続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
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◆2006年4月23日(日)
天満屋最高!!
という書き出しは何を意味しているのか、と思われる読者もいるでしょう。天満屋というチームが最高に素晴らしい、という意味にとってもらって一向にかまわないし、今日の兵庫リレーカーニバル取材の最終的な印象と受け取ってもらってもかまいません。だが、厳密にいえば……。
天満屋最高のことを書く前に、今日の行動を説明しましょう。一応、日記ですから。
早起きをして東京駅7:13発ののぞみで新神戸に。数年前のようにTBSアナ軍団が同じ新幹線に乗っているかと思いきや、静岡県東部出身の佐藤文康アナに後で聞いたところ、8:13発ののぞみだったそうです。佐藤アナは土曜日深夜のサッカー番組の担当。4時頃に自宅に戻ったといいますから、2〜3時間の睡眠だったでしょう。
寺田が早起きしたのは11時開始の男子砲丸投を見るためでした。トラックの最初の種目は14:05、フィールドも2種目目は12:00開始でしたから、じっくりと男子砲丸投を見ることができました。
おかげで、村川洋平選手の日本歴代3位、17m99を目撃しました。3投目が17m91で、6投目が17m99。元神戸新聞の中尾義理記者など、「今度は行ったぁ」と冷静に興奮していました。日本記録保持者の野口安忠氏もスタンドから見ていたようです。同氏サイトの独り言にコメントがあります。
ところで、岡山のSP記者こと朝日新聞・小田記者の“SP”は、言うまでもないことですが、スペシャルではなくてショットプットのこと。そのSP記者が、具体的には書けませんが称号剥奪か、というような行動をしていました。しかし後で、森千夏選手の記事を朝日新聞が掲載するにいたったきっかけは、同記者が寺田のサイトを見て言い出したのだと判明。やっぱりSP記者でした。
森選手と言えば、東京高の後輩の西村美樹選手から、800mのレース後に感動的な話を聞くことができました。四大学対校のときは、国士大の後輩である海老原有希選手からも、エピソードを聞いています。何かの形で紹介しようと考えています。
砲丸投終了後にフィールド種目も続いていましたが、ちょっとだけ余裕もあってあちこち移動していたら、更衣室の前でストレッチ中(?)だった佐藤悠基選手に出くわしました。昨日の四大学対校の成績一覧を渡したのは、佐藤選手も静岡県東部出身だから。5000m優勝の松岡佑起選手が、今年は関東よりも日本インカレで頑張りたいと話していたことも、伝えました。特に意味があったわけではありませんが“ゆうき”つながりというか、何というか。佐藤選手は“ダブル佐藤”の相棒である、佐藤秀和選手の成績を気にしていました。
和歌山、出雲、ロンドンと世界各地で、日本のトップ選手が出場するのが今日。余裕のある時間帯にロンドンの某関係者とも電話で話しました。ペースメーカーの設定タイムや天候のこと、中国電力コンビの状態などを聞くことができました。
出雲の結果は携帯電話のメールで入手。久保倉里美選手が11秒79という情報を聞き、400 m53秒台選手の日本最高か、と思って記録集計号を調べました。その通りでしたが、400 m52秒台の柿沼和恵選手が11秒75で走っていました。
久保倉選手と言えば福島大OBですが、全員が福島大OBの新チームであるナチュリルが、本格的に国内試合に参戦したのが今大会。寺田がちょっとうろうろしている間でしたが、吉田真希子選手、坂水千恵選手たちがいるところに通りかかりました。寺田が「ナチュラルの…」と言い間違いをしたら、吉田選手に「ナチュリルです!」と優しく(?)怒られました。久しぶりの200 m出場を前に緊張していた(?)同選手をリラックスさせようという意図だった、と言い訳をしましたが、チーム名の言い間違いは絶対にしてはいけないこと。反省して、今後は注意します。
間違いといえば、女子やり投の会見中に、某専門誌の二枚目ハードラーことO川編集者がちょっとした勘違いをやらかしました。O川編集者は兵庫出身。地元取材でテンションが上がりすぎていたのかも。詳しくはいつか、小島裕子選手が活躍したときにでも。
女子800mの会見中にも兵庫県人が勘違い。優勝した陣内綾子選手に「年下の選手をどう意識したか?」という質問が出ましたが、隣にいた2位の小林祐梨子選手が、「年下の選手として…」と聞き間違えたらしく、話し始めてしまいました。しかし、誰も何も言わなかったのですが、記者たちや陣内選手の反応から咄嗟に、自分が勘違いをしたことに気づいたのです。こういうケースは時々あるのですが、当人は気づかずに最後まで話してしまうケースが多いでしょうか。その後の落ち着いた様子も含め、逆に小林選手の株が上がったように思いました。レースでは何が起きるかわかりません。意外な展開になったときに咄嗟に対応する能力も、一流選手には必要です。
うーむ。なかなか天満屋最高に話が進みません。先に締め切りだ。
試合も終盤。いよいよ兵庫リレーカーニバル看板種目の男女1万mです。今年もなかなかのメンバー。女子は小崎まり選手や野口みずき選手。男子は高岡寿成選手や前述の佐藤悠基選手。そこに、国内実業団在籍のケニア選手たちが加わります。
しかし、女子1万mの最中に男子やり投の会見が始まりました。やり投の選手たちには申し訳ないのですが、会見中もトラックに何度も目をやっていました。他の記者たちも同様でしたが、やり投の会見に顔を出した記者は一般種目にも注目しているということで、許してもらいましょう。静岡や中部地区の記者は、村上幸史選手のコメントを取るのと同時に、同じスズキのルーシー・ワゴイ選手のレースも見ないといけない。陸上競技の場合、取材と競技が重なるのはどうしようもありません。
レースは終盤、小崎選手だけがワゴイ&モンビのケニア2選手につき、野口選手は離されてしまいました。実はそのことよりも、野口選手の背後についた天満屋の長身選手に驚かされました。それが、入社3年目の山岸万里恵選手。全国都道府県対抗女子駅伝1区でも、新谷仁美選手を最後に追い込んで同タイムで区間2位となっています。しかし、1万mで野口選手に食らいつくとは予想していませんでした。
しかし、女子1万mでは優先して取材する選手がいたため、野口選手も山岸選手もコメントを聞くことができず。他の記者から後で聞いたのですが、31分50秒13の結果に野口選手は、「収穫なし」と話したそうです。このコメントから、1つの考えが脳裏に浮かびました。野口選手も新たな領域に足を踏み入れようとしている。それを理解できているから、公の場で「収穫なし」と言えたのではないかと。
具体的には、本人かスタッフと話ができてから書きたいと思います。
続いて行われた男子1万mは、世界クロカン銅メダルのマサシ選手が、けた違いの強さを見せつけました。6000mで飛び出して、6400mまでの周回を58秒でカバーしました。中盤のペースアップが武器のマサシ選手ですが、またさらに走力が充実した感じです。
ケニア選手の集団に日本人でただ1人付いたのが佐藤悠基選手。離された後も粘り抜いて、28分07秒02の自己新。東海大新記録です。これで東海大記録のうち400 m・5000m・1万mの東海大記録をユウキが持つことに。と思ったら、1万mも去年の兵庫で、佐藤選手が出した28分27秒50が東海大記録でした。
えっ、400 mの東海大記録は山口有希選手の45秒18ではなく、高野進選手(現コーチ)の45秒00ではないかって? オーバーエイジを認めるとそうなりますが、そうだとしたら、400 m・5000m・1万mの3種目の東海大記録が静岡県東部出身選手によって占められることになります。おっと、違いますね。ルーキーの鈴木崇文選手が棒高跳の東海大記録(5m21)を出したので、4種目が静岡県東部出身選手になります。
話は兵庫の1万mに戻りますが、日本人2位は岩佐敏弘選手。久しぶりに元気のいいところを見せてくれました。終盤で高岡寿成選手に追いつかれながら、最後に引き離したのです。以前のそういうパターンの時はだいたい、高岡選手が勝っていました。岩佐選手が全盛時の力を取り戻しつつあるようです。
男子1万mが終わると今度は、男子円盤投の会見。記事(兵庫投てき特集)にもしたように、小林志郎選手が5年ぶりの学生新をマークし、畑山茂雄選手が5年ぶりに日本選手に破れました。畑山選手自身は「大阪グランプリの中林(将浩)か、東日本実業団の野沢(具隆)さんが最後」と、記憶が明確ではありません。東京に戻って調べると、東日本実業団で野沢選手に破れたのは2000年。その後は連勝が続いていますから、01年の国際グランプリ大阪と断定できます。
投てきのビッグニュースが2つ重なったことに気を取られ、記録のチェックが後回しになってしまいました。それが大失敗だったのです。円盤投の会見後にやっと女子1万mの記録をじっくり見ました。そして、目に留まったのが山岸万里恵選手の31分50秒93。見た瞬間に、天満屋最高記録じゃないか!? と脳裏に衝撃が走りました。急いで記録集計号を見ると、松岡理恵選手の31分52秒50が天満屋選手の最高記録です。
