続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年5月 五月といえば、みちのく
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■6月1日(日)
 今週末は、1ヶ月ぶりに取材のなかった週末でしたが、インターハイは各県大会が佳境に入っています。今年、“愛と青春のインターハイ”が開催されるのは、ミナト長崎、出島の長崎、ハウステンボスのある長崎。地元勢では織田記念で取材した女子円盤投の林田選手が好調で、47m45の高校歴代5位を出しました。本番が楽しみです。その前に、北九州大会も。
 長崎といえば、昨年の100 mインターハイ優勝者の長島夏子選手(壱岐高)も有名。今年から福島大に進学していますが、川本和久先生があるテレビ番組で「長崎からどうして(どうやって?)福島に来たのですか」というような質問をされ、「船に乗って来たんでしょうねえ」と答えたら、まったくわかってくれなかったそうです(解説はしませんよ)。
 寺田も大阪国際女子マラソン前日に似たような経験をしました(書きましたっけ?)。小出義雄代表と何人かの記者で話しているとき、名前が“”という選手をプログラムから見つけて出して世界選手権を狙える有望選手だと推して、「翼よ、あれがパリの灯だ」とオチを言ったのですが、まったくわかってもらえなかった経験がありました。気持ちはよくわかります。
 インターハイがミナト長崎なら、日本選手権もミナト横浜。長崎から船に乗って横浜に来る選手では、田端健児選手、松本卓選手、宮崎久選手、もちろん長島選手。平戸安紀子選手と藤永佳子選手の名前がエントリーリストにないのが寂しいですけど、今は一時的に潜水艦に乗っているということで。
 その点、一時は日本代表の常連だった苅部俊二&吉田孝久のビッグ2を生み出した神奈川は、2人の引退後はハニカット陽子選手が孤軍奮闘中。藤巻理奈、江口幸子の両若手ホープが頑張らないと寂しいですね。山本絵里選手にも、もうひとがんばりを期待。あっ、鈴木尚人選手が頑張っています。


■5月31日(土)
 別に陸上部を持っている唯一のパソコンメーカーだからというわけではないのですが、富士通のノートパソコンを買うことにしました(6月末まではNECにも陸上部はありますが)。別に、土江寛裕選手が持っている機種だからというわけではないのですが、LOOX(ルークス)を買うことに決めました。
 寺田のパソコンが絶不調なのは、何回か紹介した通り。先週の延岡出張中は、サーバーへファイル転送中に電源が落ち、復旧にえらく手間取りました。それ以外にも3回は落ちたでしょうか。これまでは落ちるケースが限られていましたが、昨日はついに、ワープロソフトで文章を書いている途中に電源がぶっ飛びました。熱を冷ますパソコン用のグッズとか売っているみたいですけど、寺田のようなヘビーユーザーには、そんな対処療法では限界があります。B5サイズのモバイル用ノートをメインマシンとして使っていること自体に、無理があると言われそうですが。
 メインマシンとしてA4サイズのものを買って(15万円前後)、モバイル用にはドコモのシグマリオン(ハンドへルドPC・5〜6万円)を買うという選択もありましたが、出張も含め外で使用する機会が多いことを考えると、モバイルだけどメインマシンに使えるものが理想でした。シグマリオンの大きさだと、ただでさえ遅いキータッチが、ひときわ遅くなりそうですし。実は、SONYのバイオA4ノートの一番安いものを買うつもりでいました。今のもバイオですが、B5サイズのバイオはもう、怖くて買えません。
 それにしても、20万円代後半で買った物が、これだけ故障したあげく、3年ちょっとしかもたないのって、あまりにも消費者を馬鹿にしています。修理に出せば、軽く4〜5万円は取られますし。SONYだけじゃないと思いますが。そういえば、3年前に天満屋の篠原コーチが寺田と同じ機種(若干の違いがあったかも)を使ってらっしゃいましたが、まだ現役なんでしょうか。
 そんなこんなで、パソコン雑誌を見ていると、LOOXのB5サイズで重さ1.75kgってのがありました。今のB5バイオも、大容量バッテリーを付けて持ち運んでいるので、1.8kgあるんです。B5のLOOXはコンボドライブ(CD−RW&DVD−ROM)内蔵でバッテリーは6時間持続(カタログ値。実際は4時間くらいか?)、福島の幸せ元助教授のように移動中にDVDで映画が見られます。お値段も18万9800円でなんとか許容範囲。20万円を超すと、減価償却も不利になりますしね。
 土江選手が持っているのは同じLOOXでもSシリーズで、コンボドライブを内蔵しない今年の春モデル。重さは900g前後だったと思います。寺田はある程度大きさがあった方が、若干の使いやすさを感じていますので、一回り大きなやつです(土江選手もメインマシンは別に持っているのでしょうが)。問題は、故障したときにグチを書けないってことです。SONYの社員に知り合いは1人もいませんが、富士通社員の知り合いは、ざっと20人いますから。いや、それはそれ。

■5月30日(金)
 5月30日か。何を書こうかな。5、3、0。ご、さん、ゼロ……いえいえ、誤算ばっかりです。原稿は遅々として進まず、「何日までにはできるだろう」と計算した仕事が、その通りに終わることのほうが例外的。さらに一昨日は、誤算どころか誤報までやらかしてしまいました(28日の日記参照)。誤爆よりも罪は軽いですけど、猛反省中。
 そして昨日の日記です。高校駅伝の参加校数を間違えてしまいました。以下のようなご指摘を受けた次第です。
2000年のデータで、小学校の数は24106校です。
高校駅伝の都道府県予選会出場校は、過去15年間では男子で最高1600校
くらい、女子は1000校くらい。兵庫や福岡のように「県内地区予選」を
やっているところもあるので、実際はもう少し多い。

 全国高校駅伝のプログラムに、その年の正確な参加校数が記載されているというので確認したところ、2001年のプログラム(取材には行っていませんが、O原記者が送ってくれました)ですが男子は1787校、女子は1003校でした。
 なんで4000校なんて記憶していたのでしょうか。記事を書くときはこの手のことはしっかり確認するのですが…。まあ、小学校のマラソン大会優勝者がたくさんいるという部分は、こちらの計算以上だったわけで、論旨が大きく狂うことはなかったのですが、それにしてもお粗末。駅伝でお粗末な走りを見せないのが磯松(大輔・コニカ)。
 誤算のうちに入るかもしれないのが、ゴールデンゲームズの“四一郎”対決です。男子5000mA組(最終組)で4人の“一郎”が対決することを22日の日記で紹介しましたが、結果的にはドラマ「ムコ殿」効果で波に乗る上野裕一郎選手こそ高校歴代4位と快走しましたが、残りの奥田真一郎(NEC)と秋山羊一郎(同)、瀬戸口賢一郎(旭化成)の3選手のうち、奥田・秋山のNECコンビは欠場、瀬戸口選手はB組に回ってしまいました。期待していた対決だったので、個人的には誤算と言えば誤算です。
 ゴールデンゲームズの地元・旭化成にとって誤算は、永田宏一郎選手がA組の“○一郎”対決に加われなかったこと。永田選手が出場したD組は外国選手が集まった組。最終的に日本人トップもこの組の小川博之(日清食品)選手でしたから、D組に出ることイコール不調ではないのですが…。一時はトラックの“ポスト高岡”最有力候補と言われた選手。九州実業団で28分31秒66で走ったくらいでは、ファンは納得しません(長距離関係者も)。期待されているのは裕一郎だけではないのです。宏一郎も頑張れ!(締めが陳腐ですが、宏一郎もムコ入りしろ、なんて書けませんし…)


