続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2007年1月 年のはじめはまじめに
寺田的陸上競技WEBトップ
最新の日記へはここをクリック
◆2006年12月14日(木)
今日、12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日ですが、日本を遙かに離れたアラブ首長国連邦ドバイ国際空港で、討ち入りかと見まがう光景を目の当たりにするとは、思ってもみませんでした。
ドーハを2時間遅れで出発した便には、ミズノの中村次長、岩本トレーナー、長谷川順子マネたちと、NHKの解説陣&スタッフも一緒でした。ドバイ発関空行きの便出発定刻の30〜40後にドバイに着。同じエミレーツ航空ですし、待っていてくれるのではないかと、期待をしていましたが、ドバイだけにヤバイかな、とも考えていました(ここは本気にしないように)。
寺田は12列と前の方の座席だったので、比較的早くにフライトコネクションに到着。カウンターに前から3列目に並ぶことができ、名古屋行きのエミレーツ便に変更ができました。このとき午前3:55。しかし、他の日本人関係者が列に並んだときには、すでに何十人かが並んだ後。名古屋行きは4:15発。後ろ髪を引かれる思いはありましたが、それほど時間はありません。NHK解説を務めた谷川聡選手にミズノ関係者ら、知り合いの方たちに挨拶をしてセキュリティチェック→名古屋行きゲートに向かいました。
セキュリティチェックを通ってターミナルに出ると、10番ちょっとの場所。名古屋行きは35番くらいだったと思います。かなり遠いのですが、チェックインは終わっているわけですし、そんなに急ぐ必要はないだろう、と歩いていました。途中、両替所も発見。日本に戻ったらカタール通貨の両替なんかできないだろうと思い、2.8秒ほど躊躇しましたが、窓口に誰も並んでいなかったので両替をすることに。
なかなか手際の良いお兄さんでしたが、さすがに2.8分くらいはかかったと思います。両替が終わった瞬間に、ターミナルの動く歩道をものすごいスピードで走り去っていく人間がいました。誰かと思って後ろ姿を見ると、赤穂浪士でした。いえいえ、兵庫の生んだスーパーランナー、やはりNHK解説を務めた渋谷俊浩監督でした。出身は加古川東高。インターハイ5000m3位で、数々の筑波大記録を打ち立て(5000m&1万mは今も筑波大記録)、88年の福岡国際マラソンに優勝した伝説の浪士……じゃなくてランナーです。他県の人間から見れば赤穂も加古川も“神戸よりも西側”という認識なのです(実際は、姫路を間に挟んでいるのでそれほど近くはありませんが)。
続いて谷川選手の姿も。こちらは短距離系だけに、すでにスピードダウンしています。ドバイ国際空港にハードルが置かれていれば、渋谷監督に負けていなかったと思いますが。まだ4:05くらいでしたが、渋谷監督のスピードに圧倒されて、寺田もちょっとビビリ始めました。「走らなくても大丈夫だよね」と谷川聡選手に質問すると「何をやるかわかりませんからね」という答え。国際経験豊富な同選手が言うのですから、こちらも不安になります。寺田も走って名古屋便行きゲートに急ぎました。
谷川選手にも差を開けられながら、これで1人だけ乗り遅れたら洒落にならないけど、締め切りに遅れる言い訳にはなるな、などと考えていました。スリランカ・アジア選手権の向井裕紀弘選手(陸マガ12月号参照)ではありませんが、言い訳を考えているようでは結果は見えています。寺田だけ名古屋行きの便に乗り遅れた、という悲惨な目に遭ったのではないか、“ドーハの悲劇”ならぬ“ドバイの悲劇”か、と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、なんとか間に合いました。
ゲートから飛行機まではバスでの移動。谷川選手はフライトコネクションで自分だけ先に行った寺田のことを「冷たかった」と言います。“じゃあね”と言って立ち去ったらしいのですが、その言い方があまりにも爽やかすぎたと。うーん。今後、同じような状況になったときは、もう少し申し訳なさそうな演技をしなくては。
NHKのMディレクターに、乗り継ぎが間に合わなかった経験は? と質問されたので思い出してみたら、セビリア世界選手権(99年)に行った際の、経由地のロンドンがそうでした。あのときはかなり豪華なホテルに泊まった記憶があります。同じくセビリアに向かうJAL機内で谷川選手は……という話は書かなくても皆さんご存じですよね。有名な話ですから。
14日の20時前に名古屋国際空港着。セントレアは初めて。関空も今回が初めてでしたが。羽田空港行きの便は出ていないため、エミレーツ航空が、名古屋経由の新幹線回数券を支給してくれました。しかし、21:30分頃まで電話とメールでかなり追い込まれながらの仕事。新幹線の最終には間に合いません。名古屋に2泊して、そのまま全日本実業団対抗女子駅伝取材のため岐阜入りすることにしました。ラッキーなことに、ドーハ行きの機内で同駅伝関係の原稿をまだ書いていたので、取材用の資料も持っているのです。原稿が遅いのも、悪いことばかりではありません。悪いことの方が多くあるのですけど。
◆2006年12月30日(土)
えーと、何から書いたらいいのでしょう。2週間も空白をつくってしまうと、日記の感覚がつかめません。そういえばドーハで池田久美子選手が1本目を6m38と失敗して、「助走の感覚を忘れてしまっていた」と話していましたっけ……などと、トップ選手と一緒にするな、といつも書いているのですが、まあ、ものの例えということで。
ドーハからの帰国後何をしているのか、と何人かの方から質問を受けました。特に何かをしていたのではなく、いつものように仕事をしていました。雑用と、取材と、原稿書きと。でも、その忙しさたるや、かつて経験したことがないほど。何度も、投げ出してしまおうかと思ったほど。
実はドーハへもかつてないくらいに原稿を持ち込んでいて、朝食で一緒になった谷川聡選手に「代わりに○○トレーニングの原稿書いてくれない?」などと話していました。谷川選手からは「仕事を断らないからですよ」と一刀両断にされました。いや、まあ、その通りなんですけど。10月からの色々な経緯がありまして、仕方がないというかなんというか。自分が遅いのが一番の原因なんですけど。
高校駅伝に行ったとき、某専門誌のO川編集者に「T橋N子選手がいくら走るのが好きでも、月間2000kmを走れと言われたら嫌になる」という例えを話したら、実感してくれたようです。この辺は同じ業界人です。
しかし、高校駅伝後に関西で某長距離選手を取材すると、「月間3000km走ろうと思えば、2000kmなんて簡単に走れるんですよ」という、超ビックリモンの発想を聞かされ、ちょっと前向きになれました。でも、その取材直後に意を決して某社出版部に、追加原稿は今年中は絶対に無理、と電話を入れました。その辺はまあ、世の中、シナリオ通りには展開しないっていうことで。
なんとか、日記を書けるようにはなりましたが、本日中に単行本の追加原稿を書かないといけません。先ほど年内は無理と書きましたが、世間一般的には12月30日は年内ではありません。こちらは年内に書いても、それを受け取る側は年明けです。
もう1本、400行原稿が1月5日締め切り。明日からはニューイヤー駅伝&箱根駅伝モードなので、これも今日中に半分以上は進めないと。
あっ、帰国後の日記が少し書いてありました。
◇2006年12月15日(金)
名古屋のホテルで原稿書き。昼食もホテルの部屋で。狭いし古いし、湯船の排水は遅いし、ドーハのホテルと比べたら月とすっぽん。しかし、ネットが無料でできるのがありがたいですね。ドーハでは1日4000円近くも取られたので。4日間分で16000円!!
おっと、ドーハのことはともかく、なんとか今日、単行本の原稿を一通り最後まで書き上げました。でも、直しが相当に必要な雰囲気です。来週いっぱい、気は抜けない状態が続きます。
明日の監督会議、開会式の時間と場所も知らないので、毎日新聞事業部のH氏に電話。箱根駅伝関係の共同取材日程を、Y新聞・K記者に電話で確認。その他、電話連絡も何本か。
K記者は、今年のアスリート・オブ・ザ・イヤーは池田久美子選手ではないか、と言います(話をそこに振ったのは寺田でしたけど)。寺田は池田選手か室伏広治選手ではないかと思っています。室伏選手のワールド・アスレティック・ファイナルとワールドカップ優勝、世界のトップ選手たち相手に8戦全勝というのは、実力世界一を実証したシーズンだったと思います。ただ、日本新記録&国外日本人最高2回に象徴される今年の進歩、アジア大会できっちり勝った点などは、池田選手の方がアピール度があります。
この賞はあくまで投票で決まります。種目が違いますし、個人が選ぶことはできっこありません。投票でしか決められません。
◇2006年12月16日(土)
全日本実業団対抗女子駅伝の開会式前後で取材。監督会議直後に区間エントリー表を入手し、有力チームの指導者の方たちに話を聞くのが実業団女子駅伝前日の恒例取材。箱根駅伝のような方式(数日前に一応の区間エントリーを発表して、当日の朝に変更する)もいいのですが、事前取材がしやすかったり、展望記事が書きやすいのは通常の前日パターン。まあ、特に主張するほどではありませんが。
会場には磯崎公美さん(ナイキジャパン)の姿も。アジア大会での女子短距離最後のメダルが、86年ソウル大会の磯崎さんの400 mでした。今回の丹野麻美選手の銅メダルは20年ぶりの快挙。その磯崎さんが結婚されることを公表されました。非常にタイムリーな話題です。相手がどんな方かということと、出会いの経緯などを取材。
終了後、ホテルに戻ってこのWEB用に原稿書き。
夜は大内さんと食事。
ホテルに戻っていったん寝て、深夜に原稿の続きを執筆。
できれば、昨日と今日で、アジア大会関連の原稿(300行)を片づけたかったのですが、手つかず状態。
◇2006年12月17日(日)
全日本実業団対抗女子駅伝の取材。
例年、非常に多くの選手、指導者に話を聞く取材です。今日は18人。
帰りの新幹線が混んでいたことと、荷物が多かったこと、疲労が大きかったことなどで、車内で原稿が進まず。
約10日間ぶりに新宿の作業部屋に。
箱根駅伝増刊号を発売から9日遅れで手にしました。1時間ほど、読みふけってしまったのが失敗。アジア大会関連の原稿(300行)進めた方がよかったと後悔しながら、深夜に資生堂の会見の様子を記事にしました。
◇2006年12月18日(月)
午前中に宅急便を3個受領。ニューイヤー駅伝公式ガイドと、陸マガ1月号も届きました。読んでしまうと時間がなくなると思いつつも、やっぱり目を通してしまいます。
単行本の原稿の加筆用に電話取材を1時間ほど。あとは、徹夜して原稿の修正と加筆。なんとか、一通りは記事にして、5時に送信。アジア大会の原稿(300行)は、20行しか進まず。
◆2006年12月31日(日)
大晦日恒例の前橋取材。移動の車中では室伏広治選手の記事を書きました。5月の取材でしたが、ノートの文字も判読できましたし(時間が長く経過していると判読できないこともあります)、見出しにもしたように2006年でたぶん一番印象的で、画期的だと感じた取材中のコメントだから、いつかは記事にしようと思っていました。
5月中旬に中京大で行われた公開練習時のもので、翌月発売の専門誌が報じたら書かなくていいかな、と思っていたのですが、専門誌は締め切り的に、5月末のヨーロッパ遠征の記事が入ったので、公開取材の様子は詳しく載りませんでした。実はそのときから、大晦日の年末特別記事にしようと考えていました(ちょっと嘘っぽいか?)。そのくらい、「片脚接地局面でも加速する」というコメントには衝撃を受けました。
取材で聞いたコメントでは、今年一番のものでしょう。
ちょっと待ってください。印象的だったといえば、野口みずき選手のサンモリッツ合宿です。朝、午前中の補強、夕方の本練習と、3部練をあれだけ真剣にこなす選手は、初めて見たように思います。廣瀬コーチと2人で行っていた補強は、もう少しリラックスムードでやるのかな、と思っていたのです。実際に目の前で見ないとわからないことって、本当にあるのだな、とあらためて思い知らされました。
その直後には、2人でこんな笑顔を見せるのですけど。
出場するはずだったベルリン・マラソンに、ケガで出られなくなったのが、本当に残念です。
取材ではありませんが、森千夏さんの告別式のときの、池田久美子選手の弔辞にも、ものすごく心を打たれました。弔辞って、それほど聞く機会もないですし、弔辞を読む側と故人の関係をよく知っていないと、理解度は浅くなってしまいます。だからなのかもしれませんが、これほど胸を打たれた弔辞は聞いたことがありません。なかなか、言えませんよね、ここまでは。
この弔辞とは対照的に、大阪で日本新を出したときに、「記録掲示板の横で写真を撮る?」と聞いて、池田選手がそれに憧れていて、すごく喜んでくれたことも、取材をする側としては嬉しかったです。
池田選手のすごいところは、この後、アジア大会で金メダルを取り、レベル的にも高い記録を残し、北京五輪のメダルが実際に取れるのではないか、と思わせるレベルに達したこと。もう1つ驚いたのは、日本記録を出した頃とヨーロッパ遠征を経て、アジア大会で金メダルを取った後の池田選手では、世界に対する距離感がまた違ってきているのです。これは、アジア大会後に取材を聞いて初めて知りました。陸マガ2月号に載りますので、乞うご期待です。
一番ダイナミックな取材だったのは、ヨーロッパ取材中に沢野大地選手をヤックリムのホストファミリーの方たちと一緒に取材をしたこと。その日の昼に沢野選手と連絡ができ、ニュールンベルクからハイデルベルクまで、南ドイツを特急電車で横断し、18時前に合流して取材をこなし、食事まで一緒にさせてもらいました。別れたのは夜中の23時頃。僅か12時間の間にここまで海外取材が展開したことは初めてでした。
そのとき撮った写真も、陸マガ編集部やニシスポーツ関係者、寺田の家族などに好評でした。室伏選手、池田選手、沢野選手と取材をさせてもらって感じるのは、気持ちの強さ。フィールド種目では特に重要になってくるのかもしれません。
急転直下の取材といえば、沢野選手取材翌日に、早狩実紀選手とマインツでデート……じゃなくて、取材ができたのも嬉しかったですね。会っていた時間は1時間ちょっとだったと思いますけど、新鮮な経験でした。女子選手とヨーロッパのカフェでお茶を飲む、という夢も実現できました。
夢と言えば、以前から行ってみたかったDNガランとナイトオブアスレチックを取材できたのも、嬉しかったです。日本開催ですが、世界クロカンの取材も初めて行きました。初取材は熊日30kmも経験。記録は悪かったですけど、熊日にしては記録的な暑さが原因で、こればっかりはどうしようもありません。
どうしても海外取材の印象が強くなってしまいますが、本当に力を入れているのは、日頃の国内の取材です。1年前の中国電力・坂口泰監督に続き、9〜10月にはコニカミノルタと酒井勝充監督を取材。酒井監督の人当たりの良さの裏にある、芯の強さ、厳しさなどを引き出せたのはよかったかな、と感じています。
13年ぶりに走高跳の日本新を出した醍醐直幸選手と福間先生への取材も、いろいろと勉強になりましたし、面白く感じられることが多かったです。
高校生では、高橋萌木子選手の100 m、中村宝子選手の200 mと、短距離2種目の高校新を目撃できました。小林祐梨子選手の1500mも、2回とも見ましたね。
長くなったので、この辺でやめておきましょう。
