続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2011年7月  フライングは和製英語

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◆2011年6月28日(火)
 昨日、先週の後半からかかりきりだった日本選手権の原稿が終わりました。その前はアジア選手権がらみの仕事が立て込んでいて、2週続けて土日が取材ではなくデスクワークでした。ホクレンDistance Challenge深川大会、布勢スプリント、大阪選手権と、距離的にも取材に行くのが難しい開催場所だったのですが。
 しかし、3個所とも良い記録が出ました。素晴らしい記録と言っていいでしょう。

 土曜日のホクレンDistance Challenge深川大会1万mでは渡辺和也選手(四国電力)が27分47秒79と、世界選手権のB標準を突破しました。ただ、世界選手権代表ということになると、渡辺選手はこの種目で選考会に出ていませんし、同じB標準突破者で日本選手権に優勝している佐藤悠基選手(日清食品グループ)が優先されます。
 しかし、1500m出身の渡辺選手が1万mでここまでの記録を出すとは予想していませんでした。さすがに今回は、ゴールデンゲームズinのべおかの5000mとは勝手が違ったか、外国人選手たちに勝てませんでしたが。その点を差し引いても1万mでこの走力があれば、5000mのハイペースにもより対応できるのではないでしょうか。
 それと、計測工房の藤井社長がブログで指摘されていましたが、1万m27分台選手で1500mで3分30秒台を出しているのは渡辺選手が最初になります。この点が一番評価できるように思います。
 条件が良かったのだと思われますが、日本人2位以下も好記録が続出。特に駒大勢がすごかったですね。油布郁人選手が28分02秒46、撹上宏光選手が28分03秒27、窪田選手が28分23秒61。B組でも久我和弥選手が28分32秒32でトップで、上野渉選手が28分42秒89で3位。条件が良かったとはいえ、油布選手と撹上選手は実業団選手に勝っていますから、力があるといえます。28分10秒未満が同時に2人いた学生チームは初めてです。

 日曜日は大阪選手権の方が先に、情報が飛び込んできました。
 特別レース女子400 mHで久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が55秒34の日本新。自身の日本記録を3年ぶりに0.12秒更新しました。1台目までの歩数はどうだったのでしょうか。前回の日本記録のときは、「本当は23歩で入りたかったんですが、今日は24歩で行きました。6台目まで16歩で行ってしまうと後半が心配だったので、5台目までしっかりと16歩で行くためです」と話していました。今年の日本選手権(55秒81)も、23歩で行く予定が24歩になってしまいました。ブログあたりに書いてくれるとありがたいのですが。
 2位の青木沙弥佳選手(東邦銀行)も56秒62の好記録。B標準に0.07秒届かなかったのは悔しかったと思います。久保倉選手がA標準を破ったので、B標準でも代表の可能性が出てきたのですが。それでも、自己2番目の記録でしょうか。
 特別レース400 mHは男子でも今関雄太選手(チームアイマ)が49秒27と自身初めてA標準を突破。日本選手権でもきちっと2位に入っていますから、世界選手権代表に大きく前進したといえます。
 驚かされたのが2位の小西勇太選手(立命大)が49秒41と世界選手権のB標準、ロンドン五輪A標準を破ったこと。日本選手権は8位の選手でしたから。関西インカレでは50秒02の大会新を出しています。

 布勢スプリント(第26回布勢リレーカーニバル兼2011スプリント挑戦記録会 in TOTTORI)の情報はツイッターで色々と入ってきていました。正確な情報はネットに載った通信社の記事が一番早かったでしょうか。今回も福島千里選手(北海道ハイテクAC)が快走しました。
 第1レースでは11秒24の自己セカンド記録タイ。これはイコール、パフォーマンス日本歴代2位タイですね。向かい風0.3mでしたから、向かい風の日本最高。09年のアジア選手権で11秒27(−1.0)で走っていますから、どちらが良いパフォーマンスとは言い切れませんが。
 第2レースは追い風3.4mの参考記録ですが11秒16の日本最速タイム。これも風を換算したら、一番良いパフォーマンスとは言い切れませんが。
 男子100 mは2レースとも向かい風。江里口匡史選手(大阪ガス)は2本とも10秒4台でした。「風のアシストを気にしている時点で負けている」というコメントが記事に載っていましたが、追い風だったら10秒25のB標準くらいは行けたかもしれません。残念。
 大阪、鳥取とも110 mH、100 mHも行われました。ハードル間を刻まないといけない種目の特性上、追い風が100 mほど100%のプラスにならない種目ですが、向かい風より追い風の方が好記録が出るのは確かです。大阪、鳥取とも“強すぎない”追い風でしたが標準記録突破者は出ませんでした。好条件でやってダメなら、選手もあきらめるしかないでしょう(たまには厳しいことも書かないと)。

 風のことは人間の力ではどうしようもないことですが、日本選手権の後でこうした記録を狙える機会をセッティングしいてくれる鳥取陸協、大阪陸協の取り組みはありがたいことです。布勢の競技場には選手や関係者も含めて6000人の観客がスタンドに入ったそうです。先日の日本選手権が1万3000人(金曜日)、1万4000人(土曜日)、1万2000人(日曜日)でしたから、いかに布勢の集客率が良かったかがわかります。2年前に取材に行ったときは、前の晩にテレビでCMを流していました。
 好条件ばかりで記録を出しても本当の強さにならないという意見も聞きます。でも、日本のレベルを考えたら、良い記録を出して選手が“いける”という気持ちになることの方が、メリットは大きいと思います。陸上界としても盛り上がりますし。タフさを求める機会は別につくればいいことですから。


◆2011年7月5日(火)
 昨日、先週の後半からかかりきりだった仕事が終わりました。と、1週間前の日記と同じような書き出しですが、週末の取材に行けなかったのも同じ状況です。札幌国際ハーフマラソン、取材に行きたかったですね。
 というのも、札幌ハーフは取材のしやすい大会なのです。最終目標とする大会ではないだけに、選手たちもナーバスになっていないのでしょう。男女同時スタートなのでレース後の取材も立て込んでしまうのですが、その点を差し引いても色々とネタを仕入れやすい大会です。
 でも、行かれなかった以上、各紙の記事から現地でどんなやりとりがあったのかを推測するしかありません。その辺を行間から読みとる術は、もしかすると身につけているかもしれません。

 例えば男子トップの岡本直己選手についてですが、下記のような記事を共同通信が配信しました。
 記者会見がなかった岡本に代わり、坂口監督は「この暑さを考えるとすごい。確実に力をつけている」と高く評価した。ロンドン五輪代表を目指し、12月の福岡国際マラソン出場を視野に入れているという。(共同)
 軽々しく決めつけることはできませんが、主催者と記者たちの間で行き違いがあったのは確かでしょう。

 気になるのは、女子の日本人トップの絹川愛選手がどんなことを話したのかということです。テレビ・インタビューでは「今日は監督から、マラソンの適性検査だと言われていました。マラソン候補生くらいにはなれたかな」と話していました。
 ネット上で各紙の記事を見た感じでは、マラソンの適性があると渡辺高夫コーチは明確に話したものと思われます。おそらく、この冬のマラソン出場に対しても、絹川選手自身は明言しなかったかもしれませんが、渡辺コーチは積極的な姿勢を示したのでしょう。
 世界選手権のトラック代表ですから、各紙とも冬のマラソン出場については踏み込んで書いていませんが、スポニチだけが
渡辺コーチは「完璧。マラソンの能力は十分ある。楽しみ」とマラソン転向に太鼓判。ロンドン五輪代表選考会となる来年の大阪国際か名古屋国際に出場する見通しとなった。
 と、はっきりと書いています。

 今回のハーフマラソン出場もそうだったように、絹川選手は本番の距離をじっくりと走り込まなくても、レースになれば走れるタイプの選手です。むしろ、レースペースよりも遅いスピードで走り込むと、持ち味が失われる可能性があります。「試合をやってつくっていくタイプ」と、以前の取材で渡辺コーチが言っていたことがありました。俗に言う“能力が高い”タイプです。
 4年前に世界選手権1万m代表となったとき、絹川選手は高校3年生でした。高校生ですから1万mを走る機会はそれほどありません。初1万mが兵庫リレーカーニバルで31分35秒27のジュニア新(&高校最高&A標準突破)をマークして、2度目の日本選手権で3位になって日本代表をゲット、3度目が世界選手権本番(14位)でした。

 マラソンでも同じようなことが起こっても不思議ではありません。今回のハーフで適性をチェックして、初マラソンで日本代表を取りに行く。そして、2度目のオリンピックでメダルを……という青写真を渡辺コーチは描いているのではないでしょうか。
 実際のレースでチェックしたのは今回が初めてですが、マラソンの適性があることはすでに、ミズノに入社した頃から渡辺コーチは話していましたから。それと、じっくりと時間をかけて何年か先の目標に向けてやっていくよりも、一気に上げていく方が合っている数少ない選手であることも。だから駅伝をやる通常の実業団チームではなく、世界を目指すことのできるミズノを選んだのだと、入社会見時に話していました。

 今回の札幌国際ハーフマラソンは将来的に、意味の大きい大会だったと位置づけられる可能性があります。取材に行けなかったのがかえすがえすも残念ですが、以前の取材から以上のようなことが想像できました。


◆2011年7月6日(水)
 今日は夕方、東京を出発して神戸入り。明日からのアジア選手権取材のためです。
 新幹線の中でネットを見ていたら、TBSの世界陸上サイトに寺田のコラムが載っていました。アジア選手権でどういう成績を残したら、世界陸上の代表に選ばれる可能性が大きくなるのか。それをわかりやすく説明しようという狙いのコラムです。
 でも、書くのはかなり大変でした。野球やサッカーの日本代表選考は、監督が選んだ選手を発表するだけです。言ってみれば、主観的な選考です。それが陸上競技の選考は、ある意味客観的で公平だから複雑になるのだと思います。その複雑なものを、なんとかわかりやすく見せようと考えたのが、コラムに付けた表です。色々と考えた末に、日本選手権の順位を軸にして見せるのが一番わかりやすいという結論に達しました。

