続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
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◆2007年1月26日(金)
 今日は大阪で大阪国際女子マラソンの記者会見を取材。しかし、この日記を書いているのは東京です。つまり、その日のうちに新幹線で東京・大阪間を往復しました。明後日はまたレースの取材で大阪に行かないといけないのに、なんでこんな事態になったのか。順を追って書いた方がよさそうですね。

 今朝は8時に起床。9:46東京発ののぞみで新大阪に。昨晩、そこそこ頑張ったので、車内では原稿書きではなく、大阪国際女子マラソンの予習に充てられました。東京にいるうちに読む時間まではありませんが、資料はそれなりにコピーをして持っているのです。
 ホテルニューオータニには12:55着。昨年までは長らく千里阪急ホテルが大会本部ホテルでしたが、今年はニューオータニに。長居競技場からの距離を考えると、千里阪急はちょっと遠かったですからね。レース後にシャトルバスに乗って移動すると、50分くらいかかったと思います。
 しかし、取材のしやすさという点では、千里阪急ホテルは最高でした。会見など、公式に認められた時間と場所でしか選手に取材をすることはありませんが、関係者と接触しやすいホテルだったと思います。動線がわかりやすいし(これが最悪だったのが、東京国際マラソンが2年に一度使っていた新宿の京王プラザホテル。出入り口が多すぎます)、記者たちが原稿を書けるポジションも多かったのです。展望記事の量や質は、ホテルでの取材のしやすさに左右されると思います。
 その点、ニューオータニはどうなのか。その辺をチェックする意味もあって、12:55と少し早めに行きました。正直に言うと、関係者の動線ははっきりしていますが、記者が原稿を書く場所がありません。まあ、もう少し取材を重ねていけば、上手くできるようになるかもしれません。京王プラザのようなことはないでしょう。

 記者会見は、渋井陽子選手のキャラが際だった会見でした。質問に真正面から答えないこともあるし(レース前の会見ではそれもありです)、それでいながら、5kmの入りを16分40秒で行くと話したりします。具体的なタイムを言ったのは渋井選手だけだったと思います。会見の詳しい様子は、時間があったら記事にします。
 会見後は三井住友海上の鈴木監督を取材。40km走をやらなくなった理由を中心に、色々と話してもらうことができました。続いてノーリツの上岡監督にも少し。その後は何人かの記者たちで雑談。

 メイン・パソコンが破損してから、2000年に購入したB5サイズパソコンを持ち歩いていますが、バッテリーの持ちがあまりよくありません。前述したようにコンセントを使ってパソコンに入力できる場所がありません。仕方がないので、心斎橋のホテルに移動。ホテル近辺で何人かの関係者にお会いしたこともあり、心斎橋のホテルに着いたのが18:10。急いで送らないといけない原稿が2本あったので、さっそくLANケーブルに接続してブラウザを立ち上げると、「ジャーン、ジャーン」と、失敗操作をしたときの音が繰り返されます。
 どうもおかしいと電源を切って入れ直すと、Windowsが立ち上がる途中で電源が切れて、再起動します。立ち上がるかな、と思うとまた再起動。それが自動的に、延々と繰り返されるのです。起動中にF8キーを押してセーフモードで立ち上げることはでき、原稿など作成ファイルが見られることを確認できたのはいいのですが、原因や修正方はまったくわかりません。時間は18:40に。

 パソコンが使えなかったら、当たり前ですが仕事にならない。東京に戻るのは月曜日の夕方です。それまでの3日間、パソコン無しでしのげるか考えましたが、それは無理と判断。だったら、大阪で修理をするか、東京まで別のパソコンを取りに往復するしかない。
 まずは、大阪の記者に修理ができそうな店がないかを確認。自分でもいくつか心当たりを調べ、天王寺のソフマップのクリニックが20時まで受け付けていることを突き止めました。19:10にホテルを出て、御堂筋線で天王寺に。ステーションビル5階にソフマップがあったので楽でした。19:30には受け付けてもらいました。
 しかし、パソコンのプロが見ても、原因はシステムにあるとしかわかりません。ソフマップの店員がUSBメモリーからウィルスチェックをやった結果、ウィルスはありません。しかし、一瞬DOSのコマンドが出るのですが、firewallがどうこうという表示が出るので、おそらくネットワーク関係からシステムが破損したと推測できます。OSの再インストールか、ハードディスク自体を一度フォーマットしてOSからアプリケーションまで入れ直すか。CDドライブもリカバリCDも持っていません。もちろんCDドライブも。
 修理はあきらめ、東京に予備のパソコン(破損したメインパソコン)を取りに行くしか選択肢はなくなりました。

 荷物はそこそこ持ってソフマップに行ったので、心斎橋のホテルには立ち寄らずに東京に帰れます。20:30には新大阪駅に。20:53ののぞみに乗りました。東京・大阪間往復の2万8000円、余分な出費を強いられました。このサイトの記事も書けません。誰が悪いわけではないので、怒りをぶつけることもできないのです。
 気持ちの整理ができないかな、と思ったのですが、いざ、何もできない状況になるとあきらめがつくものですね。新幹線車内では、文庫本を読んでいました。無理やり作られた閑な状況ですが、そうなった以上、その状況を味わうしかできることはありません。イライラするはずが、どこか嬉しかった。ちょっと不思議な時間でしたね。


◆2007年1月27日(土)
 今日は東京で仕事。元々、金曜日に記者会見が行われた場合、土曜日に現地にいる必要は必ずしもないのです(なんらかの情報を仕入れられるので、大会本部ホテルには行きますし、そこで貴重な情報を得られることも多々あるのですが)。新聞的には金曜日に会見ネタ、土曜日に前日の直前ネタと2日間展開できるので、盛り上げるには適したやり方です。冬の国内選考会男女6大会中、4大会が金曜日会見のシステムをとっていますね。ただ、個人事業主にとっては1泊分経費がかかりますので、なんともいえないところ。
 まあ、その分、ゆとりができますし、今回のようにパソコンが壊れても、予備を取りに帰ることも可能になるわけです。

 今日は東京で仕事。せっかく東京に戻ってきたので、東京でしかできないこともやっておこうと、記録集計号の作業を進めました(2時間くらい)。昨日は日記しか書けなかったので、このサイトの作業も。昼食後は、昨日の会見の記事を書いてアップ。
 これも東京でやる仕事の1つですが、中国電力の本「中国電力陸上部は,なぜ強くなったのか」を注文……しようとしましたが、取り寄せるのに最低10日間はかかると言われました。それでは、別大マラソンに間に合いません。これは、出版社や中国電力が悪いわけではなく、出版の流通システムの問題。通販の本棚だって、もっと早く届きます。書籍のような形態の品物が10日間もかかるって、業界の怠慢のような気がします。やる気とアイデアのある組織が参入したら、既存のシステムは壊せるんじゃないでしょうか。

 東京駅を19時台発の新幹線で大阪に。車内では、人物もの50行の原稿を仕上げました。
 22:10に大阪在住の友人と待ち合わせて食事。その友人は、以前は陸マガの仕事を手伝ってもらったこともある陸上通ですが、全国都道府県駅伝や高校駅伝のタスキ中継で気になることがある、と言います。毎年必ず、前走者が走り込んでくる直前に、受け手が中継場所に慌てて出てくるシーンがテレビに映る。あれは防げることではないか、と。
 寺田は特に問題だと思ったことはありませんでした。問題があるなら、現場からそういった声が挙がっているはず。でも、確かに見ていてハラハラするシーンです。
 前走者が来る時間はほぼ決まっているわけですから、待つ方は早めに中継所に出ていればいいだけのこと、と素人的には思えるのですが、スペースの問題でそれができないのでしょう。運営現場も好きで慌てさせているわけではないはずですから、技術的に難しいのだと思われます。以前は5秒、10秒とロスをしてしまうケースもありましたが、最近はそこまで大きな遅れが生じるようなことはなくなっていますから、工夫はしているのだと思います。

 もう1つ話題になったのは、“おかしな記録”があるのではないか、という話。この話は書くと長くなるので、機会を見て小出しにしていきます。


◆2007年1月28日(日)
 大阪国際女子マラソン取材。10:35には長居陸上競技場着。早めに到着したつもりが、席がない。席がないというのは、プレスルームのテーブル全てに会社名の名札が貼ってあるから。大手の新聞社・通信社・テレビの名前がズラリと並んでいるのですが、寺田のようなフリーランスはもちろん、専門誌や地方紙まで無視されています。同じ大阪開催でも、寺田などフリーランスの席も用意してくれている国際グランプリ大阪とは大違い。というか、大阪国際女子マラソンを取材するようになって10数年ですが、こんなことは初めてです。
 クリールの曽輪ライターと一緒に大阪陸協に抗議に行くと、すぐに対処してくれました。いくつかのテーブルをフリースペースとしてくれたのです。この迅速な対応には助かりました。物腰も丁寧で好感が持てましたし。さすが、大阪陸協。

 スタート前の話題は日本選手権女子20km競歩。渕瀬選手がやりました。日本人初の1時間29分台。記録もインパクトがありますが、昨年の山崎勇喜選手の50kmWの例もありますから、驚天動地というほどではありません。川崎真裕美選手でも坂倉良子選手でもなく、渕瀬選手だったこと、それが1時間29分台に加わって大きな驚きとなったのです。
 マラソンがスタートして数十分すると、競歩を取材した中尾義理ライター(元神戸新聞)も長居に姿を見せました。坂本直子選手と中村友梨香選手を生んだ県西宮高出身である中尾ライターですが、例年は大阪まで来られませんでした。男子20kmWが別日程(5月)になったため、取材に要する時間が短くなったのでしょうか。
 その中尾ライターですが、最近、堺市に引っ越したとのこと。阪急沿線の兵庫県宝塚市から南海沿線の堺市へ。寺田も一度くらい関西に住んでみたいと思っているので、最寄り駅やら間取りやら賃料を聞きました(CMの最中に)。大阪府でもかなり南の方の駅です。そういえば、南野弥生選手も4月で大学4年生。早いですね。

 女子マラソンは原裕美子選手(京セラ)が2時間23分48秒で優勝。2位に2時間24分39秒の小崎まり選手(ノーリツ)、3位に2時間24分43秒の加納由理選手(資生堂)。4位の大越一恵選手(ダイハツ)が2時間31分04秒ですから、上位3人が抜け出た力を示しました。もしかしたら、3・4位のタイム差が過去最大かもしれません……と思って調べたら、そうでした。これまでは89年大会の3分11秒が最大でした。3・4位はけっこう接近していることが多かったですね。
 優勝の原選手は、12月の全日本実業団対抗女子駅伝では3区で区間19位。33分56秒で今日の10km通過よりも遅かったのです。そこから立て直してきたのです。しかし、大森国男監督の話を聞くと、なるほどと納得できる部分がありました。具体的には、陸マガの記事でしょうか。できなければ、本サイトで紹介するかもしれません。
 原選手のすごいと思えるのは、マラソンでは外さないこと。初マラソンで優勝し、世界選手権で6位入賞、そして今日の優勝。大森監督は“センス”だと言います。直前の試合で悪かったのに立て直せる点もそうですし、練習期間も名古屋やヘルシンキ前と比べると短いのに結果を出せる。センスとは、練習をレースに結びつける能力の高さ、だと思います。
 そうして、日本選手間では無敗を続けている。過去の大物選手と似た軌跡を描いていると思います。
 ところで、渕瀬選手のコーチは沢田監督(元添上高)。原選手は大森監督(元埼玉栄高)。ともに、インターハイ総合優勝を達成している指導者です。順大・越川先生(元成田高)も肩を並べています。続くのは、清田先生(埼玉栄高)でしょうか。

 2位の小崎まり選手は、さらに準備が不十分だったようで、レース後の第一声が「完走できて良かった」です。2年前に世界選手権代表を決めたときは、レース前の練習は良くなくても、夏の練習はできていました。今回は、夏も良くなかったと言います。途中でふくらはぎの下部分に痛みも出たのですが、これまでとは違ったパターンだそうです。
 それでも、この結果。小崎選手もセンスがあると言えそうですが、それよりも“人間力”と言った方がいいかもしれません。正直、記事にするのは難しい内容です。なにせ、本人が謙虚なこともあって、“威勢のいい話”がないのです。でも、そこをなんとか記事にするのが、我々の仕事です。

 加納由理選手の記録は初マラソン日本歴代5位。
坂本直子  2.21.51. 03大阪3位
渋井陽子  2.23.11. 01大阪1位
小崎まり  2.23.30. 03大阪5位
原裕美子  2.24.19. 05名古屋1位
加納由理  2.24.43. 07大阪3位
野口みずき 2.25.35. 02名古屋1位

