続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2011年8月  8月は9年ぶりの韓国

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◆2011年7月24日(日)
 本日は午前中に理事会がありましたが、それはマンションの理事会なので陸上競技とは何の関係もありません。午後からはサマー・ゲームスの取材に。昼過ぎに出かけて、陽射しが午後っぽくなった頃(15時開始)に会場に着くというのは、ヨーロッパの大会っぽいですね。
 この大会は昨年まではトワイライト・ゲームスという名称で、ナイターで行われていました。ビールを片手に陸上競技を楽しんでもらうというコンセプトです(サッポロビールがメインスポンサー)。今年は節電のため開始時間を早め、名称も変更したとのこと。

 取材陣も日本選手権やアジア選手権と比べると、若干のリラックスムードがあるのは否定できません。そうではありますが、種目の立て込み方は春季グランプリ以上です。競技開始30分後にフィールドに目をやると、ホームストレート側から見て左サイドから女子やり投、男子走高跳、男子走幅跳、女子走高跳が進行しています。それに加えてトラックでは男子400 mH。
 5種目が同時進行しているととても全部の種目を見ることなどできません。この大会はヨーロッパの大会のように“観客に見せる”ことに重点を置いているのですが、さすがに5種目は厳しいでしょう。というか、ヨーロッパの試合でもこれだけ同時進行することはありません。むしろ、フィールド種目を絞って見せているんじゃないでしょうか。2〜3時間と時間を短くしている大会もありますが、フィールド種目を先に行っている大会が多いように記憶しています(日本ではゴールデングランプリ川崎がその方式です)。
 アナウンサーの方は相当に熟練している方でしたが、さすがに全種目の戦況を伝えたり、注目選手の登場を全部通告するのは難しかったようです。

 レース後の場内インタビューは良かったと思います。関東学連の役員の方2名が担当していました。そのうち1人は月陸出身のH氏で、1500m日本人1位の小林史和選手のやりとりなど面白かったですね。
H氏「この大会の雰囲気はどうですか」
小林選手「ヨーロッパの大会に似ていて、モチベーションを上げられます。学生選手たちにまじって、歳をとった自分も若い力をもらって頑張れます」
H氏「観客の拍手も聞こえていましたか」
小林選手「よく聞こえました。力になりますね。この大会はレースのあとビールを飲むのがおいしくて楽しみです」
H氏「ビールの銘柄は?」
小林選手「…サッポロです」

 スタンドの大きな競技場は音が反響してアナウンスが聞き取りにくいのですが、織田フィールドは音響がよくて聞き取りやすいです。フィニッシュ地点から見て、ホームストレートの前半が見えないというのはいただけませんけど(何度も書きますが)。

 肝心の取材の方ですが……(つづく予定)

 最初に話を聞いたのが女子やり投世界選手権代表の宮下梨沙選手。今日は佐藤友佳選手が優勝したのでミックスゾーンに来ないと判断して、探しに行きました。日本選手権の際に初めて話を聞きましたが、面識があるわけではないので、声を掛けるのが難しいケースです(小心者記者です)。まごついていると某テレビ局のWディレクターが話を聞いていたので、そこに加わりました。
 アジア選手権の失敗(52m37・4位)は、「練習に自信が持てない状態」で臨んだことが原因だったそうです。国際大会ということもあって「他人のペースになってしまった」とのこと。それがアジア選手権後は「体調を整えてばっちり合えば、(再度の60mも)いけるかな」と思える状態になっています。「世界は何かが棲んでいると言われますが、初めてなんで、自分のペースで進めてしまいたい」

 宮下選手の話を聞いた後は第3コーナーのトラック外側から、男子砲丸投を見ていました。競技を間近に見られるのがこの大会の良いところです(実業団の試合もそうです)。
 しかし、寺田の予想と違って好記録が誕生したのは、女子走高跳でした。福本幸選手が1m84に成功した後、1m87にバーを上げました。アナウンスで先週、1m86をクリアしていたことを知ったのですが、アナウンサーの方は本当によく勉強されていました。
 福本選手は1m87もクリア。1m92の自己タイ&ロンドン五輪B標準は越えられませんでしたが、経産婦選手の日本最高記録を更新しました。福本選手にはミックスゾーンで取材。ママさん選手ということで、多くの記者が取材をしていました。
 オリンピックへの思いが強いことと、なかなか育たない若手へのメッセージを話していました。「今、自分ができることは、見せてあげること」と。

 福本選手への取材後はミックスゾーン近辺にとどまって、観戦&取材をしました。ふと後ろを振り向くと、会場入り口付近で棒高跳の笹瀬弘樹選手が募金活動をしていました。ツイッターにも書きましたが、男女の1500mが行われている合間に募金に行き、その際に「学生記録を出せなかったら留年するんだって?」と冗談まじりで声を掛けました。昨秋の国体で大きなケガをした笹瀬選手は冬期練習が不十分で、今季は出遅れています。今シーズンは学生記録が出せなくても仕方ないかな、という気持ちがこちらにありました。
 しかし、そこは前向きな笹瀬選手。「ユニバーシアードで跳びますよ。目標は5m72(ロンドン五輪A標準)です」と元気よく話してくれました。

 その次に取材したのは早大の後輩のディーン元気選手。ではなく、400 mに優勝した中野弘幸選手。45秒97と自身初の45秒台をマークしましたし、世界選手権代表の石塚祐輔選手と高瀬慧選手にも勝ちました。
 これもツイッターで紹介しましたが、中野選手は日本選手権400 mで4位に入りましたが、世界選手権4×400mR代表には200mでA標準を破っている高瀬慧選手が選ばれました。やはり選考会である静岡国際でも、石塚選手と高瀬選手に勝っています。
 代表2人に勝ちたい気持ちは? という質問が出たのも当然です。
「90%思っていました」と中野選手。ユニバーシアードに向けて調整なしで出場したので45秒台は意外だったようですが、勝つ気は十分だったようです。ロンドン五輪に向けては「安定して45秒台〜46秒台前半を出してアピールしたい」と言います。
 好感が持てたのは中野選手の話しぶりです。恨みがましい話し方だったらここに書くこともなかったのですが、明快な話っぷりに清々しい印象を受けました。
(もう少しつづく予定)

 その次に話を聞いたのがディーン元気選手。世界選手権B標準には結局30cm届かず代表入りを逃しました。アジア選手権前は調子が良く、練習で2回、80m超えがあったそうです。「気負いもあったと思いますが、確実に80mを投げる力がありませんでした。実力不足です」
 それでもユニバーシアードと来年のロンドン五輪に向けて気持ちを切り換えていました(それができないと選手はつとまらないと思いますが)。

 その次は400 mHの今関雄太選手。今大会はウエイトトレーニング中に腰を痛めた影響で大事をとりましたが、会場に姿を見せていたのです。ミックスゾーンに来てもらって話をうかがいました。
 今季好調の要因は逆脚(右)踏み切りが上手くなり、前半を0.4〜0.5秒くらい速く入れるようになったからだといいます。今関選手は5台目までを14歩で行きますから、前半が左右交互になるタイプ。前半14歩選手の日本最高記録は48秒64です。世界選手権本番でそのあたりを出せば、間違いなく準決勝に行けるでしょう。前回のベルリン大会で準決勝に進んだ吉田和晃選手は順大の同級生。続いてもらいたいところです。

 大会の前半は同時進行の多かったサマー・ゲームスですが、終盤になると種目数も絞られてきて、最後の男女100mなどは全観客の注目を集めて盛り上がりました。男子100mを制したのは世界選手権4×100mR代表の川面聡大選手でした。スタートで出遅れたと本人は反省していましたが、順大院生の草野選手を逆転しての優勝。2冠の関東インカレ、100 m3位の日本選手権、そして100 m3位のアジア選手権を経て逞しさが身に付いた感じです。
 世界選手権のリレーメンバーの中では「4〜5番手」という認識をしているそうで、どのようなケースになることも想定しているといいます。「1走も2走も、3走でも4走でもできるのが自分の強み」。補欠と決まったわけではありませんが、北京五輪と前回世界選手権のベルリンで補欠だった齋藤仁志選手から、心構えや行動のアドバイスをもらったそうです。
 まずはユニバーシアードで「3位以内、優勝を狙っていく」とのこと。記者たちに「ルメートル(フランス)が学生かどうかご存じの方いませんか」と逆取材していました(誰も知りませんでした。外国選手の資料は所属クラブが書かれているんですよね)。

 川面選手は元々、メディアの質問には快活に答えてくれるタイプ。それが記者たちにも浸透して、取材したくなる選手になってきたのだと思います。かなりの記者(15人前後?)が川面選手の話を聞こうとミックスゾーンに集まりました。
 その様子を見た中大のチームメイトから、「オレたちの間ではないけど記者の人たちには人気があるんだよな」と冷やかされていました。その直前に、取材の最中でしたが数人で仲良く記念撮影をしていましたから、学生間でも人気はあるのだと思います。


◆2011年7月31日(日)
 函館の千代台公園陸上競技場は3年ぶりです。2008年は北京五輪の最終選考会で、福島千里選手が代表に選ばれて話題になりました。あの頃と比べると、福島選手の成長ぶりは隔世の感があります。2008年も競技では日本で一番でしたが、まだ日本短距離界を背負っていく存在ではありませんでした。それが今や文字通り、日本女子短距離界のリーダーです。それだけ、この3年間で多くの経験をして、と同時に大変な思いをしてきたのだと思います。スポーツが人をつくる代表例かと思います。

 最初の種目は女子走幅跳でした。井村久美子選手が欠場したため岡山沙英子選手の独壇場となりましたが、優勝記録は6m02(+1.4)と伸びませんでした。風向きが一定せず、追い風2mを超えることもあれば、向かい風2mとなることも。風速表示が弱いときも、横風は強かったりしていました。おそらく、助走を合わせるのにどの選手も苦労したと思われます。
 トラックでは女子4×100 mRに日本陸連チームが出場。日本チームが国内試合に出場するとき、表記をどうするか難しくなります。今回は代表選考が終わった後の日本チームですから、“日本”あるいは“世界選手権代表”でもいいと思われます。それに対して、ゴールデングランプリ川崎などでリレーが組まれるときは、正規の代表選考が行われていないわけですから“日本選抜”とするのが普通です。
 ただ、今回はプログラムもリザルトも“日本陸連”としてあるので、日本陸連に……しようかとも思いましたが、やはり“テグ世界選手権代表”が一番適当な表記かと思います。
 テグ世界選手権代表は1走から市川華菜選手、高橋萌木子選手、福島千里選手、岡部奈緒選手のオーダーでした。アジア選手権が岡部選手、高橋選手、福島選手、今井沙緒里選手のオーダーだったので、市川選手の1走と岡部選手の4走を試したということです。
 1→2走のバトンパスが少しつまり気味でしたが、2→3走と3→4走はスムーズに渡ったように見えました。それでもタイムは44秒59でした。合宿の最中の出場で、タイムは気にしていなかったようです。
 麻場一徳女子短距離部長、個人種目に出場しない市川選手、中京大の青戸慎司コーチのコメントを取材。

 続いて話を聞いたのは女子やり投に58m91で優勝した海老原有希選手。日本選手権前に軽い肉離れをして、日本選手権後も1〜2週間様子を見たということで、前半3投は手探りの助走だったといいます。それでも後半は流れをつかみ、60mラインに1mと迫る投てきをしました。本人もまずまずといった手応えだったようです。
 その次に話を聞いたのは男子円盤投に53m58で優勝した堤雄司選手。地元北海道の選手という視点ではなく、学生記録の56m35を破る手応えを得ているかどうかを取材しようと思いました。これまでもインカレなどで話を聞いて、技術的な課題も明確に話してくれる選手という印象でした。
 実際、こちらの期待したとおりのコメントをしてくれました。ツイッターにも書きましたが学生記録は日本インカレで破りたいということですし、技術的に取り組んでいることも話してくれました。

 続いては男子走幅跳に7m49(−0.6)で優勝した小西康道選手に話を聞きました。やはり地元北海道の選手ですが、その視点よりも、7m90台をマークしたという情報があったので、それを確認するのが第一の目的でした。
 実際に話を聞くと、7月17日に7m95(+1.1)と自己記録を大幅に更新していました。1週間前の北海道選手権で技術的につかめたものがあって、それをすぐに試したくて翌週の日大競技会に出場したのだそうです。

 男女の100mを残していましたが、今日は記録が出ない大会となる雰囲気が漂っていました。110 mHのある選手も、「今日は踏み切る種目には厳しい」と話していました。先ほど書いたように風向きが一定しなかったり、突発的に強くなったりすることが助走や踏み切り位置を狂わせたのだと思います。
 そんな状況だったので、堤選手と小西選手の話を聞けたことが今日の収穫だなと、内心では“よしよし”と思いながら女子の100mとなりましたが、スタート位置を見ると福島千里選手と岡部奈緒選手が欠場していてビックリ(高橋萌木子選手は予選から欠場)。隣にいた“ジェントル”T上記者が福島選手の欠場会見が行われたことを教えてくれました。堤選手と小西選手の取材を表彰場所近くでしているうちに、プレスルーム近くで会見が行われたようです。
 うーむむむ。北海道まで来て福島選手の話を聞くチャンスを逃すとは…。でも、堤選手と小西選手を取材したことに後悔はありません。ここは潔くあきらめるしかないでしょう。
 欠場した福島選手はスタンドに向かって挨拶をしたというか、スタンド前でインタビューを受けていました。観客のお目当ての選手ですから、これは絶対に必要なことだと思います。有力選手の欠場は、普及ということを考えたとき、陸上競技の抱える大きな問題点です。世界選手権代表が出ると思って足を運んだ観客の落胆を少しでも軽減することは大事なことです。高校生以下は無料ですが、南部記念は入場料をとっている大会ですし。

