寺田的陸上日記
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ… 昔の日記はこちらから
2001年6月。ジューンブライドと言うけれど、5月に結婚した□太郎くん
●6月30日(土)その2
ミラノに午後8時に着きました。明日は、サンモリッツに移動しますが、電車の予約が必要かどうか、まず確認しなければいけませんでした。国境に近いティラノという駅まで行き、そこからサンモリッツへ登山鉄道のような路線です。時刻表を見る限り、予約の必要な「R」マークはないのですが、念には念を入れた方がいいと判断。
テルミニ駅のように窓口に何時間も並ばなければいけなくなることを考え、駅西側の窓口は番号札を取って待つタイプ。札を取ったらあと100人は待たなければいけません。ホテルが駅から歩いて5分の距離なので、先にチェックインをすませ、再び駅に。しかし、8時半を過ぎていたため、閉まっていました。そこで、駅東側の窓口(並ぶタイプ)に行き、15分並んで「予約が必要か」と聞いたら「予約はできない」との回答。イタリア語でしたが、たぶんそう言っていたと思います。
ミラノといえば、まずは駅の建物に圧倒されます。屋根がこんなに高いのです。しかも芸術的。イタリア人はいい加減な一方で、こんな根気のいることもできてしまいます。やっぱキリスト教のあれでしょうか。しかし、駅前にはこんな近代的なビルもあります。
夕食は駅前のマクドナルド。寺田はモスバーガーの方が好きなのですが、イタリアではマックしか見ません。テルミニ駅にダンキンドーナッツが1軒ありました。
旅先では、「せっかくだからその土地のおいしいものを食べろ」という格言(?)がありますが、寺田はそうは思いません。初めての土地でそういうものを食べようとすると、どうしても高くついてしまいます。だったら、価格も味もわかっている大手チェーン店を利用するのも、1つの手だと思っています。ATFSの田辺清一先生(記録集計号などでお馴染み)も、「海外ではマックさえあれば何日でも平気」と日頃からおっしゃっています。先の格言は、観光協会が流布させたものではないかと、寺田は疑っています。
ホテルの部屋はこんな感じ。3つ★ですが、日本のビジネスホテルと同じと思っていただいてかまいません。玄関・フロントは、もちろんヨーロッパ調で、部屋も日本のビジネスよりかなり広め。7000円強で朝食付き。インターネット接続に一発で成功したのが嬉しいです(メールソフトの設定は、日本で実験してちょっと苦労しているんですが)。バスはありませんが、シャワー付き。ドレッサーも大きく、冷蔵庫のミニバー(こんな感じ)も充実しています。フロントに英語が通じる人がいるのも、この値段にしてはグッドかも(そんなに詳しいわけではない)。ミラノを乗り継ぎ用に利用するときは、お薦めです。
●6月30日(土)
イタリア4日目。
朝食は室伏広治選手と一緒に。実は彼も、寺田と同じホテルに泊まっていたのです。
その後、大会本部ホテルで情報を収集していたら、ロビーに降りてきた今井選手とバッタリ。間もなく朝原宣治、為末大両選手も合流しました。9時半出発のバスに乗るというので、それまで世間話(といって陸上の話が中心)をしました。
400 mHのリザルツ・シートに記載されているリアクションタイムが、為末選手がビリだったことに本人が気づいて話題に。為末選手は8レーンでしたが、外側のレーンの選手ほど遅いのです。何か、原因があるのでしょうか。そう思って朝原選手の100 mBレースを見ましたが、こちらはインとアウトで差は見られません。
3人を見送ったあと、ホテルで新聞原稿の追加と部分的な訂正。7時間時差があるので30日の紙面には間に合わず、7月1日の掲載になるので、このスケジュールが可能なのです。そのあと、ミラノのホテルを電話で予約。体調とインターネット接続をなどを考えて、駅から徒歩5分の3つ★ホテルに。とある割引も受けられそうなので、うまくすると7000円くらいでしょうか。
お昼に3泊したホテルをチェックアウト。タクシーでテルミニ駅(昔の映画ファンには「終着駅」でお馴染み)に向かいましたが、タクシーの中で、パスポートをフロントから返してもらい忘れたことに気づき引き返しました。1万8000リラ(約1080円)の損失です。
ミラノまではユーロスター(新幹線もどきの国際列車)で4時間半。予約が必要なので窓口に行きましたが、長蛇の列。1時10分から2時55分まで並んでやっと窓口に。ユーレイル・セレクトパス(3カ国5日間有効)を持っていたので、ただ予約するだけなのに、この時間。日本のなんと便利なことか。国際列車が走っていないという国情の違いもあると思いますが。
チケットがよくわかりません。まず、どこを見ても列車の番号が記載されていません。車両番号も窓口のおじさんが手で記入し、この番号の車両に乗れ、と言います。プラットフォームのナンバーは?と質問しても、掲示板でチェックしろ(実はこのことは知っていましたが)とのこと。結局、ホームにいた切符チェックのおじさんに確認してOKだったし、1号車ならどこの座席に座ってもいいとのことだったので、安心して空いている席に座りました。英語が通じるとホッとするのが、ローマです。こう書くと英語がかなりできるのだと誤解されそうです。旅行会話レベルです、寺田の英語は。
それで今、ユーロスターの中でこの日記を書いています。途中、フィレンツェに止まり、先ほどボローニャに止まって、今、動き出したところ。フィレンツェは駅の場所が悪いのでしょう、とても「花の都」には見えませんでした。ミラノまであと1時間20分。ってことは、ここはロンバルディア平原ってことか。
●6月29日(金)その2
午前中は「夢舞台ローマ“スタディオ・オリンピコ”の実際 写真で検証」の原稿を書き、午後から大会本部ホテルに移動して情報を収集。昼食はホテルでスパゲッティ。朝はホテルのバイキングでタンパク質と食物繊維とビタミン中心(ハム、卵、ヨーグルト、果物各種など)の食事で、昼は炭水化物をたっぷり。外国での取材時は食事をとれる保証はないので、食べられるときに食べためておく必要があります。
午後4時半のシャトルバスで移動。同じ時間の選手用シャトルは、18時30分と1種目だけ早く始まるハンマー投の選手がほとんど。昨晩、ローマ入りした室伏広治選手は疲れも見せず、各選手と笑顔で挨拶。
スタディオ・オリンピコは昨日下見したと言っても、本番はいろんなブロックに仕切られていて、移動がわかりづらいことこの上ありません。まあ、これも慣れかもしれませんが。
ハンマー投が始まると同時に雨が激しくなり、途中、約20分間の中断。今回、写真も撮る仕事だったので、第2コーナートラック外側でずっと取材していました。記事(と写真)は7月1日付けのスポニチに掲載される、と思います。確約はできませんが。
ハンマー投ではシドニー五輪銀メダル、地元のヴィッツォーニの人気がすごかったです。ハンマー投は第2コーナーのサークルで行われましたが、彼のときは観客がどんどん足を踏みならします。余談ですが、彼は寺田の顔を見るとニコっと笑ってくれるので、好きです。
すごかったのが、為末大選手の400 mH。序盤から飛ばしてトップを快走、場内アナウンスは「タメスーエッ、タメスーエッ」の連呼でした。今大会のアナウンスは、ボリュームが大きすぎて、耳障りだったのですが、このときばかりはあの大音響に興奮させられました。
