続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2002年12月 師走でも 走るは生徒 騒ぐは○○
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■12月31日(火)
 ぶるるるぶるるるっ、ぶるるるぶるるるっ。前橋が寒くて震えているわけではなく、マナーモードの携帯電話が震えたのです。ニューイヤー駅伝開会式終了後、あるチームのコーチを宿泊先のホテルで取材し終わった直後のこと。電話をかけてきたのはISHIRO!こと毎日新聞・石井朗生記者。陸上界では周知のことですが、マリナーズのイチローに顔が酷似しています。瓜二つってやつ。最近は歌手の平井堅にも似ていると、もっぱらの噂です。
若倉コーチのサイトに、エントリーリストが全チーム載っています」
 という情報。開会式後、石井記者から「何時に区間エントリーリストを載せますか」と質問され、「このあと取材があるから、夜になっちゃうかな」と答えたのが、2時半頃でした。石井記者も掲示板に主要チームのオーダーを書き込むつもりだったようです。箱根駅伝を扱うサイトは雨後の筍のように増え、区間エントリーの情報もすぐにネット上を駆けめぐりますが、ニューイヤー駅伝を扱うサイトは数えるほど。だからこそ、自分たちが頑張らないといけない、という認識が2人の間で共通しています(石井記者に確認したわけではありませんが…)。
 しかし、これで、入力する手間が省けました。WEBサイトのいいところは、他者サイトの情報でも、リンクを貼ることで情報源にすぐに飛ぶことができること。改めて言うまでもないでしょうけど。それにしても、若倉コーチの情熱には頭が下がります。
 ということで、寺田は監督・選手のコメントを紹介することに労力を割くことができました。というものの、中国電力・坂口監督のコメントをアップしたのが19時台。最初は、一問一答形式でなく、三人称で書きました。書き上げた後、「これだったら別のメディアにでも書けるかな」と思い、本サイトではインタビュー形式にしました。アップ時間が遅かったのは、書き直していたからです。

 さて、昨日の続きで、“この1年間で印象に残った取材”の下半期版。すでにおわかりのことと思いますが、印象に残る基準は適当です。
7月:ローザンヌで劉翔取材&フランクフルトのカレー&ローマ福士コメント
 ヨーロッパ取材で印象に残っていることは、本当にたくさんあります。ちょっと思い出しただけでも、「あれもあった、これもあった」と、次から次に出てきます。その中であえて選ぶとしたら、ローザンヌGP男子110 mHで13秒12のアジア新を記録した劉翔選手を、大会本部ホテルの前で突撃取材したことでしょうか。今考えても、あんな度胸がよくも出たな、と思える行動でした。
 でも、ヨーロッパはそれだけではありません。フランクフルトでは電車の時間の都合で、僅か10分の写真撮影取材ということもありましたし、そのフランクフルトでは選手が作ってくれたカレーライスもいただきました。
 福士加代子選手のコメントも強烈でした。最初の5000m日本新を記録したローマGLのレース後のことです。どんなコメントだったかは、ちょっと書けません。アジア大会のときのあのコメントに近い内容です。
8月:8年ぶりのインターハイ
 茨城インターハイに行きました。インターハイは94年富山大会以来、8年ぶり。若いパワーを目の当たりにしただけでなく、当世の高校生競技者気質にも触れることができ(というか、某ライターの方から教えてもらい)、これも印象的な一夏の想い出となりました。
9月:日本インカレでの宮崎久選手とのトーク
 日本インカレで思い浮かぶのは、宮崎久選手とのトークですね。
寺田 ヨーロッパは初めて? アルゼンチンは世界ジュニアで行ってるけど?
宮崎 アルゼンチンじゃなくてチリですよ。
寺田 そうそう、チリ。いやあ、地理に弱いもんで…………これ、なかなか上手いでしょ。
宮崎 そうですかあ。ちょっと、あれだなあ。
 宮崎キャプテンに認められるユーモアを、と思いながら、その後はこれというネタを披瀝できませんでした。この課題は越年。
 スーパー陸上の印象が、なぜか希薄です。2年前は柿沼和恵選手の涙に末續&山村の学生記録、昨年はマイケル・ジョンソンの公式インタビューでの最後の質問と、思い出があるのですが…。
 全日本実業団女子1万mで優勝した羽鳥智子選手のうれし涙にも、胸を打たれました。
10月:アジア大会(ユンケル)&成田
 アジア大会は体調との戦いでした。まあ、一番やばかったのは出発前で、現地ではちょっと快方に向かっていたのですが、夜、眠れなくて…。あれは、きつかった。
 大会期間中にシカゴ・マラソンで高岡寿成選手が日本最高を記録して、それを知ってすぐ、午前中に競技がなかったのでエッセイのような記事を書きました。その頃は体調もよかったんですが。シカゴに行っている記者の方に帰国便を確認したら、寺田が成田に着く時間とほぼ一緒。成田空港でバゲージクレームに行くと、2つ隣のシカゴからの便でした。なんという偶然、30分ほど待って、直接お祝いを言うことができました。
 話は釜山に戻りますが、体調が悪かったときにイシロー(石井記者)から粒状ユンケルをもらいました。これで少し体調が上向きになりましたから、とっても感謝しています。帰国後(すぐではありませんが)、テレビを見ているとイチローがユンケルのコマーシャルをしています。成田空港の件といい、ユンケルといい、偶然が重なります。
11月:国際千葉駅伝・佐藤選手のユーモア
 とにかく忙しい月でした。そのなかで高岡寿成選手の取材に行き、中部実業団対抗駅伝の前日には30年ぶりに下呂温泉に泊まり、国際千葉駅伝では佐藤敦之選手のユーモアを引き出しました。
「“あぶらや”が走った区間は今年も“あぶらや”。“あつし”が走った区間は今年も“あつし”」というコメントは、寺田のリクエストに応えて佐藤選手が考えてくれたものです。それを単なるユーモアに終わらせず、「このレースで快走して、日の丸を付けたときには走れるイメージを持ちたいですね。タイム的にも、去年の藤田さんのタイムが最低限の目標です」と、自分が置かれている競技上の状況にきっちり結びつけるところが、佐藤選手のすごいところ。
12月:福岡国際マラソンでゴジラ! ガメラ! アベラ!
 シドニー五輪・エドモントン世界選手権と男子マラソン史上初の両大会金メダリストにもかかわらず、「オーラが今ひとつ感じられない」と評されたアベラのために、あるマラソン関係者の方が「ゴジラ! ガメラ! アベラ!」のキャッチコピーを思いつきました。このコピーを広めるべく、博多の街を脚が棒になるまで歩き回り、ゴジラとガメラのフィギュアを探しました。
 結局、現在映画が製作されていないガメラのフィギュアは見つけられず、ゴジラとカメラとアベラの写真を撮りました。

