続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年5月 たぶん5月、を英語で言うと
寺田的陸上競技WEBトップ

◆5月31日(月)
 たぶん、5月も今日で最後です。今日の日中は本当に暑かったですね。30℃ですか。この時期の高温はちょっと、イヤな感じです。日本選手権に向けてという意味ですが。試合の数日前が雨の方が、逆に記録が良かったりする傾向があります。実証されていることではないので記事なんかには書けませんが、一時期、雨が2〜3日続いた後のインカレや日本選手権で、好記録が多く出たことがありました。
 たぶん、ちょうどいい休養になるパターンでしょう。それって本来、よくないんですけど。ちゃんと計算して練習量を落として調子が上がるのならともかく、雨で練習計画が変わった結果、ピークを合わせられたっていうのは。最近は、そんなことないかもしれません。
 新潟陸協からアテネ五輪標準記録挑戦記録会(22日の日記参照)の、気象コンディションを送ってもらいました。その場で気づかなかったこちらのミスです。FAXで送ってくれるようお願いしたものの、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当に、ありがとうございました。
 その新潟に取材に行った22日を最後に、日記が更新できませんでした。締め切りが続いたこともありますし、本サイトでもこの1週間は、日記よりも貯め込んでいたネタを記事にすることを優先しました。日本選手権特設サイト(会員制。同大会を楽しむことが会員条件。優勝者予想など内容に対してクレームを付けないことに同意する方のみ見られます)から、今季の記事にリンクできるようにしたかったので、とにかく記事を先にアップしないと話にならなかったのです。けっこう、頑張りました。
 ということで、23日以降の出来事を駆け足で振り返りましょう。じっくり書くと面白いネタもいくつかあるのですが、日本選手権の種目毎の展望記事も書かないといけません。昨年は結局、女子が書けませんでした。今年は何とか、頑張りたいのです。しばらくは、日記よりも日本選手権モード。

◇5月23日(日)
 昨晩もWSTF(新宿の作業部屋)が威力を発揮しました。新潟から最終の新幹線で戻ると、自宅の最寄り駅までの電車がありません。小田急の鶴川とか、JRの国立(くにたち)からタクシーを使えば帰れるのですが、3000〜4000円かかります。新大阪からの最終の新幹線でも同じ。そういうケースってこれまでも、けっこうありました。
 で、WSTFに泊まって、日曜日は何したっけ? とにかく仕事をしていました。
 通販で購入した3連の籐製パーティションと、高さ調節機能付きのテーブルが到着。テーブルはソファの前に置くものですが、ちょっとサイズが大きかったですね。2種類あったうちの小さい方にしたのですが。サイズを確認せずに発注するという基本的なミスを犯してしまいました。でも、高さを70cmにしたらバリバリで仕事ができます。これで、作業のできるデスク(テーブル)は、メインデスクに丸テーブル、小さめの書き物机に、ソファ前のテーブルと4つに。

◇5月24日(月)
 昨日、自宅に帰るとクリール最新号が届いていました(表紙の写真は後で掲載)。面白かったのは諏訪利成選手のインタビュー。具体的には、今、手元にないので、これも後日紹介しましょう。前回の国近友昭選手に続いて五輪代表シリーズになっています。次は誰でしょう。

◇5月25日(火)
 ADSL(ブロードバンドですね)への変更を申し込みました。プロバイダーはこのサイトはアサヒネットですが、仕事ではniftyを使っています。宇都宮インターハイのあった93年頃から仕事で使っているので、携帯電話の番号と一緒で、変更したら、それを通知するのに骨が折れます。通知を受けた方も、変更手続きをするのは面倒くさいでしょうしね。
 ということで、niftyの窓口に電話で申し込みました。しかし、かなりイラつくことに。
 3カ月間無料キャンペーンなのですが「実質2カ月になります」……って、それだけ言われても、よくわかりません。それって、どういうことですか、と話を聞くと、次のようなシステムになっていました。
 6月3日に変更した場合、6月がADSLの最初の月になりますが、現在のコース(無制限コース)の最後の月にもなるのだそうです。だから、2日間でも無制限コースを利用したことになって、その料金が6月分に適用されることになると。
 ちょっと、ずるいですね。シェア獲得にやっきになっているブロードバンドですから、仕方ないのでしょうか。それが業界の常識なのでしょうか。でも、やっぱり違和感があったので、食い下がりました。
「だったら6月30日まで今のコースにして、7月1日からADSLにします。そうすれば3カ月無料になる理屈ですよね」
 ところが、変更する細かい日付はこちらに決めることはできず、申し込みを受ける側(nifty)が決めるのだそうです。それって、結局どうしようもないということじゃん。
 さらにもうひとつ、融通のきかない話が。
 登録住所は自宅のある多摩市になっているのですが、ADSL回線にするのは新宿の作業部屋。何かの通知を発送する必要があって、登録住所にしか送れないといいます。別に自宅宛でもよかったのですが、新宿に送ってもらったのほうが楽なので、「回線のある新宿に」とお願いしたら、ダメとのこと。いったん電話口を離れ、わざわざ上の人間に確認したといいます。でも、それを消費者に言うかな。こちらにとっては、会社の誰の意見でもどうでもいいこと。たまに、「おまえじゃダメだ、上司を出せ」とか、言い出す人間もいるようですけど。
 しかし、「登録住所に送っていいですか」と聞かれたから、「新宿に」と答えたんですよ。その点を指摘しつつ
「別の場所に発送するのって、そんなに手間じゃないと思いますけど。僕が取引先から変更をお願いされたら、快く引き受けますね。それも、10年以上も商品を買ってくれている相手ですよ」
 と言うと、さすがに弱っていたので、それ以上は押しませんでした。某大学の教授のように、コンピュータ会社のサポートの女性を泣かせるのもなんですし。要するに宛名記入がコンピュータのシステムに組み込まれていて、寺田のような個人事業主が手書きで宛名を書くのとは違うということ。
 世の中、つねに大企業、大組織の都合が優先されます。何度も書いていますよね。書籍流通の問屋にあたる取次が休むから、そのしわ寄せが編集部や現像所、写植屋さんなど小さい組織に来るって。もちろん、個人事業主のフリーライターにも。

◇5月26日(水)
 今日は、文字数的には大作でもないですけど、そこそこ大きい原稿の締め切り。専門誌でないとかなり、神経を使いますし、時間もかかります。
 ところで、昨日の日記に、一番重要な部分を書けませんでした。
 ADSL申し込みでイラついてしまい、たぶん、電話後も20分くらいはいやな気分で仕事がはかどらなかったと思います。そういった精神的な不安定さが、仕事に影響が出るのって、避けたいですね。東日本実業団の男子200 mに優勝した土江寛裕選手(富士通)が、いいことを言っていました。
 男子200 mは電気計時の機械が作動せず、スタート時間がかなり遅れていました。そのせいでかなり、イラついていた選手もいたようです。運営サイドは深く反省すべきことですが、勝負をする選手の立場としたら、そのくらいでイラつくのは明らかにマイナスです。記録を狙っているのに、それを阻害する要素が生じてしまった。でも、イライラしたらさらに、記録が出にくくなります。
 その点、土江選手はイラつくことはなかったそうです。そういえば、去年の世界選手権の決勝で、スタート姿勢を変えさせられた末續選手もそうでした。普通だったら慌てるところを、まったく動じませんでした。
 見習わないといけないな、と感じたADSL申し込みでした。
 そういえば、niftyは富士通の経営でした。陸上競技を応援している企業の批判は書かない主義なんですけど、まあ、仕方ありません。niftyという特定企業でなく、大企業全般の批判ということで。

◇5月27日(木)
 今日もそれなりに、締め切り。請求書も3通起こしましました。これも何度も書きますが、面倒くさい。請求書も早く、デジタル化されないかな。請求書とか領収証とか、いまだに紙が当たり前なんです。

