続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年8月 8月はやっパリばい
寺田的陸上競技WEBトップ

■9月4日(木) パリ日記?日目
 701ユーロ。何のことかわかりますか。七百一ユーロですよ、ななひゃくいち。1ユーロ127円で計算すると8万9027円。大金です。実はこれ、昨日、シャルル・ド・ゴール空港で徴収された、スーツケースの超過重量チャージです。もう少し詳しく経緯を説明しましょう。

 ド・ゴール空港には17時前に着。ソウル行きの大韓航空は21:50発ですから余裕ですね。携帯電話を返却。借りたオフィスがどこだったかわからなくて困りましたが、ユーロカー(レンタカー会社です)のオフィスにとにかく行こうと、手近のユーロカー事務所に。借りるときに、「返す前に電話してくれ」と言われた番号に電話をして、事務所では「電話したか?」と聞かれて「したよ」と答えると、
事務所の黒人お姉さん「じゃあ、電源を切ってそのバッグに入れてね」
寺田「はーい…………これだけ?」

お姉さん「ザッツ・オール。この申込書は for us? for you?」
 それって、あんたが決めることでしょう、と思いつつも
寺田「for me」
 先方の返却受取証も、いくら使ったかの明細もなし。昨年の釜山の空港で借りたときとはえらい違いです。申込書にはクレジットカードの番号とこちらのサインがしてありますから、法外な値段を引き落とされてもどうしようもないかも。なんか心配。まあ、大きそうな会社ですから、変なこと(詐欺まがいのこと)はしないと思いますが。

 偶然にも知り合いにばったり会って(JTBの人)、空港のカフェで世間話(寺田は遅めの昼食)。その人が仕事に戻った後、19:50まで原稿書き。20時にはチェックインしようと、大韓航空のカウンターに。といっても、ド・ゴール空港では業務委託されたエール・フランスが業務を代行します。おやじの時々日記に吉田真希子選手の重量オーバーチャージの話題があったので、そのJTBの人間にあらかじめ確認。すると、寺田の航空券には「23kg」と重量が記されています。しかし、成田出発の際、寺田のスーツケースは37.1kgでしたが何の追加料金も取られませんでした。それに、これまでの海外出張でも、そんなことはなかったように思います。もしかすると、陸マガ社員時代にあったかもしれませんが、記憶にないくらいですから、そんなに大金ではなかったのでしょう(自腹じゃありませんしね)。
 ところが、JTBの方の話では、「エール・フランスは取りますよ」とのこと。その辺は、お国柄なのでしょうか。それとも……。ということで、一応、覚悟はしていきました。財布の中味の100ユーロ札を5枚から3枚に減らし(別の場所に移し)、もしもの時に備えます。
 カウンターのお兄ちゃんは、なかなか愛想がよくて、快活な金髪青年。フランス人というよりイギリス人の雰囲気。英語もクリアな発音。「通路側の席を」とお願いすると、快くキープしてくれます。が、スーツケースの重量を見ると、両方の眉毛が中央に寄りました。
お兄さん「42kgだから19kgのオーバーだよ」
寺田「1kg当たりいくらの追加料金ですか」
お兄さん「55ユーロだから、19kgで1035ユーロになるね」

 ここで、ちょっと間を置いて計算するふり、というか実際に計算していました。
寺田「ちょっとそれは高すぎる。なんとかならない?」
 実はこの時点でもまだ、なんとかなると思っていました。しかし、お兄さんは頑として譲ってくれません。
寺田「その額だったら、チケット代と同じだよ。人間1人往復するのと、40kgの荷物片道と同じなの?」(ここはさすがに、英語で説明しづらかったのでit is the same price, my ticket, tokyo-paris two way とか、言ったように思います)
 お兄さんは近くの上司らしき人と相談。結論が出たようです。
お兄さん「12kgオーバーにするから、659ユーロね」
寺田「(財布の中を見せながら)なんとか300ユーロにならない?」
(かなり落ち込んだ演技をしていたので、これで300ユーロにしてくれるだろうと、まだ自信を持っていました。いくらなんでも、600ユーロは取らないだろうと)
お兄さん「ソーリー。ソウルまでじゃなくて成田までだから、701ユーロだった。クレジットカードは持ってるだろ?」
 ……10秒くらい笑顔をつくり、ちょっと横に傾げながらお兄さんの目を見ていましたが、ダメ。これ以上の交渉は無駄だと悟りました。この間の交渉で、お兄さんが書いたメモがこれ。欧米人の数字とアルファベットは読みにくいですけど以下の通り。
「1KG→55E」
「19KG→1035E」
「12KG→659E」
 で、659を横線で消して「701」です。
 悪あがきはやめましたが、こちらのテンションは一気に上がりました。テンションが上がったというより、開き直りかな。その後の捨て台詞を原文のまま書きます。
寺田「You, remember the name Tatuso」
お兄さん「(何か勘違いして上機嫌そうに)Yes, your name」
寺田「means poor man in Japan」
お兄さん「pure man?」

 アホっ!
寺田「poor man」
お兄さん「poor man. あっはっは」

 ま、受けたからいいか、と気を取り直しましたが、こちらのテンションは上がったまま。
 機内に乗り込むときもエール・フランスのお姉さんたちが「ボンソワール」と挨拶してくれますが、その都度全部「ボンソワール、ななひゃくいちユーロ」「ボンソワール、ななひゃくいち」と、全部笑顔で答えました(フィクションじゃないよ、ムッシュ中出)。
 詳しくは知りませんが、ビジネスクラス並の料金を支払ったわけですから、最低でも隣の席も使って(資料なんかを置いて)仕事をしてやろうと、固く誓って機内に。行きと違って3人がけの通路側の席で、隣は仲の良さそうな30歳前後の男女がいて、空席ではありません。しかし、後方を見るといくつか空席もあったので、離陸してシートベルト着用サインが消えると同時に、最後部の2つ並んだ空席に末續選手並のダッシュ、じゃなくて今村選手の5分の一くらいのウォーク。
 スッチーに「Can I move to here ななひゃくいちユーロ追加払ったんだけど?」と声をかけました、ポケットの701ユーロの領収証をすぐに取り出せる準備をしながら(これも実話。語尾は東北弁)。一瞬の間があって「Yes」の答え。おかげで、機内だけはなんとか、行きと同様に快適に過ごせました。腰もそれほど痛くならなかったし、原稿もそこそこ書けましたし、2席でしたが膝を折って(骨折じゃないよ)寝ころんで、2時間くらいは眠ることもできました。
 しかし、あとから考えると、スッチーは韓国人がほとんどでしたが、韓国人スッチーって、かなり日本語を話す人も多いんですよね。ちょっと冷や汗(日本人だなあ)。

 それにしてもなあ。出発のときは37kgで「重量オーバーです」の一言もなく(もちろん日本人か日本語のできるカウンターの人でした)、帰りにだけオーバーチャージを9万円近く取るって、ありですかねえ。お国柄と言ってしまえばそれまでですが、なんか、航空業界の策略って気もします。行きに重量オーバーと言うと、「だったら減らすよ」と、自分の国にいるのですから荷物を減らす人も多く出るでしょう。その点、帰国時なら、荷物を減らすことなんて、現実的にはできっこないですから。確実に追加料金を取る方法ですね。しかも、日本人が韓国人(または日本人)から言われるとゴネるでしょうが、フランス人から言われたら、ゴネようがないですからね(誰かさんは例外か)。
 実はこれこそが、航空業界の“とおりゃんせ商法”(行きは良い良い、帰りは怖い)と、後日わかったのでした(って、今日の日記だろ)。


■9月3日(水) パリ日記?日目
 ただいまフランス時間の3日14:07。15:30のリムジンバスに乗ります。16日間滞在したパリともお別れです。海外出張では毎回感じますし、毎回書いているようであれですが、やっぱり名残惜しい。もう数日ここに滞在できたらな、という気持ちです。一応、昨日は仕事をしつつもパリを歩き回って満喫したつもりだったのですが…。
 昨晩の行動の続きを書いておきましょう。結局、セーヌ河畔のカフェでビールを飲みながら昨日の日記を書いた後(飲んでたの?)、食事までしてしまい、22:45までいました。フランスで初めてオムレツを注文。味は、そんなにおいしくありません。寺田に料理の味がわかるのか、という意見も多々あるとは思いますが。
 セーヌ川とシテ島を渡って、地下鉄でホテル最寄り駅に。最初の晩に行った駅前のカフェに行きました。ノンアルコールっぽいカクテル(?)を注文し、おもむろにパソコンを取り出しました。そうです。ついに、深夜のパリのカフェでパソコン仕事にトライしました。世界選手権の熱闘を目の当たりにした9日間。選手が限界に挑戦している姿を見て、自分も何かに挑戦なくてはいけないと、いてもたってもいられない気持ちになったのでしょう。
 そこで午前1時近くまで仕事。書きかけだった原稿を仕上げて、ホテルに戻りました。午前2時の締め切りには余裕でセーフ。これで、パリで書かなければいけない原稿は全部終了しましたが、帰国翌日の締め切りの原稿も多々ありまして、そのうちの1本に取りかかりました。データ中心の原稿なので、色々と資料をひっくり返して、書き始める段階まで行きませんでした。4時頃に寝て、9時半までぐっすり。昨日のうちに15時チェックアウトでもOKの交渉をしていたので、その後も仕事。11時から書く作業に入り、12:30くらいまで。4分の一進んだかどうか。
 原稿はひとまずストップし、シャワーを浴びて、パッキング作業に。滞在中に資料やら荷物が増えているので、帰りの方が重量は重くなります。1時間ちょっとでなんとかスーツケースに詰め込みました。実はまだ、スーツケースはベッドの上。重さがどうなのか、まだ知りません。ちょっとドキドキじゃなくて、ビクビクしています。一足先に帰国された川本先生の日記を読むと、通常の預かり荷物の重さは20kgまでとか。航空会社にもよるのでしょうし、団体だと40kgまでOKとか。寺田は来るときに成田で37kgでした。もしかすると、40kgを超えているかも。
 ここまで書いてきて14:30。パリへの心残りは、焼きたてパン屋さんのクロワッサンを食べられなかったことです。昨日、昼食で入ったパン屋さんで食べたかったのですが、注文の仕方がよくわからなくて、何回も追加注文をしてしまったので、さらに追加するのに気が引けたのでした(日本人だなあ)。ホテルの近くにも1つパン屋さんがあったので、今日、時間があれば行ってみたかったのですが…。次にパリに来られる保証もありませんし。
 でも、1つくらいやりたいことを残した方が、次へのモチベーションになっていいんです。高野進選手は大学2年で47秒0台を出し、翌年46秒51の日本新を出しましたし、86年アジア大会で45秒00を出した2年後のオリンピックで、44秒90を出しました。高岡寿成選手は92年に5000mで日本新(標準記録突破)を出しましたが、最終選考会後だったため代表に入れず、4年後のアトランタ五輪は出場したものの予選敗退と、五輪イヤーには毎回、課題を残して4年後を目指したのです。
 寺田のクロワッサンへの思いと、高野・高岡両選手を比べるなんて、とんでもないとお思いかもしれませんが、まあ、凡人にはそのくらいしか比べるものがないもので。
 次に更新するのは日本です。


■9月2日(火) パリ日記?日目
 ただいまフランス時間の9月2日20:46。セーヌ河畔のカフェです。パソコンに入力していても、全然OKです。
 さて、久しぶりの日記再開。何日ぶりでしょう。9日ぶりですね。その間に阪神が最下位になっていたりして……なんてことはないのでしょうが、日本のその手の情報はまったく知りません。インターネットにつなげば知ることはできるのでしょうが、そこまでの余裕がなかったですね、この9日間は。昨晩、日本人記者の打ち上げの席上、(弘山)晴美さんは元気なのかな」と言うI記者に対し、「阪神が優勝しそうだから元気でしょう」と答えていますから、たぶん、阪神はマジックナンバーを減らしていると想像しているわけです。
 一昨日で世界選手権は終了。世界選手権で一番最後まで競技をしていた選手は、最終種目の4×400 mR最下位チームの4走選手になるわけですが、他ならぬ日本の佐藤光浩選手でした。つまり、パリを締めた男ということになります。思えば、5月に東北インカレに行ったのは、佐藤選手を取材するためでした(そうだっけ?)。ローカル大会から世界大会まで。これが寺田の取材方針なのです(いつからだよ?)。
 昨日は後半にメダルを獲得した3選手の記者会見があり、昼間はある人物と会い、夜は前述のように日本人記者の打ち上げ。フランス出発は明日ですので、今日はベースボール・マガジン社(寺田が3年前まで勤務していた出版社です)ヨーロッパ総局の中村氏に挨拶に行って、あわよくばそこで仕事しようかな、などと考えていましたが、中村氏の都合が悪く行くことができませんでした。昨日電話をしたのですが、もう少し早めに連絡しないといけなかったかなと反省。
 ということで昼過ぎまでホテルで仕事。15時から外出。目的は3つ。1つは昼食、2つめは家族T氏への土産購入。3つめはパリの街の散歩。まずは、雰囲気のよさそうなカフェがあったら昼食をしようと歩いていると、女性用のネックレスやピアス、イヤリングなどを売っているこぎれいなお店を発見。店のマダムが英語ができる人だったので、ネックレスだけ自分で決めて、イヤリングはマダムにお薦めのを出してもらいました。しめて○○○ユーロ。キャッシュでは今回の出張で、最も大きな出費でしょう。
 その店からちょっと歩いたところに、パン屋さんを発見。店内でも食べることのできるヴィド・フランスのようなお店。ちょっと覗くとおかずもヴァイキング形式で選べるみたいです。ということで、フルーツサラダとおかず一品(なんと言ったらいいのか難しい)、サーモンのパイとカフェオレの昼食。カフェとはちょっと違って、木目調の壁に…と説明するより、写真を見せた方が早いですね。
 昼食後はどこかカフェで仕事をしようと思っていました。どこのカフェに行くか。地下鉄には世界選手権関係者は乗り放題ななので、モンマルトルあたりまで足を伸ばそうかな、とも考え、地下鉄に乗りました。ところが、トイレに行きたくなってしまいました(品が…元からないか)。長距離列車の発着駅でもあるサンラザールで下車して、有料トイレ(0.40ユーロ)をなんとか見つけました。
 ここで、急に気持ちが変わって、パレ・ロワイヤル(この写真は中庭)に行くことにしました。フランス革命ゆかりの場所で、行っていない場所の1つだったのです。幸い、サンラザール駅からは楽勝で歩いて行けそうな距離。まあ、ちょっと逆の方向に行って時間がかかってしまいましたが、途中でミキハウスのパリ店舗なんかも見つけつつ、19:25にパレロワイヤルに。またしても蘊蓄(うんちく)で恐縮ですが、パレロワイヤルは革命時の王だったルイ16世の弟だったか従兄弟のオルレアン公の居館でしたが、オルレアン公が実は革命派で、その拠点となっていた場所です。自由市場として市民に開放し、色んな商店やアパート、果ては娼館としても利用されていたようです。現在は、市民のジョギングのメッカ…かどうかは知りませんが、ジョッグしている人が何人かいました。
 そこを20時まで見学。その後、ルーヴル美術館の東側を通ってセーヌ川に出て、夕暮れのパリの写真なんぞも撮りながら散策し、このカフェに来ました。昨年のゴールデンリーグ取材翌々日に来たカフェと同じかなあ。末續選手じゃないですけど、よく覚えていないんですよ、どのカフェだったか。寺田はカフェが好きですけど、カフェって店による違いがそんなに感じられないのです。多少、内装で店の雰囲気は変わってきますが、メニューも含めて、だいたいのパターンは同じ。店の立地によって、席から見える光景は違ってきますけど…。
 さて、これから今日締め切りの原稿を書いて、あとは明日の出発までに陸マガの原稿を、進められるところまで進めます。書いていない日のパリ滞在中の日記を、どこかで書けるといいのですが(実現確率20%。男子マラソンの視聴率以下)。明日の飛行機は21:50発。15:30の空港行きのバスのチケットを買いました(荷物が重いのでホテルからのバス)。もう1回、パリから何か書けるでしょうか。


