続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
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◆2010年5月12日(水)
 ツイッターでつぶやいてばかりで、日記を書かなくなっていました。
 以前なら日記で書いていたネタのいくつかが、ツイッターでつぶやけるのは確かです。が、日記でしか書けないことも多いはずです。そもそも、140字のつぶやきで足りてしまうなら、我々物書きの存在価値が薄れます(だから一度に3つも4つもつぶやくのです)。
 だったら、日記も毎日書けよと言われそうです。まあ、ツイッターが手軽にできるのは確かですし、寺田的の方にも表示できるようになりましたし…。

 日記を再開するモチベーションになったのは、北海道文化放送・近田誉アナのブログです。近田さんは明大競走部OBで北海道マラソンのMC的なアナ。国際千葉駅伝やベルリン・マラソンでも活躍されています。近田アナがブログに書いている福島千里選手の歩数のネタに感銘を受けたのです。
 最初は「54歩の怪」として、一昨年や昨年の日本新記録の時と比べ、歩数が増えていることに触れています。以下に抜粋させていただきます。

オフシーズンの肉体改造で、足の回転スピードを減速させずにストライドを伸ばす。100メートルで歩数が1歩減り、記録は0秒2程度短縮できるという仮説が現実のもとなることを4月29日の記録は実証したのか・・・。その視点から11秒21をマークした織田記念のレースを見直し、ある「驚き」を発見した。日本記録更新は歩数減少のためだと思い込んでいたが、29日のレースは減少どころか歩数は増えていた!のだ。■レースを見返したのは@2008年4月、11秒36の日本タイ記録をマークした織田記念。AB1日に2度日本記録を更新した2009年6月7日の布勢リレーカーニバルのスプリント記録会、11秒28の第1レースと11秒24の第2レースC11秒21の現日本記録をマークした先月29日の織田記念の4レース。■@ABのレースは歩数54歩丁度か、54歩目に決勝線を通過している。しかし、今年のレースはそれより多い55歩だった。記録短縮の要因は歩数減少だと思い込んでいただけにこの事実は驚きだった。

 実は寺田も、同じようにビックリしていました。織田記念のバイオメカニクス測定で、昨年よりもピッチが速くなっているデータが出ていると聞いたときでした。織田記念のレース後の取材では、現地にいた記者たちは間違いなく、今季の記録短縮は筋力アップによるストライド増だと思ったはずです。
 バイメカデータの内容を聞いたのは200 mの日本新を出した静岡国際の翌日でした。広島、静岡と中村宏之監督にもそれなりに取材はしていたので、再度取材をするのは躊躇われたのですが、いてもたってもいられなくなり、「どうしてですか?」と電話で質問させてもらいました。
「だから11秒21だったんです」という中村監督の第一声で、全てを理解しました。織田記念は走りの内容的には意図したところができなかったのですが、それでも日本記録を0.03秒縮めることができたわけです。これをメインテーマにはできませんでしたが、陸マガ記事にも盛り込むことができました。

 近田さんに話を戻します。ブログの文章から推測すると、近田さんはバイメカデータを入手されたのではなく、ご自身でビデオ映像から、歩数などを計測されているようです。テレビ関係者だからできたことかもしれませんが、そこに着目することがすごい。それに、今まで取材されてきた情報を照らし合わせてあの文章を書かれたのです。
 本職はアナウンサーですよ。科学的な視点と取材能力、双方ををつなげて分析する能力。これはもう、“さすが”と言うしかありません。

◆2010年5月19日(水)
 今日は早大取材でしたが(ツイッターで報告済み)、日本選手権のエントリー選手発表もありました。月曜日の夜に共同通信が配信し、前後して為末大選手自身もサイトで公表しましたが、残念ながら為末選手は日本選手権に出られません
 陸マガ6月号の展望記事には「為末大が5月中旬に、北京五輪以来のレースに復帰するプランがある。」と書きました。5月の大阪GP前に関係者に取材をした時点では、為末選手陣営は日本選手権にも出場するつもりだったのです。
 出られなくなったのは先週末くらいだったようです。東日本実業団の成迫健児選手取材時にも、必然的にその話題が出ました。
 成迫選手は残念そうな表情を見せた後「残念ですが、小池(崇之)が好調ですし、吉田(和晃)君もこれから上げてくると思います。今関(雄太)君も後半が強いですから、足元をすくわれないようにしたい」と話していました。

 日本選手権での種目選択が注目されている選手が何人かいますので、主だったところはトップページで紹介しました。しかし、小林祐梨子選手は「今季は寒さの影響などでスピード練習が不十分」(平林監督)ということで、5000mに絞る可能性が大きいようです(最終決定ではありません)。ライバルの吉川美香選手は「出てきてほしいですね。去年は1人でタイムを狙いましたが(4分15秒89)、戦う日本選手権にしたい」と対決を希望していたのですが、こればかりは仕方ありません。
 長距離では竹澤健介選手も「5000mに絞る可能性が高い」と田幸寛史監督が話していました。ただ、これも最終決定というわけではないので、皆さん決めつけないように。


◆2011年1月28日(金)
 新幹線で大阪入り。大阪国際女子マラソンの記者会見取材のためです。
 新幹線に乗り込むと、米原付近の雪のため徐行するとのアナウンス。30分遅れの見込みだとJR東海は言います。会見は14時開始で、場所はホテルニューオータニ。最寄り駅の大阪城公園に13時に着くスケジュールだったので、30分遅れでも大丈夫でしたが、1時間遅れになっていたらアウトでした。そういえば昨年は、新幹線がストップしていて金曜日の大阪入りを断念しましたね。赤羽有紀子選手は新幹線で5時間かかったとか。この時期、には気をつけなければいけません。
 話は脱線しますが、雪といえば宇宙戦艦ヤマトの森雪(ヒロインですね)のファンでした。実写版の森雪はどうなのでしょうか。気の強いところもある描かれ方をしていると聞きましたが、そこがあまり強すぎるとイメージと違ってしまうのですが。
 そんなことよりも、宇宙戦艦ヤマトといえば、ニューイヤー駅伝で優勝したトヨタ自動車の辻大和マネジャーのことを思い出します。大和と書いて“ひろかず”と読むのですが、辻マネジャーを見かけるたびに「やあ、宇宙戦艦」と心の中で言っているのは寺田だけではない……だけでしょうか。とにかく、元旦は「おめでとう、宇宙戦艦」と3、4回はつぶやいていました。

 話を記者会見に戻します。会見の一問一答は大阪国際女子マラソンの公式サイトに出ています。寺田も会見の一問一答をよく記事にしていますが、この大会は主催者が出すのでそちらに任せることにしています。少し要約していますけど、わざわざ同じことをやる必要もないので。
 それよりも、会見後にダイハツの林清司監督の話を聞くことができ、会見の木崎良子選手コメントの意味がよくわかったので、そちらを記事にすることにしました。木崎選手はレース数が多いかなと思っていましたが、林監督の話を聞いて納得しました。
 原裕美子選手と森本友選手が欠場で、赤羽有紀子選手が断トツの優勝候補という雰囲気でしたが、木崎選手も侮れないでしょう。伊藤舞選手も木崎選手同様2回目のマラソンですが、彼女にマラソンの適性が高かったら、ここで大化けする可能性があります。
 ちなみに、赤羽選手が全日本実業団対抗女子駅伝3区の区間2位、伊藤選手が同3位、木崎選手が同4位でした。

 会見後にはロビーで京セラ新原監督と話をすることができました。宮内姉妹について、これまで詳しい話を聞いたことがなかったので、ここはチャンスとばかりに色々と聞かせていただきました(宮内姉妹はテレビ局の取材中でした)。
 姉妹のマラソンは姉の洋子選手が2010年の名古屋(11位・2時間33分36秒)の1レース、妹の宏子選手が2009年の横浜(8位・2時間32分20秒)と2010年の北海道(2位・2時間35分42秒)の2回です。2009年の横浜と昨年の北海道は一緒に出ようとしていたのですが、洋子選手が故障をして姉妹出場は実現しませんでした。
 また、宏子選手が極度の花粉症なので、名古屋の時期にレースに出場することはできないのだそうです。
 2人の見分け方ですが、左のこめかみにほくろがあるのが洋子選手だそうです。あと、強いて言えば洋子選手の方がストライドが大きいとのこと。正面からのアングルではわからないかもしれませんが、横からのアングルでテレビカメラが2人をとらえたときには気をつけて見てみたいと思います。
 その特徴と少し関連すると思える練習での違いも教えていただきましたが、このネタは記事にする機会があるまで温めておきましょう。

 それにしても、記者会見に出席する記者の数がちょっとずつ減っているように思います。という話をH記者(本人は否定しますが、身長が伸びたような気がします)としました。福岡国際マラソンもそうです。レース2日前の会見だと、前日会見と比べると1泊分経費が余分にかかりますから、東京の陸上記者が出席しにくいのかもしれません。


◆2011年1月29日(土)
 11時過ぎに大阪城公園の周回道路に。大会本部ホテルのニューオータニから近く、招待選手のほとんどが最終ジョッグをする場所です。
 最初にお会いしたのが三井住友海上・渡辺重治監督。ジョギングをされていたのは、市船橋高後輩の渡辺康幸監督(早大)に対抗して、体重を減らそうという意図かもしれません。ただ、マラソンで選手が優勝しても、その監督が胴上げされるなんてシーンは見たことがありません。その真意は謎ですね…単に聞かなかっただけですが。

 次に現れたのは大塚製薬の伊藤舞選手陣営。さすがに練習前の選手に話は聞きませんが、河野匡監督とは伊藤選手のことや、最近のマラソン界(主に男子)のことなど、話をさせていただきました。
 練習後の伊藤選手にも、ホテルに引き揚げる間に歩きながら主催紙記者たちと一緒に取材をさせていただきました。伊藤選手は昨年の名古屋に続いて2回目のマラソン。今の状態でどこまで行けるのか不安もあると言いますが、初マラソンのときよりも良い練習ができた手応えもあります。
 ペースメーカーの設定は5km毎が17分00秒で中間点が1時間12分00秒(明日の朝、気象条件などを見て最終決定されます)。不安があるのは名古屋の時よりも速い設定だからですが、名古屋の時は出場決定からレースまでの時間が1カ月ちょっと。40km走もできませんでしたが、今回は40km走を2本こなしています。
 具体的な根拠はここでは書きませんが、河野監督によると伊藤選手はマラソンの適性があるタイプです。ひょっとすると、後半のどこかでスパートするのは伊藤選手かもしれません。

 伊藤選手の次に練習を終えたのは堀江知佳選手(ユニバーサルエンターテインメント)陣営。堀江選手は今大会の招待選手の中ではベテランの部類に入ります。マラソン回数を昨日確認させていただき、その内容をじっくり見ると自己記録が8年以上も更新されていないことがわかりました。そこを突っ込もうと思っていたのですが、伊藤選手同様ホテルまでの帰り道で話を聞くと、「前半が課題」ということを強調します。
 後半が課題というケースは珍しくありませんし、長距離種目の永遠の課題でもあるでしょう。「前半が課題」と話す選手は超レアなケースです。
「前半を楽に走って力を温存するということですか?」と突っ込むと「力んでも良いから前半から付いて行きたい」という答えでした。そのとき、前回の大阪では5km付近で後れたことを教えてもらいました。昨年のリザルトを持ち歩いていましたが、それを見ると2時間28分台でまとめています。後半は優勝者より速い。
 後で09年の名古屋も調べてみると、優勝した藤永佳子選手に前半から後れをとり、やはり後半は藤永選手よりも速く走っていました。
 小出代表にも話を聞くことができ、この記事を書くことができました。

