続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2007年6月 監獄6月
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◆2007年5月20日(日)
東日本実業団2日目の取材(2日間日熊谷まで帰り取材)。2日間で行う地区実業団は、タイトと言えばタイトといえるタイムテーブルですが、今日はまあまあ効率的な動きができたと思います。
午前中の男子200 m予選を見た後、少し離れたところにある投てき競技場に男子ハンマー投を見に行きました。ベスト8の投てきに間に合いました。しかし、ペグを見ると今季好調の土井宏昭選手が70mに届いていません。1回目に68m74で2〜4回目は連続ファウル。4投目終了後に「今日はダメですよ」と言ってくるほど。
ところが5投目に72m41と記録を伸ばすと、6投目には73m48。自己記録を15cm更新しました。ダメと言った直後に記録が伸びる。この辺は技術種目たる所以でしょう。集合写真を撮らせてもらったときには、“半分ガッツポーズ”をしてもらいました。自己新は出したけどB標準には52cm届かなかったからです。
ただ、本人の感触はかなり良かったようで、「今日この記録ならB標準はそのうち投げられそうです」と、明るい表情で話していました。ドーハのカリファ・スタジアムのスタンド下で話したときとは、かなり違った顔つきでした。あのときは暗かったですからね。照明が。
ISHIRO記者以外は投てき競技場まで来ている記者がいなかったので、その場での土井選手への取材は控え、2位で自己新を出した野口裕史選手に取材。こういった気づかいはしているのです。
静岡国際の取材でもそう。ある種目の取材(インタビュー場所)で、優勝者が来る前に2位の選手に話を聞こうとしました。そうすれば1・2位選手とも話が聞けます。しかし「優勝者が来て、記者の皆さんも揃ってから一緒にやってください」と止められてしまいました。メディアを仕切る立場の方は、どの選手に記者が集まるかを理解してから仕切ってほしいといつも思うのですが、無理なのかもしれません。強い選手も弱い選手も、日本代表選手も県大会レベルの選手も、まったく同じに扱うのが日本の競技会運営の基本なのです。
アナウンスの仕方なども含めた競技運営は、優勝者を決めればいい大会と、観客に見せる大会(=メディアの集まる大会)では違って当然。そこを同じようにやろうとするところに無理があります。解決方法は……ここには書きません。
ところで、今日の記録の悪さはひとえに強風のせいです。ここまで強かったらどうしようもありません。女子100 m予選では追い風7.8mなんて組もありました。400 mと400 mHはバックストレートが向かい風だったら記録は出ません。と話す選手が多いので、元200 m・400 m日本記録保持者の原田康弘さんに、昔もそうだったのか質問しましたが、やっぱりバックが向かい風だと厳しいそうです。
今大会の注目は醍醐直幸選手と成迫健児選手。2人とも3年前に熊谷の競技場で行われた埼玉国体で、自己新をマークして国際レベルへの足がかりとしました。言うなれば、熊谷は“出世スタジアム”。そこで再び何かをつかめば記事のネタになるのですが、今日の風では無理。成迫選手は13歩で3台までしか行けませんでしたし(寺田の記憶では初めて)、醍醐選手は助走が「(狙った踏み切り場所に)届かなかった」と言います。普通のコンディションではないのですから、普通のコンディションを前提とした技術を試すことなどできません。悪コンディションを経験する、という点で収穫があったかどうか。
有力選手が出ていない種目、記録が低調な種目もあってパスできるのですが、日本選手権の展望記事用の取材をする絶好の機会です。醍醐選手、成迫選手、畑瀬聡選手、長谷川充選手ら、東日本実業団としては記事にできるかわかりませんが、しっかりと取材をしました。女子100 mで優勝した福島千里選手、5000m優勝の渋井陽子選手、女子4×100 mR優勝のナチュリルはおそらく記事になるでしょう。
ナチュリル4×100 mRメンバー4人の写真撮影の間に、渋井選手のカコミ取材が終わってしまったかな、と不安になりましたが、ここもセーフ。その後再び、ナチュリルの取材に戻り、女子800 mの杉森美保選手の話も聞くことができました。ラッキーな部分もありましたが、聞きたい選手の話はほとんど聞けたように思います。成迫選手と長谷川選手の、筑波大同学年コンビのツーショットも、運良く撮らせてもらうことができましたし。
そうなると、昨日の日大コンビ(100 m2位の永山博章選手と400 m2位の山村貴彦選手)を逃したことが悔やまれます。永山選手の情報は、埼玉新聞宗像記者から教えてもらうことはできましたが。
実業団の登録問題についても、関係者の話をいくつか聞くことができました。新しい何かがあったというより、寺田の考えていた通りだったというか、裏付けみたいなものがとれました。一連の報道で伝わっていない部分があるのです。
と書くと、何かすごいことがあると誤解されてしまいますね。そうではなくて、規則とか理念とかでは語れないけれども、曖昧でこれまでやってきた部分があった。それがいけないことかといったら、そうでもないと思っています。
この件、文字にする作業はかなり大変ですし、誤解されないとも限らない。書くとしても、少し時間をおいてからでしょうか。
◆2007年5月21日(月)
昨日の日記でも触れましたが、東日本実業団は本当に風が強かったのです。400 mと400 mHはバックストレートが向かい風だったら、円盤投は追い風だったら記録は出ません。100 mや走幅跳・三段跳の向かい風といえる状況が、明らかにあるのです。逆に、昨年の大阪GP時の長居競技場のように、風が回ってバックもホームも追い風という状況がたまにあります。円盤投も向かい風で円盤に浮力がつき、距離が伸びることがよくあります。
実質的な追い風参考記録もあると言えるのですが、100 mや走幅跳のように風との因果関係がはっきりしないので、参考記録にはなりません。
と、あらためて書くほどの発見でもないのですが、人間とは不思議なもの。100 mや走幅跳のように参考記録として別リストになっていると、「この記録は同列に扱えない」と意識するのに、400 mや円盤投は「これは別記録」とは考えずに、「良い記録」だと認識します。おそらく、記録を収集したり、リストを見て楽しんでいる人間の多くは、“良い記録”として認識したいのです。
そういう意味では、陸上好き、記録好きの人間は、心優しい人なのかもしれません。論拠としてはかなり弱いのですが、陸上ファンのプラス思考ということで。
◆2007年5月22日(火)
13時から都内某所で取材。選手や指導者ではなく、メディア関係者にインタビューをしました。世界選手権に長年関わってきた方で、面白い話がどんどん出てきます。所要時間は1時間ほどに。ここまで話が充実していると、所定の文字数に納めるのは無理。誌面は100行で行くとして、某WEBサイトでロングバージョンを掲載しよう、と担当者には提案しておきました。
某サイトの中部実業団記事を22時に仕上げて帰宅。
◆2007年5月23日(水)
午前中は某サイト用に自宅で資料調べ。3人を終えたところで新宿作業部屋に移動。
その後は某大学パンフレットの色校正。広告スポンサーで色校正の戻しを送ってくれていない4〜5社に電話をして確認する作業をしました。
なんとか今日中にTBSサイトの連載コラム1回目を書きたかったのですが、不測のトラブルも生じて書けず。しかし、トラブルのおかげで思わず、読書をする時間ができ、お気に入りの作家の対談を読んで気分が落ち着きました。ここ数日(先週くらいから)、本当に気持ちに余裕のない状態でした。日記もあまり書けていません。というか、試合の日だけしか書いていないではないか、との指摘メールもいただきました。知人からですけど。ユーモアも少なくなっていて面白くない、と。
ということで、いきなり連載企画です。日記に書くネタが連載企画といえるかどうかはさておき、「陸上関係者はモテるのか?」というテーマの企画……というか、単なる考察になると思いますが。
今年は地元開催の世界選手権イヤー。陸上競技人気のてこ入れの必要性があちこちで叫ばれていますが、そんなことよりもまず、“陸上競技をやっている人間はモテる”、あるいは“陸上ファンはモテる”のであれば、自然と陸上界に人材は集まります。
その辺を色々と考察・検証していこうという企画ですが、そもそも思いついたのは、為末大選手がTBSの「We Love アスリート」に出演した際、「中学では野球部の橋本君の方がモテた」と言っていたことがきっかけです。全日中100 m・200 m2冠で、200 mと三種競技の中学記録を持っていた選手でさえ、野球部のキャプテンにかなわなかった。これはいったい、どういうことなのか? やはり、陸上に未来はないのではないか?
