続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年4月 サザンクロス・ギャグじゃなくて……
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■5月14日(水)
 午前10時56分。寺田は地下鉄御堂筋線の長居駅ホームに降り立ちました。そう、4日前の国際グランプリ大阪大会で忘れ物をした……のではなく、関西インカレの取材に来たのです(初取材)。大阪グランプリの翌日は、岐阜で中部実業団対抗の取材。その後の行動は企業秘密です(単に日記を書かなかった言い訳、という意見もありますが…真実は闇の中)。
 ラッキーなことに改札でK新聞・H中記者と一緒になりました。今日の取材は新聞・雑誌など大手媒体に書く予定がなく、このサイトだけ。報道受付で「どこのメディアですか」と聞かれたら、「陸上競技WEBです」と答えるしかなかったのです。まあ、AJPS(日本スポーツプレス協会)の会員証もあるし、AIPS(国際スポーツプレス協会)の会員証もあるし(これが海外のGPなどでは有効)、それほど心配していませんでしたが、根が小心者でして。それが、知り合いの記者の方と一緒に、雑談なんぞしながら受付すると、すんなり通れるものです。「この人はK新聞記者の方と知り合いなんだ」と信用されますから。
 しかし、実際に受付に行くときはちょっとドキドキ。H中記者の後ろから恐る恐る受付をしようとすると「あっ、こんにちは」と、女性の声。えっ? 関西学連に知り合いはいないはず……と、思って顔を上げると、三村芙実選手が報道受付の係りをしているではないですか。ということで、顔パス?じゃなくて、ちゃんと会社名と名前と電話番号を記入して記者IDをもらいました。
 しかし、試練はトラックで待ち受けていました。
「どこに載るんですか?」
 取材中に、某選手から質問されてしまいました。ピンチっ!
寺田 いや、それが、たぶん、インターネットの…(と、しどろもどろ)。
某選手 なんていうサイトですか。
寺田 いや、それが、なんてサイトでしたっけ、S田さん(Y新聞)。
S田 寺田的でしょ。
某選手 あー、読んでます、いつも。

 ということで、事なきを得ました。「なんていうサイトですか」という部分も、文字にすると冷たく質問されているように感じますが、実際は明るく質問されたので、ピンチって言うほどでもなかったのですが。なかなか自分で「寺田的に載せます」と、胸を張っては言えません。
 ちなみに、某選手とは、関西インカレですから坊功造選手ってことはなくて(とっくに卒業してます)、昨年の女子短距離2冠の野木香里選手。1年前に武庫川女大4年生だったのに、今年は近畿大の3年生として出場していたので、どういう経緯だったのか記者3人で質問していたのです。日本一色の白い11秒台の選手としても有名です(某専門誌が調べたそうです)。
 さて、大手メディアの仕事ではないのに関西インカレに来た理由は何か――知り合いの方とも何人かお会いして、この質問を多く受けました。
「いやしくも陸上競技ライターと名乗るからには、“関西インカレを一度も取材したことがない”では済まされないでしょう」
 と、ちょっとカッコをつけて答えていました。確かに、これも本当のことですが、本心は「とにかく一度、関西インカレに来てみたかった」ということ。朝原宣治、小坂田淳、高岡寿成、新井初佳、そして高橋尚子が走った大会です。それを考えるだけで心躍る思いがします。後輩たちも、これら偉大な先輩の後を追おうと、頑張っているに違いありません。さっそく、女子1500mに優勝した丸毛静香選手に「目標は高橋尚子さんですか」と質問(このときもH中記者がよく知っている選手で、話が弾んでいたのです。寺田とではなく、一緒にいたH中記者と)。
「いえ、違います」
 ……そうですよね。いくら高橋尚子選手が関西インカレ女子1500mの優勝者でも、いきなり目標にはできません。でも、この男なら、高岡寿成選手を目標としているはず。そう。今日は最後で力尽きて6位に落ちてしまいましたが、中・長距離期待の星・田子康宏選手。「今日は、高岡の大会記録(3分46秒00)を目標に走ったんだよね」と寺田。
「ええ、まあ、そうですね」
 ……返事にやや、違和感を感じました。まあ、タイプが違いますからね。高岡選手は元々5000mが強く、田子選手は元々800 mが強かった選手です。それに、現在は不調のようですし。
 他に取材をしたのは、女子やり投で学生歴代4位をマークした関川由美選手。それから、女子1万mの池田恵美選手と堀岡智子選手。女子選手が多いですね、偶然ですけど。男子では、準決勝まで終わった男子100 mに出場していた荒川大輔選手に、決勝の目標タイムは? とすれ違いざまに質問。
「10秒50です。自己記録が10秒51なので」
 ちょっと欲のない目標ですが、それは人それぞれ。でも、ちょっと待てよ。10秒50といったら、同志社大の先輩で走幅跳が先に強くなってから100 mが強くなった、あの朝原選手にゆかりの数字ではないでしょうか。朝原選手はインターハイは走幅跳の優勝しましたが、100 mは準決勝落ち。初の100 m全国タイトルは、大学1年時の日本ジュニア選手権(全日本ジュニア選抜かな、当時は?)。そのときのタイムが確か、10秒50だったはず……と思って調べたら、10秒49でした……と思ったら、これは9月の西日本インカレのタイムで、ジュニア選手権は10秒56でした。錆び付いてますね、寺田の記憶力は。
 それは、こちらの問題。
 とにかく関西インカレはとってもいい雰囲気でした。記者が少ないこともあって、そんなに取材規制もありません。春季サーキットや大阪GPと比べると、タイムテーブル的にも余裕があって、落ち着いた取材ができました。記者室の真ん前がフィニッシュラインで、女子1万mのタイムは座りながら計測できましたし、長居第2競技場はグラウンドレベルに立っていても、フィニッシュ地点から200 mのスタートラインがくっきり見えるので、タイムが測りやすいのです(普通はスタンドに行かないと見えない)。
 応援の雰囲気もよかったですね。関東の大学の集団応援も悪いとは言いませんが、関西の方が“ナチュラル”な応援。個人的には、関西の方が好きです。選手以外の部員が、自分の素直な気持ちで応援しているように感じました。それが普通の応援ですよね。関東が例外的なスタイルで、それはそれで特徴があっていいと思いますが。
 それにしても長い文章だなあ。これぞ、長居日記……大阪は寒い(5月10日の日記参照)。


■5月10日(土)
 大阪国際グランプリ取材。
 長居競技場のスタンド記者席に行くと、右側斜め前方にNHKの放送ブース。筑波大の尾縣先生が解説です。テレビ放映が始まる前だったので、挨拶に。数日前に、電話取材をさせていただいたばかりだったのです。隣の席には、やはり解説の苅部俊二コーチ。苅部コーチは法大OBですけど、大学院は筑波大。もしかしてこの2人って、師弟なんでしょうか。だとしたら、師弟で解説をしていた……大阪は寒いです。国土地理院が先日発表したところによると、今年から大阪は亜寒帯の分類になったらしいですね、……アカン。
 筑波大といえば、ISHIRO!記者も実は筑波大OB。プレスルームでは今日、ISHIRO記者の隣の席。寺田の方が後に来たのですが、隣が誰が知らずに陣取ったので、まったくの偶然です。
 実は大阪国際グランプリは、陸マガ次号に載ります。そのためには競技終了後、すぐに原稿を書く必要がありました。取材終了が17時過ぎ。記録を送信したり、原稿内容を編集部と打ち合わせたりして17時半。締め切りは19時。寺田の場合、いくつかの社の仕事をすることがありますが、ここまで急ぎできっちりした記事を書く必要に迫られたのは、昨年と一昨年のスポニチのロンドン・マラソン以来でしょうか。陸マガ記事ではたぶん初めて。
 ということで、かなりテンパっていました。新聞記者の方たちにとっては、日常茶飯事なんですが、寺田も同じように急いで原稿を書いていたわけです。その辺を分かっていない人が、話しかけたり電話をしてきます。Y新聞社のK藤記者(元箱根ランナー・元○○地区のプリンス)も「2人(ISHIRO&寺田)はもう、ご自分のサイトの記事ですか」と聞いてきたくらい。
 それはともかく、以前も書いたように、どんなに忙しくても余裕を忘れてはいけません。
ISHIRO「吉田さんの静岡国際の記録は……」
寺田「一覧表あるよ。13mさんじゅう……なんて、忙しいときにボケるなってか」
ISHIRO「それも、間違いじゃありません(笑)」

 念のために解説すると、吉田真希子選手の記録を知りたがっていたISHIRO記者に、寺田は吉田文代選手の記録を言ったわけです。ちゃんと、一覧表は見せながらですけどね。
 そんなやりとりを22秒の間にした2人ですが、ISHIRO記者はこんなふうにきっちり記事(■陸上/国際GP大阪大会 男子ハンマー投げで室伏が優勝)を書いています。寺田が書いた記事は陸マガ6月号で。でも、締め切りに遅れること30分。すいませんでした、編集長。