◇5月28日(金)
 今日も締め切り。原稿を修正する必要が23時過ぎに生じて、WSTFに泊まり込み。本サイト用の原稿もぼちぼち、書き進んでいますが。

◇5月29日(土)
 女子棒高跳の近藤高代選手が4m35の日本新。五輪B標準も突破しました。
 寺田はあるサイトの掲示板でその情報を知ったのですが、さすがに、それを鵜呑みにして自分のサイトに載せることはできませんので、某棒高跳関係者に電話をして、事実を確認しました。その関係者は、近藤選手のコーチからも直接電話を受けたということで、間違いないと判断しました。
 ただ、新聞社となるともっと念入りに確認を取らないと、紙面掲載はできないようです。寺田の場合は、その関係者の方が10年(20年?)以上陸上界に関わっていらして、寺田とも何年も知己があって信用できると判断できます。掲載する自信と言ってもいい部分。だから何だ、という話ではありませんが。
 夕方から外出。遅めの昼食をとって、西新宿の某高層ビルのパティオみたいなスペース(携帯電話で撮った写真がこれ)で、原稿を書きました。週末のせいか、人が少なくて、テーブルを1人で使っていても何の問題もなし。ビルの陰になって、パソコンの画面も問題なく見ることができます。ちょっと、ヨーロッパみたいな雰囲気で、筆が進みました。

◇5月30日(日)
 この週末は久しぶりに試合の取材がなく、今日は陸上競技の某研究会に顔を出させていただきました。でも、午前中まで原稿が終わらず、30分の遅刻。3本予定されていた演目のうち、後半の2本を拝聴させていただきました。1つはやり投、もう1つは短距離選手の骨盤の動きに関する研究でした。どちらも、いずれ取材の役に立つ話……役立てたいと思った話です。この手の研究会に出ると、過去に聞いた選手の話で「あの話は、こういうことだったのか」と気づかされることも多々……いくつかあります。時間があったら、積極的に出たいのですが、それがなかなか難しい。土日に行われることが多いので、どうしても試合の取材と重なります。平日の研究会・学会開催っていうのは、実際問題、無理。こればっかりは、仕方ありません。
 今日も、3つめの演目が終わると、関係者の方たちに挨拶もそこそこ、速攻で新宿の作業部屋に。今日中に日本選手権特設サイトを立ち上げたかったのです。泊まり込みで何とか、アップしました。


◆5月22日(土)
“まだまだ修行が足りないな”
 今日は新潟へ日帰り出張中でしたが、その間に思いついたのがこの言葉です。新潟出張はもちろん、1万mの標準記録挑戦記録会を取材するため。取材記者の顔触れもゴールデンゲームズと二分されたためか、若干いつもより少な目です。地元からは新聞、テレビもそこそこ来てらっしゃいましたが、東京からは新聞3社、専門誌1社、テレビ1社、分類不可能なフリー1名(寺田のことです)。こういう少人数のときに記録が出ると、ちょっと嬉しいんですよね。
 夜の7時スタートでしたが、気温が16〜17℃で風がまったくなく、雨上がりなのにべとつく湿気もなく、絶好のコンディションでした。詳しいレース経過は記事にしたとおりです。
 取材陣のなかの1人、S本さんは寺田がテレビの仕事をして、一緒になったことが何回かある方です。実業団駅伝や、エスビー食品の全国小学生長距離大会を取材されていて、こちらが驚くほど選手たちをよく知っている。帰りに、新潟駅でご一緒させてもらったとき、全国小学生大会からの知己であるO選手に電話して、大森輝和選手のA標準突破を伝えていました。
 O選手の最初の反応は「(同じくろしお通信の)大島選手じゃないんですか」というものだったそうです。ダメですね。ちゃんと寺田が、陸連記者懇談会の記事で河野匡長距離・マラソン部長のコメント(その記事はこちら) として、「くろしお通信の大森(輝和)が非常にいいトレーニングができている。大島もいいが。あと、三津谷(祐・トヨタ自動車九州)が兵庫で一発狙うようだ」と紹介しているんですけど。
 どうやらO選手は、ネットはもっぱら携帯電話で見ていて、パソコンではほとんど見ていないとのこと。S本さんの話によると、「なんで大森なんですか」とも言っていたとか。「“腹が減ったからだよ”と答えてやったらどうですか」、と寺田がS本さんに言ったところ「そういうジョークがわからない選手ですから」ということでした。“まだまだ修行が足りないな、O選手は”と思った次第です。
 その後、帰りの新幹線車中で記事を書いたのですが、記録を整理していて、気象コンディションのデータをもらっていないことに気づきました。スタート何分か前のアナウンスで16.5℃と言っていたのはメモしてあったのですが、今日の気象コンディションは好記録が出た大きな要因です。寺田も目の前で記録が出ると、我を忘れてしまうところがなきにしもあらず。“まだまだ修行が足りないな”と実感した新潟出張でした。


◆5月21日(金)
 18日の日記に対し、そこそこの反応がありました。
 今は仕事や家事・育児で忙しい“陸上競技OB”に、手軽に見られるWEBサイトでそれなりの情報を提供することで、昔を思い出しながら陸上競技の今を楽しんでもらおう。その人たちが、近くの競技場で開催される試合を子供を連れて見に行ってみよう、となるのが理想。子供たちが陸上競技を面白いと思ってくれれば、陸上競技人口やファン層の拡大にもつながるはず。
 という趣旨に共感していただくことができたようです。寺田にとっては嬉しい反応です。そういうメールは大歓迎。具体的に、どんな方からメールが来たか、2人ほど紹介しましょう。
 1人は“元”国体チャンピオンの肩書きを持ち、大学卒業後は洋服屋さんの経営をされている20歳代後半の方です。地元の学生選手やOBの選手が店に顔を出してくれるようで、このサイトの情報をネタに会話をされているとか。
 もう1人は関東の大学で中距離をやってらして、今は40歳の方。
 大学を卒業してからは陸上競技への興味はありつつも、なかなか競技場に足を運ぶことができなくなっておりました。(中略)しかしながら、寺田様のページによって、陸上競技場に足を運ばずとも、とても身近に「陸上競技」を感じることができるようになりました。近々、子供を連れ、「公園デビュー」ならぬ「競技場デビュー」をさせようと企んでおります。
 寺田のこんなサイトでも、ほんのちょこっとくらいは、陸上界に貢献しているのでしょうか。そういえば、会社で暇つぶしに見ている、という実業団選手も何人かいましたっけ……いえいえ、そんな事実はありません。日本選手のほとんどはアマチュア。仕事も精一杯やっています。


◆5月20日(木)
 東日本実業団で2年ぶりに宇都宮へ行った寺田ですが、初めての宇都宮は1993年のインターハイ……ではありません。土江寛裕選手の日記にも名前が出ている荒川岳士選手の取材です。91年の静岡インターハイに10秒30で優勝し、翌年のソウル世界ジュニアで決勝に進出した選手です。当時、宇都宮東高。たぶん、荒川選手が高校1年生から2年生になる冬期だったと思います。確か、新幹線ができていなかったんじゃないかな。快速アーバンとかなんとかで行った記憶があります。
 早大に進学しましたが、土江選手と同級生だったとは、認識していませんでした。荒川選手=静岡インターハイ、土江選手=宮崎インターハイ(柿沼&室伏&ハニカット&三宅中西&&田端&小坂田世代)というイメージだったのです。考えてみたら、静岡インターハイの荒川選手の10秒30は、高2最高記録でしたから、故障がなければ翌年の宮崎インターハイでも活躍していたことになります。
 早大に進学後も故障で、これといった戦績がなかったので、土江選手が活躍し始めたときに同級生と認識できなかったのでしょう。卒業後に一度か二度、インカレか東京六大学で逢ったことがあります。確か、JALかANAの地上勤務で、羽田空港が仕事場所だと話していました。
 ちなみに、荒川選手の高2最高を6年後に10秒27と破ったのが宮崎久選手。宇都宮(東日本実業団)では、悩んでいましたけど。
 同じ、宇都宮(東日本実業団)でも、復調のきっかけをつかんだのが高橋和裕選手。94年に200 m日本新、100 m&200 mジュニア日本新と大活躍しました。同年の広島アジア大会に出場し、10年後の今年の織田記念に出場した選手を、4月29日の日記で紹介したところ、高橋選手もそうだったと土江選手からご指摘を受けました。
 そういえば、三重の二枚目助教授からもメールをいただきました。伊藤佳奈恵選手も両大会に出場していたとのこと。
北田敏恵さんと一緒に女子100mの代表選手として走っています。結果は、伊藤が11.81秒で予選落ちし、北田さんは予選で11.48秒(+2.8)、決勝では4位ながらも11.58秒(+0.8)で伊藤の日本記録(11.62秒)を塗り替えました。4×100mRでは、伊藤、北田、柿沼、金子のオーダーで中国、タイに次いで3位に入賞(44.57秒)しています。
 わざわざ調べていただき、恐縮しています。
 伊藤選手にとっては、自身の日本記録を北田選手に破られた競技場でもあるわけです。我々取材する側が選手と場所を結びつけるとき、いい結果だけを考えてしまいがちです。悪い思い出もあるということにも、今後は注意しましょう。