◆2007年5月26日(土)
朝10時のスカイネットアジア航空で宮崎に。言わずと知れたゴールデンゲームズinのべおか(GGN速報室に全成績)の取材です。2003年以来なので4年ぶり3回目の同大会取材になります。
11:40頃に宮崎空港着。11:55発の特急にぎりぎりの時間。あわてて切符を買ったため、ウエストバッグを窓口に忘れてしまいました。出発間際に呼び出されて取りに行きましたが、大きな駅や、長い電車だったら無理でしたね。ウエストバッグを取りに行くところを玉川大・山下監督に見られたのが誠に失敗でした。
しかし、機内と特急電車車内で、100行原稿にめどが立つところまで進められたのは良かったです。延岡駅前で昼食後、ホテルに14時頃にチェックイン。15時頃までに一通り書き上げました。
15:15には西階陸上競技場に着き、知己の九州陸上記者の方たちに挨拶。すでに競技は始まっていましたが、頃合いを見て旭化成関係者にも挨拶。
間もなく福島大・川本和久監督も姿を見せました。バリバリの短距離指導者、という印象なので違和感はありましたが、門下には杉森美保選手をはじめ中距離の有力選手も多数抱えています。400 mが専門の木田真有選手が今大会のラビットを務めましたが、これがなかなか上手くて最初の200 mを29秒、次の400 mを62秒で引っ張りました。「うちの選手たちは何秒といったら、きっちりそのペースで行けます」と川本監督。織田記念では低迷した久保瑠里子選手も2分5秒台。中距離も強いチームだということを再認識しました。
ちなみに女子800 mは優勝の杉森選手から2位・岸川選手、3位・久保選手、4位山下選手までが2分5秒台。種目としての充実ぶりがわかります。
有力選手は最後の方に登場するのが普通ですが、この大会は旭化成の有力選手が、ときどき前の方の組に出ていることもあるので要チェック。今年も小島宗幸選手や土橋啓太選手がそうでした。6組で1位だった土橋選手に後で話を聞くと、勝てる可能性の高い組に出場したとのこと。そうではあっても、最後にきっちりトップを取るのはさすが。6月のホクレンでは5000m・1万mの自己記録(ともに高校時代のもの)更新に、大きな意欲を見せていました。
次の5組には世界選手権マラソン代表の久保田満選手が出場。タイプ的にトラックでは苦しいのでしょうが、集団の中の位置取りなどを見る限り、久保田選手なりに積極的な走り。世界選手権代表ですから当然、レース後は各社と一緒に共同のカコミ取材です。
次の女子5000m2組が終わると、中距離種目が続きます。まずは男子1500m。小林史和選手が良い状態だと聞いていたので楽しみにしていた種目です。1周目をペースメーカーの後藤選手が56秒8で引っ張ります。これはちょっと速すぎて、小林選手はもう1人のペースメーカーであるケニア選手と57秒7の通過。後藤選手は800 mも1分54秒8で通過しましたが、小林選手とケニア選手は1分57秒8。この1周に60秒1は明らかにかかりすぎ。見た目にも、小林選手の脚が詰まっているのがわかりました。3周目は61秒5を要して記録は絶望的に。残り250mで小林選手がスパートしましたが、記録は3分43秒11にとどまりました。残念。
その次が先ほど紹介した女子800 m。レース後に前日本記録保持者の西村美樹選手に取材。4月から所属が自体学に変わっていたのです。伝統の自体学ですが、女子選手は珍しかったので。続いて杉森選手にも取材。
その次が男子800 m。笹野浩志選手が久々に豪快なラストスパートを決め、1分47秒95で優勝。今季無敗の口野武史選手に土をつけました。しかし、2位の口野選手は1分48秒11の日体大新記録。石井隆士監督が1975年に出した記録を、実に32年ぶりに更新しました。
ゴールデンゲームズはレース直後が表彰ですが、まずは石井監督に声を掛け、口野選手が引き揚げてくるのを待ってツーショットの記念写真撮影。これは寺田の独占取材。掲載も本サイトだけという貴重な写真です。
男子5000m4組(D組)がスタートしましたが、ストップウォッチは押しておいて、口野選手のインタビューを優先。それだけ、32年ぶりの日体大記録には重みを感じたのです。幸い、インタビュー場所はトラックの脇で、5000mのレースもちょこちょこ見ながらインタビューすることができました。
しかし、その5000mがすごいことになっていました。詳しくはこちらの記事を見ていただければと思いますが、三津谷祐選手が日本歴代2位、国内初の13分10秒台、世界選手権A標準突破、そして九州最高記録という快走。口野選手のインタビューは3000m付近で終了し、すぐに5000mに集中。三津谷選手がリズムに乗った走りをしていました。今季好調の前田和浩選手も食い下がっていましたが、間もなく遅れます。
4000mからは200 m毎に通過タイムをチェック。残り800 mでA標準は行くと確信。残り200 mで13分10秒台も予想できました。予想はできても、そのタイムに向かって突き進む三津谷選手を見て興奮は頂点に。13分18秒22で止まった手元のストップウォッチを見て(正式計時は13分18秒32)、朝日新聞・原田記者に向かって何かわめいていたと思います。
それにしても、2年前のホクレン深川大会1万mのA標準(日本歴代3位&国内日本人最高)といい今回といい、三津谷選手はすごい走りを見せてくれます。というか、北海道と九州の南北で、素晴らしい走りを見ることができたのは本当に幸運です。
しばらくは三津谷選手の取材に専念。ただ、取材の途中なのに記者の数が1人、2人と減っていきます。20時を過ぎ、締め切りが近くなったためです。この辺は新聞記者のつらいところ。寺田は最後までコメントを聞き、森下広一監督とのツーショットも撮り、女子5000mに合わせてトラックに戻りました。スタートするまでちょっとの間に、男子800 m1位の笹野選手を見つけて取材。日本選手権に向けて糸口をつかんだようです。
女子5000mは杉原加代選手の好調が伝えられていたので、1500mの小林選手と並んで期待していた種目です。しかし、自己新は出したもののA標準には届きませんでした。こちらも残念。
最終レースは男子5000m1組(A組)で、入船敏選手が1位。このレースもD組に劣らずいいリズムで進んでいると思ったのですが、1位タイムは13分30秒台。入船選手は5000mでは久しぶりの13分30秒台。その理由を取材しました。
最終種目終了後に、明日の久保田選手取材についての段取り。
23:30頃にホテルに戻りました。長く、充実した1日でしたね。
◆2007年5月27日(日)
11:30から久保田満選手の取材。実はある人物との対談でしたが、かなり面白い話を聞くことができました。撮影用に愛宕山にも行きました。旭化成の練習コースの1つという知識はありましたが、あそこまで急勾配とは知りませんでした。平均勾配率というのかどうかわかりませんが、箱根駅伝5区より大きいのでは? やはり、百聞は一見に如かず。充実した取材でした。
17時台のスカイネットアジア航空で帰京。全日空のシステムがダウンしてダイヤが乱れた日ですが、スカイネットはほとんど影響がありませんでした。
今日は為末選手がプロモートした東京ストリート陸上。NHKがスポーツニュース内で5分以上の枠で放映しているのを見ました。行けなかった記者としては助かりましたし、世間の注目度の大きさも物語っています。映像を見る限り、かなりの盛況ぶりだったようです。
それにしても、これだけのイベントを実現までもってくるのは、かなりの手間が必要だったはず。それを、トレーニングや各種の仕事と並行して進めていたのですから、為末選手もかなりのマルチタスク。やっぱり、できる人間というのはそうなんですよね。
宮崎行きの機内と特急電車内とホテル内で書いた100行原稿の手直し。これが意外と手間取ってしまいましたが、なんとか仕上げて送信。
◆2007年5月28日(月)
朝の10時に電話取材。20分ほどで終了し、すぐに地下鉄に飛び乗りましたが、その間にも電話連絡。向かったのは順大。某選手の取材です。
その選手とはプール脇の駐車場で待ち合わせでしたが、トラックの脇を通ると「こんにちわ」とジョッグをしている選手から声を掛けられました。サングラスをかけた選手で誰かと思いましたが、よく見ると徳本一善選手でした。順大大学院に通い始めたことや、順大でも練習していることはブログを読んで知ってはいましたが、徳本選手=順大はなかなか実感できませんでしたから、ちょっと驚きました。
続いて、駐車場の方からシルバーにピンクのアクセントの入ったウェアに身を包んだ、女子選手の一団が歩いてきます。これもとっさにはわかりませんでしたが、どう見ても資生堂の選手たち。佐藤由美選手に、どうして順大にいるのかを質問すると、各種測定を順大で行なっているのだそうです。これも、話を聞けばうなずけることでした。
次に会ったのがハンマー投の野口裕史選手。土曜日の順大競技会で69m02の自己新(日本歴代7位)をマークしたとのこと。東日本実業団で67m85の自己新を投げたばかり。きっと、何かをつかんだところなのでしょう。70mもすぐに行くのでは? と我々は安易に考えがちですが、選手はまた別の感じ方をしているようです。次のように話していました。
「色んな意味で楽じゃないですね。今までよりハンマーに引っ張られる感じが強くなって、3・4回転が浮く感じが出てきました。今回は調整もなしで出場して、それほど力を入れずに投げたのですが、1本だけ力を入れたのが69mでした。でも、もっと力を入れて記録を狙ったら、もっと浮いてしまったんです」
肝心の取材も順調。面白い話を聞くことができました。記事にできないネタもありますが、寺田の活動全体で見たら、役に立つ話でした。
原稿は50行と短いので帰りの電車内と、乗換駅のカフェで一通りは書き終えました。先週の木曜日から8日間で6本、同じような分量の取材があります。取材をしたその日に書いていくパターンで進めないと、後で大変なことになります。すぐに書いた方が効率もいいですしね。
◆2007年5月30日(水)
朝の11時に某大学の寮で取材。その寮に行くのは2回目でしたが、廊下の途中に設けてある応接兼選手たちのくつろぐスペースでインタビューしました。そこからは中庭(パティオ)も望めて、なかなかいい雰囲気の場所です。
取材も順調。今日も面白い話を聞くことができました。
移動の車内と新宿のカフェで一通り書き上げましたが、行数を20行オーバー。単純に削除するだけでなく、全体の流れを見直す必要があるかもしれません。
急きょ決まった電話取材を16時から。約20分の電話インタビュー。
それが終わるとすぐに赤坂のTBSに移動。某テレビ番組雑誌の取材で、為末大選手の話を聞けることになったのです。
テレビ雑誌的な質問の他に、寺田的に技術面の質問もさせてもらいました。
しかし、今日の取材ではこれまでとは違った切り口で為末選手像に迫ることができたと思います。その成果がこのTBSのコラム。以前から、為末選手の強さは人生を賭けて取り組んでいる点にあると思っていました。どの選手も人生を賭けている部分はあるのですが、為末選手の場合、それが競技戦略に直結している。