■5月3日(土・祝)
 静岡国際取材。行きの新幹線の中では某専門誌ライターの方と一緒になり、静岡までなんやかやと話をしました。一番の話題となったのは、なんで福島大だけが突出して強いのか、という話です。
 何にでも言えることだと思いますが、1つが強いということは、相対的に他が弱い、ということ。日本の学生陸上界の場合、女子は相対的な弱さを何十年も続けて来てしまったわけです。その弱さは相対的な弱さであって、学生女子という範疇で考えている限り、福島大が台頭するまで見えて来ませんでした。
 しかし、高校時代との記録の差という視点では、これまでも幾度となく論じられていました。それを、誰も解決せずに、無為に時を過ごしてきたわけです(解決しなくても、インカレは上位に入れるわけですから)。ここまで長い時間、高校時代と比較して記録が低下する現象が続けば、原因は特定できそうなもの(グラウンドレベルではなく、枠組みとかやり方の部分で)。そこを解決したのが福島大なんでしょうか。
 もちろん、“高校時代より記録を下げないようにしよう”なんて、低い志ではありません(従来はそれすらできていなかった)。“世界を目指そう”という志で取り組んでいるわけです。グラウンドレベルでも、我々が想像できないような工夫もされているのでしょう。
 なんか、真面目な話になってしまいましたが、さすがの福島大勢も、今日の風には勝てなかったようです。女子400 mHで日本記録も期待された吉田真希子選手は、57秒97と自身の日本記録を1秒以上も下回りました。本人は「力不足です」と言い切りますが、タッチダウンタイムを見ると、3〜4コーナーで風の影響があったのは確か。
 それよりも、学生記録保持者の久保倉里美選手が2秒以上吉田選手から遅れたのが意外でした。その組では2位でしたが、同じ学生の石野智恵子選手(順大)に敗れてしまいました。今回は4組タイムレースで、強い選手は4組目に集められていましたが、石野選手は2組でトップを取った選手。100 mや200 mなど、風の影響を受けやすい(と思われている)種目は、タイムレースはありません。その点、周回種目は風が吹いていても、1周走れば追い風と向かい風が相殺されるという考え方なのでしょう。
 ところが、そう簡単な問題でもないのです。周回している間に風向きが変わったり、レースのどの局面で風が吹くかによっても、影響は違ってきます。今日は女子400 mHや男子800 mのタイムレースで、下位の組の選手が上位の組の選手を“食う”ケースが多く見られました。もちろん、全てが風の影響と言い切れるものでもありませんし、下位の組の選手の頑張りがなかったと言っているわけではありません。2年生の石野選手など、今後が大いに注目される選手になったと思います。なんてったって、“400 mHの順大”ですから。監督も期待される女性指導者ですし。


■5月2日(金)
 やっと原稿終わった。昨日、今日と、これまた不眠不休に近い作業。今朝は5時から仕事をして、2回の食事休憩以外は“ひた原”。ただ今、3日の午前4時。3時間半後には静岡国際に向けて出発。
 広島から2通、疑問メールが来たので、それへの回答を日記に載せようと思ったのですが、延期します。


■5月1日(木)
 今日は、すごい日です……と書こうと思いましたが、ひんしゅくを買いそうなのでヤメておこう。八女工は宮崎久選手の出身校……なんてことも書く予定ではなく、まじめに選手・指導者(要するに現場)の立場と、読者・陸上競技ファンと、我々記者の立場は違うんだということを書こうと思っていました。書くのにかなり力が要る話なので、今日のところはパス。


■4月30日(水)
 昨晩、飲んでしまったので早めに寝て、朝の5:12に起床して仕事をしました。本当なら昨日締め切りの原稿を仕上げ、6:43に送信(9:00前に送れば許してもらえるはず)。朝食をはさんでその後、織田記念の全体的な記事を書きました。詳しい記事は陸マガなので、5月14日発売の6月号をご覧ください。でも、取材したのに陸マガに書けない種目もあります。そういったのは、頃合いを見て本サイトに書くかもしれません。
 9時ちょっとにサイトにアップして(更新履歴では昨日の欄に入れていますが)、路面電車で広島駅に向かって新幹線で東京に。ホームではY新聞のS田記者にお会いしました。昨晩、ホテルへの帰路、ちょっと酔って歩いているときにお会いしたので、その辺のことやら吉田真希子選手のことを話していると、資生堂・弘山晴美選手が通りました。
 それにしても、弘山選手って雰囲気が若いですよね。それに「私は女王よ」と、ツンとしているところがまったくありません。とても、マラソンの33歳日本最高記録と、ハーフマラソンの33歳・34歳日本最高記録と、1万mの29歳・30歳・31歳・32歳・33歳日本最高記録と、5000mの27歳・28歳・29歳・30歳・31歳・32歳・33歳・34歳最高記録と、1500mの25歳・26歳最高記録を持っているようには見えません。じゃあ、どういう選手がハーフマラソンと5000mの34歳記録&マラソンと1万mの33歳記録を持っているように見えるのかと突っ込まれると、答えに困ってしまいますが…。
 年齢別日本最高記録をこんな日記のネタにさせてもらいましたが、ここまで持っているとはマジですごいですね。昨年、1500m・3000m・5000mの日本記録を全部破られてしまいましたが(寺田はその瞬間を全部、見てしまいました)、彼女の価値が低くなるってことはないですね。仮に日本の女子長距離を代表する選手は誰かと聞かれたら、「そんなの特定できません」と答えますが、外国人から英語なんぞで質問されたら「It's Harumi HIROYAMA, because……」と、答えてしまうかも。
 駅のキオスクで中国新聞を購入。そういえば昨日、中国新聞陸上競技担当の黒神さんと会いませんでした。何か、物足りなさを感じていましたが、その原因は黒神さんと会えなかったことです。中国地区の選手のことは黒神さんに聞けば何でもわかる、というのが陸上界の定説なんですが。プロ野球の広島カープに付いて、出張しているんでしょうか。織田記念にもカープの選手は出ていましたけど……と思ったら、中大の選手でした(某記者からのパクリです)。


■4月29日(火・祝)
 織田幹雄記念国際取材。今回は複数の社の仕事を兼ねているので、かなりハード。どのくらいハードか、広島なので1500mの記録に例えると(坂口監督・新宅監督・内冨恭則選手・徳本一善選手ら、広島といえば1500mでしょう)3分39秒台に相当するくらいにハード。為末選手の出身地でもあるので、大ハードといっておきましょう。色々と助けていただいた皆さん(M社ISHIRO記者、A社K重記者、K社H中記者)、ありがとうございました。
 そんなハードな取材中でも、いや、ハードな取材中だからこそ、気持ちに余裕を持とうと心がけています。福島大・川本元助教授とお会いすると、「飛行機の話(28日のおやじの時々日記)、本当ですか。キムタクのドラマで航空業界が話題になったからネタにされたとか」と、すかさず質問……した直後に、あるレースの直前だと気づいて猛反省。この手の話は時間と場所を選ばないと。
 それでも、そこは百戦錬磨の名コーチ、余裕で受けてくれました。寺田と違ってドラマなんかをネタにしないことを明言しつつ、「中学の頃に話を聞いた福島の選手って(4月22日の日記参照)、○○○○だろ。他にいないよ、短距離以外で福島の選手って」と、こちらの日記の内容にも突っ込み。その場では思わず隠してしまいましたが、大正解でした。ニュースソースの秘匿権利っていうのも我々にはありますので、ここでは名前を明かしません。
 というやりとりを37秒の間にして、フィニッシュ地点に駆けていった2人です。川本先生は本部席前を、記者はそこを通ると怒られるので本部席裏の廊下を。
 今大会はテレビ関係の方も多数、取材に来られていました。その中でもF社のT田ディレクターは、寺田の馬鹿話にも笑顔で応じてくれる人格者です。今日もある選手を待っているときに、寺田は相当にテンパっていました。するとT田ディレクターの顔が。確か男女どちらかの5000mが終わった後で、今日はどの種目がよかったか、という話になったんだと思います(実は、相当に忙しくて正確な記憶がない)。一般メディア的にはどうかわかりませんが、専門誌的には女子円盤投で55mを投げた山口智子選手が一番。しかも、地元・広島の選手です。「広島だけど山口でしょう」という古典的なユーモアにも、しっかり笑顔で応じてくれました。
 夜は珍しく飲み。飲みに行くのは何も、川本教授とH田部長だけではありません。某社コーチ陣とも一緒になり、陸上談話。話の内容は企業秘密、いや、守秘義務か。


