続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2005年3月 一生に一度の3月
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◆2月25日(金)
 今日も11時からある女子選手の取材でした。場所はできたてほやほやの、羽田空港第2ターミナル。JISSでの合宿が終わり、地元に帰るところで時間をいただいた次第です。女子選手はグラウンドと普段の私服姿では印象がずいぶん変わるのですが、今日も、その差が大きくて最初はドキっとしましたね。
 関西ではありませんが、そちら方面の選手だったので、取材が決まったときから「オチを用意しておこう」とずっと考えていました。それが、関西の女性と同席するときの寺田のポリシーです。先日もある取材で同席させてもらった大阪の某社広報の方が美人で……この話はいつか、機会があったら紹介します。

 今回、なかなかオチを思いつかなかったのですが、昨日の取材の帰りに、いい物をいただいていました。お邪魔した会社が製造しているカップ入りのインスタントぜんさいを20個以上ももらっていたので、それを持参。寺田が8個もらい(新宿の作業部屋にキープ)、今日取材した○○選手には荷物にならないように6個、小さめの手提げ紙袋に入れて手渡し、残りは陸マガ編集部に。
 ○○選手は「学生時代は甘い方に流されていた」と、昨年コメントしていたことがあったので、「ご家族か職場の方で食べてください。○○さんは食べちゃダメですよ」と釘を刺して渡しました。陸マガの秋山編集者には「締め切りを甘くしてくれ、という意味じゃないから」と。
 こういった冗談も言えるくらい、取材はリラックスモード。当たり前ですが、リラックスできた方がいい取材ができます。リラックスが行きすぎて、横道にそれる可能性も若干ありますが、今日は大丈夫でしたし、相当に面白い話を聞くことができました。それもこれも、陸マガのコロンボ(本当の能力を、とぼけたキャラで隠すという意味)とも言われる秋山編集者が同席してくれたおかげ。寺田も、1月の広島男子駅伝の際に大東大・只隈監督に、サイトに冗談ばかり書いているのは、コロンボのような狙いがあると言いましたけど。
 まあ、実際にそうだったら、自分でそんなこと言いませんよね。


◆2月26日(土)
 中国新聞の下手(しもて)記者が、陸上競技担当からサッカー(Jリーグ)担当に異動になったと、メールをいただきました。最近では1月の広島男子駅伝でとってもお世話になった方です。陸上担当期間中にパリ世界選手権、アテネ五輪を取材されました。特に、パリの男子マラソンでは、広島勢4人(油谷繁・佐藤敦之・尾方剛・清水康次)で団体金メダル。君が代が流れたときは感慨深かったそうです。有森裕子選手や為末大選手など国際的に活躍する選手も多く輩出した地区の新聞で、現デスクの渡辺さんをはじめ伝統的に、陸上競技のレベルの高い記事を載せているのが中国新聞。その陸上競技担当ということで、色々と大変だったと思います。お疲れさまでした。
 何度か書いてきたように、新聞記者には人事異動がありますが、フリーランスの寺田にはありません。中国新聞だけでも、寺田の携帯電話のメモリーには小笠さん、黒神さん、下手さんと3人の番号が入っています。うつろい行く世間に対し、自分だけ時間が止まっているような錯覚をするときがありますが、携帯電話のメモリーをチェックするときも、そのうちの1つですね。先日、実家で姪と甥の成長ぶりに接したときもちょっと、そんな感覚に襲われましたけど。

 携帯電話といえば、メモリーが500件一杯になったので、ダブっているものをチェックしたり、絶対にかけないだろうというものをいくつか削除して、24件の空きをつくりました。これも以前書きましたが、陸マガ編集部で一番最初に携帯電話(PHSでしたが)を持ったのが寺田です。当時のPHSは通話がブチブチ途切れるので、ドコモの携帯に変えて、そのドコモも当時は音質が悪かったので、Kカメラマンの勧めでJ−フォンに変えました。それから約6年でメモリーが500件に達したわけです。ちなみにドコモの携帯は富士通製でした。そういえば、新井初佳選手を03年夏に陸マガの持ち物検査企画で取材させてもらったとき、富士通製の携帯を持っていました(what does it mean?)。
 しかし、メモリーの数が飛躍的に増えたのは、独立して個人で事業展開をするようになってから。前述のように、仕事仲間ともいえる記者の方たちや、取引先の担当は変わっていきます。各方面の人とのつながりも、どんどん増えています(自腹であちこち行っている成果でしょうか)。最初は、500件あれば余裕だな、と思っていたメモリー件数でしたが、ついに一杯になってしまった次第。

 バッテリーの持ち時間も短くなってきているので、「そろそろ機種変更の潮時かな」と思って、現在売られている機種を調べました。西新宿のボーダフォンショップでカタログをもらったのですが、今の機種でもメモリー件数はどれも500件なんですね。唯一、ノキア製で4000件だったか2000件というのがありますが、他の部分で使いにくそうです。メモリー500件が一杯になるのって、普通じゃないのでしょうか?
 ということで、機種変更は少し待つことにしましたが、料金プランを変更した方がいいことに気づきました。料金プランは6年前のものを、そのまま適用し続けてきました。というか、変更しようとか、特に気に留めなかったのです。で、今回、現行の料金プランと、最近の通話料明細をチェックしてみると、明らかに節約できる料金プランがあることがわかりました。携帯を使い始めた頃と現在では、当然、使用頻度など知らず知らずのうちに変わってきています。長く使っている方は一度、料金プランをチェックすることをお勧めします。


◆2月27日(日)
 横浜国際女子駅伝の取材…には行きませんでした。行けませんでした、と言った方が正確です。貯め込んだ原稿をそろそろ、書き上げていかないとまずい状況になってきたのです。今月後半は本当に取材続きで、電話取材も含めれば、一日の空きもなかったと思います。アウトプットする作業を頑張らないと。と言っても、月曜日からまた、取材も2日に1回の頻度で続きます。心地よい緊張感から、焦りを伴った緊張感に変わりつつありますね。乳酸値に例えるなら、ATポイントちょっと(かなり?)上回ったところでしょうか。