◆5月19日(水)
 一昨日の日記で不適切な表現がありました。谷井孝行選手と石川和義選手の関東インカレ欠場理由が、オリンピックを優先したためと決めつけた書き方になっていました。欠場は故障の度合いにまず左右されることで、オリンピック選考云々は副次的な部分。“あったかもしれない”程度の表現にとどめておくべきでした。配慮に欠けた書き方だったことを、お詫び申し上げます(クレームが来たのでなく、知り合いからの指摘でした)。
 同じ日の日記で関東インカレの女子4×400 mRで、日女体大が1989年に優勝したときのメンバーについて触れました。田中こずえ選手は洛南高の柴田博之先生と結婚後の97年に日本新をマークしたとも。その柴田先生の教え子が、他ならぬ東海大の山口有希選手です。一昨日、取材をすることもできました。近日中に記事に……したいのですが。日本選手権前には必ずします。この情報を知っておくと、日本選手権観戦が絶対に面白くなりますから。
 日女体大といえば、土江寛裕選手は月曜日の午前中、同大学でしっかり授業をしてから横浜国際競技場に駆けつけたようです。安易に休講にしたりしないところが、律儀な土江選手らしいと言えば、らしいです。東日本実業団では土曜日に100 mを3本、日曜日に雨の中200 mを3本走って、ともに優勝。今年で30歳ですから体力的には25歳前後よりも落ちていると思われますが、走り方さえ体得すれば、乗り切れるのかも。寺田が安易に言っていい部分ではありませんけど。
 寺田が言っていいのは、土江選手の走法改善が上手くいっているということ。本人から取材して確認していますから。100 mではフィニッシュ前で逆転していましたしね。(100 mと比べると)不得手の200 mでも宮崎久選手を抑えました。逆に、宮崎選手が「直線がダメ。前半はいいのに200 mの後半と100 mが、なぜか硬くなってしまう」と、悩んでいます。宮崎選手もウェイトをやらずに走る量を増やすなど、練習方法を少し変えました。動き的にも、蹴らない動きに変更したのですが、今季はまだ成果として出ていません。
 日本選手権まで3週間。春季サーキットや地区実業団で取材中に、冬場に練習はできているのに試合で結果が出ていない、とコメントする選手も何人かいました。そういった選手にとっては、この3週間がカギを握ります(そうでない選手にとっても重要であることに変わりはありませんが)。焦りを感じてしまいがちな状況ですが、「俺はどんな感じで調子が上がっていくのかな」くらいに、その過程を楽しむゆとりがあると、競技人生、面白くなるかも。他人事だから言えるのかもしれませんが。


◆5月18日(火)
 今日、5月18日は寺田の父親の誕生日です。特に陸上競技と関わりがある人物ではありませんが、磐田北高がインターハイで女子総合優勝した際、同校に勤務していました。あと、寺田が今の仕事で頑張っていられるのも、父親のおかげと言えます。人間誰しも、家族に支えられて今日があるわけで、当たり前と言えば当たり前ですけど(と、何かエピソードがありそうなことをにおわせておきましょう)。
 そういえば、昨日の関東インカレで、赤ん坊を抱きながらスタンドを歩いている美人のヤンママを見かけました。見たところ学生時代まで陸上競技をやっていて、卒業して2〜3年といった雰囲気。子供の面倒を見ながら、後輩の叱咤激励をしに横浜国際競技場まで足を運んでくれたのでしょうか。
 東日本実業団の初日にも、スタンド下で小さな子供を2人連れて観戦していた美人の女性を見かけました(美人しか目に入らないのか? という愚問はメールしないように)。こちらは実業団の試合ということを考えると、出場していた男子選手の奥さんと子供という雰囲気。どちらも、微笑ましい光景でした。
 寺田がこのサイトを運営しているのは、そういった人たちが増えて欲しいからです。以前にも書いたと思いますが、まったく陸上競技を知らない人がこのサイトを見る可能性は低いでしょう。読者層として意識しているのは現在、陸上競技に関心のある人はもちろん、中学・高校・大学で陸上競技を頑張ったけど、今は仕事や育児・家事に追われて陸上競技から気持ちが遠ざかってしまっている人たち。パソコンの普及率を考えると、そういった忙しい人たちが、ふと時間ができたときにネットをして、このサイトを見つけてくれたらいいな、と。そういう“陸上競技OB”って、けっこう多いと思うんです。
 そういえば自分も昔、陸上に熱くなったよな。自分が頑張った種目では今、この選手が強いのか。レベルも上がったな。でも、こっちの種目は下がっているけど。4年前に強かったあの選手はどうなんだろう。最近の選手は、技術的にそんな部分まで考えているのか、等々。
 手軽に見られるWEBサイトでそれなりの情報を提供することで、昔を思い出しながら陸上競技の今を楽しめる。だったら今度、近くの競技場で開催される試合を子供を連れて見に行ってみよう、となるのが理想です。子供たちが陸上競技を面白いと思ってくれれば、陸上競技人口やファン層の拡大にもつながるはず。だからこそ、競技の見せ方って大切だと思うんです。報道への対応も。
 親子と言えば東日本実業団の2日目には、栗原浩司先生とお会いしました。栃木の生んだ名スプリンター。大学1年で日本インカレに優勝し、卒業後にまた強くなってソウル五輪100 m代表になった選手です。インドアも強かったですね。1日目にはいなかったよね? と聞くと、「息子の試合の方に行っていました」とのこと。昨年、11秒34(−0.4)を出している栗原貴徳選手のことです。今年は棒高跳の笹瀬正樹ジュニア、長距離の中山竹通ジュニアと二世選手が中学3年生で、話題になりそうですね。もっとも、ただ親が有名選手だった、という視点で取り上げるのは嫌いです。競技レベルが取り上げるに足るものでなければ、取り上げられる方もかわいそうでしょう。


◆5月17日(月)
 昨晩からWSTFに泊まり込み。昨日は疲れもあって、ろくに原稿も書かないうちにダウンしてしまいました。それが原因ではありませんが、今日明日と、3晩連続で泊まることになりそう。水曜日まで大作原稿の締切が続くのです。150行が1本に300行が2本、もう1本の文字数は数えていませんがA4で1ページですから、そこそこあるでしょう。昨年の原稿の手直し作業もあります。あっ、請求書も送らないといけなかったんです。忘れていました。
 それでも、今日は関東インカレに行きました。ちょっと忙しいくらいでは、外せません。一昨日の日記に“人生の多彩さ”という点では断然、実業団の試合の方が上と書きましたが、“この大会で”と試合に賭ける思いはインカレの方が上です。学生選手のインカレでの集中力は本当にすごいですから。
 ただ、今年はオリンピックイヤーですから、学生レベルを超えている選手に関しては、インカレよりも日本選手権に照準を合わせます。その結果、五輪代表確実の谷井孝行選手が男子1万mWを、石川和義選手が男子三段跳を欠場しました。横浜国際競技場は三段跳の記録製造ピットとも言われ始めているほどのスタジアム。ちょっと残念でしたが、日本選手権で勝つことで“その後”の競技人生も変わってきます。やむをえない部分でしょうか。
 三段跳といえば、かつてのインカレチャンピオン、小栗忠選手に出くわしました。この春から中大の監督になったそうです。今年で27歳ですから1部校では間違いなく最年少監督でしょう。男子5000mで伊達、北村の1年生選手がワンツーを占めたので、さっそく上野裕一郎選手が出ていない理由を取材しました。頸骨に痛みがあるとのことですが、落ち込んでいるようなことはないそうです。
 インカレらしさを見た思いがしたのは、女子の4×400 mR。東学大アンカーの西村美樹選手(大会ポスターに写真が一番大きく載せられた期待の選手で、女子800 mに大会新で4連勝。女子最優秀選手に)が追い上げましたが、日女体大アンカーの皆川裕美子選手(400 m2位)が0.23秒差で逃げ切りました。記録は3分44秒92で学生歴代上位というわけではありませんでしたが、選手たちのインカレに賭ける思いが伝わってくるレースぶり。
 日女体大の4×400 mR優勝は近年、記憶になかったのでいつ以来か調べると、前回の優勝は平成1年(1989年)でした。プログラムの歴代優勝者欄のリレーメンバーは名字だけの記載ですが、2走の“田中”はたぶん田中こずえ選手。洛南高の柴田博之先生と結婚後、97年の大阪国体400 mで日本記録をマークした選手です。そして1走の“長谷川”は……ミズノトラッククラブ・マネジャーの長谷川順子さんだ!! 91年の東京世界選手権400 mH代表です。