 こうして振り返ってみると、退屈はしていませんね。その代わり、8月からは読書がまったくできていないわけですが。来年は……などという締めはなし。
 みなさん、良いお年を……と書いているのは、もう2003年。


■12月30日(月)
 昼に1本、原稿を完成させました。一昨日の締め切りで本文とカコミ2本は提出していましたが、編集サイドと色々と相談しながら、残り2本のカコミと本文の訂正をするのが今日までかかってしまいました。これで、年内にデッドライン(締め切り)のある原稿は終了。といっても、明日はニューイヤー駅伝前日の取材ですし、What's new index の一番上にある「突発的ちょっとした特集 大物新人たちの実業団“初”駅伝」もレース前に書かないといけないでしょう(ちょっと不安)。
 陸上報道人(最近、この言葉がちょっと気に入っています)にとってこの時期は、試合があるわけで、当然、仕事が続くわけです。世間一般のようにクリスマスだ、年末だ、お正月だ、という感覚はありません。とは言うものの、読者の方は世間一般の生活を送っているわけですから、それに合わせた記事・企画も考える必要はあります(クリスマス・プレゼント記事もその1つのつもり)。

 ということで、今日明日の日記で年末特別企画として、この1年間で印象に残っている取材を振り返ります。
******1月:全日本実業団駅伝の佐藤敦之選手と国際千葉駅伝のほのぼのした取材
 ニューイヤー駅伝レース後、佐藤敦之選手に「中国電力の前半は佐藤君以外、広島県出身選手ばかりだね」と話しかけたところ、「福島の僕が入ることで、“福が広がる”からいいことなんです」という答え。11月の国際千葉駅伝前に、一部関係者の間で彼の才能が認知された瞬間でした。
 千葉国際クロスカントリーの取材は何年かぶり。レース後に選手のコメントを取材しましたが、他の大会に比べると若干、リラックスできる類の大会だけに、選手たちの話もいつもより滑らかというか、リラックスしたものだったと思います。9月の全日本実業団でブレイクした橋本歩選手も初めて取材。世界クロカンに選ばれそうで「海外の試合は初めて。お父さん、許してくれるかな」と話していたのが印象的です。あと、瀬戸智弘選手の坊主頭も。
******2月:初めて浜名湖一周駅伝を取材
 文字通り浜名湖を一周する駅伝。中日新聞社のご厚意で、取材車に同乗させていただき、男子のレースをつぶさに見ることができました。この大会以降、今年は湖畔づくことになるとは思いもしなかったのですが……。
******3月:2日間で名古屋→山口→名古屋と移動して取材。びわ湖マラソン完全自腹取材
 名古屋国際女子マラソンの前日取材後、山口に移動して翌日の全日本実業団ハーフマラソンを取材。その帰りに名古屋に立ち寄って、名古屋国際女子マラソンのさよならパーティーを取材。時刻表ミステリーさながらの移動&取材でした。
 その前週のびわ湖マラソンは、どこのメディアにも記事を書かない取材。このサイトだけに書きました。つまり、完全な自腹取材です。が、絶対にあの取材をしないといけない、という束縛がないぶん、レース後は自由な取材ができました。
 そういうケースの方が、いろいろと取材ができるものです。一言でも話が聞けた選手・指導者をざっと挙げると、武井隆次選手・瀬古監督、諏訪利成選手・白水監督、浜野健選手・高橋謙介選手・横道監督、野口英盛選手、山陽特殊製鋼・永里監督。もうちょっと聞いたかもしれませんが、我ながらよく、ここまで取材できたな、と思います。これが、理想ですかね。でも、それじゃあ食べていけないし…。
******4月:ロンドン・マラソンのレース翌日取材
 翌日に土佐礼子選手とゆっくり話せたことが最大の収穫でしょうか。オフレコネタも多数(後輩選手のあの話題とか)。ラドクリフ選手の写真をたくさん撮れたことも収穫です。夫のゲーリー・ラフ氏と(片言の英語で)話ができたことも……ラドクリフが海外メディアの対応をしている間に、土佐選手がラフ氏とツーショットの写真を撮っていました。ある日本人関係者から「ラドクリフを嫉妬させる作戦か」の声が挙が…(この話、紹介しましたっけ)。
******5月:春季サーキット全試合取材。綾真澄選手取材。為末大選手取材
 春季サーキットを全試合取材できたのは初めての経験でした。兵庫リレーカーニバル取材も初めて。初めてのインターハイ取材が88年の兵庫インターハイだったので、14年ぶりのユニバー記念競技場に感慨もひとしおでした。サーキットで印象に残っているのは、山中美和子選手に「“せくろ”4位おめでとう」と声をかけたことでしょうか。念のため解説すると、“せくろ”は世界クロカンの略です。
 5月下旬に大阪市スポーツ振興協会の仕事で為末選手を取材。為末選手は“言葉を持っている選手”なのだと、改めて実感。種目の特性を、素人にもわかりやすく説明してくれます。ちなみに、彼のWEBサイトに寺田のことが「おれよりヨンパー知っとる」というコメント付きで紹介されているので、「小さな文字で“わけがない”と付け加えておくように」と、お願いしたのですが、いまだに付け加えられていません。
 その際に初めて、伝統ある大阪ガスの社屋に行きました。その時点では翌月、2カ月連続で朝原宣治選手の取材で行くことになるとは思いもしなかったです。
 女子ハンマー投日本新の綾真澄選手の取材も印象的でした。技術的なことをわかりやすく説明してくれて、原稿も書きやすかったと記憶しています。オフレコネタも少々。

******6月:朝原宣治選手、独身最後の取材と伝統のビスレット競技場
 日本選手権で10秒05を出した朝原宣治選手を取材。大阪ガス社屋でのインタビュー後、練習にまで押し掛けて何やかやと突っ込んで取材をしました。それが、6月17日のこと。アジア大会後、ある記事で見たのですが、朝原選手が入籍したのがその数日後でした。ということは、あれが独身最後の取材だった可能性があります。今度、確認しておこう。独身最後の取材だったら何か意味があるのかといえば、特にないんですけど。
 6月末から3週間のヨーロッパ取材に出発。日本人選手は出ませんでしたが、オスロのビスレットゲームを取材。取材前は6レーンしかないトラックに腹を立てていましたが、実際に行って歴史を感じるスタジアムを目の当たりにしたら、評価が一変。素晴らしく雰囲気のいい競技場でした。