 最後に練習を終えたのが赤羽有紀子選手(ホクレン)陣営。赤羽選手の話は昨日の会見で聞いてあったので、取材をしたのは赤羽周平コーチだけ。赤羽選手のコメントや、各種新聞記事、テレビの特集などで知りたい点を絞っていたので、要点を絞って質問できました。結果はこちらの記事に反映させました。
 昼食後の空き時間でこの記事を書きながら、今回は赤羽選手が本命かなと感じました。

 16:30からは、明日のハーフマラソンに出場する土佐礼子選手のカコミ取材。
 ゲストランナーで2度走ったことがあるそうですが、正式なレースは昨年4月の出産後初のこと。産後2カ月で走り始めようとしたらヒザを痛め、3カ月後から走り始めたそうです。出産で20kg増えた体重を、現在はプラス3kgの状態まで戻しました。練習は基本的には朝練習だけ。年末年始の10日間の宮古島合宿だけは、夫の村井さんが同行して2部練習ができたといいますが。
 明日は「まだ2〜3割の状態。どのくらいのタイムでというよりも、ジョッグよりも速く走ることができれば」という目標だそうです。
 2月末の東京マラソンにも出場予定ですが、「このままじゃサブスリーも難しい」というくらい、復帰への道は進んでいません。それでも、「体をつくれたらもう1回、しっかりマラソンを走ってみたい」という希望は持ち続けています。土佐選手らしく、「どうかな」と最後に付け加えていましたが、土佐選手ならやってくれそうな気もします。どうでしょうか。


◆2011年1月30日(日)
 大阪国際女子マラソンの取材でした。
 大阪の寒さは半端じゃなかったですね。しかも、風が強かった。後で発表された気象条件を見ると、コース上は0.何mとか1.何mとかの風ですが、ビルの谷間ですからもっと強い風が吹き付けていたはず。いかに風が強かったか、記事にした赤羽有紀子選手のコメントからもわかります。
 そんななかで優勝した赤羽選手は強かったですね。コメントも、メディア側が求めている内容をきっちりと話していました。あるいは、突っ込む側の記者が、正鵠を射た質問をしたか。昨年の途中棄権以降のストーリーがあり、家族関係のサイドネタもあり、それに加えて会見がこれだけ盛り上がると、記者たちもネタに困ることはないでしょう。

 ただ、1つだけ難点がありました。日本人ママさん選手の国内メジャー・マラソン優勝があるかどうかという点。ミセス選手ということなら、弘山晴美選手がしているとすぐに思いつくのですが、ママさん選手となるとすぐに思い出せません。某記者から質問されたのですが…。
 思い出したのは18時からの表彰式&パーティー会場で。北海道マラソン優勝の田中千洋選手が確かそうだったと気づきました。ただ、経産婦選手初の優勝か、経産婦選手初の2時間20分台と書いた記憶がよみがえってきました。R連からも問い合わせがあったので、裏をとるためK新聞元陸上競技担当のO原記者に電話。O原記者は田中選手の小野高の後輩に当たります。O記者がデータベースですぐに調べてくれて、田中選手が経産婦選手で優勝していることが判明しました。

 実はO原記者からはレース前にもメールをもらっていました。かつて同記者が取材した堀江知佳選手に頑張ってほしいという内容でした。須磨女高(現須磨学園高)でインターハイに優勝している選手ですから、取材機会が多かったのでしょう。O原記者がかつて、堀江選手の走りを『忍者走り』と記事にしたことがあるという話題でした。
 堀江選手といえば地をするような動きの高速ピッチ走法が特徴です。それが高校を卒業して12年目、マラソン12回目の今はどう変化しているのかを、暗に寺田に調べてほしいと言っているわけです。さすがに3位選手の公式会見の場でその話題は持ち出せませんでしたが、パーティー会場で雑談するにはOKでしょう。
 運良く堀江選手と雑談するタイミングがあり、そこを質問してみました。
「どう思われますか」と逆に質問されたので、「以前よりも少し、ストライドが大きくなっているのでは?」と答えました。堀江選手も同意見で、「ここ数年で大きくなった」と言います。5000mの自己新が2007年の全日本実業団で、1万mの自己新が2008年の兵庫リレーカーニバル。そのあたりでスピードがついて、バネが利いた走りになったようです。ただ、忍者走りでなくなったわけではなく、忍者走りが「進歩した」(堀江選手)ととらえています。
「せっかくピッチ走法(忍者走り)をここまでやってきましたから、今後は両刀使いでやっていきたいと思います。マラソンなら勝負所の前まではピッチ走法で、勝負所でストライド走法と使い分けたい」
 こちらに記事にしたように、堀江選手は来年の五輪選考会に懸けています。課題としていた前半の走りも今回克服し、今日の3位は十二分にそのステップになりました。堀江選手が結果を出した暁には、『忍者走りの勝利』というテーマで、その動きの変遷が記事になる…かもしれません。


◆2011年1月31日(月)
 朝の7時10分から赤羽有紀子選手の一夜明け会見
 家に帰ったら何をしたいか? という質問に「娘といっぱい遊んで、一緒に髪を切りに行きたい」と答えていました。この辺はママさんランナーならではの受け答えです。
 ママさんランナーで思い出しました。昨日の日記で北海道マラソンで優勝した田中千洋選手のことに触れましたが、昨日はハーフマラソンに出場して3位(1時間17分34秒)に入っていました。
 そして、同じくママさん選手の大島めぐみ選手が、2月の横浜国際女子マラソンに出場予定だそうです。確かな筋からの情報です……今、公式サイトを見たら、一般参加選手の欄に名前がありましたね。
 すでに、昨年12月のホノルルで復帰レースをしているそうですが、今度の横浜ではどのレベルで走ってくれるのか楽しみです。
 土佐礼子選手も昨日、ハーフマラソンでレースに復帰しました。日本でもママさんランナーが増えています。

 ところで横浜国際女子マラソンは今年、2月と11月の2回行われます。昨年11月にAPECが横浜で行われ、マラソンが開催できなかったからです。そこで昨日、記者たちの間で大会の名称をどうするのか、ということが話題になりました。
 初の横浜開催となった前回が横浜国際女子マラソン2009。横浜国際女子マラソン2011では同じ名称になるので、横浜国際女子マラソン2011スプリングと横浜国際女子マラソン2011オータムになるのでは、と。
 ところが、これも公式サイトで確認すると2月開催のレースは第2回横浜国際女子マラソンと名称が決まっていました。うーん。個人的には東京国際女子マラソンとの連続性を強調してほしかったので、第何回とはしてほしくなかったのですが…。

 大会名称ネタがもう1つあります。大阪国際女子マラソンの英語表記が2011 Osaka Women's Marathonになりました。昨年までは2010 Osaka International Ladies Marathonでした。関係者に確認したところ、国際的に見て一般的な表記にしたようです。
 ちなみに横浜国際女子マラソンは2nd edition of Yokohama Women's Marathon、名古屋国際女子マラソンは2011 Nagoya International Women's Marathonが英語表記です。


◆2011年2月2日(水)
 昨日から毎日新聞で「サブテン考:別大マラソン60年」という連載が始まっていました。昨日の1回目が宗茂さんで、今日の2回目が森下広一監督。どちらも2部構成になっていて、前半が別大のレースのポイントを振り返っていて、後半が現在の問題点の指摘する形になっています。
 さて、明日以降は誰が登場するのでしょうか。別大の日本選手サブテンは以下の7人です。
記録 選手 所属 大会 順位 年月日
2.09.05.6 宗 茂 (旭化成) 別大 1 1978/2/5
2.08.53. 森下 広一 (旭化成) 別大 1 1991/2/3
2.09.12. 中山 竹通 (ダイエー) 別大 2 1991/2/3
2.09.23. 三村 徹 (鐘 紡) 別大 3 1991/2/3
2.09.11. 清水 昭 (杵築東芝) 別大 1 1998/2/1
2.08.45. 西田 隆維 (エスビー食品) 別大 1 2001/2/4
2.09.58. 入船 敏 (カネボウ) 別大 1 2005/2/6
 順番からいうと清水昭コーチでしょうか。レースのインパクトも強かったですね。14分台のスプリットが35kmまでと40kmまでの2回ありました。ただ、別大のレース以後は良い走りをまったくすることができず苦しんだ選手です。そういった経験から何か、現状への提言もできるかもしれません。


◆2011年2月3日(木)
 本日の毎日新聞連載「サブテン考:別大マラソン60年」は予想通り清水昭コーチでした。予想通り、終盤の爆発的なペースアップについて触れられていました。
 明日は西田隆維さんでしょうか。現在は俳優の道に進んでいる西田さん(オフィシャルサイト)が、どんな提言をするか興味がわいてきました。西田さんと決めつけてしまっていますが…。

 世間では、大相撲の八百長問題が発覚して大騒動になっています。陸上界ではちょっと考えられない問題です。考えられないと言うよりも起こりようがない。どうして起こらないのかを説明するのは難しいのですが…。1つには金銭的な部分、1つには試合数的な部分でそう感じています。
 それにしても、こういった競技以外の部分を取材するのは大変ではないでしょうか。その業界に踏み入れてみればそれなりの方法はあるのでしょうが、寺田のように陸上競技しか取材したことのない人間にとっては、取材しろと言われてもどこからどう手を付けて良いのかわかりません。誰も、寺田に取材しろとは言わないと思いますが。
 日刊スポーツの前陸上競技担当で、現相撲担当の佐々木一郎記者に今度、その辺の苦労話を聞いてみましょう。佐々木記者は昨年のバンクーバー五輪では例の選手の騒動に巻き込まれ、相撲担当になったと思ったらいきなり野球賭博問題が起きました。そして今度は八百長問題。
 高橋尚子さんの引退発表や、醍醐直幸選手の結婚などをスクープしていた陸上競技担当の頃は健全な取材だったと感じているのでは?


◆2011年2月4日(金)
 本日の毎日新聞連載「サブテン考:別大マラソン60年」は藤田敦史選手(富士通)でした。昨日の日記には西田さんと決めつけて書いてしまいました。別大でサブテンを達成した選手だけと決めつけてしまったのが失敗でした。日記とはいえ、いい加減な予想をしてしまったこと、反省しています。
 記事中で藤田選手が現状への提言として、「若手が挑戦しなくなった」と言っています。現役サブテンの最年少選手が29歳の藤原新選手というのは、寺田もどこかで書いた記憶があります。過去のサブテン選手の年齢を調べると、24〜26歳で初サブテンを達成しているケースが多いのに、です。
 その一方で、1万mの28分台選手の数は1シーズンで100人以上に達しています。大学でも学生駅伝で優勝争いをするチームには4〜6人も28分ランナーがいます。この現状を見る限り、何のための28分台かという意見が出て来るのも仕方がないでしょう。

 本日、陸マガ3月号増刊の「大学駅伝決算号」が届きました。
 今回は“しっかり読ませよう”という編集方針だそうで、どの記事もそれなりの文字数があります。まだ一部の記事しか読んでいませんが、早大の渡辺康幸監督がインタビュー中で「早稲田の競走部である以上、日の丸を付ける選手を育てたい(中略)大迫にはロンドン五輪を念頭に置いて、世界陸上のA標準を破ってほしい」とコメントしていました。どんなに箱根駅伝がフォーカスされても、世界を目指している姿勢を言い続ける。これは重要なことだと思います。
 今回の箱根駅伝報道の中では渡辺監督の「エース不要論」というコメントだけが一人歩きをしてしまった感じもありました。エース不要というのはそもそも、エースに頼らず選手層の厚さが箱根駅伝には必要という意味です。決して、世界を目指さないと言っているわけではありません。
 渡辺監督のインタビューは8ページにわたる記事で、そういった細かい部分もきちんと説明してくれています。それに加えて、今季だけでなく、同監督の就任後の流れをきちんと紹介してくれているのも、早大の“今”を理解しやすくしてくれています。
 雑誌も新聞も文字数が少なくなる傾向がありますが、報道の役目をしっかりと果たすには、ある程度の文字数も必要だと再認識させてくれた1冊です。