■8月24日(日) パリ日記7日目
 競技2日目。今日もすごかったのは七種競技です。
 昨日の4種目全てで自己新と快進撃を見せたフリュスト(スウェーデン)が、2日目最初の種目である走幅跳で2回連続ファウル。このあたりの経過を、記者席デスクのモニターでリアルタイムで確認できるのは、世界選手権クラスの試合のいいところ。小さな大会でそれをやれというのは無理でしょうが、特にフィールド種目の経過を見る側に知らせる工夫というのは、フィールド種目が生き残る上で、重要なことだと思います。思わない人は勝手に、内輪だけで競技をやっていてください。
 話がそれました。フリュストは3回目の試技前に、今井美希選手のように手をクルクルクルっと回してイメージをつくり、両手を2回ほど合わせ(東洋的な合掌とはちがいます)、客席に拍手を求めてスタート。6m68(+1.0)の記録が出ると、フィールドに俯せで倒れ込んでしまいました。日本人カメラマンにも表情が豊かな選手として、早くも好感度がアップしていますが、彼女を見ていると、生の躍動を感じます(なんか、抽象的な表現だなあ)。
 次の6種目目のやり投を終わった時点で6067点。2位のバーバー(フランス)は5844点なので、次の800 mのベスト記録から見て、逆転はほぼ不可能。フリュストが800 mで933点以上を取り、92年のバルセロナ五輪(もちろんJ・J・カーシー=米)以来の7000点突破がなるかどうかが焦点となりました。混成競技得点表を見ると2分12秒21以内の記録が必要で、フリュストのベストは2分13秒03。うーん、どうだろう、というところ。確かに、勢いには乗っていますが、中距離は苦手というか、嫌いだと本人が言っているのを記事で見た記憶もあったので。
 ということで、フリュストのラップを200 m毎に計測しました。七種競技の800 mを200 m毎にとるのって、もしかして初めてかもしれませんが……いや、あったかな。ないことはないか。無意識的に200 mで押してるってこと、ありそうですし。まあ、とにかくフリュストの200 m毎は手元の手動計時で
200 m   29秒9
400 m 1分02秒2(32秒3)
600 m 1分37秒2(35秒0)
800 m 2分12秒12(34秒9)
 コーチではないのでなんともいえませんが、理想的なペース配分で走ったのではないでしょうか。前を走ったバーバーが、結果的にペースメイクをしてあげたような形でした。まあ、バーバーがいなくても、このペースで走ったのかもしれませんが。でも、700mでバーバーを抜いてペースアップしましたから。やっぱり、多少のアシスト効果はあったのでは。結果はご存じの通り、7001点。昨日の女子1万mに続き、これも世界歴代3位でした。
 競技終了後は、全員がこんな感じでスタジアム内を一周(フリュストだけ単独で)。たぶん、七種競技に対しての観客の応援が、他の大会より大きかったのだと思います。7000点が出たこともありますが、これはやはりバーバー効果でしょう。ドラモンドがごねたおかげで、競技時間は1時間近く遅れていたはず。坪田智夫選手がそのくらい待たされたと言っていました。だからといって、選手に「競技進行が遅れているからやめなさい」なんて言う無粋な審判はいません。それが世界標準の考え方。もちろん、日本の大会に世界標準の考え方を当てはめないといけない、という理由はありません。待たされる選手には迷惑でしょうから。でも、先ほども言ったように、観客にまた競技場に来てもらうことが重要と考えたら……答えはどうなんでしょう?
 ごねたドラモンド(米)に関しては、なにをあそこまで怒っていたのかよくわかりませんでした。審判に対してなのか、ルール自体に対してなのか、その運用の仕方に対してなのか。1次予選で失格者が出たときから、かなりエキサイトしていたという情報もありますから、何か伏線があったのでしょうけど。まあ、他にも記事が出ていると思うので、そちらをご覧ください。観衆の反応と、選手の対応について感じたことがありましたが、これは某所でちょっと書く予定。
 日本選手は朝原宣治選手が1次予選4位、2次予選も4位。しかも、メンバーの4人が同じ顔触れという珍しいケース。記事でコメントを紹介しましたが、2次予選の方が調子は上がっています。ただ、本人によれば通常は2本目(世界選手権なら2次予選)で動きがよくなるのに、今日はいまひとつだったとのこと。「3度目(準決勝)がよくなると思います」とコメントしてくれました。「サンドニですから」とは言いませんでしたが。


■8月23日(土) パリ日記6日目
 ついに競技が始まりました。午前中で盛り上がったのは女子七種競技。バーバー(仏)とクリュフト(スウェーデン)の対決が、バーバーの地元ということもあって、いや、地元ということを超越……まではしていないかもしれませんが、とにかく盛り上がりましたね。
 最初の100 mHは2組で2人が直接対決。バーバーが13秒05のトップでフィニッシュし、スタンドを沸かせました。しかし、2位のフリュストも13秒18の自己新と、幸先のいいスタート。
 すごかったのが2種目目の走高跳です。1m93と、単独種目で考えても国際レベルの記録を持つバーバーが、1m91のバーを越えたときには、この大会最大の歓声がスタジアムに響きました(まだ初日の午前中だって)。ところが、フリュストの方も跳躍は得意種目。なんとなんと、自己新の1m94をクリアしました。スタンドの観衆はバーバーの時ほどではありませんが、フリュストの快記録にも大歓声で応えました。1m94は七種競技中で出た記録としては、ポーランドのMalgorzataが1985年神戸ユニバーシアードでクリアした1m95に次いで、歴代2位の記録と思われます(100%確実ではありません)。
 七種競技の話ではありませんが、フリュストの1m94のすぐあとのことでした。男子三段跳予選では、同じスウェーデンのC・オルソンが17m56(−0.2)の大跳躍。このとき、着地の直後に、スタジアムは全体的にワッと沸きました。このあたり、パリの観客は陸上競技をよく知っているな、よく見ているなと感心させられました。もしかしたら、オルソンが注目選手であることを、通告で紹介していたのかもしれませんが。
 フリュストの1m94への歓声も、“あのハーバーに走高跳で勝った”ということへの賛辞だけでなく、純粋にレベルの高い記録を見たことに“すごい”と反応した気持ちが込められていたように思います。
 フリュストは砲丸投も14m19の自己新(今年、インドアで14m48を投げています)、200 mでも22秒98の自己新。コーナーを出たときはバーバーも1〜2m差で食らいついていましたが、終盤は離れる一方。フィニッシュでは0.94秒もの大差でした。フィニッシュタイマーが22秒台で止まったときには、思わずN氏(陸マガ時代の上司)と顔を見合わせて「すごいですね」とアイコンタクト。いやあ、本当に初日からすごいものを見せてもらいました。
 女子1万mもなかなかすごいレース。アデレ(エチオピア)、キダネ(同)、孫(中国)が最後の1周までデッドヒートを展開。アデレの優勝タイムの30分04秒18は世界歴代3位。王軍霞(中国)の世界記録29分31秒78と、ラドクリフ(英国)の歴代2位30分01秒09はともに2位と大差の独走でした。つまり、今回は最後まで競り合ったレースでの世界最高だったわけです。気象コンディションにも恵まれ、10位までの全員が自己新(そのうち1人が地域新、2人がその国の新記録、1人がジュニア世界新)でした。2位から何位かまでが、着順別世界最高記録だったようです。
 日本勢はハンマー投予選を突破した、故障明け(“明け”といっていいのかどうか?)の室伏広治選手と、3000mSC予選突破&23年ぶりの日本新の岩水嘉孝選手が頑張りました。しかし、正直に言って2人以外の選手は力をまったく出し切れませんでした。あえて名前を挙げるのなら、三段跳の杉林孝法選手。今回は、予選突破できると期待していました。一番ショックを受けているのは、選手本人だと思いますが。それと男子20kmWですね。A標準突破者の一番多い種目でしたが、世界に出てみたら全然ダメ。やっぱり、経験不足なのでしょうか。そのあたりは、関係者の反省が、専門誌などしかるべきところに載ると思われます。岩水選手の活躍が日本勢の不振を覆い隠してくれましたが、トータルでは残念な一日だったと思います。
 ところで、選手と接触できる唯一の場といっていいミックスドゾーンですが、昨年のゴールデンリーグではスタンド裏から行かないといけなかったのが、今回は1コーナーのスタンドから降りられるようになっていました。でも、楽な距離ではありません。まあ、国立・長居・横浜と比べたら、同じくらいか、若干、遠いくらいでしょうか。それよりも、狭さが問題。各国のメディアが入り乱れて、足の踏み場はありますけど、選手と接することのできる記者の数は限られます。大阪では、もっと工夫しましょう。
 なんか、観戦記みたいになってしまいましたが、大会期間中は取材と原稿書きしかしていませんので、こんな感じがベースの書き方になるでしょうか。書く時間がアデレですが……。


■8月22日(金) パリ日記5日目
 今日はパリ市街の写真を撮影しながら、マラソン・コースの一部を歩きました。ホテルからエッフェル塔、シャンドマルス公園を抜けてアンヴァリッド、セーヌ川のアレクサンドル3世橋、コンコルド広場、シャンゼリゼ通りを通って凱旋門まで。当初は、凱旋門に行かずにマラソン・スタート場所の市庁舎前まで行く計画もあったのですが、まあ、成り行きで変更されてしかるべき取材だったので。
 さすがに凱旋門まで行ったら脚が棒のよう。10km以上は歩いたかな、と思って地図で確認すると7kmか8kmくらい。体力というか歩力が落ちていることを実感。ただ、靴がね。ちょっと歩くと痛くなる新しめのデッキシューズ。こっちで新しいのを買おうかな。
 そういえば、仏文科出身のコウジからメールが来ました。
「夜の11時過ぎにカフェでパソコンに向かう日本人ライター」の是非についてはわかりません.日本の感覚だと「ファミレスで午後11時過ぎに仕事」は当たり前でしょうが,「居酒屋で11時過ぎに一人で仕事」はぜんぜん当たり前じゃないので,その中間か,あるいはファミレス寄りという感じですか?
 寺田もほぼ同じ見解です。店員も含めて周囲の目を気にしなければファミレス寄りだし、気にするなら居酒屋寄りでしょうか。それはともかく、コウジはこの見解を述べる前節で、「フランス語圏はローザンヌに4時間だけしか行ったことがない」と正直に言っています。実は、仏文科のコウジは競歩選手。そしてパリは、隠れた競歩選手の聖地なのです。
 寺田が昨年歩いた、凱旋門からバスティーユ広場までの4マイルが、世界中の競歩選手が一度は歩いてみたいと言う羨望のコース。トップ選手がどのくらいのタイムで歩いているのか知りませんが、寺田も昨年は途中カフェで休んだので何時間もかかっていますが、少なくともそのコースでの記録はコウジよりも寺田の方がいいということに……なるわけないか。福岡国際マラソンを走った経験のある選手が、走ったことのない選手に「オレの方が福岡の記録は上だ」と言うのはおかしいですもんね。だいたい、凱旋門からバスティーユまでが競歩選手羨望のコースというのは、うそ臭いですね(というか、うそ)。
 それはともかくとして、途中、お昼ご飯を食べるためにカフェに。競技の始まる明日以降は、いつカフェに行けるかわかりません。40〜50分ですが、貴重なコーヒーブレイクだったと思います。リラックスしてカフェに面した道をながめていたら、いいことが2つありました。1つは、仕事に関することで発見があり(具体的には企業秘密)、もう1つは、外国に来た場合に自分のキャラが変わることを自覚できたことです。というか、外人と接する時って、日本人といるときと変わりますよね。もっとも、日本人でも相手が違えば、態度が変わるのは当たり前なんですが。
 何があったかというと、2人乗りしていたバイクが信号待ちか何かで止まった際、後部席の女の子と目が合ったわけです。これまでも何回か書きましたが、欧米で目が合ったらお互いに微笑むの普通なのです(モスクワ空港は違いましたが)。今日は微笑むだけでなく、左手に持っていたフォークまで振ってみたら、思いっきりの笑顔を返してくれました。街角で見知らぬ女の子にフォークを振るなんて、日本では絶対にあり得ませんからね。
 そのとき、ふと思い浮かんだことがあります。カフェの店員にI cannot shake a sleeveless.と言ったら、なんと反応するだろうかと。直訳すると、無い袖は振れないかな。英語は通じないかな?


■8月21日(木) パリ日記4日目
 今日は13時から、グリーン(米)とチェンバース(英)の記者会見を取材。会場のCAP15という国際会議場は、寺田の泊まっているホテルからセーヌ川沿いに歩いて10分強の距離でした。2人の契約しているメーカー主催ということで、演出が洗練されていました。最初はこんな感じで2人の写真などがスクリーンに映し出されていましたが、スクリーンの前方から光を投射するタイプではなく、スクリーンの布自体に写真が印刷されていて、その後方から光を当てるタイプ。パリの街中の広告は、このタイプが多いですね。
 そういった写真がしばらく続いたあと、グリーンとチェンバースのシルエットが映し出されました(こんな感じ。もう少し広角で撮れたらよかったのですが)。最初は写真かイラストかとも思いましたが、すぐに選手当人がスクリーンの後ろにいるのだとわかりました。そこまでわかると、次の展開は読めます。いくつか違うポーズをとったあと、2人がスクリーン(布ではなく紙製だったのです)を破って壇上に登場となりました。
 なかなかお洒落で日本でもやってほしい演出でしたが、ここまでやると日本ではまだ、若干の抵抗があるような気もします。肝心の会見ですが、チェンバースの英語には大苦戦。グリーンの方の理解度は20〜30%ってとこでしょうか(おいおい)。でも、何とかする方法もあります。それはやっパリ企業秘密。

 14時少し前に会見が終わり、選手村近くのミズノのサービスセンターのあるホテルに。選手村からも近く、そのホテルの地下で日本選手の記者会見が行われました(詳しくは記事にしました)。その会見後、Daily YOMIURIのケネス記者(在日20年近く)とプレスセンターに。彼と話をしていて、すごいことを思い出しました。12年前の記憶が鮮やかに甦ったのです。
 12年前とは東京開催の世界選手権のこと。当時、陸マガ編集者だった寺田は、泥まみれになったような仕事をしていました。取材と編集作業(原稿発注、ページの割り振り、写真選び、見出し付け、デザイナーやライターやカメラマンとの打ち合わせなど)で多忙を極めました。あの、日本陸上界にとって画期的だったイベントも、どの種目をどこでどう見たのか、記憶がしっちゃかめっちゃかなのです。
 ケネス記者が走幅跳のマイク・パウェル(米)とカール・ルイス(米)の戦いがすごかった、とってもよく覚えていると言います。パウェルが8m95の世界記録、ルイスが8m87の世界歴代3位。21世紀の記録と言われた8m90(高地のメキシコで行われた68年五輪で出た記録)をはさんで、壮絶な戦いを繰り広げたのです。寺田もその走幅跳を見て、鳥肌が立つほど興奮したので、同じ思いをした記者がいて、今も一緒に取材に来ていると思うと嬉しくなりました。
 ところが寺田は、その世紀の一戦を、競技場で生で見たのか、テレビを通して見たのか、試技表を見ながら、カメラマンの撮影したポジ・フィルムを見たのか、どの方法で映像(画像)が脳裏に刻まれたのか、記憶からは特定できないのです。特に、そのときは陸上競技マガジンのカメラマンだけでなく、雑誌協会共同取材という形での取材だったため、雑協所属カメラマン全員(10人前後でした)の写真を見ていました。朝の4時、5時までその作業にかかる毎日だったくらいです。特に走幅跳は、パウェルが世界記録を出した際、ものすごくいい表情で喜んで、走り回っていましたし、ちょっとのファウルで好記録をフイにしたときも、オーバーアクションでがっかりしていました。それらの写真がたくさんあったので、その写真を見て、現場の模様が映像のように記憶されていたとしても、不思議ではなかったと思います。
 ケネス記者にも、当時を思い出しながらそう話しました。ところが話している最中に、あることが突然、脳裏にひらめきました。走幅跳の記者会見でのある出来事を思い出したのです。
寺田「走幅跳の記者会見で、突然おじさん記者が会見場に入ってきて、ルイスに“スタンドから紙を手渡してもらっていたよな。あれはなんだ”と詰め寄られていたよね。何か、元からルイスと仲が悪かったみたいで」
ケネス記者「そうそう、よく覚えているね。あれはしらけたよ。あの記者、今回も来ているよ」

 ということは、寺田は確実に走幅跳の会見場にいたわけです。ということで、あの世紀の一戦は間違いなく、ライヴで見ていたことが証明されました。ケネス記者のおかげで、自分の取材史の1つを掘り起こすことができました。ケネス記者に感謝……ところが、その恩を仇で返すようなことをしてしまいました。

 サンドニのプレスセンターにはメトロからRERに乗り継いで行くのですが、これがあの、2日前に空港まで行ってしまった電車です。RERへの乗り換えの際、ホームの駅名表示板に、スタジアム最寄り駅と、その次の駅だけランプが点いていませんでした。2日前の電車は、ノール駅から空港駅までノンストップだったので(駅の数にすると10個くらい止まらないことになります)、2つだけ止まらないことはないだろう、たぶんランプが故障しているのだろうと判断。次の電車を待とうと言うケネス記者を説得して、その電車に乗り込みました。ケネス記者があまりに不安がるので、寺田が隣の席のフランス人に路線マップを見せながら確認しました。そのフランス人も止まると請け合ってくれます。
 ところが、ところが、ところが……。またもやサンドニ・スタジアムを窓の外に遠ざかっていくのを見送ってしまうことに。まあ、今回は2駅先で止まったし、逆方向の電車もすぐに来たのですけど。1本待てば、ランプの故障か実際に止まらないのか、わかったのに。馬鹿ですね、本当に馬鹿。こんな馬鹿な書く日記を読んでいるあなた、馬鹿が移りますよ。ケネス記者に平身低頭、謝って、缶コーヒーは売っていなさそうなので、カフェオレをおごることを約束しました。


■8月20日(水) パリ日記3日目
 今日は最高に気持ちが高揚したと思ったら、一気に……という1日でした。
 昨日、プレスセンターのフランス・テレコムでは市内の大きな駅で携帯を借りられると聞いたのですが、もしかしたら空港でも入手できるんじゃないかと、ハタと気づきました。だったらと、午前中はホテルで仕事をして、11時20分に出発して12:30にはシャルル・ド・ゴール空港のフロアを3日連続で踏みしめました。怒濤のド・ゴール空港……って書いていて面白くありません。
 取材予定は4便。13:10、15:10、16:35、18:05着です(詳しくは記事にしました)。最初の福士加代子選手の便の到着が遅れ、福士選手の取材終了は15時近くだったと思います(やや不鮮明な記憶ですが)。そうそう、福士選手を待っているとき、一昨日の到着時に一緒に車待ちをしてくれた黒人のアルバイト兄ちゃんに会いました。がっちり握手。外国に行くとこちらも、多少キャラが変わります。カトリーヌはどこだい? と聞きましたが、通じたのかどうか、両手を広げ、首を傾けられてしまいました。残念。
 福士選手は第1ターミナル着でしたが、残りの3つは第2ターミナル。すぐに移動して短距離陣を待ちました。短距離陣が大挙到着。日本インカレ前にアキレス腱断裂の負傷をされた川本和久先生はまだ少し、脚を引きずっていますが、荷物を載せたカートを押して歩いて行かれました。根性でしょうか?

