続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年2月  2月に2区を
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◆2008年1月25日(金)
 今日から大阪国際女子マラソン取材のため大阪入り。震災で中止になった95年を除き、92年から皆勤取材です。
 大会本部ホテルのニューオータニで14時から共同会見。最初に海外招待3選手が会見し、次に国内招待4選手(原裕美子選手は体調不良で欠席)、最後に初マラソンが注目されている福士加代子選手の順。
 なんといっても注目は福士選手で、大会前の取材はいっさい受けていないので、関西テレビを除きどのメディアも情報不足の状態。招待選手を断って一般参加選手扱いとなったのも、記者会見など公式行事参加の制約を受けないことが目的の1つだと言われていましたから、嬉しい驚きをもって迎えられたと思います。
 数少ないチャンスですから、質問も多かったですね。他社に手の内を見せたくない、という記者もいますから、囲み取材などと比べ、質問の数も少なくなる傾向がありますが、今日は例外でした。

 皆さんご存じのように、福士選手の回答は他の選手とはちょっと違います(こちらの記事参照)。福士選手自身は真剣に答えているのですが、周囲からはかわしているようにも見えます。ただ、「なに、その質問は?」という態度ではないので、記者たちもかわされると知りつつも質問をしているようです。
 寺田も2つ質問させてもらいました。1つは純粋に競技的な質問で、専門誌以外ではなかなか使えないようなネタ(実際、主催者サイトの会見記事では掲載されていません)。福士選手には予想通りかわされました。周囲からは無駄な質問ととられそうだったので、どのメディアでも使えそうな質問も併せてしました。この辺は、朝日新聞・小田記者の手法を見習いました。

 会見後はロビーで原稿を書きながら、知り合いの指導者や関係者から情報を入手。代理人のブレンダン氏からは、展望記事に使えそうなトメスク選手やシモン選手のネタを入手。ペース配分もだいたい、読めてきました。当日の選手と気象コンディションで変わってくることですが。
 初マラソンの注目選手が、福士選手以外にも多いのが今大会の特徴。昨晩、初マラソンの歴代リストを整理してきました。それは、多くの記者がやっていることで、珍しいことではありません。それに某マラソン関係者のO氏から、「初マラソンで騒ぐのはよくない」という意見が出ました。初マラソンで結果を期待しすぎることで、選手にプレッシャーを与えている。その結果、マラソンへの敷居を高くしていると。一理も二理もある意見で、初マラソン・リストを掲載するのをやめました。

 元々、寺田が気にしたのは初マラソン歴代記録よりも、福士選手のこともあり、初マラソン時にトラックの日本記録を持っていた選手は誰か、という点でした。
 鈴木博美選手がそうだと思われがちですが、実は違います。初マラソンが96年1月の大阪で、1万mの日本新は同年6月の日本選手権。渋井陽子選手も、初マラソン翌年が1万mの日本記録です。千葉真子さんが会見場にいらしたので、初マラソンは98年シドニーなのか(五輪ではない)、99年東京なのかを質問。シドニーはレースが目的ではなく、初マラソンは東京としていることを確認。千葉さんの場合はどちらにしても、1万m日本新が96年で、同じ年に鈴木さんに破られているので、該当しません。真木和選手も、1万mの日本記録を破られた翌年が初マラソン。
 片岡純子選手の初マラソンのデータが正確にわからないので断定できませんが、もしかすると、松野明美選手が1万m日本記録保持者で初マラソンを走った最後の選手かもしれません。もしかすると、増田明美さんを含めて2人かも? 以前の記事を読めば片岡選手の初マラソンがわかるのですが、そこまでの資料はさすがに持っていません。

 おっと。福士選手は1万mではなく5000mの日本記録保持者。その初マラソンは過去にあったのか? 弘山晴美選手、五十嵐美紀選手、荒木久美選手が歴代の5000m日本記録保持者のなかでマラソンを走っていますが、弘山選手、荒木選手は初マラソン後の日本新だと確認できました。五十嵐選手も判明しているマラソンが95年名古屋なので、破られた後だと思うのですが、100%正確とはいえません。もしも五十嵐選手が違ったら、これも増田明美さんまでさかのぼるかも?


◆2008年1月26日(土)
 新聞記者の方たちは福士加代子選手の朝練習を取材するために早朝から大会本部ホテル(ニューオータニ)に行ったようですが(といっても、ホテルの出入りを見守るだけですが)、寺田はそこまで仕事熱心ではなくて、心斎橋のホテルで昼まで選手名鑑の作業。これも仕事ですが。
 名鑑作業は楽な作業ではありませんが、ときどき、おっという発見があるので楽しいですね。2〜3年前のシカゴ・マラソンで知り合った山陽特殊製鋼の小林正明コーチの名前が、日本選手権の1万mにあったりします。予選でブービーだった年もあれば、決勝でブービーだった年もありました。
 今や有望選手が増えて、勢いのあるチームの代表格となっている山陽特殊製鋼ですが、10年前はまだ、新興チームの域を出ていません。きっと小林コーチがエースで、日本選手権で走ることでチームの歴史を切り開いていったのでしょう。そういえば、この年(96年)の日本選手権は長居だったよな、同じ兵庫県の伊東浩司選手が200 mで日本新を出した大会に、そういう(どういう?)ドラマがあったのですね。人それぞれ、与えられた人生を精一杯生きているのだと、認識を新たにしました。

 大会本部ホテルには12:40くらいに到着。福士選手は明日のスタート時間に合わせ、12時からも走りに行ったようです。一応、寺田もそれは計算していて、帰ってくるところを見ようかな、と考えていました。これは全員の選手に当てはまることですが。残念ながら福士選手の姿は見られませんでした。出入り口が多いホテルでは、その辺を完全に抑えるのは無理です。寺田は福士選手を大会前に取材をする必要はないので、他の記者たちより気が楽なのですが。
 あとでわかったことですが、小崎まり選手と一緒にジョグをしたとか。新聞に写真が載りましたが、その辺の新聞社の頑張りはすごいです。
 ところで、以前の大会本部ホテルの千里阪急の方が取材はしやすかったと、確か昨年の日記で書いていると思いますが、選手たちには今のニューオータニの方が好評と聞きました。大きな公園がホテルに隣接していて、練習がしやすいからです。

