続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年1月 にせんさんねん、流行のメニューは、にせん3本
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■1月31日(金)
 今日も“ひた原”。トップページに、大阪国際女子マラソンの上位選手コメントと予告を出しておきながら、なかなか書けません。これは、仕事が立て込んでいるのが一番の理由。それで、雑誌に書く大阪国際女子マラソンの原稿がまだ、書けていないからです。今日、大阪の大きな記事を1本、書きました。残りは中ネタ2本と小ネタ2本。なんとか、明日には仕上げて、サイト用の原稿も……っと、記録集計号もやらなくちゃ。これも、急ぎの仕事です。
 愚痴日記のネタはいつ書けるのか。愚痴日記じゃなくて、グチ日記に表記を変更しておきます。
 大阪国際女子マラソンの記事、明日も書けないかもしれませんが、代わりに、O原記者のメールを掲載できます。坂本直子選手のネタです。乞う、ご期待!


□1月30日(木)
 陸マガ編集部と電話をしている際に、15時から高橋尚子選手が記者会見を開くことを知りました。行こうかどうしようか、迷いました。仕事は押せ押せの状態。でも、戦後唯一の五輪金メダリストを取材できる数少ない機会です。13時ころ、仕事が一つ片づいて、その時点で出かければ、会見に間に合います。でも、行ったら、その後が死にそうになるのは目に見えています。
 結局、やめました。会見の内容は、今回に限ればだいたい想像できました。というか、小出・高橋師弟の積水化学退社に関する一連の動きで、2人が話すことはほぼ、予想された範囲のことばかりです。SACは小出監督が以前から目指していたシステムだからです。何人かの記者の方とも、この点は意見が一致しました。だからといって、新聞やテレビの立場では、取材をしないわけにはいかないわけですが。
 やめた理由のもう1つは、今日の会見は、寺田が記事にしなくても、彼女だったら大々的に報道されるはずだから。実際、報知新聞高橋尚子2月末積水“円満”退社に一問一答が出ていました。これが、引退会見だったら、万難を排して行っていたでしょうけど。
 とにかく、一番の理由は急ぎの仕事が重なっていたこと。ですが、本当は、それじゃあいけないんです。福島大・川本先生が日記
「月末までに原稿が2本待っています。何だか寺田さんみたいになってきたぞ!プロのライターと比べたら悪いね。でも、公務員のライフスタイルとしては、締め切りに追われてはいけませんね。」
 と書かれています。プロのライターは有事の際(何か事件が起こったら)、その取材を優先できなければダメ。原稿はパパッと書いて(質も落とさないで)、締め切りに追われないのが、理想のライフスタイルです。
 いつになるんだろう、この理想の実現は。机の上を片づけただけではダメでしょうね(机上の空論ってやつか)、根本から変えないと。


□1月29日(水)
 今日は、久しぶりに“外”で原稿を書きました。デスクの周囲が片づいてからというもの(1月22日の日記参照)、めっきりファミレスでの仕事が減りました。しかし、今日だけは、ファミレスという“切り札”を使わざるを得ませんでした。
 取材の仕方が悪かったのかもしれませんが、話をたくさん聞きすぎてしまい、120行の記事にまとめるのが大変になってしまいました……単に、記者としての力不足ですね。そうかもしれませんが、やっぱりここは、ファミレスの力を借りざるを得ない。一応、大阪出張中(土曜日)に、記事の構想は練ってはいたのですが、実際に書き始めてみると、なかなかその通りにはいきません。逆に、構想を練った段階より面白い流れにすることもできますが……いずれにしても、ライターとして力不足ということかなあ。
 ということで、16時から21時までファミレスにこもって、なんとか仕上げました。予定では、大阪で書き終えているはずの原稿なのに。この原稿の締切は守りましたが、他がやばい。


■1月28日(火)
 実は、かなり追い込まれた状態。今週前半に、そこそこ大きい締め切りがあるのは決まっていたのですが、金曜日からの大阪出張中に依頼のあった仕事が3本追加されました。それが全部、今日明日の締め切り。こんなことは初めてです。
 今週は大阪国際女子マラソンの締め切りもあります。それが終わると記録集計号。ビデオは録りましたが、月9ドラマも見られません。忙しさをグチった愚痴日記……なんていうオチを考えて、25日の日記で伏線を張ったわけではありません。


■1月27日(月)
 昨日の大阪国際女子マラソンで優勝した野口みずき選手の一夜明け会見などを取材した後、新幹線で東京に戻りました。新幹線の車中には(最近では山手線も)、ニュースがテロップで流れます。先週の金曜日に放映された「千と千尋の神隠し」の視聴率が、関東地区で46.9%を記録したとか。映画放映では歴代1位だそうです。寺田は今回は見ませんでしたが、「千と千尋」は映画館で見て感動した映画。でも、宮崎アニメの原点は「未来少年コナン」だと思っています。弘山晴美選手も同意してくれるかも?
 ところで、新幹線でテロップが流れるのを見てなぜか、大阪国際女子マラソンと同じ昨日行われた日本選手権競歩の結果が、世間に大きくアピールされないことに思考が行きました。日本最高こそ出ませんでしたが、藤野原稔人選手がA標準を大きく突破して優勝し、2位の山崎勇喜選手がジュニア日本最高記録(山崎選手は早生まれ)を更新した大会。現在の正確な順位はわかりませんが、昨年のこの大会で山崎選手が1時間20分43秒を出したときジュニア世界歴代3位でした。ジュニア世界歴代3位といったら、400 mだったら44秒台ですよ(こういう比較はしたくありませんが、わかりやすく説明するためには仕方ない)。藤野原選手はフルタイムの勤務をしてから、長時間の練習をこなして強くなった選手。いわゆる“苦労人”というやつで、アピールの仕方によっては一般メディアにも取り上げやすい選手だと思うんですが…。
 日本選手権競歩のスタート時間は9時。つまり、10時半頃には結果が出ていたわけです。だったら、大阪国際女子マラソン会場の長居陸上競技場で電光掲示板にテロップを流すとか(新幹線車内のニュースのように)、スタート前に「今日は競歩でも素晴らしい記録が出ました。マラソンも負けないように…」とアナウンスするとか、記者会見の時に報道陣に日本選手権競歩の結果をリリースとして配るとか……もしかして、やってました? 寺田が気づかなかっただけかもしれません。女子マラソン取材の記者へのアピールはなかったですね。簡単にできることなんですけど。そこで記録の価値をアピールすれば、少しは新聞紙面に載る可能性が大きくなります。女子マラソンと同じ日の紙面は無理でも、「いつか記事にしよう」と思う記者が増えるだけでも、プラスだと思うんですけど。
 とにかく、せっかくマラソンが世間的にも盛り上がっているのですから、それを利用して他の頑張っている種目を紹介しようと考えるのは、普通の思考だと思います。当たり前すぎて、わざわざ文字にするのもどうかと思えるくらい。4年後には世界選手権開催なんですから、大阪で。世界マラソン選手権じゃなくて、世界陸上競技選手権をやるんです、大阪で。社会的にはマラソンと陸上競技は別の競技かもしれませんが、少なくとも、陸上競技に関係する人間にとっては、マラソンも他の種目も陸上競技。その世界選手権が大阪で開催されるのですから、大阪市民に、もちろん日本全体に、陸上競技をアピールしなくてはいけないんです……アピールした方がいいんじゃないかな、って個人的には思うんですけど。
 藤野原選手は昨年の全日本実業団で取材をさせてもらったことがあります。苦労人ぶりがわかる話を聞けたので、そのときのコメントだけでもこのサイトに掲載しましょうか。


■1月26日(日)
 今日はギャグが受けました(!?)。やっぱり、タイミングと状況と、会話をしている人間の間での共通認識が、成否を左右しますね。発端(?)は今回の大阪国際女子マラソンに、豊田自動織機のマネージメント面を担当している鈴木久嗣氏が来ていたことです。鈴木氏は92年バルセロナ五輪の4×100 mR入賞メンバー。陸上界では有名人です。寺田もかつて、入賞メンバー4人(青戸慎司・鈴木・井上悟・杉本龍勇)の対談などを取材させてもらったことがあります。当時の寺田は陸マガ編集者で、記事はフリーの方にお願いしたのですが、赤坂のホテルの一室を貸し切って行うなど、専門誌にしては珍しい取材セッティングをしたので、よく覚えています。
 話を大阪国際女子マラソンに戻すと、今大会の主催メディアは、関西テレビや産経新聞・サンケイスポーツなどの系列です。詳しいやりとりは書けないのですが、産経新聞の方を含めた4人の記者で鈴木久嗣氏の話題をしていた際に、寺田が「産経じゃなくて4継ね」のひと言。ISHIRO記者がその場に崩れ落ちました。昨日の失敗の原因は、ある著名人の台詞を、話している相手が知らなかったこと。その辺の見極めが重要です。
 今回は鈴木氏だけでなく、グローバリー広報としてやり投の中村康夫氏も会場に姿を見せていました。女子マラソンの1・2位選手をフォローする立場の人間が、そろって一般種目の(元)選手。そういえば、富士通の広報を一時期、岩崎利彦氏(110 mH元日本記録保持者)が務めていたこともあります。陸上選手の引退後の仕事として、この手のことが適していると認められてきている、ということでしょうか。