この記録を見逃して取材をしなかったのは、本当に迂闊でした。やはり、どんなに忙しくても記録チェックはきちんとやらないといけません。遅ればせながら、人の動線となりそうな場所に行きましたが、選手の姿はほとんど見当たりません。競技場の外で待っていることも多いので行くと、天満屋関係者の姿はありませんでしたが、筑波大の大山圭吾コーチがいらっしゃいました。
大山コーチに村川洋平選手の話を聞いていると、天満屋トレーナーの富永さんがいらっしゃいました。話を聞いてビックリ、山岸選手は初1万mでした。初1万mの日本最高記録は川上優子選手の31分52秒54(96年)、斎藤由貴選手の31分49秒29(03年)、宮井仁美選手の31分41秒60(05年)と更新されてきたことが判明しています。ということは、おそらく初1万mの歴代3位ではないでしょうか。
山岸選手は入社3年目。同期には全日本実業団対抗女子駅伝1区日本人1位の中村友梨香選手もいます。山口衛里、松尾和美、松岡理恵、坂本直子と続いた天満屋日本代表の系譜に、名を連ねる可能性のある選手が続々と育っている。マラソンでも、1月の大阪で森本友選手が2時間27分台で走っています。
天満屋最高!! の意味は、どのようにとってもらっても良いのです。
◆2006年4月28日(金)
今、広島に向かう新幹線の車中で、新神戸の駅に着くところです。5日前は兵庫リレーカーニバルでした。今週もあっと言う間に過ぎたら恐ろしいことですが、感覚としては、そういったところがなきにしもあらず(J大学師弟の口癖)。広島に着いたら兵庫ネタは書きたくないので、車中で書き終えたいと思っているですが、少しホテルまで持ち込みでしょうか。
1つ残っていた兵庫リレーカーニバル・ネタは、男女の砲丸投で“ヒト桁cm自己新”の選手が多かったこと。村川洋平選手が17m94→17m99、井元幸喜選手が16m53→16m59、美濃部貴衣選手が14m40→14m42。男子終了後には、“大阪出身コンビ”で紹介しようと考えていたのですが、女子で美濃部選手が加わってどうしようか、と思案していました。山岸万里恵選手の天満屋最高は迂闊にもチェック漏れをやらかしましたが(23日の日記参照)、美濃部選手は静岡県東部出身ですからきっちりチェックしていました。
天満屋関係者をつかまえようと競技場前を寺田がうろうろしていて出くわしたのが、筑波大投てきブロックの大山圭吾コーチでした。そこで気づいたのが兵庫は大山コーチの地元であること(トンボのマークの小野高出身)。つまり、村川&美濃部の弟子2人は、師の地元で自己新を出したわけです。師匠冥利につきるでしょう。
ところで、もう1人の弟子である女子やり投の中野美沙選手はというと……修士論文で冬期練習がずれ込んでいるとのこと。でも、日本選手権が1カ月遅れている今年は、遅れが致命傷にはなりません。偶然にも、日本選手権まで大山コーチの地元の兵庫ですね。きっと今回、やり投ピットの状態など、チェックすべきところはしたことでしょう。
日本選手権といえば、会場でPR活動も行われていました。ホームストレート中央付近のスタンド裏で、昨年のビデオを放映していたのです(写真)。画面がちょっと見にくかったのが残念ですが、道行く人の多くが足を止めていました。インフォメーションデスクでは、ちらしも配っていました。
カバーフォトは為末選手のヘルシンキ世界選手権。日の丸をまとってのウィニングランならぬメダルウォークですが、最高に雰囲気が出ています。日の丸に特別な意識などない寺田ですが、日の丸がらみの絵柄でここまでグッと来たのは初めて。
入場料金については、昨年高いと批判が出たこともあり、かなり安めに設定されています。3日間の通し券もあります。チケットはもう発売されています。詳しくは陸連サイトで。ちらしの中味も載せておきます(表? 裏?)。
ユニバー記念競技場は日本選手権だけでなく、10月の国体会場でもあります。陸上どころ兵庫の国体ですから、きっと盛り上がるはず。地元優良企業のアシックスも、一役買ってくれるでしょう、たぶん。
神戸新聞ももちろん、その役目を積極的に買って出ています。大原記者(大山コーチとは小野高の同級生)が国体グッズを配っていました。でも、寺田は国体取材に行けないかも。
何か1つ、書き忘れているような気がしますが、兵庫ネタはここまで。嬉しいことにまだ、福山です。明日からは広島ネタに集中だ……と思ったら、ユニバー競技場ネタというか、兵庫インターハイとの関連ネタが1つ思い浮かびました。まあ、これは日本選手権本番ででも。
◆2006年4月29日(土・祝)
7年連続で織田記念の取材です。しかし、織田記念にしては肌寒いコンディション(正午で18.5℃)。午前中は晴れていましたが、14時くらいから曇り始め、その後は雨も降り始めました。記録は厳しいかな、と思いましたが、男女の100
mと110 mH・100 mHと直線種目では、まずまずの記録が続きます。追い風が良かったのかもしれません。2mを越えてしまうかな、という懸念もありましたが、110
mH決勝以外はだいたい、公認範囲に収まってくれました。
しかしバックストレートは、ホーム側の追い風以上の向かい風が吹いていたようで、男女の400 mは記録が全体的に低調でした。
個人的に注目していたのは、男子100 mで佐分慎弥選手と川畑伸吾選手のどちらが、スタートが速いか、という点。残念ながら予選は別々の組でしたし、川畑選手が予選落ちだったため対決は見られませんでした。
しかし、佐分選手が出場した1組めで2レーンの同選手に注目していたら、3レーンの新井智之選手が抜群の飛び出しを見せてリード。これには、本当にビックリ。後でクレーマーの原田康弘コーチに確認したところ、学生時代まではここまでスタートでリードできる選手ではなかったとのこと。10秒32(+1.7)の大幅自己新でした。池ノ谷智選手も10秒34の自己新で、筑波大OBコンビが快走を見せてくれました。
しかし、わからないもので、決勝は新井選手が6位で池ノ谷選手が8位。
優勝は昨年の世界選手権代表だった日高一慶選手で、スタートからリードを奪い、10秒32(+1.0)で国内グランプリを初制覇。2位には、予選で「+2」の2番目だった田村和宏選手。昨年は10秒43が年次ベストとパッとしなかったのですが、かなり復調してきました。
ところで、織田記念はトラックのグランプリ種目をまとめた時間帯に行います。その後、地元中高生種目があって、最後にまた長距離のグランプリ種目。中高生種目の間に取材時間がとれるのでありがたいタイムテーブルですが、グランプリ種目が続く間はやっぱり厳しいです。兵庫リレーカーニバルはインタビュールームがトラックに面した部屋で、それもフィニッシュ地点脇という絶好のポジション。会見中に長距離レースを部分的に見ることもできました。女子800mの会見中にスタンドが沸く音が聞こえ、外に飛び出して男子800mの最後の100 mを見る、という芸当もできたわけです。
しかし、織田記念はインタビュールームがトラックに面していません。ピストル音を聞いてから廊下と記者席を走って横断し、最後の30mを見るなんてことも何度かやらないといけません。簡単に変えられることではないのでしょうが、神戸、静岡、大阪の競技場ではできていること。会見のシステムのことも含め、要望だけは出しておきました。
これは、スタンド下のスペースの問題を解決しないと、どうしようもないことかもしれませんが、工夫の余地はあります。広島に限ったことではなく、本部の部屋が必ずホームストレート中央付近に場所をとっています。でも、そのなかで実務をしている人間の数って、全部ではない。競技を見ているだけでいい立場のお偉方が多いのです。
そういった人たちには、スタンドに席を設けて見てもらう方がいいように思います。スタンド下のスペースに余裕もできるし、本来、スタンドの方が競技を見やすいはず。実際、国際大会など大きな試合や、貴賓席がスタンドにある場合はそこで見ているのです。何より、スタンドの方が観客や会場全体の雰囲気がわかるんですよ。これが一番重要かもしれません。スタンド下の本部席では、わかりにくいことですから。早急に改めて欲しい点です。貴賓席の有無に左右されているようでは、競技への情熱を疑われます。
インタビュールームの場所は不便ですが、広島陸協の役員の報道に協力する姿勢は好感が持てます。プレス用のゼッケンをカメラマンが着用しますが、多くの場合、競技終了後に陸協役員が回収に来ます。競技が終わっても我々は仕事中なわけですが、ひどい場合はインタビュー中にゼッケンを引っ張られて、「返してください」と言われます。その点、今日はもうパソコンに向かっている段階だったのに「仕事中でお忙しいですか?」と、初めに声を掛けてくれました。やっぱり、広島(の女性)はいいですね。
◆2006年4月30日(日)