 末續選手と為末選手の取材が終了したのが15:50。室伏広治選手着の時間まで45分。実は短距離陣の到着前の僅かの時間で、空港のインフォメーションデスクで、レンタル携帯電話ショップの場所を確認しておきました(おっ、抜かりない)。短距離陣の取材後、すぐにそこに行きましたが、釜山空港で見た携帯電話のレンタル屋と比べ、ものすごく地味な看板。まあ、韓国は日本の携帯が使えませんから、日本人観光客相手のレンタルが商売になりますが、ヨーロッパ諸国からの入国者は、みんな自国の電話がフランスでも使えるのです。それほど需要は多くないのかも。
 カウンターのお姉さんにお願いすると、「ここで待て」という指示。約15分の待ち時間後、人のよさそうな(推測)お兄ちゃんがブツを持って登場。看板にも書いてあったのですが、着信が無料。まあ、その分じゃっかん、基本料が1週間43ユーロと高かったですけど。でも、15日間の基本料は94ユーロ。日本で借りてきた記者の方に聞いたら、かなりこちらの方が安め。しかも、日本からの場合は着信がだいたい1分間300円かかります。これは大きい。粘った甲斐がありました。根性の勝利でしょう。ただ単に、当初の見込みが甘かっただけ、という意見もありますけど、自分では根性だったと思っています。

 さっそく、ミズノ広報の木水さんにお知らせしようとしたら、室伏選手たちの便が到着。ここで、室伏選手のケガのことが明らかにされました(詳しくは記事で)。記事でも触れましたが、室伏選手が落ち着いた話しぶりで抱負などを語ってくれた後だったので、室伏先生の言葉は一瞬、信じられませんでしたし、こちらは一気に血の気が引きました。あとで、テレビ局の方の撮られたハンディの映像を見ると、顔色の変化は特になかったのですが…。歩いている室伏先生の右側で寺田が、左側で読売新聞のプリンス・近藤記者が真剣な表情でメモをしながら話を聞いていました。アップの映像だったら、たぶん顔色の変化はわかったでしょう(これも推測)。

 このあと、別のゲートで野口みずき選手の到着を待ちました。ゲートの目の前がカフェというとっても素晴らしいロケーション。30分ほどで到着。野口選手の笑顔に、こちらの気持ちも和らげられました(ちょっと別の表現の方がいいのですが、適当な表現が見つからない)。室伏、野口両選手とも中部圏のメダル候補選手。中日スポーツ・中村記者は、どんな気持ちで今日の取材を終えたのだろうか。

 その後、競技場に行って仕事をして、22時にホテルに戻りました。1時間ほど仕事の続きをして、食事は済ませてあったので(いつの間に?)23時頃に明日の朝食用の食料を仕入れに外出。ガソリンスタンドのコンビニもどきで、店内には入れなくても、窓口で商品を告げれば購入できるはずでした。しかし、窓口に1人、明らかに変とわかるフランス人がいて、いろいろとわめいています。店員は完全に無視。どいてくれと身振りで言ったら、今度はこちらに何かしゃべり始めます。どいてなどくれません。中の店員になんとかしろと合図するのですが、店員兄ちゃんはそれも無視。まあ、日本から持ってきた栄養補助食品が少しあるので、そこまで頑張らなくてもいいかと、引き上げました。最後は、根性なかったですね。


■8月19日(火) パリ日記2日目 その2
 外出して先ほど、ホテルに戻りました。
 出かける前にメールをチェックすると、スポニチ前陸上担当の中出記者と、同じく日刊スポーツ前陸上担当の佐々木記者からメールが来ていました。送信時刻はわずか15分違い。中出記者は東京から、佐々木記者は休暇中の南仏からの発信でした。苦しくも楽しかったエドモントンを思い出して、思わず目頭が熱くなってしまいました(0.01℃くらい)。中出記者からは最近の日記が面白いと、お褒めの言葉も。しかし、今月15日の日記にあった「ドトールの店員に“フランス風カフェ・オ・レはないのですか”と質問したのは創作ではないか」との疑問も提示されました。ということは、読者の何割かの方も同様の疑問をお持ちということになります。いえいえ、確かに脚色もそれなりにしている日記ですが、あの話は実話です。
 仕事に区切りをつけて22:45に外出。近くのスーパーが開いていたら夕食と明日の朝食を購入しようと思っていたのですが、22時閉店でした。隣のガソリンスタンド内にあるコンビニみたいな店は開いているのですが、この時間は店内に入れず窓口で欲しい物を注文する方式。ちょっと初めて利用するには、ややこしそうだったのでやめました。
 ということで、メトロ駅のある広場まで行って、カフェに入りました。昼、夜と連続してカフェで外食し、しめて28ユーロの食事代。昨日、30ユーロをケチったにしては財布のヒモが緩いんじゃないかとお思いの方も多いでしょう。でも、競技が始まったら夜はろくな食事がとれなくなります。それに今回は、ちょっと経緯がありまして、泊まっているホテルがちょっと高め。朝食は追加料金で20ユーロもするので、朝食もパンと持参した栄養補助食品になってしまいそう。昼、夜とちゃんとした外食ができるのも今のうちだけなんです。
 注文したのはビール(4.60ユーロ)と、トマトとなんかとなんかとなんかのサラダ(9ユーロ)。欧米の料理には、パンを別注文しなくても、必ず一緒に付いてきます。それも絶対に食べきれないくらい。こっそりナプキンに包んで、明日の朝食用に持ち帰りました。
 カフェに約1時間いましたが、寺田はカフェってかなり好きなんです。夜遅くまで開いていて、お酒だけでなく食事もできる。日本の居酒屋は、カウンタがあれば1人でも入れますが、テーブル席ばかりの居酒屋には1人では入りにくいもの。その点、ヨーロッパのカフェは1人で夜遅くに行って、食事メインでも全然OK。別に、カッコをつけて他のお客さんと交流するわけでもありません。ちなみに、左斜め前のテーブルにはインテリっぽい30歳前後の男が3人、ときどき大きな声で笑い声を立てています。その前には女性2人。やはり30歳前後でしょうか。1人はプリワロワ選手に似ていますが、若干、太っています。右奥のカウンター席には男が2人。頬を寄せ合ってキスしています(ちょっと気持ち悪い)。
 ということで、深夜にもかかわらず、食事をしつつ広場の人通りを眺めながら、アルセーヌ・ルパン・シリーズの「八点鐘」(新潮社文庫)を読んでいました。もちろん、フランスパンをかじりながら…。パリに来てまでも、パリを舞台にした小説です。本当になんとかならんのか、このこだわりようは。でも、パソコンを持ち込んで仕事をするよりはいいでしょう。
 実は昨年、ゴールデンリーグ取材でパリに来た際には、昼間ですけどカフェにパソコンを持ち込んで仕事をしていました。もちろん1人で。ベースボール・マガジン社ヨーロッパ総局(パリ)の中村さん(元同僚というか大先輩)に、カフェに1人で入って、パソコンで何時間も仕事をしてヒンシュクを買わないか、質問しました。すると、「カフェではみんな、各自が好きなことをしていいんだよ。全然かまわないんじゃないか」との言葉をいただき、セーヌ河畔のカフェでパソコンを取り出したわけです。
 でもねえ。さすがに夜の11時過ぎの街角のカフェで、パソコンをテーブルの上に出すのは雰囲気的に苦しいものがあります。この点、どう思いますか。金メダル候補のコウジではなくて、編集者のコウジでもなくて、仏文科出身のコウジは? まあ、今日はパソコンも持っていませんでしたが。
 そういえば、昼のカフェでは食後のコーヒーが、カフェ・オ・レではなくてエスプレッソでした。パリに来てまだカフェ・オ・レを飲んでなかったので、最後にウェイターに注文しました。
「オレにカフェ・オ・レ持ってきて」


■8月19日(火) パリ日記2日目
 8時前に起床。久しぶりの6時間睡眠。でも、昨日のヘビースーツケース移動の影響で、ちょっとだけ筋肉痛佐藤敦之選手的に言うなら“筋肉ワン”くらいでしょうか(佐藤選手はレース後のひどい筋肉痛のことを“筋肉スリー”と表現)。
 午前中はずっと、ホテルの部屋で原稿書きとこのサイトの「2003世界選手権を10倍楽しむページを」のアップ作業。といっても、作業のほとんどは、快適だった大韓航空機内でやったんですが。
 13時にホテルを出て、地下鉄の駅に行く途中のカフェで昼食。ベジタブルなんとかというプレートに盛りつけた料理。ナンっぽいパン(というかやわらかめナンそのもの?)がおいしかったです。
 地下鉄に乗ったのが14:10。昨日の日記に書き忘れましたが、空港でメディア用のメトロ&RER&バス(ともう1つ何か)乗り放題チケットをもらっています。ですから、昨日もスーツケースさえあれほど重くなかったら、RERとメトロで無料で移動できたわけです。まあ、仕方ありません。

 サンドニの競技場脇のアクレディテーション(ID発行)センターには15時には着けるかな、と思っていたのですが……。メトロからRERに乗り換えて3駅目がサンドニ・スタジアムの最寄り駅。2駅目のノール駅(かなり大きい駅)を出ると地下から地上の走行となり、間もなく窓から競技場が見えてきました。ところが、電車が止まりません
 あっと思い当たりました。乗り換えの際に十分な時間がなくて確認できなかったのですが、駅の名前が列挙してあるボードがホームの上に吊り下がっていて、駅名前のランプが点いている駅と、点いていない駅があったのです。「競技場の最寄り駅は止まるだろう」と、決めつけていました。昨年も来たばかりのパリということで、ちょっと油断していました。
 仕方がないので次に止まる駅で降りて引き返すしかない、と思っていたら、まったく止まりません。そのまま約20〜30分。シャルル・ド・ゴール空港までノンストップで行ってしまいました。昨日、意地でも乗らなかった路線を、強制的に(?)往復する羽目になりました。まあ、いいか。同じ間違いをした赤いナイキTシャツを着た白人のお兄ちゃんが、帰りの電車も一緒でした。

 その後は、海外では付き物である多少のつまづきはありましたが、なんとか順調にIDを入手。IDカード用の写真をその場で撮影し、コンピュータで顔写真入りのカードを作成します。おじさんと若い女の子の2人がチームを組んで(それが7〜8チーム)、その作業を行なっていました。その間、おじさんが「日本はいくつ金メダルを取れそうだ」と聞いてきますので、「金は1個だと思う」と答えました。「ハンマー・スロー」という言葉がなかなか通じませんでしたが、その場でスウィング動作をしたら理解してくれました(ターンまではさすがに)。
「女子マラソンも可能性がある。どちらかで1つは取ってほしい。メダルは全部で3つ。フランスよりも1〜2個少ないでしょう」
 これは外交辞令ではなくて、かなり本音に近いものだったと思います。
 アクレディテーション終了後、プレスセンターを下見。競技場からかなり離れています。前回のエドモントンではスタジアムのすぐ裏に隣接していて、競技場のプレス席から1分で行ける距離でした。まあ、それが例外的だとはわかっていましたが、やっぱり前回を思い出すと、ちょっとね。シュツットガルトの時よりは、近いかもしれません。続いて、スタンドのプレス席、カメラマン控えルームなどをチェック。

 困ったことに、携帯電話のレンタルがありません。プレスセンター内のフランス・テレコムのブースに行くと、「土曜日(競技開始日)になったらショップが出る。どうしても急ぐのなら、シャトレ・レ・アール駅の中にある店で買うことができる」と教えてくれました。どうしよう。かなりピンチです。取材の申し込みや、その回答をもらうときに、今や携帯電話は不可欠のツールとなっています。だったら、日本で借りて来いよとお思いになるでしょうが、何度も書いているようにエドモントンでバカ高くついて失敗し、釜山で現地レンタルで安くついたものですから…。
 なんか今日は、多少の海外慣れが失敗につながった日でした。現在21時。明日は、携帯電話入手を優先するか、空港取材を優先するか。


■8月18日(月)その3 パリ日記1日目
 パリです。カトリーヌはいい女でした、情があって……などと書くと、E本君あたりが誤解しそうなので、経緯を説明しましょう。
 腰はかつてないほど痛まず、無事にシャルル・ド・ゴール空港に着。といっても、出発が遅れた関係で、定刻よりも遅くフランス時間の19時過ぎに着きました。入国審査と荷物のピックアップが終わったのが19:30過ぎだったと思います。機内でガイドブックを読んで、バスで凱旋門かモンパルナスまで行く方法があることを知りました。その値段が10ユーロ前後。タクシーを使っても市の中心まで40ユーロと、思ったほど高くはなかったのですが、この30ユーロはでかいですから、バスにしようと決心。凱旋門からホテル(エッフェル塔のちょっと南)までは10ユーロもかからないでしょう。
 ところが、空港の出口に世界選手権のカウンターが設けられていて、若いお兄ちゃんが2人います。「もしや」と思ってアタック。
「プレスなんだけど、ホテルまでどうやって行ったらいいの?」(英語です。仏語はできません。豪語もあまりしないタイプです)
 案の定、「ここで待っていてくれ」と1人がどこかへ。間もなく、英語のできる白人のお姉さんが現れました。彼女こそカトリーヌ。かなり太っていますが、顔立ちは整っています。体重さえ落とせば美人なんですけどねえ(これってセクハラ発言ですか?)。
 ホテル名をタグに書かされ、スーツケースに取り付けます。
「2分待っててくださいね」
 5分ほど待つと、案内するから一緒に来いとのこと。どうやら、車で送ってくれるのは間違いなさそう。これまでの経験から、そういったこともあり得ると直感しました。エドモントンでもそうでしたし、グランプリも大会によっては空港からホテルまで送ってくれます。たまに「選手だけ。プレスはあっちから電車に乗って行くんだ」と言われたこともありますが。
 いろんなホテルのバスが発着するターミナルに連れて行かれました。その途中、カトリーヌが色々と質問してきます。「どこから来たの?」「パリは初めて?」という型どおりの質問からでしたが、昨年、パリ・ゴールデンリーグの取材に来たことを話すと、「ここのターミナル(のこの部分は)、できてまだ1年くらいなのよ」と、説明モードに。このあとも含めて言っていることの6割くらいしかわからなかったのですが、なんとか、会話は成立していました(と自分では思っています)。
 カトリーヌが簡単な質問から説明モードになったのに加え、昨年はローザンヌからTGVでパリに入ったことを説明しようとしたら“ガーン”と大きな音。荷物をカートに乗せて押していましたが、ついついカトリーヌとの会話に神経を奪われ、歩く歩道の入り口で手すりにぶつけてしまいました。
 落ちたのは機内持ち込みに使った大きなリュック(明日からは一回り小さいので行動します)。中にはノートPC2台が入っているので真っ青になりましたが、騒いでもどうなるものでもありません。壊れたか否か、神に任せるしかないのです。まあ、2台一度に壊れないだろう、どちらか1台は無事だろうと思っていましたが。

