続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2002年5月 水戸の男女100 m。10秒05も11秒45も5がつく。
寺田的陸上競技WEBトップ

■5月31日(金)
 日本選手権まであと1週間。


■5月30日(木)
 福島大・川本和久先生の「おやじの時々日記」が評判です。
 日本を代表する指導者の日記と比べること自体が恐れ多いのですが、寺田の日記と違って日々の行動がしっかり書き込まれていて、リアリティーがあります。大学という陸上競技の指導現場を読者にきちんと伝えてくれる、数少ない読みものです。
 アカデミックな部分もあり、かつ、「俺らと一緒じゃないか」と親近感を感じさせてくれる部分もあります。また、家庭人としてのぬくもりをにじませ、大学教員の実態を垣間見せ、一線の指導者のすごみ(素晴らしさ)を見せ……全体としては温かみのあるタッチです。書き手の人柄が出ているのでしょう(ちょっと安易な結論でしょうか)。
 その点、寺田のこの日記には“その日、何をしたか”が書かれていないことが多いですね。本当に日記なのか、と自分でも疑問を感じないわけではありません。理由は簡単。ライターの日常を言葉にすると、面白くもなんともないんです。「今日は一日中、外出しないで原稿を書いていた」で終わってしまうことも。せいぜい「昼食は近くのファミレス」が付け加えられる程度でしょうか。
 具体的に“どのメディアの取材か”“誰を取材したか”“誰の記事を書いたか”というところは、日記には書けません。先日の為末大選手のケースのように、書ける場合もあります。それができると、少しは日記らしくなるのですが。
 ということで、今日は取材があったのですが、誰を取材したのかはないしょ。


■5月29日(水)
 伊東浩司選手の引退記事が、新聞各紙で報道されています。サンスポには一問一答も掲載されていて、そんなに多い分量ではないのですが、ちょっと胸が熱くなるのを感じました。息が長かった選手だけに、いろいろと思い出があります。あくまでも、こちらからの一方的なものだと思いますが、ちょっと思い出しただけでも「そういえばあんなことが」というのが、5本や10本の指では足りないくらい浮かんできます。
 そんななかでも、サンスポに以下のようなコメントがありました。
「9秒99が出ていれば、人生が変わっていたかも知れない。でも自分は二百、四百の選手と思っている。だから、悔いは、四百メートルで高野さん(東海大コーチ)の日本記録に挑戦できなかったこと」
 97年か98年の4月に、伊東選手がアメリカで400 mを走ったことがあって、帰国した後に電話でその辺の話を聞いたことがあります。前年に20秒29の日本記録を出し、アトランタ五輪では準決勝進出と200 mである程度の結果を残した後だったので、種目選択にも注目していました。そのときは、400 mにも意欲を示していたことを覚えています。98年の熊本の日本選手権(100 mで10秒08、200 mで20秒16)のときも、本当に直前まで400 mにするか100 mにするか、迷っていたように記憶しています。
 とにかく、伊東浩司が完全に伊東コーチになったわけです。この件については、伊東浩司コーチのサイトに本人のコメントもあるので(新聞と若干、ニュアンスに違いあり、でしょうか)、ご覧ください。
 その日本選手権ですが(話はいきなり今年のことですが)、会員制の特別サイトを設けると記事に書いたところ、2、3メールをいただきました。わけのわかりにくい表現をしてしまいましたが、有料サイトにするというわけではありません(それが、できればいいんですけどね)。たぶん、いつものこのフレーム内で展開することになると思いますし、左のサイトの「大会」の1つになるだけです。
 では、何が会員制なのか。内容はサイト新設の記事にも書きましたが、実は、優勝者予想、日本新記録の誕生確率予想などをして、日本選手権を楽しんで観戦できるようにしようという企画を考えています。なんで、その企画を行うと会員制にする必要があるのか。たまーに、目くじらを立てる関係者がいるように感じるからです。「オレがあいつより評価が低いのはなんでだ」と言う選手や、「ウチの選手の予想を低くされたら、社内的に困る」とか言う指導者(サイテー………のコンディションとは、気温でいったら13℃以下くらいで……なんのこっちゃ)が、いないとも限りません。
 こういう関係者がいると、そのスポーツはいつまでたってもメジャーになりません。少数の関係者、愛好家だけが身を寄せ合って、細々と行うスポーツのまんまでしょう。サッカーや野球のことを考えてください。ワールドカップの日本の勝敗を予想しないメディアがありますか? 開幕前に順位予想をしないプロ野球が面白いですか? 陸上競技だって、オリンピックや世界選手権は平気でメダル予想をやっています。その点、国内大会はなぜか明確な順位予想はしないのが慣例です。前述のような雰囲気があるからです。メディアが、選手や関係者に遠慮している雰囲気があります。
 それで、思い切ってやってみる決心をしたのですが、文句を言われるとテンションが低くなって「じゃあ、寺田的陸上競技WEBやめるわ」と思いかねません。自分ではまだまだ、やめたくはありません。ということで「優勝者予想、日本新記録の誕生確率予想」を書いていますが、それに対しクレームをつけないという会員規約をつくって、それに同意してくれる人だけが、そのページを見るというシステムにしようかと。といっても、単に「同意します」をクリックするだけになると思いますが。
 それにしても、なんででしょう。こんな慎重(というか、チキンハート)なメディアの人間が生まれてしまったのは…。


■5月28日(火)その2
今日の一言。「心が変われば、細胞が変わる。細胞が変われば、身体が変わる」(おやじの時々日記より)


■5月28日(火)
 えーと、すいません。昨日の日記の最後に“インカレの女子4×100 mRで見られるあの光景”が意味がないと書きましたが、この見解は撤回します。具体的に書かないとなんのことかわからないと思いますが、モーリス・グリーン(アメリカ)のスタート前の仕草、要するにスタート位置の前後を舌べろを出しながらうろうろする動作と同じかな、と思い当たったわけです。気持ちを集中させるための一手段かな、と。
 ということで、わけがわからないうちに一件落着(かなり強引)。
 次に、5月14・16日の日記でちょこっと言及したままほったらかしにしてしまった、陸マガ6月号のロンドン・マラソン写真を見て気づいたことです。お手元に陸マガがある方は122-123ページをご覧ください。見なくてもまったくOKなんですが、ハヌーシとラドクリフが自分の出した記録を表示した大型タイマーと一緒に写真に収まっています。そのタイマーには「TIMEX TIMEX TIMEX」の文字があります。TIMEX社(社名かブランド名か自信なし)製のタイマーなわけです。ロンドン・マラソンのスポンサーの1つだったと思います。実は寺田も、TIMEXの時計を持っています。
 ロンドンでストップウォッチをなくしたことは、何回かこの日記にも書きました。ランニングタイム、通過タイム、スプリットタイムと三段表示できるスグレモノで、ヨドバシ価格で1万2600円。しかも、昨年11月に買ったばかりで、トラック取材には一度も使わないまま、ドーバー海峡の藻屑と消えたのです。1万2600円の物をなくしたショックから立ち直ることができたのは、ロンドン・マラソン主催者からTIMEXの腕時計をもらっていたからに他なりません。
 もちろん、ストップウォッチ機能付き。実は、昨年の取材の際にも同様の腕時計をもらっていますが(つまり、手元に2つTIMEXの腕時計あり)、普段は専用ストップウォッチとCASIOの腕時計(50メモリー・ストップウォッチ機能付き)を使用しているので、TIMEXの腕時計を取材で使うことはありませんでした。ところが、三段表示ウォッチをなくしたので「だったらTIMEXでも使ってみっか」と思い立ったのが、兵庫リレーカーニバルの三日前。ストップウォッチはどうやって使うのかな、といろいろと試していたら、メモリーが8個までしか残らないことが判明したのです。
 9個目以降も残るのですが、そうすると1個目が消える仕組みです。マラソンを5km毎に押していったら、中間点を入れたら35kmまでしか使えません。というか、40kmを押した時点で5km地点が消えるわけです。400 mHのタッチダウンだったら、2台目までは残っていません。つまり、まったく役に立たない。そこで思い出したのが、ロンドン・マラソンは途中計時を10km、20km、中間点、30km、40kmの5地点しか公式発表しないことです。道理でメモリーが8個のウォッチを配るわけです。
 などと書くとたぶん、「人から物をもらっておいて文句をつけるとは何事か」と、ご立腹の方がいらっしゃると思います。仰せごもっとも。反省します。