■5月29日(木)
 唐突ですが、箱根駅伝に出場した選手と一緒に走ったことがある人間は、何人くらいいるのでしょう。小学校のマラソン大会で一緒に走った人間が、数年後に箱根駅伝を走ったというケースは除きます。市民マラソンなどのケースも考えられるので、箱根駅伝選手と50m以内の差でフィニッシュしたという条件もつけましょう。そうすると、実はそれほど多くはないのではないでしょうか。そんな気がします。その希少価値のある体験を今日、寺田はしたわけです。
 今日は10:30からミズノ東京本社で末續慎吾選手の合同取材がありました。記者会見というよりも、懇談会に近い形式。以前にも書きましたが、こういう取材は特定の媒体を持たないフリーランスにとって、とてもありがたい話です。正直、楽なスケジュールではありませんでしたが、なにせファイナリスト&9秒台&19秒台を“やったるばい”の末續選手ですから、万難を排して駆けつけました。
 早寝早起きの生活パターンが定着しつつあるので、余裕で8:56永山発の多摩急行(小田急)に乗車。多摩急行は地下鉄千代田線に乗り入れているので、ミズノ最寄り駅の新御茶ノ水まで1本で行けます。しかも、永山は始発駅から2つめなので、座ることができました。車内では過去の末續選手の記事を読んだり、今年の取材ノートを読み返したり。気合いを入れました。
 9:51に新御茶ノ水着。時間があったので、駅の近くのカフェでコーヒーを一杯(ちょっと余裕があって、ちょっとだけ幸せなひとときでしたね)。35分ほどしてミズノ社屋に向かいました。信号を渡ると、前方を走っていく人影が。そうです。箱根駅伝出場経験のある読売新聞・近藤記者(2年前のエドモントン世界選手権のときの近藤記者の記事。近藤記者が書いた記事ではない)です。その瞬間、寺田も走り始めました。10:26でしたから、走らなくても間に合うのに、と思う反面、身体が反応していたのです。「ここで近藤記者を抜いたら、ネタにできる」と。
 ところが、意外にも差は縮まりません。近藤記者も全力で走っている風ではなかったので、「抜ける」と思ったのですが。寺田も一応、小学校の校内マラソン大会では優勝したこともあります……って、この程度の経験は、世の中で珍しいことではありません。正確な数字が調べられませんでしたが、全国高校駅伝の予選出場校数が多いときで4000校前後あったと思います。とすると、小学校は全国でその2.5倍は少なくともあるでしょうから、仮に1万校とします。小学校のマラソン大会は通常、学年別・男女別ですから毎年、優勝者は12万人生まれる計算。連勝するケースもあるので10年で120万人とはならないでしょうが、それでも膨大な数の小学校マラソン大会優勝者が世間に存在するのは確か。
 ということで、やっぱり箱根駅伝選手にはかないませんでした。「抜ける」と思った野生の勘は、都会暮らしで鈍っていた……わけではなくて、箱根駅伝ランナーの走力を侮っていたようです。追いかけているつもりが「あれ、あれ、あれ」と離される一方。最後は、J通信社のA記者にも追いつかれてしまいました……これって、単に寺田が遅いってことでしょうか。
 1つだけ言い訳。寺田はとっても重いバッグを持っておりました。他の記者もバッグは持っているでしょうけど、寺田は東日本実業団と、中部・北陸・九州実業団の記事を書ける資料を持ち歩いていたのです。もちろん、末續選手の資料や、請求書を書くための用紙、それにパソコンとICレコーダー。後で重さを量ったら、8.2s。16ポンドのハンマーよりも重い荷物を持っていたのです。
 末續選手ネタ(日記用・品は悪くないはず)もいっぱい仕入れました。仕入れただけでなく、これまで気づかなかった点に気づいたりもして。有意義な一日でした。


■5月28日(水)
 25日と26日の日記を書きたかったのですが、とても無理。またもや超ヤバ状態に突入しています。食事・風呂という生活に欠くべからざる部分さえ、するのが邪魔くさい。日記は一日10分以内と決めましょう。
 今朝も6時半頃に起床して仕事を始めました。13時までにそこそこ長い原稿を仕上げ、その間に電話取材も1本。電話取材の後、50行の原稿を1本書き、なぜか簡単な部屋の掃除をして、16時前に外出して、ファミレスで24行の記事を4本。現在、正確には朝の1時20分。休憩したのは朝食と昼食と夕食だけ。でも入浴もしたし、トイレにも行きました。なんだ、余裕ですね。
 FAXの紙が最後のロールになったので20時前にファミレスから電気屋さんに向かいましたが、途中、電話がかかってきて店までたどりつけませんでした。失敗しました。すぐに終わらせるはずの電話が、ちょっと真剣な話題でしたし、そこそこ大きな仕事の打ち合わせだったので10分もかかってしまい、気が付いたら20時3分。店は閉まっていました――「しまった!」と思いましたが、「そうか!」とひらめきも。「しまった」という言葉の語源はきっと、こんなエピソードからだったのでしょう。マラトンの戦いの故事と同じようなもんですね。
 今日は大失敗を2つやらかしてしまいました。ちなみに「やらかす」という言葉は、たぶんですけど、長距離選手の間の用語です。あんまり聞きませんよね、世間では。土佐礼子選手や渋井陽子選手がよく使っていたので記憶にあったのですが、他チームの誰だっけっかな、やはり使っていました。
 話がずれました。
 高岡選手と室伏広治選手がヘンゲロGPに出るという情報を得たので、トップページで紹介したのですが、どちらも誤報でした。「誤報でした」で済ませていいことではないのですが、詳しく言うと……最終確認を怠った私のミスです。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。頭下げてます。
 原稿、頑張っているのですが、やはり予定通りには進みません。
 でも、日記は書きました。しばらくおやじの時々日記が進んでいなくて、珍しくリードしているな、と思ったのも一時、いつの間にか逆転されていましたから。


■5月27日(火)
 電話取材を何本したでしょうか。
 T選手にY選手、H選手にM選手にもう1人T選手。午前中にN監督にも。夜はYコーチにも(半分取材で半分アポ取り)。ここまで電話をしまくった日も珍しいです。
 2番目のT選手の話では、陸マガ6月号カラー頁の土江寛裕選手の記事が一部では話題になっているらしいです。「おでこが広く見えるが、それは元々のことで、決して生え際が後退しているわけではない」という部分。ベテラン選手だけど、老け込んでいませんよと書きたかったわけですね、寺田は。
 ただ、ここまでの表現をしていますから、本人の了解は取っています。事実と違っていなければ、そこまでする必要はないんでしょうが、本人が気にしている部分だったら傷つけてしまうこともありますので。この話題も突っ込んで書くと、大変なのでここまで。
 原稿が進みません。
 阪神は勝ったのでしょうか。


■5月27日(火)
 5月18日の日記で間違いがありました。
 弘山選手が高校時代までを過ごした徳島県は、阪神の本拠地のある兵庫県から、淡路島をはさんで比較的近い距離にあります。弘山選手が住んでいた頃はどうだったのか知りませんが、93年の東四国国体のときはすでに、明石から淡路島、淡路島から徳島と橋でつながって車で移動できるようになっていました。
 と書きましたが、これは寺田の記憶違いで、東四国国体当時、橋ができていたのは四国側だけでした。明石側の開通は98年です。お詫び申し上げるととともに、訂正させていただきます。


■5月24日(土)
延岡人情日記
 延岡はとっても、人情味あふれる土地でした。
 まずはバスの運転手さん2人。
 寺田は今回、完全自腹出張なので、ホテルから西階陸上競技場に行くのは路線バス。競技場に行くバスの時刻表と停留所の地図は、大会本部ホテルに張り出されてありましたから、すぐにわかりました。車中では延岡市の地図を見て、バスが今、どこを通っているのか確認しながら乗り過ごさないように気をつけていました。「ここがあの延岡西高か(ちょっと古いですけど小中冨公一選手か佐藤公一選手の母校じゃありませんでしたっけ。あと、名コーチ矢野哲氏<ホンダ>も延岡西OBです)」などと考えながら、一番前の席に乗っていると、西階中学校に停車。
 地図を見ると西階競技場は、中学校に隣接ってほどじゃないですけど、すぐ隣。「次のバス停かな」などと考えていたら、あれ? 競技場とか運動公園という名前の停留所になりません。あれ? なんとか橋とか、なんとか神社とか、違う方向に来ているみたいです。その時点ではまだ、「どこかで折り返すのかな」と思っていたのですが、どんどん西進しています。
 思い切って、運転手に質問しました。
寺田 陸上競技場へは行かないのですか?
運転手 あー、これは行かないよ。○○で降りて、歩かないと。
寺田 戻る一番いい手段は何ですかね。いい方法あります?
運転手 そうだね。あのバスに乗ったらいい。
寺田 え???