 上記選手のうち最高年齢は小崎選手の27歳。加納選手は28歳と、初マラソン2時間25分未満の最高年齢記録を更新したわけです。
 これは資生堂らしい記録ではないでしょうか。本人も「ちょうどいい時期」と言いますし、川越学監督も「トラックのスピードランナーがマラソンに移行するには、理想的な年齢」だと言います。冒険はせず、確実に初マラソンを走りきることが目標だったのですが、加納選手は今後、「確実に成長していきたい」と言います。次のレースが世界選手権となるか、北京五輪選考会となるのかわかりませんが、五輪選考会ならば、今度はトップ集団で勝負をするレースをすることが、確実な成長の具体的な中身です。

 共同会見、大森国男監督のカコミ取材の後に、大会本部ホテルに移動。パーティーでちょっとだけ取材をさせてもらい、自分の泊まっているホテルに戻りました。共同会見の記事も書きたいのですが、明日の朝が早いので今日はここまで。


◆2007年1月29日(月)
 6:30に起床して、すでに書いてあった原稿を2本、推敲し直して送信。
 7:50にチェックアウト。今回のホテルは心斎橋のウィークリーマンションでした。室内に電子レンジもあるし、ビデオも貸してもらえるみたいです。洗濯機と乾燥機もフロント階にあります。8月の世界選手権期間中もここに泊まってもいいかな、と思って予約しようとしたら「予約は3カ月前からしかお受けできません」。
 こういうときに個人でなく、大会社や公官庁が相手だと予約を受け付けるんですよね。事実、TBSや中国新聞はもう、ホテルを抑えてあると言っていました。アジア大会は陸マガ高橋次長の尽力でなんとかなりましたが、この手のことって個人事業主には多いのです。大きな組織だと信用するんですよね。まあ、仕方ないか。それもわかっていて独立したのです。
 でも、代わりにネットで電子レンジ&洗濯機付きのホテルを梅田に発見しました。ここは予約もできました。ただ、ネットのできる部屋が少ないようで、その辺がどうかな、という感じ。一応、抑えました。

 8:23に大会本部ホテルのホテルニューオータニ着。8:30から原裕美子選手の一夜明け会見が予定されていましたが、テレビ出演が長引いたため、15分くらい遅れて開始。原選手は疲れを見せず、丁寧に質問に答えてくれました。
 レース展開や今後の方針だけでなく、投げ捨てても戻ってくるサングラスのエピソードなども披露してくれましたが、昨日同様周囲への感謝の言葉が数多く聞かれました。そういった気持ちを持つように指導もされているのでしょうが、原選手の場合、その理解が上っ面だけではないのが伝わってきます。
 昨日のレース後の会見を記事にもしましたが、その中で、1カ月間昆明合宿に行かせてくれた会社に対しても、きちんと感謝の意を表しています。いくら中国とはいえ、1カ月も滞在したら費用は1人あたり何十万円とかかります。それに人数をかけたら何百万円となることもあるでしょう。長距離関係者・選手の何割かは、“出してもらって当然”という意識なのではないでしょうか。自分たちの価値は、そのくらいあるという自負も大事ですが、社会の尺度で言ったら、その金額を出すってことは大変なことです。
 寺田も「昆明、行かないの?」「ボルダーに行ったことないの?」と言われることもありますが、個人事業主が海外取材の費用を捻出するのって、並大抵のことじゃありません。新聞社だって、自社ものの取材の時しか行けないのでは?
 話を戻しましょう。原選手はそういった費用を会社が出してくれることのありがたさを、しっかりと認識しているのだと思います。だからこそ、合宿に行ったらいい加減な練習はできない。競技力にも結び付く認識だと思います。

 一夜明け会見取材後、今週も関西で取材。関西って好きなんですよ、最近は特に。大阪があって、京都があって、神戸があって。それぞれに街の特徴がはっきりしています。昨日も書いたように、一度は住んでみたい地区です。その点関東は……。陸上競技は強いのですけど。
 だから今回の出張では、鉄道プリペイドカードのスルッと関西(首都圏のパスネットみたいなもの)も購入。電車に乗る際にいちいち切符を買わずに済みます。金額が余っても、今年はいくらでも関西に来ます。

 夕方には東京着。自宅に近い町田に移動して、パソコンを物色しました。明日がウィンドウズVistaとその搭載機種の発売なので、値が下がっているかな、と思って。今回の出張ではかなり、他の記者たちがどんな機種を使用しているか、意識して見ていました。それほど参考になったわけではありませんけど。こればかりは、自分のスタイル次第。
 案の定というか、期待通り、1つ掘り出し物がありました。ソフマップで店頭に陳列してあった品物(売れないとアウトレットになるわけですね)が、かなり値引きされています。富士通のFMV-BIBLO MG70S/T。昨年4月頃発売のモデルですが、14.1インチ液晶(といっても12.1インチと同じ解像度)でDVDマルチ搭載。重さ2kgちょっとで、今のVAIOと同じくらい。アナログのテレビチューナーと録画機能も付いていてこの軽さと安さはすごい。
 どうしていきなり録画機能にこだわったかというと、世界選手権の期間中、滞在先のホテルでビデオ録画をしようかな、と思って。ウィークリーマンションにビデオデッキを持ち込もうかと考えていましたが、パソコンでも目的は果たせると気づきました。
 キーボードには少し不満がありますが、値段が10万9900円というのは安い。数年後にはアナログ放送がなくなるから売れないのでしょう。ハードディスクも100GBと十分。余分なソフトがいっぱい付いているので、容量を食っているかもしれませんが。
 12.1インチの1.3kgの中古で、キータッチのフィットする機種を見つけてあり、それが7〜8万円で買えるはず。なんとか予算内で2台買えます。出張中の使用用途に合わせて使い分けるのがベストかな、という判断です。破損しているので持ち出しは厳しいのですが、作業部屋では14.1インチVAIOが使えます。
 その富士通パソコンを18:30頃に店頭で見つけたのですが、詳しいカタログがなかったため、モスバーガーのHotSpotでネットに接続し、富士通のサイトで詳細を確認。20:30に購入を決断。その間に原稿も書きましたし、大阪国際女子マラソンの原稿の打ち合わせも。
 店側がソフトの再インストールとクリーニングを行うため、今日は受け取れませんでした。明後日到着予定。別大マラソン出張前にソフトのインストールと、各種設定ができるといいのですが、ちょっと厳しそう。


◆2007年1月30日(火)
 今日は、午前中は自宅でメールのチェックやら、週初めの仕事をいくつか。午後、ワークスペースに場所を移して、別大マラソンの出張準備。招待選手のマラソン歴をリストアップし、“ダブルあつし”の藤田敦史選手&佐藤敦之選手や西田隆維選手、渡辺共則選手の過去の記事をコピーしました。もちろん、家谷和男選手も。
 その過程で間違いを1つ発見。別大マラソンのサイトには招待選手の主な戦績や記録が載っているのですが、家谷選手の最高記録が02年東京国際となっています。正しくは01年の東京国際。本人の抱負にも「約5年ぶりの国内マラソン」とありますが、1年勘違いをしているのかもしれません。02年にも国内のマラソンに出ている可能性もありますが。

 その家谷選手が優勝すると忙しくなるのが、神戸新聞の記者の方。上岡宏次選手も西脇工高出身ですから、取材対象かと思われます。2人でワンツーをとったら、嬉しい悲鳴を上げることになるでしょう。
 考えてみれば、大阪国際女子マラソンでも兵庫登録の小崎まり選手が2位、須磨学園高出身の加納由理選手が3位。同じ日の日本選手権女子20km競歩では、これも須磨学園高出身の渕瀬真寿美選手が日本記録で優勝と、さぞや大変だったかと思います。
 大阪でもっと大変だったのが京都新聞。優勝した原裕美子が京都登録で、2位の小崎選手が宇治高(今の立命館宇治高)出身、3位の加納選手が立命大出身。2週間前に自社主催の全国都道府県対抗女子駅伝が終わったばかりですが、息つくヒマもないといった形容ができそうです。
 それを言うなら、別大で忙しくなる地方紙候補の最右翼は、福島民報と福島民友。“ダブルあつし”の出身県です。今度ばかりは神戸新聞ではないでしょう……と書くと家谷選手からクレームがつくかもしれないので、神戸新聞かもしれませんと書いておきます。こうだと決めつけられると、当事者はいい気分ではありません。
 ということで、昨日の日記の千葉と埼玉に関する記述も削りました。

 夕食後に大阪国際女子マラソンの原稿に。90行原稿を1本書き上げ、250行原稿を175行まで進めました。明日は250行原稿を終わらせ、記録集計号を進めないとヤバイです。出ないかもしれません、と毎年書いていますが、集計号が出なかったことはありません。


◆2007年1月31日(水)
 月末だからではありませんが、ラストスパート並みに頑張って仕事をしました。
 といっても、昨晩布団に入ったのが6時と、もう朝でした。目の前に仕事があると、どうしても頑張ってしまいます。練習で頑張りすぎないようにしても、どうしても頑張ってしまう佐藤敦之選手の気持ち、わかります毎日新聞記事)。そこが今回は改善されているということなので、期待したいと思います。
 起床は11時。しかし、すぐに臨戦態勢に。といっても、原稿ではなくメール対応など雑用系が中心。15時まで、原稿は1行も進みません。14時に一昨日購入したノートパソコンが届きましたが、集中力を維持するために開封はしませんでした。大阪国際女子マラソンの250行原稿の続きに取りかかれたのは、昼食後で16時頃。18時には書き上げました。
 18:30頃に毎日新聞九州の百留康隆記者(“九州陸上記者の雄”と言われています)に電話。前日の会見場所の確認と、別大マラソン・サイトの家谷和男選手の最高記録の間違いを伝えました。プログラムはすでに印刷されているので、正誤表で訂正するとのこと。
 続いて記録集計号の作業。22時に巻頭部分の作業が一通り終わりました。
 そのタイミングを見計らったように、電話が鳴りました。遅い時間の電話は、その時間が当たり前と思っているオバカ編集者はともかくとして、ちょっと身構えてしまいます。月末ですし(意味不明)。今日も相当にサプライズな内容の電話で、36分も話し込んでしまいました。携帯電話代を使わせてしまったな、という反省もしましたが、それよりも色々と考えさせられました。
 それから夕食。夕食後に届いたパソコンをいじっていたら、知らないうちに2時間が過ぎてしまいました。これだから気をつけないと。

 ところで、1月中に態度をはっきりさせると言っていた高橋尚子選手が月末の今日、名古屋出場を見送ると発表しました。そうなるとマスメディアの関心は、高橋選手が北京五輪代表選考レースのうちどのマラソンに出場するか、という点に移ります。
 1980年代までは“誰がどの選考レースに出るか”という関心は低かったと思います。男子の福岡など、一発選考的に関係者間でとらえられていましたから。92年のバルセロナ五輪から前年の世界選手権が重視されるようになり、それに伴って選考レースが複数化。それ以降ですね、誰がどのマラソンに出るかをマスコミが話題にし始めたのは。
 昨今はそれが過熱気味。世間の関心よりもメディアが先行しすぎている気がしますが、メディアの感覚は元々、世間よりも先を行く性質があるからやむを得ないところでしょうか。

 ということで、水面下では各マラソン間で高橋選手の争奪戦がスタートしたということです。「東京は野口が出場を表明しているから対決を避けるのでは?」「シドニー五輪と同じ名古屋ではないか。中日新聞とはつながりもある」「本番までの期間を考えて大阪では?」という意見を聞きました。どの意見にも一理ありますが、どの意見も周囲が勝手に“計算しすぎている”という印象を受けました。
 これは、高橋選手自身が決めること。彼女の判断を見守るだけですね。

 と書くと、オマエは何も意見がないのか、と言われそうですが、陸上記者としての意見はありません。意見というか、予測はしたくない。ただ、陸上ファンとしての希望はあります。
 東京に出て、野口みずき選手と対決してほしい。
 国内の選考会で、前々回と前回の金メダリストが対決する機会って、めったに見られないケースだと思います。それに、仮に2人とも北京五輪に出場したとしても、オリンピックではどうしても対外国人という部分に興味が行ってしまいがち。2人のガチンコ対決が見られるのは、国内の選考会が最後になる可能性が高いのです。
 五輪代表もそこで勝てば確定するわけですし、仮に負けても善戦すれば印象は良いはず。1大会から2人が選ばれる可能性はあります。
 あっ、理屈をつけてはいけませんね。理屈抜きで2人の対決を見たい。それだけです。有力選手が対決を避けることに慣らされた最近のファンや記者には理解できないかもしれませんが、瀬古vs.中山のガチンコ対決を見逃したマラソン・ファンなら、この気持ちをわかってもらえるのでは?


