寺田的陸上日記      
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ…        
昔の日記はこちらから
2001年3月。国際陸連は忙しい。たぶん

●3月31日(土)
 あなたは「俺って、もしかして天才」と思うことがありませんか。ごくたまーに(4年間に1回くらい)ですが、寺田にはあります。今日はまだ4月1日ではありません、念のため。
 今日ほど仕事がはかどったことも珍しいです。ファミレスには行かず、ずっと事務所で集中して作業をしました。やればできるじゃん、って東京言葉ですか。
 「もしかして天才」と感じたのは、110 mHの浅見公博選手のことを調べているときでした。昨年の日本選手権に優勝したのは記憶に新しいことですが、このときの記事は月陸に1/2ページで載っただけです。それよりも、97年の大阪国体で地元優勝をしたときの記事の方が大きかったな、と思い出しました。そこまでは考えつく方も多いと思いますが、それが陸マガか月陸のどちらだったか、記憶している人は少ないのではないでしょうか。ここで2冊雑誌のページを探すのと、1冊で済ますのでは作業時間が違ってきます。この区別がつく人って、やっぱり専門誌編集の当事者ならではの能力ではないでしょうか。つまり、これができるのは日本に10人いるかどうか。
 それだけではありません。2000年日本リスト1〜3位の浅見選手と谷川聡選手、花沢元選手が同学年ということもすぐに記憶ディスクから呼び出せますし、さらには小苗久信選手、井上将憲選手も同じだということも思い出せます。谷川選手が大学3年時に日本インカレで3位に入賞して、順大の2人に挨拶していたのを思い出しました。このあたり、取材現場にいる強みですね。
 夜の10時半には、これで今日の締め切りは大丈夫と思い、遅い夕食をとりながらテレビを見ていたら、“天才スプリンター”の井上悟選手がプロ野球ダイエーの俊足選手と、ベースランニングのタイムを競っていました。もちろん、勝ってくれました。
 ところで、井上悟選手の紹介ビデオが流れたのですが、確か100 m元日本記録保持者というテロップかアナウンスが流れたのに、映像は93年の関東インカレ200 mで日本新を出したときのものでした。もしかしたら、正確なテロップorアナウンスだったかもしれませんが。
 井上選手の91年関東インカレでの100 m10秒20の日本新は、予選で出したもので、どこのテレビ局も映像は持ってないはずなのです。だったら200 mでごまかそうとテレビ局が考えたとしたら、それは甘いですね。あのゴール前の選手の動きや後続選手のとの差を見れば、種目はすぐにわかります。これは天才の証でも何でもありません。ちょっと陸上を見続ければ、誰でもわかることです。
 そのあと、余裕でCDTVを見ていたら(これはパソコンで仕事もしながら)、天才シンガーソングライターの宇多田ヒカルが出ていました。実は、まともに彼女の顔を見たことって、なかったのです。以前、どこかの掲示板で渋井陽子選手と似ているとの書き込みがありましたが、確かに少し似ていると感じました。どう思いますか、シアトルのI.S.さん。
 陸上競技の場合、球技や格闘技と違い、かなり冷静に自分の力を判断することができます。だからといって、「今度の試合、俺は5番か6番だな」と、決めつけていては、それ以上の成績を望みにくくなります。もちろん、「無欲の勝利」というケースも多いと思いますが、長期的な練習を立案する際に目標が低かったら、練習に工夫をすることができません。選手のメンタリティーとして、「自分は勝てる」あるいは「自分は強い」、「自分は天才だ」と思った方が、苦しい練習を乗り切れる場合があります
 だから、たまには「俺も仕事ができる」と思って忙しい時期を乗り越えようとしても、許されますよね。ところで、「天才」という言葉を安易に、世間一般で使われているように使ってしまいましたが、寺田はこの言葉にはこだわりを持っています。そのあたりはいずれ、機会を改めて書きたいと思います。


●3月30日(金)
 うぁー、しんどいです。
 と、書き始めると、いかにも大変そうですが、陸マガ担当編集者には明るく「まだまだ、全然大丈夫だよ」と言っています。どちらが真実か、そんなの自分でもわかりません。しんどいとも感じていますが、まだいける、とも感じています。
 今日の作業とは別の原稿の電話取材を2本、夕方しました。予習はすでにやっていたので、頭の切り換えさえできれば、そんなに負担ではありません。
 そのあと、2日ぶりにファミレスに。この日記も、そこで書いています。この3時間で紅茶1杯、コーヒー2杯。途中、ヤンキー・グループ7〜8人が近くの席に陣取ってうるさくて作業効率が落ちました。喫煙席が空いたら移動してくれましたが。どうやら、昨日書いた“寺田がちゃんと仕事をするように監視する人間”も、誰でもいいというものではなさそうです。クリーニング屋さんに先に行ってから、こちらに移動したので、パソコンのバッテリーが持つ限り、居続けられます。
 うぁー、すごい新発見。
 今、ふと足元を見たら、今日の席のすぐ脇の壁にコンセントの差込口があります。電源コード持ってきて差し込んだら、怒られるかな。多い月は1万円くらいは食事している常連だけど。店長は中川さんっていうんですけど、どなたかお知り合いの方がいたら、聞いてみていただけますでしょうか。CASA……何店だったかな。
 そんな忙しいなかで、どうやって「世界クロカン日本ジュニア女子9年間の足跡」を記事にできたのか。それは、企業秘密です。

 特集に「世界クロスカントリー特集 9年連続団体メダル獲得記念特別企画 ジュニア女子9年間の全成績分析」をアップ。かなりの労作、のつもり


●3月29日(木)
 “猫の手”状態が続いています。今日は、オフィスに2人、仕事を手伝ってもらう方に来てもらいました。どんな仕事なのかは、陸マガ次号をご覧ください。
 寺田は通常、1人で仕事をしているのですが、今日のようにオフィスに人が来てくれると、作業効率が上がります。1人だと、知らず知らずのうちに、だらだら作業になってしまうことが多いように感じます。だから、ときどきファミレスに行くと、気分転換もできて作業効率が上がるのだと思います。別に知っている人がいて「ちゃんと仕事しろよ」と言ってくれるわけでもなんでもないのですが。
 長距離関係の実業団チームが、本当に追い込む練習をするときには合宿を組んで、練習場所を日常とは変えます。それと同じだと言うと、長距離関係者に怒られるかもしれませんが…。場所を変えることで、集中力を高めやすいのは、確かだと思います。
 もちろんオフィスにいても、本当にヤバイときは集中します。室伏広治選手は、本拠地の中京大でものすごく集中して練習ができると言います。もちろん、室伏選手と自分が同じだと言いたいわけではありません。
 でもやっぱり、万が一我がオフィスが儲かったら、“寺田がちゃんと仕事をするように監視する人間”を雇いたいです。その人の仕事はオフィスに来て、ただいてくれるだけでいいのです、「金田一少年の事件簿」でも読みながら。
 “猫の手”状態で、金田一のコミック最終巻が出たのに読んでいません。


●3月28日(水)
 昨日中締め切りの原稿が仕上がらず、今日の昼過ぎまでかかってしまいました。ちょっと悩みすぎました。悩むのは勝手なのですが、迷惑をかけしてしまった編集者には、心からお詫びしたいと思います。
 書く内容が煮詰まらないうちに、先に表や図表などのデータ調べを行い、あとから本文を書いたら、結局、調べたけど本文で触れられない資料(表)が2つも出てしまい、徒労に終わった作業が増えてしまいました。やっぱり、25日の日記に紹介したような、ぱぱぱぱっと内容や作業の手順が決められる、天才的なライターになりたいなあ。これは、100 m11秒3の選手が「10秒5以内で走りたい」と言っているようなものなのですが。
 こうして寺田が猫の手状態のなか、世界クロスカントリーの結果を、日本人を中心に整理したものを送ってくださった太田さん、ありがとうございました。世界室内の記事の間違いも、ATFS(3月7日の日記参照)の方から指摘していただきました。女子3000mでサボー選手を破ったオルガ・エゴロワ選手が昨年ワミ&ツル選手に勝ったレースを、ロンドンのGPと書いてしまったのですが、DNガラン(ストックホルム)の間違いでした。
 それにしても、DNガランを間違えるとは、ヤキがまわったものです。かつて、瀬古利彦選手が1万mで2回、新宅雅也選手が3000mSCで、5000mでは鎌田俊明選手と高岡寿成選手が日本新を出すなど、日本とは縁の深い大会なのですが。ちなみに、寺田はDNガランの公式Tシャツを持っています。去年、ある人が買ってきてくれたのですが、めちゃくちゃ嬉しかったですね。欲しい方には40万円でお譲りします(=譲らないという意味)。
 ということで、この日記は昨日分と一緒に、一息入れているファミレスで書いています。後ろの席の男性2人が、確定申告の書類をテーブルに広げて悩んでいます。今、陸マガから電話がありました。もちろん、このあとクリーニング屋さんに行く予定です。そのあとは、データ調べの仕事がどっさり待っています。ちょっと、マッサージにでも行かないときつそう。