コラムでは「戦略家なのかピュアなのか?」という論じ方をしていますが、取材のときは「ギャンブラーなのか、戦略家なのか、ピュアなのか?」という聞き方をしています。ギャンブラーと書くと、イメージ的に誤解されるおそれもありますし、視点が多くなりすぎてまとまらないので、このコラムのような書き方にしました。
本音を言えばギャンブラーなのか? という部分が面白い。もしも書くとしたら、ただのギャンブラーだった、という結論でないのは当然ですが、このテーマで為末論を書けるような気がしています。そのとっかかりのコメントを聞くことができました。
TBSのコラムは、今日の取材の成果と書きましたが、成果の一端ですね。
以前にも書きましたが、為末選手は理路整然と自分の取り組み、陸上界の問題点などを語ります。それが本当に面白いのです。その結果、記事を書く人間の視点が介在する余地が少なくなり、テーマが同じならどのメディアも似た記事になる。これは現役時代の高野進選手とも共通していること。考えのしっかりしている選手の特徴といえるかもしれません。
ちょっと毛色の違った記事を書くには、書き手の観察、洞察力が必要で、そのためには為末選手を長く見続けていないとできないと感じています。為末選手の昔の戦績を調べたり、記事を読んだりするだけではダメでしょう。為末選手と同じ時代を生きてきた経験がないと。
◆2007年5月31日(木)
昨晩、為末選手のコラムを一通り書き上げましたが、昨日の日記にも書いたようにギャンブラーという部分を入れて書いた結果、まとまりがつかなくなってしまいました。今日の午前中に修正して送信。コラム1回目の池田選手分もわかりにくい点があったので、少し手直しをしました。
昨日の日記で為末選手の記事は似たものになると書きましたが、今日の成田空港出発時のコメントを読むと、エドウィン・モーゼス選手に例えたり、ルイスやイアン・ソープを例に説明をしています。元となる考えは筋が通っている1本だと思いますが、本当に色々な例え方、色々な視点で表現をしています。読書量もすごいと聞きますし、インプットするデータが多いのでしょう。それらを巧みにコーディネイトする。ここまで言葉が豊富になれば、記事も色々な書き方ができます。
16:30からは埼玉県で某選手の取材。練習も見学することができ、なるほどと勉強することができました。説得力のある練習方法。チームとして、という見方になりますが、これは強くなると感じました。
指導者の方も交えたインタビューで、今日も面白い話を聞くことができました。
帰路、高野カメラマンとカレーに舌鼓。華麗なカメラマンではありません。オリンピックも県大会も同じ気持ちで取材をする、実直なカメラマンです。
◆2007年6月1日(金)
怒濤の取材ラッシュも昨日で一段落。50行程度の原稿なら、取材をしたその日に書き進めていくやり方で書いてきましたが、中部実業団と東日本実業団で取材したネタと、ゴールデンゲームズ&久保田満選手の対談原稿は手つかず状態。
月曜日中に350行・180行・100行の原稿を1本ずつ、50行を9本書かないといけません。のびのびになっている某サイトのデータも20人分残っています。明日のエコパの1万m記録会にも行きたいのですが、ちょっと無理です。
直接会って話を聞く取材はしばらくありませんが、今日は電話取材を2本。1つは選手、1つは指導者の方。どちらも面白い話を聞くことができました。2本とも今日のうちに原稿を仕上げて送信。
夜はTBS「We Love アスリート」を見ました。東京ストリート陸上の舞台裏リポートですが、取材に行けなかった人間にとってはありがたい特集です。それにしても、何千万円もかけて雨が降ったらどうするつもりだったのでしょう……などと、考えるのは平凡な人間の証拠。たぶん、そういう問題ではないのだと思います。具体的には説明できませんが、そこは着眼点が違うはず。
ISHIRO記者と陸マガ高橋編集長の筑波大同学年コンビの姿も発見。
そういえば、筑波大サイトの筑波大歴代10傑が更新されていました。今回の関東インカレでは男子4×100 mRと女子砲丸投の美濃部貴衣選手が筑波大記録だったようです。男子400 mの石塚祐輔選手は筑波大歴代2位。
◆2007年6月2日(土)
女子走幅跳で中野瞳選手が6m44の高校新、という情報を入手。すぐに知己の記者たちというか、携帯電話のメルアドを知っている記者たちに流しました。
最初は、高校記録では記事にしにくいかな、と思ったのですが、ジュニア日本新ということを考えると状況が変わってくる。池田久美子選手という、現在、最大の注目を集めている選手の持っている記録を破ったのです。話題性が違ってきます。
池田選手は早生まれということもあり、ジュニア記録は大学2年生の時。中野選手は高校2年生。これは価値があります。ただ、池田選手は世界ジュニア選手権という大舞台で出していますから、どちらの価値が大きいとは一概に言えませんけど。
夜はエコパの1万m記録会に注目していました。カージナル招待でこそ失敗しましたが、大森輝和選手がしっかりと練習を積んできた話は松浦監督から聞いていましたし、前田和浩選手の好調ぶりはレースの度にはっきりとわかりました。
19:50に速報をお願いしていた某社コーチから連絡が入り、B標準を大森選手、前田選手、北村聡選手の3人が突破したことが判明。続いて松浦監督にも電話で確認。
◆2007年6月3日(日)
今日は久しぶりに自宅で仕事。といっても、50行原稿を1本と、350行原稿1本が今日のノルマ。ちょっと気を緩めたら終わらないでしょう。まずは昼食前に木曜日に取材した選手の原稿を仕上げ……かけたところで携帯が鳴りました。T部長からです。同部長からの電話はだいたいが吉報。日本のどこかで新記録、好記録が出たのでしょう。
「畑山が60m10ですよ。三重県の記録会です」
川崎清貴選手の日本記録60m22は1979年の静岡リレーカーニバル。60m台は28年ぶりの快挙です。ついにやったか、という思いと同時に、疑問も生じました。畑山選手のブログによれば、三重県の記録会は昨日のはず。結果をアップしてほしいなあ、と午前中にチェックしたときに思ったのです。
こうなればもう、本人に電話をするしかありません。しかし、30分間隔で2度携帯を鳴らしましたが、出られない状況のようです。先方の事情もあることですから、仕方ありません。なんとか裏をとる方法はないものかと、携帯のメモリを見ながら思案した結果、元中部実業団連盟事務局長の松浦さんに電話を入れました。もしかすると、現場にいるかもしれません。
松浦さんはその競技場にはいらっしゃいませんでしたが、すぐに三重県の誇るディスカススローワー、藤原潤選手に連絡をとってくれました。松浦さんから同選手の携帯番号を聞いて、間髪入れずに電話を入れました。すぐに出てくれて、状況を知ることができました。昨日今日と、2日連続で三重県の記録会に出場したとのこと。同選手がコーディネイトしたことは、容易に想像がつきます。お手柄だぞ、藤原潤! と文字を大きくして書いておきましょう。
隣にいた畑山選手とも話ができ、短時間ですがインタビューもできました。
携帯メールを知っている記者たちには、28年ぶりの快挙を一斉に知らせました。
28年前に川崎選手の60mを見ている身としては、興奮でなかなか仕事に手が付きませんでしたが、今日、進行がとどこおおるとかなりのピンチになります。気持ちを切り換えてT選手の記事を54行を書き、昼食&雑用仕事の後に近所のケーキ屋さん兼カフェに。最近できた店で、一度行ってみようと家族T氏と話していました。
店の外はこんな雰囲気でグッドですが、店内には小さいテーブルが3つしかありません。原稿を書くのはちょっと無理。泣く泣く、永山駅近くのタリーズに移動。久保田選手の対談記事を200行まで書いて帰宅。食事の後に350行まで完成させました。朝の3:30になっていましたが、かなり面白い内容です。これは書き手の善し悪しではなく、対談自体の面白さですね。この日記も書いて、歴史的な1日の仕事を終えようとしています。
◆2007年6月4日(月)
100行原稿を1本、50行原稿を4本書きましたが、それでもノルマに届かず。
作業部屋には「マラソン実戦力アップ(BBM)」が届いていましたが…。クリールでよく見るような企画ですが、こうして書籍の形にまとまっていると、自分の考えを理解しやすいかも。
寺田は残念ながら、全体を整理して理解するよりも、目の前の原稿をできる限り集中して、数を減らしていく方法をとらざるを得ません。
◆2007年6月5日(火)
50行原稿を1本書いた後、日本選手権全38種目展望原稿に取りかかりました。10種目くらい終わるとエンジンがかかるのですが、最初は暖機運転というか、先が長くて集中しきれない感じ。とはいえ、最初の方でパターンというか、リズムをつかむと後が楽になります。これは、進行スピードから見て言えること。
原稿内容のレベルでいえば、最初をかなり高くします。為末選手の1台目と同じで一気にスピードを上げて、そこからなだらかに落ちていく。あくまで書き進める際のイメージで、実際に後半の種目でレベルを下げるわけではありません。この辺の感覚、なかなか伝わらないかもしれませんが、O村ライターあたりには伝わるはず。
夜、一昨日に28年ぶりの円盤投60m台を投げた畑山茂雄選手に電話インタビュー。B標準(62m50)を目標にしていることを、強調していました。60m10はB標準でも日本記録でもなく、ガッツポーズも出なかったそうです。
ただ1つ嬉しかったのは、室伏由佳選手のベスト記録(58m62)に差をつけたことだと言います。この2人は同学年で、長らく男女の円盤投の第一人者をキープしています。記録も同じレベル。4月1日に室伏選手が58m00を投げ、畑山選手の自己記録に並んだと思ったら、5月13日には58m62と記録を伸ばして差をつけました。
それを畑山選手が土曜日の四日市の競技会で58m73と11cm抜き、60m10で一気に差を広げたのです。「それだけは嬉しかったです」と畑山選手。同選手のブログにも、室伏選手から書き込みが載っています。
◆2007年6月6日(水)
2つの貴重な情報がメールで入手できた日でした。
ボルダー在住のエージェント、ブレンダン・ライリー氏からメールが来ました。岩水嘉孝選手と小林祐梨子が10日のプレフォンテイン・クラシックに出場するという情報です。小林選手は時の人で、新聞各社も動向を追っているので報道されていました。しかし、岩水選手に関しては情報が少なかったので、こうして情報をもらえると助かります。
BOULDER WAVEサイトにプレビュー記事も載るようです。
元100 m日本記録保持者で中京大職員の青戸慎司氏からもメール。中京高(現中京大中京高)でインターハイ総合優勝2回の名将、木下勝茂先生(現中京大長距離コーチ)が亡くなられたとのこと。悲しい知らせではありますが、故人と関わりのあった人間は全国各地にいるはずです。直接連絡が行かない人も多いと思われたので、通夜・告別式の情報を掲載しました。
