続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2004年1月 ニューイヤーはニュージーランドから
寺田的陸上競技WEBトップ
◆2月8日(日)
東京国際マラソン取材&12日ぶりの日記再開です。
今日のキーワードは高校駅伝でしょうか。きっかけは、TBS佐藤文康アナ。早大競走部の先輩が東京に出ているとか、同姓の後輩がびわ湖で快走しそうだとかいう、ありがちの話題ではありません。実はプレスルームでレースをテレビ取材していると、佐藤アナが富山インターハイ1500mで、今日優勝したジェンガ選手、2位の大崎悟選手と一緒に走ったと教えてくれたのです。優勝がジェンガ選手で大崎選手が5位、佐藤アナは13位。今日、マラソンを走った選手では、帯刀秀幸選手も6位に入っています。
表彰式前に佐藤アナが大崎選手に、そのときのことを覚えているか質問。「抜かれたときにインターハイを思い出した」そうです。
自宅に帰ると出口庸介先生からメールが来ていて、ジェンガ選手と大崎選手はインターハイ1500mの他に、全国高校駅伝の1区で2・3年時に対決していると教えていただきました。ワイナイナ選手との直前特別企画でも紹介しましたが、ジェンガ選手は全国高校駅伝初の3年連続区間賞を達成した選手。そして、もう1人の3年連続区間賞、スズキのジェームズ・ワイナイナ選手がスタート直後、ジェンガ選手と並走していました。
ワイナイナ選手は2時間11分00秒の7位と、残念ながら狙っていたサブテンは達成できませんでしたが、走りのタイプや競技歴などから、マラソンに取り組み始めた頃のジェンガ選手と似ているような気もします。今後が楽しみな存在です。
そして極めつけは、NTT西日本大阪の大崎選手のコーチが渡瀬智康氏だったこと。そうです。報徳学園高の初優勝時(1981年)の4区を務めた選手。そのときは区間2位でしたが、その前年にはやはり4区で区間賞を獲得しています。トラックでインターハイに入賞しているわけではありませんが、駅伝では不気味なほど強かったという印象です。ちなみに、初優勝時に渡瀬氏の2年連続区間賞を阻んだのが、他ならぬ大崎悟選手……ではなく、大崎栄選手(八千代松陰高、現東海大コーチ)でした。
◆1月27日(火)
午前10:30から某実業団チーム監督に電話取材。
寺田「ライターの寺田です。お世話になっています」
某監督「ライターって、火をつけるやつ?」
寺田「ええ……。実は趣味なんです、火をつけるのが」
ちょっと危ない切り返しですが、初っ端からこのような展開は、数多くこなしてきた電話取材の中でも初めてでした。
ライターで思い出したのが今回の大阪出張での煙草の臭い。大阪って喫煙者の数が東京よりも多いと思うのですが、いかがでしょうか。江坂のホテルに泊まって、近くのステーキ屋さんでランチを1回、中華料理屋さんで夕食を1回食べたのですが、周囲で煙草を吸っている人の数が、やけに多く感じました。だいたい、喫煙席と禁煙席を分けていない店が多いのではないかという説を、かねてから温めていたのですが。
取材中、長居陸上競技場でもそう感じました。国際グランプリのときはスタンドやミックスドゾーンにいるのでわかりませんが、女子マラソンとなるとどうも、喫煙場所からの煙の臭いが鼻につきます。古い競技場は風通しがよく、長居のように新しいスタジアムは気密性が高いからでしょうか。
早い話、単位人口当たりの煙草販売量を調べ、大阪と他の地域を比べてみればわかることです。寺田の勘ですが、スタバ(店内禁煙のシアトル発祥のカフェ)の店舗数も、大阪は少ないのでは?(いくらでも反論されそうな内容だ)
◆1月26日(月)
昨日の大阪国際女子マラソンには、久々に神戸新聞元陸上担当の大原篤也記者も来場。現陸上担当の金海記者とともに精力的に取材をされていました。大原記者からは神戸新聞のコピーを2枚いただきました。「随想」というタイトルのコラム2回分で、筆者はあの伊東浩司……監督でいいのかな、もう。
第1回目のテーマが「新聞に載るということ」。伊東監督の“神戸新聞好き”は関係者の間では有名で、アトランタ五輪選考会だった96年の日本選手権200 mに優勝した際も、記者会見で「神戸出身選手(朝原・伊東・小坂田)で短距離3種目に勝て、と神戸新聞に書いてあったので200 mに勝ちました」というニュアンスの発言をしています。今回のコラムの最後の方にも「神戸新聞は兵庫県のアマチュアスポーツ選手の頑張る源です!!」との一文が見られます。この日記でも何回か取り上げているように、確かに神戸新聞の陸上競技記事の分量は、群を抜いて充実しているように思われます。
伊東監督の文中で1箇所、“なるほどね”と思った部分があるので抜粋します。
最初は伊東の「東」が「藤」でも、とにかく新聞に載りたかった。
端的な表現をするなら、神戸新聞は伊東浩司を伊藤浩司と間違えて掲載したのです。ですけど、伊東監督はそれに対してまったく怒っていません。怒っていないどころか、間違えられてもいいとまで言っているのです。これこそ、大物選手になる条件の1つではないかと愚考する次第です……その理由をつらつら書き綴ってみましたが、“ひとさまの名前を間違えるなどとんんでもない”という良識ある方たちの誤解を招きそうなので省略。報道に携わる側の人間が“人の名前を間違えてもいい”とは、やはり書けません。まして、プログラムや正式記録が間違っていたら仕方ない、などという言い訳は、間違えられた側(特に選手の父兄)の怒りを煽るだけですから。
◆1月25日(日)
大阪国際女子マラソン取材。ホテルを出るちょっと前から雪がちらつき始め、地下鉄の長居駅を出るとかなり強く降っていました。風がないのが救いかな、などと思っていたら、スタート前には雪は止んだものの、逆に風が吹き始める始末。
結果は各メディアで報道されているとおりです。
有力ランナーは五輪選考レースということで意気込みが大きく、その分、結果に対してショックが大きかった選手も多かったと思われます。しかし、オリンピックを逃したという点は同じでも、上位選手と下位選手では、反応に多少の違いがありました。つまり、代表を逃した、という部分だけでなく“せっかくのチャンスに力を発揮できなかった”という思いが、レース後のショック度を左右しているように思えました。“あれだけ頑張って練習したのに”、という思いが働くのかもしれません。
あとは、その選手の置かれている立場や、今回のマラソンの位置づけ方で違ってきます。ともに初マラソンで期待の大きかった小鳥田貴子選手と大越一恵選手では、レース後のショック度は大越選手の方がはるかに大きかったのです。
これがベテラン選手になると、積み重ねてきた年月への思いが加わってきます。35歳の弘山選手のさばさばとした話しぶりは、逆にこちらの心を揺さぶります。20回目のマラソンとなった小幡佳代子選手は、目が合うと必ず落ち着いた笑顔を見せてくれる選手だけに、レース後に見せた涙は胸に迫って来るものがありました。
長居競技場での取材終了後には、大会本部ホテルの千里阪急ホテルに。競技場では主に4位以下の選手とその指導者を取材。ホテルのパーティー取材は1社1名の規制がありできませんでしたが、会場外で行われた共同取材で優勝した坂本直子選手と武冨監督のコメントを聞くことができました。
◆1月24日(土)
マラソン・レース前日に27km走――にわかには信じられませんが、本当の話です。
昨晩は9時からと遅めでしたが、大阪在住の知人と食事。それなりに飲んでしまい、今朝は早くに起きて仕事。睡眠不足解消のために、6時間は寝させてもらいました。午後から大阪国際女子マラソン大会本部ホテル(千里阪急ホテル)に。開会式後、ある選手の取材中に「今日、27km走ってきた」との発言が飛び出したのです。どうですか皆さん。信じられます? フルマラソンの前日ですよ。とにかく、そのときの会話を紹介しましょう。
S選手「今日は顔がシャープですね」
K記者「27km走ってきたからね」
K記者とはもちろん、長浦のプリンスこと読売新聞・近藤記者。再三紹介しているとおり、元箱根駅伝ランナーです。11月につくばマラソンを走ったばかりですが、3月に自社主催の市民マラソンがあり、それに向けての走り込み期間のまっただ中というわけです。
しかし、ここで再び疑問が生じました。近藤記者はどうして、自分の走った距離を27kmと正確に言うことができたのでしょうか?