 報道&展望記事に「世界クロスカントリー選手権」 「倉林俊彰選手が松下通信コーチに 目立つ順大関係者の異動(マラソン全成績&箱根駅伝・全日本実業団駅伝全成績付き)」をアップ


●3月27日(火)
 以前にも書いたように、寺田家が宅配してもらっている新聞は日刊スポーツと読売新聞です。これも以前に書きましたが、巨人は大っ嫌いでしたが、陸上競技の主催する系列とか、インターネットで入手できる情報など、いろいろ考えてのことです。巨人が嫌いだという部分を過去形にしたのは、まあ、今は小学生の頃ほどプロ野球に入れ込んでいませんし、ベースボール・マガジン社時代は巨人が勝った方がボーナスが上がるという俗説がありましたし、徳島新聞の水野記者にお世話になっているから(なんのことか、知る人ぞ知る。知らない人は知らない。当たり前ですが)です。
 話を新聞に戻すと、今朝の日刊スポーツに山崎一彦選手の記事が掲載され、これはまたスクープネタか、と思って日刊・佐々木記者に電話をしたところ、共同通信からの配信だそうです。彼は先月、小出監督ネタと三森由佳選手の引退記事と、2つもスクープをものにした記者です。小出監督ネタはものすごくメジャーですが、三森選手は言ってみれば陸上界向けのマイナーネタ。その2つをスクープしたのですから、大したものです。だから今回もそうかと思ったのですが。どの新聞社も独自記事は出さなかったらしいので、言ってみれば共同通信のスクープということです。
 寺田のサイトに掲載されているのは、その記事を陸上関係者向けに補足したものです。これ以上信頼できるものはないというくらいのニュースソースに取材したものですから、間違いありません。

 報道&展望記事に「山崎一彦が4月から岐阜県の指導者に チームの枠を超えた指導ができる立場」をアップ


●3月26日(月)
 今日、京葉線に乗っていたら、駅に貼ってあるポスターに「マハリク、マクハリ」というコピーがあり、思わず覚えてしまいました。
 京葉線といえば、実はあまりいい思い出がありません。東京ディズニーランドの最寄り駅が舞浜駅なのですが、確か一度、ある女性と待ち合わせをしていて遅刻して、えっらく怒らせてしまった記憶があります(寺田にもあった恋愛経験)。
 千葉国際クロスカントリーに取材に行く場合も、京葉線を使って蘇我駅に出て、外房線に乗り換えて土気駅まで行くのですが、やはり一度、遅刻をしそうになって、自腹を切ってタクシーを使った記憶があります。陸マガ(ベースボール・マガジン社)は原則的にタクシー使用禁止の会社でしたから。このときは自腹を切ったおかげで、間に合いました。
 それもこれも、寺田はその頃松戸市に住んでいて、新松戸駅から武蔵野線を使って千葉方面に出ていましたが、武蔵野線と京葉線が、東京駅から市川塩浜駅だったか南船橋駅までだったか、両方とも通っていて、乗り換えがえらくややこしくて間違えていたのです。言い訳ですけど。
 これは京葉線ではなくて総武線の話ですが、国際千葉駅伝などで天台の競技場に行こうとした場合、最寄り駅は稲毛です。乗った電車が千葉行きだったらいいんですが、4駅手前の津田沼駅止まりも多くて、いっつも津田沼のホームで寒い思いをしているような気がします。しかも、電車1本の遅れで、ものすごく時間を損した気になってしまうのです。「この7分で、レース前にいろいろ取材ができるのに」、とか、「記者席のいい席が取れなくなってしまうんじゃないか」、とか。陸マガはタクシー使用禁止の会社ですから、新聞社の方たちが稲毛駅でタクシーに乗るのを横目で見ながら、バス停に並ばなければいけません。
 これは成田線の話ですが、93年のシュツットガルト世界選手権に出張する際、松戸からですから常磐線で我孫子に出て成田まで行くつもりでした。ですが、その日は大雨で、成田線のダイヤが大幅に乱れていました。国際線の搭乗ですし、何より先輩社員2人に“遅刻すんなよ”とプレッシャーをかけられていたのだったと思います。我孫子から大金をはたいてタクシーを使わざるを得ませんでした。そしたら途中で雨が上がって、「なにこれ」状態で、やけにハイになって運転手さんと世間話をした記憶があります。それでも、待ち合わせ時間に遅れてしまい、びくびくしながらある航空会社のカウンターに行ったら、1番でした。あのときのタクシー代、会社に請求しなかったんじゃないかな。今考えると、あの事情なら、請求して当然です。軽く1万円はかかっていたような…。
 なんか、わけのわからない愚痴日記になってしまいました。でも千葉は好きです。今日も、いい取材ができました。千葉出身の選手、指導者の方には大変お世話になっています。もちろん陸マガにも。
「マハリク、リクマガ」

 リンク集の「大会公式」に徳島中長距離記録会を追加。試合会場でよく見る顔「記者のみなさん」の中尾記者(神戸新聞)の写真を差し替え


●3月25日(日)
 今日もひたすら、原稿を書きました。昨日の日記に書いたように、それなりに苦しみました。苦しんでいたら、小出義雄監督(積水化学)とのある会話を思い出しました。
 場所は上尾の競技場でしたから、昨年11月の東日本実業団対抗女子駅伝でのことです。
 3月の名古屋国際女子マラソン以来、小出監督とはほとんど話す機会がありませんでした。上尾でも、他の記者の方たちと一緒に小出さんを囲んで話をしていたのですが、特に重要な取材という感じではなく雑談になっていたので、いい機会だと思い、陸マガをやめてフリーのライターになったことを報告しました。
小出監督「へー、ライターになったの。すごいねえ。俺なんか、文章書くの全然ダメ。すごいねえ」(*)
寺田「すごくなんかないですよ。陸上の記事だったら、キーボードに向かえば指が勝手に動くんです。パソコンに向かいさえすればいいんです」
 これが事実でないのは、昨日の日記をお読みいただければわかります。でも、一度、小出さんの前で見栄を切ってみたかったのです。
寺田「監督はよく、どんな練習をやればいいのか質問されると、『そんなの駆けっこのことを30年以上、ずっと考えていれば自然にわかるんだよ』って言われますよね。それと同じで僕らも、10年以上陸上のことを取材していれば、何を書けばいいか自然にわかるんです。ここにいる記者の皆さん、全員がそうですよ」
 間髪を入れず、K社のM記者が「そんなの寺田さんだけですよ」と突っ込みを入れてくれましたが…。
 いやー、ホント、一度言ってやりたかったんです。ちょっと、スカッとしました。
 指導者の方に「どんな練習をやればいいか」と聞いたときには、少しでも具体的に話して欲しいんですが、小出監督は練習メニューについてはあまり詳しく話してくれません。練習は長期の流れがあってはじめて、その日のメニューがあります。下手に要約したり、部分的に紹介すると、誤解を招くからだと思いますが、でも、記者の立場からすると、ポイントだけでも話して欲しいのです。まあ、それが難しいのでしょうが…。
 しかし、ライターでも小出さんのようなレベルになれば、何を書いたらいいか、パソコンに向かえば自然と指が動くのだと思います。寺田の場合、昨日の日記に書いたようにアウトラインを考えて、ネタとネタをどうつなげて……と考えないと原稿が書けませんが、頭のいいライターなら、そのあたりは意識しなくても、寺田のやってるような作業は瞬時に頭のなかでイメージができて、いきなり書く作業に入ると思います。寺田も50行とか、100行ちょっとの記事だったら、それができることもあります。
 そこまでのレベルになれたらいいなあ、とは思いますが、そうなることがフリーになった目的ではありません。そのレベルになれば、仕事が今の3倍はこなせて、色々と役立つのは確かですが。
(*)小出監督の著作は、ライター・記者の方が代筆しています。ほとんどの本が、誰が書いているかを公にしてます。