 表をご覧いただければわかると思いますが、日本選手権の優勝者で、A標準突破選手を一番上に固めました。ただ、日本選手権優勝時にA標準を突破している選手は“内定”ですが、久保倉里美選手のように日本選手権優勝後にA標準を突破した選手は、正式発表はアジア選手権後です。代表入りは99.9%間違いありませんが、正式発表されていないということで“確実”にしました。
 上から2番目には日本選手権優勝者でB標準突破者をリストアップして、“有力”のカテゴリーに分類しました。上から3番目は日本選手権2位選手のA標準突破者。ここも“有力”のカテゴリーに分類していいと判断しました。
 上から4番目に日本選手権3位選手。A標準突破の小林雄一選手と吉本ひかり選手、B標準の小林祐梨子選手の3人ですが、“ボーダーライン”というカテゴリーに。A標準の2人は“有力”にしてもいいかな、と思ったのですが、ここは慎重に行きました。
 上から5番目が男子200mの4〜6位の飯塚翔太選手、高瀬慧選手、山縣亮太選手の3人で、“リレーメンバーの可能性”という分類に。そして上から6番目が、標準記録は突破していますが日本選手権の成績が振るわず、代表入りは苦しい選手たち。

 ただ、この表も完璧ではありません。現時点でも100mの日本選手権優勝者の江里口匡史選手は、標準記録未突破ですがリレーメンバーに選ばれる可能性はあります。女子のリレーメンバー候補も、この表ではわかりません。でも、それらを説明するとなると、陸上競技に詳しくない読者には何がなんだかさっぱりわからなくなってしまうでしょう。それで、この表に落ち着いたわけです。
 テレビ視聴者向けに作った表ですが、陸上ファンも楽しめる表になっているはずです。

 やはり新幹線の車中でアジア選手権の陸連特設サイトを見ると、劉翔選手の会見一問一答や、明日のスタートリストが掲載されていました。特に、劉翔選手の会見は、こういう形で出してくれると、会見に行けなかった東京の記者は助かりますし、陸上ファンにとっても面白いと思います。
 そんなこんなでアジア選手権のことを考えていたら、アジア選手権取材は初めてだということに気づきました。国内開催なので、いつもの大会という雰囲気がありました。だったら、過去のアジア選手権について色々とデータを見ておくことも必要かな、と。
 陸連特設サイトにはアジア選手権の歴史が簡単に紹介されていますし、日本人の歴代金メダリストの一覧表も載っています。開催は隔年のはずが4年後になったり、奇数年になったり偶数年になったり。開催地もいきなり変更されたこともあるとのこと。アジア大会に比べると、良く言えば臨機応変に開催されてきたようです。悪く言えば、そこまで重要視されていなかった大会ということです。日本の参加スタンスも、フルメンバーで臨んだり、若手主体で臨んだり、そのときどきで変わっています。

 金メダルの個数は中国や、他のアジア諸国の成長にも左右されています。1981年までは日本が“アジア一”だった時代です。82年のアジア大会(ニューデリー)でも1番でした。83年大会で金メダル数が激減したのは、11月開催でフルメンバーではなかったのでしょう。85年以降はフルメンバーでなかったことと、中国の台頭が著しかったからだと思われます。アジア大会も86年ソウル大会から、中国にアジアの盟主の座を奪われました。
 ということで83年以降の金メダル数は3〜6個の間で推移しています。唯一の例外が2003年のマニラ大会で、三段跳の石川和義選手の1個だけ。はっきりした記憶はありませんが、国内の大会と時期的に重なって、派遣できるメンバーが限られていたような気がします。
 それが前回の広州大会では金メダル12個と一気に増えました。日本がフルメンバーで臨んだからでしょうか。外国勢もベストの顔触れではなかったような気がします。

 日本人の歴代金メダリストを見ていても面白いですね。
 まずは師弟で優勝しているケース。第1回大会(73年)女子1500mの井上美加代選手と、第11回大会(95年)女子1500mの岡本久美子選手。井上選手が結婚して今野姓となり、築館女高で育てたのが岡本選手です。
 カネボウ勢も面白いですね。伊藤国光総監督が第4回大会(81年)1万mに優勝し、音喜多正志監督が7回大会(87年)の3000mSCに優勝。そして高岡寿成コーチが12回大会(98年)の5000mに優勝しています。
 後に法大監督になった笠井淳選手が十種競技で、現法大監督の苅部俊二選手も4×400mRで勝っています。400 mHの斎藤嘉彦選手、4×400mRの金丸祐三選手も優勝していますから、法大つながりもありそうです。
 第3回(79年)、第4回(81年)の室伏重信先生と第14回(2002年)の室伏広治選手は、親子でもありますが師弟でもあります。
 親子ネタがもう1つ。貝原澄子選手が第3回大会(79年)の女子200mに優勝しています。今回、小林雄一選手がメダルを取れば、親子メダリストを達成することになります。

 そのアジア選手権ですが、今大会から優勝者は世界選手権のA標準突破と同等の資格を与えられることになりました。開催時期も、いつもは世界選手権後でしたが、今回は世界選手権前。日本も世界選手権選考競技会に指定しています。明日からのアジア選手権、盛り上がりそうな雰囲気がありますね。


◆2011年7月7日(木)
 アジア選手権の1日目です。
 朝は三宮駅から神戸市営地下鉄に乗りますが、楽しみにしていたのがスルっとKANSAI(関西のJR以外で使えるプリペイドカード)を使うこと。関西好きの寺田としては外せないイベント?です。
 さっそく切符自販機で購入しようと思ったら、1000円のカードしかないではないですか。三宮と総合運動公園間は片道330円、往復で660円、4日間で2640円です。1000円カードでは3枚も購入しないといけません。発車時間が迫っていたので仕方なく1000円カードを購入。天気も雨ですし、出鼻をくじかれた感があります。
 ユニバー競技場に到着してまずはアクレディテーション。ここで時間がかかるかなと思っていたのですが、すでに顔写真入りのIDカードが用意されていて、国内大会とさして変わらない時間で終了。国際大会らしく荷物検査場もありましたが、列を作っていることなくすぐに終了。ここはスムーズでした。
 プレスルームはほぼ、日本選手権規模でした。違いは外国人記者たちの姿がちらほらとあること。国内大会とは違う緊張感が生じますね。

 ミックスドゾーンに行くとジャマイカ選手権取材から戻ってきたばかりのA新聞・増田記者の姿が。さっそく、ジャマイカの土産話を聞きました。
 陸上界でこそメジャーな存在のジャマイカですが、一般社会に目を向けると、貧困と犯罪の問題は避けて通れないようです。麻薬をやっているシーンも目撃したといいます(競技場ではなかったそうですが)。
 競技でも短距離とハードル種目は世界のトップですが、それ以外の種目はかなりの低レベルとか。逆に言えば、ジャマイカの短距離が強いのは素質ではなく、強化をしているからだというのがわかったそうです。詳しくは世界選手権前に記事で出すそうです。
 増田記者が滞在したのは首都のキングストンですが、残念ながらチャールストンは踊らなかったそうです。

 肝心の競技ですが、最初の決勝種目は男子円盤投でした。天候はあいにくの雨。諸説あるとは思いますが、雨の影響を一番受ける投てき種目が円盤投だと聞いたことがあります。記録は軒並み低くなりますが、優勝したハダディ(イラン)は62m27とさすがの強さ。それでも、自己記録からマイナス6mです。畑山茂雄選手は54m11で6位。60mスローワーが8人いる(その末席が畑山選手)なかでの6位です。記録だけ見ると低調に見えますが、力は出した部類に入るでしょう。
 男女400 mは、男子の石塚祐輔選手と女子の青木沙弥佳選手がプラスでしたが、日本選手6人全員が決勝に進出。

 100 mは準決勝のある男子が準決勝まで、準決勝のない女子は予選が行われました。
 男子は3人とも準決勝を突破。江里口匡史選手が1組1位、川面聡大選手が同組3位。予選を危うくプラスで通過した川面選手ですが、何か事情があったようなことを話していました(江里口選手のコメントを聞いていたので確認できず)。準決勝2組の小谷優介選手も2位できっちりと通過。「胸を見たらJAPANと書いてあるし」と、初々しいコメントが印象的でした。
 一番の強敵になると見られたアジア記録保持者のフランシス選手が、準決勝1組のスタート直前にケガをして欠場しました。江里口選手が「大丈夫か?」と声を掛けたら、「ノーッッ」と答えたそうです。
 その江里口選手ですが、標準記録をまだ突破できていません。現時点では100 mの標準記録突破者がゼロで、第1回大会(1983年)以来の代表派遣ゼロになってしまいます。
 しかし、江里口選手の状態は上がっている気がします。日本選手権もそうでしたが、ここぞというところでしっかりと調子を上げてくるのが江里口選手です。2組1位通過の蘇選手(中国)も強そうですが、江里口選手が勝つのではないでしょうか。

 3人全員が決勝に進んだ男子とは対照的に、女子では高橋萌木子選手がまさかの予選落ち。タイムでも通過できないと知った瞬間の高橋選手を、たまたま見ていました。本当にがっくりとして、その後の落ち込み方も大きかったですね。ここまで落ち込む高橋選手を見たのは初めてです。ミックスゾーンでの質問に答えられないんじゃないかと思ったほどです。それでも高橋選手はきちんと記者たちの質問に答えていました。

 順位は3、4位でしたが、男子1万mの村澤明伸選手と宇賀地強選手は健闘だったと思います。7000mを過ぎてから、1周72秒から66秒になったり、66秒から73秒になったりする展開に宇賀地選手は9400mまで、村澤選手は9650mまで食い下がりました。2人ともラストで行けるタイプではないので最後で引き離されましたが、こういう頑張りをしていれば今後に結びつくのではないかと思われます。
 レース後に東海大・両角速監督に話を聞かせてもらいましたが、今月の19日から渡欧し、3000mと1万mに出場するとのこと。狙うはロンドン五輪のA標準(27分45秒00)です。「これからの1年はロンドン五輪を中心に考えていく」と話してくれました。