最後はアジア大会ですが、個人的に印象が強かったのは、女子400 mの丹野麻美選手の銅メダルです。何度でも書きますけど、本当に女子短距離はアジアでメダルを取れない時代が続いていたのです。ミックスドゾーンでの、控えめな丹野選手の「続いていただけたら」というコメント。さらに、大会終了翌日には、ドーハのスタバに行っていたこと。空港ターミナル(もどき)で会った時に、まさかと思って質問したら、本当に行っていました。銅メダルを取る選手は、やることが違います。
本当に最後は、土江寛裕選手ネタ。引退したので、もう選手ではなくなってしまいました。本当に、寂しくなります。それだけ、強烈な個性の持ち主でした。錦織育子選手の取材の際は、ファミレスまで車で送ってもらいましたっけ。ありがとうございました。この場を借りて、お礼を言わせていただきます。
土江選手ネタで1つ、書き忘れていました。引退レースを田島記念としたことを、色々な角度から検証(?)させてもらいましたが、田島記念開催県の山口が、土江選手の出身地の島根に近いことが最大の理由ではないかと推測していました。しかし、もう1つ大きな理由があるように思いました。それは田島記念が、男子三段跳など、早大の後輩選手が多く出場した大会だったということです。それも、理由の1つだったのではないでしょうか。母校思い、後輩思いの気持ちが大きい選手だと感じていました。
ということで、2006年の締めは土江選手。ドーハにも同選手の像が飾られていました。ドーハ市街をバックにした写真と、アップの写真(T社からの提供です)。絶対に土江選手ですよね。故郷の平田市とドーハが、何とか都市提携などをしているのでしょうか? またも、謎が残ってしまった土江選手です。
◆2007年1月1日(月・祝)
ニューイヤー駅伝の取材。スタート地点の群馬県庁に行くと、見覚えのある後ろ姿が。昨晩遅くに日記に書いた土江寛裕選手が目の前にあるではないですか。左右には富士通の誇る短距離陣がズラリ。大前祐介選手&田野中輔選手とは7月のナイトオブアスレチック(ベルギー)、12月のドーハに引き続いての邂逅ですが、土江選手とは久しぶりです。ドーハに土江選手の像が飾られた経緯(昨日の日記参照)については、本人もよく知らないようです。今後のことなど聞きたいこともあったのですが、スタート時間が近かったため断念。
佐藤光浩選手にも今季の抱負を聞けば、「オフィス川本のOLたちにいじめられないこと」と、話してくれたかもしれませんが、今となっては神のみぞ知ることです。しかし、以前にも土江選手と内藤真人選手を例に出して話を書きましたが、自分が確立できているから、いじられても平気という側面があります。
4人には新年の挨拶もそこそこに、すかさずウエストバッグからコニカミノルタのカメラを取りだしました。しかし、スイッチがオンになりません。重量が軽いことに気づいて電池庫を確認すると空っぽ。新年最初の撮影から大チョンボですが、予備の電池を持っていたので、すかさず装填して撮影(4本中2本が富士通製でした)。事なきを得ました。これがその写真です。
記者室に行くと朝日新聞の誇る東京・堀川、大阪・小田、福岡・原田の各地区陸上競技担当記者が勢揃い(スタート前の写真)。事業部からも2人が前橋入りと、総力体勢です。負けていないのが中国新聞。東京デスクの下手記者(元陸上競技メイン担当)と、広島から現陸上競技担当の山本記者が上州入り。この写真はテレビで2区のレースを取材している山本記者です。先頭の中国電力はもちろん、2番目の日清食品・徳本一善選手は広島出身ですから取材対象。そして、条件反射的にカネボウも取材をしてしまうでしょうから、相当に忙しくなりそう……などと思っていたら、本当に忙しくなりました。
これで山本記者は中学駅伝、高校駅伝、実業団駅伝と、広島県チームの全国制覇を取材したことになります。原稿執筆中に聞いたせいか、感想は「忙しい」とのこと。これは本意ではないでしょう。正式コメントは、箱根駅伝時に聞かせてもらうことになっています。
どんなメンバーを動員するかによりますが、中学・高校・実業団の全国優勝チームを同一シーズンに出したのですから、お膝元開催の全国都道府県対抗男子駅伝でも広島県チームは優勝候補。対抗するのは長野と兵庫あたりでしょうか?
記者室には、大会スポンサーから提供された「華麗ぱん」もありました。某専門誌O川編集者がさっそくゲットしていたので、食べる前に撮影しました。1月14日発売ですが、賞味期限が1月3日です。これは、俗にいうレアもの。ネットオークションで高く売れるかも。それにしても、1月14日発売とは、専門誌に対抗しているのでしょうか。味についてはノーコメント。
取材の最後は2区区間賞の秋葉啓太選手。小森コーポレーションとしては2人目の区間賞ですが、1人目はかなり初期の頃の話です。若倉監督がダイエー時代に区間賞を取っているので、遠慮するところを無理にお願いして“新旧区間賞コンビ”として撮らせてもらいました。取材の突っ込みどころの1つも、若倉監督の現役時代の走りをイメージして思いつきました。
聞けば秋葉選手が1万mで初めて28分台を出したとき、このサイトのトップページで紹介したと言います。若倉監督のサイトで触れられていたので、そのことを紹介したみたいです。探してみると、確かにありました。2002年の9月23日のこと。2人とは、ご縁があったのです。
陸マガ・グループと一緒に前橋駅に出て、寺田だけ高崎線のグリーン車で赤羽まで移動。新幹線より30分〜1時間は遅くなりますが、1000円以上安くつきますし、ゆったりしたスペースで原稿を書くことができます。このサイト用の原稿を書きました。
今日のネタは当然、5区の佐藤敦之選手。宮城出身の佐藤光浩選手、福島出身の佐藤敦之選手と来たら、明日は静岡出身の佐藤悠基選手のネタになるでしょうか?
◆2007年1月2日(火)
7:50に起床して箱根駅伝往路をテレビ取材。以前は芦ノ湖に行っていましたが、さすがに体が持たないと判断して、ここ3年くらいはこのパターンです。それでも、睡眠3時間。
昨日のニューイヤー駅伝は“本命視”された日清食品が敗れました。12月の全日本実業団対抗女子駅伝、全国高校駅伝男子、そしてニューイヤー駅伝と、本命チームが敗れ続けています。箱根駅伝もそうなるのかな、と帰りの高崎線車中で考えたのですが、今年の箱根は本命チーム自体がありません。上述の3大会は、衆目の見るところがほぼ1チームだったのに対し、箱根は亜大、日大、順大、駒大、東海大と、予想をする人によって挙げる学校が違っています。
というネタを昨日の日記に書き忘れましたが、今年は気象条件が良いので、スピードのあるチームが有利ではないか、とテレビ解説の徳本一善選手が話していました。確かに、その傾向が出ているかも。
1区の佐藤悠基選手、2区の竹澤健介選手、3区の上野裕一郎選手、4区の佐藤秀和選手、区間賞はトラックのスピードがある選手が占めました。5区の今井選手は、このくくりに入れていいのかどうかは微妙なところ。
それにしても1区の佐藤悠基選手の走りには驚かされました。区間2位を4分も引き離すとは。1区は秒差がもっともつきにくい区間です。反対に、最も差が開きやすいのが5区の山登り。今井選手と区間2位との差は今回2分34秒。1区がそれ以上に開いたのです。
でも、区間下位との差を見ると、やはり5区の方がはるかに大きい。傾向として、5区の方が開きやすいという点が、変わったわけではありません。
ただ、1区には“流行”があります。古くは石井隆士選手、ちょっと前では櫛部静二選手や中村祐二選手、最近では徳本一善選手と、飛び出す選手もいますし、渡辺康幸選手の前区間記録の時のように、速いペースになることもある。
それが近年は、スローペースが定着していました。その傾向を逆手にとった東海大の戦略と、それを可能にした佐藤悠基選手の能力があればこその、今回の4分差だったと思います。1区の1・2位差を調べられたらいいのですが、今日はニューイヤー駅伝の原稿書きに優先しました。
ニューイヤー駅伝の3区の距離が短いのではないか、というメールをいただきました。この件は3〜4年前に陸マガにも書きましたし、本サイトでも何回か指摘しています。2区もおかしいと、選手たちも話しています。
追い風が強いから速いのだと言っていた人もいましたが、今年の風はそれほどでもなかったはず。あまり頻繁にコースを変更すると、過去の選手との比較ができなくなり、面白さが半減するのは確かです。箱根駅伝の2区や5区など、昔の名選手との比較ができなくなっていますからね。“100
km”ということで大会を一生懸命に運営している人の気持ちに、配慮しているのかもしれません。
◆2007年1月3日(水)
昨晩は3時までニューイヤー駅伝の原稿書き。8割方終了したので、箱根駅伝モードに入れました。3時間睡眠で6:30に起床。7:15に新宿の作業部屋を出て、大手町の読売新聞に7:54に着。
記者室のデスクは、前の方はもういっぱい。陸マガ一行の仲間に入れてもらい(今回はほとんど陸マガの仕事ですが)、まずまずの席を確保。それにしても、席の前後のスペースが著しく狭いですね。昔は、これほどではなかったはず。きっと、椅子が足りなくなるようになったので、前後をギュッと詰めてたくさん置くようにしたのでしょう。こんなところにも箱根人気が波及しています。
ビックリしたのは、記者にお弁当が配られたこと。昨年までは、協賛会社のパンでした。そのまた以前は出ませんでした。ありがたいことですが、そのぉ、かなり値段が高そうなお弁当なのです。だからなんだ、という結論はないのですけど。
レースは箱根駅伝の復路らしい展開。何をもって箱根駅伝らしいというのかというと、トップがあまり変わらないレースのことを指しています。下の表を見てください。21世紀に入ってからの箱根駅伝は、7回のうち5回、復路で逆転があったわけですが、91〜00年の10回では逆転は4回だけ。復路逆転率は21世紀が71.43%に対し、90年代は40%だったのです。
箱根駅伝復路のトップ交替
年 |
トップ交替回数 |
首位交替があった区間 |
復路でトップに立ったチーム数 |
優勝校 |
07年 |
0 |
|
1 |
順大 |
06年 |
2 |
8・9区 |
3 |
亜大 |
05年 |
1 |
7区 |
2 |
駒大 |
04年 |
0 |
|
1 |
駒大 |
03年 |
1 |
9区 |
2 |
駒大 |
02年 |
1 |
6区 |
2 |
駒大 |
01年 |
3 |
6・9・10区 |
3 |
順大 |
00年 |
0 |
|
1 |
駒大 |
99年 |
1 |
9区 |
2 |
順大 |
98年 |
0 |
|
1 |
神奈川大 |
97年 |
0 |
|
1 |
神奈川大 |
96年 |
1 |
6区 |
2 |
中大 |
95年 |
3 |
6・8・9区 |
2 |
山梨学大 |
94年 |
0 |
|
1 |
山梨学大 |
93年 |
2 |
6・7区 |
2 |
早大 |
92年 |
0 |
|
1 |
山梨学大 |
91年 |
0 |
|
1 |
大東大 |
90年 |
0 |
|
1 |
大東大 |
陸上競技担当になって間もない記者にとっては、退屈なレースと映ったようですが、寺田には箱根駅伝らしい展開と映りました。神奈川大の近藤選手や勝間選手、大東大の奈良選手と、5区の山登りに強いランナーがトップに立ち、そのリードを8区あたりまで保ち、9・10区ではチーム状態の良さが出て区間賞を取る。箱根で勝つ典型的なパターンでした。
そのパターンができなくなったのは、各大学の力が接近してきたから。つまり、今回の順大はそれだけ強かったということです。
レース後は、選手時代から取材をしている仲村明監督の話が聞きたくなったのですが、今回の担当は東海大・日体大・早大・山梨学大。共同会見に出ている余裕はありません。まあ、仲村監督の話を聞く機会は、そのうちあるでしょう。
一番優先したのは佐藤悠基選手の取材。他の記者たちも殺到するでしょうし、一番目玉となる記事です。ところが、その佐藤選手がドーピング検査のため、東海大の集合場所に戻ってきません。こうなるとやっかいです。いつ戻ってくるのかわからないのですから。離れようにも離れられない。こればかりは、誰が悪いわけでもない。仕方のないことです。
大手町では結局、佐藤選手も他の大学も取材ができませんでした。後楽園ホテルが勝負です。早大の2選手と渡辺康幸監督、日体大の鷲見選手と別府監督と話が聞けましたが、佐藤選手はMVP選考などで拘束されてチャンスがありません。
しかし、それであきらめる寺田ではありません。佐久長聖高の両角速先生が会場に来ていらしたので、その近くにいれば佐藤選手もいつか来るだろうと考えました。最初に両角先生と一緒にいたのは上野裕一郎選手。できれば佐藤選手を加えた3人で写真を撮りたかったのですが、中大が引き揚げることに。しかし、間もなく佐藤選手も来てくれました。取材は根性ですね。師弟の写真も撮れました。
◆2007年1月4日(木)
昼前にニューイヤー駅伝の原稿を全部終わらせるつもりが、若干後ろにずれ込んでしまいました。昨晩のうちに終わらせるつもりが、ちょっと疲れが出てダウンしたのが影響しました。日清食品・岡村マネにも電話をして、ネタを仕込んだのですが…。正確に言うと、仕込もうと思ったネタは入手できなかったのですが、そこが確定したから進んだということです。連絡がつかなければ、ストップしたままでした。
岡村マネとは別件でちょっと話し込みました。内容は明かせませんが、チームのことを真剣に考えているのが伝わってきます。そういえば、山梨学大の寮で同マネに初めて会ったときも、話し込んでしまった記憶があります。仕事をこなすだけなら、そこまで寺田と話す必要はなかったはず。仕事以外のところでそういうことができるのは、能力が高かったというか、情熱があったというか、何事にも積極的だったというか、将来伸びる人材だったということだと思います。
最近でこそ、坂下奈穂美選手(元三井住友海上)が結婚した相手という部分で有名になってしまった岡村マネですが、中学時代は京都府大会で優勝経験もあるランナー。高校(洛南高)から故障が多くなり、山梨学大ではマネジャーとなりました。しかし、大学3年時までは走る部分にもこだわりがあって、マネジャーとしての仕事をきっちり片づけてから、個人的に走っていたそうです。
そのこだわりがなくなったのが、大学4年生の時。選手の喜びが自身の喜びと、心の底から感じられるようになって、自分が走る理由がなくなったと言います。そこからはマネジャー一筋。頑張ってほしい人材です。寺田が書かなくても頑張ると思いますが。
ニューイヤー駅伝に続いて箱根駅伝の原稿に。陸マガ用に佐藤悠基選手と東海大の原稿を書き終えたところで、気分転換のために本サイト用に亜大の原稿を書きました(これも仕事です)。後楽園ホテルで岡田監督が、こちらの顔を見るなり、この話をしてくれたのです。おそらく、全日本大学駅伝の開会式とレース後に、亜大のなかでスピードがある選手は誰か、箱根駅伝の1・2区候補は誰か、今後スピードのある選手が入学してきたらどうするのか、といった質問をしていたから、話してくれたのだと思います。
昨日の日記で取材には粘りが必要みたいなことを書きましたが、布石も大事です。などと書くと偉そうなので、読まなかったことにしてください。
◆2007年1月5日(金)
12月14日のドバイ空港もそうでしたが、今日は本当にヤバイ状態でした。原稿の締め切りが500行(箱根駅伝が250行、2007年展望原稿が残り250行)、電話取材が4本、印刷所に見積もりの催促、膨大な数のメール(仕事始めだから?)への対応、テレビ局への抗議電話等々。途中で精神的にバーンアウトした状態になり、2〜3時間の空白まで生じてしまいました。
なんとか、深夜3:30頃に箱根駅伝の原稿を終わらせました。編集部も大変そう。2007年展望原稿は……?