昨晩は少しアルコールも入ったため、今朝は5時に起きて仕事を開始。錦織育子選手と池田久美子選手の原稿を書いて本サイトにアップして、8:15にはチェックアウト。路面電車で広島駅に出て、8:50広島発の新幹線で東京には12:50着。例年、自由席に座るために広島始発ののぞみに乗るのですが、駅すぱあとで調べると上記時刻発が最終になります。その後は全て博多始発。広島始発が少なくなっていますね。ちょっと不便になってきてしまいました。
織田記念翌日の年中行事も忘れてはいません。広島駅で中国新聞の朝刊を購入しました。山本修記者(高校時代に梅木蔵雄選手と山口県で一緒に走っていて、奥さんが順大OB)がしっかり記事を書いているかどうかをチェックするため、ではありません。それは小笠デスクや渡辺部長の役割です。山本記者の書いた記事を、楽しく読むためです。
さすが中国新聞記者と思ったのは昨日、錦織育子選手の日本新が織田記念で出た何個目の日本記録か? と質問したときでした。山本記者は間髪を入れずに「17個目です」と答えたのです。織田記念は40回の歴史を誇る大会。その大会で生まれた日本記録の数を即答できる人間が、日本に何人いるでしょう? などと思い返しながら車中で資料を調べていたら、昨日、報道受付で配られた織田記念特集ページの中国新聞抜粋に、過去に出た日本記録の個数が書いてありました。配られた資料には、ちゃんと目を通しましょう。これが実は、お互い様だったりするのですけど。
肝心の朝刊記事ですが、織田記念のスペースが小さすぎます。山本記者の能力を引き出すには、今回の倍以上の文字数を書かせるべき……という気もしますが、これは活字メディアの宿命で仕方のないこと。与えられた文字数でいかに読者のイメージを膨らませられるかが、記者に求められる能力なのです。その能力のない記者は、このようなWEBサイトで書きまくっているわけです。
ところで、錦織育子選手は島根県出身。土江寛裕選手と実家が200 mくらいしか離れていなくて、土江選手のお父さん(良吉氏・故人)が指導していた陸上教室の出身です。昨日の記者室で話題になったのは、島根県関係選手(島根県登録や島根県出身)の日本新記録は、誰以来だろうということです。共同通信の宮田記者(早大陸上競技同好会で十種競技のエース)が言い出しました。寺田はもちろん、山本記者もわかりません。
どうしても気になったので、今日、土江選手にメールで問い合わせました。すると「土江の四継です」という回答。個人種目では○○選手ではないかと(これは、しばらく内緒にさせていただきます)。
土江選手が該当者だと気づかずに問い合わせるとは、兵庫リレーカーニバルの天満屋最高(4月23日の日記参照)に続いて今回も迂闊でした。
そう。土江選手にとって4×100 mRは色々と思い入れがあるのです。日本記録は97年のアテネ世界選手権ですが、96年のアトランタ五輪以来何度かの国際大会で、必ずしもいいことばかりではありませんでした。パリの世界選手権の際には、このような記事も書かせてもらっています。アテネ五輪4位入賞の際には、レース直後の4人そろってのテレビ・インタビューで「ツッチー、泣くなよ」と、末續慎吾選手に言われたこともありましたね。
しかし、今回のようなケースはどうしても、個人種目で誰以来か、という部分をイメージしがちになります。土江選手には申し訳ないのですが。
TBSサイトの大阪世界陸上カウントダウンコラムを書いていて、バルセロナ五輪の4×100 mR入賞に触れました。あのときは帰国後、陸マガの編集者として4人の対談にも立ち会いましたが、短距離のファイナリストといったらやはり、高野進選手の400 m(91年東京世界選手権&バルセロナ五輪)の印象がはるかに大きいのです。
でも、リレーの強化が短距離種目全体のレベルアップに貢献してきたのは間違いありません。それに、選手が個人的な目標としてそれを実現した場合は、優劣を比較できません。ちょっと抽象的な言い方ですけど、具体的には、土江選手がいい例です。
以前、信岡沙希重選手を取材したときに、特に尊敬するのは今井美希選手と、土江選手だと話してくれました。今井選手は結果を出すことにこだわった選手として、土江選手はチャンピオンにはなれないけど必ず4×100 mRメンバーに入っていく。そういった点が尊敬できるのだと。
改めて解説する必要もないと思いますけど、100 mの記録で言うなら10秒00〜03の伊東浩司選手、朝原宣治選手、末續慎吾選手たちと同時代だったため、10秒21の土江選手は国内でもトップにはなれません(日本選手権には優勝しています)。10秒2台の選手はごまんといます(正確には10人くらい)。しかし土江選手は、日本選手権では必ず上位に食い込み、狭き門をくぐり抜けてリレーメンバーに選ばれます。日本の短距離選手の中で最も、“勝ち抜いて”代表になっている選手といって間違いないでしょう。
だからこそ、前述のように数々の思い入れがリレーに対してできたのです。
信岡選手は高校は埼玉(伊奈学園高。石田智子選手とは同学年。前中学記録保持者の金子朋美選手が1つか2つ先輩)ですが、中学までは山口県育ち。土江選手と同じ中国地区の出身で、早大の後輩でもあります。土江選手同様広島カープ・ファンなのかどうかは知りませんが、今も同じグラウンドで練習しています。という間柄ですけど、「土江先輩のことを尊敬しています」なんて、面と向かっては言っていないでしょう。推測ですけど。
ということで、寺田が代わりに書いています。紙面に限りのある新聞では書けないネタでも、このWEBサイトなら書けないこともないわけで、役に立たないこともないかもしれない。さて、ないは何回?
◆2006年5月16日(火)
ちょっと忙しさにかまけていたら、5月もちょうど半分が過ぎてしまいました。今日は生まれて初めての経験もしたことですし、生まれ変わったつもりで意を新たにして、日記を再開します。今日の初体験(もちろん陸上競技絡みの経験です)を説明する前に、この半月の主な出来事を駆け足で振り返りましょう。と言っても、取材中にあった面白いことだけでも盛りだくさん。試合ネタだけになってしまうかも。
◇2006年5月1日(月)
昨日、今日と電話取材を6本かな。問い合わせのような取材のようなものも含め、かなりの数をこなしました。原稿もかなり書きましたです。
◇2006年5月2日(火)
織田記念の陸マガ・モノクロページ用の原稿を仕上げました。綾真澄選手のネタは、もう少しあるので、いつか紹介したいですね。カラーの錦織育子選手(棒高跳日本新)と池田久美子選手の原稿(100
mH日本歴代2位)は、ページ数が確定する静岡国際後に書きます。
◇2006年5月3日(祝・水)
静岡国際取材。取材に行ったら、その土地に合わせたネタを探すのが寺田流です。ましてや、静岡は自分の出身県。静岡県、草薙、静岡インターハイ、杉本従兄弟など、色々と連想していましたが、そのものずばり、「草薙とは?」で行こうと決断しました。
まずは自分自身ですが、草薙は1979年に阪本孝男選手の2m25と川崎清貴選手の60m22、2つの日本新を目撃した場所。三つ子の魂百まで、ではありませんが、幼き日(若き日?)の思い出として強く脳裏に刻みつけられています。
某誌E本編集者に草薙でイメージするものは? と聞くと、走幅跳だと言います。森長正樹選手の日本記録も草薙ですが、走幅跳で好記録が出る印象が強いのだそうです。追い風参考日本最高記録である8m34も含め、8m10台、8m0台の記録も数多く出ています。91年静岡インターハイでは大橋忠和選手が7m69で優勝。インターハイの大会記録でした(破られていますよね?)。
某誌T谷編集者は寺田同様静岡県出身ですが、草薙といえばやり投だと言います。91年には草薙でスーパー陸上が行われ、セッポ・ラテュ選手(フィンランド)が91m98と、世界新記録(当時)のアーチを架けました。陸マガも急ぎ、表紙を差し替えましたっけ。
それにしても、専門誌関係者3人全員が違った種目や出来事を連想するとは、それだけ多彩な歴史を持っている競技場だということを示しています。
今日の草薙は走幅跳には絶好、というよりもちょっと強すぎる風でした。当初はホームストレートが“追い”となる風向き。女子走幅跳の砂場はそフィニッシュ地点側で始められましたが、始まるのと同じくらいに向かい風に変わってしまいました。静岡陸協の対応は素早く、1回目の跳躍が終了した時点で選手に打診した上、砂場を反対側に変更。さすが、200 mでは1コーナースタートができる静岡です(左回りですから逆走ではありません)。
川本和久・福島大監督によれば池田選手は、変更後の2回目、3回目くらいまでは足合わせに神経が行ってしまったのだそうです。ということは、もしも3回目終了後に砂場を変えていたら、6m75を跳べたのかどうかわからないということに。女子走幅跳の静岡県記録誕生の裏には地元陸協の好プレーがあったわけです。もちろん、記録のチャンスは全員に多くなったのであって、地元選手だけに有利に働いたわけではありません。
最後にこれぞ静岡、というネタを紹介しましょう。
男子400 mHに優勝した成迫健児選手(筑波大短距離ブロック長)に、「“バンナン”って知っている?」と問いかけました。皆さんは“バンナン”を知っていますか?
