続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2006年6月 6月の6位は11人
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◆2006年5月21日(日)
東日本実業団最終日の取材。
最初の決勝は男女のハンマー投。「寺田さん、ハンマー投やってますよ」と共同通信・宮田記者(早大陸上競技同好会の元エース)が声を掛けてきます。地区実業団の中でも最大規模を誇る東日本です。ハンマー投は行われて当然です。不思議な会話が成立している陸奥(みちのく)の報道控え室でした。西村京太郎ばりの旅情ミステリーでしょうか。
男子ハンマー投は土井宏昭選手が4連勝したのですが、残念ながら記録は69m台にとどまりました。風が強くてターンに入るところで煽られたりしたようです。投てき関係者がそう話していました。土井選手の注目ポイントは、クリクリッとした可愛らしい目元や、記録が70mに届いたかどうか、という点ではありません。74m00の世界選手権B標準を越えられるかどうか、です。
以前の規定では1種目に2人以上が出場するには、その全員がA標準を投げる必要がありました。室伏広治選手がいる限り、土井選手はA標準を投げなくては代表への道は閉ざされていたのです。それが来年の大阪大会からは、1人がA標準を破っていれば、2人目はB標準でもOKに(3人ならA・A・Bで可)。
土井選手がB標準を突破できるのかどうかは、日本ハンマー投界最大の注目点なのです(室伏広治選手の動向は日本陸上界の注目点ということで)。土井選手自身もモチベーションが上がっているのですが、どうも技術的に上手く行かない点があると言います。具体的には機会を改めて書くことにしましょう。
ハンマー投界2番目の話題は、碓井崇選手の悲願がなるかどうか。悲願とはもちろん、“打倒・土井”のこと。そしてハンマー投界3番目の話題は、若手の野口裕史選手の動向です。投てき関係者間での技術的な評価も高く、“ポスト室伏”の呼び声……が現時点で出ているとは言えませんが、そういう声が出ていいポジションに行けるかもしれない選手(かなり回りくどい表現です)。
話題の3人が揃った大会でしたが、残念ながら大きな進展はなし。今後に期待したいと思います。
今日はこれといって良い記録は出ませんでしたが、大会新をマークした男子200 mの吉野達郎選手と、走高跳の醍醐直幸選手には強さを感じました。吉野選手は「関東インカレだったら○番か」などと話していましたが、日本選手権の目標は「末續さんが出たら2番。出なかったら優勝」ときっぱり。醍醐選手の2m27は体はバーの上3cm(?)くらいまで上がっていました。バーが落ちたのはヒジが触れたためです。
ベテラン選手たちが健在ぶりを見せるのも地区実業団の面白さ。男子走高跳ではアトランタ五輪から丸10年、野村智宏選手が4位に入りました。女子やり投では小島裕子選手が11連勝。
しかし、小幡佳代子選手は5000mで16分50秒台。アジア大会代表を決めた大阪国際女子マラソンでは、20kmまでの5km毎はすべて16分台でした。陸奥には不思議な出来事が続きます。「不思議な選手ですね」と声を掛けると「春ですから」と小幡選手。例年、この時期は体調が上がらないということのようです。
◆2006年5月22日(月)
昨日までの東日本実業団。東北・北海道出身選手の活躍が目立っていました。厳密にチェックはできませんが、ざっと挙げると以下のような感じ。
北海道:太田崇選手(1万m日本人1位)、江戸祥彦選手(走高跳2位)、木田真有選手(400 m優勝)
青森:畑山茂雄選手(円盤投優勝)、佐藤友香選手(100 m2位&走幅跳優勝&三段跳2位)
秋田:松宮祐行選手(5000m日本人1位)、茂木智子選手(100 mH優勝)
山形:冨樫英雄選手(400 m2位)、佐藤由美選手(1500m3位)
宮城:堀籠佳宏選手(400 m優勝)、小野寺晃選手(棒高跳優勝)、後藤美穂選手(砲丸投優勝)
福島:吉田真希子選手(400 m2位&400 mH優勝)、小島裕子選手(やり投優勝)
えっ、関東出身選手の方が多い? かもしれませんが、人口比でいったら、北海道・東北の方が多かったのは間違いありません。
東日本実業団ですから東日本出身選手が多くなるのは、当然と言えば当然。そこに今年から参戦したのがカネボウです。日本人2位となった高岡寿成選手は1万mのレース後、「中国地区なら記録会のような感覚で引っ張り合って記録を狙えるが、これだけ有力選手が多いと勝負にこだわってしまう」と話していました。
その1万mで日本人トップとなったのはコニカミノルタの太田崇選手。1人だけケニア選手たちの集団につき、そこから遅れた後も粘って日本人トップをキープしました。ニューイヤー駅伝の1区と同じで、高岡選手がかつて得意としたパターンです。
コニカミノルタは5000mでも松宮祐行選手が日本人トップ。上述のように太田選手が北海道で松宮祐行選手は秋田出身。コニカミノルタだから強いのか、北海道・東北出身だから強いのか。今度、大島コーチに聞いておきましょう。
仙台ならではの話題も。某選手が仙台名物の牛タンが、牛の舌だということを知りませんでした。寺田も30歳を過ぎるまで知らなかったので大きなことを言えませんが、“先生”ではなかったので罪は軽い、と言わせてもらいましょう。ということは、その選手の職業は先生?
職業といえば、某銀行の選手に株価が下がっている話を振ると、「一時的なもので、いずれは持ち直すと業界では見ています」という返事。これを聞いて安心しました。取材はそこで切り上げようかと思ったくらい。というのは冗談ですし、何度も書いているように株は自己責任。他人の意見に左右されずに、自分で判断していきましょう。言いたかったのは、実業団選手たちはしっかり、自社の仕事のことも考えているということです。
日本の陸上界の現状は、為末大選手や一部長距離選手のように、プロ的な活動ができる選手ばかりではありません。できるのは、極めて少数です。ですから、選手はそれぞれの置かれた立場で、いかにバランスよく競技をする環境を確保するかが重要になります。
セカンド・キャリアも考えながら、という点も当然、重要になってきます。むしろ、その点をしっかり考え、不安のない状態で競技をすることが、プラスになることもあると思います。
元々、プロとアマ、その2つの言葉で選手の環境を表すのは無理がある。その中間というのでもない。極が3つも4つも5つもあるのが、日本の陸上界だと思います。
◆2006年5月24日(水)
イギリスから「ATHLETICS 2006」が到着。さっそく、明日の沢野大地選手の成田空港取材のために、コピーを20枚以上とりました。
発送作業は明後日に行う予定です。宅急便のメール便は、ヤマト運輸も佐川急便も、厚さが2cmを超えると送れません。郵便局の冊子小包しか、方法はなさそうです。今は冊子小包も、バーコード処理とかなんとかで発送記録が残りますから、安心できます。お申し込みいただいた皆さん、もう少々お待ち願います。
◆2006年5月25日(木)
10時頃着のスカイライナーで成田空港に。沢野大地選手の第1次ヨーロッパ遠征出発を取材するためです。ニシスポーツ広報の西田まどかさんから案内メールをもらったので、てっきり他の記者たちも来ているのかと思っていたら、寺田1人でした。某テレビ局が取材予定だったのですが、某ディレクターが体調不良のため来られなくなったのだそうです。何事も同じでしょうけど、取材も健康が一番。ちなみに、○○広報の西田さんも陸上競技出身。専門種目は残念ながら棒高跳ではなく、上司のタッド早野氏がインターハイに優勝した800 mだったそうです。
話題の川本グループ4選手も今日、北京に出発しました。吉田真希子選手(室長=通称です。以下同)、池田久美子選手(イケクミ)、久保倉里美選手(三つ星アスリート)、丹野麻美選手(女子大生アスリート、だったかな)の4人。同じJALですが沢野選手より2時間早い便で、仕事の兼ね合いもあって間に合わず。新記録が出たら、帰国時に取材に行きます(と川本先生に伝えてあります)。しかし、どうやら北京は黄砂がひどいようで、コンディション的には厳しいという話です。
話を沢野選手に戻すと、期せずして独占取材状態になったわけです。まずは、ポールの運搬光景を写真に撮らせてもらいました(ケースの中のポールは7本。昨年とはラインナップが微妙に違います)。これが、一番の目的だったと言っても過言ではありません。ポールの運搬も重要な部分でしたが、成田空港と沢野選手という組み合わせで撮りたいと、以前から切望していたのです。それも、ヨーロッパなど西方向に出発するときに。アメリカではダメ。そうです。成田(高)から西(ニシ)へ。ずいぶん以前に、記者席でノグジュンこと野口順子さんと盛り上がったネタです。
ノグジュンといえば、発売中のBBMムック、マラソントレーニングは彼女の労作です。定価1500円は絶対に安いと思いますが、これは読み手の理解度にもよります。この本の面白さがわかる人は、幸せだと思いますよ。
寺田もTBSのカウントダウンコラム(4月28日)に、陸上競技のレベルがもっとも高い今を取材できる幸せについて書きました。同じようなことを今日、沢野選手も話してくれましたね。ヨーロッパのグランプリを回れることの幸せ、世界のトップ選手たちと同じフィールドに立てる幸せ。それらが競技にも結びついていると。
あぁ、ダメですね。トップ選手と自分を同列に扱うのはダメだと、日頃から戒めているのですが。絶対的な違いを書きましょう。
沢野選手はもう、海外遠征に行くストレスがなくなってきているといいます。前述の幸福感も関わっている部分だと思われますが、国内の遠征とそれほど違わない感覚になっている。「静岡や大阪に行くのと同じ」だと。荷物も「これさえあれば」という物に絞られてきていると言います。
もちろん、やるべきこと、準備することは国内よりもたくさんある。しかし、たとえば今日の空港でのチェックインも、僅か10分か15分です。ポールの運搬の段取りなどをしっかりやっておかないと、その場の交渉に2時間かかってしまうこともあるのだそうです。そういった苦労を1つ1つ乗り越え、あるときはその苦労にさえやり甲斐を覚える、そうして余裕を身につけたのです(吉田真希子選手も似たような感覚を持っていると見ました)。
寺田も海外取材に12回行っています。でも、春季サーキットと同じ感覚にはなれません。国内の出張よりも50倍くらい準備に時間がかかるし、35倍くらいストレスも感じてしまいます。ネット接続が上手くいかなかったらどうしよう、あの資料がないと原稿が書けない、体調を崩したらどうしよう、と悪い方ばかり考えてしまう。その辺が、トップ選手と自分の違いだと痛感しました。
◆2006年5月26日(金)
昼間まで自宅で原稿書き。14時くらいに家族T氏と新宿に出て、文房具屋と新宿郵便局に。「ATHLETICS 2006」の発送手段を詰めるためです。
冊子小包として送るには封筒に切れ目を入れて、中が冊子だとわかるようにしなければいけませんが、郵便局に渡す際にサンプルを1つ見せれば、密封する形でも大丈夫なことを確認しました。これは郵便局のWEBサイトで見ていたことですが、封筒詰めを終えて、いざ発送するというところでダメと言われたら、相当にやばくなります。それで万全を期したのです。
封筒詰めが終わったら郵便局まで持ち込む必要はなく、取りに来てくれると、昨年まで「ATHLETICS」の輸入・販売業務を担当されていた菅原勲さんからは聞いていました。しかし、その点を新宿郵便局の窓口で聞くと、ダメだと言います。郵便局によって、集配業務のやり方に差があるみたいでした。
もう1つ郵便局で確認したのが、冊子小包と封筒に書かないといけないこと。これは当たり前でわざわざ確認することもなかったのですが、“冊子小包”の判を買う覚悟を決めるための儀式みたいなものでした。ということで、“冊子小包”の判を探し回りました。しかし、京王百貨店の文房具屋にもハンコ屋さんにも、そして頼みのOffice24にも置いてありません。
最近、文具や事務用品はほとんど、Office24で購入しています。ご存じのように花岡麻帆選手の所属企業。陸上競技を支援してくれている会社だから、というのも理由の1つですが、新宿ではライバルのオフィス・デポ(でしたっけ?)より品揃えも豊富で、24時間営業しています。ちなみに、「24」は“トゥエンティ・フォー”ではなく“にじゅうよん”と発音します。花岡選手が教えてくれました。
そのOffice24にないということは、どこを探してもないのだとあきらめがつきました。
Office24では角3号サイズの封筒とガムテープを購入し、西新宿のワークスペースに行って封筒詰め作業。ほとんどを家族T氏がやってくれました。今回の一連の作業は、メールやFAXによる受注業務からほとんど、彼女が行なっています。イギリスとの連絡や、このサイトの宣伝ページは寺田が担当しましたけど。それと、タックシールへの印刷も。
ところが、プリンタの調子が悪くて困りました。ヘッドクリーニングなどを繰り返し、カラーインクはなんとか使える状態に。差出人名を青の濃い色で印刷して急場を凌ぎましたが、今後に不安を残しました。買い換えるにしても、マックOS8.6に対応している機種は、3万円近くを出さないと買えません。目下のところ最大の問題です。
あきらめが悪いというか、作業の効率化を考えて、荷物を取りに来てもらうことができないか、電話でもう一度郵便局に交渉しました。その直前に別件ですけど、珍しくアグレッシブな交渉を電話でしたので、その勢いで郵便局にも質問したわけです。高野カメラマンになったつもりで(5月7日の日記参照)、言葉は丁寧でも、人間的な大きさを出して“お願い”をしたつもりです。
すると、冊子小包だけではダメでも、ゆうパックが1つでもあればいい決まりになっているとか。それならそうと、早く言ってくれればいいのに。ゆうパックも出しますよ。大量に買ってくれたM記者に。あれ? 川本和久先生の日記を読むと、M記者はフランス出張中?