◆2007年1月7日(日)
いきなりですが、パソコン(14.1インチのVAIO)が破損しました。液晶のフレーム部分がこんな感じで折れてしまったのです。以前(半年くらい前?)から亀裂は入っていたのですが、まさかここまでになるとは。いつも、他の資料などと一緒にヘルシンキ世界選手権のバッグに入れ、背負って持ち運んでいたので、この破損した部分に負荷が集中していたのかも。幸い、動作がおかしくなったわけではないので、部屋の中で使う分には問題ありません。
しかし、外出先でパソコンが使えなかったら、仕事になりません。大枚をはたいて(タイ米ではない……読者超限定ギャグ)買わないといけないでしょう。まあ、今のVAIOもパリ世界選手権の前からですから3年半、まずまず持った方ですね。
これまでパソコンは平均して2〜3年で買い換えていました。今回のような破損、故障というよりも、ハード面やソフト面の進歩が著しく、新しい機能を使うために買い換えたケースがほとんど。あるいは、ハードディスクの容量が足りなくなったり。その点、今は特に、OSを新しくしようとか、ネット接続に不便とかはないのです。一時期ほどの大きな変化は起きていない、ということでしょうか。
しばらくは、2000年購入のB5ノートPC(Win2000)で、しのぐしかないでしょう。ヘルシンキ世界選手権前に、USB経由の有線&無線LANができるようにして、現役復帰させた機種。10.4インチ画面は作業効率が落ちますが、3年くらいはそれで仕事をしていたのです。このサイトの左右の幅も実は、その画面に合わせて設定したのです。ではありますが、外付けDVDの再生や、ホームページビルダーの作業などCPUに負荷のかかる仕事をさせると、オーバーヒートしてしまうひ弱なパソコンなのです。
帰宅途中に、さっそくヨドバシカメラに立ち寄りました。22時まで開店しているので助かります。候補に挙がったのは以下の3機種。
@パナソニックの12.1インチ 重さ1.2kg 19万8800円
Aパナソニックの14.1インチ 重さ1.5kg 24万9800円
B工人舎の12.1インチ 重さ1.2kg 8万9800円
@はDVDマルチドライブ内蔵で1.2kgという軽量。ハードディスクは60GB満員電車の圧迫や30cmの高さからの落下にも耐えられる頑丈設計。添付の標準バッテリーで12時間もつという触れ込みです。機能的には申し分ないのですが、キータッチがいまいち。
Aはキータッチも良くなり、画面解像度も今のVAIOと同じ1400×1050ドット。今のVAIOが2.5kgくらいなので、重さも問題ありません。問題は、これを買ってしまうと、値段も高いしメインマシンになるということ。ハードディスクが60GBとやや少な目ですし、メインとするなら今月末発売のウィンドウズVistaを待った方がいいかな、という気もしています。新OS発売前なので、値段が安くなっている時期であるのですが。
BはDVDドライブがないタイプで、ハードディスクも40GBと少な目。@とAはVistaへのアップグレードも可能ですが、Bはちょっと厳しそう。メインマシンを買うまでのつなぎ的な位置づけです。でも、キータッチは@よりもグッド。
どれも一長一短。駅伝で1人だけ好きな選手を補強できるけど、エースにするのか、つなぎの人材にするのか、両方を兼ねられるタイプにするのか……という例えは適切ではないかもしれないけど、意外と言い得て妙かも。
◆2007年1月8日(月)
自宅で全日本大学選抜女子駅伝をテレビ観戦。立命大が4連勝を達成しました。実業団とのレベル差が大きく注目度は低い女子の学生駅伝ですが、これだけ勝ち続ける立命大の頑張りは以前から注目していました。
テレビ局が事前に取材して用意したVTRでは“自主性”という部分を強調していました。選手たちが自主的にミーティングを開いている、選手だけで合宿をしている等のエピソードを取り上げていたと記憶しています(完全に覚えているわけではないのですが)。
ここで勘違いしてはいけないのは、選手たちを放っておいて自主性が生まれるわけではない、ということ。指導者が一生懸命に働きかけて初めて、自主性は出てくるものなのです。個人では例外もありますが、チームとして見た場合、例外はありません……が、1980年前後の日体大が、寺田の知っている唯一の例外でしょうか。
言葉を換えれば、指導者が決めた方向への自主性なのです。
一昨年にチームルポ的な部分と監督の人物像と、2つの方向から記事を書かせてもらった中国電力、同様に昨年書かせてもらったコニカミノルタ。中国電力は“自己責任”、コニカミノルタは“指導者はサポーター”という理論でしたが、狙いとするところは一緒。選手自らが走ることを自分の価値とし、競技に積極的に取り組まない限り、レベルの高い練習をやり通せないのです。
それは、どのチームの指導者も考えていることでしょう。考えているけど、なかなか上手くいかない。基本理念は一緒でも、それを実現させる方法は何百通りもあって、チームの置かれている環境、指導者のキャラや得意分野(精神論なのか技術論なのか等)、チームの成立過程、選手のレベルによって変わってきます。
そこを上手くやっているのが中国電力であり、コニカミノルタだということなのでしょう。おそらく、立命大の十倉みゆきコーチも、そういった才能がある指導者なのだと思います。
◆2007年1月9日(火)
今朝の5時に最終校正を終わらせて宅急便で発送し、単行本の作業が終了しました。NS協会・S氏の協力と、B社編集のA氏の尽力のおかげでなんとか、予定の1月下旬発売に間に合わうようです。アジア大会期間の前半や、全国高校駅伝の翌日あたりは「もう、ダメだ。絶対に無理」と弱音も吐いていましたが、なんとか乗り切りました。前述の両氏のおかげです。
一応、一段落したのですが、今日は引き続き多忙でした。
◆2007年1月10日(水)
今月から来月の仕事の段取り。週末の全国都道府県対抗女子駅伝にも、事情が許せば行きたいと思っています。
でも、そうすると翌週の広島(全国都道府県対抗男子駅伝)、大阪国際女子マラソン、別大マラソンと4週連続出張になる可能性が大で、ちょっと厳しいですね。10月下旬からずっと、フルスロットルに近い感じで飛ばしてきたので、“ゆったりモード”の期間も入れないと。
◆2007年1月11日(木)
16時に飯田橋の印刷所に。ある大学陸上競技部の小冊子作成を請け負いました。クライアント(大学の陸上部のこと)に見積もりを出すためにはまず、最もお金のかかる印刷から製本までの費用を確定させないといけません。実は11月に2つほど、タウンページで見つけた印刷所に見積もりをしてもらいましたが、なかなかこちらの希望の金額に近づきません。12月末にF社の営業の方に今日の印刷所を紹介してもらい、ある程度の感触を得たので(下見積もりを出してもらって)、今日、本交渉に行ったわけです。
なんとか、こちらの予算内でやってもらえそうですが、費用は校正を出す回数や、校正で入れる直しの種類と量によって変わってきます。その辺を少なくするのも、こちらの腕次第。大変なのはこれからです。が、この手の仕事も積極的にやっていかないと、書いているだけでは限界もあります(何の限界?)。我と思う実業団&大学(陸上競技部)経営者の方はご連絡ください。と、たまには営業もしてしまいましょう。
仕事の話とは関係ありませんが、その印刷所には吉野達郎選手と東海大で同級生だった女性がいるのだそうです。面談した営業担当者は吉野選手の名前を覚えていたわけではありませんが、話を聞いていると「大学を卒業して2年目」「日の丸を付けたことがある選手」という2つの条件で、思い当たったのが同選手。こちらが名前を出したら、担当の営業マン氏も「そうでした」と思い出した次第です。
こうして選手は、思わぬところで応援されていくようになるのです。吉野選手は“朗(郎)”のつく最も頑張っている選手の1人なので、寺田も個人的に応援しています。最も頑張っている、と1人に特定する表現にしなかったのは、森岡紘一朗選手も頑張っているからです。中川拓郎選手と山下拓郎選手は、もうひと頑張りが欲しいところ。2人とも駅伝はダメでしたが、出場を予定している3月のびわ湖マラソンで捲土重来が期待できます。
そういえば年末に池田久美子選手を取材した際、四ツ池公園陸上競技場でスズキのホームページを製作・管理している印刷会社の担当者に会いました。その女性の方が、常葉菊川高のOBで、山下選手のことを気に掛けていましたね。
ちなみに、最も頑張っている“朗(郎)”の付く記者はISHIRO記者(毎日新聞・石井朗生記者)と特定しないのは、箱根駅伝の記事を書いた量が信濃毎日・中村恵一郎記者の方が多いからです。
打ち合わせは1時間ちょっとで終了。電話連絡を2本したあと、カフェでちょっと仕事。17:50に陸マガ編集部に。2月号の配本日です。表紙は今井正人選手。
寺田が書いた記事を時間順に列記すると、以下のような感じ。
●アジア大会:総括記事など
●全日本実業団対抗女子駅伝:資生堂ほか
●福士加代子選手人物もの
●池田久美子選手インタビュー
●2007年展望記事
●ニューイヤー駅伝:日清食品ほか
●箱根駅伝:佐藤悠基選手ほか
2007年展望は書き始めたのは年末でしたが、書き終わったのは箱根駅伝の後でした。
◆2007年1月12日(金)
深夜、TBSの「〜秋吉&中井のWe Love アスリート〜」第1回を見ました。ゲストは末續慎吾選手。そういえば、沢野大地選手が生出演した「ニュース23」(8日)は見逃してしまいました。ちょっと校正作業が立て込んでいたので……。
「〜秋吉&中井のWe Love アスリート〜」は基本的にはバラエティーの体裁で、芸能人がMCになって陸上選手の魅力を引き出し、(不特定多数の)視聴者の陸上競技と世界選手権への興味を高めるのが狙い。だと、TBS関係者に確認したわけではありませんが、たぶん、間違っていないでしょう。
しかし、バラエティーの体裁ではありますが、競技的に面白い部分もちょこちょこと紹介しています。競技的に面白いというと、当たり前ですね。そのための番組です。普通の視聴者は気づきにくいところで、我々長年取材している人間も「おおっ、そうなんだ」と思える話ですね。
俗に言う奥深い話です。この記事にしたような室伏広治選手の話や、陸マガ2月号に記事にした池田久美子選手の踏み切り4歩前の感覚なども、その類の話です。為末大選手も、そういったところを話させたら天下一品。
話はそれますが最近、高野進コーチの現役時代と為末選手は似ているな、と感じています。キャラは違いますが自分のやっていること、自分の価値観をしっかりと言葉にできるという点で。だから、どのメディアの記事も似た視点になることが多い。選手側から出てくる「こうなんですよ」という話が、面白いし説得力もあるし、奥深さも感じさせたら、そうなるのは当然です。
ただ、そればかりでは面白くない。為末選手でいえば投資の話や、他分野の人間との接触など、引き出しは多いのですが、競技的なところの記述はどうしても似てきてしまう。
だったらと最近考えているのは、為末選手の競技的なところに、過去の選手になかった独特の生き様が生かされている、という新しい視点(もしかしたらもう、誰かが書いているかも)。ただ、立証できないようなネタが多いので、難しいですね。そこはあくまで、書き手の見方だよ、という書き方をしないといけないし、そこが下手だと単なる推測だらけの記事になってしまうし。
さて、週末の全国都道府県対抗女子駅伝ですが、取材には行かないことにしました。“この記事を書く”という仕事はないのですが、駅伝は選手も指導者もたくさん集まるので、行けば何かしら収穫があります。と言ってなんでもかんでも行くと、経費がいくらあっても足りなくなってしまいます。まあ、西日本方面でいっしょにこなせる他の仕事があれば、というつもりでいましたし。
広島はたぶん、他の仕事と一緒にできるので、行くことになると思われます。最終決定ではありません。
◆2007年1月13日(土)
陸マガ2月号の発売日。寺田が担当した記事は11日の日記で紹介した通りですが、読者が面白く読んでくれるかどうか、気になるところです。
ところで、昨日の日記で“書き手の視点”が大事、というようなことを書きましたが、誤解を招かないようにちょっと補足したいと思います。
書き手側の視点というのは、どんな記事でも少しは出るものです。その点は、説明は要らないでしょう。では、書き手がつねにそれを意識するかといったらそうでもない。寺田はしていません。あくまで、選手や指導者たち取材対象がやっていることを報道する、紹介するのが我々の仕事です(たまに、意見を書くこともありますが)。ですから、競技成績やコメントを中心に構成するのが記事の基本です。
でも、文章量が多くなればなるほど、ストーリーが要求されます。単なる成績やコメントの羅列では面白くないのです。でも、1人の人間のやっていること(活動や考え方)を、僅か数ページで紹介するのは不可能なことで、どこかに絞ってピックアップしないといけない。そのときに、取材する側の知識、技量で紹介する部分や引き出せる話が違ってくるのです。普通の人が気づかない記録的な側面を説明できるかどうか、選手から奥深い話を引き出せるかどうか。
それが読み手にしてみれば、書き手の視点と思えるのでしょう。視点というよりも書き手の“色”ですかね。
陸マガ2月号の池田久美子選手の記事を例に説明します。記事の体裁としては池田選手の一人称(業界用語でいうところの“一人語り”)ですが、実際の取材は寺田が聞き出して、それを文章にまとめたものです。<取材・構成:寺田なにがし>という記載があるのはそういう意味です。当たり前ですが文字になっている内容は全て、池田選手が話したものですが、踏み切り4歩前の感覚についてしつこく聞き出したのは寺田です。ここ数年の取材を通じて、気になっていた部分です。