 こうして改めて振り返ると、思い出いっぱいですね。とても、全部を書ききれるものではないので上記のように絞りましたが、印象深いことが本当にいっぱいあります。特に海外取材は、新鮮なことの連続でした。この日記でユーモアとウィットを標榜しているので(決してオヤジギャグではない)、その視点をもって陸上競技に接することができています。いやー、こうやって思い返してみると、寺田は幸せなのかもしれません。“思い出武装”をすれば、福島大・川本先生との“幸せ論争”に勝てるかも。


■12月29日(日)
 箱根駅伝の区間エントリーの日。11:30がエントリーの締め切りなので、早ければ12:30くらいには記者クラブでメンバーが発表されるかな、と判断して、12時ちょっと前から記者クラブに詰めました。
 ところが12時過ぎに、エントリー表配布は13:30頃になりそう、という情報がもたらされました。しばらくすると14時頃と変更され、11:30から関東学連に行っていた記者たちも、13時過ぎには記者クラブに戻ってきました。最終的にエントリー表が配布されたのは、14時ちょっと過ぎ。個人的には、人を待たせるのはいやですけど、待たされるのはまったく平気です。記者クラブは電源もテーブルもあるので、書きかけの原稿を進めながら待っていました。
 その間、収穫もありました。長年の疑問が解決したのです。今日は新聞社・通信社関係の記者だけでなく、テレビや学生新聞(たぶん)の記者の方たちも大挙、来ていました。その中のあるラジオ関係者の方と名刺を交換したので、「なんでテレビのスポーツ番組は1つの局の独占中継なのに、箱根駅伝は複数のラジオ局が中継できるのか」と、質問。箱根は文化放送、ラジオ日本、NHKの3局が中継します。
 プロ野球なんかもそうなんですが、どうやらラジオ業界ではスポーツ番組を独占中継する慣習がないようです。その分、放送権料も中継局の数で等分され、安くなるとのこと。スポンサー収入などの違いから生じた慣習でしょうか。でも、考えてみたら、テレビだけですよね、独占中継をするのは。新聞も雑誌も、独占報道はしません。そもそも、社会に広く知らしめるのが報道ですから、独占という形の方が、例外なんでしょう。そういえば、テレビもニュース報道は独占になっていませんね。


■12月28日(土)
 終日、自宅兼オフィスで原稿書き。ちょっと苦戦しています。分量も多くあって、内容的にもいろいろと工夫ができそうな記事なので、あれこれ考えすぎてしまって、よけいに難しい。まあ、腕の見せどころと、前向きに考えて頑張っています。が、このままでは年賀状はまた、年明けになってしまいそう。
 昨日の日記に草津温泉でニューイヤー駅伝に思いを馳せたい、と書いたところ、今日、「伊香保温泉の方が前橋に近いんじゃないか」との指摘を受けました。群馬県の温泉って、草津しか知らなかったんですよ。いけませんね、いい加減なことを書くのは。反省します……“反省”で思い出すのは、ドラマ「ヒーロー」の中での松たか子の台詞「反省してください」です。松たか子といえばニューイヤー駅伝の山崎パンのコマーシャルです。今回も、たぶん彼女でしょう。サンデー毎日増刊のニューイヤー駅伝公式ガイドブックの裏表紙(業界用語で言うなら表C)広告は、松たか子ですから。
 そういえば、この日記再開のきっかけは、ドラマ「恋ノチカラ」のファミレス論でした。あのドラマは確か、今年の1〜3月のクール。早いですね、1年は。今年は4月、6〜7月、そして10月に海外出張があり、4月以降は連ドラを見ていません。来年の1〜3月は国内にいるはずですから、何かドラマ、見ようかな。オススメは何ですか、O本さん?
 そういえば、サンデー毎日の女子駅伝公式ガイドブックの方に「タスキノチカラ」というコラムが5本掲載されていて、「チームの内情をよく知ってる人がいるな」と感心しました。先日、編集の方にお会いしたときに、誰が書いたのか質問。答えを聞いて、なるほど、と思いました。寺田も面識のある人で、あの人なら書けるな、と納得した次第。
 寺田も「○○ノチカラ」を発揮しないと、仕事が終わらない。


■12月27日(金)
 午前中でしたが1時間枠で、ニューイヤー駅伝の展望番組がオンエアされていました。どこのチームも丁寧に取材していて、大変に面白く見ることができました。各チームの強さを一般視聴者に紹介するのが目的だったのでしょう。“どこが強いのか”ではなく“有望チームはどこも強いぞ。本番はすごい戦いになるぞ”という作り方。テレビではそれが普通の見せ方。
 寺田が陸マガに書いた展望記事も似たような感じで、上位候補の強さというか特徴を紹介する書き方でした。雑誌ですから、その中でもどこが優勝候補本命なのかという点や、レース展開の予想も書いています。優勝候補はこの1年の各選手の充実度を見ると、中国電力かなと感じました。レース展開については、取材させていただいた各監督の話を元に予想させていただきました。
 それでも正直、どこが勝つのかは、なんとも言えません。先の全日本実業団対抗女子駅伝も、可能性は考えましたが、本当に第一生命が勝つとは思いませんでした。全国高校駅伝の筑紫女高も同様です。やはり、予選で負けたチームを優勝候補筆頭に推すのは難しいです。でも今回は、東日本で2位だったコニカの主力が復調していれば、中国電力と“2強”になるのかな、という印象を受けました、今日のテレビを見て…。
 といっても、日清食品もカネボウも旭化成も、どこも強そうです。トヨタ自動車、NECも3区までに大きくリードすると優勝もあり得ます。テレビを見ていたら、混戦予想という印象をいっそう強くしました。
 レース前日の大晦日が区間エントリーと開会式。31日には前橋に取材に行きます。29日に箱根駅伝の区間エントリーがあるので、そこまでは東京で仕事。30日には草津温泉にでも行って、31日にそこから前橋入りしようかな、などと考えていますが……ちょっと計画倒れになりそう。締め切りもありますし、原稿以外の仕事も山積み状態。本当は、温泉に入りながらニューイヤー駅伝のことをあれこれ考えたかったですね。これって、ちょっと贅沢なひとときになりそうで、よくありませんか。草津の湯につかりながら混戦予想の駅伝に思いを馳せる……これが、ホントの温泉予想。


