続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2005年6月 どないしよう6月
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◆5月30日(月)
 今日は雨でした。「梅雨に入る前の五月晴れ(予定)の良き日に下記の通り、簡単な披露の会を」と、案内状に書かれていたにもかかわらず…。そうです。今日は2月に電撃入籍した増田明美さんの結婚披露の会の日でした。
 こういうケースによく使われる“電撃”という言葉は、周囲に知らされていなかった、という意味です。当事者の気持ちの中では徐々にその気持ちが固まってきているわけで、電撃という感覚はないと思います(昨年12月が初デートだったようなので、結婚までの期間は早かったわけですが)。
 その“良き日”に雨というのは残念ですが、皆さん知っていました? 増田さんの初マラソンは雨の中のレースだったことを(2時間36分34秒で当時の日本最高記録を4分22秒更新)。寺田も覚えていたわけではなくて、今日、出かける前に陸マガのバックナンバーを見ていて気づいたのです。
 天候を調べたかったわけではなく、その頃の増田さんが「理想の結婚相手はこんな人」とか話していなかったのかな、と思って。当時(1981〜84年)の増田さんの記事は膨大な量で、とても全部は調べ切れませんが、初マラソン(高校3年時の82年2月)や五輪代表を決めた大阪国際女子マラソン(84年1月)の記事には、それらしい発言が出ているのでは、と期待して調べたのです。残念ながら見当たりませんでしたが。料理なんかに関するコメントはありましたけど。
 しかし、雨の初マラソン雨の結婚披露の会。きれいに一致したかなと思って、会場に入る際に増田さんにも伝えました。新郎新婦が入場者全員を迎えて、言葉を交わしていたのです。「それ、話してよ」……と言われても、それは無理でしょう。一応、陸マガのバックナンバーは持参しました。しかし、すごく盛大な会で、見せて回るような雰囲気ではなかったので、それはまた別の機会があったら、にしましょう。

 2週間ほど試合の取材がなかったので、大勢の関係者と会えたことが新鮮でした。元大阪国際女子マラソン担当の関西テレビ飯田さんや、三重の二枚目助教授とは久しぶりでした。エチオピア帰りの金哲彦氏は、興奮さめやらぬ様子でエチオピアについて、熱く語ってくれました。これからは、キムレ・テツヒカッセと呼ばせていただくことに(“キムレ”が語呂も良さそう)。
 壇上には色んな人たちが上がってお祝いを話していました。俳人の黛まどかさんが友人代表で挨拶。「短い言葉で(五七五)で表現するのに慣れているはずなのに、話が長い」と、司会の永六輔さんに突っ込まれていましたが、面白いエピソードをいくつも紹介してくれました。小豆島の大森喜代治さんは、この記事で増田さんが紹介されている方です。オリーブの冠を新郎新婦にプレゼントしたところがこの写真
 瀬古利彦監督は「女瀬古(増田さんのデビュー当時、こう呼ばれていました)が女になった」と、ユーモアとジェスチャーたっぷりの話しぶり。高橋尚子選手は「独身女性として目標としていましたが、自分も恋愛を…」と、大いに刺激を受けた様子。野口みずき選手や土佐礼子&渋井陽子選手からの祝電も紹介されていました。
 キューピッド役のサンプラザ中野さんは「ランナー」を熱唱。途中から新郎新婦が後方で走り出しました。動きが速くてブレてしまっています。その後、新婦による都はるみさんの物真似まで飛び出しましたが、最後は2人の挨拶で締めました。新郎の木脇祐二さんは大橋祐二選手のように穏やかな話しぶりでした。

 会が終わって退場する間も、皆さんと交流できる貴重な時間。そこで会ったのが高橋健一選手・小出正子さん夫妻でした。2人一緒にいるところは初めてだったので、増田さん(帰る人全員に挨拶しているところ)をバックにツーショットを撮らせてもらいました。
 高橋選手は富士通のコーチ兼任ですが、現時点では紛れもなく現役ランナー。期待の意味を込めて質問しました。
寺田「27分49秒(世界選手権A標準)はいつ破るんだ?」
 知っている選手には厳しい寺田です。
高橋「松宮(隆行)には破ってもらいたいのですが」
 と、花輪高(秋田)の後輩に話をすり替えようとする高橋選手。いったんはその策にはまったふりをしました。
寺田「カージナルではA標準にちょっと届かなくて、ゴールデンゲームズの5000mではB標準に少し届かなかったんだよな」
 しかし、次の瞬間には、1万mでセビリア世界選手権の標準記録(たぶんA標準が28分10秒00)を破れなかった1999年の話を始める鬼の記者に変身していました。
寺田「そういえば、平塚だったよね、1万mで標準記録を破れなかったのは。あのときって、雨上がりじゃなかった? 今日みたいに。増田さんの初マラソンも雨だったんだけど」
 会場のホテルに入る際には雨が小降りになっていたので、てっきり止んでいるものと思い込んでいたのです。
高橋「そう…でしたね」
 と、記憶を確かめるように話す高橋選手。新婦と雨でつながった一日でした。

 おっと、まだ終わりません。新婦の初マラソンと結婚に、もう1つ類似点が。実は増田さんが高校在学中にマラソンに出場することは、公表されていませんでした。ある筋(陸連らしい)からマスコミが知るところとなってしまいましたが、当時の増田さんは、今の安藤美姫か横峯さくらくらいにマスコミが注目する存在。成田高校の瀧田先生(故人)がきっと、騒がれたくなかったのでしょう。
 公にはしていなくても、選手と指導者はずっと、出場するつもりで準備をしていたわけです。事前に公にしなかった今回の結婚と、初マラソン出場を公にしていなかった新婦の初マラソン。似ているといえば、言えなくもないわけです。そのことを退場する際に新婦に話しました。増田さんからなんと言われたかは忘れましたが、新郎とも握手をして帰りました(全員がしたのかも?)。


◆5月31日(火)
 12:20にWSTFを出て、13時に都内某所に。ある人物のインタビュー取材です。その人の名前は“コージ”でした。改めて指摘するまでもなく、日本の陸上界には“コージ”がいっぱいいます。伊東浩司、室伏広治、土谷公二(鹿児島インターハイ棒高跳優勝)、法元康二等々。今日の“コージ”も日本の陸上界を支える1人といっていいでしょう。
 インタビューを終えて、HIS(旅行会社)に寄ってWSTFに戻ったのが16時頃。メールをチェックすると、別の“コージ”からメールが来ていました。こちらの問い合わせへのリプライですが。
 1カ月前になりますが、織田記念の取材中に「広島で“コージ”と言ったら山本浩二のことを指すんですよ」と、某専門誌のE本編集者が教えてくれました。プロ野球・広島の山本監督のことですが、長い間、同チームの4番として活躍した地元のヒーロー。和歌山出身のE本編集者ですが、学生時代に同じ大学の広島出身の女性から言われたとのこと。実はE本編集者の名前も“コージ”(幸司だったかな)なのです。
 ちょっと眉唾っぽい話でもありますが、あり得る話と信じられました。陸上どころ広島としては早く“コージ”という名前の選手を輩出して、広島でも“コージ”といったら陸上の○○と言われるようになってほしいところです。

 昨日の日記で増田明美さんが初マラソンに出場することを、事前には公にしていなかったことを紹介しました。高校生で1万m・5000m・3000mと日本記録を何度も更新し、マスコミでの騒がれ方がすごかったのです。高校在学中にマラソンに出場するとわかったら、それがエスカレートするのは目に見えていました。
 昨日は安藤美姫か横峯さくらの2人の名前を挙げましたが、今でいうなら宮里藍福原愛くらいの騒がれ方だった、と書いてもよかったわけです。スポーツ界に“アイ”は多いのですが、山元愛選手(沖電気)、市丸愛選手(サニックス)、杉原愛選手(大塚製薬)、井桁愛選手(早大)、池田愛選手(中京大)選手と、陸上界も“アイ”に満ちています。
 話は再び織田記念ですけど、広島の誇る女子ボウルターの仲田愛選手(西条農高2年)が3m90の高校歴代2位、高校2年最高記録をクリアしました。成績表を見てビックリしたのが、仲田選手のルビが“メグミ”となっていたことです。てっきり“アイ”だと思っていました。広島陸協が地元選手の読み方を、間違えるはずはありません。
「“アイ”じゃなかったんだっ!」と寺田が驚きの声を発すると、「広島で“コージ”といったら山本浩二ですけど、広島で“愛”と書いたら“メグミ”ですよ」とE本編集者。面白いけど、信じていいのかな?


◆6月1日(水)
 追加取材と原稿の訂正作業。夕方から日本選手権を10倍楽しむページに「標準記録突破者&国立競技場日本人最高&展望コメント」を書き始めました。全種目、書ける保証はまったくありません。去年も、途中で挫折したような気が。でも、集中力はありますね。


◆6月2日(木)
 日本選手権1日目。「標準記録突破者&国立競技場日本人最高&展望コメント」は昨日中に男子を書き終え、今日の午前中に女子の本日分を書きました。明日以降の分は、書けないでしょう。

 今日は、あいにくの雨。増田明美さんを見つけ「雨女じゃないですか」と話しかけました(結婚披露の会・5月30日の日記参照)。「うーうん、私違うよ」とのこと。初マラソン、結婚披露の会、そして日本選手権と続いたら(?)、十分、雨女のような気がしますが…。
 女子200 m予選のレース後、丹野麻美選手とばったり合ったので、「雨が得意?」と聞きました。これはもちろん“雨音はショパンの調べ”に引っかけての質問です。丹野選手の名前は、小林麻美にちなんでつけられたからです(5月16日の日記参照)。
「そういえば、結構多いかもしれません」と丹野選手。

「標準記録突破者&国立競技場日本人最高&展望コメント」の男子5000mで、エントリー選手の発表が各種目上位10人では、日本の注目選手がどうなっているのかわからない、と書きました。今日、会場である人から「地方紙の記者も困っているのでは」と指摘されたので、さっそく地方紙記者の方複数に取材。その通りだと皆さん言っていました。
 地方紙といえば、中国新聞・山本記者と今日、内冨恭則選手(中国電力)の日本選手権の成績を調べました。その結果、すごいことがわかったので、「全種目三行記事と懺悔1日目」で紹介しました。ところで、山本記者は中国実業団男子5000mで2〜4位に僅差でフィニッシュした高岡寿成、尾方剛、入船敏の3人の絵柄の写真を撮った記者。この3人が世界選手権のマラソンで揃って入賞でもしたら、中国実業団での写真の価値が一気に上がります。社長賞ものか?