■5月27日(月)その2
 なんと、ファミレスにも弊害がありました。仕事の効率が上がるという理由で、陸上担当記者の間では重宝がられているファミレスですが、あまりにもそこでの仕事を繰り返すと、バッテリーの持続時間が短くなってしまうのです。寺田は同じノートパソコンを2台持っているので、バッテリーも2本あるのですが、そのうちの1本(古い方)が30〜40分しか持たなくなってしまいました。当初は2時間半前後は持っていました。2年前としては優れもの(カタログでは4〜5時間という数値で、当時のこのクラスのノートPCでは最長時間だったはず)だったのですが。
 ISHIRO!記者にも忠告しておこう。彼のWEBサイトISHIRO!「ISHIROのたわごと」は長文エッセイとして有名ですが、聞くところによると移動の車内やホテル(は電源があるか)、ファミレスなので書くことが多いようですから。でも、彼のパソコンはクルーゾー(低消費電力CPU)らしいから、大丈夫なのか。いやー、でもやっぱり危ないぞ。バッテリーが消耗することに変わりはないでしょうから。先ほど指摘したように、「ISHIROのたわごと」はホント長い……今年の大阪GPは万博でしたけど。
 ところで、最近は寺田の日記も結構長いぞ、というご意見をいただきます。5月8日の日記で書いたように、三谷幸喜氏のエッセイに触発された影響でしょうか。でも、さすがにISHIRO記者には負けるはず、という自信があります。自信の根拠は、なんとなく…。両者の違いは、ISHIRO記者(毎日新聞)は1回に書く分量が長いけど4〜5日に1回の頻度、一方の寺田は1回は短いけど一応、毎日書いています。
 ということで、5月に書いた分量を比べることにしました。方法は簡単。まずはワープロソフトを1ページ全角20文字×50行の設定にします。そして「ISHIROのたわごと」5月分と、「続・寺田的陸上日記」の5月25日まで(「ISHIROのたわごと」の最終更新日)をそれぞれコピーして、ワープロソフトに貼り付けてみました。
 結果を発表します。シーンンンっ(100 mスタート前のような静けさ)。
「ISHIROのたわごと」………21ページと4行
「続・寺田的陸上日記」………20ページと47行
 ということで、7馬身もの大差でISHIRO記者の優勝です!! 見事に初代“陸上記者最長文私的エッセイ記録保持者”に決定いたしました。こんなことを比べることに何の意味があるのか、という質問が出るかもしれません。それに対する答えはこうです。
「世の中、意味のあることばかりではありません」
 そのいい例が、インカレの女子4×100 mRで見られるあの光景です。詳しくは明日。


■5月27日(月)
 昼間から日記を書いています。1日が終わったわけではありませんが、別に、悪いことじゃないからいいかなと。何かを思いついたとき、きっかけがあったときにパッと書いてしまおうという新しい試みです(と、特筆するようなことでもないのですが)。後でまた何か思いついたら書き足せばいいかと。
 ゴールデンゲームズin延岡の全記録が旭化成後援会サイトにアップされました。濱砂康輔選手(順大)、やりましたね。さすが、有言実行(24日の日記参照)のランナーです。それにしても、宮崎県記録が30年以上も更新されていなかったとは、意外でした。3分42秒31は学生歴代10位、順大歴代では佐藤清治選手が1年時に3分40を切っていますから歴代2位……かと思ったら、重成敏史選手が3分41秒7を出しているので歴代3位です。3分41秒7は25年前の1977年に出た記録。石井隆士先生の学生記録の翌年、日本記録と同年です。学生歴代10傑を見ると、70年代の記録が3つもあります。やっぱ、中距離って進歩していません。「acom Middle Distance Challenge」が期待される理由でもあります。
 このレースでは、辻隼選手(ヤクルト)も3分41秒01の日本歴代9位。佐藤清治選手とは中学時代からのライバルで、3分41秒01は20歳日本最高記録です。辻・佐藤両選手の1学年上が、3位の木實淳治(八千代工業)選手と濱砂選手、そのまた1学年上が徳本一善(日清食品)選手。アンダー23(24? underを英和辞典で調べたら「以下」と「未満」の両方の意味があった。サッカーではどっち?)の争いも熾烈になっていきそうです。延岡、行きたかったです(2年前に一度、行ったきり)。


■5月26日(日)
 昨日アップした東日本実業団の杉林孝法(ミキハウス)選手の記事に対し、杉林選手自身が彼のWEBサイト掲示板でコメントしてくれました。そのコメントを今日、記事の最後に付け加えさせてもらいました。
 こんなふうに選手のコメントをいただけると、数字だけではわからない部分がわかって、見ている側も面白くなります。科学的な分析と選手の感覚(コメント)がうまい具合に結びつけられる記事が書ければ、陸上ファンも増えるかも、なんて思っているのですが…。そのためには自分が勉強しないと。
 あと、WEBサイト掲示板で、杉林選手と寺田がプレッシャーのかけ合いを繰り広げています。寺田は杉林選手を三段跳選手のプロとして、杉林選手はこちらを陸上報道のプロとして見て、「このくらいのプレッシャーはかけて(かけられて)当然」という感じでコメントしてるんですね。これまでの取材を通じたやりとりなどで、このくらいは書いても大丈夫だろう、という感触があればこそできることです。あまりよく知らない相手だったり、ちょっとプレッシャーをかけることを書いて過敏に反応するような相手だったら、さすがにここまでは面と向かって書けません。
 というか、ほとんどの選手はこのくらいのメディア関係者の接触は、平気だと思います。それなのに、一部関係者は過剰に選手をガードする傾向があるようです。さすがに高橋尚子選手クラスになると、本当にいろんなメディアが押し掛けますから、ある程度の規制は必要かもしれません。しかし、彼女以外に、そこまで無分別メディアが殺到する選手はいません。例えばですが、ある有名選手を取材をしていて、その選手が「明日が早いのでこの辺で」「これからリレーのアップに行きます」「そろそろダウンに行かないと」と言っているのに、強行に取材を続ける記者はいません。
 選手をガードするということは、その選手に“このくらいのことを言う判断力もない”、と決めつけていることになるのです。ここでまた、ロンドン・マラソンの例を持ち出すのもなんですが、レース翌日のラドクリフやハヌーシを、メディアから隔離しようなんていう関係者は皆無でした。レース前だって、日本(の一部マラソン)とは比べものにならないくらい、選手とメディアの垣根が低く感じました。あのゲブルセラシエがメディアの周りをウロウロ歩いているのです。選手のキャラによるのかもしれませんが…。そういえば、昨年のエドモントン世界選手権の前にも、ゲブルセラシエはパーティーでニコニコ、メディアのインタビューを受けていました。故障からの復帰第一戦にもかかわらず、です。グリーンも、地元の小学生相手のイベントで、愛嬌をふりまいていました。
 杉林選手の話とは離れてしまいましたが、選手とメディアがこんな感じで接することができるのは、好ましいことだと思います。杉林選手がどう思っているかは、なんとも言えませんが。