 最後の男女の1万mの頃には雨も上がりました。
 競技終了後は22:30までプレスルームで仕事。それから地下鉄で三宮に戻りましたが、総合運動公園駅で「スルっとKANSAIの3000円カードはないのですか」と駅員の方に質問しました。1000円のカードしかないという回答でした。ちょっとがっかりです。


◆2011年7月8日(金)
 アジア選手権2日目です。
 今日は3つの緊急会見がありました。1つ目は市川華菜選手の100 m決勝の欠場に関する麻場一徳女子短距離コーチの会見。2つめは男子100 m決勝のフライング判定装置誤作動に関する陸連と兵庫陸協の会見。3つめは江里口匡史選手についての高野進監督の会見です。

 市川華菜選手については故障の状態などの報告でした。昨日の予選では「40mくらいで左のハムストリングが攣(つ)る感じがあったそうですが、急激に止まるとよけいに悪くなるということで走りきった。その後も普通に歩けているので、無理をすれば走れないことはない」(麻場コーチ)という状態でした。その時点では今日以降も出場予定でしたが、一夜明けて「ストレッチでは痛みはありませんが、力を入れると多少ある。走れないことはないかもしれないが、大事をとって欠場することにした」ということです。
 勢いのある選手だっただけに残念ですが、故障ばかりはどうしようもありませんし、これは現場の判断を尊重するしかありません。
 ただ、4日目の4×100 mRについては欠場と決めたわけではないとのこと。今日、明日の状態を見て決めるそうです。

 2つめの会見は男子100 m決勝の江里口選手のフライング判定と、判定装置誤作動の判明によるフライング判定の取り消しについてでしたが、記者たちから質問が相次ぎ長引きました。ICレコーダーの録音時間を見ると33分となっています。
 事の次第をあらためて書いておきます。

 18:00スタートの男子100 m決勝で、フライングがありました。見た目ではフライングがあったようには見えませんでしたし、リコールのピストル音がちょっと遅く、フライング判定装置による判定か、電気計時が作動しなかったものと思われました。
 ちょっとの間を置いて6レーンの江里口選手のレーン表示ボックスに赤印が表示されます。俺なのか? という仕草でスタート地点に戻っていく江里口選手。江里口選手はもう1人の優勝候補、7レーンの蘇選手(中国)に肩を叩かれて奥に引き揚げていきます。
 しかし、すぐにレースはスタートせず、しばらくして「リアクションタイムを確認しています」との場内アナウンス。ということは目視によるフライング判定だったのか、と思いました。選手たちは奥に入ったり、選手同士で何か話しています。
 18:12に選手たちがスタートラインに戻ってきました。江里口選手もいます。3レーンの黒人選手が江里口選手に握手を求めました。フライング判定は覆ったようです。そして、「不正スタート発見装置のエラーと判明しました」との場内アナウンスがあり、2度目のスタートに移っていきました。

 文字にすると普通のことのように思えるかもしれませんが、現地にはある種の異様な雰囲気がありました。選手が戻ってくるまで12分。これも文字にすると大した時間ではないように思えますが、実際にはなんとも言えない“間”でした。
 選手の心理を考えると逆に、再度集中するには短か過ぎる時間でした。自分が「やらかしてしまった」と思った選手が、通常の戦闘モードに戻らないといけません。個人差もあることなので何分かかるとは言うことはできませんが、明らかに無理と思える時間でした。12分というのは最初のスタートからの時間であり、江里口選手が「失格は間違いだった」と言われてからの時間ではないのです。
 レース結果は蘇選手が優勝し、江里口選手は追い上げましたが届きませんでした。蘇選手が10秒21(+1.8)で江里口選手が10秒28。B標準に0.03秒及びませんでした。
 その後の種目もあるので現実的には無理なのですが、もう5分、気持ちを集中させる時間が江里口選手にあったら、結果は違っていたかもしれません。

 レース後の江里口選手のコメントを紹介します。
「スタートに集中して、“いったな”と思ったらピストルが鳴りました。誰がフライングしたのかわからず、振り向いたら自分のところに赤旗が揚がっていました。なぜ?と聞きましたが、機械が反応したと言われ、自分はフライングをした経験もないし、抗議をするという考えはまったく浮かびませんでした。自分に機械に反応してしまう動作があったのかもしれません。どうずればいいか、まったくわかりませんでした」
「決勝はベストを尽くすためにすごく興奮していて、自分の感覚としては“なんで?”というのが最初にありましたが、興奮していましたし、立て直すというよりも自分を落ち着かせるしかありません。周りにも申し訳ないことをしたと思って、動揺してしまいました」
「結果は結果なんで、そこ(フライングの誤審)については納得いっていないと言っても、走らせてもらっているわけです。そこをどうこう言っても意味はありません。それよりも走りがブレてしまった。せっかく予選、準決勝と良い状態、流れをつくれたのに、決勝で発揮できず情けないです。すみません」
「フライングが自分に来て、冷静に対処しきれたのかどうかより、レースで負けてしまいました。勝つためにここに来たのに負けてしまったら何の意味もありません。色んな人に応援してもらったのに不甲斐ないです。すみません。(結果として機械の誤動作だったが)怒りというよりも、こうなってしまう自分が不甲斐ないです。怒りがあったとしても、自分にぶつけるしかありません」
「(100mの代表が途切れるというプレッシャーがなかったか、という問いに対し)誰かが行かないといけないではなく、単純に自分が行きたい、世界で勝負したいという思いでした。他人から与えられたプレッシャーではなく、自分で求めたプレッシャーでした」
 最後まで恨みがましいことは言いませんでした。

 フライング判定についてあれ? と思ったのは、小谷優介選手が「2、3、4レーンにもフライングの可能性があると言われました」と話していたことです。小谷選手も動揺して、精神的に立て直せなかったと反省していました。おそらく、江里口選手だけでなく、4人の選手が0.100秒未満の反応時間を示していたのでしょう。
 しかし、そうなるとなぜ、江里口選手にだけフライングの赤印が付けられたのか、という疑問が生じます。通常、複数選手がフライングをした場合、その全員に不正印が付けられます。フライングが2回までOKだった時代からそうでした。

 若干の疑問を残したまま、陸連&兵庫陸協の会見が始まりました。
 何人もの関係者が出席したので、誰がどう説明したのかを詳しく書くことはできませんが、そこで説明されたことは以下のような内容でした。
 スターターもリコールスターターも目視でフライングを確認したわけではなく、不正スタート発見装置が反応したからリコールのピストルを鳴らしたそうです。そのときに一番速い反応時間を示していた6レーンに不正印を付けたとのことです。各レーンの反応時間は次の通りでした。
2レーン:1000分の97秒
3レーン:1000分の98秒
4レーン:1000分の99秒
5レーン:1000分の112秒
6レーン:1000分の94秒
 目視で確認できなかったフライングのリアクションが、4人もの選手に出ていたということで、スターターもリコールスターターもおかしいと感じ、それらの報告を受けたトラック審判長が機械の不具合だったと判定したそうです。それらの判断を10分の間で行ったことは、迅速な判断だったと思われます。
 しかし問題は、江里口選手だけに赤印を付けたことです。本来なら先ほど書いたように、4人同時に不正印を付けるべきなのです。そうしていれば、選手たちも自分のフライングだったのではないかと動揺することなく、「機械がおかしいのでは」とすっきりと納得できたと思うのです。江里口選手が今回ほど動揺することもなかったでしょう。
 その点に関しては「不行き届き。指導が足りず申し訳ありません」と主催者側も陳謝していましたが、後味の悪さを残す結果となりました。


◆2011年7月9日(土)
 アジア選手権3日目です。
 昨日の3つめの緊急会見は高野進監督(陸連強化委員長)でした。100mでフライング誤審を受けた江里口匡史選手の世界選手権選考に際して何らかの配慮をするのか、という点を記者たちが確認したかったので開かれた会見だったようです。
 江里口選手は日本選手権で優勝していますし、過去の実績からも4×100 mRメンバーで代表入りするのは確実です。あとは、国際陸連の認める期限までに標準記録を破れば個人種目でも出られるようになる。この辺はこれまでの慣例で当然のことという受け取り方をしていました。しかし、そのやり方は選考規定で細かく書かれていないので、確認の意味で会見が要請されたようです。
 結論からいえば上記の可能性はあるということでした。ただし、陸連の決めた期日までに標準記録を破れなかったので、選ばれたとしてもあくまでも、リレーで結果を出すことを優先したスケジュールになるとのこと。例えば、標準記録を切るためにリレーの合宿のメニューを変更するとか、日程を途中で切り上げたりとか、そういう個人優先の措置はしないということです。
 個人の走力アップもリレーには必要なことですから、そのための試合出場(南部忠平記念など)が有効という判断がされれば、試合にも出場します。陸上の取材が長い記者たちには、特に目新しい話ではありませんでした。

 本日は男女の400 mHで日本勢が優勝。伝統の力を見せてくれました。
 女子の久保倉里美選手は前半、外側の中国人選手や田子雅選手よりも遅れていたのですが、彼女としては飛ばした展開だったそうです。ホームストレート(9台目過ぎくらい?)でトップに立ちましたが、10台目は17歩で届かず18歩になってしまったとのこと。それでもきっちりと3連勝を果たすあたり、さすが“アジアの久保倉”ですね。
 記録はバックストレートの向かい風が強かったこともあり、伸びませんでした。
 昨日の予選では1組で久保倉選手がトップで、2組では田子選手と三木汐莉選手が1、2位。決勝で上位独占も? と淡い期待を抱きましたが、そこまでは甘くなかったです。
 それよりも男子の方に可能性がありました。予選後に岸本鷹幸選手は、自身は完全な調子ではないので優勝が目標とは言えなかったようですが、「表彰台を独占することが今大会のモチベーション」と話していました。
 しかし、その岸本選手がフライングで失格。昨日の100 mと同様に、目視ではなく判定装置による判定でした。岸本選手のリアクションは0.027秒とリザルツには出ています。ここまで早かったら目視でも確認できたのでは? と逆に思ったりもしますが、昨日の今日ですから、他の選手のリアクションも0.100秒未満だったら装置の誤動作が疑われたはずです。
 しかし、優勝した安部孝駿選手は「そこで気にしたら負け」と、集中して臨んだといいます。昨日のことが教訓として生かされていたということです。そして、これまでよりも速いスピードで前半を突っ込みました。5台目までが13歩で、9台目までを14歩で行く予定でした。前半を相当に突っ込んだことと、後半は必死だったということで、8台目から何歩で跳んだのか覚えていないそうです。
 実際、8台目をリード脚で蹴り倒し、9台目も倒して、10台目はかなり上に跳ぶハードリングでした。それでも踏みとどまって49秒64のシーズンベストでB標準を突破。アジア選手権の優勝はA標準突破資格になりますから、世界選手権代表が有力になりました。今日の安部選手を見ると、世界選手権で走っている姿を見てみたい、と思わせる走りでした。アジア選手権優勝=A標準資格というのは、良いシステムかもしれません。