 高橋昌彦監督に名古屋国際女子マラソンに向けての話を聞かせていただきました。他の監督にそれを聞いたらちょっと失礼にあたりますが、大南選手姉妹は明日はハーフマラソンへの出場。大丈夫かな、と判断しました。今日は、この話が聞けただけでも、十分にお釣りがきます。
 あとは、第一生命・山下監督と、十八銀行・高木監督に立ち話取材。ホテル内での選手への接触は禁止ですが、指導者は規制がありません。第一生命・安藤選手、十八銀行・扇まどか選手とも、先頭集団のペースが遅くならない限り、ついていかないようです。

 19:30までロビーで原稿書き。その後、JRと御堂筋線でN駅まで移動して、高校時代の友人と食事。


◆2008年1月27日(日)
 大阪国際女子マラソン取材。朝は6時台には起きて仕事をして、10時には長居陸上競技場に。世界選手権以来5カ月ぶり。懐かしいという感じは……あまりしません。長居に行くのはもう、日常のこと。地元世界選手権はあくまで、お祭り的なイベント。日常の頑張りこそが重要で、感傷にひたっているヒマはありません。その辺が、2006年のヨーロッパ取材でヘルシンキ(05年世界選手権開催地)に行ったときとは違います。当たり前か。

 レースの1時間10分前からスタンド下に。主催者の意向なのか、競技場レイアウトの都合なのか、スタート前に指導者たちに接触ができる大会と、できない大会があります。大阪国際女子マラソンはできる方。びわ湖もOK。関西だから…が理由ではないと思いますが。4年前の五輪選考レースの時はA新聞K記者(現デスク)が「坂本の一点買いや!」と、興奮気味に話していました。
 今年はというと、A新聞H記者が4年後(1年後?)は確実にデスクになっている立場。前任者のKデスクにならって「森本の一点買いでしょう!」と話していたのかもしれませんが、寺田は聞いていません。

 今日は、ワコール永山忠幸監督と少し話ができました。どんなペース設定で走るのかは、直前に指示をすると言います。もちろん、事前にいくつかのパターンを話し合っているのでしょうが、最終的には「ランシャツになってから」とのこと。
 福士選手の失速は本当に残念でした。今回のアプローチ法で成功すれば、それはそれで、1つのスタイルとなるからです。日本が培ってきたマラソン練習のスタイルがありますが、1人くらいはアフリカ選手的な方法で成功する選手がいてもいい。来年か再来年にマラソンに進出する絹川愛選手も、そのスタイルでアプローチする予定だといいますし。

 アフリカ選手の先行&失速は、よく見られる現象です。日本人のスピードランナーにも時折り見られます。ですから、福士選手も同じ状況になって不思議はないのです。元が日本人ですから、うまく融合させてくれるのではないか、という期待もありましたが、大騒ぎをすることではありません。申し訳ないのですが。
 失速度合いも40kmまでの5kmが24分48秒で、これも、スタミナ切れを起こしたらあり得ない範囲ではありません。東京の渋井陽子選手も23分22秒です。最後の2.195kmが15分37秒というのは異常ですが、これは、通常なら棄権するところを走りきったから。
 福士選手が走りきったのは、福士選手だから。今後への影響を考えたらやめるべきだった、という意見が多いようです。競技的にはそれが正しいと思いますが、1人の人間として考えたとき、それは正解ではなかったのです。走り続けると危険が伴うこともあるので、両論があるところでしょうが。

 レース後の取材はまあまあ、上手くこなせました。共同会見場で優勝のヤマウチ選手と2位の森本選手の話を聞き、陸連の会見にはボイスレコーダーを残して、“その他取材”に移りました。セカンドウィンドACの川越監督、十八銀行の高木監督、小幡佳代子選手の話を聞くことができました。
 その後は福士選手をマーク。予想されたことですが、コメントは永山監督だけで、福士選手は治療とダウンの後は、取材に応じないで引き揚げました(女子マラソンでは普通です)。ただ、落ち込んだ風はなく、スポーツニュースなどで流れたように、簡単にコメントを残しました。寺田の声も、某局のニュースで流れてしまって…。相変わらず、変な声でした。

 競技場での取材後は、陸マガ曽輪ライターと一緒に大会本部ホテルのパーティー取材に。同ライターはクリール(BBM社の市民ランナー雑誌)の取材と、初マラソンで好走した扇まどか選手、日本人2位の大平美樹選手の三井住友海上・鈴木秀夫監督の取材が目的。扇選手と鈴木監督の取材には、寺田も立ち会わせてもらいました。規則に則って、パーティー会場の外での取材。鈴木監督には名古屋国際女子マラソンの展望も取材したかったので。扇選手には“扇の要”は何かを聞くためです。意図するところは、わかりますよね? 扇の要は、“長崎”でした。
 他には、天満屋や武冨監督や資生堂・藤川亜希選手、代理人のライリー氏と談笑し、今大会の記録が全体的に1〜2分悪かった理由を特定しました。レース直後は、今大会の選手は結局、力がなかったと考えていました。そう言う指導者も多いのですが、記録が出にくい要素もありました。これは、記事にするかもしれません。時間があれば、ですが。

 今日の取材で最大の失敗は、ボイスレコーダーを記者会見場に忘れてしまったこと。ホテルへ移動中にO記者に電話をして見てもらったのですが、会場はすでに撤収作業のあと。S新聞・H記者に頼んで、大会本部に遺失物届けを出しました。大事な陸連会見の模様が収録されているのに…。
 今日の番外ニュースとして2つの結婚が判明しました。1人は某選手で相手は以前の同僚とのことですが、名前を明かしてくれません。もう1人は……イニシャルはS。相手は一般人なので、素性を明かすことはできません。


◆2008年1月28日(月)
 朝の9時から森本友選手の一夜明け会見。天満屋は99年東京の山口衛里選手、2004年大阪の坂本直子選手(ホテル前の雪だるまの前で、写真を撮ったことを思い出しました)、そして今回の森本選手と、五輪選考レースで優勝か日本人1位を占めています。その強さはどこにあるのか? と聞いても、選手の立場では分析が難しいかな、と思っていました。でも、某記者がそれを聞くと森本選手は、説得力のあるコメントを返してくれたのです。
 その他の質問に対しても、とてもしっかりした受け答え。レース2日前の共同会見では、「人前で話すのは苦手で―」と言っていましたがどうしてどうして。頭の良い選手だな、という印象を持ちました。こちらの質問の方が、要領を得なくて恥ずかしかったです。