これには経緯があります。
以前にも紹介しましたが、世界陸上レポーターの山縣苑子さんの出身が磐田南高なのです。インターハイの第1回大会の総合優勝校です。往年の超名門校でその後も多くの優勝者を輩出しましたが、学区一番の進学校ということもあり、徐々に徐々に弱体化。鈴木専哉選手の頃の4×400 mRなど、ときどき強さを取り戻す時期もありましたが、静岡県西部ナンバーワンの座は浜松商高に移りました。
その磐田南高のことを地元では、磐と南を音読みしてバンナンと言います。近年、三段跳の榎本選手や棒高跳の川口選手などが活躍していましたが、バンナンの呼称まで浸透しているとは思えなかった。川口選手の進学した筑波大とはいえ、短距離ブロックの成迫選手が知っているとは思えなかったのです。
そう主張する寺田に対し、山縣さんは「絶対に知っていますよ」と言い張ります。それで、神戸のコーヒー1杯を賭けて、同選手が知っているか確認したのです(もちろん、取材の邪魔にならないタイミングを見計らって)。
賭けの結果はというと、寺田の負けでした。なぜか成迫選手が知っていたのです。筑波大に磐田南出身者がいるから、と言っていましたけど…。
◇2006年5月4日(木)
池田久美子選手の原稿を書きました。当初は織田記念の100 mH日本歴代2位の記事の予定でしたが、静岡国際の結果を受けて急きょ、2大会をまとめて200行に。
それと、静岡国際の記事も何本か(春季サーキット&国際グランプリ大阪2006)。国際グランプリ大阪の前に紹介した方が、同大会を面白く観戦できると思える種目を優先しています。
◆2006年5月19日(金)
仙台行きの新幹線車中で書いています。
昨日は関東某所で陸マガの取材でした。カメラマンはエース高野徹。天気は生憎の雨。でも、そういうときこそ腕の見せどきかも。
そういえば国際グランプリ大阪の高野カメラマン・ネタを紹介するのを忘れていました。ということで、以下の5月5日以降の日記は、高野ネタを紹介するのが目的です。といっても、彼の名前が出てくるのは最後にちょっとだけになるかもしれませんが。
◇2006年5月5日(金)
国際グランプリ大阪前日の記者会見を取材。この大会で前日に大阪入りしたのは初めてです。スポーツ・ヤァ!に記事を書くことになっていて、この時点では為末&金丸で行く予定でしたから、会見で2人の絡みを見ておきたかったのです。
錦織育子選手の200行原稿も抱えていたので、会見の模様は記事にできませんでしたが、なかなかいい会見でした。会見後に囲みもでき、かなりグッドなネタを仕入れられました。明日はレースを見て、少しコメントを見るだけでOKという状態に。他の種目も取材しないといけませんから、前日にここまで持ってこられたのは大収穫です。それもこれも、為末大選手の話のおかげですね。
会見後はちょっと間がありましたが、18:30(?)から前日のウェルカム・パーティーにも出席。錦織選手のコーチの広田哲夫氏からお話を聞かせてもらい、こちらもネタは十分。天王寺(寺田町)のホテルに移動して、一気に書き上げました……違いますね。新幹線の車中で70行くらいは進めていましたっけ。
それに、思い出してみると、書き上げたのは朝の8:30頃でした。
◇2006年5月6日(土)
錦織育子選手の原稿を陸マガ編集部に送りましたが、どうも後半が冗長になった印象で気になります。秋山編集者へのメールには、訂正するかも、の断りを入れておきました。
午前中は女子の棒高跳。原稿を書いたばかりの錦織育子選手が記録なしに終わってしまいました。本人は「疲れが原因」と話していましたが、男子のピットがバックスタンド前からインフィールドに変更されたように、風が舞っていたのが一因かもしれません。
女子棒高跳後に原稿を見直して、後半の見出しを1つ増やして加筆・修正をしてすっきりさせました。13時頃に編集部に送信。記憶がちょっと不確かなのですが、この後、信岡沙希重選手の原稿を書き始めました。しかし、安心感からか、少しプレスルームの椅子で意識を失っていました(単なる居眠り?)。
その状態が何分続いたのかわかりませんが、目を覚ますと隣に妙齢(といっても、オーバー・サーティ)の女性が座っています。約0.5秒後に、ミキハウス元マネジャーの荻野あゆみさんと気づきました。メールで連絡はとっていましたが、実際に会うのは4年ぶりです。2002年のローザンヌ・グランプリ以来。劉翔が初めてアジア新を出した大会です。中西美代子選手たちと一緒にお会いしたのが最後でした。日本からは朝原宣治選手と為末大選手、それと千葉佳裕選手も出ていましたね。なぜか、よく覚えています。朝原選手は珍しく○○に苦しめられていましたが、それが直った日です。
荻野さんとはもう少し色っぽい再会を期待していましたが、ちょっと間が抜けていました(寺田の方が一歩的に)。積もる話もありますが、それは次の機会に譲って、取材再会です。おっと、再開ですね。
時系列がはっきりしないのですが、何かの会見が終わってスタンド外に出ると、大阪高の岡本博先生とばったり。こちらの顔を見るなり、声をひそめるような仕草で話しかけてこられました。いったい何でしょう。良い方の予想は「金丸が絶好調やで」。悪い方は「金丸がアカンわ」。しかし、そのどちらでもありませんでした。
「さっき、トラックの外側を1周歩いたんですわ」
そうです。風がほとんど追い風になっていることを教えてくれたんですね。トラックを周回する種目は記録が出ると。実際、その通りになりました。小林祐梨子選手が日本新を出した女子1500m。マサシ選手が国内最高(allcomer's record)に迫った男子5000m。金丸選手がA標準を突破し為末選手も10年ぶりに46秒台前半を出した男子400 m。成迫健児選手が47秒台を出した男子400 mH。そして高平慎士選手と大前祐介選手がA標準を突破した男子200 mも、風の恩恵を受けた種目に当てはまるでしょう。
400 mHの記事に成迫選手の「48秒5くらいだと思った」というコメントを書いていますが、為末選手や高平選手も同様のことを話していました。今回の数字に躍らされてはいけない、と選手たちは自分を戒めていたのだと思います。
しかし、記録を出すことは、きっかけになります。小林選手の今後の方針が、今回の走りではっきりしていくかもしれないし、大前選手や千葉佳裕選手のように、復調の目安になった例もあるでしょう。風の恩恵で出た記録でも、それを利用しない手はありません。記録に振り回されるのでなく、記録はあくまで道具として役立てるような感じがいいのかも。
周回種目に反して直線種目はいまひとつ。男子の100 m、110 mH、三段跳、そして女子の100 m。唯一の例外が女子走幅跳でした。池田久美子選手が6m86の日本新。
ラッキーだったのは、女子走幅跳が最後の種目となったことです。記者会見では次の種目のために場所を空ける必要もなく、ゆっくりと話が聞けることに。会見終了後、新聞記者たちはすぐに原稿執筆にかからないといけませんが、寺田は少しだけ時間のゆとりがあります。そこで粘って取材ができたのが大きかったですね。
昨年亡くなったお父さん(実さん)が、最後に応援に来たのが国際グランプリ大阪だったことを聞くことができました。日本新と知って泣きながら手を振った先は、2年前にお父さんが座っていた場所なのです。この話を聞いたときは、こちらもウルウル眼に。落涙だけは、なんとかとどめることができました。
しかし、これだけ新記録、好記録が続くと取材をする側は殺人的に忙しくなります。ここまで記録が出ると予想はできません。新聞記者たちも、“覚悟”ができていなかったようです。寺田も同様です。予定では17:30から信岡沙希重選手の取材が入っていました。陸マガの日本選手権展望を兼ねた人物もの記事用の取材です。4月中にすでに話は聞いてあったのですが、静岡国際と国際グランプリ大阪の走りの結果を踏まえた話を、今大会後、長居競技場近くのSTEPで聞かせてもらうことになっていました。
しかし、女子走幅跳の終了時間が遅れたため、予定の時間に間に合いません。事前にミズノ木水広報と連絡して、電話取材に変更しました。
それが終了して、インターネット関連の仕事を急ぎで済ませて、もう1つ何か仕事をしたら疲労がドッと出てきました。新幹線で東京に帰る予定でしたが、GW終盤ということで指定席は満席。信岡選手の原稿は300行で明日の昼が締め切り。新大阪駅で並んだり、結局座れなかったという事態になったら、かなりやばくなります。
安全策をとってもう1日、泊まることにしました。
高野カメラマンの話は、やっぱりなし?