■1月25日(土)
 千里阪急ホテルに移動して、17時から大阪国際女子マラソンの「歓迎の集い」を取材(?)。一番の目標は、キプラガト選手にある質問をすることでした。
 今回の日本選手は、マラソンでの実績では“超”大物はいません。小幡佳代子、千葉真子、野口みずきの3選手は2時間25分台の記録を持っていますし、小幡選手は99年の世界選手権8位、野口選手は昨年の名古屋国際女子マラソン優勝ですけど、世界選手権やオリンピックのメダリストレベルというわけではありません。
 しかし、世界と名の付く大会で、上位に入っている選手が多いのです。
 小幡佳代子:99世界選手権マラソン8位
 千葉真子:97世界選手権1万m3位
 野口みずき:99世界ハーフマラソン選手権2位
 山中美和子:02世界クロスカントリー選手権4位
 田中めぐみ:99世界選手権5000m10位

 ものすごくバリエーションに富んだ顔触れです。寺田が主催者だったら、この点を強調しますね。
「5000mの田中、1万mの千葉、ハーフの野口、マラソンの小幡、そしてクロスカントリーの山中。大阪で勝つのは誰だ?」
 うーん、あまり洗練されていませんね、このコピー。それに、主催者サイドは、外国選手にも注目してほしいわけですから、このコピーではだめ。そこで、ちょっとひねりをきかせることにしました。5人の実績から誰を最も警戒するか、キプラガト選手に聞いてみようという企画です。寺田には、この手のことを思い立ったら、歯止めがきかなくなる傾向があります(福岡国際マラソンのときのゴジラ・フィギュアをアベラ選手に持たせる企画とか)。歓迎の集いの開始10分以上前に会場に来たキプラガト選手に接近……。
 ところが、選手宣誓(というより、今回は選手挨拶)の打ち合わせを関係者の方と始めてしまい、ひとまず断念。会もとどこおりなく進行し、一通りのコンテンツが終了。行けるかな、と思ったらケニア大使館の方と話し始めてしまい……まあ、細かい経緯は省きますが、最終的には質問に成功。プログラムに5人の戦績をアルファベットで記し、できない英語で一生懸命に質問の意図を説明しました。
 しかし、「みんな強敵だと思う」という答え。どの種目で頑張った選手がマラソンで成功すると思うか、という点を聞き出したかったのですが、考えてみたら自分が同じ質問をされても、「どの種目の選手も、マラソンで成功する可能性はある」と答えるでしょう。ということで、実績を残した種目の違いにこだわるのはやめ、「この日本選手たちのなかで誰が勝つと思うか」と、ややシンプルな質問に切り換えました。
「なんとも言えないけど、メイビー…」と、千葉選手を指差しました。「でも、みんなに可能性はあると思う」と、何度も何度も“みんな”を強調していました。この日記を読んで、「キプラガト、日本人トップは千葉を予想」と、掲示板などに書かないでくださいね。
 やや企画倒れに終わった観がありますが、前述のように、今回の企画には無理がありました。とはいえ、キプラガト選手は誠意をもって答えてくれましたし、やるだけやった、という多少の自己満足はあったので、まあいいか。
 しかし、このこと以外は、細かい仕事で不首尾に終わったことが多く、かなり不満の残る1日でした。まず、ある原稿は進まない。まあ、これはいつものことですが。それに、ギャグは受けないし……これもいつもか。でも、このあたりは中出・佐々木両記者を失った痛手かもしれません。この他にもいろいろあったのですが、詳しく書くと愚痴日記になるのでやめておきます。愚痴日記、この言葉、ちょっと覚えておいてください。何日か先の伏線になるかもしれません。また企画倒れになるかもしれませんけど。


■1月24日(金)
 なんとか、大阪に来ました。昨晩は久しぶりの秋葉原ウォークが効いたのか、自宅に帰って夕食後にダウン(眠ってしまった、という意味)。原稿が書けませんでした。今朝、少しは早起きして書ける態勢を作ってから大阪に出発。新幹線の車内でほぼ書き上げ、大阪国際女子マラソンの共同記者会見後、千里阪急ホテルのロビーで仕上げ、メールで某社に送信。寺田を見かけた方たちは、まさか大阪国際女子マラソンと別の記事を書いているとは思わなかったことでしょう。資料も、マラソン関係のものをテーブルに広げていたし。まあ、こういうこともあります。そのあとちゃんと、記者会見の模様をアップして(前半だけですが。後半は先ほどアップ)、夜の大阪の街に向かいましたから。
 記者会見場では各社の記者の皆さんが懐かしく思えました。2週連続で、取材に行かなかったせいです。海外休暇をとっていたISHIRO記者には「お帰り」と声を掛けました。
「寺田さんが日記に書くから、みんなに(海外休暇が)ばれちゃったじゃないですか」
「おいおい。自分のホームページに書いたネタだろう」、などと正論を吐くのは無粋というもの。「去年のアジア選手権はスリランカ」とでも切り返しておけばよかったのですが、思わず正論の方を口にしていました(念のための注:セイロンはスリランカの旧国名)
 北海道文化放送の近田アナは、「箱根駅伝の監督車で喧嘩をしたのは誰ですか」と、質問してきます。まさか、あの近田アナまでこの日記を読んでいるとは、ちょっと感激。「○○監督と□□監督ですよ。まあ、半分はそれを楽しんでいるみたいですけど」と、まともに答えるのは無粋というもの。会見で質問した近田アナの声がめちゃくちゃに潰れていたので「声は大丈夫ですか。顔でカバーできるからといって、油断しちゃダメですよ」と、粋(イキ)な反論……にも何もなっていませんね。こうして文章にしてみると、けっこうキツイ言い方だったかも。近田アナ、すいませんでした。反省しています。
 アコムの長沼監督とは、このサイトのアクセス数のことの話になりました……このネタは、また別の機会に。
 “夜の大阪の街に向かいました”、などと、羽を伸ばしたような書き方をしましたが、実際は大阪在住の高校時代の友人と、2時間ほど食事をしただけ。かなりスポーツ好きな人間で、以前、陸マガの原稿(クロスワードパズル)を作ってもらったこともあるほど。しかし、その友人が、大阪で2007年に世界選手権を開催することを知りませんでした。まだ、4年以上先のこととはいえ、広報はしっかりやっているのかな、と、ふと心配になりました。地元市民の応援が必要なのは言うまでもないことですが、市民全部のコンセンサスを得るのはなかなか難しいもの。まずは、スポーツ好きの市民に、アピールすべきなんですが。たまたま、彼が知らなかっただけなのでしょう。そう思いたい。


■1月23日(木)
 11時頃から千葉県某市で取材。
 千葉方面の取材は久しぶり……といっても国際千葉駅伝以来だから、それほどでもないのですが、帰りに秋葉原に寄りました。外付けのDVD−マルチまたはRAMドライブを購入するのが目的ですが、PCとの接続用にスカジーとIEEEの2つのインターフェースを持っているドライブというのが条件。デスクトップがウインドウズ98で、IEEEが使用できないのです。
 某パソコン専門店に行って店員さんに上記条件のドライブはないかと質問すると「スカジー接続のDVDは1社から出ていますが、IEEEと2つはないですね。だいたい、ウインドウズ98ではDVDマルチはサポートしていません」という回答です。寺田が考えていた最も安い方法でDVDドライブを増設する計画は、あっけなく挫折。やっぱり、デスクトップは買い換えないとだめかな。OSのアップグレードができない機種は、苦しいですね。
 買い物なんぞに行ってしまいましたが、本当は締め切りの原稿もあって、ちょっと追い込まれた状態。明日、大阪に行けるのか?