 金メダル以外では男子5000mで佐藤悠基選手が、ラスト勝負でバーレーン勢の一角を崩して2位。本人は「勝たないといけない世界」と満足していませんでしたが、一度10mくらい引き離されてから追いつきましたし、大健闘だったと思います。
 男子ハンマー投では野口裕史選手が70m89で2位、土井宏昭選手が70m69で3位。2人ともシーズンベストですし、この2人が揃って70mを超えたのは初めてかもしれません。
 男子200m予選2組では、昨年のアジア大会金メダリストと世界ジュニア金メダリストの対決が注目されましたが、オグノデ選手(カタール)が強かったですね。20秒50(+0.9)で全体でもトップ通過。飯塚翔太選手が20秒91で全体でも2位でした。ただし、1組は齋藤仁志選手が1位通過でしたが、向かい風1.3mで21秒04でした。

 今日は外国勢でも素晴らしい記録が誕生しました。
 男子走高跳のバルシム選手(カタール)が2m35の今季世界2位タイ、大会新、カタール新を跳びました。初めて見ましたが、助走スピードが速いですね。「世界新も狙いたい」と話していましたが、ケガさえしなければ、そのレベルに行くかもしれません。
 ところで、今大会の会場であるユニバー記念競技場は、1985年のユニバーシアードに合わせて造られた競技場です。その神戸ユニバーではパクリン選手(ソ連)が2m41の当時の世界新をマークしました。2006年の日本選手権もユニバー記念で開催され、醍醐直幸選手が2m33の日本新です。今日も、2位の選手がシリア新、4位の衛藤昴選手が2m24の自己新。すべてAゾーン(1、2コーナー間)で行われたそうです。走高跳の記録の出るピットと言えるでしょう。
 男子砲丸投でも張銘煌選手(チャイニーズタイペイ)が20m14と、アジア選手権初の20m超え。そういえば砲丸投でも、2006年の日本選手権で畑瀬聡選手が18m56と当時の日本新、村川洋平選手が18m43と当時の日本歴代3位を投げています。記録の出やすいサークルかもしれません。今日の日本2選手が17m前半にとどまったのが気になりますが。

 今日は地元兵庫出身選手も頑張りました。七種競技の竹原史恵選手が自己新で銀メダル、故障に苦しんだ女子5000mの小林祐梨子選手が銅メダル、最後に登場した男子5000mの渡辺和也選手が4位。さすが陸上どころです。


◆2011年7月10日(日)
 アジア選手権最終日の取材。本日の競技は14:05からの開始ですが、13:20に会場入りすると、手荷物検査場には長蛇の列が。入場者数は9200人で、4日間で一番多かったようです。
 今日の観客たちのお目当ては劉翔選手(かな)。予選から格の違いを見せました。矢沢航選手は残念ながら予選落ちでしたが、1台目は劉選手より速かったか同じくらいでした。
 トラック最初の決勝種目は女子200m。今日の観客のお目当ては福島千里選手(かな)。100m優勝のフビエワ選手(ウズベキスタン)も、昨年のアジア大会2位のベトナム選手も出ていません。2位に0.52秒の差をつける圧勝でした。向かい風2.2mで23秒49ですから、風次第では22秒台が出ていましたね。

 男子200mにはオグノデ選手(カタール)が登場。好調の齋藤仁志選手でも歯が立ちませんでした。オグノデ選手が20秒41(−0.4)の大会新で2位の齋藤選手が20秒75。飯塚翔太選手は前半で出遅れて4位まで追い上げるのが精一杯でした。
 昨年のアジア大会では200mと400mに優勝したオグノデ選手ですが、今回のアジア選手権は200mだけにエントリー。「100m、200mの方が好きなので、テグでも100mと200mに出場するつもり」とのこと。ナイジェリア出身で2008年にカタールに帰化。「練習場所はドイツやブルガリアやマレーシアや色々」って、どれだけ強化費があるんだ、って感じです。

 800mは男女とも日本勢の最高は4位とメダルに届かず。昨年のアジア大会と同じ結果でした。特に残念だったのが男子の横田真人選手。予選後の公約通りに100mからトップに立って引っ張りましたが、日本選手権と比べて力みがあったような気がします。ただ、1分47秒05は自分で引っ張ったレースでは最高記録です。力は間違いなくついているので、ヨーロッパ遠征での1分45秒台は可能性があります。
 女子3000mSCは早狩実紀選手のレース展開に注目していました。国内レースと同様にトップを引くか、昨年のアジア大会と同じように集団でレースを進めるか。ベテラン選手がとった作戦は前者でした。「アジア大会はすごく走りにくかったので、今回はどんな選手が周りに来ようが、走りやすいポジションで走ろうと思っていました」
 記録は9分52秒42の大会新&シーズンベスト。アジア大会優勝のインド選手を破りました。B標準は破れませんでしたが、優勝でA標準突破資格となったので、世界選手権代表に選ばれる可能性が出てきました。積極的なレースぶりがどう評価されるか。

 110mHは劉選手が13秒22で圧勝。向かい風0.8mでしたから、風次第では13秒0台が出ていたかもしれません。それでも劉選手は「暑くて頭がぼーっとして、ウォーミングアップもほとんどできていなかった」と言います。
 ほとんどできていなかった、というのは言葉のあやだとは思いますが、それでも、完全なアップができなかったのは確かでしょう。その状態でも史冬鵬選手に0.34秒差をつけたのですから格が違うとしか言いようがありません。

 女子の3000mSCくらいからフィールドでは男子やり投も始まっていて、今日の観客のお目当ての村上幸史選手(かな)が登場。トラック種目も決勝が続いていたので、ミックスゾーンのモニターで見ていましたが、2投目の79m85と4投目の83m27を運良く見ることができました。
 しかし、コメント取材はここからが大変でした。女子4×100 mRが終わって福島選手の取材。200mの話も聞かないといけませんでした。男子4×100 mRが終わって江里口匡史選手がミックスゾーンのマイクエリアに。続いて村上選手がやってきて、齋藤選手の話は聞くことができませんでした。
 女子4×400 mRはモニターも見ることができませんでした。テレビ中継を録画してあるので、コメント取材を優先しました。男子の4×400 mRは見ることができました。
 女子4×400 mRは青木沙弥佳選手の話を聞くことができました。どうやら、3分32秒を出さないと世界選手権代表派遣はしない方針が、選手たちにも内示されていたようです。それでも、3分35秒00は千葉麻美選手抜きのメンバーでは日本最高かもしれません。と思って調べてみたら、そんなことはまったくありませんでした。柿沼和恵選手を中心とした2001年のチームが3分33秒台を2度出していました。
 男子の4×400 mRも優勝しましたが3分4秒台でした。周回種目には不利な風が吹いていたようです。
 男子4×400 mRは最終種目でミックスゾーンにも少しゆとりが出て、金丸祐三選手と高瀬慧選手のコメントを取材することができました。高瀬選手は日本選手権は200m5位でしたから、今大会が世界選手権選考の最後の試験といえます。結果としては45秒8で周り、自己最速ラップを更新しました(これまでは46秒0=昨年の日本インカレ)。ただ、コーチ陣から言われていた前半から突っ込む走りができなかったといいます。その点がどう評価されるか、ですね。

 初めての取材だったアジア選手権の4日間も終了。プレスルームで原稿を書いていると、メダルテーブルが出ました。日本は金メダル数11個で、中国の10個を抑えてトップ。メダル総数でも32個と、中国の27個を上回りました。この2カ国がアジアの陸上大国といって間違いないでしょう。
 金メダル数5個で3位のバーレーンは、長距離に偏ったチームでした。メダル総数は9個で、11個のインドに負けました。クウェートとカタールが金メダル3個で4位にランクされましたが、ともにメダル総数は金メダルの3個だけ。カザフスタン、イランの方が陸上競技全体を強化しているようです。


◆2011年7月11日(月)
 13時から世界選手権の日本代表と、代表ユニフォームの記者発表会がありました。
 代表選手については選考基準が決まっていますから、監督が決める球技の代表選手と違って、ほとんどのメンバーは予想ができます。TBSサイトの表にしたメンバーに、アジア選手権で優勝した安部孝駿選手、早狩実紀選手、綾真澄選手が加わりました。早狩選手と綾選手の2人については、昨日の総括会見で高野進強化委員長が「代表と決まったわけではない」と記者たちに釘をさしていました。厳しいのかな、と思っていましたが、代表入りしました。本番で入賞までは難しいのかもしれませんが、自己新や日本新を出して、日本チームを盛り上げてくれる可能性は十二分にあると思います。
 リレーメンバーでどうなるかと思ったのが4×100 mRの川面聡大選手と小谷優介選手、そして4×400mRの高瀬慧選手。4×100 mRの学生2選手に関しては、高野強化委員長の会見記事にもあるように、直近のアジア選手権の成績と、バトンパスの適性などを見て川面選手となったようです。小谷選手としては悔しいと思いますが、ユニバーシアードなどで頑張ってもらいたいところ。
 高瀬選手は特に質問が出ませんでしたが、昨日のリレーの結果と、やはり200mのスピードが評価されたのではないでしょうか。1996年のアトランタ五輪でも、日本選手権で下の順位だった小坂田淳選手(現大阪ガス・コーチ)が4×400mRメンバーに選ばれ、本番の5位入賞&日本記録更新に貢献しました。小坂田選手も200mのスピードがあった選手です。その後もシドニー五輪、アテネ五輪と代表になり、アテネではチームリーダーをつとめて4位入賞の立て役者になりました。

