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2007年7月  ヨーロッパで記録の応酬?
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◆2007年6月21日(木)
 自身に課した原稿のノルマも気になるところですが、今日はスケジューリングを優先。7月の仕事予定を上手く調整しないと、ヨーロッパ取材に行くことができません。
 フリーランスなら簡単に都合をつけられるだろうと考えられがちですが、それは違います。仕事を断れば行けるのですが、なかなかそうも行きません。自営業者は極力広く仕事を受けながら、日本で仕事をしない期間を取らなければいけないわけです。社命で「行け」と言われる社員の方が行きやすいと思いますよ。その分、選択権はないのですけど。

 ということで、陸マガ高橋編集長に7月の予定を2度も確認。1つ大きな仕事があるようですが、日本選手権自体の仕事はありません。世界選手権増刊も1本だけ。陸マガ以外の仕事があるなら、そちらで頑張らないといけないという事情もあります。ということで、一昨日断ったオファーが、倍額で再提示があり受諾しました。
 4月以降、マラソン関係者への取材がほとんどできていないので、7月6〜8日と札幌に行くことにしました。経費100%自己負担の取材です。北海道の格安ツアーをネットで探しましたが、3万円台のところはホテルでのネット接続ができるか不安。4万円台のツアーにしましたが、8日の帰りの便が満席です。あれこれ調べ直すよりも、1泊多く泊まることにしました。
 ヨーロッパはおそらくマドリッド(21日)、モナコ(25日)、ヒュースデン(28日)を回ることになりそうです。

 原稿がまったく進みませんでした。昨日一通り書き上げた盗撮・透過撮影対策の原稿の手直しができただけ。TBSのコラムもネタは醍醐選手と決めているのですが、書き出せませんでした。これは、明日以降が大変です。

 帰路、為末大選手の「日本人の足を速くする」(新潮社)を半分まで読みました。筋力でなく技術で走るこつをつかんだのが2003年の冬だと、はっきり書いています。為末選手はその後も、いろいろな動きを試しているはずですから、現在まで行い続けている基本原理を発見したということでしょう。ハイハイ走法なども、その延長線上にあるわけです。
 読んでいてふと、これは指導者的な発想ではないか?と思いました。現役時代はそこまで明確に自身の分析ができていなくても、引退して指導者になると、自身の現役時代を明確に分析できるようになる。特徴をデフォルメして説明できるようになる。若手指導者と話していて、そう感じることがよくあります。
 為末選手は現役のうちにそれをやってしまえるようになった、ということだと思います。そこが、自分のコーチは自分で、こんな楽しいことを他人に任せる気がしない、と言い切る為末の面目躍如の部分でしょう。


◆2007年6月22日(金)
 午前中に電話取材、昼が某社の日本選手権展望原稿締め切りで、作業部屋に行く時間がなく、自宅で仕事をしました。14時頃に送信。
 続いてTBSのコラム第5回は醍醐選手と決めていました。大阪GPのとき(正確には1週間後くらい)から“足首”をテーマに書けるのではないか、と感じていたのです。先週のインターハイ南北関東大会で福間コーチ(県横須賀高)と話をしていて、ネタ的にも補足することができ、こちらの頭の中も整理することができました。
 ただ、陸上好きの読者に満足してもらうことも大事ですが、テレビ局のサイトですから若葉マークの読者にも面白く読んでもらうことが重要です。技術的な話にメンタル面の要素を加えて書きました。
 同選手ではまだ、とっておき……というか、いくつかの条件が整ったら出せるネタもあります。

 夕方に電話での取材と打ち合わせ。
 世界選手権前の仕事が2つ、打診がありました。1つはまだ、具体的な作業がイメージできない段階ですが、もう1つの方は作業量が1.5倍に増えました。どないしよう。
 北海道取材とヨーロッパ取材にどこまで、資料を持って行けるかも考えないといけなくなりました。あまり仕事を抱えずに行って、現地で時間ができたら優雅に過ごそうなどと考えていたのですが……。為末大選手の妄想は実現するようですが(「日本人の足を速くする」参照)、寺田の妄想は実現した試しがありません。陸上競技で食べていく、という妄想は実現しているわけですが、厳密に「食べている」と言えるかどうか……。定義によりますね。

 TBSコラムを21:20に送信。1時間ほどテレビを見ながら休憩後、同社サイトを見ると早くもアップされていました。寺田が仕事をさせてもらっているWEBサイトで、1つだけ直接更新できる社があるのですが(担当の一部分だけですが)、それを除くとTBSの対応が一番速いですね。
 おっと、主力選手の「WhoAmI」も進めないと。

 23:30頃に、久しぶりに自宅近くのファミレスに。「日本人の足を速くする」を読み終えました。ヘルシンキの銅メダル獲得後、フラットレースに専念した結果、ハードルに対して脚が上がりにくくなりました。終盤のストライドが広くなり歩数を変更する戦略も、“9・10台目は意識が朦朧としていても正確に跳べる”という特徴を否定するやり方です。新しいことに挑戦する生き様が、競技にストレートに出ていますね。
 為末選手の本を読み終え、パソコンを取り出そうとしていたら、「ラストオーダーですが」とウエイトレスのお姉さんが声を掛けに来ました。以前は24時間営業だった店が、午前2時までに変わっていたのです。ここで日記を書いて、池田選手の原稿を書いて、と考えていたので、リズムを崩された感じです。こういった事態に対応できないと、強い選手にはなれないのだな、と感じました。残念ながら、強くなれませんでした。が、気持ちの切り替えも大事です。


◆2007年6月23日(土)
 日本よりも1週間早く、全米選手権(米国陸連に成績)が開催されています。地元世界選手権イヤーということで、日本の各メディアも五輪イヤーなみの力の入れ方です。それらの記事を読んでいて「あれ?」っと思ったのが、男子100 mのゲイが“ルイス以来の全米2連覇”という部分。去年の全米勝ったのって、ゲイでしたっけ?
 そうです。ガトリンのドーピング違反が発覚し、優勝を取り消されていたのです。ガトリンが9秒93(−1.2)でゲイが10秒07。ここまで差が大きいと、2位が誰だったかまでは印象に残りません。

 寺田が一番に感じたのは、アメリカは後で成績を調べるのが大変だな、ということ。陸マガの名鑑や某サイトの選手データ更新の仕事で、よく日本選手権の成績を専門誌を見て調べます(そのためにコピーが取ってあります)。その成績が後から変わっていたら、かなり大変な作業になります。
 確かに、世界選手権やオリンピックでも一度成績が確定してから(専門誌に成績が掲載されてから)、ドーピングで失格になって順位が繰り上がるケースがあります。そういったケースでも、国際陸連のサイトやATFS年鑑では繰り上がった順位が掲載されるので、まだ対処はできます。
 仮に日本選手権の順位がドーピング違反者が発覚して後から変わったとしたら、作業がどうこうと言う前に、悲しいですね。

 それはともかく、今回のゲイ選手の9秒84は向かい風0.5m。パウエル選手の3回の9秒77は追い風1.6m、1.5m、1.0m。これは、可能性が出てきましたね。でも、向かい風世界最高ではありません。グリーン選手が向かい風0.2mで9秒82で走っています。
 ただ、このレベルになるともう、誰が強いとかを机上の比較で論じるのは意味がないでしょう。直接対決でしか雌雄は決することができない。大阪世界選手権の注目種目が増えたということです。

 ところで、その世界選手権に向けて、ストップウォッチを買い換えようと思っています。現在使っているのは、懐中時計タイプがSEIKOのINTERVAL TIMER(いただき物です。セイコーエスヤードWEBにあるのとちょっと形が違うので、旧タイプでしょうか)で、腕時計がTIMEXのロンドン・マラソン記念ウォッチ。
 ずいぶん昔に書いたと思いますが、ロンドン・マラソン記念ウォッチはメモリーが8個まで。400 mHのタッチダウンも測れません。INTERVAL TIMERも、2つめのレースを計測しようと思ったら、1本目のメモリーがリセットされてしまいます。取材中にその都度、ノートに書き写さないと、次のレースが計測できなかったのです。そんな環境でよく取材ができたな、と言われそうですが、なんとか頑張れてしまったわけです。弘法筆を選ばず……と書いてあるのは忘れてください。

 しかし、地元世界選手権はかつてないほどハードな取材になるかもしれません。為末大選手も出場するでしょうから……というのも忘れてもらって、少しでも環境改善を図ろうと考えた次第です。
 この際だから高機能のものを買おう、と考えました。1万2000円を出せばSEIKOの3段表示懐中時計タイプ(システムウォッチ=セイコーエスヤードWEB)が買えます。これだと、ランニングタイム、通過タイム、LAPタイムと3つが同時表示できる。長距離種目の通過&スプリットタイムをメモするのに表示を切り換えなくてすむのです。ブロックメモリー機能(計測したデータをブロックとして残したまま次の計測を別ブロックでメモリーしていく機能)もある。
 ただ、INTERVAL TIMERが重さ60g。首からかけても重く感じませんが、100gとなるとちょっとどうでしょう。発売時期も数年前で、もうすぐパソコンに接続できる後継機種が発売されそうな気配があります。
 CASIOにも3段表示で4000円台のものがありましたが、ブロックメモリー機能がないのではないでしょうか。重量もかなりありそうです。

 腕時計タイプ(セイコーエスヤードの腕時計製品)で3段表示機能のあるものはないようですが、最近のは途中計時を押すと通過タイムとLAPタイムが数秒間表示され、その後ランニングタイムと通過タイム(またはLAPタイム)に切り替わります。それだったら、長距離種目の取材にも困らなさそう。たぶん、ブロックメモリー機能の付いているスーパーランナーズか、スーパーアスリートのどちらかを買うと思います。


◆2007年6月24日(日)
 日本選手権を10倍楽しむページを今年も作りました。例によって(「スパイ大作戦」の口調で)、“※順位予想、日本新記録確率等に目くじらをたてる方は閲覧不可”という注釈を付けさせていただきました。そんなもの付けなくてもいいじゃないか、と言われることも多々ありますが、これは付ける必要があるのです。
 その理由は選手・指導者と、メディア・ファンの感覚の違いです。
 当たり前ですが、選手・指導者は100%勝つ気で頑張っています。負けることなど微塵も考えていない。しかし、この手の企画をやるとなると(盛り上げるためには必要だと思っています)、どうしても勝ち負けを予想しないといけません。
 日本記録確率も同じで、選手・指導者は日本記録くらいは絶対に出す、という意気込みでいます。でも、客観的に判断して、そういった選手全部が日本記録を出せるわけではありません。
 必ず、腹を立てる関係者がいるのです。メディアの存在価値を勘違いしている指導者も散見されます。「笑顔での抗議は歓迎です」と言っているのは、そういう人はメディアの存在意義をわかっていると思うからです。

 全米選手権で“まさか”が起こりました。一昨年の世界選手権を最後に、女子400 mで不敗を続けていたサンヤ・リチャーズ選手が4位と敗れたのです。同選手が3月に来日したとき取材をさせてもらいました。忙しい合間を縫ってのインタビューでしたが、こちらの質問に丁寧に答えてくれて、好感が持てました。
 そういった個人的な思いは別にしても、あれだけの力を示していた選手が出られないのは残念です。200 mで代表になる可能性は残っていますし、4×400 mRには出られますが、やっぱり400 mのリチャーズ選手を見たかったですね。

 改めて感じたのが、アメリカの一発選考システムの厳しさ。昔の実績はともかく、リチャーズ選手の現時点での力は間違いなく4位。決められた試合に合わせる能力がなかったということです。
 しかし、同じことを日本に導入するのがいいかどうかは別問題。アメリカの女子400 mはリチャーズ選手以外もA標準突破者が何人もいるという現状があります。日本では、そういう種目はほとんどありません。マラソンだけがそれに近い状況です。だから、マラソンだけは一発選考がベターなのです(寺田は陸連推薦枠1、選考レース上位2名がいいと思っています。オリンピック選考は。世界選手権は5名なので、逆に選考レースを多くして門戸を広げた方がいい、という考えです)。
 一般種目に関しては、日本の選考方法は現状に合っていると思います。日本選手権を最重要選考会にしていますが、有力選手がケガをして日本選手権で負けたり、最悪出られなかった場合のことも考慮しています。実際のところ、室伏広治、末續慎吾、醍醐直幸、澤野大地、池田久美子といった選手たちを落としたら、その種目は世界で戦えないでしょう。選考方法というのは、現状に即して考えるべきだと思います。


◆2007年6月25日(月)
 今日はヨーロッパで取材を予定している3大会に、取材申請を出しました。正確に言えば取材申請はどうすればいいですか、という問い合わせのメールです。朝日新聞・小田記者のとった方法などを参考にさせていただきました。英語のメールですが、昨年までの文面がありますから、ちょっと修正して送るのはそれほど大変ではありません。
 苦労したのはホテルです。モナコは超人気観光地&避暑地ですから、7月下旬にホテルが安い値段で予約できるわけはありません。一応、2泊で3万8000円というところを抑えましたが、ちょっと痛い出費です(ドーハよりましですが)。
 マドリッドは1泊6200円の古そうなホテル。ネットができないかもしれません。
 ハッセルト(ナイトオブアスレチックはハッセルト近郊のヒューズデンゾルターで開催)は昨年と同じエクスプレス・ホリデイインを予約できました。大会本部ホテルのホリデイイインより格下ですが、歩いて5分くらいの距離にあって問題ありません。14日以上前の料金ということで、50ユーロちょっと。これは助かりますが、ネット接続は12.5ユーロ(たぶん1日)。ヨーロッパのホテルは有料接続が当たり前になっています。その点、日米は無料というケースが多いと思います。アメリカはシカゴにしか行ったことがありませんけど。

 昨日で終了しましたが、今日も全米選手権の話題です。400 mのウォリナー選手や400 mHのジャクソン選手が、同選手権を欠場していました。世界選手権の前回優勝者で、すでに出場資格を持っているからですが、これには賛否両論があると思います。
 アメリカはレベルが高いので、出場したらかなりのエネルギーを費やしてしまうし、最悪故障をする危険性と紙一重である、というのが欠場への肯定的な見解です。全米選手権で頑張っても収入はそれほど増えないけど、世界選手権で頑張れば違ってくるのが現実なのかもしれません。
 欠場に対する否定的な見解としては、“全米ナンバーワン”を決める大会を、世界選手権に出られるからという理由で欠場していいのか、という考え方。日本の陸上ファンの感覚としては、日本選手権をメダリストが2人も3人も欠場したら寂しく感じます。たとえ専門外種目で出場していたとしても。
 一発選考という世界に類を見ないシステムのせいで、“全米一決定戦”という部分よりも、“選考会”の色合いが強くなってしまっているように感じました。