■1月22日(水)
 今日は“ひた原”。あっ、明日の取材の準備もしました。過去の戦績をメモしたり、記事をコピーしたり。年齢的には中堅ですが、トップレベルでの活躍はそこそこ長い選手です。記事もそこそこの行数が予定されているので、準備は念入りにやらないといけない部類の取材。
 しかし、この資料準備の作業が、以前よりも速くできたような気がします。なぜか――。
 まあ、この写真を見てください。寺田のデスクです。普通のデスクじゃないかって? そうかもしれませんが、寺田にとっては驚異的に片づいた状態なのです。1週間前まではデスクの左の方に、資料の入ったA4封筒が2段(高さは30cmと15cmくらい)積まれていましたし、その他にも公共料金やクレジットカードの明細伝票などが散乱していました。足元は、なんとか足の踏み場はありましたが、移動するのにはかなり邪魔になっていて、日記にも何度か書きましたが作業効率をかなり落としていたのです。
 山積みされた封筒の中には、2年前の大会取材用の資料とかもあったのですから、かなり長い期間、その状態だったと思われます。1月10日の日記にDVDドライブを買うのどうのと書いていますが、それよりもデスク周りを整理することが先決だろう、と、一念発起して片づけました。2日間、その作業ばかりして、その後もちょこちょこ片づけて、ここまで来た次第。
 もちろん、ただ片づけるだけでは、すぐに以前と同じような状況に戻ってしまうのは目に見えています。資料を整理するシステムを確立しないとダメなんです(そんなこと、説明されなくてもわかってる? やっぱり)。独立してから3年近くが経ち、そろそろ、使わない資料・道具と、よく使う資料・道具が把握できてきました。何より、古い資料をどう捨てていくかが、システムのポイントです。
 その具体的な方法はもちろん、自営業者秘密。写真には写っていませんが、デスクの左側には幅126cm、高さ134cm、奥行き62cmのキャビネット(3段)がありまして、それをうまく活用して……ですね。今後は、デスクは常に、作業のしやすい状態を保てるはずですし、以前に用意した資料などを素早く探し出せるはずです。当たり前ですが、システムに則して整理する実作業は常にやらないといけないわけですが(実はちょっと不安だったりしています)。
 システム的に解決していないのが専門誌のバックナンバーと、取材ノートの保存方法。この2つだけは、1冊たりとも捨てるわけにはいきません。今の仕事をやっている限り増え続けるわけで……唯一の解決方法は、広い事務所を借りることです(いつになるやら)。
 それでも、おかげで仕事がかなり快適になりました。ファミレスに行く回数が、減ったような気がします。皆無ではありませんが、今日、1月20日が使用期限のドリンクサービス券とか、大量に捨てましたから。よし、これで、日記を書かなかった空白の10日間の出来事を1つ、紹介したぞ。残りは、あれとあれか。でも、明後日からは出張で、ネタはそっちになるかなや。


■1月21日(火)
 昨日の日記で、貴乃花のことを貴之花と書いたら、間違いを指摘したメールをかなりの数、いただきました。実は以前、箱根駅伝のある選手を間違えたときもそこそこいただいたことがあります。ということは、箱根駅伝は貴乃花並にメジャーだということでしょうか。でも、あまりにもメジャーになると、困ったことも生じるようです。
 箱根駅伝が全国大会という認識が世間にあるのも、その1つ。福島大川本先生が日記に書いてらっしゃいましたが、「箱根駅伝にはいつ出られるんですか」と質問されることがあるとか。関東学連または日本テレビに、“箱根駅伝は関東の大学しか出られない”ことを強調してほしい、とも主張されています。来年は日本学連選抜チームが招待されるようですから、通常は“関東の大学しか出られない”ことは、テレビでも強調せざるを得ないでしょう。
 簡単なのは、箱根駅伝の正式名称である東京箱根間往復大学駅伝競走を、昔のように東京箱根間往復関東大学駅伝競走と、“関東”の地域名を入れることです。あるいは、関東大学箱根駅伝と呼称するのが手っ取り早いでしょうか。そう考えるのが、普通の思考でしょう。
 今さら言うまでもないですけど、白河の関を越えたら奥州(東北)、箱根の関を越えたら坂東(ばんどう。坂東とは関東のことで、坂東太郎といったら利根川のことだって、知ってました?)。つまり“箱根”に“関東”という言葉を冠してもマッチするはずです。将来、東北学連が白河駅伝を主催して、今の箱根駅伝と同じ競技レベルと人気になって、全国ネットでテレビ放映されるようになったときには、東北大学白河駅伝と誤解のない名称にするものと思われます。高校生の白河駅伝と混同しないためにも……東北大学の学内駅伝と誤解されたりして。
 白河の関で思い出しましたが、青東駅伝(正式名称は東日本縦断駅伝)を奥の細道駅伝と改称したら、人気が出ませんかね。最優秀選手賞はもちろん、芭蕉賞。最優秀選手の快走を引き出した選手、アシストした選手には曽良賞(そら。曽良は、芭蕉に同行した門弟だって、知ってました?)。芭蕉賞を受賞した選手は感想を「五七五」で述べるなんて、粋(いき)じゃないでしょうか。
 そういえば、青東駅伝は以前、女子選手が参加していたことがあるって、知ってました? 1984年から94年まで、女子選手の走る区間があったのです。もしも、女子選手参加が復活して、引退した松尾和美選手が復帰して最優秀選手賞を受賞したら……新聞の見出しは“松尾、芭蕉賞”かな。


■1月20日(月)
 今日、一番の話題は横綱・貴乃花の引退でしょう。偶然、テレビを付けたときが、14:30からの引退会見開始直後だったため、思わず見入ってしまいました。相撲に興味があるわけではありませんが、同じスポーツですから、どんな質問が出て、どんな受け答えをするのかちょっと興味を持ちました。印象に残ったのは、横綱になってこれだけの年数が経っているにもかかわらず、入門したての頃の話が多く出てきたことです。やっぱり、初心は忘れちゃいけないな、と感じた次第(大した感想じゃないですけど)。
 貴乃花といえば、92年の大阪国際女子マラソンを思い出します。小鴨由水選手が日本最高記録で優勝し、2位の松野明美選手も従来の日本最高を上回りました。表彰式は千里阪急ホテルに場所を移して行われるのですが、そのとき挨拶である偉いさんが「貴乃花関が初優勝しました」と話すと、会場がドッと沸いたことをよく覚えています。「貴乃花は女性に人気があるなあ」と、改めて思い知らされましたし、小鴨・松野両選手が初マラソンだったためか、貴之花の初賜杯とよくマッチして、妙にヴィヴィッドに覚えています。
 初場所千秋楽と大阪国際女子マラソンの日程が毎年重なるため、その後も何回か、貴乃花は大阪と同じ日に優勝しているはずです。だから、貴乃花を見ると大阪国際女子マラソンを思い出していたのですが…(顔だけ見ると、池田久美子選手に似ているなあと、いつも思いますが)。
 さて、10日ぶりに日記が再開できたのは、貴乃花の引退もきっかけですが、一番の理由ではありません。実は、同じフリーランスのO川さんに電話をしたら、「先日、佐々木記者から電話があったんですよ。寺田さんの日記で箱根駅伝を取材したことを知っていたので、そのことを話したら“みんな知っているんですよね”と言っていましたよ」と、聞かされたからです。そういえば、海外にいるメディア関係の人からも、「中出記者と佐々木記者の異動を、寺田さんの日記で知ることができました」と、メールをもらいました。
 そこで、はたと気づいたわけです。気づいたというか、思い出しました。日記を書き始めた理由は“内輪ウケ”というか、内輪で話題にして盛り上がるためです(恐れ多いことに、川本先生の日記も同じ趣旨だそうです)。貴乃花ではありませんが、初心を忘れちゃいかん、ということで、日記を再開しました。
 書かなかった10日間にあった目新しい話題をISHIRO!風にまとめて書くと……なにい!イシロー記者は海外で休暇中? だったら、寺田も書くのはやめよう……もしかしたら、明日以降に書くかもしれません、し、書かないかもしれません。


■1月10日(金)
 電話取材を1本と、電話での情報収集をいくつか。15時ころ、はたと思いついて陸マガに電話。もしやと思いましたが、やはり今日が2月号の配本日でした。通常は発売日の2日前、つまり12日が配本ですが、間に休日が入るとその分、前にずれます。今回は12日・13日と連休なので、10日になるわけです。
 作る側の立場でいうと、その分、入稿作業も早めにしなければならないことになり、今月のように月初めに大きな試合があると、作業は一気にタイトになります。だから、雑誌製作の関係者にとって、連休は百害あって一利なし。まあ、次号の作業期間が1〜2日長くとれることになり、楽になるわけなんですが…。
 ということで、19時20分に陸マガ編集部に。2月号を2冊もらって、すぐに新宿に。電車の定期券を持たない身分ですから、都心に出たら複数の用件をこなさないことには、もったいないのです。目的はDVDマルチ(DVD-RAMもDVD-RWも扱える)の外付けドライブの購入。
 先日発見した小田急ハルク内のビックカメラに行ったつもりでしたが、入ってみると店内のレイアウトが違います。よくよく店内を観察したら、カメラのさくらやでした。なんと、さくらやも駅に隣接する位置に移転していたのです。ビックカメラには歩道橋(2階)からしか入ったことがなく、今日は地下から入ったので、勘違いをしてしまった次第。
 ところが、お目当てのDVDマルチの外付けドライブは、パナソニック製が売り切れ。ロジテック製は置いてありません。ビックカメラに行こうとしましたが、20時閉店で行けませんでした。
 DVDマルチの外付けドライブ購入の目的は、(リビングルームのテレビにつなげてある)DVDレコーダーで録画した番組を、仕事部屋のパソコンでも見られるようにすること。ソフトによっては、編集作業もできるみたいなんです。マラソンや駅伝だったらCM部分をカットしたり、トラック&フィールドだったら純粋に競技部分だけを抽出したりすると、実際の放映時間よりも短い時間にできます。
 当初は今晩、年賀状を書く予定でしたが、陸マガに行くと変更した時点で、DVDマルチのセッティングを今日、やってしまおうとしたわけです。しかし、実際は購入できなかったわけで、だったら年賀状は書けたのかというと、答えはノー。結局、陸マガを読みふけってしまい、さらに神奈川大の記事を書くのに3時間くらい使ってしまい、年賀状は書けませんでした。13日に実家に帰るので、往復の新幹線の中で文面を入力するしかないか。