でも、もしもそれが面白くないと感じられたら、その責任はほとんど、取材した寺田にあります。取材現場では読者が知りたいこと、知ったら面白いと思えることは何か、を意識してインタビューをしているわけですから。
じゃあ、面白かったら寺田の手柄かといったら、それは違います。選手が面白いことをやったり考えたりしているのであって、記者はそれを引き出しただけ。選手側が持っている部分に左右されます。記者の役割はほんの一部分なのです。ただ、一部とはいえ、その記事に関わっているので、やはり読者の評価は気になるのです。
でも、最後にもう一度念を押させてもらうと、自分の視点、色を出そうと思うことはありません。中心になるのは選手の活動であり言動です。
どこか、指導者たちの話に似てきたような気がします。
おっと、今日あった出来事を書かなくては。
珍しく早めに作業部屋を出たので、新宿のビックカメラでパソコンを物色していました。先日も書いたように、
@パナソニックの12.1インチ 重さ1.2kg 19万8800円
Aパナソニックの14.1インチ 重さ1.5kg 24万9800円
B工人舎の12.1インチ 重さ1.2kg 8万9800円
の3機種のうち、機能的には一番こちらの要求を満たす@が、キータッチがいまひとつ気に入りません。今日もカチャカチャと店頭でキーボードを叩いていました。すると隣の10.4インチ(重さ0.9kg台)のパソコンを触り始めた女性がいます。顔を覗き込むわけにはいきませんが、雰囲気で美人とわかります(このへんの感覚は男性ならわかるはず)。
しばらくすると連れの男性も来ました。と、その男性が「寺田さん」と声を掛けてきます。誰かと思えばホスト・ディレクターの坂井厚弘氏。ホストのようなディレクターという意味ではありません。全世界に流す世界陸上の映像を製作するのがホストブロードキャスト。100 m10秒5台と陸上記者最速を自称する坂井氏は、そのディレクターの責任者。正式にはホストブロードキャスター担当チーフディレクターです。
隣にいたのは昨秋結婚した奥様でした。
ちなみにパソコンの方は、迷っています。やっぱり、パソコンの中で身体と接触するキーボードや液晶は、機能よりも重要です。でも、慣れでなんとかなるかな、という気もするし…。中古の12.1インチ(1〜2年前発売で10万円前後。光学ドライブ外付け)も、検討し始めました。
◆2007年1月14日(日)
自宅で全国都道府県対抗女子駅伝をテレビ観戦。
レベルの高い低いはともかく、ああいった展開になると駅伝はやっぱり面白いですね。首位が何度も入れ替わり、アンカーまでハラハラドキドキの接戦。駅伝の魅力、存在意義はそこだと思います。レベルの高さだけを求めるのなら、個人レースの全国大会と、その予選だけをやっていればいいわけです。たくさんの選手が一堂に会するレース形態とゲーム性。普及にはもってこいの存在だと思います。
ただ、それが過熱してしまうと問題が生じてしまうのでしょうけど。
その点、全国都道府県対抗女子駅伝はいい感じになっているのではないでしょうか。25年前に始められた当初は、選手権的な意味合いもあった駅伝ですが、全国高校駅伝や全日本実業団対抗女子駅伝など、年代別の選手権駅伝が盛り上がるにつれ、チャンピオンを決めるという性格は少しずつ後退しました。実業団のトップ選手は、マラソンなど個人レースを優先するようになっています。
それでも、郷土色がしっかり出る駅伝ですし、前述のような盛り上がりも期待できるので、テレビ中継も続いていくでしょう。現場でも、必ずしも選手権駅伝でなくても、そのときどきの戦力で精一杯戦うことに違和感は感じていないようです。国体とも共通していますが、中学生・高校生が実業団選手と一緒に行動して、何かを学ぶことができます。若い選手の台頭するきっかけにもなる。全国高校駅伝では失敗しても、この駅伝で区間賞を取った選手って、かなりいますよね。渋井陽子選手も全日本実業団対抗女子駅伝で失敗した1カ月後に、この駅伝で区間賞を取りました。今回で言えば、岐阜でも区間2位と好走しましたが、同じ三井住友海上の大崎千聖選手が成長していくきっかけになるかもしれません。
そんな全国都道府県対抗女子駅伝ですが、なぜか学生選手の成長するきっかけにはなっていませんでした。この駅伝の区間賞第1号は、こちらの記事で紹介したように深尾真美選手です。初期の頃は全体のレベルも低かったこともありますが、個人的に頑張っている大学生が活躍できました。それが、この駅伝の狙いが当たり、実業団が増え、各都道府県が高校生の強化に力を入れると、大学生が活躍できなくなってしまいました。一時期の京産大だけですね、頑張っていた記憶があるのは。その流れを変えたのが、今回の立命大の頑張りだったのではないでしょうか。
しかし、もしも京都が地元優勝だけにこだわっていたら、それもなかったのです。極端な話、福士加代子選手や原裕美子選手、阿蘇品照美選手らが所属陸協から出れば、京都は毎年優勝できるのです。それに対抗して、東京が三井住友海上や資生堂の選手を動員したら、実業団連合チーム同士の争いになってしまう。
今の全国都道府県対抗女子駅伝のありようが、新たなきっかけを提供しているのだと思います。
女子駅伝の記事を書くために昔の記録を調べていたら、寒中見舞い(実質、年賀状)が書けませんでした。裏面はもうできているので、あとは宛名の入力(昨年ファイルの変更)と印刷だけなのですが。
◆2007年1月15日(月)
マックが不調です。04年に6m01を跳びましたが(アテネ五輪金メダリストです)、05年は5m85、昨年は5m75にとどまっています……って、棒高跳のティモシー・マックのことではなくて、不調なのは寺田のパワーブックG3のこと。この季節になると記録集計号の版下作製作業のため、98(NEC98パソコン)とマックを押入から引っ張り出してきて使うのが、ここ数年の慣例になっています。
日記に書いたか忘れましたが、昨春、プリンタが壊れて新しいものを購入しました。初めてネットオークションで入手したのですが、これが1カ月もしないうちに“基盤”が壊れてしまうありさま。1万円強で修理に出すという悲惨なブツなのですが、その後は順調に働いてくれています。
今日、初めてマックに接続。ドライバーも問題なくインストールでき、テストプリントに成功。ここまでは良かったのですが、ちょっと欲張ってADSL接続にもトライしたのですが、こちらは失敗。その後、フリーズが頻繁に起こるようになって、今日だけで3〜4回リセットしないといけませんでした。今日は試験だけで、版下作製作業本番は来週になりますが、ちょっと嫌な予感がしています。
マックの調整に手間がかかったため、予定していた年賀状代わりの寒中見舞いが進みません。
◆2007年1月16日(火)
ゆったりモードが続いているのですが、“華麗なるディレクター”と言われているTBS山端ディレクターの電話で、一気に緊張が高まりました。6日の日記で男子4×400 mRが標準記録未突破で、今年どこかで突破する必要があると書きましたが、「地元枠があるのでは?」という指摘。そうでした。標準記録を突破していない種目については、開催国は1名出場することができるのです。リレーも当然、出られるでしょう。
ただ、この地元枠を使うのか使わないのか、陸連は公式にコメントしていません。選手サイドとしては、あるかどうかわからないものをアテにすることはできませんから、現時点では標準記録突破をしなければいけない、という現実に変わりはありません。
しかし、表現としては不適切だったと反省し、その部分の記述を削除しました。
そうですね。仮に個人の地元枠は認めなくても、リレーだけは使う可能性がなきにしもあらず。力があるのはわかりきっていることですから、マラソンのように色んな意見が出ることもないでしょう。
夕方、つくばエクスプレスの終着駅、秋葉原に。乗り換えでは年に数回利用する駅ですが、降りて、電気街を歩いたのは何年かぶり。中古パソコンを見て歩くためです。候補は
NECのLaVie J LJ700/EE
IBMのThinkPad X40
NECが重さ1.04kgで、LENOBOが1.27kg。どちらも光学ドライブは内蔵しませが、キータッチはいい感触です。発売時期の近いNECの方が2〜3万円高で、IBMが8万円。
しかし、帰りがけに新宿のヨドバシカメラを覗くと、パナソニックの14.1インチ(重さ1.5kg)が3万円値下がりして21万9800円になっています。14インチはやはり魅力です。また、迷いそう。
◆2007年1月17日(水)
10:30から都内某所で取材。このところ朝寝坊が続いていましたが、早起きモードに変えるのにいいきっかけとなりました。
約1時間のインタビューで、じっくりと話を聞くことができました。技術的な部分も、メンタル的な部分も面白かったです。
またもや、記事(陸マガ3月号)の文字数以上のネタを仕込んでしまいましたが、その後も活躍が続く選手なので、無駄にはなりません。シーズンに入ると試合後の短時間で取材をするパターンになりますから、冬期のこういった機会に、色々と話を聞いておくのがベターです。
1時間というと、質問する側はともかく、答える側は短い時間ではありません。以前は、取材を受ける側の微妙な疲れ方がよく把握できなかったのですが、ここ数年はその辺もわかるようになってきたと、自分では思っています。“この辺で”という雰囲気が出てきたら、あまり食い下がらない方がその後を考えると得策ですね。
クリスマス商戦を乗り切るために不祥事を隠した不二家が、結局は大損をしていますよね。あれと一緒です。
◆2007年1月18日(木)
今日は16:30からある学生選手の取材。まずまずの突っ込みができたと思いますし(棒高跳ライターか)、技術的にも面白い話が聞けたと思っています。驚いたのは、その選手が昨年、隠れた大記録を残していたのです。専門誌でも報じられなかったこと。状況を考えたら、見過ごされても仕方がない記録なのです。
これは、記事の中心となる流れとは関係のないところなので、陸マガの発売日前後に、このサイト上で公表します。
取材後、一昨日に続いて秋葉原に。一昨日の日記で紹介した2機種のうち、使い慣れたタッチパッド形式で、発売期日が1年前と近いNECの方に決めました。購入はもう少し、価格動向を見てからにします。月末にウィンドウズVistaが出て、変化があるかもしれません。
夜、寒中見舞いの住所録修正とプリントアウト作業を完了。
◆2007年1月19日(金)
記録集計号の作業を始めました。今日はまだ、98でファイルを加工する段階。
明日から広島出張なので、ある程度、98の作業は先が見えるところまで進めたかったのです。なんとか、予定のところまで進めました。
日記も追いつきました。
◆2007年1月20日(土)
6:35に起床。8:50東京発ののぞみで広島に。抱えている原稿も何本かありますが、これは来週頑張るスケジュールです。新幹線車内の4時間はほとんどを、取材の予習に充てました。
今回の出張の主な仕事(ある大学の小冊子)はもちろん、それ以外にも、ちょっとしたテーマをもって取材しようと考えているものが2つあります。全国都道府県対抗男子駅伝そのものの取材も、どこをつついたら面白いのかを考えました。
こういった予習というのは、ただ漠然と考えてもだダメなわけです。12〜1月の全国高校駅伝や箱根駅伝、全日本実業団対抗駅伝の成績はもちろん、数年前の駅伝やトラックの記録も調べたりします。ここを掘り下げてみよう、と事前に方向性が決まっていることが多いのですが、調べているうちに新たな発見をすることもあります。
最近、「データを調べて、ある種の傾向を見つけられるのはなぜか」といったニュアンスの質問を受けます。やっぱり、一生懸命に見ているからだと思います。そうすると、これまでと違った事象が起きたときに「あれ?」っと思うわけです。
などと偉そうなことを書くと、「あの点はなんで気が付かないの?」と突っ込みを入れられてしまうので、読まなかったことにしてください。
12:51に広島着。監督会議&開会式会場の国際会議場(平和祈念公園内)に移動。14時からの監督会議開始前に、他の記者たちと一緒に長野の西澤監督の話を聞かせてもらいました。監督会議後に、区間エントリーリストを入手。15時からの開会式前に、兵庫・永里監督を取材。混成チームの監督という立場からか、2人ともちょっと遠慮気味の分析でした。佐藤悠基選手にも立ち話的に話ができたので、詳細はこちらに記事にしました。
2強対決と言われている明日のレースは、学生選手の走りが注目されています。実業団選手に劣らない力の選手が揃いました。長野は昨年も学生2選手(丸山敬三選手&佐藤悠基選手)が走りましたが、兵庫は「2、3回大会以来」(永里監督)だといいます。両監督への取材から、兵庫は高校生区間に自信を持っていること、長野は佐久長聖高の1年生コンビの走りが大きく影響しそうなことが判明。開会式後に、同高の両角先生に話を聞かせてもらいました。
開会式の間には、順大・仲村明監督にも取材。箱根駅伝を振り返ってもらうという単純な話ではなく、もう少し“奥の深い”話を聞くことができました。まだ具体的には書けないのですが、上手くいけば5年後くらいに日の目を見ることになるかもしれない話です。
プレスルームが閉まる17:30直前に記事を書き終え、徒歩10分の距離にあるホテルに移動(なんと中国電力の横です)。今回は古いパソコンを持ってきたのですが、無線LAN接続が上手く行きません。暗号入力画面で桁数が違うし、入力できるアルファベットも制限されてしまっています。フロントでコンバータ(?)を借りて有線LANで接続。
