寺田的陸上日記      
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ…        
昔の日記はこちらから
2001年8月。アルバータ牛は近鉄か、それともダイエーか?

●8月31日(金)
 仕事をしたぞ、という感じの一日でした。
 6時には起きて午前中にメールや細かい用事をいくつか片づけ、電話取材も1本こなし、13時前に外出。成田空港へ向かいました。小出義雄監督を取材するためです。日暮里からのスカイライナーの車中では原稿を書きました。空港に着いてからもちょっと時間があったので、お茶を飲みながら(実際はアイスコーヒー)原稿を書いていました。
 小出監督の帰国は一時的なもので、明後日の伊東浩司選手と鈴木博美選手の結婚披露宴に出席するためです。高橋尚子選手の出場するベルリン・マラソンのちょうど1カ月前ということで、スポーツ新聞各社とベルリンを放映するフジテレビも取材に来ていました。高橋選手に関して取材した内容は、記事にするつもりです。“高橋選手に関して”と書くと、じゃあ別の部分もあるのかと、鋭い突っ込みを入れてくる方もいらっしゃると思いますが、それに対してはノーコメントです。
 それにしても、小出監督の対応は上手です。
「いやー、よく来てくれたね。Qちゃん、帰ってこないよ。オレだけだよ。遠くまで悪いね」
 こんな感じのねぎらいの言葉を記者の皆さんにかけます。今日のことではありませんが、ともすれば興味本位の記事を書きたがる週刊誌の記者でさえ、あそこまで親切にされると悪くは書けなくなってしまう、という話を聞いたことがあります。
 さて、久しぶりに小出節を聞いてリズムが出た(寺田の仕事のリズムです)ところで、帰りのスカイライナーでも原稿を頑張って書いていたら、ちょっと気分が悪くなってしまいました。睡眠不足と電車の揺れ、あるいは冷房のせいでしょうか。今日は、スーパー陸上の出場選手などの記者発表もありました。その資料を入手して帰宅。
 それにしても、このところスカイライナーといえば車中で原稿を書くか、仕事の資料に目を通すかしています。そういえば、何カ月も本を読んでいません。余裕がないのかなあ。


●8月30日(木)
 うーん。やばいですねえ。また、日記が止まってしまっていました。
 仕事の狂ったように怒濤の8月校正ですね、あ、違った。攻勢ですね。編集者をやめてから、校正はしなくてよくなった……はずなんですが。それにしてもなんで、もうちょっと分散してくれないのでしょうか。フリーにとって、仕事があるだけいいんですが、平均的になってくれないかなあ。そうすれば、ホームページも、もう少し丁寧に更新できるのに。実際、9月の声とともに閑古鳥状態ですからね。
 今晩、これから締め切りが1本。明日の午前中に電話取材が1本。午後は千葉県に取材に行って、その上締め切りも1本。
 まあ、忙しい、忙しいと言いつつ、札幌ではちょっとリフレッシュもしましたし、火曜日の夜は「救命病棟24時」をちゃっかり見ていました。視聴率23%とか新聞に出ていましたから、ネタにしてもいいかなっと思った次第です。須藤理彩も出ていますしね。


●8月21日(火)
 メルマガ・バージョンの原稿をほぼ書き上げ、夕方から外出。なんと、銀座で打ち合わせです。銀座で食事をするなんて、いつ以来でしょうか。たぶん、1年3カ月ぶりくらいかと。


●8月20日(月)
 午前中に1本、雑誌の原稿を書き上げ、午後はクリーニング屋、銀行などたまっていた用事を片づけました。夜はメルマガ・バージョンの原稿を書き始めました。