□4月28日(月)
 団扇(うちわ)を持って広島に出張。もちろん、左団扇()という意味で持参したわけ……はなく、パソコンが過熱して電源が落ちるのを防ぐため。さっそく新幹線の中で扇(あお)いでいました。
※扇を左手でゆっくり使うこと。転じて、安楽に暮らすこと。また、得意になっているようす。ひだりうちわ。Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988.
 15時ちょっと前に東京発の「のぞみ」で広島へ移動。結局、原稿を1本(けっこう大作記事)書き残してしまい、新幹線の中で半分、広島のホテルで3時までかかって仕上げました。広島駅からホテルまでは路面電車を利用。電車やタクシー以外の交通機関は正直、旅行者にはわかりにくいところがあって利用しにくいのですが、経費を安くあげるためならこのくらいなんでもありません。
 海外出張のことを考えたら、楽な部類に入ります。日本語だって通じますから、なんでも聞くことができますしね。路面電車の係員や運転手はみなさん、かなり親切。広島だからといって、“じゃけん”にされることはありませんでした。
 広島市街はすでに、夜のとばりに包まれていましたが、天満屋、デオデオ、ポケットバンクと陸上チームを持つ企業の看板が次々に目に飛び込んできます。そうそう。バスだったか路面電車の路線図を見ていたら、「中国電力前」という停留所が。さすが全国屈指の陸上どころです。
 と、ここまで書いてきて、あることに気づきました。広島の人が東京で総武線に乗ったら、御茶ノ水近辺では順天堂大学、市ヶ谷近辺では法政大学の看板を目にするわけで、さすが箱根駅伝の本場・関東と思うわけです。寺田の自宅近くの多摩ニュータウン通りにも、スズキ、ホンダ、日産、トヨタの販売店が、200〜300mの間に軒を連ねています。って、それは全国どこも一緒か。


□4月27日(日)
 昨日今日と、仕事オンリー。以前、ある大学助教授(陸上競技関係者ではありません)が「仕事が面白くて食事をとる時間がもったいない」と何かに書いていましたが、寺田の場合は「仕事に追われて、食事をとる時間さえもったいない」という感じ。どうしても、食事が後回しになってしまい、昼食が夕方、夕食が深夜にずれ込んでしまいがち。
 そのせいか、というか、それ以外に原因は考えられませんが、太りました。寺田、デブです。60sになってしまいました。ちょっと嫌な予感がします。98年12月にメッケル憩室炎で入院したときも、体重オーバーでした。食事自体には、それなりに気を遣っているつもりなので、そんなに太る食事内容ではないはずです。
 忙しくてもなんでも、健康第一……なんですが、本当にやれどもやれども、仕事が片づきません。食事と睡眠以外は仕事をしています。昨日今日は特に、織田記念前にやっておかないと仕事が多く、2〜3時間眠って、仕事を5〜6時間して、また1〜2時間眠っての繰り返し……ってことは、ちゃんと休んでいるってことか。仕事以外のメールの返信もちょっと滞り気味。
 なんか、グチ日記になってしまいました。明日からは坂口監督の本拠じゃなくて、中国電力の本拠地・広島に出張。


■4月26日(土)
 えー、昨日、ホッシーのことを書いちゃいました。自宅で2回しかパソコンに電源を入れたことがない男だと。えー、私のパソコンは本日、電源が4回落ちました。英語に訳しちゃうとフォータイムス。英語はまったく関係ないっすけど、ホッシーが電源を入れる2倍の回数ですよ、ニバイ。昔1500mが強かったのはフィルバート・バイ。良い子のみんなは知ってるよね、タンザニア選手で3分32秒台の記録を70年代に出してるばい
 陸マガの連載企画、「末續慎吾のやったるばい」が終わってしまいました。だったら、寺田の日記だけでも“やったるばい調”に書いてみようかな、と思ったのですが、これが簡単そうでけっこう難しいっすね。
 でも、かくかくしかじかと、ホッシーとバイと“やったるばい”を関連づけて文章にできる人って、いないよね。ちょおっと自慢。
 そんなことより、マジやばです、パソコン。落ちる回数がどんどん増えてるんです。気温が上がってるからでしょうか。気温のせいじゃなくて、気のせい? さっむー、パソコンも冷えてくれ。


■4月25日(金)
 夕方4時にデザイナーに原稿を渡すため、3時間睡眠で朝9時から仕事。昨日も、一昨日も、本当に仕事以外は何もしていないのに、仕事が遅れ気味。今週は、ドラマもまったく見ていません。
 デザイナーの方との打ち合わせが飯田橋だったので、その後、水道橋(隣の駅)の陸マガ編集部に。ちょっとした打ち合わせ。
 その後、R誌の取材を受けました。取材するのでなく、受けるのは3回目でしょうか。テレビ・ラジオの場合もどちらかというと、“受ける”という感覚ですね。すると、7回目、かな。何の取材かというと、それは……内緒。くどいようですが、R誌は「ある雑誌」の略ですから。
 話は前後しますが、陸マガにはホッシーがいました。さっそく、パソコンを買い換えた方がいいか相談(4月18日の日記参照)。今も、ホームページビルダーで負担のかかる作業(音でわかるんですが)をすると、電源が落ちてしまいます。DVDを1時間くらい再生していて、いきなりブチッてことも。寺田にとってはかなり、切実な問題なのです。
 さっそく質問。すると、隣で聞いていたYグチ(名前はツトムかと思ったら違いました)編集者が「こいつは、自宅でパソコンの電源を入れたことが2回しかないやつですから」という情報が提供されました。ということはたぶん、パソコンの設定がわからなくて、サポートに電話したこともない。電話の声だけだと美人と思ってしまう心境も理解できない、か。
 しかし、あることにピント(ポルトガル)きました。Yグチ編集者の言葉を聞くやいなや、「ホッシーはクレジットカード、持っていないんじゃないか」と、電光石火の問いかけ。大正解でした。
 なんで、カードを持っていないことがわかったか。うーん、これを説明するのは難しいですねえ。要するに、「なんでわざわざ、パソコンをやらなあかんのや。今のままでも十分やろ」(関西弁)という考え方。そういった部分が、過去にカードを持っていなかった人たちと、共通しているのです。わかるかなあ、この辺の感覚。


■4月24日(木)
 昨日の日記はどういう意味なんだろう? と思われた方もいらしたようで、質問も受けました。意味など考えないでください、というのが回答です。いい加減で書いているというよりも、フィーリングで書いていますので。締め切りがやばい、NECの廃部が決定して陸上界としてやばい、などの意識が脳内で交錯し、あの1行日記になりました。
 NECは、ちょっと前に女子が廃部されたばかり。「ここまで矢継ぎ早にやってくるとは」、というのが正直な感想です。それだけ、会社としてもリストラが急務ということなんでしょうが…。山口洋司、太田崇、奥田真一郎、秋山羊一郎選手と有望株が揃っていただけに、この時期のハード面でのゴタゴタが強化に支障が出なければいいのですが。ゴタゴタがあっていい時期、っていうのもないんですけど。
 それにしても、2カ月後っていうのは、短すぎます。これまでの例では、もう少し移籍&進路決定考慮期間が設けられていました。この大会でこの成績をクリアすれば存続を認める、というケースもありましたし。
 こういうとき、何も役に立てない自分を認識せざるを得ません。昔に書いた記事を、簡単に再録できるのはサイトのいいところですけど。


■4月23日(水)
 まじやば。


■4月22日(火)
 待ちに待ったシーズンインと一昨日の日記に書きましたが、月曜日の本サイトアクセス数は6000を超えました。やっぱり、シーズンインを待ちかねていた読者の方が多かったということでしょう。でも、肝心の兵庫リレーカーニバルの記事が、なかなか書けません。予告までしているんですけど。正直、今秋は猫の手状態。
 さて、一昨日の日記で川本先生の教授昇格について紹介したところ、反響がありました。2通もメールをいただいたのです。1つは、大学教員の世界に詳しい方から。要約すると、以下のようになります。
「大学教員の場合、45歳で教授というのは早い方。ただし、帝大クラスと地方の国立大学、あるいは医学部や工学部などの理系と文系(教育学部含む)などで若干の差はある。教授と助教授では学部内の仕事の責任が変わってくる。現に川本先生がやっている教務委員長はかなり大変な仕事と思われる。その上、医大院生かつ日本一の選手を輩出する名指導者となればスーパーマンとしか形容できないくらいの凄さ」
 そうかあ、スーパーマンか、川本先生は。このネタ、何かに結びつかないかな。検討しておこう、ケント…。
 もう1通は、福島県出身の現役の選手から。ただし、種目は短距離ではありません。
「川本先生は中学生の時から知っている。国体合宿のミーティングのときの川本先生の話がおもしろくて「このひとは只者ではない!!!」と思った。川本先生のように現状に満足せず、たえず日々勉強の気持ちで前に進んでいきたい」
 これだけの反響があるとは、川本和久、恐るべし。ただの“幸せ教授”ではありませんね。寺田も、忙しいとか言うヒマがあったら、見習って記事の1本も書かないと。