■5月25日(土)
 今週末は取材なし。ものすごく、久しぶりのような気がします。スケジュール帳を見てみると、先週が関東インカレ&東日本実業団、その前が大阪グランプリ&中部実業団、その前が水戸国際、その前が兵庫リレーカーニバル&織田記念、その前が群馬リレーカーニバル、その前がロンドン・マラソン(ちょっと懐かしい)でしたから、4月の第一週以来ということになります。
 ということで、自宅兼オフィスで仕事をしつつ、インターネットなんぞも見ています。延岡のゴールデンゲームスの結果が気になっていた(ホントは行きたくて仕方なかったのですが…)ので、旭化成後援会ISHIRO Flashを夜、のぞいていました。そうしたら、男子ハンマー投の土井宏昭選手(中京大)が71m99を投げたとのこと。延岡では、女子1500mで田村育子選手(グローバリー)が4分12秒30で走ったようです。自己2番目、パフォーマンス日本歴代4位。パフォーマンス歴代4傑中、2つが弘山晴美選手で2つが田村選手。弘山選手の記録はいずれも1994年のものなのに対し、田村選手は去年と今年の記録。21世紀最強の1500mランナーといえそうです。
 この“21世紀最強”という表現ですが、21世紀はまだ2年目なのでそれほど意味はないのですが、間違いではありません。でも、真面目なところでは使い方に注意しないといけないかもしれません。某専門誌のE本君がこの表現が好きらしくて、“世紀の対決”とか、“○○世紀最強”とか彼に言うと喜びます。E本君はああ見えて()やり投のインターハイ入賞者ですが、和歌山の郷土史家としても有名です(※※)。
※どう見えるか、ほとんどの人は知らないのですが、「陸上記者のムーミン」と本人が言っています。
※※ウソ。インターハイ入賞はホント。
 陸マガ編集部からの電話で、綾真澄(グローバリー)選手が日本記録を4cm更新したことを知りました。間もなく、「スポーツ・ナビ」でも記事を確認。延岡では、小林史和(NTT)選手が自己新の3分40秒52をマークしていました。これは日本歴代7位です。
男子5000mでは佐藤敦之選手(中国電力)が13分37秒97の自己新で日本人トップ。惜しくも中国電力記録(13分37秒80=内冨恭則選手)を破れませんでした。
 2位以下の成績を早く知りたいところです。


■5月24日(金)
 20日(月)の日記を読んだある女性の方からメールが来ました。なんと、なんと、濱砂康輔(順大)選手から、日記で触れた優勝の花束をもらったというのです。最初は「これは彼女かな」と思ったのですが、そうではなくて“濱砂選手を温かく見守る”立場の人のようです。プライベートなことではありますが、当人の了解を得ることができたので掲載します。

その、貴重な2つの花束を、もらったのは、私です!!!!
1500mの時は、賞状やらトロフィーやらで両手がいっぱいになって、花束をどう持とうか困っているような時に、ちょうど通りかかったら、「あ、いつもお世話になっているので」と、さっと差し出してくれた偶然系……でした。まわりにいた人々には、その花束がカーネーションだったこともあり、「お母さんありがとう!だ」と言われました(>_<)……確かに。

ですが、2個目の花束には涙がありました。
1500mでもらった花束を家に帰って生けてみたんです。すごく綺麗でした。どうやら、スーパーで売っているのとは違って質もいいみたいで(それは、本当です。一週間経った今でも咲いてますから)かなりきれい。でも、私の花瓶が大きすぎて、不格好でした。で、「生けて飾って下さいね」って濱砂君に言われたのを思いだしてデジカメでとって、金曜日、800の予選の後に観てもらいました。その時に、「花瓶がいっぱいになるように800も!(優勝して花束を……)」と言いました。そしたら、「わかりましたー」と。
でも、800は大学入学後、初の関カレレースですから、かなりプレッシャーだったみたいです。現に、その日、後輩の岩城君から「濱砂さんが、花束あげなきゃいけないから、勝たないとなー」と言ってましたよ、とメールもきちゃいました。
そして決勝。なんとなんと、2冠を達成!
有言実行の濱砂君は「約束でしたから」と言って花束をくれました。
……母の日の花束、はたまた、ふだん花束なんかをもらえないあわれなおんなに(山本文緒さんの文に、一輪の花ももらえない人生が恐かった……というのがありますが……)。

そして、また、次の約束をしました。
次は、日本選手権の花束です。これは毎年、かなり大きいです。テレビや雑誌で観たことがありますが。おかあさんは、花束をもらえるでしょうか!
そして、宮崎ネタですが、濱砂君は、明日、故郷でゴールデンゲームズに出るそうです。狙いは宮崎県記録。
なんと1964年に岩下さん(旭化成)が出された3分44秒8。
有言実行な濱砂君、宮崎県記録保持者になれるか!!
                                                           知り合いの・昔の、なっち


■5月23日(木)
 休日ベースの一日でした。ホワイトベースに休日はあったのだろうか?


■5月22日(水)
 昨日の日記の続きが知りたい、「ハッピーバースダイ!」という寺田のたわごと(寺田の場合、本当の戯言。ISHIROのたわごとはためになる戯言。に…)に対する為末選手の反応が知りたい、というメールは来ていませんが、もしかしたら知りたい方もいらっしゃるかもしれません。
 ということで、発表します。為末選手の反応は……見ていません。言葉の反応はありませんでした。たぶん、苦笑したのではないでしょうか。英語のオーストラリア訛りと引っかけたのは寺田のオリジナルかと思いますが、誕生日に「ハッピーバースダイ!」と言われたことは、過去に何度となくあったと思われます。そのへんを予想していたこともあって、為末選手の顔を見ていられなかったのかもしれません。
 取材の方はというと、さすが為末選手。こちらの意図を理解してくれて、いつものようにわかりやすい例え・説明の仕方で話をしてくれました。記事はインターネットにも掲載されるはずですので、そのときはお知らせします。
 で、今日は、為末づいている一日でもありました。夜、くだんの(先に触れた、という意味)毎日新聞・ISHIRO記者から電話があり、明日の朝刊に為末選手の手記が掲載されるというのです。毎日新聞は九段下の隣の竹橋にあります。
 予告記事にも書きましたが、為末選手の健筆ぶりは有名です。で、私の乏しい経験からですが、文章の上手い選手というのは、インタビューの受け答えも上手いように思います。
 いつぞやも書いたことですが、毎日グラウンドに出る選手・指導者と、毎日陸上競技のことを考えてはいても、グラウンドに出ない記者とでは、知識に天と地ほどの差があります。記者にわかりやすく技術や自分の考えを話せる選手は、総じて文章も上手い傾向があるのは間違いないでしょう。為末選手と双璧をなすのは、砲丸投・日本記録保持者の野口安忠(九州情報大ク)選手でしょうか。98年に日本記録を出した際に取材させてもらい、陸上競技マガジンに記事を書きました。当初は1号で完結するはずの企画でしたが、野口選手の話があまりに面白かったというか、充実していたので、2号に分けて掲載しました。野口選手のWEBサイトの文章は、わかりやすいし面白い。しかも、締めるところは締めている。お勧めサイトです。長距離関係では、WEBサイトを持っている神屋伸行(日清食品)選手や徳本一善(日清食品)選手が、やっぱりねと思わせます。
 ここまで書いてきて、ちょっと愕然。実は、寺田は口べたで有名です。ということは、寺田は文章が下手……やっぱりね。来年の世界選手権も、パリね。