◆2011年2月5日(土)
 昨日に続いて今日も、間違いのお詫びからです。ジュニア室内大阪大会と併催される国際大会を、以前と同じ日中ジュニア室内だと思い込んでいました。正しくは3カ国ジュニア交流室内でした。申し訳ありませんでした。
 3カ国は日独米…日米独、どちらの表記が良いのでしょうか(と、話を逸らそうとしている意図が見え見え?)。大阪陸協の成績ページでは英文表記の大会名が2011 GER-JPN-USA Trilateral Friendly indoor Meet in Osakaとなっているので、独日米ですね。おそらく、頭文字のアルファベット順にしたのでしょう。
 九鬼巧選手は60mで、3カ国ジュニア交流室内とジュニア室内大阪の両大会に出場したようです。3カ国の方が6秒74で優勝し、ジュニア室内の方は6秒72で2位。ジュニア室内は山縣亮太選手が6秒71で優勝しています。100mのインターハイ優勝者と国体少年A優勝者。0.01秒差のライバル対決は見応えがあったでしょうね。

 さて、明日はいよいよ別大マラソン。先週の大阪国際女子マラソンのように取材をしていないので、誰の調子がよさそうかはわかりませんが、今日の会見記事毎日新聞の展望記事を読むと、藤田敦史選手(富士通)や前田和浩選手(九電工)の名前が大きく取り上げられています。実績的にその2人がリードしているのは確かです。
 下重正樹選手(コニカミノルタ)も好調のようですし、油谷繁選手(中国電力)も今大会に懸けるものがあるようです。個人的にはカネボウから移籍後、安定感が増した澁谷明憲選手(黒崎播磨)にも注目しています。

 ところで、本日も陸マガ3月号増刊の「大学駅伝決算号」を読んでいました。
 昨日書いたことにも通じる部分ですが、選手毎、テーマ毎にここまで詳細に取り上げているのは意欲的と言っていい編集方針です。もちろん、学生駅伝(箱根駅伝)をここまで大きく取り上げるな、という意見もあるでしょう。それはそれで議論すべきだとは思いますが、内容的には冷静な視点もしっかりと持っています。
 例えば、早大1区の大迫傑選手の記事は、“あくまで、大迫の軸はトラックにある”(記事から抜粋)というトーンになっています。昨日の日記で渡辺康幸監督がインタビュー記事中、大迫選手には世界選手権を狙ってほしいと言っていることを紹介しました。同じインタビュー記事で、渡辺監督と大迫選手が練習メニューの距離を決めるときのやりとりが紹介されているのも好感が持てました。
 早大2区の平賀翔太選手の記事には、以下のようなコメントが出ています。
「だけど箱根駅伝でこんなに騒がれちゃっていいのかなと思います。まだ大学生なのに…」
 いいわけはないです。平賀選手はしっかりした認識を持っているのですが、この辺の感覚が麻痺してしまう選手も多いのだそうです。
 柏原竜二選手の記事には、今年は世界選手権を目指すということがはっきりと書かれています。

 個人的には箱根駅伝翌日に、テレビのワイドショーにいくつも出演するのはやめてほしいと思っています。ただ、こればかりは現場の意向ではなく、大学経営者の意向が優先されてしまう部分です。テレビに出ないと言い張ったら、その監督や選手は大学を辞めないといけなくなるかもしれません。メディアが学生駅伝(箱根駅伝)を大きく取り上げざるを得ないのも、同じような理由です。


◆2011年2月6日(日)
 今日は自宅で別大マラソンをテレビ観戦。
 ペースメーカーが役割を果たさなかったという意見もネット上で散見されました。風が難しかったのかもしれませんが、集団の人数が増えたり、2つに分裂したりしたことを見る限り、上手なペースメイクではなかったような気がします。
 しかし、ペースメーカーが下手だったということはイコール、選手権レースに近い状態だった、ともいえるわけです。そういう状況ですから、前田和浩選手(九電工)に対し“日本人トップにこだわりすぎた”という評価が出るのもわかります。その一方で、こちらの記事の坂口泰マラソン部長のコメントにあるように、“手術後のレースで頑張った”という評価もできます。
 油谷繁選手(中国電力)は今回の別大でダメだったら12月の防府がラストランになる、と聞いていました。世界を目指しての走りは、実質的には今回が最後ということです。一方、同じ学年の藤田敦史選手(富士通)は、「このままでは終われない」と意欲を持ち続けそうです。
 同学年の2人の選択が異なる理由は、フィジカル的な部分の違いもあると思いますが、メンタル面の違いもあるのかもしれません。オリンピックで5位に入賞している油谷選手と、オリンピックに出場したことのない藤田選手。そう簡単に言い切れるものでもないのかもしれませんが、朝原宣治さんが引退する際、まだまだ現役を続けそうだった同学年の早狩実紀選手との違いを、そのように話していました。

 丸亀ハーフでは日本人トップ(2位)の宇賀地強選手(コニカミノルタ)が1時間00分58秒と、日本選手3人目の1時間00分台という好記録をマークしました。佐藤敦之選手や高橋健一選手の全盛時とはまだ30秒の差がありますが、1万mで27分40秒台の力はあるでしょうか。記事を読むと世界選手権のA標準(27分40秒00)が目標とか。
 駒大で同期だった高林祐介選手も世界選手権1万mへ意欲的です。もちろん、学年的には上になりますが佐藤悠基選手や竹澤健介選手、木原真佐人選手もいます。大西智也選手も忘れてはいけません。世界選手権のトラック代表争いも面白くなってきました。
 欲をいえば、そのなかからマラソンにも並行して取り組む選手が現れるといいのですが。


◆2011年2月7日(月)
 昨日のジュニア室内大阪大会は、1日目の男子60mのような派手な話題はなかったようで、新聞記事も記録をさーっと紹介したものだけ。しかし、リザルツを見ていて、オッと思ったことが1点ありました。それは、中学男女の走幅跳で同じ学校(滋賀・能登川中)の選手が優勝していたことです。
 男子は山川夏輝選手で7m02と、参加選手中ただ1人の7m台。全日中2位の選手が2位でしたが、17p差をつけました。女子は加藤伊織選手で5m70の大会新。奇しくも同じ17cm差を2位につけていました。

 2人はどんな選手だろうと思い全日中の成績を調べると、山川選手が6m83で(+2.5)で5位。加藤選手は5m38(+0.3)で9位と入賞を惜しくも逃していましたが、2年生でした。もしやと思ってジェイオー(ジュニアオリンピック)の成績を見ると、加藤選手はBクラス走幅跳で優勝していました。そのときの記録は5m72(−0.6)。2人とも優勝しておかしくない実績の持ち主でした。
 それでも同じ中学から、同じ走幅跳の男女優勝者が出るのは偶然ではないはず。室内練習場があるのか、優秀な跳躍の指導者がいるのか。おそらく後者だと思われますが。

 昨日から本日にかけて、複数のメディアが柏原竜二選手(東洋大3年)が富士通に進路を決めたと報じています。この手の話題が出るのは早くても5月くらい。2月の時点で出るのは異例のことです。
 確かに、長距離選手の何割かは3年生の秋頃に進路が決まるようです。柏原選手にしても、あるレースの後で複数の実業団関係者が接触しているのを見たことがあります。ただ、どこに決まったという話は、なかなか表面には出てこないのが普通です。
 今回も富士通サイドの公式見解は、こちらの記事にあるように「まだ内定も内々定も出ていない段階」というものです。どこかの記者が抜いた(スクープした)のか、現場関係者がぽろっと話してしまったのか。


◆2011年2月8日(火)
 本日、陸マガ3月号増刊の「大学駅伝決算号」をほぼ読み終えました。先日からの話の流れでいえば、人物ものの記事でも各選手が“箱根駅伝の上”を目指していることが紹介されていました。
 柏原竜二選手(東洋大3年)は「学生のうちに世界選手権の舞台に立ちたい」とコメントしています。これは別の記事だったかもしれませんが、2009年まで競り合っていた宇賀地強選手(コニカミノルタ)の学年の実業団選手たちが、1万mで27分台やそれに準じる記録を出していることが刺激になっているようです。
 村澤明伸選手(東海大2年)も2区の1時間06分52秒は「出来過ぎ」と言いながらも、「27分台はいけるっていう自信を得られましたね」と話しています。4月には高校時代の恩師である両角速新監督(現佐久長聖高監督)も着任しますから、村澤選手の2011年も楽しみです。
 鎧坂哲哉選手(明大3年)は世界選手権について「5000mで狙っていきます。春先にB標準(13分27秒)をとりあえず切って、日本選手権で勝負したい」と意気込んでいます。
 千葉健太選手(駒大2年)はトラックでそこまでの実績はありませんが、ハーフマラソンでは昨年の関東インカレ2部で優勝しています。「今年は是非、ハーフでユニバーを狙いたい」と国際舞台に目を向けています。

 酒井俊幸監督のインタビューにはある意味、もっとスケールの大きい話が出ていました。
「これからは27分台を何人出せるか、というレベルになるのではないでしょうか。またそのように発展させていかないと、世界から置いていかれます。中学生、高校生のレベルが上がっているわけですから、大学生、実業団がそれぞれレベルアップしていけば、日本陸上界の発展、ロンドン五輪やその次の五輪につながります。」
 27分台選手複数を学生長距離界全体で出そうというのでなく、単独チームで複数出そうという話です。ちょっと想像しにくい話ですが、5000mで複数の13分台選手が1つの高校にいることなど、以前は考えられませんでしたが今は現実になっています。現場指導者がこういう考えを持っていることは歓迎すべきことではないでしょうか。

 ところで昨日書いた柏原選手の進路の件ですが、各記事を詳しく読むと富士通の福嶋正監督もコメントしていますし、東洋大の酒井監督もコメントしています。あくまで決定ではなく柏原選手側が進路希望を富士通1本に絞ったというニュアンスですが、現場がぽろっと話してしまったというわけではないようです。
 それを決定的というニュアンスで書くか、正確にはまだ内定していない段階と書くか、メディアによって違ってきたということです。正確に書いた方が良いと考える方が多いと思いますが、決定を前提とした書き方の方がわかりやすくなると考えるメディアもあるわけです。微妙な問題です。


◆2011年2月9日(水)
 今日も学生駅伝絡みのネタです。
 5日の日記で“箱根駅伝翌日に、テレビのワイドショーにいくつも出演するのはやめてほしい”と書きました。箱根駅伝が世間では一大イベントと認識されているのはわかりますが、箱根駅伝でそこまでしてほしくない、というのが正直な思いです。陸上関係者のほとんどが思っているでしょう(どうでもいい、という無関心派も多いかも)。
 ワイドショーの梯子出演はスポーツ選手にとって、ある意味勲章のようなもの。寺田が知っている限り、それをやった陸上選手はパリ世界選手権から帰国したときの末續慎吾選手(ミズノ)、ベルリン世界選手権から帰国したときの村上幸史選手(スズキ浜松AC)。末續選手がパリにいる時点で、「(帰国後は)分刻みのスケジュールらしいです」と話していたことを今でも覚えています。記憶が曖昧なのですが、ヘルシンキ世界選手権から帰国した為末大選手(APF)もそうだったのではないでしょうか。
 オリンピックは現地IBC内にテレビ各局のスタジオがあって、物理的な梯子出演は難しくありません。シドニー五輪の高橋尚子選手は各局のオリンピック番組に出演していた記憶があります。北京五輪の男子4×100 mRチームも梯子出演していました(これは直に目撃)。アテネ五輪の野口みずき選手と室伏広治選手も同様だったはずです。