■4月21日(月)
 今日は、とっても長かった1日です。
 神戸のホテルで朝、5時前に起きて10時まで仕事。兵庫リレーカーニバルのサイト用の記事もここで書きました。チェックアウトしようと思ったら、7時半に送信したメールに返信が来ていて、パパッと原稿の手直し&送信。チェックアウトが10時半にずれ込みましたが、このあたり「てきぱき仕事してるやない」と、自画自賛。
 新神戸の駅で電話を2本。11:18のひかりで東京に。途中、名古屋で停車中に電話を1本。新幹線の中では前半、神戸新聞を読んで、中盤、睡眠をはさんで、後半、原稿を一気に仕上げて……とはいきませんでしたが、プロットはできました。
 東京着が14:20頃。また電話をして、都内某所で仕事。
 夜は恵比寿で、ある“ブツ”の受け取り。なんと、フランス料理を食べながら。先方の方とは過去、ファミレスでお会いすることが多かったのですが、今回は“ネタづくり”にとフランス料理店にさせてもらいました。
 フレンチと言っても前菜とメインディッシュで1500円とリーズナブルな店。昨年のヨーロッパ取材(昨年の7月の日記に詳細)で立ち寄ったニームの名前が付いている“ニーム風なんとか”と“牛ステーキのなんとかブルゴーニュ風”。これでは、なんのことかさっぱりわかりませんね。料理はともかく、話はパリの世界選手権……だったかな。まあ、気持ちはパリですね、もう。
 そういえば昨日は神戸でパリジェンヌに会いました。チームメイトの応援です。「練習は3割くらい」と言っていました。ちょっと無理でしょうか、パリ行きは。昨年は、彼女自身初の日本新を出したのが、パリだったんですが。
 なんか支離滅裂。
 帰宅してインターネット上で、輪島の結果を知りました。やっぱり、20kmWはすごいレースだったようです。本当は行きたかったんですよね、3年ぶりに輪島にも。当初は、土曜日開催と発表されたんですよ、今年の輪島は。それが、年明けの理事会で日曜日に変更されました。寺田はその変更を知らなくて、3月10日頃に輪島のホテルを予約したんです。びわ湖でK下記者(M新聞の島谷ひとみと言われていて、とっても品のある記者です)に輪島に行くか聞かれて、「今年は兵庫の1日前だから行きますよ」と答えています。そうそう、F社のS久間さんも証人です(お世話になりました)。
 それにしても、1日ズラしてくれれば、取材に行ける記者も多くなったはずですし、新聞紙面にも大きく載る可能性があったのに。たぶん、土曜日レースでは前日の金曜日に輪島入りする必要がありますから、フルタイム勤務の選手が参加できなくなるという配慮からでしょう。その部分はもっともだと思いますが、男子20kmWは世界選手権A標準突破者が最多種目。この盛り上がりを、世間にちゃんと伝える努力を、陸上界はしているのでしょうか。


■4月20日(日)
 兵庫リレーカーニバル取材。すでにトラック&フィールドの試合は日体大・中大、日大・東海大と2試合取材に行きましたが、全日本クラスの大会は今日が最初。待ちに待ったシーズンインという感じです。正直、マラソン・駅伝よりも取材は忙しくなりますが(全部の種目が見られない)、ネタも豊富に転がっているのがトラック&フィールドの取材です。さっそく、今日もネタがやってきました。アラコの亀鷹監督が……このネタは、やめましょう。やっぱり、福島大・川本先生ですか。
 実は、ものの見事に、やられました。裏をかかれました。推理小説でいうところの、記述トリックでしょうか。川本先生が助教授から教授に昇格されていたのです。4月1日の「おやじの時々日記」を読んで、辞令を受けられたことは知っていたのですが、「今日から教務委員長」の記述もあり、“よくわからないけど、教務委員長の辞令だったんだあ”と納得していました。ところが、“教授”になられた辞令だったのです。
 大学の教員世界のことはよくわかりませんが、45歳で教授って、かなり“若手”の部類に入るんじゃないでしょうか。やっぱり、頑張っている人、能力のある先生、偉大(医大?)なコーチは認められるのでしょう。パチパチパチー。
 でも、ちょっと待ってください。これは“福島の幸せ助教授”が“福島の幸せ教授”になったということです。ちょっと語呂というか、発音のリズムが悪くなりますね。対抗して“三重の二枚目助教授”も内々に名乗りを上げていたんですけど…残念です。
 こういうことを書くとまた、「そういう問題じゃないだろう。人の昇進を茶化すな」というお叱りのメールをいただくかもしれません。それなら、1つの例を出しましょう。“警部コロンボ”が“警視コロンボ”になっちゃったら、どう思いますか。1つの肩書きのときにあまりにも有名になると、その肩書きが変わったときに、周囲が違和感を感じるあれですね。それを言いたいわけです。
 それにたぶん、川本助教授が川本教授になっても、川本和久は川本和久。偉くなってグラウンドから足が遠のく人もいるようですが、川本先生にかぎってそんなことはあり得ません。“幸せ助教授”でも“幸せ教授”でも、グラウンドに“幸せ”があるから……というのが寺田の推理ですけど。


■4月19日(土)
 なんで四大学に行かなかったかというと、明日の兵庫リレーカーニバル前に提出しないといけない仕事があったから。いやあ、4月も忙しいんです、ハイ。夜、寝ている間にこびとが出てきて仕事をやってくれるって話、ありますよね。あのこびとさんたち、現れてくれないですかね。あっ、夜、寝てないと、現れてくれないのか。
 なんて、グチはこの辺で。なんとか、最低限片づけないといけない仕事は終わりました。明日も、早いんですよ。機嫌の悪いパソコンに付き合っているヒマなんてないんですけどね。でも、3時間は眠れそうです。新幹線では、また仕事だ。
 明日は兵庫リレーカーニバルに出張。みどころは、いろいろありますが、看板種目の男子1万mでは、世界選手権マラソン代表の中国電力トリオに注目したいと思います。というのはですね、皆さん知っていました? 尾方剛・油谷繁・佐藤敦之の3人の1万mは全員が28分13秒台がベストだって。誰が、この3すくみ状態から抜け出すか……って、神戸新聞の展望記事(兵庫リレーカーニバル 2日間の激戦スタート)にも書いてあるじゃないですか。しかし、油谷・佐藤の対戦成績までは、誰も知らないでしょう。寺田も知りません。
 もう1つの注目は、松岡理恵と坂本直子の天満屋兵庫県出身世界選手権マラソン代表コンビ……というのは、誰でも気づきます。寺田的には以前にも書いたかもしれませんが、34分台がベストの坂本選手が33分台を飛び越えて一気に32分台を出す……のは当たり前ですから、32分台も飛び越えて、一気に31分台を出すかどうか、でしょう。


■4月18日(金)
 パソコンの買い換えを考えていることは、どこまで書きましたでしょうか。
 今日、陸マガに電話をしたら、ホッシーが出たので金曜日なのに話をしました。
ホッシー 明日は、四大学の取材に行きます。
寺田 明日はちょっと行けないなあ。でも、さっき、サイト用に東海大短距離ブロックの記事(日大・東海大)を書いたよ。
ホッシー じゃあ、見させていただきます。
寺田 それが、パソコンの調子が悪くて、ホームページビルダーでファイルを転送しようとすると、電源が落ちちゃって…。

 先日、確か、メモリーを256MBにしてから快適、と書いたような気がしますが、DVDの再生はスムーズになりましたが、時々、電源が落ちちゃうのです。どういうときに落ちるかというと、ホームページビルダーでバイト数の多いページを保存しているとき、転送ファイルの選択をしているとき(これが一番多い)、そして、DVDを再生しているときです。
 最初は、メモリーが原因だと思いました。ホームページビルダーの発売元のIBMのサポートにも電話したのですが、俗に言うメモリーを増やしてもダメとのこと。考えられない現象だそうです。とりあえず、システム・リソースやらなんやらが原因だと想定して、スタートアップやデスクトップのショートカット、ブラウザのお気に入り(ネスケならブックマーク)を削除。でも、直りません。
 サポートのお姉さん(声だけの相手って、ついつい美人を想像してしまいません? 今度、ホッシーに聞いてみよう)が言うには、考えられるのはハード的な原因。つまり、CPUに負荷のかかる作業をすると、何らかの原因で電源が落ちるということです。CPUの発熱をファンで冷ましていますが、それが不十分になっている可能性も指摘されました。そういえば、熱いですね。
 いったん電源を切ってうちわで熱を冷まし(これが結構早い。藤原が短歌を詠むくらいに早い??? 意味不明)、電源を入れて作業をするとOKなのです。どうやら、熱が原因と特定してよさそう。でもなあ、普通、色んな作業を終えて、それを最後にサイトにアップするのが、手順としては圧倒的に多いわけです。転送前にその都度、電源を切って機械を冷ますっていうのもなあ。
 ハード的なことが原因となると、修理しても何万円もかかるだろうし、時間も何週間もかかります。現実的な選択肢ではありません。
 どうするか、今度ホッシーに相談しよう。


■4月17日(木)
 昨日、強化委員会との懇談会の後、陸連の新しいロゴ、シンボルマーク、エンブレム、マスコット・キャラクターが発表されました。マスコットはネーミングを広く一般から公募しています(日本陸連サイト参照)。10万円の賞金も用意されています。エンブレムは各陸協の役員が付ける、マスコットは表彰式で選手にプレゼントする、プレゼントされたマスコットを選手が観客席に投げ込む、などの使用方法を想定しているそうです。キャラクター商品として展開することも予定されています。
 目的は、陸上競技に親しみを持ってもらうこと。子供連れで陸上競技観戦に来た家族などが、陸上競技を身近に感じてもらったり、楽しく感じてもらったりする一助としたいとのことです。また競技会に来てみたい、と思ってもらうのが目的ですね。陸上人気の拡大は、寺田も日頃から気にしている部分です。この手の試みには大賛成。是非、推進してほしいことです!!……と思って家路につきましたが、帰りの小田急線の中で1つだけ懸念が思い浮かびました。
 それは、ロゴなどにJAAFと陸連の文字が強く出ていることです。例えば……これは、陸連の担当の方に一度、話を伺ってみます。