 ちょうど、前方100 mくらいの交差点を左折して、こちらに向かってくるバスを指差します。でも、停留所があるのかな? その場で降りて道の反対側に渡ってバスを止める時間などなさそうだし……。と、どうすればいいのか、わからないでいるとなんと、運転手がすれ違うバスに合図をして止めてくれたのです。速攻、乗り換えました。
 乗り換える際に後ろを見ると、乗っていたバスの後ろには、4〜5台車がいました。普通、ここまでしてくれませんよね。
 乗り換えたバスの運転手はいろいろと、ゴールデンゲームズの話をしてくれます。降車の際には「乗り過ごしちゃったんだから、運賃は要らないよ」とまで。さすがに、そこまで甘えるわけにはいきません。確か、西階中学校あたりで310円だったような記憶があったので、430円ほど運賃箱に入れて降りました。

 さて、西階陸上競技場は3年ぶり2回目。関西インカレの三村芙実選手に続いて、今回は宗由香利選手が報道受付をしていました。有名選手の顔を見ると記者はやる気が出ることを、大会関係者はよくご存じのようです(違うかな?)。
 競技場自体は大き過ぎず、いい雰囲気。寺田は長居や横浜国際のような大きなスタジアムよりも、平和台皇子山のようにこぢんまりした競技場の方が好きですね。ヨーロッパだったらローマ(スタジオ・オリンピコ)やパリ(サンドニ)よりも、オスロ(ビスレット)です。ただ、設備面で、電光スクリーンなどがなくて、映像のリプライとか見られることを考えると、設備のある競技場の方がいいということになりますが。
 地元に定着したイベントということで、露店も軒を連ねています。例年、軽く1万人以上は人が集まりますからね。陸上競技で露店が出る試合って、他にありましたっけ?
 競技運営の斬新さについては専門誌などで何回か取り上げられているので省略しますが、ここで再度、1つだけ言及するとしたら、レース直後に表彰を行なっている点でしょう。3年前に来たときはこちらの意識がそこまでのレベルに達していなかったので、それを見てもピンときませんでした。ですけど……長くなりそうなので、この話は別記事で。
 今回の注目は男女5000m日本記録保持者の高岡寿成選手(カネボウ)と福士加代子選手(ワコール)ですが、寺田的には上野裕一郎選手(佐久長聖高)。一昨日の日記にも書きましたが、フジテレビのドラマ「ムコ殿2003」で話題になっている桜庭裕一郎と同じ名前だからです。会場にはフジテレビのスタッフも多く来場。高校記録更新も期待される選手と、「ムコ殿2003」とのタイアップ企画のため……ではなく、CS放送でゴールデンゲームズを放映しているからとのこと。もちろん、寺田はフジテレビのスタッフに“裕一郎”ネタを話しまくりました。自腹出張の目的は、これだったのか、と誤解されそうなくらい。
 上野選手の出る男子5000mA組は、女子5000mA組の直後。5カ月ぶりレース復帰の福士選手のコメントを取材するか、上野選手のラップを計測するか迷いました。上野選手には高校記録の可能性がありますが、福士選手も日本で唯一の14分ランナーですし、次の世界選手権やオリンピックに出る可能性があるのは福士選手。たぶん、陸上競技をちょっと詳しく知っていることを気取っている人は、上野選手を優先すべきだと言うんでしょうけど、寺田はそういった意見には耳を貸しません。缶コーヒー1本分の120円だって貸さない。
 これは、どちらが正しい選択ということではなく、記者がどういう媒体に書くか、どんな読者層を意識しているか、という部分に左右されます。それでも、「○○になる価値観が嘆かわしい」と仰るのでしょうけど、そういった「あれをすべき。これはけしからん」と言う人の意見って、正直に申し上げて、自分が5年か10年前に卒業した考え方ばかり。今は、いろいろな考え方を受け入れられるようになっています。
 話がそれましたが、結局、今回はフジテレビの方の手前もあって、上野選手を優先。でも、ラッキーなことに福士選手の会見がずれ込んで(他の記者の方も男子5000mA組を見たかったのでしょう)、そちらも取材することができました(会見の模様はこちら)。観客優先の競技進行だと、取材する側は大変になることも多いのですが、陸連の人がその辺を調整してくれたようです。福士選手の会見後に一部記者が姿の見えない上野選手を探しましたが、ここでも大会関係者の方が佐久長聖高の両角先生に連絡を取ってくれました。本当に、ありがたかったです。

 延岡の人情話をもう1つ。
 実は取材中、ロンドン・マラソンでもらった腕時計を落としてしまいました。一昨年、昨年と取材して2つもらっていたので、まあいいかな、とも思ったのですが、でも、やっぱり、ロンドンはいい思い出がいっぱいですから、戻ってきてほしいなと。しかし、長距離ファンがロンドン・マラソン関連グッズを拾ったらどうなるかを考えたら、半ばあきらめていました。実際は今年のものじゃないんですが、ラドクリフが世界最高を出したばかりですしね。
 それが、ちゃんと戻ってきたのです。延岡の長距離ファンのモラルを疑った自分が、恥ずかしくなりました。延岡の皆さん、ご免なさい。この場をお借りして(借りてないけど常套句ですから)、心からお詫び申し上げます。拾ってくださった方、本当にありがとうございました。寺田は延岡でも、幸せポイントゲットです。
 A社のKさんをはじめ、延岡でお世話をしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。


■5月24日(土)
 延岡のホテルです。
 試合が午後からなので、まだホテルです。これも、ヨーロッパの試合(取材)を思い出します。
 昨晩、ファミレスで一昨日までの日記を更新したところまではよかったのですが、その後、What's newインデックスを更新しようとしたら、ファイル転送中にパソコンの電源がダウン。その後、サーバーへのアクセスができなくなりました。昨晩2時までと、今朝の7時から9時まで努力を続けた結果、一度設定した内容を“編集”するのでなく、新規で接続設定をすることで解決。なんとか、安らかな気持ちで遅い朝食を取りました。
 欠場選手の情報もいくつか。高岡寿成選手が発熱で、昨日のうちに帰山。男子1500mも有力選手が何人か欠場するようです。


■5月23日(金)
 ゴールデンゲームズinのべおか取材のため、17:40発のANA便で宮崎入り。
 機中で宮崎着が18:50頃になる旨の機長アナウンス。予定の19:20着だと19:33発の各駅停車に間に合わず、1時間後の特急になってしまうので「お金がかかるな」と思っていましたが、予定より早く着いてくれれば楽勝。
 ところが、19:00になっても着陸態勢に入る気配がありません。「あれ、パイロットがウソつくなんてグッドラック(ANAの副操縦士が主人公のドラマ)と違うじゃん」いう声があちこちで聞こえました。なんてことはありませんでしたが、こちらは電車の時間があったので気が気ではありません。紀伊半島上空で雷を避けるためどうのこうの、とアナウンスが入ったので(実際、かなり揺れました)、それが遅れた原因だったのでしょうか。
 定刻の19:20に宮崎空港着。これは無理だなと半ばあきらめていましたが、JRのホームは空港出口と目と鼻の先。出発間際でしたが、切符を買わずに駆け込んでセーフ。良い子は真似をしないように(“良い子”の定義は、切符を買わずに電車に駆け込んではいけないと考えている人間。年齢、性別不問)。
 21:20延岡着。3年ぶり2回目の延岡です。
 駅前には、こんな立て看板が。近年、勝負重視でなく、記録を出すためのレースも多く行われるようになりましたが、国内での先駆的大会がゴールデンゲームズです。記録優先レースの全部を取材したことがあるわけではありませんが、後発の他の大会との違いは、地域のバックアップを得ている点でしょう。大会には地元の観衆が大挙して応援に来ますが、他の記録会でそういった光景は見たことがありません。地元ではイベントとして完全に定着しているわけです。最も、ヨーロッパのレースに近い雰囲気の試合ではないかと思います。
 旭化成という地元に根ざしたチームがあるからこそ可能となっているわけですが、関係者の発想のよさと、努力の賜物でしょう。駅前の立て看板には、立て看板というよりオベリスクのような神々しさすら感じましたと言ったら、ちょっとオーバーでしょうか。まあ、パリで世界選手権もありますし、いいでしょう(オベリスクはエジプトの神殿なんか立てられていたようですが、有名なのはパリのコンコルド広場のもの。写真があるとわかりやすかったのですが)。
 駅近くのファミレスで夕食をして、ホテルに。車中から陸上競技関係者(選手も含む)何人かの方とお会いしました。最後、ホテルの廊下ではパリジェンヌにも。