■5月21日(火)
 ※今日の日記を読む前に、必ず昨日の日記をお読みください。話題がつながっています。
 今日は某公的機関WEBサイト&小冊子の仕事で、為末大選手(大阪ガス)にインタビュー取材。考えてみたら、競技場以外で取材をさせてもらうのは、初めてかもしれません。96年のシドニー世界ジュニア(オーストラリアの“今日”はトゥデイじゃなくてトゥダイ)、昨年のローザンヌGP、そしてエドモントン世界選手権と、海外で為末選手が自己記録を出したレースは、寺田は全て取材しています。たぶんというか間違いなく、日本人記者では他にいないでしょう。
 かなり前に、弘山選手に関しても同じようなことを書きましたが、“誰々が取材に行くから記録が出る(出ない)”と言うことはよくあります。ただ、それはあくまで冗談レベルで、本気で言うことはありません。科学的な根拠はまったくないことですから。
 そうではありますが、独立後2年間で撮り貯めた為末選手の写真(全部デジカメ撮影)がそこそこあるのでプレゼントしよう……と思っていたのですが、それほどありませんでした。一応ライターなんで、写真よりも文字ネタの取材を優先しているってことで(言い訳)。そんなに質も量も大したことはありませんでしたが、CD−Rに焼いて、プレゼントしました。ちょっと過ぎてはいましたが、為末選手の誕生日が5月3日でしたから、ちょうどいいかなと思って、取材の最初にCD−Rを差し出しました。
「ハッピーバースダイ!」


■5月20日(月)
 競歩の法元康二(法元選手のサイト)選手からメールが来ました。関東インカレで中距離2冠となった濱砂康輔選手(順大)が、高校(宮崎県妻高)の後輩だというのです。関東インカレの個人種目2冠は、女子では3人がやってのけましたが男子1部では濱砂選手だけ。優勝者に手渡される花束を2つもゲットしたわけです。
 法元選手のメールによると、2人の地元では、「濱砂」という名字はクラスに必ず2人くらいはいるほど多いのだそうです。なるほど、雑学というか、民俗学的にもためになる話です。さすが法元選手、「ウォーキング・ディクショナリー」と異名をとるだけのことはあります(イマイチ)。
 メールのタイトルが、「ハマスナくん二冠!」とカタカナで書いてあったので、一瞬「ハマナス?」と読み間違えてしまいました。はまなすといえば、93年の「はまなす国体(東四国国体)」(と思ったのですが、勘違いでした。はまなす国体は89年の北海道です。訂正します)朝原宣治選手が10秒19の日本新を出して、世間をあっと言わせた大会です。考えてみると朝原選手は日本人初の10秒1台、初の10秒0台(97年の10秒08)と、この種目のパイオニア的な選手でもあります。ちなみに、男子400 mの45秒台と44秒台も1人の選手の手によって時代が切り拓かれました。言わずと知れた高野進選手。現在、朝原選手と9秒台の先陣争いをしている末續慎吾選手(東海大)のコーチです。
 朝原選手といえば、大阪ガスの看板選手ですが、実は明日、大阪ガスに生まれて初めて行きます。取材するのは為末大選手(為末大選手のサイト)。為末大選手も東四国国体で200 mの中学新を出しています。朝の10時からの取材なので、今日のうちに大阪入り(といっても着いたのは24時)しました。今日を英語で言うとトゥデイtoday。オーストラリア訛りは有名だと思いますが「トゥダイ」と発音します。good dayは「グッダイ」です。単に、「タメスエダイ」と引っかけたと考えているあなた、甘いです。
 為末大選手と言えばオーストラリアとは、因縁浅からぬ関係なのです。96年の世界ジュニアで400 m4位と活躍し、2000年のシドニー五輪400 mHで転倒と、失敗をしましたから。そのくらい気づいていたって? そうでっか。


■5月19日(日)
 朝から何かが起こりそうな予感、胸騒ぎはあったのです。東日本実業団に行ったのですが、場所は93年インターハイ会場の宇都宮。昨晩泊まったのはJR宇都宮駅東口側のホテルでした。競技場の最寄り駅は東武線の西川田駅。東武宇都宮駅まで歩いていきました。これがなんと、30分もかかってしまう誤算。昨晩、ホテルで入手した地図は縮尺のないイラストマップだったので、一応、ホテルで質問したんです。
「東武宇都宮駅までは15分くらいですか」
「そうですね。ひと汗かくぐらいです」
 そうか。フロントのお兄さんの「ひと汗」は徒歩30分のことだったのか。覚えておこう。
 で、東武の駅に着いたら、目の前で電車が出発したところで、恋人が乗った電車を見送る映画の主人公のような気持ちになりました(ウソ)。次の電車はちょうど30分後。サーティー&サーティーですね。同じ数字が並びました。
 ものすごい苦悩のいっときを経たあと、断腸の思いでタクシーに乗りました。これが本当の自腹を切る、ってやつです。そのときかかったタクシー代が2340円。この数字の並びを見て、今日は“何かが起こる”と胸騒ぎを感じたのです。
 行ってすぐにわかりました。あの杉林孝法(ミキハウス)選手(杉林孝法のサイト)が走幅跳に出場しているではありませんか。杉林選手といえば、三段跳の日本人2人目、筑波大OB2人目の17mジャンパーで、同種目でシドニー五輪にも出場しています。が、インターハイは走幅跳で勝っているのです。杉林選手が勝ったインターハイが、この宇都宮でした。
 しかし、ちょっと物足りません。朝の、胸騒ぎの大きさは、このくらいの“何か”で済むものではなかったような気がします。
 その“何か”は女子100 mで起こりました。なんと、石田智子選手(長谷川体育施設)と信岡沙希重選手(ミズノ)が同じレースを走っています。この2人、埼玉の伊奈学園高の同級生。信岡選手が近年、400 mや4×400 mR(エドモントン出場)に出場していたこともあり、一緒のレースは久しぶりじゃないかと感じました。レース後も、仲良く一緒にスタート地点へ引き返していきます。
 しかし、これも何かが違います。確かに杉林選手の走幅跳出場も、石田・信岡選手の同一レース出場も、珍しいことではありますが、“胸騒ぎ”的というか、“こんなことが!起こってしまった”というニュアンスとはやや違う出来事です。
 ともかく、スタート地点に引き返す途中の信岡選手に話を聞きに行きました。石田選手が今季絶好調(11秒55の日本歴代5位)ですから、信岡選手の目にどう映っているのか、知りたいと思いました。
寺田「2人が100 mの同じレースを走るのはいつ以来?」
信岡「インカレ以来だよね(と石田選手に同意を求める)」
寺田「じゃあ、3年は一緒に走っていないんだ。今年の石田さんは、どこがすごくなりました?」
信岡「この辺ですね(と、ヒザ裏の少し上の近辺を指さす)。あとはこの辺とか(ちょっと明記できない)。とにかく全体にパワーアップしたと思います」
寺田「100 mに出場したってことは、アジア大会のリレーはよんけい(4×100 mR)で狙っている?」
信岡「その辺はなんとも…。200 mをやるうえで、マイル(4×400 mR)もよんけいも、どちらも役に立ちますから」
 そのときでした。すぐ後ろから大きな声が聞こえてきました。
「よんけい、よんけいっ!」
 振り向いて声の主を見ると、江口幸子選手でした。江口選手といえば、昨年のインターハイ400 m&400 mHの2冠。なるほどね、と瞬時に悟ったつもりだったのですが…。以下のやりとりは、かなり記憶が曖昧なので必ずしも正確かどうかわかりません。ニュアンスだけ、くみ取ってください。
寺田「江口さんがマイルでアジア大会を狙っているから、信岡さんにはよんけいに回ってほしい?」
江口「えっ?????? これからよんけいなんです」
 江口選手は横浜陸上クラブとして、100 mのあとにも4×100 mRに出場する予定だったのです(ちなみにアンカーは、山本絵里選手と、なかなかのメンバー)。さすがに世界選手権2回連続代表の信岡選手に対して、高卒の新人選手が「よんけいに回れ」とは言えません。ちょっと考えてみたらわかることだったのに、あまりにもタイミングが良かったものですから…。江口選手にとっては、タイミングが悪かったというか、単なるとばっちりですね。失礼しました。この場を借りて(借りてるわけじゃないけど、慣用句)お詫びします。
 以上、予感が実際となった“胸騒ぎ”の顛末でした。