■4月16日(水)
 おやじの時々日記の16日を先にお読みください。
 皆さんは1000円ヘアカット屋さんに行ったことがありますか? 時間も10分だけしかかからない、というやつです。数カ月前に最寄り駅の永山駅前にできていました。デフレ経済の賜物かもしれませんが、便利は便利です。ここまでコストを下げられているのは要するに、水(お湯)を使わないこと。つまり、髪の毛のカットだけ。アメリカンスタイルって言うらしいです。切った髪の毛が顔や首筋につかないように、最後は強力なバキューム(吸い取り)をします。確かに、シャンプーとかひげ剃りとか、家でもできることですからね。
 その店に初めて行きました。なんでかというと、単純に忙しいから(余裕のない証拠)。今日は16時から代々木体育館の「レストラン505」(体協の目の前)で陸連強化委員会と記者クラブの懇談会がありましたが、昨晩から某社との写真メールのやりとりが上手くいかず(元々の原因を作ったのは寺田)、自宅を出たのが14:33。1000円ヘアカット屋さんに着いたのが14:39。5分ほど待ってカット時間は本当に10分弱。15:03の小田急の多摩急行に乗りました。
 寺田は最近、体協(記者クラブ)に行くときは京王線ではなく、もっぱら小田急。代々木八幡駅から歩いて行くことができるからです。本来なら地下鉄で明治神宮前か、京王線で新宿に出てJRで原宿まで出るのが最短時間なのですが、ぶっちゃけ貧乏なので、小田急以外の路線を使わず経費を少しでも節減しようということです。
 試合でもないのにそこまでして取材に行かなければならないかというと、そのくらいの価値(それ以上の価値)はありますね、強化委員会との懇談会は。我々マスコミにも、そう簡単に現場レベルの情報は入ってこないものなんです。電話取材とかすれば別ですけど、そのためには「これこれの記事を書きますから」という大義名分が必要。だから、貴重なんですね、今日のように記事を書きますという理由がなくても取材できる機会は。それに、選手を含む読者の皆さんにも、陸連の人たちの生の声を知ること(というか、話した内容を知ること)って、貴重ですよね。一般メディアでは、マラソンの選考のときとか、新記録が出てときに、ごく少数の人のコメントが数行載るだけですから。とてもよかったとご指摘のメールをいただいたことが、何回かあります。他のメディアにはできないことを頑張る、というのも存在意義かなあ、などと勝手に自負しています。それが収入に……なんでもありません。
 個人的には、シーズンオフの間も定期的に、現場レベルの情報を記者に知らせる場を設けるべきだと思います。毎週水曜日とか、スポーツの試合の多い土日を避けて曜日を決めるなりして、強化指定S・Aレベルの選手を囲んで懇談会を開くとか。どんな話でもいいと思うんです。新しめのネタ(コーチを変えたとか、練習方法を変えたとか)がないと、記事にはしにくいかもしれませんが、常に記者の人たちにアピールすることで、何かの機会に露出するチャンスは増えていくと思います。その選手の考え方を少しでも知る記者が増えれば、「この切り口で書けるんじゃないか」と思いつく確率は増えますね、絶対に。
 話を戻して、寺田のデフレを助長するような行動はさらに続いて、代々木八幡に着いたのが15:34。松屋で食事をしようかとも思いましたが、会場まで20〜25分は見ておかないと厳しいので、コンビニ昼食に変更。懇親会会場に着いたのが15:57で、5分間で昼食……新幹線に乗り遅れそうになった川本先生ほどドラマチックな“滑り込みセーフ”(おやじの時々日記参照)ではありませんでしたが、デフレチックな滑り込みセーフ”でした。


■4月15日(火)
 陸上界に走ったラドクリフ・ショックはかなり大きかったようです。今日もラドクリフに関しての問い合わせが2件。具体的にどんな問い合わせかは明かせませんが、一般メディアの注目もアップしたのは確か。それにしても、昨年はロンドン・マラソンの取材に現地に行っていたんですよね(一昨年も)。モスクワ空港なんぞにトランジットで寄りました。懐かしい。
 レース前日か前々日には尾方剛選手(通称GTO=グレート・ツヨシ・オガタの略らしい)に、レース翌日は土佐礼子選手にたくさん話を聞くことができました。どちらも、プレスルームの円卓で、ちょっとリラックスムードの取材でした。
 昨年のラドクリフは初マラソン世界最高の2時間18分56秒でしたが、陸マガに書いた記事では後半のハーフが1時間07分52秒と驚異的な記録でカバーしたことに触れました。なんせ、ハーフマラソンの日本歴代2位に相当するタイムで、下り坂コースを除けば1時間08分22秒が日本最高なんですから。
 それが今回はどうだったかというと、2時間15分25秒のフィニッシュタイムでハーフは1時間08分02秒。後半は1時間07分23秒。普通、前半から飛ばしたら後半は落ちますよ。ということは、つまり、ラドクリフは前半は飛ばさなかった、ということになるんです。
 本気でハーフマラソンを走ったら、どのくらいのタイムが出るんだろう。マラソンのベストの半分マイナス2分半と仮定すると(やや、根拠が薄弱)、1時間5分前後でしょうか。
 今秋の国体は、寺田の実家のある静岡県袋井市が開催地。そして、今国体からハーフマラソンが種目に加わります。男子選手の皆さん、あんまり脅かすつもりはないんですが、くれぐれもラドクリフに負けないようにしてください。ただでさえ、ラドクリフの幻影が見えるんです、コースの終盤で。詳細はいずれまた。


■4月14日(月)
 陸マガ発売日ですが、すでに“ひた原”状態。今日、締め切りの原稿が7ページ分あって、金曜日からほぼかかりっきり。さらに今回は、見出し付けや文字数数え、大雑把なレイアウトを考えたりと、編集作業もしなくてはいけません。まあ、これは3年前まで本職だった作業ですから、ササーっと……終わらせられるかな、と思ったら、写真セレクトでかなり時間がかかってしまいました。
 判断力が鈍くなっていたのかもしれませんが、考えられるもう1つの要因は作業形態の変化です。寺田が陸マガで編集をやっていた頃は、文字はデータ入稿でしたが写真はポジ・フィルムでの入稿でした。それが今や、写真もデジタルデータでの入稿。写真選びもパソコン上でやるので、どうも勝手が違うのです(今回の作業は陸上競技マガジンではないんですけど)。
 だからと言って、自分も古いタイプだなあ、などと短絡的には考えません。自分はもうこんな歳だから、とか、自分はこうだから、と決めつけるのはよくありません。自分で枠を作って、自分の可能性を狭めているんです……というようなことを、末續選手が話しています。詳しくは今日発売の陸上競技マガジンで。


■4月13日(日)
 朝6時まで仕事をして、午前10時半と“早起き”。その後もひたすら原稿を書きました。でも、東京都知事選、“DNS”はしません。夜の7時にちゃんと投票所に行きました。投票後は、マクドナルドで23時まで仕事。帰宅して「世界遺産」を見ながら夕食。仕事はまだまだ終わらないので、ロンドン・マラソンをテレビで見るのはあきらめて、先にインターネットで結果をチェック……したら、ぬぅぁぁぁああああんと、ラドクリフが2時間15分台!! (去年のラドクリフ初マラソン時の写真集はこちら
 競技的な部分は改めて言いませんが、1つ言えるのは、ラドクリフもここまで来るまでに、多くの試合に出て経験を積むことで、強くなってきたということです。確かに、世界クロカンのジュニアで優勝(92年)していますが、その後は勝てない時期が続きます。1万mでは99年世界選手権で2位となり、その後はシドニー五輪4位、エドモントン世界選手権4位と世界のトップに定着。世界ハーフマラソンでは00年・01年と優勝し、世界クロカンでも01年・02年と優勝していますが、それ以前に実に多くの経験を積んでいます。単に経験を重ねたというだけでなく、“どう取り組んできたか”が大切なんでしょうけど。その“どう取り組んだか”という部分が、選手によって十人十色で、差がつくのかもしれませんけど。
 ここで思い出したのが、杉森美保選手。この1年で一気にブレイクした観もありますが、杉森選手はこれまで、インカレの多種目出場は言うまでもなく、そんなに目立ちませんでしたが実に多くの国際大会にも出場しています。
学年 大会 種目 ラウンド 順位 走順
1997 大1 アジア選手権 女400m 決勝 4
1997 大1 アジア選手権 女4×100mR 決勝 3 1
1998 大2 アジア選手権 女400m 予選・2組 5
1999 大2 世界室内 女4×400mR 決勝 6 3
2000 大4 アジア選手権 女400m 予選・1組 5
2000 大4 アジア選手権 女4×400mR 決勝 2 1
2001 社1 世界選手権 女4×400mR 予選・2組 6 1
2002 社2 アジア選手権 女800m 決勝 1
2002 社2 アジア選手権 女4×400mR 決勝 2 1
2002 社2 アジア大会 女800m 決勝 6
2002 社2 アジア大会 女4×400mR 決勝 4 1
2002 社2 ワールドカップ 女800m 決勝 9 1
2003 社2 世界室内 女800m 準決勝・1組 6
 主な国際大会はこんな感じ。皆さん、ご存じでしたか? 明日発売の陸マガ5月号別冊付録のアスリート名鑑の作業をしていて、思っていたより多く出場していたのがわかり、ちょっとビックリした次第(プロのくせに認識不足?)。ちなみに、中学1年時には100 mで全日中に出場していました。短い種目から距離を伸ばしてきたところなんかも、ラドクリフと共通しています。高岡寿成選手も似たパターンです。
 と書くと、“距離を伸ばすパターン”と“経験を積むパターン”が強くなる方法だと推奨しているように受け取る人が出てきますので、念のために書いておきます。別に、強くなるにはパターンが固定されているわけじゃありません。長めの距離の種目から短い距離にして成功した例(苅部俊二選手や小林史和選手や吉田真希子選手)もありますし、少ない国際経験でいきなり結果を出した例もあります……末續慎吾選手とか当てはまるでしょうか。ただし、末續選手が今後、メダリストとかに成長すれば、シドニー五輪やエドモントン世界選手権は“結果を出した”部分に含まれず、“経験を積んだ”部分になるんですけど。


