので真っ青になりましたが、騒いでもどうなるものでもありません。壊れたか否か、神に任せるしかないのです。まあ、2台一度に壊れないだろう、どちらか1台は無事だろうと思っていましたが。

 バスの発着場に行くと、インド系の1人のおじさんが、先に待っています。そのおじさんにも2人の係員が付き添っています。寺田にもカトリーヌと黒人のお兄さんの2人。カトリーヌが「5分待って」と言いますが、寺田はタダで行けるし、重いスーツケースを電車で乗り換え乗り換え運ばなくて良くなったので、一安心。にこにこ顔です。
 しかし、5分後に来た車は先にいたおじさんだけ乗せて、寺田はさらに待つことに。10分、20分と待っても車は来ません。その間、カトリーヌと黒人の兄さんの2人も一緒に待ってくれるのです。5分ごとにカトリーヌは、本部みたいなところとトランシーバーと話をして、催促してくれています。
「ドゴール空港はとても広くて、いくつかのところに迎えに行っている。その人たちをパリの色んな所に送っている。組織委員会はたぶん、あなたと同じ目的地の人間を組み合わせようとしているのでしょう」
「昨日は、サウジアラビアの人が40分くらい待つことになったんですよ」
「本当に組織委員会は効率が悪いんだから」
 カトリーヌもだんだん、怒り始めました。でも、なにもすることがないので世間話。黒人のお兄さんは片言の英語ですが、「バカンス中のアルバイト」と言っていました。それに反して、カトリーヌはボランティアだそうです。普段は何をやっているのか聞き出したかったのですが、ときどきトランシーバーに連絡が入るので、話が中断して尻切れになってしまいました。
「ジャーナリストって、ファービュラスなお仕事ですよね」
 ファービュラスfabulousという単語の意味がとっさに出てきませんでした。
「ファービュラスってどういう意味? スペクトルマンはネビュラの星からやってきたけど」などと、日本でも世代が限定された人間にしか通用しないギャグを言っても、わかってくれないかと推測し(僕って賢明)、でも、なんとなく誉めているのだなというニュアンスはわかりました。
「僕は好きでこの仕事をやっていますから、ファービュラスってものではありませんよ」
 なんて答えておきましたが、fabulousは「《話》とてもすばらしい;驚くべき」(小学館の辞書)でした。ちょっと、外した答え方だったかも。
 結局、40分くらい待って、車を途中で乗り換えて、別の黒人のお兄さん(たぶんアルバイト)が送ってくれたのですが、ホテルの場所がわからないらしくて4回も途中で止まって地図を確認して、2回もUターンして、ホテルに着いたのは21時過ぎでした。でも、荷物が重くてもタクシーを使わないという目的を達成できて、ちょっとだけ満足感はありました。送ってくれたお兄さんにチップを5ユーロ。もしかして、道がわからず苦労していたのは、このための演技だったのかも?

 2時間睡眠明けで西に移動したので、通常の1日よりもずっと長く起きているわけで、さすがに仕事はちょっとしかできませんでした。でも、真っ先にパソコンが動くことを確認し、荷物の整理をして、明日からすぐに動ける準備をしました。もちろん洗濯も。眠いときの洗濯はとっても苦痛ですが、これは毎日やらないと、あとで後悔します(先に後悔はできない)。あっ、仕事も同じですね。


■8月18日(月)その2
 ソウルのインチョン空港で書いています。
 昨日、ベリーヘヴィーだと書いたスーツケースですが、ベリークィストはスウェーデンです(オッ、まあまあか)。荷物を預けた際に重さを量りますが、37.1kg。40kgと予測した寺田の推量は、いい線行っていました。だからといって、男子4×100 mRで世界新の37秒1が出ると予測はできません。エース2人(略してモン・グリ)があの調子では厳しいでしょう。グリーンはグランプリ転戦を早めに切り上げたので、立て直してくる可能性はありますが。
 スーツケースに話を戻すと、荷物の詰める位置を若干変更したら、バランスがよくなったのか、ちょっとですけど軽く感じられるようになりました。でも、パリに着いてからが不安です。あの重さの荷物を持って、パリのRER(国鉄と民間の中間みたいな会社? 自信なし)とメトロを乗り継いでいくのは、どう考えても厳しい。車内は狭いですし、バリアフリーかどうかも心配。フランスっていう国自体、あんまり親切という印象はありません。
 知り合いの方が同じフライトにいたら、割り勘でタクシーで行きましょう、と提案しようかとキョロキョロ。残念ながら、知った顔は見つかりません。H新聞H記者とM新聞I記者も今日の移動なのですが、2人とも直行便。H、IがいなければJ記者か、あるいはS記者がいてくれたらと思ったのですが、やっぱりいません。
 インチョンに着くとキムチのにおいがすると以前、聞かされたことあります。寺田は鼻が悪いのが、これで4回目くらいですがキムチのにおいはさっぱり。それよりも、空港と言えばいずこも同じ、香水のにおいが鼻につきます。なんで、空港では香水(化粧品)ばかり売っているのでしょう。デパートの1階もそうですから、やっぱり売れるのかなあ。
 寺田が思うに、空港に陸上競技の専門誌を置けば売れるのじゃないでしょうか。特に今のように、世界選手権があって各国の選手、関係者、記者が大量に移動している時期なんかは……夢物語ですけど、中国・韓国・日本の東アジア圏で言語が統一されていればなあ。どうでしょう、R社のH社長にB社のI社長、検討してみては?(3番目の陸上競技専門誌の社長のイニシャルはJかSですね。これもあり得ませんが)

 ここからは機上で書いています。インチョン発が1時間10分遅れました。最初は英語のアナウンスでそれらしいことを言っていて、よく聞き取れませんでした。エンジントラブルか何かと推測しました。機種がボーイング747でしたし、ブーイングだなと思ったのですが、その後、日本語のアナウンスもあって中国・青島空港のシステムトラブルとのこと。ソウル発のヨーロッパ便は青島上空を通過するのだそうです。
 座席は50〜60%くらいの占有率。中央の4人がけシートの左端で、右隣が空席です。通路側ですから誰の前も通らずに席を立てるし、誰も自分の前を通らないわけです。さらに、隣の席に資料や飲み物を置いて原稿を書けます。腰の具合も現時点では快調。久しぶりに快適な11時間フライトになりそうです。


■8月18日(月)
 雨の月曜日の朝、成田です。「雨の朝、パリに死す」は誰の作品でしたっけ? フィッツジェラルドかな。寺田がいるのは「雨の朝、成田の椅子」……今日も冷夏ですね。
 これが日本ラスト日記。「ラストタンゴ・イン・パリ」ってタイトルは知っていても、どんな映画なのか内容は知りません。
 いい加減にしないと仏文科のコウジから抗議が来そうなので、やめましょう。
 なんとか原稿も仕上げ、睡眠も2時間とって、6時に起床。千葉の陸上を実感できる京成電車で成田空港へ。寺田が初めて成田に来たのは89年3月の高体連合宿でした。花田勝彦選手や武井隆次選手、井上悟選手たちを取材しました。成田について昼ご飯を食べに行ったら、浜松商高の山下先生(当時)が、生徒と一緒にいらっしゃいました。それがなんだというわけではありませんが、7月の静岡県選手権でお会いしたので懐かしくてつい。
 早めにチェックインして通路側座席も確保できました。
 次はパリから。



昔の日記
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月