■5月22日(木)
 若干、本当に若干ですけど余裕ができたので、昼食時にたまっていたビデオを見ました。でも、ハードディスクレコーダーのハードディスク(80GB)はほぼいっぱい。早くDVDに落として整理しないとやばいです。と、思いながらも仕事優先。でも、夕食を取りながら「むこ殿2003」なんぞを見たりして。国際千葉駅伝スポンサーでもあるライフが、番組スポンサーですからね。月9ドラマの旭化成と同様、陸上界ゆかりの企業ですから。
 その「ムコ殿」で長瀬智也(漢字あってますか?)演じる主人公の名前は桜庭裕一郎。携帯電話のAUとタイアップ広告なんかもやっていて、世間ではちょっとした話題のようです。そんなことを考えていたら、あることにはたと気づきました。
 まずは旭化成後援会のサイトで、明後日のゴールデンゲームズ出場者を見てください。男子5000mで有力選手の集まるA組に上野裕一郎選手(佐久長聖高)の名前があります。主催者の意図は明々白々。「ムコ殿」人気にあやかって大会を盛り上げよう……と考えているのかどうかまではわかりませんが、好調の上野選手に記録を狙わせようということでしょう。
 上野選手は昨年、2年生ながら13分56秒11をマークしています。日本のトップ選手と同じ組に出場するということは、よっぽど調子がいいのでしょう。4月5日の埼玉県実業団長距離記録会では14分13秒56。このときはタイムよりも、野田道胤(ホンダ)ら名前の知られている実業団・学生選手に勝ったことで、長距離関係者を驚かせました。
 上野選手の狙いは佐藤清治選手の持つ佐久長聖高最高記録(13分47秒8)か、昨年出たばかりの高校記録(13分44秒91)か。これは、誰のラップを測るか迷いますね……などと考えていたところで、主催者サイドのもう1つの壮大な狙いに気づきました。それは“四一郎”対決。これでレースを盛り上げよう、というのでしょう。1組には上野選手の他に、奥田真一郎(NEC)・秋山羊一郎(同)・瀬戸口賢一郎(旭化成)の名前もあったのです。


■5月21日(水)
 今日はいろいろ頑張りました。もちろん、仕事で。
 6時には起きて、書きかけだった原稿を9時までに仕上げて送信。30分の朝食休憩を挟んで次の原稿にかかり、14時ちょっと前に仕上げて送信。昼食後、たまっていたメールの返信。今年強いのは阪神(弘山選手がファンです=5月18日の日記参照)。
 その後、簡単な電話取材を2本。選手への取材ではありませんが、取材には違いありません。
 18時ちょっと前に事務所(兼自宅)を出発して、まずは陸マガ編集部に向かいました。小田急の多摩急行に永山駅で乗ると、乗り換えなしで表参道まで行けます。永山は始発駅から3つめなので、この時間帯なら余裕で座れますしね。車内で今晩締め切りの原稿(短めのもの)にとりかかり、表参道まで約40分ありましたが、4分の1も書けませんでした。でも、なんとなくプロットはできあがったかな、という感じ。プロットというより、少ない文字数なので、ここまで書いたら文字数がオーバーするのがわかったというか。
 19時10分編集部着。Yグチ君に某取材の写真を渡して、出張精算。ホッシーに代わって陸マガに異動してきたT橋次長が白いモビルスーツならぬ、白いノートパソコンで(i-book=マッキントッシュPC)で仕事をしていました。しかし、i-bookにはPCカードスロットがありません。寺田の黒いパワーブック(これもマッキントッシュPC)にはあるんですけど。Yグチ君に団扇で先輩風まで吹かせる仕草をして、19:40頃に退去。
 20時前には都内某事務所着。そこである冊子の色校をするのが、今日、都心に出てきた一番の目的です。が、先に原稿を片づけないと気分が悪いので、今日締め切りの書きかけの原稿に取りかかり、21:45に仕上げて送信。先方のOKをもらって、色校チェックに取りかかり、23時前に終わらせました。
 30分ほど18日の日記を書き、23:25に事務所を後に。自宅に0:40頃着。日記を仕上げて、サイトにアップする予定がダウン(……だったかな。確か22日の朝だった気がする)。


■5月20日(火)
 幸せの代償(昨日の日記参照)は大きいですね。
 昨晩から、いつもに増してハードに追い込まれています。とはいえ、このところ早寝早起きの生活パターンになっているんです。一昨日も昨日も、朝の5〜7時の間には起床して仕事をしました。だからなんだ、というわけではないのですが、眠いのに頑張って仕事をするよりも、なんとなくいいかな、という気はしています。そういう認識は何年も前からあったのですが、なかなか実行できませんでした。このところ試合の取材が続いたから、そうせざるを得なかった側面もありますね。
 昼までに、昨日締め切りの原稿を仕上げて送信。
 そのあとも引き続き、本日締め切りの原稿にかかりました。これが、やや苦戦。以前にも書きましたが、食事をする時間さえ惜しいです。
 話は変わりますが、昨日の朝から今日の朝までで、このサイトへのアクセス数が8900。やっぱり陸マガ(担当Yグチ君)が紹介してくれたのが大きかったのでしょう。それに、地区インカレへの関心も、OBを中心に高いのかな、と感じています。日本インカレの時期と比べないとなんともいえませんが、地区インカレ全部を合わせたら、参加選手数も断然多いでしょう。この時期の方が後輩を気にする先輩が多いんじゃないですかね。


■5月19日(月)
みちのく陸上日記@
 “みちのく”の語源は“未知の国”なんだろうかと、ぼんやり…ではなく、せわしなく考えていた。なんで、そんな風に考えるのかというと、寺田には新しもの好きの傾向があるからだ。行ったことのない土地に行ってみたい、という願望は強い方だと思う(街頭アンケートの結果判明した)。昨日までは東日本実業団取材で仙台に2泊。仙台は陸上競技の取材だけでも4回目だ。福島のあづま競技場も95年の福島国体と、昨年の全日本実業団の2回行っている。だから、未知の場所というわけではない。だが、東北インカレとなると、紛れもなく未知の大会だ。
 実は東北インカレが月曜日までやっているとは、まったく知らなかった。東日本実業団取材中に、M選手から「東北インカレには来られないのですか」と言われて、初めて気づいたのだ(恥ずかしながら)。福島は東京への乗車券で途中下車できるし、新幹線など使わなくとも仙台から1時間半くらいで着く。ホテルも、インターネットで調べると4000円と安いものがあった。問題は、抱えている原稿をいつ書くか…。だが、色々と想像するに、東北インカレに取材に行くと、幸せになれそうな気がしたのだ。
 関西、関東と地区インカレを1日ずつ取材しているので、東北インカレも1日取材したら“3地区インカレ1日取材”を敢行したことになる、決して観光気分でなく…。陸マガの取材でなくても、報道受付はOKしてもらえそうな気がした。関西よりも知己の先生、学生役員は多い。
 それに、これが最も寺田の心を突き動かしたのだが、女子400 m学生記録保持者の木田真有選手に、東北弁で取材をしておきたかった(学生時代の知り合いが東北弁丸出しで話をするので、少しは寺田も話せる)。東北インカレで東北弁を話して取材した選手を、3カ月後にはパリで、やはり東北弁で話して取材をする。お互いの東北弁が少しフランス訛(なまり)になっていたりしたら、陸上記者としてこんなにカッコいいことはない。
 蛇足であるが、当地は福島の幸せ元助教授・川本和久先生のお膝元。東北インカレに行って幸せになれば、極端な言い方をすれば敵地で幸せワンポイントゲットとなるのだ。寺田はいてもたってもいられなくなり、朝の8:30に行くことを決断した。一応、福島のホテルに泊まってはいたのだが、そのままホテルで原稿を書くか、行って取材を敢行するか、ずっと迷っていたのである。