夕食は某新聞グループに合流。
その後、九州の実業団監督たちとも合流。
それほど遅くならずにホテルに戻って、仕事を少し。明日は朝の8:20に取材が入っています。
◆2007年1月21日(日)
6:50起床。ホテルの朝食(無料ということですが、実際は宿泊費に含まれているわけですね)を食べた後、昨日の日記を書き、8:15に出発。徒歩5分の距離にある某ホテルに。ある大学陸上部小冊子の仕事で、O選手に取材をするためです。もちろん、今日の駅伝を走る選手ではありません。約1時間のインタビューでしたが、かなり面白い話を聞くことができました。長距離選手が走っている最中の感覚をここまで話してくれるのは、それほど多くはありません。こちらの勉強にもなりました。
10時前には自分の宿泊ホテルに戻り、今日の取材の予習と準備をしてから平和記念公園に。ここも徒歩10分弱と、今回のホテルは立地的にはグッドです。無線LANがときどき途切れるのが玉に瑕ですが。
10:40に大会本部施設のある国際会議場に。11:00からケン中村さんと打ち合わせ。何についての打ち合わせなのかは、まだ伏せておきます。あることに関して画期的な案を、中村さんが持っていました。
レースはテレビ取材。結果はご存じの通り、兵庫が優勝し、4連勝のかかっていた長野は2位。4区で中山卓也選手が独走態勢に。ここでハタと気づきました。お父さんの中山竹通選手(現愛知製鋼監督)が、当時のマラソン日本記録を出したのが広島だったと。84年の福岡国際マラソンで優勝して、すごい選手が現れたと関係者を驚かせたと思ったら、翌85年4月に広島で行われたワールドカップ・マラソンで日本記録を更新。“マラソンの中山”の名を、全国にとどろかせた場所なのです。
だったら、4区の卓也選手が走っているコースをお父さんも走ったかもしれない。そう思って大会役員室に行きましたが、誰に聞けば当時のコースを知っているのかわかりません。富士通・木内総監督に質問すると、年輩の地元役員の方を紹介していただくことができ、当時のコースを確認できました。
結論からいうと、現在の駅伝とワールドカップ・マラソンのコースは、市街地と宮島街道の一部が重なるだけなのだそうです。つまり、お父さんの走ったコースと卓也選手の走った4区はまったく重なりません。その点はネタにはなりませんでした。
陸マガの仕事は4連勝のならなかった長野チームの担当。そのほかにもいくつか取材したいテーマがあったので、取材のためプレスルームを出たときは何から取材をしていいのか、優先順位のない状態に。要するに、何から取材をしてもよくて、誰でもいらっしゃい状態でした。
最初に会ったのが3区区間賞の大森輝和選手(香川・四国電力)。テレビで結果が出るまでは、てっきり上野裕一郎選手(長野・中大)が区間賞だと思っていました。さすがの大森選手も、あれだけ後ろでタスキをもらったら、力を出し切れないだろうと思ったのです。実業団選手というか、日本代表選手の底力を見せつけられた思いがしていました。
この3区と、7区のシニア選手区間については、学生選手が注目されていましたが、結果的には実業団選手が区間賞を取りました。先週の全国都道府県対抗女子駅伝とは対照的なケースですが、面白い結果だと思ったので、そこを1つのテーマにすることに。
大森選手の後は長野チームの取材に。指導者2人と選手3人に取材。上野選手が3区で区間2位と学生トップだったので、前述のテーマの話も一緒に聞くことができました。佐藤悠基選手も同様です。この辺の取材の成果(?)がこの記事に。
次に話を聞いたのは今井正人選手。開会式が始まるまでの8分間で、かなりの内容を聞くことができました。実は今回の出張の目的の1つが今井選手に、どうして三津谷祐選手がいるトヨタ自動車九州に入るのか、その理由を聞き出すことでした。こちらが期待した以上の答えが返ってきたので、来た甲斐がありましたね。
ところで、インタビュー中に今井選手にサインを求めに来た女性ファンの方がいました。寺田は知りませんでしたが、箱根駅伝後の今井選手の人気はすごいのだそうです。その女性ファンは色紙に「“山の神”と書いてください」とお願いしていましたが、今井選手は困っている様子。「自分のことを神とは書けないよ」と寺田が言いました。
選手のニックネームなどは、関係者やマスコミなど“他人がつける”ことが多いのです。自分で付けて売り出すケースもありますけど、ほとんどは本人の特徴を周囲が評価してつけるのです。ファン心理もわからないわけではありませんが、今井選手に“山の神”と書かせるのは、マスコミに踊らされているようにも感じられます。それに、今井選手にとって山登りはもう過去のこと。今後、同選手にサインを求める人は気を付けましょう。
開会式後には7区区間賞の飛松誠選手(佐賀・安川電機)と、同区間3位の植木大道選手(福岡・トヨタ自動車九州)に取材。九州の実業団選手が7区で区間1〜3位というのも暗示的です。こちらの成果も記事にして、明日あたりアップできるかと思います。
駅伝の取材終了後、朝の取材と同様、ある大学の小冊子の取材で広島在住のO選手に取材(朝のO選手とはもちろん別人)。今回の出張の一番の目的が、この2人のO選手へのインタビューでした。約40分話を聞き、特に最後の方で“これは使える”という話、説得力のある話を聞くことができました。
その後、こちらの記事をプレスルームで書き上げ、ホテルに20:30頃に戻ってから本サイトにアップ。
2日連続の“飲み”はなし。近くのVELOCEで23時まで原稿書き。
◆2007年1月22日(月)
6:30に起床。男子駅伝や織田記念翌朝は、広島駅の新幹線ホームで中国新聞を買うのが慣例になっていますが、今朝はホテルの新聞自販機で購入。一刻も早く山本記者の記事を読みたかったからです。と書いておけば、何か良いことがあるかもしれませんが、見返りを期待するのは良くありません。
話を新聞紙面に戻しましょう。一面の写真は宮崎知事選に勝利したそのまんま東と、全国都道府県対抗男子駅伝に勝利した兵庫アンカーの北村聡選手。東と北ですが、北村選手の方が大きいスペースをとっている点がさすがです。
注目したのは山本記者の広島チームの記事。結果はご存じかと思いますが、1区で清谷匠選手(世羅高)が2位でスタートしたのですが、3区の田子康宏選手(中国電力)が区間39位で17位に後退。7区の新井広憲選手(同)も3位になった佐賀の前でタスキを受けながら、3位争いの集団に加われませんでした。記事ではここまでの中国電力勢の功績はしっかり評価しながら、今回の走りについてははっきりと“ブレーキ”という表現を使っていました。
途中まで好走していた田子選手があそこまで遅れたのは、「レース中に左太もも」を痛めたからだと記事にはあります。しかし、アテネ五輪のデリマ選手のように暴漢に襲われたり、何かにつまずいたりしたのでなく、自身の変調ですから実力のうち(1年前の順大・難波選手も“アクシデント”ではありません)。ニューイヤー駅伝には“8人目”でメンバーになれず、広島から初出場の今大会に意気込んだのが裏目に出たのでしょう。田子選手の心中察するに余りありますが、この経験をどう今後に生かせるかが重要。
内冨恭則コーチが近くにいるのが不幸中の幸いでしょう。日本の3000mSCアジア大会連勝を、地元の広島大会(1994年)で止めてしまったのが同コーチですが、4年後の98年バンコクタ大会では見事に金メダル。田子選手もたぶん、やってくれると思います。
朝食後に昨日の日記を書いてアップ。
路面電車で広島駅に出て、9:30ののぞみに。乗り込むときに、隣の車両の列に信濃毎日新聞・中村恵一郎記者(インターハイ中距離2冠)の姿が。昨年も同じ新幹線。お互い、この駅伝翌日の行動パターンが定着しているのでしょうか。向こうもこちらに気づいてくれて、乗車後にわざわざ寺田のところに来てくれました。
長野県は昨日、4連覇を逃してしまいました。残念でないわけはないのですが、今回の戦力を冷静に分析すれば、苦戦は覚悟していたはず。いつもの穏やかな表情と口調の中村記者でした。
同記者と話をした後、最近の長野と以前の長野の違いに気がつきました。長野県の歴代の名ランナーは、伊藤国光選手(現カネボウ監督)から始まって中山竹通選手(現愛知製鋼監督)、福嶋正選手(現富士通監督)、和田仁志選手、中村記者、田幸寛史選手(現中大監督)、帯刀秀幸選手(現富士通)と、チームよりも個人が頑張って強くなったパターンが多かったですね。
それが今は、佐久長聖高が強すぎるせいか一極集中型の強化になっています。その辺が西脇工高&報徳学園高の強豪2校を擁する兵庫との違いですが、競技人口のことを考えると同じことをしようとするのがいいのかどうか。その県に適した方法を、探っていくしかないでしょう。
新幹線を新大阪で途中下車。所要をこなして再度、新幹線に。具体的に何をしたかは内緒です。大阪ですから、世界選手権関連? とは限りませんよ。
今日はゆったりモードなので、新大阪・東京間の車内ではパソコンを開きませんでした。珍しい。大阪で買った文庫本を、カフェで65ページまで、車内で140ページまで読みました。
◆2007年1月23日(火)
昨日広島から戻ると、クリール3月号が届いていました。陸上競技関係者では、中山竹通監督や坂口泰監督、山崎浩二氏が登場しています。
目玉の特集は目前に迫った東京マラソン関連です。市民ランナー向けの雑誌のこの手の特集は、通常であれば“実際に走らない人にとっては無関係”なのですが、東京マラソンは話題性もありますし、トップ選手たちも走るレースです。ファンにとっても面白い特集なのでは?
今回初めて高低図も見ました。30km地点の正確な標高がわかりませんが、おそらく通過タイムは公認記録にはならないのでは?(要確認) 公認条件が「1000分の1以上下っていないこと」ですが、30km地点は30m以上下っているように見えます。シカゴもそんな感じで公認されなかったと思います。フィニッシュ地点の標高は問題ありません。
しかし、終盤の小刻みな4つの坂が始まる35kmまでは、本当に走りやすそうです。35kmを1時間44分で通過して、残り7.195kmを23分で上がれば2時間7分台という机上の計算はできます。
問題はむしろ、風向きかもしれません。北西の風なら10kmの日比谷まで追い風で、34km付近までは横風で影響を受けにくくなり、最後の8kmが追い風です。しかし、北東の風だと品川の折り返しから浅草の折り返しまで、距離にして12〜13kmが向かい風となります。
さて、記録集計号版下製作作業も進行しています。今日の夕方、巻頭の約50ページを98のデータベースソフトから変換し、テキスト・ファイルとしてマックに流し込む段階まで持ってきました。夜からマックでの作業に突入。“新しい記録”(具体的に何かは乞うご期待)もあって、昨年とは若干違ったフォーマットになるので、ちょっと大変です。ずっとマウスを持っての作業なので、たまには猫の手も借りたい。
◆2007年1月26日(金)
今日は大阪で大阪国際女子マラソンの記者会見を取材。しかし、この日記を書いているのは東京です。つまり、その日のうちに新幹線で東京・大阪間を往復しました。明後日はまたレースの取材で大阪に行かないといけないのに、なんでこんな事態になったのか。順を追って書いた方がよさそうですね。
今朝は8時に起床。9:46東京発ののぞみで新大阪に。昨晩、そこそこ頑張ったので、車内では原稿書きではなく、大阪国際女子マラソンの予習に充てられました。東京にいるうちに読む時間まではありませんが、資料はそれなりにコピーをして持っているのです。
ホテルニューオータニには12:55着。昨年までは長らく千里阪急ホテルが大会本部ホテルでしたが、今年はニューオータニに。長居競技場からの距離を考えると、千里阪急はちょっと遠かったですからね。レース後にシャトルバスに乗って移動すると、50分くらいかかったと思います。
しかし、取材のしやすさという点では、千里阪急ホテルは最高でした。会見など、公式に認められた時間と場所でしか選手に取材をすることはありませんが、関係者と接触しやすいホテルだったと思います。動線がわかりやすいし(これが最悪だったのが、東京国際マラソンが2年に一度使っていた新宿の京王プラザホテル。出入り口が多すぎます)、記者たちが原稿を書けるポジションも多かったのです。展望記事の量や質は、ホテルでの取材のしやすさに左右されると思います。
その点、ニューオータニはどうなのか。その辺をチェックする意味もあって、12:55と少し早めに行きました。正直に言うと、関係者の動線ははっきりしていますが、記者が原稿を書く場所がありません。まあ、もう少し取材を重ねていけば、上手くできるようになるかもしれません。京王プラザのようなことはないでしょう。
記者会見は、渋井陽子選手のキャラが際だった会見でした。質問に真正面から答えないこともあるし(レース前の会見ではそれもありです)、それでいながら、5kmの入りを16分40秒で行くと話したりします。具体的なタイムを言ったのは渋井選手だけだったと思います。会見の詳しい様子は、時間があったら記事にします。
会見後は三井住友海上の鈴木監督を取材。40km走をやらなくなった理由を中心に、色々と話してもらうことができました。続いてノーリツの上岡監督にも少し。その後は何人かの記者たちで雑談。