■1月9日(木)
 今日は(今日も?)ネタがないので、一行日記。
 と思ったのですが、ISHIRO!の話題に触発されて、ネタを思いつきました。
 「from ISHIRO」に展望記事を書く立場について、とっても詳しく説明してくれています。拍手ーーー、パチパチパチパチ。これは、永久保存版ですね。寺田も完全に同感です。展望記事は順位予想とは違います。石井記者も言っているように、故障やアクシデントなんか、予想できっこありません。できる方がおかしい。できる人は悪魔に魂を売り渡した人ですね、ファウスト博士(※)のように。
 ATFSのS原さんも言っておられるように、“その選手・チームを推す根拠”がわかれば、記事としてはOKなんです……などと、寺田が言うと、単にいい加減な記事の言い訳にしているようですね。石井&S原の2人が言えば、説得力があるんですけど。書かなきゃ良かったかな。忘れてください。
※ファウスト Faust 1480頃〜1540頃 ドイツの予言者・魔術師。実人生よりも、伝説で知られ、数多くの文学作品や音楽作品が生まれた。伝説によれば、ドイツ各地の大学都市で教師をし、また魔法の術をおこなったり予言をしたりしながら遍歴した人物で、同時代の学者の中には、恥知らずな山師と非難するものもいた。しかし異説では、1532年にケルン大司教に庇護され、以後は傑出した市民として尊敬されていたという。同時代の学者や聖職者たちは、ドイツの宗教改革の指導者であったメランヒトンやマルティン・ルターにいたるまで彼の超自然的能力にまつわるうわさを信じた。中世の偽科学者や魔術師の超能力についての伝説は、16世紀末までひろく信じられており、それらの物語がファウストの名前とむすびついたものである。
ファウストという名前をめぐるさまざまな物語のうち、最初に文学に登場したのは、フランクフルトで出版された「ヨハン・ファウスト博士の物語」(1587)である。この物語では、学者ファウストはメフィストフェレスという悪魔と契約をむすぶ。悪魔はファウストに魔法の知識と力をさずけ、また彼に享楽と力の24年間をあたえるが、そのあとファウストの魂は悪魔のものになることになっていた。24年がたったとき、悪魔はファウストを地獄へとさらっていく。ファウストは、まやかしの知識と快楽とのひきかえに自分の魂を売ってしまったことを後悔する。
この作品の英語の韻文は1587年に、ドイツ語の韻文版は88年に発行され、92年には、フランス語と英語の散文版が刊行されている。イギリスの劇作家クリストファー・マーローのドラマ「ファウスト博士の悲劇」(1589年に書かれたとされる)は、この散文の英語版にもとづいている。
ファウスト伝説にもとづくもっとも偉大で有名な作品は、ゲーテによる詩劇「ファウスト」(第1部1808年、第2部1832年)で、それにつづくほとんどすべての作品の典拠になっている。ゲーテの作品が先行する作品とことなるのは、ファウストが悪魔と契約をむすぶ理由が、自分の知識をかぎりなく拡大したいと熱望するからであり、また庶民の娘グレートヒェンの力で、最後に地獄から救済される点にある。
ゲーテの劇作品以降に刊行されたファウスト伝説にもとづくドイツ語の文学作品には、ニコラウス・レーナウの劇的叙事詩「ファウスト」(1835)、ハインリッヒ・ハイネのバラード「ファウスト」(1851)、トーマス・マンの小説「ファウスト博士」(1948)がある。
"ファウスト" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia. (C) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.



■1月8日(水)
 13時から都内某所で取材。その帰り道でのことでした。電車に乗っていると、30歳代とおぼしき男性2人の会話が耳に入ってきました。同じ会社ではなく、仲のいい取引先の2人という雰囲気。その内容に思わず、心の中で反応していたので、それも含めて再現してみましょう。
会社員A「……兵庫県の西脇。マラソンの強い町だよ」
(寺田:マラソンじゃなくて、駅伝ね)
会社員B「何をしに行かれるんですか」
会社員A「プリンターを設置するだけなんだけどね」
(寺田:“だけ”かよ。オレなんか、取材に行きたくとも行ったことないのに)
会社員B「じゃあ、大阪に泊まって、手当も?」
会社員A「○○手当が●千円つくのかな。あれ、▲千円か」
(寺田:“だけ”なのに手当まで付くのかよ、サラリーマンは)
 我ながら愚痴っぽい人生を送っているなあと、ちょっと嫌悪感。
 建設的な話題にしましょう。会社員A氏も知っているくらい、西脇は“駅伝の町”として有名になっているわけですが、西脇よりもすごいのが東京都世田谷区でしょう。今季の選手権駅伝が終了して、全日本実業団女子駅伝の第一生命と、全日本大学駅伝(&箱根駅伝)の駒大と、2つも優勝チームを生みました。これって、ものすごく稀なケースではないのでしょうか。過去、同じシーズンに同じ行政区から2つ以上の全国優勝チームが生まれたことは……すいません、ちょっと調べられませんが、まずないのでは?
 ただ、世田谷区に“駅伝の町”というイメージを持てるかといったら、持てません。でも、それも世間へのアピールの仕方次第。世田谷区長さん、どうでしょうか、“駅伝の町・世田谷”をアピールするために何か、特徴ある駅伝を開催するというのは。
 例えば、有名飲食店を中継所にして、世田谷グルメ駅伝なんてどうでしょう。他に例がなくて面白いだろうし、中継点にする飲食店にとっては宣伝効果もありますから、協賛金を集められるかも? うん、建設的かつ現実的なアイデアだ。


□1月7日(火)
 今日は“ひた原”。


□1月6日(月)
 フジテレビの“ゲツ9”ドラマ「いつもふたりで」を、食事をしながら見ました。以前にも書きましたが、“ゲツ9”ドラマを寺田が見るのは、旭化成がスポンサーの番組だからです(旭化成がスポンサーの番組は全部見ているのか、と意地悪な突っ込みはしないように)。こういうとき、DVDやハードディスクへのデジタル録画だと、タイムスリップ再生ができる、つまり録画をしながら番組の冒頭から見られるので便利ですね。
 ヒロインの口癖は「夢は、強く願い続けていれば、必ず叶うんです」でした。ドラマのテーマでもあるのでしょう。ドラマにいちいち難癖をつけるのもどうかと思いますが、みんながみんな「夢を強く願い」続けていたら、みんながみんな、夢を実現できるのでしょうか。ちょっと疑問が生じました。
 スポーツに置き換えてみましょう。夢を叶えられるとみんながみんな、同じ努力をしたら、どうなるのでしょう? 「夢を実現するには、強く願い続けていること(努力し続けること)が最低条件」というのが、陸上報道に10年以上携わっていての実感です。「強く願い続ける」だけではダメ、みんながやっていることです。もしかしてドラマで言っているのは、“他の人より”強く願い続けるという意味なのかも。それなら、相対的な基準となりますから、わからないでもありません。
 しかし、“強く願い続ける”って、比較できることなのでしょうか? 客観的には、結果でしか判断できないはず。つまり、結果が出た人間が、“他の人より強く願い続けた”ということになります。スポーツなら、他の人より努力をし続けた、ということに……でも、努力の度合いって、比較できるのかな、という疑問は残ります。
 ドラマではヒロインが有名小説家になるという筋立て(たぶん)。有名小説家が日本に何人いるのか知りませんが、仮に300人くらいとしましょう。日本選手権の入賞者も、全種目合わせれば300人以上です。そのレベルであれば、“強く願い続ければ実現できる”のでしょうか。やっぱり、“強く願い続ける”ことが前提で、その上で“いかに努力するか”という部分が問われるようにも思うんですが。最後に強くなる部分は、発想ではないかと。あとは、DNAですかね、というのは、今日(8日)に取材したある選手の影響か。