 つまり、ワイドショーなどへの梯子出演は、オリンピックか世界選手権のメダリストしかやっていないことなのです。いくら世間の注目度が高いとはいえ、同じことを箱根駅伝で優勝したからといってやられると、ちょっとどうなのよ、という気分になります。
 しかし、同じような現象は、他でも我々の前に突きつけられています。選手の実業団への就職がそれです。毎年何十人(100人以上?)も実業団チームに進む長距離種目に対し、10人前後しか競技で就職できない一般種目。
 その格差について問われると、長距離と一般種目は同じ陸上競技でも、社会的には別競技だと解釈するしかない、と答えてきました。ですから、このワイドショーへの出演に関しても、別競技だから仕方ないと認識するしかないのかもしれません。
 個人的には、箱根駅伝も実業団駅伝もトラック&フィールドも、同じように取材する対象なのですが。


◆2011年2月10日(木)
 今年のNHK大河ドラマ「江」のヒロイン役の上野樹里さんが、加古川市駅伝で選手宣誓役を務めたことがある、という情報が確かな筋からもたらされました。1999年1月のことで、当時上野さんは小学校6年生。その後、加古川中に進んでからも陸上部だったとのこと。ちなみに加古川中は、堀江知佳選手の母校でもあるそうです。
 上野さんが陸上経験者だというのは、3年前の陸マガ増刊の箱根駅伝展望号で、上野裕一郎選手と対談をしていたので知っていました。当時すでに「のだめカンタービレ」でヒロインを演じていて、若手スター女優の1人でした。ただ、詳しい部分まで覚えているわけではないので、もう一度読み返してみた次第です。
 誌面掲載のプロフィールによると、上野さんは芸能界でビューする中2の途中まで地元中学で短距離を専門としていた、とのこと。どうして駅伝の選手宣誓をしたんだろう? という疑問を持ちながら読み進むと、陸上競技は小学校4年から始め、中学では夏に短距離、冬に長距離をやっていたと本人がコメントしています。小学校ではキャプテンをやっていたともいいますし、小学校のクラブでも冬に長距離をやるのは当然だったのでしょう。
 いずれにせよ、陸上競技経験者で兵庫県出身、それも堀江選手の後輩ということなら、応援しないわけにはいきません。大河ドラマは毎年見ていますたから当然として、「のだめカンタービレ」のDVDでも借りて鑑賞したいと思います、時間があれば。

 日刊スポーツの野口さんのコラムは二十種競技について。その世界記録の内訳は競技の実施順に
100m10秒93、走幅跳び7m30、200mハードル24秒25、砲丸投げ12m27、5000m18分25秒32、800m2分02秒23、走高跳び1m98、400m50秒43、ハンマー投げ31m82、3000m障害11分22秒47、円盤投げ40m73、200m22秒58、棒高跳び4m85、3000m10分25秒99、400mハードル53秒83、やり投げ51m95、1500m4分26秒66、三段跳び13m67、10000m40分27秒26
 だそうです。
 予想通り3000mや3000mSC、1万mの記録レベルが大きく落ち込んでいます。長距離種目が不得手なのは混成競技選手全般の特徴ですから仕方ありません。しかし、3000mの10分25秒99や3000mSCの11分22秒47が何点なのかわかりませんが、ここまで長距離種目の記録が悪かったらその種目を途中棄権して、体力を温存するのも1つの方法ではないかと思いました。
 ところが、ずるい考えをする人間のことはお見通しのようです。十種競技では途中棄権しても次の種目へ進むことができますが、二十種競技では完走が義務づけられているそうです。

 日刊スポーツの福島千里選手の記事も面白かったです。
「オンとオフの切り替えは?」と質問された同選手が「曜日ですか」と答えたとのこと。質問者はおそらく、選手独自の切り替え方だったり、具体的に何をしてオフにするかを聞きたかったのだと思います。「曜日」というのは福島選手らしい答え方です。ちなみに、寺田のオンオフは曜日では決まっていません。


◆2011年2月11日(金・祝)
 今日は祭日ですが、大きな試合は姫路城ロードくらいでしょうか。
 結果がどこかのホームページに載っていないかと探してみると、兵庫陸協から姫路陸協に行くことができて、そこに掲載されていました。優勝は阿宗高広選手(愛三工業)で47分26秒。国士大を出て3年目の選手で5000mは13分44秒13、1万mは28分58秒07が自己ベスト(ニューイヤー駅伝公式ガイドによる)。今年のニューイヤー駅伝では3区で区間20位の選手です。
 2位に明大で活躍した新人の安田昌倫選手(愛知製鋼)が入り、3位に中国電力のベテラン新井広憲選手、4位に大関喜幸選手(愛知製鋼)と中部勢が頑張りました。
 8位までが47分台でしたが、その8位は大崎悟史選手でした。久しぶりのレース出場だったように思うのですが……と思ってNTT西日本のホームページを見ると、1月30日の中国山口駅伝が久しぶりのレースだったと、大崎選手自身のコメントが載っていました。そのコメントを読むと、マラソンは来年の五輪選考レースに照準を合わせているようです。と同時に、「絶対に五輪切符をつかむ」という、強い意思が感じられます。
 実際に会って話をすると、とても穏やかな話しぶりなので忘れてしまいそうですが、北京五輪では大会前日に欠場を決めるという悔しい思いをしています。大崎選手の今後の動向には、注目していきたいと思います。

 大会ではありませんが、サンディエゴで合宿中の横田真人選手のブログが更新されていました。シンスプリントの故障で練習が思うようにできない、という点は心配ですが、海外での経験という部分は順調に積んでいるようです。語学学校に行って、病院にまで行って。そういう経験が競技に生きるのだと思います。
 そういえば同学年の金丸祐三選手も海外合宿を予定しているようです。すでに航空券と宿泊の手配は終わり、あとは語学学校とレンタカーだとツイッターでつぶやいていました。行く場所がわからないのですが。


◆2011年2月12日(土)
 今日も東京は雪&雨。明日の千葉国際クロスカントリーのコンディションが心配です。
 クロスカントリーは元々、悪コンディションの中で行うのが趣旨みたいなものなので中止になることはないと思いますが、屋内のアップ場があるわけではなく、選手たちにはかなりのストレスがかかってしまいます。寺田の記憶では千葉国際クロスカントリーが雨にたたられたことはありません。歴史がそこそこある大会ですし、寺田が取材に行っていない年もありますから、実際には雨や雪に見舞われたこともあるとは思いますが。
 世界クロカンは地面がぐちゃぐちゃのコンディションで行われたことがあったはず。日本の白いユニフォームに泥跡が点々とついた選手の写真を陸マガに掲載した記憶がありました。確か加藤明子選手の写真だったような気がして、彼女が世界クロカンに出場した1993年5月号を見たのですが違いました(表紙は世界クロカンの加藤選手でした。雰囲気が加納由理選手に少し似ています)。スペイン・バスク地方の都市、アモレビエタの写真は綺麗な緑の芝生が目に飛び込んできました。
 だったら、その前年かと思って92年5月号を見たらこれが大正解。世界クロカンの扉ページの見出しは「雪のボストンで、クロカン男復活!!」です。クロカン男は3年ぶり5度目の優勝を飾ったジョン・グギ選手のこと。ページをめくると渡辺康幸選手(現早大監督)が雪の上を腿から下を泥だらけにして走っている写真が掲載されていました。

 ちなみに、巻頭カラーはバルセロナ五輪のマラソン代表決定記事。有森裕子選手、山下佐知子選手(現第一生命監督)、中山竹通選手、谷口浩美選手、森下広一選手(現トヨタ自動車九州監督)の5人が記者会見に臨んでいる写真が見開きで掲載されています。もう1人の小鴨由水選手はアメリカ合宿中でした。
 5人とも若いですけど(外見の話です)、今も変わらないといえば変わっていません。

 今、ネットで天気予報を見たら明日の千葉は晴れで、最高気温は10℃だそうです。今回の雪は積もる種類でもなかったので、コンディションは大丈夫そうですね。


◆2011年2月13日(日)
 早起きをして千葉国際クロスカントリーの取材に行ってきました。
 中学女子3000mは全日中1500m1位の中川文華選手(朝霞三中)が9分49秒で優勝。1500m中学記録保持者でジュニアオリンピックA3000m1位の福田有以選手(稲美北中)に10秒差をつけました。中川選手はまだ2年生。今季は「800 mにも出て2分8秒を切りたい」と話していました。
 中学男子3000mは全日中3000m2位だった高森建吾選手(我孫子中)が快走。地元Vを果たし多くの記者たちに囲まれていました。卒業後は佐久長聖高への進学を希望しているとのこと。「レース終盤でも粘れる選手になりたい」と話していました。
 ジュニア男子4000mは小林巧選手(下諏訪向陽高)が1位。長野県は佐久長聖高だけではないことを見せてくれました。そういえばこのレース、800 m高校記録保持者の川元奬選手(北佐久農高)も出場していました。さすがに4000mは距離が長かったか、57位でした。練習代わりということでしょうか。

 次のジュニア男子8000mからは世界クロカンの選考種目。
 そのジュニア男子8000mは2年生の服部勇馬選手(仙台育英高)が終盤でスパートして数メートルのリードを奪いましたが、最後は八木沢元樹選手(那須拓陽高3年)が得意のラストスパートで逆転。4月からは明大に進学しますが「13分40秒を切れたらいいな」という目標を持っています。
 レース後に久しぶりにお会いした栃木県のS先生が言っていましたが、八木沢選手はこの1年、主要レースでは日本選手に負けていないそうです。1500mで狙っていたインターハイの5000mなどを除いて、という意味のようです。それだけ、武器であるラストスパートを生かしている選手だということです。
 続くジュニア女子5000mは菅華都紀(興譲館高2年)選手が独走で優勝。菅選手についてはこちらに記事にしました。
 シニア男子12000mはカロキ選手(エスビー食品)が強かったですね。マサシ選手(スズキ浜松AC)を24秒も離したのにはビックリです。特に上りが速かったという印象を受けました。日本人トップは4位の鎧坂哲哉選手(明大3年)。男子はジュニアが明大に進学する八木沢選手が勝ち、シニアが明大現役の鎧坂選手が日本人トップでした。
 という書き方をするのは、シニア女子8000mで新谷仁美選手(豊田自動織機)が勝ったからです。女子はジュニアの菅選手が興譲館高の現役で、新谷選手が同高のOB。新谷選手も菅選手同様、独走で優勝したので2人をセットにして記事に書けると思いました。本日は菅選手分だけしか進みませんでしたが、新谷選手の記事も早いうちにアップできたらと思っています。
 と思って帰宅してネットを見ていたら、毎日新聞の記事がすでに掲載されていました。寺田が書きたかったことのほとんどを、井沢記者に上手く書かれてしまいました。どないしよう。

 最終種目はシニア男子4000mで世界クロカン選考種目ではありません。NTNの大西毅彦選手が優勝し、大塚製薬の松本葵選手が2位。大西選手に関しては、競技後の関係者取材である事実が判明しましたが、その辺はまた明日にでも書きたいと思います。


◆2011年2月14日(月)
 昨日の千葉国際クロスカントリー取材の続きです。
 最終種目のシニア男子4000m終了後にプレスルームを離れて、選手控えテントの周辺に。関係者が残っていたら挨拶をするためです。
 そこでNTN・逵中監督から入手したのが、シニア男子4000m優勝の大西毅彦選手に双子の弟がいるということ。双子選手といえば同じチームのケースが多いのですが、大西選手の弟は八千代工業に在籍しているという話でした。帰宅後にネットで調べることができました。
 こちらがNTNの大西毅彦選手。こちらが八千代工業の大西洋彰選手
 大西兄弟といえば旭化成の大西智也選手と、カネボウの大西一輝選手が有名でした。日本には2組の双子大西兄弟が存在するわけで、外国人の記録収集家は区別をするのが大変かもしれません。