 一昨日言及したドーピングの他にも、記事を読んでいると、信じられないことが多々あるのがアメリカの陸上界。男子400 m優勝のテイラー選手(シドニー五輪400 mH金メダリスト)が未成年の女性に悪いことをしたことがあるとか、100 m&200 m2冠のゲイ選手のコーチは刑務所に入っているとか。
 どんなにアメリカの陸上が強くても、日本の陸上界の方が好きですね。
↑最後の部分、軽率な記述でした。指摘をしていただいて気づきました。猛反省をしています。


◆2007年6月26日(火)
 7月の仕事のやりくりと、今日明日の原稿をどうこなすか、TBSの次回コラムを誰にするかで、夕方まであれこれ悩んでいました。もがき苦しむだけで、どれも結論が出せません。
 この辺が自分の悪いクセ。取材だったら予習に時間をかけすぎ、企画立案も細部まで考えすぎ。どうせ、あれこれ考えてもさして変わらないのだから、ぱぱっと決断をしていけばいいのに、と自分のことながら思います。
 それでも、適当に考えてやっているな、という人間を見ると腹立たしさを覚えるんですよね。
 18時くらいに意を決して電話を2本。気持ちに踏ん切りがつきました。

 20時までに原稿も1本書いて、少しすっきりしたので、イギリスへの送金とストップウォッチ購入をするために新宿駅方面に。イギリスへの送金というのは、皆さんにご購入いただいたAthletics2007の代金を、版元に払うためです。今日、ポンドがちょっと下がったので、この機を逃すなとばかりに郵便局に……行こうとしましたが、念のため電話をすると、為替送金の扱いは18時までだそうです。
 気を取り直してビックカメラに。腕時計タイプのスーパーアスリートを購入しました。スーパーランナーズよりも画面表示が見やすかったので。

 読売新聞記事に、世界選手権の地元枠活用について、活用する意向であると陸連の見解が出ていました。予想されていたこととはいえ、陸連幹部がここまで明言したのは初めてだと思います。
 ということは、B標準突破選手が日本選手権に優勝すれば、全員が代表になれるということではないでしょうか。標準記録未突破者が代表に選ばれて、突破者が選ばれなかったら怒りますよね。A標準選手が2・3位に入っていれば別ですけど。
 と考えられますが、これは陸連が明言したことではありません。選考基準の文章を見る限り、自動的に代表に決定するのはA標準突破済みの優勝者だけ。残りは日本選手権後の選考で決まります。B標準でも昨年の世界リストで何番以下だからダメ、という理由が出てこないとも限らない。早合点するのはやめましょう。

 モナコSGP主催者からメールの返信。取材申請書をPDFファイルで送ってくれましたが、これは某記者から入手済み。期待したのはホテル予約でした。
「極東の島国からわざわざ来るんだったら、大会本部ホテルを特別料金(1泊3万円の部屋を8000円とか)で泊めましょう」という申し出があるかと期待していたのですが……ホテルに関してはまったく触れていません。大会サイトにホテルの一覧表が出ていますから、そこに各自で連絡しろということでしょうね。それらのホテルが高いのは目に見えています。


◆2007年6月27日(水)
 朝の9時に三井住友海上・鈴木秀夫監督に電話取材。TBSのコラムに土佐礼子選手について書くためです。短い時間でしたが、面白いお話しを聞かせていただきました。
 続いてネットのチェック。室伏由佳選手が日本選手権ハンマー投を欠場することを、自身のサイトで公表していました。今季、円盤投では日本記録を2回更新。その陰に隠れていましたけど、ハンマー投ではずっと苦労をしていました。数年前(たぶん2003〜04年頃)、「どちらかの種目に絞らないのか」と記者から質問が出ると必ず、2種目とも頑張ると答えていました。苦悩の末の決断だったと思います。
 メールでもサプライズなニュースが飛び込んできました。これは個人的な話に属するニュースなので公開できませんけど、陸上界とも大いに関わりがあります。
 ちょっとの休憩時間をはさんで各方面と電話連絡。日本選手権前の取材が1本、入っているのですが、スケジュールが確定しません。

 15時から外出。昼食後に新宿郵便局に。Athletics2007の代金をイギリスに送金しました。昨日下がったポンドも再上昇。結局、1ポンド=249円76銭でした。ここ1カ月、ほとんど毎日に近いくらいポンドは上がっていましたから、下手に様子など見ずに、請求書が来たらすぐに送金した方が安くついたと思います。大失敗。
 しかも、送金手続きが昨年と変わっていました。同じ用紙なのに、差出人の住所が証明できる身分証が必要になっていたのです。寺田の場合、新宿の作業部屋は単に借りているだけ。1人で仕事をしていますし、法人でもありません。社員証がある身分ではないのです。
 しかし、イギリスとのやりとりは新宿の住所で行なっています。自宅の多摩市の住所を書いたら、先方が混乱するだけ。その事情を話すと「だったら郵便局からは送れません」という冷たいひと言。書き直して注釈を記入すれば解決することだったのに。時間は10分近く余分にかかりましたけど。
 結局、待ち時間も入れて郵便局で50分を要してしまいました。郵便局を出てすぐに日本選手権の仕事について某社に電話を入れましたが、声のテンションが低いとすぐに悟られてしまいました。

 続いてチケットショップで新大阪までの回数券を購入。JRみどりの窓口では、別の経路の切符を購入。
 電話連絡をいくつかして、最後はHISに。ヨーロッパ往復の航空券を手配するためです。往復だけの金額と、ヨーロッパでのワンフライトを含める金額と2種類を提示してもらいました。ただ、購入の際にはどちらにするか決めないといけないのだそうです。日本との往復だけを先に購入して、後からヨーロッパ内のワンフライト追加は不可。できることはできるのですが、金額が大きく違ってきます。ということで、保留にしました。
 19時に作業部屋に戻って、土佐選手のコラムを書き始めました。
 21:30頃にM氏に電話。40分ほど話し込んでしまいましたが、将来につながる有益な話し合いだったかもしれません。

 日本選手権に持っていこうと考えていた、テレビ録画機能付きノートPCが不調。テレビチューナーユニットを認識するドライバーが破損しているようです。もしかして、再インストールが必要かも?
 土佐選手のコラムは2時に書き終わりましたが、一晩寝かせることに。


◆2007年6月28日(木)
 今日も朝の10:30に電話取材。難しいテーマの取材で、少し苦戦しました。
 続いて本サイトのメンテナンス。

 朝の電話取材の原稿を書き始めましたが、なかなか進みません。明日からは日本選手権。今晩、大阪入りしたいと考えていたので、かなり焦っていて、それも原稿の進まない一因です。
 土佐選手のTBSコラムを忘れてはいけません。1時間半くらいかけて仕上げて、15時くらいに送信。

 原稿が進まないのはヨーロッパ取材の段取りを同時進行しているせいもあります。
 マドリードからは大会本部ホテルが予約できるとメールで言ってきましたが、1泊135ユーロ。高すぎます。抑えてある6200円の古いところにするか、迷いますね。
 午後もヨーロッパ取材の段取りで関係各方面に電話。HISには航空便のいくつかのパターンを出してもらいました。今回は現地での移動も、ユーレイルパスではなく飛行機が中心になりそう。
 17時くらいから朝の電話取材の原稿が進み出したと思ったら、HISから電話が。判断しないといけないことが山積しています。

 19:30に補足の電話取材。それで一気に原稿は進みましたが、その時点で大阪行きは断念。最悪、20時には新宿の作業部屋を出ないと最終の御堂筋線に間に合いません。原稿も結局、22時近くまでかかりました。

 24時くらいまで出張準備。主に、持っていく資料を絞る作業です。選手個人個人のファイルがありますが、全部持っていこうとするとかなりの重量になります。最近の記事だけを上手く分けておく方法って、ないのでしょうか。良い案がある方はメールください。
 2:20まで日本選手権展望記事を書きました。短距離中距離まで進みました。2時間で10種目は速いのか、遅いのか。そして、明日の移動中にどこまで進められるか。

 25日の日記の最後の部分の記述に関して、アメリカ在住の方からご意見をいただきました。深く考えずに「日本の陸上界の方が好き」だと書いてしまいましたが、これは公正な立場に身を置く記者として、あってはならない記述でした。
 まずは、陸上界に犯罪者がいるのは日本も同じではないか、という指摘。確かにその通りで、セクハラ教師や暴力行為などをした陸上関係者のニュースが過去にありました。アメリカの陸上界には犯罪者がたくさんいて、日本の陸上界にはいないような書き方をしてしまったことは純粋に間違いです。訂正して、お詫びを申し上げます。
 それよりもいけないのが、相互理解をしようとする姿勢がなかったこと。いい加減な知識をもとに、「日本の陸上界の方が好きだ」という記述をしていては、相互理解や陸上界の発展につながらないのではないか、という指摘です。
 ドーピングで汚れたイメージのあるアメリカですが、実際には一部の選手だけで、多くの選手は浄化活動に協力を惜しんでいません。一部の人間の悪いところを見て、その国や社会全体をこうだと決めつけることは、戒めるべき行為です。例えば、あるテロ犯罪の犯人がイスラム教徒でも、イスラム教徒全部がテロリストではないのと同じ理由です。
 実際、ゲイ選手のコーチの罪は、選手たちの環境を整えるためだったそうです。選手を資金面でサポートするために、教授や助教授のアシスタントとして登録させ、お金を渡します。実際に選手たちがアシスタントをしなければならない時間を陸上の練習にあてさせていた。それで業務上横領の罪に問われたのだそうです。
「日米陸上界の良し悪しを指摘しあうのではなく、陸上界の発展、そして陸上の魅力を伝えるために、書き手は視野を広げていくべきなのではないか」との指摘で、自身が日本の陸上界のことしか考えていなかったと、痛感させられました。社会問題でも経済問題でも、日本だけ良ければいいという島国的な考え方では結局、根本的な部分での解決はできません。
 わずか数行の記述ですが、いかにいい加減な態度で仕事に臨んでいたかが、如実に表れていました。これを機会に、襟を正して今後の活動に臨もうと決意を新たにいたしました。


◆2007年7月7日(土)
 昨日から札幌に来ています。明日の札幌国際ハーフマラソンの取材のためですが、本当の目的は長距離関係のネタを仕込んでおくこと。4月以降、トラック&フィールドのシーズンに入り、長距離関係の情報の整理がおろそかになっていたのです。世界選手権前に長距離関係の取材が一番できるのが今回の札幌ハーフだと思い、札幌3泊4日で4万円台のツアーを見つけ、完全自腹取材を敢行中というわけです。完全自腹出張は観光もできますが、そういうときこそ自由な取材ができるので、よりどん欲に仕事に打ち込んでいる……と言えるのか、書いていてちょっと不安になりました。
 今日は16時から前日会見。午前中に円山競技場に行って前日練習を取材することもできましたが、たまっている原稿を進めることを優先。まだ、日本選手権で書けていないものもあり、北海道まで持ち込んでいます。
 ということで、日本選手権から“いっぱいいっぱい”の状態になって、日記が書けませんでした。日本選手権初日の日から、簡単に振り返ってみましょう。1日3行を目安にして書きます。

◇2007年6月29日(金)
 日本選手権初日。優勝者予想で唯一、外したのが男子5000mの松宮隆行選手。ロッテルダム・マラソンで2位になったあと、休養してからトラックを始めたはず。1万mは優勝者に予想しましたが、5000mまでスピードが戻っているとは思いませんでした。でも、よく考えてみれば、切り換え能力が元々の持ち味。松宮選手の今回のような場合、俗に言う“スピードが戻る”ということとは、ちょっと違うのかもしれません。
 女子3000mSCでは、最初から飛ばした早狩実紀選手にも驚かされましたが、2位の辰巳悦加選手のB標準突破も嬉しいサプライズでした。ミックスドゾーンに行くと、目を真っ赤にしている男性がいます。すぐに和光アスリートクラブの上野監督だと直感しました。面識はなかったのですが、一度メールをもらったことがあります。
 感極まっている様子が見て取れたので声をかけるのはためらわれましたが、このチャンスを見逃したら記者魂(なんてものは普段は持っていないのですが)がすたると判断し、取材をさせていただきました。やはり、スターツから独立後、少ない予算で活動を続けているので、その辺の苦労話が中心になります。選手に“大変な思いをさせている”立場ということで、そういった部分の意識がスタッフ側には強くなります。今回、世界選手権の代表入りをすることが、スポンサー獲得のための千載一遇のチャンスだという思いもありました。
 辰巳選手にも話を聞きましたが、選手の側は“大変な思いをさせられている”という意識は小さくなります。そう考えたら競技に前向きに取り組めません。“この指導者と一緒に頑張るんだ”という意識です。上野監督とは対照的に、涙はありませんでした。「チームの存続のために」という気持ちもあったようですが、レースが近くなるにつれて、純粋に競技者として結果を出す気持ちが大きくなっていたと言います。
 もちろん、上野監督も指導者として、トレーニングで水濠越えの練習を工夫するなど、競技的な部分のアイデアも出して頑張ってきました。涙の有無は、上述した立場の違いがあったからです。

◇2007年6月30日(土)
 日本選手権2日目。昨日に続いて優勝者予想で外したのは1種目。女子やり投の吉田恵美可選手です(北京五輪B標準突破。女子やり投は世界選手権よりも下がります)。全種目の簡単な記事と個人的な懺悔 2日目 にも書いたと記憶していますが、我々の予想なんてものは所詮、過去の試合実績でしか判断していません(たまーに、選手の特徴や性格なども加味しますが)。その選手が試合までにどう伸びるか、という部分は予想できません。練習を見ているわけでもありませんし。その辺が、現場を見ている選手・指導者とは違うところで、「違うんだよな」と言われてしまうところです。
 取材終盤は男子400 mH、女子100 m、女子400 m、男子200 m、男子棒高跳、男子三段跳と注目種目が続きました。為末選手、高橋萌木子選手、丹野麻美選手、末續慎吾選手、澤野大地選手、室伏広治選手というところが次々に取材ゾーンに来るのです。
 それで、男子三段跳で杉林孝法選手が6回目に16m90を跳んだシーンを見逃してしまいました。やっぱり、トラック&フィールドの取材って大変です。
 解決方法はないのですが、今回はミックスドゾーンやインタビュールームにモニターが設置されていたので、取材をしながらレースを見ることも少しはでき、大変助かりました。テレビインタビューの声をスピーカーで、ペン記者にも聞けるようにしてくれたのは画期的(世界選手権プレスチーフ代理のケン中村氏のアイデアです)。テレビ→ミックスドゾーンのペン記者取材→インタビュールームの流れも良かったです。
 春季サーキットでも実施してくれないかな、と思いましたが、予算的に難しいでしょうか。いや、春季サーキットが盛り上がって、観客がたくさん入れば可能になりますね。
 取材がしにくかったのは、トップ選手と4位以下の選手をつかまえるケース。これも解決方法はないでしょうか。結局、トラック&フィールド取材は1人では厳しいということなんですね。

