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2005年10月  福島国体10周年
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◆9月25日(日)
 今日まで全日本実業団の取材でした。ホーチミンで書いて以来、久しぶりの日記ですけど、書けなくなるほど忙しくなった経緯は18日までの日記に記しました。

 全日本実業団は今井美希選手の引退試合でした。試合が終了すると青山幸選手ら、一緒に競技をした選手たちが次々に挨拶に。同じミズノの信岡沙希重選手も、自身の競技前にもかかわらず、ピットに飛んできました(写真1)。
 セレモニーが行われ、高校時代も含めると15年間コーチをしてきた阪本孝男氏から花束が贈呈されました(写真2)。続いて、ミズノ総監督の中村哲郎氏からは、1m96の日本記録を跳んだ01年スーパー陸上のときの記念写真パネルが手渡されました(写真3)。
 その後フォトセッション。花束とパネルを手に持ってもらったところをカメラマンたちが撮影します(写真4)。続いて、記録表示板に移動してもらって、「1m96」の数字と一緒に写真を撮らせてもらいました。
 通常のスポーツ報道なら、最初のフォトセッションのときに、いい表情の写真が撮れればOKとなります。引退選手の写真ですから、感情がよく出ている表情で花束を持っていれば、それで十分。しかし、そこは陸上競技。やっぱり、記録(数字)を写真に映し込みたかったので、隣にいた陸マガ高野カメラマンに「記録表示板と一緒に撮る?」と耳打ち。「そうしましょうか」と高野カメラマンも同意してくれたので、今井選手にお願いしました。このあたり、寺田は本職のカメラマンではないので、独断では行動する勇気がありません(そんなことでいいのか)。
 今井選手はちょっとためらっていました。今日、跳んだ記録ではありませんし、本人にしかわからない気持ちの部分もあるのでしょう。ただ、報道する側としては、今井選手を象徴する数字ですから、是非とも撮りたい。再度お願いして、了承してもらいました。
 今井選手のそれまでの表情は、引退する選手の気持ちをよく表していたと思います。感極まったもの、ウルウル系が多かったので、最後に1つくらい和み系があってもいいかなと思って、ハニカット陽子選手のことを聞いたら、表情が和んでくれました。それが、この写真です(写真5)。

写真1
写真2
写真3
写真4
写真5

 女子走高跳表彰式の後に引退会見。その間に、阪本コーチの会見も行われていました。この2つの会見は、記事にしたいと思っています。全日本実業団ネタの日記も、もうちょっと書きたいところです。

 全日本実業団ネタの続きですが、まずは訂正を1つ。スーパー陸上の記事で井幡磨選手の3分43秒28が自己新と紹介しましたが、3分42秒01を7月のナイトオブアスレチックで出していました。陸マガではこの記録が、お兄さんの井幡政等選手の名前になっていたのです。井幡政等選手も今季好調ですから、間違っていても気づかなかったのでしょう。本来、政等選手は長めの距離、磨選手は中距離が強いのですけど。今大会初日の1万mでは政等選手が好走。一時は日本人トップを走っていました。
 スーパー陸上のあった19日の日記で、あれだけ多く好記録が出ると、その全ての選手のコメントを聞くのは不可能に近いと書きましたが……すみません、19日の日記は書いていませんでした。要は複数種目が同時進行する陸上競技は、取材が難しいということです。
 全日本実業団の男子5000mの終了後にも、以下のようなことがありました。カネボウ外舘トレーナーから「瀬戸のユウキも買ってください」と言われて、何のことかわからなかったのです。中村悠希選手の名前と引っかけているのはわかりましたけど。実は、池田久美子選手の話を聞いていて、レースは最後の1000mくらいしか見ていませんでした。
 記録だけを見たら、ケニア選手が5位までを占めて6位から大野龍二、瀬戸智弘、岩水嘉孝と日本選手が続ています。いつものレースが展開したと思われましたが、瀬戸選手だけが3000m過ぎまで、ケニア人の第2集団についたのだそうです。1万mでは大野選手が同じ走りをしていたのですが、こういった部分はレースを見ていないとわかりません。スーパー陸上では、録画したテレビ画面ではタッチダウンタイムは計測できないからと、金丸祐三選手の高校新コメントより、400 mHのレースを見ることを優先しました。

 トラック&フィールドの試合ではどうしても、長距離種目を見るのは後回しになってしまいます。1万mを30分間見続けるよりも、その間に好成績だった選手のコメントを取った方がいいかな、と。特に、タイムレースで弱い方の組は、見逃してしまいがち。長距離は駅伝やマラソンで取材する機会もありますから。
 でも、こういう試合で長距離種目をじっくり見ておくと、駅伝・マラソンが面白くなります。2001年だったと思いますが、岩本靖代選手が女子1万mの弱い方の組で快走しましたし。今回も、時間が許す限りは見るようにして、指導者の皆さんには駅伝に向けた話をお聞きしました。データも、今季詳細リストを野口純正氏から送ってもらっていますので、今すぐ駅伝の展望記事が書ける状態。特に、指導者のコメントを聞けたいくつかのチームは、面白い視点で書けるはず。
 トラック&フィールドの全国大会の取材で、駅伝ごときを結びつけるとは何事か、という非難もあることと思いますが、寺田のなかではトラック&フィールドも駅伝もマラソンも、1つの世界としてまとまっています。同じ選手が走るのですから、つながっていて当然。もちろん、ビジネスとしてもつながっていく部分。全日本実業団では、駅伝も意識した取材をするのは当たり前という感覚です。


◆9月26日(月)
 丸亀から岡山に出て、新幹線で博多に。18:30から開催されるスポーツ講演会「世界クロカンの魅力を探る」を取材するためです。大会アンバサダーの瀬古利彦・エスビー食品監督、谷口浩美・沖電気監督、森下広一・トヨタ自動車九州監督の3人が、クロスカントリーの魅力を語り合うという企画。場所はエルガーラという博多大丸に併設されているイベントホールです。会場の収容人数は600人とか。正直、ちょっと広すぎるんじゃないか、と思いましたが、500人が詰めかけました。
 考えてみたら、瀬古監督は福岡国際マラソンに4回優勝していますし、森下監督は地元福岡の有望チームを率いる身。谷口監督も人気は全国区。当初は、世界クロカンに出場した経験者がゼロでいいのかな、と感じていましたが、今日のギャラリーの多さを見て納得しました。開催地の福岡という事情を考慮した人選だったのです。

 最初にまず、今年のフランス大会やベケレ選手たちを中心に編集された、世界クロカンの紹介ビデオが映し出されました。これが20分間くらいだったと思います。続いて、地元テレビ局のアナウンサーの桐田穣さんが司会役となり、3人から話を引き出す形で進行していきました。この桐田さんが、本当によく勉強しているな、と感じました。クロカンのことはもとより、長距離界のことも、高地トレーニングなどについても、実によく知っている。ヘルシンキにも行かれたということですし。それぞれの話題の時間配分を上手く行い、各アンバサダーの方にも上手く話を振っていました。このあたり、プロだな、と唸らされましたね。
 アンバサダーの3人もそれぞれ、話術に長けているな、と感じました。指導者という職業は、選手を納得させたり、その気にさせる必要がありますから、話すのが上手くなるのでしょう。講演など、大勢の前で挨拶をする機会も多そうです。
 面白かったのが、3人のキャラの違いというか、話が展開する上で自然と、役割分担もできたようです。まず、瀬古監督が口火を切る。多少、行き過ぎた発言をしたり、ボケたりもする。それに森下監督が鋭い突っ込みを入れる。谷口監督がまとめたり、話題を転換したり。まとめ役は、瀬古監督がすることもありました。とにかく、3人とも笑いをとるツボを押さえていて、会場は終始、笑いに包まれていました。このへんは、会場に足を運んだ人間だけが味わえる特権ですね。

 3人のトークは約1時間でしたが、内容的にも濃かったと思います。現役時代にクロスカントリーを練習で行なっていたか、という話題から始まって、指導者となった現在、どうクロスカントリーを活用しているか、ロードでのトレーニングとクロスカントリー・トレーニングの違いなど、まずはクロスカントリーの話題で始まりました。ここだけでも、かなり充実した話でしたが、続いて、高地トレーニング、ケニア選手の強さ、特にトヨタ自動車九州のサムエル・ワンジル選手の話など、どの話題も面白く展開していきました。陸上ファンにとっては、こたえられない1時間だったと思います。
 陸マガ次号で、その様子を紹介します。さすがに、一言一句漏らさず再現するのは無理なので、要約することになります。3人のボケと突っ込みぶりも含め、会場の雰囲気を味わうにはやはり、直接行くしかありません。
 取材後の博多の夜は……内緒です。


◆9月27日(火)
 昨日まで日記で全日本実業団のことを紹介していましたが、ちょっと、記事に近い内容になってしまいました。量的にも、ものすごく多くなってしまって。でも、あくまでも個人的に感じた内容でもあります。そこで、日記とは別の体裁にして、超私的レポートというくくり方にして掲載しました。


◆9月28日(水)
 決断しました。10月9日のシカゴ・マラソンの取材に行きます。中国電力の3本目の矢である佐藤敦之選手も出ますし、千葉真子選手も出る。千葉選手のやろうとしていることが、北海道とシカゴに連続して出るとや、最近の言動でなんとなくわかってきて、ちょっと興味があります。外国勢ではダニエル・ジェンガ選手もいますし、昨年、圧倒的な強さを見せたルット選手も出ます。親日家のハヌーシ選手の欠場は残念ですけど。
 問題はホテルでした。昨年同様、ダウンタウンでとることが、なかなかできませんでした。マラソン開催ということもあって、どこも満室です。たまに空きがあって1泊2〜3万円というものばかり。だいたい、サイトで探すのですが、空きがない代替案として1泊5万円とか9万円のホテルを紹介してくるケースもあります。
 空港近くに1泊8500円の宿を1つキープしていましたが、昨日やっと、ダウンタウンに1泊1万7000円のホテルが見つかりました。どちらにするか、本当に悩みました。昨年は空港からダウンタウンに通いましたが、片道1時間15分の往復2時間半。地下鉄の空港駅からダウンタウンまで、約45分ですが、地下鉄駅からホテルまで、ホテルの送迎バスをつかまえるのに苦労をしました。今年キープできたのは、バスの送迎をやっていないホテル。たぶん、地下鉄の空港駅からタクシーで1往復に2〜3000円前後はかかるでしょう。それでも、空港ホテルの方が5〜6000円は安くつきます。
 もう1つ重要な要素が、LAN接続ができるかどうか。昨年の空港ホテルはできましたが、今年の候補は空港ホテル、ダウンタウン・ホテルとも、LAN接続ができるかどうか明記されていません。
 色々と考えた末に結局、ダウンタウンのホテルにしました。LAN接続ができる可能性が高いのは高いホテルの方ですし(ヘルシンキはできませんでしたが)、節約できる2時間を有効に使えば、5〜6000円は許容範囲でしょう。その時間で、将来につながる活動ができれば……とか理由をつけて、楽をする方に流れて行ってしまうのかな。


◆9月29日(木)
 TBSの「オオカミ少年」が最終回。司会が世界選手権パリ大会でミックスドゾーンを担当した豊田綾乃アナということで、ちょくちょく見ていた番組です。眼鏡をかけた彼女が、インテリっぽい部分と、深夜番組らしい部分をミックスさせ、新しい魅力を出していました。
 最終回と聞いてかなり残念に感じていたといころ、最後のボーナス設問として、「豊田綾乃アナが寿退社する。ウソかホントか」という出題がありました。思わず「ええーーっ??」と叫んでしまいましたね。残念という気持ちとはちょっと別の思いがあったというか、「まさか*********」という可能性が頭をよぎったからです。同じように叫んでいた陸上競技関係者も何人かいたのではないでしょうか。
 でも、答えはウソ。ちょっとガッカリしたような、ホッとしたような、複雑な気持ちでした。


◆9月30日(金)
 今日で9月も終わり。そういえば、今月のキャッチコピーは「つくばエクスプレスは誰?」でした。日記には、その月のコピーに沿ったネタを書くことを心掛けています。実行できているかどうかは別として。9月上旬には「つくばエクスプレス」開通記念エッセイ 筑波大400 mブロックは、黄金時代を超えたか?というエッセイを書きました(B2005年と黄金時代を比較すると?が掲載できていません。書いてはあるのですが、ちょっと確認したい部分もあって…)。筑波大選手の今季の躍進ぶりを紹介した記事です。
 その後も、スーパー陸上400 mHで庄形和也選手が48秒95の筑波大歴代2位、六大学対校100 mでは品田直宏選手が10秒33の筑波大タイと、同大の短距離・ハードル陣の勢いは止まるところを知らないかのようです。スーパー陸上400 mHで2位(48秒40のセカンド記録)と、世界選手権金メダリストのB・ジャクソン選手に迫った成迫健児選手に、質問しました(世間話として)。「つくばエクスプレスは誰?」と。
「ぼ…く…ですか?」
 遠慮がちにというか、恐る恐るという感じで答える成迫選手。自ら胸を張って宣言するというよりも、変なノリの記者に無理をして合わせてあげている感じの答え方です。
 とはいえ、今季の成迫選手の活躍は、客観的に見てもつくばエクスプレスと冠するに相応しいものでした。400 mで磯部友晴選手の筑波大記録を更新し、400 mHでは48秒35の学生歴代2位(為末大選手の47秒89は大学5年目の記録なので、4年生まででは最高)。世界選手権では準決勝まで進み、ユニバーシアードでは金メダル。
 しかし唯一、難点を挙げるとすれば、400 mのタイムでしょう。46秒16は筑波大記録でも、学生歴代では23位です。当然、日本歴代ではもっと下。磯部選手が1983年に出し46秒32は、エッセイ中でも触れていますが、当時の日本歴代2位なのです。
 実際のつくばエクスプレスは、つくば・秋葉原間を45分で走るとか。成迫選手も、最低でも45秒台で走らないと、つくばエクスプレスの称号は冠せられないでしょう。
 選手に無理やり言わせておいて、この結論はちょっとひどいか?