◆6月3日(金)
 日本選手権取材2日目。
 岡山出身のSP記者こと朝日新聞の小田記者(ケミストリー川畑要に似ていると評判)から「どこが懺悔なんですか」と聞かれました。全種目三行記事と懺悔1日目が、懺悔というよりも記事になってしまっているからでしょう。
 一応、優勝予想した選手がどうだったか、という記述はしているはずです。1日目は優勝予想がほとんど当たったので、枕詞的になってしまっていますけど。全種目の優勝予想の反省をするのが目的のコーナーのはずでした。反省するのなら、ちょっと情報を付け足して記事にしてしまおう、というのが狙いでした。それだったら三行くらい(短い文章という意味です)の記述になるかな、と思っていたら、なぜか多めになってしまっているというのが、経緯です。
 2日目の女子1500mなんか、完全に記事ですね。通過&スプリットタイムは載せるし、小林祐梨子選手のコメントは載せるし……あれ? そういえば、K新聞が来ていなかった? もしかしたら、寺田が知らない記者の方が来ていたのかもしれませんが。

 日本選手権ですからなんとか全種目に触れたいのですが、ここまで丁寧にできるのも、今日が最後かもしれません。決勝種目数も昨日6、本日9だったのが、明日と明後日は11に増えます。大物選手の登場も増えますしね。
 それにしても明日は室伏広治選手、沢野大地選手、為末大選手と重なって、取材が大変そうです。最終日に100 mがあるとはいえ、この3人のうち1人くらいは、別の日に決勝が行くようにしてもらいたかった。土曜日でテレビの視聴者を獲得して日曜日も、という考え方もできますが、大物選手の登場はできるだけ均等に振り分けた方が、新聞紙面の展開を考えると効果があると思います。取材する側の負担も分散するわけです。
 効果といえば、順大・仲村明監督と話をしていたら、光華学園ACの早狩実紀選手が通りかかり、3000mSCについて少し話をしました(仲村監督は3000mSCの世界選手権代表歴2回)。1500m決勝の2〜3時間前だったと思うのですが、この辺の余裕はベテランならでは(余裕の一番はワイナイナ選手の、シドニー五輪スタート前の一件だと思いますが)。
 レースではきっちり4分17秒45(3位)と、32歳日本最高で走りました。3000mSCで世界選手権のB標準を破っていますが、今日本選手権に3000mSCはありません。違う種目ですが、しっかりアピールしないといけないという状況で、それをやってしまうあたり、さすがです。年齢が半分の小林祐梨子選手のレース後の弾けた笑顔もよかったですけど、早狩選手の落ち着いた微笑みも印象的でした。

 中国新聞・山本記者が、5000mに優勝した瀬戸智弘選手の過去の日本選手権成績を一緒に調べようと言うので(若干の誇張あり)、調べました。瀬戸選手自身が、「2位が多かった」と発言していたのです。
1999年 5000m10位
2000年 5000m2位
   (日本人1位)
2001年 5000m4位 1万m17位
2002年 5000m3位 1万m10位
2003年 5000m2位 
2004年 5000m2位 1万m15位

 昨日の3000mSC・内冨恭則選手ほどではありませんが、5年連続で2〜4位だったのです。カネボウを代表する選手は高岡寿成選手ですが、カネボウの典型的な選手が瀬戸選手だというのが、現時点の印象です。5000mを中心に確実に強くなって(大きく落ち込む期間がない)、そのスピードを1万mにも生かせるようになってきましたし、28歳という年齢でマラソンにも挑みました。テレビでは初マラソンの失敗にばかり言及していましたが、そこに目を奪われると、瀬戸選手の特徴がわからなくなってしまうのでは? と感じました。

◆6月4日(土)
 日本選手権取材3日目。
 普段はトラック種目の予選後に、ミックスドゾーンに話を聞きに行くことは少ないのですが、最初の女子400 mで丹野麻美選手が日本記録に0.02秒と迫る52秒90を出したので、急いでスタンドを駆け下りました。これは、国内日本人最高記録です。最後の直線は少し、力を抜いた走り。「53秒台後半だと思って走っていた」そうです。明日の決勝も、今日と同じくらいのコンディションだといいのですが。

 女子800 m予選の後も、杉森美保選手にちょっと確認したいことがあってミックスドゾーンに。続く男子100 mもモニターや巨大スクリーンで見て、ミックスドゾーン付近に居続けました。1組目は土江寛裕選手(富士通)がトップ(10秒43)。シーズン序盤は明らかに調子が上がっていませんでしたが、きっちり立て直してきたようです。
 富士通の新ユニフォーム(赤基調から黒白のツートンカラーに変更)の感想を聞こうと近づくと、日本選手権を10倍楽しむページの「優勝者予想」にも、「ほとんど優勝候補」にも名前がないことに抗議をしてきました。「有力候補」には土江選手の名前もあるんですけどね。「ほとんど優勝候補」は朝原宣治選手だけという格付けなのです。
 抗議は普通、日本選手権を10倍楽しむページ禁止事項の“腹を立てること”に相当しますが、土江選手とは長い付き合いですし、何より“笑顔の抗議”はOKなのです。
 100 mでは3組1位の日高一慶選手(宮崎アスリートクラブ)が10秒29と、B標準に0.01秒と迫りました。日高選手は中学校の教員。これは“教員選手日本最高記録だ”と思ったのですが、山下徹也選手(当時掛川西高教)が91年に10秒22で走っていました。だったら、“国立競技場教員選手日本最高”だろうと思ったのですが、山下選手の記録は91年に国立競技場で行われた日本選手権での記録でした。
 同じ3組では川畑伸吾選手(群馬綜合ガードシステム)が10秒35で2位。昨年はたび重なる故障で10秒41が年度ベスト。03年の静岡国体以来の10秒40未満だそうです。最終組では土江選手と12歳年齢が違う佐分慎弥選手(日体大)が後半(中盤?)で2位以下を圧倒。記録は10秒45でしたが、2位の小島茂之選手(アシックス)に0.24秒の差をつけた強さが際だちました。

 さて、4組で10秒29の朝原宣治選手に次いで2位となったのが、教員となった宮田貴志選手(福島県南陸協)でした。記録は10秒42。ミックスドゾーンで「また10秒4台なの?」と声をかけました。2002年から毎年10秒4台は何度も出していて、その都度「また10秒4台?」と周囲から言われている選手です。
 年次別ベスト記録だったら、高3の96年以降の10年間で8年が10秒4台。例外の2年が99年の10秒37の自己ベスト、01年の10秒53です。日本選手権での記録ではありませんが、一昨日の内冨恭則選手、昨日の瀬戸智弘選手に勝るとも劣らない“安定ぶり”。
「『明日は必ず10秒3台&自己新を出す』(本人談)とサイトに書いていい?」と聞くと「はい、書いてください。宣言して、何が何でもやります」と、力強く言い切ってくれました。

 100 m予選の後、ミックスドゾーンには棒高跳優勝の安田覚選手が誘導されてきました。その後、記録なしに終わった沢野大地選手も来ました。夜、テレビの録画を見ると、「無言で競技場を立ち去った」と紹介されていました。確かに一度、ポールを車に運んだときは、記者たちを振り切って立ち去ったと受け取られましたが、その後ミックスドゾーンに戻ってきて、きっちり話をしたのです。
 マラソンのオリンピック選考レースなどでは、敗れた有力選手が無言で立ち去ることもよくありますが、ひと言でいいので何かをコメントした方が、逆に追いかけられずに済むのです。選手はそういう状況では、自分の世界に入っているので難しいかもしれませんが、マスコミというより、“応援してくれている人たちへのひと言”ととらえたら、何かを話した方がいいんじゃないかと思います。

 110 mHは内藤真人選手と谷川聡選手の2人が同着優勝。テレビ・インタビューでの2人のやりとりが、面白かったですね。ちなみに、インタビューを担当しているNHKの松野靖彦アナは浜松北高の陸上部出身とのこと。93年の宇都宮インターハイ400 m2位の、北川陽介選手と同期だったそうです。
 それにしても、昨年の女子100 mに続き同着2人優勝が2年連続で起こるなんて、本当に珍しいですよね。専門誌の優勝者名鑑とか、種目数でレイアウトを先にしてあると、困るんですよ。宮崎インターハイの4×100 mR同着優勝のときだったかな。苦労した記憶があります。まあ、専門誌の苦労はさておいて、春先に不調だった谷川聡選手がここまで調子を上げてきたのには、驚かされました。
 ミックスドゾーンで「見直したよ」と偉そうに声をかけると、「何回、同じことを言うんですか」と切り返されました。たぶん3回目、もしかしたら4回目かもしれません。いい意味で、こちらの予想を裏切る選手です。
 土江選手もそんな選手の1人。シドニー五輪代表になれなかったとき、その後の土江選手がここまで頑張るとは思っていませんでした。昨年7月の全国小学生大会の研修会で土江選手が講演したときも、小学生にあそこまで受けるとは思っていませんでしたし。今日の髪型にもちょっと、ビックリさせられましたけど。きっと明日も、寺田の予想を上回る結果を出してくれるはず。


◆6月5日(日)
 日本選手権最終日の取材。
 13時競技開始。七種競技の走幅跳と女子円盤投、女子100 m準決勝、男子100 m準決勝まではスタンドの記者席に腰を落ち着けて観戦取材。
 近くのスタンドで世界ジュニア100 mファイナリストの荒川岳士氏にお会いしました。寺田が初めて宇都宮に行ったのが、荒川選手の取材だったと記憶しています。土江寛裕選手の今日があるのは、早大で同学年だった荒川氏の存在があればこそだった、と土江選手がどこかに書いていたと思います。早大競走部出身のTBS・Y氏によれば(Sアナと4人で話をしていました)、入部時の挨拶で荒川氏が「カール・ルイスに勝ちます」と目標を言うと、土江選手は「ルイスに勝った荒川に勝ちます」と言ったそうです。
 その土江選手は、残念ながら準決勝1組6着で落選。スタートが土江選手にしては遅かったのが気になります。昨日の日記で言及した宮田貴志選手が、その準決勝1組でトップでフィニッシュしてガッツポーズ。1位通過が嬉しかったのか、自己新が出た感触があったからなのか、聞いておけばよかったですね。10秒22でしたが、追い風3.2mで参考記録。公認範囲内の風速でもきっと、10秒3台は出ていたと思われます。決勝は向かい風(0.8m)となり、自身の走りもあまりよくなくて10秒55の6位。千載一遇のチャンスを逃してしまいました。

 男子100 m準決勝後はしばらく、七種競技のやり投だけが行われている状態。中田有紀選手の試技には注意しながら、スタンドで成迫健児選手を取材しました。
 15:50には第4コーナーのスタンドに移動。女子走幅跳と男子やり投を近くで見るためです。しかし、ここからはトラックの決勝種目も続き、昨日後半もそうでしたが、多忙を極めました。女子走幅跳が始まって間もなく、女子400 m決勝。100 mだったらレース展開を見るにも、最後の着順を確認するにもフィニッシュ付近のスタンド(記者席)がいいのですが、400 mだったら4コーナーから中央付近でも大丈夫です。200 m通過も計測しやすいですしね(25秒0で通過しました)。
 丹野麻美選手が昨日の記録よりも悪かったら、そのままスタンドに残って男子400 mを見ようと考えていましたが(女子走幅跳と男子やり投も)、51秒台が出たのでミックスドゾーンにすっ飛んでいきました。途中、川本和久先生に合ったので握手。池田久美子選手が1回目を跳ぶところで、お邪魔してしまいました。反省しています。
 男子400 mはインタビュールームで丹野選手の話を聞きながら、モニターで見ていました。金丸選手のコメント取材までしていると、担当種目の女子800 mがモニターでしか見られないので、泣く泣くスタンドに再移動。レースを200 m毎のタイムを計測しながら見て、その後もミックスドゾーン&インタビュールームに。杉森美保選手も日本新で、丁寧に取材する必要があって、女子100 mと男子100 mはモニターで見ました。