◆2007年2月1日(木)
 2月です。28日しかないのに給料は同じ。サラリーマン諸氏にとっては最もコストパフォーマンスのいい月ですが、自営業者には関係ありません。

 明日から3泊で大分に出張するので、今日はもう必死です。原稿と、記録集計号の版下と、新ノート・パソコン(富士通のFMV-BIBLO MG70S/T)の設定と。
 できれば新PCで出張に行きたかったので、ソフトのインストールやネット接続の設定、メールアドレスや入力辞書の引っ越しなどを頑張りました。従来のパソコンと同じ作業はだいたいできるようにしたのですが、PHSの接続や、ちょっとしたお役立ちソフトのいくつかのインストール、新機能のテレビ視聴と録画の方まで手が回りません。何より、画面の輝度を少し抑えたいのですが、その設定方法がわからずじまい。大きな会社には、パソコンのセッティングを専門の部署がやってくれるところもあるようです。楽でいいなぁ、と思いますが、自分なりの味付けができませんから、それも面白くないかな、という気もします。
 大分出張は従来機(VAIOの14.1インチ)で行くことにしました。液晶のフレームが折れていますが、専用のバッグに入れていけば大丈夫でしょう。それよりも、大分で富士通の青柳マネに見せびらかすことを楽しみにしていたので、そちらが残念です。土江寛裕選手が富士通社員のうちにも見せたかったのですが、買うことができただけでもヨシとしましょう。

 パソコンの設定を深夜までやっていたところで、月末恒例の請求書書きをしていないことに気づきました。月が変わってしまっては本当はいけないのですが、やらないことには仕方ありません。4通ですが1時間半くらいは時間がかかります。請求書を書くなんてことも、多くのサラリーマンが経験できないでしょう。したからといって、何かが成長するというものでもありませんけど。


◆2007年2月2日(金)
 朝の10:30には仕事に復帰。陸マガ高橋○○○に、アジア大会の事後処理について電話で相談。
 大分出張用の資料は用意してあったのですが、その他の取材道具や衣類のパッキングは手つかず状態だったので、かなり急いで出張支度をし、12:15に作業部屋を出発。大阪国際女子マラソンの原稿が2本残ってしまいましたし、東京マラソンの展望原稿も1本、大分で書かないといけません。大阪のビデオはDVDに保存してあるので、レース経過を出張先で見直すこともできます。便利になっているのでしょうけど……。
 13:45羽田発のJALで大分に。機内では藤田敦史選手の資料に目を通しました。大分空港ではエスビー食品・武井隆次監督とお会いしました。今回の別大で注目されている佐藤敦之選手が学生記録を出し、その佐藤選手に早大の先輩である武井監督が勝ったのが、2000年のびわ湖です。昨日のことのようですが、7年も前のことなんですね。その7年の間、自分は全く変わっていないように感じますが、2人はものすごく変わったのでしょう。それが、スポーツ選手の特性です。

 空港からはバスで大分市内に移動。ホーバーよりも安いのです。時間はホーバーの30分に対して1時間10分と、倍以上かかりますが。車内では佐藤敦之選手の資料に目を通しました。藤田選手も佐藤選手も、今回の事前報道では“変貌ぶり”が話題になっていますが、以前の記事を読むと“いきなり変わった”のではないことがわかります。その辺は機会を改めて紹介できるかも。
 バスは別府市を経由して、マラソンコースと同じ別大国道を通って大分市に向かいます。途中、バスが海側にかなり傾いた地点があったので「もしや」と思いました。今年になってからだと思いますが、どこかの取材で「別大のコースがバンクのように傾斜している」という話を耳にしていたのです。道路の両端がちょっと傾いているのでなく、本当に競輪のバンクのように、道路全体に大きく傾斜がついているのです。これは走りづらいでしょう。

 大分駅に着いたのが17時近く。遅めの昼食を軽めにとってから、大会本部ホテルの大分東洋ホテルに。マラソンの本部はかなりの高級ホテルと決まっていますが、今回はその東洋ホテルに泊まります。海外のグランプリなどでは、やむを得ず本部ホテルに泊まることもありますが、国内では初めて。タネを明かせば、ツアーの指定ホテルになっていたのです。飛行機代と宿泊がセットになった割安のあれです。
 フロントに行くと、佐藤敦之選手が宅急便らしき荷物を受け取っていました。顔色や肌の張りを見て、「2時間7分台で走りそうだ」などと予想を言ったりはしません。が、走ってほしいとは思います。
 振り返ると、ソファーには九州陸上競技記者の雄、毎日新聞・百留記者の姿も。カギを受け取った後に挨拶と打ち合わせ。そうこうしていると、ある大物選手がフロントに。「大分って美人が多いよね」と話を振ると、にっこりと笑って肯きます。百留記者によると、昨秋の全日本実業団が大分開催でしたが、そのときに別大出場を決めたらしいです。話の流れからすると綺麗な女性が多いから、ということになるのですが、まあ、半分冗談なのでしょう。

 部屋はツインでこんなに豪華。いいのかな、こんなに安く泊まって、というのが貧乏人の感想ですが、たまにはいいでしょう。大阪、名古屋、東京では格安ツアーに本部ホテルが指定されていることはないですから。
 部屋で1時間ほど原稿の見直し作業。ネットを見ると、18:40まで一緒にいた百留記者の原稿が、19:17にはアップされていました。さすがです。20:30に同記者と合流して食事に(和食系)。九州の視点での話も多く聞くことができ、面白い時間を過ごせました。


◆2007年2月3日(土)
 別大マラソン前日取材。
 大会本部ホテルに泊まれたからできる企画、ということで、この記事を頑張ってみました。レース前日の様子を朝から、ドキュメント風に紹介しようという意図です。が、ロビーやホテル内の大会関係の場所に行くと、選手や関係者がたくさんいて部屋に戻れなくなってしまった、というのが本当のところです。
 1つだけ断らせてもらうと、会見時以外は選手にはそれほど話しかけてはいません。挨拶代わりの立ち話程度。時間にしたら2〜3分。ホテル内は選手への取材は禁止なのです……と思ったら、別大は特に禁止していないようです。まあ、その辺は常識の範囲内で、ということで。

 そういえば1点、書き忘れていました。公式サイトにある家谷和男選手のデータで、自己ベストが02年の東京国際マラソンというのは間違いですが(正しくは01年東京)、「約5年ぶりの国内マラソン」というのは正しいことが判明。01年12月の福岡国際マラソンで途中棄権をしていたのです。

 21時くらいまでロビーで前日記事の執筆。自室で書くよりも能率が上がります。その後、近くのファミレスに場所を移して食事と原稿書き。やっと大阪国際女子マラソンの原稿が終わりました。


◆2007年2月4日(日)
 今回のホテルは全部で3泊するのですが、2泊がJALツアーで、1泊が近畿日本ツーリスト経由の予約。朝食が2日分なので、昨日は部屋でコンビニ食料の朝食。今朝はホテルの朝食会場。年輩の関係者も多く、ちょっと緊張します。若手の富士通・青柳マネの顔を見ると少し安心できたので、「敏腕マネージャー」と呼びかけて挨拶しました。
 朝食後に、昨晩書き上げた大阪国際女子マラソンの原稿を推敲して送信。時間が経って読み直すと、かなり修正点が生じます。

 競技場には10:45に着。別大マラソンは6年ぶりの取材です。スタート前は有力選手の指導者たちと接触し、情報を入手するのがマラソン取材の慣習となっています。
 大分の競技場は最近の大スタジアムではないので、取材をしやすいですね。何度も書きますが、びわ湖マラソンの皇子山、福岡国際マラソンの平和台など、一昔前に造られた競技場が好きです。先週の大阪国際女子マラソンと比べても、取材をしていて“落ち着き”がある。大きなスタジアムでは、選手や指導者がどこにいるかわからない状態になる危険があるので、どうしても緊張してしまいます。大分と皇子山がいいですね。
 レース結果はご存じの通り。風のあるマラソンのペースメイクは難しいな、というのが全体的な感想です。トップ集団は5km毎が15分10秒の設定でしたが、走り出したら、別府に向かう前半は思ったよりも追い風が強かったわけです。結果的に、そこはもう少し速くても良かった、ということになります。藤田敦史選手は記録は無理、と腹をくくったと言います。佐藤敦之選手もその点は同じでしたが、位置取りや動きのタイプの違いで、脚が詰まったところもあったようです。
 ペースメーカーもケニア選手でなく、今回の第2・第3集団のように日本選手でもいいのではないか、という気がしました……が、30kmまで1時間31分で引っ張るとなると、日本選手では難しいですね。やっぱり、アフリカ選手にならざるを得ないか。でも、20kmまでなら、行ける選手も多い気がします。

 レース後はまず4位の原選手を取材。1・2位のダブルあつしは、後で会見がセッティングされています。次に西田隆維選手にちょっと話を聞き、そろそろ時間かな、と思って会見場所に。ドーピング検査などもあり手間取りましたが、その間に移動車解説だった川嶋伸次監督の話を聞けたりもしました。藤田選手の会見が始まる際、毎日新聞事業部の千々石氏(元九州地区陸上競技担当)が声を掛けてくれました。これも、こぢんまりした競技場だからできること。
 ダブルあつしの会見時間も多く取ってくれました。この辺はぜひ、他のマラソンを真似ることなく続けて欲しい部分。もちろん選手のコンディション優先ですが、他の大会を見ていると結局、主催者の行事優先なんですよね。少しでも大きく報道されて、その大会が盛り上がる方が大事だと思うのですけど。

 会見後、廊下を通る際にグラウンドにいる中国電力グループが見えました。こういうときも、パッと外に行けます。坂口泰監督のコメントも取材できましたし、引退レースの内冨恭則選手にも話を聞くことができました。息子さんとのツーショット(これは陸マガに掲載予定)、中国電力の成長期をともに牽引した五十嵐範暁選手とのツーショットも撮影できたりしました。五十嵐選手は昨年12月の防府マラソンで、一足先に引退しています。念のために書きますが、写真の視線が下を向いているのは意図的なものです。
 最後には、えなりかずきに似ている同士、尾崎輝人選手とTBS土井アナのツーショットも撮れました。それもこれも全て、競技場のおかげです。この日尾崎選手は第2集団のペースメーカーとしてきっちり仕事をしました。土井アナの仕事は……山縣苑子さんに聞いてみましょう。

 17時には東洋ホテルに戻って表彰式。続いてフェアウェル・パーティー。藤田選手の優勝には、富士通スタッフの貢献も大きかったわけです。そこで思い出したのが、日本選手権の醍醐直幸選手の優勝を見て流れる涙を拭いていた青柳マネジャー(本人は否定)。彼の名前が青柳剛だということも思い出し、敏腕マネではなく“剛腕マネジャー”と命名し直しました。朝令暮改の典型ですね。
 パーティー会場では藤田選手と西田隆維選手の駒大OBコンビの撮影に成功。2人とはしばらく一緒にいたのですが、「そういえば2人とも別大の優勝者だ」と最後に気づいて(遅過ぎたと反省)ツーショットを撮ろうということになったのですが、“先輩、おみそれしました”ポーズをリクエストしたら、この絵柄になったのです。
 ちなみに、今回の別大は内冨選手だけでなく、岩原正樹選手、北田初男選手もラストラン。揖斐コーチも大分に来ているとかで、駒大グループは北田選手のお疲れさま会に行ったようです。
 寺田は自室に戻って今日の原稿を……と思いましたが、先に某テレビ雑誌用に東京マラソン2007の記事を執筆。テレビ雑誌にしては60行と長めの原稿で、そのための取材も昨日していたのです。本サイトの別大原稿は、陸マガ用と振り分けが難しいので、先に陸マガ用に書いてから執筆する予定です。


◆2007年2月5日(月)
 14時台のJAL便で大分から東京に戻りました。
 今日は大阪国際女子マラソンのときのように、一夜明け会見などの翌朝取材はなし。この一夜明け会見がセッティングされるかどうかは、レースの結果によりますが、こうだったら行われる、という明確な基準はありません。強いて言えば、各社から要望があるかどうか、ですね。
 大阪だったら原裕美子選手が世界選手権代表に内定しました。福岡は行っていませんが、奥谷亘選手が代表に内定したので、3位でもやったのではないかと思われます。東京の土佐礼子選手はどうなったのでしょう?
 いずれにせよ、日本のマラソンは主催者に新聞社が名を連ねています。主催紙の記者は一夜明け会見がなくても顔を出すのが慣例。少し話を聞いて、ホテルから出発するまでを見送る。今回のように公式の会見がなくても、そこに加わって話を聞く手もあります。けど、今回は別の原稿を優先しました。別大の原稿ではなくて…。

 朝の10時に内冨恭則選手にTEL。昨日寺田が撮った内冨選手と、娘さんの写真を陸マガが掲載するということになったので名前を確認するのが目的でしたが……娘さんではなくて息子さんでした。失礼しました。内冨選手も目のぱっちりしたきれいな顔だちですから。と、書いても失礼じゃないですよね。
 佐藤敦之選手がこれまでのマラソンと比べ、レース後が元気だと内冨選手は話していました。いずれ、会見の様子を記事にしますが、佐藤選手自身もこれまでとは違った感触を得た様子。それが、今回の収穫だったと。

 帰りも大分駅からバスで空港に。往復でバスを使用すると、ホーバーと比べて3000円違います。フライトを昼にして早朝便のプラス料金もないと、5000円くらいは違ってくる。1泊分くらいはそれで捻出できる計算になります。
 2日の日記の訂正を1つ。別大国道の傾斜が大きいと書きましたが、寺田がそう感じたのは折り返し点の国際観光港よりも空港側、つまりマラソンのコースよりも北側でした。マラソン・コースも確かに傾斜はあるのですが、バスが大きく傾くほどではありませんでした。お詫びをして訂正させていただきます。