1)公園や河川敷などにある、距離が表示されているジョギングコースを走った
2)大阪出張時の常宿の周囲に練習コースを設定し、距離を計測した
3)同僚の霜田記者が車で伴走した
4)近藤記者のペース感覚は精密機械のように正確で、走った時間とコースの状態(起伏や風の強弱)で距離を100m単位で計算できる
正解は後日。
ホテルではマラソンと別件の取材も。選手への取材は水曜日で、今日はそのコーチの話を聞かせてもらったのです。マラソンではなくて短距離選手。出張の滞在先で、出張目的の大会とは違う原稿を書くのは、少々骨の折れることです(特に大作原稿の場合は)。特に寺田の場合、旅先の雰囲気に浸りたがるタイプ(他人の心情を正確には推し量れませんのが、世界選手権のときの日記などを読むとそんな気がします)。
しかし、その辺ができないようでは物書きは務まりません。新聞記者の方たちもよく、陸上競技の会場からまったく別の競技の電話取材をしていますしね。ということで、今晩は、約半分の150行を書きました。
◆1月24日(土)
大阪のホテルです。テレビでは明日の大阪国際女子マラソン(関西テレビサイト)の特集をやっています。しばらく日記をさぼってしまいました。このあたりで立て直しておかないと。1週間分、まとめて書けるか。といっても、週の前半はネタがないのですけど。
◇1月19日(月)
終日、事務所兼自宅で仕事をしようと思いましたが、若干の余裕があったせいで気がゆるみ、ダラダラした一日になってしまいました。余裕があるのなら半日で仕事を片づけ、残りはきっちり休めばいいのに、とわかってはいるのですが。
中国駅伝のことについて書いたら、何人かの方からメールをいただきました。広島在住のWさん(どんな立場の方かは伏せます)からのメールで思い出しましたが、中国駅伝には高校の部もありました。17日の日記で書いたように実業団と学生選手だけでなく、高校生も一緒に出ていた大会(同時スタートだったかどうか、までは覚えていません)。全国都道府県対抗男子駅伝はまさしく、そういった各年代の選手が走る要素を引き継いでいるわけです。
18日の日記に大会の感想を書きましたが、1つ追加しておきます。一線から退くことを表明した花田勝彦選手は滋賀県のアンカーで出場。最後、両手を挙げてフィニッシュしたシーンは、ソウル五輪の瀬古利彦選手を彷彿させてくれるシーンでした。
◇1月20日(火)
テレビ番組雑誌の締め切りが1つ。明日の取材の準備など。
◇1月21日(水)
16:30から取材。
終了後に陸マガ編集部に。大阪国際女子マラソンの打ち合わせなど。ちょうど、アスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンの投票依頼用紙の発送作業をしているところで、その場で用紙を受け取りました。編集部勤務だった頃から、一番先に投票することを生き甲斐としていた企画です。締め切りは確か2月上旬だったと思うのですが、都内の知り合いの事務所に移動後、さっそく投票しました(これはネットのメールで)。22時前後でしたが、編集部に確認したら今回も1番でした。
そのことに何の意味があるのかと聞かれたら、何の意味もありません。でも、そういった何気ないこと、些細なことにこだわりを持つのって、生きる上でちょっとしたインパクトになりますよね。コーヒーはサイフォンで入れたものしか飲まない、とか、洋服はこのブランドで統一するとか、誰にでもそういったこだわりの1つや2つはあると思います。寺田の場合もそれと同じ。意味のないことをするのが人間なのです、と言うほど大仰しいものでもありませんけど。
しかし、どうやら今回の寺田は1番というよりも、スーパー陸上のトンプソン(バルバドス)でした。つまり、限りなくフライングに近かった。寺田が投票のメールを送信したとき、まだ依頼用紙は発送されていなかったのです。
◇1月22日(木)
東京国際マラソンの招待選手が発表されました。世間的にはこれという目玉選手がいませんが、寺田的には注目選手も多いですね。陸マガのニューイヤー駅伝の記事にも書きましたが、清水康次選手は「東京に育ててもらった」ということで、この大会に賭けています。西田隆維選手も、聞くところによるといい練習ができているらしいです。同じエスビー食品の国近友昭選手が福岡で優勝していますから、そういった意味でも注目されます。清水選手と国近選手はNTT中国で同期入社という間柄でもあります。
ケニア勢も目が離せません。五輪連続メダリストのエリック・ワイナイナ選手に、2時間6分台の記録を持つダニエル・ジェンガ選手。ジェームズ・ワイナイナ選手も一般参加するので、“ワイナイナ対決”と“仙台育英高の先輩後輩対決”も実現します。すでにエリック・ワイナイナ選手が実証していることですが、在日ケニア選手の役目は駅伝の助っ人だけではないことを見せてくれるでしょう。
招待選手以外にも、帯刀秀幸選手や細川道隆選手が出るようです。細川選手はニューイヤー駅伝の1区で、帯刀選手は全国都道府県対抗男子駅伝のアンカーで、ともに好走したばかり。マラソン練習の過程で出た駅伝でしょうから、いい兆候のはず。
昨日、陸マガ編集部に行った際、隣のクリール編集部で最新号を入手。今月号の特集は「春までにスタミナップ!」。そのテーマで、恒例の瀬古監督インタビューも掲載されていて、今回もとっても面白く読ませてもらいました。特に完全休養日のジョグの話は「なるほど」と思わされたところ。いつもながら、説得力があります。
その他、陸上競技ファンにとって面白い企画は、日本陸上競技学会での小出義雄監督の講演内容、箱根駅伝初代MVPの鐘ヶ江幸治選手のインタビュー、小林敬和先生のアスレチック・スタビライゼーション(スタビライゼーション・トレーニング研究会のサイトもあります)の解説など。ちょっとしたコメント集のなかに、箱根駅伝出場のトップランナーが含まれているのも、見逃せないポイントでしょう。
ロサンゼルス・マラソンへの読者特派員2名の募集もあります。我こそはと思われる方は、ベースボール・マガジン社のサイトからでも応募ができますので、一度ご覧になってみてください。
◇1月23日(金)
大阪に出張。新幹線の中で日記でも書こうかと思っていましたが、眠ってしまいました。2日連続で2〜3時間睡眠だったので…。14時から千里阪急ホテルで記者会見。その模様はこちらの記事(前々日会見 選手編)で。会見前後には、誰がいいのか記者・関係者たちの間で話題になりますが、正直、こればっかりはやってみないとわかりません。11月の東京女子、12月の福岡は実績ナンバーワンの選手がそのマラソンへの練習過程でも自信を示し、本命に推されていました。それでも勝てなかった。
今回は、実績で抜け出ている選手はいません。そしてどの選手も、仮に不安がある部分があっても、「自信がない」とはレース前にはなかなか言いません。ただ、指導者の中には慎重な人もいる。しかし、レース前は慎重な発言でも、蓋を開けてみたらよかった、という例も多いので、これもなんとも言えない部分なのです。なかには「この人がこう言うときは間違いない」と確信できる場合もありますが…。
ですから、我々記者は、どの選手が勝てるかを予想するために取材をするのでなく、どういった材料が展望記事、あるいはレース後の記事に使えるか、という視点で取材をします。確かに、優勝予想に役立つ内容なのは確かですが、目的はその選手の今レースへの取り組み方や気持ち、置かれている状況などを把握することなのです。
ちなみに小出監督は「誰がいいか、僕はわかったけどね。30kmまであの4人で…3人かな、そこからは……わかんねえ。難しいな」と、言っていました。
◆1月18日(日)
全国都道府県対抗男子駅伝はテレビ観戦。長野県が初優勝を飾りました。直接の勝因はアンカーの帯刀秀幸選手が、兵庫の上岡宏次選手の追い上げをかわしたことです。ニューイヤー駅伝の走りから見て、7区に中継時の25秒差だったら、上岡選手が逆転すると思われましたから。もちろん、練習の流れや調整の結果、帯刀選手の力が上がっていたのでしょうが、タスキをつなぐ駅伝だったから出せた力なのかもしれません。それを考えると、7区までタスキを運んだ全員の走りが勝因と言えます。