 最後の種目は男子100m。この大会が世界選手権標準記録突破のラストチャンスとなる江里口匡史選手は、予選で10秒28(+0.1)で走りB標準に0.03秒と迫っていました。予選1組のトップは荒尾将吾選手で10秒62、2組は木村慎太郎選手でやはり10秒62。風はともに−0.1でした。記録は厳しいなという雰囲気だったので、3組目だけ+0.1でしたが、江里口選手の10秒28は正直、よく出せたな、と思いました。
 ツイッターにも書いたように、江里口選手自身は世界選手権標準記録というよりも、自身への期待感を持ってレースに臨んでいました。フィニッシュタイマーを見たときは「うあああぁぁ」と声を挙げたそうです。
 決勝は40m付近で両脚が痙攣したため、走るのをやめて歩いてフィニッシュ。朝原宣治コーチ、小坂田淳コーチが付き添ってスタンド下に入り、トレーナーの方の治療を受けた後に報道陣の前に姿を現しました。しっかりとした口調で記者たちの質問に答えていたのはさすが九州男児です。実際は落胆していたとは思いますが、感情的になっているような素振りはまったくありませんでした。

 条件の良いなかで走っていたら間違いなく10秒1台は出ていたと思います。今回と同じ10秒28(2位)だったアジア選手権は不正スタート発見装置が誤作動。運にも見放された感じの今季の江里口選手です。世界選手権の100m出場はなくなりましたが、運に恵まれるときがきっとやってくると思います。


◆2011年8月1日(月)
 本日はスズキ浜松ACの一般種目(渡辺辰彦監督)がメディアに練習を公開しました。昨日の南部記念に続いて、10時ちょっと過ぎに函館の千代台公園陸上競技場に。函館の路面電車に乗るのも慣れてきました。日本陸連女子短距離陣も練習をしていましたが、こちらは公開練習日ではありませんので、練習を撮影したりするのはNGです。
 スズキ浜松ACの練習は10:30にスタート。練習の様子は写真で紹介したいと思います。
@ A
B C
D E
F G
H I
J K
L

@まずは世界選手権代表の3選手の記念撮影。以前に記事にしたように、1チームから3人の代表は2番目の多さです。
A最初に全員でジョッグ。左から右代啓祐選手、海老原有希選手、村上幸史選手、特別参加の右代織江選手、砲丸投30歳台日本最高記録(18m35)保持者の村川洋平選手、昨年の日本選手権400m4位の袴田千尋選手。
Bストレッチを終えると村川選手、村上選手、右代選手は砲丸投のサークルに。この3人が揃って歩くと迫力があります。
C3人は砲丸フロント投げをやり始めました。一番距離が出ていたのは村川選手。スズキ浜松ACナンバーワンはやはり、この男でした。
D右代選手は6kgの砲丸で、投てき2選手に迫る距離を投げていました。
E村上選手は16ポンド(7.2kg)で村川選手に迫る距離を投げていました。
Fフロント投げの次は砲丸のバック投げを何本も繰り返していました。このメニューは村上選手と円盤投の畑山茂雄選手、ハンマー投の土井宏昭選手らが合同で練習をするときに、よく行うメニューだそうです。それが終わると村上選手はやり投用のスパイクに履き替えました。テグ仕様のスパイクが前日にミズノから届けられたそうです。
G村上選手は○○(全力ではないけれど、突き刺しよりも遠くに投げるメニュー)を繰り返していました。
Hその頃、砲丸投サークル近くでは村川選手による、右代選手への砲丸投指導が行われていました。
I「今日の数時間だけでも良い感覚をつかめました」と右代選手。
J見本を示す村川選手。やはりサマになっています。
K右代選手の砲丸投。村川選手とは下半身の使い方が違うようです。
L海老原選手は南部記念に出場した翌日ということで、ランニング中心のメニューをこなしていましたが、最後に軽くやりを投げていました。

 午前中の練習は2時間ほどで終了。公開されたのはそこまででしたが、午後の練習もあるとのこと。午前中は「右代への指導がメインでしたね」と話す村川選手に、「午後は100本投げ込みをする?」と質問すると、否定しませんでした。苦笑していましたが。100本は無理としても、相当に投げ込んだのではないでしょうか。目指すのは19mです。


◆2011年8月2日(火)
 昨日のうちに函館から士別に電車で移動。札幌で乗り換えて6時間くらいかかりました。函館→札幌が直線的でないことも時間のかかる理由ですが、北海道の広さを痛感しました。

 本日は世界選手権マラソン代表の尾田賢典選手(トヨタ自動車)の取材でした。午前練習はフリージョッグだったので、集合のときに写真を撮らせていただき、14時からインタビュー。面白い話を聞くことができました。このインタビューは日清ファルマ様とのタイアップ記事で本サイトに掲載します。
 世界選手権代表ということでお願いしたインタビューですが、世界選手権に向けた話はあまり聞いていません(トレーニングが順調かどうかとか)。世界選手権の後に読んでも、面白いと思ってもらいたいからです。尾田賢典という選手がどういう選手なのか。そこを明らかにするのが目的の記事です。

 16時半からは尾田選手以外のメンバーが400m×20本のインターバル(つなぎは200mジョッグ。浜野健選手は15本。高林祐介選手と宮脇選手はヨーロッパ遠征中で不在です)をグラウンドで行うということで、撮影させていただきました。ニューイヤー駅伝優勝チームの夏合宿です。冬の駅伝展望記事で使えるかもしれません。
 同じトラックで日本実業団連合の女子長距離合宿も行われていて、福士加代子選手(ワコール)や中村友梨香選手(天満屋)も参加していました。写真を撮りたいところですが、いきなり練習場所に現れて、いきなり撮影をするのはNGです。ここは控えないといけないところでした。


◆2011年8月3日(水)
 早朝に起床して、5:45からの40km走を撮影させてもらいました。士別は今回が2回目で、前回はたしか、シドニー五輪前に犬伏孝行選手(現大塚製薬コーチ)の取材だったと思います。スタート地点に行って、昔の記憶が少し蘇りました。
 40km走は尾田賢典選手だけでなく、トヨタ自動車のマラソンを目指す7選手でスタート。40km走を間近で見るのは何回目か忘れましたが、選手たちは決められたペースで淡々と走ります。レースとはまったく違いますね。これが、我慢する練習なのだと感じました。
 10km地点で30km走の7選手が加わって14人の集団で走ります。
 後半、集団から離れる選手もいましたが、ほぼ全員がきっちりと走りきりました。

 11時少し前にグラウンドに。富士通一般種目の合宿も士別で行われていて、事前に三代直樹広報に行くかもしれないと相談していました。現場責任者の佐久間コーチに電話を入れると快く迎え入れてくれました。
 とはいえ、いきなり現れることに違いはありませんから、取材はしない旨、こちらから申し出ました。
 旅館で借りた自転車でグラウンドに行くと、田野中輔選手、醍醐直幸選手、堀籠佳宏選手、高平慎士選手、堀池靖幸選手、高橋萌木子選手の富士通勢に加えて、広島カープの前田健太投手がいました……と思ったら、アシックスの木村慎太郎選手でした。南部記念の100 mで優勝と、好調の選手です。
 取材はしない約束でしたが、面識のある選手たちばかりですから、挨拶がてら雑談の1つくらいはします。木村選手も富士通の合宿に特別参加しているとのことでした。

 北海道新聞のF記者も取材に来ていました。隣に北海道陸協のS先生もいらして、北海道ネタで盛り上がっていました。F記者がテグ世界選手権には全日程行くと話していました。北海道出身選手が出続けるからです。
 初日に十種競技の右代啓祐選手、2日目には右代選手と女子100 mの福島千里選手、3日目は女子400 mHの久保倉里美選手と、福島選手が準決勝に進んでいる可能性があります。4日目も久保倉選手が準決勝に進んでいる可能性あり。5日目は女子20kmWだけで北海道選手は出場しませんが、6日目は女子200mに福島選手が再登場。7日目からは高平慎士選手の男子200mが始まります。8日目は200m決勝なので高平選手次第。そして9日目は男子4×100 mRの予選と決勝。地方紙記者としては一番忙しくなりそうです。
 F記者が「北海道出身選手は4人で、今回、千葉と並んで一番多いんですよ」とS先生に話しています。マニアックなことを知っているなあと思ったら、F記者もこのページを読んでいてくれました。
 その話をストレッチをしながら聞いていた高平選手が、「僕は北海道、順大、富士通と、全部最多人数のところに属しているんです」と加わってきました。順大→富士通の人数が多いことは気づいていたのですが、高平選手の件は気づきませんでしたね。

 最後に佐久間コーチに話を聞かせてもらうのは大丈夫かと思い、富士通の世界選手権代表選手たちの近況を取材させてもらいました。本番の取材に向けてとても参考になりました。


◆2011年8月7日(日)
 今日は久しぶりの成田空港取材でした(いつ以来だろう?)。第一生命の尾崎好美選手(前回銀メダリスト)と野尻あずさ選手がボルダーから帰国しました。19:15着の便です。17時には空港入りして、ネットで北上インターハイ最終日の結果をチェック。簡単な原稿を書きました。
 尾崎好美選手の母校である相洋高が本日の女子4×400mRにも優勝し、リレー2冠を達成しました。これは尾崎選手も調子が良いのではないかと、勝手に予想していました。
 5日間の大会を終えて大会新記録は、数年前に重量変更のあった男子ハンマー投だけですか? インターハイの大会新はもう、なかなか生まれない状況になっています。男子4×100 mRの40秒20(高校歴代2位)も大会新ではないのです。歴史があって、毎年選手が全力を注いでいる大会はそうなります。1980年代や90年代のように、毎年大会新続出とはもうならないでしょう。
 それにもかかわらず、なんだかんだでインターハイは盛り上がりますね。(高校生の)日本一を決める大会であり、選手や関係者の意気込みが大きくて、世間の関心がそれなりに高くて、というのが理由でしょうか。大会が数日に渡って行われて、2冠獲得選手が生まれたり、逆に雪辱する選手が出てきたりという点も盛り上がる一因かと思われます。

 成田空港に話を戻します。
 取材は、先に尾崎選手が荷物のピックアップを終えて出てきてくれて、同選手のカコミ取材から始まりました。予想に違わず、尾崎選手のトレーニングは順調でした。
「故障もなく順調でした。予定通りに練習できたと思います。(距離走は)50kmを1本と40kmを3本くらい。(ベルリンの時と比べ)質は高くありませんが距離は多くなっています。今回は距離を踏むことを重視しました。距離を踏めばスピードも上がってくるタイプです。後半はスピードも上がってきました。(本格的な)スピード練習は帰国してからです」
 取材は15分と時間をとってくれたので、コメントはこれだけではないのですが、全体の印象として、自分はこういう状態だからこういう練習をした、という点を明確に話してくれていました。それが根拠となるとは言い切れませんが、本番への期待が高まりました。
 ただ、スパート地点など本番の戦術に関しては「イメージはありますが秘密です」と言って笑っていました。
 続いてカコミ取材に応じてくれた野尻選手も、「今までやった合宿の中で一番走れましたし、納得のいく練習ができました」と明るい表情。尾崎選手ほど歯切れのいい説明ではありませんでしたが、そこは陸上競技歴の違い? でも、気持ちの強さは伝わってきました。
「マラソンは42.195kmと、どの競技と比べても長い時間で勝負が決まります。気持ちや走りの変化、レースの流れと影響が出ますが、どういうときもあきらめず、ゴールに向かっていく走りを見せたい」
 尾崎選手との練習の違いは、おそらくつなぎのジョッグのやり方です。どちらがどうとはもう少ししっかりと取材ができないと書けませんが、たぶんそこだと思われます。この点は2人が世界選手権で好成績を挙げたり、将来的に2人とも活躍したときに明確にできればと思っています。


◆2011年8月8日(月)
 昨日の日記の補足です。
 第一生命の尾崎好美選手と野尻あずさ選手の練習の違いは“おそらくつなぎのジョッグのやり方です”と書きましたが、これは野尻選手のあるコメントから感じたことです。
 一緒に帰国された山下佐知子監督は「(野尻は)尾崎と比べると洗練度では負けますが、部分的には尾崎も歯が立たないところもある。スピードでは尾崎ですが、距離走では野尻が先行する場面もあった」という言い方をしています。つなぎのジョッグだけでなく、ポイント練習でも違いがあるということです。
 寺田の書いたことが間違いだったというのではなく、視点によって色々な違いがあるということだと思います。

 間違いといえば、明らかなミスを2つしてしまいました。ちょっと前のことですが、思い出したときに書いておこうと思います。
 1つめは7月18日の日記に書いた西日本インカレの三木汐莉選手の出場種目です。
アジア選手権では400 mH5位だった三木汐莉選手(東大阪大)は“いつもどおり”100 m、200m、400 mH、4×100 mR、4×400mRと5種目に出場し、個人3種目と4×400mRに優勝。国際大会は400 mHで出場している同選手ですが、兼ねるのが400 mではなくショートスプリント種目というところに、何か狙いがあるのだと思われます
 と書きましたが、三木選手は100mHにも出場(準決勝落ち)していたそうです。なんと6種目! 昭和の時代はそういう選手もいたかもしれませんが、最近では珍しい存在です。平成のスーパーガールですね(ちょっと洗練度の足りないキャッチなので、もう少し練りたいと思います)。