●3月24日(土)
 今日は天気がよかった。4月中旬の陽気だそうである。洗濯物が乾くのも速い。
 こういう日は、原稿の進み具合も速い……と、書き始めは感じた。一昨日取材分(2本)の締め切りが明日中なのだが、1本めの4分の1までは一気に進んだ。だが、そこで筆が止まってしまう。もちろん、実際は筆など使っていない。キーボードを叩けなくなってしまっただけだ。21世紀のこの状況は、近松も馬琴も予想できなかっただろう。だから、オリンピックの優勝・入賞者予想原稿が外れても(特に男子マラソン)、罪は軽い。
 22日の日記にも書いたが、一昨日中にフレッシュネスバーガーで、原稿のアウトラインは決めていた。あとは、とにかく書き進む作業なのだが、実際に書いてみると、ネタとネタのつなげ方に無理があったり、ちょっと説明不足だと感じてネタを補足する必要が生じたりする。逆に、ある部分を説明していたら行数が多くなりすぎて、他の話題が書けなくなってしまったりする。書き始めると、あのエピソードを入れるとわかりやすそうだ、などと感じて話の展開を変えることもしばしばだ。
 このあたりの取捨選択、どの部分を削って何を増やすか、という作業で記事の読みやすさが決まってくるのだ、たぶん。面白さや、感動できるかといったことは、アウトラインを決めた段階で、それよりも取材をしてどんな話を引き出せたか、さらにはどんな取材の予習ができたかという段階でほぼ決まってくるのだろう、たぶん。
 気分転換のために、原稿書き用に行き付けのファミレスへ。天気がいいので、コートなしだ。天気がいいので、MDはジャズを1枚、お気に入りの曲を集めたものを1枚。そのファミレスはクリーニング屋さんにも近い。
 外を歩き、場所を変えたことで気持ちの切り換えができたせいか、つっかかっていた部分をクリアし、2分の1まで書き進む。このあたりまで進むと、残りの行数で書けることは分量的にも、展開的にも決まってくるので、あとは一気に筆が進む。実際は、キーボードを叩くスピードが上がる。夜の8時までに書き上げて、パソコンを持ってクリーニング屋さんに寄ろう(一昨日の日記参照)と思ったのだが、結局、全部はファミレスで書き上げられなかった。まあ、でもあとはオフィス(兼自宅)でちょちょっとやればできる作業だ。
 今日の格言「天気のいい日は筆も速い……かどうかは、わからない」


●3月23日(金)
 独立してフリーになってから、もうすぐ丸1年になろうとしている。
 その1年間で最大の失態を、今日は演じてしまった。フォローをしてくださった方がいて大事には至らなかったが、心から反省している。本当に、とんでもないことをやってしまった。
 フリーになり、選手や指導者を取材でき、陸上競技の原稿を書き、貧しいながらも好きな陸上漬けの生活ができ、「フリーライターの優雅な一日」(昨日の日記)などと調子に乗ったことを書いているから、気が緩んでいたのだろう。足下をもっともっと、固めないといけないのに……。
 反省します。

 特集に「アクセス数11311人突破企画 2001世界室内選手権における2000シドニー五輪入賞者成績と、世界室内選手権の存在についての考察」をアップ


●3月22日(木)
「フリーライターの優雅な一日」
 昨日締め切りの原稿があり、寝るのが明け方になったので、起床は10時過ぎ(うらやましいだろう、サラリーマン諸君)。2時間睡眠で出張に出かけることを考えたら、まあ楽である。今日の取材の予習をしながら食事をして、13時にオフィス(兼自宅)を出発
 S選手の取材中、高校時代のことをあれこれ質問していた。予習の甲斐あって、主要大会の成績はほぼ暗記していた。彼女がインターハイでの勝ち負け(順位ではなく、誰に勝って誰に負けたか)の記憶が間違っていたので、すかさず訂正。“ノリ”のいい選手だったので、寺田もちょっと悪ノリして「記憶力いいでしょ?」と自慢。すかさず、横のデスクで仕事をされていたS監督が「予習をしてきたんだよ」とひと言。すかさず、「カメルーンの選手の名前を11人全員言ってみろ」(3月19日の日記参照)と言い返すことなどできるはずもなく、笑ってごまかす。
 取材も無事に終了し、帰途、遅い昼食をすませ、オフィスに戻ったのが7時頃。メールをチェックしたあと、8時で閉店のクリーニング屋に駆け込む。ちょっと暑かったので、フレッシュネスバーガー(アメリカ南部風内装のハンバーガー・チェーン店)でハイネケン生ビールを一杯。そこでパソコンをおもむろに取り出す。愛機のVAIO−SR9、重さ1.3kg、バッテリー持続約4時間のかわいい奴だ。ちなみに、天満屋の篠原コーチも同じ機種を持っている。2人の共通点は、謙虚な性格だと、寺田は思っている。
 なんでパソコンを持ち歩いているのか? 「クリーニング屋に行くときはパソコンを持っていくこと」、これが寺田家の家訓だからだ。嘘だと思うなら、「クリーニングの共栄永山店」のお姉さんに聞いてみるがいい。毎回、パソコンを抱えて来店する青年がいるかどうか、何も知らないだろう。
 実を言えば、来週末締め切りの大きな仕事を抱えていて、少しでも仕事を進めたいからだ。その間に締め切りの原稿も3本。もしかしたら4本に増えるかもしれない。かなり焦っている。少しでも時間があれば、どんな小さな仕事でも進めたいのだ。だからといって、周りがなんにも見えないほど焦っていたら、人生面白くない。ドラマや小説ではよく、こういったときに運命的な出会いがあるものだ。
 フレッシュネスバーガーは夜11時まで開いている。これはかなり、ありがたい。今日の取材のメモを読み返す。ビールのあとにホットのカプチーノ。これで頭が冴えないわけはなく、記事2本文のアウトラインが30〜40分で固まる。よし、あとは週末に書こう。だが、フレッシュネスバーガーで運命的な出会いはなかった。人生30ウン年、そんなことってあったかな。
 10時過ぎに帰宅して、11時に夕食。12時過ぎにメールをいくつか書く。S選手を取材したことを、S選手ファンのS記者に報告。明日の取材の予習をして、この日記を2時に書いている。明日は早起きだ。8時には起きないと。うらやましいだろう、サラリーマン諸君。でも、所得は低いよ(確定申告をして唖然となった寺田)。


●3月21日(水)
 ちょっと“忙しモード”に入ってきました。データ的な仕事と、明日から2日間連続取材と、海外出張準備(これは量的には大したものではないのですが)。原稿の締め切りも今日中に1本と、週末中に2本、月曜日に1本。
 なんの、まだまだ。

 報道&展望記事に「西田杯国際室内棒高跳」をアップ


●3月20日(火)
 本日は夕方5時から、国立競技場で日本陸連が世界選手権マラソン代表の発表会見をするということで、取材に行ってきました。そうしたら、マラソン代表だけでなくいくつか重要な発表があり、特に、一般種目の世界選手権代表選考規定に関するものが、選手・指導者やファンの興味ある点だと判断し、陸連発表文と質疑応答を全て掲載いたしました(こちらで)。
 あと話題になったのは人事でした。増田明美さん、山下佐知子第一生命監督と、30歳代の女性が2人、理事に加わりました。この日記でも18日以来、30歳代について書いてきています。今日の日記も“30歳ネタ”……でいけるかな。
 寺田のサイトもアクセス数がおかげさまで1万を超えました。そしてついに、メールが来ました。
「毎日、寺田さんのHPをのぞくのが日課になりました。おやじギャグ的なものも多いですが、エリックワイナイナの『そして、だれもコニカった』が一番好きです、私は」
 メールの主は、神戸新聞元陸上競技担当、現在、宝塚市政(なども)担当のO原さんです。陸マガ時代、関西インカレや高校駅伝で原稿を依頼させてもらった敏腕記者です。全体としてお誉めいただいて嬉しく思っているのですが、気になるのは“おやじギャグ”という部分ですね。強調しますが、1万回のアクセスで初めてです、この指摘は。
 本人としては、少し前の箇所で伏線を張っておいたり、陸上界ならではのネタで、「センスいいなあ」と思って書いているのですが…。
 だいたいですね、こうなったら言わせてもらいます。O原さんは神戸インターハイ時に高3だったとのことですから、寺田と同じ30歳代です。でも、外見はどうみても向こうの方がオヤジです。どう思いますか、中尾さん(神戸新聞現陸上担当)、どちらが年上に見えますか? ご意見をメールしてください、O原さんには内緒で。