それにしても、青戸氏は相変わらず、精力的に各地で陸上競技の普及に務めているようです【青戸氏ブログ、ATHLETE PLUS(JOCセカンドキャリアプロジェクト)】。頭が下がりますね。
◆2007年6月7日(木)
昨晩からTBSコラム3回目の執筆に。
成迫健児選手の話です。詳しくはコラムを読んでほしいのですが、大阪GP直後は「あそこで引っかけちゃダメだよ。勝負所じゃないか」と思っていました。でも、色々と考えているうちに、この状態を克服できたら1つ上のレベルに達するのではないか、と感じ始めたのです。
成迫選手自身、大阪GPのレース後は悔しがっていましたが、東日本実業団では前半の走りをプラスに考えていました。宮下憲コーチと話をしていて、ピンチをチャンスに変える好機だということもわかりました。
コラム全体のイメージも筋が通ってきて、2回目の為末大選手よりもまとめる苦労はありませんでした。ただ、為末選手との成長過程の違いも、できれば紹介したかったですね。この比較も面白いですよ。機会を改めて、どこかに書きたいと思っています。
陸マガの日本選手権全種目展望は、できれば今日中に終わらせたかったのですが、終わりませんでした。ということで、明日の日本インカレ取材は断念。月曜日の段階で、残りの原稿量から厳しいという判断はしていました。一縷の希望は持っていたのですが。
◆2007年6月8日(金)
昨日も書いたように、日本インカレ取材は断念。新宿の作業部屋から国立競技場まで、大江戸線で4駅の距離。すぐそこで熱戦が繰り広げられているのに行けない。近いだけに悔しいですね。
夜になって末續慎吾選手の日本選手権100 m欠場の報。すでに展望記事を書いてあったので、ちょっと焦りました。これは陸マガ編集部に修正を一任。
なんとか38種目を書き終えたのが、夜の11時頃。残るは50行原稿が2本です。
その間に、TBS坂井ディレクターから「この時間に電話に出てくれるのは寺田さんくらいですから」と電話が来ました。自称“陸上記者100 m最速男”(10秒5台だったと思います)ですが、電話をかけるのは遅いようです。
残りの50行原稿2本というのは室伏由佳選手と内藤真人選手で、ページ自体は大会報道ではなく、少し企画っぽくなっているところ。その分、内容にひねりが必要ですが、中部実業団と東日本実業団で取材したネタを元に構成しますから、大会記事に近い感覚もあります。なんで今頃書いているのか、という疑問も生じると思いますが、そこは5月28日の日記に書いたように、先月下旬から50行記事は取材したその日に書くパターンにしたから。その方が効率がいいのです。
ということで、室伏由佳選手の原稿を2時半頃(9日のAM)に仕上げて送信。内藤選手は「フランスの試合で日本新を出すかもしれないから」という理由をつけて、明日の朝書くと高橋編集長にメールを出しておきました。
それにしても、月曜日から5日間、作業部屋から外に出たのは、近所に食事や買い物に行くだけ。部屋に完全に閉じこめられているわけで、監獄状態です。
◆2007年6月17日(日)
特急あずさに乗って甲府へ。身延線に乗り換えて南甲府で下車。たぶん、身延線に乗ったのは初めてです。12時前には小瀬の陸上競技場に到着しました。何を隠そう小瀬に来たのも初めて。あの山梨国体(1986年)で、棒高跳の橋岡利行選手や200 mの高野進選手が日本記録(5m55、20秒74)を出した競技場です。1996年の甲府インターハイでは、為末選手も大活躍しましたし、野口みずき選手も3000mの予選を走っているトラックです。
今日の注目は南関東の男子200 mでしたが、その前に行われた北関東の男子200 mに目を見張らされました。21秒87(−2.4)優勝した本塩遼選手(那須拓陽高)の極端な前傾フォーム。肘を伸ばして下の方だけで振る独特の腕振り。骨盤が前傾しているのでしょうか。東日本実業団200 m優勝の長谷川充選手以上。そういえば、同高OBの渋井陽子選手も前傾が特徴ですが……。
南関東男子200 mは全国でも優勝候補の久保田裕是(ひろゆき)選手(東海大浦安高)と小林雄一選手(保善高)が激突。100 m優勝の小林選手がリードするかと思いましたが、コーナーの出口では久保田選手がリード。最後に小林選手に少し追い上げられましたが、逃げ切りました。タイムは21秒22と21秒29で向かい風2.4m。条件が良ければ20秒台は出せそうです。
専門誌関係者と一緒に話も聞かせてもらいましたが、久保田選手は200 mに専念している点が有利だったと言います(400 mは千葉県予選落ち)。一方の小林選手は足底を痛めていて完全な状態ではないとのこと。ただ、「並ばれていつも硬くなる」という久保田選手が今回は、「硬くなってもしっかり走れたのは、力が付いたからかもしれない」と自己分析。決着はインターハイ本番ということになりました。
驚かされたのが南関東の男子やり投。東京都予選は56m70で3位だった山崎信選手(東大和高)が67m16と大幅に記録を伸ばして優勝したことです。手元の資料では今季高校3位の記録。話を聞けば、麻疹にかかって2週間臥せっていたとのこと。そのうち1週間は入院していたと言います。都大会後は病み上がりでダメでしたが、東京都選手権では62m12を投げたそうです。
それでも、東京都のやり投選手はあまり聞きません。今日の山崎選手の前の東京都高校記録は62m台だったと言います。山崎選手の練習環境も恵まれているとはお世辞にも言えないもの。学校のグラウンドでは他の部活動との兼ね合いで、放課後の投てき練習はできません。「大会が近くなると朝練習で投げる」そうです。近くの競技場でも、やりを投げられる施設はほとんどなく、「上柚木、駒沢、立川くらい」だと言います。それも、近くの数校が共同で貸し切る形にしないと危なくて投げられない。「東京で1〜3位を独占できたことが嬉しい」と山崎選手が言うのも頷けます。
普段の練習は走ることと跳ぶことがほとんど。その影響か、やり投の他には110 mHと走幅跳の試合に出ることが多く、「15秒台半ばと6m80」のベスト記録を持っています。100 mは追い風参考で11秒1台。十種競技もこなす荒井謙選手(七十七銀行)のようなタイプのようです。ウエイトトレーニングはほとんどやらないようで、ベンチプレスなどのパワー系はそれほどでなく、「脚の筋肉の瞬発力で投げるタイプ」と言われているそうです。
「65mくらいは行くと思っていましたが、67mはビックリ。インターハイは勝負をしたいし、記録も70mが目標です。でも、70mを投げるにはやっぱり、投てき練習が少ないですね」
インターハイ南北関東大会に来たのは2回目ですが、今回、タイムテーブルを見て種目を兼ねる選手のことをよく考えているな、と思いました。スプリント種目とリレー種目、スプリント種目とハードル種目、スプリント種目と走幅跳、中距離種目と長距離種目。兼ねるケースは色々ありますが、どのケースでも負担を考慮して組んであります。そのことを水城、O村の両専門誌ライターに話すとやはり、同じ印象を持っていたようです。
O村ライターによれば、4日間開催となってほとんど変わっていないと言います。ロングスプリント種目は準決勝を行いませんし。唯一、女子の七種競技の選手でハードルや走幅跳と兼ねる選手がきついかもしれないとのこと。それでも、日本選手権よりもしっかりと考えているのでは? という意見もありました。
ただ、インターハイは種目を兼ねるパターンを考慮すればいいのですが、日本選手権はスター選手の出場種目、重点種目を考慮しないといけません。そのへんは、競技役員的な感覚ではできません。ファンの視点になれる人でないとダメでしょうね。
◆2007年6月18日(月)
14時半まで自宅で仕事。昨晩書いた某サイト用の原稿を見直し、写真も入手して送信。
TBS世界陸上サイトの選手プロフィール「WhoAmI 」も3人分、昨晩中に書き上げてあったので、これも見直しをして送信。単なる略歴紹介にしないで、キーワードに沿って紹介をしたり、選手の人柄が垣間見えるエピソードを入れたりするように工夫しています。これが楽ではなくて、全員がそうできるかどうかはわかりませんが、取材をしたことのある選手や、視点を見つけられた選手はその書き方にしていこうと思っています。今日でマラソン10人と一般種目6人が送信済み。ちょっとずつ、アップされていくはずです。
16時から岸記念体育会館の記者クラブで、日本選手権の記者発表。今年はスケジュール調整がつかなかったのか、選手たちの会見はなし。取材を申し込むほどではないのですが、S選手と接触できる機会があったら、ちょっと聞いてみたいことがあったのですが。
記者発表は30分くらいで終了。読売新聞・大野記者に、札幌ハーフマラソン前々日のマラソン・シンポジウムについてちょっと質問。そのまま記者クラブに残って、テレビ雑誌用に日本選手権の展望記事を2時間くらいで書き上げました。難しかったのは標準記録A・Bの違いの説明。短い文字数で収めるのは至難の業でした。
朝日新聞・堀川記者とは丹野麻美選手の話から、インターハイ女子短距離3冠の磯崎公美さんの話になり、同2冠の江口三佳子選手にも話題が移りました。
陸上競技とは関係ありませんが、同記者は東京新聞で7月から4コマ漫画として連載されるはちびまる子ちゃんが気になると言い出しました。4コマ漫画を毎日書くのは大変だろうという話になって、そういえば寺田の日記も最近、キレがなくなっているという反省も出ました。やっぱり、取材で外に出て刺激を受けないとダメですね。日本インカレとか、書きたいネタはたくさんあるのですが。「監獄」状態ではダメだということです。
その後、TBSとはまた別のサイト用に選手プロフィールを5人分、書きました。これは約4時間。場所も途中からスタバに移してどうにか、一通りは書き終えました。ただ、書き直しをしないといけない選手も1人か2人ありそうで、もう少し時間がかかりそう。
新宿の作業部屋に場所を移して、まずはこのサイトのメンテナンス。
夕食をはさんで、また別のサイトのデータ更新作業。これが約4時間。
それでも、珍しく今日は、自身にノルマと課した作業を全部終えられました。日記の空白分や日本インカレの記事なんかも書きたいのですが。明日からは2日連続で遠出をして取材。ノルマも300行と150行。
◆2007年6月19日(火)
13時過ぎに北越谷の文教大に。日本インカレにおける盗撮・透過撮影防止対策について、梶原洋子先生(元800m日本記録保持者)に取材をするためです。写真を撮らせてもらって、インタビューを約1時間。あっという間に時間が過ぎました。ただ、今回ばかりは内容が内容だけに“面白い話”ではありません。先週取材をさせてもらった2人の選手の話と合わせて、女子選手にとって悲惨な現実をやっと認識できたといいますか…。健全な世界に生きていますので、そんな世界があるのか、そういった輩がいるのかと、驚かされました。
しかし、日本学連の取り組みの結果、昨年よりもそういったことをする輩は減っているようです。透過撮影防止インナーも開発されましたから、選手のストレスも軽減されます。詳しくは本サイトで記事にしますので、もうしばらくお待ちください。