◇2007年7月1日(日)
 日本選手権取材3日目。1・2日目までは「優勝者予想」で外した種目が1日1種目ずつでしたが、3日目は男子では100 mと800 m、女子では800 mと3種目を外してしまいました。何度も書きますが「優勝者予想」は優勝者を当てるのが目的ではなく、読者に楽しんでもらうのが目的。外したっていいのです。それに、そういったメディアの存在価値をわかってくれる選手・指導者もいます。
 800 mの横田真人選手もその1人で「寺田的の優勝者予想を見て、覆してやろうと思っていました」と、笑顔で言ってくれました。陸マガのインカレ展望記事で取材をさせてもらいましたが、この選手はちょっと違うな、と感じました。現場感覚だけでなく、視点を大きくすることができる。
 逆に、昨日の日記で書きましたが、優勝者予想を見て「違うんだよな」と言う選手・指導者は現場感覚が大きすぎる人。それはそれで強くなるには有効だと思いますが、優勝者予想のケースとは反対に、世間から見たら「ちょっと違う」と思われることもあります。どういう時に現場感覚を優先させるかのバランス感覚も必要でしょう。


◆2007年7月15日(日)
 今日は成田空港で為末大選手の帰国を取材。南部記念とも重なっていますし、ヨーロッパでの成績も良くなかったので、取材に来る社は少ないだろうと思っていましたが、予想以上に多くて10社前後は来ていました。ただ、陸上競技担当記者は南部に行っているのか、知った記者さんは半分くらい。珍しいケースでした。

 為末選手に会いに成田まで往復した目的は、「ユーロが余っていたら交換したい」と申し出ること。これって、法律違反じゃないですよね。買い取るというとやばそうな雰囲気もありますが、要は知り合い同士が、外貨と日本円を交換するだけですから。例えば、今日の成田空港の両替所では1ユーロが175.00円(売り)と163円(買い)でした。つまり、1ユーロ170円で交換すれば、双方にとって利益があるのです。
 小学校の頃にゲームソフトの売買で儲けていた為末選手なら、飛びついてくるのでは? と考えたのですが、世界選手権後にもヨーロッパに行く予定があるようで、取引は不成立。成田まで行った意味がなくなる……わけはありません。
 もう1つ重要な質問を用意していました。それは、デン・ハーグ(オランダ)の選手滞在先のアパートや、練習場所の位置をおおまかでいいので教えてもらうこと。そのために、オランダのガイドブックを持って行きました。これには成功。というか、ありがたいことに教えてもらうことができました。
 デン・ハーグは人口50万人くらいでオランダ第3の都市。為末選手や澤野大地選手のエージェント会社(PSI)が本拠地にしている街。今回のヨーロッパ取材で行ってみる予定です。為末選手が無線LANがつながるカフェもあることを教えてくれました。これは貴重な情報です。安いホテルに泊まることもできますからね。
 ということで、成田まで行った成果を挙げることができ、家路に着きました。

 と、ここまでは冗談ですので本気にしないように。
 今日がどうして南部記念でなく成田空港取材なのか。メダリストが悪い状態のときこそ取材をしておくべき、という考え……もありましたが、要は南部記念に行けなかったから。予算がないとか、3つか4つか5つくらい理由があるのですが、一番はヨーロッパ取材が迫っているからです。その前に片づけないといけない仕事が山ほどあって、泣く泣く北海道行きはあきらめました。
 為末選手の帰国は数日前に決まったもので、当初から予定していたものではありませんが、こういうときこそネタをストックするチャンスです。TBSのコラムでもう1回、為末選手に触れたいとも考えていました。同選手のブログを読んでいたり、過去のパターンをいくつか思い出していて、突っ込みたい点が思い浮かびました。為末選手クラスになれば、そういった事柄が次から次に浮かんできます。
 成田に向かうスカイライナー車中では、グラフまで書き出しました。せっかく行くからには、この機を逃さずにみっちりと取材をしたい。内心、かなり意気込んでいました。ただ、相手のコンディションもあってのことなので、疲れが見えたらそれほど突っ込まないようにしようと思っていました。この辺のさじ加減は、できているつもりです。
 しかし、さすがは為末選手。カコミ取材の後も、雑談モードをつくってくれて、先に紹介したユーロやデン・ハーグの話もすることができたのです。

 新宿の作業部屋に戻ったのが15:30くらい。そこから何度も何度も、南部記念の結果や世界選手権の追加代表選手の記事がないか、ネットを見続けました。意外と出てくれないものですね。一番早かったのが、スポーツナビの共同通信記事。個々の種目の記録や順位はまだ把握していませんが、短距離の追加代表の顔ぶれを見ると、日本選手権上位の選手が今日のレースでも来たようです。
 もちろん、向井裕紀弘選手が入っていても、予想した範囲です。北風沙織選手の優勝も予想の範囲内ですが、高橋萌木子選手に直接対決で勝ったのは初めてでしょう。日本インカレで書けなかった記事を書くチャンスですが…。


◆2007年7月16日(月)
 北海道陸協のサイトに南部記念の成績がアップされていました。
 大橋祐二選手の13秒55(世界選手権A標準突破&日本歴代3位)は昨日のうちに聞いていました。タイム自体も良いのですが、“やるときはやる男”の内藤真人選手と0.03秒差というのも評価できます。
 もう1つ驚かされたのは砲丸投・大垣崇選手の18m20。日本選手権で18m03を投げていて、日本歴代順位は4位というのは変わりません。ただ、今後への期待という点では、今回の方が大きくなったと個人的には感じています。大台を突破すると、しばらくは伸び悩むことも多いですから。
 大垣選手の記録でもう1つの着目点は回転投法という部分。回転投法の日本最高は、前日本記録(18m53)保持者の野口安忠選手の18m29ですから、あと9cmと迫ったわけです。

 野口選手について解説しておく必要もありますね。同選手は98年4月に日本人初の18m台となる18m31をマークし(東海大対日大。目の前で見ていました)、5月には18m53まで記録を伸ばしましたが、その頃はグライド投法でした。2000年5月に出した自己3番目の18m29が回転投法の最高記録だったのです。
 つまり、野口選手は最初にグライド投法で18mを突破しているので、大垣選手が“自身初の18m突破を回転投法で果たした初めての選手”になります。南部記念ではなくて、日本選手権がそうだったわけですが。

 男女の100 mは追い風のわりに記録が今ひとつ。円山は記録が出やすいのか、出にくいのかよくわからない競技場です。男女400 mの記録が悪かったのは、バックストレートの向かい風のせいでしょう。棒高跳の木越清信選手の優勝も、評価できるのではないでしょうか。さすが村木先生門下です。


◆2007年7月17日(火)
 ヨーロッパ出発まであと3日。
 今日はなんとか、自身に課したノルマを終えることができました。出発直前のこの時期に仕事がずれこむと、睡眠時間が削られて、体調が悪い状態で海外に行かないといけなくなります。あるいは、向こうに抱えていく仕事の量が増えてしまう。めちゃくちゃ集中しないといけない時期なのです。
 それでも、請求書(5通)を書くのに3時間かかったのが計算外。時間かけすぎ、なのですが、いい加減な請求書は書けませんからね。今回のヨーロッパ取材では、旅行代理店が実際の金額より3万円も安い請求書を送ってきて、ちょっと不愉快な思いをさせられました。気を付けないと。

 昨日は、大内さん(元大広。陸上界の功労者です)から電話。デン・ハーグについて貴重な情報を教えてくれたのです。ある有名な絵画について。寺田はそっち方面の知識が乏しかったのでピンときませんでしたが、陸上競技につなげることのできるネタです。これは、楽しみが増えましたね。旅に出発する前に、こういうことがあるから楽しいのです。
 英国取材中のO田記者からも電話。現地の貴重な情報を教えてもらいました。
 続いて、デン・ハーグのホテルも予約。デン・ハーグは予約なしで行って、現地で安いところを見つけようと思っていましたが、ネットで1泊60ユーロ、ネット接続も1時間1.5ユーロで可能という3★ホテルを発見(3★アスリートにはマドリッドで会うはず)。その前にチェックした別の2つのサイトでは、1泊1万5000円以上のホテルしかなかったのです。
 これだったらいいだろうと思って予約してしまいましたが、考えてみたら60ユーロは1万円でした。どうもまだ、60ユーロ=7000〜8000円という感覚になってしまいます。

 実は今回のヨーロッパ取材、先週の一時期はあきらめかけていました。仕事の進み具合が予定よりも大幅に遅れていたからです。もちろん、行かないことで迷惑をかけるクライアントもあるのですが、どうしようもないかな、と。木曜日には90%、取りやめるつもりでした。
 それが金曜、土曜と仕事がちょっと進んだことと、TBS・S氏からヨーロッパ取材日記を書かないか、と提案があったことが追い風になりました。仕事の一部を振ることにも成功。なんとかなるかな、と土曜日の夜遅くに決断。航空券のキャンセル料は5万円ほどかかりますしね。

 決断できると、一気にヨーロッパ・モードに入ります。昨年は“まだ見ぬ著名大会取材”がテーマでした。中・長距離で日本新が多く出ているナイトオブアスレチックやDNガランなどです。今回のテーマは……“小国巡り”にしようかな、と思っています。
 ベネルクス3国にモナコ。ベルギー以外は滞在したことのない国々です。


◆2007年7月18日(水)
 陸マガ高橋編集長に日本選手権プログラムの間違いを指摘したところ、陸連から回答がありました。マラソンの歴代優勝者が外国人選手になっている年もありますが、何年か以前に日本選手権参加資格は、原則的に日本国籍所有者になったはずです。会社に報告するのに困っていた実業団関係者もいらっしゃると思いますが、プログラムが間違いと判明しましたのでご安心ください。変にごまかしたり、言い訳をしなかった陸連も潔かったと思います。
 今日も請求書と1時間くらい格闘。
 遅めの昼食後に新宿3丁目の地球の歩き方オフィスに。ユーレイルパスを購入しました。フランス&ベネルクス限定バージョンで、4日間(日付の選択は自由)で4万2700円だったと思います。トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表がおまけで付くと思っていたら、これはもう少しワイド・バージョンのパス購入でないと付かないとのこと。1500円で追加購入。

 帰りのカフェでさっそくチェックしたところ、旅行計画に無理があることが判明しました。モナコSGPの翌日にルクセンブルクまで移動するつもりでしたが、陸路では無理でした。早朝に出発すれば夜に着くのですが、ヨーロッパのグランプリ翌朝は取材が入る可能性があります。競技が夜の9時とか10時ですから、日本選手が好成績を収めても取材する時間がちょっとしかない。どうしても、翌朝になります。福士加代子選手が日本新を出したときなどが、そんな感じでした。
 問題はルクセンブルク。今回のテーマは小国巡りにしたかったので、モナコからルクセンブルクに移動するのを楽しみにしていたのです。飛行機に変更するか、別の街に行くことにするか。まあ、適当に考えます。
 予定が狂ったときにどう対応するかで、その人間の柔軟性がわかります。

 日曜日に帰国した為末選手取材のテーマもそこでした。「48秒前半を出しておく予定だった」と言う今回のヨーロッパ遠征で、49秒後半しか出せなかった。新歩数も試せなかった。そこで、どう対処するか。そこを聞きたかったのです。誰でも思いつくことですけど。
 今週のTBSコラムにも、そこを書こうと考えています。札幌で取材した尾方剛選手とどちらにするか迷いましたが、ネタ的に尾方選手は来月になってもOKだと判断。予定外の事態に直面した為末選手を優先することに。
 この2人はともに広島県出身で、ともに前回の世界選手権ヘルシンキ大会の銅メダリスト。尾方選手は為末選手の銅メダルをヘルシンキ入り後「テレビで見て身震いした」と言います。世界選手権東京大会のカール・ルイスを見て、為末選手が「プロの陸上選手になりたい」と思ったことは有名ですが、尾方選手も東京大会を見に行っていました。高校の合宿の帰りで、男子走幅跳決勝が行われた日。パウエルとルイスが激闘を展開し、パウエルが8m95の世界記録を樹立しました。「世界記録を目の前で見て感動した」と言います。
 広島→東京→ヘルシンキ。そして“大阪でも”となるのでしょうか。


◆2007年7月19日(木)
 ヨーロッパ時間で生活をしているので、遅めの起床。11時頃だったでしょうか。お気楽な自営業者と思ってもらって結構ですが、実際は違います。
 サイトのメンテナンス後、モナコSGP翌日(26日)の行動を検討しました。ヨーロッパの格安航空会社をメールで教えてくれた方がいて、ニース→アムステルダムの片道が55ユーロくらいで行けることがわかりました。これで、いくつかの可能性が考えられるようになりました。

@案:ユーレイルパスを使用して、フランスの中部くらいまで北上し、1泊して27日にベルギーのハッセルト(=ナイトオブアスレチック開催最寄り都市)入り
A案:26日はモナコまたは南仏で過ごし、ニースを夜の21時台のフライトでアムステルダム入り。空港近くのホテルに泊まって27日に電車でハッセルトへ移動
B案:26日はモナコまたは南仏で終日過ごし(たぶんカフェで原稿書き)、その日もモナコ泊まり。27朝にニースからアムステルダムかブリュッセルまで飛び、そのままハッセルトに電車で移動

 日本にいるうちに飛行機、ホテルを予約するよりも、現地に入ってから決めます。モナコのホテルが1泊1万8000円と高いのですが、居心地がいい街だったら3泊するかもしれません。モナコで○○○も食べてみたいし。
 あれこれ考えられるのも、旅の醍醐味です。

 TBSコラムに為末大選手を一通り書き上げ、17時頃に外出。遅めの昼食と、いくつか買い物に。その間、原稿を寝かせる意味もありました。寝かせるというのは、少し時間を置いてから原稿を見直して修正するということです。
 ユーロへの両替も。昨年からの繰り越し(?)が200ユーロあるので、今回は100ユーロだけ両替。1GBのコンパクトフラッシュを新品で4900円で購入するか、256MBの中古を1200円で購入するか迷ったので、カフェで一休み。新品の方に決断し、ついでに為末選手の原稿を見直して20時頃に送信。

 作業部屋に戻ってデータ調べの作業を仕上げました。
 その時点で22時半頃。夕食後、ヨーロッパに持っていく資料のコピーとプリントアウト作業。昨日までにそこそこ進んでいたのですが、結局、出発前日までかかります。1:30頃まで。そこから約1時間でパッキング。就寝は3:30。


◆2007年7月20日(金)
 6:00起床。若干の睡眠不足ですが、体調は良好。
 スカイライナーで成田空港に。 チェックイン後に、モナコに行くので○○○を購入。出国手続き後、メールと電話を数本。
 1年ぶりのヨーロッパ取材に胸は高鳴っています。
 でも、持ち込む原稿&データ調べもあって、気持ちの切り換えが大変そう。ただ、昨年のアジア大会ほどではないので大丈夫でしょう。