テレビでも指摘されていましたが、6区の中学生が上位チームの中では福岡以外には、差をほとんど縮められなかったのも大きかったと思いますし、5区の上野裕一郎選手が腹痛に耐えて、区間2位に30秒もの差をつけ、予定通りトップに立ったのも大きかったと思います。
1区の佐藤悠基選手の区間2位も評価されてしかるべきですし、3区の太田貴之選手も悪くなかった。22位と区間順位を見たらちょっと悪かったように見えますが、区間9位の兵庫・藤井周一選手とは20秒差です。区間1位の大森輝和選手とは1分差ですが、トラックの記録を考えたら、そのくらいの差は仕方がないでしょう。大森選手はニューイヤー駅伝の1区日本人2位で、太田選手は箱根の1区2位。太田選手は額面割れしない走りだったと思います。
長野は全員が力を出し切った結果の優勝といえるわけで、仮に最優秀選手を選べと言われたら、かなり困るのではないでしょうか。チーム作りの流れまで考慮すれば、誰の果たした役割が大きかったかはっきりするのでしょうが、レースだけではなかなか決められないこと。元々、全員がタスキをつないで初めて結果が出るのが駅伝です。チームが形作られていく過程を見ている内部の人間以外が選ぶというのは、とっても難しいことだと思います。
個々では3区・大森選手、7区・大島健太選手と区間賞2つを獲得したくろしお通信勢が目立ちました。2つのシニア区間は予想された面々が上位に来たかな、という印象です。3区区間2位の三津谷祐選手は、予想されていたとはいえ、とても高校卒業1年目の選手とは思えない走り。やはり、本当に強い選手は周りのペースに合わせなくてもいいのだと、見ていて感じました。7区で区間4位の大崎悟史選手も、この距離でこの順位はちょっと驚かされました。
学生では3区で区間7位の一井祐介選手と、7区で区間11位の吉村尚悟選手が頑張っていました。学生選手全体としては、こんなものでしょう。ただ、2〜3人くらい、実業団選手に互して戦える選手が出て来てほしいところ。箱根駅伝レベルでどんぐりの背比べ状態にはなってほしくないものです。
◆1月17日(土)
昨日の日記で花田勝彦選手からメールをもらったことを紹介しましたが、その前後に出口庸介先生からもメール。朝日駅伝のコースについて教えていただきました。それによると八木山峠を挟み2区は登りで3区が下りとのこと。5区が遠賀川沿いに北に向かう勝負所で、以前はアンカーの8区(当時は8区間あった)も22kmあったそうです。
寺田が専門誌を読み始めた頃、1月の駅伝といえば朝日駅伝と中国駅伝、学生では箱根駅伝と全日本大学駅伝でした。鋭い読者は現在との違いがピンとくると思います。全日本実業団対抗駅伝は12月第3週に行われ、実業団チームは1月15日の朝日、第4週の中国と駅伝を連戦していて、当時はこれが“三大駅伝”でした。昔の陸マガを見ると、宗兄弟は駅伝福岡・別大と2カ月のインターバルでマラソンを走り、その間の三大駅伝も全部走っていますね。
全日本大学駅伝も11月3〜4日ではなく1月中旬。当時、全盛だった日体大が箱根駅伝・全日本大学駅伝・中国駅伝と連戦したことを覚えています。日体大選手は実業団勢とのレースでも頑張っていた記憶がありますが、学生全体から見るとそれはごく一部。それは、時代の変わった今も同じ。箱根駅伝で活躍しても、翌年のニューイヤー駅伝ですぐに活躍できるのは一握りだけ……というより数人。どうしても学生駅伝で“名前”が先に有名になりますから、この辺の現実とイメージのギャップは、世間的には大きいのではないでしょうか。
明日の全国都道府県対抗男子駅伝は、中国駅伝がなくなり、代わって行われるようになった駅伝です。学生選手と実業団選手が同じ土俵で戦う数少ない駅伝、という点では中国駅伝の要素を受け継いでいるともいえるわけです。期待をかけるのは禁物ですが、そんな状況だからこそ、学生選手が頑張ると“この選手は本物かな”と思えます。ここでいう“本物”とは、偽物の選手が代わりに走ったのではないという意味ではなく、実業団選手に交じっても通用する、今後が期待できるという意味です。
◆1月16日(金)
昨日、花田勝彦選手からWEBサイトをリニューアルし、アドレスも変更したというメールをもらいました。さっそく拝見させていただいてビックリ。「一線から退く」ことを昨年末に決意したと書かれているではありませんか。
あれだけ長い期間活躍した選手。最初に取材したのはたぶん、89年3月に成田で行われた高体連合宿だったと思います。それほど頻繁に取材機会があったわけではありませんが、彦根東高と長距離の強豪校ではなかったこともあり注目していました。早大に入ってからは同期の武井隆次選手、櫛部静二選手と一緒に紹介されることが多くなり、ちょっと気になっていました。武井&櫛部両選手は高校時代から5000mや10kmを走っていましたが、花田選手は1500mがメイン。箱根駅伝があるからどうしても“トリオ”というくくり方にされてしまいますが、入学するまでの下地がかなり違います。その辺がいつも気になっていた選手でした。
長い距離も大丈夫、と感じたのは、大学3年時に平塚で行われた東日本実業団・関東学生対抗の5000mで13分台を初めてマークしたときです。記憶に間違いがなければ、雨が降っていたと思います。4年時には、前述の2人に渡辺康幸選手もいるなかで箱根駅伝の2区を務め、その後の活躍は周知の通りです。
ということで、平塚のレースを含め寺田の印象に残っているレースを4つ挙げ、花田選手にメールをしました。その返信でわかったことですが、花田選手の5000m初13分台は、大学3年時の東日本実業団・関東学生対抗ではありませんでした。その試合は2回目だったとのこと。寺田はなんと、10年以上も思い違いをしていたのです。元・専門誌編集者失格……とまでは言いませんけど、自分ではかなりショック。花田選手が「あの大会も自信になったレースでした」とフォローをしてくれているのに救われました。
ところで最初、トップページで紹介する際に“引退”という言葉を使ってしまいましたが、“一線から退く”という表現に変えました。今後のことは白紙状態だそうですが、「指導者を目指すと」サイトに書かれています。もらったメールによると、櫛部静二選手のように、指導をしながら走り続けたい希望もあるようです。今後も注目されますが、何はともあれ、長い間お疲れさまでした。
◆1月15日(木)
長年の懸案が一気に解決しました。あまり詳しく説明はできませんが、マッキントッシュのフォント(書体)の問題です。1月末から記録集計号の版下作製の仕事が本格化しますが、記録集計号は通常のDTPとはちょっと違いまして、等幅フォント(全ての文字の横幅が同じサイズ)が必要なのです。ウインドウズでこそ当たり前の等幅フォントですが、実はマックの世界では特殊。よくは知りませんが、マックでも昔のOS(漢字トーク7とか)の頃は標準装備されていたのですが、DTPが普及する際に何やら問題が生じたようです。それで現在は、限られた書体しかない。
にわか“マックに詳しい人”は、等幅フォントがなくてもそのくらいできると言います。表計算ソフトを使ったり、タブを設定したりすれば可能だと。何度同じことを言われたでしょうか。あれだけの行数をあの行間、あの文字数と項目をあの字間で収容するのは、そんな当たり前のことではできません。ウソだと思う人はやってみてください(もし成功したら内緒で教えてください。タダとは言いませんので)。
でも、結局はラッキーにも解決したのです。ゴシック系の等幅フォントを2002年に発売し始めたあるメーカーに電話をかけ、どこの小売店に売っているか確認し(ヨドバシカメラには置かれていなかった)、ついでに明朝系の等幅フォントを製造しているところはないか質問したら、親切に教えてくれました。