◆2006年5月20日(土)
東日本実業団の第1日目。
競技開始は11:00で3種目が行われるタイムテーブルですが、選手たちの準備が早く整ったため、10:50頃に男子円盤投が始まりました。今回の取材で一番の期待がこの種目。昨年、畑山茂雄選手が58m00を投げています。兵庫リレーカーニバルでは5年ぶりの日本選手間での敗北を喫した同選手ですが、今回は好調のようで、テントの中からは「トライアル中に60m行ったらどうするんだ」という会話も聞こえてきました(声の主はハンマー投のB標準突破に情熱を燃やす土井宏昭選手)。60mが出たら27年ぶり。歴史的なシーンを間近で見ようと、カメラマン・ゼッケンを付けてインフィールドから取材をしました。
しかし、昨年と違ったのは風。競技開始後に若干吹き始めましたが、1m以下くらいの弱い風で、円盤の浮力にはつながらなかったようです。それでも、3投目に57m34と自己2番目タイの記録で6連勝。話を聞くと、案山子投法(これも兵庫リレーカーニバルの記事参照)も上手くフィットしつつあるとのこと。60m、期待できそうです。
畑山選手の他に強いな、と感じたのが信岡沙希重選手と内藤真人選手のミズノ・コンビ。女子200 mは藤巻理奈選手が本調子でなく、信岡選手が2位の渡辺真弓選手に1秒02の大差。予選は後半を流して23秒61(±0)の大会新。決勝は向かい風2.5mで23秒98です。
話を聞くと、静岡国際で失敗したレース構成(最初の50mまでに力を使いすぎる点。陸マガ6月号参照)も、今回はかなりよくなっていたとのこと。22秒台、行きそうな感じがします。
内藤真人選手も強かったですね。3台目前後で早くもトップに立って、グンと抜け出しました。2位の田野中輔選手も好調のはずなのに、0.28秒も差をつけました。やはり向かい風(0.8m)でしたが13秒54とA標準を突破。自己記録の13秒47以上には絶対に行きますね。13秒3台もひょっとするかもしれません。
ミズノといえば末續慎吾選手は100 m予選1組で2位。畑山選手は兵庫で小林志郎選手に初めて敗れましたが、末續選手は「奥野に初めて負けた」と言っていました。スタート時に左脚の内転筋を痛め、その後は「走らなかった」と言います。
準決勝以降を棄権しましたが、走って走れない状態ではなかったようです。よく大事をとって欠場した、というコメントを聞きますが、本当は、本当に走れないケースが多いわけです。しかし今回の末續選手は本当に“大事をとった”ような印象を受けました。本人が走りたいのを、周囲が押しとどめたようです。本当に悔しそうでした。
末續選手の東海大の後輩で、腕振りなどが結構似ているのが冨樫英雄選手。所属がエスポートとなっていたので、宮崎久選手や対馬庸佑選手、松本一輝選手たち東海大OBが多いラスポートの間違いではないのか、と思いました。しかし、400 m予選に出場した同選手を見るとユニフォームが違います。決勝のレース後に話を聞くと、地元の山形にあるスポーツクラブなのだそうです。
きっと同じことを、かなり多くの人に聞かれたことでしょう。回数を聞いておけばよかったですね。
心配していた宮城スタジアムへの移動方法ですが、同じホテルに泊まっている陸マガ・高野徹カメラマン運転の車に、同乗させてもらっています。ということで、国際グランプリ大阪のときの同カメラマンの話を紹介しましょう。結局、先延ばし?
◇2006年5月7日(日)
読売新聞朝刊の一面に、池田久美子選手の写真が掲載されていました。国際グランプリ大阪は読売新聞の“自社もの”(マラソンや駅伝などのロードレース・イベントはほとんど、新聞かテレビの事業部が仕切っています)的なところもある大会ですけど、それでも全国紙の一面です。普通の人生を送っていたら、おいそれとあることではありません。これは、絶大な影響があったと思われます。同じ会社の一般社員の人たちとか、地元の人たちは「あの子が載っている!」と、ちょっと感動したのではないでしょうか。
一面に載ったその写真はトリミングされて人物のアップになっていましたが、競技後に6m86の記録を表示したボードと一緒に撮ったときのものでした。その写真が世に出たのはここだけの話ですが、高野徹カメラマンの頑張りがあったればこそ、なのです。
女子走幅跳は終了するのが少し遅くなりました。記録表示盤と選手の写真は競技終了後すぐに撮影するのが普通なのですが、池田選手と小林祐梨子選手の日本新記録表彰が入ったりして、ちょっと間が空いてしまったのです。それでも記録が記録ですから、池田選手に「記録板と一緒の写真、撮る?」と声を掛けました(これは寺田の役目)。池田選手は撮りたい、と言います。あとで高野カメラマンが言うには、記録板に移動するときの池田選手は嬉しそうに、ぴょんぴょん跳びはねていたらしいです。
選手がそう言ってくれると、こちらも俄然、やる気になります。このとき、記録板はすでに、スタッフの方たちが片づけ始めていたのですが、テンションが高まっている寺田は何でもします。片づけ作業に入っているところにお願いに行きました。しかし、電源を落としてしまったあとなのか、快い返事をもらえません。ダメかな、と思ったのですが、そこに加勢してくれたのが高野カメラマン。
理屈で話をするのなら寺田も負けていないかもしれません。「新聞や雑誌に載りますよ」とか「日本陸上界のビッグニュースですよ」とか、「大阪から世界に感動を伝えましょう」とか(実際には言いませんでしたが)。それよりも高野カメラマンの言葉には、相手を納得させる何かがあるんですね。理屈なんかではなく。語気を必要以上に強めるような話し方でもなく、品のある押しの強さ。彼にはオリンピック、陸上世界選手権、サッカー・ワールドカップと、大舞台の取材を経験してきた自信と落ち着きがあります。そういった大舞台を経験してなお、「取材をするのにオリンピックも県大会も同じ」と言って、小さな大会も積極的に動き回ります。自然と身に付いている人間的な大きさが、人を動かす言葉となるのでしょう。
指導者でいえば、コニカミノルタの酒井勝充監督と共通したものを感じます。
と、ここまで書いておけばきっと、寺田にもいいことがあるはず。利府の宮城スタジアムでもどこでも、車に乗せてくれることでしょう。
ということで、そのときに撮った写真がこれですが、最近の電光表示盤は表面が反射してしまうのですね。いつもは正面から撮りたがるカメラマンたちが、みんな横方向からも撮っていたので、どうしたのだろう、と思っていたのですが。テンションが上がりすぎていた寺田は気づきませんでした。やはり、冷静さも必要です。
正直に言えば、仕事としては失敗の部類かもしれません。でも、今回だけは、後悔していません。池田選手も、記録板と一緒の写真が撮れたことが嬉しかった、と中部実業団の際に記者たちに話していましたから。
しかし、撮影後は寺田も、冷静さを少し取り戻し、記録を出してくれたスタッフにお礼を言いに行きました。すると、ちょうど高野カメラマンがお礼を言っているところです。カッコイイ役目は二枚目のカメラマンに任せて、寺田は女子走幅跳の会見が行われるインタビュールームにすっ飛んでいきました。
◆2006年5月21日(日)
東日本実業団最終日の取材。
最初の決勝は男女のハンマー投。「寺田さん、ハンマー投やってますよ」と共同通信・宮田記者(早大陸上競技同好会の元エース)が声を掛けてきます。地区実業団の中でも最大規模を誇る東日本です。ハンマー投は行われて当然です。不思議な会話が成立している陸奥(みちのく)の報道控え室でした。西村京太郎ばりの旅情ミステリーでしょうか。
男子ハンマー投は土井宏昭選手が4連勝したのですが、残念ながら記録は69m台にとどまりました。風が強くてターンに入るところで煽られたりしたようです。投てき関係者がそう話していました。土井選手の注目ポイントは、クリクリッとした可愛らしい目元や、記録が70mに届いたかどうか、という点ではありません。74m00の世界選手権B標準を越えられるかどうか、です。
以前の規定では1種目に2人以上が出場するには、その全員がA標準を投げる必要がありました。室伏広治選手がいる限り、土井選手はA標準を投げなくては代表への道は閉ざされていたのです。それが来年の大阪大会からは、1人がA標準を破っていれば、2人目はB標準でもOKに(3人ならA・A・Bで可)。
土井選手がB標準を突破できるのかどうかは、日本ハンマー投界最大の注目点なのです(室伏広治選手の動向は日本陸上界の注目点ということで)。土井選手自身もモチベーションが上がっているのですが、どうも技術的に上手く行かない点があると言います。具体的には機会を改めて書くことにしましょう。
ハンマー投界2番目の話題は、碓井崇選手の悲願がなるかどうか。悲願とはもちろん、“打倒・土井”のこと。そしてハンマー投界3番目の話題は、若手の野口裕史選手の動向です。投てき関係者間での技術的な評価も高く、“ポスト室伏”の呼び声……が現時点で出ているとは言えませんが、そういう声が出ていいポジションに行けるかもしれない選手(かなり回りくどい表現です)。
話題の3人が揃った大会でしたが、残念ながら大きな進展はなし。今後に期待したいと思います。
今日はこれといって良い記録は出ませんでしたが、大会新をマークした男子200 mの吉野達郎選手と、走高跳の醍醐直幸選手には強さを感じました。吉野選手は「関東インカレだったら○番か」などと話していましたが、日本選手権の目標は「末續さんが出たら2番。出なかったら優勝」ときっぱり。醍醐選手の2m27は体はバーの上3cm(?)くらいまで上がっていました。バーが落ちたのはヒジが触れたためです。
ベテラン選手たちが健在ぶりを見せるのも地区実業団の面白さ。男子走高跳ではアトランタ五輪から丸10年、野村智宏選手が4位に入りました。女子やり投では小島裕子選手が11連勝。
しかし、小幡佳代子選手は5000mで16分50秒台。アジア大会代表を決めた大阪国際女子マラソンでは、20kmまでの5km毎はすべて16分台でした。陸奥には不思議な出来事が続きます。「不思議な選手ですね」と声を掛けると「春ですから」と小幡選手。例年、この時期は体調が上がらないということのようです。
◆2006年5月22日(月)
昨日までの東日本実業団。東北・北海道出身選手の活躍が目立っていました。厳密にチェックはできませんが、ざっと挙げると以下のような感じ。
北海道:太田崇選手(1万m日本人1位)、江戸祥彦選手(走高跳2位)、木田真有選手(400 m優勝)
青森:畑山茂雄選手(円盤投優勝)、佐藤友香選手(100 m2位&走幅跳優勝&三段跳2位)
秋田:松宮祐行選手(5000m日本人1位)、茂木智子選手(100 mH優勝)
山形:冨樫英雄選手(400 m2位)、佐藤由美選手(1500m3位)
宮城:堀籠佳宏選手(400 m優勝)、小野寺晃選手(棒高跳優勝)、後藤美穂選手(砲丸投優勝)
福島:吉田真希子選手(400 m2位&400 mH優勝)、小島裕子選手(やり投優勝)
えっ、関東出身選手の方が多い? かもしれませんが、人口比でいったら、北海道・東北の方が多かったのは間違いありません。
東日本実業団ですから東日本出身選手が多くなるのは、当然と言えば当然。そこに今年から参戦したのがカネボウです。日本人2位となった高岡寿成選手は1万mのレース後、「中国地区なら記録会のような感覚で引っ張り合って記録を狙えるが、これだけ有力選手が多いと勝負にこだわってしまう」と話していました。
その1万mで日本人トップとなったのはコニカミノルタの太田崇選手。1人だけケニア選手たちの集団につき、そこから遅れた後も粘って日本人トップをキープしました。ニューイヤー駅伝の1区と同じで、高岡選手がかつて得意としたパターンです。
コニカミノルタは5000mでも松宮祐行選手が日本人トップ。上述のように太田選手が北海道で松宮祐行選手は秋田出身。コニカミノルタだから強いのか、北海道・東北出身だから強いのか。今度、大島コーチに聞いておきましょう。
仙台ならではの話題も。某選手が仙台名物の牛タンが、牛の舌だということを知りませんでした。寺田も30歳を過ぎるまで知らなかったので大きなことを言えませんが、“先生”ではなかったので罪は軽い、と言わせてもらいましょう。ということは、その選手の職業は先生?