 2つめは6月28日の日記で駒大の油布郁人選手と攪上宏光選手が28分ヒト桁台を出したことについて言及しました。
 特に駒大勢がすごかったですね。油布郁人選手が28分02秒46、撹上宏光選手が28分03秒27、窪田選手が28分23秒61。B組でも久我和弥選手が28分32秒32でトップで、上野渉選手が28分42秒89で3位。条件が良かったとはいえ、油布選手と撹上選手は実業団選手に勝っていますから、力があるといえます。28分10秒未満が同時に2人いた学生チームは初めてです。
 28分10秒未満が同時に2人いた学生チームは、早大が1995年にやっていました。4年生の渡辺康幸選手(現早大駅伝監督)が27分48秒55、小林雅幸選手が28分09秒17を出しています(ライバルのO村ライターから指摘されました)。確かに、この2人ならその可能性はあったと思いついてしかるべきでした。
 上記の2点、いい加減なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。お詫びをして訂正いたします。ネット情報のいい加減さが目立つ昨今です。気を引き締めていきたいと思います。


◆2011年8月10日(水)
 陸連男子短距離合宿の公開練習でした。場所は山梨県都留市。ちょっと早起きしないといけませんが、日帰りで行ける範囲なのでありがたいです。大月からの富士急電車では読売新聞のジェントル田上記者と一緒になりました。都留文科大学前駅からは徒歩。タクシーを使わずに行けるのも、貧乏ライターにはありがたいです。

 ツイッターでもつぶやきましたが、4×100 mRは小林雄一選手、江里口匡史選手、高平慎士選手、齋藤仁志選手の走順で、中抜き(バトンパス以外は多少スピードを弛める)で“通し”の練習をしていました。タイムは朝原宣治コーチの手動計時で39秒14。しかも、齋藤選手が最後は相当に流して「僕だけで0.3〜0.4秒は違うはず」と言います。北京五輪銅メダルチームでさえ39秒前半か中盤だったそうです。
 土江寛裕監督により提唱されたバトンゾーン前後40mのタイム計測は、3秒85、3秒85、3秒84だったそうです(これは手動ではなくて精密な計時)。3秒7台が目標ということですが、極めて安定していました。
 ただ、北京五輪チームと単純な比較はできません。風やトラックの条件も違いますし、北京五輪チームは朝原宣治選手にしろ、末續慎吾選手にしろ、試合で力を発揮した選手が揃っていたと思います。バトンパスも、競る相手がいないから落ち着いてできた部分もあると思います。北京五輪チームと今回のチームの一番の違いは経験かもしれません。その違いを本番までに克服するために、齋藤選手の役割が重要になるのです(TBSコラム参照)。

 練習終了後に各選手のカコミ取材。高平選手、小林選手、江里口選手、齋藤選手、苅部俊二短距離部長の話をしっかりと聞きました。金丸祐三選手、川面聡大選手、谷川聡コーチの話は時間の都合もあり手短に取材。
 帰りは富士急からJR東日本に乗り換える大月駅前の喫茶店で、ジェントル田上記者や東京中日スポーツの時々ランナー記者たちとカレー(サラダ付き)を食べました。本格的だったのでちょっとビックリ。


◆2011年8月24日(水) テグ日記日目
 テグ入りしました。
 近くの駅を朝7:30発のバスで成田空港に向かい、11:10発の釜山行きJAL便に。本日テグ入りする選手たちと同じ飛行機でした。ツイッターでもつぶやきましたが右代啓祐選手、女子マラソンの東日本3選手、女子1万mの3人、早狩実紀選手ら大会序盤に出場する選手、関係者たちと一緒でした。
 通常、移動中の取材はNGですので、基本的には話しかけたりはしませんが、特にストレスを感じなさそうな選手とは雑談をすることもあります。今回でいえば早狩選手。ちょうど寺田的の更新をして、早狩選手のブログを見たばかりだったのです。昨日分のタイトルが「わたしのスパイク」でしたが、文章ではまったくそのことに触れていませんでした。聞けば、掲載した写真の犬が、スパイクという名前なのだそうです。お知り合いのお犬とか。
 右代選手とは自宅が近いので、同じバスで来たかと思って確認しましたが、合宿先(NTC?)から直接空港入りされたということでした。昨日、TBSコラム用に右代選手の原稿を書き上げたところだったので、念のため確認させてもらった事項も1つ。取材ではなくあくまで雑談の範囲です。

 韓国は2002年の釜山アジア大会以来9年ぶり。
 アクレディテーション(IDの交付)をしてまずは、懸案のスタティスティクス・ハンドブックの入手に取りかかりました。世界選手権の各種データが満載されている700ページの書籍です。ペンメディアは全員がもらえますが、放送メディアは通常、会社単位で何冊か提供される形です。毎回これを入手するためにあの手この手を尽くすのですが、今回は一発で成功。ヘルプデスクで自分はテレビのIDだけどライターだと言ったら、すぐに渡してくれました。韓国人の好感度がいきなりアップ。
 あちこち見て回ろうと思いましたが小雨が降っていたので、IBC内で仕事をしました。

 18時のシャトルバスで宿舎のメディア村に。分譲前のマンションです。選手村と隣接していて、窓からは練習場トラックも見えます。
 間取りは3LDKで、今回は面識のある方と2人で使用します。3LDKといっても日本の通常のマンションと違ってものすごく余裕があります。リビングダイニングは20畳くらいありますし、廊下も広いです。100平米くらいはありそうですね。各部屋にインターネットのできるLAN端子も付いています。冷蔵庫と電子レンジも使えます(ガスはダメです)。極めつけはシャワールームとバスルームが別々になっていること。トイレも2つということです。これを2人で使うのならかなりプライベートも保たれますね。
 部屋の使い勝手をいろいろとチェックした後は近所の散策に。近くのスーパーでシリアルと総菜を3種類買って夕食としました。
 夕食後は右代選手の原稿に手を入れて送信。ちょっと時間がかかりました。シャワーをあびて洗濯をして就寝。
 トラブルのほとんどない海外取材初日でした。かなり珍しいかも。


◆2011年8月25日(木) テグ日記日目
 テグ2日目。忙しい1日でした。
 朝食はメディア村202号棟1階のレストラン。といっても通常の3LDKの部屋です。西洋式のバイキングでしたが、キムチや海苔など韓国料理も少しだけ提供されていました。
 午前中は寺田的の更新や色々な確認事項の確認。
 12:00から室伏広治選手がIAAFのコングレスに出席し、その後、会見が行われるということで、11:15にメディア村を出発。会場のEXCO(大規模展示場でしょうか?)までのシャトルバスは朝の8時台に1本あるだけ。仕方がないのでタクシーを使いました。タクシーはメディア村の各棟に常駐している組織委員会のスタッフにお願いして呼んでもらうのですが、日本語の話せるスタッフが親切に対応してくれました。これまた韓国人の好感度がアップ。
 乗車した分数と距離がレシートに表示されていましたが、21分と11.4kmでした。それでも代金は9700ウォン(約730円)と格安。そういえば釜山アジア大会のときもタクシー代が安かったです。

 12時半ちょっと前から室伏広治選手の会見。直前の調整方法を以前と変更したのか、という質問に対しては「体調に応じて変えている」という答え方でしたが、メダルの可能性は何パーセントかという質問に対しては次のように話していました。
「パーセントというか、ベストを尽くして狙うものは狙わないと、来た意味がありません。1番になれるかわかりませんが、狙うものは狙って結果を出したい」
 室伏選手の隣ではやり投のトルキルドセン選手、その隣ではフェリックス選手が会見(カコミ形式)をしていました。フェリックス選手は初めて200mと400mに出場しますが、「挑戦的なスケジュールですが興奮しています。今は先に行われる400mに集中しています。涼しいのにはビックリ。私はカリフォルニア・ガールなので寒いのには慣れていないのよ」というようなことを話していました。

 室伏選手の取材が終わったのが12:45くらい。13:30からシティセンターで女子マラソン陣の会見です。EXCO隣接のホテルにタクシーがなかなか来ないため、流しのタクシーをつかまえるのに手間取りました。それでも、なんとか10〜15分くらい前に到着。海外取材でこういうケースは1人だと不安になりますが、他の記者たちも一緒でしたし、なんとか切り抜けました。

 女子マラソン陣の会見こちらに記事にしました。見出しにもしましたが、5人の個性がよく表れた会見だったと思います。尾崎好美選手は高い目標を明るくあっけらかんと話し、赤羽有紀子選手はしっかりと話すなかにもドライな雰囲気を漂わせていました。対照的に野尻あずさ選手がウェットな雰囲気でした。伊藤舞選手はトレーニングなど堅い内容でも、どこかほんわかした話し方で、中里麗美選手は表情も話しぶりもすべてが天真爛漫という感じでした。
 会見中涙を見せたのが野尻選手。どの質問にも一生懸命に話をしようとしているのが伝わってきました。最後に「自分がマラソンだったら向いている、世界で戦える可能性がある、と感じた試合や練習、エピソードがあれば」という質問が出たときに、スキーから転向したときの色々なことを思い出してしまったのでしょう。晴れの舞台本番を前にして、感情が一気にこみ上げてきたのだと思います。
 質問をしたのは実は寺田なのですが、まさか涙ぐむとは思っていなかったのでビックリしました。公式会見ですので「もう話さなくていいから」とも言えません。結果的に、涙ぐんだあともしっかりと話してくれたのでホッとしました。

 女子マラソン陣の会見が終了したのが14:30過ぎ。会場のシティセンターはテグ一番の繁華街らしく、前の通りで簡単にタクシーをつかまえることができました。すぐ近くだと思っていたジャマイカチームの会見場は意外と遠く、17分、6.3kmの距離でした。タクシー代は6500ウォン。
 プーマ主催の会見ということで、本来は劇場か映画館でしょうか? かなり大きな建物を貸し切っての華やかなイベントでした。
 ジャマイカチームのユニフォームを提供しているのがプーマですが、配られたパンフレットを見ると選手の写真は必ずしもナショナルチームのものではありません。他メーカーのウェアを着ている選手もそのまま掲載しています。この辺はボルト選手という超大物と契約しているプーマの余裕みたいなものを感じました。
 会見は最初にジャマイカチーム・スタッフの3人、続いて女子400 mHのスペンサー選手とウォーカー選手の2人、フレイザー選手とキャンベル選手の2人、そしてボルト選手は1人で、という順で行われました。
 ボルト選手は帽子をかぶって登場。もちろん、時間も一番長くとっていました。正直言ってボルト選手の英語は寺田レベルでは満足に聞き取れないのですが、質問やMCの話す部分を頑張って聞いて、何を言っているのか推測していました。それでも1、2割しかわかりませんでしたが。帰国してゆとりができたらまた英語の勉強をしないといけません。と、外国取材のときはいつも思うのですが…。

 ジャマイカチームの会見取材が終了したのが17時過ぎだったでしょうか。スタジアム行きのバスがあったので(これもプーマが用意したのだと思います)ラッキーでした。昨日行けなかったMPC(メインプレスセンター)を見学し、昼食が食べる時間がなかったので食事をして、TBSのコンパウンドで原稿を書きました。為末大選手の番組打ち合わせにも成り行きで同席してちょっとだけ発言。
 23時のシャトルバスまでメディア村に戻り、女子マラソンの会見記事を書きました。


◆2011年8月26日(金) テグ日記日目
 本日は会見などの取材には出ず、午前中はメディア村の部屋で仕事。午後からスタジアムに行き、MPC(メインプレスセンター)やスタンドの記者席やミックスゾーンなど、仕事の動線を確認しました。第1コーナーの記者席から、真下にあるミックスゾーンに行くのに、いったん第4コーナー外のMPCを通らないといけないことが判明しました。コメントを取りに行く毎に200mの移動が必要になります。
 その後はトラックに出て、明日からの9日間の戦いの舞台を見て歩きました。それは写真で紹介しましょう。
@フィニッシュラインの後方から見たホームストレート。9レーンです
A1万mのスタートラインですが、サーフェスをアップで見るとこんな感じです。ノンチップタイプの(過去のテグ国際などの記録を見るとたぶん)ファストトラックです
B3000mSCの水濠です。トラックの外側にあるタイプです
C棒高跳の支柱とバー止め
D砂場と走幅跳の踏切板
E砂場の砂のアップ
Fハンマー投のサークル
Gフィールドの芝生
Hフィニッシュした選手が通るミックスドゾーン。これはテレビのインタビュー・ゾーン。この先のスタンド下がペン記者用
Iメダリストの公式会見ルーム。何人の日本選手がここに座ることになるのでしょうか


◆2011年8月27日(土) テグ日記日目
 大会1日目。メディア村6:30発のシャトルバスでマラソン・スタート地点のクッチェボサ記念公園に。女子マラソンは9時スタートですが、周囲の交通規制が始まる前に行かないといけないらしく、7時にはスタート地点に。プレスルームに一番乗りかと思ったら、すでに毎日新聞の田原記者と“真実”井沢記者がいらして3番目でした。