とまあ、あまり面白くはありませんけど、以上のような経緯で「ATHLETICS 2006」は明日の9:30〜11:30の間に郵便局に渡します。週明けには注文してくださった皆さんのお手元に届くはずです。
◆2006年5月27日(土)
10時半頃に郵便局のお兄さんが「ATHLETICS 2006」を集荷に来てくれました。雨の中をありがとうございます、とお礼を言うと、そのくらいは平気です、という返事。親方日の丸ではなく、しっかりとした民間企業的な対応で、好感が持てました。ただ、“冊子小包”の封筒への記入は、事前にしておくように指摘されました。“冊子小包”の判を持ってきてもらってその場で寺田が押したのですが、手書きでいいからと。ともあれ、無事に発送できました。
今週末は大きな試合の取材はなし。でも、有力選手の出る試合がないわけではありません。それらの情報のある程度の部分は、インターネットを通じて入手できます。ビッグゲームがなくても、陸上競技を楽しむ情報源には事欠きません。
ゴールデンゲームズin延岡はGGN速報室に、ほぼリアルタイムで結果が掲載されました。各レースの優勝者と記録が本当にフィニッシュ直後に、その数分後には全選手の成績がアップされます。しかも、1周毎の通過タイムも。これは長距離ファンにとってはありがたいでしょう。
高校の指導者たちにとっては、インターハイ各県大会の記録が気になるところでしょう。そのために、このページ(2006インターハイ特集)を作っています。
海外の記録もグランプリ・レベル(国際陸連World
Athletic Tour)なら入手できる。沢野大地選手がヘンゲロ・グランプリに出場しますし、ガトリンとパウエルの世界記録コンビがユージン・グランプリに出場します。ヘンゲロは昨年の世界選手権優勝者のブロム選手の地元オランダですから、当然、対決が実現するはず。しかし、ユージンの2選手は別々のレースを走るようです。
ありがたいのは、川本和久先生のように遠征の様子を紹介してくれるケース。競技結果にコーチの視点が加わった貴重な情報源になります。
寺田のこのサイトも、沢野選手の遠征直前の取材をもとにした記事を掲載していますから、大きな試合のない週末を楽しむ一助になっている…と思いたいです。
明日は男子200 mの中学記録保持者・為末選手が、東京選手権の200 mに出場します。為末選手のサイトによれば、10年ぶりの200 m出場とのこと。9:40という早い時間のレースや、1日3本走ることも久しぶりなのではないでしょうか。結果は本人がサイトに載せてくれる可能性が大。これも陸上ファンの週末を楽しくさせてくれます。
◆2006年5月28日(日)
東京選手権、行ってきました。八王子市の上柚木陸上競技場は京王相模原線の南大沢が最寄り駅。多摩市の寺田宅の最寄り駅から3つ目と近いのです。何人かの方から「大会の取材で一番近い場所では?」と言われました。自分でもそうではないか、と思っていたのですが、後で地図サイトで調べると、中大の方が近いことが判明しました。中大・日体大対校戦を何度か、取材に行ったことがあります。
ではありますが、他の大会と比べたら格段に近い場所なのは確かです。
でも、そういうときに限って安心感から寝坊をしてしまうもの。自宅を出たのが9:03。9:08の電車に間に合わず、9:20に乗りました。南大沢着が9:30で、それほど遠くないのですがタクシーで上柚木競技場に。9:36に到着。9:40の男子200 m予選にギリギリ間に合いました。大きいスタジアムでは着いてから時間がかかりますが、こぢんまりした競技場はこういうときに助かります。
カメラを持って200 mのスタート地点に行くと、為末大選手だけでなく、谷川聡選手もいます。谷川選手は今でこそどっぷり筑波の住人ですが、町田で育って、八王子の高校、中大と進みましたから、上柚木は地元といっていい場所。為末選手も自宅が近くで、車で5〜10分くらいの場所だと言います。法大とも直線距離なら近いのです。予選から準決勝まで4時間くらい間隔が空くので、谷川聡選手も一緒に為末選手の部屋で休息したそうです。
予選終了後に、110 mHと400 mHの日本記録保持者コンビの写真を撮らせてもらいました。これは貴重な1枚になるかもしれません。
為末選手が20秒97の自己新を10年ぶりに出しましたが、実質的には13年ぶりの自己新だと言います。詳しくは記事にしました。完成はしていませんけど、残りもほぼ、書き上げています。締めの数行は、ちょっといいですよ。
あとで気づいたのですが、為末選手の200 mの自己記録を見るのは初めてかもしれません。93年のジュニアオリンピックは国立競技場。取材に行ったような気もしますが……行きましたね。ハイソックスを履いた走りを一度見ていますから。全日中には行っていませんし。でも、高3時の自己新は見ていません。
これで200 m、400 m(96年広島国体)、400 mH(01年エドモントン世界選手権)と、為末選手の自己記録を目撃したことになります(三段跳も東京六大学が自己記録なら見ているかも)。次は100 mの自己記録を見ないといけません。来週の山梨グランプリですか……。
◆2006年5月29日(月)
昨日の東京選手権はどこかの媒体に記事を書く予定もなく、それほど“取材モード”ではなかったのですが、知っている選手たちとは話をさせてもらいました。
まずは醍醐直幸選手。東京高の選手たちが出ていましたから、同高で練習をしている醍醐選手も来ているのではないかと推測。女子三段跳の最中にスタンドに行くと、案の定、姿を発見できました。同種目終了後に雑談モードで取材。東日本実業団で聞いたことの捕捉と、兄弟子に当たる吉田孝久選手との違いなどを聞くことができました。
為末大選手と同じ200 mに出場した谷川聡選手には、今季110 mHに出ない理由を取材。それと、筑波大でトレーニングをしている東日本実業団110 mH3位の朴選手(韓国)との関係などを聞きました。高校の先生になった(戻った?)野村智宏選手には、この10年間の経緯を踏まえて、現在のモチベーションなどを。同じアトランタ五輪組では、市川良子選手が初3000mSCに挑戦。その経緯や意気込みなどを聞かせてもらいました。テレビ朝日のサイトによれば、浜田安則コーチが還暦とか。教え子の川越学資生堂監督も43歳ですか?
取材には行っていませんが、東京選手権初日には松宮祐行選手が1万mに優勝。同日のゴールデンゲームズin延岡の5000mでは、双子の兄の松宮隆行選手が日本人トップの2位。同日に違うレースで兄弟日本人1位というのは珍しいのでは? 某記者からそう質問を受けましたが、ちょっと前例は思いつきません。ただ、室伏兄妹の同日優勝は、かなりの回数があると思います。
松宮兄弟で思い出しました。東日本実業団の兄弟姉妹選手のネタを書こうと思っていたのです。というのは、宮田貴志・智史兄弟が100 mで同じ予選5組に出場し、一緒の写真が撮れたからです。探せば、ほかにも何組か出場しているだろう、と思ったんですね。しかし、ほかには見つけられませんでした。末續慎吾選手と畑瀬聡選手に妹がいたと思いますが、まだ学生でしょうか。佐々木大志先生にも妹さんがいましたが、今大会には出場していません。松本真理子選手にも双子のお姉さんか妹さんがいますが、福島国体時点ですでに、競技はしていませんでした。
強い選手の弟や妹がちょっと記録が伸びてくると、“兄(姉)以上の素材”と必ず評されます。これはマスコミがそう言うこともありますが、むしろ、指導者たちがそういったことを話すケースが多い。話題を探して世間に提供することも、仕事の1つですから、それ自体は悪いことではありません。
DNAが同じだから、とか、兄(姉)の練習を参考にできるから、というのが根拠として挙げられますが、実際に兄(姉)を超える例は少数です。女子砲丸投とハンマー投の元日本記録保持者である鈴木文選手が、数少ない例に相当します。
親子選手も同様ではないでしょうか。室伏広治選手、金子宗弘選手、下仁選手、宗由香利選手、笹瀬弘樹選手、堤雄司選手、岡山沙英子選手。数えたらもっと例はあると思いますが、だからといって、有名選手の子供が全員強くなるわけではありません。親子選手も少数だから目立つのだと思います。
陸上競技は血がつながっているから強くなれる、という保証はまったくない。アドバンテージがあるのは確かだと思いますが、それだけで高い競技力を形成できるほど甘くはないということ。どの競技も同じでしょうけど。
しかし、長距離となると兄弟姉妹選手の例が多くなります。前述の松宮兄弟、尾崎姉妹、入船兄弟、井幡兄弟、松岡姉妹、大山姉妹。走高跳のなんとか兄弟(姉妹)なんてまったく聞かないのに、長距離となるとこれだけ増えます。一般種目に比べ、強くなる要素がシンプルなのでしょうか。それとも単に、受け皿の大きさの違い?
◆2006年6月3日(土)
もう土曜日。1週間は速い! 「やっと土曜日かよ」なんて言っている人間がいたら、どつきたくなりますね。締め切りに追われた1週間ではありませんでしたが、予定ではもうちょっと原稿が進んでいるはず……何年やっていても進歩がありません。でも、5年前の自分よりは集中するコツも会得したような気はしています。
しかし、今週は1つ、新しい仕事の話がありました。いくつか、クリアしないといけない問題もあるので契約まで行くかわかりませんが、そこそこの感触。一番の問題は、既存の仕事日程との兼ね合いです。やっぱり、同じ陸上競技の仕事となると、日程的に重なってしまいます。
日程といえば、日本インカレがもう来週に迫っています。川本和久先生が31日の日記に開催時期について9月上旬の方がベターだと書かれています。教育現場や練習の流れを踏まえてのご意見です。寺田もずっと、9月の方がよかったと思っています。地区インカレと日本インカレが1カ月間隔しかないのはもったいない。これでは、インカレは年に1回というイメージです。調子の悪い選手が立て直すのも厳しい。
それが、春の地区インカレ(おもに関東のことを言っています)、秋の日本インカレとなれば、学生陸上競技を年に2度楽しめますし、故障者も再起できます。技術的に違ったことにも取り組めるかもしれない。コンディション的にも「ちょうど涼しくなる時期で体も動くようになる」と、話してくれた有名投てき指導者がいましたっけ。
一部に、箱根駅伝を目指す大学が9月開催に反対している、という意見もありますが、本当でしょうか? この話はよく理解できませんね。別に夏合宿明けにインカレに出て、不都合が何かあるのでしょうか。インカレのために調整する大学と、9月に調整しないで11月に備える大学で違いが生じる? そこまで気にするなんて、ちょっと理解不能。今度、誰かに説明してもらいましょう。箱根駅伝当事者は話しにくいでしょうから、関東の大学出身の実業団チームのコーチが適任でしょうか。
唯一、日本インカレを前半に行うことのメリットと考えられるのは、4年生が就職活動に役立てられる、ということです。実業団を持つ会社に入るにしても、陸上競技と関係のない会社や公務員組織に入るにしても、“インカレ入賞”などの肩書きはプラスになる。日本インカレ7月開催派にとっては大義名分ですね。
それに対しては、「3年生までに結果を出せ」と言いたい。4年生になってから高校時代の記録を上回る、というケースが以前によくありましたけど、それでは将来につながりにくいのです。競技的にも社会的にも、上を見るには早い段階で、競技力を上げておく方が有利に決まっています。4年生になって少し良い結果が出て、さて世界を目指そうか、という気持ちにはなりにくいのです。就職活動は、その前から始めているわけですし。3年生までに競技力を上げることが、自然と世界に目を向けることにもなります。それは、覚悟を決める時間を持てる、ということでもあるわけです。
◆2006年6月4日(日)
昨日、日本インカレの日程について書きましたが、全日本大学女子駅伝の日程も良くないと、某有力チーム監督から意見を聞かされたことがあります。今年の開催は10月15日(仙台)。※10月29日に変更されていました。昨年は11月27日でしたから、1カ月以上も早くなります。確かに、まだトラック・シーズンです。
距離的にいえば4〜10kmの区間で構成される駅伝。トラック・シーズンでもなんとかなるのでは、とその監督に疑問をぶつけると、そうではないと言います。他の駅伝全国大会と同じように、12月にやりたいというのが現場の意見だそうです。テレビ放映枠が空いている週という理由で決まったような気がして、現場としてはイヤなのだそうです。
これは寺田の推測ですが、学生女子選手にとってこの距離は、ロード的な走り方をする距離ということでしょう。夏の走り込みの時期から、時間的にも短いことも問題なのかもしれません。
学生女子選手がもっと強ければ、問題になること。その点を話すと、監督氏もその通りだといいます。学生女子選手が弱いことで発言力が弱い。関係者が一番痛感していることです。
今日は日帰り出張。これまでも何回か取材に行っている大学で、いつもコーヒーを出していただいています。そこで、コーヒー豆をお土産に持参しようと考えました。もちろん、スターバックスの豆がいいに決まっています。しかし、朝早い時間に出発したため、開いているスタバはみつけられませんでした。なんで昨日中に気づかなかったのかと、若干の自己嫌悪に。
しかし、気を取り直して現地駅のイトーヨーカドーでUCCのブルーマウンテン・ブレンドを購入。取材に行くと美人広報がコーヒーを出してくれたので、そのお返しにブルーマウンテンをさっそくプレゼント。でも、取材に行ったのは、青山学院大学ではありません。
取材は無事に終了。今日も面白い話を聞くことができました。取材した回数は1回や2回、という選手ではありません。しかし、今日の話が一番面白かった気がします。話を聞くテーマ自体に、その要素があったのでしょう。ポイントを絞って聞けたのも良かったかも。