●8月19日(日)
 朝、昨日来アポ取りで苦しんでいた件が、急転直下で成功。すぐに電話取材。取材したい内容は、昨日のうちに整理しておいたので、慌てずにすみました。取材自体も、スムーズだったと思います。
 電話取材は、相手と面識がないケースなど、難しいこともあります。まあ、それもケースバイケースで、面識がなくても会話が弾むこともありますし、逆に面識があっても、会話がうまく進まないケースもあります。もちろん、インタビューするこちら側の能力が一番、重要なのだと思われますし。単に、相性の問題のこともあります。
 午後は雑誌の原稿書き。いくつか外出して所用を片づけました。まさに、日常の一コマです。1週間前はまだ、エドモントンでバリバリ取材していたことを思うと、隔世の観がありますね。どちらがいいとか、わるいとかってことではないんですが、日常と非日常があるからこそ、人生退屈しないのでしょうから。


●8月18日(土)
 休養しつつ、取材のアポ取り。これが、なかなか連絡がつかず大変です。朝から夜の10時まで、一定時間おきに電話をかけまくっていました。
 今回のエドモントン取材は初めての北米大陸への旅行でした。ヨーロッパから帰国したケースの時差ボケは何回か経験していますし、これまで何回か紹介してきたように、元々ヨーロッパ時間に近いような生活をしています。ところが、北米帰りの時差ボケは、日本では早寝早起きになるのです。
 というわけで、早起きしてインターネットを見てみると、朝原宣治(大阪ガス)選手と為末大(法大)選手のチューリッヒの結果が出ていました。さっそく記事にした次第です。早起きは三文の得とは、よく言ったもの。
 ところで、三文って、今の値段だと何円くらいなんでしょうか?


●8月17日(金)
 メルマガの読者プレゼント応募メールが“リターンメール”になってしまうエラーがありました。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません。メールでも配信したように、今朝の9:30以降は復旧しています。
 その後、ある打ち合わせのため、町田に出かけました。昨日から今日にかけても早寝早起き。ヨーロッパから帰国すると宵っ張りになり、アメリカだと早寝早起きになるようです。朝食が7時台だったので、12時からの昼食も余裕で食べられました。
 世界選手権を録画したビデオをほんの少々ですが見ました。色が全体的にオレンジ色っぽいのは、元々そういった色になってしまっていたのでしょうか。陸上競技の放送は、ほとんどパソコンで録画していますので、どうしても「パソコンのせいかな」と思ってしまいがちです。ハードディスクは30時間弱でいっぱいになるので、撮った映像は編集しながらテープに残すようにしています。この作業が結構大変なんで、貯めないようにしたいのですが、なかなか……。


●8月16日(木)
 昨晩、帰宅後もすぐに就寝。朝、7時前に起きました。朝食は久しぶりに和食。カナダの食事は脂っぽいものばかりで、不健康そのものです。タンパク質と糖質は摂れていたと思いますが…。
 仕事は最低限の取材準備、打ち合わせにとどめました。


●8月15日(水)
 夕方、成田に着きました。成田では丸山吉五郎先生ら関東の大学の先生方と一緒になりました。荷物も無事に出てきてくれて、一安心です。
 エドモントンではホライズン航空にチェックインしたら、そのままアメリカの入国審査&税関に行かされたため、カナダドルから日本円に両替できなかったので、成田空港の東京三菱銀行で両替しました。信じられないことに、出国したときと20円近い差が。出発時は1カナダドル89.23円、帰国時は70.58円。円の“売り”と“買い”でレートが違うのでしょうが、20円も安くなったら、かなりの大損です。計算違いがあって約1000カナダドル余らせてしまったので、2万円近い損失です。これは痛い。皆さん、出発時の両替額には気をつけましょう。現地での買い物は、クレジットカードという方法もあるのです。
 その後、携帯電話をKDDIに返却し、ベンチで原稿を書いていたら、ものすごい睡魔に襲われ、2時間近く眠ってしまいました。21時頃に目が覚め、あわてて帰宅した次第です。お盆休みのせいか、帰りの電車が空いていたのが助かりました。


●8月14日(火)
 いよいよエドモントンともお別れです。しかし、なんででしょうか。ヨーロッパのときのように「もうちょっといたいな」という感情が沸いてきません。エドモントンの人たちはみんな親切でしたし、ホテルからインターネットは簡単につながりましたし、深夜営業のコンビニもあったし、深夜営業のファミレスもあって、ヨーロッパより格段に便利だったのですが…。逆に、日本(の都会)に近い環境だから、かもしれません。