◆10月1日(土)
 10月に入りました。今月のキャッチコピーは福島国体10周年。1995年に開催された福島国体からもう、丸10年が経つのです。当時、寺田は陸マガ編集部にいて、何温泉だったのか覚えていませんが、旅館に泊まって競技場まで通っていた記憶があります。三重県選手団も一緒だったらしく、温泉に入っていたら小池弘文先生(ソウル五輪代表・筑波大400 mブロックの黄金時代を支えた1人)が大きな声で「失礼します」と言って入ってきたことを覚えています。
 さて、国体は毎年行われているわけですから、毎年10月はどこかの国体の10周年なわけです。なんでわざわざ福島国体の10周年を話題にするのか。それは、この10年間でスタバは雨後の竹の子のように全国各地で店舗が増えていますが、福島県には未だゼロ。その事態を嘆いているのが他ならぬ、丹野麻美選手です。丹野選手の今年の大活躍を記念して、福島国体10周年というコピーにした…わけではありません。

 以前にも書いたような気がしますが、寺田の独身最後の取材が福島国体だったのです。記憶が正しければ、国体が終わって数日後の10月22日に挙式しました。つまり、今年で結婚して丸10年というわけです。先月のベトナム旅行は、スイートテン・ダイヤモンド代わりの家族サービスでした。


◆10月2日(日)
 実業団・学生対抗の取材に行きました。通称“実学”はフィールド種目に好記録が期待できる大会と、寺田はかねがね思っています。その理由は“ピリピリ感”が少なく、選手がリラックスした気持ちで臨める試合だから。あくまで比較的ですけど、トラック種目の方が緊張感の高い試合で好記録が出て、フィールド種目の方がリラックスできる試合で好記録が出る傾向があります。
 この見解に対し、反証はいくらでも挙げられます。沢野大地選手は日本選手権で2年連続日本記録を更新しています。下仁選手の走幅跳当時の日本タイ(8m10)も日本選手権でした。エドワーズの18mは95年の世界選手権です。古いですけどビーモンの8m90は68年のメキシコ五輪。でも、ブブカは五輪・世界選手権では世界記録は出していませんよね。円盤投の日本歴代上位記録も、日本選手権ではありません。
 個人差もあるところなのでしょう。あくまで“比較的”と“傾向”の話です。気になる人は、世界記録と日本記録の変遷史を見てみてください。とにかく、寺田の個人的な見解では実学はフィールド種目に要注意、ということでした。

 と思っていたら、男子400 mで優勝した内記正裕選手(立命大)が46秒73の自己新です。これは内記選手が今、ちょうど記録を伸ばしている真っ最中という段階だからでしょう。その他のトラック種目は、ホームストレートが強い向かい風だったこともあり、記録は低調でした。トラックを周回する種目も、片方の直線の風が強すぎると、記録は難しくなります。女子400 m優勝の丹野麻美選手も53秒66で大会新でしたが、自己の日本記録は2秒近く下回りました。
 一方、フィールド種目では男子砲丸投の村川洋平選手が17m81のシーズンベスト、自己2番目の好記録で口火を切り、女子円盤投の山口智子選手が自己新(日本歴代4位)で続きます。男子ハンマー投2位の野口裕史選手の64m17もたぶんセカンド記録でしょう。男子三段跳・梶川洋平選手も16m28と、追い参ですが自己記録を上回りました。

 しかし、フィールド種目に好記録、と決めつけていた姿勢が、失敗を招きました。学生チームが日本新記録を出した女子スウェーデンRの各走者のスプリットタイムを測っていませんでした。レース展開は見ていましたが、ストップウォッチまでは押せなかった。ちょうど醍醐直幸選手が2m20に挑戦しているところだったか、その直後で植田先生に醍醐選手の技術について話を聞いているところか、どちらかだったと思います。
 日本記録が出て「しまった」と思いましたが後の祭り。しかし、何もしないよりは善後策を講じようと、川本和久先生に電話。ラップを測っていないか、確認しました。その結果、デジタルビデオの映像から丹野選手のタイムが52秒45と判明しました。


◆10月3日(月)
 先週、福岡で取材した世界クロカン講演会の原稿を書き終えました。アンバサダーの3監督(瀬古利彦、谷口浩美、森下広一)によるトークショーの部分を文字にしたのですが、テープ起こしにかかった時間が長かったですね。5年前に高橋尚子選手のインタビューを起こしたときも時間がかかりましたが、それ以上だったような気がします。
 取材対象者と1対1で話している場合、特にインタビュアーが自分以外の人間だったときは、質問内容を細かくメモをしなくてもいいので、そこでメモが追いつけるんですね。ちょっとですけど“間”ができる。しかし、今回のように3人が次々に話していくと、“間”がほとんどない。しかも、せっかく録音したものを聞き直すのだからと、一言一句、語尾まで正確に文字にします。通常の取材でメモを取っている場合、さすがに語尾までは書き取りませんし、冗談めいた突っ込みなんかも同様です。そういった違いが、テープ起こしをすると生じます。

 テープ起こしを終了したのが昨晩。原稿自体は、寺田にしては早めに進んだ方。その場での話の展開が、あっちに飛んだりこっちに飛んだりしなかったので、全体の構成をし直す必要がなかったことが大きいですね。問題は所定の行数を大きくオーバーしてしまったこと。行数を削るのに苦労をしました。3人の話がどこも面白いし、後の話につながっていく部分も多くて、紹介したいなあ、と思う部分ばかりなのです。
 一応、自分でも50行くらいは削ったのですが、それでもちょっとオーバー。後は、陸マガ編集部の高橋次長に任せました。もちろん、「短くしてください」と言われれば、こちらでするつもりでしたが、高橋次長に何かアイデアがあるようでした。


◆10月5日(水)
 陸マガのA山次長からメールが来ました。「シカゴへの旅程表、ホテル連絡先など決定したら教えてください」と。先月末(28日)に決まったときに、真っ先にメールで知らせてあったので、こちらにしてみれば「なんだろう?」と疑問が生じた連絡です。恐らく、そのときのメールは暫定案と取ったのでしょう。しかし、心理学科出身のA山次長のこと。「今さら、行くのやめたなんて言わないでしょうね」という、念押しのメールだと解釈しました。編集者は、そのくらい確認作業をしないといけないのです。個人差もありますけど。
 もちろん、行きますよ。ちょっとずつ予習も始めています。
 日本からは男子では佐藤敦之選手と渡辺真一選手、女子では千葉真子選手と早川英里選手が出場します。ダニエル・ジェンガ選手も“日本から”という表現で間違いじゃない。佐藤&渡辺2選手は、昨年のびわ湖に一緒に出場して、2人とも自己新でした。レース展開でも印象に残る走りをしました。千葉選手とジェンガ選手は、2002年のシカゴに一緒に出場したのが接点です。2時間06分16秒で2位となったジェンガ選手に対し、千葉選手は失敗レースでした。この明暗も、ちょっと面白いのです。
 テレビ東京のシカゴ・マラソンのサイトを見ると、早川選手もかなり期待できそう。中島コーチが手応えを感じているのが、ひしひしと伝わってきます。


◆10月6日(木)
 昨日で締め切りの迫っている原稿は片づけ、若干のリラックス・モード。明日からの出張準備をしながらも、読書も2時間ほど。レンタルビデオ屋で、ミュージカル「シカゴ」のDVDを借りてきました。明日の機中で見られたらいいかな、と。ミュージシャンのシカゴの方も、CDを借りて録音してあります。ただ、個人的にはシカゴって、なぜかジャズのイメージなのです。ジャズの発祥はニューオリンズとか、南部の方だとわかってはいるのですが。
 ということで、いわゆるジャズの名盤と言われるCDなんかも最近、借りまくっています。ジョン・コルトレーンとかマイルズ・デーヴィスとか。でも、サラ・ヴォーンのようなボーカルや、スタン・ゲッツなどのボサノヴァ系の方がお気に入りです。

 そうこうしているうちに、10月1日の日記の記述に間違いがあると、ご指摘のメールをいただきました。福島県にスタバはないと書きましたが、正しくは福島市にないのであって、同じ福島県でも郡山市にはあるのだそうです。それも2店も! 郡山市在住……かどうかはわかりませんが、同市ゆかりのある選手が教えてくれました。確かに、丹野麻美選手も「福島には」と話していました。それを寺田が誤解してしまったわけです。
 それと、2日の日記に実学で出た女子スウェーデンRの日本記録について触れました。そのなかで、従来の日本記録の400 m走者のスプリットは53秒台中盤だったのでしょう、と書いてしまいましたが、52秒7だったことが判明しました。学生チームは3走まで実業団にリードされていたことと、今季の丹野選手の成長ぶりから導き出した結論でしたが、この手のことはやはり、推測で書いてはいけませんね。反省しています。
 
 結局は夜を徹して過去の記事をコピーしたり、昨日紹介した5選手の戦績を調べたり。その作業中に気づいたことが1つ。シカゴ・マラソンの主催者のサイトにコース図が出ています。ちょっと小さくてわかりにくいのですが、コース上に何カ所もスタバのマークがあるではないですか。昨年シカゴに行った際、スタバが多いなと思ったことを思い出しました。スタバの発祥はシアトルですけど…。
 でも、いったいスタバがマラソンと何の関係があるのでしょう。Starbucks Runnner Updateと記されていますが、何のことだかよくわかりません。現地での宿題です。


◆10月7日(金)
 時差調整の意味もあって、昨晩は朝の7時に就寝。12時に起床しました。アメリカ行きの便は朝早いヨーロッパ行きと違い、夕方なので助かります。
 14:40に新宿の作業部屋を出て、14:57の山手線に乗れば、日暮里でスカイライナーに乗り換えて成田空港に15:40着。アメリカン航空便が18:40発ですから、余裕のはずでした。ところが、新宿駅に着いてから携帯電話を持っていないことに気づきました。今回は、日本で使っているvodafoneの第三世代携帯を、現地でも使用する予定で、現地で連絡を取り合う関係者や日本の関係者に、その旨伝えてありました。今回の使用も見越して、世界選手権前に機種変更をしたのですし。大失態です。
 泣く泣くタクシーで作業部屋まで往復しましたが、予定のスカイライナーには間に合いません。1本後のスカイライナーよりも、JRの成田エクスプレスの方が5分ほど早く着くので、そちらにしました。JRの方が1000円くらい高くつきますが(タクシー代を合わせると2500円くらいの想定外出費)、5分でも早く行って、通路側の席を確保したかったのです。腰痛持ちですから。おかげで、新宿駅で15分の空き時間が生じ、買い物が2件、文房具屋と書店でできたのですが。
 しかし、無駄足に終わりました。アメリカン航空のカウンターにたどり着いたのが出発1時間20分前。通路側はすでに埋まっていました。カウンターのお姉さんが親切で、隣の空いている席にしてくれたのが、不幸中の幸いでした。

 寺田はアメリカン航空便としてチケットを購入しましたが、JALとの共同運行便でした。ダメモトでJALのマイレージがつかないか質問してみましたが、やっぱりダメ。寺田がいつも購入する格安チケットでは、つかないものがほとんどのようです。一度だけ、エドモントンかどこかに行ったときはついたのですけど、その後は1回もつきません。最近は、いちいち聞くのも面倒くさくてしていませんでした。
 でも、陸上競技担当の新聞記者たちが、世界選手権の帰りは貯まっているマイレージでビジネスクラスにアップグレードした、なんて話を聞いたばかりだったのです。恐らく、新聞社が御用達の旅行代理店などから購入しているチケットと、寺田がインターネットなんかで探す格安チケットは、仕組みが違うのでしょう。その分、安くはなっているとは思うのですが。

 今回、初めて名古屋の旅行代理店から購入したのですが、機内サービスとして「映画・音楽・夕食・朝食」の他に「電話・電原付座席」と記されていました。電話は世界選手権から帰ってきたときのオランダ航空便にも付いていましたが、電源まではちょっと信じられません。きっとビジネスだけだろうと予想していたら、やはり付いていませんでした。想定内ですね。でも、モジュラージャックが付いています。電話機にクレジットカードを滑らす溝がありますけど、それをやればネットも接続できちゃうのでしょうか。
 通路側ではありませんが、前の座席との距離は広い方のように感じています。今、機内で書いているところなのです。結局、「シカゴ」のDVDは見ないで、コピーして持ってきた資料を読む作業を優先しました。食事の後には読書も少し。腰の調子はまずまず。

 シカゴ時間の15:40にオヘア国際空港に到着。
 地下鉄で移動して、17:50にホテルへチェックイン。無線LANの接続に成功しました。
 中国電力・坂口泰監督に電話をして、明日の予定を確認。


◆10月8日(土)
 昨晩は22時にはベッドに入り、今朝は3時半に起きました。時差6〜8時間のヨーロッパに行く分には、“極端な宵っ張り”の寺田には問題ありません。というか、ちょうどいいくらい。しかし、時差14時間のアメリカに行くとなると、“極端な早寝早起き”になります。
 起床して、まずは洗濯。本当は昨晩やるつもりだったのですが。毎日やっていた世界選手権とは違って、今日だけですけど。
 続いて、昨晩成功しなかったサイトの更新に取り組みました。無線LAN接続には成功して、メールの送受信はできていたし、ブラウザによるサイトの閲覧もできていました。なのにホームページ作成ソフトからのファイル転送でエラーが出てしまい、サイトの更新ができなかったのです。2時間ほど、他の作業もときどきしながら、あれこれやっていましたが上手く行きません。「ノートン(ウィルス対策ソフト)かな」と思っていくつか設定を変えて試行錯誤したら、上手く行きました。もっと早く気づいてもよかったところ。かなり、時間を無駄にしました。シカゴまで来てこれかよ、と思いましたが、海外でのネット接続時にトラブルは付き物。腹を立てていたらもちません。

 朝食はホテル1階のイタリアン・レストランで。6時半から開いていると昨晩のチェックイン時に聞いていたのですが、行ってみるとまだ閉まっています。フロントで「土日は7時から」と確認。今日はいいのですが、明日はマラソンが8時スタートですから間に合いません。それに、行ってみたら朝食は別料金でした(10$99)。1泊1万7000円もして、その上別料金とは。明日からは前日にパンでも買って、持参した栄養補助食品と組みあわせてしのぎましょう。
 7:30にホテルを出て、徒歩2分のclinton駅に。地下鉄で3駅を移動。選手や関係者の泊まっているパルマーハウス・ヒルトンに向かいました。8時には楽勝で着くと思っていたのですが、ちょっと油断をして失敗しました。地下鉄の駅からどの方面なのか確認もせずに地上に出て、勘に頼って歩いたら全然違う方向に行ってしまって、シカゴですけど15分近くのロス(?)。昨年も来ているということで油断をしたのが原因でした。
 8:10に朝食をとっている中国電力・坂口泰監督に合流。佐藤敦之選手と代理人のブレンダン・ライリー氏も一緒でした。こういう状況では、あからさまな取材はしません。選手・指導者・代理人・記者という立場ですから、それっぽい話にもなりますが、取材ノートを出してメモとかをとるようなことは、よほどのことがない限りはしませんね。今後の予定の確認や、世間話などに終始します。
 その最中に、いきなり後ろから脇腹のあたりを触られたので誰かと思ったら、新婚(?)のダニエル・ジェンガ選手でした。過去3年間で2位・3位・2位。もうすっかりシカゴの顔と言える選手です。昨年も同じレストランでケニア選手同士で歓談しているところを何度か見かけましたが、その中心選手という雰囲気。ケニア選手といっても部族が多いですし、エージェントや契約スポンサーでグループが違いますから、いくつかあるグループの1つと思いますが。
 豊田自動織機の塩川マネジャーも近くにいらしたので挨拶。初対面でしたが、9月末頃に一度、電話で話していた方。しばらくすると千葉真子選手もやってきました。やはり、取材ノートを取り出すようなことはしません。でも、かなりいい話が聞けたので、今後の取材に役立つのは確かかな、と感じました。このあたり、取材する人間が少ない試合に行ったからこそ、できること。国内のマラソンの前日に、こんなことは絶対にできません。
 そうこうしているうちに早川英里選手と中島進コーチも朝食に来ました。2年前の名古屋国際女子マラソン以来ですから、改めて挨拶をしました。今回のマラソンでは、佐藤選手と千葉選手が期待されていましたが、早川選手もかなりやるのではないかと予想しています。今後の取材に役立ちそうな雑談を、挨拶のついでに少しさせてもらいました。