このレースを第2コーナーの一般観客席で見ていました。急いでミックスドゾーンに行こうと右回りに第1コーナーに行こうとしましたが、どうしても通ることのできない関門があり、逆に左回りにスタンドとスタンドの外側を一周して、やっと為末選手と接触できました。しんどかったです。
男子100 mの人気は相変わらず。モーリス・グリーンが優勝しましたが、フィニッシュ後に右脚を引きずっていました。朝原宣治選手たちから聞いた話では、アップの時も引きずっていたそうです。
最後は、ドラギラ(イタリアではドラヂーラ)選手の世界新挑戦で幕を閉じました。
12時にホテルに戻るシャトルバスの場所が、非常にわかりづらく、また、実は正しい場所にいたのですが、英語の分からないお兄ちゃん(警備員)に質問したのがまずく、まったく違うところを指さされて、そちらに行ってしまい、「おかしい」と気づいて引き返しました。時間に間に合いことなきを得ましたが、このあたりは怖いです。
なんか、あんまりグランプリの雰囲気を伝えていませんが、それは別の機会に。
12時40分(深夜です)に本部ホテルに着き、2、3の用を済ませて、隣の宿泊ホテルへ。1時から原稿を書き、3時には送信して就寝。
●6月29日(金)
イタリア3日目。8時に起床。ヨーロッパ時間なら早起きの寺田です。
今日はいよいよゴールデンガラ。でも、試合は夜からで、移動のバスが出るのも午後4時。それまでに「夢舞台ローマ“スタディオ・オリンピコ”の実際 写真で検証」のページを作らないと。あと、明日の晩はミラノ泊の予定なので、そろそろホテルも考えないといけません。
クリーニングが、平日は9時前に出せばその日の6時以降に仕上がると書いてあったので、出そうとしたら「今日はダメ。休日だから」との答え。要するに「ローマの休日」です。今日がイタリアの休日などと、そんなの外国人にわかるわけがありません。でも、考えてみたら、日本の公共機関やホテルのクリーニングも、祝日には同様に休んでいるのです。日本に来ている外国人がそれを理解するのは、今日の寺田と同様に不可能かもしれません。
でも、そうかあ。休日だから陸上競技のイベントができるのか。
●6月28日(木)その2
モーリス・グリーンがやってくれました。記者会見に30分、遅刻したのです。3時30分からのはずが4時に。「行き違いがあった」とか、司会者が説明していました。真相はもちろん、わかりません。おかげで、4時の予定だったモーリ(イタリア・400 mHセビリア世界選手権金メダリスト)が4時半からに。4時半からの予定だったヴィッツォーニ(イタリア・シドニー五輪ハンマー投2位)が5時近くになってからと、ずれ込んでしまったのです。
5時に日本選手が練習に行くとのことだったので、同行する予定でした。バスが5時に出るというのです。選手専用というか、プレスが行くような性質ではないということなのか、プレス用のバスは出ません。一緒に乗せてもらうのがベストでした。
ところが、上記の経緯で記者会見がずれ込んだため、朝原宣治選手に「たぶん、あとからタクシーで行く」と電話。5時30分にタクシーで会場のスタジオ・オリンピコへ出発。ちょっと渋滞があり、30分近くかかったと思います。イタリアに来て初めて、お金を使いました。30000リラ、約1800円です。
選手がそれなりの数、練習をしていましたし、リハーサルなのか、地元クラブの選手らしき人たちが、実際にピストルを撃って、電気計時を動かしてトライアルをやっていました。フィールド種目も、ちゃんと審判がついて旗を揚げ、計測しています。アナウンスも入れていました。
ところが、日本選手は誰もいません。「そのうち来るだろう」と、1時間くらい待って、その間、競技場のあちこちをチェックしました。その様子は、「夢舞台ローマ“スタディオ・オリンピコ”の実際 写真で検証」と題して、別記事にしました。
7時になっても来ないので、「サブトラックにいるのだろう」と、サブトラックを探しに行きましたが、途中、10人以上の人に「サブトラックどこ?」と聞いても、誰も知りません。というか、英語が通じない人がほとんどで、たまに通じても“I don't know.”。
スタジアムの周りを1周しましたが、サブトラックらしきところ(プールとか隣接していて、違うかもしれない)では、ディスコ大会か何かをやっています。本当に、警備員に聞いてもわからないのですから、どうしようもありません。8時にもう一度競技場を覗いた後、帰ることにしました。
9時前にもどり、プレスルームで新着情報をチェック。選手受付を覗くと、今井美希選手と為末大選手が、コーヒーを飲みに来たところで、その後朝原選手も合流して、お茶をしていました(実際はコーヒー)。選手が5時のバスで行った場所は、明日の本番会場とは違うところだったのです。道理で、いないはずです。朝原選手は、旧知のドイツ人やり投選手と、ドイツ語で約20分の旧交温めタイム。さすがです。11時に3人は引き揚げましたが、室伏広治選手がまだ到着しません。彼を待つ間に、この日記を書いています。
12時過ぎに室伏選手が到着。遅くなった理由は……。
●6月28日(木)その1
ホテルの朝食はバイキング形式でなかなか豪華。それもそのはず。寺田の泊まっている部屋は、通常は2万5000円の部屋なのです。
朝食後、徒歩3分の大会本部ホテルへ。午前中はプレスルームで情報を仕入れ、メールの返事をいくつか。午後、1時半からIAAF会長(ラミン・ディアック氏・この人)主催がプレスを招待した昼食会があり、なぜか寺田にも招待状が届けられ(要するにプレス全員)、ただで食事が食べられると思ったわけではありませが、出席しました。屋外で行われ、こんな雰囲気(写真)でした。
豪華な食事で最後はアイスクリームに生クリームを乗せたデザート。欧米人が中年になると太るのがわかります。最後はエスプレッソ・コーヒー。本場で初めて飲みました。苦かったです。
昼食会の主賓はサイド・アウイタ氏(写真)。5000mで初めて13分を切ったのが、このゴールデンガラ(ローマGL)ということで、招待されたのでしょう。頭髪が少なくなっていたのには驚きましたが、会の最後に挨拶をしてしまいました。「静岡に行ったことを覚えていますか」と質問したら(寺田は静岡県出身)、即座に「1986年だったかな」と答えてくれました。99年にモロッコの大会に伊東浩司選手が参加したことを、とても嬉しそうに話してくれました。最後にサインまでもらってしまった寺田です。
●6月27日(水)その3
ヒースローのゲート近くで為末大選手とバッタリ。為末選手は陸連の海外遠征選手の発表に名前がありませんでしたが、昨日の昼頃、出場OKの連絡があったとのこと。朝原宣治選手もローマに出られるようです。
聞けば、航空会社は違いますが、ローマ到着は30分しか違わないようです。しかも、大会関係者が空港に来ているはずとのこと。ホテルは大会本部のあるジョーリー・ホテル・ミダスだそうです。寺田のホテルは大会本部ホテルから100 mの距離なのですが、ローマの中心部でなく、空港とホテルの真ん中。タクシーで20〜30分の距離で、電車の駅などまったくありません。
大会関係者が空港にいれば、プレス関係者も大会本部ホテルまで一緒に連れて行ってもらえるかもしれない、と考え、為末選手とローマの空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)で合流することに。