 1時間くらいプレスルームで仕事をした後、ミックスゾーンへの動線などを確認に。ミックスゾーンに行くとその横がウォームアップエリアで、8時になると尾崎好美選手と野尻あずさ選手の第一生命コンビがアップを始めました。日本選手は各自ばらばらにアップをしますが、ケニアとエチオピアは集団でまとまってジョッグをしています。ジョッグのペースはエチオピアの方が速く、途中でケニアを追い抜いていくシーンもありました。
 前仙台育英高監督の渡辺高夫コーチもアップをご覧になっていて、寺田を含めた記者3人が話をしていると「ワタナベセンセイデスカ。コンニチワ」と挨拶してきたケニア選手が。ケニアのキャロライン・ロティッチ選手でした。寺田の記憶にはもうありませんでしたが、7〜8年前に仙台育英高に留学していた選手だそうです。

 スタート後はプレスルームでテレビ取材。国際映像は日本のテレビと違って距離表示が出てくれません。タイムとコース図をにらめっこして、現在地はどこかを特定しないといけないので大変です。
 結果については色々が報道がなされていると思いますし、寺田もTBSサイトにコラムを書きましたので、そちらをご一読ください。

 女子マラソンの取材終了後はシャトルバスでスタジアムに移動。昼の空き時間に昼食を食べ、昨日の日記を書きました。続いてTBSコラムも書き始めました。今日は夜の競技が23時近くまであるので、始まる前に半分は書いておきたかったのです。
 今回は番組のテーマである“ヒトのチカラ無限大”に関連した話題にしていく予定です。女子マラソンにも“アフリカの時代”が到来しましたが、日本がメダルを取る可能性もまだありますよ、というテーマで書くことを決定。50行ほど書き進めました。

 20時からいよいよスタジアムでの取材を開始。20:30には男子ハンマー投予選に室伏広治選手が登場。1回で予選通過記録を投げてA組トップ通過しました。ミックスドゾーンに降りてコメントを取材。引き揚げた後にトレーニングも行うと聞いてちょっとびっくり。決勝まで中1日空くので今日やっておくのだといいます。
 21時から女子1万m。ケニアの1〜4位独占にも驚かされましたが、エチオピアも弱くなっているということですよね。
 日本勢は、5000m通過が15分47秒と速いペースではなかったのに、序盤で集団から離れてしまいました。日本人トップの吉本ひかり選手のコメントを取材。こういうケースでは世界との力の差や、反省の弁ばかりになってしまいます。そういうコメントばかりでは記事も書きにくいだろうと思い、「意地を見せられた部分はありましたか」と質問。「途中で自分で引っ張るところもありましたし、疲れたところでも自分のペースで行けました」と話してくれました。期待の選手ですから、今後につなげてほしいと思います。
 残念だったのは絹川愛選手。好調だと思っていたのですが、ふたを開けたら悪いときの絹川選手でした。2周遅れになって34分台。フィニッシュして倒れ込み、役員にだき抱えられて行きました。記者団の取材に応じたチームドクターの桜庭氏によれば「疲労と軽い脱水症状。点滴を受けているが意識はしっかりしている。血圧などバイタルサインは落ち着いていないが、病院に行くことはないでしょう。(5000mに出場するかどうかは)明日判断します」とのこと。
 逸材だけに早く立ち直ってもらいたい選手です。

 トラックのタイムスケジュールがずれ込んでいて、最後の十種競技400 mが終わったのは23時頃。右代啓祐選手のコメントを取材し終わったのは23:15頃でした。リザルトなど資料を整理して、夕食を済ませ、0:15のシャトルバスでメディア村に戻りました。洗濯をして原稿の続きを書きました。


◆2011年8月28日(日)テグ日記日目
 大会2日目の取材です。午前中はロード(男子20kmW)よりもトラック種目を優先……したら、鈴木雄介選手が素晴らしい歩きをしました。15km付近までトップを歩き、終盤で後退しましたが8位を確保。この種目01年以来の入賞を達成すると同時に、ロンドン五輪代表を決めました。
 午前中は金丸祐三選手の44秒台や福島千里選手の準決勝進出&日本新などを備えたのですが、ヨミが甘かったです。でも、くよくよしても仕方ありません。金丸選手の自身初の予選突破と、福島選手の準決勝進出の取材をしました。結果的に福島選手のミックスゾーン取材が、その後の苦境を救ってくれました。

 イブニングセッションは男子800m準決勝は男子100m準決勝などをスタンドからじっくりと見ました。これがスタンド記者席からの写真★です。
 男子1万mは先頭争いをチェックしつつ、佐藤悠基選手の走りに注目していました。ペースは相変わらず上下動は相変わらず。67秒、74秒、72秒、63秒、63秒という出だしでした。佐藤選手はペース変化にも対応しましたが、4500mで集団から遅れ始めました。
 トップ争いでは日本の実業団在籍のマーチン・マサシ選手とイブラヒム・ジェイラン選手が加わっていましたが、優勝までは考えませんでした。今季の実績からイギリスのファラー選手が絶対的に本命だと思っていました。ラストの強さがすごいと聞いていましたし。
 ファラー選手がラスト1周でスパートしたときは決まったと思いました。若干力んでいるかな、早いかなと思いましたが、一気に5m以上の差をつけたので押し切るかな、と。あれだけ差をつけられても逆転したジェイラン選手が上手でしたね。
 佐藤選手は29分04秒15で15位。後半が15分かかってしまいました。
 佐藤選手のコメントを取材するためにミックスゾーンに行く途中、福島大の川本和久監督とお会いしました。400 mHの久保倉里美選手、好調のようです。
 佐藤選手はジュニアやユニバーシアードの選手権試合も含め、海外遠征の経験は豊富にある選手です。しかし、世界選手権のようなフル代表は初めて。そこで力の差を見せつけられ、国際大会で戦うことにより気持ちを強くしたようです。「世界で戦う明確な目標をもってトレーニングをしていかないといけない」という言葉が印象に残りました。

 続いて十種競技の男子1500mが終わって、右代啓祐選手は7639点の20位でした。国際大会で力を発揮するのが難しい種目ですが、それを差し引いても力を出し切れませんでした。本人が悔やんでいる昨年のアジア大会よりも低い得点ですから、かなり残念だったのではないかと思います。
 1500mの2組目が終わったときは男子100mの決勝始まる10分前くらい。右代選手のコメントよりも、100 mをスタンドから見ることを優先しました。
 右代選手の表情はあとから取材した記者に聞きましたが、前向きだったそうです。あまりくよくよせず、今回の経験を今後に生かして行くということを清々しく話したそうです。

 100 mはご存じの通りの結末でした。全世界の注目を集めていたボルト選手がフライングで失格。声が出ませんでしたし、何がどうなったのか理解をするまでに少し時間がかかりました。まさか決勝でフライングとは…。あとで調べたら世界選手権男子100 m決勝でのフライング失格は過去に一度もありませんでした。
 フライング直後のショックが落ち着くと、次に不安に襲われたのがTBSサイトのコラムをどうするかということ。もう完全にボルト選手で行くと決めていましたから。相当に迷いました。ボルト選手のネタを、英語を聞き取れないにもかかわらず会見に出たりして、必死で集めてきました。しかし、テーマは“無限大”や“可能性”です。失格した選手のことを書くわけにはいかないと結論を出しました。
 そうなるともう、書くのは福島千里選手をおいて他にいません。日本人初の準決勝進出もありましたし、彼女の技術的な進歩についても書けるかな、と思い当たる部分がありました。それが2次加速の話題です。解説者の朝原宣治さんにもコメントをお願いして、面白い話を書くことができました。TBSサイトのコラムです。


◆2011年8月29日(月)テグ日記日目
 大会3日目の取材でした。
 3日目の競技に触れる前に、昨日の十種競技について前日本記録保持者の金子宗弘さん(TBS解説者。ミズノ)が話していたことを紹介したいと思います。金子さんは「シェブルレ(チェコ)にデカスリートのロマンを感じた」と言います。シェブルレ選手はご存じのように世界でただ1人9000点を突破している選手です。
 しかし、9026点の世界記録を出したのは10年前のこと。今年の11月で37歳。昨日は必死に戦いましたが8069点で14位。世界記録のときと今回の各種目を比較すると以下のようになります。
  世界記録 世界選手権2011
100 m 10秒64(±0) 11秒25(±0)
走幅跳 8m11(+1.9) 7m30(+0.4)
砲丸投 15m33 15m20
走高跳 2m12 2m05
400 m 47秒79 51秒18
110 mH 13秒92(−0.2) 14秒75(−0.1)
円盤投 47m92 46m93
棒高跳 4m80 4m80
やり投 70m16 67m28
1500m 4分21秒98 4分56秒50
 投てきと棒高跳、走高跳は落ち幅を小さくとどめていますが、走る種目と走幅跳は大きく記録が下がっています。年齢的に落ちる部分で、金子さん自身も覚えがあったことなのでしょう。そういった部分と戦いながら10種目の長丁場を戦ったシェブルレ選手に、“ロマン”を感じたのもわかります。シェブルレ選手のファーストネームのRomanに引っかけたダジャレではないはずです。

 さて、大会3日目の競技です。
 午前中は男女の400 mHの予選が行われて岸本鷹幸選手(法大)と久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が準決勝に駒を進めました。久保倉選手の準決勝は期待していましたが、男子400 mHはなんとなく1人かな、と感じていました。91年の東京世界選手権がそうでした。苅部俊二選手(法大)、斎藤嘉彦選手(法大)、山崎一彦選手(順大)と出場して、当時大学4年の苅部選手だけが自己新で準決勝に進みました。岸本選手は自己新ではありませんでしたし学年も大学3年生ですが、なんとなく東京大会とダブりました。
 夜の部では男子110 mHでハプニング。ロブレス選手(キューバ)が1着でフィニッシュしましたが、リプレイを見るとロブレス選手と劉翔選手(中国)の腕が接触していました。しばらくしてコンピュータ上のリザルツが消えたのでひょっとして、と思いましたが、ロブレス選手の失格となりました。
 劉翔選手は繰り上がって2位となりましたが、接触がなかったらロブレス選手を逆転したか、最低でも2番目にフィニッシュしていて1位に繰り上がったと思われます。陸上競技はこういうアクシデントのときに再レースとならないので、“運”が左右します。中・長距離種目でも、転倒に巻き込まれたらどうしようもありません。4×100 mRでも、2001年のエドモントン世界選手権の藤本俊之選手(東海大)のように、隣のレーンの選手と腕が接触してバランスを崩すこともあります。

 さて、日本の関係者にとってこの日のメインベントは男子ハンマー投。室伏広治選手(ミズノ)が世界選手権でもついに金メダルをゲットしました。金メダリストということで、ミックスドゾーンの日本人ペン記者たちがいるところまで来るのに時間がかかりました。表彰式が始まるということで、短い時間しか取材ができませんでした。
 しかし、表彰式、メダリスト会見の後に再度、ミックスドゾーンで日本人記者たちによるカコミ取材に応じてくれました。寺田も1つ質問させていただきました。「アテネ五輪後の7年間、何を求めて競技をしてきたのか」と。室伏選手の答えは以下のようなものでした。
「何を求めてきたんでしょうね。スポーツが好きで、ハンマー投が好きで。でも、いつも体の状態が良いわけではなく、テクニックも安定しているわけではありません。自分の可能性がどこまであるのかというところに着眼点を置いていたことで、長くできたのだと思います。勝ったり負けたりもありますが、スポーツ人生はいいな、と思います」
 明日の新聞記事にこのコメントが載っていたら嬉しいですね。


◆2011年8月30日(火)テグ日記日目
 大会4日目の取材。
 朝の9時から室伏広治選手の記者会見があって出席しました。昨晩の室伏選手はTBSテレビに生出演していましたし、その後もスウェーデンのテレビにスタジオ出演(TBSの隣)したりと、かなり忙しかったようです。今朝もTBSテレビに生出演した後でした。
「2、3時間しか寝ていませんが、嬉しいあれですから。ちゃんと目も覚めました」と、寝不足もなんのその、という雰囲気でした。
 優勝者の一夜明け会見の主なポイントは、
一夜明けての気持ち
昨晩何をしたか。どんなお祝いをしてもらったか
現在の体調
改めて前日の勝因を振り返ってもらうこと

 などです。こういった質問は必ず出ますし、ペン記者用の会見では技術的なことも必ず突っ込みがあります。何を聞こうかと思案しましたが、91年東京大会で今回の室伏選手と同じ36歳で金メダリストとなったセディフ選手とのエピソードについて突っ込みました。東京大会当時高校2年生だった室伏選手は、開会式で旗を持つ役目を他の高校生選手たちと一緒に務めましたし、セディフ選手の投てきもスタンドから見ていたことは、以前から知っていました。
 1991年に東京大会を高校生として見学し、2001年にはエドモントン大会で銀メダルを獲得。オリンピックを含めても日本選手投てき初のメダル獲得でした。そして2011年には金メダルです。室伏選手は全種目開催となった1983年以降の世界選手権では、男子最年長金メダリストですから、セディフ選手とのネタも面白いと思ったのです。
「東京大会は高校生のときに見に行っていました。ちょうどソビエトが崩壊した月だったと記憶しています。2人の新しい有望選手が出てきていて、セディフはかなわないだろうと思っていました。(そんな状況を覆して)優勝した瞬間を見て、素晴らしいな、と思いましたよ。映像も何回も繰り返して見ました。自分がまさか同じ36歳で金メダルを取るとはまったく想像できませんでしたね。セディフからは祝福のメールをもらいましたよ。エドモントンから10年経ったとは、信じられませんね」
 後で他の記者たちの反応を聞くと、世界記録保持者のセディフからお祝いのメールが来たという部分は、かなりの確率で記事になりそうでした。“マニアックな質問”と室伏選手からは言われましたが、世間の(?)役には立てたようです。