 バスの発着場に行くと、インド系の1人のおじさんが、先に待っています。そのおじさんにも2人の係員が付き添っています。寺田にもカトリーヌと黒人のお兄さんの2人。カトリーヌが「5分待って」と言いますが、寺田はタダで行けるし、重いスーツケースを電車で乗り換え乗り換え運ばなくて良くなったので、一安心。にこにこ顔です。
 しかし、5分後に来た車は先にいたおじさんだけ乗せて、寺田はさらに待つことに。10分、20分と待っても車は来ません。その間、カトリーヌと黒人の兄さんの2人も一緒に待ってくれるのです。5分ごとにカトリーヌは、本部みたいなところとトランシーバーと話をして、催促してくれています。
「ドゴール空港はとても広くて、いくつかのところに迎えに行っている。その人たちをパリの色んな所に送っている。組織委員会はたぶん、あなたと同じ目的地の人間を組み合わせようとしているのでしょう」
「昨日は、サウジアラビアの人が40分くらい待つことになったんですよ」
「本当に組織委員会は効率が悪いんだから」
 カトリーヌもだんだん、怒り始めました。でも、なにもすることがないので世間話。黒人のお兄さんは片言の英語ですが、「バカンス中のアルバイト」と言っていました。それに反して、カトリーヌはボランティアだそうです。普段は何をやっているのか聞き出したかったのですが、ときどきトランシーバーに連絡が入るので、話が中断して尻切れになってしまいました。
「ジャーナリストって、ファービュラスなお仕事ですよね」
 ファービュラスfabulousという単語の意味がとっさに出てきませんでした。
「ファービュラスってどういう意味? スペクトルマンはネビュラの星からやってきたけど」などと、日本でも世代が限定された人間にしか通用しないギャグを言っても、わかってくれないかと推測し(僕って賢明)、でも、なんとなく誉めているのだなというニュアンスはわかりました。
「僕は好きでこの仕事をやっていますから、ファービュラスってものではありませんよ」
 なんて答えておきましたが、fabulousは「《話》とてもすばらしい;驚くべき」(小学館の辞書)でした。ちょっと、外した答え方だったかも。
 結局、40分くらい待って、車を途中で乗り換えて、別の黒人のお兄さん(たぶんアルバイト)が送ってくれたのですが、ホテルの場所がわからないらしくて4回も途中で止まって地図を確認して、2回もUターンして、ホテルに着いたのは21時過ぎでした。でも、荷物が重くてもタクシーを使わないという目的を達成できて、ちょっとだけ満足感はありました。送ってくれたお兄さんにチップを5ユーロ。もしかして、道がわからず苦労していたのは、このための演技だったのかも?

 2時間睡眠明けで西に移動したので、通常の1日よりもずっと長く起きているわけで、さすがに仕事はちょっとしかできませんでした。でも、真っ先にパソコンが動くことを確認し、荷物の整理をして、明日からすぐに動ける準備をしました。もちろん洗濯も。眠いときの洗濯はとっても苦痛ですが、これは毎日やらないと、あとで後悔します(先に後悔はできない)。あっ、仕事も同じですね。


■8月18日(月)その2
 ソウルのインチョン空港で書いています。
 昨日、ベリーヘヴィーだと書いたスーツケースですが、ベリークィストはスウェーデンです(オッ、まあまあか)。荷物を預けた際に重さを量りますが、37.1kg。40kgと予測した寺田の推量は、いい線行っていました。だからといって、男子4×100 mRで世界新の37秒1が出ると予測はできません。エース2人(略してモン・グリ)があの調子では厳しいでしょう。グリーンはグランプリ転戦を早めに切り上げたので、立て直してくる可能性はありますが。
 スーツケースに話を戻すと、荷物の詰める位置を若干変更したら、バランスがよくなったのか、ちょっとですけど軽く感じられるようになりました。でも、パリに着いてからが不安です。あの重さの荷物を持って、パリのRER(国鉄と民間の中間みたいな会社? 自信なし)とメトロを乗り継いでいくのは、どう考えても厳しい。車内は狭いですし、バリアフリーかどうかも心配。フランスっていう国自体、あんまり親切という印象はありません。
 知り合いの方が同じフライトにいたら、割り勘でタクシーで行きましょう、と提案しようかとキョロキョロ。残念ながら、知った顔は見つかりません。H新聞H記者とM新聞I記者も今日の移動なのですが、2人とも直行便。H、IがいなければJ記者か、あるいはS記者がいてくれたらと思ったのですが、やっぱりいません。
 インチョンに着くとキムチのにおいがすると以前、聞かされたことあります。寺田は鼻が悪いのが、これで4回目くらいですがキムチのにおいはさっぱり。それよりも、空港と言えばいずこも同じ、香水のにおいが鼻につきます。なんで、空港では香水(化粧品)ばかり売っているのでしょう。デパートの1階もそうですから、やっぱり売れるのかなあ。
 寺田が思うに、空港に陸上競技の専門誌を置けば売れるのじゃないでしょうか。特に今のように、世界選手権があって各国の選手、関係者、記者が大量に移動している時期なんかは……夢物語ですけど、中国・韓国・日本の東アジア圏で言語が統一されていればなあ。どうでしょう、R社のH社長にB社のI社長、検討してみては?(3番目の陸上競技専門誌の社長のイニシャルはJかSですね。これもあり得ませんが)

 ここからは機上で書いています。インチョン発が1時間10分遅れました。最初は英語のアナウンスでそれらしいことを言っていて、よく聞き取れませんでした。エンジントラブルか何かと推測しました。機種がボーイング747でしたし、ブーイングだなと思ったのですが、その後、日本語のアナウンスもあって中国・青島空港のシステムトラブルとのこと。ソウル発のヨーロッパ便は青島上空を通過するのだそうです。
 座席は50〜60%くらいの占有率。中央の4人がけシートの左端で、右隣が空席です。通路側ですから誰の前も通らずに席を立てるし、誰も自分の前を通らないわけです。さらに、隣の席に資料や飲み物を置いて原稿を書けます。腰の具合も現時点では快調。久しぶりに快適な11時間フライトになりそうです。


■8月18日(月)
 雨の月曜日の朝、成田です。「雨の朝、パリに死す」は誰の作品でしたっけ? フィッツジェラルドかな。寺田がいるのは「雨の朝、成田の椅子」……今日も冷夏ですね。
 これが日本ラスト日記。「ラストタンゴ・イン・パリ」ってタイトルは知っていても、どんな映画なのか内容は知りません。
 いい加減にしないと仏文科のコウジから抗議が来そうなので、やめましょう。
 なんとか原稿も仕上げ、睡眠も2時間とって、6時に起床。千葉の陸上を実感できる京成電車で成田空港へ。寺田が初めて成田に来たのは89年3月の高体連合宿でした。花田勝彦選手や武井隆次選手、井上悟選手たちを取材しました。成田について昼ご飯を食べに行ったら、浜松商高の山下先生(当時)が、生徒と一緒にいらっしゃいました。それがなんだというわけではありませんが、7月の静岡県選手権でお会いしたので懐かしくてつい。
 早めにチェックインして通路側座席も確保できました。
 次はパリから。


■8月17日(日)
 成田の総合優勝です、じゃなくてホテルです。空港ではなく、京成成田駅近くのビジネスホテル。22:30過ぎに到着しました。それにしても、スーツケースが重い!! 今回は寺田のスーツケースではなく、一回り大きい家族T氏のスーツケース。荷造りが終わって、中に通常使っている取材用のバッグまで入れてもスペース的には若干の余裕があったので、「これはラッキー」などと思ったのが甘かったです。持ち運ぼうとしたらバカ重い。間違いなく、これまでの海外出張の荷物で一番重いです。もしかすると40`? 普段、フォークより重たい物は持ちませんので、正確にはわかりませんが。
 とにかく、スーツケースを持って階段を3段進んだら、休まないとどうしようもないくらい。寺田の背筋力が弱いせいもありますが。今日も15時まで、とにかく資料をコピーしまくって、間違いなく過去最高の資料揃えをして詰め込んだのです。だからといって、必ずしも原稿に生かせるかというと、必ずしもそうとは言い切れないところがつらいのですが。1つ言えることは、今までにないくらいデータを必要とする仕事が、今回待っている……くらい書いておかないと、バカみたいですから。
 家族T氏が、京成線と乗り換える日暮里まで送ってくれました。階段をスーツケースを持って上がったのはT氏。普通、女性にここまでしてもらうと“情けない”という感想を書きがちですが、感謝こそすれ、そんな平凡な感想は持ちません。人間、能力のあるなしに性別は関係のないこともあります。でも、本当に感謝しています。お土産を奮発しないといけない、という思考回路は持っています。

 えーっと、ハードディスクレコーダーの整理(DVDへのダビング)は終了。そのうち何枚かは、今回持参しました。新ノートPCにはDVD−ROMドライブが付いていますから、パリでも見られます。ダビングが終わって、留守録をセットしようとしたら、とても80GBのハードディスクには入り切りません。仕方なく、Win98のテレビ録画機能付きのパソコンに半分録画予約。日本語を入力するとフリーズするぽんこつパソコンですが、日本語さえ打たなければ、要するに録画再生だけなら機能してくれるはず。9月4日の帰国が若干、怖いのですが。まあ、仕方ありません。
 録画予約をセッティングするのに約50分。ここで時間を食ってしまい、新百合ヶ丘発の成田空港行きリムジンバスに乗れず、京王線・山手線・京成線を乗り継いで成田に着きました。京成線はスカイライナーやイブニングライナーではなく、通常料金で乗れる特急電車。車窓からは船橋、佐倉、成田と陸上競技に縁の深い土地の名前が視界に飛び込んできます。この3つと比べるとやや知名度が落ちますが、国府台って昔、国府台高校の先生で強い選手がいらっしゃいましたよね。八千代台って、八千代松陰高がある場所でしょうか? 実籾といえば、高木直正先生はお元気なんでしょうか(水戸国際で相変わらず元気なアナウンスは聞きました)? 千葉県陸上競技の強さを肌で知りたかったら京成線で、なんとかライナーでない電車に乗るのが一番です。

 ホテルからネットに接続できません。今回はCFカード型PHSを持ち歩いていませんので、明日、グレーの公衆電話からアップします。そういえば今日は、出発準備に追われて1回もネットに接続していません。メールも読んでいませんが、まあ、いいか。世間的には日曜日ですから(と、自分に都合のいいときだけ世間的なカレンダーを引き合いに出します)。出発準備に追われ、原稿も書いていません。明日の出発までに書けるか? ドキドキじゃなくて、ワクワクでもなくて、アセアセかな。


■8月16日(土)
 昨日の背壁の陣の話を読んだ人から「壁の高さが5m50になると、世界選手権代表レベルの選手でも楽ではありません。その高さになると風向きや助走路の良し悪し、それにポール選択(ポンド数やフレックス・ナンバー)など、条件が揃わないと跳べない高さなのです。第一、戦場にポールを突っ込むボックスがあるとは思えません」というメールが来るかと思いましたが、来ませんでした。そこまで考えるヒマ人は寺田くらいでしょうか。考えても、わざわざメールまでしませんよね。
 メールで思い出しました。世界選手権出張中は(実は国内出張中もそうなのですが)、このサイトにアドレスを掲載しているASAHIネットのメールは、読むことはできますが返信ができません。一文字隼人のままでショッカーの怪人に勝てるのかという不安もありますが、Niftyの方は返信もできるので、仮面ライダー1号だけで戦うことになります。例えが若干、古いですけど、いつも仕事で使っているアドレスの方は大丈夫ということです。

 今日(正確には昨日)はかなり電話をしました。取材(選手・コーチ)を2本、打ち合わせを3本。現地での仕事内容がかなり、明確になってきました。今回パリでこなさないといけないのは、4社の仕事プラスこのサイト。それだけやってもなかなか…。
 現在、17日の午前4時。あと28時間後には機上の人となります。などと書くと焦りますね。今日は残りの原稿は後回しにして、出張準備を優先。やったのはいくつかの買い物と、資料のコピー。ハードディスクレコーダーに録りためた番組を、DVDに落とす作業もやっていますが、まだ終わりません。
 やっかいなことに、パソコンで小さなトラブルが発生。古い方のB5ノートでネットをやっていると時々、エラーが出てインターネットエクスプローラーを閉じないといけなくなります。それと関連があるのかどうかわかりませんが、メールソフトで不要メールを削除フォルダに移動させられなくなります。最近また、ウィルスメールが多くなっていて、大変なのです。再起動をかけると問題は解決しますけど、そんなしょっちゅう再起動はできません。
 新しいA4ノートの方は、CD&DVDを圧縮してハードディスクに収納する「携速」というソフトがインストールできません。前のバージョンを削除しないとダメとのこと。確かに古いバージョンをインストールしましたが、いつの間にかそのバージョンが、表面的にはなくなっています。自分で削除したのかどうか、記憶があやふや。国語辞典や英和・和英辞典の統合辞書と、百科事典のCD−ROMを収納しようと思っていたのですが。仕方ありません。B5の方に入っているので、そちらで我慢しましょう。
 パリにはもちろん、ノートPCを2台持っていきます。

 明日は録画予約に電話を2本、髪の毛を切りに行って、そして出張準備をして、成田まで移動する予定。大韓航空は朝が早いので、始発で移動しても出発1時間20分前の空港着と、ちょっと慌ただしすぎるので、前泊としました。ただ、本当に出発準備がそれまでに終わるのか? 原稿はいつ書けるのか? 本サイトの世界選手権特集ページは?