というか、今日中にその記事300行を書く予定でした。今日が締め切りというわけではないのですが、明日以降の仕事のことを考えて、自身にノルマとして課していたのです。その方法で、昨日はなんとかこなしましたからね。取材後に北越谷駅前のドトールで1時間20分で40行を進めました。書き始めは時間がかかります。帰りの車内で40行。
新宿の作業部屋にもどって、いくつか急ぎの仕事を片づけました。午後の7時半頃に電話で、オファーを受けている某サイトの仕事に関して、先方と内容を最終的に確認。あとはギャラの折り合いがつけばゴーサインが出るはず……でしたが、1時間後に提示された金額があまりに低かったため、お断りしました。全体的な監修作業と文字数は少ない10本の原稿でしたが、1本を書くのに調べ物も必要だし、気合いを入れないと書けません。その作業を忙しい7月に10本入れるには、それなりの覚悟が必要になります。その覚悟をさせてくれる金額ではなかった、ということです。
などという話に時間を使い、また、請求書を書くのに1時間半、テレビ雑誌の日本選手権展望原稿の手直しに30分を要してしまいました。日本インカレの盗撮・透過撮影防止対策の記事に、なかなか取りかかることができず、2部構成の前半を書き終えたのが朝の2時。請求書をポストに投函して、日本選手権関係の仕事をちょっとしていたら3時。明日は福島大の公開練習取材。朝も早いので、原稿の後半は明日に持ち越しです。
神戸新聞の大原記者の超大作記事について触れたいと思っているのですが、このネタも明日以降に持ち越しです。
◆2007年6月20日(水)
13:30から福島大公開練習の取材。公開練習って、寺田は好きです。試合よりも近い位置で選手を見られます。試合では競技の合間にコメント取材をしないといけませんが、公開練習は“同時進行”がありません。ということで今日も、練習中はカメラマン&“観練”に徹することができました。テントも用意されて日陰もありましたし。
それにしてもすごかったのが報道陣の数。約40社、45人が集まったとスズキの馬塚広報が言っていました。福島大TCの坂水広報と2人が協力して、この膨大な数のメディアを仕切っていました。受付時にインタビューを希望する選手を聞いて、一覧表らしきものを作成して練習後の取材の段取りを決定していましたが、手際が良かったですね。福島大TCが広報を置いたのは大正解。もしも、今日くらいのメディアを川本監督が仕切ったら、かなり大変だったと思います。
練習後のインタビューの流れが、本当にスムーズでした。池田選手のテレビ用の共同取材を最初に行い、その後はペン記者用に杉森美保選手、中村宝子選手、久保倉里美選手、佐藤光浩選手、青木沙弥佳選手という順番で囲み取材。丹野選手は教育実習中で不在でした。その間に池田選手は、個々のテレビ取材を受けていて、最後にまたペン記者用のカコミ取材。
池田選手以外は希望するメディアが少ないこともあるわけです。実際、青木選手は中日新聞系記者が中心でした。それだと、池田選手以外は複数選手のカコミが同時進行するかな、と覚悟していましたが、これが1人1人進行してくれました。各選手の練習終了時刻が上手い具合にずれていたからかもしれませんけど、本当に助かりました。
はっきり言って、これまでの公開練習取材で一番良かったと思います。
今日一番感じたのは、青木選手の受け答えが変わってきたかな、という点。そういう年頃なのでしょう。3年生になって福島大の環境にも慣れて、400 mの自己記録(学生歴代2位)も出て、400 mHの歩数変更にも意欲的に取り組んで。自信がつき始めているのではないでしょうか。選手が成長が感じられると、取材をする側も調子に乗ってきます。ちょっと調子に乗りすぎて、久保倉選手との動きの違いを質問した記者がいましたが、それは、選手本人が言うべきことではなかったかもしれません。と、その記者は反省していました。
今日は100 m日本記録保持者の二瓶秀子さんも姿を見せてくれました。栗本佳世子選手にアドバイスをする(写真)など、コーチ役もしっかりとこなしていました。やっぱり、川本理論の一番の理解者ですから。二瓶選手と地元テレビ局の方と3人と話していて、最近の福島大関連特集番組について話題にしました。
本音をいえば木田真有選手や久保瑠里子選手の話も聞きたかったのですが、それは欲張りというもの。今日は中国新聞の回し者ではなく(たまに、同新聞の回し者になります)、別の社の仕事がメインでしたから。ただ、18:37発の電車に乗ったのですが、時間があと10分ずれていたら木田選手の話も聞けたかな、というのが唯一の心残りです。“キタキツネ走り”復活前夜の様子を聞きたかったですね。
22時前に新宿作業部屋着。日本インカレにおける盗撮・透過撮影防止対策についての記事を書き上げましたが、時間は夜の3時。ノルマが1本、丸々手つかずでした。明日頑張りますが、ちょっとずつずれ込んでいきそうな雰囲気です。明日は北海道ツアーの予約をとらないと。イギリスへの送金は、金曜日に延期しましょう。
◆2007年6月21日(木)
自身に課した原稿のノルマも気になるところですが、今日はスケジューリングを優先。7月の仕事予定を上手く調整しないと、ヨーロッパ取材に行くことができません。
フリーランスなら簡単に都合をつけられるだろうと考えられがちですが、それは違います。仕事を断れば行けるのですが、なかなかそうも行きません。自営業者は極力広く仕事を受けながら、日本で仕事をしない期間を取らなければいけないわけです。社命で「行け」と言われる社員の方が行きやすいと思いますよ。その分、選択権はないのですけど。
ということで、陸マガ高橋編集長に7月の予定を2度も確認。1つ大きな仕事があるようですが、日本選手権自体の仕事はありません。世界選手権増刊も1本だけ。陸マガ以外の仕事があるなら、そちらで頑張らないといけないという事情もあります。ということで、一昨日断ったオファーが、倍額で再提示があり受諾しました。
4月以降、マラソン関係者への取材がほとんどできていないので、7月6〜8日と札幌に行くことにしました。経費100%自己負担の取材です。北海道の格安ツアーをネットで探しましたが、3万円台のところはホテルでのネット接続ができるか不安。4万円台のツアーにしましたが、8日の帰りの便が満席です。あれこれ調べ直すよりも、1泊多く泊まることにしました。
ヨーロッパはおそらくマドリッド(21日)、モナコ(25日)、ヒュースデン(28日)を回ることになりそうです。
原稿がまったく進みませんでした。昨日一通り書き上げた盗撮・透過撮影対策の原稿の手直しができただけ。TBSのコラムもネタは醍醐選手と決めているのですが、書き出せませんでした。これは、明日以降が大変です。
帰路、為末大選手の「日本人の足を速くする」(新潮社)を半分まで読みました。筋力でなく技術で走るこつをつかんだのが2003年の冬だと、はっきり書いています。為末選手はその後も、いろいろな動きを試しているはずですから、現在まで行い続けている基本原理を発見したということでしょう。ハイハイ走法なども、その延長線上にあるわけです。
読んでいてふと、これは指導者的な発想ではないか?と思いました。現役時代はそこまで明確に自身の分析ができていなくても、引退して指導者になると、自身の現役時代を明確に分析できるようになる。特徴をデフォルメして説明できるようになる。若手指導者と話していて、そう感じることがよくあります。
為末選手は現役のうちにそれをやってしまえるようになった、ということだと思います。そこが、自分のコーチは自分で、こんな楽しいことを他人に任せる気がしない、と言い切る為末の面目躍如の部分でしょう。
◆2007年6月22日(金)
午前中に電話取材、昼が某社の日本選手権展望原稿締め切りで、作業部屋に行く時間がなく、自宅で仕事をしました。14時頃に送信。
続いてTBSのコラム。第5回は醍醐選手と決めていました。大阪GPのとき(正確には1週間後くらい)から“足首”をテーマに書けるのではないか、と感じていたのです。先週のインターハイ南北関東大会で福間コーチ(県横須賀高)と話をしていて、ネタ的にも補足することができ、こちらの頭の中も整理することができました。
ただ、陸上好きの読者に満足してもらうことも大事ですが、テレビ局のサイトですから若葉マークの読者にも面白く読んでもらうことが重要です。技術的な話にメンタル面の要素を加えて書きました。
同選手ではまだ、とっておき……というか、いくつかの条件が整ったら出せるネタもあります。
夕方に電話での取材と打ち合わせ。
世界選手権前の仕事が2つ、打診がありました。1つはまだ、具体的な作業がイメージできない段階ですが、もう1つの方は作業量が1.5倍に増えました。どないしよう。
北海道取材とヨーロッパ取材にどこまで、資料を持って行けるかも考えないといけなくなりました。あまり仕事を抱えずに行って、現地で時間ができたら優雅に過ごそうなどと考えていたのですが……。為末大選手の妄想は実現するようですが(「日本人の足を速くする」参照)、寺田の妄想は実現した試しがありません。陸上競技で食べていく、という妄想は実現しているわけですが、厳密に「食べている」と言えるかどうか……。定義によりますね。
TBSコラムを21:20に送信。1時間ほどテレビを見ながら休憩後、同社サイトを見ると早くもアップされていました。寺田が仕事をさせてもらっているWEBサイトで、1つだけ直接更新できる社があるのですが(担当の一部分だけですが)、それを除くとTBSの対応が一番速いですね。
おっと、主力選手の「WhoAmI」も進めないと。
23:30頃に、久しぶりに自宅近くのファミレスに。「日本人の足を速くする」を読み終えました。ヘルシンキの銅メダル獲得後、フラットレースに専念した結果、ハードルに対して脚が上がりにくくなりました。終盤のストライドが広くなり歩数を変更する戦略も、“9・10台目は意識が朦朧としていても正確に跳べる”という特徴を否定するやり方です。新しいことに挑戦する生き様が、競技にストレートに出ていますね。
為末選手の本を読み終え、パソコンを取り出そうとしていたら、「ラストオーダーですが」とウエイトレスのお姉さんが声を掛けに来ました。以前は24時間営業だった店が、午前2時までに変わっていたのです。ここで日記を書いて、池田選手の原稿を書いて、と考えていたので、リズムを崩された感じです。こういった事態に対応できないと、強い選手にはなれないのだな、と感じました。残念ながら、強くなれませんでした。が、気持ちの切り替えも大事です。
◆2007年6月23日(土)
日本よりも1週間早く、全米選手権(米国陸連に成績)が開催されています。地元世界選手権イヤーということで、日本の各メディアも五輪イヤーなみの力の入れ方です。それらの記事を読んでいて「あれ?」っと思ったのが、男子100 mのゲイが“ルイス以来の全米2連覇”という部分。去年の全米勝ったのって、ゲイでしたっけ?