先に(21時20分くらい)レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に到着し、入国審査(すごく適当なチェック。パスポートを投げ返されました。14cmくらい)を出たら目の前にGolden Galaと表示してあるデスクが。さっそく、「私は日本のプレスだが、30分後に来る選手と一緒にジョーリー・ホテル・ミダスに行きたいが、一番いい方法は?」と質問。一瞬、コーチの振りをしようかとも考えましたが、これまでの経験からプレスでも十分丁寧に扱ってもらえると判断し、正直に申し出てみました。すかさず、「車で送るよ」との答え。
22時過ぎに為末選手と合流。最初は、同じ便で来たモーリス・グリーン選手と一緒に行くとの話でした。ところが、グリーン選手たちの荷物が出てこず、我々だけ先に出発。
ジョーリー・ホテルはやっぱり遠かったです。120kmで飛ばして優に20分はかかりました。為末選手はさっそくイタリア語で運転手に質問。
ホテルで大会関係者の受付に行きましたが、プレスの受付は終了しているので、明日の朝、また来いとのこと。丁寧な対応でした。為末選手は朝原選手と同室のことがわかり、一安心。しかし、なぜか「IAAFのオフィサーが来るから、ちょっとここで待て」との指示。しばらくすると40歳代の女性が来て、「ドーピングテストをしたいから、部屋に荷物を置いたら5分以内に10*号室に来て欲しい」との要請。抜き打ちドーピングテストの対象にされたのです。
朝原・為末選手の部屋に行き、朝原選手にも挨拶。為末選手はドーピングに行きました。
ちょっと話をしてから、100 mの距離にあるホリデイ・インに移動。
ここは、1泊1万円ちょっと(大会特別料金で、本当ならもっと高いらしい)のそれなりのホテルで、部屋の設備も、ベッドも大きく(こんな感じ)、デスクも広く(こんな感じ)、バスはついていませんがトイレ&シャワーも広くてきれい(こんな感じ)です。
インターネット接続にも一発で成功。
●6月27日(水)その2
ロンドン・ヒースローに着きました。イギリス時間で15時50分。日本時間で23時50分。
空港内に「フリーインターネット」の表示の電話機が何台もあります。中学生くらいの外人(彼らから見ればこちらが外人)が、どの台も占領しています。アラブ系のお兄さんが終わったのですかさずトライ。しかし、ホームページのアドレスを入力しないといけないのです。アドレスを覚えているサイトなんて……と思った矢先、名刺にこのサイトのアドレスが印刷されていることを思い出し、さっそく入力。
しかし、日本語の表示ができず、判読できるのはロゴや画像データとして文字を表示している部分だけです。ちょっと残念。でも、カウンタの数はチェックできました。リザルツなどは、スキャナーで画像データとしているので、こちらも表示可能。ということで、実学のリザルツをヒースローで見ることができたのです。そのことに何の意味があるかは、聞かないでください。
●6月27日(水)
日記何日か分を、京成スカイライナーの車中で書きました。日記が日本時間の27日中にアップできていれば、成田空港でネット接続の作業をしたことになるわけです。次の更新は「永遠の都」は、誰でも知ってるか……「7つの丘の都・ローマ」からです。
でも、ブリティッシュだからなあ。前回、ブリティッシュだったセビリア世界選手権のときは、フライトが遅れてロンドンに一泊させられました。さて、今回は……? とにかく、行ってきます・・・座席、通路側が取れなかった。ロンドンまで12時間半、しんどいな。
●6月26日(火)
昼過ぎまで、いろんな用事を片づけて、昼過ぎから外出。新宿でユーロパスを買おうと思ったら、3カ国に限定したユーレイル・なんとかパスの方が3000円安いことが判明。今回の出張は結局、トランジットでロンドンに寄りますが、行動するのはイタリアとスイスの2カ国だけ。このパスで十分です。
帰宅して、資料を整え終わったのが夜の1時。それから荷造りです。結局、朝の4時までかかってしまいました。
メールマガジンの会員登録者の数は、順調に伸びているようです。1回目のメルマガでは、ヨーロッパ取材で入手した何かを、読者プレゼントにする予定。
●6月25日(月)
カネボウ伊藤監督に電話をして、サンモリッツに行くことを正式にお願いしました。
ローマからサンモリッツへの移動ですが、ローマGPの翌日は昼くらいまで原稿を書くかもしれないので、航空券を予約するのはかなり棄権と判断し、陸路で夕方ミラノに移動して一泊し、そのまた翌日にサンモリッツへ移動することにしました。
スイス航空のザグレブ→チューリッヒのキャンセルもできましたし、陸路なら、ユーロパスというのがあって、任意の5日間を指定して、その間ヨーロッパ主要5カ国プラス数カ国は乗り放題なのです。これを使わない手はありません。計算では、空路+スイス国内の移動正規料金よりも安くつきます。
さて、夜は津田沼である選手を励ます会に出席。津田沼を23:02の快速に乗れば、東京で乗り換えて0時までに新宿に着きます。それがどうしたって? けっこう、重要なことだと思うんですが。
●6月24日(日)
実学取材。平塚の競技場はスタンドの記者席から、スタンド下のプレスルームへの移動距離が短く、その点は楽でいいです。欠点は、これだけビッグゲームを開催しているのに、電光スクリーンがないことです。観客にとっては、アナウンスを聞き漏らしたら終わりですから、なんとかしてほしいところです。
陸上観戦をしていて何がつまらないかと言ったら、「さっきのあの選手の走り(あるいは投てき、跳躍)がすごかったけど、記録はいくつだったのかわからない」となることです。我々取材陣には記者席、プレスルームに記録を配ってもらえますし、主だった役員のところにも記録は配られます。しかし重要なのは、陸上が好きで観客席に足を運んでくれたファンに記録を知ってもらうことだと思います。
参加者(選手ですね)と運営者(役員や審判の方たち)だけが知っていればいい、という考え方では、いつまでたっても陸上ファンは増えないでしょう。「記録は全部、アナウンスしている」と言われるかもしれませんが、アナウンスは聞き漏らすことがあります。まして、フィールド種目や長距離種目の競技中にアナウンスをすることもあるわけで、競技観戦に集中していたらアナウンスされた記録を頭にインプットできないこともあります。それに、あの国立競技場でさえ、バックスタンドではアナウンスは聞き取りにくいのです。場内どこでも聞こえているはず、と考えるのは、本部席にばかりいる人たちでしょう。
●6月23日(土)
昨日、ザグレブの試合で男子ハンマー投が行われないことが判明しました。寺田の取材日程もザグレブではなく、高岡寿成選手が練習しているサンモリッツに行こうかと考えています。というか、当初はその予定でした。ただ、ザグレブ→チューリッヒの航空券を予約しているので、これをキャンセルして同じスイス航空のローマ→チューリッヒに変更できるといいのですが。HISに頼み込んでみます。
午後から外出。クリーニング屋、昼食の後、明日は実学の取材があるので、今日のうちに都議会選挙の不在者投票に。寺田にも選挙権はあります。れっきとした納税者ですから……納税していなくても、選挙権はあるのでしょうか? すいません、よく知りません。考えてみれば、普通の消費生活をしていれば、地方税や所得税などの直接税は払っていなくても、消費税などの間接税を払っているわけです。コンビニの前にたむろして、お菓子を食べながら携帯で電話をしている高校生も、立派な納税者なんです。でも、選挙権はないから、税金と選挙権は関係ないのかなあ。