 とはいっても、横浜国際女子駅伝はテレビで見ていました。現場でないのは残念ですが、WEBサイトを見ながらテレビ観戦できるメリットも。横浜がスタートした少しあと、熊日30kmはもう終わったかな、と思って熊本日日新聞のサイトを見ると、松宮隆行選手(コニカミノルタ)が1時間28分00秒で優勝したと、短い記事が出ています。世界記録と見出しになっていないのは何故なんだろう? と気になりましたが、タイムが間違っていなければ、間違いなく世界記録です。
 夜には5km毎の通過タイムも、2位以下のタイムも判明。2位に2分46秒の大差をつけたのがすごいですね。一昨年の世界記録のときは、2位の前田和之選手も1時間29分台でした。今回は8kmと早い段階で独走となったことで、2つのレースが同時進行する形となったのでしょう。そうなると、後続選手は前を追わず、タイム差が大きくなることも多いのです。松宮隆行選手の力が、他の選手より一枚も二枚も上だったことが前提となりますが。普通は独走したら後半落ち込んで、集団で力を貯めた選手に抜かれることの方が多いのです。

 横浜のサイトはチーム毎のメンバーは紹介されていましたが、前日に決定した区間エントリーが載っていません。観戦者には必須の情報なのですが…。でも、記録速報は本当に速報でした。10km区間に関しては、定点の通過タイムもすぐにアップされていて、この辺はさすが日本テレビといったところ。箱根駅伝で培ったノウハウでしょうか。昨晩の関東インドアオープンも、優勝者全員のコメントが放映するあたりは、好感が持てました。ただ、生中継でないのに実況で選手名を間違えるのは…。

 夕方、ボーダフォンショップに行って料金プランを変更しました(昨日の日記参照)。今回の変更はそもそも、家族T氏が料金プランを見直したい、と言い始めたことがきっかけでした。寺田がぐずぐずしていたのですが、昨日の日記で書いたように、メモリー件数が一杯になったので、やっと重い腰が上がったわけです。
 ボーダフォンの第3世代携帯は、海外でもパソコンと接続して通信ができるようです。45カ国と通話可能国数と比べると半減しますが、陸上競技の取材で行く国は大丈夫そう。東ヨーロッパと来年アジア大会のあるカタールがダメですけど。設定も国内と同じものがそのまま使えるのがいいですね。これまでも、レンタル携帯電話で海外でもネット接続ができるものはありましたが、マニュアルが英語だったりしてPC側の設定が面倒でした。それに、実際に海外に行ってみないことには試験接続ができませんでした。
 この辺がクリアされるとなると、海外でも安いホテルに泊まれます。これまでは、ネット接続を心配して高めのホテルにしたことも多かったのです。データ通信時の課金は、1.28MBで約2000円のようです。ホテルを1ランク落とせば、軽く取り返せる値段でしょう。次の海外取材前に、第3世代機種に変更することにします。機種変更は2年半ぶりです。前回は釜山アジア大会前に、末續慎吾選手同様トイレに水没させたときでした。メモリーのデータはぶっ飛びました。その後は気をつけて、同じ過ちは繰り返していません。末續選手はどうでしょう? 今度会ったときに聞いておきます。

 17時に書きかけの400行原稿を仕上げ、料金プラン変更後に新宿のカフェで60行原稿を1本書きました。残りの本数は…。


◆2月28日(月)
 昨晩締め切りの原稿を13:55に送信し、16時には都内某社に。面白いエピソードがありましたが、残念ながら紹介できません。相変わらず、秘密の多い生活をしている寺田です。
 ときどき、この日記を読んで「寺田さんって、○○ですよね」と言われる方がいます。細かい部分の話がほとんどですが、たまに、生活全体をこうだと推断される方がいらっしゃいます。反応があるのは嬉しいのですが、この日記は寺田の生活・仕事のごくごく一部ですから、ここに書かれていることから全体を予測するのは、どうかと思います。
 別に隠すつもりはないのですが、成り行きで秘密にせざるを得ないことも多いのです。医者や弁護士に患者や依頼主についての守秘義務があり、秘密情報部員などの国家公務員にも国家の機密保持の義務があります。寺田も、ジェームズ・ボンド真っ青という生活と仕事をしていますから。ちなみに、ジェームズ・ワイナイナ選手(小森コーポレーション)が今度のびわ湖マラソンに出場するみたいです。彼に会って「ジェイムズ!」と声をかけると、007映画の登場人物になった気分になれます。女性だったらきっと、ボンド・ガールになった気分になれるはず。ウソだと思うなら、実際に試してみてください。

 19:45に陸マガ編集部に。2004年記録集計号を入手しました。読んで気づいたことはまた、おいおい紹介していきます。
 ジェームズ・ボンドと対極のキャラが刑事コロンボです。先日、秋山編集者が“本当の能力を、とぼけたキャラで隠す”という意味で、陸マガのコロンボだと紹介しました。今日はある仕事を……詳しいことは書けませんが、なかなか徹底してキャラを演じきっています。


◆3月1日(火)
 11時から都内某社で、あるベテラン選手の取材。今日も面白い話が聞けました。今回の取材は記事を書くメディアの性格上、中学生や高校生、選手の親からの質問に答えてもらわないといけません。この質問は答えにくいだろうな、と思える内容にも、こちらが期待する以上の話を出してくれます。感動ものでした。
 昨日、陸マガ編集部で「明日は○○選手の取材なんだ」と話すと、Y口編集者から「阪神の下柳に似ていると言われないか、聞いておいてください」と頼まれました。取材終了後の雑談中にそれを質問すると、「言われたこともないし、あんなおっさん顔じゃない」との答えでした。寺田は下柳選手の顔をよく知らないので、ノーコメントです。

 今日は2004年記録集計号の発売日です。今年の特徴はやっぱり、マラソンなどロードの記録ですね。コース条件(@発着点の高低差が1kmあたり1m以上下っていない A発着点間の直線距離が、レース距離の50%以内)を満たせば公認記録となり、これまで世界最高記録と言っていたものが、世界記録と言えるようになりました。逆に、公認条件を満たしていないコースで出た記録は、非公認になってしまうものにわかれてしまいます。
 2004年でいえば、野口みずき選手はオリンピックで金メダルを取ったにもかかわらず、集計号の表紙になったにもかかわらず、マラソンの公認記録がないということに。集計号の日本100傑にも名前がありません。どこか物足りなさを感じてしまいますが、別リストにして記載されていますので、ご安心ください。


◆3月2日(水)
 夕方、450行原稿を書き上げました。久しぶりに、ねちっこい内容です。たぶん、専門誌でなければ書けないような内容です。一般誌とどこが違うかというと、上手く説明できないのですが、似たようなネタが、違う話題の中に登場するのです。Aというテーマの中にpという具体例を出したとします。Cというテーマの中にもp’のネタがあるといった感じです。これをやると、一般誌の読者はまずついて来られない。混乱してしまうわけです。
 休憩と、ちょっと別の仕事をはさんでから読み直して、かなり書き直しました。これは、文章の流れや、書く順序の変更で、ネタ的に新たに加えたのは1箇所だけ。表のデータで、1990年前後のものまで調べたのですが、どこを探せばいいのかがわかっているので、時間はそんなにかからないはずでしたが、なんやかやで手間取ってしまいました。
 自分なりに頑張ったのですが、欲を言えばもう少しすっきりさせたかった、という感想の記事です。陸マガ4月号に掲載予定です。