 9時30分からはマーラ・ヤマウチ選手。一通りの質問が出終わったところで、イギリスの大学陸上事情を聞かせてもらいました。ヤマウチ選手はあの、オックスフォード大学出身なのです。オックスフォードとケンブリッジは日本でいうなら早慶といったところらしいのですが、オックスフォードは、かのロジャー・バニスター(世界で初めて1マイル4分突破)も卒業生だそうです。昨年の世界選手権男子1500m9位のアンドリュー・バドリーはケンブリッジ。
 三段跳のエドワーズもニューキャッスルあたりの大学出身のインテリです。イギリスの陸上選手はそういう傾向があるのは確か。ラドクリフも何カ国語を話します。そのラドクリフとセバスチャン・コー(元800 m世界記録保持者。1500m五輪2連覇)の母校のラフバラ大は体育コースがあり、筑波大のような存在みたいです。

 昨日はイギリスの陸上競技専門誌やいくつかのメディアに対し、手記(報告記事?)を書いていたと言います。海外遠征に行った選手がそこまでやってくれると、メディアはありがたいですね。ヤマウチ選手だからできることなのでしょうけど。そういえば、陸マガもときどき、書いてもらうことはありますね。何度も言いますが、伊東浩司選手にヨーロッパから遠征記を書いてもらったことは、強く印象に残っています……10年前ですか。
 専門誌という言葉が話に出てきたので、会見後に挨拶をして、日本の専門誌についてもちょっと質問させてもらいました(夫の山内氏に同選手ブログへのリンクの許可をもらいました)。世界広しといえども、日本のように陸上競技専門誌のページ数が多いのは見あたりません。中学生・高校生の大会や記録を、詳細に載せているのが厚くなっている理由です。
 ヤマウチ選手はその点を、好意的に見てくれていました。選手層の厚さに貢献しているかもしれないのです。ヨーロッパは国単位で見たら、選手層って薄いですからね。例外種目もありますけど。でも、数少ない選手を、きっちりと育てている。当然、選手の年齢は高くなる傾向が生じます。

 最近、女子マラソンの代表はみんな30歳以上とか、アテネ五輪と顔ぶれが変わらない、という意見を多くの方(3〜4人)から聞きました。全部が現状を憂うトーンです。でも、2007年の世界20傑に日本選手は5人入っています。それだけ入っていたら、年齢なんてどうでもいいじゃん、とか書いたらやっぱり怒られるでしょうか。
 つねに新陳代謝が進んでいなければいけない。つねに右肩上がりの状態でないと不安になる。これって、高度経済成長信奉の名残のような気がします。成熟した社会は、そうはなりません。横這い状態のときだってあるし、落ちる時期だってある。アメリカだってドイツだってイタリアだってスペインだって、そうなのでは?
 右肩上がりしか経験のない日本の女子マラソンですが、低迷期を怖がるのでなく、そこに入ったときに慌てないよう、再上昇できるノウハウをどれだけ蓄積できるかが重要なのでは?
 そのためにはやっぱり、今を憂うことが大切……ですよね。失礼しました。

 一夜明け会見取材後は、中国電力・宮下広報(女性)と打ち合わせ。坂口泰監督と選手2人へ取材を申し込んでいたのですが、全員が揃う機会は3月までありません。一度の広島(または合宿地)行きで済まそうと思っていたのですが、不可能なことがわかりました。
 だったら、自分が大阪にいるのを利用して、今日明日で1人でも取材をさせてもらうことに。東京に戻る予定を変更して急きょ広島に。中国新聞・山本記者に場所を確認して、2年半ぶりに中国電力の寮にお邪魔しました。
 15時から油谷繁選手にインタビュー取材。これはいつもとはちょっと毛色の違うメディアの取材でしたが、同選手がこちらの要望に完璧に対応してくれて、上手くできたと思います。気持ちの良い取材でした。


◆2008年1月29日(火)
 伊東浩司監督誕生日。
 と知ったのは、K新聞のO原篤也記者から、以下のようなメールが来たからです。26日(土)の日記で山陽特殊製鋼の小林コーチに言及したことで、O原記者を刺激したようです。

日記でわが同期で、「高岡世代」の一員、小林正明コーチを取り上げていただきありがとうございます。日本選手権での山陽特殊製鋼といえば、私が自費で東京出張を敢行した95年の男子5000mで大川久之が優勝しましたことを思い出します。いつかは五輪へ、との期待はかないませんでしたが、ニューイヤー1区区間賞など意表を突く活躍をしてくれるので応援していました。前畑耕三前コーチを加えた三人が、さんとくの初期を支えました。よく裏切られましたが。ちなみに、本日は伊東浩司さんの38歳の誕生日です。生まれ年では、私も「伊東世代」です。
〓Atsuya〓


 大川選手を忘れてはいけませんね。派手な活躍をした印象はありませんが、時おり存在感をアピールする走りをしていました(引退時の神戸新聞記事)。前畑選手は3000mSCの印象がありますが、高校はやはりというべきか、飾磨工高だったのですね(神戸新聞記事)。ちょっと古いですけど永里監督や三枝選手(インターハイ1500mSC優勝者)も同高出身。最近では篠藤選手(中央学大)もそうです。

 そういえば、1月20日の日記で全国都道府県対抗男子駅伝出場選手に「○○タ」や「○○キ」という名前が多いことを書きました。実は「○○ヤ」が多かったのです。特に兵庫県は。アツヤ記者から次のメールが来ていました。

渡辺和也、中山卓也…也、哉、矢、弥と「○○ヤ」はなんと31人! がんばれ、「○○ヤ」!「○○キ」や「○○タ」なんかに負けるな!
〓篤也〓


 本日も名鑑作業。面白いことに気づいたのは尾崎好美選手(第一生命)。名古屋で初マラソンに出場しますが、データだけで記事が書けるかも。


◆2008年1月30日(水)
 11時から新宿の京王プラザホテルで中国電力・坂口泰監督の取材。
 一連の中国電力取材の1つで、一昨日の油谷選手、今日の坂口監督、来週月曜日の佐藤敦之選手と続きます。別々の日の取材となったのは、こちらの打診した期間に3人が揃う機会がなかったからですが、油谷選手は大阪国際女子マラソンの取材とセット(出張)にできましたし、来週の佐藤選手は丸亀ハーフとセットにできます。M広報のおかげで、上手く乗りきることができそうです。
 油谷選手と坂口監督からはトレーニングについての取材。坂口監督にはトレーニングの考え方などアウトラインを、油谷選手にはメニューのこなし方の部分の話を聞くことができ、2つの取材の内容を併せて1本のトレーニングものの記事にします。佐藤選手は福岡国際マラソンと関連したテーマで話を聞いて(具体的にはこれから考えます)、こちらはインタビュー記事にする予定。尾方剛選手にはまた、別の機会で取材できると思っているので、アイデアを温めています。