メイン・パソコンが破損してから、2000年に購入したB5サイズパソコンを持ち歩いていますが、バッテリーの持ちがあまりよくありません。前述したようにコンセントを使ってパソコンに入力できる場所がありません。仕方がないので、心斎橋のホテルに移動。ホテル近辺で何人かの関係者にお会いしたこともあり、心斎橋のホテルに着いたのが18:10。急いで送らないといけない原稿が2本あったので、さっそくLANケーブルに接続してブラウザを立ち上げると、「ジャーン、ジャーン」と、失敗操作をしたときの音が繰り返されます。
どうもおかしいと電源を切って入れ直すと、Windowsが立ち上がる途中で電源が切れて、再起動します。立ち上がるかな、と思うとまた再起動。それが自動的に、延々と繰り返されるのです。起動中にF8キーを押してセーフモードで立ち上げることはでき、原稿など作成ファイルが見られることを確認できたのはいいのですが、原因や修正方はまったくわかりません。時間は18:40に。
パソコンが使えなかったら、当たり前ですが仕事にならない。東京に戻るのは月曜日の夕方です。それまでの3日間、パソコン無しでしのげるか考えましたが、それは無理と判断。だったら、大阪で修理をするか、東京まで別のパソコンを取りに往復するしかない。
まずは、大阪の記者に修理ができそうな店がないかを確認。自分でもいくつか心当たりを調べ、天王寺のソフマップのクリニックが20時まで受け付けていることを突き止めました。19:10にホテルを出て、御堂筋線で天王寺に。ステーションビル5階にソフマップがあったので楽でした。19:30には受け付けてもらいました。
しかし、パソコンのプロが見ても、原因はシステムにあるとしかわかりません。ソフマップの店員がUSBメモリーからウィルスチェックをやった結果、ウィルスはありません。しかし、一瞬DOSのコマンドが出るのですが、firewallがどうこうという表示が出るので、おそらくネットワーク関係からシステムが破損したと推測できます。OSの再インストールか、ハードディスク自体を一度フォーマットしてOSからアプリケーションまで入れ直すか。CDドライブもリカバリCDも持っていません。もちろんCDドライブも。
修理はあきらめ、東京に予備のパソコン(破損したメインパソコン)を取りに行くしか選択肢はなくなりました。
荷物はそこそこ持ってソフマップに行ったので、心斎橋のホテルには立ち寄らずに東京に帰れます。20:30には新大阪駅に。20:53ののぞみに乗りました。東京・大阪間往復の2万8000円、余分な出費を強いられました。このサイトの記事も書けません。誰が悪いわけではないので、怒りをぶつけることもできないのです。
気持ちの整理ができないかな、と思ったのですが、いざ、何もできない状況になるとあきらめがつくものですね。新幹線車内では、文庫本を読んでいました。無理やり作られた閑な状況ですが、そうなった以上、その状況を味わうしかできることはありません。イライラするはずが、どこか嬉しかった。ちょっと不思議な時間でしたね。
◆2007年1月27日(土)
今日は東京で仕事。元々、金曜日に記者会見が行われた場合、土曜日に現地にいる必要は必ずしもないのです(なんらかの情報を仕入れられるので、大会本部ホテルには行きますし、そこで貴重な情報を得られることも多々あるのですが)。新聞的には金曜日に会見ネタ、土曜日に前日の直前ネタと2日間展開できるので、盛り上げるには適したやり方です。冬の国内選考会男女6大会中、4大会が金曜日会見のシステムをとっていますね。ただ、個人事業主にとっては1泊分経費がかかりますので、なんともいえないところ。
まあ、その分、ゆとりができますし、今回のようにパソコンが壊れても、予備を取りに帰ることも可能になるわけです。
今日は東京で仕事。せっかく東京に戻ってきたので、東京でしかできないこともやっておこうと、記録集計号の作業を進めました(2時間くらい)。昨日は日記しか書けなかったので、このサイトの作業も。昼食後は、昨日の会見の記事を書いてアップ。
これも東京でやる仕事の1つですが、中国電力の本「中国電力陸上部は,なぜ強くなったのか」を注文……しようとしましたが、取り寄せるのに最低10日間はかかると言われました。それでは、別大マラソンに間に合いません。これは、出版社や中国電力が悪いわけではなく、出版の流通システムの問題。通販の本棚だって、もっと早く届きます。書籍のような形態の品物が10日間もかかるって、業界の怠慢のような気がします。やる気とアイデアのある組織が参入したら、既存のシステムは壊せるんじゃないでしょうか。
東京駅を19時台発の新幹線で大阪に。車内では、人物もの50行の原稿を仕上げました。
22:10に大阪在住の友人と待ち合わせて食事。その友人は、以前は陸マガの仕事を手伝ってもらったこともある陸上通ですが、全国都道府県駅伝や高校駅伝のタスキ中継で気になることがある、と言います。毎年必ず、前走者が走り込んでくる直前に、受け手が中継場所に慌てて出てくるシーンがテレビに映る。あれは防げることではないか、と。
寺田は特に問題だと思ったことはありませんでした。問題があるなら、現場からそういった声が挙がっているはず。でも、確かに見ていてハラハラするシーンです。
前走者が来る時間はほぼ決まっているわけですから、待つ方は早めに中継所に出ていればいいだけのこと、と素人的には思えるのですが、スペースの問題でそれができないのでしょう。運営現場も好きで慌てさせているわけではないはずですから、技術的に難しいのだと思われます。以前は5秒、10秒とロスをしてしまうケースもありましたが、最近はそこまで大きな遅れが生じるようなことはなくなっていますから、工夫はしているのだと思います。
もう1つ話題になったのは、“おかしな記録”があるのではないか、という話。この話は書くと長くなるので、機会を見て小出しにしていきます。
◆2007年1月28日(日)
大阪国際女子マラソン取材。10:35には長居陸上競技場着。早めに到着したつもりが、席がない。席がないというのは、プレスルームのテーブル全てに会社名の名札が貼ってあるから。大手の新聞社・通信社・テレビの名前がズラリと並んでいるのですが、寺田のようなフリーランスはもちろん、専門誌や地方紙まで無視されています。同じ大阪開催でも、寺田などフリーランスの席も用意してくれている国際グランプリ大阪とは大違い。というか、大阪国際女子マラソンを取材するようになって10数年ですが、こんなことは初めてです。
クリールの曽輪ライターと一緒に大阪陸協に抗議に行くと、すぐに対処してくれました。いくつかのテーブルをフリースペースとしてくれたのです。この迅速な対応には助かりました。物腰も丁寧で好感が持てましたし。さすが、大阪陸協。
スタート前の話題は日本選手権女子20km競歩。渕瀬選手がやりました。日本人初の1時間29分台。記録もインパクトがありますが、昨年の山崎勇喜選手の50kmWの例もありますから、驚天動地というほどではありません。川崎真裕美選手でも坂倉良子選手でもなく、渕瀬選手だったこと、それが1時間29分台に加わって大きな驚きとなったのです。
マラソンがスタートして数十分すると、競歩を取材した中尾義理ライター(元神戸新聞)も長居に姿を見せました。坂本直子選手と中村友梨香選手を生んだ県西宮高出身である中尾ライターですが、例年は大阪まで来られませんでした。男子20kmWが別日程(5月)になったため、取材に要する時間が短くなったのでしょうか。
その中尾ライターですが、最近、堺市に引っ越したとのこと。阪急沿線の兵庫県宝塚市から南海沿線の堺市へ。寺田も一度くらい関西に住んでみたいと思っているので、最寄り駅やら間取りやら賃料を聞きました(CMの最中に)。大阪府でもかなり南の方の駅です。そういえば、南野弥生選手も4月で大学4年生。早いですね。
女子マラソンは原裕美子選手(京セラ)が2時間23分48秒で優勝。2位に2時間24分39秒の小崎まり選手(ノーリツ)、3位に2時間24分43秒の加納由理選手(資生堂)。4位の大越一恵選手(ダイハツ)が2時間31分04秒ですから、上位3人が抜け出た力を示しました。もしかしたら、3・4位のタイム差が過去最大かもしれません……と思って調べたら、そうでした。これまでは89年大会の3分11秒が最大でした。3・4位はけっこう接近していることが多かったですね。
優勝の原選手は、12月の全日本実業団対抗女子駅伝では3区で区間19位。33分56秒で今日の10km通過よりも遅かったのです。そこから立て直してきたのです。しかし、大森国男監督の話を聞くと、なるほどと納得できる部分がありました。具体的には、陸マガの記事でしょうか。できなければ、本サイトで紹介するかもしれません。
原選手のすごいと思えるのは、マラソンでは外さないこと。初マラソンで優勝し、世界選手権で6位入賞、そして今日の優勝。大森監督は“センス”だと言います。直前の試合で悪かったのに立て直せる点もそうですし、練習期間も名古屋やヘルシンキ前と比べると短いのに結果を出せる。センスとは、練習をレースに結びつける能力の高さ、だと思います。
そうして、日本選手間では無敗を続けている。過去の大物選手と似た軌跡を描いていると思います。
ところで、渕瀬選手のコーチは沢田監督(元添上高)。原選手は大森監督(元埼玉栄高)。ともに、インターハイ総合優勝を達成している指導者です。順大・越川先生(元成田高)も肩を並べています。続くのは、清田先生(埼玉栄高)でしょうか。
2位の小崎まり選手は、さらに準備が不十分だったようで、レース後の第一声が「完走できて良かった」です。2年前に世界選手権代表を決めたときは、レース前の練習は良くなくても、夏の練習はできていました。今回は、夏も良くなかったと言います。途中でふくらはぎの下部分に痛みも出たのですが、これまでとは違ったパターンだそうです。
それでも、この結果。小崎選手もセンスがあると言えそうですが、それよりも“人間力”と言った方がいいかもしれません。正直、記事にするのは難しい内容です。なにせ、本人が謙虚なこともあって、“威勢のいい話”がないのです。でも、そこをなんとか記事にするのが、我々の仕事です。
加納由理選手の記録は初マラソン日本歴代5位。
坂本直子 2.21.51. 03大阪3位
渋井陽子 2.23.11. 01大阪1位
小崎まり 2.23.30. 03大阪5位
原裕美子 2.24.19. 05名古屋1位
加納由理 2.24.43. 07大阪3位
野口みずき 2.25.35. 02名古屋1位
上記選手のうち最高年齢は小崎選手の27歳。加納選手は28歳と、初マラソン2時間25分未満の最高年齢記録を更新したわけです。
これは資生堂らしい記録ではないでしょうか。本人も「ちょうどいい時期」と言いますし、川越学監督も「トラックのスピードランナーがマラソンに移行するには、理想的な年齢」だと言います。冒険はせず、確実に初マラソンを走りきることが目標だったのですが、加納選手は今後、「確実に成長していきたい」と言います。次のレースが世界選手権となるか、北京五輪選考会となるのかわかりませんが、五輪選考会ならば、今度はトップ集団で勝負をするレースをすることが、確実な成長の具体的な中身です。
共同会見、大森国男監督のカコミ取材の後に、大会本部ホテルに移動。パーティーでちょっとだけ取材をさせてもらい、自分の泊まっているホテルに戻りました。共同会見の記事も書きたいのですが、明日の朝が早いので今日はここまで。
◆2007年1月29日(月)
6:30に起床して、すでに書いてあった原稿を2本、推敲し直して送信。
7:50にチェックアウト。今回のホテルは心斎橋のウィークリーマンションでした。室内に電子レンジもあるし、ビデオも貸してもらえるみたいです。洗濯機と乾燥機もフロント階にあります。8月の世界選手権期間中もここに泊まってもいいかな、と思って予約しようとしたら「予約は3カ月前からしかお受けできません」。
こういうときに個人でなく、大会社や公官庁が相手だと予約を受け付けるんですよね。事実、TBSや中国新聞はもう、ホテルを抑えてあると言っていました。アジア大会は陸マガ高橋次長の尽力でなんとかなりましたが、この手のことって個人事業主には多いのです。大きな組織だと信用するんですよね。まあ、仕方ないか。それもわかっていて独立したのです。
でも、代わりにネットで電子レンジ&洗濯機付きのホテルを梅田に発見しました。ここは予約もできました。ただ、ネットのできる部屋が少ないようで、その辺がどうかな、という感じ。一応、抑えました。
8:23に大会本部ホテルのホテルニューオータニ着。8:30から原裕美子選手の一夜明け会見が予定されていましたが、テレビ出演が長引いたため、15分くらい遅れて開始。原選手は疲れを見せず、丁寧に質問に答えてくれました。
レース展開や今後の方針だけでなく、投げ捨てても戻ってくるサングラスのエピソードなども披露してくれましたが、昨日同様周囲への感謝の言葉が数多く聞かれました。そういった気持ちを持つように指導もされているのでしょうが、原選手の場合、その理解が上っ面だけではないのが伝わってきます。
昨日のレース後の会見を記事にもしましたが、その中で、1カ月間昆明合宿に行かせてくれた会社に対しても、きちんと感謝の意を表しています。いくら中国とはいえ、1カ月も滞在したら費用は1人あたり何十万円とかかります。それに人数をかけたら何百万円となることもあるでしょう。長距離関係者・選手の何割かは、“出してもらって当然”という意識なのではないでしょうか。自分たちの価値は、そのくらいあるという自負も大事ですが、社会の尺度で言ったら、その金額を出すってことは大変なことです。
寺田も「昆明、行かないの?」「ボルダーに行ったことないの?」と言われることもありますが、個人事業主が海外取材の費用を捻出するのって、並大抵のことじゃありません。新聞社だって、自社ものの取材の時しか行けないのでは?