不在者投票後、新宿に出て出張に備えて買い物。秘密兵器2号と秘密兵器3号を購入。ちなみに、5月10日頃に購入した秘密兵器1号(その頃は“1号”になるとは知るべくもありませんでした。仮面ライダー1号と一緒です)は、そこそこの力を発揮しましたが、やはりカタログではわからない欠点もあって、評価しづらいところです。
●6月22日(金)
マクドナルドも、なかなかやるもんです。別に、「平日半額」のことを言っているわけではありません。寺田のオフィスの近くのマック(関西ではマクド。アメリカではアップル…というのはウソ)の2階はときどき原稿を書くのに利用しているのですが、なんと、グレ電があるのです。つまり、パソコンと接続してインターネットができる。わざわざ、携帯電話で接続する必要がありません。たぶん、以前からそうだったと思うのですが、今日初めて、気がつきました。席がすいていることも多く、仕事をするには絶好の場所です。アイスコーヒーに最初からガムシロップが入っていることを除けば、ですが。
話は変わってヨーロッパ取材ですが、海外(アメリカはよく知りませんが)では、街中の公衆電話でインターネット接続ができることは、ほとんどありません。たまーに、空港にモジュラージャック付き公衆電話をみかけるくらいです。
つまり、海外では街中でネット接続など、携帯電話を使わない限りまずできない。それが、ご近所のマックではいとも簡単にできてしまうのですから。
●6月21日(木)
これを読めばあなたも海外モバイラー(になれるかもしれない)編。
今回のヨーロッパ取材には、初めて、携帯電話をレンタルで借りて持っていくことにしました。徳島新聞・水野さんから、「ロンドン・マラソンのときに持っていった携帯電話が、パソコンと接続して通信ができるやつだった」と聞いたのが月曜日。しかし、そこからが大変でした。
水野さんに紹介してもらった会社に問い合わせたら、「現在パソコンと接続できる機種は全部、貸し出してしまっている。端末(電話機のこと)が予定より早く戻ってくれば、貸し出せるかもしれない」、とのことでした。
その会社がKDDI系列だったので、その翌日(火曜日)、日本テレコムに電話して、海外携帯電話のレンタル会社を2つ、紹介してもらいました。ところが、1つめの会社は、「接続できるが、対象OSがウインドウズの95と98だけ」との、信じられない答え。寺田のノートPCはウインドウズ2000なのです。もう1つの会社は、「通話しかできない」とのこと。
水曜日(昨日)、最初の会社にもう1度、電話をしました。まだ、戻ってきた端末はありません。そして今日、もうだめかなとあきらめ半分で電話したところ、1つありました。
ところがです。パソコンとの接続は無償の代わり、接続ができなくてもサポート外、との規定でした。接続用のソフトもマニュアルも、英語なのだそうです。しかも、日本で接続設定をしてみても、それが正しいかどうかの確認はヨーロッパに行くまでできないのです。
ただ、寺田が行く予定のローマ、ザグレブ、ローザンヌ、ロンドンと全て使用できるそうです。これは、ラッキーでした。ザグレブでつながる、と言ってくれるとは思いませんでしたから。まあ、そういえばクロアチアは旧ユーゴ時代から西側に近かったですから、いろんな点で(ユニバーシアードを開催したザグレブはもちろん、ヨーロッパ選手権を開催したスプリト、チャールズ皇太子が新婚旅行に行ったドヴロブニクなど、どこも共産圏の都市という雰囲気ではなかったですからと、行ったこともないのに知ったかぶり)。
ということで、欧州でモバイルが100 %できる保証は得られませんでした。でも、ホテルをローマの3日間しか予約していないことが、幸いしました。ローマのホテルは高級ホテルですから(いくつ☆かは不明ですが)、たぶん、部屋から接続ができるでしょう(できてほしい)。その間にパソコンとの接続に成功すれば、その後のホテルは1つ☆か2つ☆の安いところにできるわけです。
携帯電話の通話料は発信が1分330円、着信も料金が派生して1分230円と馬鹿高いのですが、1日20分のインターネット接続なら6600円。モジュラージャックのために4つ☆ホテルにするより、安く上がるはずです。しかも、4つ☆に泊まっても、必ずインターネットができるとは限らないのです。ホテルの電話交換機によっては、いくら頑張っても難しいケースがあるそうです。
海外でのインターネット接続に関して詳しく知りたい方は、「ロード・ウォリーリア テクニカル・ポケット・ブック」(発売:株式会社オブビエイター、編集:城下工業)をご覧になるのがよいかと。WEBサイトはhttp//:warrior.co.jpですが、こういうのって、アドレスが変わってることがよくります。変わっていても、寺田のせいではありません。
●6月20日(水)
ヨーロッパ取材ですが、大韓航空のチケットが取れず、英国航空で往復することになりました。ロンドン・ヒースロー経由です。かなり高くつきますが、ロンドン・マラソンの際に残ったコインが手元にかなりあるので、ヒースロー空港で豪遊してきます。そうか、シドニーで派手に遊べば、「豪州で豪遊」か…。1週間後、6月27日出発です。
昼、締め切りの原稿があったのですが、昨日からいろいろ電話で打ち合わせがあったり、問い合わせたり、FAXしたりすることがあって、夕方までかかってしまいました。もちろん、編集部には午前中に電話をして、締め切り延長を願い出ていました。
今日の打ち合わせの結果、近々、本サイトに変化が生じる可能性が出てきました。「変なサイトが変化」か…。
夜は高田馬場で某出版社の方と打ち合わせ。珍しくビールを飲みながらの話し合い。アルコールのせいではないはずですが、珍しくアイデアが次々に出てきました。と、思っているのは寺田だけで、先方がどう思ったのかはわかりません。
●6月19日(火)
高岡選手、残念ながらプラハは不発に終わりました。
寺田のヨーロッパ取材ですが、本日トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表で確認したところ、ローマからザグレブには陸路でも行けそうです。ローマに行ってクロアチア航空の席が取れなかったら、ベネチアに1泊してスロベニア経由で入るしかありません。陸路の方がいろんな風景を見られますから、それも悪くないでしょう。
ヨーロッパのホテルですが、ローマは大会主催者紹介のホテルを確保しました。多少、高いのですが、ローマではなんとかインターネット接続環境を確保したかったので、仕方ありません。もちろん、実際に接続できるかは、行ってみないとわかりません。
ロンドン・マラソンのときも、「LONDON HOTELS」というロンドンのホテル予約サイトで「MODEM
POINT」という条件に合うホテルを探して予約しましたが、滞在した2つのホテルのうち1つは単なるB&B(ベッド&ブレックファスト)で、宿のおばさんに「モデム・ポイントがあるはずでは?」と質問したら(一応、英語で)、「うちではパソコンなんか使ったことない」とのお答えでした(この話は書きましたっけ?)。