 取材後は編集者と打ち合わせ。3月中旬発行予定のその雑誌(ムック?)では、寺田は3つほど企画を担当します。中国電力とコニカミノルタと、あと1つが女子マラソン選手で、人物記事かインタビュー記事。2月のスケジュールがかなり見えてきました。久しぶりに、専門誌以外の雑誌でじっくりと記事が書けるので、頑張りたい仕事です。
 それで、世間に何かをアピールしようとか、そういう大きなことは考えていませんけど。できることをやるだけ。

 作業部屋に戻ると「陸上競技 強豪校の(秘)練習法、教えます!」(ベースボール・マガジン社刊)が届いていました。陸マガ前編集長の児玉女史の労作で、書き手は水城さんがメイン。関西方面2校は独身ライターの曽輪っち。ウルトラマンはシュワッチ(コピーライト:野口順子さん)。
 巻頭は末續世代5選手(末續慎吾、池田久美子、内藤真人、醍醐直幸、澤野大地)の高校時代のトレーニングと、現在のトレーニングに対する考え方を、2ページずつで紹介しています。テーマがきちんとしていて、比較できるのも面白いです。
 写真も良いですね。このムックのように練習中やインタビュー中の自然の表情の方が好きです。最近のNumber的な写真(私服でカメラ目線)の方が同世代の読者に売れると編集者たちは言いますが……。Number的なやらせ写真を撮るのであれば誰でも知っている一流選手か、それなりの効果を狙うときにしたいな、というのが個人的な考えです。

 話をムックの内容に戻して、本当にすごいのが強豪高校7校の練習紹介。1校にたっぷり10ページをかけています。監督の先生の総論的なトレーニングに対する考え方があって、あとは個々のドリルやトレーニングメニューを、写真と解説文付きで紹介していくパターンですが、数カ月にも及ぶメニューの一覧表や、工夫を凝らした練習コースの図面、サーキットトレーニング配置図等々、微に入り細に入り見せてくれています。
 これは、本当に感服しました。陸マガでも単発的に特集記事を載せることはありましたが、ここまでまとまった形ではたぶん初めて。どうして今までなかったんだろう、と思ったムックです。読者は“いいとこ取り”で個々のメニューを取り入れることもできるし、“これだ”と思ったら、その学校の練習を大々的に取り入れることも可能です。

 間違っても写真だけ眺めて「杉井先生(浜松市立)の表情は以前より優しくなったんじゃないか」とか、「清田先生(埼玉栄)は相変わらず若いけど目尻の皺がちょっと気になるわ」とか、「両角先生(佐久長聖)の表情は高校駅伝優勝に自信があるんだろうな」という見方をしてはいけません(教え子の選手は許されるでしょうけど)。大事なのは、トレーニングの裏にある、各先生の情熱です。


◆2008年2月1日(金)
 昨日と今日で、土佐礼子選手のアスリート・オブ・ザ・イヤー原稿(陸マガ3月号)を書き上げました。記事の体裁は例年のようなインタビューでなく、通常の三人称の記事。これは書き手の視点が問われる形です。土佐選手の記事は多数出ていることもあり、ちょっとプレッシャーがありました。
 さんざん悩みましたが、結局、1年に1本しかレースを走らなかったという話を導入にして、“故障からしっかり戻る”というテーマを軸にしました。よくある“戻りが早い”、ではなくて“戻りがしっかりしている”。
 そのテーマが、スッと1本の筋になって、その周りにいくつかの要素が絡み合う展開のストーリーにしたかったのですが…。筋になるはずのテーマが、他の要素と同じくらいの受け取られ方をされてしまうかもしれません。つまり、単にいくつかの要素が絡み合って話が進む印象になっているかも。ただ、一般メディアではなく専門誌の読者なら、意図したところは理解できるのでは……という読者頼みの記事でいいのか、と堀川記者から叱られそうです。

 その記事と一緒に、土佐選手のお母さんへのインタビュー記事も書きました。最初に高橋編集長からその話があったときは、30行くらいの囲み記事をイメージしていたのですが、これが100行!というリクエスト。選手のメイン記事のそばにあって、“家族の話も載せていますよ”という形でお茶を濁すのでなく、マジでやろうという気概を感じました。土佐選手の強さの秘密の一端でもいいから、少女時代から探ろうという意図。
 面識のない人への電話取材で100行。寺田が編集者だったら、とても依頼できない内容です。ダメモトで頼んでみよう、という高橋編集長のスタンスの成せる業で、これがときどき成功してしまうから怖いというか何というか…良い企画になるわけで、今回もそのケース。お母さんのひな子さんも元陸上競技の選手で、非常に面白い内容のインタビュー記事になりました。これを読むだけでも、1000円くらい出す価値はあります。

 夜にはマーラ・ヤマウチ選手の夫で、マネジャーの山内成俊さんへも電話でインタビュー取材。陸マガ巻頭カラーのPEOPLE頁にマーラ選手を書くためです。東京に戻ってきてからの原稿依頼で、レース後の会見も、一夜明け会見も出ていたので、ネタ的には書けない状態ではなかったのですが、2つ3つ、どうしても知りたいことがあったので、週末の夜というタイミングも省みず、電話を入れさせていただきました。
 これも、面白い話を聞くことができました。マーラ選手は本来、日本選手とは違うトレーニングの組み立て方なのだそうです。その辺の考え方は、洋の東西の違いなのかもしれませんが、日本のトレーニングが当たり前と思っている我々には目から鱗。ただ、一昨日の取材中に坂口泰監督が話してくれた「マラソンには想像力が必要」という言葉と通じる部分もあり、なるほど、と思いました。この話はPEOPLEの文字数で紹介するのは不可能なので、さわりだけですね、書くのは。