 報道&展望記事に「一般種目にもマラソン同様の選考基準を設定 記者会見全内容」「世界選手権マラソン代表発表 注目の男女5人目は?」「東アジア大会代表第2次選考 1次代表と合わせた選手一覧」をアップ


●3月19日(月)
 昨日の日記で30歳代選手について触れましたが、陸マガ4月号には「ついにマラソン挑戦を明言した 30歳のチャレンジャー」というタイトルで、高岡寿成(カネボウ)選手の記事が4ページ特集されています。その中から、特に印象的なコメントを抜粋します。
「若い彼らの活躍に刺激を受けています。時代が変わったなあ、と感じてもいます。(中略)でも、僕に焦りはありません。僕はこれから挑むマラソンのために、スピードを磨いてきたんです。ようやくチャンスが巡ってきたんです。年齢的には、人より遅いかもしれません。(中略)でも、僕には若いランナーにはない武器があるんです。トラックで培ったスピード、それに海外で経験した勝負へのこだわりです。(後略)」
 このコメントを印象的に感じたのは、当然ですが、世間の誰かということではなくて、寺田自身です。昨日、自分も30歳代と書きましたが、寺田も(編集者から)ライター転身が年齢的には遅すぎるのではないかと、良識ある何人かの方から指摘を受けました。だから、高岡選手の気持ちが少しはわかるつもりです(こういうとき、「わかります」とは絶対に言い切りません)。
 こう書くと、「じゃあ、お前は編集者時代にオリンピック7位や日本記録に匹敵することをやったのか」と、言う人が必ずいます。それに言い返すセリフは決まっています。
「カメルーンの選手の名前を11人全員言ってみろ」
 これはドラマ「HERO」(最終回)でキムタクが松たか子に言ったセリフです。正確には「カメルーンの選手の名前を11人全員言えたら、ワールドカップに連れていってやるよ」、だったでしょうか。話の展開についてこられない方、すいません。
 実は寺田はライターに転身する際に、陸上界のみならず世間一般に陸上の面白さを、知ってもらえたらいいなと考えました。
「日本記録を100 mから全部言えたら、世界選手権に連れていってやるよ」
 ドラマの主人公がヒロイン役の女性に、こんなセリフを言える時代になったら、素晴らしいですね。寺田の夢です。


●3月18日(日)
 昨日の続きで、陸マガ4月号の「アスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」と「日本トップ10」の感想です。
 今回のトップ10には30歳代が高岡寿成(鐘紡)選手、伊東浩司(富士通)選手、弘山晴美(資生堂)選手と3人います。これまで自分の年齢を一度も明言していませんでしたが、実は寺田も30代です。この人数は結構多いんじゃないか、もしかしたら初めてじゃないかと思いましたが、ここはちゃんと調べて確認しましょう。陸上競技のライターは他競技のライターと違って、データをしっかり調べるのが身上です。
 まるで他競技のライターがいい加減だ、と言っているみたいですね。取り消します。そんなこと、比較しようがありません。確かに、そういう意見があることは事実ですが、こういうことって比べることができますか? そういう意見があるからといって、それを鵜呑みにしては他競技のライターと一緒です。まるで他競技のライターがいい加減だ、と言っているみたいですね。取り消します………(なんか、超ラビリンス)。
 本題に戻って、86年の第1回から調べてみると、過去にも2回ありました。第1回で瀬古利彦(エスビー食品、現監督)、伊藤国光(鐘紡、現監督)、そして40歳代の室伏重信(中京大教)と3人、さらにバルセロナ五輪のあった92年に高野進(東海大教)、中山竹通(ダイエー)、谷口浩美(旭化成)と3人が入っています。
 86年はソウル・アジア大会の年で、引退していた室伏重信選手を、陸連が口説いて現役に復帰してもらったという特殊事情があります。それを除く2回はともに五輪年。やっぱり、オリンピックを目標に頑張る選手が多いことの表れでしょうか。でも、今回の3人はオリンピックを区切りに「ハイ、お終いです」とはなっていません。人間の営みは、そう簡単に結論づけられないでしょう。でも、結論のはっきりしない文章を書くと、筑波大OBの編集者に叱られるしな……。

 報道&展望記事に「東亜マラソン 三木、南アの両ジョサイアに僅かに及ばす3位 5回目のマラソンで8分台、9分台、10分台、11分台各1回」「北京ユニバー・ハーフ代表に藤原、松下、女子は吉田と大山」をアップ


●3月17日(土)
 陸マガ4月号「アスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」と「日本トップ10」の投票結果ですが、ほぼ読者の皆さんの予想通りの顔ぶれではないでしょうか。寺田も投票していますが、10人の内、違っていたのは2人だけです。横山学(百十四銀行)選手と杉林孝法(ミキハウス)選手に投票しました。別に、筑波大びいきでもなんでもありません。逆に、筑波に対してはライバル心があります(2月1日の日記参照)。
 純粋に、目の前で5m70や17mを跳ぶところを見せられると、「おおー」っと感動してしまいます。杉林選手の17mは、最後の選考会で初のA標準突破でしたから、興奮しました。そして棒高跳の5m70といえば、6mが近づいたと実感できます。考えてみれば、寺田が陸マガを読み始めた頃の世界記録は5m70台でした。コザキェヴィッチ(ポーランド)やビネロン(フランス)が跳んでいたのは5m70台です。
 以前、確か98年のアジア大会前後だったと思いますが、伊東浩司(富士通)選手が「短距離選手が走っている時間は短いので、見ている人を興奮はさせることはできても、長距離のように感動させるのは難しい」というニュアンスの話をしていました。確かに直接的にはそういえるでしょう。けれども、陸上競技を継続して見ている人間は、一瞬の走りや跳躍、投てきでも感動します、絶対に。
 横山選手はアトランタ五輪最終選考会だった96年の日本選手権で優勝しながら、標準記録未突破で代表になれなかったときから、その後の動向を注目していました。決して、就職浪人しながらも“親の脛をかじれていいなあ”とうらやましがっていたわけではありません。杉林選手は99年に世界選手権のB標準を破りながら、他の種目のB標準選手が“将来性”という理由で出場するのを見せつけられたわけで、その頃から“発奮”を期待していました。


●3月16日(金)
 宮城から知人(男性です。念のため)が上京し、夕食を一緒に取りました。彼の自宅は田尻町沼部にあります。この地名を聞いてピンとくる方は、相当の陸上通でしょう。
 日本ケミコンの本拠地があるのが、田尻町沼部なのです。泉田利治監督が絶賛する練習環境があり、その宮城の知人が言うには、伝統的に長距離が盛んな土地柄だそうです。日体大時代に女子1500mで3回日本新をマークした井上美加代選手が、田尻高の教員となって結婚し、今野姓となってからも日本新を出しています。
 全国都道府県対抗女子駅伝の初期の頃はどこの県も選手層が薄く、いったん現役を退いた今野先生は、その第1回大会から5回ほど、都大路を走っています。その全国女子駅伝に宮城県のエースとして第1回大会から11回連続で出場したのが、田尻町出身の峯岸里江選手です。11回目の93年は、結婚して佐藤姓でした。彼女は涌谷高卒業後2年間、砂金精肉店で夕方5時まで立ち仕事をする環境の中で走っていましたが、その環境ではよくないと、日本ケミコンに移りました。全国女子駅伝が始まった83年のことです。
 その峯岸選手が日本のトップクラスに浮上するのが、86年に泉田監督が着任してから。全国女子駅伝の初期に今野先生とタスキリレーをした峯岸選手が、現役生活の後半には高橋千恵美(当時聖和学園高、現日本ケミコン)選手とチームメイトになります。その高橋千恵美選手を、今日会った知人はよく見かけるらしいのですが、彼女以前にもこうした歴史があったのです。
 そして、築館女高に移って峯岸選手とともに全国女子駅伝を87年まで走った今野美加代先生のもとに、その4年後の91年に岡本久美子選手が入学してきます。彼女の走りをひとめ見た今野先生は、「将来は中距離でトップクラスの選手に育つ選手」と直感されたそうです。福岡ユニバーシアードで岡本選手が日本新を出したのは筑波大2年時の95年。その直前には母校で調整していました。妹の岡本由美子選手もインターハイ、インカレの優勝者です。
 今野先生など間違いなく、昨日の日記で紹介した日本の陸上界を支える指導者の一員です。しかも、中学校の女子指導者は全国大会でもいらっしゃいますが、高校の女子指導者というのは貴重な存在です。しかも師弟そろって日本記録を出したケースなど、寺田は他に知りません。その点は、世間的にももっと評価されてもいい部分だと、かねがね思っているのですが。
 以前、ロードレースは点でなく流れの中の1大会として見た方が面白いと書きましたが、陸上競技自体、一連の流れとして見ると面白いと思います。