みちのく陸上日記A
 しかし、駅前のバスターミナルに8:50に行くと、あづま陸上競技場に行くバスは8:40に出たばかりで、次は11時台になるという。さすが、みちのく。そういえば、全日本実業団のときにタクシーの運転手と……この話はやめよう。
 だが、その程度で寺田の“幸せポイントゲット”への決意は、揺らがなかった。銀行に寄って、タクシーに乗り込んだ。どうでもいい話だが、福島国体は寺田の独身最後の取材の地。思い出の競技場でもある。あづま競技場に着いて報道受付に行くと、某専門誌の記者とカメラマンの方が。仙台から乗り込んだのは自分だけだと思っていたので、やや気勢をそがれてしまった。が、そのくらいで、崇高な目的(幸せポイントゲット)への決意が揺らぐことはない。
 本部席近くで川本先生にお会いしたので早速、取材の目的を告げたところ「木田は北海道(出身)だから、東北弁は話さないよ」と、ものの見事にこちらの“幸せ度”を落としてくれた。みちのくとパリを結ぶはずの糸が、あっけなく断ち切られてしまったのである。さすが、百戦錬磨のコーチ、恐るべし。
 さらに、である。締め切りを抱えて、来るかどうか悩みに悩んだ末の決断だったというのに、M選手は「寺田さんだったら来ると思っていましたよ」と、こちらの思考回路はお見通し、と言わんばかりの台詞。だったら次は、M田選手の予想を覆してやろう、N選手権は絶対に取材に行くのはやめよう、と堅く心に誓ったのだった。
 しかし、幸せ度に反比例して、寺田の人間電気計時は絶好調。男女の200 mと女子4×400 mR、それにもう1種目(メモするのを忘れた)の計4種目で、正式タイムと同じ数値で手元のストップウォッチを止めることに成功した。女子400 mHと男子800 mが0.01秒差、男子4×400 mRが0.02秒差。自分でも怖いくらい絶好調だった。その都度、周囲にいる知り合いにストップウォッチを見せて回っていた。かなり、子供じみた行為だったと、自分でも思う。
 まあ、トータルでは幸せだった、かな。


■5月18日(日)
 プロ野球セ・リーグは阪神が快進撃を続けています。それが陸上競技と関係があるのかというと、実は大あり。市橋有里じゃなくて…。
 東日本実業団の女子1500m(昨日)、5000m(今日)の2冠を達成した弘山晴美選手がレース後、報道陣に「見てください」とバッグに付いている井川投手のキーホルダーを見せてくれました。さらにはバッグの中から阪神のユニフォームカラーの“虎のしっぽ”を取り出します。聞けば織田記念の翌日、寺田が広島駅の新幹線ホームで弘山選手に会った後、神戸(たぶんA社)に立ち寄って購入したそうです。
寺田 じゃあ、それを買った後、(日本選手間で)負けていませんよね。
弘山 そう…ですよ。
寺田 なんでまた、阪神なんですか?
弘山 徳島なんで、昔から家族みんなでファンなんです。
寺田 (栃木出身の)弘山コーチは?
弘山 巨人ファンです。

 弘山選手は阪神グッズを買った後、静岡国際の1万m、今大会の1500m・5000mと勝ち続けているだけでなく、立て続けに34歳日本最高記録を打ち立てています。つまり、好調の要因は阪神にあり、と言えるようです。阪神が勝つと気持ちが充実し、練習のタイムも自然と上がり、疲労の回復度合いも、阪神が勝つと違ってくる……というデータが出ていれば、スポーツ新聞の見出しになるんですけど。
「弘山、阪神パワーで○○選手権2冠!」
とか。
 念のために書くと、弘山選手が高校時代までを過ごした徳島県は、阪神の本拠地のある兵庫県から、淡路島をはさんで比較的近い距離にあります。弘山選手が住んでいた頃はどうだったのか知りませんが、93年の東四国国体のときはすでに、明石から淡路島、淡路島から徳島と橋でつながって車で移動できるようになっていました(※というのは寺田の記憶違いで、東四国国体当時、橋ができていたのは四国側だけでした。明石側の開通は98年です)。
 弘山選手の話によれば、徳島は阪神ファンが多いそうですが、ということはもしかして、同じ徳島出身の市橋有里選手も阪神ファンなんでしょうか? だとしたら、市橋選手も復活間近?


■5月17日(土)
 東日本実業団取材。今年は杜の都・仙台での開催です。ちなみに“杜”と“森”は同じ意味です。森はちなつですが……。
 前回・仙台に来たのは2000年の日本選手権でしたが、このときは利府開催(とても遠かったです)。今回は90年に仙台インターハイが行われた宮城県営競技場での開催。交通の便は宮城県営の方が段違いに便利。仙石線を使えば、仙台から2駅目。ホテルが仙台駅から歩いて20分と遠かったので、今回はタクシーを使わざるを得ませんでしたが、片道1300円とそれほど負担になりません。
 しかし、オールウェザーが軟らかめで、記録は出しにくいと感じた選手も多かったようです。欠場したりエントリーしていない有力選手も多く、正直言ってやや寂しい顔触れでした。そうなると、どうしても緊張感のない試合となってしまいますが、そんな中でも緊張感や目的意識をしっかりと持った選手もいました。
「1日目 沢野がB標準の5m60 など、話題をかなり紹介@」にも書きましたが今日の最大の収穫は、沢野大地選手の世界選手権B標準の5m60でしょう。沢野選手がインターハイに5m40で優勝したときの陸マガの見出しは「大地、大空に舞う」でしたが、今回はさしずめ「大地、杜をひとっ飛び」といったところでしょうか(ちょっと苦しい)。
 本人が一番感じていたのですが、“やっと出た”という感じの記録です。高校で5m40、大学1年で5m50を跳んだ沢野選手が、実業団1年目で5m60に成功したわけです。「マスターズ1年目には6mが跳べる」との声も会場で聞かれました(某社総監督から)。
 ややあと味が悪かったのが、男子100 mの宮田貴志選手の失格。この規模の大会では新ルールとなって初めての失格者です。ビデオを見ると、どうしてフライングなのかわからない状況(ビデオは証拠にならないのですが)。宮田選手の抗議に対し陸協側から説明がされましたが、あからさまに“ダメなものはダメ”という対応。純粋に“どこがダメ”なのか知りたがっている選手側に対し、お決まりの規則の説明(審判員が不正と判断したらそれが絶対的な判断)に終始しているように見受けられました。
 宮田選手と一緒に質問した別の先輩選手に対し、「監督でない者が抗議をするな」「いちいち第三者に説明する義務はない」という言葉も。何が不正かを判断する部分だったらともかく、質問する人間に対してこの態度はいただけないと感じました。1人でも登録が認められている実業団で、監督のいない選手は少なくありません。個人で頑張ろうとしている選手には、いないことの方が多いのではないでしょうか。監督がいても形だけだったり、実際の試合に来られないケースも多いでしょう、高校生の試合じゃないんですから。
 それに、若い選手が交渉に当たるのはどう見ても負担が大きいですから、先輩選手(といっても、まだ若いのですが)が監督の代わりを果たそうとするのも、当然の成り行きだったと思います。閉ざされた部屋で解決しようとすればするほど、不信感はつのるのですから、監督でなければ説明しないというのではなく、相手が誰であれオープンにやった方が賢明だと思います。
 肝心のフライングかどうかという点は、「静止した後に動いた」というスターターの判断です。両者とも自信を持っているようなので、今後も“どこがいけないのか”“どうすればいいのか”という話し合いはなされていくと思われます。今年のルール改正に伴い、宮城陸協もフライングを取るケースの勉強会を開き、より正確な判定を期しているそうです。この日も、スターターとリコーラーが同時にリコールのピストルを撃ちましたから、審判の目からはフライングと見えるスタートだったのは確か、ということになります。だったらなおさら、その部分の説明に意を用いるべきだったのではないでしょうか。