職業といえば、某銀行の選手に株価が下がっている話を振ると、「一時的なもので、いずれは持ち直すと業界では見ています」という返事。これを聞いて安心しました。取材はそこで切り上げようかと思ったくらい。というのは冗談ですし、何度も書いているように株は自己責任。他人の意見に左右されずに、自分で判断していきましょう。言いたかったのは、実業団選手たちはしっかり、自社の仕事のことも考えているということです。
日本の陸上界の現状は、為末大選手や一部長距離選手のように、プロ的な活動ができる選手ばかりではありません。できるのは、極めて少数です。ですから、選手はそれぞれの置かれた立場で、いかにバランスよく競技をする環境を確保するかが重要になります。
セカンド・キャリアも考えながら、という点も当然、重要になってきます。むしろ、その点をしっかり考え、不安のない状態で競技をすることが、プラスになることもあると思います。
元々、プロとアマ、その2つの言葉で選手の環境を表すのは無理がある。その中間というのでもない。極が3つも4つも5つもあるのが、日本の陸上界だと思います。
◆2006年5月24日(水)
イギリスから「ATHLETICS 2006」が到着。さっそく、明日の沢野大地選手の成田空港取材のために、コピーを20枚以上とりました。
発送作業は明後日に行う予定です。宅急便のメール便は、ヤマト運輸も佐川急便も、厚さが2cmを超えると送れません。郵便局の冊子小包しか、方法はなさそうです。今は冊子小包も、バーコード処理とかなんとかで発送記録が残りますから、安心できます。お申し込みいただいた皆さん、もう少々お待ち願います。
◆2006年5月25日(木)
10時頃着のスカイライナーで成田空港に。沢野大地選手の第1次ヨーロッパ遠征出発を取材するためです。ニシスポーツ広報の西田まどかさんから案内メールをもらったので、てっきり他の記者たちも来ているのかと思っていたら、寺田1人でした。某テレビ局が取材予定だったのですが、某ディレクターが体調不良のため来られなくなったのだそうです。何事も同じでしょうけど、取材も健康が一番。ちなみに、○○広報の西田さんも陸上競技出身。専門種目は残念ながら棒高跳ではなく、上司のタッド早野氏がインターハイに優勝した800 mだったそうです。
話題の川本グループ4選手も今日、北京に出発しました。吉田真希子選手(室長=通称です。以下同)、池田久美子選手(イケクミ)、久保倉里美選手(三つ星アスリート)、丹野麻美選手(女子大生アスリート、だったかな)の4人。同じJALですが沢野選手より2時間早い便で、仕事の兼ね合いもあって間に合わず。新記録が出たら、帰国時に取材に行きます(と川本先生に伝えてあります)。しかし、どうやら北京は黄砂がひどいようで、コンディション的には厳しいという話です。
話を沢野選手に戻すと、期せずして独占取材状態になったわけです。まずは、ポールの運搬光景を写真に撮らせてもらいました(ケースの中のポールは7本。昨年とはラインナップが微妙に違います)。これが、一番の目的だったと言っても過言ではありません。ポールの運搬も重要な部分でしたが、成田空港と沢野選手という組み合わせで撮りたいと、以前から切望していたのです。それも、ヨーロッパなど西方向に出発するときに。アメリカではダメ。そうです。成田(高)から西(ニシ)へ。ずいぶん以前に、記者席でノグジュンこと野口順子さんと盛り上がったネタです。
ノグジュンといえば、発売中のBBMムック、マラソントレーニングは彼女の労作です。定価1500円は絶対に安いと思いますが、これは読み手の理解度にもよります。この本の面白さがわかる人は、幸せだと思いますよ。
寺田もTBSのカウントダウンコラム(4月28日)に、陸上競技のレベルがもっとも高い今を取材できる幸せについて書きました。同じようなことを今日、沢野選手も話してくれましたね。ヨーロッパのグランプリを回れることの幸せ、世界のトップ選手たちと同じフィールドに立てる幸せ。それらが競技にも結びついていると。
あぁ、ダメですね。トップ選手と自分を同列に扱うのはダメだと、日頃から戒めているのですが。絶対的な違いを書きましょう。
沢野選手はもう、海外遠征に行くストレスがなくなってきているといいます。前述の幸福感も関わっている部分だと思われますが、国内の遠征とそれほど違わない感覚になっている。「静岡や大阪に行くのと同じ」だと。荷物も「これさえあれば」という物に絞られてきていると言います。
もちろん、やるべきこと、準備することは国内よりもたくさんある。しかし、たとえば今日の空港でのチェックインも、僅か10分か15分です。ポールの運搬の段取りなどをしっかりやっておかないと、その場の交渉に2時間かかってしまうこともあるのだそうです。そういった苦労を1つ1つ乗り越え、あるときはその苦労にさえやり甲斐を覚える、そうして余裕を身につけたのです(吉田真希子選手も似たような感覚を持っていると見ました)。
寺田も海外取材に12回行っています。でも、春季サーキットと同じ感覚にはなれません。国内の出張よりも50倍くらい準備に時間がかかるし、35倍くらいストレスも感じてしまいます。ネット接続が上手くいかなかったらどうしよう、あの資料がないと原稿が書けない、体調を崩したらどうしよう、と悪い方ばかり考えてしまう。その辺が、トップ選手と自分の違いだと痛感しました。
◆2006年5月26日(金)
昼間まで自宅で原稿書き。14時くらいに家族T氏と新宿に出て、文房具屋と新宿郵便局に。「ATHLETICS 2006」の発送手段を詰めるためです。
冊子小包として送るには封筒に切れ目を入れて、中が冊子だとわかるようにしなければいけませんが、郵便局に渡す際にサンプルを1つ見せれば、密封する形でも大丈夫なことを確認しました。これは郵便局のWEBサイトで見ていたことですが、封筒詰めを終えて、いざ発送するというところでダメと言われたら、相当にやばくなります。それで万全を期したのです。
封筒詰めが終わったら郵便局まで持ち込む必要はなく、取りに来てくれると、昨年まで「ATHLETICS」の輸入・販売業務を担当されていた菅原勲さんからは聞いていました。しかし、その点を新宿郵便局の窓口で聞くと、ダメだと言います。郵便局によって、集配業務のやり方に差があるみたいでした。
もう1つ郵便局で確認したのが、冊子小包と封筒に書かないといけないこと。これは当たり前でわざわざ確認することもなかったのですが、“冊子小包”の判を買う覚悟を決めるための儀式みたいなものでした。ということで、“冊子小包”の判を探し回りました。しかし、京王百貨店の文房具屋にもハンコ屋さんにも、そして頼みのOffice24にも置いてありません。
最近、文具や事務用品はほとんど、Office24で購入しています。ご存じのように花岡麻帆選手の所属企業。陸上競技を支援してくれている会社だから、というのも理由の1つですが、新宿ではライバルのオフィス・デポ(でしたっけ?)より品揃えも豊富で、24時間営業しています。ちなみに、「24」は“トゥエンティ・フォー”ではなく“にじゅうよん”と発音します。花岡選手が教えてくれました。
そのOffice24にないということは、どこを探してもないのだとあきらめがつきました。
Office24では角3号サイズの封筒とガムテープを購入し、西新宿のワークスペースに行って封筒詰め作業。ほとんどを家族T氏がやってくれました。今回の一連の作業は、メールやFAXによる受注業務からほとんど、彼女が行なっています。イギリスとの連絡や、このサイトの宣伝ページは寺田が担当しましたけど。それと、タックシールへの印刷も。
ところが、プリンタの調子が悪くて困りました。ヘッドクリーニングなどを繰り返し、カラーインクはなんとか使える状態に。差出人名を青の濃い色で印刷して急場を凌ぎましたが、今後に不安を残しました。買い換えるにしても、マックOS8.6に対応している機種は、3万円近くを出さないと買えません。目下のところ最大の問題です。
あきらめが悪いというか、作業の効率化を考えて、荷物を取りに来てもらうことができないか、電話でもう一度郵便局に交渉しました。その直前に別件ですけど、珍しくアグレッシブな交渉を電話でしたので、その勢いで郵便局にも質問したわけです。高野カメラマンになったつもりで(5月7日の日記参照)、言葉は丁寧でも、人間的な大きさを出して“お願い”をしたつもりです。
すると、冊子小包だけではダメでも、ゆうパックが1つでもあればいい決まりになっているとか。それならそうと、早く言ってくれればいいのに。ゆうパックも出しますよ。大量に買ってくれたM記者に。あれ? 川本和久先生の日記を読むと、M記者はフランス出張中?