途中、買い物や食事を済ませ、新宿の作業部屋に戻ったのが21:30頃。今晩オンエアされたジャンクスポーツを録画してあったので、さっそく見ました。池田久美子選手が出演していたのです。
高校1年で「デブになった」話は何度も聞いていましたが、一度10s落として、すぐにリバウンドで元に戻ってしまった話は初めて聞きました。試合前の夜中に、ホテルの廊下で助走のシミュレーションをする話も、初出ではないでしょうか。天然ぶりがいい感じで発揮されて、こちらも面白かったです。
◆2006年6月5日(月)
一昨日、昨日と試合の日程について取り上げていますが、3日も続けて取り上げたり……したりして。というか、以前に紹介したジュニア選手の日程のことです。7月第1週の日本選手権、第2週の日本ジュニア選手権、第3週のアジア・ジュニア選手権と毎週のように大きな試合が続きます。高校生は6月中旬にインターハイ地区予選、8月頭にはインターハイ全国大会がある。そして8月中旬に世界ジュニア本番で負担が大きいと指摘メールがありました。
しかし、これは陸連がうまく調整できなかったせい、ではないのです。以前にも書いたように、アジア・ジュニアは11月開催予定だったものが急きょ、7月に変更されました。日本は強く抗議したそうです。
もう1つは、日本選手権に出場したジュニア選手には、考慮がなされるという話です。これは、過去にも例があるし、ある大物ジュニア選手から今年もそうなりそうだと聞きました。該当する関係者は、しっかり確認をとるようにしてください。とっくにしていると思いますけど。
とにかく、問題は何でも“上”が悪い、と決めつけないように。
ホクレンDistance Challengeの競技実施が、平日の昼間になりました。昨年までは、平日だったら夜に行われて、ファンが仕事の後に観戦ができたのに、というメールが来ました。メールの送り主の方も、1カ月早くなったことによる気象条件の違いや、宿泊事情などが理由ではないかと推察していましたが、おそらく、そういった事情があるのだと思います。
最近、陸上競技の人気アップのために、ファンの目線で運営を考えよう、ということが盛んに言われています。寺田も、何度も書いています。でも、ファンの目線で全てを決められるわけではありません。やりたいけど、予算との兼ね合いでできないこともたくさんある。そのためにも陸上人気を高くして、お金がたくさん流れてくるようにしないといけないのですが。
と書いておいて何ですが、もっと見る側の立場になってみて、と思うこともしばしば。たとえば、男子円盤投で畑山茂雄選手が出場しているのに、60mラインが引かれていなかったり。60mラインを越えなくても、“どれだけ迫るか”がわかるだけでも、見ている側は盛り上がります。
タイムテーブルもそう。毎年同じでいい、と思ったらダメです。記録を出しそうな選手が、どの種目との種目を兼ねているのか。“いつもと同じ”にやればいい、わけではなくて、そのときの状況に合わせて考える必要があると思います。
◆2006年6月6日(火)
今日もまた競技日程の話です。インターハイの地区大会が今年は、11地区全部が同じ週に行われます。2003年までは6月の第2週開催と第3週開催の2つに分かれていたのですが、04年から全地区が同じ週に行われるようになりました(北海道だけ若干、ずれていたりしますけど)。
この日程が“競技的”に問題があるわけではありません。“スカウト的”に問題があるのです。以前だったら3〜4地区、頑張れば5地区回れましたが、同じ週ではせいぜい2地区、頑張っても3地区でしょう。
陸上競技部の規模の大きい大学は監督、スタッフ、OB、看板選手と手分けができますから、何とかなるかもしれません。でも、実業団の場合、そこまでスカウトに割けるスタッフの数は多くありません。今年は日本選手権が地区インターハイの後なので、大学も看板選手をスカウトに動員しにくいかもしれません。でも、実業団の場合はインターハイ地区大会にそこまで重点を置かなくてもいいでしょうか。対象選手は絞られているでしょうから。
というネタを、先週の金曜日に某実業団チームのスタッフに電話をしたときに思いつきました。今は神戸にいて、明日は長崎だと言っていました。どこのチームなのかは、もちろん書くわけにはいきません。もしかして、10チームくらい該当したりして。
◆2006年6月7日(水)
先週の土曜日から760行の原稿に取りかかっていて、昨日、今日と膨大な量の原稿を書いています。あれ? 2日間で600行くらいですから、それほど多くありませんね。それでも、1本の行数が少なくて、何十本という本数です。それぞれに調べ物をしたり、取材ノートを読み返したり、場合によっては電話をしたりしたので、それなりの手間ひまがかかりました。そこそこ、納得できる出来になったでしょうか。
次は、明日の夕方締め切りの480行原稿にかからないといけません。
そういう状況ですけど集中力が持続していまして、ホクレンDistance Challenge深川大会の結果を気にしたりするなど、このサイトのメンテナンスもやっています。そのホクレン深川大会の結果ですが、1万mの一番強い組だけが5000mになっていたので、すかさず木路コーチに電話で確認。予想通り、とんでもない悪天候だったことが理由でした。
760行原稿が終わった後は、懸案だった男子棒高跳のアジア記録について、ATFSの野口純正氏に問い合わせ。5m90説と5m92説があるのですが、5m90が正しいと思われます。しかし、沢野大地選手が5m90を跳ぶ前に明確にしておきたいと思い、同氏を通じて海外の専門家にも問い合わせのメールを出すことにしました。英文のメールをパパッと書いて送信。
その後、400行原稿を朝の5時まで執筆。プロットはすでに考えてあったのですが、いざ書く段になって再構成。正確には、少し書き始めてから練り直しました。それでも、書き出しを決めて100行まで進みましたから、実際の分量的には22%ですが、作業感覚としては36%進んだ感じです。
その間に、来週の取材予定も考えました。昨日の日記に書いたように、インターハイ地区大会が全国一斉に行われ、スカウトにとっては厳しい状況になっています。だったら、寺田も一度、同じことをやってみよう、と思い立ったのです。つまり、近畿、東海、関東のインターハイ地区予選3大会を梯子取材してみようと。その間に「+1」取材も入れられるかもしれません。
忙しいときほど頭が冴えることもあります。筆も進むといいのですが。
◆2006年6月8日(木)
480行原稿を深夜に完成……させられず、行数調整と最後の部分を残したまま、ちょっと頭を冷やします。明日のインカレ取材前に片づけないと。
インカレは即日入稿? 締め切りは夜の9時? ここまで急ぎの仕事は何年ぶりでしょうか。プレッシャーです。でも、予習はばっちり……と言いたいところですが、インカレはしょっちゅう予習しているから大丈夫でしょう。持っていく資料の用意は終わっています。
◆2006年6月9日(金)
日本インカレ取材1日目。なのですが、その前に原稿です。昨日締め切りの480行は今朝の3時頃に一通り書き終えました(本当は夕方の締め切り)。入れ込んで一気に書くと、頭がヒートアップした感覚になって、冷静な推敲ができません。ちょっと引いた感覚で読み直す必要があるのです。締めの部分と、行数を削る作業を、今朝起きてから行いました。
インカレ会場の日産スタジアムには12:15頃に着。午前中の決勝種目はどうしたのか? 全ての種目を担当するわけではないので、まあ、バランスをとりながらということで。
今日の一番の注目は……。1つに絞ることなどできないのですが、男子400 mの成迫健児選手と金丸祐三選手の対決。昨年の日本インカレ優勝者と、日本選手権の優勝者。初対決ですが、成迫選手のテンションが上がっています。金丸選手が勝ちましたが、レース後に成迫選手に話を聞くと、これまでで一番、勝負を意識したレースだったと言います。
しかし、金丸選手の方は、成迫選手の気持ちがそこまでとは気づかなかったようです。レース前にも「普段と同じように話してくれていた」のだそうです。どうやら、成迫選手は闘志を秘めるタイプのよう。それを前面に出したら違った結果になった…かどうか、わかりません。少なくとも、金丸選手がひるむということはなさそうです。
そういえば、筑波大OBの陸マガ・高橋次長も闘志を秘めるタイプ。熱い思いを覆い隠して、常に冷静沈着。聞けば、M新聞・ISHIRO記者もそうだとか。世界選手権の取材など、ライバル紙記者は複数人数での取材で数的には不利。そういうとき、表面的にはいつもと同じでも、内心、燃えるものがあるようです。
個人的には成迫選手の45秒台を期待していました。何度も書いているように、“45”はつくばエクスプレスゆかりの数字です。同選手が45秒台を出したら“つくばエクスプレス襲名”ということで、それなりの準備もしてきたのですが。次回に期待しましょう。
◆2006年6月10日(土)
日本インカレ取材2日目。
最初の決勝種目は男子ハンマー投。本州南端の鹿児島県にある鹿屋体大、吉津剛選手が64m35で優勝。トラックでは永田宏一郎選手が5000mで2連勝、走高跳でも2人の優勝者を出していますが、投てきでは初優勝です。ですが、寺田は2位の宍戸啓太選手を取材。ハンマー投と砲丸投という、珍しい組み合わせで2種目をこなす選手だからです。
次の優勝者は女子三段跳の大泉佳那選手。南の鹿屋体大が投てき初優勝なら、北の東北福祉大は全種目を通じて日本インカレ初優勝。しかし、インタビュー取材の途中で女子100 m決勝が始まる時間となり、泣く泣く中断して、女子100 mを見に階段を駆け上がりました。
その女子100 mがトラック最初の決勝。北風沙織選手が全日中、インターハイに続き、インカレも3年目で優勝。向かい風0.1mで11秒68と自己記録を0.01秒更新。13年ぶりに大会記録も書き換えました。レース後には涙うらと涙も。その涙からぐぐっと掘り下げた記事を書きました。これは陸マガ次号に載ります。
続く男子100 mは高平慎士選手が優勝。「スタート前から自信があった。(午前中の)200 m予選のように、自分がコントロールするレースにしたかった」と言います。アテネ五輪、ヘルシンキ世界選手権と1次予選であしらわれたガトリンのことを言っているのだな、と直感。確認したらその通りでした。
北風選手、高平選手とも北海道出身。できればトラックでツーショットを撮りたかったのですが、機会に恵まれずあきらめました。が、表彰控え所で運よく一緒になったところを、撮らせてもらうことができました。
ところで今回の日本インカレは、表彰待機場所での取材がフリー。これは、非常にありがたかったです。表彰控え所では接触禁止という大会も多いのです。でも、選手は結局、待っているだけのことが多いわけで、いつももったいないと思っていましたし、不快感を顕わにする記者もいます。
運営側の言い分は、「認めると収拾がつかなくなる」「記者たちが表彰時間になっても取材をやめようとしない」というもの。ですけど今回の様子を見ていると、「あと5分くらいで○○(種目名)の表彰に行きます」と声をかけて、時間になったら記者たちも表彰に快く送り出しています。まったく問題はないのです。
日本選手権などに比べると大会のグレードも低く、記者の数も若干少な目だからできたのかもしれませんが、参考になるやり方だったのではないでしょうか。
北海道コンビで思い出しましたが、昨日の種目でも、女子400 mでは2位の青木沙弥佳選手と、3位の成瀬美紀選手が同じ岐阜県の出身。青木選手が県岐阜商高、成瀬選手が関商工高と学校は違いますが、指導者は2人とも安福先生です。国体チームで岐阜ES事業団にいた山崎一彦コーチの指導を受けたことも共通点でした。
これも昨日の種目ですが、男子1万mの1・2位は兵庫県選手。優勝した北村聡選手が西脇工高、2位の木原真佐人選手が報徳学園高というライバル校出身で、学年は北村選手が1つ上。「負けられなかった」と言います。
今日の種目に話を戻して、男子3000mSCでは菊池敦郎選手が優勝。実は最後の2周を切ったあたりで、4×400 mRの予選に出た金丸祐三選手のインタビューが始まったのですが、このときは“直感”で3000mSCのレースを見ることを優先しました。これが大正解。2位の篠藤淳選手が最後の水濠でちょっと変わった試みをしたのです。結果的には転倒して優勝を逃す一因となりましたが、日本人でやっている選手はいない試みでした。具体的には機会を改めて。
男子砲丸投は小林志郎選手が自己新で勝って、円盤投との2冠。かつて、国士大の先輩の保田豪選手も同じ2種目に勝っていますが、別々の年。石田義久選手以来らしいです。2位には、ハンマー投に続いて宍戸啓太選手が入りました。こちらも自己新。小林選手が投てき2種目に優勝し、種目の1つは違いますが宍戸選手が投てき2種目で2位。それもありましたし、宍戸選手の組み合わせ方が珍しかったので、取材をしました。
砲丸投と円盤投なら、パワーポジションの角度が似ているので、兼ねる選手も多いのですが、砲丸投とハンマー投は共通点が少なくなります。しかし宍戸選手は、それがいいのだと言います。なのですけど、共通点というか、役立てられる点もある。なかなか面白い話でした。かなり慌ただしかったですけど、小林選手の話も聞けました。こちらも面白い話を聞くことができたので、どこかで記事にしたいですね。
砲丸投とハンマー投で2位の選手の名前が啓太となったわけですが、円盤投では秋本啓太選手が3位になっています。関東インカレ1部では優勝した選手。もしも明日のやり投で啓太という名前の選手が2位に入ったら、秋本選手の罪は重くなります。別の名前の選手が2位となることを祈りましょう。