■4月12日(土)
 日大・東海大対校を町田市営陸上競技で取材。雨が降ったらどうしようかとも思っていましたが、なんとか天気が持ったので、行くことにしました。昨日の日記で川本先生の「旅立ちの春・番外編」を紹介したので、今日は宮崎久選手の「番外編」を取材できたらいいな、という目論見もあったんです。残念ながら、宮崎・末續の両OBは練習ということで、姿を見せませんでしたが。
 取材に来ていたメディアは専門誌のみ。陸マガが2人で某専門誌が3人、それに寺田という面々でした。さすがに、一般メディアの取材はなし。こういう大会でネタを拾っておくと、後々生きてくることもあるんですけどね。実際、陸上競技担当記者は取材に行きたくても、会社が行かせてくれないのでしょう。大会社の難しい部分かも。
 さすがに専門誌の取材陣も、ややリラックスして取材ができる大会です。先週の中大・日体大対抗に比べると、女子種目がないのでタイムテーブル的にも余裕があります。まずは東海大の上野選手がアップをしているのを見て寺田が、いつものようにウィットに富んだギャグを飛ばすと、某専門誌E本編集者がその言葉を曲解して、妙に受けています。E本編集者って、川本先生の日記に頻繁に登場するE本さんと同一人物なんだろうか?
 しかし、記録に目を光らせているのが専門誌の取材メンバーたる所以。好記録が出ると瞬時に取材モードというか、戦闘モードに切り換わります。
 男子400 mは某専門誌のO村記者とスタンドから見ていましたが、まさかこの時期に45秒台が出るとは思いませんでした。富樫選手がフィニッシュすると、同じスタンドにいた高野進コーチから「45秒台」の声。寺田のストップウォッチも45秒69(正式タイムは45秒78と世界選手権B標準突破)。とっさに戦闘モードに切り換えたためか、O村記者は、食べていたお弁当をひっくり返してしまいました……レース中にひっくり返していたような気もしますが、気のせいでしょう。
 最後は男子やり投で今季日本最高を投げた村上幸史選手も交え、村上水軍のセーヌ川侵攻ネタで盛り上がりました。取材に行ってよかったな、と実感した一日です。幸せワンポイント・ゲットです……が、肝心のある仕事が進まず、ただいま午前3時47分。明日は東京都知事選挙。


■4月11日(金)
 今日は、長い一日(充実した?一日)でした。午前7時には仕事を始めて(実はちょっと追い込まれていたりして)、11時20分には都心に向けて出発。某オフィスに顔を出して、14時30分には陸マガ編集部に。今日は14日発売の5月号の配本日です。ちなみに表紙は、ミズノに入社する末續慎吾&内藤真人両選手でした。
 15時30分にある人と会って2時間の面談、その後新宿に出て買い物。4個もブツを購入しましたが、そのうちの1つがノートパソコン用のメモリー。これまで、64MBが2枚刺さって128MBでしたが、128MB2枚(256MB)に変更。これが、予想以上に快適。これまで外付けのドライブでDVDを見ようとすると画像が途切れ途切れにしか再生できず、しばらくするとWindowsが落ちていましたが、今はスムーズに再生できます。ワープロソフトを立ち上げても、ブラウザを開いても、Windowsは落ちません。幸せワンポイント・ゲット(“福島の幸せ助教授”こと川本先生の4月8日の日記参照)。
 福島大と言えば、陸マガ5月号の「旅立ちの春」で熊谷史子・栗本佳世子・長島夏子の新人3選手が取り上げられています。ここでは番外編として、川本先生も「旅立ちの春」だということを指摘しておきます。というのは、福島医大大学院に合格されたのです。なかなか、40歳を過ぎて新しいことに挑戦できるものではありません。年齢というよりも、一定の成果を挙げた人間はどうしても、下手な失敗はしたくないと考えがち(陸上選手にもよく見受けられる現象です)。助教授が試験に落ちたら格好悪い、などと世間体を考えないところがカッコイイですね。
 大学院進学の目的を、ご自身のサイトで次のように記されています。
大学院では、超回復のメカニズムを生化学の側面から研究してみます。
でも、全ての答えは、グランドにあり。コーチ人生が第一の大学院生です。

 コーチ業第一というスタンスはこれまでと一緒ということですから、「旅立ち」ではないのかもしれません。いずれにせよ、医大合格は偉大なコーチへの第一歩……かとも思いましたが、もう十分に偉大ですね。本人は世界一の選手を育てるのが目標なので、「まだまだ」とおっしゃるでしょうけど。


■4月10日(木)
 午前中、木曜日なのに編集者ホッシーから電話が入りました。編集者ホッシーは月9終了に伴い、“陸マガの王子”とあだ名が変更されたはずですが、ここはホッシーで通しましょう。ちょっと事情が変わりました。詳しい経緯はまたいずれ、紹介できると思います。
 14時30分から電話取材が1本。話が盛り上がって、ちょっと長電話になってしまいました。相手に迷惑さえかかっていなければ、盛り上がりによる時間オーバーは歓迎です。ただ、こういったケースではよくあることですが、取材させていただいた内容を全部、紹介できないのが残念です、文字数に限りがありますので。でも今日は、後半は世間話に近かったかな。
 誰を電話取材したか、今回は雑誌の仕事ではないことだし、書いても問題ないかもしれませんが……ヒントとして血液型だけ紹介します。小柄だけどO型かな、と思ったらB型でした。
 話はまったく変わりますが、世界選手権男子マラソン代表に3選手を送り込む中国電力は現在、手のつけられない強さ。その強さの秘密は何かと考えていたら、あることにはたと気づきました。中国電力はイニシャルが「あ」の油谷繁・新井広憲両選手を先頭に、「い」の五十嵐範暁・井中将貴選手、「う」の内冨恭則・梅木蔵雄選手、「お」の尾方剛・尾崎輝人・沖野剛久選手といますが、「え」の選手だけいません。「えっ!?」と言いたくなるくらい不思議です……というオチなわけがないでしょう、O原さん。“なり君のお兄さん”こと尾崎選手(2月10日の日記参照)がいますから、「あ行完全制覇チーム」ですね。これが、中国電力の強さの秘密でしょう。


■4月9日(水)
 今日は日帰り出張。寺田にしては早起きして行ってきました。陸マガの5月号関連の仕事は終わりましたが、進んでいなかった仕事があって、ちょっとテンパリ気味。夕べも深夜(というより早朝)まで仕事をしていました。でも、取材となると早起きができてしまいます。気合いの問題です。最近はちょっと暖かくなってきたので、朝、布団から出るのが楽になってきたこともあります。
 “春眠、暁を覚えず”という諺があります。「春は夜が短い上に眠るのに快適な気候なので、夜明けも知らず眠りこんで朝になってもなかなか目がさめない。」(故事ことわざの辞典  小学館 1986.)という意味ですが、寺田は逆ですね。春は、目覚めがよくなります。
 そういえば、日本の長距離選手の高地練習のメッカである、昆明(現地発音はクンミン)に行くと寝起きが悪くなるようです。1月のあるレース後だったと思いますが、昆明で合宿した某実業団チームの監督が「クンミン、暁を覚えず」と話していましたから……指導した選手が日本記録を複数種目で何回も出している名監督。5000mに1万mに1500mに……もう、何種目で出しているんだろう。