 シスメックスの廣瀬永和監督には、シニア女子8000mで3位に入った桑城奈苗選手のことを少しお聞きしました(野口みずき選手についても少し)。
 桑城選手というと中距離ランナーのイメージが強いのですが、全日本実業団対抗女子駅伝は9区で区間14位(33分45秒)になっています。ただ、同駅伝の場合チーム編成の都合で区間が決まることもままあります。しかし、今大会でも8000mということになると、いよいよ本格的に長距離進出か、と見る側は考えてしまうわけです。
 その疑問に対し廣瀬監督は「今季は3000mSCも考えているんですよ」と答えてくれました。確かに、バネのある走法ですから向いているかもしれません。あとは、水濠での恐怖感などがどの程度感じるか。いずれにせよ、2011年シーズンの見どころが1つ増えました。

 雑談取材終了後はプレスルームに戻って記録を揃え、シャトルバスで土気駅に移動。千葉国際クロスカントリー取材後恒例の、モスバーガーでの原稿書きにM新聞・I沢記者とともに臨みました。先客としてCスポーツ・K村記者もいます。
 寺田は30〜40分で菅華都紀選手の記事を書き上げたところでモスバーガーを後にしました。土気駅のホームに行くとH新聞のT内記者とE藤記者がいます。帰路の電車の中で最近のマラソン界、陸上界、大学駅伝界について色々と情報交換しました(T内記者はT大学陸上部OB)。
 H新聞主催の青梅マラソン情報が1つ。大相撲の八百長問題でスターターをすることになっていた白鵬関が辞退しましたが、代役は谷川真理さんと決まったそうです。市民ランナー間では人気の人物ですから、適任ではないでしょうか。

 自宅に帰ってネットを見ていると、中野真実選手が4m32の室内日本新をマークしたことをathletekumaさんのツイッターで知りました。どんな情報でも速いathletekumaさんですが、中野選手とは東学大で同期の間柄。いつにもまして情報が速かったのでは?
 それにしても、中野選手の頑張りには頭が下がります。室内ではありますが、屋外の自己記録4m31を7年ぶりに上回ったとのこと。3月で32歳ですか。年齢のことは決定的な要素ではないかもしれませんが。
 中野選手が自身のブログでなんと報告するか、楽しみです。

 ネットの話題をもう1つ。福島大・川本和久先生の日記によると、2月11日からイタリアはローマに行っているとのこと。目的がはっきりと書かれていないのですが、いつものような陸上競技の遠征ではなく、二瓶秀子さんと吉田真希子選手と3人で、なにやら研究に関係した出張のようです。こちらも、続きの日記を待ちたいと思います。


◆2011年2月15日(火)
 昨晩、中野真実選手のブログに室内日本新(4m32)のコメントが載りました。
 地元の観音寺の大会であること、30回の記念?大会であること、恩師の詫間茂先生の名前を冠した大会であること。その大会で室内日本新が跳べたことを素直に喜んでいることが伝わってきます。そして、今治造船への心からの感謝の言葉。「サポートしてもらっている」意識が強いようです。
 来月で32歳のベテラン。「自分に問いかけながら、悩み折れそうになりながら、その都度周囲の人々に助けてもらって今日までこれました。」という言葉から、ここまでの道のりが楽ではなかったことがうかがえます。

 その日の跳躍も、楽ではなかったようです。
3m80 ○
4m00 ×○
4m11 ××○
4m20 ××○
4m32 ×○
4m40 ///
 という試技内容。
 昨年の日本選手権もやはり地元での大会でしたが、4m00と4m10を3回目にクリアしていました。楽ではなかったとはいえ、中野選手は3回目に強い選手のようです。それが地元限定なのかどうかは、他の大会も調べてみないことには何とも言えませんが。
 何はともあれ、ベテランの今後に注目していきたいと思います。

 川本和久先生の日記も、ローマ出張2日目と3日目分がアップされていました。
 それによると、d−ROMの研究者との接触が目的の出張のようです。次なる疑問はd−ROMとは何ぞや、ということになります。ネットで検索したところ、そのものズバリの解説というか、定義を載せているページが見つかりません。
 なんとなくこのことかな、これを陸上競技に応用しようとしているのかな、というものは見つかりましたが、いい加減なことを紹介したりできませんので、d−ROMが何かを書くのは控えたいと思います。
 そのうち、川本先生ご自身がどこかで発表されるのを待ちましょう。


◆2011年2月16日(水)
 週末のイベントに向けて主催紙の連載が始まりました。朝日新聞には横浜国際女子マラソン、スポーツ報知には青梅マラソン。朝日新聞の1回目は尾崎好美選手で、スポーツ報知のトップバッターは大南博美選手。選手の近況や練習内容、過去の実績などをまじえた人物もの記事が掲載され始めたのです。
 スポーツ新聞は紙面掲載記事もWEBに掲載することが多いのですが(写真や、本文を補足する図表は省略されることもあるようです)、一般紙はそのままWEBに載せないのが一般的。それが主催イベント関連の記事になるとWEBにも掲載されることが多くなります。自社イベントを盛り上げようということでしょう。紙面掲載記事をそのままWEBに載せることに関しては業界内に賛否両論あるのですが、寺田のような貧乏ライターにはありがたいことです。
 朝日新聞のツイッターによると明日は吉田香織選手のようです。スポーツ報知は誰でしょうか。日曜日に帰りの車中で聞いたような気もするのですが、忘れてしまいました。すみません。

 今回油断していたのが、横浜国際女子マラソンのテレビ中継が日本テレビだということに気づいていなかったこと。横浜最初の開催だった前回はテレビ朝日でした。交互に放映するということは、東京国際女子マラソンの横浜移転の際に大きな話題になったのですが、イベントは“系列”で主催することが慣例になっているため、ついつい今回もテレビ朝日が放映するものと思い込んでいて、大会スケジュールページの関連リンクはテレビ朝日にしたままでした。失礼しました。
 放映は日本テレビですが、主催は毎回朝日新聞ということで、今回のように活字メディアと映像メディアの系列が違ってしまう事態になったのです。

 いずれにしても、メディアに情報が載るのはイベントの開催される長距離種目ばかりです。今週末に日本選手権20km競歩が行われる競歩や、シーズンオフの一般種目に関する情報はどうしても少なくなります。
 そういう時期に、WasedaWillWin江里口匡史選手のロングインタビューが掲載されているのはありがたいです。アジア大会で不調だった理由なども明らかにしてくれていますし。その他にも右代啓祐選手やナチュリルのブログで一般種目選手の沖縄合宿の様子が垣間見られます。金丸祐三選手のツイッターではサンディエゴ合宿についてのつぶやきを読むことができます。


◆2011年2月17日(木)
 明日は横浜国際女子マラソンの記者会見があるので、今日はその予習をしました。各選手のマラソン歴を調べるのですが、これが一筋縄ではいきません。
 尾崎好美選手(第一生命)のように過去のマラソン回数が明白な選手もいれば、藤田真弓選手(十八銀行)のように某サイトの記事には4回目のマラソンと出ているのに、2回しかリストアップできないケースもあります。
 吉田香織選手(アミノバイタルAC)はもっと大変です。ホノルル、カサブランカ、ゴールドコースト、シカゴと海外のマラソンに多く出ているので、他にも海外マラソンに出ている可能性があります。大島めぐみ選手も近年はホノルルなど海外の市民マラソンに出場しているので、正確な数が把握し切れませんでした。
 坂本直子選手(天満屋)もアテネ五輪以降がいまいち自信が持てません。安藤美由紀選手(第一生命)は2レースがリストアップできましたが、その間隔が3年あるので、他にも出ている可能性があります。
 まあ、そういった不完全なデータになるのも仕方ありません。それを完全なものにするために、事前取材をするわけです。言ってみれば今日は、取材のための叩き台を作成したような感じですね。

 本日の朝日新聞の、横浜国際女子マラソンの前もの連載2回目は吉田香織選手でした。連載は上・中・下という順番の付け方をしているので明日が最終回。残っている招待選手でトラック&ハーフマラソンから期待できるのは中里麗美選手(ダイハツ)ですが、小出義雄代表がプッシュしている初マラソンの永尾薫選手かもしれません。あるいは、勢いのある天満屋勢の泉有花選手か。一般参加ですが坂本選手と大島選手の五輪経験選手の可能性もありますね。

 スポーツ報知の青梅マラソン展望の連載2回目は聴覚障害者の上田萌選手。変化球で来ました。3回目の明日は??


◆2011年2月18日(金)
 本日は横浜国際女子マラソンの共同記者会見の取材に行きました。会見場はスタート&フィニッシュ地点の山下公園近くのホテル。最寄り駅はみなとみらい線の元町・中華街駅です。まあまあ早めに着きましたが、出口を間違えてしまい、一番遠い出口で地上に出てしまいました。
 しかし、ラッキーな面も。駅から出ると傘なしでは歩けないくらい雨が降っていました。多摩は晴れていたので寺田は傘を持っていなかったのですが、出口を間違えたおかげで改札の外に売店があって傘を購入することができました。
 しかし、ついていたのはここまで。今日の会見取材は過去最悪とも言っていいくらい、関係者との接触ができませんでした。

 会見自体は良かったと思います。6人の招待選手は各質問に丁寧に答えてくれました(前半部分を記事にしました)。選手のコメントとしては十分です。しかし、会見時には指導者など関係者にも接触して情報を仕入れるのが、いつものパターンなんですが、今日は山下佐知子監督と林清司監督のカコミ取材ができたくらい。仕入れた情報量が全然少なかったです。
 原因ははっきりしています。原稿を書ける場所が2階のロビーで、関係者がまったく通らない場所だったこと。それと、関係者の宿泊が、近くの別ホテルだという情報もあります。
 ということで、裏ネタがありません。

 表ネタでは山下監督のコメントから1つネタがあります。
 今回の尾崎好美選手は多少のゆとりを持った流れで作ってきたといいます。
「(オリンピックまで)短いようで長い。今から絞り込んで絞り込んでいくよりも、ゆとりを持ちながら(の流れにしたい)。それでも国内で代表を取るくらいに着地できれば自信になる」
 今回の尾崎選手の状態と立ち位置がわかるコメントだと思います。

 裏ネタがないと書きましたが1つあります。毎日新聞の明日の朝刊に谷口浩美さんと増田明美さんの対談が載ります。ひょっとして地域が限定される可能性もあるので、購入する方は注意してください。東京版は間違いなく載ります。対談のテーマは日本マラソン界の低迷についてです。
 それはそうと、朝日新聞の連載最終回は初マラソンの永尾薫選手と泉有花選手でした。招待選手にこだわったのか、初マラソンの期待の選手ということでの人選となったのか。
 スポーツ報知の青梅マラソンの連載は三田裕介選手(早大)。昨日とは変わってストレートで来ました。


◆2011年2月19日(土)
 本日は取材には行かず、昨日の会見の後半部分を記事にしました
 尾崎好美選手(第一生命)は故障明けでマラソン練習に入ったこと、そのため期間が比較的短めだったと話しています。昨日紹介した山下佐知子監督のコメントと合わせると、今回は万全の練習をしてきたわけではないが、国内レースであれば尾崎選手の持っているマラソン能力の高さで代表権を取れるくらいにしたい。そういう意図だと思います。
 これも昨日山下監督が話していたことですが、選手はマイナス思考はしませんが、指導者はもしものときを考えているのだそうです。もしも明日のレースで世界選手権代表を逃した場合は、今年11月の今大会でロンドン五輪代表を取りに行きたい。寒さに強くないので1月の大阪ではなく11月の横浜が良い。そういう保険的な意味合いもあっての横浜出場なのだそうです。

 会見のコメントを読んでいて吉田香織選手(アミノバイタルAC)が好調そうだと感じました。全力でないマラソンを走ることもある同選手ですが、今回は違うことを明確にしています。“戦うためのフルマラソン”という表現をしていますが、その場合はハーフマラソンが自己記録近くで走れる状態が必要だと強調し、実際に1月のハーフで好記録をマークしています。ひょっとするかもしれません。