 遅くなりましたが、上智大の伴卓磨選手(伴宙太との関係は不明)からのメールを紹介します。関東インドア・オープンの1マイルに優勝した選手で、寺田が2月19日の日記に
男子1マイルでは上智大の伴卓磨選手が亜大の阿久津浩之選手に競り勝ちました。強豪選手不在のレースでしたが、陸上強豪大学の選手ではありませんから、嬉しかったのではないでしょうか。伴選手は4年生です。卒業間際のこの時期まで、しっかりと練習をしてきたということ。学生最後の花道と思って頑張ってきたのか、何か他に、余人には想像できない理由があったのか。
 と書いたら、メールを送ってくれました。このサイトへの日記への転載許可を求めたところ、「陸上に取り組む意識、モチベーションが上がってくれる人が少しでもいるのなら」と、快諾してくれた次第です。

 上智大学陸上部の伴卓磨と申します。日記に僕が横浜インドアで勝った記事があったので、思わずメールさせていただきました。

 僕は、陸上関係者から見たら100%ありえないと思われるローテーションでこのレースに臨みました。それは東京国際マラソン(2時間28分45秒で53位)―→横浜インドアと、中5日で距離が25分の1になる2レースを連戦しました。しかも東京国際は、自分なりに最高のレースで、その結果、疲労も大きかったのです。僕は中距離選手ではありますが、後期は駅伝や予選会(2004年は基準記録達成者が9人だったため不出場)などがあるので長距離をやっています。マラソンは昨年も出場しましたが、40km手前の関門に引っかかってしまいました。40km地点=四ツ谷付近=上智大学の前=応援たくさん、という状況だったにもかかわらず、苦い思い出となってしまったのでした。今年こそは皆の応援に応えようと思って、そして2時間半を切ろうと思って、そして学生最後の花道だと思って自分なりに走り込んで(といっても一般的なマラソン選手がやる走り込みの半分程度ですが)挑んだ形でした。

 そして横浜インドアでしたが、練習はもちろん積んでいましたが、中距離の練習は皆無でした。なんでラスト1周があそこまで走れたのか、自分でも不思議です(ちなみに優勝インタビューでは、「先週マラソンを走ったり、長い練習ばっかりしてきたので中距離としてのバネが溜まっていたのだと思います」という自分でも意味わからないことを言てしまったと思っていたのですが、実際の放映を見たら「6日前にマラソンを走ってどうなるかわからなかったのですが、自分の得意の展開だったのでいけるかなと思いました」と話していました)。調整も無しでしたし。
 今回、マラソン6日後なのに出場しようと思った理由は簡単です。昨年インドアを走ってとても楽しかったから、そして1マイルという距離を走ったことがなかったので一度走ってみたかったから、ただそれだけです。特別レースであったり、賞金があったりということは全部終わった後に知りました。特別レースとプログラムに表記されているのは知っていましたが、どういう意味なのかは理解していなかったのです。まさかインタビューがあるとは思いもよらなかった(それ以前に亜細亜の阿久津選手に勝てるとは思っていなかった)ので、だから余計なプレッシャーや欲がなくて、今回の走りにつながったのかもしれません。
 また今回は、長距離練習だけだったので1000mも行かないうちに呼吸が苦しくなりました。しかし、逆に足は動いたのでラスト1周でもしかしたらいけるかも、という思いになって、頑張れました。寺田さんの文にもあるように、小さいとはいえ初めて関東の学生のタイトルを獲れて本当にうれしかったです。

 僕は就職しても陸上は続けていくつもりです。当然陸上部がある会社ではありません(進路先は陸マガ2月号に載ってました)が、うまく時間を見つけてやっていって、いつかは1500mで日本選手権出場という目標を果たしたいと思っています。僕自身、高校時代は東京都大会に出場できるかできないか程度の選手で、日本選手権はもちろん、最初は関東インカレ(1500m4分切り)すら頭にない感じでしたが、自分なりに工夫してやってきて、もしかしたら狙えるかも、くらいのレベルになったので30歳くらいまでに一度は出場してみたいですね。陸上を始めて9年間、専門種目で自己ベストを更新できなかった年はないというのは自分の誇りですし、環境が変わってもこの記録を継続できるように頑張っていきたいと思います。

上智大学陸上部
伴 卓磨



◆3月12日(土)
 久しぶりの日記です。ちょうど10日ぶり。再開のきっかけは、色々あります。ISHIRO!記者が久しぶりに日記(from ISHIRO!)を書いていたり、O内さんの奥様がこの日記が更新されていないとおっしゃったり。しかし、一番の決め手は、先週と今週のある出会い。先週の土曜日はびわ湖マラソンの前日会見で松宮祐行選手の話を聞き、今日は名古屋国際女子マラソンの記者会見で、有森裕子さんとちょっとお話しをしたことを書きたくて…。

 今日の会見の様子は記事にしました。見出しにもしましたが、話の内容から一番自信が伝わってきたのが大島めぐみ選手。注目の29歳世代の一員でもあります。渋井陽子選手は、万全の練習をしていなくても、世界選手権代表くらいはとらないといけない、というスタンスのように感じられました。
 会見後、最も長く記者たちに囲まれていたのが、UFJ銀行の高橋監督。囲んでいたのは、地元メディアの人たちでしょうか(中日新聞&東海テレビも地元メディアにカウントできるでしょう)。その向こう10mくらいの場所に、有森さんがいらっしゃいました。ピンときたのが2人とも、日体大OBということ。年齢も近いのではと思って報知新聞・日比野記者に話すと「昌さんは40歳で、有森さんは川嶋さんと一緒だから38歳」という答えがすぐに返ってきました。このあたりはさすが、長期陸上競技担当記者です。
 有森さんには高橋監督と、在学中から面識があったのかどうかを質問。同室の先輩と仲がよかったということで、面識があったそうです。何より、有森さんが「チーム有森」を結成して、ボストン・マラソン(99年・2時間26分39秒=3位)に挑んだときのコーチだったとのこと。これは、迂闊でした。陸マガ編集者時代に、あの大会は大きく扱った記憶があります。
 今日は、国際陸連女子委員会の仕事で来名され、今日中に地元の岡山入りし、明日のイベントに備えるそうです。