◆2007年2月6日(火)
 別大マラソンの原稿を書き終えました。
 明日からはちょっとゆったり、でも、記録集計号の作業を頑張るぞモードになります。というか、そろそろ巻きを入れないとやばい。
 陸上界の話題的には東京マラソン2007でしょうか。寺田の作業部屋は都庁のすぐ近く。都庁西側のスタート地点、新宿中央公園までは5分もかかりません。その新宿中央公園がきれいになったように思います。花時計(花壇のなかの大きな時計)ができたり、色つきの柱が何本か立ったり。
 同大会のサイトを見ると、宿泊施設の紹介もしています。東京のホテルって、けっこう高いですね。話には聞いていましたが、実感がありませんでした。1泊7000円なら、寺田の作業部屋に泊まってもいい人って、いるでしょうか。ネットもできるし、スタート30分前まで暖かくしていられるし。もちろん、知り合い限定で。


◆2007年2月7日(水)
 ずいぶん放置状態だった●スケジュール&関連リンクをアップしました。けっこう気にしていたし、ファイルも作成してはあったんですが、アップする段階で忘れてしまっていて。覚えているんだけど、ついつい行動できないことって、結構ありますよね。と、同意を求めて罪が軽くなるものでもありませんけど。
 アップしたらさっそく、お叱りのメールが来ました。

今週の大会に、姫路ロードレース大会が書かれていませんね。
早稲田大学の竹澤選手、SUBARUの奥谷選手をはじめとした有力選手たちが参加する大会とのことで、非常に楽しみにしています。
ぜひこちらの情報も、お忘れなきようお願いいたします。


 叱責というほどではありませんね。このくらいのトーンの指摘は大歓迎です。神戸新聞にも展望記事が出ました。大森輝和選手(四国電力)と竹澤健介選手(早大・報徳学園高OB)の対決は、2人ともベストコンディションではないとわかっていても、かなり興味があります。全国都道府県対抗男子駅伝3区でも対決していますが、それは“駅伝の走り”ということで。奥谷亘選手(SUBARU・西脇工高OB)も“名前で”頑張ってほしいところですが、この距離なら“森竹対決”に絡むのは大坪隆誠選手(大阪府警・三木北高OB)でしょうか。
 そういえば大分出張中に、大坪選手と尾池選手(大塚製薬)が3月下旬の同じ日に結婚式を挙げると耳にしました。2人とも山梨学大OB。尾池選手のお相手は元1500m日本記録保持者の田村育子さん。親友の野口みずき選手(シスメックス)も喜んでいるでしょう。大坪選手のお相手も、もうすぐわかると思われます。できれば寺田のサイトで発表したいのですが…。

 しかし、この件でわかったのは寺田は神戸新聞の回し者ではないということです。姫路城ロードの主催者に神戸新聞が入っているのかどうか知りませんが、兵庫県の大会を忘れていたわけですから。
 “回し者”と思われるのは、このサイトで神戸新聞関連の話題を多く取り上げているからですが、それは神戸新聞自体を書いているのでなく、大会や選手など、陸上競技に触れたときに自然と神戸新聞の話に展開していくだけ。それだけ、兵庫県(出身)の選手が頑張っていて、寺田の取材活動のなかで話題になっているということです。陸マガの編集者時代に、力武さん、乾さん、大原記者、中尾記者と歴代の陸上競技担当と一緒に仕事をしたことも大きいですね。
 その中尾記者は今はフリーとなって、陸マガなどに記事を書いていますが、兵庫から大阪に引っ越しました。


◆2007年2月11日(日)
 昭和の森で千葉国際クロスカントリーの取材
 会場に着いて受け付けを済ませると、須磨学園高の長谷川重夫先生とばったり。こちらから「どうですか?」と質問する前に、長谷川先生から「棄権させてもらうことにしました」と、小林祐梨子選手の欠場を教えてもらいました。
 脚に張りがあることと、今の動きがクロカンに不向きで故障の危険があるという理由でした。トラックシーズンが長引いたことで、つま先から接地する動きの名残が大きく、上りを走るとつま先から突っ込む感じがある。下りや丸太越えはもっと不安があるといいます。「足首に不安がなければ対応できるのですが」と長谷川先生。
 残念ですが仕方ありません。というか、出場試合数の多さは関係者の多くが懸念していたこと。いい休養ととらえていいのでは?
 小林選手といえば一部に、大学入学後の4〜5月に海外遠征を行うという報道がありましたが、関西の某陸上担当記者に確認すると、これは記者たちとの会話で行き違いがあったようです。進学後も練習拠点は須磨学園と変わらなくても、生活環境が大きく変わります。そういう時期に本当に行くのかな、ヨーロッパのGPは始まっていない時期だし……と思って長谷川先生に確認すると、積極的に海外に行く希望を持っていると話したのは事実でも、その時期に行うという具体的なプランはないそうです。

 プレス用のテントに行くと、欠場者リストが出ていました。注目していた三津谷祐選手の名前もあって、こちらもちょっと残念。しかし、故障から復帰する際に陥りがちなのが無理をすること。焦る必要はありません。
 小林選手とともに注目していた高校生が、全国高校駅伝1区区間賞の絹川愛選手。ジュニアではなくシニアの部に出場予定でしたが彼女も欠場。仙台育英の渡辺高夫先生によればノロ・ウィルスへの感染が原因だそうです。これも、どうしようもありません。福岡には間に合いそうだということです。
 仙台育英といえば、OBの佐藤秀和選手が単身、ケニアに留学したという記事が今月に入って出ました。しかし今日、順大関係者に確認すると、留学ではなく合宿なのだそうです。1月末に出発して、3月頭の福岡国際クロスカントリーには帰国するスケジュール。記事には中退を決意した、という表現がありましたが、その後のことを最終的に決めるのは、そのときに順大サイドと話し合いをしてからだそうです。

 注目選手の欠場はありましたが、最初の世界クロカン選考種目であるジュニア男子8000mは、インターハイの日本人上位8選手が全員出場するということで、注目していました。というか、最初から一番の注目種目でした。レース終盤は八木勇樹選手、野口拓也選手、中西拓郎選手の争いに。みんな元日本記録保持者だな、と思ってレースを見ていました。女子走高跳の八木たまみ選手、男子砲丸投の野口安忠選手、男子三段跳の中西正美選手……の3人の名前が思い浮かびました。野口みずき選手が現日本記録保持者ですけど。
 優勝は八木勇樹選手でインターハイ、国体に続いて日本人トップ。インターハイに続いて野口拓也選手が2位。この種目は記事にする予定です。
 レース後の会見で八木選手が「1週間前の兵庫県の駅伝でも、ラスト勝負で実業団選手に勝って…」と話してくれました。兵庫県郡市区対抗駅伝だとすぐにわかりましたが、誰に勝ったのか、と突っ込みたいところです。しかし、大原記者が掲載紙を送ってくれたので、それを読めばわかるはず。それ以上は突っ込みませんでした。
 後で確認すると八木選手が勝ったのは、姫路市の渡辺選手と宝塚市の豊田選手たち。山陽特殊製鋼の渡辺和也選手と神奈川大の豊田崇選手でしょうか。

 ジュニア女子の優勝は松村厚子選手。全国高校駅伝4位の群馬県・常磐高の選手ですが、取材する側にとってはニューフェイス的な存在。同じ名字の日清食品の松村拓希選手も北関東の出身。そう思うと顔立ちもどことなく似ています。「親戚ですか?」と確認したら、違いました。
 それはともかく、びっくりしたのは1年生だという点。常磐は3年生の萩原彩香選手がエースのはず(国体少年共通3000m3位)。松村選手は駅伝では3区で区間4位、3000mのベストは9分46秒だと言います。それがベスト記録の選手が勝てるわけがない、と突っ込んで質問した結果、練習は萩原選手たちと同じ設定タイムでこなせているといいます。
 しかし、他にも何か、今回の好結果の兆候はあったのではないか。と、情報網を駆使して調べると、松村選手は群馬県県新人駅伝で、あの田村久美選手の区間記録を破ったことが判明しました。田村選手とは、第2回の女子全国高校駅伝で優勝した群馬女短大附高の選手です。

 シニアでは上野裕一郎選手と脇田茜選手が日本人トップ。取材をすると、2人とも面白い話があります。記事にできるといいのですが。
 最後のシニア4000mの後は、ケネス記者と一緒に優勝したマサシ選手を取材。ケネス記者との英語のやりとりを横で聞いていただけですが、理解度は6〜7割。ここでもビックリしたのは、マサシ選手を千葉県在住の友人たち(男女6〜7人)が待っていたこと。いつ、知り合ったのだろう? 国際千葉駅伝もあるから、機会があったのでしょう。

 レース直後の取材を終えて歩いていると、記録掲示板の前に仲村明順大監督が来ていました。振り向くと小出義雄監督の姿もあります。これはシャッターチャンス。プレスルームにカメラを取りにダッシュしました。ご存じの通り、仲村監督は市船橋高で小出監督の教え子です。小出監督が全国高校駅伝と全日本実業団対抗女子駅伝、仲村監督が箱根駅伝の優勝監督ということに。なんとか間に合って、この写真を撮ることができました。
 これで河合美香さんがいたら、市船橋高初期を知る長距離ファンにとってはたまらない絵柄になったのですが…。小出監督の指導者人生の本当の出発点は、長生高(三井住友海上の鈴木秀夫監督が当時の教え子)や佐倉高(倉橋選手)になるのですが、その頃のことはさすがにピンと来ません。

 昭和の森の取材の締めくくりは、この3人。早狩実紀選手、嶋原清子選手、そして加納由理選手。説明は要りませんよね。このトリオが並んで歩いて来たところは、今日一番迫力があったシーンです。取材といっても、話を聞いたわけではなく、引き揚げるシーンを写真に撮らせてもらっただけですが。“昭和トリオ”と命名して早狩選手に写真を送りました。ブログで掲載してくれるかも。


◆2007年2月12日(月)
 昨日の千葉国際クロスカントリーの帰路、神戸新聞・大原記者から携帯にメールが入り、姫路城ロードの結果を知りました。大森輝和選手が自身の大会記録に迫り、2位の竹澤健介選手に25秒の差を付けたとのこと。この結果をどう評価するかは意見の分かれるところだと思いますが、評価をしないというのも1つの手ではないでしょうか。この時期のロードレースは練習でしょう。その結果で、あの選手は強いとかイマイチとか言っても仕方がない。
 でも、1991年に唐津10マイル&熊日30kmを連勝した池田克実選手(リクルート)は強かった。トラックでも好調を維持し、兵庫リレーカーニバルの1万mに優勝。東京世界選手権の代表にもなりました。森下広一選手(現トヨタ自動車九州監督)や高橋健一選手も、唐津や熊日30kmで優勝しています。
 この時期のロードで負けた選手がトラックシーズンがダメ、とは言えませんが、快走を見せた選手のトラックシーズンが期待できる、とは言っていいと思います。大森選手のカージナル招待が楽しみです。

 大原記者からのメールには第2弾があり、小崎まり選手の結婚を、相手の名前も出して報じたとのこと。「陣内&紀香に続くビッグカップル誕生に、兵庫県内は祝賀ムードに沸き返っている」とか。おそらく神戸新聞は周辺取材で事実をつかんだのでしょう。業界用語で言うところの“裏をとる”というやつです。寺田が実名を出さないのは、相手の選手に直接問い合わせをして、ちょっと控えてほしい、と言われたから。このへんは“人間関係”で決めていいところ。競技的な部分の報道だったら、本人がいくら出して欲しくない、と言っても出しますよ。
 そういえば昨日、千葉国際クロスカントリー会場でN選手が東京マラソンに出場する、という情報が耳に入ってきました。これは当然、裏がとれたら公表していい話です。


◆2007年2月13日(火)
「短(みじか)っ!!」
 某新聞のKデスクがその場にいたら、きっとこう言ったことでしょう。
 今日は14時から汐留の日本テレビで横浜国際女子駅伝の出場選手決定記者発表。小林祐梨子選手と勝又美咲選手(第一生命)の須磨学園高先輩後輩コンビが出席しましたが、その会見があまりにも短い時間で切り上げられたのです。10分あったかどうか。司会が会見終了を告げると、各記者が“短いよね、これ”という表情でアイコンタクトをしていました。
 関係者に理由を聞くと、会見に駆けつけた鈴木亜美さん(中学・高校で陸上部)のスケジュールを優先した結果だとわかりました。会見の後に2選手と彼女のフォトセッション、選手との対談テレビ収録とスケジュールが詰まっていたのです。うーん。これは仕方がないですね。タレントのおかげで番組の視聴率が上がるのです。
 それでも、どこかに違和感を感じていました(中国電力では“違和感”という言葉は使用禁止ですけど)。