とまあ、あまり面白くはありませんけど、以上のような経緯で「ATHLETICS 2006」は明日の9:30〜11:30の間に郵便局に渡します。週明けには注文してくださった皆さんのお手元に届くはずです。
◆2006年5月27日(土)
10時半頃に郵便局のお兄さんが「ATHLETICS 2006」を集荷に来てくれました。雨の中をありがとうございます、とお礼を言うと、そのくらいは平気です、という返事。親方日の丸ではなく、しっかりとした民間企業的な対応で、好感が持てました。ただ、“冊子小包”の封筒への記入は、事前にしておくように指摘されました。“冊子小包”の判を持ってきてもらってその場で寺田が押したのですが、手書きでいいからと。ともあれ、無事に発送できました。
今週末は大きな試合の取材はなし。でも、有力選手の出る試合がないわけではありません。それらの情報のある程度の部分は、インターネットを通じて入手できます。ビッグゲームがなくても、陸上競技を楽しむ情報源には事欠きません。
ゴールデンゲームズin延岡はGGN速報室に、ほぼリアルタイムで結果が掲載されました。各レースの優勝者と記録が本当にフィニッシュ直後に、その数分後には全選手の成績がアップされます。しかも、1周毎の通過タイムも。これは長距離ファンにとってはありがたいでしょう。
高校の指導者たちにとっては、インターハイ各県大会の記録が気になるところでしょう。そのために、このページ(2006インターハイ特集)を作っています。
海外の記録もグランプリ・レベル(国際陸連World
Athletic Tour)なら入手できる。沢野大地選手がヘンゲロ・グランプリに出場しますし、ガトリンとパウエルの世界記録コンビがユージン・グランプリに出場します。ヘンゲロは昨年の世界選手権優勝者のブロム選手の地元オランダですから、当然、対決が実現するはず。しかし、ユージンの2選手は別々のレースを走るようです。
ありがたいのは、川本和久先生のように遠征の様子を紹介してくれるケース。競技結果にコーチの視点が加わった貴重な情報源になります。
寺田のこのサイトも、沢野選手の遠征直前の取材をもとにした記事を掲載していますから、大きな試合のない週末を楽しむ一助になっている…と思いたいです。
明日は男子200 mの中学記録保持者・為末選手が、東京選手権の200 mに出場します。為末選手のサイトによれば、10年ぶりの200 m出場とのこと。9:40という早い時間のレースや、1日3本走ることも久しぶりなのではないでしょうか。結果は本人がサイトに載せてくれる可能性が大。これも陸上ファンの週末を楽しくさせてくれます。
◆2006年5月28日(日)
東京選手権、行ってきました。八王子市の上柚木陸上競技場は京王相模原線の南大沢が最寄り駅。多摩市の寺田宅の最寄り駅から3つ目と近いのです。何人かの方から「大会の取材で一番近い場所では?」と言われました。自分でもそうではないか、と思っていたのですが、後で地図サイトで調べると、中大の方が近いことが判明しました。中大・日体大対校戦を何度か、取材に行ったことがあります。
ではありますが、他の大会と比べたら格段に近い場所なのは確かです。
でも、そういうときに限って安心感から寝坊をしてしまうもの。自宅を出たのが9:03。9:08の電車に間に合わず、9:20に乗りました。南大沢着が9:30で、それほど遠くないのですがタクシーで上柚木競技場に。9:36に到着。9:40の男子200 m予選にギリギリ間に合いました。大きいスタジアムでは着いてから時間がかかりますが、こぢんまりした競技場はこういうときに助かります。
カメラを持って200 mのスタート地点に行くと、為末大選手だけでなく、谷川聡選手もいます。谷川選手は今でこそどっぷり筑波の住人ですが、町田で育って、八王子の高校、中大と進みましたから、上柚木は地元といっていい場所。為末選手も自宅が近くで、車で5〜10分くらいの場所だと言います。法大とも直線距離なら近いのです。予選から準決勝まで4時間くらい間隔が空くので、谷川聡選手も一緒に為末選手の部屋で休息したそうです。
予選終了後に、110 mHと400 mHの日本記録保持者コンビの写真を撮らせてもらいました。これは貴重な1枚になるかもしれません。
為末選手が20秒97の自己新を10年ぶりに出しましたが、実質的には13年ぶりの自己新だと言います。詳しくは記事にしました。完成はしていませんけど、残りもほぼ、書き上げています。締めの数行は、ちょっといいですよ。
あとで気づいたのですが、為末選手の200 mの自己記録を見るのは初めてかもしれません。93年のジュニアオリンピックは国立競技場。取材に行ったような気もしますが……行きましたね。ハイソックスを履いた走りを一度見ていますから。全日中には行っていませんし。でも、高3時の自己新は見ていません。
これで200 m、400 m(96年広島国体)、400 mH(01年エドモントン世界選手権)と、為末選手の自己記録を目撃したことになります(三段跳も東京六大学が自己記録なら見ているかも)。次は100 mの自己記録を見ないといけません。来週の山梨グランプリですか……。
◆2006年5月29日(月)
昨日の東京選手権はどこかの媒体に記事を書く予定もなく、それほど“取材モード”ではなかったのですが、知っている選手たちとは話をさせてもらいました。
まずは醍醐直幸選手。東京高の選手たちが出ていましたから、同高で練習をしている醍醐選手も来ているのではないかと推測。女子三段跳の最中にスタンドに行くと、案の定、姿を発見できました。同種目終了後に雑談モードで取材。東日本実業団で聞いたことの捕捉と、兄弟子に当たる吉田孝久選手との違いなどを聞くことができました。
為末大選手と同じ200 mに出場した谷川聡選手には、今季110 mHに出ない理由を取材。それと、筑波大でトレーニングをしている東日本実業団110 mH3位の朴選手(韓国)との関係などを聞きました。高校の先生になった(戻った?)野村智宏選手には、この10年間の経緯を踏まえて、現在のモチベーションなどを。同じアトランタ五輪組では、市川良子選手が初3000mSCに挑戦。その経緯や意気込みなどを聞かせてもらいました。テレビ朝日のサイトによれば、浜田安則コーチが還暦とか。教え子の川越学資生堂監督も43歳ですか?