そうです。ガトリンのドーピング違反が発覚し、優勝を取り消されていたのです。ガトリンが9秒93(−1.2)でゲイが10秒07。ここまで差が大きいと、2位が誰だったかまでは印象に残りません。
寺田が一番に感じたのは、アメリカは後で成績を調べるのが大変だな、ということ。陸マガの名鑑や某サイトの選手データ更新の仕事で、よく日本選手権の成績を専門誌を見て調べます(そのためにコピーが取ってあります)。その成績が後から変わっていたら、かなり大変な作業になります。
確かに、世界選手権やオリンピックでも一度成績が確定してから(専門誌に成績が掲載されてから)、ドーピングで失格になって順位が繰り上がるケースがあります。そういったケースでも、国際陸連のサイトやATFS年鑑では繰り上がった順位が掲載されるので、まだ対処はできます。
仮に日本選手権の順位がドーピング違反者が発覚して後から変わったとしたら、作業がどうこうと言う前に、悲しいですね。
それはともかく、今回のゲイ選手の9秒84は向かい風0.5m。パウエル選手の3回の9秒77は追い風1.6m、1.5m、1.0m。これは、可能性が出てきましたね。でも、向かい風世界最高ではありません。グリーン選手が向かい風0.2mで9秒82で走っています。
ただ、このレベルになるともう、誰が強いとかを机上の比較で論じるのは意味がないでしょう。直接対決でしか雌雄は決することができない。大阪世界選手権の注目種目が増えたということです。
ところで、その世界選手権に向けて、ストップウォッチを買い換えようと思っています。現在使っているのは、懐中時計タイプがSEIKOのINTERVAL
TIMER(いただき物です。セイコーエスヤードWEBにあるのとちょっと形が違うので、旧タイプでしょうか)で、腕時計がTIMEXのロンドン・マラソン記念ウォッチ。
ずいぶん昔に書いたと思いますが、ロンドン・マラソン記念ウォッチはメモリーが8個まで。400 mHのタッチダウンも測れません。INTERVAL TIMERも、2つめのレースを計測しようと思ったら、1本目のメモリーがリセットされてしまいます。取材中にその都度、ノートに書き写さないと、次のレースが計測できなかったのです。そんな環境でよく取材ができたな、と言われそうですが、なんとか頑張れてしまったわけです。弘法筆を選ばず……と書いてあるのは忘れてください。
しかし、地元世界選手権はかつてないほどハードな取材になるかもしれません。為末大選手も出場するでしょうから……というのも忘れてもらって、少しでも環境改善を図ろうと考えた次第です。
この際だから高機能のものを買おう、と考えました。1万2000円を出せばSEIKOの3段表示懐中時計タイプ(システムウォッチ=セイコーエスヤードWEB)が買えます。これだと、ランニングタイム、通過タイム、LAPタイムと3つが同時表示できる。長距離種目の通過&スプリットタイムをメモするのに表示を切り換えなくてすむのです。ブロックメモリー機能(計測したデータをブロックとして残したまま次の計測を別ブロックでメモリーしていく機能)もある。
ただ、INTERVAL TIMERが重さ60g。首からかけても重く感じませんが、100gとなるとちょっとどうでしょう。発売時期も数年前で、もうすぐパソコンに接続できる後継機種が発売されそうな気配があります。
CASIOにも3段表示で4000円台のものがありましたが、ブロックメモリー機能がないのではないでしょうか。重量もかなりありそうです。
腕時計タイプ(セイコーエスヤードの腕時計製品)で3段表示機能のあるものはないようですが、最近のは途中計時を押すと通過タイムとLAPタイムが数秒間表示され、その後ランニングタイムと通過タイム(またはLAPタイム)に切り替わります。それだったら、長距離種目の取材にも困らなさそう。たぶん、ブロックメモリー機能の付いているスーパーランナーズか、スーパーアスリートのどちらかを買うと思います。
◆2007年6月24日(日)
日本選手権を10倍楽しむページを今年も作りました。例によって(「スパイ大作戦」の口調で)、“※順位予想、日本新記録確率等に目くじらをたてる方は閲覧不可”という注釈を付けさせていただきました。そんなもの付けなくてもいいじゃないか、と言われることも多々ありますが、これは付ける必要があるのです。
その理由は選手・指導者と、メディア・ファンの感覚の違いです。
当たり前ですが、選手・指導者は100%勝つ気で頑張っています。負けることなど微塵も考えていない。しかし、この手の企画をやるとなると(盛り上げるためには必要だと思っています)、どうしても勝ち負けを予想しないといけません。
日本記録確率も同じで、選手・指導者は日本記録くらいは絶対に出す、という意気込みでいます。でも、客観的に判断して、そういった選手全部が日本記録を出せるわけではありません。
必ず、腹を立てる関係者がいるのです。メディアの存在価値を勘違いしている指導者も散見されます。「笑顔での抗議は歓迎です」と言っているのは、そういう人はメディアの存在意義をわかっていると思うからです。
全米選手権で“まさか”が起こりました。一昨年の世界選手権を最後に、女子400 mで不敗を続けていたサンヤ・リチャーズ選手が4位と敗れたのです。同選手が3月に来日したとき取材をさせてもらいました。忙しい合間を縫ってのインタビューでしたが、こちらの質問に丁寧に答えてくれて、好感が持てました。
そういった個人的な思いは別にしても、あれだけの力を示していた選手が出られないのは残念です。200 mで代表になる可能性は残っていますし、4×400 mRには出られますが、やっぱり400 mのリチャーズ選手を見たかったですね。
改めて感じたのが、アメリカの一発選考システムの厳しさ。昔の実績はともかく、リチャーズ選手の現時点での力は間違いなく4位。決められた試合に合わせる能力がなかったということです。
しかし、同じことを日本に導入するのがいいかどうかは別問題。アメリカの女子400 mはリチャーズ選手以外もA標準突破者が何人もいるという現状があります。日本では、そういう種目はほとんどありません。マラソンだけがそれに近い状況です。だから、マラソンだけは一発選考がベターなのです(寺田は陸連推薦枠1、選考レース上位2名がいいと思っています。オリンピック選考は。世界選手権は5名なので、逆に選考レースを多くして門戸を広げた方がいい、という考えです)。
一般種目に関しては、日本の選考方法は現状に合っていると思います。日本選手権を最重要選考会にしていますが、有力選手がケガをして日本選手権で負けたり、最悪出られなかった場合のことも考慮しています。実際のところ、室伏広治、末續慎吾、醍醐直幸、澤野大地、池田久美子といった選手たちを落としたら、その種目は世界で戦えないでしょう。選考方法というのは、現状に即して考えるべきだと思います。
◆2007年6月25日(月)
今日はヨーロッパで取材を予定している3大会に、取材申請を出しました。正確に言えば取材申請はどうすればいいですか、という問い合わせのメールです。朝日新聞・小田記者のとった方法などを参考にさせていただきました。英語のメールですが、昨年までの文面がありますから、ちょっと修正して送るのはそれほど大変ではありません。
苦労したのはホテルです。モナコは超人気観光地&避暑地ですから、7月下旬にホテルが安い値段で予約できるわけはありません。一応、2泊で3万8000円というところを抑えましたが、ちょっと痛い出費です(ドーハよりましですが)。
マドリッドは1泊6200円の古そうなホテル。ネットができないかもしれません。
ハッセルト(ナイトオブアスレチックはハッセルト近郊のヒューズデンゾルターで開催)は昨年と同じエクスプレス・ホリデイインを予約できました。大会本部ホテルのホリデイイインより格下ですが、歩いて5分くらいの距離にあって問題ありません。14日以上前の料金ということで、50ユーロちょっと。これは助かりますが、ネット接続は12.5ユーロ(たぶん1日)。ヨーロッパのホテルは有料接続が当たり前になっています。その点、日米は無料というケースが多いと思います。アメリカはシカゴにしか行ったことがありませんけど。
昨日で終了しましたが、今日も全米選手権の話題です。400 mのウォリナー選手や400 mHのジャクソン選手が、同選手権を欠場していました。世界選手権の前回優勝者で、すでに出場資格を持っているからですが、これには賛否両論があると思います。
アメリカはレベルが高いので、出場したらかなりのエネルギーを費やしてしまうし、最悪故障をする危険性と紙一重である、というのが欠場への肯定的な見解です。全米選手権で頑張っても収入はそれほど増えないけど、世界選手権で頑張れば違ってくるのが現実なのかもしれません。
欠場に対する否定的な見解としては、“全米ナンバーワン”を決める大会を、世界選手権に出られるからという理由で欠場していいのか、という考え方。日本の陸上ファンの感覚としては、日本選手権をメダリストが2人も3人も欠場したら寂しく感じます。たとえ専門外種目で出場していたとしても。
一発選考という世界に類を見ないシステムのせいで、“全米一決定戦”という部分よりも、“選考会”の色合いが強くなってしまっているように感じました。
一昨日言及したドーピングの他にも、記事を読んでいると、信じられないことが多々あるのがアメリカの陸上界。男子400 m優勝のテイラー選手(シドニー五輪400 mH金メダリスト)が未成年の女性に悪いことをしたことがあるとか、100 m&200 m2冠のゲイ選手のコーチは刑務所に入っているとか。
どんなにアメリカの陸上が強くても、日本の陸上界の方が好きですね。
↑最後の部分、軽率な記述でした。指摘をしていただいて気づきました。猛反省をしています。
◆2007年6月26日(火)
7月の仕事のやりくりと、今日明日の原稿をどうこなすか、TBSの次回コラムを誰にするかで、夕方まであれこれ悩んでいました。もがき苦しむだけで、どれも結論が出せません。
この辺が自分の悪いクセ。取材だったら予習に時間をかけすぎ、企画立案も細部まで考えすぎ。どうせ、あれこれ考えてもさして変わらないのだから、ぱぱっと決断をしていけばいいのに、と自分のことながら思います。
それでも、適当に考えてやっているな、という人間を見ると腹立たしさを覚えるんですよね。
18時くらいに意を決して電話を2本。気持ちに踏ん切りがつきました。
20時までに原稿も1本書いて、少しすっきりしたので、イギリスへの送金とストップウォッチ購入をするために新宿駅方面に。イギリスへの送金というのは、皆さんにご購入いただいたAthletics2007の代金を、版元に払うためです。今日、ポンドがちょっと下がったので、この機を逃すなとばかりに郵便局に……行こうとしましたが、念のため電話をすると、為替送金の扱いは18時までだそうです。
気を取り直してビックカメラに。腕時計タイプのスーパーアスリートを購入しました。スーパーランナーズよりも画面表示が見やすかったので。
読売新聞記事に、世界選手権の地元枠活用について、活用する意向であると陸連の見解が出ていました。予想されていたこととはいえ、陸連幹部がここまで明言したのは初めてだと思います。
ということは、B標準突破選手が日本選手権に優勝すれば、全員が代表になれるということではないでしょうか。標準記録未突破者が代表に選ばれて、突破者が選ばれなかったら怒りますよね。A標準選手が2・3位に入っていれば別ですけど。
と考えられますが、これは陸連が明言したことではありません。選考基準の文章を見る限り、自動的に代表に決定するのはA標準突破済みの優勝者だけ。残りは日本選手権後の選考で決まります。B標準でも昨年の世界リストで何番以下だからダメ、という理由が出てこないとも限らない。早合点するのはやめましょう。
モナコSGP主催者からメールの返信。取材申請書をPDFファイルで送ってくれましたが、これは某記者から入手済み。期待したのはホテル予約でした。
「極東の島国からわざわざ来るんだったら、大会本部ホテルを特別料金(1泊3万円の部屋を8000円とか)で泊めましょう」という申し出があるかと期待していたのですが……ホテルに関してはまったく触れていません。大会サイトにホテルの一覧表が出ていますから、そこに各自で連絡しろということでしょうね。それらのホテルが高いのは目に見えています。
◆2007年6月27日(水)
朝の9時に三井住友海上・鈴木秀夫監督に電話取材。TBSのコラムに土佐礼子選手について書くためです。短い時間でしたが、面白いお話しを聞かせていただきました。
続いてネットのチェック。室伏由佳選手が日本選手権ハンマー投を欠場することを、自身のサイトで公表していました。今季、円盤投では日本記録を2回更新。その陰に隠れていましたけど、ハンマー投ではずっと苦労をしていました。数年前(たぶん2003〜04年頃)、「どちらかの種目に絞らないのか」と記者から質問が出ると必ず、2種目とも頑張ると答えていました。苦悩の末の決断だったと思います。
メールでもサプライズなニュースが飛び込んできました。これは個人的な話に属するニュースなので公開できませんけど、陸上界とも大いに関わりがあります。
ちょっとの休憩時間をはさんで各方面と電話連絡。日本選手権前の取材が1本、入っているのですが、スケジュールが確定しません。
15時から外出。昼食後に新宿郵便局に。Athletics2007の代金をイギリスに送金しました。昨日下がったポンドも再上昇。結局、1ポンド=249円76銭でした。ここ1カ月、ほとんど毎日に近いくらいポンドは上がっていましたから、下手に様子など見ずに、請求書が来たらすぐに送金した方が安くついたと思います。大失敗。
しかも、送金手続きが昨年と変わっていました。同じ用紙なのに、差出人の住所が証明できる身分証が必要になっていたのです。寺田の場合、新宿の作業部屋は単に借りているだけ。1人で仕事をしていますし、法人でもありません。社員証がある身分ではないのです。
しかし、イギリスとのやりとりは新宿の住所で行なっています。自宅の多摩市の住所を書いたら、先方が混乱するだけ。その事情を話すと「だったら郵便局からは送れません」という冷たいひと言。書き直して注釈を記入すれば解決することだったのに。時間は10分近く余分にかかりましたけど。
結局、待ち時間も入れて郵便局で50分を要してしまいました。郵便局を出てすぐに日本選手権の仕事について某社に電話を入れましたが、声のテンションが低いとすぐに悟られてしまいました。
続いてチケットショップで新大阪までの回数券を購入。JRみどりの窓口では、別の経路の切符を購入。
電話連絡をいくつかして、最後はHISに。ヨーロッパ往復の航空券を手配するためです。往復だけの金額と、ヨーロッパでのワンフライトを含める金額と2種類を提示してもらいました。ただ、購入の際にはどちらにするか決めないといけないのだそうです。日本との往復だけを先に購入して、後からヨーロッパ内のワンフライト追加は不可。できることはできるのですが、金額が大きく違ってきます。ということで、保留にしました。
19時に作業部屋に戻って、土佐選手のコラムを書き始めました。
21:30頃にM氏に電話。40分ほど話し込んでしまいましたが、将来につながる有益な話し合いだったかもしれません。
日本選手権に持っていこうと考えていた、テレビ録画機能付きノートPCが不調。テレビチューナーユニットを認識するドライバーが破損しているようです。もしかして、再インストールが必要かも?