■8月15日(金)
 4時半に寝て8時15分に起床。背水の陣ならぬ背壁の陣で仕事をやっています。背水の陣では水泳の得意な兵ならいくらでも逃げられるので、文字通りの“背水”にはならないのですが、背壁の陣というのは文字通り、どこへも逃げられない“背壁”。これなら全軍一丸となって、目の前の敵に当たっていけるわけです。その意気込みで、月曜日のパリ行き前に仕事を片づけようと。
 しかし、ここまで考えてハタと気づきました。背壁の陣といっても壁の高さが5mくらいだったら、棒高跳選手は逃げられるなあと。世界選手権代表レベルの選手だったら、5m50くらいまで大丈夫でしょう。棒高跳選手が司令官だったら、この陣を敷くかも(あくまでも勝つための布陣ですし、全員玉砕を賛美する精神は寺田にはありませんので)。サンドニのミックスドゾーンで、小林史明選手に質問してみよう(本当にしたらヒンシュクものでしょう)。

 今日はなかなかフレンチな一日でした。午前中に隣駅の多摩センターでケイコとマナブの後、ズボンを購入。夏用の青系統の色のが、色落ちが激しくて履けなくなっていました。今日買ったのは、トリコロール(フランスの3色旗)の青色……に近くはないか。かなり適当ですがC90、M10、K30くらいの色。おっと、業界用語が出てしまいました。これは、印刷用の色指定の仕方。Cはシアン……シアンって何と思われるでしょうが、そこが思案のしどころとか書くと、オヤジギャグとか言われそうで不安。シアンは青、Mはマゼンダ(赤)、Kは黒だったかな。これにY(イエロー)を加えた4原色を掛け合わせて印刷上の色ができあがるのです。写真加工ソフトやペイントソフトを使っていて、CMYKとか目にすることがあったら、このことだと思ってください。
 ズボンの裾直しが1時間10分後にはできるというので、本屋でパリのガイドブックを見比べて購入。吉野屋で昼食後、ズボンを受け取って、その後に今日締め切りの原稿を少しでも進めようとドトールで1時間半ほど仕事。3日後にはパリですから、カフェオレを注文しようとしたところ、メニューにありません。カフェ・ラ・テの横のカッコ内に“イタリア風カフェ・オ・レ”と書いてあったので、「フランス風カフェ・オ・レはないのですか」と女性店員に質問。「申し訳ありません。ございません」と、丁寧に言われましたので、仕方なくイタリア風で我慢。
 若干、オヤジ的な行動だったとお思いの方も19%くらい、いると推測できます。でも、普段の寺田は若い女性店員にこの手の質問はしませんよ。パリ行き目前という状況のなせる業だと解釈してください。

 16時15分に帰宅して、16:30から腰(臀部)の痛みの治療に。ずいぶん、良くなってきていると思います。日常生活中の姿勢に気をつけることで、ずいぶん違うのでしょう。もちろん、治療の効果も出てきているのでしょう。銀行で振り込みをして、現金も12万円引き出してきました。航空券は購入済み(未着ですが)で、ホテル代もカード決済ですから、この金額で十分。それに、手元に昨年のヨーロッパ取材で余ったユーロが、280ユーロほど残っていますからね。ユーロから円に両替して、またユーロに両替したら手数料がもったいないと思い、昨年の帰国時にユーロのまま手元に置いたのでした。単に忘れていたなんてことでは、絶対にありません。
 18:30に帰宅して、ラジオの電話取材に備えて資料を整理。19時から電話取材を受けました。時間が7〜8分ということでしたが、たぶん、15分以上は収録しました。明日の夕方、名古屋地区で放送(CBC)ですが、多少のカット(編集)はあると思います。話した種目は男子の100 m、200 m(末續選手中心)、ハンマー投、女子短距離、その他何人かの注目選手です。内容的には、陸マガなどで書いたことが同じですが、最近のグランプリ・シリーズの結果、最近出た記録を踏まえて、かなりシビアに話しました。
 取材後、メールのチェックとリプライ。パリから何通かメールが来ていました。かなり事務的に急がないといけないことでしたし、そのために調べたり、考えたりしないといけないことも多く、ちょっと時間を要してしまいました。でも、パリは今日から涼しくなったようです。ちょっと安心。その後、今日締め切りの原稿を2本、0:15までに仕上げて送信。コージからメールが来ていました。選手、編集者にコージは多数いますが、仏文科出身のコージでした。


■8月14日(木)
 昨日のゲバラ選手ネタの続きです。ゲバラ選手は確か、自腹でカメラマンとライターを雇い、ヨーロッパ遠征中の記事を自国にも流しているとのこと。寺田も自腹でヨーロッパ取材を敢行していますから、共鳴する部分が大あり。単にオチに使ったわけじゃありま千利休。同じように自腹取材仲間かと思った某誌編集部・E本君は今回、自腹じゃなくなったので、彼にゲバラ選手を応援する権利はなくなりました(本人にも通告済み)。

 今日は朝の9時半まで仕事。しかし、思ったところまで進みません。背水の陣のつもりが、排水の陣になっていたのでしょう(と謙虚に反省)。かなり、やばくなってきました。14時まで睡眠。起きて食事&少し仕事。17時から下北沢で取材を受けました。このサイト(日記がメイン)がある研究の対象になっていたのです。対象といっても、たくさんあるうちの1つなんですけど。
 その取材に答えていて改めて気づいたことですが、この日記は忙しくても“日記を書くんだ”というテンションが上がれば書けるということ。中断することも多々あり、忙しさと関連していることも確かですが、必ずしも100%連動はしていません。それに、このサイトは“仕事”という位置づけ。仕事はビジネス、ストレートな言い方をすれば金儲けです(実際にはそうなっていませんけど、位置づけとしては、そういうことです)。つまり、この日記も仕事の一環。もちろん、好きだから書けている、という要素はあるのですけど、見る人がいなかったら絶対に書きません。内輪で盛り上がるためという要素もありますが、他者に見てもらうことに変わりありません。
 時間的に受けていて大丈夫かな、と思った取材でしたが、楽しい取材でした。受けてよかったです。

 ということで、月曜日の出発前ににやることは山積み状態(あと3日…)。明日は原稿が2本締め切り。テレビ番組雑誌用です。原稿依頼が先週末で、出発前に新規に入った仕事です。受けて大丈夫かな、とも思いましたが、お話をいただいた時点では「なとかできるだろ」と思ってしまうんですよね。
 土曜日にもう1本原稿を仕上げます。これは前々から予定にあったもの。
 さらに今日、以前にも出演した名古屋のラジオ局から、「世界陸上について話して欲しい」という依頼が来ました。びわ湖マラソン以来の依頼ですね(冷夏だ)。時間にすると7〜8分で、ネタも2つか3つに絞らなければいけません。「男子100 mはグリーン、モンゴメリーとも不調で、とても最速と最強の対決で盛り上がるとか、室伏選手(地元選手です)は金メダル絶対確実とか言えませんけど」と申し上げました(陸マガ付録の作業をした時点とは、かなり状況が変わってきています)。話のわかるディレクターの方で、それでもいいということだったので、明日の夜、電話で取材を受けることにしました。放送は明後日の土曜日夕方とのこと。
 以上が急ぎの仕事ですが、それ以外にもずっと以前から話のある仕事を進めないといけません。帰国後になってしまうでしょうか。取材用の資料作成はかなり進んでいますが、もう5時間くらいはかかるでしょう。ハードディスクレコーダーに3月以降のトラック&フィールドの試合が録りっぱなし状態。編集してDVD−Rに保存したかったのですが、これは無理。編集なしで保存するしか、方法はありません。元編集者のHH氏は、海外出張前って慌てなかったのだろうか。

 明日は午前中にケイコとマナブ(片仮名でいいのかな)、16:30から腰の治療、19時から電話取材。携帯は通じないことが多そうです。その合間に先ほど言ったように締め切りが2本。背水の陣では通用しないので、背壁の陣っていうのを考えました。これについては後日また。


■8月13日(水)
 今日は涼しくなり、過ごしやすい1日でした。冷夏の日本とは対照的に、ヨーロッパは酷暑だそうです。スイスでは41℃とかテレビで言っていましたし、パリからのメールでも連日40℃とか。あの、セビリアの暑さが再現されるのかと思うと、身の毛もよだちます。ヨーロッパの暑さに影響されたのか、寺田も昨日はちょっと熱くなってしまって、やや過激なことを書いてしまったような気がします。でも、賛同のお電話もいただきました。
 しかし、熱くなったせいで、書こうと思っていた陸マガ記事のことに言及し忘れてしまいました。9月号本誌の、世界選手権Preview日本選手展望記事についてです。
 お読みいただければわかると思いますが、別冊付録の「世界陸上2003パリ大会観戦ガイド」の方が予想される範囲の中で、このくらいいい成績を残せる可能性がある、と上方予想して、日本選手は頑張りそうだぞ、と一般視聴者の関心を引きつける書き方。そういった書き方の中にも、単なるお気楽記事(※)にはしなかったつもりですが。
 その点、本誌(P188)の展望記事は、下方予想ってわけではありませんが、多少、外国勢の強さや苦戦する可能性も指摘する書き方。日本選手が力を出し切った場合の可能性には、もちろん触れてありますけど。例えば男子20kmWです。前回の入賞種目ですから、“今回も入賞を”という書き方になりがちですが、さりげなく(?)今回の3選手の国際経験不足も指摘して、“入賞はそんなに簡単じゃないぞ、でも種目の勢いはあるぞ”と書くあたりは絶妙かなと、誰も言ってくれないので自分で言っちゃいました(ガキか?)。
 3000mSCの岩水嘉孝選手に関しては、2000mからフィニッシュまでのタイムをエドモントン大会と今年の日本選手権を比較して、決勝進出の可能性の高さを指摘しました(と思いませんか、サンドラなっち?)。エドモントンの2000m通過タイムも、2年前の取材ノートを見て瞬時にデータを調べられるあたり、伊達に海外自腹取材を3年も続けているわけじゃないぞと、ちょっとだけ自分でも嬉しくなりましたね。
 伊達といえば、今村文男選手に関して「過去2回連続入賞&7回連続出場の経験は、伊達ではないはずだ。」という記述が。訂正記事に書かせてもらったように、今村選手の入賞は91年東京大会(7位)と、97年アテネ大会(6位)で2回連続ではありません。3年前、初めて輪島の日本選手権競歩を取材した際には、東京大会マスコットのアスリスターのトレーナー(400 m東京大会優勝者のペティグリュー選手に、昨年のローマGLで持ってもらったのと同じやつ)を着込んでいって、スタート前に今村選手にわざわざ見せに行ったくらいです。今村選手からは「アテネ大会のだったらもっとよかったんですが」と言われたのを、昨日のことのように覚えています。それがなんで「2回連続」となってしまったのか……わかる人にはわかりますよね(元編集者のHH氏とか?)。
 室伏広治選手とアヌシュ選手の記録差について言及した部分も、数字を見ていただければ「今季ベストの差」でないことは明らかです。この間違いの原因も、わかる人にはわかるでしょう(30人くらいには?)。
 先ほど海外自腹取材と書きましたが、そうですね、フリーになってから3年間の海外取材6回は全て、基本的には自腹取材(一部を負担してもらっているケースもありますが)。今回のパリ世界選手権取材も、もちろん自腹。女子400 mはアステカの星ことゲバラ選手を応援したいと思います。
※この選手はメダル、あの選手もメダル、みんな入賞、日本選手はみんな力を出し切れるはず、という楽観記事のこと。読者に期待を持たせるだけ持たせて、終わってみたら“なあーんだ”とがっかりさせることが、ままある。


■8月12日(火)
 陸マガ発売日です。通常発売日の14日が土日・祝日だと発売日が前倒しになりますが、今月は平日。なんで早くなるのかというと、取り次ぎ(版元から書店への流通を担当する会社)が夏休みになるから。ずいぶん以前にも指摘したとおり、大きな会社ほどカレンダー通りに休みをしっかり取ります。出版業界で言うと、取り次ぎ・印刷所が大きな会社で、労働組合もしっかりしていて、土日はなかなか動いてくれません。印刷会社はいざとなればなんとか動いてくれますが、取り次ぎは絶対にダメ。
 で、この取り次ぎというのは現実的には2社による寡占状態。競争原理がまったく働かないんですね。仲良く、同じように休みを取る。寺田が出版社にいた間にも、どんどん取り次ぎの休み(特に土曜日)が増えて「今月も進行が早くなるのか」と、しわ寄せがどんどん編集部に来ていました(写植や現像所にも)。本当にマジで、取り次ぎ会社を創りましょう、と提案したことがありました。土日を営業するだけで、雑誌の流通は全然違った状況になりますから(まったく相手にされませんでしたけど)。

 今日はある仕事の締め切りで猫の手状態でしたが、銀行に行く用事がありました。ここでも、大手企業の融通の利かない面を見せられました。14:50に近くの銀行に行って、窓口が込んでいたこともあって最初の用件が15:20頃までかかり、その後に4件ほど振り込み作業。今のATMはキャッシュカードで、自分の口座から振り込みができます。4件で40万円近く。振り込んだ後に通帳に記帳しておこうとATMに通帳を入れると、“この通帳は受け付けられません”との表示が。機械を換えて数回やってみましたがダメ。窓口業務は終わっているので、インターホンで銀行の人間と話しました。
「磁気異常だと思われます。窓口業務は終了していますので、明日にでも窓口に通帳を持ってこられてください」
 えっ? と思いました。いつでも窓口に行ける人間ばかりじゃないんですよ。しかも、来週月曜日からは海外出張。つい10分前まで(15:20)、シャッターは閉まっていますが、窓口業務はしていたわけです。なんとかならないのですか、とお願いすると「窓口業務は終了していますので」との事務的な回答。
 まあ、日本の大手銀行を信用していないわけではありませんが、みずほ銀行とかのコンピュータトラブルの例もありますしね(実際には0%と言っていいレベルでしょうけど)。実際、記帳されている、いないにこだわる必要もないのですが、でも、ちょっとなあ。午後6時だか何時だかまでは記帳できるのが、機械を使用する前提があるとはいえ、銀行のサービスなわけですし、40万円といったら、寺田のような個人自営業者にとっては大口の取り引きです。それを記帳できないと訴えているのに「時間外ですから」という対応は、“そのくらいいいじゃない”という大手企業の尊大さを示すもの以外の何ものでもないでしょう(大手銀行の1日の取り引きは何億円でしょうから)。これは、はっきり言うべきだと思いました。
「40万円というのは、我々個人事業主にとっては大金なんです。それを磁気異常、時間外で済ますのは誠意がないのではないですか」
 インターホンの相手は女性行員でしたが、しばらくすると中年男性が出てきて、あいそよく寺田の通帳を持ってシャッターの中に消え、ものの2分後には記帳して持ってきてくれました。中年男性がこのために作業をした時間は5分もなかったでしょう。やれば、できたわけです。

 すいません。前ふり(?)が長くなりました。田中めぐみ選手も銀行から移ったことですから書かせてもらうと、銀行って馬鹿ですよね。午後の3時で窓口は閉めるし、土日は窓口業務は行わないし。特に土日を休むサービス業ってありますか? 要するに、会社相手の貸し付け作業なら平日で十分、個々の預金者は家庭の主婦が平日に来られるだろう、という30年前の感覚なんです。今は女性も働いていますし、取引先は企業だけじゃあないでしょう。一般の人間に金融商品(株とか、なんとかファンドとか、海外通貨定期預金とか)を売ろうとするなら、休日に営業しなくてどうするんだ。ローンを自分の銀行に貸し換えさせたいのに、土日を休んでどうするんだ? デパートが土日に休んでるようなものでしょう。
 同様のことが病院にも言えます。ちょっと体調悪いけど、平日は仕事があってなかなか病院に行けない、という人は多いはず。営業的に見ても、純粋に国民の健康のことを考えても、土日休診って普通の感覚じゃありません(個人医院で土日診療は増えていますよね)。
 銀行、病院に共通しているのは、ステータスと収入の高い業界だと言うこと。“いつ休もうが勝手だろ”と言って、何の支障もない。でも、特に銀行のほうは、それで儲かっていた時代はとっくに終わっているわけです。公的資金投入とか、陸上部をつぶす前にやれることはいくらでもあるはずです。

 取り次ぎへの不満から始まって銀行批判と、大手企業への鬱憤がもろに出た日記でした。単なる貧乏人のねたみ? そうかもしれません。でも、大手企業の枠組みの中でぬくぬくとしている人たちより、幸せかもしれませんよ。幸せの尺度なんて、あるわけじゃありませんけど。
 おっと、埼玉りそな銀行の陸上部はなくなったけど、UFJ銀行があったか。竹内監督、すいません。でも、いいか。批判しているのは銀行の経営者です。えっ、経営者は誰もこんな日記、読んでくれない?