 10:50から佐藤敦之選手の練習。ホテルからミシガン湖までは直線で300〜400mくらい。師弟の会話の邪魔にならないよう、控えめに着いていきます(写真も2〜3枚、撮らせてもらいましたけど)。メニューは1km×1本で、タイムにはこだわっていないようです。「3分、動かせばいいんだから」と坂口監督。火曜日の1万mの刺激では29分18秒で走ったそうです。
 ミシガン湖畔に着くと、ジェンガ選手と安田亘監督もいます。ジェンガ選手とも前述のような間柄ですから、ちょっとだけカメラを向けさせてもらいました。ジェンガ選手も1kmの刺激ですが、安田監督も自転車で伴走。明日のレースでも、自転車で何カ所かを回るようです。
 そうこうしていると、“岡山のSP記者”こと朝日新聞の小田記者も合流。今回、日本から来たペン記者は、この2人だけ。正確には小田記者はベルリン・マラソンを取材して、その後いくつかの取材を“そちら”方面でこなし、ドイツからシカゴ入りしています。

 練習後、坂口監督のパソコンの調子がおかしいというので、パルマーハウスの坂口監督の部屋に。同室の山陽特殊製鋼・小林正明コーチに挨拶。聞けば、兵庫県の飾磨工高出身で、神戸新聞の大原記者とは同学年とか。陸上どころ兵庫のネットワークの広さを、シカゴでも思い知らされました。
 坂口監督のパソコンはネット接続ができているのに、ブラウザにページが表示されないという症状。海外で何度も、この手の修羅場をくぐり抜けてきた小田記者が修復にトライしましたが、どうにもなりません。寺田も今回、日本で使っている第三世代携帯をそのまま使用していますが、日本との急ぎの連絡は携帯のメールでしています。音声通話だと1分間150円が、受け手側にもかかりますから、メールが便利かな、と思っています。でも、長文が上手くダウンロードできなかったり、返信がいくらやっても送れなかったり。海外ではまだまだ、こういったトラブルがつきまといます。セビリアやエドモントンの世界選手権の頃に比べたら、格段に便利になっているのは確かですが。

 昼食は小田記者とパルマーハウス近くのカフェで。昨年、高岡寿成選手をレース後に取材した店は満席だったのですが、100 mほど離れるとかなり空いていました。昼食後に再度、坂口監督と合流して、今度は取材としてきっちり話を聞かせてもらいました。
 その取材中、渡辺真一選手が通りかかったので、明日の目標とか、どの集団に着くのか、練習の状態など、ちょっとだけ話を聞きました。時間にして3分くらい。
 14時半頃に、大会本部やプレスルームのあるヒルトン・シカゴに移動。歩いて10分くらいの距離です。アクレディテーションをしてIDやら資料を受け取ります。16時のテクニカルミーティングまで原稿書き。テクニカルミーティングも傍聴できます。理解できるのは2〜3割ですが、よく聞いていればペースメーカーの中間点通過タイムはわかります。ペースメーカーの選手たちはその場で、壇上に上がって紹介されます。あとは、事務的な連絡が多いですね。
 ミーティング後には、拓大紅陵高出身のパブロ・オルメド選手と再会。福岡国際マラソンでペースメーカーを務めたときに取材をして、陸マガに記事と写真を掲載しました。福岡でペースメーカーが公認された最初の年ですから、2003年ですね。99年のセビリア世界選手権のときにも取材しています。オルメド選手もこちらのことを覚えていてくれました。福岡では日本語で会話をしましたが、それから2年が経っていますし、こちらも海外ということで、少しは英語モードになっているので、英語で話しかけました。そうしたら「日本語で大丈夫ですよ」とオルメド選手。彼と話をするのはまだ3回目ですが、いつもほっこりした気分にさせてくれる選手です。
 オルメド選手の次には中島コーチに取材。10分くらいでしたが、かなり面白い話が聞けました。

 19時までプレスルームで原稿書き。有線LANでネットに接続できるのは助かります。19時からの行動は企業秘密。22時に宿泊ホテルに戻り、シカゴですけど入浴。23時には眠くて原稿が書ける状態ではなくなったので就寝。


◆10月9日(日)
 4時に起床してホテルの自室で朝食。昨晩、食料を買うのを忘れていましたが、持参の栄養補助食品で十分に事足りました。取材の準備を済ませてから、代理人の記事を書いて、6時にはサイトにアップ。代理人別の選手一覧表は、昨日のうちに作成するはずでしたが、途中で終わってしまいました。これが結構、大変な作業でしたね。
 6:50にホテルを出て、今日はタクシーでヒルトン・シカゴに移動。今年は一眼レフカメラに交換レンズ3本と、カメラをフル装備で取材に当たりますので、荷物もかなりあります。パルマーハウスは地下鉄の駅から近いのですが、ヒルトン・シカゴの方はちょっと駅から距離があります。逆に、道路の方が直線的に移動ができる位置関係。
 メーターは4$80でしたが、タクシーの運転手は「チップ込みで6$だ」と言います。「あんたの年収と俺と、どちらが多いと思っているんだ」と言ってやろうかと思いましたが、英語が出てきませんでした。まあ、慣習の範囲内の金額ですけど、「チップに頼っているから社会が活性化しないんだ」と、記者の誰かが言っていました。寺田も同感です。チップはクラシカルな社会(階級社会)の象徴のような気がして、あまり好きではありません。ちなみにホテルのベッドメイクにはいっさい、チップは置きませんでした。サービス料込みの値段と明記してありましたから。

 プレスルームに荷物を置き、現地の日本人記者の方たち(共同通信や時事通信)に挨拶。陸上競技の知識はこちらが上ですが、英語は現地の記者がはるかに上。今回のような海外取材では、ギブアンドテイクの関係でやっています。
 7:35にはカメラと交換レンズを持って出発。昨年はレンズ一体型のカメラ1台での撮影でしたし、初めてで距離感もわからなかったので、スタートを撮って3.2km地点に走りました。コーチ陣はそれができても、運動不足の寺田にはかなりきつかった記憶があります。疲れが原因で食あたりになったベトナムの例もありますし、今回はカメラ機材も昨年より重いので、スタートは撮らずに最初から2km地点に。シカゴ・マラソンの主催者のサイトのコース図を見てもらうとわかると思いますが、2km、5km、19.5kmと、ちょっとずつ移動すれば3個所で撮影ができます。
 前半はまだ、特に男子は大集団が崩れていません。日本選手をちゃんと撮れるかどうかは、可能性としては半々です。半々というより50%以下。女子も、男子選手に囲まれている可能性があります。実際、2kmでは佐藤敦之選手も渡辺真一選手も厳しくて、一瞬だけファインダー内にとらえましたが、ピントが合わせられませんでした。大会関係車両が邪魔なのです。と思ってしまうあたりが、プロとの違いでしょうか。千葉真子選手も失敗。早川英里選手だけが上手く撮れました(シカゴ・マラソン写真集参照)。この辺は、運ですけど。

 5km地点であれ? っと思ったのが、男子のトップ集団の通過タイム。看板と一緒にタイマーが設置されていますが、15分30秒の通過。スタート直後は北上するコースですけど、風が例年と逆風なのかな、と思いましたが、女子のトメスク選手と千葉選手は16分12秒とかなりのハイペース。実際、撮影していて風はそれほど感じませんでした。男子は昨年の5km通過が14分24秒と超ハイペースで失敗しましたから、今年のペースメーカーがそれを気にしすぎたのかもしれません。
 5kmを選手が過ぎて次の撮影ポイントの19.5kmまで、時間が30分近く空きます。その間に、高層ビル群を背景とした写真を撮りました。ただ、この写真のビル群は、ダウンタウンの中でも超高層ビルが林立するループ地区の端っこで、高さもちょっと低めなんです。本当の中心部に行くと、暗くて撮影が厳しくなりますし、3カ所移動をスムーズに行うにも、ループ地区北端がベストと判断しました。
 19.5km地点に移動してすぐに、スターバックスに。大会主催者サイトのコース図に、スタバのロゴがいくつも表示してあって、「Starbucks update」と記されていたのが、気になっていたのです。今回、シカゴ・マラソンを取材するにあたって、最大の注目点でした、というのは嘘ですけど。もしかしてタダでコーヒーが飲めるのでは? と意地汚い期待も抱いて行ってみたのですが、それはなさそう。こんな張り紙がしてありました。どうやら、無線LANの接続ができて、主催者サイトでリアルタイムに、自分が知りたいランナー(知り合いということでしょう)が何kmを何分で通過したのかが調べられる。その他、ちょっとしたパンフレットなどが置いてあるくらい。大したことではありませんでした。
 5kmでは佐藤選手と千葉選手の撮影に成功。19.5kmでは渡辺選手と早川選手をキャッチ。19.5km地点では、佐藤敦之選手が集団の最後尾。やや遅れ加減なのが気になりましたが、好調と聞いていたので立て直すと信じてプレスルームに向かいました。カメラマンに専念できるのなら、後半にもう1個所、そしてフィニッシュ地点で撮影したいところです。しかし、本職はライターですから、後半はレース展開をテレビでチェックするため、プレスルームに戻るしかありません。

 シカゴ・マラソンのプレスルームには、4台のテレビが設置されています。部屋の前方に左右2個所、中ほどにも左右2個所。3台はアメリカのテレビに実際に放映されている画面で、前方の1台が、画面が4分割されています。1つは男子先頭集団、1つは女子先頭集団、1つは他の3台と同じ放映画面、そしてもう1つがテレビ東京のカメラの画像です。ずっとそうだったのかどうかはわかりませんが、違っていたら岡山のSP記者から指摘があるでしょう。
 テレビ放映画面は日本のそれとはずいぶん違います。トップ集団はろくに映さず、市民ランナーたちや、レポーターのトークを延々と映します。これはロンドン・マラソンも同じような感じでした。トップ集団のレース展開など、どうでもいいというスタンスです(ちょっと言い過ぎか)。
 では、記者たちはどうしてレース展開を把握しているかというと、4画面のカメラの先頭集団の画像を、役員がマイクで解説しているのが頼りなのです。役員がこれは誰、これは誰と、小さい画面を指さして説明する。陸上に詳しくない記者向けに、戦績なんかも付け加えて。
 4分割された画像ですから、その分選手が小さくて、顔もわからなければナンバーカードも判読できない。前から2列目に席を確保した寺田ですら、ケニア選手が集団でいたら、ジェンガ選手以外は誰が誰だわかりませんでした。“動き”や体型で、これは誰とわかるほど、このクラスの選手を見慣れているわけではありません。まして、同じメーカーと契約していると、同じユニフォームを着ていたりする。あれって、やめてほしいなあ。海外のグランプリでアレン・ジョンソンと劉翔が、まったく同じユニフォームを着て競り合っているのも違和感がありましたけど。

 記録の配布も、去年よりひどくなっていました。まずは、1マイル毎の通過タイムが大きなホワイトボードに記入されていくのですが、記者会見があるためか、レース終了後すぐに撤去されてしまいました。これは、もしかしたら昨年も同じだったかもしれません。違いは、昨年は1マイル毎のタイムがプリントアウトされたのに、今年はそれがなかったこと。5km毎も昨年は、レース中にどんどんプリントアウトしていたのに、今年はレース終了後かなり経ってから。ネットに出ているからそちらを見ろ、というスタンスのようです。確かに、LANケーブルの数は増えていたような気がしますが。
 ひどかったのは、15kmのタイムが結局、出なかったこと。最後まで、出ないか確認し続けました。恐らく、チップの読みとり機械の故障なのでしょうが、こういったミスは日本では許されませんね。日本でも皆無ではありませんけど。

 取材はエリートランナーは全員、フィニッシュ地点から本部ホテルに来るので、取材ができます。来るまでにちょっと時差が生じるので、そこで昼食をパパッと済ますことができれば、日本に電話連絡をすることもできました。共同会見は男子2位のマイヨ選手、優勝のリモ選手、女子2位のトメスク選手、優勝のカスター選手、3位の千葉真子選手、男子3位のジェンガ選手という順番でした。
 ここでも主にカメラマン。最初に壇上の司会者が選手にいくつか質問をするのですが、気になったのは女子の1・2位の両選手の視線。常に、自分の横にいるインタビュアーに向けていました。質問者の目を見て答えるのは通常だったら礼儀ですけど、こういったシチュエーションでは実際の質問者でなく、会見場の記者たちに向かって話すのがベターでしょう。今回の女子1・2位選手や男子のマイヨ選手は、会見中の写真は横を向いているものばかり。その点、リモ選手と千葉選手は、しっかり会場の方を見て話していました。この辺は、代理人が教育すべき部分かも。それにしても、北海道マラソンでも感じたことですけど、千葉選手の表情はすごくよかったと思います。

 千葉真子選手の共同会見後、日本人記者だけで囲み取材。その後、ちょっと時間が空いて、渡辺真一選手を見つけて話を聞きました。後半はオルメド選手と一緒に走っていたという話になったらちょうど、そのオルメド選手が通りかかったのでツーショットの写真を撮らせてもらいました。プレスルームに戻ると、部屋の外で佐藤選手を日本人記者たちが囲んでいたのでそこに合流。聞けなかった冒頭部分の話は、後で他の記者から教えてもらいました。
 それから後は寺田の単独取材ですが、安田監督とジェンガ選手に話を聞きました。日本と連絡をして陸マガの記事が千葉選手中心と決まったので、ドーピング検査と応援団への挨拶が終わるのを待って、もう少し千葉選手から話を聞きました。
 取材が全部終わったのが14時頃。記録や資料を集めたり整理するのに約30分。陸マガの締め切りは翌朝早朝でしたが、これは昨年のように、取材が夕方までかかることを想定しての設定。14時だったら夜までに書けるかな、とプレスルームで書き始めたら、15時でプレスルームはクローズ。ホテルとの契約なのでしょうが、ちょっと早すぎますね。
 ロビーの片隅ででも書けないかと場所を探しましたが、ランナーやマラソン関係者でごった返していて厳しい状況。だったら、近くのカフェで、せっかくだからスタバで書こうと外に探しに行きました。西へ300〜400m歩いて1軒見つけたのですが、面積の狭い店で満席状態。さらに西へ西へと探したのですが、カフェが全くないビル群が続いて、それが途切れたと思ったらシカゴ川。そこを渡ればもう、寺田の宿泊しているホテルでした。といっても、20分以上は歩きましたね。