 ところで、会見記事を読むと、陸上記者はそんなこともわからないのか、と感じられるかもしれません。女子4×400mRが派遣されなかった理由など、“戦える集団”という選考方針を聞けばわかることです。それでも質問するのは、陸連内部でどのような話し合いが行われたかを聞き出すためです。それを記事にすることで、選ばれなかった選手も納得することができるかもしれません。
 絹川愛選手が1万mに出るかどうか、江里口匡史選手が標準記録を突破した場合に100mに出るかどうかも、選手団がエントリー期限まで待って判断することは記者たちもわかっています。でも、質問することで、陸連の言葉でその辺の方針が語られます。知らないから質問するのでなく、当事者の言葉を引き出す。これも記者の役目なのです。


◆2011年7月12日(火)
 昨日発表された世界選手権テグ大会の代表選手を見て、今年11月に39歳になる早狩実紀選手が歴代最年長選手ではないかと思いました。ベルリン大会のデレゲーションブックを持っていて、そのなかに過去の日本選手の全成績が載っています。それを見て、おそらく間違いないだろうと思いました。
 ただ、この手のことを公表するには慎重にならなければなりません。それを今日、調べてみました。といっても、過去に出場した全選手の年齢を調べるのは時間的に不可能です。どうするかというと、“可能性のある選手”をピックアップして調べます。この選手たちを調べれば間違いない、という選手たちをリストアップしました。
 まずは1983年ヘルシンキ大会の室伏重信先生。38歳のシーズンでした。
 次に2003年パリ大会の今村文男コーチ。37歳のシーズンでした。
 その次は2005年ヘルシンキ大会の高岡寿成コーチ。35歳のシーズンでした。
 そして2005年ヘルシンキ大会の弘山晴美さん。37歳のシーズンでした。
 ということで、今回の早狩選手が歴代最年長代表と判明しました。ちなみに、今回選手団の最年少は今年11月に20歳となる安部孝駿選手。早狩選手が出場した世界選手権東京大会のときはまだ、生まれていなかったことになります。


◆2011年7月13日(水)
 一昨日に世界選手権代表が発表されましたが、昨日の新聞記事を見ると「少数精鋭の戦う集団」という方針のもとに選考した、という陸連の主張には疑問が呈されていました。産経新聞は以下のような記事でした。

レベル低下? 男子100で代表選出できず
 
初出場24人を含む男女50人の日本代表が出そろった。前回大会から7人減の編成について、日本陸連の高野強化委員長は「精鋭メンバー」と表現したが、実態は少し違う。参加標準記録を突破した選手が単に少なく、結果として「少数」になっただけに過ぎない。
 代表を選出できなかった男子100メートルが象徴的だろう。復活プロジェクトを立ち上げた跳躍の代表は、男女を通じて沢野一人だけ。アジア選手権を制し、代表に滑り込んだ女子ハンマー投げの綾と同3000メートル障害の早狩にいたっては、B標準さえ突破していない。
 高野委員長はメダル獲得を期待する種目に、男子ハンマー投げの室伏、同やり投げの村上と女子マラソンを挙げた。しかし当然ながら楽観視はできない。今季世界ランキングに照らせば、室伏は10位、村上も18位に過ぎず、いずれも「ベストパフォーマンスを発揮してくれれば」(高野委員長)というただし書きがつく。
 来年のロンドン五輪に向け、高野委員長が「力を試す」大会と位置づける世界選手権。日本勢にとって厳しい戦いとなるだろうが、はね返さなければロンドンの展望は見えない。(細井伸彦)

 実際、出場資格を得た選手はほとんどが選ばれています。男子3000mSCでB標準突破の松本葵選手は日本選手権欠場でアジア選手権でも9分かかっていますから、選考することはできないでしょう。女子100mHでB標準突破の寺田明日香選手は日本選手権で決勝に進めませんでした。標準記録突破&日本選手権3位以内で選ばれなかったのは小林祐梨子選手1人だけです。
 これでは“精鋭に絞った”とは言えません。特に一般メディアは他の競技と並列に比較しますから、競泳などと比べて精鋭になってないのは事実です。
 少しだけ陸連の肩を持つとすれば、標準記録がベルリン大会よりも上がっている種目があったことを指摘できます。男子100mのB標準が2年前の10秒28から上がっていなければ江里口匡史選手は代表になっていたでしょう(小谷優介選手も突破しています)。男子走幅跳もベルリンは8m05がB標準でしたから、猿山力也選手は2回跳んでいたことになります。大勢はそれほど変わらなかったわけですが。

 寺田の個人的な意見としては、五輪前年でもオリンピック本番でも、出場資格のある選手は全員派遣すべきだというものですので、今回の陸連の選考に異議はありません。強いて言うなら調子が上がっていない小林選手も代表に選んでおき、直前まで調子を見て出場の判断をしてもよかったと思っています。
 仮に戦えなくても、その経験が“次”につながると思うのです。戦えない選手がいると士気が下がるというのなら、選手団を一軍と二軍に分ければいいこと。A標準選手とB標準選手という線の引き方は良くないですけど。フィールド種目のB標準の方がレベルが高いですから(ベルリンの村上幸史選手はB標準で参加しました)。

 ただ、寺田のような考え方だと「選手が甘える」という批判が絶対に出ます。選手、関係者は、上記の記事が世間一般の見方だと肝に銘じる必要があると思います。


◆2011年7月14日(木)
 陸マガ8月号の発売日です。
 日本選手権の記事を何本か担当しました。短い記事ばかりですが、どれも一生懸命に書きました。そのなかでも少し珍しい締め方をしたのが、高校生の小林美香選手(須磨学園高)が優勝した女子1500mの記事です。寺田の場合、頑張った選手にスポットを当てる書き方がほとんどですが、今回は批判的というか、“もっと頑張らないといけないのではないか”という主張を最後にちょこっと入れました。
 実業団・大学勢が現在のように中距離に本腰を入れない状態が続く限り、須磨学園高が日本選手権の1500mを席巻し続けるのではないか。

 女子1500mの高校生Vは、小林祐梨子選手(須磨学園高→豊田自動織機)以来6年ぶりです(※誌面では5年ぶりとなっていますが、6年ぶりの間違いです。お詫びして訂正いたします)。須磨学園高は小林祐梨子選手以後も、
2005年:1位・小林祐梨子
2006年:2位・小林祐梨子、6位・高吉理恵
2007年:
2008年:6位・中新井美波
2009年:4位・薮下明音
2010年:8位・池田睦美
2011年:1位・小林美香、5位・福田有以

 と入賞者を出し続けてきました。高校生で日本記録を出した小林祐梨子選手は別格としても、同選手以外の須磨学園高選手がここ6年の日本選手権のうち5年も入賞しているのです。
 日本選手権でここまで高校生が入賞している種目が他にあるでしょうか。仮にあったとしても、それを1つの学校が成し遂げている例があるとはとうてい思えません。

 須磨学園高が中距離の強化を優先していることは、過去に何度か紹介してきました(2009年全国高校駅伝の記事)。1500mを優先しながらも、駅伝でもそれなりの結果を残しています。ところが実業団や大学チームは駅伝の強化を優先し、1500mをおろそかにしてしまっている。その結果が、日本選手権という日本一を決めるメンバーが集う大会で、1つの高校が連続入賞を続けている結果に表れているのです。
 本来あるべき姿でないのは明らかだと感じたので、厳しいことを書かせてもらった次第です。


◆2011年7月17日(日)
 世界選手権テグ大会の代表選手一覧を掲載しました。代表一覧のリストならすでに、陸連サイトやスポーツナビに掲載済みですから、寺田的では他のサイトがやらないことをやっています(いつも違うとは限りませんが)。
 といってもそれほど斬新なことをやったわけではありません。単に生年月日を付けて年齢順に並べ替え、各選手に出身大学と高校、出身高校の所在地(都道府県)を付記しました。

 年齢順に並べ替えてわかったのは、今年24歳になる学年と23歳になる学年が7人ずつで一番人数が多いこと。続いて今年で25歳となる学年が6人で予想通り23〜25歳が最も多くなりましたが、意外だったのが29歳の学年も6人と頑張っていたこと。久保倉里美選手以外の5人は長距離・競歩種目ですから、持久系の種目はこの年齢もピークを持ってこられるということでしょうか。30歳以上に室伏広治選手、村上幸史選手、綾真澄選手と投てきが3人いますから、投てき選手も長く頑張れるのでしょう。
 でも、そういった例は短距離でも跳躍でも、過去の代表選手たちから挙げようと思えば挙げられますし……種目毎の選手寿命に関しては、個人差もあることなのであまり結論めいたことを書くのはよくないですね。

 それよりも問題は、23歳になる学年を“福島世代”、24歳となる学年を“横田世代”と表現していいかどうか。これには悩みました。23歳の学年には男子100m日本選手権3連勝の江里口匡史選手もいますし、24歳の学年には男子400 m日本選手権7連勝の金丸祐三選手もいます。国際大会の実績は微妙に違ったりしますし。
 でも、日本記録を持っているのは福島選手と横田選手の2人だけですから、この2人を冠としてしてもいいかな、と判断しました。
 以前は末續慎吾選手の学年がすごかったですね。日本記録保持者が末續選手、醍醐直幸選手、澤野大地選手、池田久美子選手、川崎真裕美選手と揃っていました。内藤真人選手は前日本記録保持者で、坂本直子選手は初マラソン日本最高記録保持者。どの選手を冠にすべきか難しかったのですが、世界選手権でメダルを取った末續選手が世代の代表ということを選手同士で話していると聞いて、“末續世代”と使うことができました。