 もしかしたら、その間に一度、スタンドに戻れたかもしれません。この辺の記憶が、ちょっと曖昧なのです。村上幸史選手の2・5・6回目の投てきは生で見ることができました。走幅跳の花岡麻帆、池田両選手の跳躍は正確には覚えていません。インタビュールームやミックスドゾーンのモニターでも見ていますから、記憶がごっちゃになっています。
 思い出しました。モニターで池田選手が手を合わせている姿を見て、スタンドに戻ったら6m60と記録を知ったので、1回目は生、2・3回目はモニターです。4回目の花岡、池田選手の跳躍を見た後、やり投の選手がフィールドからミックスドゾーンに向かったので、再度すっ飛んでいきました。
 村上選手のコメントを聞き終えてスタンドに戻って、5回目の池田選手の逆転跳躍は見られませんでしたが、女子走幅跳史上に残る6回目の両選手の跳躍は生で見ることができました。なぜか時計を見て、「テレビでは切れちゃったのではないか」と思ったことを覚えています。この辺が、現地に足を運ぶことのできる人間の幸せなところですね。
 この間に、丹野選手と杉森選手のサインをもらいました。ミックスドゾーンでそんなことを頼めるわけはありませんし、共同会見後はすぐに表彰に移動するので、サインを書いてもらう時間はありません。我ながら、よくそこまでできたな、と思いますが、具体的にどうやってもらったかは企業秘密。日本人女子初の「51」は、ちょっと感激しました。陸マガ次号に載ると思います。

 今日は2種目で日本記録が誕生し、6種目の優勝記録が世界選手権B標準を上回り、最後に盛り上がってくれました。雨が降らなかったら、昨日ももっと盛り上がったと思うのですが。
 最終日は丹野、池田の川本門下選手が活躍しました。しかし、昨日の400 mHではワンツー確実と言われた久保倉里美・吉田真希子両選手が、櫻井里佳選手に敗れています。その前日には沼田拓也選手が1分49秒台と好走していますから、浮き沈みの大きかった4日間だったはず。それでも、地元テレビ局のインタビューで「大変な日本選手権で疲れたのでは?」というニュアンスの質問をされると、「それを楽しんでやっているんです」と川本先生。「みんな勝てたらいいに決まっていますが、相手も頑張っている。一喜一憂しながら、少しずつ進んでいければいい。それが楽しいのです」
 土江選手・宮田選手も含めてすべての関係者が、そう感じてほしいと思いますし、自分にもそう言い聞かせて、もうちょっと(かなり?)続く締め切りの連続を乗り越えたいと思います。


◆6月6日(月)
 15:30から渋谷のエクセル東急ホテルで、世界選手権代表記者発表がありました。代表選手選考経緯の説明と、質疑応答が行われ(珍しく紛糾しました。詳細は記事で)、その後、新ユニフォームの発表と選手4名(内藤真人・高平慎士・福士加代子・為末大)の会見という流れ。終了後も少し選手たちの話を聞く時間があってよかったです。
 よくなかったのは男子1万mの選考です。先に言っておきますが、選ばれた三津谷祐選手と、選ばれなかった大森輝和選手の、どちらの方が強い、世界選手権で期待できる、という問題ではありません。今回から陸連が選考基準を細分化して事前に公表し、優先順位も付けていました(詳しくは陸連サイトの選考基準を参照してください)。その優先順位をレース後に、陸連が覆した選考をしたことが問題なのです。
 会見での陸連側の説明は、この記事の通り。優先順位はつけたけれど、レースが終わってみたら優先順位が下の選手を選びたくなったから、優先順位を覆したと堂々と言っているわけです。強さの基準を自分たちで決めておきながら、終わってみたらその基準がおかしかった、と。反省するのはいいことですが、いったん公表をした基準を変更したら混乱するだけ。選手たちは、その基準をクリアするために努力しているんですから。
 事前の選考基準を作るのは陸連に権利があります。しかし、いったん公表したらそれは、陸上界全体の認識になるんです。それを事後に変更する権利が、陸連にあるのでしょうか。変更するのなら次回から、というのが常識です。
 くろしお通信サイドから「納得できない」という声が挙がり、最悪の場合は日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に申し立てるという話になってきています(代表選考で陸連に抗議へ 男子1万mでくろしお通信(共同通信))。騒ぎが大きくなって世間が広く知るところになったら、陸上界の馬鹿さ加減を宣伝するようなもの。世間が、陸連と陸上界を区別してくれればいいのですが、区別してくれないでしょう。

 寺田が強調したいのは主に、以下の2点です。
 1つはB標準の日本選手権優勝者よりも、A標準の日本選手権入賞者を優先したのは、今回の選考基準変更の大きな特徴だったこと(日本選手権優勝者の即時内定を、前年も含む標準記録適用期間から今年の突破者に変更したことも特徴)。昨年のアテネ五輪だったら、今回のようなケースでどちらを選ぶとは、事前に明示しませんでした。昨年の1万mはレース内容を見て、A標準突破者の大森選手(18位)より、B標準突破で優勝した大野龍二選手をアテネ五輪代表に選びました。110 mHではB標準で優勝の田野中輔選手も、A標準で2・3位の谷川聡&内藤真人選手も、誰も選ばずに南部記念まで決定を持ち越しました。
 しかし今年は、昨年の110 mHのような例なら、A標準選手を優先すると決めたのです。その特徴を安易に覆すくらいなら、どうしてわざわざ変更したのか。陸連は「予測できないことも起こる」ことを理由に挙げていますが、B標準選手が優勝してA標準選手が2位になるケースは、簡単に予想できることです。
 2つめは、レース後に優先順位の変更があることを、選手たちに通達していなかったこと。今回の当事者ではないけれど、選考に絡みそうな有力選手を抱えていたあるチームの監督に、電話をして確認しました。そんな説明はいっさいなかったそうです。つまり、A標準をすでに切っている選手は、入賞でも代表の可能性があると思って走ります(特に昨日のレース展開では、途中で優勝者のA標準突破は厳しいとわかります)。レース内容次第で日本選手権優勝者重視に選考基準が変更される可能性があると知っていれば、入賞を考えずに優勝だけを目指したレースをすることもできる(早めに思い切ってスパートするとか)。
 選手はこういう結果を出せば代表になれると信じて走り、想定した範囲内の結果を出したのに、終わってみたら選考基準が変わって代表になれなかった。そんな状況になって、当事者が納得できるはずがありません。

 三津谷選手と大森選手は同じ香川県出身で、仲がいいことを2人とも公言しています。1月の全国都道府県対抗男子駅伝では、同じ3区で区間1・2位。ともに区間新で、勝った大森選手は「引っ張ってくれた三津谷のおかげです」と、年下のライバルを称えていました。実は昨日のレース前も、2人揃って歩いているところを、寺田は見かけています。今回のことで、2人の友情が壊れるなんてことはないでしょうが、後味がいいはずはありません。
 陸連は今回の決定を速やかに撤回すべきだと思います。
 という言い方は偉そうなので撤回して、陸連組織内の自浄作用を期待します、に変更します。


◆6月7日(火)
 朝から携帯が鳴ります。
 まずは某実業団チーム監督から。
「あれは、おかしいわ」
 もちろん、世界選手権男子1万mの選考についての話です。
 次は某新聞社デスクから。
「どうしちゃったの陸連?」
 推測できる裏の理由が何かないかを話し合いました。監督ともデスクとも。もちろん、心当たりはありません。
 メールも数通いただきました。アテネ五輪女子マラソン選考の際にもらったメールと比較すると、差出人に多様性が認められます。日本有数のスタティスティシャンの方、選手の家族の方、知り合いのテレビ局のディレクター、当事者ではない選手、陸上競技ファン。寺田の知らない情報も持っていて、陸連の人事まで批判してくる人もいます(強豪大学で陸上競技をやっていた人らしい)。

 でも、一番印象に残ったメールは、あそこまで批判を書くのは寺田らしくないというご指摘です。かいつまんで言うと、以下のような内容でした。
 記者会見の様子を紹介するのは、陸連の言葉を直接知ることができていいこと。しかし、日記で糾弾までしたのは“楽しくない”ことだと。非が陸連にあるのは新聞記事でも十二分に理解できる。寺田まで同調して、陸連を批判することはない。寺田にはもっと、陸上競技の楽しさを紹介して欲しい。今回の選手団の特徴を独自の視点で紹介したり、選手のコメントを紹介したり。良識ある記者は他にもいるが、道化役ができるのは寺田だけだと。

 新聞の論調がどこまで陸連に批判的になるか判断が難しかった、という事情もありますし、日記はただ自分の意見を書いただけで、糾弾するつもりではないのですが(結果的にそうなっているのかなあ)。それでも、考えさせられたメールでしたね。確かに、指摘の通りだと思います。いつも脳天気なことばかり書いているので、たまにはシリアスな話も書かないと、本当に馬鹿だと思われてしまうのじゃないか、という心配があったのです。嬉しかったのは、一生懸命に取り組んでいるから道化役ができることを、理解してくれている感じなのです。
 じゃあ、今回の選手団の特徴を書きましょう。明日にでも。


◆6月8日(水)
 昨日の日記で予告したとおり、世界選手権日本選手団の顔触れを見て、気づいたことを記事にしたのがこれ。世界選手権に出場した高校生は、代表発表後エクセル東急ホテルで、共同通信・宮田記者と調べました。きちんと調べるとけっこう多くいましたね。こういうときに見落としがちなのがリレー代表です。吉田香織選手(結婚後は坂上姓)が91年東京大会で補欠だったのは、伊東浩司選手(現在は甲南大監督)に提供してもらった写真を陸マガ増刊に掲載したのを、なぜかよく覚えているのです。名倉雅弥(坂戸西)選手が出場したローマ大会は、寺田は当時まだ編集部にはいませんでしたが、陸マガが名倉選手の手記(日記?)を掲載したような記憶がありました。
 名倉選手はあの大沢知宏(インターハイ優勝。翌年のソウル五輪代表)、名倉、中道貴之(10秒1の日本タイ。ラグビー部)の三羽烏の学年です。びっくりしたのは宮田記者が、三羽烏より1学年年下だと言い出したこと。宮田記者の地元・栃木で北関東インターハイが行われ、大沢・名倉両選手が活躍したのを補助員として見ていたそうです。
 そういえば、記者会見で為末大選手が自分が年齢的に上になったことを話し、会見後の囲みでも同選手とISHIRO!記者たちが、その話題で盛り上がっていました。ICHIROは最近、調子よくないですよね。関係ありませんけど。
 選手団のネタがあと3つほど話題があるので、明日には追加する予定。

 実はいつものように(過去にやったような記憶があるという意味ですけど)、代表選手をチーム別・出身県(高校所在地)別、大学別、学年別に分類したリストも作ったのですが、それを紹介するのは代表全員が揃ってからの方がいいかな、と判断しました。
 でも、現時点では以下のような状況。
●チーム別:ミズノの4人が最多。3人が順大。2人はスズキなど多数。面白いのはトヨタ自動車・トヨタ自動車九州・トヨタ車体・豊田自動織機と“トヨタ”がグループで4人を送り込んでいること。
●大学別:順大が5人で最多。4人の筑波大が続き、日大と中京大が3人。同大の朝原宣治選手と早狩実紀選手は同学年。ちなみに、同一高校2人以上は、沢野大地選手と花岡麻帆選手が漏れたこともあって、常連の成田高が室伏広治選手1人だけに。伊奈学園高(石田智子選手と信岡沙希重選手)だけでした。この2人も同学年。
●県別(高校所在地):埼玉、愛知、京都、兵庫が4人。大阪が3人。2人の県は多いのですが、富山は2人とも競歩、香川は男女長距離、福島は男女400 m。
●学年別:最年長は今年37歳になる弘山晴美選手で、35歳の高岡寿成選手が続き、最年少は18歳の金丸祐三選手。学年別の人数では今年30歳となる小崎まり選手の学年が5人。29歳、24歳の学年も同じく5人。25歳学年は4人ですが、末續・沢野両選手が追加されると6人になります。