◆2008年2月10日(日)
 千葉国際クロスカントリーを取材。会場の昭和の森の特設プレステントに着くと、最前列の席にスポーツ報知・榎本記者の姿が。ロナウジーニョ(FCバルセロナ)に似た顔立ち。一連の箱根駅伝取材で、学生長距離選手たちの間に人気が定着したとかしないとか、しないとか。いつもより元気がないのはロナウジーニョの不調のせい? かと思いきや、先週の青梅マラソン中止の影響でした。
 青梅マラソンは報知新聞主催です。仮に日本選手権が中止になったら、日本の陸上競技関係者すべてが意気消沈することでしょう(ということからも、日本選手権は主催者だけの大会ではないことがわかります)。個人的には1980年のモズクワ五輪ボイコットを思い出しました。榎本記者の気持ちもわからないではありません。

 最初の世界クロカン選考種目であるジュニア男子は、佐久長聖高勢が大挙して、先頭集団に入っていました。優勝したのは2年生の村澤明伸選手。全国都道府県対抗男子駅伝では長野優勝の立役者になるなど、この駅伝シーズンで力を伸ばした代表的な選手です(女子では立命大・小島一恵選手がそれに当たります)。一番の注目選手でした。
 佐久長聖高といえばクロカン・トレーニングが有名で、記者会見でも村澤選手から「クロカンを中心にトレーニングをしている」というコメントが出ました。なんというタイミングでしょう。先月末に発売された「陸上競技強豪校のマル秘練習法、教えます! (B・B MOOK 533 スポーツシリーズ NO. 407 強くなるド)」(ベースボール・マガジン社のムック)には、同高のトレーニングが紹介されていて、クロカン・コースの詳細図まで載っています。
 もうちょっとで「ムックの記事になったよね」と、村澤選手に話題を振りそうになりましたが、場所と状況をわきまえて控えました。それでも、プレステントに戻ると中日新聞・桑原記者から同高のクロカン・トレーニングについて質問されたので、持ち歩いていた同ムックをお貸ししました。もしも、あの会場で販売されていたら、何10冊か売れたかもしれません。

 中日新聞といえば愛知県。三田裕介選手(豊川工高)は42位と不調でしたが、全国高校駅伝1区では日本人1位で、村澤選手が2秒差の2位。中日スポーツ・寺西記者と村澤選手の話をするときにはつねに、三田選手とのタイム差が基準になりました。全国都道府県対抗男子駅伝5区では三田選手に44秒差をつけたとか、インターハイでは逆に何秒差で負けたとか。全国メディア的には八木勇樹選手(西脇工高)が2007年度の高校長距離界の中心でしたが、中部地区の記者たちの間では、三田選手が中心に回っていたと言っても過言ではありません。
 地方紙記者の話に合わせることができると、専門誌記者として一人前になった証拠。高校生取材が減っている寺田など、この辺が最近の課題です。
 それに陸上競技の強い県の新聞ほど、しっかりした陸上競技記者がいます。110 mHの吉岡選手といつもコミュニケーションをとっている寺西記者の姿を見かけます。室伏広治選手の公開練習の時は、自らバーベルを持ってトレーニングを体験していました。積極的な姿勢も記者の鑑といえるでしょう(と、寺西記者を持ち上げるのは、同社主催の名古屋国際女子マラソンのときはよろしく、という意味が込められています)。

 次のジュニア女子は森彩夏選手(須磨学園高)が優勝。記者会見中に「昭和の森で、平成生まれの森さんが優勝しましたが…」と言いたかったのですが、このときも場所と状況をわきまえました。会見中は村澤選手との共通点が何かないかと考えていました。2年生ということと、昨年の世界ユースに出場していること、などが思い浮かびましたが、どうもピンと来るものがありません。

 帰りは毎日新聞・ISHIRO記者と同じ電車になりました。最寄り駅の土気から東京方面に出るには、千葉か蘇我で乗り換えるのが普通ですが、たまに東京駅に直行する電車があります。2人とも、その電車のグリーン車で原稿を書こうと考えていたのです。休日は特に安くて、乗車前に購入すれば東京まで750円。安くはありませんが…。
 埼玉国体(2004年)のときに熊谷まで4日間ほど往復しましたが、そのときにグリーン車は原稿を書きながら移動するのに使えるな、と思いました。ハニカット陽子選手に「グリーンアテンダントといって、綺麗なお姉さんも乗っているから」と言ったら、マジ顔で軽蔑されてしまいましたが…。

 今日の記事はジュニア2選手で行こうと思ってあれこれ考えていましたが、グリーン車のゆったりした空間のおかげで、高校駅伝に対するスタンスの違いという点を思いつきました(こちらに記事)。ISHIRO記者のグリーン車記事はこちら。佐久長聖高のクロカン練習については以前から興味を持っていたようで、記事中でも触れています。新聞記事でこれだけの文字数が割かれるのは、本当にすごいことなのです。


◆2008年2月11日(月)
 昨日の千葉国際クロスカントリーはさながら長野デイ
 村澤明伸選手が優勝したジュニア男子では、佐久長聖高勢が4人も入賞。中山卓也選手(須磨学園高)も、お父さんの中山竹通監督は長野県出身です。
 村澤選手取材後には、中大・田幸寛史監督の姿をプレステントで見つけました。田幸監督も長野県出身。北信越では名の知られた選手でした。別大前に初マラソン歴代記録を整理していたら、17番目(2.11.35.=94年広島毎日マラソン=この年だけびわ湖マラソンが、アジア大会リハーサルとして広島で行われた)に田幸監督の名前があり、長野県出身選手の初マラソン最高記録でした。佐久長聖高OBが大活躍している近年の長距離界ですが、誰が田幸監督の初マラソン記録を破るか楽しみです。

 箱根指揮官たちの中でも“知将”と言われた指導者。他にも闘将、勇将など“○将”という表現がありますが、一軍の将なら誰でも“知”を駆使しているはずです。内面には“闘”や“勇”を秘めているに決まっています。
 にもかかわらず、“○将”という表現が当たり前のように使われている。これはつまり、その指揮官の表面的なキャラクターを指しているわけです。それで田幸監督は、取材する側からは知将と呼ばれていました。選手からは“闘将”と思われている可能性もありますが、その辺は取材をしていないのでわかりません。