 11:00発のホライズン航空でエドモントンを後にするはずでしたが、出発が1時間遅れに。空港ではM新聞・ISHIRO記者に会いました。ホライズン航空はカウンターが1つしかなく、カナダ航空などと比べると、列がかなり長く伸びていました。カウンターは1つですが係員は2人いて、向かって左側の係員の方がまったく進みません。女性1人と男性2人の3人組でしたが、少なく見ても20分以上は待たされています。
 ショートカットのブロンドの女性は、上が白のカッターシャツ、下が黄色のぴっちりしたジーンズで、よくよく見るとリディア・シモン選手でした(よくよく見なくても気付よ)。どうなっているのだろうと見ていましたが、よくわかりません。そうこうしているうちに、寺田は右の係員の所に行ってすぐにチェックイン。追い抜いてしまいました。シモン選手の夫のリビウ氏は、右腕を三角巾でつっていました。どうしたのでしょうか。
「ケガをしたに決まってるだろ」
「どんなケガか、どうしてケガをしたかを知りたいんだよ。」

 Y新聞大阪のS田記者、J通信・K松記者も同じ便です。シアトルでノースウエスト航空機に乗り換えです。K松記者と寺田は成田行きで、乗り換え時間に余裕があったので大丈夫でしたが、S田記者は関空行きの便が出発してしまっていました。ホライズンはノースウエストと提携(?)している会社で、日本でチケットを取った際には、ノースウエスト便として予約したのです。エドモントンで乗り換え時間がないことを話し(寺田が交渉したわけではありませんが)、45分は待ってくれることで話がついたのですが、話が違っていました。
 ホライズンのスペシャル・カウンターには、同様の乗客が殺到しています。シモン選手一行もどうやら、乗り継ぎ便に間に合わないのであれこれ手間取っていたのではないか、と思われます。それにしても、ホライズン&ノースウエストはお薦めできません。シアトルでは出発時間の1時間前が搭乗時間に指定されていました。その時間を10分過ぎてシャトルバス乗り場に行くと、えらく急かされるので、「出発まで1時間もあるじゃないか。エドモントンで座席指定もしてもらっている」と言うと、「オーバーブッキングの可能性がある。この席に行ったらすでに人がいるかもしれない。たぶん大丈夫だと思うけど」などと、言われてしまいました。寺田は3日前にリコンファームをしたのにもかかわらず、です。21世紀になってオーバーブッキングなどという言葉を聞くとは思っていませんでした。
 もう1つあります。エドモントンでチェックインした際、「預けた荷物は成田まで行くからシアトルでピックアップする必要はない」と言われたのに、シアトルでは「このターク(荷札?)は見たことがない。成田に着いているかもしれないし、着かないかもしれない」などと、怖いことを言うのです。エドモントンでピックアップ不要と言われたとき、「来るときはシアトルで一度ピックアップしたけど、今度はしなくていいの?」と確認したら「ここはもうアメリカの入国・税関だから問題ない」と言われました。確かに、来るときはシアトルがアメリカの税関でした。それで納得したのですが…。
 この日記は成田への機中で書いています。成田に着いて荷物が届かなかったら……ちょっと仕事に影響が出そうです。


●8月13日(月)
 エドモントン15日目。
 11時から、WILLIAM HAWRELAK公園のピクニック・シェルター・ナンバー2で女子マラソン三井海上コンビの一夜明け会見。のっけから、土佐選手が「昨晩は無理矢理食べさせられて、もどしてしまいました」と、あっけらかんと言い放ち、渋井選手の番になると「私は逆に下から出っぱなし」と、あけっぴろげに話し始めました。これで、この日の会見の雰囲気が決まりましたから、もしかしたら、2人で打ち合わせて、こんな話をしたのかもしれません。
 取材中も笑いの渦に頻繁に包まれ、かなりのリラックス・ムードです。写真撮影もノリノリで、あまりに面白かったので写真集にしました。この雰囲気、渋井選手のキャラによるところが大きいのですが、鈴木監督のキャラというか、チームの運営方針の表れなのかもしれません。

