ウィグライプロ スペシャル 第5回
阿見アスリートクラブ
トップ選手を育んだ世代間育成システム


写真はトラックの外周走路を走る楠康成ら。コースの外側にはドッヂボールをする子供たち

 茨城県南部を拠点とする阿見アスリートクラブが陸上界で注目を集め始めている。昨年の全日中では男子200 mで大野晃祥が、同800 mで小林航央が優勝。高校生でも久貝瑞稀がインターハイ女子100 mHで2位、楠康成が国体少年共通800 mで4位と活躍した。2011年の全国大会出場者は各年代をトータルすると18人にもなる。ここまで多くの選手がクラブチームで伸びるのはなぜか。阿見ACの選手たち、経営者、コーチ陣に取材を試みた。

@楽しさのなかで強くなる

●「練習は遊びの延長」
 2月の日曜日の午後。トラックの外周走行路で距離走を行っている楠康成が、チラッと小学生たちの方を見る。「ドッジボール、楽しそうだな。オレもまたやりたいな」。そう思った次の瞬間には自分の走りに集中する。そんなトレーニング風景が阿見アスリートクラブ(以下阿見AC)では日常的になっている。
 楠は昨年(2011年)のインターハイ800 mで7位、国体少年共通800 mでは4位に入賞した。一昨年の日本ユース1500mでは全国Vも達成した実績の持ち主だ。
 その楠が中学生を引っ張って走っていた。同じ走路を女子の集団も、シニアの市民ランナーも走っている。外周走路のバックストレート外側にはフィールドが広がっていて、小学生たちが2班に分かれてドッジボールと、ラダーやミニハードルを使ったトレーニングをしていた。すべて阿見ACの会員たちだ。幅広い世代が同じ場所でトレーニングをする。
 ラダーやミニハードルを使用しているが、小学生たちの雰囲気は完全に"遊び"である。会場全体にも、ピリピリ感はまったくない。ヤクルトの実業団選手として鳴らした理事長の楠康夫が長距離コーチも兼ねているが、選手を大声で叱咤することもない。

阿見AC
 2000年 1月にアスレッコクラブ小学生の部が誕生(クラブ母体・会員11名)し、同年4月にスポーツ少年団アスレッコクラブとして登録。2004年7月にNPO法人阿見アスリートクラブとして茨城県に認証された。クラブ会員は現在280人。「小さなこどもからおとなまでが、一堂に会して同じ場所でトレーニングできる環境を作りたい。365日いつ来ても、指導者がいて、健康のためにスポーツを楽しむ人、トップアスリート目指して練習する人、小さなこどもからおとなまでが、一堂に会してトレーニングできる環境を作りたい」(楠康夫理事長)という理念で運営されている。指導方針などは阿見ACサイトを参照
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 楠康成はこの阿見ACに6歳のときから通っている。兄の康平が同クラブで走っていた影響だったが、当初は"遊び"以外の何ものでもなかった。陸上競技歴はいつから? の質問には「小5くらいから、って答えますね」。長距離の日清カップや、50mのレースに出始めたのがその頃だ。6年時には80mHで茨城県2位という成績も残している。「でも、わけもわからずに出ていただけです。勝ち負けも、中学1年までは特に気になりませんでした」
 競技指向になったのは中学2年から。「相手は3年生でしたが、茨城県の通信大会(1500m)で負けて、ものすごく悔しかったのがきっかけでした」。3年時に全日中800m6位と全国大会で結果を残した。クラブに同じレベルの中学生がいなかったこともあり、高校生に「必死で食らいついていった」と言う。
 楠康成の話を聞いていると何度か"憧れの選手"が出てきた。中学時代は同じ阿見ACで、インターハイ北関東大会に出場した矢崎玄樹という高校生がその対象だった。
「走るのは速いし身長も高い。顔も格好良くて、憧れていましたね。僕は基本、格好良いのが好きなんです」
 そういったモチベーションの持ち方で、高校3年の現在まで走り続けてきたのである。
 中学卒業後は陸上競技の強い東洋大牛久高に進んだが、練習はクラブで続けた。前述のように高2、高3と全国大会で活躍。当然、トレーニングもレベルが高くなってきている。練習が楽ということはないはずだ。
 それでも、楠のトレーニングに対するイメージは大きく変わっていない。
「今も"遊び"ですよ。遊びの延長線上でやっていたら、だんだん欲が出てきたんです。狙えるのならやってみようか、と。でも、もしも練習自体が楽しくなかったら、仮にインターハイの決勝を狙う力があったとしても、やっていなかったと思います」