■1月5日(日)
 3日の夜にO原記者からメールが来ていたのに、サイトへの掲載がこの日記と一緒になってしまいました。昨日予告した箱根駅伝2区の企画は、明日に持ち越しです。こんなことをしていると、ただでさえない信用が、ますますなくなっていきそう。反省せねば。
 O原記者が「親愛なる“おやじギャグの師匠”寺田辰朗さま」と書いています。何回書いてもわからない人がいるようですが、この日記のギャグは“おやじ何とか”ではなく“ユーモアとウィット”ですから、お忘れなく。
 そういえば、自称“おやじ”ですが、寺田にとっては“ユーモアとウィットの師匠”である福島大・川本先生の日記が、12月23日を最後に更新されていません。たぶん、沖縄合宿で泊まっている場所から、インターネットへの接続ができないのでしょう。その代わり、ということもないのですが、きっといい練習ができているのだと思います。具体的にどんな練習なのかは、企業秘密なんでしょうが…。
 1つ確かなことは、福島大勢にとって今年はより重要な1年になるであろう、ということ。国内では破竹の勢いですが、あくまでも目標は世界で戦うこと。来年のアテネ五輪で結果を残すためにも、今年のパリ世界選手権で感触をつかんでおく必要があると思います。などと寺田が書くまでもなく、“稀代の名コーチ川本”に任せておけばいいこと。メディアが尻を叩かないといけないのは……どこの大学でしょう? 高校のトップ選手が多数入学しながら伸びていない大学は、どこだっけ?(ここ3年ほど、高校生の取材が少ないので、わからない)。


□1月4日(土)
 昼頃、某誌ニューイヤー駅伝の記事を書き上げ、少し余裕が出たまではよかったのですが、疲労感が一気に出て、その後の仕事ができなくなってしまいました。体調に変調をきたしたわけではないのです。以前にも書いたと思うのですが、精神的な集中を完全に切ってしまうと、かえって立て直しが厳しくなります。1つの大きな仕事が終わっても、ある程度の緊張感を持続させた方がいいのです……と、わかってはいるのですが、なにせ、睡眠時間が先月30日から毎日3時間以下という日々が続いていましたから。


□1月3日(金)
 毎年1月3日の読売新聞社9階には、色々な思いを持った人間が集まります。
 このフロアには箱根駅伝のプレスルームの他、閉会式の会場もあり、かなりの取材がこのフロアだけでできるのです。フィニッシュから閉会式まで1時間以上、時間があるのも助かります(全日本大学駅伝は時間がない)。その間に選手たちは応援団などに挨拶を済ませ、その後は読売新聞社9階の食堂などで時間を過ごします。その食堂にはプレスの人間も出入りが可能で、選手が了解してくれれば、取材も可能になります。今日は雪が降って屋外での取材が困難だったため、ほとんどが読売新聞社9階での取材でした。
 ところが、正直言いまして今日は、ちょっと不満が残る取材でした。いくつか取材したいテーマがあり、このくらいはパパパっと話が聞けるだろうと踏んでいたのですが…。いまいち、取材できた量に満足がいきません。仇敵・佐々木イチロー記者に「今日はいまいち」と言うと「流れがわかっていないんですか、箱根駅伝は」と突っ込まれてしまう始末(1月1日の日記参照)。最後まで憎たらしい奴です。
 ところで、サッカー担当になった同記者に続き、スポニチ・中出記者も担当替えで、外信部のチーフ(だったかな)に異動。今日が陸上競技担当としては最後の取材でした。読売新聞社の9階でインタビューしました。
「今日は駒大の8区9区を重点的に取材しましたが、珍しくうまく取材できました。渋めの取材で終わるのも通好みかもしれませんが、今日みたいに慌ただしい取材で終わるのもいいんじゃないでしょうか。島村が4年生で最後ですから、どこか共感を持って取材ができました」
 思えば、中出記者にはかなりお世話になってきました。独立間もない寺田に室伏広治選手に関するコラムを書かせてくれましたし、ロンドン・マラソンやヨーロッパのGPに行ったときも新聞に記事を書かせてもらいました。エドモントンの世界選手権では毎日机を並べ、一緒に仕事をしました。何より、寺田の日記を見て突っ込みを入れてくれる数少ない記者。かなり、寂しくなりそうです。
 中出記者の取材中に、ある大学の主将が歩いてきました。長距離ではなく一般種目の大物選手。「就職、どうなった?」と聞くと「●社に決まりました」とのこと。ただ、まだ公表してはいけない段階とのことなので、ここでは伏せておきます。同じ大学の3年生の長距離選手はすでに、引く手あまたの状態とか。あらためて、長距離と一般種目の差を感た読売新聞社の9階でした。
 読売新聞9階では、新たな展開もありました。箱根駅伝に縁の深い展開です。
 かねがね、某専門誌のO川君が、日本テレビの鈴木崇司アナ(スポーツ・うるぐす担当)に似ていると思っていたので、本人にも言ったことがあるのですが、いけないことに本人は「うるぐす」を見たことがないらしいのです。今日もそのことを話題にしていると、箱根駅伝プロデューサーの新井さんが通りかかりました。ちなみに、新井さんは筑波大で走高跳選手としてならし、インカレでも入賞されている方です。
寺田「(O川君を指差し)彼ってうるぐすの鈴木アナに似てますよね」
新井「うん、似てる似てる」
 同じテレビ局の人間からお墨付きをもらったわけです。これで誰にはばかることなく「O川君は鈴木アナに似ている」と言えるようになりました。ご存じの方も多いかと思いますが、鈴木アナはちょっと日本人離れした顔立ち。陸上競技の試合会場でも目立つと思いますので、鈴木アナに似ている若手記者がいたら、「O川記者ですか」と声を掛けよう。「O川」という表記では声を掛けようがない? 試しに、アルファベットでもいいから、声を掛けてみてください(取材の最中で忙しいケースも多いので、サインはご遠慮ください)。
 このように、さまざまな“人間ドラマ”が繰り広げられた読売新聞社9階。
 そういえば、佐々木記者とはお互い「これでもう会うこともないな。清々するぜ」と、捨てぜりふを残して別れました。まるで、やくざ映画のワンシーンのように…。読売新聞社9階は、仇敵同士の別れた記念すべき場所になったのです。


■1月2日(木)
 芦の湖畔で箱根駅伝往路の取材でしたが、今朝はマジで起きるのが辛かったです。12月30日の晩から睡眠時間が、2時間・3時間・2時間と厳しい状況が続いています。という事情で、年賀状も書けていませんし、メールの返事(対応)も滞っています。申し訳ありません。
 8時のスタートまでに芦ノ湖のプレスセンター(箱根ホテル内)に行くには、6時前に自宅を出ないといけません。あとちょっとで「明日の大手町だけでもいいか」と挫折しそうになりましたが、なんとか、30分の遅刻で出かけました。スタートに間に合うのは無理でしたが、箱根湯本駅に降りた直後が8時だったので、そこでラジオを聴いてストップウォッチを押して、タクシーを駆って8:20頃に到着。
 プレスルームに行くと、ファミレス論争の仇敵・佐々木イチロー記者の姿があるではありませんか。2カ月ぶりの陸上取材(=再会)。やや懐かしさも感じましたが、挨拶などせずに、彼の席から遠い位置に座りました。さすがに、ずっと知らんぷりをするのも大人げないので、携帯電話のカメラで写真を撮りがてら挨拶。今回の箱根駅伝は、サブ担当という形のようですね。右隣が日刊スポーツ陸上競技の現担当・牧野記者です。
 さて、往路をフィニッシュしてしばらくすると、プレスセンターと同じホテルで、監督会議が行われます。その前後で話も聞くことができるのですが、そこであることに気づきました。
 今回から1チームに1台の運営管理車が付くことになりました。80年代後半まであった監督車とは多少違いますが、指導者がずっと選手の近くにいられるという点では、“復活”ととらえることもできます。監督車の廃止前と今で決定的に違うのが、携帯電話の普及です。というのも今回、管理運営車に乗っている監督が、別の監督に電話をして喧嘩になったらしいのです。
「オマエんとこの選手、もっとスピードを上げさせろよ」
「そんなこと、できるわけないだろ」
「だったら、道を開けろ。前が邪魔だ」
 というようなやりとりが、あったとのこと。かなり激しくやり合ったようです。
 この2人の監督は、普段から敵愾心を露わにしていて、「○○大にだけは負けたくない。○○大というよりも、○○○○(その大学の監督の名前)にだけは負けたくない」と、記者たちの前で発言しています。それで今日、相手の監督にその点を突っ込んだら、上記のようなエピソードが出てきたわけです。
 以前の監督車はジープでしたから、車の上から互いに喧嘩をすることもできたのでしょうが、今回の運営管理者は通常のセダン型。でも、ジープ上でやりあったら選手や沿道の観客にひんしゅくを買うでしょうから、今のように携帯電話での喧嘩の方が、やりやすいのかもしれません。
 ただ、どうもこの2人、喧嘩を楽しんでるというか、喧嘩しているのを意識的に公にしているように感じられます。お互いの能力を認めあい、気持ちを許しているからできる喧嘩って、ありますよね。どこか、佐々木記者と寺田の喧嘩に似ているような……ことは、まったくありません。