 会見終了後、プレスセンターに。15時には必ず閉めるからと釘を刺され、2時間もいられませんでした。全種目の予選から決勝までのリザルツが載っているデイリープログラムの最終版は、1人1部しかもらえません。「今朝出発した友人から頼まれている」と言って、2部ゲットしました。カウンターの係員が代わったので、もう一度同じことを言ってさらに2部。最後は同じ係員だったのですが、15時ぎりぎりに行ったらもう2部、もらうことができました。ということで、そのうち4部をメルマガ・バージョンの読者プレゼントとさせていただきます。
 ちなみに、係員が代わってもう一度もらいに行くという素晴らしい手段を思いついたのは、T辺先生です。それを真似たのが寺田とI記者でした。

 ホテルに帰ってメルマガ・バージョンの原稿書き。MIP藤本選手の記事は、自分では気に入っています。もしも読んでみて、よかったと思われた方は、メールください。メールで思い出しましたが、エドモントンでアサヒネット・アドレスのメールは読めるのですが、こちらから送信することができません。何通かメールをもらったのに、返事が出せず申し訳ありません。まずはこの場でお詫びします。
 途中、1時間半くらい別の仕事をして、その後1時間半くらい休憩。深夜12時くらいから近くのデニーズに行って食事をしてメルマガ原稿を仕上げました。デニーズでは蚊を7匹退治。世界選手権期間の後半、エドモントンでは蚊が異常発生していたのです。あちこち刺されてかゆくてたまりません。
「蚊が異常発生」
「カ、イジョーにハッセイ」
「カイジョー」
「カイージョ」
「かゆいぞ」



●8月7日(火)
 エドモントン9日目。世界選手権第5日。
 寺田には長年の夢がありました。ある自説を確認したかっただけですが、外国選手のこととなると、なかなかできるものではありません。そのチャンスがやっと、訪れました。
 女子走幅跳のニキ・クサントゥー(ギリシャ)は美人選手としても有名ですが、顔立ちや髪の毛の色から、ギリシャというより西ヨーロッパ系統の人種に思っていました。彼女の出身地がロードス島と聞いて、ピンときたのです。
 ロードス島は中世、聖ヨハネ騎士団が拠点としていた島でした。騎士団は英・仏・独・伊・スペインの諸侯で校正されていました。目的は、対イスラムへの聖戦です(表向きは)。騎士団はその後、撤退を余儀なくされますが(最後はマルタ島まで)、騎士団の子孫がロードス島に住み着いていたとしても、なんら不思議はありません。
 クサントゥー選手も、絶対に祖先は騎士団だったはず――走幅跳終了後、ミックスドゾーンでクサントゥー選手に突撃しました……が、彼女は英語を話せませんでした(寺田もそんなに話せるわけではありませんが)。当然、それも計算していました。「ミックスドゾーンなら彼女の周囲に必ずギリシャ人の記者がいるはず。その記者に通訳をしてもらおう」という、完璧な計画です。
 ところが、ギリシャ人記者はほとんど、英語を話せません。やっぱ南欧だ。1人の記者が片言の英語を話せたのすがで、なかなかこちらの意図を理解してくれません。
寺田「long time ago、did her ancient come from western europe?」
記者「(クサントゥーと話をして)彼女は昔、大阪に行ったことがある」

 てな、具合です。でも、めちゃくちゃ苦労しましたが、なんとか聞き出すことができました。どこまでこちらの質問を理解してもらえたかわかりませんが、彼女の祖先は昔からロードス島に住んでいたとのことです。どのくらい昔かが、問題なんですけど、それ以上は突っ込めませんでした。最後は、4人のギリシャ人記者が「グリーク、グリーク」と連呼して、ちょっと怒っているような感じも受けたので、引き揚げました。
 多少、欲求不満は残りましたが、こういったことは、聞かなければどうしようもないことです。聞かずにあれこれ、考えるよりもいいでしょう。でも、聞かない方が、ロマンをかき立てられることも、あるか。