■5月18日(土)
 関東インカレ取材中、思いもかけない出来事が起こりました。男子円盤投の與名本稔選手(東海大。52m87の学生歴代5位の好記録で優勝)の話を聞いている最中のことです。
與名本「昨日の時点で対校得点が日大と並んでいるのは、昨夜、インターネットで知りました」
寺田「インターネットって、どこのホームページ」
與名本「寺田的陸上競技WEBです(と言ったか、「寺田さんっていう人のホームページです」だったか、ちょっと失念)」
周囲の記者「この人だよ」
 で、その後、ひとしきり、このサイトの話をしました。
與名本「カウンターが53万だったので、今日、そのくらいの記録を出るかなと思っていました」
 そうかあ。学生歴代5位(52m87)と東海大記録(51m85=畑山弟選手と與名本)更新にはこのサイトが貢献していたのか(本気でそう思っているわけではありません。念のため)。
 ちょっと嬉しいと、すぐに悪乗りそしてしまうのが、寺田の短所です。と書くと、長所もありそうな書き方ですが、たぶんありません。
寺田「じゃあ、目標は60mと書いていいね?」
與名本「いや、それは…。つねに自己記録を更新することです」
寺田「控えめだね。実は川崎(清貴)さんの60mを見てるんだよ」
與名本「日記に書いてましたよね。草薙で、って」
寺田「あんなとこまで読んでるんだ」
E本(某専門誌)「これは、今日の日記で紹介するしかないでしょう」
寺田「もちろん……でも、締め切りが…」
 ということで、3日遅れで“與名本選手ネタ”を書いている次第です。
 そういえば、昨日の日記の「下北沢。」がなんの意味かわからない、というご意見を多々、いただきました。メールではなくて、面と向かってです。「内輪で盛り上がろう」というのがこの日記の趣旨ですから、これは目的を果たしていることになります。そうそう、某サイトの掲示板にも書きましたが、これは、今後流行るはずの“意味なしギャグ”です。「ギャグは意味がないと」(毎日新聞・石井記者)という意見もあります。じゃあ、ヒントは東海大のあの選手、です。


■5月17日(金)
 下北沢。

■5月16日(木)
 関東インカレの取材。
 一昨日の日記で言及した陸マガ6月号の写真を見て気づいたもう1つの点とは……すいません。締め切りが…。まじ、やばいっす。


■5月15日(水)
 ISHIRO!記者が、自身のWEBサイトISHIRO!ISHIRO! Flashという掲示板を開設しました。とにかく、陸上競技の情報を早く(速く、どっちだ)公開しようというコンセプトです。これが陸上関係者・ファンの協力でうまく機能すれば、4月7日の日記のようなことがなくなるわけです。4月23日の日記で愚痴ったようなこともなくなるかもしれません。長距離以外の種目の関係者にとっては、情熱の見せどころでしょう……って、そんなに力むことでもないのかも。“陸上競技を楽しく”……というのは、寺田のコンセプトです。このキャッチ・コピーは、映画「ピンクの豹(ピンクパンサー)」の挿入歌“今宵を楽しく”をパクったものです。寺田の大好きな曲の1つですから。
 話をもどしてISHIRO! Flashですが、ここはコンセプトがしっかり決められているので、それに反することは書いてはいけません。コンセプトに反するネタは、従来からある掲示板に書き込みましょう。まったく関係のないことを書いておいて、「コンセントだ(コンセプトと違う、の意味)」などとくだらないギャグを書くのは、やめましょう、二番煎じになりますから(もうすでに誰かが書き込んでいます。誰かとは…1番・イチロー記者、2番・ISHIRO!記者、3番・寺田。さて正解は何番でしょう。答えはISHIRO!の掲示板で)。
 昨日の日記で言及した陸マガ6月号の写真を見て気づいたもう1つの点とは……すいません。締め切りが…。


■5月14日(火)
 陸マガ6月号発売日。寺田が書いた記事では、ロンドン・マラソン、織田記念、日本選手権の展望が載っています。全部、気合いを入れて書きました。ロンドン・マラソンの写真も5点(カラー3点)、掲載されています。一生懸命撮っておいてよかった、よかった。
 ところで、6月号の写真を見ていて気づいた点が2つあります。
 1つは、渋井陽子選手が女子1万mの日本新を出したカージナル招待のナンバー(ゼッケン)です。数字ではなくて選手名なんですね。「SHIBUI」という。「ついにやったか」と思いました。寺田も実は「数字でなくてもいいんじゃないか」って思っていたのです。あとから言っても始まりませんが…。
 というのは、数年前にパリのグランプリだったと思うのですが、長距離種目にケニア選手が大挙して出ていまして(どこのグランプリもそうですが)、ナンバーの数字の上に、選手名が記入されていたのです。入稿作業(当時は陸マガ編集者)をしているとき、「これってわかりやすいじゃん」と思ったことがありました。ケニア選手の顔は、一部の有名選手しかわかりませんから、写真を選ぶ際にナンバー入りのリザルツと付け合わせます。「この選手はナンバーが3か。えーっと、3番の選手はどこに写っているのかな」という作業工程をするのが普通ですが、それを省略できたのです。
 編集者のみならず、観客も同じ作業を頭の中でしているはず。走っている選手のナンバーを見て、「何番の選手は誰々だ」って具合に。それって、面倒くさいですよね。走っている姿を見て、「あれは誰だ」と、わかったほうがいいに決まっています。
 考えてみれば、“なんのための数字”なのでしょうか。要は、選手が特定できればいいのですよね。だったら、数字でなくとも、名前でいいわけです。ここまで書いてきて、昨年、高岡寿成選手が走ったときはどうだっけ、と思いついてバックナンバーを見ると、ナンバーの上に「TAKAOKA」と名前が入っていました。パリ・グランプリと同じパターンですね。そこからさらに、今年は一歩進めたわけです。
 でも、ナンバーが数字の方が便利なこともあるんです。それは、コンピュータで記録処理を行う際、ナンバーの数字で選手名を一度入力しておき(マスターファイルを作成)、2度目からはナンバーを入力するだけで選手名が表示されるシステムの場合です。インターハイや全日中など、同じ選手が予選、準決勝、決勝と何度も出てきますから(複数種目に出場ケースも多い)、ナンバーに選手名を対応させる方法が便利です。
 気づいたことのもう1つは、ロンドン・マラソンのハヌーシとラドクリフの写真で………。長くなったので挫折しました。考えてみたら、スケジュールが押しているのです。続きは明日にでも。「それって、日記といえるのか」という声が聞こえてきそうです。