 この大会のように選手権でない大会は、どうしてもイベント色が強くなります。「○○一を目指す」というシンプルかつ訴求力のあるテーマがないため、主催者はあの手この手で話題を喚起しようとするのです。
 でも、そういう大会もあっていいと思います。陸上競技を普及させるのには格好の試合ですし、選手にとっては国際的なランナーと一緒に走るチャンスなのです。若手にとっては、日本代表クラスの選手を身近で学ぶこともできる。以前、国際千葉駅伝のスポンサーがこのサイトのスポンサーになってくれて、積極的に同大会を大きく扱ったこともありました。ですから、横浜国際女子駅伝も個人的には盛り上がって欲しい大会です。

 しかし、今日、気になっていたのはイベント色の強さ。イベントコンパニオンも多く、会見の進行の仕方など、陸上競技の面白さを伝えるというよりも、横浜国際女子駅伝というイベントを宣伝するのが目的のような感じです(それが陸上競技人気につながるのかもしれませんが)。
 それだったら、それに適したメディアが取材に来ればいいわけで、選手の会見がこの短さだったら来年から来なくていいな、と思っていました。原稿を書くのはテレビ番組雑誌の17行だけだし……などと思っていたら、陸連が小林選手の囲み取材をセッティングしてくれました。須磨学園高の長谷川先生にも話を聞くことができましたし、来て良かったです。

 実は会見で小林選手に質問しようと思っていたことがあったのですが、できなかったので長谷川先生に聞いてしまっていました。あまり横浜のレースとは関係のないことでしたし、他の記者たちの手前、カコミ取材でもどうかな、と感じていましたが、聞かないと何のために来たのかわからない、という思いが勝りました。
 会見に来れば、そういったチャンスが生じます。普通だったら関西の選手や関係者が、東京で会見をしてくれることなどないのです。そういった点では感謝しています。陸上競技の普及のため、盛り上がってほしい大会です。

 ところで最近、どういうケースで報道のミスが生じるのかとか、報道を控えるのかとか、そんな話題を紹介してきました。小林選手の春先の海外遠征がないことを先日の日記で書きましたが、もう1つ、記事になったことで訂正することがあります。
 同選手が将来、政治家を目指しているという記事が最近出ましたが、これも正確には間違い。小林選手がよくしゃべるから政治家もできるかもしれない、というニュアンスの話を長谷川先生がしたら記事になったようです。関西の記者たちは政治家志望ということで、共通認識になっていたというのですから、その話が出たときの状況は微妙なものだったと思いますが。


◆2007年2月14日(水)
 陸マガ3月号発売。いくつか招待したいネタもありますが、ボチボチと紹介していきたいと思います。

 11日の日記の間違いを2箇所、指摘してもらいました。西脇工高・八木勇樹選手が兵庫県郡市区対抗駅伝で競り勝った実業団選手は、渡辺真一選手ではなくて渡辺和也選手。山陽特殊製鋼の渡辺選手は2人いるのです。新聞はフルネームで名前を出すスペースがないので、その辺がちょっとわかりにくい。でも、確認せずに出してしまった寺田のミスです。反省しています。
 しかし、タダでは起きません。入社1年目の和也選手も関西実業団駅伝2区で区間賞を取った有望選手。今後は山特の“ダブル渡辺”として注目していきたいと思います。
 もう1つは90年の女子全国高校駅伝に優勝した群女短大附高の選手は、田辺久美選手ではなく田村久美選手。田鍋久美選手(元ダイハツ)とごっちゃになってしまいました。申し訳ありません。


◆2007年2月15日(木)
 15寺から新宿の京王プラザホテルで東京マラソンの会見。レース前の共同会見は土曜日か金曜日に行われるのが普通です。3日前というのは珍しい。海外のマラソンでは例がありますから、その辺を見習ったのかもしれません。海外はいくつかのグループに分けて、何日かに分けて行われていますけど。カコミ取材の時間もあります。
 ただ、この形だと東京の記者たちにとっては問題ありませんが、地方や外国から来る記者は大変だな、という意見が出ていました。
 外国3選手の会見ではケネス・マランツ記者が、相変わらず鋭い突っ込み。資料的な部分を寺田に聞いてくることも多いのですが、デリマ選手のヘルシンキ世界選手権の成績はさすがに覚えていませんでした。あとで調べると途中棄権。同記者は戦績が安定していない選手に対しては、厳しい見方をします。この傾向は洋の東西を問わないようで、日本人記者にも多い。
 しかし、これが自社主催のレースに出ると論調が変わって、“この選手は期待が大きい”となるのです。この点はテレビや新聞がマラソンや駅伝を主催する日本のスタイルではやむを得ないところでしょうか。

 オマエはどうなんだ、と聞かれそうですね。寺田はもとから、戦績の安定しない選手でも注目し続けます。例えばコリル選手。世界歴代2位の2時間04分56秒を持っていますが、そのレース(03年ベルリン)はペースメーカーでした。その後の戦績は好不調の波が大きく、日本のレースでは期待を裏切っています。
 その辺をケネス記者が指摘しますが、「2時間4分台だよ。一度でも出したらいいじゃない」と寺田。世界で2人しかいない4分台なんですから。ただ、その肩書きで高い出場料を取っていたら……それも4分台の威力でしょう。
 とはいっても、優勝候補筆頭はジェンガ選手だと思います。デリマ選手でもコリル選手でもありません。安定度が違います。やっぱり、そこですね。

 記者IDも会見場で受け取る手順になっていましたが、「会見後に受け取ってほしい」という指示。順序が通常のマラソンと逆でしたが、後で納得。IDを出すのに時間がかかるシステムで、30分ほど待たされました。しかし、その30分も無駄にはできません。大会事務局の方が近くにいらしたので、昨年までの東京国際マラソンとの連続性の有無を確認しました。つまり、ジェンガ選手が勝ったら「2回目の優勝」と言っていいのかどうか。
 答えは「ノー」でした。大会名も主催者も違うから、というのがその理由。確かに福岡国際マラソンなど、朝日国際マラソンという名称で以前は別の都市で行われていました。びわ湖マラソンも同様です。しかし、主催者が一緒で、回数も前身大会から継続してカウントしています。今回のケースとは違うのです。
 選手はもしかしたら「東京は○回目の出場です」とコメントするかもしれませんが、「2004年の東京国際マラソンに続いて、今回の東京マラソンにも優勝」と表記するのが正確ということになります。

 16:30になっていたので、会見記事を書く時間がありません。夜は陸マガの児玉前編集長の送別会です。16:30に京王プラザホテルを出て、徒歩10分の作業部屋に移動。新宿中央公園を通ると、猫が1匹芝生の上を歩いていました。飼い猫か野良か判別できませんでしたが、おそらく野良。でも、腹の据わったタイプではなく、周囲をきょろきょろ見回して、ビクビクしながら歩いていました。日曜日に大挙して人が集まってきたとき大丈夫なんだろうか、と心配になりました。
 そういえば、宅急便のクロネコ大和も日曜日は集配に影響が出るのではないかと、どこかの記事に出ていましたね。ネコにとっては迷惑なマラソンになりそうです。

 作業部屋に戻って30分ほどこのサイトのメンテナンス。会見記事を書く時間はないので、資生堂・川越学監督に電話を入れました。取材を申し込もうとしたのですが、驚愕の事実が判明しました。


◆2007年2月16日(金)
 11:30から都内某社で、前日本記録保持者のある選手にインタビュー取材。今日も面白い話を聞くことができました。1時間ほどで終了して、その後は一緒に昼食をとりました。ここでは雑談が中心ですが、“いい話”がポロッと出てきたりします。いずれ使えるエピソードだったり、今後の取材で突っ込むポイントだったり。
 そういうメリットもあるので、監督たちを積極的に飲みに誘う記者も多いわけです。専門誌や寺田などは、そういった部分に回す予算がないのでなかなかできないのですが。
 取材終了後、京王プラザホテルに。東京マラソン2007のプレスルームに立ち寄りました。今日は特に情報はなし。記者たちもEXPOに回ったのか、ほとんど姿を見せません。途中、朝日新聞事業部の一行が顔を出したくらい。同事業部の大串氏が出場することがわかったのが一番のニュース。明後日、俳優の保阪直輝に似ているランナーがいたら、応援してあげてください。読売新聞・近藤記者は走らないのでしょうか。

 昨日判明した川越監督の勇退は、産経新聞が昨日の朝刊で報じました。今日、1日遅れで各紙が追随しましたが、これは産経新聞・金子記者が川越監督とつながりが深かったことと、資生堂関係者に取材をした結果。産経新聞は東京マラソンの主催紙。忙しくないはずがないのに、そういった作業をきっちりしていたのですね。さすがです。
 小林祐梨子選手の豊田自動織機入社も本日(16日)が正式発表ですが、スポニチが数日前に“濃厚”というニュアンスで出し、1日か2日前に“16日に発表される”という形で報じました。“ほぼ間違いない”部類に属する噂として流れていましたが、同紙だけが積極的に裏をとったということでしょう。
 豊田自動織機関係では新谷仁美選手の東京マラソン出場も同紙が最初に報じたかもしれません(15日?)。寺田が知る限り、最初にその情報が出たのは千葉国際クロスカントリーのとき。寺田は人づてに聞いたのですが、小出監督が明言したという情報も、横浜国際女子駅伝の記者発表のときに耳にしました。10kmの部ではないか、との意見もあって、裏がとれるまで書けないかな、と思っていました。
 主催紙の記者は知っていたわけですが、新谷選手マラソン出場の記事は書かなかったようです。陸連女子長距離強化関係者は、昨日まで知らなかったといいます。東京マラソンの女子は世界選手権選考レースではありません。女子エリート選手の招待もない。新谷選手自身“代表を狙って走るのではない”という意思表示でもあるのです。陸連関係者が知らなくても仕方のない状況でした。

 東京マラソンの取材で迷っているのが、スタート地点の取材をするかどうか。取材といってもただ、スタート光景を眺めるだけなのですが、記念すべき第1回大会ですから。でも、そうするとフィニッシュ地点に移動するのが大変そう。取材申請の際にスタート地点で取材したいことを明記しなかったため、取材エリアには入れませんし、移動用のバスにも乗車できません。地下鉄しか手段はありませんが、人でいっぱいになって乗車できないのではないか、という観測もあります。
 移動に手間取ると、勝負所を見逃す可能性もあります。


◆2007年2月17日(土)
 明日はいよいよ東京マラソン2007一番の不安材料だったのが天候です。新宿は夕方の5時くらいから小雨が降り始めました。天気予報では明日の朝9時頃にはやんでいるということですが、ぜひともやんでもらいたい。スタート前の待ち時間に雨に濡れるのは最悪の状況です。百戦錬磨の市民ランナーたちは対策もバッチリでしょうけど、適当な気持ちで出場しようとしているランナーにはこたえでしょう。体調不良を起こす選手が多いと、大会が成功とはいえません。そういった適当ランナーは棄権するように、と注意したいですね。自分が適当だという自覚を持つのは難しいのでしょうけど。
 今日も新宿公園を通って大会本部の京王プラザホテルに。猫がいたので携帯電話のカメラで撮影。それがこれです。明日はここに3万人が集まってきて大変だよ、と注意しておきました。猫の耳に念仏、でしょうか。

 17時からのテクニカル・ミーティングではペースメーカーのタイム設定が発表されました。1km3分00秒ペース。下りで多少速くなるかもしれませんが、速くなりすぎないように、という注意がなされていました。3人のうち1人が20kmまで、1人が25km、最後の1人は30kmまで引っ張る予定です。
 その後はロビーで原稿書き。京王プラザホテルは関係者と接触しにくいホテルですが、今日は何人かの関係者と接触することに成功。浅井えり子さんにはマラソン出場回数を確認しようとしましたが、ご本人も覚えていません。しかし、最後の2時間台のレースは確定できました。
 山口衛里選手は「自己記録+1時間」が目標タイムだそうです。中国電力・坂口泰監督とも雑談。
 この時間に選手に話しかけることはしませんが、ジェンガ選手、徳本一善選手の表情も見ることができました。表情から明日の優勝者を予想……することなど、できるわけはありません。


◆2007年2月18日(日)
 東京マラソン2007の取材。
 起床は7:00。スタート前にフィニッシュ地点の東京ビッグサイトに行く案もありましたが(優勝争いをテレビでしっかり見るため)、やはり、スタートを見てから移動することに。何度も書きますけど、寺田の作業部屋から都庁までは歩いて10分の距離なのです。
 当初、スタート地点からフィニッシュまでの移動は報道者用のバスを使用するしかないと思っていました。それだと、到着が30km以降になってしまうかもしれないので、あきらめる方向で考えていたのです。
 しかし、昨日になって東京ビッグサイト最寄り駅の国際展示場駅まで、新宿からJRと臨海線で25分で行けることを知りました。だったら、スタートを見てから移動しても25kmまでには着きます。地上を走るJRなら、車内でラジオも聴ける。迷うことなく、記念すべき第1回大会のスタートを見に行くことにしました。