今大会最初の学生新は、女子4×100 mRの福島大。45秒01で「4年計画で狙っていた」(川本和久監督)という44秒台には届きませんでした。監督も選手も盛んに、悔しさを口にしていました。アンカーの長島夏子選手もその1人ですが、長島選手は100 mで11秒77(2位)と、高校3年時の11秒75に肉薄。向かい風だったことなど条件を考えれば、実質的には自己新記録です。
リレーの話をしているときは、44秒台を出せなかった悔しさばかりを口にしていました。それでも、口調自体は明るかったのですが、12秒を切れなかった3年間の苦労を聞くと、しんみりした口調に。でも、内容はとても深みのあるものでした。
取材の最後の方は相当に立て込んでしまって、女子走高跳はほとんど見ることができませんでした。このところ好記録が出ていない種目なので、優先順位も低かったのですが、記録を聞いてビックリ。優勝した松本明日美選手が1m81です。中日新聞&中日スポーツの記者たちが色めき立ちました。後で調べたら学生選手の1m80以上は2000年以来。つまり、21世紀初の学生女子選手の1m80突破だったのです。歴史的なシーンを見逃しました。悔いが残ります。
しかし、クヨクヨしている時間はありません。昨日、今日と陸マガ次号の即日入稿のため、22時までに原稿を54行書かないといけなかったのです。その様子についてはまた、明日にでも。
◆2006年6月11日(日)
日本インカレ最終日の取材。
1日目に続いて雨に降られてしまい、記録も全般的に低調でした。寺田も個人的に絶不調。どこかボーっとしてしまい、集中力がいまひとつ。結果を見たその場で好記録や面白い視点にすぐに気づかず、後で「あれを取材しておけばよかった」と後悔することが数回ありました。昨日の女子走高跳のように、レベルが低いからと決めつけてしまったことで、面白い点に気づかなかった種目もあります。
昨日で陸マガの締め切りが終わって、ホッとしてしまった…つもりは毛頭ありませんが、そう言われても仕方がないかも。
まずは400 mHのタッチダウンタイムで失敗。先に行われた女子は桜井里佳選手(福岡大)が欠場したこともあり、青木沙弥佳選手(福島大)を計測しました。しかし、4台目でガクッと落ちて、5台目で1秒近く速くなっています。確かに、今季から歩数を変更し、3台目までが16歩で4台目からが17歩。4台目が遅くなっているのはいいのですが、その次が1秒も速くなるはずはありません。どういう経緯で間違いを犯したのか、自分でも謎なのです。
男子400 mHは6レーンが成迫健児選手(筑波大)で、1つ外の7レーンが小池崇之選手(順大)。1台目を小池選手で測ってしまい、2台目以降を成迫選手に戻したのですが、データとしては不完全なものに。自分でも信じられないミスです。
男子5000mは日本人1位の佐藤悠基選手(東海大)が13分29秒32。日本人学生歴代4位で、兵庫リレーカーニバル1万mに続き、世界選手権のB標準にも迫りました。しかし、佐藤選手だけでなく、2位の竹澤健介選手(早大)、3位の上野裕一郎選手(中大)もハイレベルの自己新。記事を書かないといけない状況ではないので、佐藤選手にばかり神経が行ってしまったようで、コメント取りも佐藤選手だけに。
フィールド種目への神経の行き届き具合も今ひとつ。記録は悪いのですが、話題はそれなりにあった種目ばかりです。男子走高跳で唯一人2m15に成功した土屋光選手(筑波大)は、今季2m22を跳んでいますから勝って何の不思議もないのですが、関東インカレは4位と敗れています。今日の雨の中で2m15を跳んだのですから、技術的に安定した選手と思われます。関東の失敗の原因を聞いておけばよかったな、と。
男子やり投も同じ感じですね。69m06で優勝した恵濃一繁選手(京産大)は、関西インカレでは5位でした。
京産大といえば男子4×400 mRでも2位と快走。この種目は関東勢が圧倒的に強くて、男子長距離種目のような状況です。関東以外の優勝はなんと、第1回大会の京大だけ。関西勢では大会史上2番目の順位です。
驚いたのはそれだけではありません。3位に関大、4位に近大と関西勢が2〜4位を独占。日大、順大、法大といった常連が予選落ちし、筑波大も準エースの長谷川充選手を欠いた布陣でした。ということもありますが、関西勢が強かったのも確か。2〜4位が史上初めてなのかどうかは、調べられそうですけど、ちょっと大変かも。
女子では丹野麻美選手が今日の200 mと4×400 mRに勝って4冠を達成しましたが、今の学生選手たちのなかでは力が抜き出ていますから、驚きはありません(と川本和久監督も話していました)。昨日の小林志郎選手の投てき2冠の方が、オオっと思いましたね。
女子総合は筑波大が17連覇。2位の福島大に34.5点差ですから、日体大に10.5点差と迫られた関東インカレよりも余裕があったわけです。それでも、2日目終了時点では37〜40点の間に4チームがひしめいていましたし、優勝種目が1つもなかったので(総合優勝争いには関係ないかもしれませんが)、楽勝という雰囲気ではありませんでした。
筑波大勢で最終日に勝ったのは、100 mHの金子紗織選手と砲丸投の美濃部貴衣選手。静岡出身コンビだったのですが、気づいたのが遅く、その視点での取材はなし。静岡の関係者(杉井先生とか)には申し訳なかったと思っています。
そういえば、佐藤悠基選手も静岡出身。日産スタジアムは、ジュニアオリンピックか何かで中学新か自己新を出した会場ではないでしょうか。それがどうした、と言われると、どうもしないのですけど。
筑波大女子の優勝においては、投てきブロックの得点比率が高いのにも、後で気づきました。やり投9点、円盤投9点、今日の砲丸投18点でトータル36点。全得点が107.5点ですから明白ですね。競技終了後にスタンドですれ違った大山圭悟コーチに、敬意を表する言葉をかけなかったのが、本日最大のミスでした。
◆2006年6月12日(月)
「ワールドカップに間に合うまでOKだよ」
時間は19:20。場所は陸マガ編集部。Y口編集者から「打ち合わせをする時間がありますか」と聞かれて、サッカーのテレビ観戦優先を宣言した(??)寺田です。
陸上競技専門のライターと言っても大多数の日本国民と同じじゃないか、と思った方は認識が甘いと言わせてもらいましょう。日記に書くネタを探しているのだろう、と思った方はいい線を行っています。
98年のことでした。当時は陸マガ編集者だった寺田は、伊東浩司選手にヨーロッパ遠征中の手記を依頼しました(以前にも書いたかな)。もう、ベテラン選手の域に達していましたし、普段の言動から、それほど負担になるとは思えなかったからです。でも、当時の海外でのネット接続環境を考えると、もしかしたら負担を掛けたかもしれません。もちろん、メール送信がダメだったらあきらめるつもりでした。
幸いにも伊東選手からメールが届き、掲載をすることができました。その手記の中の、ワールドカップについての記述がお洒落だったのです。ざっと抜粋すると以下のような感じ。
スイス・ジュネーブの試合でのこと。伊東選手はクロアチア戦の前半をホテルで観戦した後、ハーフタイム中に試合会場に移動。受付をすると100 mに自分の名前がない。どうしようかと考えながらスタンド下を歩いていると、バーの中でくつろいだ姿勢の東洋人が、ガラス窓をコツコツ叩いている。朝原宣治選手だった。伊東選手が見ていなかった間の、試合展開を説明してもらったという。
朝原選手から、交渉すれば100 mにも出られると教えてもらった伊東選手は、レース・ディレクターに交渉。出場できることになったが、交渉している間に、クロアチアに得点を入れられてしまった。アップの時間を気にしながらも、最後までサッカーを見てからアップを開始した。
この手記を読んで、格好良いなぁと思ったことを覚えています。特に、朝原選手がバーの中からガラス窓を叩いて、日本のトップ選手同士(神戸出身同士)が異国で再会するシーンが、なんともいえない雰囲気を出してくれていました。ワールドカップそのものというよりも、それを軸として展開する陸上選手のストーリーが面白かったのですね。上の記述からわかるように、当時は今のように、エージェントが何でもしてくれる状況ではなかったのです。
寺田がワールドカップを見るようにしているのも、伊東、朝原両選手のやりとりを陸マガの記事で読んでいたからなのです。
陸マガ編集部に行ったのは、今日が7月号の配本日だからですが、一昨日の夜に書いた日本インカレの原稿がもう、雑誌になっているのですから不思議な感覚です。
日本インカレは2日目まで誌面に載っていますが、本当にギリギリの日程で、ページ数は全部で5ページ。1日目と2日目で、活躍した選手を1人ずつピックアップして記事にしました。1日目は男子走幅跳の仲元紀清選手、2日目は女子100 mの北風沙織選手。
どちらも、競技終了後、締め切り時間まで2〜3時間。54行ですから、パパッと書くには十分な時間です。けれども、雑誌の記事ですからそれなりのクオリティにもしたい。追加取材を関係者に電話でしたり、構成を練り直したりして、ちょっと頑張りました(締め切りに遅れた言い訳?)。
今晩は多摩の自宅が断水なので、新宿の作業部屋でワールドカップをテレビ観戦。結果は皆さんご存じの通り。オーストラリアに1対3で敗れました。日本が点を取られたのは最後の10分だけ。90分中の10分ですから、比率にしたら11%。100 mだったら、最後の11mで一気に差をつけられたとしても、敗れた側は最後だけが課題とは考えません。サッカーはどうなのでしょうか。最後だけが問題だったと考えた方が、気持ちは切り換えられるかもしれませんけど。
サッカー観戦後は2時間ほど、仕事が手につきませんでした。悔しかったからではなく、陸マガ7月号を読んでいたからです。
◆2006年6月13日(火)
ゲーツヘッドで5m75の海外日本選手最高をマークした沢野大地選手が、午後のJAL便で凱旋帰国。テレビ局1社と新聞3社、通信社1社、オマケの寺田が、税関手続きを終えて出てくるロビーに待機していました。
共同通信・宮田記者は全仏オープン・テニス取材から帰国した脚での取材。スーツケース持参で現れました。ちなみに、往きも沢野選手の出発と同じ日。全仏オープン記事執筆中に腕がつっていたみたいですが、準決勝・決勝ではつらなかったとか。というのは冗談ですが、宮田記者が低音で話すフランス語は雰囲気満点です。一昨年、ローザンヌのカフェで聞きました。これは事実。
スポーツ記者たちが待ち時間にする話といえば、季節柄ワールドカップです。昨日のオーストラリア戦について、寺田がにわか仕込みの知識で質問をします。
寺田「得失点差を考えると、2・3点目が痛かったのでは」
某記者「そんなことよりも、絶対に負けてはいけない相手だったんですよ」
寺田「1試合に負けたといっても、野球のWBCのようなこともあるし」
某記者「元から、野球と比べて良いレベルじゃないですよ」
本職のスポーツ記者は厳しい。やっぱり、スポーツは世界に通用してなんぼ、という業界なのです。インカレで勝った負けたも、もちろん素晴らしい。でも、そこが世界につながらなければ意味がない。
最近考えるのは、インカレやインターハイが注目されることが、陸上競技全体の人気のバロメータになるのではないか、ということ。世界選手権だけ観客が集まって、それ以外の大会は今のまま、では一時的な現象で終わってしまいます。世界選手権で活躍した選手たちが育ったインターハイやインカレも見てみたい、将来のスター選手を見ておきたい、とつながっていくのが、本当の陸上人気の拡大につながるのではないでしょうか。たぶん、サッカーはそういう構図ですよね。ワールドカップが一番注目されるのはは当然として、大学サッカーもそこそこ人気があるのでは? 今のインターハイの盛り上がりって、たぶんに業界内部的な盛り上がりですよね。
それを考えると、一部のトップ選手だけを取り上げていても、最終的なテレビ視聴率は上がらない。仮に上がっても、それは、その選手個人の人気であって、陸上競技の人気とイコールではない。でも、個人の人気の方が上がりやすいのも確かで、個人の人気が競技全体の人気を牽引することもあるでしょう。
陸上競技は、見ているだけじゃ面白くないですからね。人物もの的な取り上げ方のほうが、大衆には受け容れられやすいのは自明です。でも、その中にちょっとずつ、競技の面白さ、奥深さがわかる要素があれば、能動的なファンが増える……まとまりがなくなってきたので、この話題はこの辺で。
ワールドカップに話を戻しましょう。
沢野選手は経由地のアムステルダムに着いたときに、1対0で日本が勝っている情報を得ましたが、離陸前にエージェントからメールが入り、1対3で負けたことを知ったそうです。
沢野選手の帰国取材の話なのに、沢野選手の話が少ないですね。まあ、記事を書く予定なので。
◆2006年6月14日(水)
今日は陸マガ7月号発売日。お薦めは「陸マガと一緒に日本選手権へGO!」企画。ヨーロッパで復帰戦に出場した室伏広治選手のインタビュー、花岡麻帆選手と池田久美子選手の特集、末續慎吾選手の人物ものがカラー頁に。モノクロ頁には全38種目の展望と、会場&チケット・インフォメーション、最新日本30傑リストなど。
寺田が担当したのは花岡&池田選手特集。取材していて面白かったですね。取材前に2人の日本選手権の戦績を、1試技毎の記録と順位変動も含めて調べて行ったのですが、それだけでもう興味津々という状態でした。2人の日本選手権初出場が同じ年だって、知ってました? 面白いのはそれだけじゃないのですけど。
跳躍の違い、助走の違い、考え方の違い、技術の変遷の違い。それらがわかって面白かったです。2人の違いをこういう形で紹介できたのは初めてでしょう。ただ、自分で“わかったと思っているだけかもしれない”、と100%の自信が持てないところは記事には書きにくいので、行間ににじませるにとどめました。その辺がわかる読者は、面白さが倍増するはず。あの筑波大でロングジャンプをやっていた高橋次長に、褒めてもらえましたから。
写真もいいですね。扉の2人の表情に始まって、中で掲載しているトレーニング写真、練習中の雑感写真と。