取材には行っていませんが、東京選手権初日には松宮祐行選手が1万mに優勝。同日のゴールデンゲームズin延岡の5000mでは、双子の兄の松宮隆行選手が日本人トップの2位。同日に違うレースで兄弟日本人1位というのは珍しいのでは? 某記者からそう質問を受けましたが、ちょっと前例は思いつきません。ただ、室伏兄妹の同日優勝は、かなりの回数があると思います。
松宮兄弟で思い出しました。東日本実業団の兄弟姉妹選手のネタを書こうと思っていたのです。というのは、宮田貴志・智史兄弟が100 mで同じ予選5組に出場し、一緒の写真が撮れたからです。探せば、ほかにも何組か出場しているだろう、と思ったんですね。しかし、ほかには見つけられませんでした。末續慎吾選手と畑瀬聡選手に妹がいたと思いますが、まだ学生でしょうか。佐々木大志先生にも妹さんがいましたが、今大会には出場していません。松本真理子選手にも双子のお姉さんか妹さんがいますが、福島国体時点ですでに、競技はしていませんでした。
強い選手の弟や妹がちょっと記録が伸びてくると、“兄(姉)以上の素材”と必ず評されます。これはマスコミがそう言うこともありますが、むしろ、指導者たちがそういったことを話すケースが多い。話題を探して世間に提供することも、仕事の1つですから、それ自体は悪いことではありません。
DNAが同じだから、とか、兄(姉)の練習を参考にできるから、というのが根拠として挙げられますが、実際に兄(姉)を超える例は少数です。女子砲丸投とハンマー投の元日本記録保持者である鈴木文選手が、数少ない例に相当します。
親子選手も同様ではないでしょうか。室伏広治選手、金子宗弘選手、下仁選手、宗由香利選手、笹瀬弘樹選手、堤雄司選手、岡山沙英子選手。数えたらもっと例はあると思いますが、だからといって、有名選手の子供が全員強くなるわけではありません。親子選手も少数だから目立つのだと思います。
陸上競技は血がつながっているから強くなれる、という保証はまったくない。アドバンテージがあるのは確かだと思いますが、それだけで高い競技力を形成できるほど甘くはないということ。どの競技も同じでしょうけど。
しかし、長距離となると兄弟姉妹選手の例が多くなります。前述の松宮兄弟、尾崎姉妹、入船兄弟、井幡兄弟、松岡姉妹、大山姉妹。走高跳のなんとか兄弟(姉妹)なんてまったく聞かないのに、長距離となるとこれだけ増えます。一般種目に比べ、強くなる要素がシンプルなのでしょうか。それとも単に、受け皿の大きさの違い?
◆2006年6月3日(土)
もう土曜日。1週間は速い! 「やっと土曜日かよ」なんて言っている人間がいたら、どつきたくなりますね。締め切りに追われた1週間ではありませんでしたが、予定ではもうちょっと原稿が進んでいるはず……何年やっていても進歩がありません。でも、5年前の自分よりは集中するコツも会得したような気はしています。
しかし、今週は1つ、新しい仕事の話がありました。いくつか、クリアしないといけない問題もあるので契約まで行くかわかりませんが、そこそこの感触。一番の問題は、既存の仕事日程との兼ね合いです。やっぱり、同じ陸上競技の仕事となると、日程的に重なってしまいます。
日程といえば、日本インカレがもう来週に迫っています。川本和久先生が31日の日記に開催時期について9月上旬の方がベターだと書かれています。教育現場や練習の流れを踏まえてのご意見です。寺田もずっと、9月の方がよかったと思っています。地区インカレと日本インカレが1カ月間隔しかないのはもったいない。これでは、インカレは年に1回というイメージです。調子の悪い選手が立て直すのも厳しい。
それが、春の地区インカレ(おもに関東のことを言っています)、秋の日本インカレとなれば、学生陸上競技を年に2度楽しめますし、故障者も再起できます。技術的に違ったことにも取り組めるかもしれない。コンディション的にも「ちょうど涼しくなる時期で体も動くようになる」と、話してくれた有名投てき指導者がいましたっけ。
一部に、箱根駅伝を目指す大学が9月開催に反対している、という意見もありますが、本当でしょうか? この話はよく理解できませんね。別に夏合宿明けにインカレに出て、不都合が何かあるのでしょうか。インカレのために調整する大学と、9月に調整しないで11月に備える大学で違いが生じる? そこまで気にするなんて、ちょっと理解不能。今度、誰かに説明してもらいましょう。箱根駅伝当事者は話しにくいでしょうから、関東の大学出身の実業団チームのコーチが適任でしょうか。
唯一、日本インカレを前半に行うことのメリットと考えられるのは、4年生が就職活動に役立てられる、ということです。実業団を持つ会社に入るにしても、陸上競技と関係のない会社や公務員組織に入るにしても、“インカレ入賞”などの肩書きはプラスになる。日本インカレ7月開催派にとっては大義名分ですね。
それに対しては、「3年生までに結果を出せ」と言いたい。4年生になってから高校時代の記録を上回る、というケースが以前によくありましたけど、それでは将来につながりにくいのです。競技的にも社会的にも、上を見るには早い段階で、競技力を上げておく方が有利に決まっています。4年生になって少し良い結果が出て、さて世界を目指そうか、という気持ちにはなりにくいのです。就職活動は、その前から始めているわけですし。3年生までに競技力を上げることが、自然と世界に目を向けることにもなります。それは、覚悟を決める時間を持てる、ということでもあるわけです。
◆2006年6月4日(日)
昨日、日本インカレの日程について書きましたが、全日本大学女子駅伝の日程も良くないと、某有力チーム監督から意見を聞かされたことがあります。今年の開催は10月15日(仙台)。※10月29日に変更されていました。昨年は11月27日でしたから、1カ月以上も早くなります。確かに、まだトラック・シーズンです。
距離的にいえば4〜10kmの区間で構成される駅伝。トラック・シーズンでもなんとかなるのでは、とその監督に疑問をぶつけると、そうではないと言います。他の駅伝全国大会と同じように、12月にやりたいというのが現場の意見だそうです。テレビ放映枠が空いている週という理由で決まったような気がして、現場としてはイヤなのだそうです。
これは寺田の推測ですが、学生女子選手にとってこの距離は、ロード的な走り方をする距離ということでしょう。夏の走り込みの時期から、時間的にも短いことも問題なのかもしれません。
学生女子選手がもっと強ければ、問題になること。その点を話すと、監督氏もその通りだといいます。学生女子選手が弱いことで発言力が弱い。関係者が一番痛感していることです。
今日は日帰り出張。これまでも何回か取材に行っている大学で、いつもコーヒーを出していただいています。そこで、コーヒー豆をお土産に持参しようと考えました。もちろん、スターバックスの豆がいいに決まっています。しかし、朝早い時間に出発したため、開いているスタバはみつけられませんでした。なんで昨日中に気づかなかったのかと、若干の自己嫌悪に。
しかし、気を取り直して現地駅のイトーヨーカドーでUCCのブルーマウンテン・ブレンドを購入。取材に行くと美人広報がコーヒーを出してくれたので、そのお返しにブルーマウンテンをさっそくプレゼント。でも、取材に行ったのは、青山学院大学ではありません。
取材は無事に終了。今日も面白い話を聞くことができました。取材した回数は1回や2回、という選手ではありません。しかし、今日の話が一番面白かった気がします。話を聞くテーマ自体に、その要素があったのでしょう。ポイントを絞って聞けたのも良かったかも。
途中、買い物や食事を済ませ、新宿の作業部屋に戻ったのが21:30頃。今晩オンエアされたジャンクスポーツを録画してあったので、さっそく見ました。池田久美子選手が出演していたのです。
高校1年で「デブになった」話は何度も聞いていましたが、一度10s落として、すぐにリバウンドで元に戻ってしまった話は初めて聞きました。試合前の夜中に、ホテルの廊下で助走のシミュレーションをする話も、初出ではないでしょうか。天然ぶりがいい感じで発揮されて、こちらも面白かったです。
ここが最新です
◆2006年6月5日(月)
一昨日、昨日と試合の日程について取り上げていますが、3日も続けて取り上げたり……したりして。というか、以前に紹介したジュニア選手の日程のことです。7月第1週の日本選手権、第2週の日本ジュニア選手権、第3週のアジア・ジュニア選手権と毎週のように大きな試合が続きます。高校生は6月中旬にインターハイ地区予選、8月頭にはインターハイ全国大会がある。そして8月中旬に世界ジュニア本番で負担が大きいと指摘メールがありました。
しかし、これは陸連がうまく調整できなかったせい、ではないのです。以前にも書いたように、アジア・ジュニアは11月開催予定だったものが急きょ、7月に変更されました。日本は強く抗議したそうです。
もう1つは、日本選手権に出場したジュニア選手には、考慮がなされるという話です。これは、過去にも例があるし、ある大物ジュニア選手から今年もそうなりそうだと聞きました。該当する関係者は、しっかり確認をとるようにしてください。とっくにしていると思いますけど。
とにかく、問題は何でも“上”が悪い、と決めつけないように。
ホクレンDistance Challengeの競技実施が、平日の昼間になりました。昨年までは、平日だったら夜に行われて、ファンが仕事の後に観戦ができたのに、というメールが来ました。メールの送り主の方も、1カ月早くなったことによる気象条件の違いや、宿泊事情などが理由ではないかと推察していましたが、おそらく、そういった事情があるのだと思います。
最近、陸上競技の人気アップのために、ファンの目線で運営を考えよう、ということが盛んに言われています。寺田も、何度も書いています。でも、ファンの目線で全てを決められるわけではありません。やりたいけど、予算との兼ね合いでできないこともたくさんある。そのためにも陸上人気を高くして、お金がたくさん流れてくるようにしないといけないのですが。
と書いておいて何ですが、もっと見る側の立場になってみて、と思うこともしばしば。たとえば、男子円盤投で畑山茂雄選手が出場しているのに、60mラインが引かれていなかったり。60mラインを越えなくても、“どれだけ迫るか”がわかるだけでも、見ている側は盛り上がります。
タイムテーブルもそう。毎年同じでいい、と思ったらダメです。記録を出しそうな選手が、どの種目とどの種目を兼ねているのか。“いつもと同じ”にやればいい、わけではなくて、そのときの状況に合わせて考える必要があると思います。
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