●8月6日(月)
 エドモントン8日目。世界選手権第4日。
 午前中はホテルで原稿書き。エドモントンまで来ていて競技を優先できないのは、正直もったいないと思います。でも、仕方ありません。出場する日本選手の数が少なかったのがラッキーでした。
 綾真澄、岩水嘉孝の両学生選手は、ともに力を出し切れないパターンでした。次の国際大会に、今回の経験をいかに生かすかでしょう。綾選手のコメントは、記者の間で評判が高く、その素直で真摯な様子に感動したとNスポーツ・S木記者が言っていました。
 岩水選手のコメントからは、力が通用しなかった口惜しさだけでなく、初めて世界を見ての驚きが感じられました。そして、来季以降の種目選択については、「どうしようか考えている」のではないかと感じました。
 これはやっぱり、2人のコメントも載せないといけませんね。なんとか頑張って、数日中にはなんとか。
 競技終了後は、スポニチ用にペティグルー(400 m4位)の記事を執筆。新聞記事にはコメントは載せませんでしたが、ちゃんとミックスドゾーンで話を聞きました。一言ですが。東京の世界選手権(1991年。400 mで優勝)は、どんな思い出となっているかと。
 早口で聞き取りにくい英語な上に、ちょっと不機嫌でした。その場ではなんと言ったか自信がもてませんでしたが、あとから苅部俊二選手(法大コーチ)と、ケン中村氏と話をしていて「400 mはよかったが、リレーがバッドだった」と言ったのだと、確信できました。
 つまり、ペティグルーは400 mでは優勝して、寺田はそのことはよく覚えていたのですが、4×400 mRではアンカーで、イギリスに逆転されていたのです。中村氏によれば「400 m優勝者が、400 mH3位の選手(アカブシ)に抜かれた」と、アメリカ国内ではかなり批判されたようです。アカブシは4×400 mRになると強くなるタイプの選手ではありますが。そのあたり、イギリスの作戦が当たった(400 m2位のブラックを1走に起用など)と、苅部選手が言っていました。苅部選手は東京大会、400 mHのみの出場(準決勝進出)で、4×400 mRはスタンドからタイムを測っていたそうです。


●8月5日(日)
 エドモントン7日目。世界選手権第3日。
 朝、男子1万m予選に合わせてスタジアムに行ったところ、出場人数が少なくなったため、予選なしの一発決勝に変更されていました。昨晩、決定されたようです。寺田は選手ホテルに取材に行ったため、そのことを知りませんでした。世界選手権やオリンピックではよくあることで、今大会でも女子1万m予選、男子110 mH1次予選がなくなっています。
 空いた時間で、原稿を書き進めることができたので、徒労感を感じることはありませんでした。昨日、今日とレストランに行く時間がなく、部屋で、持参の携行食品で済ませています。今日、明日、明後日が、原稿締切の前半の山なのですが、先送りにしている原稿もあるので、後半も楽ではありません。

 競技の方ですが、今日は女子走幅跳予選、男子100 m準決勝、男子ハンマー投決勝と日本選手が出場し、また、男子100 m決勝もあり、注目種目が重なる忙しい日でした。ご存じの通り、室伏広治選手が銀メダル。オリンピックを含めても、日本の投てき選手では初めてのメダル獲得です。
 競技終了後、さあ取材だと意気込んでミックスドゾーンに行きました。日本人記者もたくさんいるので、話を聞きやすく広い場所をということでミックスドゾーンの終わりのところで陣取っていたら、室伏選手が何人もの外国人記者につかまってしまっていました。ミックスドゾーンでは15分ほどの取材。そのあと、室伏重信コーチに話を聞き、メダリストの公式会見。
 会見場を出ると、ポーランド人記者が「日本のメディアか? 俺たちはポーランドだ。やったぞ」(かなり意訳。正確にはなんと言ってきたかわかりません)と言ってきたので、ハイタッチ。ところで、プレスルームでは、フィンランド人記者の隣に座っています。フィンランドにもカルヤライネンという強い選手がいて、競技前は室伏選手のことをあれこれ聞いてきましたが、結果は10位。競技終了後は一言もなし。黙々とインターネットを見ていました。