■5月13日(月)
 今日は一行日記。たぶん、明日も明後日も。木曜日から取材が続くので、水曜日までかなり立て込んでいます。このままでは、ヘロヘロの状態で国立競技場に行くことになりかねません。
 いただいたメールへのリプライも、滞りがちです。申し訳ありません、って、ここで謝っても仕方ないか。


■5月12日(日)長良川のニアミス
 昨日のうちに岐阜に移動し、今日は中部実業団取材。場所は、岐阜市の長良川(ながらがわ)競技場。砲丸投を除く女子の投てき3種目と、女子走高跳の日本記録保持者が出場する大会です。その3種目が全て、2日目に集中していました。大会主催者の配慮でしょうか。男子100 m予選1組では、2人の五輪選手が走っていました。
 という、なかなかの大会なのですが、大阪GPを取材した記者の多くは、同じ長良川でも競技場ではなく河川敷で行われていた高橋尚子選手のイベントの取材に行っていました。競技場からも歩いて10分くらいで行ける距離です。
「シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子(29)=積水化学=が自身の名前を冠した「高橋尚子ロード」を走る「高橋尚子ジョギングフェスタ」(中日新聞社主催)が、岐阜市の長良川河川敷で開かれた。県岐阜商時代に練習したコースを舞台にしたランニング教室」(中日スポーツ記事から抜粋)というイベントです。
 たぶん、何人かの読者の方は「日本記録保持者が4人も出ている競技会がすぐ近くで行われているのに、取材しないとはなにごと」と、目くじらを立てていらっしゃるでしょう。「金メダリストとはいえ、あくまでもイベントじゃないか」と。
 そうじゃあないんです。そんなに簡単に、ものごとはいきません。社会は、陸上好きの人間の価値観で動いているのではなく、世間一般の価値観で動いているのです、残念ながら。新聞社の記者がいくら中部実業団を取材したいと思っても、会社から「高橋尚子選手の取材に行け」と言われたら、どうしようもありません。新聞社的には(=世間一般では)、記録が出るかどうかわからない競技会(実際、中部実業団で日本記録が生まれることは少ないです)よりも、日本に1人しかいない現役金メダリストの動向を追う方が、価値があるということなのでしょう。実際に今回は、高橋選手が秋のマラソン出場レースを言明する可能性もあったわけです。
 それでも、何人かの記者は、中部実業団の結果を気にして寺田に電話をかけてきました。
 それを、俗に言うところの、陸上に対する見識の高い人たちが「マスコミは陸上競技の価値がわかっていない」と、ネット上で批判するのは簡単です。それでは、なかなか進歩はないのではないでしょうか。いかに、陸上ファンを増やすのかを考えないと。以前、日本選手権の人気を高めるために「箱根選手が世界にチャレンジ」といったキャッチコピーもいいのでは、と書きました。せっかく箱根駅伝がものすごい人気があるのだから、それを利用して、トラック&フィールドの競技会にも興味を持ってもらい、その面白さをわかってもらえばいいじゃないか、というのが寺田の考えでした。このコピーは、ISHIRO記者も言うように、実業団駅伝にも使えます。
 案の定、お叱りのメールをいただきました。
「日本一を決める大会と、たかが関東の学生駅伝を一緒にするな」という論旨だったと思います(この手のことを言う頭のいい人たちは、難しい言葉でメールを書くので、論旨がわかりにくいことが多い)。繰り返しますが、そういったご立派な考えだけでは、社会の枠組みは変わらないと思います。とにかくまず、人気が出て世間一般への認知度が高まることが重要です。そうなれば、陸上選手の受け皿(実業団チームやクラブチームなど)が増え、競技レベルも高まって世界的な選手が増え、さらに人気が出るという好循環になります。
 長良川(ながらがわ)競技場で中部実業団、長良川河川敷で高橋選手のイベントと、両方が同じ日に行われたということを紹介するだけの予定が、長くなってしまいました。高橋選手イベントを取材しながら、中部実業団も取材するという“ながら取材”ができれば問題なかったのですが……。


■5月11日(土)「大阪万博公園の想い出」
 国際GP大阪大会取材。万博競技場に行ったのは初めてです。雨の予報が外れ、お天気には恵まれました。
 注目されていた種目の1つに男子100 mがあります。日本人初、黒人選手以外初の9秒台が出るかどうか、固唾をのんで見守りました。が、ストップウォッチは押しました。フィニッシュ脇のタイマーを止めるのは(要するに1位選手)はモンゴメリー(米)かクロフォードと予想できたので、朝原宣治(大阪ガス)選手や末續慎吾(東海大)選手のタイムを測るためです。
 GPの短距離種目では仕方ないことですが、ベストタイムのいい外国選手が真ん中のレーンになり、日本選手はインとアウトに分かれてしまいます。ということは、日本人1位選手を判別しにくいということ。でも、今日はなんとか、末續選手の先着がわかりました。寺田のストップウォッチは数字はなんと「10.00」。(ホントです。朝日新聞・杉山記者が証人)。
 末續選手の10秒00を予想した一昨日の日記が、まさか現実になるとは……なんて、うまくいくわけがありません。一般的に手動計時と電気計時では、0.1〜0.2秒の差ができます。寺田の場合、10余年の取材経験から、0.1秒前後です。結果はやはり、10秒13でした。
 今大会、日本歴代順位で最も良かったのは女子800 m杉森美保選手の歴代4位(2分03秒56)で、それほど記録的な収穫があったわけではありません。それでも、来年からもぜひ、長居ではなくて万博記念競技場でやってもらいたいと感じました。競技場の大きさが、1万人〜2万人の観客が集まる大会をやるのに、長居は大きすぎるのです。同じ観客数が入場した場合、万博記念の方が、盛り上がった感じがします。初めての万博記念ですが、スタンドの記者席からインタビュールームまでの距離も長居より短いこともあって、気に入りました。
 万博記念競技場は初めてですが、万博公園には来た経験があります。幼少の頃、両親に連れられて大阪万博(EXPO'70って言いましたっけ)に来ました。記憶はほとんど残っていないのですが、その頃の全財産である100円玉が10枚入っていた財布(というか小銭入れ)を落としたことだけはよく覚えています。あとは、暑かったこと。
 ということで、ロンドンでストップウォッチをなくしたばかりですし、今日は落とし物、忘れ物に気をつけました。記者席に置いておいた双眼鏡を片づけられてしまいましたが、無事にもどってきて「今日は何も落とさなかったな」と安堵していましたが、最後に気を抜いたのが失敗でした。
 大阪GPに続いて室伏広治選手、為末大選手ら、何人かの選手が15日のドーハGPにも参戦します。そのことを毎日・石井記者とスポニチ・中出記者が記事を書く合間に、実際に参加するのかどうか、記録はどうか、などといったことを話しています。そこに寺田が割り込んで「ドーハはどーか」などと言ったものですから、最後に信用を落としてしまいました。今、流行のシンプルギャグなんですけどね。
 中出記者から「それは日記の中だけにしてください」というお墨付き(違うかな?)があったことと、尊敬する東京新聞・吉岡記者がウケてくれたことが救いです。