■8月11日(月)
 今日の仕事はまず、諸々の段取りから。世界選手権取材出張用の飛行機を決めました。結局9月2日パリ発の帰りの便が取れません。旅行代理店からのFAXには「大韓航空の説明では、韓国のスポーツ選手(陸上)が、ヨーロッパ大会の帰りに当たっていてどうしても難しいとのことです」というコメントが。そうかあ、“ヨーロッパ大会”ね、などと揚げ足取りはやめましょう。伝言ゲームをすると生じがちの間違いです。
 選手団は直行便しか使わないと思っていたんですが、考えてみたら韓国選手にとっては大韓航空が直行便でした(当たり前)。
 だったら出発も18日から19日に1日遅らせて滞在日数が変わらないようにしようか、とも考えました。そうすれば、18日が月曜日で、夏休みで連絡が取れない相手もつかまえられるし、出発準備も1日余裕ができるかな、という計算も働きましたし。しかし、H記者から某大物選手の現地での会見が19〜21日の間に行われるとの情報が入り、18日出発はそのままに。ということは、18日が移動で潰れてしまうので、今日中に陸連事務局に行かなければなりません。
 その前に、自宅での仕事は電話取材、名刺印刷、あるサイトの企画立案、某大会取材用のホテル予約等々。陸連事務局に電話をして、今日の業務時間を確認。16:25に自宅を出ました。
 陸連事務局で2003年版のルールブックを購入(今まで買っていなかったのか?)、同じ岸記念体育館内にある記者クラブによって、北海道マラソンの記者発表資料を入手。原宿の吉野屋で昼食後、陸マガ編集部で9月号を発売日よりも1日早くゲット。本誌の他に別冊付録が2冊。1冊は先日も紹介した「世界陸上2003パリ大会観戦ガイド」。“世界陸上”という標記からもおわかりのように、テレビ観戦視聴者を対象に編集・製作された冊子です。もう1冊はこの、世界選手権代表選手名鑑。公式デレゲーションブックでもあり、海外向けにアルファベット表記もしてあります。これがパリでは、海外関係者・プレス向けに配られることになります。
 編集部滞在は3分で切り上げました。上野駅18:40発のイヴニングライナーに乗り遅れそうだったからです。
 19:55頃、成田空港第2ターミナル着。渋井選手の取材。
 帰りのスカイライナーでほぼ記事を書き上げましたが、最初は全部を一問一答形式にしましたが、こちらの方がいいかなと翻意。結局、サイトへのアップは帰宅してからと、遅くなってしまいました。その後、早くも昨日提出した原稿のゲラ校正。その後、サイトのメンテナンスも。もうすぐ午前5時のミッドナイトライター
 明日の締め切りの仕事まで手を付けられませんでした。押せ押せになってしまっています。


■8月10日(日)
 昨日から背水の陣で仕事。でも、一昨日の日記で書いたように、背水の陣には欠陥があります。今日も、締め切りの原稿はなんとか午前1時半に片づけたものの、まだまだやっておきたい仕事があります。でも、正直、ちょっと厳しそう。さっきから眠くて眠くて。ISHIROの掲示板になんか書こうかな。
 そういえばISHIRO記者が、from ISHIROで名門校について触れていましたね。今回の世界選手権に2人の代表を輩出した高校が、2つあります。1つは成田。室伏広治(ミズノ)選手と沢野大地(NISHI A.C.)選手。もう1つは宇治山田商高で小林史明(日体大AC)選手と野口みずき(グローバリー)選手という、やや意外な組み合わせ。
 ところで、8月3日の日記に、「実は近年の日本代表選手を見て、名門高校出身選手について考えるところもあったのですが、それはまたの機会に。」と書きました。これはつまり、俗に言う名門校出身選手が近年は、以前と比べて潰れずに日本代表レベルまで多く成長している、ということを数年前から感じていたのです。
 しばらく前までは、日本代表選手の出身高校は、名門校以外の選手が多くを占めていました。苅部俊二選手(横浜南)&吉田孝久選手(上郷)の神奈川県出身コンビ。400 mHは斎藤嘉彦選手(富岡)、山崎一彦選手(武南)、河村英昭選手(入間向陽)と非名門校ばかり(対照的に名門校の400 mHインターハイ優勝者は伸びませんでした)。伊東浩司選手は高校駅伝の名門・報徳高出身ですが、短距離ブロックでした(末續慎吾選手も長距離名門高・九州学院の短距離選手)。400 mでも田端健児選手(上五島)、小坂田淳選手(神戸高塚)。神戸の朝原宣治選手(夢野台)、新井初佳選手。跳躍では杉林孝法選手(星稜)に太田陽子選手(湘南工大附)、今井美希選手(瑞陵)。極めつけは110 mHの谷川聡選手(八王子東)。
 名門校でなかったとはいえ、上記の選手たちのほとんどはインターハイで上位に入っています(高校時代に練習していなかった谷川選手は特例的な存在)。ですから、「追い込んだ練習をしなくてもインターハイで上位に入れる選手が、その後の伸びが大きい傾向があるのかな」と、思っていました(何年も前の話です)。
 年輩の人づてに聞いた話ですが、あの小出義雄監督が千葉県の長生高や佐倉高で選手を育てていた頃、「小出監督の教え子は卒業後に伸びない」と噂されたそうです。確かに、その傾向はあったみたいです。小出監督くらい選手をその気にさせる監督の下で陸上競技をやったら、大学の先生には情熱を感じられなくなって、選手はやる気をなくすだろうな、などとも考えました。名門校には小出監督のような、カリスマ性のある指導者が多いとも感じていましたので。
 そういったケースが多い一方で、静岡県では名門の吉原商高の高野進選手や、高校駅伝2位の洛南高・高岡寿成選手、超名門の清風高・井上悟選手、太成高・森長正樹選手など伸びている名門OB選手もいて、本当にそうなのかな、という疑問は常に頭の片隅にありました。
 それが近年、清風高の山村貴彦選手、中京大中京高の内藤真人選手、八女工高の宮崎久選手、そしてもちろん、成田高の室伏&沢野選手と、名門校出身選手が頑張るようになりました。長距離でも、西脇工高OBが活躍し始めました。昔は高校駅伝で勝って終わっていた選手たちが多かったですけど、最近は小島兄弟に藤原正和選手と世界選手権代表になっています。箱根駅伝では圧倒的な数のOBが活躍しています(箱根は引き合いに出すレベルじゃない?)。正確には、頑張る比率が大きくなった、というべきでしょうか。先にも言及したように、以前にも今より比率は少なかったですけど、頑張っていた名門校OBもいるにはいたわけですから。
 日本のトップレベルで考えても、同様の傾向はあります。成田高OBでは花岡麻帆選手に吉田文代選手。7〜8年前までは、インターハイで女子総合12連勝した埼玉栄高出身の女子選手は、ほとんどの選手が大学に行って記録が低下したまま終わっていました(城島直美選手は例外かなと)。それが最近は、田中めぐみ選手が世界選手権&五輪代表になったのを筆頭に、大学で自己記録を伸ばす選手が出始めました。森本明子選手は大学卒業後、母校に戻ってからでしたが。以前、埼玉栄高出身である砲丸投・市川貴子選手から「私たちは大学に行っても頑張ろうと、同学年の選手たちと励まし合った」、という話を聞きました。
 つまり、選手が伸びるかどうかは、「名門校か否かではなく、選手個々の意識次第、気持ちの持ち方次第ではないか」という結論。むしろ、名門校の方が、その選手が自分の才能に気づくチャンスは大きいという気もします。もちろん、スポーツですから、身体的な資質が一番大きいのは言うまでもないことですが。
 いやー、もしかして、誰でも気づいていることを長々と書いちゃいました? 今年のインターハイ総合優勝校の成田高から、2人のOBがパリに旅立つことに触発されて、ちょっと考えていたことを書いてみただけなんですけど。
 ところで、日本選手団が使用する空港はたぶん、成田でしょう。「大地、成田から飛ぶ」……って、日本選手権のときに某ライターさんが言っていました。そこに寺田が細おく補足。
「パリは西の方角だから、“大地、成田からニシに飛ぶ”でしょう」
 このオチのために名門校論を長々と書いた? まさか、藤原……じゃなくて、まさか!?そんなにヒマじゃありません。
 そして「成田高から直接ニシに入ったんじゃない」と思われた関係者の皆さん、ジョークですから目くじら立てないでください、なんて書かなくてもいいスポーツ風土になってほしいと願う午前5時。


■8月9日(土)
 高尾です。高尾憲司選手になったわけではなくて、高尾信昭選手でもなくて、中村孝生コーチでもなくて、阪本孝男監督でもない。JR中央線の高尾駅のマクドナルドにいます。土曜日の朝9時50分。法大に取材に行くわけではなく、高尾霊堂に行くわけでもなく、日野税務署に確定申告をしに行く季節でもありません。
 富士北麓公園陸上競技場で陸連短距離合宿の公開練習があるので、早起きして電車に乗ったのですが、大雨の影響で中央線の高尾―大月間が不通。八王子駅で初めてそのアナウンスを聞きましたが、どうすることもできず、高尾まで来て対策を考えました。まずは状況確認が先決。自宅を出たときも、高尾駅に着いたときも雨は降っていませんでしたが、高尾駅のアナウンスでは、「相模湖付近は大雨」とか。ほどなく、高尾にも大粒の雨が落ちてきました。「午前中の運転再開はあり得ない」とのこと。
 現地取材はどうなるのか。記者の何人かも行けないはず。読売新聞・近藤記者(長浦のプリンス)に電話がつながりました。午前10時から予定していた練習は行わず、ミーティングに変更。11時から記者の取材を受けるそうです。近藤記者は電車が動いていないとわかってすぐ、車で富士北麓に向かったとのこと。さすが、読売新聞のプリンス。別のある記者の方は、高速バスに変更しようとしたら夕方まで満席で、取材を断念したそうです。
 高尾駅から大月や富士吉田方面へのバスが出ていないか調べましたが、残念ながらなし。タクシーを使っても、最低でも2時間はかかるでしょう(この時はまだ9時ちょっと)。それよりも、最低2万円はかかるタクシー代を誰が払うのか。知り合いの記者の方が高尾駅にいたら、4人くらいで割り勘すれば5000円。でも、記者の姿は見あたりません。
 ということで、取材は断念してマックにしけ込みました(しけ込むとは言わないか……って、今、辞書で調べたらかなり不適当ですね。でも、時化<しけ>とひっかけてということで……ダメ?)。今日、取材できなかった影響は、世界選手権の原稿に出るでしょう。フリーライターにとっては大打撃。原稿の質が下がったら、仕事が減るのは火を見るよりも明らか。ああ、どないしよう、人生、お先真っ暗だ。
 それにしても、マックは満席。ほとんどが家族連れか、なにがしかのグループ。皆さん、楽しげに談笑しています。深刻な顔をしてパソコンに向かっているのは寺田だけ。風が吹けば桶屋が儲かる(*)、という諺がありますが、雨が降ればマックは儲かる、雨が降ればフリーライターは儲からない。オチになっていないなあ。じゃあ、雨に唄えば(ミュージカルの名作)ならぬ雨に嘆けば……8月9日だけに、オチにも四苦八苦
*思いがけないところに影響が出ることのたとえ。また、あてにならないことを期待することのたとえ。大風が吹けば砂ぼこりのため盲人が多くなり、盲人は三味線を習うから猫の皮の需要が増し、そのため猫が殺されるから鼠がふえ、鼠は桶をかじるので桶屋が繁盛するということ。<故事ことわざの辞典 ・小学館>


■8月8日(金)
 今日は“パッパッ”と仕事を片づける日だったので、午前中に請求書を1通書いて、電話を2本、原稿も3本……なんて書けるわけありません。人と会う約束があって、13時に新宿に。とっても有意義な会食(取材? 打ち合わせ? それとも真っ昼間ビール? 企業秘密です)でした。寺田の人生にも一石を投じたかもしれません。
 しかし、その余韻が長引いて、なかなか原稿を書ける状態になりません。ということで、思い切って今日は休養主体の一日に。そういう日も重要です。まったく仕事をしなかったというわけでもありませんし。
 明日からしばらく、背水の陣で仕事に臨めば大丈夫でしょう。またまたうんちくで申し訳ないのですが、背水の陣というのは「(漢の名将韓信が趙(ちょう)の軍隊と戦ったとき、大軍をわざと有利な山の砦から降ろし川を背に不利な陣立てで戦わせ、死中に活を見出す兵法の極意により敵を破ったという故事による)河川・湖海などを背にした決死の陣立て。転じて、一歩も退けない絶体絶命の立場で事にあたるたとえ。」(小学館 故事ことわざの辞典 )だそうです。
 しかし、背水の陣には致命的な欠陥があるって、ご存じでした? というのは、水泳を得意とする兵は、武器や甲冑を捨てれば泳いで逃げることができるのです。つまり、寺田が背水の陣を敷いたつもりでも、逃げ道がどこかにあって、仕事が進まないんじゃないかという懸念は拭えません。必勝の布陣を考えないと。
 明日は陸連短距離合宿の公開練習日(富士北麓)。台風は大丈夫なのかなあ?


■8月7日(木)
 今日も宅急便で発送するものがあったり、電話もかなりの本数をしたりで慌ただしい1日でしたが、編集者時代に比べたら大したことはないですね(寺田は昔、陸マガ編集部にいましたです)。今日で大きな作業が1つ、やっと区切りがつきました(夜中の11時30分頃に)。と思ったら、自称悪魔(メフィストフェレスと次から呼んでやろう)から、さらに追加の作業発注が。締め切りは来週前半なんですけど。実は昨晩も、別の社の仕事が入りました。これは、日曜日締め切り。なかなか休ませてもらえません。しかし、1つ仕事がキャンセルになり、もしかすると明日、若干ですけどリラックスできるかも、という状況。
 今日した電話の半分は、世界選手権の取材準備に関するもの。この2カ月くらい、寺田の仕事の大半が取材準備といえるもので、そういった点では改めて資料を準備したりしなくてもいいわけです。ちょっとラッキーでしょうか。でも、「専門誌のあの特集はコピーしないといけない」というような作業は、それなりにありそう。
 出張準備(旅行に関する部分)はほとんど、やっていません。さすがに、飛行機とホテルの手配はしましたが、いまだにホテルは決まっていませんし、帰りの便も取れていないという状況。今日も旅行会社に電話したのですが、キャンセルがまだ出ません。まあ、なんとかなるでしょう。
 去年、一昨年と全部で4回ヨーロッパに行っていますから、変圧器やモジュラーアダプタなど、旅行用の小物はもう改めて買う必要はありません。両替も出発の際に空港ですればいいこと。あと何か、必要なものってありましたっけ? パスポートの有効期限は2009年までだし。パリを舞台にした小説も1冊、昨日読み終えましたし、フランスのにおいのする音楽MDも、5枚はありますし……「なかったら取材できんのか」と、E本君(某専門誌編集部)あたりに言われそう。


■8月6日(水)
 昨晩も2時頃ダウンしてしまい、今朝は6時半に起床して仕事をしています。実は昨晩、ある仕事の追加がありまして、さらに焦っています。受けた仕事の性質上やむを得ない面もありますが、担当者の方がとても誠意のある方という点が重要です。いかに相手が気持ちよく仕事ができるか、という部分への配慮が感じられます。これは、断るわけにはいきません(話をいただいた仕事を断るのって、取材日程が重なっていることがなければ、ほとんどないんですけど)。
 ただ、金曜日に予定していた“真っ昼間ビール”が流れてしまいそう。何を楽しみにしてこの苦境を乗り切ればいいんだろう。そうか、仕事を楽しくやればいいんだ。選手もときどき言いますよね、試合を楽しみたいって。でも、言うは易し、行うはなんとやら。

 夜です。それも深夜。いつもですけど。
 仕事の区切りを無理矢理つけて、15時40分に外出。請求書を宅急便で送るためです。明日着にするためには16時が最寄りのコンビニでの最終回収時間。世の中、これだけネット全盛になってもまだ、請求書はまだアナログの世界。でも、紙の請求書はもうすぐ、なくなるでしょう。10年以内と見ました。少なくとも、領収書よりは早いでしょうか。
 こう書くと、寺田はデジタル化急進派と思われてしまいますが、何回か書いているようにネット上での人間関係構築には尻込みしています。やはり、ネット上で接するということは、直に接するのと比較すると、手軽にできてしまう側面は絶対にあります。信用度というか、なんというか、そういったものがなんとなく小さいですね。
 1つ例を出しますと、質問のメールをもらって、返信を文章にすると長くなりそうだったので(*1)、電話をくださいと、こちらの電話番号を書いてリプライしたことが3〜4回あります(*2)。でも、電話が来たのは1回だけだったと思います。あのメールは何だったの? つまり、メールでは質問できても、直に話すことなど望んでいなかったのですね。そのくらい、ネット&メールは手軽すぎて、バーチャルな関係しかできない、ということのような気がします。
 しかし、何回かメールのやりとりをして、この人は大丈夫だと感じることもあります。文面、行間から誠意みたいなものが感じられるケースです。これは最近、ほとんどありません。このサイトを始めて間もない頃の方が多かったですね。
*1 長文メールは受けるのも出すのも、相当に嫌いです。長文メールを書くヒマがあったら、電話をしましょう。いついつ頃、これこれの用件で電話しますという予告メールを出して、電話をするのがベスト。電話番号を知らない相手には、電話番号を教えてもらえるくらいに信用してもらえる努力をするのが先決です。その具体的な方法は、ケースバイケースで考えましょう(ナンパみたいだな)。
*2 このこと自体、ある人に話したらビックリされていました。どうやら非常識だったみたい。今後はしません。

 話が横道(*3)にそれました。宅急便を出したついでにTSUTAYAに寄ってCDを3枚借りて、MDに録音しました。タイトルは「愛のシャンソン第1集」(*4)「フレンチポップス・ベストセレクション」「ミッシェル・ポルナレフ・トリビュート」。パリ行きまであとわずか、これで気持ちを盛り上げようという狙いです。気持ちを盛り上げて(テンションを上げて)、たまっている仕事を早く片づけよう、というのも狙いの1つ。そっちが急務。
 このあとも仕事。ノルマが終わりません。そうか、ノルマを終えられない人間がのろまか。
(*4)今秋の国体が行われるエコパの最寄り駅はJR東海道線の「愛野」です。でも、徒歩で20分かかります。
(*3)横道トヨタ自動車監督は愛野駅のある袋井市の隣の磐田農高出身。