■12月26日(木)
 11月のように締め切りが毎日続いているわけではないのですが、やらないといけないことがたまっています。もちろん、年賀状はまだですし、ハードディスクレコーダーに録画した内容を、DVD−Rに落とす作業もなかなか終わりません。40時間くらい録画しっぱなしで、80GBのハードディスクもいっぱいだったのです。だいたい、仕事場の散乱ぶりは目に余ります。取材があるたびに資料がボンボン増えていく一方。整理をしないと仕事にも影響が出そうなのです。
 そんなこんなで、自宅兼オフィスをなかなか離れられないのですが、年末年始用にどうしても買っておかないといけないものもあり、今日は新宿でショッピング。ビックカメラが西口の小田急ハルクにいつの間にか出店していたので(相当、昔ですか?)、「これは便利かな」と思い、いつものヨドバシカメラでなくビックカメラに。ハードディスク&DVDレコーダーを購入した際(9月15日の日記参照)のポイントが1万円以上残っていたのも、浮気をした理由でしょうか。
 購入したのは録画用のDVD−R15枚にキーボードカバー、そしてカラープリンタで写真を印刷するための紙です。もちろんコニカ製の紙を購入。なんで“もちろん”なのかというと、印刷する人物がコニカの選手だから。実は福岡国際マラソンの記者会見の時にシドニー五輪の金銀メダリスト、ワイナイナ選手とアベラ選手のツーショットを撮らせてもらいました。するとワイナイナ選手から、写真をください、というリクエストが。
 それで、「ニューイヤー駅伝の時に渡すから」と約束したのです。メンバーには入っていませんが、まさか前橋に“コニカった”なんてことは、ないでしょう(このネタ、3回目かな)。万が一、来なかったら、O島コーチに渡せばいいか。


■12月25日(水)
 以下の日記を読む前に必ず、クリスマス・プレゼント記事をお読みください。俗に言うネタバラしがあります。
 深夜になってしまいましたが、昨日の日記でお約束した「クリスマス・プレゼント記事」をアップ。この記事の構想は9月にできていました。スーパー陸上前日の記者会見後に、為末選手にも「そのうち、ジョーク記事に登場させてもらうから」と、予告しました。どこまで内容を話したか忘れてしまいましたが、「品よくやってくださいね」というのが、返事だったと思います。
 釘を刺された手前もあって、最後のオチはサンチェス選手自身に言ってもらいました。慣例として、外国選手は実物とは多少のキャラ変更はOKということになっています。日本選手でキャラ変更をさせてもらうときは、本人の了解を得るとかしないといけないと思いますが…。過去4回のジョーク記事では、その辺の了解はもらっています。
 つまり、コニカ、犬伏孝行選手、高岡寿成選手、杉森美保選手、為末大選手には、その辺を大目に見る大らかさがあったということ。この大らかさは、文化として陸上競技が定着していることを示すことになると思います。昨日だったと思いますが、テレビのある番組でグローブをパロった「軟式グローブ」(公式のグローブではないという意味か)や「パーク・マンサー」という物真似芸人が、小室哲哉の結婚式に乗り込んでいく企画を放映していました。スポーツ界を例にとっても、掛布の物真似をする芸人がいますし、プロ野球の「珍プレー」は定番になっています。
 でも、陸上界はまだ、頭の堅い人が多いからなあ……気をつけないと。


■12月24日(火)
 今日はクリスマスイブ。世間ではそういうことになっているらしく、それ相応の行動をしないと変人扱いされてしまいます。専門誌編集部にいた頃は、ちょうど全国高校駅伝直後で、クリスマス気分などこれっぽっちも味わえませんでした。レース当日ということもありましたし(鶏の唐揚げなんかを買って食べた記憶がありますが)。陸上競技の報道に携わる人間は、普通のクリスマスなど過ごせるはずがないのです。
 でも、今は立場が違いますし、たまにはクリスマスらしい行動をするのもいいかな、ということで、12月24日にちなんで、今年「1224」の記録を残した選手を調べました(パフォーマンスまでは調べ切れませんでしたが)。女子100 mでは以下の3人が該当しました。女子三段跳では残念ながら、12m24を跳んだ選手が見つかりませんでした。女子砲丸投では高校生・中学生でも12m24では30傑に入りません。
12.24 2.0 黒松 千絵 高取高
12.24 1.4 坂口 友子 京都橘高
12.24 1.9 長倉 由佳 籠上中

 この3人がどんなクリスマスを過ごしたのか、気になるところです。
 でも、せっかくのクリスマスなので、こんな下手な記事をいつも読んでくださっている皆さんにプレゼント記事を書こうかな、などと考えています。クリスマスらしく楽しめる記事で、他のメディアでは絶対にお目にかかれないもの。そして年の瀬ですから、今年を代表するような記事。それにふさわしいエピソードが、ヨーロッパ取材中にありました。
 よし。なんとか明日中には書くぞ。


■12月23日(月)
 福島大・川本先生の21日の日記に
寺田さんの質問には、答えないでしまうこともありますが・・・・・まあ、企業秘密が公になったら困る部分もありますからね。ということは、ライター寺田の突っ込みは「鋭い!」ということか。本当に鋭いですよ。まあこのくらいほめておけば、突っ込みの手もゆるめてくれるでしょう。
 という記述が。これはどうでしょうか。こちらは「鋭い突っ込み」をしているつもりはないので、ゆるめたくとも、どうやったらゆるめられるのか…。
 こちらの質問は、これまでの経験から「ここが福島大は違うな」と素朴に感じた疑問を、ぶつけているだけなんですよ。取材を受ける福島大選手の立場からすると、他のチームと自分を比較できるわけではないので、自分たちが違うんだという意識は低いのかもしれません。でも、長くやっている選手になると、福島大の特徴がわかってきているようにも見受けられます。もちろん、一番わかっているのが川本先生ということになるのでしょう。
 まあ、その辺は適当にごまかしながら接していただければ、と思います。何から何まで、といかないのは、お互いにわかった上でのやりとりです。最近、本サイトに箱根駅伝出場校指導者のインタビューを掲載していますが、これも同様です。区間配置など、全てを話せるわけではありませんから、そのあたりをお互いがわかった上で取材をし、記事にしています。取材する側とされる側は、そんな感じでいいと思っています。
 ところで、件(くだん)の原稿を読んでみて、寺田だったらそうですね、あれを質問しますね。あれじゃあ何かわからないって? それは当然、企業秘密。陸上競技を見る人が楽しくなるのならなんでも公開する方針ですが、抑えるべき点は抑えます。それは、寺田の企業秘密の部分もそうですが、取材した相手の立場などもちゃんと考慮して、これは公開してはいけないことかな、と自主的に判断もしています。川本先生だったら、高知からの帰りの機内で聞いたあの話なんか、絶対に公開できません。