池田選手は川口カメラマンが担当。ワールドカップを目前に控え、燃えていました。いきなり、砂場での軽い踏み切り練習になっても、「なんでも来い、ファインセーブだ」と言って撮影していました(若干の脚色あり)。
花岡選手の担当はご存じ、高野カメラマン。取材日はあいにくいの雨で、順大トラックの外側にある、雨天用走路で花岡選手がジョグをしているところを撮らせてもらいました。かなり暗かったので写真の出来はいまひとつかな、と心配していたら、誌面を見てビックリ。ものすごく綺麗に撮れています。さすが○○○○を撮らせたら日本一、と言われているカメラマンです。雨粒まで見えるシャープな画質を見て、寺田もカメラを買い換えようかな、と考え始めました。
花岡選手へのインタビューを行なった場所は“伝統”の順大学食です。最近では小池崇之選手の取材も同じ学食で行いました。今回も「一番高いコーヒー」を注文した寺田です。取材後には花岡選手、越川先生、児玉編集長、高野カメラマンと5人で成田高近くのイタリアンで昼食。偶然ですが、日大・小山先生もいらっしゃいました。種類は忘れましたが、スパゲティを注文。どのメニューも量が多かったので、店の方に「成田高関係者だけ特別ですか」と質問しました。どんな答えだったか、忘れてしまいましたけど。
池田選手は練習終了が昼食時だったので、近くのファミレスに行きたいと福島大陸上部広報の方に相談(下の写真は池田選手をアテンドする美人広報)。
福島大の近くにはカフェやファミレスがないのですが、タクシーで和風ファミレスっぽい店に。取材には広報も同席するケースが多いのですが、別の仕事があってご一緒できませんでした(オフィス川本OLの6月4日欄参照)。
記事では2人の特徴や違いだけでなく、2人の日本選手権へ懸ける思い、お互いをどう意識してきたのか、なども紹介しています。手前ミソですが、この特集を読んだら間違いなく、日本選手権の女子走幅跳を10倍面白く見られるでしょう。
ところで、「陸マガと一緒に日本選手権へGO!」という企画名は、陸マガにはあまり見られないネーミング。ファンあっての日本選手権であり陸上界である、という意識が送り手側にあってのことでしょうか。千葉県幕張あたりの読者たちは、この企画を目にして「富士通は青柳GO!」とか、言い合っているかもしれません。
◆2006年6月15日(木)
昨日の日記の最後に、「陸マガと一緒に日本選手権へGO!」のオチとして名前を出させてもらった青柳剛さんは、知る人ぞ知る富士通の敏腕マネジャー。ひと目見ただけで「この人はできる」とわかります。東日本実業団の富士通3選手の記事を書いたのも、青柳さんの顔を思い出したから。それ以外に理由はありません。
いったいどんな人なんだ、と思われる方は日本選手権のスタンドに足を運びましょう。見分ける方法は簡単……ですが、具体的には書けません。でも、きっとすぐにわかると思います。
ところで、日本選手権のスタンドといえば、「陸マガと一緒に日本選手権へGO!」の扉ページにぎっしりと観客がつめかけている絵柄の写真が載っています。セピア色なのでいつの写真なんだと思われた方も多いと思いますが、よく見ると第4コーナーに見覚えのある防風壁が。2年前に鳥取で行われたときの日本選手権です。
その写真に、ある有名選手が写っています。横からのアングルですけど、その場所で少し話を聞かせてもらったことを覚えています。さて、誰でしょうか。富士通とも関わりがないこともない選手です。
陸マガ一番のお薦めは「陸マガと一緒に日本選手権へGO!」企画だと、これも昨日の日記に書きましたが、高校生選手と指導者たちにとっては、埼玉栄高・清田先生の日記からもわかるようにインターハイ関連情報が一番です。県大会の記録に、短めの記事が多数掲載されています。“短め”というのはこちらの感覚であって、読み手側にとっては重要な情報源となることもある。清田先生の日記からそれがわかります。
全国大会で総合優勝争いをすると思われる信愛女高のコーチ陣も、交替でブログを書いていくことになったようです。高校陸上界の強豪校の指導者が、ネットで情報を発信する。数年前には考えられなかったことです。IT時代が陸上界にも押し寄せたからというか、ブログが普及してきたからなのでしょうが、送り手側(指導者たち)が情報や意見を公開するのにはそれなりのわけがあるのでは?
寺田の推測の域を出ませんが、高校生とはいえ、自分が指導する選手たちが読むことも意識しているのではないでしょうか。
明日、明後日は近畿インターハイに行きます(大阪・長居)。日曜日が東海インターハイ(名古屋・瑞穂)で、月曜日に南北関東インターハイ(川崎・等々力)と、4地区の梯子取材を考えています。地区インターハイの取材は何年ぶりでしょうか。ちょっと前の日記に書いたように、スカウトになった気分で回ってみようかと。
インカレの次は地区インターハイ。初心に戻るのもいいかな、と思っています。
◆2006年6月16日(金)
10時過ぎに長居陸上競技場に。国際グランプリ大阪と大阪国際女子マラソン以外の試合で長居に来るのは久しぶり。01年には東アジア大会で来ましたね。02年に関西インカレに来たことがありましたけど、国際大会以外で来ると違和感がちょっとあります。取材現場の雰囲気もずいぶん違います。国際グランプリ大阪のインタビュールームが、記者室になっています。トラックに面しているのがいいですね。
取材に来ているペン記者は、寺田が確認できただけで神戸新聞・藤村記者、京都新聞の方、大阪日日新聞のあづさ姉さん、恐らく奈良新聞の方、そしてチェコ帰りの読売新聞・新宮記者。専門誌は独身の曽輪ライター(陸マガ)、元神戸新聞の力武さん(某専門誌)。某専門誌のE本編集者は和歌山出身です。
残念だったのは日本インカレのように表彰待機中の選手の話が聞けなかったこと。インターハイは複数種目を掛け持ちする選手が多いので、この待ち時間は無駄ですね。記者の数も少なかったですし。最後の方で大阪陸協の方が便宜を図ってくださり、女子円盤投の北垣選手を待機中にインタビューできました。ちなみに女子円盤投は2〜5位がこの写真のような大激戦。2年生の北垣選手だけが、ちょっと抜け出ていたわけです。
最初の決勝は男子砲丸投。姫路商の立野選手が同高男子投てき選手初の、近畿大会優勝。165cmと小柄な選手。スピードが特徴ですが、そういった選手が結果を出すと投てき種目が面白くなります。
トラック最初の決勝種目である男子1500mは、中山卓也選手がスタート直後にトップに立ち、一時は10m以上もリードを奪いましたが、残り500m付近で後続に追いつかれ、6人の集団に。和歌山北高の松田選手がラスト勝負を3分51秒69で制しました。
高校歴代50傑には惜しいところで入っていませんが、「和歌山県高校記録では?」と、記者室で話題に。可能性があるのは3000mSCでインターハイに勝った道浦選手あたりか、岡本選手か、とE本記者と話していました。本人に確認すると浜野健選手で、3分52秒台だったそうです。
時間的には1500mよりも前ですが、トラック内を1周歩きました。国際グランプリ大阪のときの大阪高・岡本先生を見習って、風向きを確認したのです。しかし、ずっと追い風だったグランプリのときと違い、今日は風があまりありません。強いて言えばバックが追い風で、ホームが向かいです。
途中、ミズノの岩本トレーナーと、近藤高代選手が男子棒高跳を熱心に見ているところに出くわしました。近藤選手は弟弟子の大森選手が出場していたのですが、同選手は残念ながら記録なし。4m91と参加選手中一番の記録を持っていたのです。勝ち抜き戦形式の厳しさを、改めて見せつけられました。
女子1500mは小林祐梨子選手が独走優勝。1500mでは第2コーナー付近でラップを計測することが多いのですが、陸マガ7月号に日本記録のときの100 m毎が載っていたので、寺田も今回は100 m毎にトライ。400 m毎は旗を振ってくれるますし、フィニッシュ地点は比較的遠くからでもわかります。第3コーナーと第4コーナーの間でちょこちょこ移動しながら測りました。
女子100 mは同じ兵庫の注目株、1年生の竹内選手が優勝。中学記録保持者ということで、どうしても注目されてしまう立場。その辺をどう考えているのか、負担に感じているのか、前向きにとらえているのかを質問。しっかりした答えが返ってきました。
フィールドに目を転じると、女子走高跳で波乱が起こりました。昨年の全国チャンピオン、太成学院高・三村選手が1m72で敗れたのです。勝ったのは北稜高の内多選手で1m75の自己新。中学まではテニス部だったそうです。
ところで、久しぶりの高校生取材ですが、三村選手の助走に日本のトップ選手との違いがあることに気づきました。取材中にそこを聞きましたが、技術的な質問では注意が必要です。こちらの見解を出しながら質問するのは、避けないといけないということ。長年取材をしていると、技術的に気づくこともありますが、それを取材する側が「こうなんでしょ」とか、「ここがよくない」とか、直接話すのは禁止事項。どうしても言いたいことがあったら、指導者を通すべきでしょう。特に若い選手の場合は。
男子100 mは大阪高の池田宇門選手が10秒66(−0.7)で2位に0.11秒差の快勝。同高の岡本先生は、「近畿は勝たなくてもいい」と話して選手たちを送り出したようですが、4×100 mRでも40秒98で優勝(4人の写真)。バトンパスは3個所とも“安全策”で、オーダーも直前に決められたようです。2走の池田竜太選手(宇門選手の双子の弟か兄)の調子が上がっていたことがプラス方向の誤算。4走へのパスでトップにたっていたため、宇門選手も抜かれるわけにはいかなくなりました。
4×100 mRの取材中に、驚異的な事実が判明。岡本先生と、女子4×100 mR優勝の薫英女学院高・中西先生が、中学(池田市の豊島北中)の1学年違いの先輩後輩だと、岡本先生から教えてもらいました。以前、金哲彦陸連女子長距離部長と、只隈大東大監督が八幡大附高の同級生ということで紹介しました。大学の同級生同士の例は珍しくありませんが、高校の同級生同士が揃って陸上界で頑張っているのは滅多にないケースだと。岡本先生と中西先生は先輩後輩ですが、同じ中学というのはもっと稀有なケースだと思います。
しかし、大阪高はこれで全国でも優勝候補に。勝てば、優勝回数で八女工高と並びます。選手たちも、「大高は金丸(祐三)さんだけではないところを見せたい」と、やる気十分です。
明日も午前中は近畿インターハイの取材。午後からは尼崎に移動して、関西実業団記録会を取材しようと思っています。
◆2006年6月17日(土)
今日も近畿インターハイの取材。
午前中は女子3000m。小林祐梨子選手が独走優勝しましたが、1500mと違ったのは2位集団を2年生の松山祥子選手(薫英女学院)が積極的に引っ張ったこと。実際の2位とのタイム差は3000mの方が大きかったですけど(1500mは12秒41、3000mは16秒83)、後続が頑張っている印象は3000mの方が大きかったですね。松山選手が7位以下だったら結果的に失敗ですが、きちんと5位に入りましたし、6位とは6秒27の差をつけました。積極的な走りが安全圏を確保したわけです。
小林選手の取材が終わったら、尼崎に移動して関西実業団記録会の男子100 mを見ようと考えていましたが、3000mのレース中から雨がパラつき始め、徐々に激しくなり始めました。朝原宣治選手は欠場と聞いていましたし、独身の曽輪ライター(独身貴族ということも判明)が、「尼崎で雨が降ったら原稿を書けませんよ」と言うので、長居に残って小林選手の記事を書くことにしました。
しかし、目の前で競技をやっていると、どうしてもそちらが気になってしまいます。
女子200 m準決勝では100 m中学記録保持者の竹内彩華選手が、準決勝1組で4位。前半から動きが鈍かったのですが(たぶん、直線に出たところで2番手)、終盤で抜かれて4位に。プラスにも引っかかりませんでした。逆に、プラスで決勝に進んだ日根ノ谷裕子選手が4位で全国に。
といっても、この2人は昨日の100 mで全国大会出場権は得ています。インターハイならではのドラマがあったのは、同種目で5〜7位を占めた薫英女学院勢。3人のうち1人が、全国切符を逃したわけです。それが下級生だったらまだ、来年があるのですが、今回の7位は3年生の稲見まり絵選手。一昨年の国体少年Bで4位の実績のある選手です(1〜3位は高橋、河野、福島の3選手。そうそうたる顔触れです)。
薫英女学院では、やはり3年生の中須賀結香選手が100 m7位。地元インターハイへの道を断たれた彼女たちの思いは、ありきたりの常套句では表現できないのでは? しかし、その分、4×100 mRへの集中度合いは高くなります。全国で結果が出たときはドラマになりますね。
男子200 mでは2位に名門・小野高の杉本祐太選手が入りました。胸にトンボの同高のユニフォームを初めて、生で目にしました。筑波大・大山圭悟コーチや神戸新聞・大原篤也記者も昔、このユニフォームを着ていたのかと思うと、胸にジーンとくる…ほどのものはありませんけど、ちょっとした感慨はありました。
前述の女子200 mでは、洲本高(淡路島)の服部愛美選手が優勝して、とびきりの笑顔を見せてくれました。陸マガ元編集長の野口純正氏や、マラソン・駅伝の分析記事でお馴染みの出口庸介先生の母校です。
男女の400 mHは姫路商高がアベックV(このアベックっていう言葉、世間ではもう使いませんよね。他に適当な言葉ってないでしょうか?)。女子はインターハイ種目になって間もないので初優勝ですが、男子はこの5年間で3回の優勝。それも、全部が別の選手。完全に、同高の伝統種目になっています。次はOBの小池崇之選手が頑張ってくれるでしょう。
男子200 mは大阪高の池田兄弟が1・3位。兄の宇門選手が100 mと合わせて個人短距離2冠、弟の竜太選手が3位。2人の話を聞くと、これが山あり谷ありの競技人生。個人種目の戦績では弟の竜太選手が先行(全日中200