ローザンヌのホテルは、ある会社を通して予約を申し込んでいますが、たぶんダメでしょう。ここもロンドン同様、ローザンヌの観光協会のサイトで予約ができるのですが、どのホテルも満室でしたから。最悪、ジュネーブに泊まる方法があります。ジュネーブ−ローザンヌ間は電車で約50分。最終電車は0時30分頃。ローザンヌGPのタイムテーブルを見ると、間に合いそうです。
●6月18日(月)
高橋尚子選手が出場する秋の海外マラソンが、9月30日のベルリンに決まりました。寺田は実は、9月の中旬にトルコに行く予定があります(あくまで予定)。1週間居残ればベルリン・マラソンが取材できるのですが、同じ時期に日本インカレと全日本実業団もあります。難しい選択を迫られることになりそうです。
ところでトルコの首都はイスタンブール…じゃないですね。アンカラです。とにかく、イスタンブールは一時期、ビザンチンとも言われていました。昔、ベルリン・ビザンチン・バグダッドを結ぶ方向に勢力を伸ばそうとした、ドイツの3B政策というのがありました。
高橋選手はバンコクで日本最高を出しました。ベルリンで世界最高を実現したとしたら、3つめのBは……ボストンでしょうか、それとも別大?
高岡寿成選手は今晩、プラハの1万mで日本新に挑みます。
寺田のヨーロッパ出張ですが、ザグレブに行くかどうかで迷っていました。6月29日のローマGL(ゴールデンリーグ)のあと、7月2日にザグレブでGPUがあり、室伏広治、今井美希両選手が両大会とも出場予定なのです。本日、HIS(格安航空券で有名な旅行代理店)に行ってきましたが、ローマ・ザグレブ間のアリタリア航空は6月30日、7月1日とも満席です。クロアチア航空もローマ・ザグレブ間の路線を持っているのですが、日本では予約ができません。
成田−ローマ間も、ロンドン・マラソンのときと同じ大韓航空だったら安いのですが(それでも、4月より2万円近く高い)、週に3便しかないため、滞在日数が2日間延びてしまいます。便数の問題よりも前に、すでに来週の便が満席なのです。ヨーロッパ系航空会社だと、5万円近く高くなります。さて、どうしたものか…。
●6月17日(日)
本日昼締め切りの原稿を、昨晩のうちに仕上げたので、余裕の朝寝坊ができました。元から朝寝坊じゃないか、と言われると返す言葉がないのですが、いつの頃からか、少しずつ早寝早起きになっていたのです。
確か、東アジア大会の頃からだったと思うのですが、夜、12時を過ぎると眠くなってしまっていました。夜中の12時過ぎでも以前だったら楽勝で仕事ができていた時間なので、「これは夜中にやろう」と考えていた仕事ができなくなってしまいました。その分、朝の6時とか7時台に仕事をしていたわけですが…。
ところで、今月末からヨーロッパに行って来ることになりました。他の仕事の兼ね合いでなかなかスケジュールが決まりませんでしたが、グランプリを2試合と、サンモリッツ(スイス)を回ろうかと考えています。でも、飛行機、ホテルの手配はこれからです。というか、実はまだ迷っている部分があって……もしかして、僕って優柔不断?
●6月16日(土)
昨日の続きです。
「○○って、強いの?」と聞いて来る人間は、客観的なデータを知りたいのでなく、質問した相手の意見を聞きたがっているケースが多いのです。つまり、相手の方が自分より知識があり、その人の意見をそのまま受け容れてしまおうという潜在意識があるのでしょう。その方が、データを示されてあれこれ考えるより、楽なのです。だから巷には、データを紹介する記事よりも、なんとなく説得力のある結論だけを書いた記事が多いのです。スポーツだけでなく、文化でも経済でも政治でも、全てに共通しているのではないでしょうか。
たとえばスポーツ番組の解説で、「あの選手はいいですよ」というコメントを聞くことが、たまにあります。解説者の肩書きがすごければ、視聴者は「そうか、あの選手はいいのか」と納得してしまいがちです。これって「この人の判断を信じていれば楽だ」という、視聴者側のレベルの低さを示すものだと思います。どんな点が他の選手と違うのか、どう違うのか、という部分の説明がないのに納得してしまっているのですから。
実況のアナウンサーに「あの選手はどうですか」と聞かれたら、解説者たるもの「いい選手です」「強い選手です」ではなく、「全国大会で入賞経験がある(入賞できそう)」「日本新を近いうちに出しそう(昨年出した)」「動きのどの部分がどうだ」など、より具体的な根拠を示してあげるべきなのです。
話を戻しますと、「○○って、強いの?」と聞いてくる人は、その競技に関してそれほどレベルの高い人間ではないのですから、適当な解説者と同じで「あの選手、強いですよ」と答えてあげれば十分でしょう。それでは、陸上を愛する者としての矜持が許さないという方は、昨日紹介した「61m15は日本記録で、従来の記録を約○m更新して、シドニー五輪なら○位に相当して、今季世界○位の記録です」と、答えるしかありません。
●6月15日(金)
一昨日の日記の、最後の部分の補足です。
「○○って、強いの?」と質問された場合、
「○○の記録は61m15です」と、“強い弱い”で答えるよりも、数字で答えた方が、より正確なイメージを伝えられる、という話でしたが、実はこれ、使う状況を考えないとひんしゅくを買うのです。特に、質問者が目上だと、怒り出す人もいるかもしれません(怒らない人もいるでしょう)。
質問者が陸上競技に詳しければ、記録を言ってあげて問題ありません。また、100 mやマラソンなど、一般世間でメジャーな種目なら、記録(例えば100 mで9秒8台とか、マラソンで2時間6分台とか)で答えて理解してくれる可能性はあります。
しかし、相手が陸上の記録に詳しくなさそうだったら、「○○は強いよ(弱いよ)」で答えてあげた方が、いろんな意味で無難でしょう。一番親切なのは「61m15は日本記録で、従来の記録を約○m更新して、シドニー五輪なら○位に相当して、今季世界○位の記録です」と、答えることです。そうすれば、“強い弱い”という相対的な表現でなくなります。それを“すごいと思うかすごくないと思うか”は、聞いた人間が判断すればいいのです。
●6月14日(木)
久しぶりに、オフィスに籠もりきりの1日でした。そして、珍しく電話がたくさんかかってきた1日でもありました。その結果、いくつかスケジュールが変更に。しかし、具体的にいつ、どこへ行くかは決まっていません。これから行う段取り次第という状況。というわけで、久しぶりに“ちょっとだけ忙しモード”です(でも、仕事依頼は大歓迎)。
ところで今日14日は、高岡寿成(カネボウ)選手が、ヘルシンキ(フィンランド)で3000mに出場しているはずです。出発したのは11日の月曜日。入船敏選手も一緒です。ヘルシンキで刺激を入れて、18日のプラハ(チェコ)1万mで再度の日本新を狙うというプラハです。いえ、プランです。
その後はサンモリッツ(スイス)で高地トレーニングをし、7月に2試合ほど予定しているようです。けど、その2試合はまだ、出場が認められていないとのこと。前年の五輪1万m7位の選手でも、簡単に出られないというのも、すごいですね。ヨーロッパのGPはどういう仕組みになっているのでしょうか(質問しているわけではありません)。まあ、サンモリッツに行けば、事がスイスい進むかもしれません……ちょっと、疲れているのかもしれません。
ところで、競歩の三森選手は姉妹とも引退されたとのことですが、「三森」を重箱読みすると“さんもり”、サンモリッツ……そんなに疲れてないよ…な。どう思いますか、S形さん?