◆6月9日(木)
 昼食前に100行原稿を1本書き上げてからと思ったのですが、終わらずに外出。多摩市役所に国民健康保険加入の手続きに行きました。4月の日記に2002年以降は1回も医者にかかっていないと書いたのは、健康保険に加入していなかったこともあって、はっきり覚えているのです。しかし、4月中旬と5月下旬に立て続けに体調をおかしくして、そろそろ再加入した方がいいかな、と思った次第です。父の葬儀の際に「加入しなければ3年間で●●万円は違う」と従兄弟たちに話をしたら、「加入した方がいいよ。それだけ得したんだから、もう十分でしょう」と言われたのが妙に説得力があったりして。
 今回の手続きで、国民健康保険であることを初めて知りました。保険が税だったとは、日本のシステムは奥が深い。念のため書いておきますが、国民年金は任意でなく義務ですが、国民健康保険は任意です。それで3年間、「年間何10万円払うなら、その都度10割負担でもいいから払おう」と、言葉は悪いですけど一種の賭けに出ていたわけです。その方が逆に、健康にも注意するようになるだろうと。
 ところが、この“国民健康保険税”のシステムは、想像以上に奥が深かった。未加入の3年間分を払わないと加入できないシステムになっていたのです。未加入期間は、前述したように10割負担のリスクを覚悟の上で入っていなかったのですが、あの努力は何だったのだろう。まったく、無意味な賭けに出ていたわけです。理屈に合わないような気がするんですけど、そういったシステムにはたぶん、以前からなっていたのでしょう。それを知らなかったこちらが悪いのです。

 今回の世界選手権男子1万mで問題となった選考基準の変更も、よく理解していなかった関係者がいたのかもしれません。「結局、日本選手権の順位だろう」みたいな感覚になっていた選手や指導者もいたのは確かです。でも、それでは今日の寺田と一緒で、後の祭りです。特に指導者などチームのスタッフは、選考基準など重要な変更は、細かい部分まで知っておかないといけません。それで飯を食っているのですから、知らなかったでは済まされないでしょう。
 くろしお通信の大森選手はA標準を突破した変更点該当者ですから、そこはきっちり理解していたようです。男子1万mの選手の話は直接聞いていませんが、他の記者やテレビクルーの方から聞いた話では、レース後に松浦監督と自分の方が選考順位が上であることを話していたとのこと。
 会社の上司たちにも“こうなったら代表に入れる”という報告はしているはず。今回の選考は、経営者サイドから見たら自分の会社の選手が、報告されていた基準に当てはまっている。それが選考されなかったら、現場の責任者である監督に「なんだこれは?」と責任を問うのが当然です。それが、陸上競技に投資している側としては当たり前。くろしお通信側が、「はい、そうですか」と引き下がれる状況ではないのです。
 まあ、これも、二次的な話ですね。選考基準そのものの、適用の仕方がおかしいのですから。


◆6月10日(金)
 13:30から赤坂のホテルで高橋尚子選手のファイテン契約記者会見を取材。いつもの陸上競技担当記者たちとは違う記者の人たちが多かったですね。それが、世間的な注目の大きさなんですけど。
 行ってよかったな、と思ったのは、「次のレースの成績が悪かったら、引退も視野に入れているのか」というニュアンスの質問が出たのに対し「昨年までは引退を考えたこともあったが、これからは4年間で見てもらえる。そういう気持ちはまったく消えた」と高橋選手が答えてくれたこと。
 その質問は「高橋選手は優勝や、好記録が当たり前」と、金メダリストに下手な走りは許されないといった雰囲気が世間にあることを前提にしていました。この世間の認識がやっかいなのです。金メダリストが失敗したら引退しないといけない、というルールなどありません。こういった考え方に選手まで縛られてしまうと、練習のさじ加減を間違える原因となるような気がします。今の高橋選手のような状況なら、結果にとらわれるのでなく、どうしたら状態が良くなっていくかを考える方がいいように思います。
「ダメなときもあると思いますが、それがあってもいい。それがあるから次ぎに行ける。1つ1つ段階を踏んで、目標に向かっていきます。4年をかけて結果を出せばいい」
 負けたら商品価値は下がるかもしれません。それを心配する必要も、今回の4年契約でなくなったわけです。元々、勝敗はどうでもいいから思いっきり走りたい、というのが高橋選手の考え方。それがシドニー五輪の金メダル後、周囲への気遣いがあったのか、慎重になりすぎていたように感じていましたし、ちょっと残念とも思っていました。

 会見後、赤坂某所で打ち合わせ。今月の大きな仕事の1つのアウトラインが、やっと見えてきました。先週末あたりから、他にもいくつかダダっと仕事が入ってきましたし、先月から繰り越してしまっている仕事も2〜3あったりするのです(いいのか?)。今月はかなり忙し、くなりそう。6月末からヨーロッパに取材に行く希望もあったのですが、どないしよう、と迷っているところ。


◆6月11日(土)
 新潟に来ています。昨年に続き重川材木店をルポするための取材です。
 11:30には長岡市の陸上競技場着。新潟陸協夏季長距離記録会を取材しました。会場には新潟アルビレックスRCの小林哲也コーチもいて、便宜を図ってもらいました。5000mには元エスビー食品の原田正彦選手が出場して14分33秒1。諸般の事情でノーアップで走ったとのこと。昨年は故障でレースに出ていませんが、今年は再上昇が期待できそうです。
 会場では仕事は主にカメラマンでしたが、レース終了後、志田哲也先生が声をかけてくれました。かつては走幅跳で8mを期待された選手(96年に7m95)。筑波大時代に同学年の日下部光選手と2人、セットで取材させてもらったことがあります。2002年までは選手としても頑張っていましたが、今は長岡高の陸上部監督業が中心のようです。進学校ですが陸上競技部は60人の部員が在籍。5000mにも選手が多く出場していて忙しそうでした。
 志田選手に会って思い出したのが、5月に岐阜で行われた中部実業団。インフィールドでも取材ができる大会なので、確か女子の走幅跳と女子の走高跳を歩き回って至近距離から見ていました。走幅跳ピットでは前述の日下部先生が審判をしていて、走高跳ピットでは海鋒佳輝先生がいます。“これは読めないだろう”名字代表の海鋒(かいほこ)先生も筑波大跳躍ブロック出身。日下部先生は三段跳16mジャンパー(95年に16m11)、海鋒先生は走高跳のアジア大会代表(96年に2m26)。
 超豪華な審判陣でしたが、頭髪は対照的。それを、ふさふさの海鋒先生に言うと「そうWEBに書いておいてください」とのこと。1カ月遅れになっていまいましたが、紹介させていただきました。

 14:30には新潟市営陸上競技場に。長岡で小林コーチから「北日本インカレが行われていて川本和久先生も来ている」と聞いたので、行ってビックリさせてやろうと思った…わけではなく、機会があれば色んな地区のインカレを見てみたかったのです。こちらの狙いとは関係なく、川本先生は驚いてくれましたけど。一緒にスタンドから観戦させてもらい、話もいろいろとさせていただきました。具体的にどんな話をしたかは企業秘密(先方の)。まあ、時期的に日本選手権のことなどです。
 競技運営で“これは”と思ったのが、第4コーナーの300m地点に通過タイム計測用の旗を立ててあることです。そしてアナウンサーが、1500mでは1000m通過タイムを読みます。400 mでも300m通過を「34秒台」とか通告しています。後で確認したら、新潟陸協のやり方とのこと。これをやっている陸協は珍しいのでは? 女子1500mではこんな感じ。優勝した福島大の菊池暁穂選手は「3分8秒台」でした。男子1500mの沼田拓也選手(福島大)のタイムを計測。残り100 mは14秒5、200 mは29秒5、400 mは1分00秒5でした。成績は東北学連サイトに掲載されています。
 もう1つアナウンスで特徴的だったのは、3000mSCを「3000m障害」とは言わずに3000mスティープルチェイスと発声します。この辺は、3000mSCの名選手、山田和人選手を生んだ新潟だけのことはあるなあ、と感じました。


◆6月12日(日)
 新潟県実業団を取材。重川材木店のルポが目的で、場所は新潟県の中条町。全天候トラックのスタンド付きの競技場があります。さすが、20kmロードを大々的に開催している陸上競技の町です。かつては瀬古利彦選手ら、エスビー食品や早大の選手が11月に、福岡国際マラソンへの調整として出場しました。
 重川材木店勢以外では、短距離の田村和宏選手がエントリーしていましたが、残念ながら欠場。それでも、マスターズの大会と併催していたこともあり、1つの県の実業団の試合としてはなかなかの参加人数だと思いました(他県と比較したことはありません)。昨日の北日本インカレに続き、300m地点にはタイム計測用の旗が立てられていました。やっぱり、新潟陸協方式なのです。

 記録のチェックを記録掲示板でしていると、男子砲丸投の優勝者が「對木隆介」とリザルツが張り出されていました。えっ、あの對木選手? 静岡高出身。浜松北高と並んで県で一、二を争う進学校ながら、高校時代に砲丸投で17mを越えた選手です。寺田も同じ静岡県出身ということで、記憶にある選手でした。慶大競走部に進み、同大が98年に関東インカレ二部で総合優勝したときのキャプテンです(あとから調べたら、その関東インカレで投てき3種目に自己新。そのときの記事は陸マガに2ページで紹介され、サークルの脇で跳び上がってガッツポーズをしている對木選手が、1ページ全面に掲載されています)。2003年の静岡県選手権を取材したとき、直接話は聞いたわけではありませんが、記事中で触れたことがあり、その際にメールをいただきました。
 今の所属は日立柏崎。こちらに転勤になっていたんだ、とか思いを巡らしていると、隣に、投てき選手とおぼしき人物が来たではありませんか。對木選手と面識はないのですが、陸マガのグラビアで何回かは見ているはず。ピンと来たので恐る恐る「對木選手ですか?」と声をかけました。
 その場でしばらく立ち話。昨年から柏崎の東京電力柏崎原発に勤務しているそうです。それ以前は茨城県東海村の原発(登録は地元の静岡県)。原発の施設は日立が製造していて、そのメンテナンスなどを担当する社員が、原発に数人いるのだそうです。もちろんフルタイム勤務。遅くまで残業となることも多いようですが、柏崎市の体育館が夜の9:30まで使えるので、助かっているとのこと。しかも、フリーウエイトで、投てき選手の筋トレにも十分に対応できる設備だそうです。
 言ってみれば、エリート街道を歩んでいる人物。それでも、県選手権や実業団の試合には出場しています。大学卒業後も続けているモチベーションは何なのか、興味がありました。中条でも少し話を聞きましたが、夜になってメールをもらいました。その中に對木選手の考えが記されていました。本人の了解が取れたので以下に掲載します。