◆2007年7月20日(金)
ユーロ取材2007・1日目
 アムステルダムへの機内では400字原稿5本と、600字原稿1本を書きました。離着陸や食事の前後はパソコンに入力ができませんから、その間に構想を練ります。文字数としては大した量ではありませんでしたが、それぞれ違う選手のことを書くので、大変と言えば大変。入れ込まなかったのが逆に、集中力につながった気がします。アジア大会からの帰りの機中など、気持ちだけ焦って筆は進まない状態でしたから。あれ? それは去年のヨーロッパ取材帰りだったかな。
 アムステルダムはスキポール空港。世界選手権ヘルシンキ大会の帰りがスキポール経由でした。ここはターミナルが複数に分かれていてバスか電車で移動しないといけない、ということはありませんが、とにかく広い。マドリッド行きの便が「ゲート82」でしたが、表示を見ると「歩いて25分」とか書いてあります。これは、入国&手荷物検査の時間も込みで表示してあるようですが、それにしても油断のならない空港です。

 マドリッドには21時頃着。まだ明るいですね。スペインはヨーロッパでも西の方に位置しているのに、時間はフランスやドイツ、イギリスと同じ時間帯を使っています。緯度的には高くなくても、日が長くなるのが道理です。明日の試合が19:30開始と遅いのも、その辺が理由? 集客面でいっても、シエスタ(昼寝)の習慣がある国ですから。
 スペインはたぶん、1999年の世界選手権セビリア大会以来。数少ないロストバゲージを経験した国です。ターンテーブルに荷物が出てくるまでの緊張感は、これまでにないものでした。実際、なかなか出てこなかったし。
 しかし、荷物をピックアップしてドアを出ると、いきなり出迎えの人たちが待ちかまえている場所でした。つまり、入国審査はなし。ヨーロッパのいくつかの国は、域内で審査が一度してあれば省略する国が増えているといいますから。

 そこで探したのはマドリッドGPのインフォメーションデスク。上手く行けば、大会本部ホテルまで車で送ってくれます。最初のヨーロッパ単独取材をした、2001年のローマ大会がそうでした。このときは為末選手が一緒にいてくれたから、でもありましたが、その後のいくつかのグランプリ取材をして、親切なところは市内まで送ってくれます。
 今回は宿泊ホテルは別にとってありましたが、大会本部ホテルまで日本人コーチに会いに行くという理由まで用意して、交渉(?)に行きました。
 ボランティアのヤングリーダーといった雰囲気の女性が、電話で本部らしきところと話をして、便宜を図ってくれようとしてくれましたが、結局、大会公式ホテル(3つか4つあったみたいです)に泊まっていない人間は送れないとのこと。泣く泣く、タクシーを使いました。地下鉄もありますが、乗り換えが2〜3回かかりますし、もう22時が近かったので。25ユーロの出費。まあ、仕方ありません。

 ホテルに着くと先に乗り込んでいるO田記者から電話。色々と情報を教えてもらいました。マドリッドの取材は初めてで、複数回行っているローザンヌやヘルシンキ、パリと違って土地勘がありません。その前に、どこが会場なのかも知りません。大会サイトにスタジアムの名称も、アクセス方法も出ていません。宿泊ホテルのフロンで「明日の陸上競技イベントの会場は?」と質問しても、陸上競技の大会があること自体、知りませんでした。そんなものでしょうか。
 しかし、小田記者のおかげで、スタジアムも大会本部の位置も判明。なんとかなりそうです。
 ホテルは思ったよりグレードが高かったですね。こんな雰囲気。1泊1万2000円(本部ホテルは2万円以上)。ネットができる条件で探しましたが、今後はもう少しグレードを落としても大丈夫かな、という実感があります。ただ、無線LAN接続が信じられないくらいに高いです。1時間9ユーロで、次のコースが24時間で15ユーロ。
 そこで取った方法が、なんとアナログ接続。久しぶりに56kのモデムを使いました。そういうこともあろうかと、海外接続ソフトの最新バージョンをダウンロードしてきたのです。

 到着して、このサイトのメンテナンス。ナローバンドはやはり遅いです。そして、ヨーロッパ入りしたその日は、こちらもやっぱりですが、眠いです。
 続いて洗濯。眠気冷ましをを兼ねてやりました。
 メールをチェックすると、モナコに持っていく○○○は、もなかじゃないでしょうね、というH氏からの指摘。いや、実は、その通りなんですが……。困りますね、根拠のない当てずっぽうで真実を言い当ててしまうのは。
 マドリッドからの初メール(5人くらいに一斉に送信)だったので、H家の間取りを教えてくれ、と返しておきました。


◆2007年7月21日(土)
ユーロ取材2007・2日目
 朝食はホテルで。ヨーロッパのホテルの朝食には2種類あって、火を通す食事が用意されているケースと、火を通さない食事のケース。どちらもバイキング形式ですが、前者では卵料理やベーコン、ソーセージ、トマトなどが温められたプレートに乗せられています。後者はハムとチーズというのがよくあるパターンです。どちらにしても、あまり健康的ではありません。特に野菜類は自分で調達する必要がありますね。
 今回のホテルは火を通した朝食もありました。その分、宿泊費に跳ね返ってきていますが、こうなったら朝食をしっかり食べて、昼食と夕食を軽くする(=お金をかけない)パターンにするしかないでしょう。
 朝食後にホテルの近くを散策。スーパーマーケットがあって、昼食にサンドウィッチやヨーグルト、ミネラルウォーター、それに単三乾電池を購入しました。
 その後は原稿書き。できれば8年ぶりのスペインを満喫しに街に出たいところです。外国に来るといつも悩むのがこの点。今しかできないことを優先するか、原稿を優先するか。街に出たかったというのもありますし、大会本部ホテルに一度行っておきたい気持ちもありました。取材IDを先に入手しておくと、競技場に行ってからが楽になります。取材が最悪、深夜0時以降までかかる可能性もあったので、競技場から帰りの移動手段もシャトルバスになるかもしれない。その運行予定なども調べておきたかったのです。

 800字原稿を2本書き上げ、17時20分頃に出発。初めて乗る地下鉄と、最寄り駅からスタジアムの時間がわかりませんでしたが、約1時間と見積もりました。地下鉄は本数もそれなりにありましたし、駅からスタジアムも迷わずに行くことができました。ただ、入り口に行ったつもりが、正面玄関の反対側に行ってしまったようで、「一度道路に出て向こうに回れ」と言われました。500〜600mのロス。アクレディテーションセンターに行くと、「お前のIDはプレスセンターにある」とのこと。プレスセンターに行くと、「ここに来る前にアクレディテーションセンターに行け」とのこと。
 まあ、外国のグランプリ取材ではよくあること。この程度で意気消沈してはいられません。我々は普段、横浜国際競技場や国立競技場で当たり前のように受付に行きますが、外国人メディアにとってはわかりにくい場所なのかもしれません。

 結局、プレスセンターに半ば強引に入ると(お勧めできる方法ではありませんが)、プレスチーフというには若いお兄ちゃんが、「テラーダか。待っていたよ」という歓迎ぶり。「名前を覚えているんだ?」と聞くと、「当たり前じゃないか」という反応。いくら極東の島国から遠来のメディアとはいえ、ちょっとビックリ。
 今回の取材はカメラマンも申請しておきました。で、そのお兄ちゃんがカメラマン仕切り役のおじさんのところに連れて行ってくれ、ビブを手渡してくれました。その代わり、胸にさげる報道IDはなし。それも初めてのケースで不安を覚えましたが、ここだったらなんとかなるかな、という気がしました。

 プレスルームは20人も座ったらいっぱいになるくらいの部屋。日本人プレスの区画があったので(自然にできたのですが)仲間に入れてもらいました。折山さん、読売新聞・大野記者、朝日新聞・小田記者の3人。カメラはドイツ在住の木場さん。
 驚いたことに、今回のビブはインフィールドも入れるもの。昨年、ナイトオブアスレティックでもインフィールドに入りましたが、大会の格はヨーロッパプレミアム。マドリッドは大阪GPと同じIAAFグランプリ。大阪で寺田がインフィールドに入るビブを入手するのはまず不可能です。ところ変われば、ですね。
 マドリッドは会場も中規模のスタジアム。サッカーなみの大きさ、あるいは世界選手権セビリアのときのスタジアムを想像してきたので、ちょっと意外でした。日本でいえば平和台や皇子山クラス。観客の入り具合にもよりますが、この規模の競技場の方がいいと思いますね。パリやローマのスタジアムは大きすぎて、道に迷うと大変です。
 音響もパリやローマのように、耳をつんざくような大きさではありません。会話もできます。それでいて、効果音や選曲などはセンスがいい。昨年のスーパー陸上でパリ・ローマ版の音響を試みていましたが、マドリッドを見習ってほしいですね。
 もう1つ見習ってほしいのは、砲丸投の見せ方。インフィールドのホームストレート側の中央付近に、サークルがあるのです。落下地点も、この写真のように1mおきに白いエリアと芝生のエリアが交互に色分けされていて、落下地点がスタンドからもわかるように工夫されていました。これは、サークルの位置はなかなか変えられませんが、落下地点の色分けはすぐにでも真似していい点だと思います。

 ちょっと長くなりました。女子走幅跳のレベデワ選手、走高跳のヴラシッチ選手への取材の様子は、TBSのコラムに書きましたので、そちらをご覧ください。この取材が終わったのが午前1時頃。ホテルに戻って気が付けば午前2時。睡魔と戦いましたが、3時にはダウン。


◆2007年7月22日(日)
ユーロ取材2007・3日目
 マドリッドで若い女性から声を掛けられました。スペイン娘に声を掛けられたくらいで喜ぶ寺田ではありませんが、場所は街角ではなくて空港の搭乗口前。ちょっとの間(1.37秒くらい)をおいて日本人だと気づき、顔を上げたら池田久美子選手と久保倉里美選手、トレーナーの松下美穂さんの3人でした。スズキの馬塚広報からフライト時間は聞いていて、寺田よりかなり遅かったと記憶していたのでちょっとビックリ。
 池田選手と松下さんはフランクフルト経由でアムステルダム、そこから練習拠点のデン・ハーグへ向かうところ。久保倉選手はフランクフルトからヨルダンのアジア選手権へ移動するところ。デン・ハーグで共同生活をしたトリオもこれが最後ということで、記念撮影をさせていただきました。池田選手には「3分だけ」と時間を制限して取材。ちょうど今日が、世界選手権デイリープログラムの池田選手原稿の締切だったのです。スタジアムに観戦に来た人が、外国選手と池田選手のどこが違うのかに注目できる内容にしようと思っていました。昨日の試合後も少し質問したのですが、その確認をする意味の取材でした。

 寺田のフライトは13:30マドリッド発でアムステルダム行き。
 朝食取材も想定していましたが、今回は見送り。昨日の日本選手は全員がいまひとつでしたから。ただ、内藤真人選手はかなりいい感じ。次戦がナイトオブアスレティックだったら良かったのですが、スペインのサラゴサです。日本記録が出たら電話を……ちょっとだけして、きっちりした取材は帰国後ですね。内藤選手とファミレスで2時間話ができる記者は、そう多くはないはずです。
 前半で13秒1台の選手に先行するなど、技術的な進歩も大きい内藤選手ですが、表情も精悍になりましたよね。これは予選のフィニッシュですが、皆さんもそう思いませんか?

 空港までは地下鉄で行った方が安いのですが、昨晩が遅くてあまり仕事が進まず、今朝もホテルで原稿を書かないといけなかったため、ぎりぎりの時間になっていました。ネット接続も空港だとまた別料金ですから。ということで、再度タクシーで空港まで。といっても、成田空港までスカイライナーで行くよりも安いです。来るときより8ユーロも安かったのは、昨日が深夜料金だったから?
 ぎりぎりだと思っていたのですが、チェックインも長蛇の列だった割りには早く進んで、搭乗ゲートには離陸1時間くらい前に着きました。ここでもパソコンを取り出して原稿を書いているときに、声が掛かったのでした。

 アムステルダムのスキポール空港では、昨日の男子砲丸投優勝のスミス選手を見つけ、ちょっとだけ突撃取材。取材というほどの会話ではありませんが、この辺の経緯はTBSのコラムに書きました。
 デン・ハーグまでは2等車両で7ユーロ。思ったより安くて助かりました。しかし、デン・ハーグ駅からホテルまでがタクシーで18ユーロ。マドリッド空港までよりも高いとは。何度も何度も曲がりました。確かに、そういう街ですけど、ちょっと18ユーロはなあ。3200円ですよ。デン・ハーグでタクシーに乗るのはやめようと誓いました。

 夕食は打ち合わせも兼ねて、中華料理で。待ち合わせ場所のホテルまでは、意地で歩きました。初めての都市で地図を片手に歩くと時間がかかってしまいますが、ぎりぎりでセーフ。とっても有意義な夕食でした。夕食の前に、ちょっとした取材もさせてもらいました。


◆2007年7月23日(月)
ユーロ取材2007・4日目
 デン・ハーグ2日目ですが、今日は対人物の取材はなし。比較的、自由に時間が使える日…のはずですが、これがそうでもないのです。午前中はホテルの部屋にこもってデータ入力作業(と書いておけば、陸マガ高橋編集長を少しは安心させられるかも)。カフェで昼食をとって、そのまま原稿を書こうかな…と思っていたら、雨が降ってきました。やむことを期待して15時まで部屋で作業。結局、やんでくれませんでした。
 無線LANの接続が1日5ユーロと安めなのはいいのですが、容量が小さい回線なのか、頻繁に切断されます。大きな容量のファイルは何度トライしても送れません。他の作業をすると、送受信がさらに遅れると思うので、他の仕事もできない。これは結構、ストレスになりますね。
 部屋自体はこんな感じ。本物か飾りか微妙なところですが、レンガの壁をくり抜いたような跡が部屋の中にあります。テラスには出られませんが、雰囲気はありましたね。

 トラム(路面電車)に乗って街の中心部に。ご免なさい。運賃の払い方がわからずに、そのまま降りてしまいました。どうやら、旅行者など回数券や定期券を持たない人間は、乗るときに運転手に支払う方式のようです。ヨーロッパではときどき、こういうことがあります。私服の巡回員もいるらしくて、見つかったときは相当な金額を請求されるらしいので、くれぐれも無賃乗車をしないように注意しましょう。今日の日記は、次にデン・ハーグに来る人のことを意識しながら書いています。
 中心部のカフェで何とかサラダを食べました。愛嬌のある猫が、客たちの足下を歩き回っているので携帯で写真を撮りました。が、携帯から画像を送信すると高くつくので、掲載はできません。食事のあとはマウリッツハイス美術館に。大内さんが教えてくれたフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を見るためです。美術館の外にもこうして大きく紹介されていました。もちろんフェルメール以外の展示も多く、Avercampの冬景色など、数点の絵はがきを購入。まだまだ移動が続く旅なので、お土産は軽いものに限られます。
 ヨーロッパ取材中に美術館に行くことなどめったにない寺田ですが、今回は特別です。“真珠の耳飾り”といえばアジア大会の池田久美子選手。同選手によれば「ここぞという大会」でしか付けない方針で、次は世界選手権になるとのこと。その池田選手が、ヨーロッパ遠征中はこのデン・ハーグを拠点にしています。これは何という偶然。見ておかないわけにはいけません。