■1月1日(水)
 ニューイヤー駅伝取材。けっこう、頑張った取材でした。単に、多くの人の話を聞いただけですが……選手8人に指導者5人。同じ試合を何回か取材していると、選手たちの動きというか、行動の流れがなんとなくわかってきます。それで、精神的にも焦らなくなるのかもしれません。あとは面識のある選手・指導者が増えてきたことも、取材がスムーズになってくる一因かも。少しは経験が生きているのかな、と、ちょっと実感。
 とはいえ、やっぱり取材は緊張します。特に、大物選手に話を聞くときはプレッシャーがかかりますね。昨日でしたが、開会式に来た高岡寿成選手を何人かの記者と一緒に取材していました。ふと横を見ると、陸マガのT野カメラマンが撮影しています。彼の名前はトオルなので、イニシャルがTT。
「TTが3人揃ったぞ」と、高岡選手に言おうとしました(高岡選手、T野カメラマン、寺田の3人です)。3月の全日本実業団ハーフマラソンのときに、坪田智夫選手との“TT対決”と見出しを付けたことがあり、春季サーキットのときに高岡選手が「今日もTT対決だった」と、話してきてくれたことがありました。
 しかし、あんまりわけのわからないことを取材中に言うと、他の記者から睨まれてしまいますから、今回は控えました……じゃなくて、日本記録を4種目で持つ大物選手を前に、緊張から言葉が出なかったのです。背も大きい選手ですから。
 コニカが3連勝したので、コニカの話題も二、三紹介したいと思います。
 全日本実業団対抗駅伝3連勝ともなれば、監督も名指導者の肩書きを付けられてしかるべきです。駅伝だけにとどまらず、酒井監督はオリンピックのメダルも2つ取っている指導者なのです。今回は優勝チームの担当ではなかったので、今日は取材できませんでしたが、昨日お話を聞いたときは、やっぱり緊張しました。
 昨日はコニカの大島コーチとも話をさせていただきました。年齢的な部分が理由だと思うのですが(要するに、若いということ)、高岡選手や酒井監督ほどは緊張しません。とはいえ、彼も以前、亜大を支える熱血マネジャーということでテレビでも取り上げられている有名人。ちょっと、緊張してしまいました。
 長年、顔を合わせているとついつい、馴れ馴れしくなったりもしますが、そうなるとついつい調子に乗って、礼を失することも生じやすくなります。初心を忘れない、という意味でも。適度な緊張感と節度をもって、取材をしていきたいと思っています。うん、新年にふさわしい締めだ。
 と言っておきながら、もう1つネタが。
 大島コーチには、先月26日の日記で紹介した、ワイナイナ選手の写真(アベラ選手とのツーショット)を手渡しました、開会式には来ないということだったので。しかし、今日の閉会式では会うことができました。
寺田「写真、受け取ってくれた?」
ワイナイナ「うん、ありがとう。ホームページも見てるよ」
寺田「えっ!? 漢字もだいたい読めるようになった?」
ワイナイナ「写真とか見てるよ」
寺田「ごめん。福岡ではアベラの写真ばっかり載せたような記憶が…」
ワイナイナ「記事を外国人のところだけでも、英語で書いてよ」
寺田「んんんっ……えーっと……それはぁ……んんんんーーーーーー」
ワイナイナ「(世界の? 在日外国人の?)みんなが見るように、なると思うよ」
寺田「そうかもしれないけど……うーーーむむむむむ……。あっ、あそこの○○コーチに取材しなきゃいけないんだ。またね」
 四十八計、逃げるに如かず。there is no way than escaping かな。今度、寺田の英語の師匠に聞いておきます。ガソ師匠に。I'm going to ask about that proverb to my English teacher, next time. The teacher, Ngatho. My English is half-baked. Don't think they're correct.


■12月31日(火)
 ぶるるるぶるるるっ、ぶるるるぶるるるっ。前橋が寒くて震えているわけではなく、マナーモードの携帯電話が震えたのです。ニューイヤー駅伝開会式終了後、あるチームのコーチを宿泊先のホテルで取材し終わった直後のこと。電話をかけてきたのはISHIRO!こと毎日新聞・石井朗生記者。陸上界では周知のことですが、マリナーズのイチローに顔が酷似しています。瓜二つってやつ。最近は歌手の平井堅にも似ていると、もっぱらの噂です。
若倉コーチのサイトに、エントリーリストが全チーム載っています」
 という情報。開会式後、石井記者から「何時に区間エントリーリストを載せますか」と質問され、「このあと取材があるから、夜になっちゃうかな」と答えたのが、2時半頃でした。石井記者も掲示板に主要チームのオーダーを書き込むつもりだったようです。箱根駅伝を扱うサイトは雨後の筍のように増え、区間エントリーの情報もすぐにネット上を駆けめぐりますが、ニューイヤー駅伝を扱うサイトは数えるほど。だからこそ、自分たちが頑張らないといけない、という認識が2人の間で共通しています(石井記者に確認したわけではありませんが…)。
 しかし、これで、入力する手間が省けました。WEBサイトのいいところは、他者サイトの情報でも、リンクを貼ることで情報源にすぐに飛ぶことができること。改めて言うまでもないでしょうけど。それにしても、若倉コーチの情熱には頭が下がります。
 ということで、寺田は監督・選手のコメントを紹介することに労力を割くことができました。というものの、中国電力・坂口監督のコメントをアップしたのが19時台。最初は、一問一答形式でなく、三人称で書きました。書き上げた後、「これだったら別のメディアにでも書けるかな」と思い、本サイトではインタビュー形式にしました。アップ時間が遅かったのは、書き直していたからです。

 さて、昨日の続きで、“この1年間で印象に残った取材”の下半期版。すでにおわかりのことと思いますが、印象に残る基準は適当です。
7月:ローザンヌで劉翔取材&フランクフルトのカレー&ローマ福士コメント
 ヨーロッパ取材で印象に残っていることは、本当にたくさんあります。ちょっと思い出しただけでも、「あれもあった、これもあった」と、次から次に出てきます。その中であえて選ぶとしたら、ローザンヌGP男子110 mHで13秒12のアジア新を記録した劉翔選手を、大会本部ホテルの前で突撃取材したことでしょうか。今考えても、あんな度胸がよくも出たな、と思える行動でした。
 でも、ヨーロッパはそれだけではありません。フランクフルトでは電車の時間の都合で、僅か10分の写真撮影取材ということもありましたし、そのフランクフルトでは選手が作ってくれたカレーライスもいただきました。
 福士加代子選手のコメントも強烈でした。最初の5000m日本新を記録したローマGLのレース後のことです。どんなコメントだったかは、ちょっと書けません。アジア大会のときのあのコメントに近い内容です。
8月:8年ぶりのインターハイ
 茨城インターハイに行きました。インターハイは94年富山大会以来、8年ぶり。若いパワーを目の当たりにしただけでなく、当世の高校生競技者気質にも触れることができ(というか、某ライターの方から教えてもらい)、これも印象的な一夏の想い出となりました。
9月:日本インカレでの宮崎久選手とのトーク
 日本インカレで思い浮かぶのは、宮崎久選手とのトークですね。
寺田 ヨーロッパは初めて? アルゼンチンは世界ジュニアで行ってるけど?
宮崎 アルゼンチンじゃなくてチリですよ。
寺田 そうそう、チリ。いやあ、地理に弱いもんで…………これ、なかなか上手いでしょ。
宮崎 そうですかあ。ちょっと、あれだなあ。
 宮崎キャプテンに認められるユーモアを、と思いながら、その後はこれというネタを披瀝できませんでした。この課題は越年。
 スーパー陸上の印象が、なぜか希薄です。2年前は柿沼和恵選手の涙に末續&山村の学生記録、昨年はマイケル・ジョンソンの公式インタビューでの最後の質問と、思い出があるのですが…。
 全日本実業団女子1万mで優勝した羽鳥智子選手のうれし涙にも、胸を打たれました。
10月:アジア大会(ユンケル)&成田
 アジア大会は体調との戦いでした。まあ、一番やばかったのは出発前で、現地ではちょっと快方に向かっていたのですが、夜、眠れなくて…。あれは、きつかった。
 大会期間中にシカゴ・マラソンで高岡寿成選手が日本最高を記録して、それを知ってすぐ、午前中に競技がなかったのでエッセイのような記事を書きました。その頃は体調もよかったんですが。シカゴに行っている記者の方に帰国便を確認したら、寺田が成田に着く時間とほぼ一緒。成田空港でバゲージクレームに行くと、2つ隣のシカゴからの便でした。なんという偶然、30分ほど待って、直接お祝いを言うことができました。
 話は釜山に戻りますが、体調が悪かったときにイシロー(石井記者)から粒状ユンケルをもらいました。これで少し体調が上向きになりましたから、とっても感謝しています。帰国後(すぐではありませんが)、テレビを見ているとイチローがユンケルのコマーシャルをしています。成田空港の件といい、ユンケルといい、偶然が重なります。
11月:国際千葉駅伝・佐藤選手のユーモア
 とにかく忙しい月でした。そのなかで高岡寿成選手の取材に行き、中部実業団対抗駅伝の前日には30年ぶりに下呂温泉に泊まり、国際千葉駅伝では佐藤敦之選手のユーモアを引き出しました。
「“あぶらや”が走った区間は今年も“あぶらや”。“あつし”が走った区間は今年も“あつし”」というコメントは、寺田のリクエストに応えて佐藤選手が考えてくれたものです。それを単なるユーモアに終わらせず、「このレースで快走して、日の丸を付けたときには走れるイメージを持ちたいですね。タイム的にも、去年の藤田さんのタイムが最低限の目標です」と、自分が置かれている競技上の状況にきっちり結びつけるところが、佐藤選手のすごいところ。
12月:福岡国際マラソンでゴジラ! ガメラ! アベラ!
 シドニー五輪・エドモントン世界選手権と男子マラソン史上初の両大会金メダリストにもかかわらず、「オーラが今ひとつ感じられない」と評されたアベラのために、あるマラソン関係者の方が「ゴジラ! ガメラ! アベラ!」のキャッチコピーを思いつきました。このコピーを広めるべく、博多の街を脚が棒になるまで歩き回り、ゴジラとガメラのフィギュアを探しました。
 結局、現在映画が製作されていないガメラのフィギュアは見つけられず、ゴジラとカメラとアベラの写真を撮りました。