■8月5日(火)
 昨日の取材報告です(昨晩はダウンしてしまいました。やっぱり、結局2時間睡眠になってしまいましたし、そんな睡眠時間で取材が2日間続くと、持ちません。どこかで、休養して立て直さないと)。
 昨日の取材はミズノ5選手の壮行会。壮行会の意図はいろいろあると思いますが、我々メディア関係者には、特に寺田のようにフリーランスにとっては、この手の取材チャンスはありがたいです。しがないフリーにまで案内していただいたミズノ関係者には感謝の意を表したいと思います。
 場所は新高輪プリンスホテル。今日はいきなり暑くなったので、品川駅から歩かずに、五反田で都営浅草線に乗り換えて、高輪台で下車。ちょっと道に迷いましたが、品川から歩くよりははるかに楽ちん。田端健児選手の愛称は“たばちん”。
 受付ではMTC(ミズノトラッククラブ)全員のプロフィールと、MTCの略歴をまとめた小冊子が配られました。これが、記事を書く立場の我々にも役立つほど詳しいもの。ありがちな“田端健児 アトランタ&シドニー両五輪代表。ベスト記録45秒69。日本選手権優勝1回”だけで済ます素人向けのものではありませんでした。
 もう1つ配られたのがこれ。TBSが作った「世界陸上2003パリ大会観戦ガイド」です。寺田はすでに、7月28日にフランス大使館で行われたTBS番組制作記者発表でもらっています。これは、どちらかというと素人向けのつくり方。表紙まわりを含めて40ページの冊子で、1日毎にみどころを紹介したテレビ観戦ガイドです。一見して、一般視聴者を意識したつくりだとわかります。
 にもかかわらず、記事の内容はそれなりに“オッ”と思わせる点も。男子三段跳の記事ではエドワーズ(英)とオルソン(スウェーデン)を比較していますが、ベテラン選手はとかく“技術に優れている”と考えがちですが、そう言い切れない部分もあることを紹介しています。女子走高跳のところでは、ベリークィスト(スウェーデン)の跳躍が「ヒザを大きく曲げない、スピード感のある跳躍が持ち味」という記述も。
 よく見ると、最後のページに「編集・制作 陸上競技マガジン」の文字が。ライターの名前もありますが、寺田……か。エドワーズとオルソンの比較は、筑波大・村木先生から日本インカレのときに取材させてもらった話をもとに、ベリークィスト選手の特徴は、今井美希選手から聞いた話をもとに書かせていただきました。
 この冊子は陸マガ次号にも別冊付録として付きます。ただ、7月28日に製本が終了している必要があったため、追加代表の選手掲載は間に合いませんでしたし、末續慎吾選手も100 mに出場することを前提として記事が書かれています。6月下旬に各種目の記事の大きさ・内容などが決まったので、グランプリの結果が必ずしも反映させられていません。その辺は、陸マガ本誌の方でフォローされているはずなので、末續慎吾選手流に言うと「乞うご期待」ですね。
 ミズノ壮行会の終了後、同じ会場で陸連の新マスコットの愛称発表会見がありました。マスコットはキャラクターグッズにプリントしたり、表彰時に選手にぬいぐるみを渡し、選手がスタンドに投げ込んだりする使用法を想定しているとのこと(選手がもらってもいいのだと思いますが)。4月17日の日記にちょこっと書きましたが、こういったマスコットを使用して陸上競技ファンを増やすのはいいアイデアだと思いました。が、その使用法について1つだけ懸念がありました。それは、マスコットにはJAAFの文字が大きく入っているのですが、他の競技団体が主催する試合で使用していいのかどうか、という点。
 陸上競技ファンはどんな選手が出場しているかで会場に足を運ぶのであり、主催団体がどこなのかという点が、試合を見に行く判断基準にはならないからです。露骨な言い方をすれば「末續選手が出ているけど、全日本実業団は陸連ではなくて実業団連合主催だから見に行かない」と考える人間はいません。その点を質問したところ、桜井専務理事から以下のように回答がありました。
「今のところ陸連主催の大会での使用を考えています。基本的に使用する権利は陸連にありますが、実業団連合などから話があれば、使えるようにしたい。主体性は実業団連合や学連にありますから、押しつけるわけにはいかないことです。試合だけでなく、プレゼンなどに使用したいという話があれば、提供したいと思う」
 確かに試合で使用するかどうかは実業団連合や学連が判断することですし、使用権を独占する意図がないことがわかり、ほっとしました。
 なんか、評論家みたいなことを書いてしまいました。柄にもない。ということで、最後はやわらかめの話題を。一昨日の日記で近藤記者のことを書いたところ、中学の後輩という女性から「近藤記者は本当に、“長浦のプリンス”でした」というメールをいただきました。もちろん、近藤記者は昨日の壮行会にも来て、積極的に取材をしていました。場所もプリンスホテルでしたし……と、わざとレベルの低いギャグで締めておきます。


■8月4日(月)
 朝の6時。これから3時間睡眠で取材です。あと3日でしょうか、ピークは。アドレナリンを出して、乗り切らないと。ここまできたら、やるしかありません。その後は、「真っ昼間ビールだ!」と思っていますが、仕事が入ったりして…………休暇、取ろうかな、1日くらい。24時間くらい、ぜえーーーーーっっっったいに仕事しない、っていうのも、世間的には普通ですよね。
 話は本当にまったく変わりますが、寺田は携帯も含めて誰かに電話をかけて、通じなくて腹を立てたことは一度もありません。基本的に電話は、相手がどんな状況にあるかを無視して、かける側の意図をまず相手に知らせるためにベルが鳴るわけです。出なかったら相手の都合が悪いというだけ。出なくて当然という気持ちでかけています。腹を立てるなんて、もってのほか。上の、休みを取るという話とは、何の関係もないことですけど。
 時間があったら、夜、取材報告。かなりハイになっています。半ばやけくそ。これが、陸上を嫌いにならずに乗り切る方策でしょうか(仕事はちゃんとやりますよ)。


■8月3日(日)
 朝起きたら、ずっしりと体が重くて、重くて。寝起きに冷静な判断ができるはずもなく「地球の重力が狂ったのか」と慌てました。「日本人初の9秒台&19秒台がもうすぐに出るのに。目の前に来ているのに」と、思わず重力の狂いを嘆いてしまいました。しばらくして、自分がものすごく眠いだけだと気づきましたけど。取材がなければ、起きられなかったと思います。
 今日は富士北麓でコニカ2003スプリントチャレンジカップIN山梨を取材。富士北麓公園は標高1000m強の準高地。記録には1000m以上の高地を示す「A」マークがつきます。寺田の体も空気抵抗が少なくなって快調……のはずが、寺田の人間電気計時はやや不調。今大会はフィニッシュ地点にタイマーがないので、活躍する“場”があったのに。寺田の計時と正式計時の誤差は以下の通り。
 男子100 m:10秒21(正式計時10秒29)
 男子200 m:20秒84(  〃  20秒86)
 男子400 m:45秒91(  〃  45秒86)
 男子110 mH:13秒74(  〃  13秒73)

 5月の東北インカレの時の方が、ドンピシャを連発させましたね。もしかして、準高地ということで、寺田の体の反応が早くなっていたのかも。でも、正式計時よりも早かったり遅かったり。一定していません。
 特に100 mですが、これは0.01秒差の激戦を演じた宮崎久選手と土江寛裕選手のレースぶりに神経が行きすぎて、押すタイミングを取り損ねました。完全にミスったと、その瞬間にわかりましたから。
 今日はエピも豊富です。末續慎吾選手が髪型を変えました。その末續選手に「“やったるばい”(今春まで陸マガに連載された末續選手のコラム)があったら、絶対にネタですね」と言わしめたのが、元箱根駅伝児の読売新聞・近藤記者。「絶対に20歳代だと思っていました」とのこと。実際は35歳だそうです。さすが長浦のプリンス(千葉県長浦は近藤記者の地元)。
 以前にも書きましたが、フリーの外部スタッフも含めて陸マガ編集部は、実年齢より若く見える人間の集団でした(高橋次長が着任して、その傾向が大きく崩れた)。陸上競技に一生懸命な人は、外見は若く見られがち……と書きたいところですが、やっぱり差し控えます。でも、たぶん、記者の年齢当てクイズをやったら、ほとんどの記者が回答者の答えよりも上でしょうね。
 近藤記者とは行きのタクシーもご一緒させていただき、長崎インターハイの様子も聞くことができました。読売新聞の女子やり投の記事の話題を出したら、「紙面には出ませんでしたが、男子走幅跳もすごかったんですよ」と、現場の感動を伝えてくれました。さすが、長崎でもプリンス。
 総合優勝は成田と埼玉栄かなと思って確認したら、やっぱり、その両校でした。実は近年の日本代表選手を見て、名門高校出身選手について考えるところもあったのですが、それはまたの機会に。
 帰りは陸マガ・カメラマンのN野氏の車に同乗。出発時は高速も渋滞なしとの情報でしたが、事故が起きて大渋滞に。2〜3時間はロスをしました。ただでさえ足りない時間が……。本当は、日記を書いてる場合じゃないんですけど。


■8月2日(土)
 今日でインターハイ(成績はこちら)が終了。本当に長崎に行きたかったのですが、残念ながら行けませんでした。この悔しさが、仕事を効率化させてくれるものと信じています。
 もしかしたら以前にも書いたかもしれませんが、大会新が価値のある大会と、そうでない大会があります。「このレベルで大会新なの」と言いたくなる大会新もあれば、「あの選手の記録を破ったのか。それはすごい」と拍手をしたくなる大会新もあるということです。インターハイは紛れもなく後者です。歴史が古くて盛り上がっている全国大会は、大会記録のレベルも高いですね。
 長崎インターハイの大会新は、留学生と競歩を除けば、男子走幅跳と女子やり投の2種目(間違っていたらご指摘ください)。女子やり投もやりの規格が変わって年数が浅いですから、本当にすごいのは男子走幅跳。実は今回、寺田が長崎に行きたいと心を揺さぶられた最大の要因が、この種目でした。
 実際、すごい戦いだったようです。4回目に7m67を跳んだ仲元紀清選手を、品田直宏選手が5回目に7m69で逆転。それをさらに、6回目で今井雄紀選手が7m70で逆転しました。今井選手の記録は向かい風1.1mですか。すごいですね。
 大会記録は91年の静岡インターハイで大橋忠和(土浦日大)がマークした7m69ですから、それを今井選手が1cm更新したわけです。実は昨年の茨城インターハイで、この2人は審判と選手として接近遭遇していました(今井選手は2連勝です)。去年も掲載しましたが、再度、その写真を掲載します。
 10年以上陸上競技を見続けているファンの方はお気づきと思いますが、高校生のレベルは明らかに落ちています。その中で、レベルを維持しているのは短距離と長距離。長距離は駅伝が盛んなことも要因だと思いますが、選手層が厚い種目はそれなりのレベルが維持できているということでしょう。その点、フィールド種目は苦しいですね。強化現場がどうこうというよりも、社会的なところに原因があるわけです。
 今回、男子110 mHで13秒99と大会記録(=高校記録)に0.01秒と迫った岩船陽一(東海大四)と、5人が17mを超えた男子砲丸投は、価値が高かったと思います。110 mHは向かい風でしたし、2位に0.51秒の大差です。種目毎にこうした盛り上がる年が、数年に1回は必ずあるはずです。それを各種目が繰り返すことで、全部の種目が盛り上がるのは無理でも、毎年、いくつかの種目が盛り上がる。陸上競技の大会は、インターハイもインカレも、世界選手権もオリンピックも、そういう状況になっていると思います(それを考えると、今年の日本選手権は本当にすごかった)。
 我々報道関係者も含め、陸上競技の人気を上げることが最重要課題ですが、強化関係者レベルでは、そういったビッグウェーブの年が必ずあるはずですから、少ないタレントを潰さずに伸ばすことが重要になります。少子化が進めば進むほど、この傾向は大きくなるでしょう(そんなこと、誰でも気づいてる?)
 柄にもないことを書いたので、まとまりがつきません。明日は富士北麓で取材です。早く寝ないと。


■8月1日(金)
 8月です。世界選手権がパリで開催されます。パリといえばフランス革命。TBSも“肉体のフランス革命”なるコピーを使っています。革命の発端は1789年7月14日に、政治犯を収容していたバスティーユ牢獄を市民が襲撃した戦闘。この日は革命記念日になっています。バスティーユ広場(去年、写真を撮りました)は今回のマラソンコースにも含まれていますね。
 ひとつうんちくを言わせていただきますと、このバスティーユ攻撃だけでフランス革命が無事、ことをなしたってわけじゃあないのです。その後も政局は、立憲王制、共和制の間を右へ左へ揺れ動き、処刑を効率的に行うために医師(だったと記憶しています)のギロチンが考案した断頭台が、昨日は権力の中心にいた人物の首を、次から次へと切り落としていったわけです。王党派だけでなく、革命を担った人物でさえ、権力闘争に負ければ同じ運命をたどりました。まさに激動の時代。最後はナポレオンの登場をもって収束するのですが、ナポレオンが倒された後は、また王制に戻っています(一応、西洋史専攻です。でも、歴史に関する質問メールは不可)。
 現在読んでいる「ウィーンの密使 フランス革命秘話」には、バスティーユ後の政治情勢が描かれています。寺田が興味があったのは、そういった政治状況下の庶民の暮らしぶりです。教科書にはなかなか出てこないというか、教科書からは想像しにくい部分。その点、小説は個人の行動にスポットを当てますから、庶民生活も描写しやすいはず。
「ウィーンの密使」にも、パンを求めて朝から市民が列を作るとか、前身が娼婦の女性革命闘士の生い立ちなど、それなりに庶民の描写は出てくるのですが、主人公がオーストリア貴族でして、その行動の描写が多くて、会話も政治的なものが多いんですね。
 表現自体は小難しいところがなくて、わかりやすいんですけど。もうちょっと、どんな生活をしているのか、描いて欲しかったなあ。読者の勝手な希望ですけど。
 もう1つ、これも勝手な希望ですけど、なんとか街とか、なんとか広場とか地名は多く出てくるのですが、街の様子の描写が少ないのが不満です。というのは、旅行先の土地で歴史的に何があったのか知っておけば、10倍旅が楽しくなりますからね。
 それで、パリを舞台にした小説はないかと、本屋で物色したわけです。99年のセビリア世界選手権のときは「カルメン」の原作を読み、ビゼーの組曲(でしたっけ?)をMDに録音して、乗り込みました。その点、前回のエドモントンや、96年のシドニー世界ジュニアのときは、その場所を舞台にした小説って何があるのか知らなかったんです。それなりに、その両都市も楽しむことはできましたけど。
 おっと、取材でなくて、観光でパリに行くみたいに取られてしまいそう。過去の世界選手権取材で寺田がどれだけ仕事を頑張ったかは、スポニチ・中出記者に聞いてください。その都市を舞台にした小説を読むのは、仕事を意欲的にこなすための方法、と思っていただければ嬉しいばい。


■7月31日(木)
 いや、ホントに仕事が進んでいません。本当は昨日(今日の昼)に終わらせなければいけない仕事が終わらなくて、それ以外にも今日1本、明日1本締め切りが。請求書も送ってない。住んでいる場所が悪いのかな、多摩市なんですけど。仕事がたまる一方なのは、多摩市は一方通行が多いからなのでは? ということで、いかにスズキがスポンサーのドラマとはいえ、「愛するために愛されたい」も見ていません。
 スズキで思い出しましたが、今回の世界選手権代表のスズキ3選手(鈴木亜弓・池田久美子・森千夏)は全員が女子。女子フィールド種目の代表は6人しかいませんが、そのうちの2人がスズキの選手。このドラマを見るようになってから言い続けていますが、陸上界への貢献度は大きいですね。
 ちなみに代表3人はミキハウス、富士通、大阪ガス、中国電力と並んで2番目に多い数です。最多は5人のミズノ。2人は長谷川体育施設と天満屋とグローバリー。元社員まで範囲を広げると、ミキハウスは5人です。今回も代表メンバーを出身大学や出身県、学年で分類すると面白そうですね。時間ができたら……って、いつできるのかわかりませんが、分析してみましょう。そんなに時間もかからないでしょう。でも、時間ができたら、ある人と真っ昼間ビールを飲むことになっているなあ。
 ところで、県別分類を前述のミキハウスのように“拡大定義”をすると、福島と広島の関係者が多くなりますね。福島は佐藤光浩・松崎彰徳・吉田真希子・池田久美子・佐藤敦之と5人。広島は松田亮・為末大・尾方剛・油谷繁・清水康次・佐藤敦之と6人。兵庫出身も多いですね。朝原宣治・小坂田淳・坪田智夫・新井初佳・松岡理恵・坂本直子の6人。拡大定義だと山村貴彦も加わって7人か。愛知も多いな。拡大定義では室伏広治・岩水嘉孝・今井美希・大南敬美・内藤真人・鈴木亜弓の6人。人口比で考えると、福島が一番頑張っています。
 千葉もそこそこ。拡大定義すると八千代松陰高出身の今村文男、成田高出身の室伏広治と沢野大地、千葉登録の土江寛裕・山村貴彦の富士通勢、そして千葉真子……。