●8月4日(土)
 エドモントン6日目。世界選手権第2日。
 今、デニーズでこの日記を書いています。どうやら24時間営業のようです。食事のメニューはもちろん、日本と違いますが、テーブルやカウンターなど、店のレイアウトは日本のデニーズと似ているといえば、似ています。先ほど、原稿を1本書き上げたところです。やっぱ、原稿を書くのはファミレスがはかどります。
 たった今、外国人が、「このパソコンは日本語と英語と、両方打ち込めるのか」と聞いてきました。ので、両方入力できることを実演したところです。

 世界選手権はいよいよトラック&フィールドが開始されました。が、今日一番の話題はなんといっても柳沢哲選手の、男子20kmW7位入賞です。五輪、世界選手権を通じて日本人選手初の快挙です。15kmになっても先頭集団で粘る柳沢選手の姿をモニターで確認したときは、感動しました。仕事中でも、こういったときは心の底から感動できます。
 もちろん、朝原宣治(大阪ガス)選手の2次予選余裕の通過も、オオーっと思いました。
 ところで、男子100 m2次予選では、向かい風が吹き荒れました。向かい風5m台で9秒88、向かい風2m台で9秒92とか、いかにグリーンやモンゴメリーでも、これはあり得ません。どうやら、機械の故障と判断され、記録は公認されない模様です(最終決定はまだ)。
 競技終了後、日本選手滞在ホテルに移動して、取材を1つ。22時半にホテルにもどり、歩いて10分強のデニーズに来ているという次第。
 ところで、移動のタクシーの車中で、高橋健一選手の名前が多くアナウンスされていた理由がわかりました。運転手が、「昨日のマラソンでタカハシはどうだった?」と聞いてきたので、「どうしてタカハシのことを知っているんだ?」と、質問した(一応、英語で)ところ、「5月のエドモントン・マラソンで日本人が上位を独占して、そのときに優秀したからだ」との答えでした。そういえば、そうでした。昨日、ちょっと疑問に思ったことが、これで納得できました。


●8月3日(金)
 エドモントン5日目。世界選手権第1日。
 男子マラソンは18:45スタートなので、昼過ぎまでホテルで原稿書き。13時のシャトルバスでスタジアムに向かいました。下野新聞のW林記者とN上カメラマンと一緒でした。栃木県は男子マラソンの西田隆維選手、女子マラソンの渋井陽子選手の出身県です。
 スタジアムのプレスルームに着いてからも、情報収集などをしながら原稿書き。
 レースはスタンドのプレス席でテレビを見ていました。日本のテレビ放映と違って距離表示がないのでちょっと不便ですが、手元のコース図を見ながら選手の位置を確認することで、少し状況をイメージすることができました。
 西田隆維選手が画面に登場すると、中国人記者が「漢字を教えてくれ」と言ってきますし、35kmで油谷繁選手が後れ出すと、隣の席のカナダ人記者が“What's happend Japan?”と聞いてきます。
 場内には、集団から後れているにもかかわらず、高橋健一選手の名前が再三アナウンスされていました。
 日本選手の結果は5位、8位、9位、12位、26位。国別対抗戦であるワールドカップでは前回のセビリア大会に続き2位。優勝はエチオピアです。今回のメンバーを見て、スペインやケニアに勝てるとは、正直思っていなかったので、善戦といっていいと思います。しかし、メダルに届かなかった課題は残ります。