●6月13日(水)
午後から渋谷に出て打ち合わせ。都心に出るのは日本選手権を含めると、6日間連続です。珍しい…かな。
会ったのはある人だったのですが(なんという特定力のない表現)、世の中、すごい人はいるもんだなあ、と改めて思いました。そして、いろいろな人が陸上競技に関わっているのだなあ、とも。ほんと、断言します。陸上界は広い、いろんな才能ある人がいます。
じゃあ、他の競技は広くないのかと聞かれると、ちょっと困ります。この手のことは統計をとりようがありませんから。つまり、寺田の断言などはあてにならないと言うことです。なんとなく陸上競技は、スポーツの中でも競技人口は多いだろう、という推測はできますが。
打ち合わせ終了後、電話を何本かかけ、新宿に移動。某誌編集部の人間と7時に待ち合わせて、韓国料理屋さんに。そのときに、「“一般的に”という言葉をよく使うけれど、使う人間が一般的だと思っているだけで、本当にそうなのかどうかは、いたって曖昧」という意見が出ました。陸上界には優秀な人材が多い――まさに、先の寺田の思い込みがそれに該当するかもしれません。
こういったとき、多い少ないという形容詞を使うから、なお曖昧になるのでしょう。つまり、「陸上界には3万人優秀な人がいて、○○界には1万人しかいない」と言えれば、非常に明快なのですが…。
つまり、ある選手を説明するのに「彼は速い」とか「彼女は強い」という表現では、発言者のイメージを正確に伝えられないということです。「彼は1万mを28分後半で走る」とか「彼女は61m15の記録を持っている」という言葉にした方が、誤解のない表現になるのです。
●6月12日(火)
夕方から都心に出て、打ち合わせが1つ。6月後半の予定がかなり見えてきましたが、まだ流動的な部分も大。400 mHの選手は為末大。
400 mHで思い出しました。世界選手権代表の選考で、3番目の椅子を争ったのは吉沢賢(デサントTC)選手と千葉佳裕(順大)選手。実際、選考委員の間でどうだったのかは知りませんが、記録(48秒65と49秒11)で優る千葉選手と日本選手権の順位(2位と4位)で優る吉沢選手。どちらが選ばれるかは、選考が終わってみないとわからない状態でした。千葉選手が実は埼玉出身で、吉沢選手が千葉出身という点も、英文表記にしたら外国人には混乱しやすい点でしょう(脈絡なし)。
2人は順大で1学年違い。練習は今も、一緒に行っていると思われます。昨日も書いたように、いったい誰が、当落を伝える役目だったのでしょうか。
●6月11日(月)
2時までに原稿を1本書き、その後体協記者クラブに。打ち合わせを1つこなしました。17時から世界選手権代表記者発表です。
代表選手一覧はこちらから。選考内容については女子長距離が、1万mだけの選出で5000mゼロという点が、予想外でした。この点は、記者会見で質問が出ましたので、陸連側の見解を聞くことができました。
あとは、金沢イボンヌ選手のケガを、どう判断したか、ですね。それも、会見で触れられています。
ところで、当落線上の選手で、結果として漏れてしまった選手には、誰が、どのような形で落選を伝えるのでしょうか。代表になった選手が、「誰々から電話をもらって、そのときの気持ちはこんなでした」というコメントは、よく記事になりますが、落ちた選手のケースはなかなか記事になりません。
チームの監督やマネジャーが連絡するケースが多いと思いますが、その人たちの役目って、かなりつらそうです。「何時までに電話がいかなかったら、ダメだったと思って」と、あらかじめ時間を決めておくという方法がありますが、選手としては、白黒をきっちり伝えてほしいところかもしれません。これは、選手の考え方次第ですが。
●6月10日(日)
日本選手権3日目。今日も、予感が的中した。
女子走幅跳の池田久美子選手の1回目の跳躍を記者席から見て、ファウルだったが「これは日本新が出る」と感じた。踏み切り直後のグンっと空中に飛び出るときの感じで、そう直感した……と言い切れればカッコいいのだが、まあ、東アジア大会でファウルながら日本記録以上を跳んでいたと、取材して知っていたことが大きかった。でも、その跳躍を見て、第1コーナー記者席から第4コーナーに移動したのは事実です。Y大のI先生が証人です。
そうしたら、そうしたら、そうしたら……なんと、花岡麻帆選手の6m82という驚異的なジャンプを、間近に見られたのです。と言っても、国立競技場は砂場がスタンドの陰になって、着地地点が見えなかったのですが(これは昔から見づらいと指摘されていることです)……。詳細は、記事をご覧ください。やはり東アジアのときの取材で、花岡選手は左脚のアキレス腱を痛めていると聞いていたので、今大会は苦しいと思っていたので、なおさらビックリです。
しかし、その直後に女子ハンマー投日本新の綾真澄選手の記者会見が始まりそうだったので、会見場に行ってしまい、池田選手の6m78の跳躍は見られませんでした。会見場にモニターテレビがあればいいのに、って昨日も書きましたね。
今回の日本選手権で学習したことが3つ。
1つめは、予断をもって観戦・取材に臨まないこと。今年のこの種目の選手たちの調子から、記録はこのくらいだろう、と決めつけると、あとで後悔します。女子走幅跳の花岡選手、女子砲丸投の森選手のここまでのパフォーマンスは、まったく予想以上でした。今回は、たまたま勘がよかったから見られたのですが、下手をすれば見逃した可能性もあるのです。
3000mSCの盛り上がりや、女子ハンマー投と七種競技の日本新は予想していましたが、400 mの45秒台4人や女子800 mの松島選手の好走など、予想以上でした。
しかし、ある程度重点的に見る種目を絞る必要が生じることも事実です。とにかく、陸上競技はいくつもの種目が同時進行するので取材・観戦者泣かせの競技です。
2つめは、選手が「痛みがある」と言っても、故障・ケガという表現をしてはいけないこと。詳しくは、何かの折りに記事にします。
3つめは、1つめ&2つめと関連したことですが、故障上がりの選手でも、頑張れるということです。
●6月9日(土)
日本選手権2日目。今日は、予感が的中した。
女子砲丸投は、“いつ日本記録が出てもおかしくない種目”の1つだった。前半は16m台すら出ていなかったが、K社のO出さんとも、「森選手は、いきなり記録を出すから油断できない」と話し合っていた。