 話を今回の代表に戻すと、所属チームでは富士通が8人で圧倒的に多い人数でした。大塚製薬、スズキ浜松AC、ミズノが3人で続いていましたが、長距離主体の大塚製薬の頑張りが目につきます。唯一人の一般種目選手の金丸祐三選手と、唯一人の競歩選手の渕瀬真寿美選手がきっちりと代表入りし、長距離からは伊藤舞選手がマラソン代表に。これも監督の手腕といえるでしょう。
 出身大学では順大が5人でトップ。順大→富士通という選手が4人もいます。“代表コース”といえるかもしれません。
 出身高校所在地では予想通り北海道が4人でトップ。千葉も4人です。出身県とすると室伏広治選手や佐藤悠基選手が加わって静岡が3人になります。静岡出身の寺田としてはこちらの方式を採りたいところですが、正直、出身地は調べ切れません。
 面白いのは愛知の2人が同学年の女子短距離選手、東京の3人中2人が同学年の男子短距離選手ということ。それがなんだというわけではありませんが。


◆2011年7月18日(月)
 東海学連サイト西日本インカレの成績が掲載されていました。際だっていた記録は男子400mHの小西勇太選手(立命大)の49秒44です。先月の大阪選手権特別レースの49秒41に続いて、ロンドン五輪のA標準突破タイムで走りました。会場の長良川競技場のスタンドは、長居や横浜の日産スタジアムほど大きくありません。風が上手く回って追い風部分が多かったということはないと思われます(決めつけることはできませんが)。好タイムが続出した大阪選手権よりも価値があるかもしれません。
 小西選手は日本選手権8位。世界選手権代表には選ばれませんでした。本人としたら悔しさの残るところかもしれません。千載一遇のチャンスを逃したと。
 しかし、“一発”が選考会に当たって代表になっても、その後はじり貧というケースもあります。逆に、五輪イヤーに代表入りは逃したものの、その後頑張って代表に定着した選手もいます。高岡寿成カネボウ・コーチは1992年のバルセロナ五輪の年に5000mで日本記録を出しましたが、代表選考の後で間に合いませんでした。しかし、4年後のアトランタ五輪で代表入りし、8年後のシドニー五輪で入賞しました。伊東浩司甲南大監督もバルセロナ五輪はリレーの補欠でしたが、アトランタ&シドニー五輪で準決勝進出を果たしましたし、100m&200mで日本記録を更新しています。高岡コーチも5000m&1万m&マラソンで日本記録を出しました。
 小西選手も来年以降が楽しみです。

 アジア選手権組では男子100m(7位)の小谷優介選手(立命大)が優勝。タイムは10秒74にとどまりました。風が向かい(−1.6)でしたし、長良川競技場は高速トラックではありませんから仕方のないところ。
 アジア選手権の女子100m決勝を棄権した市川華菜選手(中京大)が4×100 mRの4走で出場していました。脚の痛みはなくなったものと思われます。ちなみに、中京大の1走は七種競技(3位)の桐山智衣選手でした。
 女子100 mH8位だった伊藤愛里選手(関西大)は13秒51(−1.3)で、2位の桐山智衣選手に0.20秒差。小谷選手同様タイムはいまひとつですが、風などを考えたら13秒55(−0.9)だったアジア選手権より良かったといえそうです。
 アジア選手権では400 mH5位だった三木汐莉選手(東大阪大)は“いつもどおり”100 m、200m、400 mH、4×100 mR、4×400mRと5種目に出場し、個人3種目と4×400mRに優勝。国際大会は400 mHで出場している同選手ですが、兼ねるのが400 mではなくショートスプリント種目というところに、何か狙いがあるのだと思われます。
 400 mでアジア選手権7位だった新宮美歩選手(東大阪大)も、今大会は400 mと800 mに出場して2冠。三木選手とは対照的なアプローチをしているのだと思います。
 女子走幅跳で9位だった高武華子選手(福岡大)は6m35(+3.3)で、女子やり投で銅メダルだった佐藤友佳選手(東大阪大)は51m41でともに貫禄勝ちといったところ。

 こうしてみると、東海地区以西の学生でアジア選手権代表だった選手が、相当数いたことがわかります。男子短距離・ハードルの立命大と、女子の東大阪大の頑張りが大きいのですが、関西大で孤軍奮闘している印象の伊藤選手なども関西らしい選手といえるのでは?


◆2011年7月24日(日)
 本日は午前中に理事会がありましたが、それはマンションの理事会なので陸上競技とは何の関係もありません。午後からはサマー・ゲームスの取材に。昼過ぎに出かけて、陽射しが午後っぽくなった頃(15時開始)に会場に着くというのは、ヨーロッパの大会っぽいですね。
 この大会は昨年まではトワイライト・ゲームスという名称で、ナイターで行われていました。ビールを片手に陸上競技を楽しんでもらうというコンセプトです(サッポロビールがメインスポンサー)。今年は節電のため開始時間を早め、名称も変更したとのこと。

 取材陣も日本選手権やアジア選手権と比べると、若干のリラックスムードがあるのは否定できません。そうではありますが、種目の立て込み方は春季グランプリ以上です。競技開始30分後にフィールドに目をやると、ホームストレート側から見て左サイドから女子やり投、男子走高跳、男子走幅跳、女子走高跳が進行しています。それに加えてトラックでは男子400 mH。
 5種目が同時進行しているととても全部の種目を見ることなどできません。この大会はヨーロッパの大会のように“観客に見せる”ことに重点を置いているのですが、さすがに5種目は厳しいでしょう。というか、ヨーロッパの試合でもこれだけ同時進行することはありません。むしろ、フィールド種目を絞って見せているんじゃないでしょうか。2〜3時間と時間を短くしている大会もありますが、フィールド種目を先に行っている大会が多いように記憶しています(日本ではゴールデングランプリ川崎がその方式です)。
 アナウンサーの方は相当に熟練している方でしたが、さすがに全種目の戦況を伝えたり、注目選手の登場を全部通告するのは難しかったようです。

 レース後の場内インタビューは良かったと思います。関東学連の役員の方2名が担当していました。そのうち1人は月陸出身のH氏で、1500m日本人1位の小林史和選手のやりとりなど面白かったですね。
H氏「この大会の雰囲気はどうですか」
小林選手「ヨーロッパの大会に似ていて、モチベーションを上げられます。学生選手たちにまじって、歳をとった自分も若い力をもらって頑張れます」
H氏「観客の拍手も聞こえていましたか」
小林選手「よく聞こえました。力になりますね。この大会はレースのあとビールを飲むのがおいしくて楽しみです」
H氏「ビールの銘柄は?」
小林選手「…サッポロです」

 スタンドの大きな競技場は音が反響してアナウンスが聞き取りにくいのですが、織田フィールドは音響がよくて聞き取りやすいです。フィニッシュ地点から見て、ホームストレートの前半が見えないというのはいただけませんけど(何度も書きますが)。

 肝心の取材の方ですが……(つづく予定)

 最初に話を聞いたのが女子やり投世界選手権代表の宮下梨沙選手。今日は佐藤友佳選手が優勝したのでミックスゾーンに来ないと判断して、探しに行きました。日本選手権の際に初めて話を聞きましたが、面識があるわけではないので、声を掛けるのが難しいケースです(小心者記者です)。まごついていると某テレビ局のWディレクターが話を聞いていたので、そこに加わりました。
 アジア選手権の失敗(52m37・4位)は、「練習に自信が持てない状態」で臨んだことが原因だったそうです。国際大会ということもあって「他人のペースになってしまった」とのこと。それがアジア選手権後は「体調を整えてばっちり合えば、(再度の60mも)いけるかな」と思える状態になっています。「世界は何かが棲んでいると言われますが、初めてなんで、自分のペースで進めてしまいたい」

 宮下選手の話を聞いた後は第3コーナーのトラック外側から、男子砲丸投を見ていました。競技を間近に見られるのがこの大会の良いところです(実業団の試合もそうです)。
 しかし、寺田の予想と違って好記録が誕生したのは、女子走高跳でした。福本幸選手が1m84に成功した後、1m87にバーを上げました。アナウンスで先週、1m86をクリアしていたことを知ったのですが、アナウンサーの方は本当によく勉強されていました。
 福本選手は1m87もクリア。1m92の自己タイ&ロンドン五輪B標準は越えられませんでしたが、経産婦選手の日本最高記録を更新しました。福本選手にはミックスゾーンで取材。ママさん選手ということで、多くの記者が取材をしていました。
 オリンピックへの思いが強いことと、なかなか育たない若手へのメッセージを話していました。「今、自分ができることは、見せてあげること」と。

 福本選手への取材後はミックスゾーン近辺にとどまって、観戦&取材をしました。ふと後ろを振り向くと、会場入り口付近で棒高跳の笹瀬弘樹選手が募金活動をしていました。ツイッターにも書きましたが、男女の1500mが行われている合間に募金に行き、その際に「学生記録を出せなかったら留年するんだって?」と冗談まじりで声を掛けました。昨秋の国体で大きなケガをした笹瀬選手は冬期練習が不十分で、今季は出遅れています。今シーズンは学生記録が出せなくても仕方ないかな、という気持ちがこちらにありました。
 しかし、そこは前向きな笹瀬選手。「ユニバーシアードで跳びますよ。目標は5m72(ロンドン五輪A標準)です」と元気よく話してくれました。

 その次に取材したのは早大の後輩のディーン元気選手。ではなく、400 mに優勝した中野弘幸選手。45秒97と自身初の45秒台をマークしましたし、世界選手権代表の石塚祐輔選手と高瀬慧選手にも勝ちました。
 これもツイッターで紹介しましたが、中野選手は日本選手権400 mで4位に入りましたが、世界選手権4×400mR代表には200mでA標準を破っている高瀬慧選手が選ばれました。やはり選考会である静岡国際でも、石塚選手と高瀬選手に勝っています。
 代表2人に勝ちたい気持ちは? という質問が出たのも当然です。
「90%思っていました」と中野選手。ユニバーシアードに向けて調整なしで出場したので45秒台は意外だったようですが、勝つ気は十分だったようです。ロンドン五輪に向けては「安定して45秒台〜46秒台前半を出してアピールしたい」と言います。
 好感が持てたのは中野選手の話しぶりです。恨みがましい話し方だったらここに書くこともなかったのですが、明快な話っぷりに清々しい印象を受けました。
(もう少しつづく予定)