 美術館を出た後、ふと見ると目の前を24番のバスが通ります。成田空港で為末選手が言っていた、駅からホテル、練習グラウンドに行く系統です(7月15日の日記参照)。実は昨日、朝日新聞・小田記者が先発隊(1人ですけど)として下見に行っています。選手の取材ではなく「北京五輪を考えての行動」だと話していました。なるほど。今後、代理人のフィース女史の契約日本選手が増えれば、この地でトレーニングをする日本選手が増えるでしょう。行ってみる価値はあります。
 小田記者からだいたいの場所は聞いていましたが、正確な停留所名は覚えていません。バスに乗るときは通りの名前だけを言って料金を払い(3段階の料金しかないのでそれでもOKでした)、近くなったら地図とにらめっこ。何とかなるものです。今後に行く人のために紹介すると、通りの名前はSPORTS LAAN、停留所の名前はOude Buizerdlaanです。

 閑静な住宅街に囲まれていて、グラウンドの周りも緑が多いので、地図がなかったらまさかそこにスポーツ施設があるとはわかりません。トラックは8レーン。サーフェスの硬さはどうでしょうか。安易なことは言えないので、今度誰かに聞いておきます。周囲には他の競技施設もありますし、ウエイト場もあると池田選手から聞きました。
 すでに夕方の18時。トラックには誰もいないのですが、中に入ることができました(これは真似しない方が良いかも)。砲丸投のサークルが3つ並んで作られているのには感心しました。これが2個所にあるのです。これは棒高跳の支柱とマット。走高跳のマットにも、同じ箱がかぶせてありました。マットは倉庫から出してくるもの、という考えを覆すアイデアです。
 トラックの中と周囲を回って唯一で食わしたのが、隣接するバスケットボール・コートで1人、黙々と練習をしている少年でした。ちょっとためらいましたが、外国では人格が積極的になるのが寺田です。思い切って声を掛けました。

寺田:英語は話す?
少年:ちょっとなら。僕はポーランドから来たんだ。
寺田:僕も英語はそんなに話せない。日本の記者なんだ。日本選手がここでトレーニングをしていたのを見たことある?
少年:僕には日本人と中国人の区別がつかないんだ。
寺田:街には中国人がいても、ここに来るのはたぶん日本人だよ。
少年:うん。見たことはあるよ。
寺田:去年のこと?
少年:いや、3日くらい前かな。
寺田:男? 女? 
少年:男。
寺田:背は? 大きかった、小さかった?
少年:僕と同じくらいかな。
寺田:ポールを持って練習していた?
少年:いや、ずっと走っていた。
寺田:なるほど。誰かわかったよ。君の写真を撮らせてもらっていい?
少年:いいけど。
寺田:じゃあ、さっきやってたみたいに、指の上でボールを回して。
少年:こう?

寺田:そうそう。名前を聞いていい?
少年:ラファエル。


 ということで、ラファエル君の写真を撮りました。

 帰りはバスとトラムを乗り継いでホテルに。僅か1日ですし、バスに2回とトラムに2回乗っただけですが、デン・ハーグの土地勘ができました。地図を何度も見回しましたしね。距離がなんとなくイメージできて。
 ホテルの近くには残念ながら、原稿書きに適したカフェがないので、ホテルの部屋で仕事。メールの返信に2時間。そうか、今日は月曜日ですね。メールの量で曜日感覚が戻りました。
 それにしても、ネット接続のストレスがたまります。


◆2007年7月24日(火)
ユーロ取材2007・5日目
 今日ばかりはダメだと思いました。生まれて初めて、飛行機に乗り遅れることを覚悟させられたのです。今日の11:30。アムステルダムのスキポール空港でのことでした。

 デン・ハーグのホテルを9時に出発。荷物が多くてトラムに乗れるかどうかが心配でした。東京のバスのように満員だったら、あの荷物を持って乗り込むのは無理。昨晩からホテルのお兄ちゃんにも相談していたのですが、実際に朝のトラムの込み具合を見て、乗れると判断。ここはスムーズに行きました。
 ところが、電車(インターシティ)が20分遅れました。空港に行ってKLMのカウンターを見つけ、近くにいたKLMのお姉さんにチケット(エレクトリックチケット)を見せると、「この番号札をとって待て」と言われました。ところが、なんとなく雰囲気がおかしい。チケット自体を購入する場所でした。そのお姉さんに確認すると「ごめんなさい。間違えたわ」。謝ってくれるのはいいけど、10分のロスは痛い。

 続いて自動チェックイン機の列に並びました。自分の番が来て、記載の番号を入れても拒否されるだけ。近くのお兄さんは、あっちこっちの人から質問責めでなかなか手が空きません。やっとつかまえると、姓を入力するところに名前を入れて見ろ、と言います。「中国人の名前と名字はよく、入れ替わって登録されているだ」って、そんなこと言われても。
 ところが、名前を入れると時間切れの表示。12:10発で、そのときは11:00頃だったと思います。先ほどのお兄さんに再度状況を説明。「16番の有人カウンターでチェックインしろ」。最初からそこに行けば良かったと思いましたが、知らないものはどうしようもありません。たぶん20分くらいのロス。

 有人チェックインでも問題が。列が進むのも遅々としていましたし、あと1組となったところで、寺田の前のカップルの手続きがなかなか終わりません。10分くらいは大人しく待ちましたが、そろそろこちらも限界です。白人の男と、東洋人の女性。よく見ると、女性が胸に子犬を抱えていて、その処遇についてKLMの受付が何度も電話をしています。ペットって、今はそこまで厚遇されているのですね……などと感心している場合ではないので「あと何分かかるんだ」と、KLMのお姉さんに声を掛けました。
「知らないわよ」
 かなり怖かったです。そのとき11:30。出発まで40分というタイミングで、あきらめました。ニース行きの便だったら、同じ日にもう1本くらいあるでしょう。
 やっと自分の番が回ってきたのは11:40。なげやりにチケットを見せて、「間に合わないよね」と先ほどのお姉さんに言うと、「問題ないわよ」と、スーツケースを受け取ってくれます。ホントかな、と思っていたら、荷物検査が驚くほど早く進みます。EC内同士だからか、パスポートコントロールはなし。搭乗ゲートは遠かったですけど、11:53に着きました。実際の離陸も10分以上遅れていて、問題なくニース行きに乗ることができたのでした。

 ニースは快晴。寒かったオランダとの温度差は10℃以上。
 到着後の経緯はTBSのコラムに書きましたので、そちらをご覧ください。主役はパブロフ選手で書きましたが、澤野大地選手ももちろん関わってくるし、謎の二枚目エージェントも序盤で登場させています。コート・ダ・ジュールで出会った棒高跳選手たちが主役のコラムです。
 モナコへ移動する車内から見る景色は、写真で見た南仏の景色そのもの。
「ここが国境ですか?」
「ここはF1のコース?」
「ルイ2世スタジアムはもう過ぎちゃった?」
 物静かなパブロフ選手とは対照的に、うるさい日本人記者だったと、こう書くと思われてしまうかもしれませんが、20分で3つの質問なら7分に1回だけ。それほどお喋りという印象は持たれなかったはずです。

 大会本部ホテルに到着すると、散歩に出かける澤野大地選手とばったり。TBSコラムに書いたように、撮影取材をお願いしました。出かける際に、デン・ハーグの代理人、キャロライン・フィース女史とも再会。澤野選手も女史の契約選手です。
 取材のあとは記者会見場に。ちょうどベケレ選手の会見が行われていて、朝日新聞・小田記者と読売新聞・大野記者が熱心に取材中。寺田は途中から加わるのも何かと思い、会見場の外で仕事をしていました。
 本部のFAIRMONTホテルは桁違いに大きいですね。1階の海に面しているスペースの大半が、大会用に提供されています。会見後、原稿を書き終わった両記者と一緒に成田空港で買ってきたもなかを食べました。紺碧の海を背景に、モナコでもなかを食べる小田記者の写真を撮りましたが、掲載は自主規制。社内的な立場もありますから。

 両記者はスタジアムに下見と、選手たちの練習を見に行きましたが、寺田は自分のホテルにチェックインしてTBSコラムを書きました。大会前に出したかったネタだったので。
 宿泊ホテルは歩いて5分ほどの距離にあるMETROPOLE MONTE CARLO。6月末の時点で楽天トラベルに残っていた一番安いホテルで、2泊で3万1280円です。ところが、行ってみるとこれが超高級ホテル。部屋の写真を撮りまくりました。
●これが外観(夜ですが)
●ベッド
●デスク(と白いモバイルパソコン…がモナコにはよく似合う?)
●洗面所(蛇口と、このくぼんだ部分=なんて言うのでしょうか=が2個所)
●テラスから見える海
●テラスから見る市街地

 ホテルではありませんが、モナコらしい写真も何点か載せたいと思います。
●本部ホテル近くの海岸線
●海の水はこんな色
●有名なカジノ


 こんなところにしておきましょう。

 ホテルですが、設備の豪華さだけでなく、接客ぶりが違うな、と感じました。金額相応のもてなし方は、形ではありませんね。大金を使うということはこういうことなのだと、初めて実感した気がします。単に、以前はそれに接しても気づかなかっただけかもしれませんが。
 3時間ほどで原稿を仕上げ、21時に大野・小田両記者と合流して食事。小田記者が明日の取材を最後に日本に戻ります。モナコの夜景を見ながらの食事は、最初で最後かも。
 最初にビールで乾杯。「乾杯モンテカルロ」と寺田。
 ところが、両記者とも庄野真代の有名な曲を知りませんでした。せっかくですから、紹介させていただきます。
モンテカルロで乾杯  ダウンロード

 寺田は鮭料理を頼みましたが、思ったほどねっとりした味ではなく、おいしかったです。
 ところで、モナコといえばグレース・ケリー皇妃。ハリウッドの女優から、モナコの皇太子か王様の夫人になった人です。ワインを頼もうという段になって、大野記者がメニューを見ながら品定めをしていました。「モナコといったらグレース・ケリー・ワインでしょう」と寺田。「聞いてみてくださいよ」と大野記者。
 日本ではできないことですが、海外ではちょっと人格が変わります。黒人のおじさんウエイターが、冗談のわかりそうなタイプに見えたので、「日本ではモナコのグレース・ケリーワインが有名なんだけどある?」と聞きました。
「グレイ…ンっ?」とおじさんウエイター
「グレイス・ケリー・ワイン」と寺田。
「…シロ? アカ? ロゼ?」とおじさんウエイター。
 こちらの発音が悪かったのかもしれませんが、日本語で切り換えされてしまいました。


◆2007年7月25日(水)
ユーロ取材2007・6日目
 METROPOLE MONTE CARLOの朝食はなんと、テラスでした。アングル的に海は見えませんが、それでも空間の優雅さが違います。しかも、欧米のホテルで当たり前のバイキング形式ではなく、給仕をしてくれる形式。てっきりバイキングだと思って席を立ち、うろうろしていたらインド系のウエイターお兄さんが「我々が持っていくから」と教えてくれました。確かに、少ないお客の数なのに、ウエイターが5人も6人も歩き回っています。知らなかった恥ずかしさよりも、そこまでするのか、という驚きが大きかったです。
 朝食なのにメニューから選ぶみたいです。よく見ると、金額が記されています。飲み物で6〜10ユーロ。あとは30ユーロと20ユーロのコース。「もしかして別料金?」という懸念が浮かびましたが、今さら「じゃあ帰る」とは言えません。
 前述のインド系ウエイターが1つ1つ、「これはどうする?」「こっちはどうする?」と質問してきましたが、料金を考えて控えめにしておきました。
 ただ、後で予約コンファメーションを見ると「朝食込み」の料金になっています。別料金が請求されることはないと思いますが、そのくらいに世話を焼いてくれるということです。

 仰天の事実が判明したのは、その直後でした。寺田の泊まっているホテルは1泊486ユーロ、8万3000円だったのです。7月19日の日記に明日(26日)もモナコか南仏で過ごす可能性を記しましたが、最終的にそうすることを決断。27日のニース→ブリュッセル便を昨晩、予約しました。
 日本にいるときはオランダを拠点とする格安航空会社でニース→ブリュッセル60〜80ユーロ前後の値段を見つけましたが(曜日や時間帯で変動)、それは180ユーロになっていました。ちょっと高すぎます。代わって予約したのがブリュッセル航空。こちらは150ユーロ。ハッセルトまでの電車代も、こちらの方が安くつきます。
 航空券が手配できたら、次はホテル。METROPOLE MONTE CARLOに3連泊ができれば一番楽です。荷物も置いたまま外出できるし、洗濯だってできちゃいます。それで、もう1泊したらいくらですか、とフロントで値段を聞いたわけです。

「あなたはミキ****トラベルを通しての予約だから特別料金でしたが、もう1泊となると通常料金になります。486ユーロですね」
 親切にも、料金の一覧表を手渡してくれました。間違いありません。8万3000円のホテルに1万6000円で泊まっていたのです。我ながら、頭がちょっとくらくらしました。
「Let me think」
 考えさせてね。とは言いましたが、考える余地などありません。部屋に戻ってすぐに、ニースの80ユーロ、無線LAN無料のホテルを予約しました。といっても、あれこれ調べて選んだので、1時間以上かかってしまいましたが。

 その後は、たまっていた日記も含めて原稿書き。昼食も外出せず、手持ちの食料ですませました。昨晩、今朝とたっぷり食べているので、食欲がなかったのです。若干、疲れが出てきているのかもしれません。
 もう1つビックリしたことが。午後の3時くらいに部屋の電話がなります。部屋の掃除をどうするのか、という問い合わせだと予測しました。
 案の定「ハウスキーピング」(語尾を上げる)という声。「掃除は要りません。タオルも石鹸も2泊分あるし」と答えます。普通ならこれで「サンキュー。グッバイ」となるのですが、まだ何か言ってきます。
「夜の行動は?」
「夜はエルキューリス(大会名称。発音を昨日確認ずみ)の取材だけど」
「では、夜に掃除をします」
「6時には出かけます」
 という感じ。カジノの国だからかもしれませんが、夜の部屋掃除も初体験でした。