100 m予選後の朝原宣治選手のコメントを聞きに行ったあと、ゴール地点のゲート下にあるミックスドゾーンから記者席には戻らず、第4コーナーのスタンドに行った。なぜか、足がそちらに向いたのだ。
記者席はトラック種目を見るのには好位置なのだが、フィールド種目でもそうだとは、必ずしも言えない。双眼鏡を使ってアップで見ることも可能だが、肉眼で見るとより鮮明に、スピード感などを感じることができる。
ということで、森選手が突き出した砲丸のスピードを感じ、17mラインの白紛が舞い上がったのを、肉眼で見ることができた。大幅な記録更新を目の前で見ると、得をした気分になる。
記事にも書いたように、今日はその後も新記録・好記録が続出。七種競技の日本新も予想していた種目だったし、男子110 mHの学生新も同様だ。予想外だったのは、女子100 mHで茂木選手の好記録を予想していたのが、勝ったのが後輩の池田久美子選手だったこと。そして、学生タイ記録まで出したこと。女子800 mの松島朋子選手2紛3秒台での優勝、そして、十種競技・平田選手の7500点台での優勝。トップ選手全員が、ピークを合わせてくる試合というのは、ものすごいエネルギーで、こちらの予想以上のパフォーマンスが続出するのだということを見せつけられた。1万mの三代直樹(富士通)、永田宏一郎(旭化成)両選手に110 mHの谷川聡(ミズノ)選手など、故障上がりの選手が、これだけ多く活躍したことも、新鮮な驚きだった。
日本選手権にふさわしい、盛況ぶりと言っていいだろう。記者席とインタビュールームを何往復したことか。できることなら、インタビュールームにテレビ・モニターがあると助かるのだが。でないと、どうしても見られない種目が出てしまうのだ。この点だけが、残念だった。
●6月8日(金)
国立競技場で日本選手権第1日目を取材。
女子やり投の三宅貴子(ミキハウス)選手が、再度の60mスローを見せ、マラソンを除く世界選手権代表第1号になりました(といっても、今回は記録に関係なく3位以内に入れば代表になれたのですが)。以前にも紹介したように、三宅選手はなかなかノリのいい選手で、今日も昔のことを振り返った際のコメントで「“やけ投げ”になっていました」というものがありました。
三宅選手のことは置いておくとして、今日は“やけに”やり投選手の取材が多かったような気がします。トラック種目は予選のみで、決勝はフィールド5種目だけ。そのうち2種目が男女やり投でしたから、当然かもしれません……いえいえ、多かったのには理由があります。
5月6日の水戸国際で三宅選手が61m15の日本新をマークしたとき、彼女が岡山県(就実高)出身ということで、「旧規格の日本記録保持者・松井江美選手(同じく岡山県の美作高出身)との面識があるか」とか、「オリンピック選手だった松井選手から受けた影響は?」とか、質問していた記者がいました(寺田という名前らしい)。しかし、私の脳裏に浮かんだのは、「松井選手といえば、同じ美作高出身の植徹(富士通)選手は、最近元気がないな」ということでした。
もう1つ、女子やり投前日本記録保持者の小島裕子(東京陸協)選手は、目の前で記録を破られて、どんな気持ちだったのだろう、という点も気になりました。
この2点を本日、“やけに多くやり投の選手を多く取材した”ことで、知ることができました。もうすぐ、記事にしたいと思います。
●6月7日(木)
夕方、日本選手権の「種目別注目ポイント」の記事を書きながら、サッカーのコンフェデ杯もテレビで見ていました。
会場は横浜国際競技場。試合開始直前に雷雨になり、生憎のコンディションに。せっかく記録の出る競技場なのに……というのは、サッカーには関係ないですね。悪コンディションは事実でしょうが、それはどちらのチームにも同じ条件です。強いて言えば、雨でも影響の少ない選手と、大きく影響される選手で、差が出るかもしれませんが。それにしても、中田英寿選手のフリーキック、すごかったです。
とにかく、雨の影響は陸上競技ほどではありません。といっても、陸上でも有利不利は全ての選手に平等に働きますので、記録が全体的によくなるか、全体的に悪くなるか、です。順位(勝負)には影響はないわけです。
しかし陸上の場合、他の競技と比較して記録が重要になります。標準記録を破るか破らないかで、世界選手権など大きな大会(日本選手権や全日中等もそうです)に出られるかどうかが決まります。それによって、社会的な認知度まで変わってくるのです。
などと、誰でもわかっていることを長々と書いてきたのには、ちょっとわけありです。
結論は、明日からの日本選手権、天候的にはなんとかいいコンディションになってほしい、ということです。雨が降る降らないは特に、フィールド種目に影響しますし、今回の日本選手権では、フィールド種目で世界選手権標準記録突破を狙っている選手が多いのです。
そういえば、サッカーの中田選手はコンフェデ杯決勝は欠場するとのことですが、陸上の中田選手(もちろん七種競技)は日本選手権、出場できそうとの情報です。
●6月6日(水)
サラリーマン時代、寺田はJR水道橋駅を利用することが多くありました。要するに、ベースボール・マガジン社の最寄り駅です。ところで、水道橋駅に止まる電車(新宿方面行きの場合)は、昼間は千葉方面から来る総武線(黄色い電車)で、夜の何時か(確か10時半頃)を過ぎると東京発の中央線(オレンジ色の電車)なのです。
つまり、中央線は通常、御茶ノ水駅の次は四谷駅、そして新宿駅と停車駅が少ないのに、夜遅くなると各駅停車になるのです。総武線も同様にややこしくて、千葉方面から乗ると、昼間は各駅に止まって新宿や中野まで行きますが、夜中になると御茶ノ水止まりとなります。
この複雑なシステムを、外国人は理解できるのかなと、いつもいぶかっていました。旅行者も同様です。わかりっこないような気がします。でも、伊東浩司選手(当時、兵庫県在住。今もか)は中学2年時の全日中に出場した際、100 mの予選と準決勝の間に「後楽園に行ってお好み焼きを食べた」そうなので、千駄ヶ谷と水道橋間を総武線で往復したのでしょう(だからなんなんだ、とメールを寄こさないで)。