 ということで、自分のホテルで原稿書き。ネットで調べ物もできるので、問題なく書けます。ただし、ベッドが側にあるとダメですね。眠気に勝てずに、半分(千葉選手分)を書き終えたところでダウン。3時間ほど眠ってしまいました。起きたら8時。さらに2時間をかけて書き上げました。


◆10月22日(土)
「いつ、シカゴから帰ったんですか?」
 陸マガ高野カメラマンから言われたのは、岡山のホテルのロビー。明日からの岡山国体取材のため19:30に岡山入り。偶然一緒になった秋山編集者とホテルにチェックインし、無料LAN接続がロビーでしかできないということだったので、ロビーでパソコンを広げていると、陸マガ高野カメラマンと椛本カメラマンが通りかかったのです。
 そういえば、シカゴ以後の日記を書いていませんでした。11日に帰国した後は比較的ゆったりモード。あくまで、いつもと比べた場合ですが、3日間ほど特に取材もなく、読書量が増えた時期です。原稿の締め切りも少々ありましたが、文庫本を1日300ページ読むコツを、この年齢になって会得しました。為末大……じゃなくて収穫大。こういう時期が重要です。

 15日には新潟に。新潟ビッグ陸上フェスタの取材です。15日の夕方が記者会見には招待選手全員が出席して壇上で紹介されました。これは、顔写真を撮る絶好の機会でしたね。寺田とISHIRO記者がここぞとばかりにシャッターを押していました。しかし、翌日の試合は欠場した選手がけっこういました。コンディショニングの難しい時期の試合ということでしょう。実際、なかなか好記録は出ません。しかし、走りやすいトラックだと話していた選手もいましたし、記事にもしましたが男子走高跳など、記録的によかった種目もありました。
 この大会の特徴は震災へのチャリティーであることですが、そのためには集客が重要になります。スタジアムの外でも各種イベントを行なって、家族連れで来られる雰囲気をつくっていました。それはスタジアム内でも同じで、午前中には地元選手用の記録会やリレー競技が行われ、14時からの招待競技までの間に地元で行われているお祭りや、バスケットボールの新潟アルビレックスの選手を招いたクリニックが続きます。
 そのうちの1つにアルビレックスのチアリーダーたちによる演技がありました。寺田が予定していた取材の1つに、チアリーダーの1人に話を聞くことがありました。実は、96年の関東インカレ100 mHに優勝した土江由紀さんが、チアリーダーの一員になっていたのです。しかし、残念なことに土江さんは引退してしまわれたとのこと。今は経験を生かして、その手のこと(エアロビクス?)のインストラクターをしていると、関係者から聞きました。ちなみに、土江さんのお兄さんが土江寛裕選手です。

 陸上選手としては野口みずき選手、為末大選手、沢野大地選手がゲストとして参加。野口選手は小・中学生(高校生も?)と一緒にトラックを、とっても嬉しそうに走っていました。為末選手と沢野選手はこんな感じで入場。これも、サッカーを参考にした演出でしょう。主催の新潟ビッグ陸上フェスタ実行委員会は実質的に、アルビレックスを持つNSGグループです。久保倉里美選手の所属する新潟アルビレックスランニングクラブも、その傘下にあります。
 為末選手と沢野選手はトークショー。為末選手の話術は相変わらず冴えていて、ちびっ子たちを惹きつけます。沢野選手はポールを手にとって実技指導。こういった取り組みが、陸上競技人口の拡大に貢献します。
 この大会は前述のようにNSGグループが運営の中心になりました。実行委員長は大野公彦氏写真左。右は小林コーチ)。自身も元中距離選手で国武大時代に関東インカレ1部800 mで8位、日本インカレ1500mでも8位に入賞した経歴を持っています。1500mの自己ベストは3分50秒91。地元に戻って新潟県体協に1年間勤務した後、アップルスポーツカレッジ(NSGグループの経営する専門学校)に移り、昨年、小林哲也氏をコーチに招聘し、新潟アルビレックスRCを立ち上げました。
 今は久保倉選手と長距離選手数人ですが、来年は大卒の長距離女子選手が2名加入予定だそうです。これまでの実業団チームとは違う地域密着型で、RC会員や地元企業のスポンサー支援を受ける形です。詳しくは、新潟アルビレックスRCのサイトをご覧ください。
 今年でまだ28歳の大野氏。その活動はスタートしたばかりで、結果を評価する段階ではありませんが、陸上競技に対する情熱はすごいものがあります。注目していきたい人物です。

 17日から19日までの3日間はまた、読書量が増えましたが、電話取材や締め切りも少々。20日から7泊8日の長期出張に出ますので、その準備も。これだけの期間だと、その間に書く原稿の資料も必要ですから。
 20日の夜に東京を出発し、21・22日と西日本某市で取材。いい取材ができました。手応えがあります。問題はいつものことですが、所定の文字数以内で上手くまとめられるかどうか。
 で、今日22日の夜に岡山入り。LAN接続が部屋ではできずに、ロビーでしかできないので冒頭のシーンとなりました。LANケーブル差し込み口は4個しかありませんし、スペース的にも何人も同時にはできそうにないので、今後が心配です。
 その後、コンビニに行くと某専門誌のE本編集者とO村ライターが買い物をしていました。この後、岡山では有名な○○○○に行くと言って出ていきました。
 部屋に戻って洗濯。7泊8日ですから、これから毎晩行う日課になります。でも、今回のホテルは、ネットは不便ですが部屋の中に干す場所があるので助かります。場所も駅に近いですし、スタジアムは駅から徒歩15分くらいだそうですし。
 テレビを見ていたら、為末選手がナインティナイン(片方が上田誠仁監督に似ている)の番組に出ていました。明日からの国体でも、為末大選手が一番の注目。競技には出ませんが、陸連の表彰を受けに来場する予定です。競技に出ないのになぜ、注目するのか? それは会場が桃太郎スタジアムですから…。


◆10月23日(日)
 国体取材1日目。9時前には桃太郎スタジアムに到着。フィニッシュ地点外側にプレハブのプレスルームがありました。設備なんかはだいたい、例年と同じパターンです。違うのは無線LANができること。最初は設定方法がわからずなかなか接続が成功しませんでしたが(説明書きがあったのですが)、昼頃にスタンドのプレス席で再トライしたら成功しました。記録速報のサイトなんかもチェックできます。今までは配られた記録を整理して見つけやすいようにしていましたが、無線LANができるとなると、ネット上で記録速報のサイトを見た方が速いことも。
 これからの時代はやはり、会場の無線LANは必須事項でしょう。来年以降の開催地というか、大きな大会の開催時にはぜひ、実施してもらいたいです。日本選手権、インターハイ、インカレ、全日本実業団。駅伝でもぜひ。そのうち、記録を配らなくてもよくなる時代が来るでしょう。画面上で確認して、必要な人だけプリントアウトする。無線LANの導入にお金はかかりますが、人件費や紙代が節約できます。

 トラック種目は400 mHで始まりました。少年A女子、少年A男子、成年男子の順でしたが、成迫健児選手(大分・筑波大)が快走。今日は予選だけですが、明日の決勝を楽しむことができそうだと思ったので、この記事を書きました。残念だったのは吉沢賢選手と千葉佳裕選手の予選落ち。吉沢選手は10台目で明らかにハードリングが乱れて、一気に後退しました。
 レース後、ファンに囲まれた成迫選手はなかなかテントに戻れません。この辺が人気選手のつらいところ。どのくらい人気がある選手が囲まれてしまうのか、判断の難しいところですが、付き添い役をつけることを考えてもいいかもしれません。ミズノの等々力信弘さんがいつも引き受けている役目ですね。
 成迫選手の取材から戻る途中、地元天満屋の武冨豊監督とお会いしたのでちょっとだけ雑談。なかなか調子が上がらない坂本直子選手や、東京国際女子マラソンに出る松岡理恵選手の状態を聞きました。

 成迫選手を取材した関係で、少年A女子100 mの予選は最終組しか見られませんでしたが、少年A男子100 mは予選も全組、しっかり見ました。同時に行われていた少年B男子円盤投では、高1記録を出している堤雄司選手(札幌拓北高)が再度、53m台の快記録で優勝。一緒にいた高平慎士選手が父親の指導を受けていることなどの情報を教えてくれて、その後の取材の役に立ちました。これは堤選手自身から聞いたことですが、中学時代の先生は女子棒高跳元日本記録保持者の小野真澄先生だそうです。
 軽い重さの円盤でスピードを重視した練習をしているのは、室伏広治選手が日本陸上競技学会で講演した内容を陸マガで読んで、参考にしたそうです。高橋次長が目にも留まらぬ速のタイピングをして入力した甲斐がありました。

 成年女子800 mでは、丹野麻美選手にミックスドゾーンで取材。明日の決勝の1周目が速くなったら付いていくのかどうかを聞いておきたかったのです。その内容はこちらの記事で。久保倉里美選手の参加資格記録欄が空欄で、もしかして初800 mではないかと、しばらく後で気づきました。2分9秒99が初800 m最高記録ということを確認し、サブトラックに。途中で新潟県の小林哲也コーチにばったり合ったら「3回目みたいですよ」とのこと。だったら取材はしないでいいか、とも思ったのですが、新潟アルビレックスRCのコーチでもある小林氏が「取材をしてやってください」と言うので、サブトラックに。
 久保倉選手はダウンをしている最中だったので、モニターで少年A女子100 mの準決勝を見ました。予選が見られなかったので、なんとか準決勝は見ておきたかったのです。逆に、少年A男子100 mは予選が見てあったので、準決勝はあきらめてサブトラで取材。久保倉選手のほかにも、長距離関係者5人に話を聞くことに成功。駅伝の展望記事に役立つ取材ができました。
 それにしても、箱根駅伝予選会の翌日にもかかわらず、大学の長距離指導者がたくさん来ていました。実業団の指導者はそれほどいません。高校生の多くが大学を志望するからでしょうか。

 少年Aの男女100 mでは好タイムが続きました。後に行われた男子の方から紹介すると、金丸祐三選手が10秒32(+2.0)で優勝しました。終盤にグンと抜け出る強さは驚異的。高校歴代7位でしたが、この種目は過去の記録のレベルが高すぎます。400 mのインターハイ優勝者が出したタイムとしては、もちろん過去最高。元々、100 m・200 mの選手でしたから、本人はそれほどすごいことという意識はないようですが、客観的に見たら本当にすごいことです。
 先に行われた女子もすごかった。高橋萌木子選手(埼玉栄高)が11秒69で優勝しました。高橋選手自身は初めて高校記録(11秒62)の更新を狙ったと言っていましたが、11秒69は高2最高、高校歴代3位の記録です。そして、埼玉栄高記録でした。柿沼和恵選手(埼玉栄高→中大→ミズノ)の11秒75(1992年)がこれまでのタイム。
 近年、高校陸上界で大活躍している埼玉栄高勢ですが、100 mから800 m、100 mH、走幅跳、円盤投など、大森国男先生(現京セラ監督)が指導していた頃の記録は、なかなか破れませんでした。特に短距離は、柿沼選手が11秒75(昨年末時点で高校歴代6位)、23秒82(同2位)、53秒45(高校記録)を持っていて、後輩にとっては手が届かない存在でした。そのうちの1つを崩したのです。
 高2記録も、阿万亜里沙選手と北田敏恵選手が持っていた11秒73で、1978年と86年の記録。2人の記録が出たときは日本新と日本タイでしたから、今日の11秒69は、長く陸上競技を見続けてきたファンには感慨深い記録だったのです。
 砲丸投も大森・栄時代の記録レベルが高かったのですが、昨年、吉田いずみ選手が14m68と更新しました。その吉田選手も、今日の少年共通女子砲丸投で優勝しました。

 トラック最終種目だった成年女子5000mでも、埼玉栄高のOBが活躍しました。京セラに入社4年目の石井智子選手(京セラ)が15分36秒72で2位。杉原加代選手(パナソニック)のラストスパートに勝てませんでしたが、自己記録に0.43秒と迫る好タイム。全国大会2位というのも初めてです。
 高校では800 mで2分14秒台がベストだったというので、大森監督がいくら埼玉栄高の前監督とはいえ、入社の経緯を確認せざるを得ませんでした。石井選手が入学した時点ですでに、大森監督は京セラに移っていた時期じゃないかと思ったのです。この勘は正しかったのですが、石井選手が中学2年時まで大森監督が埼玉栄高にいらして、当時からすでに走りを見てもらう機会があったのだそうです。
 全日本実業団対抗女子駅伝にはまだ、1回も出場したことがありませんし、昨年は埼玉栄高の1学年後輩でもある吉野恵選手(京セラ)が国体で優勝するなど台頭しました。その状況でもコツコツと努力をして、ここまできました。埼玉栄高というと高校時代に華々しく活躍するエリート集団というイメージがありますが、こういった選手もいるのだと知って驚かされた国体1日目でした。


◆10月24日(月)
 国体取材2日目。昨日同様、陸マガ・グループと一緒に9時前に桃太郎スタジアムに到着。無線LANでネットに接続して日記をアップ。読み返してみて、これでは半ば記事になっているじゃないか、と思いました。全日本実業団のときのような超私的レポートにできたかな、と。
 午前中は比較的、ゆったりしたタイムテーブル。それも予選がほとんどだったので、上手く時間を見つけて買い物に。長期出張ということもあり、取材ノートがなくなってきていました。それと2〜3年愛用してきたサングラスが壊れてしまったのです。まずは、サングラスを探して各メーカーのテントに。でも、どうやらどこのメーカーも置いていません。さすがに、サングラスまで自社で製造しているところはないのでしょう。置いても売れないのかもしれませんし。
 いくつかのメーカーには知っている方もいて、ちょこちょこと話をして情報を仕入れます。ですから、決して無駄足にはなりません。そこで、スポーツ用品店が競技場のすぐ外にあることを教えてもらい、さっそく行ってみました。しかし、サングラスはありません。しかし、並びにコンビニが2軒あって、取材ノートと弁当を購入。幸い、桃太郎スタジアムのホームストレート側のスタンドは屋根が大きく、直射日光にさらされないので、サングラスがなくてもしのげます。