 こうして振り返ってみると、退屈はしていませんね。その代わり、8月からは読書がまったくできていないわけですが。来年は……などという締めはなし。
 みなさん、良いお年を……と書いているのは、もう2003年。


■12月30日(月)
 昼に1本、原稿を完成させました。一昨日の締め切りで本文とカコミ2本は提出していましたが、編集サイドと色々と相談しながら、残り2本のカコミと本文の訂正をするのが今日までかかってしまいました。これで、年内にデッドライン(締め切り)のある原稿は終了。といっても、明日はニューイヤー駅伝前日の取材ですし、What's new index の一番上にある「突発的ちょっとした特集 大物新人たちの実業団“初”駅伝」もレース前に書かないといけないでしょう(ちょっと不安)。
 陸上報道人(最近、この言葉がちょっと気に入っています)にとってこの時期は、試合があるわけで、当然、仕事が続くわけです。世間一般のようにクリスマスだ、年末だ、お正月だ、という感覚はありません。とは言うものの、読者の方は世間一般の生活を送っているわけですから、それに合わせた記事・企画も考える必要はあります(クリスマス・プレゼント記事もその1つのつもり)。

 ということで、今日明日の日記で年末特別企画として、この1年間で印象に残っている取材を振り返ります。
******1月:全日本実業団駅伝の佐藤敦之選手と国際千葉駅伝のほのぼのした取材
 ニューイヤー駅伝レース後、佐藤敦之選手に「中国電力の前半は佐藤君以外、広島県出身選手ばかりだね」と話しかけたところ、「福島の僕が入ることで、“福が広がる”からいいことなんです」という答え。11月の国際千葉駅伝前に、一部関係者の間で彼の才能が認知された瞬間でした。
 千葉国際クロスカントリーの取材は何年かぶり。レース後に選手のコメントを取材しましたが、他の大会に比べると若干、リラックスできる類の大会だけに、選手たちの話もいつもより滑らかというか、リラックスしたものだったと思います。9月の全日本実業団でブレイクした橋本歩選手も初めて取材。世界クロカンに選ばれそうで「海外の試合は初めて。お父さん、許してくれるかな」と話していたのが印象的です。あと、瀬戸智弘選手の坊主頭も。
******2月:初めて浜名湖一周駅伝を取材
 文字通り浜名湖を一周する駅伝。中日新聞社のご厚意で、取材車に同乗させていただき、男子のレースをつぶさに見ることができました。この大会以降、今年は湖畔づくことになるとは思いもしなかったのですが……。
******3月:2日間で名古屋→山口→名古屋と移動して取材。びわ湖マラソン完全自腹取材
 名古屋国際女子マラソンの前日取材後、山口に移動して翌日の全日本実業団ハーフマラソンを取材。その帰りに名古屋に立ち寄って、名古屋国際女子マラソンのさよならパーティーを取材。時刻表ミステリーさながらの移動&取材でした。
 その前週のびわ湖マラソンは、どこのメディアにも記事を書かない取材。このサイトだけに書きました。つまり、完全な自腹取材です。が、絶対にあの取材をしないといけない、という束縛がないぶん、レース後は自由な取材ができました。
 そういうケースの方が、いろいろと取材ができるものです。一言でも話が聞けた選手・指導者をざっと挙げると、武井隆次選手・瀬古監督、諏訪利成選手・白水監督、浜野健選手・高橋謙介選手・横道監督、野口英盛選手、山陽特殊製鋼・永里監督。もうちょっと聞いたかもしれませんが、我ながらよく、ここまで取材できたな、と思います。これが、理想ですかね。でも、それじゃあ食べていけないし…。
******4月:ロンドン・マラソンのレース翌日取材
 翌日に土佐礼子選手とゆっくり話せたことが最大の収穫でしょうか。オフレコネタも多数(後輩選手のあの話題とか)。ラドクリフ選手の写真をたくさん撮れたことも収穫です。夫のゲーリー・ラフ氏と(片言の英語で)話ができたことも……ラドクリフが海外メディアの対応をしている間に、土佐選手がラフ氏とツーショットの写真を撮っていました。ある日本人関係者から「ラドクリフを嫉妬させる作戦か」の声が挙が…(この話、紹介しましたっけ)。
******5月:春季サーキット全試合取材。綾真澄選手取材。為末大選手取材
 春季サーキットを全試合取材できたのは初めての経験でした。兵庫リレーカーニバル取材も初めて。初めてのインターハイ取材が88年の兵庫インターハイだったので、14年ぶりのユニバー記念競技場に感慨もひとしおでした。サーキットで印象に残っているのは、山中美和子選手に「“せくろ”4位おめでとう」と声をかけたことでしょうか。念のため解説すると、“せくろ”は世界クロカンの略です。
 5月下旬に大阪市スポーツ振興協会の仕事で為末選手を取材。為末選手は“言葉を持っている選手”なのだと、改めて実感。種目の特性を、素人にもわかりやすく説明してくれます。ちなみに、彼のWEBサイトに寺田のことが「おれよりヨンパー知っとる」というコメント付きで紹介されているので、「小さな文字で“わけがない”と付け加えておくように」と、お願いしたのですが、いまだに付け加えられていません。
 その際に初めて、伝統ある大阪ガスの社屋に行きました。その時点では翌月、2カ月連続で朝原宣治選手の取材で行くことになるとは思いもしなかったです。
 女子ハンマー投日本新の綾真澄選手の取材も印象的でした。技術的なことをわかりやすく説明してくれて、原稿も書きやすかったと記憶しています。オフレコネタも少々。

******6月:朝原宣治選手、独身最後の取材と伝統のビスレット競技場
 日本選手権で10秒05を出した朝原宣治選手を取材。大阪ガス社屋でのインタビュー後、練習にまで押し掛けて何やかやと突っ込んで取材をしました。それが、6月17日のこと。アジア大会後、ある記事で見たのですが、朝原選手が入籍したのがその数日後でした。ということは、あれが独身最後の取材だった可能性があります。今度、確認しておこう。独身最後の取材だったら何か意味があるのかといえば、特にないんですけど。
 6月末から3週間のヨーロッパ取材に出発。日本人選手は出ませんでしたが、オスロのビスレットゲームを取材。取材前は6レーンしかないトラックに腹を立てていましたが、実際に行って歴史を感じるスタジアムを目の当たりにしたら、評価が一変。素晴らしく雰囲気のいい競技場でした。


 こうして改めて振り返ると、思い出いっぱいですね。とても、全部を書ききれるものではないので上記のように絞りましたが、印象深いことが本当にいっぱいあります。特に海外取材は、新鮮なことの連続でした。この日記でユーモアとウィットを標榜しているので(決してオヤジギャグではない)、その視点をもって陸上競技に接することができています。いやー、こうやって思い返してみると、寺田は幸せなのかもしれません。“思い出武装”をすれば、福島大・川本先生との“幸せ論争”に勝てるかも。