目から鱗というのは、このことですね(具体的に、どう解決したのかは書きませんが)。解決方法は目の前にあったのです。
それで思い出したのが「星を継ぐもの」(創元SF文庫)というSF小説。1970年代の作品で、著者はJ・P・ホーガンという米国人。元砲丸投選手です、というオチではありません。どこから見てもサイエンス・フィクションですが、この作品には実は謎解きの要素もあって、ミステリーとしても評価されています。
<ネタばらしをしますので、これからこの小説を読もうと思っている人は、この先を読まないでください。と書くのがミステリー書評の礼儀です>
この小説の中では、地球の衛星である月が、実は5万年前までは惑星ミネルヴァの衛星だったという設定。設定というより、月で発見された5万年前の“人類”の死体から、その推理に行き着くストーリーです。フィクションですが、ものすごく説得力があります。惑星ミネルヴァは火星と木星の間にあった太陽系5番目の惑星で、何らかの原因で爆発(崩壊)して、現在は小惑星帯(アステロイド・ベルト)になっています。その衛星(月)が、ミネルヴァの崩壊で宇宙を漂い始め、最終的には地球の衛星軌道に到達したという設定です。小惑星帯の生成については、現在は別の説が有力のようですけど。
詳しいことはともかく、月が太陽系の成立とともに地球の衛星だったと信じ込んでいたら、正解には到達しえなかったということなんです。人間の盲点といえば盲点。同じように、地球人にとって月は1つですが、木星人にとって月は4個(小さいものを含めると発見されているだけで16個とか)です。常識と思い込んでいることが、視点を変えれば実は、常識ではないのかもしれません。
そういう寺田も、ハイニーに疑問を持つのは結構早かったのですが(90年代中盤に選手の誰かに聞いたか、どなたかの研究発表で聞きました)、重心を沈み込ませて速く走るというのは、末續選手の例を見るまで思いもよらなかったこと。速く走る=腰高のフォーム、と思い込んでいたわけです。陸上界にも、常識と思い込んでいるけど実は常識じゃないことって、結構あるのかもしれません……なんか強引なまとめ方というか、太陽系規模の戯言(たわごと)ですね。
◆1月14日(水)
陸マガ2月号発売日です。記事をぱらぱらと見ると、おおっ、今月号はけっこう書かせてもらっています。全日本実業団対抗女子駅伝・全国中学駅伝・ニューイヤー駅伝・箱根駅伝と、駅伝で書いていないのは全国高校駅伝だけ。と、やや誇らしげに書きましたが、中学駅伝を除けばどの大会もメインライターではありません。それでさえ、現地では四苦八苦しています。そういえばニューイヤー駅伝の前日、準備不足の某選手は4区か8区(補欠?)だろう、と言ったのはA社のK記者でした。
四苦八苦の状態でしたが、どの駅伝でも心に残る話を聞くことができたのが、今回の特徴って言ったら、ちょっとオーバーですが。実業団女子駅伝では勇退したUFJ銀行・竹内監督の「ますます長距離の指導を難しく感じている」というニュアンスのコメント。72歳にして、この謙虚さと研究熱心さ。その人柄が伝わってくるコメントでした。
ニューイヤー駅伝ではコニカミノルタ・磯松大輔選手の最後の「あと5年はやりますよ!」のひとこと。記事の締めの部分に使わせていただきました。
箱根駅伝では、レース後ではなく公開練習で取材したものですが、東海大の小出徹選手の「気が小さいので勝負所はイヤです」と言ったくだり。どれも、記事全体を読まないと面白さが理解できないので、是非とも購入してください。特別定価970円です。
すいません。中学駅伝を忘れていました。これはもう、女子優勝の中之条の3区、1年生ながらMVPにも輝いた矢部瞳選手の「平常心で走れば、どんなことが起きても周りが見えます」でしょう。そこのあなた。そう、駅伝で失敗続きの君だよ。このセリフをなんと心得ますか。えっ? 中学駅伝と高校生以上の駅伝ではレベルが違う? 走る距離も違う? まあ、その通りなんですけど、雑念も違うんじゃないですか? それが人間らしいということでもありますけど。
◆1月13日(火)
昨日の日記でニュージーランドの話題に触れましたが、海を挟んでその西隣が言わずと知れたオーストラリア。土江寛裕選手が留学していた国として有名です。実はこのオーストラリアでは2回、オリンピックが開催されています。1956年のメルボルン大会と、前回の2000年シドニー大会。南半球で開催されたオリンピックって、実はこの2回だけなのです。
オーストラリアで思い出しました。1月3日の箱根駅伝取材時に、某誌編集者のE本君に携帯電話のストラップをプレゼントしたんでしたっけ。スナフキンのフィギュアの付いたストラップ。「旅の窓口」でホテルを予約したら、12月に福岡のホテルで渡されたものです。それをなんでE本君に進呈するのか? しかも、どの記者も目をつり上げて取材をしているという、あの読売新聞社9階でのことです。
そもそも、スナフキンって皆さんはご存じでしょうか。アニメ(原作は小説?)の「ムーミン」に出てくる登場人物で、無口でどこか謎めいたおじさんです(お兄さんかも)。で、E本君は自称ムーミン2号。命名の由来などはよく知りませんので、本人に直接聞いてみてください。ちなみに、ムーミンの舞台は確かフィンランドだったと思います。昨夏、パリでE本君に会ったときには、「次が本番だぞ」とか言った覚えがあります。
オーストラリアとの関係は何かって? それはあなた、メルボルン五輪のマラソン金メダリストがフランスのムーミン選手だからですよ……すいません、ミムーン選手でした(究極のマニアックおち)。
◆1月12日(月・祝)
朝日駅伝(成績は九州朝日放送サイトで)、かなり面白かったようです。1区・ホンダ、2区・サムソン電子(韓国)、3区・日清食品、4区・旭化成とトップが毎区間変わって、5区のギタヒ選手で抜け出した日清食品がそのままフィニッシュしたわけです。区間2位を1分近く引き離したギタヒ選手の活躍が一番でしょうが、2区の奈良修、3区の池谷寛之と連続で日清食品が区間賞を取ったのが大きかったようです。
この駅伝はちょっとユニークな駅伝で、存在感があります。ニューイヤー駅伝の11日後ですから、どのチームも万全の態勢で臨むわけではありません。それが前提となっているのが許されている点が面白いのです。
今回もニューイヤー駅伝優勝の中国電力はメンバーを全員入れ替えて出ていますし、2位のコニカミノルタは出場していません。ニューイヤー3位の日清食品が勝って当然という見方もできますが、例年、NECやホンダ、九電工や旭化成、カネボウといったチームが健闘していて、必ずしもニューイヤーの順位通りにはならない大会です。日清食品自体、ニューイヤー駅伝で2区の諏訪利成ら2名を変更しての布陣で、決してベストメンバーで戦ったわけではありません。
でも、それが面白いのです。区間距離も14〜16km台の区間が5つもあって、ポイント区間が絞れない感じもします。起伏などによる難コースが、どの区間になるのかがわかりませんが。過去の大会を見ても、今後の注目選手がはっきりする傾向がありますね。今回で言えば、4区・7区の区間賞である佐藤智之・小島忠幸の旭化成コンビ。特に小島忠幸選手は福岡国際マラソンから、いや、その前から好調が続いていて、好調というよりも地力が上がった感じがします。6区区間新の小畑昌之選手(安川電機)も、今後が要チェックでしょう。
ところで、中国電力で思い出しました。今月のアイキャッチである「ニューイヤーはニュージーランドから」は、日付変更線との位置関係でニューイヤーを迎える最初の主要国がニュージーランドであることを言っています。ある陸上関係者のサイトにその話が出ていたので借用させていただきました。それに加えて、ニューイヤー駅伝初優勝の中国電力が何回か、ニュージーランドで合宿したことを引っかけて、このキャッチに決めたわけです。