◆5月16日(日)
 東日本実業団取材2日目。朝はなんとか天気ももっていたのですが、昼頃からあいにくの。記録を狙う選手たちに文字通り、水を差してしまいました。今年から対抗戦がなくなりましたから、トップ選手は日本選手権に向けて、その下のレベルの選手は純粋に、記録を狙いたい大会のはず。日本選手権の前哨戦という位置づけで、あるいはライバルに勝ちたいと、順位にこだわっていた選手もいるとは思いますけど。
 その状況でも、200 mを3本走って100 mとの2冠となった土江寛裕選手や、ハンマー投で自己記録に迫る73m02をマークした土井宏昭選手、ラストでワンジル選手を追い込んだ女子5000mの大山美樹選手、走幅跳で優勝した直後の100 mで0.01秒差の2位となった佐藤友香選手などの頑張りが目立ちました。その他の選手も頑張っていたと思います、とちゃんと書いておかないとクレームが来そうなので。
 長距離種目は記録的にも、それほど悪くありませんでした。女子3000mの宮井仁美選手は9分10秒39(ジュニア歴代では30番台ですけど)、前述の大山選手が15分42秒66。男子5000mは外国3選手に食らいついた揖斐祐治選手が、織田記念で出した自己記録には届きませんでしたが13分51秒27。オリンピックを狙うとかではなく、いずれも“これから”という選手たちです。
 対照的なレースだったのが男女800 m。男子は自衛隊体育学校勢5人が決勝に進出(これも対抗戦でなくなった今大会の特徴でしょう)。400 mまで五十嵐選手がペースメイクをし、400 m過ぎに鈴木尚人選手がスパート。600 mから森祥紀選手が前に出て、笹野浩志選手の追い上げを許さずに1分49秒97で優勝。逆に、女子800 mはアコムの宮崎千聖選手が独走。最後は辰巳悦加選手に追い上げられましたが、逃げ切ったレースでした。
 アコムで思い出しましたが、平野了コーチが6月に結婚されるとのこと。おめでとうございます。昨日、コニカミノルタの大島コーチに「新婚コーチ」と声をかけると、平野コーチも結婚間近と教えてくれたので、本人にも確認しました。日清食品の岡村マネも1月に結婚し、三井住友海上の高堰マネも秋あたりに結婚とのこと。オメデタ続きの長距離界です。試合でもオメデタが続くことを願って、今日はここまでとしましょう。


◆5月15日(土)
 約10日ぶりの日記です。日記が書けなかった理由? それは試合が立て込んだから。試合に行けば当然、書くべき原稿が生じるわけです。それで生計を立てていますんで、と、たまには書いておかないと。知らない人もいるようなので。
 でも、知り合いの女性からも催促されたりして、書かないといけないな、という気持ちはずっとありました。このサイトも仕事の一部ですしね。それに、この間にもネタもいっぱい。水戸国際で明るみに出た観音寺の謎ネタとか、国際グランプリ大阪でのデイリーヨミウリ・ケネス記者ネタとか(パリの世界選手権のときに紹介した91年東京世界選手権ネタの類です)、中部実業団で会った長身先生ネタとか。三重の二枚目助教授からも、伊藤佳奈恵選手の広島アジア大会戦績をメールで知らせていただきました。広島アジア大会に出て、今年の織田記念に出た選手については、もう1人いるとの指摘もいただいています。機会があったら(こじつけのできる話の展開になったら)紹介します。
 ということで、今日は東日本実業団の取材で宇都宮です。日程が重なるインカレも面白いですけど、選手の“人生の多彩さ”という点では断然、実業団の試合の方が上。今日も本当に話題が多かったです。寺田が見たり聞いたりしたことを余すことなくお伝えできたら、絶対に陸上競技を面白いと感じる人が増えると思うんですが。それができない自分に腹が立ちます。
 競技的な部分での一番の話題は、なんといっても谷川聡選手でしょう。13秒53と5年ぶりの自己新で日本歴代2位、パフォーマンス日本歴代3位、30歳代日本最高、向かい風日本最高(向かい風0.4mですから、選手によってはインターバルを刻みやすくなるかもしれません)。ミズノの後輩の内藤真人選手に続いて2人目のA標準突破です。ランニングタイマーは13秒55で止まりましたから、関係者全員が正式計時を固唾を飲んで見守りました。0.02秒速いタイムが表示されたときは、取材する記者たちからも拍手と「おめでとう」の声が。長く頑張っている選手は、自然と応援したくなります。
 表彰後の写真がこれ。今さらですが、1週間前の中部実業団で日本新を出した綾真澄選手の写真がこれです。
 ベテラン選手といえば、1万mWの柳沢哲選手や、1万mの武井隆次選手など、オリンピック代表を逃した選手たちも元気いっぱい(と表現していいか難しいところもありますが)、歩き、走っていました。実井謙二郎選手も28分47秒97!! 35歳ですから年齢別日本最高かな、と思ったら、いました、福島正選手が。99年に28分30秒4で走っています。富士通新監督として今日、スタンドにもいらっしゃいました。富士通では松下龍治選手が28分45秒13と自己3番目(入社後では最高記録)で走っていましたね。
 その松下選手と高校時代に一緒に走ったことがある、と話してくれたのが、1500m第2組で11位となった二宮尚寛(にのみやなおひろ)選手。スタート前に「パラリンピック代表に決まっている選手」と通告があったので、レースにも注目していました。
 すごかったですね。右腕が肩から下の部分がない隻腕のランナー。それでいて、しっかりとリズムを取って、実業団選手と対等に走ってしまうのです。女子1500mに優勝した岩元千明選手を取材中でしたが、思わず見入ってしまいました。本当に圧倒されました。4分04秒87ですからね。障害者の大会では世界のトップ選手で、国内では競る相手がいないので、先の東京選手権に続き実業団の試合にも出たのだそうです。熊本農業高校出身で、現在も仕事は熊本県ですが、実業団登録は東京のAC・KITA。熊本県出身の銅メダリスト、末續選手とも同学年になります。
 最終種目は男子1万mでしたが、そのレース後にも感動的なシーンに出くわしました。優勝したダニエル・ジェンガ選手は仙台育英高2年時の93年宇都宮インターハイ3000mSCで優勝した選手。詳しくは別のメディアで記事にする可能性もあるのでここでは書きませんが、本当に胸を打たれました。マラソンのケニア代表を逃した後でもあります。こんなこともあるのか、っていうくらいのネタです。宇都宮に来てよかったです。
 あっ、でもホテルは最悪。椅子の座面の高さと机の高さが合っていなくて、キーボードを打ちにくいのです。頼みのファミレスも、宇都宮駅近くにはないとのこと。すぐに気づけばよかったのですが、何時間もしてから解決策を思いつきました。この写真のように、マットが二段重ねになっているベッドの上段を取り払って床に座ると、ちょうどいい高さなのです。良い子(と寺田が言う場合は、世間の常識に縛られた、という意味合いを含んでいます)、良いサラリーマンは真似しなくていいです。