 その他の選手に関しては特に、行けそうだと判断できる材料はありません。2度目のマラソンや初マラソンの選手ばかりです。中里麗美選手(ダイハツ)や永尾薫選手(ユニバーサルエンターテインメント)は、走ってみたらマラソンへの適性が高かった、ということがわかるのかもしれません。
 いずれにせよ、コメントから判断して招待選手は全員、5km毎が17分00秒のペースメーカーについていきそうです。15kmとか20kmで人数が2〜3人に絞られることになると拍子抜けですが、25kmくらいまでは外国人選手も含めて10人くらいの集団で進んでほしいものです。

 明日は日本選手権20km競歩も行われます。兵庫陸協の成績ページがあるので、比較的早く結果は見られるのではないでしょうか。寺田は横浜の取材中なので紹介できないかもしれませんが。川崎真裕美選手、森岡紘一朗選手、大利久美選手、鈴木雄介選手と4人が出場する富士通は、自社ブログで速報するようです。競歩ファンにはありがたい時代になりました。


◆2011年2月20日(日)
 本日は横浜国際女子マラソンの取材。寺田にしては早めにプレスルーム入り。まずまず良い席を確保できました。良い席というのは、テレビが見やすい位置という意味です。今回はテレビの画面サイズも大きくて見やすかったです。
 レース展開はテレビで皆さんご存じだと思うので書きませんが、尾崎好美選手がスパートしたときには、プレスルームでも「おおっ」というざわめきが起こりました。

 上位3選手は共同会見が行われることになっていたので、フィニッシュ直後はミックスゾーンで4位の永尾薫選手を取材。21歳ですが、しっかりとした受け答えをする選手です。ユニバーサルエンターテインメントの選手全般に言えることかもしれませんが。
 ホテルに戻って、会見が始まるまでの間にダイハツ・林監督に取材。会見は陸連、尾崎選手、中里選手、バロス選手の順で行われました。
 その後は近くの選手ホテルに移動して取材。
 さらには、表彰式ホテルに移動して取材と、なかなか大変でした。

 一昨日の共同会見日は情報収集がいまいちでしたが(自分の責任です)、今日は頑張りました。藤田真弓選手のわからなかった1レースが昨年のゴールドコーストであることも、高木監督からお聞きすることができました。今大会を最後に引退する安藤美由紀選手(第一生命)の全マラソンも本人から聞くことができました。ちなみに、一番思い出に残っているレースは優勝した2002年の全日本実業団対抗女子駅伝だそうです。ただ、そのレースが単独で印象深いのではなく、その後の展開もあって印象に残っているようです。
 吉田香織選手のマラソン歴が、今回で13回目だと確認できたことも大きな収穫です。

 その吉田選手ですが、昨日の日記で今回は快走しそうな雰囲気があると書きましたが、10kmも行かないうちに集団から後れ、35kmまでは踏ん張っていたのですが35km以降で大きくペースダウンし、2時間33分57秒の9位に終わりました。聞けば、1月のハーフマラソンまでは良かったようですが、その後3週間、練習が上手くできなかったそうです(故障だったのか、体調不良だったのか聞いたのですが、緊張していて忘れてしまいました)。
 そういった準備段階での不安は、レース前には口にしないものです。何年記者をやっていても、そこはなかなか見抜けるものではありません。


◆2011年2月21日(月)
 昨日の日記で吉田香織選手が1月のハーフマラソン後に練習が十分できなかったことに触れました。その理由を思い出せなかったのですが、今日の朝日新聞記事を読んで思い出しました。座骨の違和感とじんましんが原因でした。
 新聞(記者)に助けてもらってばかりで、適当に取材をしているライターだな、と思われてしまうかもしれませんが、実際の取材活動ではもっと助けてもらっています。ただ、寺田も少しは、新聞記者の皆さんを助けることもあります。ギブ・アンド・テイク2乗くらいでしょうか。

 しかし、ごくまれに寺田も頑張ることがあります。本日の新聞各紙の記事では尾崎好美選手が39km過ぎにスパートしたときの経緯を、吉原智司さん(山下佐知子監督の旦那さんで、元第一生命マネジャー)の「そろそろ仕掛けろ」という掛け声があったから、となっています。Mさんが会見で吉原さんの名前を出して質問し、尾崎選手がそう話したからですが、実際に吉原さんが掛けた声はちょっと違っていました。
 寺田は単独で吉原さんに接触することに成功。吉原さんは「行くときは思いきって行け」と声を掛けたのだそうです。これは、ベルリンの世界選手権のときのように、小さな揺さぶりを何回かかけるのでなく、1回のスパートで引き離せ、という意味です。ここでスパートしろ、と言ったわけではありませんでした。
 ただ、それが尾崎選手には正確に伝わらなかった。尾崎選手側から見た場合は「そろそろ仕掛けろ」というのが事実であって、それを書いた記事が間違いだとは言い切れません。
 結果的に、吉原さんの掛けた声と、尾崎選手が正確に聞き取れなかったことによって、尾崎選手の強さが際だつことになりました。

 本日は13時から新宿で某社事業部の方たちと4月以降の仕事の打ち合わせ。ロードシーズン後半の真っ最中ですが、そろそろスパイクの足音も聞こえてきました。


◆2011年2月22日(火)
 今晩は食事会がありました。4人の集まりでメンバーを個々には紹介できませんが、なかなか多彩な顔ぶれ。有意義な時間を過ごしました。
 その席上でも話をしたのですが、大阪国際女子マラソンと横浜国際女子マラソンの上位選手の立場(ポジション)が似ていることに気づきました。

▼大阪国際女子マラソン
1位 2時間26分29秒 赤羽有紀子(ホクレン)
2位 2時間26分55秒 伊藤 舞(大塚製薬)
3位 2時間27分26秒 堀江知佳(ユニバーサルエンターテインメント)
4位 2時間27分33秒 アンナ・インチェルティ(イタリア)
▼横浜国際女子マラソン
1位 2時間23分56秒 尾崎好美(第一生命)
2位 2時間24分29秒 中里麗美(ダイハツ)
3位 2時間25分04秒 マリア・バロス(ポルトガル)
4位 2時間26分58秒 永尾 薫(ユニバーサルエンターテインメント)


 似ているのは以下の4点です。
1)優勝者が日本代表経験選手で、レース前から本命と目された存在だった
2)2位がマラソン2回目の新鋭選手
3)3〜4位に外国人選手が入っている
4)日本人3番手がユニバーサルエンターテインメント所属の選手


 細かく見れば違いもあるのですが、ここまで似通った構成になることも珍しいと思います。
 困るのは世界選手権の代表選考ですか。尾崎選手は代表決定で赤羽選手も確定的。3月の名古屋国際女子マラソンの結果次第では、伊藤選手と中里選手を比較しないといけなくなります。タイムも強さを示す1つの要素ではありますが、大阪が低温で強風だったことを考えると単純な比較はできません。優勝者とのタイム差も大阪の伊藤選手が26秒、横浜の中里選手が33秒と近い数値です。
 まあ、名古屋が終わってから考えればいいことですし、考えるのは我々の仕事ではありませんし。


◆2011年2月23日(水)
 ニュージーランド大地震が起こり、現地で合宿中の女子長距離陣が被災したのは各種報道でご存じのことと思います。幸い、選手・スタッフともケガ人は出ていないとのこと。
 以下に、現地の様子を報じた本日の各紙記事を紹介します。

 日本陸連によると滞在先の水道、電気が止まったために選手9人、スタッフ6人は地震のあった22日に市内の別のホテルに移った。この宿舎でも水道は止まっており、食事の配給を受けているという。(共同通信)

日本陸連によると、選手らは現在、クライストチャーチ市内のホテルに滞在。健康状態に問題はないという。ただ、水や食料の確保が難しく、不便を強いられており、陸連が安全確保を考慮して早期の帰国を決めた。(時事通信)

日本陸連によると、一行は安全面を考慮して22日に市内の別のホテルに移動したが、地震の影響で路面がうねり、走り込みができる状況ではないという。選手たちは部屋の中で軽く体を動かしながら調整を続け、スタッフは最も早く帰国できる航空便のチケットの手配に追われた。体調を崩している選手やスタッフはいないという。
 水道水は断水したままだが、ホテルがくみ上げる地下水を利用し、シャワーは浴びられるようになった。ただ、食材は十分に手に入らない状態が続いているという。(朝日新聞)


 我々は普段、食料が自由に調達でき、水道・電気・ガスといった社会インフラが整っていることを当たり前に思ってしまいます。それが当たり前にあるありがたさを認識しないといけませんね。

 陸上競技と災害ということでは、1995年1月17日の阪神淡路大震災の影響で、同月に予定されていた大阪国際女子マラソンが中止になりました。また、神戸を拠点としていたダイエーが福岡に移転。その際、ダイエーの両角速選手は郷里の長野に戻って高校の教員となることを決意。今日、全盛を誇る佐久長聖高の歴史がスタートしました。
 また、報徳学園高が翌1996年の全国高校駅伝で優勝。被災から再スタートを切ったときの記事を陸マガに載せた記憶があります。

 今回のような合宿先での被災と、阪神淡路大震災とを同じように見ることはできませんが、ニュージーランド合宿に参加した選手たちも、何かしらプラスの方向に考えられたらいいのですが。


◆2011年2月24日(木)
 朝日新聞朝刊の「リレーおぴにおん」に山下佐知子監督が登場。興味深く読ませていただきました。
 タイミング的に横浜国際女子マラソンの話題だと思われた方もいると思いますが、「敗れざる40代女子」というテーマの7回目に登場ということで、“生き方”が中心の記事です(山下監督の一人称ですが)。

 かいつまんで紹介すると、最初に選手時代の実績を語っていますが、選手から指導者に転身する話題への導入部分という感じです。
 次に指導者へ転身したとき、「自分の将来像は明確ではありませんでした」という話題に。指導者として歩む覚悟を決められなかったということです。そんな山下監督を「覚醒」させたのが有森裕子さんの95年北海道マラソンの優勝だったそうです。
 次に同年代の女子長距離の元トップランナーたちが、各分野で活躍しているという話題。現役の頃に女子マラソンがブームになり「その先頭を切っていたパワーが、今もあるのかもしれません」と分析しています。
 そして有森さんとの友人としてのエピソードが、山下監督が結婚したときのものでした。山下監督は当時第一生命でマネジャーをされていた13歳年下の吉原智司さんと3年前に結婚されましたが、吉原さんみたいな人が合っているんじゃないかと有森さんから言われたというのです。「そうしたら、求婚されたのでびっくり」したそうですが、「一緒に夢を追うパートナーとしては最高だと思い、決心」されたそうです。
 最後は年齢を重ねてきて理解できることがあるというニュアンスの話題です。それでも「まだやり切った感はない」ということで、「前向きに夢を持ち続けられるのも、私たちの世代の強みかもしれません」という言葉で結んでいます。

 山下監督が指導者として徐々に、軸がぶれなくなっていく様子がわかるような構成になっています。誰でも真似のできる生き方ではありませんが、与えられた環境に文句を言わずに肯定的に生きるという部分は、誰しも参考にできるのではないかと思いました。
 かく言う寺田も同じ40代。ついつい後ろ向きな姿勢になったり弱気になったりということの連続ですが、少しは見習って生きたいと思います。