 実は寺田も、この日記は新山口駅前のホテルで書いています。2年前と同様、土曜日に名古屋国際女子マラソンの会見取材→山口入り、日曜日に全日本実業団ハーフマラソン取材→名古屋パーティー取材という強行軍です。会見の記事は大会本部ホテルのロビーで書き上げ、名古屋駅でサイトにアップ。1時間に1本の割合で新山口停車ののぞみがあるのですが、18:34発の禁煙席が満席で、19:34にしたため余裕ができました。
 車中では書きかけだったびわ湖マラソンの記事を1本仕上げ、残りは1カ月も前に取材したある対談記事の取材ノートを読み直しました。
 明日は、とっても寒いらしい。雪も降るみたいです。


◆3月13日(日)
 久しぶりのトリビア・ネタです。
十種競技日本記録保持者の金子宗弘氏は、円盤投のインターハイ優勝者だが、三段跳でもインターハイ全国大会に出場していた。
 金子さんはかれこれ15年も知っている相手ですが、これは今日、本人から聞くまで知りませんでした。10へぇ、いや15へぇくらいの驚きです。この話を聞くに至った経緯を説明することが、今日の寺田の行動を紹介することにもなります。

 朝は7時に起床。新山口駅前のホテルから見た風景がこれでした。全日本実業団ハーフマラソンは中止か?と一瞬、最悪の事態も頭を過ぎりました。でも、すぐに溶ける雪質なのか、道路には積もっていません。山口線(なんと単線です)で矢原に移動し、維新百年記念公園陸上競技場に歩いて向かっていると、雪もほとんど気にならないくらいになりました。
 今大会は3回目の取材。維新百年記念公園は1986年の山口インターハイのときの競技場。いつも思うことですが、ネーミングがすごいですね。徳川幕府の大政奉還が1867年ですから、1967年頃にできた競技場ということでしょう。2050年頃になったら、維新二百年記念公園に改修するのかな、などといつも考えています。

 ところで、今年は山口インターハイから20年目(開催年の86年を1年目とカウントすれば)。さっそく、山口インターハイの経験者はいないかと見回すと、いましたこの人。ミズノの等々力信弘氏です。ハンマー投のインターハイ優勝者、と思って話を聞くと、85年が高校3年で、山口インターハイには1年違いで出ていませんでした。
 そこに、中国電力・坂口泰監督が登場。1500mのインターハイ優勝者ですが、79年の滋賀大会。トヨタ自動車・安永コーチを見つけたときも、この顔は山口インターハイの年代だろうと質問すると、「静岡インターハイ(91年)です」とのお答え。失礼しました。
 これはダメかな、と思って沿道で写真を撮っていると、この選手がファインダーに飛び込んできました。そう、実井謙二郎選手。思わず、シャッターを押す指が震えました。間違いなく山口インターハイ出場者です。同じ岐阜県の早田俊幸選手とともに、出場しているはず。専門誌の記事で写真を見た記憶が甦りました。

 これで、なんとか気持ちの充足感というか、安らぎを得ることができ、取材もなんとか終了して、新山口を13:30頃発の新幹線で名古屋に移動。17:07に大会本部ホテルの最寄り駅である地下鉄・伏見駅に。改札を出てばったり会ったのが、他ならぬミズノの金子氏でした。維新百年記念公園で等々力氏から、「金子が山口インターハイに出ていますよ」と教えてもらっていたので、さっそく、同インターハイの思い出を語ってもらった……わけではありません。
 その時点で寺田は、名古屋国際女子マラソンの結果をまったく知らなかったので、すぐに「結果を言わないで」と釘を刺し、しばらく考えた結果、「優勝は田中めぐみ選手?」と聞くと、違うと言います。「渋井選手?」。やはり、違うと言います。ここで再度、考えました。金子氏の表情が、どことなく喜々としています。それで気づきました。
「原選手だ」
 実は、金子氏は京セラの担当なのです。加古川女子駅伝に京セラが優勝したときに、ちょっとした情報も教えてもらっていました。

 ということで、これがパーティー中に原選手と仕事の打ち合わせをしている金子氏の写真です。この後やっと、山口インターハイの思い出を聞くことができた次第です。円盤投で優勝したことはもちろん知っていました。やり投の出場も予想できたこと。十種競技でも2日目の棒高跳とやり投は、得意種目でしたから(90年の関東インカレでの日本記録のときhがすごかった)。しかし、三段跳でも北関東予選を突破していたとは、まったく知りませんでした。
「棒高跳は当時はそれほど強くなかったんですが、走高跳で2mは跳べましたし、走幅跳も練習したら行けるレベルでした(インターハイは個人3種目まで)。全国で勝負するなら円盤投だと思ったので、日本選手権で6位になった後は円盤投に集中したんです。本番では2cm差の優勝でした。当時の円盤投は2cm刻みの計測でしたから、最僅少差。今だったら1cm差だったかもしれません。それに、親父と同じ種目で優勝できて、親子鷹とか言われました(父の宗平氏は東京五輪代表で元日本記録保持者)。それ以前も親子優勝は何組かあったようですが、同じ種目は珍しかったと思います。室伏より先に僕が達成していたんですよ」
 2cm差だったことや、親子同一種目優勝が珍しいことなど、けっこう知らない話が多くて新鮮でした。そして、同じ日に取材をした山口と名古屋が、こういう形でつながったことが新鮮でした。確定申告で落ち込んだ気分になっても、やめられない商売です。


◆3月14日(月)
 今日は陸マガ4月号の発売日。表紙は、恒例のアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン(AOYJ)受賞選手。今年は室伏広治選手でした。2位の野口みずき選手とはAOYJ史上初の、総合得点が同点という珍事(1位得票で1人の差)。五輪金メダリスト2人誕生というシーズンにふさわしい結果だったかもしれません。
 寺田も投票させていただきました。編集部から投票依頼用紙が届いたのが12月22日。その日の日記にも書いたように、WSTF(新宿の作業部屋)に届いたタイミングと、寺田が留守にしたタイミングが合ってしまい、投票(これはEメール)が翌日になってしまいました。その結果、例年、一番乗りを果たしているAOYJの投票で、陸マガ編集部のY口君に後れをとり、2番になってしまったのです。痛恨の極みと言わずして、なんと言っていいのかわかりません。しかしY口君は人の数少ない楽しみを奪って、何か楽しいのだろうか?
 だいたい、投票依頼をその場で受け取れる編集部員と、郵送で受け取る外部スタッフでは、タイムラグが生じるのは当然です。というか、編集部員がその気になれば、絶対に負けないシステムになっている。外部スタッフで一番、ということで十分に価値があると思います。