 ミックスドゾーンに行ったのは12:10からの少年女子A1500mが最初。小林祐梨子選手のコメントを取材しました。その後は成年男子400 mHや成年男女の100 m、成年女子800 m、少年男子A5000mなど。優勝者に加えて2位以下の選手まで取材した種目もあれば、優勝者を取材しなかった種目もあります。少年女子B3000mWでは優勝した上條のどか選手(雰囲気が安部友恵選手にちょっと似ています)に、旧知の信濃毎日新聞・中村恵一郎記者が話を聞くところだったので、横で一緒に話を聞かせてもらいました。いわゆる“便乗取材”というやつ。
 成年女子800 mのレース後にミックスドゾーンに行くと、優勝した丹野麻美選手の前はすでに記者たちで一杯でした。離れた位置に陣取っていると、目の前に3位の佐々木麗奈選手がいます。2分05秒台と久しぶりの好タイムだったので、少し話を聞きました。これが“思いがけず遭遇取材”。インタビュールームでは2位の陣内綾子選手の取材を、地元紙と思われる記者の方が取材されていました。丹野選手が着席する前の10〜20秒くらいの間に、そのコメントが聞こえてきたのでメモができました。これが“遭遇瞬間取材”(もっといいネーミングがないかな)。

 惜しむらくは、少年女子共通やり投で、ジュニア日本新をマークした松本百子選手のコメントを聞き逃したこと。投てきは見ていたのですが…。少年A男子800 mに1分49秒81の大会新で優勝した横田真人選手は、話を聞こうかと思いましたが、インタビュールームから急ぎで移動しなくてはならないタイミングでできませんでした。
 高校生の取材機会は普段、それほど多くないので、面識のあるシニアの選手ほどスムーズに話ができません。しかし、国体は高校生・中学生を取材できる少ない機会だからこそ、この機会を大事にしないといけない。少年A男子5000mはしっかりレースも見て、取材もしました。森賢大選手がケニア選手を破って優勝したレース。取材の最中に、日本人選手たちが13分台を出したことを喜んでいることに気づきました。好記録を出したのだから当然といえば当然ですが。森選手によれば今の3年生は「谷間の世代」と呼ばれているようです。2つ上が上野裕一郎選手、松岡佑起選手、北村聡選手、伊達秀晃選手の学年で、1つ上がダブル佐藤ですから、比べられてしまうのでしょう。
 しかし、同一レースで4人の日本選手が13分台を出したのは初めてではないか、とレース直後から感じていました。表彰までの時間でそのことを資料で確認。表彰式前に選手たちに声を掛け、表彰式後に4人で写真を撮らせてもらうことに。1人で行動に移す勇気がないので、陸マガ中野カメラマンを誘って撮影しました。これが、そのときの写真です。選手たちも喜んでくれたようで、こちらも嬉しかったですね。

 20時頃まで資料整理と成迫健児選手の記事の執筆。帰り際、携帯電話を見ると高岡寿成選手からメールが来ていました。今日は15:20から世界選手権、ユニバーシアード、世界ユースで活躍した選手への表彰式があって、高岡選手も来ていましたが、話をする機会はありませんでした。次のマラソンを2月の東京国際に決めたとのこと。てっきり4月のロンドンだと思っていたので、その経緯を聞かせてもらおうと、電話でちょっとだけ話を聞きました。名付けて“TT間ホットライン取材”
 その後はお誘いがあって食事に。桃太郎ビールを注文しようとしたら、岡山のSP記者に「そんなビールはありません」と止められました。


◆10月25日(火)
 国体取材3日目。今朝は書かないといけない原稿もあり、ちょっと遅めにホテルを出て、タクシーで桃太郎スタジアムに。11:30からの成年男子400 mに間に合わせようと焦ってスタンドのプレス席に行くと、11:40の開始でした。こちらの勘違いが原因ですが、なぜか得をした気分になります。

 男子400 mは今日が予選で明日が決勝。予選3組終了後にスタンド下に降りると、3組1位(46秒47)の佐藤光浩選手がいたので、10年前の福島国体の思い出を聞きました。昨日の100 m決勝後には、同学年の宮田貴志選手にも同じ質問をしています。ちょっと前にも書きましたが、福島国体は寺田の独身最後の取材した大会だったのです。
 佐藤選手の話を聞き終えて振り返ると、2組2位(46秒46)の成迫健児選手がファンに囲まれてサインをしています。成迫選手に後で聞くと、「かえって疲れを忘れられる」と嫌がる風はありませんが、選手のコンディションへの影響を考慮して、役員の方が控えるように注意をしていました。こういうとき、選手1人で歩くよりも、両側を誰かが一緒に歩いた方が囲まれずにすみます。ということで、TBSの池田ディレクターが左側を、寺田が右側をサブトラックまで一緒に歩きました。
 明日の決勝の目標タイムを聞こうとしたとき、つくばエクスプレスのことを思い出しました。400 mで45秒台を出したら、その称号を成迫選手が名乗ってもいいのではないか、と以前に書いたのです。秋葉原・筑波間を45分で走る電車ということもあって。でも、よく考えたら45秒8〜9台だったら、今の成迫選手なら出して当たり前。それを話すと成迫選手も同じように感じていたらしく「45秒6〜7台を出さないとダメでしょうね」と言います。
 サブトラックに着いて引き返そうとすると、今度はヒゲを剃った山口有希選手に出くわしました。成迫選手と同じ2組で1位(46秒43)。新潟ビッグ陸上フェスタ後はいい練習ができているらしいのですが、明日の目標タイムは45秒99とのこと。大学2年時から続いている45秒台を途切れさせたくないということのようです。46秒53で1組トップの堀籠佳宏選手も好調そう。熾烈な戦いとなりそうな予感がします。

 女子400 mは福島大1年生の青木沙弥佳選手が優勝。2位に吉田真希子選手、3位に久保倉里美選手と福島大OBが続き、4位に福岡大2年の櫻井里佳選手が54秒89で入りました。櫻井選手の54秒台は自身初で静岡県新記録。誰のコメント取材を優先するか迷いましたが、櫻井選手は日本選手権400 mH優勝者にもかかわらず、しっかり話を聞いたことがなかったので、櫻井選手の話しを聞きに行きました。静岡の陸上記者の方たちとは面識もあるので、一緒に話しを聞き、質問も少し挟ませていただきました。以前、静岡県のトレーナーの方から面白い情報を聞いていたのです。
 400 mの表彰終了後に、吉田真希子選手とサブトラックまで一緒に歩きながら、福島国体の思い出を聞きました。競技人生が変わったという点では、吉田選手が一番だと思っていたので、以前からその話を聞きたいとお願いしてあったのです。期待に違わず、ものすごい話を聞くことができました。これは、ちょっとした感動秘話です。

 サブトラックからスタジアムに戻る際、県岐阜商高の安福弘典先生とお会いしました。400 m優勝者の青木選手は同高の卒業生。安福先生の教え子たちが、最近活躍しています。昨日は少年A男子400 mHで今井順也選手が51秒15で優勝。箱根駅伝予選会では、1位通過した東洋大で最上位(7位)の大西智也選手も、県岐阜商高出身の1年生です。頑張っている卒業生が多い理由を尋ねると、安福先生ご自身は「特に変わったことをやっているつもりはない。強いて言うなら、補強を自発的にきちんとやっているのが県岐阜商高の伝統。OBの高橋尚子や西武ライオンズの和田などが、卒業後に力を伸ばしていることも影響しているのでは?」と言います。
 しかし、女子短距離の成瀬美紀選手(日女体大院)、100 mHの平出奈津子選手(多治見工高教)、男子400 mの太田和憲選手(東海大)ら、関商工高時代の教え子も頑張っています。自分の手元から離れた選手が頑張り続けるというのは、何かしら、モチベーションが続く指導を在学中にされているのかもしれません。平出選手は中部実業団で池田久美子選手に勝って陸マガの記事にしたと思いますがが、練習中心の生活をするために、教員の本採用を断り、講師を続けていたことがあります(現在どうなのかは未確認)。青木選手も、気持ちが入りにくい大学入学前の冬期練習をしっかりやっていたとのこと。
 ちょうど青木選手が表彰を終えて戻ってきたので、モチベーションをどう保っているのかを質問。「私から陸上競技をとったら何もありませんから」というのが、彼女の答えでした。陸マガ11月号の中国電力の連載記事にも書きましたが、坂口泰監督も「走ることを自身の価値観としなければ、きつい練習はこなせない」と、同じようなことを言っています。まあ、言葉にするのは簡単でも、実際の行動に移すことが難しいことなのだと思いますが。

 競技終了後、何人かの指導者の方と話しをして、その後は20時20分までプレスルームで原稿書き。一昨日は歩いてホテルまで戻りましたが30分くらいかかったので、今日はバスで岡山駅まで。駅前で食事をして、ホテルのある反対側に出るため地下街を歩いていると、筑波大の宮下憲先生、大山先生と学生マネジャー2人の筑波大グループにお会いしました。成迫選手のつくばエクスプレス・ネタを話すと、「(45秒8〜9台なら)高速バスだな」と宮下先生。なるほど、とメモさせていただきました。
 21:05にはホテルから50mの距離にあるエスプリ珈琲店に。岡山に到着した日から、一度行って、原稿を書こうと思っていた場所です。夜も23時まで開店していることを、昨日確かめておきました。深夜のカフェで原稿書きといえば、パリの世界選手権を思い出します。
 さて、店の前に行くと見覚えのある人物が…。「三重の二枚目助教授じゃないですか」と、声を掛けました。言わずと知れた、三重大の杉田正明監督です。もっと大きな声で言ってよ、と言いたげな表情だったかどうかはわかりません。何を話したかは企業秘密。今日の昼間も偶然会ったのですが、監督しての情熱をほとばしらせていました。今後の三重大は期待できそうです。
 店に入ると、これも偶然にも、某専門誌のO村ライターがいて、パソコンをテーブルの上に広げています。その後、コンビニの前ではE本編集者にも会うし、某大のS先生にもお会いしました。岡山の街は関係者でいっぱいのようです。当たり前ですね。
 店では、岡山にあると聞いていた桃太郎コーヒーを注文。今日が初出勤で研修中の札を付けたお兄さんが、別の店員にすっ飛んで聞きに行きました。どうやら、桃太郎コーヒーが岡山にあるというのは、ガセネタだったようです。もしかしたら国体期間限定かなと思ってその点も聞いたのですが「当店では扱っていません」とのことでした。
 だったら、と注文したのがカフェ・パリジェンヌ(だったか、そんな名前のコーヒー)。薄い正方形の板状のチョコレートを口に含み、そこにエスプレッソコーヒーを流し込む飲み方。岡山とパリと言えば、03年の世界選手権パリ大会女子マラソンで4位となった坂本直子選手が思い出されます。少しでも早く、元気な走りを見せてもらいたいと思って、一昨日も武冨監督に話を聞きました。
 O村ライターと閉店(23:00)まで一緒に原稿を書いて、コンビニに寄ってホテルへ戻りました。今晩からはもう洗濯をしなくてもいいので、さらに原稿書き。


◆10月26日(水)
 国体取材4日目。
 最初の決勝種目は10:00からの成年女子やり投。中野美沙選手を中心とする学生選手が、日本選手権優勝の山本晴美選手と小島裕子選手の30歳代コンビを押しのけ1〜4位を占めました。優勝した吉田恵美可選手が54m48の自己新ですが、完全に世代交替を実現したというには、50m後半をバンバン出してくれないことには難しいでしょうか。
 しかし、トラック最初の決勝種目の成年男子3000mSCでは、33歳の誕生日を3日後に控えた内冨恭則選手が優勝。「もう、僕はいいでしょう。若手が頑張ってくれないと」を連発しながらも、来年のアジア大会4回連続出場に、一抹の色気を見せていたように感じました。年齢とは関係ありませんが、「今日、ウチの監督(中国電力の坂口泰監督)は来ているんですかね」と、こちらに質問してくるあたり、中国電力というチームの特徴が表れていました。詳しくは、陸マガ次号に記事にする予定です。

 少年女子A400 mは2年生が1〜3位を独占。男子は金丸祐三選手が2年連続優勝と100 mとの2冠を達成しました。成年男子400 mは「久しぶりの国体なので集中できた」と言う佐藤光浩選手が、45秒88で成迫健児&山口有希の学生勢に先着。スタンドのプレス席では、ストップウォッチを押していた陸マガ・児玉編集長と顔を見合わせ「(成迫選手は)46秒0台だ」と確認。つくばエクスプレス称号は、来年まで見送られることになりそうです。
 プレス席では今日は、信濃毎日新聞・中村恵一郎記者の隣に座らせてもらいました。中村記者は早大競走部出身で、往年の名長距離ランナー。99年の佐藤清治選手の前にインターハイ中距離2冠を達成したのは、80年代の中村記者でした。3000mSCの篠浦選手を見ながら、「早大の3000mSC記録は?」とか、「1万mで高校生最初の28分台は誰だっけ?」という問いかけに、迅速に答えを返してくれます。
 1500mでは長野県の後輩でもある上野裕一郎選手が、予選をクレバーな展開で1位通過し、決勝では3位。9月のスーパー陸上でも3分42秒53の自己新。その頃からすでに、練習は駅伝用のものになっていますが、レースは1500mをこなしています。このあたりに、上野選手の長期戦略が見て取れます。さしあたっては、全日本大学駅伝です。普通に考えれば最長区間の8区ではなく、前半の重要区間へ登場するでしょう。中大・田幸寛史監督が、“その裏をかく”こともあり得ますが。

 成年男子1万mWでは谷内雄亮選手が優勝。この警告表示板からわかるように、谷井孝行選手以下失格者が多く出ました。最近は国際大会でも日本選手の、歩型違反が少なくなってきていたのですが…。歩型の話ではありませんが、午前中の女子1万mWでは、この種目では近年珍しい“ラスト勝負”が見られました。優勝した川崎真裕美選手も「初めての経験だった」と話していました。
 少年B男子3000mでも好記録が出ました。三田裕介選手(愛知・豊川工高)が8分13秒94と高校1年最高記録で優勝。これまでは佐藤悠基選手が3年前の高知国体でマークした、8分19秒19でした。今日の三田選手は最初から独走
2分42秒
5分29秒  2分47秒
8分13秒94 2分45秒

 と、イーヴンペース。佐藤悠基選手はケニア人選手について、最後はペースダウンした展開でした。

 14:00開始の成年男子やり投から、カメラマンも務めました。そのやり投では、荒井謙選手が日本選手としては4年ぶりに、村上幸史選手を破りました。村上選手は3投目に、右大腿の付け根に近い部分の肉離れをやってしまい、4投目以降はパスをしていました。荒井選手の75m06は6投目。「(自分が)73m台だったら仕方がない」と話していました。
 その荒井選手の投てきも間近で見ていたのですが、野球でいうスリークォーター気味の腕の位置で投げるところや、投てき後に前のめりに倒れ込んでファウルを防ぐところなど、ゼレズニー選手にそっくりなのです。インタビュー中に確認したところ、携帯電話にゼレズニー選手の動画を入れ(写真)、いつでも確認できるようにしているそうです。