 リンク集に「三井海上」を追加


●3月15日(木)
「続・僕のカクテイ申告日記:ちょっとシリアス編」
 日野税務署には9時3分に着きました。そんなに混雑していなくて、並んでいたのは3人だけ。11時までに確定申告の作業は全て片づけ、肩の力が抜けてしまったので、税務署内のベンチに座り、昨日発売の陸マガを1時間以上、読んでいました。
 12時が近づくと、昨日の「残業をしないように」アナウンスに匹敵すると思われる「12時から1時までは、職員の昼食時間なので、職員は全員席を外します。部屋はお使いいただいてかまいません」というアナウンスがありました。
 申告に来ているのは、主に自営業者の人たちで(寺田もそうです)、忙しいなか時間を割いて足を運んできているのです。それに対して、税務署とそこに雇われている人たちは、申告書の記入指導は“本職”なのです。昼休みは交代制にして、12時から1時の間も質問に答えられるような勤務システムにしても、罰は当たらないでしょう。
 同じ公務員でも、残業・休日出勤は当たり前、選手と陸上のためなら1年365日勤務もいとわない中学・高校の指導者の皆さんとは、えらい違いです。そういった指導者をを多く見てくると、それが当然のようにも感じてしまいます。だから、昨日今日と“違和感”を感じたのでしょう。
 ですが、中・高指導者の皆さんのこの情熱あってこそ、日本陸上界の今日があるのです。これは絶対、絶対、ぜーーったいに間違いありません。選手の憧れとしてのプロ選手の存在も、もちろんあっていいと思います。なければおかしいでしょう。でも、陸上界の底辺部分を支えているのは全国で頑張っている指導者の情熱です。技術・トレーニング面の指導もそうですが、情熱ある指導者の元から情熱ある選手は多く育っています。高橋尚子(積水化学)選手と、高校時代の恩師の中澤正仁先生(中澤先生の記事)がいい例でしょう。そして小出義雄、浜田安則、木内敏夫、鈴木秀夫、永田幸一、上田誠仁……中学・高校の教員出身の実業団・大学指導者も多くいます。
 だが、その辺が理解されているとは、必ずしも言えません。自分もかつては、そういった指導者に育ててもらったことを忘れているトップアスリート、そういった中・高の指導者に選手を送り込んでもらいながら、自分の指導だけを強調する大学・実業団の指導者、そして「自分たちがトップにいるから日本の陸上界がある」とでも言いたげな幹部――そういった人たちの力も見逃せませんが、それにあぐらをかいているようでは日本の陸上界はダメになります。
 そういう種類の人間を見つけたら、マスコミは容赦なく非難すべきでしょう。事実を報道することだけがマスコミの役目ではないはずです。政治を監視する機能がマスコミになくなったら、政治が民衆のことを考えなくなるのは歴史が証明済みです。同様に、日本の陸上界を監視する機能がマスメディアになくなれば、日本の陸上は弱くなると思います。業界みな仲良しこよし、になってはダメなのです。
 確かに、学校スポーツという枠組みが一番いいのかどうか等、システムの問題は論じるべきでしょう。でも、重要なのは、枠組みは変わっても、全国で陸上界を支えている指導者の情熱が生かされるシステムにする必要があるということです。当然、経済的、社会的にもそういった人たちが活躍できるシステムに。中央にいる一部の人間だけが厚遇される頭でっかちのシステムでは、ダメだということです。
 だからこそ、伊東浩司(富士通)選手が甲南大の専任講師になると発表(こちらに記者会見内容)した際、「地元に帰れば中学・高校の時と同じように叱ってもらえる」との言葉で、すごくホッとさせられたように感じました。高橋尚子選手がことあるごとに、自分が弱かった時代の指導者である中澤先生のことを紹介するのも、嬉しく感じます。陸マガ4月号で高橋尚子選手が色紙に書いた言葉は、中澤先生が話した言葉です。


●3月14日(水)
「僕のカクテイ申告日記」
 体調がむちゃくちゃ悪くて、医師に診察されている状況を想像してみてください。あるいは歯科医院の治療席でもかまいません。こういうときって、自分の無力さを痛感させられませんか? 自分では何もできず、医者(あるいは看護婦さん)の言うことを頷いて聞いているだけで、あるいは体のあちこちを検査されるまま。
 確定申告で税務署にいるときも、同じような感覚に襲われます。税理士さんか何か肩書きはよく知りませんが、確定申告の締め切り近くになると税務署に臨時で雇われた人たちが、プレハブの特設会場にズラーっと待機していて、何の知識もないうさぎちゃんがその人たちの元に行き、教えを乞いながら申告書を書くのです。
 まさに、苦痛に耐えながら病院にいるのと同じです。まったく一緒ではありませんが、外国で通訳がいないと何もできない状況も同じかもしれません。国内で46秒台前半を出した若手400 mランナーが、初めての海外遠征で自分を見失い48秒かかってしまうのと同じ――かどうかは、よくわかりませんが……。
 断言しますが、確定申告を最初から自分1人で書ける人は絶対にいません。ハンマー投のターンが最初からできないのと同じように。素人には書けないような仕組みにして、専門家が必要なように、故意にしているかのようにも思えます。
 さらに悪いことに、必要書類が1通不備で、日野税務署からベースボール・マガジン社まで往復する羽目に陥ってしまいました。京王線の高幡不動駅から税務署までの徒歩15分の道のりを2往復するのは、精神的にもきつかったです。幸い、高幡不動は特急停車駅だったので、新宿、水道橋と移動するのは思ったより苦痛ではありませんでした。
 所用を2つほど片づけて4時に戻ったのですが、とても指導を受けながら5時まで書き終えることはできません。
寺田:「1時間くらい居残って書き上げたいんですが」
税務署員:「1時間は無理ですね」
 そこでさらに、スピーカーから「今日はナントカカントカ・デイです。残業をしないで帰りましょう」という、署員向けのアナウンスが流れて来るではありませんか。「ナニ、ソレ? 確定申告最終日前日に残業をしないの?」と、口に出かかりました。
税務署員:「明日は申告の最終日だから、すごく混みますよ。9時前が一番空いているんですが、それでも待たされるかもしれませんね」
 とっても、親切な口調で説明してくれました。ホントに親切そうな人でした。
 税務署からの帰り、最近開通したモノレールの万願寺駅の方が、高幡不動駅より近いことを知って、モノレールで多摩センターまで行きました。我が家はそこで京王相模原線に乗り換えて1駅です。東京近辺以外の人にはピンと来ないかもしれません。ピントはポルトガルのマラソン選手でシドニー五輪の優勝候補でしたが、イマイチでした。今井選手は……すいません、平常心を欠いています。
 平常心を欠いていたのか、フリー暮らしで電車に乗るカンが鈍ったせいか、多摩センター駅で間違って特急に乗ってしまいました。各駅停車に乗らないといけなかったのですが。各駅停車、各停、カクテイ、確定……クソッ。