◆2011年2月25日(金)
 本日は東京マラソンの記者会見がありましたが、それに先だってニューヨークシティ・マラソン主催者であるNEW YORK ROAD RUNNERS主催の昼食会に、昨年に続いて出席しました。NEW YORK ROAD RUNNERSからはメディア部門のディレクターであるRichard Finn氏が昨年に続いて来日。我々の質問に丁寧に答えてくれました。
 今年Finn氏に聞いてみたかったのは、エリート選手が出場しないマラソン・レースについて。大阪をはじめ、日本ではそういうパターンが増えそうです(既存のエリートレースが多いからでもありますが)。Finn氏は「エリートが出場するからスポーツで、出なかったらスポーツじゃない。パレードだ」と言います。
 日本の場合は自治体側が“エリート抜き”でもかまわない、あるいは、そちらに積極的だという話も漏れ聞いていました。その点も突っ込むと「ニューヨークシティ市長も積極的に協力してくれている。特別なイベントと理解してもらっている」ということです。
 ただ、エリートランナーが走るレース至上主義、という価値観でもありません。NEW YORK ROAD RUNNERSが主催するレースは年間50前後あって、そのうちエリートが走るのは4〜5レースだけ。残りは市民ランナーだけの大会で「大切にしている」そうです。
「全てのレースに場所(プレイス)があって、大会毎の目標がある。違いがあって当然」というスタンスです。そのなかで最上位にランク付けしているニューヨークシティ・マラソンは、エリートが必要不可欠だと考えているということです。

 WMM(World Marathon Majors)の今後についても話をしてくれました。彼らの理想はテニスのグランドスラム&世界ランキングのようなシステムですが、マラソンはそれほど多くの試合に出場することはできません。そこで考えているのが、マラソンだけでなくハーフマラソンや10kmのロードレースなども、WMMのシステムに組み込むことだそうです。
 WMMの総意なのかFinn氏個人の考えなのかわかりませんが、現実的にはそうしないとツアーの形にはできないでしょう。短い距離のロードレースにも賞金が出るアメリカらしい考えでもあると思いました。

 14時から新宿のホテルで東京マラソンの記者会見
 受付でもらった欠場者リストに有力選手の名前がずらりと並んでいました。特に藤原正和選手と佐藤智之選手は、昨年の東京マラソン1位とびわ湖マラソン2位(日本人トップ)。昨日にはゲブルセラシエ選手(エチオピア)の欠場が発表されていますから、内外の目玉選手が走らない事態になってしまいました。

 会見は車いす、女子外国・国内招待選手、男子外国・国内招待選手の順で行われました。女子の日本2選手のコメントは要約してこちらに記事にしました。コメントからもわかるように、また、選考会でない東京マラソンに出場することからも想像できるように、2人ともいつものマラソンと同じように仕上げてきたわけではありません。
 渋井陽子選手(三井住友海上)は楽しく取り組んでみてどんな結果が出るか、試そうとしているのでしょう。良い結果が出る可能性もないわけではありません。
 嶋原清子選手(SWAC)は「世界選手権を目標にしていなかったということで、この大会を走ろうと決めました」と話しています。つものようにアルバカーキ合宿も行っていませんし、スピード練習もやっていないと言います。ぶっつけ本番でどこまで走れるか、を試そうということでしょう。
 男子の会見は、藤原正和選手の欠場連絡が直前(今日の12時ちょっと前だったそうです)だったため、日本選手は藤原新選手1人だけ。「日本人が1人だけだと、40km走を何本やったとか、胸の張り合いをしなくていいので楽ですね」と話していました。しかし、藤原正和選手と一緒に走っているシーンをイメージして練習してきたとも言います。「残念です」と繰り返していました。

 会見後には藤原正和選手欠場の経緯が明らかに。2日前に発熱し、喉が赤く腫れている状態で、今日も調整練習を試みたそうですが動かず、途中で歩き出してしまったそうです。これでは出場は無理です。
 会見後には高見澤勝選手にも接触することに成功(ホテル外で)。今回の東京が最後のマラソンになるそうです。3月1日から両角速監督の後任として、佐久長聖高監督に就任するからです。
 今大会に向けても多忙な日々が続いたため、練習は十分に積めていないというか、ポイント練習はまったくしていないとのこと。目標は「なるべく長く先頭集団にいて、粘ってゴールすること」だそうです。
 ただ、これまでのマラソンも決して、万全の準備で臨んでいたわけではありません。それでも結果を残して、教え子の高校生に刺激を与え続けてきました。今回はかなり苦しい走りになりそうですが、高見澤選手の最後にふさわしい何かを見せてくれるかもしれません。


◆2011年2月26日(土)
 本日は東京マラソン前日取材……というわけではなく、関係者がいそうな場所になんとなく行ってみました。11時に行った寺田が一番乗りでしたが(ちょうど平田裕美選手が練習に行くところでした)、その後数人の熱心な記者も加わってきました。
 まずは練習から帰ってきた入船敏選手に会いました。入船選手は昨年12月の福岡国際マラソンに続いての参戦です。インターバルが短いので「(マラソン用の)追い込む練習はしていない」ということです。しかし、「体が元気で疲労感がない。意外とこういうときに行けるかもしれない」と言います。これは、期待していいかもしれません。
 ちなみに、入船選手は16回目のマラソンだそうです。こちらのデータとも合致したので一安心。

 続いて高見澤勝選手・嶋原清子選手夫妻が練習から帰ってきたところにばったりお会いしました(写真)。昨日の日記でも書きましたが、3月1日から佐久長聖高監督に就任する高見澤選手は今回が最後のマラソン(ちなみに10回目。これもこちらのデータと合致)。2人が同じマラソンを走るのは3回目ですが、結婚してからは初めてで、そして最後です。
「彼と一緒に走ることができる最後のマラソン。それも、東京出場を決めた理由の1つ」だと嶋原選手。
 2人とも記録的にはそれほど望めない状態ですが、2人にとって良いレースになることを陰ながら祈念しています。

 もう何人か接触できそうな予感もあったのですが、14時に新宿駅近くのホテルで人と会う約束があったために移動しました。先日の打ち合わせに続いて今回もトラックシーズンの仕事ですが、まだ本決まりではありません。今日お会いした相手がプレゼンに成功して初めて、仕事になります。実現したら、これまでなかった種類の仕事になります。

 16時少し前に東京マラソンのEXPO会場に。各メーカーの展示・イベントを2時間半ほど見て回りました。各メーカーのブースを写真で紹介していきましょう。全部は無理なので主だったところ、陸上と関係の深いところだけですが。
 まずはasicsです。入口の一番近くに、一番大きなスペースを占めていました。
 次に東京メトロ。ビデオで小出監督の道場を放映していました。
 これは久光製薬
 これはSEIKO。本番で使用するのと同じ(デザインの?)タイマーで写真を撮るサービスをしていました。
 これは大塚製薬のアミノバリュー。試飲できるようになっていて、かなりの人数が並んでいました。
 これはadidas。シューズを試履して、走ることもできるスペースがありました。
 これはcw−x。イチロー選手の写真がでかでかと掲げられていました。
 これはゴールドウイン
 これはYONEX。例の、卵を落下させても割れないことを実演していました。
 これは明治乳業のVAAM。Yさんと話をした後、有森裕子さんのトークショー(講演?)を少し拝聴しました。
 これは山本光学のSWANS。Hさんが忙しそうだったので話せませんでした。
 これは藤原新選手と契約しているレモシステム。藤原選手の写真が大きく掲示されていました。今や俳優として活躍している西田隆維さんが説明役をされていました。
 これはYAMAHAのボディービート。以前、本サイトに広告を出してくれていました。
 お馴染みのランニング雑誌クリール。昨年と比べて人気がアップしているようでした。
 クリールの隣がナチュリルでしたが、話をする方に気を取られて写真を撮るのを忘れてしまいました。K本さんとも話をしました。
 17:30からは小出義雄代表のトークショーがあると聞いていたので、再びasicsのスペースに。明日の東京マラソン用にアレンジした話が面白かったので20分くらい聞き入ってしまいました。著書の「君ならできる」に書いたことが実現していったという話になって、MCの女性の方が「読まれたことのある方」と聴衆に問いかけたので手を挙げました。寺田だけだったかもしれません。
 最後にミズノ。昨年もそうでしたがスタッフが精力的に働いていました。


◆2011年2月27日(日)
 今日は東京マラソンを取材。日本人トップの3位に川内優輝選手(埼玉陸協)が2時間08分37秒で入りました。川内選手は実業団所属でなく、定時制高校の事務職員としてフルタイムで働く“市民ランナー”。今日は寺田の行動でなく、“市民ランナー”の定義について書いてみたいと思います(その日の行動を書かないケースが多いので、わざわざ断らなくてもいいのですけど)。それは、川内選手を果たして市民ランナーと呼べるのかどうか、という意見もあるからです。

 1年前であれば寺田は間違いなく、川内選手は市民ランナーだと書いたでしょう。なぜかというと、一昨年12月の福岡国際マラソンで同選手が13位(日本人3位)に入った際に話を聞いていて、そのときに「市民ランナーと言っていいですか?」というこちらの質問に、「市民ランナーです」と川内選手が答えているからです。それだけの理由です。
 今回も川内選手自身が「市民ランナー」という言葉を使っていますから(会見記事参照)市民ランナーでいいのですが、全てのマスメディアが“市民ランナー”という報じ方をしていると、うーんと考えてしまうのです。
 福岡国際マラソンのときは単独取材でしたから、選手が言った通りに受け取るのですが、今回のように世の中が“市民ランナー”一色になってしまうと、なぜか疑問を呈したくなります。あれだけ強い選手を“市民ランナー”と言っていいのか。醍醐直幸選手がアルバイト生活を送っていた頃に“市民ジャンパー”と言ったのか、と。

 要は“市民ランナー”の定義の基準が2つあるのです。
 1つは会社から走ることに対する報酬をもらっていないことです。これには実業団長距離チームの環境でない、ことも含みます。実業団の環境とは、合宿や遠征を仕事として行い、寮(食事)やトレーニング施設が整備され、シューズやウェアを提供してもらっている等々です。こちらは社会的定義と言うこともできるでしょう。
 もう1つは強さによる定義です。マラソンで2時間20分を切る記録を持っていたら、あるいは1万mで30分を切る記録を持っていたら、それはもう“市民ランナー”ではなくエリートランナーだという考え方。実際にそういうランナーは、エリートの部と市民マラソンの部の両部門がある大会だったら、エリートの部に出場するわけです。こちらは競技的定義と言うこともできるでしょう。

 これは後者の定義に含まれると思うのですが、学生時代に箱根駅伝に出たり1万mで30分を切ったことのある選手は“市民ランナー”に含まれない、という定義の仕方もできます。それなら強くて当然じゃないか、という考え方です。醍醐選手は高校時代に2m19を跳び、学生時代に2m21を跳んでいますから“市民ジャンパー”とは言われなかったのです。
 これも後者の定義に含まれますが、メンタル的にエリート選手同様に、あるいはそれ以上に自身を追い込める選手は“市民ランナー”とは言えないという考え方。川内選手のある記事には
最後の2・195キロは優勝者を上回る6分52秒で走った。マラソンで医務室に運ばれたのは、5度目という。「いつも死ぬ気で走るから」。
 とありました。

 それでも、一般的には強さや過去の実績でなく、その時点の環境で“市民ランナー”かどうかを判断します。つまり、社会的な定義です。寺田も実は、そちらの定義の仕方でいいのではないか、という気がしています。ですから、各メディアの“市民ランナー”という報じ方に異議を唱える気はさらさらないのですが、なぜかひと言書いておきたい気持ちになってしまったのでした。単なるへそ曲がり?