■7月30日(水)
 昨晩はAM5時まで仕事。途中、睡魔が出てきたときに再度、ISHIROの掲示板を使わせてもらいました。おかげで眠気は去りましたね。頑張ろうと思えば、もう1時間(6時まで)は仕事ができたと思います。
 朝は9時半に起きたかったのですが、寝坊して10時半に。眠気覚ましに15分読書。なんだかんだで360ページまで読み進みました(「ウィーンの密使 フランス革命秘話」)。お気楽な自営業者と思われてしまいそうですが、今日の仕事量(締め切り)は生半可なものじゃありません。5時間半も寝ておいて言うのもなんですが、ホント、睡眠時間さえ惜しいのです。読書をするのは、気分転換になって作業効率が上がるから。睡眠をとるのも同じ理由からです。徹夜、鉄也では「なんばしちょっとるか」と怒られる……じゃなくて、効率が上がりません。
 ただ、締め切りを守らないといけない場合もあるわけで、そういうときは、やむなく徹夜をするわけです。わざわざ書かなくても、想像できることですね。ただ、寺田は基本的に1人で仕事をしていますから、サボっているか仕事をしているか、第三者にはわからないわけです。発注元は「寺田の奴、寝ているんじゃないか」と邪推してしまわないとも限りません。
 そこで役に立つのがISHIRO掲示板。ここに書き込みをすれば、書き込んだ時間も残ります。その時間もしっかり起きていたよ、という裏付けになるわけです。つまり、アリバイがあるということ。こんな有効な使用法に今まで気づかなかったとは、迂闊でした。
 でも、真似はしないでください。先日と同じ主張の繰り返しですが、ISHIRO掲示板をアリバイ工作に使うのは、面識があって、ユンケルをおごることのできる人だけに限られます。それと書き込むネタは、できればイチロー選手関連がいいでしょう。今は陸上競技の良識派が意見を言う掲示板みたいになっていますし、R誌(ある雑誌の略)編集長などは業務連絡に使っていますが、元々は“イチロー似の記者の掲示板”というのが出発点ですから。


■7月29日(火)
 昨晩からかなり巻きを入れて仕事をしています。自宅でもできたのですが、知り合いの事務所に泊まり込み。今日もその事務所で仕事をして、“今日の昼”締め切りの原稿を14時に送信。読書をしながら昼食をとって、その後、このサイトのメンテ。ネット上で新聞記事を見ていたら、ある新聞の見出しが「北島に続け 末続世界新宣言」となっていました。記事も読みましたが、昨日の末續選手のコメントの意味とは若干違うように書かれています。ということで、昨日の会見の模様を、末續選手の部分だけピックアップして記事にしました。
 しかし、その作業中、1カ所疑問が。パリの印象を聞かれた末續選手が「パリは食べ物が綺麗だと聞いているので、汚さないようにしたいですね」と話したと、メモしてあります。東海大の短距離合宿中に、「エドモントンでは食事がばか多かった。フランスはどうですかね」という話を末續選手がしていて、それで今回も「食べ物が綺麗」と言ったのだと思ったのです。でも、もしかしたら“建物”と言ったのかな、と、ちょっと自信が揺らぎました。
 変なことで選手に電話をしたくはないのですが、今回は重要なことだと判断して、末續選手の携帯に電話。「建物ですよ、建物。文化の高い街だと聞いていますので」とのことでした。寺田もたくさん選手のコメントを紹介してきていますが、間違いの1つや2つはしているかもしれません。選手のみなさん、もしも決定的な聞き違いをやらかしていたら、遠慮なくご指摘ください。


■7月28日(月)
 そこそこ早めに起きてふた仕事くらい片づけ、フランス大使館に。最寄り駅は広尾ですが、所番地は南麻布でした。14時からTBSの世界陸上制作発表です。メインキャスターは小林史明選手かと思ったら、織田裕二でした。一部陸上ファンからは批判もある織田裕二ですが、今日の会見で話していたキャスターとしての基本姿勢はしっかりしたもの。今回で4回目だそうです。織田ファンが世界選手権の中継を見たのがきっかけに、陸上競技ファンになってくれればいいですね。期待しましょう。
 陸上界からは苅部俊二選手(もうコーチの方がいいのかな)と末續慎吾選手が出席。苅部選手はエドモントン大会同様、現地リポーターです。面白かったのは、司会のTBS初田アナによる苅部選手の紹介。盛んに「陸上界の貴公子」「ハードルの貴公子」と持ち上げます(有名税ならぬ二枚目税ですね)。苅部選手は「貴公子なんかじゃないですけど」と挨拶のときに否定。すると、初田アナは「“貴公子”ではなく、助教授になった“元講師”だそうです」と切り返し。思いっきり笑わせていただきました。ちなみに、苅部選手はパーティーもそこそこ、長崎に出立しました。いいなあ、寺田もインターハイに行きたい。
 それにしても、末續選手の落ち着きぶりは見事。えぐい質問にも瞬時に、当意即妙の答えが出てきます。今回の記者発表は主に、テレビ番組報道(わかりますよね)の担当者が集まっていました。陸上競技取材の常連記者は寺田だけ。いつもの取材とは、かなり雰囲気も違っています。しかも、隣の席にはフランス大使。普通、ここまで落ち着いた対応はできないでしょう。まだ、社会人1年目ですよ。
 こういったメンタル的に動じない部分も、末續選手の強さの一端でしょうか。


■7月27日(日)
 昨晩も早めにダウンしてしまい、7時台と早起きして仕事。10時までに一仕事、片づけました。ここで油断してしまったのが失敗です。睡魔に襲われて、14時頃まで再度ダウン。昨日の疲れもあったんでしょう。以前にも書きましたが、トラック&フィールドの取材は、かなりの疲労が来ますね。そうか、疲労は来るものだったのか、って自分で書いておいてなんですが、明日は広尾に行くんです、フランス大使館。
 そういえば昨日は、取材中からしんどかったですね。谷川聡選手と立ち話中に思わず、手近にあった椅子に腰掛けさせてもらっちゃいました。選手と一緒のときにこんな行動をとるのは珍しいこと。顔なじみの相手だからできたことかもしれません。谷川選手が肩をもんでくれました。「凝っていますね」と谷川選手。一瞬、寺田が書いた何かの記事のことかと思いましたが、肩のことでした。自分では他人と比較できないのでよくわかりませんが、よく言われます。記事が……じゃなくて肩が凝っているって。運動不足や、キーボードを打っているときの姿勢が問題なようです。あとは、10年前に左膝を手術した後遺症でしょうか。
 昨日の日記のちょっとした補足。木田選手の“キタキツネ走り”について、掟を破って川本先生に質問しました。「北海道出身だからだよ。他に理由なんかない」とのお答えでした。こちらは、この1年間ずっと、“キタキツネ走り”を解き明かそうと、夜も眠らずに(朝は眠って)考えてきたのですが。でも、現実とは、そういったものです。推理小説のように、アッと驚く謎解きが最後に待っているわけじゃありません。しかし、川本先生の何気ないひと言から記者が静かに騒ぎ立て、最終的には選手も「キタキツネ走りは52秒台の走り」と言うまでになりました(正確には選手が言ったのではなく、記者がそう言って同意を求めたんですけど)。無駄ではなかったと、思います。
 もう1つ補足。元日本学連幹事長の木下ディレクターも、近田アナと同じ北海道文化放送の社員です。で、世界選手権の北海道開催の話を切り出したのは寺田の方です。あんまり、他社の人間が“こういう考え・計画を持っている”と公にするのはよくありませんから。まあ、世界選手権北海道開催だったら害のない話ですから、問題ないと思いますけど。
 話は今日に戻ります。膝の手術の後遺症は、腰(臀部)の痛みにもつながっていると思いますが、15時半にはその治療に。ちょっとずつ良くなってはきています。あと3週間ちょっとでパリ行きの飛行機に乗らないといけませんからね。
 治療のあと、そのまま外で遅めの昼食をとって、30分ほどカフェで読書。先日購入した「ウィーンの密使 フランス革命秘話」を197ページまで読みました。若干リラックスモードですが、そのあとは仕事をしました。いつもですけど、かなり仕事が押し詰まっています。


■7月26日(土)
 昨晩はちょっと(ビール1杯だけですけど)飲んでしまいまして、早めに就寝。ホテルで2時間眠って、その後朝の4:30まで仕事。また眠って、朝の7:30に起床してまた仕事。9:30にホテルを出て、9:53に円山競技場着。今年の南部記念は例年より実施種目が少し、少なくなっているでしょうか。春季サーキットもそうでしたし、日本グランプリ・シリーズとしては1週間前の松任で、男子400 mHや女子砲丸投などが行われていますし。
 各種目(全種目?)戦評は別記事にする予定ですが、地元北海道勢がワンツーを飾ったのが女子400 m。木田真有選手が昨年に続いて2連勝を飾りました。しかし、優勝タイムは53秒99にとどまり、“キタキツネ走り”は不発。ただ、女子4×100 mRの日本新を除くと、今大会は例年に比べて好記録が少なく、木田選手は女子の最優秀選手に。
 男子の最優秀選手は、2位に圧倒的な差を付け、世界選手権追加代表にも選ばれた内藤真人選手。“真真コンビ”(なんて読んだらいいのでしょう。“ま・まコンビ”は変な語呂だし)の受賞となりました。だから提案したわけです、内藤選手を前日の記者会見にも呼ぶべきだって……なんか、自慢っぽくて嫌な言い方ですね。デリートしようかとも思いましたが、主催者も人選に気を付けてもらいいので、書いておきます。でも、この手のことを書くのは、控えめにしましょう。
 北海道の陸上報道人としては、北海道文化放送の近田アナ(明大競走部出身)が有名ですが、今年からは元日本学連幹事長の木下ディレクターも現場に姿を見せています。彼と話したことの1つに、世界選手権を北海道でできないか、ということがありました。世界選手権はどうしても開催時期が8月になりますから、日本でやるとしたら気候的には北海道が一番。
 問題は観客動員。地元自治体と企業が一体となって宣伝をすれば、なんとかならないですかね。実際、夏は観光シーズンですから、北海道観光と世界選手権観戦をセットにして旅行商品化するとか。航空会社とタイアップして、世界選手権観戦チケットを持っていたら、片道5000円で飛行機に乗れるようにするとか。
 それに、木田・久保倉両選手にとどまらず、このところ北海道選手の活躍が目立っています。小野真澄選手を筆頭に、ジュニアでは高平慎士選手、女子棒高跳でジュニア日本新を出した南野選手、男子走幅跳の品田選手、女子短距離の北風選手・成田選手。純地元選手が頑張れば、地元からもたくさんのファンが足を運んでくれるのでは?(いつもながらの楽観論) 札幌で2009年開催ってどうでしょうか。2回連続日本開催は無理?


■7月25日(金)
 昨晩も仕事途中でダウンしましたが、9時には起きて仕事。4時間睡眠ですが、緊張感があれば、このくらい眠れば十分。昨晩中にほぼできあがっていたのですが、2本、10時までに原稿を送信しました。10:55に自宅を出発して、12:22羽田空港着。移動中に書いた昨日の日記を、サイトにアップしました。
 多少の仕事を抱えつつも予定通り14:30、札幌に到着し、記者会見場の札幌プリンスホテルに直行。Y新聞S田さんに同行させてもらったおかげで、15:45には会場着。O内さんとこのサイトの件で打ち合わせ。
 会見の模様は記事にしました。選手はこの5人が出席していましたが、先週、13秒47の日本新&A標準突破を果たした内藤真人選手が呼ばれていないのは、正直、残念に思いました。今大会出場中最新の日本記録更新者で、世界選手権の追加代表となる可能性も最も高い選手でしょう。日本新を出したのが愛知県選手権で、ほとんどの記者は内藤選手の話が聞けていないません。ということはイコール、内藤選手の声が陸上ファンに届いていないわけです。
 残念だったのは確かですけど、主催者の対応は丁寧なものでした。昨日、北海道新聞事業部から記者会見の案内の電話があったときに、上記の理由を説明して、内藤選手の追加をお願いしたら、迅速に対応してくれたようです。いかんせん、内藤選手が16時(着?)の飛行機だったので出席はできませんでしたが、このようなケースでは、何かと理由をつけて対応作業すらしてくれないケースも多いのです。実際問題、大会運営の実務担当者が必ずしも陸上競技の専門家でないケースは多いので、こういったときは姿勢が大切だと思います。
 会見後、会場外にいた吉田&木田選手と雑談。木田選手の特徴である“キタキツネ走り”(川本監督命名)について、見解を交換しました。現時点で寺田が推測している“キタキツネ走り”命名の理由は、以下の通りです。
@木田選手が北海道出身で、しかも目が細いから(これは誰でも気づきます)
A後半に強い木田選手は、ホームストレートで抜け出る(差をつける)ことが多い。それを見ていた観客または関係者が「木田、来たね」と言いたいところを訛って「木田、きつね」と話していたから(これも、誰でも気づく点です。次が重要)。
B400 mの場合、加速段階よりも中間疾走の局面が圧倒的に長く、脚さばきの上手い木田選手の特徴が生かされるから。脚さばきの上手さとは、リード脚が接地した瞬間に、後ろ脚のヒザがリード脚のヒザを追い抜いているくらいが、重心移動がしやすいということです。末續選手や田島宣弘選手も、その点が優れているというデータがあります。この脚さばきが、キタキツネの動きに似ているのではないかと、推測したわけです。

 上記はあくまで寺田の推測であり、川本先生に確認したわけではありません。特にBに関しては、記者が安易に決めつけていい部分ではないので、くれぐれも注意をしてください。@Aは許される範囲でしょうか。
 しかし今日、吉田選手が「○○県出身の選手だったら川本先生、●●走りって言うよなあ」と話していました。ということはつまり、単に北海道出身だから? まさか、それだけの理由? いずれにしても、要は結果です。52秒台の走りだったら“キタキツネ走り炸裂”ということで、この話はまとまりました。“キタキツネ走り”の結論は“52秒台の走り”ですので、お間違えのないように。


■7月24日(木)
 決して暇になったわけではありませんが、久しぶりに本屋に行って文庫本を2冊購入しました。1冊はお気に入りの作家の日記。以前にも書いたと思いますが、寺田は自分と対極的な存在であるマルチタイプの天才に憧れます。この作家もそういうタイプ。三芸くらいで秀でています。一日にものすごく多方面の仕事をこなしながら、それでいて寺田のように「忙しい、忙しい」とグチを言わずに何事にも前向きで、余裕を感じさせるところは、見習いたいと思っています。
 ということで、単細胞の寺田は今日から気持ちを入れ替えて、グチを少なくしましょう。なくすとは言いません。グチは、オチにも使えますので。
 で、何を変えたのかといえば、読書をしました。もう1冊購入した文庫本を。タイトルは「ウィーンの密使」(藤本ひとみ著)。フランス革命時のパリとウィーンを舞台にした小説です。約50ページ読みました。といっても、読みやすい本ですし、背景もよく知っている時代ですから、時間にすると20〜25分くらい。ドトールでコーヒーを飲みながら読みました。
 かといって、仕事をやらなかったなんてことはまったくなくて、むしろその逆。午前中は陸マガ次号付録の原稿(本当は昨日締め切り)、その後電話を5〜6本。そのうち1本はロンドン・マラソンでお世話になった通訳の方に。南部記念関係の電話もありました。明日の状況次第では、その内容を公開できるでしょうか。昼食を挟んで外出し、銀行その他の用事を済ませ、ドトールでは短めの原稿も1本。帰宅して本サイトのメンテナンスをして、最後にT社用の資料作り。
 その合間の読書でしたが、読書は昨年の8月以来。この11カ月間、本当に余裕がなかったのでしょう。実際の時間というよりも、気持ちの問題なのは明白です。沢野大地選手が5m60が壁になっていた頃、「気持ちの問題です」と言い続けていましたが、それと一緒かも(一緒にするなって?)。明日から、北の大地で南部記念の取材です。



昔の日記
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月