話を戻しましょう。原選手はそういった費用を会社が出してくれることのありがたさを、しっかりと認識しているのだと思います。だからこそ、合宿に行ったらいい加減な練習はできない。競技力にも結び付く認識だと思います。
一夜明け会見取材後、今週も関西で取材。関西って好きなんですよ、最近は特に。大阪があって、京都があって、神戸があって。それぞれに街の特徴がはっきりしています。昨日も書いたように、一度は住んでみたい地区です。その点関東は……。陸上競技は強いのですけど。
だから今回の出張では、鉄道プリペイドカードのスルッと関西(首都圏のパスネットみたいなもの)も購入。電車に乗る際にいちいち切符を買わずに済みます。金額が余っても、今年はいくらでも関西に来ます。
夕方には東京着。自宅に近い町田に移動して、パソコンを物色しました。明日がウィンドウズVistaとその搭載機種の発売なので、値が下がっているかな、と思って。今回の出張ではかなり、他の記者たちがどんな機種を使用しているか、意識して見ていました。それほど参考になったわけではありませんけど。こればかりは、自分のスタイル次第。
案の定というか、期待通り、1つ掘り出し物がありました。ソフマップで店頭に陳列してあった品物(売れないとアウトレットになるわけですね)が、かなり値引きされています。富士通のFMV-BIBLO MG70S/T。昨年4月頃発売のモデルですが、14.1インチ液晶(といっても12.1インチと同じ解像度)でDVDマルチ搭載。重さ2kgちょっとで、今のVAIOと同じくらい。アナログのテレビチューナーと録画機能も付いていてこの軽さと安さはすごい。
どうしていきなり録画機能にこだわったかというと、世界選手権の期間中、滞在先のホテルでビデオ録画をしようかな、と思って。ウィークリーマンションにビデオデッキを持ち込もうかと考えていましたが、パソコンでも目的は果たせると気づきました。
キーボードには少し不満がありますが、値段が10万9900円というのは安い。数年後にはアナログ放送がなくなるから売れないのでしょう。ハードディスクも100GBと十分。余分なソフトがいっぱい付いているので、容量を食っているかもしれませんが。
12.1インチの1.3kgの中古で、キータッチのフィットする機種を見つけてあり、それが7〜8万円で買えるはず。なんとか予算内で2台買えます。出張中の使用用途に合わせて使い分けるのがベストかな、という判断です。破損しているので持ち出しは厳しいのですが、作業部屋では14.1インチVAIOが使えます。
その富士通パソコンを18:30頃に店頭で見つけたのですが、詳しいカタログがなかったため、モスバーガーのHotSpotでネットに接続し、富士通のサイトで詳細を確認。20:30に購入を決断。その間に原稿も書きましたし、大阪国際女子マラソンの原稿の打ち合わせも。
店側がソフトの再インストールとクリーニングを行うため、今日は受け取れませんでした。明後日到着予定。別大マラソン出張前にソフトのインストールと、各種設定ができるといいのですが、ちょっと厳しそう。
◆2007年1月30日(火)
今日は、午前中は自宅でメールのチェックやら、週初めの仕事をいくつか。午後、ワークスペースに場所を移して、別大マラソンの出張準備。招待選手のマラソン歴をリストアップし、“ダブルあつし”の藤田敦史選手&佐藤敦之選手や西田隆維選手、渡辺共則選手の過去の記事をコピーしました。もちろん、家谷和男選手も。
その過程で間違いを1つ発見。別大マラソンのサイトには招待選手の主な戦績や記録が載っているのですが、家谷選手の最高記録が02年東京国際となっています。正しくは01年の東京国際。本人の抱負にも「約5年ぶりの国内マラソン」とありますが、1年勘違いをしているのかもしれません。02年にも国内のマラソンに出ている可能性もありますが。
その家谷選手が優勝すると忙しくなるのが、神戸新聞の記者の方。上岡宏次選手も西脇工高出身ですから、取材対象かと思われます。2人でワンツーをとったら、嬉しい悲鳴を上げることになるでしょう。
考えてみれば、大阪国際女子マラソンでも兵庫登録の小崎まり選手が2位、須磨学園高出身の加納由理選手が3位。同じ日の日本選手権女子20km競歩では、これも須磨学園高出身の渕瀬真寿美選手が日本記録で優勝と、さぞや大変だったかと思います。
大阪でもっと大変だったのが京都新聞。優勝した原裕美子が京都登録で、2位の小崎選手が宇治高(今の立命館宇治高)出身、3位の加納選手が立命大出身。2週間前に自社主催の全国都道府県対抗女子駅伝が終わったばかりですが、息つくヒマもないといった形容ができそうです。
それを言うなら、別大で忙しくなる地方紙候補の最右翼は、福島民報と福島民友。“ダブルあつし”の出身県です。今度ばかりは神戸新聞ではないでしょう……と書くと家谷選手からクレームがつくかもしれないので、神戸新聞かもしれませんと書いておきます。こうだと決めつけられると、当事者はいい気分ではありません。
ということで、昨日の日記の千葉と埼玉に関する記述も削りました。
夕食後に大阪国際女子マラソンの原稿に。90行原稿を1本書き上げ、250行原稿を175行まで進めました。明日は250行原稿を終わらせ、記録集計号を進めないとヤバイです。出ないかもしれません、と毎年書いていますが、集計号が出なかったことはありません。
◆2007年1月31日(水)
月末だからではありませんが、ラストスパート並みに頑張って仕事をしました。
といっても、昨晩布団に入ったのが6時と、もう朝でした。目の前に仕事があると、どうしても頑張ってしまいます。練習で頑張りすぎないようにしても、どうしても頑張ってしまう佐藤敦之選手の気持ち、わかります(毎日新聞記事)。そこが今回は改善されているということなので、期待したいと思います。
起床は11時。しかし、すぐに臨戦態勢に。といっても、原稿ではなくメール対応など雑用系が中心。15時まで、原稿は1行も進みません。14時に一昨日購入したノートパソコンが届きましたが、集中力を維持するために開封はしませんでした。大阪国際女子マラソンの250行原稿の続きに取りかかれたのは、昼食後で16時頃。18時には書き上げました。
18:30頃に毎日新聞九州の百留康隆記者(“九州陸上記者の雄”と言われています)に電話。前日の会見場所の確認と、別大マラソン・サイトの家谷和男選手の最高記録の間違いを伝えました。プログラムはすでに印刷されているので、正誤表で訂正するとのこと。
続いて記録集計号の作業。22時に巻頭部分の作業が一通り終わりました。
そのタイミングを見計らったように、電話が鳴りました。遅い時間の電話は、その時間が当たり前と思っているオバカ編集者はともかくとして、ちょっと身構えてしまいます。月末ですし(意味不明)。今日も相当にサプライズな内容の電話で、36分も話し込んでしまいました。携帯電話代を使わせてしまったな、という反省もしましたが、それよりも色々と考えさせられました。
それから夕食。夕食後に届いたパソコンをいじっていたら、知らないうちに2時間が過ぎてしまいました。これだから気をつけないと。
ところで、1月中に態度をはっきりさせると言っていた高橋尚子選手が月末の今日、名古屋出場を見送ると発表しました。そうなるとマスメディアの関心は、高橋選手が北京五輪代表選考レースのうちどのマラソンに出場するか、という点に移ります。
1980年代までは“誰がどの選考レースに出るか”という関心は低かったと思います。男子の福岡など、一発選考的に関係者間でとらえられていましたから。92年のバルセロナ五輪から前年の世界選手権が重視されるようになり、それに伴って選考レースが複数化。それ以降ですね、誰がどのマラソンに出るかをマスコミが話題にし始めたのは。
昨今はそれが過熱気味。世間の関心よりもメディアが先行しすぎている気がしますが、メディアの感覚は元々、世間よりも先を行く性質があるからやむを得ないところでしょうか。
ということで、水面下では各マラソン間で高橋選手の争奪戦がスタートしたということです。「東京は野口が出場を表明しているから対決を避けるのでは?」「シドニー五輪と同じ名古屋ではないか。中日新聞とはつながりもある」「本番までの期間を考えて大阪では?」という意見を聞きました。どの意見にも一理ありますが、どの意見も周囲が勝手に“計算しすぎている”という印象を受けました。
これは、高橋選手自身が決めること。彼女の判断を見守るだけですね。
と書くと、オマエは何も意見がないのか、と言われそうですが、陸上記者としての意見はありません。意見というか、予測はしたくない。ただ、陸上ファンとしての希望はあります。
東京に出て、野口みずき選手と対決してほしい。
国内の選考会で、前々回と前回の金メダリストが対決する機会って、めったに見られないケースだと思います。それに、仮に2人とも北京五輪に出場したとしても、オリンピックではどうしても対外国人という部分に興味が行ってしまいがち。2人のガチンコ対決が見られるのは、国内の選考会が最後になる可能性が高いのです。
五輪代表もそこで勝てば確定するわけですし、仮に負けても善戦すれば印象は良いはず。1大会から2人が選ばれる可能性はあります。
あっ、理屈をつけてはいけませんね。理屈抜きで2人の対決を見たい。それだけです。有力選手が対決を避けることに慣らされた最近のファンや記者には理解できないかもしれませんが、瀬古vs.中山のガチンコ対決を見逃したマラソン・ファンなら、この気持ちをわかってもらえるのでは?
◆2007年2月1日(木)
2月です。28日しかないのに給料は同じ。サラリーマン諸氏にとっては最もコストパフォーマンスのいい月ですが、自営業者には関係ありません。
明日から3泊で大分に出張するので、今日はもう必死です。原稿と、記録集計号の版下と、新ノート・パソコン(富士通のFMV-BIBLO MG70S/T)の設定と。
できれば新PCで出張に行きたかったので、ソフトのインストールやネット接続の設定、メールアドレスや入力辞書の引っ越しなどを頑張りました。従来のパソコンと同じ作業はだいたいできるようにしたのですが、PHSの接続や、ちょっとしたお役立ちソフトのいくつかのインストール、新機能のテレビ視聴と録画の方まで手が回りません。何より、画面の輝度を少し抑えたいのですが、その設定方法がわからずじまい。大きな会社には、パソコンのセッティングを専門の部署がやってくれるところもあるようです。楽でいいなぁ、と思いますが、自分なりの味付けができませんから、それも面白くないかな、という気もします。
大分出張は従来機(VAIOの14.1インチ)で行くことにしました。液晶のフレームが折れていますが、専用のバッグに入れていけば大丈夫でしょう。それよりも、大分で富士通の青柳マネに見せびらかすことを楽しみにしていたので、そちらが残念です。土江寛裕選手が富士通社員のうちにも見せたかったのですが、買うことができただけでもヨシとしましょう。
パソコンの設定を深夜までやっていたところで、月末恒例の請求書書きをしていないことに気づきました。月が変わってしまっては本当はいけないのですが、やらないことには仕方ありません。4通ですが1時間半くらいは時間がかかります。請求書を書くなんてことも、多くのサラリーマンが経験できないでしょう。したからといって、何かが成長するというものでもありませんけど。
◆2007年2月2日(金)
朝の10:30には仕事に復帰。陸マガ高橋○○○に、アジア大会の事後処理について電話で相談。
大分出張用の資料は用意してあったのですが、その他の取材道具や衣類のパッキングは手つかず状態だったので、かなり急いで出張支度をし、12:15に作業部屋を出発。大阪国際女子マラソンの原稿が2本残ってしまいましたし、東京マラソンの展望原稿も1本、大分で書かないといけません。大阪のビデオはDVDに保存してあるので、レース経過を出張先で見直すこともできます。便利になっているのでしょうけど……。
13:45羽田発のJALで大分に。機内では藤田敦史選手の資料に目を通しました。大分空港ではエスビー食品・武井隆次監督とお会いしました。今回の別大で注目されている佐藤敦之選手が学生記録を出し、その佐藤選手に早大の先輩である武井監督が勝ったのが、2000年のびわ湖です。昨日のことのようですが、7年も前のことなんですね。その7年の間、自分は全く変わっていないように感じますが、2人はものすごく変わったのでしょう。それが、スポーツ選手の特性です。
空港からはバスで大分市内に移動。ホーバーよりも安いのです。時間はホーバーの30分に対して1時間10分と、倍以上かかりますが。車内では佐藤敦之選手の資料に目を通しました。藤田選手も佐藤選手も、今回の事前報道では“変貌ぶり”が話題になっていますが、以前の記事を読むと“いきなり変わった”のではないことがわかります。その辺は機会を改めて紹介できるかも。
バスは別府市を経由して、マラソンコースと同じ別大国道を通って大分市に向かいます。途中、バスが海側にかなり傾いた地点があったので「もしや」と思いました。今年になってからだと思いますが、どこかの取材で「別大のコースがバンクのように傾斜している」という話を耳にしていたのです。道路の両端がちょっと傾いているのでなく、本当に競輪のバンクのように、道路全体に大きく傾斜がついているのです。これは走りづらいでしょう。
大分駅に着いたのが17時近く。遅めの昼食を軽めにとってから、大会本部ホテルの大分東洋ホテルに。マラソンの本部はかなりの高級ホテルと決まっていますが、今回はその東洋ホテルに泊まります。海外のグランプリなどでは、やむを得ず本部ホテルに泊まることもありますが、国内では初めて。タネを明かせば、ツアーの指定ホテルになっていたのです。飛行機代と宿泊がセットになった割安のあれです。
フロントに行くと、佐藤敦之選手が宅急便らしき荷物を受け取っていました。顔色や肌の張りを見て、「2時間7分台で走りそうだ」などと予想を言ったりはしません。が、走ってほしいとは思います。
振り返ると、ソファーには九州陸上競技記者の雄、毎日新聞・百留記者の姿も。カギを受け取った後に挨拶と打ち合わせ。そうこうしていると、ある大物選手がフロントに。「大分って美人が多いよね」と話を振ると、にっこりと笑って肯きます。百留記者によると、昨秋の全日本実業団が大分開催でしたが、そのときに別大出場を決めたらしいです。話の流れからすると綺麗な女性が多いから、ということになるのですが、まあ、半分冗談なのでしょう。
部屋はツインでこんなに豪華。いいのかな、こんなに安く泊まって、というのが貧乏人の感想ですが、たまにはいいでしょう。大阪、名古屋、東京では格安ツアーに本部ホテルが指定されていることはないですから。
部屋で1時間ほど原稿の見直し作業。ネットを見ると、18:40まで一緒にいた百留記者の原稿が、19:17にはアップされていました。さすがです。20:30に同記者と合流して食事に(和食系)。九州の視点での話も多く聞くことができ、面白い時間を過ごせました。
◆2007年2月3日(土)
別大マラソン前日取材。
大会本部ホテルに泊まれたからできる企画、ということで、この記事を頑張ってみました。レース前日の様子を朝から、ドキュメント風に紹介しようという意図です。が、ロビーやホテル内の大会関係の場所に行くと、選手や関係者がたくさんいて部屋に戻れなくなってしまった、というのが本当のところです。
1つだけ断らせてもらうと、会見時以外は選手にはそれほど話しかけてはいません。挨拶代わりの立ち話程度。時間にしたら2〜3分。ホテル内は選手への取材は禁止なのです……と思ったら、別大は特に禁止していないようです。まあ、その辺は常識の範囲内で、ということで。
そういえば1点、書き忘れていました。公式サイトにある家谷和男選手のデータで、自己ベストが02年の東京国際マラソンというのは間違いですが(正しくは01年東京)、「約5年ぶりの国内マラソン」というのは正しいことが判明。01年12月の福岡国際マラソンで途中棄権をしていたのです。
21時くらいまでロビーで前日記事の執筆。自室で書くよりも能率が上がります。その後、近くのファミレスに場所を移して食事と原稿書き。やっと大阪国際女子マラソンの原稿が終わりました。
◆2007年2月4日(日)
今回のホテルは全部で3泊するのですが、2泊がJALツアーで、1泊が近畿日本ツーリスト経由の予約。朝食が2日分なので、昨日は部屋でコンビニ食料の朝食。今朝はホテルの朝食会場。年輩の関係者も多く、ちょっと緊張します。若手の富士通・青柳マネの顔を見ると少し安心できたので、「敏腕マネージャー」と呼びかけて挨拶しました。
朝食後に、昨晩書き上げた大阪国際女子マラソンの原稿を推敲して送信。時間が経って読み直すと、かなり修正点が生じます。
競技場には10:45に着。別大マラソンは6年ぶりの取材です。スタート前は有力選手の指導者たちと接触し、情報を入手するのがマラソン取材の慣習となっています。
大分の競技場は最近の大スタジアムではないので、取材をしやすいですね。何度も書きますが、びわ湖マラソンの皇子山、福岡国際マラソンの平和台など、一昔前に造られた競技場が好きです。先週の大阪国際女子マラソンと比べても、取材をしていて“落ち着き”がある。大きなスタジアムでは、選手や指導者がどこにいるかわからない状態になる危険があるので、どうしても緊張してしまいます。大分と皇子山がいいですね。
レース結果はご存じの通り。風のあるマラソンのペースメイクは難しいな、というのが全体的な感想です。トップ集団は5km毎が15分10秒の設定でしたが、走り出したら、別府に向かう前半は思ったよりも追い風が強かったわけです。結果的に、そこはもう少し速くても良かった、ということになります。藤田敦史選手は記録は無理、と腹をくくったと言います。佐藤敦之選手もその点は同じでしたが、位置取りや動きのタイプの違いで、脚が詰まったところもあったようです。
ペースメーカーもケニア選手でなく、今回の第2・第3集団のように日本選手でもいいのではないか、という気がしました……が、30kmまで1時間31分で引っ張るとなると、日本選手では難しいですね。やっぱり、アフリカ選手にならざるを得ないか。でも、20kmまでなら、行ける選手も多い気がします。
レース後はまず4位の原選手を取材。1・2位のダブルあつしは、後で会見がセッティングされています。次に西田隆維選手にちょっと話を聞き、そろそろ時間かな、と思って会見場所に。ドーピング検査などもあり手間取りましたが、その間に移動車解説だった川嶋伸次監督の話を聞けたりもしました。藤田選手の会見が始まる際、毎日新聞事業部の千々石氏(元九州地区陸上競技担当)が声を掛けてくれました。これも、こぢんまりした競技場だからできること。
ダブルあつしの会見時間も多く取ってくれました。この辺はぜひ、他のマラソンを真似ることなく続けて欲しい部分。もちろん選手のコンディション優先ですが、他の大会を見ていると結局、主催者の行事優先なんですよね。少しでも大きく報道されて、その大会が盛り上がる方が大事だと思うのですけど。
会見後、廊下を通る際にグラウンドにいる中国電力グループが見えました。こういうときも、パッと外に行けます。坂口泰監督のコメントも取材できましたし、引退レースの内冨恭則選手にも話を聞くことができました。息子さんとのツーショット(これは陸マガに掲載予定)、中国電力の成長期をともに牽引した五十嵐範暁選手とのツーショットも撮影できたりしました。五十嵐選手は昨年12月の防府マラソンで、一足先に引退しています。念のために書きますが、写真の視線が下を向いているのは意図的なものです。
最後には、えなりかずきに似ている同士、尾崎輝人選手とTBS土井アナのツーショットも撮れました。それもこれも全て、競技場のおかげです。この日尾崎選手は第2集団のペースメーカーとしてきっちり仕事をしました。土井アナの仕事は……山縣苑子さんに聞いてみましょう。
17時には東洋ホテルに戻って表彰式。続いてフェアウェル・パーティー。藤田選手の優勝には、富士通スタッフの貢献も大きかったわけです。そこで思い出したのが、日本選手権の醍醐直幸選手の優勝を見て流れる涙を拭いていた青柳マネジャー(本人は否定)。彼の名前が青柳剛だということも思い出し、敏腕マネではなく“剛腕マネジャー”と命名し直しました。朝令暮改の典型ですね。
パーティー会場では藤田選手と西田隆維選手の駒大OBコンビの撮影に成功。2人とはしばらく一緒にいたのですが、「そういえば2人とも別大の優勝者だ」と最後に気づいて(遅過ぎたと反省)ツーショットを撮ろうということになったのですが、“先輩、おみそれしました”ポーズをリクエストしたら、この絵柄になったのです。
ちなみに、今回の別大は内冨選手だけでなく、岩原正樹選手、北田初男選手もラストラン。揖斐コーチも大分に来ているとかで、駒大グループは北田選手のお疲れさま会に行ったようです。
寺田は自室に戻って今日の原稿を……と思いましたが、先に某テレビ雑誌用に東京マラソン2007の記事を執筆。テレビ雑誌にしては60行と長めの原稿で、そのための取材も昨日していたのです。本サイトの別大原稿は、陸マガ用と振り分けが難しいので、先に陸マガ用に書いてから執筆する予定です。
◆2007年2月5日(月)
14時台のJAL便で大分から東京に戻りました。
今日は大阪国際女子マラソンのときのように、一夜明け会見などの翌朝取材はなし。この一夜明け会見がセッティングされるかどうかは、レースの結果によりますが、こうだったら行われる、という明確な基準はありません。強いて言えば、各社から要望があるかどうか、ですね。
大阪だったら原裕美子選手が世界選手権代表に内定しました。福岡は行っていませんが、奥谷亘選手が代表に内定したので、3位でもやったのではないかと思われます。東京の土佐礼子選手はどうなったのでしょう?