土佐選手のコラムは2時に書き終わりましたが、一晩寝かせることに。
◆2007年6月28日(木)
今日も朝の10:30に電話取材。難しいテーマの取材で、少し苦戦しました。
続いて本サイトのメンテナンス。
朝の電話取材の原稿を書き始めましたが、なかなか進みません。明日からは日本選手権。今晩、大阪入りしたいと考えていたので、かなり焦っていて、それも原稿の進まない一因です。
土佐選手のTBSコラムを忘れてはいけません。1時間半くらいかけて仕上げて、15時くらいに送信。
原稿が進まないのはヨーロッパ取材の段取りを同時進行しているせいもあります。
マドリードからは大会本部ホテルが予約できるとメールで言ってきましたが、1泊135ユーロ。高すぎます。抑えてある6200円の古いところにするか、迷いますね。
午後もヨーロッパ取材の段取りで関係各方面に電話。HISには航空便のいくつかのパターンを出してもらいました。今回は現地での移動も、ユーレイルパスではなく飛行機が中心になりそう。
17時くらいから朝の電話取材の原稿が進み出したと思ったら、HISから電話が。判断しないといけないことが山積しています。
19:30に補足の電話取材。それで一気に原稿は進みましたが、その時点で大阪行きは断念。最悪、20時には新宿の作業部屋を出ないと最終の御堂筋線に間に合いません。原稿も結局、22時近くまでかかりました。
24時くらいまで出張準備。主に、持っていく資料を絞る作業です。選手個人個人のファイルがありますが、全部持っていこうとするとかなりの重量になります。最近の記事だけを上手く分けておく方法って、ないのでしょうか。良い案がある方はメールください。
2:20まで日本選手権展望記事を書きました。短距離と中距離まで進みました。2時間で10種目は速いのか、遅いのか。そして、明日の移動中にどこまで進められるか。
25日の日記の最後の部分の記述に関して、アメリカ在住の方からご意見をいただきました。深く考えずに「日本の陸上界の方が好き」だと書いてしまいましたが、これは公正な立場に身を置く記者として、あってはならない記述でした。
まずは、陸上界に犯罪者がいるのは日本も同じではないか、という指摘。確かにその通りで、セクハラ教師や暴力行為などをした陸上関係者のニュースが過去にありました。アメリカの陸上界には犯罪者がたくさんいて、日本の陸上界にはいないような書き方をしてしまったことは純粋に間違いです。訂正して、お詫びを申し上げます。
それよりもいけないのが、相互理解をしようとする姿勢がなかったこと。いい加減な知識をもとに、「日本の陸上界の方が好きだ」という記述をしていては、相互理解や陸上界の発展につながらないのではないか、という指摘です。
ドーピングで汚れたイメージのあるアメリカですが、実際には一部の選手だけで、多くの選手は浄化活動に協力を惜しんでいません。一部の人間の悪いところを見て、その国や社会全体をこうだと決めつけることは、戒めるべき行為です。例えば、あるテロ犯罪の犯人がイスラム教徒でも、イスラム教徒全部がテロリストではないのと同じ理由です。
実際、ゲイ選手のコーチの罪は、選手たちの環境を整えるためだったそうです。選手を資金面でサポートするために、教授や助教授のアシスタントとして登録させ、お金を渡します。実際に選手たちがアシスタントをしなければならない時間を陸上の練習にあてさせていた。それで業務上横領の罪に問われたのだそうです。
「日米陸上界の良し悪しを指摘しあうのではなく、陸上界の発展、そして陸上の魅力を伝えるために、書き手は視野を広げていくべきなのではないか」との指摘で、自身が日本の陸上界のことしか考えていなかったと、痛感させられました。社会問題でも経済問題でも、日本だけ良ければいいという島国的な考え方では結局、根本的な部分での解決はできません。
わずか数行の記述ですが、いかにいい加減な態度で仕事に臨んでいたかが、如実に表れていました。これを機会に、襟を正して今後の活動に臨もうと決意を新たにいたしました。
◆2007年7月7日(土)
昨日から札幌に来ています。明日の札幌国際ハーフマラソンの取材のためですが、本当の目的は長距離関係のネタを仕込んでおくこと。4月以降、トラック&フィールドのシーズンに入り、長距離関係の情報の整理がおろそかになっていたのです。世界選手権前に長距離関係の取材が一番できるのが今回の札幌ハーフだと思い、札幌3泊4日で4万円台のツアーを見つけ、完全自腹取材を敢行中というわけです。完全自腹出張は観光もできますが、そういうときこそ自由な取材ができるので、よりどん欲に仕事に打ち込んでいる……と言えるのか、書いていてちょっと不安になりました。
今日は16時から前日会見。午前中に円山競技場に行って前日練習を取材することもできましたが、たまっている原稿を進めることを優先。まだ、日本選手権で書けていないものもあり、北海道まで持ち込んでいます。
ということで、日本選手権から“いっぱいいっぱい”の状態になって、日記が書けませんでした。日本選手権初日の日から、簡単に振り返ってみましょう。1日3行を目安にして書きます。
◇2007年6月29日(金)
日本選手権初日。優勝者予想で唯一、外したのが男子5000mの松宮隆行選手。ロッテルダム・マラソンで2位になったあと、休養してからトラックを始めたはず。1万mは優勝者に予想しましたが、5000mまでスピードが戻っているとは思いませんでした。でも、よく考えてみれば、切り換え能力が元々の持ち味。松宮選手の今回のような場合、俗に言う“スピードが戻る”ということとは、ちょっと違うのかもしれません。
女子3000mSCでは、最初から飛ばした早狩実紀選手にも驚かされましたが、2位の辰巳悦加選手のB標準突破も嬉しいサプライズでした。ミックスドゾーンに行くと、目を真っ赤にしている男性がいます。すぐに和光アスリートクラブの上野監督だと直感しました。面識はなかったのですが、一度メールをもらったことがあります。
感極まっている様子が見て取れたので声をかけるのはためらわれましたが、このチャンスを見逃したら記者魂(なんてものは普段は持っていないのですが)がすたると判断し、取材をさせていただきました。やはり、スターツから独立後、少ない予算で活動を続けているので、その辺の苦労話が中心になります。選手に“大変な思いをさせている”立場ということで、そういった部分の意識がスタッフ側には強くなります。今回、世界選手権の代表入りをすることが、スポンサー獲得のための千載一遇のチャンスだという思いもありました。
辰巳選手にも話を聞きましたが、選手の側は“大変な思いをさせられている”という意識は小さくなります。そう考えたら競技に前向きに取り組めません。“この指導者と一緒に頑張るんだ”という意識です。上野監督とは対照的に、涙はありませんでした。「チームの存続のために」という気持ちもあったようですが、レースが近くなるにつれて、純粋に競技者として結果を出す気持ちが大きくなっていたと言います。
もちろん、上野監督も指導者として、トレーニングで水濠越えの練習を工夫するなど、競技的な部分のアイデアも出して頑張ってきました。涙の有無は、上述した立場の違いがあったからです。
◇2007年6月30日(土)
日本選手権2日目。昨日に続いて優勝者予想で外したのは1種目。女子やり投の吉田恵美可選手です(北京五輪B標準突破。女子やり投は世界選手権よりも下がります)。全種目の簡単な記事と個人的な懺悔 2日目 にも書いたと記憶していますが、我々の予想なんてものは所詮、過去の試合実績でしか判断していません(たまーに、選手の特徴や性格なども加味しますが)。その選手が試合までにどう伸びるか、という部分は予想できません。練習を見ているわけでもありませんし。その辺が、現場を見ている選手・指導者とは違うところで、「違うんだよな」と言われてしまうところです。
取材終盤は男子400 mH、女子100 m、女子400 m、男子200 m、男子棒高跳、男子三段跳と注目種目が続きました。為末選手、高橋萌木子選手、丹野麻美選手、末續慎吾選手、澤野大地選手、室伏広治選手というところが次々に取材ゾーンに来るのです。
それで、男子三段跳で杉林孝法選手が6回目に16m90を跳んだシーンを見逃してしまいました。やっぱり、トラック&フィールドの取材って大変です。
解決方法はないのですが、今回はミックスドゾーンやインタビュールームにモニターが設置されていたので、取材をしながらレースを見ることも少しはでき、大変助かりました。テレビインタビューの声をスピーカーで、ペン記者にも聞けるようにしてくれたのは画期的(世界選手権プレスチーフ代理のケン中村氏のアイデアです)。テレビ→ミックスドゾーンのペン記者取材→インタビュールームの流れも良かったです。
春季サーキットでも実施してくれないかな、と思いましたが、予算的に難しいでしょうか。いや、春季サーキットが盛り上がって、観客がたくさん入れば可能になりますね。
取材がしにくかったのは、トップ選手と4位以下の選手をつかまえるケース。これも解決方法はないでしょうか。結局、トラック&フィールド取材は1人では厳しいということなんですね。
◇2007年7月1日(日)
日本選手権取材3日目。1・2日目までは「優勝者予想」で外した種目が1日1種目ずつでしたが、3日目は男子では100 mと800 m、女子では800 mと3種目を外してしまいました。何度も書きますが「優勝者予想」は優勝者を当てるのが目的ではなく、読者に楽しんでもらうのが目的。外したっていいのです。それに、そういったメディアの存在価値をわかってくれる選手・指導者もいます。
800 mの横田真人選手もその1人で「寺田的の優勝者予想を見て、覆してやろうと思っていました」と、笑顔で言ってくれました。陸マガのインカレ展望記事で取材をさせてもらいましたが、この選手はちょっと違うな、と感じました。現場感覚だけでなく、視点を大きくすることができる。
逆に、昨日の日記で書きましたが、優勝者予想を見て「違うんだよな」と言う選手・指導者は現場感覚が大きすぎる人。それはそれで強くなるには有効だと思いますが、優勝者予想のケースとは反対に、世間から見たら「ちょっと違う」と思われることもあります。どういう時に現場感覚を優先させるかのバランス感覚も必要でしょう。
◆2007年7月15日(日)
今日は成田空港で為末大選手の帰国を取材。南部記念とも重なっていますし、ヨーロッパでの成績も良くなかったので、取材に来る社は少ないだろうと思っていましたが、予想以上に多くて10社前後は来ていました。ただ、陸上競技担当記者は南部に行っているのか、知った記者さんは半分くらい。珍しいケースでした。
為末選手に会いに成田まで往復した目的は、「ユーロが余っていたら交換したい」と申し出ること。これって、法律違反じゃないですよね。買い取るというとやばそうな雰囲気もありますが、要は知り合い同士が、外貨と日本円を交換するだけですから。例えば、今日の成田空港の両替所では1ユーロが175.00円(売り)と163円(買い)でした。つまり、1ユーロ170円で交換すれば、双方にとって利益があるのです。