 トップ10は以下のような顔触れとなりました。
1位 室伏広治(ミズノ)
2位 野口みずき(グローバリー)
3位 油谷 繁(中国電力)
4位 土佐礼子(三井住友海上)
5位 渋井陽子(三井住友海上)
6位 沢野大地(ニシ・スポーツ)
7位 諏訪利成(日清食品)
8位 谷川 聡(ミズノ)
9位 坂本直子(天満屋)
10位 小林史和(NTN)


 寺田の投票とはかなり違います。それは、当然といえば当然。多数の人間の投票を集計すれば、平均的なものになるわけです。個人でランキングを作成すれば、個々の考え方が強く出ますが、投票ではそれが出ない。以前にも書いたように、種目が違う選手の優劣を決める明確な基準なんて、あるわけがありません。だから、投票という手法を用いるのです。

寺田が投票は以下の通りでした。
1位 室伏広治(ミズノ)
1位 野口みずき(グローバリー)
3位 油谷 繁(中国電力)
4位 沢野大地(ニシスポーツ)
5位 谷川 聡(ミズノ)
6位 森 千夏(スズキ)
7位 杉森美保(京セラ)
8位 中田有紀(栄クリニック)
9位 小林史和(NTN)
10位 小島初佳(ピップフジモト)

 どうしても、1・2位別にしないといけないときは、こっちの選手にしてほしいと書きました。が、室伏選手と野口選手のどちらと書いたのか、忘れてしまいましたけど。
 投票結果はほぼ、オリンピックの活躍度とイコールです。そこに、女子マラソン日本最高&世界歴代4位の渋井陽子選手が5位に入り、男子1500mで27年ぶり日本記録更新の小林史和選手が10位に入ったわけです。オリンピックの活躍度という尺度で、まとまっている結果だったといえます。

 その点寺田は、5位まではオリンピックでの活躍度で選んでいますが(同一種目で2番目の選手は避けています。なぜだと問われると困るのですが)、6位以下は別の尺度で選びました。森千夏選手は女子砲丸投で初めて18mを突破したこと、杉森美保選手は女子800 mで2分の壁に迫ったこと、中田有紀選手は七種競技で6000点突破に迫ったこと、プラス、この3人はそれぞれの種目で40年ぶりの五輪代表となったことを評価しました。小林史和選手は最古の日本記録更新、小島初佳選手は日本選手権女子100 mの7連勝を評価してのリストアップでした。
 このランク付けの背景はたぶん、寺田がオリンピック至上主義でないことでしょう。もちろん、オリンピックが選手たちの最大目標であり、競技レベルも高いのは承知しています。でも、オリンピックという1つの価値基準で陸上競技を見たら、面白くないと思うのです。レベルの低い種目でも、頑張っている選手がいれば感動します。
 繰り返しますが、色んな評価基準があると思いますので、自分の考えが絶対だと言うつもりは毛頭ありません。こんな見方もある、という参考になればと思っただけです。というか、投票結果と寺田の投票との違いを見て、楽しんでいただけたらそれでいいのです。こういった企画は。

 今日は、世界選手権マラソン代表の発表がありました。世間の注目度はオリンピックほどではありませんが、今回もそれなりに注目を集めました。オリンピックのマラソン代表選考に関しては、システムが現状に合っていないと、1年前の日記で何度も書きました。しかし世間は“誰を選ぶべきか”だけで議論百出状態でした。そういえば、選考レースの結果よりも人気が判断基準になっている世間の反応に、「選考レースでなく、投票で五輪代表を選べばいい」と言っていた人がいました。


◆3月15日(火)
 一昨日の山口→名古屋梯子取材を、山口インターハイと金子宗弘さんを軸に紹介したら、一般種目の話がメインになってしまいました(主人公が金子さんでしたから)。しかし、レースはあくまで長距離の2大会。当たり前ですが、長距離ネタもたくさんありました。
 まずは、沖電気の谷口浩美監督。13日(土)に名古屋国際女子マラソンの前日会見でお会いしたUFJ銀行・高橋監督、有森裕子さんと同じく日体大OB。このサイトの会見記事をご覧になったようで「名古屋じゃなかったんですか」と、声をかけてくれました。
 実業団ハーフでは2位の平良茜選手を筆頭に、沖電気の選手が2・7・15位に入り、女子団体優勝を飾りました。一時は自身が走ることに比べ、選手を走らせることの難しさを感じていたようですが、最近の結果で少しずつ手応えも感じているのではないでしょうか。
 久しぶりにお会いしたのが、富士通監督前監督だった佐藤信春氏。オールバックの髪型での登場(写真を紹介できればよかったのですが)。JAL・AGSの監督として、現場復帰されたのです(正確にいつからだったのか確認しませんでしたが)。それを祝福するかのように、河南耕二選手が10位入賞しました。
 もう1人、久しぶりに会ったのが、元駒大マネの中村君。箱根駅伝4連覇の1回目だったか2回目に、駒大の敏腕主務だった人物です。そういえば、中村君の実家は山口県のお寺だったと思い出しました。当時、駒大の主務は仏教学部の学生が続いたような記憶もあるのですが。しばらく会わないうちに、すっかり精悍になりました。そういえば、某女性ライターも中村ファンでしたね。

 名古屋国際女子マラソンのパーティー会場では、江田良子選手初マラソンの某選手、京セラ大森監督とサミーの森岡監督に話を聞くことができました。


◆4月1日(金)
 前回の日記が3月15日……半月ぶりですね。日記だけでなく、記事の掲載も少なくなって、どうしたんだ? というメールも2〜3来ています。確かに、この半月、取材は少なかったと思います。でも、ネタがないわけではないんです。ロシア語通訳の方からメールをいただいたりして、寺田の周囲に陸上競技のネタは尽きません(と言い切れるのって幸せなことですよね)。陸マガをやめて昨日でちょうど丸5年。仕事は陸上競技だけ、というスタンスは崩れていません(稼ぎは悲しくなるほど少ないですけど)。生活も陸上競技というか、仕事一色に染まっています。
 しかし、それが3月上旬から崩れているのです。仕事以外、つまり陸上競技以外のことにエネルギーを割いています。それで、このサイトに注ぐエネルギーも減っていたわけです。こう書くと、別のスポーツにも進出したのか、と思われそうですね。実際、「他のスポーツを取材しているのでは?」とか、「嫁さんとケンカしているのでは?」とか、「スポーツメーカーの4月のイベントの仕事をしているのでは?」などという噂もあるようです。