■5月16日(金)
「えーい、ままよ」とばかりに、関東インカレ経由の仙台行きを強行。原稿も抱えているのですが…。
 朝は7時に起きて書きかけの原稿を仕上げ、ある冊子の色校作業をして(写真の差し替えなど)、電話連絡を何本かして、14時前に自宅を出発。なんか、編集者みたいでした。本当はもう1本原稿を書いてから出かけたかったのですが、「やっぱり関東インカレだろう」と。関東インカレの記事を書く媒体は本サイトだけだったので、無理をする必要もなかったのですが、注目種目も多かったので。
 仙台までの乗車券を買う必要があったので、小田急からJRに乗り換える町田駅で緑の窓口に。14人も列を作るくらいに込んでいて、横浜国際競技場到着が15:10の1部砲丸投開始にちょっと遅れてしまいました。男子砲丸投は村川・畑瀬対決に注目していたら、回転投法の2年生・大垣選手が17mスロー。話も聞きたかったのですが男子1万mと重なって、迷いましたが1万mのタイムを計測。
 でも、男女400 mと男子1万mはそれなりに取材しました。
 男子1万mの取材終了が予定より遅くなり、東京駅19時30分頃発の東北新幹線に間に合わなくなりました(駅すぱあとで小机発の時間まで調べられます)。1本遅らせて自由席にすればいいのですが、金曜日だったのでちょっと不安に。車内で原稿を書きたかったですから。意外と言ったら失礼ですが、小机駅に緑の窓口があったので20時頃発の列車に変更することができました。結局、東京駅に19:40頃について、19:44発のやまびこ自由席に座ることができました。1万mの記事男子400 mの記事を3分の2くらいかいたところで仙台着。
 仙台のホテルへ地図を見ながら駅から歩いたら、20分以上かかってしまいました。明日からは、タクシーを使わないと厳しそう。部屋は広いんですけど。2時くらいまで仕事。書き残していた原稿は手つかず。


■5月15日(木)
 昨日のうちに東京に戻りまして、今日は“ひたしご”。今日、頑張らないと、明日の関東インカレに行けません。明日は関東インカレを取材後に仙台に移動する予定です。
 それはそうと昨日は、陸マガ6月号の発売日。国際グランプリ大阪大会の記事がもう、雑誌に載っているとは早いですね。ところで、お手元に陸マガがある方は206ページをご覧ください(お手元にない方は今すぐ、本屋に行きましょう、890円を持って)。陸上競技関連のサイトを紹介するコーナーが始まって、その記念すべき第1回にこのサイトが紹介されています。どうやら、担当の編集者Yグチ君が先輩に対して、気を遣ってくれたようです。
 その原稿用の取材を受けまして、紹介文には寺田のコメントなんかも載っています。選手や指導者を取材して、そのコメントをメディアに載せるのはいつもやっていることですが、自分が取材されて、自分のコメントが載るのは新鮮です。
 ただ、気になる点が1つ。この日記について「おやじギャグしか書かれていないこともあるが……」と書かれています。何度でも言いますが、“ユーモアとウィットに富んだギャグ”なんで、そこんとこを皆さん間違わないように。実は、その記述を見たのは発売日前。陸マガ編集部に行った際に、印刷所が出した文字校正用紙を偶然にも見てしまいました。その気になれば、先輩風を0.5mくらい吹かせて「ここ変えろよ」と言うこともできたのです。
 でも、結論からいうと、しませんでした。先輩風を吹かせるのが嫌だったこともありますが、今はサッカー担当になってしまった佐々木一郎記者の言葉を思い出したからです。彼に関しては色々とネタにさせていただきましたが、「これはヤバイかな」というネタの時には、必ず本人の了解を取るようにしていました。しかし実際に彼が「これはやめてください」と言ったことは、一度もありません。「自分も物書きの端くれ。他人が書いたものに文句をつけるようなことはしません」というのが、彼の持論でした。文句を付けない理由というのは、ちょっとわかりにくい部分なので割愛しますが、“ファミレス論争”(懐かしい)では意見が対立している寺田も、その点では同感でした。
 だから今回、客観的な事実と違った内容ならともかく、書き手(Yグチ君)の意見の部分の訂正を求めるようなことは、したくなかったのです。この場で反論はしますけどね。
 そうそう、1つだけ訂正しないといけません。4月25日の日記で、Yグチ君がホッシーのことを「こいつは……」と言ったことになっていますが、本人によると「こいつ」という言葉は使っていないとのこと。これは、こちらの意見とかではなく、“事実と違う部分”ですから、抗議を受け付けます。今ごろで何ですけど、訂正させていただきます。
 さて、この日記でもたびたび登場させていただいた編集者ホッシーが、異動で陸マガを離れます。新しい部署での活躍を、期待したいと思います。いつでも陸上競技の試合に顔を出して欲しいものです。代わりに着任したのは、T大出身のあの……。


■5月14日(水)
 午前10時56分。寺田は地下鉄御堂筋線の長居駅ホームに降り立ちました。そう、4日前の国際グランプリ大阪大会で忘れ物をした……のではなく、関西インカレの取材に来たのです(初取材)。大阪グランプリの翌日は、岐阜で中部実業団対抗の取材。その後の行動は企業秘密です(単に日記を書かなかった言い訳、という意見もありますが…真実は闇の中)。
 ラッキーなことに改札でK新聞・H中記者と一緒になりました。今日の取材は新聞・雑誌など大手媒体に書く予定がなく、このサイトだけ。報道受付で「どこのメディアですか」と聞かれたら、「陸上競技WEBです」と答えるしかなかったのです。まあ、AJPS(日本スポーツプレス協会)の会員証もあるし、AIPS(国際スポーツプレス協会)の会員証もあるし(これが海外のGPなどでは有効)、それほど心配していませんでしたが、根が小心者でして。それが、知り合いの記者の方と一緒に、雑談なんぞしながら受付すると、すんなり通れるものです。「この人はK新聞記者の方と知り合いなんだ」と信用されますから。
 しかし、実際に受付に行くときはちょっとドキドキ。H中記者の後ろから恐る恐る受付をしようとすると「あっ、こんにちは」と、女性の声。えっ? 関西学連に知り合いはいないはず……と、思って顔を上げると、三村芙実選手が報道受付の係りをしているではないですか。ということで、顔パス?じゃなくて、ちゃんと会社名と名前と電話番号を記入して記者IDをもらいました。
 しかし、試練はトラックで待ち受けていました。
「どこに載るんですか?」
 取材中に、某選手から質問されてしまいました。ピンチっ!
寺田 いや、それが、たぶん、インターネットの…(と、しどろもどろ)。
某選手 なんていうサイトですか。
寺田 いや、それが、なんてサイトでしたっけ、S田さん(Y新聞)。
S田 寺田的でしょ。
某選手 あー、読んでます、いつも。