そうそう、やっと年賀状を書き終わりました。遅ればせながら、AHNY!。これは、「A HAPPY NEW YEAR!」と「アテネでハッピー、ニッポンイエィ!」の頭文字を引っかけたものです(寺田って、こんなことを言うキャラだっけ?)。
◆1月11日(日)
「昨日? そんなに昔のことは覚えていない」
と、キザったらしくうそぶいたのは、映画「カサブランカ」のハンフリー・ボガートだっただろうか。そう、あれは昨日のことだったような気もする――。
日がかなり西に傾いた頃、オフィスの窓から表通りの人の往来を眺めていると、ふいに俺の携帯電話が鳴った。ディスプレイの表示は“謎の女”。ニヤリとシニカルな笑みを浮かべ、デスクでタイプを打っている秘書のサマンサに、その表示を見せた。
彼女は言った。
「難しい事件になりそうなの?」
「いつものことさ」
俺はそう答えてから電話に出た……などと馬鹿なことをいつまで書けば気が済むのか、と思っている読者もいると思うので、この辺で切り上げましょう。
でも、まったくのフィクションでもありません。寺田の携帯電話に“謎の女”の表示が出たのは紛れもない事実。実際には昨日の昼前、陸マガに向かう電車の中でした。これが、昨年の10月2日に仕込んだネタでして(日記でも紹介)、それがやっと日の目を見たわけです。
要するに携帯電話のメモリーに、彼女の本名ではなくニックネームを登録しただけのこと。電話がかかってくるとディスプレイに“謎の女”と表示され、隣にいる人間にそれを見せたら受けるだろうな、という狙いです。ところが昨日、隣にいたのは見知らぬおじさん(電車の中ですから)。さすがの寺田も、そこまではやりませんでした。取材中にかかってくることを想定していたのですが。
いつもこんな馬鹿話のネタにさせてもらっていますが、謎の女自身は寺田と違って、かなり真っ当な人物ですので。
今日は全国都道府県対抗女子駅伝をテレビ観戦。思ったより有力選手が出ていて、興味深く見ていました。1区には同じチームの選手が複数出ていて、実業団駅伝では見られない顔合わせが新鮮でした。例えば、第一生命の羽鳥智子選手と尾崎好美選手、資生堂の佐藤由美選手と加納由理選手、三井住友海上の大平美樹選手と橋本歩選手。区間1位の羽鳥選手と5秒差の区間6位で、佐藤選手がやっと復調してきたな、という感じ。全日本実業団女子駅伝のアンカーでも区間3位でしたし。山形県の躍進は佐藤選手がしっかり1区で上位に付け、アンカーの斎藤梢選手(グローバリー)に安心して長い距離を任せられたからでしょう。そこに、3区の中学生・高橋由衣選手の区間新の快走が加わって……と書いておいて何ですが、駅伝はチームで走った結果なので個人を評価するのは本来どうかと思いますけど。
池田恵美、田中真知という大学生選手、稲富友香、牧島さおりという高校生選手も健闘。反対に、全日本実業団女子駅伝1区区間賞の橋本選手の区間15位が、ちょっと気になりました。杉原加代、桑城奈苗の中距離選手コンビも区間下位でちょっと残念。
9区では京都関係の選手が目立ちました。区間1位の福士加代子選手、3位の坂下奈穂美選手(元ワコール)、6位の斎藤選手、7位の吉田佳菜選手、12位の原裕美子選手。24位の黒澤奈美選手も元ワコールです。京セラ、ワコール、グローバリーと京都に本拠地を置く強豪チームがこれだけあったら、それも当然かもしれません。
◆1月10日(土)
昨日の日記で“ビックリ”の分類をしたせいではないと思いますが、今日はすごい“ビックリ”がありました。一昨日の日記の最後で名前を出したピーター・ラヴゼイという英国人の推理作家(その筋ではかなり有名です)が、なんとATFS(世界陸上競技統計者協会)の会員だったのです。
詳しく触れる前に今日の行動を。4時間睡眠で10時に起きて、陸マガ編集部に。土曜日ですが今日が配本日。12日配本が普通ですが、11・12日と連休です。何回でも言いますが、連休は編集者にとって百害あって一利なし。強いていいことを挙げれば、下版後にちょっと時間ができるということくらいでしょうか。そんなわけで陸マガ2月号の受け取りと、ちょっとした用事のために編集部に。2月号の内容についてはいずれまた紹介すると思います。
編集部には田辺清一先生もいらっしゃっていました。田辺先生は記録集計の専門家でATFS会員。ラッキーなことに今日は、とあるメジャーな大会の歴代優勝者の資料をいただきました。普通はその大会のプログラムに歴代の優勝者って記載されているのですが、その大会は全国大会なのに何故か載っていないのです。たぶん、カテゴリーが色々と分かれていて、その区分の仕方が何度も変わっているからでしょう。でも、その辺は工夫すれば紹介できるのではないか、紹介すべきではないかと、常々思っていました。なんてったって、全国優勝者なんですから。
今後、この資料を活用して記事を書けると思います。その辺をきっちり整理されるあたり、さすがATFS会員です。
陸マガ編集部から知り合いの事務所に移動して原稿書き。そこでメールをチェックすると、やはりATFSの菅原さんからメールが来ています。冒頭で紹介した、一昨日の日記に書いたラヴゼイ氏が実はATFSの英国会員だと知らせてくれたのです。
ラヴゼイ氏の作品は寺田がお気に入りの日本人作家が推奨していて、それで2冊ほど読んでみたのです。最初に読んだ「偽のデュー警部」(ハヤカワ文庫)はそれほど面白く感じませんでしたが、映画化されたと解説には書いてありましたし、英国推理作家協会賞も取っているということですから、この作品が代表作と思われます。今年読んだのが「苦い林檎酒」(同)で、寺田はこちらの方が面白く読めました。ともに1980年代の著作ですが、ラヴゼイ氏が得意とするのは“時代もの”。その時代の背景を生かしたストーリー展開で「偽のデュー警部」は1920年代の豪華客船を舞台にし、「苦い林檎酒」は1964年の人間が1943年の戦争中の犯罪を捜査します。
さっそく菅原さんに電話をして、ラヴゼイ氏の情報を入手しました。ATFS発行の年鑑「ATHLETICS 2002」のATFSメンバー一覧には確かに、田辺先生、菅原さん、千田辰巳氏、野口純正氏と同じページにPeter H Lovesey の名前があります。菅原さんによれば、陸上競技の記録収集においてもラヴゼイ氏は“時代もの”が得意で、19世紀や20世紀初頭の“埋もれている記録”を調べだして、英国の愛好家冊子などに発表しているそうです。ちなみに「死の競歩」という、競歩の大会を舞台にした作品もあるそうです。
ラヴゼイ氏が昨年の世界選手権に来ていたかどうかは不明ですが、まさか、こういう接点があるとはね。陸上競技の“ビックリ”とは違う種類の“ビックリ”でした。そういえば今月下旬から、ATFSの人たちとの仕事が待っています(たぶん)。
◆1月9日(金)
SPOTのアドレスが変更されていて、年末に更新されたコンテンツに棒高跳・鈴木秀司選手の引退手記がありました。それで思い出したのですが、国体で鈴木選手の跳んだ5m35は、昨年最もビックリした記録です。陸上競技でビックリする記録といっても、4つの種類があるように思います。違いを説明するのが難しいので、とにかく例を挙げましょう。記憶が新しいところということで、昨年出たものに限りました。
カテゴリー@
・山口有希選手の45秒18(男子400 m)
・岩水嘉孝選手の8分18秒93(男子3000mSC)
・沢野大地選手の5m75(男子棒高跳)
・室伏広治選手の84m86(男子ハンマー投)
・野口みずき選手の2時間21分18秒(女子マラソン)
・森千夏選手の17m80(女子砲丸投)
カテゴリーA
・笹野浩志選手の1分47秒32(男子800 m)
・藤原正和選手の2時間08分12秒(男子マラソン)
・谷井孝行選手の3時間47分54秒(男子50kmW)
・桑城奈苗選手の4分14秒5(女子1500m)
カテゴリーB
・小松隆志選手の16m65(男子三段跳)
・畑山茂雄選手の57m32(男子円盤投)
・山口智子選手の55m15(女子円盤投)