◆5月5日(水)
 水戸国際の取材。朝はアルゼンチン・タンゴのCDと中森明菜のタンゴ・ノアールを聴きながら出張の準備をし、上野発のスーパー日立で水戸に向かう途中、を通過しました。
 今日は寒かったですね。ずっと14℃台。
 寺田は通常、取材にメジャーなメーカーの製品は着用して行きません。どのメーカーの人とも、接する機会があるわけですから。メーカーの方に聞くと、そこまで気を遣わなくてもいいと言われますけど。
 でも、今日はさすがに我慢できず、ミズノ等々力さんにお願いしてジャケットを購入。明日明後日で膨大な行数の原稿を書かなくてはいけないので(来週も)、体力を温存したかったのです。WSTFの部屋着にするのにも、ちょうどいいかな、と思いまして。末續選手の原稿を書く際に、書くスピードが出るかもしれませんし。
 水戸の特徴は風が強いこと。今年から実施種目が10と減りましたが、削られたのはトラックを周回する種目でした。400 mとか、バックストレートが強い向かい風だと、記録が出にくいですからね。中・長距離種目も女子1500mだけでした。今日も予想通り、ホームストレート側は強い追い風。低温でしたが100 mや走幅跳、棒高跳でまずまずの記録が出たのは、風の恩恵でしょうか。
 しかし、日大の新人の今井雄紀選手が走幅跳で自己新、女子棒高跳の中野真実選手が4m31の日本新を出したのは、いくら追い風とはいえ、あの低温の中で行われたことを考えるとすごいと思います。
 10種目に減ったことで競技全体の時間が短くなり、最初の種目の女子棒高跳が結局、一番最後まで行われていました。表彰後、2月の日中対抗室内で近藤高代選手と約束したことを果たそうと思ったのですが、すぐに中野選手の取材に突入してしまい、近藤選手と接触できませんでした。約束とは、早大競走部の先輩であるプリンス近藤(読売新聞・近藤記者)を紹介すること。近藤記者も表彰の時、名刺まで出していたのですが、どうしようもありませんでした。
 それとは別に、取材したかったこともあったのです。近藤選手が跳び始めた高さは4m10から。小野真澄選手と中野選手は3m80でした。世界大会ならいざ知らず、国内の大会で最初の高さが4m10というのは、相当に調子が良かったということでしょう。次が楽しみです。


◆5月4日(火)
 WSTF(西新宿に借りている作業部屋)でひたすら原稿書き。家族T氏も来て、キッチン周りなどを整理してくれました。歩いて5分の距離に、彼女の友人夫妻が住んでいることが判明し、夜は一緒に食事。というか、ご馳走になってしまったわけです。
 もちろん、食事のあとにも原稿を書いて、しっかり締め切りを守りました。


◆5月3日(月・祝)
 静岡国際取材。WSTFから日帰り出張です。東京駅発で静岡停車のひかりに乗るつもりでしたが、JR新宿駅みどりの窓口で新幹線の「○△×」表を見ると「×」。通常、指定席が満席だと、自由席もまず座れません。しかし、今日はゴールデンウィーク期間中ということを考え、自由席にトライしたところ、案の定ガラガラでした。ビジネスよりも旅行客が多いため、事前の予約で席が埋まってしまうんでしょう。
 東京も雨でしたが、静岡も雨。そういえば、長島選手と林田選手が出場していましたね。
 ですけど、雨は間もなくやみ、午後の種目はまずまずのコンディションの中で行われました。
 競技場は違いますが、昨年の静岡国体を湧かせた大学生の大物新人も出場していました。何人かは、お決まりのパターンで、力が落ちています。その中には地元選手もいて、スタンドでは、「○○さんが出る。さっき遭たよ」という会話を高校生がしているわけです。でも、結果は惨憺たるもの。出なければいいのに、とも思いますが、色んな事情があって出ざるを得ないのでしょう。
 というマイナス思考はやめて、地元でこんな大きな大会があるのだから、それを目標に冬期も頑張ればいいのに、と思うのですが。でも、それができない。統計的に“できない”のは明らかです。高校で頑張ると、どうしようもないのでしょうか。織田記念の女子400 mに優勝した丹野麻美選手のようなケースもあるのですが。
 ちょっと古い話で恐縮ですが、90年の春季サーキットで、高卒間もない選手が2人、同じ種目で自己新を出したので陸マガのモノクログラビアで、1ページずつ紹介しました。高校時代にインターハイで勝った選手と、国体で勝った選手。記録的には超高校級とまではいえませんでしたが、大学1年時にスムーズに記録を更新したことで、国際舞台への足がかりをつかんだような気がします。種目は男子400 mH。斎藤嘉彦選手と山崎一彦選手でした。
 静岡陸協の報道への対応はさすがです。
 ある地元大物選手がドーピング検査の対象に指定され、競技終了後にドーピングコントロールエリアに連れて行かれようとしていました。でも、「選手もなかなか出ないことが多いですし、先にインタビューをしたらどうでしょう」と提案し、選手も「すぐには出ませんよ」と言ってくれたこともあり(役員に発言しやすい雰囲気があるわけです)、すぐに提案を受け入れてくれました。
 記者室の使用時間に関しても、翌日のイベントがあって競技場サイドは早めにそれに取りかかりたかったようですが、記者たちが困った表情をすると、すぐに延長してくれました。それも、快く。どこかの陸協とは大違いです。
 帰りの新幹線も、指定席は「×」でしたが、自由席は余裕で座ることができました。寺田が降りようとすると、同じ車両に某専門誌のO村ライターの姿が。「007は降りないの?」と声をかけると、周囲の乗客の何人かが振り向いていました。


◆5月2日(日)
 今日も東京選手権が国立競技場であったのですが、さすがに原稿に専念せざるを得ませんでした。昨日の谷川聡選手取材中に鈴木競歩部長から「取材に来い」サインをもらっていたのですが…。案の定、女子10kmWで好記録が出てしまいました。五輪代表を確定させている川崎真裕美選手が、日本歴代4位で優勝。
 さらに、十種競技では石沢雅俊選手が7719点の日本歴代3位でオリンピックB標準を突破。すぐ近くでやっていたのに、残念です。残念だし、難しいなあという感想。4月25日の兵庫リレーカーニバルを皮切りに、29日の織田記念、5月3日の静岡国際、5日の水戸国際、8日の国際グランプリ大阪、9日の中部実業団と試合の取材が続きます。10日・11日と個別取材が入っていて、その3日後の14日から4日間は関東インカレ、東日本実業団2日間、関東インカレという過密スケジュール。
 どこまで試合の取材を優先して、どこまで原稿を書くために時間を割くか。取材がどんどん少なくなっていったら、ネタの蓄積が少なくなり、記事の中味が薄っぺらくなっていきますからね。でも、締め切りもあるし、無理をして倒れたら元も子もないし。未だに悩み多き年頃です。
 悩み多いというわけではもちろんありませんが、昨日の男子1万mには高橋健一選手が出場していました。記録は29分15秒前後だったと思います。座骨神経痛は以前と比べると随分よくなっているようですが、昨日もまだ、少し力が入らない感じもあったとか。
 最近は小出義雄氏を義理の父に持つことになったことが話題になりがちですが、高橋健一選手の良かったころを知る人間としては、誰の家族とか、どうでもいいことです。いえ、どうでもいいわけじゃなくて、その、あれですね。家族の話題よりも、彼の走りに興味があります。ハーフマラソンの日本最高を出した頃なんか、すごかったですね。順大の後輩の浜野健選手なんかも、ニューイヤー駅伝で追いつかれたときに、「ええっ?」っていう感じで振り向いていましたし。
 コーチ兼任になったと聞いたので、「コーチ業を逃げ道にしないでよ」と、生意気にも言ってしまった寺田ですが、その点は長野出身の福島新監督からも指摘をされているそうです。まだまだ若いですから(高橋尚子選手と同学年)、もう一花咲かせてもらいたい選手。
 しかし、考えてみたら今年、トラック&フィールドの試合で国立競技場に取材に来る機会って、あるのでしょうか。かつては国立競技場を舞台にしていた関東インカレと日本選手権が開催されなくなり、主な大会で国立競技場でやっているのは日本インカレくらい。今年は7月2・3・4日の開催で、日本にいるかどうかわからないのです。6月27日のゲーツヘッド(英国)と29日のザグレブ(クロアチア)に末續慎吾選手が出場するので、2年ぶりにヨーロッパGP取材に行こうと画策中。その後も少し残って、7月2日のローマGLや6日のローザンヌSGPも取材したいところ。ビジネスになる保証はまったくないのですけど、せっかくですからね。休暇を兼ねて行くのもいいかなって、思っています。神戸で休暇の大切さを痛感しましたし、「ローマの休日」ってのも洒落ていますから。