●3月13日(火)
 一昨日の日記で“7大マラソン”という表現をしましたが、北海道文化放送の近田アナから「なんで北海道マラソンを含めないんだ」というお叱りのメールが来そうですので、先手を打って釈明させていただきます。
 今年に関して言えば、50回記念の別大が世界選手権の選考会に指定され、“7大マラソン”と言って差し支えないでしょう。ですが、仮に別大が例年同様選考レースでなくても、寺田にとってはやはり別大を含めて“7大マラソン”なのです。
 というのは、歴史というか、過去の実績で別大は他のマラソンに比肩しうると思うからです。78年には宗茂が日本人初のサブテン、当時世界歴代2位の大記録をマークしましたし、91年には森下広一が初マラソン世界歴代2位をマークしています。バルセロナ五輪金メダリストの黄も走っています。“7大”に含めてもおかしくないはずです。
 もちろん、北海道マラソンも谷口浩美(旭化成)や有森裕子(リクルートAC)、浅利純子(ダイハツ)、山口衛里(天満屋)らが優勝していますから、選考レースになったりならなかったりしますが、別大に比肩するでしょう。夏開催のため記録が出ないだけで……やっぱ“冬の7大マラソン”に変更します。
 だいたい、この手の“○大”という表現は、多分に主観的なのですが、主観的であっても説得力がないと定着しません。昔は、全日本実業団駅伝と朝日駅伝、中国駅伝を“3大駅伝”と言っていました。実業団駅伝以外はいってみれば“駅伝版春季サーキット”のようなものなのですが、この表現はかなり受け入れられていました。どの駅伝にも実業団の有力チームが残らず出て、メンバー的にも甲乙付けがたかったのです。
 では、現在“学生3大駅伝”と言われている出雲、伊勢、箱根はどうでしょうか。関東以外の大学にとっては「関東地方に限定された箱根駅伝が、なんで3大学生駅伝に含まれるんだ」と言いたくなるでしょう。でも、現状では箱根駅伝=全国大会レベルなのです。たぶん、関東の大学が“3大学生駅伝”と言い出したのでしょう。そして、その酉を飾るのが箱根駅伝だと言いたいわけです。繰り返しますが、現状ではこの表現は的外れではないと思います。
 では、全日本大学駅伝、東京国際女子マラソン、全日本大学女子駅伝、福岡国際マラソンと、11月から12月にかけてテレビ朝日系列が放映する4レースを、テレビ朝日が“4大ロードレース”と呼んでいますが、これはどうなのでしょうか。つまり、女子マラソンの大阪も名古屋も、男子の東京もびわ湖、そして箱根駅伝も“4大”ではないと言っているのです。
 はっきりいいましょう。テレビ朝日さん、“4大ロードレース”のキャッチコピーは陸上界では嘲笑の対象でしかありません。もちろん、やめるやめないは貴局の自由です。表現の自由は保障されています。寺田のWEBサイトと同様に。

 報道&展望記事と名古屋国際女子マラソン特集に「名古屋はどうしてスローペースになったのか? 選手、指導者のコメントを基に考察すると――」をアップ


●3月12日(月)
 今日は1日、オフとさせていただきました。オフトに似ているのは…?。


●3月11日(日)
 ついに達成しました、“1シーズン7大マラソン取材完全制覇”を――。
 陸マガ編集者時代、福岡と別大は1度も取材に行ったことがありませんでした(だから、大分であんな悲劇も経験したわけです)。月初めに行われる試合を編集者が取材をして原稿を抱えると、その後の仕事がかなりしんどいのです。ましてや、マラソンは陸上界では珍しい“1種目だけで開催される大会”。日本選手権や国体、全日本実業団、日本インカレ、インターハイ、全日中、スーパー陸上、春季サーキット、浜松カーニバル、東日本実業団、地区インカレ、南部記念、実学、日本学生個人選手権などのように、何10種目も行われるわけではないから、取材スタッフは比較的少なくて済みます。前日か前々日に有力選手の会見もやってくれるし、主催紙は展望記事を連載してくれるます。でも、最低○人は必要でしょうか…。
 で、実際の取材は、先週のびわ湖に続いて報道車に乗り込ませていただきました。車内のテレビが途中で壊れてしまったのが正面からの絵柄が見られませんでしたが、びわ湖とは比べものにならないくらい近い位置で選手を見ることができました。1km毎の通過時間も全て計測できました、37kmまでは。37kmからあとは、1km毎の表示ではなくて、残り○kmの表示しかなかったのです。でも、レース展開と併せてスプリットタイムの変動を見ると、非常に面白いと感じたので記事として掲載しました。
 そういうわけで、長年の夢だった“7大マラソン―”を達成しました。このシーズンは高橋尚子(積水化学)選手の丸亀ハーフや青梅マラソンとも日程が重なったので、7レース全部取材に来た記者は、月陸の小森さんくらいではないでしょうか。やってみると、すごいことをやってのけた、という実感はあまりありません。これも、やってみないとわからないことですから。
 それに、赤字の取材も1〜2ありました。確定申告しないといけないし…。

 報道&展望記事と名古屋国際女子マラソン特集に「名古屋女子マラソン1km毎通過&スプリット一覧」「上位3選手の記者会見コメント&マラソン全成績」をアップ。


●3月10日(土)
 名古屋○○旅行記。
 2時間睡眠で名古屋に向けて出発。寺田は小田急沿線の住民なので、小田原で新幹線「こだま」に乗り換え。東京に出て「ひかり」に乗った方が速いのだが、以前、どこかの実業団チーム関係者が、「ひかりだと座れない可能性もあるが、こだまの自由席だったらだいたい空いていて、ゆったり、疲れずに移動できる」と話していた。それで寺田も“こだま派”というわけである。まあ、小田原経由の方が1000円近く安くつくし、貧乏ライターだから、というだけの理由かもしれないが、それを詮索するのは野暮というものだろう。
 新幹線はだいたい、指定席に空席があれば自由席も座れることが多い(絶対というわけではないので、やってみて座れなかったからと抗議のメールを寄こさないように)。ところが今日は、小田原駅で空席表示を見るとグリーン車以外は満席。時間的に1本遅らせることはできないし、グリーン車などもってのほか。今日は、取材の予習が完璧に近かったので車内でそれほど資料に目を通さなくてもよかったし、途中で座れるだろうと自由席特急券を購入。結果的にそれしか選択肢がなかったわけだが、指定席と自由席では500円違うのだ。
 だが、ラッキーなことに小田原で下車する人もそれなりにいて、座ることができた。車内では「観戦用スプリットタイム」をエクセルに入力。新幹線でコーヒーを飲むのが好きなのだが、300円はっきり言って高すぎる。やっぱ200円以内でないと…。
 記者会見の行われるホテルまで、名古屋駅から歩けない距離ではない。だが、12時24分名古屋着で13時会見開始なので、地下鉄で移動する。1駅だが200円。東京の営団地下鉄も最近ちょっと高くなったし、都営地下鉄はさらに高いという印象だったが、名古屋の地下鉄はもっと高い。
 ベースボール・マガジン社員時代も“タクシー厳禁”の会社だったため、節約旅行をしたつもりだが、自営業者になるとより切実だ。
 確定申告締め切りまであと5日。

 報道&展望記事と名古屋国際女子マラソン特集に「名古屋国際女子マラソン有力選手が記者会見」 「 各監督のコメントから有力選手の調子を探ってみると…」 「観戦用スプリット・タイム」をアップ。報道&展望記事に「順大・沢木監督が総監督に」 「世界室内選手権開幕 小坂田、金沢は予選突破ならず」をアップ


●3月9日(金)
 明日(正確にはもう明日になっているのだが)は8時40分の電車に乗らなければいけないというのに、まだ仕事が終わらない。ただ今午前3時33分。
 明日はもちろん、名古屋国際女子マラソン前日記者会見の取材だ。ただ、ちょっと気になることがある。昨年の記者会見は、全体の会見が終わったらすぐに、選手全員が隣室に隔離されてしまったのだ。高橋尚子(積水化学)選手が出ていたための特例措置だと思うが、今年も同じだったら補足取材ができない。
 福岡ユニバーシアードに関する質問をしてみたい選手がいるのだが、共同会見では質問できないネタである。会見終了後に個別に聞くしかないような。それが明日、できるかどうかわからない。だったら、もう書いてしまおうということで、記事をアップしました(こちら)。
 福岡の方からメールをもらったので、福岡ユニバーシアードのことを思い出した次第です。鯉川さんには11月に順大でお世話になったし。山内選手も、“年度始めに先生から間違った名前を呼ばれて訂正する”という、寺田や杉本龍勇選手と同じ体験(2月27日の日記参照)をしているはずだし。ちなみに彼女は“やまのうち”と読みます。