 他の競技を取材しないのか、という質問は、独立した頃によく受けました。陸上競技だけのライターなんて、専門誌専属という立場にならない限りは存在しません。フリーのスポーツライターといえば、複数の競技を取材するのが常識でした。そこを、陸上競技だけでやろうとしたところが、寺田らしいと言えば、らしいところ。
 他の競技を取材しないのか、と問われると「専門誌出身という特徴を活かしたいですから」とか、「プロ野球の選手が、サッカーのJリーグの試合に出場しますか?」などと言っていましたっけ。ある年輩のカメラマンから、説教くさく「他の競技の取材も役に立つよ」と言われて、「その話はしないことに決めています」と応じたときもありました。
 複数の競技に手を広げたら、どうしても取材対象を絞る必要があります。オリンピック選手や一部長距離選手だけを取材するような記者にはなりたくなかったというか、それでは専門誌出身の特徴が生かせないし、何より、トップ選手だけの取材では面白くありません。人と同じことをしたくなかった、と言えばカッコいいのですが、要は、陸上競技でもまだまだ勉強することがたくさんあるのに、複数の競技にまで手を広げる勇気がなかったのです。ですから、複数競技を取材できる人は本当に尊敬しています。

 ただ、他のスポーツに興味がないかといえば、最近はそうでもありません。以前に書いたかもしれませんが、他のスポーツを見て、この動きだったらこういう練習も考えられるな、とか、この指導者の意図していることはこれだな、とか、かなり積極的にイメージしています。陸上競技のトップ選手たちが他の競技に関する話をしてくれて、なるほど、と思って見ることもありますね。
 社会的にも、陸上競技だけのクラブは難しくても、総合スポーツクラブの一部として陸上競技が存在する。そういう可能性の方が高いと思います。総合型ならトレーニング設備や指導者・トレーナー・スタッフなどの人的資源も共有できます。陸上競技の指導者が、他の競技を指導することもあるでしょう。
 独立した頃は、意地になって「陸上競技以外の仕事はやらない」と言っていたところもあったかもしれません。結果的に、陸上競技に絞ったことで上手く行ったところもありますが、今は「他のスポーツも面白いな」と感じられるようになっています。少しは成長したのかもしれません。単なる変化だという見方もできますけど。

 3月上旬から陸上競技以外のことに時間をとられている状況ですが、無駄なことをしているわけでもないし、自分が成長できる状況なのかもしれません。いったい何が言いたいのか、よくわかりませんね。具体的に何をしているか書いていないからですが、抽象的な表現の方が、わかる人にはわかって面白い、ということが最近わかってきました(これも、なんのこっちゃ、ですね)。
 でも、陸上競技の仕事だけ、というスタンスは続けようと思います。杉林孝法選手や末續慎吾選手が、練習にボクシングを取り入れたことがありましたし、室伏広治選手は相撲部屋を見学したときに四股を踏みました。でも、ボクシングや相撲の試合に出たわけではありません(トップ選手と自分を一緒にするな、って)。

 少しは日記らしいことを書きましょう。今日は、電話取材を11人にしました。そのうちの1人が、川本先生だったわけですね(「ときどき日記」参照)。アポ取りのための電話を含めると、30本弱はかけたでしょうか。年度始めの忙しい日に、お時間をいただいてしまった皆さん、ありがとうございました。しかし、11人の話を聞くと、かなり濃密な一日になりますね。明日の夜には東京を離れますので、頑張る必要もありました。


◆4月2日(土)
 昨日からある記事のために一連の電話取材をしているのですが、今日も4本の電話取材をしました。携帯電話が普及したので、この手の電話取材が楽になりましたね。昨日と合わせて15本。月曜日にも5本前後はする予定なので、3日間で20本前後の電話取材をすることになります。10年前だったら絶対に、これほど短期間ではできなかったでしょう。
 ただ、かかる電話代は2倍どころじゃないでしょう。今回は陸マガ負担になりますが、安く上げるために極力、IP電話(インターネットを使った電話)からかけています。研究室でつかまえられる大学の先生は問題ないのですが、携帯に電話をした場合、050で始まるIP電話の番号が表示されてしまいます。そうすると、見慣れない番号という理由で出ない方も多いのです。そういう場合は2〜3回かければなんとなくわかりますから、自分の携帯から電話をして、相手が出たら事情を説明して、IP電話からかけ直しています。
 そういうケースがある一方、別の問題も生じてしまっています。最初からIP電話の番号でも出てくれた方の中には、寺田が携帯の番号を変えたと勘違いして、050で始まる番号を登録する方もるいようです。陸マガの山口編集者も、IP電話が携帯だと、しばらく勘違いしてかけていましたし。うーん、世の中、思うように行きませんね。

 電話取材で思い出したのですが、昨日、福島大の川本和久先生に電話をしたら、木田真有選手と久保倉里美選手の進路も決まったとのこと。陸マガ発売時期には公表してもいいということでしたが、この手の話はデリケートなことも多いので、ここでは控えておきます。
 2人とも福島で練習を続けますが、福島大“愛のトリオ”のなかでは、一足先に京セラに進路が決まっていた坂水千恵選手だけが福島を離れます。この3人の仲がいいことは知る人ぞしるところで、試合などではいつも一緒に行動しています。飲み物の自動販売機なんかに一緒に並んだりして。聞けば、寮(アパート?)も一緒とか。
 そのトリオも解散。きっと、感傷的な気持ちになっていることでしょう。と、こちらが勝手に想像して、久保倉選手と丹野麻美選手の取材で1月末に福島大にお邪魔した際、記念に3人の写真を、同行したカメラマンに撮ってもらいました。あくまで記念のつもりだったのですが、陸マガの秋山編集者が誌面に掲載してしまいましたね(3月号)。

 ちなみに“愛のトリオ”の命名は、03年にエコパ(静岡県袋井市)で行われた国体のときのエピソードに由来します。最終日に、愛野駅(エコパの最寄り駅)のホームで3人一緒にいるところに会って、それまでも、いつも一緒にいるなあと思っていたので、これはと思って名付けた次第です(誰も使っていませんけど)。去年、久保倉選手にそのトリオ名を言ったら、気に入ってくれたのかすぐに、他の2人にも話しに駆け寄って行きました。
 今日は電話取材の後、データ調べの仕事を一心不乱に進め、20:50にWSTF(新宿の作業部屋)を出て、袋井市にある実家に移動しました。