m2位、ジュニアオリンピックも2位。宇門選手はジュニアオリンピック400 m6位)。しかし、竜太選手が1年時のインターハイ4×100
mR予選でケガをして以来、逆転していました。大阪高ですから、そこにリレーの話も色々と絡んできます。
2年前のインターハイ総合優勝や、昨年の金丸祐三選手大活躍の陰で、また別のドラマが進行していたのです。いやぁ、インターハイは本当に面白いです。
男女の200 mで予定外の取材をしている間に、女子走幅跳では1年生の中野瞳選手が6m06で優勝。雨と向かい風(0.4m)のなかでの記録。しかも、2位に30cmの大差。コレは強い、と思いましたが、尼崎に移動したため話は聞けませんでした。
関西実業団記録会の一番の目的は、5000mに出場する野口みずき選手の取材です。尼崎の競技場は4年ぶり。02年にミドルディスタンス・チャレンジの取材で来ました。田村育子選手(当時グローバリー)が1マイルで日本新を出し、記録掲示板で写真を撮らせてもらった記憶があります。田村選手と野口選手は同じチームの同期生です。
当時の野口選手は前年の1万m世界選手権代表にはなっていましたが、マラソンについては初マラソン直後。その後4年間で五輪金メダリストになり、昨年のベルリンでは日本記録もマークすることになるとは、誰が想像できたでしょう。野口選手はその日本記録を、400 m以上の全種目で教え子が日本記録を出すことになった藤田信之監督と、ベルリン前日が誕生日だった田村選手にプレゼントしました。
しかし、今日の目的は感慨に浸ることではありません。野口選手の今後の取材でどこを掘り下げたらいいのか、そのヒントを得ようと考えていました。その辺は、高校生取材とは対照的なところ、だと自分では思っています。具体的には企業秘密。
寺田以外の新聞記者たちは、野口選手の取材終了後に原稿書き。5000mレース前に雨はやんでいましたが、レース中から再度降り始めました。しかし、競技場事務局が場所を提供してくれて、不便はなかったようです。
その間、寺田は男子5000m最終組を見ていました。NTT西日本の清水康次コーチと、方山利哉選手の走りを見ておくように言われていたのです(誰から?)。レース後は清水コーチとちょっと雑談。今後の取材(向こう1年くらいのマラソンで)に役立ちそうなネタを仕入れました。
尼崎でJR電車に乗ったのはもう、21時前後。中日スポーツ・寺西記者と一緒に名古屋に移動しました。新幹線車中では、今後というか、20年先に書けるかどうか、という記事の話をしました。
明日は東海インターハイに行きます。
◆2006年6月18日(日)
東海インターハイの取材(もどき)。昨日は大阪・長居競技場で、今日は名古屋・瑞穂競技場。そういえば、こんな写真を長居で撮りました。
今朝は早起きをして一仕事こなし、ホテル近くのドトールで朝食を取りながら、ここ10年間の東海インターハイの記録にザッと目を通しました。地区インターハイのなかでは一番多く取材した大会。それでも、相当に久しぶりです。優勝者の名前を見ていて、96年は取材したことを思い出しました。それから99年も。7年ぶりということになります。
長居に続いて瑞穂でも、インターハイの面白さを再認識しました。面白さと同時に、高校生のインターハイに懸ける気持ちや、そこから生じるエネルギーの大きさも感じました。近畿大会から引き続き取材したことで感じたのだと思います。
まずは女子走高跳。各県大会の記録上位4選手(3年生2人と1年生2人)が1m67に成功し、そのうち3人が1m70もクリア。3人ともノーミスで、すごい戦いになったと思いながら見ていました。しかし、1m73に成功したのは薮根ゆい選手(近畿大高専)だけ。この高さで1cmの自己新です。優勝&自己新。そこで終わっても不思議ではないのですが、次の1m75も1回でクリア。1試合で2回の自己記録更新も、勢いでやってしまう選手もいます。さすがに、1m78の大会新は2回失敗。厳しいかと思われましたが、3回目にバーを揺らしながらもクリア。これにはビックリさせられました。
大会記録を持っていたのは坂野尚美選手(大垣商)と今井美希選手(瑞陵)。坂野選手は確かインターハイ優勝者で、今井選手は1m96の日本記録保持者。大会記録の価値はピンキリですけど、今日の大会新は価値があります。今井さんは昨年で惜しまれながら引退しましたが、地元ということもあって、表彰のプレゼンターを務めていました(写真)。さらに、この春に三重県で今井選手が講師を務めたクリニックがあって、そのときに薮根選手を指導していたのです。
囲み取材で話をしたときにビックリさせられたのは、薮根選手の話しぶり。えっ?と思うくらいに控えめというか、大人しい話し方なのです。こういった選手に会ったのも久しぶり。高校生ですから、記者たちに囲まれるのは慣れていないのかもしれません。でも、慣れないことにあたふたしている感じもしないのです。泰然自若といった言葉が当てはまりそうな雰囲気。
今井さんもクリニックの時に同じような印象を持ったようで、「大人しいイメージ。前へ押し出すところがなく、競技者っぽくなかった」と言います。しかし、今日の跳躍を見て「これが、この子の本当のところ」だとわかったそうです。
「心に波がないというか、つねに平常心を保っていました。世界のトップ選手でも、2m07とか2m09にバーが上がると助走が違ってきてしまうもの。それが彼女は、自己新に挑戦するときでも同じ助走ができていました。何ものにも揺さぶられない、強い心を持ったマイペースの選手なのだと思います。あの子の光るところは技術なんかじゃなくて、精神力ですね」
今井さんは薮根選手の跳躍を、岐阜で先生をしている海鋒佳輝先生(筑波大OB)と一緒に見ていたそうです。海鋒先生はこの日記でも何度か書いているように、北京アジア大会代表だったハイジャンパー。海鋒先生で思い出しました。今日、岐阜県チームの本部席の前を通りかかると、ブルース・ウィリスに似た人がいました。誰かと思ったら、やはり筑波大跳躍ブロックOBの日下部光先生(走幅跳&三段跳)。まじで、光っていました。
筑波大OBといえば宇治山田商高の小池弘文先生。ソウル五輪4×400 mR代表です。三段跳では同高の山本選手が6回目に逆転優勝。15m12で、同じ三重県の勢力選手(伊勢)を1cm逆転しました(ツーショット写真)。三重県にはもう1人、河越選手という15mジャンパーもいます。さすが、日本記録保持者の山下訓史選手(筑波大OB)を生んだ県です。山本、勢力両選手によれば、同県の三段跳が強いのは中学から試合で実施しているからではないか、と言います。指導者の力も大きいと思われます。
今日のビックリは薮根選手の大会新記録だけではありません。女子200 mでは中村宝子選手が23秒91の、高校歴代4位の快走。向かい風(0.5m)では高校最高記録。コーナーから直線とすべてで後続選手を圧倒し、2位に1秒05の大差をつけました。条件が良くて出たタイムでないことは明らかです。高校記録(23秒76)保持者の鈴木智実選手がいた地区なので、大会新ではありませんが……。
インタビュー中に中村選手の手を見ると、サインペンによる書き込みが。筒井先生が決勝前に書いてくれたそうです。最後のスージーというのは、犬の名前みたいです(腕のミサンガについては、中日スポーツ・寺西記者が質問していましたが…)。尊敬するのは池田久美子選手。国体で同じ静岡県チームとして一緒に行動し、競技力だけでなく、人間性にもひかれるところがあったそうです。
4×400 mRでは3走で登場。54秒15のラップ(25秒27+28秒88・寺田の手動計時)で、8位からトップに立ちました。
そして、最大のサプライズは男子5000m優勝の安田健人選手(中京大中京)でした。全国高校駅伝3区区間賞の三田裕介選手(豊川工)に勝ったのは、愛知県大会もそうでしたから、最大というほどでもありません。サプライズは走りではなく、安田選手の“血筋”。祖父があの安田矩明氏。1958年と60年に日本記録をマークし、60年のローマ五輪にも出場した名ボウルター。寺田の記憶が間違っていなければ、ポールの材質が竹、スティール、グラスファイバーと変わった時代に対応した選手。父親も5mボウルターの安田和広氏。
健人選手は中学までバスケット部でしたが、高校では棒高跳をやろうと考えていたそうです。中学3年の春から「遊びで棒高跳の練習もしていた」のですが、200 mのインターバルをしていたら、中京高の川口先生の目に留まり、同先生が「長距離の走りだ」と言って長距離を勧めたのがきっかけだそうです。
名選手の子弟が同じ種目で活躍するのは、世間も納得しやすいこと。跳躍と短距離、というケースもあるでしょう。しかし、跳躍選手の子弟が長距離選手、しかも、ここまでのレベルになるのは珍しい。
優勝タイムは14分36秒29。暑さと湿度はかなり高い中での記録です。ラスト1周でカマウ選手(中京)を日本選手たちが抜き去りましたが、これはカマウ選手がバテたため。安田選手はラスト1周(63秒)というよりも残り200 mのスパートが強かったですね。長距離を始めるきっかけとなった距離です。
◆2006年6月19日(月)
金・土曜日の近畿、昨日の東海に続いて南北関東インターハイの取材(もどき)。ついに4地区大会の梯子取材(もどき)を達成しました。一部専門誌関係者から「3大会ではないか」という声も挙がりましたが、自信をもって4大会と言っています。単に数を多くしたいだけですけど。
寺田とまったく同じ日程で地区インターハイに現れたのが、某大学の某A監督。隠すほどのことではないかもしれませんが、スカウト絡みの行動ですから、ここで名前を挙げるのは避けます。別の大学の某B監督も、昨日も姿を見かけました。南北九州と東海、そして南北関東の5地区を回ったと言います。北海道にも行くのか質問すると、「そこまで授業を休めません」とのこと。北海道地区大会は平日開催。大学陸上競技部の監督は、大学の教員が立場というか本職というか、肩書きというか。陸上部の指導だけで食べていけるわけではありません。それが日本のシステムです。
報道関係では、某専門誌のE本編集者と近畿に続いて一緒になりました。普段はBトークやEトークばかりをしている2人。近畿大会ではBトークを補助員の女子高校生に聞かれて、E本記者の素性を明かしてやろうかと思いました。寺田は個人事業主ですし、元々バカだと思われているので問題はないのですが、E本編集者は雑誌の看板を背負っている立場。やめておきました。
しかし、7年ぶりに地区インターハイの取材をした寺田が、短距離の準決勝で棄権者が多くなっていることを指摘すると、E本編集者も同意してくれました。近畿で目立ちましたし、東海の女子200 mでも準決勝が4人で全員が通過する組がありました。特に、内側と外側のレーンに多かったですね。
考えられる要因は2つ。1つは純粋に故障をしている人数が以前よりも多くなっているケース。最近の競技場は、高速トラックが多くなりましたから。力のない競技者、高速トラックに慣れていない選手にケガが多くなるのかもしれません。もう1つは、リレーに備えているケース。準決勝突破は難しいだろうから、リレーで頑張ろうという考え方。
もしも後者だとしたらちょっと寂しいですけど、リレーの全国大会出場の方が、個人種目の地区大会決勝進出よりも進学・就職に有利ということかもしれません。あるいは、単に個人よりもチーム優先、という考え方。個人で地区インターハイに出られる選手は、チーム内ではエース級なわけです。そういった強い選手が、個人では県大会突破が難しいチームメイトと一緒に、リレーで全国に行ける可能性に懸ける。
これは賛否両論かも。特に問題視するほどのことではなく、当事者が決めればいいことですか。
南北関東地区の取材は初めてですが「これが2地区同時開催か」と見せつけられたのが、男子三段跳です。隣合わせの2つのピットで、南北の選手が交互に跳んでいく。
通常、違う地区を記録で比較した場合、条件が違うので単純な比較はできません。選手も、数字の優劣だけでライバルの方が強い、自分の方が強いと、決めつけていないはず。しかし、南北関東ではほぼ同じ条件で出た記録だけに、力の差がはっきりします。トラック種目もそうですけど、特にフィールド種目は同一大会のようなものでしょう。
今日の男子三段跳も、ピット脇に上位8選手の記録表示盤が、南北で並んで置かれていました(写真)。最終的には南関東の8位は14m36で、北関東1位の14m25を上回りました。トラック種目は走っている最中に南北の記録差を選手が比べることなどできませんが、フィールド種目はそれが可能になります。
「北に行ったら優勝できるのに」とか、「インターハイに行けるのに」などと試技の合間に考えたら、競技的にはマイナスでしょう。昨日紹介した東海地区の薮根選手ではありませんが、“強い気持ち”が選手には求められる南北関東地区大会です。
◆2006年6月20日(火)
昨日の南北関東インターハイで、気がついたことをいくつか。
北関東の4×400 mRで那須拓陽が男女とも4位に入りました。渋井陽子選手のインパクトが強烈なせいか、長距離のイメージが強かった同高ですが、ここ数年は長距離以外も頑張っているのです。男子は今回、埼玉栄を1.5点差で抑えて総合優勝。同高の北関東総合優勝は史上初……かどうか、調べられませんでした。
南北関東大会のプログラムは2地区分のスタートリストを掲載しないといけないため、かなり分厚くなっています。そのため、過去の優勝選手や優勝校などの資料的な部分を割愛せざるを得ないのでしょう。
しかし、今回の取材に96年以降のリザルツをコピーして持参しました。その間で那須拓陽の総合優勝はありませんし、栃木県の高校の北関東総合優勝も、96年以降では初めてのことでした。栗原浩司先生(ソウル五輪100 m代表)の頃はどうだったのでしょう?