◆5月1日(土)
 WSTFが威力を発揮しました。
 今日、明日と東京選手権&日本グランプリ混成東京大会が国立競技場で行われていますが、原稿があって取材に行くことはできません。春季サーキットを取材していて、何人かの選手が東京選手権にもエントリーしていると話していたので、できれば行きたかったのですが。
 しかし、110 mHの予選で谷川聡選手が13秒68(+1.2)を出したと電話で聞き、これは絶対に見ておく必要があると判断。実は織田記念の谷川選手の取材がちょっと不十分だったかな、という気もしていたのでした。
 電話で記録を聞いたのが14:15頃。出かける支度をしている最中に陸マガ編集部から電話。これはすぐ終わりましたが、続いて某監督からも。ある選手の電話取材をさせてほしいと、朝、電話でお願いしてあったのです。ぎりぎり間に合うと判断して、約10分の電話インタビュー。そして、WSTF最寄り駅の大江戸線西新宿五丁目駅に駆け込みました。WSTFから国立競技場は、大江戸線1本、それも4駅めという近さなのです。
 14:55に駅に着き、スタート時間が2〜3分遅れてくれたこともあって、無事、準決勝を見ることができました。残念ながら13秒71(+1.1)でしたが、好調ぶりは十二分に伝わってきます。レース後に取材もさせてもらい、今日もいい話が聞けました。今は○○○連の運営サイドの要職にある元専門誌編集者のHH氏あたりから、時間的に報道受付をしなかったんじゃないか、という突っ込みが来そうですが、そこは電光石火の早業っていうことで。電光石火って見たことないんですけど。
 この大会の3位以内に入れば、日本選手権にB標準でも出られるとあって、選手層の厚い長距離種目にはそこそこ選手が集まりました。最終種目の男子1万mは木庭啓選手が優勝。新興長距離チームであるJR東日本の応援が目立ちましたね。白地に緑で「JR」とロゴの入った小旗を振って。日本を代表する企業が陸上競技に関心を寄せてくれるのは、本当にありがたいこと。きっと、職場の同僚たちが応援に来てくれたのでしょう。そういった人たちの中から、陸上競技の面白さに目覚めて、家族連れで競技会の観戦に来てくれたら、陸上界も盛り上がっていくはず。きっと、大江戸線ではなく、JRで国立競技場まで観戦に来るでしょう。


◆4月30日(金)
 ここ数年、寺田は4月30日の朝、広島駅の新幹線ホームにいます。初めて織田記念を取材した4年前に、当日帰ろうとして危ない橋を渡りました。陸マガ・ライターのM城さんと一緒に空港に向かいましたが、携帯電話で航空会社に連絡して「絶対に○時△分には着くから待っていてください」と懇願したことがあります。それに、広島の空港って相当に遠いんです。とても、駅から出ているバスを利用する余裕はありませんから、どうしてもタクシーになって大金が必要になります。だったら、1泊して新幹線で帰っても変わらないんじゃないか、場合によっては安くなるんじゃないかということで、翌年からは当日も泊まることにしています。
 そして今朝、広島駅のホームを疾走する寺田の姿がありました。発車2分前でしたが広島の彼女が見送りに来ていて…なんてことはあるはずもなく(昨晩の証人は朝日新聞・金重記者)、売店に向かってまっしぐら。前傾や重心の乗り込みを意識してスピードを上げ、これも年中行事となっている4月30日の中国新聞朝刊購入を目にも留まらぬ早業ですませ、無事、予定していたのぞみに乗り込むことに成功しました。
 中国新聞を読んで嬉しかったのは、為末大選手の会見中に寺田が質問したことに対するコメントを、記事に使ってくれていたことです。
Q.来年のこの大会には、どんな肩書きで戻ってきたいですか?
為末 ワールドレコードホルダーというのはないでしょうけど、“サンチェス(ドミニカ)の連勝を止めた男”として(地元の)試合に出たい。実力的にはかなわないかもしれませんが、一刺しができたらいいですね。

 紙面では、アテネ五輪でサンチェスに勝つ、というニュアンスで使われていました。あれ? と思いましたが、まあ、それができれば最高の結果ということですね。
 あらためて指摘するまでもないでしょうけど、サンチェスに最後に勝った男が、為末選手なのです。01年のザグレブGPでした。見ていたわけじゃありませんけど、その年はローザンヌとローマのGPで取材したんですよ。ザグレブまで行きたい気持ちもありましたが、移動に飛行機を使わないと行けない場所で、予算的にちょっと厳しかったのです。千載一遇のチャンスを逃していたわけですね。当時はその後のサンチェスの連勝は予想できませんから、ローマのホテルで「どんなレースだった?」みたいに軽いノリで質問していたように記憶しています。


◆4月29日(木・祝)
 休暇モード4日目……なんてことはなくて、織田記念の取材です。昨日までとは一転して、猫の手モード。織田記念は春季サーキットのなかでも実施種目数が一番多いですし、寺田にとってはクライアント数の多い大会でもあります。という事情もあって目の回るような忙しさになると思っていたのですが、予想よりもほんの若干ですが、余裕がありました。今年は陸マガ編集部からも1人、取材に来てくれたのが大きかったですね。
 それともう1つ、兵庫リレーカーニバルと違って効率的な取材ができからだと思います。まず、記者室の場所がいいですね。トラックに面していて、しかもフィニッシュライン付近で。けっこう、トラックに面していない記者室って多いんですよ。だから、こういう競技場というか、そういった配慮をしてくれる陸協はありがたいです。
 タイムテーブルも、グランプリ種目と地元小中学生の種目がうまく配分されていて、取材時間が取れるような配慮がされています。頑張ればサブトラックまで取材に行けますからね。そして何より、陸協の報道担当の方たちが、話しかけやすい雰囲気を作ってくれている。これが一番重要かもしれません。その点がしっかりしているな、と思うのは静岡陸協と広島陸協です(すぐに思い出せる範囲では)。
 対照的に、記者に対して高圧的な姿勢で臨む陸協もあります。毎年行われているある大会を3年連続で取材していますが、最初の年に「ここの陸協は違うな」と感じた県があります。翌年も同じように感じましたし、今年も感じました。そして、記者クラブからも要望書が出されていることを、つい先日知りました。つまり、個人的に威張っている人がいるというレベルでなく、陸協全体の報道に対する姿勢なのでしょう。
 長距離も短距離も強い選手を多く育てている県です。インターハイや高校駅伝など、県大会を全国的なメディアまで取材するほど強い。でも、それは広島や静岡だって、同じように強いわけです。以前に報道とのトラブルがあったのかもしれません。報道側に非があって、陸協の対応が適当になってきたということも考えられるケースです。もう1つ考えられるのは、地元メディアが本当に大々的に報道するという点。それが当たり前の感覚になっているのかもしれません。
 すいません。野暮な話が長くなりました。今日はあるテーマで取材をしました。せっかく2004年にビッグアーチに来たわけですから、と書くと鋭い読者と広島の方はもうおわかりですね。そうです。広島アジア大会から10周年記念大会なのです。でも、10年前のアジア大会に出た選手って、あまりいないんですよ。20代の選手は10代だったわけですから、当然と言えば当然。
 しかし、広島アジア大会を象徴する選手が頑張っていました。言わずと知れた3000mSCの内冨恭則選手。地元の高校・大学・実業団で走り続け、炬火ランナーまで務めた選手です。ところが、競技では中国とカタールの選手に敗れ、地元で3000mSCの日本の連勝をストップさせてしまいました。いつかは止まるのが連勝です。誰かがその当事者となるのは仕方のないこと。しかし、内冨選手の素晴らしいところは、4年後のバンコク・アジア大会で優勝して雪辱したこと。とにかく、ガッツの感じられる選手です(中国電力ですからもう駅伝メンバーは無理だろう、と思われることもありますが、入ってきますからね)。
「あれからもう10年ですか。気づきませんでした」
 まあ、選手は目の前にクリアすべきことがたくさんありますからね。内冨選手だったら、国際グランプリ大阪での五輪A標準突破。過去の思い出にひたっているヒマはありません。
 だったら、すでに現役を引退しているOBなら、と思って周りを見回すと、いました稲垣誠司コーチが。内冨選手同様、広島出身なので純地元の大会でしたが、4×400 mRでバトンを外国選手にたたき落とされ、フィニッシュ後に泣き崩れていました。
「ビッグアーチに来ると、今でも心が痛む?」と質問。「現役選手ではありませんから、さすがにそこまでは」ということでした。ハンマー投で出場した等々力信弘選手は、今はミズノでバリバリの営業マン。室伏広治選手が銀メダルを取った大会ですが、日本選手権で優勝したのは等々力選手でした。翌年から日本のハンマー投は室伏選手の独壇場になりましたから、“室伏広治に最後に勝った日本選手”の称号を得るチャンスでしたが…。
「あの年の日本選手権は負ける気がしないくらい調子が良かったのですが、秋は調子が落ちていてダメでした」
 スタンドでパソコン相手に格闘されながら、話してくれましたが、特に感慨深いという話し方ではありません。OBたちも、自身の現在の立場で、試合会場でやるべきことがたくさんあるのです。感傷にひたっている場合ではないのでしょう。
 広島アジア大会に出場して、今年の織田記念に出場した選手は内冨選手の他に、朝原宣治選手と弘山晴美選手。伊藤佳奈恵選手も出ていたかもしれませんが、手元に資料がないのでわかりません。11秒62と当時の日本記録を出したのが93年。翌年は、どんな調子だったでしょうか。三重の二枚目助教授が教えてくれるでしょう。
 朝原選手は31歳、弘山選手は35歳。ともに今大会で年齢別日本最高(10秒16と15分43秒16)を記録しました。と思ったら、弘山選手は9月2日が誕生日で、昨年9月末の全日本実業団の記録の方が上でした。