 特集に「名古屋国際女子マラソン」を追加。報道&展望記事と名古屋国際女子マラソン特集に「1995福岡ユニバーシアードは、2001名古屋への“第一章”となるか!? 金メダリスト草萱と途中棄権の山内が出場」をアップ


●3月8日(木)
 いやーっ、こんな寺田のWEBサイトでも、「隅々まで読んでいます」、なんてメールを何通かいただきました。嬉しいですね。今日も来ました。なになに……。
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『稀代の高レベル安定ランナー、三木の韓国・東亜挑戦に注目』で旭化成の三木さんは初マラソンから10分台、8分台、9分台の次の4レース目は何分台だったでしょうか?
三木さんは昨年のベルリンで20分かかりました。
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 がーん。そういえば、そうでした。これは、うかつにも見落としていました。お詫びいたします。まあ、3レース目まではすごかったのは事実なので、それだけでも紹介する価値はあるのですが、記事としては不正確なものでした。
「反省してください」(*注)
「反省しています」
 ところで、メールをくれたのは誰だろう。松たか子……であるわけがないし。
「今日は会社に出勤中なのですが、少し暇なので、寺田さんのHPをじっくりと読ませて頂いていた所…」
 “今日は会社に出勤”“少し暇”、どんな職種の人なのでしょうか? 詮索するのは好きではありませんが…。
*注:雨宮事務官=松たか子の常套句、ドラマ「HERO」から引用。以前にも書きましたが、「HERO」のスポンサーは、旭化成ですから。

 報道&展望記事に「世界クロカン開催地が再変更」を、記録集計号特集に「世界リスト上位選手で“知名度”が低いのは誰だ! 記録集計号がベストセラーになれば、柳沢選手も有名人」をアップ



●3月7日(水)
 いやーっ、ついに出ましたね。陸マガ記録集計号。それも予定通りの発売日に。きっと、関係者全員が締め切りを守ったのでしょう(このあたりの経緯は2月13日、同18日の日記参照)。
 ところで、誤解のないように書いておきますが、寺田がタッチしたのは版下作成の部分だけです。記録の収集整理は全て、ATFS(世界陸上競技統計者協会)の日本メンバーの方たちが中心に行なっています。このATFS、Association of Track and Field Statisticians の方たちというのは、要するに“記録のプロフェッショナル”。Track and Fieldとありますが、もちろんマラソンなどロードレースの記録も扱います。なかには「マラソンや競歩の記録なんて、適当(コースや気象条件によって左右される度合が強すぎる)だからやーだよ」と言う方もいらっしゃいますが…。もちろん、英語で。
 ともあれ、ATFSメンバーの知識はものすごいです。我々ライティングの仕事の人間にとって、彼らのアドバイスがなければ、かなり書くネタが減ります、間違いなく。しかし、日本でのStatisticianの評価は、低すぎるように思います。国際陸連では主要大会にATFSのメンバーを招き、彼らの知識をその都度、報道陣にも公開できるようなシステムをとっています。そのために予算を割いているということです。セビリアの世界選手権でも、Statistician専用の部屋がありました(探すのに苦労しました、地元の補助員のお兄ちゃんがわかっていなくて。補助員のお姉ちゃんも同様でしたが、かわいかったです…)。
 陸マガ時代にエレナ・マイヤー(南アフリカ)のインタビューに同席した際、彼女の旦那さん(コーチ兼任だったかも)から「Are you a statistician?」と聞かれたときは、ちょっと嬉しかったです。もちろん、ちゃんと「No, I 'm a editor, don't have so much information about statistics」と、その場でとっさに答える英会話の力はなく、口に出たのは「No」だけだったような…。

 記録集計号特集に「寺田的記録集計号の見方(1)非五輪種目とパフォーマンス・リスト 男子60mの最速はグリーンではなくスリンだった!!」をアップ


●3月6日(火)
 今月のキャッチコピー、「国際陸連は忙しい。たぶん」が、予想以上に的中してしまいました。世界室内選手権(3月9〜11日:リスボン)と世界クロスカントリー選手権(24〜25日:ダブリン)、2つの世界選手権を主催するから忙しいだろうな、と思ったのですが、世界クロスカントリーの開催をダブリンが返上してしまいました(記事はこちら)。
 こんなに間近になってからの変更だと、大会関係者がこなさなくてはいけない手配、段取りは並大抵のものではないはずです。こういった予想外の仕事が増えた場合、個々人のこなさなければならない作業も当然のことですが、追加されます。各国陸連への連絡と問い合わせへの対応、代替開催地との協議、大会プログラムや運営マニュアルなどの印刷物の変更等々。事務レベルの人間の苦労を思うと、他人事とは思えなくなります。
 陸上メディアで働く人間にとっては、突然の仕事追加は、実はよくあることです。99年ベルリン・マラソンの犬伏孝行(大塚製薬)選手のように、どこで誰が新記録を出すかわかりません。陸上専門誌の場合、「この大会だったらこのくらいのページ数」と、事前に決めていますが、予想以上に好記録が続出してページを増やそう、というケースがかなりあります。この辺が、記録に左右される競技の大変な部分です。球技や格闘技のように、最初から大会のグレードを決めて、ページ数が決定できない部分でもあるのです。
 しかし、締め切りとの兼ね合いで増やせないケースもあります。陸上専門誌読者へのお願いですが、次のことは理解してください。価値のある記録でも載っているページ数が少なかったら、出したタイミングが締め切りに近かったと思ってください。クレームを付ける前に、記録の出た日付や場所(外国で写真を入手できないケースも多い)を確認してください。
 寺田のWEBサイトへの情報掲載が遅かったら、他の原稿で忙しいのだと思ってください。「HERO」や「女子アナ」を見ているせいではありません、決して。

 報道&展望記事に「ダブリンが世界クロカンの開催返上 代替開催地はブリュッセル」をアップ


●3月5日(月)
 今日も、昨日のびわ湖マラソンの話題です。一昨日の日記に紹介した、ジェンガ選手、残念ながら途中棄権でした。スタート前、アップを終えて引き揚げてくる彼にひと言声をかけたのですが…。これまでの実績では寺田と競技前に話すと、けっこう成績がいいはずなのですが(2月8日の日記参照)…。
 びわ湖マラソンは1位がスペイン、2位がイタリア。テレビで只隈監督がどちらかのことを伊達男と紹介していましたが、どちらも南欧系特有の色男です。
 それに反してアフリカ勢は、ケニアのボルこそ6位でしたが、タイエ(エチオピア)は12位、ウォラシュ(同)は18位。さらに輪をかけて悪かったのが、日本に関わりの深いアフリカ勢でしおた。コニカで強くなり、93年からボストン3連覇のデティは16位、ゲブレ(テクモ)は32位、マヤカ(日立電線)は105位。
 どうやら、アフリカ勢にとっては“日が悪かった”ようです。寺田が悪かったわけではなくて。

 報道&展望記事に「グリーンが60mで室内世界タイ 室内60m6秒50未満全記録」と「福岡国際クロカン、山口が快勝 藤永は千葉に続いて2位」と「世界クロカン代表に山口洋、高橋千、藤永、藤井、阪田ら25選手」を追加