□12月22日(日)
 全国高校駅伝をテレビ観戦。面白かったですね。一ファンとして、楽しむことができました。ここ数年だと思いますが、NHKがタスキ中継点以外でも後続とのタイム差がわかるように、定点での先頭通過でタイマーを作動させてくれています。欲を言うなら、その地点にカメラを1台置いて欲しかったです。今回、タイマーは動いていても、2位以下がいつ定点を通過したかがわかりませんでした。などと視聴者は気軽に言いますが、カメラを1台多く設置するのには、何十万円と余計にお金がかかるでしょう。その分、人件費・交通費・宿泊費がかかりますから。“言うは易し、行うは難し”
 一ファンとして観戦したとはいえ、10年前後の間、毎年取材した大会。女子の5区、男子なら7区にタスキが渡ったら、そろそろプレスルームを出ないといけないだろうな、とか考えてしまいます。通常の駅伝やマラソンならそんなことはないのですが、西京極競技場はプレスルーム(取材人数が多いため体育館)から競技場に行く途中に、選手が走る道路があって、フィニッシュが近くなるとそこが遮断されてしまうのです。正直、これはなんとかして欲しかった。レース自体は競技場でも見られますが、前の区間のリザルツとかは、プレスルームでないと入手できません。きめ細やかな取材をする記者にとっては、取材しにくい大会でした。
 共同会見もありませんから、優勝チーム全員のコメントを取るのも大変。選手たちもいろんな社が代わる代わる取材に来て、同じ質問をされて大変だったのではないでしょうか。優勝した直後ですから、そのくらい苦にならないといえば、ならないのかもしれませんけど。同じ駅伝の全国大会でも、男女の実業団駅伝は優勝チームの会見があります。ないのは、全日本大学駅伝と全国高校駅伝。全国大会ではありませんが、箱根駅伝はあります。まあ、優勝チーム会見があると、その前後の自由な動きができませんので、慣れてくると、共同会見なしでもいいかな、という気がします。が、優勝チーム全員のコメントを掲載する専門誌にとっては、共同会見をやってくれた方がありがたかったです。これも、取材しにくい大会だった理由です。
 これは以前、主催新聞社の事業部だったか記者の方に意見したことがあります。確か、時間的な問題でできない、という回答だったと思います。これも、“言うは易し、行うは難し”の部類に入ることでしょうか。でも、取材される側と取材する側の、細かい状況を理解できている人が運営サイドにいれば、できると感じました。もしかして、今はやっているでしょうか、共同会見。でも、フィニッシュ後の記者たちの取材光景を見ている限り、やっていないように感じました。
 午前中の女子は、筑紫女が3回目の優勝。全日本実業団対抗女子駅伝に続いて本命(諫早)が敗れました。そういえば、女子のテレビ解説は全日本実業団対抗女子駅伝優勝の第一生命・山下佐知子監督でした。
 男子は西脇工が8回目の優勝。区間賞なしの優勝です。確かに、優勝チームは選手層が厚いから優勝できたわけで、他チームが手薄になる区間で区間賞を取るケースが多くなります。特に、西脇工の場合は、そういう傾向が大きかったと思います。それが今回なかったのは、上位チームの力が拮抗していたから。そういえば、第一生命も区間賞なしでした。上位チームの力が接近すればするほど、“区間賞なしの優勝”というケースは増えてくると思われます……って、わざわざ書くほどのことでもないですよね。
 大牟田の土橋啓太選手が額面通り走っていたらもっと面白かった、という意見を早くも耳にしました。確かに、そうだったと思います。前回ほどの大ブレーキではないにせよ、本人にとっては今回もショックが大きかったと推測できます(もしかしたら、今回の方が大きかった?)。しかし、前回の失敗から「高校生最強」となることを目指し、10月の国体5000mで高校新を出すまで奮起した選手。今回の失敗をバネに、来年からは「大学生最強」を目指してくれるでしょう。これも、“言うは易し、行うは難し”でしょうが、土橋選手なら……。


■12月21日(土)
 10:30から神奈川大の公開練習。出かける支度中に神奈川大広報の方から携帯に電話がありました。かかってきたことに気づかなくて(申し訳ありません)、留守番メモリーに伝言を聞いたのが出かける間際。場所が横浜国際競技場に変更されたとのこと。事前の通知で雨が降ったら変更になることは知らされていましたが、微妙な天候だっただけに、ありがたい連絡でした。
 しかし、移動の途中(横浜線の車内で)、「入り口はどこになるのだろう?」という疑問が。競技会時の報道受付の場所は決まっていますが、こういったイベント(?)となると、その都度、違ってくるはずです。競技場全体を貸し切っているわけではないでしょうから、きっと出入り口は限定されているはず。ローマのオリンピック競技場をさまよった苦い記憶が甦ります。そのときは「ローマは横浜、長居以上にでかい」と思ったものですが、今日、横浜で入り口がわからず彷徨うことにでもなったら、「横浜はローマやサンドニ(パリ)以上にでかい」と、認識を変えることにもなりかねません。どこにあるのかわからない出入り口を求め、競技場の外側をぐるっと彷徨い歩くことほど、不安感をかき立てられるものはありません。
 と、不安が募ったところで再度、広報の方から電話。「正面から少し左手に回った277番の柱の近くに入り口があります」。もう、至れり尽くせりの、ご配慮をいただきました。寺田のように組織に属さない者にまで、ここまでしていただけるとは。取材も、当初はインタビュー時間が30分の予定でしたが、進行状況からそれでは少ないと判断してくださったようで、40分間に延びました。杓子定規なメディア対応をする競技会が多い(数えてもいい)だけに、ちょっと感動しました。
                             ◇
 帰宅途中の町田で原稿を書きましたが、とても取材した内容を全部は書き切れません。切りのいいところで切り上げ、頭を明日の高校駅伝モードに切り換えました。男子の4強対決、楽しみですね。毎年、ワクワクして見ることのできる大会ですが、今年はワクワク度がさらに大きくなっています。
 独立後、高校駅伝取材の機会はほとんどないのですが、最近の取材中に高校駅伝の話題が出たことが数回ありました。ニューイヤー駅伝で上位入賞が予想されているある実業団の有名監督は「佐久長聖」の初優勝を予想され、箱根駅伝の優勝争いが予想されているある大学の指導者は「西脇工白石かな。ウチのチーム作りと共通点もある」と話していました。注目の大一番は、もうすぐ(これを書いているのは22日9:30)。