◆4月28日(水)
 休暇モード3日目。神戸から広島に移動しました。この2カ所をつなぐのが、兵庫出身のスプリンターである小島初佳選手(旧姓新井)でしょう。神戸から広島に在来線電車で移動すると、彼女の出身地である舞子があります。海岸線、特に淡路島に架かる橋の近辺はなかなかの景観。もうちょっと上手く開発していれば、関西のコートダジュールになったのに、という印象を持ちました。
 広島着後、路面電車でホテルに移動して荷物を預け、前日の練習を見学するためにアストラムラインでビッグアーチに。「?」マーク形にぐるっと回っていく路線なので、けっこう時間がかかります。車で市の中心部から行けば、直線的に行けるのですが。
 トラックでは福島大勢、富士通勢、大塚製薬勢など、有力選手が練習をしていて、小島初佳選手の姿も。実家は舞子の山側のようですが、海もちょっと見える場所(オーシャンビュー!!)だそうです。コーチの原田康弘陸連ジュニア部長にも、今季の状態の話をうかがいました。原田部長はかつての400 m日本記録保持者ですが、1980年のモスクワ五輪前は、今の女子短距離のように男子4×100 mRをオリンピックに派遣しようという気運が盛り上がっていて、ショートスプリントに重点を置いていたことがあります。
 100 mで日本選手権に優勝したことや、冬期練習中の原田部長の写真が陸マガの表紙を飾ったことなど、小島選手も一緒にいるときに話をしてしまいました。この手の昔話は、若い選手には退屈なものでしょう。にもかかわらず、小島選手は「その頃から、今の仕事をされていたんですか」と突っ込んでくれる、気遣いを見せてくれました。もちろん、当時の寺田は陸マガを読み始めたばかりの一ファンでしたけど。
 それにしても最近、選手に気遣いをしてもらうシーンが多いですね。昨日の日記で紹介した森選手とのエピソードもそうです。今日もある指導者の方と話していて、側を通りかかった池田久美子選手に「袋井で記録会をやったらいいよね」と、いきなり声をかけてしまうあつかましさ。ちょっとビックリしたようですがすぐに、「そうですよね」と明るい声で答えてくれました。吉田真希子選手や信岡沙希重選手にも、気を遣ってもらっちゃいましたし(具体的には内緒)。偶然だと思いますが、名前を挙げたのはみんな女子選手ですね。男子では小島茂之選手が抜群の優しさを見せると、シドニー五輪直後の何かの記事で、リレーを組んだ川畑伸吾選手たちが話していましたが。


◆4月27日(火)
 休暇モード2日目。ですが、午前中に電話取材を1本。仕事のメールもいくつか処理しました。まったく仕事をゼロにするのは、よっぽどのことがない限りできません。休日モードで原稿を書く方が、気のせいか筆の進みがいいような気がしますし。今回、都心に作業スペースを確保して、毎日通勤することでオンとオフを分けようという意図もありはしますが、寺田という存在全体でビジネスを展開しているところもありまして(若干、不鮮明な言いようですが)。メールを見なかったり、携帯電話の電源を切っておくという方法もありますが、後から苦しむ羽目にもなりかねませんから。
 ということで、今日も関西某所にいます。昨日の日記で神戸ポートタワーの展望階にある回転喫茶でミルクティーと黒ビールを飲んだと書きましたが、これは紅茶と黒ビール、赤と黒だったと言いたかったのです。わざわざ書かなくてもいいことかもしれませんが。で、赤と黒というスタンダールの作品がどうこうと展開したいわけではなく、赤と黒が混じると臙脂(えんじ)色に……はなりませんね。紫と赤だったらえんじ色になるそうです。
 なんで臙脂色の話題にしたかったのかというと、甲南大のユニフォームが臙脂色だから。昨日の日記で触れたように女子4×100 mRで46秒99を兵庫リレーカーニバルで出しました。そして今日、阪急電車に乗っていると甲南大の校舎が車窓から見えました。以前にも1〜2回は見たことがあるのですが、今日は校舎の色も臙脂だと気がつきました。休日モードのおかげで、周囲を見る余裕があるのだと思います。
 そういえば、先週の土曜日に森千夏選手を取材した際に、森選手も遊びというか、気持ちを切り替えることが重要だと話していました。寺田が「余裕があると、見えてくるものがあるのでは」と生意気にも話すと、同意してくれました。今日の甲南大校舎の色に気づいたのも、余裕のなせる業だったと自分では思っているのですが。
 某誌O川編集者も甲南大のOBということは、以前にも紹介しました。神戸ユニバーシアードで補助員をやったかと聞くと、1985年はまだ小学生だったとか。でも、神戸で全日本実業団が開催されたときには、高橋千恵美選手の腰ゼッケンを外す役目だったと、嬉しそうに話してくれました。
 なんで彼に、神戸ユニバーシアードで補助員をやったのかを質問したのかというと、朝日新聞・金重記者が関学大の学生のときに、神戸ユニバーシアードの補助員をやっていたと言い出したからです。さすがに記憶は曖昧なようで、どの種目を直接見たのかは、はっきりと覚えていないとのこと。寺田も以前書いたように、91年東京世界選手権のどの種目を直接見て、どの種目をテレビで見たのか覚えていませんから。役割分担は、選手を招集所から場内に誘導する係りだったようです。
 金重記者で思い出しました。今日、もう1つ、余裕を示すエピソードがあるのです。阪急電車で何気なくはす向かいのおじさんが読んでいる新聞に目をやると、「坂本先輩」「世界クロスカントリー選手権代表」「寺田」の見出しが何気なく目に入ってきました。1.67秒後に寺田恵選手(県西宮高→関学大)の記事だ、と思い当たりました(血縁関係はありません、メイビー)。判読しづらかったのですが、ヘッダーの新聞名は朝日新聞と読みとれました。さすがに全国版での登場は厳しいだろうから、関西、あるいは兵庫面だろうと判断。乗換駅ですかさず朝日新聞を購入。阪神面だとわかりました。その記事自体は、金重記者でなく別の記者の方が書いたものでしたが。
 何が言いたいのかといえば、電車ではす向かいに座っているおじさんの新聞記事なんて、普段は気づかないはず。それだけ、休日モードで周りがよく見えていたということです。休むって、重要だなあと痛感した神戸の休日でした。それにしても、神戸に来ると日記用のネタが豊富にあります。明日は広島入り。まさか、まだ兵庫リレーカーニバル&神戸ネタが続いているってことは…。