(前半部分略)
「本格的な」競技を離れてからもう6年経ってますが、今まで続けられてるのは「適度な目標」と「適度なライバル」、「陸上を好きな気持ち」があるからでしょう。環境としても中学から大学まで比較的自由にのびのびやってきて、一人でも練習できる体制になっていたからとも思います。(投擲のコーチに真剣に教わったことがないので)
 幸か不幸か日本のトップで争えるレベルではないので余計「楽しんでできる」のかなと思います。また、自分の周りにも同年代・もしくはそれよりも上で楽しく陸上をされている方がたくさんいる中で、そういった方々から刺激を頂き自分もやってこれてるのだと思います。長く続けられるのは、「毎日やらなきゃ」って思わないことかな、とも思います。
 また、自分が陸上を続けていたおかげで、いろんな方々と知り合いになり刺激を受けています。母校(静高)の現役の後輩には、いまだに自分を目標にしてくれている子もいますし、前任地の茨城や、今の柏崎でも若い選手と知り合い刺激を与えてあげられていることは、それだけでも自分の陸上人としての存在感があるのかなと感じています。
 人生の中でそうそう他人に影響を与えることなんてできることでもないので、自分が出会った陸上競技を今後も続けていきたいと思います。
 素人気分に少しのプライドを持って今後も頑張っていきます。
(後略)

94(高3)14m30 17m22(94年高校リスト7位、当時高校歴代31位)
95(大1)14m54
96(大2)14m96
97(大3)15m22
98(大4)15m80
99(社1)15m24(3月)4月以降では15m09
00(社2)14m68
01(社3)14m53
02(社4)14m61
03(社5)14m24
04(社6)14m76
※00〜03のベストはすべて静岡県選手権


 推測ですが、對木選手がしっかりした投てきの指導者の下、競技を突き詰めてやっていれば日本のトップレベルに力を伸ばせたような気がします(ちなみに、トップレベルだった高校時代は望月勇志先生が指導者。ソウル五輪代表となった小池弘文、学生新を出した磯部友晴とともに400 mの筑波大三羽烏と言われた1人)。
 しかし、陸上競技だけが人生ではありません。對木選手は自分の人生を自分で選択して歩いている。簡単に断定はできませんが、今の生活が充実しているからこそ、毎年、上記のレベルを維持できているのでしょう。色々なスタンスで陸上競技と関わっている人がいます。それを知ることもまた、興味深いと思っています。


◆6月13日(月)
 昨日まで一泊した新潟の宿は、ウェルサンピア新潟という厚生年金の出資による宿泊施設。テニスコートやサッカーなどのできる多目的グラウンド、屋内外プール等々スポーツ関係施設も併設され、スポーツの合宿や研修などにも使用されているようです。
 館内で目に付いたのがムーミン・キャラクター。食堂のおはし包みやナプキンなどにムーミン・キャラがあしらってありました。エレベーターの中にもこんなポスターが。注釈を読むと、厚生年金施設のイメージ・キャラクターとして契約しているようです。
 ちなみに、これがムーミンの公式サイトでしょうか。

 本当にどないしようかと迷っていた6月末からのヨーロッパ取材ですが、今年は断念することにほぼ決まり。土曜日に、日本インカレ明けの仕事の話が1つありましたし。まあ、6月27日のプラハと7月1日のパリ・ゴールデンリーグだけ取材をして、すぐに帰って来るということもできるのですが。
 行かないとなると、今年の海外取材はヘルシンキ世界選手権だけになる可能性も。10月のシカゴ・マラソン取材は、誰が出るかによりますが、9月のベルリンは全日本実業団と重なるので行けません。
 となると、フィンランド生まれのムーミン(グッズ)で、世界選手権への気持ちを盛り上げるしかないですね。ウェルサンピア新潟で、携帯クリーナーストラップを2つ、ムーミンとスナフキンを購入しました。携帯クリーナーは、携帯電話やデジカメの液晶部分の油脂汚れなどを拭き取れるすぐれもの。そういえば、昨年のシカゴ・マラソンのときにカネボウ・伊藤国光監督が、寺田のデジカメの液晶を拭いてくれましたっけ。

 ヨーロッパ取材の代わりに、ホクレンDistance Challenge 2005の深川大会を取材に行こうか、どないしようかと迷っているところ。一応、フライトとホテルは押さえましたけど。


◆6月14日(火)
 陸上競技専門誌7月号の発売日。陸マガはすでに入手済みだったので、月刊陸上競技を購入するため、西新宿をうろつきました。林立する高層ビルのなかには、書店の入っているビルの1つもあるだろう、と思って見つけたのがこの末広堂なる書店。かなりでかい店でした。スポーツ雑誌コーナーも、それなりのスペースを取っていて、3mくらいのブロックが2つくらい。しかし、肝心の陸上競技専門誌が置いてありません。
 自慢じゃないですけど、陸上競技専門誌を書店の乱雑な雑誌コーナーで見つけるのは、寺田の数少ない特技です。陸マガは購入していませんが、見つけ出して目立つところに置き直すのですね。98年のワールドカップから帰国した伊東浩司選手は、高岡寿成選手が表紙の陸マガを、新宿の紀伊国屋書店かどこかで横一列に並べたと聞いています。
 寺田も負けていません。判型がB5と最近の雑誌の中では小さい陸マガを、他の雑誌の裏側から探し出して、目立ったところに置き換えるその速さは、まさに電光石火。毎年4月23日は、本を恋人や家族や友人にプレゼントするサンジョルディの日ですが、その日に開催されている「全国陸上競技専門誌を書店の中で見つけ出す競技会」で寺田は12連勝中。室伏広治選手を上回っています。

 しかし、この末広堂なる書店には陸上競技専門誌が置いてありません。3分探せば、「ここは置いていないな」と雰囲気でわかります。3m幅の棚のブロックの1つはほとんどがサッカー雑誌。もう1ブロックはゴルフ雑誌。この手のディスプレイをする店の心底は、お見通しですね。一応、店員にも質問しました。「今日発売で、福島大学の選手が表紙の陸上競技専門誌は置いていないのですか」と。案の定、「申し訳ありません。陸上競技の雑誌は置いていないんです」との回答でした。
 それにしても末広堂という名前の書店ですよ、末・広・堂。末續慎吾選手のと、室伏広治選手の!! 堂は……二階堂香織選手のーー!!!! この名前で陸上競技専門誌を置かないとは信じられません。

 気を取り直して、真面目に書きます。陸上競技専門誌は置いていないのですが、市民ランナー向けの雑誌は置いてありました。ジョガーは全国いたるところにいるけど、陸上競技専門誌を買おうというファンは、限られているということでしょう。
 解決策は2つ。1つは世間に広くアピールして、陸上競技ファンを増やすこと。もう1つは、陸上競技関係者の意識をより高くして、専門誌購買率を上げることです。寺田のこのサイトの目的は、後者の範疇に入るでしょうか。
 以前にも書きましたが、ターゲットは陸上競技のOBです。高校や大学で陸上競技部だったけど、卒業して仕事や家庭中心の生活になって、陸上競技への関心が低くなった人にもう一度、陸上競技に熱くなった日を思い出してもらいたいのです。そうすれば、専門誌の発行部数が増え、原稿料もアップするだろうという計算。
 これは、どうしたら日本選手権開催の国立競技場スタンドに、観客を呼べるかという問題とも関係するところでしょう。陸上競技のOB・OGが、家族と一緒にスタンドに戻ってくれば、陸上競技を見て“自分もやってみたい”と思う子供たちも、何割かの確率で出てくるのではないでしょうか。

 日本選手権のチケットが1日2000円は高い(しかも入退場不可)、というメールを面識のある学生からもらいました。通し券で2000〜3000円なら、という希望も書いています。寺田も日本選手権開催中に、通し券と地方ファンへの割引(春季サーキットの半券かプロ持参者は割引く等)はどうかと、陸連某氏に申し上げました。某氏いわく。「通し券は自分も提案したんだけど」。きっと、外部からはわからない事情があって実現できなかったのでしょう。
 でも、以前はマラソンのペースメーカーも、「報酬を受け取るランナーが公道を走ることは、警察が認めてくれない」と、各マラソンの関係者はあきらめていました。しかし、お偉いサンがペースメーカーは当たり前、と関係各方面に訴えたら実現できました。日本選手権、いえ、陸上競技会を盛り上げる方法も、努力次第では?


◆6月21日(火)
 昨日、インターハイ四国大会の結果が愛媛陸協のサイトに掲載されたと教えていただいたので、早速、拝見させていただきました。他の地区と同様に「○○選手が□秒□(▽m△)!」とトップページで生まれた好記録と一緒に、愛媛陸協サイトに結果が出ていることを紹介しようとしたのですが、残念ながら、これという好記録が出ていません。それで、「頑張れ、四国の選手&指導者!」と書かせていただいたわけです。
 このことで思い出したのが、近畿地区出身のある選手が「地区大会のレベルに格差がありすぎる。近畿の選手に公平にチャンスが与えられていない」と言っていたことです。確かに、以前からそれは問題視されていました。全国インターハイに出場しても、レベルの低い地区の選手は予選で落ちることが多い。予選落ちした選手が翌年活躍したり、その学校の後輩に全国大会の経験が受け継がれ、レベルアップすることもあるでしょう。しかし、全体として見た場合、地区のレベルはなかなか上がりません。
 深く考えてのことではありませんが、以前に寺田が考えたことの1つに、兵庫を四国に組み入れて、近畿を1県減らす案がありました。四国のレベルが一気に上がりますし、全国に出られなかった近畿の長距離選手も、兵庫勢がいなくなればチャンスが生まれます。四国と兵庫は淡路島をはさんで陸路が通じていますから、地理的にも最適かなと。

 この話を書くと兵庫の関係者が怒るかもしれない、と心配していました。「近畿にいてこそやり甲斐があるし、高いレベルも維持できる」とか、言う人たちもいるのではないかと思ったのです。何より、教育上よくないとか言われたら、議論になりません。
 それで今日、某誌編集部に電話をしたときに、兵庫出身のO川編集者(二枚目ハードラーの異名。一部に反対意見あり)に質問しました。そうしたら、まったく問題ないんじゃないか、との回答。兵庫関係者の多くが、地区インターハイの現状を改善するべきだと言っているそうです。その中の意見の1つ(あるいは大方の意見?)に、次のようなものがあるそうです。
 福井県と三重県を近畿地区に組み入れて、近畿地区を関東のように南北2地区に分けるという案。北近畿が福井・滋賀・京都・兵庫の4県、南近畿が三重・和歌山・奈良・大阪の4県。聞いて、なるほどと思いました。なかなかいいバランスになります。
 三重が抜けると東海地区のレベルが少し低下しますが、元々、レベルの高い地区ですし人口もそれなりに多い(愛知・岐阜・静岡で1200万人くらい)のでよしとしましょう。北信越も福井1県で支えているわけではないので、問題ないのでは? 南関東から山梨を北信越に組み込む方法もあります。

 この案だと四国のレベルが上がりませんが、四国は四方を海に囲まれた1つの島ですから、心情的にも“四国で1つ”という枠組みを維持した方がいいかもしれません。北海道のようにいつか、強い選手を次々に生み出すようになるかもしれませんし。
 ていうか、四国も昔は強かったですよね。三豊・観音寺地区の棒高跳、渡辺高博選手から短距離の伝統を引き継ぐ新居浜地区(向井裕紀弘選手とか)、投てきの今治明徳(村上幸史選手とか)、高木千晶選手や桝見咲智子選手の明善、三段跳で兵頭重徳選手&小松隆志選手を生んだ高知、そして大森輝和&三津谷祐&宮井仁美選手の長距離香川の伝統。弘山晴美選手&犬伏孝行選手&岩佐敏弘選手&市橋有里選手を生んだ徳島駅伝と、土佐礼子選手を生んだ愛媛マラソンも忘れてはいけません。
 強い四国の復活を期待します。