■12月20日(金)
 ちょっと早起きして書きかけの原稿を完成させ、その後また少し、寝てしまいました。楽な稼業だな、とお思いの方も多いことでしょう。すし詰め状態の通勤電車で揺られることもなければ、朝練習に行くこともない。こんな楽な商売はないと思います。でも、そう書いてしまったら陸上競技のライターを目指す人間が増え、寺田なんかはやっていけなくなりそう。だから、8月以降は1日も休んでいない、とか、独立後2年半経っても大赤字、とか書いて、陸上競技のライターは大変だな、と思ってもらわないと。
 大変といえば、明日は午前中に神奈川大の公開練習があるので、ちょっと早起きをしなければいけません。9時少し前に自宅を出発しないと……どこが大変やねん、と突っ込まれそう。まったく問題ありません。
 神奈川大は広報活動がしっかりしていて、しがないフリーライターにまで、公開練習の案内をしてくれます。今日リニューアルされたホームページも、ファンの知りたいツボを押さえた作り方。公式サイトの中には、単に“公式だけが売り”というものも見受けますが、それとは対極にあります。担当者の方の熱意が感じられますね。
 明日の取材のテーマは、“神奈川大にもエースはいたのではないか”です。ここ数年、大後栄治監督自身が「エース不在のチームと言われていますが」とか「金太郎飴のようなチームと言われていますが」とコメントしていますが、2連勝したときの各区間の成績を見ると、むしろ“ポイント区間で流れに乗った”ように見受けられます。大後監督のコメントの中の「言われています」という部分がミソかな、という気がしています。ちょっと、突っ込んでみたい部分です。


□12月19日(木)
 午前中に打ち合わせが1つ。
 そのあと、実業団駅伝ガイドブックの反省会もありました。聞けば、予想以上に売り上げがよかったとのこと。僅かばかりですが、お手伝いした者としては嬉しい話です。あの内容で500円は、絶対にお買い得ですからね。意外だったのは……すいません、これは書いていいことなのかどうかわからないので、ここでは伏せておきます。許可が出たら、紹介できるかもしれません。
 ところで、15日の日記に赤穂浪士と昔の合戦での死傷者の規模について書きました。それへの回答のような記述が、川本先生の日記に載っていました。同僚の先生のお話しとのことですが、引用させていただきます。
昔の合戦は、TVのように入り乱れて斬り合いというのではなかったようです。斬られて死ぬより、石つぶてでの死傷が多かったとか。雑兵が石の投げ合い。メインの戦いは騎馬隊。それも大将戦が主流のようです。そもそも何万という軍勢同士が一度に戦えるような広場(平原)がありませんね。街道も狭くて、一、二列でずっと進んだとか。当たり前か。今川軍は先頭が出発してから最後尾が出ていくまで、2日かかったという説も・・・・・そうかも知れませんね。
 なるほど。かなり納得できる話です。大将というのはたぶん、織田信長とか武田信玄などの歴史上に名が残っている武将のことではなく、“実際に一番強い”兵士のことでしょうか。そういった兵士は、そこそこ給料はもらっていたのでしょうが、よっぽど細かい資料を見ないと名前は残っていないのでしょう。まあ、口コミでは、その強さは知られるところとなっていたでしょうが。
 その点、現代の陸上競技選手は幸せです。強ければ、ちゃんと自分の名前が残ります。マスメディアを通じて、日本中に知れ渡ることになります。ただ、結果を残す試合によって、その伝わり方が違ってくる。昨日の日記で紹介した万引き犯までおののかせた箱根駅伝は、最も効果のある大会ということができるでしょう。


□12月18日(水)
 駒大の公開練習取材のはずでしたが、取材時間が変わっていて、寺田が行ったときにはすでに終了していました。しかし、他にも変更を知らなかった記者の方もいて、選手の取材は無理でも大八木助監督の話だけでもと、一緒に取材をさせていただきました。徒労に終わらずによかったです。
 帰路、なぜか思い立って、小田急の向ヶ丘遊園駅で下車をして原稿を書きました。本当にこれといった理由はなく、「一度も降りたことのない駅だから、たまには降りてみようか」という、消極的な動機から出た行動です。駅前にはいろいろと、“原稿書き”のできそうな店があります。収穫大ありでした。
 19日になってこの前日(つまり17日)、向ヶ丘遊園駅の近くで、専大の太田宏嗣選手が万引き犯を取り押さえたと、記事で知りました。「おれは来年、箱根駅伝を走る。逃げても無駄だ。何キロでも追いかけてやる」と言ったら犯人は観念したそうです。
 もしも万引き犯が、箱根駅伝を知らなかったら悪あがきを続けていた、ということになります。それだけ、箱根駅伝の知名度・浸透度は大きいということです。「おれは青東駅伝選手だ」と言っていたら、どうなっていたでしょうか。


□12月17日(火)
 早起きして仕事。昼前後に電話取材を2本。本サイトのメンテナンスもちょっと。
 いつものようにM岡さんが知らせてくれた更新情報の中に、広島陸協の「2000年県ランキング」がありました。こういった企画は素晴らしいと思います。かなりディープなリスト(多くの選手を掲載している)で、女子100 mだったら13秒70までピックアップしています。全国ランキングではなくても、こういった県単位のものでも名前が掲載されれば、選手にとっては励みになるんじゃないでしょうか。
 それに、広島県陸上界の人材が一目でわかるのもいいですね。
・長距離はやっぱり男子は中国電力、女子はデオデオが強い
・女子短距離は皆実高が強い
・ミキハウスに入社した奥迫政之選手は広島登録だった
・男子400 mHの若江選手(広島経大)は100 mでも10秒77で走っている
・女子800 mは中学生に負けたらまずいだろうetc.
 広島と言えば為末大選手ですが、アメリカでのコーチが決まったと、18日の読売新聞に記事が掲載されました。実はこの日、寺田も大阪ガス関係者へ取材をしました。このところ長距離関係の記事ばかりなので、たまには長距離以外の話題も出したいな、と思って、突発的に電話をしてしまいました。
 同じことを読売新聞の記者の方も考えていたわけです。寺田が取材した翌日に記事が出るとは、タイミングが合いすぎていますが、本当に単なる偶然。しかし、先を越されてしまったので、このネタをどうするか、現在考慮中です。