 ホテルを17:30頃に出発。大会本部ホテルまで歩き(5分)、そこからシャトルバス。小さめのバスで人数も少なかったせいか、知った顔の選手がいませんでした。18:15には会場のルイ2世スタジアムに。入り口からプレスルームに行くのに苦労をしましたが、その後の移動は問題なくできました。
 スタンドの規模は2万人くらいではないかと、朝日新聞・小田、読売新聞・大野両記者の見解です。人口3万何千人の国で2万人のスタジアムがあるって、すごくないですか。要するに、モナコだけでなく、周辺からも観客が集まってくるということです。書くほどのことでもないか。
 スタンド裏に出て1つ下のフロアは、1周ずっとつながっています。違う区画に移動することもできました。この辺が、他の大会との違い。寺田の記憶ではパリ、ローマ、ローザンヌは、そう簡単には移動できません。警備員もいるにはいるのですが、怖い顔でいちいちチェックすることもない。おおらかです。
 ということで、棒高跳の写真も正面から撮れましたし、バックスタンド側からのスタジアムの全景写真も撮れました。

 オスロやストックホルムのスタジアムでも感じたことですが、トラックとの距離が近いのがいいですね。選手たちの迫力がストレートに伝わってきます。バックスタンド側の三段跳があそこまで大きく見えると、見てみよう、という気にさせられます。もちろん、トラックの内側だからです。競技場のレイアウトはやっぱりこれでしょう。トラックの外側にピットを作らず、内側に作る。それだけで、トラック種目も走幅跳&三段跳も、スタンドからの距離が近くなるのです。
 拍手が多かったのはやはり、フランスの選手たち。スタジアムが一番わいたのは女子100 mにクリスチャン・アーロン選手が優勝したとき(この写真は競技開始前のセレモニー。ヨーロッパでは定番のクラシックカーに乗っての場内1周)。2番目は110 mHのドゥクレ選手か、棒高跳のメスニール選手か。アーロン選手の人気は本当にすごいですね。
 さて、選手との距離が近いと、技術的な上手さ、下手さもわかりやすくなります。その辺を、澤野大地選手のネタと合わせて、TBSのコラムに書きたいと思っていますが、難しい部分もあって、どうしようか迷っています。

 マドリッドと違って22時には取材も終了。昨日が小田記者の最後の晩餐になるいはずでしたが、時間も早かった(?)のでスタジアム近くのカフェで両記者と食事。ニース風サラダを頼んでみました。出てきたのは、早い話がツナサラダ。敷いたレタスの上にツナが山盛りに置かれていて、周りにゆで卵とトマトの切ったもの。ツナにオリーブが混ざっています。マドリッドでも感じましたが、日本で瓶詰めで売られているオリーブよりもしょっぱくないのが嬉しかったです。
 ツナの中にもう1つ、ちょっと塩味がきいた食材があるのに、もう食べ終わろうかというタイミングで気づきました。ツナと色が似ていて気づかなかったのですが、味も明らかに違います。「これは何?」と小田記者に聞くと「アンチョビですよ」との答え。そうか、これがアンチョビか。聞いたことのある魚でしたが、目にしたのは初めて(これまで見たことはあっても、認識できなかった)。と一部関係者にだけ受けるネタを書いて、モナコの日記を締めましょう。

 スタジアムはモナコの西端で、泊まっているホテルはほぼ中央。ですが、夜景を撮りながら(丘の途中から西の方の海岸を撮影 グレース・ケリーゆかりのイベントでしょうか)ゆっくり歩いても20分くらい。明日、東端まで歩けばモナコ公国を徒歩で横断したことになります。が、やっぱり原稿優先でしょう。


◆2007年7月26日(木)
ユーロ取材2007・7日目
 Cote-d'Azur de Data Nyuryoku da
 こう書くとなんか、格好良くありません? 「コート・ダ・ジュールでデータ入力だ」をローマ字表記にしただけなんですけど。今回のヨーロッパ取材は、これを文字にするためだけに来た、と言っても過言ではありません(と書くときはもちろん、言い過ぎに決まっていますけど)。

 朝からの行動を振り返りましょう。昨晩は2時に米倉照恭コーチに電話取材。こちらの深夜2時が日本の朝9時。ヨーロッパの夜中の試合は、取材をするのに好都合と言えば、好都合なのかもしれません。取材の成果はTBSのコラムに反映しています。昨日の日記に書いた“難しい部分”が、それで解決しました。技術的な話は決めつけて書くと怖いのです。特に、トップ選手の技術や感覚は、そう簡単に文字にできないところもあります。この辺は慎重を期しました。
 4時に就寝して9時に起床。先にシャワーを浴びてから、テラスへ行って朝食。チェックアウト時に支払ったのはネット接続だけでしたから、朝食は事前の支払いに含まれていました。ちなみにネット接続は1日20ユーロと今朝の1時間8ユーロの合計28ユーロ(=4828円)。信じられません。
 チェックアウト時間ぎりぎりの12時までホテルで仕事。この手のホテルって、チェックアウト時間がどこにも書いてないのです。かなりの時間を費やしてホテルのインフォメーション冊子を読んだのですけど。

 荷物をホテルに預けて、大会本部ホテルに移動。まずは、フラッシュインタビューなどの資料が出ていないかを確認。あまりないですね、大会翌日にそうした資料を丁寧に出している大会は。昨日、PC上に出ただけでした。プレスセンターが使えてネット接続もできたので、TBSのコラムを書いて送信。
 その後、写真も撮りながら少し東の方に散歩。

●紺碧の海に浮かぶ白い客船
●2日前にも撮ったモナコ東の方の海岸
●建物の間の細い階段。その上にはプチホテルが


 そのままモナコ公国の東端まで行ってしまおうかとも考えましたが、疲れを考慮して自重しました。モナコは東西に細長い国ですが、ちょっと面白そうな路地なんかも発見して、北の方にも足を向けたら、少し道に迷って1時間近い散歩に。こんなことなら東端にまで行けば良かった。
 ホテルで荷物をピックアップしてモンテカルロ駅に。地図で見たら1kmあるかないかの距離。歩いて行こうと思いましたが、モナコは丘だらけの国。200 mで挫折してバスに乗りました。このあたりで疲労感が大きくなってきました。道に迷ったときにかなり、上り下りを繰り返しましたし。

 モンテカルロ駅から30分弱でニースに。駅を降りたとたん、同じコート・ダ・ジュールなのに雰囲気が違うことがわかりました。ちょっと汚れていて、猥雑な感じがします。同じレマン湖岸のローザンヌとジュネーブの違いみたいです。という例えで、何人の人がわかってくれるでしょうか。
 一昨日予約したホテルは駅の近くですぐにわかりました。80ユーロで予約して、朝食をつけたら90ユーロ。1万5000円台ですから、モナコの超高級ホテルと同じになってしまいました。でも、無線LANが無料。無料だと電波状態が悪いのが当たり前ですが、ここはしっかりしていました。有料だったデン・ハーグのホテルよりもまし。それだけが救いでした。

●ニースのホテルの部屋
●ニースでも、白いパソコンが窓辺にマッチ

 しばらく休憩して、コート・ダ・ジュール散策に出かけました。先ほどモナコよりも猥雑とか書きましたけど、コート・ダ・ジュールとしてはこちらが本家。モナコは浜辺と呼べる部分はそれほどなかったと思いますが、ニースはそれらしい雰囲気の海岸が何kmにもわたって続きます。

●西日に照らされる東の方の海岸
●逆光となる西側の海岸
●夕暮れの、ちょっと物憂げな海岸(を撮ったつもり)


 東の方の海岸の写真を見ると、モナコの写真とよく似た景観です。数年前に行ったイタリアのコモ湖畔も同じような雰囲気でした。リゾート地として発展するには、丘が入り江となって海や湖に出ていることが重要な要素となっているのだと思われます。
 ホテルを出たのが19時近かったので、ホテルのおばさんにお勧めポイントを絞ってもらって、海岸の東の方の歴史地区まで往復することに。何kmあるのか距離は確認しませんでしたが、歩いていけるだろう、と。
 しかし、今日はモナコでかなり体力を使っていて、途中でかなりきつくなってきました。カフェがあったら入って、休憩がてら仕事をしようと思っていたのですが、適当なカフェが見つかりません。
 そこで、海沿いの道にあるベンチですることに。海岸の中央付近はかなり埋まっていましたが、東に行くと徐々に空きベンチが多くなっていたので、これだったら行けると判断。コート・ダ・ジュールを眺めながら、ベンチに腰掛けて仕事をしました。2004年だったと思いますが、ナポリの丘でベンチに腰掛けて仕事をしたことを思い出しました。

●海岸沿いの歩道にはいくつもベンチが。色はもちろん白

 それが、冒頭で紹介したデータ入力の仕事です。コート・ダ・ジュールでデータ入力……陸マガ高橋編集長も白いモバイルパソコンの持ち主ですから、コート・ダ・ジュールで仕事をやりたかったのだと想像できます。彼の思いも込めて、データ入力を頑張りました。
 具体的に何のデータなのかを書いたらもっと面白いネタになるのですが、ここは我慢。大阪で日本選手に追い風が吹いたら、コート・ダ・ジュールの風だと思ってください。

 2時間くらい仕事をして、さすがに暗くなってきたのでやはり、カフェを探すことに。さらに東に行ってニース城を過ぎます。モナコもそうですが、ヨーロッパの海沿いの都市の起源は、城塞だったというケースも多いようです。
 ニース城を過ぎたところにカフェを発見。さっそく、店の外の席に陣取ってまずは食事。ピザやスパゲッティを食べる気力はなく、昨晩モナコで食べたにもかかわらず、再度ニース風サラダを注文しました。

●ニースで食べたニース風サラダ
●カフェの中。ここでも白パソコン


 昨日は丸いお皿でしたが、本家は長方形。モナコではツナの量が多すぎたのですが、今日は程良いバランス。今日もオリーブがおしかったですね。ただ、アンチョビが入っていなかったように思います。メニューには書かれていたので品切れだった? その代わりといってはなんですが、レッドピーマンが絶品でした。まろやかでちょっと甘味さえ感じたほど。ピーマンであの味は初めてでした。内側の軟らかい部分の歯ごたえがなんとも言えない食感でした。
 食事終了後にカフェの中に移動。途中での席の移動はやばいかな、とも思いましたが、ちょっと寒いからと口実を作って、了解をもらいました。店の中でもデータ入力。22:30まで作業をした後、ホテルまで1時間くらいをかけて、ニースの夜景を撮りながら帰りました。

●カフェから撮った夜景
●カフェから撮った夜景その2。赤い灯りの点滅していたのは燈台?
●コート・ダ・ジュールの夜景。歴史地区から西側の海岸を撮影
●夜の海に浮かぶ月
●ローラースケートで走高跳を行うパフォーマンスもやっていました
●ニースにもあるカジノ。同じ建物の1階がマクドナルド


◆2007年7月27日(金)
ユーロ取材2007・8日目
 ニースの悪霊の仕業だったのでしょうか? 昨晩、カフェで食事をしているときから、右の脇腹の上の方が痛くなりました。それもあって、ホテルへ帰るのに1時間も要したのです。帰って1時間ほどでベッドに。なんとなく以前にも経験していた痛みだったような気がしましたし、すぐに治まるだろうとタカをくくっていたら大間違い。ますますひどくなって、息をしても痛みがあるほどに。浅めの呼吸しかできませんし、横になっても寝返りもできない。ベッドから起き上がるのにもかなりの労力が要ります。
 夜中も5〜6回目が覚めました。眠っている間も、眠りは浅い状態。これは取材続行は無理かな、と思いました。まず、荷物が持てない。慣れない撮影取材をして、右腕を幾度も上げ下げをしたのが原因かな、と考えました。

 問題はこの後です。明け方になっていくつかのパターンを考えました。

1)最悪、ヨーロッパで入院
2)こちらのホテルに滞在して療養
3)ビジネスクラスにアップグレードして帰国
4)最小限度の荷物を残し、残りは全部日本に送って取材だけは続ける


 朝、6時頃に起きて状態を確認。ちょっと良くなっていましたが、荷物を持って移動するのは厳しい状態。フロアを移動するときなど、一度に持たずに2回に分けて運ぶ必要がありました。
 ニースの空港までは駅からバスがあるのですが、ここはもう、タクシーを呼びました。これが10分の距離なのに30ユーロという法外な請求。「空港までは一律、その金額なんだ」と言います。「10分しかかからないのに?」と食い下がると、「ホテルに迎えに行くまで10分かかっているんだ」と言い返してきます。それほどきつい感じの言い方ではありませんが、足下を見られたような気がしてなりません。
 まあ、今日のところは仕方ありません。

 ベルギーのブリュッセル空港でも、ゆっくりと移動。途中、売店で寿司を買って食べました。フルーツの盛り合わせと、ミネラル水の3点で18ユーロ。3000円の昼食です。
 空港の地下に鉄道の駅があり、ハッセルトまで1回の乗り換えで行くことができました。電車が混んでいなかったので、荷物の移動もなんとかなりました。少しずつ快方に向かっている気もします。
 乗換駅のLeuvenで40分ほど待ち時間があったので、駅構内のカフェでコーヒーを飲みました。空港のミネラルウォーターは2ユーロ。ここのコーヒーは1.6ユーロ。

●ルーベン駅のカフェで。木目を基調とした内装にも白いPCが合っています(くどい)
●ルーベン駅前の広場


 ハッセルトには16:23に着。ホテルまではタクシーを使いました。めちゃくちゃ近かったですけど、今回ばかりは仕方ありません。

●ハッセルトのホテルの窓から見える風景。隣の建物の屋上。猫も歩いていました

 ハッセルトで楽なのは、ホテルが1個所に集中していること。寺田の宿泊がエクスプレス・ホリデイインという安めのホテル(それでも1泊9000円)で、本部ホテルが200mほど離れたホリデイイン。日本選手や関係者が泊まっているのが、エクスプレスから50mの距離のイービス。
 大会本部ホテルに行く途中で岩水嘉孝選手にすれ違い、数分話をすることができました。大会本部ホテルでアクレディテーションをしようと思ったら、「それは明日、大会会場でやってくれ」とのこと。しかし、会場のヒュースデン・ゾルターのスタジアムまで、ちょっと距離があるので足を確保しておかないといけません。IDカードなしでシャトルバスに乗れるの? と聞くと、大丈夫だと言います。これで一安心。
 スタートリストができるのは夜の8時過ぎだと言いますし、もらえる資料はほとんどなし。シャトルバスの時刻表と、競技のタイムテーブルが張り出されていたので、ノートにメモ……をしていると、木路コーチ(大塚製薬)と平野コーチ(アコム)が来ました。1年前は夜遅くにハッセルトに着きましたが、ホテルのバーで木路コーチと平田監督がパソコンに向かって仕事をしていたのが、今でも印象に残っています。

 両コーチの話では日本選手は5000mAレースに竹澤健介選手と松宮隆行選手。Bレースに前田和浩選手、上野裕一郎選手、尾田賢典選手。800 mの笹野浩志選手や1500mの渡辺和也選手は、Bレースとのこと。その他には100 mHの池田久美子選手、男女3000mSCの岩水選手、早狩実紀選手。
 アジア選手権で小林史和選手が転倒した情報も、木路コーチが話してくれました。
 エクスプレスホテルに戻ると、50m先のイービスホテル前に日本選手が何人かいるようです。行くと永里監督(山陽特殊製鋼)、木村マネ(エスビー食品)ら。フランクフルトの小口さん(日本選手の渡航や宿泊のコーディネイトをしてくれる方)、読売新聞の大野記者も姿を見せます。世代的に寺田と近い木村マネは、庄野真代のファンだったそうです。2人で、モンテカルロで乾杯を知らなかった大野記者を糾弾(というほどのものでもないのですが)。木村マネとは、久保田早紀は異邦人以外もいい曲が多いということで、意見の一致を見ました。

 ちょうど、ジョグに出かけた選手たちが戻ってくる時間帯でした。コニカミノルタ・酒井勝充監督も散歩から戻ってきました。永里、酒井両監督に脇腹の痛みのことを話すと、肋間神経痛ではないか、と言います。その近辺の筋肉が張った状態になると、起こることがあるらしいです。幸い、症状は軽くなっていましたが、くしゃみをしたりすると相当に痛いです。
 しばらく談笑していると、エスビー食品・瀬古局長と、早大・渡辺康幸監督も出てこられました。池田・早狩・岩水の3選手は自身のエージェントを通じての参加で、竹澤・上野・高橋の学生3選手が、瀬古局長の率いるグループ。その他の選手たちが実業団連合の派遣です。学生選手たちには日本テレビとテレビ朝日が、冬の駅伝に向けて取材に来ていました。
 ハッセルトの人口が何万人なのかわかりませんが、ここに日本の長距離関係者がここまで多数そろっているとは、地元の人たちは知っているのでしょうか?