小学校の頃にゲームソフトの売買で儲けていた為末選手なら、飛びついてくるのでは? と考えたのですが、世界選手権後にもヨーロッパに行く予定があるようで、取引は不成立。成田まで行った意味がなくなる……わけはありません。
もう1つ重要な質問を用意していました。それは、デン・ハーグ(オランダ)の選手滞在先のアパートや、練習場所の位置をおおまかでいいので教えてもらうこと。そのために、オランダのガイドブックを持って行きました。これには成功。というか、ありがたいことに教えてもらうことができました。
デン・ハーグは人口50万人くらいでオランダ第3の都市。為末選手や澤野大地選手のエージェント会社(PSI)が本拠地にしている街。今回のヨーロッパ取材で行ってみる予定です。為末選手が無線LANがつながるカフェもあることを教えてくれました。これは貴重な情報です。安いホテルに泊まることもできますからね。
ということで、成田まで行った成果を挙げることができ、家路に着きました。
と、ここまでは冗談ですので本気にしないように。
今日がどうして南部記念でなく成田空港取材なのか。メダリストが悪い状態のときこそ取材をしておくべき、という考え……もありましたが、要は南部記念に行けなかったから。予算がないとか、3つか4つか5つくらい理由があるのですが、一番はヨーロッパ取材が迫っているからです。その前に片づけないといけない仕事が山ほどあって、泣く泣く北海道行きはあきらめました。
為末選手の帰国は数日前に決まったもので、当初から予定していたものではありませんが、こういうときこそネタをストックするチャンスです。TBSのコラムでもう1回、為末選手に触れたいとも考えていました。同選手のブログを読んでいたり、過去のパターンをいくつか思い出していて、突っ込みたい点が思い浮かびました。為末選手クラスになれば、そういった事柄が次から次に浮かんできます。
成田に向かうスカイライナー車中では、グラフまで書き出しました。せっかく行くからには、この機を逃さずにみっちりと取材をしたい。内心、かなり意気込んでいました。ただ、相手のコンディションもあってのことなので、疲れが見えたらそれほど突っ込まないようにしようと思っていました。この辺のさじ加減は、できているつもりです。
しかし、さすがは為末選手。カコミ取材の後も、雑談モードをつくってくれて、先に紹介したユーロやデン・ハーグの話もすることができたのです。
新宿の作業部屋に戻ったのが15:30くらい。そこから何度も何度も、南部記念の結果や世界選手権の追加代表選手の記事がないか、ネットを見続けました。意外と出てくれないものですね。一番早かったのが、スポーツナビの共同通信記事。個々の種目の記録や順位はまだ把握していませんが、短距離の追加代表の顔ぶれを見ると、日本選手権上位の選手が今日のレースでも来たようです。
もちろん、向井裕紀弘選手が入っていても、予想した範囲です。北風沙織選手の優勝も予想の範囲内ですが、高橋萌木子選手に直接対決で勝ったのは初めてでしょう。日本インカレで書けなかった記事を書くチャンスですが…。
◆2007年7月16日(月)
北海道陸協のサイトに南部記念の成績がアップされていました。
大橋祐二選手の13秒55(世界選手権A標準突破&日本歴代3位)は昨日のうちに聞いていました。タイム自体も良いのですが、“やるときはやる男”の内藤真人選手と0.03秒差というのも評価できます。
もう1つ驚かされたのは砲丸投・大垣崇選手の18m20。日本選手権で18m03を投げていて、日本歴代順位は4位というのは変わりません。ただ、今後への期待という点では、今回の方が大きくなったと個人的には感じています。大台を突破すると、しばらくは伸び悩むことも多いですから。
大垣選手の記録でもう1つの着目点は回転投法という部分。回転投法の日本最高は、前日本記録(18m53)保持者の野口安忠選手の18m29ですから、あと9cmと迫ったわけです。
野口選手について解説しておく必要もありますね。同選手は98年4月に日本人初の18m台となる18m31をマークし(東海大対日大。目の前で見ていました)、5月には18m53まで記録を伸ばしましたが、その頃はグライド投法でした。2000年5月に出した自己3番目の18m29が回転投法の最高記録だったのです。
つまり、野口選手は最初にグライド投法で18mを突破しているので、大垣選手が“自身初の18m突破を回転投法で果たした初めての選手”になります。南部記念ではなくて、日本選手権がそうだったわけですが。
男女の100 mは追い風のわりに記録が今ひとつ。円山は記録が出やすいのか、出にくいのかよくわからない競技場です。男女400
mの記録が悪かったのは、バックストレートの向かい風のせいでしょう。棒高跳の木越清信選手の優勝も、評価できるのではないでしょうか。さすが村木先生門下です。
◆2007年7月17日(火)
ヨーロッパ出発まであと3日。
今日はなんとか、自身に課したノルマを終えることができました。出発直前のこの時期に仕事がずれこむと、睡眠時間が削られて、体調が悪い状態で海外に行かないといけなくなります。あるいは、向こうに抱えていく仕事の量が増えてしまう。めちゃくちゃ集中しないといけない時期なのです。
それでも、請求書(5通)を書くのに3時間かかったのが計算外。時間かけすぎ、なのですが、いい加減な請求書は書けませんからね。今回のヨーロッパ取材では、旅行代理店が実際の金額より3万円も安い請求書を送ってきて、ちょっと不愉快な思いをさせられました。気を付けないと。
昨日は、大内さん(元大広。陸上界の功労者です)から電話。デン・ハーグについて貴重な情報を教えてくれたのです。ある有名な絵画について。寺田はそっち方面の知識が乏しかったのでピンときませんでしたが、陸上競技につなげることのできるネタです。これは、楽しみが増えましたね。旅に出発する前に、こういうことがあるから楽しいのです。
英国取材中のO田記者からも電話。現地の貴重な情報を教えてもらいました。
続いて、デン・ハーグのホテルも予約。デン・ハーグは予約なしで行って、現地で安いところを見つけようと思っていましたが、ネットで1泊60ユーロ、ネット接続も1時間1.5ユーロで可能という3★ホテルを発見(3★アスリートにはマドリッドで会うはず)。その前にチェックした別の2つのサイトでは、1泊1万5000円以上のホテルしかなかったのです。
これだったらいいだろうと思って予約してしまいましたが、考えてみたら60ユーロは1万円でした。どうもまだ、60ユーロ=7000〜8000円という感覚になってしまいます。
実は今回のヨーロッパ取材、先週の一時期はあきらめかけていました。仕事の進み具合が予定よりも大幅に遅れていたからです。もちろん、行かないことで迷惑をかけるクライアントもあるのですが、どうしようもないかな、と。木曜日には90%、取りやめるつもりでした。
それが金曜、土曜と仕事がちょっと進んだことと、TBS・S氏からヨーロッパ取材日記を書かないか、と提案があったことが追い風になりました。仕事の一部を振ることにも成功。なんとかなるかな、と土曜日の夜遅くに決断。航空券のキャンセル料は5万円ほどかかりますしね。
決断できると、一気にヨーロッパ・モードに入ります。昨年は“まだ見ぬ著名大会取材”がテーマでした。中・長距離で日本新が多く出ているナイトオブアスレチックやDNガランなどです。今回のテーマは……“小国巡り”にしようかな、と思っています。
ベネルクス3国にモナコ。ベルギー以外は滞在したことのない国々です。
ここが最新です
◆2007年7月18日(水)
陸マガ高橋編集長に日本選手権プログラムの間違いを指摘したところ、陸連から回答がありました。マラソンの歴代優勝者が外国人選手になっている年もありますが、何年か以前に日本選手権参加資格は、原則的に日本国籍所有者になったはずです。会社に報告するのに困っていた実業団関係者もいらっしゃると思いますが、プログラムが間違いと判明しましたのでご安心ください。変にごまかしたり、言い訳をしなかった陸連も潔かったと思います。
今日も請求書と1時間くらい格闘。
遅めの昼食後に新宿3丁目の地球の歩き方オフィスに。ユーレイルパスを購入しました。フランス&ベネルクス限定バージョンで、4日間(日付の選択は自由)で4万2700円だったと思います。トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表がおまけで付くと思っていたら、これはもう少しワイド・バージョンのパス購入でないと付かないとのこと。1500円で追加購入。
帰りのカフェでさっそくチェックしたところ、旅行計画に無理があることが判明しました。モナコSGPの翌日にルクセンブルクまで移動するつもりでしたが、陸路では無理でした。早朝に出発すれば夜に着くのですが、ヨーロッパのグランプリ翌朝は取材が入る可能性があります。競技が夜の9時とか10時ですから、日本選手が好成績を収めても取材する時間がちょっとしかない。どうしても、翌朝になります。福士加代子選手が日本新を出したときなどが、そんな感じでした。
問題はルクセンブルク。今回のテーマは小国巡りにしたかったので、モナコからルクセンブルクに移動するのを楽しみにしていたのです。飛行機に変更するか、別の街に行くことにするか。まあ、適当に考えます。
予定が狂ったときにどう対応するかで、その人間の柔軟性がわかります。
日曜日に帰国した為末選手取材のテーマもそこでした。「48秒前半を出しておく予定だった」と言う今回のヨーロッパ遠征で、49秒後半しか出せなかった。新歩数も試せなかった。そこで、どう対処するか。そこを聞きたかったのです。誰でも思いつくことですけど。
今週のTBSコラムにも、そこを書こうと考えています。札幌で取材した尾方剛選手とどちらにするか迷いましたが、ネタ的に尾方選手は来月になってもOKだと判断。予定外の事態に直面した為末選手を優先することに。
この2人はともに広島県出身で、ともに前回の世界選手権ヘルシンキ大会の銅メダリスト。尾方選手は為末選手の銅メダルをヘルシンキ入り後「テレビで見て身震いした」と言います。世界選手権東京大会のカール・ルイスを見て、為末選手が「プロの陸上選手になりたい」と思ったことは有名ですが、尾方選手も東京大会を見に行っていました。高校の合宿の帰りで、男子走幅跳決勝が行われた日。パウエルとルイスが激闘を展開し、パウエルが8m95の世界記録を樹立しました。「世界記録を目の前で見て感動した」と言います。
広島→東京→ヘルシンキ。そして“大阪でも”となるのでしょうか。
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