 午前中の競技で日本選手が出場したのは女子5000m予選だけ。初日の1万mレース後に医務室行きとなってしまった絹川愛選手(ミズノ)の状態が心配されましたが、出場できるところまで回復していました。絹川選手は気持ちに身体が左右されるタイプ。きっかけさえあれば、5000mに出てくることは予想していましたが、その辺の経緯はどうだったのでしょうか。
「1万mの嫌な思い出が浮かんできて、夜中に何度も起きて、心が折れそうになりました。昨日の朝、(渡辺高夫)監督がやめる決断をしていて、それを聞いたら自分の気持ちがまとまりました。昨日の午後、出場を決めました」
 さて、注目されるのは絹川選手の今後です。常識的にいえばロンドン五輪もトラックで狙うのでしょうが、そこは良い意味で“普通の選手とは違う”選手です。
「ロンドン五輪の何かの種目で、世界の借りは世界で返したい」という絹川選手に、「マラソンの可能性も?」という質問をしました(誰が?)。すると、「はい。やってみたい気持ちもあります」という答え。これも、明日の新聞記事になるかもしれません。

 昼の空き時間は選手村近くにあるミズノのサービスブースに行きました。室伏広治選手の祝勝会が開催され、報道陣も招かれていました。そこでは取材という感じではありませんでしたが、ケン・マランツ記者(デイリーヨミウリ)から託された質問を1つだけさせていただきました。あとは室伏重信先生のカコミ取材をするチャンスがありました。

 夜の競技は日本人選手の出場はなし。TBSコラムの取材に集中しました。負けましたけど女子棒高跳のイシンバエワ選手(ロシア)と、男子800mに優勝したルディシャ選手(ケニア)の2人をセットで扱うことに決定。ボルト選手(ジャマイカ)よりも聞き取りやすい英語ですが、それでもイシンバエワ選手のポールを換えた部分などは難しかったです。あの手この手を駆使して記事にできるだけのコメントを集めました。


◆2011年8月31日(水)テグ日記日目
 大会5日目の取材。
 今日は女子20kmWだけの日ですが、朝の9時にスタート。メディア村からのバスは6:30発が最終便です。体力というか睡眠時間を考慮して、8時にタクシーで行くことにしました(それでも睡眠は3時間)。マラソンと違って競歩は2kmのコースを往復するだけなので、交通規制も少ないと判断したのです。それと、選手村のサービスデスクでタクシーを呼んでもらえる情報を昨日のうちに得ていたことと、タクシー代が安いからというのも理由です。
 しかし、これが大失敗。市の中心部に行くと道が大渋滞していて、うんともすんとも動きません。なんとかスタート地点まで200mくらいのところに行くことはできたのですが、スタート時間には5分ほど間に合いませんでした。

 人ごみを縫ってロード競技用のプレスルーム(大学の講義室みたいです)に到着。幸い、レースはまだ集団でした。しかし、6km付近で川崎真裕美選手(富士通)が後れました。今村文男コーチによると「痛みや違和感が出て、この2〜3カ月を通して練習を積み上げることができなかった。体調管理の面で準備ができなかった」といいます。
 大利久美選手(富士通)も8km付近で後れました。「暑さへの準備が先行してしまって、暑い中でも4分30秒〜40秒で歩くことへの準備ができていなかった。レース強度への対応準備や練習の全体量が今ひとつだった」と今村コーチ。大利選手自身も「最低でも前回(12位)の順位を上回りたかったし、自分でもその力は付いたと確信していたのに、世界の壁が厚くなってしまった」と肩を落としていました。
 前回ベルリン大会7位入賞の渕瀬真寿美選手(大塚製薬)が最後まで粘りましたが、12km過ぎに集団から後れ始め、終盤は蛇行するほどの疲労困憊状態に。18.7km付近で倒れてしまって途中棄権。担架で救護室に運ばれてしまいました。「渕瀬は秘めたものが感じられた」と今村コーチ。前回を上回ろうと積極的に歩いた結果ですが、今日のレースを見る限り、今回はそこまでの力はなかったということでしょう。
 レース後しばらくしてカコミ取材に応じてくれた河野匡ヘッドコーチ(大塚製薬監督)によると、「救急病院に運ばれたが異状はなく、CTスキャンを撮るまではしなかった」ということで記者たちもホッとしていました。

 女子20kmWを取材後はプレスルームで昨日取材したTBSコラムを仕上げました。
 その後はバスでメイン会場に移動。TBSのコンパウンドで、日本で放映されている前半戦ハイライトなどを見ました。


◆2011年9月1日(木)テグ日記日目
 大会6日目の取材。今日から後半戦です。午前中は日本勢が多く登場しました。
 まずは男子5000m予選。ラストも強い渡辺和也選手(四国電力)に期待をしていましたが、2200m過ぎにちょっと目を離してしまい、2400mのタイムを測ろうとしたら、先頭集団にその姿がなくなっていました。50m後方を走っていました。明らかにアクシデントです。
 レース後に話を聞くと「前の選手がコケたので避けようとしたのですが、避けきれなかった」ということでした。2000m通過は5分33秒25(寺田の手動計時)。「まだいっぱいではなく、行ける感覚がありました」というだけに残念でした。一昨日の日記にも書きましたが、トラック種目はアクシデントに巻き込まれたらどうしようもありません。長距離種目で再レースなど不可能です。長距離種目でなくても、再レースはなかなか認められません。“この1回しかないレース”なのです。
 それでも渡辺選手は悪びれたところがなく「コケましたがまだまだ世界では通用しません。日本一になるための練習ではなく、世界を目指した練習をしないといけない」と決意を語ってくれました。1万mの佐藤悠基選手(日清食品グループ)の競技後のコメントもまったく同じでした。入賞を目指すのは無理でも、こういった思いを選手が強く持つのならば、出場する意味は大きかったと思います。

 続いて女子やり投と女子200mの予選が行われました。海老原有希選手(スズキ浜松AC)と福島千里選手(北海道ハイテクAC)はともに、「Q」(ラージキュー)での通過ができませんでした。予選A組の海老原選手は59m88と予選通過記録の61m00を投げられず、B組の結果を待たないと決勝進出の12人に入れるかわからない状況。予選1組の福島選手も5位と着順で通過できず(4着+4)、全組が終わるまでプラスに引っかかるかわからない状況でした。
 B組の結果がわかる前にミックスドゾーンに来た海老原選手はさかんに、目標だった60mを投げられなかったことを悔やんでいました。「1投目(57m36)に2投目(59m66)の投てきができなかったことが残念です。それができればもう少し変わっていました。最後のやりの向きと力を伝える方向を一方向にできれば記録は伸びたと思います」
 やはり最終組が終わる前に現れた福島選手は「今、微妙な位置なのでドキドキしています」と心情を吐露。「スタートに失敗して前半50mくらいが乗り切れませんでした。100回に1回あるかないかの失敗。次を走れたらもう一度集中して、完成度を高めたいです」

 そうして取材をしているうちに女子やり投のB組が終了。海老原選手の決勝進出が決定しました。10番目での通過。59m15では拾われませんでしたから、わずか73cmが明暗をわけたことになります。そのときも海老原選手はミックスドゾーンにいてくれました。
 勝因としてはケガの影響のあった日本選手権に比べれば、「助走が気持ちよく走れて、自分のタイミングで投げられたこと」ですが、長い目で見た場合は国際大会でも力を発揮できるようになったことでしょう。「前回のベルリンでは持っている力の50%くらいしか発揮できませんでした。自分で何をしているかわかりませんでしたから。今回は70〜80%は発揮できたと思います」
 そうして取材をしているうちに女子200m予選も終了し、福島選手の予選通過も決まりました。福島選手もミックスドゾーンで結果が出るのを待っていました。日本人初の200m準決勝ですが「私自身にとってはもう、初めてのことではありません」と福島選手。「100mに出たから200mでもこういう結果になったのかもしれません。初めてじゃないつもりで準決勝に臨みたいです」

 午前中は男子4×400mR予選も行われました。1組の日本は2走の金丸祐三選手(大塚製薬)から3走の石塚祐輔選手(ミズノ)へのバトンパスでアクシデントがあってタイムを大きくロス。7位となり、その時点で決勝進出はなくなりました。しかしタイムは3分02秒64で、バトン・アクシデントがあったことを考えると悪くないタイムでした。
 寺田の手動の計測では以下のラップでした。
1走・45秒96 高瀬慧選手(富士通)
2走・44秒68 金丸選手
3走・47秒03 石塚選手
4走・44秒97 廣瀬英行選手(慶大)

 石塚選手のところだけで47秒かかっていましたから、バトン・アクシデントがなければ3分1秒前後が出ていたことになります。
 北京の世界ジュニアでもバトンでアクシデントがあり、泣きじゃくる石塚選手を金丸選手が慰めていたシーンをテレビで見た記憶があります。今回も同じようなシーンがあったのかと思って金丸選手に聞くと、それはなかったといいます。
 金丸選手はバトンパスを「最後だったので記憶があまりないんですが、詰まってしまっていた」と振り返りました。石塚選手は「しっかりと金丸の声も聞こえて振り向いたときにもバトンは見えていましたが、つかみ損ねてしまいました。そこでバトンを見失ってしまって、ちょっと走り出したところで後ろを見たら遠くなっていたので、止まってもらう感じになってしまいました。金丸の後半が強いので、そこは考慮してスタートを切りましたが、思った以上に近かった(のでつかみ損ねた)」とバトンパスの状況を振り返ってくれました。
 あとで谷川聡コーチから、直線で金丸選手がドイツを抜いたのに、ドイツの3走が石塚選手より先にスタートしたことで交錯する感じになったことを教えてもらいました。石塚選手が思い切り出られず、金丸選手と詰まる感じになってしまったのでしょう。本当にトラックレースは、運、不運に左右される部分がありからやりきれません。でも、やるしかないですね。

 さて、夜の部です。女子200m準決勝の福島選手は残念ながら1組8位でした。タイムは23秒52(−0.7)。今の力を考えるともう少し行けたと思います。福島選手自身は「初めての準決勝ではないつもり」で臨んだのですが、結果は“初めての準決勝”に跳ね返されてしまいました。次の機会に期待したいと思います。
 日本にとってメインイベントは男子やり投予選の村上幸史選手でした。今季の村上選手はアベレージが82m以上でしたし、直前の愛媛県国体予選で83m53の自己新も出しています。予選通過記録の82m50は楽なレベルではありませんが、ベルリン以降の国際大会での安定度からして、まさか予選で落ちることはないと安心してみていました。しかし、そのまさかが起こってしまいました。
 1投目は80m19。好調の時は1投目で82mを超えるので、どこかおかしいようにも思えましたが、そこから立て直せば問題はなかったはずです。しかし、今日の村上選手はそれができませんでした。2投目に78m04と記録が落ちると、3投目は74m93とまったく伸びません。
 予選通過12人目の記録が81m03でしたから、本当に悔しい結果です。
「1回目はいつも通り楽に入りました。2回目はそこに付け加えるものがあるんですが、それがまったく別の動きになってしまいました。3回目は最後に右、左としっかり着いていくリズムづくりを意識しましたが…。(敗因は)流れを失ったことです。絶対に失ってはいけないものを失って、迷ってしまった。(結果的に)手の振り自体が小さくなってしまいました」
 小山裕三日大監督はテレビ解説で、「手だけで投げている」と強調したそうです。その小山監督に後で話を聞くと、ここまで順調だった今季の流れが、実は順調ではなかったと言います。具体的には村上選手にも取材ができたときに記事にしたいと思います。


◆2011年9月2日(金)テグ日記10日目
 大会7日目の取材。
 午前中は男子200m予選があって、高平慎士選手(富士通)と齋藤仁志選手(サンメッセ)が準決勝進出を決めました。高平選手の準決勝進出は6回目のオリンピック&世界選手権で初めて。特に前回のベルリン世界選手権は準決勝へ行く可能性が高いと思われていたので、「念願の準決勝進出を決めた気持ちは?」という質問の仕方をしました。
「念願というわけじゃないですけどね」と明るく答える高平選手。「あくまでファイナルを目指しているので、ここから先をどういうレースができるかが重要です」。同選手のスタンスがよくわかるコメントでした。
 齋藤選手は2年前のベルリンでは21秒3台で1次予選落ち。7月に筑波で取材をしたときには「為末さんの中学記録(当時)よりも悪い」と自嘲気味にネタにしていました。今回の予選突破は「ベルリンのリベンジってわけではありませんが、ここに懸けてきました。走りはよくありませんでしたが、最低限のことはしたと思う」というのが第一声でした。

 女子ハンマー投の予選も行われましたが、綾真澄選手(丸善工業)は64m09で予選落ちでした。「ターンの入りのタイミングがずれて、方向性もずれてしまいました」と、悔しそうな表情で話しました。
 綾選手自身としては4回目の世界選手権。01年のエドモントンが58m84、03年のパリが60m78、07年大阪が62m68でしたから、2mずつ記録を上げてきています。「残念ですが世界大会の自分の記録を抜いたので、そこだけ良かったです」
 それでも予選全体で下から4番目の記録でした。歴史の新しい種目ということで、世界のレベルアップの方が上回っているのでしょうか。でも、予選通過12人目の記録は68m92です。あきらめるほどの記録ではありません。「今日記録を出せなかったのは残念ですが、秋に日本記録を出します」