 2年くらい前の何かの機会に、「寺田さんも普通の記事を書いてください」と言われたことがあります。意味深長な言葉で解釈が難しかったのですが、間違いではないけれど、「そこまで書かれると困る」という記事を書いたのかもしれません。単に、公正さを欠いているという指摘だったのかもしれませんが。
 こちらとしては“普通の記事”では自分の存在価値を示せません。他のメディアと同じような内容では、フリーランスに仕事は来ないでしょう。裏を返せば、田幸監督の言葉は褒め言葉でもあったのです(というニュアンスのことを、その場でも言い返したように記憶しています)。ただ、記事には書き手の解釈の部分もあって、そこがあまりにもズレ過ぎていた可能性もあります。その辺は気をつけないといけないな、と自身を戒めることにしました。

 今日の新聞記事によれば、その田幸監督が3月で中大監督を退任するとのこと(後任はHonda元監督の浦田春生さん)。それで、上述の言葉を思い出したのです。知将ぶりを示すエピソードとは言えないかもしれませんが、上記のように言われたことは初めてでしたし、かといって、その後の態度がいきなりつっけんどんになったりすることもなく、なぜか大人で知的な雰囲気を感じたのです。


◆2008年2月12日(火)
 ちょっと遅めの朝、出かける間際に携帯が鳴りました。相手次第では移動してから掛け直そうかと思いましたが、ディスプレイには信濃毎日新聞・中村恵一郎記者の表示。広告代理店の営業なみに、電話を取りました。
「いやー、ちょうどお電話しようと思っていたんですよ」と言って電話に出るのが元広告マンの某新聞記者。「いやー、佐久長聖強かったね」と言って出るのが寺田。それだけ、地方紙記者との付き合いを大事にしているということです(理由は10日の日記に)。
 ところが、話題は佐久長聖ではなく棒高跳。ニュータイプの陸上競技ファンならピンと来ますよね?(最近、Zガンダム劇場版をレンタルDVDで見た影響で、ニュータイプづいています。簡単に言うと、宇宙移民の時代になって人類の眠っていた能力が覚醒し、洞察力に優れた人間が生まれるようになって、それがモビルスーツの戦闘にも生かされて…というような設定です)。
 ジュニア室内大阪で西澤直希選手(長野工高)が5m00を跳んで2位になった話だな、とすぐにわかりました。俺ってニュータイプ? と一瞬思いましたが、大阪陸協から送ってもらっていた成績一覧を見ていただけのこと(H元さんには感謝しています)。中村記者と何を話したかまでは書きませんが、その辺は洞察していただければと思います。

 14時から汐留の日本テレビで横浜国際女子駅伝の記者発表。選手も小島一恵選手(立命大)と小林祐梨子選手(豊田自動織機)の2人が出席するというので、駆けつけました。ところが、会場に着くなりS記者が「寺田さんが来るような大会ですか?」と、言い出しました。そう言いたいのもわからないではありません。専門誌も当初(1980年代)は破格のページ数を割きましたが、今はモノクロ1〜2頁の扱いの大会です。
 自分が編集者の立場なら、同じように扱うでしょう。しかし、個人的には違います。前述のS記者の問いかけには「この大会が普及に果たす役割は大きいよ。テレビで見て、自分もああなりたい、と思う子供も多いかもしれないし」と答えています。
 ところが、配られた大会要項を見ると、大会開催の目的として“強化”を前面に打ち出していました……そういえば寺田も「選手権の意味はなくても、選手個々には経験を積むことでその後に生かせるし、地域選抜の選手には強化になるし…」と、S記者に話していましたっけ。
 強化のための大会でもあるのです。と白々しく書くのもなんですが、要は、大会自体に意味があることもあれば、選手が意味を決めていい大会もあるということ。選手が課題をもって臨めば、意味のないレースはありません。
 一記者としても、“こういう記事を書かないといけない”という縛りがないので、自由な取材をしやすい面があります。そういう大会で何を自分にインプットできるか。その蓄積が大事だと思っているので、ビジネスにならなくても積極的に取材をしている大会です。

 それだけ意気込んで臨んだにもかかわらず、選手2人の会見は短時間(5分くらいか?)で、司会がそそくさと切り上げました。例年、陸上競技記者よりも芸能やテレビ番組雑誌方面の記者が多い記者発表会で、選手の会見だけでなく、元スポーツ選手のリポーターや、人気タレント(今回はAKB48)の紹介なども行われるため、スケジュールが詰まっているのは理解できます。できますが、これでは何のために来たのかわかりません。周囲の陸上記者たちも「ええっっ???」という反応。ニュータイプだから洞察できたわけではなく、空気でわかります。
 会見後に陸上記者たちが囲み取材の要望を出しました(寺田も知り合いのW女史にお願いしました)。最初は「できません」という主催者(陸連&テレビ局)の回答でしたが、ニュータイプのテレビマンがいたようで、急きょ、囲み取材ができる運びとなりました。あれが拒絶されていたら、活字メディアの陸上記者たちはますます“不要論”に傾いたと思います。日本テレビの英断でした。
 寺田の今回のテーマは女子長距離における学生選手のポジション。小島選手に初めて取材をするので(世界クロカンの共同取材が1回ありましたが)、色々と突っ込ませていただきました。ということで、この記事が書けた次第です。


◆2008年2月13日(水)
 13:30から陸連のU23男子長距離研修会の取材。昨日の横浜国際女子駅伝記者発表会に続いて、ビジネスにはなりませんが、インプットができる格好の場です。勇んで駆けつけました。場所は、選手たちがブログなどで昨今話題にしているナショナル・トレーニングセンター。もちろん、寺田も初めて行きました。それで入り口がわからず、結局JISSと同じ入り口から敷地に入りました。それが5分ほど遅刻した理由ですが、新幹線が遅れたため選手たちの到着が遅れ、開始が30分ほどずれ込んだため事なきを得ました(「そんなことでいいいのか」by 堀川記者)。

 会議室でのオリエンテーションに続いて行われたのは、原田康弘ジュニア部長によるクリニック。内容はクレーマージャパンの陸上競技教室などでお馴染みのものですが、長距離選手たちには新鮮だったのかもしれません。河野匡部長によれば、長距離選手のなかでは巧みにこなせた選手が多かったと言います。
 場所は寒さを考慮して、屋外のトラックから急きょ、JISSの室内トラックに変更になりました。記者たちは取材IDを変更。陸連広報のH田さんも大変そう。ナショナル・トレセンとJISSは同じ敷地にあり、てっきり同じだと思っていたのですが、H記者によれば経営母体が違うということでした。違いの具体的な内容は書きませんが。
 それよりも、H田広報はかなり忙しいのでは? とH記者と寺田が話していました。千葉国際クロスカントリーに始まって昨日の横浜国際女子駅伝記者発表、今日のU23公開練習、そして明後日の東京マラソン記者会見と今週は陸連関係のイベントが続きます。その都度、資料も用意しないといけませんし、関係者との調整事項も山のようにあるはず。精神的にタフでないと務まらないポジションでしょう。