 その次に話を聞いたのがディーン元気選手。世界選手権B標準には結局30cm届かず代表入りを逃しました。アジア選手権前は調子が良く、練習で2回、80m超えがあったそうです。「気負いもあったと思いますが、確実に80mを投げる力がありませんでした。実力不足です」
 それでもユニバーシアードと来年のロンドン五輪に向けて気持ちを切り換えていました(それができないと選手はつとまらないと思いますが)。

 その次は400 mHの今関雄太選手。今大会はウエイトトレーニング中に腰を痛めた影響で大事をとりましたが、会場に姿を見せていたのです。ミックスゾーンに来てもらって話をうかがいました。
 今季好調の要因は逆脚(右)踏み切りが上手くなり、前半を0.4〜0.5秒くらい速く入れるようになったからだといいます。今関選手は5台目までを14歩で行きますから、前半が左右交互になるタイプ。前半14歩選手の日本最高記録は48秒64です。世界選手権本番でそのあたりを出せば、間違いなく準決勝に行けるでしょう。前回のベルリン大会で準決勝に進んだ吉田和晃選手は順大の同級生。続いてもらいたいところです。

 大会の前半は同時進行の多かったサマー・ゲームスですが、終盤になると種目数も絞られてきて、最後の男女100mなどは全観客の注目を集めて盛り上がりました。男子100mを制したのは世界選手権4×100mR代表の川面聡大選手でした。スタートで出遅れたと本人は反省していましたが、順大院生の草野選手を逆転しての優勝。2冠の関東インカレ、100 m3位の日本選手権、そして100 m3位のアジア選手権を経て逞しさが身に付いた感じです。
 世界選手権のリレーメンバーの中では「4〜5番手」という認識をしているそうで、どのようなケースになることも想定しているといいます。「1走も2走も、3走でも4走でもできるのが自分の強み」。補欠と決まったわけではありませんが、北京五輪と前回世界選手権のベルリンで補欠だった齋藤仁志選手から、心構えや行動のアドバイスをもらったそうです。
 まずはユニバーシアードで「3位以内、優勝を狙っていく」とのこと。記者たちに「ルメートル(フランス)が学生かどうかご存じの方いませんか」と逆取材していました(誰も知りませんでした。外国選手の資料は所属クラブが書かれているんですよね)。

 川面選手は元々、メディアの質問には快活に答えてくれるタイプ。それが記者たちにも浸透して、取材したくなる選手になってきたのだと思います。かなりの記者(15人前後?)が川面選手の話を聞こうとミックスゾーンに集まりました。
 その様子を見た中大のチームメイトから、「オレたちの間ではないけど記者の人たちには人気があるんだよな」と冷やかされていました。その直前に、取材の最中でしたが数人で仲良く記念撮影をしていましたから、学生間でも人気はあるのだと思います。


◆2011年7月31日(日)
 函館の千代台公園陸上競技場は3年ぶりです。2008年は北京五輪の最終選考会で、福島千里選手が代表に選ばれて話題になりました。あの頃と比べると、福島選手の成長ぶりは隔世の感があります。2008年も競技では日本で一番でしたが、まだ日本短距離界を背負っていく存在ではありませんでした。それが今や文字通り、日本女子短距離界のリーダーです。それだけ、この3年間で多くの経験をして、と同時に大変な思いをしてきたのだと思います。スポーツが人をつくる代表例かと思います。

 最初の種目は女子走幅跳でした。井村久美子選手が欠場したため岡山沙英子選手の独壇場となりましたが、優勝記録は6m02(+1.4)と伸びませんでした。風向きが一定せず、追い風2mを超えることもあれば、向かい風2mとなることも。風速表示が弱いときも、横風は強かったりしていました。おそらく、助走を合わせるのにどの選手も苦労したと思われます。
 トラックでは女子4×100 mRに日本陸連チームが出場。日本チームが国内試合に出場するとき、表記をどうするか難しくなります。今回は代表選考が終わった後の日本チームですから、“日本”あるいは“世界選手権代表”でもいいと思われます。それに対して、ゴールデングランプリ川崎などでリレーが組まれるときは、正規の代表選考が行われていないわけですから“日本選抜”とするのが普通です。
 ただ、今回はプログラムもリザルトも“日本陸連”としてあるので、日本陸連に……しようかとも思いましたが、やはり“テグ世界選手権代表”が一番適当な表記かと思います。
 テグ世界選手権代表は1走から市川華菜選手、高橋萌木子選手、福島千里選手、岡部奈緒選手のオーダーでした。アジア選手権が岡部選手、高橋選手、福島選手、今井沙緒里選手のオーダーだったので、市川選手の1走と岡部選手の4走を試したということです。
 1→2走のバトンパスが少しつまり気味でしたが、2→3走と3→4走はスムーズに渡ったように見えました。それでもタイムは44秒59でした。合宿の最中の出場で、タイムは気にしていなかったようです。
 麻場一徳女子短距離部長、個人種目に出場しない市川選手、中京大の青戸慎司コーチのコメントを取材。

 続いて話を聞いたのは女子やり投に58m91で優勝した海老原有希選手。日本選手権前に軽い肉離れをして、日本選手権後も1〜2週間様子を見たということで、前半3投は手探りの助走だったといいます。それでも後半は流れをつかみ、60mラインに1mと迫る投てきをしました。本人もまずまずといった手応えだったようです。
 その次に話を聞いたのは男子円盤投に53m58で優勝した堤雄司選手。地元北海道の選手という視点ではなく、学生記録の56m35を破る手応えを得ているかどうかを取材しようと思いました。これまでもインカレなどで話を聞いて、技術的な課題も明確に話してくれる選手という印象でした。
 実際、こちらの期待したとおりのコメントをしてくれました。ツイッターにも書きましたが学生記録は日本インカレで破りたいということですし、技術的に取り組んでいることも話してくれました。

 続いては男子走幅跳に7m49(−0.6)で優勝した小西康道選手に話を聞きました。やはり地元北海道の選手ですが、その視点よりも、7m90台をマークしたという情報があったので、それを確認するのが第一の目的でした。
 実際に話を聞くと、7月17日に7m95(+1.1)と自己記録を大幅に更新していました。1週間前の北海道選手権で技術的につかめたものがあって、それをすぐに試したくて翌週の日大競技会に出場したのだそうです。

 男女の100mを残していましたが、今日は記録が出ない大会となる雰囲気が漂っていました。110 mHのある選手も、「今日は踏み切る種目には厳しい」と話していました。先ほど書いたように風向きが一定しなかったり、突発的に強くなったりすることが助走や踏み切り位置を狂わせたのだと思います。
 そんな状況だったので、堤選手と小西選手の話を聞けたことが今日の収穫だなと、内心では“よしよし”と思いながら女子の100mとなりましたが、スタート位置を見ると福島千里選手と岡部奈緒選手が欠場していてビックリ(高橋萌木子選手は予選から欠場)。隣にいた“ジェントル”T上記者が福島選手の欠場会見が行われたことを教えてくれました。堤選手と小西選手の取材を表彰場所近くでしているうちに、プレスルーム近くで会見が行われたようです。
 うーむむむ。北海道まで来て福島選手の話を聞くチャンスを逃すとは…。でも、堤選手と小西選手を取材したことに後悔はありません。ここは潔くあきらめるしかないでしょう。
 欠場した福島選手はスタンドに向かって挨拶をしたというか、スタンド前でインタビューを受けていました。観客のお目当ての選手ですから、これは絶対に必要なことだと思います。有力選手の欠場は、普及ということを考えたとき、陸上競技の抱える大きな問題点です。世界選手権代表が出ると思って足を運んだ観客の落胆を少しでも軽減することは大事なことです。高校生以下は無料ですが、南部記念は入場料をとっている大会ですし。

 最後の種目は男子100m。この大会が世界選手権標準記録突破のラストチャンスとなる江里口匡史選手は、予選で10秒28(+0.1)で走りB標準に0.03秒と迫っていました。予選1組のトップは荒尾将吾選手で10秒62、2組は木村慎太郎選手でやはり10秒62。風はともに−0.1でした。記録は厳しいなという雰囲気だったので、3組目だけ+0.1でしたが、江里口選手の10秒28は正直、よく出せたな、と思いました。
 ツイッターにも書いたように、江里口選手自身は世界選手権標準記録というよりも、自身への期待感を持ってレースに臨んでいました。フィニッシュタイマーを見たときは「うあああぁぁ」と声を挙げたそうです。
 決勝は40m付近で両脚が痙攣したため、走るのをやめて歩いてフィニッシュ。朝原宣治コーチ、小坂田淳コーチが付き添ってスタンド下に入り、トレーナーの方の治療を受けた後に報道陣の前に姿を現しました。しっかりとした口調で記者たちの質問に答えていたのはさすが九州男児です。実際は落胆していたとは思いますが、感情的になっているような素振りはまったくありませんでした。

 条件の良いなかで走っていたら間違いなく10秒1台は出ていたと思います。今回と同じ10秒28(2位)だったアジア選手権は不正スタート発見装置が誤作動。運にも見放された感じの今季の江里口選手です。世界選手権の100m出場はなくなりましたが、運に恵まれるときがきっとやってくると思います。


◆2011年8月1日(月)
 本日はスズキ浜松ACの一般種目(渡辺辰彦監督)がメディアに練習を公開しました。昨日の南部記念に続いて、10時ちょっと過ぎに函館の千代台公園陸上競技場に。函館の路面電車に乗るのも慣れてきました。日本陸連女子短距離陣も練習をしていましたが、こちらは公開練習日ではありませんので、練習を撮影したりするのはNGです。
 スズキ浜松ACの練習は10:30にスタート。練習の様子は写真で紹介したいと思います。
@ A
B C
D E
F G
H I
J K
L