 今日は夜の競技との間に、アシックスのサービスセンターで男子マラソン陣の会見がありました。会見の模様はスポーツナビのサイトに出ています。

 夜の競技はまずは女子やり投の決勝。海老原有希選手(スズキ浜松AC)が頑張りましたが59m08で9位。あと1人というところで入賞を逃しました。1投目が終わって8位でしたが、その後抜かれることはなく3投目の途中まで8位だったので、ひょっとするとと期待したのですが。
「やっぱり59mじゃダメですね」と海老原選手も悔しそうに言います。「61m52の日本記録くらいを投げないと無理だと思っていました。(59m08は)世界で8番目と言える記録ではないと思っていました」

 続いて男子200mの準決勝。齋藤選手は2組6位(21秒17・−1.0)で、高平選手は3組6位(20秒90・−0.7)で通過できませんでした。齋藤選手はベルリン大会の1次予選に続いて、同学年(?)のボルト選手と同走でしたが0.86秒差をつけられました。「話になりませんでした。スピードが違った」というのが第一声でした。大会前にはボルト選手との再戦を希望しているコメントもあったと思うのですが「(ボルト選手と同じ組というのは)ついていないでしょう。ベルリンと連続でボルトくじを引いたのは、ある意味強運ですが…。誕生日が1カ月しか違わないんですが、1年間修行してまたこの場に戻ってきたい」と、ロンドン五輪に向けて気持ちを強くしたようでした。
 高平選手の準決勝後のコメントは、すごくインパクトがありました。ということで、TBSのコラムに書かせてもらいました。

 女子5000m決勝は新谷仁美選手(佐倉アスリート倶楽部)が15分41秒67で13位でした。予選後に話していたように、決勝も予選と同様にスタートから飛び出しました。スローペースの集団につき合っていても良いことはないという判断です。追いつかれることを計算しての飛び出しだったからでしょう。2000mで吸収されても、そのままズルズルと後退することなく、ペースアップがあった2800mまで集団で粘りました。
「メダルや入賞の可能性があるわけではありませんから、ちょっとでも日の丸を見せられればと思って飛び出しました。終わってみれば、(外国勢の)記録もそんなに速いわけではありません。もっと粘れたらよかったですね。でも、結果はともあれ、自分のペースで引っ張っていく形をとれたことは満足しています」

 新谷選手の話を聞き終えると急いでスタンドに。女子200m決勝を見るためです。フェリックス選手(アメリカ)は3位でしたが、レース後は同選手のコメントを一生懸命に集めました。フェリックス選手は今回、400mとの2種目に挑戦しました。ロンドン五輪はどうするかわからないということですし、200mの金メダルを最優先に考えるようです。しかし、何かに挑戦し続けるのが自分のスタイルということを話していたので、ファイナルに挑戦し続ける高平選手とセットにしてTBSのコラムに書くことにしました。

 その後はMPC(メインプレスセンター)で原稿書き。寺田の右隣にギリシャ人記者が2人いて、そのうちの1人(ギリシャ人記者A)がノートパソコンの画面をのぞき込みながら話しかけてきました。何度かヨーロッパ取材に行って気づいたのですが、欧米の人間は、パソコンに日本語が表示されているのが珍しく感じるらしいのです。
 今回もそれかな、と思いながらギリシャ人記者Aの顔を見ると「バッドキャラクター」とパソコン画面を指さしながら言います。何を言いたいのかわからなかったので、怪訝そうな顔をしながら「バッド?」と聞き返しました。いきなり人のパソコンを指さしてバッドはないだろう、という意味を込めたつもりです。
 ギリシャ人記者Aは「バッドキャラクター」と繰り返し、自分のパソコンを指さして「グッドキャラクター」と言います。ギリシャ文字も通常のアルファベットと比べたら、わけがわからないと思うのですが…。

 その後は「どこの国の記者だ」「日本の記者だ」「ムロフシはまた金メダルを取ったな」「ケデリスは元気かい?」というお決まりのやりとりをしました……最後のケデリスの質問はしませんでしたけど。ドーピング問題を話題に挙げて、相手に不快な思いをさせる必要もないというか、難しい話を英語でする自信がなかったというか。
 寺田の前にはJ通信のT記者(女性。20歳台)が座っていました。もう1人のギリシャ人記者Bが「東京からか?」と質問してきて「そうです」と彼女が答えると、Woman From Tokyoというソングを知っているか?」と聞いてきました。シャレのつもりでしょう。T記者が「知らない」と答え、寺田の方にも顔を向けるので「知らないよ」と。
「ギリシャで有名なソングなのか」と寺田が聞くと、ディープパープルじゃないか」とギリシャ人記者B。「本当に知らないのか。YouTube(これがなかなか聞き取れませんでした)で検索したら聴くことができるぞ」

 何度も「本当に知らないのか」と繰り返すので、ちょっとむかついてきました。人のパソコンをバッドキャラクターと決めつけるし。
「“ザイセイアカジ”なら知っているぞ」と、曲名のふりをして話しました。「Don't you know “zaiseiakaji”?」と大声で問い返してやりました。「zai…sei…akaji? I don't know.」と真面目に答えるギリシャ人記者B。日本の財政赤字も深刻ですが、ギリシャはより深刻です。
「グーグルで検索したらわかるよ」と言って会話をうち切りました。原稿書きで忙しいのでギリシャ人記者の相手をしている時間はありません。
 そんな感じでメインプレスセンターの夜は更けていったのでした。


◆2011年9月23日(金・祝)
「おかえり、トシナリー」
 全日本実業団の会場の鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムで、こんな声がカネボウ高岡寿成コーチにかけられていました。

 今日から全日本実業団の取材です。15:35発のANA便(マイル特典予約)で徳島入り。選手では信岡沙希重選手らミズノ勢が、指導者では坂口泰中国電力監督と山崎一彦福岡大監督が同じ便でした。記者では午前中に箱根駅伝予選会コース試走会を取材したという読売新聞のジェントル田上記者や、朝日新聞事業部の堀川元デスクらが一緒でした。ANA便の出発が遅れたこともあり、ポカリスエットスタジアムに着いたのは17:45くらいでした。鳴門の競技場は1993年の東四国国体以来なんと18年ぶりです。
 競技場の玄関に行くと、夕闇迫る中を見慣れた長身の姿が歩いてきます。そうです。1万m&マラソン日本記録保持者の高岡コーチがアメリカでの1年間のコーチ留学から帰国し、日本の陸上界に復帰したのです。「おかえり、トシナリー」と、知り合いの人物から声を掛けられていました。“タカオカトシナリ”と韻を踏んでいます。なかなか良いコピーだと思いました。

 寺田ももちろん挨拶をさせていただきました。それに対して高岡コーチは「あちこち取材に行かれているのに色が白いですね」という第一声。1年数カ月ぶりに会ったのにそれかよ、と思いましたが口には出さず「帰国会見を開いてもらうから」と返しておきました。結局、帰国会見は明日以降に持ち越したのですが。

 肝心の取材ですが、今日の種目は男女の1万mのみ。男子は3組タイムレース、女子は2組タイムレースです。女子では1組目のトップだった小島一恵選手(豊田自動織機)が32分34秒45の自己新でフィニッシュ。2組目の1位タイムを上回る可能性もあると思って、小島選手の話を聞かせてもらいました。
 しかし、結局2組目でトップだった西原加純選手(ヤマダ電機)が32分17秒59で、全体でもトップでした。西原選手も自己新。小島選手もそうでしたが、学生長距離界で活躍した2人が学生時代の自己記録を更新しました。今後が楽しみになりましたね。

 男子はポール・タヌイ選手(九電工)が世界選手権9位の実力を見せて27分37秒67で2連勝。日本人トップは28分01秒31とロンドン五輪B標準を破った深津卓也選手(旭化成)でした。
 高林祐介選手(トヨタ自動車)は欠場しましたが、深津選手と宇賀地強選手(コニカミノルタ)の駒大同学年コンビが7000mまで外国勢に食らいつき、そして最後まで競り合いました。宇賀地選手が今年、ロンドン五輪A標準の27分45秒00を破っていますが、ラスト勝負となると深津選手の方が強いようです。
 日本人3位に北島寿典選手(安川電機)が28分08秒53の自己新で入りました。今年のニューイヤー駅伝3区で、高林選手に次いで区間2位だった選手です。マラソンで世界選手権に出場した中本健太郎選手に加えて北島選手。ニューイヤー駅伝で4位だった安川電機は、今年も面白い存在になりそうです。
 日本人4位にはトヨタ自動車の宮脇千博選手28分26秒85で入りました。マラソン世界選手権代表だった尾田賢典選手と高林選手もいます。ニューイヤー駅伝優勝チームのトヨタ自動車は、今年も本命でしょうか?

 取材が終わったのが夜の9時頃。ホテルは徳島駅前ですが、鳴門から徳島への最終電車はすでになくなっています。朝日新聞・小田記者(岡山のSP記者)と一緒にタクシーで徳島に。ホテルまで少し歩いたのですが、岩佐敏弘さんと久しぶりに会いました。何年ぶりでしょうか。全日本実業団では何回か日本人トップをとっている元トップランナーですが、今は大塚製薬でばりばり働いているとのこと。「引退レースもしないで」と責めておきました。
 ホテルに着いて原稿書き。


◆2011年9月24日(土)
 全日本実業団2日目の取材でしたが、実業団試合らしいネタが満載で充実した取材ができた1日でした。
 まずは男女の5000m予選が行われている間にスタンドを1周。選手が出場していない指導者の方たちから情報を入手しました。中国電力・坂口泰監督からは石川卓哉選手の欠場理由と、福岡国際マラソン出場を表明している岡本直己選手の状態をお聞きしました。石川選手はヒザの故障中で、岡本選手は2時間8分台も期待したいとのこと。
 続いて安川電機の山頭直樹監督に、昨日の1万mで日本人3位の28分08秒53と好走した北島寿典選手について。ケガの多い同選手ですが、この夏は良い練習ができたようです。カネボウ高岡寿成コーチともすれ違いざまに何か話したのですが、何を話したか忘れてしまいました。
 スタンドからサブトラック前に場所を移して引き続き長距離の指導者たちに取材をしました。大塚製薬・犬伏孝行コーチと雑談。昨年は関西実業団駅伝でまさかの予選落ちを喫した大塚製薬ですが、今季は油断はないようです。
 そしてHondaの明本樹昌監督に世界選手権1万m金メダリストのジェイラン選手について、どんな特徴がある選手なのかを取材しました。これは今日一番のネタだったかもしれません。特徴の1つに意思の強い選手だということが挙げられるそうです。それと練習の特徴ですが、テグではラスト1周を52秒8で走ったということで、さぞやすごいスピード練習をしていると思ったのですが、そうでもないといいます。400 mのインターバルは速くて58秒設定で、特にラストスパートの練習はしていないとのこと。あのラストスパートは気持ちの強さが表れたのかもしれません。ただ、試合でスピードを出すためには、練習でスピードを出すだけが方法ではないのかもしれません。これが今日の一連の取材の中に出てきたキーワードになりました。
 明本監督には駅伝に向けての話も聞かせてもらいました。

 続いてダイハツ林清司監督に。木崎良子選手が今大会に出ていなかったのでどうしているのか質問すると、明日の日体大長距離競技会5000mに出場するのだそうです。横浜国際女子マラソンで五輪切符を狙っているということですが、昨日の1万m出場選手たちと一緒にアメリカで良い練習ができたので、急きょトラックレースに出ることにしたそうです。もちろん中里麗美選手のマラソン出場についても聞きましたが、これはまだ伏せておいた方がいいでしょう。それと駅伝についても聞かせていただきました。女子の全国大会の新コース(仙台)は1区が7kmと、昨年までの岐阜のコースよりも1km長くなります。この点についてダイハツは心配していないそうです。坂井田歩選手と出田千鶴選手が昨日の1万mで32分台で走っていますから。
 賢明な読者はおわかりかと思いますが、この辺の取材は実業団駅伝に向けてのネタ仕込みも兼ねています。頭の固い方は、トラック&フィールドの実業団日本一を決める大会で駅伝の取材をするとは何事か、と怒られるかもしれません。しかし、トラックは駅伝につながっていますし、駅伝もトラックにつながっています。走る選手は同じです。
 あとは、実業団駅伝公式ガイド(毎日新聞社刊)の仕事を今年もやらせていただくことになったからですね。毎日新聞の“真実”井沢記者が駅伝の取材もするようにプレッシャーをかけてくるわけではないのですが、これは仕事をやらせてもらう寺田が自発的に気を遣っているという感じです。我々フリーランスにとって仕事の依頼主は、ある意味スポンサーですから、配慮をするのは当然なのです。