◆6月22日(水)
 いやぁ、昨日の日記は反響が大きかったですね。インターハイ地区大会のレベル格差について言及した内容でしたが、メールが何通も来ました。やはり、皆さん気になっていた部分なのでしょう。なおかつ、結論が「これだ」と明確にできない。だから、寺田の書いたこと自体に目新しさがあるわけでもないのに、これだけの反響があったのだと思います。
 嬉しかったのは、メールをくださった皆さんが全員、自己紹介をキチッと書いてくれていたこと。この件については特に、その人の置かれている立場や住んでいる地区などが、考え方に影響が出る要素ですからね。女子マラソンの選考のときにメールを寄こした人たちとはそこが決定的に違いました。まあ、いい加減なファンが多いというのも、メジャーであることを証明しているのですが。

 いただいたメールの中から、いくつかの考え方を紹介しましょう。

@高校生段階では都心部のレベルが高くなるが、ナショナルチームのレベルで考えたときに高校生の時ほど差が出るものなのか? 高校のとき無理をしないで全国区に行けたことで伸びた選手も、逆に無理をして高校のときは強かったのに、消えた選手もいる。何がいいかはわかりませんが。

 もっともな意見です。四国出身のナショナルチーム経験者からのメールということもあり、説得力があります。確かに、オリンピックや世界選手権代表選手の出身高校を見ると、インターハイの地区バランスと同じではない。一時期、そうですね、10年くらい前には、明らかに名門高校出身の日本代表は少なかったと思います。400 mHの苅部俊二・斎藤嘉彦・山崎一彦のトリオが活躍していた時期とかですね。
 レベルが高くなればなるほど、精神的な部分も含めて個人の能力の占める割合が高くなりますから、頑張っているチームの中に身を置くだけで強くなれるわけではありません。このメールで指摘されていることは、確かな傾向だと思います。
 しかし、その後、ここ10年くらいは名門高校出身選手の代表に占める割合が増えています。これは、名門高校OB選手の意識が上がったからではないかと、推測しています。高校で終わってしまってどうするんだ、という意欲ですね。取材をしていても、それを感じることが多くなりました。高野進&山崎一彦選手の決勝進出以降、「やればできる」「世界で戦ってこそ」という感覚を、一般種目の選手たちが持つようになったことも影響しているかもしれません。

A高校生のレベルの割には、世界選手権やオリンピックに出てる選手が多い。高校時代はのびのび育っているのかもしれない。向井選手や石川選手、渡邉容史選手らと近い世代だが、ホントに楽しくやっていた。また、強い選手が少ないから、注目されれば、サポートしてくれる人の数も多い。

 これも四国(愛媛)の方からで、@と同じ指摘。上に述べた理由で、四国に限ったことではなく、他の地区にも当てはまることだと思います。
 ここで1つ指摘させていただきます。レベルの高い地区で、高校時代に全国大会に出られなかった選手で、その後、頑張っている選手もいる、ということです(細川道隆選手とか)。素材的にはいいものを持っているのに、名門校ほどの練習を高校時代にできず、地区のレベルも高くて全国大会に出られない。それで、進学先の選択肢が狭くなり、いい指導者との出会いもなく、消えていってしまう例です。細川選手のように頑張れる選手の方が少数派でしょう。
 マスコミ的には、弱い地区から代表選手が生まれると注目しがちです。これは結果が出ているから取り上げやすいのですが、レベルの高い地区で埋もれてしまった選手が、細川選手のような例を見れば見るほど、確実にいるのだろうと感じます。メールは来ませんでしたがきっと、近畿地区の関係者はそう思っていると思うのです。どちらの人数が多い少ないというところまでは、こうだと断定できる判断材料はありません。@のメールの方が最後に書いている「何がいいのかわかりませんが」というのも、そういった特定できない要素がスポーツには多いことを言っているのでしょう。

B機会均等ということなら、無理に地区をいじらなくても、5年に一回くらい高校上位100傑から各地区選手の割合を算出して、それに応じて枠を配分すればいいでしょう。この場合、考え方としては選挙の区割りと同じですから。「比例代表」、これが一番平等なやり方だともいます。地区をいじっちゃうと、その後の人口、レベル変動によってまた変えなくてはならない日がやってきますからね。

C私の案は『全日本中学みたいに標準記録を設け、突破した選手は無条件に出られる』というものです。標準記録は例えば、前年度のインターハイで6位相当の記録など・・・。


 昨日、地区の県構成を変える話を書いておいてなんですが、ご指摘通り、地区構成は安易にいじらない方がいいと思います。その方が、アイデンティティーが生じるというか、関係者が“この地区を強くするんだ”という気持ちが強くなります。ちょっとレベルの不均衡が生じたからとその都度変更していたら、地区としての誇りを持てなくなります。不均衡の是正は、システムの変更よりも、各地区の努力によってなされるのが理想でしょう。
 標準記録制の話とも関わる部分ですが、インターハイは1種目66人の参加人数で、標準記録制の日本選手権や日本インカレよりも大人数が参加する大会(標準記録制の全日中は多いですけど)。最低でも1地区6人は必ず出られますから、全国トップクラスの力があれば地区で落ちるわけではない。だったら、地区による“多少のアンバランスが生じてもいいじゃないか”、というスタンスなのです。
 レベルの高い地域の関係者からは不満が出る部分ですが、メリットもあります。前述の地区としての意識を強く持てることや、昨日も書いたように、全国大会の経験を持ち帰れること、そして@Aのご意見の部分。社会的にも、全国大会出場選手がその地区に必ず一定人数いるということは、陸上競技の普及を考えたときにはプラスでしょう。でも、これだけの理由では、レベルの高い地区の関係者は納得できないかもしれませんね。それで昨日、あのように書いたのですが。

D私は競歩を専門にしていたのですが、競歩は県・地域の格差が特に大きいと感じました。ある県では入賞できなくても他の県では優勝、ということが珍しくありません。このようなことが起こるのはやはり、競歩が全国に浸透しきっていない証拠といえるでしょう。
 トップ選手のレベルを上げるだけであれば、局地的に有力選手が集まり、普段から切磋琢磨するほうが効果的かもしれません。しかし、競歩の長期的・広範的な発展という視野からは、全国で競歩が行われるほうが良いと思います。
 埼玉では一昨年秋から昨年夏にかけて、熊谷女子高の日下部先生(立命館大の三村選手を指導された方です)の下で、月2回、県内の有志が集まっての練習会が行われていました。これにより、埼玉の競歩のレベルは飛躍的に向上したと思います。
(県総体までに、前年の新人戦の優勝タイムを10人ほどが上回りました)


 前向きなご意見、ありがとうございました。システムがこうだから、と論じることも大事ですが、論じている間に現場レベルでできることはやっていく。競技に関わっていく者として“だったらどうするか”という姿勢が大事だと教えらたメールです。最後は、きれいに締めましたね。


◆6月24日(金)
 弱音は吐きたくないのですが、無理なときもあります。今日、先日取材させてもらった重川材木店の原稿を書き上げましたが、これも予定より数日遅れています(日曜日か月曜日に本サイトに掲載予定)。現在の状況を鑑みて、断腸の思いで某社宣伝部と某誌編集部に電話をしました。
「日曜日の締め切り、もうちょっと先に延ばしてもらえないでしょうか?」
 そんなに、いつもあることじゃないんですよ。ときどき、です。本当に、ときどき。
 夜になって、今日が締め切りの予定でいた、某出版社が請け負っている某社パンフレットの原稿も、7月の頭が真の締め切りと判明。ちょっと気が楽になりました。でも、ちょっと待ってください。来週は火曜日が朝から夕方まで用事が入っていて、水・木が北海道出張(どないしようか悩んでいたホクレンDistance Challenge 2005深川大会取材に行きます)。そこで、5ページものの人物取材。金曜日からは日本インカレ。締め切りを先に延ばしても、苦しくなるだけかも?

 ということで、6月は頑張ろうと思っていた日記も途切れがち。ときどき日記と銘打ってはいますが、きちんと毎日書かれているのが、川本和久先生の「オヤジのときどき日記/アジアグランプリ編」。今回は吉田真希子、久保倉里美、丹野麻美の3選手のアジア・グランプリ遠征に帯同されているわけですが、各選手のキャラクターを実に上手く書き分けています。というより、川本先生が色を付けて面白くしているのかも。さすがに丹野選手までお笑いキャラにはできないようですが、行動の描写や写真の絵柄で、ある要素を一貫して出しているような気がします。川本先生は否定されるでしょうけど。
 川本先生のパソコンからのネット接続が不調のため、今回の日記は吉田選手がアップしているとのこと。その吉田選手の行動がまた、そこはかとなく面白い。お笑い芸人が笑いを取る面白さでなく、一生懸命なところに吉田選手らしさが滲み出ているというか、なんといったらいいのか難しいのですが…。ネットの接続をホテルに交渉したり、スーツケースが重量オーバーしたりと、そのシーンが想像できてしまうのです。
 しかし、吉田選手からの最初のメールには、「今回はお笑いネタでなく、競技でネタを提供したい」と、書いてありました。第2戦では56秒67の今季日本最高をマークし、前述の言葉を実現しそうな予感がしていました。そして、期待された第3戦後に来たメールには、「詳細は川本先生が解説してくださると思いますが、アクシデントに巻き込まれてしまいました・・。久保倉は自己新56秒58で惜しくも標準突破ならず、丹野はセカンドの52秒16といい出来でした。要するに、そのベストコンディションを逃してしまったのが残念です」との記述が。
 ということで、詳しくは明日あたりにアップされる「オヤジのときどき日記/アジアグランプリ編」で。でも、日記はあくまでボランティア。絶対に載ると期待して待つのはよくありません。

 ICHIROの不調と呼応するかのように、ISHIRO!のサイトも更新がありません(ここもボランティア)。どうやら忙しいようです。でも、為末大の「ハードラー進化論」の宣伝は、毎日新聞新聞記者としての義務のようです。インターハイ地区大会のレベル格差についても、関係者をウーンと唸らせる案を話してくれました。具体的には長いので明日。


◆6月28日(火)
 今日は午前中に取材、3時間ほど空き時間があって、また取材。空き時間は昼食を除くと約2時間。1時間食べているのでなく、どこの店で食べるのか、初めての場所だと探すのに時間がかかるのです。原稿を書く店を探すのにも手間取ったりすると、どんどん時間が少なくなっていきます。それでも、昨晩から取りかかっていたある原稿の手直し作業を終わらせました。
 17時前には新宿の作業部屋に戻りました。明日はホクレンDistance Challenge 2005の深川大会の取材に行くので、まずはその準備……に、結構、時間を費やしてしまいました。厳密には大会の取材じゃないのですけど、レースも楽しみです。杉森美保・宗由香利・早狩実紀選手の出る女子1500m、佐藤敦之・瀬戸智弘・大野龍二・三津谷祐・中村悠希選手たちの男子1万mなど、かなり面白くなりそう。
 ちょっと以前ですが、クリール8月号が届きました。「私はこうして速くなった」という企画があって、8月号は日本選手権で主に取材した選手が登場しています。こういった大上段に構えたテーマだとなかなか答えにくいものですが、そこはインタビュアーの腕でしょう。1人200字ほどの分量ですから、多くを語ってもらうことはできません。でも、逆に少ないから、核心に迫った部分を、選手も知らずに話してしまっているかも。
 宗選手、早狩選手、加納由理選手、中村選手、尾田賢典選手と明日、ホクレン深川大会にエントリーしている選手も多いので、コピーして持参することに。