■5月10日(金)
 あなたは「自分はもしかして根に持つタイプなんだろうか」と、思ったことがあるだろうか――普通はないはずである。なぜなら、他人がどのくらい根に持つ性格なのか、正確に計量できるわけはなく、比較しようがないからだ。たまに「俺ってこういうタイプなんだよな」などと平気で言う人間を見かけるが、それは自分で勝手に思いこんでいるだけで、科学的に他者と比べて出した結論でないことは、100%確実である。
 なんでこんな話をしたのかというと、この非科学的な結論「俺って根に持つタイプ」という感覚に襲われたのである、昨日。いや一昨日だった。寺田がそのような負の感情を自覚するなんて珍しいこと(と決めつけている)。よっぽどのきっかけがあったはず。察しのいい読者はお気づきのことと思うが、仇敵佐々木記者からかかってきた電話がきっかけだった。
 トゥルルル、トゥルルル。
寺田「やったるばい!」
佐々木「……ハロッ…ズ」
(この時点で“勝った”と思ったが、それはさておき、彼の用件は案の定、東海大関連のことだった。詳しいことは省略)
寺田「こっちにも、末續選手関連のすごいニュースがあるんだけど」
佐々木「なんすか」(機嫌よさそうな口調)
寺田「先月末の熊本県選手権に末續選手が出ていたって、知ってた?」
佐々木「えっ、マジっすか?」(真剣モード)
寺田「ホント、ホント。熊本陸協のサイトに成績が載ってるよ。ちゃんと末續選手の名前もあるって」
佐々木「そんなはずないですよ。だって、水戸が今季初レースだって、確かに言ってましたよ。種目はなんですか」(ちょっと怒った口調)
寺田「100 m」
佐々木「記録はいくつですか」(かなり攻撃的)
寺田「12秒7台だったかな」
佐々木「……」
寺田「たぶん、妹さんだよ」

 詳しくは4月7日の日記をご覧いただきたい。佐々木記者が「室伏が日本歴代2位ですよ」と電話をしてきて、室伏由佳選手のことだとすぐに理解できず、まんまと騙されたことがあった。その仕返しをいつかしてやろうと、手ぐすね引いて待っていたのである。
 この手の“騙し”のテクニックには、タイミングが重要だ。末續慎吾選手が好記録を出した直後でないと、効果は薄かったはずである。その機会が、昨日、ついにやってきたのだ。これって“根に持っていた”範疇に入る……のかもしれないが、やっぱり他人と比較することなどできないはず。
 それはともかく、佐々木記者はマジで怒っていたような気もするが、「親しき仲にも礼儀あり」……などという諺を持ち出すつもりは毛頭ない。佐々木記者はファミレス論争上の仇敵であって、親しくもなんともないのだから。そこんとこ間違えないように、土佐礼子さん(アルハンブラの想い出、よりも美しい、ロンドンの想い出)。


■5月9日(木)
 明後日(5/11)の大阪GPの100 mで、末續慎吾選手(東海大4年)が10秒00を出しそうな予感がします。もちろん、科学的な根拠があるわけではありません。が、非科学的な根拠ならあります。ここまでの説明でピンときた人は、間違いなくニュータイプ(全人口に対するニュータイプの割合は0.0048%。社会環境の変化によって変動する。ニュータイプの正確な定義は「機動戦士ガンダム」を全話見てください)でしょう。ポイントは、大阪GPの会場が例年行われている長居陸上競技場ではなく、万博記念競技場だということです。
 近年、大阪のビッグゲームのほとんどは長居で行われているので、万博記念で行われた最後のビッグゲームは何だったかな、などと考えていたら、1987年の日本インカレだと思いつきました。というのは嘘で、ISHIRO記者(長文エッセイが素晴らしい。寺田の日記を読むヒマがあったら、ISHIRO!を読むべし)に「万博記念ってどうやって行けばいいの」と聞いたら、彼が学生(つくばだ!)の時に日本インカレで万博記念に行ったことを教えてくれたのです。でも、そこで「太田裕久選手が10秒34の日本タイを出した大会だ」と、思い出したのは、他ならぬ寺田でした(自慢ではなくて事実)。
 ここまで書くと、48%の方がおわかりになったはず。伊東浩司選手は100 mと200 mで日本新を出していますが、どちらも東海大を卒業してからです。高野進選手は東海大の学生時代に日本新を出していますが、種目は400 mでした(大学院時代に200 mでも日本新)。つまり、東海大の現役学生で100 mの日本記録を出しているのは太田裕久選手だけなのです。
 で、その記録が日本新ではなく、日本タイでした。だから、現役の東海大学生である末續選手も、10秒00と日本タイを……というのでは、あまりに短絡的。今、一部で流行しているシンプルギャグならぬ、シンプルこじつけになってしまいます。続きがあるんです。
 当時、10秒34の日本記録を持っていたのは、太田選手の高校(農大二高)の先輩である不破弘樹選手でした。つまり、同じ学校の後輩が、先輩の記録に並んだわけです。だったら、東海大の先輩である伊東浩司選手の日本記録に、後輩の末續選手が並ぶ可能性は大きいと言わざるを得ません……なんか変ですね。よく考えてみたら(考えてみなくても)不破選手は太田選手の後輩でした。先輩が後輩の記録に並んだのでした。ということは明日、奥迫政之選手が為末大選手の日本記録に並ぶ……というのも逆ですね。
 結論はどうすればいいのでしょう。
 いくつかの偶然の符合はありますが、完璧には一致しないので、末續選手は10秒00は出さない、ということになります。それが上になるのか、下になるのか、神のみぞ知っとるばい!!