◆2007年7月28日(土)
ユーロ取材2007・9日目
 今日はナイトオブアスレティックの取材。
 午前中は雨が降っていましたが、昼頃から晴れて来ました。ホテルの窓を開けてみると気温は20℃台前半かな、というところ。風もありません。昨日、渡辺康幸監督の話では、竹澤健介選手は日本新ペースで行くとのこと。酒井勝充監督によれば、松宮隆行選手はあくまでB標準(13分28秒00)狙い。B標準を切れば、世界選手権代表に決まります。早狩実紀選手とはまだ接触していませんが、もちろん日本記録狙いでしょう。岩水選手は、DNガラン狙いのようです。
 昨年はインフィールドでカメラ取材もした大会ですが、今回は脇腹の痛みも考えてペン取材に徹しようと思います。ラップも測りたいですしね。あと1時間で取材に出かけます。

※ここからは取材後
 ナイトオブアスレティックは2年連続の取材です。右脇腹の痛みはほとんどなくなりましたが、大事をとってカメラ取材は控えました。でも、これというシーンでは別でした。そのシーンがたくさんあったのがよかったですね。

 男子800 mB組には笹野浩志選手が出場。先頭は1周目をおそらく50秒台で通過。縦長の集団の最後尾が笹野選手で52秒1。ここまで速いと、この展開は仕方ありません。しかし、笹野選手は2周で粘って順位を上げて行きます。さすがに国内で見られるような豪快なスパートはできませんが、最後の直線も粘りきって7位でフィニッシュ。寺田の手元で1分47秒55でした。
 タイムよりもレース内容が良かったと日本人記者たち(折山さん、読売新聞・大野記者、寺田)は思ったのでしょう。全員、コメントを聞きに行きました。取材中にもしかしたら北京五輪のB標準を破っているのではないかと思い笹野選手に確認すると、北京のB標準は1分47秒60。この種目は世界選手権よりも1秒下がっているのです。
 しかし、ナイトオブアスレティックは記録の発表がなかなか行われません。というか、電光表示はしませんね。上位だけしているかもしれませんが、日本選手の記録を知ることはできません。寺田の計時で決めつけてコメントしてもらうわけにもいきませんし、昨年は小林史和選手がB標準を破ったと喜んでいたら(このときは寺田の計時ではありませんでした)、百分の何秒か届きませんでした。
 いったんダウンに行ってもらい、標準記録を破っていたら再度、コメントしてもらうことに。

 気が気ではない大野記者と寺田が、記録をプリントアウトしているスタンド下の部屋に行きます。すると、最初は「ちゃんと配るから来るな」という対応。しかし、「笹野という選手の記録だけでも教えてくれ」と食い下がりました。こういうとき、2人いると少し強気に押すことができます。すると理解してくれて調べてくれましたが、なんと「ササノはディドゥ・ノット・フィニッシュだ」と言います。なかなかその意見を取り下げませんが、こちらはレースを目の前で見ているのですから、簡単には引き下がれません。「確認するから待っていろ」と、やっと言質を得ました。
 かなり待たされましたが、配られたシートのタイムを見ると1分47秒54。さっそく、その記録を持ってサブトラックに。以下はその記録を見せたときの笹野選手の表情です。

●「オレの名前はどこだ?」と上から下に視線を移す
●「記録は?」と右の方向に視線を移す
●「やったぁ。破ってる。4年越しだあぁ」。2004年に1分47秒02の自己新をこの大会で出すもアテネ五輪標準記録に0.02秒届かず
●「おめでとう」(平野コーチ)
●「どれどれ」と、他の中距離仲間+岩水選手ものぞき込みます


 あらためて日本人記者団が笹野選手に取材。終わった後、隣で取材の様子を見ていたおじさんが声をかけてきました。
おじさん「彼は大阪の世界選手権に出るのか?
寺田「大阪には出られないけど北京五輪の標準記録を今日破ったんです」
おじさん「だったら、大阪にも出られるのではないのか」
寺田「他の選手がもう代表に決まっていて、彼は出られない」

 北京オリンピックの標準記録が1秒下がっていることや、地元枠との兼ね合いなどを説明する英語力はありません。相手が日本人でも、標準記録と地元枠の関係を理解してもらうのって大変ですよね。

 時間がないので残りは写真中心に。

●女子100 m・200 mの2種目を制した地元ベルギーのゲハールト選手。女子走高跳のヘルバウト選手とともに人気は抜群

●女子3000mSCでは早狩実紀選手が9分38秒68の日本新で8位
●男子5000mでは松宮隆行選手が13分13秒20の日本新で4位。竹澤健介選手も13分19秒00の学生新。両方とも高岡寿成選手が持っていた記録を破りました
●学生記録を更新してきた早大トリオ。右から渡辺康幸監督(1万m)、竹澤、エスビー食品・瀬古利彦局長(5000m・1万m)。「学生新だけど松宮さんの強さを思い知らされた」と竹澤選手に笑顔はありませんでした
●同じ日に長距離2種目の日本新が出たのはいつ以来でしょうか? 祝杯をあげる両選手

●酒井勝充監督にお礼の印にお酌をする松宮隆行選手

 写真はありませんが、男子3000mSCの岩水嘉孝選手は8分28秒43で15位。2周目の水濠で前の選手と接触して転倒してこのタイムですから、状態はかなり良くなっています。しかし、岩水選手自身は日本記録前後のタイムを想定していたようです。速い選手と一緒に走る予定だったのが、1人で走ることを強いられました。接触した相手の障害越えがかなり下手だったようで、レース後はかなり立腹した様子で引き揚げていきました。
 新記録、自己新を出した選手たちのレース後の様子は、“選手それぞれ”という感じ(当たり前かも)。
 最初は女子3000mSCの早狩実紀選手。いつもの“たおやか”な話しぶりですが、日本記録は出して当然というか、出さないといけなかった、というトーンで話をしてくれました。6月のオスロGL、日本選手権と9分40秒台前半を連発していましたし、この2年間の世界の進歩を考えると、世界選手権では9分30秒台前半を出す必要があると考えているようです。

 予想外の日本新だった男子5000mの松宮隆行選手は、本人も“まさか、ここで出せるとは思っていなかった”という反応です。欲張らずにB標準の13分28秒00だけを狙っていました。それが、走り出したら日本記録ペースの集団の最後尾につくと、ちょうど良いリズムに乗ってしまった。本人も言っていましたが、これまで記録狙いに行ったレースや、代表を取りに行った日本選手権(04・05年)では失敗することが多かった。
 それが、05年の世界ハーフを最後に日本選手間では無敗。昨年、今年と日本選手権2冠。そして今回、標準記録を出さないと代表入りができない追い込まれた状況で、しっかりと結果を残すことができました。練習の状態からB標準は絶対に切れる自信があったことが大きかったと思いますが、間違いなく安定した強さが身についています。
 駅伝だけではなく「目指すのは世界だ」と言い続けてきた酒井勝充監督も、ホッとされたのではないでしょうか。実は寺田もホッとしました。というのは、ヨーロッパ取材第1戦のマドリッドGP取材中に、コニカミノルタのデジカメ(レンズ一体型)を落としてし壊してしまったのです。日をおいて何回か電源を入れたのですが、ピントがまったく合いません。あきらめて、今回のヨーロッパ取材はキャノンの一眼レフだけで乗り切りました。
 こんなことが選手の成績に影響するわけはないのですが、もちろん、レース前に言い出せるわけもありません。松宮選手が代表入りしたら話そうと思っていたネタですが、こちらも5000mの日本記録を取材するのは初体験(高岡選手は帰国後に電話取材をしましたっけ)。カメラを落としたネタはコロッと忘れていました。

 5000mのA標準を突破した学生2選手の表情もそれぞれ。竹澤健介選手はレース直後は、日本選手権と同様、松宮選手に完敗だった、という表情。学生新、日本人3人目の13分10秒台とわかっても、それは変わりません。瀬古さんや渡辺康幸監督との記念撮影時にも、“自分はそこまでの選手じゃない”という表情です。これは、竹澤選手が貫いているスタンスでしょう。
 もう1人の上野裕一郎選手は、A標準ぎりぎりでしたがガッツポーズでフィニッシュ。2分40秒ペースで押していける、ハイペースでも最後の1000mを2分37秒でカバーできた、という達成感があったのでしょう。ただ、A標準でも日本選手権の成績で世界選手権代表入りはありません。今回も竹澤選手にはタイムで負けています。
 レース後にどこまで話してくれるかわかりませんでしたが、気持ちはもう、来年の北京オリンピックに切り換えていました。笹野選手同様、北京のA標準突破。「来年は13分10秒台は出せる。来年の自分が見えてきた」と、上野選手らしい強気のコメントも口にしてくれました。

 取材終了後、ホテル行きのバスを待っていましたが、なかなか来ません。その間に、サラゴサ(スペイン)の内藤真人選手に電話を入れました。松宮選手の取材中に電話が鳴ったのですが、取材中で出られませんでした。あとで履歴を見ると内藤選手から。これは日本新が出たかな、と思って掛け直しました。残念ながら記録は13秒44(自己2番目。パフォーマンス日本歴代3位)でしたが、話を聞くといいマドリッドよりも内容のレースだったようです。
 地面にノートを広げてメモを取っていたら、バスがやってきて轢かれそうになりました。平野コーチが荷物を移動してくれて、事なきを得ましたが。
 バスの車内では、日本新誕生を携帯のメールに書きました。男子5000mの日本新は大ニュースです。学生新も一緒に出ている。2つとも高岡寿成選手の記録です。日本時間は朝の6〜7時台。躊躇しましたが、メールだからいいか、と送信。高岡選手に送信しようかどうしようか迷いましたが、結局、知ることになるのは一緒。だったらメールを送ってもいいだろうと判断。「5000mが先とは予想外でした」という返信が来ました。
 レース直後はこちらも、とにかく取材をしなくてはいけない、という気持ちが強かったため、今回の記録の意義について考える余裕がありませんでした。よく考えれば考えるほど、すごい快挙だったという認識になってきました。

 ホテルに戻ったのが何時だったでしょうか。よく覚えていません。すぐに原稿書きに取りかかりたかったのですが、松宮選手と早狩選手が祝杯をあげる写真を撮りに行きました。3年前のナイトオブアスレティックで小林史和選手が日本記録を出した際、選手たちと街中のカフェで食事をしたという話を聞いていましたから、そういうチャンスがあると思っていました。
 今回は実業団派遣のメンバーがそろって食事をとっていました。松宮隆行選手が一番後れてきたのは、きっと何カ所か連絡をしていたからでしょう。永里長距離部長も今回の記録の意味を、半ば興奮気味に話してくれます。岩水選手たちトヨタ自動車の一行も同じ店にいて、話を聞くこともできました。レースからしばらく時間がたっていることもあり、今日の失敗について、「水濠越えが良かったから接触した」と、前向きにとらえていました。
 取材(食事会)が終わったのは2時頃……だったと思います。


◆2007年7月29日(日)
ユーロ取材2007・10日目
 6:30に起床。実業団派遣チームが7:30にホテルを出発するというので、挨拶に行きました。こんなこともあろうかと、色紙を持参しています。誌面掲載用に松宮選手にサインをもらいました。陸マガ掲載となったらここには載せませんが、文字が青なのは、サインペンを日本から持って行くのを忘れたから。幸い、ホテルのフロントで借りることができましたが、青色しかなかったのです。でも、それほど変ではないので、良しとしました。
 続いて、8時から早狩実紀選手のブレックファスト取材。すでに出発準備を万端、整えてからインタビューに応じてくれました。昨年のヨーロッパ取材中には、同選手とマインツで一緒にカフェに行きました。それがナイトオブアスレティックの前日のこと。カフェに行く途中か帰る途中で、ナイトオブアスレティックには出られないとの報が、早狩選手の携帯電話にかかってきました。ちょっとした縁(えにし)を感じます。
 このインタビューは陸マガに載ります。

 9時に空港行きのバスに乗る早狩選手を見送り、昼までホテルで仕事。12:17にハッセルト駅に行くと、瀬古さん率いる学生陣と一緒になりました。
 寺田は12:22のアントワープ行きに乗るつもりでしたが、その電車は平日ダイヤで日曜日は13:10発。ハッセルトはそれほど大きな街ではないので、トーマスクック時刻表に休日ダイヤまで明記されていなかったわけです。という話をエスビー食品・木村マネにすると、トーマスクック時刻表にフィンランドの小さな駅が載っていなくて、違う駅で降りてしまったことがあると話してくれました。
 しかし、時間ができたおかげで、ヨーロッパでも“途中下車”ができることがわかりました。国や距離で違ってくることだと思いますが、ハッセルトからスキポール空港駅までの切符で、途中のアントワープで途中下車できることができると切符売り場で確認。ここは半分、筆談にして100%を期しました。今日のうちにスキポール空港まで行って、明日の15:20のフライトまで仕事に専念する方法もありましたが、それでは味気ないですから。せっかくヨーロッパにいるのですから、それらしい雰囲気の街に一泊しようと思って、ベネルクス3国のガイドブックを見て、アントワープに寄ろうと決断したわけです。