 8:40に作業部屋を出発。最初に、もう1つの懸案事項だった新宿中央公園の野良猫の様子を見に行きました。幸い、猫が拠点としていた公園の西端の方までは人波がありません。胸をなで下ろしました。
 続いて都庁方面に。しかし、スタート地点近くはもう、人でいっぱいでレースが見える状態ではありません。どこかに良い場所はないかと探して歩いていると、新宿駅近くまで移動していました。途中でミズノの木水広報とばったり。仕事ではないけど勉強のために実地見学をしに来られたとのこと。
 さらには、報道カメラ車に陸マガ高野徹カメラマン(陸マガ3月号の同カメラマンのコメントについては、そのうちに言及予定)たちの姿を発見。そうこうしているうちに結局、スタート地点から500〜600mあたりで観戦することに。コニカミノルタの広報の方たちがいるビルの近くです。
 写真を何枚か撮りました。普段の新宿の光景を見慣れている者にとってはまさに別世界。“走る”こととはいったい何なのだろう、と改めて考えました。

 新宿駅を9:37発の埼京線(りんかい線に直通)に乗りましたが、「停止信号」でなかなか動きません。大江戸線→ゆりかも経路に変更するか、瞬時の判断が求められるところですが、そちらのルートでは間違いなく30kmまでは見られなくなる。実際は3分後に動いてくれたのですが、30分にも感じられた3分間でした。
 国際展示場駅には10:05頃に着。東京ビッグサイトの取材は初めてで、プレスルームに着くまで15分かかったのは誤算ですが、なんとか勝負所には間に合いました。
 プレスルームは広さ的には十分ですが、テレビの台数が2台と少なすぎました。あとはミックスゾーンの設置の仕方がまずく、話を聞ける記者の数が限られてしまいました。それと女子の5km毎タイム入りの一覧が出ませんでした。この辺は記者クラブから要望が出されるはず。
 しかし、全体的にはフィニッシュ地点の取材はやりやすかったと思います。ロンドンやシカゴはフィニッシュ地点が公園で、プレスルームはちょっと離れた地点にあります。その点、ビックサイトはフィニッシュ地点のすぐ脇にあって、エリートランナーたちは誘導されてくるシステム。全然、楽ですね。女子の記録が出なかったと言いましたが、ロンドンやシカゴはもっとひどい。ロンドンなど10km毎ですから。日本は競技マラソンとして発展してきた伝統があります。その点が生かされていたのではないでしょうか。

 ミックスゾーンの取材は選手の声が聞き取れずに不十分でしたが、その後、会見もきちんとやってくれましたし、ちょっとした空き時間に佐藤智之選手の囲み取材もできました。ネタの仕込みはまずまず。女子の5km毎の一覧表を待っていたのですが、ホテル(大会本部の京王プラザホテル)に取材に行きたかったので、15時くらいにビックサイトを後に。
 駅に行く途中で高野カメラマンと会ったので、スタート前のカメラ車の写真を見せようとしたら、カメラの電源が入りません。キャノンの一眼レフではなく、レンズ一体型。故障の原因は雨に濡れたせいでしょう。それでも5万円くらいはしたのでかなり痛いのですが、記念すべき第1回東京マラソンを撮った代償ということで、自分を納得させました。

 雨といえば、今大会の成功を左右するのは天候ではないか、と指摘してきました。今日の天気と低温からすると、体調を崩す選手が続出するかと思っていたのですが、完走率は97%弱だったとのこと。市民ランナーたちがここまでタフだったのには正直、驚かされました。海外の大都市マラソンともほぼ同じ数字だそうです。でも、海外は10〜11月と4月の開催ですからね。日本の市民ランナーたちはすごい!
 しかし、寺田の取材対象はトップ選手たち。高野カメラマンはクリール(ベースボール・マガジン社の市民ランナー向け雑誌)の仕事があるので最終走者を撮りに行きましたが、寺田はトップ選手たちに接触するためホテルに(取材ではなく表情を見るためです)。具体的な状況をここで書くことはできませんが、何人かの選手、指導者との接触に成功しました。入船敏選手、日本人3位の林昌史選手、途中棄権した油谷繁選手。徳本一善選手は動けない状態で接触できませんでしたが、白水監督が練習について話してくれました。ヤクルト・安田亘監督は“あまり語らない”タイプの指導者ですが、ジェンガ選手との師弟の信頼関係が伝わってくるネタを仕入れることができました。

 全体としては、いい取材ができたと思います。今大会の社会的な意味とか、マラソン大会がどう変わっていくか、といった部分は新聞やテレビに任せておけばいいこと。寺田のできることは、これまでの大会と同じように、トップ選手たちを取材をすることです。そういう意味でのいい取材です。
 20時前にはホテルを出て新宿の作業部屋に。1時間ほど休憩しましたが、23時まで仕事をしてから家路に。朝、3万人ものランナーが走った道を新宿駅に向かって歩きました。寺田の取材はこれまでと同じでしたが、陸上競技を取り巻く環境は確実に変わってきています。大都市マラソン用の取材スタイルに変わるということはありませんが、もっと大きな意味で変わらないといけないのでは、と悩んでいる自身の状況とダブル部分もあり、複雑な心境で東京マラソン2007取材の一日を終えました。


◆2007年2月19日(月)
 昼過ぎまで自宅で仕事をした後、新宿の作業部屋に出勤。東京マラソンの余韻は特に感じられませんでした。関係設備は撤去されていましたし、ゴミなどが散乱していることもない。スタート地点までは行きませんでしたが、あの膨大な量の紙吹雪もきっちり清掃されていたのでしょうか。とにかく、今日からはいつもの日常が始まったということです。
 大都市のお祭りにしていきたい、と産経新聞が書いていますが、お祭りは一日だけのイベント。それをどう役立てていくかは、日常をどうしていくか、によって違ってきます。

 大都市型マラソンに変わったことで何が変わったのか、選手が強くなるのか? という質問を何度か受けました。社会的な部分での変化(これはもう、いいことだらけでしょう)が中心であって、強化という部分では特に何かが変わるとは思えない、という答え方をしています。
 都市型マラソンの先進国であるアメリカ、イギリス、ドイツ、オランダがマラソンで強いかといったら強くない。ラドクリフの印象が強烈ですが、イギリスの2番手とは大きな開きがあります。アメリカもカスター選手が2006年世界リスト1位(2:19:36)と頑張っていますが、2番手のアメリカ選手は2時間29分台。オランダやドイツの強い選手って、思い浮かびません。目の前で多くのアフリカ選手(あるいは日本選手)にすごい走りをされたら、勝とうとは思えなくなるのかもしれません。
 従来の日本のスタイルでは資金が少なく、有名選手を呼べなくなっている、という指摘も聞きますが、シカゴやロンドンのように強い選手が集まりすぎるのも、強化にプラスとは思えません。目玉となる外国人は1人か2人に抑え、日本選手もそこそこ上位に食い込める、という従来のやり方の方がいいのでは?

 家族が市民ランナーで、その影響で走り始めるという選手は出てくると思われます。“走ることを突き詰めよう”という考えになっていけばいいのですが、“楽しく無理をしないで走る”という考えのままだったら、競技人口が増えるとは限りません。陸上部に入らなくても、陸連に登録しなくても、大都市マラソンは走れるのですから。
 先進国の現状は前述の通り。“稼ぐ場所”が目の前にある国でさえ、強化につながっていないのです。大都市マラソンで強化ができるのではなく、強化には別の要素が重要となるのは明らかです。なんでも海外のマネをして、2時間8分未満の選手を20人揃えよう、それが大会のグレードを上げることだ、というのはどうなんでしょう。

 ただ、陸上界(ストレートに言えば陸連)に流れてくるお金が多くなれば、強化に充てる金額も大きくなります。実業団を持つ会社の経営者が選手個人のマラソン出場を、ニューイヤー駅伝と同じ価値だと判断すれば、実業団選手の環境が変わるかもしれません。
 だからこそ、お祭りをどう生かしていくのか、が重要になると思うのです。


◆2007年2月20日(火)
 今日、びわ湖マラソンの招待選手が発表されましたが、公式情報の入手が遅れたためコニカミノルタの酒井勝充監督に電話を入れました。坪田智夫選手が初マラソンに挑戦することの確認と(昨秋の取材時にびわ湖に出たいと話していたので)、福岡を見送った松宮隆行選手が出場するのかどうかを教えてもらうため。本日締め切りのテレビ番組雑誌の原稿に反映させたかったのです。
 残念ながら松宮隆行選手は間に合わなかった、とのこと。丸亀で日本人トップとなり、なんとかなるのではと期待していましたが、無理をして出てもろくなことはありません。しかし、坪田選手は予定通りに出場するそうです。特に大きな故障もなく、予定した練習はこなせたようです。

 考えてみたら坪田選手ももう29歳。初マラソンとしては遅めの年齢ですが、その分、スピードが身体に染みついているともいえます。一定のペースで押していく能力は日本屈指と言われています。初マラソンですから当たり前ですが、30km以降は未知数。ただ、東京マラソンで法大の後輩の徳本一善選手があそこまで走りました。先輩としても、長めの距離に強かったという点でも、負けられないでしょう。
 といっても、何をもって徳本選手以上の結果といえるのか、難しいところです。東京マラソンはとにかくコンディションが悪かったので、記録の比較はできません。

 その他の招待は2時間8分台に小島宗幸・忠幸兄弟と、高塚和利選手。9分台に梅木蔵雄選手と渡辺真一選手。トラックでアジア大会代表経験のある瀬戸智弘選手と岩佐敏弘選手(坪田選手も含めて3人が02年の釜山組)。コニカミノルタの太田崇選手も注目です。
 世界選手権代表が福岡3位の奥谷亘選手1人しか決まっていないということで、びわ湖の注目度ががぜん高まりました。そうでなくとも、20km、25kmの先頭集団の人数は世界一といわれている大会。楽しみですね。
 ところで、コニカミノルタといえば、一昨日の東京マラソンで雨中取材をした後に動かなくなったレンズ一体型デジカメが、コニカミノルタ製品でした。それが今日になって電源を入れてみると、正常に作動しました(もしかしたら昨日の時点で動いたのかもしれませんが)。


◆2007年2月21日(水)
 一昨日の日記に「あの膨大な量の紙吹雪もきっちり清掃されていたのでしょうか。」と書いたところ、東京マラソン2007運営に関わった方からメールをいただきました。
あれは「紙」ではなく、「でんぷん」を固めたものに着色したものでした。
ピンク色は都知事の色ということで・・・。
「でんぷん」だったので、掃除したのではなく、雨ですぐ溶けたんだと思います。

 ということは運営する側の手間を、雨が少なくしてくれたことになるわけです。しかし、物事はままなりません。スタート後にコース上に残された「傘の山」を片づけるのが、ものすごく大変だったようです。いったい、何千本あったのでしょうか。

 ところで、東京マラソンのような大都市マラソンのメリットですが、昨日の日記の最後に、直接ではないのですが強化に結びつく要素を2つ紹介しました。強化資金が多くなることと、駅伝と同じくらいに個人のマラソン出場を会社経営者たちが持つようになること。社会的な現象ですから、もっと多方面でプラスの影響は出るでしょう。
 例えばクラブチーム経営です。大都市マラソンに出たいと考える人間が多くなれば、月に数千円を払ってでもプロの指導を受けたいと考える人も増えるでしょう。そうすると、その方向を目指す資生堂・川越監督にも追い風になるのでは?