いずれにせよ、日本のマラソンは主催者に新聞社が名を連ねています。主催紙の記者は一夜明け会見がなくても顔を出すのが慣例。少し話を聞いて、ホテルから出発するまでを見送る。今回のように公式の会見がなくても、そこに加わって話を聞く手もあります。けど、今回は別の原稿を優先しました。別大の原稿ではなくて…。
朝の10時に内冨恭則選手にTEL。昨日寺田が撮った内冨選手と、娘さんの写真を陸マガが掲載するということになったので名前を確認するのが目的でしたが……娘さんではなくて息子さんでした。失礼しました。内冨選手も目のぱっちりしたきれいな顔だちですから。と、書いても失礼じゃないですよね。
佐藤敦之選手がこれまでのマラソンと比べ、レース後が元気だと内冨選手は話していました。いずれ、会見の様子を記事にしますが、佐藤選手自身もこれまでとは違った感触を得た様子。それが、今回の収穫だったと。
帰りも大分駅からバスで空港に。往復でバスを使用すると、ホーバーと比べて3000円違います。フライトを昼にして早朝便のプラス料金もないと、5000円くらいは違ってくる。1泊分くらいはそれで捻出できる計算になります。
2日の日記の訂正を1つ。別大国道の傾斜が大きいと書きましたが、寺田がそう感じたのは折り返し点の国際観光港よりも空港側、つまりマラソンのコースよりも北側でした。マラソン・コースも確かに傾斜はあるのですが、バスが大きく傾くほどではありませんでした。お詫びをして訂正させていただきます。
◆2007年2月6日(火)
別大マラソンの原稿を書き終えました。
明日からはちょっとゆったり、でも、記録集計号の作業を頑張るぞモードになります。というか、そろそろ巻きを入れないとやばい。
陸上界の話題的には東京マラソン2007でしょうか。寺田の作業部屋は都庁のすぐ近く。都庁西側のスタート地点、新宿中央公園までは5分もかかりません。その新宿中央公園がきれいになったように思います。花時計(花壇のなかの大きな時計)ができたり、色つきの柱が何本か立ったり。
同大会のサイトを見ると、宿泊施設の紹介もしています。東京のホテルって、けっこう高いですね。話には聞いていましたが、実感がありませんでした。1泊7000円なら、寺田の作業部屋に泊まってもいい人って、いるでしょうか。ネットもできるし、スタート30分前まで暖かくしていられるし。もちろん、知り合い限定で。
◆2007年2月7日(水)
ずいぶん放置状態だった●スケジュール&関連リンクをアップしました。けっこう気にしていたし、ファイルも作成してはあったんですが、アップする段階で忘れてしまっていて。覚えているんだけど、ついつい行動できないことって、結構ありますよね。と、同意を求めて罪が軽くなるものでもありませんけど。
アップしたらさっそく、お叱りのメールが来ました。
今週の大会に、姫路ロードレース大会が書かれていませんね。
早稲田大学の竹澤選手、SUBARUの奥谷選手をはじめとした有力選手たちが参加する大会とのことで、非常に楽しみにしています。
ぜひこちらの情報も、お忘れなきようお願いいたします。
叱責というほどではありませんね。このくらいのトーンの指摘は大歓迎です。神戸新聞にも展望記事が出ました。大森輝和選手(四国電力)と竹澤健介選手(早大・報徳学園高OB)の対決は、2人ともベストコンディションではないとわかっていても、かなり興味があります。全国都道府県対抗男子駅伝3区でも対決していますが、それは“駅伝の走り”ということで。奥谷亘選手(SUBARU・西脇工高OB)も“名前で”頑張ってほしいところですが、この距離なら“森竹対決”に絡むのは大坪隆誠選手(大阪府警・三木北高OB)でしょうか。
そういえば大分出張中に、大坪選手と尾池選手(大塚製薬)が3月下旬の同じ日に結婚式を挙げると耳にしました。2人とも山梨学大OB。尾池選手のお相手は元1500m日本記録保持者の田村育子さん。親友の野口みずき選手(シスメックス)も喜んでいるでしょう。大坪選手のお相手も、もうすぐわかると思われます。できれば寺田のサイトで発表したいのですが…。
しかし、この件でわかったのは寺田は神戸新聞の回し者ではないということです。姫路城ロードの主催者に神戸新聞が入っているのかどうか知りませんが、兵庫県の大会を忘れていたわけですから。
“回し者”と思われるのは、このサイトで神戸新聞関連の話題を多く取り上げているからですが、それは神戸新聞自体を書いているのでなく、大会や選手など、陸上競技に触れたときに自然と神戸新聞の話に展開していくだけ。それだけ、兵庫県(出身)の選手が頑張っていて、寺田の取材活動のなかで話題になっているということです。陸マガの編集者時代に、力武さん、乾さん、大原記者、中尾記者と歴代の陸上競技担当と一緒に仕事をしたことも大きいですね。
その中尾記者は今はフリーとなって、陸マガなどに記事を書いていますが、兵庫から大阪に引っ越しました。
ここが最新です
◆2007年2月11日(日)
昭和の森で千葉国際クロスカントリーの取材。
会場に着いて受け付けを済ませると、須磨学園高の長谷川重夫先生とばったり。こちらから「どうですか?」と質問する前に、長谷川先生から「棄権させてもらうことにしました」と、小林祐梨子選手の欠場を教えてもらいました。
脚に張りがあることと、今の動きがクロカンに不向きで故障の危険があるという理由でした。トラックシーズンが長引いたことで、つま先から接地する動きの名残が大きく、上りを走るとつま先から突っ込む感じがある。下りや丸太越えはもっと不安があるといいます。「足首に不安がなければ対応できるのですが」と長谷川先生。
残念ですが仕方ありません。というか、出場試合数の多さは関係者の多くが懸念していたこと。いい休養ととらえていいのでは?
小林選手といえば一部に、大学入学後の4〜5月に海外遠征を行うという報道がありましたが、関西の某陸上担当記者に確認すると、これは記者たちとの会話で行き違いがあったようです。進学後も練習拠点は須磨学園と変わらなくても、生活環境が大きく変わります。そういう時期に本当に行くのかな、ヨーロッパのGPは始まっていない時期だし……と思って長谷川先生に確認すると、積極的に海外に行く希望を持っていると話したのは事実でも、その時期に行うという具体的なプランはないそうです。
プレス用のテントに行くと、欠場者リストが出ていました。注目していた三津谷祐選手の名前もあって、こちらもちょっと残念。しかし、故障から復帰する際に陥りがちなのが無理をすること。焦る必要はありません。
小林選手とともに注目していた高校生が、全国高校駅伝1区区間賞の絹川愛選手。ジュニアではなくシニアの部に出場予定でしたが彼女も欠場。仙台育英の渡辺高夫先生によればノロ・ウィルスへの感染が原因だそうです。これも、どうしようもありません。福岡には間に合いそうだということです。
仙台育英といえば、OBの佐藤秀和選手が単身、ケニアに留学したという記事が今月に入って出ました。しかし今日、順大関係者に確認すると、留学ではなく合宿なのだそうです。1月末に出発して、3月頭の福岡国際クロスカントリーには帰国するスケジュール。記事には中退を決意した、という表現がありましたが、その後のことを最終的に決めるのは、そのときに順大サイドと話し合いをしてからだそうです。
注目選手の欠場はありましたが、最初の世界クロカン選考種目であるジュニア男子8000mは、インターハイの日本人上位8選手が全員出場するということで、注目していました。というか、最初から一番の注目種目でした。レース終盤は八木勇樹選手、野口拓也選手、中西拓郎選手の争いに。みんな元日本記録保持者だな、と思ってレースを見ていました。女子走高跳の八木たまみ選手、男子砲丸投の野口安忠選手、男子三段跳の中西正美選手……の3人の名前が思い浮かびました。野口みずき選手が現日本記録保持者ですけど。
優勝は八木勇樹選手でインターハイ、国体に続いて日本人トップ。インターハイに続いて野口拓也選手が2位。この種目は記事にする予定です。
レース後の会見で八木選手が「1週間前の兵庫県の駅伝でも、ラスト勝負で実業団選手に勝って…」と話してくれました。兵庫県郡市区対抗駅伝だとすぐにわかりましたが、誰に勝ったのか、と突っ込みたいところです。しかし、大原記者が掲載紙を送ってくれたので、それを読めばわかるはず。それ以上は突っ込みませんでした。
後で確認すると八木選手が勝ったのは、姫路市の渡辺選手と宝塚市の豊田選手たち。山陽特殊製鋼の渡辺和也選手と神奈川大の豊田崇選手でしょうか。
ジュニア女子の優勝は松村厚子選手。全国高校駅伝4位の群馬県・常磐高の選手ですが、取材する側にとってはニューフェイス的な存在。同じ名字の日清食品の松村拓希選手も北関東の出身。そう思うと顔立ちもどことなく似ています。「親戚ですか?」と確認したら、違いました。
それはともかく、びっくりしたのは1年生だという点。常磐は3年生の萩原彩香選手がエースのはず(国体少年共通3000m3位)。松村選手は駅伝では3区で区間4位、3000mのベストは9分46秒だと言います。それがベスト記録の選手が勝てるわけがない、と突っ込んで質問した結果、練習は萩原選手たちと同じ設定タイムでこなせているといいます。
しかし、他にも何か、今回の好結果の兆候はあったのではないか。と、情報網を駆使して調べると、松村選手は群馬県県新人駅伝で、あの田村久美選手の区間記録を破ったことが判明しました。田村選手とは、第2回の女子全国高校駅伝で優勝した群馬女短大附高の選手です。
シニアでは上野裕一郎選手と脇田茜選手が日本人トップ。取材をすると、2人とも面白い話があります。記事にできるといいのですが。
最後のシニア4000mの後は、ケネス記者と一緒に優勝したマサシ選手を取材。ケネス記者との英語のやりとりを横で聞いていただけですが、理解度は6〜7割。ここでもビックリしたのは、マサシ選手を千葉県在住の友人たち(男女6〜7人)が待っていたこと。いつ、知り合ったのだろう? 国際千葉駅伝もあるから、機会があったのでしょう。
レース直後の取材を終えて歩いていると、記録掲示板の前に仲村明順大監督が来ていました。振り向くと小出義雄監督の姿もあります。これはシャッターチャンス。プレスルームにカメラを取りにダッシュしました。ご存じの通り、仲村監督は市船橋高で小出監督の教え子です。小出監督が全国高校駅伝と全日本実業団対抗女子駅伝、仲村監督が箱根駅伝の優勝監督ということに。なんとか間に合って、この写真を撮ることができました。
これで河合美香さんがいたら、市船橋高初期を知る長距離ファンにとってはたまらない絵柄になったのですが…。小出監督の指導者人生の本当の出発点は、長生高(三井住友海上の鈴木秀夫監督が当時の教え子)や佐倉高(倉橋選手)になるのですが、その頃のことはさすがにピンと来ません。
昭和の森の取材の締めくくりは、この3人。早狩実紀選手、嶋原清子選手、そして加納由理選手。説明は要りませんよね。このトリオが並んで歩いて来たところは、今日一番迫力があったシーンです。取材といっても、話を聞いたわけではなく、引き揚げるシーンを写真に撮らせてもらっただけですが。“昭和トリオ”と命名して早狩選手に写真を送りました。ブログで掲載してくれるかも。
昔の日記
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月