@まずは世界選手権代表の3選手の記念撮影。以前に記事にしたように、1チームから3人の代表は2番目の多さです。
A最初に全員でジョッグ。左から右代啓祐選手、海老原有希選手、村上幸史選手、特別参加の右代織江選手、砲丸投30歳台日本最高記録(18m35)保持者の村川洋平選手、昨年の日本選手権400m4位の袴田千尋選手。
Bストレッチを終えると村川選手、村上選手、右代選手は砲丸投のサークルに。この3人が揃って歩くと迫力があります。
C3人は砲丸フロント投げをやり始めました。一番距離が出ていたのは村川選手。スズキ浜松ACナンバーワンはやはり、この男でした。
D右代選手は6kgの砲丸で、投てき2選手に迫る距離を投げていました。
E村上選手は16ポンド(7.2kg)で村川選手に迫る距離を投げていました。
Fフロント投げの次は砲丸のバック投げを何本も繰り返していました。このメニューは村上選手と円盤投の畑山茂雄選手、ハンマー投の土井宏昭選手らが合同で練習をするときに、よく行うメニューだそうです。それが終わると村上選手はやり投用のスパイクに履き替えました。テグ仕様のスパイクが前日にミズノから届けられたそうです。
G村上選手は○○(全力ではないけれど、突き刺しよりも遠くに投げるメニュー)を繰り返していました。
Hその頃、砲丸投サークル近くでは村川選手による、右代選手への砲丸投指導が行われていました。
I「今日の数時間だけでも良い感覚をつかめました」と右代選手。
J見本を示す村川選手。やはりサマになっています。
K右代選手の砲丸投。村川選手とは下半身の使い方が違うようです。
L海老原選手は南部記念に出場した翌日ということで、ランニング中心のメニューをこなしていましたが、最後に軽くやりを投げていました。

 午前中の練習は2時間ほどで終了。公開されたのはそこまででしたが、午後の練習もあるとのこと。午前中は「右代への指導がメインでしたね」と話す村川選手に、「午後は100本投げ込みをする?」と質問すると、否定しませんでした。苦笑していましたが。100本は無理としても、相当に投げ込んだのではないでしょうか。目指すのは19mです。


◆2011年8月2日(火)
 昨日のうちに函館から士別に電車で移動。札幌で乗り換えて6時間くらいかかりました。函館→札幌が直線的でないことも時間のかかる理由ですが、北海道の広さを痛感しました。

 本日は世界選手権マラソン代表の尾田賢典選手(トヨタ自動車)の取材でした。午前練習はフリージョッグだったので、集合のときに写真を撮らせていただき、14時からインタビュー。面白い話を聞くことができました。このインタビューは日清ファルマ様とのタイアップ記事で本サイトに掲載します。
 世界選手権代表ということでお願いしたインタビューですが、世界選手権に向けた話はあまり聞いていません(トレーニングが順調かどうかとか)。世界選手権の後に読んでも、面白いと思ってもらいたいからです。尾田賢典という選手がどういう選手なのか。そこを明らかにするのが目的の記事です。

 16時半からは尾田選手以外のメンバーが400m×20本のインターバル(つなぎは200mジョッグ。浜野健選手は15本。高林祐介選手と宮脇選手はヨーロッパ遠征中で不在です)をグラウンドで行うということで、撮影させていただきました。ニューイヤー駅伝優勝チームの夏合宿です。冬の駅伝展望記事で使えるかもしれません。
 同じトラックで日本実業団連合の女子長距離合宿も行われていて、福士加代子選手(ワコール)や中村友梨香選手(天満屋)も参加していました。写真を撮りたいところですが、いきなり練習場所に現れて、いきなり撮影をするのはNGです。ここは控えないといけないところでした。


◆2011年8月3日(水)
 早朝に起床して、5:45からの40km走を撮影させてもらいました。士別は今回が2回目で、前回はたしか、シドニー五輪前に犬伏孝行選手(現大塚製薬コーチ)の取材だったと思います。スタート地点に行って、昔の記憶が少し蘇りました。
 40km走は尾田賢典選手だけでなく、トヨタ自動車のマラソンを目指す7選手でスタート。40km走を間近で見るのは何回目か忘れましたが、選手たちは決められたペースで淡々と走ります。レースとはまったく違いますね。これが、我慢する練習なのだと感じました。
 10km地点で30km走の7選手が加わって14人の集団で走ります。
 後半、集団から離れる選手もいましたが、ほぼ全員がきっちりと走りきりました。

 11時少し前にグラウンドに。富士通一般種目の合宿も士別で行われていて、事前に三代直樹広報に行くかもしれないと相談していました。現場責任者の佐久間コーチに電話を入れると快く迎え入れてくれました。
 とはいえ、いきなり現れることに違いはありませんから、取材はしない旨、こちらから申し出ました。
 旅館で借りた自転車でグラウンドに行くと、田野中輔選手、醍醐直幸選手、堀籠佳宏選手、高平慎士選手、堀池靖幸選手、高橋萌木子選手の富士通勢に加えて、広島カープの前田健太投手がいました……と思ったら、アシックスの木村慎太郎選手でした。南部記念の100 mで優勝と、好調の選手です。
 取材はしない約束でしたが、面識のある選手たちばかりですから、挨拶がてら雑談の1つくらいはします。木村選手も富士通の合宿に特別参加しているとのことでした。

 北海道新聞のF記者も取材に来ていました。隣に北海道陸協のS先生もいらして、北海道ネタで盛り上がっていました。F記者がテグ世界選手権には全日程行くと話していました。北海道出身選手が出続けるからです。
 初日に十種競技の右代啓祐選手、2日目には右代選手と女子100 mの福島千里選手、3日目は女子400 mHの久保倉里美選手と、福島選手が準決勝に進んでいる可能性があります。4日目も久保倉選手が準決勝に進んでいる可能性あり。5日目は女子20kmWだけで北海道選手は出場しませんが、6日目は女子200mに福島選手が再登場。7日目からは高平慎士選手の男子200mが始まります。8日目は200m決勝なので高平選手次第。そして9日目は男子4×100 mRの予選と決勝。地方紙記者としては一番忙しくなりそうです。
 F記者が「北海道出身選手は4人で、今回、千葉と並んで一番多いんですよ」とS先生に話しています。マニアックなことを知っているなあと思ったら、F記者もこのページを読んでいてくれました。
 その話をストレッチをしながら聞いていた高平選手が、「僕は北海道、順大、富士通と、全部最多人数のところに属しているんです」と加わってきました。順大→富士通の人数が多いことは気づいていたのですが、高平選手の件は気づきませんでしたね。

 最後に佐久間コーチに話を聞かせてもらうのは大丈夫かと思い、富士通の世界選手権代表選手たちの近況を取材させてもらいました。本番の取材に向けてとても参考になりました。


ここが最新です
◆2011年8月7日(日)
 今日は久しぶりの成田空港取材でした(いつ以来だろう?)。第一生命の尾崎好美選手(前回銀メダリスト)と野尻あずさ選手がボルダーから帰国しました。19:15着の便です。17時には空港入りして、ネットで北上インターハイ最終日の結果をチェック。簡単な原稿を書きました。
 尾崎好美選手の母校である相洋高が本日の女子4×400mRにも優勝し、リレー2冠を達成しました。これは尾崎選手も調子が良いのではないかと、勝手に予想していました。
 5日間の大会を終えて大会新記録は、数年前に重量変更のあった男子ハンマー投だけですか? インターハイの大会新はもう、なかなか生まれない状況になっています。男子4×100 mRの40秒20(高校歴代2位)も大会新ではないのです。歴史があって、毎年選手が全力を注いでいる大会はそうなります。1980年代や90年代のように、毎年大会新続出とはもうならないでしょう。
 それにもかかわらず、なんだかんだでインターハイは盛り上がりますね。(高校生の)日本一を決める大会であり、選手や関係者の意気込みが大きくて、世間の関心がそれなりに高くて、というのが理由でしょうか。大会が数日に渡って行われて、2冠獲得選手が生まれたり、逆に雪辱する選手が出てきたりという点も盛り上がる一因かと思われます。

 成田空港に話を戻します。
 取材は、先に尾崎選手が荷物のピックアップを終えて出てきてくれて、同選手のカコミ取材から始まりました。予想に違わず、尾崎選手のトレーニングは順調でした。
「故障もなく順調でした。予定通りに練習できたと思います。(距離走は)50kmを1本と40kmを3本くらい。(ベルリンの時と比べ)質は高くありませんが距離は多くなっています。今回は距離を踏むことを重視しました。距離を踏めばスピードも上がってくるタイプです。後半はスピードも上がってきました。(本格的な)スピード練習は帰国してからです」
 取材は15分と時間をとってくれたので、コメントはこれだけではないのですが、全体の印象として、自分はこういう状態だからこういう練習をした、という点を明確に話してくれていました。それが根拠となるとは言い切れませんが、本番への期待が高まりました。
 ただ、スパート地点など本番の戦術に関しては「イメージはありますが秘密です」と言って笑っていました。
 続いてカコミ取材に応じてくれた野尻選手も、「今までやった合宿の中で一番走れましたし、納得のいく練習ができました」と明るい表情。尾崎選手ほど歯切れのいい説明ではありませんでしたが、そこは陸上競技歴の違い? でも、気持ちの強さは伝わってきました。
「マラソンは42.195kmと、どの競技と比べても長い時間で勝負が決まります。気持ちや走りの変化、レースの流れと影響が出ますが、どういうときもあきらめず、ゴールに向かっていく走りを見せたい」
 尾崎選手との練習の違いは、おそらくつなぎのジョッグのやり方です。どちらがどうとはもう少ししっかりと取材ができないと書けませんが、たぶんそこだと思われます。この点は2人が世界選手権で好成績を挙げたり、将来的に2人とも活躍したときに明確にできればと思っています。

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