■12月29日(日)
 箱根駅伝の区間エントリーの日。11:30がエントリーの締め切りなので、早ければ12:30くらいには記者クラブでメンバーが発表されるかな、と判断して、12時ちょっと前から記者クラブに詰めました。
 ところが12時過ぎに、エントリー表配布は13:30頃になりそう、という情報がもたらされました。しばらくすると14時頃と変更され、11:30から関東学連に行っていた記者たちも、13時過ぎには記者クラブに戻ってきました。最終的にエントリー表が配布されたのは、14時ちょっと過ぎ。個人的には、人を待たせるのはいやですけど、待たされるのはまったく平気です。記者クラブは電源もテーブルもあるので、書きかけの原稿を進めながら待っていました。
 その間、収穫もありました。長年の疑問が解決したのです。今日は新聞社・通信社関係の記者だけでなく、テレビや学生新聞(たぶん)の記者の方たちも大挙、来ていました。その中のあるラジオ関係者の方と名刺を交換したので、「なんでテレビのスポーツ番組は1つの局の独占中継なのに、箱根駅伝は複数のラジオ局が中継できるのか」と、質問。箱根は文化放送、ラジオ日本、NHKの3局が中継します。
 プロ野球なんかもそうなんですが、どうやらラジオ業界ではスポーツ番組を独占中継する慣習がないようです。その分、放送権料も中継局の数で等分され、安くなるとのこと。スポンサー収入などの違いから生じた慣習でしょうか。でも、考えてみたら、テレビだけですよね、独占中継をするのは。新聞も雑誌も、独占報道はしません。そもそも、社会に広く知らしめるのが報道ですから、独占という形の方が、例外なんでしょう。そういえば、テレビもニュース報道は独占になっていませんね。


■12月28日(土)
 終日、自宅兼オフィスで原稿書き。ちょっと苦戦しています。分量も多くあって、内容的にもいろいろと工夫ができそうな記事なので、あれこれ考えすぎてしまって、よけいに難しい。まあ、腕の見せどころと、前向きに考えて頑張っています。が、このままでは年賀状はまた、年明けになってしまいそう。
 昨日の日記に草津温泉でニューイヤー駅伝に思いを馳せたい、と書いたところ、今日、「伊香保温泉の方が前橋に近いんじゃないか」との指摘を受けました。群馬県の温泉って、草津しか知らなかったんですよ。いけませんね、いい加減なことを書くのは。反省します……“反省”で思い出すのは、ドラマ「ヒーロー」の中での松たか子の台詞「反省してください」です。松たか子といえばニューイヤー駅伝の山崎パンのコマーシャルです。今回も、たぶん彼女でしょう。サンデー毎日増刊のニューイヤー駅伝公式ガイドブックの裏表紙(業界用語で言うなら表C)広告は、松たか子ですから。
 そういえば、この日記再開のきっかけは、ドラマ「恋ノチカラ」のファミレス論でした。あのドラマは確か、今年の1〜3月のクール。早いですね、1年は。今年は4月、6〜7月、そして10月に海外出張があり、4月以降は連ドラを見ていません。来年の1〜3月は国内にいるはずですから、何かドラマ、見ようかな。オススメは何ですか、O本さん?
 そういえば、サンデー毎日の女子駅伝公式ガイドブックの方に「タスキノチカラ」というコラムが5本掲載されていて、「チームの内情をよく知ってる人がいるな」と感心しました。先日、編集の方にお会いしたときに、誰が書いたのか質問。答えを聞いて、なるほど、と思いました。寺田も面識のある人で、あの人なら書けるな、と納得した次第。
 寺田も「○○ノチカラ」を発揮しないと、仕事が終わらない。


■12月27日(金)
 午前中でしたが1時間枠で、ニューイヤー駅伝の展望番組がオンエアされていました。どこのチームも丁寧に取材していて、大変に面白く見ることができました。各チームの強さを一般視聴者に紹介するのが目的だったのでしょう。“どこが強いのか”ではなく“有望チームはどこも強いぞ。本番はすごい戦いになるぞ”という作り方。テレビではそれが普通の見せ方。
 寺田が陸マガに書いた展望記事も似たような感じで、上位候補の強さというか特徴を紹介する書き方でした。雑誌ですから、その中でもどこが優勝候補本命なのかという点や、レース展開の予想も書いています。優勝候補はこの1年の各選手の充実度を見ると、中国電力かなと感じました。レース展開については、取材させていただいた各監督の話を元に予想させていただきました。
 それでも正直、どこが勝つのかは、なんとも言えません。先の全日本実業団対抗女子駅伝も、可能性は考えましたが、本当に第一生命が勝つとは思いませんでした。全国高校駅伝の筑紫女高も同様です。やはり、予選で負けたチームを優勝候補筆頭に推すのは難しいです。でも今回は、東日本で2位だったコニカの主力が復調していれば、中国電力と“2強”になるのかな、という印象を受けました、今日のテレビを見て…。
 といっても、日清食品もカネボウも旭化成も、どこも強そうです。トヨタ自動車、NECも3区までに大きくリードすると優勝もあり得ます。テレビを見ていたら、混戦予想という印象をいっそう強くしました。
 レース前日の大晦日が区間エントリーと開会式。31日には前橋に取材に行きます。29日に箱根駅伝の区間エントリーがあるので、そこまでは東京で仕事。30日には草津温泉にでも行って、31日にそこから前橋入りしようかな、などと考えていますが……ちょっと計画倒れになりそう。締め切りもありますし、原稿以外の仕事も山積み状態。本当は、温泉に入りながらニューイヤー駅伝のことをあれこれ考えたかったですね。これって、ちょっと贅沢なひとときになりそうで、よくありませんか。草津の湯につかりながら混戦予想の駅伝に思いを馳せる……これが、ホントの温泉予想。


■12月26日(木)
 11月のように締め切りが毎日続いているわけではないのですが、やらないといけないことがたまっています。もちろん、年賀状はまだですし、ハードディスクレコーダーに録画した内容を、DVD−Rに落とす作業もなかなか終わりません。40時間くらい録画しっぱなしで、80GBのハードディスクもいっぱいだったのです。だいたい、仕事場の散乱ぶりは目に余ります。取材があるたびに資料がボンボン増えていく一方。整理をしないと仕事にも影響が出そうなのです。
 そんなこんなで、自宅兼オフィスをなかなか離れられないのですが、年末年始用にどうしても買っておかないといけないものもあり、今日は新宿でショッピング。ビックカメラが西口の小田急ハルクにいつの間にか出店していたので(相当、昔ですか?)、「これは便利かな」と思い、いつものヨドバシカメラでなくビックカメラに。ハードディスク&DVDレコーダーを購入した際(9月15日の日記参照)のポイントが1万円以上残っていたのも、浮気をした理由でしょうか。
 購入したのは録画用のDVD−R15枚にキーボードカバー、そしてカラープリンタで写真を印刷するための紙です。もちろんコニカ製の紙を購入。なんで“もちろん”なのかというと、印刷する人物がコニカの選手だから。実は福岡国際マラソンの記者会見の時にシドニー五輪の金銀メダリスト、ワイナイナ選手とアベラ選手のツーショットを撮らせてもらいました。するとワイナイナ選手から、写真をください、というリクエストが。
 それで、「ニューイヤー駅伝の時に渡すから」と約束したのです。メンバーには入っていませんが、まさか前橋に“コニカった”なんてことは、ないでしょう(このネタ、3回目かな)。万が一、来なかったら、O島コーチに渡せばいいか。


■12月25日(水)
 以下の日記を読む前に必ず、クリスマス・プレゼント記事をお読みください。俗に言うネタバラしがあります。
 深夜になってしまいましたが、昨日の日記でお約束した「クリスマス・プレゼント記事」をアップ。この記事の構想は9月にできていました。スーパー陸上前日の記者会見後に、為末選手にも「そのうち、ジョーク記事に登場させてもらうから」と、予告しました。どこまで内容を話したか忘れてしまいましたが、「品よくやってくださいね」というのが、返事だったと思います。
 釘を刺された手前もあって、最後のオチはサンチェス選手自身に言ってもらいました。慣例として、外国選手は実物とは多少のキャラ変更はOKということになっています。日本選手でキャラ変更をさせてもらうときは、本人の了解を得るとかしないといけないと思いますが…。過去4回のジョーク記事では、その辺の了解はもらっています。
 つまり、コニカ、犬伏孝行選手、高岡寿成選手、杉森美保選手、為末大選手には、その辺を大目に見る大らかさがあったということ。この大らかさは、文化として陸上競技が定着していることを示すことになると思います。昨日だったと思いますが、テレビのある番組でグローブをパロった「軟式グローブ」(公式のグローブではないという意味か)や「パーク・マンサー」という物真似芸人が、小室哲哉の結婚式に乗り込んでいく企画を放映していました。スポーツ界を例にとっても、掛布の物真似をする芸人がいますし、プロ野球の「珍プレー」は定番になっています。
 でも、陸上界はまだ、頭の堅い人が多いからなあ……気をつけないと。



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