 最後は男女4×100 mRの準決勝。女子の北海道は成年が北風沙織選手だけで、少年Aの高校生が2人(少年Bは100 mH優勝の寺田選手)という布陣で大会新。男子最高タイムの熊本は、熊本大の選手が2人という布陣でした(1人は大学院生かも)。東京の成年も谷川聡選手ではなく、国士大選手が2人。北海道女子は個々の選手も強いのですが、リレーは個人種目ではないということですね。


◆10月27日(木)
 今日で国体取材も最後です。といっても、種目は男女のハーフマラソンと男女の4×100 mRだけ。種目が少ないと集中できますね。
 ハーフマラソンはスタート地点で撮影(有森裕子選手)。一般参加のランナーの中に、天満屋・徳永コーチもいらっしゃいました。しばらくプレスルームでテレビ観戦した後、9km地点がスタジアムのすぐ脇の道路なので、撮影に出かけました。伊東浩司夫妻が応援に来ていました。伊東さんが生まれたばかりのお子さんを抱いて、奥さんは有森裕子選手の応援。元リクルートの同僚という間柄です。人出が多かったし、歩道から一歩でも出ては行けなかったので、撮影に苦労しました。しかも、手にA4サイズの封筒を持っていたら、「見えないわよ」とおばさんに注意されるし…。

 コメント取材は男子では優勝した佐藤智之選手の話を聞きました。レースに関して一通りの質問が出終わって、違う方向の質問をしてもいい雰囲気になったところで、駅伝に関する質問を2〜3させてもらいました。今年は九州地区予選での苦戦が噂されています。トヨタ自動車九州の台頭が著しいからですが、旭化成も北海道マラソンで渡辺共則選手が優勝し、今大会は佐藤選手が優勝と、悪くないように思います。マラソンの小島忠幸選手、トラックの大野龍二選手もいます。駒の数だったらトヨタ自動車九州をはるかに凌ぐ陣容です。
 しかし、永田宏一郎選手が9月いっぱいで旭化成を退社したのは大きな戦力ダウン。来年から母校の鹿屋体大の大学院に進学する話は聞いていましたが、退社は来年と思っていました。書いていいことなのかどうか迷いましたが、西日本新聞の九州一周駅伝の展望記事にもう出ていましたね。
 女子の入賞者では宮井仁美選手の話を聞こうとしましたが失敗。有森裕子選手と山口衛里選手の共同会見もセッティングされ、こちらはきっちり取材できました。有森選手は岡山県出身ですが、山口選手も地元・天満屋のオリンピック選手。沿道から何回も声を掛けられたといいます。シドニー五輪からまだ5年しか経っていませんからね。2〜3回、「坂本さーん」と間違えられたようですが、連続でオリンピック選手を出している土地だからこそ。山口選手が若く見えるから間違えられたのでしょう(本人にそう言うと、肯定していました)。

 女子の4×100 mR終了後は、インタビュールームで北海道の北風沙織選手と愛知の鈴木亜弓選手を取材。表彰後には(スタジアムの外で)福島県チームの松本真理子選手に、10年前の福島国体のことを質問しました。当時は、成年Bでの出場だったとのこと(福島国体10周年ネタは、今月中に記事にしたいのですが…)。丹野麻美選手にも聞きました。今年大学2年生ということは当時10歳ですから、特に思い出はないだろうと思っていたのですが、地元の矢吹町で野球が開催され、それを見に行ったといいます。
 丹野選手には10年前のことを聞くよりも、今後のことを聞いた方がいいだろうと判断。
「10年後には福島市にスタバができていると思いますか?」
 客観的な予測を質問したのに、
「今すぐ、できて欲しいです!」
 という自身の願望が答えとして帰ってきました。ことスターバックスに関する限り、丹野選手の意気込みは相当なものです。 ここまで書いていて疑問が生じました。スタバの類似店であるタリーズエクセルシオールカフェではダメなのでしょうか?
 国体は今季のトラック&フィールド最後の取材です。丹野選手と話ができる来シーズンまで、謎は残ります。


◆11月2日(水)
 岡山に桃太郎コーヒーはありませんでしたが、淡路島には淡路島コーヒーがありました。これが、その写真です。

 今朝は7:20に新宿の作業部屋を出て、8:03東京発のぞみで新大阪へ。8:50発でもよかったのですが、その時間に東京駅まで行こうとすると、通勤ラッシュ時間帯。出張で大荷物があるとき、それは不可能というもの。何度かやったことがありますが、周囲の視線の冷たいことといったら、誰かのギャグの比ではありません。
 ということで、11:40には舞子に着き、11:55高速舞子発のバスで淡路に(ちなみに、引退はまだまだ先の小島初佳選手の出身校が舞子高)。13:05には福良に着き、監督会議に各チームの監督たちが集まって来る前に昼食を、という計算でした。ところが、ホテルに行ってみると、一応4階建てで昔はビジネスホテルだったのでしょうが、今はビジネスホテルとは名ばかりの民宿。電話をしてから荷物を置きに行ったのに、フロントの「ノックしてください」と表示されたドアを叩いてもも誰も出てきません。
 15分間粘って2階から降りてきたおじいさんは、明らかに耳が遠くて話もなかなか通じない。結局、昼食は食いっぱぐれてしまいました。

 14時から監督会議。その前にテレビ解説の梶原洋子先生に挨拶。今でこそ、冷静な分析と語り口調の解説者としてお馴染みですが、東学大時代には800 mで日本記録を出したこともある選手でした。今年、世界ハーフの日本代表に成長したスズキの八木洋子選手も東学大出身。どうやら、“東学大のヨーコ”は強くなる組み合わせのようです。
 梶原先生が宮本姓で出した日本記録は2分11秒0。そのちょっと後が、2分10秒の壁を破った河野信子選手の時代で、河野選手は2分05秒1まで日本記録を短縮しました。その指導者が、藤田信之監督です。その藤田監督もグローバリーは出ませんが、関西実業団の役員で監督会議に出るはずでしたが、京都から淡路に向かう途中にタイヤがパンクし、監督会議に間に合いませんでした。おかげで、他の取材と重複しないで話をじっくり聞けることになったのですが…。

 藤田監督の話の前に1つエピソードがありました。監督会議後に、行われた部屋を覗くとスズキの小沢欽一監督と、天満屋の武冨豊監督が何事か話し合っています。密談ではないことを確認してから、その席に加わりました。2人は神戸製鋼で同じ釜の飯を食べた間柄(この写真は昨年の全日本実業団対抗女子駅伝の監督表彰)。聞けば、同期入社とのこと。年齢は小沢監督の方が6個上だそうです。入社間もない頃は、箱根駅伝4連覇のメンバーで、初マラソン日本最高(2時間13分台)を出した小沢監督の方が注目されていましたが、70年代末からは、武冨監督が別大に優勝したり2時間11分台を出し、同じ神戸製鋼の喜多秀喜選手とともに注目を集めました。
 お互いの関係については、2人の意見が食い違っていて、真実はわかりません。
 今大会の指導陣には神戸製鋼出身者が多くいます。ノーリツの上岡監督は小沢監督よりさらに上だそうです。天満屋の篠原コーチは、武冨監督が神戸製鋼時代に指導をした選手で、東京世界選手権に出場したランナー。今大会には出ていませんが、サニックスの佐々木精一郎監督も神戸製鋼出身です。
 どの指導者も、穏やかな性格である点が共通しています。あくまで、表面的な部分の印象で、実際は芯の強さがなければ、ここまでやって来られないでしょう。

 開会式前後にはワコール・永山忠幸監督や、小崎まり選手を取材。原裕美子選手は会場に来ていませんでした。小崎選手の話を駐車場近くで聞いてから、大会本部の南淡町公民館に戻ると、ちょうど藤田監督が到着したところ。記者たちの一番の関心事は、チームの移籍先が決まったかどうか。さすがに、具体名は明かしてくれませんでしたが、2つに絞る段階まで来ていると教えてくれました。グローバリーが今回のような事態になったこともあり、移籍先については「イメージもいい」(藤田監督)企業にしようとしているようです。
 中日新聞・桑原記者(早大競走部で瀬古利彦監督と同期)が、決定時期がいつなのか盛んに突っ込んでいました。藤田監督自身はすぐにでも決めたいようですが、話を持ってきてくれる人の気持ちも尊重して、まだ話を聞くスタンスでいるのだそうです。
 半分、雑談モードに入っていたので、話題のIT企業からのオファーがあったのか、質問してみました。そうしたらなんと、楽天からのオファーもあったというのです。藤田監督のところで話し合うまでには進まなかったのですが、グローバリーの役員のところに話が来たといいます。ライブドアも、中に入る人(色んな人がいるらしい)が持ってきた数社のなかに名前が入っていたようです。明日のスポーツ新聞は、この話題が中心かもしれません。

 会場で江田良子選手がヤマダ電機を退職、一線から引退したという話を複数の関係者から聞きました。岡山のSP記者がさっそく裏をとっていたので、明日の朝日新聞にはその情報が載るでしょう。人事ではプログラムのダイハツのページに、林清司前コーチが監督代行と記載されていました。これも、複数の関係者に話を聞き、鈴木従道前監督は定年退職するのだと判明。K通信S記者が裏をとっていたので、これはもう、ネットに載っているかもしれません。

 夕食はコンビニで済ませることに。民宿もどきのホテルでアウトバスの部屋ですけど、なぜか電子レンジがあるのです。ローソンで買い物をしていると、この淡路島コーヒーを見つけたのです。コンビニは普通、全国統一規格なのですがときどき、その地方の特産品が置いてあることもありますよね。つくばのファミレスには地元特産の料理も筑波コーヒーもありませんでした。岡山には桃太郎ビールも桃太郎コーヒーもありませんでした。それが、淡路島には淡路島コーヒーがある。
 不世出のスタティスティシャン、野口純正氏を生んだ淡路だけのことはあります。おみそれしました。野口氏の名前はヨーコではなくてヨシマサですが、東学大出身です。


◆11月12日(土)
 10日ぶりの日記を、1年ぶりの下呂のホテルで書いています。下呂はもちろん、明日の中部・北陸実業団対抗駅伝取材のため。このホテルに泊まるのはたぶん3回目です。今回はツインのシングルユースですが、机がないのが不便ですね。洗面所、バス・トイレとすべて部屋の外で共用。淡路もそうでしたが、石鹸が風呂場まで行かないとないので、今回もコンビニで液体石鹸を買ってしまいました。
 ホテルのことはどうでもいいのですが、サイトも昨日まで丸2日間、更新していませんでした。とにかく、原稿に追われた1週間でしたね。全日本大学駅伝から東京に戻った後は、電話取材は6〜7本しましたが、外出しての取材はいっさいなし。木曜日に高橋尚子選手の成田空港取材にも行けませんでした。昨日は陸マガ12月号の配本日でしたが、何カ月ぶりかで取りに行くこともできない始末。ここまで時間に余裕がない(気持ちにも)のは久しぶりかも。
 記憶が確かではないのですが、3日前から一昨日にかけて150行原稿1本と50行が1本、一昨日から昨日にかけて300行が1本、昨日はさらに40行を3本、今日は50行を3本書いてから下呂に来ました。駅伝の取材は朝が早いので、早寝早起きを維持したい時期です。なんとか続けていたのですが、昨晩はついに朝の5時まで原稿書き。今日も、開会式など前日取材はできず、16時までに50行を2本書き、移動中に最後の1本を書いて、21:30頃に下呂駅から送信しました。

 何度も書きますが、毎日ちょっとでもいいので書けばいいと思うのですが、それがなかなか難しい。今回で言ったら、淡路島女子駅伝のレース前日を最後に途切れています。レース当日も書きたいネタがいっぱいあったし、5日の全日本大学駅伝前日、6日の同駅伝当日と、書きたい話題のオンパレード。それを文字にするには30分とかでは無理。あの日のネタを書こう、書こうと思っているウチに何日間か過ぎてしまうのです。
 でも、何日か経つと、何を書きたいと思ったんだっけ? と忘れてしまう。やっぱり、その日のうちに書かないとダメですね。実は、国体でも面白いネタが少し残っているのです。ま、いいか。そのうち、別のネタとくっつけて紹介できることもあるでしょう。朝日新聞の原田記者と庄形和也選手の共通点とか。
 覚えているのは、淡路島女子駅伝当日では、小崎まり選手の話が面白かったこと。その日と翌日は、大阪のウイークリーマンションに泊まったこと。全日本大学駅伝前日は、神奈川大・大後栄治監督と大東大・只隈伸也監督のこと。全日本大学駅伝レース当日も含めて色々あったはずなのですが…。ちなみに、大阪でウイークリーマンションに泊まったのは、2年後の世界選手権の宿の下見です。世界選手権取材の荷物を置くには、原稿を書くには、ちょっと手狭でした。立地(心斎橋)やネットの常時接続が可能なことなど、広さ以外は申し分ないのですが。

 明日も取材の他に、締め切りが1本。行数というよりも、1つのまとまった冊子用の原稿で、気を遣う仕事です。メールの返信も、急ぎでないものが滞っています。


◆11月13日(日)
 2日連続の日記更新。閑なわけじゃあ、ないでんです。今晩も神経を使う原稿が1つ、締め切りです。まあ、「えいやっ」で書いてしまおうと、新幹線のなかで作業をしています。ちなみに「のぞみ」「ひかり」は空席がなく「こだま」で移動中。三河安城、豊橋、浜松と駅に止まるたびに、JRの無線LANが使えないかチェックしましたが、全部ダメ。掛川以降はトライしませんでした。
 今日は中部実業団対抗駅伝の取材。岐阜県の金山ももう、4回目くらいでしょうか。報道車両に乗せてもらい、カメラマンを兼ねて取材をしました。優勝したトヨタ自動車はさすがに層が厚い布陣。5区に浜野健選手で、7区に尾田賢典選手ですから。ムリギ選手と高橋謙介選手に不安が残りましたが、あとは想定内の展開でアンカーの尾田選手で逆転。フィニッシュ手前の約100 mの直線で、トヨタ紡織を振り切り、味澤新監督のトヨタ自動車移籍後の初陣を飾りました。
 岩水嘉孝選手が出ていませんでしたが、理由はケガではないとのこと。東アジア大会前も練習が不足していて、俗に言うタメがなくなっている状態。しっかり練習期間を取ろうという意図だそうです。と、安永コーチが話してくれました。