■12月16日(月)
 夜、S原さんとファミレスで会食。ビールの中ジョッキ1杯とカクテル1杯だけですからかわいいもんですが、久しぶりにアルコールも入り、盛り上がりました。具体的に何が話題になったのかは企業秘密ですが、1つだけ挙げるとするなら「読書をしないとダメ」ということ。以前にも書いたと思いますが、9月になってからはまったく本が読めていません。仕事以外にできることといえば、食事をしながらのビデオ鑑賞くらい。仕事の方針見直しを再度、決意した次第……と言っても、具体的にどうしたいかを書き出したら、傍目には今とそれほど変わらないのでしょうけど。
 ファミレスということで調子に乗って注文しまくった結果、食べ過ぎ。帰路がかなり、しんどくなってしまいました。箱根駅伝も、調子に乗って往路で頑張りすぎると、復路がしんどくなりますよね。それと同じようなもの……とは、ちょっと違います。単なるオーバーペースでしょうか。


■12月15日(日)
 今日は赤穂浪士の討ち入りの日(14日深夜から今日にかけて)。ちょうど、300年前のことだそうです。川本先生同様、寺田も赤穂浪士のドラマはよく見ていました。しかし、1つだけ解せないことがあります。ドラマでよく見るような激しい戦いがあったのなら、なんで浪士側に死者が1人も出なかったのか、という点です。ドラマなどでは、吉良側にも小林平八郎やら清水一学やら、手練れの強者がいたはずなんです。
 不意を襲ったから、とか、装備面で浪士側が完璧だった、とか、その理由を聞かされたことがありますが、ちょっと納得できるものではありません。そもそも、戦国時代の合戦シーンをドラマでよく見ますが、本当にあそこまでの激戦だったのかな、という疑問もあります。当時の資料から、死傷者の数って推定できていないのでしょうか。1回の合戦であれだけ討ち死にしていたら、次の合戦ができるのかな、と常々、思っています。本当に激戦となった場合はともかく、多くの戦はもうちょっと緩やかなものだったのではないでしょうか。
 昨日行った甲府は、戦国時代は武田氏の国。武田信玄は上杉謙信と何回も激闘をしたことになっていますが、果たしてどの程度のものだったのか…。
 ところで、山梨学大がグラウンドを造成しようとした敷地から、遺跡が出て工事ができなくなり、苦肉の策として陸マガの箱根駅伝増刊にも紹介されている練習コースを造ったわけです。その遺跡はいったい、いつの時代の何なんだろうと、記者たちの間で話題になりました。「武田信玄のだよ」という意見も出ましたが、元は葡萄畑だったというのですから、そんな最近のものであるわけがないと、その意見は一蹴されました。詳細はわかりませんでしたが、弥生時代か縄文時代のものじゃなかろうか、という意見が大勢を占めていましたね。甲斐の国ですから、貝塚でしょうか……でも、山梨県は海なし県か……でも、山中湖がありますね。


■12月14日(土)
 甲府で山梨学大の公開練習を取材。今日は、いろんな人と出会いました。
 まずは、往きの車中でのこと。横浜から松本に行く「はまかいじ」という特急電車に横浜線の橋本駅で乗ったのですが、八王子から乗車してきたおばさん(たぶん、昭和ヒト桁生まれ)に「この電車は特急券がいるのですか」と問いかけられました。もちろん、丁寧に答えたところ、その後もなんやかやと話しかけてきます。最後には、飴玉までもらってしまいました。近年では珍しい、貴重な経験だったと思います。
 山梨学大の公開練習では、何人かの選手と初めて話をしました。今年の4年生はひとまとめに語られることが多いのですが、話してみるとどうして、どの選手も個性的。松田浩二選手は、日大・藤井周一選手との因縁を話してくれました。松田選手がそのことばかりを意識しているわけではありませんが、「駅伝ファンがそういった点を見て、楽しむのは勝手だよね」と言ったら、同意してくれました。若いのに見る側の視点がわかる選手なのだと、ちょっと嬉しく感じた次第。ということで、記事にしました。
 そして、噂には聞いていましたが、3年生の高見澤勝選手のしっかりした受け答えも印象に残っています。同学年の関東インカレ1万mチャンピオン、橋ノ口滝一選手が自分を突き詰めて、ものすごく集中して物事を考えるのとは対照的に、一歩下がって全体を見ている感じを受けました。佐久長聖高時代、同学年に佐藤清治(順大)という傑出した選手がいたことも、影響しているのでしょうか(この辺はまったくの憶測。単に、本人のキャラクターという可能性が大)。
 取材が終わりましたが、出会いは、まだ終わりません。帰宅途中、橋本駅でJRから京王線に乗り換えるときのこと。切符売り場で運賃を確認していたら、右肩をポンと叩かれました。振り返ると、国士大の青山利春先生です。すごい偶然に、ちょっとビックリ。
 以前取材で、寺田が国士大の最寄り駅である京王&小田急永山駅の近くに住んでいると話題にしたことがあり、その際に、青山先生のご自宅が橋本にあることを伺っていました。だから、十分、あり得ることなのですが…。実は切符売り場に行く直前、本屋で今日発売の某陸上競技専門誌をめくっていたら、青山先生が森千夏選手の日本新(女子砲丸投17m39)に関する特別寄稿をされていて、それを目にした直後の出来事だったので、「おおっ」と思ったわけです。すごい偶然でしょっ?
 このように、いろいろな出会いのあった一日でした。そういえば、取材が終わってグラウンドを後にするとき、スポニチ・中出記者とこんな会話をしましたっけ。
寺田「ある日……」
中出「熊さんにぃ」
寺田「じゃなくて、ある日、甲府に来たら、高見澤に出会った。つまり、ある日、高見…」
中出「アルフィーの高見澤ですか」
寺田「ピンポン」
中出「うーん、僕がわかるようじゃあ、46点ですね」
寺田「陸上界だから、もうちょっと点数、上だろっ?」
中出「上だ、ですか」
寺田「あそこに上田監督が…」