■5月8日(水)
 久しぶりに読書をしました。ロンドン・マラソン取材の帰途、アエロフロートでミステリーを読んだのが最後だから、3週間ぶりくらいでしょうか。今回はエッセイでして、「三谷幸喜のありふれた生活」(朝日新聞社)。本屋で何気なく手にとって30ページくらいまで立ち読みして、面白かったので購入して、原稿を書く合間に休憩を兼ねて読んでいたら、100ページまで読み進んでいました。
 三谷幸喜といえば推理ドラマの「古畑任三郎」の脚本家として有名です(実は見たことがない)。その「古畑」のディレクターだったかプロデューサーをしていた鈴木専哉氏は、早大時代に400 mでならした人です。ベスト記録は47秒0台だったと思いますが、バトンを持たせたらめっぽう速かった。というか、磐田南高でもインターハイの4×400 mRに優勝しています。たぶん、早大でもインカレに勝ったんじゃないでしょうか。いつもアンカーだったような記憶があります。今度、近藤記者(読売新聞)に確かめておこう。彼は早大競走部出身ですから、そうですね、それがいいでしょう。こんど、コンドウ記者に……(これが、一部で流行っているシンプルギャグ)。
 ということで、三谷氏は陸上とのつながりもある人(脚本家、映画監督)ですし、このエッセイの中でも高橋尚子選手と一緒にメガネベストドレッサー賞を受賞したときのエピソードが紹介されています。このエッセイ集は書き下ろしではなく、朝日新聞に連載されたものを1冊にまとめたとのこと。それで、タイムリーなネタが多いわけです。
 で、なんでここまで三谷氏のエッセイを紹介するのかといえば、この読書がきっかけで、この日記を再開できたのです。5月5日の日記で記しているように、寺田の場合、なにがしかのきっかけがないと、筆が進まないのです(特に、日記は)。
 三谷氏の文章は、飾ったところがないのに味がある文章といいますか、ネタ自体にユーモアがあったり、ウイットに富んでいたり、ペーソス……はコメディー作家だからあまりありませんが。とにかく、平易な文章で日常を綴っているのです。やたらに比喩を使ったり、カッコつけた言葉で飾ったり、推測できるわけのない選手の心を描写したり、高尚なことを言っているらしいがわけのわからない文章を書くスポーツライターとは全然違います。し、なぜか親近感がわきます。言わずもがな、ですが、寺田の文章はまだまだわかりにくいです。もっと磨きをかけて、平易な文章にしなくては。
 ということで、三谷氏の文章に触発されて、5月2日から7日までの日記を一気に書き上げました。読者にとって、めでたいことなのか、嘆かわしいことなのか。


■5月7日(火)
 某選手からメールが来ました。
某選手「朝、○○寺の托鉢が来ました。彼等が来ると“あ〜GWが終わったな”と思う今日この頃です」
 昨日の水戸国際にも出場した選手ですが、陸上の“り”の字も書いてこないところが、彼女の特徴です。こういった場合、こちらからも“陸上陸上した”ことは書きません。次のようにリプライしました。
寺田「昨日はお疲れさまでした(陸上ネタじゃないか)。水戸なのに納豆食べなかったでしょ」
某選手「だから粘れなかったんだ! その前に寒くて電源切れました」
 ということで、水戸で成績が思わしくなかった選手は、納豆を食べなかったせいにしましょう。


■5月6日(月)
 水戸国際取材。末續慎吾選手が100 mで10秒05の日本歴代3位を出しました。でも、記録的なレベルだったら他にも…というと誤解を招きますね。要するに何が言いたいのかというと、末續選手の10秒05は日本歴代3位ですが、110 mHの内藤真人選手、女子円盤投の室伏由佳選手、女子やり投の三宅貴子選手の記録は、自己の日本記録には届きませんでしたが、日本歴代2位の記録を上回る自己2番目の記録……わかりにくい表現ですが、要するにパフォーマンス歴代2位なのです。パフォーマンスの概念がわからない人は、陸マガ記録集計号の日本歴代の欄を見てください。
 でも、社会的にインパクトのあるのは、100 mの記録でしょう。“9秒台間近”という印象になりますから。寺田もまず、100 mの記事から書き始めています。新聞などのスペースでは紹介しきれない、朝原宣治選手のコメントや、ナゲル選手(南アフリカの白人スプリンター)のことも紹介していく予定です。大阪GP前に書かないと意味がないので、頑張ります……大阪GP前に“書いたるばい!”(陸上記者のパクリンの異名を持つ寺田でした)。


■5月5日(日)
「必殺技がほしい」は伊達直人(タイガーマスク)の口癖ですがが、寺田の口癖は「きっかけがほしい」です。日記を中断して1週間になります。特に、死にそうに忙しいわけではないのに、5月に入ってからの日記が書けないのです。そこそこは忙しいし(かなり忙しい、かな)、WEBサイトへの記事を優先させることを自分への口実としてしまって、日記用の筆を執ることができません。
 3月に日記を再開したときの“きっかけ”は、ファミレスでした。ドラマ「恋ノチカラ」でファミレスが取り上げられ、そのことを文章にして紹介したかったのです。佐々木イチロー(日刊スポーツ)というファミレス論争の仇敵がいたことも、モチベーションとなりました。
 今は、再開のきっかけがつかめません。横浜ベイスターズみたいなもんですね……それは最下位。


■5月4日(土)
 渋井陽子選手がアメリカでやってくれました。女子1万mで日本人初の30分台、30分48秒89をマークしたのです。そのすごさは、いずれ記事にするとして(などと書いていますが、今は5月8日なので、実際に渋井陽子選手の記事は書き終えたあと)、女子1万mに関する過去のデータを見ていてびっくりしました。
 1981年(21年前か)の4月に増田明美さん(当時成田高3年。年齢を計算しないように)が1万mの日本記録を出しているのですが、同じ日に(もちろん同じ競技場で)、5000mの日本新も出しているのです。記録は33分20秒0と16分48秒4で、今と比べると低レベルですが、当時としてはすごい記録でした。5000mは1分近く、1万mにいたっては2分30秒近くも日本記録を更新したのですから。
 “おしゃべりキャラ”というか、親しみやすいキャラで売っている増田さんですが、すごい選手だったのです。増田さんと佐々木七恵さんの時代(1980年代前半)って、今の女子長距離の原型ができた気がしています。レベル的にもかなり高いところを見据えていたようです。「佐々木選手は2時間20分前半だったら出せたけど、2時間10分台の時代になると思ったから引退させた」みたいなことを、エスビー食品関係者が言うのを聞いたこともあります。
 とにかく、世界と戦うことなど“夢のまた夢”だった日本女子長距離を、一気に世界レベルへと押し上げたのが、この2選手でした。今のように駅伝を利用して、選手数の多さでレベルを上げられた時代ではありません。どちらかというと、欧米の“個を伸ばす”強化スタイルだったと思われます。
 日本の長距離界は、全体のレベルアップを考える時代は終わり、その中からいかに世界と戦える個を伸ばすか、という命題がつきつけられているように感じます。“増田・佐々木時代”に学べることも多いのではないでしょうか。


■5月3日(金)
 静岡国際取材。草薙陸上競技場と言えば、寺田が幼い日に、男子走高跳と円盤投の日本記録を見た競技場です、って、この話、去年も書きましたよね。だったら別のネタを……草薙といえば、走幅跳。森長正樹(ゴールドウイン)選手の日本記録も草薙ですが、例年、好記録が出ています。今日も、荒川大輔(同大)選手が8mジャンパーの仲間入りをしました。追い風参考と紙一重のケースも多いようですが、この競技場には“走幅跳の神様”がいるような錯覚さえ覚えます。
 誤算だったのは、8m12の記録を持つ渡辺大輔選手でしょう。1回目の跳躍の踏み切りで、足首を捻ってしまったようです。昨年の静岡国際では、8m10の自己2番目の記録を跳んでいたのです。ちょうど1年前の5月3日です。日だけに、ごさん(誤算)は避けたかったはずですが……。


■5月2日(木)
 ホントは書きたいネタがあるんだけどな。時間がない……って、いつ書いてるんだ、この日記。今は5月8日。昨日の日記はたしか、実際の日付に書いたはずです。


■5月1日(水)
 今日は5月一日、一日一善…………先が読めますね、この展開だと。そう、今日は一行日記。5月1日だけに語彙(ごい)が貧弱です。



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