 11時からフィールドで決勝種目も始まりました。
 男子走幅跳は菅井洋平選手(ミズノ)が8m09で3連勝。追い風2.6で惜しくも参考記録になりましたが「公認だったら、それはそれで悔しかったと思う」と言います。ロンドン五輪B標準の8m10に1cm届かなかったからです。しかし、8m20のA標準も「そのあたりは見えています。コンディションを上げるだけで行くと思う」と手応えも感じているようです。
 女子棒高跳は我孫子智美選手が4m20で優勝しましたが、4m00で2位だった近藤高代選手(長谷川体育施設)が、今大会を最後に現役引退することを表明しました。日本選手権で3m90に終わったとき、自身の感覚とズレが大きかったそうで、そのへんが引き金となったそうです。
 今年の11月で36歳。日本人で初めて4mを跳んだ小野真澄選手とは同学年で、その小野選手の記録とタイの4m20をマークしたのが2002年。小野選手が4m21と記録を伸ばして、それを更新したのが今日も一緒に競技をしていた中野真実選手で、中野選手の記録を更新したのが2004年に4m35を跳んだ近藤選手でした(それを4m36と更新したのが錦織育子選手)。
 引退のことはごく少数の関係者にしか伝えていなかったようです。年齢の近い室伏由佳選手や、中田有紀選手ら。そういえば午前中にスタンドを回っている際、女子走高跳日本記録保持者の今井美希さんにお会いしましたが、近藤選手のこともあって来場されたようです。近藤選手の引退は今日一番のネタでしょう。
 女子棒高跳では我孫子選手が4m31を失敗しましたが、そのとき14.7フィート&145ポンドの、自身のマックスポールを使いました。これもネタですね。

 トラック最初の決勝種目は男子200mでした。ツイッターにも書きましたが、予選が5組1着+3だったので、有力選手の予選落ちもあり得ると思っていましたが、いざ予選が終わってみたら
1組1位・高瀬慧選手(富士通)
2組1位・高平慎士選手(富士通)
3組1位・安孫子充裕選手(チームミズノアスレティック)
4組1位・石塚祐輔選手(ミズノ)
2位・塚原直貴選手(富士通)
3位・藤光謙司選手(セーレン)
5組1位・江里口匡史選手(大阪ガス)
2位・齋藤仁志選手(サンメッセ)

 と、08年以降のオリンピックと世界選手権の代表経験選手が決勝進出の8人を占めました。種目もテグ世界選手権4×400mRの高瀬選手(インカレは400 mで優勝)、200m毎回出場の高平選手、北京五輪4×400mRの安孫子選手(関東インカレは100mで優勝)、テグ4×400mRの石塚選手(インターハイは100mと200mで優勝)、北京五輪&ベルリン世界選手権100mの塚原選手、ベルリン200mの藤光選手、ベルリン100mの江里口選手、テグ200mの齋藤選手とバリエーションに富んでいました。特に4組では400 mの石塚選手が最後に塚原選手をかわしましたし、5組では100mの江里口選手が世界選手権セミファイナリストの齋藤選手を抑えました。こんなに興味深い200m決勝は初めてです。
 実際の決勝は江里口選手が欠場。高瀬選手が前半からリードを奪い、後半で追い上げた高平選手を寄せ付けずに完勝しました。もう少し激戦になるかと思ったのですが、世界選手権組はその疲れがあったでしょうし、塚原選手と藤光選手は故障上がりです。このメンバーが決勝に揃ったことで、今日一番のネタだったかもしれません。
 実はこれだけのメンバーが揃ったらどんな雰囲気なのかと、スタート前に招集場所をのぞきに行きました。そこでの様子は……ちょっと書けません。その代わりというわけではありませんが、高平選手にコメントをもらいました。
「実業団の試合で全員が代表経験選手というのは初めてです。楽しいですね。ほぼ日本選手権みたいで。1着プラス3でも残ったメンバーです。今気持ちが抜けていないと言ったらウソになりますが、世界選手権後の試合で、ピリッとしないと勝てないのは良いことでしょう。決勝モードに入ったときにしっかりと行かないといけない。そういう部分を楽しみながら走りました」
 あとはインカレとの比較や、実業団選手が頑張ることの意義なども話してくれました。

 続く女子200mは高橋萌木子選手(富士通)が23秒81(−0.1)で優勝。復調に向けて手応えを感じつつあるようです。
 女子400 mHでは久保倉里美選手(新潟アルビレックスRC)が55秒90の大会新で優勝。今季の55秒台は日本選手権(55秒81)、大阪選手権特別レース(55秒34の日本新)に続いて3試合目。世界選手権後にしては快記録と言っていいと思います。
 それよりもニュースなのは、1台目から2台目を15歩で行ったことです。「2年前の日本選手権でいきなり行ってしまったこと」はあるそうですが、久保倉選手がやろうと思って行ったのは初めてのこと(15歩で行く日本選手がいないわけではありませんが)。世界選手権の準決勝で力を出し切れなかったことが、変更を決断する要因になりました。「記録を出すだけなら前半16歩の精度を上げていけばできる」と感じていましたが、それでは「世界で戦えない」と感じての決断です。これも今日一番のネタだと思いました。

 久保倉選手に続いて話を聞いたのは久保瑠里子選手(エディオン)でした。女子800mですごいことをやってのけました。予選を2分05秒67で走り、決勝でも2分05秒07で優勝しました。2日に渡って行われたのではなく、2本とも今日のレースです。確かなデータはありませんが、予選のタイムは予選で出た日本最高記録かもしれません。
 予選を通過するにはここまでのタイムは必要ありません。力を残した方が、決勝のタイムは良くなったかもしれない。どうして2本、2分5秒台で走るという不可解かつすごいことをやったのでしょうか。
 系統立てて説明すると記事になってしまうので、久保選手のコメントを単発的に紹介しておきます。
「調子が良かったので躊躇した走りをするともったいない」
「普通に考えたら2分を切れる練習ができました。600 mを1分27秒切りができています」
「日本で2分を切れなくても、外国人と走ったときに良い結果につながる」
「後ろにつくレースをして、海外(2分01秒90の日本歴代2位など)で得たものをなくしたくない」

 等々。久保選手の2分突破が現実的になってきたと感じました。これは今日一番のネタでしょう。

 写真を紹介するのを忘れていました。花束を受け取った近藤高代選手と女子棒高跳の上位3選手。近藤選手の目にはうっすらと涙が。
 今大会では世界選手権入賞者の表彰も行われました。左から男子50kmW6位の森岡紘一朗選手(富士通)、男子マラソン7位の堀端宏行選手(旭化成)、男子20kmW8位の鈴木雄介選手(富士通)です。
 これは競技場のロビーにある徳島県記録とその保持者一覧。昨晩お会いした岩佐敏弘さんは3000m、5000m、20km、ハーフマラソンの4種目の徳島県記録保持者でした。

 さて取材の方ですが、男子4×100 mRは優勝候補大本命の富士通(堀籠佳宏・塚原直貴・高平慎士・高瀬慧)が2→3走のパスでバトンを落として途中棄権。高平選手にバトンは渡ったのですが、太腿にバトンをぶつけてしまって落としたようです。
 塚原選手は静岡国際以来の試合だったので、その点を取材しないわけにはいきません(順大記録会には出ていたそうですが)。バトンミスの直後なので躊躇いましたが、冷静そうだったので話を聞かせてもらいました。明日の100mが終わってみないと自己評価は難しいということでしたが、「思いのほか動いている」ということでしたし、「ここまでの経過としては80点をやってもいい」と明るい表情で話していました。

 続いて始まったのは1万mW。男女が同時にスタートするのでレース展開を把握するのが大変です。しかし、同時スタートなので競歩選手のオールスター的な顔触れになりました。世界選手権男子20kmW8位の鈴木選手に同50kmW代表の森岡選手と荒井広宙選手(北陸亀の井ホテル)と谷井孝行選手(佐川急便)、女子10kmW代表の大利久美選手(富士通)と渕瀬真寿美選手(大塚製薬)。川崎真裕美選手が出場していれば世界選手権競歩代表全員が同時に歩くことになったのですが、川崎選手は世界選手権後にヒザの内視鏡手術をしたということで仕方ありません。それでも、世界選手権代表6人が顔を揃えたのですから、これは今日一番の話題でしょう。
 男子は序盤で鈴木選手が森岡選手らを引き離し、その背後に藤澤勇選手(ALSOK)がぴったりつける展開。女子は大利選手が引っ張り、渕瀬選手がつける展開でした。第2コーナーで競歩を見ながら男子円盤投を見ていました。こちらは畑山茂雄選手が12連勝。これもすごい記録です。
 畑山選手のコメントを表彰控え所で取材したため、競歩の終盤はレースを見ることはできませんでしたが、男子は藤澤選手が同学年の鈴木選手を振りきって優勝。種目は違いますが世界選手権入賞者2人が国内で負けるのですから、日本の競歩のレベルの高さがわかります。
 藤澤選手と渕瀬選手の話を聞かせてもらいました。藤澤選手はこの夏、「練習法を変えて、スピードよりも練習量を増やすことを考えてきた」と言います。それでも先週はスペインで10kmWの日本記録を出しましたし、今回も世界選手権代表全員を抑えました。練習でそこまでスピードを追わなくてもレースに対応できるという部分が、冒頭で紹介したジェイラン選手と共通しています。

 最後は男女の5000mです。女子はカプチッチ・セリー選手(九電工)が独走しましたが、日本人集団の勝負も面白くなりました。吉川美香選手(パナソニック)と小林祐梨子選手(豊田自動織機)。1500mで火花を散らした2人が、5000mに種目をうつして激突しました。5000mでの初対決というわけではありませんが、接戦を展開したのは初めてかもしれません。
 最後は吉川選手がラスト400 mを63秒38(寺田の手動計時)でカバーして小林選手を1秒58引き離しました。このタイムは1500mのラスト1周で最も良かったときと同じくらいだそうです。小林選手は「この1カ月くらい自己新を出したときと同じくらいの練習ができていた」と調子は良かったのですが、「中間走の練習」が中心で、ラストの切り換えができなかったようです。
 2人とも好調で、セリー選手が抜け出したときに「追えばよかった」と後悔していました。セリー選手は1周74秒で想定したペースでしたが、出だしが遅すぎたため、75〜76秒を「74秒と体感してしまって、自分がいるのはここかな」(吉川選手)と勘違いしてしまったのが原因です。
 しかし、2人とも良い状態にあるのは間違いありません。吉川選手と小林選手が今後も5000mでライバルとなることを予想させたこのレースも、今日一番のネタと思えるインパクトがありました。

 そして最終種目は男子5000m。外国勢に地元・大塚製薬の松岡佑起選手とエスビー食品の長谷川裕介選手がついて、どちらがラストが強いんだろう、とわくわくさせられました。結果は長谷川選手が13分34秒70で日本人トップの4位。優勝したダニエル選手(富士通)とも2秒45しか違いませんでした。
「5000mと1万mではタイトルがまったくなく、いつも日本人に負けていたので、勝つことを考えていました。集中してしっかり走れば結果が出せるとわかったのでよかったです。10月に1万mでA標準を狙っていきます」
 その長谷川選手も、「9月に入っても距離走をやっていました。トラック選手のやらないことをやろうと考えました」と言います。同選手も距離を重視しても、レースになればスピードを出せるタイプのようです。
 長谷川選手には箱根駅伝で結果を出せなかった理由なども聞かせてもらいました。

 それほどすごい記録は出ませんでしたが、実業団らしいネタがたくさんあった1日でした。今日一番と思えるネタが次々に飛び込んできましたからね。
 忘れていました。今日はカネボウ高岡コーチの誕生日でした。これも今日一番のネタではないかと思います。


◆2011年9月25日(日)
 全日本実業団3日目(最終日)の取材でした。
 今日最初にびっくりしたのは、トヨタ紡織総監督と思っていた亀鷹律良氏がNTNのウエアを着ていたことです。聞けば、今年の春からNTNの総監督になられたとのこと。NTNのスタッフは生え抜きという印象でしたが、外部のノウハウも取り入れていこうということのようです。
 NTNで1つ気づいたことがありました。今もジュニア日本記録を持つ愛敬重之選手ら3000mSCの好選手を何人も輩出してきたチームですが、現役ナンバーワンの梅枝裕吉選手(日本選手権2位)が今大会は初日の1万mと2日目の5000mに出場していたのです。1万mが16位で28分53秒13、5000mが12位で13分48秒25。1万mが初日の夜で、5000mの予選が2日目の朝で決勝が2日目の夜というスケジュールでした。
 そこを亀鷹総監督に質すと、マラソンの北岡幸浩選手のほかにも、駅伝のエース区間を走れる選手を養成しようという狙いでした。中部実業団駅伝は何度も取材に行っていますが、岐阜県下呂市のコースで行われるのは今年で最後です(来年からは愛知県田原での開催)。ニューイヤー駅伝優勝のトヨタ自動車も中部ですし、取材に行きたくなってきました。

 トラックでは男子100 mの予選が始まっていました。公認範囲内の良い追い風が吹いています。予選では2組1位の塚原直貴選手(富士通)、3組1位の齋藤仁志選手(サンメッセ)、5組1位の木村慎太郎選手(アシックス)が10秒5台。3組あった準決勝もこの3人が各組の1位で木村選手が10秒45、齋藤選手が10秒39、塚原選手が10秒42。塚原選手の復調が間違いなさそうです。
 記者たちの注目も塚原選手の走りに集まっていましたが、昨年優勝の木村選手も大型スクリーンに映し出されるたびに小さなどよめきが起きていました。以前にも指摘したように広島カープのマエケンこと前田健太投手にそっくりなのです。運動部記者たちが反応してしまうのは仕方ありません。
 復調が注目される塚原選手、前回優勝の木村選手、テグ世界選手権200mセミファイナリストの齋藤選手と、決勝が盛り上がりそうな雰囲気でした。