●「おしゃべりするのが楽しいから」
 久貝瑞稀のトレーニングに対する思いは少し違う。
「"遊び"ではありません。つらいですし、嫌だなと思うこともありますよ」
 楠康成とは同学年で、7歳だった2001年に阿見ACに入会した。楠と同じように練習中はリラックスした表情が多かっただけに、意外な答えだった。
 久貝の方が楠よりも早く、全国大会で活躍し始めた。ハードル種目で小学6年時に全国小学生5位、中学1年時にジュニアオリンピック2位。2年時にはジュニアオリンピックで全国優勝を果たした。昨年のインターハイも2位。
 しかし挫折も経験している。中学3年時に右足の拇指球を痛めてシーズンを棒に振り、冬期には手術に踏み切った。手術後半年間、本格的なトレーニングができなかったが、週に5日、練習日には必ずグラウンドに来て補強に励んだ。
「つまらなかったですよ、本当に。でも、みんなと会えるから、休もうとは思いませんでした。休憩の間におしゃべりをしたりするのが楽しかったんです」

練習中の久貝。メニューをコナしているときは真剣そのもの(写真上)。練習の合間には笑顔が絶えない(写真下)。昨年のインターハイ100mH2位の久貝のベスト記録以下の通り
100mH:13秒71=2011年高校1位
200m:24秒62=2011年高校10位


 リハビリ中の思いは、久貝が阿見ACで練習を続ける理由の1つでもある。
「色んな年代の子が、色んな学校から集まってくる。いくつもの輪が広がる場所だから、練習が厳しくても楽しく続けられるんです。試合でも孤独を感じたことなんかありません」
 個々の練習メニューは頑張って行うが、それ以外のシーンは、練習も試合もとことん楽しむ。それが久貝のスタンスのようだ。
 スタッフたちは試合に臨む久貝を見て、"緊張"や"上がり"はほとんど感じ
られないという。小学生の頃から指導する副理事長の楠朱実は「この大舞台で、ここまでリラックスしていられるのか、と思いました。普通の選手には考えられないことですね」と話している。

●違いはトレーニングに対する"本気度"
 楠康夫理事長が目指した形が"世代間育成のクラブ"である。
「小学生からシニアまでが同じ場所でトレーニングをする。クラブで育った子供が、気がついたら全国大会で活躍する。日曜日のグラウンドは私にとって、タイムマシンで見ているようなものなんです。小さい頃の康成や瑞稀もあそこで遊んでいたな、と思うと感慨深いですね」
 発足は2000年1月。最初は楠理事長が長男の康平をコーチして速くなった。それが友人たちの間で広まったのがきっかけだった。教えてほしいとせがまれて、アスレッコクラブの名称でスタート。発足時の人数は11人だった。それが5月には30人になり、1年後には60人に増えていた。楠康成は発足時からのメンバーで、久貝は2001年3月の入会。2002年には会員数が100人を超え、2004年にはNPO法人阿見アスリートクラブとして茨城県の認証を得た。
 クラブチームではあるが、多競技を指導する総合型クラブにはしなかった。バウンドテニス・コースも併設するが、メインはあくまでも陸上競技。「スタッフも多く抱えられませんし、お金もそこまで集められない。自分たちのできる範囲で進まざるを得ませんでした」(楠理事長)
 とはいえ、小学生に長距離や陸上競技だけを教えたのでは飽きられてしまう。「ミニハードルや変形ダッシュもやりましたが、今日は鬼ごっこだぞ、今日はサッカーだぞと、遊びの要素を多く取り入れました」
アスレッコクラブと発足して2年目、2001年の練習光景<写真提供:阿見AC>

 中学生や高校生のコースになると、それなりのレベルの練習を行うわけだが、名門校、強豪校によく見られるストイックな雰囲気はまったくない。チーム全体が緊張感を持って1つの方向に進めば、大きなパワーが生まれる。それは多くの強豪校が実証しているのだが…。
「遊びからスタートしていますから、練習は自然と楽しい雰囲気になります。練習中も笑顔が絶えないですよ。『挨拶くらいはキチッとしろよ』と言ってはいますが、しつこく言ったらクラブの雰囲気じゃなくなってしまう。子供たちは来なくなってしまいますよ」
 練習量は決して多くない。だが、練習が身になっているのが阿見ACの特徴だ。全国大会出場者が次々に育っているから、何か特別な練習をしていると思われることが多い。「でも、本当に何もないんですよ。特別厳しいトレーニングはしていません。強いて言えば、同じことをやっていても本気度が違うのだと思います」
 クラブに参加し始めるのは自分の意思か、保護者の意思か、どちらかだ。だが、長く続ける選手はどこかの段階で、自分の意思で参加するようになる。無理をして参加している選手はいないのだ。そういう子供は「わはははは、と笑っていても、やるときはキュッと集中して練習をするんです」(楠理事長)。