 マガジンハウスから出版された「100m末續慎吾」も、運よく入手することができました。末續選手の写真集が出たことは知っていたのですが、配本冊数がそれほど多くないのか、書店をいくつか回ったのですが…。確かに、写真中心のつくりなのですが、文章もそれなりに掲載されていて、末續選手の足跡を思い出して頭の中を整理するのに役立ちました。「高野進責任編集」と強調していますから、これは、下手な書き手が勘違いして書いていたり、推測で書かれた類の情報じゃないってことです。
 タイトルに「100m」と着けられているところにも、師弟のこだわりが見て取れます。銅メダルを取った200 mではなく100 m。アテネ五輪の2次予選で落ちても100 m。昨年来、繰り返し紹介されているように、純粋に速く走ることに憧れた末續選手の原点へのこだわりなのでしょうが、こうして出版物のタイトルにまで強調してつけるのは、あくまで挑戦する姿勢を崩さないぞ、という意思表示のようにも思います。これは、寺田の推測ですけど。

 クリール8月号に話を戻します。寺田が大好きなのが水城昭彦氏の「LEGEND 伝説のランナーたち」のコーナー。今月は宗猛選手(現旭化成監督)の3回目ですが、その中でロス五輪(1984年)の4位の賞状を、押し入れの奥に無造作にしまい込んだ話が紹介されています。「ずっとメダルを目標にしていたから、嬉しくも何ともなかった」と。
 しかし、その賞状を押し入れから引っ張り出したのが、4年後のソウル五輪で中山竹通選手(現愛知製鋼監督)が4位になったときだったそうです。中山選手のすごさを一緒に走って思い知らされていた宗猛選手は、「あの中山と同じ4位か」と、自身の成績を見直した。ソウル五輪の選考会を境に、宗兄弟は指導者の仕事が中心になっていましたから、そういう心境になれたのかもしれません。

 トップ選手というのはそういうものなのだと思います。現役でいるうちには、上の目標に向かって行きたい、新しいことにチャレンジしたいと考える。自身が達成したことに「すごかったなあ」と、満足したりしない。満足したら、前に進むモチベーションが低くなってしまいます。末續選手も100 mでメダルを取れる保証なんてこれっぽっちもないのに、挑戦しないでは自身が納得できない。
 2000年前後の室伏広治選手は「80mを投げるのって、本当に大変なことなんです。色んな条件が噛み合って初めて投げられる。奇跡のようなものですよ」と、口にしていたことがあります。これは客観的に、そういう見方をして欲しいと記者たちに話したのでしょう。その室伏選手が金メダルを取った今、その価値の高さや、どんな苦労が必要なのか、という部分はまったく口にしません。客観的な評価は他人や世間に任せて、本人は“次のこと”だけを見ている。自身の技術であったり、世界記録だったり。
 野口みずき選手も高橋尚子選手も、そうでしょう。為末大選手も。メダリストが自身のメダルの価値を正当に評価しないのは、“正当な”という言葉自体、客観視している第三者の価値観を表現しているから。メダリストが自身のメダルを周囲よりも高く評価しないのは、主観的に“正当な”判断をしているからです。
 6月10日の日記で、高橋尚子選手に対して“いい走りができなかったら引退か”という見方が、世間にあることを書きました。これも、世間の金メダルに対する勝手な思い込み。それを第三者は、自分は客観的だから正しい価値観だと思い込んでしまう(ときどき、世間のこういう価値観に流されてしまう選手もいます)。きっと、高橋尚子選手の金メダルに対して世間が感じている価値と、高橋尚子選手自身が金メダルに感じている価値は違うのだと思います…………こんなこと誰でもわかってる、かな?。


◆6月29日(水)
「いいもん見せてもらったわ」「記者になってよかった」
 岡山のSP記者こと、朝日新聞西部のO田記者が、旭川への帰りの車中で何度も繰り返しました。深川で行われたホクレンDistance Challenge 2005第4戦の取材を振り返っての感想です。福岡にいる記者だけに、トヨタ自動車九州を取材する機会も多く、感動が大きかったのだと思われます。
 感動という点なら、寺田も人後に落ちないつもりです。レースはフィニッシュ地点でラップを計測しながら見ていました。気温は12〜13℃とめちゃくちゃ寒かったのですが、6000m付近から寒さを忘れました。すぐ側では、トヨタ自動車九州の森下広一監督が檄を飛ばしています。
 普通だったら記者として、そのチームの関係者が近くにいたら、「行ける」とか「1秒落ちた」とか「残り○○mを○分○秒」というコメントは最小限に抑えます。しかし、6000m、7000mと進むと、こちらも興奮してきて我を忘れてきます。8000mあたりで「よし、出せる。絶対だ」とか叫んでいました。
 競り合っている日本選手がいれば、また別の状況だったのでしょうが、4800m手前からワンジル選手とのマッチレースとなり、焦点は選考問題渦中の三津谷祐選手のA標準突破に絞られました。三津谷選手がA標準を突破すれば、大森輝和選手と2人とも世界選手権代表になれる。心情的に応援して当然だったと思います。

 森下監督が「サムエル抑えろ。68(秒)でもいい」と指示を出します。純粋にイーヴンペース的に計算したら、遅くなったらまずいペースでしたが、ラストで切り換えができるのが三津谷選手。仮に、ラスト1周が60秒で走れるとしたら、7000〜8000mで1周1〜1.5秒遅くしても、そこで“タメ”を作った方がいい。
 それは、ちょっと長距離を知っている人なら誰でもわかることなのに、隣のO田記者に向かって叫ぶように説明してしまいました。タメを作った三津谷選手は、8000mを過ぎてペースを戻します。このあたりから脚勢も感じられて、もう絶対に大丈夫だと思いました。400 m毎のラップも紹介したいですね。
 フィニッシュ地点には大森選手も待ちかまえていました。当初の情報では、大森選手は宿舎に戻り、松浦監督だけが観戦すると聞いていたのです。だから、「何1000mでグラウンドに来たの? 何mで監督から電話をもらった?」と、質問して大森選手を戸惑わせてしまいました。実際は、大森選手もレース中ずっと観戦&応援していたのです。
 フィニッシュ後の2選手の感動の仕方が、ちょっと質が違っていました。それは、記事にも書いたように、実際に走った選手と、応援していた選手の違いだったと思います。昨日の日記に書いたこととも似ていますが、走った三津谷選手は絶対にA標準を切るつもりでいました。応援に回った大森選手は、A標準は正直厳しいのではないかと考えていました。その差が、ウルウル系の感動(大森選手)と、さわやか&やったぞ系の感動(三津谷選手)の違いになったと思います。

 初めてのホクレンDistance Challengeの取材、感動的なレース、最後にはNISHIの方を通じて余ったお弁当までいただき、「寒かったけど、いい一日だったな」という余韻に浸りながら旭川のホテルに戻りました。しかし、部屋でメールをチェックすると、またぞろ選考に関するメールが数通。地区インターハイに関するメールは、送信者の皆さんがそれなりにしっかりした考えを持っていると感じましたが、選考問題の送信者の方たちはどうも…。知識の浅さから生じるものは仕方ないとして、よくない勘違いもあったりしたので、時間ができたら取り上げさせていただきます。
 おっと、ISHIRO記者の地区インターハイに関する考えも、掲載しなくては。
 しかし、日記まで書いてしまいましたね。今日の記事は、大森選手のコメントを紹介するだけでいいかな、と思っていたのですが。今日の日記は比較的速く書けた方なのですが、それでも、抱えている原稿の多さを考えると…。昨日、旭川の生んだスーパー編集者こと陸マガ秋山君が「大丈夫ですか?」と心配してくれました。陸マガだけで、膨大な原稿を抱えています。冷静に判断して、日記なんかを書いている場合じゃないのですが、今日の内容だったら、仕事原稿にも勢いがつくと判断しました。それに、いざとなったら寺田には奥の手があるのです。
 文字にすると、ちょっと刺激が強すぎるというか、誤解を招くかもしれないので、例によって「18禁」と断りを書いてから紹介することにします。


◆6月30日(木)
 本日は北海道某所で取材。昨日はO田記者への対抗意識もあって三津谷祐選手と大森輝和選手のダブル代表決定に感動してしましたが、今回の出張は今日の某女子選手への取材がメインでした(某女子選手といっても棒高跳の選手ではありません。昨日は、旭川から棒女子選手へ電話しましたが)。昨日、あれだけのレースを見せられると今日の取材がどうかな、と若干の懸念もありましたが、どうしてどうして、今日もまた、すごい話を聞くことができました。それなりに予習もできていて、期待はしていましたが、期待以上の面白さでした。昨日はレース&代表選考、今日は人物ものということで、性質は違って比べられませんが、甲乙付けがたいくらいにすごかった。
 O田記者ではありませんが「記者をやっていたよかった」と思いました。ただ、ここまですごいと思える話だと書くのも大変です。それが仕事? それは、そうなのですが……選手だってすごい記録を出すときは大変ですよね。ちょっと都合のいい理屈です。良い子は真似しないように。
 撮影担当はお馴染みの高野徹カメラマン。陸上取材の“TT最強コンビ”です。“最強TTコンビ”と書くと、「オマエらそんなにすごいのか」と言われてしまうので、TTコンビの中では最強、という表現にとどめました。陸マガ次号の某選手5ページ企画は、写真も期待してください。

 帰りがけ、某チームの選手たちの前で急きょ、ひとこと挨拶する展開に。緊張しました。失言もしてしまって……冷静さを欠いていたというか、頭が回らなかったというか。次の機会に挽回しないと。
 帰りは空港まで、高野カメラマンの運転するレンタカーで移動。高野カメラマンと児玉編集長がしきりに、古いカーナビと実際の道順の検証で苦労しているのをしり目に、後部座席で熟睡。実は寝不足……じゃなくて、感動疲れですね。空港では原稿を20行1本と40行1本、書きました。機中では、今日の取材ノートを読み返して、考えを整理。東京に着くと、湿気に圧倒されました。今日の取材でお邪魔した旅館が、長距離チームの予約でいっぱいなのも肯けます。

 選考問題に関するメールと、ISHIRO記者の地区インターハイに関する考えと、「18禁」ネタは明日以降に。明日からの日本インカレは、全日程行くのは厳しそう。


◆7月1日(金)
 今日は朝の9時に都内で仕事。その後、日本インカレ取材のため国立競技場に行きたかったのですが、どうしても今日提出しないといけない原稿があって、泣く泣くあきらめました。何日も前から締め切りはわかっていたことで、昨日までに書けなかった自分が悪いのですが。スタンドのプレス席から競技を見ながら原稿を書く、ということも時々やりますが、今日の締め切りは、そんな半端な書き方ではとても間に合いそうにありませんでした(編集者時代はよく、優勝者名鑑のコメントとかスタンドで書いていましたね)。
 なんとか書き終えたのが18時。男子1万mに間に合う時間でしたが、寝不足気味ということと、明日以降も締め切りが続くことを考えて、取材に行くのは控えた次第です。でも、1万m見たかったですね。佐藤悠基選手の走り。東海大がワンツーですか。どうしようもなかったですけど、残念でした。

 昨日取材した原稿を少しでも書き始めたいのですが、男子1万mの選考問題についていただいたメールに関して言及したいと思います。基本的に冷血漢(レイケツカン)ですから、少しの誤解なら放っておくのですが、ちょっと書いた方がいいと感じた点があります。

メール@ 大森選手と三津谷選手のことに感動したとのことですが、陸連の措置が結果的に良かったと肯定しているのですか?