カテゴリーC
・鈴木秀司選手の5m35(男子棒高跳)
・豊永陽子選手の17m28(女子砲丸投)
@は「調子がいいのはわかっていたけれど、ここまで出すとは思わなかった」というビックリ。Aは「可能性のある選手という認識はあったけど、今年ここまで出すとは思わなかった」というビックリ。Bは「このタイミングで出したか」というビックリ。Cは「シーズンの流れや、試技の流れから考えて予想以上」というビックリです。当たり前ですが、どのパフォーマンスに“ビックリ”するかは、個人差があることですし、もしかしたらうっかり忘れているパフォーマンスがあるかもしれません。
Cをもう少し具体的に説明しましょう。豊永陽子選手は10月末の国体で自身初の17m台を出したわけですが、それ以前のシーズンベストは16m62でした。さらに、国体の試技は2投目の16m43がそれまでの最高でしたが、最後の6投目に一気に記録を伸ばして17m28を出したのです。その上を行くのが鈴木秀司選手で、国体が03年シーズン3試合目で、国体前のシーズンベストは4m20。試技内容も4m80が2回目、5m00が3回目のクリア。まあ、試技内容としてはたまにあるものだったかもしれませんが…。
日本選手権棒高跳で自己ベストの5m70を跳んで、世界選手権代表を決めた後に5m75にまで成功した沢野大地選手や、世界選手権3000mSC予選で8分18秒93の日本新をマークした後、決勝でも8分19秒台で走った岩水嘉孝選手なども、これまで見てきたパターンをいい意味で裏切ったという点で、Cに近いものがあったと思います。
いずれにせよ、これらの“ビックリ”があるので、陸上競技は面白いのです。
◆1月8日(木)
昨日は腰の治療で外出した以外は、自宅(兼事務所)で仕事。大きな原稿が昨日の朝で終了し、その後は休養主体の仕事の進め方。久しぶりに読書もしました。海外のミステリーです。英国西部の地方(ウェールズではない)を舞台にしているので、場所を確認しようと世界地図帳を広げましたが、お目当ての地名は載っていません。かなり分厚い地図帳なんですけど…。マイナーな地名を小説に載せる場合は、訳者なり編集者が注釈を付けるべきだろう、などと思っていたら、ハタと思いつきました。もしかしたら旅行ガイドブックに載っているんじゃないかと。地球の歩き方を広げると、ありました。ミステリーを読むときはガイドブックが役に立つ――いいことを知りました。
でも、今日の収穫は、もっと大きなことでした。というのは、ミステリーの長編は、その雰囲気が読者を惹き付けるということです。核となるトリックやプロットだけなら、あれだけの文字量は必要ないんじゃないか。つまり、小説としての雰囲気が重要ではないかと。それに気づいたときに、ハタと考えました。陸上競技の記事も雰囲気が重要なのかどうか……。
よく言われるのは書き始めの部分と締めの部分。もちろん、挟まれる真ん中の部分がしっかりしていないことには意味がない。書き出しだけ“オッ”と思わせて、読み終えたら“なんだ”と思える記事も多いですね。そういう記事に限って、事実誤認というか、その程度の根拠で結論づけるなよ、と思える内容が続いています。
そこでミステリーに関しても思い直しました。トリックやプロットがしっかりしていないと、雰囲気だけよくてもダメ。読後感を決定づけるのはやはり、トリックとプロットでしょう。それに加えて、雰囲気もいい作品が名作と呼ばれたり、後の時代に古典と呼ばれるようになるのでしょう。
ここまで書いてきて、ハタと思い当たりました。陸上競技の記事に関して言えば、そこまで考えることでもないのかなあと。雑誌の陸上競技の記事は、長編の何千分の一。短編と比べても何百分の一です。比較すること自体が間違っています。短距離と長距離って、動きに共通する部分はあってもやっぱり、違いますよね。瞬発的な動きを決定づける要素と、持久力を決定づける要素は、明らかに違う。うーん、結局何を言いたいのか、よくわからない日記ですね。それもこれも、今日読んだ作品のせいでしょうか。ちなみに、書き手の名前はピーター・ラヴゼイ。ピーター・エリオット(英国の800 m選手)とは、関係ありません。
◆1月7日(水)
昨日の宮崎女子ロードはなかなかの好レースだったようです。野口みずき選手が強さを見せ、大阪国際女子マラソンを目指している弘山晴美選手も、疲労がピークの状態でまずまずの走り。と、ここまでは誰でも気づくこと。弘山選手と同じ30代、同じく大阪を目指している小幡佳代子選手も久しぶりに好走しました……これも、みなさん気づくことですね、なんてったって世界選手権(99年セビリア大会)の入賞者ですから。学生の飯島選手の走りも、昨年の松江レディースハーフで千葉真子・弘山両選手に勝っているので、そこそこ注目されたでしょう。磯貝選手も1年前の全日本実業団対抗女子駅伝優勝メンバーですし、名古屋国際女子マラソンでも好走していますから、小幡・弘山のビッグネームに勝っても(3位集団を制した)ビックリというほどではありません。
一番オッと思ったのは6位の斎藤梢選手です。一昨年11月の名古屋ハーフで1時間10分41秒をマークし、先輩の野口選手に1分03秒差の2位。昨年は10分台こそないものの、手元の資料で判明しているだけでも1時間11分台で2回、1時間12分台で1回走っています。それに対してトラックでこれという記録が見つかりません。ということはトラックよりも先に、ハーフマラソンで強くなっている選手。ということは……今後が注目されます。
◆1月6日(火)
ちょっと机の周りを整理したら気分が落ち着いたので、原稿はまだあるのですが、気分転換も兼ねて日記でも書こうかと思います。年末、そうですね、12月30日あたりから、もう自分の周りの時間が進むのが速くて速くて、とても体と頭が追いついていかない。年末の日記は、ちょっと前から温めていたネタですし、元旦の日記は本当にわけが分からない内容です。いつものことかもしれませんが。
◇1月2日(金)
箱根駅伝往路は駒大が優勝。他大学の様子も見るとどうやら、駒大がこのまま行きそうです(と、結果が出てから書いているのですが、実際にそう思いました)。1区の太田選手と4区の田中選手の状態を見て、なんとなくそう感じた次第です。
駒大は東海大や山梨学大を意識したのか、例年に比べると前半型のオーダー。あくまでも相対的な話で、元々、往路に強い選手を多く起用するのは常識です。ところが、前半型のオーダーを組んだ早大と山梨学大がともに失敗。駒大と山梨学大&早大の違いは、復路にもそれなりの選手を配置できているのが駒大。あまりにも復路が手薄になると、往路の選手に「自分たちで頑張らないといけない」という焦りが生じるのかも。かといって、前半で遅れたら話にならないし。駅伝は流れが何よりも大事ですから……というのが駅伝の常識です。
この常識は、“選手も人の子、精神的な部分が走りに現れる”という前提で成立しています。選手が機械のように、どんな状況でも同じ動きができるのなら、駅伝の常識がなくなるわけですね。よく言われますよね、トラックの合計タイムで勝敗が決まるのなら、駅伝をやる意味はないって。つまり、タスキをつなぐという競争形態は、人間の心理面の争いをより強調する方法なのです。
ということは、人間の成功と失敗をより強調することになります。だからこそ、テレビは予想以上の快走を演じた選手や、ブレーキの場面を強調して放映するのでしょう。それに対して“良識派”の人たちから批判がよく聞かれます。特にブレーキをした選手を長く映したり、アナウンサーが絶叫して実況する場面に対して。でも、駅伝自体が人間の失敗をより強調するシステムになっているのですから……しかし、駅伝の特性と、それをどう報道するかはまた、別の話かもしれません。やっぱり、寺田も良識派の人の考えに賛成です(と書いておかないと、抗議メールが来るので)。