 ということで、事なきを得ました。「なんていうサイトですか」という部分も、文字にすると冷たく質問されているように感じますが、実際は明るく質問されたので、ピンチって言うほどでもなかったのですが。なかなか自分で「寺田的に載せます」と、胸を張っては言えません。
 ちなみに、某選手とは、関西インカレですから坊功造選手ってことはなくて(とっくに卒業してます)、昨年の女子短距離2冠の野木香里選手。1年前に武庫川女大4年生だったのに、今年は近畿大の3年生として出場していたので、どういう経緯だったのか記者3人で質問していたのです。日本一色の白い11秒台の選手としても有名です(某専門誌が調べたそうです)。
 さて、大手メディアの仕事ではないのに関西インカレに来た理由は何か――知り合いの方とも何人かお会いして、この質問を多く受けました。
「いやしくも陸上競技ライターと名乗るからには、“関西インカレを一度も取材したことがない”では済まされないでしょう」
 と、ちょっとカッコをつけて答えていました。確かに、これも本当のことですが、本心は「とにかく一度、関西インカレに来てみたかった」ということ。朝原宣治、小坂田淳、高岡寿成、新井初佳、そして高橋尚子が走った大会です。それを考えるだけで心躍る思いがします。後輩たちも、これら偉大な先輩の後を追おうと、頑張っているに違いありません。さっそく、女子1500mに優勝した丸毛静香選手に「目標は高橋尚子さんですか」と質問(このときもH中記者がよく知っている選手で、話が弾んでいたのです。寺田とではなく、一緒にいたH中記者と)。
「いえ、違います」
 ……そうですよね。いくら高橋尚子選手が関西インカレ女子1500mの優勝者でも、いきなり目標にはできません。でも、この男なら、高岡寿成選手を目標としているはず。そう。今日は最後で力尽きて6位に落ちてしまいましたが、中・長距離期待の星・田子康宏選手。「今日は、高岡の大会記録(3分46秒00)を目標に走ったんだよね」と寺田。
「ええ、まあ、そうですね」
 ……返事にやや、違和感を感じました。まあ、タイプが違いますからね。高岡選手は元々5000mが強く、田子選手は元々800 mが強かった選手です。それに、現在は不調のようですし。
 他に取材をしたのは、女子やり投で学生歴代4位をマークした関川由美選手。それから、女子1万mの池田恵美選手と堀岡智子選手。女子選手が多いですね、偶然ですけど。男子では、準決勝まで終わった男子100 mに出場していた荒川大輔選手に、決勝の目標タイムは? とすれ違いざまに質問。
「10秒50です。自己記録が10秒51なので」
 ちょっと欲のない目標ですが、それは人それぞれ。でも、ちょっと待てよ。10秒50といったら、同志社大の先輩で走幅跳が先に強くなってから100 mが強くなった、あの朝原選手にゆかりの数字ではないでしょうか。朝原選手はインターハイは走幅跳の優勝しましたが、100 mは準決勝落ち。初の100 m全国タイトルは、大学1年時の日本ジュニア選手権(全日本ジュニア選抜かな、当時は?)。そのときのタイムが確か、10秒50だったはず……と思って調べたら、10秒49でした……と思ったら、これは9月の西日本インカレのタイムで、ジュニア選手権は10秒56でした。錆び付いてますね、寺田の記憶力は。
 それは、こちらの問題。
 とにかく関西インカレはとってもいい雰囲気でした。記者が少ないこともあって、そんなに取材規制もありません。春季サーキットや大阪GPと比べると、タイムテーブル的にも余裕があって、落ち着いた取材ができました。記者室の真ん前がフィニッシュラインで、女子1万mのタイムは座りながら計測できましたし、長居第2競技場はグラウンドレベルに立っていても、フィニッシュ地点から200 mのスタートラインがくっきり見えるので、タイムが測りやすいのです(普通はスタンドに行かないと見えない)。
 応援の雰囲気もよかったですね。関東の大学の集団応援も悪いとは言いませんが、関西の方が“ナチュラル”な応援。個人的には、関西の方が好きです。選手以外の部員が、自分の素直な気持ちで応援しているように感じました。それが普通の応援ですよね。関東が例外的なスタイルで、それはそれで特徴があっていいと思いますが。
 それにしても長い文章だなあ。これぞ、長居日記……大阪は寒い(5月10日の日記参照)。


■5月10日(土)
 大阪国際グランプリ取材。
 長居競技場のスタンド記者席に行くと、右側斜め前方にNHKの放送ブース。筑波大の尾縣先生が解説です。テレビ放映が始まる前だったので、挨拶に。数日前に、電話取材をさせていただいたばかりだったのです。隣の席には、やはり解説の苅部俊二コーチ。苅部コーチは法大OBですけど、大学院は筑波大。もしかしてこの2人って、師弟なんでしょうか。だとしたら、師弟で解説をしていた……大阪は寒いです。国土地理院が先日発表したところによると、今年から大阪は亜寒帯の分類になったらしいですね、……アカン。
 筑波大といえば、ISHIRO!記者も実は筑波大OB。プレスルームでは今日、ISHIRO記者の隣の席。寺田の方が後に来たのですが、隣が誰が知らずに陣取ったので、まったくの偶然です。
 実は大阪国際グランプリは、陸マガ次号に載ります。そのためには競技終了後、すぐに原稿を書く必要がありました。取材終了が17時過ぎ。記録を送信したり、原稿内容を編集部と打ち合わせたりして17時半。締め切りは19時。寺田の場合、いくつかの社の仕事をすることがありますが、ここまで急ぎできっちりした記事を書く必要に迫られたのは、昨年と一昨年のスポニチのロンドン・マラソン以来でしょうか。陸マガ記事ではたぶん初めて。
 ということで、かなりテンパっていました。新聞記者の方たちにとっては、日常茶飯事なんですが、寺田も同じように急いで原稿を書いていたわけです。その辺を分かっていない人が、話しかけたり電話をしてきます。Y新聞社のK藤記者(元箱根ランナー・元○○地区のプリンス)も「2人(ISHIRO&寺田)はもう、ご自分のサイトの記事ですか」と聞いてきたくらい。
 それはともかく、以前も書いたように、どんなに忙しくても余裕を忘れてはいけません。
ISHIRO「吉田さんの静岡国際の記録は……」
寺田「一覧表あるよ。13mさんじゅう……なんて、忙しいときにボケるなってか」
ISHIRO「それも、間違いじゃありません(笑)」

 念のために解説すると、吉田真希子選手の記録を知りたがっていたISHIRO記者に、寺田は吉田文代選手の記録を言ったわけです。ちゃんと、一覧表は見せながらですけどね。
 そんなやりとりを22秒の間にした2人ですが、ISHIRO記者はこんなふうにきっちり記事(■陸上/国際GP大阪大会 男子ハンマー投げで室伏が優勝)を書いています。寺田が書いた記事は陸マガ6月号で。でも、締め切りに遅れること30分。すいませんでした、編集長。


■5月3日(土・祝)
 静岡国際取材。行きの新幹線の中では某専門誌ライターの方と一緒になり、静岡までなんやかやと話をしました。一番の話題となったのは、なんで福島大だけが突出して強いのか、という話です。
 何にでも言えることだと思いますが、1つが強いということは、相対的に他が弱い、ということ。日本の学生陸上界の場合、女子は相対的な弱さを何十年も続けて来てしまったわけです。その弱さは相対的な弱さであって、学生女子という範疇で考えている限り、福島大が台頭するまで見えて来ませんでした。
 しかし、高校時代との記録の差という視点では、これまでも幾度となく論じられていました。それを、誰も解決せずに、無為に時を過ごしてきたわけです(解決しなくても、インカレは上位に入れるわけですから)。ここまで長い時間、高校時代と比較して記録が低下する現象が続けば、原因は特定できそうなもの(グラウンドレベルではなく、枠組みとかやり方の部分で)。そこを解決したのが福島大なんでしょうか。
 もちろん、“高校時代より記録を下げないようにしよう”なんて、低い志ではありません(従来はそれすらできていなかった)。“世界を目指そう”という志で取り組んでいるわけです。グラウンドレベルでも、我々が想像できないような工夫もされているのでしょう。
 なんか、真面目な話になってしまいましたが、さすがの福島大勢も、今日の風には勝てなかったようです。女子400 mHで日本記録も期待された吉田真希子選手は、57秒97と自身の日本記録を1秒以上も下回りました。本人は「力不足です」と言い切りますが、タッチダウンタイムを見ると、3〜4コーナーで風の影響があったのは確か。
 それよりも、学生記録保持者の久保倉里美選手が2秒以上吉田選手から遅れたのが意外でした。その組では2位でしたが、同じ学生の石野智恵子選手(順大)に敗れてしまいました。今回は4組タイムレースで、強い選手は4組目に集められていましたが、石野選手は2組でトップを取った選手。100 mや200 mなど、風の影響を受けやすい(と思われている)種目は、タイムレースはありません。その点、周回種目は風が吹いていても、1周走れば追い風と向かい風が相殺されるという考え方なのでしょう。
 ところが、そう簡単な問題でもないのです。周回している間に風向きが変わったり、レースのどの局面で風が吹くかによっても、影響は違ってきます。今日は女子400 mHや男子800 mのタイムレースで、下位の組の選手が上位の組の選手を“食う”ケースが多く見られました。もちろん、全てが風の影響と言い切れるものでもありませんし、下位の組の選手の頑張りがなかったと言っているわけではありません。2年生の石野選手など、今後が大いに注目される選手になったと思います。なんてったって、“400 mHの順大”ですから。監督も期待される女性指導者ですし。