◆4月3日(日)
 朝の8:40に電話取材。その後はプライベートな用事をこなし、夕方には谷川聡選手に電話。本当は昨日かける予定でしたが、忘れていました(ご免なさい)。成迫健児選手が筑波大記録会の400 mに出るというので、その結果を早めに知りたかったのです。残念ながら46秒台中盤とのこと(その後、46秒76と判明しました)。肌寒さも影響したよう……って、45秒台とか表面的な数字にとらわれると残念だと思ってしまいますが、400 mH専門の選手がこの時期に46秒76ですから(自己ベストは昨年の46秒72)、めちゃくちゃ期待できますね。

 話は変わりますが、日記を書いていなかった間に、これは「へぇ」だな、と思ったネタがいくつかあったのですが、思い出せません。1つ思い出しました。3月23日にJISSで行われた男子長距離研修会の際に、あることが判明しました。中国電力の坂口泰監督と油谷繁選手が同じ携帯電話を持っていて、坂口監督によれば「救命病棟24時で松嶋菜々子が持っていたのと同じ」とのこと……すみません。トリビアでもなんでもないですね。

 そうそう、昨日も書いた1月末の福島大取材の際に、1つ「へぇ」がありました。実は福島にはスタバがないそうです(スターバックスはシアトル発祥のカフェのチェーン店)。寺田がちょうど、コーヒーミル(手動のアンティークなもの)を買った時期で、スタバの豆を挽いて飲み始めた頃だったのです。研究室にお邪魔したら坂水千恵選手がコーヒーを淹れてくれたので、豆はどこのものか質問したらドトールでした。寺田が図々しくも「うちではスタバの豆です」と言ったら、川本先生が「福島にスタバはない」と教えてくれたのです。
 ということで、2月の中野真実選手の取材の際にも、「香川にスタバはありますか」と質問(羽田空港第2ターミナルでの取材だったのですが、寺田はスタバで話を聞きたかったのに、秋山編集者の意向でイタ飯屋になった)。中野選手によれば、高松にはあるけど三豊・観音寺地区にはないとのこと。
 こうして、取材する毎に「○○にスタバはありますか」と質問し続ければ、日本全国スタバ地図が完成します。えっ、スタバのWEBサイトを見ればいい? それでは、ロマンがないでしょう。


◆4月4日(月)
 昨晩は袋井の実家から東京に戻り、新宿の作業部屋に泊まって、力の続く限りデータ調べの作業。

 昨日、スタバのことをあれこれ書きましたが、取材のときに無理やりスタバの話を出していると思われてしまったかもしれません。それを否定はしませんけど、陸上競技とスタバは関係が深いと以前から感じていました。最初にそう思ったのは、たぶん、2001年の箱根駅伝のときです。初めて取材バスに乗って、(5区以外は)沿道の人垣が本当にまったく途切れないことにビックリしましたが、もう1つ驚かされたのが、沿道のスタバ店舗の多さでした。
 その1カ月前(2000年12月)には初めて福岡国際マラソンの取材に行き、やはりスタバが多いなあ、と感じていましたし、時間の隔たりはありますが、昨年初めてシカゴに行ったとき(シカゴ・マラソンの取材です)にも感じました。広島では、中国電力本社の近くにありましたね。2回くらい、原稿を書いた記憶があります。
 シドニーで合宿中の瀬戸智弘選手も、スタバを愛用しているようです(無線LANができるらしいです)。
 しかし、迂闊なことにスタバ発祥のシアトルに行ったときは、人垣の中で佐々木一郎記者に電話して「ハイ、イチロー」と大声で話す計画に気を奪われて、スタバに意識が行っていませんでした(振り返る人がいたので計画は成功でした)。2001年のエドモントン世界選手権の際に、飛行機の乗り継ぎで空港だけの滞在だったんですけど。

 今日は、電話取材を数本。あとはひたすらデータ調べの作業。集中力は高く保てています。これだけ忙しいのに日記を書けていることも、その表れです。


ここが最新です
◆4月5日(火)
 午前中に電話取材を3本。
 15:00からMTCのシーズンインを前にした記者会見。久しぶりに電話以外の取材でした。受け付けに行ったら、早くも“いいこと”がありました。それだけで「来た甲斐があった」と思ったほど。詳しくは書けないことですけど……いえいえ、書けることでした。受付でATHLETE'S ROAD vol.04をもらうことができたのです。ミズノが作っている16ページの小冊子で、スポーツ小売店などで無料で配布しています。A4のスキャナーよりも大きな判型なので、2枚になってしまいますが、表紙はこれこれです。
 内容は、MTCからアテネ五輪に出場した5人の選手を2ページずつ特集しています。“子供との触れ合い”“中・高校生へのメッセージ”がテーマのようです。
 まず、写真が良いですね。アテネ五輪の写真を1ページ全面にドカンと掲載し、もう一方のページに各選手のクリニックで子供と一緒のところ、表情のアップ、競技合間にふと見せた表情、そして小さい頃の写真を格好良いデザインで配置しています。キャッチコピーもイケていて、編集者とデザイナーのセンスの良さが、一目でわかります。
 小さい頃の写真はもちろん、スポーツをしているもの。室伏広治選手はサッカーボールを手にしたもの、末續慎吾選手は走幅跳の空中動作、室伏由佳選手はテニスラケットを手にしているところ、谷川聡選手は野球のピッチャーをしているところ、内藤真人選手は野球でバットを構えているところです。この小さい頃の写真がまた、可愛らしいものばかり(特に室伏由佳選手)。一見の価値あり、でしょう。
 本文は小さい頃から、“どのようにスポーツに取り組んできたか”を縦軸に、その選手なりのエピソードや考え方、今年の目標などが散りばめられています。Q&Aでは、いつもの記事には載らないようなコメントもあって、「そうだったのか」と思わされることも。これがタダなのですから、皆さんもスポーツ店に行かれて入手されることをお勧めします。

 会見の内容は……時間ができたら記事にもしたいのですが、ちょっと厳しそう。
 取材後は新宿の作業部屋にとって返して、電話取材。MTC会見の報告を、大阪のKデスクにメールでしました。“いいこと”の報告ですけど。


◆4月6日(水)
 昨日の記者会見では“いいこと”もありましたし、電話取材でも面白い話がたくさんありました。が、嫌なこともいくつかありました。続いて今日も、ストレスのかかることばかり。仕事にも関係していることで、なかなか難しい問題もあって、これだけ続くと、どうしてもネガティブな考えに陥ってしまいます。やっぱり、フリーでやっていくのは無理なのかな、とか。
 そういう気持ちから立て直すのにも、昨日の日記で紹介したATHLETE'S ROAD vol.04は役に立ちます。実際、読み返してみて、かなり前向きな気持ちになれました(完全ではありません)。昨日、今日の嫌なことも、自分を見つめ直すいい機会にはなりましたし、仕事の将来を考えるきっかけにはなりました、と思うことができました(仕事の基本的な問題点はずっと以前からわかっていることですが)。