■12月13日(金)
 きつい2日間でした。昨日は午前中に校正を1つ。その後アポ取り、取材、原稿書きを1日でやりました。今回くらいの規模の取材では、もしかしたら、初めての経験かもしれません。まあ、相手が取材を受けてさえくれれば、時間的に不可能なことではないんですが…。
 それよりも、昨晩から今日にかけての校正作業の方が大変だったかも。徹夜ではありません。3〜4時間ほど睡眠はとりました。でも、いくつか、仕事を掛け持ちしながらの進行で、輪をかけて大変でした。今日の15時頃に一段落しましたが、かなりの疲労感。
 ハードディスク&DVDレコーダーに未来少年コナンの最終ディスク(最後の4話)が入ったままだったので、食事をしながら1話分、見てしまいました。ついこの前、見たばかりでしたけど……ちょっと元気回復。
 それと、サンデー毎日増刊・ニューイヤー駅伝2003公式ガイドブック(毎日新聞社・定価500円)が発売されました。寺田の手元にも、今日、届きました。巻頭の高岡寿成選手の他、徳本一善・岩水嘉孝・坪田智夫3選手の記事も書かせていただきました。読み返してみると、反省点も少々(多々?)あります。が、こうして、頑張ったことを形として手にできると、ちょっと嬉しいもの。ここでも少し、元気回復。編集者だった頃もそうでしたが、雑誌ができあがると、記事を読むわけでもないのに、ついつい、手にとって何回も何回も、ページをめくっている自分がいます……それで、次の仕事が進まないのか。
 記事執筆の裏話なんかも披露できたら、そこそこ面白いと思うんですけど、どうでしょう。もちろん、全部は明かすことはできませんが、例えば、坪田選手の記事の締めの部分を校正段階で変更した経緯とか、公にしてもいいような気がします。それと高岡選手の取材からの帰途、広島駅で苦労したことなんかは、書いても問題ない気がします。これは取材とは直接関係ないか。
 それにしても、いくつかの仕事が進んでいません。かなり、まずい状態です。仕事のやり方を見直さないといけません(いつも言っている気がする)。一応、この方針でやりたい、という考えはあるのですが、実行に移せるかというと、これがなかなか……でも、なんとかしないと、悪循環のままだよなあ。
 夕方から外出して、銀行、ヴィドフランス(パン屋兼カフェ)、クリーニング屋、フレッシュネスバーガー、そしてココス(ファミレス)とパソコンを持ってはしご。自宅兼事務所では、なかなか元気が出そうになかったのです。ということで、ここはココス。
 明日は日帰り出張。


■12月11日(水)
 何度も書きますが、日記の中断はネタがないわけじゃあないんです。時間がないんです……とばかり言っていると、能なしと思われてしまいそうですが、実際、能なしだから仕方ありません。ネタづくりに協力してくださっている皆さん、ご免なさい。ホント、読書もまったくしていません、8月以降。「寺田さん、そりゃまずいよ」と今日、電話でS原さんにも言われてしまいました。
 でも、ここだけの話ですが、今月に入って、「未来少年コナン」のDVDを全巻(26話かな?)、見終わりました。食事のときに、1話ずつ見続けた結果です。たまに、2話見ましたけど(それって、時間があるってこと?)。
「新宿西口のヨドバシカメラに売ってましたよ」と、弘山晴美選手に教えてもらったのが昨年の10月。DVDドライブが付いているのは、たまにしか使わないMac。これまでなかなか見られなかったわけですが、ご紹介の通り9月にハードディスク&DVDレコーダーを購入。手軽に見られるようになったことが、功を奏したわけです。
 全日本実業団対抗女子駅伝のレース後、そのことを弘山選手に報告。「すさんでいた心が洗われました」と寺田が言うと、「私もコナンのDVD欲しいなあ」と彼女が言うので、「貸しますよ」と言ったら、「(手元に)揃えたいんです」とのこと。だからなんだ、というオチはありません。
 弘山、“未来少年コナン”を見て日本新!
 なんて、見出しにできるといいのですが、そんなことで記録が出せるのなら、選手は苦労しません。でも、何かのキッカケになることは、あり得ない話じゃありませんけど…。
 話を戻しましょう。今日明日で時間ができるはずだったので、今月の分だけでも日記をISHIRO!風にまとめて書きたかったのですが、飛び込みの仕事やらいろいろあって、苦しくなってきてしまいました。いかん、いかん。陸上競技の場合、いつどこで、新記録が出るかわからないんです。飛び入りの仕事がこなせないようでは、陸上メディアのスタッフは務まりません。
 ということで、今日は“ひたしご”。明日も、連絡やら取材のアポ取りやら、いろいろ入ってしまいました。締め切りも2本……かな。


■12月10日(火)
 午前中にいくつかの連絡と電話取材を1本。
 朝食?を済ませて14時から外出。千駄ヶ谷の東京体育館で箱根駅伝のチームエントリー記者発表があります。その途中、究極の選択を迫られました。
 新宿駅でJR総武線に乗ったところ、隣の代々木駅で緊急停止信号が押されたとかで、電車がストップしてしてしまいました。時刻は14:39。千駄ヶ谷は2駅先ですから、14:45には駅について、14:50には会見場到着を予定していたのです。
「地下鉄の大江戸線に乗り換えて行くか、このまま総武線が動き始めるのを待つか」
 タクシーは交通事情によって時間が大きく違ってくるので、考えませんでした。総武線か大江戸線か……すぐに判断しなければ、間に合いません。パソコンを取り出し、駅すぱあと(路線検索ソフト)で大江戸線の発着時刻を確認。14:47に乗れば間に合いそうです。「よし、大江戸線だ」と決断したときに、アナウンスが。「間もなく運転を再開できるもようです」。その1分後には実際に動き始めました。情報を早めに言ってくれて、助かりました。
 会見後、懇親会にちょっと出席。何人かの方に挨拶したり雑談したり。M社のT力さんの隣で食事までいただいてしまいました。これが昼食?
 19時から新宿で取材。これも、いつかの日記で紹介したものと同じで、取材したのではなく、取材を受けました。実は同じ雑誌。そのために、駅伝発祥の経緯なんかも下調べしました。
 20:45に取材終了。ヨドバシカメラでDVD−R10枚と充電器(単三型のニッケル?電池用。海外でも使えるらしい)を購入。帰宅途中、フラカッソで夕食。ここで、今日2度目の究極の選択を迫られました。スパゲティのペペロンチーノと「ルッコラとトマトのサラダ」を注文。先にサラダが来ましたが、乗せられたトマト(切ったトマト)の数が3個。どう見てもメニューの写真よりも少ないのです。すぐにメニューを見直すと、トマトは6切れ、写っています。いくら安めの価格設定とはいえ、半分はちょっとひどい。
 自問しました。
「これはまるで詐欺ではないのか。文句の1つも言ってしかるべきことではないのか。客をこんな気持ちにさせるとは、企業努力が足りないんじゃないのか」
「でも、ちょっと恥ずかしいから、やっぱりやめようか」
「ちょっと待て、こんな経営をしていたら客足が遠のくだろうから、クレームをつけた方が、店のためになるのではないか。尊敬する川本先生なら、ひと言注意してあげるのではないか……」
 いろいろ思案いたしましたが、結局、クレームは付けませんでした。なぜって、逆に「パソコンで仕事をするな」と店から言われてしまったら、困るから。



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