なんで、総武線と中央線の複雑なシステムを思い出したのか。男子1500mの小林史和(NTN)選手のことを記事にしていたら、棒高跳の小林史明(ミキハウス)選手と名前が似ていることに気がついたからです(誰でも気づくわな)。名前だけでなく、2人とも三重陸協登録。外国人の陸上愛好家で、漢字がそこそこ読める人がいて(アルファベットでもいいか)、この2人が同じ三重県という点に気づけば、「血縁関係があるのか」と勘違いするのではないでしょうか。
ちょっと想像してみてください。ロシアの強い選手が2人にて、同じ地方の出身で、名字が一緒で、名前の綴りも半分一緒――そんな2人がそろって国際大会で活躍し始めたら、必ず外国人記者は「血縁者か」と質問して確認すると思います。
ということで、両小林選手には、そろって国際大会で活躍してほしいと思います。もちろん、外国人記者に「血縁関係はあるのか?」と質問させるためにです。そういうのって、頑張るためのモチベーションにならないっすかねえ。
●6月5日(火)
小学生の頃、ある漫画を読んだのがきっかけで、柳生石舟斉から宗矩、十兵衛三厳と書物を読みふけったことがあった。年齢的には柳生十兵衛よりも宮本武蔵の方がかなり上なのだが、どっちが強いのだろう、と真剣に考え込んでいたものだ。柳生贔屓だったので、柳生十兵衛が日本一の剣士だったのだと、思い込もうとしていた。だが、考えてみれば当時、剣術の日本選手権があったわけでも、宮本武蔵が名のある剣豪全員と手合わせしたわけでもない。日本一を決めることは物理的に不可能だったのである。
その点、現代の陸上競技は日本の強豪が一堂に顔を合わせる大会がある。言わずと知れた、日本選手権である。
かつて寺田が、まだ仕事として陸上競技と接するようになる以前、試合として一番ワクワクしたのは、日本選手権だった。確かにオリンピックもワクワクしたが、レベルの高い国際大会では、日本選手が勝ったり、短距離で決勝に進むことなど、期待できることではなかった(唯一できたのが、ロス五輪での瀬古利彦選手だった)。その点、日本選手権は必ず、その年の“日本一”の選手が決定した。それだけで、背筋が震えるような(って、どんなんだ)期待感を抱けたものだ。それを僅か2日間の間に、30何種目も目の当たりにできる。専門誌を買えば、結果が予選から全て載っている。まさに至福の時だった。
どうも今回の日本選手権は、世界選手権最終選考会という部分ばかりが強調されているように思う。別に、世界選手権の選考会でなくたって、十分ワクワクできるのではないか。せっかく日本で一番を決める試合なのである。日本選手権を楽しむのに、上位大会ともいえる世界選手権につながる部分に注目するのも当然だとは思うが、そういった楽しみ方を、世間にプレゼンするのが……誰の役目でしょう?
●6月4日(月)
午後は久しぶりに、ファミレス→クリーニング屋の行動パターンでした。ファミレスでは、東アジア大会女子400 mH日本新の記事の後編を書き終えました。これで、大会直後に書けなかった関東インカレや東アジア大会の記事も、なんとか終了。
問題は、日本選手権の「種目別注目ポイント」の記事を何種目書けるかです。
もう1つ問題が生じています。愛機のノートVAIOのバッテリーを固定する留め具が1つ、取れてなくなってしまったのです。留め具は2カ所についていて、1つでもなんとか固定できて使用できるのですが、外出先でバリバリ使用することを考えると、心許ないものがあります。
土曜日にビックカメラに修理に出そうと行きましたが、「最低でも1週間から10日間はかかる」と言われ、今日、ソニーのカスタマーセンターでも同様のことを言われました。仕事でパソコンをお使いの方はわかると思いますが、数日間でもパソコンが手元になかったら、文字通り仕事になりません。ということで、修理には出せないでいます。
東アジア大会の記者会見で花岡麻帆選手が「左のかかとのあたりに痛みがありますが、日本選手権まではこのままいくしかない」とコメントしていました。それと状況がよく似て……いるかどうかは意見が別れるところでしょうが、しばらくは修理に出せません。
小売店もメーカーも、毎日何十台、何百台、あるいは何千台とパソコンを扱っていて、個人にとっては1台しかないパソコンの役割の重要性というものが、肌で感じられなくなっているのではないでしょうか。
ちなみに寺田はデスクトップも持っているのですが、このサイトを立ち上げてからは取材先で原稿を書くことが多くなっています。決して、ファミレスで原稿を書くために必要だと言っているわけではありません。
●6月3日(日)
土日で取材が入っていないのは、何週間ぶりでしょうか……と、数えてみたら9週間ぶりでした。
●6月2日(土)
高橋尚子選手出演のロッテCMを、2回見ました。2度ともQちゃんのダンスにばかり目が行ってしまい(シドニーでもスタート前にダンスを報道陣に披露できる平常心があったんだなと、8カ月半前を思い出して)、具体的に何の製品の宣伝だったか、覚えていません。同じような人が、全国に何人もいるのでは? 具体的に何人いるかはわかりませんが。
●6月1日(金)
6月は梅雨の季節。日本選手権まであと1週間。どうやら関東地方は、それまでに梅雨入りしそうな雰囲気です。しかし、週間天気予報によると、週末は雨模様というわけでもないようです。1週間先のことなので、実際にどうなるかはなんともいえません。なんとか持ってくれるといいのですが。
ところで、日本選手権が以前、6月に行われていた頃(たぶん90年代前半)、大会前に雨の日が続き、練習に支障が出るんじゃないかと心配されたことがありました。ところが、その年の日本選手権は好記録が続出。「試合直前に練習できない条件に半強制的になったことで、疲れがうまくとれた選手が多かったのかな」、などとも考えました。
でも、ちょっと待てよ……昨年、ある指導者の方がこんなことを話されていました。
「“レース前に故障をして練習を休んだので、かえって疲れがとれて結果がよかった”というコメントをよく聞くが、それは練習計画が間違っていたということの裏返し。だったら、最初からその期間を休養的練習にすべきではないのか」
雨が続いて疲れがとれた、という話も同じことですね。
昔の日記
2001年 1月 2月 3月 4月 5月