◆2011年2月28日(月)
 昨日の川内優輝選手の快走は反響が大きかったようです。今日はいつものペン記者用の一夜明け会見がホテルであっただけでなく、勤務先の春日部高で記者会見も行われたようです。テレビ各局も取り上げていました。それもスポーツ枠ではなく、社会枠(?)で。出勤時や仕事中の映像が流されて、一躍時の人になった観があります。
 さらには夜の7時頃にFMラジオに電話出演していましたね。そのインタビューを聞いていて、新しいネタが1つありました。実業団に入らなかったのは、勧誘された時期にはすでに公務員試験の勉強を始めていたから、だと理解していました。もちろん、それが一番の理由だと思いますが、学習院大という箱根駅伝に出られないチームで強くなったのだから、卒業後も同じように“自由な環境”で競技を続けたかったようです。

 ところで、昨日の日記で市民ランナーの定義について書きました。市民ランナーの対極という意味で実業団を引き合いに出しています。一口に実業団といっても、中身は各チームによって違いがあります。勤務時間がフルタイムに近いケースから、会社には週に1回くらいしか行かないケースまで。活動費全部が出るところもあれば、「年間でいくら出すからそのなかでやりくりしてくれ」、と言われているチームもあるようです(一般種目には)。
 ただ、今回は市民ランナーとの比較のためですから、実業団のチームによる違いについては特に取り上げなかったのです。話が複雑になってしまいますから。

 そして、これは偶然なのですが、クリールの樋口編集長も昨日のブログで、市民ランナーの定義について疑問を呈していました(本当に偶然です)。疑問を呈するというか、市民ランナーの定義が曖昧になっているので、クリールでは使わないようにしているのだそうです。
「ランナー」でよい場合には「ランナー」で、エリートランナーと区別する必要がある場合は、「一般ランナー」という言葉を使うようにしています。本誌の基準でいえば、川内選手はエリートランナーであり、一般ランナーではありません。
 同じように市民マラソンという言葉も使わないようにしているのだそうです。
単に「マラソン大会」でいいのではないかと思うのです。エリートも大勢走っているのに、「市民マラソン」はないのでしょう。エリートの立場はどうなってしまうのでしょうか。本誌ではエリートマラソンと区別する必要がある場合には「大衆マラソン」という言葉を使うこともあります。
 なるほどと思いました。筋の通った考え方だと思います。


◆2011年3月2日(水)
 世間では(ネットの陸上界でも)川内優輝選手の話題がまだ続いているようです。それだけインパクトのある走りであり、実業団以外の社会人選手が世界選手権代表になったことが珍しいということでしょう。
 寺田の日記では市民ランナーの定義について書きました。社会的な定義であれば川内選手は市民ランナーですが、競技的な定義でいえば市民ランナーではない、という見方を紹介したわけです。
 それに関連して、「社会的には市民ランナーで、競技力の高い選手を指す言葉があればいいのではないか」というご意見をいただきました。まさにその通りです。適当な言葉が何かあればいいのですが。高校生で傑出した力を持つ選手は“超高校級ランナー”ですから、それに倣うなら“超市民ランナー級ランナー”とか。

 市民ランナーの定義については語っていますが、「実業団しっかりしろ」とか、「トップ選手に実業団も市民ランナーも関係ない」とか、「駅伝がよくない」とか、そういった話はしていません。どの説ももっともだと思う一方、違う面から見ることもできます。
 例えば「トップ選手に実業団も市民ランナーも関係ない」という意見は説得力がありますが、実業団チームを持つ会社の経営者は、年間何千万円もかけている自社の選手が市民ランナーに負けたら怒るでしょう。駅伝をやっているから悪いという意見に対しては、過密スケジュールがいけないのであって、駅伝自体が悪いわけではないという意見もあります。
 よくやり玉に挙げられる箱根駅伝もそうでしょう。箱根駅伝自体が悪いわけではありません。箱根駅伝に対して関係者や世間が過熱してしまっていることで弊害が出ている、というのが実状です。1つの問題が1つの側面だけ持っているのなら解決は難しくありません。複数の側面を持っているから大変なのです。

 ややこしい話はこのくらいにして、単純明快な話を紹介したいと思います。
 東京マラソンでは中日スポーツ川村庸介記者が2時間27分52秒で52位と、自己記録を大幅に更新する快走を見せました……というネタを書くつもりでしたが、中日スポーツに大々的に記事が出ていましたので、そちらをご参照願います。


◆2011年3月3日(木)
 早くも3月も3日。時間が過ぎるのは早いですね。気がつけばびわ湖マラソンの3日前です。ネット陸上界では、横浜国際女子マラソンや東京マラソンに比べ、盛り上がりがいまひとつ。展望記事や出場選手の人物もの記事が少ないので、そういう印象なのでしょう。
 それでも、主催の毎日新聞は「鉈になれ:第66回びわ湖毎日マラソンに向けて」という連載をしていました。選手ではなく“鉈”というテーマで指導者を紹介しています。
 1回目が黒木純監督(三菱重工長崎)で2回目が逵中正美監督(NTN)、3回目が佐藤敏信監督(トヨタ自動車)。佐藤監督はニューイヤー駅伝優勝と、尾田賢典選手の初マラソン歴代3位で注目されていますけど、ここまで渋い記事も珍しいのでは? さすが毎日新聞という感じです。

 確かに、日本人出場選手(こちらに招待選手)が地味なのは否めません。外国人選手との差が大きいんじゃないか、という危惧はあります。
 それでも一般参加で、陸上ファンがよく見れば、面白そうな選手はたくさんいます。
 今井正人選手(トヨタ自動車九州)がその筆頭でしょう。福岡では最後まで外国人選手について終盤で失速。2時間13分23秒の5位(日本人3位)で世界選手権切符を逃しました。びわ湖では強豪外国人選手がスパートしたときどう反応するか。
 2009年の別大マラソンで日本人トップになった小林誠治選手(三菱重工長崎)、宗猛監督がマラソンへの適性を指摘する佐々木悟選手(旭化成)、初マラソンの2008年東京で2時間11分台をマークした堀端宏行選手(旭化成)、福嶋正監督がやはりマラソンの適性を認める堺晃一選手(富士通)。
 さらには36歳の浜野健選手を筆頭に、34歳の瀬戸智弘選手、33歳の渡邉浩二選手(大阪ガス)、32歳の菅谷宗弘選手、30歳の原和司選手(三菱重工長崎)らのベテラン勢がどんな走りを見せてくれるか。

 びわ湖は開催時期がニューイヤー駅伝から最も遠く、多くの中堅選手が出場します。20kmくらいまでは集団の人数が世界一多いマラソンだと思います。そのなかから誰が生き残るか。東京マラソンの川内優輝選手(埼玉陸協)まで3年間サブナインが出ていませんでしたが、2時間7分台、8分台を びわ湖で出した日本選手は数知れず(本当は数えられますが言葉のあやです)。好レース、好記録を期待したいと思います。


◆2011年3月4日(金)
 今日は仕事を頑張って(いつもは頑張っていないのか?)、ここ数日の懸案だったある大学OBたちへのアンケートを発送しました。その作業終了後は外出。郵便を出して、銀行に行って、文房具屋に行って、本屋で文庫本を買って、散髪をしました。と、たまには日記みたいなことを書いてみました。

 明日から世界四大湖畔大会の1つ、びわ湖マラソンの取材に出かけます。夜はその予習。主要選手のマラソン歴をリストアップ。この段階では不確定版なので、それを叩き台に明日、明後日の取材中に確認して完全版を作成します。
 その作業中、今回のびわ湖出場選手中サブテンの記録を持つのは浜野健選手(トヨタ自動車)1人だけ、ということに気づきました。ちょっと寂しいといえば寂しいですね。外国勢の記録が良いだけに。それと、36歳の浜野選手がサブテンを達成すれば、サブテンの最年長記録になります。現在の最年長記録は高岡寿成選手の35歳です。
 そういえば先日の東京マラソンで、初マラソンの尾田賢典選手(トヨタ自動車)が2時間09分03秒を30歳で記録しました。初サブテンの最年長記録かと思ったら、こちらも高岡選手で31歳で初マラソン・サブテンをやってのけていました。
 もう1つ気づいたのが昨年の別大マラソンで上位に入った選手が多いということ。6位(日本人2位)の林昌史選手(ヤクルト)、8位(同3位)の中本健太郎選手、12位(同6位)の涌井圭介選手(ヤクルト)。別大からびわ湖へ。別府湾とびわ湖、どちらも青い水面が印象的です。両大会とも毎日新聞が主催ですが…。

 持ち記録でやや顔ぶれが寂しい日本勢ですが、昨日も書いたようにサブエイトも多数出ているびわ湖です。今井正人選手(トヨタ自動車九州)、堺晃一選手(富士通)、佐々木悟選手(旭化成)、堀端宏行選手(旭化成)と若手に期待の選手も揃いました。
 過去、びわ湖で出たサブナインの一覧を掲載しておきます。

びわ湖マラソンで出た日本選手のサブナイン全パフォーマンス
記録 選手 所属 大会 順位 年月日
2.08.43. 小島 宗幸 旭化成 びわ湖 1 1998/3/1
2.07.52. 油谷 繁 中国電力 びわ湖 3 2001/3/4
2.07.59. 森下 由輝 旭化成 びわ湖 4 2001/3/4
2.08.52. 帯刀 秀幸 富士通 びわ湖 5 2001/3/4
2.08.35. 武井 隆次 エスビー食品 びわ湖 1 2002/3/3
2.08.12. 藤原 正和 中大 びわ湖 3 2003/3/2
2.08.28. 清水 康次 NTT西日本 びわ湖 4 2003/3/2
2.08.50. 佐藤 敦之 中国電力 びわ湖 5 2003/3/2
2.08.18. 小島 忠幸 旭化成 びわ湖 2 2004/3/7
2.08.36. 佐藤 敦之 中国電力 びわ湖 4 2004/3/7
2.08.56. 高塚 和利 小森コーポレーション びわ湖 5 2004/3/7
2.08.36. 大崎 悟史 NTT西日本 びわ湖 3 2008/3/2
2.08.54. 大西 雄三 日清食品 びわ湖 4 2008/3/2


ここが最新です
◆2011年3月5日(土)
 16時からびわ湖マラソンの記者会見。でしたが、珍しく早めに現地入り。招待選手以外の情報をいくつか仕入れることができました。旭化成の佐々木悟選手と堀端宏行選手、三菱重工長崎・小林誠治選手らのマラソン回数です(取材まではできません)。佐々木選手が3回目、堀端選手が4回目、小林選手が16回目です。日本人招待選手のマラソン回数も、高橋謙介選手以外はプログラムのプロフィール欄で確認できました。残念なのは堺晃一選手の欠場がわかったこと。

 16時から記者会見。まず外国人招待選手6人の会見が行われました。キプサング選手(ケニア)が「コースレコード、可能なら2時間5分台」メルガ選手(エチオピア)が「2時間6分を切るタイムで優勝を目指す」カンゴゴ選手(ケニア)が「コースレコードを目指している」と積極的な発言。カンゴゴ選手は高岡寿成コーチも応援しているかもしれません(していないかもしれません)。コースレコードは2001年にペーニャ選手(スペイン)が出した2時間07分34秒です。
 外国人招待選手と入れ替わりに日本人招待選手4人の会見。その様子はこちらに記事にしました。各選手の考えの微妙な違いがわかると思います。共同会見終了後には10分ほどですがカコミ取材の時間も設けられていました。びわ湖、福岡、別大はこれがあるので助かります。寺田は中本健太郎選手の話を聞き、最後に高橋謙介選手にマラソン回数を確認しました。今回で10回目です。

 共同会見終了後に、一般参加選手の今井正人選手のカコミ取材がセッティングされていました。どうして招待選手でないのかという疑問があったので関係者に確認すると、持ち記録が2時間13分台だからだそうです。確かに、招待選手の自己ベストは2時間11分台と12分台でした。
 今井選手への取材テーマは、ハイレベルの外国人選手がペースアップしたときにどう対応するか。福岡ではそこを見誤って終盤で失速しました。それに対する答えは、こちらの記事をご覧ください。今井選手のあとには森下広一監督のカコミ取材もできたので、より明確に記事を書くことができました。
 いくら福岡で失敗したからといって、消極的になっては今井選手らしさが失われます。といっても、レース前から絶対にこうする、と決められるものでもありません。つく、つかないは、走り出してから判断していく部分でしょう。これが明日の見どころの1つだと思っています。


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