□4月8日(火)
 今日は某社に行って、箱根駅伝関係の写真を借りました。その会社のパソコンを使用させてもらったのですが、ちょっとビックリ。ビューワー・ソフト(っていんですか)に写真表示されるときの速度が、自分のパソコンよりもきびきびしています。全然、違うのです。CPUなどのスペックが違うのかなと思ったら、自分のパソコンよりちょっと下の処理能力でした。どういうことかというと、ソフトの違い。
 今日、初めて使ったのはフリーソフトの「VIX」で、普段、寺田が使っているのがVAIOに付いている「Picture Gear」。1つのフォルダにアクセスして、例えば写真を100枚プレビュー表示するのにかかる時間を測定すると……面倒くさいのでわざわざしませんが、明らかに「VIX」の方が速いんです。1枚表示やらなんやら、とにかく全体的に動作が速くて、“待たされる”感覚がありません。
 その分、機能的には画質の調整やファイルサイズ(バイト数)の圧縮などできないのですが、全体をプレビューしたり1枚表示したり、フォルダ間でコピーする等の、頻繁に使う用途でこれだけ差があるのなら、使わない手はありません。
 実はこれまでも、「VIXは便利だよ」と何人かの方から聞いていましたし、プロのカメラマンもほとんどこのソフトを使っているので、いいんだろうなあとは思っていましたが、ここまでとは知りませんでした。やはり、知識として知っているのと、肌で感じるのでは大きな違いがあります(陸上競技でも同じことが言えるでしょう)。
 さっそく、自宅に戻ってhttp://homepage1.nifty.com/k_okada/からダウンロードして、マイパソコンにもインストール。業界標準ソフトを入手して、ちょっとご機嫌です(何の業界かというと、もちろん陸上報道業界。これでも、陸上報道人の端くれです)。ということで、この1年間くらいに撮り貯めた写真なんぞを見ちゃったりしています。改めて見てみると、たくさん撮っていますね。カメラマンでもないのに。これまでサイトに掲載した写真もけっこうありますが、いくつかのカテゴリーに分けて掲載したら、それなりに楽しめそうです。●新記録●師弟●ライバル●先輩後輩●同僚●家族などなど。やってみたら、ちょっと面白いかも。試合のネタもないし…。


■4月7日(月)
 今日は“ひた原”。昨日の中大・日体大の原稿ではなく、なかなか書き終わらなかった某原稿。でも、なかなかの大作に仕上がりました、行数だけは……なんてことはなくて、中身も、大作です(お金をもらって書いている原稿です)。
 その後に中大・日体大の原稿に。“編集者ほっしー”こと☆野君に迷惑をかけてしまいました。そういえば、夜の9時台にほっしーと電話で話したような気が。“編集者ほっしー”が登場する月9ドラマはとっくに終わっているので、このネタも最後? 名前も“ほっしー”から“王子”に変更か?


■4月6日(日)
 中大・日体大対抗の取材。今年は中大開催だったので、自宅から京王線で一駅、モノレールで2駅の距離と楽でした。ただ、中大の敷地が広いんですよ。モノレールの駅が大学の東端で陸上競技場が西の方で、10分くらいかかります。近いんですけど、朝10時競技開始ということで、寺田にしてはけっこう早起きして行きました。実は原稿が1本、終わらなくて、睡眠2時間。
 朝、外に出るとかなり寒かったので、完全に冬用の服装で出動。風が強かったですね。取材中、気象コンディションのアナウンスでは気温18度と言っていましたが、体感気温は明らかに10度台前半。風が一瞬やむと暖かくも感じますが、だいたい吹き続けていました。走幅跳や三段跳で風が±0の試技も多かったですけど、無風ではなくて、計測時間の中で風向きが変わったから0mになったんじゃないかと思います。
 そんなコンディションですから、記録はそれほどよくありませんでした。そんな中でも最優秀選手に選ばれた山本一喜選手と吉田文代選手は、力があるな、と思いました。山本選手のやり投が72m70、吉田選手の三段跳が13m01(±0)。山本選手は円盤投にも自己新で優勝し、吉田選手は走幅跳にも優勝。日体大の男子長距離も充実してきたな、と感じました。四辻聖選手が優勝し、新人の鷲見・保科両選手が2・3位に入った男子5000mを見ていて感じでは。
 その他では、田島宣弘選手や井盛雅選手、藤巻理奈選手と日体大の短距離勢、平田裕美小山真子の両インカレ1万m優勝選手、走幅跳の安部翔太選手らを取材。3月23日の日記で田島選手が手術をするかもしれないと書きましたが、沖縄では10秒52で走ったとのことで、手術はやるとしても今シーズンの重要試合が終わってからとのこと。
 それにしても、この大会は男女の対抗戦を1日で全部消化します。数えたら36種目(女子砲丸投が参加者ゼロでなくなった)。もしかしたら、日本で最もタイトなタイムテーブルの大会かもしれません。通常の全国クラスの競技会のように電光掲示や記録の配布などはありませんから、記録のチェックも大変です。フィールドのあっちこっちを移動して、記録を記入している審判員(学生)の肩越しに、記録をメモしていました。助かったのは、トラックの優勝記録(電気計時)を、すぐにアナウンスしてくれたことです。
 今回30回記念大会。ただ、どうでしょうか。以前はこの大会は、かなり好記録が続出する印象のあった大会ですが……気象コンディションのせいだけではないような気がします。


■4月5日(土)
 今日は東京六大学がありましたが、締め切りが重なって行くことができませんでした。ここ数日、日記は何とか書いていますが、サイトでやりたいことは、ほとんどできていないのが実状。だいたい、左側のINDEXの最後の大会が東京国際マラソンのまま。確かに、その後の大会はろくに記事を書かなかったかもしれませんが、そこそこ書いた大会もあったように思います。
 昨日はなぜかたくさんのメールをもらいました。日記を読んでメールをくれた方も何人かいらっしゃいます。まずは訂正から。司馬遷は宦官ではなくて、ある刑にに処せられたということです。宦官が自発的に去勢するのに対し、強制的に去勢させられたという、とてつもなく大きな違いがあります。
 次に、佐々木イチロー記者から久しぶりのメール。娘の名前は「里桜」と書いて「りお」。里は、今年の世界選手権開催地であるパリを漢字表記したときの「巴里」の里、桜は01年ベルリン・02年シカゴと取材した高橋尚子選手の本拠地だった「佐倉」から取ったとのこと。サッカー担当になっても、陸上界への愛着は人一倍のようです……というのは冗談です。1人目が「りお」なら2人目は「りか」と名付けられるからというのが本当の理由です。つまり、3人目は「りく」となるわけで、陸上界への愛着は人一倍のようです……というのも冗談です。名前が「里桜」というのは本当なので、今度、理由を聞いておきます。
 そういえば、高岡寿成選手の子供の名前の話は書きましたっけ?
 去年、高岡選手のシカゴ・マラソンから帰国した便と、寺田が韓国・釜山から帰国した便がほぼ同じ時間に成田空港着。そのとき高岡選手が「2人目の子供の名前は“シカゴ”にしようかな」と、言っていました。ご存じのことと思いますが、1人目のお子さんがシドニー五輪(1万m7位入賞)の期間中に生まれ、五輪にちなんで「環伍(かんご)」と名付けています。
 それを聞いた寺田は「3人目は1500mで日本新を出して、センゴっていうのはどう?」と提案しておきました。念のために書きますが、高岡選手に2人目の子供ができたという話は聞いていません。
 もう1つ念のために書いておきますが、このやりとりにはちょっとだけ、競技的な部分も含まれています。高岡選手はこれまで、狙いとする種目には常に、それより短い距離でスピードを研いてアプローチしてきました(この1年間の1万mは、マラソンをやって長い距離からのアプローチ)。陸マガ4月号の高岡選手のインタビューを読んでいただければわかると思いますが、99年には1500mで日本新を実際に狙っていたのです。
 ところで、東京六大学の記録って、どこかのサイトに記録とか載っていないんでしょうか。大学新聞サイトとか。


■4月4日(金)
 今日は日帰り出張。新幹線の中で、今年の4×400 mRはどうなんだろうと、考えていました。4月4日なので……というのはエイプリルジョークで、最近400 mの選手を取材したものですから。
 でも、待ってください。この手のこじつけで、陸上競技の個々の種目をアピールするのもいいんじゃないでしょうか。1月10日を“110 mHの日”に指定して、日本記録保持者の内藤真人選手を起用して電車の中吊り広告を打つとか。キャッチコピーは「イチローより俊足の愛知県人」とか(イマイチですけど、今井美希選手も愛知県人)。もちろん、広告主は陸連とかJOCなので、アマチュア規定は関係なし。内藤真人選手の記者会見を行うとか、渋谷あたりの街頭で(日本一有名なハイハードラーの)井上将憲選手と対談してハードルを熱く語ってもらうとか。
 ちなみに、1月22日は“Jazzの日”。January 22の「22」を「zz」に見立てているそうです。だったら、1月10日が“110 mHの日”でも、4月4日が“4×400 mRの日”でもいいじゃないかと思うんですが。4×400 mRの日には小坂田淳・田端健児対談で世間にマイルリレーをアピールします。2人のオリンピックにかける意気込みは大きいはずですし、今年で29歳になる2人のモチベーションとなっているアトランタ五輪とシドニー五輪の2人のエピソードは、一般マスコミでも取り上げやすいはずです……やっぱり専門誌ネタかな。あとは世界選手権のテレビ放映のときか。
 などと思案しているのも、電車の中でこんな広告を見たからです。出張帰りに陸マガに編集部に立ち寄り、水道橋で総武線に乗るとまず、高橋尚子選手の広告が目に入ってきました。進行方向右手のドアの上でしたが、次に左側のドアの上を見ると小出監督と千葉真子選手の広告。これって、偶然ってことは、ないですよね。広告代理店が仕掛けたんじゃないかなと、推測しているんですが。
 日帰り出張だったので、メールのチェックが夜遅くになってしまいました。24時間近くネットに接続していなかったせいもあったと思うのですが、未読メールが16通。4×4ですか。その中の1通にサザンクロス・ギャグがありまして、詳しくは内緒ですけど。