今年は箱根駅伝の芦ノ湖取材には行きませんでした。電話取材も2本しないといけませんでしたし、ニューイヤー駅伝の仕事は例年通りでしたが、箱根駅伝の仕事が増えていたので、今日中にニューイヤー駅伝の原稿を少しでも進めたかったのです。
◇1月3日(土)
箱根駅伝は終わってみれば駒大が圧勝で3連勝。戦国駅伝の前評判を覆しました。あくまでも個人的な感想ですが、危機感があったのが、プラスに現れたのかもしれません。
一昨日のニューイヤー駅伝は大本命のコニカミノルタが敗れ、中国電力が初優勝。11月から関連の取材を進めていて、「駅伝は“絶対に大丈夫”と言われているときほど難しい」という意味のコメントを、何人かの指導者の方から聞きました。逆に「危機感があった方が、結果的にいいケースが多い」とも。陸マガの展望記事にも書いたように、コニカミノルタの酒井勝充監督もそのうちの1人です。
前回のニューイヤー駅伝は中国電力が絶対本命で、コニカミノルタ(当時コニカ)は11月時点で故障者が多く、3連勝は厳しいと言われていました。ところが、蓋を開けてみたらコニカの快勝。今年はその逆で中国電力に不安要素が多く、コニカミノルタは万全と言われていました。もちろん、指導者は前述の部分に気づいているわけですから、気を引き締めようとします。しかし、どこかにほころびが出てしまう。
その点、今回の駒大は全日本大学駅伝で敗れ、主力となる3年生もいい走りができなかった。そこから、立て直すことに成功したわけです。つまり、危機感がプラスに作用した。などと、文字にするのは簡単ですが、実際にはものすごい苦労があったはず。現実には、そのまま立て直せずに終わってしまうケースの方が多いでしょう。危機感が焦りになって表れるケースです。「今の状態ではダメで、もっと練習しなければ」という気持ちがオーバーワークにつながりがちなのです。
オーバーワークは、逆に「今年こそ優勝が狙える」と思ったときにも生じます。それが、戦力は整いながら、初優勝になかなか届かない新興チームによく見られる例。ということは、どんな状況も失敗の原因になるということ。とどのつまりは、基本的な戦力という部分を別にすれば、あとはいかに選手の気持ちを上手くもっていくか。
それを全て指導者の仕事・責任とする傾向がマスコミにはありますが、寺田はそれには賛成しません。そういった気持ちの部分を整えることは、選手も含めてチーム全体でやることだと思います。特に高校生・大学生の駅伝は毎年メンバーが替わります。気持ちの部分の成否も、チーム力だと思います。
などと、考えるのは、報道人の仕事ではありません。まずは、目の前の原稿を書かなくっちゃなのだ。
◇1月4日(日)
一歩も外出しないでひたすら原稿書き。年賀状書き、メールの返信など、貯まっています。お金は貯まっていません。
机の周りが片づかなくなってきました。去年の1月に整理システムを整えましたが、ついに破綻しつつあります。どんなシステムでも、収容スペースには限りがあり、整理をして捨てていくことが必要になります。今はニューイヤー駅伝、箱根駅伝、全国中学駅伝の資料が机の上や足元に山積みされています。世界選手権以後、クレジットカードや公共料金の明細書の類も、束ねられたまま。それらに限らず、郵便で送られてくる物の整理システムが不完全ですね。
実は、2002年のヨーロッパ取材の荷物に始まり、その後の大きな出張の荷物も、実は片づけられていない状況。資料を作るだけ作って、その後は活用できていないってことですね。最低。
◇1月5日(月)
2日連続で、一歩も外出しないでひた原。
精神状態がよくありません。昨日の日記で書いたように、仕事場が片づいていないことも一因でしょう。さらに、先の仕事を、それもかなり細かい部分まで、次から次へとイメージしてしまいます。その結果、焦りが気持ちの表面に出てくる。こういう状態が年に3〜4…5、6回はあります。ちょっとしたキッカケで開き直れると思うのですが、開き直ろう、開き直ろうと思うと、よけいに焦る。この辺は、一昨日の日記で書いた駅伝選手が失敗するケースに似ていなくもない(一緒にするな、との声が聞こえてきそうですが)。
明日の宮崎女子ロード、あわよくば日帰りで取材に行こうかとも思っていましたが、とても無理。食事も夜は食べませんでした。髪の毛もぼさぼさ。ブラジルの音楽はボサノバ。ブラジルの800 mランナーはバルボサ(ちょっと古いけど、知ってますよね)。
◆1月1日(木・祝)
ニューイヤー駅伝取材。このニューイヤー駅伝というのはもちろん呼称です。正式には全日本実業団対抗駅伝。確かに、全日本実業団対抗駅伝では、一般の人には、どれがどの駅伝なのか区別しにくいでしょう。ただ、第何回と頭に回数を付ける場合は、ニューイヤー駅伝ではダメ。ご存じの方も多いと思いますが、以前は12月に行われていた大会ですから。正式名称からわかるように、女子の全日本実業団対抗女子駅伝と同じ格というか、実業団連合が同じように位置づけている大会です。
スポンサーも同じ企業が付いてくれているらしく、スタートして間もないタイミングで先月14日の全日本実業団対抗女子駅伝のときと同じように、イチロー選手のユンケルのCMが流れました。ラッキーなことに、ISHIRO記者がいいアングルの場所に座っています。今回こそはこの、世にも珍しいツーショットの写真を撮ろうと、CMの際には場所を移動してカメラを構えていました。
しかし、3回くらいそれを繰り返しましたが、お目当てのCMは流れてくれません。そうこうしているうちに“ここからのスポンサーは……”という表示。スズキなど主要スポンサーは全体を通してCMが流れていましたが、そうでないスポンサーもあったようです。
こういうことを書くと、寺田はさぞかし楽な仕事をしているのだろう、と思われそうですが、実際はそうでもありません。女子駅伝ではレース後に取材したのは選手13人と指導者4人でした。今回は選手13人と指導者4人……まったく同じ人数ですね。偶然です。テレビを見ている最中も、レース状況を細大漏らさずメモしています。CMの間が唯一、息が抜ける時間なのです。
カメラを構えていると、謎の女が「ISHIROさんを撮ろうとしているのですか」と、目で質問してきたので、「それが楽しく仕事をするコツ」みたいな答え方をしてしまいました。本当は忙しいときほど余裕を持つことが大切だし、仕事のテンションが上がってきているときほどその手のことを思いつく、と言いたかったのですが、なぜか緊張して上手く説明できなかったのです。
ISHIRO&イチロー写真が撮れず、終わってみたら今日は写真を1枚も撮らない珍しい取材となりました。ということは、女子駅伝よりも忙しかったということでしょう。女子駅伝はフィニッシュ地点が競技場ですし、閉会式の会場が広いことが理由と思われますが、男子の方が選手・指導者をつかまえにくい気がします。女子駅伝のときはレース後に必要な取材は全て終わらせられましたが、今日は2人の指導者のコメントを取れませんでした(といっても、女子駅伝もかなり危なかったのですが)。幸い2人とも携帯電話の番号を知っているので、大丈夫だと思います。
取材終了後、急ぎの原稿を前橋駅前のミスドで書いていると、偶然にもA社のS選手に会って「忙しそうですね」と言われました。よっぽど、目がつり上がっていたのか、元々そういう顔だからなのか。「フリーになってからは、複数の社の仕事を掛け持ちしてるから」と説明。そういえば昨日は夕方、ファミレスで原稿を書いていたら30分ほど眠り込んでしまいました。向かいの椅子の下の方に上手く足を乗せることができて、腰をちょっと前に出すと頭が背もたれのちょうどいい位置にフィットしてしまい、睡魔にあらがえなかったのです。そこを、知り合いのS社Aマネに見つけられてしまい、「夕方の5〜6時台に体温が下がるバイオリズムなんだ」と言い訳。これは事実なんですけど。今日も新宿から乗った小田急の急行で珍しく座れて、元旦だから簡単に座れるのか、などと考えていたら、2分ほど眠ってしまったスキに乗り過ごしてしまい、町田まで行ってしまいました。