 陸連の選考やその後の処置が良かったとは、ひと言も書いていないのですが…。余分なプレッシャーを受ける状況の中で、それをはねのけて素晴らしい走りをした三津谷選手に感動したのです。今回の結果で、明文化した選考基準を覆した陸連の非が、結果オーライの雰囲気になったらよくない、というのは誰でも思うことでしょう。現地でも、そういう声は何回も耳にしました。わざわざ、断りを書くようなことでもないと思ったのですが…。
 陸上の人気を高める必要があると書いたときにも、ちょと誤解をされている方がいました。寺田のこのサイトは、陸上競技経験者をもう一度、競技会のスタンドに戻すためにやっている、と書いたら「寺田さんはOBを重視しているようですが、私はもっと一般の人に……」というメールをいただきました。
 理想は一般の人たちにも陸上競技の面白さを理解してもらうことですが、自分が今、何ができるかを考えたとき、OBを対象に頑張る方が効率がいいということです。このサイトが、一般の人の目に触れることはないですよね。一般の人が見るテレビや新聞など一般メディアにも、協力していますよ。できることはやっているつもりです……が、努力が足りないことは認めます。
 万人の理解を得られる書き方って、難しいですね。誤解されるのも自分の能力不足ゆえ。と、己の無力さに身がつまされる寺田です。

メールA 陸連は爆発的な能力を秘める若さと、将来性とで、1度は三津谷くんに決めたのではないでしょうか? 私は陸連に一票です。

 どちらが強いか、という問題ではありません。と、選考問題が顕在化したとき一番最初に書きましたよね。あくまでも、陸連が選考システムを無視したことに対する非難です。今後、三津谷選手がどんなに活躍しても、一度決めたシステムをレース後に覆して、代表を目指す選手たちの努力をないがしろにした陸連の姿勢は、許されるものではありません。それとこれとは別、っていうやつですね。
 アテネ五輪の女子マラソン選考の際にも感じたことですが、選考問題を口にする人の何割かは“どちらが強いか”を論じたいだけのような気がします。寺田が選考方針の問題だったと書いても、「高橋選手の方が強い」というメールが相次ぎました。万人の理解を得られる書き方って…(同上)。

メールB 規定通りに陸連が大森選手を選んでいたら、マスコミは「日本選手権の優勝者が代表にならないのはおかしい」と書くのではないですか。日本選手権の重みを強調する寺田さんも、そうするのではないですか。

 そう書いたらいけないのですか、と逆に質問したくなります。ある決定がされて、その決定システムがおかしいと感じたら、次からこう変えましょう、改善しましょうと議論をすることのどこがいけないのでしょうか。“どちらが強いか”論には食傷気味ですが、マスコミや世論が選考システムに関して論じること自体は、前向きなことです。
 マスコミが代表決定システムを批判をすることと、決定権を持つ組織が選考システムを間違って適用することを混同した意見です。なんでも、どこかのサイト(掲示板?)で陸上知識が豊富な方も、同じ意見を書いているとか。マスコミと陸連の立場の違いが、わかっていないんじゃないでしょうか。なんでもかんでも、陸上界で1つの意見に統一しなければいけない、という意識が強いのでしょう。気持ちはわかりますけど。

 弁解じみたことを書くのって、疲れます。“日本選手権の重み”に関しても、寺田が感じている日本選手権の重みと、世間や陸連の方が口にする日本選手権の重みは、違いがあるように感じています。これを書くとまた長くなるので、気が向いたらということで。


◆7月2日(土)
 日本インカレを取材。月曜日締め切りの行数(700行くらい?)を考えると寝付きならぬ取材付きが悪いのですが、まあ、奥の手がありますから。
 東京陸協の報道受付は箱根駅伝解説でお馴染みの碓井哲雄さん。取材に来る記者の少なさを指摘されていました。例年のことですが、札幌ハーフに大物選手が出ると、どうしても同じ日程の大会には、記者が来られません。明日の札幌には、五輪メダリストや、8月の世界選手権代表がかなり出ますからね。
 碓井さんがもう1つ、嘆いていたことがあります。それは、母校・中大の低迷ぶり。確かに、男子は2日目終了時点でたったの3点。全盛時に在籍したOBとしては、信じられない思いだったに違いありません。

 日本インカレは、どこかに記事を書く仕事はありませんが、明日はインカレ会場で重要な取材があります。TBSと陸マガのタイアップ記事で、某監督と現地レポーターをつとめる山縣苑子さんの取材。その段取りをしました。
 それとは別に、三重の二枚目助教授こと三重大の杉田監督にも、連絡することがありました。ウォーミングアップ場でキョロキョロしていたら、運よく向こうから声をかけてくれました。一番の用事はすぐに済んだのですが、寺田から1つ提案をさせてもらいました。それは、先日北海道で取材させてもらった選手が、故障らしい故障は1回だけという、信じられない少なさだったので、陸連科学委員会で分析したらどうかという内容の提案です。
 その話をきっかけに、トレーニング方法について突っ込んだ話し合いが展開しました。具体的に書いてもいいのですが……そうですね、現状は2つの方向のトレーニングばかりが重視されていますが、第3の方向をもっと重視しないと行き詰まる、という感じです。
 しかし、その理論に説得力を持たせるには、何よりも結果が大事。世の中、顔が良いだけでは通用しません。写真を撮らせてもらったら、偶然にも福島大・川本和久監督が後方に写っていました。地方の大学でゼロからスタートして、今日のような隆盛を築いた川本・福島大が目標です。二枚目助教授はイバラの道を進む覚悟をしています。

 最近、奥村愛子のCDをパソコンに録音して、よく聞いています。記者室で記録を集めている某専門誌のO村ライターに「奥村愛子との関係は?」と質問すると、「誰ですか? 奥村チヨなら知っていますが」というリアクションに困る返事。しかし、地区インターハイのレベル格差に関する、O村ライターの解決策は素晴らしかったです。これは、マジで一考に値すると思いました(「一考する」の主語は???)。そのうち紹介しましょう。

 日本インカレの記事を書く予定はありませんが、世界選手権の展望記事を陸マガに書きますから、世界選手権代表選手や、追加代表になりそうな選手は取材します。取材したら記事も書かないと、ということで男子100 m110 mHの記事を書きました。野口純正氏からさっそく、「向かい風1.3mの10秒33は、B標準どころかA標準の10秒21に相当する」というメールが来ました。佐分選手の身長と体重から投影面積という部分も考慮しての計算法だそうです。だったらなおのこと、ケガのことが気になります。
 すみません。一番肝心の女子4×100 mR学生新6連覇の写真を紹介するのを忘れていました。「学生新とすぐに気づきましたけど、福島大新とは気づきませんでした」と川本先生に言ったら、「わざとらしくボケなくていいよ」、と言われました。

 色々な人と話ができて、充実した一日でした。その分、原稿が……。


ここが最新です
◆7月3日(日)
 国立競技場で日本インカレの取材。というよりも、インカレ会場で陸マガ次号のTBSタイアップ記事用の取材です。
 まずは、新人リポーターの山縣苑子さんの写真を撮影しようと、代表の成迫健児選手の400 mHレース終了後に、ミックスドゾーンで2人が接触するシーンを抑えました。成迫選手のコメントは聞けませんでしたが、タッチダウンタイムはしっかり計測したので、その分析をして記事にできそう。ただ、ミックスゾーンが暗かったので、誌面への掲載は、閉会式終了後に高平慎士選手と撮ったツーショットになりそうです。成迫選手、ゴメンなさい。
 続いて、法大・苅部俊二監督の写真を第4コーナー最上段のスタンドで撮影。国立競技場は苅部監督が世界選手権に初出場した東京大会の会場でもあります。14年前の思い出も少し話してくれましたが、「そうだったんだ?」というネタも出てきます。苅部監督に限らず、時間が経ってから当事者にその時を思い出してもらうと、結構面白い話が出てきそうですね。
 再度、山縣さんのもとに移動して、表情のアップを数点撮影(掲載できるかな?)。笑顔が印象的で、本人も表情豊かなところを自身のチャームポイントに挙げています。でも、真剣な表情も、矢田亜希子ばりでなかなかいけると思います。あの鈴木専哉選手や山下徹也選手を生んだ磐田南高の陸上部出身。インタビュー取材も、かなり面白い話が聞くことができました。
 テレビのリポーターになるには、昨日の三重の二枚目助教授ではありませんが、容姿だけでなく努力も必要ですし、そういったポジションに飛び込む勇気も必要。陸上競技経験者が、そういう立場になったのは嬉しく思います。ちょっと前の日記でも触れた話題ですが、世間一般に陸上競技の面白さを広めることができるかもしれないのが山縣さんのポジション。こちらができることがあれば、積極的に協力したいと思っています。
 ところで、出身地は寺田が袋井で山縣さんが磐田。取材をアテンドしてくれたTBSの萩野瞳さんが浜松の出身(浜松市立高で砲丸投選手。東海大会出場)。今まで仕事をして、浜松出身の方には何度もお会いしましたが、袋井・磐田・浜松と隣り合う3市の出身者が揃うことはありませんでした。とっても珍しいケース。今後も、まずないのではないでしょうか。

 女子200 mでは丹野麻美選手が23秒73の学生新。昨日の4×100 mRの学生新もそうでしたが、今回は原稿を書かないということもあって、ほとんど取材をしませんでした。これはいけないと思い、4×400 mR終了後には話を聞かせてもらった次第です。世界選手権展望関係で、絶対に触れないといけない選手ですから。
 今季の丹野選手は、特に日本選手権からですが、前半からスピードを上げることに成功しています。昨年までは、1人だとそれができませんでした。吉田真希子選手や外国選手たちに引っ張ってもらえたときにしかできなかった。それで、川本和久先生が命名したのが小判鮫走法。小判鮫は鮫ではなくて魚ですが、この“鮫”という文字が、丹野選手のイメージに合わないと個人的には思っていました。しかしもう、現状は走り自体が“小判鮫”ではなくなっています。そこで昨日、川本先生に「新しい走法の名前を考えておいてください」と依頼しました。
 他人任せもどうかと思い、寺田も一応考えました。“ひとりで前半から行くのもタンノしい走法”です。それを丹野選手に打診。「ダメです」と言わないところが、さすが大和撫子。念のために「他の選手たちからヒンシュク買うかな?」と確認すると、「そうかもしれません」。やんわりと否定されてしまったわけです。
 川本先生が披露してくれた新ネーミングは“和ちゃんスペシャル2”。うーん。これはこれで、歴史的な背景も踏まえていて、とっても奥も深いのですが、なんのことか理解するには長い説明が必要です。どなたか、いいネーミングの浮かんだ方は、メールをください。


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