●8月2日(木)
 こんなんありかよー、と思ったのが朝食。一昨日と同じものを食べたのに、今回はタダ。どうやら前回は、追加メニューを頼んだ伝票が来ていたようです。それにしても、あれだけ説明したのに。まあ、これもよくあること……じゃないですね。初めてです、こんなこと。
 11時30分から室伏広治選手の記者会見。昨晩、急きょ、行われることが決まったようです。会見内容を記事にしました。
 ミズノのサービスセンターに立ち寄った後、13時からナイキ主催の記者会見に。グリーン、マリオン、シューマン、ボスウェルらが出席総合司会者的な人の他に、選手へのインタビュアーとしてマイケル・ジョンソンが登場。これがまた、けっこう上手でした。マリオンもテレビのレポーターをやることもあるようですし、アメリカらしいところでしょうか。それにしても、寺田の知るジョンソンは、そんなに愛想のいい選手ではなかったと思うのですが、見事に場を仕切ったり、質問をわかりやすく繰り返したりして、びっくりです。
 会見後はグリーンやマリオンが、地元の子供(たぶん小学生)たちと、リラックス・ムードでイベントに参加していました(写真)。

 ナイキの記者会見後はプレスセンターに移動して、夜まで仕事。
 夜は、プレス用のパーティーがあり、日本人メディアの方たちと出席しました。カウボーイハットに首周りへのバンダナと、西部開拓時代を思わせる扮装をさせられ、ビーフ中心の食事に加え、アトラクションがいくつか行われました。お尋ね者の写真のモデルになりたり、疑似ロデオ(機械仕掛けの牛)も体験できます。テーマパークの一種のようなものでしょうか。アルバータ州牛肉協会(らしき組織)もからんでいるようで、係員は背中に「Alberta beef」の文字入りTシャツを着ていました。
 カウボーイに扮したイチローや、メキシコ人カメラマンも見かけました。
 さて、明日からは競技開始。競技場とホテルを往復するだけの生活になると思うので、この日記も、観戦記になると思います。


●8月1日(水)
 昨晩は東中・青山さん、サンスポ・牧さん、スポニチ・中出さん、日刊・佐々木さんと夕食。青山さんお薦めのステーキを食しました。アルバータ(エドモントンのある州の名前)牛は、“世界3大牛”の1つとか。そのうちの1つは松阪牛。昨晩のフィレミニヨンがめちゃ美味だったのは確かですが、松阪牛とどちらがおいしいか、寺田にはわかりません。もしも松坂より上ならば、西武よりも上ということか……。
 朝の8時に土佐礼子選手、渋井陽子選手の三井海上コンビがエドモントン入りする予定でしたが、これは関係者の発表ミスで、実際は夜の8時であることが、昨晩判明しました。夜の12時には就寝し、朝の4時に起きて洗濯。昨日の日記と今日の日記をここまで書きました。さて、朝寝坊ができるので、もう一眠りします。

 昨日、朝食になぜか6カナダドル数十セントとられました。チェックインで配られた朝食クーポン券を持っていたのに、です。何かの間違いかとも思いましたが、レジでは丁寧にそのクーポンと請求書的なレシートをホッチキスでくっつけていたので、間違いではなさそうです。昨晩、十分に食べていたこともあり、今朝は日本から持参した携行栄養食品で済ませました。
 11時にGSM(スポーツ選手の代理店)主催の記者会見。ゲブルセラシエ、サボー、シューマンらが会見していました。ゲブルセラシエは今季レースに出ていないのに、いつもと変わらず終始ニコニコ顔(写真)。サボー(写真)については、エゴロワのEPO(エリスロポエチン)陽性反応に話題が集中していました。サボーは今年、エゴロワに負けが込んでいるからです。
 午後はプレスセンターで情報収集(あんまりなかった)と原稿書き。事務的な打ち合わせのメールも、多数送らなければいけませんでした。締め切りの数をチェックして、ちょっと我ながらビビりました。何人かの記者の方から「フリーがそんなことでどうする」との指摘。そうなんですけど…。
 夜は、三井海上一行がエドモントン到着を空港で取材。土佐礼子・渋井陽子両選手の会見模様は記事にしました。20時半到着予定が21時に飛行機が遅れ、取材が終わったのは21時30分か45分頃。ホテルに戻ったのが23時頃。それから記事を書いたので、夕食の機会を失ってしまいました。外国ではそう簡単にレストランなど行けませんし、コンビニもまずありません(エドモントンはセブンイレブンを1つ見ましたが)。海外取材ではよくあることで、そのために携行栄養食品を持参しています。



昔の日記
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月