●3月4日(日)
 大津の朝は雨でしたが、朝から朝日新聞の杉山さん(女性記者)にホテルのレストランでお会いし、何かいいことが起こる予感がしていました(これはお世辞)。
 取材はもちろん女子競歩から。雨は上がりました。朝、やはりホテルのフロントで一緒になった日刊スポーツ佐々木記者から、アトランタ五輪代表だった競歩の三森由佳(綜合警備保障)選手が引退したことを聞かされました。伊東浩司選手の緊急記者会見を報じた金曜日の紙面で、扱いは小さかったのですがスクープしたそうです。
 女子5000mWの1000m毎の通過タイムは
4.27.
8.58.
13.32.
18.03.
22.30.45
 です。1月の神戸で記録を見た際はわかりませんでしたが、忠政良子(登利平AC)選手は、以前の坂倉選手でした。その忠政選手が、最後に照井貴子(サニーマート)選手に追い込まれましたが、逃げ切りました。
 マラソンの取材は報道車に乗り込ませていただきました。ところが、これが、あんまりよくありません。寺田はこれまで、東京、東京女子、大阪女子、名古屋女子と報道車から取材したことがありますが、びわ湖が一番見にくかったです。上記3都市に比べると道が狭いので、選手に近づけない。しかも、審判長車の前に出てはいけない規定があります。先月の東京では、高橋健一選手の1km毎の通過時間をチェックできた(これは陸マガ誌面に反映させています)のですが、今回はとても無理。どこの大会でも車にテレビは設置されていますが、動いているときは画像が乱れて、ちょっとしか役に立ちません。
 かーなり後悔していましたが、最後の最後、35km手前から選手に近づくことができ、一番の勝負所を間近で見ることができました。しかも、37km、38km…と1km毎、さらには残り4km地点、3km地点…も日本選手の通過タイムをチェックでき、「これはびわ湖マラソンラスト7kmの激戦“報道車からの観戦記”をWEBサイトに書こう」と思ったくらいです……が、事務所に戻ってビデオを見たら、解説の只隈監督が事細かにその辺の通過タイムを紹介されていたので、この企画はボツ。
 しかし、1時間半以上の失望のあとに、至福の時が訪れたのです。しかも、国立競技場や長居だと、報道車は競技場に戻ってくると、フィニッシュ地点からかなり遠くに駐車せざるを得ません。5分も10分もかかるので、ゴールは絶対に間に合いません。ところが、皇子山くらいの競技場だと、駐車場所から小走りで2〜3分。優勝者のフィニッシュにもばっちり間に合いました。
 ここでダッシュしたため、運転手の方にお礼を言うことができませんでした。この場をお借りして…というのは、もっとメジャーなメディアの場合に使う言葉ですが、とにかく感謝の意を表せずにはいられません。本当にありがとうございました。

 報道&展望記事とびわ湖マラソン特集に「びわ湖マラソン 2時間07分52秒の日本歴代5位、油谷のコメントからその特徴を探る」を、報道&展望記事に「日本学生マラソン選手権 全選手リサルツ 」をアップ


●3月3日(土)
 大津市のホテルで明日のびわ湖マラソンの記者会見を取材。その模様はこちらで。記者会見に出席しなかったなかで注目しているのは、福岡で中盤まで好走した浜野健(トヨタ自動車)選手、磯松大輔(コニカ)選手、方山利哉(NTT西日本)選手ら(もちろん他にもたくさんいます)が、特に気になるのはダニエル・ジェンガ(ヤクルト)選手です。
 ジェンガ選手は仙台育英高のケニア留学生の第一期生。3000mSCで日本記録を上回る記録を高校時代に出してしまうスピード(バネ、脚力)はもちろん、考え方が非常にしっかりしています。ギタヒ(日清食品)選手のようにトラックでケニア代表になるほどの爆発力はないかもしれませんが、第2のダグラス・ワキウリ選手になれるのではないかと感じています。
 ワキウリ選手は20歳前に来日してエスビー食品所属。当初は、東京選手権でも勝てないなど、まったく強くありませんでした。ですが、日本語の上達と比例するかのように競技力も上昇し、87世界選手権金メダル、88ソウル五輪銀メダルと成長した選手です。
 ジェンガ選手も、日本語はもちろん、日本の文化・芸能への理解度はかなりのものです。いつだったか、ジェンガ選手に冗談で
「オリンピックで金メダルを取ったら、本を書かせてよ」
 と言ったことがあります。それに対するジェンガ選手の答えは
「そうなったらワタシが、自分で書きます」
 でした。

 報道&展望記事に「世界選手権選考男子最終レースのびわ湖マラソン 福岡の五十嵐のタイム、2時間09分26秒がボーダーラインか!? だが、選手の意識は――?」をアップ


●3月2日(金)
 昨日アップした伊東浩司(富士通)選手の緊急記者会見の最後に、小出義雄監督(積水化学)のコメントがあります。そのなかで「僕は伊東君のことは昔から知っていて、彼の先生も知ってるし…」とコメントしていますが、「彼の先生」とは、報徳学園高の鶴谷邦弘先生のことでしょう、間違いなく。小出監督が市船橋高監督時代、2度目の全国大会出場で高校駅伝を制したのが1986年。当時は報徳の全盛時で、前年の85年まで全国3連勝の偉業を続けていました。
 小出監督のお酒好きはシドニー五輪で全国津々浦々にまで知れ渡りましたが、鶴谷先生の酒豪ぶりも伊東選手が「(甲南大の件を)報告していたら、話の途中から(嬉しくて)もうお酒を飲んでいた」というくらい。元々、陸上界では鶴谷先生の酒豪ぶりの方が、早く有名になったと思います。
 以下のようなエピソードが、小出監督の著作の中にあります。86年の全国高校駅伝レース前日、小出監督と鶴谷先生は飲み比べをしたというのです。寺田が想像するに、駅伝はチーム競技で心理的な部分が影響しますから、前日に監督が生徒の様子を心配そうにうかがっていては、かえって生徒も不安になって走れないのでしょう。この2人が前の晩、生徒をほったらかして飲んでいるということが何よりの証拠です(どう思いますか、河合さん?)。
 で、その飲み比べは途中で鶴谷先生が引き揚げ、小出監督は「これはレースも勝ったな」とほくそ笑んで明け方、自分の宿に塀を乗り越えて帰ったそうです。つまり、小出監督は今回のオリンピックのように、“勝つことがわかっていた”ということなのでしょう(1月28日の日記参照)。
 当時、鈴木博美(積水化学)選手は市船橋高3年、伊東選手は報徳高2年。2人の酒豪先生が、その晩「うちにはこんな面白い選手がいるんだ」と、話をした確率は高いと思います。伊東、鈴木両選手とも、高校時代から個性的でしたから。ただ、15年後の結婚を予想していたのかどうか。
「僕はね、そんなの15年前からちゃーんとわかっていたよ」
 小出監督なら言いそうですが……さすがに、それはないでしょう。

 掲載記事に「info−VIEWS 東京マラソン“飛ばし屋”高橋健一に注目」(スポーツ・ヤァ!012号)をアップ


●3月1日(木)
 本日14時から伊東浩司(富士通)選手が緊急記者会見会見全内容はこちら)を行う旨、富士通がFaxしてくれました。取る物もとらず、急ぎ岸記念体育館へ。しかし、新聞報道に“引退”の文字もあったので、伊東選手が過去、表紙になった5冊の陸マガを持って駆けつけました。もしも、本当に引退だったら、この5冊を持ってもらい、写真を撮らせてもらおうと考えたのです。
 その5冊とは
・94年アジア大会&GPファイナル(200 m日本新)
・96年日本選手権(200 m日本新)
・98年日本選手権(100 m日本タイ&200 m日本新)
・98年アジア大会(100 m10秒00。3冠のメダルを持ってもらったもの)
・98年のアスリート・オブ・ザ・イヤー
 です。実際は引退ではなかったので、この5冊を使うことはありませんでしたが…。
 記者会見に行く前に伊東選手の国際大会(オリンピック、世界選手権、アジア大会)の記録だけでもと記録を整理していたら、98年のバンコク・アジア大会200 m準決勝で出した20秒41は、広島アジア大会でマンスール(カタール)選手が優勝時に出したタイム(当時アジア新)と、まったく同じでした。
 この記録は伊東選手が96年の日本選手権で更新していましたが、まったく同じタイムを、4年後のアジア大会の準決勝で出してしまうところに、伊東選手の成長ぶりを感じます。バンコクでは10秒00にばかり目がいって、こういった細かい部分に気づきませんでした。
 実は、バンコク・アジア大会の直後、寺田は取材に行ったわけでも何でもないのに、メッケル憩室炎(めちゃくちゃ痛い腹痛)という病気で、入院をしてしまいました。あのとき、陸マガのみんなにかけた迷惑は、本当に申し訳ないことでした。伊東選手にも、取材のアポ取りをやりかけて入院してしまったため、迷惑をかけてしまいました。改めて、お詫びします。
 会社で倒れたこともあり、飯田橋の東京逓信病院に担ぎ込まれ、そのまま入院です。その病院が、今週放映されたドラマ「HERO」でロケに使われていました。キムタクと松たか子が、准看の女性に会っていた、レンガ色の建物です。なんで、しょっちゅう「HERO」の話題になるかといえば、旭化成が番組スポンサーだからです。

 報道&展望記事に「緊急記者会見の模様を100%再現 伊東浩司が4月から甲南大専任講師に!! 今年中には結婚も」「全日本実業団ハーフに山口衛里 一般参加に大物選手多数」をアップ



昔の日記
2001年 1月 2月