 最初にコメントを聞いたのは、男子砲丸投に17m87で2連勝した山田壮太郎選手でした。突っ込んだのはもちろん、19mが出なかった理由です。3回目までは17m06−ファウル−17m05で、後半に17m78−17m87−17m78と記録を伸ばしたのですが、前半が悪かったところに今日の失敗が表れていました。
「体は間違いなく動けていましたから、19mが出てもおかしくなかったと思います。でもスピードが速い分、パワーポジションのときに体が浮いてしまいました。蹴る瞬間が早かったですね。前半は抑えよう、抑えようとしていました。でも記録が伸びないので、4本目は何も力を入れずにただ押すだけにしたら記録が伸びたんです。今日は“こっちだな”と思いました。今年の中では悪くない投げだったので、記録を出しておきたかったのですが…。やはり、動きを意識しなくてもできるようにならないとダメですね。練習で動きができていないから意識するしか方法がないのですが、無意識でできないと」
 体の状態は良いようなので、期待したいと思います。国体には出場しないということなので、次はどこでしょうか。

 今日は今季日本最高記録が3種目で出ました。1つめは女子3000mSCの早狩実紀選手(光華学園AC)の9分51秒88。「世界選手権後の最初のレースで、今シーズン最後のレース。気持ちの良いレースで終わりたかったのですが、それができて良かったです」
 世界選手権後ということで新しいことにもチャレンジしました。それは逆脚(左脚)踏み切り「いつもちょこちょこ合わせていましたが、今回の世界選手権を走って、ハードル技術も走力と同じくらいやっていかないと思いました。今日は失敗しもいいからと、反対脚をやってみました。スピードは落ちましたが怖がらずにできました」
 今日のレースはかなり余裕があり、1人で走っても5〜10秒は記録短縮ができそうだといいます。ペースの速い海外レースで走れば、さらなる短縮も可能かもしれません。

 2つめの今季日本最高は女子100 mHの木村文子選手(エディオン)の13秒25(+1.7)でした。正確には今季日本最高タイで、同選手の日本選手権の優勝タイムと同じです。木村選手は来月の国体にピークを持っていく調整をしているため、ここまでの記録が出るとは思っていなかったといいます。予想以上の記録が出た要因を「夏の間の練習で走力が明らかにアップしました。それをハードルにつなげられたのだと思います」と分析。調整しないで出場した中国選手権100 mで12秒07の自己新が出たそうです。練習中の加速走でも…と書きたいところですが、木村選手と久保瑠里子選手のエディオン同学年コンビは記事にするかもしれないので、この辺にしておきます。世界選手権を現地で見て「アンバランスな状態」をつくって加速していくことも思いついたそうです。

 3つめの今季日本最高は男子三段跳の十亀慎也選手(中萩農園)で、5回目に16m59(+0.5)をマークして日本選手権で跳んだ16m51を上回りました。自己新記録です。「力でねじ伏せる跳躍でしたが、それができたのは少しは効率的な動きができていたから。助走の1歩1歩、ジャンプの1つ1つで重さがドーンとかかるのを、そのまま跳ね返せて、推進力や高さに変えられています。理想は重さをなくすことですが、その前段階まで来ている。そこを突き詰めて上手くできるようになれば、17mも見えてきます」
 跳躍関係者の評価も高い選手なので、なんとかロンドン五輪に間に合ってほしいと思います。
 2位は16m36(+1.1)の石川和義選手です。16m90台を2回、80台も2回出し、現役で最も17mに近い選手ですが、故障の多さでトレーニングが中断してしまうのが悩みの種です。「(17mの手応えは)あるとは言えません」という状態。11月で29歳。この冬が勝負でしょう。

 男女の100 mは塚原選手と高橋萌木子選手の富士通コンビが優勝しました。高橋選手は前日の200mと合わせて2冠です。この2人についてはコメントを記事として紹介したいですね。問題は時間があるかどうか…。実業団1年目の高橋選手はインターハイ3連勝、日本インカレ4連勝に続く優勝。年代カテゴリーの選手権で8連勝ということになります。
 同じことが男子3000mSC優勝の菊池敦郎選手(NTN)にもいえます。原町高3年時にインターハイで優勝して、順大で日本インカレ4連勝。そして今回の優勝で…と思ったら、菊池選手は実業団2年目でした。昨年は4位(日本人3位)です。
 男子やり投の荒井謙選手(七十七銀行)にも五輪標準記録を期待していたので、厳しい突っ込みを入れました。「中助走のトライアルで77〜78m行って、過去最高タイくらいだったのですが、全助走につなげられませんでした。(優勝記録の76m41は5投目だったが)1投目に75mを超えないと80mは狙えません」
 故障と紙一重のところで投げているやり投選手の宿命で、なかなか思い切り行けないところがあるようです。荒井選手も過去に大きなケガをしています。「つらいところだね」と言葉を向けると、「それがある意味、楽しいところでもあるんです。自分はまだまだ6〜7割しか出していないと思っています。国体は皆さんの力も借りて、モチベーションを高めて投げますよ」といつもの笑顔で答えてくれました。
 荒井選手には村上幸史選手(スズキ浜松AC)のテグ世界選手権の感想も聞きました。投てき界きっての理論派と言われている同選手のコメントは、いつも参考になります。次に村上選手に取材する際の参考になります。

 さて、全日本実業団取材の“とり”は、女子総合優勝を果たした東邦銀行の吉田真希子選手に話を聞きました。ナチュリル最後の年だった昨年も優勝し、東邦銀行1年目の今年も勝ったのは、何かすごいことだと思ったのですが、選手たちは普通に「総合優勝しよう」と話していたようです(これは佐藤真有選手から聞きました)。
 吉田選手は移籍に伴い人数が少なくなり、千葉麻美選手も戦列を離れている状態で勝てたことがよかったと話してくれました。個人的な感想としては、女子短距離を支えるチームが会社が変わりながらも継続していることを象徴していて、すごく喜ばしいことだと思っています。
 ということで、男女総合と男子優勝の富士通の集合写真と、東邦銀行の集合写真を掲載します。

 全日本実業団の充実した3日間の取材も終了しましたが、陸上界の動きは止まりません。日本時間の16時にはベルリン・マラソンがスタート。タクシーの中で読売新聞の田上記者と一緒に、ベルリン・マラソンの速報(ツイッターかな)を見ながらホテルに帰りました。タクシーに乗ったのが17:50頃。ちょうど男子レースが終盤で、マカウ選手が世界記録ペースで独走していました。そして世界記録でフィニッシュ。
 新聞記者の方たちは息つくヒマもありません。


◆2011年9月26日(月)
 徳島のホテルを10時にチェックアウトして、10:30発の高速バスで神戸三宮に。さすがに陸上関係者は乗っていませんでした。でも、関西圏の選手、関係者はバスを使っていた方がも多いはず。昨晩のうちに帰られたのでしょうか。
 車内でうとうとしているうちに三宮に12:10くらいに到着。まっすぐ帰っても面白くないので、神戸の海を見て帰ることに。三宮から歩いて海に向かっていたら、こんなものがありました。“日本マラソン発祥の地”の碑です。ネットを検索してみたら産経新聞のこの記事が引っかかりました。できたばかりなのですね。
 海の近くまで出たのですがちょっと殺風景な港の風景でした。神戸税関の建物などはありましたが、いかにも港の倉庫街という感じで。後で知ったのですが、ポートタワーとかハーバーランドとか、いわゆる観光客が見に行く海は神戸駅から歩くのが近かったのですね。まあ、日頃の運動不足を解消するために歩くのは望むところなのですが。

 メリケンパークを歩いていたときでした。携帯電話が鳴ったので誰かと思ったらSWACの大角重人コーチからでした。今は大阪セカンドウィンドの責任者です。寺田がすぐ隣の神戸にいるとは思いもしなかったでしょう。よっぽど、「今からそっちに行くよ」と言いそうになりましたが、向こうもいきなり来られたら迷惑でしょうから思いとどまりました。
 まずは大久保絵里選手のベルリン・マラソンでの大幅自己新のお祝いを申し上げました。2時間35分34秒から2時間28分49秒に。セカンドウィンドAC待望の若手有望選手の誕生です。用件は次の会報誌原稿のことですが、当然、大久保選手の取材も入ってきます。これは楽しみな取材になりそうです。

 シーサイドの散歩ですが、ポートタワーは何年か前に上ったことがあったので今回はパスして、中央突堤(埠頭?)を歩いた後はモザイク(複合商業施設ですかね)に。和食のおいしそうな店で昼食を食べました。その後は海の見えるカフェで仕事でもしようと思ったのですが、パソコンを広げられる雰囲気のカフェがないというか、どの店も食事をしないといけないのかな、という雰囲気があります。
 仕方ないので海の見えないロッテリアで昨日の日記を書きました。

 そういえば昨日の日記で書き忘れたことが。鳴門といえば1993年の東四国国体の会場ですが、昨日までの全日本実業団に出場した選手で18年前の国体にも出場した選手はさすがに多くないと思われました。しかし、この人は間違いなく出ているはず。朝原宣治さんの著書の「肉体マネジメント」に、東四国国体で10秒19の日本新を出したときに、この人とサブトラックで話したという話題が載っていましたから。
 ということで、3000mSC優勝の早狩実紀選手(光華学園AC)に確認すると「3000mで優勝したと思いますよ」と、やや曖昧な回答でした。1998年の全日本実業団も鳴門開催でしたが、そこはもうはっきりした記憶がないと言います。関西実業団も何回か鳴門で開催されていますし、丸亀(香川県)での試合もあって、記憶がごっちゃになっているとのこと。
 ということで寺田のパソコンにデータがないか調べたところ、国体の成績はわかりませんでしたが、1998年の全日本実業団は800mで6位、1500mで3位でした。ちなみに今も競技を続けている選手では12位に小崎まり選手(ノーリツ)が、16位に那須川瑞穂選手(積水化学、現ユニバーサルエンターテインメント)が入っています。ベテラン選手万歳!


ここが最新です
◆2011年9月28日(水)
 福本幸選手の記事が毎日新聞に出ていました。井沢真記者の記事です。出産を経た女子跳躍選手が頑張っている、という視点ですが、取材をしたのは全日本実業団のようです(それ以前に取材したネタも盛り込んでいるような気がしますが)。
 全日本実業団で福本選手(1m81)の話を聞いたのは寺田だけだと思っていたのですが、どの記者も見えないところでしっかりと仕事をしているということです。
 そういえば、福本選手のコメントを紹介していませんでした。
「調子はすごく良くて1m90を狙っていました。先週、雨の中で1m85を跳びましたし、1m90にバーをかけて、やりたいこともそこそこできました。今日は絶対に跳んでやろうとスピードを上げたら上手くできず、1m70から跳び始めて修正をしながらバーを上げていきました。(本数が多くなって)疲れて跳べなかったというところもあったと思います。1m92を跳んだ年と同じ3歩助走の1m75が跳べているので、調子としては一番良い状態でした。この試合に懸けていたのに戦いきれなかった自分が残念です」
 悔しさの伝わってきたコメントですが、その背景には調子の良さを実感していたことがあります。ロンドン五輪の標準記録はぜひとも跳んでほしい選手です。10月10日に神戸、22日に奈良で試合に出るというので、関西からのニュースに気をつけたいと思います。

 本日の朝日新聞には“負けに学ぶRoad to LONDON”というシリーズの2回目として、男子4×100 mRのことが取り上げられていました。東大で走高跳選手だった酒瀬川亮介記者の記事です。その記事にはテグ世界陸上の3→4走でバトンパスを失敗しているという情報が、苅部俊二男子短距離部長のコメントで載っています。これも新しい情報。テグで取材している中では出てこなかったはずです。
 陸連科学委員会にも取材をしていますし、その一方で科学的なデータだけがパフォーマンスの決定要素でないことにもしっかりと触れています。テグの高平慎士選手のコメントも載っていますし、しっかりと取材したことを記者の高い見識で文章にしているという印象を持ちました。

 さて、こちらは長崎県のハウステンボスで国際マラソンが11月19日に行われるという時事通信の記事です。これを読んだときは、「来たかっ」と思いました。寺田が2年前にハウステンボスを拠点としたマラソン開催が良いのではないか、と書いたことがありました。2010年2月7日の日記から引用します。
 景観の良い長崎でのロードレース開催が望まれるところですが(これは寺田の個人的な意見で、黒木監督や十八銀行・高木監督のご意見ではありません)、大きな道路がないのが難点です。長崎とハウステンボスを結ぶコースとか、とれないのでしょうか? と思ってマピオンで距離を検索したら64kmもありました。
 仮に大規模なロードレースを開催するとなるとベッド数も重要になりますが、長崎&ハウステンボスなら宿泊施設は多いと思うのですが。
 今思いついたのですが、ハウステンボス・マラソンとか、東京ディズニーランド・マラソンとか、いけるかもしれませんね。
 ハウステンボスの地図を今見たのですが、道幅とかどうなのでしょう。大衆マラソンを行えるほど広くないのでしょうか。ハウステンボス内の周回だけではもちろん無理で、スタート地点とフィニッシュ地点、あるいは中間点も加えて3回くらいハウステンボスを走るようにコースを設定すれば面白いと思うのですが。
 赤字で苦しんでいるという報道がちょっと前にありました。大衆マラソンを開催して、その参加者はホテルに1泊1万円くらいで泊まれるようにしたらどうでしょう(通常は安くても1泊3万円とかです)。リピーターも増えると思いますし、良い宣伝になると思うのですが。

 時事通信の記事では選手数の規模がわかりませんが、寺田も先見の明があったということです。

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