 退任が決まった田幸寛史監督の姿も。原田さんのクリニックに興味があると言っていました。
 その田幸監督に対して、“人気の箱根、実力の全日本”というコピーはどうか、と話しかけた記者がいました。ずいぶん以前ですが、プロ野球では“人気のセ、実力のパ”と言われていましたから、それを文字ったものでしょう。中大が全日本大学駅伝3位だったことから、その記者なりに慰めの意味を込めた言葉だと思われます。
 いわんとするところはわかります。箱根駅伝が痙攣やブレーキなどのアクシデント的な現象や、競技以外の部分(風邪や人気過剰によるプレッシャー)に左右される割合が大きいのは確か。距離が4区を除いて全区間20km以上というのも、学生には大変なのでしょう。その点、全日本大学駅伝は距離も学生向きで、風邪も心配のない季節ですし、プレッシャーも箱根ほどではありません。
 ただ、現場は箱根駅伝を最大目標にして取り組んでいます。その試合で力を発揮できなかったらやはり、実力と言われても仕方がない。風邪やプレッシャーで力を出し切れないのも、実力と言えなくもない。“人気の箱根、実力の全日本”というコピーに田幸監督も同意できる道理はありません。
 寺田は“箱根は箱根、全日本は全日本”という考えです。


◆2008年3月7日(金)
 やっと日記を書くことができました。
 陸マガ発売で書きたいネタがあって(表紙のこととか)、東京マラソンで書きたいネタがあって(諏訪利成選手のこととか)、横浜国際女子駅伝のネタも面白くて(2週連続でマランツ記者のこととか)、もちろんびわ湖畔もネタの宝庫で……。どれも手をつけることができないうちに、時間だけがどんどん過ぎてしまったわけです。どこかのタイミングであきらめるのが得策とわかってはいても、面白いネタばかりなのであきらめきれなくて。
 でも、この辺がリミットでしょう。

 各大会のネタは機会があったら思い出して書くとして、とにかく今日の出来事から。
 朝9:26ののぞみに乗って大阪に。大崎悟史選手の取材です。これは専門誌とか一般誌ではなく、ちょっと特殊なメディア用です。そのメディア用の質問もありましたが、話の中心はやっぱり……これは企業秘密としておきます。でも、本当に面白い話を聞けました。マラソン・トレーニングにはこういうパターンもあるのだとわかって、自分の引き出しが増えた感じです。
 取材をしたのは長居競技場というか、長居駅の近くの喫茶店(ちょっと昭和の雰囲気)。寺田はそのまま居残って某雑誌用の野口みずき選手の原稿書き。この雑誌の仕事が全部で22ページあって(野口選手&佐藤敦之選手の人物ものと、コニカミノルタ&中国電力のトレーニングもの)、先月からかなりのエネルギーを注いで頑張っています。
 今日はその最後の原稿の締切。といっても後送の、そのまた後送の後送という、ギリギリのラインです。担当編集者には迷惑をかけてしまいました。以前の知り合いなのですが、初めて一緒に仕事をした人間。まずかったと、深く反省しています。

 原稿は大崎選手の取材終了後、15時くらいまでに終わらせる予定で、一応最後まで書き上げたのですが、行数がオーバー。削除する作業を新大阪に移動する地下鉄車中でやったら、今度は削りすぎてしまい、新幹線の車中でちょっとずつ増やしていったらまたオーバーしてしまい、結局、名古屋に着くまで行数調整にかかってしまいました。先割にして締め切りを先延ばしにしてもらったので、指定された行数ピッタリに書かないといけないのです。
 名古屋駅で送信し、なにはともあれ、大きな仕事が手を離れて、ちょっとホッとしました。

 いったんホテルにチェックインし、すぐに名古屋国際女子マラソン大会本部ホテルの名古屋観光ホテルに。18:30から某社の方たちと打ち合わせ。30分で2人の方と話をして、面白い話を聞くことができました。取材で話を聞いたときと同じような表現をしていますが、取材ではなく、打ち合わせです。
 19:00に終了後は、ホテルのロビーでネタの収集をしている記者の皆さんと合流。その一団に加わり、練習から戻ってきた高橋尚子選手のコメント……をとるわけはありません。ホテル取材は禁止です。記者団と高橋選手の雑談を一緒に聞いていただけです。
 その後もホテルのロビーで原稿書き。中日スポーツ・寺西記者(連載の「号砲・北京」が好評)が姿を現しました。カブスの福留選手(シャミ選手と若干顔が似ているという評判)がホームランを打ったのに、元気がいまいちありません。きっと多忙なのでしょう。黒系統のスーツしか着ないことで有名なですが、明日の記者会見には赤のスーツで登場するという情報もあります。
 さらに、トヨタ車体・高橋監督も姿を見せて、中日新聞・桑原記者、田中記者も加わってしばし談笑。大南姉妹の見分け方を色々と教えてもらいましたが、一番わかりやすそうだと感じたのは腕振りの違いです。30歳台の選手たちが多数頑張っていて、その下の年齢層が薄い理由についての同監督の見解には、なるほどと思いました。


ここが最新です
◆2008年3月8日(土)
 名古屋国際女子マラソン前日取材。といっても、ホテルでの選手への取材は禁止なので、15時からの記者会見(こちらに記事)と指導者から簡単なコメント取りくらいしか、やることはありません。
 ただ、選手への取材は禁止でも、遠くから表情をチェックすることくらいはできます。これが重要です。特に寺田のように、表情で記事を書くタイプの記者にとっては生命線。レースが終わって、優勝した選手は“前日から表情がリラックスしていた”とか、“肌の張りが良かった”とか書くわけです。反対に失速した選手は“前日の表情が硬かった”とか。
 ということで、11:30に大会本部ホテルに(新聞記者の方たちは朝の6時から朝練習の選手表情を取材に行っているようですが、寺田はそこまではできません)。各選手が練習に行く前後の表情をチェック。坂本直子選手は以前よりも目が大きくなったように感じました。マスクをしていたからかもしれません(花粉症だそうです)。