 この冬の大イベントが東京マラソンなら、この夏の大大大イベント世界選手権大阪大会。ですが、話が進んでいた大きな仕事がキャンセルされてしまいました、個人的な話になってしまいますけれど。正式にスタートしたわけではなく、この方向で進めていきましょう、という段階だったので、契約違反というわけではありません。地元世界選手権という機会に実現したかった仕事なので、とっても残念ではあります。
 ただ、こういう話って結構あるのです。昨年のこの時期にも、実業団チームを持つある会社のWEBサイトを運営する会社から、それなりに大きな話が来ましたが、実現しませんでした。7年前に独立したときには、はっきりと約束したにもかかわらず、反故にされた仕事がありました。
 本当にままならない2月ですが、年度の変わり目はそういうことが多いのかも。

 記録集計号の進行も「???」ですけど、ここは関係者が頑張ってなんとかするでしょう。そういえば寺田も、関係者の1人です。


◆2007年2月22日(木)
 今日はそこそこ仕事が進みました。記録集計号も自分の担当ページは先が見えましたし、先週の金曜日に取材した人物ものの原稿も書き終えました(推敲が必要な段階ですが)。といっても、週末にそこそこ大きな原稿の締切があります。記録集計号もミスが許されない作業だけに気が抜けません。
 あれ……? ミスをしていけないのは他の仕事も同じです。実際、どんな原稿でも記録や戦績、事実関係はミスのないよう心がけています。どうして記録集計号に限って、こんな書き方をしてしまったのでしょう? という理由を考えていたら、最近、似たような話があったような気がしてきました。

 思い出しました。陸マガ3月号の高野徹カメラマンのコメントです。陸マガ・フォトグラファーが選んだBEST SHOTという特集があって、2006年の取材の中からカメラマン自身がこれはというショットを選んでいます。思い浮かんだのはその絵柄ではなく、プロフィールにある高野カメラマンのコメント。
「印象深い取材は、全部。世界大会も子供の大会も、僕にとっては変わりない」
 オリンピック、陸上世界選手権、サッカーW杯と“世界三大スポーツ”といわれているイベントを全て取材している同カメラマン。そういった大会も、全国小学生大会も、○○大対▽▽大の対抗戦も同じスタンスで取材していると言っているのです。「カッコつけすぎだろう」と思われる読者もいるでしょうが、これは本心だと思います。以前から何回か聞いたことがあります。彼なりのポリシーというか美学というか。

 しかし、寺田なりの解釈の仕方をしています。どの取材も現場に行ったら同じ気持ちで撮影をするのは事実でも、準備にかける時間が違うと思うのです。世界選手権だったら半年前には取材申請をします。つまり半年間、「8月には世界選手権を取材をする」という気持ちで過ごすことになる。当然、小さな大会でも世界選手権に絡んでくる選手は注目します。本番と同じ会場で試合があれば、下見的な感覚で取材もするでしょう。要するに、大きな大会になればなるほど、覚悟をする時間が長くなるのです。
 これは我々ペン記者も一緒。どんな小さな取材でも全力は尽くしますが、準備段階で違いがある。リラックス度も違ってきますね、一生懸命さは同じでも。寺田とE本記者のジョークの応酬も、町田とドーハでは違っていた……と思います。
 集計号の仕事も一緒。1年に一度ですけど、その間ずっと、「集計号の仕事があるぞ。陸上ファンと関係者が1年間使う資料だ」と思っているのです。その辺の違いであって、どの仕事もミスをなくそうとする姿勢は一緒です。

 選手も試合に出たら、どんな大会でも全力で行きますよね。でも、大きな大会となると気持ちの持って行き方が違ってきます。もちろん、身体面や動きの面のピーキングもしますが、これはできる選手とできない選手がいるようです。あと、心身とも大きなスパンでのピーキングは簡単です。寺田でもできるわけです。それが、数日単位のピーキングとなると難しいようです。


◆2007年2月23日(金)
 横浜国際女子駅伝の記者会見がありましたが、仕事が立て込んでいて行くことができませんでした。明日、取材が入ったこともあり、日曜日締め切りの原稿がかなりタイトになってきましたし、集計号の版下出力は、プリンタの側を離れられませんし。しかし、今日、60ページを出力して(印画紙が足りなくなって焦りました)、集計号の担当ページは目次を残して完了。
 版下発送のためコンビニに宅急便を出しに行ったのが夜の2時。その後、録画してあった「We Love アスリート」を見ました。為末大選手の2週目。先週の放映分は知っているネタがほとんどで(野球部の橋本君ネタは初めて知りました)、ヨーロッパの経由都市はロンドンじゃなかったっけ? とか、突っ込みまで入れていました。今日の分はプライベートネタも多く、初出といえる話も多かったのでは? それにしても、よく考えている選手です。自分のことを現役時代に、ここまで分析できる選手というのも珍しいでしょう。
 と思って為末選手のサイトを見たら、「知己1」というタイトルのコラムが出ていました。

 同番組にはこれまで、末續慎吾選手、沢野大地選手、田中宏昌選手、奥谷亘選手、室伏由佳選手がゲストとして出演してきました。来週は池田久美子選手みたいです。陸上選手がたまにバラエティーに出演することはあっても、毎週登場する番組は過去になかったと思います。地元で世界選手権が開催されるから、なんですが、これが定着したら……というのは、さすがに厳しいでしょうか。たとえ、大阪世界選手権が盛り上がっても。
 まあ、いきなり陸上ブームが来るところまで期待するのはムシが良すぎます。熱しやすく冷めやすい、となるよりも、陸上人気がじっくりと定着していく方がいい。そのためにも、大阪の盛り上がりを北京五輪につなげることが重要です。さらに言えば、北京の盛り上がりをベルリン世界選手権に結びつける。東京の世界選手権のときは翌年のバルセロナ五輪までは良かったのですが、その後が続きませんでしたから。


◆2007年2月24日(土)
 今日は都内である選手の取材。コーチも同席してくれました。
 一昨日の日記で高野カメラマンの「世界大会も子供の大会も、僕にとっては変わりない」というコメントを紹介しましたが、その選手も全ての試合にまったく同じ気持ちで臨んでいる、と言います。日本代表の国際大会も県の記録会も一緒だと。もしかして高野カメラマン的な考え方かな、と思って「準備や覚悟をする時間が違うのでは?」と突っ込ませてもらいました。
 ところが、それも違うと言います。意識しているのは次のレースだけ。つまり、冬期練習中にイメージするレースは、シーズン第一戦の○○県記録会だけだと言います。覚悟をする期間の長さだったら、その試合が一番長くなる。
 ピーキングもまったくしない、と言います。どの試合も100%の力を出せるようにする。夏のレースのことを考えて、春先の試合はこう位置づける、という考え方は一切しないのだそうです。疲れがある中で試合に出るのは練習の組み方が悪い等々。
 詳しくは陸マガ次号で。


◆2007年2月25日(日)
 横浜国際女子駅伝の取材。
 10:50頃に発着点の赤レンガ倉庫に。取材受け付けで隣を見ると、某専門誌のHカメラマンの姿があります。「もしかして25回連続取材ですか?」と聞くと、「あー、そうかもしれない」という答え。そうです。横浜国際女子駅伝は25回目の節目の大会。以前は外国チームにまったく歯がたたなかった日本が、徐々に勝負ができるようになり、今では最多優勝回数を誇るまでになりました。
 増田明美、佐々木七恵という女子長距離のパイオニア的な選手から、新谷仁美、小林祐梨子という今後を担う“今の若手”まで、女子長距離の歴史を担った選手たちはほとんど走っている大会です。寺田も思い出は色々とあります。陸マガのアルバイトだった頃にカメラマンをして緊張しまくったこと。その直後に喉を痛めて入院したこと…。

 プレスルームは7割方埋まっていました。普段は控えめに後ろに座るのですが、今日は空いていた最前列に。後ろの席は同世代の朝日新聞・堀川記者。レース中テレビで、歌手の鈴木亜美さん(中学・高校と神奈川県で陸上部)が「宮内さん姉妹は同じ神奈川で有名でした」と言うと、「俺の場合は磯崎さんだった」と昔を懐かしんでいました。何度も紹介していますが、堀川記者は神奈川県の某高校の陸上部出身。高校生ながらアジア大会短距離4冠の磯崎公美さんが、同学年で活躍していて憧れの存在だったそうです。
 前の席の男が森麻季アナ(日本テレビ。箱根駅伝前の“渡辺康幸監督を男にする会”でも司会)が中継所の実況をしているときに、「我々の世代のヒロインは森雪だよなあ」と言うと、「宇宙戦艦ヤマト?」と堀川記者も嬉しそうな顔をします。今度は同記者が、プリンタのCMにピンクレディーのMIEが出演していると「長沢まさみと一緒だと苦しいなあ」言えば、「森雪のイメージは我々の中では変わらないよな」と寺田。こういったところにも、25回目の重みが感じられました。

 肝心のレースの方は、ロシアが1区から一度もトップを譲らず快勝。優勝回数は9回目で日本が並ばれました。でも、この大会が始まった当初は、ロシアではなくソ連でした。ご存じの通り、東欧の共産圏は崩壊し、ソ連はいくつもの国に分裂しています。そのうちの最大の国家がロシアではありますが、ウクライナやバルト3国、ベラルーシに選手が分散する格好になりました。中央アジア地域のカザフスタンやウズベキスタンにも、僅かですが強い選手がいました。
 ということは、横浜国際女子駅伝を走った選手の中には、ロシア以外の地域出身選手もいた可能性が大きいわけです。そういったケースで、ソ連とロシアを同じ国として扱って、優勝回数をカウントしていいのでしょうか? という疑問を感じたのも、横浜国際女子駅伝の歴史の重みゆえでしょうか。
 このスポーツで国が変わった場合のカウントの仕方については、すぐにでも解説したいと思いますので、メールを送るのは待ってください。


◆2007年2月26日(月)
 昨日の続きです。横浜国際女子駅伝で9回目の優勝と報じられたロシアが、80年代はソ連として参加していました。優勝回数や参加回数を合わせてカウントしていいのかどうか、という話ですね。寺田はいけないのではないか? と感じました。以前のソ連チームにはウクライナやカザフスタン出身の選手がいた可能性もあります。
 しかし、100%の自信は持てなかったので大会本部に聞きに行きました。が、誰も知った顔の人間がいません。細かいことを気にするやつが来たな、と思われるのもなんでしたから、共同通信・宮田記者に質問しました。共同通信ですから、この手のことを知っていないわけはない。他の競技ではどう扱っているのか、質問しました。

 8割方自分の見解が正しいだろうと思っていたら、これが聞いてびっくり。寺田が間違っていました。チーム競技のこういったケースでは、前身の国家を継いだと考えられる国に、優勝回数や参加回数が追加されてカウントされるのだそうです。ソ連の優勝回数はロシアに、ユーゴスラビアの優勝回数はセルビアに引き継がれます。
 確かに、選手個々の出身地域まで考慮していたら、ややこしくなることこの上ありません。チームを1つの個とみなせば、後身の国がスポーツの功績を引き継いでおかしくはないわけです。

 仮に卑弥呼の時代(3世紀?)に邪馬台国が、魏と綱引き大会をしていたとします(邪馬台国の記述が出てくるのが魏志倭人伝。三国志に出てくる3つの国の1つ、だと思います。もう1度、魏という国が中国史に登場しますけど)。その対抗戦が8回行われて4勝4敗だったとします。魏は中国にいくつも国があったうちの1つですし、邪馬台国だって日本に割拠していた有力国家群の1つだと思われます。
 しかし、もしも今後日本と中国の綱引き大会が復活し、主催者が3世紀の大会を復活させたと主張したら、最初の勝利国は“5回目の優勝”となるのです。
 例えの話の方がややこしくなってしまったような気もしますが、そういうことでした。


◆2007年3月3日(土)
 今日はポール一色に染まることができました。そうです、西田修平 高橋公一記念国際室内棒高跳の取材。ちなみに明日はびわ湖マラソンという梯子取材。
 西田記念は初めての取材かな、と思って中京大体育館に足を入れると、デジャヴ(既視感)を覚えました。おそらく、一度来ていると思います。びわ湖マラソンとのセット取材は間違いなく初めてなので、びわ湖と離れた時期に開催されていた頃でしょう。ただ、それがいつだったのか、までは思い出せません。

 常にテーマをもって取材に臨んでいる寺田ですが、この大会ではまず、高橋公一氏とは誰か、をはっきりさせたいと思っていました。以前は「西田修平杯」でしたが、昨年だったか2年前から、「西田修平 高橋公一記念」と変更されています。関係者の方はお怒りになるかもしれませんが、恥をさらけ出すことを覚悟で書けば、どういった方か知りませんでした。
 会場に着くと高橋卓巳さん(元日本記録保持者で中京大OB)、桑原記者(主催の中日新聞で早大競走部OB)に話を聞き不勉強だった寺田も、西田・大江時代(36年ベルリン五輪銀&銅メダリスト)の少し後の時代に活躍された方と知りました。早大出身で、愛知陸協の元会長。棒高跳を強くする会発足時のメンバーで、今大会をスタートさせるときにも大きな尽力をし、亡くなられた後にその功績をたたえる意味で、大会名に冠したのだそうです。

 棒高跳関係者多数集まっていて、色々な情報が収集できました。ニシスポーツの増谷さんからは、高根沢威夫選手(元日本記録保持者、76年モントリオール五輪8位)の現役時代のフォームや、現在高根沢さんが経営されているラーメン屋が繁盛している話。神谷晃尚先生と某専門誌(棒ではない)Hカメラマンとは、神谷先生の現役時代の話。棒高跳でインターハイに優勝し、三段跳でも2位になれる選手はその後いません。神谷先生の、人材確保についての意見には説得力がありました。
 そうこうしていると開会式。神谷先生と木越清信選手が紹介されていました(写真も撮ってあるのですが、富士通PCの写真加工ソフトの使い方がわかりません)。筑波大記録保持者の木越選手と歴代3位の神谷先生。村木征人先生の偉大さがわかる一シーンでした。