 ということで、気分転換のためにも、日記をサボっていた3月後半から、楽しかった話題を紹介したいと思います。
 23日にJISSで行われた男子長距離研修会の帰り、赤羽から新宿まで瀬古さんと、電車をご一緒させていただきました。これは増田明美さんから教えていただいたのですが、瀬古さんが市民マラソンなどで挨拶するときに話す定番ネタがあります……が、これは書いたらダメですね。
 中村孝生コーチと金井豊さん(故人)の話になって、研修会で奥谷亘選手と話した直後だったこともあり、“長距離・群馬”の話になりました。というか、寺田が勝手に、「最近の群馬は長距離がすごい」という話をし始めたのです。
 昨年は、国定村出身の諏訪利成選手がアテネ五輪で入賞し、今年は奥谷選手と江田良子選手が世界選手権マラソン代表になりましたが、2人の所属する富士重工とヤマダ電機は群馬県が拠点です。花田勝彦氏を監督に迎え、上武大が長距離強化に力を入れ始めたのが昨年4月。今年の4月からは八木たまみさんの母校、関東学園大が小林雅幸選手を指導者として、女子駅伝の強化に乗り出します。高校でも、農大二高が全国高校駅伝で2位です。まさに、“長距離・群馬”なのです。

 群馬といえば、長距離よりも一般種目の印象が強い県です。短距離では農大二高出身の3選手(太田裕久・不破弘樹・宮田英明)が100 mで相次いで日本記録をマーク。不破選手と宮田選手は、高校時代に出しました。これは、すごいインパクトでしたね。100 mですから。110 mHでは岩崎利彦選手が日本人初の13秒台、400 mHでは斎藤嘉彦選手がこれも日本人初の48秒台。走高跳では阪本孝男選手が日本人初の2m30に成功し、十種競技では金子宗弘選手が今も日本記録保持者です。女子では走高跳で八木さんが初めて1m90をクリアし、400 mHの青井由美子選手は初めて60秒を切りました。走幅跳と七種競技で日本記録をマークしたのが磯貝美奈子選手で、走幅跳は初の6m50、七種競技は初の5500点越えでした。
 群馬の一般種目のすごさが、わかっていただけましたでしょうか。

 そういった一般種目優位の群馬にあって光っていたのが、エスビー食品の中村・金井の群馬出身コンビでした。中村選手は日本がボイコットしたモスクワ五輪代表、金井選手はロス五輪1万m7位です。女子では五十嵐美紀選手がバルセロナ五輪代表になりました。それでも、一般種目のすごさに比べたら、長距離はオマケみたいなものでした(言い過ぎですね。明日あたり削除するかも)。
 という話を瀬古さんにしたら、「マニアックだ。面白いけど誰もわからないよ」と言われました。そうかなあ(と、世界の瀬古に疑問を呈す寺田は許されるのか?)。

 暖かくなりました。夕方から、近くの新宿なんとかビルのパティオ(地中海地方によくある中庭)に、原稿を書きに行きました。なんとかビルの1階にはスタバがあるので、コーヒーを買って。“本日のコーヒー”がケニアでした。ジェンガ選手のロンドン・マラソンが楽しみです。


◆4月7日(木)
 昨日の日記の訂正です。関東学園大の監督に就任するのは、小林雅幸選手でなく、小林正幹選手でした。お詫びして訂正します。

 ところで、大学や実業団の駅伝強化は、“上から”発案されるイメージが強いのですが(上武大は学生の行動が大学を動かしたので、ちょっと違うと思うのですが)、高校駅伝チームが少しずつ力を付けていくのは、その土地に根ざしているというイメージがあります。
 便宜的に“上から”の強化と、“下から”の強化と使い分けることにします。高校でも、資金力にものをいわせてポンと強くしたら、“上から”の強化でしょう。
 農大二高は私立高校ですが、鳥羽完二先生がチームを手塩にかけ、徐々に強くした。つまり“下から”の強化で成長していったチームという印象があります(内情を正確に把握しているわけではありませんが)。
 昨日紹介した太田・不破・宮田の100 m日本記録トリオを指導したのも鳥羽先生でした。それが昨年は、駅伝で全国2位ですから。当初は一般種目の指導で実績を残し、しばらくして長距離でも選手を育てることに成功したわけです。埼玉栄高の大森国男先生(現京セラ監督)もそうでしたし、浜松商高の杉井将彦先生もそうでした。長距離の指導って、陸上競技全般を指導できる指導者たちを、惹き付ける何かがあるのかもしれません。そういえば、不破選手が女子のマラソンランナーを指導していた時期がありましたね。大阪国際女子マラソンで会って、ちょっと驚いた記憶があります。
 そういえば、磯貝美奈子さんも、ナイキ社員として、小出義雄監督の担当だったと記憶しています。不破選手とは同学年のライバルだった市川武志選手は、現在ワコールのコーチ。永山忠幸監督のゴールドウイン時代の後輩というつながりだから、だと思いますけど。

 “下から”の強化の代表例が福島大です。川本和久先生が、裸一貫、一から造り上げてきたチームです。川本先生のときどき日記に、福島大関係選手の4月からの所属先が出ていました。そのうちの1人、久保倉里美選手は新潟アルビレックスランニングクラブ。サッカーのアルビレックスの会社です。久保倉選手のように、一般種目の選手採用は例外的で、来年以降は女子長距離チームの強化に本格的に乗り出すとのこと。コーチは中距離でならした小林哲也選手。小林雅幸選手もそうですが、新潟の生んだ強豪ランナーでした。
 このチームは一応、最初はそれなりの資金が投入されますから“上から”の強化に分類されますが、チームの運営基盤となるのは市民であったり、複数の地元企業だったりします。中間的な存在になると思われます。
 以前にも書きましたが“下から”の強化チームは、1人の影響力のある指導者が中心になるケースがほとんど。最初は個人規模の資金で運営されますから、結果が出なくても誰からも文句は出ません。逆に“上から”の強化の場合は、最初に大きな資金が動きますから、効率的で短時間で結果を出せます。その代わり、結果が出なければ出資した人間から文句が出るわけです。
 市民や地元企業を巻き込んでの強化ですから、企業や大学が投資するチームに比べれば、時間はかかるかもしれません。でも、その分、上手く地元に根付けば、現場は長い時間をもらえるわけです。今後、こういった試みが増えていくと思われます。そう簡単に行かないかもしれませんが、中間的な強化システムとして、注目していきたいと思います。


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