南関東の男子総合は、東海大望洋が成田を抑えて優勝。96年以降のリザルツを見ると、やはり初めての総合制覇です。最終日の男子三段跳では櫻井憲幸選手が優勝し、チームメイトの藤田勝也も3位に。この2人、走幅跳でも1・3位ですし、4×100 mRでは1・4走で激戦の同地区を制しています。閉会式後に専門誌の取材を受けた2人は、インターハイ本番の目標をお互いに確認しながら話していました。その様子が、高校生らしくて良かったですね。
やっぱり南関東はレベルが高い、と思わせたのが男子4×400 mR。優勝した東海大浦安が3分13秒36で、おそらく全国トップの記録でしょう。6位までが3分16秒を切りました。この種目の“サブテン”(3分10秒未満)は過去に3校しかなくて、マラソンのサブテンよりもはるかに価値が高い。その3校は成田(3分08秒32・03年)、新栄(3分09秒67・98年)、市船橋(3分09秒93・96年)で、2校が東海大浦安と同じ千葉県チーム。
しかし、同高の目標はサブテンではなくて「インターハイ3連勝」とのこと。過去、2連勝は4校が5回(宇治山田商高、清風、添上=2回、新栄)やっていますが、3連勝はありません。記録を狙って下手に無理な走りをするよりも、勝つことが記録につながるかもしれません。
さて、今日は15時から日本陸連主催のプレスセミナー(「陸上競技ルールについて」)に出席。読売新聞は大阪から新宮記者、朝日新聞は福岡の原田記者も出席。原田記者は、地区インターハイ梯子取材をうらやましいと言います。フリーランスの特権ですね。収入が低いことと引き換えに、自由を手にしているのです。厳密にいうと、文字通りの自由でもないのですが。おっと、プレスセミナーの話でした。これは、ものすごく勉強になりました。これからも、こういう機会はどんどん設けて欲しいですね。
「ルールブック」はこれまでも購入していましたが、今回初めて「審判ハンドブック」も購入しました。なるほど、と得心した部分も多かったのですが、報道関係については現状にそぐわないと感じた部分もありました。
例えば、表彰待機中の取材について(今日のセミナーで話題になったわけではありませんが)。記者と選手は接触してはいけないと明記されています。いくら抗議をしても改められない理由がわかりました。仮に現場の先生方も問題ないと感じても、マニュアルにダメと書かれていたわけです。
何度も書いているように、ほとんどの大会で実害はまったくありません。実際に、地区インターハイできっちりそれを守っていたのは近畿だけで、東海も、関東も自由な取材ができました(近畿がマニュアル通りにやっていたのは、本番のリハーサル大会だからかもしれません)。
仮に全国大会でも「表彰の時間になったら、取材は中止させる」ということを、事前に通達したり、表彰控え室に貼り紙をしておけば、記者たちも守ると思います。運営側からすると、インタビュールームがあるじゃないか、という考えがあるかもしれません。1人の選手しか取材しない場合はそれでも大丈夫ですが、2人以上の選手の話を聞こうと思ったら、インタビュールームやミックスドゾーンだけでは無理(女子走幅跳の池田久美子選手と花岡麻帆選手、男子400 mHの為末大選手と成迫健児選手、など複数選手を取材したいケースも多いのです)。表彰控え所でまで取材しようという記者を怒鳴りつけるやり方は間違いなく、陸上報道に熱心な記者の数を減らしています。
◆2006年6月21日(水)
今日も地区インターハイ・ネタ。
以前、地区インターハイのレベル較差の問題を何度か書かせてもらいました。特に近畿地区が6県もあり、レベルも高いので勝ち抜くのに力を使いすぎると、多くの選手や関係者から聞かされているのです。ちなみに各地区の県数は6県が近畿と東北の2地区、5県が中国と北信越の2地区、残りの6地区(北関東・南関東・東海・四国・北九州・南九州)が4県です。(北海道のみ単独)。
南北関東大会でお会いした田辺清一先生(ATFS会員。記録集計号の日本100傑担当者)にお聞きしたのですが、以前の関東は7県で1地区、東京が今の北海道のように1地区扱いだったのだそうです。地区編成は、実状に即して変更した前例があるのですね。
だったら、今の地区と県の割り振りも変更して、何の問題もないじゃないかと、等々力で思った次第です。寺田が考えたのが下記の地区と県の組み合わせ。
某専門誌、兵庫県出身のO川編集者が、近畿に三重と福井を加え、南北に分けるという案を以前に話してくれました。それが関西方面では支持を集めているそうです。近畿地区の南北分割案を中心に、6県の地区を作らない、レベルの高い地区は3県にする、といった点に留意して全国を12地区に分割しました。各種目6人×12地区で(6月の6位は12人)、全国には1種目72人出場。トラック種目の予選は現行の9組のままで行けます。
北海道:北海道・青森
東北:岩手・秋田・宮城・山形・福島
北関東:茨城・栃木・群馬・埼玉
南関東:千葉・東京・神奈川
北信越:新潟・長野・富山・石川・山梨
東海:静岡・愛知・岐阜
北近畿:福井・滋賀・京都・兵庫
南近畿:三重・大阪・奈良・和歌山
中国:鳥取・島根・岡山・広島・山口
四国:香川・徳島・愛媛・高知
北九州:福岡・佐賀・大分
南九州:長崎・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄
できれば、海を隔てた北海道と青森という組み合わせは避けたかったのですが(兵庫を四国に入れる案もありました)、東北を5県にすることとレベルのバランスをとるための窮余の策です。レベルが完全に均衡化するわけではありませんが、現行よりもいいのは間違いないでしょう。
これは“勝ち抜き戦”を前提としたシステム。これも以前にO村ライターが提唱した、標準記録との併用制がとれれば、そちらの方が合理的です(2005年7月16日の日記参照)。
ところで、今日はカメラを買い換えました。もちろん、デジタル一眼レフ。陸マガ7月号の高野徹カメラマンの花岡麻帆選手の写真が綺麗だったことにも触発されました。それに加え、ちょっと前にキャノンの新型機種が発売されたので、型落ちとなった機種が狙い目だと思ったのです。本体1つとレンズを2本売って、新しい本体1つとレンズを1本購入。6万円強の出費でしたが、悪い取り引きではなかったと思います。画素数や秒間連写コマ数、ISO感度など基本性能が大幅にアップ。選択できるフォーカス・ポイントも多くなりました。ピント合わせの速度もきっと速いでしょう。それでいて本体重量は軽くなりました。いいことづくめ(当たり前か)。
広角から標準のちょうどいズームが、キャノンから出ているのを発見したことで、交換レンズのラインナップを一部見直し。それも買い換えのモチベーションになりましたね。ここ2年くらい使っていた超広角レンズは、かなり役立ってくれましたが、画面の端がどうしても歪んでしまいます。
レンズの種類をどう揃えるかは、どんな取材が多いか、そのカメラマンがどういう考え方をするか、という点が如実に現れます。棒高跳選手が遠征に持参するポールのラインナップに近い感じかな、と思いました。沢野大地選手の出発と帰国を成田空港で取材したばかりだったので、そんな感想を持ったのだと思います。
寺田の場合本職はライターですから、競技を徹底的に撮るケースは稀です。取材や原稿を書くための資料もけっこうな重さになるので、カメラ機材の総重量を軽くすることも、1つの要素になります。しかし、プロのカメラマンとなるとまた違ってきます。陸上競技取材のプロカメラマンが、どんなレンズのラインナップで取材に臨んでいるか、知ってみたい気がします。今度の日本選手権で各カメラマンに取材をしたりしたら、迷惑がられるのは間違いないですね。
◆2006年6月22日(木)
今日は14時から渋谷のエクセル東急ホテルで、日本選手権(90回大会)の記者発表会を取材。白状すると、5分遅刻しました。というのも、午前中に取材があり、いったん新宿の作業部屋に戻ったのが13時近く……という言い訳は見苦しいのでやめましょう。何事も自己責任。
あせってホテル内で会場を探していると、末續慎吾選手とばったり。ということは、選手の会見の前に陸連の誰かが話をしているということ。
会見前に配付資料のエントリー選手をチェック。末續選手や池田久美子選手が1種目に絞ったのかどうかなど、有力選手の種目選択をまずは確認します。各種目とも参加資格記録の上位10選手の一覧表ですが、できれば全選手を出して欲しいと感じました。有力選手が欠場なのか、有効期間に記録を出していないだけなのか、判断がつかないケースもあるのです。
今回で言えば、男子5000mに徳本一善選手の名前がない。昨年は故障だったけど、クロスカントリーでは絶好調で、シーズンインしてからは……そういえば織田記念が外国人選手に付いていって後半で失速したな、とか、でも国際グランプリ大阪では日本人トップだったな、とか、だけど東日本実業団では……と頭の中で思い出そうとしますが、確信するところまでは行き着きません。
あとは、地方紙への配慮ですね。去年か一昨年にも書きましたけど、“おらが国の自慢の選手”が上位10人に入っているとは限りません(これは、元陸連某氏の指摘)。え? そんなことは地方紙の記者が把握しておかないといけないこと? かもしれませんが、大学生とか地元を離れていますし…。
共同会見では池田久美子選手と沢野大地選手が、「90回」に引っかけて目標記録を言ってくれたので、記事にしました。記録に触れるだけなら誰でも書けると思ったので、“感覚”の話にまで持っていきましたが、行ききれていない記事ですね。珍しく、コンパクトな文字数にはできていますけど。
池田選手が、こういう場に慣れてきたな、と感じました。陸上界の代表として、どこで、何を話しても大丈夫でしょう。
沢野選手からは会見後、ブログを開設したことを教えてもらいました。高校時代は“静かな自信家”と呼ばれていた同選手(E本編集者から教えてもらいました)。ブログに関しても、デザインには自信を持っているようです。実際に始めたのは5月11日。これまではこっそり書き続けてきたことになります。ヨーロッパ遠征中も書き込んでいたみたいですね。日本選手権後の第2次ヨーロッパ遠征では、ブログでブロムに勝った報告をして欲しいと思います。
共同会見後、囲み取材に入る前にフォトセッション。昨日購入したカメラの初仕事でした。普段はプロのカメラマンに遠慮して「こっちに視線ください」とは、なかなか言えないのですが、今日は末續選手の協力(?)もあって、4人の視線をもらうことができました。
昨日買ったばかりのカメラだと言うと、沢野選手は「そうじゃないかと思っていました」と、意外なところに自信を持っています。推測ですけど、ストラップの折れ目の入り方でバレたんじゃないでしょうか。
末續選手の記事の最後に、「サプライズ企画」とか「足元に注目」と同選手のコメントを書いてありますが、これはスパイクのこと。だったら記事にもそう書けよ、と言われそうですが、次の為末選手記事へのつなぎを考えて、末續選手が最初に言った通りに書きました。スパイクとネタを明かしてくれたのは、囲み取材中のオマケみたいな感じでしたので。
逆に為末選手の200 m出場に関しては、囲み取材中にオマケで明かしてくれた「記念受験みたいなもの」というコメントを記事にしています。いくつかの新聞と、夜のスポーツニュースでは、200 mの末續vs.為末にスポット当てた紹介の仕方をしています。確かに、銅メダリスト同士の対決は話題にはなるのですが、タイムテーブルを見ると直接対決は厳しい。
えっ? そういった常識を覆してきたのが為末選手?