■5月2日(金)
 やっと原稿終わった。昨日、今日と、これまた不眠不休に近い作業。今朝は5時から仕事をして、2回の食事休憩以外は“ひた原”。ただ今、3日の午前4時。3時間半後には静岡国際に向けて出発。
 広島から2通、疑問メールが来たので、それへの回答を日記に載せようと思ったのですが、延期します。


■5月1日(木)
 今日は、すごい日です……と書こうと思いましたが、ひんしゅくを買いそうなのでヤメておこう。八女工は宮崎久選手の出身校……なんてことも書く予定ではなく、まじめに選手・指導者(要するに現場)の立場と、読者・陸上競技ファンと、我々記者の立場は違うんだということを書こうと思っていました。書くのにかなり力が要る話なので、今日のところはパス。


■4月30日(水)
 昨晩、飲んでしまったので早めに寝て、朝の5:12に起床して仕事をしました。本当なら昨日締め切りの原稿を仕上げ、6:43に送信(9:00前に送れば許してもらえるはず)。朝食をはさんでその後、織田記念の全体的な記事を書きました。詳しい記事は陸マガなので、5月14日発売の6月号をご覧ください。でも、取材したのに陸マガに書けない種目もあります。そういったのは、頃合いを見て本サイトに書くかもしれません。
 9時ちょっとにサイトにアップして(更新履歴では昨日の欄に入れていますが)、路面電車で広島駅に向かって新幹線で東京に。ホームではY新聞のS田記者にお会いしました。昨晩、ホテルへの帰路、ちょっと酔って歩いているときにお会いしたので、その辺のことやら吉田真希子選手のことを話していると、資生堂・弘山晴美選手が通りました。
 それにしても、弘山選手って雰囲気が若いですよね。それに「私は女王よ」と、ツンとしているところがまったくありません。とても、マラソンの33歳日本最高記録と、ハーフマラソンの33歳・34歳日本最高記録と、1万mの29歳・30歳・31歳・32歳・33歳日本最高記録と、5000mの27歳・28歳・29歳・30歳・31歳・32歳・33歳・34歳最高記録と、1500mの25歳・26歳最高記録を持っているようには見えません。じゃあ、どういう選手がハーフマラソンと5000mの34歳記録&マラソンと1万mの33歳記録を持っているように見えるのかと突っ込まれると、答えに困ってしまいますが…。
 年齢別日本最高記録をこんな日記のネタにさせてもらいましたが、ここまで持っているとはマジですごいですね。昨年、1500m・3000m・5000mの日本記録を全部破られてしまいましたが(寺田はその瞬間を全部、見てしまいました)、彼女の価値が低くなるってことはないですね。仮に日本の女子長距離を代表する選手は誰かと聞かれたら、「そんなの特定できません」と答えますが、外国人から英語なんぞで質問されたら「It's Harumi HIROYAMA, because……」と、答えてしまうかも。
 駅のキオスクで中国新聞を購入。そういえば昨日、中国新聞陸上競技担当の黒神さんと会いませんでした。何か、物足りなさを感じていましたが、その原因は黒神さんと会えなかったことです。中国地区の選手のことは黒神さんに聞けば何でもわかる、というのが陸上界の定説なんですが。プロ野球の広島カープに付いて、出張しているんでしょうか。織田記念にもカープの選手は出ていましたけど……と思ったら、中大の選手でした(某記者からのパクリです)。


■4月29日(火・祝)
 織田幹雄記念国際取材。今回は複数の社の仕事を兼ねているので、かなりハード。どのくらいハードか、広島なので1500mの記録に例えると(坂口監督・新宅監督・内冨恭則選手・徳本一善選手ら、広島といえば1500mでしょう)3分39秒台に相当するくらいにハード。為末選手の出身地でもあるので、大ハードといっておきましょう。色々と助けていただいた皆さん(M社ISHIRO記者、A社K重記者、K社H中記者)、ありがとうございました。
 そんなハードな取材中でも、いや、ハードな取材中だからこそ、気持ちに余裕を持とうと心がけています。福島大・川本元助教授とお会いすると、「飛行機の話(28日のおやじの時々日記)、本当ですか。キムタクのドラマで航空業界が話題になったからネタにされたとか」と、すかさず質問……した直後に、あるレースの直前だと気づいて猛反省。この手の話は時間と場所を選ばないと。
 それでも、そこは百戦錬磨の名コーチ、余裕で受けてくれました。寺田と違ってドラマなんかをネタにしないことを明言しつつ、「中学の頃に話を聞いた福島の選手って(4月22日の日記参照)、○○○○だろ。他にいないよ、短距離以外で福島の選手って」と、こちらの日記の内容にも突っ込み。その場では思わず隠してしまいましたが、大正解でした。ニュースソースの秘匿権利っていうのも我々にはありますので、ここでは名前を明かしません。
 というやりとりを37秒の間にして、フィニッシュ地点に駆けていった2人です。川本先生は本部席前を、記者はそこを通ると怒られるので本部席裏の廊下を。
 今大会はテレビ関係の方も多数、取材に来られていました。その中でもF社のT田ディレクターは、寺田の馬鹿話にも笑顔で応じてくれる人格者です。今日もある選手を待っているときに、寺田は相当にテンパっていました。するとT田ディレクターの顔が。確か男女どちらかの5000mが終わった後で、今日はどの種目がよかったか、という話になったんだと思います(実は、相当に忙しくて正確な記憶がない)。一般メディア的にはどうかわかりませんが、専門誌的には女子円盤投で55mを投げた山口智子選手が一番。しかも、地元・広島の選手です。「広島だけど山口でしょう」という古典的なユーモアにも、しっかり笑顔で応じてくれました。
 夜は珍しく飲み。飲みに行くのは何も、川本教授とH田部長だけではありません。某社コーチ陣とも一緒になり、陸上談話。話の内容は企業秘密、いや、守秘義務か。


□4月28日(月)
 団扇(うちわ)を持って広島に出張。もちろん、左団扇()という意味で持参したわけ……はなく、パソコンが過熱して電源が落ちるのを防ぐため。さっそく新幹線の中で扇(あお)いでいました。
※扇を左手でゆっくり使うこと。転じて、安楽に暮らすこと。また、得意になっているようす。ひだりうちわ。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988.
 15時ちょっと前に東京発の「のぞみ」で広島へ移動。結局、原稿を1本(けっこう大作記事)書き残してしまい、新幹線の中で半分、広島のホテルで3時までかかって仕上げました。広島駅からホテルまでは路面電車を利用。電車やタクシー以外の交通機関は正直、旅行者にはわかりにくいところがあって利用しにくいのですが、経費を安くあげるためならこのくらいなんでもありません。
 海外出張のことを考えたら、楽な部類に入ります。日本語だって通じますから、なんでも聞くことができますしね。路面電車の係員や運転手はみなさん、かなり親切。広島だからといって、“じゃけん”にされることはありませんでした。
 広島市街はすでに、夜のとばりに包まれていましたが、天満屋、デオデオ、ポケットバンクと陸上チームを持つ企業の看板が次々に目に飛び込んできます。そうそう。バスだったか路面電車の路線図を見ていたら、「中国電力前」という停留所が。さすが全国屈指の陸上どころです。
 と、ここまで書いてきて、あることに気づきました。広島の人が東京で総武線に乗ったら、御茶ノ水近辺では順天堂大学、市ヶ谷近辺では法政大学の看板を目にするわけで、さすが箱根駅伝の本場・関東と思うわけです。寺田の自宅近くの多摩ニュータウン通りにも、スズキ、ホンダ、日産、トヨタの販売店が、200〜300mの間に軒を連ねています。って、それは全国どこも一緒か。



昔の日記
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