◆4月26日(月)
 昨日の日記の締めが織田記念でしたから、今日からは日記も織田記念モードかと思いきや、まだまだ兵庫リレーカーニバル・モードです。実は織田記念まで束の間の休暇を取ることにして、今日はまだ、神戸に滞在中。
 昨晩は飲んだ関係で(といっても、ビールをほんの少々)、早くに就寝して(なんと1時前!)、今朝は6時に起きて仕事をしました。睡眠時間十分です(正確には5時間10分)。午前中はホテルで原稿を書いて、13時から外出。コンビニで宅急便を出し、クリーニング屋さんを探しました。でも、三宮にクリーニング屋って、ないんですね。ホテルのフロントも、コンビニお姉さんも近くにはないと言います。実際、歩けば見つかるだろうと思ったのですが、本当にありませんでした。
 コンビニでは神戸新聞も購入。自社主催大会ということもありますが、本当に充実した紙面展開です(神戸新聞サイトにも記事が出ています)。昨日ちょっと触れましたが、伊東浩司選手も同新聞のコラムに「神戸新聞は兵庫県スポーツ選手のやる気の源です」というニュアンスのことを書いています(文言が若干不正確かもしれません。申し訳ありません)。ちなみに今大会で甲南大は女子4×100 mRで46秒99の兵庫県新とのこと。
 昨日、競技場の関係者通路からスタンドに出るスペースで、兵庫リレーカーニバル50年記念誌と、兵庫陸協70年誌を売っていたので、2冊で4000円と貧乏ライターには大きな出費でしたが、思い切って購入。もちろん、寺田的には業務での購入ですので、領収証をお願いしました。そしたらなんと、受領者は神戸新聞。やっぱりね、と思いました。本当に神戸新聞は兵庫リレーカーニバルを支えています。
 褒めてばかりいると、神戸新聞の回し者と思われてしまいそうなので、苦言も呈しておきましょう。問題は大会プログラムです。兵庫リレーカーニバルのメイン種目は長距離。巻末の歴代優勝者はリレーと男子1万m(5000m)だけが掲載されています。それ以外の種目は載っていないのですから、主催者側も、長距離こそが兵庫リレーカーニバルの看板種目だとアピールしているのです。
 ところが、女子1万mの日本記録の、400 m毎の通過タイムが間違って掲載されていました。フィニッシュタイムが31分00秒46。9600mも明らかに違います。9200m以前は手元ではすぐにわかりませんけど。いずれにしても、日本記録でも大会記録でもありません。いったい、何の記録と間違えたのだろう、と記者も皆、首をひねっていました。それに、走高跳と棒高跳の試技表が、6回しか記録を書く欄がないのです。走幅跳・三段跳や投てき種目と同じになってしまっている。プログラムの製作全体を取り仕切る部署でなく、兵庫陸協がチェックすべき部分かもしれません。
 話を寺田の行動に戻します。三宮で昼食(家庭的な定食屋)を取った後、港まで歩いて行きました。昨晩、ちょっと話題になったオリエンタルホテルも、気が付いたら目の前。選手たちが泊まっていたホテルです。どんな話題だったかは、ちょっと書けません(オリエンタルカレーって、ちょっと古いけど皆さんご存じですよね)。
 オリエンタルホテルのすぐ側に、神戸ポートタワーがありました。10数年前、陸マガのバイト時代に初めて出張に行ったのが京都で、H田前編集長と一緒に京都タワーに登ったことを思い出したのと、六甲の山並みと港の両方が綺麗に見えそうだったので、600円と貧乏ライターには大金をはたいて入場。見ると、展望階に回転喫茶店があります。さっそく入って500円でミルクティーを注文。22分45秒で1回転しますが、3回転目以降はパソコンに向かって原稿を書いています。休暇じゃないのかって? 気持ち的には、休暇ですよ。すでに午後の7時になろうとする時刻で、夜景がきれいになってきました。ビールでも飲みましょう。ビールも500円か。


◆4月25日(日)
 6:30に起床して、7:37発の電車で出発。向かったのは、新宿の作業部屋であるWSTFです。やはり、名刺は必要と判断し、東京回りで兵庫リレーカーニバルの取材に行くことにしました。名刺の他に、パソコン用ACアダプタ(これは自宅にもあったのですが)、サングラス、メモリーレコーダを持っていくことに。あと、大家さんに来月分の家賃も払おうかな、と。同じマンションの2階が大家の住居で、銀行口座からの引き落としでなく、直接現金を持っていくという昔ながらのやり方です。出張(&休暇)から戻るのが30日ですからね。最初くらい早めに払って、ですね。
 新宿着から同駅発まで約55分。駅から片道20分ですから、WSTFでは15分の滞在しかできませんでしたが、余裕で用事をこなして間に合いました。実際、それほどの遠回りというわけでもありません。要は、気持ちの問題です。
 兵庫リレーカーニバルの取材は3年連続。何回も書きますが、兵庫はさすがと言っていい陸上どころ。長距離も短距離も、大物選手を生み出しています(名前はもう、いちいち挙げませんよ)。そのうちの1人、伊東浩司選手は現在、甲南大女子部のコーチ(監督かな?)です。その伊東選手と廊下で遇ったのが女子1万mが始まる直前。
「神戸新聞の連載読んだよ」
 と、声をかけました。知り合いの記者の方が、伊東選手が不定期に神戸新聞紙上に書いたコラムを送ってくれていたのです。
「あ、あれはもう、終わりましたよ」
 自身の書いたものを褒められそうになると、ついつい話題を転換したくなるのは、自分にも覚えがあります。
「(女子1万mの)ラップを測らなくていいのですか」
 実は、すでに30分以上、ある選手を待っていました。正直言って、今日は取材効率の悪い1日でした。今大会の日本グランプリ種目は11種目で、春季サーキットの中では少ない方。通常であれば、もっと多くの選手のコメントが聞けたはず。男子の1万mだって400 m毎のタイムを測れたはず。でも、できませんでした。寺田の場合、複数のクライアントの仕事をする大会もあって、効率が悪くなるのは死活問題なんです。自分の能力不足といえばそうなんですが、若干、違う原因もありました。
 話を伊東選手と遇った廊下に話を戻しましょう。その場を動きづらかったのですが、なんとなくあと30分以上は現れないような予感もしたので、女子1万mのタイムを測りに行きました。レース後にその選手の取材ができたのは、普段の行いが良かったせいでしょうか。男子1万mの取材があったりで福士選手のコメントは直接聞くことができませんでしたが、400 m毎を計測できたのでなんとか、記事(国内日本人最高の31分05秒68 30分30秒が目標だった福士が狙う“次のレベル”とは?)は書けました。
 お堅い一般誌の編集者だと、本人のコメントがないとクレームをつけられそうですが、寺田のサイトならこんな書き方もありです。下手にコメントを掲載するよりもよっぽど、レースの状況や福士選手の考えがわかると思います。それが理解できない編集者は、記事はこうあるべきだという固定観念に縛られている編集者。
 表情はどうだったのか、と聞いてくる編集者もいます。そのことに対する寺田の見解は、以下のように書いたことがあります。
通常、記事の中で表情がどうと描写するよりも、選手のコメントを多用する傾向があると思います。もちろん、表情の描写も重要ですが、“表情を読みとる”という作業は“言葉を読みとる”という作業よりも不確定さが伴います。同じ感情でも、人によって表情の出し方は違いますし、それを見て判断する側の主観も文字にするときには入ってきます。言葉も不正確に使われたり、うそだったりすることもありますが、表情を読みとることと比べたら、なんていうか、比較的確かな情報伝達手段だと思うのです。
 それを、高岡寿成選手のびわ湖マラソン欠場会見の時に、表情を重視した経緯も書きました。今日だったら、尾田賢典(おだよしのり)選手の表情が良かったですね。実は男子1万mは、前述の“待っていた”選手の取材で、よく見ることができませんでした。ちらちらと見たなかで気づいたのが、トヨタ自動車の小柄な選手が、リズムよく走っていること。この“リズムよく”という表現もくせ者で、結果が出た後でならいくらでも使える表現。まあ、走りによかった部分があるわけだから、いい結果が出るのですが。
 レース後、引き揚げてくる尾田選手に「B標準切った?」とすれ違いざまに声をかけると、「はい」と、とびきりの笑顔で答えてくれました。あとでリザルツを見ると28分03秒92(日本人3位)。昨年、9月の全日本実業団で28分15秒82と自己新をマークしていますが、11月の日体大記録会では、高校記録を出した上野裕一郎選手にまったく付いていけませんでした。ニューイヤー駅伝も1区で区間16位。その頃の体調が万全でなかったようですが、悔しくないはずはありません。今日の笑顔をきっかけに、再度、上昇カーブを描いて欲しいもの。そうしたら、今年の兵庫リレーカーニバルは尾田選手にとって記念すべきレースになるわけです。4日後には織田記念もありますし…。


昔の日記
2004年 1月 2月 3月 4月 
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 
7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月