■4月3日(木)
 昨日の日記に寺崎史記選手のことを書いたら、2人の方が消息を知らせてくださいました。ありがとうございます。昨年4月に広島で放映されたテレビ番組で、彼女の引退に関することが紹介されたそうです。それによりますと、2001年のベルリンマラソンに「現役最後のマラソン」として出場し、その年の淡路島女子駅伝をラスト・ランとしたとのこと。その後、寿退社されたようで、番組の中で結婚式の写真も紹介されていたそうです。
 彼女は全国高校女子駅伝第1回大会で大会前、最も注目されていた選手だったように記憶しています。筑紫女高が優勝候補筆頭だったからですが、本番ではそのプレッシャーをはねのけて1区で区間2位。区間賞の堤文子(埼玉栄高)選手とは1秒差でした。筑女は3区でトップに立ちましたが4区で4位にまで後退。それを区間賞の走りで2位にまで押し上げたのが、現順大監督の鯉川 なつえ選手でした。
 寺田は取材には行っていましたが、筑女はライターの方に任せっきりという感じで、寺崎選手も鯉川選手も取材しませんでした。いつか話す機会があったら、史記という名前の由来を聞きたかったのですが……(どこかに出ていたかもしれませんが)。親御さんが司馬遷の史記に傾倒されていたのかな、というのが寺田の仮説なのですが。
 寺田の記憶が正しければ、司馬遷は宦官です(もしかしたら、宦官じゃなくて、何かの罪で去勢させられただけだったかも)。宦官と言えば神屋伸行選手の卒論のテーマが、宦官・鄭和に関するものでした(昨年4月8日・3月28日の日記参照)。あんまり歴史ネタを書くと怒る選手もいるかもしれないので、このへんで……といいつつ、書いてしまいますが、神屋選手と藤原正和選手は、ともに史学科です。西脇工高出身選手になぜ、歴史専攻の学生が多いのでしょう。O原さんに質問しているわけじゃないですよ。
 もう1つ、大事な報告があります。
 スポニチ前陸上競技担当の中出健太郎記者からメールが来ました。ファミレス論争の仇敵・佐々木一郎記者(日刊スポーツ前陸上競技担当)がパパになったそうです。女の子とのこと。ハネムーンベビーらしいですね。奥さんとイチロー記者の出会いがイタリア(ヴェネツィア)で、新婚旅行もイタリア。名前はイタリアっぽいものにするのかなあ。ルクレツィアとか、オッタヴィアとか。さすがに名前に“ロウ”は付けてくれないでしょう。


■4月2日(水)
 昨日に続いて新年度らしいネタを。
 陸マガ次号(5月号)では、恒例の「旅立ちの春」企画があります。4月から新しい環境で頑張る選手を取り上げるコーナーで、寺田は編集部にいた頃から、この企画が好きでした。その選手の生き様が、浮き彫りになることが多いからです。
 なかには、陸上競技とは別の環境に旅立つ選手もいます。考えてみれば、専門誌が取り上げるのは陸上競技を続けていく選手がほとんどなわけですが、実際の数でいったら、陸上競技をやめていく選手の方が多いわけです。やめていく選手も、新しい道に向かって前向きなことがほとんど。決して後ろ向きの生き方ではありません。陸マガでも数は少ないですけど、そういった選手を取り上げていました。
 ところで、この時期、多くの人から“転○”のメールをいただきます。
 有名選手では山内美根子選手から、選手生活にピリオドを打つメールをいただきました。89年の北海道国体少年共通3000m優勝者、たぶん高校2年生だったと思います。同じレースには安部友恵選手、五十嵐美紀選手、竹本朱里選手、大嵜由美選手、松本初美選手、寺崎史記選手がいました。安部友恵選手は陸上競技部ではないけど頑張っています。が、一線からは半歩後退の印象があるのは拭えません。寺崎選手もサンデー毎日の実業団女子駅伝ガイドブックを見ると、デオデオのメンバー欄に名前がなくなっているので、引退したのでしょう(実業団以外で走っているのかもしれませんが)。最後まで頑張っていた山内選手が……と思ったら、小幡佳代子選手がまだ頑張っています。
 競歩のH選手も、T大大学院に在籍しながらA県のスポーツ科学専門員になると、メールをいただきました。某テレビ局のNディレクターは、1年間休職して海外留学していましたが、英語(英会話)がもう少しで「霧が晴れる」ということで、退職して留学を延長するとのこと。正直言ってうらやましいですけど、寺田にはそこまでやる勇気がないということ。
 知り合いの高校の先生からも転任状をいただきました。グラウンドを一から造成されたのをはじめ、色々な思いが詰まっている高校を転職されるのです。
 一般種目で頑張っている陸上競技部のマネジャーの方も退職されます。
 あるオリンピック選手は新しいスポンサーが決まったそうです。池田久美子選手と森千夏選手の進路も、スズキと決まりました。
 やっぱり、春は旅立ちの季節。皆さんの人生に、幸あれ。


■4月1日(火)
 再開2日目の日記です。昨日、一行日記で書いたように、このところ陸マガ次号付録・アスリート名鑑の仕事に追われていまして。でも、日記を書く時間がなかったかというと、そのくらいの時間はあったわけで、要は、精神的に余裕がなかったということになると思います。名鑑の作業をやっていて気づいた面白いことが、いくつかあるんですが、今日は4月1日。せっかくですから新年度らしい話題を。
 前回の日記は3月23日の沖縄ネタですが、そのときに紹介した矢野加奈子選手(七十七銀行)は昨シーズン終了後に結婚し、今季からは「折原」姓で試合に出るそうです。同じ七十七銀行の長岡一枝選手(400 mH59秒39)も、「小野」姓に変わっての出場になります。名字は変わっても、独身時代同様に(以上に?)頑張っていくと聞いています。東日本実業団は地元仙台開催。注目チームです。
 姓が変わったと言えば、太田陽子選手がハニカット陽子選手に。どうやら、名字と一緒に助走も変えるようです。走高跳の助走は弧を描いてバーに向かって走りますが、それをより直線的にするとか。つまり、弧を描くように大回りしていたのを、ショートカットしてバーに向かうわけです。名付けて、ハニカット助走とか……今日は、エイプリルフール。


■3月31日(月)
 名鑑の仕事、終わったあ。


■3月23日(日)
 沖縄取材2日目。といっても実は最終日。午前中に1本インタビュー取材を済ませ11時過ぎに競技場に行くと、肌寒かった昨日よりは暖かくなっていました。が、皆さんの話を聞くと、この時期の沖縄にしては気温が低いようです。昨日紹介したチームの他に陸連中距離ブロックもトレーニングをしていました(昨日は休日)。その中に世界室内帰りの杉森美保選手の姿も。石井隆士中距離部長のお話では、杉森選手は帰国したその足で、この合宿に合流したとか。設定タイムなど多少セーブした部分はあったとのことですが、それでも、かなり質の高いメニューをこなしたそうです。
 男子1500m組の練習では、小林哲也選手が安定して強かったようです。一方の800 mでは、期待される選手たちが安定して強かったということがなく、今年も大会ごとに優勝者が変わるパターンかもしれません。もっとも、練習通りにならないのが試合なんですが。
 ミズノ勢は休日。柿沼和恵選手だけが、新地さゆり選手をパートナーに走り込んでいました。ちなみに昨日の午後は、田端・田川両選手が砲丸のバック投げなど、谷川・渡辺両選手がウエイト中心のメニュー。今井美希選手はウエイトの後、立ち○○段跳びも行なっていましたが、この写真を見ただけでもかなりのものということがわかります。13mジャンパーの太田陽子選手に対抗して、三段跳にも進出する……という話はしていません。
 日体大短距離ブロックの中には、昨年10秒13を記録した注目株・田島宣弘選手の姿も。今年も大学生ですが、インカレなど学生の試合には出場しない予定だそうです。その前に、右足首の故障が治るかどうかが問題。春季サーキットにはエントリーしていますが、「10秒5の可能性より11秒台の可能性の方が大きい」と、状態はよくないようです。4月の診察結果次第では、どうなるかわかりません。
 昨日、寺田と入れ替わりだった東海大短距離勢でも、誰が好調という話も聞きましたが、また聞きの話はいかに日記とはいえ、紹介するのはやめておきます。
 七十七銀行勢は昨日の午後はウエイトがメインでした。目立つのはやはり、長身の矢野加奈子選手。一昨年の全日本実業団200 m優勝者ですが、昨年は故障でシーズンをほぼ棒に振ってしまいました。名取英二監督の口ぶりでは、まだ完調とはいえないようですが、楽しみな選手の1人です。400 mでも01年の全日本実業団2位、100 mのベストは11秒88。大化けしてリレーのナショナルチームに入ってくるようだと、面白くなります(どう面白いかはご想像ください)。
 帰りはANA90便(機中でこの日記を書いています)。帰ったらANAの株価まで上げたという「グッドラック」最終回を見ようかな……でも、今日中の締め切りが1本。



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