 しまむらの吉田監督には、大島めぐみ選手の練習がどうだったかを取材。いいときの「8割」というお話ですが、「タイム的には良い」とのこと。ポイント練習の間を以前よりも開ける必要が生じているようです。ただ、長いスパンで見たとき、故障の多い同選手が、継続してトレーニングを続けられているとのこと。来るかもしれないな、と感じました。川越監督もブログで自チームの3人以外では、大島選手と堀江知佳選手の名前を挙げています。
 ロビーで吉田監督と話をしていると大島選手も降りてきました。もちろん話はせずに、表情を見ただけ。相変わらず顔が白いなあ(美白ってやつですか)、と思いました。1つだけ、同選手のブログへのリンクの了解をもらいました。これは、雑談の範囲でしょう。

 川越監督とは、市民ランナーの雄・翔ひろ子さん(佐倉市陸協)について話をしていました。こちらのデータで40回のフルマラソン出場が確認できていたのです。東京女子・大阪女子・名古屋女子の3大マラソンは言うに及ばず、東京女子の翌週のつくばとか、名古屋女子翌週の荒川市民とか、2月の勝田とか、短いインターバルで出場されています。記録も2時間40分台でだいたいまとめていて、実業団ランナーにとっては嫌な存在の市民ランナーでしょう。
 吉田香織選手が佐倉にいたころ(積水化学時代)に面識があったようで、翔さんが近くを通りかかった際に話しかけていたので、便乗してちょっと挨拶をさせてもらいました。もちろん、取材はNGなので、挨拶ついでのマラソン回数確認だけ。「60回か、70回か、80回くらい」ということです。世の中、すごい人がいるものです。「123」のナンバーの選手に注目してみると面白いかも。

 昼食は中国新聞・山本記者と一緒に、外に食べに出ました。昼食から戻ってくるセカンドウィンドAC勢とすれ違ったので、何を食べたか堂々と取材。「麺が硬い」と嶋原清子選手か加納由理選手か吉田香織選手が教えてくれましたが、山本記者がどうしてもと言うので、同じ店で味噌煮込みうどんを食べることに。
 店には十八銀行・林選手と高木監督もいらっしゃいました。林選手のマラソン回数を確認。寺田のようにデータで記事を書くタイプの記者には、これが重要なこと。マラソン前に大会ホテルに来る目的の一番は、マラソン出場回数などデータ部分を確認することです(さっきと違うことを書いている気もしますが、細かいことは気にしないように)。夜、九電工・浦川監督とすれ違った際には、西尾選手のマラソン回数を確認。こうした地道な作業の積み重ねで、陸マガやWEB上にマラソン回数一覧を出せるのです。

 我々と入れ違いに第一生命・尾崎好美選手と山下佐知子監督が入ってきました。山下監督には結婚のお祝いを申し上げました。本当は結婚までの経緯を色々とお聞きしたかったのですが、尾崎選手の前なので控えることに。お相手の吉原氏(第一生命元マネ)とも面識があります。携帯電話の番号が変わっていないようなので、折を見て電話を入れます。
 吉原氏は山梨学大出身で大崎悟史選手の1学年下。日清食品・岡村マネは坂下奈穂美選手と結婚しましたし、大塚製薬・尾池政利選手は田村育子選手と。小崎まり選手のお相手も山梨学大OB。どうして山梨学大OBがもてるのか、という話を昨日、大崎選手としたばかりでした。
 尾崎選手はご存じのようにセカンドウィンドACの尾崎朱美選手の妹。明日出場の選手では、トヨタ車体・大南敬美選手、資生堂・平田選手と“妹”選手が多いのも特徴です。

 15時からは記者会見(写真)。ここでもコメントはどうでもよくて、表情を見ることに重点を置きます。これは日本のマラソン取材の常識……かどうか、金重デスク(朝日新聞)に今度聞いておきます。
 注目の高橋尚子選手(写真)ですが、マラソン・トレーニングのなんたるかを端的に語ってくれました。練習が正しかったかどうかは「結果が出るまでわからない」。予想をよく聞かれますが、勝つか負けるか2つに1つ。勝つ可能性は50%、と答えることにしています。事前にどうこういうよりも、本人が言うように見る方もワクワクドキドキして見守りましょう。ただ、期待があるかどうかといえば、期待はあります。今の力はわかりませんが、何年前でも、誰も成し遂げられなかったことをやってのけた選手ですから。
 表情が良かったのは坂本選手(写真)。会見場は言ってみれば表舞台ですが、裏舞台で坂本選手を見た某関係者も、非常にリラックスした雰囲気だったと言います。
 表情といえば、会見には呼ばれませんでしたが、嶋原選手と吉田選手のセカンドウィンドAC勢も、本当にいい笑顔でした。ただ、それっていつものことなのです。表情で調子の良し悪しって、本当にわかるのでしょうか。
 そういえば吉田選手は、ミズノの鈴木さんと明日のフィニッシュ後のことを打ち合わせていました。北海道マラソンで優勝したとき、川越監督よりも先に鈴木さんが握手をしたことが話題になりました。明日はどうするのか知りませんが、そのシーンがあれば写真に撮りたいと思います。

 レース前日は必ず、予想を聞かれます。高橋選手はもっちろん別格の実績で、他に今日名前が出たのは坂本選手と大島選手、堀江知佳選手(小出監督の話を聞き損なったのが失敗でした)、会見で良い練習ができたと話したのは弘山選手と大南選手。大南選手は、本人も言っているように、転倒しなければ可能性は50%。ただ、会見のコメントはレース予想にはそれほど当てになりません(会見は予想の材料としてではなく、レース前に選手が話すことに意味があるのです)。
 個人的には、弘山選手がトラックから駅伝、そして丸亀ハーフマラソンと良い感じで状態を上げてきているような気がします。会見のコメントは予想材料にならないと書いたばかりであれですが、練習を今回はそれほど変更しなかった、とも話しています。それに、“オリンピックを目指さないといけない”という日本選手にありがちな義務感でなく、自然な流れで、気持ちがオリンピックを目指そうとなった選手。
 弘山選手が代表になったら女子マラソン代表全員が30歳台だよ、と問題視する記者もいますが、寺田は気になりません。それとこれとは別問題でしょう。

 記事を書いてホテルを出ると、某監督とお会いしました。昆明に行っていた指導者たちの話を総合すると「ベテランと若手」がいいそうです。ベテランは弘山選手、若手は天満屋・中村友梨香選手のことのようです。今回は初マラソン選手も忘れてはいけません。



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