 北陸地区はYKKが連勝を伸ばし、重川材木店が2位。今回はニューイヤー駅伝が50回大会記念で参加枠が増え、北陸も例年の1枠から2枠になっています。重川隆廣社長の夢だった「大工のチームによるニューイヤー駅伝出場」が実現しました。しかし、内容的には正直に言って、力を出し切ったとは言えません。YKKとの差は5分弱。社長の「大工のチームというだけでは単なる話題だが、YKKに劣らない力を示せば、全国でも10番台で戦えるチームとして注目される」という目標は、達成できませんでした。その辺をどう考えているのか、水曜日に新潟に行って、取材をしてくる予定です。

 取材陣も年々、多くなっているように思います。テレビ関係は中継のCBC(名古屋のTBS系列局)と、ニューイヤー駅伝中継のTBS、そして、重川材木店を追跡取材している新潟のテレビ局。記者も中部地区の陸上担当が総出陣。中日新聞東海総局(浜松)からはベテランの石川記者、対する静岡新聞は新しい記者の方でした。車にも乗せていただいたのに、ご挨拶をするつもりができずじまい。不義理を働いてしまいました。
 共催の中日新聞からは切れ者の田中浩一郎記者(事業部のスプリンター田中とは別人)。寺田と同じように下呂泊まりで、朝の電車が一緒でした。話しを聞いてわかったことは、下呂では5000〜7000円程度の宿は、なかなか厳しい環境になるということ。金山に関係者が泊まっている宿は、もっとひどいようです。
 朝日新聞からは21世紀型新聞記者と言われている須田世紀記者。全日本大学駅伝プログラムに展望記事を書かれた方です。そして、やはり共催の毎日新聞からは中部地区陸上競技担当の仁瓶和弥記者(安藤美姫選手や中日ドラゴンズ、サッカー代表なども取材されています)と、若手の村社拓信(むらこそひろのぶ)記者。村社の名前を聞いて、1936年のベルリン五輪で5000m・1万mともに4位に入賞した村社講平選手を思い出さない陸上関係者はいません。珍しい名字ですし、こういうとき「もしかして親戚?」と思って質問するケースがよくありますが、98%は「よく聞かれるんですけど違います」という答えが返ってきます。
 今日もそうなるだろうと予想しつつ村社記者に聞いてみると、聞いてびっくり玉手箱(玉手由子選手は元気なのだろうか)。「祖父が遠い親戚なんです」という答え。祖父が遠い親戚ってことは、村社記者はかなり遠い親戚じゃないですか。このサイトでネタにしていいか確認すると、快諾してくれました。寺田が毎日新聞発行の実業団駅伝公式ガイドの仕事を手伝っているので断れなかった、なんてことはないと思います。


◆11月30日(水)
 今日は年に一度の……という書き出しは、1年の間に何回もできるのですが、今日は年に一度の上柚木競技場での取材です。11月末の平日に行われる八王子ロングディスタンス。主催は東日本実業団連盟ですが、コニカミノルタの主導で行われている大会です。
 京王線の南大沢駅に11:49に着。アシックスの吉田さんと一緒になりました。道すがら、この大会と日体大記録会の違いなどについて話し合いました。詳しい内容は明かせませんが…。この大会の特徴と少しは重なる部分があると思いますが、駅伝チームが強くなる過程を見ていると、初期の頃はトラックの記録を積極的に求めますけど、チームとして成熟してくると、トラックの記録にこだわらなくなる傾向があります。ちょっと古いですけど、80年代の報徳学園がそうでしたし、最近では駒大もそうです。
 どうやら、コニカミノルタもその段階(どの段階?)になっているようです。以前は松宮兄弟や磯松大輔選手、坪田智夫選手らがこの大会で積極的に記録を狙いました。しかし、今日、A組の速いペースメーカー(28分15秒の設定タイム)についたのは、太田崇選手と米田尚人選手の2人だけ。米田選手が今季の成長株で、1万mの好記録を出しておきたかった選手。太田選手はすでに28分ヒト桁を持っていますが、本番までの流れの中で、速い動きをしておきたかったのだと思います。対照的に松宮隆行選手や坪田智夫選手は、その必要がなかった……この話、陸マガのニューイヤー駅伝展望記事にも少し、使えるかな。
 米田選手が走れなかったのはあれですが、A組の日本人トップ(28分09秒62)を太田選手がとり、C組の松宮祐行、前田和之の2選手も、予定通りの動きができたようです。

 日本人2位(28分14秒03)はカネボウの真壁剛選手。26日の日体大の28分28秒48に続く自己記録更新ですが、これでカネボウは今季の日本代表4選手(高岡寿成・入船敏・瀬戸智弘・中村悠希)に続いて、柱となる選手が誕生しました。いい流れにはまれば、元旦に優勝する力は十分にあるチームのように思います。
 日本人3位(28分14秒92)は大坪隆誠(大阪府警)選手で、やはり大幅な自己新記録。6月で29歳ですが、昨年初めて28分台を出したと思ったら、今年の全国都道府県対抗男子駅伝、全日本実業団ハーフマラソンと快走して世界ハーフマラソンの代表に。5月の静岡国際では日本人の集団から抜け出して、日本人トップか、と思わせる走り。国際千葉駅伝のメンバーにも招集されて、アンカーで区間2位。
 180cmの長身。独特のリズムで走るところに、強さの要因があるのかもしれません。単なる憶測ですが。

 カネボウで思い出しましたが、B組のレース後にこの2人が一緒に引き揚げてきました。澁谷明憲選手(カネボウ)と市之瀬進選手(八千代工業)。市之瀬選手が今季から八千代工業に移っていますが、昨年までは同僚だった2人。澁谷選手は恐らく、今年に続いて来年の東京国際マラソンを走るものと思われます。グローバリーの移籍先は明日の16時からの会見で発表されますが、もう1つの注目されているカネボウの移転先の発表は、もう少し先のようです。
 その他には、ダニエル・ジェンガ選手と大崎悟史選手の29歳コンビも、大崎選手が走ったB組のレース後になにやら談笑。お互いの頑張りを誉め合っているような感じでした。ジェンガ選手の次のマラソンは、もう数週間で決まりそうとのこと。失敗したのは、大崎選手の次回マラソンを聞くのを忘れたこと。どこだろう。

 今日の取材はおもに、陸マガのニューイヤー駅伝の展望記事用のネタを仕入れること。真壁選手の話も聞けましたし、トヨタ自動車の安永コーチからは名古屋ハーフの話を聞きました。もちろん、コニカミノルタの選手、スタッフにも取材を敢行。最後は、コニカミノルタのデジカメでこの写真を撮らせてもらい、年に一度の八王子取材の一日を締めました。


◆12月3日(土)
 朝7時台羽田発の飛行機で福岡入り。福岡国際マラソンの取材です。
 昨日の記者会見に来られなかったので、まずは大会本部のある西鉄グランドホテルの事務局でプログラムを入手。その際、事務局のO氏から、いくつかの情報をゲット。3人のペースメーカーのうち、イサック・マチャリア(ケニア)とジョセフ・カリウキ(ケニア)は昨年と同じ選手で、そのうちマチャリア選手はサムエル・ワンジル選手(トヨタ自動車九州)と知り合いで、一緒に練習をしていたこと。ハウ・ロブ選手(英国・2時間14分33秒)は英国で行われている馬とのクロスカントリー・レースで、初めて馬に勝った選手であることなど。
 馬に勝ったことだけなら、やや色もの的な意味にしかなりませんが、マラソン転向と福岡出場を勧めたのが、1968年の福岡国際マラソンに優勝したビル・アドコックス氏というのですから、ロブ選手も“福岡色”の強い選手ということになります。

 10:30からは世界クロカン・コースの記者への公開ツアーがあり、参加しました。福岡国際クロスカントリーの取材に来たことはないので、初めて見るコース。競技コースだけでなく、選手のテントやウォーミングアップ場、ミックスドゾーンなども示されたコース図が配られ、選手の動線がよく理解できたので助かりました。
 従来のコースとの大きな違いは、大きな1つのマウンドと、3つの連なる中小のマウンド。愛称があったほうがいいだろうと質問すると、「年内にはつけたい」という回答でした。
 福岡国際クロスカントリーでは海沿いを走りますが、今回は基本周回コースが3kmではなくて2kmということで、その部分はカットされました。その代わりというわけではないと思いますが、菜の花がコース沿いに植えられますし、フィニッシュ地点の脇は桜のゾーンで、開催期間の4月1・2日には、かなりの絶景になりそうです。

 午後は西鉄グランドホテルのロビーで原稿を書きながら、記者や指導者の方たちから情報を入手していました。チームQの藤井コーチの話も聞くことができましたし、夜に福岡入りした大八木弘明駒大監督の話も(こちらにコメント)。気になるのは、明日の福岡が相当に寒くなるらしく、雨か雪になる可能性も大とのこと。
 注目のWワイナイナこと、エリック・ワイナイナとジェームズ・ワイナイナには、取材ではなく世間話。ジェームズは「2時間6分台で優勝が目標。寒さ? 僕の背中がヒートアップしているから大丈夫だよ」と話していました。エリックは、「明日の目標は明日ですよ」と、いつものように哲学的なコメント。新聞記事によれば、2時間7分台が目標とか。昨年2月の東京国際マラソンではジェームズが2時間11分00秒で7位、エリックが3秒差で8位。明日は、もうちょっと上の順位で走りそうな雰囲気です。


◆12月4日(日)
 10:30には平和台陸上競技場に着。福岡国際マラソンの場合、平和台競技場の施設が小さいこともあり、選手・コーチや役員が入れるスペースに、報道陣が入ることはできません。その他の主要マラソンの発着点である長居・瑞穂・皇子山・国立競技場では、報道陣と関係者が接することができ、スタート前に色々と情報をゲットできるのですが、その点については不便な大会です。でも、仕方ありません。多少、制約はあっても、博多の森発着よりも平和台発着の方が便利ですから。
 しかし今日は、スタンドの外側で色々な方々にお会いすることができ、有意義なスタート前でした。ニューイヤー駅伝展望記事の取材までできましたし、某社美人広報の方にもお会いできましたし。

 朝日新聞・原田記者からは、昨日このサイトに書いた「選考レースでないからこそ“純”福岡が面白い」を読みましたよ、と声をかけられました。岡山のSP記者こと同社の小田記者もいたので、それぞれの大会が特徴を出し、その存在価値を高めることが重要ではないか、という話をしました。それが、オリンピック一極集中の価値観から脱却し、陸上人気を高めることにもつながるのではないかと。
 ちょうど昨日、K監督から「日本の陸上界で人気・ステータスがあるのはごく一部の選手だけ」という話がありました。高橋尚子・野口みずきの両金メダリストを頂点に選手の人気・ステータス分布図があるとしたら、そのヒエラルヒー(ピラミッド型の何です)は底辺部分ばかり幅が広くて、上に行くほど極端な先細りの分布をしている。それが、陸上界の置かれている現状だと。
 それを打開するための方策として寺田が考えていることの1つが、オリンピック一極集中の価値観を崩すことです。人気のあるスポーツであるサッカー、野球、格闘技などの選手は、活躍する舞台がオリンピックとは限りません。その点、人気のないスポーツはだいたい、オリンピックのときだけ注目されるという構図です。
 陸上競技の場合、最近では世界選手権のステータスも上がっています。でも、それほど大きく変わったわけではありません。その象徴が、国内の各マラソンの注目のされ方が、結局いつも“選考レース”という部分なのです。
 それは違うんじゃない? もっと違う楽しみ方、注目の仕方があっていいんじゃない? というのが寺田の考えです。そのためには、各大会の主催者が頑張って、選考レースという部分でなく、その大会自体の価値を高める。福岡国際マラソンだったら、福岡で好成績を収めること自体に、選手が一生懸命になれる、そういう大会になって欲しいということです。そういう価値観が世間一般にも浸透すれば、オリンピック以外の大会で活躍しても、その選手の人気が上がります。五輪メダリスト以外も知られるようになり、陸上競技全体の人気上昇にもつながるわけです。
 もちろん、それが行き過ぎて、全ての大会が箱根駅伝のようになったら問題でしょう。そうではなくて、あくまでも最終的には世界での活躍を目指すけど、そのステップとして、各大会に全力を尽くすことができる。そこで全力を尽くすことが、世界につながる。そういう形になっていくのが理想かな、と愚考しています。

 レース終了後には、その福岡の運営に事務方の中心人物として20年間頑張ってきた朝日新聞事業部の田島勇次さんの話を聞きました。来年が定年退職なので、今大会が田島さんがかかわる最後の大会。近いうちに、記事にするか日記で紹介したいと思います。

 レース後はすぐに大会本部の西鉄グランドホテルに。福岡の不便なところは、レース直後に選手を取材できる機会と場所が極端に少ないこと。特に雨の日は、さらに事情が厳しくなります。中国新聞の山本記者は国近友昭選手だけをマークしていたのですが、結局、会場では取材ができず、ホテルでの取材となりました。選手に寒い思いをさせるわけにはいかないので、どうしようもないのですが、他の主要マラソンとの較差があり過ぎます。この辺は主催者にもう一工夫してほしいところです。

 西鉄グランドホテルでは国近選手のほか、優勝したバラノフスキー選手にも話を聞くことができました。昨日、寒さに対して自信を見せていたジェームズの話を聞くことはできませんでしたが、Wワイナイナのもう1人、エリックには得意のすれ違いざま取材。寒さがこたえた、と言っていました。大阪の世界選手権だったら日本でトレーニングができるから、そこで好成績を収めて北京五輪の代表になって行く、という戦略を話してくれました。
 ホテルには1万mジュニア世界記録保持者、トヨタ自動車九州のサムエル・ワンジル選手の姿も(写真)。ペースメーカーを務めたイサック・マチャリア選手と同郷で、仙台育英高に入学する前からの知己という間柄だそうです。「僕も北京五輪後にはマラソンをやる」と、話していました。


◆12月11日(日)
 本日は日体大の箱根駅伝用の共同取材日。11:35に青葉台駅に着き、松屋でパパッと食事をとってタクシーで合宿所に。駅伝合宿所に行くのは初めてでしたが、所番地を頼りにタクシーを降りたら、まったくの住宅街。なかなかのハイソな雰囲気の街でした。さすが、東急沿線。電柱の番地表示を頼りに5分ほどで合宿所を探し当てました。
 取材は合宿所の食堂で、カコミ形式で行われました。記者たちがリクエストした選手を、マネジャーの方が呼んできてくれます。日体大長距離競技会に出る鷲見知彦選手を除いた28分台ランナー3選手(熊本剛、保科光作、北村聡)と、1年生の石谷慶一郎選手に話を聞きました。ちなみに、熊本選手と北村選手が西脇工高出身。鷲見選手の豊川工高と並んで、日体大の選手に多い出身高校です。