そうかもしれません。この日一番のサプライズは、サニーサイドエッグ(為末選手のマネージメントをしている会社)の井口さんが配っていた、為末選手の著書発売をインフォームした書類です。ビックリはしましたけど、寺田が考えてきた“為末論”を裏付けるような内容でした。具体的には機会を改めて。
◆2006年6月28日(水)
16:30から恵比寿のトロピカルなカフェで、「コニカミノルタ ランニングプロジェクト」の記者発表会。タレントの山田玲奈さんがナビゲーターに起用されたこともあり、陸上担当記者だけでなく、芸能担当記者たちも多数出席。イベント自体も広告代理店が演出し、華やかな雰囲気の中で行われました。
このプロジェクトの詳細は同社サイトをご覧いただきたいのですが、従来の陸上競技的な活動にプラスして、市民ランナーや市民マラソン・イベントにも積極的な働きかけをして、コニカミノルタの名前をよりアピールしていこうという狙いです。山田玲奈さんが選手たちにインタビューをして活動を報告したり、彼女とコニカミノルタの選手が、一般公募する市民ランナーたちと24時間マラソンに出場したりします。
コニカミノルタは12月のホノルル・マラソンのスポンサーにもなり、山田さんと同プロジェクトの市民ランナーが同マラソンに挑戦。トレーニングを佐藤敏信ヘッドコーチがサポートします。ちなみに、山田さんは米国留学時代はクロスカントリー部に所属(クリールの宮田嬢の記事にもクロスカントリー部の話が出ていましたっけ)。ロサンゼルス・マラソンを走ったこともあるそうです。そのときのタイムは「4時間半」だったと話していました。
共同会見で、酒井監督らしい考え方が表れたシーンがありました。2度目のマラソンとなるホノルルでの目標を聞かれた山田さんは、どう答えていいのか迷って、隣の酒井監督に「どうしましょう」と相談。すると酒井監督は「目標は高く設定した方が良い。近くなったら現実的な目標に変えることもできるし、失敗したらまた来年の目標として頑張ればいい」とアドバイス。
数年前のニューイヤー駅伝祝勝会で「私が大きなことを言うと、選手たちがついてきてくれる」と話していたことを思い出しました。たぶん、酒井監督なりの人生観があってのことでしょう。もちろん、高い目標を言っただけで、それに向けた努力をしなかったら意味がありません。その方向に持っていける自信というか、指導者としての努力をする覚悟があるから、こういった言い方ができるのだと思います。
陸上競技部的にも、今回のような会社の方針に協力し、社会的な活動を行なっていくことに価値があると考えてのこと。選手たちもいずれは、陸上競技とは違った世界に身を転じていかなければなりません。そのときに、こういった活動が役に立つ。サッカーでも“走ることの重要性”が再認識されているようですし、今後、陸上競技出身者が他の競技を指導する機会は増えるはず。速く走るということが、スポーツはもちろん、社会生活でも基本的なことと認識されて、選手の受け皿が増えることもある。
もちろん、陸上競技自体の認知度、自分たちの活動そのものの認知度を上げる狙いもあります。今回のコニカミノルタのプロジェクトは、陸上競技部の活動を会社が積極的に活用していくモデルケースとなるかもしれません。
◆2006年6月29日(木)
昨日の日記は記者発表後に、M記者とE記者が原稿を書くというので、一緒に恵比寿駅前のルノワールで書きました。ルノアールってご存じですよね。昔からある喫茶店のチェーン店。最近のスタバやタリーズ、エクセルシオールカフェとは明らかに雰囲気が違って、“新橋のサラリーマンのおじさんたちが利用する店”という雰囲気です。名前はフレンチでも、“昭和の日本”を感じさせるんだな(“るんだな”とは何だろう?)。
スタバにもおじさんはいるのですが、どこか違うんですね。ルノアールでは商談が多いのに対し、スタバでは商談が少ないように思います。正確な統計はありませんが。若い女性の数は明らかに違います。
ルノアールではウエイトレスの方がいましたが、明らかに会社の事務員というイメージ。かなり主観的な判断ですけど。
昭和の日本”の喫茶店ですから、ウェイトレスが“お冷や”を持ってきます。これがスタバ一派の店との明白な違い。昨日はとっても暑かったので、E記者と一緒に頼んだグルジアヨーグルト・ドリンクを飲み干した後、お冷やをストローを使って飲んでいました。ウェイトレスのお姉さんがグラスを片づけに来たときに「お冷やをストローで飲んだらバカですか」と、質問(主語は省略)。
「そんなことないですよ。ときどき、されている方もいらっしゃいます」と、そんな質問には慣れっこよ、という感じで切り返し。質問した後で、ルノアールのおじさんに染まったかな、と、ちょっとだけ反省。
ルノアールではスポーツ記者お2人に、サッカーの取材について質問。寺田が疑問に思っていたのは、試合を見ているときに記者がどこまでメモを取っているのか、ということでした。サッカーの場合、どこからどう展開してゴールにつながるのかわかりません。だとすれば、全てのパス、全てのプレーをメモしている必要があるんじゃないか、と。でも、実際問題、そこまではできないだろう、とも想像していました。
聞けば、得点シーンに関しては公式記録があるのだそうです。誰から誰にパスが通って、誰がゴールしたか。パスの種類も、山なりのパスなのか、地を這うパスなのか、記号で種類が記されています。大きな試合なら、リプレイも映し出されます。
しかし、サッカー記者たるもの、得点が決まったところから、その起点となったプレイまでは記憶をさかのぼって再現することができるのだそうです。そこは、真剣に見ていればできるようになる。選手も、そのチームをしばらく取材していれば、ナンバーを見なくても動きだけで特定できるようになるし、攻撃のフォーメーションであの位置にいるのは誰と、だいたいの予測もつくのだそうです。やっぱり、プロは違います。
一応、我々陸上競技記者も、トップクラスの選手ならフォームでわかりますけど、たまーに酷似している選手がいるので気を付けないといけません。
明日からの日本選手権取材のため、今日は20:13東京発の新幹線で神戸に。この時間、車内は出張族のおじさんでいっぱいです。その大半が、週刊誌を片手にビールを飲んでいるのが定番の光景です。大半は言い過ぎかもしれませんが、雑誌か新聞(主に夕刊紙)を読んでいる人と、アルコールを飲んでいる人を合わせれば70%は越えるでしょう。
寺田はその中には絶対に入りません。ルノアールでは不覚をとりましたが、新幹線では絶対に“週刊誌&ビールおじさん”の仲間にはならない。寺田なりの矜持です。100%の確率で、原稿を書いているか、取材用のデータを読んでいます。今回も大きな仕事を3つ抱えての出張となってしまったため、ひたすら原稿書き。
日本選手権のタイムテーブルにも再度目を通すと、明日は女子の400 m予選・準決勝と、400
mHの予選が行われます。この2種目を兼ねる選手は大変です。3日間で予選・準決勝・決勝の6本を走るとなると仕方がない、のかもしれませんが、別のスケジュールも組めますね。他の有力選手を見ても、今回種目を絞る選手が目に付きましたが、メイン種目が先に行われた方が出場しやすいのは当たり前です。
そこを考慮していたらキリがない、という意見もあるでしょう。ファンの視線を考えれば、そのとき強い選手、注目を集めている選手優先で日程を組むしかありません。この“一部の選手に合わせる”という考え方を、公的な組織はしたがらないことが最近わかりました。
23:50頃に神戸元町のホテル着。窓がない部屋で、携帯の電波の入りがとっても弱いです。神戸に4泊、袋井の実家に1泊の長期出張……というほどでもないですけど、毎晩の洗濯が欠かせないということです。
◆2006年7月5日(水)
今日は醍醐直幸選手の取材で汐留にある富士通本社に。陸上部は幕張を拠点としていますが、今日は同選手と木内総監督、福島監督が社長に挨拶に行くことになっているため、本社での取材となりました。以前、丸の内に本社があった頃、岩崎広報(110
mH元日本記録保持者)を取材したことがありましたが、汐留は初めて。今日の取材前には、今年から総務部勤務の岩崎氏にも偶然お会いしました。
先日お邪魔した、某社宣伝部もそうでしたが、こういった巨大ビルに入っている最先端企業のオフィスは、築36年の古いマンションを借りている個人事業主(寺田のことです)は憧れますね。もう一度サラリーマンに戻ろうかな、今度は大企業がいいな、などと思わないこともない。実行はしない(できない?)と思いますけど。
汐留という場所も格好いい。2月に日本テレビに行ったことがありましたが、今回がまだ2回目。駅で看板を見ていると共同通信まである。やっぱり違いますね。一流企業ばかりです。
今日の取材は某専門誌のスタッフと入れ替わりだったので、少しプレッシャーを感じました。違ったところを突っ込まないといけないと、相手が何を話したのか知りようがないのに、気を回してしまいます。インタビューの序盤は、そこを考え過ぎてしまって上手く進みませんでしたが、中盤からはその辺を気にせず、話の流れに合わせて突っ込んでいけたと思います。最終的には、めちゃくちゃ面白い話を聞くことができました。
陸マガ8月号をお楽しみに、などと書くと自信家ととられてしまうかも。自信家というほどではないけど、ちょっとした手応えは感じている、というところでしょうか。
ちなみに、醍醐選手が神戸での会見中、以前との違いは? と聞かれて「自信です」と答えていました。同学年の沢野大地選手も「静かな自信家」と言われていますし、やはり同学年の池田久美子選手も必ず自信を口にします。3人の同学年ジャンパーはみんな自信家ですが……やっぱり、自信家って言葉はよくないですね。謙虚だけど自信も感じていて、それがプラスに働いているというケースで使える言葉は何だろう。
ちなみに、話の最中に「なんだろう」という言葉を挟むのが、池田選手の口癖です。
日記用のネタもありました。「富士通は青柳GO!」の青柳剛マネジャーですが(6月14日の日記参照)、日本選手権では醍醐選手と一緒にミックスドゾーンに姿を現しました。その時の写真がこれ。選手思いのマネジャーが、日本新に思わず泣いてしまったシーンです。
実業団に入れなかった醍醐選手が3年間、バイトと競技の両立で苦労をした話は今や有名ですが、青柳マネも富士通入社前は大変な時期があったのです。雪印時代も陸上競技部のマネジャーでしたが、同社の陸上部が廃部となるきっかけになった食中毒事件の際は、相当に苦労をされたと聞いています。
醍醐選手の姿に自身がダブり、思わず涙が出た…と思っていたのですが、今日の取材に同席してくれた青柳マネにこの写真を見せると、汗を拭っていただけだと言い張ります。もちろん真実は、本人しか知らないことですが。
同席した安田広報(現役のアメフト選手)によれば、広報は会見などに姿を見せるとき、そういった紛らわしいこと、マスコミに曲解されるような仕草をしないように、指導を受けているのだとか。今後の青柳マネの一挙手一投足に注目しましょう。
沢野選手も醍醐選手の日本新に涙を流したうちの1人。同選手のブログに、よく醍醐選手と一緒に食事に行く話が出ています。醍醐選手によれば、これまではおごってもらう機会が多かったようですが、今度は自分がおごろうかと思っている、と話していました。寺田もたまに、KデスクやT次長におごってもらっています。早く、おごれるようになりたいと思った汐留取材でした。
ここが最新です
◆2006年7月7日(金)
なかなか原稿が進まない7月7日。日本選手権関連の原稿もまだまだ終わっていません。日曜日のお昼に350行、日曜日中に300行の締め切り。350行の方は明日中に書き終えたいと思っている7月7日の午後11時11分です。
日本選手権期間中、日記向きのネタもたくさんありました。青柳マネの話は一昨日の富士通取材と一緒に紹介できましたが、それ以外も盛りだくさん……だったのですが、早くも記憶が薄れてきているものもあります。忘れそうなネタから書いていかないと。と、思ったのですが、まずは男子砲丸投ネタから。日本新が出ましたし、史上初の日本選手同士の18mプットの応酬が見られました。それに何といっても、今回は大山圭悟・筑波大投てきコーチの地元開催でしたから。以下、記事風の書き方で振り返ってみましょう。
大山コーチは何度か紹介しているように、胸にトンボのマークの名門・小野高出身。高3(1988年)のインターハイは今回と同様、地元・神戸の開催だった。しかし、健闘も及ばず近畿大会を通過できず。高3時のベストは15m42で、近畿では難しいポジション。それでも、大志を胸に秘めた大山少年は、全国大会会場に足を運んだ。
「練習会場に行って、補助員でもないのに砲丸拾いを手伝っていたんです。そうしたら、17mラインをポンポン越す選手がいる。先生に聞いて、1年生だとわかりました。ラインを勘違いしたのかと思ってよく見ると、やっぱり17mラインです。重さが違うんじゃないかと持ってみると、正規の高校用の重さです。それが1年生。自分も3年間、頑張ってきたつもりでしたから、俺は今まで何をやって来たんだろう、と感じました」
その選手は上級生が圧倒的に有利な砲丸投で、1年生優勝を飾った。高校新で優勝した男子400 mの渡辺高博や1500mの浜矢将直、100 m・200 mの2冠を達成した杉本龍勇がヒーローとなった神戸インターハイ。浜矢は地元西脇工高の選手でもあった。そんなかで、1年生選手の砲丸投Vも話題を集めた出来事だった。
神戸インターハイから18年。36歳になった大山コーチは今年も、現役選手として砲丸投のサークルに立っていた。会場は神戸インターハイと同じユニバー記念競技場。18年前の無念を晴らした思いがあったのかどうか、そこまではわからない。しかし、ここまで長い間現役として頑張って来られたのも、18年前の経験が少なからず影響しているようだ。
試技順6番目の大山コーチは3回目に15m76と記録を伸ばし、その時点で8位に位置していた。しかし、勝利の女神はまたも、大山コーチを見放した。試技順10番目の選手が15m99を投げたため、大山コーチは9位に落ち、ベストエイトに残れなかった。大山コーチに再度苦汁を飲ませた試技順10番目の選手こそ、神戸インターハイで1年生優勝をやってのけた榊原英裕だった。
「今日は参りました」と大山コーチが言うと、榊原は「また来年」と応じたという。
ドラマは、それだけで終わらなかった。というのも、大山コーチの指導する村川洋平(スズキ)が、畑瀬聡(群馬綜合ガードシステム)とすさまじい戦いを展開していたからだ。畑瀬が1回目に18m23、2回目に18m27でリードを奪うと、試技順が後の村川が2回目に18m30で逆転。しかし、畑瀬が3回目に18m56の日本新で再逆転。砲丸投史上最も激しい戦いを繰り広げていた。
元神戸新聞の中尾義理記者と第3コーナー・スタンドで観戦していた筆者は、大山コーチがベストエイトに残れなかったことは、村川にプラスになるのではと、中尾記者に話していた。そのまま砲丸投選手のテントに残り、村川にアドバイスをすることに専念できるからだ。しかし、大山コーチはバッグを肩に掛けると、フィールドを立ち去ってしまう。間もなく、ゼッケンを付けたTシャツ姿のまま、第3コーナーのスタンドに姿を現した。競技終了後にその理由を聞いてみた。
「残ってアドバイスをするのは、村川のためによくないと考えました。入りが良くなかったので、そこだけを注意すれば十分行けるよ、と言い残して出てきました」
村川は畑瀬を抜き返すことはできなかったが、6投目に18m43に記録を伸ばした。野口安忠の持っていた前日本記録に10cm、畑瀬の新日本記録にも13cmと迫る快投だった。
愛弟子の奮闘を見届けた大山コーチは、畑瀬のコーチである小山裕三日大監督を近くのスタンドに見つけると、勝利と日本記録を祝福しにやって来た。お互いの弟子たちの健闘をたたえ合う両コーチ(写真は陸マガに掲載予定)。大山コーチのベスト記録は16m51、小山監督のベスト記録は16m58だが、弟子たちの成績には何も関係ない。
などという締めでいいのだろうか、と思う7月7日です。
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