●教育的な配慮が感動につながる
 阿見ACはコーチ陣の構成が絶妙のバランスになっている。楠康夫理事長は元実業団ランナー。荒川万里絵が短距離、荒川勇希がハードル、小盛栄一がハードル、そしてトップ選手の志鎌秀昭が跳躍と、各コーチが全国レベルの選手だった。その一方で楠朱実副理事長と菊田千恵子コーチ、香取正樹コーチは小・中・高の教員経験者だ。
 香取コーチは楠理事長の恩師で、国体代表というスプリンターでもある。メニューの説明をするのはお手のもので、練習中にも的確に声を掛ける。練習前後で中高生の気持ちを盛り上げる講話は絶妙だ。「やっぱり教員で長年の指導経験があると違います」と、荒川万里絵コーチ。
 そんなスタッフが揃っているからだろう。阿見ACは"教育的"な面もしっかりと指導できている。中学の先生から「クラブで強い生徒は学校での態度が良くない」という話を聞くこともあるが、阿見ACでは無縁の話だ。香取コーチが次のように話してくれた。
「うちのクラブでは、足が速いから学校では適当にやっている、という子供にはやめてもらっています。人間的に魅力のある選手でないと、競技をやる価値はないと思っていますから」
 これは副理事長の楠朱実がこだわってきた部分だ。クラブ選手といえども、一番長く時間を過ごすのは学校である。学校で浮いてしまう存在にはなってほしくないと、クラブ創設時から神経を配ってきた。
 そして子供たちへの配慮と同時に、保護者たちへの気配りも欠かさなかった。強くない選手もしっかりと面倒を見てきたことで、親たちからも信用してもらえるようになった。
 そうすると不思議なもので、弱かった選手が年数を経るにつれて強くなっていく。2011年のインターハイ茨城県予選女子800 mに優勝した桑原沙幸など、小学生当時は補欠で大会にも出られなかった。楠理事長は「そういったのを見ると泣けますね」と感慨深げに話す。
「競技が強くなくてもクラブに通ってくれて、何年も続けた子供が県でチャンピオンになる。大学でも続けようかな、と言うまでになるんです。随所にそういったドラマや感動がある。私も嬉しいし、親御さんたちも信用してくれるのだと思います」
 方針を貫いてきたことが形となる。これも世代間育成の効果だろう。不思議なことではなく、必然なのかもしれない。

写真は上から香取コーチ、楠理事長、楠副理事長、荒川コーチ夫妻

●「大人の作った厳しさを押しつけない」
 久貝が言う。
「小さい子どもたちと仲良くなれるのが阿見ACなんです」。トライアルデーという日が設けられていて、中高校生が小学生のタイムトライアルの補助をする。「そんな感じで仲良くなった子供たちから『ガンバレー』とか応援してもらえると嬉しいですね。自分にもこんな時期があったな、と思うと、また頑張ろうと思えるんです」
 楽しいから頑張れる。それが阿見ACのスタイルとして定着している。
 副理事長の楠朱実が次のようなエピソードを教えてくれた。
「康成が以前、インタビューで『あなたにとって陸上競技とは何か?』と問われて、『いつもあるもの』と答えていました。『僕にとってクラブは遊び場。だから遊びに行っているんです』と。瑞稀も康成も、運動会のような感じで試合に出ています。いつも決勝に残るメンバーがいて、その中で『今日はオマエが1位、オレが4位』みたいな雰囲気でやっているのを感じます」
 理事長の楠康夫は、小学校低学年からクラブで育ってきた2人を見て、「ほぼ理想のシステムになった」と感じている。
「全日中やインターハイに優勝するためにこれをやるぞ、ではたまらないと思うんです。そうではなく、これを楽しもう、その結果上位が狙えるようになったら狙おうよ、という考え方です。子供たちが自分で厳しさを求めるならそれもいいのですが、大人が作った厳しさを押しつけてはいけないでしょうね」
 頂点を目指していないわけではない。だが、そのやり方は強豪校とは別のスタイルだ。それが可能であることを、阿見ACが12年間で実証してみせた。
A世界を目指せるシステム につづく

ウィグライプロと阿見AC
 阿見ACがウィグライプロを使用するようになったのは昨年(2011年)の3月から。楠康成が高体連合宿で激しい練習を行った後に試しに飲んでみると、翌日のコンディションが違ったのがきっかけだった。
「試合が連続した時期に飲むようにしたら、リカバリーが早くなりました。レースの日のアップの前に1包と、レース後に1包飲んでいます。予選と決勝が同じ日にある場合は、予選の後にも飲んだりしていますよ」
 短距離選手では、全日中200m優勝の大野晃祥らもウィグライプロを使用している。


写真は楠康成


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