 競技が始まると、これがいい感じ。2つのピットで男女が同時に進行しますが、並んだピットなので一緒に助走をすることはありません。1つの種目だけの競技会は集中して見ることができます。近くで見られますから、選手の足音や突っ込みの時の音など、屋外の試合よりリアルに聞こえます。近藤高代選手が跳躍後に、首を左右にプルプル振る仕草も手に取るようにわかるのです。単独種目というとマラソンや駅伝など、お金の集まる種目だけというイメージですが(競歩や混成もそうですけど)、こうして見ると本当に面白く感じられます。
 競技の方は男女とも外国勢が優勝。女子は近藤選手が昨年の不調から脱して室内日本歴代3位の4m12。先に女子が終わって選手に取材を、と思ったらこの種目にはポールの片づけがありました。でも、その間に錦織育子選手のコーチの広田哲夫さんに、同選手の不調(2週連続記録なし)の理由を聞くことができました。
 続いて近藤選手。昨年は不調ではなく、意図的に休養年としたのだそうです。その間、男子が佳境に入っていましたが、ラナーロ選手が跳躍するときはそちらを見ることもできます。取材もしやすい大会だったということ。
 ちなみに、ペン記者は中日新聞・桑原記者(早大競走部で瀬古さんと同学年)、中日スポーツ・寺西記者(室伏広治選手と同学年。内心、顔では自分が勝っていると思っているらしい)、それに寺田の3人だけ。いつか、昆明取材も一緒にさせてもらいたいなあ、と思った次第。2人は名古屋国際女子マラソン用の取材で、昆明に行って来たばかりなのです。

 男子優勝者のラナーロ選手にも、中京大・松下裕輝コーチに通訳してもらって取材。寺田はケニア選手と片言の英語で話すのが精一杯。仕事では通用しません。松下コーチは東京理科大から競技を始め、テネシー大で修士号をとり、同大のアシスタントコーチを務めた経歴の持ち主。陸上界には色々な人材がいるのだと、改めて感じました。
 ラナーロ選手のあとは、見学に来ていた沢野大地選手に。ラナーロ選手はアメリカでの練習仲間です。数分で、後方で競技会以外の取材を受けていた錦織選手のインタビューが終わったので、同選手の話を聞く展開に。記録なしに終わり悔しくないはずはないのに、きっちりとした受け答えをしてくれました。この辺は元苦労人だけあります。就職浪人の期間が長かったですからね。鍛えられています。
 その後は陸マガの単独取材。終了後、男子で2位の柏木選手の話も聞きたいと思い、試合後の練習を見ている日体大・小林史明コーチのところに。帰りかけていた柏木選手をつかまえることができましたし、小林コーチからは同選手が硬いポールを使えるタイプであることを教えてもらいました。
 1種目だけですが、充実した取材のできた1日でした。

 大津着は20時過ぎ。今回のホテルはちょっと遠いけど安いホテル。フロントでチェックインしようとすると、デイリーヨミウリのケネス・マランツ記者の姿を見つけてビックリ。読売新聞の記者がこんな安いホテルに泊まってはダメですね。しかし、パリの地下鉄(03年世界選手権)やら、アムステルダム空港(05年世界選手権)やら、本当に色々なところで合います。
 ネット接続の設定ができないとフロントと話していたようです。ホテルの人が寺田に「見てあげてもらえますか」と依頼してきます。西田・高橋記念の締め切り(今日です)を気にしつつも、お世話になっているケネス記者の部屋に行きました。接続は何の問題もなく成功。たぶん、ケネス記者がやったときは回線が混み合っていたのでしょう。ホテルではよくあること。
 それよりも、ネットに宇多田ヒカルさん離婚の記事があってビックリ。彼女の電撃結婚が報じられた日に「宇多田ヒカル、結婚しましたね」と末續慎吾選手が話していたのが、ちょっと前のような気がするのですが。


◆2007年3月4日(日)
 びわ湖マラソンの取材。
 レース前の雰囲気と会場レイアウトがよく、取材がしやすい大会です。さすがに選手に話かけることはありませんが、指導者や関係者に接触しやすい。千里阪急ホテル(大阪国際女子マラソンの昨年までの本部ホテル)もそうでしたが、そういった会場が取材への集中力を高めてくれます。会場によって取材のテンションが左右されてプロといえるのか? 弘法筆を選ばず、ということわざもありましたが、時代背景が違います。と勝手な理屈をこねてしまいました。

 レース前にビックリが2つ。1つは1万m27分台の山口洋司選手がエントリーしていたこと。先ほど選手には話しかけないと書きましたが、ベテラン選手や親しい選手など、例外もあります。聞けば今回が初マラソンで、ホンダ陸上部でのラストランということです。
 もう1つはTBSドラマの「華麗なる一族」に出てくる神戸の製鋼所のモデルが、我らの(?)山陽特殊製鋼だと判明。小林正明コーチが教えてくれました。しかも(?)、撮影はJFEとこちらも陸上競技関係。そうならそうと言ってくれれば、寺田もドラマを見ていたものを…。恨み言の1つも言おうとTBSの“華麗なるディレクター”ことYディレクター(早大競走部出身)にそのことを言うと、Yディレクターは「そうなんですか?」というリアクション。そんなことでいいのか、TBS社員が。と思った読者も多いと思われますが、あなたは自分の会社のことを何でも知っていますか?(特に大きな会社の方)。公務員の方は自分の自治体や大学の活動を細部まで知っていますか?

 ところで、
昨日西田杯にいたのは  小林史明コーチ(日体大・棒高跳)
今日会ったのは       小林正明コーチ(山陽特殊製鋼)
今日着ているTシャツは  小林史和選手(NTN)の1500m日本新記念Tシャツ
Yディレクターの後輩は   小林正幹選手(元SUBARU・現関東学園大監督)
 と、混乱していたらテレビ取材がスタート。

 今日の取材の最大の目的は、NTT西日本の清水康次新監督から名刺をもらうことではなく、引退レースがどこになるのかを聞き出すこと。言うつもりはないのにポロッと言ってくれるかなと計算して、清水監督の神経がレースに集中している間に話しかけましたが、「決まっていないんです。どうしましょう」という慎重な回答。実際、やることが多くて自身のことまで手が回らないようです。どこにするか考えるのも大変そう。
 だったら他人が決めてあげるのも1つの方法です。優勝経験があるのは東京、自己記録はびわ湖、初マラソンの高岡寿成選手に勝ったのは福岡。どの大会でも印象に残る走りをしています。だったら、寺田のサイトで読者にアンケートをして、「清水監督引退レースはどこがいい?」企画をやって決める方法を思いつきました。これは妙案です。
 ですが、現実的には選手が出るレースに自分も走るというのは苦しい。となると、セビリア・マラソンあたりに休暇を利用して出るしかありません。セビリアは世界選手権で入賞した街ですから。でも、セビリアでマラソンって行われているのでしょうか。

 肝心のレースですが、気温が暑く、レース前にペースメーカーの設定が遅くなりました。完全にイーヴンで押し切れればそれでも、2時間10分は切れるのですが、スタート前に監督たちの話を聞いていると「日本人トップは2時間11〜12分」と予想する声が多かったです。
 その条件でも東アフリカの3選手が、最後にすさまじいデッドヒートを演じました。ところが、そのあたりではページ展開の変更をあれこれ考えて、なかなか集中できません。新聞もそうだったと思いますが、世界選手権代表内定者が出ることを想定した取材体勢をとっていたはず。それがレース終盤で無理となり、5位までは外国勢が独占する情勢になってきました。
 目の前ですごいレースが行われていたのに残念ですが、それが仕事ですから仕方ありません。トラック&フィールドの競技会もそうですが、じっくりと試合を見ようと思ったら、職業にはしない方がいいと思います。

 日本人トップは久保田満選手(旭化成)。恩師の東洋大・川嶋伸次監督と似ている点など、少し感じるところがあったので、その辺は日を改めて書きたいと思います。


ここが最新です
◆2007年3月5日(月)
 今朝は陸マガ用に久保田満選手(旭化成)にインタビュー。朝早くに時間を割いてもらい、感謝しています。独占取材については日記に書かないのが普通ですが、この文章を公開するのは9日なので大丈夫、ということで。場所は……伏せておいた方が良いですね。
 内容的にはレース後の共同会見の話をベースに、さらに突っ込んだ話を聞くことができました。昨日から頭の回転も速いし、面白い考え方をする選手だと思っていました。面白いというか、今では珍しい感性の選手ではないかと。それが、恩師である東洋大・川嶋伸次監督の現役時代に似ている感じも少ししたのです。
 そういえば、びわ湖マラソンの取材に初めて行ったのが2000年のシドニー五輪選考レース。川嶋監督が日本人トップとなって五輪代表を決めたレースです。前年の福岡で2時間9分台をマークし、代表を争ったのが同じ旭化成の小島宗幸選手でした。昨日は残念な結果に終わりましたが、復活しようと頑張っている。その一方で、川嶋監督は大学の指導者となり、教え子を古巣の旭化成に送り込み、その教え子が結果を出し始めている。感慨深いものがあります。

 久保田選手のどこが珍しい感性だと思ったのかというと、“意気に感じる部分”共同会見の「やはり、名門・旭化成、世界の宗さんの下で競技をしているからには、もっと上の走りをしないと。」という部分に代表されているでしょう。久保田選手の年齢を考えると、川嶋監督が宗兄弟のすごさを説いたのだと思われますが、それを素直に受け容れる精神的な下地があったのでしょう。周囲の人に対しての感謝などの強い気持ちも、ストレートに表現できる。そこを恥ずかしがらない。
 後輩への感謝の気持ちを持つことや、駅伝メンバー漏れや佐藤智之選手の快走で奮起したことなども、昭和世代の熱血選手というイメージです。延岡から応援がたくさん来てくれて、その応援があるたびに笑顔で応えていたといいますし。共同会見で発言した「自分を代表に選ぶことが日本陸上界にプラスになる」というコメントも、まったく嫌みを感じさせません。

 指導者や周囲の気持ちに熱く応えるタイプですが、自分はこれで行く、という芯の強さも持っているように感じました。指導者の言うことを盲目的に聞くわけではないようです。指導者に盲目的に従うと、結果が出なかったときに責任転嫁をすることにもなりかねません(と、久保田選手が言ったのではなく、これは寺田の考え)。記事にはしませんでしたが、その辺のエピソードも話してくれました。
 自分の考えを指導者にぶつけ、結果に対しては自分の責任とする。それができないと20歳代後半に伸びなくなるのではないでしょうか。かなりプロセスを省いて書いてしまいましたけど、たぶん間違いないです。

 インタビュー後にはホテルに戻って、13時まで延長使用して原稿書き。陸連短距離合宿の記事を短くして、久保田選手のインタビュー記事も8割書き上げました。
 大津から京都に出て、新幹線で関西を後にしました。今回のびわ湖取材は1月の大阪国際女子マラソンに続き、今年2度目の関西です。この後は4月の兵庫リレーカーニバル、5月の国際グランプリ大阪、6・7月の日本選手権、8月の世界選手権と、半年間毎月関西に来るはず。ずうっと関西、です(スルッと関西のパロディのつもり)。


◆2007年3月6日(火)
 今日は14時から対談の取材。某大学の先輩と後輩です。技術的なテーマだったので、久しぶりに録音もさせてもらいました。先輩選手がその方面で語れることはわかっていたのですが(自身の技術をわかりやすく話すことでは日本一との定評)、後輩選手もかなりの見識で、盛り上がった対談になりました。1時間では足りませんね。

 びわ湖の陸マガ原稿がまだ途中。東京マラソンとびわ湖を合わせて、総括的な記事を書くことになっています。締め切りは今日で、雑誌発売は14日でマラソン代表の発表後。ちょっと想像していただければわかると思いますが、これは難しい作業です。選考云々という部分を中心に書くのはノーグッドということになります。
「こんな見方もあったのか」という視点を出してほしい、という高橋新編集長(筑波大跳躍ブロックOB)からのリクエスト。実は書き始めるまでに5時間くらい思案して、かなり面白い内容にできる手応えがありました。というか、昨晩中に120行のうち60行は進んでいました。
 しかし、作業部屋に戻る途中にカフェで原稿を書こうと思ったのですが、集中力がいまひとつ。作業部屋に戻ってもいまひとつ。週末に睡眠時間がかなり減っていた影響で、早めにダウンしてしまいました。夜中に復活しましたが、編集部に迷惑をかけてしまい反省しています。
 内容も、イメージしていたことの6割くらいしか盛り込めず、自分としては不満足。6割というのはひどいですね。自分のことだからそう言っているのであって、実際は8割くらいなんでしょうけど。

 一昨日の日記でTBSドラマ「華麗なる一族」に出てくる阪神特殊製鋼のモデルが、我らの(陸上界の、という意味です)山陽特殊製鋼だと紹介しましたが、視聴率で東京マラソンが0.1%勝ったというデータが、寺田が陸上競技記事を書いている某週刊テレビ番組雑誌に出ていました。東京マラソンの週の上位は以下の通り。
23.6% 東京マラソン
23.5% 華麗なる一族
21.9% 風林火山
21.4% サザエさん
21.0% 花より男子

 個人的な意見ですけど、最初ということで話題性、もの珍しさも手伝っての高視聴率だったのではないかと思います。裏番組との兼ね合いもあります。初の市民マラソンとの合同レースで良かったからといって、次回から市民マラソン中継になったら率は落ちるのでは?



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