 選手たちの後は、別府健至監督の話を記者全員で聞かせてもらいました。早いものでもう、就任7年目です。別府監督も西脇工高出身。同高の全国高校駅伝初優勝時の1年生アンカーでした。アンカー決戦を演じた八千代松陰高(千葉)の選手は、前年の全日中とジュニアオリンピックの3000m優勝者。両校が並走しているときは、八千代松陰高有利と思われましたが「5kmだったら自信があった」と、別府監督は23年前を振り返ってくれました。そういった気持ちでレースに臨めることが大事なのかもしれません。
 その点、今季の出雲と全日本の日体大は、「120%を期待してしまった選手配置だった」とのこと。全日本のときなど、選手たちはそれなりに自信を持って臨んでいましたが、どこかに無理をしていたところがあったのかもしれません。それを反省して、箱根はとにかく堅実に、というスタンスで臨みます。ただ、選手配置などやレース展開に堅実さが出ても、全日本などで期待した部分は期待として、箱根にも存在するわけです。別府監督にもその点は確認しました。
 堅実な駅伝でも優勝に手が届く可能性はあるチーム。“期待”の部分まで発揮できたら、可能性は相当に高くなるでしょう。

 合宿所での取材後は、健志台グラウンド(ブルートラックになりました)で行われている日体大長距離競技会に。寮でプログラムを見せてもらうと、1万mの最終組には鷲見選手の他、小林史和選手(実際は欠場)や注目の重川材木店の選手も数人エントリーされています。寮からは500〜600mほどの距離。これは行かない手はないでしょう。
 この日の競技は男子5000mが21組、1万mが6組、女子の3000mが5組、5000mが2組。最初の種目が朝の8:00、最後の種目は20:45開始です。ここまで長距離種目をぶっ通しで行う競技会も珍しいでしょう。海外では考えられないと思われます。
「あれ?」と思ったのが、主務の能條君とサブマネの学生が、取材対応を寮の方でやっていてくれたことです。自分たちの大学で競技会をやっているのに、主務がその場にいない。その点を質問すると「マネジャーは全部で13人いますから」(人数、もしかしたら間違っているかもしれません)との答え。さすが日体大と思いました。

 競技会では鷲見選手が28分57秒11で走りました。レースをずっと引っ張るスタイルも健在です。出雲、全日本と故障の影響で欠場しましたが、無理をしないで箱根に合わせてきました。この1万mでも、無理に28分台を狙った仕上げをしたわけではないようです。
 別府監督は、こちらの記事でも紹介したように、1区がしっかり走れれば、4区までは上手く流れると自信を持っています。鷲見選手にメドが立ったことで、堅実な駅伝が実現しそうです。

 競技会で他に目立った選手は、5000mの最終組で橋ノ口滝一選手が1位に。寒さのため記録は14分台でしたけど。1万mでは最終組の方が少し前の時間で、自体学勢が2・3・4・7位を占め、その4人が28分台。ニューイヤー駅伝が楽しみになりました。5位が鷲見選手で、6位が重川材木店の松本真臣選手。松本選手は重川材木店の日本選手初の28分台(28分58秒06)で走りました。走った松本選手はもちろん、応援していたチームメイトたちも興奮を隠せない様子。こちらも、ニューイヤー駅伝が楽しみになりました。
 学生では5組1位の高橋和也選手(早大1年)が29分29秒05の自己新。箱根駅伝のチームエントリー時点では、1万mの記録欄が空欄でしたから、恐らく今回が大学入学後の初1万m。ラストは強かったですね。2位の野口拓也選手(東北高)は2年生。29分31秒94は高2歴代12位でしょう。11月末にも日体大で、5000mに14分16秒55を出している選手です。宮城県インターハイ5000mでは仙台育英高2選手に続いて3位でしたが、宮城県高校駅伝の1区では仙台育英高・梁瀬選手に1分19秒も離されています。その悔しさが、モチベーションになっているのかもしれません。

 こういった高校・大学のエリート選手たちの頑張りが目立つ一方で、1万m3組では中村高洋選手(名大)が29分48秒89で走りました。素質のある選手は、どこに埋もれているかわかりません。名大は東海学生駅伝に優勝していますから、練習もかなりやっている大学だと思われます。それでも、関東の大学に比べたら、やっていないでしょう。中村選手は4年生。その人にはその人の人生もありますから、立ち入ったことは言えませんが、実業団に行ったら面白い存在になるんじゃないでしょうか。


◆12月16日(金)
 夕方の5時から東海大の箱根駅伝に向けた共同取材。先週の土日に日大、日体大とあったので、これで3校目です。一連の取材で面白いのは、“横のつながり”とでも言う部分でしょうか。例えば、日大の土橋啓太選手(3年)と東海大の伊達秀晃選手(2年)は、大牟田高の先輩後輩。高校時代は2年間、同部屋だったそうです。
 土橋選手には、伊達選手の印象など、少し話を聞くことができたのですが、今日の東海大取材では、そこまでの余裕が持てませんでした。その理由は2つ。日大では共同会見部分が長く、その後、個々に話を聞いた選手は土橋選手と吉岡選手の2人だけでした。時間もあって、最後の方は雑談モードに。それに対して今日は、個々に話を聞いた選手が多かったのです。陸マガの取材で主要選手は話を聞いてあるのですが、それでも、やっぱり佐藤悠基選手は聞かないといけないですし、前回山下りの石田選手に、前回9区区間最下位の倉平選手、そして1年生1区候補の杉本選手にも話を聞こうと考えていましたから。
 もう1つの理由は、取材する記者の数が多かったこと。広報の方によれば、東海大始まって以来の人数が殺到したそうです。末續選手の世界選手権銅メダルの時は? と思いましたが、考えてみたら、当時すでに末續選手はミズノの所属。会見はミズノでやることが多かったですし、公開練習は陸連合宿のときが多かったのでした。

 土橋・伊達選手のような高校の先輩後輩は、かなりの数になります。月曜日には中大で同様の共同取材がありますが、中大には佐藤悠基選手の佐久長聖高の先輩である上野裕一郎選手がいます。
 指導者のつながりもあります。日体大の別府監督は、西脇工高が全国高校駅伝に初優勝した際のアンカーだったことは、11日の日記で紹介しました。そのとき2位だった八千代松陰高の3区で区間賞を取ったのが、東海大の大崎栄コーチです。大崎コーチは前年にも4区で区間賞を取っています。1982年のこと。
 そのときの八千代松陰高の監督が、東海大の新居監督です。
「別府君も大崎も、駅伝をやってきたことで色々な出会いがあった」
 と新居監督はしみじみと振り返ります。一番おいしいお酒が飲めた駅伝はどれか、と質問したところ、「全国高校駅伝に初出場で7位になったとき」という答えでした。大崎コーチが2年生の時ですね。翌年は2位ですが、西脇工高に“負けた”印象が強いようです。東海大に来てからは、これというレースはないようです。
 今回の箱根駅伝も“2位”では、本当に美味しいお酒は飲めないでしょう。


◆12月18日(日)
 朝7時に起きるとホテルの窓から見る岐阜市街は雪景色。元旦のニューイヤー駅伝に続いて「やばい」と思いましたが、8時を過ぎると晴天に。なんとかなりそうで、一安心しました。9:20にホテルを出て、10時前には長良川競技場に着。その後は記者の方たちと話をしつつも、書きかけの原稿に集中しました。
 中日新聞・桑原記者とはフィギュアスケートの話になりました。以前、安藤美姫選手と今井美希選手の“愛知のミキ”談義をした記憶があったのです。今日の駅伝でも、三井住友海上のWミキが活躍しそうでしたし。ちなみに、昨日の国際グランプリファイナルで安藤選手が失敗しましたが、トリノ五輪候補5人のうち3人は、愛知県出身の選手だそうです。
 元大広(広告代理店)の大内さんは、スタンドでニューイヤー駅伝公式ガイドを購入して来られました。公式ガイドの購入が目的ではなく、スタンドに出て大会全体の雰囲気や運営、観客や関係者の様子をチェックされているわけです。競技場の玄関に車で乗り付け、あとは大会本部でふんぞり返っているだけ、というお偉いさんには見習って欲しい部分です。

 いつもだったら、レース1時間前くらいから監督たちと雑談をしに行くのですが、今日は11:30まで原稿書き。30分だけスタート前取材をしました。
 三井住友海上・鈴木監督は、「ええっ?」とビックリするようなギャグを言ってきます。余裕があるのか、今さらジタバタしても仕方がないと思っているのか。天満屋・武冨監督は、いつものように穏やかな笑顔。レース中にテレビに映っていた真剣な表情は、普段はあまり見られません。
 寺田は今回、陸マガは小ネタ担当ですが、3本はレース前にネタを確定させ、1本は取材を済ませました。

 レースはこちらの結果に。2位の天満屋、3位の沖電気は予想外。昨日も、この2チーム関係者への取材はまったくしませんでした。まさか天満屋が、坂本直子選手を欠く陣容でここまで走るとは、完全に想定の範囲外です。1区の中村選手(3位)で好位置を確保したのはあれですが、3区まで並べた入社2年目トリオがここまで走るとは。武冨マジックですね。淡路島のときの日記にも書きましたが、あの表情に騙されてはいけないということでしょう。
 沖電気の谷口監督の話は聞けませんでしたが、毎日新聞の記事によれば涙も浮かべていたとか。1年くらい前までは、「選手を走らせるのは難しい。自分で走る方がよっぽど楽」とこぼしていましたから。きっと何か、指導法でつかんだものがあるのでしょう。

 今回は九州勢が目立ちました。沖電気が3位に入っただけでなく、3区では十八銀行の扇まどか選手が区間3位。渋井陽子選手を抑え、日本人トップの快走でした。競技とは関係ありませんが、名前のまどかの由来は、ご両親が教えてくれないと話していました。三木まどか選手(女子100 mで89年のインターハイ優勝)を思い出したので、ちょっと気になったのです。
 十八銀行の高木監督は、以前は沖電気でコーチ。宮崎工高で阿万亜里沙選手(女子100 m元日本記録保持者)の1学年上と言っていましたから、谷口監督とは同学年ですね。そういえば、武冨監督は佐賀県、4位の資生堂・川越学監督は鹿児島県。九州出身の監督が頑張った大会でもあったわけです。
 1区では宗由香利選手も4位(日本人2位)の好走。注目されていた1500m選手間の争いで、頭を取りました。
 高木監督と旭化成の楠マネジャーから、このサイトを選手たちが見ていると聞かされました。地域的には、関東のネタが多くなるのが現状です。どうしても、取材の多い地域になりがちなのですが、今後は福岡以外の九州ネタも増やしましょう。

 ところで、番狂わせがあったということは、予想以下の順位になってしまったチームもあるということ。そういったチームの選手や監督に話を聞くのは、難しいところもあります。敗因を面と向かって聞けないことも多いですね。他の記者たちと一緒ならともかく、それ以外のシーンで改めて聞くとなると。
 資生堂・川越監督とは、優勝したらあることを寺田のサイトで公表する約束をしていましたが、「大阪女子マラソンで○○選手が優勝したときに」と、こちらから変更案を提案しました。京セラの選手たちには、閉会式会場の外で出くわしたので、敗因を質問しました。さすがの杉森美保選手も上手く説明できないようでしたが、そういった状況でも笑顔で対応してくれます。もちろん、すぐに退散しましたが、こちらもちょっと複雑な心境になりました。その後、京都新聞の宮脇記者と話をしたりして、寺田なりに推測したことはあるのですが、今日のところは書かないことにします。時間をおけば、関係者に話を聞く機会もあるかもしれませんし。
 などと考えていたら、なんと京セラの大森監督と岐阜から名古屋に移動する電車で、偶然一緒になりました。今日の駅伝の話をしないのも不自然なので最初に少しはしましたが、場所が取材の場ではありませんから、根ほり葉ほり聞くことはしません。むしろ、陸上界全般の話題や、大森監督の埼玉栄高時代の選手のこと、寺田の個人的なことを話して美濃尾張間を過ごしました。


ここが最新です
◆12月24日(土)
 いったい何年ぶりだろう?
 全国高校駅伝取材のため、京都に来ています。昨日から今日の午前中まで関西某所で取材があり(いい話を聞くことができました)、それを済ませて昼頃に京都入り。最後はタクシーを使って、13時から始まっていた監督会議に間に合いました。といっても、会議をやっている会場の外で、区間エントリー表が出るのを待っていただけなのですが。

 今日の目的は、有力校監督たちのコメントを聞くこと。特に、女子は3強(諫早、須磨学園、興譲館)の力が接近していて、どこが勝つのか予断が許されない状況です。なんとか3チームの監督全員に取材したいと考えていました。
 しかし、ここ数年高校生選手の取材が少なく、各監督とも面識がありません。こういうときは、他の記者たちが囲んでいるときにご一緒させていただくのがベターです。
 女子の3監督については産経・O氏、読売・S氏と、関西の陸上競技担当記者の方たちに便乗させていただきました。男子では豊川工高・渡辺監督を中日新聞・K記者たちが囲んでいたので、そこに合流。佐久長聖高の両角監督は面識もあるので、寺田から声をかけることができました。
 本当に久しぶりの西京極取材で、どう動いたらいいか勘が鈍っていました。他の記者たちの動きを参考にして、なんとかなったという感じです。

 ところで、会場まで行くタクシーの運転手が相当なスポーツ好きな方で、こちらが高校駅伝の取材とわかると色々と話しかけてきます。ジュニア時代にすごい活躍をするのはいいことなのかどうか、とか。なかなか本格的です。水泳の金メダリスト、柴田亜衣選手が京都観光をしたときにチャーターしてくれたこと、プレゼントをもらったことを嬉しそうに話します。
 そのスポーツ通運転手が言うには、地元で行われている全国高校駅伝で記憶に残っている最後の選手は渡辺康幸選手(現早大監督)で、「その後はケニア選手ばかりでよく覚えていないし、関心も低くなっている」と言います。正確には、渡辺選手の卒業翌年は小林雅幸選手(現SUBARU)が1区の区間賞を獲得していますけど、それが世間の印象なのでしょう。

 夜はちょっとした食事会。7人の集まりでしたが女性が1人来ると聞いていたので、プレゼントを購入しようと思い立ちました。西京極から四条河原町まで阪急電車で移動。たぶん、目の前を何十回と通ったことのある阪急デパートに、初めて入りました。アテがあったわけではありませんが、なんとなくぶらぶらしていると、ヘルシーコーナーっぽい一画でピンと来るものがありました。ものの数分悩んだだけで、ハーブティーを購入。正確には覚えていませんが「二日酔いによく効く」というようなコピーが大きく印刷されたパッケージです。
 その女性の方が、明日の午前中の早くから仕事だとわかっていたので、洒落のつもりで買ったわけです。お酒を飲んでも大丈夫ですよ、という意味を込めて。ラッピングはしっかりクリスマス用にしてもらいましたけど。高校駅伝当日に午前中から仕事をする陸上競技関係者……って、いっぱいいますよね。



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