 という話をすると、渡辺康幸監督が「アントワープなら世界クロカンで行ったことがありますよ」と言います。渡辺監督の世界クロカンといえば、ボストン大会で入賞した写真を陸マガに掲載した記憶がありましたが…。「高校2年のときです。そこそこ大きい街ですよね」。人口50万人くらいで、ベルギーではたぶん、ブリュッセルに次いで2番目に大きい街です。ボストンは高3のときだそうです。
 木村マネも「オリンピックをやった街ですよね」と言います。そういえば、そうでした。1920年の開催地です。オリンピックといえば1928年のアムステルダム五輪が、織田幹雄さんが日本人初の金メダルを取ったオリンピックということで、我々の記憶のスタートになっています。もちろん、1回大会が1896年のアテネで、映画「炎のランナー」の舞台になったのが1924年のパリ大会だというのは知識として頭に入っているのですが、日本の陸上界にとってアムステルダム五輪こそが、なんというか、スタートのような感覚なのです。
 と書くと、金栗選手や三島選手が参加したストックホルム大会(1912年)はスタートじゃないのか、という抗議のメールが来そうですが、そこは寺田が中島亥太郎さんと机を並べていたことがあるので、と言い訳をさせていただきます。中島さんは400 mで初めて50秒を切ったスプリンターで、織田さん直属の後輩だった方です。

 ハッセルト駅のホームで瀬古さん一行と別れ、アントワープに14時半頃に着。ホテルは駅前。50ユーロと今回の旅で一番安いホテルです。ハッセルトでネットを通じて予約しました。ネット接続ができるとそのサイトには出ていたのですが、「もっと高い部屋でなくてはできません」とのこと。荷物を運び込んだ後に言われても困るのですが、大きな街なのでなんとかなるだろうと判断。さっそく、昼食とネット接続場所を探して外出しました。
 すぐに、近くのマクドナルドで“Free Wi-Fi”(無料無線LAN)のステッカーを見つけましたが、「ヨーロッパに来てマクドナルドも味気ないだろう。ここはカフェを探そう」と思ったのが失敗でした。いくつかのカフェのドアをくぐりましたが、「食事はやっていない」という店ばかり。時間帯のせいだったのか、日曜日だったからなのかはわかりません。街で一番大きな広場まで行くと、かなり大きなカフェもありましたが、「食事は17時から」。
 しかし、その広場でパソコンを開いている人を発見。試しにベンチに座ってチェックしてみると、無料無線LANができました。ただ、肌寒くて長時間は無理。とりあえず、アジア選手権の最終日の成績が出ていないかを確認しましたが、出ていません。今ヨーロッパ取材中の最大の宿題であるデータ入力作業は、アジア選手権の結果も必要なのです。

 まあ、とにかく写真を紹介しておきます。
●荘厳なアントワープの駅
●アントワープはダイヤモンドの街としても有名
●馬車も走っていましたが、もちろん観光客用
●街の一番大きな広場。無線LANができましたが電波は弱いです
●フランドル派の画家を何人も輩出した街。これはルーベンスでしょうか。自信なし


 そんなこんなで、食事は結局、駅近くに戻ってメキシコ料理屋で。ミックスサラダ(もちろんパン付き)が5ユーロと、今回の旅行では最安値の外食です。マクドナルドにも寄って無線LAN接続を確認。今日は移動電車の車内も含め、ほぼ1日かけてテレビ雑誌の世界選手権展望原稿を頑張りました。


◆2007年7月30日(月)
ユーロ取材2007・11日目(最終日)
 朝6時には起床。テレビ番組雑誌の原稿が為末選手のインタビュー記事と、少ない文字数ですが見どころを10本というもので、残り2本が書けていませんでした。それを書き上げてから朝食に。古いホテルですが昔は(19世紀とか)高級ホテルだったようで、朝食は豪華でした。欧米のホテルで主流のバイキング形式ですが、卵とベーコンは鉄板で温めることもできました。
 朝食のあと、先に荷造りを済ませてから近くのマクドナルドに。ネットに接続してテレビ番組雑誌の原稿を送信。28日と30日の2回に分けて送ってほしいと言われていましたが、最終締め切りに一括して送ることになってしまいました。編集者にも国際電話を入れておきました。

●アントワープのマクドナルド

 アジア陸連サイトを見ると、アジア選手権最終日の結果も載っています。陸マガ高橋編集長に、アジア選手権の結果もこちらで入力できるから、とメール。アジア選手権の結果は編集部でフォローするからとにかく30日中にデータが欲しい、というのが出発前の陸マガの要望だったので、かなり喜んだのではないかと思います。
 10:00にホテルに戻ってチェックアウト。スキポール空港駅まで電車で約2時間。その間にアジア選手権の結果も入力できましたし、デン・ハーグを通過したときはちょっとした感慨がありました。いよいよヨーロッパともお別れか、と。なにせ大赤字の取材旅行です。次にいつ来られるか、わかりません。

 空港ではニース行きのときに苦しめられた自動チェックインに再度トライ。今回は一発で成功。余裕があればなんとかなります。フライトまで3時間弱。とにかく早めに搭乗ゲートまで行っておいて、そこで仕事をしようと考えました。
 搭乗ゲートに行くと、すでに何人かの乗客の姿が。成田行きの便ですから日本人が多くなるのは当然です。西ヨーロッパばかり回っていたので、久しぶりに日本人の女性を見ると美人が多いと実感できます(ヨーロッパの中では西よりも東の方が美人が多いというのが持論です。04年のチェコ、クロアチア取材で確信、と書くと大内さんの奥さんからまた何かご指摘があるかも)。
 と思っていると、久保倉里美選手がベンチに1人座っていました。マドリッドGP後、フランクフルト経由でヨルダンに行き、アジア選手権に出場。ヨルダンからフランクフルト、アムステルダムとヨーロッパを経由しての帰国。他の日本選手たちはトルコ経由で12時間のトランジットだそうです。それで、信岡沙希重選手のブログにトルコの写真が載っているわけです。ブルーモスクということはイスタンブールですね。
「モンテカルロで乾杯」に続いて、今度は「飛んでイスタンブール」。今回のヨーロッパ取材は庄野真代づいています。小田、大野両記者は「モンテカルロで乾杯」を知りませんでしたが、「無粋な連中ですな」というメールが朝日新聞・堀川記者から届きました。エスビー食品・木村マネも庄野ファンだったと言ってくれましたし、同世代の援護がある限り、何度でも書きましょうの……と、結婚記念に佐藤敦之選手のギャグを応用してみました。以前、兵庫リレーカーニバルに尾方剛選手か油谷繁選手と一緒に出場したことがあって、レース中に「一緒に行きまひょうご」と考えてペースアップしたと聞きました。

 話を久保倉選手に戻しましょう。時間に余裕があることを確認してから取材。アジア選手権を含めた今回の遠征全体を振り返ってもらいました。3試合をして56秒台中盤から57秒台というタイムでしたが、経験という点では得るものが多かったと話してくれました。アジア選手権では、気持ち的にもかなり余裕を持って臨めたようです。
 中東での国際大会は何かと苦労が多い遠征。久保倉選手のようにある程度経験も、力もある選手はそこで自信をつかむことができます。経験の少ない選手は、そこで大変な思いをすることで、地元世界選手権で気持ちに余裕を持てるようになる。というのが、多数の世界選手権代表をアジア選手権に派遣した理由ではないかと推測します。
 ただ、今回の遠征はものすごい暑さで、食事も慣れないものだったということで、体調を崩した選手、コーチも多かったとか。そういった選手たちが体調を戻すのに、時間がかからなければいいのですが。

 久保倉選手への取材終了後は時間までパソコンを広げて仕事。ネットも30分6ユーロで接続できました(これも高い!)。でも、締め切りは守りたかった……という気持ちもありますが、Cote-d'Azur de Nyuryoku sita Data はヨーロッパから送りたかったのです。


◆2007年7月31日(火)
 成田空港に10時前に着。機内ではナイトオブアスレティックの5000mで新記録・好記録が続出したことを、TBSサイトのコラム用に書きました。考えれば考えるほど、すごい快挙だったと思えてきたのです。ただ、「5000mでメダルも…」というのは書き過ぎかな、とも思いました。
 目の前で快挙を見ると、評価が高くなる傾向があります。アテネ五輪の男子両リレーがそうでした。現場にいた記者たちと、日本から見ていた寺田と、書く内容のトーンに違いを感じたものです。今回のナイトオブアスレティックについては、現場にいた寺田の方が高く評価をしてしまっているのだろうな、と感じました。
 そこで、コラムでは末續慎吾選手の世界選手権銅メダルを引き合いに出させてもらいました。以前は誰も考えられなかった男子短距離種目でのメダルです。トラック長距離種目の現状も、以前の男子短距離と同じです。“絶対に無理”と決めつけたらダメでしょう。ただ、目の前でアフリカ勢の走りを見ると、厳しいかなと感じることもしょっちゅうあるのですが…。これまでと同じ感覚でやっていては無理、ということだと思います。

 成田空港ではなかなか荷物が出てきません。その間に久保倉里美選手に最後の質問。「マドリッドで何か、ニックネームを付けられませんでしたか?」と。「池田さんが“東洋の真珠”なので、私は“東洋のカルメン”と呼ばれていました」という答えを期待していたのですが、残念ながらそういう事実はなかったとのこと。
 武骨で実直なドン・ホセが内藤真人選手で、久保倉選手がカルメン。「犯罪者に例えるとはけしからん」という無粋なメールを寄こす人間はいないと信じています。


◆2007年8月3日(金)
 佐賀インターハイは台風の影響で競技スケジュールが変更に次ぐ変更だったとか。夜の10時過ぎまで競技が行われたとテレビのニュースで見ました。
 選手やスタッフは大変だったと思います。陸上競技はタイムテーブルが変わっても、数十分の後れですむのが普通です。何時間も狂うと、移動手段や食事の手はずを変更しないといけません。
 その日がインターハイ期間中最後の出番という選手はいいのですが、翌日以降も出場機会のある選手も多いはず。そういった予想外の事態になったとき、慌てないで腰を据え、集中力を維持できるかどうか。

 もしかすると今年の高校生たちは、インターハイの記録は悪くても、今後の伸びが期待できるかもしれません。3年前の島根インターハイで雨の中を勝ち抜いた選手が、今年の世界選手権代表に入っています。金丸祐三選手とか、高橋萌木子選手とか……断定するには例が少なすぎますね。

 しかし、夜の10時まで競技をやっていたら、朝刊の締め切りに間に合わせられなかった新聞もあったのでは? 特に地方紙は、この日の紙面はこの選手でと、特定しているケースも多かったと思われます。かなり大変だったと思います。


◆2007年8月4日(土)
 佐賀インターハイの男子走幅跳で好勝負が展開しました。
 嘉山大介選手(深谷商)が2回目に7m69(+3.2)を跳ぶと、4回目に皆川澄人選手(白樺学園)が7m75(+3.3)で逆転。皆川選手は5回目に公認で7m75(+1.7)の高校歴代6位&高2歴代2位。6回目には小西康道選手(白樺学園)が7m72(+2.9)と追い上げました。
 この3人はいずれも高校2年生。小西選手と嘉山選手が世界ユースの1・2位で、皆川選手と小西選手が同じ高校と、ドラマ性も十分でした。

 現地に行っていないので詳しいことは書けませんが、白樺学園の2選手については、去年のインターハイのときに、こんな記事を書いています。


◆2007年8月5日(日)
 佐賀インターハイで笹瀬弘樹選手(浜松市立)が5m41の高校新に成功しました。澤野大地選手が5m40がこんなに早く更新されるとは、正直思っていませんでした。そのくらいインパクトの強い新記録でした。
 笹瀬選手については去年の国体で記事を書いています。


◆2007年8月6日(月)
 佐賀インターハイも最終日。寺田明日香選手が100 mH3連覇、100 m&4×100 mRと合わせて3冠という偉業を達成しました。寺田選手の記事は去年のインターハイで書いています。100 mHの3連覇、100 mとの2冠、高校新と全て、1年前に口にした目標を全て達成しています。これも珍しいケースです。
 同じ寺田でも、こっちの寺田は目標が何も達成できていません。仕事を効率よくこなすとか、業務を拡張させるとか、色々とあるのですが…。目標設定の仕方自体がよくないのでは、と最近考え始めています。

 話をインターハイに戻しましょう。
 男子総合は浜松市立が優勝。杉井将彦先生は浜松商のときも総合優勝しています。2つの学校で総合優勝を実現した先生って、これまでにいるのでしょうか? 「インターハイ50年史」に掲載されている97年までのデータでは、複数回優勝の先生は何人かいますが、別の学校で優勝したケースはありません。

 今年のインターハイも連日、中心となる話題があって盛り上がったように思います。やっぱり、それがインターハイのすごいところです。


ここが最新です
◆2007年8月8日(水)
 陸連男子短距離合宿を取材。富士北麓に年に1回行くのも恒例となってきました。
 朝6時に起床。2時間睡眠ですが、どこかでヨーロッパ時間から戻す必要があります。取材でもないと生活サイクルを変えられないというのも情けないのですが。
 指定席は昨日の午後にみどりの窓口に行った時点でソルドアウト。自由席も満席で、大月までの1時間を立ちっぱなしというのが、余分な体力を使ったかな、と不安になりました。と同時に、大槻康勝選手は元気にしているのかな、という思いも過ぎりました。今日は法大、富士通選手も多いので。

 大月からは富士急。各紙記者ら関係者の顔もちらほら。毎日新聞は筑波大OBのISHIRO記者、読売新聞は大阪の新宮記者(静岡県出身)、中日新聞は早大で瀬古さんと同期だった桑原記者、朝日新聞は東京の堀川記者(神奈川県出身)と、モナコで別れた大阪の小田記者(岡山のSP記者)。いつもの面々です。堀川記者は相変わらず磯崎公美さんと同学年ですが、ISHIRO記者とはずいぶん久しぶりの気がします。たぶん、同記者が冬季五輪開催地を決めたIOC総会取材で日本選手権に来られなかったためでしょう。

 小田記者は、日本記録&学生記録が出たナイトオブアスレティックの前に帰国したことを悔いていました。「なんやオダ、そのくらい予想できんかったんか」と、Kデスクから雷が落ちたのかもしれません。まあ、こればかりは運としか言いようがない。天下の朝日新聞といえども出張予算が無限にあるわけではありませんし、前半のローザンヌやローマで日本記録が出た可能性もあったわけです。実際、為末・池田・澤野選手たちに合わせてパリ、ローザンヌから行った社が多かったのですけど、ナイトオブまで居残ったのは読売新聞と折山さんだけでしたから。
 と、第三者は慰めることもできますが、本人にとっては悔やみきれないところ。小田記者の2007年ヨーロッパ取材は、「ナイトオブまで残らなかったのは記者人生の汚点や」というほろ苦い思い出と、「“モナコでもなか”を食べられた」という甘い思い出が混在して残ることでしょう。



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