戻る電車の中で、チマという名前のエチオピア選手がいて(カタカナ2文字で表記できる選手がエチオピアには多いですから)、町田という人と結婚したら町田チマ、下から読んでも……などと、どうでもいいことを考えていました。我ながら、今年も先が思いやられる1年です。
■12月31日(水)
年内最後の日記です。
13時の監督会議に間に合うように前橋入り。明日のニューイヤー駅伝のメンバーを見て、寺田的に気づいたことは以下のような感じ。
●1区に元NECの3選手が出場
●5区に同学年対決が2つ(徳本一善・岩水嘉孝&藤原正和・松下龍治)
●兄弟揃っての出場は松宮兄弟(コニカミノルタ)&小島兄弟(旭化成)
●兄弟の片方が出られなかったのは入船兄弟(カネボウ)&中野兄弟(佐川急便)&大津兄弟(トヨタ自動車九州)
やっぱり、兄弟揃って出場できたチームの陣容が厚くなっている気がします。
大会本部ホテルでの取材後、区間エントリー表をこのサイトにアップ。17時からまた取材。その後、空き時間にファミレスで原稿を書いていたら、眠り込んでしまいました。そのファミレスで、某チームコーチに取材(ただ話し込んだだけ、とも言えますが)。
そうそう。昨日の日記で書いたベストテン選手の顔ぶれですが、為末大選手だけリストアップ理由が競技とは直接関係のない部分で、ちょっと別枠にしたいと思います。別枠にするのなら、2つほど付け加えます。
為末 大
中之条・里見裕先生
静岡国体の報道対応
里見先生は説明の必要がないかもしれませんが、この10年間で全国中学駅伝4回の優勝という手腕に対して。静岡国体は、選手のインタビュー時間を多くとってくれたことを評価しました。昨日の山口有希選手の勝手に新人賞記事は、共同取材中のコメントで書きました。12月の追加取材はごくわずか。これまでの国体では考えられないような時間を取ってくれたのです。というか、工夫をすれば運営に差し障りのない範囲で、インタビュー時間をとれるということ。これが、陸上競技の普及にどれだけ役立つか。
ホテルに22時頃戻って、前日記事をアップ。この日記を書いていたら、やっと紅白で末續慎吾選手が映りました。さて、これから某所に出向いてカウントダウンです。
■12月30日(火)
年の瀬ということもあって、新年を迎える準備なんかもあって、手一杯。髪の毛を切りに行ったり、銀行と郵便局に行ったり、買い物をしたり。でも、色んな待ち時間や食事のときに、お気に入り作家の中編集を読んだりして、ちょっとだけ余裕も。しかし、記事はなかなか書く時間がとれなくて、夜、やっと山口有希選手の勝手に新人賞記事を書きました。できれば、末續慎吾選手の勝手に年間最優秀選手インタビューも掲載したいのですが、これは明日の夜に時間があったら。ということで、年内の年賀状書きはやっぱりダメでした。
陸上競技の年内の試合も終わりました。陸マガのアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンと年間ベストテンの投票はまだ先ですが、寺田はすでに投票する選手を決めてあります。一足早く、ここで紹介してしまいましょう。
1位 末續慎吾(ミズノ)
2位 室伏広治(ミズノ)
3位 野口みずき(グローバリー)
沢野大地(ニシスポーツ)
岩水嘉孝(トヨタ自動車)
油谷 繁(中国電力)
杉森美保(京セラ)
千葉真子(豊田自動織機)
森 千夏(スズキ)
谷井孝行(日大)
吉田真希子(FSGカレッジリーグ)
内藤真人(ミズノ)
中田有紀(栄クリニック)
山口有希(東海大)
為末 大(大阪ガス)
池田久美子(スズキ)
畑山茂雄(ゼンリン)
坂本直子(天満屋)
新井初佳(ピップフジモト)
川崎真裕美(海老沢製作所)
西村美樹(東学大)
川崎真裕美(海老沢製作所)
小野真澄(札幌陸協)
藤原正和(中大)
1位・2位・3位は現時点で確定しています。末續選手の短距離種目での世界3位は、新聞社系の各種スポーツ賞も取っているように、一般社会でも高く評価されていますから異論のないところでしょう。仮に、陸マガのアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンも末續選手になったら初めて、その年の世界選手権やオリンピックの順位が最上位でない選手が選ばれることになります。
室伏選手と野口みずき選手は、世界選手権の順位で最上位の野口選手を上にする意見もあると思いますが、過去の日本選手の活躍度からすると、やっぱりハンマー投の連続メダル獲得を評価しました。
それを言い出すと、過去に金銀メダリストを多数出している女子マラソンよりも、沢野・岩水・杉森・森選手たちの評価を上にしないといけなくなりますが、そこはやっぱり、純粋な(世界選手権での)順位という部分も考慮します。
4位グループは6人。日本人初という部分で沢野・岩水・杉森・森の各選手、世界選手権での順位で油・千葉の2選手をリストアップしました。順位は、投票のときには付けないといけないのですが、本来、種目の異なる選手に評価の差をつけることほど難しいことはありません(それが好きな人たちもいますけど)。寺田は、根拠のない結論付けをするのはやめます。本当は1・2・3位の差も付けたくはないのです。
10位グループは、日本記録(日本最高も含む)の4選手、プラス、ジュニア日本新&世界選手権4×400 mR1走を評価して山口選手。為末選手は世界選手権の準決勝進出よりも、プロ選手として独立したことを評価しました。実際の投票ではこのうち5人を落とさないといけません。断腸の思いでやらないといけない作業です。
16位グループのうち池田選手は日本選手権走幅跳の感動的な幕切れ、畑山選手は過去17年間での日本最高、新井選手は日本選手権2種目6連覇が印象的でした。
誰か、忘れていないといいのですが。明日あたり、訂正するかも。
■12月29日(月)
箱根駅伝の区間エントリーがありました。記者クラブで全校のオーダーをアップした後、吉野屋で昼食。知り合いの事務所に移動して、夕方まで仕事。夜は新宿で忘年会に(2日連続です)。学生時代の友人たちと久しぶりに杯を交わしました。大した勉強はしていませんでしたが、寺田はこう見えても(どう見えているのだろう?)西洋史専攻でした。今日の忘年会には、友人の知り合いでポーランド出身の女性の人も参加してくれました。ポーランドの大学(日本の短大に相当するようです)を出た後、ドイツの大学を卒業し、現在はドイツと日本を行き来して、日本の焼き物のヨーロッパへの影響を勉強されています。滞日期間も長く、日本語もかなり堪能な方です。その忘年会で1つ、寺田の持論の検証が少し前進したので報告しましょう。
日本では(居酒屋などで)お酒を飲んだとき、最後にお茶漬けやおにぎりを食べたり、場所を変えてラーメンなんかを食べます。炭水化物というか、主食で締める習慣がありますよね。ところが、乏しいですけどこれまでの海外出張などの経験から、欧米では最後、パンを食べる習慣なんてないような気がしていました。パンは酒の肴と必ず一緒に食べるのではないかと。その仮説を、その女性の方に確認したところ、間違いないことが判明しました。インドのナンも、必ず日本で言うおかずと一緒に食べるそうです。ということは多分、アラブ・イスラム圏も同様ではないかな、と思われます。
残る文化圏はそう、アフリカです。例えばケニアの主食であるウガリ(とうもろこしから精製した主食)を、お酒を飲むときに、どのタイミングで食べるのか。それが最後でないとわかれば、最後を炭水化物で締めるのは、日本(東アジア)固有の食文化と言えるわけです。
よっしゃ。現在滞日ケニア選手最強とも言われているマサシ選手(スズキ)に、ニューイヤー駅伝で聞いてみましょう。お酒を飲んだ後にウガリで締めるのかどうか。「まさしく、その通り」という答えが返ってくるかも。えっ、マサシ選手はまだ18歳?
昔の日記
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月